The New Life Mission

Paul C. Jong

目 次

目 次

PAUL C. JONG
牧師
著者は、20 年近くにわたっ
て世の迷える魂に水と御霊
の福音を説いてきました。
新生命宣教会の設立者と
して、現在はニューライフ・
ミッション・スクールでイエ
スの弟子を数多く指導して
います。
宣教を主目的とする教会
を設立した師は、その著作
によって福音を広めていま
す。
現在、師の本は世界中の 65
以上の言語に翻訳されてい
ます。

目 次

主の祈り ・誤解と真 実 ・

図 書 出 版 ヘプシバ
新生命宣教会出版部
韓 国 ソウ ル市

PAUL C. JONG


目 次

主の祈りに関する説教
主の祈り─ 誤解と真実
Copyright © 2008 by The New Life Mission
本 書 は 著 作 権 法 上 の保 護 を受 けていま す。本 書 の一
部 ま たは 全 体 を著 作 権 者 か ら文 書 によ る許 可 を得 ず
に、ソフトウエアおよびプログラムにより、コピーを含むい
かなる方 法においても複写 、複 製することは禁 じられて
います。
英 語 原 文 で 聖 書 の 引 用 には ニュ ー ・キ ング ・ ジェーム
ズ・バージョンを用いました。
ISBN 89-8314-630-3

目 次

表 紙
-

はじめに

聖 書 に記 さ れた水 と御 霊 の福 音 とは

主 の祈 り・誤 解 と真 実 ・ 目 次

9
.

)

15

マタイ 三 ・一 三 一 七

-

(

二 天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめられます よう に。

.

)

31

マタイ 六 ・九

(

この世 に神 の御 国 を築 く働 き手

.

)

マタイ 六 ・一 〇

58

(

)

)

(

マタイ 六 ・一 一

(

.

.


.

互 いの弱 さ を赦 す マタイ 六 ・一 二

六 肉 の欲 求 充 足 のためだけに生 きてはならない

表 紙
83

四 私 たちの日 ごとの糧 をきょう もお与 えくださ い


109

126

)

マタイ 六 ・一 三

(

七 悪 に負 けるのではなく救 われなければならない

.

143

)

マタイ 六 ・一 三

(

千 年 王 国 が義 人 を待 つ

.

)

マタイ 六 ・一 〇

174

(

はじめに
●主 の祈 りに従 って祈 り、信 仰 生 活 を送 る

望 みなのです 。言 葉 を換 えて言 えば、神 は聖 書 全 体
を通 じて、まず 水 と 御 霊 の福 音 を知 ったう えで、主
の祈 りの意 味 を知 るよう にと告 げておられ るのです 。
です から、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて、神 が望 まれ る

主 が弟 子 たち に教 え られ た主 の祈 り を 、正 しく
理 解 してくださ ることを願 います 。しかし、どんなに

祈 りに生 きなければならないのです 。

●祈 りの妨 げ

願 ったところで、人 間 の考 えや 知 恵 ではみこと ば を
正 しく理 解 す ることはできません。それでも、イエス・
キリストを 信 じれば信 じるほど、主 のみこころに沿 っ
て祈 らなければならないことがわかってきます 。
弟 子 たちに主 の祈 りを教 え る前 、主 はパリサイ人

して、敬 虔 な声 で儀 式 を行 い、祈 ったのです 。つまる

した。彼 ら は虚 栄 心 から、いかにも善 良 そう な顔 を

た。彼 らの祈 りは主 の望 まれたものではあ りませんで

大 勢 の人 がいる寺 院 で偽 善 的 に祈 り をさ さ げ まし

のために罰 さ れ るべきなのだという ことを認 め、まず

です から 、神 の御 前 に行 こう とす る人 は、自 分 が罪

となって、大 胆 に神 の御 前 に行 くことができません。

完 全 な妨 げ となるのです 。罪 のあ る人 は、罪 が妨 げ

それ は罪 です 。人 間 の罪 が、神 の御 前 に行 くう えで

何 が神 の前 で大 胆 に祈 ることを妨 げるのでしょう 。

ところ主 は、ご 自 分 のお与 えになった水 と 御 霊 の福

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 を き よめる必 要 があ る

の偽 善 的 な祈 りを非 難 なさ いました。パリサイ人 は、

音 を 、人 間 が信 じて主 の祈 り を 解 釈 す ること を お


目 次

はじめに
9

霊 の福 音 を 信 じて罪 をみ な洗 い流 さ なけ れ ばな り

のです 。みなさ ん、神 の御 前 に行 きたいなら、水 と御

スマには、人 類 の罪 をみな洗 い流 す 真 の効 果 があ り

ん。十 字 架 の血 とともに、主 がこの世 で受 けたバプテ

ません。また、これを固 く信 じていなければなりませ

ます 。水 と御 霊 の福 音 の力 を知 り、信 じると、聖 な

ません。
ご自 分 が罪 の罰 として滅 ぼさ れる定 めにあ ること

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 を 処 理 しなければなり

りません。そう してはじめて罪 の問 題 は解 決 します 。

心 が現 在 どう いう 状 態 にあ るかを 知 ら なけれ ば な

スマ、十 字 架 の血 、そしてイエスが神 であられることを

るためにバプテスマのヨハネ から お受 けになったバプテ

知 ってお く必 要 があ り ます 。イエスが人 類 を 聖 く す

神 の御 前 に戻 るには、ほんとう に知 るべきこと を

る神 にお会 いし、その内 に住 むこがとできます 。

ません。水 と 御 霊 の福 音 がす でに罪 をみな洗 い流 し

信 じて、神 から 真 の救 済 を受 け、罪 をみな消 す ので

を ご 存 じです か。まだ心 に罪 があ るのなら 、自 分 の

たこと を ほんと う に知 り、信 じて、罪 の赦 しを 受 け
す。

人 類 の罪 を み な 洗 い流 し、十 字 架 で血 を 流 して人

せん。主 は、バプテスマのヨハネ からバプテスマを受 けて

で信 じ、信 仰 により罪 の赦 しを受 けなければなり ま

崩 せません。イエスを 信 じてはいても、真 の福 音 に明

ばどう なるでしょう 。それならば、心 にあ る罪 の壁 は

とが、罪 の赦 しに不 可 欠 の要 素 であ ると 信 じなけれ

イエス・キリストの受 けたバプテスマと、十 字 架 の血

●水 と御 霊 の福 音 はす べての人 に必 要

なければなりません。この福 音 は、神 への道 に、妨 げ
となる壁 を作 った罪 を滅 ぼしたのです 。そう してはじ
めて聖 なる神 の御 前 に行 くこと ができるのです 。罪
という 障 壁 がす べて砕 かれて神 の御 前 に行 けるよう 、

類 の罪 を 贖 い、人 間 がす べての罪 から 救 われ るよう

かさ れた罪 の赦 しを 信 じなければ、罪 のために心 を

水 と 御 霊 の福 音 のみことばをその耳 で聞 き、その心

になさ いました。このことを知 っておかなければなり


目 次

はじめに
10

受 けると、神 の子 どもになるという 恵 みを得 ます 。

さ さ げ られ るのです 。真 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを

な けれ ば なり ません。そ のためには、水 と 御 霊 の福

めには、まず 主 の祈 りの第 一 節 の正 しい意 味 を知 ら

神 の御 前 に行 き、父 な る神 に栄 光 を さ さ げ るた

た水 と 御 霊 の福 音 を 絶 対 に信 じなけれ ばなり ませ

真 の福 音 を知 らなければなりません。主 が世 の罪

音 を知 り、信 じていなければなりません。そう しては

失 います 。主 がす べての人 間 にくださ った水 と御 霊 の

を みな 十 字 架 に運 ばれ たのは、バプテスマのヨハネ か

じめて、罪 のない心 で大 胆 に神 の御 前 に行 け るので

ん。そう して神 への祈 りを妨 げている壁 を突 き崩 す の

ら バプテスマを受 けて世 の罪 をす べて背 負 っておられ

す 。肉 の考 えを 捨 てれば、イエスがバプテスマによって

福 音 には、常 に罪 の赦 しの大 き な力 があ り ます 。で

たから だと 信 じな けれ ばなり ません。主 がこの世 に

人 類 の罪 をかぶり、十 字 架 の血 によって裁 きを終 え

です 。

来 られ 、バプテスマのヨハネ から バプテスマを受 け たこ

たという 神 の義 を 示 す 水 と 御 霊 の福 音 に出 会 え ま

す から 、それ によって父 な る神 にふさ わ しい栄 光 が

と、十 字 架 上 の死 、そしてよみがえ り を 信 じるしか

ます 。です から、たった今 心 に罪 のあ る人 は、必 ず 水

す 。そう す ると、福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 けられ

真 の福 音 を持 たない者 は、自 分 の善 行 を誇 るばか

と 御 霊 の福 音 を 信 じな け れ ば な り ま せ ん。水 と 御

あ りません。
りです 。そう した狂 信 者 は、神 の義 さ え も無 視 しが

主 の祈 りの第 一 の主 題 は、罪 の赦 しを受 けて神 の

霊 の福 音 を信 じるなら、父 なる神 の御 名 にふさ わし

信 じなければなりません。主 は永 遠 の罪 から お救 い

子 ど も になり 、父 なる神 の聖 な る御 名 に栄 光 を さ

ちです 。しかし、主 が人 類 の罪 をみな洗 い流 した水

くださ いました。そ の完 全 な救 い主 が、水 と 御 霊 の

さ げるという ものです 。それが主 の第 一 の教 えです 。

い栄 光 をさ さ げることができます 。

福 音 によって罪 をみな消 し、罪 と関 わ りのない義 人

み なさ ん、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて神 の御 前 に行

と 御 霊 の真 の福 音 を見 て、イエスを完 全 な救 い主 と

にしてくださ ったのです 。です から 、イエスのくださ っ


目 次

はじめに
11

罪 を洗 われ 、救 われ ているのです 。完 全 な 福 音 であ

かぶり、十 字 架 で血 を流 したおかげ で、信 じる者 は

プテスマのヨハネ からバプテスマを受 け、世 の罪 をみな

死 の律 法 と から お救 いくださ ったのです 。イエスがバ

の罪 を み な 洗 い流 しました。そ う して、罪 全 部 と 、

十 字 架 で流 した血 とによって、ただ一 度 です べての人

リストは、バプテスマのヨハネ から 受 けたバプテスマと、

き 、罪 の赦 しを受 けなけれ ばな り ません。イ エス・キ

は語 られます 。

でしょう 。誰 でも 神 の御 前 に行 こう とす る者 に、神

受 けたという 確 信 の力 を世 の終 わりまで持 ち続 ける

す 。この福 音 のみ こと ば を 信 じる者 は、罪 の赦 しを

そ う してはじめて、神 とと もに歩 む 力 を 受 け るので

た血 とをいつも思 い、信 じていなければなりません。

溺 れ てしまいます 。主 が受 けたバプテスマと、流 さ れ

いです か、自 分 だけを見 ていたのでは、自 分 の弱 さ に

胆 に神 の御 前 に行 く力 が与 えられ るのです 。よろし

消 してくださ ったことを知 り、信 じて、わたしの前 に

プテスマと、十 字 架 で流 した血 とによって、罪 をみな

「イエス・キリストがバプテスマのヨハネ から 受 けたバ

る水 と御 霊 の福 音 を信 じなければなりません。

●主 の人 間 に対 す る愛 を 信 じていなさ い

来 なければならない。」

なりません。いつでも主 の義 を見 る信 仰 を持 っていな

して罪 をみな消 し去 ってくださ ったかを 見 なけれ ば

光 をさ さ げ るよう な祈 りのできる人 は、イエス・キリ

みを 信 じると、心 に深 い安 ら ぎ が訪 れます 。神 に栄

水 と御 霊 の福 音 によって与 えられた罪 の赦 しの恵

神 はそう した信 仰 をお求 めです 。

ければなりません。そうでなければ、弱 さ のために死

ストの受 けたバプテスマと、十 字 架 の血 とを 信 じてい

いつでも、水 と御 霊 の福 音 の内 に、主 がどのよう に

ぬこと になり ま す 。それ に対 して、主 がバプテスマと

るから、それができるのです 。
真 の信 仰 を持 つ者 だけが、真 の祈 りをさ さ げ るこ

十 字 架 での流 血 とで罪 を 消 してくださ ったことをい
つも思 い起 こす 人 には、水 と 御 霊 の福 音 によって大


目 次

はじめに
12

と ができ ます 。です から 、主 の義 であ る水 と 御 霊 の
福 音 を その耳 で聞 き、そ の目 で見 、その心 で信 じな
ければなら ないのです 。神 の義 であ る水 と 御 霊 の福
音 を 信 じれば、罪 のない者 になれ ます 。水 と 御 霊 の
福 音 を信 じる者 は、主 の祈 りで主 が教 えられたよう
に祈 ること ができ ます 。主 の祈 り をさ さ げ る前 に、
まず 信 仰 によって罪 の赦 しを受 けなければなりませ
ん。
では、聖 書 の語 っている水 と御 霊 の福 音 とは何 でし


目 次

はじめに
13

ょう か。水 と御 霊 の福 音 についてご説 明 してから、主
の祈 りについて詳 しく述 べることにいたしましょう 。

目 次

<

-

>

-

様 子 を描 いています 。また、旧 約 には、このことをあ

リストがこの世 に来 られ、罪 人 の罪 をす べて負 われた

マタイの福 音 書 第 三 章 一 三 一 七 節 は、イエス・キ

聖 書 に記 され た水 と御 霊 の福 音 とは

マタイ 三 ・一 三 一 七
さ て、イエスは、ヨハネ からバプテスマを受 けるために、
ガリラヤからヨルダンにお着 きになり、ヨハネ のところ

イエスはこの世 に来 られ、謙 虚 さ を示 す ためにバプ

ら かじめ告 げ ている部 分 があ り ます 。マタイ の福 音

う さ せてもらいたい。このよう にして、す べての正 しい

テスマのヨハネ からバプテスマをお受 けになったのでしょ

に来 られた。しかし、ヨハネ はイエスにそう さ せまいと

こと を 実 行 す る のは、わ たしたち にふさ わ しいので

う か。イエスが謙 虚 さ を示 す ためにバプテスマのヨハネ

書 第 三 章 は、イエスがバプテスマのヨハネ からバプテスマ

す 。」そこで、ヨハネは承 知 した。こう して、イエスはバプ

からバプテスマを受 けたという のは、まったくの誤 りで

して、言 った。「私 こそ、あ なたからバプテスマを受 ける

テスマを受 けて、す ぐに水 から上 がられた。す ると、

す 。イエスがバプテスマのヨハネ から 受 けたバプテスマは、

を受 け、ただ一 度 でこの世 の罪 を負 われたことを告

天 が開 け、神 の御 霊 が鳩 のように下 って、自 分 の上 に

ただ一 度 で世 の罪 をかぶる手 順 だったのです 。イエス

はず です のに、あ なたが、私 のところにおいでになるの

来 られるのをご覧 になった。また、天 からこう 告 げる

はバプテスマのヨハネ から バプテスマを 受 け、私 たち の

げています 。

声 が聞 こえた。「これは、わたしの愛 す る子 、わたしは

罪 も、それ に世 界 中 の人 々 の罪 を もす べて負 われ ま

ですか。」ところが、イエスは答 えて言 われた。「今 はそ

これ を喜 ぶ。」

した。イエスがバプテスマを受 けたのは、みなさ んと私


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
15

を 正 しく 知 っていな けれ ば なり ませ ん。それ が水 と

マのヨハネ から バプテスマをお受 けになったという こと

イエスは人 類 の罪 をただ一 度 でかぶるためにバプテス

の罪 、それに世 のす べての人 の罪 をかぶるためでした。

について知 ら な くてもかまわ ないと 思 っています 。だ

ん。イエスの血 を信 じてさ えいれば、イエスのバプテスマ

テスマによる罪 の赦 しの真 の意 味 については知 りませ

を 信 じるのがよいのだと思 い込 んでいて、イエスのバプ

サタンは人 々 を欺 いて、盲 目 的 に聖 書 を 信 じるよ

から イエスのバプテスマを無 視 し、信 じないでいます 。

昔 、義 人 と使 徒 はイエスのバプテスマと十 字 架 で流

う に仕 向 け、罪 の赦 しを受 けることを妨 げています 。

御 霊 の福 音 を知 り、理 解 す るために必 要 な知 識 な

さ れ た血 と が罪 の赦 しのみわざ であ ったと 信 じてい

自 分 の罪 に縛 ら れ ている罪 人 は、イエスの十 字 架 の

そう した人 は、イエスのバプテスマと十 字 架 とが、同 じ

ました。彼 ら はこの二 つを真 理 の構 成 要 素 と見 なし

血 を信 じてさ えいれば救 われると思 っています から、

のです 。イエスが世 のす べての罪 人 の罪 をただ一 度 で

ていました。しかしながら 、その後 に続 いた人 々 は、

イ エスのバプテスマを無 視 し、その重 要 さ に気 づかず

真 理 の一 部 であ ること を知 ら ないから 、そ う いう こ

イエスの十 字 架 を 信 じること はイエスのバプテスマを 信

にいます 。悪 魔 サタンは信 仰 に介 入 します 。サタンは、

かぶるために受 けたバプテスマは、無 駄 ではあ りませ

じることに関 係 がないと考 えたのです 。しかし、じき

イエスのバプテスマを 信 じなければ、イエスを 信 仰 して

とをす るのです 。

に世 のキリスト教 徒 はみな、イエスのバプテスマと十 字

も無 駄 だという ことを よく知 っています 。そこで、世

んでした。

架 とが、 一 つの真 理 を 成 す ものであ ることに気 づく

の罪 を 消 す 水 と 御 霊 の福 音 を隠 す ため、イ エスのバ
プテスマに気 づかせまいとす るのです 。

でしょう 。
今 日 のキリ スト教 徒 は、イエスの十 字 架 の血 を 信
じよう とし、それ を分 け合 っています 。しかし、イエス
のバプテスマの重 要 性 は知 らず にいます 。十 字 架 の血


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
16

●イエスがす べての罪 人 の罪 を
ただ一 度 で負 われた第 一 の証 拠

イの福 音 書 第 三 章 一 五 節 で「このよう にして」とおっ
しゃったのは、世 の罪 をご自 分 に移 す ことができるよ
う にす るためだったのです 。「このよう にして」はギリ

テスマを 施 した際 、世 の罪 がみなイエスに移 さ れ 、神

で」、「最 もふさ わしい」、または、「これ以 外 に道 はな

」です 。この表
シャ語 では「 οϋτως γάρ hoo’-tos gar
現 には、進 行 の意 味 合 いがあ り 、「ま さ にこの方 法

)

の義 を実 現 したことです 。イエス・キリストはバプテス

い」と訳 さ れます 。また、「す べての正 しいこと 」は、ギ

(

マのヨハネ からバプテスマを受 けたとき、人 類 の罪 をみ

第 一 の証 拠 と は、バプテスマのヨハネ がイエスにバプ

な負 われました。(マタイ 三 ・一 五 )

リシャ語 で「 πάσαν δικαιοσύνην (pasan dikaiosunen)

です 。これは、まったく欠 点 のない最 高 の状 態 を意 味

「ところが、イエスは答 えて言 われた。『今 はそう さ

こで、ヨハネ は承 知 した。こう して、イエスはバプテスマ

を実 行 す るのは、わたしたちにふさわしいのです 。』そ

て」バプテスマを受 けてはじめて、イエスはこの世 の罪 を

ておきましょう 。バプテスマのヨハネ から「このよう にし

神 の義 がどのよう にしてす べて満 たさ れたかを知 っ

しています 。

を受 けて、す ぐに水 から上 がられた。す ると、天 が開

みなかぶることができたのです 。です から、イエスはバ

せてもらいたい。このよう にして、す べての正 しいこと

け、神 の御 霊 が鳩 のよう に下 って、自 分 の上 に来 られ

プテスマを 受 け たから こそ、十 字 架 で血 を流 して死

-

なれたのです 。イエスがバプテスマを受 けたのは、それ

るのをご 覧 になった。」(マタイ 三 ・一 五 一 六 )
イエスはこの世 に来 られ、全 人 類 の罪 を負 う ため、
イ エスがバプテスマを受 ける直 前 にバプテスマのヨハ

の義 す べてが満 たさ れ ました。バプテスマは神 の正 し

テスマを受 けると、世 の罪 がみな移 さ れ、そう して神

で神 の義 がす べて満 たさ れたから です 。イエスがバプ

ネ にお っしゃった言 葉 から 、イエスが世 の罪 をかぶろ

さ でした。そして、イエスは十 字 架 で血 を流 す ことで

バプテスマのヨハネ からバプテスマを受 けました。

う としていることがわ かります 。つまり、イエスがマタ


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
17

罪 をみな洗 い流 し、全 人 類 を裁 きからお救 いくださ

を信 じているとはいっても、まだ行 いによる罪 は残 って

っしゃるのです か。イエスを 信 じていながら 、どう して

いるのです か。イエスがす べての罪 人 の罪 全 部 のために

イエスはこの世 に来 られ、バプテスマのヨハネ からバプ

行 いによる罪 が残 っているという のでしょう 。イエスの

いました。これが神 の公 正 です 。神 の義 とは、神 の正

テスマを受 けました。これを 信 じる人 には罪 があ りま

バプテスマを心 から 信 じている人 は、自 分 には罪 がな

バプテスマを受 けたのに、まだこの世 に罪 があ るとお

せん。イエスがこの世 に来 て、バプテスマのヨハネ から バ

いと言 います 。信 じていない人 は、心 に罪 がないと言

しい救 済 を意 味 します 。

プテスマを 受 け た後 、十 字 架 で死 ぬこと 以 外 には、

私 が申 したいのは、行 いによる罪 は、も はや イエス

う ことができません。イエスがバプテスマを受 けたとき

の世 の罪 もみな、正 しく消 さ れました。このよう に、

を信 じることとは何 の関 わりもないという ことなので

神 の正 しい救 済 を成 就 す る方 法 はあ りませんでした。

イエスはバプテスマのヨハネ から 受 けたバプテスマによっ

す 。イエスの受 けたバプテスマの正 しい意 味 を知 ってイ

に、行 いによる罪 さ え も処 理 さ れ たのだと 信 じてい

て、この世 の罪 をみなただ一 度 でかぶり、磔 刑 によっ

エスを信 じているのなら、もはや 心 に罪 は残 っていない

これがこの世 の罪 を消 し去 る唯 一 の道 でした。イエス

て全 人 類 の罪 を全 部 消 さ れたのです 。神 はこう して

はず です 。イ エスが正 しいバプテスマによって、人 類 の

なければなりません。

す べての義 を 全 う さ れ ました。これが神 の義 と な り

罪 をかぶるという 義 のみわざ を なさ ったことを 信 じ

はバプテスマと血 とによって、人 間 の心 にあ る罪 も、こ

ました。これが神 の愛 です 。イエスがバプテスマを受 け

るなら 、完 全 な救 済 を受 け ます 。これ を 信 じ、行 い
による罪 す べてからの救 済 を受 けましょう 。

た理 由 と目 的 は、人 間 の救 済 なのです 。
イエスがヨルダ ン川 でバプテスマを 受 け たのは、この
世 の罪 をす べてかぶるためでした。これ を 信 じておら
れます か。では、行 いによる罪 はどう でしょう 。イエス


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
18

●イエスの受 けたバプテスマの意 味

水 から 出 られ たこと は、よみがえ り を 意 味 していま
す 。イエスがバプテスマのヨハネ から受 けたバプテスマに
は、人 類 の罪 を 全 部 イエスに移 す こと、イエスの死 と

を受 けたこと は、旧 約 の祭 壇 の前 で、犠 牲 の動 物 が

浸 し、バプテスマのヨハネ の前 で頭 を 垂 れ てバプテスマ

洗 い流 す 力 があ りました。イエスがヨルダン川 に身 を

たバプテスマには、この世 で罪 人 の犯 した罪 を 移 し、

は「洗 う 、埋 める、移 す 」です 。イエス・キリストが受 け

を 完 全 に満 たさ れ ました。私 たち の受 けているバプ

復 活 さ せるために死 者 の中 からよみがえり、神 の義

かぶり、罪 人 の身 代 わ りとして死 に、そして義 人 を

成 就 なのです 。イエスはバプテスマによって罪 人 の罪 を

の罪 がみないけにえに移 さ れ た、あ の犠 牲 の永 遠 の

イエスのバプテスマは、旧 約 で按 手 によってイスラエル

よみがえりという 意 味 があったのです 。

その頭 に按 手 を受 けたことに対 応 しています 。私 た

テスマは、行 いによる罪 から さ え 完 全 に救 われている

「バプテスマ」はギリシャ語 で「 βάφτισµα
」です が、こ
れは「浸 さ れ る」という 意 味 です 。この語 の霊 的 意 味

ちは、バプテスマを受 けよう とす る人 の頭 に手 を置 き

ことの確 かな証 拠 です 。また、イエスの受 けたバプテス
マは、十 字 架 上 の死 と よみがえ り同 様 、それ を 信 じ

ます 。
今 日 の聖 句 の一 六 節 には、「イエスはバプテスマを

さ れたことは、その死 を意 味 しています 。バプテスマの

います 。イエスがバプテスマを 受 けた後 で水 に身 を 浸

から 出 られたこと は、死 と よみがえ りとを象 徴 して

エスがバプテスマを 受 けて水 に身 を 浸 し、それ から 水

のです 。」とおっしゃいました。イエスがバプテスマを受

ことを実 行 す るのは、わたしたちにふさ わしいことな

う さ せてもら いたい。このよう にして、す べての正 しい

マのヨハネ に「わたしにバプテスマを施 しなさ い。今 はそ

マタイの福 音 書 第 三 章 一 五 節 で、イエスはバプテス

ることが信 仰 のしるしとなるのです 。

ヨハネ がイエスに手 を 置 いてバプテスマを 施 したこと は、

けたのは、神 の義 をす べて満 たす ためだという のです 。

受 けて、す ぐに水 から 上 がられた。」とあ ります 。イ

それ により罪 を移 したことを 示 しています 。イエスが


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
19

プテスマのヨハネ から バプテスマを受 け たのは、それ に

が磔 刑 に処 さ れた理 由 でもあ ったのです 。イエスがバ

バプテスマをお受 けになった理 由 であ り、また、イエス

告 げています 。これが、イエスがバプテスマのヨハネ から

バプテスマを受 けたとき、神 の義 が満 たさ れたことを

の罪 人 の罪 をみな消 す ためにバプテスマのヨハネ から

す 。マタイの福 音 書 第 三 章 一 五 節 は、イエスがこの世

いくださ ったと 信 じて、新 たに生 まれ るという ことで

スがバプテスマを受 けて人 類 の罪 をみなかぶり、お救

聖 書 のイエスを 信 じて義 人 になるという こと は、イエ

「す べての正 しいこと 」と は、神 の義 を指 しています 。

者 は、神 の救 済 の律 法 に従 って義 人 と認 められます 。

り ませんか。そう です 。アベルのいけにえを さ さ げ る

はじめて義 人 になれ るという のは、正 しいことではあ

す 。子 羊 イエス・キリストを掲 げて神 の御 前 に行 って、

「羊 」と 「我 」とで形 作 られているのは興 味 深 いことで

聖 書 の「 righteousness
」は漢 字 では「義 」で、正 しい
ことを意 味 します 。この漢 字 が二 つの文 字 、つまり、

のことをあかしなさ ったのです 。

はこれを喜 ぶ。」(マタイ 三 ・一 七 )とおっしゃって、そ

こで、父 なる神 は「これは、わたしの愛 す る子 、わたし

になさ ったこと は、バプテスマを受 けることでした。そ

です から 、罪 人 を 義 人 にす るためにイエスが最 初

す べての正 しいことが行 われたという のは、イエスがこ

よってこの世 のす べての罪 人 の罪 を消 す ためでした。
イエスはバプテスマを受 ける前 、バプテスマのヨハネ に

の世 に来 られ、す べての人 の罪 をみな消 したという こ
とです 。イエスはバプテスマを受 け、血 を流 し、死 んで

強 くおっしゃいました。
「今 はそう さ せてもらいたい。このよう にして、す べ

死 者 の中 からよみがえ り、最 も正 しいことを完 了 な
たさ れました。神 の義 とは、罪 人 全 員 を罪 から救 う

ての正 しいことを実 行 す るのは、わたしたちにふさ わ
イエスが満 たさ れた神 の義 と は、す べての罪 人 を罪

ことでした。です から 、イエスはバプテスマを 受 けて、

さ いました。こう したことす べてにより、神 の義 は満

のな い者 と す ることです 。そ の結 果 と して、十 字 架

罪 人 のために血 を流 し、救 済 の働 きをす べて成 就 な

しいのです 。」(マタイ 三 ・一 五 )

上 の死 とよみがえりがあったのです 。


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
20

さ ったのです 。

マと、十 字 架 で流 した血 、そしてよみがえ りでした。
のち、そして神 の子 どもになる恵 みをくださ いました。

イエスはそのよう にして、信 じる者 に救 済 と永 遠 のい

エスの受 けたバプテスマと、死 ・よみ がえ りによって成

これを信 じて救 済 を受 ける者 は、唯 一 の正 しい方 法

す べての罪 人 が願 っている救 済 のみわざ はみな、イ
就 さ れました。イエスはこの世 に来 られ、バプテスマの
で救 済 を受 けているのです 。

みなさ ん、イエスがす べての罪 人 の罪 を全 部 消 す た

ヨハネ から バプテスマを 受 け、す べての罪 人 の罪 を 消
さ れ ました。イエスがバプテスマを受 けてす べての正 し

論 す る人 は誰 もいないでしょう 。また、イエスがバプテ

めに来 られ た、この救 済 の恵 みに不 満 を 抱 いている

「そ のよう にして、す べての正 しいこと を実 行 す る

スマによって世 の罪 をかぶり、磔 刑 に処 さ れ て死 に、

いことを実 行 なさ ったのは、正 しいことでした。イエス

のは、ふさ わしいことなのです 。バプテスマのヨハネ から

死 者 の中 から よみがえって人 類 を罪 から 救 ったこと

人 がいるでしょう か。誰 もいないはず です 。イエスがす

バプテスマを受 けた際 に、す べての罪 人 の罪 が全 部 、

を否 定 できる人 も、誰 もいないでしょう 。このことに

がバプテスマを受 けたおかげで、人 間 の罪 がみな取 り

わたしに移 さ れました。わたしはバプテスマのヨハネ か

異 議 を 唱 え る人 が誰 かいるでしょう か。も しいるな

べての罪 人 の罪 を全 部 消 す ために来 られたことに反

ら 按 手 を受 けて、毎 日 行 いによる罪 を犯 している世

ら、その人 は神 に敵 対 しているのです 。

除 かれ、イエス・キリストの身 に移 さ れたからです 。

の罪 人 全 員 の罪 をかぶり、完 全 に救 いました。わた

と十 字 架 の血 とを 信 じているかどう かにより ます 。

罪 人 が救 われているかどう かは、イエスのバプテスマ

プテスマを受 けたのは、ふさ わしいことでした。これが、

救 済 は信 仰 によって決 まるのです 。信 じる者 は聖 徒

しはそ のために来 たのです 。バプテスマのヨハネ から バ
あ なたたちのための正 しい救 済 のわざ なのです 。です

となり、信 じない者 は行 いによる罪 のせいで罪 人 のま
までいます 。です から 、各 人 の運 命 が、天 国 か地 獄

から、わたしの義 を信 じなさ い。」
イエスが世 の罪 から 人 類 を救 った方 法 は、バプテス


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
21

かは、ただその人 の信 仰 によって決 まるのです 。イエス

ら よみがえ った後 、弟 子 たちに姿 を 現 さ れ ました。

信 じて神 の裁 きを免 れ 、神 の子 ど もになり ます 。イ

そう して、罪 人 はイエスのバプテスマを信 じて義 人 にな

しかしながら、イエス・キリストがど のよう にして罪

エスは、す べての正 しいことを実 行 す るのがふさ わしい

のバプテスマと血 の福 音 への信 仰 以 外 には、救 済 を受

人 の罪 を 消 したかについて、罪 人 たち は別 の見 解 を

ことだとおっしゃいました。罪 人 が罪 の赦 しを受 ける

るのです 。義 人 はまた、イエスが十 字 架 で流 した血 を

述 べています 。イエスの十 字 架 の血 だけが救 済 への道

ためには、イエスのバプテスマ、十 字 架 上 の死 、よみが

ける道 はあ りません。

だと言 っている人 がいるのです 。また、と もかくイエス

えりを信 じるのが最 もふさ わしいことなのです 。
イエスのみわざ に疑 問 を持 ち、そもそもなぜイエス

を 信 じてさ えいれば救 済 を 受 け るのだと言 っている
人 もいます 。しかし、イエスは罪 人 の罪 を 消 す ために

はバプテスマのヨハネ からバプテスマをお受 けになったの

れたことを信 じない罪 人 がまことに大 勢 いるのです 。

バプテスマを受 けたとおっしゃっているのです 。これは、

イエスは罪 人 を、行 いによる罪 を も含 めて、す べて

そう した人 は、宇 宙 は自 然 に存 在 す るよう になった

かと尋 ねる人 がいます 。神 が宇 宙 とその中 のものす

の罪 から 救 う ために、バプテスマのヨハネ から バプテス

のだとす る進 化 論 を主 張 します 。かぼ ちゃの花 は時

す べての罪 人 の罪 をみな消 す ために最 もふさ わしい

マを受 け、十 字 架 につけられ て死 に、死 者 の中 から

がたてばバラになるのでしょう か。もしも進 化 論 者 の

べてを 造 られ たという ことに、何 か異 議 があ り ま す

よみがえ られ ました。イエスは救 い主 と な って罪 人 の

言 う よう に宇 宙 が自 然 に存 在 す るよう になったのな

方 法 であ り 、それ によって神 の義 が満 たさ れ たので

罪 を 消 す ためにバプテスマのヨハネ からバプテスマをお

ら、かぼ ちゃの花 はいつかバラになるでしょう 。しかし

か。信 じら れ な いでしょう が、神 が天 と地 と を造 ら

受 けになり ました。最 も凶 悪 な罪 人 への罰 であ る磔

ながら 、かぼ ちゃの花 は、神 がそう あ れ とお っしゃっ

す。

刑 を、す す んで受 けられました。そして、死 者 の中 か


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聖書に記された水と御霊の福音とは
22

けっしてあ りません。

神 が造 られたのと はまったく別 の種 に変 わ ること は

し、新 しい形 質 を得 ることがあ るでしょう 。しかし、

バラになること はあ り ません。あ る種 は環 境 に適 応

ら、かぼちゃの花 はたとえ 時 が過 ぎよう と、けっして

た時 に、かぼ ちゃの花 として造 られたのです 。です か

きなだけ鳴 きます 。父 なる神 でさ え、罪 人 を罪 から

んどりは人 間 の気 持 ちには関 わりなく、何 度 でも好

なさ ん、おんどりは何 度 時 を告 げるべきでしょう 。お

っしゃることをそのまま従 順 に受 け入 れるのです 。み

る方 法 はないのだろう かと考 えるのではなく、主 のお

を信 じてさ えいればよいのです 。他 に罪 の赦 しを受 け

救 う ためにイエスがバプテスマを受 け、磔 刑 に処 さ れ
て血 を流 す ようになさ ったのです 。では、イエスがなぜ
他 の方 法 ではなく、バプテスマによって罪 をかぶったか、
誰 が議 論 できるでしょう 。これを否 定 し、あ るいはイ

罪 の赦 しを受 けるには、自 己 否 定 の過 程 を 経 な

のです 。そ の人 の罪 は不 信 、それ に神 の愛 と 義 とを

む人 は、神 の子 どもになれません。罪 人 のままでいる

●自 分 の考 え は否 定 し、主 の考 えとご計
画 を信 じよ

ければなりません。主 は、ご 自 分 に従 おう とす る者

拒 んだことです 。だから、行 いによる罪 が心 に残 って

エスの使 命 のう ちバプテスマと十 字 架 のどちら かを拒

は自 分 を 否 定 し、自 ら の十 字 架 を 負 わ なけれ ば な

いる人 は、罪 の報 いであ る裁 きを受 けます 。
神 の福 音 を拒 んだなら 、罪 人 はどう なるでしょう 。

ら ないとおっしゃいました。また、イエスの受 け たバプ
テスマと十 字 架 で流 さ れた血 と の福 音 が、真 の救 済
主 は、バプテスマを受 け、血 を流 し、死 者 の中 から

受 けるなら、それは誰 が悪 いのでしょう 。それは信 じ

血 とを、ただ気 に入 らないからといって拒 み、裁 きを

イ エスがす べての罪 人 の罪 をみな 消 したバプテスマと

よみ がえ って、罪 人 全 員 の罪 を ただ一 度 です べて消

ない人 が悪 いのではあ りませんか。イエスは間 違 ったこ

であったのだと信 じなければなりません。

さ れ ました。神 がそのよう におっしゃるのなら 、それ


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
23

い張 るのでしょう か。水 と 御 霊 の福 音 を拒 む おつも

なった後 も、行 いによる罪 を持 ち続 けていていいと言

るおつもりです か。それ と も、イエスを 信 じるよう に

部 かぶっておられるのです 。みなさ んは神 の義 を信 じ

テスマのヨハネ からバプテスマを受 けて、人 類 の罪 を 全

とを何 もなさ らなかったでしょう 。イエスはす でにバプ

す 。その人 は信 仰 により天 の御 国 に入 り ます 。その

受 けるでしょう 。その人 は信 仰 により義 人 になり ま

福 音 を信 じるなら、御 霊 の賜 物 とともに罪 の赦 しを

ょう 。イエスが罪 人 を救 ったことを告 げる水 と御 霊 の

神 の隠 さ れた義 を見 出 す なら、天 国 の門 は開 くでし

う 。天 国 の門 を叩 きなさ い。水 と御 霊 の福 音 の内 に

まだ水 と御 霊 の福 音 の正 統 性 について疑 問 を抱 い

人 は信 仰 により神 の子 どもになります 。信 仰 を神 に

罪 人 は、この真 理 、つまりイエスのくださ ったバプテ

ておられ るかもしれませんから、もう 一 度 バプテスマ

りです か。みなさ んがこの真 理 を受 け入 れ て罪 から

スマと 血 と の福 音 を 信 じて義 人 になり ます 。これ が

の意 味 についてお 話 ししましょう 。イエスのバプテスマ

認 められることは、ひとえにその人 の心 によって決 ま

罪 人 全 員 を罪 から 救 う ために神 が定 めた方 法 なの

とは、世 の罪 がす べて移 さ れた手 段 なのです 。旧 約 の

救 わ れ 、神 の正 しい器 、働 き 手 と な ら れ ま す よう

です 。みなさ んは神 の愛 を信 じるおつもりです か。私

時 代 に按 手 が行 われ ましたが、バプテスマのヨハネ は

るのです 。

は、みなさ んより先 に罪 の赦 しを受 けた義 人 として

イエスの頭 に両 手 を 置 いてバプテスマを 施 さ なければ

に。

申 します 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて義 人 になり な

なり ませんでした。旧 約 で毎 日 いけにえ を さ さ げ 、
と は違 い、イエスがバプテスマを受 けた時 には、永 遠 の

さ い。なぜ頑 なに天 国 より地 獄 を選 ぶのです 。信 じ
水 と 御 霊 の福 音 を 信 じな さ い。信 じると 神 の救

罪 がただ一 度 でイエスに移 さ れたのです 。主 はバプテ

そのたびに一 日 の罪 がいけにえ のや ぎ に移 さ れ たの

済 が下 り、心 が満 たさ れ ます 。水 と 御 霊 の福 音 を

スマのヨハネ から 受 けたバプテスマによって、最 もふさ

て天 国 に行 くのです 。

求 めなさ い。す ぐに水 と御 霊 の真 理 に出 会 う でしょ


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聖書に記された水と御霊の福音とは
24

わしい形 で罪 人 の罪 を消 さ れました。
旧 約 の時 代 、祭 司 は毎 日 さ さ げ物 をしていました。
また、大 祭 司 が年 に一 度 の贖 いの日 に、どれ ほど い
けにえをさ さ げ よう と、罪 はな くなり ませんでした。
その結 果 、大 祭 司 が死 ぬと、その息 子 が大 祭 司 職 を
継 承 し、代 々 それが行 われ ていったのです 。しかし、
イエスは天 の大 祭 司 として、動 物 ではなく、ご自 分 の

信 じる者 を ただ一 度 で完 全 になさ いました。主 はバ
プテスマと十 字 架 の血 の福 音 によって、罪 人 を罪 から
救 われました。

バプテスマを受 け、磔 刑 に処 さ れ、死 に、死 者 の中 か

ことをあ かししたのは、バプテスマのヨハネ でした。バプ

イエスがバプテスマを受 けて世 の罪 をみな負 われた

●バプテスマのヨハネ は
水 と御 霊 の福 音 をあかしした

らよみがえり、信 じる者 に永 遠 のいのちをくださいま

テスマのヨハネがイエスにバプテスマを 施 し、この世 の罪

傷 のない体 をさ さ げ 物 とし、世 の罪 を受 けるために

した。主 はや ぎの血 によってではなく、その身 によって、

羊 。」と言 いました。イエスがバプテスマのヨハネ から バ

をイエスに移 したのです 。そ こで、イエスはこの世 の罪

毎 日 行 いによる罪 を犯 す 人 間 が、日 々 罪 の赦 し

プテスマを受 ける前 は、この世 の罪 をかぶっておられ

信 じる者 全 員 をただ一 度 できよめられました。その

を受 けなければならないのなら、イエスは今 もなお生

ませんでした。イエスがバプテスマのヨハネ から バプテス

を負 われました。ヨハネ は、ヨハネ の福 音 書 第 一 章 二

きておられたでしょう 。けれど もイエスは、罪 人 を罪

マを受 けた時 に、この世 の罪 が移 さ れたのです 。そう

ためにイエスはバプテスマを受 け、血 を流 されたのです 。

から 救 う ために、自 ら バプテスマのヨハネ の前 に行 か

して、イエスは神 の小 羊 と なられました。バプテスマの

九 節 であ かしして「見 よ。世 の罪 を 取 り除 く神 の小

れたのです 。この世 の罪 はみなバプテスマによってイエス

ヨハネ はイエスにバプテスマを施 していたので、イエスにつ

その救 済 は永 遠 のものでした。

に移 さ れました。そして、イエスは十 字 架 で血 を流 し、


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聖書に記された水と御霊の福音とは
25

羊 。」とあかしす ることができました。

ネ はイエスについて、「見 よ。世 の罪 を取 り除 く神 の小

いてあ かしす ることができ たのです 。バプテスマのヨハ

から 始 まって、私 たちを離 れて天 に上 げ られた日 ま

っしょに生 活 さ れた間 、す なわち、ヨハネ のバプテスマ

ます 。使 徒 ペテロは「です から、主 イエスが私 たちとい

だれかひとりが、私 たちとともにイエスの復 活 の証 人

での間 、いつも私 たちと行 動 をともにした者 の中 から、

ハネ は自 分 のほう にイエスが来 られるのを見 て言 った。

と なら なければなり ません。」と言 いました。

ヨハネ の福 音 書 第 一 章 二 九 節 には、「その翌 日 、ヨ
『見 よ、世 の罪 を取 り除 く神 の小 羊 。』」とあります。

イエス・キリストが罪 人 の救 い主 となったことをあかし

彼 らは、イスカリオテのユダに代 わる使 徒 と なって、

います 。ここは、旧 約 と新 約 を通 じて、イエスが罪 人

す る者 を選 ばなければなりませんでした。

みなさ ん、イエスは神 の小 羊 であ るとあかしさ れて
の罪 のためのいけにえであ ったこと を告 げ ています 。

の罪 を負 われ たためです 。バプテスマのヨハネ がイエス

それ は、バプテスマを受 け たとき、ただ一 度 でこの世

に処 さ れ て死 なれた理 由 とがわ かっている義 人 でな

スマのヨハネ から水 のバプテスマを受 けた理 由 と、磔 刑

新 しい使 徒 は、イエスと行 動 を共 にし、イエスがバプテ

使 徒 として選 ばれ るためには条 件 があ りました。

にバプテスマを 施 したから 、世 の罪 がイ エスに移 さ れ

ければなりませんでした。新 しい使 徒 は、罪 の赦 しに

イエスは罪 人 の身 代 わりのいけにえのさ さ げ物 でした。

たのです 。イエスの弟 子 のヨハネ も、イエスが世 の罪 を

ついて、イエスがバプテスマによって罪 人 の罪 を 取 り去

バプテスマに発 す る水 と 御 霊 の福 音 を 信 じていまし

広 めました。使 徒 は全 員 、バプテスマのヨハネ の施 した

使 徒 たち は、イエスのバプテスマと十 字 架 の真 理 を

じている者 でなければなりませんでした。

り、十 字 架 で血 を流 して罪 を消 したことを正 しく信

取 り除 いた神 の小 羊 であ ることをあかししています 。

●イエスの十 二 弟 子 があかしした福 音
使 徒 の働 き 第 一 章 二 一 ・二 二 節 にあ かしがあ り


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聖書に記された水と御霊の福音とは
26

トの復 活 と も同 じよう になるから です 。」

信 じていたのです 。イエスの弟 子 はそのことをあかしし

テスマのヨハネ から バプテスマを お受 けにな ったのだと

は、イエスがバプテスマを通 じてす べての罪 人 の罪 を 除

みな、その死 にあず かるバプテスマを受 けた」という の

「キリスト イエスにつくバプテスマを受 けた私 たちは

ました。使 徒 は、イエスのバプテスマと死 ・よみがえ り

かれたことへの信 仰 を告 白 しているのです 。イエスのバ

た。つまり、イエスは罪 人 の救 い主 になるために、バプ

を 伝 えてこの世 の罪 人 を救 う のが正 しいことであ る

プテスマに隠 さ れた真 実 を 信 じてはじめて、人 はキリ

マを も 信 じていたこと がわ かり ま す 。ガラテヤ人 への

パウロ書 簡 から、彼 がイエスの血 とと もに、バプテス

ストと完 全 に結 ばれます 。

と信 じていました。

●使 徒 パウロのあかしした福 音

について述 べています 。です から、イエスはバプテスマと

手 紙 も ロー マ人 への手 紙 も、イエスの血 と、バプテスマ
ロー マ人 への手 紙 第 六 章 三 節 を見 ましょう 。

十 字 架 上 での死 によって、す べての罪 人 の罪 を全 部 、
取 り除 かれたのです 。

「それとも、あなたがたは知 らないのです か。キリス
ト・イエスにつくバプテスマを受 けた私 たちはみな、その

キリストとともに葬 られたのです 。それは、キリストが

私 たち は、キリストの死 にあず かるバプテスマによって、

義 人 になり ます 。神 の義 の働 き手 になるのもまた、

結 ばれ ま す 。キリ ストと 結 ばれ る信 仰 により、人 は

う 。イエスの水 のバプテスマと十 字 架 への信 仰 によって

どう したら 信 仰 によってイエスと 結 ばれ るのでしょ

御 父 の栄 光 によって死 者 の中 から よみがえられたよ

キリストのバプテスマと死 とに結 ばれ る信 仰 によって

死 にあずかるバプテスマを受 けたのではありませんか。

う に、私 たち も、いのちにあ って新 しい歩 みをす るた

可 能 なのです 。
イエスがバプテスマによって罪 人 の罪 をかぶり、負 わ

めです 。もし私 たちが、キリストにつぎ合 わされて、キ
リストの死 と同 じようになっているのなら、必 ず キリス


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聖書に記された水と御霊の福音とは
27

これを信 じてはじめて、人 はイエスと結 ばれます 。イエ

によって、人 は天 の御 国 に入 ることができるのです 。

れた罪 の裁 きを十 字 架 で受 けられたと 信 じる信 仰

血 、そしてイエスがこの世 の罪 を負 われたことを 信 じ

られます 。罪 人 は、イエスの水 のバプテスマ、十 字 架 の

の中 から よみ がえ り、父 な る神 の右 の座 に着 いてお

イエスを 信 じて天 の御 国 に入 るという のは、そう い

て、イエスと結 びつきます 。

バプテスマと血 とによる救 済 のみわざ を 信 じる人 は、

う 意 味 なのです 。神 の義 を知 り、イエスを 信 じるなら、

スと結 ばれた者 だけが天 の御 国 に入 れます 。イエスの
信 仰 により キリ ストと 結 ば れ 、天 の御 国 に入 り ま

部 消 して先 に天 の御 国 に行 っておられ るのです から、

天 の御 国 に入 れます 。イエスがす べての罪 人 の罪 を全

人 間 が生 まれ た時 から 死 ぬま でにこの世 で犯 す

そ のおかげ で、罪 人 であ った信 者 はただ一 度 で神 の

す。
罪 は、世 の罪 に含 まれ ます 。しかし、救 い主 はバプテ

民 となり、神 の御 国 に入 れるのです 。
みなさ ん、ガラテヤ人 への手 紙 第 二 章 二 〇 節 を一

スマによって世 の罪 をみな負 われ ました。人 間 は「罪
から 来 る報 酬 は死 」とす る神 の律 法 に従 って死 ぬは

を受 け たことを 信 じると、救 われ ます 。これが水 と

人 類 の罪 をかぶり、身 代 わりと なって十 字 架 で裁 き

ちに生 きておられるのです 。いま私 が肉 にあって生 き

もはや 私 が生 きているのではな く、キリストが私 のう

「私 はキリストとともに十 字 架 につけられました。

緒 に読 みましょう 。

御 霊 の福 音 です 。イエスはご 自 分 のいのちを 捨 て、バ

ているのは、私 を愛 し私 のためにご自 身 をお捨 てにな

ず であ ったのです 。しかし、イエスがバプテスマによって

プテスマを受 けて、罪 のために死 ぬ定 めにあ った人 間

った神 の御 子 を 信 じる信 仰 によっているのです 。」

ストとと もに磔 刑 に処 さ れたのです 。です から、キリ

エスに移 さ れたと正 しく信 じているのです から 、キリ

キリストについてのバプテスマを信 じるなら、罪 がイ

の身 代 わりとして、いのちであ る血 を流 さ れました。
イエスは人 類 の罪 をす べてかぶり、ご自 分 の血 を流 し
て贖 い、犠 牲 となられました。
イエスは、信 じる者 の肉 と 霊 とを救 う ために死 者


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聖書に記された水と御霊の福音とは
28

ストについた者 は、キリストと一 緒 によみがえってもい

行 いによる罪 を犯 す 者 は、神 の御 子 イエスのバプテ

●どう して罪 人 から義 人 へ
と変 わったか

架 につけられたと語 りました。同 様 に、イエス・キリス

スマと血 とを信 じて、新 生 した義 人 として新 たないの

るのです 。使 徒 パウ ロは、自 分 がイエスとと もに十 字
トのバプテスマについた者 は、信 仰 により、よみがえり

何 かあ るでしょう か。義 人 は肉 体 的 には何 も特 別 な

ちを得 ます 。義 人 のものでそれ 以 上 に優 れたものが

魂 がよみがえ りを受 けたのは、信 仰 によってイエス

点 があ りません。義 人 になったのは、ただイエスのバプ

を受 けています 。
のバプテスマと十 字 架 上 の死 、そしてよみがえりを共

テスマと血 と を 信 じたためです 。私 たち が罪 から 救

はあ り ません。イエスが受 けたバプテスマと十 字 架 と

にしたからです 。イエス・キリストの義 を 信 じない魂 は、

義 人 の魂 が生 きていく には、何 が必 要 でしょう 。

のおかげ なのです 。私 たち の魂 の中 には、主 が宿 って

われたのは、私 たちに何 か良 い点 があ ったためでしょ

義 人 は神 の御 子 の受 け たバプテスマと 十 字 架 、そし

おられます 。イエスの受 けたバプテスマと死 、よみがえ

す でに死 んでいます 。しかし、そう した魂 でさ え、主

てよみ がえ り と を 信 じてキリ ストに結 ばれ 、罪 の永

りのみことばへの信 仰 があ るためなのです 。イエスが人

う か。毎 日 行 いによる罪 を犯 している私 たちが罪 の

遠 の赦 しを受 け、よみがえりを受 けます 。イエスがす

類 の罪 を消 した救 済 を完 全 に信 じておられます か。

のバプテスマにつくならば、信 仰 によってよみがえ るの

べての罪 人 を罪 から 救 う ために、罪 を 取 り 除 くバプ

イエスを心 から信 じて従 う なら、罪 人 も義 人 も自 己

ない者 になったのは、自 分 に優 れた点 があ ったためで

テスマを受 けたので、人 はそのイエスを信 じてキリスト

を否 定 し、罪 の赦 しを受 けなければなり ません。そ

です 。

につくのです 。

う してはじめて、イエスに従 う ことができるのです 。
主 に従 いたいと願 う 人 は誰 でも、利 己 心 を否 定 し


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聖書に記された水と御霊の福音とは
29

えば、地 獄 に落 ちます 。自 分 の考 えを否 定 して罪 の

そう しないで、ナアマン将 軍 のよう に自 分 の考 えに従

るには、利 己 心 を 捨 てなけれ ばなり ません。も しも

なければなり ません。罪 人 がす べての罪 から 救 われ

それが生 きるべき道 なのです 。

えが正 しく思 えよう と、否 定 しなければなり ません。

罪 は消 え な いのです 。みな さ ん、ど んなに自 分 の考

考 え を 否 定 して水 と 御 霊 の福 音 を 信 じな けれ ば 、

罪 の赦 しは受 けられません。聖 徒 であっても、自 分 の

みなさ ん、私 たちは地 獄 に定 められた罪 人 だとい

赦 しを受 けることができないため、地 獄 に向 かってい
る罪 人 が大 勢 います 。

いのだろう か。」(列 王 記 第 二 、五 ・一 二 )と 言 って、

るではないか。これらの川 で洗 って、私 がきよくなれな

アマナや パルパルは、イスラエルのす べての川 にまさ ってい

ました。それを 聞 いたナアマン将 軍 は、「ダマスコの川 、

エリシャは、ヨルダ ン川 で七 回 体 を洗 いなさ いと告 げ

神 のしもべのところに行 きました。その時 、神 のしもべ

す る人 々 が、自 分 の考 えを捨 て、神 の働 きを受 け入

さ ったのでしょう 。後 の世 の、罪 から の救 済 を必 要 と

神 は、将 軍 がらい病 を癒 さ れたことを聖 書 に記 録 な

それ を 信 じ、受 け 入 れ さ え す れ ばよいのです 。な ぜ

してくださ いました。それ ならば、感 謝 の念 を持 って

架 の血 によって人 類 の罪 の裁 きを受 け、罪 をみな消

水 のバプテスマによって人 類 の罪 を 全 部 かぶり、十 字

う のに、ど う して腹 を 立 てられ るでしょう 。イエスは

従 おう と しませんでした。それ でも諭 さ れ ると、自

れ、罪 から救 われるよう にす るためだったのです 。

ナアマン将 軍 はらい病 にかかったのを癒 さ れよう と、

分 の考 え はお いてヨルダ ン川 に行 き、七 回 体 を 洗 い

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じなさ い。そう してはじめて、
主 の祈 りが教 え るよう に、正 しく祈 ること ができる

ました。そう す るとす っかり癒 さ れたのです 。将 軍 が
自 分 の考 えを 否 定 していなかったら 、ら い病 を 癒 さ

のです 。


目 次

聖書に記された水と御霊の福音とは
30

れ ること はなかったでしょう 。同 様 に、自 分 の考 えを
否 定 せず 、自 分 なりのや り 方 で信 仰 していたのでは、

さ んとお 会 いしたのでお しゃべりしていました。す る

「天 にいます私 たちの父 よ。御 名 があがめられますように。」

>

と、そこにいた誰 かが、トイレであ まり大 声 で話 す と

<

だから 、こう 祈 りなさ い。

三 年 の刑 だとす る法 律 があ ると言 う のです 。その後
私 たち はおとなしくしていました。もちろん、その人
は冗 談 を言 っていたのです が。

もたくさ んいただきました。食 事 がおいしかっただけ

こんばんは。夕 食 はおいしかったです か。私 はとて

りになら な いでしょう 。ず いぶん笑 いました。ど んな

がどんなに懐 かしく昔 のことを語 り合 ったか、おわか

ので、じっくりと 話 し合 う ことができました。私 たち

それ でも、今 日 はイさ んと久 しぶりにお会 いした

ではなく、同 僚 や 聖 徒 たちとじつに楽 しく過 ごせま

話 題 でも、同 じ信 仰 と心 を持 つ同 僚 と 語 り合 う の

あ り ません。私 たち は罪 の赦 しを受 けており、悪 意

した。また、みなで交 わ りの時 を持 ち、このす ばら し

今 日 は、それ ほど 重 要 な ことではあ り ませんが、

はないのです 。お互 い相 手 を 見 ると、心 の中 に水 と

は、ほんとう に気 持 ち のよいものです 。時 にはけなし

おもしろいことがあ りました。トイレでおしゃべりして

御 霊 の福 音 を信 じる気 持 ちがあ るのがわかります 。

い場 所 で主 の恵 みを分 け合 え ることを、とてもあ り

いると三 年 間 刑 務 所 に入 れられるかもしれないそう

また、神 が私 たち の内 で働 いておられるから良 いので

合 っているよう に見 え るかもしれませんが、なんと も

です 。今 日 の午 後 、トイレで福 音 伝 道 者 イ・ジェヨン

がたく思 っております 。

御 名 があ がめられ ます よう に。

天 にいます 私 たち の父 よ。

マタイ 六 ・九

目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
31

す 。それ に、お互 いに相 手 が自 分 と同 じよう な人 間
わざ だと思 います 。

の中 に奇 妙 な調 和 が感 じられました。あれ は神 のみ
みなさ ん、この信 徒 研 修 キャンプで十 分 な休 養 が

的 欠 点 を持 っていることを知 って安 心 します 。お互 い
の外 見 を見 ても楽 しくなります 。新 たに生 まれた聖

取 れましたか。そう だとう れしいです 。大 勢 の人 が、

み なさ んの体 と魂 が十 分 な休 養 を 得 られ れ ばよい

徒 の誰 にでも、新 しいものと古 いものが同 時 に現 れて

今 日 の午 後 、小 グルー プで交 わ っている人 たち の

と思 います 。あ まり暇 な時 間 はないでしょう が、わず

たとえば台 所 のよう な、いろいろな場 所 で手 伝 ってく

間 を歩 いていると、とてもおもしろい光 景 を見 ました。

かでも休 養 を楽 しみ、安 らぎ を得 られればよいと思

いるのは良 いことです 。交 わりの時 を持 つことは、この

コンテナを利 用 した部 屋 が二 つあ って、そこで話 し合

います 。私 たち も、ただ冗 談 を言 い合 う ことがあって

れ ています 。共 に働 き、交 わ りの時 を持 っている間 、

っているグルー プがあ ったのです 。コンテナのほかに部

いいのです 。たとえば、トイレでおしゃべりをしている

上 なく良 いことなのです 。

屋 が三 つあ りました。そのとき、五 つの小 グルー プは、

私 たち はトイ レで、この三 年 の刑 のこと以 外 にも

と、三 年 の刑 を受 けるといったことです 。霊 的 にも、

た。そ う して調 子 の合 わ ない騒 がしい音 の中 に、奇

さ まざ まな ことについてお しゃべりしました。そこで

みな別 々 の歌 を歌 っていました。外 にいて聞 いている

妙 な調 和 があ るのです 。これが世 俗 的 な教 会 であ っ

話 さ れ たことす べてについてお話 しす る時 間 はあ り

また、それ 以 外 にも、あ まり会 う 機 会 のない人 々 と

たなら 、おそら く何 かが起 こったでしょう 。誰 かがこ

ませんが、ただ、自 分 が昔 と はず いぶんと 変 わったこ

と、まるで合 唱 コンテストに備 えているようでした。み

の騒 ぎ のことで何 か言 ったことでしょう 。ここでは、ど

と に気 づいたのです 。過 去 はどう あ れ 、私 たち は新

一 緒 に交 わりましょう 。

のグルー プも他 のグルー プのことを気 にしていません

たな被 造 物 となり、水 と御 霊 の福 音 を分 け合 ってい

な他 のグルー プより大 き な声 で歌 おう としていまし

でした。そう して、それぞれが歌 っていたのです が、そ


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
32

るのです 。
この二 日 間 、メー ルでの宣 教 活 動 ができ ませんで
した。それでも、宣 教 会 のウェブサイトには何 千 人 も
の訪 問 者 があ りました。特 にメールを送 って招 いたり
してはいませんが、私 たちが世 界 中 に配 布 しているス
テッカー や ポスター 、カー ドを見 て、ウェブサイ トに
アクセスしてこられ るのです 。この数 年 間 に築 いてき
た宣 伝 システムのおかげで、あ んなにも大 勢 の人 が来
られ るのだと思 います 。私 たちが今 ここで集 会 を 開
いていても、神 は世 界 中 に福 音 を広 めるために絶 え
ず 働 いておられ ます 。私 たち はほんとう に神 の働 き

おいしい物 を 食 べ、今 こう している以 上 に笑 っている
ことでしょう 。

●御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ るには
今 日 はマタイ の福 音 書 第 六 章 で主 が教 え ら れ た
主 の祈 りについてお話 ししましょう 。
マタイ六 章 九 節 には「天 にいます私 たちの父 よ。御
名 があ がめられ ます よう に。」とあ ります 。
神 の御 名 に栄 光 をさ さ げ るには、どう す ればよい

て、これまで以 上 に働 かれるはず です 。この先 数 年 の

働 かれ るはず です 。神 はほかでもな い私 たち を 通 じ

ャンプでお会 いす るまでの間 に、さ らに多 くの奇 跡 を

神 は今 年 の後 半 、私 たちがまた冬 季 信 徒 研 修 キ

福 音 を広 めて父 なる神 に栄 光 をさ さ げることです 。

こと は、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、そ の信 仰 を 守 り、

をさ さ げ る人 はいるでしょう 。しかし、もっと大 事 な

おき ます 。もちろん、高 潔 な行 いを見 て、神 に栄 光

よいのでしょう か。まず 、そう ではないと 申 し上 げ て

のでしょう 。聖 化 につながるよう な生 き 方 をす れ ば

間 に福 音 は世 界 中 に広 まり、神 はみこころをす べて

主 は、水 と御 霊 の福 音 を信 じて祈 り、信 仰 に生 きよ

をしているのだと自 信 を持 つことができます 。

実 現 なさ るでしょう 。水 と 御 霊 の福 音 を 全 世 界 と

とおっしゃいます 。
主 の祈 りが、罪 の赦 しを受 けた者 に与 えられたも

分 け 合 ったな ら 、私 たち の心 はさ ら に強 ま るでしょ
う 。その日 には、もっとたくさ んの冗 談 を言 い合 い、


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
33

し、祈 ろう とす るなら 、まず 罪 を洗 い流 して神 の子

お 呼 びでき るのです 。です から 、父 な る神 を お呼 び

神 の子 ど もだけが、神 を 「天 にいます 私 たちの父 」と

のであ ることを忘 れてはなりません。罪 人 ではなく、

のです 。

それが父 なる神 の御 名 に栄 光 をさ さ げることになる

霊 の福 音 を 信 じ、いつでも他 の人 々 と分 け合 う なら、

に栄 光 をさ さ げる道 は次 のよう なものです 。水 と御

い流 して子 どもになさいました。です から、水 と御 霊

遣 わし、福 音 を信 じる者 の罪 を水 と 御 霊 によって洗

い主 でもあ られ ま す 。父 な る神 はイエス・キリ ストを

神 は創 造 主 であ られます 。また、人 類 を救 った救

聖 くなってはいても、時 には自 らの弱 さ に負 けてしま

水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって罪 の赦 しを 受 け 、

神 の御 名 に栄 光 をさ さ げることができなくなります 。

ことがあ ります 。そこで、自 分 の欠 点 が妨 げとなり、

命 に専 念 していると、自 分 の欠 点 が表 面 に出 てくる

ところが、この世 に生 きて福 音 に仕 え、特 定 の使

によって罪 をみな洗 い流 してくださ った救 い主 を信 じ

う ことがあ ります 。肉 や 仕 事 のことで頭 がいっぱいに

どもにならなければなりません。

る者 にとって、神 が父 なのです 。

なるからです 。時 には、内 に罪 がなくとも、弱 さ のた
めに、父 なる神 の御 名 に栄 光 をさ さ げる生 き方 がで
き ないことがあ ります 。神 が水 と 御 霊 の福 音 を くだ

れ るのでしょう 。それ は水 と 御 霊 の福 音 を 信 じては

のでしょう 。どう したら 神 の御 名 に栄 光 をさ さ げ ら

では、どう す れば父 なる神 に栄 光 をさ さ げられる

福 音 によって洗 い流 してくださ っていることを思 い起

罪 も弱 さ も欠 点 ・欠 陥 もみな、イエスが水 と 御 霊 の

から 罪 を 犯 します 。そ う いう ことが起 こるたびに、

聖 徒 は罪 の赦 しを受 け、聖 化 さ れていても、弱 さ

●御 名 があ がめられます よう に

じめて可 能 です 。水 と御 霊 の福 音 を信 じる者 にだけ、

こしま す 。そ こで、人 間 の行 いによる罪 さ え も 消 す

さ ったのは、そのためです 。

神 を 父 とお呼 びす る資 格 があ るのです 。つまり、神


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
34

しゃいました。主 は罪 の赦 しのバプテスマにより人 類

でわかるよう になります 。」(ヨハネ 一 三 ・七 )とおっ

がしていることは、今 はあなたにはわからないが、あと

イエス・キリストがペテロの足 を洗 われたとき、「わたし

て罪 をみな洗 い流 さ れたかを 示 しています 。新 約 で

約 の時 代 にあ った幕 屋 の洗 盤 は、神 がど のよう にし

ばを通 じて、罪 の赦 しへの信 仰 を くださ いました。旧

神 に感 謝 をさ さ げ ま す 。主 は旧 約 と新 約 のみこと

力 のあ るイエスのバプテスマへの信 仰 を持 って、父 なる

る永 遠 のおきてである。』」(出 エジプト記 三 〇 ・一 七

ないためであ る。これ は、彼 とその子 孫 の代 々 にわた

近 づくときにも、その手 、その足 を洗 う 。彼 らが死 な

よるさ さ げ 物 を焼 いて煙 にす る務 めのために祭 壇 に

彼 らが死 なないためである。また、彼 らが、主 への火 に

天 幕 に入 るときには、水 を浴 びなければなら ない。

ンとその子 らは、そこで手 と足 を洗 う 。彼 らが会 見 の

の天 幕 と祭 壇 の間 に置 き、その中 に水 を入 れよ。アロ

の青 銅 の洗 盤 と青 銅 の台 を作 ったなら、それを会 見

の罪 を洗 い流 してくださ いました。人 間 は弱 い肉 体

-

幕 屋 の祭 壇 を 過 ぎ ると、青 銅 の洗 盤 があ り まし

イスラエルの民 の罪 を移 しました。

ところで二 頭 のいけにえ のや ぎ の一 頭 に両 手 を 置 き、

主 にさ さ げ たのです 。贖 いの日 には大 祭 司 が祭 壇 の

を 祭 壇 の角 につけ、肉 と 脂 肪 を焼 いて神 であ られ る

の頭 に両 手 を 置 き、次 に喉 を切 って血 を採 り、それ

の祭 壇 に向 かいます 。イスラエルの民 はそこでいけにえ

祭 司 が幕 屋 に入 るときには、まず 全 焼 のいけにえ

た。

神 はモー セと 祭 司 たちにこのよう に告 げ られ まし

二一)

-

を持 ちながらこの世 で生 きていきます 。そこで、弱 さ
が妨 げ と なるときにはいつでも罪 をみな洗 い流 す よ
う 、主 は水 と血 への真 の信 仰 をくださ ったのです 。

●聖 書 に明 かさ れた洗 盤 の真 理
旧 約 、特 に出 エジプト記 第 三 〇 章 一 七 二 一 節 で
は洗 盤 のことが述 べられています 。
「主 はまたモー セに告 げて仰 せられた。『洗 いのため


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
35

(ヨハネ 一 三 ・一 〇 )
主 がおっしゃったよう に、洗 盤 への信 仰 を持 ち、行

た。洗 盤 の前 を通 って聖 所 に入 り ます 。中 にはあ か
しの箱 があ り、神 が宿 っておられました。聖 所 に入 ろ

じ、思 いを巡 ら せ、完 全 な信 仰 を 保 つのです 。水 と

いによる罪 を 洗 い流 し、完 全 な信 仰 を 保 つのです 。

私 たちは罪 の赦 しを受 けてはいます が、それでも、

御 霊 の福 音 の内 で罪 がみな洗 い流 さ れたのです 。聖

う とす る人 は、まず 洗 盤 のところで汚 れ をす べて洗

毎 日 行 いで罪 を 犯 していま す 。では、罪 の赦 しを 受

徒 はイエスのバプテスマについて思 いを巡 ら し、信 じて

洗 盤 の真 理 は新 約 の時 代 、主 がこの世 に来 られ 、バ

けていながら、どう して心 をきよく保 てるのでしょう

神 の前 で聖 さ を 保 つのです 。まことに水 は、人 類 救

い流 さ なければなりませんでした。大 祭 司 も例 外 で

か。ここで私 が申 しているのは、水 と 御 霊 の福 音 への

済 のしるしであ るイエスのバプテスマを 示 しています 。

プテスマのヨハネ から バプテスマを 受 け た時 に、ついに

信 仰 によって罪 の赦 しを 受 けた後 で、どう したら 心

「そのことは、今 あ なたがたを救 う バプテスマをあらか

はあ りませんでした。これが、罪 の赦 しを受 けた義 人

をき よく保 てるのか、という ことです 。この問 いの答

じめ示 した型 なのです 。バプテスマは肉 体 の汚 れを 取

明 かさ れます 。つまり、イエスの受 けたバプテスマを信

え は洗 盤 のところで起 こる罪 の赦 しの中 にあ ります 。

り除 くものではなく、正 しい良 心 の神 への誓 いであ り、

に語 られた罪 の赦 しの真 理 です 。

罪 の赦 しを受 けた後 、聖 いままでいる秘 密 は洗 盤 に

イエス・キリストの復 活 によるものです 。」(ペテロ第 一 、
三 ・二 一 )と記 さ れているとおりです 。

あ ります 。
主 は、き よくあ り たい者 は足 を 洗 う だけでよいと
「イエスは彼 に言 われた。『水 浴 した者 は、足 以 外 は

消 さ れました。主 は世 の罪 をみな十 字 架 に運 び、そ

れました。そして、十 字 架 で死 に、人 類 の罪 をす べて

主 はバプテスマを受 けて人 類 の罪 をみな取 り除 か

洗 う 必 要 があ りません。全 身 きよいのです 。あ なたが

こで死 なれました。死 者 の中 からよみがえり、お救 い

おっしゃいました。

たはき よいのです が、みながそう ではあ りません。』」


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
36

いつでも、それ を思 い起 こす のです 。イエスの受 けたバ

なければなりません。この世 の汚 れに染 まったときは

も、主 のお受 けになったバプテスマのことを毎 日 思 わ

い起 こさ なければなりません。罪 の赦 しを受 けた後

しを受 けた後 、毎 日 繰 り返 し水 と 御 霊 の福 音 を思

くださ いました。私 たちは主 のみわざ によって罪 の赦

さ さ げ ることができなかったのです 。誰 であ ろう と、

盤 の水 で汚 れ を 洗 わ な け れ ば、聖 な る神 に栄 光 を

入 ること はでき なかったでしょう 。つまり、祭 司 は洗

大 祭 司 が汚 れ を 洗 う こと ができ な けれ ば 、聖 所 に

て神 の御 前 に行 け たのです か。洗 盤 の水 がな くて、

れば、必 ず 殺 さ れたでしょう 。では、大 祭 司 はどう し

義 人 であっても、心 を汚 す よう な出 来 事 に出 会 い

それがたとえ大 祭 司 であってもです 。つまり、大 祭 司

光 を さ さ げ ること ができ るのです 。す でに罪 の赦 し

ま す 。神 の働 き を していて、悪 を 行 う 者 に出 会 い、

プテスマを 信 じ、それ について思 いを巡 ら せ ると き 、

を受 けてはいても、罪 のために気 がと がめていては、

正 義 感 から 怒 りを覚 え ることがあ ります 。また、肉

でさ え人 間 にす ぎなかったのです から、行 いによる罪

御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ ること はできません。で

欲 的 な 考 え が浮 かぶたびに心 は汚 れ ま す 。旧 約 の

汚 れ た心 は改 めて洗 われ ます 。そう してはじめて、

す から主 は、水 と御 霊 の福 音 を信 じて聖 くなれるよ

時 代 、大 祭 司 が神 の御 前 に行 こう とす るときには、

で汚 れることを避 けられなかったのです 。

う にと、父 なる神 の御 名 に栄 光 をさ さ げるために祈

祭 壇 の前 を 過 ぎ、洗 盤 の水 で手 足 を洗 いきよめてか

主 のバプテスマを 信 じ、父 な る神 の御 前 で御 名 に栄

るよう にとお教 えになったのです 。

では、現 在 の私 たち は、ど のよう な信 仰 を 持 てば

ら、会 見 の天 幕 に入 って務 めを果 たしました。

う なったでしょう 。さ さ げ 物 によって一 年 の罪 の赦 し

よいのでしょう 。その問 いへの答 えは水 と御 霊 の福 音 へ

旧 約 時 代 の祭 司 が洗 盤 で汚 れ を洗 わなければど
を受 けてはいても、どう して聖 さ を 保 てたでしょう 。

の信 仰 の中 にあ ります 。義 人 は神 の御 前 でど のよう
な信 仰 を持 って祈 り、礼 拝 し、たたえればよいのでし

洗 盤 に頼 らなければならなかったのです 。
わず かでも汚 れ た者 が神 のおられ た至 聖 所 に入


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
37

な り ません。同 様 に、祈 り、たたえ、神 を 礼 拝 す る

ょう 。もちろん、水 と御 霊 の福 音 への信 仰 がなければ

二 五 ・一 〇 )でした。内 側 も 外 側 も 純 金 をかぶせな

幅 は一 キュビト半 、高 さ は一 キュビト半 」(出 エジプト

五 ・一 六 )と お っしゃいました。モー セが神 から 与 え

ければなりませんでした。あかしの箱 の製 作 には、さ

ど のよう な信 仰 を持 って神 の御 前 に行 けばよいの

られた二 枚 の石 版 が中 に納 められたのです 。律 法 を

とき、水 と御 霊 の福 音 を頼 みにして行 わなければな

でしょう 。イエスのバプテスマと血 を信 じて神 の御 前 に

記 した二 枚 の石 版 があかしの箱 に納 められ ると、そ

ら に詳 細 な 指 示 が与 え られ ていま す 。神 は「わたし

行 くことができます 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて、世

の上 に贖 いのふたが置 かれました。これ は神 のあわれ

りません。罪 のない者 として神 をたたえるには、必 ず

の人 々 の前 でも悪 魔 サタンの前 でも、神 の御 名 が神

みと公 正 さ を示 しています 。これ は、イエス・キリスト

が与 えるさ としをその箱 に納 める。」(出 エジプト 二

聖 なものとさ れるよう な信 仰 生 活 を送 ることができ

が、お受 けになったバプテスマによって人 類 の罪 をかぶ

この福 音 に頼 らなければなりません。

ます 。最 後 に、水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 により、御

り、十 字 架 で血 を流 し、律 法 の規 定 に則 って人 類 の

ます 。人 類 みなを救 う ためには、どう してもいのちを

神 の御 国 には神 の公 正 さ と愛 とがあ ることがわかり

罪 を洗 い流 したことを 示 しています 。このことから 、

父 の御 名 に聖 さ と栄 光 をさ さ げることができます 。

●人 類 の罪 を消 さ れたイエス・
キリスト

かしの箱 について述 べられ ています 。神 は聖 所 でイス

出 エジプト記 第 二 五 章 一 一 二 節 を見 ます と、あ

葉 を 換 えて言 えば、イエス・キリ ストがこの世 に来 ら

を 経 てはじめて、人 は罪 の赦 しを受 けられ ます 。言

聖 なる神 がお 定 めになった正 しい方 法 に従 って死

-

ラエル人 に、あ かしの箱 を作 るよう にとお っしゃいま

れ、バプテスマのヨハネ から受 けたバプテスマによって人

贖 う 必 要 があ りました。

した。あ かしの箱 の大 き さ は「長 さ は二 キュビト半 、


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
38

栄 光 をさ さ げ ることができるのです 。私 たち は水 と

を 信 じて神 の御 前 に行 き、信 仰 によって神 の御 名 に

う ことを忘 れてはなりません。私 たちはそのみことば

らよみがえられたから、自 分 が救 われているのだとい

人 類 の罪 をみなかぶり、十 字 架 で死 に、死 者 の中 か

また、イエス・キリストがバプテスマによってただ一 度 で

ななければならなかったことを忘 れてはなりません。

います 。自 分 たちが神 の律 法 に従 って罪 のために死

聖 徒 は神 の愛 と正 しさ により新 たないのちを受 けて

なれ たから 、人 間 は罪 の赦 しを 受 けられ るのです 。

類 の罪 を 全 部 かぶり、身 代 わ り と して十 字 架 で死

れたのです 。

は「父 」に、そしてイエスは救 い主 であ られ る神 になら

の福 音 への信 仰 によって聖 化 さ れました。そう して神

るよう になさ ったのです 。私 たち はイエスの水 と 御 霊

さ いました。そう して、人 間 が信 仰 によって聖 くなれ

は、ご自 分 のいのちを代 償 にして新 たないのちをくだ

三 日 後 に死 者 の中 から よみ がえ られ ました。イ エス

バプテスマを受 けられました。それから十 字 架 で死 に、

ったのです 。イエスは人 類 の罪 をみな取 り除 くために

にして、人 間 が正 しい救 済 を受 けられるよう になさ

けて人 類 の罪 をみなかぶり、ご 自 分 のいのちを犠 牲

れます 。それは、イエスがバプテスマを受 けて人 類 の罪

私 たちは「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめ

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる者 は、世 俗 的 宗 教 のよ

をみなかぶり、十 字 架 上 で罪 をみな 贖 い、人 間 を よ

御 霊 の福 音 のおかげで、信 仰 のゆ えに罪 をみな洗 わ

う な 方 法 で罪 の赦 しを受 けたのではあ りません。主

みがえらせ、神 の子 どもになさ ったからです 。救 い主

られ ます よう に。」と 祈 り ま す 。水 と 御 霊 の福 音 の

がバプテスマのヨハネ からバプテスマを受 け、人 間 のいの

であ られ る神 が卑 しい人 間 の姿 でこの世 に来 られ 、

れ ています 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じている者 は誰 で

ちを救 う ために十 字 架 でいのちをおさ さ げになった

バプテスマによって世 の罪 をかぶり、十 字 架 で血 を流

みことばを信 じると、御 父 の御 名 に栄 光 がさ さ げ ら

から 可 能 になったのです 。イエスは人 間 の肉 の姿 でこ

し、人 類 のいのち を 贖 ってくださ ったから 、私 たち は

も、す べての罪 から救 われます 。

の世 に来 られ 、バプテスマのヨハネ から バプテスマを受


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
39

できるのです 。

う す ること によって、御 父 に栄 光 を さ さ げ ることが

く神 をアバ、父 とお呼 びす ることができるのです 。そ

は父 なる神 の子 ど もになり、一 点 のや ましいこと な

す べてから お救 いくださ いました。です から 、私 たち

くださ いました。主 は水 と 御 霊 の福 音 によって罪 の

けられました。主 は尊 い犠 牲 を払 って新 たないのちを

プテスマを受 け、十 字 架 で死 んで人 類 の罪 の罰 を受

みこころに従 い、信 じる者 に罪 の赦 しをくださ り、バ

イエス・キリ ストを 信 じています 。イエスは父 なる神 の

を 求 めなければなり ません。少 なくと も、御 父 の御

ません。また、至 聖 の神 をアバ、父 とお呼 びして助 け

エス・キリストを 信 じて罪 の赦 しを受 けなければなり

いのちを代 償 にして人 類 を贖 ったと告 げています 。イ

さ り、罪 をみな消 さ れました。この福 音 は、主 がその

イエスは水 と 御 霊 の福 音 によって新 たないのちを くだ

さ れた水 と御 霊 の福 音 を信 じなければなりません。

る父 とお呼 びす るなら 、まず 、その内 で罪 が洗 い流

与 えられたものではないのです 。ほんとう に神 を聖 な

よろしいです か、主 の祈 りは、ただ暗 記 す るために

名 を 汚 す よう な誤 った信 仰 を持 ってはなり ません。
罪 をみな消 した神 の力 を 信 じないで、教 義 的 な信 じ
方 でイエス・キリストを 信 じるなら 、ど んなに堅 く信

人 々 は、主 の祈 りをまるで魔 法 の呪 文 ででもあ る

て、間 違 った信 仰 で神 の御 名 を 汚 す ことがあ っては

では神 に栄 光 をさ さ げ ること はでき まません。そし

●主 の祈 りは宗 教 的 詠 唱 ではない

かのよう に繰 り返 します 。しかし、よろしいです か、

なりません。そう した信 仰 はイエスのバプテスマを信 じ

じていよう と、その信 仰 には欠 陥 があ るのです 。それ

そう した詠 唱 では御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ られ

ないものです 。
す 。水 と御 霊 の福 音 を 信 じている人 は、至 聖 の神 に

神 は聖 く、その御 名 はしかるべく崇 められるべきで

ないのです 。主 の祈 りに節 をつけて歌 う こともあ るよ
う です が、それ自 体 は神 の御 名 に栄 光 をさ さ げるこ
とにはなりません。


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
40

をさ さ げなければなりません。そのためには、まず 罪

ことに神 の子 ど もです 。真 の信 仰 によって神 に栄 光

聖 なる栄 光 をさ さ げ ます 。また、そう した人 は、ま

してはじめて神 の御 名 に正 しく栄 光 をさ さ げ られる

と御 霊 の福 音 を信 じると罪 の赦 しを受 けます 。そう

信 じるよう になってもまだ罪 人 のままでいる人 は、水

今 日 のキリスト教 徒 はまことに頻 繁 に主 の祈 りを

のです 。

ると、聖 徒 が助 けを 求 めるときにはいつでも主 が祈

唱 えます 。礼 拝 の始 まりや 集 会 の始 め、礼 拝 の終 わ

をみな洗 い流 す 福 音 を 信 じなければなりません。す
り に応 えてくださ います 。です から 、福 音 を 信 じて

りに、まだ叙 任 さ れていない平 信 徒 の助 祭 の先 導 で
主 の祈 りを唱 え ます 。礼 拝 の最 初 に使 徒 信 条 を唱

主 に栄 光 をさ さ げなければならないのです 。
す べての人 は水 と 御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 しを

信 じていなければなり ません。そう した信 仰 を 植 え

御 名 に栄 光 がさ さ げ られ るのだという ことを知 り、

ければなりません。また、そう したときに父 なる神 の

テスマを 信 じ、心 にあ る罪 を 跡 形 もな く洗 い流 さ な

なりません。イエスがバプテスマのヨハネ から受 けたバプ

いの罪 を日 々 一 点 の汚 れもな く洗 いきよめなければ

けたバプテスマ

を 信 じ、行

受 けた後 でも罪 を犯 し続 けるのです から、イエスの受

たち 新 たに生 まれ た者 が罪 の赦 しを 維 持 し、日 々

日 、道 に適 った生 き 方 を しなければなり ません。私

は、主 の導 き を 求 めな けれ ば な り ませ ん。また、毎

ことをお 望 みなのです 。そう した信 仰 の民 になるに

ではなくて、真 に神 を 信 じる者 が罪 の赦 しを受 ける

と主 の祈 りをお与 えになったのではあ りません。そう

な信 仰 の証 明 として、暗 誦 して上 手 に唱 えるよう に

主 の祈 り を お教 えにな ったのではあ り ません。立 派

しかしな がら 、主 はそ う いう ふう に用 いるために

え、終 わりに主 の祈 りを唱 えます 。

つけるために、主 は主 の祈 りをお教 えになったのです 。

水 と 御 霊 の福 音 について思 いを巡 ら し、父 な る神 の

受 ける必 要 があ ります 。さ らに、人 間 は罪 の赦 しを

です から、まだ罪 の赦 しを受 けていない人 は、まず 水

御 名 に栄 光 を さ さ げ るよう にと、主 の祈 り を お 教

青 銅 の洗 盤 の水

と 御 霊 の福 音 を 信 じなけれ ばな り ません。イエスを


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」



41

し去 り、聖 めるには、毎 日 、青 銅 の洗 盤 から 汲 んだ

えになったのです 。ほんとう に心 にあ る罪 悪 感 を 消

か。違 います 。神 は次 のよう におっしゃいました。

分 の生 き 方 に疑 問 を感 じるとき、それ は罪 でしょう

神 のくださ った十 戒 は律 法 の柱 、核 心 、人 の心 を

たしのほかに、ほかの神 々 があってはならない。」(出 エ

連 れ 出 した、あ なたの神 、主 であ る。あ なたには、わ

「わ たしは、あ なたを エジプトの国 、奴 隷 の家 から

あ りのままに映 し出 す 鏡 です 。これ は罪 の赦 しを受
ジプト 二 〇 ・二 三 )

水 で心 をきれいに洗 い流 さ なければなりません。

け ていない人 だけではな く、罪 の赦 しを 受 け た者 に

-

ます 。新 たに生 まれた者 も、まだ新 たに生 まれ てい

神 はご自 分 の選 んだイスラエル人 に、そして、水 と

私 たち は水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受

ない者 も、神 の律 法 のみことばによって罪 を識 別 でき

も いえ ることです 。聖 書 は、人 が罪 の赦 しを受 け た

けた後 でも、いつも聖 い生 き方 をしているわ けではあ

ます 。この律 法 以 外 には自 分 の罪 を 罪 と 知 る方 法

御 霊 によって新 たに生 まれた私 たちにおっしゃってい

り ません。福 音 の働 きをしていると き は罪 から 離 れ

はあ り ません。自 分 が罪 と感 じるから 罪 なのではな

からといって律 法 が廃 止 さ れたのではないとしていま

ていられます 。しかし、古 い自 分 に戻 り、肉 の働 きを

く、神 が定 めた律 法 に反 す る行 いをしたときに罪 と

るのです 。自 分 の考 えや 気 持 ち、行 いを神 の定 めた

す ると、や はり罪 を犯 します 。よろしいです か、水 と

さ れ るのです 。人 間 の考 えに基 づいて罪 を見 極 める

す 。(ロー マ 三 ・三 一 )これ は必 ず 知 っておかなけれ

御 霊 の福 音 を 信 じているからといって、罪 深 い行 いが

のではあ り ません。よろしいです か、みことばに反 す

律 法 に照 ら してみると、それが罪 かどう かがわ かり

罪 と見 な さ れ ないわ けではないのです 。誰 が犯 そ う

ること をしたと き、人 間 の行 いや 考 え が罪 にな るの

ばなりません。

と、罪 は罪 です 。罪 の赦 しを 受 け た者 が犯 しても 、

です 。
神 の律 法 に照 ら して自 分 が罪 を 犯 したと 気 づい

罪 は罪 です 。
では、どう したら罪 が罪 だとわかるのでしょう 。自


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
42

たとき、それ を認 めなければなりません。そして、罪
エス・キリストの弟 子 になれないからです 。

た聖 徒 をいう のです 。心 に罪 があ る者 は、けっしてイ

スマと、ロー マ兵 によって十 字 架 につけら れ たと き に

るのです 。イエスがバプテスマのヨハネ から受 けたバプテ

信 じることの上 に立 つ信 仰 によってのみ、洗 い流 さ れ

置 く形 で洗 礼 を受 け、人 類 の罪 をす べてかぶったと

き よめられます 。イエスがバプテスマのヨハネ から 手 を

れ ます 。イエスの受 け たバプテスマによってのみ、心 は

罪 から 救 う ためになさ ったみわざ を 信 じてき よめら

と 信 じるという ことです 。汚 れた心 は、主 が人 類 を

受 けたバプテスマによって人 類 の罪 をす べて負 われた

御 霊 の救 済 を信 じて心 と魂 と肉 体 の罪 を完 全 に洗

になったから 、敬 虔 でいることができ るのです 。水 と

はできます 。イエスが人 類 のためにバプテスマをお受 け

真 理 であ るイエスのバプテスマを 信 じて聖 くな ること

て聖 くなることはできません。しかしながら 、救 済 の

けなければなりません。もちろん、人 間 が行 いによっ

赦 しを受 けた私 たち は、信 仰 によって敬 虔 であ り続

しゃいました。水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって罪 の

わたしが聖 であ るから。」(レビ記 一 一 ・四 五 )とおっ

父 なる神 は「あ なたがたは聖 なる者 となりなさ い。

●あ なたがたは聖 なる者 となりなさ い

を罪 と認 めたなら、イエス・キリストのバプテスマへの信
仰 により、罪 を洗 い流 す ことができるのです 。私 たち
は自 分 の悪 い行 いを 認 め、主 の前 に行 き、イエスのバ
プテスマの水 で身 をきよめ、聖 化 さ れました。青 銅 の

流 した血 への信 仰 が、罪 をみな消 し去 るのです 。この

い流 す ことができます 。です から 、神 の子 ど もとなっ

洗 盤 の水 で洗 う と は、イエスがバプテスマのヨハネ から

信 仰 によって罪 悪 感 から開 放 さ れます 。この信 仰 に

まことに、神 の御 名 に栄 光 をさ さ げる信 仰 を持 つ

た者 は御 父 の御 名 を汚 さ ず にいることができます 。

主 が教 えられた祈 りの「天 にいます 私 たちの父 」に

新 たに生 まれた者 は、信 仰 に生 きなければなりませ

よって、日 々 聖 い者 でいることができるのです 。
あ る「私 たち 」とは、水 と 御 霊 によって新 たに生 まれ


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
43

生 きてはじめて、神 の前 で正 しい生 き方 ができるので

光 をさ さ げ るのではあ りません。水 と御 霊 の福 音 を

肉 において良 い暮 らしをして父 なる神 の御 名 に栄

従 って、最 もふさ わしい祈 りができ ます 。みなさ ん、

す 。主 はす でに、人 間 がそう した生 活 を 送 れ るよう 、

信 じてはじめて可 能 なのです 。この福 音 を 信 じるな

ん。まことに、信 仰 生 活 を生 き なければなり ません。

す べてを 成 し遂 げ ておられ ます 。主 がこの世 に来 ら

ら 、主 の祈 りに従 って生 き られ ます 。人 間 の肉 の行

おわかりになります か。大 丈 夫 です ね。

れ、バプテスマのヨハネ からバプテスマをお受 けになった

いによって聖 くなることは不 可 能 でしょう が、聖 書 は、

倫 理 的 行 為 を行 う のではな く、真 の信 仰 に基 づいて

から 、それが可 能 な のです 。また、主 が十 字 架 で血

神 エホバの霊 によって可 能 だとしています 。水 と 御 霊
の福 音 を信 じている者 は、真 の霊 的 信 仰 を持 つ信 仰

を流 さ れたからでもあ ります 。
ペテロの手 紙 第 一 第 三 章 二 一 節 で主 は「そ のこと

間 の罪 も 罪 悪 感 も完 全 に洗 い流 さ れ たことを 信 じ

仰 を持 っています 。主 が受 けたバプテスマによって、人

世 の罪 をす べてただ一 度 で負 われたことを 信 じる信

られ、バプテスマのヨハネ から バプテスマを受 けて、この

心 が神 に向 かう なら 、その人 は、主 がこの世 に来

リストの復 活 によるものです 。」とおっしゃいました。

のではなく、正 しい良 心 の神 への誓 いであり、イエス・キ

た型 なのです 。バプテスマは肉 体 の汚 れを取 り除 くも

持 つ者 だけが神 をアバ、父 と呼 び、キリストの兵 士 と

も変 わ ら ず 愛 し、お仕 えできるのです 。真 の信 仰 を

いに洗 われます 。です から、私 たち は聖 なる主 をいつ

に、水 と御 霊 の福 音 への信 仰 によって、体 と霊 はきれ

罪 の赦 しの福 音 を 信 じて、可 能 にな るのです 。さ ら

す 。主 のくださ った、肉 の罪 と 罪 悪 感 と をき よめた

つまり、神 のくださ った真 理 を信 じてはじめて可 能 で

ら 肉 の罪 を洗 い流 せるでしょう 。水 と 御 霊 の福 音 、

ど う したら 心 を き よめられ るでしょう 。どう した

の人 です 。

て、聖 徒 は聖 化 さ れ ています 。信 仰 を 持 ってふさ わ

して生 きられます 。水 と御 霊 の福 音 を信 じ、福 音 を

は、今 あ なたがたを救 う バプテスマをあ ら かじめ示 し

しい生 き 方 を し、主 のお教 え くださ った主 の祈 り に


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
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自 分 の生 に適 用 してはじめて、この恵 みは得 られ ま
す 。この信 仰 のおかげで、聖 徒 は毎 日 大 胆 に神 の御

●罪 を 犯 したことがないから聖 いのか

そのよう に生 きられるようにしてくださ いました。罪

神 は、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じるみ なさ んと 私 が

した。この世 の罪 を負 い、負 った罪 の罰 を受 け、血 を

ません。主 はバプテスマを受 けて人 類 の罪 を負 われま

ことがないから 心 にや ましいところがないのではあ り

みな さ ん、みな さ んは義 人 です か、罪 人 です か。

の赦 しを受 けた後 、まったく罪 を犯 していないという

流 して十 字 架 で死 なれました。主 は死 者 の中 からよ

前 に行 けるのです 。水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 の内 で

たわご と を 言 う 人 がいま す 。しかしながら 、聖 書 で

みがえ り、完 全 な救 い主 と なられ ました。私 たち は

義 人 だとおっしゃるのなら、それは、罪 を犯 したこと

神 は「この地 上 には、善 を行 ない、罪 を犯 さ ない正 し

イエス・キリストを 信 じて罪 の赦 しを受 け、き よく聖

だけ 堂 々 と生 きることができ ます 。信 仰 の内 でだけ

い人 は一 人 もいないから 。」(伝 道 者 の書 七 ・二 〇 )

なる者 になり ました。主 がそう した信 仰 を くださ っ

がないからです か。それと も、水 と御 霊 の福 音 への信

とおっしゃっています 。人 間 がこの世 で行 いによる罪

たから、私 たちは信 仰 の内 で義 人 となったのです 。信

良 く生 き、正 しい良 心 で義 の働 きをして人 生 を送 れ

を 一 つも 犯 していないなら 、主 がただ一 度 で世 の罪

じて義 人 になったのでしょう か。それ と も、何 の罪 も

仰 によって義 人 と なられ たから です か。罪 を犯 した

を 取 り除 くために来 られ る必 要 はなかったでしょう 。

犯 さ ず にそう なったのでしょう か。罪 を犯 さ ないこと

るのです 。

人 間 には罪 を犯 さ ず に生 きることができません。主

によってではなく、信 仰 によって義 人 になりました。
ままでいる人 は、一 人 もいません。義 人 になった人 は

罪 の赦 しを 受 け た後 、何 の罪 も 犯 さ ず に義 人 の

が水 と 御 霊 の福 音 によって罪 をみな消 し去 ってくだ
さ ったので、無 数 の罪 を犯 しながら、それでも罪 のな
い者 でいられるのです 。

二 度 と罪 を犯 さ ないと言 う 人 がいます 。そう した人


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
45

な ること は、け っしてでき ません。人 間 はいつでも 不

によって霊 的 に完 全 にはなっても、肉 において完 全 に

がら、人 間 は生 身 の体 を持 っているのです から、信 仰

は、自 分 は心 身 と もに完 全 だと言 います 。しかしな

をして奔 放 な生 き方 をす る人 がいます 。

ない。罪 の赦 しを受 けたのだから 。」こう いう 考 え 方

いことだ。今 の境 遇 のせいだ。も ちろん、私 には罪 が

もいいじゃないか。こんな生 き 方 をす るのはしかたな

としてくださ ったから、聖 徒 は信 仰 によって聖 い者 に

おっしゃいます 。主 が水 と御 霊 の福 音 によって聖 い者

たしが聖 い者 と したから 、あ なたは聖 いのです 。」と

たしが完 全 な のだから 、完 全 な者 であ り なさ い。わ

聖 徒 は完 全 にな っているのです 。です から 、神 は「わ

のです 。す ると、主 の受 けたバプテスマと十 字 架 の血

法 を認 めて、はじめて自 分 の罪 を知 ることができる

考 えて、はじめて可 能 になります 。まことに、神 の律

神 の律 法 の前 に自 分 の罪 を差 し出 し、律 法 について

毛 を抜 き去 り、心 の汚 れを洗 い流 しました。これは、

いるのです 。聖 徒 は水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 の内 で

そう した人 は埃 まみれで毛 だらけの良 心 を持 って

なっているのです 。自 分 が偉 大 だからとか、完 全 だか

とを 信 じて罪 をみな洗 い流 し、聖 くな ることができ

安 定 で不 完 全 です 。主 が完 全 にしてくださ ったから、

ら とかではな く、イエスが水 と御 霊 の福 音 によって聖

るのです 。

信 仰 によって罪 の赦 しを 受 けた義 人 がキリストの

●罪 の赦 しを受 けた後 の新 たな生 を
生 きるには

化 してくださ ったと信 じて、聖 く完 全 でいるのです 。
み なさ ん、罪 の赦 しを受 け た後 でも、ど う や って
生 きていけばいいのだろう かと迷 う ことがあ ります 。
また、自 分 は罪 の赦 しを 受 けているのだから と、奔
放 に生 きることもあ ります 。「罪 の赦 しを受 けている
はどう しよう もない。こう いう ふう に生 まれ ついてい

兵 士 として生 きるなら、まことに良 い人 生 を送 れ ま

んだから、こう いう 生 き 方 をしてもいいんだ。自 分 で
るのだから。罪 の赦 しを受 けているんだから、どう で


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
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しょう 。そう した人 はいます 。「教 会 に行 く のは、落

も、人 生 の目 的 を失 ったよう に感 じている人 がいるで

す 。水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 しを受 けた後 で

ん。青 銅 の洗 盤 から汲 んだ水 で手 足 をきれいに洗 う

も心 と肉 が聖 くあ るよう にしていなければなりませ

を受 けた者 は、信 仰 を 保 ち、心 をきよく洗 い、いつで

を洗 い、きよく純 粋 で、聖 であ るよう にしていなけれ

信 仰 が必 要 です 。つまり、イエスが受 けたバプテスマと

しかし、主 はこう おっしゃっています 。

ばならないのです 。律 法 によって自 分 の罪 を知 り、悔

ち着 かない気 持 ちがす るし、退 屈 で、つまらないから

「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめられます

恨 の情 を 持 ってそれ を認 めなけれ ばなり ません。そ

十 字 架 の血 のみことばへの信 仰 により、行 いによる罪

ように。御 国 が来 ます よう に。みこころが天 で行 なわ

れ から 水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 を 洗 い流 す ので

です 。」こう いう 気 持 ちの人 もおられるでしょう 。

れ る よう に地 でも 行 な わ れ ま す よう に。」(マタ イ

す 。つまり、父 なる神 を呼 び、主 が聖 いよう に、聖 い

-

者 として神 の働 きをす るのです 。信 仰 により聖 くな

六 ・九 一 〇 )
神 は、罪 の赦 しを受 けた者 から聖 なる存 在 として
行 くよう に教 会 に行 く のでは、神 は喜 ばれ ないので

地 位 にあ るかを 忘 れ てはなり ません。少 な くと も、

罪 の赦 しを受 けた者 は、自 分 が誰 で、ど のよう な

るよう 、信 仰 のために生 きなければなりません。

す 。神 のしもべの導 き なしに自 分 勝 手 に頑 なに生 き

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる義 人 にとっては、天 におら

扱 われ ることをお望 みです 。です から 、ピクニックに

よう とす るなら 、尊 い油 を頭 の上 から 衣 のえ りにま

れ る神 は父 なのです 。実 際 のところ、神 を 父 と 信 じ
稀 です 。誰 もがそう 言 え るわ けではあ り ませ ん。こ

で流 れ るほど注 がれ ること もないでしょう 。(詩 篇 一
神 の御 名 に栄 光 をさ さ げるという ことは、日 々 信

れはお金 や 倫 理 、あ るいは修 道 院 での禁 欲 生 活 によ

て「天 にいます 私 たちの父 」と言 う こと のできる人 は

仰 について考 え、心 を新 たにし、神 の御 前 に出 ら れ

ってできることではあ りません。天 の恵 みを受 けた者

三 三 ・二 )

るよう な信 仰 生 活 を 送 るという ことです 。罪 の赦 し


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
47

罪 の赦 しを受 けた人 が罪 の赦 しを受 けていない人

を持 つことは、親 にとっては恥 になります 。

ことに神 から 特 別 な 恵 み を 受 け た者 だけ の特 権 で

と同 じ倫 理 道 徳 に従 って生 きたなら 、その人 は神 に

だけが神 をアバ、父 とお呼 びできるのです 。これはま
す 。つまり、水 と御 霊 によって新 たに生 まれて罪 の赦

認 められないでしょう 。神 は「天 にいます 私 たちの父
よ。御 名 があ がめられます よう に。」とお教 えになっ

しを受 けた者 だけが神 の子 どもになれるのです 。
私 たち はこの世 に生 きています が、自 分 の身 分 を

たのです 。少 な くと も、神 の子 ど もになっているのな
罪 の赦 しを受 けた人 が世 に有 害 な人 間 として生

心 得 ていなければなり ません。みなさ んと私 だけが
お呼 びできるのです 。自 分 の高 い身 分 を認 識 し、ま

きるなら 、それ は、新 たに生 まれ た者 と しての身 分

ら、御 父 の御 名 を汚 してはなりません。

だ新 たに生 まれていない人 々 と は異 なる、キリストの

に気 づいていないから です 。そのため、そう した義 人

神 の恵 み を受 け、神 の子 ど も として神 をアバ、父 と

兵 士 にふさ わしい信 仰 生 活 を 送 ら なけれ ばなり ま

は、まだ新 たに生 まれ ていない人 と と もにその倫 理
道 徳 や 価 値 観 ・基 準 に沿 って生 きるしかあ りません。

せん。
悪 い子 を持 つこと は、親 にとっては恥 になります 。

の人 に父 親 がいないことを指 摘 しているのではなく、

あ りません。誰 かを 「私 生 児 」呼 ばわ りす るのは、そ

私 生 児 という のは、そう した人 全 員 を指 す わ けでは

けなしに独 身 の母 親 に育 てられた人 が大 勢 います 。

どもをそのよう に呼 ぶのです 。この世 には、父 親 の助

もしれないが、ただの怠 け者 だ。信 じていない人 と違

しているじゃないか。くだらない。神 を 信 じているのか

は違 う のだろう 。それ でも、私 たちと同 じ暮 ら しを

う と罪 の赦 しを受 けているのなら 、何 かが私 たちと

なったところがあ るのを感 じています 。「何 歳 であ ろ

世 俗 の人 々 は、私 たちには何 かしら自 分 たちと異

しかし私 たちは確 かに神 の子 どもです 。

その行 いが常 識 に反 す るものであ ることを言 っている

う ところなど何 もない。神 様 だってそんなにたいした

「私 生 児 」と は何 でしょう 。父 親 なしで育 てられた子

のです 。です から 、私 生 児 呼 ばわりさ れ るよう な子


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
48

向 かっては何 も言 わなくとも、陰 口 をたたいているの

なさ んがそう した人 であ ったなら 、世 の人 々 は面 と

ではなく、神 を も汚 していることになります 。もしみ

そ う す ると、そ の義 人 は自 分 が汚 名 を 負 う だけ

なったものでなければなりません。新 たに生 まれた者

ません。そう した人 と 付 き 合 いはしても、信 仰 は異

け ません。そう した人 には福 音 を伝 えなければなり

けていない人 を虫 けら以 下 の存 在 のように扱 ってはい

とはお思 いにならないでくださ い。まだ罪 の赦 しを受

申 しているわけではあ りません。まだ新 たに生 まれて

です 。自 分 の身 分 を忘 れ、貴 重 な権 利 をごみのよう

は、まだ新 生 していない人 と は別 の信 仰 生 活 を送 ら

ものではないんだろう 。」世 の人 々 は義 人 の陰 で、そ

に投 げ 捨 てるよう な人 は、結 局 、ひど く中 傷 さ れ る

なければなり ません。行 いはそう した人 々 と同 じよ

いない人 と少 しも付 き 合 ってはいけないと申 している

ことになります 。それは、その人 が身 分 にふさ わしい

う に不 完 全 であっても、それでも心 は異 なっていなけ

う した悪 口 を言 います 。

生 き方 をしないためです 。

ればなりません。
新 たに生 まれた義 人 でも、この世 でさ まざ まな地
位 についています 。また、それぞれに組 織 や 部 署 に属
しています 。私 たちにはそれぞれ仕 事 や 職 場 ・家 族 ・

受 け ます よ。」などという 冗 談 を言 っていても、義 人

レで大 声 で話 していると、刑 法 に従 って三 年 の刑 を

義 人 は義 人 と 交 わ らなければなり ません。「トイ

ち は天 の民 になっているから です 。私 たち はす でに、

く、す でに変 わっていなければなら ないのです 。私 た

なり ません。異 なっていなければならないだけではな

生 きていても、心 は世 俗 の人 とは異 なっていなければ

●義 人 は他 の義 人 とともに
主 への信 仰 に生 きよ

と 交 わ ら なけれ ばなり ません。も ちろん、まだ新 た

別 の信 仰 を持 ち、異 なった人 間 になっているのです 。

友 人 があ ります 。そう したさ まざ まな集 団 に属 して

に生 まれていない人 と少 しも付 き合 ってはいけないと


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
49

本 的 に異 なったものでなければなりません。

る状 況 に置 かれ ても 、心 にあ る信 仰 と 考 え と は根

ら 共 存 できるでしょう 。たとえそう した人 々 と 交 わ

では、全 然 違 った信 仰 や 心 を持 つ人 々 と、どう した

できるのです 。敵 と味 方 を区 別 せず 、基 本 的 に同 等

赦 しを受 けて心 身 ともによみがえるよう 導 くことが

要 があ り ます 。そ う してはじめて敵 を 憐 れ み、罪 の

まず 第 一 に、敵 と 味 方 を はっき り と 区 別 す る必

の扱 いをす るなら、ほんとう の良 き 福 音 を分 け合 う
ことができません。
ち ょっと前 まで冗 談 を言 い合 っていた人 に福 音 を

私 たち は、神 の水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって

てき たんじゃな いか。な んだって、いき なり そんな 辛

「おい。いきなりどう したんだ。ず っといっしょにや っ

●どの福 音 に従 って生 き るか

生 き なければなり ません。それが当 然 なのです 。神

気 臭 いことを言 い出 す んだ。おまえらしくないぞ。似

伝 えよう とす ると、どう しても気 まず くなります 。

はそのよう な生 き方 について語 っておられます 。ど ん

いきなりまじめに福 音 を説 き始 めると、一 般 の人

合 ってない。さ っき のほう が、お まえ ら しかったのに。

罪 の赦 しを受 けられるよう 、キリストへと導 かなけれ

はそう した反 応 をす るのです 。私 たち 義 人 は互 いの

な凡 庸 な人 であっても、罪 の赦 しを受 けているのなら、

ばなり ません。世 の罪 人 は、まだ罪 の完 全 な赦 しを

本 質 や 気 持 ち、信 仰 を知 っています から、す ぐさ ま

変 なこと は言 わ ないで、いつもどおりや ろう ぜ 。しっ

受 けていない憐 れ な魂 です 。まだ罪 から 救 われ てい

肉 のことから 霊 的 な こと へと 切 り替 え ること ができ

罪 人 と は異 なっているのです 。罪 人 は福 音 を分 け合

ない人 は、水 と 御 霊 の福 音 を聞 いて罪 の赦 しを受 け

ます 。しかしながら、罪 人 の場 合 、そう はいきません。

かりしろよ。」

る必 要 があ ります 。私 たちはそれを 念 頭 に置 いて生

罪 人 は自 分 が本 来 まことに罪 深 いものであ ることを

う べき 対 象 です 。私 たち キリ ストの兵 士 は、人 々 が

きなければなりません。


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
50

名 が崇 められるよう な信 仰 生 活 をしなさ いとおっし

う に。」と祈 るよう にとおっしゃっています 。御 父 の御

「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめられます よ

今 日 の聖 句 で主 は何 とおっしゃっているでしょう 。

たでしょう 。どう して神 の御 名 を呼 べたでしょう 。ま

音 を 信 じなければ、どう してこう した生 き 方 ができ

な る生 き 方 はでき な かったでしょう 。水 と 御 霊 の福

す 。主 への信 仰 のみことばがなければ、今 のよう な聖

とができるよう にしてくださ ったことに感 謝 す るので

がこの福 音 を知 り、救 い主 であ られ る神 を 信 じるこ

ゃっています 。もう 一 度 申 します が、そのためには、

た、どう して聖 な る神 を 父 と お呼 びす る特 権 を 享

知 りもしないからです 。

水 と御 霊 の福 音 を信 じ、神 の働 きをして、全 世 界 に

受 す るよう な崇 高 な生 き 方 ができたでしょう 。私 た
ち は田 舎 の便 所 で糞 尿 を 食 べているう じの群 れ のよ

福 音 を広 めなければならないのです 。
主 のくださ った水 と御 霊 の福 音 がなければ、私 た

聖 徒 の人 生 には神 の驚 くべき力 が働 きます 。水 と

う な生 き方 しかできなかったでしょう 。そんな人 間 が、

負 われました。それ から世 の罪 を十 字 架 に運 び、磔

御 霊 の福 音 によって新 たに生 まれ た者 は、ど んなに

ちは罪 の赦 しを受 けること も、神 の御 名 に栄 光 をさ

刑 に処 さ れ 、血 を流 して死 なれ ました。そして、三

弱 くとも、けっしてう じ虫 ではあ りません。神 に似 せ

神 を天 にまします 父 と呼 ぶよう 召 してくださ った神

日 後 に死 者 の中 からよみがえられました。主 がそう

て造 られた者 はみな、たとえ今 は罪 に縛 られた罪 人

さ げる信 仰 を持 つこともできなかったでしょう 。主 は

しなければ、人 間 の罪 はまだそっくり残 っていたでし

であっても、福 音 を信 じて神 の子 どもになることがで

に感 謝 いたします 。

ょう 。主 の受 けたバプテスマと十 字 架 で流 さ れた血 が

き ます 。世 界 は神 の被 造 物 で満 ちています が、それ

この世 に来 られ、バプテスマを受 けて人 類 の罪 をみな

なければ、人 間 が罪 の赦 しを受 ける手 段 はなかった

は根 本 的 に人 間 と は異 なっています 。人 間 以 外 のも
のは、どんなにがんばろう と、神 の子 ど もにはなれま

でしょう 。
です から、主 が水 と御 霊 の福 音 をくださ り、人 間


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
51

世 の人 々 はより文 化 的 な生 活 を送 りたいと願 って

ばに記 さ れたとおりに実 現 す るだろう という ことで

人 間 の中 にもさ まざ まな人 がいます 。水 と御 霊 の

います 。文 化 によって、人 間 はよりよい便 利 な生 活 を

せん。人 間 だけが水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 し

福 音 を 信 じて、す でに罪 の赦 しを受 けた人 々 がいま

送 れ ます 。です から 、生 活 をより便 利 なものにす る

す 。たった今 も、私 たちは信 仰 により、あ らゆる恵 み

す 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じた人 は神 の子 ど もになっ

ために、高 度 な文 化 を 良 い文 化 と しています 。そう

を 受 け、神 の子 ど もにな れ るのです 。これが人 間 と

ています 。罪 の赦 しを受 けた神 の子 どもは、この世 で

した文 化 によって、こまご まとした基 本 的 な 必 要 は

を受 けています 。

の生 を終 えた後 、どこへ行 くでしょう 。父 なる神 に抱

満 たさ れ 、人 々 はより新 しい、より 良 い文 化 を 享 受

他 の被 造 物 との大 きな違 いです 。

かれ、天 の神 の御 国 に入 るのです 。

しよう とします 。音 楽 を聴 き、映 画 を見 、文 化 活 動
を しま す 。このよう に文 化 を 享 受 しても、じきに飽
きてより高 いものを求 めます 。
そ う した傾 向 は日 々 の生 活 の中 で見 ら れ ま す 。

す ること はでき ます 。また、信 仰 によりす でに実 現

たち はまだ、そこには行 っていません。それ でも想 像

った場 所 です 。義 人 はそこで千 年 間 支 配 します 。私

千 年 王 国 とは、神 が義 人 への報 酬 として用 意 なさ

と サムポのどち ら かを選 ぶとき、食 べ物 や 清 潔 度 が

一 つは「パンパス」、もう 一 つは「サムポ」です 。パンパス

ー まで行 く途 中 、サー ビスエリアが二 カ所 あ ります 。

に立 ち寄 るかを決 めます 。春 川 から仁 済 研 修 センタ

立 ち寄 ります 。そのとき、数 あ るスポットの中 でどこ

●千 年 王 国 と神 の永 遠 の御 国 が
聖 徒 を待 つ

しているのです から 、それ を待 ち望 んでいます 。わ か

同 じくら いなら 、環 境 や 、辺 り の眺 めの良 いほう を

自 動 車 で移 動 していて、高 速 道 路 のサー ビスエリアに

っていることは、神 が約 束 なさ ったことはみな、みこと


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
52

ぶのは自 然 なことです 。

段 で食 べ物 や 雰 囲 気 が一 番 いいサー ビスエリアを 選

番 良 いサー ビスエリアを選 ぶという ことです 。同 じ値

わ ら ないこと が一 つあ り ます 。たくさ んあ る中 で一

きには、別 の場 所 を選 ぶでしょう 。しかしながら、変

きは、格 式 あ る場 所 を選 びます 。別 の地 域 に行 くと

選 びます 。自 分 の地 位 や 人 格 ・名 声 が高 いと思 う と

国 と は、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて仕 えた者 への神 か

ち はそ う した国 で千 年 間 君 臨 す るのです 。千 年 王

す ばら しい眺 望 よりも 心 をと ら え るでしょう 。私 た

の楽 園 、主 のくださ った千 年 王 国 は、この世 のどんな

受 けた、どんな場 所 よりもす ばらしいのです 。この世

所 でしょう 。天 の御 国 は、地 上 で最 高 のもてな しを

ませ んが、最 も いい扱 いを受 け たと ころが最 高 の場

らの報 酬 です 。
この世 のど んな場 所 よりもす ばら しい場 所 、それ

なぜそう した場 所 に行 こう とす るのかおわかりで
す か。神 が人 間 の心 に、神 の御 国 を願 う 心 を植 えつ

の野 が覆 い、花 々 が道 を作 ります 。池 は涼 や かな翡

が神 の永 遠 の御 国 です 。天 国 には何 も不 便 なことが

と りわ け、女 性 はレストランに関 しては何 よりもロ

翠 色 の水 に満 ち、金 色 のコイが泳 いでいます 。どこへ

け ておら れ るから です 。神 の御 国 、天 国 は美 しく 、

マンチ ックな 雰 囲 気 を 好 み ま す 。料 理 がど う あ れ 、

でも、気 の向 くままに移 動 でき ます 。地 上 では見 た

あ りません。神 ご 自 身 が王 として支 配 なさ り、あ ら

雰 囲 気 さ えロマンチックなら、女 性 はそう した店 に良

こと もないよう な輝 く宝 石 が至 る所 に散 らばってい

高 級 ・優 雅 で心 地 よい場 所 です から 、この世 でも人

い点 をつけ ます 。けれ ど も、男 は通 常 、雰 囲 気 より

ます 。目 を 閉 じると、風 が羽 毛 のよう に軽 や かに肌

ゆるよいもので満 たしておられるからです 。大 地 は緑

も料 理 の質 や 量 のほう を重 視 します 。男 がみんなそ

を なでます 。風 が耳 にさ さ や き、日 光 が子 ど もの柔

間 は自 然 にそう した場 所 を好 むのです 。

う という わ けではないでしょう が、一 般 に男 性 は女

ら かい肌 を照 ら します 。天 の御 国 はそのよう にす ば
らしい場 所 です 。千 年 王 国 と神 の永 遠 の御 国 はこの

性 ほど雰 囲 気 を気 にしません。
みなさ んがどんなす ばらしい場 所 をご存 知 かしれ


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
53

り ません。そのためには、信 仰 から な る霊 的 信 仰 の

に栄 光 をさ さ げ るよう な 生 き 方 をしなけれ ばな り

私 は毎 日 、信 仰 により千 年 王 国 を訪 れます 。パン

文 化 の中 で生 き なければなりません。神 はそう した

世 のど んなす ばら しい場 所 と も比 べよう のない場 所

パス・サー ビスエリアに行 くたびに、千 年 王 国 がそこよ

生 き方 を喜 ばれます から、ご自 分 の子 どもには多 く

ません。正 しい誠 実 な信 仰 を持 って生 き なければな

り ず っと す ばら しいだろう こと を 考 え ます 。す ば ら

の恵 み を くださ いま す 。神 は信 仰 によって生 き よと

です 。

しい風 景 を見 るといつも、千 年 王 国 がそこよりもさ

御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ る唯 一 の方 法 は、水

お命 じになっておられます 。みなさ ん、おわかりにな

れ る千 年 王 国 を 思 って、う っと りします 。聖 徒 の心

と 御 霊 の福 音 を 信 じることです 。自 分 の人 間 として

ら に感 動 的 な眺 めであ ることを思 います 。何 かこの

はす でに天 国 にあ り ま す 。千 年 王 国 と天 の御 国 と

の能 力 によって主 にお仕 えできると思 っておられるな

ります か。大 丈 夫 です ね。

を くださ る神 を 汚 して、得 るところは何 もあ りませ

ら 、よろしいです か、それ は神 の拒 んだ、カインのさ

世 の美 しい物 を見 るたびに、や がて来 る世 で与 え ら

ん。親 を 辱 めること は自 ら を 辱 めることであ るのと

さ げ物 なのです 。アベルが信 仰 を持 ってさ さ げたさ さ

す 。御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ 、神 に栄 光 をさ さ

同 じよう に、水 と 御 霊 によって新 たに生 まれ た神 の

これは、みなさ んがよく生 きよう とす る気 持 ちを

げるよう な生 き方 をす ること もまた、水 と御 霊 の福

げ物 のよう に、水 と御 霊 の福 音 への信 仰 によって神 に

強 めよう として、こう いう ことを申 しているのではあ

音 への信 仰 によってのみ可 能 です 。みなさ んと私 は水

子 ど もとして、父 なる神 の御 名 を 汚 す のは、考 え ら

り ません。みことばを 信 じる気 持 ちを持 ち なさ いと

と御 霊 の福 音 への信 仰 によって神 の子 どもになり、御

栄 光 をさ さ げると、喜 んでいただくことができるので

注 意 しているのです 。義 人 は信 仰 によってのみ生 きる

父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ るよう な 生 き 方 ができる

れないことです 。

とあ るよう に、私 たち は義 務 を忘 れず 、御 父 の御 名


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
54

そう した恵 みを 受 けるのを拒 む人 々 がいます 。「私

てくださ った神 に感 謝 せず にはいられません。しかし、

そう した本 物 の信 仰 を持 って生 きられ るよう にし

のです 。私 たち は大 敗 しましたが、とても楽 しかった

も ち ろん、兄 弟 五 人 が奥 さ んたち九 人 と対 戦 した

ムとインドアサッカー をして、九 対 二 で負 けました。

今 日 の午 後 、兄 弟 たちは牧 師 の奥 さ んたちのチー

ます 。

はそんな生 き方 はいや です よ。そんなことをす るため

のです 。なぜ九 対 二 で負 けたのでしょう 。奥 さ んたち

のです 。

に生 まれたわ けではあ りません。」そう いう 人 は、そ

思 いました。しかし、あ の結 果 には考 えさ せられまし

を 楽 しませるのに九 対 二 で負 け たのはいいこと だと

私 をご ら んな さ い。私 をご ら んになれ ば、よく お

た。どう してあ んなひどい負 け方 をしたか、私 にはわ

んな考 えはお捨 てなさ い。
わ かりになると思 います 。主 にお会 いしてから、この

から ないのです 。別 の試 合 を 八 対 一 で負 けたとき の

しかし、牧 師 の奥 さ んたちが結 果 に喜 んでいるの

よう に生 きてこられたことは驚 くべきことです 。私 の

ながら、今 は一 番 高 いビルだってう らや ましいと は思

を見 て、私 たち はう れしかったのです 。奥 さ んたち は

ことを思 う と、ちょっと腹 が立 ちます 。なぜあ んなに

いません。それ は、そう したビルよりも も っと快 適 で

私 たち の姉 妹 だから です 。水 と 御 霊 によって新 たに

人 生 は信 仰 によって大 き く変 わりました。新 たに生

広 い家 がたく さ んあ るから です 。それ は教 会 です 。

生 まれた者 だけが兄 弟 姉 妹 なのだと、私 は信 じてい

ひどい負 け 方 をしたのでしょう 。これ は神 のみこころ

束 草 にあ る教 会 が私 の家 です 。ソウルと釜 山 にも教

ます 。実 際 に血 のつながった兄 弟 姉 妹 という わ けで

まれ る前 、私 は人 間 の欲 望 を 捨 てることができず 、

会 があ り、それ もまた私 の家 です 。世 界 のどこに行

はあ りません。しかし、神 の御 国 では霊 的 に一 つの家

だと思 って受 け入 れることにしました。

こう と、家 があ り ます 。私 が横 にな って眠 る所 が家

族 なのです 。みなさ んはどう でしょう 。みなさ んも、

いつかは不 動 産 を持 ちたいと願 っていました。しかし

であ り、住 む所 が故 郷 です 。私 はそのよう に思 ってい


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
55

人 と さ れ ま す 。神 の働 き 手 であ る仲 間 は立 派 だと

扱 わ れ るべき 者 は良 く 扱 わ れ 、立 派 な 人 は立 派 な

これはまことに幸 いなことです 。神 の御 国 では、良 く

がよかったのです 。牧 師 の奥 さ んたち は、それでな く

ろう かと思 う と、こちらがちょっと憂 鬱 になったほう

さ んチー ムが負 けていたら、ど んなにがっかりしただ

のは幸 いなことだったのだと気 づきました。牧 師 の奥

憂 鬱 な気 分 でしたが、よく考 えてみると、負 けた

お思 いになるでしょう 。兄 弟 姉 妹 が互 いを立 派 な人

と もかなりのストレスにさ ら さ れ ています 。です から、

そのよう に信 じておられます か。きっとそう でしょう 。

間 として扱 う なら 、お互 いに少 しず つ譲 り合 う ので

会 があ ったら 、勝 ちたいと思 いました。私 たち はサッ

ゲー ムに勝 つことで少 しでも気 が晴 れ るのなら、こち

でも、いつかは雪 辱 を果 たす つもりです 。そんな負

カー が下 手 で負 けたのです 。でも、それはみな神 のみ

はあ りませんか。家 族 という のは、そう いう ものなの

け方 はす るはず がないのに大 敗 したからです が、これ

こころであったのだと思 う と、気 分 が良 くなりました。

らが負 けたほう がいいのです 。それでも、また別 の機

もまた神 の御 力 だとおもう と、う れしいのです 。ほん

牧 師 の奥 さ んたち は勝 ったので、ご ち そう を たく さ

ではあ りませんか。

とう は、負 けたと き はす っかり 食 欲 がな くなり まし

ん出 してくれ ました。ここのところ、ず っとお 楽 しみ

私 たちは同 僚 に会 う と、大 敗 したことを話 しまし

た。私 たち 牧 師 は、九 対 二 で負 け た原 因 を分 析 さ

と思 っていました。後 半 は本 気 を出 す ぞと 思 いまし

た。たぶん聞 いた人 の多 くは、自 分 たち なら 九 対 二

が続 いています 。私 たちが勝 ったとしたら 、こんなに

た。簡 単 に逆 転 できると思 っていました。でも、それ

で負 けはしないと思 ったことでしょう 。そこで、ためし

えしました。なぜ九 対 二 で負 けたのだろう 。スコアが

は間 違 いでした。私 たち は全 力 を尽 くし、反 則 まで

にち ょっと試 合 をしてみたのです 。その結 果 は、もし

楽 しいことがあったでしょう か。

しました。それ でも九 対 二 で負 け たのです 。愕 然 と

彼 らが牧 師 の奥 さ んチー ムと対 戦 したなら 十 五 対

三 対 ○ 、四 対 ○ のときは、手 を抜 いてあ げているのだ

しました。「どう してこんなことになったんだ? 」


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
56

○ で負 けただろう という ことになりました。
これ はみな、私 たちが神 の御 国 にいるから 可 能 な

とができ ます 。そう す れば、神 に栄 光 がさ さ げ られ、
私 たちは多 くの恵 みを受 けるでしょう 。

ともかく、私 たちは水 と御 霊 の福 音 への信 仰 によって

げる信 仰 生 活 をくださ った神 の恵 みに感 謝 いたしま

す るよう お教 え くださ いました。御 名 に栄 光 をさ さ

神 はそう した人 生 をくださ り、そう した生 き方 を

罪 の赦 しを受 け、一 つの家 族 になっているのです 。水

す 。これが、主 がお教 えくださ った祈 りの主 題 です 。

のです 。私 たち はこう いう ことをう れしいと思 います 。

と 御 霊 の福 音 を信 じている者 は罪 の赦 しを受 けてい

信 仰 を持 って教 会 と結 びつき、神 に栄 光 をささ げ
て生 きましょう 。

るのです から、罪 があ りません。です から、心 は常 に
天 国 にあ り、毎 日 朗 らかに笑 っていられるのです 。
みなさ んはどう でしょう 。みなさ んは心 から 笑 え
ます か。あ まりにたくさ んの罪 を抱 えていて、心 から
笑 う こと などでき ませんか。そんな こと はあ り得 ま
せん。みなさ んには罪 があ りません。私 たちには罪 が
あ りません。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じている者 の心 に
や ましいこと は何 もあ り ません。私 たち は水 と 御 霊
の福 音 を信 じて御 父 の子 どもになっています 。今 、私
たち は父 なる神 の御 名 に栄 光 をさ さ げ るよう な信
仰 を 持 たな け れ ばな り ませ ん。御 父 の御 名 に栄 光
をさ さ げるよう な生 き 方 ができることを、信 仰 を持


目 次

「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」
57

って主 に感 謝 しなければなりません。真 理 への信 仰 を
持 って生 きるなら 、幸 いな 生 を ほんと う に楽 しむ こ

この世 に神 の御 国 を築 く働 き 手
<

>

とおっしゃいました。第 一 の教 え は「天 にいます 私 た

主 は、「だから、こう 祈 りなさい。」(マタイ 六 ・九 )

御 国 が来 ます よう に。

ち の父 よ。御 名 があがめられます よう に。」と 祈 るこ

マタイ 六 ・一 〇
みこころが天 で行 われ るよう に

とでした。つまり、御 父 の御 名 に栄 光 を添 え るよう

そう です ね。私 もとてもよく眠 れました。研 修 センタ

朝 食 はいかがでしたか。昨 夜 はよく眠 れましたか。

した。神 はこの世 でご 自 分 の民 を 選 び、この世 に御

の御 国 のためにそのよう に祈 るよう にとおっしゃいま

も行 なわれます よう に。」という 祈 りです 。主 は、神

地 でも行 われ ます よう に。

な祈 りをしなければならないのです 。第 二 は「御 国 が

ー で寒 かったり 具 合 が悪 かったり した場 合 は、ぜ ひ

国 を築 こう とおっしゃいました。また、「みこころが天

来 ます よう に。みこころが天 で行 なわれるように地 で

主 任 に伝 えてくださ い。何 か他 に必 要 なものがあ れ

で行 われるように地 でも行 われます よう に。」という
令 なのです 。

のは、この世 に神 の御 国 を 築 けという 、義 人 へのご 命

ば、おっしゃってくださ い。
今 日 は、主 がお教 えくださ った祈 りを再 度 読 みま
す 。マタイの福 音 書 第 六 章 一 〇 節 には「御 国 が来 ま
す ように。みこころが天 で行 なわれるように地 でも行
なわれます ように。」とあ ります 。今 日 はこの部 分 に
ついてお話 ししましょう 。


目 次

この世に神の御国を築く働き手
58

●この世 に御 国 を実 現 す るために生 き よ

も、合 衆 国 、インド、ナイジェリア、オー ストラリア、
福 音 を広 めています 。つまり、私 たちはこの世 に神 の

オランダ にも、六 大 陸 のす べての国 々 に水 と 御 霊 の
私 たちは神 の御 前 で何 者 なのでしょう 。キリストの

御 国 を 築 いているのです 。です から、私 たちは神 の御
私 たち はキリストの兵 士 として働 き ます 。私 たち

兵 士 です 。罪 の赦 しを受 けた私 たち はキリストの兵
この世 界 にキリ ストの御 国 を 築 くために戦 います 。

はこの世 に神 の御 国 を築 くために働 き ます 。私 たち

国 を築 く者 なのです 。

神 が私 たちをこの地 上 でキリストの兵 士 に任 じられ

はこの世 に神 の御 国 を築 くために福 音 を広 め、闇 の

士 です 。キリストの兵 士 は何 のために戦 う のでしょう 。

たのは、この世 に神 の御 国 を築 くためです 。それが神

勢 力 に対 して霊 的 戦 いをしているのです 。

音 を 広 める仕 事 は、この世 に神 の御 国 を 築 く仕 事

は何 をしているのでしょう 。はっき り 申 しま す が、福

誇 っているのでしょう か。そ う でなければ、今 私 たち

な知 識 を誇 っているのでしょう か。神 を使 って自 ら を

以 後 、モー セの支 配 の後 、士 師 の時 代 が来 ます 。そ

多 くの民 族 と戦 い、勝 利 しました。アブラハムの時 代

になった後 、モアブ人 や ペリシテ人 、アラブ人 を含 め

詳 細 に描 かれています 。ダビデ がイスラエルの王 の王

サムエル第 二 、八 章 から 一 〇 章 には、霊 的 戦 いが

●ダ ビデ 王 もまたキリストの御 国 の
戦 士 であった

がお教 えになった祈 りに含 まれた重 要 な命 令 なので
す。
私 たち は今 、全 世 界 に福 音 を広 めています 。他 の
誰 でも な く、水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって罪 の
赦 しを受 けた私 たちだけが福 音 の真 理 を広 めていま

なのです 。たった今 、私 たち は水 と 御 霊 の福 音 を広

してその後 、神 はダ ビデ を イスラエルの王 になさ いま

す 。これ は、どう いう 仕 事 でしょう 。ただ自 分 の豊 か

めて世 界 中 に神 の御 国 を 築 いていま す 。ブラジルに


目 次

この世に神の御国を築く働き手
59

に忠 実 に、敵 の民 族 と果 てしな く戦 い続 けているこ

い、勝 利 し続 けました。これは、ダ ビデ 王 が神 のみこ

旧 約 ではなぜ 果 てしな く 戦 争 が続 いていたのでし

と を 神 は喜 ばれ ました。そう した戦 いは肉 のこと だ

した。ダ ビデ は周 辺 諸 部 族 と 戦 い、征 服 しました。

ょう 。ダ ビデ はいつもモアブ人 や アマレク人 、ペリシテ

けではな く、神 の御 国 を 築 くという 霊 的 戦 いでもあ

ころに従 って、この世 にキリストの御 国 を 築 いたこと

人 、エモリ人 といった人 々 と 戦 っていました。征 服 さ

ったから です 。したがって、神 はダビデ を 祝 福 なさ り、

聖 書 は、ダビデ王 が敵 と戦 って勝 利 した話 を数 多 く

れた民 族 は属 国 となり、その民 は奴 隷 にさ れました。

ダ ビデ は多 くの民 族 を征 服 す ることができ ました。

を意 味 します 。ダビデが神 の御 国 を築 くという 目 的

奴 隷 になると、神 に仕 えさ せられました。神 がダ ビ

神 はず っと昔 に御 国 を築 くことを始 められ、それ を

語 っています 。

デ をお認 めになったのは、そのためです 。

実 際 主 は、主 の祈 り の中 で、「御 国 が来 ます よう

よしとなさ いました。

し、その導 きを求 めました。彼 は王 として神 のために

に。みこころが天 で行 われるよう に地 でも行 われます

ダ ビデ は信 仰 の人 で、神 を恐 れ 、す べてを神 に託
生 き ました。「イスラエルの国 では他 の神 はな く、エホ

よう に。」と祈 るよう に教 え、罪 の赦 しを受 けた者 が、
この世 に神 の御 国 が築 かれ ることを祈 るよう になさ

バだけが真 の神 です 。」
つまり、ダビデ王 はエホバが唯 一 の神 だと告 げ たの
栄 光 のためではな く、神 の栄 光 のためだけに生 きた

祈 りな さ い。そのために兵 士 と して戦 い、敵 を 打 ち

「神 の御 国 を 築 くために生 き な さ い。そ のために

ったのです 。

から です 。そ こで、神 は多 く の恵 み をお 与 えにな り

破 りなさ い。福 音 により、敵 を屈 服 さ せなさ い。そ

です 。神 はダ ビデ を深 く愛 さ れました。彼 が自 分 の

ました。そしてその恵 みは息 子 ソロモンの代 まで続 き

して、彼 ら にも福 音 を 信 じさ せなさ い。彼 ら の信 じ
ている神 々 は偽 者 だという ことを明 らかにしなさ い。

ました。
ダ ビデがイスラエルの王 になると、や むことな く戦


目 次

この世に神の御国を築く働き手
60

そう して敵 を神 の民 にす るのです 。敵 が神 の前 に屈

私 たち はほんとう に罪 の赦 しを受 けています が、

●主 の求 めてお られること

現 す る水 と 御 霊 の福 音 を広 めなさ い。だから、神 の

神 が何 をお求 めかを正 確 に知 っていなければなり ま

し、神 の民 と なるよう にしなさ い。それら す べてを実
御 国 を 築 き な さ い。この国 の隅 々 に、そして、世 界

せん。「御 国 が来 ます よう に。」の示 す とおり、神 が

罪 の赦 しを受 けたなら、それから は全 世 界 の無 数 の

中 に築 きなさ い。す べての人 をエホバ神 の前 に屈 服 さ

これが、神 の人 間 に関 す るみこころです 。

魂 を救 えと告 げておられます 。もちろん、世 界 中 の

ほんとう にお望 みなのは、神 の御 国 をこの世 に築 く

私 たちは今 、福 音 に仕 えています 。水 と 御 霊 の福

魂 を 救 う という 使 命 のこと はよく 知 っていま す 。水

せるのです 。そして神 に仕 えさ せなさ い。そして、神

音 を 信 じて罪 の赦 しを受 けた人 は、福 音 に仕 えてい

と 御 霊 の福 音 の真 理 を分 け 合 って罪 の赦 しを 受 け

と同 時 に、天 の御 国 をくださ ることなのです 。神 は、

ます 。神 は、福 音 に仕 え るために結 束 しなさ いとお

た後 、託 さ れた使 命 を心 得 ているなら、そして、それ

の民 にしなさ い。」

っしゃいます 。いつも 教 会 と 結 びつき 、成 し遂 げ るべ

が神 の目 的 であ り、みこころだと ほんとう に知 ってい
魂 の救 済 についての話 は聞 き飽 きておられ るかも

き神 の働 きをしなさ いとおっしゃいます 。です から神
でいる時 間 はあ り ません。少 し働 いては少 し休 もう

しれ ませんが、こう した重 要 な話 題 はいくら 強 調 し

るなら、生 きる方 向 が明 確 になるでしょう 。

と思 う でしょう 。しかしながら、神 の働 きは絶 えるこ

てもよいのです 。キリスト教 兵 士 として、この世 に神

に忠 実 に、や むこと な く神 の働 きを行 います 。休 ん

となく生 じます から、休 んでいる暇 はないのです 。

の御 国 を 築 くという 使 命 に忠 実 に生 きること が聖
徒 の義 務 だから です 。このことを心 に刻 み、深 く信
じていなければなりません。私 たち聖 徒 と神 のしもべ


目 次

この世に神の御国を築く働き手
61

が、福 音 を 広 める職 務 に忠 実 でな け れ ば な り ま せ

ります 。各 人 にはそれぞれの役 割 や 任 務 があります

るなら 、福 音 を広 めることにより、神 の御 国 は広 ま

が神 の御 国 を 築 くという 確 固 とした目 的 を持 ってい

わず 、痛 みに耐 えていました。私 はいつか聞 いただけ

って悪 化 さ せるという のです 。それ で下 痢 止 めは使

飲 むと、体 が有 害 な細 菌 を排 出 す るのを妨 げ、かえ

テレビ番 組 を見 たのを思 い出 しました。下 痢 止 めを

害 のあ る細 菌 を 放 出 す る時 に起 こる反 応 だとす る

のいいかげ んな説 を 頼 みにして、下 痢 止 めを飲 まず

ん。
時 には福 音 を説 いていて、困 難 に望 むことがあ り

に痛 みをがまんしていたのです 。下 痢 は続 きました。

福 音 を広 めなさ いと 繰 り返 し言 わ れ るのは退 屈

ます 。水 と御 霊 の福 音 を伝 えていると、じっと聞 くの

るべき牛 の糞 ででもあ るかのよう に反 対 す る人 がい

です か。主 は、水 と 御 霊 の福 音 を 広 めなさ いとお っ

何 を食 べても下 痢 をしました。どれほど苦 しいものか、

ると、心 が傷 つけられます 。真 珠 の価 値 に気 づかず

しゃいます 。私 たちは毎 日 それ を聞 いています 。耳 が

ではな く、笑 う 人 がいます 。値 高 き真 珠 のよう なそ

にトイレに流 してしまう よう な愚 かな人 が大 勢 いま

痛 くなるほど聞 いているのです から、時 にはう んざ り

おわかりにならないでしょう 。ひどく退 屈 でした。

す 。福 音 に反 対 し、敵 対 す る人 に会 う といつでも、

だと思 う のではあ りませんか。す こしでもう んざ りし

の価 値 に気 づかず 、まるで水 と御 霊 の福 音 が処 理 す

福 音 を 伝 え ることが嫌 になり、う んざ りします 。正

ていませんか。
じことを何 度 も繰 り返 す んだから 。正 しいことかも

「ああ、う んざ りだよ。あ の人 は口 を開 くたびに同

直 なところ、しばら く福 音 を 伝 え るのを休 みたいと
思 ったことがあ ります 。
しばらく前 、ひどい下 痢 をしたことがありました。

こう いう ふう にお思 いになるでしょう か。どんなご

しれないけれど、う んざ りしてしまう よ。」

耐 え られませんでした。下 痢 止 めを飲 まなければい

馳 走 でも、毎 食 同 じものを 食 べ続 けていれば飽 きる

三 日 間 苦 しみ、疲 れ果 て、もう トイレに行 くことに
けないと思 いました。ところがそのとき、下 痢 は体 が


目 次

この世に神の御国を築く働き手
62

なさ い。水 と御 霊 の福 音 に仕 えなさ い。」と言 われる

とが正 しいことであ っても、「水 と 御 霊 の福 音 を広 め

よう に、たとえそれがほんとう で、そう して生 きるこ

いません。そこで、この世 界 の各 国 に神 の御 国 を築 く

国 の内 で実 現 しています が、この世 ではまだ実 現 して

持 つという ことでもあ りました。これはす でに天 の御

ことです 。また、一 緒 に住 むために大 勢 の子 ど もを

よう にとのご命 令 が発 さ れたのです 。私 たちは、この

のにはう んざ りす るかもしれません。
それ なのに、なぜ主 は同 じことを毎 日 毎 日 おっし

のです 。神 は御 国 の建 設 を望 んでおられ るのです か

人 が罪 の赦 しを受 けられ るよう にせよと告 げている

福 音 を広 め、神 の御 国 を 築 いて、この世 界 のす べての

おっしゃるのでしょう 。「御 国 が来 ます よう に。」は、

赦 しを受 け ました。では、主 はなぜ 福 音 を広 めよと

さ いました。そして、私 たち はその福 音 を 信 じて罪 の

て教 会 から引 き離 そう とす る誘 惑 に負 けません。い

示 して教 会 を 捨 てるよう 誘 われ ても、聖 徒 はけっし

牧 師 よりす ぐれた働 き手 です 。たとえいい仕 事 を提

みな神 の兵 士 です 。この教 会 の聖 徒 たち は、世 間 の

ろう と 平 信 徒 であ ろう と、罪 の赦 しを受 けた人 は、

い人 も、みな等 しくキリストの兵 士 です 。働 き手 であ

みなさ んと私 はキリストの兵 士 です 。弱 い人 も強

使 命 のために祈 るよう 告 げ られています 。

ら、キリストの兵 士 はそのために生 きなければなりま

つどこにいよう と、福 音 について瞑 想 し、福 音 のため

ゃるのでしょう 。主 は教 会 に水 と 御 霊 の福 音 を くだ

せん。です から、主 の祈 りの第 二 節 は「御 国 が来 ます

キリストの兵 士 はいついかな ると き も戦 場 に突 進

に生 き、福 音 の仕 事 に励 んでいます 。です から、私 た

父 なる神 は、この宇 宙 を造 る前 にイエス・キリスト

します 。彼 ら は神 の御 国 のために戦 います 。彼 ら は

ように。みこころが天 で行 なわれるよう に地 でも行 な

の内 に計 画 を 立 てておられ ました。その計 画 と は、

水 と 御 霊 の福 音 を分 け合 います 。人 間 に罪 があ る

ちはキリストの兵 士 なのです 。

神 の御 国 建 設 のためにできるだけ大 勢 の人 がイエス・

かどう かから始 めて、神 とは誰 か、イエス・キリストと

われ ます よう に。」なのです 。

キリストの内 で罪 の赦 しを受 けるよう にす るという


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この世に神の御国を築く働き手
63

ど のよう にして来 られ、お救 いくださ ったのか、自 分

戦 います 。それは魂 を殺 す のではなく、よみがえらせ

みなさ んと私 はキリストの兵 士 です 。兵 士 は毎 日

るよう 、キリストの兵 士 となさ いました。

は正 しい信 仰 を持 っているのかどう かを教 えます 。そ

ます 。罪 と 惑 いの中 にいる人 々 に真 理 のみこと ばを

は誰 か、なぜイエス・キリストはこの世 に来 られたのか、

う した方 法 により、不 信 者 を屈 服 さ せ、キリストの

伝 え、救 う のです 。自 分 がキリストの兵 士 であ ること、

まず 、人 々 にその罪 のことを知 らせ、霊 的 に殺 さ

民 に変 え ます 。さ ら に、そう した人 々 を教 会 へと 導

福 音 は一 つの国 だけ のも のではあ り ません。全 世

なければなりません。罪 のために死 ぬのがふさ わしい

神 がこの世 のす べての国 と地 域 に御 国 を 築 くことを

界 がキリストの御 国 の建 設 地 なのです 。です から、自

と 認 める人 、実 際 に神 の律 法 の前 で死 ぬ人 に水 と

き ます 。このよう にしてキリストの御 国 を 築 くのです 。

分 の国 に留 まらず 、神 の御 国 を築 くため、兵 士 を海

御 霊 の福 音 を 伝 え、新 たないのちを与 えます 。自 分

望 んでおられると知 っていれば、福 音 を広 めることは

外 へ送 り出 さ なければなりません。全 世 界 の至 る所

がイエスのバプテスマによって罪 に対 して死 んだことを

彼 ら はまこと にこの世 に神 の御 国 を 築 いているので

に神 の御 国 を 築 くのです 。神 は各 国 ・各 地 域 ・各 町

信 じている人 は、新 たないのちと罪 の赦 しを受 けてい

聖 徒 の喜 びとなります 。

に御 国 を 築 くことを喜 ばれ ます 。それが、イエス・キ

ます 。水 と 御 霊 の福 音 に出 会 って心 の底 から 信 じ、

す。

リストがこの世 に来 て、成 し遂 げよう と なさ ったこと

天 の恵 みに満 たさ れ ています 。それが新 たに生 まれ
新 たに生 まれた者 は神 の御 国 に属 しています 。そ

なのです 。悪 魔 サタンの誘 惑 に負 け、罪 のために死 に
打 ち 破 り、神 の御 国 を 築 かれました。王 であ られ る

う した人 はキリストの兵 士 、神 の民 、子 どもです 。私

るという ことなのです 。

イエス・キリ ストは神 の御 国 でその民 の世 話 を なさ い

たちは、人 々 がキリストの兵 士 になる日 まで殺 し、復

つつあ った民 をイエス・キリストは救 い、悪 魔 サタンを

ます 。主 は、私 たち がこの世 であ ら ゆ る恵 み を受 け


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この世に神の御国を築く働き手
64

格 別 です 。いのちを奪 い、与 える力 は誰 にでもあ るも

だ後 、新 たないのち の誕 生 を喜 ぶのです 。この喜 びは

活 さ せなければなりません。そして、みことばで育 ん

まっす ぐに進 むことができ ま す 。神 はこの地 上 に御

ているのです 。責 任 を 自 覚 したなら 、迷 う こと な く

士 として生 きる信 仰 を持 たなければならないと申 し

いいと申 しているわ けではあ り ません。キリ ストの兵

の疑 問 もあ りません。世 界 中 に神 の御 国 を築 こう と

みなさ んと私 がキリストの兵 士 であ ることには一 点

国 を築 いておられます 。それが神 のお望 みなのです 。

のではないのです から。

●聖 徒 はキリストの御 国 を 築 く働 き 手

願 っておられ る主 のことを 考 え ると、福 音 を広 める

です 。水 と 御 霊 の福 音 によって新 たに生 まれたキリ

です 。各 国 、全 世 界 さ え、神 の御 国 を築 く土 地 なの

の御 国 を築 いているのです から、喜 びはより大 きいの

す る者 は捕 ら え られ 、その国 の民 とさ れます 。みな

抵 抗 す る者 はす べて滅 ぼ さ れ 、白 旗 を 掲 げ て降 伏

手 にした剣 や 槍 で敵 を殺 す ために戦 場 に行 き ます 。

兵 士 の仕 事 と は何 でしょう 。敵 と 戦 う ことです 。

兵 士 として強 い義 務 感 を覚 えます 。

スト教 兵 士 にだけ、神 の御 国 を 築 く力 があ るのです 。

さ んはどう でしょう 。みなさ んはご 自 分 の任 務 が何

それだけではあ りません。私 たちはそれによって神

ほかなら ぬ神 が、私 たちがそ こに住 む のを喜 び、援

私 たちはキリストの兵 士 です から、捕 虜 全 員 に罪

か、わかっておられます か。

です 。そのよう にして神 の御 国 を 築 くのです 。これ は

の赦 しを受 けさ せ、神 の子 ど もにします 。心 の中 で

助 してくださ るのです から、私 たちの喜 びは大 きいの
神 から みな さ んと私 に与 え ら れ た特 別 任 務 です 。

せん。悪 魔 サタンに縛 られていた心 は、新 たに生 まれ

彼 ら を縛 っているロー プを 断 ち切 ら なけれ ばなり ま

みなさ んと私 はキリストの兵 士 です 。自 分 が神 の

ることができるよう 解 放 さ れ なければなり ません。

神 はこの役 目 をお与 えくださ いました。
民 、キリストの兵 士 であ ることを誇 り、高 慢 になって


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この世に神の御国を築く働き手
65

るよう にす る兵 士 です 。

神 の恵 み のいのち を もたら し、真 の自 由 を 享 受 でき

そう してや ら なければなりません。私 たち は人 々 に

るそう です 。私 たち は、世 界 中 に少 な くと も五 千 の

あ るでしょう 。世 界 にはおよそ二 百 二 十 の国 々 があ

所 という わけではあ りません。世 界 にはいくつの国 が

ります 。私 たちはただ主 からご命 令 を受 け、実 行 し

れで、キリストの兵 士 としての任 務 を終 えたことにな

を信 じたなら、私 たちはその人 を神 へと戻 します 。そ

ち、水 と御 霊 の福 音 を伝 えます 。ひとたび人 が福 音

界 中 で数 多 く の魂 を 悪 魔 サタンの戒 めから 解 き 放

食 物 を摂 取 す る以 外 にす ることはそれだけです 。世

の赦 しを受 け さ せ、教 会 を 建 てるのです 。罪 の赦 し

に戦 いをはじめ、人 々 に水 と御 霊 の福 音 を 伝 えて罪

は、どう す ればよいのでしょう 。そ こに着 いたら す ぐ

設 けなければなり ません。この仕 事 を 成 し遂 げ るに

所 はもちろん、世 界 中 のす べての地 域 に神 の御 国 を

ていない地 域 がいくつもあります 。韓 国 のそう した場

実 際 のと ころ、この国 にはまだ神 の御 国 の築 かれ

教 会 を設 けたいと思 っています 。

さ えす れ ばよいのです 。主 を お喜 ばせす るのが私 た

を受 けさ せ ることに成 功 す れ ば、教 会 指 導 者 が現

みなさ んと私 はキリストの兵 士 として生 き ます 。

ちの義 務 です 。

われるでしょう 。そして、それが神 の御 国 を 築 くこと
になるのです 。そう してその地 域 を占 領 します 。
ダビデが王 となった後 、笛 を吹 いてペリシテ人 を殺

具 体 的 に何 をお望 みかを知 っているなら、福 音 を広

主 はこの世 に御 国 を築 くことを喜 ばれます 。主 が

を 伝 えて味 方 にします 。それ から 、そ の土 地 の人 の

を受 けよう とす る人 を見 つけ、その人 に福 音 の真 理

まず 、その地 域 で水 と御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 し

●す べての国 を 福 音 によって占 領 せよ

めることが楽 しみになり ます 。世 界 地 図 上 では指 の

中 から戦 士 を選 ばせます 。その人 を指 導 者 に据 え、

したよう に、私 たち は神 に敵 対 す る人 々 と戦 います 。

下 に隠 れるよう なこの国 だけが神 の御 国 を築 ける場


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この世に神の御国を築く働き手
66

戦 を 練 ったら 、全 面 戦 争 の時 です 。そ う して戦 いに

より 多 く の兵 士 たち を 集 めて勢 力 を 増 します 。作

知 っているなら、どんなに偉 大 な事 業 に参 加 している

す 。自 分 がそ う した重 要 な身 分 にな っているのだと

た者 は、普 通 の人 ではあ りません。キリストの兵 士 で

は戦 のために訓 練 し、戦 争 勃 発 の日 を待 ちます 。通

勝 利 し、その地 域 に神 の御 国 を 建 てるのです 。そう

神 は私 たちを 通 じて各 国 ・各 地 域 に御 国 を 築 か

常 の市 民 は、そう した時 にできることが何 もあ り ま

か、おわかりでしょう 。また、キリストの兵 士 であ るこ

れ ま す 。み なさ んは、神 がこのよう に聖 徒 を 通 じて

せんから 、戦 争 を 恐 れ ます 。しかしな がら 、兵 士 た

した信 仰 を 持 つなら 、け っして福 音 を 伝 え ること に

働 かれ ると 信 じておられます か。私 は、世 界 中 に福

ちは戦 の備 えだけをしているのです から、戦 の始 まる

とを知 っているなら 、喜 んで戦 う でしょう 。戦 う こと

音 を 伝 え ることこそが世 界 中 に神 の御 国 を 築 く働

時 を待 って士 気 を高 めるのはふさ わしいことです 。ひ

疲 れ ること なく、喜 んで福 音 を 伝 え 続 けるでしょう 。

き なのだと 信 じて活 動 しています 。私 は福 音 を説 く

とたび戦 争 が始 ま ると、愛 国 心 を 示 す 機 会 をど ん

を喜 ばない人 は、もはや 兵 士 ではあ り ません。兵 士

こと自 体 を目 的 とす るのではなく、神 の御 国 を築 く

なに喜 ぶでしょう 。彼 ら は戦 において国 家 の威 信 を

それが神 のみこころなのです から。

ために説 いています 。現 在 、私 たち はパキスタンそ の

保 つべく忠 誠 を誓 っています 。兵 士 は戦 争 のためにだ
兵 士 には「士 気 」という ものがあ ります 。彼 らはあ

他 のイスラム諸 国 の他 、合 衆 国 にも神 の御 国 を 築 い
そう した国 の牧 師 に罪 の赦 しを与 え、戦 士 になさ い

ら ゆ る状 況 を実 戦 と同 じよう に扱 い、臨 戦 態 勢 を

け生 きています 。

ます 。神 はまたインドや アフリカにも御 国 を築 いてお

維 持 します 。「私 たち は骸 骨 部 隊 だ。復 讐 の時 を待

ています 。神 はそれ ら の国 々 に神 の御 国 を 築 くため、

られます 。神 がそのためにみなさ んを用 いていると信

っている。来 い。お前 たちを踏 みしだく日 のために狙
い、這 い、訓 練 す る。」兵 士 はいったん事 あ る時 にはい

じておられます か。
みなさ ん、私 たち水 と 御 霊 によって新 たに生 まれ


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この世に神の御国を築く働き手
67

フレンドが自 分 を 裏 切 っているのではないかと心 配 し、

いません。どう なったのでしょう 。兵 士 たちは、ガー ル

ん。朝 鮮 戦 争 以 来 、韓 国 には一 度 も戦 争 が起 こって

常 時 備 えています が、戦 争 はけ っして起 こり ませ

人 は、より優 れた人 間 になり、成 熟 し、親 を 敬 う よ

に励 んでいなければならないのです 。軍 隊 で苦 労 した

ンドのこと、脱 走 す ること を考 る暇 がな いほど 訓 練

えるのです 。実 際 のところ、兵 士 は家 庭 や ガー ルフレ

ら、兵 士 たちには訓 練 よりも、余 暇 のほう を多 く与

す るあ まり、あ まり厳 しい訓 練 を課 さ ないほど なの

脱 走 して刑 務 所 に入 れられます 。あまりにも家 族 の

う になり ます 。男 は軍 隊 で成 熟 します 。しかしなが

つでも行 動 に移 れ るよう 、士 気 を高 く維 持 していま

こと を気 にして、軍 隊 にいることに耐 え ら れ な く な

ら 、生 ぬるい訓 練 では、成 長 して現 実 世 界 の厳 しさ

です 。兵 士 の脱 走 は、上 は将 軍 にまで影 響 します か

り、自 殺 します 。戦 争 の始 まった時 のために士 気 を

に気 づくことを妨 げ ます 。

す 。戦 闘 のために毎 日 備 えています 。

高 く持 って訓 練 に励 むべき兵 士 が、気 のたるみから

なことを考 え ないよう に訓 練 に励 んでいなければな

のは、いったい何 なのでしょう 。まことに、兵 士 は余 計

ん。最 小 限 の任 務 さ え果 たさ ないよう な兵 士 という

見 られません。彼 らは吹 雪 の後 に雪 かきさ えしませ

最 近 のこの国 の兵 士 には真 の兵 士 らしさ が少 しも

事 の量 を 減 ら したっていいんじゃないか。結 局 、毎 日

ます 。時 に仕 事 があ まりに多 いことがあります 。「仕

いう 気 になります 。暑 さ に苦 しめられ ること もあ り

に休 暇 に行 きたいとか、少 なくと も数 日 休 みたいと

経 験 しま す 。時 には、あ まり の負 担 に、ど こか遠 く

に、みなさ んと私 は福 音 に仕 えていて多 くの困 難 を

同 じこと は霊 的 部 隊 についても言 え ます 。まこと

りません。兵 士 の任 務 とは何 でしょう 。兵 士 のす るべ

働 いているんだから。どう してこんなに休 む間 もなく

弱 くなっています 。

きこと は訓 練 です が、何 の仕 事 もなけれ ば、どう し

こき使 われるんだ。ちょっと一 息 つこう 。」こんなふう
に思 う ことがあ ります 。

て訓 練 できるでしょう 。
実 際 、今 日 の士 官 は兵 士 が脱 走 す ることを心 配


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この世に神の御国を築く働き手
68

なり ません。翻 訳 し、編 集 し、電 子 版 ・印 刷 本 を作

ます が、少 なくとも四 、五 十 の言 語 に訳 さ なければ

ばならないのです 。世 界 には約 二 百 二 十 の国 があ り

とはあ りません。さ らに世 界 中 の言 語 に訳 さ なけれ

るからです 。本 を英 訳 しても、それで終 わりという こ

ら ないという のではなく、す るべきことがたくさ んあ

ちは毎 日 懸 命 に働 いています 。余 暇 の過 ごし方 を知

休 みたいと思 う のは当 然 ではあ り ませんか。私 た

受 けたとき、従 順 に「はい」と答 えていればよいのです 。

てくださ るでしょう 。私 たちはただ、神 からご命 令 を

す が、これ は神 の働 きなのです から、神 はう まくや っ

あ るのです 。結 果 がどう なるか疑 問 なこと もあ り ま

そう した仕 事 によって神 の御 国 が各 地 に築 かれ つつ

ませんから、キリスト教 図 書 を出 版 し、送 るのです 。

す べての国 に出 かけて行 って福 音 を伝 えることはでき

語 に訳 す 必 要 があ るのです 。また、私 たちが自 分 で

福 音 を広 めるのは容 易 なことではあ りません。一

私 たち はキリストの兵 士 としては少 数 派 にす ぎ ませ

てほしいという 要 請 も たくさ んあ り ます 。宣 教 会 の

人 一 人 に直 接 福 音 を 伝 え、罪 の赦 しを 受 けられ る

り、至 る所 に送 るために多 くの仕 事 があ るのです 。

事 業 にはかなりの資 金 が必 要 です 。では、どれほどの

よう にす るだけなら、それほど忙 しく働 く必 要 はな

んが、協 力 して世 界 中 に福 音 を広 めることができる

仕 事 があ るのでしょう 。す るべきこと は、あ まりに多

いでしょう 。しかしながら、目 的 はただ福 音 を広 める

また、ステッカー や チラシも印 刷 しなければなりませ

いのです 。私 たち がそ う した仕 事 を ためら う こと な

ことだけではないのです 。目 的 は神 の御 国 を広 めるこ

のです 。

く行 う のは、それがみな神 の御 国 を築 くために必 要

となのです 。

ん。仕 事 は山 積 しています 。また、仕 事 のために祈 っ

なことだからです 。

ません。では、どう したら これ を 達 成 できるでしょう 。

ただ無 計 画 にや っても御 国 を拡 大 す ることはでき

福 音 を 分 け合 う には、人 々 の言 語 で伝 え なけれ ば

異 なった目 的 を 達 成 す るためには、異 なった方 法 を

各 国 にはそれぞれの言 語 があ ります 。水 と御 霊 の
なり ません。です から 、出 版 物 をみなそれぞれ の言


目 次

この世に神の御国を築く働き手
69

に、この世 に神 の御 国 を広 めるなら、私 たちはつまら

探 る必 要 があ り ます 。神 がお望 みにな っているよう
ために心 身 を鍛 えなければなりません。

なさ ることに沿 って変 えられます 。また、その目 的 の
私 も人 間 です から 、時 には休 む必 要 を 覚 え ます 。
同 僚 たちと一 緒 にしばらく休 みたいと思 う こともあ

な い存 在 ではあ り ます が、神 のお 力 に支 え られ て、
神 の御 国 を広 めるために全 力 を尽 くさ なけれ ば な

り ます 。「う う ん、ち ょっと休 みたいな。」と思 う たび

の働 き のために懸 命 に働 いているよう す を 見 て、自

を新 たにす るのです 。他 の人 々 が夏 の暑 熱 の中 で神

に、同 僚 たちが黙 々 と働 いている様 子 を眺 めては心

りません。

●考 えの変 化

に気 づき ます 。つまり、同 僚 たちがメー ルを 送 り、コ

分 の休 みたいという 欲 求 が子 供 っぽいものであ ること
私 は以 前 、福 音 を 伝 えさ えす ればよいのだと思 っ

ンピュー タの前 でタイ プし、本 を 包 装 して世 界 中 に

実 際 、私 たちはそれぞれ山 のよう な仕 事 を抱 えて

ていたのです が、考 えが変 わりました。福 音 を広 める

です 。神 の御 国 を 築 くためには、世 界 の至 る所 にい

います 。膨 大 な仕 事 量 は体 の負 担 となり、休 みたい

発 送 し、神 に仕 える仕 事 を支 えるためにお金 を稼 い

る人 が福 音 を聞 いて罪 の赦 しを受 けなければなりま

と思 う のです 。私 はべつに休 むことなく働 けと申 して

ために努 力 はしましたが、目 的 がそこから 神 の御 国

せん。そう した人 々 が教 会 を 建 てるなら、世 界 中 に

いるのではあ りません。主 のために働 き、休 まなけれ

でいるさ まを見 るのです 。

神 の御 国 が築 かれます 。教 会 を建 てる以 外 にす るべ

ばなら ないと申 しているのです 。私 たちにとっては働

を拡 大 す ることへと 変 わったため、問 題 は変 わったの

きこと は何 もあ り ません。神 の御 国 を 広 めるため、

くことも休 むことも神 の働 きなのです 。
働 いていると、いろいろなことが起 こり ます 。大 事

高 い士 気 を持 って霊 的 戦 いを強 力 に進 めなければな
り ません。心 や 考 え・目 的 は、神 が成 し遂 げ よう と


目 次

この世に神の御国を築く働き手
70

りません。主 のみこころが何 であ るかを知 り、それ に

れとおっしゃったかを念 頭 に置 いて、生 きなければな

なことは、何 を目 的 とす るかです 。主 が何 について祈

ことばを分 け合 う ことができるのです 。

んでした。そう して今 日 、ついに、神 の恵 みにより、み

いました。必 要 は感 じていても、適 切 な時 があ りませ

りについてあ る時 点 で説 かなけれ ばなら ないなと思

神 はこの世 に御 国 を 築 けとおっしゃっています 。神

沿 って力 を 合 わせるのです 。つまり、罪 の赦 しを くだ
さ った後 、主 は何 をせよとおっしゃったでしょう 。この

はこの世 に御 国 を築 けとおっしゃり、そのために霊 的
伝 ってくださ いました。私 はまた、主 が私 たちみなを

世 に御 国 を 築 けと お っしゃいました。私 たち はただ
福 音 を広 めることもまた神 のみこころです が、もっ

キリ ストの戦 士 ・兵 士 と して召 さ れ たことにも 気 づ

戦 いを 戦 う 働 き手 を 立 て、聖 徒 を 集 めること を 手

と根 本 的 な目 的 は神 の御 国 を築 き、キリストが王 と

きました。神 は、戦 士 ・兵 士 として私 たちをこの世 に

神 の御 国 を築 けばよいのです 。

して支 配 し、賛 美 と栄 光 をお受 けになるよう にす る

置 かれ たのです 。神 の働 き のために祈 ると、神 は聞

神 はインター ネ ットが急 速 に発 展 す るよう になさ

ことです 。それが神 のお望 みなのです 。さ ら に、キリ

を 望 んでおられ ます 。人 間 を 救 済 ・祝 福 ・栄 光 ・平

いました。これ は、それによって全 世 界 に福 音 を広 め

き届 け、助 けてくださいます 。まことに、神 は聖 徒 を

和 ・富 ・栄 華 に包 むことを主 は願 っておられます 。私

られ るよう にす るためだったのでしょう 。この国 でも

ストは、この世 の人 間 がみな罪 の赦 しを受 け、そう し

たち はこれ を知 り、信 じています 。みなさ ん、これ を

数 年 前 までは、インター ネ ットはそれほど 普 及 してい

通 じて働 かれます 。

信 じておられます か。はい、信 じています 。私 たち は

ませんでした。しかし、いまや IT産 業 の最 先 端 にあ

た人 々 に恵 みを与 えることができるよう にす ること

これ まで福 音 に仕 え 、す べてを 信 じて生 きてき まし

り ます 。インター ネ ット通 信 は世 界 的 傾 向 です 。こ
の国 のどれだけの人 がインター ネ ットを使 っているか

た。
私 は主 にお仕 え していて、主 がお 教 えにな った祈


目 次

この世に神の御国を築く働き手
71

は驚 くほどです 。老 人 から 幼 稚 園 児 まで、コンピュー
す。

を 信 じるよう にな ると 、神 の御 国 建 設 に参 加 しま
主 はそのために主 の祈 りをお教 えになったのです 。

タに親 しみ、インター ネ ットを楽 しんでいます 。これ
は、大 変 な進 歩 です 。全 世 界 がこの流 れに乗 ろう と

この地 上 に建 設 さ れ ま す 。福 音 は世 界 の隅 々 ま で

「御 国 が来 ます よう に。みこころが天 で行 なわれるよ

かつて人 々 は手 紙 を送 るのに郵 便 局 まで出 かけて

届 くでしょう 。そして、す べての国 に神 の御 国 が築 か

しています 。これは先 進 国 だけに限 られたことではな

いました。郵 便 物 の配 達 が郵 便 局 の主 要 な仕 事 でし

れるでしょう 。つまり、みなさ んのよう な働 き手 や 信

う に地 でも行 なわれます よう に。」は、そのことを 表

た。しかしながら、手 紙 の量 が大 幅 に減 ったため、郵

者 がそれ ぞれ の国 に現 れ 、霊 的 戦 いを しているので

いのです 。インター ネ ットは発 展 途 上 国 でも 急 速 に

便 局 は物 の配 達 に力 を注 いでいます 。郵 便 局 では手

す 。ただ福 音 に仕 えているだけであ れば、信 仰 を失

しているのです 。この句 のよう に、神 の御 国 は必 ず や

紙 の扱 いが減 り、小 包 が増 加 しています 。これ は通

い、霊 的 に堕 落 す るでしょう 。実 際 、困 難 は退 屈 よ

広 まっています 。

信 手 段 の発 達 もあ り ます が、最 も大 き な原 因 はイ

は退 屈 す ることをご 存 じで、神 の御 国 建 設 という 、

り も耐 えや す いのです 。神 は、福 音 を広 めるだけ で

こう したインター ネ ットの発 達 は、速 や かにこの世

より大 き な仕 事 をお与 えになったのです 。神 の御 国

ンター ネ ットを介 したメー ルにあ ります 。
に御 国 を築 こう という、神 のみこころのなせるわざ だ

を 築 くために働 くのは退 屈 なことではあ り ません。
「あ な たは罪 人 です か、義 人 です か。罪 人 は神 の

と私 は確 信 しています 。私 たちはインター ネ ットで福
の遠 く離 れた所 に福 音 を広 めることができます 。真

民 ではあ り得 ません。義 人 だけが神 の民 なのです か

これは福 音 を広 めるのとは別 の次 元 の仕 事 です 。

の福 音 を 求 める人 は、宣 教 会 のウェブペー ジに来 ら

ら 。義 人 は罪 人 と は異 な り、人 生 に確 固 と した目

音 を広 めています から、実 際 に訪 れ ることなく世 界

れ ます 。そして、水 と御 霊 の福 音 を知 ります 。福 音


目 次

この世に神の御国を築く働き手
72

も罪 人 であ り、この世 に属 しています 。どう したら義

ゆ る点 で異 なっています 。罪 人 はどんなにがんばって

的 があ ります 。彼 らは別 の場 所 に属 しており、あ ら

みことばなのです 。これは、信 じさ えす れば罪 の赦 し

のです 。私 がお話 しす ること は、私 の言 葉 ではなく、

子 ど もになり たいのなら 、私 の言 う こと を よく聞 く

呪 われた運 命 にあ ります 。悪 魔 の支 配 を逃 れ、神 の

「イエス・キリストがバプテスマのヨハネ からバプテスマ

をもたらす 、真 理 のみことばです 。」

人 になるのか、おわかりです か。」
自 分 が兵 士 であ ると同 時 に、神 の御 国 を 築 く働
き手 であ ると信 じているなら、生 き 方 も言 葉 も変 わ

う ことです 。それに、あ なたと私 は、将 来 どう なるか

ではあ りませんか。次 元 が異 なるという のは、そう い

あ るのです 。あ なたはどう でしょう 。心 に罪 があ るの

違 いは心 にあ ります 。私 の心 には罪 ではな く御 霊 が

的 に異 なっています 。何 が違 う のか、おわ かりです か。

「外 見 は同 じよう に見 えても、あ なたと私 は本 質

う に神 の御 国 を広 めることに身 を さ さ げ る機 会 が

神 の御 国 に入 れます 。そして、主 がお命 じになったよ

の福 音 のみことばです 。このみことばを 信 じるなら 、

る体 によみがえりを受 けるのです 。これが水 と 御 霊

活 したと 信 じるなら、あ なたもまた神 の御 国 の聖 な

たので、罪 はみな消 えたのです 。イエスが三 日 後 に復

た。イエスがあ なたの罪 をかぶり、十 字 架 上 で死 なれ

を お 受 けにな ったと きに、あ な たの罪 が移 さ れ まし

が違 います 。あ なたはどんなにがんばったところで地

あ ります 。あ なたがす べてを神 のために行 う なら、神

ります 。福 音 を広 めるレベルが違 ってきます 。

獄 に行 き ます 。と ころが、私 は天 国 に行 く のです 。

の御 国 が必 ず この世 に実 現 します 。罪 の赦 しを受 け
みなさ ん、福 音 を分 け合 う ことで事 足 りるなら 、

あ なたの終 末 は惨 めで呪 わしいものでしょう 。私 のは
キリストのくださ った水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の

単 調 な仕 事 の連 続 で、す ぐに飽 きるのではあ りませ

た者 は神 に従 わなければなりません。」

赦 しを受 けた、神 の聖 なる選 民 なのです 。それ に対

んか。人 々 に罪 の赦 しを受 けさ せ、神 の働 き手 にな

す ばら しい、平 和 で穏 や かなものです 。つまり、私 は

してあ なたは、悪 魔 サタンのために果 てしなく働 く、


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この世に神の御国を築く働き手
73

う 人 を 導 くことができるなら 、それ は立 派 なことで

わ けではあ り ませんから 、真 の人 間 として生 きるよ

誰 もが、神 が造 り直 そう と思 っておられ る者 という

るよう 教 会 へと 導 くのは、や りがいのあ ることです 。

せんでした。その子 の言 葉 を 聞 くと、足 から 力 が抜

が、子 供 が「疲 れた」と言 う のは聞 いたことがあ り ま

う のです 。「痛 い」とか「ひどい」という のは聞 きました

す 。その子 は何 と言 う と思 います か。「疲 れた」と言

なあ 。」と言 います 。その子 と 遊 ぶとき、足 で押 しま

け ました。そ の子 の言 葉 はまことに意 外 な も のでし

す。
子 ど もがよう や く乳 離 れしたかと思 う と、あ っと

と もかく、その子 はぐんぐん成 長 しています 。つい

た。おそら く、遺 伝 子 に関 係 しているのでしょう が、

とを願 います 。母 親 が我 が子 の成 長 す るさ まを見 て

昨 日 は赤 ん坊 のよう に泣 いていたのに、今 日 は「疲 れ

いう 間 に小 学 校 に入 学 します 。母 親 は、子 どもが中

う れしく思 う よう に、聖 徒 にと って、多 く の魂 を神

た」と 言 う ほどに育 っているのです 。じき にそ の子 は

詳 しいことはわかりません。

の民 、や がては貴 重 な 兵 士 に育 てるのはや りがいの

小 学 校 に入 るでしょう 。「ママ、ぼ く学 校 に行 くんだ

学 ・高 校 を 出 て、大 人 になり、よい人 と 結 婚 す るこ

あ ることなのです 。親 は二 十 年 にもわたってたゆむこ

よ。」そして、自 分 の体 ほどもあ るランドセルを背 負 っ
チョヨンと いう 子 がいま す が、以 前 は私 を 見 ると

となく子 育 てに励 みます が、人 々 が神 の働 き手 、民
の御 国 を広 める仕 事 であ り、神 がそれ をお喜 びにな

逃 げ 出 したものです 。最 近 は私 の膝 に座 ったり、「こ

て学 校 に通 う のでしょう 。

るから です 。私 たち はその果 実 を喜 びます 。わが子

んにちは、牧 師 さ ん。お元 気 です か。」と挨 拶 したり

になるよう 育 てるのは有 意 義 なことです 。それが神

はす ばらしく見 えます 。聖 徒 は真 の人 間 として生 き

ざ まな考 えが浮 かびました。ご両 親 のしつけがいいな

します 。その子 の変 わ りよう に驚 くと同 時 に、さ ま

私 は日 曜 学 校 のエチョルという 子 がとても 好 き で

あ と思 いました。また、この子 はお小 遣 いがほしいの

るよう 、人 を育 てます 。
す 。そこで、エチョルに付 きまとい、「おまえ はかわいい


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この世に神の御国を築く働き手
74

と思 いました。ともかく、子 どもの成 長 していくさ ま

目 にして、子 ど もという のはあ っという 間 に育 つなあ

の言 う こと はき くこと があ り ます 。そう いう こと を

です 。親 の言 う こと はまったくきかない子 でも、先 生

おりに、大 人 を見 ると 「こんにち は。」と挨 拶 す るの

教 え られたもののよう です 。その子 は教 え られたと

かなと も思 いました。まあ 、あ れ は幼 稚 園 の先 生 に

士 の関 係 は親 密 でした。

ては兄 弟 姉 妹 が子 どもを育 てましたから、子 ども同

子 が、五 番 目 の子 は二 番 目 の子 が育 てました。かつ

育 てました。三 番 目 の子 の後 、四 番 目 の子 は最 初 の

を次 々 に産 んだものです 。最 初 の三 、四 人 は母 親 が

さ んでした。当 時 の韓 国 女 性 は十 二 人 も の子 ど も

もが生 まれ るにまかせていたので、たいへんな子 だく

親 は、子 ど もが成 長 し、結 婚 して自 分 の家 庭 を持 つ

伴 侶 を得 て子 ど もができるのを見 るためでしょう か。

親 はな ぜ子 ど も を 育 てるのでしょう 。す ばら しい

が世 界 中 のす べての国 々 に水 と御 霊 の福 音 を広 め、

大 勢 つくることを喜 ばれ ます 。です から、神 は聖 徒

を 築 くことをお望 みです 。神 はキリストの働 き 手 を

ます 。神 は兵 士 として私 たちをこの世 に置 き、御 国

神 の働 き手 を育 てるう えでも、同 じことが行 われ

のを見 るために育 てるのです 。それが親 の心 であ り、

人 々 に罪 の赦 しを受 けさ せ、教 会 へと 導 くことをお

を見 るのは、まことに気 持 ちのいいものです 。

子 どもを育 てる目 的 なのです 。

子 ど もであ る私 たち が水 と 御 霊 の福 音 を 広 め、多

を 兵 士 にす るためにこの世 に置 かれ ました。神 は、

ばなり ません。教 会 を 建 て、その地 の人 に福 音 を広

す から、私 たち はあ ちら こちらに教 会 を建 てなけれ

義 人 であ る信 者 が集 う 教 会 が神 の御 国 です 。で

望 みです 。そのよう にして神 の御 国 を築 くのです 。

くの魂 に新 たないのち を も たら し、そう した霊 的 子

めるのです 。イスラエルがペリシテ人 や アマレク人 と 戦

神 にも 似 たよう な 目 的 がおあ りです 。神 は人 間

ど もが神 の兵 士 や 働 き 手 にな るよう 育 てるのを ご

ったよう に、悪 魔 サタンを滅 ぼす のです 。戦 って屈 服
さ せることによって、人 々 を神 のほう に向 けるのです 。

覧 になりたいのです 。
私 たち の親 の世 代 は避 妊 をしませんでした。子 ど


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この世に神の御国を築く働き手
75

す。

て生 き 、守 ら れ 、恵 ま れ 、天 国 に行 く よう にしま

神 の側 に戻 った人 々 には、そ の人 たちが神 の民 と し

の目 的 ・確 信 ・戦 いに勝 とう という 気 持 ちがあ っては

せん。同 じことが霊 的 戦 いについてもいえ ます 。共 通

人 で戦 う なら 、負 傷 す るだけで、得 るものはあ り ま

の御 国 を 築 く者 なのです 。私 たち キリストの兵 士 が

られ ます 。神 の御 国 はこの国 に建 てられ、全 世 界 に

神 は、神 の御 国 拡 大 のために戦 えと呼 びかけてお

じめて、互 いの弱 点 を補 い、力 を何 倍 にもできるので

それぞれ の持 ち場 で福 音 に仕 えることをせず 、世 と

建 てられ つつあ ります 。しかし、まだこの福 音 が届 い

神 はこの世 に御 国 を築 くため、みなさ んと私 を兵

交 わ れ ば死 にま す 。罪 の赦 しを 受 け た後 で教 会 に

ていない地 域 が数 多 くあ るのです 。です から、そう し

す 。「団 結 す れば栄 え、分 裂 す れば倒 れる。」という

留 ま ら な いこと は死 ぬこと だ と 知 り ま せ んか ら 、

た地 域 に水 と 御 霊 の福 音 を 伝 え、神 の御 国 を 築 か

士 として置 かれました。私 たち働 き手 や 聖 徒 が、神

人 々 は罪 の赦 しを受 けた後 、世 と 交 わります 。そう

な けれ ばなり ません。また、神 の御 国 がす でに築 か

よう に、霊 的 戦 いに勝 利 す るには団 結 しなければな

した人 は、「戦 う 必 要 はあ りません。や めます 。もう

れた地 域 には、そこで霊 的 戦 いをす るよう 励 まさ な

の御 国 を築 く者 なのだと 信 じておられます か。水 と

戦 いません。」と言 って、剣 や 槍 を 捨 て去 り ます 。し

ければなり ません。神 は、神 の御 国 拡 大 のために生

りません。

かしながら、それ は戦 いの終 わりではなく、その人 自

き、絶 えず 祈 り、霊 的 戦 いをし、敵 を略 奪 せよとお

御 霊 によって新 たに生 まれた私 たち は、まことに神

身 の終 わりなのです 。
先 制 攻 撃 ができ なけ れ ば なり ません。常 に戦 う 用

神 から の力 を受 け、最 善 を尽 くしましょう 。主 の再

の世 に神 の御 国 を 築 いて神 をお喜 ばせす ることです 。

っしゃっています 。私 たち の目 的 は敵 を打 ち 破 り、こ

意 ができていなければなり ません。また、いつでも他

臨 の日 まで、神 のみこころに沿 って生 きていかなけれ

兵 士 はいつでも武 装 し、敵 が現 われるたびに戦 い、

の兵 士 たちと協 力 して戦 わなければなり ません。一


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この世に神の御国を築く働き手
76

ばなりません。その日 が来 てはじめて戦 いをや め、武

築 かれ ているのを 目 撃 しているのです 。神 の御 国 建

れ ていま す 。です から 、私 たち は各 国 に神 の御 国 が
設 は想 像 ではあ りません。実 際 に国 々 に建 てられ つ

器 を置 くことができます 。
その日 まで、私 たち罪 の赦 しを受 けた者 は霊 的 戦

えてき ました。しかしな がら 、「福 音 を広 めるです っ

みなさ んと私 はこれまでまことに忠 実 に福 音 に仕

ません。みなさ ん、そのよう に信 じておられます か。

人 の世 話 をし、任 務 達 成 のために祈 らなければなり

なるのです 。です から 、教 会 と一 つになり、傷 ついた

否 し、神 の御 国 を築 くことを拒 むなら、敵 が優 位 に

ん。「団 結 しよう 。」と言 っても、ばらばら になってし

社 会 運 動 に見 たとおり、それほど の効 果 はあ りませ

自 分 の意 思 で行 動 し、「これ をしよう 。」と叫 んでも、

完 全 な のです から 、それ ほど有 能 ではあ り ません。

活 を 送 らなければなりません。人 間 の肉 は弱 く、不

が私 たちを通 じて成 就 なさ る働 きを知 って、信 仰 生

私 たち水 と御 霊 によって新 たに生 まれた者 は、神

つあ るのです 。

て? そう いう ことはよくわ かりません。本 を送 る?

まいます 。「つまらないことを言 っているなあ 。そんな

いをしていく のです 。よろしいです か、霊 的 戦 いを拒

福 音 は広 まっているんでしょう ? 」と言 う なら 、神 の

ことをしている暇 はないよ。」と言 って、立 ち去 ります 。

きものなので、この尊 い福 音 を広 めたいという 心 から

がお救 いくださ り、主 の恵 みがまことに豊 かで驚 くべ

私 たち が「しよう 」と言 ったわ けではあ り ません。主

働 きは成 就 できません。
「へえ、神 の御 国 はこう いう ふう に建 てられ るのか。
あ の地 域 には神 の御 国 が築 かれつつあ る。」
これが信 仰 の人 の反 応 です 。これ を覚 えておかな
私 たち は今 、至 る所 に築 かれ つつあ る神 の御 国 に

員 はこれ を知 っていなけれ ばな り ません。聖 徒 を 集

このことを知 っておきましょう 。とりわけ、専 従 職

の願 いにより、す す んで福 音 を広 めているのです 。

関 わっています 。水 と御 霊 の福 音 を広 める霊 的 戦 い

め、「これ をしよう 」と言 っても、何 にもなり ません。

ければなりません。

を 続 けていて、世 界 中 で八 百 人 以 上 の働 き 手 が現


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この世に神の御国を築く働き手
77

トラー にも他 の大 量 殺 人 者 にも罪 は何 もあ り ませ

れました。私 たちの祖 先 の誰 にも罪 はあ りません。ヒ

ちの罪 はみな主 に移 さ れました。金 日 成 の罪 は移 さ

は、主 が罪 を完 全 に贖 ってくださ ったからです 。私 た

死 からお救 いくださ ったのです 。私 たちに罪 がないの

をかぶり、世 の罪 を負 って磔 刑 に処 さ れ 、復 活 して

ん。しかしながら、主 は、バプテスマによって人 類 の罪

時 々 は実 行 す るでしょう が、たいしたことはできませ

態 をつくことがあ ります 。またあ るときには、相 手 が

あ るときには、たまったストレスを発 散 す るために悪

りませんが、私 はきちんとした話 しができます 。でも

いるのです 。みなさ んが私 のことをどう お思 いかは知

るのは、みなさ んを退 屈 さ せないよう に、わざ として

う こともあ ります 。私 がそう した乱 暴 な話 し方 をす

についてだけ語 り、時 には、いさ さ か乱 暴 なことを言

のおっしゃったことだけを説 き ます 。彼 ら はみことば

神 はみなさ んと私 を キリストの兵 士 たるべく選 ば

それに値 す るよう なことをしたなら、ののしることも

大 量 殺 人 者 たち は福 音 を信 じていなかったのです か

れ ました。私 たちを 兵 士 になさ いました。神 の御 国

ん。イエスは世 の罪 をみな、みなさ んと私 の罪 も含 め

ら、罪 の赦 しを受 けていません。同 じことが、まだ生

を 築 かせるため、神 は私 たちに罪 の赦 しを くださ り、

あ ります 。しかし、わけ もなくののしることは絶 対 に

まれ ていない人 たちについても いえ ます 。です から 、

教 会 に来 さ せ、養 い、互 いに交 わってみことばを 食 べ

て、消 さ れ ました。ただ違 う のは、私 たち が真 理 を

私 たち は、この福 音 を知 ら ない人 々 のために福 音 に

るよう にさ せ、福 音 を 伝 え られ るよう にしてくださ

あ りません。

仕 え なければなら ないのです 。義 人 は豊 かな恵 みを

いました。それ は、私 たちがキリストの兵 士 だから で

信 じて罪 の赦 しを受 けているという ことです 。しかし、

受 け、ど んな状 態 にあ っても福 音 に仕 えます 。羊 が

まことに、私 たち キリストの兵 士 は内 面 的 にも肉

す。

みなさ ん、神 は、この世 の至 る所 に御 国 を 築 くこ

体 的 にも苦 労 しています 。福 音 に完 全 に仕 えよう と

どう いう ものかを知 っていなければなりません。
とを願 っておられます 。教 会 にいる神 のしもべは、神


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この世に神の御国を築く働き手
78

また、敵 兵 を見 つけ たら 、戦 いに勝 ち、生 け捕 り

キリストの兵 士 として、神 が必 要 をまかなってくださ

会 の活 動 に参 加 していると、どこかで別 の問 題 が起

にしなければなりません。す ると、神 はみこころに従

しても、多 くの妨 げがあ り ます 。心 から 福 音 に仕 え

こります 。福 音 を広 めることに献 身 す るなら、妨 げ

ってその人 を形 作 られ ます 。です から 、彼 ら を神 に

ると信 じて働 くことも必 要 です 。

るものは何 もあ り得 ません。しかしながら 、いつでも

託 せます 。神 は心 身 ともに強 め、あらゆる物 を提 供

よう とす ると、あ ち こちから 問 題 が起 こります 。教

あれこれ問 題 があ るのです 。です から、どう にもなら

してくださ います 。私 の解 決 でき ない家 庭 の問 題 を

そう したことを数 多 くあかしできます 。

でしょう か。キリストの働 き手 として働 いている人 は、

キリスト教 徒 として、そう したことを 経 験 していない

神 は処 理 してくださ います 。みなさ んと私 は忠 実 な

ないことに頭 を悩 ませるのです 。

●兵 士 として徴 募 さ れた者 は
徴 募 した人 を喜 ばせる

では、私 たちには何 も心 配 事 がないのでしょう か。

かどう か検 討 して、でき なければ、問 題 を神 に託 さ

神 に従 う こと はできません。あ る問 題 を解 決 できる

おっしゃいます 。実 際 、肉 の必 要 を満 たそう としては、

た者 を喜 ばせるためです 。」(テモテ第 二 、二 ・四 )と

掛 かり合 っている者 はだれもいません。それは徴 募 し

なら 、おそら くは、私 が七 十 歳 を 過 ぎ るまでかかる

に育 ててから 、堂 々 とみなさ んの前 に立 とう とした

ず 、息 子 の問 題 があ ります 。息 子 を満 足 のいくよう

したなら 、けっして福 音 に仕 え られ ないでしょう ま

福 音 に仕 え る前 にそれ を 全 部 自 分 で解 決 しよう と

私 自 身 、心 配 事 や 問 題 を たく さ ん抱 えています 。

何 か問 題 がおあ りです か。残 念 ながら 、あ るのです 。

なければなりません。「神 様 、これ を何 とかしてくだ

でしょう 。いつになったら 息 子 が大 人 になり、私 に心

主 は、「兵 役 についていながら 、日 常 生 活 のことに

さ い。」できる限 りの努 力 はす るべきです 。しかしまた、


目 次

この世に神の御国を築く働き手
79

配 をかけなくなるものか、見 当 もつきません。しかし、

神 の御 国 を 築 けとおっしゃったことを心 し、神 のみこ

築 くために祈 れ とおっしゃいます 。みなさ んは、主 が

高 い目 標 を 定 めれ ば、小 さ な困 難 には耐 え ら れ

息 子 を神 に託 しているので、神 がよいよう にしてくだ
まこと の兵 士 は自 分 を徴 募 した指 揮 官 の意 のま

ます 。他 方 、高 い目 標 を持 たなければ、些 細 な障 害

ころのままに生 きてくださ い。

まに動 きます 。困 難 で苦 しくと も、私 たち の徴 募 官

でも諦 めてしまう でしょう 。大 志 を持 たなければな

さ るはず です 。

はけ っして見 捨 てませんから 、豊 かな恵 み を受 け る

神 に感 謝 いたします 。神 がキリストの兵 士 として

りません。大 志 を持 つ人 は心 に信 仰 があ ります から、

に戦 っています 。水 と御 霊 の福 音 によって新 たに生 ま

お召 しくださ ったのは、まことにあ りがたいことです 。

こと にな り ま す 。みな さ んと 私 はキリ ストの永 遠 の

れた兵 士 は霊 的 戦 いを行 います 。兵 士 はいつも戦 う

全 世 界 に福 音 を広 める生 き方 を維 持 し、神 の御 国

自 らを支 え、困 難 に耐 える力 を得 ます 。

ために存 在 す るのです 。と りわ け、神 の兵 士 はよき

の築 かれ る日 まで祈 りましょう 。私 たち は全 世 界 の

兵 士 です 。兵 士 はいつでも戦 う 用 意 ができていて、常

信 仰 の戦 いをす るためにいるのです 。(テモテ第 一 、

働 き手 と神 の民 のために祈 ります 。私 たち の周 囲 の
人 々 のために祈 ります 。目 的 を 達 す るために互 いに

六 ・一 二 )
です から 、主 の祈 りの第 二 節 は「御 国 が来 ます よ

ために一 人 一 人 を救 われました。」このみことばをく

ゃったことに感 謝 いたします 。「神 は神 の御 国 を築 く

れます よう に。」なのです 。神 の御 国 を 築 けとおっし

答 えが出 るものではな いのです 。子 ど もが手 羽 を く

るかに超 えるものになります 。つまり、祈 りは即 座 に

かることがよくあ ります 。しばしば、答 えは期 待 をは

祈 りに対 す る答 えが得 られるまでにはしばらくか

祈 り、挑 戦 します 。

ださ り、心 に刻 んでくださ ったこと を 神 に感 謝 いた

れ とせがむと、親 は神 様 に祈 れば、くださ るよと言

う に。みこころが天 で行 なわれるように地 でも行 なわ

します 。神 は、罪 の赦 しを 受 けたなら 、神 の御 国 を


目 次

この世に神の御国を築く働き手
80

さ い。イエスの名 においてお願 いします 。アー メン。」そ

を くださ いと 祈 り ま す 。「神 様 、どう か手 羽 を くだ

います 。す ると、子 ど もはす ぐさ ま目 を 閉 じ、手 羽

わない者 には、再 臨 の際 にお与 えになるでしょう 。つ

より速 や かにその祈 りに応 えられます 。神 が快 く思

ればなりません。もちろん、認 めている者 には、神 は

神 にはとう てい感 謝 しきれ ません。何 者 でもなか

まり、神 は彼 らがこの世 で恵 みを 享 受 す るよう には

同 様 に、私 たち罪 の赦 しを受 けた義 人 も、大 人 で

った私 たちに、神 は御 国 の建 設 を託 さ れ ました。た

う して、手 羽 がす ぐに目 の前 に現 れ ないと、文 句 を

あ りながら 、時 には子 ど ものよう な振 る舞 いをしま

だ感 謝 す るばかりです 。私 は時 に、神 は私 たちを 過

なさ らないのです 。

す 。自 分 の必 要 と す るも ののこと を 祈 ったら 、す ぐ

大 評 価 しておられ るのではないかと考 え ます 。お互

言 います 。

さ ま実 現 さ れ なければならないと考 えます 。です か

いを個 々 に見 れば、特 別 な点 があ る人 は一 人 もいま

な無 能 な輩 を 用 いておられ るのです 。神 が私 たちを

ら 、前 も って祈 ら なけ ればな り ません。祈 りは将 来

そして神 が望 まれ るなら、自 分 を調 べなければな

用 いるのは、私 たちが神 の民 であ り、心 に御 霊 が宿 っ

せん。忠 誠 心 のない移 り気 な私 たちに神 がこれ ほど

り ませ ん。自 分 がほんと う にキリ ストの兵 士 と して

ておられるためであり、また、私 たちが神 の子 どもだ

のための貯 蓄 のよう なものです 。かなり早 くに祈 り、

生 きているのか、神 のお認 めになることをしているの

から です 。私 たち が祈 ると、神 は応 え、助 けてくだ

の仕 事 を託 さ れたのは、驚 くべきことです 。おそらく

か、確 認 しなけれ ばなり ません。神 はす でに私 たち

さ います 。神 が私 たちに偉 大 な仕 事 を託 さ れたのは、

神 が実 現 してくださ るのを待 つのです 。それ が信 仰

の必 要 を完 全 に満 たしてくださ いました。神 は「求 め

私 たち は他 人 がど う 言 お う と、神 と と も に歩 む か

神 は、その栄 光 を明 ら かにす るために私 たち のよう

よ、さ らば与 えられん。」とおっしゃいました。みなさ

らであ り、すでに神 の御 国 に属 しているからです 。神

による祈 りです 。

んは、求 めた物 を神 が必 ず くださ ると 信 じていなけ


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この世に神の御国を築く働き手
81

はみなさ んと私 に任 務 をお与 えになりました。
神 の前 で感 謝 いたします 。神 は私 たちを好 意 的 に、
哀 れ みを持 ってご 覧 になり、慈 悲 をお与 え くださ い
ます 。使 徒 パウロは、一 度 は主 に敵 対 しましたが、ひ
とたびダマスコに行 く途 上 で主 にお会 いす ると、心 を
改 めました。す ると、神 はパウ ロを よしとなさ り、働
き 手 と なさ いました。使 徒 パウ ロは神 の義 の福 音 を
広 める器 に選 ばれたのです 。イエス・キリストは私 たち
を 使 徒 パウ ロの時 のよう によしと なさ り、神 の御 国
を築 く働 き手 に選 ばれました。
神 の恵 みを イエス・キリストに感 謝 いたします 。神
に栄 光 をさ さ げ るよう な 生 き 方 をしなけれ ばな り
ません。神 の御 国 を築 くために生 きていきましょう 。
そのために生 き、す べてを計 画 し、教 会 と結 びついて


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この世に神の御国を築く働き手
82

す べてを行 い、キリストの兵 士 として信 仰 を持 って生
きながら、あ らゆることのために祈 るのです 。

<

>

霊 の福 音 が説 かれていたら、どう なっていただろう 。」

国 でキリ スト教 が最 初 に紹 介 さ れ た時 から 水 と 御

私 たちの日 ごとの糧 を きょうもお与 えください

マタイ 六 ・一 一
私 たち の日 ご と の糧 をき ょう もお与 え くださ い。

と思 います 。もしそう なっていたら、今 ごろは全 世 界
がこの世 の楽 園 になっていただろう と思 います 。その

神 に感 謝 いたします 。宣 教 会 では自 分 たちの聖 歌 集

私 たちを キリ ストの兵 士 にお 選 びくださ ったこと を

感 謝 いたします 。まことに、教 会 は貴 重 なものです 。

も 世 界 中 に福 音 を広 めさ せてくださ ること を神 に

それ でも、水 と 御 霊 の福 音 を くださ ったこと、今

ことを思 う と、まことに残 念 です 。

を編 集 しています 。これまで二 十 一 曲 が作 られ、『イ

水 と 御 霊 の福 音 を広 める教 会 のあ ること を神 に感

お元 気 です か。賛 美 歌 ・聖 歌 ・霊 歌 を くださ り、

エスの御 名 をたたえよ』という 聖 歌 集 が付 録 として加

謝 いたします 。水 と 御 霊 の福 音 はまことに尊 く、罪

今 日 は八 百 人 以 上 がウェブサイトを訪 れています 。

謝 しております 。

の赦 しを もたらします 。です から、そのことに深 く感

えられました。
私 たちの賛 美 はみな水 と 御 霊 の福 音 を歌 っていま
す が、歌 えば歌 う ほど好 きになります 。私 たち 義 人
に賛 美 の歌 を作 り、歌 え るよう にしてくださ った神

も、訪 問 者 が増 えているのはあ りがたいことです 。神

この研 修 キャンプに義 人 が集 まっている今 この瞬 間 に

この国 で、キリスト教 の始 めから 水 と 御 霊 の福 音

は福 音 を広 めることを喜 ばれます から、大 勢 の人 が

に感 謝 いたします 。
が説 かれ ていたら 、ど んなによかったでしょう 。「この


目 次

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
83

を通 じて働 くことを喜 ばれることがわかっています 。

て、こう した活 動 を行 えるのです 。また、私 たち義 人

げ ます 。私 たち 義 人 は、神 から 知 恵 と 力 をいただい

活 動 を認 め、助 けてくださ っている神 に感 謝 をさ さ

ウェブサイトを訪 れておられるのです 。私 たちの福 音

ら なければならないよう に、魂 もまた日 ご とに霊 的

要 があ り ます 。この世 に生 きている間 は肉 の糧 を 取

また食 べなけれ ばなり ません。人 間 は食 べ続 け る必

パンを必 要 とす るのです 。たとえ昨 日 食 べても、今 日

す 。肉 体 が生 き、霊 的 体 を まと っている限 り、毎 日

です 。今 日 は主 の祈 りから、「私 たちの日 ごとの糧 を

ら、毎 日 罪 を犯 します 。です から 、水 と 御 霊 の福 音

この世 に生 きている人 間 は弱 さ を 抱 えています か

糧 を必 要 とします 。

きょう もお与 えくださ い。」(マタイ 六 ・一 一 )に注 目

が必 要 なのです 。それが「日 ごとの糧 」です 。したがっ

今 日 読 みました聖 句 は、マタイの主 の祈 りの一 部

しましょう 。

て、毎 日 主 のくださ った水 と御 霊 の福 音 について思 い
を巡 らし、信 仰 に生 きる新 たな力 を得 るのです 。
です から、水 と 御 霊 の福 音 について毎 日 考 え ない

ちの必 要 とす る「日 ごとの糧 」とは、主 がバプテスマと

さ い。」と 祈 るよう お教 えになりました。実 際 、私 た

主 は「私 たち の日 ご と の糧 をき ょう もお与 え くだ

を 忘 れ て何 か新 しい物 を 探 しがちです 。です から 、

せん。新 たに生 まれた人 の多 く は、真 理 のみこと ば

福 音 について考 え るのを 怠 るよう にな るかもしれ ま

はす でに罪 の赦 しを受 けています から 、水 と 御 霊 の

●私 たち が必 要 とす る日 ごとの糧

十 字 架 の血 とによって成 就 さ れた、罪 の赦 しの福 音

私 たち 義 人 は毎 日 水 と 御 霊 の福 音 を調 べなければ

こと は、霊 的 糧 を 取 ら ないよう な ものです 。私 たち

への信 仰 です 。水 と 御 霊 の福 音 のみこと ば を 信 じる

ならないのです 。
私 たちがいつでも日 ご と の糧 を得 られ るよう 、神

と、心 に真 のいのちのパンを得 るのです 。
この世 に生 きている人 間 には日 ごと の糧 が必 要 で


目 次

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
84

を得 るのです 。

字 架 の血 について思 いを巡 ら し、教 会 から 新 たな力

こで、主 がこの世 に来 て、受 けられたバプテスマと、十

は教 会 に水 と御 霊 の福 音 をご用 意 なさ いました。そ

バプテスマをお受 けになったことを忘 れたなら、いのち

エスが人 類 の罪 をかぶるためにバプテスマのヨハネ から

ただの一 日 も欠 かさ ず 考 えなければなりません。イ

られ、バプテスマのヨハネ から受 けたバプテスマのことを

のパンを 食 べず 、餓 死 す ることになるのです 。す ると、
神 のいのち の働 きが内 で行 われ な くなり ます 。す な
わち、水 と御 霊 の福 音 はイエスを信 じる者 のいのちな
なぜイエスはこの世 に来 られ 、バプテスマのヨハネ か

●水 と御 霊 の福 音 について考 え る
先 ほど、マタイ の福 音 書 第 六 章 一 一 節 を 読 み ま

ら バプテスマを 受 け よう と な さ ったのでしょう 。ただ

のです 。
した。今 日 の聖 句 から 、信 仰 を持 って神 の働 きをす

る栄 光 を 享 受 できたのに、天 の御 座 を 捨 て、卑 しい

一 度 で全 人 類 の罪 を 取 り除 こう としてそう なさ った

まず マタイ第 三 章 一 三 節 を読 みましょう 。

人 間 の姿 でこの世 に来 られました。主 が人 間 として

ることと、福 音 とが、日 ごとの糧 になるという ことに

「さ て、イエスは、ヨハネ からバプテスマを受 けるため

この世 に来 られ、十 字 架 で死 ぬことは神 のみこころで

のでしたね。主 は父 なる神 のひとり子 として、あ らゆ

に、ガリラヤからヨルダンにお着 きになり、ヨハネ のと

した。そこでイエスは、御 父 のみこころに従 ってバプテ

ついてお話 ししよう と思 います 。

ころに来 られた。」
バプテスマのヨハネ から バプテスマを受 けよう としたこ

さ い。」と 祈 るよう 、お っしゃいました。これ は、何 が

主 は「私 たち の日 ご と の糧 をき ょう もお与 え くだ

スマのヨハネ からバプテスマをお受 けになったのです 。

とを語 っています 。人 間 はみな弱 さ に負 け、毎 日 罪

あ ろう と日 ご との糧 を得 なければならないという こ

これ は、主 が人 類 の罪 をただ一 度 でかぶるために

を犯 さ ず にはいられないのです から、主 がこの世 に来


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
85

しかし、それだけでは一 日 のいのち の糧 には足 りませ

す ることで新 たな力 を得 、しばらくはもつでしょう 。

読 む なら 、そ の日 のいのち の糧 を 得 ら れ ま す 。そ う

そ う ではあ り ま せん。自 分 には罪 がない、たと え 罪

来 、罪 を犯 していないと言 う のです 。しかしながら 、

こと がな いと いう 人 がいま す 。罪 の赦 しを 受 けて以

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じたなら、二 度 と罪 を犯 す

を持 って日 々 を生 きていく原 動 力 になるのです 。

ん。なぜ なら、みなさ んもわたしも日 々 の霊 的 滋 養

を犯 しても、律 法 に対 して死 んでいるのだから、心 に

とです 。たとえば、朝 起 きて静 かに祈 り、みことばを

物 が不 足 す るからです 。

エスはヨルダン川 でバプテスマを受 け、十 字 架 で死 んで

義 人 はイエスのたどった道 を 忘 れ てはなりません。イ

御 霊 の福 音 を信 じ、それについて考 えることなのです 。

日 ご と のいのち の糧 と なり 得 る唯 一 のこと は、水 と

霊 の福 音 への信 仰 が必 要 なのです 。弱 い人 間 にとって

の福 音 を 信 じ、思 いを巡 ら す ので、また新 たな力 を

るよう になります 。しかしながら 、聖 徒 は水 と 御 霊

罪 を犯 します 。そして、律 法 を通 じて自 分 の罪 を知

り、律 法 は永 遠 に続 き ます 。人 間 は弱 さ から 毎 日

用 さ れ ます 。水 と 御 霊 の福 音 の真 理 が存 在 す る限

この世 に生 きている限 りは義 人 にも神 の律 法 が適

罪 は入 らないのだと言 う 人 もいます 。しかし、それも

よみがえ り、昇 天 な さ ったのです 。水 と 御 霊 の福 音

得 ること ができ ま す 。水 と 御 霊 の福 音 についてでき

私 たち は人 間 です から、肉 体 に縛 られています 。

が日 々 の糧 になるのです から 、ただの一 日 も水 と 御

るだけ頻 繁 に考 え ることで、いつも聖 いままでいられ

また誤 りです 。そう した人 は真 理 を知 ら ず にあれ こ

霊 の福 音 を 信 じること を や めてはなり ま せん。この

るのです 。主 がバプテスマを受 け た理 由 を知 り、「主

自 分 の考 えに縛 られがちです から 、時 には肉 の思 い

福 音 を 信 じ、思 いを巡 ら せることで、力 とと もに心

は人 類 の罪 をかぶるためにヨルダン川 でバプテスマのヨ

れ言 っているのです 。

にいのちをよみがえらせる糧 を得 るのです 。驚 いたこ

ハネ から バプテスマをお受 けになったのだ。」と 信 じる

にとらわれ、落 胆 します 。です から、いつでも水 と 御

と に、水 と 御 霊 の福 音 について考 え ることが、信 仰


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
86

のです 。福 音 について考 え るといつも、日 ご と の糧 と
ば、足 を斧 で切 り取 られるだろう 。」

の子 孫 です 。主 はバプテスマのヨハネ が全 人 類 の代 表

ご 存 じのとおり、バプテスマのヨハネ は大 祭 司 アロン

こう としました。人 々 はバプテスマのヨハネ の言 葉 を聞

人 々 に説 き ました。人 々 の心 を改 めさ せ、神 へと 導

エホバ神 だけが真 の神 であ り、他 の神 はみな偽 者 だと

彼 は人 々 を非 難 し、神 に戻 ら せよう としました。

者 だとあかししておられます 。(マタイ 一 一 ・一 一 )

いて神 へと戻 りました。ヨハネ はや がて、イエスにバプテ

信 仰 に生 きる新 たな力 を得 ます 。

主 は、「バプテスマのヨハネ の日 以 来 今 日 まで、天 の御

スマを施 して世 の罪 をみな移 します 。
イエスはバプテスマのヨハネ のところに行 っておっしゃ

国 は激 しく攻 められています 。そして、激 しく攻 める
(

者 たちがそれを奪 い取 っています 。」マタイ 一 一 ・一
)

い日 が来 る前 に、預 言 者 エリヤをあ なたがたに遣 わ

旧 約 で神 は「見 よ。わたしは、主 の大 いなる恐 ろし

のヨハネ がイエスにバプテスマを 施 したのは、全 人 類 の

取 り除 かれました。言 葉 を換 えて言 えば、バプテスマ

そう してイエスはバプテスマを受 け、世 の罪 をす べて

いました。「私 にバプテスマを施 しなさ い。」

す 。」(マラキ 四 ・五 )と約 束 なさ いました。そして、

罪 をみな移 す ためだったのです 。

二 とおっしゃいました。

主 はバプテスマのヨハネ こそがそのエリヤなのだとおっし
-

たのでしょう か。そう です 。バプテスマのヨハネ には、イ

バプテスマのヨハネ はこの世 に来 なければならなかっ

テスマのヨハネ から 受 けたバプテスマと 十 字 架 で流 さ

の罪 を 一 点 のしみ もな くき よめるのは、イエスがバプ

す 。水 と御 霊 の福 音 は日 ごとの糧 になります 。毎 日

このことを考 えると、まことにあ りがたいと思 いま

エスに人 類 の罪 をみな移 す という 任 務 があ ったので、

れた血 です 。私 たちが新 たな心 で、神 の前 で貪 欲 と

ゃったのです 。(マタイ 一 一 ・一 三 一 四 )

イ エスより 六 ヶ月 早 く 生 まれ た のです 。彼 はまず 、

罪 深 さ を 払 い、キリストの兵 士 と して毎 日 生 きてい
けるのは、水 と 御 霊 の福 音 のおかげ です 。水 と 御 霊

人 々 に悔 い改 めのバプテスマを授 けました。
「悔 い改 めよ。まむしのす えたち。悔 い改 めなけれ


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
87

一 の手 段 です 。です から、毎 日 、水 と 御 霊 の福 音 に

の福 音 は、死 につつあ る人 にいのち を 投 げ かけ る唯

罪 をす べて移 し、旧 約 の時 代 を終 わらせなければな

れたので、バプテスマのヨハネ はイエス・キリ ストに世 の

り ました。約 束 さ れ た救 世 主 、救 い主 イ エスが来 ら

り ませんでした。旧 約 の型 に対 応 す る方 が来 られ て

ついて考 えていなければならないのです 。
マタイの福 音 書 第 三 章 一 四 節 を一 緒 に読 み まし

バプテスマを 受 け、そ のお かげ で、約 束 す べてを 信 じ
た者 に救 済 が与 えられるようになったのです 。こう し

ょう 。
「しかし、ヨハネ はイエスにそう さ せまいとして、言 っ

て恵 み の時 代 が始 まりました。イエスが来 られてバプ

女 から 生 まれた者 の中 ではバプテスマのヨハネ より

た。『私 こそ、あ なたからバプテスマを受 けるはず です

イエスがヨルダン川 でバプテスマのヨハネ から バプテス

偉 大 な者 は一 人 もいませんでしたが、それでもイエス

テスマを受 けると、旧 約 の時 代 が終 わ り、キリストの

マを受 けよう としたとき、バプテスマのヨハネ は、「私 こ

には劣 りました。なぜでしょう 。イエスが神 であ り、バ

のに、あ な た が 、私 のと ころに お いでに な る のです

そ、あなたからバプテスマを受 けるはず です のに、あな

プテスマのヨハネ は神 の被 造 物 、人 間 にす ぎ なかった

御 国 が始 まったのです 。

たが、私 のところにおいでになるのです か。」と言 いま

ためです 。父 なる神 によって造 られた人 間 とイエス・

か。』」

した。最 初 、バプテスマのヨハネ はイエスにバプテスマを

キリストとは、根 本 的 に違 っていたのです 。

ヘブル書 を読 むと、イエス・キリストの優 越 性 がわか

●ヘ
ブル書 の記 述

施 す まいと しました。それ でも、す べての正 しいこと
を実 行 す るのだと 聞 いて、言 われたとおり、イエスに
バプテスマを施 したのです 。
実 際 のところ、バプテスマのヨハネ はこの世 の大 祭 司
でした。彼 はこの世 の最 後 の大 祭 司 でした。旧 約 は、
バプテスマのヨハネ がその役 目 を果 たしたときに終 わ


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
88

なぜ ヘブル書 の著 者 は、その書 を著 して当 時 のヘブ

いて述 べています 。イ エスは人 間 の肉 の姿 で来 られ ま

ヘブル書 の第 二 章 は、イエス・キリストの優 越 性 につ

著 者 が誰 であ ったかはわ かり ま せんが、神 学 者 は、

ル人 に配 布 しなければならないと思 ったのでしょう 。

したが、ヘブル書 は、イエス・キリストの優 越 性 と 威 光

り ま す 。ヘブル書 の著 者 は旧 約 の記 述 を 用 いてイ エ

また、なぜそれ はそんなに大 事 なことだったのでしょ

について語 っています 。ヘブル書 第 三 章 は、水 と 御 霊

著 者 が旧 約 を熟 知 しているため、使 徒 パウ ロかバルナ

う 。当 時 のヘブル人 は水 と 御 霊 の福 音 を 聞 き、信 じ

の福 音 を軽 々 しく扱 う 者 に対 して、そう した者 は御

ス・キリストと 御 使 いとを比 較 し、そのこと をあ かし

ました。彼 ら はそ の目 でイエス・キリストを見 、イエス

使 いを拝 んで裁 きを受 けることになると警 告 してい

バだと考 えています 。いず れにしろ、ヘブル書 の著 者 は

がバプテスマを受 け、十 字 架 で死 なれた理 由 を知 り、

ます 。そのよう な警 告 は、ヘブル書 第 四 章 まで続 いて

しています 。つまりヘブル書 は、イエス・キリストがいか

信 じていました。しかし、彼 らには、祖 先 から 伝 え ら

います 。ヘブル書 にはそう した記 述 が数 多 くあ り ま

水 と御 霊 の福 音 を信 じた神 のしもべでした。

れてきた、御 使 いを 崇 めることについての言 い伝 え も

す。

に御 使 いより優 れているかを述 べているのです 。

あ りました。そこで、イエスが御 使 いの一 人 、あ るいは

た存 在 です が、イエス・キリストは御 父 の御 子 であり、

にあ るのです 。イエスは創 造 主 です 。御 使 いは造 られ

しもべは「イエス・キリストは御 使 いよりはるかに上 位

御 使 いを崇 めるイスラエル人 が大 勢 いたため、神 の

聞 いたことを 信 じるしかあ りません。しかしながら 、

人 が勝 手 な こと を 言 っていても、目 の見 え な い人 は

集 め、口 から出 まかせを教 えているのです 。そう した

す 。霊 的 なことを何 も知 らない、霊 的 に盲 目 の人 を

済 を得 られ ると述 べているのだと主 張 す る人 がいま

ところが、ヘブル書 はキリストの血 さ え 信 じれば救

宇 宙 とその中 のす べてのものを造 られた創 造 主 であ

ヘブル書 を よく読 み ま す と、救 済 は嘘 つき たち が主

御 使 いに劣 る存 在 だと考 える人 々 がいたのです 。

ら れ ま す 。」と 言 う 必 要 があ ったのです 。ヘブル書 の


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
89

バプテスマのヨハネ は、イエスが約 束 さ れたや がて来

あ の方 のところへ行 き、お尋 ねしてくださ い。」

ないことがわ かり ます 。主 の祈 りだけではな く 聖 書

る救 世 主 なのかどう か、イエスのところに行 って確 か

張 しているよう に、キリストの血 だけから くるのでは
全 体 の記 述 が、そう した人 の言 う ことと は根 本 的 に

めてくるよう 弟 子 たちに命 じました。そこで、弟 子 た

私 たち は別 の方 を待 つべきでしょう か。」(マタイ 一

「おいでになるはず の方 は、あなたです か、それとも、

ちはイエスのところに出 かけて行 き、尋 ねました。

異 なっているのです 。

●バプテスマのヨハネ の役 割 の重 要 さ

そこで人 は、バプテスマのヨハネ はイエスをそ の人 と

一 ・三 )
人 々 は大 祭 司 バプテスマのヨハネ の果 たした役 割 の

けれども、聖 書 はそう は言 っていません。バプテスマ

知 らず 、ヘロデ王 に反 対 して殺 さ れたから、失 敗 した

バプテスマのヨハネ は捕 ら え られ ました。ヘロデ 王 が

のヨハネ は「あ の方 は盛 んになり私 は衰 えなければな

重 要 性 を無 視 しています 。福 音 派 の中 にも、バプテ

義 妹 を妻 にす るという 恐 ろしい罪 を犯 したとき、バ

りません。」(ヨハネ 三 ・三 〇 )と述 べました。実 際 、バ

のだと言 う のです 。

プテスマのヨハネ はそれ を 批 判 し、そのために捕 ら え

プテスマのヨハネ は、ひとたびイエスがこの世 に来 られ

スマのヨハネ は失 敗 したのだという 人 がいます 。

られたのです 。そこでバプテスマのヨハネ の弟 子 たちが

てバプテスマによって世 の罪 を 取 り除 いたなら 、自 分
を受 けるよう にしなければならないと語 ったのです 。

監 獄 に会 いに行 きました。す ると、バプテスマのヨハネ
「私 の聞 いていることは本 当 です か。イエスが目 の見

バプテスマのヨハネ があ のよう に弟 子 たちに告 げ たの

はこの地 上 から 消 え、人 々 がイエスに従 って罪 の赦 し

え ない人 の目 を見 え るよう にし、病 人 を 癒 している

は、イエスをそ の人 と 認 識 しなかったから ではな く 、

は尋 ねました。

という ことは。あ の方 が約 束 さ れたお方 なのです か。


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
90

けた義 人 は、心 の中 に御 霊 がおられ ます から、みこ

につなぎ 合 わせ、好 き なよう に信 じているのです 。し

バプテスマのヨハネ はヨルダ ン川 でイエスにバプテスマ

とばを正 しく知 って信 じています 。イエスはバプテスマ

弟 子 たちが自 分 をイエスよりも高 く評 価 していたた

を 施 したときから 、イエスが救 世 主 だと知 っていまし

のヨハネ のところに行 っておっしゃいました。「私 にバプ

かしながら 、水 と 御 霊 の福 音 によって罪 の赦 しを受

た。ヨハネ の福 音 書 第 一 章 で、バプテスマのヨハネ はす

テスマを施 しなさ い。」す るとバプテスマのヨハネ は答 え

めなのです 。

でに「私 もこの方 を知 りませんでした。しかし、水 でバ

ました。「私 こそ、あ なたからバプテスマを受 けるはず

バプテスマのヨハネ は大 祭 司 となるために、大 祭 司

プテスマを授 けさせるために私 を遣 わされた方 が、私

それ を見 たのです 。それで、この方 が神 の子 であ ると

の一 族 に神 のしもべとして生 まれましたが、神 であ ら

です のに、あ な たが、私 のところにお いでにな るので

証 言 しているのです 。」(ヨハネ 一 ・三 三 三 四 )と述

れ る救 世 主 より上 ではあ り得 ません。です から 、約

に言 われました。『聖 霊 があ る方 の上 に下 って、その

べています 。バプテスマのヨハネ はイエスが誰 であ るか、

束 さ れた救 世 主 イエス・キリストが人 間 として現 れ 、

す か。」あ の場 面 でなぜあ のよう な会 話 が行 われたの

よくわかっていました。です から、マタイ第 三 章 で「私

頭 を下 げ て「バプテスマを 施 しなさ い。世 の罪 をみな

上 にとどまられるのがあ なたに見 えたなら、その方 こ

こそ、あ なたからバプテスマを受 けるはず です のに、あ

わたしに移 し、務 めを果 たす のです 。」とおっしゃった

か、私 たちは明 瞭 に理 解 し、信 じています 。

なたが、私 のところにおいでになるのです か。」と言 っ

とき、バプテスマのヨハネ は「どう して私 があ な たにバ

そ、聖 霊 によってバプテスマを授 ける方 であ る。』 私 は

たのです 。
に御 霊 がおられ ませんから、みことばを正 しく知 り

水 と 御 霊 によって新 たに生 まれ ていな い人 は、内

んなに高 い地 位 のお 方 か、よく知 っていましたから 、

えたのです 。バプテスマのヨハネ はイエス・キリストがど

プテスマを施 せるでしょう 。絶 対 にできません。」と答

-

ません。そう した人 は、ただ聖 書 を自 分 の思 う よう


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
91

そのよう に謙 虚 に答 えたのです 。

と話 したモー セ、それに預 言 者 イザ ヤよりもバプテス
マのヨハネ は偉 大 です 。大 方 のキリスト教 徒 は、モー セ

イエスはおっしゃいました。「女 から生 まれた者 の中

イエスは謙 虚 さ から バプテスマのヨハネ から バプテス

ばなり ませんのに、どう してあ なたにバプテスマを 施

で、バプテスマのヨハネ よりす ぐれた人 は出 ませんでし

を高 く評 価 します が、バプテスマのヨハネ はたいして評

せるでしょう 。」と言 って、イエスにバプテスマを 施 す こ

た。あ な たがたが進 んで受 け 入 れ るな ら 、実 はこの

マを受 けよう としたのではあ りません。また、バプテス

とを拒 んだのもまた、謙 虚 だったからではないのです 。

人 こそ、きたるべきエリヤなのです 。彼 は大 勢 の人 を

価 していません。それは間 違 っています 。

しかし、無 知 な人 々 は、イエスがバプテスマのヨハネ か

わたしのもとに戻 らせます 。彼 は迷 える魂 を還 ら せ

マのヨハネ が「私 があ なたからバプテスマを受 けなけれ

ら バプテスマを受 け たのは謙 虚 だったからだと か、あ

ます 。また、彼 のあ かしを信 じない人 は、終 わりの日
神 はみなさ んと私 を含 めた全 人 類 にイエス・キリス

るいはバプテスマのヨハネ を高 く評 価 している人 なら 、
言 う のです 。バプテスマのヨハネ はイエスをその人 と知

トを遣 わ す ことを 約 束 なさ り、主 ・救 い主 と してそ

に裁 きの火 を受 けます 。」

り、敬 意 を 示 しただけです 。また、イエスのおっしゃる

れを果 たさ れました。イエスは専 制 君 主 ではなく、ま

バプテスマのヨハネ がとても礼 儀 正 しかったから だと

ことを 聞 き、主 が救 い主 として来 られたことを認 め、

た、無 礼 でもあ りませんでした。イエスは偉 大 な道 徳
でした。

教 師 ではな く、あ らゆ る点 で完 全 な、聖 い全 能 の神

あ のよう に答 えたのです 。
です から、バプテスマのヨハネ を神 のしもべとして敬
う のです 。バプテスマのヨハネ は通 常 のしもべではなく、
神 のしもべの中 で最 も偉 大 な者 でした。モー セよりも、
また、女 から生 まれた誰 よりも偉 大 だったのです 。
みなさ んはモー セのこと はよくご存 じでしょう 。神


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
92

を イ エスの頭 に置 いてバプテスマを 施 しました。イエス
は全 人 類 の代 表 、つまり、バプテスマのヨハネ から バプ
テスマを受 けました。

せてもらいたい。このよう にして、す べての正 しいこと

「ところが、イエスは答 えていわれた。『今 はそう さ

マタイ三 章 一 五 節 には、こう あ ります 。

事 実 について深 く考 え ると、新 たな力 を得 ます 。自

食 べるとおなかがいっぱいになります が、この驚 くべき

テスマのヨハネ から バプテスマをお受 けになり ました。

類 の罪 をみな取 り 除 くためにこの世 に来 られ 、バプ

●「
このよう にして、す べての正 しいことを
実 行 す るのは、わたしたちにふさ わしい
のです 。」

を実 行 す るのは、わたしたちにふさわしいのです 。』そ

分 が弱 く邪 悪 であ ることを神 の前 で認 め、主 がバプ

人 間 はこの世 で果 てしな く罪 を犯 します 。主 は人

こで、ヨハネ は承 知 した。」

世 の罪 をみな消 す いけにえ の子 羊 として来 られたの

のです 。」とお っしゃいました。イエス・キリ ストはこの

正 しいことを実 行 す るのは、わたしたちにふさ わしい

「今 はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての

す べての人 の罪 を 全 部 取 り 除 かれ ま した。イ エスは

となく生 きられる聖 なる民 になります 。水 と御 霊 に

の赦 しを心 に受 けます 。さ らに、神 の前 で、恥 じるこ

とう に罪 がみなイエス・キリストに移 さ れ、完 全 な罪

間 が毎 日 犯 す 罪 を 取 り 除 かれ たと 信 じると、ほん

ると、聖 化 さ れます 。イエスはバプテスマを受 けて、人

信 じると、心 はきよめられ、福 音 の真 理 について考 え

テスマによって罪 をみな取 り除 いてくださ ったことを

で、人 類 の罪 をみな除 き、消 さ れたのです 。イエスが

よって罪 の赦 しを受 け た者 は、神 の聖 なる子 ど もに

イエスは、バプテスマのヨハネ から バプテスマを受 けて、

バプテスマのヨハネ にあ のよう におっしゃったのはそのた

なっており、世 界 中 に神 の義 を宣 べ広 めることができ
神 は私 たちのいのち のパンになられました。日 ご と

ます 。

めです 。
主 はこの世 に来 られ、バプテスマのヨハネ からバプテ
スマを受 けました。バプテスマのヨハネ は承 知 し、両 手


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
93

の糧 となられたイエスこそは、生 ける水 であ ると同 時
に、いのち のパンであ られるのです 。イエス・キリストが
この世 で三 十 三 年 の生 涯 になさ ったことがいのち のパ
ンであ り、日 ご と の糧 なのです 。イエス・キリストがな

●イエスがバプテスマを受 けられた理 由

まるのです 。

マタイの福 音 書 第 三 章 一 六 節 には「こう して、イエ

さ ったことを確 認 し、信 じ、思 いを巡 らす 人 はいつで
も心 に新 たな力 を受 け ます 。信 仰 によって新 たなパ

ると、天 が開 け、神 の御 霊 が鳩 のよう に下 って、自 分

す 。水 と御 霊 の福 音 を信 じ、それを基 準 として聖 書

解 しがたいものだという 無 意 味 な結 論 に達 す るので

です 。何 も見 出 せず 、イエスのみことばは神 秘 的 で理

す 。しかしながら、どんなに他 のものを探 しても無 駄

無 視 し、聖 書 の中 に別 のものを 探 しにいっているので

の事 はみな覚 えていても、イエスの受 けたバプテスマは

はあ まりに長 い間 、このことを軽 視 してきました。他

真 実 であ り、絶 対 に必 要 なことです 。しかし、人 々

テスマによって洗 い流 さ れ ていま す 。これ は明 ら かな

一 度 でイエスに移 さ れています 。罪 はみなイエスのバプ

先 ほど の部 分 をご 覧 な さ い。イエスがバプテスマを受

のバプテスマについて正 しいこと を 伝 えているのです 。

の福 音 を広 めている愚 かな人 々 です 。私 たちはイエス

であ ると知 らない人 が大 勢 います 。そう した人 は別

れたイエスのバプテスマを知 ら ず に信 仰 す るのは誤 り

教 派 だといって差 別 しよう とします 。罪 がみな移 さ

す ると、私 たちをバプテスマ派 とか、異 端 者 の作 った

私 たちがイエスのバプテスマの重 要 性 について話 そう と

ったのです 。世 のキリスト教 徒 はこのことを知 ら ず 、

き ました。そして、御 霊 が鳩 のよう にイエスの上 に下

主 がバプテスマを受 け、水 から出 られると、天 が開

の上 に来 られ るのをご 覧 になった。」とあ ります 。

を読 んではじめて、聖 書 のみことばがみなぴったり納

み な さ んと私 が生 涯 に犯 す 罪 も、す でに全 部 ただ

イエスが全 人 類 の代 表 からバプテスマを受 けたので、

スはバプテスマを受 けて、す ぐに水 から上 がられた。す

ンを得 た人 は、日 々 心 身 ともに満 ち足 りています 。

目 次

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
94

けて水 から 出 られ ると、天 が開 け、神 の御 霊 が鳩 の

世 に遣 わし、バプテスマのヨハネ から バプテスマを受 け

なさ ったのは聖 三 位 一 体 です 。イエス・キリストをこの

がえ ら せて、人 類 全 員 をす べての罪 から 救 わ せたの

よう に下 った、と いう み こと ばが確 固 と した証 拠 で
神 のみこころは、イエスのバプテスマなしには成 就 し

は聖 三 位 一 体 の神 です 。父 な る神 と 御 子 イ エス・キ

るよう にさ せ、十 字 架 で死 なせ、死 者 の中 からよみ

ませんでした。です から 、ヨハネ の福 音 書 や ロー マ書

リスト、御 霊 の三 柱 が人 類 をす べての罪 から 救 う こ

す。

まで読 まな くと も、このみことば を 信 じさ えす れ ば

とにし、この驚 くべき救 済 を成 し遂 げ られました。
です から、事 前 に水 の中 でバプテスマを受 けておら

罪 の赦 しを受 けられるのです 。ただこの部 分 から、イ
エスがす べての正 しいことを実 行 す るためにバプテスマ

架 で死 なれ はしなかったとす る福 音 もまた、あ り得

れなければ、イエスが人 類 の罪 をその血 で覆 って十 字

主 がこの世 に来 られ 、バプテスマをお受 けになった

ませ ん。イ エスは謙 虚 さ から バプテスマを受 け たのだ

を受 けたことを、神 が喜 び、御 霊 を遣 わ さ れたこと

ことは、全 人 類 の罪 がみなただ一 度 で主 の上 に移 さ

と主 張 す ること はできません。また、福 音 からイエス

架 で死 なれたとす る福 音 は成 り立 たないのです 。ま

れたことを 示 しています 。罪 がみなイエスに移 さ れた

のバプテスマを除 外 す ることも、十 字 架 の血 だけを強

を 理 解 す るなら 、罪 から 逃 れ 、心 の中 です べての正

ので、イエスはそれ を十 字 架 まで運 び、死 なれたので

調 す ること もでき ません。あ るいは、イエスは単 な る

た、イエスはバプテスマをお受 けになったけれど、十 字

す 。イエスがバプテスマを受 け、水 から出 られたことは、

人 間 だったと言 って、イエスの聖 性 をけがす こと もま

しいことを実 行 す ることができるのです 。

三 つのこと を 示 しています 。第 一 は、イエスが人 間 の

イエスはもと もと神 な のです から 、バプテスマのヨハ

た、誤 った信 仰 なのです 。

架 で血 を流 して死 なれたこと。第 三 は、イエスが死 者

ネ から バプテスマを 受 け たと き、人 類 の罪 を みな 取

罪 を みな 取 り除 かれ たこと 。第 二 は、イ エスが十 字
の中 からよみがえられたことです 。また、これを成 就


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
95

イエスはバプテスマを受 けて人 類 の罪 をみな取 り除 き、

人 類 の罪 をみな取 り除 き、十 字 架 で死 なれました。

り除 くことができ ました。イエスはバプテスマによって

神 の愛 、無 限 の愛

子 となりし今 、もう 迷 いはしない。

さ れど主 は罪 を赦 さ れ救 い給 う 。

絶 望 の内 にいたず らにさ まよう 。

イエスを 信 じていながら 罪 人 のままでいる人 が、ど

世 の罪 す べてを負 って十 字 架 で血 を流 さ れ ました。

また、父 なる神 はす べてを御 子 と御 霊 と協 力 して

う して心 からこの歌 を歌 えるでしょう 。人 々 はイエス

救 い主 の血 により価 なく赦 しを与 える

行 われ ました。神 はす べてをご 計 画 のとおりに実 行

の愛 とみわざ をたたえ るのではな く、自 分 の罪 深 さ

また、イエスはす べての義 を満 たし、死 者 の中 から よ

し、人 間 をご自 分 の民 として、す べての罪 からお救 い

を歌 っているのです 。人 々 はまるで心 に罪 があ るのを

神 の愛 、無 限 の愛

くださ り、神 の御 国 に加 わ ら せ、子 ど もになさ いま

誇 っているかのよう にこの聖 歌 を ほめます 。頭 がぼ う

みがえ られました。こられ はみな、イエスが聖 なる神

した。もっと 具 体 的 に言 えば、イエスは天 の代 表 とし

っとしてわ けがわ からないかのよう に、罪 を抱 えなが

声 高 く天 なる神 をたたえん。」

て地 上 の代 表 からバプテスマを受 け、十 字 架 で死 に、

ら 自 信 たっぷりにこの聖 歌 を歌 います 。イエスのみわ

であ られたから可 能 だったのです 。

三 日 後 に復 活 なさ ったのです 。

と です 。それ な のに、イ エスの血 だけ を語 り ながら 、

ざ と は、水 と血 によって人 類 の罪 をみな 贖 われたこ

みなとても弱 いのがわ かります 。私 たち は毎 日 罪 を

イエスを信 じていても罪 があ るのが正 しいかのように、

聖 徒 や 神 のしもべ、あ るいは自 分 自 身 を見 ます と、
犯 しています 。人 間 は自 分 の思 う ままに行 動 してい

も知 らない人 は、そう した熱 心 さ に心 を惹 かれます 。

自 信 を持 って歌 います 。水 と 御 霊 の福 音 について何

次 のよう な聖 歌 があ ります 。

まがい物 の宝 石 は本 物 よりまばゆく輝 きます 。不 純

ると、ます ます 下 品 になります 。
「罪 と悲 しみに満 たさ れ さ まよいし我


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
96

え ます 。です から 、この世 にはまがい物 があ ふれてい

スチック製 の食 品 模 型 は本 物 よりもおいしそう に見

物 の混 じった金 は純 金 より まばゆ く輝 き ます 。プラ

類 の罪 をす べてかぶり、十 字 架 で罪 をみな 贖 われた

エス・キリストがこの世 に来 られ、バプテスマによって人

に、罪 のために磔 刑 に処 さ れることがあ りません。イ

れたのです 。私 たち は罪 の代 償 を払 いもしなかったの

した。私 たち は主 を 信 じて罪 のない者 になりました。

がえ られたためです 。主 は完 全 な救 い主 と なられ ま

がえ ら せるために、その力 により 死 者 の中 から よみ

人 類 の罪 をみな取 り除 いて贖 われた後 、人 間 をよみ

からです 。私 たちが罪 のない者 となったのは、イエスが

ます 。信 仰 の領 域 においてもそう なのです 。

●いつも弱 い私 たちでも義 人 になれた
毎 日 罪 を犯 している人 が、どう して義 人 になれ る

を流 し、死 によって罪 を贖 われたのです 。死 者 の中 か

イエスは世 の罪 を十 字 架 に運 び、そこで釘 打 たれ、血

取 り除 かれました。罪 から 来 る報 酬 は死 です から 、

れ までに、飲 み食 いを 断 って祈 ったことがおあ りでし

す 。人 間 は死 ねばち りにかえ り ます 。みなさ んはこ

ん。厳 密 に言 え ば、私 たち はち りから 造 られ たので

実 際 のところ、みなさ んも私 も土 くれ にす ぎ ませ

それが私 たちのたたえるべき神 の正 義 です 。

らよみがえり、よみがえりの希 望 を くださ いました。

ょう 。そう したとき、脱 水 状 態 になるのを感 じます 。

でしょう 。イエスはバプテスマを受 けて人 類 の罪 をみな

イ エスが真 の神 であ られ ると 信 じる信 仰 を くださ い

人 間 の体 の七 〇 % は水 分 です から 、一 定 の水 分 を
ること はできても、水 なしでは生 きていけ ません。人

ました。主 が水 と 御 霊 の福 音 を くださ ったので、私
イ エスは身 代 わ り と して人 間 の罪 の代 償 を 払 い、

間 の体 から す っかり水 分 がな くなれば、もはや それ

失 う と生 命 の危 険 があります 。何 日 も食 物 なしでい

お救 いくださ いました。つまり、イエスはそのいのちを

は一 握 りのち りにす ぎ ないのです 。人 間 はち りから

たちは完 全 に新 たに生 まれ、義 人 になれたのです 。

代 償 になさ ったのです 。私 たちはそのよう にして救 わ


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
97

す 。少 し前 のことです が、テレビで司 会 者 と神 学 博

今 日 のキリスト教 では霊 性 についてよく話 さ れ ま

さ げ たり、宣 教 活 動 をしたり、善 行 を積 んだり、信

ります 。私 たちは早 朝 礼 拝 に参 加 したり、大 金 をさ

ろん、霊 性 という 語 にはもっとたくさ んの意 味 があ

れないので、霊 性 について知 ることができないのです 。

士 その他 の人 々 が霊 性 について討 論 しているのを見

仰 の祖 がしたよう な罪 を犯 さ ないよう にしたりして、

造 られ ましたが、神 が鼻 孔 にいのち の息 を吹 き入 れ

ました。「霊 性 は霊 性 です 。」それが結 論 でした。四

霊 性 を上 げよう とします 。それが霊 性 と言 えるでし

「霊 性 の神 学 的 意 味 は『霊 的 であ る状 態 』です 。もち

十 五 分 間 の討 議 の後 、「それでは最 後 に霊 性 を一 言

ょう 。」その人 たちは、こう いう 結 論 に達 しました。

られると、生 ける魂 になりました。

で定 義 していただけませんか。」と 求 められ ると、参

これ を見 ると 、キリスト教 が間 違 いだら け なこと

水 と御 霊 の福 音 だけが霊 性 の何 たるか、人 間 であ る

加 者 の誰 ひとり、神 学 者 さ え も答 えられませんでし

討 論 は四 十 五 分 間 続 き ましたが、結 論 に達 す る

と はどう いう ことか、なぜ罪 の赦 しを受 ける必 要 が

がわ かり ま す 。です から 、私 たち 義 人 が出 て行 って

こと はでき ませんでした。神 学 者 の一 人 は「創 世 記

あ るのか、そもそもなぜ 霊 性 を よみがえ ら せなけれ

た。そう なのです 。霊 性 が何 であ るか、はっき り述 べ

には『神 であられる主 は地 のちりで人 を形 作 り、その

ば な ら な いのかと いう 答 え を 出 せ るのです 。私 たち

真 理 のみ こと ば を 伝 え るべき 時 な のだと思 います 。

鼻 にいのち の息 を吹 き込 まれ 、そこで人 は生 き物 と

水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた者 は、答 えを 伝 え

ることができなかったのです 。

なった。』とあ ります 。この鼻 孔 に入 ったいのち の息 の

なければなりません。

味 についても説 明 しなければなりません。

ついて語 るべき時 なのです 。同 時 に、霊 性 の基 本 的 意

今 は私 たち義 人 が出 て行 って、水 と御 霊 の福 音 に

秘 密 がわかりませんから、霊 的 に結 論 を出 す ことは
できません。」と言 いました。
彼 ら はまだ新 生 していないのです 。最 高 の神 学 校
です ばら しい教 育 を受 けていても、心 に御 霊 がおら


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98

イエス・キリストを通 じて水 と御 霊 の福 音 により回 復

神 性 と 霊 は、罪 のために神 から 切 り離 さ れました。

とから 始 めましょう 。私 たちがかつて心 に持 っていた

「罪 のために人 間 が神 から離 れてしまったという こ

います 。

プテスマには人 間 の魂 に不 可 欠 な 事 がらが含 まれ て

神 の御 子 であ られるという ことが含 まれています 。バ

がえられたこと、イエス・キリストは神 であ ると同 時 に

字 架 で血 を流 して死 なれたこと、死 者 の中 からよみ

です から、この福 音 を再 度 確 認 しなければなりま

できるのです 。この福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 け る
と 、神 の子 ど も にな ると同 時 に真 に霊 的 存 在 にも

ら 毎 日 犯 す 罪 や 過 ち のために良 心 の責 めを 覚 え る

せん。そこから 毎 日 霊 的 パンを食 べるのです 。弱 さ か

これ を神 学 的 に詳 細 に述 べるなら 、霊 性 について

ことがあ っても、福 音 を確 認 す ることで、心 において

なるのです 。それが霊 的 復 活 です 。」
無 知 なために迷 っている人 々 に明 確 な答 えを与 えら

また完 全 になれます 。考 えや 心 が弱 さ のために汚 れ

水 から 出 られた時 に起 こったこと、聖 霊 があ かしな

れ ま す 。つまり、霊 的 復 活 と は、罪 のために神 と 離

人 間 はまことに弱 いので、この世 に生 きている間 に

さ ったことを思 い出 す なら、主 が完 全 にしてくださ っ

たとき は、主 がバプテスマのヨハネ から 受 けたバプテス

は数 多 くの罪 を犯 します 。人 間 は罪 のために神 から

たのだと心 の中 で確 認 できます 。す ると魂 は満 たさ

れた心 の神 性 をイエスのバプテスマと血 とを信 じて回

離 れ ました。罪 をみな消 す ことができ なければ、二

れ 、新 たな力 を得 て信 仰 に生 きることができます 。

マと、バプテスマを受 けた時 におっしゃったこと、主 が

度 と霊 的 に生 きることができず 、肉 の弱 さ に縛 られ

そこで、キリストの兵 士 としてこの世 で生 きられ るの

復 す ることなのです 。

て生 きるしかあ りません。です から、イエスのバプテス

水 と 御 霊 の福 音 に感 謝 し、毎 日 この福 音 について

です 。

えらせるすべてイエスがバプテスマのヨハネ から受 けたバ

思 いを巡 ら し、日 ご と の糧 を 食 べなけれ ばなり ませ

マを信 じなければなりません。そこには霊 性 をよみが
プテスマによって人 類 の罪 をす べて負 われ たこと、十


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
99

さ い。」(マタイ 六 ・一 一 )と 祈 るよう におっしゃいま

ん。主 は「私 たちの日 ごとの糧 をきょう もお与 えくだ

なるのだとおっしゃいました。罪 の赦 しを受 けた者 が

現 なさ いましたが、そのとき、それがご 自 分 のパンに

ことです 。イエス・キリストは父 なる神 のみこころを実

霊 的 働 き を しな けれ ば 、戦 場 の兵 士 が戦 う こと な

した。
日 ごとの糧 は他 の場 所 にはあ りません。主 は日 ご

さ らに三 四 節 では「わたしを遣 わした方 のみこころ

なたがたの知 ら ない食 物 があ ります 。」とあります 。

ヨハネ の福 音 書 第 四 章 三 二 節 には「わたしには、あ

は神 の兵 士 な のです から 、生 きていくためには常 に

め、す べてを奪 う でしょう 。罪 の赦 しを受 けた私 たち

とを 忘 れたなら、敵 が侵 略 してきて、生 命 さ え も含

張 感 を な くし、自 分 は戦 う ためにいるのだと いう こ

く死 ぬよう なものでしょう 。兵 士 としての士 気 や 緊

を行 い、そのみわざ を成 し遂 げることが、わたしの食

神 の働 きという 霊 的 戦 いをしていなければなりませ

との糧 について、次 のよう におっしゃいました。

物 です 。」とおっしゃいました。

ついて考 えることです 。毎 日 水 と御 霊 の福 音 を食 べ、

信 じる者 の日 ごとの糧 とは、毎 日 水 と御 霊 の福 音 に

福 音 です 。イエスの成 就 なさ った水 と 御 霊 の福 音 を

人 が日 ご とに必 要 とす るパンの第 一 は、水 と 御 霊 の

と ば を 理 解 でき ま す 。罪 の赦 しを 受 け た私 たち 義

こと ばを 提 供 しても、み こと ば を受 けよう と しな い

ることはできないでしょう 。たとえ神 の教 会 が毎 日 み

とせず 、訓 練 をしたがらなければ、戦 場 で生 き延 び

のです 。兵 士 が最 新 兵 器 を使 う ことを拒 み、戦 おう

さ さ げ ることこそが、日 ご とにいのちをつな ぐパンな

です から、神 の働 きをし、心 身 と もに霊 的 働 きに

ん。

確 認 して新 たな力 を得 、毎 日 いのちのパンを 食 べ、神

よう な 人 は、実 際 のと ころ、す でに死 んでいるので

実 際 、主 の兵 士 はイエス・キリストの語 られたみこ

の働 きをす ると、魂 は必 要 とす る日 ごとの糧 を得 て

す。
神 は義 人 に、神 の働 き をす ることがパンな のだと

います 。
義 人 が必 要 とす るパンの第 二 は、主 の働 きをす る


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
100

おっしゃいました。そのとおりです 。水 と 御 霊 の福 音
げて内 に新 たな力 を受 けるのです 。

をみな消 してくださ ったことを確 認 し、感 謝 をさ さ

て力 を失 います 。私 がわざ わざ 申 し上 げ なくと も、

きをしないために霊 的 パンを受 けていなければ、飢 え

を 食 べなければ、どう しても力 が衰 えます 。霊 的 働

も無 力 なのは、神 の働 き をしていないから です 。パン

荒 廃 し、や がて餓 死 します 。罪 の赦 しを 受 けていて

それ 自 体 が力 になるのです 。それが、日 々 必 要 とし

れ ないから です 。主 から 与 え られた仕 事 をす ると、

失 い、死 んでしまいます 。それは、新 たな力 を受 けら

たな ら 、餓 死 す るでしょう 。何 もでき ず 、力 をみ な

神 の働 きをまったくせず 、この世 の働 きだけをしてい

義 人 が神 の働 きを しないなら 、また、天 の兵 士 が

●働 き 手 には神 の働 き が不 可 欠 な糧

を 信 じて罪 の赦 しを受 けた者 は、何 かしら の神 の働
きを与 え られ ています 。私 たち は福 音 の働 き のため、
各 自 の持 ち 場 で働 いています 。自 分 の役 目 を果 たさ
なければ、体 は楽 でしょう が、心 は落 ち着 かず 、空 し

これはみなさ ん、もう よくご存 じでしょう 。神 の働 き

ているパンにな るのです 。です から 、また神 の働 き を

いため、生 きていく ことができ ません。心 は貧 しく、

をす ると、神 は新 たな力 を くださ います 。神 の働 き

これ は体 の筋 肉 にたとえられます 。筋 肉 をつける

してその日 のパンを食 べなければならないのです 。

ではなく、体 においてもそう なのです 。力 がないのは、

には運 動 しなければなり ません。引 き 締 まった筋 肉

を しなけれ ば、力 を 失 います 。これ は心 だけの問 題
それ は自 分 が兵 士 になっていることに気 づいていない

を維 持 したければ、運 動 を続 ける必 要 があ ります 。
がっしりとした筋 肉 がついて大 喜 びし、運 動 をや めれ

ためです 。
私 たちに必 要 なのは水 と御 霊 の福 音 です 。毎 日 、

ば 、す ぐ に筋 肉 は衰 え ます 。衰 え た筋 肉 は有 害 な
脂 肪 に置 き 換 え られ 、さ まざ まな 病 気 の原 因 にな

水 と 御 霊 の福 音 について考 え、確 認 しなければなり
ま せん。自 分 が毎 日 犯 す 罪 を 日 々 認 め、主 がそれ


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
101

ります 。です から、筋 肉 強 化 の運 動 を続 けなければ
りません。

きをして腹 を満 たす には、義 の働 きをしなければな
です から、主 は、「神 の国 とその義 とをまず 第 一 に

なりません。脚 や 背 中 の問 題 を 抱 え ることにならな
いよう 、強 化 して重 みを支 え られ るよう にしなけれ

たのです から 、それ ら を 守 るために日 ご と の糧 を 食

と 御 霊 の福 音 を 信 じて聖 化 さ れ 、心 に御 霊 を受 け

を しな けれ ば なら な いと いう ことです 。私 たち は水

ったばかりの人 は、毎 日 福 音 について考 え、神 の働 き

これは、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて神 の子 ど もにな

自 分 があ る点 で悪 いことをしたと認 め、ヨルダン川 に

り ません。神 の前 に弱 さ と罪 とを差 し出 す のです 。

た者 は、毎 日 福 音 について思 いを巡 ら さ なければな

を 求 めよとお っしゃいました。キリ ストの兵 士 と な っ

しゃるのです 。みなさ ん、神 はまず 御 国 と神 の義 と

のはす べて与 えられます 。」(マタイ 六 ・三 三 )とおっ

求 めなさ い。そう す れば、それ に加 えて、これら のも

べなければなりません。神 の働 きをす ると、日 ごとの

その罪 を持 って行 き、主 がそう した罪 までもバプテス

ばなりません。

糧 を 食 べ、新 たな力 を得 ます 。神 の働 きをす ると新

マによって取 り除 かれたことを思 い起 こす のです 。
みことばは水 と 御 霊 の福 音 のみことばについて語

たな力 を得 るという こと を覚 えてお き ましょう 。も
ちろん、みなさ んはす でにこのこと はご 存 じで、信 じ

であ り、主 がこの福 音 を完 成 す るためにこの世 に来

り続 けています 。それは、この福 音 が真 理 であ るため

主 はマタイの福 音 書 第 五 章 六 節 で「義 に飢 え渇 い

られたためです 。聖 書 のど の部 分 にも水 と 御 霊 の福

ておられるでしょう 。
ている者 は幸 いです 。その人 は満 ち足 りるからです 。」

音 はあ ります 。
別 に思 いつきを申 しているのではあ り ません。みこ

と お っしゃいました。主 の兵 士 は義 に飢 え渇 く者 で
す 。神 の働 きを 一 日 、あ るいは一 時 間 でも怠 れば、

とばを自 分 の考 えで解 釈 してはいけ ません。聖 書 の
「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめられます よ

肉 のことだけを して罪 を 犯 し、飢 え 死 にします 。私
たち 義 人 がこの世 で神 のみこころを 実 現 し、神 の働


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
102

ん。それ は、神 のみこころについて考 えず 、自 分 の頭

ず に聖 書 を読 みます から、神 の真 意 を理 解 できず 、

しかしながら、多 くの人 は水 と御 霊 の福 音 を知 ら

じさ えす れば、生 きる力 をくださ います 。よろしいで

で考 えて言 っているだけです 。義 人 にと って、自 分 の

文 字 通 り に読 んでしま う のです 。「御 名 があ がめら

う に。」を 「これ は、聖 な る生 き 方 を しな さ いという

考 えがみ こと ば以 上 に筋 の通 ったも のであ るという

れます よう に。」と祈 るよう 教 えられたので、悪 い考

す か、主 は人 間 が信 仰 によって生 き られ るよう 、正

こと はあ り 得 ません。人 間 の考 えにす ぎ な いこと に

えを持 たず 、高 潔 に生 きなければならないのだと考

意 味 だ。義 人 なのだから 、聖 なる生 き 方 をしなさ い

義 人 の誰 が耳 を 傾 けるでしょう 。義 人 は、人 間 の考

え ます 。しかしな がら 、よろしいです か、そ のよう に

しいことをす べて実 行 なさ ったのです 。

えにす ぎないものとみことばとを確 実 に見 極 められ

理 解 し、信 じること は、神 の目 から す ると、誤 解 で

と主 がおっしゃっているのだ。」と解 釈 してはいけませ

ます 。

れ ば なら ないという こと なのです 。人 間 を よくご 存

従 い、祭 司 として水 と御 霊 の福 音 を広 めて生 きなけ

き なければならないという ことではなく、みことばに

という 意 味 でしょう か。いいえ。罪 を犯 さず に聖 く生

り ました。では、これ は、聖 く生 き なければならない

あがめられます ように。」と祈 るよう にとお教 えにな

りません。主 は何 もかもご存 じです 。詩 篇 一 三 九 篇

るイエスが、人 間 に関 してご 存 じないこと は一 つもあ

す か。もち ろん違 います 。創 造 主 で救 い主 であ られ

弱 さ を知 らず にあ のよう におっしゃったのだと思 いま

は創 造 主 で救 い主 であ られ ます 。では、人 間 の肉 の

てはす っかりご 存 じのはず なのです 。イエス・キリスト

神 は人 間 を 造 られ ました。です から 、人 間 につい

あ り、不 誠 実 であ ることになるのです 。

じの主 は、罪 を犯 さ ず に生 きよとはおっしゃいません。

一 五 節 には、次 のよう に記 さ れています 。

主 は主 の祈 りで「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 が

人 間 は毎 日 弱 点 をさ らしながら生 きているからです 。

「主 よ。あ な たは私 を 探 り 、私 を 知 ってお ら れ ま

-

主 は人 間 が知 るべきことを告 げ られます 。人 間 が信


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
103

私 の思 いを遠 くから 読 み取 られ ます 。

立 つのも知 っておられ 、

あ なたこそは私 のす わ るのも、

ことです 。これは、信 仰 により日 ごと の糧 を食 べなけ

によりキリストの兵 士 にならなければならないという

して生 きるよう にとおっしゃいました。これ は、信 仰

音 への信 仰 により、神 の良 き働 き のための働 き手 と

心 に罪 の赦 しを受 け、真 の福 音 であ る水 と御 霊 の福

あ なたは私 の歩 みと私 の伏 す のを見 守 り、

ればならないという ことです 。

す。

私 の道 をことご と く知 っておられ ます 。
な んと主 よ、

ご との糧 を得 られます 。主 はす でに天 のあ らゆ る恵

さ っています 。信 仰 によって生 きてはじめて、人 は日

神 はす でに私 たち の必 要 と す るパンを す べてくだ

あ なたはそれ をことご と く知 っておられ ます 。

み を くださ っています 。新 たに生 まれ た心 を 持 つ義

ことばが私 の舌 にのぼ る前 に、

あ なたは前 から う しろから 私 を 取 り囲 み、

人 が教 会 で信 仰 生 活 を送 ると、日 ごとの糧 を食 べる
みことばを食 べること は人 によって異 なります 。あ

御 手 を私 の上 に置 かれ ました。」
墓 場 までのす べてをご 存 じです 。祖 先 のこと も 子 孫

まりに怠 惰 で食 べな い人 がいます 。「このみ こと ば は

ことになります 。

のこと もす べて知 っておられます 。わ かります か。自

あ の人 にだけ当 てはまるのだ。こっち のみことばは私

主 は人 間 についてす べてご存 じです 。ゆりかごから

分 では気 づいていないことでも、主 はす べてご 存 知 な

ない人 がいます 。また別 の人 は神 の前 に屈 し、「みこ

にぴったりだ。」と言 って、バランスの取 れた食 事 をし

「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名 があがめられます

とばはみな直 接 私 に語 りかけている。」と言 ってす べ

のです 。
よう に。」と は、「御 父 の御 名 が汚 さ れないよう な信

てのみことばを取 ります 。怠 惰 のために食 べない人 や
バランスのとれ た食 事 をしない人 は、働 いていても力

仰 生 活 を 送 りなさ い。」という 意 味 です 。主 は人 間
が完 全 な生 き 方 をす ること は求 めておられません。


目 次

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
104

を失 います 。そして、や がては活 力 を失 い、や せ衰 え

以 上 待 つと魂 から最 後 の力 もなくなるからです 。
主 の再 臨 がいつであ るかは気 にしません。そう した人

みなさ ん、霊 的 ダ イエットをせず 、よく食 べる人 は

みなさ ん、最 近 は年 齢 や 性 別 に関 わ ら ず 大 勢 の

はいつでも 霊 的 力 に満 ち、主 の働 き を し、霊 的 戦 い

て死 んでしまいます 。
人 がダ イエットをしています 。肉 においてはダイエット

「主 はいつ来 られるのだろう 。もう 疲 れたよ。説 教

をす ることだけを望 んでいます 。

栄 養 不 良 で死 にます 。あ まりに極 端 なダ イエットを

はや めてくださ い。もう う んざ りです 。」と言 う 人 は、

が必 要 でしょう が、霊 的 ダ イエットをしたなら、霊 的
す れば死 につながることもあ ることは、みなさ んもご

霊 的 ダイエットをしているのです 。
の人 をお救 いになるだろう 。」と考 える人 は、霊 的 物

「誰 に福 音 を 伝 え よう か。神 はど のよう にしてあ

存 じでしょう 。体 重 を 減 ら したければ、ダ イエットす
るだけではなく運 動 もしなければなり ません。適 度
な運 動 にはさ まざ まな効 果 があ ります 。

かし、肉 だけではなく霊 的 ダ イエットまです る人 がい

イ エットは絶 対 にしてはなら ないという ことです 。し

与 えられます 。」とおっしゃいました。神 の義 を明 ら

い。そう す れば、それに加 えて、これらのものはす べて

主 は、「神 の国 とその義 とをまず 第 一 に求 めなさ

事 に熱 心 で、よく食 べ、よく成 長 す るのです 。

るのです 。「もう いいです 。お話 はや めてくださ い。も

かにす る人 生 、神 の義 であ る水 と 御 霊 の福 音 を 広

肉 において何 をしよう と、大 事 なこと は、霊 的 ダ

う けっこう です 。」

める人 生 、福 音 を広 め、日 ご と の糧 を よく食 べる人
生 が、神 の御 国 と神 の義 とを求 める人 生 です 。神 は、

耳 を ふさ いでこのよう に言 い、みこと ば と 交 わ ら
ず 神 の働 きをす ることを拒 む人 は、す べての力 を失

それこそが日 ごとの糧 だとおっしゃいました。
音 について考 え、毎 日 福 音 の働 きをして心 を主 に向

日 ご と の糧 を 取 ら な け れ ば なり ませ ん。毎 日 福

います 。「主 はいつ戻 ら れ るだろう 。早 く 来 てほしい
な。」そう した人 は、こう いう ことだけ考 えています 。
真 の信 仰 から主 の再 臨 を待 っているのではなく、これ


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
105

私 たち はまだ弱 い人 間 の体 を 持 っていま す から 、

教 会 はから し粒 のよう に小 さ いのです が、全 世 界 に

です から 、果 てしな く働 かな けれ ば なり ません。

せん。ど んなに些 細 なことであ れ 、仕 事 は協 力 して

弱 さ に負 けることがあ り ます 。時 にはいら 立 ち、誘

向 かって働 いています 。私 たちは、神 の水 と御 霊 の福

けなければなりません。また、信 仰 が深 まっていくと、

惑 に負 けることがあ り ます 。ひどい抑 鬱 状 態 になっ

音 を 伝 え る本 を世 界 のさ まざ まな 言 語 に翻 訳 し、

行 わ なければなり ません。す ると、力 を得 ます 。食

たと き は深 い祈 りによって心 を新 たにしなけれ ばな

す べての人 に真 理 を広 めよう としています 。罪 の赦 し

ただ福 音 について考 えるだけではなく、神 がしてくだ

り ません。人 間 がど のよう な存 在 であ るかを神 はす

を 受 け たいと願 う 人 が福 音 に出 会 え るよう 、可 能

事 をして力 を得 るよう に、聖 徒 は神 の働 きをして力

でにご 存 じです から 、主 がこの世 に来 て、バプテスマ

な 限 り 多 く の言 語 の本 を 出 版 しています 。出 版 活

さ ったこと を そ の目 で見 て神 を 信 じ、より 大 き な こ

を受 け、十 字 架 で死 に、死 者 の中 からよみがえられ

動 への熱 意 を不 満 に思 っている方 はおられるでしょう 。

を 得 るのです 。それが日 ご と の糧 になるのだと 信 じ

ました。人 間 が毎 日 を新 たに始 められ るよう 、そう

そ う した人 は、も う や めなさ いと 言 う のです 。でも

とを実 行 できる心 をくださ いとお願 いしなければな

したことす べてを なさ ったのです 。また、主 は御 霊 を

本 があ るからこそ、少 数 の兵 士 が福 音 を伝 え ること

なさ い。

人 間 の心 に遣 わ さ れましたから 、私 たち はほんとう

ができるのだという こと は、みなさ んおわ かりでしょ

りません。

に神 の民 になっています 。

う。
みなさ ん、私 たちのす るべきことはたくさ んありま

人 間 は罪 の赦 しを受 け、福 音 を毎 日 確 認 し、神
の喜 ばれ る働 き をしなければなり ません。それ は自

す 。キリストの兵 士 がどう して気 を緩 め、遊 んでいら
れ るでしょう 。す るべき神 の働 き はたくさ んあ るとい

分 です るのではなく、神 がお喜 びになるよう に、キリ
ストの兵 士 たちや 教 会 と協 力 してしなければなりま


目 次

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
106

は「主 人 の心 を知 りながら、その思 いどおりに用 意 も

兵 士 が休 みを取 るのは理 に適 っているでしょう か。主

の家 を 思 う 熱 心 がわ たしを 食 い尽 く す 。」(ヨハネ

神 の働 きに身 をさ さ げるよう になるのです 。「あ なた

みなさ ん、ほんとう に心 に御 霊 がおられ るなら 、

多 くの力 が得 られ ます 。この驚 くべき 事 実 から 、自

せず 、働 き もしなかったしもべは、ひど くむち打 たれ

二 ・一 七 )とあ るよう に、主 のお手 本 に従 い、父 なる

う のに、どう して他 のこと を していられ るでしょう 。

ます 。」(ルカ 一 二 ・四 七 )とおっしゃいました。御 霊

神 のみこころのためにだけ生 きなければなりません。

分 がほんとう に神 の働 き を しているのだとわ かり ま

を冒 瀆 す る罪 でなくとも、それはむち打 ちに値 す る

イエス・キリストは神 のみこころ実 現 に喜 んで身 をさ

兵 士 は義 務 を忘 れて他 のことをす ること はできませ

深 刻 な罪 です 。あ まりに深 刻 な罪 のため、永 遠 に極

さ げ られ ました。自 分 が死 ぬことになるのをご 存 じ

す。

貧 の中 で生 きなければなら な くなります 。それ はま

のう えでバプテスマを受 け、三 年 間 水 と 御 霊 の福 音

ん。敵 が侵 略 しよう としているとわ かっている時 に、

ことに深 刻 な罪 です から、衣 服 をはぎ 取 られ、霊 的

を説 き、十 字 架 で死 に、神 の義 の働 きを成 就 なさ い
ました。そう して、見 習 う べき完 全 なお手 本 になら

にも肉 体 的 にも飢 えることになります 。
です から 、私 たち働 き 手 は「日 ご と の糧 を き ょう

れ を、ち ょう ど家 を 掃 除 す るよう にき よめることが

への信 仰 により日 ご と の糧 を得 て、心 に入 り込 む 汚

しなければなりません。食 卓 の用 意 はできているのに

と の糧 を 抜 くから 栄 養 不 良 になっているのだと認 識

これ から は、自 分 に力 がな いと感 じる人 は、日 ご

れたのです 。おわかりです か。

でき ま す 。聖 徒 は水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって

力 が抜 けているよう に感 じるのは、食 事 をしていない

もお与 えください。」と祈 るのです 。水 と御 霊 の福 音

神 の働 きをし、新 たな力 を得 ます 。私 たちは日 ご と

から です 。食 事 を しても 力 が足 りな いと 思 う のは、
働 いていないために体 に脂 肪 がついたからです 。余 分

の糧 を 取 り入 れているので、一 日 中 神 の働 きをす る
こと ができ ます 。神 の働 き を す れ ば す るほど、より


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
107

毎 日 みことばを心 に刻 まなければなりません。神

をす れ ば、ほんの些 細 な仕 事 であ っても魂 と 力 のよ

ているのに、みことばを心 に刻 んでいなければ、霊 的

の働 きをして日 ごと の糧 を作 らなければなりません。

な重 みがついたから、疲 れたよう な気 がす るのです 。

力 が不 足 して、ふらふらしてしまう のです 。みことば

そして、それにより神 の聖 さ を受 けるのです 。日 ごと

みがえりを感 じるでしょう 。

を 心 に持 っていても 信 仰 を実 践 しな いなら 、ふら ふ

の糧 をくださ る神 の恵 みに感 謝 いたします 。

結 論 はじつに単 純 です 。みことばは豊 かに与 え られ

ら す るだけではな く、疲 労 感 もあ り ます 。それ は余
分 な重 み のせいです 。みこと ば を 食 べたなら 、がっし
りとした筋 肉 がつくよう 、実 践 しなければなりませ
ん。み こと ば を 信 じて心 に刻 んだなら 、神 の働 き を
して、それがほんとうに強 い信 仰 になるようにしなけ
ればなりません。誰 が見 ても健 康 な強 い信 仰 の持 ち
主 は、信 じたことをそのまま実 行 します 。
人 間 は生 きていれば多 くの困 難 に臨 みます 。時 に
は力 をす っかり使 い果 たす ことがあ り ます 。時 には
人 生 があ まりにつらいと思 う でしょう 。また、時 には
心 楽 しく、健 康 で幸 福 な気 分 になることもあ るでし
ょう 。水 と御 霊 の福 音 への信 仰 によって新 たに生 まれ
た神 の子 ど もであ っても、信 仰 に生 きていないために


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私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください
108

力 がない人 がいたなら 、そ の人 に深 く関 わ ら ず に、
と もかく神 の働 きをさ せてみることです 。神 の働 き

互 いの弱 さを 赦 す
<

>

お好 きです ね。そして、でき ること なら 、もっと 良 い

なさ んは教 会 がお好 きではあ り ませんか。もちろん

私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。

賛 美 の歌 を作 りたいと思 います 。もしも良 い賛 美 の

マタイ 六 ・一 二
私 たち も、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しま

歌 詞 を お 持 ち の方 がおられ ましたら 、主 任 牧 師 に

身 です が、それ をさ ら に伸 ばしてイカ踊 り を してい

した。楽 しかったです ね。ジノ・ホン兄 弟 はかなりの長

お元 気 です か。先 ほど青 年 部 の特 別 公 演 を見 ま

キャンプまでには五 十 曲 を加 えたいと思 います 。あ ま

版 には二 十 一 曲 収 録 さ れ ています 。次 の信 徒 研 修

りに分 厚 くな ったら 、第 二 巻 を 作 り ましょう 。今 の

神 に栄 光 をさ さ げることができます 。聖 歌 集 があ ま

した。

提 出 してくださ い。そ う したら 、曲 を つけ て一 緒 に

ました。あれ を見 て、ほんとう に大 笑 いしました。ほ

り に欲 張 っていま す か。そ う でな けれ ば、毎 年 十 五

歌 いましょう 。新 たに生 まれ た義 人 は賛 美 によって

んとう に、兄 弟 たちは独 身 時 代 の私 よりず っと踊 り

曲 の新 しい歌 で神 をたたえたいと思 います 。
今 年 の夏 期 信 徒 研 修 キャンプでは主 の祈 りについ

が上 手 です 。姉 妹 は、若 い兄 弟 たちが勇 ましいと言
っていました。

一 二 節 「私 たちの負 いめをお赦 しください。私 たちも、

て勉 強 していま す 。今 日 はマタイ の福 音 書 第 六 章

い所 です 。自 分 たちで作 詞 作 曲 した聖 歌 を歌 う のは、

私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しました。」を中 心

私 たちが中 で何 をしていよう と、教 会 はす ばら し
さ らに素 敵 です 。教 会 はとても美 しく立 派 です 。み


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互いの弱さを赦す
109

に、より 深 い意 味 を 隠 しておられ るから です 。誰 で

身 を滅 ぼ す ことになります 。神 は記 さ れたみことば

みこと ばを 文 字 通 りにだけ 解 釈 していたのでは、

ではないと知 っておかなければなりません。この句 は

た者 が、また罪 を洗 わ なけれ ばなら ないと いう こと

くださ い。」の部 分 は、信 仰 によって罪 の赦 しを受 け

まず 今 日 の聖 句 にあ る「私 たち の負 いめをお赦 し

す ぐにみことばを誤 解 してしまう でしょう 。

も読 めるよう に、みこと ば はみな文 字 で記 さ れ てい

大 勢 の人 が最 も誤 解 す る部 分 です 。

にお話 ししましょう 。

ます 。しかし、それ を 正 しく 理 解 す るためには水 と

「主 がほんとう に罪 をみな消 してくださ ったのなら、
なぜ罪 の赦 しを 求 める主 の祈 りをお教 えになったの

御 霊 の福 音 を 信 じなければなりません。それがみこ
とばを 開 き、理 解 す る鍵 なのです 。この本 物 の福 音
だろう 。」

し、信 じています 。そう した誤 解 のため、キリスト教

主 の祈 りのこの部 分 を大 勢 の人 がそのよう に誤 解

を持 つ者 だけが主 の祈 りの意 味 を正 しく解 釈 し、伝
えることができるのです 。
私 たち は、主 の教 え られた主 の祈 りを学 んでいま

いつも 何 かを して罪 の赦 しを受 けていなけれ ばな ら

ちに負 いめのあ る人 たちを赦 しました。」を 読 むと、

「私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。私 たち も、私 た

いという 気 持 ちになり ます 。です から 、今 日 の聖 句

では、水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 をみなただ一 度 で

毎 日 罪 の赦 しを求 めて祈 れとおっしゃっているよう だ。

るのでしょう か。いいえ 。自 問 してみ ましょう 。「神 は

よる罪 の赦 しを受 けていなければならないと言 ってい

一 二 節 のみことばは、ほんとう に、いつでも行 いに

のほとんどは道 に迷 っているのです 。

ないという 気 になります 。ほんとう にいつでも罪 の赦

処 理 したのに、どう してまだ罪 があ り得 るだろう 。

す 。主 の祈 りの文 字 通 りの意 味 を見 ると、何 かした

しを受 けていなければならないのでしょう か。違 いま

主 ご 自 身 が主 の祈 りをお教 えになったのだ。主 の祈
りと、水 と 御 霊 の福 音 には何 か違 いがあ るのだろう

す 。真 の信 仰 は単 なる感 情 から来 るものではあ り ま
せん。心 に感 じることを真 の信 仰 だと考 え るなら 、


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互いの弱さを赦す
110

か。」
たいていのキリ スト教 徒 は、毎 日 犯 している罪 は
日 々 の悔 い改 めの祈 りによって洗 い流 さ なけれ ばな
らないと言 います 。けれど も、それは違 います 。主 は

●人 間 はみな弱 いが
水 と御 霊 の福 音 の内 に互 いの過 ちを
赦 し合 わなければならない
人 間 は生 きている間 、毎 日 罪 を犯 さ ず にはいられ

んとう のことです 。そこで、水 と 御 霊 の福 音 への信 仰

水 のバプテスマを受 け、十 字 架 で血 を流 し、ただ一 度

それ なのに、主 の祈 りを 誤 解 す れ ば、また迷 いに

により、行 いによる罪 を日 々 洗 い流 さ なければなり

ません。です から、互 いの悪 行 を赦 し合 う べき なので

陥 ることになります 。罪 の赦 しを受 けた者 の信 仰 は、

ません。つまり、罪 の問 題 の解 決 と 互 いの悪 行 を赦

で世 の罪 をみな 贖 われたのです から 、この福 音 を 信

水 と 御 霊 の福 音 を知 ら ず 、み こと ば を 誤 解 して誤

し合 う こと は、水 と 御 霊 の福 音 の真 理 の内 にあ るの

す 。人 間 は罪 を 犯 しな がら 生 きています 。それ はほ

りを信 じている人 によって、直 ちに崩 さ れます 。人 々

です 。「私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しました。」

じる者 には罪 がないのです 。

は、原 罪 は信 仰 によって贖 われたが、行 いによる罪 は

という のは、弱 さ から してしまったこと は赦 し合 う よ
聖 書 のみことば はみな水 と 御 霊 の福 音 を前 提 と

まだ残 っている、と 言 います 。しかしな がら 、それ は
霊 の福 音 のみことばなしに聖 書 のみことばを 理 解 し

しています 。「私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しま

う にとおっしゃっているのです 。

よう としたため、誤 解 し、間 違 った信 仰 を持 つよう

した。」もまた、水 と 御 霊 の福 音 によって無 条 件 の罪

誤 った信 仰 から 来 たひどい間 違 いなのです 。水 と 御

になったのです 。

の赦 しを受 けた者 の寛 容 により、互 いの過 ちを赦 し
合 わ なければなら ないという 意 味 なのです 。す なわ
ち、私 たちは罪 の問 題 を水 と御 霊 の福 音 を通 じての


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互いの弱さを赦す
111

倫 理 的 に生 きることを義 人 に語 られたのです 。みな

も、相 手 に寛 大 でいられるのです 。主 は、信 仰 の内 に

赦 しを受 けた者 だけが、他 人 から 悪 いことをさ れ て

ています 。無 条 件 の寛 容 、つまり、主 により罪 全 部 の

み解 決 できるのです 。主 はこの部 分 についておっしゃっ

いて、互 いの悪 行 は赦 し合 わなければなりません。

こと はでき ませんが、聖 徒 としての倫 理 的 生 活 にお

す 。水 と 御 霊 の福 音 を妨 げ 損 なう よう な人 を赦 す

して行 われた悪 いことを赦 し合 えという 教 え なので

り、御 霊 に対 す る冒 瀆 の罪 でない限 りは、互 いに対

なら、わたしの名 を汚 す ことになります 。わたしがす

なたが、あ なたに対 して罪 を犯 した者 を赦 せないの

せん。わたしから罪 の赦 しという 恵 みを受 けているあ

あ なたに対 して罪 を犯 した者 を赦 さ なければなりま

赦 しという 恵 みを受 けているのなら、あ なたもまた、

神 は真 理 を語 られました。「ただ一 度 で罪 全 部 の

合 え るのです 。不 変 の真 理 を だめにしない限 りは、

です から、水 と御 霊 の福 音 の内 で互 いの悪 行 を赦 し

る者 は、きよい心 で主 の御 前 に行 くことができます 。

罪 のない者 にな ったのです 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ

ました。そこで、人 々 は真 理 の福 音 への信 仰 を通 じて

んとう に水 と 御 霊 の福 音 によって罪 をす べて贖 われ

ぐさ ま罪 の赦 しを 受 け た人 々 がいるのです 。主 はほ

まことに、この世 には水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、す

でに罪 をみな消 しているという のに、互 いに赦 し合 う

私 たちは互 いの悪 行 を赦 し合 えます 。水 と御 霊 の福

さ ん、おわかりです か。

ことができないのなら、わたしもまたあ なたの罪 を贖

音 を信 じて罪 の赦 しを受 けた人 には互 いの悪 行 を赦
す 力 があ ります 。

いません。」
主 は、そのよう におっしゃっています 。です から、み

それ でも、主 の内 でさ え赦 さ れない罪 があ ります 。
それ は人 類 への最 大 の賜 物 、す なわ ち水 と 御 霊 の福

ことばは互 いに対 す る悪 い行 いを赦 し合 わなければ
ならないと告 げているのです 。これは、水 と 御 霊 の福

音 を 損 なう 罪 です 。水 と 御 霊 の福 音 を広 めること
を妨 げる罪 、損 なわれた福 音 をそのまま広 めよう と

音 を 信 じる新 たに生 まれ た聖 徒 が、真 に倫 理 的 に
生 きるために適 用 す るべく与 えられたものです 。つま


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互いの弱さを赦す
112

地 獄 の呪 いを避 けられません。しかしながら、そう し

悪 い罪 人 という ことになります 。また、そう した人 は

を 犯 す よう な 人 を赦 す なら 、赦 した人 自 身 がより

す る罪 は赦 さ れ ま せん。実 際 、御 霊 を 冒 瀆 す る罪

霊 の福 音 への信 仰 を持 っていなければなりません。も

聖 書 のみことばを理 解 しよう とす るとき、水 と御

字 架 で血 を流 し、罪 をみな消 してくださ いました。

て悪 いことをします から 、主 はバプテスマを受 け、十

の罪 を永 遠 に消 す 力 があ ります 。人 間 は互 いに対 し

の祈 りの教 訓 を学 ぼう とす るときには、水 と御 霊 の

た人 が罪 に気 づき、心 を 改 めて水 と 御 霊 の福 音 を

旧 約 の時 代 、主 は、信 者 がいけにえ の制 度 を 信 じ

福 音 の内 で主 の教 えを 理 解 しなければなりません。

ちろん、主 の祈 りを正 しく唱 えることができるのは、

ること で罪 を 洗 い流 せ るよう になさ いました。人 々

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じること な く 「私 たち の負 いめ

信 じよう とし、福 音 を広 めるなら、神 の憐 れみを受

はいけにえ の頭 に手 を 置 いて罪 を移 し、そ の血 を 全

をお赦 しくださ い。私 たち も、私 たちに負 いめのあ る

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じている人 です 。です から 、主

焼 のいけ にえ の祭 壇 の前 に散 ら して罪 を 贖 ったので

人 たちを 赦 しました。」を 理 解 す ること はでき ま せ

けられます 。

す。

れたのです 。さ らに、十 字 架 に行 かれ、血 を流 し、人

ら 受 けたバプテスマによって、世 の罪 をみな取 り除 か

の子 羊 として来 られました。主 はバプテスマのヨハネ か

と 、イエスを 信 じる心 は罪 の抑 圧 に捕 ら え られ たこ

たら、私 たちはみな 意 欲 を失 ったことでしょう 。す る

ったでしょう 。神 が人 間 から善 行 だけをお求 めになっ

神 が人 間 の肉 に義 を見 出 そう したら 、失 望 なさ

ん。

類 のいのち を 贖 われ ました。神 は、水 と 御 霊 の福 音

とでしょう 。人 間 は肉 において義 の働 きをす ることが

新 約 の時 代 、主 は世 の罪 をす べて背 負 う いけにえ

によって罪 の赦 しを受 けられるよう にしてくださ いま

でき ません。神 は人 間 の弱 い肉 に義 の働 きをお 求 め
にはなりません。

した。これが人 類 の罪 をただ一 度 でみな消 し去 る水
と御 霊 の福 音 です 。また、水 と御 霊 の福 音 には人 類


目 次

互いの弱さを赦す
113

さ さ げることができるのです 。

さ いました。人 間 はそれ により御 父 の御 名 に栄 光 を

とだけをお求 めになります 。父 なる神 は信 仰 を くだ

す べてご 存 じです から 、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じるこ

ついて考 え、信 じるべき なのです 。神 は人 間 の弱 点 を

水 と御 霊 によってもたらさ れた罪 の赦 しの真 理 に

アハブは、エリヤが神 のしもべであ ると知 りながら、敵

んだイゼベルのよう な人 は、赦 されません。イゼベルと

ブを意 図 的 に支 配 し、神 の民 を偶 像 崇 拝 へと誘 いこ

う 。赦 しも寛 容 もす べて主 次 第 だからです 。夫 のアハ

とまです る人 を、なぜ私 たちもまた赦 せないのでしょ

人 々 がいるのです 。永 遠 の福 音 を無 視 し、損 なおう

対 しました。また、イゼベルは夫 アハブがイスラエルの
王 としてエホバ神 に仕 え るべきであ るのを知 りながら、
偶 像 に仕 えさ せました。

見 る目 のない人 には木 剣 より劣 っているよう に見 え

なおう とす る人 がいるからです 。最 高 の剣 であっても、

あ り ます 。それ は、神 のくださ った不 変 の福 音 を 損

私 たち 義 人 でも 互 いに受 け 入 れ ら れ ない場 合 が

ぶどう 畑 の所 有 者 ナボテは、祖 先 から受 け継 いだも

にもナボテに、ぶど う 畑 を譲 るよう 要 求 しました。

れ を自 分 のものにしたいと思 いました。アハブは不 法

王 の宮 殿 の近 くにぶどう 畑 があ りましたが、彼 はそ

夫 のものにしよう と、強 奪 した罪 があ ります 。アハブ

●赦 さ れない罪 があ る

ます 。同 様 に、神 のくださ った絶 対 的 な力 を持 つ水

のを王 に譲 ることを拒 みました。アハブはぶどう 畑 が

イゼベルの犯 した罪 の中 には、ナボテのぶどう 畑 を

と御 霊 の福 音 を過 小 評 価 し、信 じて頼 みにす るべき

ほしくてたまら なかったので、食 事 もでき ないほどに
なり ました。イゼベルはそれ を見 て、自 分 がそのぶど

ものを損 なおう とす る人 がいるのです 。
「神 の前 で赦 さ れない人 もいるとおっしゃっているの

う 畑 を手 に入 れてや るから心 配 す るなとアハブに告
げ ました。彼 女 は人 を買 収 し、ナボテについて嘘 の証

です か。」とお尋 ねになる方 がおられ るでしょう 。そ
う です 。神 がけ っして罪 を お 赦 しになら ないよう な


目 次

互いの弱さを赦す
114

六)

アハブ王 に贈 ったのです 。(列 王 記 第 一 、二 一 ・一 一

言 をさ せ、彼 を殺 します 。それから ぶどう 畑 を 取 り、

せいなのです 。罪 の赦 しを受 けていない人 はみな、極

確 認 しています 。実 際 、癌 はみな利 己 的 な癌 細 胞 の

体 のさ まざ まな部 分 に利 己 的 な命 令 を出 す ことを

を満 たす ために、ためら う こと な く神 に敵 対 しまし

から さ まな敵 対 行 為 でした。イゼベルは自 ら の欲 望

深 刻 な罪 を犯 しているのです 。これ は神 に対 す るあ

菜 畑 にしよう とす る人 は、公 に神 に敵 対 す るという

から 、信 仰 の人 から 受 け継 がれ た教 会 を 無 益 な野

聖 書 で「ぶどう 畑 」と は教 会 を 意 味 します 。です

い流 した水 と御 霊 の福 音 を 信 じる人 の魂 だけが、神

けられません。イエスがそれにより人 類 の罪 をみな洗

に御 霊 がおられなければ、利 己 的 に生 きることを避

人 間 の観 点 からはどんなに立 派 に見 える人 でも、心

ません。そう した生 き 方 は改 めなければなり ません。

ても、肉 の欲 望 に従 えば、利 己 的 に生 きるしかあ り

めて利 己 的 です 。また、罪 の赦 しを受 けているといっ

-

た。それ は、彼 女 が回 心 し、心 から 悔 い改 めなけ れ

に導 かれ て正 しく 生 き ることができ るのです 。神 の
良 き 働 きを してき た人 は、強 力 な水 と 御 霊 の福 音

ば赦 さ れない罪 でした。
わ かっている限 りでは、人 間 は同 じ本 性 を 持 ち 、

の力 を信 じ、その真 理 のために生 きています から、利
しかしな がら 、新 たに生 まれ た人 の中 にも、まだ

神 の前 ではみな同 じです 。自 分 は特 別 で、他 の人 に
ゼベルのよう な人 なのです 。「私 はこの人 をこう いう ふ

利 己 的 な遺 伝 子 に支 配 さ れている人 がいるのです 。

己 的 な遺 伝 子 の影 響 を受 けていません。

う に利 用 しよう 。あ の人 をこのよう に支 配 しよう 。」

そう した人 は肉 の考 えに従 い、神 の導 きを拒 みます 。

勝 っていると思 い、他 人 を支 配 しよう とす る人 は、イ

と考 え る人 は、まことに邪 悪 です 。人 間 の心 には邪

他 の聖 徒 を 利 用 してでも 自 分 の利 益 を 求 めます 。
にしよう とします 。神 の良 き働 きがどう なるかは顧

必 要 ならどんな手 段 を使 ってでも自 分 の思 う とおり

悪 さ や 利 己 心 があ るでしょう か。
実 際 、人 間 の遺 伝 子 それ 自 体 がまことに利 己 的
なのです 。生 化 学 者 は、人 間 の遺 伝 子 は利 己 的 で、


目 次

互いの弱さを赦す
115

消 さ れたのです から、私 たち もまた他 人 の罪 を赦 せ

主 がバプテスマと 血 と によって人 類 の弱 さ を み な

に悪 いことをした人 を赦 さ なければなり ません。真

主 から 完 全 な 罪 の赦 しを受 け た人 は、自 分 たち

人 間 の愚 かさ や 一 時 的 な霊 的 盲 目 は赦 さ れます 。

ちに自 分 が悪 いことをしたと気 づき、心 を改 めたな

ます 。しかしながら 、神 の良 き 働 きを 妨 げ 、自 分 の

の信 仰 があ れ ば、ほんと う に互 いに赦 し合 え ます 。

みず 、自 分 を高 くし、欲 求 を満 たそう とす るのは、

肉 の欲 求 を満 たそう と 他 人 を殺 す よう な人 を赦 す

心 から 赦 し合 え ます 。そう です か。確 かにそう です 。

ら 、主 はそう した罪 も処 理 してくださ るのではあ り

こと はできません。心 から 邪 悪 な生 き 方 を改 めるの

人 間 が弱 さ から 犯 した罪 はみ な 赦 す こと ができ ま

深 刻 な罪 です 。そう した人 は行 いを改 めなければな

でな けれ ば、そ う いう 人 は受 け 入 れ られ ませ ん。そ

す 。赦 さ れ ない罪 はただ一 つです 。それが御 霊 を 冒

ませんか。水 と 御 霊 の福 音 を妨 げさ えしなければ、

う した邪 悪 な心 は自 分 を殺 す だけではなく、自 分 の

瀆 す る罪 、つまり、水 と 御 霊 の福 音 を 損 なう こと な

りません。

目 的 を達 す るために他 人 を も誘 い込 み、あ るいは殺

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 けた私 た

のです 。この罪 以 外 なら 他 人 の罪 は赦 せます 。主 が

悪 な人 のせいで大 勢 が信 仰 を 失 い、呪 われた道 へと

ち です ら 、毎 日 のよう に行 いによる罪 を 犯 していま

す のです 。です から、そう した人 が正 しく悔 い改 める

導 かれ得 るのです 。イスラエル人 の中 には、エホバ神 で

す 。です から 、心 にち りが積 み 重 なり 、間 違 った考

す でに罪 をみな贖 ってくださ っているからです 。

はなくバアルを崇 めた人 がいましたが、私 たち は邪 悪

えから 道 を誤 ることにな るかもしれ ません。そ う し

のでなければ、受 け入 れられません。たった一 人 の邪

な人 を教 会 に入 れてはおけません。そう した人 が義

た状 況 に際 して、そう した罪 さ え もみな、す でに主
な人 生 を歩 まなければなり ません。主 の受 けたバプ

が完 全 に洗 い流 してくださ っているのだと 信 じ、新 た

人 を罪 へと導 くかもしれないからです 。
それ以 外 の人 間 的 欠 点 や 弱 さ は、いつでも赦 さ れ
ます 。自 分 の悪 い行 いに気 づいていな くと も、そのう


目 次

互いの弱さを赦す
116

テスマと十 字 架 で流 さ れた血 とを信 じ、毎 日 新 たに、
主 は人 類 の罪 をみな消 し去 るために、いのちをお

と御 霊 の福 音 を損 なう 罪 、つまり、御 霊 に対 す る冒

人 間 の罪 の中 で最 も深 刻 な罪 とは何 でしょう 。水

●人 間 の罪 の中 で最 も深 刻 な罪

さ さ げ になり ました。です から 、罪 の赦 しを受 け た

瀆 の罪 です 。そう した罪 を ためら いな く犯 す 人 がい

完 全 になることができます 。

者 が互 いに赦 し合 えないのはおかしいのです 。水 と御

ほんとう に水 と 御 霊 の福 音 を 信 じているなら、肉

ます 。そう した人 は自 分 だけで罪 を犯 す だけではな

しかしながら、心 ではす でに赦 していながら、他 人

の欲 望 を満 たす ために他 人 を支 配 したりはしません。

霊 の福 音 への信 仰 の内 で他 人 の過 ちを赦 す ことが、

の罪 に文 句 を 言 う ことがあ り ます 。つまり、考 えと

ほんとう に水 と御 霊 の福 音 を純 粋 に信 じているなら、

く 、他 人 にも 自 分 と 同 じよう な誤 り を 信 じるよう

行 動 が常 に一 致 す るわけではないのです 。しかし、そ

他 の聖 徒 にそう したこと はけっしてできません。水 と

義 人 の人 生 の前 提 となります 。互 いに赦 し合 う なら、

れは問 題 ではあ りません。信 仰 を持 っていれば、や が

御 霊 の福 音 を 信 じる者 の心 は純 粋 でな けれ ばな り

誘 います 。肉 の欲 望 を満 たす ため、他 人 を 意 のまま

ては主 がそう した問 題 を解 決 してくださ います 。心

ません。です から、肉 は純 粋 どころか、実 際 はひどく

みことばを通 じて神 に栄 光 をさ さ げることができ ま

の中 で他 人 を赦 す ことができるなら 、す でにみな赦

邪 悪 なのだと気 づかなければなり ません。自 分 の肉

にします 。

さ れているのです 。他 方 、心 の中 で他 人 を赦 せないの

の邪 悪 さ を神 の前 で認 め、憐 れみを 求 めるなら、心

す。

なら、赦 さ れていません。

がほんとう にきよめられます 。しかしながら、肉 の欲
望 に従 えば、汚 れ、恐 ろしいものになります 。そう し
た人 は長 子 の権 利 を豆 のスー プとパンのために売 った


目 次

互いの弱さを赦す
117

の導 きに従 う のです 。

ら 、自 分 がそう した者 であ ることを認 め、教 会 で神

りません。これ は私 たち 自 身 のことなのです 。です か

エサウになります 。これは私 たちに無 縁 なことではあ

の分 野 で優 れ ている人 も、他 の分 野 では他 人 に劣 り

いのです 。真 に才 能 のあ る人 は一 人 もいません。一 つ

能 のない人 も、最 も才 能 あ る人 とそれ ほど変 わりな

人 間 の才 能 に大 き な 違 いはあ り ま せ ん。最 も 才

悪 なものに変 わ りがちです 。しかし、自 分 の邪 悪 さ

死 につながり ま す 。神 のために使 わ ない才 能 は、邪

な こと も、福 音 を 広 めることに用 いな いなら 、霊 的

ん。です から、他 人 の長 所 や 才 能 を見 よう とす る人

同 様 に、どんな才 能 もまったくないという 人 もいませ

あ ら ゆ る点 で優 れ た才 能 を 持 つ人 はいないのです 。

の人 の得 意 とす る分 野 ではないからなのです 。つまり、

ます 。一 つの分 野 で劣 っている人 がいても、それ はそ

や 狡 猾 さ を何 か誇 るべき 特 権 のよう に思 っている人

は、多 く の長 所 や 貴 重 な才 能 を見 出 す ことにな り

どんな才 能 や 力 、さ さ や かな誇 りの種 になるよう

もいます 。そう した人 は、何 も知 ら ない人 を自 分 に

水 と御 霊 によって新 たに生 まれた聖 徒 は、謙 虚 な

ます 。とりわけ、水 と 御 霊 の福 音 の内 で人 を見 ると、

したこと は気 になさ ら ず 、福 音 を広 めることだけを

心 で福 音 に仕 えている神 のしもべを尊 重 でき なけれ

従 わ せ、意 のままに利 用 しよう とします 。人 間 の観

思 われます 。神 は人 間 一 人 一 人 を 他 と は違 う よう

ば なり ませ ん。より広 い観 点 から 見 ると、神 のくだ

誰 もがます ます 貴 重 に思 われます 。

に造 られましたが、神 の観 点 から す ると、誰 かが他

さ った働 き手 を赦 し、受 け入 れる気 持 ちを持 てます 。

点 では、才 能 があ るかどう かが重 要 です 。神 はそう

人 より 優 れ ていると いう こと はないのです 。つまり 、

それが謙 虚 な心 です 。

「主 の祈 り は『私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。

らの質 問 で最 も多 いのは、主 の祈 りについてです 。

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じるよう にな った外 国 人 か

私 たちはみな対 等 なのです 。神 の教 会 では福 音 を広
めるための霊 的 序 列 だけがあ り ます 。私 たち はその
序 列 の中 で水 と 御 霊 の福 音 を 広 めるために働 かな
ければなりません。


目 次

互いの弱さを赦す
118

テスマと十 字 架 の血 によって贖 われたはず なのに。ど

ばならないのか、わ かりません。罪 はみなイエスのバプ

ています が、なぜ毎 日 罪 の赦 しを 求 めて祈 らなけれ

のでしょう 。水 と 御 霊 の福 音 が本 物 の真 理 だと 信 じ

教 えになりました。では、これはどう 理 解 す ればよい

祈 りの中 にあ り ます 。主 はこの祈 り をしな さ いとお

た。』と教 えています 。これ は主 のお 教 え くださ った

私 たち も、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しまし

す 。義 人 はす でに神 から無 条 件 の罪 の赦 しを受 けて

互 いに赦 し合 わ な けれ ば なら な いと いう こと なので

り ません。水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた義 人 は、

これは、継 続 して罪 の赦 しを受 けよという ことではあ

ち も、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しました。』

申 します 。『私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。私 た

す 。です から、海 外 と国 内 の働 き手 す べてにはっきり

しを 受 け た者 には、他 人 の悪 行 を 赦 す 力 があ り ま

点 を赦 し合 う ことをお望 みのはず です 。罪 全 部 の赦

いるからです 。神 は、私 たちもまた互 いの過 ちを赦 さ

こが間 違 っているのでしょう 。」
こう した質 問 が数 多 く寄 せられ ています 。そこで、

ペテロが主 イエスのみ もとに行 って「主 よ。兄 弟 が私

なければならないとおっしゃっています 。

たのです 。これは海 外 の働 き手 のためだけではあ りま

に対 して罪 を犯 したばあい、何 度 まで赦 す べきでしょ

主 の祈 りを一 句 ご とに詳 しく解 釈 す る必 要 を感 じ
せん。私 は、国 内 の働 き 手 も主 の祈 りについて知 ら

う か。七 度 まででしょう か。」と尋 ねたこと があ り ま
す ると、イエスは「七 度 まで、などとはわたしは言 い

なければならないと思 ったのです 。また、聖 徒 もみな、
祈 りについて説 明 しておかなければなりません。です

ません。七 度 を七 十 倍 す るまでと言 います 。」とおっ

す。

から 、主 の祈 りのみことば、それ に、そこからあ ふれ

しゃいました。そして、弟 子 たちに「赦 さ ないしもべ」

おそらくは興 味 を持 っておられるでしょう から、主 の

出 る恵 みについて、この夏 期 キャンプでお 話 ししてい

(マタイ 一 八 ・二 一 三 五 )のたとえ 話 を なさ ったの
です 。

るのです 。
主 は、水 と御 霊 の福 音 を信 じる私 たちが互 いの欠


目 次

互いの弱さを赦す
119

-

ことに気 づきました。まったくお金 を取 れないことを

貸 主 であ る主 人 は、しもべには返 済 す る能 力 がない

に行 って、借 金 を帳 消 しにしてほしいと頼 んだのです 。

う な借 金 に苦 しんでいました。そこで、主 人 のところ

できない人 がいました。一 生 かけても返 済 できないよ

その話 はこう です 。主 人 から 大 金 を 借 りて、返 済

三)

れんでや るべきではないか。」(マタイ 一 八 ・三 二 三

まえをあわれんでや ったように、おまえも仲 間 をあわ

頼 んだからこそ借 金 全 部 を赦 してや ったのだ。私 がお

けて非 難 しました。「悪 いや つだ。おまえがあ んなに

主 人 はそ のこと を 聞 くと、邪 悪 なしもべを 呼 びつ

こう して、主 人 は怒 り、借 金 を全 部 返 す まで彼 を

-

知 った主 人 は、憐 れ みを 示 し、借 金 を 免 除 してや っ

獄 吏 に引 き渡 しました。
自 分 の借 金 が取 り消 さ れ たこと を 忘 れ 、自 分 が

たほう がよいと 思 いました。そ こで、しもべは心 から
喜 び、感 謝 しました。主 人 はこの男 を苦 境 から 救 っ

さ れているからです 。それ は神 のご命 令 でした。私 た

貸 した金 を 取 り消 さ ない人 を、主 は赦 さ れません。

しもべはす ばらしい気 分 で帰 路 につきました。その

ちは赦 さ れざ る罪 人 であったとき、水 と 御 霊 の福 音

たことで、良 い気 分 になりました。しもべの名 は借 金

途 中 、自 分 が金 を 貸 していた人 に出 会 いました。相

を 信 じて罪 の赦 しを受 けました。他 人 に貸 した金 を

このこと は、自 分 の貸 したも のはでき る限 り 取 り 消

手 を見 るや いなや 、男 はその首 をつかみ、貸 していた

返 せという 、どんな権 利 が私 たちにあ るのでしょう 。

の名 簿 から 除 かれ、借 金 は取 り消 さ れました。もう

金 額 はたった今 免 除 してもら った借 金 の千 分 の一 よ

イエスは「あ なたがたもそれぞれ、心 から兄 弟 を赦

す よう 教 えています 。私 たち の借 金 がす でに取 り消

り少 なかったのです が、お金 を返 せと迫 りました。相

さ ないなら、天 のわたしの父 も、あ なたがたに、このよ

主 人 にお金 を返 済 しなくてよいのです 。

手 はす ぐ に返 す と 言 いましたが、しも べはそ の人 を

う になさ るのです 。」(マタイ 一 八 ・三 五 )とおっしゃ
いました。これ は「私 たちの負 いめをお赦 しくださ い。

役 人 のところへ引 き立 てて行 き ました。借 金 を 返 さ
ないからといって、牢 に入 れよう としました。


目 次

互いの弱さを赦す
120

た。」の解 釈 を誤 ってはなり ません。私 たちに対 して

た ち も 、私 た ち に 負 いめ のあ る人 た ち を 赦 しま し

です から 、「私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。私

ません。そのよう に考 えられず 、そう いう 気 もないよ

る人 を 自 分 より 優 れ た人 と して扱 わ なけ れ ばな り

ほんとう の人 格 者 なら、水 と御 霊 の福 音 に仕 えてい

です から 、絶 対 に他 人 を 見 下 してはいけ ません。

ではあ り ません。神 の御 国 のために生 き、天 の恵 み

犯 さ れた罪 を 赦 す こと ができ るのは、私 たち の行 い

う な人 は、この上 なく傲 慢 な人 です 。水 と 御 霊 の福

私 たち も、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しまし

による罪 もまた、主 の受 けたバプテスマと十 字 架 の血

音 を 信 じている者 は天 の幸 いな住 民 で、天 の知 恵 と

を受 けている者 なのです 。

によってす でに消 さ れているからです 。主 はそれだけ

信 仰 があ り、誰 よりも明 るい心 を持 っています 。

た。」と基 本 的 に同 じことです 。

を要 求 しておられます 。主 がここで要 求 なさ っている

下 にあ る人 から 奪 い、ばかにす る人 が大 勢 います 。

る神 のしもべに対 して悪 を行 う 人 がいます 。自 分 の

しかしながら、時 には、他 人 を尊 び、信 じ合 ってい

赦 しを 受 ける資 格 のあ る人 を告 白 なしに赦 さ れ ま

基 づいてみことばに従 わなければなりません。神 は、

です から 、悔 い改 め、悪 行 を 告 白 し、正 しい信 仰 に

こう として、自 分 が間 違 った道 に進 んでいるのです 。

自 分 が他 人 を支 配 できると思 い込 む のは、迷 いか

しかし、私 たち 義 人 は、けっしてそう いう ことをして

す が、神 に対 して悪 を行 った人 が心 から 悔 い改 める

のは、互 いに赦 し合 う ことです 。それが義 の真 の特 徴

はなりません。誰 にでもあ る程 度 愚 かな点 はあ り ま

なら 、その心 はます ます 霊 的 になります 。互 いに悪

ら 出 た誤 りであ り、愚 かなことです 。義 人 を誤 り導

す が、義 人 はばかではあ り ません。私 たち は神 の前

行 を告 白 し合 う なら、真 の信 仰 の交 わりを得 ます 。

です 。まことに、私 たちは互 いに赦 し合 っています 。

で、き よい赦 しの気 持 ちがあ り ます から 、世 俗 的 な

す ると、私 たちを救 った水 と 御 霊 の福 音 の恵 みが、
より 深 く心 に刻 まれ ます 。主 と 、主 がそれ によって

人 は私 たちを愚 かだと思 っているかもしれません。し
かしながら、水 と御 霊 の福 音 を信 じる者 は、愚 か者


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互いの弱さを赦す
121

ます 。

真 の交 わ りへの道 が、いつも 開 かれ ていること を願 い

う なら 、寛 容 になります 。義 人 の心 の中 に、信 仰 の

罪 をみな消 さ れた福 音 への愛 によって互 いを赦 し合

しみ を 分 け 合 い、共 に主 にお 仕 え し、力 づけ 合 い、

に交 わ りを持 てます 。私 たち は冗 談 を言 い合 い、悲

す 。私 たち は真 理 の福 音 を 信 じています から 、互 い

福 音 を くださ り 、罪 をみ な 贖 ってくださ ったから で

慰 め、励 まし合 って、福 音 の内 で生 きられます 。
「私 たち の負 いめをお赦 しくださ い。私 たちも、私
たちに負 いめのあ る人 たちを赦 しました。」が毎 日 罪

徒 の交 わり… … を信 じます 」とあ ります 。使 徒 信 条

リストを信 じます 。主 は聖 霊 によってや どり、…… 聖

を信 じます 。父 のひとり子 、わたしたちの主 イエス・キ

使 徒 信 条 には「天 地 の創 造 主 、全 能 の父 である神

部 の赦 しを受 けているのならできます 。わたしがほん

に恵 んでいるのです 。ほんとう にわたしを信 じて罪 全

し合 いなさ い。そのために必 要 な信 仰 を与 え、す で

音 を 信 じてほんとう に罪 の赦 しを受 けたのなら 、赦

いう のは、確 かな ことです 。これ は、「水 と 御 霊 の福

●義 人 が良 き 交 わりを持 つために

は聖 徒 の交 わ りについて述 べています 。つまり、教 会

とう に罪 をみな贖 ったと信 じているのなら、あ なたも

の赦 しを受 けなければならないという ことではないと

では聖 徒 の交 わりがあ るのです 。
神 が、信 仰 により互 いの心 を見 られ るよう にしてく

聖 徒 が信 仰 の内 に倫 理 的 に生 き なけれ ばなら ない

ことなのです 。これがみことばのほんとう の意 味 です 。

赦 し合 い、平 和 を保 たなければなりません。」という

ださ ったから です 。聖 徒 は、他 人 のき よく 尊 い信 仰

という ことなのです 。みなさ ん、これ を信 じておられ

義 人 を見 ると、肉 と霊 との両 方 を見 ます 。それは、

とともに邪 悪 さ をも見 ます 。義 人 の心 は互 いを映 し

ます か。きっとそう でしょう 。義 人 が回 心 して赦 しを
求 めるなら、他 の義 人 はどんな罪 も赦 します し、神

出 す 鏡 のよう なものです 。私 たち は福 音 に仕 え、交
わ りの中 で生 きることができ ます 。主 が水 と 御 霊 の


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互いの弱さを赦す
122

は水 と御 霊 の福 音 の内 で贖 ってくださ います 。
姉 妹 たち 、近 い将 来 ご 結 婚 な さ る若 い姉 妹 のみ

は、自 分 のこと だけ を 考 え、怠 惰 で、他 人 のこと を
考 え ません。です から 、主 にお仕 えす るために協 力

持 つことがとても良 いことだという ことを頭 に入 れて

い将 来 ご 結 婚 なさ る方 は、同 じ信 者 であ る伴 侶 を

ます 。放 蕩 者 の最 たる者 はジャングルの王 者 ライオン、

はならず 者 です 。のらくら し、食 べるだけの動 物 もい

のらくらして食 べるだけの人 がいます 。そう した人

す るという ことを何 も知 りません。

おいてくださ い。これは姉 妹 たちだけではなく、兄 弟

とりわけ雄 のライオンです 。雄 ライオンは日 陰 でのん

なさ ん、す でにご結 婚 なさ っている方 はと もかく、近

たちにも言 え ます 。少 しの間 はお互 いの顔 を気 にし

びりとしています 。狩 りはせず 、昼 寝 ばかりしていま
ンがいちばん大 きな部 分 を食 べます 。食 べ残 す と、そ

ます が、顔 を気 にしているのは、そう 長 いことではあ
結 婚 す ると、互 いの外 見 よりも気 持 ちのほう が大

れを雌 や 子 どもに与 えます 。外 見 はごく普 通 でも、

す 。雌 ライオンが困 難 な狩 りから 戻 ると、雄 ライオ

事 になるのです 。韓 国 の流 行 歌 に、こう いう のがあ り

働 かず 食 べることだけを考 えている人 は大 勢 います 。

りません。

ました。「♪ 女 は心 が大 事 。♪ あ なたはかわいい顔 だ

です から 、見 た目 が格 好 いい人 は、結 婚 相 手 には

そう したなら ず 者 には容 易 にだまさ れがちです 。彼

詞 にも学 ぶべきことがあ り ます 。まことに、キリスト

あ まりふさ わしくあ りません。伴 侶 を探 す ときには、

けの女 なの? ♪ 恋 人 に心 をさ さ げ 、心 変 わりしな

の内 で良 き兄 弟 でいるには、心 が大 事 なのです 。キリ

心 から 神 に仕 えている人 、福 音 のために生 きている

らはみな外 見 はきちんとしているからです 。

ストの内 の尊 い兄 弟 姉 妹 であ るには信 仰 が必 要 です 。

人 、家 族 をよく導 く人 、家 族 を飢 えさ せない人 、妻

いのがほんと の女 。」 みな さ ん、時 には流 行 歌 の歌

す ると、私 たち は霊 的 に勇 敢 で器 量 よしの紳 士 ・淑

が主 に仕 えるのを助 ける人 、家 族 をあらゆる危 険 か
ら守 る人 を探 す べきです 。

女 なのです 。外 見 の美 しい人 が悪 人 だという こと は
よくあ り ま す 。そ う した、見 かけ はまっとう な 悪 人


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互いの弱さを赦す
123

私 はとても良 い結 婚 をした人 間 の一 人 です 。私 は

問 題 は、自 分 を神 よりも高 くしよう とす る人 がまだ

きちんとしないことで妻 は時 に失 望 す るのです が、そ

あ るのです が、妻 はけっして文 句 を言 いません。私 が

りません。牧 羊 犬 は、行 ってはいけない所 に羊 が行 か

け、霊 的 に損 なう よう なこと は、けっしてあ ってはな

みなさ ん、教 会 の先 輩 が他 の聖 徒 をいじめ、傷 つ

いることなのです 。

れ でも福 音 に仕 えている私 が大 事 なんだと言 ってく

ないよう にす るために、羊 の中 に放 たれ ます 。牧 羊

福 音 に仕 え るために家 族 をないがしろにす ることが

れます 。夫 婦 はこのよう でなければなりません。
とで失 望 さ えしましたが、振 り返 ってみると、す べて

道 に戻 します 。牧 羊 犬 はそのよう にして羊 を 守 り、

そして、羊 がさ まよい出 ると、吠 えて警 告 し、安 全 な

犬 は自 由 に歩 き回 り、羊 を 狼 の攻 撃 から 守 り ます 。

がよくわかるのです 。妻 は優 しい心 の持 ち主 で、兄 弟

崖 から 落 ちないよう にします 。牧 羊 犬 は羊 飼 いの仕

私 は妻 のことを 誤 解 したことがあ り ます 。そ のこ

や 姉 妹 が弱 さ や もろい信 仰 のために死 につつあ るの

事 をします 。つまり、牧 羊 犬 は牧 師 なのです 。
時 に霊 的 指 導 者 が思 いや りに欠 けるよう に見 え

を見 ると心 を痛 めます 。そこで、同 情 心 から そう し
た人 々 の傍 ら に立 ち、そ う した人 の立 場 に立 って、

満 たそう とす るのは卑 怯 です 。みなさ ん、先 に立 つ

ことです 。他 人 の弱 点 を利 用 し、自 分 の肉 の欲 望 を

しかし、問 題 は、他 人 の弱 点 を悪 用 す る人 がいる

まします 。聖 徒 たちを 守 るために、妨 げ 、自 由 にさ

つことを願 っています から、指 導 者 は教 え、また、励

のです 。す べての聖 徒 や 神 のしもべが信 仰 において育

とどめるため、誠 意 を持 ってそう いう ことをしている

ることがあ ります 。しかしながら、聖 徒 を正 しい道 に

者 は、自 分 の後 から来 る人 の弱 さ を覆 う ため、他 人

せ、何 かをす るのを差 し止 め、あ るいは、しているこ

共 に苦 しむのです 。それはとても良 いことです 。

の弱 さ を ほんとう に憐 れ まなければなりません。他

とを続 けさ せます 。
水 と御 霊 の福 音 の賜 物 により、みなさ んの罪 がみ

人 に共 感 し、慰 めることが信 仰 を 励 まします 。そう
した心 は、共 に主 に仕 えるよう 他 の人 を導 き ます 。


目 次

互いの弱さを赦す
124

な赦 さ れていることを私 は心 からありがたいと思 って
います 。誰 かが水 と御 霊 の福 音 に反 対 したり妨 害 し
たりせず 、過 ちを改 めるなら、私 は、「大 丈 夫 です 。
私 たちはみな人 間 にす ぎ ません。ず っとわかっていた
ことです 。」とその人 に言 う でしょう 。
今 日 は主 の祈 り の「私 たち の負 いめをお赦 しくだ
さ い。私 たちも、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦 し
ました。」についてお話 ししました。これ は、互 いの過
ちを赦 す 力 を くださ っているという こと なのです 。主
は、真 理 の内 で互 いの過 ちを赦 せとおっしゃいました。


目 次

互いの弱さを赦す
125

罪 をみなただ一 度 で消 してくださ ったことを主 に感
謝 いたします 。

<

>

これを信 じておられます か。信 じておられます ね。

る罪 までもみな消 し去 ってくださ いました。みなさ ん

あ り ませ ん。主 は水 と 御 霊 の福 音 によって行 いによ

肉 の欲 求 充 足 のためだけに生 きてはな らな い
マタイ 六 ・一 三
私 たち を試 みに会 わ せないで、悪 から お救 いくだ
さ い。国 と力 と栄 え は、とこしえにあ なたのものだか

聖 書 には「文 字 は殺 し、御 霊 は生 かす 」コリント

(

)

とあ り ます 。これ は、みことばをただ

と ころで、私 は主 の祈 りについて一 句 ご とにご 説 明

新 共 同 訳 )には含 まれていません。

と力 と栄 えは、とこしえにあなたのものだからです 。」

今 日 の聖 句 は、主 の祈 りの結 び の部 分 です 。「国

と、天 にいます 私 たち の父 の御 名 が栄 光 あ るものと

があ がめられ ます よう に。」を文 字 通 りに解 釈 す る

徳 に陥 るだけです 。「天 にいます 私 たちの父 よ。御 名

ばを文 字 通 りにだけ解 釈 したのでは、人 間 の倫 理 道

う えで信 じなければならないという ことです 。みこと

ら です 。アー メン。
第 二 、三 ・六

しており ます 。時 間 があ れ ば、主 の祈 りの残 り の部

さ れるよう にと、律 法 主 義 的 熱 意 を持 って生 きるし

文 字 通 りに解 釈 す るのではな く、主 の意 図 を知 った

分 についても、もっと詳 しいことをお話 ししたいと思

かあ りません。
しかしながら、聖 書 は何 かをせよとは言 っていませ

:

ここまでお話 ししてきたことについて、再 度 申 し上

ん。まず 主 が、人 間 を 聖 化 す るために罪 をみな洗 い

U
N

げ ます が、水 と御 霊 の福 音 を 信 じて、ただ一 度 で罪

流 してくださ ったと告 げているのです 。主 は人 間 の力

聖 書 (例

います 。

の赦 しを受 けた人 は、毎 日 罪 の赦 しを受 ける必 要 は


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
126

のです 。

じ、信 仰 により聖 さ を 保 つよう にとおっしゃっている

ではな くて、主 の成 就 なさ った罪 の赦 しの福 音 を 信

を 求 めてはいません。人 間 には力 がないのです 。そう

とがないよう に、毎 日 食 物 を くださ い。仕 事 がう ま

てくださ い。仕 事 のことで助 けてくださ い。飢 え るこ

を くださ い。今 日 は野 菜 がたくさ ん売 れ るよう にし

せん。なかには「主 よ、飢 え ないよう にあ れ や 、これ

を、肉 によって成 し遂 げよう としたなら、ひどく苦 し

う に。」です 。天 の御 国 だけにあ る聖 さ と罪 の赦 しと

ころが天 で行 なわれるよう に地 でも行 なわれます よ

主 は神 の義 の福 音 をくださ り、義 の内 の信 仰 により

仰 を持 っている人 が大 勢 いるのです 。しかしながら 、

俗 のこと を 祈 る人 がいます 。この世 には間 違 った信

子 ど もが大 学 に入 れ るよう にしてくださ い。」と 世

くいくよう にしてくださ い。親 が健 康 でいます よう に。

み、や がては神 の敵 になってしまう でしょう 。真 理 の

恵 んでくださ り、正 しい神 の働 きを す ることで日 ご

主 の祈 りの第 二 節 は「御 国 が来 ます よう に。みこ

内 にいる者 は、信 仰 によって神 の御 国 を 築 かなけれ

との糧 を得 られるよう にしてくださ いました。
主 の祈 りの第 四 節 は、「私 たちの負 いめをお赦 しく

ばなりません。神 の御 国 は人 間 の能 力 によら ず 、水
と 御 霊 の福 音 への信 仰 と、真 の福 音 を 宣 べ広 めるこ

って、毎 日 水 と 御 霊 の福 音 について考 え なけれ ばな

う もお与 えくださ い。」です 。私 たち はみことばに従

主 の祈 り の第 三 節 は「私 たち の日 ご と の糧 をきょ

肉 において多 くの善 行 をしなければなり ません。毎

いてひどい過 ちを犯 す ことになります 。それならば、

し合 えという ことだ。」と解 釈 したのでは、信 仰 にお

しました。」です 。これ を人 間 の観 点 から だけで「赦

ださ い。私 たちも、私 たちに負 いめのあ る人 たちを赦

り ません。また、神 の働 き を行 わ な ければな り ませ

日 高 潔 な行 いができるものでしょう か。私 は、でき な

とによって、築 かれるのです 。

ん。ここは、肉 のものを 求 める祈 りをしなさ いと言 っ

いと申 し上 げ ます 。そう した教 えに従 って生 きたな
ら 、ど んな 状 況 にあ っても、いつも 「大 丈 夫 。気 にし

ているのではあ り ません。この部 分 を見 て、肉 のため
に祈 ら なければなら ないとお思 いになるかもしれ ま


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
127

ないでくださ い。大 丈 夫 です から。」と言 っていなけれ

さ った罪 全 部 の赦 しという 前 提 に基 づき、「私 たちの

ここで「私 たち 」という のは、主 から 罪 の赦 しを受

負 いめをお赦 しください。」と書 いてあ るように、互 い

ま す 。しかし、聖 徒 がまったく の無 抵 抗 で生 き るよ

けた義 人 です 。主 の祈 りは、水 と御 霊 の福 音 のみこ

ば な り ません。キリ スト教 徒 は、誰 かに右 の頬 を 打

う にと、この祈 りが与 えられたと考 えてはいけません。

とばを信 じる義 人 に告 げ られたものだという 前 提 に

に赦 し合 わなければならないという 意 味 です 。

そう いう 生 き 方 をす れば、ミミズのよう な骨 抜 きだ

立 って解 釈 しな けれ ば なり ません。この世 では水 と

たれたら左 の頬 を差 し出 さ なければいけないと考 え

という ことになるでしょう 。ところが、みことばを文

私 たち の父 」と 祈 るよう におっしゃったのは、水 と 御

御 霊 の福 音 を 信 じる者 だけが、神 を 「天 にいます 私

正 しい信 仰 の核 を持 つ人 は、神 の義 を 信 じます 。

霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを 受 け た神 の子 ど もだ

字 通 りに解 釈 す れば、ほんとう にそう いう 生 き 方 を

す べての人 間 の中 で、義 人 だけ が神 を 正 しく 信 じ、

けです 。です から 、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる者 は、

たち の父 」とお呼 びできるのです 。主 が「天 にいます

神 の義 を奉 じているのです 。です から、間 違 った信 仰

福 音 の真 理 を 信 じて御 父 の御 名 に栄 光 をさ さ げ な

す ることになるのです 。

を持 つ人 の言 う ことにだまさ れてはいけません。主 の

ければなり ません。義 人 は信 仰 に生 きてはじめて神
まだ新 たに生 まれ ていない人 が主 の祈 りの教 えに

祈 りに「私 たちの負 いめをお赦 しくださ い。」とあ るの
贖 いを受 けなければなら ないと言 う 人 がいます 。し

従 って神 に正 しく祈 ろう と思 う なら、まず 罪 の赦 し

に栄 光 をさ さ げることができます 。

かし、それ は間 違 っています 。主 はバプテスマのヨハネ

を受 けなければなりません。罪 をみな消 してくださ

だから、行 いによる罪 は悔 い改 めの祈 りによって毎 日

から受 けたバプテスマと、十 字 架 の血 とによって罪 を

いと主 に祈 るのです 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の
赦 しを受 けるのです 。そう す ると、神 を 御 父 と呼 べ

みな消 してくださ ったのです から 、そう ではないので
す 。実 際 、これは、主 がバプテスマと血 によって成 就 な


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
128

るよう にな り ま す 。つま り、まず 神 の子 ど もにな ら
なければならないのです 。

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、真 の信 仰 を 広 めるため
に生 きるなら、たとえ 誘 惑 に負 けても救 われ ます 。
水 と御 霊 の福 音 を信 じる義 人 は、はなはだしい試 練
に負 け ません。義 人 の中 にも、たまには厳 しい試 練
にくじける人 がいます 。それはどのよう な人 でしょう 。

いったいど こで何 か ら 試 み を 受 け る のでしょう 。

ろに従 う よう 心 を決 めているかどう かです 。す べては

ることと肉 に生 きることとを分 けるのは、神 のみここ

●私 たちを試 みに会 わせないで

「試 み」とは、苦 しい試 練 をいいます 。つまり、何 が義

心 にあ る信 仰 によるのです 。です から、神 の良 い働 き

肉 の欲 望 の充 足 だけ を 求 める人 です 。霊 的 に生 き

人 、つまり、水 と 御 霊 によって罪 の赦 しを 受 け た聖

のために生 きるよう 決 心 しなければなりません。
まず 神 の御 国 とその義 を 探 し、従 う のです 。そう

徒 ・神 のしもべに試 練 を も たら す かを知 ら なければ
なりません。ヤコブ書 は、人 は自 分 の欲 のせいで誘 惑

す 。です から 、主 は「私 たちを試 みに会 わせないで」

す 。それでも欲 望 が起 こると、誘 惑 や 試 練 に負 けま

義 を求 め、神 の栄 光 を明 らかにす る働 きをす るので

人 は自 分 の欲 望 に従 って生 きてはいけ ません。神 の

義 人 はみな肉 の欲 望 のせいで誘 惑 を受 けます 。義

心 配 しているから な のです 。聖 徒 や 神 のしも べが懐

なく、どう や って生 きよう 、何 を 食 べ、何 を着 よう と

れているからであ り、霊 的 物 事 について考 え るのでは

会 う のは、新 たに生 まれた後 になっても欲 望 に縛 ら

のことばによる。 とおっしゃいました。つまり、試 みに

ンだけで生 きるのではなく、神 の口 から出 る一 つ一 つ

しないから、魂 は誘 惑 に負 けるのです 。主 は、 人 はパ

と祈 るよう にお教 えになったのです 。主 の前 で、自 分

疑 主 義 の深 い泥 沼 にはまるのは、肉 の欲 望 に従 う か

さ れるとしています 。(ヤコブ 一 ・一 四 )

の邪 悪 な心 のせいで試 みに会 う ことのないよう にして

らです 。そう す ると魂 は力 を失 い、絶 望 します 。つま

くださ いと祈 りなさ いという のです 。


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
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り、心 が肉 の欲 望 に満 たさ れ、神 を離 れるから試 練

はルツであった。こう して、彼 らは約 十 年 の間 、そこ

妻 に迎 えた。ひとりの名 はオルパで、もう ひとりの名

た死 んだ。こう してナオミはふたりの子 どもと夫 に

に住 んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもま

に負 けるのです 。

●ナオミは欲 求 を 追 い求 めて苦 しんだ

-

先 立 たれてしまった。」(ルツ 一 〇 ・三 五 )
ナオミは霊 的 貧 困 を乗 り越 え ることができず 、肉

は二 人 の息 子 マフロンと キルヨンを 連 れ てモアブの土

どい飢 饉 があ りました。そこで、ナオミの夫 エリメレク

士 師 の時 代 、ナオミの家 族 がベツレヘムにいたとき、ひ

が信 仰 に従 わず 、肉 にだけ従 っているなら 、心 身 と

従 えば、結 局 は滅 びることにな るのです 。信 仰 の人

ことができ ず 、肉 にお いて生 き るために肉 の欲 望 に

あ りませんでした。信 仰 の人 が、神 への信 仰 に生 きる

においてさ らに苦 しみました。ナオミは後 悔 す るしか

地 に行 き ました。ベツレヘムでは作 物 が育 たず 、人 々

もに困 難 に望 み、魂 は死 に、肉 においては貧 しくな

ルツ書 でナオミの臨 んだ試 練 について考 えましょう 。

は飢 饉 に苦 しみ ましたが、モアブでは雨 がたくさ ん

「私 たちを試 みに会 わせないで」について考 えましょ

ります 。

人 々 はモアブに行 ったのです 。エリメレクとナオミは自

う 。主 がこのよう に祈 るよう にお っしゃったのは、聖

降 り、作 物 が良 く育 っていると 聞 きました。そこで、
分 たち の状 況 を見 て、生 きるために、神 の定 めた土

徒 が極 端 な試 練 を受 けることがないよう にす るため

の赦 しを受 けた者 はみな天 国 の住 人 です から、神 に

トの兵 士 として生 き なければなり ません。実 際 、罪

信 じて罪 の赦 しを 受 け たと ころで終 わ ら ず 、キリ ス

です 。誘 惑 に負 けないためには、水 と 御 霊 の福 音 を

地 を離 れました。
ところが、ナオミはモアブの地 で、残 さ れた物 をす
べて失 いました。
「ナオミの夫 エリメレクは死 に、彼 女 とふたりの息
子 があ とに残 さ れた。ふたりの息 子 はモアブの女 を


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
130

わしい時 に神 の軍 隊 に仕 えるよう 召 さ れるのです 。

切 な時 に兵 士 を徴 集 す るよう に、聖 徒 はみな、ふさ

召 集 さ れた兵 士 でもあ るのです 。この世 の軍 隊 が適
いをします 。

ことに、そう した人 は誘 惑 に負 け、はるかに苦 しい思

戦 いをせず 、福 音 がどう なろう と 気 にしません。ま

これらのものはす べて与 えられます 。」(マタイ 六 ・三

をまず 第 一 に求 めなさい。そう すれば、それに加 えて、

って生 きてはじめて主 のみことば「神 の国 とその義 と

の御 国 で永 遠 に生 きられるよう にします 。信 仰 によ

ません。信 仰 への道 は、誘 惑 の道 をたどることなく神

い」と 答 え、福 音 を広 めるために生 き なけれ ばな り

て福 音 のために生 き るよう 召 さ れ たと き には、「は

わ れ ている人 は、沈 む日 のよう に信 仰 も、そして魂

でくださ います 。しかしながら、肉 の問 題 にだけとら

く受 けるようになります 。主 はその人 のす べてに恵 ん

将 来 、神 からの恵 みを、昇 る日 のよう にます ます 多

と も、日 々 の必 要 はまかなわれ ます 。そう した人 は

も神 のために生 きるなら、世 話 をさ れます 。少 な く

必 要 を何 から 何 まで満 たさ れます 。弱 い人 であ って

の兵 士 になった人 は、教 会 の行 う 働 きに参 加 す ると、

まことに水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、教 会 でキリスト

三 )は実 現 しま す 。主 は、福 音 の兵 士 と して生 きる

も売 ってしまいます 。

です から 、罪 の赦 しを受 けた者 が、神 の兵 士 とし

なら、誘 惑 に負 けないよう にと教 えておられます 。

定 す るだろう 。金 持 ち にな るにはどう したら いいだ

人 の上 に立 てるだろう 。どう したら 家 族 の生 活 が安

来 て「教 会 を出 て、私 について来 なさ い。きっと 成 功

呪 われた生 を生 き ることになり ます 。誰 かがや って

とを離 れ、肉 の繁 栄 を 求 める人 がいるなら、苦 労 し、

罪 の赦 しを受 けた人 々 の中 に、教 会 と神 のしもべ

ろう 。日 々 の生 活 を まかない、もう 心 配 がな くなる

さ せます 。」と言 ったなら、そのとたん、肉 の利 己 的

聖 徒 や 聖 職 者 の中 にも、おそら くは「どう したら

よう にす るには、どう す べきだろう 。」といった願 望 に

な気 持 ちで頭 がいっぱいになります 。神 を離 れてその
人 について行 くと、神 から 切 り離 さ れ 、孤 児 のよう

捕 らえられている人 がおられ るでしょう 。こう いう こ
とを考 えていると、肉 の安 楽 だけを 求 めます 。霊 的


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
131

す 。そのう え、肉 において成 功 してもや はり呪 われる

いう も のです 。肉 にお いて過 ち を犯 す と、呪 われ ま

人 がそう した教 えで教 会 を導 くなら、それは失 敗 と

な れ ます 。」といった、不 完 全 な 福 音 でしょう 。そ の

福 音 は「十 字 架 の血 だけを 信 じれば罪 のない義 人 に

会 に会 衆 を 集 めることができたなら 、その人 の説 く

に世 俗 的 教 会 を建 てたなら、また、実 際 、自 分 の教

人 が教 会 を離 れ、自 分 の肉 において良 く生 きるため

になり、何 の保 護 もなく試 練 に臨 みます 。そう した

めています 。

の人 は教 会 の中 で昇 進 し、今 は世 界 中 に福 音 を広

の聖 職 者 の一 人 がその聖 歌 を作 詞 作 曲 しました。そ

を見 、お 仕 えす ることができ ました。私 たち の仲 間

御 霊 の福 音 に出 会 ったとき、その人 は目 が開 き、主

て、ほんとう に主 にお仕 えしたいと願 いました。水 と

ました。その人 は、一 度 でもいいから 罪 のない者 とし

あ ります 。霊 的 に盲 目 の人 が味 気 ない生 活 をしてい

「主 は義 人 の目 を 開 いてくださ る」と いう 聖 歌 が

役 にも立 たず 、外 に捨 てられ て、人 々 に踏 みつけら

したら、何 によって塩 けをつけるのでしょう 。もう何 の

「あ なたがたは、地 の塩 です 。もし塩 が塩 けをなく

す べての聖 徒 が水 と 御 霊 の福 音 への同 じ信 仰 を持 つ

ら ゆ る霊 的 恵 み を受 け ます 。神 の御 国 で、つまり、

に霊 的 に最 善 を尽 くす なら、その人 は開 いた目 であ

せん。聖 徒 でも聖 職 者 でも、教 会 で与 えられた仕 事

この幸 福 は聖 職 者 だけに限 られたものではあ りま

れ るだけです 。」(マタイ 五 ・一 三 )

教 会 で、神 から与 えられた仕 事 をす るのは、す ばら

のです 。

神 はこのよう におっしゃいました。

そのう え、神 は日 々 の必 要 を もまかな ってくださ

しい恵 みです 。

徒 や 神 のしもべと 交 わ り、教 え を受 け、導 かれ 、共

います 。私 たち は神 の御 国 で生 計 を立 てています が、

新 たに生 まれ た者 が教 会 で共 に礼 拝 し、他 の聖
に祈 り、キリストの兵 士 として神 の御 国 建 設 の仕 事

よくよく考 えてみると、私 たちが生 計 を立 てられ る
のは神 の御 国 の中 にいるからであり、何 でも楽 しめる

に参 加 す るのは、ま ことに幸 いな生 き 方 です 。そ う
した人 生 は真 に幸 いです 。


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
132

きるのです 。それが主 のためであ り、私 たち のためで

教 会 を 離 れ るのは神 の御 国 を 去 るよう な も ので

のは、神 が与 えてくださ っているから です 。そもそも

のう と、ともかく教 会 に留 まろう と心 を決 めるなら、

す 。教 会 を離 れれば、心 はす ぐに世 に染 まり ます 。

も あ るのです 。厳 密 に言 って、他 人 のために福 音 に

神 はナオミや ルツにお 与 え にな ったのと 同 じ恵 み を

みことばを得 ていないからです 。交 わ りがないから 、

生 きていけるのは、主 が必 要 を 満 たしてくださ るか

くださ います 。つまり、モアブという 外 国 の女 性 でし

心 が邪 悪 になり、悪 魔 サタンがそこに自 分 の家 を 建

生 きているのではあ りません。ほかならぬ自 分 のため

かなかったルツに、神 がお恵 みになったよう にです 。ル

てます 。そのう え悪 魔 サタンは、教 会 を去 った人 の心

らなのです 。です から、生 きよう とす る者 は死 に、死

ツがボアズに会 って気 に入 られ るよう にと神 が計 ら

の中 で働 き 始 めます 。そ う した人 の心 は、しみ一 つ

なのです 。

われたよう に、主 はご 自 分 に信 仰 を持 ってす がる者

な く き よめら れ てはいませ んから 、悪 魔 サタンが大

のう とす る者 は豊 かに生 きるのです 。生 き よう と死

に恵 まれます 。

う 。」という ことばかり考 えていると、じきに困 難 に

る だ ろ う 。ど う した ら 他 人 か ら 尊 敬 さ れ る だ ろ

したらあ まり働 かないで富 や 成 功 を誇 れるよう にな

前 はど んなに福 音 を 信 じていよう と、一 度 サタンの

悪 魔 の奴 隷 になり、邪 悪 な行 いに用 いられます 。以

に悪 魔 サタンに支 配 さ れ るよう になると、その人 は

悪 魔 サタンはその人 を悪 の道 へと 導 き ます 。完 全

喜 びで邪 悪 な計 画 を立 てます 。

陥 り ます 。結 局 、肉 において贅 沢 な暮 ら しを したい

誘 惑 に負 けると、悪 魔 サタンに打 ち勝 つ力 があ り ま

ところが、「どう したら 生 きていけるだろう 。どう

と いう こと ば かり を 考 え ている人 は、信 仰 を 売 り 、

せん。そう した人 が、教 会 とと もにあ る義 人 を見 る
敵 対 したいという 気 持 ちになります 。

と、心 の底 から 憎 しみが湧 き起 こり、義 人 と教 会 に

死 ぬことになるのです 。
神 であ られ るキリストにだけ集 中 していな ければ
なりません。そして、神 が告 げ たみことばに沿 って生


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
133

しょう か。それがほんとう にためになることでしょう

にしか見 ませ ん。そ こで、霊 的 先 輩 や 教 会 について

そ う した人 は、先 輩 であ る神 のしもべを そ のよう

ど、そこを降 りたら、ただの人 以 下 じゃないか。」

か。それ は必 ず 死 につながることです 。です から、主

文 句 を言 います 。霊 的 にものを見 るのではなく、す べ

みなさ ん、私 たちはそう した人 間 になっていいので

は「私 たちを試 みに会 わせないで」と祈 るよう にお教

てを肉 の観 点 から 見 ているのです 。そ う した人 は教
不 満 が募 ると、どう なるでしょう 。反 抗 す るよう に

えになったのです 。つまり、誘 惑 に負 けないよう 、信
聖 書 に は「義 人 は信 仰 に よ って生 き る 」(ロー マ

なります 。そう した行 動 はその人 自 身 の破 滅 につな

会 や 先 輩 について判 断 を誤 り、無 視 します 。そして

一 ・一 七 )と記 さ れ ています 。人 間 は弱 いのです が、
がります 。

仰 によって生 きなければならないのです 。

キリストの兵 士 として教 会 とともに生 きる信 仰 が必
信 仰 とが、新 たに生 まれた義 人 には必 要 なのです 。

人 でではなく、他 の兵 士 と協 力 して戦 います 。戦 いで

また、私 たち はみな キリストの兵 士 です 。兵 士 は一

みなさ ん、私 たち はみな、とても貴 重 な存 在 です 。

神 の御 国 を 築 くことに身 をさ さ げ なけ れ ばなり ま

仲 間 の兵 士 が死 ねば、心 が痛 みます 。戦 闘 で死 んだ

要 です 。つまり、水 と 御 霊 の福 音 と、神 の義 に従 う

せん。これが新 たに生 まれたキリスト教 徒 の進 むべき

者 が抜 け て穴 があ いたよう に感 じま す 。そして、自
分 もまた同 じよう な死 を迎 え るのではないかと恐 れ

道 なのです 。
そう した目 的 のために生 きないのなら、不 満 や 文

ない。私 は大 丈 夫 だ。不 死 身 なんだ。」と思 う よう な

ます 。「私 の隣 にいた兵 士 は死 んだけれど、私 は死 な

「この詐 欺 師 が牧 師 だって。見 なさ いよ。牧 師 が短

人 は、間 違 っています 。よろしいです か、そばにいた兵

句 だらけで生 きることになります 。
パンを はいて、あ んなこと をす るのかい。牧 師 には威

士 が死 んだなら、より多 くの人 と敵 対 す ることにな
るのです 。そう す ると、生 き 残 れ る可 能 性 は大 幅 に

厳 がなければいけないのに、あ の人 には何 もない。説
教 壇 にいるとき は背 広 を着 ていて立 派 に見 えるけれ


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
134

減 り ます 。です から、仲 間 の兵 士 はまことに大 切 な
のです 。戦 場 での連 帯 感 は、仲 間 が死 んだときに戦

愛 、永 続 す る友 情 です 。
霊 的 に、私 たちはキリストの兵 士 です 。キリストの

た人 を救 いに行 こう とはしませんでした。みんなは止

せんでした。その場 にいた誰 一 人 、銃 弾 の中 を 倒 れ

呼 吸 しているのを見 ました。彼 は友 を見 捨 てられ ま

き ました。もう 一 人 は友 が重 傷 を負 って苦 しそう に

敵 に向 かっていました。そのとき、彼 の体 を銃 弾 が貫

ていました。二 人 のう ち一 人 が戦 場 の中 ほどで直 接

情 は特 別 なものでした。二 人 の部 隊 は激 戦 に参 加 し

った二 人 が、同 じ部 隊 に配 属 さ れました。二 人 の友

こう いう 話 があ ります 。子 ども時 代 から仲 の良 か

う 。みなさ んがいなければ、私 は存 在 しないでしょう 。

人 たちがいなけれ ば、私 たち もここにはいないでしょ

から自 分 が存 在 できるとわ かっているからです 。その

思 いや り ます 。なぜ なのでしょう 。その人 たちがいる

す が、それ でも互 いを 尊 重 します 。私 たち は互 いを

ち一 人 一 人 はまったく違 った役 割 を与 えられていま

の任 さ れ ている仕 事 のことで神 に感 謝 します 。私 た

重 します 。私 たち は協 力 して働 き ます 。その人 たち

と 信 仰 と を見 ているから です 。だから 、その人 を 尊

す 。聖 徒 がみな大 切 なのは、外 見 だけではな く、心

兵 士 なら 、その人 は失 う こと のでき ない大 切 な人 で

めたのです が、彼 は友 人 を 救 いに駆 け出 しました。

私 がいなければ、みなさ んも存 在 しないでしょう 。

闘 に飛 び込 んでいく際 に生 まれます 。

彼 が友 を運 ぶとき、友 はす でに死 んでおり、彼 自 身
どう いう ことになるのか知 っていながら 、なぜそん

で聖 徒 を 引 き 離 しま す 。「す べてを お 前 に 与 え よ

国 から 引 き離 そう としているのです 。悪 魔 は甘 い嘘

です から 、悪 魔 サタンはいつでも私 たち を 神 の御

な無 益 なことをしたのかと、大 勢 の人 が尋 ねました。

う 。」そう いう ことを言 う か、あ るいは、悪 魔 に従 え

も重 傷 を負 いました。

す ると 彼 は答 え ました。「私 はほんと う に貴 重 なも

ばす ばら しい金 持 ちになると思 い込 ませるかもしれ
ません。悪 魔 サタンは、最 初 はそう した甘 い嘘 でだま

のを得 ました。友 は最 後 の息 で『君 なら来 るとわかっ
ていたよ。』と言 ったのです 。」これが真 の連 帯 感 、友


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肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
135

します が、結 局 は代 償 を求 めます 。「これをしてや ろ
う 。だから、これこれの代 償 を払 ってもらおう 。」

●義 人 は信 仰 と祈 りに生 き る

るだけではな く、信 仰 を堅 持 しなければなりません。

です から 、私 たち は祈 ら なければなり ません。祈

なのです 。悪 魔 サタンは大 き な代 償 を 求 めます 。悪

水 と御 霊 の福 音 への信 仰 が世 に打 ち勝 つ力 です 。ヨハ

そう ではないです か、違 います か。ほんとう にそう
魔 サタンの要 求 す る代 償 を支 払 う と、何 も 残 り ま

ネ 第 一 、五 章 には次 のよう にあ ります 。
「なぜ なら、神 によって生 まれた者 はみな、世 に勝

せん。いつも悪 魔 サタンだけが得 をす るのです 。人 間
は、そう いう ことでは良 い生 き 方 ができません。それ

弱 いのです が、互 いに慰 め合 い、励 まし合 わなければ

き、神 に栄 光 をさ さ げなければなりません。人 間 は

っして誘 惑 に負 け てはなり ま せん。信 仰 を持 って生

「私 たちを試 みに会 わせないで… …。」まことに、け

す 。そして、あかしをす る方 は御 霊 です 。御 霊 は真 理

によってだけでな く、水 と血 とによって来 られたので

リストは、水 と血 とによって来 られた方 です 。ただ水

神 の御 子 と信 じる者 ではありませんか。このイエス・キ

た勝 利 です 。世 に勝 つ者 と はだれ でしょう 。イエスを

つから です 。私 たち の信 仰 、これ こそ、世 に打 ち勝 っ

なりません。そのよう に生 きていると、義 の報 酬 とと

だから です 。」(ヨハネ 第 一 、五 ・四 六 )

がサタンの支 配 す る世 界 なのです 。

もに義 の果 実 をも豊 かに得 るのです 。神 は人 間 がそ

の信 仰 は天 の御 国 の門 を 開 き、人 が天 の御 国 に入

この信 仰 はあ り ふれ たも のだと思 われ ま す か。こ

信 仰 は世 に打 ち勝 ちます 。

水 と血 と御 霊 によって来 られたイエス・キリストへの

-

のよう になること を 求 めておられ るのです 。信 仰 を
持 って、そのよう に生 きなければなりません。主 の祈
りは終 始 、信 仰 によって生 きることを語 っています 。
信 仰 によってこう いう 存 在 になれと告 げています 。

れるよう にす るのです 。この信 仰 には普 通 ではないも
のがあ ります 。福 音 を軽 々 しく扱 ってはなりません。


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
136

ら す るなら 、私 たち は等 しく弱 く、力 不 足 です 。し

目 にはみな同 じに見 えているはず です 。肉 の観 点 か

私 たち はみ な 肉 体 的 には異 な っていま す が、互 いの

私 にとって、同 僚 も聖 徒 もみなとても大 切 です 。

を広 めることができ ます 。主 はみことばと 信 仰 を く

を受 け、心 に御 霊 を 宿 しているので、世 界 中 に福 音

ちは少 数 です が、水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 し

のくださ った水 と 御 霊 の福 音 しかあ り ません。私 た

優 れた力 があ るから ではあ り ません。私 たちには主

す 。それ でも、私 たち は全 世 界 に福 音 を広 めていま

かしながら、霊 的 には、私 たち全 員 が極 めてたいせつ

ださ り、私 たち を 兵 士 にしてくださ いました。私 た

みなさ ん、これを信 じておられますか。もちろんそう

な のだと 確 信 していま す 。私 は心 から そ う 信 じてい

ちに神 の働 きができるのは、真 の信 仰 を持 っているか

す 。私 たちがこれ を行 っているのは、肉 において何 か

ます 。なぜでしょう か。協 力 して福 音 に仕 え なけれ

ら です 。私 たち がとても大 切 な のは、神 の働 き を し

でしょう 。

ば、どう して全 世 界 に福 音 を広 めることができるで

ているからです 。神 は私 たちを通 じて働 くことがおで
「戦 士 」と は、よく 戦 う 者 をいいます 。しかし、才

しょう 。福 音 に仕 え るために団 結 しな ければ、どう
の一 人 一 人 が主 と 福 音 のために生 き ないのなら、ど

能 があ ろう となかろう と、兵 士 はや はり兵 士 です 。

きになります 。

う して世 のす べての人 が福 音 を聞 き、新 たないのちを

「突 撃 」という 命 令 の叫 びを聞 くと、槍 をもって戦 場

してこの福 音 を伝 えることができるでしょう 。私 たち

受 けられ るでしょう 。そんなことでは絶 対 に達 成 で

を 落 とし、熱 湯 を 注 いでこよう と、はしご を 上 り ま

に突 進 します 。「登 れ」と言 われれば、たとえ 敵 が石

みな さ ん、罪 の赦 しを受 け た自 分 たち を 過 小 評

す 。それが兵 士 です 。熱 湯 が注 がれているという のに、

きません。
価 してはいけません。教 会 を見 下 げてはいけません。

どう してはしご を上 れ るのでしょう 。私 がそんな戦 い
の中 にいたなら、おそらく一 目 散 に逃 げるでしょう 。

この教 会 の日 曜 学 校 に参 加 しているす べての子 供 た
ちを 全 員 含 めても、私 たち は三 百 人 しかいないので


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
137

たいへんな勇 気 です 。危 険 が見 えていても、兵 士 は指

矢 が激 しく射 掛 けられ ている中 ではしご を 上 るのは、

家 のよう に大 きな岩 が落 とさ れ 、熱 い油 が注 がれ 、

働 かれます 。

兵 士 として団 結 して働 くとき、神 は私 たちを通 じて

ために集 う 場 所 です 。聖 徒 がみことばを 信 じ、神 の

しを 受 け た者 が、神 のくださ ったこの福 音 を広 める

ベツレヘムと は、「パンの家 」という 意 味 です 。いのち

揮 官 の命 令 があ れ ば戦 場 に突 進 します 。兵 士 たち
はみな犠 牲 を厭 いませんから、都 市 を占 領 し、戦 争

き を す る兵 士 がも っと いたなら 、神 の力 を 無 視 し、

ています 。これはみな神 の知 恵 のはず です 。福 音 の働

はしません。限 られた人 数 で、極 めて効 率 的 に働 い

もな く出 かけていって時 間 を無 駄 にす るよう なこと

テク兵 器 を手 に入 れました。個 々 の地 域 に何 の計 画

いをしています 。私 たち は福 音 を広 めるために、ハイ

私 たち はそう いう 戦 いはしませんが、毎 日 霊 的 戦

会 に帰 れ な くな るよう なこと があ ってはなら ないと

う 。です から、そう した誘 惑 に負 けて、家 、つまり教

が、悪 魔 はお返 しにより多 くを 求 め、悩 ま す でしょ

信 じなさ い。今 は悪 魔 の誘 いが甘 く思 え るでしょう

にあ ず かることができず 、命 を失 う ことになり ます 。

のち のパン以 外 のものに誘 惑 さ れたなら 、神 の栄 光

のか、私 には理 解 できません。悪 魔 サタンや 、神 のい

り、これ 以 外 のど んなパンを 求 めて世 に向 かっていく

のパンを与 え る家 こそが教 会 です 。人 々 が教 会 を 去

自 分 たち の能 力 や 意 思 によって成 功 しているのだと

警 告 さ れているのです 。

に勝 てるのです 。

考 えたでしょう 。しかしながら、神 はそう した妨 げが
起 こること は許 さ れません。まことに、私 たちはただ
水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 に生 き、神 がその働 きを な
さ るのを見 守 りさ えす ればよいのです 。
神 は教 会 を通 じて働 く こと を 好 まれ ます 。教 会
は、ほかでもな く、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
138

粉 その他 の素 材 から、さ まざ まなおいしいパンが作 ら
れ ました。少 量 の溶 かしバター を 上 に塗 ること もあ

焼 く代 償 に、パン屋 は一 定 量 の小 麦 粉 を得 ます 。そ

持 ってや って来 て、焼 いてくれと 頼 むでしょう 。パンを

っても飢 え ること はあ り ません。金 持 ちが小 麦 粉 を

得 ると申 しました。パン屋 にいれば、たとえ 飢 饉 があ

パンの家 であ るベツレヘムに留 まるなら、多 くの糧 を

たくて、たまり ませんでした。私 たち はただ、にお い

香 ばしいにおいがしました。ほんとう にあ のパンを食 べ

ほど遠 くない所 に住 んでいたので、自 分 の家 にいても

もなくおいしいのです 。私 たち 家 族 はパン屋 からそれ

ー ブンから取 り出 し、上 にバター を塗 ると、言 いよう

ばん甘 いものです 。白 パンや 全 粒 粉 の入 ったパンをオ

●義 人 に最 もふさ わしい生 き 方 は
教 会 とともに福 音 に仕 え ること

こでは昔 、誰 もが貧 しかったときでも、私 の友 達 だっ

をかいでおなかをす かせているしかなかったのです 。

ります 。もちろん、それはただのバターではなく、いち

たパン屋 の子 ど もたち は食 事 を 欠 かす こと な く、最

当 時 の私 の家 族 の様 子 をお話 ししましょう 。父 は、
長 いパイプを振 って私 を呼 び寄 せ、空 のパイプを何 度

高 のパンを食 べていました。白 パンだけではなく、全 粒
粉 の入 ったパンも食 べていました。当 時 は一 杯 のトウ

父 がパイプに煙 草 を詰 めろと言 っているのがわかりま

か叩 き ます 。それ は、パイ プにタバコを詰 めろという

もちろん、パン屋 の友 だちの家 族 も、う ちと比 べて

した。私 が詰 め終 え ると、父 はまた何 度 かパイ プを

モロコシ粉 も 手 に入 ら なかったので、私 はとてもや せ

それ ほど豊 かだったわ けではあ りません。それでも、

叩 き ました。それ は火 をつけ ろと いう 合 図 です 。私

こと なのです 。私 はまだ幼 かったのです が、それ でも

客 が持 ち込 む粉 を調 べるために取 った粉 を使 ってパン

は火 をつけてや り ます 。私 がもう 少 し大 き くな った

ていました。

を焼 きましたから、食 事 の時 にはいつも最 高 のパンを

とき、たぶん六 歳 くらいだったと思 います が、煙 草 に
火 がつくまでパイプを 吸 わ な けれ ば なり ませんでし

食 べられたのです 。同 じよう にして、全 粒 粉 を用 いた
パンも焼 いたのです 。そ う した方 法 で入 手 した小 麦


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
139

なだけパンを 食 べること などできませんでした。家 族

べることが私 の一 番 の夢 でした。子 ど もの頃 は、好 き

小 学 校 四 年 になるまで、パン一 個 を丸 ごと一 人 で食

れ て食 べる機 会 を 逃 す わ けにはいかなかったのです 。

ができませんでした。です から、私 は自 尊 心 にとらわ

でした。私 の家 族 はしばしば食 べるものがなく、食 事

私 は父 のよう に体 裁 にとらわれてはいられません

せん。私 が例 外 なのではなく、水 と御 霊 によって新 た

し、そう いう こと のために生 きているわ けでもあ り ま

う です か。私 は自 分 が裕 福 になろう とは思 いません

物 を得 ているのです 。です から、私 は豊 かです か、ど

を 欠 かす こと なく、しかも福 音 に仕 え るのに十 分 な

よう な富 を蓄 え たわ けではあ り ません。ただ、食 事

れ はみな神 の恵 み のおかげ です 。私 はビル・ゲイツの

は、ず っと 豊 かな暮 ら しを しています 。も ちろん、こ

にせず 、かなり良 い暮 らしをしています 。主 にお会 い

が祖 先 にさ さ げ るためにパンを 用 意 す ると きでも、

に生 まれた者 はみな、そう いう ふう に生 きているので

た。父 は古 い考 え の男 で、たとえ 家 族 が飢 え よう と、

風 船 のよう に空 っぽのパンでした。ほんの二 口 でな く

す 。私 たち神 のしもべは、けっして自 分 が金 持 ちにな

す る前 、私 の家 はとても貧 しかったのです 。それが今

な るよう な パンでした。パンの中 の空 洞 を 見 ると、ほ

るために働 き はしません。私 たち は水 と 御 霊 の福 音

パンを乞 いに行 こう とはしませんでした。

んとう にがっかりしました。です から、かつての私 は、

に仕 え るのに必 要 な物 資 を得 るために働 いているの
今 日 はここ、明 日 はあ ち ら と 移 動 しています が、

みなさ んには想 像 もでき ないほど、食 物 に関 してひ
ます から 、みなダ イエットを気 にしています 。それ で

ど こでも 福 音 を広 めている所 が私 の家 です 。です か

です 。

も、かつては食 べ物 がおなかに消 えてしまう のを嘆 い

ら、大 きな家 は必 要 あ りません。新 たに生 まれた聖

どく意 地 汚 かったのです 。最 近 は食 べ物 があ ふれてい

たものです 。もっと もっと 食 べたかったのです 。そう い

徒 が礼 拝 す るだけの空 間 があ るなら、そこが教 会 で
す 。です から 、赤 レンガで築 かれ た大 き な 教 会 を 羨

う 時 代 でした。
今 は主 にお会 いしましたから 、そう したこと は気


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
140

み ません。聖 徒 のみなさ んも同 じよう に感 じておら

み な さ ん、も し私 たち 聖 職 者 が福 音 に仕 え ず 、

「私 たちを試 みに会 わせないで…… 」教 会 を離 れ、

もに安 らぎ、健 康 になることができたでしょう か。世

分 なお金 があ ったでしょう か。聖 書 キャンプで心 身 と

自 分 の蓄 財 のことだけを考 えていたなら 、教 会 に余

神 の御 国 を 去 るなら 、誘 惑 に負 けてしまいます 。つ

の中 でほんとう に懸 命 に働 いたなら、心 が満 ち足 り、

れるのではあ りませんか。もちろんそう です ね。

ま り 、肉 の欲 望 に従 う か ら 誘 惑 に 負 け る のです 。

充 実 した人 生 を 送 れ るでしょう か。世 の中 では、そ
しかし、神 は恵 みに満 ちた人 生 を くださ います 。

「誘 惑 」とは「試 みに会 う 」という ことです 。神 の御 国
合 い、一 緒 にサッカー をす るのは、す ばら しいことで

神 がそう した幸 いな生 をくださ っているなら、なぜ誘

う した人 生 は手 に入 りません。

はあ り ませんか。いったい誰 が二 百 八 十 人 もの子 ど

惑 に負 けて自 ら苦 労 す ることを選 ぶ人 がいるのでし

の内 で団 結 して福 音 に仕 え、共 に戦 い、冗 談 を言 い

もを産 めるでしょう 。しかしながら、私 たちは神 の内

ょう 。神 のくださ るものをす べて楽 しみ、幸 福 に生 き

の人 は満 ち足 ります 。もし私 たちが神 の御 国 建 設 の

にいます から、神 は二 百 八 十 人 の子 ど もの親 として、

「大 木 には大 風 」という ことわざ があ るよう に、子

ために生 き、祈 り、生 活 に必 要 なものを求 めて祈 り、

る人 は、まことに賢 明 で幸 いです 。信 仰 により、力 を

だくさ んの家 庭 には様 々 なことが起 こり ます 。しか

信 仰 により教 会 とと もにあ ってす べてに立 ち 向 かう

二 百 八 十 人 の兄 弟 姉 妹 のいる家 庭 を作 っておら れ

し、心 で結 ばれ、純 粋 に父 なる神 にお仕 えす る家 族

なら 、神 はふさ わしい時 に必 要 を満 たしてくださ い

くださ るお 方 の中 、神 の恵 み の中 で生 きるなら 、そ

を得 て、私 たち はまことに幸 福 です 。いったいどこに

ます 。神 がいつも恵 んでくださ るという のに、なぜ 進

ます 。

これ ほど の愛 に満 ち た家 庭 があ るでしょう 。私 たち

んで苦 労 したがるのでしょう 。そう した苦 労 を す る
必 要 はまったくないのです 。

より幸 福 な人 は一 人 もいません。私 たち はまことに
幸 福 です 。


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
141

たとえ人 生 において困 難 に臨 んでも、どう か主 の
ためにそれ に立 ち 向 かってくださ い。そして、キリ ス
トの内 で、神 の御 国 で、信 仰 により幸 福 に立 派 に生
き ましょう 。私 たち がそ のよう に生 き られ るよう に
と、神 は恵 みを くださ っています 。主 は、この世 に来
られ、バプテスマを受 け、十 字 架 で死 に、死 者 の中 か
らよみがえ り、そう してお救 いくださ いました。主 は
私 たちを徴 集 し、兵 士 になさ いました。主 は私 たち
を神 の御 国 に入 れ、教 会 で生 きるよう になさ いまし
た。神 ご 自 身 が私 たちの人 生 を 祝 福 し、この世 で価
値 あ る仕 事 を 成 し遂 げ るよう になさ いました。そし
て、生 涯 を教 会 の中 で終 えるよう になさ いました。
これ が神 のみこころだと 信 じましょう 。教 会 と 神
の御 国 の内 で義 の働 きをし、神 の御 国 を 建 設 しなが
ら 生 きることが、神 の定 めた運 命 だとみなさ んが信
じられます よう に。おわ かりです か。もちろん、おわ
かりです ね。水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた神 の
民 のみなさ んに申 し上 げ ます 。誘 惑 に負 けること の


目 次

肉の欲求充足のためだけに生きてはならない
142

ないよう 信 仰 を持 ち、信 仰 によって生 きてくださ い。

悪 に負 けるのではな く救 わ れなければな らな い
<

>

う と、神 を賛 美 できるのはありがたいことだと思 いま

義 人 、神 の民 であ り、歌 がう まかろう と下 手 であ ろ

私 たちを試 みに会 わ せないで、

す 。たと え調 子 はず れ な歌 であ っても、私 たち の賛

マタイ 六 ・一 三
悪 から お救 いくださ い。

美 が神 には美 しく聞 こえることでしょう 。

いことがあ ります 。聖 徒 のみなさ んの多 くは、ただ口

士 ♪ 」はとても高 い音 なので、私 にはその音 が出 せな

「主 の戦 士 」という 歌 でした。最 後 の「天 の軍 勢 の戦

の前 に聖 歌 を何 曲 か歌 いました。そのう ち の一 曲 は

みなさ ん、お 食 事 はいかがでしたか。今 日 の説 教

水 中 にいる時 間 に気 をつけてくださ い。何 よりも安

には冷 たす ぎ ると思 います 。水 の中 で遊 ばれ る方 は、

くださ い。あ のプー ルの水 は年 配 の方 や 体 の弱 い方

で泳 いでもよいでしょう 。ただ、冷 たい水 に気 をつけて

和 です 。バプテスマの儀 式 が終 わ り ましたら 、プー ル

プテスマを受 け ます 。幸 い今 日 は絶 好 のバプテスマ日

今 日 の午 後 、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる人 々 がバ

を動 かす か、甲 高 い声 を出 しておられます が、私 は

全 が大 切 です 。プール遊 びには約 一 時 間 を予 定 して
夏 の間 は水 遊 びがいいです ね。特 に日 曜 学 校 の子

今 日 、かなり う まく 歌 え たと 思 いま す 。それ でいい
え る人 は、あ の部 分 はただ口 をぱ くぱ くさ せている

ど もたち は水 遊 びが大 好 きです 。子 ど も たち は、こ

います 。その後 は、グルー プ交 流 を再 開 します 。

だけだとおっしゃるのです 。それ を聞 いて、ちょっと の

こに着 いてから ず っと、「いつにな ったら 泳 げ るの? 」

気 分 だったのです が、聖 歌 指 導 者 は、ほんとう に歌

間 ぺしゃんこになりました。私 たちが新 たに生 まれた


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
143

どう して自 分 たち はプー ルを使 えないのかと文 句 を

中 高 生 が掃 除 のためにプー ルに入 っているのを見 て、

ら ず 、水 に入 る機 会 を待 ちきれず にいるのでしょう 。

と 催 促 しています 。早 く新 しい水 着 を着 たくてたま

客 賞 を取 ったのです 。

場 し、観 客 賞 を取 りました。す ばらしいツイストで観

ます 。番 組 が仁 斎 に行 ったとき、そのおじいさ んが出

や 踊 りの才 能 のあ る人 をさ がして国 中 を まわってい

さ ないのを見 て、がっかり しました。腹 を立 てて、子

ところが、観 客 賞 を取 って帰 ったのに、誰 も歓 迎 し

子 ど もたち はほんと う にダ ンスが上 手 です ね。あ

どもを育 ててもかいがないと怒 りをぶちまけました。

言 っていました。子 どもたち はあ んまり水 に入 りたい

の子 たち の踊 る様 子 を 見 たら 、驚 かれ るでしょう 。

お孫 さ んは、おじいさ んのダンスの才 能 を受 け継 い

な かったのです 。お じいさ んは垂 れ 幕 つき のお 祝 いパ

ブレー クダンスから ヒップホップまで、なんだって踊 れ

でいるのでしょう 。そ の子 はも う ツイ ストの名 人 で、

ものです から、自 分 たちがプー ル掃 除 をす ると言 う

ます 。私 自 身 、ダンスは上 手 なつもりでしたが、子 ど

今 はブレー クダンスを習 っています 。また、その子 のお

ー ティを 期 待 していましたが、家 族 が何 の反 応 も示

もたちに比 べると私 のは、ダンスとはいえないものでし

父 さ んはす ばら しい歌 い手 です 。ど んな歌 でも歌 え

のです 。

た。あ の子 たちの動 きはほんとう にす ばら しいもので

るのです 。ど んな話 題 について話 していても、そ の場
のものではな く、幼 いころから ほんとう にたくさ んの

す 。あ の子 たちが踊 るのを見 ると、ご 褒 美 に何 かお
中 に一 人 、と りわ けダ ンスの好 き な子 がいます 。

歌 を聴 いてきたからだと思 います 。日 曜 学 校 に通 う

にふさ わしい流 行 歌 を歌 え ます 。それ は生 まれ つき

誰 か別 の子 が自 分 より上 手 に踊 って見 せると、も っ

その子 の、おじいさ んは、流 行 歌 のう まい人 の父 親 で、

菓 子 でもや りたくなります 。

と上 手 に踊 ってや ろう と、ます ます がんばるのです 。

以 前 は豆 腐 屋 を していました。朝 の四 時 になると、
ラジオで流 行 歌 を 聞 き な がら豆 腐 作 り を 始 めてい

その子 のおじいさ んは仁 斎 の中 心 部 に住 んでおられ
ます 。「素 人 のど自 慢 」という テレビ番 組 があって、歌


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
144

ました。その孫 のお父 さ んは、子 どものころから流 行
歌 を聴 いていたので、当 時 から 現 在 までの流 行 歌 に

●ヤロブアムのよう に悪 に陥 らないよう
祈 らなければならない

ん。人 間 は親 から 遺 伝 子 を 受 け 継 いでいるのです 。

行 歌 を何 でも歌 え るのです 。まことに血 は争 えませ

教 えませんが、それでも、歌 えと言 われれば、古 い流

王 の部 下 でした。この人 は、たまたまイスラエルの王 に

アムと いう 人 は、も と もと は王 族 ではな く、ソロモン

と、ヤロブアム王 のことが書 かれ ています 。このヤロブ

列 王 記 第 一 第 一 二 章 二 二 三 四 節 を 読 みます

-

この人 が世 の中 ではなく、神 をたたえるためにその才
なったのです 。

ついてはす べて知 っているのです 。教 会 では流 行 歌 は

能 を用 いていることを主 に感 謝 いたします 。神 はまこ

と申 しました。聖 徒 の誰 かが神 の前 で何 か悪 いこと

自 分 の欲 望 に従 えば誘 惑 に負 け、苦 しい思 いをす る

わせないで、悪 からお救 いくださ い。」を見 ましょう 。

今 日 は主 の祈 り の第 一 三 節 「私 たちを 試 みに会

ロモンは真 の神 だけに仕 えるのではな く、多 くの偶 像

望 むものは何 でも手 に入 りました。しかしながら、ソ

王 になり ました。ソロモンもす ばら しい恵 みを受 け、

息 子 ソロモンが、ダビデ の信 仰 のおかげでイスラエルの

に神 から 多 くの恵 みを受 け ました。彼 の死 後 、その

イスラエルの王 ダ ビデ は神 とと もに歩 み、そのため

を行 い、悪 い人 になったなら、それ は肉 における豊 か

を も拝 んだのです 。彼 はみことばによるのではなく、

とに驚 くべき存 在 です 。

さ を求 めているからなのです 。

自 己 の欲 求 充 足 だけ を 求 めて生 き、神 の怒 り を 買
いました。しかしながら、神 はダビデ の功 を考 慮 なさ
り、ソロモンへの裁 きを次 の世 代 まで延 期 なさ いまし
た。
ソロモンの子 レハブアムは改 心 して神 に従 う ことを


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
145

ために、イスラエルの十 二 部 族 のう ち十 の部 族 を、王

レハブアムが王 になると、ソロモンとレハブアムを罰 す る

はや 怒 りを抑 えず 、彼 を呪 われました。ソロモンの子

せず 、父 親 より さ ら に悪 い行 いをしました。神 はも

それ は自 分 であ ることをヤロブアムはよく知 っていま

ちらか一 人 が王 座 を捨 てなければならないとしたら、

いました。その当 時 、一 つの国 に二 人 の王 がおり、ど

彼 はいつも自 分 が王 族 出 身 でないことを意 識 して

なのに何 とか王 になれた。だから 当 然 、私 を王 座 か

した。「私 は本 来 は王 になるべき人 間 ではない。それ

ところが、低 い身 分 の出 身 のヤロブアムは神 を恐 れ

ら 追 い出 そう とす る者 たちが現 れ るはず だ。もしそ

族 でもないヤロブアムにお与 えになります 。
ませんでした。神 が王 族 を 罰 したから自 分 が王 にな

う なれ ば 、私 は命 も 含 め、す べてを失 う ことにな ろ

ヤロブアムはイスラエル王 国 の南 北 の端 に宮 を建 て

れたのに、そのことを忘 れ、王 としての栄 光 を守 ろう

ヤロブアムは王 にな ると、神 殿 がまだレハブアムの

ました。ダ ンとべテルに宮 を 建 て、それぞれ に金 の子

う 。」ヤロブアムはこのように考 えると、神 に与 えられ

支 配 下 にあ ったエルサレムにあ ることを快 く思 いませ

牛 を 置 いたのです 。彼 はエルサレムの神 殿 に代 わ るも

としました。ヤロブアムは自 分 を王 位 につけてくださ

んでした。民 がレハブアムの支 配 す る場 所 にあ る神 殿

のとして、ダ ンとべテルの神 殿 を 建 てました。主 の契

た王 権 が脅 かさ れ ることを恐 れ、王 位 を守 るための

で拝 んだなら、それ は自 分 の権 威 を脅 かす ことにな

約 の箱 の代 わりには金 の子 牛 を 置 き、民 にそれ を拝

ったエホバ神 を 信 じ、従 い、仕 え るべき だったのに、そ

ると思 ったのです 。毎 年 の第 七 の月 の十 日 、人 々 はレ

ませました。彼 は金 の子 牛 を指 して言 いました。「こ

計 画 を立 てました。

ハブアムの支 配 す る国 に行 き、贖 いの日 のさ さ げ物 の

れがあ なたがたをエジプトから連 れ出 した神 です 。」

う しませんでした。

儀 式 に加 わ り ました。ヤロブアムはそれ が自 分 の地

彼 は民 に、目 に見 える偶 像 を拝 ませました。これ
は神 に対 す るひどい裏 切 りでした。赦 さ れざ る悪 行

位 を 脅 かす も のだと 考 え 、王 権 を 守 ろう と しまし
た。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
146

でした。

●彼 は肉 の欲 求 だけに従 った

光 ・権 力 ・誉 れ をお 与 え くださ った神 を たたえて生
きるべきだったのにそう せず 、肉 の欲 望 に目 がくらみ、
神 に敵 対 す るという はなはだしい悪 を行 ったのです 。
イスラエルの民 の十 部 族 を与 え られたヤロブアムは、
力 で地 位 を維 持 しよう としました。彼 は、神 がその

王 権 を レハブアムに奪 われ ること を恐 れ 、自 分 の努
主 は「私 たちを試 みに会 わせないで、悪 からお救 い

みこころを満 たさ れたみわざ の数 々 を 信 じませんで
ど んなに弱 い信 仰 の持 ち主 であ っても、神 の栄 光

くださ い。」と 祈 るよう 、お教 えになりました。人 間
悪 を行 います 。あ らゆ る誘 惑 や 苦 しみ・悪 の根 源 は、

に向 かわず に人 間 の栄 光 を求 めるよう な悪 を行 って

した。

肉 の欲 望 に従 う ことです 。ヤロブアムは肉 の欲 望 を

はな り ませ ん。自 信 がな かったのなら 神 殿 に行 き 、

は自 分 の肉 の欲 求 だけに従 っていると、誘 惑 に負 け、

満 たそう としたため、神 に敵 対 す るという 悪 を行 っ

神 にお会 いし、地 位 を 保 たせてくださ いとお願 いす
を 守 ろう という 欲 求 から 、神 に敵 対 してしまいまし

たのです 。彼 は王 位 と肉 の名 声 ・名 誉 を失 う まいと
ヤロブアムが神 を正 しく知 り、信 じていたなら、あ

た。王 位 や しもべたち を失 う こと を恐 れ た彼 は、神

るべきだったのです 。しかし、ヤロブアムは自 分 の栄 光

れほどひどい悪 は行 わなかったでしょう 。神 は十 二 部

の前 で偶 像 を 拝 む という 赦 さ れざ る罪 を犯 しまし

して神 の前 で悪 を行 いました。

族 のう ちからユダ族 とベニヤミン族 を除 いてヤロブアム

た。
イスラエルの民 はヤロブアムのせいで、神 の前 で金 の

にお与 えになり ました。です から、ヤロブアムは信 仰
を持 ってそれ を受 けるべきだったのです 。栄 光 と誉 れ

子 牛 だけではな くあ ら ゆ る偶 像 を 拝 む という 罪 を
犯 しました。ヤロブアムの犯 した罪 は邪 悪 なものでし

を維 持 す るのも、与 え、奪 う のも神 です 。それなのに
ヤ ロブアムは神 を 信 じま せ んでした。王 位 と 富 ・栄


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
147

た。それがイスラエルの民 全 員 を異 端 に陥 らせ、神 に
なければなりません。

る悪 に対 して水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 により行 動 し

ホバ神 が真 の神 であ ることを 忘 れ ました。彼 は人 々

していました。ヤロブアムの罪 のせいで、イスラエルはエ

には男 娼 や 売 春 婦 がいて、あ らゆ るみだら な行 いを

繁 栄 や 子 供 の誕 生 を願 いました。さ らに、宮 の周 囲

行 いました。外 国 の神 々 ・豊 穣 神 の偶 像 を礼 拝 し、

福 音 への信 仰 によって罪 はみな完 全 に洗 い流 さ れ て

たち は罪 を犯 さ ず にはいられ ませんが、水 と 御 霊 の

ゆ る罪 を犯 さ ず にはいられ ない邪 悪 な存 在 です 。私

てを 思 い出 す こと ができ な いほどです 。人 間 はあ ら

す 。あ まりにたくさ んの罪 を犯 しています から、す べ

人 間 はこの世 で行 いによる罪 を数 多 く犯 していま

●「
悪 からお救 いくださ い」と
祈 ることについて

敵 対 す るよう にしたためです 。こう して、臣 下 が王
を倒 して王 になるという 下 克 上 の歴 史 が続 きました。
人 々 は宮 で礼 拝 を 続 け 、人 間 の姿 をした木 の像 を
信 じました。そして、真 の神 ではなく、外 国 の女 神 ア
シュラの偶 像 の前 で額 づきました。彼 ら は、宮 で神 で

が神 を離 れ、あ らゆる悪 を行 う よう 仕 向 けました。

います 。今 は神 の前 で水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 の内

あ られる主 の御 名 を呼 ばわりながら、あ らゆる悪 を

彼 の罪 はあ ら ゆ る呪 いを 受 け るにふさ わ しいもので

に生 きています から、毎 日 罪 の赦 しのために祈 るので
はな く、福 音 への信 仰 を 裏 切 ら ないだけの力 をお与

した。
主 は、主 の祈 り の中 で「私 たち を試 みに会 わ せな

えくださ いと祈 るべきなのです 。
「悪 から お救 いくださ い。」つまり、神 に直 接 敵 対

いで」と祈 るよう にお教 えになりました。人 間 はひど
い試 練 に臨 むと道 を誤 ることがあ り ます から、ひど

す るよう な悪 を行 う こと のないよう にと 祈 るのです 。
神 に敵 対 す る悪 を行 う なら 、水 と 御 霊 の福 音 をだ

い試 練 に遭 う ことのないよう 悪 からお救 いくださ い、
と 祈 るよう にお っしゃったのです 。です から 、あ ら ゆ


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
148

水 と 御 霊 の福 音 を分 け合 う 力 を くださ いと 祈 るよ

めにします 。主 は、まだ罪 の赦 しを受 けていない人 と

ルを悪 い方 向 へと導 いたのです 。ヤロブアムはそれぞれ

宮 を建 てました。ヤロブアムはそのよう にしてイスラエ

アムは、自 分 が支 配 す る地 域 に神 殿 の代 わりとなる

の宮 に金 の子 牛 を 置 くという 、まことに深 刻 な罪 を

う にとおっしゃっています 。
主 の祈 りの「悪 から お救 いくださ い」という 部 分 か

私 たち も、神 殿 ではな く宮 で拝 み、神 ではな く偶

神 に対 して犯 しました。

でどう して起 こっているのかを 考 えてみ ましょう 。聖

像 を崇 めるという 罪 を犯 す 可 能 性 があ ります 。つま

ら、神 が何 を告 げておられ るのか、それが霊 的 世 界
書 にあ る罪 の赦 しの救 済 は、旧 約 の幕 屋 でのいけに

って、神 が定 めたいけにえの制 度 を損 なう という こと

り 、自 分 の欲 望 を 満 たす ために水 と 御 霊 の福 音 の

イスラエルが滅 んだのは、そもそもヤロブアムが罪 を

は、キリスト教 が世 俗 的 な宗 教 に堕 す という ことで

えの制 度 と、新 約 のイエスのこの世 でのみわざ 、つまり、

犯 したためなのです 。イスラエルは二 千 年 ほど国 を失

あ り、そう した罪 の結 果 として、神 から 離 れ て永 遠

真 理 を 損 なう という 罪 を犯 す 可 能 性 があ るのです 。

っており、いまだにもろもろの紛 争 の中 にあ り ます 。

に神 に敵 対 す ることになるのです 。です から、「悪 か

バプテスマと血 と死 、そしてよみがえりに明 かさ れ て

それ は、ヤロブアムが神 の定 めたいけにえ の制 度 を 損

らお救 いくださ い。」と 祈 らなければなら ないのです 。

水 と御 霊 の福 音 への信 仰 を持 たず 、自 分 の考 えに従

ない、イスラエルの民 を神 ではなく自 分 に従 わ せたた

また、水 と御 霊 の福 音 を 信 じ、嘘 を信 じるという 悪

います 。

めです 。イスラエルは二 つの王 国 に分 割 さ れ ました。

を乗 り越 えなければなりません。
罪 の赦 しを受 けていない人 は、ヤロブアムのよう に

北 王 国 イスラエルはヤロブアムが、南 のユダ 王 国 はレハ
ブアムが支 配 していました。彼 らはそれぞれのや り方

偶 像 に仕 えているのです 。水 と御 霊 の福 音 を信 じて
いないから です 。また水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる人 で

で神 を礼 拝 しました。神 の定 めた神 殿 は、レハブアム
が支 配 す るユダ王 国 のエルサレムにあ りました。ヤロブ


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悪に負けるのではなく救われなければならない
149

打 ち勝 たなければなり ません。まだ新 たに生 まれ て

に導 いてしまう 可 能 性 があ り ます 。そう したことに

あ っても、救 済 の真 理 を裏 切 り、他 人 を誤 った方 向

に従 い、神 殿 に行 って礼 拝 す るべきだったのです 。

犯 しました。しかし彼 は、神 が定 めたいけにえの制 度

いけ にえ の制 度 を 完 全 に変 え ると いう 深 刻 な 罪 を

深 刻 な罪 を犯 してしまいました。結 局 、神 が定 めた

出 エジプト記 の時 代 から 、神 は幕 屋 のいけにえ の

いない人 は、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受
けな けれ ばなり ません。す でに水 と 御 霊 によって罪

制 度 に従 って礼 拝 していました。つまり、幕 屋 のいけ

制 度 を通 じて救 済 について指 示 しておられます 。イ

ヤロブアムのよう な信 仰 を持 ったキリスト教 徒 がま

にえの制 度 に従 って信 じ、罪 の赦 しを受 けていたので

の赦 しを受 けた人 は、まだ罪 の赦 しを受 けず に悪 の

ことに大 勢 いるのは、たまらないことです 。さ て、ヤロ

す 。イスラエルはみことばを聞 き、その指 示 に従 ってい

スラエルはほんと う に、神 の定 めた幕 屋 のいけにえ の

ブアムのよう に悪 に陥 り、神 に敵 対 している人 の信

ました。

中 で溺 れている人 を救 わなければなりません。

仰 と、ほんとう に水 と御 霊 の福 音 を 信 じている人 の

ヤロブアムは臣 下 にす ぎ なかったので、神 が定 めた王

した。しかし、ヤロブアムはそう ではあ りませんでした。

ムは、神 が定 めたとおりに王 位 を継 いだ真 の王 族 で

ソロモンの息 子 はレハブアムでした。です からレハブア

けではなく、神 の律 法 を破 り、神 に敵 対 す る罪 でも

国 家 の法 を 破 ることでした。国 法 を 破 ったという だ

です から 、幕 屋 のいけにえ の制 度 に従 わ ないこと は

政 治 があ り ました。イスラエルはそう いう 国 でした。

あ り、人 々 は神 のしもべでした。イスラエルには神 権

イ スラエルは神 権 政 治 下 にあ り ました。神 が王 で

族 出 身 ではない自 分 の支 配 に対 して、反 発 があ るだ

あ り ました。と りわ け 王 は、け っして神 の律 法 を 無

信 仰 とを比 べてみましょう 。

ろう と心 配 したのは当 然 でしょう 。そこで、自 分 の王

視 してはなら ず 、何 があ っても 神 の律 法 に従 う べき
存 在 だったのです 。

位 を 守 るには神 に対 抗 す るしかないと思 ったのです 。
ヤロブアムは自 分 の欲 望 から 、神 に対 抗 す るという


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悪に負けるのではなく救われなければならない
150

不 法 な行 いをしたヤロブアムは、現 代 で言 えばどう い

て、神 の定 めた幕 屋 のいけにえ の制 度 の掟 を 破 り 、

て罪 の赦 しを受 けた義 人 に相 当 します 。それに対 し

けました。レハブアムはイエスのバプテスマと血 とを信 じ

神 が告 げ たとおりにさ さ げ ものをし、罪 の赦 しを受

そこで、レハブアムは幕 屋 のいけにえ の制 度 に従 い、

ない人 の神 なのです 。

す 。つまり、金 の子 牛 とは、まだ罪 の赦 しを受 けてい

す 。より 多 く のお金 や 権 力 を 持 つ人 を 偶 像 化 しま

力 を 誇 り ま す 。人 間 は自 分 の力 を 誇 るのが好 き で

しかあ りません。人 間 は肉 体 の強 さ や 、個 人 的 な能

であ るシルム(韓 国 相 撲 )も、自 分 の力 を誇 るもので

間 の「力 」と 「富 」にほかなりません。伝 統 的 スポー ツ

ます 。肉 の王 に仕 え る者 は、神 に敵 対 して生 きるし

方 、王 が信 じなければ、民 は俗 世 の力 に仕 え、従 い

こころを信 じるなら、その民 もまた神 に従 います 。他

仕 え、従 う よう にさ せたのです 。一 国 の王 が神 のみ

神 として拝 ませたのです 。金 の子 牛 を神 だと思 わせ、

して、自 分 の支 配 下 にあ った十 部 族 に、金 の子 牛 を

ヤロブアムは、金 の子 牛 を神 として拝 みました。そ

う 人 でしょう 。イエスがバプテスマのヨハネ から受 けたバ
プテスマを 抜 きにして、十 字 架 の血 だけを信 じている
人 です 。

●神 の前 で間 違 った信 仰 とは
ヤロブアムの神 は、二 頭 の金 の子 牛 でした。彼 は二
神 だと 民 に教 え ました。ヤロブアムは宮 に金 の子 牛

指 導 者 が神 に従 えば、聖 徒 もまた同 様 にします 。そ

教 会 の中 でもそう した現 象 は見 られます 。教 会 の

かあ りません。

を 置 き、「これがあ なたたちをエジプトの地 から 連 れ

れ に対 して、指 導 者 が神 の前 で誠 実 な信 仰 を 持 た

頭 の金 の子 牛 を造 り、それぞれ宮 に安 置 し、それが

出 した神 です 。」と言 って、イスラエルの民 に拝 ませま

ず 、世 俗 的 な繁 栄 を求 めるなら、聖 徒 はどんなに信
仰 を 保 って神 に対 して忠 実 に生 き よう としても、偶

した。
この二 頭 の子 牛 は何 を 示 しているのでしょう 。人


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悪に負けるのではなく救われなければならない
151

それ はひげ に、

「それ は頭 の上 にそそがれたとう とい油 のよう だ。

詩 篇 にはこう あ ります 。

像 に仕 えることになります 。

ロブアム王 の信 じた神 は大 きく違 っていたのです 。

ていました。です から、レハブアム王 の信 じた神 と、ヤ

民 をエジプトの地 から 連 れ 出 したお 方 であ ると 信 じ

は、神 がアブラハムや イサク、ヤコブの神 、イスラエルの

ハブアムは、エホバ神 、王 の王 を信 じて仕 えました。彼

る信 仰 へと 聖 徒 を 導 かなければなりません。神 が指

会 指 導 者 は神 の前 で正 しい生 き 方 をし、神 の喜 ばれ

う も な く 腐 った汚 い油 にまみれ ま す 。です から 、教

対 す る邪 悪 な野 望 に満 ちていたなら、聖 徒 は避 けよ

れます 。ところが、聖 徒 を指 導 す る者 の心 が神 に敵

り、彼 ら は自 然 に誠 意 と油 、つまり、御 霊 に満 たさ

を 建 てることをお命 じになり ました。神 は幕 屋 に祭

を 与 え、いけ にえ の制 度 に従 って仕 え るよう 、幕 屋

屋 を手 本 にして築 かれ ました。神 がいけにえ の制 度

を さ さ げ たのです 。神 殿 は、神 のお教 えにな った幕

さ げ ました。と ころが、ヤロブアム王 は宮 でいけにえ

っていたでしょう 。レハブアム王 は神 殿 でいけにえをさ

二 人 は別 々 の場 所 で神 を拝 みました。どれほど違

●幕 屋 で生 きることと宮 で生 きることとの
違い

アロンのひげ に流 れ て
そ の衣 のえ り にま で流 れ したたる。」(詩 篇 一 三
三 ・二 )
神 を恐 れてみこころに従 う 指 導 者 の上 に、神 の恵
みが豊 かに注 がれました。指 導 者 が神 に対 して心 か

導 者 を導 き、支 えてくださ るよう 、聖 徒 が祈 らなけ

司 を置 き、ご自 分 の定 めた掟 に従 って礼 拝 をさ さ げ

ら の信 仰 を 持 って生 き たなら 、それ は聖 徒 へと 伝 わ

れ ばなら な いのは、そ のためです 。それ がひいては聖

さ せました。
ところが、宮 はまがい物 でした。人 々 は宮 で傷 のあ

徒 自 身 のためにもなるのです 。
レハブアム王 は、ヤロブアム王 とは違 っていました。レ


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悪に負けるのではなく救われなければならない
152

す 。時 にはシャー マンがや って来 て儀 式 を行 います 。

の多 い道 の傍 らに、天 然 の石 を積 み 上 げて築 かれ ま

のよう なものです 。ソナンダンは、丘 の斜 面 や 人 通 り

宮 と は、この国 の村 々 にあ るソナンダ ン(城 隍 堂 )

の赦 しの律 法 に従 って信 じているかどう かによって、

信 じることに関 しては、いけにえ の制 度 、つまり、罪

の人 が真 理 を 知 っているかどう かです 。神 を 知 り 、

間 には、天 と地 ほどの違 いがあ るのです 。問 題 は、そ

り ません。神 殿 で礼 拝 す ることと宮 で拝 むことと の

信 じる私 たちが知 ってお くべき大 事 な点 です 。人 々

「ホイ、ホイ! おまえ は不 誠 実 だから、カボチャのパ

神 がその信 仰 をお認 めになるかどう かが決 まるので

るいけにえを さ さ げ ました。また、祭 司 は神 の定 め

イがみな半 煮 えだ。」太 鼓 の音 が聞 こえます 。「日 が

す 。神 は、ご 自 分 の定 めたいけにえの制 度 に従 って、

は、神 殿 で拝 むことと宮 で拝 むことと の違 いを知 ら

昇 ったら、テー ブルの食 べ物 はみんな私 のだ。」太 鼓 の

幕 屋 で礼 拝 す るよう になさ いました。神 はその方 法

た資 格 に沿 って任 じられ ませんでした。宮 は神 を礼

音 は続 き ます 。「早 く日 が昇 れば 、早 く 私 のものに

による礼 拝 を お受 けになり ました。だから 、宮 で人

ず 、同 じよう な ものだと思 っています 。しかし、みな

な る。お ま え は不 誠 実 だ。テー ブルにも っと お 布 施

間 が考 えたいけにえの儀 式 を行 っても、それはけっし

拝 す るはず の場 所 であ りながら 、す べては神 に配 慮

を 置 け。」さ らに太 鼓 の音 は続 きます 。ソナンダンに

て受 け入 れ られ ませんでした。神 は、そ う いう 場 所

さ んは正 しい知 識 に基 づいた信 仰 を持 たなければな

は幽 霊 がや ってき ます から 、人 々 は何 かにと り憑 か

には火 を下 す とおっしゃいました。

す ることなく行 われました。

れ たかのよう に、ど きど き しな がら そ こに集 まり ま

ヤロブアムの悪 行 は、宮 を建 て、その中 に金 の子 牛
を置 いたことだけではあ りませんでした。彼 は時 とと

す。
ヤロブアムとその民 が宮 で礼 拝 したこと は、彼 らの

もに限 りなく罪 深 い行 いを神 に対 してす るよう にな
りました。ヤロブアムはレビ族 出 身 でない祭 司 を宮 に

信 仰 が神 のいけにえ の制 度 に基 づいたものではなかっ
たこと を 示 していま す 。これ は、水 と 御 霊 の福 音 を


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悪に負けるのではなく救われなければならない
153

配 置 しました。
他 方 、レハブアム王 は神 がモー セを通 じてお定 めに
なったいけにえ の制 度 に従 い、アロンの血 統 であ るレビ

なりのさ さ げ 物 をしましたが、神 はそれ をお受 けに
ならず 、かえって激 怒 なさ いました。
神 を拝 む目 的 と信 仰 とが二 つの民 の間 で異 なって

神 にいけにえをさ さ げ 、お仕 えしたのです 。レビ族 、

レハブアムは祭 司 を 神 殿 に配 置 し、そ こで彼 ら は

方 、レハブアム王 は神 の定 めたいけにえ の制 度 に従 っ

ために、自 分 で造 った金 の子 牛 を神 としました。他

ブアム王 は自 分 の肉 の栄 光 、つまり名 声 ・富 ・権 力 の

いましたから、そのさ さ げ物 も異 なっていました。ヤロ

と りわ け アロンの家 の男 だけが罪 の赦 しを も たら す

て感 謝 の念 を持 っていけにえ をさ さ げ ました。祖 先

族 の中 から祭 司 を任 じたのです 。

聖 なる儀 式 を行 う ことができました。彼 らはイスラエ

を救 い導 いた神 を信 じていたからです 。

正 しい信 仰 と偽 物 をどう 見 分 ければよいのでしょ

●二 つの福 音 を 比 較 し正 しく信 じよ

ル人 に、いけにえの頭 に両 手 を置 いて罪 を移 し、罪 の
赦 しを受 けるよう 命 じました。贖 いの日 、いけにえの
制 度 に従 って、アロンの一 族 の大 祭 司 が両 手 をいけに
え のや ぎの上 に置 き、イスラエルの一 年 分 の罪 をただ
一 度 で移 しました。彼 はその血 を 取 り、あ かしの箱
の上 で七 回 散 ら し、人 々 の罪 を 贖 いました。これ が
しかし、ヤロブアムは神 の祭 司 となる資 格 のない通

ムの罪 に従 い、誰 がレハブアムの信 仰 を受 け継 いでいる

比 較 す ると、答 えは明 白 です 。つまり、誰 がヤロブア

う 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる者 と 信 じな い者 と を

常 の人 を 叙 任 しました。彼 は自 分 の考 えで任 命 した

かがわ かるのです 。今 、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じてい

神 の定 めたいけにえの制 度 の要 です 。

のです 。当 然 な がら 、そ う した祭 司 は神 の定 めたい

る者 はレハブアムに従 っており、信 じていない人 はヤロ
ブアムの罪 に陥 っています 。

けにえ の制 度 について、正 しい知 識 を持 ってはいませ
んでした。彼 ら は自 分 たち の築 いた宮 で、自 分 たち


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
154

るなら 、水 と 御 霊 の福 音 によってその罪 を 処 理 しな

なりません。また、もしす でにそう した罪 を犯 してい

たち は、ヤロブアムの罪 に陥 ら ないよう 祈 らなければ

です から、イエスのバプテスマと血 とを信 じている私

でも自 分 の思 う よう にしました。

なす 妄 想 から出 た愚 かな行 いでした。ヤロブアムは何

さ さ げ 物 を しました。これ は自 分 を 神 と対 等 と 見

ムは時 おり、自 分 が宮 に入 り、王 と して民 のために

神 を 信 じるキリ スト教 信 仰 には数 多 く の異 端 が

を 変 更 したこと から 始 まっているのです 。礼 拝 は神

ければなり ません。罪 から す べての人 を救 う 唯 一 の

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、あ ら ゆ る悪 に打 ち勝 ち

殿 または幕 屋 で行 う はず であ ったのを、彼 は宮 で行

あ り ます 。よろしいです か、そう した変 質 はヤロブア

ましょう 。罪 の赦 しを受 けていよう といまいと、ヤロブ

いました。あかしの箱 の代 わりには、二 頭 の金 の子 牛

福 音 は、神 のくださ った罪 の赦 しの真 の福 音 であ り、

アムのよう な悪 を行 ってはいけません。水 と御 霊 の福

を 用 いました。神 の定 めた律 法 ではレビ族 だけ が祭

ムが自 分 の王 位 と権 力 を 守 るためにいけにえ の制 度

音 を信 じて罪 の赦 しを受 けた人 は、神 がお教 えにな

司 になれたものを、彼 は普 通 の身 分 の人 を祭 司 にし

それが水 と御 霊 の福 音 なのです 。

ったよう に祈 ら なければなり ません。まだ悪 を行 う

ました。これは神 の前 で最 も邪 悪 なことでした。
そして、残 念 なことに、今 日 のキリスト教 にもそう

可 能 性 があ るからです 。私 たちはみな、真 の福 音 への
信 仰 により、ヤロブアムの陥 った悪 を乗 り越 えなけれ
私 たちの行 いが不 完 全 であ ることは、神 にとっては

の繁 栄 だけ を 求 めます 。彼 ら は祈 り ます 。「どう か

キリスト教 徒 は、飽 くこと なく欲 望 に駆 られ 、自 分

した悪 を行 う 人 々 がいるのです 。そう した悪 を行 う

問 題 ではあ り ません。より大 き な問 題 は、信 仰 の不

孫 を成 功 さ せてくださ い。子 孫 を繁 栄 さ せてくださ

ばなりません。

足 です 。神 の前 で深 刻 な罪 とさ れ るのは、ヤロブアム

い。事 業 を 成 功 さ せてくださ い。」そう した人 の求 め
る成 功 はみな、肉 に関 す ることであ り、そのほとんど

がイスラエル人 にさ せたよう な礼 拝 です 。信 仰 を失 っ
たために行 う 、そう した悪 が問 題 なのです 。ヤロブア


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
155

牛 に仕 えているのです 。

めても、実 際 は真 の神 ではな く、ヤロブアムの金 の子

は金 銭 の問 題 です 。です から 、神 の御 名 を叫 び、求

人 を 嫌 います 。それ でも、他 人 より先 に罪 の赦 しを

す 。そう した人 は信 仰 によって働 き、悪 と悪 に陥 った

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 け た義 人 で

受 けた者 として、水 と 御 霊 の福 音 を分 け合 います 。

口 では「悪 から お救 いくださ い」と言 いながら 、悪

金 の子 牛 は権 力 の象 徴 です 。人 々 は神 の御 名 を

御 霊 の福 音 によって新 たに生 まれたキリスト教 兵 士

を行 う のであれば、それ以 上 の悪 はないでしょう 。悪

それによって人 々 を悪 から 救 い、神 へと 向 かわせるの

として、信 仰 の戦 いをす ることはあ りません。彼 らは

のしわざ に陥 ってはいけ ません。それ はためになら な

利 用 して力 を得 よう とします 。それで、力 を くださ

儀 式 的 に神 の御 名 を唱 え、さ さ げ物 をします が、そ

いのです 。また、口 先 だけで行 いが伴 わ ないのもいけ

です 。もちろん、それは悪 に対 抗 し、神 の善 に従 って

れ でも神 を 信 じるふりをして、自 分 の肉 の利 益 だけ

ません。水 と御 霊 の福 音 への信 仰 により、悪 から救 っ

いと神 に祈 り ます 。肉 の力 を 求 めて祈 り ます 。神 の

を求 めています 。厳 密 に言 って、神 を信 じるふりをし、

てくださ いと神 に祈 ると同 時 に、実 際 に神 の働 きを

行 う のです 。

頼 みとし、祈 り、礼 拝 す るのは、自 分 の目 的 を 達 し

して生 きなければなりません。

定 めたいけにえの制 度 に従 って拝 みはしません。水 と

たいためなのです 。これは神 の前 で最 も邪 悪 なことで

ができると考 え、ヤロブアムのよう な罪 に陥 ったキリ

十 字 架 の血 だけ を 信 じれ ば 新 たに生 まれ ること

です から 、そう した悪 に陥 ら ないよう に祈 ら なけ

スト教 徒 が大 勢 います 。しかし、真 の福 音 とは、水 と

す。
れ ば なり ません。「主 よ、悪 から お守 り くださ い。」

御 霊 の福 音 なのです 。水 と御 霊 の福 音 をほんとう に
理 だという 人 々 を非 難 し、対 抗 しなければなりませ

信 じている私 たち は、十 字 架 の血 が救 済 の唯 一 の真

主 はそのよう に祈 れとおっしゃいました。
悪 から救 われ、今 は神 の前 で礼 拝 し、神 だけを頼
みとし、神 に従 っている人 々 がいます 。そう した人 は


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
156

ん。

した。それ から 水 から出 られました。イエスが水 から

イエス・キリストは人 類 をこの世 の罪 全 部 から救 う

出 られ ると、天 が開 け、父 なる神 が御 子 のことをあ

とに気 づいていな い人 々 がいます 。イエス・キリストの

ために、処 女 マリヤの体 からこの世 にお生 まれになり

「邪 悪 な者 からお救 いくださ い。」私 たちは水 と御

御 名 により、そう した人 を非 難 し、対 立 しなければ

ました。主 は人 類 全 員 を罪 のす べてと悪 魔 から救 う

かしなさ いました。「これは、わたしの愛 す る子 、わた

なり ません。私 たち は二 度 と同 じ悪 を 行 ってはいけ

ために、救 い主 と して、この世 に来 られ ました。イ エ

霊 の福 音 を 信 じて、ヤロブアムの陥 った悪 から救 われ

ないからです 。私 たち はイエス・キリストの内 で、そう

ス・キリストが三 十 歳 になったときにバプテスマを受 け

しはこれ を喜 ぶ。」(マタイ 三 ・一 七 )

した悪 に打 ち勝 ち、逃 れました。他 に道 はあ りませ

たのは、旧 約 の預 言 を実 現 なさ るためでした。主 は、

ています 。ヤロブアムのよう な悪 に陥 りながら、そのこ

ん。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じるだけで、それができる

みなさ んと私 も含 め、人 類 全 員 の罪 をす べて取 り除

を果 たし、人 類 の罪 を完 全 に消 さ れ ました。バプテ

なり ました。バプテスマを受 けて、この世 に来 る目 的

くためにバプテスマのヨハネ から バプテスマをお受 けに

のです 。

●水 と御 霊 の福 音 は罪 を みな消 した真 理

スマを受 けたのは、人 類 の罪 をみな取 り除 くという 、
キリスト教 徒 の多 くは、イエスが十 字 架 で世 の罪 を

この世 に来 る目 的 を果 たす ためでした。

られました。三 十 歳 になったとき、バプテスマのヨハネ

負 ったと いう 誤 り を 信 じていま す 。人 々 は、イエスが

主 は処 女 マリヤを通 じて、人 間 の姿 でこの世 に来
から バプテスマを受 け、人 類 の罪 を 全 部 負 われ まし

十 字 架 につけられ る前 にバプテスマを受 けた理 由 を
知 りません。イエス・キリストはす でにバプテスマによっ

た。主 はバプテスマのヨハネ からバプテスマを受 け、それ
によって人 類 の罪 をみなかぶり、水 に身 を 浸 さ れ ま


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
157

えに執 着 し、ヤロブアムのよう な悪 を行 う 人 々 は、神

イエス・キリストは、バプテスマによって人 類 の罪 をみ

て罪 をす べて取 り除 いていたので、処 刑 さ れ るために

裁 き を 全 部 お受 けになったのです 。罪 にまみれ 、裁

な かぶってから 、磔 刑 に処 さ れ て死 なれ ました。言

から 罪 の裁 きを 受 け ます 。です から 、そう した人 は

きを受 けて当 然 であ った古 い私 たち の身 代 わりとし

葉 を換 えて言 え ば、イエス・キリストは、磔 刑 に処 さ

十 字 架 に行 かれたのです 。バプテスマを受 けていたか

て、イエスはバプテスマによって世 の罪 をみな取 り除 か

れ て人 類 の罪 の裁 きを受 ける前 に、バプテスマによっ

急 いで悪 から離 れなければなりません。

れました。す なわち、尊 い血 によって人 類 の罪 を贖 わ

て人 類 の罪 をみ な負 っておら れ たのです 。これ が十

ら 十 字 架 で血 を 流 し、人 間 の身 代 わ り と して罪 の

れたのです 。イエスはバプテスマによって人 類 の罪 全 部

字 架 で死 なれた理 由 であ ると知 っていなければなり

罪 の赦 しを受 けたなら 、イエスの十 字 架 上 の死 を

をその罪 のない完 全 な体 に負 い、十 字 架 で罪 を 贖 っ

イエスは死 者 の中 からよみがえり、昇 天 なさ いまし

信 仰 生 活 に適 用 しなければなり ません。自 己 嫌 悪

ません。そして、イエスがバプテスマを受 けた理 由 を知

た。今 は神 の右 の座 に着 いておられ ます 。主 は天 か

に陥 ったとき、あ まりに疲 れて自 分 に勝 てないとき、

て死 なれ ました。主 はバプテスマを受 け、人 類 の罪 の

ら 見 守 り、時 を待 っておられます 。主 は裁 き の時 を

肉 の欲 望 に打 ち勝 てないとき、「古 い自 分 は十 字 架

り、信 じていなければなりません。

待 っておられるのです 。その時 には、ご自 分 が成 就 し

で死 んだ」ことを思 わなければなりません。そう した

裁 きを受 けて人 類 を贖 い、死 なれました。

た水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 しを受 けた者 と、

ときに用 いるのです 。

「私 はキリストとともに十 字 架 につけられました。

つけられたと述 べました。

使 徒 パウ ロは、自 分 はキリストとと もに十 字 架 に

十 字 架 の血 だけを信 じた者 とをお分 けになるのです 。
主 は、誰 もが水 と 御 霊 の福 音 によって罪 の赦 しを受
けること、誰 もが神 の御 国 に迎 え入 れられ ることを
願 っておられ ます 。しかしな がら 、自 分 の欲 望 や 考


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
158

ているのは、私 を愛 し私 のためにご自 身 をお捨 てにな

ちに生 きておられ るのです 。いま私 が、この世 に生 き

もはや 私 が生 きているのではな く、キリストが私 のう

人 類 の身 代 わ りと して罪 の裁 き を 受 けて十 字 架 で

まことに堅 いのです 。主 はバプテスマを受 け、それから

マへの信 仰 を持 っているのです から、十 字 架 への信 仰 は

しょう し、主 の死 は無 益 だったでしょう 。しかしなが

血 を流 さ れました。バプテスマによって人 類 の罪 をみ

使 徒 パウ ロはイエスのバプテスマを 信 じ、さ ら に、自

ら 、救 い主 であ る主 は、バプテスマのヨハネ から バプテ

った神 の御 子 を 信 じる信 仰 によっているのです 。」(ガ

分 もキリストとと もに磔 刑 を受 けたのだと も信 じま

スマを受 けて人 類 の罪 をみな取 り除 き、十 字 架 で血

な取 り除 いていなければ、主 が死 ぬ理 由 はなかったで

した。す でにイエスのバプテスマを 信 じていたパウ ロは、

を流 して人 類 の罪 を贖 われたのです 。

ラテヤ 二 ・二 〇 )

イエスが十 字 架 で死 なれたときに、自 分 もと もに磔
これを自 分 のこととして考 えるのです 。「水 と御 霊

ること の決 定 的 なあ かしです 。主 のよみがえ りによ

よみがえ りは、イエスが主 であ り、完 全 な救 い主 であ

イ エスは死 者 の中 から よみがえ り ました。イエスの

によって新 たに生 まれる前 の古 い自 分 、つまり、価 値

り、私 たちは自 分 が新 たな被 造 物 であ り、主 の再 臨

刑 を受 けたのだと信 じることができました。

観 や 自 我 や 習 慣 は、みなキリストとと もに死 んだの

の日 には体 のよみがえ りを受 けること、主 が完 全 な
ヨハネ 第 一 、五 章 六 節 には次 のよう にあ ります 。

だ。私 は水 と御 霊 の福 音 のみことばを 信 じて新 たな
て新 たに生 まれた。罪 はみな、主 のバプテスマによって

「このイエス・キリストは、水 と血 とによって来 られた

救 い主 であ ることを信 じるよう になりました。

移 さ れ、かつての思 想 や 価 値 観 ・関 係 はす でに十 字

方 です 。ただ水 によってだけでなく、水 と血 とによって

人 間 になっているのだ。私 は水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ

架 上 で終 わっている。」これ を自 分 のことと して信 じ

来 られたのです 。そして、あかしをす る方 は御 霊 です 。
御 霊 は真 理 だから です 。」さ ら に、こう 続 き ま す 。

なければなりません。
す べての罪 をイエス・キリストの身 に移 したバプテス


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
159

「あかしす るものが三 つあります 。御 霊 と水 と血 です 。

スが救 い主 であ り、神 の御 子 であ ること、十 字 架 上

-

を悪 から 完 全 に救 う 義 の働 き なのです 。「悪 から お

から救 った子 どもにしました。これが、主 を信 じる者

(イエスの神 性 )が、私 たちを、神 が完 全 にす べての罪

水 (イエスのバプテスマ)、十 字 架 の血 、そして御 霊

していることがはなはだしい悪 であ ることを知 らない

いがために教 会 に行 くのです 。それでも、自 分 たちの

を追 い求 めることなのです 。肉 において豊 かになりた

るなら、信 仰 の動 機 は何 だと思 います か。金 の子 牛

はあ り ません。さ ら に、そう した人 の心 の奥 底 を見

の死 を 信 じていることから 、自 分 の信 仰 は大 丈 夫 だ

救 いくださ い」という 祈 りは水 と御 霊 の福 音 によって

でいます 。そう して、はな はだしい悪 を 行 い続 けてい

この三 つが一 つとなるのです 。」(ヨハネ 第 一 、五 ・七

応 えられました。まだ罪 の赦 しを受 けていない方 は、

ます 。さ らに悪 いことに、まったく反 省 しよう としな

と思 っています 。しかしながら、それ は完 全 な信 仰 で

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じてあ ら ゆ る悪 に打 ち勝 たな

いのです 。

八)

ければなりません。

それに打 ち勝 たなければなりません。罠 から逃 れ る

危 険 はまだあ ります 。しかし、回 心 した信 仰 により、

う ためにバプテスマを受 けられたことも含 まれると告

世 に来 られ、全 人 類 をただ一 度 です べての罪 から 救

しょう 。聖 書 は、十 字 架 の血 だけではな く、主 がこの

しかし聖 書 は、真 の救 済 について何 と言 っているで

のです 。退 けるのです 。イエスの受 けたバプテスマを無

げています 。イエスはバプテスマを受 けて人 類 の罪 をす

罪 の赦 しを 受 け た後 でも 、ヤロブアムの罪 に陥 る

視 す るなら、それ は神 に敵 対 し、神 から 離 れ ること

べてかぶり、犠 牲 として十 字 架 で全 人 類 の罪 の裁 き
を受 け ました。主 は人 類 のために、毛 を刈 る者 の前

なのだと知 っていなければなりません。
実 際 、今 日 のキリスト教 は驚 くほど悪 化 していま

で黙 っている雌 羊 のよう に(イザ ヤ 五 三 ・七 )、静 か
に犠 牲 になられたのです 。イエスはバプテスマにより人

す 。キリスト教 徒 は十 字 架 の血 だけを 信 じて、自 分
の信 仰 は完 全 だと思 っています 。そう した人 は、イエ


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
160

類 の罪 をす べてかぶり ました。十 字 架 で血 を流 し、
静 かに死 んで死 者 の中 から よみがえ り、主 、救 い主
になられました。

●旧 約 は、水 と御 霊 の福 音 を真 理 として
あかししている
旧 約 にもこのこと は明 確 に明 かさ れ ています 。旧
約 の時 代 、罪 人 は幕 屋 で犠 牲 をさ さ げ る前 に、いけ

いけにえにす ることができませんでした。
邪 悪 なヤロブアムは、神 が定 めた罪 の赦 しのための
いけ にえ の制 度 を ま ねていけにえ を さ さ げ ました。
彼 は宮 で礼 拝 しました。人 々 は祭 司 にいけにえをさ
さ げ てもら おう と、動 物 を 連 れ て訪 れました。しか
しながらそれは、目 の見 えないものや 、脚 をひきず っ
ているもの、奇 形 のも の、自 分 の家 では食 べたり飼 っ
たりでき ないほどひどい状 態 の動 物 だったのです 。祭
司 のほう はという と、レビ族 ではな く、普 通 の身 分 の
人 が選 ばれていました。

幕 屋 で按 手 が行 われ てはじめて流 さ れ ました。いけ

糞 を。あなたがたはそれとともに投 げ捨 てられる。こ

たがたの顔 に糞 を まき散 ら す 。あ なたがたの祭 り の

そこで、マラキ書 では神 の怒 りが爆 発 しています 。

にえの血 は祭 壇 の角 につけられ、肉 は焼 かれました。

のとき、あ なたがたは、わたしが、レビと のわたしの契

にえ の子 羊 、またはや ぎ の上 に手 を 置 き、罪 を移 さ

いけにえ は傷 のない動 物 でなけれ ばなり ませんで

約 を保 つために、あ なたがたにこの命 令 を送 ったこと

「見 よ。わたしは、あ なたがたの子 孫 を責 め、あ な

した。さ さ げ られ る前 、動 物 は注 意 深 く調 べられ ま

を知 ろう 。」(マラキ 二 ・三 四 )

なければなりませんでした。旧 約 で、いけにえ の血 は、

した。少 しでも傷 があ ってはなら なかったのです 。傷

「いけにえをさ さ げること はもう や めなさ い。わた

-

の多 い動 物 や 、足 を引 きず るもの、はげ た部 分 のあ

しの名 を汚 してはならない。あ なたがたはまことにひ
どいから、す でに呪 いを受 けている。わたしを恐 れ な

るもの、目 の見 え ないもの、四 肢 が欠 けているもの、
骨 が折 れているもの、腸 捻 転 を起 こしているものは、


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
161

さ ら に、幕 屋 もこの世 に存 在 しません。あ かしの箱
人 々 は神 が定 めた掟 に従 っていけにえをさ さ げ な

い者 は、も はや わ たしの名 を 汚 す のを や め、立 ち 去
をき よめないのなら 、呪 われ 、永 遠 の炎 に投 げ 込 ま

ければなりませんでした。彼 らは神 を認 め、尊 敬 し、

がどこにあ るのか、誰 にもわかりません。

れることになる。」神 は、こう した警 告 を何 度 も発 し

恐 れ、愛 さ なければなりませんでした。では、人 々 が

りなさ い。ヤロブアムの罪 を犯 す 者 たち。回 心 し、心

ておられます 。

自 分 の肉 の栄 光 と名 誉 のために神 を 利 用 し、悪 用
し、軽 視 したなら、どう して神 は民 から 栄 光 を受 け、

しかし、罪 はヤロブアムの悪 だけではあ り ませんで
した。彼 の死 後 、その子 孫 もまた同 じ罪 を犯 しまし

民 を 助 け、民 の神 でいることができたでしょう 。神 は

人 間 は肉 体 の弱 さ から悪 を行 う ことはあ るでしょ

た。彼 の息 子 も父 親 と同 じこと をし、そ の息 子 も、

ないほどになり、ユダ王 国 もイスラエル王 国 も滅 びま

う 。しかし、信 仰 によってそれを乗 り越 えなければな

民 を散 り散 りになさ り、長 い間 、国 を持 たない民 族

した。神 に滅 ぼ さ れたのです 。神 はロー マ帝 国 のテト

りません。キリスト教 兵 士 は、どんな悪 に臨 んでも、

そ のまた息 子 も そ う したのです 。さ ら に、そう した

ス将 軍 を 用 いて彼 ら を一 掃 なさ いました。将 軍 の軍

水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって乗 り 越 えなければ

と なさ いました。これが、悪 に陥 った者 への神 の裁 き

勢 はイスラエルの民 を捕 らえ、遠 い国 々 に売 って散 り

なりません。ヤロブアムの罪 に陥 った人 は、「私 は罪 の

悪 行 はレハブアム王 の治 める南 王 国 の民 にまで広 ま

散 りにしました。こう したこと は、神 が彼 ら に憤 激

赦 しを受 けています 。それに、キリストの内 で死 んだ

と呪 いでした。

なさ ったからです 。神 殿 もまた、一 つの石 も他 の石 の

のです から 、私 は何 も罪 を 犯 していません。私 は御

りました。や がて真 の礼 拝 と偽 の礼 拝 の区 別 もでき

上 に重 なっていることがないという ほどに、完 全 に破

霊 に満 ちているのです から 、肉 の罪 深 い果 実 など一
つも結 びません。」と言 う でしょう 。しかしながら、そ

壊 さ れました。(ルカ 二 一 ・六 )
そう して、神 殿 はもはや 存 在 しな くなり ました。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
162

罪 の赦 しを受 けた義 人 であ っても、罪 を犯 す こと

一 瞬 でも忘 れたなら 、この世 の罪 に心 が汚 れ ます 。

みなさ ん、私 たちは水 と御 霊 の福 音 により罪 の赦

は避 けられ ません。義 人 であ っても 行 いによる罪 を

う した信 仰 は水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 にはほど遠 い

しを受 けています が、肉 の弱 さ から 罪 を犯 します 。

犯 す のは事 実 です 。どんな罪 も犯 さ ない義 人 は一 人

だからといって、また罪 人 になること はあ りませんが、

それ でも、そ う した時 、水 と 御 霊 の福 音 について考

もいないことは、神 もおっしゃっています 。(伝 道 者 の

のです 。真 の信 仰 によって生 きている義 人 は、そう し

え、信 仰 により悪 に打 ち勝 ち、そう した罪 を も移 し、

書 七 ・二 〇 )いまだに罪 を犯 しているのに罪 がないの

それでも心 に問 題 は残 ります 。

完 全 にき よくなること ができるのです 。心 に御 霊 が

は、水 と御 霊 の福 音 の力 のおかげです 。それはまた、

た人 とは交 われません。

おられるからです 。

真 理 の隠 さ れた奥 義 であ る神 の恵 みでもあ ります 。
みなさ ん、私 たち はいつでも行 いによる罪 を犯 してい
ます が、それでも罪 はないのでしょう か、あ るのでしょ
う か。私 たちには罪 があ りません。す なわ ち、これが

ざ のための義 の器 になりました。弱 さ から 毎 日 罪 を

りました。キリスト教 兵 士 として、私 たちは神 のみわ

私 たち の心 は水 と 御 霊 の福 音 を 信 じてき よく な

う 。そう いう ことを言 う のは、誤 った考 えから生 じた、

何 も 罪 を 犯 しませ ん。」と 言 う 人 はおられ るでしょ

れ て死 に、共 によみ がえ り を 受 け たのだから 、も う

それでも、「私 はキリストとと もに十 字 架 につけら

●水 と御 霊 の福 音 の信 者 さ え
死 ぬまで罪 を犯 し続 ける

犯 さ ず にいられ な くと も、水 と 御 霊 の福 音 について

神 に逆 らう 行 為 です 。

神 のくださ った救 済 の秘 密 なのです 。

考 え るなら 、毎 日 新 たにな ることができ ます 。です
から、水 と御 霊 の福 音 を一 瞬 も忘 れてはなりません。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
163

全 焼 のいけにえ の祭 壇 での汚 れ を洗 い流 せるよう に
なさ ったのです 。

置 かれ ていました。神 はなぜあ の場 所 に洗 盤 を 置 か

幕 屋 の庭 の祭 壇 と 聖 所 の間 には、青 銅 の洗 盤 が

盤 を 置 いたのでしょう か。いいえ、そ う ではあ り ま せ

な かったのでしょう 。幕 屋 の庭 で魚 を 飼 う ために洗

れ ていました。なぜ 幕 屋 の庭 に洗 盤 がなければなら

●祭 司 の罪 のために備 え られた
洗 盤 の真 理

れたのでしょう か。あ そこに置 くものが他 になかった

ん。幕 屋 の庭 に洗 盤 が置 かれ 、水 で満 たさ れ ていた

洗 盤 は青 銅 製 の大 き な容 器 で、常 に水 が満 たさ

からという わけではあ りません。

のは、祭 司 が排 泄 物 その他 の汚 いものに触 れ て汚 れ

この世 で水 と 御 霊 の福 音 に仕 えていると、あ りと

祭 司 が全 焼 のいけにえをさ さ げ る場 合 、まず いけ

さ げ 物 を 祭 壇 に置 いて火 をつけ、全 焼 のいけにえに

あ ら ゆ ることに出 会 います 。時 には、福 音 の仕 事 で

た場 合 のためだったのです 。彼 らがきよい状 態 で神 の

す るのです 。祭 司 たち がいけにえを 細 かく 切 ると 、

頭 がいっぱいになって不 機 嫌 になります 。誰 かのす る

にえを細 かく切 りました。内 臓 を取 り除 き、内 臓 に

汚 れ てしまいます 。神 のおられ る場 所 にそう した汚

ことにあ きれ 果 てま す 。と う てい理 解 でき な いよう

御 前 に行 け るよう にす るため、そこに備 え られ てい

れ のついたままで入 るなら、ただちに殺 さ れます 。た

なことをす る人 もいるからです 。福 音 への奉 仕 にまる

ついた脂 肪 をみな除 き ます 。そして、脂 肪 と肉 を一

とえそれが祭 司 で、神 の前 で多 くのいけにえをさ さ

で役 に立 たな い人 、かえ って妨 げ にな るよう な 人 に

たのです 。

げ ていたと しても、神 は汚 れ た者 を ためら いな く 殺

腹 を立 て、危 う く罵 りの言 葉 が出 そう になります 。

緒 に焼 くのです 。神 のご 命 令 ど お り、いけにえ のさ

さ れます 。汚 れたままでず かず かと神 の御 前 に行 く

たと え ば 、印 刷 所 でこう いう こと があ り ました。
以 前 、市 内 の印 刷 屋 さ んと 宣 教 会 の本 の印 刷 のこ

者 を神 は即 座 に殺 さ れます 。そこで、聖 所 の前 に洗
盤 が置 かれ、祭 司 が幕 屋 の中 、神 の御 前 に行 く前 に、


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
164

でき ていな かったのです 。同 じこと が三 回 続 き ま し

て、受 け取 りに行 きました。驚 いたことに、本 はまだ

相 手 はできていると答 え ました。私 はそれ を 信 用 し

来 たので、本 の用 意 ができているかどう か尋 ねました。

とで契 約 したことがあ り ました。約 束 の出 版 の日 が

と 思 います 。私 は、自 分 はす でに死 んだのだと いう

会 いしたのなら、こんなことをしてはいけないんだ。」

ません。「私 はキリストの中 で死 んだ。死 んで神 にお

ばなりません。ひどく腹 を立 てると感 情 を抑 制 でき

制 御 でき ないときには、この言 葉 を思 い出 さ なけれ

に十 字 架 につけられ た」と言 いました。肉 の衝 動 を

信 仰 により、怒 りを抑 えます 。

た。
私 は腹 が立 ち ました。もう がまんでき ませんでし

話 して知 ら せればいいじゃないです か。な んでこんな

つき続 け るんです か。まだ終 わ っていないのなら 、電

何 度 無 駄 足 を踏 ませるんです 。こう いう ふう に嘘 を

です 。もう 少 しかかるからと言 えばよかったでしょう 。

ら 何 も罪 を犯 さ ないよう に見 え ます 。しかし、わず

はいられません。御 霊 に満 たさ れた人 は、そのままな

しかし、誰 かが神 の働 きを妨 げ ると、罪 を犯 さ ず に

なり ません。しかし、それ は悪 の働 きではないのです 。

んか。もち ろん、犯 します 。仕 事 は達 成 しなけれ ば

みなさ んは行 いによる罪 を犯 します か、犯 しませ

に行 ったり来 たりさ せるんです 。それに、期 日 に間 に

かでも肉 の側 に傾 けば、肉 の欲 に捉 えられます 。イエ

た。「まだ印 刷 できていないなら、なぜ来 いと言 ったの

合 わ なかった言 い訳 をしないでくださ い。こんなこと

ち もまた御 霊 と人 間 の本 性 の二 つを併 せ持 っていま

スが神 であ るとと もに人 間 であ られたよう に、私 た

す ると、相 手 は、なぜそんなに腹 を立 てるのか、と

す 。実 際 、人 間 の本 質 のほう が強 く働 くのです 。イエ

を続 けるなら、もう 仕 事 を頼 めませんよ。」
もかく仕 事 はできるのに、と言 う のです 。それを聞 い

スは人 間 の肉 の体 をお 借 りにな っただけで、本 質 的
霊 によって新 たに生 まれ、心 から罪 がなくなっただけ

には神 のままでした。それに対 して、私 たちは水 と御

て、ます ます 腹 が立 ちました。
みなさ ん、私 は主 を 信 じ、キリストとと もに十 字
架 で死 にました。使 徒 パウ ロは「私 はキリストとと も


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
165

けたため、心 から罪 がなくなっていることを御 霊 があ

私 たちが水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受

さ ったこと だけでは足 りず 、ます ます 聖 くな ろう と

使 いがまことに多 いのです 。主 が罪 をみな消 してくだ

り ません。しかし、神 から のではない、偽 物 の光 の御

こと をあ り のままに信 じるなら 、そ の人 には罪 があ

かしなさ います 。「わたしは水 と血 によってあ な たの

す る人 々 がいます 。そう した人 を御 使 いと呼 びます 。

であ り、もともと罪 人 として生 まれているのです 。

罪 を み な 消 し去 り ま した。あ な たは神 の子 ど も で

聖 書 はそ う した人 を 「光 の御 使 い」(コリント第 二 、
一 一 ・一 四 )と呼 んでいます 。そう した人 はただの御

す 。」
心 の中 の御 霊 は、私 たちが聖 書 を読 むとき、善 と

中 になって時 間 を 忘 れ 、礼 拝 に出 ないことがあ り ま

も、私 たちには肉 体 があ り ます 。時 には、遊 びに夢

を持 って感 謝 しなければなりません。しかし、人 間 の

みな贖 い、心 に御 霊 を遣 わさ れたことに対 し、信 仰

主 が水 と 御 霊 の福 音 によって罪 をみな消 し、罪 を

使 いではなく、悪 魔 に憑 かれた御 使 いです 。

す 。時 には、一 晩 中 遊 んで朝 寝 坊 し、早 朝 礼 拝 に出

肉 自 体 は死 ぬまで聖 くなることがあ りません。

悪 とを見 分 けることを教 えてくださ います 。それ で

ないことがあ ります 。人 間 はそのよう に肉 体 と 時 間

て見 ることができるでしょう か。おそらくは獣 のよう

けっして罪 を犯 さ ないなら、他 の人 々 を人 間 とし

主 がこの世 に来 られてバプテスマのヨハネ から バプテス

に見 るでしょう 。かつて、高 貴 な主 人 が歩 くとき、し

の制 約 を受 けます 。人 間 にそう した弱 点 があ るため、
マを受 け、罪 からお救 いくださ ったのです 。

と、農 民 たちは通 り過 ぎる貴 族 に頭 を下 げるのです 。

もべは「下 がれ、下 がれ。」と叫 んで歩 きました。す る

と も、私 たちには罪 があ り ません。神 の救 済 の律 法

肉 が完 全 なら、貴 族 のよう に振 る舞 い、貴 族 のよう

狂 信 者 たちのよう に、叫 ぶよう な大 声 で祈 らなく
に従 って信 じるなら、何 をしよう と、その人 には何 も

な扱 いを受 けたでしょう 。「離 れなさ い。近 寄 るんじ
ゃない。」と罪 人 に向 かって怒 鳴 りつけ、まるで虫 け

罪 があ り ません。イエスがこの世 に来 られ 、御 父 のみ
こころに従 ってただ一 度 で人 類 の罪 をみな消 さ れた


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
166

らのよう に見 下 す ことでしょう 。
しかしながら 、私 たち はまだ肉 体 を持 っていま す

役 に立 つでしょう 。自 分 で正 しい道 を行 けるのです か
ら。いったい教 会 や 神 の御 国 が何 の役 に立 つでしょう 。

間 の肉 の姿 でこの世 に来 られました。主 はバプテスマ

られ ました。人 間 とと もに過 ご す ためです 。主 は人

ことができるのです 。主 は人 間 の肉 の姿 でこの世 に来

それ は頭 の上 にそそがれた尊 い油 のよう だ。

なんという しあわせ、なんという 楽 しさ であ ろう 。

「見 よ。兄 弟 たちが一 つになって共 に住 むことは、

聖 書 には、こう あ ります 。

仲 間 の聖 徒 や 先 輩 が、どう して必 要 でしょう 。

のヨハネ からバプテスマを受 けて人 類 の罪 を 全 部 負 わ
それ はひげ に、

から 、世 の罪 人 たちを 理 解 し、会 って福 音 を 伝 え る

れ ました。十 字 架 で死 に、人 類 をす べての罪 から お

アロンのひげ に流 れ て
そ の衣 のえ りにまで流 れしたたる。」(詩 篇 一 三

救 いくださ いました。
みなさ ん、私 たちは過 激 な行 動 に走 ってはなり ま

-

三 ・一 二 )
主 を信 じ、主 とともにあ ることは、まことに楽 しい

せん。神 が定 めた領 域 の中 で信 じなければなりませ
ん。それ 以 上 でもそれ 以 下 でも、救 済 には致 命 的 で

ことです 。罪 の赦 しを受 けた義 人 はみな一 緒 にいま
ま す 。罪 の赦 しを 受 け た聖 徒 が信 仰 の律 法 の内 で

す 。そう した道 に行 くこと は、ヤロブアムの罪 を犯 す
私 たち は悪 を行 う 危 険 があ るから 、「悪 からお救

心 を一 つにしていることを、神 はまことに喜 ばれます 。

す から 、主 の恵 みと、尊 い油 、御 霊 を 受 けていら れ

いくださ い。」と 祈 ら な けれ ば なら な いのです 。弱 い

人 間 が水 と御 霊 の福 音 の内 で罪 の赦 しを受 け、その

ことです 。ヤロブアムのよう な人 になりたいです か。

肉 体 があ るのです から、自 分 で正 しい道 を行 くこと

信 仰 を広 めることを神 は喜 ばれます 。
るという こと はあ り得 ません。自 分 はもはや 罪 を犯

罪 の赦 しを受 け たから といって、罪 を犯 さ な くな

ができ ません。です から 神 が定 めた秩 序 があ り、霊
的 指 導 者 や 先 輩 がいるのです 。信 頼 できる指 導 者
を必 要 としないほどに聖 徒 が完 全 なら、教 会 が何 の


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
167

ら す ると、偽 りなのです 。よろしいです か、神 の前 で

して、もう 何 の罪 も犯 さ ないと言 う のは、神 の目 か

ず 、何 の罪 も持 たないという のでしょう 。立 派 そう に

あ り ませんか。いったいこの世 の誰 が、悪 い心 を 持 た

れ るでしょう が、これ は神 の前 ではなはだしい嘘 では

していません。」と言 う のは立 派 なこと のよう に思 わ

刻 な悪 行 です 。「新 たに生 まれて以 来 、もう 罪 は犯

さ ないと言 う のは、神 から 呪 われ ても仕 方 のない深

考 え、実 践 して生 きていかなければなりません。

人 類 のために死 なれたイエスの水 と血 の福 音 について

さ げ るよう にしなければなりません。また、いつでも、

ばなり ません。人 類 の罪 をみな負 った神 に栄 光 をさ

神 の前 では正 直 に、あ りのままの自 分 を認 めなけれ

つでもヤロブアムの悪 を行 う 可 能 性 があ るからです 。

ださ い。」と 祈 るよう 、教 えているのです 。それ は、い

なり ません。です から、主 の祈 りは「悪 からお救 いく

み こと ば の真 実 と自 分 の本 性 と を 認 めなけ れ ば

わ なければなり ません。受 動 的 にではな く、積 極 的

みなさ んと私 は水 と 御 霊 の福 音 を 信 じ、分 け合

そのよう なことをす るのは罪 深 いこと なのです 。あ ま
りに立 派 で聖 いふりをす るのは、神 に直 接 挑 むこと
です 。

になったのです 。けっしてそのよう な 罪 に陥 ら ないよ

誇 りから神 に敵 対 し、永 遠 の呪 いを受 けるべき悪 魔

に挑 んだから です 。神 のしもべであ る御 使 いが、その

その御 使 いが神 よりも優 れた者 になろう として、神

があ ります 。神 の働 きをし、日 ごと の糧 を得 て信 仰

私 たち が水 と 御 霊 の福 音 について毎 日 考 え る必 要

ことを教 えなければなりません。そのためにはまず 、

人 々 に、そう したことは神 に対 して深 刻 な罪 であ る

字 架 の血 だ け で罪 の赦 しに は十 分 だ と 思 っている

にそう す るのです 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じず に、十

う 、信 仰 を守 らなければなりません。そして、もした

を 深 めれ ば、多 くの罪 のために苦 しんでいる人 々 を

なぜ悪 魔 になった御 使 いがいるか、おわかりです か。

またま一 瞬 でもそう した罪 を犯 す よう なことがあれ

憐 れ み、福 音 を 伝 えて罪 の赦 しへと 導 くこと ができ
ます 。いくら 水 と 御 霊 の福 音 を 伝 え よう としても、

ば、信 仰 により、ただちにそ の罪 を離 れ なけれ ばな
りません。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
168

悪 に染 まるかもしれません。

人 と付 き 合 っていると、私 たちがヤロブアムの礼 拝 の

でき るだけ 離 れ ていな け れ ばな り ま せん。そう した

ヤロブアムに従 う 道 を行 こう とす る人 は放 っておき、

にました。人 間 がもう 罪 を犯 さ ないのなら 、洗 盤 が

な 人 であ っても、み な数 知 れ ぬ罪 を 犯 し、や がて死

たい誰 が肉 において完 全 でしょう 。歴 史 上 最 も偉 大

いったい誰 が罪 を犯 さ ず にいられ るでしょう 。いっ

さ わしい罰 を受 け ます 。かまき りの斧 という 諺 があ

それ なら イエスは「わ たしはあ なたたち のために死 に

世 に来 てバプテスマを受 ける必 要 があ ったのでしょう 。

何 の役 に立 つでしょう 。また、イエスは何 のためにこの

り ます が、神 について幼 稚 な知 識 しか持 たず に神 を

ます 。だからわたしを 信 じなさ い。二 度 と罪 を犯 し

そう した罪 の深 刻 さ を知 ら ない人 は、その罪 にふ

あ ざ け る人 々 がいます 。そ う した人 は、神 がほんと

てはなりません。」とおっしゃって、バプテスマを省 略 し、
直 接 十 字 架 に行 かれたはず です 。しかし、イエスは十

う はどれほど恐 ろしいかを知 りません。
これは主 の祈 りの最 後 の句 です 。

字 架 で死 ぬ前 にバプテスマを受 けられました。
人 類 の罪 をみな除 くためにバプテスマを受 けたのでは

なぜイエスはバプテスマをお受 けになったのでしょう 。

「私 たちを試 みに会 わせないで、悪 からお救 いくだ
さ い。」
人 間 はみな悪 を行 う 可 能 性 があ るために、このよ

なに聖 いふりをしても、人 間 の本 性 はけっして変 わり

人 間 はどれ ほど 聖 くな れ るも のでしょう か。ど ん

だ一 度 で世 の罪 をみなかぶり、贖 われ ました。主 は

テスマを受 けられたのです 。主 はバプテスマによってた

全 部 、人 間 が生 涯 に犯 す 罪 全 部 をかぶるためにバプ

あ り ませ んか。全 人 類 がそ の歴 史 を 通 じて犯 す 罪

ません。自 分 は聖 いと言 っている人 を見 るのはこっけ

ただ一 度 で罪 をみなかぶり ましたが、それ は主 にそ

う に祈 るよう にと主 の祈 りは教 えているのです 。

いです 。正 しい信 仰 を持 たないで、「自 分 はキリストの

の力 がおあ りだったから です 。しかし、人 間 は弱 く、
毎 日 のよう に罪 を犯 しています 。です から 、毎 日 罪

内 で死 んだのだから 聖 く、もはや 罪 は犯 さ ない。」な
どという くだらないことを言 う のです 。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
169

一 度 で人 類 を 救 ったこと を 伝 え る水 と 御 霊 の福 音

恵 を毎 日 こう むらなければなりません。イエスがただ

などと、どう して言 えるでしょう 。それは筋 が通 りま

れるのに、自 分 はもはや 罪 を犯 さ ない完 全 な人 間 だ

そう した人 に従 う おつもりです か。神 が見 ておら

私 に従 いなさ い。」

は、毎 日 罪 を犯 す 人 間 に日 々 効 果 を 及 ぼします 。

せん。私 たちが救 済 を受 けたのは、人 間 が欠 点 だら

を犯 す 人 間 は、主 が人 類 の罪 をす べて負 ったその恩

も ち ろん、わ ざ と 罪 を 犯 せと 申 しているのではあ り

けであ まりに弱 いからではあ りませんか。では、どう

という ことを忘 れてはなりません。

ださ ったから です 。自 分 の力 で聖 くなったのではない

聖 くなれ たのは、聖 なる神 が霊 にお いて聖 くしてく

して自 分 は聖 く完 全 だと言 え るでしょう 。私 たちが

ません。

●悪 を行 う 者 を キリストの兵 士 として
救 わなければならない

これは福 音 派 教 会 だけの問 題 ではあ りません。至
その人 が別 の信 じ方 をし続 けるなら、その人 から 離

っているのです 。また、イエスのバプテスマについては一

な消 したのであ り、自 分 はもはや 罪 を犯 さ ないと言

る所 で大 勢 の人 が十 字 架 の血 を信 じ、それが罪 をみ

れ ていなければなり ません。どう して別 の信 仰 を持

言 も触 れず 、バプテスマのヨハネ は失 敗 したのだと言 っ

悪 を行 う 人 には二 度 注 意 しなければなり ません。

つ人 と共 存 できるでしょう 。そう した人 とは離 れてい

な宗 教 の中 に見 出 せると言 う 人 々 もいます 。また、

ている人 も大 勢 います 。また、救 済 への道 はさ まざ ま

自 分 はキリストの内 で死 んだのだから 、もはや 罪

キリスト教 派 のあ れ これ の多 様 な教 義 はみな正 しい

るしかあ りません。
は犯 さ ないと言 う 人 にだま さ れ てはいけ ませ ん。そ

と言 う 人 々 もいます 。これ は、ヤロブアムや レハブアム
の礼 拝 がいず れ も 正 しいと 言 う のと同 じことです 。

う した人 は、みなさ んを自 分 の欲 望 を満 たす ための
道 具 にしよう と しているのです 。「私 は聖 いのです 。


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
170

がヤロブアムの罪 を 犯 したと 繰 り 返 しお っしゃってい

ほんとう に二 人 とも正 しかったのなら、なぜ神 は、人

ヤロブアムの礼 拝 が正 しいと、誰 が言 え るでしょう 。

す ヤロブアムの罪 に打 ち勝 たなければなりません。

よって退 け るのです 。神 の怒 り を 招 き、神 と 引 き 離

打 ち勝 たなければなりません。邪 悪 なものを信 仰 に

陥 ら ないためには、水 と 御 霊 の福 音 への信 仰 によって

「ひと たび罪 の赦 しを 受 け たなら 、そ の人 は二 度

るのでしょう 。
ヤロブアムの死 後 、その息 子 が王 になりました。彼
は悪 を行 ってヤロブアムの罪 を犯 しただけではな く、

なら 、それ を 心 から 消 さ な けれ ばなり ません。つま

も し誰 かが人 間 の言 う べきではないこと を 言 った

と罪 を犯 しません。」

民 にも同 じよう な礼 拝 を行 わ せました。そこで、国

り、「ええ、確 かにあ な たは頭 がいいです ね。ご 自 分

は神 に対 し、父 ヤロブアムと同 じ罪 を犯 しました。王

民 がみなヤロブアムの罪 を犯 し、イスラエルの民 はみな

一 人 で聖 く完 全 でいら っしゃい。」と思 い、無 視 す る
のです 。

殺 さ れたのです 。
そう してイスラエルの国 は滅 ぼ さ れました。彼 ら は

あ り、パレスチナ人 と常 に戦 争 状 態 にあります 。そん

土 を 回 復 していま す が、近 隣 の国 々 と 敵 対 関 係 に

そして、何 千 年 も 国 のない民 と なり ました。今 は国

ではな く、神 の民 を大 勢 誘 惑 します 。キリストの兵

です 。そう した人 は自 分 一 人 が間 違 った道 を行 くの

りも自 分 の利 益 を 求 めてあれ これ 言 い、行 動 す るの

けれ ばなり ません。人 々 は福 音 のためにな ること よ

キリストの兵 士 は福 音 のためになることを 求 めな

な中 で、最 も保 守 的 なユダヤ人 は幕 屋 をその細 部 に

士 は毎 日 教 会 で自 分 の信 仰 を確 かめなければなり

霊 的 に滅 びたのではなく、肉 体 的 にも死 んだのです 。

至 るまで復 元 す ること を主 張 しています 。彼 ら はい

ません。
ろう か。」

「私 はこのよう に考 えている。これ は正 しい信 仰 だ

まだにイエス・キリストを主 、救 い主 とは認 めていませ
ん。
そ う した悪 に陥 ってはな り ません。そ う した悪 に


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
171

カトリ ックには、聖 トマス・フランシスと いう 人 がい

でしょう 。

それ を 捨 てなければなり ません。そう して正 しく知

ます 。その人 は貧 しい人 に持 てるものをす べて与 えま

調 べてみて、間 違 いを 信 じているとわ かったなら 、
り、信 じな けれ ばなり ませ ん。そう す れ ば、他 人 に

した。人 々 は彼 が聖 人 だと言 います 。しかし、神 は、

した。下 着 に至 るまで与 え、全 裸 で修 道 院 に入 りま

聖 書 を 顧 み ず 、自 分 で正 しい信 仰 だと 考 え たこ

そ う した人 が悪 魔 の子 ど もだと お っしゃいま す 。ど

正 しい信 仰 を伝 えられるのです 。
とを 信 じているなら 、それ は死 への道 をまっす ぐに進

う 。主 ではなく自 分 を高 くす るよう な行 いを敬 虔 だ

う してそのよう な人 を 聖 人 だと たたえ られ るでしょ

「私 はこれ 以 上 罪 を 犯 す まい。」私 たち 新 たに生

と言 えるでしょう か。自 分 を高 くす る罪 はヤロブアム

んでいるのです 。
まれた者 は、こう いう こと は言 え ません。「たとえ 命

神 を 信 じていても崇 めない人 は、悪 に陥 っているの

の罪 であ り、神 はそう した罪 に対 してふさ わ しい罰

を悪 く言 い、裏 切 り ました。罪 の赦 しを受 け た後 、

です 。善 行 をしよう と悪 行 をしよう と、その人 が主

を 捨 てることになっても主 を離 れ ません。」使 徒 ペテ

もう 罪 を犯 してはならないという のなら 、ペテロの信

の義 を 求 め、水 と 御 霊 の福 音 について考 え、自 分 を

をお与 えになります 。

仰 は間 違 っていたという ことになり ます 。それだけで

救 ったイエスをたたえるなら、神 はその人 をお認 めに

ロはそう いう 決 心 を しましたが、ほど な くしてイエス

はなく、イエスの弟 子 全 員 が弱 さ から罪 を犯 している

人 間 は生 きていると罪 を犯 し、悪 を行 う ことがあ

なります 。

ことになるのです 。しかし、彼 ら はキリストの兵 士 と

り ます 。そう した場 合 はどう す ればいいかと申 しま

のです から、彼 らは間 違 った信 仰 を持 っていたという
して世 界 中 に福 音 を広 め、忠 実 なしもべとして神 の

す と、ただちに悪 行 を告 白 し、犯 した罪 を認 め、水
と 御 霊 の福 音 のみことばについて考 え るのです 。「主

みこころに従 って生 き、中 には殉 教 して命 を失 った者
も いるのです 。ま ことに、誰 の信 仰 が間 違 っているの


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
172

せん。改 めて感 謝 し、栄 光 をさ さ げ ます 。」

くださ ったのです から、私 にはほんとう に罪 があ りま

がす でにバプテスマと血 によってこう した罪 もかぶって

お祝 いをさ せてくださ る神 に感 謝 いたします 。

祝 いです 。爆 竹 でも鳴 らしたいです ね。毎 日 こう した

お祝 いです 。二 〇 〇 二 年 夏 期 信 徒 研 修 キャンプのお

私 たち は毎 日 信 仰 を確 かめ、告 白 し、主 の前 でキ
リストの兵 士 として勇 敢 でなけれ ばなり ません。主
は聖 化 なさ ろう と、信 仰 をくださ いました。
主 は、正 しく生 きられ るよう にと、主 の祈 りを く
ださ いました。そう した生 き 方 を喜 ばれ る主 が、主
の祈 り を お教 えにな ったのです 。主 が主 の祈 り を お
教 え にな ったのは、私 たち が水 と 御 霊 の福 音 への信
仰 によって生 きるよう になさ るためです 。
もちろん、それ は、主 の祈 りを 構 成 す る祈 りの主
題 を 列 挙 す るという ことではあ り ません。主 は、主
の祈 りによって、ど のよう に生 きるべきかを明 確 に示
さ れたのです から、聖 徒 は主 のおっしゃったことを 信
じ、それに沿 って生 きるのが真 の信 仰 なのです 。みな
さ ん、信 じておられます か。
神 に感 謝 いたします 。今 夜 は、福 音 教 室 で罪 の赦


目 次

悪に負けるのではなく救われなければならない
173

しを受 けたばかりの新 生 者 があ かしを なさ います 。
また、子 ど もたちが演 技 を見 せてくれ ます 。今 夜 は

千 年 王 国 が義 人 を待 つ

ります 。みなさ んは水 と御 霊 の福 音 を 信 じて罪 のな

<

>

い者 となったと 信 じておられ るでしょう が、霊 的 には

マタイ 六 ・一 〇
御 国 が来 ます よう に。

幼 子 のよう なものです 。まだ見 ていないこと、まだ理

べがいなければなり ません。どう か、このことを覚 え

妹 です 。教 会 には新 たに生 まれた聖 徒 と、神 のしも

新 たな霊 的 世 界 を教 え るのは、先 輩 の霊 的 兄 弟 姉

解 でき ないこと がたくさ んお あ り です 。みな さ んに

みこころが天 で行 なわれ るよう に
地 でも行 なわれ ます よう に。

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて心 の罪 の問 題 を解 決 な

り ません。みなさ んの肉 体 は、この世 で何 十 年 も生

もしれませんが、霊 的 年 齢 は新 生 児 とそれほど変 わ

受 けたばかりの方 はみな、外 見 は肉 体 年 齢 のままか

け た者 には大 き な恵 みが待 っています 。罪 の赦 しを

の多 くは罪 の赦 しを受 けたことを喜 び、ここであかし

方 は、それぞれの教 会 でなさ ってくださ い。みなさ ん

ょう 。ここで受 けた驚 くべき恵 みをあ かしなさ りたい

たのに、今 夜 はその機 会 がなかった方 がおられるでし

み なさ んの中 には、救 済 のあ かしを なさ り たかっ

ていてくださ い。

きてきて老 化 なさ ったかも知 れません。しかし、よろ

なさ りたいはず です 。しかし、時 間 の制 約 があ るため、

さ った方 々 に、お 祝 い申 し上 げ ます 。罪 の赦 しを受

しいです か、霊 的 年 齢 は数 日 でさ えあ り ません。霊

全 員 のお話 を聞 くわけにはまいりません。です から、
それぞれ の教 会 であ かしなさ ってくださ い。みなさ ん

的 に新 生 なさ ったばかりだからです 。
生 まれ たばかりでは、知 ら ないこと がたくさ んあ


目 次

千年王国が義人を待つ
174

が救 済 のあ かしをなさ れば、信 仰 は深 まり、神 の御
前 で感 謝 す るよう になります 。

主 は「御 国 が来 ます ように。みこころが天 で行 なわ
れるように地 でも行 なわれます よう に。」と祈 るよう
教 え られ ました。神 の御 国 には神 の政 府 があ り、神

主 は五 十 年 ごとにヨベルの年 を 祝 う ことを 定 めら

新 たに生 まれた方 々 のあかしを聞 いていると、だい

今 夜 は信 徒 研 修 キャンプの最 終 日 です 。礼 拝 の後

れました。その年 に、イスラエル人 は全 土 です べての人

の兵 士 たちがいます 。神 の御 国 がこの世 で実 現 さ れ

は各 自 の部 屋 に戻 り、夜 食 を 食 べて寝 ます 。明 日 の

の解 放 を告 げ ました。各 自 、土 地 を元 の持 ち主 に返

ぶ時 間 がたち ました。です から 、説 教 はでき るだけ

朝 には聖 餐 式 を行 い、それから 帰 宅 します 。それぞ

さ なければなりませんでした。ヨベルの年 には畑 を耕

るという ことは、神 の御 国 が千 年 王 国 として実 現 す

れ教 会 に戻 り、キリストの兵 士 として主 にお仕 えし

さ ず 、ブドウの実 を収 穫 す ることもしませんでした。

短 く済 ませたいと思 います 。もち ろん、保 証 はでき

ていきます 。そこで今 夜 は、神 の御 国 がこの世 で実 現

神 であ られ る主 はまた、七 日 ご と、つまり、安 息 日

るという ことです 。

す ると はどう いう ことかをお話 ししよう と思 います 。

を完 全 な休 日 とす るべきことをお命 じになりました。

ませんが。

この信 徒 研 修 キャンプで、主 の祈 りのみことばについ

これらはや がて来 る千 年 王 国 を予 示 す るものです 。

るという ことです 。神 はこの世 に千 年 王 国 を 築 かれ

今 夜 お話 しす るのは、千 年 王 国 がこの世 に築 かれ

●義 人 に千 年 王 国 が近 づく

てお話 ししてきました。今 日 の聖 句 についての話 で、
主 の祈 りに関 す る説 教 の結 びとす るつもりです 。
マタイの福 音 書 第 六 章 一 〇 節 には「御 国 が来 ます
ように。みこころが天 で行 なわれるよう に地 でも行 な
われます よう に。」とあ ります 。今 日 の聖 句 は、天 で
神 の御 国 が実 現 す るよう に、地 上 でも実 現 さ れ ま
す よう にという ものです 。


目 次

千年王国が義人を待つ
175

疑 問 を持 っています 。人 々 は、「神 はどこかに別 の惑

ょう 。キリ スト教 徒 でさ え、この点 については多 く の

す 。では、どう してこの世 界 に神 の御 国 が下 るのでし

みな自 然 が破 壊 さ れ、荒 涼 とした場 所 になっていま

でしょう か。この世 界 は、空 気 も地 中 も地 上 も空 も、

主 はほんとう に、この世 に神 の御 国 を 築 かれ るの

説 に一 致 しないため、人 々 は聖 書 の語 る歴 史 の正 確

とになります 。これは地 球 の年 齢 が五 十 億 年 という

とす ると、この世 界 は六 千 年 の歴 史 を持 つという こ

約 の歴 史 は四 千 年 です 。新 約 の時 代 が約 二 千 年 だ

らアブラハム、そして、彼 らからマラキの時 代 まで、旧

者 がいます 。聖 書 によると、アダ ムから ノア、ノアか

地 球 ができてから 五 十 億 年 たっているという 科 学

疑 問 がわいてきます 。

星 を造 り、それ をどう にかなさ るのだろう か。」と考

さ について疑 問 を呈 しま す 。しかし、聖 書 が誤 り だ

ます 。

えます 。

主 は、この世 に御 国 を築 き、千 年 間 義 人 とともに支

われ ます よう に。」と、はっき り お っしゃっています 。

ように。みこころが天 で行 なわれるよう に地 でも行 な

のです 。です から、地 球 の年 齢 に関 す る科 学 的 発 見

一 日 のことではなく、神 にとっての一 日 という こと な

られました。聖 書 でいう 「日 」は、人 間 が通 常 考 え る

神 は宇 宙 とその中 にあ るものす べてを六 日 間 で造

という ことは絶 対 にあ りません。

配 なさ り、義 人 がこの世 で受 けた苦 しみに報 いよう

と聖 書 の記 述 とは厳 密 には対 立 しないのです 。聖 書

しかしながら 、今 日 の聖 句 で主 は「御 国 が来 ます

という 約 束 のみことばをみな実 現 なさいます 。「あ な

は誤 りない神 のみことばです 。

「神 の御 国 は天 国 にあ るはず だ。わ からないのは、

ことが起 こるのだろう かと考 えます 。

とを否 定 でき ません。そう す ると、いったいどう いう

それ ならば、神 の御 国 がこの世 界 に下 るという こ

たたち は、わ たしとと もにこの世 界 で王 として支 配
します 。」主 はこのよう におっしゃいました。そして実
現 なさ るでしょう 。
「ほんとう にそんな ことがあ り 得 るのだろう か。」
これは人 間 の頭 では理 解 できないので、よくこう いう


目 次

千年王国が義人を待つ
176

どう や って神 の御 国 がこの世 で実 現 す るかという こ
創 造 主 だからこそ可 能 なのです 。

国 の実 現 は、主 が宇 宙 とその中 にあ るす べてのものの
神 の支 配 な さ る千 年 王 国 は、ただ一 度 、千 年 間

とだ。」
人 間 の観 点 からす るとあ り得 ないこと のよう です
何 千 万 年 も 前 、恐 竜 や 巨 大 な 動 物 が地 球 上 に

を天 国 へと送 られます 。そして、裁 かれ るべき罪 人 は

う 一 度 裁 き を 行 い、天 の御 国 に入 る資 格 のあ る者

この世 に存 在 す ること になり ま す 。そ の後 、神 はも

生 息 していました。しかしながら、それらの生 物 は化

裁 きを受 け ます 。こう したこと はみな、旧 約 と新 約

が、主 には何 でも可 能 なのです 。

石 でしか残 っていません。あ の生 物 たちは現 代 まで生

で何 度 もあかしさ れています 。

洪 水 まで続 き、そのとき世 界 はまた水 で覆 われまし

ょう 。イザ ヤ書 第 三 五 章 一 、二 節 を見 ます と、大 地

イザ ヤ書 第 三 五 章 のみこと ば を一 緒 に読 み まし

●神 の御 国 がこの世 で実 現 す るのは可 能 か

き残 りませんでした。進 化 論 は強 者 だけが生 き残 る
としています が、弱 い動 物 と私 たち人 間 だけが現 在
生 き 残 っています 。もちろん、かつてこの世 界 に恐 竜
がいたこと は否 定 でき ません。恐 竜 の時 代 は過 ぎ 、

た。洪 水 の後 にできた世 界 が、今 の私 たち の世 界 な

が変 化 す ることが述 べられています 。

新 たな 時 代 がや って来 ました。新 たな世 界 はノアの

のです 。

サフランのよう に花 を 咲 かせる。

「荒 野 と 砂 漠 は楽 しみ、荒 地 は喜 び、

た。そう した創 造 主 であ られる主 が一 度 この世 に来

盛 んに花 を 咲 かせ、喜 び喜 んで歌 う 。

神 は宇 宙 とその中 にあ るものす べてを造 られ まし
られたのなら、その全 能 の力 により新 たな世 界 を造

レバノンの栄 光 と、
カルメルや シャロンの威 光 をこれ に賜 るので、

ることが可 能 でしょう 。主 が新 たに造 るその世 界 が、
キリストの御 国 なのです 。神 ご 自 身 の支 配 なさ る御


目 次

千年王国が義人を待つ
177

彼 ら は主 の栄 光 、私 たち の神 の威 光 を見 る。」

御 国 にす ると、主 がこの世 界 や 私 たち弱 い民 になさ

とができます 。主 がこの世 界 を 千 年 王 国 として神 の
ることを、私 たちは目 の当 たりにす るでしょう 。

かつて神 は水 と 御 霊 によって人 間 の魂 から罪 を 消
し去 り、子 ど もにしてくださ いました。そして、それ
は私 たちがす でに見 たことであ るとと もに、今 経 験
していることでもあ り ます 。それだけではなく、主 は

-

イザ ヤ書 第 三 五 章 三 四 節 には、次 のよう にあ り
ます 。

う 。この世 界 の土 や 水 ・空 気 はみな放 射 性 物 質 ・化

復 さ れ ます 。大 地 は栄 光 や 誉 れ を 再 び得 るでしょ

あ り ます 。レバノンの栄 光 と シャロンの威 光 が野 に回

フランのように花 を咲 かせる。」(イザ ヤ 三 五 ・一 )と

聖 書 には「荒 野 と 砂 漠 は楽 しみ、荒 地 は喜 び、サ

主 がこの世 界 を新 たにし、この世 界 に神 の御 国 を

神 は来 て、あ なたがたを救 われ る。』」

復 讐 が、神 の報 いが来 る。

見 よ。あ なたがたの神 を 。

『強 くあ れ 、恐 れ るな。

心 騒 ぐ者 たちに言 え 。

「弱 った手 を強 め、

学 物 質 その他 廃 棄 物 や 汚 れによって汚 染 さ れていま

築 かれるのは、千 年 王 国 期 です 。水 と御 霊 の福 音 を

またこの世 界 を物 質 的 に変 えることを約 束 なさ いま

す が、全 能 の主 はす べてを新 たになさ います 。全 能 の

信 じる私 たちをきよめられた主 は、私 たちを最 初 の

よろめくひざ をしっかりさ せよ。

主 が来 られ、「す べての物 は新 たになれ。」とおっしゃ

よみがえりに加 えられ 、肉 体 を神 の子 ど ものものに

した。主 は将 来 、約 束 を実 現 なさ るでしょう 。

るなら、す べては新 たになります 。

変 えられます 。です から、
「弱 った手 を強 め、

です から、「私 たち は神 の栄 光 を見 る。」とあ るの
です 。旧 約 の時 代 から す でに、主 は天 に存 在 してい

よろめくひざ をしっかりさ せよ。
心 騒 ぐ者 たちに言 え 。

た神 の御 国 をこの世 でも実 現 す ると約 束 なさ ってい
るのです 。それが実 現 す ると、それ をこの目 で見 るこ


目 次

千年王国が義人を待つ
178

神 は来 て、あ なたがたを救 われ る。』」

復 讐 が、神 の報 いが来 る。

見 よ。あ なたがたの神 を 。

『強 くあ れ 、恐 れ るな。

さ います 。

りのために変 えてくださ り、天 国 に引 き 上 げ てくだ

そして、内 に御 霊 を持 っているのなら、主 はよみがえ

水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた神 の子 ど もなら 、

ています 。殉 教 しよう としまいと、ほんとう に完 全 な、

水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 けた者 だ

とおっしゃっているのです 。
主 がこの世 に来 ら れ 、回 復 なさ ると いう こと は、

けがよみがえ りを受 け、天 国 に引 き上 げ られます 。

な 千 年 王 国 で主 とと もに千 年 間 暮 ら します 。しか

す べてを新 たにす るという ことです 。また、主 は復 讐

黙 示 録 第 一 三 章 で反 キリストが現 れ 、義 人 を殉

しな がら 、主 は私 たち の今 のこの弱 い肉 体 を そのま

す なわち、水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 しを受 け

教 さ せます 。反 キリストは義 人 を苦 しめ、死 に至 ら

まにしてはおかれません。主 は不 完 全 な人 間 の体 を

す ると もあ り ます 。これ は、義 人 を苦 しめた者 には

せます 。それ でも、じきに主 が御 使 いとと もに戻 ら

完 全 にし、主 とと もに永 遠 に生 きられ るよう にして

た者 はみな、共 に神 の御 国 に行 くのです 。義 人 はみ

れ 、義 人 を苦 しめた反 キリ ストと、それ に従 う 者 た

くださ います 。

主 が復 讐 なさ るという ことです 。

ちを裁 かれます 。主 は水 と御 霊 によって新 たに生 ま
れた者 を完 全 にし、天 に引 き上 げ られます 。それ か

音 を信 じる者 の体 が変 えられ、この世 界 に神 の御 国

イ ザ ヤ書 第 三 五 章 五 六 節 には、水 と 御 霊 の福

-

ら 、聖 徒 に代 わって主 ご 自 身 が反 キリストたちに復

が築 かれたとき、そう した者 が神 を たたえ ることが

耳 しいた者 の耳 はあ けられ る。

「そのとき、盲 人 の目 は開 かれ 、

述 べられています 。

讐 なさ います 。
神 の子 どもの中 には終 わりの時 に殉 教 す る者 がい
るでしょう が、全 員 が殉 教 す るわけではありません。
何 名 かは殉 教 しても、残 りは主 の再 臨 の日 まで生 き


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千年王国が義人を待つ
179

そのとき、足 なえ は鹿 のよう にとびはね、

観 を何 の危 険 もなく楽 しむことができる所 は喜 びの

至 る所 に泉 があ り、緑 の野 を川 が流 れ、道 端 には

場 所 であ り、この世 なら ぬ体 験 のできる場 所 という

そう です 。目 の見 えない者 、耳 の聞 こえない者 、足

さ まざ まな花 が咲 き、悪 いものはみな消 え、愛 す る

おしの舌 は喜 び歌 う 。

のなえた者 の体 は完 全 なものに変 えられます 。足 が

人 々 だけが共 にイエス・キリストにお仕 えす る場 所 。

ことにな るでしょう 。これ 以 上 にす ばら しい喫 茶 店

不 自 由 であ った者 は鹿 のよう に走 ります 。口 のき け

聖 書 はさ らに歌 います 。

荒 野 に水 がわ き出 し、

なかった者 は歌 います 。荒 野 に泉 が噴 き出 し、砂 漠

「そこに大 路 があ り、

があ るでしょう か。

に川 が流 れます 。この世 界 の何 ひとつ、や がて来 るも

その道 は聖 なる道 と呼 ばれ る。

荒 地 に川 が流 れ るからだ。」

のの美 しさ には及 びません。

せん。高 緯 度 地 帯 でしか見 られ ないオー ロラも千 年

無 数 の星 がき ら めく 銀 河 も 千 年 王 国 にはかないま

ガラの滝 も、千 年 王 国 には比 べよう があ り ません。

喫 茶 店 のよう なものです 。巨 大 さ で知 られるナイア

す 。千 年 王 国 はす ばらしい眺 めと環 境 にあ る田 舎 の

享 受 す る場 所 、そして、喜 びと幸 福 と充 足 だけがあ

ながら飲 み食 いす る場 所 、何 ひとつ不 足 なく自 由 を

これが千 年 王 国 です 。千 年 王 国 とは、神 をたたえ

これ に迷 い込 むこと はない。」(イザ ヤ 三 五 ・八 )

旅 人 も愚 か者 も、

これ は、贖 われた者 たち のもの。

汚 れた者 はそこを通 れ ない。

王 国 とは比 較 になりません。千 年 王 国 はまことに楽

る場 所 です 。千 年 王 国 ほど美 しい場 所 は他 にありま

神 がくださ る千 年 王 国 はまことによい場 所 なので

園 です 。この世 界 でも、オー ロラの見 られる北 極 点 に

せん。主 は必 ず この世 に神 の御 国 を 築 くとお っしゃ
いました。

喫 茶 店 を 建 て、恋 人 とコー ヒー を飲 むなら、世 界 一
美 しい喫 茶 店 と いう ことにな るでしょう 。自 然 の景


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千年王国が義人を待つ
180

主 の祈 り は、罪 の赦 しを 受 け た者 が千 年 王 国 で

の世 に神 の御 国 を築 いて愛 す る者 にお与 えになるこ

美 しい風 景 を見 ながら 家 族 や 義 人 と食 事 しよう

と は難 しいことではあ り ません。人 間 が御 国 を この

主 は必 ず 与 えるおつもりで約 束 なさ ったはず です 。

とす るとき、地 上 の楽 園 とはこう いう ものではないだ

敬 虔 に生 き ること を告 げ ています 。「御 国 が来 ます

私 が新 生 したばかりのとき、主 がこの世 に御 国 を

ろう かと思 います 。ちょっとした冗 談 に笑 う とき、こ

世 に下 らせるのは不 可 能 です が、主 には簡 単 なこと

築 かれ るのだという ことは知 りませんでした。しかし、

れ はさ さ や かな神 の御 国 、この世 の楽 園 だと思 いま

ように。みこころが天 で行 なわれるよう に地 でも行 な

神 の御 国 に心 惹 かれ ていた私 に、主 はそのことを気

す 。そして実 際 、そう 信 じるのです 。神 の御 国 は必

です 。主 は愛 す る者 たちに御 国 を与 え ることを惜 し

づかせてくださ いました。みことば を 文 字 通 りに読

ず この世 界 で実 現 します 。キリ ストの御 国 をこの世

われます ように。」という 句 は、新 たに生 まれた者 に

んだとき、神 の御 国 が来 るという のだから、そう なの

に築 くことを主 が約 束 さ れたのです 。主 は必 ず 約 束

まれません。です から、主 に感 謝 す るのです 。

だろう と思 いました。それから、神 の御 国 がほんとう

を 守 られ ます 。です から 、私 は主 に深 く感 謝 し、そ

地 上 の楽 園 が与 え ら れ ること を 言 っているのです 。

に下 りて来 るのであ り、キリストはす べてを くださ る

の恵 みをたたえるのです 。

神 の御 国 がこの世 に実 現 す る日 、自 然 はす べて変

●この世 に神 の御 国 が築 かれれば
自 然 はす べて変 わる

ために水 と血 でお救 いくださ ったこと、イエスがバプテ
スマを受 け、命 の代 償 を支 払 われたことを心 から 信
じるよう になりました。神 は、私 がそのよう に信 じる
よう にさ せてくださ いました。
主 は人 間 を深 く愛 さ れたので、この世 に来 られ 、
人 類 を 救 う ために犠 牲 にな られ ました。主 は人 間
を救 う ためにす でに犠 牲 になられたのです から 、こ


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千年王国が義人を待つ
181

ジャッカルの伏 したねぐら は、

潤 いのない地 は水 のわ く所 と なり、

「焼 けた地 は沢 と なり、

れ つつあ ります 。地 球 はもはや 住 みたいよう な場 所

他 方 、世 界 は競 争 的 経 済 発 展 の中 、急 速 に汚 染 さ

最 新 のハイテク兵 器 に買 い換 え るために使 われます 。

その大 部 分 は既 存 の、あ るいは旧 式 になった武 器 を

としてたいへんなお金 を使 わなければならないのです 。

葦 や パピルスの茂 みと なる。」(イザ ヤ 三 五 ・七 )

ではあ りません。神 が再 臨 の日 に自 然 をす っかり変

わります 。

神 の御 国 がこの世 に下 ると き、主 はす べての物 を

えられるのは、そのためです 。現 在 の自 然 のあ りさ ま
神 の力 でこの世 界 が変 えられると、水 と御 霊 の福

も新 たになさ います 。その時 、自 然 全 体 が変 わり ま
み な さ ん、人 間 に害 を なす 獣 も 、邪 悪 な 汚 れ た

音 を 信 じる義 人 は、罪 人 と は違 う 生 を 生 き ること

があ まりにひどいので、神 が造 り変 えられるのです 。

動 物 も、神 の御 国 のどこにも見 出 さ れ ないでしょう 。

になり ます 。イザ ヤ書 第 三 五 章 八 九 節 は、そ のこ

す。

この世 に純 粋 な人 だけがいて、邪 悪 な人 間 や 有 害 な

とについて述 べています 。

に消 費 さ れ ています 。私 たち の国 、韓 国 でも、国 民

これ は、贖 われた者 たち のもの。

汚 れた者 はそこを通 れ ない。

-

「そこに大 路 があ り、

バクテリアがなければ、また、真 にきよく、自 由 で完
全 なら、この世 は天 国 の小 型 版 でしょう 。

生 産 の大 半 が軍 事 費 に割 かれ ていま す 。武 器 を 買

旅 人 も愚 か者 も、これ に迷 い込 むこと はない。

その道 は聖 なる道 と呼 ばれ る。

う のをや め、あ の軍 事 費 を国 民 の福 祉 のために用 い

そこには獅 子 もおら ず 、

この世 では多 くの資 源 が大 量 の兵 器 を蓄 えるため

るなら、この国 は地 上 の小 さ な楽 園 になるでしょう 。

猛 獣 もそこに上 って来 ず 、
そこで出 会 う こと もない。

安 楽 に暮 ら す ために今 ほど 懸 命 に働 く必 要 はな く
なるでしょう 。しかしながら 、現 実 は国 家 防 衛 予 算


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千年王国が義人を待つ
182

特 別 な愛 と気 遣 いのもとに、特 別 な生 き方 をす るの

水 と 御 霊 の福 音 によって新 たに生 まれた者 は、神 の

こを通 れない。」と はっき りおっしゃいました。私 たち

れた者 だけのためにあ るのです 。主 は「汚 れた者 はそ

れ た者 がそこを 歩 むこと はでき ません。それ は贖 わ

けがそれを使 えるのです 。大 路 は聖 いのです から、汚

王 国 の大 路 は義 人 のために特 別 に造 られ 、義 人 だ

がたいしたものではないと思 う のは間 違 いです 。千 年

新 しいものではあ りません。だからといって千 年 王 国

八 車 線 、十 二 車 線 の道 があ るのだから、大 路 は別 に

それほどたいしたこととは思 えません。今 は四 車 線 、

人 間 の観 点 から す れ ば、あ る意 味 大 路 を 造 るのは

神 はこの世 に御 国 を築 き、そこに大 路 を造 られます 。

別 の生 を生 きるという のは、どう いう ことでしょう 。

このことは黙 示 録 にも記 さ れています 。

ただ、贖 われた者 たちがそこを歩 む 。」

後 ほど黙 示 録 を引 用 してお話 ししましょう 。

そのことをおっしゃっているのです 。このことについては

いない者 とが、共 に存 在 す ることがわかります 。主 は

と 御 霊 によって新 たに生 まれた者 と新 たに生 まれ て

ます 。義 人 だけが大 路 を歩 めるという ことから 、水

す 。彼 らは罪 人 とは違 い、完 全 な聖 い体 に変 わってい

新 たに生 まれた者 は最 初 のよみがえりに加 わりま

汚 れた者 はそこを通 れ ない。」

その道 は聖 なる道 と呼 ばれ る。

「そこに大 路 があ り、

問 に答 えておられるのです 。

私 たちだけがそこの住 民 になるのかどう かという 疑

ゃったのです 。つまり、神 がこの世 に御 国 を 築 く時 、

間 がそう した疑 問 を持 つので、主 はあ のよう におっし

一 緒 に住 むのだろう かと思 っておられるでしょう 。人

義 人 だけが千 年 王 国 に住 む のか、それ と も 罪 人 も

かという ことです 。水 と御 霊 によって新 たに生 まれた

みなさ んの中 には「この世 界 はどう なるのだろう 。

です 。
この世 界 に築 かれ るという 千 年 王 国 について、多

この記 述 は、この世 界 に人 間 が残 っているという こと
なのだろう か。」と 思 う 方 がおられ るでしょう 。その

くの疑 問 点 があ ります 。疑 問 の一 つは、千 年 王 国 に
は私 たち のほかに誰 かが暮 ら す ことになるのかどう


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千年王国が義人を待つ
183

す 。みこと ばに基 づいて話 さ なけ れ ばなり ま せんか

問 いへの答 えは「神 が何 をなさ るのかわ からない。」で

バプテスマと十 字 架 の血 とを信 じている者 です 。主 が

エホバに贖 われた者 と は、イエス・キリストの受 けた

悲 しみと嘆 きと は逃 げ 去 る。」

義 人 だけ が住 める場 所 には、永 遠 の喜 びと 幸 福

ら 、極 端 な話 をす ること も、あ まり控 え めに言 う こ

の中 で別 の生 き 方 をす ることになることだけは確 か

が満 ちています 。悲 しみと嘆 きとは完 全 に消 え失 せ

水 と血 によって贖 ってくださ ったのです から 、私 たち

です 。です から、神 の御 国 がこの世 に築 かれたとき、

ます 。神 は、新 たに生 まれた者 が住 めるよう に御 国

と もできません。です から 、いつでも聖 書 に照 ら して

水 と 御 霊 によって新 たに生 まれ 、罪 をみな洗 われた

を 築 かれ ます 。神 はこれ を実 現 なさ るのです 。主 は

はす べての罪 から完 全 に救 われています 。そう した者

者 だけが、守 られた幸 いな地 域 に住 めます 。これ は

水 と血 によって私 たち の罪 をみな消 し去 り、神 の子

話 す のです 。神 が何 を な さ るかはわ かり ませ んが、

千 年 王 国 だけではな く、神 の永 遠 の御 国 についても

ど もにしてくださ いました。そして、神 の子 ど もが住

だけが神 の御 国 に住 めます 。

いえることです 。しかしながら、先 ほど の引 用 部 は永

む 場 所 として千 年 王 国 を 築 くと約 束 なさ いました。

水 と御 霊 によって新 たに生 まれた神 の子 ど もが栄 光

遠 の御 国 のことではな く、神 の御 国 の実 体 化 として

それはまた、この世 でキリストの兵 士 として生 きて苦
千 年 王 国 を 与 え ること を約 束 なさ り、新 約 でそれ

しみを受 けた者 への報 酬 でもあ り ます 。主 は旧 約 で

の千 年 王 国 について述 べているのです 。
イ ザ ヤ書 第 五 一 章 一 一 節 には、次 のよう にあ り
ます 。

についての詳 細 を述 べておられます 。
-

次 の文 は黙 示 録 第 二 〇 章 四 六 節 です 。

「主 に贖 われた者 たち は帰 って来 る。
彼 ら は喜 び歌 いながら シオンにはいり、

「また私 は、多 くの座 を見 た。彼 らはその上 にす わ
った。そしてさ ばきを行 なう 権 威 が彼 らに与 えられ

その頭 にはとこしえ の喜 びをいただく。
楽 しみと喜 びがついて来 、


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千年王国が義人を待つ
184

ちを見 た。彼 ら は生 き 返 って、キリストとと もに、千

まず 、その額 や 手 に獣 の刻 印 を押 さ れ なかった人 た

首 をはねられた人 たちのたましいと、獣 や その像 を拝

た。また私 は、イエスのあかしと神 のことばとのゆえに

により打 ち勝 ち、最 初 の復 活 に加 わ るのです 。そし

士 として生 きた者 だけが反 キリストを否 定 し、信 仰

御 霊 の福 音 を 信 じて罪 の赦 しを受 け、キリストの兵

じて罪 の赦 しを受 けた者 が、そう な るのです 。水 と

報 酬 であ る千 年 王 国 を 受 け るのです 。水 と 御 霊 に

て、第 一 の復 活 に加 わ った者 だけ が、神 のくださ る

そのほかの死 者 は、千 年 の終 わるまでは、生 き返 ら

よって新 たに生 まれたみなさ んと私 は、必 ず 第 一 の

年 の間 王 と なった。
なかった。これが第 一 の復 活 であ る。その第 一 の復 活

復 活 に加 わります 。
では、第 二 の復 活 でよみがえるのは誰 でしょう 。イ

にあず かる者 は幸 いな者 、聖 なる者 であ る。この人 々
に対 しては、第 二 の死 は、なんの力 も持 っていない。彼

終 わりの日 には首 をはねられて殉 教 す る人 々 がい

に生 まれた者 は第 一 の復 活 にあ ず かり、キリストと

そのよう におっしゃいました。水 と 御 霊 によって新 た

エスを 信 じよう と 信 じまいと、心 に罪 のあ る者 が第

るでしょう 。反 キリストの名 の刻 まれた刻 印 を拒 み、

と もに王 として支 配 します 。それ に対 して、水 と 御

らは神 とキリストとの祭 司 となり、キリストとともに、

あ るいは偶 像 崇 拝 を拒 んで殉 教 す る人 もいます 。そ

霊 の福 音 を信 じず 、心 に罪 を持 って生 きた者 は第 二

二 の復 活 によってよみがえ るのです 。イエスは確 かに

う した人 々 は第 一 の復 活 でよみがえ り、キリストと

の復 活 でよみがえり、永 遠 の炎 の中 に投 げ込 まれ る

千 年 の間 王 と なる。」

と もに千 年 間 王 として支 配 し、盛 大 な 祝 祭 に参 加

のです 。
ない者 がいるかどう か、みことばを調 べましょう 。

では、千 年 王 国 の時 代 に、誰 か新 たに生 まれてい

します 。
神 は千 年 王 国 を くださ いました。キリストとと も
に千 年 間 王 と して支 配 す る者 は、最 初 の復 活 でよ
みがえ り ます 。つまり、それ は水 と 御 霊 の福 音 を 信

-

黙 示 録 第 二 〇 章 七 一 〇 節 のみこと ばを 読 み ま


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千年王国が義人を待つ
185

地 上 の広 い平 地 に上 って来 て、聖 徒 たち の陣 営 と愛

召 集 す る。彼 らの数 は海 べの砂 のよう であ る。彼 らは、

マゴグを惑 わす ために出 て行 き、戦 いのために彼 らを

放 され、地 の四 方 にあ る諸 国 の民 、す なわち、ゴグと

「しかし千 年 の終 わりに、サタンはその牢 から解 き

ことが明 ら かです 。罪 の赦 しを受 けた者 は、千 年 王

と、そう しなかった者 が、千 年 王 国 では区 別 さ れ る

から、水 と御 霊 の福 音 を信 じて罪 の赦 しを受 けた者

あ り、… … 汚 れた者 はそこを通 れない。」という 部 分

だけは確 かです 。先 ほど の引 用 部 と、「そこに大 路 が

の時 に、主 がその人 たちを 聖 徒 とは別 になさ ること

時 に存 在 す るよう になるのだと思 います 。千 年 王 国

された都 とを取 り囲 んだ。すると、天 から火 が降 って

国 で王 として支 配 し、罪 の赦 しを受 けていない罪 人

しょう 。

来 て、彼 らを焼 き尽 くした。そして、彼 らを惑 わした

は、義 人 のしもべとして仕 えるのです 。

では、新 たに生 まれていない人 は、ほんとう に火 に

について正 しく知 り、信 じなければなりません。

それ を 私 たち 義 人 にくださ います 。です から 、これ

ろを実 現 なさ います 。神 は必 ず 御 国 を実 現 なさ り、

神 は天 国 と同 じよう に、この地 上 でも、そのみここ

す。

え る罪 人 た ち がいるか ら 、聖 徒 は君 臨 でき る ので

と して支 配 す ること は不 可 能 です 。しもべと して仕

として支 配 す ることが可 能 なのです 。しもべなしに王

まるで違 う 人 々 がいるのです 。です から、私 たちが王

確 かに、千 年 王 国 には新 たに生 まれ た聖 徒 と は

悪 魔 は火 と硫 黄 との池 に投 げ込 まれた。そこは獣 も、
にせ預 言 者 もいる所 で、彼 らは永 遠 に昼 も夜 も苦 し
みを受 ける。」

●これが、「
千 年 王 国 には新 たに生 まれて
いない人 がいるだろう か。」という 疑 問 の
答え
ここを読 むと、明 らかに千 年 王 国 には新 たに生 ま
れていない人 々 がいます 。その人 々 は現 在 生 きている
人 々 ではないのでしょう 。この人 たちは、千 年 王 国 の


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千年王国が義人を待つ
186

います 。つまり、火 による罰 があ るのです 。

黙 示 録 第 二 〇 章 一 三 一 五 節 に明 確 に述 べられ て

よる罰 を受 け るのでしょう か。その問 いへの答 え は、

た、聖 なる都 、新 しいエルサレムが、夫 のために飾 られ

天 と、以 前 の地 は過 ぎ去 り、もはや 海 もない。私 はま

「また私 は、新 しい天 と新 しい地 とを見 た。以 前 の

火 の池 に投 げ込 まれた。これが第 二 の死 であ る。いの

行 いに応 じてさ ばかれた。それから、死 とハデ スとは、

中 にいる死 者 を出 した。そして人 々 はおのおの自 分 の

「海 はその中 にいる死 者 を出 し、死 もハデスも、その

の民 となる。また、神 ご自 身 が彼 らとともにおられて、

人 とと もにあ る。神 は彼 らとと もに住 み、彼 ら はそ

大 きな声 がこう 言 う のを聞 いた。『見 よ。神 の幕 屋 が

ら下 って来 るのを見 た。そのとき私 は、御 座 から出 る

た花 嫁 のように整 えられて、神 のみもとを出 て、天 か

-

ち の書 に名 のしるさ れていない者 はみな、この火 の池

彼 ら の目 の涙 をす っかりぬぐい取 ってくださ る。もは
や 死 もなく、悲 しみ、叫 び、苦 しみもない。なぜなら、

に投 げ 込 まれた。」
千 年 王 国 が終 わると、罪 の赦 しを受 けていない者

の御 国 に入 り ま す 。神 はまず この地 に御 国 を 千 年

方 、真 理 を 信 じ、正 しい信 仰 を持 つ者 は、神 の永 遠

彼 らは永 遠 に消 えない火 の中 に投 げ込 まれます 。他

います 。黙 示 録 第 二 一 章 二 七 節 は、「小 羊 のいのち

で水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた者 に与 えられ て

う 。永 遠 の御 国 も新 たな天 と地 も、キリストの信 者

誰 が千 年 王 国 と 神 の永 遠 の御 国 に入 るのでしょ

以 前 のものが、もはや 過 ぎ 去 ったから であ る。」

間 置 かれ、聖 徒 はキリスト及 び他 の義 人 たちとと も

の書 に名 が書 いてあ る者 だけが」千 年 王 国 と天 の御

はみな 第 二 の復 活 でよみがえ り、裁 きを受 け ます 。

に王 として支 配 します 。つまり、主 は地 上 の楽 園 で

国 に入 れるとしています 。
では、小 羊 のいのち の書 には誰 の名 が書 かれている

千 年 間 共 に過 ごさ れるのです 。
それ から 、水 と 御 霊 の福 音 を 信 じる者 に新 たな

のでしょう 。水 と 御 霊 の福 音 を 信 じて新 たに生 まれ
た者 の名 です 。なぜでしょう か。水 と 御 霊 の福 音 は

天 と地 を くださ います 。黙 示 録 第 二 一 章 一 四 節
を見 ます と、神 は確 かにそう なさ るのです 。


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千年王国が義人を待つ
187

-

の書 』に名 が記 さ れているのは、新 たに生 まれた者 な

国 に入 ることを許 さ れ るのです 。す なわ ち、『いのち

の名 は『いのち の書 』に記 さ れ 、そう した者 は神 の御

めに来 られたからです 。実 際 に罪 の赦 しを受 けた者

す でに天 国 で実 現 してお り、イ エスが人 類 救 済 のた

わ せてくださ いま す 。です から 、私 たち は実 際 に新

を救 ってくださ っただけではなく、新 たな肉 体 をまと

け た者 を通 して栄 光 を 受 けられ ま す 。主 は心 と 魂

は私 たちをお救 いくださ いました。そして、救 済 を受

話 しして終 え るのがふさ わ しいと 思 う から です 。主

こう いう こと を お話 しす るのは、今 日 はこれ を お

は『行 ないの書 』に記 さ れます 。

のです 。水 と御 霊 の福 音 を信 じて新 たに生 まれた者

しい体 でよみがえ り、神 が新 たにな さ った世 界 で生

す でに三 位 一 体 の神 によって実 現 し、神 のみこころが

の名 前 だけが『いのちの書 』に記 さ れます 。

エホバの御 名 を呼 び、自 分 なりの考 えで礼 拝 す る者 、

あ りません。神 に敵 対 し、宮 の中 で金 の子 牛 を 崇 め、

した人 の名 が『いのち の書 』に記 さ れ ること は絶 対 に

否 定 します 。イエスのみわざ を否 定 す るのです 。そう

水 と血 と 御 霊 によって人 類 の罪 を 消 さ れたイエスを

無 条 件 に罪 をみな消 してくださ ったと 信 じており、

書 かれ ています 。そう した人 は、神 が人 間 を 愛 して

のです 。水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた民 を 集 め、

がこの世 に御 国 を築 き終 えたとき、召 してくださ る

兵 士 として、迷 え る魂 救 済 のために生 きるなら、主

水 と 御 霊 によって新 たに生 まれた義 人 がキリストの

で生 きます 。この新 たな世 界 の前 の時 代 であ る現 在 、

この世 界 に築 かれ、私 たち はそこで栄 光 と栄 華 の中

キリストとと もに王 になるのです 。キリストの御 国 は

生 き るだけではな く、キリ ストの築 かれ た御 国 で

きるのです 。

信 仰 を持 って神 の恵 みと救 済 ・愛 を受 け入 れ るので

千 年 王 国 で王 として支 配 おさ せになります 。主 はこ

悪 を行 う 者 の名 は『行 ないの書 』か『裁 き の書 』に

はなく、肉 の欲 望 を満 たす ために悪 を行 う 者 、神 に

の世 に天 国 喫 茶 店 を 開 かれ 、そ の中 で永 遠 に楽 し
く 過 ご さ せてくださ います 。神 がほかでもな い私 た

敵 対 し、神 の愛 を拒 み、教 会 に敵 対 して妨 げる者 は
聖 くはな く、神 の子 ど もでもあ り ません。彼 ら の名


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千年王国が義人を待つ
188

にお救 いくださ り、新 たな身 分 にふさ わしい報 酬 を

主 はお救 いくださ っただけではあ り ません。実 際

はまことに幸 福 でした。私 は素 敵 なダ ンスステップを

そう ではあ りませんか。もちろん、そう です 。私 たち

つまり、とても良 い時 を 過 ごしたのです 。みなさ ん、

です 。福 音 教 室 に出 席 し、罪 の赦 しを受 けた新 しい

くださ いました。つまり私 たちは、救 済 を受 けて、も

たくさ ん見 て、いくつか覚 えました。昔 のよう に踊 れ

ちにそう した恵 みをくださ っているのは、とてもう れ

はや 地 獄 に向 かってはいないという ことだけで満 足 す

るわけではあ りませんが、それでも楽 しみました。そ

兄 弟 姉 妹 の救 済 のあ かしを 聞 いて、感 動 しました。

るべきではないのです 。実 際 に罪 から救 われた者 には、

して、いつまでも幸 福 でいるでしょう 。キリストのおか

しいことです 。

より多 くの報 酬 が待 っているのです 。

んな 中 にあ っても、み こと ば を純 粋 に受 け 入 れ 、信

惑 しよう とす る人 が大 勢 います 。しかしな がら 、そ

はあ りません。水 と御 霊 の福 音 を 信 じるなら、永 遠

暮 ら します 。罪 の赦 しを受 けたことが終 わ りなので

私 たち は神 のす ばら しい喫 茶 店 で永 遠 に幸 福 に

げで永 遠 に幸 福 です 。

じ、神 に栄 光 をさ さ げている人 々 がいるのです 。神 は

の天 の御 国 という 恵 みが待 っているのです 。私 たちに

世 の中 には計 略 や 悪 巧 み、とんでもない教 義 で誘

そ う した者 に、救 済 だけ ではな く物 質 的 報 酬 を も

約 束 さ れたす ばら しい恵 みが待 っています 。主 は信
の愛 と救 済 の真 理 を 受 け入 れ た者 に、主 は必 ず 約

お与 えになります 。神 は聖 徒 に豊 かな恵 みをくださ
大 邱 から 来 られた兄 弟 があ かしのときにおっしゃ

束 どおりの祝 福 と 恵 み・栄 光 ・誉 れ ・幸 福 を くださ

頼 できるお 方 です から、約 束 はみな守 られます 。主

ったよう に、聖 書 キャンプは体 にも心 にも心 地 よいも

います 。つまり、私 たちが神 の愛 を受 け入 れたという、

います 。私 たちはこれを信 じています 。

のでした。食 事 はとてもおいしかったです 。美 しい緑 の

ただそれだけのために、主 はそれほどの愛 で包 んでく
ださ るのです 。神 はなんとす ばらしいのでしょう 。

自 然 を見 て、とても良 い気 分 になり ました。大 勢 の
兄 弟 姉 妹 や 同 僚 たちにお会 いできて、う れしかった


目 次

千年王国が義人を待つ
189

世 俗 的 キリスト教 徒 は口 先 だけは「♫ 主 はす ばら

用 意 し、帰 って来 ます 。」主 はそのよう に約 束 なさ い

「心 配 す るのではない。あ なたたちのための場 所 を

主 はこの世 に御 国 を 築 かれ ま す 。迷 え る魂 を 救

しい。主 はす ば ら しい。主 はす ば ら しい。♪ 私 の主
なに親 切 か、ど んなに良 い羊 飼 いであ られ るかを ほ

う 霊 的 戦 いを終 えたなら、主 がこの世 に来 られ、神

ました。

んとう に知 りもしないで、口 先 だけでたたえます 。し

の御 国 を 築 かれ ま す 。私 たちが地 上 の楽 園 の喫 茶

♫ 」と歌 います 。彼 ら は神 がいかに聖 く善 いか、ど ん

かし、神 は被 造 物 に水 と御 霊 の福 音 をくださ り、私

店 で千 年 間 幸 福 に生 きるよう になさ います 。私 たち
れて楽 しみます 。けがをす ること のないサッカー 場 で

たち の福 音 への信 仰 によって罪 の赦 しを 受 け た者 が
私 はこの世 をただ悲 観 的 に見 てはいません。ニュー

牧 師 の奥 さ んたち、兄 弟 姉 妹 が、一 緒 にサッカー を

は愛 す る人 々 とともに広 い緑 の野 で花 の香 りに包 ま

スを 聞 くと、暗 く恐 ろしい話 ばかりで、世 界 は陰 鬱

します 。私 の短 い足 は長 くなり、ベッカムのよう なプレ

主 のす ばらしさ を体 験 す るよう になさ いました。

な場 所 に思 われ ます 。しかしながら 、主 は永 遠 の幸

ー ができるよう になるでしょう 。
また、いのちの水 の澄 んだ川 が流 れます 。そこでは

福 への希 望 、永 遠 の御 国 、つまり 、天 国 とと も に千
年 王 国 を くださ ったのです 。私 たち は信 仰 により 、

てたくさ んの魚 を捕 らえます 。ゆったりと、しかし同

金 魚 がおしゃべりしながら 泳 ぎ、私 たち は網 を投 げ

この世 界 にも魅 力 的 な場 所 、風 光 明 媚 な場 所 が

時 にミシシッピ川 よりも力 強 く流 れ る澄 んだ川 のほ

もはや 世 界 をただ暗 い所 だとは思 いません。
あ り ます 。そ う した場 所 は永 遠 の天 の御 国 を 予 示

とりでみなさ んにお会 いしたいと思 います 。
みな さ ん、この世 界 の美 しい景 観 をご 覧 にな った

しています 。つまり、神 がみなさ んと私 にくださ る御
国 をあ ら かじめ示 しているのです 。主 は御 国 をご 用

ことがおあ りです か。主 のくださ る御 国 はさ ら に美
しいのです 。私 たち は実 際 に神 の御 国 でそ の美 しさ

意 なさ り、他 の誰 でもな く、私 たち神 のしもべ、キリ
ストの兵 士 、神 の民 にくださ るのです 。


目 次

千年王国が義人を待つ
190

信 じてその場 所 を待 ち望 むことはできます 。

や す ばら しさ を 経 験 してはいませんが、みこと ば を

はおら れ ないのです ね。疲 れ ると、筋 肉 が硬 くな り

応 なさ らないところを見 ると、マッサー ジの上 手 な方
ます 。マッサー ジしてもらう と、そう した筋 肉 がほぐ
れます 。
しばらく前 、同 僚 のところにいた「北 朝 鮮 の子 」と

世 界 にはまだ希 望 があ る、罪 の赦 しを受 けるべき人

がそれぞれの国 に神 の御 国 を築 いたなら、神 は、この

たなら 、千 年 王 国 で生 きることができます 。私 たち

この世 界 でキリストの兵 士 として霊 的 戦 いを終 え

です 。食 事 はおいしくいただけ ます し、消 化 も 問 題

のよう な腹 をしています が、最 近 は少 し細 くなったの

ゃいました。実 のところ、私 はとても健 康 です 。妊 婦

した。チョン牧 師 は、私 がず っと健 康 になったとおっし

あ ります 。その後 、肩 のこりがず いぶんと楽 になりま

●や がて来 る世 では千 年 王 国 に生 き る

はもう 誰 も残 っていない、罪 の赦 しを受 けていない者

あ りません。

呼 ばれ ていた難 民 にマッサー ジをしてもら ったことが

は裁 きを受 けるべき 者 たちだけだと決 められ ます 。
この世 に神 の御 国 と キリストの御 国 とが築 かれ る

弟 姉 妹 と神 のしもべが同 じ所 で祈 り、水 と御 霊 の福

の汗 を乾 かし、夏 の暑 さ を 忘 れさ せてくれ ます 。兄

季 節 は移 り、今 はもう 秋 です 。山 から の風 が、顔

ことを主 に感 謝 いたします 。みなさ んは感 謝 してお

音 の内 で交 わ り 、コンビニでお いしいお 菓 子 を 買 い、

その決 断 が下 ると主 が来 られます 。

られます か。そう です ね。みなさ ん、これ を信 じてお

友 人 のお菓 子 をこっそりつまんでからかう という いた
ず ら を楽 しみ、す ばら しい景 観 を眺 め、冷 たい空 気

られます か。きっとそう でしょう 。
今 週 、牧 師 の奥 さ んたち はほんとう によく働 いて

を吸 う という 一 週 間 が、もう 終 わってしまいます 。ほ
んとう にす ばらしい一 週 間 でした。このことはとう て

くださ いました。マッサー ジの上 手 な姉 妹 は、どう か
奥 さ んたちの肩 をもんでや ってくださ い。どなたも反


目 次

千年王国が義人を待つ
191

いキリストに感 謝 しきれません。
私 がキリストの兵 士 として生 き、仕 事 を終 えたな
ら 、喜 んで神 の御 前 に行 き ます 。その前 に主 はこの

ら神 の御 国 に入 らなければならないのです 。このこと
を覚 えておいてくださ い。最 後 まで共 にいられます よ
う に。

千 年 王 国 を 築 いて共 に暮 ら せ るよう にす るために

栄 光 をさ さ げ ましょう 。主 が私 たち のう ち の一 人 を

神 から 受 け たかを 思 い起 こし、持 てるす べてで神 に

主 の御 前 に行 く前 に、どれほどす ばら しい恵 みを

来 られます 。です から 、まだ神 の御 前 に行 くのを 急

召 さ れ るまで、あ るいは私 たち の誰 かが神 の御 前 に

世 に戻 られ るはず です 。主 はこの地 を新 たになさ り、

ぐ必 要 はあ りません。

行 くまで、できるだけ長 く共 にいて神 の恵 みを受 け、

終 わりの時 に反 キリストが出 現 し、聖 徒 を殺 そう

主 の来 られる前 に死 ぬなら、その人 は裏 切 り者 で

様 に、世 界 中 に福 音 を広 めるためには、私 たち の誰

と したなら 、御 霊 は「時 間 を 無 駄 にせず 、さ っさ と

神 に感 謝 し、キリストの兵 士 として福 音 を分 け合 い、

一 人 怠 けること はできないのです 。たった一 つでも穴

殺 しなさ い。あ なたの汚 れ た顔 を見 ているのは耐 え

す 。私 たち はみな 福 音 に仕 え、それぞれ の役 割 を果

があ けば、仕 事 が全 部 だめになり ます 。仲 間 がその

られない。す ぐに殺 しなさ い。」と言 う よう 教 えます 。

他 の人 々 が私 たちと同 じ幸 福 と 恵 みを受 けられ る

役 目 を果 たそう と全 力 を尽 くして疲 れているときに、

反 キリストは剣 の一 振 りで殺 す のではあ りませんか。

たしているのです 。それ はど れ ほど 苦 しいことでしょ

その人 を 助 けず 、仲 間 と協 力 しないで先 に死 ぬなら、

「今 のう ちに楽 しんでおき なさ い。じきにあ なたの

よう にしましょう 。

残 さ れた人 々 はより多 くの仕 事 をす ることになりま

栄 光 は終 わり、永 遠 の恐 れと裁 きがあ なたに下 るの

う か。よく 調 整 さ れ た機 械 は順 調 に動 き ます 。同

す 。それならば、先 に死 んだ人 は福 音 を広 めること

だから 。その目 を よく見 開 いて運 命 に臨 みな さ い。
あ なたは復 讐 を誓 う 言 葉 を恐 れたことがないが、今

の大 き な妨 げになる裏 切 り者 という ことにならない
でしょう か。御 国 が広 まるのを 最 後 まで見 届 けてか


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千年王国が義人を待つ
192

う 。」私 たち は反 キリ ストにそう いう 信 仰 の言 葉 を

打 ち 倒 し、永 遠 の火 の縁 に 閉 じ込 めら れ るでしょ

見 ていなさい。じきに主 が来 られます 。主 はあなたを

度 は私 の復 讐 の言 葉 にぞっと して恐 れ るでしょう 。

を 持 たなけ ればな り ません。若 かろう と、年 を 取 っ

せん。指 導 者 の霊 的 成 熟 を見 極 めるだけの霊 的 目

だ。」と思 われます か。肉 の基 準 で判 断 してはいけ ま

いの年 になっている。どう してあ の人 たちが父 親 な ん

人 たちが父 なんだろう 。私 はあ の人 たち の父 親 くら

ていよう と、神 のしもべはみなさ んの父 ではあ りませ

伝 え、大 胆 に殉 教 を受 け入 れます 。
ほんの少 し待 っていれば、主 が来 られます 。主 はじ

神 の御 国 のために共 に働 いてくださ るみなさ んに

んか。神 のしもべを信 じ、従 い、導 きを受 けなければ

聖 徒 は、別 の生 き方 をす る罪 人 とは、見 えない線 と

感 謝 しております 。また、共 に福 音 に仕 えさ せてく

きに来 られます 。だめになった世 界 を 変 え、す べてを

壁 で分 けられます 。そう す ると、想 像 もでき ないす

ださ る神 に感 謝 いたします 。改 めて神 に感 謝 しなけ

なりません。おわかりです か。

ばらしい人 生 があ るのです 。私 は、これまで経 験 した

ればなりません。教 会 の聖 徒 全 員 と、ここにいるのが

新 たにしてキリ ストの御 国 を 築 かれ ま す 。そ のと き

こともないよう な恵 みと幸 福 を神 がくださ ることを

たち は信 仰 により、主 の戻 られ る日 まで生 き、主 の

あ まりにう れしいからです 。主 に感 謝 いたします 。私

今 回 罪 の赦 しを受 けられたみなさ んに申 します 。

くださ る千 年 王 国 で生 き続 け ること を 信 じてお り

知 り、信 じています 。そのことを感 謝 いたします 。
罪 の赦 しを受 けることが終 わ りではあ り ません。教

ます 。
くださ った主 をたたえます 。

す べての罪 から 救 ってくださ り、神 の子 ど もとして

会 はこの世 にあ る神 の御 国 です から、みなさ んは教
会 で他 の兄 弟 姉 妹 と 交 わ り、福 音 に仕 え、指 導 者
からの導 きを受 けなければなりません。教 会 指 導 者

ハレルヤ。


目 次

千年王国が義人を待つ
193

はみなさ んの父 親 です か。その人 たちが霊 的 父 だと
信 じておられ ます か。それ と も、「どう してあ の若 い

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