高岡学遊倶楽部
高岡の伝統産業染物の繁栄から衰退の歩み
慶長14年 前田利長が高岡城を創建。その後天和の1国1城の令により高岡城は破却される。利長と共に高岡に来た人達は元武士で職人であった。高岡城廃城後、630人いた住民が、元和2年(1616年)204人に減少する、人の流出が止まらず、元和6年(1620年)10月町人足止めの為に移転禁止令を発令し加賀藩は商工業の保護政策をとる。前田利常は城下町高岡を商工本位の町に建て直した。小馬出町には御用商人達、川原町は魚鳥取引の独占権、木町は材木等の独占権、千保川は舟運送の独占権、金屋町は鋳物の独占権、吉久は加賀藩の米倉の独占権を与えた、町人の町として繁栄し三州随一の経済都市に発展したその意味で近世高岡は利常に始まるとも言えるでしょう。高岡の綿業界が繁栄したのは、木綿の生産地として知られた新川郡・今石動の八講村・五郎丸村を控えたからであろう。高岡の綿商人達は大阪・備後福山・泉州堺等から原綿を仕入れこれを打綿し新川郡に供給する。新川郡各地で紡織されて新川木綿になり、再び高岡に送られて染色し裏地木綿として領内のみならず広く他国他領地に輸出された。これらの事実により当時高岡の綿物が三州隋一である
○
綿 市 場 寛文11年(1671年) 締綿市場創立 高岡に締綿市場ができる
○
明和元年(1764年) 綿市場高岡町の公営となる
○
文化9年(1812年) 高岡だけでなく他国から加越能三州へ入る一切 の綿に輸入税の徴収を託される
○
文政 7年(1824年12月) 高岡綿業界に綿の専売権を特許される
○
布 市 場 寛永12年(1635年) 高岡に布御印押入設置。越中産の布はすべて高岡で検印する基礎が出来る越中は古くから全国有数の布の産地で新川郡・今石動の礪波郡八講村・五郎丸村等があり特に礪波郡八講村・五郎丸村産の布は「八講布」の名前で中世から全国
ブランド
広く知られていた。越中高岡は生産地ではなく取引市場で
芋紬
(
お
か
せ
)
や麻
布な
ど
もすべて高岡商人の
手
で
集散
されていた。これらの
環境
が高岡染の繁栄の基礎となった。
お
国染め 加賀藩の染物で全国
的
に知られているのは、「加賀
友禅
」加賀
友禅
は17世
紀
前
半
の
頃
「
宮崎友禅
」によって創始された。それ
以
前にも名の知れたものがあった
『お
国染
』又
は
『
加賀染
』
と
呼ば
れていた。
幕末
の
頃
には
四ヶ
用
水
1
Add a Comment