西夏 のネ喬をたず ね て

◆ ム ニャ語 の調査 へ出 発 ム ニャの人 々が暮 らす村 は遠 い。中 国 の地 図帳 を開 いて % の南 西 にあ り、地 図 町の町 は 成 颯 四川 省 を見 る と、康 ″ く康定 に到着 。 そ こから さら に折 多 山 の峠 を越 え るとチ ベ 下 る ルー ット世界 とな り、 川蔵公路 の途中 の瓦 澤 から南 へ ”g oチベット ト に入り、 ミ ニヤ コンガ の麓 に近 い沙徳 お 羊 ︼ 口 良 い土地﹂ の意︶区 の六巴 ︵ ”g チベット語 で ﹁ 語で ﹁ 。 を飼うも の の意︶郷 が 目 ざ す ム ニャの村 であ る 康 定 か ﹂ 日 の道 程、 沙徳 から 六巴 郷 ま ら沙徳 ま では バ スがぁ り約 一 日 か かると問 いて いた。 では さら にバ スか馬 で 一 。 九九 五年 の夏、 とう とう ム ニャ語 の調査 が実 現 した 一 、 日本 で民 族 学 を学 ぶ元 族 の張 職 さ ん は 北 京 の中 央 民 。 族学院 に留学 した とき以来 の友 人 であ る 成都 の民族研究 上 ではわず か五 セ ンチ ほど、直線 距離 にし て約 二〇〇 キ ロ 。 メート ルくら いに過ぎ な いのだが ⋮ 行 く とな ると成 田 から北京 ま でが 日本 から ム ニャの村 へ 四時 間程 のフライ ト、北京 から成 都 ま でが や はり飛行機 で 。 約 二時 間、 し かしそ の先 は車 で相当 な日数 が必要 だ 成 都 、 から雅安 ま では道 路 が整備 され て いるが 雅安 を過ぎ ると 一 七メート 三日 一 山路 に入り、康定 と の間 に答 え る 二郎 山 ︵ ル︶越 えが かな り の難所 であ る。地 形 が険 し いのと道 路 の 、 l ご収方 への ^ ︲ ︱ ム ︲、 ︲ ,︲ ︱ ,﹄プ =︱ ︱年︱ ︲ ︲1 ︲  ︲ 偶放 ︱ t奇 放 日 ︱ 方 通行 、 し かも雨 が続 く としば しば 土砂崩 れ で通行 不能 と ン 泊 し、 翌 日 よ う や な る。 二郎 山 を越 え た ら燎 ぎ の町 で 一

︲ リ , リ︶細語倒 に勤 ある張 さん の友 人 た す に依救 し てム ニャ語 て寸断 され、復 旧 の見 通 しが たたな いのだ と いう。 そ こで の発話協 力者 を探 し てもら えな いかと打 診 し て い たと ころ、 日本 への フ ァツク スが使 え、中 国国内 の 連絡 も とり やす い 仲 間 のひとり の親戚 にム ニャの人 が おり、調査 に 協力 し て 四川大学 の留 学生宿合 に移 って待機 す る こと にし 。 た く れ そう だ と いう嬉 し い情 報 が届 いた。 こ の調査 には 折よ 成都 に出 てく る のにこれだけ の日数 が かか つて いる のだ く ト ョタ財団 から研究助成 を受 けら れ る ことが決 ま 、 り 張 から、運 がよ か つ た とし ても我 々が現地 へ 到着 す るま で十 さん にも成都 ま で同行 し て調査 の手配 を し ても らえ る こと 日 は かかる。 現地 から成 都 へ 帰 るとき にも また崖崩 れな ど にな った。出 発前 の計 画 では、 発話協 力者 の方 に い っ たん 成都 ま で出 てき て いただ いて打 ち合 わ せをし、旅行 許 可証 な ど必要 な手続 きを済 ま せ てから い っ し よに康 定 へ 向 か い、 交 通 の状況 によ っては康 定 で基本的 な聞 き取 り調査 を 終え たぁ と、 そ の方 の案内 でム ニャの村 に数 日 の訪間 が で れ き ば と考 え て いた。 こ の年 の夏、 四川省 は天候 が 不順 で降 雨量 が非常 に多 か った。 四川省 西北部 はも とも と夏 に雨 が 多 く、 七、 八月 は 雨季 と呼 ん でも いいく ら いであ る。北京 では先 に 成都 に来 て我 々を待 つはず の発話協力者 が まだ到着 し て いな い とい う連 絡 があ り不安 が よぎ ったが、成都 に到着 した我 は 々 驚 く べき ニ ュー スを聞 いた。康 定 の町 の中 心 を流 れ る折多 河 が氾 濫 し て、谷あ いの町 は水 没状 態 となり、数 十 人も の死 者 が出 たう え、康 定 から各 地 に のび る道路 も崖崩 れ によ っ で足留 めされたら、 い つ戻 ってこられ るかわ からな 。 い こ れ では調査 ど ころ の話 ではな い。 とな ると残 され た手段 は ただ ひと っ。現地 入り はあ きら め て成都 で発話協 力者 を 待 ち、言語 調査 のみを行 なう こと であ った。 ◆ カ リレー ? とはサーヅ ? こう し て待 つこと十 日あ まり、 よう やく念 願 かな っ て発 話協力者 のガヅ オ ︵ ︶ チベツト語では F ” 3 さん にお会 算∽ いす る ことが できた。 ガヅ オさん は当 時 四十 七歳 、 沙徳 区 六巴郷 で農業 を営 み、 ふだ ん家 と村 では ム ニャ語 を っ 使 て いて、 し かも チ ベット語 と漢語 が話 せ ると いう、 ま さ に理 想的 な人物 であ る。 と ころが調査 を始 め てみると、困 っ た ことが発牛 し たぃ 彼 の話 すチ ベ ッド語 はカ ム方言 で、私 が習 った ラサ方 ︲ ︲ ,
リ │││ ││1lt 西夏の大奇 をたずねて (F)
'リ

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文法 がず いぶん ちがう。 私 は彼 のカ ム方言 は発音 。 語彙 。 。 が聞 き取 れな いし、彼 は私 のラサ方言 が ま る でわ からな い カリ レー ?﹂だ が、 カ 何 です か?﹂ は軽 く ﹁ ラサ方言 で ﹁ デ ジ?﹂ のよう に言 う。 チ ベ ット文字 で ム方言 では重 く ﹁ 、 書 けば な んと か お互 いに了解 でき るも の の 口語 で の コミ
っても や は り わ か っても ら えず 、 チ ベ ット文 字 で書 いて み た のだ が 、 基 本 的 な 単 語 の はず な の にど う いう わ け か知 ら 商 品 を売 って 売商 品的家 ︵ な い、 と いう 。 困 って漢 語 で ﹁ 買 い物 をす ると ころと と 説 買東 西 的 地 方 ︵ いる家ご と か ﹁ 売﹂ 買﹂ は 三声、 ﹁ 明 し た のが いけ な か った。 標 準 語 の ﹁ 、 は 同音 で 四声 だ が、 彼 の漢 語 方 言 で は ち ょう ど逆  つま り ﹁ 売 ﹂ は標 準 語 の三 声 のよ う 買 ﹂ は 標 準 語 の四 声 に近 く ﹁ に発音 さ れ る の であ る。 た だ 余 計 な 混 乱 を 招 く 結 果 と な っ た。 い った ん こう いう 状 態 に陥 る と 、 泥 沼 には ま る。 昼食 の処 を食 べ に外 に出 た ついで に 近 所 、 の を あ ち こ ち指 差 し て、 も う いち ど 説 明 し よ う や く 理 店 、 ガヅ ォさ ん には ﹁ お前 が シ 、 説 明 を す れば す る ほ ど

ュニケ ー シ ョンは不可能 だ った。 漢語 が これまたた い へん 。 で、 バリ バリ の四川方言 の田舎 ことば であ る 四川方言 は 、 基本 的 には北方 の標 準語 に近 く 上海語 や広東 語 のよう に 。 構造 が大 きく異 な るわけ ではな い そ れ ゆえ 四川 の人 は自 分 た ち の方言 は標 準語 を話 し て いる のと大差 な いと考 え る 。 ので、標 準語 を きちん と話 せ る ひとが そも そも少 な い そ う した成 都 の人が話 す 四川方言 には耳 が慣 れ ては いた と は 。 いえ、 田舎 言葉 とな ると相当 に苦労 す る し かもガヅ ォさ 。 ん は漢字 は読 み書 きが できな い、 と いう のであ る こう し 、 てム ニャ語 を調査 す る媒介 言語 は 話 し言葉 は漢語 の四川
解 し て も ら う こ とが で き た が 子︶ って ん だ 。 おま え の漢 語 も ま だ ま だ だ な チ ベ ット語 も ツ ォ ンカ ンじ ゃな く って ツ ォ コンだ た。 舗 ヤ から いけ ね え 。 あ れ は 正 し く は プ ーヅ ︵ ン と か 言 う 何 。 そ れ から、 。チ ベッ

方一 言で、書 き言 葉 はチ ベ ット語 でと いう た い へんな こと に ならざ るを得 な か った。 お店 ﹂ と いう単語 を ム ニャ語 でなん と いう の あ るとき ﹁ 商 店 を成 都方 ﹂ か聞 き出 す の に、語彙項 目 の見出 し語 ﹁ サー ゾ 、﹁ 吟 子?

ト語 も ま ちが っと る﹂ と お叱 り を いた だ く こと にあ いな っ

一 言ふう に発音 し て訊 ね てみた と ころ話 が 通 じず

さ て調 査 目 的 の ム ニャ語 で は ﹁ お店 ﹂ と いう 総 称 は、 チ ベ ット 語 か ら の借 用 語 ヽ 〓 多o庁 一 2ヽ ツ ォ コ ン ︵ な るほど o 正 しく ツ オ コンだ︶ で、 個 別 の お店 は、 売 って い る も の の 名 称、 た と えば 油 ヽ ヌ ェな ど を 前 に つけ てむ S S E ● sヽ 〓 ミヌェ ︵ 一 油︶ ク ト ゥ ︵ 買 う︶ ラ ク ︵ みせ︶ の よ う 日 デ ″ に言 う のだ と や っと の こと で判 明 。 こ のよ う に ひと つの単 語 を 聞 き出 す の にた っぶり 数 時 間 も か か ってし ま う こ と が しば しば あ った 。 こう し て成 都 で約 一ヶ月 を か け て収 集 し た ム ニャ語 の語 彙 は約 四千 語 、 例 文 は 五 百 余 に のぼ り 、 現 在 そ の整 理 作 業 を 進 め て いる。 先 に整 理 が 済 ん で問 題 点 が 明 ら か にな った

音韻体 系 に ついては、研究結 果 を昨 年 の夏 に北京 で開 催 さ れた国際漢 蔵語学会 で公表 した。 そ の際、孫宏 開教授 と黄 布 凡教授 と直接討論 し て積年 の疑 間 を晴 らす ことが できた のはう れ し い収 穫 だ った。 語彙 と文 法 は さすが に難 し く、 作業 を進 め て いく中 で生 じ る幾多 の疑念 をただす には、 ま た数年 の準備 と相当 の調査時 間 と資 金 が必要 にな る。 わ か らな いと ころを ガヅ オさん にち ょ っと電話 し て聞 いてみる と いう わ け に いかな いのが、 こう し た マイナーな言 語 の研 究 の辛 いと ころだ。 ム ニャの村 には庶 民 が使 え る電話 はな く、 緊急 時 には電報 が まあ使 え る にし ても、手紙 も届く か どう か保 証 の限 り ではな いと のことだ った。 勝手 な希 望 だ が、今 後 は北京 や上海 な ど の都市 部 に住 むム ニャの人 と知 り合 いにな る機会 があ る ことを願 わず にはおれな い。

調査 の合 い間 に。 ガ ` ジォさん と筆者

◆西夏 語と の比較 の試 み ム ニャ語 が はた し て本当 に西夏語 の末裔 な のか、 そ の実 証 は簡 単 には いかな い。 ガヅ さん と の話 の中 でわ か ってきた のは、 ム ニャの人 々 は言葉 は違 って いても、自 ら は全 く ﹁ チ ベ ット族 ﹂ だ と考 え ており、生業 も服装 も建築 も宗 教 も生 活習慣 も す べてチ

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ーー短 期集中連載

西夏の末裔をたずねて (ド )

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。 ど の意ご と 聞 き 返 さ れ るば か り なに ・ 什久 ︹ ︵ 標 準語 の ﹁ , ゴ 資 ツ ォ ンカ ンと言 ● ” ● ラサ方言︶ でヽ多 o チ ベ ット語 ︵ ”庁

ベ ット式 ながら、 し かしそ の中 で自 分 た ちは 。 いう サブ グ ループ だ と いう意 識 はあ ると いう こと でぁ る 塾鴨 諄 ︵ 謡 土地 地角話ご つま り ﹁ 彼 ら の言 語 は 漢 語 で ﹁ のことば ﹂ と呼ば れ、仲 間 どう し で のみで使 う非 公式 の話 し言葉 のよう に見 な され て いて、 な ん で外 国人 のお前 が そ 、 んな も のを わざ わざ 調査 にや ってきた のか 変 な ヤツだ と 言 わ んば かり であ った。 、 参 考 ま で に基本 的 な単語 を いく つかあげ て 復 元 された 西夏語 の復元形は西田龍雄教授 に 西夏 語 と対 照 し てみよう ︵ 。 にはどう す れば よ いのか 語 彙 では身体 名称 や数 詞
ム ニ ャ語
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﹁ ム ニャ﹂ と
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。 よる︶ 、 、 ざ っと見 ても わ かるよう に 数詞 の二から六 ま でと 第 、 致 人称 および 第 二人称 代名詞 は似 て いるが ぴ たり と 一 一 す るわけ でも な い。復 元 さ れた西夏語 は十 二世紀ご ろ の古 、 語 であ る。 西夏語 と ム ニャ語 を比較対 照 す る のは 例 え て 妻 鏡 ﹄ な ど に書 か 往 生 要 集 ﹄ Γ口 今 昔物 語﹄や ﹃ いえば ﹃ 、 れた文字 を も と に平安末 期 から鎌倉時 代 の言語 を復 元 し て 、 致 を みな い 現代 の話 し ことば と比較 す るよう なも ので  一 。 のも実 はそ れほど不思議 ではな い それ では、西夏語 と ム ニャ語 の関 係 を実 証的 に研究 す% 、 基礎
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的 な事 物 の名 称 など、変 化 や入 れ替 わりが起 こり にく いと
西 夏語 ・ ム ニ ヤ語 対 照表

基礎語彙 ﹂ のデ ータを比較 す る ことが重要 で 考 えら れ る ﹁ あ る。 し かし、 な にをも って基礎語彙 とす る かは民族 によ っ り異 な る。数 詞 は ョー ロッパ の言語 では重要 な基準 にな たが、東 アジ アでは借 用 が広範 に行 な わ れ て いる ので慎 重 ひと 2 か にし なく てはなら な い。 現 代 日本 語 でも 一つ ︵ じ ゅう いち︶以 上 は とお︶ま で は和 語 だ が、 十 一 ︵ ら十 ︵ 。 以 とたん に中 国語式 にな ってしまう ム ニャ語 でも 二十 一 。 上 の数 詞 はチ ベ ット語 から の借 用 であ る

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西夏語 w
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鎌倉時 代 の日本語 と現代 の話 し ことば では、発音 や語彙 や動詞 の活 用 は変 化 し てし ま って いても、音 の構成 のしく みや単 語 の用法 に 一 定 の対応関 係 があ り、 な により文 法 の 枠組 みは変 わら な い。 それ ゆえ、 ど ちらも同 じ日本語 と同 定 す る ことが でき る。 西夏語 と ム ニャ語 の関係 に ついても、 現在 研究 の中 心 とな って いる のは文法 の枠組 み の比較 と、 近 隣 の諸 語 を参 照 す る こと によ って変 化 の跡 を たどれそう な語彙 の対応関 係 を発見 し て いく作業 であ る。 ◆ ふたたび ム ニャの村 をめざ し て 、 な ん と いう幸運 であ 研究 が軌道 に乗 り始 めた と ころ へ ろう か、昨 年 ︵ 一 九九八年︶ の夏、再 び ム ニャの村 を 訪 れ るチ ャンスが巡 ってき た。食 材 と アジ ア の地 域文 化 の紹介 を主 な テー マとし て幅 広 い分 野 で活 躍 し て いるジ ャーナリ スト の友 人中 西純 一 さん から、 ト ヨタ財 団 の助成 を得 てデ ルゲ パ ルカ ン ︵ 徳格印経院︶ の経 典 印 刷 シ ステ ムを取 材 す る ので協 力 し てほし い、 と いう依頼 を受 け た のであ る。徳 格 は甘孜 チ ベ ット族自 治州 の最内 陸 部、 チ ベ ット自 治区 と の境 界 に位 置 す る町 でカ ム方言 の中 心地 であ り、経典 の印 刷 を中 心 に発達 し た徳格 の言語 文化 が ど のよう に東 チ ベ ッ

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卜 の各 地 へ 拡 大 し た のか、地域 共通語 とな った カ ム方言 の 特徴 と識字 教 育 に果 たした役 割 な どが協 力者 とし て私 に託 された研究 テー マであ った。 そ こでこ の機会 にぜ ひム ニャ の取材 も させ てほし い旨 を中 西 さん に相談 し、快 諾 を得 る ことが できた。 ム ニャ語 の分布地域 は徳格 への取材 の ルー ト沿 いの地域 にあ る。 こ の地方 は歴史 上 ﹁ 木雅 の五学者 ﹂ と呼ば れ るすぐ れた人材 を輩出 し、 チ ベ ット仏教 と カ ム の 地方 文化 の発展 に大 きな足跡 を残 し て いるば かり でなく、 ム ニャ語 の語彙 にはチ ベ ット語 カ ム方言 から の大 量 の借 用 と っても重要 な問題 な のであ る。 し かも中 西 さん自 身 か つ てト レ ッキ ング でミ ニヤ コンガ の麓 ま で行 き、 ム ニャの村 を通過 し た経 験 があ った。 そ のとき ベー スキ ャンプ にな っ た のが 六巴 の村 であ る。 今 回も張畷 さん には助手 とし て同行 を お願 いした。 ム ニ ャ語 は中 国 の研 究 者 の間 で は元 語 支 に分 類 さ れ、 チ ベ ッ ト語 よりも売 語 に近 いとされ て いる。 そ こ でム ニャの人 々 の暮 らし の中 に売族 と共通 の文化的 要素 があ る かどう かを 張 さん に調 べても ら いた か った。 七月 二十 一 日 に日本 を発 ち、 北京 を経 て八月七 日 に成都 を車 で出 発。今 回 は中 西 さ
西夏の末裔 をたずねて (下 )

語 があ る ので、 カ ム方 言 の伝播 の調査 は ム ニャ語 の研究 に

83 -― 短期集中連載

ん の手 配 で成 都 の旅 行 会 社 を 通 じ、 ガ イ ド と 四輪 駆 動 車
ャの人 々 の暮 ら し ぶ り を実 見 す る こと は 難 し い以 上 、 こ の町 を起 点 と し て情 報 を 集 め、 さ ら に取 材 を 進 め て いく し かな い。 ガヅ オさ ん の住 む 六 巴 の村 ま で は約 二 十 キ ロ、 日 帰 り も 可 能 だ し中 西 さ ん から は 小 さ な招 待 所 のよ う な宿 泊 施 設 が あ る こ とも 聞 いて いた。 し
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。 ︵ ランドクルーザー︶をチ ャー タ ー し て の旅 とな った 二郎 泊、 九 日 に康 定 に到着 し た 山 は南 から迂 回 し て漢 源 で 一 のち 二日 ほど休 ん で高 山障 害 の回復 を待 ち、十 日 に沙徳 ヘ 向 か った。川蔵 公路 は折多 山 の峠 を越 え塔 公 ま で快適 な舗 、 装道路 が続 く。途 中 、瓦 澤 から分岐点 で鋪装 は途 絶 え 車 は バウ ンドをく り返 しなが らリチ ュ河 に沿 った 田合道 を進 んだ。休憩 で車 を降 り るとめま いが し てち ゃんと立 って い ら れな いほど の揺 れ であ る。 た感 じ そし て半 日、 到着 し た沙徳 は田合 の交 易所 と い っ の小 さな町 であ った。大 きな建 物 は小学校 と沙徳 区 の人 民 本 の道 沿 いに雑貨 屋 のよ 政府 く ら いで、 町 の中 心を なす 一 う な小 さな店 が軒 を列 ねる。 ほとんどが漢式 の四川風 の本 造建築 であ り、 そ のな か に何軒 か石造 り のチ ベ ット建築 が 混 じ る。交易 や買 い物 におとず れ る人 々は漢族 とチ ベ ット 族 が半 々くら い、 飛び 交う言葉 に注意 を向 け ると漢語 の四 川方 言 が ほとんどだ が、時折 チ ベ ット語 カ ム方言 と ム ニャ 語 が聞 こえ てく る。 これま で の四川省各 地 で の取材 の経験 から、 もう す こしチ ベ ット文化 の濃厚 な土地 を想像 し て い ただ け にこれ にはす こしが っかりし た。沙徳 の町 では ム ニ ろ に上砂崩 れや水 の出 た跡 があ った。 出 発当 日 は朝 から雨模 様。 と にかく いけると ころま で行 ってみよう、 ト レ ッキ ング 用 の腕時計 の気 圧計 の表 示 は上 む のを躊躇 した。 距離 に応 じ てあ と で精算 す る から と説得 したも の の、 それ以上 に心配 された のはガ ソリ ンの補給 と 、 道路 の状 態 だ った。沙徳 に来 るま で の道 でも と ころど こ 、 進 かし運転 手 は走行 距離 が契 約 と異 な ると主張 し て 先 へ

昇傾向 を 示し て いる。 しば らくす れば 天気 は回復 す るはず だ。 そう言 ってガイド と運転 手 を促 し小雨 の中 を出 発 し た。 リチ ュ 河 は増 水 し て轟 々た る激 流 と化 し て いる。左手 に河 を見 下 ろし、右 手 には樹木 の茂 る高 い崖 の続 く川沿 いの道 は、 と ころど ころ水 が たま って泥渾状態 であ る。 とき おり 激 しく バウ ンド しなが ら、初 期 型 のラ ンド ク ルーザ ーは ム ニャの村 を目ざ した。 天候 は容易 に回復 の兆 しを見 せな い。 そし て約 二時間程 進 んだ と ころ で車 は突 然 止 ま った。 落 石 が道路 を塞 いで いた。前 方 で激流 が大 きく左 にカー ブ しな がら下 って いく のが見 え る。右 手 の崖 の上 から滑 り 落 ちた土砂 が道 の上 に崩 れ かか って いたけ れども、 そ の上 には車 の轍 の跡 が続 いて いて、先 への通行 は可能 と思 われ た。 が、 山側片車輪 分 の轍 の上 に大 きな 石が横 た わ って い て、 それを移 動 し な いこと には車 が通 れ るだ け の道幅 が な い。雨 具 を は おり車 を降 り て石 の撤去 が可能 かどう か確 認 に向 か った。 幸 い石 は さほど大 きくなく、少 し掘 れば 数 人 の力 で動 かせな いこともな い、 と張域 と私 が話 し合 って い たそ のとき であ る。小 石 や小枝 を含 んだ上砂 がぱ らぱ ら と 上 の崖 から降 り注 いできた。 と見 る間 に前 方 でこぶし大 か ら一 抱 えもあ るよう な岩 の破 片 が つ ぎ から つぎ へと落 ち て ◆ エピ ローグ

き て路 の上 でバウ ンド し、激流 の中 へ 白 い水 し ぶきを上げ て落 ち て いく のが見 え た。 も はや ここ で石 をど かす作業 を す る のは危 険 だ った。仮 にど かせた とし ても通過中 に車 が あ のよう な石 や上砂 に直撃 されたら ひとた まりもな い。  一 刻 も はやく こ こを離 れ る ことが先 決 だ。我 々は車 に駆 け戻 っ た。 ム ニャの村 ま であ と 二十 キ ロの地点 であ る。雨 の音 が急 に大 きくな った。

沙徳 の 町

狭 い路 でラ ンク ルを な んと かUタ ー ンさせ、沙徳 へと引 き返 す。途 中 に数軒 チ ベ ット人 の農 民 の家 があ った ので、 そ こ で取材 を した いと申 し 入れた。 あ が ってバタ ー茶 を御 馳走 にな る ことが できたが、写真 撮 影 は断 わら れた。家 の 造 り はカ ム地 方 に典 型的 な チ ベ ット式 で、 門を 入 ると壁 で 囲 ま れた空 間 が肥料 や雑穀 を干 したり す る中庭 にな って い て鶏 やブ タが歩 き回 って いる。 階 は納 屋兼家畜 小 屋、狭  一 い手 す り の ついた木 造 り の階段 を 三階 へ 登 ると居間 であ る。 調度 や用 具、服装 も全 く チ ベ ット式 だ が、家族 どう し の会 話 ではす べてム ニャ語 を話 し て いた。 やが て主 人 は息 子達

一―短期集中連載

西夏の末裔をたずねて (ド

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と農 作業 へ 出 かけ て いき、 母 と娘 ら しき 二人が我 々を接 待 と聞 いた。 な ん でも娘 の赤 ん坊 が病気 らし い。 沙徳 ま で二 。 人 と赤 ん坊 を送 って い ってく れな いかと いう のであ る 詰 めれば な ん と か乗 れ るだ ろう、 と答 え ると 二人 は身支度 を 始 め、 母親 は病気 の赤 ん坊 を つれ てき て、 おく る みを換 え た。赤 ん坊 は体 を のば した状態 で布 でし っかり と幾重 にも 。 包 まれ て いた。 スウ ォド リ ング と呼ば れ る方 法 であ る ま だ一 歳 に満 た な いく ら いであ ろう か、 お と な し く じ っと 我 々 のほう を見 て いる赤 ん坊 の勝 の部分 が小 さな風船 のよ  ヘル ニアだ。 場合 によ っては 一 う に異様 に膨 ら ん で いた。 刻 を争 う。沙徳 ま で行 けば 医者 が いると いう。 我 々は取材 をあ きら め、 ただ ち に車 で赤 ん坊 と 二人を送 って いく こと にし た。 あ の上砂崩 れ の様 子 では、 九龍 から沙徳 を通 り康 、 定 ま で日 に数本走 って いるはず の路線 バ スは、 二 三日 は 来 な いだ ろう。 沙徳 から の十 数 キ ロの道 のりを帰 りはどう トラ クタ ー にでも乗 せ ても らう から す る のかと訪 ね ると ﹁ 大 丈夫 よ﹂ と い って屈託 なく笑 った。 車 中 で聞 いた こ の親 子が話 す漢語 は、 ガヅ さん の話 し た 四川方言 を街佛 とさせ たが、彼 ほど に流暢 ではなく、 し か
れて いる。 シナチ ベット語方言学︶ 立教大学 ・ ︵  一 九九 八年 に掲載。 ジ ア言語 の研究﹄ X日、 、 ︵ 2︶西夏語 とム ニャ語 の比較研究 の専門的 な内容 に ついては 言語学大 省堂 ﹃ 西夏 語 の構造 と系 統﹂ 曾一 西 田龍雄教授 の ﹁ 世 界 言 語 編︼ 四〇 八∼ 四 二九 頁︶を 参 照。 辞 典﹂第 二巻 ︻ ﹃ 九九 七年︶ にも収 録 さ 岩波書店 一 西夏 王国 の言語 と文化﹄ ︵ 於 北京語言文化 大学︶ で 十 六日 に第 三十 回国際漢蔵語学会 ︵ 内陸 ア 発表 した。論文 は修正 し て中央 ユーラ シア学研究会 ﹃ 九九七年 八月 二  一 木雅語語音結構的幾個問題﹂と題 し、 ︵ 1︶ ﹁ ︻ 註︼         ︵ 完︶ 西 夏 の末 裔 を 訪 ね る旅 は ま だ 続 く 。 。 後 は書 斎 で西 夏 語 の末 裔 を探 索 す る旅 の続 き が 待 って いる 。 ム ニャ の村 は遠 い。 次 のチ ャ ン スは い つにな るだ ろ う か 滞 在 す る こ と は今 回 も ま た 果 た せ な か った 。 し か し、 帰 国 。 の町 徳 格 を 目 ざ し出 発 し な け れば な ら な い ム ニャ の村 に 西 班 が 到 着 す れば 、 合 流 し て遠 く チ ベ ット自 治 区 と の省 境 。 我 々 は康 定 へと戻 る こ と にし た 数 日 後 予 定 ど お り に中
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主 語 +目 的 も ム ニャ語 や チ ベ ット語 に影 響 さ れ て語 順 が [ 。 語 十述 語 ] と な る言 い回 し が や け に多 いこ と が 耳 に残 った

し てく れた。突 然母親 が、我 々 の車 に人を乗 せら れ るか?

にほんごで読む漢詩
日語 によ る押 韻定 型 訳 ⑤

木 村 哲也 恵らて 3

︲ ︲ ︲ ︲ 静一 海嶽●置一 す
とか・ ぐ● ・ その一 時 次第 剛一 肺凛卸 ↑ ︲ ︲ ︲ か●住■ 味 殺■ ゴ ¨ 対一

鈍一 奪一
故事 成 語 も 改 め て確 認 し ておき た い。 さ て、 前 号 に続 き 、 松 下緑 の訳 を 掲 げ て おく。 ﹁ 勝 ツ モ敗 ケ ル モ時 ノ運/ 男 児 ハ恥 ヲ シ ノ ブ ベ キ/ 君 ヲ支 エルモノ ア マタ/ ナ ンゾ再 ビ起 タ ザ 。 リキ ﹂
︵ 北 海 道 教 育 大 学 函 館校 ・ 詩歌韻 律論 ︶ にほんごで読 む漢詩0

題鳥 江亭 杜牧
勝敗 兵家事 不期 包 差 忍 恥是 男兒 江 東 子弟多 才俊 巻 土重来 未可知

目田 目 日 一  杜 牧 貧 Q・ T 八吾 こ

87 -一 連載

先 月 号 の劉 邦 の ﹁ 咳 下 の歌 ﹂ を 受 け て、 虞 姫 は ﹁ 返 歌 ﹂ と 題 し、 ﹁ 漢 兵 が も う  大 地 を 覆 い/ 四 面楚 歌   お お  兵隊   多 い/ 闘志   大 三 尽 き て る  人 や/ 何 で 望 も う   長 生 き   も は ● や﹂ と いう 、 五 言 絶句 を 歌 った。 そ の中 の ﹁ 四 、 こ の杜 牧 の詩 の ﹁ 面楚 歌 ﹂ 巻 上 電 来﹂ と いう

■ 杜‐ 牧ギ

平成 2年 6月 16日 第 3種 郵 便 物 認可 1999年

2月 ,日 発 行 (毎 月 1日 発 売 )第 10巻 第 2号 通巻 107号

SINICA

1999
Vo110//No 2

大修館書店

特 ◎ 集 古代中国の兵法
熙楊瘍箕疵か錮三 鯰蜀饂 鮨畿厖
孫子 の兵法
1町 田二郎

兵家の思想 と 活動 1湯 浅邦弘
小事典】 【

古 代 中国 の 兵 書 1竹 田健二 ・春秋 戦 国時 代 の 戦 い 検証 一― 平勢隆郎 ・秦 の始 皇 帝 の 戦 い 検証 一― 鶴間和幸 検証 。 項羽 と 劉 邦 の戦 い 一― 藤田勝久 三 国 の戦 い 検証 。 一一 石井仁 諸 葛 孔 明 の 兵 法 1中 林史朗
[読 み切 り ]

驚 異 的 な越 王 陵 の 発 見 徐朝龍
[短 期集中連載 ]

西 夏 の 末 裔 をたず ねて (下 ) 池田巧
[巻 頭エッセイ]

立間祥介

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