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定常的世界と「経済的至福」

前回、生産によって価値が創造され、その価値が配分されて所得となり、それらが消費や投資として
支出されるという経済活動の三つの側面は、経済全体で集計すれば一致することを指摘した。名目でみ
た国内総生産がほとんどゼロ成長となる定常的世界とは、これらの三つの側面がつねに不変であるよう
な世界であり、名目でみた生産だけでなく、所得や支出される金額もまた不変となる。これを簡素なモ
デルで考えてみたい。
いま、銀行が存在せず、貯蓄とは、生活者(家計)が保有する貨幣を退蔵させることを意味するもの
とする。企業は外部からの資金調達を行わず、前期に商品を販売することで手にした貨幣によって労働
力を調達し、保有する資本を用いて商品を生産し販売する。商品の販売によって得た貨幣は、すべて労
働者の所得として分配される。15このモデルに投資は存在せず、支出はすべて消費である。生活者が消
費した商品の量を実質消費として、三面等価の原則から、

物価(P)×実質消費
物価 ×実質消費(C)=
×実質消費 =名目所得(E)
名目所得

という関係式が成立する。ここで物価とは、さまざまな商品の価格を総合して単位商品量あたりの数値
に表したものである。例えば「消費者物価」は、家計の消費構造(どの商品をどれだけ消費するか)を
基準年の調査をもとに固定し、この平均的な家計が消費に要した費用が価格の変化によってどれだけ変
動したかを表したものである。
この関係式は、循環的に繰り返す経済の姿をも表している。労働者/生活者にとって、今期の所得が
その期の消費を可能にするとともに、その消費によって、翌期の所得が生まれそれによって翌期の消費
が可能になる。
(あり得ない想定だが)今期の消費がゼロであれば、翌期の所得はゼロとなる。

 →  ×  =  → 
 × 
 = 
 → ⋯

ここで労働生産性の上昇を考える。
「労働生産性」とは、労働1単位(例えば、労働時間1時間)あた
りで生産される商品の量である。16労働生産性が上昇すると、労働者が同一労働時間内に生産できる商
品の量は増加する。労働生産性の上昇によって、他の条件を一定とすれば、企業経営の効率性は高まる
ことになる。
労働生産性の上昇は、投資がないこの想定された世界では、経済成長を可能にする潜在力の向上を意
味する(投資がある場合、労働生産性は、潜在力の向上だけでなく資本装備率の上昇によっても上昇す

15
このモデルでは、資本減耗と原材料が捨象されている。
16
ここでは資本のない世界を考えているが、通常使用される生産性概念には、労働生産性のほかに、資
本1単位あたりで生産される商品の量である資本生産性や、労働や資本だけでなくすべての生産要素投
入量と生産された商品の量との関係を計測するための指標である全要素生産性などがある。労働生産性
が高い企業は、一般に、労働者ひとりあたりの資本の量(資本装備率)も大きくなり、これによってひ
とりあたりの生産量は大きくなるが、その一方で、設備投資に要する費用も大きくなる。つまり労働生
産性の大きさは、企業経営の効率性に直接結びつくわけではない。例えば産業別にみると、石油・石炭
産業の労働生産性は、日本の主要な輸出部門である電気機械、自動車・同部品産業の労働生産性よりも
高くなる。企業経営の効率性という観点からみた場合により重要なのは、全要素生産性である。

-9-
る)
。労働生産性が上昇したとき、
向上した潜在力によって増加する商品の量に見合う商品需要があれば、
労働生産性の上昇は一国経済の成長そのものである。
..
しかし、名目でみた経済規模が不変な定常的世界を前提としたとき、生産の増加によって経済主体間
で価値をとりあうゼロ・サム的な状況が生じ、市場競争は激化する。労働生産性の上昇によって同一労
働時間内に生産できる商品の量が増えると17、企業が生産規模を拡大するためには、よりおおくの商品
需要を必要とするようになる。生活者の所得が増えない環境の中でよりおおくの需要を得るため、企業
は商品の価格を引き下げる必要がある。こうして、企業間の価格をめぐる競争が激しくなる。
商品の量的な需要があるにもかかわらず、企業が価格引き下げ競争を強いられるということには不思
議な印象をもたれるであろう。旺盛な商品需要がある場合には価格を引き下げなくとも商品が売れる、
というのが現実の経済の姿である。またこれを可能にしているのが金融の役割であり、資金を借り入れ
ることによって、前期の所得を超える(名目値としての)消費が可能になる。

 <  ×  =  < 


 × 
 = 
 < ⋯

一方、実物的な豊かさよりも自由時間が選好される「経済的至福」においては、企業は生産規模を拡
大しようとせず、労働生産性の上昇はそのまま余暇の増加になる。また余暇の増加によって、労働を単
位としてみた所得(生産に投入された労働力1単位あたりの所得)は増加する。18さらに余暇の増加は、
人間の生活時間に占める労働時間(経済活動に要する時間)の割合を縮小させ、人間が経済以外の活動
に従事する時間を増加させる。しかし、企業が生産規模の拡大を望むならば、労働生産性の上昇によっ
て生産される商品の量は増加し、定常的世界において価格は低下する。しかも、引き下げた価格に対し
て商品に対する需要が十分に伸びないときには、たとえ労働生産性が上昇しても、労働を単位としてみ
た所得は減少することになる。企業とは、商品需要の量的拡大が見込めないような世界においても、自
らの生き残りをかけて競争することを宿命づけられている存在なのである。
広井良典のいう「定常型社会」は、ケインズのいう「経済的至福」への到達を想起させるものである
が、同時にそれは、ゼロ・サム的な経済活動を前提とする社会でもあった。効率の改善にともなって価
格は低下し、生産される商品の量は増加する。労働者の余暇への選好が大きく、労働1単位あたりの所
得の低下ができなければ、価格の低下によってよりおおくの商品需要を得ることは、企業にとって困難
なものとなる。しかし、労働者が仕事や地位の顕示的な側面を重視し、生活者の商品に対する選好がい
まだ大きい場合は、それを容易に行うことが可能である。このとき、労働生産性の上昇によって余暇が
増加するとは一概にいえず、仮にそれが増加するにしても、それによって生じる労働力の冗長性は労働
の喪失(失業)である。一方、
「経済的至福」においては、余暇の増加はつねに労働を単位としてみた所
得を増加させる。

労働を単位としてみた所得とは、すなわち労働の価値のことである。労働生産性の上昇によって生じ

17
ここではわかりやすくするために商品の量を用いて説明しているが、後述するように、商品の質が高
まることでも物価は下落する。つまり、ここでいう実物的な豊かさは、商品の質の向上によっても同じ
ように得ることができる。商品の量を増やすための労働の増加も、商品の質を高めるための労働の増加
も、 「一般的抽象的労働」(マルクス)という概念のもとでは同じものである。一方、これらの違いを重
視する論者として、後述する武田晴人があげられる。
18
節約された労働に相当する費用が企業の貯蓄として退蔵される場合は、この限りではない。

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た価値は、労働の価値を高めるか、ないしは価格の低下に振り向けられ生活者の物質的ニーズを満たす
ことでその満足を高める。価格の低下とは、見方を変えると、貨幣価値が相対的に高まることである。
つまり、労働を単位としてみた所得によって労働の価値を測るとするならば、労働の価値は貨幣価値と
代替的な関係をもつことになる。
経済学の世界における一般的な考え方を踏襲し、生活の豊かさはできるだけおおくの商品を消費する
ことによって実現されるとするならば、労働生産性の上昇によって生じた価値を価格の低下によりおお
く振り向けることがよりおおくの満足を生むことになる。経済の効率性は、商品の量を基準として測ら
れる。現実に、市場に参加する企業が十分におおければ、競争の激化によって価格は低下する。19もし、
ここでときの政府が商品の価格を固定する政策をとれば、経済の効率性は損なわれる。固定された価格
が市場で需要と供給が均衡する場合の価格(均衡価格)よりも高ければ、需要される商品の量は均衡価
格が成立する場合よりも少なくなり、
逆にそれが低ければ、
こんどは供給される商品の量が少なくなる。
いずれの場合も、消費される商品の量は、その最大限可能な量を下回ることになる。
しかし、生活者は(年金生活者を除けば)同時に労働者でもある(年金生活者以外の無業者は、他の
労働者によって扶養される)
。労働生産性が上昇したとき、労働を単位としてみた所得が一定のもとで価
格が低下し消費可能な商品の量が増える場合もあれば、価格が変わらずに労働を単位としてみた所得が
増加する場合もある。もし、満足の基準を消費される商品の量だけにおくとすれば、後者によって満足
が高まる効果が看過される。実際には、これら二つの方向性のどちらがより満足を高めることになるの
かはわからない。こうした視点に立つと、生活の豊かさを実質GDPを基準としてみるこれまでの一般
的なものの見方も改められることになる。20

定常的世界では、できるだけおおくの商品を消費できるよう経済主体が行動する限り、労働の価値は
相対的に低下し、貨幣の価値が高まる。しかし一方で、労働市場では、労働者と企業(使用者)の間で
労働の価値をめぐる交渉が行われる。労働者と企業の交渉上の立場(バーゲニング・ポジション)には
違いがあるとはいえ、むろん、労働力を保有するのは身分的、人格的に自由であり、それ自体意志をも
つ主体である個人である。企業が生産規模を拡大するため価格を引き下げようとしても、企業は翌期の
費用を賄えるだけの付加価値を手に入れる必要があり、労働者がその交渉力を発揮すれば、価格の低下
と所得の低下にはどこかで歯止めがかかるはずである。労働の価値をあまりにも大きく引き下げること
になれば、相対的に、余暇に対する選好が高まることにもなる。
日本経済は、いままさに定常的世界を示すものとなっている。名目でみた国内総所得は、1990 年代に
入ると、ほとんど増加していない(Fig.1)
。しかし日本経済は、サービス経済化が進むなど成熟化に向
かいつつある中でも、
「経済的至福」にいたるような兆しはみられない。名目でみた経済規模が増えない

19
完全競争市場では、生産を1単位増加させたときの収益の増分である限界収益が、生産を1単位増加
させたときの総費用(固定費用+可変費用)の増分である限界費用に一致するところで市場は均衡し、
価格が決定される。
20
労働生産性の上昇が労働を単位としてみた所得の増加だけに寄与することになると、年金生活者には
その価値が行き渡らない。年金生活者を含めて労働生産性の上昇によって生じた価値を生活者全体に等
しく行き渡らせるためには、価格の低下によってよりおおくの消費が可能になることの方が好ましい。
しかし労働生産性の上昇は、現役世代として就業している者の貢献によるものであり、それを労働を単
位としてみた所得の増加に振り向けることはけっして不合理なものではない。労働生産性の上昇が価格
の低下と消費の増加に寄与することは、現役世代から年金生活者へ価値と満足を移転するものとみなせ
る。

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中で、物価は下落し続け、長きにわたるデフレ下の停滞を余儀なくされている。
日本経済が「経済的至福」へといた
(Fig.1) 名目国内総生産(名目国内総所得)の推移 らないのは、人間とは、根本的に実物
120
的な豊かさ、ないしは貨幣そのものを
100
追求し続ける存在であるからである。
80 物価が下落し労働の価値が低下しても
(2000年=100)

60 労働者の余暇への選好が高まらないと
40 すれば、それは価格の低下によって商
品への選好もまた高まり、労働の価値
20
が低下する中でも働くことを選好する
0
1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005
人々が存在するためである。このこと
(資料) 内閣府「国民経済計算」 は、近年、所得が低く雇用が不安定な
いわゆる非正規雇用者が増加している
ことに現れている。また、人間とは、より顕示的な仕事や地位を追い求める存在でもある。このため、
余暇に対する選好が高まることには限度があるのである。
しかし、商品の量的需要は拡大する一方で、名目でみた経済規模が拡大しない理由はどこにあるのだ
ろうか。これには、労働者と企業の交渉において労働者に不利となるよう経済全体のバランスが揺らぐ
ことが作用する。これは、経済に対する一時的なショックによって引き起こされ、完全失業率が上昇す
ることなどによって国民生活に悪影響を及ぼすものとなる。もしそれが何らかの理由で長期に続くこと
になると、いまの日本経済のように、長期にわたる物価の下落という現象がみられることとなる。いま
ここにいたる日本経済を過去から現在に向けて追跡することにしたい。

なお、ここまで議論では、労働生産性の上昇を、個々の企業や産業という視点でみるのか、経済全体
という視点でみるのかの違いを曖昧にしている。前者のようなミクロの視点でみれば、商品市場が効率
的であれば、労働生産性の上昇は「価格」の低下をもたらすはずである。しかし、後者のようにマクロ
の視点でみると、労働生産性の上昇が「物価」の下落につながるかどうかは一概にはいえない。
つぎのような事例で考えてみよう。まず、2部門(産業Aおよび産業B)からなる経済を考え、産業
Aの労働生産性が上昇したとする。いま、産業Aが生産する商品をAとし、産業Bが生産する商品をB
としよう。このとき、商品Aの価格は低下するが、それによって予算制約に余裕が生じるため、商品A
だけでなく商品Bにもこれまで以上の需要が生まれる。また、商品Aの価格の低下によって、産業Aに
は労働力の冗長性が生じることになるため、労働市場が効率的であれば、産業Aから産業Bへ労働者が
移動する。その結果、商品Aの価格は低下するものの、労働生産性が上昇していない商品Bの価格が上
昇し、経済全体でみたときの物価の下落にはつながらないことがある。このような現象は、相対価格の
変化とよばれている。
これは、実際の経済においても生じている。国際的な競争にさらされる貿易財は、生産性の上昇によ
って価格が低下する。その結果、貿易財のみならず非貿易財であるサービス部門にも需要の増加が生じ
る。
また貿易財を主に生産する製造業では労働者が余剰となる一方、
サービス部門の労働者は増加する。
21
その結果、経済全体としてみれば、労働生産性はしだいに低下することになる。経済が発展するにつ

21
経済のグローバル化によって都市の経済の「ローカル化」を進むことは、ポール・クルーグマンが指摘

-12-
れ、農業等の第一次産業から建設業、製造業等の第二次産業、そしてサービス部門が中心となる第三次
産業へと、しだいにそのウェイトを移していく産業構造の段階的な進展は、ペティ・クラークの法則と
して一般的に知られ、先進各国において普遍的にみられる現象である。22

mailto: kuma_asset@livedoor.com

している(ポール・クルーグマン(山岡洋一訳) 『良い経済学 悪い経済学』)



22
サービス産業では、製造業よりも労働生産性が低いにもかかわらず労働者を吸収することになるが、
これは一見、合理的な行動ではないように思われるかも知れない。しかしこれは経済合理性に則した行
動として、つぎのように説明することができる。市場が完全競争の状態にあり、価格調整が伸縮的に働
いていると仮定したとき、企業が自らの利潤を最大化するよう行動するならば、労働者ひとりあたりの
賃金は労働者をひとり追加することで増加する生産額(労働の限界生産性)に一致する。労働者ひとり
あたりの生産額(労働生産性)が高い製造業などでは、通常は労働者ひとりあたりの資本の量(資本装
備率)も大きく、労働生産性が高いにもかかわらずサービス産業と比較して労働の限界生産性が低くな
る場合がある。このため、労働者は製造業よりもサービス産業における雇用を選択するようになる。こ
の議論については、第4節において再度とりあげる。

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