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にぶんのさん

藤川志朗
#s1

薄暗い。部屋の中。
保温中のポットのライトなどがポツンと。どうやらまだ明けきらない、寒い朝のよう。
テーブルとイスが2つ。その一つにBが座っているのがわかる。
Aがでてくる。暗くて柄までは判らないが、パジャマを着ている。
AはBの頭を撫で、そのままおもむろに冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫に照らされてBの横顔が少し見える。Aは中から切り子の器に盛った苺を出す。
バタン、と冷蔵庫の扉を閉め、再び元の暗さの戻った室内で、AはBの横に座る。
テーブルに紙が散らかっているのを見回して、Aは苺をひとつ手に取る。それをBの顔の
前に差し出す。しかしBは顔を背ける。Aは苺を引っ込めて…
A お父さまはちょうど一年まえ、それも五月五日の、あなたの「名の日」に亡くなったのね、イ
リーナ。
B あの日はひどい寒さで、雪がふっていた。
A わたしは、もう生きてられないような気がしたし、あなたは気が遠くなって死んだみたいに臥
ていたっけ。
B でも、こうして一年たってみると、わたしたち気楽にあの時のことが思いだせるし、あなたも
もう白い服を着て、晴ればれした顔をしているわ。
A (時計のように)ボーン、ボーン。
B あの時も、やっぱり時計がなったっけ。
A 覚えてるわ、お棺が送られていくあいだ、軍楽隊がマーチをやったし、墓地じゃ弔銃を射った
わね。
B お父さま様は将軍で、旅団長だったけれど、そのわりに会葬者は少なかった。
A もっとも、あの日は雨だったわ。
B ひどいミゾレだった。
A そんなこと思い出して、どうするのよ!
B 今日は暖かで、窓をあけっぱなしにしておいてもいいほどなのに、白樺はまだ芽を吹かない。
A お父さまが旅団長になって、わたしたちを連れてモスクワをお発ちになったのは、もう十一年
前のことだけれど、今でもはっきり覚えている。
B 五月のはじめ、ちょうど今ごろのモスクワは、もう花がみんな咲いて、ぽかぽかして、日ざし
があふれているわ。
A 十一年たった今日でも、わたしあすこのことは、まるで昨日発って来たように覚えているの。
B まあ、どうでしょう!
A けさ目がさめて、ぱっと一面に明るいのを見たら、春の来たのを見たら、とたんに嬉しさがこ
み上げてきて、生まれ故郷へ帰りたくてたまらなくなったわ。
B ばかばかしい!
A もちろん、くだらん話です。
B (口笛を吹く)
A 口笛はやめて、マーシャ。
B どうしてそんなまねができるんだろう。
A 何しろわたし、毎日学校へ行って、それから夕方までレッスンに回るものだから、しょっちゅ
う頭痛はするし、考え方までが、すっかり婆さんじみてきたようだわ。
B そして実際、学校に勤めだしてから四年のあいだに、毎日一滴また一滴と、力や若さが抜けて
いくような気がする。
A だんだん強まっていくのは空想だけ。
B モスクワへ行くというね。
A この家を売って、きっぱりとこの土地と縁を切って、モスクワへ…。
B そうよ!早くモスクワへねえ。
間。
A、立ち上がろうとする。
B 兄さんはきっと大学教授になるんだから、どうせここにいるつもりはないわ。
A ただ困るのはマーシャのこと。
B マーシャは毎年、夏休みじゅうモスクワへ来たらいいわ。
A (口笛を吹く。)
B 大丈夫みんな、うまくいってよ。
A いいお天気ねえ、今日は。
B どうしてこう気持ちが晴々しているのか、自分でもわからない!
A けさ、今日はあたしの「名の日」だったと、ひょいと思い出したら、急にうれしくなって、ま
だお母さまが生きてらした、子供の頃を思いだしたの。
B すると、あとからあとから、すばらしい考えが湧いてきて、胸がどきどきしたわ。
A そりゃすばらしい考えばかり!
A、再び立ち上がろうとする。Bが袖を引っ張る。仕方なく座る。
そして紙を一枚とって、折り紙を折り出す。
B 今日あんたはいかにも晴れやかで、いつもよりずっと奇麗に見えるわ。マーシャも奇麗よ。ア
ンドレイだって、美男なのだけど、ああ肥ってしまっちゃ形なしだわ。わたしときたら、この通
り老けて、すっかり痩せてしまった。きっとこれも、学校で娘たちに癇癪ばかり起こすからよ。
今日はお休みで、家にいるので、頭痛もしないし、昨日より若くなったような気がする。わたし
は二十八だけれど、ただねえ…。いいえ、不足をいうことはない、みんな神様の御心だもの。で
もね、わたしこんな気もするの―もしもお嫁にいって、一ん日じゅう家にいられたら、その方が
もっといいようなね。わたし、夫を大事にするわ、きっと。
Aは折りかけの紙を、そっとBの方に押しやる。その続きをBが折りだす。
A そんな馬鹿なことばかり言って、君の話はもう沢山ですよ。そうそう、忘れていました。今日
こちらへ、我々の隊の新しい指揮官、ヴェルシーニンがご挨拶に来るはずです。
B まあ、そう!たいそう嬉しいですわ。
A そのかた、お年寄り?
B いや、大したことはありません。まあせいぜい四十か、四十五でしょう。見たところ、立派な
人物です。少なくも愚物じゃない―これは確かです。ただ、少々話ずきですがね。
A きれいなかた?
Bはだんだん折り紙に夢中になって、声が小さくなる。
B ええ、なかなかね。ただその、奥さんと、そのおっ母さんと、娘が二人いますがね。おまけに
二度自の細君なんです。あの人は挨拶に行く先々で、かならず、細君に娘がふたりいると話すん
ですよ。こちらでもきっと言うでしょうよ。その奥さんというのは、なんだか少々低能みたいな
人でしてね、いまだに娘のように髪をオサゲにして、ヘんに哲学じみたた大きなことばかり並べ
て、しかもちょいちょい自殺を企てるんです。まあご主人に面当て、というところでしょうがね。
僕ならあんな女、とっくに御免こうむってるところですが、あの人はじっと我慢して、ただ愚痴
をこぼすだけなんです。
B、すっかり折り紙に夢中になっている。
それを見届けて、Aはすでにハケて着替えている。
Bの折り紙が完成する。しばらく見つめている。が、やがて。
B 片手だと僕は一プード半ぐらいしか持ちあげられないが、両手だと五プード、いや六プードだっ
て持ちあげられる。だから僕は、こう結論するんです―二人がかりの力は、一人の二倍じゃなくっ
て、三倍も、いやもっと上だとね…=抜け毛には…ええと、ナフタリン八グラムをアルコール半
瓶に…溶解し、これを毎日もちいる…書きとめておこう!それでさ、いいかね君、瓶の口にコル
クをはめて、それにガラス管をとおす。…それから、そのへんにある極くありふれた明礬を、一
つまみとってね…=チェブトイキンさん。ねえ、チェブトイキンさんてば!
間。
B チェブトイキンさん、チェブトイキンさん、チェブトイ…。
着替え終わったAは急いで戻ってくる。
そして冷蔵庫の上のパンをとってほおばって。
A なんです?わたしのかわいいお嬢さん?
B 教えてちょうだい。なんだってあたし、こんなに嬉しいんでしょう。まるで帆をいっぱいに張っ
て海を走ってるみたい。
Bにもパンを渡す。しかしBは手もつけないで続ける。
B 上には広々とした青空。大きなまっ白な鳥が飛んでいてね。なぜこうなんでしょう。なぜ?
A わたしの白鳥さん…。
B きょう目がさめて、起きて顔を洗ったら、急にあたし、みんなはっきり―。
A 急にあたし、この世の中のことが。
B 急にあたし、みんなはっきりしてきて。
A この世の中のことが。
B みんなはっきりしてきて。
A みんなはっきりしてきて…。
B みんなはっきりしてきて!(折り紙をとってAに投げる)
A (紙を拾いながら、怒った口調で)ねえ、チェブトイキンさん、あたしすっかり知ってるわ。
人間は努力しなければならない。誰だって、額に汗して働かねばね!(と言って立つ。)
B みんなはっきりしてきて!
A (無視する)
B (再び紙を投げつけて)みんなはっきりしてきて、いかに生くべきかということがわかったよ
うな気がするわ!
A (無視。あるいは自分の朝の用意)
B (さらに癇癪を起こして、そこら中の紙やゴミ箱に捨ててあった紙までを取っては投げ、取っ
ては投げ)ねえ、チェブトイキンさん、あたしすっかり知ってるわ!人間は努力しなければなら
ない!誰だって額に汗して働かねばね!そこにこそ人生の意義や目的も、その幸福も、その悦び
やその感激も、のこらずある気がしたの!(ここまでくると、むしろ投げるというより投げ散ら
かしているよう。)
A (あまりの剣幕に宥めにかかる)夜の明けるか明けないうちに起きだして―
B (無視して)夜の明けるか明けないうちに起きだして、街で石をトンカチやる労働者や
A 羊飼いや
B 羊飼いや、子供たちを教える先生や(相変わらず投げ散らかす)
A 鉄道の
B 鉄道の機関手になったら、さぞいいでしょうね!(投げる、Aにあたる)
A (怒って、自分も投げる)ほんとに、人間であるとかないとかの問題じゃないわ!
B ただ働けさえすれば!
A いっそ牛にでも!
B ただの馬にでも!
A なった方がましよ!
二人 (バラバラに喚く)お昼の十二時にのこのこ起きだして、ベッドのなかでコーヒーを飲んで、
それからお召替えに二時間もかかる…ああおっそろしい、そんな若い女になるよりはね!暑い日
に水を飲みたくなることがあるでしょうあたしが働きたくなったのも、それと同じよ!これから
もしあたしがはやく起きて頑ばらないようだったら、絶交してちょうだいね、チェブイトイキン
さん!
二人 (声をそろえて)しますよ、絶交しますよ!
暗転
#s2

Aは散らかった室内を片づけている。朝の雰囲気。
Bは座ったまま。
B 姉さんたちだって同じ気持よ、わたしがそう言うわ。ふたりとも、いい人だもの。…お夜食に、
わたしヨーグルトを出すように言っておいたわ。ドクトルが仰しゃるの―ヨーグルトしか食べちゃ
いけません、ほかに痩せる法はないですぞ、って。ポービクが冷えてるわ。あの部屋が寒いせい
じゃないかしら、心配だわ。せめて春が来て暖かくなるまで、あの子をどこかほかの部屋へ移し
たほうがよさそうよ。たとえば、イリーナの部屋なんか、赤んぼには打ってつけだわ。乾燥して
るし、一んちじゅう日が当るしね。あの人に切り出してみたらどうだろう―あの人は当分、オー
リガと同居してもいいんだもの。…どうせ昼間はうちにいやしない、寝に帰るだけですものねえ。
…ねえアンドレイ、ねえってぱ、なぜあんた黙ってるのよ?
A、電話をかける。相手と手短に何やら話している。
B うん、ちょっと考えてたんだ。…それに、べつに話すこともないしね…。=そうそう。何か言
うことがあったっけ。…ああ、そうだった。市会からフェラポントが使いに来て、お目にかかり
たいんですって。=呼んでおくれ。
A、電話を終える。
B、テーブルの苺を一つ食べたくなった。
A、それを制して器を取り上げる。それを冷蔵庫に入れる。Bが食べようとしないテーブ
ルのパンも片づけながら会話。
A やあ、よく来たね。なんの用だね。
B 議長さんが帳面と、何やら書類を届けろといったんで。はい。
A ご苦労。よしよし。なんだってまた、こんな時刻に来たんだね?もう八時すぎじゃないか。
B なんですね?
A おそいじゃないか、もう八時すぎだ―と言うんだよ。
B その通りで。わたしがここへ来た時ゃ、まだ明るかったんですが、ずっと入れてもらえなかっ
たんで。旦那はお仕事ちゅうだ、というんでね。なら、ま、いいや。お仕事ちゅうなら、お仕事
ちゅうで、こっちは別に急ぐこたあねえ。~なんですね?
A なんでもない。あすの金躍は、役所が休みだとさ。だがとにかく僕は出よう…行って仕事をし
よう。うちにいると退屈だ。…[間]なあじいさん、人生というやつは、妙にぐるぐる変るもん
だなあ、人をだましてばかりいるもんだなあ!きょう僕は退屈で、所在ないままに、ほらこの本
を引っばり出してみたんだ―古い大学の講義録さ。すると、なんだか滑稽になってきた。…いや
はや僕は、市会のお雇い書記にすぎん。あのプロトポーポフが議長をしている、その役所のね。
そこで、お雇い書記たる僕が抱きうる最大の希望はといえば―つまり市会の議員になることさね!
僕が、ここの市会の議員になるなんて!やがてはモスクワ大学の教授、ロシアが誇りとする有名
な学者、それを毎晩のように夢見ているこの僕がね!
B わかりませんねえ。…耳が遠いもんで…
A お前の耳が満足に聞えるんだったら、僕はなにもお前相手に話しはしないだろうさ。僕は誰か
をつかまえて話さずにはいられないんだが、妻は僕を理解してくれないし、姉さんや妹は、なん
だか苦手なんだ。頭から僕を笑いものにして、厭味を言いそうな気がしてね。…僕は酒をやらな
い。酒場なんか好きじゃないけれど、今モスクワのテストフ軒だの大モスクワ軒だのという店で、
ちょいと一休みできるとなったら、僕は天へ昇ったような気がするだろうなあ、ええ爺さん。
B なんでもモスクワじゃ、さっき役所で請負師が話していましたっけが、どこかの商人たちがプ
リンの食べっくらをして、そのうち一人は四十枚も平らげて、おっ死んだそうで。四十枚だった
か、五十枚だったか、それは覚えてませんがね。
A モスクワのレストランの、どえらいホールに坐ってみろ、こっちを知った人は誰もいないし、
こっちでも誰ひとり知らない。それでいて、自分がよそ者のような気がしないんだ。ところがこ
こだと、向うもこっちも、みんな知り合いの仲なのに、そのくせ僕は他人なんだ、よそ者なんだ。
…一人ぼっちの、よそ者なんだ。
B なんですかね?[間]やっぱりその請負師の話だと―大ぼらかも知んねえけど―モスクワじゃ
端から瑞まで、太い網が一本張ってあるそうで。
A なんにするんだ?
B わかりませんねえ。請負師の話なんで。
A ばかな。おまえ、モスクワへ行ったことがあるかい?
B ないでさ。そういうめぐり合せでね。[間]もう帰ってもいいですかね?
A いいよ。ご苦労さん。~ご苦労さん。あす朝、この書類を取りに来るんだよ。…もう行ってい
い。~行っちゃった。~そおら、はじまった…。
間。
B だが君、もう食事をやってるぜ。
A 食事をやってる?なるほど、もうやっている。
B ちょっと待ちたまえ!(カメラに見立てた折り紙で写真をとる)一ォつ!もうちょっと待って
…(もう一枚とる)ニァつ!これでよし!
A おめでとう。ご幸福を、ご幸福を、祈ります!今日はなんとも言えないお天気で、実に結構な
ことです。今日は午前ちゅうずっと、中学生と散歩しました。僕は中学で、体操を教えているの
で。
B 動いてもいいですよ、イリーナさん、かまいませんよ!今日のあなたは、じつにお奇麗だ。
(コマに見立てた折り紙をとりだす)ときに、コマがあります。…すごい音を出しますよ。…
A まあ、いいこと!
間。
B 今しがた、モスクワ通りのプイジコフの店で、あなたにと思って(折り紙を見立てて)色鉛筆
を買ってきました。それから、このナイフも…
A あなたは、いつまでもあたしを、子供あつかいになさるのね。でもあたし、もう大きいのよ。
…(それらを手に取って、嬉しそうに)まあ、奇麗!
B 自分のも買いましたよ…ほら、ご覧なさい…大きいナイフ、もう一本ナイフ、それからもう一
つ、これは耳を掻くやつ、この小さい鋏は、瓜をきれいにする…
A (大声で)ドクトル、あなたのお齢は?
B わたしか?三十二。(笑声)
A じゃ僕が、ほかの独りうらないを見せたげましょう。…(カードに見立てた折り紙を並べる)
間。
B じつに残念だなあ!僕は一晩愉快にあそぶつもりでしたが、赤ちゃんが病気ということなら、
もちろんそりゃあ…。僕あした、おもちゃを持ってきて上げましょう。
A ぼく、今日はわざわざ昼寝をして来たんです。朝まで踊り明かす覚悟でね。まだやっと九時じゃ
ありませんか!
間。
B 丸焼けだ、丸焼けだ!きれいさっぱり!
A 冗談じゃないわ。ほんとに丸焼け?
B きれいさっぱり。何ひとつ残らずギターも焼けた、カメラも焼けた、大事な手紙もみんな。…
あなたに可愛らしい手帳を上げようと思ったのに―それも焼けちゃった。
間。
A もう一時間と残っていない。われわれの砲兵中隊では、ソリョーヌイだけ荷舟で行って、われ
われは部隊について行きます。今日は三個中隊が、それぞれ別個に出発し、明日また三個中隊が
出ていきます―それで町は急にひっそりと、静かになりますよ。
B それに、怖ろしい倦怠がくるな。
A マーシャさんはどこです。
B マーシャは庭にいます。
A あの人にお別れを言わなくちゃ。
B さようなら、もう行こう、さもないと僕は泣きだしちまう。…僕たち、じつに楽しい日をここ
で送りましたよ。―(折り紙を出して)これを記念に呈上します…鉛筆つきの手帳です。…僕た
ちここから、河のほうへ出ます…。
間。
A それにしても、ひどい風ですなあ!
B そうね。沢山だわ、冬なんか。わたしもう、夏ってどんなものだか、忘れちまった。
A ペーシェンスは、うまくできたらしいわ。ね、そうでしょう。モスクワへ行けるってわけね。
B いいや、そうは行かない。ほらね、八がスペードの二の上にあるでしょう。これはつまり、あ
なたはモスクワヘ行けないということです。
A チチハル発。当地に天然痘猖獗。
B マーシャ、さあお茶ですよ、いらっしゃいまし、どうぞ、大佐さま…ついお名前を忘れました
で、あしからず…。
A こっちへ来ておくれ、ばあや。わたし行かないわ。
B ばあや!
A はいただいま!
B 乳飲み子ってほんとによくわかるものなのね。「お早う、ボービク。お早う、坊や!」って言
いますとね、何かこう特別な目つきで、わたしを見るんですよ。あなたはこれが、母親の―
A、出かける。
B ―ヒイキ目とお考えでしょうけど、いいえ、断然ちがいますわ!あれはふつうの赤んぼじゃあ
りませんわ。=その赤ん坊が僕のだったら、僕はフライパンで焼いて…。
B、座っている。動かない。
窓の外には光が、午前、昼、昼下がりと変化していく。
暗転。
#s3

電話の音。
外から帰ってきた格好のA、慌てて電話に出る。「もしもし…」などと話しているよう。
詳しくは聞き取れない。
首に受話器をはさみながら、袖のボタンなどを外している。そして白い箱を冷蔵庫に入れ
る。
Bは静かにイスに座っている。

A、話し続けている。しばらく。徐々に相手と話がのってくる。
B、退屈しだす。そして、Aが電話の相手と親しげなのが気になってくる。
B なんの用があるんだ?わからんじゃないか?
A、電話。
B わしゃプローゾロフさん、十遍も言いましたがね。
A、電話。
B 第一俺はプローゾロフさんと呼ばれる覚えはない、議員どのと言うんだ、議員どのと!
A、電話。
B 議員どの、消防の人たちが、川へ出るのに、お庭を抜けさせてお貰い申したいそうで。ぐるり
と回った日には遠回りで、目も当てられませんや!=よろしい、よろしいと言え。うるさい奴ら
だ、どこだろうオーリガは?君に用が会ってきたんだよ、戸棚の…。
A、手で払う。イスに座れ、と指す。折り紙を折る。
B、目新しい折り方らしい。興味をひかれる。折り紙をとって自分でもまねしようとする。

B …鍵をくれないか。なくしてしまったものでね。きみのところに、こんな小っちゃな鍵があっ
たはずだが。…なんという大火事だろう。やっと下火になった。畜生、あのフェラポントのおか
げで癇癪玉を…。
Aが折っているのは新しい折り方らしい。Bは興味をひかれる。折り紙をとって自分でも
まねしようとする。
B …破裂させて、つい馬鹿なことを言ってしまった。…議員どの、だなんて…なぜ黙ってるのさ、
オーリャ?いい加減でもう馬鹿なまねはやめて、そんなふくれっ面は引っこめようじゃないか、
わけもいわれもないのにさ。…マーシャもいるんだね、イリーナもいる、こりゃちょうどいい―
ひとつ腹蔵のないところを話し合って、きっぱり片をつけようじゃないか。きみたち、僕になん
の不服があるんだ?なんの?…
やがてA、完成させる。
Bはとてもまねできない。途中までしかわからないので、そこまで折って、Aの方へ。
A、続きを折る。完成させる。Bに突き返す。電話に夢中。
B、わからなかったので分解する。そしてこの続きを折ってくれと、Aに渡す。
A、瞬く間に完成。Bに突き返す。
B、分解、渡す。
A、完成、渡す。*
B、分解、渡す。
A、完成、渡す。*
B、分解、渡す。
A、完成、渡す。*
(*ではBに渡すと同時に、電話の相手に同じ身振り。)
B、分解、渡す。
A、完成、投げつけて渡す。
B、しょんぼり。
A、電話。しばらく。
B、しょんぼりしたまま。
A、見かねて、立ち上がって冷蔵庫から白い箱を出してくる。中から苺のショートケーキ
をひとつ、出す。
B、目が輝く。
A、電話しながら、食えよ、と手振りで。
B、苺を食う。あとは残す。
A、ケーキも食えよ、と。
B、そっぽを向く。
A、腹が立つ。でも今は電話の最中なのでとりあえず押さえて…横を向いて電話を続ける。

B、こちらを見ていないことを確認して、箱の中からそっと、もう一つケーキを出し、苺
だけ食う。
A、テーブルを見る…。
テーブルには苺のない苺ショートが二つ。
B、知らないふり。
A、ケーキを掴んでBの口に持っていく。
B、顔をそむける、のでケーキのクリームが顔に付く。
A、あきらめる。電話に戻る。
しばらく電話したまま。
Bは反省。しかもかまってもらえないし、Aの口調が電話の向こうと妙に親しげである。
Aそれに気づく。
B よしてよ、アンドレイ。話はあしたにしましょう。なんて厭なことばかりある夜だろう!
A まあそう興奮しないでくれ。僕はしごく冷静にきいてるんだ。なんの不服があるのか、とね。
さあ、はっきり言ってくれないか。
B トラム・タム・タム!
A トラ・タ・タ!~さよならオーリャ、大事にね。~よくおやすみ。~さよならアンドレイ。あっ
ちへいらっしゃいね、この二人、へとへとなんだから…話はあしただってできるわ。
B ほんとよ、アンドレイ、あしたのことにしましょう。もう寝る時刻よ。
A ちょっと言うだけで出ていくよ。すぐだ。
A、向こうに断って、一度電話をおく。
そして折り紙を一枚取り、もう一枚Bに渡す。さっきBの折れなかったのを一から丁寧に
折っていく。
B、ついて行くべく折っていく。
折りながら二人は台詞をつぶやく。
二人 (バラバラに)…第一に、きみたちは僕の妻のナターシャに、何か反感をもっている。僕は
それに、そもそもの結婚の当日から気がついている。ナターシャは立派な潔自な人間だ、まっす
ぐな品性の高い人間だ―これが僕の意見だよ。僕は妻を愛し、かつ尊敬している。いいかい、尊
敬しているから、したがってほかの人たちもやはり、あれを尊敬するように要求する。も一度言
うが、あれは潔自な、品性の高い人間で、きみたちの不満は、失礼ながら、ほんの気まぐれにす
ぎないんだ。
二人折り紙に夢中。
二人 (バラバラに)第二に、きみたちはどうやら、僕が大学の先生にならず、学者にならないの
で、おこっているらしい。だが僕は市会に出ている、僕は市会議員だ。そしてこの奉仕を、学問
への奉仕におとらず、神聖で高尚なものだと思っている。僕は市会議員だ。そして、もしお望み
なら教えてあげるが、僕はそれを誇りとしているんだ。
やがてAは完成させる。目の高さに掲げて、いい出来映え。
Bの方はまだ。もごもごと躓いている。
A、電話の相手とまた話し始める。
B …第三に…。僕はまだ言うことがある。…僕はきみたちに無断で、この屋敷を抵当に入れた。
これは僕が悪い、そう、重々おわびを言いたい。借金のさせたわざだ…三万五千というね。僕は
もうカードはしない。とうにやめているが、そんなことより僕が弁解として特に言いたいことは、
きみたちは未婚の娘で、恩給をもらっているが、僕にはその、なかったのさ…稼ぎとでもいった
ものがね。
B、まだやっている。うまくできない。やがてイライラ。教えてくれ、と。
A、話している。
B、無視されたのでむかつく。
B マーシャはここにいないかね?一体どこへ行ったんだろう?こりやおかしい…。=誰も聞いて
くれないんだね。ナターシャはすこぶる立派な潔白な人間なんだ。
ともかく自分で折ってみようと、何度も試みる。
B 僕は結婚するとき、こう思っていた。僕たちは幸福になれる…みんなも幸福になれる、とね。
…ところが、ああ情けない…僕の大事な可愛い姉さんや妹、僕のいうことを信じないでくれ、信
じないで…。=マーシャはどこだ?ここにマーシャはいないかい?驚いたな、どうも。
全くうまくいかない。
A、横を向いて話し込んでいる。親しげ。
B オーリャ!だあれ、床をコツコツいわせてるのは?=ドクトルよ、チェプトイキンさんよ。ま
だ酔ってるんだわ。=なんて騒々しい夜なの!オーリャ!あんた聞いて?旅団をこの町から抜い
て、どこか遠いところへ移すんだって。=それは噂だけよ。=そうしたら、あたしたちだけにな
るわねえ…オーリャ!=ふうん?
A、全く相手にしない。
B、怒ってケーキのクリームを指ですくって、Aになすりつける。
A、話している。
B、どんどんなすりつける。
A、話しのついでに頬に手をやる。何かつく。クリーム。怒り!自分もクリームをなすり
つける。
なすりつけあう。
激しくなる。
A、受話器を置いて顔のクリームを拭き、そのまま出てこうと。
B ねえ、オーリャ姉さん、あたし男爵を尊敬してるわ、感心しているわ。あれは立派な人だわ。
あたし、あの人のところに行きます、承知するわ!
A、出ていった。B、すがりつこうとして取り残される。
B ただね、モスクワへ行きましょうよ!お願いだから、行きましょうよ!モスクワよりいいとこ
ろ、この世のどこにもないわ!行きましょうよ、オーリャ!行きましょうよ!

やがてBはゆっくりとイスに座る。
西日。
赤く照らされて、Bは折り紙を折りだす。さっき作れなかったもの。
舞台には再び、若干の不思議な光景。
B、悪戦苦闘の末、ひとつ完成させる。
西日はやがて暮れていき、部屋は真っ暗になる。
#s4

扉の開く音、かすかに漏れる光。
A さようなら…。
間。
A もういいわ、もういいわ…
間。
B …手紙をね…忘れないで…さ、はなして…時間だ。オーリガさん、この人を頼みます、わたし
はもう…行かなくては…遅れてしまった…
A、明かりをつける。Aは手に袋を持っている。
舞台のあちこちに、折られた紙が散りばめられている。
驚くA。
Bはテーブルに突っ伏したまま。
部屋の光景にしばらく見とれているA。
A もう沢山、マーシャ!おやめ、ねえ…。
B、顔を上げる。
A …なあに、いいです。泣かせておきなさい、そのまま…。わたしの大事なマーシャ、やさしい
マーシャ。…おまえはわたしの妻だ、たとえどんなことがあろうと、わたしは仕合わせだよ。わ
たしは不平は言うまい、一言だっておまえを責めはしまい…
間。
A …ほら、このオーリャが証人だよ。…また元通りの生活を始めよう。わたしはおまえに、一言
だって、遠回しにだって、何ひとつ…。
B …入江のほとり、みどりなす樫の木ありて、こがねの鎖、その幹にかかりいて…。わたし気が
ちがいそうだ。…入江のほとり…みどりなす樫の木…。
A 落ちついて、マーシャ…。落ちついて。…この人に水をやってちょうだい。
B わたし、もう泣かないわ。
A マーシャはもう泣いてない…いい子だものなあ。
B 入り江のほとり、みどりなす樫の木ありて…
二人 こがねの鎖、その幹にかかりいて…。
B みどりなす猫…。みどりなす樫…。こんぐらかっちまった。失敗の人生…わたしこうなったら
もう、なんにもいらない。わたし、じきに落ち着いてよ。みんな同じことだ。…なんだろう、入
り江のほとりって?なぜこんな言葉が頭にこびりついてるんだろう?ごちゃごちゃだわ、あたま
の中が。
A 気を静めてね、マーシャ、そうら、お利口さんね、部屋へ入りましょう。
B 行くもんですか、あんなところへ。わたし、もうこの家へは来ない、今も行かない…。
A しばらく一緒に、こうしていましょう。黙っててもいいから。あしたは―。
B あしたは、あたし発っていくんですもの。=どこへ?どこへみんな消えてしまったの?あれは
どこ?たまらない、ああ、たまらない!あたし、みんな忘れた、忘れちまった…頭の中が、ごちゃ
ごちゃになってしまった。…思い出せないわ。イタリア語で窓をなんと言うのか、あの天井はな
んと言うのか。…何もかも忘れて行く、毎日忘れて行く。だのに生活は流れていって二度ともう
返らない。あたしたち、いつになったって決して、モスクワヘ行けやしないわ。…あたし知って
る、行けるもんですか…。
A いい子だから、ね、いい子だから…。=昨日、三年生の教室で、ある腕白小僧から、ほらこの
付け髭をとりあげたんだよ。(折り紙をひとつとって鼻の下にあてる)ドイツ語の教師に似てる
だろう。ほんとだろう。おかしな奴らさ。
B ほんとに、学校のドイツ人に似てるわ。
A そっくりだろう。
B 子供たちの世話の焼けること。ちょいとイリーナ、あんた明日発つのね。お名残惜しいわ。せ
めてもう一週間でもいたらどう。
A わたし、あんたとすっかりお馴染みになってしまったから、今さら別れるとなると、平気じゃ
済まないのよ、ねえ、わかる?あんたの部屋へはアンドレイに、バイオリンを持って移らせるこ
とにするわ。
B あすこでたんとキィキィいわせるがいい。そしてアンドレイの部屋は、ソーフォチカを入れる
のよ。そりゃもう、びっくりするくらい、知恵の早い子でねえ!あんな赤ちゃん見たことないわ!
今日もね
A わたしを、こんなかわいい顔をして
B ママ
A って言うのよ。
B 立派な赤ちゃんだ、たしかにね。
A すると明日は、わたしもう、ひとりになるのね。まず手始めに、あの樅の木を伐らせることに
するわ。それからあの楓の木もねえ。日が暮れると、
B とても厭らしい姿になるもの。ねえ、あんた、そのバンド、まるっきりあんたの顔にうつらな
いわ。それは
A 悪趣味というものよ。何かも少し薄い色にしたらいいわ。それからわたし、どこにも
B かしこにも、いろんな花を植えさせるわ。
A いろんな花を。
B いい匂いがするわよ。
A なんだってこのベンチの上に
B フォークが
A 転がってるんだい?
B なんだってこのベンチの上に
A フォークが
B 転がってるんだ
A と訊いてるじゃないか。
B おだまり!
A そうら、爆発した!
B 発っていくのね。
A 発っていくのね、
B あのひとたち
A ま、
B いいわ。
A 道中
B ごぶじでね!
A うちへ帰らなければ
B わたしの
A 帽子
B と
A オーバー
B どこ?
A わたしが家にいれておいたよ。
B すぐ取ってこよう。
A そうね。めいめい家に帰るのがいいわ。
B 時刻だもの。
A オーリガさんちょっと!
B なんなの?
A いやべつに…さあ、どう言ったらいいものか。(耳打ちする。)
B まさかそんな!
A いや…そういう次第です…。わたしはへとへとだ。ぐったりして、このうえ口をきくのもいや
だ。…ええ、どっちみち同じことさ!
B 何かあったの?
A 今日は怖ろしい日だこと。…あんたに、なんと言えばいいのかしら、大事なイリーナ…。
B なによ?早く言って、なんなのよ?後生だから!
A いま決闘で、男爵が殺された。
B あたし、わかってた…わかってたわ…。
A ヘとへとだ。…たんと泣くがいい…タ・ラ・ラ・ブンビヤー…。
B タ・ラ・ラ・ブンビヤー…。
二人 シジュー・ナ・トウンベ・ヤー。
A …どうだって
B …同じこと、さ…。
おちつく。
A、立ちあがる。持って帰ってきた袋から苺を取り出し、切り子の皿に盛って、Bの前に
置く。
ひとつとって、Bの口に入れる。
B、食べる。そして自分で手にとって苺を食べる。
ただ、食べる。ひたすらに。好きな苺を好きなだけ。
それを眺めているA。ちょっと楽しそう。
しばらく、そういう光景。
B、食べている。傍らでA、つぶやく。
A まあ、あの楽隊のおと!あの人たちは発っていく。一人はもうすっかり、永遠に逝ってしまっ
たし、わたしたちだけここに残って、またわたしたちの生活を始めるのだわ。生きて行かなけれ
ば…生きて行かなければねえ。
やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、み
んなわかるのよ。わからないことは、何ひとつなくなるのよ。でもまだ当分は、こうして生きて
行かなければ…働かなくちゃ、ただもう働かなくてはねえ!あした、あたしは一人で発つわ。学
校で子供達を教えて、自分の一生を、もしかしてあたしでも、役に立てるかもしれない人達のた
めに、捧げるわ。今は秋ね。もうじき冬が来て、雪がつもるだろうけど、あたし働くわ、働くわ。

楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたい
と思うわ!まあどうだろう!やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れら
れてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにんきょうだいだったのかということも、みんな忘
れられてしまう。でもわたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変って、幸福と平和
が、この地上に訪れることだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思い
だして、祝福してくれることだろう。ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまい
じゃないわ。生きていきましょうよ!楽隊の音はあんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに―
B (またひとつとった苺を、今度はAの口へ。)
A (口を近づける。)

暗転。