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写真の黎明期 ポートレート写真写真史講2
写真の黎明期 ポートレート写真
1839 年に世界で最初の写真術であるダゲレオタイプの発明が公表されました。写真の黎明期から、日本への写真の伝来、20 世紀初頭にいたるまでの写真技術の発展をたどりながら、日常生活に密着したポートレート写真の表現について考えてみましょう。
ダゲレオタイプ
フランスのルイ=ジャック・マンデ=ダゲールが1839年にダゲレオタイプを発明したことにより、ポートレート写真の撮影が流行していきました。当時は長い露光時間を要し、撮影されたダゲレオタイプには着色や、さまざまな装飾がほどこされたり、アクセサリーや装身具のようなものに仕立て上げられたりしていました。
The Daguerreian Society
http://www.daguerre.org/
日本への写真伝来
銀板写真(現代語訳)/印影鏡(当時)写真は、ダゲレオタイプ、湿式コロディオンともに西欧の新しい科学として、蘭学者の研究対象として、新しい作画技術として導入されました。箱館、横浜、長崎の港には写真技術を持った外国人が居留し、そこから写真技術が伝播していきました。
1848(嘉永元)年
長崎商人上野俊之丞(上野彦馬の父)が、ダゲレオタイプの機材一式をオランダから輸入。
1854(安政元)年
ペリー艦隊の従軍写真家、エリファレット・ブラウン・ジュニアが日本人をダゲレオタイプで撮影。琉球、下田、横浜、箱館と寄港地ごとに日本の風景や風俗、人物を、4500 ものダゲレオタイプに撮影したが、ほとんどが火災で焼失。蘭学者の川本幸民が『遠西奇器述』を著し、ダゲレオタイプを「直写影鏡」と翻訳し、解説。
1857(安政4)年
島津斉彬(しまづ なりあきら)がダゲレオタイプを撮影。
1862(文久2)年
上野彦馬(1838-1904)が「撮形術:ポトガラヒー」の項目を加えた『舎密局必携』を著す。長崎に、「上野撮影局」を開業し、日本最初の職業写真師となった。下岡蓮(1823-1914)が横浜・野毛に写真館を開業。
「写真」という言葉の由来
カメラ・オブスキュラの訳語として「写真鏡」という語が蘭学者の間で使われる。
 
→そして遂にダゲレオタイプが輸入され、あるいは日本でも製作されるようになった。しかし初期は訳語にばらつきがあった。摩藩主、島津斉彬は「印影鏡」という言葉を、斉彬の家臣、川本幸民は「直写影鏡」という言葉を、佐久間象山は「留影鏡」という言葉を使っている。
 
 
写真の黎明期 ポートレート写真写真史講2【写真(しゃしん)xiezhen(中)
中国画における肖像画のこと。伝真、伝神、写照、写貌などともいう。像主の外形だけでなく精神性をも表現すべきとされる。
 
̶̶『新潮世界美術辞典』より
 
・中国では「写真」の言葉は肖像画と密接に関係してきた。
 
!"
幕末から明治にかけて 語義の地殻変動が起き、写真はフォトグラフィとの結びつきを強めていく。・1877年の内国勧業博覧会では、第三区美術の第四類に「写真術」が設定されており、photographyの意味での「写真」を広く社会的に浸透させる重要な機会になった。【寫眞】物の實像を光の化學作用を利用して,紙其の他のものに再現させたもの。寫眞器で形像を乾板に撮影し,現像・定着の諸操作を経て得た陰畫原板から,種々の方法で燒付けた陽畫。
 
1850年代以降湿式コロディオン、乾板法の発明
ネガからポジ像を焼き増しする(複製する)ことができる写真術の発明により、写真の普及が加速1.
 
カルト・ド・ヴィジット(名刺判写真)の発明
写真アルバム(家族・著名人の写真)が流行身振り、背景紙 社会的な地位を演出したり、誇示したりするための記号としての役割を果たす。ナダール(Nadar, 1820-1910) パリでさまざまな芸術家たちのポートレート写真を撮影2.
 
表情の探求 観相学と写真
神経学の研究者、デュシエンヌ博士の実験→ 被験者たちの顔に電流を流し、筋肉と表情、感情の関係を写真を用いて記録・調査する。3.
 
人類学・司法写真 人々を管理するための写真
アルフォンス・ベルティヨン(フランスの警視庁の役人)による司法写真の開発→ 正面と真横からの撮影 顔のパーツの分節分節、計測される顔 合成写真 「見る者」と「見られる者」との間の権力関係
 
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