C O N T E N T S

Vol.36 April 2010

北海道勤医協創立60周年記念号
巻頭言

勤医協看護の歴史を概観して~ 今後への決意~
北海道勤医協本部 看護部長  

峯田あけみ

【随想】60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ
北海道勤医協の看護の基礎作り~看護の喜び誇り
元勤医協中央病院 総看護婦長  山崎 幸

中央病院建設、看護管理の拡大~はじめての看護常任理事
元北海道勤医協本部 看護部長  三上 紀子

丘珠病院開院~引き継がれる理念
元勤医協札幌丘珠病院 総看護婦長  湊 登美子

「闘う看護」は看護ではない?
元勤医協札幌西区病院 総看護師長  井上久美子

老健柏ケ丘開設と人権を守る介護・看護実践
北海道勤労者在宅医療福祉協会 勤医協丘珠在宅総合センター長  猫塚真里子

勤医協札幌看護専門学校と共に30年
元勤医協札幌看護専門学校 副校長  江原美智子

訪問看護ステーションの歴史を振り返って
北海道勤労者在宅医療福祉協会 勤医協北白石在宅総合センター長 対馬美恵子




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【特集1】地域医療を考える
【総論】北海道の地域医療の現状と展望
勤医協中央病院 名誉院長  大橋 晃

【論考】地域医療にかける医師
勤医協芦別平和診療所 所長  舛田和比古

【実践報告】地域で果たしてきた役割と今後
勤医協神威診療所 看護師長  諏訪 京子

【実践報告】最期まで自分の意思を貫き通したA氏の在宅看取りを振り返って
勤医協平和通りクリニック 看護師長  柴田 達美

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【特集2】北海道勤医協の看護・介護の未来
【緒言】民医連の未来~オール北海道の中で医療・看護に求められるもの
北海道勤医協 理事長  堀毛 清史

【論考】人権と看護
勤医協札幌看護専門学校 校長  小玉 孝郎

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『人権意識の感度を磨く~社会保障制度の改善へ』
・司会……………………………………………………… 勤医協札幌看護専門学校 副教務主任 山崎 純子

座談会

・新生児・未熟児医療の拡充… ………………………………… 勤医協苫小牧病院 総看護師長 東  幸子

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・在宅酸素療法患者への電気代助成…………………… 勤医協中央病院5階東病棟 看護師長 佐賀 裕美
・透析患者へのタクシーチケット補助拡充……… 勤医協中央病院中央材料滅菌室 看護師長 津村千代子
・低身長症のホルモン注射を保険診療で……………… 勤医協菊水こども診療所 看護師主任 大石 凉子

勤医協札幌看護専門学校における教育活動の発展
勤医協札幌看護専門学校 副校長  川上佐代子

地域連携、慢性期医療の中の看護の役割
勤医協札幌西区病院 総看護師長  小林 幸子

「出かけていく看護」から、地域にあった多様な展開へ
北海道勤労者在宅医療福祉協会 人事共育部長  太田眞智子

ケアワーカーとの共同~そして介護分野の未来
北海道勤労者在宅医療福祉協会 勤医協めいえん総合在宅センター長  玉井三枝子

人権を守る看護を発展させてきた看護学会30年のまとめ
勤医協中央病院 副総看護師長  庄司 朝子 (共同執筆)勤医協中央病院 総看護師長  加地 尋美

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【特集3】介護福祉士のこれからの展望
勤医協老人保健施設柏ケ丘
通所リハビリテーション 主任(介護福祉士) 五十嵐修平
療養棟東町 主任(介護福祉士) 佐藤佳奈子

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療養棟西町 主任(介護福祉士) 西島 龍樹
認知症対応型通所介護「しあわせの郷」主任(介護福祉士) 小堀由紀美

住宅型有料老人ホーム爽風館しのろ
勤医協しのろ在宅総合センター 老人ホーム爽風館しのろ管理者(介護福祉士) 菊地 紀昭

ショートステイ希望のさと
勤医協北在宅総合センター 札幌北区ショートステイ希望のさと主任(介護福祉士) 岩佐 雅寿

菊水ひまわりデイサービス
勤医協菊水在宅総合センター 通所管理者(介護福祉士) 高野 敏充

介護ウエーブをBIGウエーブにしたい!
勤医協札幌西区病院4病棟 主任(介護福祉士)阿部 哲理

北海道民医連に加盟の札幌市内の事業マップ

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【コラム】私と看護・介護
赤ちゃんとお母さんを支える
勤医協札幌病院4病棟 助産師主任 板垣 亜由美

“赤ちゃんと遊ぼう”を通して行う子育て支援
勤医協菊水こども診療所 看護師主任 宮地 直子

ホームレス青年との出会いから~無料・低額診療制度について~
勤医協札幌西区病院外来 看護師 羽野けい子

認知症で胃癌末期のM氏を在宅で支えた家族の支援を通して
勤医協苫小牧病院外来 看護師長 大西 敦子

療養病棟奮戦記
勤医協札幌西区病院4階病棟 看護師長 布目 歩

中央病院救急病棟24時!! 日々の奮闘
勤医協中央病院救急病棟 看護師長 澤田 幸子

地方診療所で働く
勤医協芦別平和診療所 看護師 八島紗弥香

反核平和活動への参加
勤医協苫小牧病院3病棟 看護師 柴田 由衣

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【発信】看護・介護の現場から
大腿骨頸部骨折患者の退院支援パンフレットの試み
勤医協中央病院4階東病棟 看護師 斉野 朋香

労働災害により緊急手術となった患者への外来看護援助~フィンクの危機モデルを活用して~
勤医協苫小牧病院外来 看護師 石川 淳

中途失明患者看護の一考察~A氏への関わりから学ぶ~
勤医協札幌病院第2外来 看護師 前川 雅子

透析患者のフットケアに対する効果的指導の検討―患者参加型フットケアを導入して―
勤医協中央病院透析室 看護師 本間 美穂

困難を抱える身体障害者への在宅復帰支援
勤医協札幌西区病院3病棟 看護師 荒矢 直樹

「帰りたい」という願いに応えるケアを考える
勤医協老人保健施設柏ケ丘療養生活部 介護福祉士主任 西島 龍樹

終末期における患者・家族の自己決定支援について一考察
勤医協にしまちクリニック 看護師長 折出 洋子

独居老人のターミナルケアの取り組み
勤医協上砂川診療所 看護師長 吉成 ルミ

臨地実習におけるヒヤリ・ハット体験を教材化する要因
勤医協札幌看護専門学校 専任教員 佐々木オリエ

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編集後記

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看護雑誌投稿規定

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北海道勤医協院所一覧
北海道勤労者在宅医療福祉協会事業所一覧

てきました。そしてこれらの活動はいつも社員・職
員の献身的な努力と患者さん、地域の方々、友の会

●巻頭言

員さんに支えられて発展してきました。
60 ~ 70年代は北海道勤医協が混乱 ・ 経営破綻・再
生 ・ 診療所の拡大 ・ 中央病院建設などへとすすんだ
時代です。1960年に勤医協准看護婦学院を設立し、
これ以降一貫して自前で看護師を育成しました。労
働者 ・ 農民 ・ 漁村などの人々の生活や労働に目を向
けた健康調査活動、健診活動を旺盛に展開し、様々
なたたかいへと発展させました。60年代後半、全日

勤医協看護の
歴史を概観して

本民医連は 「 患者の立場に立ち、患者の要求から出
発し、患者とともにたたかう 」 民医連看護の3つの
視点を定式化しました。80年代は全道に民医連院所
が設立され、北海道勤医協自身も苫小牧 ・ 丘珠 ・ 西

~今後への決意~
北海道勤医協本部 看護部長

区 ・ 診療所など数多くの院所を建設しました。看護
学会も道民医連として行われる様になり、健康の破

峯田 あけみ

壊や療養を阻んでいるものは何か、疾病と生活、労
働環境をしっかり学び、疾患の科学的な管理をめざ
し全道規模の「密着ターゲス」にも取り組みました。
看護学会を一つの節目に「人権擁護の看護」「 ダメ
な患者はいない 」「 あきらめない看護 」「 人権復権の
看護技術 」 などの患者観 ・ 看護観を磨き合いました。
90年代は訪問看護ステーション、在宅介護支援セン
ター、老人保健施設、療養病棟などへ大きくウイン
北海道勤医協は2009年1月9日、創立60周年を迎

グを広げました。厳しい情勢におかれた患者の人権

えました。私たち看護部門は創立以来現在まで、常

を守る看護実践が旺盛に展開されました。未熟児医

に看護師不足に悩まされながらも、
「誰のための何

療の充実、在宅酸素療法患者の電気代保障、透析患

のための看護か」を患者さんの看護実践を通し追及

者 ( 障害者 ) タクシーチケット増額など友の会 ・ 患

し続けてきました。今後も続けられることでしょう。

者さん ・ 地域住民 ・ 民主勢力とも力をあわせ運動し

それは患者さんと、苦しみ悩みを共有し、生きる希

ました。しかし、90年代後半から経営困難に陥り、

望を共に見いだし、その人らしく生きる事を支援す

勤医協を未来につなげるのか、という危機的な状況

る看護を自分達の大きな喜びとしている集団だから

に直面しました。

です。又、この看護の原点となっているのは、勤医

21世紀に入った現在、経営再建を遂行しつつ、

協が戦後間もない時期から一貫して患者の立場に立

2013年には勤医協中央病院の新築移転という大きな

ち、いつでも、どこでも、誰もが安心してかかれる

目標を掲げることができました。
「共同の営み」の

医療をめざし実践してきた歴史と綱領の存在です。

看護の具体化として「患者参加型看護計画」に取り

日本と北海道の医療とその背景にある社会の動

組み、人権をまもる質の高い看護実践への挑戦を続

き、労働者をはじめとする国民のたたかいを概観し

けています。患者さんの事実から社会の矛盾をとら

求められている事を方針とし、活動してきました。

えること、
患者さんに充実した医療を提供すること、

近年でいえば、2000年以降の小泉構造改革の激しい

全ての人に保障される制度を目指すことを一体のも

国民いじめの政治のなか、民医連 ・ 勤医協の差額ベ

のとし、患者さん・地域の方々と連帯して視野を広

ッド代を取らない医療をはじめ、無料低額診療制度

げ、看護集団の更なる進化を目指していきたいと思

の普及など「いのちの平等」を掲げた活動を展開し

います。
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【随想】

60周年を迎えた
北海道勤医協の
看護のあゆみ

北海道勤労者医療協会

北海道勤医協の看護の基礎作り

~看護の喜び誇り

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

私は1926年(大正15年)12月20

が成立し、河北省のノルーマン・

日に生まれた。5日後に昭和に改

ベチューン国際平和病院、延吉第

元され、「昭和」とともに歩んで

七後方病院、四川省成都の大病院

きた。

などで勤務し、1958年(昭和33年)

福島市の産婆看護婦学校を卒業

日本に帰国できた。

し、母の薦めで新潟の長岡日赤病

翌1959年、古ぼけた民家を改造

院に就職した。その後、陸軍看護

した歪んで窓も閉まらないような

婦に志願して満州に渡り、大連近

札幌勤労者診療所に勤務した。外

くの金州陸軍病院、斉斉哈爾(チ

来は70人前後、中2階の入院ベッ

チハル)の飛行隊司令部に配属さ

ド8床はいつも満床だった。玄関

れた。ある日、軍医から呼び出さ

脇の小部屋が手術室となり、手術

れ「身繕いして今日の夜、軍人将

後患者さんを抱きかかえて狭い階

校の家族を連れて日本に帰国せ

段を上がった。当時、貧しい人た

よ」と命令された。哈爾浜(ハル

ちを受け入れる病院はほとんどな

ピン)近くの大慶で敗戦を迎え、

く、患者さんの大半は生活保護の

悲惨な逃避行の試練に飲み込まれ

人たちだった。家を訪問すると、

てしまう。女性を襲い陵辱するソ

1枚か2枚の布団に親子が足だけ

連軍の脅威、飢餓と衰弱、たくさ

入れて寝ているという家庭が多か

んの遺体、発疹チフスの大流行…。

った。だから入院させる時、患者

人間は極限に達すると悲しみや恐

さんと一緒に市役所に行って布団

れなど、およそ人間的感情は麻痺

や寝間着を支給させることから始

してしまうことを体感した。

めた。

1946年(昭和21年)八路軍の双

私自身、子どもを育てながら働

城野戦病院で働いた。中国革命の

くことは大変だった。保育所が休

嵐の中で、昼夜寝る間もなしに負

みの時は診療所のテーブルの下に

傷者の手当てや運び込まれる患者

薬の空き箱を置き、子どもを寝か

の受け入れで疲労困憊し、手術室

せて働いた。賄いのおばさんに「息

で患者の切り落とされた脚を抱え

子が寝ているのでネズミに喰われ

たままつんのめってしまうことも

ないように時々見てください」と

あった。1949年、中華人民共和国

お願いすることもしばしばだった。
当時は北海道勤医協が倒産の危
機から立ち上がり、菊水病院 (30
床 ) を作り、准看護婦学院を開
校する頃だった。1960年、子ども
を小児マヒから守る運動、新安保

元勤医協中央病院 総看護婦長

山崎 幸
(やまざき ゆき)
1926年12月20日
朝鮮・羅南で生まれる。
長岡日赤病院、陸軍看護婦、八路軍従軍看護婦を経て1959
年北海道勤医協に参加。札幌病院、中央病院総婦長などを
歴任。

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随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

条約に反対するたたかい、生活保

を片時も忘れずに、泣いたり笑っ

護の改善を求める運動などが高ま

たり、勤医協・民医連とともに歩

り、この運動と勤医協の活動が結

み、定年まで働くことができた。

びつき、その後の前進の基礎を作

振り返ればいろいろな困難があっ

ってきた。札幌病院の建設(1964

たけれど、素晴らしい友人や同僚

年開院)は、こうした運動に参加

たちの支え、患者さんのお叱りや

した医学生・看学生たちの力に依

励ましがそれを乗り越える力とな

拠して進められた。菊水地域の生

った。

活保護世帯の健康栄養調査などの

そして、「働く人たち、弱い人

フィールド活動を通じて、若い力

たちの立場に立った医療」が、今

が次々と勤医協に加わった。私も、

日も外来や病棟、そして在宅の活

若い職員と一緒に無我夢中で駆け

動で引き継がれ、若い職員が成長

抜けてきた。どんな時にも「事例

していることを嬉しく思う。還暦

検討会」を重視し、その中で看護

を迎えた北海道勤医協が刻んだ歴

集団は確実に成長し、「患者の立

史を振り返り、若い人たちの無限

場に立った親切でよい医療」「働

の可能性・創造力を引き出して心

く人たちの命と健康を守る」こと

をひとつに頑張れば、未来は確実
に開けると思う。私も陰ながら皆
さんと一緒に歩きたいと願ってい
る。

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中央病院建設、看護管理の拡大

~はじめての看護常任理事

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

中央病院建設用地は玉葱畑で、

自負心が交錯して苦しい時期もあ

周りは人家疎ら、現在の札幌新道

りました。看護集団は「患者さん

は未舗装、中央分離帯は一面のタ

の一番近くに長い時間寄り添う私

ンポポです。「壊れそうな診療所

たちが諦めず、無差別平等の医療

の修理が優先!」「敷居が高くな

を実践しよう」「勉強しよう!」

るのでは?」などの意見もありま

と学び、実践し、振り返り、他職

した。私は1960年、ベッド数40床

種の支援も得て困難に立ち向かい

の菊水病院に就職以来、准看護婦

ました。管理体制を自前で構築し

学院開校、フィールドワーク、健

ようと事務職の常任理事の兼任か

康診断、救援活動、札幌病院建設

ら看護職の看護部長になったのが

などの成功を見てきましたので、

1993年で、新米部長はいつも民主

理屈抜きに成功を信じていまし

的医療チームに助けられました。

た。
「全道に民医連の旗を掲げる」

「管理者は非力を隠さず、補って

展望を熱く語り金策に駆け回る諸

くれる仲間を組織すること」が私

先輩を信頼して…といえば格好良

のささやかな経験から得た事で

く、「ついて行こう」程度の覚悟

す。多彩な人材を擁し最多数の看

だったのを白状します。全道の団

護・介護集団の、患者さん利用者

体・個人から協力資金、寄付金を

さんの人権をしっかりと見据えた

いただき、何よりも北海道教職員

実践は民医連の心を伝える大動脈

組合に協力を訴えるキャラバン隊

です。その心を日常の現場で研修

参加は、勤医協の一員として「自

医や同僚、後輩にも惜しみ無く伝

覚と勇気のおまけつき~一週間の

えられたら最重点課題の後継者育

旅」になりました。

成の前進につながることを信じ、

宗谷支部の教員諸氏とは長い時

期待しております。差額ベッド料

間を経て、友の会活動で再開し、

をいただかないことに象徴される

お互いが勤医協のサポーター気取

民医連の踏ん張りは、安心して暮

りで頑張っているつもりです。

らせる街づくりと合流して共同の

中央病院開院の際のシステムづ

輪が広がっています。時には楽し

くり、大病院での民主的運営、技

みや笑いや感動を共有できる場を

術獲得などに若手医師を中心に看

つくりながら、ともに歩み新中央

護師の果たした役割は素晴らし

病院建設を成功させたいものです。

く、その働きぶりは当事者に譲り
ます。医師が研修を終えて意気高
く新しい分野で腕を振るおうとし
ても、看護師不足や知識・技術の
未熟さがブレーキとなり「親切で
良く働くが、政策能力の無い集団」
との声に、疲弊感・不信感・焦り・

元北海道勤医協本部 看護部長

三上 紀子
(みかみ のりこ)
1957年 旭川国立病院附属准看護学校 卒業
1960年 北海道勤医協へ入職
    札幌病院、中央病院勤務を経て、
1989年 看護師初の常任理事
1993年 本部看護部長
1998年 退職

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丘珠病院開院

~引き継がれる理念

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

私と丘珠病院のかかわりは開院

科・リハビリ科3科共同の社会復

の準備とその後の3年間です。ち

帰をめざす病院」という丘珠病院

ょうど、中央病院開院から7年間

構想が決まりした。
3科共通の患者さんの特徴は、

経っていました。
そのころの中央病院は道民医連

一生療養を必要とし、何らかの障

のセンターとして全道各地から患

害を抱えての社会復帰であり、家

者さんが集まってきました。「患

族や職場の理解や協力、地域の支

者さんを断らない」姿勢と相まっ

えなど欠くことのできないもので

て今では考えられませんが、機材

す。私たちは患者さんの退院後の

庫にベッド・酸素を用意して救急

生活を想像し、それに役立つよう

患者さんを受け入れることもまま

な病院づくりをしようと準備に入

ありました。それまでのフォロー

りました。既成の入院の決まりに

アップ活動・慢性疾患管理など勤

とらわれず、療養環境をできるだ

医協ならではの旺盛な日常診療に

け日常生活に近づける初ものを考

加え、老人健診、離島検診、胃F

えました。パジャマは就寝のとき

s検診、難病検診、肝癌検診など

だけで日中は私服に着替えるこ

各地に出かけていく活動の蓄積の

と、消灯時間は10時、食事はホー

成果でもありました。当然、中央

ルの食堂でみんなと向かい合って

病院の許容量を超え矛盾も大きく

食べること、糖尿病の患者さんの

なっていました。外科系や内科の

米飯は摂取量を自分で測るなど。

重症度は進み、一方で高血圧や糖

リハビリの程度によっては布団の

尿病など療養指導が中心となる疾

上げ下げを自分でしてもらう和室

患や難病・リュウマチ・リハビリ科

の病室もありました。活動的な精

など時間のかかる治療は中央病院

神科とリハビリスタッフのユニホ

の急性期高機能病院に馴染まなく

ームは初のパンタロンにしました。
看護スタッフは、半数近くが勤

なってきました。
そこで中央病院の機能を効果的

医協看護専門学校2科の一回生で

にする一方、新たな要求にこたえ

す。初の2名の精神科男性看護士、

る病院建設の検討が始まりまし

変則3交代(いわゆる2交代)だ

た。初代院長の故河内先生を中心

からと正職員になったパートの母

に、精神科とリハビリ科・慢性疾

さん看護婦など、経験も年齢も民

患やリュウマチ難病を中心とした

医連の理解もバラバラ混成チーム

内科が一緒になった「内科・精神

です。開院前に医師をはじめ全職
員で病院で合宿しました。みんな
張り切って、寝るのを惜しんで意
思統一?が続きました。新しい病

元勤医協札幌丘珠病院 総看護婦長

湊 登美子
(みなと とみこ)
1967年 北海道大学附属病院看護学校 卒業
    北海道勤医協へ入職
    札幌病院、中央病院勤務を経て、
1982年 丘珠病院総看護婦長
2002年 退職

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随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

を広げていく支援の在り方などを
学びました。
国鉄労働者と一緒に「第一回ひ
まわり号」を走らせて、障害者団
体ともつながりました。一方で覚
悟の上とは言え、当初からの赤字
体質は辛いものでした。高点数の
薬や検査・技術によらないマンパ
ワー中心の診療報酬ではいくら基
準ギリギリの体制でも赤字克服に
は至りません。はからずも、丘珠
病院の開院年度に中曽根内閣が誕
生しています。それまでは経済成
院づくりは未熟さもいっぱいあり

長がある程度憲法を生活に生かす

ましたが、患者さんを思う気持ち、

国民のたたかいとも連動し国民の

新しい病院をつくっていくという

生活向上に向けられていました。

意欲やアイデアに支えられてスタ

その従来の潮目を大きく変える臨

ートしました。

調行革路線がスタートし、年々社

入院生活では、夏祭り・畑作・冬

会保障制度の改悪が始まり、現在

祭り・運動会と丘珠病院の恒例と

に至っています。それが度重なる

なる行事が始まりました。仮設便

変化を求められた丘珠病院の苦労

所を用意してのリハビリ患者さん

に繋がったと思います。

の公園散歩、外で運動会らしい昼

しかし、そんな中でも患者さん

食をとりたいとの要望に応えてパ

の生活に密着した療養環境づくり

ック詰めを用意してくれた栄養

や、科を越え全スタッフが共同し

科、さまざまな便利グッズを作っ

て患者さんの回復へつなげる医療

てくれた現業、どの取り組みも診

内容の実践は札幌病院、中央病院

療報酬の裏打ちがないためお金を

と受け継がれてきたものであり、

かけない工夫をしました。

丘珠病院の実践は老健・在宅事業

さまざまな取り組みの中で患者

へ確実にバトンタッチしてきたと

さんが思いもかけない変化をみ

思います。経営困難の克服は厳し

せ、それは、スタッフや家族の喜

かったですが、理念・技術を体現

びでありエネルギーになりまし

できる人をたくさん残した27年だ

た。また、できないことばかりに

ったと思います。この蓄積をあら

目を奪われるのではなくできるこ

ゆるところでさらに発展し、引き

と、健康な部分に目を向け、それ

継がれることを切に願っています。

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「闘う看護」は看護ではない?

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

勤医協を退職して3年になる。

のひとつ“患者とともに闘う”を

民医連医療誌245号に書いた「民

実感でき、民医連の看護の代名詞

医連看護の3つの視点~その発展

が「闘う看護」として定着してき

と優位性」の文章は、17年前のこ

た。私もその言葉を多用し、民医

と。医療誌も手元にないくらい過

連看護の特質は「闘う看護です」

去になっている。民医連綱領もリ

と誇らしく応えていた。ある日、

メイク中で、学びなおされている

看護委員会に「看護に“闘う”は

そうだから、出番が巡ってきたよ

そぐわない」という意見が寄せら

うだ。今、92年の文章を読むと、

れた。

堅苦しく、わかりにくい。今なら、

それも看護の実践的研究をすす

(老いを知り、人にも自分にも優

め、看護界でも名の知れた人が中

しくなれる年頃)散文調に滑らか

心になっている集団からの異議で

に書けたのかもと思いながらいる。

あった。「闘う看護」を論理的に

私は、87年頃から全日本民医連

整理してみようと考えた。書きた

看護委員になり、全国の熱気あふ

いと思える、看護活動が北海道勤

れる看護師たちと活動をすすめ

医協の院所にはたくさんあった。

た。その時期、国は医療費亡国論

とりわけ86年から9年間勤務した

や高齢者枯れ木に水論を声高に言

札幌病院は民医連の昔と今を併せ

い立て、医療費を大幅に削減する

持った患者や地域や職員の気質ま

政策を進めた。医療を中断する患

でもが「闘う看護」を、体感させ

者や、貧困で生活が立ち行かない

たし、書き留めさせたのだと思う。

重症者が末期状態で病院に担ぎ込

「闘う看護」は、懐の深い民医

まれるなど、悲惨な状態が全国各

連看護の特質を表す直接的な表現

地から看護委員会に寄せられた。

で、50代以上の世代には今も大き

これを、「看護酷書」として1冊

な違和感はないと思う。しかし、

の厚い本にまとめ出版した。当然、

メール世代には、難解で伝わらな

告発だけにとどまらない次の活動

い。

が展開してゆく。全国各地の民医

その世代に届く民医連の看護ら

連院所で取り組まれたが、患者を

しさを、いまを体感している看護

ケアーしている看護師が行政との

師にまとめて作文してほしいと願

交渉や運動の中心となり、成果が

っている。看護という仕事は、人

上がってきた。民医連看護の視点

の人生の一部にかかわり、沢山の
宝物を見出す素敵な仕事であるこ
とをつくづく思っている私の思い
出話、この辺で失礼。

元勤医協札幌西区病院 総看護師長

井上 久美子

2009年10月 プリンスエドワード島で

(いのうえ くみこ)
1969年 道立衛生学院 卒業
    北海道勤医協へ入職
1977年 日本福祉大学 卒業
1979年 中央病院勤務。丘珠病院、札幌病院勤務を経て、
2005年 西区病院総看護師長
2007年 退職

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老健柏ケ丘の開設と人権を守る
介護・看護実践

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

1997年、勤医協として初めての

ボランティアさんと一緒の豊か

老人保健施設(以下老健)柏ケ丘

な生活づくり、介護者の会との連

が開設されました。

携、認知症や一人暮らし高齢者を

高齢者が退院しても行き場がな

地域で支える友の会との重層的な

い問題や、介護に端を発した悲劇

関係等々。老健のケアは職員だけ

も後を絶たない現実に、居住性と

のケアではなく、家族、ボランテ

リハビリを重視した施設、人間と

ィア、友の会地域の人々との共同

しての尊厳が保たれる施設の建設

のケアです。「介護保険で高齢者

は切望されていました。

と家族を泣かせない」と連帯した

柏ケ丘地域にはすでに24年の歴
史をもつ柏ケ丘診療所が存在し、

様々な運動にも取り組みました。
②成長と発達からみる高齢者観

往診と100件以上の訪問看護、老

肺炎のため寝たきりで流動食だ

人デイケアなどが旺盛に展開され

った方が、杖でしっかり歩いて自

ていました。その基盤の上に診療

宅へ。食べることや眠ること、生

所と一体となった老健づくりでし

きることそのものをあきらめてう

た。友の会を中心とした「この地

つ状態になり、胃瘻になった方が

に勤医協の老健を」との北海道へ

1年かかって食べられるようにな

の誘致を求める請願署名や勤医協

り自宅へ。また、認知症によって

の総力をあげた建設運動があって

生活を障害されながらも新しい生

の開設。「地域の人々の熱い思い

き方を求め、人生の終盤を懸命に

がこもっている」柏ケ丘でした。

生きている方々。高齢者は高齢者

老健の開設により、勤医協内の

のペースで成長・発達する能力と

高齢者医療のネットワークをより

可能性をたくさん持っています。

一層進めること、そして高齢者が

③自由と安全を貫くケア

いろう

地域でいきいきと暮らすための街

急性期を脱したけれど、せん妄

づくりの中心となろうと職員集団

や徘徊のため入院継続が困難にな

は意欲に燃えていました。

った方を何人も受け入れ、拘束せ

そして、生きる喜びと自信を取

ず回復された経験を通し、生きる

り戻す高齢者の姿に感動し、職員

意欲と生きる力の獲得にとって身

が成長させてもらいました。

体的精神的自由ほど尊いものはな

実践を通して学んだ「人権と尊

いと実感。当然開設時から拘束と

厳を守るケアの視点」を紹介しま

いう概念は一切なく、現場では「自

す。

由を守り、かつ安全を守る」こと

①地域との共同のケア

に挑戦してきました。
柏ケ丘での経験は、私にとって
人生の宝物です。

北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協丘珠在宅総合センター長
(元老健柏ヶ丘 副施設長)

猫塚 真里子
(ねこづか まりこ)
1973年 道立衛生学院保健婦科 卒業、稚内市役所勤務を経て、
1974年 北海道勤医協へ入職
    厚賀診療所、中央病院、丘珠病院、西区病院勤務を経て、
1996年 老健準備室事務局長
1997年 老健柏ヶ丘副施設長
2008年 丘珠診療所看護師長、介護事業担当責任者
2009年より現職

12

勤医協札幌看護専門学校と共に

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

30

北海道勤医協(以下勤医協と記

かたず、親切で熱心な指導がなさ

す)の看護師養成の事業は札幌看

れました。その後の情勢の進展は

護専門学校(以下勤看と記す)の

急激な教育内容の量的拡大と質的

前 身 の 准 看 護 婦 学 院 創 立(1960

発展を求められ、1984年3年課程

年)以来足かけ50年に渡り、私は

が2年課程に併設されました。こ

そのうちの30年を勤看に関わらせ

の事業に向けて、教育理念の本格

て頂きました。その想い出の一端

的討議と教育内容の再構築の検討

を述べてみます。私の在職期間

が行われました。臨床指導者、講

は、国民の医療に対する強い願い

師、学校職員は基より、全社員・

と政府の施策とのせめぎあいの歴

職員あげての「看護師養成の在り

史の連続でした。その中で、北海

方」の検討が運動として画期的な

道勤医協は一貫して道民の願いの

取り組みでした。現行の教育理念

実現のために道民と共に闘ってき

の核となる人権擁護の立場に立つ

ました。その一貫として創立30周

看護師養成の基本の「憲法の精神」

年を記念した「5大建設」を社員・

を基盤とすることを掲げました。

職員あげての運動に、その一つが

即ち、看護は対象の「無差別平等

看護専門学校の建設でした。19年

の医療を受ける権利」を基盤に、

間の准看護婦学院の歴史を引き継

患者さんの願いを実現するための

ぎ、2年課程への発展的建設です。

「共同の営み」として「民主的な

1979年4月13日に、新校舎(当時

集団医療体制」の一員としての実

は中央病院8階)で開校式・入学

践者を養成することを目標としま

式が挙行され、専門学校のスター

した。

トを切りました。1回生33名の新

今後も、この50年の後継者育成

米担任となった私は学生達の学習

事業を地域の社員・友の会の皆さ

意欲の凄さに圧倒されタジタジで

んに支えられ、さらなる発展を期

学生達に教えられる毎日でした。

待してやみません。

教職員が一丸となり、学生たちと
向き合ったことが懐かしく思いだ
されます。「中央病院」を中心に
総婦長さんの陣頭指揮で実習環境
が整備され、各病棟配置の複数主
任が臨床指導を担うという強力な
教育環境が準備されました。勤医
協が創立以来築き上げてきた「患
者の立場に立つ看護」実践の後継
者を育てたいという願いで昼夜分

元勤医協札幌看護専門学校 副校長

江原 美智子
(えはら みちこ)
1968年 北海道大学医学部附属看護学校 卒業
    北海道勤医協へ入職
    札幌病院、上砂川診療所勤務を経て、
1977年 准看教員・高等看護学校設立専任
1978年 勤医協札幌看護専門学校準備室専任教員
2001年 勤医協札幌看護専門学校副校長
2007年 定年退職

13

訪問看護ステーションの歴史を振り返って

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

北海道勤医協で初めての訪問看

とや開設の手引きを参考に記録や

護ステーションである菊水訪問看

書式、マニュアルなどを作ってい

護ステーションの開設に関わって

きました。訪問看護ステーション

から15年が経ちました。札幌市各

の基本的な考え方と今まで勤医協

区に次々と開設されたものの、当

が行ってきた訪問看護の実績を引

初はなかなか利用者も増えず、赤

き継ぎ、健康管理や医療的処置に

字の辛い時期が続きましたが、

加え生活全般を支えること、その

2008年12月北海道勤医協の在札診

ために健康を回復する権利として

療所、2009年4月地方診療所から

の社会保障を活用し改善も求める

勤医協在宅への事業移管があり、

運動が必要と確認しながら進めて

2009年12月現在、訪問看護ステー

きました。しかし、当時は訪問看

ションは16カ所となり、今では在

護の内容を十分伝えきれず、何か

宅事業の経営を支える部門になり

医療的処置がないとその対象では

ました。

ないと思われたり、ヘルパーとの

現在、私はケアマネジャーとし

区別がつかなかったりもしまし

て訪問看護が必要な方に利用の紹

た。少しずつ利用者が増え、その

介を行っていますが、在宅療養の

実践の中から理解が広がっていき

要であることをいつも実感してい

ました。褒め言葉だと思いますが、

ます。これまで様々な出来事があ

「外来での困難事例は訪問看護に」

りましたが、やはり菊水訪問看護

と言われ、「困難事例こそ訪問看

ステーション開設のことが一番の

護の出番」ということを解っても

思い出です。

らえたと感じました。この後、1

看護協会主催の訪問看護研修に

年足らずで北区病院の訪問看護ス

1ヶ月程参加し、定年退職された

テーション立ち上げのため転勤に

川添婦長さんと2人で準備室を開

なりましたが、菊水でのことは鮮

くことになりました。札幌病院に

明で印象深く、良い思い出です。

ある準備室に行くと物置状態で、

この後、北区病院・老健柏ヶ丘・

部屋の掃除をしながら自分たちの

在宅事業部での柏ヶ丘訪問看護を

机を確保することから始まり、こ

経験しましたが、忘れられない利

れからの苦難を予感しました。
“訪

用者さんの顔が浮かびます。独居

問看護では何をするか”を、理解

で身寄りがなく、認知症・生活保

してもらうため、実習で学んだこ

護がキーワードでした。今ほど認
知症が一般化されていないため支
援は手探りでしたが、“実践しな
がら学習を進めまとめる”ことの
繰り返しで少しずつ見えてきたも
のでした。思い出深いのは、老健

北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協北白石在宅総合センター長

対馬 美恵子
(つしま みえこ)
1975年 道立衛生学院保健婦科 卒業
    和寒町役場、美瑛町役場勤務を経て、
1987年 北海道勤医協へ入職
    丘珠病院勤務後、
1994年 札幌病院訪問看護準備室主任、北区病院訪問看護ステーション所長、
    柏ヶ丘訪問看護ステーション所長を経て、
2003年より現職

14

随想-60周年を迎えた北海道勤医協の看護のあゆみ

柏ヶ丘の時に関わったある利用者

し、関係者10数名が集まり措置入

さんです。通所リハビリを週2回

所の検討会議を行いましたが、
「本

利用しており、訪問看護の紹介を

人が拒否しているので」ダメだと

受け、訪問を始めました。2回目

言われ、困り果てました。その後

の訪問で家に入れてくれたのです

は事故が起きないよう介護サービ

が、私のことを全く記憶していず、

スを入れながら本人自身が施設入

話しを合わせていることがすぐに

所を決められるように支援し、入

わかりました。その後、食事が摂

所後は穏やかに過ごされ数年前に

れていないことがわかり、本人に

他界されました。この方の実践で

了解を得てヘルパーを入れ、買い

の学びが次へと活かされていきま

物や食事を提供しました。しかし、

した。

徐々に認知症が進行し、用意され

私が訪問看護で学んだことは、

た食事も食べられなくなり、火の

マニュアルがなくても実践しなが

不始末を起こして消防車や救急車

ら手探りで“ケアを普遍化してい

が数回出動するということもあり

くこと”がいかに大切か、という

ました。特別養護老人ホームへの

ことです。あと数年で私も定年退

入所を勧めたものの本人は拒否

職になりますが、これまで学んで
きたことを最後まで貫きたいと思
います。

勤医協北白石在宅総合センター

15

ツメナガセキレイ A.OHASHI

【特集 ❶ 】

地域医療を考える

北海道勤労者医療協会

特集1-地域医療を考える

北海道の地域医療の
現状と展望
勤医協中央病院 名誉院長

大橋 晃

大橋 晃
(おおはし あきら)
勤医協中央病院名誉院長
1966年 北海道大学医学部 卒業
1967年 北海道勤医協へ入職
    札幌病院、浦河診療所勤
務を経て、
1975年 中央病院勤務
1984年 中央病院名誉院長

「地域医療がかつてない危機に瀕している」-これは地域医療の最前線で奮闘されている看護職員の
皆さんが日々実感されていることです。
私は現在診療の現場に戻っていますが、3年前までの24年間は、道議会議員として北海道の地域医療に
ついて各地を調査し、議会で質問を繰り返してきました。
診療の現場と政治という両面から、北海道の地域医療の現状と打開の展望を考えてみたいと思います。

1 医療崩壊がとりわけ深刻な北海道
北海道は「東北六県+新潟県」という広
域に、
大都市札幌と広大な過疎地域を抱え、
全国を覆う医療崩壊がとりわけ深刻な地域
になっています。
(1)医師不足-過重な労働実態と地域格
差の拡大
医師不足の根本的原因が、
「偏在」では
なく「絶対的不足」にあることは、国民的
コンセンサスになりつつありますが、北海
道の場合より深刻な実態があります。
北海道全体で見ると、人口あたり医師数

表1

は全国平均を上回っていますが、面積あた
りでは全国最低、100病床あたりでは最低
レベルです。
(表1)つまり労働実態で見
ると最も厳しい地域です。
そのうえ二次医療圏別で見ると、最高の
上川中部圏(旭川など)と最低の根室圏で
は約3倍の格差があります。
「絶対的不足」
のうえに
「地域格差の拡大」があるのです。
とりわけ深刻なのは産科・小児科です。
(図1)お産のために遠くの町まで行かな
ければならなくなり、深刻な事態も起こっ
ており(資料1)、小児科医の過労死も起
こっています。
しかし最近では、外科・救急さらには内

図1

18

科医の不足のために、手術をやめたり、病
院や病棟を閉鎖・縮小するところも出てい
ます。
(2)看護師も全国平均より上というが…
看護職員は人口あたりでは全国平均を大
きく上回っていますが、100病床あたりで
は全国平均を下回り44位です。(表2)
二次医療圏ごとでは2倍強の格差があり
ますが、2006年の診療報酬改定で7対1看
護が導入されてから、都市部の大病院に引
き抜かれるといったことも起こり、格差が
拡大する傾向にあります。
(3)広大な無医地区の存在

資料1

「医療機関がなく、半径4km内に50人
以上居住している地区で、容易に医療機関
を利用できない地区」という無医地区は、
北海道は地区数でも、人口でも突出して多
いのが特徴です。(図3)
無医地区は、北海道でも全国でも年々減
少していますが、その実態は、
「新たに無
医地区になった」理由が、「医療機関がな
くなった」というのが59%を占めている一
方、
「無医地区でなくなった」理由が、「医
療機関が出来た」というのは10%に過ぎず、
殆どが交通の改善や人口の減少であること
に見られるように、決して医療機関が増え
て医療が受けやすくなったのではありませ

表2

ん。過疎地域ではますます医療機関が遠く
なっているのが実態です。(図4)
(4)地域医療の要である自治体病院の切
り捨て
道や市町村が設置する自治体病院は、民
間病院がない自治体でも設置され、民間が
手がけない不採算の部門もとりくんで地域
の医療を確保する役割を果たしています。
しかし最近では、医師不足の直撃を受け、
国の地方交付税の削減もあって、経営が悪
化しています。加えて地方財政健全化法の
施行による連結決算の導入で、病院の赤字
が自治体の赤字をふくらませる形となり、

図3

19

特集1-地域医療を考える

全国の中でも自治体財政が最も厳しい北海
道では、
「第二の夕張」にならないために、
病院の赤字をなんとかしろという圧力が強
まっています。
国は「公立病院改革ガイドライン」を出
して、3年続けて病床利用率70%以下の病
院には減床や診療所化を誘導し、道も国に
先駆けて
「自治体病院等広域化・連携構想」
を出して、効率の悪い38病院の診療所化を
うちだしました。
これらを受けて、道と各市町村は「改革
プラン」を出しましたが、5病院の診療所
化、34病院で1200床削減となっています。

図4

自治体病院の縮小や診療所化は、過疎化
に拍車をかけ、地域崩壊に直結しかねませ
ん。
(5)療養病床廃止で医療難民・介護難民が
国が2006年の医療改革関連法で打ち出し
た介護型療養病床廃止・医療型の削減方針
は、特例許可老人病院の時代から全国で最
も病床数の多かった北海道を直撃しました。
特養ホームは待機者が道内で約23000人、
在宅ではとても受け入れられない(図5)

という中で、膨大な医療難民・介護難民が
生まれることが危惧されました。
医療現場からの反対の声の中で、当初の
国の計画通りなら道内18000床が削減され

図5

るところでしたが、最終的には2011年度末
で約8000床減という計画になりました。
(図
6)法改正を先取りした診療報酬の改定で
比較的軽症の患者の報酬が引き下げられた
ため、既に4年間で約5000床減少していま
す。
(表3)
(この中には勤医協丘珠病院も
含まれています)
鳩山新政権で「廃止方針の凍結」が報道
されましたが、先行きは不透明です。

図6

20

2 医療費抑制策の実験場としての
北海道
歴代の自民党政権は、
「医療費亡国論」
などを振りまいて、医療費の抑制と医師養
成数を押さえてきましたが、その中で北海
道は医療費抑制策の実験場とされてきまし
た。
(1)全国一の一人あたり老人医療費
北海道は一人あたり老人医療費がずっと
全国一でした。また、一人あたり国保医療
費もトップクラスでした。その要因は、入
院受診率が高い(入院が多い)、入院日数

表3

が長い
(長期入院)
ということでした。
(表4)
何故老人の入院が多く、長いのか。これ
まで色々と分析が行われてきましたが、高
齢化のスピードが全国以上に早い、核家族
化のスピードも早く高齢夫婦世帯が多い、
持ち家比率が低い、広域性や積雪寒冷のた
め冬期の通院が困難、病院やベッドが全国
トップクラスに多く、他方診療所は最も少
ないなどがあげられています。
この背景には、炭鉱閉山や農林漁業の崩
壊といった社会・経済的要因があります。
(2)医療費抑制一本槍の国、忠実な道
この問題の解決のためには、通院や在宅
医療の充実、特養ホーム在宅介護の充実、
健診や健康作りといった対策、さらには社
会・経済的要因の解決といった総合的な対

表4

策が必要とされるところです。
しかし国は、国保安定化計画の策定を義
務付け、長期入院の是正(追い出し)など
を中心に医療費抑制一本槍のやり方を押し
付け、道もこれに忠実に従って来ました。
その結果、入院に関する指標などは全国
との差は縮まり、一人当たり老人医療費も
全国2位に下がりましたる。
(図7)
(図8)
国は北海道における一連の医療費抑制の
取り組みを「他の都府県も参考にしてほし
い」と大いに賞賛しています。
21

特集1-地域医療を考える

3 地域医療を守り、発展させるために
では北海道の地域医療を守り、発展させ
るためには、何が今求められているのでし
ょうか。
(1)キーワードは「連携」
医療不足や経営困難を抱える中で、地域
の医療要求に応えるためには、国公立でも
民間でも、もはや「自己完結」型ではやっ
ていけません。国や道が進める「効率優先
の再編」
に対抗するためにも必要なのは「連
携」です。
一部の自治体病院では様々な取り組みが

図7

始まっています。(例えば共同利用病床や
介護施設を通じた町立病院と開業医の病診
連携、自治体間で協定を結んで砂川市立病
院と病々連携を行っている奈井江町の取り
組み)
勤医協・民医連の場合も、内部での連携
をいっそう発展させるとともに、それぞれ
の地域で他医療機関との連携を発展させる
ことが大切になります。
(2)患者・住民とともに-もはや民医
連の独壇場ではない。
「患者・住民とともに」というのは民医
連の一貫した理念であり、「友の会」や組
合員という形で実践されてきました。
しかし最近では、
「診てやる」という態
度では生き残りを図れないとして、日本医
師会なども「住民とともに」を強調するよ
うになりました。

図8

自治体病院でも、医師不足や上からの再
編の押し付けに対して、住民とともに乗り
切ろうという動きが広まっています。例え
ば小児科医がいなくなるのではという危機
に際し、
お母さんたちが「小児科を守る会」
を立ち上げ、自ら学び合いながら「コンビ
ニ受診を控えよう」等のパンフレットをつ
くって、結果的に小児科医が増えたという
兵庫県立柏原病院の例や、病院と住民が一
22

体になって「地域の中で研修医を育てる」
取り組みを行っている千葉県立東金病院の
例(09年10月の民医連学術・運動交流集会
の講演参照)
、道内でも医師と住民が様々
な形で連携する例が生まれています。
かつて民医連の独壇場といわれていた取
り組みが広がったという点では喜ばしいこ
とですが、肝心の民医連が遅れをとってい
る場面もみられます。
様々な困難を抱えているからこそ、
「内
向き」になるのでなく、思い切って外に目
を向けることが必要でしょう。
(3)
「命と健康を守る」政治の実現と結
びつけて
地域医療を守るためには、究極のところ
「命と健康を守る」政治が不可欠です。
憲法25条に基づく社会保障充実への国の
義務は、歴代の自民党政権とりわけ小泉改
革によってずたずたにされてきました。こ
れに対する国民の怒りが大きな力となって
政権交代が行われました。これは一歩前進
ではありますが、民主党政権は早くも、後
期高齢者医療制度の廃止先送りにみられる
ように後退が始まっています。運動のいっ

エゾフクロウのヒナ A.OHASHI
大橋 晃「北の仲間たち」第6集

そうの強化が求められています。
また「住民の福祉の増進を図ることを基
本とする」
(地方自治法)自治体も、多く
のところではその役割を果たしていません。
私達は、困難な中でも地域医療を守るた
めの役割をしっかりと果たしながら、国と
地方の政治を変えていくという「双眼の構
え」が求められているのです。

23

特集1-地域医療を考える

地域医療にかける医師
勤医協芦別平和診療所 所長

舛田 和比古

舛田 和比古(ますだ かずひこ)
勤医協芦別平和診療所 所長
1974年 北海道大学医学部 卒業
    北海道勤医協へ入職
    札幌病院、
室蘭診療所、
中央病院勤務を経て、
2000年 中央病院院長
2001年 北海道勤医協理事長
2007年より現職

長年の自民党政権の低医療費政策による医療の荒廃は、小泉政権の「構造改革路線」によって一気に「医
療崩壊」
へと突き進んだ。産業構造が農業・漁業・林業・炭鉱など第一次産業に重きをおいてきた北海道は、
「地域崩壊」をも招き北海道の地域医療は瀕死の瀬戸際にいる深刻な状態といえる。この小論では、北海
道勤医協60周年記念号ということもあり、北海道勤医協の診療所の医師配置の歴史と診療所研修の優位性
に焦点をあて、「地域医療にかける医師」について論じてみたい。
の病院で普遍化することになる。青年医師は診療所

診療所の医師配置の歴史を振り返って
北海道勤医協は、医師の研修できる病院がない時

のみならず各病院の医師配置についた。研修と医師

点で多くの診療所が誕生した。それは、全道各地で

配置を両立させるものであったが、青年医師からは

医療を受けられない人々が「おらが診療所が欲しい」

「研修ではなく労働力・駒としかみていない」など

という切実な要求と運動によって建設された。本部

の批判・不満も大きくなった。1990年代になって、

から医師配置の保障がない中でも、地元の民主的な

研修要綱では「診療所配置を原則とする」ことを廃

医師へ要請し所長を担っていただき診療所はスター

止したが、2-3年目中規模病院、4-5年目診療

トしていった。

所の配置を、研修世代で集団的に検討し配置してき
た。

「60年安保闘争」「70年大学紛争」を経験した新
卒医師が集団的に次々と参加してきた。病院の医療

90年代後半に中央病院が臨床研修指定病院を取得

水準を上げるため、地方の診療所を守りながら「た

し、2004年臨床研修必修化が導入された。わが国の

たかいつつ学ぶ」
「不平等団結主義」というスロー

卒後医師研修体制は大きく変化した。
「医師不足」
「医

ガンをかかげ貪欲に学び、技術建設を行った。1973

療崩壊」
「地域崩壊」が一気に進行する時代でもある。

年に北海道勤医協は『ニコニコ路線』とよばれる医

北海道勤医協の診療所は経営困難から芦別平和診療

師研修方針を出した。卒後2年間の病院研修を保障

所以外は無床化を余儀なくされたが、医師不足を理

し、
その後2年間の診療所勤務が「義務化」された。

由に一つの診療所も閉鎖することはなかった。しか

この研修方針に基づき病院で研修した医師が、地方

し、青年医師が民医連の原点といわれる診療所の配

診療所に赴き、診療所の医療水準を引き上げ、民医

置につくことが困難になってきた。研修世代で診療

連医師として鍛えられた。1975年中央病院の建設に

所の配置についたのは、03-04年度7名、05-06年

より、技術水準は向上し研修体制は飛躍した。その

度5名、07-09年度1名と年々減少している。現在、

力が道内の新たな法人を創設する原動力となり、

多くの診療所はベテラン医師、定年後の医師、さら

1978年北海道民医連が結成された。

に民医連育ちではない医師の力で維持しているのが
現状である。では、診療所での研修の魅力が減少し

1980年代は新法人の設立、病院の建設と内科・小

ているのであろうか?

児科・外科・整形外科の基幹科を各病院に展開する方
針のもと、中央病院での医療水準・技術水準が各地
24

いくことが困難になり、丘珠病院、北区病院は病院

「診療所研修」の役割
北海道勤医協での医師養成における診療所勤務

として維持しえなくなった。しかし、医療と介護の


「研修」
)の役割は歴史的に見て非常に大きいもの

一体的なサービスをもっと多くの方に提供し、最期

がある。現在病院群で活躍している多くの医師は、

まで住みつづけられるまちづくりを共同の力でおこ

青年時代に診療所での勤務を経験している。青年時

なうという実践は今ほど輝いているときはない。そ

代の診療所勤務は、
「義務的」であったとはいえ、

して、最も困難な人びとの最後の拠りどころとして、

経験した医師の94.8%が「現在の医師としての活動

無差別平等を貫く民医連・勤医協の存在を困難な時

に有意義だった」と答えている。その内容は、①患

代だからこそ守り発展させる必要があると痛感して

者の居住地が近く生活がよくわかる、②患者の経過

いる。

を一人の医師で診ることができる、③地域のまちづ

最初から診療所に向いた能力をもった医師などい

くりに参加できる、④患者とのコミュニケーション

るはずはなく、前もって診療所に求められる能力を

がとりやすい、⑤地域の医師や医師会との付き合い

病院で身につける必要もないと考えている。なぜな

ができる、⑥慢性疾患・生活習慣病を管理できる等

ら、診療所には職員の中で育ち合う教育力、地域の

であった。

中で成長できる教育力をもっているからである。医

1)

これらは、現在も変わらない診療所研修の優れた

師も看護師も若いうちに診療所に出る自信と勇気が

点といえる。プライマリケア学会・家庭医療学会・総

ないという。指導・教育する指導者がいないという。

合診療医学会は
「家庭医」を特徴付ける能力として、

乱暴な言い方をすれば、「立派な」指導者がいない

①患者中心・家族志向の医療を提供する能力②地域・

のが診療所の最大の指導体制ではないだろうか。診

コミュニティーをケアする能力③包括的・継続的・効

療所の役割は時代とともに変化し、職員集団の形成

率的に医療を提供する能カ―を挙げているが、われ

の度合いによっても自分の役割は変化するものであ

われの診療所研修と相通ずるものといえる。

る。診療所が自分に何を求めているのか、それを見
極め集団の中で自らを切磋琢磨していく、これが「地

中央病院は急性期・DPC病院であるが、総合診

域医療にかける医師」ではなかろうか。

療病棟を創設し、回復期リハビリ病棟やホスピス病
棟さらには訪問診療にも力を入れ、
「地域に根ざし

消化器の専門医だった私が、じん肺症をはじめと

2)
た研修」
をめざす研修病院として注目されている。

する労災医療や高齢者の医療・介護に専念し、最期

現在、診療所への青年医師の配置は困難を極めて

までこの地で生き抜くことができる地域を創ること

いるが、診療所群の存在は医師研修のフィールドと

に貢献する、それが私の今のロマンであり役割だと

して貴重な財産といえる。病院と診療所での研修を

思っている。

車の両輪としていくことが、北海道の民医連運動の
大きな力になると考えている。これは医師研修のみ

文献

ならず、看護師や技術系職員・事務職員にとっても

1)升田和比古、他:医師初期研修における「診療所研修」の役

同じことがいえるのではないだろうか。

割―青年時代に診療所所長勤務をした医師のアンケート調査
より―、北勤医誌、30巻:31-38、2006.

地域医療にかける医師

2)田村裕昭:
「地域に根ざした研修」の意義と当院における取り

医師不足により北海道勤医協の6病院を維持して

組み、日本内科学会誌、98巻:230-235、2009.

25

特集1-地域医療を考える

地域で果たしてきた役割と今後
勤医協神威診療所 看護師長

諏訪 京子

諏訪 京子(すわ きょうこ)
勤医協神威診療所 看護師長
1972年 小樽高等看護学校卒業 
    同年、北海道勤医協入職
    札幌病院、上砂川診療所
1991年より現職

ってくる労働者が多かった。

はじめに

塵肺の病気を苦に労災病院で自殺するケースも少

診療所の開設当時の歴史や現在までの医療活動

なくなく、同じ被災者同士支えあい、仲間から自殺

と、地域で果たしてきた役割を振り返ってみた。

者を出さないとの思いから患者会がつくられた。
「二
度と自分達と同じ塵肺被災者をつくらない」ために、

地域の特徴と診療所の歴史、医療活動

労働安全を怠った国と会社に対し責任を追及してい

1949年に上砂川診療所、1954年に芦別診療所、神

った(塵肺訴訟、塵肺キャラバン)。また、閉山に

威診療所が開設された。
石炭産業により拓けた街であるが、診療所開設当

伴い症状を抱えたまま、埋もれた塵肺、振動障害患

時の街や炭鉱労働者の置かれていた状況は、命より

者さんが散ってしまわないうちにと健康調査の訪問

生産。労働環境は厳しく事故も多発し、死と隣あわ

活動を、地域社員、塵肺患者会、神威診療所、芦別

せの環境で肉体的にも過酷であった。健康保険証は

診療所、上砂川診療所の職員で実施し、症状のある

労働者一人一人には渡さず労務課が管理していたた

方に対しては、検査、診断、治療へとつなげていっ

め、炭鉱病院にしか受診することができなかった。

た。塵肺検診の助成も患者会と共に市や町に対して

逆に、町民や市民は炭鉱病院にかかりたくても診て

要請し、実現させた。

もらうことはできなかった。診療所の諸先輩方は、

国のエネルギーの政策転換により、残されたのは

「保険証を自分達の手に」と労働者の運動を支援し、

慣れた土地を離れたくないという高齢者の方々。
『高

自由に医療機関にかかれるようにした。坑内のガス

齢者の方々は、生活費と医療費・介護など多くの悩

突出事故と頭痛などの因果関係を医学的に証明した

みや不安を抱えている。1971年、老人医療費の無料

(メタンガス裁判)。

化が始まり、ホームヘルパーの派遣、老人ホーム建
設の要請を自治体に行い実現させていった(故石井

小児麻痺が炭鉱長屋から発生した時、ワクチンを

清治氏、神威診療所15年誌より)』

ソ連から輸入するよう地域のお母さん達と国に働き
かけ、感染の拡大をくいとめ子供の命を守った。赤

また、『寝たきり老人の実態調査からは「便やお

痢の流行の時には、原因となる水道や環境にあるこ

しっこがあまり出たら家族に悪いから」と食事や水

とをつきとめ、環境衛生改善を自治体や会社に求め

分の摂取を控えていたことにショックを受け、市に

改善させたなど炭鉱労働者や地域の人々の健康を、

働きかけ、1980年寝たきり老人の訪問看護制度の利

疾病の原因や背景にせまり改善、命と暮らしを守っ

用を開始、訪問看護を行ってきた(故藤崎婦長さん

てきた。

談)』

粉塵による塵肺の発症や、振動工具の使用による

診療所の外来患者さんの高齢化比率が高くなる中

振動障害の患者さんも来院されていた。近隣の医療

で薬がきちんと飲めていず、症状が悪化していく高

機関では、
症状があっても労働環境との関係で診断、

齢者がいることがわかり、内服パトロールなどを実

治療を行ってくれる医療機関は少なく、診療所を頼

施し、
「住み慣れたここでずっと暮らして生きたい」
26

との高齢者の思いに応え、1998年診療所に訪問看護
ステーションを開設した。
炭鉱地域は山坂で積雪も多く、救急車は後輪駆動
車のため坂道の時は一旦停車し、チェーンを巻いて
から登ってきていた。これでは命が守れないと地域
社員と一緒に救急車の四輪駆動車の導入を求めて対
市交渉し、実現させた。その他、緊急通報システム
の増設や、福祉タクシー券の増量等々、安心して命
と健康、暮らしが守れるよう地域の人々と共に改善
してきた。
抗内の様子

まとめ
診療所の半世紀にわたる医療活動を振り返り、炭
鉱産業の撤退という環境の中、生活や労働、社会状
況の中から疾病の要因や誘因を捉え、地域の人々と
共に改善へとつなげ、地域住民の命と暮らしを支え
てきた。
そして、医療とは「どこにいても人間の命が尊重
され、最期まで人間が人間らしく生きていける」た
めの一つの役割である。それは、医療従事者だけで
は成さず、地域の人々と共に創りあげていくもので
ある。

開設時の神威診療所

27

特集1-地域医療を考える

最期まで自分の意思を貫き通した
A氏の在宅看取りを振り返って
勤医協平和通りクリニック 看護師長

柴田 達美
柴田 達美(しばた たつみ)
勤医協平和通りクリニック 看護師長
1985年 千歳医師会看護学校 卒業
    順天病院勤務を経て
    北海道勤医協へ入職
2001年 勤医協札幌看護専門学校 卒業
    中央病院、札幌病院勤務を経て、
2008年より現職

そして、「戦争で多くの仲間を失い、自分だけが生

はじめに
当クリニックは、老人保健施設柏ケ丘(以下老健)

き残っていいのだろうかと悩みながら生きてきた。

に併設されており、外来診療のほか、在宅支援診療

戦争は二度と起こしてはならない。これだけは忘れ

所として24時間対応の訪問診療も行っています。

ないで欲しい」と切々と訴えていました。その後、
A氏は娘さんたちにも同様に自分の人生を語られた

今回、初診から2週間という短期間の関わりの中

そうです。

で、最期まで自分で意思決定をし亡くなられたA氏
の事例を通し、私たちが患者の意思を尊重し支援す

初診から2週間後、訪問診療時に意識レベルの低

ることが残された家族にとってどのような意味をも

下がみられ、死期が近いと感じ妻を老健に迎えに行

つことなのか紹介させていただきます。

きました。妻が「お父さん帰ってきたよ」と声をか
けると、それまでは自分の指一本すら動かすことの
できなかったA氏が「母さん帰ってきたんだね」と

事例紹介・経過
A氏 90歳代 男性。妻と二人暮し。

妻の方に体を向け、しっかりと手を握りました。そ

「尊厳死協会に入会したので自分たちの意思を尊

の瞬間、
「人前で私の手を握ったことはなかったね。

重してくれるかかりつけ医になってほしい」とA氏

結婚して初めてだねお父さん」と妻が声をあげて泣

は妻とともに当クリニックを訪れました。最近体力

きました。A氏に再度、病院への受診の意思を確認

が落ちてきたというA氏でしたが、ご夫婦ともお元

しましたが答えは同じでした。せめてもと酸素の導

気な様子でした。

入を提案し、「楽になるならつけてほしい」と了解

数日後、
「動けなくなった!入院させてほしい」

を得、すぐに手配しました。それから6時間後、
「呼

と連絡があり訪問診療を行い他院に入院しました。

吸が楽になり少しおしゃべりをして静かに眠った。

しかし、入院2日後、家に帰りたいとの思いから退

気づいたら息を引き取っていた」と妻より連絡があ

院し、翌日訪問すると、妻が腰を痛め夫婦ともに介

りました。訪問をするとA氏はとても穏やかな表情

護が必要な状態になっていました。それでもA氏は

で亡くなられていました。

「今後何かあっても積極的な治療は望まない。家で

翌日娘さんより「父の望み通りの最期を迎えるこ

最期まで過ごしたい」と意思表示され、家族も本人

とができ、私たちは何も後悔することはありません。

の意向を尊重したいとの思いでした。私たちは介護

家にいてもこんなに安らかに死を迎えることができ

が必要と判断し、介護申請を代行、サービスを導入

るのですね」と感謝の言葉をいただきました。
妻は今、元気に老健のデイサービスを利用してい

しました。
その後、妻の腰痛が悪化し、入院までの間、
老健への入所を決めました。A氏は妻の入所の際、

ます。「お父さんが自分の思い通りの死に方ができ

「金婚式の記念にハワイで趣味の俳句や絵を描いた

たから本当によかった。いつも自分たちの死につい

ことが最も楽しく良い想い出になっている」ことな

て話し合っていた。だから私は元気いっぱいです!

ど、
これまでの人生を堰を切ったように語りました。

お父さんも喜んでいるはず」と笑顔で毎日を過ごし
28

ています。
おわりに
この間のA氏の行動は何か自分の死を予感してい
たのかもしれません。A氏の90数年にわたる人生の
中で、私たちが関わった2週間はほんのわずかな時
間です。しかし、人生の最期という決して取り戻せ
ない時間を共有できたことは非常に重みのあること
だと感じています。患者の意思を尊重し、尊厳をも
った医療活動は、残された家族が故人に対し後悔の
ない人生を送るための支援へと繋がる意義のあるこ
とだと改めて学ぶことができました。

29

シマアオジ A.OHASHI

【特集 ❷ 】

北海道勤医協の
看護・介護の未来

北海道勤労者医療協会

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

1、国民生活をめぐる情勢

もなくなった人がこれほど放置されて

●緒言

2009年5月のある日、60代の男性が

いること、その人々を支えようとする

外来を受診された。数日前より「口が

善意の市民がこんなに多く存在するこ

開かなくなり、息苦しい 」 とのこと。

とを、同時に日本中に知らしめました。

確かに口は開かない。診ているうちに

8月の衆議院選挙では55年体制以降初

意識レベルが低下し始め、診断はつか

めて国民の選挙による選択で政権が変

ないものの緊急事態と判断し、勤医協

わりました。長い自民党政治に審判が

中央病院へ救急搬送。すぐ挿管しレス

下ったのです。

ピレーター管理となった。最終的な診

この背景にあるのは、新自由主義経

断は「破傷風」
。後日、退院して外来

済を政策的主柱とする、多国籍企業の

に挨拶に見えた。
「本当にたすかった。

意向を受けた 「 構造改革路線 」 でし
た。これは1993年、アメリカから持ち
込まれた「日米包括経済協議」に端を
発し、資本に対する社会的規制を否定
し、国家を最大限に利用した「市場原

民医連の未来

理主義」を政策化したものです。その

~オール北海道の中で
 医療・看護に求められるもの

ームレスとなってあふれる事態となり

結果、貧困と格差が一段と極端になり、
派遣労働者を中心に失業者が同時にホ
ました。また、すでに1980年代の臨調
行革路線(「医療費亡国論」)で始まっ
ていた日本医療の衰退は、この新自由
主義政策、特に小泉構造改革路線で一
気に崩壊の危機に晒されることとなっ
たのです。
約30年にわたって行われた横暴な国

北海道勤医協 理事長

政で、今の国民生活の困難、医療崩壊

堀毛 清史

の危機(「医療破壊」)が起きているこ
と、それに対して、国民が自らの意思
で 「 NO」を突きつけた、その歴史的
な年であったことを深く心に刻んでお
もう少し遅かったら命はなかったと自

きたいと思います。

分でも思うんだわ。」実は店(惣菜屋)
が倒産し、お金がなくて受診をためら

2、民医連看護の発展

っていたが、勤医協へ行けば何とかな

日本の看護は、特徴的な経過をたど

ると聞いてすがる思いで受診したとの

っています。1つは、その献身的な業

こと。外来では、窓口・医療相談室が

務で日本の医療を支えてきたというこ

無料低額診療の適応と、即決して対応

と。2つは、低医療費政策と看護労働

していたのでした。

の軽視で過酷な労働条件のもとでの看

2009年は劇的な幕開けとなりまし

護を強いられたこと。3つは、「医師

た。正月に行われた 「 年越し派遣村 」

労働の介助」で医療を支えて来た半面、

は、経済大国日本で、仕事も家も希望

看護の独自の専門性探求が相対的に遅

32

れたこと、
が挙げられます。これらは、

地域の、そして北海道各地の医療が崩

自民党政治の政策の結果だけでなく、

壊の危機にさらされることとなりまし

保助看法「診療介助、療養の世話」規

た。大都市圏でも地方でも各地の病院

定の問題も指摘しておきたいと思いま

医師体制が破綻し、地域医療、特に救

す。

急や小児・産科医療で悲惨な現実が襲

民医連看護はこうした時代背景と住
民の健康破壊に対して、
「あきらめず」、

い掛かりました。
一方、道内や全国各地で崩壊の危機

粘り強く患者を支え、共に闘ってきま

に対して医療再生の運動、実践が進め

した。その基本的立場は 「 民医連看護

られています。その内容は単に壊され

の3つの視点(①患者の立場にたつ、

た医療を元へ戻すのみならず、今まで

②患者の要求から出発、③患者ととも

の日本医療の弱点を乗り越えて新しい

にたたかう)
、4つの優点(①総合性

時代における医療・福祉のあり方を模

と継続性、②無差別性、③民主制、④

索、創造する運動になっていることが

人権を守る)」 にまとめられます。「患

特徴です。その核心になる変化を3点

者の基本的人権をなんとしても守る」

挙げておきましょう。①地域で医師・

看護に集約されるのでしょう。これは、

看護師を養成すること、②医師・看護

看護実践の場面でも大きな力を発揮す

師が地域づくりに参加すること、③医

ると共に、看護論としても秀逸のもの

療機関連携はもちろん、多業種の共同

と考えられます。

で進める「街づくり」です。
北海道における医療崩壊の危機は、

3、今後期待されること

その町の危機と不可分です。逆に、各

いま、新しい時代が始まろうとして

地の実践で進んだところは、医療機関

います。憲法25条に基づいた医療、看

だけでなく、行政、他の業界(例えば

護を構築する大きな役割を私たちは期

アパート運営、葬儀屋、コンビニ・生

待されています。全日本民医連は、こ

協などの小売業…)と一緒になって高

の期に新しい綱領策定へ準備を進めて

齢者や、街そのものを活性化させよう

います。その中心的命題は、
「働くひ

としています。生活困難者を支える活

とびとの医療機関」の立場を徹底的に

動や人権を守る実践が街づくりに繋が

貫きながら、あらためて基本的人権を

った例も報告されています。こうした

守りぬく医療を憲法との関係で位置づ

動きに、私たちの医療や看護のあり方

けること、日本の医療・社会保障を改

を重ね合わせて内容充実を図ることが

善し変革していくのは患者・住民の主

可能な時代なのでしょう。まさに「オ

体的参加と医療従事者の共同作業であ

ール北海道」の立場での取り組みが求

る点を明らかにすることにあります。

められているのです。

その意味で、患者参加型看護は時代の

いま「医療を民衆の手に 」 の時代か

先取りでもあり、民医連看護の最も優

ら「医療を民衆と共に」の時代になっ

れた特質でもあると思います。

た、その中で人権を守りぬく民医連・

もう一つの視点は、北海道の「医療

勤医協の看護がまさに輝く時代なの

崩壊」に立ち向かう医療・看護の問題

だ、そのことを改めて強調し、看護集

です。2006年3月、根室で唯一療養病

団へのエールとさせていただきます。

床を有する根室隣保院が閉鎖に追い込
まれました。これをきっかけに、釧根

33

堀毛 清史
(ほりけ きよし)
北海道勤医協 理事長
1980年 旭川医科大学卒業
    同年、北海道勤医協
入職
    中央病院、札幌病院、
    月寒医院などの勤務
を経て
2008年より札幌病院院長
同年5月より現職

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

小玉 孝郎
(こだま たかお)
勤医協札幌看護専門学校 校長、
勤医協中央病院病理科

●論考

1966年 北海道大学医学部大学院 卒業
    北海道大学医学部助教授を経て、
1981年 北海道勤医協へ入職。
    中央病院中央検査部、
    病理科勤務を経て、
1993年より現職

日本では「日本国憲法」で定めている。
「世界人権宣言」:第2次世界大戦では多く

人権と看護

の人命が奪われナチスによるユダヤ人のホロコ
ーストが行なわれた。その思想背景には深刻な
人権無視と人種差別が存在した。
こうした悲惨な戦争を無くし、基本的人権

勤医協札幌看護専門学校 校長

を守り、種々の差別を撤廃することは、全人類・

小玉 孝郎

全世界の重要な課題であるとして、1945年10月
に設立された国際連合は1948年12月の総会で
「世界人権宣言」を採択した。これにより地球
上の全ての国が守るべき世界共通の人権に関す
る基準が出来た。その後この精神を引き継いで

1.はじめに
看護と人権という壮大なテーマを人権の何

「難民条約1981」「女性差別撤廃条約1994」「子

たるかも解らぬ私に与えられた。そこで先ず最

供の権利条約1994」「人権法1998(英国)」など

初に、人権とは何かという極めて素朴な私の学

幾つかが追加され発効に至っている。
「日本国憲法」:これもまた無謀な天皇制国

びからはじめることとなった。

家による世界大戦の苦い体験と反省の上に、国
民主権・国民の基本的人権の尊重・平和主義を基

2.人権と基本的人権
「人権」とは誰もが生まれながらに有して

盤として、1947年5月3日に公布された。人権

いる権利を言い、幸せに生きる為には無くては

については主なものとして、自由権・社会権・参

ならないものである。私達は誰もが幸せに暮ら

政権などが定められている。

したい、人間らしく生きたいと願っているが、
その為には、例えば具体的に、健康で文化的な

4、人権運動と人権思想の歴史

生活を送る・自由に物が言える・教育を平等に受

今日の人権の保障の実現と進歩は一朝一夕

けられる・自由に職業を選び働ける・互いの合意

に得られたものではない。世界の各地各国で激

で自由に結婚が出来る、などの様々な権利が必

しい抗争が展開され、度々の流血の惨事の中か

要になる。これらの権利を総称して「基本的人

ら生まれた歴史的記念碑とも言えよう。有名な

権」と言う。つまり、万人が「幸せに生きるこ

成文・宣言としては「権利章典(英、1689)」「独

との出来る権利」ともいえる。

立 宣 言( 米、1776)」「 人 権 宣 言( 仏、1789・
1791)」「世界人権宣言(国連、1948)」が挙げ
られる。そしてそれらに関与する思想哲学者と

3、世界人権宣言と日本国憲法
基本的人権を保障すべきことは、現在、グ

して「市民政府論1、2」を著わして人権と民

ローバル(世界的)には「世界人権宣言」で、

主政治を唱えたロック(英)、「法の精神」で今

34

T.Kodama

日の三権分立を説いたモンテスキュー(仏)、

段と加速し、多くの人権侵害が生み出されてい

「社会契約論」で人民民主主義を啓蒙したルソ

る事で、それらは、退職、派遣切り、失職、加

ー(仏)

「共産党宣言」でプロレタリアによる

重労働の強要、健康侵害、自殺など、数多く根

階級闘争の重要性を明確にしたマルクス=エン

深いものとなっている。2009年秋に自民党から

ゲルス(独)らが、各々の時代に大きな役割を

民主党へと政権は交代したが、私達はその不当

果たした。

性を告発し続け無ければならない。さらに、貧
困が医療機関での受診の大きな障害となってい

5、人権の今日的問題
こうして辿り着いた「世界人権宣言」と「日
本国憲法」ではあるが、基本的人権という立場

ることが連日の様に報道され、私達もそれを目
の当たりにする事もあるが、この事は生存権を
脅かす野蛮な人権剥奪として糾弾すべきである。

からみると、それらは、いわばスタートライン
を示すに過ぎなかった。

6.人権と看護

国際的には1940年~ 1980年代まで「米・ソ」

1)人権と看護を考える際に最も基本にな

二カ国を中心とした冷戦が続き人権宣言に反す

るのは、生命=いのちを保つことと、尊厳ある

る事態が山積し、そして冷戦終了後の今もなお、

生存の自由を持つ事と考えている。1948年の「世

多くの人々が出生地・居住地・人種・性別・学歴・

界人権宣言」は人命を守ることと、その最大の

職業・家柄・貧富などの格差と差別により苦しん

敵である戦争を地球上から消し去る事への切望

でいる。特に世界経済のグローバル化の急速な

から生まれたと言えよう。看護の立場からは、

進展は国境を越えて、資本と人々の移動をもた

生命が存在して初めてその対象が生まれる。そ

らし、
「国連」は「世界人権宣言」の再評価と

して、その生命は単に生きていると言うことで

強化によるグローバルな共通基準の策定が求め

はなく、人間として「健康で文化的な最低限度

られている。反核・軍縮・平和共存・開発・環境・

の生活を営む権利(日本国憲法25条=生存権)」

地球保護・などの諸課題が存在する一方で、特

を保障されていなくてはならない。
2)生存権が守られているので有れば次に

に宗教的対立・紛争が貧困・飢餓という経済的背
景をもとに、
深刻な人権侵害の源となっている。

看護又は看護師の目は健康権へと向けられる。

人権を基軸とした早急な国際レベルでの解決が

例えば1947年のWHOの健康の定義は「単に疾

期待される。

病や病弱の無い事ではなく、身体的、精神的、

日本では世界的な流れと歩調を合わせて、

および社会的に良好(Well being)な状態に置

各種の市民運動が、生命・環境を守り、生活と

かれている事を言う」としている。こうした健

健康を守る闘いを主導し、日本国憲法の順守・

康の定義に則れば、健康の権利にとって食糧・

実行を要求し続けて来た。しかし、今日、最も

衣服・住宅・教育・生命の尊厳・全ての差別格差の

問題とされるのは、米国に頼った爛熟・無原則

排除・法の前の平等・拷問の禁止・プライバシー

な資本主義の矛盾により、貧困と生活格差が一

の秘守・情報へのアクセス権・結社や集会や移動

35

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

渡るだろう」と記され、人権を重視した文化の
道程は、困難ながらもグローバルな観点から見
て人類が必然的に辿るべきものであることを強
調している。すなわち人権と関連する制度の未
来に大きな希望と期待とを託している。日本も
同様に、人権が文化の推進役となる様な国にし
たいものである。
7.むすびに
人権と看護を学ぶ立場から著わそうとした
が、私には大きな学びとなったものの、筆力不
の自由などの獲得、尊守、排除などは、欠くこ

足もあって要説的な文となってしまった。多く

との出来ない諸要素であろう。

の事例を有している読者諸氏によりその具象部

看護・看護師(医療・医師も)の扱う人権は

分を補完して頂ければ幸いである。

ケアの受容側と提供側の両者から成り立つが、
国際看護師協会(ICN)は受容側のケアは、

文献

経済的、地理的、人種的そして宗教的な理由に

1.元山 健:イギリス憲法の原理。法律文化社。1999。

関わらず、
万人が有する権利であるとしている。

2.浜林正夫:人権の歴史と日本国憲法。学習の友社。

更にそれらの権利には、ケアの選択(ケアの受

2005。

諾・拒絶)
、正確なインフォームドコンセント、

3.アムネスティ日本:世界の人権2009。

秘守、そして尊厳ある死の権利の尊重をも含め

  アムネスティー・レポート。

ている。他方、提供側の看護・看護師は、一人

4.河野繁史:世界人権宣言、50周年。世界人権研究会。

の人間として安全で、かつ虐待、暴力行為、脅

2000。

威又は脅迫を受けない環境で看護を実践する権

5.帝国書院:明解 新世界史A新訂版。文化社。2008。

利を有する、
としている。つまり看護・看護師、

6.マルクス・エンゲルス(大内・向坂訳):共産党宣言。岩

医療・医師はそれらが職業として定着した歴史

波書店。1951。

的な時点から、すでに深く人権と関わり合って

7.マクヘイル , J . ギャラガー , A .:看護と人権。

いるのである。

  エルゼピア・ジャパン。2006。

看護・看護師と人権との関係は様々な視点か
ら特徴づけられるが、以上述べたように日常的
な看護行為の一つひとつが人権の向上にも大き
く関与している。そしてそれらは看護が本来担
っている最も大きな役割の一つとも思える。近
年、
看護における道徳的倫理観が強調されたが、
それがあまりにも強すぎると、看護の提供側の
みか受容側にも人権の軽視が顕れないかを危惧
する。従って、道徳倫理については、看護の職
務や義務を整えて、むしろ看護・看護師の人権
の向上という立場からアプローチすべきものと
考える。
1998年英国で制定された「人権法」のまと
めには、
「この人権法の目的は、人権と責任を
尊重する文化を促進することにある。やがてこ
の文化は、我々の制度や社会全体に徐々に行き

36



人権意識の
感度を磨く

社会保障制度の改善へ

 この座談会では、90年代半ばに行われた“社会保障制度の改善に結び
つけた4つのたたかい”
(「新生児・未熟児医療の拡充」
「在宅酸素療法患
者の電気代助成」
「透析患者へのタクシーチケット補助拡充」
「低身長症
のホルモン注射を保険診療で」
)に関わった方々より、それぞれの取り組
みの契機となった問題意識やそこから学んだことをお話しいただき、
“なぜ
看護が社会的問題にまで目を向ける必要があるのか”ということや“患者
の事実を捉え、患者の事実から出発しよう”という勤医協の『看護』につ
いて改めて考えてみたいと思います。

37

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来/座談会

山崎:本日座長を務めさせていただき

津村:1978年入職し、中央病院に勤務

ます、勤医協札幌看護専門学校(副教

しました、津村千代子です。その後、

務主任)の山崎純子です。

札幌病院や苫小牧病院などで勤務し

今日は、60周年を迎えた北海道勤医

1994年に中央病院勤務となりました。

協の看護のあゆみの中から、主に90年

中央病院内でも集中治療室・手術室・透

代に取り組まれた、社会保障の改善へ

析室などいろいろなセクションを経験

と発展した「新生児・未熟児医療の拡

し、現在は中央材料室で看護師長をし

充を求めて」「在宅酸素療法患者の電

ております。私は透析患者さんの福祉

気代助成」「透析患者へのタクシーチ

タクシーチケットの拡充運動に直接的

ケット補助拡充」「低身長症のホルモ

に関わったということではないのです

ン注射を保険診療で」の4つのたたか

が、当時運動していた方が異動や退職

いを振り返り、勤医協の看護理念の根

などでいらっしゃらないとのことでし

底にある「いのち」・「人権」を大切に

たので、替わって参加させていただき

し守っていく『看護』の意味を、若い

ました。よろしくお願いいたします。

世代に伝えていけるような座談会にし
たいと考えています。どうぞよろしく

大石:大石凉子です。私は1973年に入

お願いします。

職し札幌病院に勤務しました。1995年
に札幌病院から菊水こども診療所が独

一同:よろしくお願いします。

立して、無床小児科診療所として開設
しました。低身長のたたかいは1998年

山崎:では、これらのたたかいに関わ

にあり、その当時関わりました。現在

ってこられた4名の方々より、自己紹

は菊水こども診療所の2階にある在宅

介をお願いします。

診療部の看護師主任をしております。
よろしくお願いします。

東:1990年に入職しました、東幸子で
す。札幌病院に勤務し、病棟を経験後、

新生児・未熟児医療の拡充を求めて

94年より産婦人科病棟看護師長となり
ました。

山崎:今、みなさんからご紹介があっ

現在は、苫小牧病院の総看護師長と

たように、90年代に社会保障の分野で

して勤務しております。よろしくお願

それぞれ運動に発展した取り組みがあ

いします。

りました。札幌病院では、「新生児や
未熟児医療の充実を求める運動」とい

佐賀:1976年に入職し、室蘭診療所に

うことで東師長さん、当時を振り返り

勤務後、93年より札幌病院の病棟看護

問題意識や運動へと発展していった経

師長になりました、佐賀裕美です。「息

緯などをお聞かせいただけますか。

を保障する会」の運動に関わったのは
病棟師長として3年目の時でした。在

東:私は、1994年に産婦人科病棟の師

宅酸素の療養を振り返るということを

長になりましたが、その頃は経営問題

看護テーマに取り組み、患者さん宅訪

がかなり厳しく、新生児集中治療室(N

問を行った時に実態を知り、『運動と

ICU)を閉鎖するということが病院

して取り組む必要がある』と、その時

として決定された最中の着任でした。

のチームメンバーで確認し、多職種と

病棟の職員はみんな反対をしていまし

一緒に関わりました。現在は、中央病

たが、もうあと何ヶ月かで閉鎖という

院循環器内科病棟の看護師長をしてお

ことで、そのための準備をしていまし

ります。よろしくお願いします。

た。しかし、次々と他の病院で生まれ

38

た赤ちゃんが運ばれてくるんです。い

救える赤ちゃんを救えないという状況

ろいろな病院から運ばれてくる新生

は、私たちにとって、それでいいのだ

児・未熟児の赤ちゃんをみて、スタッ

ろうか」と問いかけ、みんなで調べま

フは改めてNICUの閉鎖に怒りを感

した。その当時は、道央圏には銭函と

じ、
「勤医協だからこそ続けるべきで

室蘭、あとは市立病院くらいしかあり

はないか」という声が上がりました。

ませんでした。母胎搬送も日鋼、市立、

しかし、閉鎖は決定事項ですし、私も

天使しかなく、「これでいのちが救え

それは「仕方ないこと」と思いながら

るの?」「やっぱり国として、市・道と

葛藤していました。

してやるべきじゃないか」ということ

そんな中、白石区内で生まれた1人

で、「新生児・未熟児医療の拡充を求め

の赤ちゃんが運ばれてきて、そして数

る会」を立ち上げ、署名活動を始めま

日後に亡くなりました。赤ちゃんのお

した。1300筆ほどがすぐに集まって、

父さんは霊安室で、
『生まれてきたけ

それを市や道に提出するという経過の

れど亡くなってしまった。だけど私の

中で、最初は自分たちの病院に対して

子どもなんだ。
』と、家族の写真とか

不満を言っていたスタッフが「いのち

すみ草、そしてちょうど5月の節句く

を救うということはどういうことなの

らいの時期でしたので、小さな鯉のぼ

か」ということをみんなで議論し、
「社

りを買ってきて、亡くなったその赤ち

会に対して訴えかけないと、目の前の

ゃんに自分の家族を紹介していまし

いのちを救っているだけではダメだよ

た。泣きながら。お母さんだよとか、

ね」というように意識が変わりました。

お兄ちゃんだよとか、生まれてきてく

ちょうどその時、日本共産党の高崎裕

れて本当にありがとう、という言葉を

子参議院議員にお話を聞いていただく

かけながら。お父さんの側で涙ながら

機会があったので、国会でこのことを

のその言葉を聞いたときに、私は「な

厚生大臣に質問してもらいました。そ

ぜこの赤ちゃんは死ななくてはならな

して、国で20億円の予算が付けられま

かったのだろう」「もし母胎搬送など

した。北海道では2億円という予算が

ができる施設があれば、この赤ちゃん

国から出て、日鋼記念、北見日赤、道

は助かって、お父さんやお母さん、そ

南病院の3施設に予算が付き、設備が

の家族が幸せに赤ちゃんの成長を見て

つくられました。その後、私たちは更

いくことができたのに」と憤りを感じ、

に市や道にも訴え、結果、札幌市立病

「これで本当に良いのだろうか」「私

院の院長が「母胎搬送ができる状況に

たち民間ができなければ、救えるはず

しよう」と、人員を増やすなどの動き

の赤ちゃんの命を、救えない現状へと

になっていったのです。

追いやってしまうことになるのか」と
思いました。

こういう経緯の中で私たちは、最初
の勤医協に対する不満や怒りから、目

では、
「市や道、国はどういう風に

の前の事だけでなく国民全体や地域の

新生児に対する政策を行っているの

人たちの『いのち』をどう医療人とし

か」という疑問を持ち、
「勤医協はな

て守っていくのか、ということを学び

ぜNICUをやめるのか」というスタ

ました。やれば可能になる、というこ

ッフに、
「私たち民間としてはできな

とを実体験し、それが勤医協綱領に基

いけれど、市や国はどんな政策をして

づいた「いのちの平等」、勤医協の看

いるのかを調べてみよう」と提起しま

護や医療、そしてその精神なんだ、と

した。
「そんなことしたってどうなる

いうことを確信しました。そのことが

の?」という意見もありましたが、
「で

何年経っても、どんな場面でも「いの

も、
私たちがNICUを閉鎖した後に、

ちを救うために私たちは何をすべきな

39

山崎 純子
(やまざき じゅんこ)
勤医協札幌看護専門学校
副教務主任
1988年勤医協札幌看護専門学
校卒業
同年 北海道勤医協入職
   厚賀診療所、中央病院
を経て1998年勤医協札
幌看護専門学校勤務
2009年より現職

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来/座談会

酸素をつけていなかった」という報告
があったんです。「電気代がかかるか
ら、昼間は動かないようにして、電気
も消して酸素も止めていたんだ」とい
う患者さんの話しを聞いて、みんなと
ても驚きました。「酸素の機械の扱い
方がわからなくて酸素をしていない」
という患者さんは過去にもいたのです
が、「電気代と生活行動を制限してい
る」ということが報告されたのは初め
てで、全くそのことに気付かずに機械
の取り扱いについて指導していた私た
のか」という立場に立てる財産になっ

ちがいたことが、逆にショックでした。

ていると思っています。

そして、「もしかしたらもっと他にも
こういう患者さんがいるかもしれない

在宅酸素療法患者の電気代助成

ね」「機械を使うことで電気代ってい
くらかかるんだろう?」と。今はいろ

山崎:では続いて、「息を保障する会」

いろな機械や酸素濃縮機が省エネタイ

の取り組みについて佐賀師長さんお話

プになっていますが、当時は酸素を2

いただけますか。

L流すと5千円~7千円の電気代がか
かるということがわかりました。月収

東 幸子
(あずま ゆきこ)
勤医協苫小牧病院
総看護師長
1982年道立衛生学院卒業
1990年北海道勤医協入職
   勤医協札幌病院勤務
1994年札幌病院産婦人科
   病棟看護師長
2008年より現職

佐賀:1985年から在宅酸素療法という

10万円を切るような厳しい生活状況の

治療が保険適用になりました。その時

方が酸素を使うということは、本当に

の多くの疾患は肺結核後遺症と閉塞性

大変なことですよね。

肺疾患だったのですが、当初は肺結核

「普通、病気じゃなかったら息をす

後遺症による低酸素で酸素療法が導入

るのにお金はかからない。しかし、病

になる方が多かったですね。看護チー

気ですごく不自由なうえに、息をする

ムは在宅酸素療法が導入になると、い

ことにお金がかかる。こんなことが許

ろいろな機械の操作を覚えたり、肺性

されるのか」という思いの中で、在宅

心も伴うので食事の指導など非常に具

酸素療法をしている方々を対象にアン

体的な療養指導を丁寧に行っていまし

ケート調査をすると、3名の患者さん

た。また、繰り返される感染などを通

が電気代が高くて酸素を間引いている

して療養指導の見直しを行うなど「酸

(調整している)、いわゆる医師の指

素を使って在宅で暮らしていても、身

示よりも低く使っているということが

体に少し不自由があっても、健康に生

わかりました。私たち看護チームも若

きるということはどういうことなの

かったので、家計費がいくらかかるの

か」と、看護の中でも健康観として治

かなど、自分たちの生活と照らし合わ

療を深めながら学びました。札幌病院

せてイメージしながら調査を行い、
「全

では、毎年秋に地域訪問を行っていた

国的にはどうなっているのか」と全日

のですが、95年、実際に療養している

本民医連へ相談をしたり、他県連への

患者さんたちがお家ではどんな生活を

電話調査もしました。結果、酸素療法

しているのかぜひ見てみよう、と患者

への助成を行っているのは長野県長野

さん宅訪問に取り組みました。そうし

市だけでした。いくら指導をしても、

たら、1年目の看護師とメッセンジャ

「電気代が上がるから酸素をやめる」

ーが訪問したお宅で「電気を消して、

という状況を防ぐためには何とか運動

40

をつくらなくてはと、多職種が集まる

にやってきたことが「これが民医連な

会議の場で報告をすると、ケースワー

んだね、民医連ってすごいね」と、私

カーから「それは生存権として運動で

にとっても確信になりましたし、この

きるよ、署名運動などをやってみた

集団の中に自分がいることができて本

ら?」とアドバイスを受けました。初

当に良かったなぁって、強く思いまし

めは運動や請願署名などはピンとこな

たね。

かったのですが、
「こういう署名を集
めて、こういうふうにすれば札幌市議
会に請願行動ができるよ、署名の目標

透析患者へのタクシーチケット
補充拡充

はこのくらいで、運動の名称はこうや
って…」などと教えてくれ、私たちが

山崎:私もちょうど90年代に中央病院

たまたま気付いたことを発言したら、

の呼吸器科に勤務していたのですが、

運動をつくることへの大きな力になっ

札幌病院のこの取り組みを聞いて目か

てくれる、というように、とにかく事

らウロコが落ちたというか、自分は患

務職員に支えてもらいました。

者さんを全然そういう視点で見てなか

また、病棟の医師も日常はそこまで

ったなぁと思いましたね。そして、私

考えないで診療をやっているのです

たちも患者さんに署名を訴えたりした

が、
「やっぱり運動をしないと。これ

ことを思い出しました。

で酸素を制限するなんてことがあって

同じ時期に中央病院で取り組まれた

はならない」と。一人ひとりの心の奥

「透析患者さんの通院を保障する運動」

に触れたのかなぁって思いました。署

について津村師長さんからお願いしま

名は書くことがあっても、自分たちが

す。

主体者となり、署名用紙を作って集め
るということは初めてでしたから、運

津村:まず、透析患者さんのことをお

動しているときは無我夢中でしたね。

話ししたいと思います。血液透析が保

当初2000筆を目標にスタートしたので

険適用されてから40年近く経ち、技術

すが、あっという間に3500筆くらい集

の進歩で長生きできるようにもなりま

まり、最終的には5000筆の署名を持っ

した。また、患者さんがわかる指導と、

て市議会に行くことができました。

患者さん自身も頑張って自己管理を行

市議会で意見陳述をして、その年度

うなかで透析治療が継続されてきまし

は継続審議ということになったのです

た。患者さんは、雨が降っても台風が

が、2年ほど後に電気代が一定額助成

来ても週3回、1日おきに通院しなけ

されることになりました。また、私た

ればならないという、本当に辛い治療

ちのこの取り組みが全国にも広がり、

を行いながら療養生活をしているんで

全日本民医連のいくつかの県連でも電

すね。週3回の通院となると、仕事と

気代保障の運動に取り組むことができ

の両立が難しくなったり体調を崩して

たと聞きました。1年目の看護師が患

仕事が出来なくなったりして、生活保

者さんのお宅に行き、そこで知った患

護を受けながら治療・療養している患

者さんの実態を仲間に返し、議論し、

者さんがけっこう多いです。また、治

チームで運動をつくることができたと

療が終わった後は身体の生気がなくな

いうことがとても大きな学びになりま

るような感じで、ぐったりして帰らな

したし、長年、
「看護職として患者さ

ければならないんです。高齢の方など

んをどう応援していくか」と考えてい

は特に、通院自体が大変ですし、治療

たことと繋がったと実感しました。他

後は本当にフラフラの状態になるの

職種に支えられながら、みんなで一緒

で、どうしてもタクシーを使って帰ら

41

佐賀 裕美
(さが ひろみ)
勤医協中央病院5階東病棟
看護師長
1976年伊達日赤高等看護学校
卒業
同年 北海道勤医協入職
   室蘭診療所勤務
1993年より勤医協札幌病院
   病棟看護師長を経て
2007年より現職
※2010年4月より勤医協札幌
西区病院5病棟看護師長

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来/座談会

なければならなくなります。

って、なかなか運動の中心にはなれな

当初は、札幌市で身体障害1級と2

いんです。それで、職員が先頭に立っ

級を受けている方に通院のための福祉

て他の職員にも実態を知ってもらおう

タクシーチケットが年間48枚支給され

と各部会に説明に行き協力をお願いす

ていました。しかし、透析治療は1日

るなど、本当に頑張って取り組みまし

おきですから48枚などというのはあっ

た。患者会では、患者さんの繋がりで

という間に無くなってしまい、あとは

署名を集めたりもしました。成果とし

生活費を切り詰めながら通院費に充て

ては小さなものだったのかも知れませ

るということになります。1ヶ月に1

んが、患者さんにとっては少しでも自

~2万円という通院費がかかってしま

分たちの足が確保できるということが

うということは、非常に大変なことで

非常に大きな喜びに繋がったのだと思

す。

います。ただ、透析治療というのは1

腎臓の患者会は全国や北海道、札幌

週間も治療をしなければ命に関わるよ

市にもありましたし、勤医協の中にも

うな事態になるものですから、本当は、

透析患者さんの「げんき会」という患

お金の心配をせずに通院できたら良い

者会がありました。当初、丘珠病院で

のですが…。もっと充実できたらいい

透析治療を行っていた患者さんが中心

なって思いますね。

になりながら、障害者や高齢者の在宅
福祉の拡充を求める請願の取り組みを
行っていました。患者さんの生活が非

低身長症のホルモン注射を
保険診療で

常に大変になっているという実態を要

津村 千代子
(つむら ちよこ)
勤医協中央病院
中央材料滅菌室 看護師長
1978年道立衛生学院卒業
同年 北海道勤医協入職
   勤医協中央病院勤務
   札幌病院、苫小牧病院を
経て
1994年より中央病院透析室勤務
2009年より現職

求として掲げようということになり、

山崎:では最後に、こども診療所での

「福祉タクシーチケットの拡充を求

「低身長のホルモン注射の取り組み」

める会」をつくりました。「タクシー

について大石主任さんよろしくお願い

チケットの年間支給枚数を増やしてほ

します。

しい、支給対象を障害1・2級だけで
なく3級や4級の方にも拡大してほし

大石:先程から言われているように、

い、また、チケット1枚はタクシーの

札幌病院は運動の歴史が古く、特に小

基本料金分しかなく、それだけで往復

児科の場合は1990年に糖尿病のインス

するのは難しいので助成額を増やして

リン保存の冷蔵庫の事例があります

ほしい」この3つを、運動の柱にしな

ね。最初は「誰かから不要になったも

がら取り組みました。結果的には年間

のを貰えばいい」と言っていたお母さ

60枚のタクシーチケットが支給される

んたちも、「後に続く人たちのために

ことになりました。わずか12枚の増数

ここで頑張るんだ!」と、対区交渉な

ですが、それでも職員や患者さん、い

どを行っていくなかで勝ち取りまし

ろいろな団体の方々が協力し、支援も

た。そこから「人権を守る」というこ

もらいながら一緒に取り組めたという

とが積み重なっていき、新生児医療や

運動だったと思います。

在宅酸素、眼内レンズなどの運動が取

この運動には、やはり透析室の職員

り組まれてきました。

の奮闘がありました。目の前にいる患

そういう中に低身長症の問題もあっ

者さんが大変な療養をしているという

たのだと思います。そして、やはり最

ことを受け止め、「どうしたら患者さ

初に発信するのは看護師でした。この

んに寄り添えるのか」を考えたんです

病気は1974年に小児の慢性特定疾患に

ね。患者さんたちは視力障害や歩行障

指定されており、医療費は全額公費負

害があり、また高齢だということもあ

担になっていました。こども診療所で

42

も22名の子どもたちがこの病気で治療

返り、いろいろな研究をしました。ア

していました。1998年1月、国会で低

ンケート調査では、10歳での身長がわ

身長症の成長ホルモン治療に対する公

ずか124.5cm、医療費は月11万4千

費負担の一部を打ち切るということが

円程がかかっていたということがわか

発表されました。その内容は、これま

りました。高額療養費の貸し付けを利

では医師に任されていた治療の終了時

用すると負担は3万5千円になるので

期を、男子は156.4cm、女子は145.4

すが、差額が戻ってくるまでに3ヶ月

cmと決め、
これ以上の治療はしない、

から半年くらいかかりますし、低身長

または自己負担で治療しなさいという

症と診断はされたものの、特定疾患の

ものでした。成長ホルモンは1本7万

対象基準外のために却下されて自己負

円くらいするので、自己負担となると

担で治療せざるを得ないという状況も

大変な額になるんです。
「これは患者

ありました。そのためお母さんが仕事

さんやお母さんたちに知らせなくて

を始め、その収入すべてが治療費にな

は」と、学習懇談会を開きました。そ

っていたことや、低身長のために入院

の懇談会には13名の親子が参加し、1

していることを知ったクラスメイトか

人1人がどんな思いでこの治療に臨ん

ら「おまえだけ卑怯だ」「そんなこと

でいるのかが話されました。あるお母

までして背を伸ばしたいのか」「大げ

さんが「5歳の子どもが注射をする姿

さだ」などとからかわれたりイジメの

はかわいそうだけれど、何とか少しで

対象になっていたことなど、とっても

も身長を伸ばしてあげたい。でもお金

悩んでいたということがわかりまし

がかかるから…」と話した時、その子

た。そういう中での「子どもたちの成

どもが「お母さん、僕が小さいから泣

長発達を保障する」
「人権を保障する」

くの?」と心配そうに聞くんです。そ

という運動だったと思います。

の様子を見て、身長が低いということ
で子どもにまで辛い思いをさせなけれ

社会的な背景に目を向けて

ばならないのはやっぱり酷いよね、と
話し合いました。その当時でも、平均

山崎:本当に患者さんの実態や一言に

身長は男子で170cm、女子は158cm

心を寄せて運動まで発展させていった

でしたから、特定疾患の基準はあまり

のですね。私も当時を思い出しながら

にも低すぎました。そうして、その後

聞いていました。では、看護をしてい

準備会を経て4月に「低身長の子をも

く時に「何故、社会的な背景にまで目

つ親の会・たんぽぽの会」が結成され

を向けていく必要があるのか」という

ました。その学習懇談会に参加してい
た日本共産党の児玉健次衆議院議員が
厚生委員会でこの件を質問したことを
契機に請願書を作成し、署名活動を開
始しました。また、看護協会の総会で
もこの問題を発言して全道の看護師の
共感を得ましたし、その後は北海道庁
に申し入れを行い同年9月には厚生省
交渉も行いました。その時には11970
筆という署名を集め、運動を大きく発
展させることができました。
一方、病棟では低身長症の疑いで精
査入院をした患者さんへの看護を振り

43

大石 凉子
(おおいし りょうこ)
勤医協菊水こども診療所
看護師主任
1973年道立衛生学院卒業
同年 北海道勤医協入職
   柏ヶ丘診療所、西区病
院勤務を経て
2008年より現職

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来/座談会

ことです。これまでのお話しで「いの

の病気はどんな治療や療養が必要で、

ちを守る」「その人が健康で生きられ

この患者さんはどんな療養生活が送れ

るように」「子どもの成長発達を保障

るのか、守れるのか」を丁寧に詳しく、

するために」などという根底の部分を

ね。「患者さんを理解する」というこ

阻害している「事実」が見えてきたよ

とは、北海道勤医協が設立されてから

うに思うのですが、それぞれの取り組

ずっとやってきたことなんだろうと思

みの中で社会背景や患者さんの実態を

います。

捉えていく必要性を学んだ点につい
て、もう少しお話ししていただけます

東:私たちって、糖尿病の密着ターゲ

か。

スを経験している世代ですよね。ああ
いう経験から、「生活と労働の場から

東:みんな最初からそのことに気付い

捉える、事実を見極める」ということ

たりわかっていた訳ではなくて、困難

を培ってきたのかな。

事例を話し合ったり事例検討会や看護
学会などでまとめたりする中で、看護

津村:そして、私たちが北海道勤医協

部門全体で患者さんから学ぶというこ

に入職した当時は先輩看護師と事務職

とをしていたなぁって思いますね。そ

員に教えられ、育てられたなって思い

の時よく言われたのが、「人間観や健

ます。必ず地域に一緒に行き、道々で

康観、人権を保障するとはどういうこ

患者さんの生活や背景を聞かされ勉強

となのか」。事例をまとめていく過程

させられた、というか。

で全体から学ぶという積み重ねみたい
なものがあったと思いますが、どうで

東:育てられましたよね。やっぱり。

しょう?
大石:病棟では、どうしても忙しいと
津村:そうでしょうね。

「○号室の○○さん」という見方にな
ってしまって、「この患者さんが帰る

東:かなりやっていましたよね。時に

ところはどんなところなのか」とか、

は追求もされたり。(笑)

「どんな生活をしているのだろうか」
ということがつい流れてしまいがちで

佐賀:
「生活をきちんと見る」とか、
「ど

す。やっぱり、年に一回の患者さん宅

んな労働をしているのか」「どんな経

訪問が…。特に札幌病院は全職員で取

済状況なのか」などということは、東

り組むというのが歴史的にあったなぁ

師長さんが言ったように、「それなく

と思います。

して事例は膨らまない」というのが、
私たちの中にすり込まれていましたね。

津村:とりわけ、札幌病院のある菊水
地域は貧困世帯の多い所で、病院にか

津村:
「健康観・人間観」ということで

かれない人もいました。そんな地域だ

は、私たち看護職は特に「目の前にい

ったが故に、職員が訪問に行って患者

る病気を持ったこの患者さんは、どう

さんの実態を掴むということが本当に

して病気になったのか」という視点で

大事にされてきたのだと思いますね。

患者さんが置かれている生活実態・労
働実態を捉え、そこに問題があればそ

大石:事務は「組織者としての役割」

のことを含めて解決しないと病気は治

が求められると言うけれど、やはりそ

らないということをずっとやってきま

こも大きかったと思います。

した。生活背景を起点にしながら、
「こ

44

東:そして共有できたでしょ。「こんな
患者さんがいたの」
「どうするの?」
となると、病院中のみんながそのこと
をわかってくれる。
「じゃあ、どうし
よう、こうしよう」って。今はどこで
何をしているかわからない、なかなか
共有できない、という部分があります
ね。それはどうして?職員の人数もそ
んなに変わっていないはずなのに…。
すべての職種が連携や共有をしていか
なければ、やっぱり運動まで発展して
いかないのでは、という気がします。
山崎:今は、医療政策の変化の中で在
院日数がとても短くなって、ベッドの

医協新聞に掲載されていますが、本当

回転に勢力を割かれている実態があ

に患者さんと家族の願いを大事にしな

り、当時と困難さが変化してきている

がら日々取り組んでいるのが伝わって

のではないでしょうか。
「患者さんと

きます。そういったものをひとつずつ

一緒にたたかう」には、すべての職員

積み上げて他の院所と交流するという

が「疾病を生活と労働の場でとらえる

のも、とても大切だと思います。

視点」を持ち、患者さんの実態や問題

今日は貴重な経験をお話いただき、

の背景を共有すること、そして要求を

勤医協の看護の理念に立ち返る座談会

実現するために一緒の目標に向かって

になりました。人間らしく、その人ら

チームで取り組むこと、これが重要で

しく生きていくことを支援するには、

すね。

患者の事実から何が困難なのかを知る
ことから始まり、いかにチームで共有

津村:患者さんが困っているというこ

するか、また、病棟や外来などでの看

とをまず共有することから始まるん

護実践では解決できないことにもぶつ

だ、それは患者さんの要求なんだ。と

かったときには、患者さんやご家族、

いうことをね。

地域の方々、周囲の支援団体とともに
目標を一致させてあきらめないで実践

東:私たちはその困難な患者さんの代

していくこと、それが時には社会保障

弁者として、生の実態をみんなに伝え

制度の改善・拡充にまで発展させるこ

る。だからこそ、みんなが共感してく

とができるという勤医協の看護実践に

れるのだと思います。私たちが育った

確信を持つことができました。

時代というのは「患者さんの要求はど

これまでの歴史と伝統を受け継ぎ、

こにある?」と毎日のように言われて

人権を守る看護・介護を引き続き発展

いたし、また言ってきたし、カンファ

させていきたいと思いました。また明

レンスでは必ず出てくる言葉でしたよ

日からそれぞれの職場で頑張りましょ

ね。だから、患者さんその人のすべて

う。今日はみなさん、どうもありがと

を捉えて、そのうえで「私たちは何を

うございました。

看護していくのか」ということが同時
に進んでいったんですね。

一同:ありがとうございました。

山崎:現在もチームでの看護実践が勤

45

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

勤医協札幌看護専門学校における
教育活動の発展
川上 佐代子
(かわかみ さよこ)
勤医協札幌看護専門学校 副校長

勤医協札幌看護専門学校 副校長

川上 佐代子

1975年 市立小樽病院高等看護学院
卒業
1975年 北海道勤医協へ入職
    小樽診療所、東京民医連大
田病院、勤医協中央病院勤
務を経て
1989年 勤医協札幌看護専門学校勤

2007年より現職

勤医協札幌看護専門学校は1960年に准看護婦
学院として設立され、2010年4月に50周年を迎
える。79年に2年課程、84年に3年課程を併設
し、01年2年課程閉科、現在は3年課程(定員

理解するうえで重要となる人間観、健康観につ

60名)の学校として、卒業生2200名を送り出し

いては日野秀逸氏に学び「人間は、基本的人権

てきた。特に91年からの11年間は、全校で8ク

を有し(中略)現実の生活過程を営む社会的存

ラス280名がダイナミックに学び合い、毎年100

在、制限を乗り越え発達する存在、60兆の細胞

名を超える卒業生を輩出してきた。道民医連、

からなり、心身が統合して生命活動を営んでい

勤医協にとって80年代から90年代の全道展開を

る存在である」
「健康は人間の生命活動固有の

支える看護師養成の一端を担ってきたといえ

4つの活動、労働、自己変革、社会的実践、
(略)

る。
「自らの後継者をともに育てる」と勤医協

人類の生み出したよき物を享受するというよう

のフィールドが「教育の場」として提供されて

な諸活動を行える精神的、身体的、社会的な状

きた有意性は今日まで引き継がれている。本校

態である。そして憲法第25条で国民の健康権、

の教育の基本は、日本国憲法と教育基本法の理

生存権として保障されている」と表現し、この

念の下、医療・看護の発展を担う看護師の育成

考え方は現在まで引き継がれている。
09年4月実施のカリキュラム改正では、社会

を目的に、患者の立場に立つ医療・看護を学ぶ

状況の変化に対応し、卒業後のギャップを埋め

ことである。(84年、教育理念・目的)

ることを目的に、新たに統合分野が設けられ、

以下、本校における看護教育の発展について

単位・時間数ともに増の97単位3000時間以上と

振り返り、述べてみる。

された。本校は104単位3015時間の編成とした。
旧カリキュラムの矛盾を解消し、
新たに心理学、

1.カリキュラムの変遷
すでに90年からゆとり教育と称して、実習時

コミュニケーション論、
統合分野では看護管理、

間の大幅な削減(67年改定比58%の1035時間に)

医療安全、看護研究、診療技術ゼミナールを科

がされ、97年改正は、高齢社会への対応のため

目設定した。

「在宅看護論」
「精神看護学」の新設、看護学
2.看護学教育内容の発展

のみを専門科目とする、単位制の導入などを特
徴とした。本校では、従来の特色ある教育課題

1)看護実践者の育成のために基礎となる技

を正規の科目として「生命活動演習」
、地域フ

術教育を重視してきた。学内演習の定着と同時

ィールドおよび研修旅行を「地域医療論」と設

に、89年から技術の学び方として、具体的事例

定した。同時に「カリキュラム編成の基本とな

をもとに既習の看護技術を統合した援助を実施

る概念」として「人間、健康、看護、社会、学

することを目標に、
「日常生活援助技術」
、「診

習」観について構築した。特に、看護の対象を

療援助技術」ゼミナールを行ってきた。また実
46

習では臨床と協力しながら技術体験の機会を保

学費の安さ、国試合格率の高さ、充実した実習

障してきている。

環境」などの理由から、全国的にも高い応募状

2)看護展開方法について「病態学習に時間

況にあり、国家試験合格率も毎年全国平均を大

がかかり看護に行きつかない」
「アセスメント

きく上回っている。卒業後の進路については、

過程があいまい」などの問題意識から、03年以

7~8割の学生が法人へ就職している。これら

降「看護過程」教授内容および実習での展開に

のことは、学生が患者から学び、仲間とともに

ついて再構築を図り、
看護展開力を鍛えている。

成長する喜びを実感していること、民医連の患

3)02年以降、教員集団の研究活動の結果を

者に寄り添い支援する看護やチーム医療への信

教育に反映させてきた。
「与薬技術における認

頼、無差別平等を掲げる医療のあり方への共感

知調査」「学生ヒヤリハットからの学び」に取

によるものと考える。

り組み、薬理学や診療技術の強化、医療看護の

学生とともに成長する学校の伝統を作り上げ

安全性の教育、実習時の指導や教育方法の分析

てきた先輩諸氏に続き、今後も教育の充実に向

など教育内容の充実を図ってきた。

けて奮闘していきたい。

3.学校運営および教育内容について

参考文献

02年には「自己点検・自己評価」が努力義務

看護学校教育活動報告・資料集(1997年) 1999年

となり、05年から厚生労働省による
「指導調査」

学校宣言 2003年

が開始された。一貫して指定規則・指導要領等

勤医協札幌看護専門学校紀要 創刊号(2007年)
・第2巻(2009年)

の遵守・教育内容の平準化の指導がなされ、学

日野秀逸著 健康と医療の思想 労働旬報社 1986年

校側の努力が求められてきている。学生の発達
段階と到達度の維持を考慮しつつ、実習時間の
延長、グループワーク時間数を授業時間に、合
同講義の解消など随時改善を図ってきた。また
教育内容のまとめや公開に旺盛に取り組んでき
た。学校通信、紀要、学校パンフの作成、HP
の充実、学校見学会の開催等々、全職員あげて
の学校づくりが前進している。主人公はもちろ
ん看護師になりたいと願う学生たちである。
教育評価として、入学生の確保、国家試験合
格率、卒後の進路状況などから見てみる。現在
看護基礎教育は大学化の進展(09年184校)
、民
間運営の方向にある。本校は
「札幌市内にある、
47

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

地域連携、慢性期医療の中の
看護の役割
小林 幸子
(こばやし さちこ)
勤医協札幌西区病院
総看護師長

勤医協札幌西区病院 総看護師長

小林 幸子

キーワード

1975年 道立衛生学院卒業
    道社会事業協会函館病院、
名古屋市立大学病院を経て
1981年 北海道勤医協入職
    札幌病院、芦別平和診療所、
中央病院勤務を経て
2007年より現職

①切れ目のない医療・看護・介護

※2010年5月より勤医協本部看護部長

②生活を支える医療・看護・介護
る慢性期医療の機能をもつ病院となっていく。

③医療・福祉の連携

患者の回復過程に沿った必要なケアが切れ目な
く提供されるためには院内・外の連携が重要で

はじめに

ある。

本雑誌のコンセプトは、勤医協創立60周年記

2009年3月に法人看護部より「北海道勤医協

念号として「いのち・人権」とし、
「人間らしく、

における看護の連携強化の課題」として

その人らしく、生きていくことを援助すること
(全日本民医連37回総会方針)
」を基本に歴史

『①中央病院は急性期病院・臨床研修病院と

をたどり整理するとある。特集2「北海道勤医

しての機能を強化し、急性期患者の診断治療を

協の看護・介護の未来」の1テーマである慢性

更に量質ともにアップさせること

期医療における看護・介護の役割について、西

②札幌病院・西区病院・苫小牧病院は亜急性期

区病院での実践から見えてきた3つのキーワー

や回復期の機能を強化し、これまで以上に急性

ドで振り返り、未来につなげたい。

期治療を終えた患者の療養を支援していくこと
③診療所は病院や介護在宅事業所等とも連携

1.信頼と連携で切れ目のない医療 ・ 看護・介

を強め在宅での療養を様々なネットワークでサ

護の提供

ポートしていくことが必要です。
切れ目のない法人ネットワークの強化を軸に

今後の西区病院

地域連携も大胆に進めながら、
それぞれの院所・
診療所のもつ機能を発揮し、豊かに発展させま
急性期

亜急性期
回復期

長期療養
医療療養

老健・
特養

居宅系
施設

しょう。
』との提起が出され、各院所の医療・看

在宅

護の連携が強く呼びかけられた。
西区病院の外来では、09年度の活動テーマを
「連携と信頼」と銘打ち、地域と院所の「連携

西区病院は、外来6診療科と一般急性期病床

の窓口」となり活動し、ベッドコントロール会

50床・慢性期病床(障害者施設等一般96床 ・ 医

議と共に、病院全体で患者受け入れをする組織

療療養48床)を持ち、高齢者に優しい病院とし

風土づくりに力を発揮している。ベッドコント

て、在宅療養支援を行っている地域の中規模病

ロール会議では、困難事例を共有し患者受け入

院である。高齢化社会を迎えるにあたり、今後

れを行っている。残念ながら受け入れできない

の西区病院のポジショニングは、上記の図のよ

限界もあるが、法人内連携での入院患者数は増

うに障害者 ・ 高齢者の治癒・回復過程を支援す

加している。
48

今後も、患者を中心としたチーム内連携、セ

は15日前後、障害者病棟・療養病棟は90 ~ 100

クション間連携、多職種連携、院外連携、地域

日である。慢性期病棟では、患者と共有できる

連携を、もっと強化し展開していくことが求め

時間が長いことを生かしたケアが医療・看護・介

られる。

護職のチームによって提供される。大事にして
いるのは、一人一人の回復過程に沿った安全で

2.生活を支える医療 ・ 看護・介護で高齢者に

安心な日常生活のケアである。①食事ケア②排

優しい病院に

泄ケア③入浴ケア④生活リズムの調整ケア(活

がん、慢性呼吸器疾患、慢性心疾患、糖尿病

動と睡眠)⑤看まもりケア⑥生活リハビリケア

などの治らない病気や脳卒中後遺症などの機能

⑦セレモニーケア(毎月の誕生会、季節行事な

障害を持った人が急激に増加している昨今の社

ど)などでの介護職の果たす役割は大きい。4

会状況に対し、蘆野吉和氏

は、
「今、必要な

病棟では、
「認知症でも介護度が重くても支援

ことは“病気を治す医療”から“生活を支える

します…介護のプロがいっぱいだから」と活動

医療”への大変革であり、さまざまな支援のも

方針会議で報告している。これらのケアによっ

とでの一人一人の生活の質向上、自立が目標」

て人間らしさを取り戻した患者さんに、私はこ

と述べている。

の3年間たくさんお会いすることができた。そ

1)

障害者病棟、医療療養病棟を有し、2010年4

のことによって私自身もケアされているとを感

月に急性期病床を縮小する構造転換を進める西

じ、これもまた慢性期病院の財産なのだろうと

区病院は、まさに“病気を治す医療”から“生

思う。

活を支える医療”へと、大変革の只中にいる。

一方、最期を看取ることもまた、慢性期病院

障害者施設等一般病棟は、入院対象患者の7

の役割である。外来・病棟ともに事例検討会で

割以上が脳血管障害・認知症患者以外の「障害

は、生きててよかった思えるよう、本人・家族

者施設等入院基本料」の施設基準の患者(重度

の希望に向き合い支援する看護実践を、事例検

肢体不自由者、脊髄損傷などの重度障害者、重

討会で報告し学びあっている。死を前提に、タ

度の意識障害者、筋ジストロフィー患者、難病

ーミナル期をどのように迎えるのか、どのよう

患者など)である。

に生きるのかといった、死にゆく過程のサポー
トも、慢性期だからこそできる看護がある。

療養病棟は、医療区分2・3の患者を8割以
上とし、病状が安定し、医療より介護が重点の

これからの慢性期は、より質の高い日常生活

患者が対象となる。2病棟・3病棟の障害者病

ケアと、人生に寄り添った看取りのケアが求め

棟、4病棟の療養病棟はいずれも、急性期治療

られると考えている。

を終え“病気を治す医療”から心身の機能が回
復途中にある“生活を支える医療”の必要な患
者が対象である。平均在院日数は、急性期病棟
49

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

3.退院調整、在宅復帰支援を医療と福祉の連

っている。患者家族からは、
気軽に相談できる、

携で

安心できるとして感謝されている。

西区病院には、生活や病気に苦しんでいる方

退院後の在宅療養を支援しているにしまちク

が多く入院してくる。看護・介護職は、患者・家

リニックでは、
「障害を持っても高齢であって

族の抱えている問題を最初に発見する機会が多

も、大丈夫。長生きしていいんだよ」と、在宅

く、そのアンテナを研ぎ澄まし、多職種に協働

療養患者とその家族を支えている。そして「終

を発信する役割を持っている。入院・退院に当

の住処は自宅」との希望に沿い、08年は7名の

たって、家族の関係性や介護力の問題、急変時

在宅での看取りを行っている。

の不安、経済問題などを抱えていることも少な

在宅生活を支えている通所リハビリは、2010

くない。これらの問題は重複することがあり、

年秋に在宅事業へ移管される予定であり、地域

病棟だけ、リハビリだけ、ソーシャルワーカー

に連携の輪を広げる役割を果たしていくであろ

(SW)だけ、では到底解決しない。入院時か

う。

ら退院を見据えた支援が求められており、
医師、
4.おわりに

リハビリ、SW、栄養士、入院医事、在宅療養
支援診療所、ケアマネジャー等々、多職種協働

松田晋也氏2) は、
「軽度の障害を持っていて

によるチーム医療が必須であり、カンファレン

も「楽しい」と思える場所があれば、みなそこ

スや退院前訪問などを積み重ね問題解決に取り

に出かける。施設ケアからコミュニティケアへ

組んでいる。

の取り組み~街づくりの視点が、これから地域

2病棟では、患者・家族の望む退院支援を目

社会に求められている」と、民医連への期待を

的に、退院調整プライマリーNs・Cw制をと

話された。
50

西区病院には、地域のことも病院のことも熟

資料<超高齢社会>

知し応援してくれる頼もしい社員・友の会があ

①2015年には「ベビーブーム世代」が前期高齢者に、2025年には、

る。高齢者が生き生きと住みなれたところで暮

高齢者人口3500万人(団塊世代が75才以上)に

らしていくことを、この方々との協働で支援す

②認知高齢者現在150万人→2025年320万人に

るのが、慢性期医療・看護・介護を担う西区病院

③高齢者世帯の見通し:現在1340万世帯→2025年1840万世帯、高

に課せられた役割と受け止め、今後の発展を期

齢者世帯の7割が一人暮らし・高齢夫婦のみ世帯、特に一人暮

したい。

らし世帯680万世帯(37%)、首都圏など「都市部」は、急速
に高齢化が進み、高齢者の「住まい」の問題の顕在化

追記

④死亡者数:現在100万人→2025年160万人(65才以上140万人)

下記の資料は、15年後、25年後の社会状況の
政府の見解です。このような社会にあっても、

参考文献

勤医協の看護集団は、無差別平等の医療看護の

1)蘆野吉和:地域とともに歩む医療,週刊医学界新聞,2009年

提供者として元気に存在し続けているだろう

12月14日号

と、本稿を書き終え改めて確信しています。

2)松田晋也(産業医科大学教授)講演「今後の医療・介護供給
体制の将来と中小病院の課題・展望」2009年9月12日
3)犬塚久美子他:事例をとして考える認知症ケア , 看護実践の
科学 ,35(2), p .52-57,2010;

参考資料
①遠藤絹子 ・ 黒澤理穂:「連携」でみる西区病院の看護介護,西
区病院全職員会議’2009. 6.
②北海道勤医協における看護の連携強化の課題:北海道勤医協看
護部.2009年3月
④にしまちクリニック:
「長生きしても大丈夫だよ」,北海道勤医
協友の会新聞,第1227号

51

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

「 出かけていく看護 」 から、
地域にあった多様な展開へ
北海道勤労者在宅医療福祉協会

太田 眞智子
(おおた まちこ)
北海道勤労者在宅医療福祉協会
人事共育部長

人事共育部長

太田 眞智子

1980年 室蘭市立看護学校卒業
    同年、北海道勤医協入職
    札幌病院、中央病院、
    東在宅総合センターなど
の勤務を経て
2007年 北海道勤労者在宅医療福
祉協会へ移籍

1、はじめに
在宅医療や介護サービスは、三つの側面で大
きな転換が求められていると考えます。
一点目は、在宅医療や福祉サービスは、病院

22条、25条はよく知られていますが、私が一番

施設型から地域在宅型へさらに進められます。

印象づけられたものは、97条です。
「人類の歴

在宅ケアの対象は、医療依存度が高いうえに、

史で権利を守り発展させたものは自分たち自身

認知症や精神疾患などが重複した、重度要介護

である」という内容です。
「決して権利は与え

者の増加が予想され、在宅ケアシステムの構築

られるものではなく自分たちが守り発展させる

がさらに求められています。二点目は、入院治

ものである」
、ここに民医連の真価が問われて

療では根本的に解決できない状態の場合、本来

います。勤医協札幌看護専門学校に「憲法を看

の生活の場である自宅で療養し、QOLの高い

護に生かす」という言葉が額にあります。一言

時間を希望する利用者が増加しているという点

で表すと、この視点がめざす方向であると考え

です。急速な高齢化は、生命の量(長寿)に価

ます。

値が置かれていた時代から、生命の質の重要性
3、時代の認識

が認識されています。三点目は、慢性疾患を有
していても元気な高齢者が大部分を占める中

日本の高齢化率は、2009年22.7%に達し、

で、予防的な視点の事業展開が求められるとい

2025年には30%になると予測されています。

うことです。

2008年の日本人の平均寿命は、
男性が79.29歳、

社会情勢のめまぐるしい変化の中で、時代に

女性が86.05歳で男女とも過去最高を更新して

見合った在宅ケアの方向について考えてみたい

おり、女性は24年続けて世界で最長寿です。

と思います。

2007年以降は人口減少が進み、若年層の都市へ
の流出や核家族化の進行とともに、独居高齢者
や高齢者世帯が増加しています。単身世帯は、

2、在宅ケアの方向の基本的考え方
時代を創ってきた民医連の先輩たちはどのよ

全世帯の半数を占めると推測されます。北海道

うな思いで歴史を切り開いてきたのでしょう。

は、高齢化率19.9%ですが、最高41.1%(2005

全日本民医連50周年の記念誌に、「東京健和会

年)から最低13.4%の地域まで、人口格差が大

の在宅看護実践」があります。報酬がない時代

きく、広大な地域を抱え、医療費は全国一高い

から、泊まりがけの看護もあったことが記載さ

ことでも知られています。
地域の中での権利を守ると事は「自分で自分

れています。必要とされているところに看護が

のことを決める権利、住みたい場所に住むこと

あり、制度化していく逞しさがありました。

のできる権利、その人の能力に応じて自己決定

民医連綱領の中にある
「人権擁護」
「無差別性」

権が守られる権利」です。貧困と格差の時代、

は、憲法で規定しています。憲法12条、13条、
52

二点目は、
独居や老々介護・認々介護が増え、

全く人権が守られない実態は、民医連の創成期

新たな住まいが求められます。単に住まいの提

にも似通っているように感じます。

供ではなく、がんや老衰などの終末期に対応す
るナーシングホームや、比較的動ける慢性疾患

4、地域の中での看護師の役割
は、『病院の看護は「待つ看護」
、専

を対象とする住居、24時間365日切れ目なく介

門外来や夜間・早朝のクリニックは「集める看

護サービスが受けられる小規模多機能型施設な

護」、そして訪問看護は「出かけていく看護」

どです。さらに精神疾患、重度障害などの住居

であり、さらに今後は健康に関する問題に「仕

や就労の場に、必要に応じて看護や医療が対応

掛けていく看護」で地域の人たちや権利を守る

することになります。

村嶋氏

1)

三点目には、介護は必要ないがより元気に暮

ために働き掛けていく必要がある』と述べてい

らすことをどう創るかという、
予防の視点です。

ます。
看護教育は、2009年度から在宅看護論は統合

平均寿命からは、定年後20年は地域で暮らすこ

分野になり、
「生活」の理解や福祉的な視点、

とになります。健康を阻害する要因に対して、

コミュニケーション能力、医療と福祉の連携な

創意工夫した取り組みが求められます。地域住

どの重要性が指摘され、教育内容が整備されつ

民の主体的な力を引き出し、共に行政に働きか

つあります。井上氏

によると訪問看護師の基

け、行政と一緒に健康に生きるということを考

礎教育背景の違いから「看護者のあり方」の多

えた予防事業に大きく踏み出す必要性がありま

様性があると述べ、経験の積み重ねが在宅看護

す。共同組織や住民の中に軸足をおき、地域の

という文化になじめない人・看護者としての自

拠点としての役割を担う課題です。

2)

己を柔軟に変化させることができない人・看護

最後に、看護職は患者の生活習慣や価値観に

技術に自信のない人・社会人としてのマナーに

配慮して療養指導し、行動変容していく事へ支

かける人は訪問看護師として適さないと述べて

援する役割がありますが、生活の中で療養とい

います。訪問看護師の力量の標準化は、今後の

うのはひとつの要素です。インフォーマルを含

展開上大きな課題です。

め在宅ケアチームで、豊かな生活を柔軟に創造
することが求められます。

5、今後の在宅ケアの展開
中長期的には、柔軟な発想と大胆な議論を創

引用文献

造したいと思います。

1)村嶋幸代(2005)住民の権利擁護と地域看護

一点目は、病院は治療に特化し、在宅が療養

  看護3月臨時増刊号 179-185

の中心になるということです。在宅で、夜勤を

2)井上弘子(2005)訪問看護師の継続教育の課題と展望

含めた365日24時間の交番体制で、看護も介護

  課題(4)- 3 日本教育学会第63回大会報告 341-342

も療養や生活を支援することが必要になります。
53

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

ケアワーカーとの共同
~そして介護分野の未来
北海道勤労者在宅医療福祉協会

玉井 三枝子
(たまい みえこ)
北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協めいえん在宅総合センター長

勤医協めいえん在宅総合センター長

玉井 三枝子

1973年 札幌市立高等看護学校卒業
    同年、北海道勤医協入職
    札幌病院、当別診療所、札幌看護
専門学校、中央病院、丘珠病院、
西区病院の勤務を経て
2009年 北海道勤労者在宅医療福祉協会へ
移籍

ケアワーカーの配置と発展
北海道勤医協は1995年、高齢者医療を総合的
に発展させることを目的に丘珠病院に老年期病
棟を開設しました。この病棟に初めて12名の新

が、新たな職場で訪問介護事業を知り、大きな

人介護福祉士(以後、ケアワーカーと称す)が

衝撃を受けました。

配置されました。1997年老人保健施設柏ヶ丘を

訪問介護では、介護職員が利用者のお宅に一

開設し、丘珠病院から7名の経験者が参加、新

人で訪問し、ケアプランに基づき訪問介護援助

人指導などを実践しながら開設の成功に力を発

計画を立案、訪問の手順書を作成し、本人・ご

揮してくれました。
2000年には主任職が2名
(丘

家族の合意
(署名)
を得てケアを行っています。

珠老年期と柏ヶ丘に各1名)誕生し、後輩指導

病院でも「患者参加型看護計画」に取り組んで

に大きな役割を果たしました。2003年からは主

いますが、それを先取りして実践していると感

任・リーダー会議を定例で開催し、卒後3年目

じました。

までの研修と新人主任研修の役割を担い中堅層

生活援助や身体援助を行いながら在宅生活を

を育ててきました。そして2006年には6病院・

支えていること、また、実践で終わるのではな

1老人保健施設・9診療所に配置され、136名の

く、アセスメントやモニタリングも、その大変

ケアワーカー集団となりました。2007年には在

さを乗り越えて果敢に挑戦している姿には、た

宅事業が別法人となり、多くの介護分野が新法

だ頭が下がる思いです。

人に移動しました。
2009年4月現在、
約240名
(職

さらに、登録へルパー(自宅から利用者宅に

員160名+パート80名)の介護職員(ケアワー

直接訪問し、サービス終了後は自宅に帰る)に

カー、ヘルパーを含む)
が在宅法人
(勤医協在宅)

同行し、生活援助や身体援助の内容を指導して

で働いています。北海道勤医協からの移籍者は

いること、その際のアセスメントやモニタリン

介護職員全体の53.8%となり、これまでの実践

グは正職員である介護職員(サービス担当責任

を宝に中心的な役割を担いながら新法人で採用

者)が行い、苦情もしっかり受け止めながら利

した方々と新たな挑戦に取り組んでいます。現

用者の目線で振り返りを行っていることにも感

在、北海道勤医協のケアワーカーと勤医協在宅

心しています。私も、この方々から「利用者本

の介護職員合同のケアワーカー委員会を定期的

位とは何か」をしっかり学んでいきたいと思っ

に開催し、卒後研修や介護に関わる闘いの課題

ています。

やこれからの介護職の展望などを話し合い、ケ
専門職としての期待

アワーカー集団を牽引する役割を担っています。

介護職としての役割で特に大切なことは、
「高
齢者・障がい者の理解」です。

広がる活躍の場

高齢者は長い歴史を刻んで生きてきました。

私は2009年4月勤医協在宅へ移籍しました
54

「戦争とはどういう状況に置かれることか」
「戦

ちの職種の役割を自らが検証し、社会に発信し

後の荒廃した街・村・地域を、どのように復興し

切り開いていくことが大切だと思います。また、

ながら子供を育ててきたのか」
「女性が結婚を

その過程でより専門性を高めていけると思って

どのように受け止めていたのか」など、私たち

います。ともに歩んでいきましょう。

には想像もできないことを聞き、想像をめぐら
し、その苦労を受け止め、患者・利用者と重ね
合わせてみてほしいと思います。そして、
「共
感するとは」
「受容するとは」について、ぜひ
みなさんで討議していただきたいと思います。
それはまた、一人ひとりの自信にもつながるの
ではないかと思います。
人生の大先輩である患者・利用者の尊厳を守
り、願いに応えていくことは体験的に理解・実
践してきていると思いますが、
「認知症の理解」
や「障がい者への関わり方」などを基本から
学び、「専門職とは何か」を追求してほしいと
思います。また、高齢者・障がい者を支えるた
めにはいろいろな職種との連携が不可欠ですの
で、関わる他職種の役割についてもぜひ理解を
深めてほしいと思います。今後、ますます「ケ
アマネジメント力」や「チームアプローチ」が
求められる職種です。一人ひとりの患者・利用
者の顔を思い浮かべながら、自分のできること
から学んでいきましょう。
介護分野の未来
介護分野にはさまざな困難があります。介護
職は看護職と同じように3K(危険・汚い・キツ
い)と言われ、その上、低い賃金は長く働き続
けることを困難にさせています。しかし一方で
は、未来の展望がある職場・職種でもあると思
います。未整備の分野であるからこそ、自分た
55

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

人権を守る看護を発展させてきた
看護学会30年のまとめ
勤医協中央病院 副総看護師長

庄司 朝子
(共同執筆)
勤医協中央病院 総看護師長

加地 尋美
序文
民医連の医療・看護活動は、戦後の飢餓と貧
困と伝染病が蔓延する時代に感染予防の知識を
普及させるため、食料を片手に家々を訪問した
ことから始まりました。そして“だれにも等し
く医療を”と地域住民と手を取り合って行政に
働きかけ、医療・生活保障を獲得する運動を原
点に発展してきました。
「どのような困難があ
っても常に患者や住民とともに」
という作風は、
現在に続く民医連看護の3つの視点・4つの優
点に繋がっています。本稿は、北海道民医連の
看護集団の活動を看護学会・看護介護研究交流
集会に集約された研究論文の70年代から現在ま
でを概括したものです。
医療現場では今、医寮費抑制政策のもとで在
庄司 朝子
(しょうじ あさこ)
勤医協中央病院
副総看護師長

院日数の短縮・IT化・安全性、医療の質が鋭く
問われ、膨大な業務マニュアルやツールを使っ
て看護が成立する時代に変化しています。貧困

1975年 小樽昭和看護学院 卒業
    北海道勤医協へ入職
    中央病院、札幌病院、
    丘珠病院勤務を経て、
2002年より現職

や格差が医療や介護に深く関わる時代に医療・
看護・介護が等しく受けられることと、豊かに
人間らしく生きる権利の保障を視点に据えた看

※2010年4月より本部看護部
 看護対策室室長

護が今後も求められます。先人の足跡からその
理念を引き継ぎ目指す看護を実現してゆくため
に、30年余に及ぶ看護・介護学会の歴史を通し
て人権を守る看護の発展経過をまとめました。
尚、本稿は民医連医療創刊300号1997年「患
者・地域の事実から離れず人権守る看護を発展
させた看護学会の歩み」及び、道民医連看護委
員会が集団的な議論を経て作成した道民医連資
料2000年No .34「看護活動の到達と課題」を
もとに加筆しました。最終段階で集団的な一致
を諮っていないことを前提に、今後の看護活動
56

加地 尋美
(かぢ ひろみ)
勤医協中央病院
総看護師長
1977年 紋別高等看護学院 卒業
    旭川医大病院勤務を経て、
1980年 北海道勤医協へ入職
    中央病院、西区病院、
    札幌病院勤務を経て、
2005年より現職

をより創造的に発展させるためにも読者からの

問看護に現在のような診療報酬の適応もない時

ご批判も仰ぎたいと考えます。

期に患者とともに切り開いた実践でした。2次
感染の予防と身体機能の維持をはじめ詳細な在

1期:1970年代 看護研究活動の
 まとめ~看護学会開催

宅ケア計画を、地域の保健師と連携し病院事務
員から入浴介助の応援を得るなど、多職種・地

この期の看護活動の足跡は勤医協札幌看護専

域ぐるみで関わったことが記されています。M

門学校の教員集団が、
「北海道勤医協における

氏の「両親と一緒に家で過ごしたい」という願

看護活動のあゆみ~文献をとおして」(1981年

いを正面から受け止めて実践した内容です。そ

第9回看護学会)で、1962年から1981年までの

の中で吸引器の支給を求めて「在宅患者を守る

19年間の看護研究活動を概括的にまとめたもの

会」を発足、家族と共に対市交渉を行い札幌市

から、当時の問題意識を見ることができます。

では初めての実現となりました。父親は当初、

1962年綱領決定後の64年には低栄養の妊娠中

「 息子が生きていることで多くの人に迷惑をか

毒症の事例に対して、その原因が生活と深く関

けている 」 と考えていましたが働きかけの中

係することを知り牛乳獲得のたたかいを支援す

で、同じ無権利な状況に置かれている人にも関

るなど、疾患を生活と労働の場で捉える考え方

心を広げて共にたたかうことを決意します。こ

に添って活動しています。また、医師と共に慢

うした一つの院所で行なわれて事例の発表や交

性疾患の調査研究や管理活動や患者会結成、法

流は、医療機能と院所の拡大に伴い他の法人に

人初の病院建設にともなう看護基準、検査基準

も広がり定着してきました。

を作成し記録様式の改善などに奮闘し、同時に

2期:1980年代 基本的人権の立場に
立つ看護~生活と労働の視点を重視
した実践

患者の生きる意欲を引き出す為にあきらめず粘
り強く看護に取り組んでいます。1974年に200
名規模となった看護集団が看護委員会の議論を
基に交流を主旨として第1回勤医協看護学会を

80年代に入り道民医連は全道5圏域に病院診

開催しました。事例研究では高齢者の生きがい

療所を拡大し、学会は道民医連看護学会として

や、慢性疾患を持つ小児の成長に目を向けた看

引き継がれました。疾病自己責任論、高齢化社

護が報告されています。

会危機論、医療費亡国論など医療社会保障の切

1977年の第5回学会に中央病院外来看護師が

崩しが始まり、高齢者の医療改悪や健康保険1

在宅障害者の訪問看護を通して患者さんと家族

割負担によって患者さんが病院にかかれない状

を中心に療養に必要な備品を獲得する運動を行

況も生み出されました。健康破壊や療養と生活

った特徴的な事例報告があります。患者Mさん

の実態や困難の背景にあるものを患者の事実か

40歳男性は、幼児期に脳性小児麻痺と診断され

ら深め、めざす看護を探求しています。第12回

て以後20歳まで施設入所、その後の20年間は父

学会(1984年)からは分科会のテーマを看護の

母の献身的な介護のもとで生活していました。

視点をより明確にするために再編しています。

突然の窒息から重症肺炎を併発し緊急入院し1

中でも全道で取り組んだ密着ターゲスの取り組

年半後に気管切開をしたまま自宅退院、その後

みが後にも残る優れた内容となっています。

の在宅療養を支えた看護をまとめています。当
時、気管切開患者の在宅支援は経験もなく、訪
57

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

○まずは実践!全道で取り組んだ密着ターゲス

○人権の復権として発展させた技術観

第12回に投稿された畑作農家の主婦(59歳)

80年代前半、慢性的に且つ不可逆的に進行す

の家へ診療所の看護師が訪問し実際の生活を見

る肺気腫などの困難な病態にある事例に対し

て療養指導を行ったことをきっかけに始まった

て、
「生きたい」という要求をもとに粘り強く

密着ターゲスの経験は、第14回~ 18回までの

看護する中で、厳しい闘病を乗り越えて前向き

全道規模の取り組みに発展しました。主婦は糖

に生きようとする患者の意欲を引き出していま

尿病と診断されて以来10年間、意欲をもって闘

す。又、そうした実践から生命活動のすばらし

病をしているにも関わらず年々コントロールが

さを同時に学んできました。横隔膜挙上による

悪化していました。朝4時に起きて5ヘクター

痰誘導など効果的な排痰の援助技術、体位ドレ

ルの畑作と100羽の養鶏の労働を実体験し同時

ナージ・入浴・全身熱布浴は83年から90年にかけ

に密着ターゲスを行いました。午前11時と午後

ての研究テーマでした。慢性呼吸不全状態の患

4時には空腹のため畑に座り込んでトマトを食

者が大腿頸部骨折後にリハビリを行う過程で、

べる姿を目にし、農作業の状況に合わせた療養

ADL改善と同時に心肺機能が高まり肺性心も

指導によって血糖コントロールを改善しまし

改善してPCO2量が減ったN氏から次のよう

た。この経験をもとに第14回学会には1日の労

な考察を引き出しています。
「明日に向かって

働を運動消費カロリー量に換算し、より科学的

生きることに働きかけるのが看護であり、あき

なものを集団で学び合い実態に添う療養指導の

らめたり制限があってはいけない、誰もが発達

原点を学ぶことを目標に「皆で体験しよう!」

する可能性があり医療者と患者が共通の目標に

と呼びかけ、53例のレポートを集約しました。

向かった時その可能性が保障される」
(~第18

特徴的なレポートに、青果業を営むA氏に密着

回学会中央病院呼吸器病棟の演題より)

した「死んでも仕事は辞められない」という生

外科医療分野では医師を中心に他職種と共に

活ターゲス事例があります。空腹時血糖780mg/

手術事例のフォローが積極的に行われました。

dl,体重が10kg 減少しても生活のために入院

術後後遺症に苦しむ患者の厳しい実態を粘り強

を拒否していました。
1日の労働時間は18時間、

く調査し、これをもとに医師集団が手術侵襲や

4000kcal の運動消費量をつかみ指示カロリー

後遺症が少ない画期的な治療技術、現在の癌医

を変更、生活と労働に合う療養管理の方法を家

療に広く内視鏡手術が取り入れられるまでの技

族とともに見出し画期的なコントロールを得ま

術開拓の過程の一端にも関与してきました。生

した。密着し患者の事実に迫り病気を社会背景

命活動をテーマとした研究にも学びを連動さ

から捉え、療養の方針は患者を主体者として共

せ、持つべき生命観から技術観へと理念構築を

に導き出すことで「だめな患者はいない」こと

はかり、
「誰のための何のための技術か」の考

を確認した点です。病気を悪化させている要因

え方を深めたのもこの時期です。また、リハビ

を社会背景から観て患者と共に克服する立場で

リ病棟10数年の取り組みは高次脳機能障害の患

人権を深めています。こうした総合的な学びを

者を対象に個別の病態と患者像をチームで一致

全道の看護集団が確認し、18回学会のテーマを

させ、残存機能を全身の筋力・体力強化への徹

「基本的人権の立場に立つ看護」へと発展させ

底した働きかけによって発達の可能性が拓かれ

ました。

ることを学びました。このような学びから18回
学会委員会は技術の分散会への投稿は「一人ひ
58

とりの患者を全人間的にとらえ医療チームとし

た在宅酸素療法(HOT)の歴史と、生命活動

て取り組んだ総合的な技術論を構築しよう」と

が大気中の酸素なしに生存し得ない患者の事

提起しました。こうした呼びかけのもとで実践

実、これらを統合し人権を学んだ特徴的なもの

と研究を繰り返し、私たちの目指す生命観・医

です。呼吸器障害患者をケアする看護チームが

療観・人間観そして民主的医療集団の優位性が

5年間の実践と看護研究の学びの中で、たたか

整理され現在に引き継がれてきました。

いの根拠となる看護観を積み重ねた経過は重要
な点です。
(詳細は民医連医療300号参照)

3期:1990年代 顔の見える社会保障
闘争~はげしい医療費抑制政策のも
とで

○21世紀への道筋をつくった高齢者の取り組み
1993年厚生省「21世紀の高齢化社会の対応策

○患者の事実から出発、社会保障拡大につない

―ゴールドプラン」に基づく各自治体の動きと

できた看護

共に、道内各法人で訪問看護ステーションや特

90年代に入り介護保険の創設を前に医療保険

養・老健・老年期病棟など施設と在宅を結んだ活

制度を根本から改悪し、国の責任を放棄して民

動が進んできました。いち早く高齢者の療養と

間営利化によって国民負担の強化がいっそう進

在宅支援を実践した道南勤医協や道東勤医協の

められました。道内の過半数を超える自治体か

医療看護チームの学びは全体に広がりました。

ら一般病院がなくなり、国民健康保険証の取り

95年以後は介護保険制度創設への流れとともに

上げや入院給食費の有料化などによって、誰も

医療・社会保障制度改悪が進行しますが、地域

が等しく医療を受ける権利が奪われるなど、社

友の会づくり、
“1人の高齢者も泣かせない”

会保障を切り崩す大きな流れの中で「何のため

高齢者実態調査、
「顔の見える社会保障闘争」

の誰のための医療・看護か」が問われました。

など情勢に屈することなく高齢者の人権を守る

看護学会全体を貫くテーマを「基本的人権の立

活動を広げ看護学会にも反映されてきました。

場に立つ看護」と位置づけ、患者や地域に現れ

第24回学会(1996年)は、社会保障制度審議

ている事実をどうとらえるのか、労働者・高齢

会が打ち出した介護保険構想とともに社会保障

者を中心に人権を深めました。20回(1992年)

としての医療か営利市場化かが突きつけられ、

の節目を迎えた1992年、全道1000人の看護集団

これに対峙した学びや実践を力強く前進させる

が民医連の視点や原点に立ち返り約3000件の調

画期的なものでした。高齢者・在宅の実践を取

査と1000件の患者フォローが展開され90年代を

り組み始めた訪問看護ステーションや老年期病

切り開く契機としました。

棟からの研究が急激に膨らみ、それまで培った

1995年「新生児・未熟児医療の充実」
、翌年に

高齢者観をもとにさらに豊富なものとなりまし

は在宅酸素療法患者を守る「息を保障する会」

た。あわせて地域で生きることを保障する外来

の取り組み、透析維持のための「福祉タクシー

医療、独居・高齢者世帯調査や介護実態調査な

券の拡充を求める運動」など、闘病の厳しさを

ど高齢者の地域で生活する実態に迫り、介護保

告発することにとどまらず制度改善のたたかい

険制度の矛盾を回避するための学習啓蒙活動を

に結ぶなど、患者とともに行動をおこす実績を

積極的に取り組んできました。

集団の財産にしてきました。96年「息を保障す

療養型病棟や老人保健施設・特別養護老人ホ

る会」の取り組みは、権利として勝ちとってき

ームの実践は、それまでの民医連看護の優位性
59

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

をもとに医療の範囲にとどまらず福祉の分野へ

地域の人々の健康と生活を守る実践者として介

の役割を拡大し、
「住み慣れた地域で暮らした

護分野にも大きく裾野を広げ、2003年には30年

い」という願いに応えてきました。地域の医療

間続いてきた看護学会を「看護介護研究交流集

機関、介護施設との連携ネットワークを広げ、

会」と名称を変更しました。また、隔年開催と

そうした中で医療情勢への対応と介護保険制度

し高齢者医療・福祉分野の拡大にあわせた看護・

に向けた調査や運動を一体のものとして取り組

介護の研究成果を互いに学びあう場としました。

んできました。
高齢者分野で看護とともに活動を開始した介

○共同の営みの医療観を発展させた「患者参加

護福祉士(ケアワーカー)の活躍は、それまで

型看護計画」の実践の広がり

の急性期医療の看護では及ばなかった「生活の

私達は勤医協創設以来、患者の基本的人権を

視点」での療養を豊かなものにしてきました。

まもり、患者を療養の主体者として、疾病から

患者や利用者がよりよく生活するために睡眠・

健康を回復したいという要求から出発し、療養

食事・排泄・入浴・運動・休息・アクトなど生きが

を阻害する要因を患者とともに克服することを

いを優先した活動、そして、リハビリ部門と共

握ってはなさず追求してきました。
(民医連看

同の廃用防止や廃用を回復する活動は高齢者

護の3つの視点)

個々の次の目標や期待がもてる生活に発展する

2005年改定の「民医連綱領・規約・歴史のはな

ことも実践的に学んできました。これらは急性

し」※
1)~民医連医療の到達点~から引用します。

期における高齢者への課題でもあった転倒防止

「患者の主体的な理解と参加抜きに医療が成

や認知症の看護にも連動し大きな学びを得まし

り立たないということは常識になってきまし

た。

た。
(中略)従来のように医療者側にすべてを
任せる医療から、患者自身が納得し合意できる

4期:2000年~ 看護と介護の裾野を
広げて~看護介護研究交流集会へ

医療、いわゆるインフォームドコンセントを重
視することが当たり前になっています」
また、2003年に出された「新たな看護のあり

2000年以降、政府自民党は構造改革を旗印に、
改革には痛みが伴うとして、戦後国民の総意で

方に関する検討会報告書」では、
「看護のイン

築いてきた医療・介護・国保・生活保護などの各

フォームドコンセント、患者家族が自らの意向

行政、障害者・年金制度など、社会保障にかか

を伝えられるよう支援。患者の自己回復力を最

わるあらゆる制度を大幅に後退させました。地

大限引き出せる関りが必要」とあり、時代の要

域医療や医療供給体制の崩壊と相次ぐ患者負担

請でもあることを認識しました。

から、病院にかかれず手遅れになる事例や独居・

そのなかで「患者参加型看護計画」は、民医

高齢者世帯の介護問題、ワーキングプア、派遣

連綱領の実践、民医連看護の「共同の営み」の

切りなど「格差社会」の進行は深刻な社会問題

実践の一つの方法として積極的に取り組まれま

になっています。そのような中で私達は差額ベ

した。例えば余命少ない癌終末期の闘病が計画

ッド料を徴収せず無料低額診療制度を適応させ

開示によって、看護師と家族・患者が目標を共

る活動を広げ、無差別・平等の医療を貫き存在

有して共に日々をのり越えるホスピス病棟の実

意義を輝かせてきました。

践、そして診療所では、コントロールが困難な
糖尿病の女性患者に対し粘り強く食事・運動・子

また、2000年の介護保険制度導入に対応し、
60

育てなどの生活を丸ごと支援し主体的な療養に

と原点に立ち返る学びは、対象となる患者の事

踏み出す事例から教訓を引き出す実践など、新

実から背景にある社会情勢にも目をむけ、看

たな学びを得る分科会に成長しています。患者

護の基本となる人間・健康・社会・看護に対する

の気持ちや希望を知り、それを共感することで

学びを概念化し、もつべき看護観を確かなもの

信頼関係を築き、ともに目標を見出しどうすれ

にしてきました。そして、看護を「患者参加型

ば到達できるのかを具体的に看護計画に反映

看護計画」というツールを使い患者を療養の主

し、その意思決定のプロセスが回復への意欲に

体者とした共同の営みに発展させてきました。

つながっていることが看護の確信になっていま

1970年代から2000年代までの30年間、看護現場

す。

は様変わりしてきました。急性期の医療機能の
高度化とDPC導入による在院日数短縮化が進
み病院完結から地域完結へと機能分化したこと

○看護研究の学び
これまで、臨床や地域などさまざまな看護の

によって、継続するための医療・看護連携、看

場面で生じる疑問や問題をテーマに、実践の成

護と介護の協働、
専門職種による褥瘡・NST、

果・教訓を数多く残してきました。この期運営

退院調整などチ-ム医療を充実させることにも

委員会が中心になり看護研究のプロセスを本格

積極的に取り組んできました。その取り組みの

的に学び、全道に普及し牽引してきました。各

中で看護の果たす役割はますます重要になって

院所には研究委員会を組織し、外部講師を招き

きています。さらに医師不足の中で専門性を高

看護界全体の水準に引き上げるべく、問題とす

めた看護職(いわゆるナースプラクテイショナ

る事柄について文献をもとによく調査して事

ー)の導入の検討がされており、看護の専門性

実・因果関係・真理を明らかにして理論を打ち立

とは何かが問われる時代になっています。

てることや、看護目標に照らし実践の根拠を明

看護本来の業務は、
「人間らしく、その人ら

らかにし支援の方法を探る土台づくりへと努力

しく生きていくことを援助すること」
(全日本

が行われてきました。今後私たちの看護活動

民医連37回総会方針)を基本に、患者の側に立

が、民医連内にとどまらず他の看護・介護に関

って、患者は看護に何を求めているのかを問い

わる医療機関・施設・団体との交流や学びなどを

直し、医師をはじめとする各職種との連携を強

通し、広い視野で連帯して看護・介護の対象と

化して、よりよい医療・看護を患者に提供する

なる人々に貢献するためにも重要です。

こと」※
2)です。
時代がどんなに変化し医療情勢が変わって

まとめ

も、今後につなぎ発展させていかなければなら
ない看護の課題をまとめました。

民医連の看護実践は、
「基本的人権を尊重し、
医療は共同の営みとする医療観」
「生活と労働

①臨床の看護実践は患者の症状や訴えの事実

の場でとらえる疾病観」
「人間は自らを変革し、

をもとに医師や多職種と連携し専門的判断を行

発達するという人間観」
「命の重さに差はない

い、それが患者のいのちと生活にどんな影響を

という患者観」という民医連の医療理念に裏打

およぼすのか、患者はどんな願いを持っている

ちされて発展してきました。

のかを明らかにし、患者と目標を一致させ闘病
を支援する。

あらためて看護学会30年を振り返ってみる

②患者を取り巻く労働環境、医療福祉の実態

と、開催ごとにいのちの平等・平和憲法の理念
61

特集2-北海道勤医協の看護・介護の未来

やそこに影響を及ぼしている社会の動きに目を

引用文献

向け、現象にとらわれずその根底にあるものを

※1)民医連綱領・規約・歴史のはなし

つかむ。そのことによって、潜在している患者

※2)「今日的に求められる民医連の看護管理のあり方」

の真の要求を明らかにし、療養を阻む困難をと

   民医連資料 No.432

もに克服する。
③患者の事実を正確につかむためには、患者

参考文献

を中心に討議できる民主的なチームの存在が不

・北海道民医連看護介護研究交流集会集録集 各誌

可欠。民主的チームづくりと看護師の成長は連

・明日をひらく社会保障:全日本民医連

動することを認識し進める。

・川島みどり「看護を社会に発信する意義」看護 Vo160 No 1

④日常の看護実践を個々の患者だけにとどめ

・川島みどり「看護の危機と未来」ライフサポート社

ず、他の患者にもエビデンスのあるケアとして

・陣田泰子 看護現場学の方法と成果 医学書院 2009. 8

発展させ、さらに他と比較検討しケアを進歩さ
せるために臨床看護研究に取り組んでいく。

おわりに
最近、ある看護大学の教授と会った時に次の
ような言葉をかけられました。
「過去に民医連
で看護を共にしたことがあります。今、我々が
目指していることをあなた達は私が学生だった
当時から追求し実践していました」と。それは
意外な繋がりがあったことの驚きと、同時に今
後の私たちにエールを贈られたことが印象深く
心に残りました。
民医連の看護はいつの時代も、光の当たらな
いひとびとの立場に立ち困難を乗り越えて実践
し発展させてきた歴史であったと、あらためて
確認する機会になりました。どの時代にもどの
ような立場で看護の道を歩むのか、これからも
問われ続けます。厳しいことも多い道のりです
が、どのような障害をもったとしても根底にあ
る「健康に生きたい」と願う患者の事実を学び
実践する看護の過程はたくさんの感動の連続で
もあります。多くの看護の仲間が生き生きと民
医連看護に取り組むための一考となればと思い
ます。

62

【特集 ❸ 】

介護福祉士の
これからの展望

北海道勤労者医療協会

特集3-介護福祉士のこれからの展望

勤医協老人保健施設柏ケ丘
勤医協柏ケ丘は老人保健施設(通所リハビリテーション・療養棟東町・西町)を中心に、併設の認
知症対応型通所介護しあわせの郷と平和通クリニックで構成されており、「高齢者の医療と介護
のよりどころ」となることを目指しています。

通所リハビリテーション

療養棟東町

主任
(介護福祉士)

主任
(介護福祉士)

五十嵐 修平

佐藤 佳奈子

当事業所は定員60名の大規模事業所です。

「認知症専門棟」です。A、B、Cのユニ

一日平均利用者数は予防を含め45名前後とな

ットに別れ、利用者さん12 ~ 15人、スタッ

っています。要支援から要介護度5までの利

フ4~5人のグループに分かれて活動してい

用者がおりニーズは様々ですが、医療でのリ

ます。担当制で、1人のスタッフが3人程度

ハビリが一定終了し、その受け皿として介護

を受け持っています。多くのスタッフが認知

保険でのリハビリを継続して希望される方が

症ケア専門士を取得しており、より専門的な

多く、4名のリハビリ技師が中心となりその

ケアを目指して学びあえるチームとなること

対応を担っています。

を目標としています。

生活場面での動作も訓練と位置づけ、リハ

日々のケアでは、生活の基本援助の中に五

ビリ室だけではなく、トイレや入浴など御自

感を刺激するような言葉かけや雰囲気つくり

宅での生活においての困難点と結びつけなが

を心掛け、
「心地よい」「楽しい」「おいしい」

ら生活動作訓練として過ごすことで、利用者

という時間をより多く過ごして頂きたいと考

一人一人の目標がより具体化し主体的な運動

えています。
認知症は進行性の病気の為、徐々に言葉や

ができるよう取り組んでいます。
また、
「デイケアに行きたい」と外出意欲

自らの行動等、その人を知る手がかりが失わ

を高めていただけるよう、
「心身機能」の「心」

れていきます。利用者さんの言葉、笑顔、思

にも意識して関わっています。高齢者特有の

いが感じられるエピソードなど、一日一日の

症状である体調変化の波や倦怠感などによる

関わりを大切にしたいという思いで日々介護

閉じこもりを予防するため、職員・利用者・ボ

に当たっています。

ランティア各々が「人と人との会話」や「笑

クッキングや外出企画の時にはご家族の参

顔」をより引き出せるよう、レクリエーショ

加を積極的に呼びかけ、一緒にケアしていく

ンや集団体操、各サークルなどの運営に努め

ことを目指しています。

ています。
心身ともに健康で安心して在宅生活が送れ
るよう、一人一人の「今」に寄り添いながら
支援していきたいと考えています。

64

療養棟西町

認知症対応型通所介護
「しあわせの郷」

主任
(介護福祉士)

主任
(介護福祉士)

西島 龍樹

小堀 由紀美

40床の一般棟です。主に在宅退所を目指す

定員12名、一日利用者数は9名前後となっ

方や、施設待機の方が入所されていますが、

ています。高齢化が進む中で、在宅で生活さ

地域で生活されている方々のショートステイ

れている認知症高齢者も多くなり受容は高ま

も多く受け入れています。

っています。「認知症という病気を持つ人」

特徴的な取り組みとして、各利用者様につ

と利用者を捉えながら、病態や性格、生活歴

き3ヶ月に1回行われるケアカンファレンス

などの認知症ケアに必要な情報の把握に努

には本人に参加して頂き、ケアプランの評価、

め、健康管理も行いながら、今目の前にいる

立案を行っています。普段忙しさを理由にな

利用者に向き合いケアを提供できるよう関わ

かなか真の思いを引き出せないことが多い現

っています。一日の中で感情が変化する利用

場において、利用者様と共に目標をたてるこ

者が、笑顔で過ごされ、楽しい気分(良い状

とが出来る有効な時間となっており、今後は

態)で自宅に帰ることができるよう支援して

ご家族の参加を課題に上げて発展させていき

います。また、認知症ケアに欠かせない「家

たいと考えています。

族」の支援にも力を入れ、日々の相談や助言、

また、在宅復帰支援や食物繊維を使用した

利用者の様子などをタイムリーに伝えること

自然排便の取り組みにも力を入れており、全

や、「家族会」の開催、遠足などの行事への

国・北海道医療研究集会や北海道民医連看護

参加の呼び掛け等を通し、家族との信頼関係

介護研究交流集会で発表を行い、多くの反響

が構築出来てきています。認知症は早期発見

を頂きました。

が重要と言われており、家族や地域の協力が

更に東町と共同でお寿司ツアーや敬老会、

欠かせません。その為には、認知症について

海への遠足等など利用者様に楽しんでいただ

理解してもらえるよう啓蒙活動にも力を入れ

く様々な行事企画も行われとても喜ばれてい

ていきたいと考えています。

ます。

65

特集3-介護福祉士のこれからの展望

住宅型有料老人ホーム
爽風館しのろ
北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協しのろ在宅総合センター 老人ホーム爽風館しのろ 管理者
(介護福祉士)

菊地 紀昭

住宅型有料老人ホームをわかりやすく説明
すると、
『3食の食事提供がある賃貸住宅』
です。
賃貸住宅のようなイメージの施設であるが
故に、我が『爽風館しのろ』も自由度がかな
り高いです。毎日街まで出かける方、朝早く
から仕事に出かける方、水泳・ダンス教室な
ど習いものへ通う方など、その人のライフス
タイルを崩す事なく生活できる施設となって
います。
また地域で暮らす住民の一人として当然同
じ地域での友人もでき、お互い遊びに行き来
しています。自室がその人の「家」でもある
ので介護サービスを導入しながら、生活を確
立していく入居者もいます。1階に併設され
ている『デイサービスふくふく』に通い、同
じ施設に住む住民として、交流の場や友人作
りの場としてデイサービスを活用しているケ
ースも実際にあり、デイサービスでの関係づ
くりが日々の生活に潤いをもたらす場面も多
く見る事ができています。同年代が一緒に生
活する場であり、お互いに声を掛け合い励ま
しあったりしながら『今を生きるお年寄り』
として、住みやすい施設体系を日々スタッフ
と模索しながら生活しています。

66

ショートステイ希望のさと
北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協北在宅総合センター 札幌北区ショートステイ希望のさと 主任
(介護福祉士)

岩佐 雅寿

ショートステイ(短期入所生活介護)は、
ご家庭で介護を受けている高齢者が短期間入
所し、介護サービスを受けられる場所です。
サービスを大きく分けると、①食事や入浴、
排泄等、日常生活の介護。②体操や個別の機
能訓練。③看護師による健康管理。④居宅か
ら当施設間の送迎。⑤カラオケ、囲碁や将棋、
手作業などの趣味活動。⑥生活相談、等のサ
ービスを受けることが出来ます。
「希望のさと」は、定員30名の施設です。
特別養護老人ホームや老人保健施設のショー
トステイとは違い、ショートステイ専門の施
設です。そのため、新しく短期入所のサービ
スを利用したいときや、急な冠婚葬祭、仕事、
用事のときにも比較的入所しやすい特徴があ
ります。ただ泊まって頂くだけでなく、機能
維持のための個別機能訓練や、季節を感じる
ことが出来るように、流しそうめん、カキ氷、
クリスマス会など小規模ではありますが企画
しており、好評を頂いています。
旧病院を改築した施設ですので古臭いとこ
ろはありますが、利用者さんのニーズに応え、
あたたかみのあるショートステイを目指して
います。
見学の希望にも対応できますので、ご希望
の方はご連絡いただけると幸いです。

67

特集3-介護福祉士のこれからの展望

菊水ひまわりデイサービス
北海道勤労者在宅医療福祉協会
勤医協菊水在宅総合センター 通所管理者
(介護福祉士)

高野 敏充
(真中が筆者)

ら対応しています。

菊水ひまわりデイサービスでは、利用者が
可能な限り、住み慣れた地域で在宅生活を続

認知症の利用者には、センター方式を導入

けられるよう、通所を通じて心身機能の維持・

し始めました。生活歴や本人・家族の思いを

向上、社会的孤独感の解消や家族の身体的、

尊重し、現在起きている状況を整理して一人

精神的負担の軽減を目的としています。

ひとりに合ったケアを模索中です。

具体的なサービスとして、利用者が安全・
安楽に入浴出来るようにお手伝いをし、個々
の病状や嗜好に合った食事を提供します。レ
クリエーションを通じて他者と交流する機会
を提供します。また、利用者の楽しみ作りや
生活意欲の向上を目的に季節の行事(お花見
ツアー・買物ツアー等の外出企画、旬の食材
を使った調理企画、夏祭り等)を定期的に行
い、自立支援を念頭に生活場面を想定した個
別化したリハビリを提供しています。
利用者層は、要支援1・2が約18%、要介
護1・2が約42%、要介護3・4・5が約30%
です。認知症で独居の利用者や老々介護、医
療依存度の高い利用者が多く、生活保護を受
給されている方が約40%いる事が特徴的です。
生活保護を受給している方は、自宅にお風
呂が無い、又は病状や身体の状況から自宅で
入浴することが困難な為、当事業所で入浴を
提供し、また栄養バランスの良い食事を提供
し生活全般を支えています。
医療依存度の高い利用者は、在宅酸素療法、
胃ろう、褥瘡の処置・インシュリン・吸痰が必
要で、受け入れに当たり、菊水こども診療所
や菊水訪問看護ステーションと連携を取り対
応しています。また、個別に送迎の時間も工
夫し受け入れしています。嚥下障害のある利
用者は、勤医協札幌病院の言語聴覚士と連携
を取り、病状に合わせつつ嗜好を確認しなが

68

介護ウェーブを
BIGウェーブにしたい!
勤医協札幌西区病院4病棟 主任
(介護福祉士)

阿部 哲理
ります。

これまで在宅分野で活動している介護職が
中心となり、介護ウェーブ活動を地道な努力

しかし、国も必要を認めた「介護処遇改善

で少しずつ、その歩みを進めてきました。北

交付金」の交付という成果は私達の声の一つ

海道勤医協でも09年度より拡大ケアワーカー

一つが大きなものとなったという今までの活

委員会内で、勤医協在宅と北海道勤医協で働

動の証でもあります。今後の介護ウェーブ活

く介護職が担当者を出しあい「介護ウェーブ

動へ大きな弾みとなったのは間違いありませ

推進プロジェクト」を発足させ、その活動を

ん。
私達の課題も「自分達の職種としての市民

更に大きなものにしようと日々取り組んでい

権を得る事」や「賃金のアップ」からいかに

ます。
介護ウェーブ推進プロジェクト活動方針と

「患者・利用者や家族が立ち上がる運動」へ

して①「各院所・事業所の活動に確信を持ち

発展させる事ができるかが2010年度の大きな

行動を強化しよう」②「全ての介護職員が主

課題となります。

体的に参加しよう」③「患者・利用者や家族

介護職のみんなが普段接している患者さ

が立ち上がる運動へ発展させる取り組みを目

ん・利用者さんへ、いかに運動をアピールし、

指そう」の3点を目標に掲げ活動を開始して

趣旨を理解していただき、共有できる存在と

います。今年度は全ての院所・事業所へアン

して力を合わせ、声をあげていくしかその方

ケートを配布し、介護ウェーブ活動について

法はありません。これから大きな波を感じさ

の調査を行ないました。調査の結果、忙しい

せる介護ウェーブ。まずは目の前の利用者さ

現場で時間がとれない中、いかに工夫し協力

ん、患者さんへのアピールからあなたもはじ

し合い介護ウェーブの活動を広めてきた事、

めてみませんか。

その工夫を今、どのように各現場で伝えあう
事ができるか検討している所です。
各院所・事業所でも通例の集会参加や国会
訪問、全国集会へ参加し、各現場での啓蒙活
動を盛んに行いました。
そして、これまでの活動が実をむすび、今
年度は今までの介護ウェーブ活動の成果が出
た大きな前進もありました。
前政権が決めたバラ撒き政策の一環です
が、
「介護処遇改善交付金」が支給される事
になったのは記憶に新しい所です。
これは今の日本における福祉政策がないが
しろにされ、問題を放置して来た証拠でもあ

69

特集3-介護福祉士のこれからの展望

北海道民医連に加盟の札幌市内の事業所マップ
北海道勤労者在宅医療福祉協会 勤医協きよた在宅総合センター長

鹿野 憲

2010年3月現在

70

<事業内容・解説>
専 高齢者専用賃貸住宅
 高齢者単独・夫婦世帯など専ら高齢者世帯に賃貸する住宅であり、高齢であることを理由に入居を拒否する
ことのない賃貸住宅として、貸し主が都道府県知事または各都道府県の指定登録機関に登録した賃貸住宅。

優 高齢者向け優良賃貸住宅
 高齢者が安全に安心して居住できるように、
「バリアフリー化」され「緊急時対応サービス」の利用が可能
な賃貸住宅。高齢者の生活を支援するために任意の付加的サービスを提供したり社会福祉施設等を併設するこ
とで、より安心して住み続けられる住宅とすることもできる。

老 有料老人ホーム
 老人を入居させ、入浴・排せつ若しくは食事の介護・食事の提供又はその他の日常生活上必要な便宜の供与を
する事業を行う施設。

共 共同住宅
 賃貸アパート。住人同士や地域の人々がお互い協力し合い支え合いながら自立生活ができることを目指す。
入居に年齢的な制限は一切ない。

C 居宅介護支援事業所
 利用者の依頼に基づき、適切な保健医療サービスや福祉サービスが提供されるよう、介護支援専門員が居宅
サービス計画の作成を行う。また、要介護認定や更新認定等の申請にかかる援助を行う。

N 訪問看護ステーション
訪問看護及び介護予防訪問看護が必要であると主治医が認めた要介護者や要支援者に対して、訪問看護師等が
居宅を訪問し療養上の世話や診療の補助を行う。

H ヘルパーステーション
 ホームヘルパーが、利用者の自宅に直接訪問し、食事や排泄、着替えなどの介助と介護全般のサポートをす
る訪問介護サービスを提供する事業所。利用者の状態に合わせたケアプランをもとに、介護サービス(身体介
護、生活援助、予防訪問介護)を行う。

D デイサービス
 在宅で生活している要介護または要支援状態にある高齢者に送迎の車などで通所してもらい、入浴・食事・機
能訓練・レクリエーションなどを提供する施設サービス。日常生活等に関する相談・助言、健康状態の確認、そ
の他必要な機能訓練等のサービスを行う。

S ショートステイ
 継続的な在宅支援のために居宅サービス計画に基づき、介護や支援を必要とされる方に 短期間でリハビリ
テーションやレクリエーション、食事、入浴などを行うサービス。
介護をしている家族が、病気・出産・冠婚葬祭・休養・旅行等により、一時的に介護できなくなった時に、介護を
必要とする利用者を施設で預かり、利用者の心身の機能維持並びに家族の身体的精神的負担の軽減を図ること
を目的としたサービス。

小 小規模多機能型居宅介護
 地域の高齢者に対して24時間365日切れ目なく連続的に介護サービスを供給できるように、
「通い・泊まり・訪
問」の機能を備えた施設。
 地域の高齢者が日帰り(通い)介護サービスを受けることが可能な「デイサービスセンター」を持ち、利用
者の介護する家族に都合が生じた際、数日間の短期に宿泊(泊り)が可能な部屋を設備し、なおかつホームヘ
ルパー等の派遣 ( 訪問=夜間訪問・緊急通報による訪問)が可能な機能を持った施設のこと。
リハD

リハビリデイサービス

介護保険の要支援・要介護認定を受けている方を対象にした、リハビリ中心のデイサービス。

71

ギンザンマシコ A.OHASHI

【コラム】

私と看護・介護

北海道勤労者医療協会

コラム-私と看護・介護

赤ちゃんとお母さんを支える
勤医協札幌病院4病棟 助産師主任

板垣 亜由美

札幌病院産科では、年間400人を超える赤
ちゃんが誕生しています。
当科は、“赤ちゃんにもお母さんにもやさ
しい”産科として、安心・安全にお産をする
ために様々な取り組みを行っています。
赤ちゃんの生理と異常・母乳について学ぶ
「母親教室」、入院の準備から分娩までの経過、
呼吸法と妊婦体操の実技指導などを行う「安
産教室」の他、助産師が主体的に関わり健診・

前列右が筆者

妊婦指導を行う「助産師外来」や完全母乳育
児を支援する「母乳外来」、出産後母乳や育
児の相談を受け援助を行う「産後訪問」など

た足へのリフレクソロジーを提供しています。

にも積極的に取り組んでいます。

近年は、経済困難者やDV被害者など生活

陣痛から分娩、産後5時間までを家族とと

背景の厳しい方の分娩が多くなっています。

もに過ごすことのできる分娩室(LDR室)

病院までのタクシー代が払えずに救急車で来

を配置し、可能な限り医療介入をしない自然

院した産婦さんや「お産費用が払えないなら

分娩や産婦さんが自分の好きな姿勢でお産が

他に行って」と、他院での出産を断られた産

できるフリースタイル分娩の援助も行ってい

婦さんの事例があり、入院助産制度の指定施

ます。また、お産を頑張ったお母さんへのご

設として当院の果たしている役割の重要性を

褒美として、お祝い膳とアロマオイルを用い

日々実感しています。
すべての女性が差別されることなく安心し
て安全に子どもが産めるよう、これからも援
助をしていきたいと考えています。

74

“赤ちゃんと遊ぼう”を通して行う
子育て支援
勤医協菊水こども診療所 看護師主任

宮地 直子

菊水こども診療所は札幌市白石区にある小
児科の外来で、1日の平均外来患者数は約
110名(季節によって多少違いがあり)で、
隣接する札幌病院には8床の小児科ベッドが
あります。看護師は常勤8名+パート2名で、
外来2階にあるこどもデイサービス(札幌市
からの委託業務・病後児の保育看護を保育士
と共に看護師が行っている)を含めた看護業
務にあたっています。
“赤ちゃんと遊ぼう”は地域で暮らすお母
さんと赤ちゃんが一人ぼっちで孤立しないよ
うに、という地域の要求から始まった子育て

んが楽しめる企画を職員が考え、準備し、忙

支援活動です。

しい外来の合間を縫って参加し遊んでいま

対象は6ヶ月から1歳で、参加費はかかり

す。そして最後に、友の会班誕生となり、そ

ません。

の後からは班として独立して活動していきま

月に1~2回(全9~ 10回)で、1回1

す。(1班7~ 10名程度の親子です)

時間程度です。具体的な内容としては、ベビ

2000年に始まった“赤ちゃんと遊ぼう”は

ーマッサージ・歯科衛生士による歯の話・保育

今年で10年。計11の友の会班ができ、現在9

士による絵本の読み聞かせ・おもちゃ作成・大

つの班が各班交流を深め遊んでいます。班に

型遊具・プールなど、毎回お母さんと赤ちゃ

よって特色があり、毎回公園に遊びに行く班
や、毎回母親が楽しめるように買い物へよく
出かける班、毎回誰かの家で遊ぶ班。
また、これらの班が年に数回合同で“いち
ご狩り”や“運動会”“クリスマス会”“学習
会”を行い、交流を深めています。合同の集
まりでは、毎回親子・職員合わせて70 ~ 110
名の参加となり、とても賑やかです。
地域の要求から始まった“赤ちゃんと遊ぼ
う”も今年で10年を迎え節目の年となります。
これからも、親子の要求の続く限り継続して
いく必要があると考えています。

75

コラム-私と看護・介護

ホームレス青年との出会いから
~無料・低額診療制度について~
勤医協札幌西区病院外来 看護師

羽野 けい子

ワーキングプア、派遣切り、年越し派遣村、

ャルワーカーが生活保護申請について話し、

働きたくても仕事がない…。生活保護も打ち

住まいもその日のうちに確保することができ

切られ「おにぎりが食べたい」と言い残し餓

ました。そして、現在は生活保護を受けなが

死した人、保険証がなく癌の痛みに耐えなが

らアルバイトもし、生活を立て直すことがで

ら働き続けた人など、全国各地で心痛む事例

きました。
後日、青年から話しを聞くと「その日はと

が報告されています。
北海道勤医協は「無差別平等の医療、お金

ても長く感じた。点滴も臓器売買しているの

のあるなしで命が差別されてはならない」と

では?と怖かった」と思ったそうです。普通

いう理念のもと、『無料・低額診療制度」を実

に考えれば、“お金の心配のない病院“なん

施しています。この制度を利用し、助けられ

てあると思いませんし、生活に困ったからと

たある青年の事例を紹介します。

言って病院に助けを求めて来る人はいませ

4月の寒い朝、犬の散歩から帰った夫が

ん。“お金がなければ病院にかかれない”と、

「変だよ、公園の障害者用トイレのドアが昨

孤立し悩み、解決の糸口さえ見つけられない

日の朝から閉まったままだ。ダンボールも敷

で極限の状況に置かれている人はまだたくさ

いてある」と話すのです。早速公園に行き、

んいると思います。私たちは今後、地域の方

トイレの中に声をかけると「下痢と吐気で中

たちにもっと広くこの無料・低額診療制度を

にいるけど、大丈夫」との返事があり、一旦

知らせていきながら、困っている人がいない

家に戻りましたが、もう一度公園へ向かいト

か、アンテナを常に高く張りめぐらせていく

イレのドアを何度も叩き、無理やり開けても

ことが大切です。

らうと、寒さに震える青年が出てきました。

私はこの青年に出会ったことで、「安心し

空腹でいることもわかり、チョコレートとお

て生活できる」ことが保障される社会保障制

茶を買い与え「おばさんの病院はお金のこと

度の充実に向けて、‘もっと頑張れよ’とエ

は心配しなくてもいい病院だから」と、戸惑

ールを送られたような気がしています。今後

っているその青年を連れ西区病院に向かいま

も勤医協(民医連)の理念に基づき頑張って

した。食べる物も寝る所もなく、誰に声をか

いきたいと思います。

けられるでもなく希望を持てずにいた青年の
姿に心が痛みました。
病院に向かう途中、看護師長や当直の看護
師にも連絡し、事情を説明しました。病院に
到着するとすぐに診察・点滴治療が行われま
した。また、栄養科が食事を用意し、ソーシ
左から2人目が筆者

76

認知症で胃癌末期のM氏を
在宅で支えた家族の支援を通して
勤医協苫小牧病院外来 看護師長

大西 敦子

苫小牧病院では、月約60件の往診をおこな

と安心していました。M氏の予後が1年と告

っています。その殆どが80歳以上の高齢者で

知されたとき妻は「好きなことをさせてあげ

あり、自宅で最期を迎える患者さんも少なく

たい」と、歌うことが好きだったので近所の

ありません。私達は昨年往診患者である、認

カラオケへ一緒に行くなど、M氏との残され

知症(アルツハイマー型)で胃癌末期と宣告

た時間を悩みながらも楽しく過ごせるように

され、自宅で最期を迎える事を選択した家族

していました。
終末期、M氏の意識が薄れる中「何もして

との関わりを紹介します。
M氏 60歳代 男性

やれない、見ているのが辛い」「病院だった

認知症については「理解力5才児の知的レ

ら何か違う事ができるかなと思って」と入院

ベル」
と家族はA脳外より説明を受けている。

を一時希望しましたが、自宅での最期を選択

とにかく歩く事に執着し、何十kmも早足

し妻・娘2人は、M氏の傍を片時も離れず最
期の夜を過ごしました。

で歩き、時には帰宅できなくなり警察に保護
される事もありました。目離しの出来ないM

後日、お悔やみ訪問で、妻は「夫の兄弟か

氏を妻は、「認知症にしても、癌にしても何

ら、家で最期まで看てくれてありがとうと言

故もっと早く気付いてあげられなかったのだ

われた」そして「やっと夫の写真を落ち着い

ろう」と自分を責め続けていました。デイサ

て見られる様になった。自分でも本当に良か

ービスの勧めに対して「デイサービスに追い

ったと思っている」と、後悔する言葉は一切

やって自分が楽をしようとしていると思うの

聞かれませんでした。

では」と悩み、不安でこっそり見に行き、み

私達はM氏の家族を通して、
“癌の告知”
“治

んなの輪の中で楽しんでいるM氏を見てやっ

療”“療養生活”の全過程で様々な感情を抱
き、常に揺れ動きながらM氏に代わって決断
してゆく家族のつらさ・思いを理解すること
ができました。そして同時に、私達は家族間
のこれまでの生活や歴史・相互関係・繋がりを
知り、家族の苦悩・迷いを認識し、家族それ
ぞれの代弁者として、家族間をサポートする
医療・在宅チームの重要性を学ぶことができ
ました。これからも、地域から求められ、応
えられる看護師集団として成長してゆきたい
と思っています。

前列右から3人目が筆者

77

コラム-私と看護・介護

療養病棟奮戦記
勤医協札幌西区病院4階病棟 看護師長

布目 歩

西区病院4階に療養病床が再開し2年が経
過しました。北海道勤医協内で唯一の療養病
棟となり、入院数増加や介護度も医療依存度
が上がり病棟の機能が大きく変化しました。
そんな中でも療養病棟ならではの患者さんの
療養生活を支援する取り組みを、友の会ボラ
ンティアの支援ももらい実践しています。
開設時から討議してきた療養病棟の理念は
■患者さん、ご家族の要求・希望を捉え個別
の看護介護援助を行います。
■障害があっても高齢でも あきらめずゆっ

きるチームを目指し日々奮闘しています。

くり回復することを支援します。

事例紹介 A氏 40歳代 女性 病名 肝

■人権を守り、行動抑制をできるだけ行わな

炎の治療後 敗血症性ショック蘇生後障害

いことを大切にします。

(両上下肢筋力低下、巧緻障害、嚥下障害、

■療養生活を豊かにし、心地よさ、楽しさを

気管切開)

感じてもらう生活企画を大切な援助としま

障害から回復しない事への不安や絶望の気

す。

持ちを頻回なナースコールで表出する A 氏と

■日常生活の中のリハビリテーションの視点

障害を受けた娘を元の体に戻して欲しいと希

を大切にします。

望した父親に対し、4分割カンファレンスを

一人一人が自分のケアに責任を持ちカンフ

開催、患者・家族の気持ちをあらためて捉え

ァレンスで議論し、自分たちの技術を研鑽で

患者家族参加型看護・介護計画を立て実践に
つなげました。
A氏の日常生活自立への支援と同時に、外
に行きたい、帰りたい気持ちをきっかけに、
父と一緒に外出を計画し実践するなど、患者
家族と目標を一致させながら看護介護展開を
行いました。A氏は不安や絶望の気持から「こ
んな事ができるようになった」と喜びを語る
ように変化しています。私たちが大切にして
いる目標にむかい、勤医協の療養病棟の意義
や役割を患者さんから学びながらスタッフ一
同で前進していきます。

78

中央病院救急病棟24時!!
日々の奮闘
勤医協中央病院救急病棟 看護師長

澤田 幸子

現在の救急病棟は内科を中心とした門前診

んも来院します。看護師は救急という短い時

療所10条クリニック開設時の03年3月、地域

間軸の中で迅速な対応が求められるため、気

の中核病院として救急医療の役割を担うため

配り・目配りを心がけ仕事をしています。

救急外来・放射線部門・内視鏡部門の3科混合

救急外来に搬送されてきた患者さんで、家

第1外来として新たに開設されスタートしま

族と同居をしていながら極度の衰弱と全身汚

した。断らない病院と入院患者数を増やすた

染状態で発見された患者さんがいました。普

めに06年7月には救急外来に病棟ベット3床

通に生活している様に見えていても家庭の中

を新たに設置し、日・祝日以外はフル稼働し

は崩壊しているという実態を目の当たりにし

て入院患者を増やすことに貢献しました。

た事例でした。地域には助けを求める事も出
来ない患者さんや家族がいます。もっと地域

当院に入院する患者の4割は、救急外来を

に目を配らなければならない必要性を痛感し

経由し緊急入院となっています。

ました。

ここ数年は外来患者数・救急車受け入れ件

今後も救急は増加し、今以上に重症度の高

数共増加傾向にあり、救急車については年間

い患者さんを受け入れていくことになると思

2500台を目指し、奮闘しています。
救急外来には「通称:救急のボス」こと畠

います。救急を受診される患者さん・家族が

山副院長を筆頭に中堅医師1名・研修医2名

安心して受診できる科でありたいと願ってい

がいます。しかし中堅医師は3ヶ月、研修医

ます。まずは東区1番の救急部門を目指し頑

は1カ月で交代してしまい、救急外来の荒々

張っていきたいです。

しい雰囲気にやっと慣れた頃に移動となって
しまいます。
救急看護師は夜勤帯に発生する臨時検査に
ついても全て対応しています。夜間発生する
検査件数は約30件/月。内視鏡検査、レント
ゲン検査、心カテ、CT検査等など…
救急スタッフは「救急・内視鏡・レントゲン」
と全く分野の違う3部門の領域をマスターし
なければなりません。看護師は24時間、1階
フロアーをパワフルに動き回っているのです。
救急外来には様々な年代・疾患の患者さん
が受診されます。病態も重症から軽症と幅広
く、また社会的・身体的問題を抱えた患者さ

79

コラム-私と看護・介護

地方診療所で働く
勤医協芦別平和診療所 看護師

八島 沙弥香

地域医療に興味のあった私は、就職は診療

できない地域の方々の声や患者さんの違う一

所と決めていました。地域に密着している診

面も見ることができ、発見が多いです。そこ

療所で人との関わり方を学び、そして、その

で知ったことをスタッフ間で共有し看護に活

土地の特長やその地域で暮らす人々の生活を

かすこともあり、行事への参加は大切だと感

知り看護へ活かしていく力をつけていきたい

じています。またそこが、地方の診療所だか

と考えていたからです。

らできる良さ・強みだと思っています。

芦別平和診療所で働いて2年になります

地域住民の方々や患者さんの話を聴いてい

が、この間、地域住民の方々や患者さんとの

ると、長年住み慣れた地を離れたくないとい

関わりから自分自身の看護について考える機

う声がたくさんありました。診療所では他の

会が多くありました。勤務し始めた頃は、ま

病院と連携をとって地域医療を進めています

ず芦別やその近隣の地域を知ることから始め

が、医師・看護師不足の影響から患者さんの

ました。芦別は炭鉱で栄えた町で、それに関

希望に沿った医療・看護を提供しきれていな

連した疾患をもつ患者さんがたくさんいるこ

い現状があります。安心して最後まで住み慣

とを知りました。その疾患を学習し、理解し

れた地で生きたいという思いを支えていくた

た上で看護を行なっていますが、地域の特徴

めに私たち医療者ができることは何かを考

を理解することが患者さん自身を理解するこ

え、そしてその中で自分自身の看護とは何か、

とにつながっていると学ぶことができました。

追究している毎日です。

友の会や患者会などの行事も多く、それに

今後もゆっくり話を聴くことを大切にし

参加することで地域住民の方々や患者さんと

て、地域のこと、患者さんのことを知り、看

の距離も近くなり、信頼関係も深まっている

護師として成長していきたいと考えています。

と感じます。普段の勤務だけでは知ることの

前列左が筆者

80

反核平和活動への参加
勤医協苫小牧病院3病棟 看護師

柴田 由衣

私は勤看卒のため、反核や平和について考
える機会が多かったが、そうではない大学生
や医療関係者でない人も積極的に平和活動に
参加していることを同世代の人たちとの交流
で知り、反核平和活動への意欲がより強くな
りました。
私はこれから、原水禁や反核平和自転車リ
レーに参加して自分が目で見て耳で聞いてき
たことを多くの人に伝えていかなければなら
ないと感じています。そして、来年、再来年
と自転車リレーに参加し、自分が先輩に誘っ
私は道央反核平和自転車リレーと長崎で行

てもらったように、もっと多くの人に参加し

われた原水爆禁止世界大会に参加しました。

てもらえるよう誘っていきたいです。また、

7月の朝会で師長が言った「誰か長崎に行

原水禁に参加したいという人を増やしていけ

きたい人いる?」の一言に、以前から原水禁

るよう継続した呼びかけをしていきたいです。

に興味があった私は迷わず手を挙げました。

勤医協病院に就職して3年目となりました

また、自転車リレー参加のきかっけは先輩か

が、人権を尊重する医療に携わる私は、人の

らの誘いであり、
“今年、原水禁に行くんだ”

命と人権を踏みにじる核兵器を廃絶し、平和

という強い気持ちから、後輩も誘って参加し

な世界になるよう反核平和活動に参加してい

ました。

きたいと思います。

フィールドワークで室蘭に行き、戦時中製
鉄所のあった室蘭は、艦砲射撃に遭い多くの
人の命が奪われたという歴史を知りました。
北海道に住んでいながら知らなかった戦争の
歴史であり、胸が痛む思いとなりました。交
流会やリレーを通じて、他院の他職種の人と
も仲良くなれ、とても楽しかったです。
原水禁では、被爆者の話を聞き、原爆症だ
けでなく被爆者への差別を生み、人生を狂わ
せてしまう核兵器はこの世界に存在してはい
けないと思いました。

81

ハチジョウツグミ A.OHASHI

【発信】

看護・介護の現場から

北海道勤労者医療協会

発信-看護・介護の現場から

大腿骨頸部骨折患者の退院支援パンフレットの試み
勤医協中央病院4階東病棟 看護師

斉野 朋香

共同研究者

小原愛・平瀬雅湖・秋島悦子・但馬由紀子・坂本奈津美・鍋下未歩・八島由香子

退院後の生活をイメージできる上で有効であったか

はじめに

明らかにする。

A科は急性期病棟であり、大腿骨頸部骨折の患者
を年間80例ほど受け入れている。大腿骨頸部骨折は
高齢者の受傷が多く、ほぼ全例が手術療法を行う。

研究方法

早川らは「患者家族の多くは手術前と同様の生活を

1、研究期間 2008年4月から2009年2月

送れることを望んでいることが多いが、大腿骨頸部

2、研究対象 2008年4月から2009年1月までの期

骨折の手術後は高齢者であるという特徴からも、A

間に大腿骨頸部骨折で入院し手術をした患者家

1)
DL・QOLの低下・合併症を起こすことが多い」

族全69名
3、研究方法 69名のカルテ調査および独自に作成

と述べているように、A科でも07年度の調査で術後
8割の患者にADLの低下がみとめられた。そこで、

した自記式アンケート用紙を郵送し、回答後無

ADLが低下することを予測し円滑な退院・転院支

記名で返信してもらった。

援を行う目的として患者家族が退院後の生活がイメ

4、データーの収集及び分析方法 独自に作成した

ージでき、早期から在宅療養を考える手段としてパ

質問紙を用いて、パンフレットの内要について

ンフレットを作成し、08年度より使用を始めた。結

の8項目と自由記載をもうけたアンケートを行

果、パンフレットを使用した退院支援が有効であっ

った。結果は単純集計し質問ごとに分析を行っ

たので報告する。

た。
5、倫理的配慮 患者家族に研究の趣旨と研究以外
の目的では使用しないことを説明し同意を得た。

用語の定義
ADLが一段階低下するとは、受傷前に歩行でき
結果

ていた人が受傷後車椅子レベルになり、車椅子レベ

カルテ調査全69名中男性が18名(86%)女性51名

ルの人が受傷後に寝たきりの状態になるようなこと
を示す。

(74%)平均年齢は78歳であった。

研究目的

考察
07年度の調査では入院時に医師や看護師が行った

パンフレットを用いての退院支援が、患者家族が

84

もあり、入院後早期からパンフレットの使用により
社会資源の情報提供や、MSWと連携も円滑に行わ
れるようになり、入院後から面接までの日数が6.3
日と短縮された。これらにより、パンフレットを使
用した関わりが退院後の生活をイメージでき、在宅
支援を含めた退院・転院支援に有効であったことが
わかった。
パンフレットの内容については、「転院先の情報
を事前に知りたい」「もっと簡単な用語での書き換
えが必要」という意見もあり、今後の改善につなげ
たい。

ADLの低下についての説明は半数が覚えていなか
った。また、術後の回復過程や退院後の生活のイメ
ージがもてず、他院へ転院することへの不安もあっ

結論

た。MSWへの依頼基準がなく看護師個人の判断に

1、患者家族が、回復過程を具体的にイメージでき
ADLが低下することを理解することができた。

任されていたため、入院後から面談までに平均14.6
日要していた。早川らは「入院初期に家族の介護力

2、退院後の生活を早期から考える手段としてパン

を把握し、それにあった情報を提供することで、今

フレットが有効であり、パンフレットを通した

後の方向性を家族が考えられる環境をつくる必要が

関わりが、多職種と連携を深め円滑な退院・転

ある。
家族だけで問題を抱え込むことがないように、

院支援につながる。

社会資源の活用方法などを指導していくことも重要
1)
である。

と述べているように、当科も08年より、

引用文献・参考文献

患者家族に入院後1週間以内にパンフレットの説明

1)早川満子 他:患者が納得して退院を迎えられるための

を行い、希望のADLや退院先、現在使用している

目標共有に関する検討

サービスや介護保険についての情報収集を全患者に

  北海道漢語研究学会収録 9-32、94-96 2005.

対して行っている。退院後何らかの調整が必要とア

2)川本美代子:高齢者における望ましい退院調整のあり方

セスメントした事例はMSWと早期に面談してもら

  老後看護 34(43)
 126-128 2003.

い、社会資源活用方法の情報提供や介護保険の申請
につなげるなど、看護師も入院時から意欲的に関わ
ってきている。今回のアンケートからは、97%の患
者家族がパンフレットを読んでおり、ADLが一段
階低下することを理解していることがわかった。ま
た、患者家族の63%の人が入院直後にパンフレット
の説明を希望している結果からも、パンフレットの
説明の時期が適切であった。これは入院直後に医師
により説明を受けた後に、看護師とパンフレットを
読み返すことで内容を振り返ることにつながり、よ
り内容の理解を深めたものと考える。
「MSWと面
談し、退院後の不安軽減につながった。
」との意見

85

発信-看護・介護の現場から

労働災害により緊急手術となった患者への外来看護援助
~フィンクの危機モデルを活用して~
勤医協苫小牧病院外来 看護師

石川 淳

共同研究者

整形外来スタッフ一同

結果

はじめに
A病院の整形外科手術は年間約400件で、その内

《事例》B氏 男性 30才代 鉄筋工 妻・子供

約50%は手指の血管・神経・腱手術を占め、さらにそ

の3人暮らし【受傷状況と治療経過】2007年2月5

の25%は労働災害患者である。他医療機関からの手

日クレーンの車輪とレールの間に、利き手である左

術紹介や外傷による緊急手術を、外来と手術室を兼

手指を巻き込み受傷。左全指引き抜き切断と診断。

務する看護師が担っている。外来では創部の状態や

緊急手術、段端形成術・腹部有茎皮弁術施行。2月

痛み・手の動きを確認するだけの対応に留まり、心

22日皮弁形成術施行。3月15日デブリートメント術

理的支援が弱かった。そこで労働災害で利き手5指

施行。6月15日退院し受傷1年後に職場復帰。

を切断した一事例をフィンクの危機モデルを活用し

《調査結果》フィンクの危機モデルを活用しアセ

て振り返り、受傷後の心理的変化を捉えることがで

スメントした結果、穴水らの研究と4段階を通し大

きた。そのことによって緊急手術となった患者への

きな差は無かった。【衝撃】段階と【防御的退行】

必要な時期に応じた外来での看護介入の仕方が明確

の段階の項目が、受傷直後から創部を初めて見た時

になったので、ここに報告する。

期まで“強く思う”であり、穴水らの結果と一致し
た。B氏も「病院にさえ着けばすぐどうにかしてく
れると思った。痛み止めを使った記憶はない、痛み

用語の概要
≪フィンクの危機モデルの概要≫危機の進展を

がひどくて外来で怒鳴った事は覚えているが手術の

【衝撃】心理的ショックの時期【防御的退行】現実

説明は覚えてない」と話す。【承認】の段階は穴水

回避や否定・願望的思考という防衛機制を用い、感

らの結果では受傷直後から退院時に向かうにしたが

情を安定させ自分を守る時期【承認】
「以前の私で

って徐々に承認できていた。B氏の場合、初めて創

はない」と自己を卑下し、感情的に抑うつ状態とな

部を見た時の記録より、「あんなの手じゃない!こ

り喪失感・悲痛を示す危機の現実に直面する時期【適

んなんじゃやっていけない!もう精神、保っていら

応】現実の限界と可能性を吟味していく中で、不安

れない!」と全身を震わせ涙を流し訴えるとあり、

や抑うつも軽減し新たな価値観を築く時期以上の4

〈これからどうしていこうかと考えた〉の項目が“ほ

段階で表す。

とんど考えられない”だった。その1ヶ月後には自
らの意思で創部を見る。この時、B氏は医師からリ
ハビリの必要性を聞き、躊躇していたリハビリを開

研究方法
≪研究期間≫2009年1月~7月≪研究内容と収集

始した。【適応】の段階では、
『退院』を機に“思う、

方法≫①フィンクの危機モデルを基に穴水ら が用

強く思う”へと変化している。穴水らの結果では1)

いた心理的変化20項目の5段階評価を引用した内容

“壮年期の方が多く将来への不安が強いためである”

を、治療経過『受傷直後』・『病状説明時』・『初めて

と述べておりB氏も同様であったと考える。B氏と

創部を見た時』

『退院時』・『退院6ヶ月後』・『退院

の面接でも「退院したてが一番大変だった。2年経

1年後』

『退院2年後』の各時期に添って聞き取る。

ってやっと右手で不自由なく出来る様になった。悩

②事前のカルテ調査で準備した質問項目を聞き取り

んだ時期もあったけど今は受け入れてる。」と話す。

面接。≪データー分析方法≫上記①②の結果と穴水

その一方で治療経過の各時期を通し〈徐々に不安が

ら1)の研究結果をもとに比較・分析した。≪倫理

軽減してきた〉の項目だけが“全く思わない”と答

的配慮≫本研究の目的と意義、調査内容は個人が特

え、現在も不安を抱えたままであった。その事をB

定されず、知り得た情報は厳守しプライバシーを守

氏は「不安は今もある、不景気だし、大きくない会

る事を口頭で説明し同意を得た。

社だから一番に辞めないといけない。指の使えない

1)

86

自分が一番にリストラされてしまうと思う。」とい

る。術後の不安について篠原らは3)“不安は完全に

う経済的不安が現在も続いている。

拭い去れないということを知って援助に携わる事が
大切である”と述べている。外来受診時にもモデル
を活用し現状を評価すること、一人ひとりの看護師

考察
【衝撃】の段階を佐々木らは “事故後の苦痛を

の気付きや患者情報を集団で検討し、患者がどの段

表出できる人できない人がいる中、意図的な関わり

階あるのか共有する事でその段階にあった働きかけ

がなければ潜在的な思いを吐き出せない可能性があ

が新たな看護介入を可能にすると考える。

2)

る”と述べている。フィンクの危機モデルを活用す
ることで、患者の心理状態を推測し受傷直後の混乱

結論

状態にある患者を全体的に評価することができる。

1.病態の理解と共に危機モデルを活用し今おかれ

さらに医師との連携を図り患者のニーズにあった援

ている患者の心理的変化を把握することで、患

助につなげていくことができる。今回B氏の事例を

者を全体的に評価し患者のニーズに合った看護

客観的に振り返ってみると訴えや情報が乏しいカル

援助につなげていくことができる。
2.患者の心理段階を捉え、看護介入することが重

テの記録内容であった。その背景には、短時間で術

要である。

前準備を進め、手術に向ける事ばかりに囚われ、患
者への対応が処置中心となっていた点と、リーダー
的役割が不明確な為、無駄な動きも多かったと考え

引用参考文献

る。まず痛みや苦痛を取り除く治療処置を最優先に

1)穴水美和 佐藤みつ子:手指受傷患者の受傷による心理

考え、今どのような状態にあるのか本人を含め家族

的変化に関する研究 Y A m A n A shi nursing journ

の思いを聞く必要がある。また、穴水らの研究は退

A l Vol. 7 No. 1 61-67 2008

院時までの調査であるが、今回の研究では2年後ま

2)佐々木吉子ら:重症外傷患者の急性期回復過程における

でのアンケート調査を行った。結果、2年が経過し

全人的回復指標としてのコントロール感と看護支援(二

ても仕事面での不安を抱えたままだった。それは、

次分析)
 看護研究 Vol.39 No. 6 63-73 2006-10

混沌とした社会情勢の中で職場自体の景気も悪く、

3)篠原清美 及川順子:整形外科手術患者の術後不安の変

経済的不安が現在も続いているためであると考え

化 第37回 成人看護Ⅰ 2006

表1 受傷直後から2年後までの心理的変化〔1.はい(強い)~5.いいえ(弱い)
〕※回答は5項目の平均で表す
症状
説明時

初めて
創部を
見た時

退院後

6ヶ月

1年後

2年後

ショックだった・無気力になった・不安にな
った・パニックをおこした・恐怖だった

2.6

1.8

1.8

4.4

4.8

現実を避けた・現実を忘れようとした・一時
的な事で回復すると期待した・他人の言葉
に怒りを覚えることが多かった・何事に対
しても無関心であった

2.4

2.2

2.4

4.4

4.8

承認

もはや以前の自分ではないことを知った・
現実を避けられないと思った・動揺した・悲
しかった・これからどうしようか考えた

1.8

1.6

3.2

2.6

2.6

2.6

適応

自分を試してみようと思った・徐々に不安
が軽減した・これも自分であると考えるよ
うになった・前向きになった・将来を考えれ

4.4

3.6

2.6

2.6

2.2

2.2

衝撃 防御的退行

受傷直後

87

発信-看護・介護の現場から

中途失明患者看護の一考察
~A氏への関わりから学ぶ~
勤医協札幌病院第2外来 看護師

前川 雅子

両親(死亡)と弟も糖尿病。学童期に母死亡し父の

はじめに
A氏は糖尿病を指摘されても中断、網膜症が進行

仕事の都合で児童養護施設に預けられた経験があ

して手術を繰り返した後、30歳代で中途失明した。

る。高校中退後は様々な仕事に就き、入院前までト

退院後自宅では社会との関わりが希薄な生活を送っ

ラック運転手で不規則な勤務時間であった。食生活

ていた。植田らは「①看護師自らの障害者観を知り、

はコンビニ弁当やファーストフードなど肉中心で1

又人間の可能性を障害があることで限定しない②日

日2食と偏っていた。20歳代前半尿蛋白指摘された

常生活の自立・拡大への援助③社会参加しようとす

が放置、30歳代前半に糖尿病指摘され治療したが中

る中途視覚障害者に賛同する」 などが中途視覚障

断していた。30歳代後半、網膜症の進行のため2006

害者への看護の要点とされている。この事からA氏

年10月他院よりB病院へ紹介され入院した。すでに

の生活を捉え直し、障害があることで患者の可能性

糖尿病の3大合併症が出現している状態であった。

を限定せず、日常生活の自立・拡大、社会参加への

右視力0.3(矯正0.6)左視力0.2(矯正不能)で

援助が眼科外来看護師の役割である事を学んだので

あり、眼科手術を7回行ったが失明に至る。8ヶ月

報告する。

の入院中自殺企図や偏食あり献立に苦慮した。退院

1)

前に独居生活は困難と思われたが、多職種カンファ
レンスを行いA氏の希望であった、在宅生活を支援

用語の定義

する事となった。現在はヘルパー週5回、訪問看護

中途失明とは15歳から60歳くらいに病気やけがで

週1回、訪問リハ週1回利用し生活している。シャ

失明した人

ワー週2回、外出は週1回通院時のみで社会的な関
研究方法

わりが少ない生活を送っている。A氏は透析をなる

1 研究期間    2008年4月~ 2009年7月

べく先延ばしにしたいが、腎臓病食が口に合わず食

2 研究対象    30歳代で中途失明したA氏

べ残しあり肉・甘い物が好きで時々間食や弟と外食

3 研究方法    事例研究(質的研究)

をしている。余暇ではパソコン利用の希望がある。

4 データ収集方法 ①外来カルテ記録②事例検討

性格は人前に出ることが苦手で男は家事をしないと
信念があり、日常生活の自立拡大が困難な状況であ

会記録③訪問時の聞き取り

る。

5 データ分析方法 ①②③の記録から日常生活拡
大・自立援助・社会参加への援

看護の実際

助を行った部分抽出し分析す

外来においての看護実践は①プライマリー看護師

を決め週1回の受診時に時間を取り、生活状況の把

6 倫理的配慮   今研究の目的、意義、参加協
力の自由意志、協力への拒否、

握と要求を引き出す関わりで、「糖尿病の事は知ら

プライバシイーの保護、個人

なかった。目の手術をする毎に回復の希望を持って

情報保護について文書と口頭

いたのに失明した。入院中自暴自棄になり医師、看

で説明し同意を得た

護師に辛く当たった。この先の事は考えられないが
生きていくしかない。透析はしたくない」とA氏の

事例紹介

本音も聞く事ができた。自宅訪問も行い実際の生活

A氏40歳代 男性 生活保護 身障一種一級 独居

状況の把握に努めた。3階のワンルームに居住し、

(結婚歴なし)病名:2型糖尿病(3大合併症有)

夕食の配食サービス(腎臓食)以外は家事全般ヘル

88

パーが行っている。必要な所にはボッチシールを付

活史を十分把握することが不可欠であることを再度

け、薬の区別やストーブの目盛が分る様に工夫され

学ぶ事が出来た。③A氏の病前の生活から、社会参

ている。自分でする事は髭剃り、洗顔、シャワーの

加を促していくには時間を要する。社会制度の活用

み、終日CD図書を聞き、週1回パソコン練習。ヘ

と視力障害者団体や患者会などの情報を提供し、A

ルパー同伴で週1回の通院を1時間以上かけてバス、

氏自身に興味を持てるよう、あきらめずに関わる大

地下鉄で通院している事を把握した。②多職種とカ

切さや、A氏が患者会等の参加を通して様々な情報

ンファレンス(以下Cf)を行った。ヘルパーより

を得て、仲間を作り社会との交流をもち元気に生活

食事の嗜好が激しく、食べてもらう食事をどう作る

できる支援が必要である。

か苦労している。閉じこもり生活から少しでも外へ
結論

出られる働きかけをしている事など日常生活状況の
共有を図った。③内科主治医とのCfでは、低蛋白

①中途失明患者は辛い障害の受容過程を経て、生

米の利用で肉の摂取が可能、短時間の散歩程度なら

活を立て直さなければならない。患者の辛さ、無念

良いと評価を得た。栄養士と連携を取り食事指導を

さを受け止め、今後の生活の可能性を共に追及して

ヘルパーと共に受けている。④盲導犬協会の生活訓

いくこと。②中途失明者の生活自立・拡大は生活史

練指導員と連携を取り、音声パソコンの訓練でイン

を良く把握し、患者が受け入れ可能な方法で粘り強

ターネット利用に繋がった。又数日間の盲導犬協会

く支援する事が大切である。③中途失明という障害

の合宿(不定期)で知り合った高齢婦人と対話を楽

を持ち生活するためには社会制度の活用・視力障害

しむようになった。日常生活訓練や眼科患者会への

者団体や患者会等の情報把握や参加を通し、仲間を

参加は拒否的だが、視覚障害者福祉協会ボーリング

作り社会との交流を持ち元気に生活できる支援が必

大会には興味を示している。

要である。①②③の支援が眼科看護師としての役割
であることを学んた。

考察
おわりに

①A氏は視力が改善すると思い手術に期待した
が、短期間で失明に至った。自暴自棄になり、大変

中途で障害を持つと多くの場合仕事が出来なくな

辛い時期を送った。眼科チームは施設入所が妥当と

りすぐに経済基盤が無くなり、厳しい環境におかれ

考えていたが、本人の強い希望で在宅生活を選択

る。A氏は生活史が厳しく根底は貧困であり、糖尿

し、多職種でCfを持ち実現した。A氏の「生きて

病の正しい啓蒙もされず生活のために働いてきたと

いくしかない」
「透析はしたくない」という本音を

思われる。障害を持っても安心して闘病し、前向き

引き出し、看護師はその思いを受け止めて支援して

に生活して行くためには社会保障制度の確立が重要

きた。A氏の本音を引き出す環境作りをし、A氏の

である。

思いに沿った生活を粘り強く関わっていく大切さを
学んだ。②A氏は、母親を学童期に亡くし、手作り

引用・参考文献

の食事ではなくファーストフードや外食生活であっ

1)植田喜久子:中途視覚障害者のリハビリテーション看護

た。ヘルパーが食事内容を検討し調理しているが、

 看護技術p76 ~ 80、1998・7増VOI.44 NO.

偏食があり食べ残す事が多い。ヘルパーと共に食事

10

指導の機会を頻回に持ち腎臓食の指導をしているが

2)川島みどり:いきいき実践たのしく看護研究 第 版看

困難が多い。生活の自立拡大を推進するためには生

護の科学社 199

89

発信-看護・介護の現場から

透析患者のフットケアに対する効果的指導の検討
―患者参加型フットケアを導入して―
勤医協中央病院透析室 看護師

本間 美穂

共同研究者

西本美恵子・中村由紀子・日谷佳恵・梅下真由美・透析室看護師一同

いるのが観察された。整形外科での爪切り処置を勧

はじめに
日本透析医学会統計調査では、透析患者の足病変

めるが「心臓の手術で入院した時に水虫になり爪が

による四肢切断率は2.0%で糖尿病腎不全者は5.0%

変になった、どうせ治らないのだからほっといてく

と報告されている。一方、熊田は 「適切なセルフ

れ !!」と頑なに拒否され、初めは指導にも耳を傾

ケアにより切断の85%は予防できる」と述べている。

けてくれなかった。そこで無理な指導はせずに、患

A病院透析室ではフットケアチェック表を活用し

者には軟膏を毎日塗布する・ゆるい靴下を履くこと

足病変の早期発見・予防に努めてきた。しかし、透

を目標にし、看護師は透析日にフットケアを行うこ

析中に観察・ケアを行っている為、患者の参加が困

とを看護計画に盛り込み開示した。

1)

難でセルフケア指導が看護師の一方的なものになっ

日々のケアを拒否する時は無理しないで次回にと

ていた。また、意識調査ではセルフケアに関する患

伝え、地道に爪の肥厚を削り・清拭して軟膏処置を

者の認識は低い結果であった。今回、足病変を予防

継続。毎回のフットケア時に足型観察記録で足の状

するには患者自身が主体的にセルフケアに参加する

態が改善してきている事を一緒に確認した。

ことが重要と考え「患者参加型フットケア」に取り

4ヶ月後には爪肥厚は除々に改善。患者は緩めの

組んだ。この3事例の振り返りを通して効果的指導

靴下に換え「頻回に保湿しているが踵が痛いので診

について検討したので報告する。

てほしい」等、自分の足に関心を持ち心配事を訴え
るようになった。

研究方法
【事例2】

1 研究期間:2008年9月~ 2009年3月

患者紹介:50歳代 男性 独居 糖尿病性腎不全

2 研究対象:患者参加型フットケアを実践した3

(透析歴4年) 精神遅滞(小学校低学年レベル)

事例

看護の実際:足白癬の二次感染で、足指間に潰瘍

3 研究方法:事例研究
4 データ収集方法:足型観察記録及び看護記録

形成し毎日の処置が必要となる。しかし精神遅滞や

5 データ分析方法:足型観察記録及び看護記録か

周囲に協力者がいない事からセルフケア困難と考

ら足病変の変化、フットケア参加状況について

え、非透析日には救急外来と連携し毎日の処置を継

抽出し患者の変化を分析した。

続するよう計画し、患者には自宅での足浴を指導し
た。しかし、処置に来院せず足浴も出来ていない状

6 倫理的配慮:患者・家族に研究の趣旨、個人名は

況で、汚染された靴下や靴を履き続けていた為、臭

公表しないことを口頭で説明し同意を得た。

いも強く、潰瘍も改善しなかった。患者の意識づけ
を行う為に①靴下を換える②足を洗う③非透析日に
結果

救急外来に来院する事を目標にチェック用紙を作成

【事例1】

し、透析毎に渡すとともに、足処置をする際は患者

患者紹介:80歳代 男性会社役員 認知症の妻と

と一緒に潰瘍を見ながら処置を行う様にした。また

2人暮らし 糖尿病性腎不全(透析歴7年)冠動脈

家庭訪問を行い自宅での足浴の状況、替える靴下が

バイパス術後

あるのかを把握し、患者と相談して3つの目標を書

看護の実際:フットケア時に、足白癬による爪の

いた大きな張り紙を自宅に貼らせてもらった。処置

肥厚と皮膚の強い乾燥、ゴムのきつい靴下を履いて

を実践してもらうと石鹸を泡立てていず、十分にす

90

すぐ事もできていなかった事がわかり、再度具体的

事例1では、患者のペースに合わせて、ねばり強

な指導を行った。来院時は、定期的に撮影していた

く支援する中で、初めは拒否的だった患者が自分の

足の写真を一緒に見ながら評価し、潰瘍が改善して

足に関心を持ち足を守る為の行動変化がみられる様

きている時には一緒に喜んだりする関わりを通し

になった。事例2では、精神遅滞があり、セルフケ

て、患者は足を洗い靴下も替える様になり、清潔が

ア困難と思われたが、訪問での足浴指導や、足処置

保持されるようになった。

時に「足の写真を見せ五感に訴える」等、自分の足
に関心を持ってもらい実践可能なケアを繰り返し指
導する事で除々に獲得し実行できるようになった。

【事例3】

事例3では家族が高齢であっても、対象に合わせて

患者紹介:80歳代 男性 難聴(補聴器使用) 慢

実践可能な方法を取り入れる事で治療に参加しても

性腎不全(透析歴20年)
看護の実際:患者はすり足歩行の状態で皮膚の乾

らうことが出来た。このように対象患者をチームで

燥があり、内出血しやすいため、足の保護が必要で

理解し、患者の条件や自己管理能力に合わせた指導

あったが、肩関節骨折後よりADLの低下が著しく

をする事で、高齢者や理解力の乏しい患者でも、患

セルフケア困難となった。この為、家族の支援が必

者・家族がフットケアに積極的に参加しセルフケア

要と考え本人と妻に腕や足を毎日見てもらう事を目

能力を高める事ができると学んだ。
またこれまでは、看護師の一方的な指導だったが、

標に看護計画を開示し、使用軟膏とその部位が一目
でわかる用紙を渡し、処置の方法を具体的に指導し

「患者参加型フットケア」の実践を通して、医療者

た。来院時にはねぎらいの言葉をかけるなど家族支

と患者・家族が同じ目標に向かい一緒に足の状態を

援を続ける中で、妻も高齢であったが、足のケアに

確認する事で、患者・家族の足への関心が高まり、

参加してくれるようになり、
「安全に透析を終える

自己管理の必要性の理解とセルフケアに対する意識

ことが看護師の仕事だと思っていたが、足も診るん

と行動の変化につながったと考える。また少しでも

ですね。処置方法がわかりやすく、2人で手分けし

改善した時は、一緒に喜び達成感を共有しあい、困

て塗っています。
」と話され、今も毎日ケアを継続

難につまずいた時は一緒に考える関わりの中で、医

している。

療者との信頼関係が深まり、患者 ・ 家族が不安や悩
み等を表出してくれる様になっていった。それは生
涯管理を余儀なくされている透析患者の辛い闘病を

考察

支え、効果的なセルフケア援助につながるものと考

A病院透析室では、14年間チェック表を使用し、

える。

看護師が集団的に足病変についてアセスメントし、
フットケアを継続してきた。しかし、透析中に観察・
ケアを行っている為、患者の参加が困難で、セルフ

引用・参考文献

ケア指導が一方的なものになっていた。今回透析患

熊田佳孝:はじめよう!フットケア、日本看護協会出版会

者にとって重要な日常生活の自己管理に向けて「患

P9 2006

者参加型フットケア」に取り組み、足型観察用紙を

佐藤壷三:精神障害をもつ人の看護、メヂカルフレンド社

用いて患者と目標を設定し看護計画の開示を行っ

P350 2002.

た。その結果、3事例ともフットケアに対する意識
や行動に変化が見られた。

91

発信-看護・介護の現場から

困難を抱える身体障害者への在宅復帰支援
勤医協札幌西区病院3病棟 看護師

荒矢 直樹

共同研究者

3病棟看護介護スタッフ一同

本人は息子を心配し、
「住み慣れた家に帰りたい」

はじめに

「今まで体調を崩しても何とか杖で家に戻れていた

A病棟は障害者施設等入院基本料を算定する一般
病棟として2006年8月に開設し、患者の希望に寄り

ので、
今回もやればできる」
という思いが強くあった。

添った在宅復帰支援に取り組んでいる。今回、8ヶ

医師・リハビリの評価から再骨折の危険が高いた

月の入院期間を経て在宅復帰したA氏が12日間とい

め杖歩行の獲得は難しいと面談されたが、A氏の在

う短期間で再入院したことから、在宅復帰支援状況

宅復帰への希望は変わらなかった。本人の思いを受

を分析し、
課題を明らかにしたのでここに報告する。

けとめ、リハビリスタッフを含めた初期評価を行い、
目標を痛みがアップしないよう、少しずつリハビリ
をすすめることとした。又、「やればできる」とい

研究方法
事例研究 データ収集・分析:A氏・家族・ケアマネ

う思いから病棟では介助を頼る面と、リハビリでは

ジャー・ソーシャルワーカーとの半構成面接、看護

頑張りすぎる面とがあり、月単位で面談を持ち、目

記録から得られた内容について分析を行った。

標に対して今できていることをA氏と一致させてい
くことを確認していった。
入院当初は、ギャジベッドを利用しベッド座位保

研究期間

持に取り組み、3月上旬に2人介助で車椅子への移

2008年10月~ 2009年7月

動、中旬には一人介助での移動、4月には集団体操
への参加と徐々に拡大していき、立ち上がり訓練で

倫理的配慮
患者・家族に書面・口頭にて研究の目的・内容につ

は回数調整、臀部痛の予防のために座面マットを利

いて説明、参加が自由で不参加であったとしても何

用するなど具体的な統一ケアを実施しながらすすめ

ら不利益は生じないこと、プライバシーに配慮する

た。5月にバルンチューブ抜去、7月からはL字柵

ことを説明し、了承サインを頂いた。

を利用しトランスの見守りケア開始、8月には痛み
が無いときにはズボンの上げ下ろしを自分で行うよ
うにしていただいた。

経過

杖歩行訓練もすすみ、家屋調査のため8月19日自

<研究対象>

宅訪問となる。訪問後合同カンファレンスを患者含

A氏 60歳代 女性 #1リウマチ #2骨粗鬆

め開催し、同居中の息子さんが介護にあたれない事

症 #3多発性脊椎圧迫骨折 要介護3

情から週3回訪問ヘルパーを利用することを決め、

引きこもりの息子と2人暮らし。家では車椅子が

掃除やトイレ・洗面台に段差があるが手すりをつけ

使用できず、杖歩行していた。

ることで自宅での生活は可能と判断された。家では

入院期間:2008年2月26日~ 10月23日 再入院 

頑張って動いてしまうことが予測され、ヘルパーへ

2008年11月3日~現在に至る。

の依頼事項確認し、家での生活状況をみてサービス
の拡大を検討していくこととした。

<1回目の入院>

A氏からは、「手すりをつけて退院前に外泊をし

入院期間:2008年2月26日~ 10月23日
自宅でくしゃみを契機に腰痛が出現、腰椎圧迫骨

て体験したい。」と要望はあったが制度上、手すり

折の診断で入院となる。ベッド上全介助状態。再骨

は退院後でなければ設置できないことがわかり、姉

折の危険(骨塩定量0.166g/C㎡で同年代の1/

妹に付き添ってもらい試験外出となった。外出中は

3の値)が高く積極的なリハビリは困難であった。

ドア付近でバランスを崩すことがあったが他は特に

92

みを短期間ではあったが叶えることができた。

トラブルなく終了した。退院日に手すりを設置し退

しかし再入院となった要因として、自宅での生活

院となる。

が腰への負担となっていたことが挙げられた。家庭
訪問・外出で段差を超えることができたことで自宅

<2回目の入院>
再入院期間2008年11月3日~

生活可能と評価したが、実際退院後は1日何回も段

自宅では花の水をやったり、ヘルパーに下ごしら

差を昇降することで負担が大きくなった。病棟スタ

えをしてもらって調理も行っていたが、徐々に腰痛

ッフとしては、A氏が退院後どれくらいトイレに行

が悪化し再入院となった。A氏からは、自宅での生

くのか、そのことによりA氏にどのくらい負担がか

活で「退院するときは段差を越えることはできたの

かってくるのか、本人と在宅支援スタッフとで共有

で大丈夫と思っていたが、段を超えることが徐々に

すべき内容が不十分だったと考えられる。又、病院

辛くなってきた。」「とにかく疲れた」と話されてい

と自宅との生活パターンの違いを想定してサービス

た。そのため入院当初はA氏は施設入所を考えてい

調整を行ったが、本人からの情報では、退院前に考

たが、リハビリを継続し現在車イスを使用して腰痛

えていた日常動作より花の水やりなどで多く動いて

は自制内となっており、
「一度家に帰って荷物を整

いたことがわかり、日々の生活の積み重ねで疲れて

理したい。
」という言葉が現在聞かれ、再度自宅復

いたということが判明した。このことからも、退院

帰をめざしリハビリを実施している。また、段差の

後に、患者がどのような生活を送るのか細分化して

改修・ポータブルトイレ導入などの調整を予定して

分析し、それによって起こりうることを予測し、サ

いる。

ポートやサービス内容を検討することが重要である
と改めて気付かされた。
A氏の場合、自宅に手すりを設置することになっ

<聞き取り調査結果>
【A氏より】息子が心配で早く帰りたかったし、

ていたものの、入院中の試験外出では手すりを使用

慣れれば何とかなると思っていた。リハビリに長い

した生活体験ができなかった。そのため、実際手す

時間かかったが家に帰ることができて嬉しかった。

りが適正な場所に設置されていたのか、使用により

これからは体に負担がかからないようにしたい。

A氏の負担が軽減できたのか、もしくは返って負担

【ソーシャルワーカー・ケアマネジャーより】

が加わっていなかったか入院中は評価することはで

2週間で再入院となってしまったが、組んだサー

きなかった。A氏にとって手すりは、生活の中でな

ビスは身体介護を含めフルに使用していた。これが

くてはならないものであり、それに対しての評価が

限界であったと思う。この退院はA氏にとって貴重

退院後でなければできないという制度上の課題も、

な2週間であったのではないか、と評価。

在宅での負担を増した一因と考えられた。

考察

結論

A氏は再骨折の危険が大きい病態・実質独居とな

患者の疾患・ADL・実際の生活状況から退院後の

る生活背景から在宅復帰困難が予測された。しかし

予測される症状・見通しについて早期対応できるよ

入院当初より患者の希望を聴取し、医学的目途を確

う、A氏・在宅支援スタッフとの連携が重要。

認しながらA氏・病棟スタッフ・リハビリスタッフ・
ソーシャルワーカー・ケアワーカー等と現状の問題

参考文献

点の整理、目標の確認をこまめに行いながら、サー

平川仁尚、植村和正“介護老人保健施設における在宅復

ビス調整を行い退院につなげる事ができ、患者の望

帰支援パス”日老医誌(2009)
;Vol.46:275-275

93

発信-看護・介護の現場から

「帰りたい」という願いに応えるケアを考える
勤医協老人保健施設柏ヶ丘療養生活部 介護福祉士主任

西島 龍樹

共同研究者

療養生活部職員一同

している状態の為、在宅生活は困難と考えていた。

はじめに
医療と介護の中間施設として老人保健施設が誕生

しかし「一度で良いから家の様子を見に行きたい。

し約20年が経過した。当初から病院から在宅への橋

夫が心配」と繰り返し訴えられ、綿密な外泊計画を

渡し機能を重要視されており、当施設も開設して10

立て実行した。外泊中に転倒し何時間も起き上がれ

年間利用者さんとその家族の生活を守るため奮闘し

ずにいたが、「家で暮らしたい」思いは変わらなか

てきた。一方、
高齢化社会の加速や利用者の重度化、

った。「夫にいつまで1人暮らしをさせたら良いの

認知症、制度改悪や厳しい人員配置など様々な背景

だ。」と涙を流しながら訴えられ、「 在宅生活 」 へ

のもと、ADLへのアプローチが中心となり、大き

むけて準備を開始。半年間、排泄や装具装着の自立、

な役割のひとつである在宅復帰支援においては困難

下肢筋力の向上に取り組み、在宅復帰する。念願が

を抱えていた。しかし、07年度に4年間入所してい

かなって在宅へ戻ったA氏は「やっぱり家がいい。

たA氏への支援をきっかけにチームの意識が大きく

行きたい時に好きな所へ行ける。夫が指輪とネック

変化し、08年度は過去にない在宅復帰支援を実現す

レスを買って私の退所を待っていた。」と夫婦二人

ることができた。08度の在宅復帰事例を振り返り、

の充実した生活ぶりを話された。夫からは「妻には

社会における老人保健施設、更にはそこで働く私達

生き生きとした生活をして欲しい」との思いが聞か

の役割を学ぶことができたので報告する。

れた。在宅に反対だった娘さんからは「感謝してい
ます」との言葉をいただいた。

研究方法・対象・期間
事例2

07年~ 08年の期間に、在宅復帰支援を行った3

B氏女性80歳代#1アルツハイマー型認知症#2

事例の振り返り

腰椎圧迫骨折#3右大腿骨不全骨折
パーキンソン様の小刻み歩行、ふらつきが著明だ

倫理的配慮
本研究の目的と研究以外で使用しないこと、記述

が、認知症のため危険を認識できず、何度となく転

内容で対象者が特定できないように配慮しているこ

倒・骨折を繰り返す。尿路感染による発熱を繰り返

とを本人及び家族に口頭で説明し、承諾を得た。

し、体調不良時は全介助の状態となる。リハビリで
一定の回復はあるが、少しずつADLが低下した。
夫は高齢で心臓を患っており、B氏の自宅は施設か

当施設の概要
97年札幌市白石区に開設。一般棟40床、認知棟40

ら見えるところにあっても、在宅復帰は難しいと思

床の計80床。07年度の退所者71名のうち、在宅復帰

われた。日頃から面会にくる夫に声をかけ、面談に

者が20名。08年度は1月現在で退所者68名のうち、

つなげてB氏が帰りたいと思っていることを率直に

在宅復帰者が31名となっている。訪問件数で比較す

伝えた。夫はいくつかの条件をだし、同意していた

ると、06年度6件07年度11件から08年度は39件と飛

だけた。その後 再転倒し#2受傷、発熱し著しく

躍的に増えている。

ADLが低下。在宅復帰が危ぶまれたが、サービス

事例1

担当者会議では、本人の願いと、援助しようと言う
夫の意思を尊重し、前向きに帰る方法を考えていこ

A氏女性70歳代♯1.脳梗塞(左片麻痺) ♯2.

うと話し合われた。数回の事前訪問を行い、家具の

シーハン症候群 ♯3.左大腿部頚部骨折後
♯1発症後1年の入院治療を経て当施設に入所。

配置や細かな介護指導を実施。送迎は療養棟スタッ

高次脳機能障害による危険認知低下があり、生活全

フが援助し、何かあったらいつでも連絡が取れる体

般に介助が必要だった。夫との二人暮らしを望んで

制をとり、試験外泊に挑んだ。新たな課題に対して

いたが、85歳の夫もヘルパー・配食サービスを利用

アドバイスをしつつ、3度目の外泊でやっと夫に自

94

信が付き、
「大変じゃなかったなぁ~」と笑顔が見

利用者の帰りたい思いや家族の不安を共有すること

られた。入所より2年半の歳月を経て退所される。

で、私達も成長し、家族との信頼関係を築くことが

現在当施設の通所リハビリに通われており、入所し

でき、援助方針が明確化できた。時には家族が在宅

ているときと比べると表情が生き生きして、姿勢も

復帰を迷うこともあったが、利用者の帰りたい思い

良好である。ほとんど聞こえなかった耳までが、良

を中心に据えることで、あきらめないで関わること

くなっている。

もできた。
在宅復帰支援を通して、私たちが見出すことの出
来なかった利用者の力や主体性を引き出すことがで

事例3
C氏 男性 70歳代 ♯1 脳出血(左完全麻痺)

き、介護にかかわる専門職としての仕事の楽しさ、

D県にて発症。D県での夫婦二人暮らしは介護負

やりがいを感じることができたと考える。

担過重で困難と判断。E市に住む長男から、同じマ
結論

ンションの上の階に住むことを提案され在宅調整と
リハビリ目的で当施設に入所。C氏は在宅復帰を強

これまでは、介護保険法の抱える矛盾から、援助

く希望される一方で、在宅での生活イメージが乏し

側である私達でさえも「老健は特養の待機場所」と

く、在宅復帰へ向けたケアに対して消極的。又、で

いうイメージを持ち、老健の役割は、ケアワーカー

きる能力があっても依存的になることが多くあっ

の役割は、と混迷してしまうことがあった。在宅支

た。妻も在宅復帰を目標とすることで思いは共通し

援が困難となっている要素は前述したように、社会

ていたが、長男夫婦の援助は期待できないこともあ

的背景や介護の重度化という高齢化社会の抱える大

って、日常の介護への不安は大きかった。そこで本

きな問題が背景にある。私達ケアスタッフが、どの

人、
家族を含めたカンファレンスを繰り返し実施し、

ような生活を送っていきたいのか、どう生きていき

援助計画や本人家族の思いや不安を随時共有してい

たいのかを問い、その願いに近づけるようにあきら

った。途中、家族の想いが揺れることもあったが、

めず、様々な専門的技術や知識を使い、工夫するこ

随時行ったカンファレンスや訪問の中で在宅復帰を

とで在宅復帰を支援できると学ぶことができた。

具体的にイメージし、本人の帰りたい想いも皆で共
終わりに

有することができ、退所が実現。C 氏は「孫と過ご

介護保険法において在宅復帰支援は老健の大きな

せるし、
やっぱり家が一番いいですね」
と喜んでいる。

役割のひとつである。しかし高齢化社会の加速、医
療介護制度の改正に伴い、施設利用者の重度化は著

考察

明であり、在宅復帰が困難となっている。当施設の

A氏への援助を経験し、A氏の生き生きした姿や、
家族の言葉を聞いて感動。この貴重な成功体験を得

入所者も、多くは特養待機者である。在宅復帰を目

たことを引き金に、私たちの中に第2第3のA氏を

標に入所された方でも、家族背景や経済背景、介護

送り出したいという気持ちが生まれた。その結果、

度の重度化など様々な理由から、方針を変更せざる

利用者や家族にカンファレンスへ参加して頂く機会

を得ない事例も少なくない。

が増え、更に在宅の状況を把握し可能性を探るため

そのような中で業務は多忙を極め、家族、利用者

に出来るだけ家庭訪問に行ってみようと訪問の件数

へ関る時間が満足に取れない。日々流される介護で

も増えた。また、特養待機となっている利用者でも

は、個々の利用者へ回復のイメージを持てず、在宅

カンファレンスの中で、本人の真の思いはどこにあ

へ向けての積極的なサポートが行えない。当施設で

るのか、利用者の願いが在宅復帰にあるのなら、本

は担当制を始めて4年になり、在宅復帰支援へかか

当に特養待機以外に方針はもてないのかと再度追及

わりたいという目標を持つスタッフが増えている。

する場面も出てきた。そこから導かれた課題は、利

取り組んでいる事例を更に発展させていくために

用者・家族と目標や希望を共有したものであった為、

も、教育システムやマニュアルを整備する必要があ

積極的なリハビリテーションにもつながり多くの在

ると感じている。

宅復帰を実現できたと考える。家族は病気の進行や
認知症の対応、介護や家計に大きな不安を抱え、自
身の生活の自由と引き換えに在宅介護を決断する。

95

発信-看護・介護の現場から

認知症高齢者終末期の患者・家族の自己決定支援
~ 12日間のかかわりから~
勤医協にしまちクリニック 看護師長

折出 洋子

共同研究者

中島志帆・菅原絵里・仲村真代
が強く『在宅の方が精神的に落ち着き食事摂取も進

はじめに
Aクリニックは2008年に開設し高齢者や障害をも

む可能性がある。脱水などで点滴治療が必要な場合

つ患者が地域で安心して療養するため、訪問診療を

は通院』、という方針のもと退院。通院を促してい

重視し癌や認知症高齢者の療養やターミナルケア・

たが受診に結びつかないためAクリニックに往診依

看取りなどの希望に添って活動してきた。今回、認

頼された。妻はB氏の入院期間中、夫を心配し一人

知症終末期で摂食困難となったB氏の訪問診療を通

でいる不安を入院先の病院・病棟に電話で毎日訴え

じて、どのような最後を過ごすことが望ましいのか

ていたため、病院相談員から地域包括支援センター

家族・在宅関係者らと協議しながら短期間のうちに

に訪問を依頼し毎日訪問することを確認していた。

試行錯誤の中で支援した事例から、患者の意思を尊
〇経過2.在宅支援開始から再入院まで(2009.8.5

重した終末期支援とキーパーソンである娘の意思決

~8.17)

定支援について報告する。

初回往診時のB氏の病態について担当医師は「器
事例紹介:B氏 80才代、男性、介護認定未(申請中)

質的な障害は考えにくく臨床経過から認知症終末期

#1脱水 #2食事摂取困難 #3認知症

の状態。摂食障害による脱水や電解質異常もあって

・妻(認知症Ⅱb)と2人暮らし

かなり重篤」と診断した。2~3日に一度の往診を

・キーパーソンは長女 東京で歯科医を開業。

計画すると同時に在宅関係者にも参加を呼びかけて

・5年前まで歯科医師開業、数カ月前までは車を

カンファレンスを行い予測される問題と対応などを

運転して買い物に出かけていたようだが、認知

共有、地域包括ケアマネジャー(以下ケアマネ)、

症が進み3カ月前には保健所や警察が関わった

居宅サービス(訪問看護・ヘルパー)とAクリニッ

経緯あり。妻が認知症となってから外との交流

クが中枢となりそれぞれが連携しチームとして次の

を避けて暮らしていた。元々クリスチャンで、

ような支援を行った。

以前から親交のあるE牧師が時折訪問しており

<医療処置>経口摂取が殆どできなくなっているた

本人と家族も信頼を寄せていた。

め本人に負担が少ない500ml の末梢静脈点滴・毎日
の指示。在宅療養の限界も視野に入れつつ2~3日

倫理的配慮:家族に、口頭でプライバシーの保護、

ごとの訪問診療を開始

事例研究の目的を説明し協力の同意を得た。

<看護・介護支援>訪問看護師は輸液の実施と同時
に全身状態と経口摂取や排泄状況を観察し必要なケ
アを実施。介護保険申請中のため前倒し支援でヘル

〇経過1.初回入院から退院し往診依頼を受けるま
で(2009.
7.
2~8.
5)

パーを導入し、妻を担当しているケアマネが毎日訪

歩行困難・口のもつれ・歩行障害がありC病院へ入

問して声掛けと見守り、輸液終了まではヘルパーや

院したが、脱水による急性腎不全と診断され4日後

ケアマネが中心に拒否するB氏に寄り添い支援。し

にD病院へ転院。肺炎を合併し一時は重篤な病状と

かし序々に動作も緩慢になり転倒を繰り返すなど、

なり、急遽帰省した娘には「多臓器不全から心肺停

特に夜間の見守りは妻の負担が大きくなり妻への支

止に陥る可能性が高い」と告げられた。しかし、仕

援とともにB氏の変化を把握し各関係者が情報交換

事の事情で病状の不安定な中長女は帰京。その後B

しながら懸命な対応を行った。

氏の病状は改善したが、同時に強い不穏・せん妄状

<長女への支援>衰弱が進み介護支援の限界をむか

態となり転倒を繰り返す・輸液ルートを抜こうとす

えつつあると判断された時点で、再入院の検討も行

る・食事も拒否し離院しようとするなど、混乱が続

ったが前回の入院経過やB氏が強く病院に行く事を

いた。D病院ではB氏が「家に帰りたい」との希望

拒否しており断念。この間長女の帰省はできず治療

96

の段階にはない終末期であり処置によるリスクとそ

考察

の後の管理を考えると非常に困難であることを説

1.認知症高齢者本人と家族の終末期ケアについて
の意思確認と決定

明。直接の話し合いができない状況のもとで、B氏
は治療の継続や入院を拒否するのに対し、最後まで

12日間という短期間の支援を通して、娘が父親の

積極的な治療(胃ろう・高カロリー輸液)を、と希

最期のあり方について悩み決断を行うまでには様々

望しながらも気持ちは揺れ動いていることが感じ取

な葛藤を乗り越えなければならなかった。

れた。また、B氏の状況の変化に応じて長女と連絡

認知症終末期にある事例を支援する時にどのよう

をとり、介護保険サービスの限度を越えた24時間対

な医療処置(ケア)を選択し最期を迎えるのかは、

応の付き添いや見守りが必要な状況となっているこ

個々の人生最後の重要な事柄である。しかし、その

とを説明してケアマネとの相談調整を依頼した。全

意思確認ができない場合が多くB氏も例外ではなか

身状態の衰弱が激しくなっていることから帰省の見

った。積極的な医療処置を望まないB氏と望む娘が

通しを積極的に検討してもらった。その間の急変な

意思決定するまでの支援過程で重要だったこととし

どには「すべてお任せします。覚悟は出来ているの

て①娘が父親の終末から死に向かう現実を受け止め

で何かあったら親しくしているE牧師に相談してほ

るまでの苦悩を共有し決定できるまで寄り添う存在

しい」とのことだった。変化に戸惑わない様にほぼ

であること②B氏の意思を確認する上で過去の生活

毎日、長女にB氏と妻の状況を伝えていった。

に影響していた人(E牧師、包括ケアマネ)との連
携は娘と医療・介護の当事者も信頼しより良い選択
と娘への意思決定に繋がった。

〇経過3.再入院から死去まで(2009.8.18 ~ 19)

2.医療介護関係者との連携

長女が帰省中の訪問診療日に関係者全員(クリニ

B氏の退院後の往診依頼から開始した在宅支援だ

ック医師・看護師・ケアマネ・訪問看護師・E牧師)が

ったが、認知症高齢者世帯や独居世帯では孤立して

B氏宅に集まり今後について検討した。
長女は予想以上に病態が悪化していることに困惑

生活している事例がほとんどであり、関係機関が退

し、
「入院させ生きていて欲しい、薬や抑制されて

院前に予測を持ちケアプランを共有する必要があ

も高カロリー輸液を、精神科でもかまわない」と訴

る。病院・クリニック間の連携をはじめ、包括・在宅

えた。医師とともに①今の全身状態では、薬物によ

訪問看護・介護サービス関係者が対象者の尊厳を護

る沈静は死につながる危険性が高い②医療者として

る立場で臨機応変にケース検討し方針を持つことが

現時点では見守りが最良と考えている③積極的な治

必要である。

療はB氏の望む穏やかな療養や最期を迎えることに
おわりに

反すると考えていることを伝えた。判断に迷う長女
に対して、E牧師が「本人が元気な時には何もしな

認知症高齢者の終末期ケアを行うときに可能な限

くて良い、病院にも行きたくない、と言っていた。

り対象者自身の意思が重視され、その意思を最も反

家にいるのが良いと思う。
」と話されたことも判断

映する家族の意思を尊重した支援が求められる。そ

の動機ともなり、最終的に積極的な治療は行わない

うした意思決定のための支援を地域関係者とB氏を

ことを娘自身が決断した。

支えるチームとして支援することの大切さを確認し
た。今後も人権を尊重し地域と共同で支えるために

かなり厳しい緊張した話し合いが終わり、看護師

実践を重ねたい。

が「めまぐるしいお父様の変化に、仕事もあり毎日
厳しい話を聞き決断を迫られて辛かったですね」と
ねぎらうと、初めて涙を流し表情も和らぎ「ありが

参考文献

とうございます。よろしくお願いします」という言

1.三宅貴夫:終末期認知症の医療に関する意思決定:老精

葉が聴かれた。更なる衰弱が進む中で長女は仕事に

医誌10(10)

戻らなければならず、妻と2人での在宅生活は困難

2.川越博美監修:終末期の自己決定を支える訪問看護

と関係者で結論を出さざるを得なかった。次に帰省
するまでに看取ることもあり得るが、一時入院とい
うことで長女も含めて了解された。
当日入院後に病状が急変し入院の翌日、妻と長女
が見守る中で永眠された。

97

発信-看護・介護の現場から

独居老人のターミナルケアの取り組み
勤医協上砂川診療所 看護師長

吉成 ルミ

共同研究者

診療所スタッフ一同

明。胆管細胞癌の治療をしても合併症のリスクが高

はじめに

いため治療はせず、本人も自宅での生活を望まれた。

医療改悪の中、有床診療所は徐々に減り、当診療
所も07年4月より無床診療所となった。入院対応は

ケアマネジャーを中心とした関係事業所と診療所

もちろん時間外や休日の対応ができず、近郊の病院

スタッフとのカンファレンスを重ね、訪問看護の導

や有床診療所である芦別平和診療所との連携が不可

入・訪問介護を増やす等のサービス調整を図った。

欠である。この間、自宅での療養や看取りを希望さ

年金暮らしのためサービスを増やすことに対し経済

れる患者様がおり、その思いに診療所としてどう応

的な不安もあり、無料・低額診療制度の利用につな

えていくべきか、医師をはじめ全スタッフと検討し、

げた。診療所では4月より在宅療養支援診療所(以

09年1月在宅療養支援診療所を取得するに至った。

後在支診と略す)往診を実施。緊急時、診療所と連

今回の事例はターミナル・独居の高齢者である。「家

絡が取れるよう自宅の電話に在支診の携帯番号をワ

で暮らしたい」と願う気持ちに応えるため、地域の

ンタッチダイヤルに登録し、何度も繰り返し本人に

関係事業所と連携し、入院までの間の在宅療養を支

説明した。独居であり家族は遠方であるため、本人・

えることができた。今回の事例を振り返り、診療所

家族の了解を得て近所の方々に病状の説明を行い、

の職員である私達ができることとその役割について

支援の協力を依頼した。また、町の緊急通報システ

考えてみた。

ムも利用しているため消防との連携にも努めた。急
変に備え往診用の薬品準備をしたり、内服自己管理
が難しいため処方内容の検討を行い、朝1回にする

研究方法

などの工夫も行なった。

①研究期間:09年3月1日より6月30日 ②研究
対象:A氏、男性、80代、一人暮らし ③研究方法:

その後、状態は安定されたが黄疸は徐々に増強、

事例研究 ④データー収集分析方法:一般診察時と

時折ある右側腹部痛にはソセゴン錠の屯服で対応。

訪問診療時のカルテの記録、各種カンファレンス、

近所の方からは食事の差し入れがあり、また、来院

在宅事業所からの情報 ⑤倫理的配慮:家族の承諾

時には訪問時の様子を伺うことができた。各関係事
業所からも薬の残数や状態の報告があり、その都度、
診療所スタッフも訪問し状態の把握に努めた。往診

事例紹介
疾患:原発性肺癌・胆管細胞癌・認知症 

後は訪問看護への情報提供を行い、月1回は関係事

利用サービス:訪問介護週3回、訪問看護週1回、

業所とのカンファレンスを開催し、状態の報告やサ

通所介護週1回、福祉用具貸与(電動カート)在宅

ービスの追加
(電動カート)
についても検討してきた。

療養支援診療所(以下在支診と略)による往診(基

6月末頃より黄疸による掻痒感出現。食欲も低下
し倦怠感強くなる。掻痒感については内服・外用薬

本は月2回+適宜)

にて対応するが症状改善見られず。「入院はまだし

支援経過:09年2月定期検査の胸部X-Pで肺に

たくない。タバコくらいはまだ吸いたい。」

陰影があり、肺CTにて原発性肺癌と診断。砂川市
立病院呼吸器内科に紹介するが、診断結果は同様で

との言葉が聞かれたが、6月30日、「頑張ってみ

年齢的にも積極的な治療は難しく、当診療所でのフ

たけどもうダメだわ、入院する」と在支診の携帯に

ォローとなった。通所介護より3月半ば黄疸と腹痛

電話が入り、バックベッドである芦別平和診療所に

出現との情報があり、受診につなげた。検査の結果、

入院となる。

胆管細胞癌と診断。その後本人と次男さんに病状説

98

考察

結果
A氏の入院までの経過を振り返るため、各関係事業

診療所スタッフを中心にして、ケアマネジャー・

所には連携について、そして、本人・家族・近所の方に

在宅スタッフとのカンファレンスを重ね、リアルタ

は、この間の、関わりや思いについて、それぞれ伺った。

イムに情報を交換し共有することで、サービスの決

◎ケアマネジャー:在宅スタッフは「普通の生活」

定・調整を図ることができた。そのことにより、病
状の変化にも迅速に対応ができた。

を支えてきただけ。電動カートをレンタルするに
あたっては、事故のリスクを考えるとためらった

独居のため緊急時の連絡については、関係事業所・

が、カンファレンスで「本人が望むならレンタル

近所の方にも周知を図ってきた。本人から連絡がく

したほうがいい」との意見をもらい、家族の同意

るか心配であったが、本人が連絡できたことは、私

のうえレンタルすることを決めた。電動カートに

達の関わりの成果だと考えられる。

乗れることは本人の楽しみであり「自分の目で見

長年住み慣れた地域だからこそできた地域の方の

て買い物したい」という本人の要望に応えること

厚い支援。この力はA氏の療養生活を支えるうえで

ができたので良かった。緊急時の連絡については、

とても大きなものであった。

ワンタッチダイヤル対応したことで本人も安心感

在支診の取得は、昼夜・休日を問わずA氏が療養

が高まったと思うし、そのことは今の安定した入

生活を送るうえでの精神的な支えになったと考えら

院生活ができたことに反映されたと思う。

れる。

◎訪問介護:栄養剤がなくなった時など連絡すると

無床診療所となった今、バックベッドである芦別

すぐ対応していただけたので心強かった。事業所

平和診療所との連携が不可欠であるが、今回、事前

間のカンファレンスは開催していたが、息子さん

にA氏の情報を共有することができなかったことが

とももう少し関わりがもてたら良かった。

大きな反省点であった。このことは今後の診療所の
役割を考えるうえで大きな教訓となった。

◎訪問看護:訪問看護からの報告⇒往診⇒訪問看護
への報告といったスムーズなフィードバックがさ

おわりに

れていたと思う。

高齢化率41%の上砂川町、過疎化が進みとりわけ

◎通所介護:本人の意向や痛み時の対応などカンフ

老々介護や認々介護となっている高齢者世帯や独居

ァレンスの中で確認することができた。
◎芦別平和診療所:患者様の情報を事前にいただけ

の高齢者がその多くを占めている。病気になっても

たら、受け入れの準備もスムーズに行なえたかも

住み慣れた愛着のある家で最後まで過ごしたいと願

れない。今後は連携を図っていきましょう。

う方はA氏に限らないと言えるだろう。そういう患
者様の思いに応えるために、診療所としてできるこ

◎本人:自分で連絡したのか?退院したらまた往診

とは、患者様が安心して療養生活ができるように、

に来て欲しい。今までくらいの頻度でいい。

日常診療での患者様の様子や、地域の方々の情報に

◎次男:便りがないことはいいことで、変わりがあ

機敏に反応し、常に対応できる「目と構え」をもつ

れば連絡を欲しい。
◎近所の方:新聞がたまってないか見たり、食事の

ことである。今回の事例を振り返り、教訓や学びと

差し入れをしている。できることをしているだけ

して得たことを大切にし、今後、更に奮闘していき

で負担はないです。次男さんも帰る際には声を掛

たい。

けてくれるようになった。

99

発信-看護・介護の現場から

臨地実習におけるヒヤリ・ハット体験を教材化する要因
勤医協札幌看護専門学校 専任教員

佐々木 オリエ

共同研究者

片岡和江・三上亜友・宇佐美麻理子・江崎絹枝・久保田千香子・伊藤保惠

被ることがないこと途中で協力を辞退できることを

はじめに

説明し協力を得た。またこれらのデータを研究の目

近年、看護医療事故が社会問題化し、より安全な

的以外に使わないことを説明した。

サービスが提供できる看護者の養成が必要とされて
いる。A校では2002年度より「学生が自己の行動特

用語の定義

性を客観視するとともに、事故の要因や予防の視点
を学び合う」ことを目的に臨地実習における「ヒヤ

教材化:教員が学生の直接的経験の把握や明確化

リ・ハット体験報告」を導入している。土屋は 「教

を行い、学習可能内容・かかわりの方向性を考え経

員としては、ニアミスを失敗として捉えず、その分

験の理解と説明ができるまでの意味づけを援助する

析を通して多感な学生を傷つけることなく、かつ、

プロセス。

1)

フィードバック:経験した過程を評価し、学生へ

この学生の成長への寄与材料へ転換できる能力とか

有効に返すこと。

かわりが求められる」と述べている。精神的負担と
なるヒヤリ・ハット体験を学生自身が探究し、医療

病態:病的状態のことを言い、人体のもつ基礎的

安全に対する認識を深めるには、ヒヤリ・ハット体

な生命活動である解剖学・生理学・生化学からみた総

験を教材化することが重要である。今回、実際の指

合的変化

導過程を分析することで、いくつかの教材化の要因
を明らかにしたので報告する。

結果

研究目的

教員はその心理状況に気づき、次に安全な行動がと

ヒヤリ・ハット体験の当日の学生は緊張していた。
れるためにどうしたらよいか、まずは安心して考え

臨地実習における学生のヒヤリ・ハット体験を教

られるようにかかわった。その上で、学生に体験内

材化する要因を明らかにする

容の経過など事実を表出させている。この場面では
研究方法

学生のショックな気持ちを受けとめ、話しを聴く教

1.研究対象:A校に在籍する2年次の学生のヒヤ

員の態度と、体験から自己の行動の意味を振り返り
できるような視点の提供がされた。ここを「方向づ

リ・ハット体験1事例

け場面」とし、『共感』が要因として抽出された。

2.ヒヤリ・ハット事例の概要:大腿骨転子下骨折に
て髄内釘による骨接合術後の80歳代女性。術後

次に、臨床指導者が学生に、患者の安全な移乗援

4日目から受け持つ。移乗は介助が必要な状況

助を獲得できるよう指導を継続し、学生は患者の病

で、学生が介助することの許可は得ていなかっ

態学習を進めた。骨折部位が力学的に固定が最も難

たが、指導者不在の中、単独で移乗を行った。

しい部位であり、骨粗鬆症の合併によって6週間の

3.研究期間:2008年10月~ 2009年5月

免荷が必要。アクシデントに至った場合、再手術と

4.分析方法:①学生のヒヤリ・ハット体験1事例に

いう患者への多大な影響が予測されることを理解し

対する指導過程を、安酸らの

2)

ていった。この時期に、ヒヤリ・ハット体験報告用

指導過程

紙に記載し、グループ討議する場を設けた。その中

記録用紙を用いて再構成。②4つの場面を分析し、

でメンバーから「自分にも起こりうる体験であるこ

研究者全員の討議のもとに要因を抽出した。

と」「事故防止の視点を学ぶことができた」と共感
と支持を得た。この場面では、ヒヤリ・ハットの再

倫理的配慮
研究対象事例に関わる患者・家族および学生に個

発を防ぎながら、学生の学習可能な内容の判断と提

人が特定されないこと、協力の賛否により不利益が

示、グループ討議という方法を有効に活用し、学生

100

を援助している。ここを「学習過程の援助場面」と

と述べている。本事例も適切な学習過程の応援をす

し『病態学習の応援』
『共有』が要因として抽出さ

ることでヒヤリ・ハット体験の意味を理解し、グル

れた。

ープへの開示ができていった。グループより支持的

3つめの場面では、グループ討議後の教員との振

共感と学習成果の共有が図られたことで内省化がす

り返りや、実習後のケースレポートなどの中で「辛

すみ、他の事例にも応用できる知識が獲得された。

かったが、振り返りをしたことで、移送や移乗が安

さらに、学習の成果がクラスメイト・教員・指導者か

全にできるようになり、次に受けもった患者さんに

らの評価としてフィードバックされ、自己効力感が

も活かすことができた。グループで話し合い、みん

高まったと考える。

なが言ってくれたことに共感し、たくさんのことに
気づくことができた」と言語化している。この場面

結論

を「経験の意味の探究場面」とし、要因として『意

1.共感的姿勢と学習者の成長を信じる学習者観

味づけ』が抽出された。

2.経験の意味を理解するための方向づけとして、
病態学習の応援

4つめの場面では、ケースレポートの発表後、教

3.具体的な体験から、他の事例に応用できる知識

員と臨床指導者から「ヒヤリ・ハットをみんなに伝

を見出せるような意味づけ

えるのは辛かったと思いますが、しっかり振り返っ

4.自己効力感を高めるフィードバック

たことで成長できたと思います」と伝え、学生の経
験の過程を評価している。ここを「フィードバック
場面」とした。その後、実習中に体験した看護技術

おわりに

を交流しあう「技術ゼミナール」で安全な移乗につ

本研究では1事例の分析という限界があるが、こ

いて発表し、積極的に質問にも答えていた。ここか

こで抽出された要因を活用し、医療安全に対する教

ら『自己効力感』の要因が抽出された。

育実践を発展させていきたい。

考察

引用文献

ヒヤリ・ハット体験による心境の変化として、自

1)土屋八千代:学生の実習中の事故とその対策に見る看護

分を責めるあるいは申し訳ないと思う学生が8割強

教員の役割 第35回看護学会論文集 
(看護教育)

を占めているという報告 があるように、マイナス

  P496 1994

イメージを抱きやすい。しかし、9割の学生が指導

2)安酸史子他:学生とともに創る臨床実習指導ワークブッ

3)

や体験を肯定的な学びとして受け止めているという
報告

4)

ク第2版 . 医学書院

もある。教員は、学生の気持ちに共感するこ

3)玉田圭子・高橋方子:看護学生のインシデント・医療事故

と、失敗体験から学ぶという学生の成長を信じ時間

に対する認識とサポート 第35回日本看護学会論文集

をかけてかかわることが必要である。

(看護教育)
 P280-282 2004

本事例の学生は、患者の移乗介助を「できそう」

4)北川悦子・渡辺眞利子:臨地実習における看護学生のヒ

と判断し、単独で実施している。川原ら の調査で

ヤリ・ハット体験と学習効果第35回日本看護学会論文集

は「学生の場合、危険を予測せずにヒヤリ・ハット

(看護教育)
 P21-23 2004

5)

を体験していることが多く、その点では事故を未然

5)川原ゆかり他:メタ認知の視点から見た学生のヒヤリ・

に防ぐための知識・技術の習得、習熟が必要」と述

ハット体験事例、看護教育 vol48 2007

べている。A校では、その核として、対象の病態理

6)渡辺眞利子他:ヒヤリ・ハットから学ばせる安全教育 

解を位置づけ、実習中の臨床講義、事例紹介、ケー

看護展望 vol30 2005

スレポートで病態理解のための学習を応援してい
る。その過程を経て、学生は、免荷の必要性を理解

参考文献

し、荷重がかかった場合の患者への影響を考えられ

1)
 小玉孝郎:生命の起源と生命活動:細胞を科学するため

るようになり、根拠に基づいた安全な移乗介助の実

に 北海道勤労者医療協会医学雑誌 第24巻 第1・2

施へと発展している。渡辺は

6)

「客観的に事実を確

合併号(通巻第29号)

認し、記述することで失敗の知識化を図ることがで

2)山崎純子:臨地実習におけるヒヤリ・ハット体験の学生

きる。そして知識化されたものは学生の中で消化さ

の意識調査、第19回日本看護学校協議会学会収録

れ十分な納得が得られたとき他者へも開示される」

  P62

101

編集後記

『還暦』の『還』は「かえる」
「もどる」という意味で、
『暦』は干支を意味する。
干支は本来、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干と、子・丑・寅・卯・
辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支を組み合わせたものを言い、60通り
の組み合わせがある。60年で干支が一回りし、生まれ年の干支に戻ることから、
『還暦』と言われるようになったそうだ。
1949年、産声を上げた北海道勤医協も60年、『還暦』を迎えた。今号は、私た
ち勤医協の看護の歴史を概観し、民医連看護がどの時代にも「あきらめず」に
粘り強く患者を支えてきた実践をまとめた。勤医協の創設期から看護の基礎を
作り上げてきた先輩諸氏の方々の随想、北海道の地域医療を支える一翼として
奮闘する診療所の医師や看護師の実践、人権意識の感度を磨き社会制度の改善
を働きかけてきた看護集団とこれから…、今号のテーマである「いのち、人権」
が読者の皆様に伝われば幸いである。
古くから『還暦』は『赤いもの』が贈られる。生まれた年の干支に還る…赤ちゃ
んに還る…赤は魔よけの色、と言う由来からである。表紙の「赤」はここから
選ばれた。北海道勤医協の看護集団も「生まれた年の理念」を改めて心に刻み、
これからの時代を歩んで行きたいと思う。

2009年度 看護雑誌編集委員会
編集委員長  須田 倫子(勤医協札幌病院 総看護師長)
編集委員   佐賀 裕美(勤医協中央病院 5階東病棟看護師長)
       大槻由美子(勤医協西区病院 通所リハビリテーション看護師長)
       幌 沙小里(勤医協苫小牧病院 2病棟看護師長)
       田中 恵子(勤医協札幌みなみ診療所 看護師長)
       谷井紀美子(勤医協老人保健施設柏ケ丘 療養生活部看護師長)
       山崎 純子(勤医協札幌看護専門学校 副教務主任)
       宮地 直子(勤医協菊水こども診療所 看護師主任)
       安田千香子(勤医協札幌西区病院 3病棟ケアワーカー主任)
事務局    児玉 志織(勤医協本部看護部)
       森内 美穂(勤医協本部看護部)

102

103

北海道勤医協院所一覧

2010年4月1日現在

●本部事務局
〔〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目1 井上ビル〕
ホームページURL http://www.kin-ikyo.or.jp/

電 話 011-811-5370

●中央病院
〔〒007-8505 札幌市東区伏古10条2丁目15-1〕
ホームページURL http://www.kin-ikyo-chuo.jp/

電 話 011-782-9111

●伏古10条クリニック
〔〒007-0870 札幌市東区伏古10条3丁目2〕

電 話 011-786-5588

●メンタルクリニック東
〔〒007-8505 札幌市東区伏古10条2丁目14-16 水島ビル2階〕

電 話 011-789-6100

●札幌病院
〔〒003-8510 札幌市白石区菊水4条1丁目9-22〕
ホームページURL http://www.satsubyo.com/

電 話 011-811-2246

●菊水こども診療所
〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目8-6〕

電 話 011-833-3633

●札幌市白石区介護予防センター菊水
〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目9-22〕

電 話 011-820-1365

●札幌西区病院
〔〒063-0061 札幌市西区西町北19丁目1-5〕
ホームページURL http://www.kin-ikyo-nishiku.jp/

電 話 011-663-5711

●にしまちクリニック
〔〒063-0062 札幌市西区西町南19丁目1-18 メゾン・ドゥ・リバニュー1階〕電 話 011-661-2988

●苫小牧病院
〔〒053-0855 苫小牧市見山町1丁目8-23〕
ホームページURL http://www.kin-ikyotomakomaibyoin.jp/

電 話 0144-72-3151

●札幌北区ぽぷらクリニック
〔〒001-0910 札幌市北区新琴似10条2丁目1〕

電 話 011-762-8811

●札幌クリニック
〔〒060-0061 札幌市中央区南1条西10丁目 タイムスビル5階〕

電 話 011-221-3415

●月寒医院
〔〒062-0020 札幌市豊平区月寒中央通4丁目1-15〕

電 話 011-851-0229

●老人保健施設柏ケ丘
〔〒003-0028 札幌市白石区平和通り7丁目南5-1〕

104

電 話 011-865-0010

北海道勤医協院所一覧

●平和通りクリニック
〔〒003-0028 札幌市白石区平和通り7丁目南5-1〕

電 話 011-864-0912

●もみじ台内科診療所
〔〒004-0013 札幌市厚別区もみじ台西6丁目1-4〕

電 話 011-897-5051

●札幌みなみ診療所
〔〒005-0812 札幌市南区川沿12条2丁目2-35〕

電 話 011-572-6661

●当別診療所
〔〒061-0224 石狩郡当別町末広118-52〕

電 話 0133-23-3010

●小樽診療所
〔〒047-0036 小樽市長橋4丁目5-23〕

電 話 0134-25-5722

●余市診療所
〔〒046-0003 余市郡余市町黒川町12丁目46〕

電 話 0135-22-2861

●黒松内診療所
〔〒048-0101 寿都郡黒松内町字黒松内306-1〕

電 話 0136-72-3344

●室蘭診療所
〔〒050-0085 室蘭市輪西町2丁目3-17〕

電 話 0143-43-1737

●厚賀診療所
〔〒059-2243 沙流郡日高町字厚賀町109〕

電 話 0145-65-2711

●浦河診療所
〔〒057-0024 浦河郡浦河町築地2丁目1-2〕

電 話 0146-22-2501

●神威診療所
〔〒073-0405 歌志内市中村26-2〕

電 話 0125-42-2025

●上砂川診療所
〔〒073-0211 空知郡上砂川町字上砂川町198-3〕

電 話 0125-62-2204

●芦別平和診療所
〔〒075-0002 芦別市北2条西1丁目2〕

電 話 0124-22-2685

●勤医協札幌看護専門学校
〔〒007-0871 札幌市東区伏古11条1丁目〕

電 話 011-783-8557

105

北海道勤労者在宅医療福祉協会 事業所一覧

2010年3月31日現在

★株式会社北海道勤労者在宅医療福祉協会(本部事務局)
〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目9-1第2菊水ビル3階〕

電 話 817-2771

ホームページURL http://www.sapporo-zaitaku.jp/【人事共育部直通】

電 話 817-3040

FAX 811-0622

フリーダイヤル 0120-455-135

★勤医協北白石在宅総合センター
〔〒003-0871 札幌市白石区米里1条4丁目6-10〕
勤医協居宅介護支援事業所北白石

電 話 879-1273

FAX 879-1276

勤医協ヘルパーステーション北白石

電 話 879-1294

FAX 879-1276

勤医協デイサービスセンター花さか荘

電 話 871-1633

FAX 879-1276

勤医協高齢者専用賃貸住宅 花の里

電 話 871-7721

FAX 871-7690

電 話 871-7780

FAX 871-7690

〔〒003-0871札幌市白石区米里1条4丁目6-10〕
勤医協デイサービス花りん荘(かりんそう)
〔〒003-0871札幌市白石区米里1条4丁目6-10〕

★勤医協菊水在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-193-294

〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目9-1〕

事務直通820-5234

勤医協ケアプランセンターあゆみ

電 話 820-7671

FAX 820-1356

勤医協きくすい訪問看護ステーション

電 話 820-1262

FAX 820-1356

勤医協ヘルパーステーション菊水

電 話 820-6085

FAX 820-1356

菊水ひまわりデイサービス

電 話 837-6831

FAX 837-6832

フリーダイヤル 0120-231-294

★勤医協柏ヶ丘在宅総合センター
〔〒003-0027 札幌市白石区本通7丁目北2番16号〕
勤医協柏ヶ丘居宅介護支援事業所

電 話 846-1175

FAX 846-1301

勤医協ヘルパーステーション柏ヶ丘

電 話 846-1294

FAX 846-1301

フリーダイヤル 0120-631-294

★勤医協東在宅総合センター
〔〒007-0870 札幌東区伏古10条2丁目18-7〕
勤医協札幌ひがし訪問看護ステーション居宅介護支援事業所

電 話 780-3610

FAX 785-2940

勤医協札幌ひがし訪問看護ステーション

電 話 786-1294

FAX 785-2940

勤医協東ヘルパーセンター

電 話 785-0078

FAX 785-2940

デイ・サービス ふしこ

電 話 789-3739

FAX 789-3749

デイサービスさくら草〔〒065-0026東区北26条東22丁目7-3〕

電 話 780-7120

FAX 780-7121

フリーダイヤル 0120-731-294

★勤医協北在宅総合センター
〔〒001-0910 札幌市北区新琴似10条2丁目4〕
勤医協きた居宅介護支援事業所

電 話 763-8684

FAX 763-2940

勤医協きた訪問看護ステーション

電 話 763-8684

FAX 763-2940

勤医協北ヘルパーセンター

電 話 763-1294

FAX 763-2940

勤医協札幌北区デイサービス大笑

電 話 762-9084

FAX 762-1922

勤医協札幌北区ショートステイ希望のさと

電 話 762-8809

FAX 762-9078

勤医協有料老人ホームふれあい

電 話 763-8684

FAX 763-2940

屯田デイサービス 陽だまりの家〔〒002-0853北区屯田3条3丁目9-1〕

電 話 795-8670

FAX 795-9086

106

北海道勤労者在宅医療福祉協会 事業所一覧
★勤医協西在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-249-294

〔〒063-0061 札幌市西区西町北20丁目5-16〕
勤医協札幌にし居宅介護支援事業所

電 話 667-1226

FAX 667-1003

勤医協札幌にし訪問看護ステーション

電 話 667-1226

FAX 667-1003

勤医協西ヘルパーセンター

電 話 667-1294

FAX 667-1003

勤医協ケアプランセンターすずらん

電 話 667-3737

FAX 662-7177

〔西区西町北19丁目2-3 メゾンドサカエⅡ105号〕

★勤医協しのろ在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-299-294

〔〒002-8026 札幌市北区篠路6条1丁目1-1〕
勤医協しのろ居宅介護支援事業所

電 話 774-1295

FAX 774-1299

勤医協訪問看護ステーションしのろ

電 話 774-1298

FAX 774-1299

勤医協ヘルパーステーションしのろ

電 話 774-1294

FAX 774-1299

勤医協しのろデイサービスふくふく

電 話 775-2899

FAX 775-2899

勤医協老人ホーム爽風館しのろ

電 話 774-3577

FAX 774-1299

★勤医協めいえん在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-101-294

〔〒065-0019 札幌市東区北19条東12丁目1-36〕
勤医協居宅介護支援事業所めいえん

電 話 743-2506

FAX 743-7768

勤医協ヘルパーステーションめいえん

電 話 743-1294

FAX 743-7768

勤医協めいえんデイサービスさんさん

電 話 748-7680

FAX 743-7768

★勤医協手稲あけぼの在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-091-294

〔〒006-0834 札幌市手稲区曙4条2丁目6-32〕
勤医協訪問看護ステーション手稲あけぼの

電 話 688-1295

FAX 688-1297

勤医協居宅介護支援事業所手稲あけぼの

電 話 688-1296

FAX 688-1297

勤医協ヘルパーステーション手稲あけぼの

電 話 688-1294

FAX 688-1297

勤医協デイサービスあけぼの

電 話 688-1296

FAX 688-1297

★勤医協中央区在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-261-294

〔〒064-0811 札幌市中央区南11条西18丁目1-8〕
勤医協中央区居宅介護支援事業所こうさい

電 話 561-3727

FAX 561-2101

勤医協中央区幌西デイサービスなごみの家

電 話 561-4001

FAX 561-2101

勤医協中央区ヘルパーステーションこうさい

電 話 561-1294

FAX 561-2101

勤医協黒松内居宅介護支援事業所

電話 0136-72-4379

FAX 0136-72-4397

勤医協くろまつない訪問看護ステーション

電話 0136-72-4379

FAX 0136-72-4397

(サブST)すっつステーション

電話 0136-63-2377

FAX 0136-63-2378

電話 0136-77-2130

FAX 0136-77-2027

電話 0136-72-3344

FAX 0136-72-3457

★勤医協黒松内在宅総合センター
〔〒048-0101 寿都郡黒松内町字黒松内311-13〕

〔〒048-0406 寿都郡寿都町渡島町90-1寿都シオンルーテル協会〕
勤医協くろまつないヘルパーステーションすまいる
〔〒048-0101 黒松内町字黒松内306-15〕
共同住宅「ふきのとう」
〔〒048-0101 黒松内町字黒松内306-1診療所2階〕

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北海道勤労者在宅医療福祉協会 事業所一覧
★勤医協ふしこ在宅総合センター
〔〒007-0870 札幌市東区伏古10条3丁目3-8〕
勤医協ケアプランセンターみどり
勤医協リハビリデイサービス元気
勤医協ふしこ北デイサービス笑福
〔〒007-0871 東区伏古11条1丁目2-25〕
勤医協共同住宅ハンズ〔〒007-0871 東区伏古11条1丁目2-25〕

電 話 789-5115
電 話 787-4123
電 話 789-5507

FAX 786-7570
FAX 786-7570
FAX 789-1688

(デイサービス笑福へ電話して下さい)

★勤医協月寒在宅総合センター
〔〒062-0020 札幌市豊平区月寒中央通4丁目1-15〕
勤医協月寒居宅介護支援事業所
勤医協つきさむ訪問看護ステーション
勤医協月寒ヘルパーステーション
勤医協月寒デイサービス

電 話
電 話
電 話
電 話

859-3015
852-5101
859-7282
858-1155

FAX
FAX
FAX
FAX

852-5102
852-5102
859-7281
858-1150

電 話
電 話
電 話
電 話

572-6664
572-6664
572-6675
578-2650

FAX
FAX
FAX
FAX

578-2711
578-2711
572-6676
578-2650

電話
電話
電話
電話

0133-23-0453
0133-23-0453
0133-23-0466
0133-23-3066

FAX
FAX
FAX
FAX

0133-23-0461
0133-23-0461
0133-23-0461
0133-23-0461

電話
電話
電話
電話

0134-33-1326
0134-33-1326
0134-25-5720
0134-54-1667

FAX
FAX
FAX
FAX

0134-25-5760
0134-25-5760
0134-25-5760
0134-54-1686

〔〒046-0003 余市郡余市町黒川町12丁目46番地〕
勤医協余市居宅介護支援事業所
勤医協よいち訪問看護ステーション
勤医協よいちデイサービス
勤医協有料老人ホーム「にれの木」

電話
電話
電話
電話

0135-22-7201
0135-22-7124
0135-22-5988
0135-21-6211

FAX
FAX
FAX
FAX

0135-22-7206
0135-22-7206
0135-22-2206
0135-22-7206

★勤医協苫小牧在宅総合センター

電話 0144-71-1731

FAX 0144-71-1732

〔〒053-0855 苫小牧市見山町1丁目9番4号〕
勤医協苫小牧居宅介護支援事業所
勤医協とまこまい訪問看護ステーション

電話 0144-71-5605
電話 0144-75-7775

FAX 0144-72-5600
FAX 0144-75-7120

★勤医協みなみ在宅総合センター
〔〒005-0812 札幌市南区川沿12条2丁目2番35号〕
勤医協札幌南区居宅介護支援事業所
勤医協札幌みなみ訪問看護ステーション
勤医協札幌みなみヘルパーステーション
勤医協札幌みなみデイサービス
※以下、藤野事業所は2010年4月オープン予定です
勤医協藤野高齢者専用住宅「みなみ風」
〔〒061-2283 札幌市南区藤野3条4丁目15〕
勤医協藤野デイサービス
勤医協ヘルパーステーション藤野

★勤医協当別在宅総合センター
〔〒061-0224 石狩郡当別町末広町118番地52〕
勤医協当別居宅介護支援事業所
勤医協訪問看護ステーションとうべつ
勤医協ヘルパーステーションとうべつ
勤医協当別デイサービスふきのとう

★勤医協小樽在宅総合センター
〔〒047-0036 小樽市長橋4丁目5番23号〕
勤医協小樽居宅介護支援事業所
勤医協おたる訪問看護ステーション
勤医協小樽デイサービス
勤医協船浜デイサービスひだまり〔〒047-0157 小樽市船浜町5番11号〕

★勤医協余市在宅総合センター

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北海道勤労者在宅医療福祉協会 事業所一覧
★勤医協沼ノ端在宅総合センター
〔〒059-1304 苫小牧市北栄町2丁目27-11〕
勤医協沼ノ端居宅介護支援事業所

電話 0144-53-8011

FAX 0144-53-8012

勤医協沼ノ端デイサービスなごや家

電話 0144-53-7588

FAX 0144-53-7587

勤医協室蘭居宅介護支援事業所

電話 0143-46-6465

FAX 0143-41-6678

★勤医協室蘭在宅総合センター
〔〒050-0085 室蘭市輪西町2丁目3-17〕
勤医協むろらん訪問看護ステーション

電話 0143-45-6737

FAX 0143-41-6678

勤医協むろらんデイサービス

電話 0143-46-6466

FAX 0143-45-6806

勤医協むろらんデイサービスゆう

電話 0143-46-6466

FAX 0143-45-6806

勤医協ヘルパーステーションむろらん

電話 0143-45-6805

FAX 0143-43-1738

★勤医協厚賀在宅総合センター
〔〒059-2243 沙流郡日高町字厚賀町109〕
勤医協厚賀居宅介護支援事業所

電話 01456-5-7020 FAX 01456-5-7020

勤医協厚賀デイサービス

電話 01456-5-7020 FAX 01456-5-7020

★勤医協うらかわ在宅総合センター
〔〒057-0024 浦河郡浦河町築地2丁目1-2〕
勤医協浦河居宅介護支援事業所

電話 0146-22-1913

FAX 0146-22-2651

勤医協うらかわ訪問看護ステーション

電話 0146-22-1909

FAX 0146-22-2651

(サブST)厚賀ステーション〔〒059-2243 沙流郡日高町字厚賀町109〕 電話 01456-5-7020 FAX 01456-5-7020
勤医協浦河デイサービスゆらり

電話 0146-22-3150

FAX 0146-22-2651

勤医協浦河ヘルパーステーションわかば

電話 0146-22-2641

FAX 0146-22-2651

★勤医協空知在宅総合センター
〔〒073-0405 歌志内市中村26-2〕
勤医協歌志内居宅介護支援事業所

電話 0125-42-2467

FAX 0125-42-3135

勤医協芦別居宅介護支援事業所〔〒075-0002 芦別市北2条西1丁目2〕 電話 0124-22-5113

FAX 0124-22-5113

勤医協うたしない訪問看護ステーション

FAX 0125-42-3135

電話 0125-42-3123

(サブST)芦別ステーション〔〒075-0002 芦別市北2条西1丁目2〕 電話 0124-23-3255

FAX 0124-22-4572

勤医協うたしないデイサービスすこやか

電話 0125-42-6220

FAX 0125-42-6220

勤医協そらちヘルパーセンターいきいき

電話 0125-43-2503

FAX 0125-43-2517

★勤医協きよた在宅総合センター

フリーダイヤル 0120-271-294

〔〒004-0841 札幌市清田区清田1条2丁目5-8〕
勤医協きよた居宅介護支援事業所

電 話 887-1233

FAX 886-9955

勤医協きよたデイサービスさんぽみち

電 話 887-1222

FAX 886-9955

勤医協きよた高齢者専用賃貸住宅「水芭蕉」

電 話 887-1294

FAX 886-9955

★勤医協丘珠在宅総合センター ※各事業所へ用事の場合、直通ダイヤルでお願いします。内線はありません。
〔〒007-0835 札幌市東区北35条東27丁目3-18〕    事務室 電 話 783-0777

FAX 784-5456

勤医協丘珠通所介護すこやか

電 話 783-7826

FAX 783-7826

勤医協丘珠デイサービス

電 話 783-5497

FAX 783-5497

勤医協丘珠ショートステイ

電 話 784-3895

FAX 784-3895

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北海道勤労者在宅医療福祉協会 事業所一覧
★勤医協新発寒在宅総合センター
〔〒006-0806 手稲区新発寒6条3丁目9番3号〕
勤医協札幌にし居宅介護支援事業所

電 話 699-1512

FAX 699-1517

勤医協新発寒デイサービス

電 話 699-1514

FAX 699-1517

小規模多機能居宅介護支援事業所「結」

電 話 699-1513

FAX 699-1517

勤医協共同住宅「たんねの里」

電 話 699-1511

FAX 699-1517

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2010年4月

行 日

看護雑誌編集委員会

社団法人 北海道勤労者医療協会

2010年5月15日

〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目(井上ビル)(811)5370㈹
発行責任者

刷 所

峯田 あけみ
(株)
北海道機関紙印刷所