なぜ東京に

二木 信

3 月 14 日(月)

た原発の爆発の映像はあまりにもショッキング

金曜日に東日本巨大地震が起きてから、ほと

だった。悪夢としか思えない。不安な週末を過ご

んど家を出ていない。
とにかく福島原発が不安で

す。マジで原発は大丈夫なのだろうか? どれが

しょうがないが、12 日には地震が起きてから連

正しい情報か見極める必要がある。気づくとずっ

絡がつかなかった仙台の叔母、伯父、祖母が無

とテレビやインターネットに釘付けになっている。

事であることがいとこを通じてわかったと茨城

N さんから連絡があって、明日の DOMMUNE の

のつくばの実家の母親から連絡が入る。ひと安

インディ・ヒップホップの番組は予定通りやるら

心する。仙台に電話はまだつながらない。つくば

しい。マジっすか!? いったい、こんな時に人

市も断水などけっこう大変みたいだ。3 月 11 日

前に出て何を話せばいいのか? 出演するかど

の段階で、原子力保安院が福島第一原発 2 号炉

うか迷っている。音楽を奏でたい人、メッセージ

から半径 3 キロメートル以内の住民に避難指示

を届けたい人、いつもどおり日常を送りたい人、

を、3 キロから 10 キロの範囲の住民に屋内待機

彼ら、彼女らの意思は尊重する。自分はまだそ

の指示を出している。12 日には福島第一原発か

んな気になれない。直感的に「音楽はまだ早い」

ら半径 20 キロ以内に避難地域を拡大。福島原発

と思う。

の影響で、都内でも今後、計画停電が行われるか
もしれないとニュースでやっている。テレビで見

2

3 月 15 日(火)

てしまった。不謹慎にもヤツが津波から逃げるよ

結局、DOMMUNE は中止になった。正直、ほ

うにスクーターを走らせる姿を想像すると……。

っとしている。福島第一原発2号機で爆発? 政

M は原発のことより日本の景気がますます悪化

府は福島第一原発の半径 20 キロから 30 キロの

することを不安に思っているようだった。オレが

住民に屋内退避の指示を出した。放射線、放射

放射能対策でマスクをしていることは 2 人から

性物質に脅える日々が続く。正確な情報と知識

すれば相当滑稽に見えるらしい。
「そんなんじゃ

を得たい。すでに東京を脱出して、西に向かった

無理でしょ」と M にあっさり言われる。M はそ

Y 氏から連絡が入る。早い人はすでに東京を離

んなことより最近のアメリカのヒップホップの話

れようとしている。オレ、どうしようか? 慌て

がしたいらしく、パソコンであれこれ聴かせてく

て荷造りを始めるオレの横で M ちゃんは「京都

れた。こんなときでもストーナー・ラップにはま

とか大阪に行って、その後じゃあどうすんの? 

っているとは……、余裕だな~。

今後を考えないで行ってもしょうがないでしょ」。
たしかに。冷静だし、正論だ。

3 月 17 日(木)
計画停電は電車の本数を減らすことで回避し

3 月 16 日(水)

たとか。ほんと? 自分の住む中野区は最初か

仙台の叔母の家と電話がやっとつながった。イ

ら計画停電の区域に入っていなかった。それにし

ンフラはまだない状態だが、意外にも元気そう

ても、海外メディアに載る東北地方の被災地の

だ。海岸沿いと高台ではまったく被害の状況が

写真と日本のマスメディアに載る写真はなぜこ

違うという。原子力資料情報室の記者会見を観

うも違うのだろうか。海外メディアの写真は被災

る。後藤正志さんには技術者の意地のようなもの

者・被災地に肉迫しようとする“情熱”が感じら

を感じる。これ以上被害が拡大しないことを切に

れるが、日本のマスメディアの写真は必死に何か

願っている。東京に住む私たちも被災者なのでは

を隠そうとしているように見える。

ないだろうか。こっちがあっちに比べて不幸だと
か、あっちに比べればこっちはマシだとか、そう

3 月 19 日(土)

いう比較にどれだけの意味があるのか。問題はそ

昨夜、ZINE を作る面子と中野の焼肉屋で飲

ういうことではないだろう。地震の後、まともに

む。すっかり打ち合わせがあるのを忘れていた。

外に出ていなかったけれど、昨日の夜、M から

遅れて到着。原発が不安で堪らないという話をし

連絡があって、近所の焼き鳥屋で飲むことに。Y

ているに違いないと乗り込むと、N、O くん、M

と M ちゃんも合流。それぞれが不安に思ってい

は仙台についての話をしている。そう、彼らの地

ることがまったく違って驚くと同時に人と話して

元は仙台だった。Oくんの妹の旦那さんの実家は

気持ちが和らぐ。ポスティングのバイトをしてい

壊滅的被害を受けたそうだ。M の家族の無事を

る Y は東京の埋立地の液状化現象と余震による

確認したのは I さんのお父さんだったという。首

津波を恐れ、職場にそっちへはバイクで行きたく

都圏、東京に住む人間が原発のことばかりを考

ないと頼みこんだらしい。本人は本気だが、笑っ

えているわけではない。しかし、原発の冷却は海

なぜ東京に

3

水でなんとかなるものなのだろうか……。

30km 圏内の住民に、枝野官房長官が自主避難
を要請したという。そして、ここに来て、関西や

3 月某日
原発が爆発した後、関西に少しの間行ってい
て、東京に戻ってきた M さんからの電話。開口

九州に逃げていた仲間たちがちらほら東京に戻
って来ている。
原発の安全性を高め、原発を残そうと主張す

一番に出てきたことばは「反原発デモをやろう!」

る人々がいる。原発を無くせば電気代が上がっ

だった。
「やろう!」、迷うことなく返事をした。何

て大変だと生活の危機を訴える人、原発が無く

かそのやり取りだけで、これまでのモヤモヤが少

なれば、供給される電力量が減ると言う人がい

しだけ晴れた気がした。

る。意見はさまざまだけれど、原発を残したい
という人に共通しているのは、これまで享受して

3 月 24 日(木)

きた「豊かさ」を絶対に手放したくないという気

ついに昨日、都内の浄水場から「乳児の飲用

持ちではないだろうか。私はこれまで享受してき

に適さない濃度の」放射性ヨウ素が検出されたと

た「豊かさ」とは異なる「豊かさ」を創造しな

いうニュースがあった。つ、つ、ついに……。

ければならないと考えている。それが何なのかは

20 日の DOMMUNE「URBAN REVEL SOUL」

まだはっきりとはわからない。ただ、ひとつだけ

は本当に素晴らしかった。十分な準備期間が

いえるのはいままでの「豊かさ」に縛られて生き

なかったはずだが、すべてのラッパー、DJ が

るのはもう御免だということだ。根本的な生き方

情熱的なライヴを披露してくれた。RAU DEF、

の変革が問われている。いま、原発の問題を考

PUNPEE、GAPPER、S.L.A.C.K.、SIMI LAB の

えることは、わたしたちがこれまで享受してきた

ライヴも最高だった。熱気でカメラが曇るかと思

「豊かさ」をどう考えるかということと不可分だ

った。KILLER-BONG が BLACK RAIN(黒い雨)

ろう。国力が落ちようが、国際競争力が落ちよう

と不吉な名前を名乗ったとおり、次の日は雨が

が、自分は「豊かに」生きていける自信があるし、

降った。びびった。私は福島原発に恐怖し、数

私たちは「豊かに」生きられる術を知っている。

日前に本気で東京を離れようとも考えていた。で
も、残って良かった。飄々と振舞う SIMI LAB の

3 月 27 日(日)

メンバーが、あんなにほとばしるパッションに満

昨日は KAIKOO「HOPE」@渋谷 asia に遊び

ち溢れたヤツらだと知って嬉しくなった。そして

に行った。DJ BAKUといとうせいこうのライヴを

なにより、動機はいろいろ、思いもいろいろだっ

観た。「善のネーションの連帯」を主張する、い

たと思うけど、こういうときに俊敏に動いてくれ

とうせいこうのアジテーションに素直にノレなか

たすべてのアーバン・レベル・ソウルに心底感動

った。奇麗事でしかないように思える。自分は民

した。ありがとう !!!!

衆の力を信じているし、善の力も信じている。し
かし、ああいう善悪二元論の演説にはどうして

4

3 月 25 日(金)

も胡散臭さを感じてしまう。演説のスタイルにあ

屋内退避を指示されていた半径 20km から

る種の「あざとさ」を感じてしまう。「陳列され

た革命の言葉」に思えてしまった。別に身近な
人間だからというわけではないが、あれなら松

3 月 29 日(火)

本哉の演説、アジテーションの方がよっぽど説

4 月 10 日、高円寺にて「被災地支援金集め&

得力がある。町で生きる人間の活き活きとした

原発いい加減にしろ!」ということでデモをやる

革命の言葉を吐き出していると思う。また、人

ことに。
「代替案がないなら文句は言わない。大

間の怒りや悲しみや不安や恐怖といった感情の

人の常識です。文句はだれでも言える」とあるラ

割り切れなさを吐き出す KILLER-BONG の混沌

ッパーがツイートしていた。私はまったく逆の考

としたその日の音のほうが圧倒的に説得力があ

え方をしている。代替案がなくても文句は言うべ

った。「HOPE」という文字がディストピアチック

きである。バカな頭で考えたアイディアをどんど

な映像に埋もれていく VJ も良かった。ラウンジ

ん言っていくべきだ。大人の常識というもっとも

の INNER SCIENCE のファンキーな DJ も良かっ

らしい言葉で自由な言論や自由な発想を抑えつ

た。しこたま飲んで、踊った。良いパーティだっ

けようとしているだけに思える。エジプト革命に

た。自粛ムードでミュージシャンやアーティスト

参加した民衆の誰もが、
ムバラク大統領を打倒し

は仕事が減っていて大変そうだけど、どんどんパ

たあとの政権のあり方、政治体制を具体的に構

ーティやって欲しい。

想していたはずがない。変化とはそういう計画性
の中からは生まれない。もっとシンプルに「もう

3 月 28 日(月)

イヤだ!」という怒りの声から変化は始まる。無

『東京新聞』から忌野清志郎の「サマータイム・

謀な、あるいは、絵空事に思える理想論を自由

ブルース」についてのコメントを求められる。今

に発言できる環境を残しておくこと。それが人々

回の件で多くの一般の人が専門家でもないのに

の力になる。とにかく、思いついた意見を出し合

インターネットで調べてきた付け焼刃の知識で

い、議論する。そしてその非生産的な時間が、常

ツイッターやブログに日本経済のためには原発

識に縛られない、創造的な変革の駆動力になる。

が必要だとか、科学の進歩の過程だとか、わか
ったようなことを言う人がいる。
「サマータイム・

4 月 3 日(日)

ブルース」を聴くと、理屈じゃなくて、命に関わ

高校の先輩の結婚式へ。みんないちおう元気

る危険な原子力発電所はイヤだから、イヤだとは

そうで! 結婚式後、昼から江戸川橋の近くで盛

っきり言えばいいと気持ちを後押しされる気が

大に花見をやる。束の間の休息という感じ。桜も

する。反原発のメッセージをポップ・ミュージッ

ちょうど見ごろだった。でも、やはりここでも話

クとして表現できたのが忌野清志郎の説得力だ

題は原発や放射能の話題に……、まあ仕方ない。

と思う。いまどうしても原発のことを考えるとシ

デモをやると言うと……「代替案は?」
「まあ、

リアスになりがちだけれど、「サマータイム・ブ

れはまた今度」

「二木は火炎瓶投げたいだけで

ルース」にはユーモアの精神もある。しかめっ面

しょ」「はははは、それは違います」
。愉しかった

しながら反対を叫ぶこと以外の異議申し立ての

です。馬場の飲み屋に行く頃はもう千鳥足もいい

やり方もあると教えられる気がする。

ところで……飲んで、飲んで、また飲んで、飲み

なぜ東京に

5

すぎた。高校の頃の連中と会うと、いつも同じ話

た。クラブやライヴハウスで遊ぶ人、幼馴染、数

で笑えて、盛り上がれてしまう。しかし、町を歩

年ぶりに会う友達、飲み仲間、エトセトラ。4 月

いていて見かけるマスクをしている人たちは花

10 日のあのデモが実現できたのは、2003 年のイ

粉症対策なのか、放射能対策なのか、気になる。

ラク反戦のサウンドデモ、高円寺一揆、なんと

訊いてみたくなってしまう。今日、放射能どれぐ

かフェスといったいろんな蓄積があったからこ

らい吸ったかな? そんなことを普通に考える。

そだろう。そしてもちろん、多くの人が老若男女

反原発のデモの準備をやっていて、はじめて感

問わず「原発やめろ」というメッセージに賛同し

じたのは「社会的責務」というやつだ。柄にもな

たから。そのことがもっとも大きい。五日市街道

く。いままで、いろんなデモをやってきたが「社

での RUMI のライヴは最高だった。
「邪悪な放射

会的責務」を感じたことなどなかった。むしろ、

能」!

その手の、もっともらしい、常識的な責任論に反

ぐ る り と 回 っ て 青 梅 街 道 に 戻 っ て 来 て、

発があったのだけど……。今回は
「自分たちだけ

MAYURI さんが DJ をはじめると、一気に爆発。

良ければいい」と考えているだけではだめだろう。

UR の「ハイテック・ジャズ」に「原発反対」
「原
発やめろ」のシュプレヒコールが乗ったとき、ま

4 月 6 日(水)

ったく自然に思えてしまった。シュプレヒコール

ふと考える。エビスのビールを飲もうと思った

があんなに格好よく聴こえるなんて! 青梅街道

ら、電気の供給量が足りなくて、工場が稼動しな

いっぱいに広がり、道路を占拠し、ヨーロッパの

くて、金麦しか飲めなかったとか、今日はデート

デモのようになってしまった! あとで写真を見

できれいな夜景を見に行こうと思ったけれど、節

て、そのあまりに感動的な光景に、なんというか、

電日でガールフレンドと気まずくなったとか、そ

やっていて良かったと思った。自分はずっとサウ

ういうことがあってもいい。それぐらいの不便さ

ンドカーの横にいたから、全体は見えてない。雑

なんてどうってことないじゃないか。逆に人生に

多な人たちがそれぞれの表現方法で「原発やめ

ドラマが増えそうな気がしてわくわくしてしまう。

ろ」をのびのび訴えることができた。不幸中の幸

横浜の方で暴走族が原発反対暴走をしていたら

いというか、むしろ、隊列が分かれることで多様

しい。なんか、いい話だ。

性が浮き彫りになったのかもしれない。人生を楽
しみたい人たちが、原発によって人生を楽しむこ

4 月 14 日(木)

とを妨げられていると感じている。そういう人た

4 月 10 日のデモは、これまで自分がやってき

ちが集まったのだから、デモを思いっきり楽しむ

たことが間違っていなかった、と思える素晴らし

のは当たり前じゃないか。原発問題は終わってい

い1日だった。当日はかなり冷静だった。あんな

ないが、まずは「原発はやめろ !!!!」という意思

光景見たことがなかった。自分がこれまで参加し

表示をやろうという当初の目標は想像以上の規

たデモのなかでもっとも大きく、もっとも刺激的

模で達成できた。

で、もっともあり得ない光景だった。こんなこと
が起きるなんて! 知っている人にたくさんあっ

6

4 月 15 日(金)
DOMMUNE の「TALKING about DEMO!!!」

大できる、言葉や理論や理念を持っているのであ
れば、大いに語るべきだったが、そうではなかっ

は出演を辞退して、ツイッターの TL に上がる

た。私たちは、次にどう動けばいいのか、どうす

質問を拾う役目をした。前半のトークを聞きな

れば原発を止めることができるのかと、具体的に

がら、なんとも言えない気持ちになった。なぜ、

考えている。実践的な知恵を必要としている。そ

司会者が当事者の声を真摯に訊こうとしないの

れが私たちにとっての「いまを生きる」という意

か? 理解に苦しむ。反原発・脱原発の動きを

味だ。私たちは私たちのやり方で進むしかない。

文化現象として議論することも大事だけれど、い

いまほど反対意見の人が重要だと思ったこと

まはこの盛り上がりを活性化させる、より実践

はない。考えるきっかけを与えてくれるのは反対

的な議論をするべきではなかっただろうか。もち

意見を持っている人間だ。感情的にはネガティ

ろん人に「動け」「君もやれ」と言うことが抑圧

ヴになるけれど、自分の思考を明快にするため

的に働くこともわかっている。人にはそれぞれ事

には反対意見の人との議論は有意義だ。この間

情がある。特性も考え方も価値観も生き方も違

の東日本大震災で確実にある価値観が変わって

う。誰もがなんらかのアクションを起こせるわけ

しまった。その変化は脆弱さを意味するのだろう

ではない。だからこそ、
お互いが相手の立場を尊

か、柔軟さを意味するのだろうか。まだよくわか

重して語り合うべきではないだろうか。司会者の

らない。首都圏や東京は被災地ではないという

2 人は、「君たちは頑張っているけど、自分はい

意見があるが、果たしてそうだろうか。IRA のブ

ろいろ経験してきてわかっているから」「自分は

ログにアップされていた「慈善ではなく連帯を」

ラディカルだから」という立ち位置から離れて語

という考え方はとてもしっくりくる。すべてが人

ることをしなかった。そして、いままさに路上に

事ではなくなったように思える。変えないで欲し

現れ始めた「民衆の底力」の意味を理解していな

いと願う人々と変えたいと願う人々、変化を恐怖

いことを露呈してしまった。彼らの関心は自分の

する人々と、変化を希望する人々がはっきりと分

意見や主張や見解を披露することでしかなかっ

かれた。その意味で、この間、女性の方が圧倒

た。いま動いている私たちにとって役に立ちそう

的に「ラディカル」だった。

な道具や言葉はほとんどなかった。いま必要なの
は、デモや原発に関心はなかったけど、この危機
的状況で止むに止まれず声を上げてしまった人
たちの生の声ではないだろうか。異なる価値観の
人たちが話し合うことではないだろうか。彼ら・
彼女らの率直な、生の声を聞くことが、未来に
つながると信じている。仮に、反原発・脱原発の
「メディアやチャンネルを拡大」したいのであれ
ば、番組の企画者・司会者は紹介者に徹するべ
きだったと思う。企画者・司会者が現状をより拡

なぜ東京に

7

震え

中里 勇太

そのため、ここUSAでは、あなたがたを巨大な震えが動かしている。みなが
みなの前で震えている。それももっとも強い者がもっとも弱い者の前で、もっとも
馬鹿でないものが最大の馬鹿者の前で。アメリカのダイナミズムと呼ばれている
ものは、この国全体の長い震えなのだ。(ジャン・ジュネ「メーデー・スピーチ」)

長い揺れのただなかにいる。南三陸町、東松

震度7」という文字を目にした瞬間、まさかと

島市、聞き慣れない地名が耳に入ってきた。大

いう思いにわずかばかりの冷静さも吹き飛ん

学入学を機に東京へ出るまでの 18 年間を、私

でしまった。幸いにも家族とはその日のうちに

は仙台、石巻に暮らした。3 月 11 日の災害以

連絡がとれた。

降、いまだ宮城県内の地を踏んではいない。

詳しくおぼえてはいないが、宮城県内の沿

2005 年を中心とした大規模な市町村合併に

岸部で最初に報道されたのが南三陸町であっ

よる新たな自治体の名前は、存在こそ知っては

たように思う。目を疑う光景とともに聞き慣れ

いても、実感として身に迫ってくることはもち

ない土地の名を耳にした。けれども、私の目の

ろん皆無に等しかった。その日、引越しの準備

まえをよぎり、耳から離れない別の名前があっ

をしているさなかにまず地震が起きた。おおき

た。唐桑、気仙沼、本吉、歌津、志津川、北

な揺れではあったが、収まったのち真っ先に震

上、雄勝、女川、牡鹿、渡波、石巻、矢本、鳴

源を確認するべくテレビをつけた。東北で育っ

瀬、松島、塩竃、七ヶ浜、多賀城、荒浜、名

たもの特有の勘であろうか、体験した揺れは外

取、岩沼、亘理、山元、……。港や湾、そし

縁であるように思えた。しかし「宮城県北部 

て平地の名前だった。ここに抜けている名もあ

8

るだろうし、挙げた土地のすべてを訪れてはい

曲線をもち、太平洋の南から押しよせてく

ないと思う。しかし、テレビのまえで声を震わ

る波の連なりの浸食に侵されるがままに

せ土地の名を挙げていた、それは私の身に起

そこにいるようです。けれど浜(岸)に接

きた出来事だった。功利性優先の政策は土地

するその曲線の手前には、波を受けとめる

の名を暴力的に整理し、そこがどこであるのか

空間もまたひろがっているのです。

もうわからなくなっていく。名前を消滅させる
ことで場所性を失いつつすでに足もとは震え

湾の名前はけっして固有のものではなく、か

ていた。荒れていく波が日付を封じこめるその

たやその土地に住んでいなければ、その名の

すがたを目にしたひとびとは、もう一度土地の

発生の秘密を身に潜ませることは困難である。

名をつよく希求する。同時に、テレビのまえで

広義に仙台湾と呼ばれるそこでも失われてい

声を震わせた土地は私のもうすこし古い目に

った名は数知れず、いまもまた多くの単独者

どんな名前を呼びおこしていたのだろうか、そ

の名が失われている。散り散りになった集落や

んな想いにもとらわれた。私のうちに在る古い

ちいさな空間、生活のうちに潜む数知れぬ名

目。「せんだい」と、その名で呼ばれるまえの

を切り裂かれた心性。それを携えた古い目の

頃におぼえていた光景やら記憶すらも、目のま

呼びかけがなおも目のまえで明滅する。波に

えに散り散りに明滅する。

侵されるがままの浜(岸)とひろくおおきな空
間、その縁に浮かぶ、名の発生のもとにうまれ

ちょうど市町村合併が盛んだったころだっ

るちいさな空間。この矛盾する構造は海や波

た。はじめて向かう奄美大島への飛行機のな

と対峙する生活に深く息づいている。であれば

かで、列島の白地図を見ていた私は仙台湾に

こそ、日付が目に留まったあのあと、わたした

対して次のような所感を抱いた。

ちは人の手によって集約された砂漠に家屋を
立てない。港に、湾に、さらなる低い土に停

ここからさらに、南へ、南へ向かいます。

泊する船のように、時計は針を逆さに進め、時

しかし、それ以前に北からやってくるもの

分はすでに固まってしまった。長い揺れのただ

がありました。奄美大島への飛行機のな

なかにいる。ほんとうにそうなのだろうか? 

かで何気なくひらいた、この弓なりの列島

荒れているのは波、それだけであろうか? 湾

の白地図を見ている眼に、はっきりとした

の名前を口にして、声を震わせてみると、ひ

すがたをもって僕の生まれ育った土地で

とたび打ちたててしまえば風化は免れない柱

ある宮城 ‐ 仙台湾が浮かび上がってきま

が立った。整然と支柱たらんとする語の柱。彼

した。漠然とただ眺めている眼の底がひろ

(女)らはそれを舌で転がした。転がさずに

がり、「懐かしさ」とは違ったところから

呑みこんだ。吐きだして抱えている? 抱えこ

の「母性」がひらかれています。すぐ北に

んでいる? 抱えこみ、括られることから逃げ

位置するリアス式の三陸海岸のようにご

る、逃げる、逃げる。そうなのだ。湾の名前を

つごつした感じがなく、それはゆるやかな

口にすることからも逃げ、砂漠ではテントを立

震え

9

てる。家屋の柱となりつつある語は縄で括りつ

速さで明確に押しよせ、、引く、そんな潮を見

けてしまえばいい。テントは始終打ち捨てられ

ては津波を想った。潮の満ち引きをあれほど目

くる

る。そしてまた包まれる。浅く突きたてたポー

にしたことはなく、
〈胎動〉などと思った私はや

ルが穿つ穴だけを残していくが、それもすぐに

はり馬鹿ものだったのだろうか。殊に男はただ

風に攫われた砂で塞がれる。彼(女)らは砂

放つだけで満ちていて、波は抑制するものだと

漠を歩いている。港や、湾をこえ、さらなる低

思っている。女の胎の身の震え、
いいや彼女た

い土に停泊する船のように、荒れた時分は固ま

ちが震わせている波のありかなど、いまをもっ

ってしまったかのようにみえるが、彼(女)ら

て想像もつかない。わずかな言葉を震わせてい

はどこへ向かおうと、湾の名をくぐもらせ、喉

たひとびと。それを看過し、進んだ。ただ漠然

の奥でいちど唾棄した声を震わせ移動してい

と前に、塊となって、逃走すべき間も見つけら

く。声を震わせなくてはならない。唾棄すべき

れず。波は塊となって進んできただけではなか

語は名前となって発生し、その秘密を彼(女)

った。海。海がひろがった。徐々に深く、そし

らは抱いて向かう。

て押しあがってくる。3 階、4 階、屋上、……、
呑みこまれるのは間もなくだった。津波はとて

もっとも弱いものたちが造りあげた。70 年代

つもない速度で深くひろがる暗い海だった。少

からこのさき、数えれば 50 数基、そのまえで

しの間、間しかなかった。長いあいだ叫びなど

震えていた。はっきりと、明確に、わずかな言

なかった。叫びと、叫びのあいだ、わずかな言

くる

葉を震わせていたひとびとを看過しつづけ、包

葉を震わせていたひとびと。彼(女)らは身を

みこまれた。わずかな記憶だが、石巻にサーカ

挺している。その地で駆ける牛や犬の逃避行

ス団が来たのを憶えている。観に行ったように

は、公然たる逃走だろう。

も、急病で結局行けなかったようにも、記憶は
あやふやである。ふと、サーカスの綱渡りに想

その身体とは誰のものであったのか。地

いがのびる。綱を、芸の担い手ではなく、綱の

を這う、擦れていく背中ごしに骨まで通

揺れをみなで傍観し、一喜一憂していた身の

ずる痛みがあるほどの。脱ぎ去り、破か

震え、
それだけではなかったか。いま、彼(女)

れた布きれは散乱し、つまみあげると手

らはそのまえに身を挺している。むろん、身を

にするはずの石が音をたててこぼれ落ち

挺すことや身を投げだすということはあっては

る。紐で縛られたまま泣きわめけば意のま

ならない。それはひとつの抱えこみである。わ

まだと言うように、じっと耐え抜いた眼だ

ずかな言葉を遺棄し、進んだ。震えのままに

け。嗚咽にもならぬ悲鳴など決してあげ

進み、
それこそが進むべき進行方向であると疑

ぬ。地を這いずる声とともに衣服は置き去

い、だが疑わずに。なにもかわらない。家族の

りにされていく。踵をやけに強張らせた硬

状況を確認し、疑い、だが疑わずに。災害から

い熱の塊。後に蹴り上げるその足で声高

13 日後、私は海外へ飛び立った。フランスの

に主張する一団がやってくる。目隠しをさ

とある浜で、一日を過ごしたとき、目に見える

れたまま、すでに踵は地を離れ、痙攣し

10

た唇の端から声は立ち上らない。川を流

はいけない。蹴り返し、笑みを返せ。もう

れ、川に覆いかぶさる、蝋燭もなく泥と黒

僕に順番はまわってこない。

い油。始まりは投げ出された靴、片足の
靴。始まりから置き去りにされている、身

これからさき「福島 ― Fukushima」という

体とは誰のものであったのか。首を吊り、

名が隔たりをもって迎えられるようなことがあ

車に引き摺られ、身を匿い隠し殴打され

れば、わたしたちはかわらずに震えのなかに

る。名前は吃音で発しつづけなければな

とどまるだろう。この身体が誰のものであるの

らなかった。舌をぬかれてもなお舌を守り

か、考えるまでもなく次が待機している。隔た

通すのはただ吃音だけだった。皮肉にも通

りをつくり自らのまわりに周到な網を張りめ

行証の顔だけがクローズアップされる。密

ぐらす弱きものを震わせること。網のまわりへ

告者は僕だけではないはずだ。そこで見

赴こうとするこころを震わせること。それでも

た。塊だった、嗚咽と囁きと下卑た笑い

微細な粒子はすでに身のうちから放射能を放

も血液や精液いったいなにが流れている、

つことをやめないかもしれない。世代をこえて

川。産みつくしたはずの僕の嘘のなかで

つたう遺産を目にし、弱きものを、それを止

ガチャガチャ鳴る行き来する、耳、眼に見

められなかった自らを恨むかもしれない。いま

えるあの麻袋、転がされているのは僕だ。

となってはもう遅いのかもしれない。だが、漁

耳、いいや、転がして狂騒にふける僕がい

師というひとびとは必ずや海へ戻る。移動テン

る。下顎をさするしぐさを見るとあなたを

トを手繰り、いくたびも海や波を切り裂いてい

哀れに思う。そう言って去った、走り去っ

く。いまやはっきりと海のうえに浮かぶ帆の群

た耳だけ残して目の前に崩れ落ちた。引

島のすがたがみえる。海を震わせていく群島

き千切られる最中に引用する言葉なんて

が―。この持続する心音にきれぎれに遡る

あるだろうか。のような。のようだ。空缶、

声。この心臓以外に、これからわたしたちはな

それを拾い上げる。眠りの中で手を使って

にを震わせていこうか。

震え

11

3.11 / 4.10 雑感

氏家
一色 こうき

いる。体内に堆積しまさに寿命

う。数年後に甲状腺癌を誘発す

利権をひっくり返して生きる権

が縮んでいるのだと思う。しかし

るという。空気は汚染されてい

利/あたしたちが生きているあ

傷みはない。ただちに影響はな

る。ゆえに砂場で遊ばせたくな

いだには解決できないかもしれ

いという。では未来はどうなると

いし、海で泳がせたくない。万

ない/それでも声をあげたいと

云うのだろうか。ぼくたちは未来

が一の脅威にさらされ続け、子

/未来に希望を残したいと/子

を担保にして生きている。貯金

どもらから“今”を奪う。しか

どもの、子どもの、子どもの、子

し、年金を払い、保険に加入し、 し、それでも発病してしまうとし

どもにも海で泳がせたいと/だ

持家を買い、結婚し、子を育む

から今日声をあげることを決め

……。賃労働とは“今”という

何のために生きているのか分

た RUMI /ラッパー代表やらせ

時間を将来の可能性のために費

からなくなる。何のために労働

ていただきます/すべての拳を

やすことなのかもしれない。レー

しているのか、もう一度問い直さ

かかげろ/声をあげろ/私たち

ルは敷かれている。レールの先

なければならない。3.11 以後を

に新鮮な空気を吸わせろ…… 
(RUMI 4.10 フリースタイル)

〈予示的政治〉

たら……。

には光明があるのだという。リス

生きるとは、つまりそういうこと

クを最小限に留めるために“今”

なのだろう。“利権をひっくり返

を捨去り将来に賭ける。

して生きる権利”とラップしたの

では、暗い未来が予知されて

は 4.10 高円寺反原発デモでの

いるとしたら、どうしろというの

RUMI だが、世界がどのようであ

3.11 以後を生きている。そし

だろうか。放射能は発育著しい

って欲しいか、再考を迫らなけ

て見えない放射能に脅かされて

子どもに、より影響を与えるとい

ればならない。

12

スピーカーを設置し、絶妙な鳴

20分近くして次の島が。チン

とはオルタ・グローバリゼーショ

りを実現。ランキンさん曰く「こ

ドンが炭坑節を奏でて闊歩して

ンのキーワードである。デモは

のシステムだったら安心してラ

くる。賑やかで平和な感じ。ライ

示威行為であると同時に祝祭空

イヴができる」
。下ネタ交じりで

ヴ・カーのエッジの効いたアティ

間でもあって欲しい。直接行動

場をなごます。

テュードとはまた違った感じ。そ

“もうひとつの世界は可能だ”

は自由で反権威主義的なもので

その頃、デモの先頭はすでに

の後にまたしばらくしてイルコ

あることが望まれ、それを〈予

青梅街道に差し掛かっている。

モンズ率いるドラムサークルが

示的政治〉という言葉で言い表

っちはライヴ・カーだ。早くもス

やってくる。きょうは人数が揃っ

したりする。4.10 に現れたもの

ピーカーは飛んでる模様。アン

て総勢 20 名ほど。対抗 G8、反

は、このような概念を体現して

プから出ている楽器の音は平気

麻生、反ナイキ、反基地、そして

いた。もちろん、高円寺流のサ

だけど、ボーカル・マイクは機能

プレカリアートの運動などここ

ブカルチャー=ファッションや音

していない。以後、拡声器で対

2、3 年のデモ・集会で出会った

楽に強烈に彩られたものであれ、 応したらしい。デモにはお似合

人たちが動員もなくタムやスネ

いだった、って。この隊列、デ

ア、ジャンベを抱えてリズムが打

“今”を愉しむ自由を鮮明に表

モ首謀者の松本哉が選挙出馬時

ち響く場所に群がる。この“集

現し、利権を支配する者たちが

に駅前でライヴをやったとき出

団”のように見えるサークルは

だ。しかし、無数の逸脱行為は

敷くレールを好き勝手に拒否し

演したハプニングから、最近話

街頭でデモに遭遇したり、初め

ている。私たちに必要なのは一

題のどついたるねんやフジロッ久

てデモに参加した人たちの眼に

部だけが利益に預かる原発に象

(仮)など若手も登場。音楽性

は不思議に映っただろう。ノー・

徴される社会ではなく、仲間や

は全然違うけど、方向性は似て

スペクテーター。ここには何かを

子どもたちとヨロシク遊んで、呑

る。否、それも似ていないかも

表現しようとする主体しかいな

んで唄って踊って、悦びを分か

しれないけれど、お祭り騒ぎは

い。そして鼓動によって繋がって

ち合える社会だ。これは強欲で

大好きなのかな? トラックに

いく。直接行動のなかで自由と

はないだろう。私腹を肥やすこと

乗ってのライヴはそれだけでち

反権威主義を表現すること。
〈予

に躍起になる大企業の放漫さに

ょっと不格好でユーモラス。でも

示的政治〉
がここにあるのかもし

比べ、些細な幸せでしかない。

その必死さがパンクだなー、と

れない……。

4.10 高円寺反原発デモ

思う。この日は隊列が何個にも

そして、サウンド・カーがや

分割される。
界隈のあらびき芸人

ってくる。ランキンさんのあとに

「原発ダメ! 絶対!」と叫ぶ

(?)じゃましマンが数えたとこ

AXEMAN、YAHMAN と DJ が

MC ランキン・タクシー。いうま

ろ 15 分割されていたらしい。全

続き、RUMI がマイクを握ってい

でもないジャパニーズ・レゲエの

部が繋がって一体になっている

る。新高円寺交差点はデモ隊が

オリジネーター。彼のサウンド・

光景を見たかった。ゴール地点

交差しカオスの様相を呈してい

システムはイラク反戦やマリフ

の北口広場でも流れ解散。人だ

る。まもなく、群 衆が片側車線

ァナ・マーチで大活躍。でもこ

かりの熱狂は凄い。人だかりは

全体を覆い尽くす……。

の日はコバヤシステムが 2 tロ

介入される。ここでも連帯は断

ングのトラックの四隅に8本の

ち切られる。

クラウド

3.11 / 4.10 雑感

13

1975 → 2011 → 2046 →

高橋 政宏

仙台市中心部のセブンイレブン(著者撮影)

3/11 以降に変わった、
   個人的な 10 の事柄

このまま世界が終わるかのよう

避難所を渡り歩いたが、見つか

だった、という。

る気配がない。仕方がないので、
その女の子は、街に転がる無数
の死体の顔を、一体一体確認し

好きな人が増えた

僕の実家、仙台に住む姉は、た

嫌いな人が増えた

またま、友人たちと遊びに出か

人が踊る姿を愛しくなった

けた石巻市で震災に遭った。車

悲しい結末を探す旅。遺体を

記憶がとんだ

は津波に流され、避難所に逃げ

確認するって、どういう気持ちだ

眠りが浅くなった

込んだ。その後、仙台に帰るま

ろう。違う人物であれば、
まずは

涙もろくなった

での 3 日間、姉は避難民の一人

安堵するだろう、しかし、もしか

酒量が増えた

として過ごすことになる。

したら、その瞬間、残念な気持

ながら歩いていたという。

避難所で姉は、一人の女の子

ちも混ざるかもしれない。見つか

疲れやすくなった

と知り合った。その女の子は、

らないと、辛い行脚は終わらな

死にたくなくなった

ろな表情で、頼りのない足取り

い。次の顔を見て歩かなければ

臆病になった

でフラフラと歩いていた。姉が

ならない。遺体を見つけてしまう

「大丈夫ですか」と声をかける

と、希望は無くなる。悲しい結

震度 7 の地震に襲われた直後、 と、女の子は泣き崩れ、嗚咽交
宮城県では、突如として狂った
ような吹雪が始まった。まるで、

14

末がゴールの旅。

りに事情を話し始めた。
女の子は恋人を捜していた。

石巻から仙台に戻ってきた姉

から、その話を電話で聞いた 2

ている仙台からは、大きく変容

今は大分、片付いたみたいだ」。
そう言えば、母が言っていた。

週間後に、僕は帰仙した。物資

していた。事実、仙台駅周辺を

を詰め込んだバッグを抱え、緊

歩いた数時間、震災以外の話題

父は、震災後、酒量が増えたら

張しながら高速バスを降りると、

は聞こえなかった。東京との距

しい。3 月 11 日直後の停電期間

目の前では蛍光灯に照らされた

離を感じた。物理的な距離以上

中、懐中電灯とろうそくの中、毎

ヨドバシカメラが営業していた。

に、空気の距離を感じた。故郷

晩のように近所の人を呼んでお

駅構内の薬局では水も生理用品

に対して、一種の疎外感すら感

酒を飲んでいた。自分が生まれ

も売っている。仙台の街は予想

じた。仙台の人たちは、生活に

た土地に襲い掛かった、
どうしよ

したよりも、変わらないように見

必要なもの、不必要なもの、を

うもない恐怖と対峙しながら。

えた。しかし、市内中心部を少

学んだみたいだ。
今までと同じで

し歩いてみると、その考えはすぐ

はいけない、と考えているみたい

岡田地区から 2Km ほどで荒

に撤回された。

だ。仙台は、東京に対する憧れ

浜地区に入る。ぐちゃぐちゃに

まず、コンビニには新聞で目

を素直に持つ街だった。これか

なった道路を徐行しながら進む。

張りがされている。閉店後、泥

らは、消費の街「東京」の背中

つい数週間までには見えなかっ

棒が入らないための防犯らしい。 を追いかけはしない。仙台は変

たはずの水平線が見える荒野に

被害の大きい建物には紙が貼ら

わるだろう。僕はその姿を見てい

は、ひしゃげた車が大量に散乱

れている。赤紙は危険、黄色は

きたい。そのために、
まずは今の

していた。まるで、車という生物

要注意、という意だ。

現実を見ておくべきだ。僕は父

が大量発生し、猪のように暴走

「今から荒浜にいきた
街の会話に耳をすませてみた。 に電話し、

しだし、頭が悪いから至る所に

道ばたでは、お兄さんが、ケー

い」と告げた。父は数秒間の沈

ぶつかって自害を果たしたみた

タイ電話片手に「避難所のあい

黙の後、
「わかった」と言った。

いに。3 月は車が湧いたねー、

している。喫茶店では、女の子

荒浜地区は 300 人の遺体が打

ミニカーをとっ散らかしたみた

が「夜が怖いから、家族で雑魚

ち上げられた街、
として報道され

いに。2 台の車が交尾をしている

寝をしているの」と言う。食堂

ていた。僕の実家からの距離は

ような形もある。仰向けに寝てい

では、隣のテーブルのおじさん

8Km ほどだ。実家から車を走ら

る車の窓に、スプレーで、OK と

が、失業者の雇用創出について

せて 15 分ほどで「岡田」と呼ば

書かれていた。遺体がなかった、
という確認の意味らしい。

たいに。子供特有の破壊衝動で

つを元気づけにいこうぜ」と話

持論を展開している。電車のシ

れる荒浜の手前の地区まで差し

ートでは、おばさんが「そんな

掛かると、車窓からは徐々に津

に贅沢しなくていいのよ」と話し

波の痕跡が見えてきた。水田は

荒浜小学校の体育館には、大き

ている。そこは紛れもない被災

泥でつぶされ、道路の脇にはゴ

な丸太が刺さっていた。まるで、

地だった。19 年間住んでいた街

ミや瓦礫の山が積み上げられて

コントのセットのようだった。笑

が、初めて訪れた土地のように

いる。ふいに父が車を停め、言

い出す人がいてもおかしくない

った。
「お父さん、この辺りで生

くらい、まるで現実味がなかった。

思えた。仙台市内は、被害が少

荒浜地区の入り口に位置する

瓦礫だらけの交差点に差し掛

ない(海沿いに面する荒浜地区

まれたんだ。先週、来たときは、

を除けば)
。それでも、僕の知っ

ここから先の道は進めなかった。 かったとき、車を停めて父が言っ

1975 → 2011 → 2046 →

15

は翌年、29 歳で独立した。腕一

れ、東京の三鷹の家に連れて帰

家を見たかったんだけど、これ

本で飛び回った。収入は何倍に

ってしまった。

じゃ、どこがどこだかわからない

も増えた。独立した年に、母と

た。
「おじさん(僕の大叔父)の

東北に訪れた突然の死、東京

な。確かこの辺にガソリンスタン

結婚した。昭和 50 年のことだっ

ドがあって、ここにファミマがあ

た。昭和 51 年、僕の兄である長

って……」

男が生まれた。昭和 52 年、姉が

毎日は続く。心の中では、見え

生まれた。昭和 55 年に、僕が生

ない恐怖への不安を隠しながら。

まるでわかるわけがない。そ
こには、なんにもないのだから。

僕は、どこかの駅で、置いてけぼ

まれた。

りをくらった感覚が続いている。

そこには、瓦礫しかないのだか
ら。あとは海猫が鳴いているだ
けだ。瓦礫を走る暴走族がいる

に訪れる緩やかな死。

仙台を出発する前日、僕は、母
原爆投下後の広島を描いた、

に頼まれて本棚を整理した。

こうの史代のマンガ『夕凪の街

だけだ。文字通りの荒野を走る

古い本がたくさん収納されて

彼らが、周回遅れで現れた、世紀

いた。ふと、視界に『初めての

 桜の国』に、こんな一節があ

末マンガの悪役に見えた。2011

おかあさん入門』
という本が入っ

る。

年 4 月 24 日現在、荒浜の大叔

てきた。奥付をみると、昭和 50

「ぜんたい、この街の人は不

父とは、いまだ連絡がついてい

年だった。その瞬間、僕は、な

自然だ。誰もあのことを言わな

ない。

ぜだか、泣いてしまった。

い。いまだにわけがわからないの

その本が、36 年の歴史を運ん
帰りの車中に、思った。まさ

でくれた気がした。荒浜の大叔

か、こんな形で父の生地を踏む

父と父の独立、母の出産、子供

だ」。

今 から 36 年 後、2046 年は、

ことになるとは予想だにしなか

を育てる喜びと不安、奇跡的に

どんな世界になっているのだろ

った。そういえば、僕は父の経

継続している生活、つながって

う? 例えば、もっと先、2093

歴をよく知らない。職人である

いる歴史。自分が生きられたこ

年はどんな国に? 2128 年は?

父が、いつ独立したのか、きっか

と。僕はその本を自分の鞄にい

僕は、生に貪欲でありたい。

けは何なのか。助手席から、父
の歴史を聞いてみた。
父は荒浜の近く、岡田で生ま
れた。その後、
苦竹という地区に
移り住んだ。僕の祖父と祖母を
養わなければならなかった。父
は腕のいい職人だったが、働い
ても働いても、所属する会社か
らの給料は上がらず、生活は苦
しかった。
父が悩んでいると、荒浜の大
叔父が言った。
「独立しろ」。父

16

仙台市若林区荒浜地区(著者撮影)

life is comin' back 長谷川 弘

A子はその時も一本足でたくみにバランス
をとりながら激しくギターをかき鳴らしていた
にちがいない。

るはずもなかったのであろう。
そもそもそんな廃墟に人がいることなど誰
も知らなかったし、当時日々更新されていた死

不器用なリズム音がとっさに調子を変えて

亡者リストにはA子以外の家族全員の名前は

しまうことでもちろんその演奏に影響がない

あってもA子本人の名が記されることはもち

わけでもなかったが、むしろそれにあわせよう

ろんなく、結局最後まで行方不明者リストにそ

とする過程で独自の奏法を極めることができ

の名前が印字されていたところをみると、片足

たのだという大胆な指摘もある。たしかにこ

をなくして以来そこに住みつづけていること

のようなリズムの変調は決して演奏に適して

を彼女は誰にも告げていなかったと考えてよ

いるとはいい難く、そもそもライブハウスの外

かろう。おなじクラスで交際相手のB助も、A

からきこえる電動ドリルやハンマーによるそれ

子のゆくえはまったく知らずてっきり死んだも

らのリズムは当然A子のギター演奏を想定し

のと思っていたくらいである(とはいえこの証

ているわけでもない。ドリルやハンマーをあや

言はそれほど重要ではない。というのも震災以

つる作業員たちの思いはといえば壊れた街を

前から2人の関係は決して順調とはいえず、と

もとどおりに建てなおし、かつての日常におけ

くにスタジオ練習の時、音楽に対する意識がA

る人々の笑顔をとり戻したいという平凡なも

子ほど高くはないB助はしばしばからかうよ

のだったので、おなじく年末の震災で廃墟と

うに演奏の邪魔をしてはケンカになることが

なった地下のライブハウスでひとりの少女が

多かったという他のメンバーの話もあるから

リズムをとっていることになど彼らは思いいた

だ。ただし2人の不仲が先か、音楽への意識

life is comin' back

17

の違いが先か、そこはメンバーの間でも議論の

りくる日常の恐怖から自分を救い出してくれ

わかれるところである)。

る白馬の王子のような姿を与えていたのかも

そんな街はずれのライブハウスで、日々近づ

しれない。いよいよ復興作業が隔離地区近辺、

いてくる復興の不器用なリズムに、A子はハイ

つまりいまはなきライブハウスのほんの通りを

スピードのメロディーラインをのせながらも強

はさんだ手前までやってきたその夜、きっとA

い恐れをいだいていただろうことはたしかだ。

子はまだ見ぬ王子をつかまえるべく、暗闇のな

それは、アンプが壊れているためにA子のエレ

か夜どおし出入口の階段に目をこらしたので

キギターの音が工事音にかきけされ練習にな

ある。といっても夜は自然とねむくなってしま

らなくなってしまうことを恐れていたのだとい

う年ごろだから、睡魔と戦うためにすることと

う見方もあったが、その後の出来事からはむし

いってもギターを弾くことくらいしかなかった

ろ、復興の波が街はずれまでおよぶようなら早

だろう。

くその場を離れ、さらに周辺地へ、つまりその

A子はその時も一本足でたくみにバランス

先の、放射能汚染により立入禁止となっている

をとりながら激しくギターをかき鳴らしていた

隔離地区へと逃げなくてはいけないかもしれ

にちがいない。あまりにも演奏に没頭していた

ないことへの恐れと考えるべきだろう。ただ隔

ためか、侵入者の影に気づいたのはその夜何

離地区といっても人が住んでいないわけでは

周目かのレパートリーをひととおり終えた時

ないので、A子もそこまで絶望はしていなかっ

だった。背の高いその影は、食料袋を投げ置

たはずだ。それでも、
その地区に住む人々の存

いて逃げるように階段を駆けあがって行った

在は違法であり、そのほとんどが、避難先での

のだったが、すでに暗闇に目の慣れていたA子

仕事やつきあいになじめず、さらには震災で体

はそのぎこちない足どりを見て、それが2人の

に損傷を受けたことによる負い目や差別で世

人間の組み合わせ、つまり両足のない女と、女

間の目から逃げるようにしてそこへ移り住ん

を背負う両腕のない男のうしろ姿であると認

できた者ばかりなので、そんな気むずかしそう

めることができた。すこし驚きながらも胸の高

な人たちとはたして一介の女子高生である自

鳴りをおさえきれないA子は、その時ラブソン

分がわたり合えるのかどうか、大きな不安があ

グのひとつでも作ったであろうが、やがて隔離

ったことは想像に難くない。

地区からやってきた大勢の人々の前でその新

天涯孤独のA子に日々の食事を提供してい
たのはこの地区の者だったということが、いま

曲を披露するチャンスがあったのかどうかは
不明である。

ではわかっている。毎朝工事のはじまる音で目

ライブハウスいっぱいにつめかけた観客た

覚め、ライブハウス出入口の地上へと通じる

ちへむけて、A子のアンプラグドエレキギター

階段に置かれた一日分の食料を見つけるだけ

はいつもより冴えわたる。腕のない男が踏むス

のA子は、おそらくそのことを知らなかったろ

テップに合わせて、足のない女が楽しげにこぶ

う。だからこそA子にはすがる思いもあったに

しをまわす。皮膚のただれた女が陽気に絶叫し

ちがいない。あるいはまだ見ぬ援助者へ、迫

たかと思うと、最前列の車いす軍団がハイなう

18

なり声をあげる。松葉杖や包帯が熱狂的に飛

死体の山と化したのである。あまりの惨状に気

び交うフロアの盛りあがりを見て、A子は得意

絶したA子はそのまま警官隊に保護されて病

のギターソロをくり出した。目にもとまらぬ指

院へ運ばれた。

さばきを見せながら、前列でこぶしを振りあげ
る足のない女と熱いキスを交わした時、フロア
の熱狂は最高潮に達した。

数日後、いまだ気絶したままのA子の病室
へ、大勢のマスコミを引き連れた社会的地位の

警官隊の突入はその頃であったろうか。隔離

高い男が入ってきてその寝顔を悲痛なまなざ

地区の住人たちが廃墟のライブハウスに集ま

しで眺めたかと思うと、この身寄りのないかわ

って街を襲う企てをしているとの情報をキャ

いそうな娘をひきとると言って国民に感動を

ッチした特殊部隊による掃討作戦はまさに大

与えたのは皆の知るところである。その時テレ

成功をおさめたといえよう。それまでの楽しげ

ビの前で涙した者も少なからずいたと聞く。ま

な歓声は、断続的な機関銃掃射音と叫び声や

もなくA子はギターを爆弾に持ち替えるとも

悲鳴にとって替わり、あっという間にフロアは

知らずに。

life is comin' back

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