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お伽噺わんだ~らんど

語部「さとりの語り始め」

咳き込む。気分は最悪だ。紐のようなものが体に巻きつい

た。それが支えになって、もう沈むことはない。紐にすが

りついて、体全体をポンプのようにくねらせ、胃の中にた

覚えていた。それから気がつけば、体は上へ上へと浮き上

誰が余計なマネを……

私、生きてる……どうして……

まった水を吐き出す。

がっていく。それも、のろのろと。まるで泥の海にいるよ

吐いたりせき込んだりで、体は自由に動かない。視界も

睡眠薬をありったけ飲んで川に飛び込んだところまでは

う。飛びこむ前に、綺麗な川だっていうことを確認したは

泥と水と涙に濡れて、ろくに利かない。ただ、目の前で誰

かが宙に浮いているのはわかる。なぜなら、私の目線の先

ずなのに。
でも、こういうのも悪くない。

にその足があったから。

黒のブーツなのになぜか、かわいい靴だな、と思った。

意識が朦朧としたまま、窒息の苦しみも味わわぬまま、
ゆっくりと死へ移行していく。眠るように。

シンプルなデザインだが、元気な感じがする。頭上から、
少女の声がした。

そのはずなのに、体は上がり続ける。意識が嫌でも鮮明
になっていく。それとともに息苦しさがつのっていく。気


『私、助かったの?』

それは奇妙な問いかけだった。なぜ、私がそんな風に言

がつけば、必死でもがいていた。水面が迫ってくる。ああ、
またあの生きた世界に戻るのか、という失望と、わずかな

は私ではないの?

葉をかけられるのだろう。もしかけるとするならば、それ

口にたまった泥水を吐き出し、空気を吸い込む。吐きだ


『誰……?』

安堵を覚える。

しきれなかった泥水が一緒に喉の奥に入り、むせ、激しく

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こいしよこいしなぜ踊る

子をかぶった少女がいた。髪の毛はうっすらと水色がかっ

そうなのは、少女の方だ。私は哀しい。苦しい。つまらな

これは、私の言葉だ。私が、少女に尋ねたいのだ。楽し

いや、違う。

ている。ベージュ色のシャツに、襟とスカートは緑。私の

い、退屈だ。私がこの子ぐらいの年の頃は、まだましだっ

さらに声は続く。見上げると、黄色いリボンつきの黒帽

体に巻きついている紐は、少女の服の下から出ていた。

た気がする。どうだろう、過去を美化しているだけかもし

れない。昔は昔で、やっぱりつまらなかった。親も同級生


『ひょっとすると、血管かしら』

私の体は水面から引き出され、そのまま少女とともに水

家の裏の工事はいつまでも止まなかった。今と変わらず、

も私が存在しないかのように扱っていたし、まわりに心躍

少女はそう言いながら私を振り向き、あどけない笑顔を

私は誰からも必要とされていなかった。だから私も誰も必

上を浮遊していく。

見せた。岸の草地に降ろされる。草は水分を含んでじっと

要としなかった。誰の協力もしたくなかった。そうして十

る環境など何ひとつなく、
通学路はドブの臭いが立ち込め、

りとしていた。もっとも、頭から足まで濡れ鼠になってい

年も二十年もたつと、誰も私にお金をくれなくなった。貸


『もしかして、私が考えてることを……』

る今の私には関係ない。

すよう求めてきた。人間、そんな奴らばかりだ。

してくれるところはあったが、すぐに何倍もの額にして返

とスカートの裾をそろえようとする仕種がかわいらしい。


『私はこんなに毎日が辛くて辛くて、
なのにあなたはそん

少女は濡れた草の上に正座した。正座するとき、きちん

膝頭とその上数センチは見てとれる。少し短いんじゃな

なに無邪気に笑っていて。羨ましいわ』


『名前……あなたの名前、知りたいわ』

にこにこと笑いながら、少女はそんなことを言う。

い?

『どうしてそんなに楽しそうなの?』

少女は尋ねた。

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お伽噺わんだ~らんど
うなんて思いもしなかったけど、この子がそう言っている

るのも、きっと私。実を言うと今までこの子の名前を知ろ

今までにないくらい気持ちいいと思うの。わくわくする。

抱いて、いろいろしてみたいわ。触ったり、触られたり。


『おかしいわ。私にその趣味はないのに。でも、あなたを

すりつけたい。お互いの鼻が当たるくらい正面から。

のだから、私はそう思っていたに違いない。

あなたのよく動く手や足は、手に取るときっととっておき

これは、私が答えるべきなのだろうか。でも、問うてい

「古明地こいし」

こいしは小首をかしげ、私の顔を覗き込んだ。私は頬が

おずと私の襟もとのボタンを外しにかかり、はしたない右

指先の一本一本が、服越しに私を刺激する。それからおず

の陶器か、庭に生えてるサルスベリみたいになめらかで、

赤くなるのを感じた。私にその趣味はないはずだった。そ

手をもぐりこませ、乳房を撫でる。手のひらに、時々乳首

少女は、こいしはそう答えた。そこだけは、おそらく自

れでも、
自分より上背の低いこの少女を抱きかかえて、
色々

が当たる。それから、あなたにはない豊かなふくらみをた

そのくせじっと触れているとだんだん温かくなってくるの

な部分を触ったり触られたりすることを想像すると、胸が

めすように、何度も何度も、押す。そうすると私は、誰か

分の言葉で。今までの彼女の言葉に比べると、抑揚に乏し

締めつけられた。それは、いまだかつてない興味や刺激、

に触れられているんだって心の底から理解できて、安心す

だわ。そのミルクチョコレートみたいな手で、そっと私の

充実感、そういったものを私にもたらすだろう。彼女の、

る。あなたの髪の毛を指に絡めたい。そうして目を細める

かったから。地が出たのだろう。

少し先がちぢれた髪の毛は指ですくい取ると柔らかそうだ。

の、お互いにね。そして……そして、その目をもっと間近

肩甲骨を触れてもらえたら、こそばゆくて、声が出そう。

ぱっと明るく大きなあの目を、
もっと近くで覗きこみたい。

で見たい。間近で。唇も、鼻も、お互いくっつくくらいに。


『あなた、かわいいわね』

そして、そのもっと下、あのグミのような唇に私の唇をこ

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こいしよこいしなぜ踊る

あなたの吐いた息を私が吸って、私が出した息をあなたが
呑み込むの。それくらいあなたとひとつになれたら、すご

にわかれて相談しているのだ。

私は夢を見ているんだろうか。睡眠薬を飲んだ。それは

混乱と戸惑い、そしてめくるめく興奮で、頭がどうにか

これは幻想だろうか。私がかつて現実で出逢えなかった

長い橋があって、
そこから飛び降りた。
それも覚えている。

覚えている。近くに、大きな川がある。自動車が行きかう

なりそうだった。
こいしは無邪気な顔で、
大胆な言葉の数々

美しさを、死の間際に自ら創造し、それを味わっているの

いすごい、幸せになる』

をなんの恥じらいもなく口にした。私の薄汚れた思考をな

だろうか。

それとも、ここはもうひとつの現実で、私はあのつまら

ぞった、聞いているだけで耳が粘つくような話題を、まる
で天気や食べ物や、駅への道先を告げるみたいに軽々と。

ない現実から逃げだすことに成功して、ここであらたな生

こいし、あなたは、私。

こいし、あなたの言葉は、私の言葉。

葉は私が発したものでもあるのだ。

そう、感謝の言葉を言いたいのは私だ。だから、この言


『ありがとう』

顔は太陽のように明るくなった。

また、こいしは言う。私はうなずいた。途端、こいしの


『お願い、私と友達になってください』

を送ることができるのだろうか。

この子は、意味がわかって言っているんだろうか。

『私と友達になって』

こいしは身を乗り出した。私は目を丸くした。そんなこ
とを私は望んでいたのか。

『だって友達にならないと、触れ合えないでしょう』

そういうものか。
私はおかしくなってきた。今の私は、自分と会話をして
いるようなものだ。
目の前に座っているこの、世にふたりとない可憐な少女
の料理法を、私の頭の中で、甲と乙、東と西、天使と悪魔

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お伽噺わんだ~らんど


『喰い尽くして、お願い。骨も残さずに。私を、あなたに

読んでいる?

こいしは尋ねた。
して』


『あなたは、何を望むの』

そうだ、
その通りだ。
私だって何かをこいしに与えたい。

いうのか。私の心を読みとったような言葉の数々は、ただ

それともはじめからこの子は何も読んではいなかったと

とができるだろうか。

の出まかせだった?

与えられるばかりじゃなくて。私は、何を彼女に与えるこ


『あなたの欲しいものを言って』

それとも彼女の言葉に私の心が無意識に従っていた?

自分の意志でそう思っていると、思い込んで。

こいしは言った。座ったまま、いざりよってくる。顔が
近づいてくる。私は動悸が激しくなる。こいしは、私の左

怒りと、やるせなさがこみ上げる。結局、誰もわかって

はくれなかった。この子は、ただ私を遊んだだけだった。

肩に、こつん、と額をつけた。
それからこいしはこう言った。

る。私は顔をこいしに向けたまま、目線だけでそれを捉え

何かを引きずるような湿った音が、草陰から聞こえてく

熱い。

る。

「肉」

あああああああああああ熱い。

形状は、限りなく蛇に似ていた。足のない、筒状の体を、

ぬらりと光る鱗に包んでいる。体全体を曲がりくねらせな

左の。肩が。肩が。血が血が血が。
目と鼻と口から、痛みの液がとめどなく流れる。

い。ただ、顔に当たる部分が、ぽっかりと空いている。そ

がら、這い寄ってくる。そう、私に近づいてくる。目はな

そんな、そんなことは思ってない。かけらも。

こから生温かい息が漏れている。


『私なんか、食べられた方がいい。目の前の妖怪に』

なぜ、この少女はそんなことを言う。いったい誰の心を

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こいしよこいしなぜ踊る


『私には、こんな死にざまがふさわしい』

の焼けつくような痛みもいつのまにかなくなっていた。

さも、嘔吐感もない。内側から私の体がぐずぐずと溶け、

蛇は喉から食道を通って、私の奥に入っていく。息苦し


『どうせ死ぬはずの命だもの。
せめて妖怪に喰われてしま

崩れていく。腰から下の感覚がなくなった。蛇にもたれか

違う。

えば、少しは役に立つかなあ』

かろうとする。しかし、蛇はほとんど私の中に入り込んで

いて、
今や私の目の前でわずかに尾が揺れているくらいだ。

違う。

『溺れているところをあなたに助けてもらって、
本当によ

背中の方で、ぶつぶつ、と音を立て、何かが私を突き破り、

振り仰ぐと、二重螺旋が空へ昇っていた。こいしの体か

飛び出した。

かった』

違う、違う。
違う違う絶対に違う違う違う違う!

私は叫んだ。その途端、蛇が跳ねあがった。一瞬のこと

編み物のように、螺旋が高く昇るにつれ、私の体はからっ

ら飛び出し、上昇を続けている。まるで糸を抜かれていく

ら出ていた、あの紐か血管のようなもの。あれが私の体か

だった。私の体に、蛇が螺旋状に巻きついていた。きつく

ぽになっていく。
今や中身はほとんどなくなってしまった。

「私はッ!」

喰い込む。体のあちこちで、ごぐ、ごぐ、と何かが折れる

フライパンに黄身と白身を落とした後の卵の殻のようにス

ああぁ、この子はなんて綺麗なんだろう。

音がする。それが何を意味するのか理解するより早く、蛇

かがその穴から飛散しているのだとわかるが、それがなん

そうだ、これでこいしとひとつになれたのだ。

カスカになったまま、私は、それでもこいしを見ていた。

なのかわからない。体に力が入らない。多分、骨が粉々に

これからは、いつでもこいしの傍にいることができる。

が私の口にもぐりこんできた。そのまま喉まで達する。何

砕かれたはずなのだけど、痛みをまったく感じない。左肩

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お伽噺わんだ~らんど

つが私の意識だ。卵の殻みたいだった私の体は、どんどん

の吹込も苦手。再生なんかはもう全然。私、あれを舐めた

「私ね、さとりの出来損ないなの。心は読めない。記録板

なんでも。なんなりと。あなたの力になります。

崩れていき、破れた編戸のようになり、やがては完全に一

ら、すぐにいっちゃうの。意識失って、物語を語るどころ

意識が拡散していく。間延びしていく。螺旋のうち、ひと

本の線になった。

舌先を出して、そこを人指し指でつついてみせ、照れた

じゃなくなる」

安らかだ、私は死の代わりにこんな体を得たのだ。二重

ように笑う。その無垢な仕種に、恐ろしいほどの快楽の予

おお、
おおおおおお伸びていく。
意識が伸びきっていく。

螺旋のもう一方は、さっきの穴蛇だった。とすると、私の

あなたは、私の代わりに言葉を吹き込んで。見たもの聞い

感を感じ、私は朦朧となった。

私ともう一方の蛇は、そのまま螺旋状の軌道で上昇を続

たもの感じたもの、すべてを記録板に記すのよ。お願い、

体も同じように穴蛇になったのだろうか。それもいい。シ

ける。力の限り。腹の底から私は雄叫びをあげた。相方も

私にさとりらしいことをさせて。そうしたら、お姉ちゃん

「だからペットになんでもやってもらわないといけないの。

呼応した。力を出し尽くすと、もう動けなくなった。その

も、もっと私を見てくれる」

ンプルでいいじゃないか。

まま、風に愛想尽かされた凧のように、ふたりで落ちてい
く。落ちゆく先は、こいしの両手だ。こいしは宙に浮いて、
両腕を空へ伸ばし、天秤を計るように手のひらを上へ向け
ていた。私は右へ、相方は左へ吸い込まれていく。
「ねえ、あなたはずいぶんと自意識が過剰だわ。素敵。私
を助けてくれるよね」

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こいしよこいしなぜ踊る

私は語り手としての運命を与えられ、狂喜した。

地霊殿は、かつて灼熱地獄があった場所に急造で建てら

れたものだ。広いだけで、屋内といっても、外の荒野とた

いして変わらない。赤茶けた柱と骨組みだけが延々と続い

ている。ただし、ここのあるじが住まう一室だけは別だっ

た。越してきてまもないあるじは、ひとまず自分が起居す

るスペースだけは、自分の美意識に沿ったものにしようと

試みた。残りは、気が向いたらやるつもりだった。

ドアノブは、持ち主のか細い指に合わせたかのように、

繊細で複雑な形をしている。室内はワインレッドカラーの

絨毯で統一されている。窓はステンドグラスで飾られ、外

から入ってくる少ない光を利用して、室内を暗く多彩に染
めていた。

室内は小さな呟きで満たされていた。
聞く者によっては、

それはお経や祈りに似ていると、思ったのかもしれない。

もしくは、精神に安定を欠く者特有の症状であると、見な
すかもしれない。

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お伽噺わんだ~らんど
産じゃ。現代文化の影身に付添う。この世からなる地獄の

や淑女よ。お立ち会い衆の大勢さまよ。これが私の洋行土


『チャカポコ、チャカポコ。あ――ア。ナント皆さん紳士

情のまま、唇を動かし続けている。

まま死に行く……』

み漂う血の海。上にさまよう陰火の焔は。罪も報いもない

もなく消えゆく先だよ。広さ深さも無限の暗の。底に青ず

に照らさぬ世界じゃ。地獄以上のキチガイ地獄に。音も香

は博愛仁慈の光明。正義道理のサーチライトも。昔ながら

光も掻き消すばかりに。眼眩めくモダーン文化じゃ。また

話じゃ。鳥が囀り木の葉が茂り。花に紅葉に極楽浄土の。

「お姉ちゃん」

紫色の髪の少女は、安楽椅子に深々と腰をうずめ、無表

中にさまよう精神病者じゃ。身寄りたよりに突きはなされ

「ひぅっ」

伸ばし、正面の扉を見る。

少女は裏返った声で、短い悲鳴を上げた。背筋をぴんと

て。罪も報いも泣こうに泣かれぬ。キチガイ乞食のあわれ
な姿じゃ』

彼女は今、物語を読み耽っている。さとりにとって〈読

を少女は過ごす。いつも、腹の底に、澱のような悔いと諦

訪れる者は、地獄のペットしかいない。静かで平穏な日々

物語を読むのにほどよい震動を与えてくれる。この部屋を

火柱が立ち上り、空を染める。火柱がもたらす重低音が、

自らの耳でその物語を享受することを言う。窓の外で時々

ちゃん」

「ふーん、今の、夢野久作? 難しいの読んでるね、お姉

た。

よりかかったまま、少女が手にしている記録板に目を移し

ぞぞぞぞと少女の背筋に震えが走る。こいしは安楽椅子に

少女の背後から耳元に、甘い吐息とともに声がかかる。

「ただいま」

めを溜めたまま。

「こいし……帰ってきてたのね」

む〉というのは、記録板を舐め、自らの唇を再生機とし、


『思い出しても下されませよ。月の光や太陽の輝き。星の

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こいしよこいしなぜ踊る

こいしは凍りついた笑顔のまま、両手でさとりの首をつ
かんだ。

少女は、
古明地さとりは、
扉に目線を固定させたままだ。
逆に胸元の第三の目は、
落ち着きなく周囲を見回している。

「私、お姉ちゃんが好き」

さそうに目を伏せるの?」

「どうしてこっちを見てくれないの? どうして申し訳な

背中を押しつける。

宙に釣り上げ、歩き出す。板が床に落ちた。扉まで歩き、

誰かがいると確実にわかっているにもかかわらず、その姿
が見えずに戸惑っているかのようだ。
「お姉ちゃん、こっち向いて」
こいしが言う。さとりは意を決したように、振り向く。
こいしと目を合わせる。

そのまま力を入れ続ける。壁にひびが入り、扉は部屋か

ら剥がれた。さとりを扉ごと廊下へ押し倒す。部屋から一

「ああ、久しぶりだね」
こいしは笑顔を浮かべた。さとりの固かった表情も、少

歩出れば、
骨格を剥き出しにした、
荒涼たる廊下が広がる。

「だからこうされても、しかたがないと思っているの」

た。

こいしの親指は、第一関節までさとりの喉に埋まってい

「こいし……私はあなたに、ひどいことをした……」

さとりの小さな世界は見えなくなる。

しずつ柔らかくなっていく。だが、それでもさとりの視線
は、
こいしの胸元に吸い寄せられる。
そこで視線が止まり、
すぐにそらされる。
まるでその傷が存在しないかのように。
目をそらせばそこには、閉じられた第三の目も、それに
まつわるあらゆる記録も、存在しないかのように。

は。馬鹿だなあ。こんなに頭が良いのに、どうしてわから

「そうじゃないよ。なんでわからないかなぁ、お姉ちゃん

情を、もう笑顔とは呼ばない。

ないんだろうなぁ、ねえどうして」

こいしの笑顔が、笑顔のまま凍りつく。動きの消えた表

「お姉ちゃん」

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お伽噺わんだ~らんど

「とく、とく、とく……聞こえるよ。これはお姉ちゃんの、

を寄せる。

る。
声」

笑顔をはりつけたまま、こいしは問う。さとりは首を振

「私は、赦されてはいけないの」

「いいえ、違うわ」

血の海は、無数の槍となって突き上がった。その細く鋭

「あははっ、目を閉じると、色んなことがわかるものね、
お姉ちゃん」

いと駄目なのかな。何を? 何をだろう。私がすぐにお姉

んに信じてもらえるのかな。その体に、何かを刻み込まな

だね。だったら、心が読まれない私はどうすればお姉ちゃ

「お姉ちゃんは、言葉じゃひとを信じることができないん

臓のように感じた。

曲げて、状況を把握した。まるで自分が肋骨に囲まれた心

る。串刺しにされて宙ぶらりんのこいしは、首を百八十度

血の海が持ち上がり、次々と、湾曲した鋭い牙に形を変え

大腿部、両膝、右足の甲を串刺しにした。さらに、周囲の

い血の槍は、こいしの右耳、喉、右肩、左脇腹、腹部、左

ちゃんに与えられるもの。こうだと思って、すぐにそうだ

「ああ、違うんだね。これは、ただの心臓の音」

その笑顔は、今にもひびが入りそうだった。

と思ってもらえるもの。それはね、痛みなんだよ」

「そうよ」
「やった、正解だ」

人指し指も中指も薬指も小指も、さとりの首に埋もれて
いく。そのまま、骨ごと首をひきちぎる。腕を、足を、ね

肋骨は閉じた。

語部「さとりの語り〆」

こいしはばらばらになった。

じきっていく。血と肉の海はねっとりと広がっていく。
胴体だけになったさとりの胸に、指をまっすぐ伸ばして
突き入れる。胸元を裂く。骨と肉を割って、脈動を続ける
筋肉の塊を手に取る。引きずり出し、体を傾け、そっと耳

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