You are on page 1of 2

マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ 要約 (2010月1月29日)

――イスラーム、人生の全てを覆う包括的なもの――
あらゆる称賛はアッラーのもの。最後の預言者、清廉なご一家、気高い教友たち、審判の日を目指して善行を積
みそれらの人々に従う全ての信者たちに、アッラーからの平安と慈悲がもたらされますように。あらゆる称賛は、
全ての者への慈悲として御使いムハムマド(祝福と平安を)を遣わされ、あらゆる事柄の解説である聖典を御使
いに下されたアッラーのもの。
信者たちよ、我々の敬神の念と信仰心が高まりますように。
アッラーは、クルアーン・蜜蜂章及び預言者章において次ぎのように述べておられる。
「…それでわれは、凡てのことを解き明かす啓典をあなたに下し、信者への導きと慈悲、そして吉報としたので
ある。」(16章 89節)
「われは只、万有への慈悲だけの為に、あなた(ムハムマド)を遣わしたのである。」(21章 107節)
ここで引用されているクルアーンの二つの章節は、一つのこと、即ちイスラームが包括的な体系であると説いて
いる。つまり、イスラームの体系は、アッラーのみに知られている知識を表出する上で詳細に説いたものであり、
それは、基盤となる規定と、生きてゆく上でのあらゆる事柄に係わる導きとを与えるものである。イスラームの
神託は、全ての人々への恵みとして下され、ムスリムであるかムスリムでないかは、その神託を受け入れるか否
かに掛かっている。そうした恵みは、イスラームの神託を信じる信者として、彼らの神託への接触を通じて人々
に降り注いで来る。またそれは、人々が完全な人間であるようにとの神託でもあり、単に心に対してだけでなく、
精神と肉体に対しても語り掛けるものである。それは思考にだけではなく、感情に対するものでもある。即ち、
それらのあらゆる事柄が、唯一のアッラーに服従させるだけであらねばならないのである。人が多くの主人に所
有されている奴隷のように惑わされない為であり、そこではそれぞれの主人が、他の主人が禁じた事柄について、
命令を下すであろう。
アッラーは、クルアーン・集団章において次ぎのように述べておられる。
「アッラーは、一つの比喩を提示なされる。多くの主人がいて互いに競う者と、只一人の主人に忠実に仕えてい
る者と、この二人は比べてみて同じであろうか。アッラーに讃えあれ。だが、彼らの多くは分からないのである。」
(39章 29節)
アッラーは更に、イスラームの或る部分だけを受け入れ、残りを置き去りにする者を咎められる。
アッラーは、クルアーン・雌牛章において次ぎのように述べておられる。
「…お前たちは、啓典の一部を信じて、一部分を拒否するのか。凡そお前たちの中でこんなことをする者の報い
は、現世における屈辱でなくて何であろうか。また審判の日には最も重い懲罰に処せられよう。」(2章 85節)
預言者ムハムマド(祝福と平安を)は、マッカにおいて使徒としての自分を紹介するに当たり、「全体としてそれ
をもたらす者以外には、この宗教を生み出す者は存在し得ない。」と述べておられる。もし我々が聖典クルアーン
と預言者の言行の全てを調べてみるならば、礼拝、品行、アッラーが啓示なされた事に従う判断、司法上の事、
ジハード、商取引、通商及び生活のあらゆる活動範囲について語られた、多くのクルアーンの章節やハディース
を見いだすであろう。この故に、人がイスラームの包括的であることを認め、その上でそれに従って行動しない
と言うことは理屈に合っているであろうか。預言者ムハムマド(祝福と平安を)のスンナ(慣行)や廉直な先達
たちの伝記を通じ我々は、彼らがイスラームの包括的なものであることを信じていたのを見いだす。その信じる
事の所産により、彼らの一人が、謙遜に礼拝し心から涙を流し、主に服従しているのを、我々は知るのである。
やがて彼がアッラーだけを畏れ、アッラーの為にジハード(信仰上の努力)を行うのを知ることとなるであろう。
一方、他の一人に目を転じるなら、彼は槍投げを行いう紳士的なスポーツマンであり、水泳をし、競技の技を高
める。また、同じ教友が家族と楽しんでいるのを見いだすだろう。その後彼は、自分の店や職場で専門のことを
正直に熱心に行う。こうした色々な事は、それぞれの事柄の中で矛盾し調和を欠いたものの様に考えられてしま
う。しかし、イスラームがそれらの全てに係わり、人々がそれを喜び、人々銘々がイスラームを気に入っている
と言うことを人々が知れば、それらの実行の中に存在している調和と結合とをきっと現実のものとするだろう。
アッラーは、クルアーン・物語章において次ぎのように述べておられる。
「アッラーがお前に与えられたもので、来世の住まいを請い求め、この世におけるお前たちの分を忘れてはなら
ない。そしてアッラーがお前たちに善いものを与えられているように、お前たちも善行をなし、地上において悪
事に励んではならない。誠、アッラーは、悪事を行う者を御好みになられない。」(28章 77節)
そしてもしも、教友たちが我々の預言者ムハムマド(祝福と平安を)の教えを学習し、彼らの人生におけるあら
ゆる局面において模範的なものとしてそれらを受け入れたと言うことを人々が知るならば、それらの価値が再び
全ての人々の生活に広まってゆくだろう事を、我々は見いだすだろう。歴史を見るならば、イスラームに従った
者たちは、移住して行くどこにでも正義と兄弟の証の旗印を持って行った。この正義と兄弟であることは、イス
ラームが包括的なものとして受け入れられたあらゆる場所で成し遂げられた。科学的な方面は促進され、社会的
経済的生活は豊かになり、資源と富は大衆に公平に分配され、その結果、幸福が行き渡ったのである。
信者たちよ、それらの価値ある事柄が、我々の日々の生活で受け入れるのではなくして、空から降ってくるもの
ではないのであって、それに注目する事は我々にとって重要である。もし我々がイスラームを理解するならば、
それによってのみそれらの価値の受入が可能なのである。そのイスラームとは、この世での我々に課せられた義
務を満たす目的の包括的な方法であり、全能のアッラーへの崇拝を確立することによるこの地上に継続して存在
する威光のことなのである。
アッラーは、クルアーン・雌牛章及び撒き散らす者章において次ぎのように述べておられる。
「…『誠、われは地上に代理者を置くであろう。』…」(2章 30節)
「ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるためである。」(51章 56節)
アッラーよ、アッラーの道を忠実に歩めるように御加護下さい。
アッラーよ、貴方様の御悦びの為だけに何事も出来る様に御加護下さい。
アッラーよ、ムスリムたちから貧困や困難を取り除き、仕事の無い者たちに、清い仕事を与えて下さい。
アッラーよ、祈願をする皆の願いを叶えて下さい。病気の者たちを治してあげて下さい。
アッラーよ、我々がアッラーの御名を讃え広め、日本でイスラームを広められるよう御導き下さい。アミィーン。