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るようになった現状からすると、ややそぐわない情報になっている。確かに重要なアイデアも含まれているけれ

う情報が中心で、心理療法家の資格についてのその後の変遷や、日本においてもユング派分析家の訓練が行われ

練」も、チューリッヒのユング研究所や京都大学の臨床心理学教室ではどのような訓練が行われているのかとい

りするものが大部分であると認めざるを得なかった。たとえばⅣ部の冒頭にある「わが国における治療者の訓

収録されているものは、今となってはそれほど意味がなかったり、またあまりにも硬すぎる方法論を扱っていた

いた。今回読み直してみると、Ⅳ部の「心理療法家の教育と訓練」およびⅤ部の「心理療法と心理学研究法」に

である。したがって年代的にもテーマ的にもかなりバリエーションがあり、それは五つのテーマにまとめられて

本書はもともと、心理療法について河合隼雄が専門誌を中心として発表してきた論文や講演録をまとめたもの

かなり編集を加えることになった。

ことになったのを機会として復刻されることになった。また出版からすでに四〇年近くになることを考慮して、

先生七回忌記念大会」と銘打たれ、そこで本書の第三章に収められている事例がシンポジウムで取り上げられる

版も品切れ状態になっていた。今年二〇一三年六月に開催される日本ユング心理学会の第二回大会が「河合隼雄

心理療法』

(一九九九年)

の二冊に分けて文庫化もされていたものである。しかしながら、ここ何年かはどちらの

本書は、一九八六年に新曜社から出版され、その後講談社から『ユングと心理療法』

(一九九八年)

『日本人と 、

002

初に扱った重要な論文である。

けるイニシエーションの意義」は、著者の心理療法における一つのキーワードとも言えるイニシエーションを最

の見た治療者の夢を扱ったもので、治療関係についての論文としても深みを持っている。第五章「心理療法にお

り、著者が「ロンド形式」と名づけているのが微笑ましい。第四章の「夢のなかの治療者像」は、クライエント

われる。全部の夢を並べてみると、イメージのプロセスとはなかなか直線的に進まないものであるのがよくわか

トの報告した全ての夢が記載されており、考察がほとんどされていないので、資料として非常に貴重であると思

に後年の立場につながっているのが驚きである。第三章は、河合隼雄による純粋な事例報告である。クライエン

まだスイス留学中のときの論文である。ユングを多く引用し、やや硬い文章で書いているけれども、意外とすで

全部を解説するつもりはないが、たとえば第一章「ユング派の心理療法」はなんと一九六三年に当時三五歳で、

には書いてなくても実感に基づいていたりするところが説得力を持っている。

るように、自分の興味のある章を拾い読みしてもよいであろう。またどの論文も実例を挙げてあったり、具体的

になっている。順番に読んでもよいし、またそれぞれが独立しているので、著者自身が「はじめに」で勧めてい

このような手続きをへて残された論文を見てみると、どれも今でもインパクトとアイデアを与えてくれるもの

いく必要があろう。

い判断であったと考えている。歴史研究や河合隼雄の思想研究のためのものは、電子版などでまた別に提供して

者・心理療法家からして読む価値のあるものを、しかも適正な価格で提供するということを考えるとやむを得な

と問題点」を第Ⅱ部の「心理療法の理論的位相」に組み入れることにした。少し残念ではあるが、現在の一般読

あると考えられた「ユングのタイプ論に関する研究」を第Ⅰ部の「ユング派の心理療法」に、

「事例研究の意義

そこで今回の出版に際しては、少なくとも紙媒体のものではⅣ部とⅤ部は思い切って削除し、その中で価値が

の意味が主になっている。

ども、大部分は河合隼雄という臨床家・思想家、あるいは日本の心理療法についての歴史研究としての視点から

003

編者まえがき

ego

self

acting out

individuation

第三章の事例研究論文は、京都大学教育学部心理教育相談室で発行されるようになった紀要の第一巻に出した

ついての論文の扱いも含めて、今後の課題として残すことにした。

の後の関連する河合隼雄の論文や著書を挙げることも考えたが、本書が最初に出た一九八六年以降の心理療法に

がまったくばらばらであった。新版にあたっては、文献の表記の仕方を統一するようにした。個々の論文に、そ

最後に、大きな問題は、文献であった。旧版はさまざまな専門誌から集めたままで、表記の仕方や取り上げ方

索引があるのは非常に便利なので、上記の用語についての作業を踏まえて新たに索引を作った。

二つめは索引の作成である。旧版には索引がなかったが、論文集の中から関連するテーマを探し出すためには

表現も現在のものに改めたり、注記を入れるなどした。

など、読みやすくするために大部分を日本語やカナ読みに置き換えた。さらには、分裂病や精神発達遅滞などの

英語まじりの文章になっていたが、

は自我、

は自己にし、

を「アクティング・アウト」にする

厳密にする必要はないと判断して、読者の便宜を考えて統一した。また、もともと論文であったために、かなり

場合に、用語や訳語の変遷も思想内容に関わっているので、このような用語統一はすべきではないが、そこまで

発展」と訳されているけれども、後年には「個性化」となっているので、

「個性化」で統一した。哲学者などの

語に関することである。まず用語が不統一だったのを統一した。たとえば

は最初の論文では「個性

今回の新版にあたっては、先述のように何篇かの論文を割愛した他、いくつかの編集作業を行った。一つは用

雄なら今の発達障害にどのような論文を書いただろうかと想像してしまう。

したのかがよくわかる。境界例の人が治療者に合わせてしまう傾向があるのを指摘しているのを読むと、河合隼

法についての二篇の論文があり、また「家庭内暴力」や「境界例」などの新しい問題にどのように対処しようと

ィティーの意味についての考察として興味深い。第Ⅲ部はさまざまな技法と問題が取り上げられている。箱庭療

姿勢についての説明は納得のいくものである。また第一一章、一二章などは、心理療法家にとってのアイデンテ

第Ⅱ部は、心理療法における根本的なことについての論考が多く、第八章の治療枠についてや、第九章の治療

004

二〇一三年一月エピファニアの日に

記して深い感謝の気持ちを表したい。

としてお世話になってきた創元社の渡辺明美さんに、文献表記の整理を含めて、大いに手を煩わすことになった。

隗より始めよという姿勢を常に持っていたことが窺われるのである。本書は、その河合隼雄が生前に長年編集者

を書くように、そして学部紀要を充実させることを呼びかけて、自らも論文を執筆して紀要に載せたものである。

また第七章「ユングのタイプ論に関する研究」は、京都大学教育学部の学部長になった際に、教員にもっと論文

ものである。臨床心理学の方法論は事例研究であるということを説くなかで、自らの事例を発表したものである。

005

く予想外のことである。最初は心理療法に夢分析を用いること、箱庭療法を行うことなどは、まったく新しいこ

心理臨床学会の会員が二〇〇〇名をこえるのだから、筆者が初期の論文を書きはじめた頃から考えると、まった

現代においては心理療法を専門にする人、および、専門にしようとしている人はずいぶんと多くなった。日本

のできないものと筆者は考えている。

含まれているが、いかに心理療法の実際が大切であるといっても、ここに示したような理論的考察も欠かすこと

読んでいただいて結構である。心理療法の実際場面に関連するものから、相当に理論的なものに関するものまで

示されるような構成にした。しかし、もともとは単発的な論文なので、読者は興味のあるものから好きなように

全体の配列を、まったく年代順にすることも考えたが、結局は似かよったものをまとめることにして、本書に

にした。

対する考えの発展の経過を明らかにする意味で、やはり残しておくのもよかろうと思い、敢えて取りあげること

年月にわたるものであるだけに、初期に書いたものは、時代おくれの感じがするのもあるが、筆者の心理療法に

みると、筆者の心理療法についての考えが、ある種のまとまりをもって提示されているように思われる。ただ長

て出版することになった。ところどころ重複する部分も生じてきたが御寛恕願いたい。こうして一冊にまとめて

約二〇年間ほどにわたって、これまでに心理療法について論じてきたものを、ここにまとめて一冊の書物とし

006

って、今後の道を切り拓いてゆきたい。心理療法に関して、ひいては人間の生きる道に関して、まだまだわから

クライエントの方たちがつぎつぎと立ち現われるようにも感じられる。ともかく不断の努力を蓄積することによ

なつもりで毎日の臨床の実際に従事しているが、自分の非力を痛感することも多い。こちらの能力を上まわって、

次元をもう一つこえたところにまで達して、心理療法を論じるようになりたいと願っている。現在も、そのよう

一応の区切りとして本書を出すことにしたが、前途はまだまだ遠いという感じが強い。次には、本書に示した

して本書を出版するが、これが心理療法を学ぶ人たちに少しでも役立てば幸いである。

よりもクライエントの人たちの力によって、筆者もここまで進んでこられたのだと思う。ここに一応の区切りと

い人びとに囲まれて、何とか先を進むように努力し続けてきた。考えてみると、これらの若い人たち、それに何

かというと、そうとはいえないところに心理療法の難しさがあると思われる。筆者もすぐ後に追いついてくる若

かもうまく対応してゆくのである。これは驚くほかないことであるが、だからといって、そのつぎの一歩も簡単

にまで追いついてくる。大学院の一年生の人たちが、以前では考えられなかったような困難な事例を担当し、し

と思う。そして、いつも感心することであるが、若い人たちが心理療法を学びはじめると非常に早く高いレベル

が、だんだんと困難な事例が増えてきたと思われるが、それにつれてこちらの体験も深まり能力も高まってきた

ます増加するであろう。筆者の経験から考えても、初期の頃は簡単によくなる事例が多かったように思う。それ

心理療法に対する需要は、わが国において今後ますます増加するであろう。それとともに、困難な事例もます

て再考され、再検討していただきたいものと思う。

反面、安易に用いられすぎているとも言えるので、本書に論じているような多くの問題点について、本書を通じ

だけると幸いである。現在では夢分析も箱庭も大いに用いられるようになり有り難いことである。しかし、その

いるところが認められるが、それも上記のような「苦労」の反映であり、そのような点を配慮しつつ読んでいた

論文に、夢分析を行うことについて、慎重すぎるほどの表現がみられたり、もってまわったような言い方をして

とであり、それをどのようにしてわが国に導入するかについて、いろいろと考え、苦労したものである。初期の

007

はじめに

一九八六年一月

なお、各論文の初出時の各出版社に対して、ここに転載を許可されたことについて厚くお礼申しあげたい。

謝の言葉を申しあげたい。

なったのは、筆者としては喜ばしい限りである。今回も、社長自ら編集の労をとって下さった。ここに心から感

ら長い年月が経過したが、堀江さんも自らの会社をつくられ、そこからこうして本書を出していただけることに

が昭和四二年に『ユング心理学入門』

(注:培風館)

を出版した際に編集の労をとって下さった方である。それか

最後に私事にわたって恐縮であるが、本書の出版社

(注:初版の出版社である新曜社)

の社長、堀江洪氏は、筆者

れば、真に有り難いことである。

自分たちの能力を高めるように努力しなくてはならないと思っている。本書がそのために少しでも役立ってくれ

状勢は、今後ますますその程度を大にしてゆくであろう。われわれはそのような社会の要求に応えるためにも、

して成立せしめることは、なかなか容易なことではない。しかし、そのようなことを多く必要としている社会の

まがいのことをするのではなく、一個の人間が問題を克服し成長してゆく長い道程を共にしつつ、それを職業と

つようにならなければだめだと筆者は考えている。気安め程度の助言や忠告を与えたり、期間を限定しての訓練

に向かってお互いに研鑽を積んでゆきたいものである。端的に言って、心理療法家として開業して生計が成り立

いうことである。もちろん文化差の問題があって一概には言い難いところがあるが、専門家として確立する方向

欧米の心理療法家に接していつも感じることは、わが国の心理療法家は専門家としての自覚がまだまだ低いと

ないことが多すぎる、というのが現在の実感である。

009

第Ⅱ部

第九章

第八章

心理療法における場所・時間・料金について

心理療法と精神医学

130

140

心理療法の理論的位相

…………………………………………………………………………………………

第七章

第六章

第五章

第四章

第三章

第二章

第一章

ユングのタイプ論に関する研究

文献的展望

心理治療における文化的要因

82

104

心理療法におけるイニシエーションの意義

70

夢のなかの治療者像

59

夢分析による学校恐怖症高校生の治療例

39

ユング派の分析における技法と理論

学校恐怖症児の事例を中心に

ユング派の心理療法

14

  • 129 28

第Ⅰ部

ユング派の心理療法

………………………………………………………………………………………………

13

はじめに

5

編者まえがき

河合俊雄

1

010

初出一覧

295

290

第Ⅲ部

第二二章

第二一章

第二〇章

第一九章

第一八章

第一七章

第一六章

境界例の心理療法について

283

児童の治療における親子並行面接の実際

家庭内暴力の心理療法

261

夫婦関係のカウンセリング

箱庭療法と転移

箱庭療法の発展

遊戯療法

218

242

229

252

274

心理療法の技法と実際

…………………………………………………………………………………………

217

第一五章

第一四章

第一三章

第一二章

第一一章

第一〇章

事例研究の意義と問題点

臨床心理学の立場から

207

心理療法家にとっての治療理論

ユング派の立場から

心理療法における学派の選択について

「心因」ということ

精神療法の深さ

168

179

心理療法における

「受容」

「対決」 と

157

189

199

014

1931a

individuation

Jung, 1953a, p.211

dialectical process

a fellow participant

Jung, 1935

Jung,

いての潜在的創造性に対する信頼、⑷真の経験の重視、の四点である。このようにだけ述べると、ロジャーズの

つまり、⑴患者と治療者の人間関係、および⑵その関係における治療者の人格の重視、⑶患者(人間一般)につ

上に簡単に述べた点において、ユングの心理療法に対する基本的態度の重要点が述べられていると私は思う。

る」

ことが強調される。

。そして、この過程が、単なる解釈や、理論にとどまらず、

「まさに、それを経験することが最も重要であ

ならぬ。つまり、患者自身のなかにある潜在的な創造的可能性の発展の道に従う」べきであると答える

によって導かれてゆくか、という問いに対して、彼は、

「われわれは自然を一つのガイドとして従ってゆかねば

)の過程のなかに、患者と共に深く関与していくものである」

。そして、この過程が何

り、

く、

者(

て、

弁証法的過程」

)であり、この過程において、

「治療者は、もはや患者にまさる賢者として、

心理療法の基本は、治療法と患者の相互的人間関係にあることを、ユングは第一に強調する。それは「一種の

1.基本的態度

第一章 ユング派の心理療法
第一章
ユング派の心理療法

015

第1章

ユング派の心理療法

Hall et al. 1959, p.109

confession

elucidation

Walker, 1959

Jung, 1953b, p.4

education

transformation

Gendlin, 1961

これらの心理療法を大別して、告白(

) 、解明(

) 、教育(

) 、変容(

ということも大切である。しかも、それがすべてをつくすものでないことも同様に大切なことである。ユングは、

それらはお互いに排斥し合ったり、一見して矛盾しているごとく見えたりしながら、すべてが一面の真理である

のおのの心理療法家が一つの理論を打ちたて、それがおのおの、ある程度の成功を博することになる。そして、

の役割も、おのずから異なってき、治療の過程も異なることであろう。これと人間心理の複雑さが相まって、お

のあることを認め、ユングは一応、九段階に分類してみている

。したがってこれに対する治療者

言を求めるだけのこともあろうし、深く、自分の人生観の根本問題にまで及ぶこともあろう。それには程度の差

は、その内的、外的な条件によって、必ずしも同じ目的をもっているとは限らない。それは、単に、何らかの助

さて、上に述べたことをもう少し詳しく述べてみる。患者が分析家のところへくるときには、実際問題として

関係していることも、すでに指摘されているところである

する批判として提出されてきたものであり、これらの諸点が、いわゆるフロイト左派といわれる人たちの発展に

ていることは注意されてよいことだと思う。また、容易に認められるごとく、上の諸点は、フロイトの方法に対

も立証し難いものであろう

。ともあれ、これらの点をユングが早くも一九三〇年頃に指摘し

ユングの影響を受けているという気は毛頭なく、むしろ、ホールらのいうごとく、間接的影響という点において

く感じることではないかと思う。もちろん、このようにいっても、ロジャーズが「自己実現」の考え等を含めて

と思う。この点は、もちろんフロイト派とも異なっており、実際ユング派の分析を受けたときに、患者が一番強

点も最近では、むしろユングの考えている線の方に近く修正されてきたとみていいのではないか

た点が、ロジャーズのはじめに唱えたいわゆる「非指示的」な点と異なるといえば異なっている。しかし、この

問題と考え、治療場面において、治療者は、よりとらわれることなく、自由に生き生きと行動することを重視し

第一の仮説といってもよい。⑷についてはいうまでもない。ただ、⑵において、ユングが治療者の人格を大きい

影響を多く受けた人は、その共通点の大きいのに驚かれるかも知れぬ。表現法は少し異なるが、⑶ロジャーズの

ユング派の心理療法

016

Jung, 1951

Jung, 1931b

Jung, 1953b, pp.40-60

teleological arrangement

いる」

ためといっていい場合さえある。この場合、一人の人間を前にして、治療者にとってなしうる

いえば、その正常さこそが、この人にとって問題である。むしろ、原因は「患者が平均以上の何ものかを有して

あるが、これらの人はむしろ人生の成功者であったり、社会にもよく適応している人が多い。しかし、逆説的に

では扱い切れぬ場合が存在することをユングは指摘する。その多くの例は、人生の後半において現われるもので

さて、上のようにして説明することができればよいが、治療者にとっても、患者にとっても、上のような説明

い。すなわち、過去も未来も背負ったものとしての現在の意義を強調しなければならぬと考える。

に説明するのみならず、アドラーのいうように、将来に対する目的をもったものとしても理解しなければならな

合うよりも、相補うべきものと考える。実際に患者に当たるときも、単にその過去の経験にさかのぼって因果的

フロイトは外向的、アドラーは内向的な型に属していると考える

。そして、これらは排斥し

である。一つの事象に対して、このように異なった見方の生じるのは、人間の人格型の相違にあると考え、彼は

ユングは、この両者の方法に反対はしない。どちらも極めて有効であることは、彼が繰り返し述べているところ

者を社会的に教育することの必要性を認めたわけである。すなわち、これがユングのいう、教育の方法である。

これによって、彼の方法は、より社会との連けいを重んじ、教育的な方法に強調点がおかれることになった。患

症状は、彼にとっては、患者の未来に対する一つの目的をもった設定(

)と考えられる。

説明に対し、目的論的な説明を重んじた。フロイトにとって、過去の経験の結果として説明されるべき神経症の

立場を強調して反対した。フロイトの性欲説に対し、彼は権力への意志を第一の動因と考え、フロイトの因果的

って多くの症例が解明され、治療されたことは事実である。しかし、これに対し、アドラーはまったく異なった

の原因を因果律的に解明し、その原因を探りあてることによって治療するわけである。このフロイトの方法によ

ころが大きいことを、ユングはつとに認めている。すなわち、彼による転移現象等の解釈の方法である。神経症

この方法のみでは解決がつかぬことが明らかになったとき、次の方法が登場する。これは主にフロイトに負うと

の四つに分けた

。告白はもちろん、いわゆるカタルシスの方法を重要視するものである。しかし、

Jung, 1931b

Jung, 1935a

conscious mind

transformation

Jung, 1931b

Jung, 1931a

antinomy

017

第1章

ユング派の心理療法

い」

のである。

されるのであり、しかも、それは患者に向けられると同じ厳しさと徹底性と忍耐をもってなされなければならな

しまうからである。まさに、

「治療者が信じている治療法を、その治療者自身に向かって適用されることが要請

においては、治療者自身が自分の心理的問題を多く未解決でもっていたのでは、まったく動きがとれなくなって

けることが必要であることを最初に認めた彼の功績は非常に大であるといわねばならない。すなわち、この段階

に影響を与えることは不可能であるとさえいっている。この点において、分析家になるためには、教育分析を受

視されるかはすでに述べたが、本当の意味で、治療者の人格も患者の影響をうけて変化するのでなければ、患者

と患者の人格がぶつかり合い、両者共に変容をとげることである。治療者の人格がいかにこの場面において重要

夢の分析については後に述べるが、この段階において大切なことは、夢というものを一つの媒介として、医者

ちろん、ユングは、ロジャーズと異なっており、この点において、両者の方法も非常に異なってくるわけである。

必然的に患者の無意識の所産である夢の分析へと重点がおかれることになる。この無意識の概念を認める点がも

り行きづまってしまったとき、自分の無意識がそれを打破すべく反応するだろう」

。そして、これは、

こにおいて、ユングに従えば、

「自分の意識(

)が、何らかの可能な方法を見出だせぬとき、つま

さて、このような状態においては、治療者はもはや、レディーメイドの理論や説明を与えることができない。こ

ように私は思う。たとえば、上の例であれば、先入見は心理療法に必要であり、しかも不必要であるといえる。

の一面性を嫌い、一見矛盾するようなことでも、それを自分の説のなかに包含し、逆説的に述べてゆく点にある

は、くわしく述べているが

、彼の説を難解ならしめ、あるいは誤解させる一つの原因は、彼が理論

は無謀といっていいかも知れぬ。心理療法の場面において、常に存在する二律背反性(

)について、彼

無用というのではない。棄て去るべき先入見(理論といっていいと思うが)ももたずに患者に当たろうとするの

ない。このような場合の治療過程をユングは、変容(

最良の方法は、むしろ「あらゆる先入見をとり去って」

)と呼んでいる。だからといって、先入見が

人間対人間として相対することよりほかに

 

著)

(編著)

『京都「癒しの道」案内』

(共著)

『臨床家河合隼雄』

著書に『概念の心理療法』

『ユング』

『心理臨床の理論』

都大学こころの未来研究センター教授。

PhD.

課程中退。

一九五七年、著者の長男として生まれる。京都大学大学院教育学研究科博士後期

編者

り組み、二〇〇七年七月一九日、逝去。享年、七九歳。

彰など、数々の受賞歴がある。長年、日本の心理臨床の発展のためにひたすら取

年に日本放送協会放送文化賞、一九九八年に朝日賞、二〇〇〇年に文化功労者顕

る』で第一回新潮学芸賞を受賞。そのほか、一九九五年に紫綬褒章、翌一九九六

書多数。なかでも『昔話と日本人の心』で第九回大佛次郎賞、

『明恵

『ユング心理学入門』をはじめ、全一四巻におよぶ『河合隼雄著作集』など著訳

化研究センター所長、二〇〇二年、第一六代文化庁長官に就任。

介し、その発展に寄与。一九九二年、京都大学を退官。一九九五年、国際日本文

都大学教育学部で臨床心理学を教えるかたわら、ユングの分析心理学を日本に紹

し、日本人として初めてユング派分析家の資格を取得。一九六五年に帰国後、京

九五九年にアメリカへ留学。さらに、一九六二年にスイスのユング研究所に留学

一九五二年に京都大学理学部卒業後、高校の数学教諭、天理大学講師をへて、一

一九二八年、兵庫県篠山市に生まれる。京都大学教育学博士。京都大学名誉教授。

著者

『ギーゲリッヒ

『発達障害への心理療法的アプローチ』

(編著)

河合俊雄

河合隼雄

夢セミナー』

(編著)など。

(チューリッヒ大学)

、ユング派分析家。臨床心理士。現在、京

(かわい

としお)

(かわい

はやお)

 

『ユング派心理療法』

(編

(編著)

『思想家河合隼雄』

『村上春樹の「物語」

   

夢を生き

 

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(電話

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本書の無断複写は著作権法上での例外を除き禁じられています。

〈

ISBN978-4-422-11561-0

©2013 Hayao Kawai, Printed in Japan

乱丁・落丁本はお取り替えいたします。

http://www.sogensha.co.jp/

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〈本

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二〇一三年三月二〇日

新版

 

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河合俊雄

河合隼雄

 

 

 

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りょう

   

 

〇〇四七

 

 

三二六九

〇八二五

六二三一

 

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