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The Cylinder World


c 宇埜隆士
2

THE CYLINDER WORLD


by
UNO, Takasi
Copyleft 1998–2007 by UNO Takasi
First published 1998 in Japan

地球から打ち出されたのは、小さなカプセルだった。気付いた者はいる
筈もない。それは、火星と木星の間 小惑星帯に到達すると破裂した。そ
して誰の目にも見えないようになった。
一週間後、小惑星帯で異変が起こっていた。小惑星が、一見無秩序に見
える動きでひとりでに一箇所に集まり始めたのだ。その一点は、採掘済み
の小惑星や資源に乏しい岩の塊が集中する座標。当局は原因の解明を急ぐ
とともに、 当該領域を含む半径 万キロメートルを立ち入り禁止とした。
10

人々は去り、残っていた多くの採掘場が廃墟となった。やがて小惑星の集
積はやみ、直径五〇〇キロメートル、厚さ七〇キロメートルの円盤が出現
した。
そして円盤は見えない手によって削り取られ、ある形を取り始めた。そ
れは、後に天文学者や神秘主義者によって﹁神の糸車﹂、﹁輪宝﹂などと呼
ばれるようになった。
i
時は二年前に遡る。 そして︽イカロス︾の新たなシステムの開発に回された。
ii

太 陽 に 絡 み 付 く よ う に 建 設 さ れ た 超 巨 大 な 発 電 リ ン グ の 複 合 体、 半年の開発期間を経て、これらは完成した。直ちに二十機が金星の衛
 際協力代替エネルギー回収究極システム 

International Cooperation Alternative-energy Recovery Ultimate System
通 称 ︽イ カ ロ ス︾ 星軌道上で組み立てられ、︽イカロス︾に向かった。無人ならではの急
が何者かに乗っ取られた。メンテナンスロボットを含めて、である。こ 加速で、十日後に到着した。
のリングは、産地が限られ長期的環境コストが高い化石燃料の主要な代 ロボットの状態をモニターしていた︽イカロス︾管理機構は慄然とし
替とすべく、地球の各国︵主に非産油国︶がその総力を結集して造り上げ た。︽イカロス︾に到着してすぐに、全部のロボットからの連絡が途切
た恒星エネルギー変換施設である。太陽の見える場所にそれなりの施設 れたのである。熱量、放射線量ともに許容範囲内。それどころか何の前
を置けば、太陽系中の誰もがその膨大なエネルギーを受け取ることが出 兆も観測されなかった。ロボットが一斉に故障したとは考え難い。方法
来るのだ。 は分からないが、明らかに何者かが引き起こしたのだ。この調子では人
太陽系の全質量の九十九パーセントは太陽自身が保有している。この 間を送り込むなど以ての外である。 それでも ︽イカロス︾ に向かう相
余りある膨大な水素を利用しない手は無い。 以上のような論理を展 当数の船があった。主に海賊的行為を働いて糊口を凌いでいる者達であ
開し、人類は太陽分解計画に着手した。 る。︽イカロス︾乗っ取りを何らかのチャンスと見て取ったらしい。案
リングは百年近くかけて完成した。エネルギーの枯渇は回避された。 の定、彼等の船も到着直前にハッキングを受け、強制的に航路を変更さ
そのエネルギーをふんだんに使って人類は、地球の外へ本格的に版図を せられた。付け入る隙のないジャミングを施していたにも拘らず。ハッ
広げ始める。それにより人口爆発は問題とならなくなり、汚染された環 キングを受けた船体を徹底的に解体しても、物的証拠となりそうなもの
境も修復され始めた。人類存亡の危機は去った 誰もがそう感じてい は何もありはしなかった。
た矢先だった。 捜査当局は困惑していた。︽イカロス︾のハッキング直後から行って
いた犯人の捜索が、遅々として進まないのである。そもそも犯行の動機
エネルギーを湯水のように消費していた人々は恐慌に陥った。 無論
が読めない。犯人からの声明や要求などは皆無。愉快犯にしては大掛か
︽イカロス︾管理機構は即座にシステムの復旧を開始した。︽イカロス︾
りで高度すぎる。
内部に人間は存在しない、高温のために存在できない。制御は全て遠隔
レーザーで破壊してしまえ、 という乱暴な意見も出たが、 却下され
操作である。しかし︽イカロス︾は殆どの命令を受け付けなくなってい
た。一世紀を費やして造り上げた︽イカロス︾を壊すのは忍びない。そ
た。不幸中の幸いというべきか、人類に必要最低限のエネルギーは送り
れだけでなく、エネルギー枯渇の暗黒時代を蘇らせる事になる。どうい
続けていた。
う訳か犯人は、最低限のエネルギー供給だけは許しているのである。
だが何時本格的に崩壊するかも知れない︽イカロス︾を放っておく事
こうして人類は手も足も出ず、様子をうかがうしかなくなった。
は出来ない。事態を重く見た各国首脳はロボットを送り込み、システム
︽イカロス︾は人類の制御下から離れたのである。
を直接ハードウェア的に修復することを決定した。
科学界は騒然となった。研究費の流れが大幅に変化したのである。資
金は高温に耐えうる汎用ロボットとそれに搭載する高性能自律型 、

A
I
目次
序 i
第 章 追憶∼ ∼
memoir 7
1

第 章 脱出 9
2

第 章 状況説明 13
3

第 章 造反する太陽 19
4

第 章 母神狂乱 23
5

間奏 ﹁夢﹂ 28
第 章 ペット 31
6

第 章 個人的世界 其の一 35
7

第 章 侵入者 41
8

第 章 浮上∼ ∼
surfacing 43
第 9

10
symmetrical duel 45
間奏 ﹁夢﹂その二 51
iii
第 章 滅びの場
iv

11

53
第 章 悪霊綺譚
12

57
第 章 遥かの流れ
13

61
第 章 続序 現
: 在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼ 63
0

参考文献 73

第 章 追憶∼ ∼
memoir
1

ダウンロード
⋮⋮もう二百年にもなるのか。私が﹁転
  送 ﹂ なかったので、別にそれで良かったのだ。
﹁彼﹂ だ同然で手に入るようになって、労働の必要
してから。 の家には三人の先客がいた。﹁彼﹂ を父と慕 は無くなり、貨幣は軽んじられるようになっ
う、人間と見間違えるくらい精巧なアンドロ た。資本主義経済は縮小を余儀なくされた。コ
当時、あの技術はまだ不安定で、成功率は
イド達だ。それぞれ名前をレア、アイオロス、 ペルニクスもびっくりの転回だ。一年ぶりに
限りなくゼロに近かった。この時、人類の出
テテュスといった。私の新しい体は彼等と同 生き返ってみれば、電子レンジのような箱か
生時の平均余命は百年を上回っていたが、そ

じ筋 似繊維で動くのだが、その筋力は凄まじ らジーンズやら集積回路やらベニヤ板やらダ
れでも私の百五十という年齢は異常であった。
く、慣れるのになかなか苦労した。 イヤモンドやらが出てくるので、夢の世界に
だが、私はまだ死ぬ訳にはいかなかったのだ。
でも迷い込んだのかと思ったくらいだ。
サイボーグ化による延命にも限界が迫ってい
ナ ノ マ シ ン
た。違法である事は十分に承知していたが、他 ﹁彼﹂は、私が正体を失っている間に分
 子機械 
に手はなかった。私はわらにもすがる思いで を完成させ、自分自身と子供達、それと何故
﹁彼﹂は分子機械と並行して、他の恒星系
﹁彼﹂を頼り、﹁転送﹂を決行した。まさに乾 か私に組み込んだ。﹁彼﹂自身は生身なので、
への移住を計画していた。小惑星帯で巨大な
坤一擲だ。成功すれば永遠を手に入れられる 私達のとは違って医療用の分子機械を改造し
コロニーを建造し、それを丸ごと光速の

90
%
が、失敗すれば、私は別人になってしまうの たものだそうだ。どう違うのかというと、私
の 速 さ︵最 高 速︶で 移 動 さ せ よ う と い う の だ。
だから。あとで聞いてみれば、私が最初の成 達の分子機械が、あらゆる物質を自由に意識
推進剤は、太陽付近のレンズから射出される
功例だったそうな。まあ成功といっても、一 的に操作できるのに対し、﹁彼﹂ の分子機械 ミラーマター
レーザーと反
 物質 。もちろん、端からそんな
年経って廃棄処分にされかかった所で自我を は自動操縦で、ひたすら﹁彼﹂を生存させる
スピードを出す訳ではなく、加速度は の

G
1
取り戻したのだから、ただ運が良かっただけ ことのみをプログラムされている。故に⋮⋮、
二〇〇分の一程度だが。これだと、相対論的
だろう。昔の私の体は、
﹁転送﹂直後に、組織 一瞬で蒸発させるかしない限り、﹁彼﹂ は死
な時間の遅れを計算に入れても目標速度に到
の一部を残して荼

 毘 に 
び ふ
付 されていた。 ぬことが出来ない。何故そんな設定にしたの
もっ 達するのに一六〇年近くかかる。さらに減速
か?⋮⋮それは今以 
 て謎のままである。
目を覚ました後、私は成り行きで﹁彼﹂の家 に一六〇年、計三二〇年︵ ︶の長旅の予定
地球時間で
約三五〇年
に厄介になることになった。私には身寄りが 分子機械のおかげでありとあらゆる物がた だ。別に﹁彼﹂の家族と私だけでも構わなかっ
7
たのだが、行きたい人がいれば連れて行くこ
8

とになった。それと、 分子機械が出来上
がる以前から頼まれていたらしいのだが
ク ラ イ オ ニ ク ス
 体冷凍保存術 で脳だけ︵勿論氷漬け︶
人 になっ
た人も。
実は、分子機械が完成した事は非公開になっ
ていた。分子機械は、うまく利用すれば世界
を理想郷に変えるが、道を踏み外すと地獄を
もたらすのだ。﹁彼﹂ は、 自分が開発した技
術が他人に悪用されるのを極端に恐れていた。
だから移住用コロニーが出発する一箇月前に、
初めて発表された。経済云々はその後のこと
である。
コロニーは今、星間ガスの中を進行中だ。目
標の恒星系に到着するにはまだ少し時間がか
かる。しかしながら﹁彼﹂にとって、その場
所は最終目的地ではないようだ。
﹁彼﹂の名はバール・ヴァルトシュタイン。
モンゴロイド
恐らく偽名だと思われる。顔立ちは黄
 色人種 
である。
第 1 章 追憶∼memoir∼
第 章 脱出
2

冷たい空気。肌を焼き尽くす日差し。眼下 ⋮⋮さて、そろそろ時間だ。翼をたたんで たしだって、こんな立場でなけりゃ敬遠した


に広がる雲の海。気温は氷点下数十度、気圧 降りるとしよう。俺は、殆どないに等しい空 わよ。パパが根回しをしたおかげで、片手の
は地表の数十分の一。⋮⋮ここは成層圏。燦 気を吸い込むと、ゆっくりと下降し始めた。 指程の家族はどうにか引き込んだけど︵パパ
燦と降り注ぐ宇宙線が心地よい。影響で、分 ⋮⋮俺の名はアイオロス。 はいろんな発明をしているから、結構金持ち
子機械が暴走しなければの話だが。 なのよね︶⋮⋮やっぱり寂しいな。
﹁行きたく
⋮⋮これが地球での最後の滑空だ。 もう、 * * なければついてこなくていいぞ﹂なんて言わ
戻ってくる事は無いだろう。出発まであまり れても、造られてまだ一年にも満たないのに、
時間が無いというのに、親父は俺の我儘を聞 親離れなんて出来る訳ないでしょうが。
﹁悪いけど、そんな無謀な賭けをするつもり
いてくれた。親父には感謝してる。 は無いね﹂ ⋮⋮パパったら、どうしてあんな計画を思
俺は、成層圏から見られる光景と、この静 ﹁⋮⋮そうですか。どうもお騒がせして申し いついたのかしら。もともと何を考えている
かな世界が好きだ。触覚を全開にして、身体 訳ありませんでした﹂ のかよく分からない人だったけど⋮⋮。人口
中に風を感じる。自由落下するといくら俺が ﹁それにしても、もう会えなくなるなんて、娘 爆発問題なんてとっくの昔に解決されたし、生
丈夫でもただでは済まないので、背中に全幅 も寂しがるなぁ﹂ 物が棲息出来ない程に環境汚染が進行した訳
一五メートル程の翼を付けている︵勿論、オ ﹁全く同感です。⋮⋮それでは、失礼します﹂ でもないのに、ねぇ。この間しつこく聞いて
プションだ︶。ここは、殆ど音がなく、時間の ﹁ああ、さようなら﹂ みたら、
﹁未知なる世界への冒険は男のロマン
流れがゆっくりとしていて、まさに﹁悠久﹂と ﹁さようなら⋮⋮﹂ だ ﹂って誤魔化されちゃったし⋮⋮︵案外ホ

!
いう言葉が相応しい。ここに居る時間は、瞑 ントなのかも︶。そう言えば一カ月くらい前、
想の時間でもある。宇宙や、自分の存在につ ⋮⋮あたしはテテュス。友達の親を説得し ﹁太陽系の学界は、わからず屋の集団だな﹂と
いて思いを巡らす。自分だけの地球、自分だ て、壮大なる引っ越しをさせようと試みたん か言って、ちょっと黄昏てたわよね。
けの世界、それを実感出来る。地球が丸いと だけど⋮⋮。これで、あたしは多くの友人を 分子工学の学会で爪弾きにあって、﹁ママ﹂
いう事も。 無くし、元の一割以下になったって訳だ。あ が亡くなって以来の人間嫌い︵本人談︶がひど
9
くなったみたい。他の学者さん達の気持ちも う、私はお母さんの代わりとして造られた。ア ⋮⋮さる高名な学者が放ったその声は、大
10

分からないでもないわ。まだ二十代の若造が、 イちゃん︵私の弟アイオロス。本人はこう呼 多数の意見を代表していた。


いとも簡単に分子機械を造り上げてしまった ばれると嫌な顔をする︶は、
﹁親子なんだから 男が模型を示し、シミュレーションが円滑に
んだもの、妬ましくもなるでしょうよ。とも 似てて当たり前だろう﹂って言うけれど。奇 動き、目の前で黒鉛の破片がダイヤモンドの
かく、パパは太陽系に愛想を尽かしたんだと 妙な事に、お父さんも私をどう扱うか戸惑っ 文字通り完璧な結晶に変わるのを見ても、ま
思う。月と火星の開発、オゾン層の再生、サハ ている様子。自分でやったことなのにねぇ。 だ疑いの視線は感じられた。
ラ砂漠の緑化、大気汚染物質の除去、
﹁心﹂を ⋮⋮私の名前は⋮⋮レア。 ﹁こんな手品なら、どうとでも出来る﹂
持った人工知能、人間の浅はかさによって絶 ﹁何かのトリックじゃないのかね﹂
滅した生物の復活、クライオニクス、スカイ * * ﹁門外漢の若造が⋮⋮﹂
フックとロータベータの安全性向上⋮⋮、み そんな雑言も投げ掛けられた。学会はさな
んなパパが関わってるわ。これだけ人類に貢 がら魔女裁判と化した。男を含めた少数の科
それにパラダイムの転換が必要だった訳で
献した科学者が、逃げるように出て行くはめ 学者が非難の的となり、やがて彼等は追い出
は、ない。
になるなんて、世も末だわ。 される様に会場を出ていった。男のネームプ
それは、大分昔から可能だと思われて
レートには、B ヴァルトシュタインと記して

きた。不確定性原理は回避可能だし、熱運動
ア セ ン ブ ラ
* * あった。男が話したのは、唯一言、﹁分
 子機械 
もそんなに致命的な問題ではない。何よりも、
が完成しました﹂だけであった⋮⋮。
それが存在できないのならば、複雑さでは大
⋮⋮よし、できたっと。 都市にも匹敵する最高の機械 細胞 が
引っ越しの荷作りも大変だわ。引っ越しと言 存在できるはずも無い。⋮⋮ただ、体系だっ ⋮⋮一か月後。
うよりも、 ゲルマン人の大移動よね。うち た知識だけが不足していた。だから科学者は、 ⋮⋮飛行場にて男は佇んでいた。男は虚空
の家族は私がいないと何も出来ないから、私 闇雲にあらゆる種類の物質を解析した。解析 を見つめながら呟いた。
もついて行かないと行けないの。そういえば、 は、始まって数十年経った今でも終わりそう ﹁レア⋮⋮これでやっと、君との約束が果た
この家はどうするのかしら。お父さんは﹁二度 に無かった。 せるよ﹂
と戻るつもりはない﹂って言ってたから、やっ その場は、奇妙にざわついていた。 す ぐ そ ば に 居 た 少 女 が、 そ の 名 前 に 反 応
ぱり人手に渡っちゃうのかな。それとも⋮⋮。 男 ざわめきを作ったであろう人物 した。
ふと、壁の小さな領域に目が行く。そこに は、ただ黙っていた。何を言われようとも、ま ﹁⋮⋮お父さん、私のこと、呼んだ?﹂
第 2 章 脱出
は額縁が飾ってあって、その額縁には写真が ともに返答するつもりはなかった。 ﹁いや⋮⋮お前じゃなかったな﹂
あった。私と瓜二つの女性の肖像写真が。お ﹁バカな そんな簡単に出来上がるはずが ﹁じゃあ⋮⋮﹃お母さん﹄のこと?﹂

!
父さんによると、
﹁お母さん﹂らしい。⋮⋮そ ない ﹂ ⋮⋮男はしばらくの間考え込んでいたが、や

!
がて悲しそうな眼をして、答えた。 ⋮⋮見れば転がっていった血まみれの男も、 険は男のロマンですから﹂
﹁お前には、関係の無いことだ﹂ 早送りの様に傷がふさがっていく。男が言った。 ﹁むぅ⋮⋮﹂
﹁お父さん⋮⋮﹂ ﹁テテュス、アイオロス、⋮⋮もう少し穏や 一カ月前からの自分の口癖を返されて、男
﹁﹃あなたは私の愛する子。私の心に適う者﹄﹂ かに登場してくれ﹂ は言葉に詰まった。
﹁え?﹂ ⋮⋮騒動の間立ち尽くしていたレアが一言 ⋮⋮彼の子供達はなにやら疲れていたらし
⋮⋮男は、娘たるべきその少女の肩に手を 呟いた。 く、三人ともぐっすりと眠りこけていた。
置き、目を見つめて言った。 ﹁刺激が欲しい年頃なのかしら⋮⋮﹂
﹁いいか⋮⋮お前は、お前だ﹂ ⋮⋮少しの震動と共に、乗客部分がロータ
その時、地平線の彼方から、もの凄いスピー そして、五人はロータベータ用の飛行機に ベータと連結された。
ドで、小さな影が土煙を上げながらこっちに 乗り込んだ。中はキャンピングカーのように 振動にも反応せず、三人の機械人形は気持
向かってきた。それとともに、ドップラー効 なっている。 ちよさそうに眠り続けている。それを横目で
果で音程がずれた声が飛んでくる。 ﹁大丈夫かい、広野君﹂ 見ながら、広野は男に話し掛けた。
﹁パパぁ∼∼∼ ﹂ ⋮⋮普通ならそう聞くだろう。少なくとも ﹁しかしまぁ、良く出来たものですね、先生﹂
!

⋮⋮影は減速する事無く男にぶつかり、その 二、三回は死んでいるはずだ。しかし⋮⋮。 ﹁何がかね?﹂


ままの勢いで二人して派手に転がっていった。 ﹁なに、いつもの事です。それに、⋮⋮それ ﹁あの子達ですよ。気味が悪い程、人間の行
しばらくすると、ぶつかってきた人物 は御互い様だと思いますよ﹂ 動を再現しているじゃありませんか﹂
一二・三歳位の少女 は無傷で立ち上がり、 ⋮⋮その通り。生身である男は血が吹き出 ﹁そのために、気の遠くなるような作業を繰
男は満身創痍ながらも起き上がった。 して脚が折れ、腕は吹っ飛んでしまっていた り返した。カーネルは自己組織化で殆ど済ん
⋮⋮ところで、そこにはもう一人男がいた。 のだ⋮⋮が、今は完全に回復している。 だんだが、それはドライバじゃあ余り足しに
筋骨隆々、髪は短く刈り上げ、優しげな顔を ﹁久し振りに、子供達とスキンシップを図る はならなかった。プログラムの或る箇所を、無
した二十歳前後と思われる青年である。その 事ができたよ。少しきつかったがね﹂ 数の箇所と前後参照して⋮⋮﹂
頭上に、光輝く物体が落ちてきた。男は気付 ⋮⋮男は冗談か本気か分かりかねる口調で ﹁結局、モジュールが十万個位になった⋮⋮
いたものの避ける間もなく衝突が起こり、謎 答えた。 とか﹂
の物体もろとも飛行場にクレーターを形成し ﹁愛って、激しいものなんですねぇ﹂ ﹁よく知ってるね﹂
た。やがて、もうもうとたちこめる粉塵の中 ⋮⋮⋮⋮これは冗談だろう。 ﹁でまかせを言っただけです﹂

から、こげくさい二つの人影が現れた。落ち ﹁うむ。⋮⋮そんな事より、義理でついて来 ﹁⋮⋮とにかく、大変だった。まぁ、あの 
娘 
てきたのは十五・六歳の少年である。二人と る事は無いんだぞ﹂ だけは少し特殊だが﹂
もピンピンしている。 ﹁冷たい事言わないで下さいよ。それに、冒 男は、レアの寝顔を眺めながら言った。
11
﹁どういうふうに?﹂ ﹁そうですか⋮⋮﹂
12

﹁⋮⋮済まんが、それは言えない。レアにも、 会話が途絶える。大いなる旅路は、始まっ
この事は言わんでくれ、頼む﹂ たばかり⋮⋮。
男は広野に手を合わせた。この男にしては
珍しく真剣に。
﹁⋮⋮分かりましたよ。でも、これくらいは
尋ねてもいいでしょう?﹂
﹁何だね﹂
﹁先生は初め、生物学の基礎研究をしてたと聞
いた事があります。それが何故、人工知能や
︽転送︾を開発することになったんですか?﹂
⋮⋮男はしばらく黙っていたが、やがて重
い口を開いた。
﹁彼女の⋮⋮妻の遺志だ﹂
﹁え?﹂
﹁ も︽転送︾も、八割がた彼女が開発し
A
I

た。私はその手助けをし、残りを仕上げただ
けに過ぎない。最終的な点検をしたり、護身
用の武器を取り付けたり⋮⋮な﹂
﹁人間が指先一つで破裂してしまう様な代物
が、護身用ですか﹂
﹁ついつい凝ってしまってな⋮⋮﹂
⋮⋮男は乾いた笑い声を上げた。
﹁それじゃあ、分子機械も奥さんが?﹂
﹁いや、あれは私が主体となって研究を行っ
第 2 章 脱出
た。生物の理論屋としても、大いに興味があっ
たのでな。彼女から重大なヒントを得たのも
事実だが﹂
第 章 状況説明
3

一回転半したロータベータは、最高点で貨 の管理もテテュスになるな。しかしこの分類 ﹁ずるーい ﹂

!
物、もとい乗客部分を切り離し、太陽系で最 は厳密なものではなく、固相も液相も気相も ﹁ええい問答無用 引っ越し先に着いたら、

!
も大きな惑星に向かって放り投げた。同行す 少しずつ重なり合っている﹂ 早急に生物が生息出来る環境にするのだ ﹂

!
る事になっているおおよそ千の家族は、先に 広野は自分には仕事が無いようなのでほっ
到着している筈だ。 地球の人口を鑑みると、 と胸を撫で下ろした、が。
引っ越し先 仮に︽輪宝︾とでも名付け
多いんだか少ないんだかよく分からない数で ﹁そして広野君には、名目上私の代理として三
よう を車輪に例えると、タイヤにあたる
ある。まあ、引っ越し先はとてつもなく広い 人の監督を頼む。人の命を預かる仕事だ。厳
のが粒子加速器等がある無重力区、スポーク
ので、人口密度はオーストラリアとどっこい しくやってくれたまえ﹂
にあたるのが から までの有重力区で

C
1

8
どっこいになる模様。 広野は驚愕し、抗議の声を上げた。三人の あり、どちらにも居住区が存在する。そして、
﹁ という訳で、﹂ 子供も以下同文。 それらの中心にある少しいびつな球体が、
︽ミ
地球の重力を振り切って木星の衛星に向かっ ﹁そんなの聞いてませんよ﹂ ラ︾と呼ばれる発電施設兼居住区である。
て出発したその日、男は四人に説明した。無 ﹁どういうこと?﹂
レアは無数のセンサーと﹃手﹄を持ついわ
重力なので四人とも適当にふよふよ漂ってい ﹁管理するって、どうやって?﹂
ゆる︽茂みロボット︾、アイオロスは分子機械
たのだが、バールのあまりにも突然の発言に、 ﹁パパは何もしないの?﹂ の集合体。そしてテテュスと広野龍司は、あ
そちらに向き直った。 ﹁言ってなかったかな⋮⋮﹂ りとあらゆる物騒な兵器を詰め込んだ普通の
﹁大地 固体 の管理はレアに、大気 男は大袈裟に拳を振り上げて、言った。 ︵笑︶ロボットである。もっとも、前の二人は
気体 はアイオロス、海 液体 はテ ﹁とにかく、私は研究に専念したいのだ ﹂ それだけでは軟体動物みたいになってしまう

!
テュスに任せる。炭素循環や窒素循環を起こ 男は、学問を生き甲斐としていた⋮⋮。 ので、骨格とアクチュエーターは後の二人と
したり、快適な温度になるよう調節したり、均 ﹁それが本音ですか﹂ 同じである。 レアの本体は の地殻に埋め

C
1
等に雨が降るようにしたりする。あと、生物な ﹁お父さんたら⋮⋮﹂ 込んである。 彼女は 全体に自分の触手を

C
1
んてのは大部分が水で構成されてるから、そ ﹁無責任だなぁ﹂ 張り巡らしており、言うなればこの円筒はレ
13
ア自身の身体である。アイオロスの頭脳部分 ﹁しかしこれは⋮⋮﹂ ﹁?﹂
14

ほう
は、 の中にある仮の太陽の中心に据えて 前 方 を 見 て、 広 野 は  
呆  け た よ う な 声 を 出 ﹁何やるんだったっけ?﹂
C
1

ある。テテュスと広野にも勿論、それぞれ固 した。 広野は天を もとい自分の上を 仰い


有の分子機械を与えてある。尚、
︽輪宝︾の外 ﹁どうしたの?﹂ だ。そして弱々しく抗議する。
ウートガルド
壁の補修と管理は、彼等とは別の︽外
  郭 ︾と テテュスが尋ねる。 ﹁さっきと言ってる事が違うじゃないですか。
呼ばれる分子機械が行っている。 ﹁いや⋮⋮、遠近感が狂うというか⋮⋮﹂ 聞いて無かったんですね、作戦を﹂
︽輪宝︾は一〇〇キロメートル程彼方にあ テテュスは虚空 文字通りである の
るはずなのだが、視界の殆どを占めている。 一点を見つめてのたもうた。
一六一〇年、ガリレオが発見。光度は五等 ﹁確かに、衝突しないか心配になるくらい近 ﹁過去は、振り返らない事にしてるの﹂
級。離心率はゼロ。半径はおよそ一八〇〇キ くに感じるわね﹂ 小さな声で、広野は言い返してやった。
ロメートル。ギリシャ神話でゼウスに愛され 二人は宇宙船の外に出ていた。とある大掛 ﹁生後一年未満で、﹃過去﹄ も何もありませ
た為にその正妻ヘラに牛の姿にされた娘の名 かりな作業の為である。勿論、音声で会話し んよ﹂
から取られた。その名も 。 ている訳ではない。そこに船内のバールから ﹁何か言った?﹂
イオ。活火山が在る事で有名な、木星の衛 通信が入る。 ﹁いいえ、別に﹂
星である。数十年前にコロニーが建造された ﹃広野君、無重力と真空には慣れたかい?﹄ ﹁という訳で、あんたに任せるわ、全部﹂
ものの、さびれてしまった星。港だけは辛う ﹁ええ、思ったより快適ですよ﹂ ﹁⋮⋮最初からそれが狙いだったんですね﹂
じて運営されている。バールたち ︽輪宝︾ 太陽光線を浴びているので少し温度が気に ﹁細かい事は気にしない、気にしない﹂
の支配者たちは、一ヶ月かけてここに最後に なったが、杞憂で済みそうだ。 人生を憂いながら、広野は﹁全てを許せた
到着した。
︽輪宝︾への他の移住者逹は、イオ ﹃それは良かった。ところで作戦内容は分かっ らいいのに﹂などと思ったという。
を含めた幾つかの衛星上で一週間程待機して ているかな?﹄
もらう。その間にバール等が︽輪宝︾内の環 ﹁いくら私達が ﹃忘れて﹄ しまう特殊な ﹁どーして俺達は外に出ちゃいけないんだ?﹂

A
I
境を整えるのだ。イオでゆっくりしている暇 だからって、それくらいは大丈夫よ﹂ 外部との通信を切った後、アイオロスが聞
は無い。到着して二十四時間もたたない内に、 と、テテュスが軽い調子で答える。 いてきた。
バール等は︽輪宝︾に向かって出発した。 ﹃それならいい。もうすぐ作戦開始時刻だ。で ﹁アイちゃん⋮⋮﹂
第 3 章 状況説明
謎の小惑星集積現象の結実たる︽輪宝︾は は、健闘を祈る﹄ レアが諭すように言う。もしや、天然な姉
当初問題視され、専門の委員会が発足し何機 そう言って、バールは通信を絶った。少し には分かっているのだろうか。
もの探査機が送られたのだが、接近したもの の沈黙の後、テテュスが口を開く。 ﹁強い紫外線は、お肌に悪いのよ。皮膚ガン
は全て︽輪宝︾の材料になってしまった。 ﹁で⋮⋮﹂ になっちゃうかも知れないじゃない﹂
アイオロスは、少し肩をコケさせた。何故 どの生物が絶滅してしまうだろう。 これが、 ﹁そういう問題じゃない って言うか盗聴
だか突っ込む元気もなく、うめく。 未来の住処。と言っても、この表面に居を構 は行儀が悪くて人倫に反するわよ、パパ ﹂

!
﹁ああ、少しでも期待した俺が疎ましく思え えるというわけでは、勿論無い。中は空洞に ﹃聞かれて困るような会話をしてる方が悪い
る⋮⋮﹂ なっており、快適な生活が約束されている。 んだ﹄
﹁いや、結構正しいんだが﹂ ﹁でも、石の壁にしか見えないわね⋮⋮﹂ ﹁何か危険な論理ね⋮⋮﹂
バールの声に驚いて振り向く。 と、テテュスはひとりごちた。 テテュスは思わず絶句した。
﹁お前たちは全身が分子機械で構成されてい ﹁その壁に、穴を開けるんですよ﹂ ﹃それは置いといて 取り敢えず、広野君﹄
るからな。紫外線・ 線等の強い電磁波の影 広野が言う。 ﹁はい、私からもう一度彼女に説明するんで
X

響で、暴走しないとも限らない﹂ ﹁⋮⋮穴?﹂ すね﹂


﹁あ⋮⋮ああ、そういう事か﹂ ﹁ええ。気密性に気を配ったのは良かったん 広野は少し疲れた様子である。バールはね
アイオロスが安堵したように乾いた笑い声 ですけど、出入口を作り忘れたとかおっしゃっ ぎらうように、
を上げた。 てました﹂ ﹃手の掛かる娘で済まんなあ﹄
無論、この物体を設計したのはバールであ と言った。
﹁⋮⋮何かおばかな漫才やってるわよ﹂ る。テテュスは少し肩を落とした。
﹁人のこと言えますか?﹂ ﹁⋮⋮時々、物凄くバカよね、パパって⋮⋮﹂ **
しばし、どうしようもない沈黙が流れ、や ﹁科学者ってのは、そんな人も多いらしいで
がて静かに会話が再開する。 すよ﹂ ﹁
﹃基準点から直径五〇キロメートルの半球内
﹁一回、アタマ吹っ飛ばしてあげようか?﹂ ﹁ま、天才と何とかは紙一重って言うけどね は好き勝手に壊していい﹄⋮⋮ね﹂
﹁はっはっは、暴力的ですなあ﹂ ⋮⋮﹂ テテュスは半分呆れたように呟いた。
一瞬の沈黙。 ﹃ 誰が何だって?﹄ ﹁基本的にアバウトな人ですからねー﹂
﹁うふふふふふふふふふふふ⋮⋮﹂ ﹁わっ ﹂ 広野は早々にやる気をなくしていたようで

!!
﹁はははははははははははは⋮⋮﹂ 突然聞こえてきたのは、バールの声だった。 ある。
様々な想いと笑いが飛び交う中、小さな宇 広野は左胸の辺りを押さえて言う。 ﹁⋮⋮まあ、破壊活動なら私達二人の得意分
宙船は目的地に着いた。 ﹁先生、相変わらず心臓に悪い事しますね⋮⋮﹂ 野よね﹂
﹃大丈夫、君の新しい心臓はゾウが乗っても ﹁立ち直りが早いですね﹂
た ち
目の前に在る物体。それは直径五百キ 潰れたりしないから﹄ ﹁そういう性
 質 なのよ。それに⋮⋮﹂
ロメートルの岩の塊だ。地球にこれほどの質 早くも形勢を立て直した、心臓に毛が生え ﹁﹃それに﹄?﹂
わめ
量がそれなりの速度でもって激突したら、殆 ている︵広野談︶テテュスが喚 
 く。 広野の問いに、テテュスは指の骨を勢いよ
15
く鳴らし、陶酔しながら答えた。 そんな広野やバール等の思いをよそに、彼 もりだったんですか?﹂
16

﹁あのカタルシスがたまんないのよねー﹂ 女は︽ミラ︾の破片をまき散らしながら思い ﹁そーよ﹂


カタルシス。 切り暴れた。 当然じゃない、と言わんばかりに肯定する
広野は少し気になって、その言葉を調べた。 が、 分ほどしてやがて飽きたらしく、自 テテュス。肩を落として、広野が問う。
10

らが開けた穴から飛び出した。超音波兵器を ﹁シミュレーション、してみましたか?﹂
カタルシス ︻ ギリ
katharsis
シア

︵浄化・排泄の
使用したのに思ったほど壊れなかったので︵相 ﹁あ⋮⋮﹂
意︶ ︵中略︶精神の罪よりの浄化。 ︵中
Á À

固体 キャビ テ ー ション
手が真空中の岩 
 では、空
 洞現象 が起きよう筈 テテュスは顎に人差し指を添え、暫く黙考
略︶︵中略︶悲劇を見て涙を流したり恐
も無い︶、面白くなかったのかも知れない。 した。そして至極真顔で言った。
怖を味わったりするが、 これによって
と、テテュスは現場から一〇〇メートルほ ﹁生成したプラズマが、こっちに跳ね返って
心の中のしこりを排泄し、
︵中略︶︵中
Â

ど離れた所で反転し、さっき自分が暴れた場 くるわね﹂
略︶無意識の︵中略︶精神的外傷によるし
所に掌を向けた。それを見て、広野が慌てて
こりを、︵後略︶ ﹁それを防げると思います?﹂
テテュスの視線の先に身を投げ出し、止める。 プ ロ ツ タ
﹁ 
磁界制御装置 で⋮⋮﹂
広野は少し考え、隣のテテュスを盗み見て、 ﹁ストップ ﹂

!!
﹁無理ですってば。あれも試作段階です﹂
呟いた。 ﹁何よ﹂
広野は苦笑しっ放しだった。
﹁﹃心の中のしこり﹄⋮⋮?﹂ 肩で息をしながら︵?︶、広野は言う。
どう見ても彼女には関係なさそうな単語だ ﹁⋮⋮危ないでしょうが ﹂ 話は全然進んでいなかった。後退していな

!
った。 ﹁⋮⋮何が? ただの反物質砲よ﹂ いだけマシかも知れない。
﹁諸々の電磁波はさて置いて、プラズマです。 テテュスは苛立っていた。
** しかも真空ですよ、ここは﹂ ﹁どーすんのよ﹂
﹁やーねー、ちょっとくらい大丈夫よ、私等 広野は答えて言った。
﹁せーのっ ﹂
!! なら﹂ ﹁レーザーですよ。円錐状に切断するんです。
装 甲 マ イ ク ロ
テテュスの掛け声と共に、のっぺりとした ﹁根拠が全くありません 私達の 
皮膚 につ  万分の一 秒単位で調整して﹂

!
岩盤に深い穴が穿たれる。 いては、まだろくに実験もやってない状態な ﹁単純な切断作業ならともかく⋮⋮。めんど
深いといっても一〇メートル位。この調子で んですよ それに⋮⋮﹂ くさー﹂
第 3 章 状況説明

?!
やっていては、
︽ミラ︾の内側に貫通するまで ﹁それに?﹂ そこからは結構順調に進んだ。コントみた
に多大な時間と労力を必要とする。テテュスは おうむ返しのテテュスの声に、広野は︽ミ いなやり取りがしばしばあったり、テテュス
ウートガルド
そんなに辛抱強くないと考えられるので、恐 ラ︾の中心を指して言った。 が余計な所まで切断して︽外
  郭 ︾ この岩
らくこれは⋮⋮ストレス解消の一環であろう。 ﹁今、あなたが掘った穴に反物質砲を撃つつ 塊を作り上げ、保持する分子機械 を発動
させたり︵切除個所の︽外郭︾は停止させてあ ﹁ちょ、ちょっと、先生?﹂ ﹁⋮⋮分かったわよ﹂
るのだ︶
はあったが。 ﹁近親憎悪ってやつかしらねー﹂ と造物主の暴露話を止めた。
作業が一段落したところで、テテュスがぼ テテュスが苦笑しながら言う。 しかし広野は、バールの恐ろしさをまだ知
そっと言った。 ﹁ほら、三十年位前に人工子宮が完成したで らない。
﹁これって⋮⋮、
︽外郭︾にやらせればよかっ しょ?﹂ ﹁それでどうして、そのカールさんが先生を
たんじゃない?﹂ ﹁ああ、結構問題になりましたね﹂ 追ってくるんですか?﹂
ア セ ン ブ リ
﹁組
 み立て ならともかく、破壊活動は我々が ﹁それと昔にちょっと勘違いした優生学の復 バールは不機嫌な声で答える。
やったほうが手っ取り早いんですよ﹂ 興みたいなのがあったでしょう?﹂ ﹃まあ、ある種の病気だな。 下らん話は
こっち
テテュスが首を傾げる。 ﹁ええ、何か上流階級での話ですね﹂ 置いといて、船 
 に戻ってこないか? あとは
﹁⋮⋮急ぐ必要なんて、あったっけ?﹂ ﹁話は変わるけど、カールおじさんは数学の ︽外郭︾が整備してくれるのを 時間ほど待つ

5
﹁先生にはあるみたいですよ。﹃早くしない 天才でね、素数が﹃見える﹄んですって﹂ だけだからな﹄
と、あいつが来てしまう﹄とか何とか﹂ ﹁﹃見える﹄?﹂
﹁あいつ?﹂ ﹁そう。十桁の素数もスラスラそらんじるっ 時間後。

5
﹁お兄さんだそうです。知ってます?﹂ て。あと数十万年分のカレンダーが頭に入っ 整備された入り口 中央の球体︽ミラ︾の
﹁ああ⋮⋮カール伯

 父 さんね。会った事ない

てるらしいよ。生まれつき﹂ 真ん中にある から、バールらは宇宙船ご
けど、見たらすぐ分かると思う﹂ ﹁便利な人なんですねえ﹂ と︽輪宝︾の内部に入っていった。
﹁どうしてですか?﹂ ﹁で、カールおじさんの父親は、クローン技 ﹁真っ暗ですね﹂
術と完成間近の人工子宮でもう一人天才を作 ﹁まだ発電してないからな﹂
﹁それは ﹂
ろうとした訳﹂ そういってバールは船外の赤外線ライトを
﹃私があいつのクローンだからだ﹄
﹁難儀な父親ですねー、実行してしまうとこ 点ける。コンソールに︽ミラ︾内部の映像が
またも突然割って入ってきたバールの声は、
ろが特に﹂ 映し出される。
あからさまに不機嫌だった。
﹁でも全く同じゲノムを持っていても、同じ ﹁うっわー﹂
﹁クローン⋮⋮、双生児ですか?﹂ 形質が発現するとは限らない。パパには ﹂ テテュスが声をあげる。
広野が要領を得ない様子で問う。 ﹃テテュス﹄ ﹁⋮⋮ダイヤモンド﹂
﹁私の方が五歳年下だ。あいつは人として生 バールの、氷点を遥かに下回った声がテテュ アイオロスがポツリと言う。そう、それは
モ ル モ ツ ト
まれ、私は実
 験動物 として生まれた⋮⋮それ スの言葉を遮る。さすがにこれ以上父親の機 まるで巨大なダイヤモンドの結晶模型のよう
だけだ。以上﹂ 嫌を損ねると何をされるか分からないと判断 であった。直径二五メートル程の球体から、人
と、バールはさっさと切り上げようとする。 した彼女は、 が立って通れそうなパイプがそれぞれ 本ず
17

4

つ飛び出しているように見える。その構造が ﹁すごい⋮⋮ ﹂ 二人は壁から身を剥 
 がした。そしてバールを
18

この空間を充たしている。そしてこの空間の どこか電車のような感じのするエレベー 睨む。それを見てバールが言った。


中心に、直径が他の球体の二〇倍くらいある ター内の、透明の壁 ガラスとは質感が少 ﹁やはりエレベーターに、ジェットコースター並
球体が浮かんでいる。これが発電所である。 し違う に駆け寄ったレアが歓声を上げる。 みのスリルを求めたのは間違いだったか⋮⋮﹂
﹁ 人とも、あの大きな球体は侵蝕したりし 円筒の内面に張りついた、箱庭世界。一〇〇キ ﹁分かってるなら実行しないでよ ﹂
4

!
ないように。皆の生命線だからな﹂ ロメートル向こうにある円筒の底面は霞んで と、テテュスが糾弾する。取り繕うように広
バールがそう釘をさす。 見えない。地表の所々を薄い雲が覆っている。 野が言う。
﹁﹁﹁﹁ ふーん﹂﹂﹂
﹂ ﹁ねー、どれくらいかかるの?﹂ ﹁勿論、普段は安全最優先ですよね?﹂
︽輪宝︾全体にとって幸いな事に、注意さ テテュスが、眼前に広がる見慣れない ﹁ああ。速度にして今の 分の 大体 分

40
4

1
シュー ル レ ア リ ス ム
れた者達はその事にあまり関心がないようで まるで 
超現実主義 のような 風景に目を奪 掛かる筈だ。まー今回は普通の人間が誰も乗っ
あった。 われながら問うた。 てないから、安全性より時間の節約と歓楽を
﹁ 分くらいだな﹂ 狙った訳だな﹂
ノクトビジョンを装着したバールは、

10
父親がシートベルトで身体を固定しながら バールは、娘達の冷たい視線に気付いても
どこから取り出したのだろう? 一抱えも
答える。アイオロスも広野もそれに倣う。バー いなかった⋮⋮。
ある反物質の結晶を収めたカプセルと共に船
の外︵既に︽輪宝︾内部は呼吸可能の空気で ルがボタンを押して扉を閉め、 人の乗り込

4
充たされている︶に出、 
くだん
件 の一際大きな球体 んだ箱が︵バールから見て右方向に︶動き出す。 円筒形の重力区は回転により の重力加

G G
2 1
﹁あ、二人とも ﹂ 速度を得ている。別に でも でも人間

0.5
に触れた。少し苦労して まだ無重力に慣

G
れていないのだ 巧妙に隠された扉を押し ﹁なーに?﹂ の健康に及ぼす影響は大差無いのだが、バー
開け、中に入る。ほぼ完全な暗闇だが、内部 ﹁危ないぞ﹂ ルの﹁なんとなく﹂という理由で地球とほぼ
構造は把握している。セキュリティも沈黙し バールがそう言い終わらぬ内に、二人の娘 同程度の設定となった。
たままなので、立ち止まることなく中央部に たちは慣性の法則に従い結構な勢いで壁に叩 地表に降り立ち、上を見上げ もとい、鉛
到着した。カプセルを設置し、発電所に火を き付けられた。 直と反対方向に顔を向ける。見えるのは漂う
かす
入れる。 ﹁きゃっ﹂ 雲に光の線分 太陽灯と、その向こうに 
幽 



﹁ぅわっ ﹂ かに雲と 地 表 の模様。
船は︽ミラ︾を通り抜け、 の入り口に差
第 3 章 状況説明

C
1

!
し掛かった。ここには一五〇人乗りの巨大な 二人とも機械人形だったから良かったもの
エレベーターが存在するが、それでも宇宙船 の、人間であれば骨の一本や二本折れてもお
ごと乗り込めるようには出来てはいない。よっ かしくない衝撃だったろう。
てここから先は船を降りる事になる。 加速の はすぐ感じられなくなり、被害者

G
第 章 造反する太陽
4

テテュスがテーブルに突っ伏して延々とう ﹁セ氏四十五度はあるわね﹂ ロス﹂


めき声をあげている。 レアは、何故かいつも涼しげである。 ﹁何?﹂
﹁うう∼∼∼∼﹂ ﹁暑い⋮⋮﹂ ﹁出来るだけ分厚い雲で光を遮ってくれ、無
﹁アイオロス、どうにかならないか?﹂ ﹁親父⋮⋮、何で姉貴だけ平気なんだ?﹂ 駄かもしれないがね。レアと広野君は⋮⋮あ
﹁う∼∼∼∼⋮⋮﹂ らゆる事態に対応出来るように待機しておい
アイオロスが恨めしそうにバールに尋ねる。
﹁出来るだけ光量を抑えてるんだけど、駄目 てくれ﹂
﹁暑い⋮⋮﹂
だよ。これはもしかすると⋮⋮﹂ ﹁先生はどうするんですか?﹂
﹁感覚を抑制する機構 脳内麻薬みたいな
﹁ううー∼∼∼∼﹂ ﹁私は︽ミラ︾を調整してくる。もし私が一
もんだ が異常なほど強力に出来てしまっ
﹁ああ、どうやら︽ミラ︾の調子が悪いらし 週間経っても帰ってこなかったら、救助に来
てな⋮⋮。後で適当な抑制に修正する事が出
いな﹂ こころ るのだ﹂
来たんだが、レアの場合はその機構が精
 神 と
バールが怪訝そうに言う。 ﹁一週間は長過ぎない?﹂
深い関わりがあって、改良しようとすると精
﹁計算にそれ位かかることもある﹂
ここ にも四季はある。春には辛夷に桜、 神に多大な影響を与えてしまうかもしれない。
C
1

夏は向日葵と蝉時雨、秋は虫の音と紅葉、冬 それで元のままって訳だ。お前らは既にヴァー レアの質問にバールは簡潔に答え、身支度


は雪と牡丹⋮⋮。今は中秋で、もう寒いくら ジョンアップ済み。嫌なら改悪してやっても もせずに表に出ていく。
いの温度の筈なのに⋮⋮。 いいぞ﹂ ﹁それではよろしく頼んだぞ﹂
﹁う∼∼∼∼⋮⋮暑い﹂ ﹁遠慮しときます﹂ ﹁行ってらっしゃい。くれぐれも気を付けてね﹂
テテュスは溶けたアイスのようにぐったり ﹁暑い⋮⋮﹂ 見送るレアのエプロン姿が、妙に板に付い
としている。美少女が台無しである。それだ 広野が即答した。バールが話題転換する。 ている。テテュスも玄関に出てきた。広野は
けなら、まだいい。広野などは頭から煙を上 ﹁取り敢えず⋮⋮だ、テテュス﹂ すっかり疲弊しきった様子で声を掛ける。
げている。 ﹁あつ⋮⋮はい?﹂ ﹁なるべく早くお願いしますよ﹂
イモータライズ
﹁暑い⋮⋮﹂ ﹁全住民に不
 死化 処理を。それと⋮⋮アイオ ﹁分かった。あ、テテュス、知らないおじさ
19
んに付いて行っちゃ駄目だぞ﹂ に隔絶されており、直接操作する他ないから ﹁涼しい顔して何言ってんだ﹂
20

﹁何言ってんのよ⋮⋮﹂ である。 となじるのはボブ氏。少し疲労の色が消えた


︽ミラ︾に到着。ここも電球の光度が高く、 ようだ。
高温多湿だ。 ﹁しかし、あんまり止めといた方がいいぞ、こ
それは、自我を持ちつつあった。誰にも知 ういう薬は。身体に悪い﹂
この球体の内部には大小無数の球体
られる事無く。誰も予想だにしなかったから ﹁だからお前が言うなって﹂
バールは︽SAPARIS︾と呼んでいる
⋮⋮。
が浮かび、それぞれがパイプで繋がっている。 バールと憎まれ口を叩き合うこのボブ
その中の一際大きな球体が、発電所である。 本名はロバートだろう 氏は、バールの学
﹁取り敢えず⋮⋮﹂ 者友達である。地球にいた頃は、もう一人の
エレベーターで の回転軸付近まで上昇
C
1

あわ
バールは手近な球体の一つに向かった。 ディックなる人物と併 
 せて、
﹃行動学の三人男﹄
する。この箱の中の温度も、体温より高い。
﹁おーい、ボブ。無事かあー?﹂ などと呼ばれていた。普通、学者同士はあま
﹁こんなに空気の薄い所まで⋮⋮﹂
あんまり心配してなさそうな声で、インター り馬が合わないのだが、このトリオはそんな
バールの声は、そんなに暑そうではなかった。
ホンに呼び掛ける。 事はなかったらしい。
の出口でエレベーターを降りる。 薄暗
C
1

ややあって、半円形のドアが開く。そこに ﹁ で、だ。ディックは?﹂
く、だだっ広い空間。温度は と変わらな
C
1
い。ここはもう無重力域だ。近くの壁の手す は汗だくで憔悴しきった感じの男 ニグロ そうバールは尋ねた。ボブとディックは共
りを掴み、少し力をこめて前進する。ここか イドだと思われる がいた。 同研究の最中だった筈である。
ら︽ミラ︾までは、おそよ五キロメートル。さ ﹁も⋮⋮もっと早く来てくれよ⋮⋮な⋮⋮﹂ ﹁そう、それがな。ディックの奴、俺が何と
ほど大した距離ではない。 そ う 言 う と、 ボ ブ は 身 体 の 力 を 抜 い て 倒 かしてきてやるとか何とか言って⋮⋮﹂
パワーステーション
実は︽輪宝︾の中には﹁乗り物﹂と呼べる れ⋮⋮否、漂った。 ﹁発
 電所
 に行ったのか ﹂

!?
物はさほど多くない。円筒の中に適当に張り ﹁大丈夫か?﹂ バールは本気で驚愕した。ボブが弱々しく
巡らされた路面電車と先程のエレベータくら と尋ねるバールの声は、やっぱり心配してい 頷く。
いである。﹁時間なんか腐るほどあるんだか るようには聞こえなかった⋮⋮。 ﹁ああ﹂
﹁あいつ⋮⋮。機械音痴な上にプログラミン
第 4 章 造反する太陽

ら、そんなに急ぐ必要はないだろう﹂という
のが、バールの持論である。情報を伝えたけ ﹁不死化処理されてても、暑いものは暑いな。 グ初心者以前なのに⋮⋮﹂
れば、各家庭に繋がれたネットを使えばよい。 お互いに﹂ ﹁俺もそう言って止めたんだがなー﹂
数百キロメートルの距離もゼロに出来る。と そう言うバールの手にある注射器の針は、 ﹁直情径行型だからなー﹂
ころでバールがこうやって︽ミラ︾の発電所 ボブ氏の腕に刺さっており、何だか怪しげな 二人は揃って遠い目をした。 噂のディック
に向かっているのは、その個所だけは物理的 液体を注入している。 氏は、トラブルメーカーらしい。
バールは視線を取り戻すと、こめかみを押 この中の更に化け物サイズのイオントラップ
さえながら言った。 の中に、地球クラスの惑星ならば軽く消し飛
﹁取り敢えず、行ってみるわ﹂ ばせる程の反物質が結晶状態で貯蔵されてい
﹁⋮⋮お前も元気だなー﹂ る。バールが太陽に巻きつくように建造され
呆れたような声に、バールが無愛想に答え たリングから密かに持ち出したものだ。
る。 ﹁ど ん な 物 も、 そ の 正 体 を 知 れ ば 怖 く な く
﹁暑さに鈍感なだけだ。⋮⋮安静にしとけよ、 なる⋮⋮﹂
あんまり普通に暮らせるような身体じゃない バ ー ル は 少々意 味 不 明 な 事 を 呟 き な が ら、
んだから﹂ ︽ミラ︾の入り口の傍ら 隠された認証シス
﹁余計なお世話だ﹂ テムが存在する に掌を押し当てた。
﹁そりゃ良かった﹂ その時。
唇を歪めて笑いながらそう言うと、バール ﹁ん?﹂
は球体の外に通じる扉を開けた。 バールの上げた声は適当ではなかった。大
電流を注がれ、全身が痙攣したのだから。普
︽ミラ︾の中の全ての球
 体  を巡回している
SAPARIS 通の人間ならショック死している所だ。
こ こ
暇は無い。それに︽ 
ミラ ︾の人間の殆どは分
イモータライズ
子機械で 
不死化 している。問題なのは、重力
区の人々だ。テテュスの一時的な不死化処理

がいつまで保 
 つか⋮⋮。
バールは軽く溜め息を一つすると、発電所
に向けて跳躍した。
テ テュス
﹁あ
 いつ の飽きっぽい所は、誰に似たんだか
⋮⋮﹂
バール
テテュスの人命軽視は、 
父親 から遺伝した
模様である⋮⋮。
パイプ
発電所に着地する。大小多数の管 
 に絡みつ
かれた、 直径およそ五〇〇メートルの球体。
21
第 章 母神狂乱
5

実にかくのごとく、汝は山々の重圧を担う、 ている気がする。壁も床も天井もひび割れだ 地面にめり込んだ手足から、淡い白煙が上


プリテイヴイー
 地の女神 よ、直路に富む 女[神 よ
大 ] 、その した。 がり始める。そして唐突に、激痛が走る。
威力により、威力ある 女[神 よ
] 、大地を活 ﹁これは⋮⋮まずいかも﹂ 同時に、鋭い悲鳴。バールと同じように外
気あらしむる汝は。 そう言って、バールは家の外 といって に出てきた近所の住人達がまたもや同じよう
リグ・ヴェーダ︵五 八
・四 一
・︶ も、もう家は全壊寸前で外と大差ないのだが な目に遭っている模様。どうやらレアは、地
に駆け出す。しかし足が地面に触れた途 面に取り込んだあらゆる物質を分解している
レアが悲鳴を上げる。場所は台所だ。たま
端。 らしい。凄まじい恐怖を含んだ激痛に、バー
たま通り掛かったバールは、少し気になって
﹁うおっ ﹂ ルが思わず声を出す。
声を掛ける。

?!
地面が
こ こ
  の地殻が 何だか流動的 ﹁あだだだだだ⋮⋮ ﹂
﹁どうした?﹂

!
1
になってしまっていて、底無し沼のど真ん中 ﹁何が起こったんだ?﹂
レアはとぎれとぎれに意味を成さない声を
に立ち尽くしてしまったかの様に身体が沈ん ﹁お家が壊れるよ∼ もしかしてパパの陰
出しながら、小刻みに震えていた。

!
でいくのだ。絶望的である。バールは、口と 謀 ﹂
﹁あ、あ、あ⋮⋮﹂

?!
手を動かす事しか出来なくなった。無論この ﹁先生、大丈夫ですか?﹂
と、いきなり奇妙な轟音と共にレアの周囲の
床が陥没した。微弱な地鳴りが始まる。 状態で、する事は一つ。効果は余り期待出来 異常事態を察して、アイオロスとテテュス、
﹁なっ⋮⋮ ﹂ ないが。 広野が駆け付けてくる。三人とも空中に浮い
! ﹁レア 何があったか知らないが、落ち着 ている。アイオロスだけは何故か小鳥の姿を
突然巻き起こった災害に、バールは絶句し

!
た。レアはまだ悲鳴を上げている。次第に強 くんだ ﹂ している。

!
くなる震動に、家屋も悲鳴を上げる。窓ガラ 一際大きな音がして、すぐ傍の地面が割れ 不気味なうなり声を上げて、突風が地面の
スが粉々に砕け散る。 る。バールはバランスを崩してその場に手を 裂け目に吸い込まれていく。それも、尋常な
﹁まさか⋮⋮﹂ 突く。苦笑と共に声が出る。 量ではない。どうやら、亀裂は外まで達して
心成しか、レアの﹃手﹄が大きく長くなっ ﹁やっぱり無理か。⋮⋮アレ?﹂ いるらしい。バールが呷く。
23
﹁これは⋮⋮﹂ その言葉を聞いて、テテュスは非難がましく 元々嵐の中に居るようなものなので気になら
24

ダイヤモンド
これはかなり危険だ。バール達だけでなく、 叫ぶ 傍らの巨大腕を金
 剛石 ワイヤーソー なかった。
の全住人の命が心配だ。 全体がきし で解体しながら。 広野はアクセラレーターを発動させて、一
C

C
1

み、崩壊しかけている。 ﹁やっぱりパパだったのね ﹂ 〇〇メートル程離れた所で叫び続けるレアに


?!
﹁アイオロス、テテュス。 の亀裂と歪み バールは憮然と言い返す。 一息に跳んで近付こうとした。が、何本もの
C
1

を修復するんだ﹂ ﹁やっぱりとは何だ﹂ 巨大な手が行く手を阻む。


ウートガルド
﹁二人がかりで? 外には︽外
 郭 ︾がいるじゃ ﹁こんな不気味で非常識なこと考えるのは、パ ﹁ち⋮⋮﹂
ない﹂ パしかいないでしょ ﹂ 舌打ちと共に、広野の手に仕込まれてある

!
テテュスが驚いたように尋ねると、バール ﹁せめて芸術的と言ってくれ﹂ 兵器を発動させる。掌が発光し、放電し始め
ヴァジュラ
は真剣な顔をして答えた。 そこにバールの肩にとまったアイオロスが る。電
 撃 は生体だけでなく、分子機械にも有
﹁外からじゃ補修し難い。可及的速やかに解 口を挟む。 効である。そして。
決せねばならん﹂ ﹁と言うよりも、世紀末的だよな﹂ 広野が手を触れると、特大の腕が面白いよ
﹁⋮⋮わかった﹂ バールはそれをきっぱりと無視して、突然 うに崩れてゆく。広野とテテュスの手は、高
テテュスはそう言って、 全体に散らばっ 思い出したかのようにレアのいる方向を指差 性能の振動子になっているのだ。
C
1

ア セ ン ブ ラ クラツクヘツド
た自分専用の 
分子機械 ︽麻
 薬常習者 ︾に指令 しながら叫ぶ。 破壊音が轟き、粉塵が吹き荒れる。おかげ
を送る。アイオロスもそれに倣って、自分の ﹁広野君 彼女を レアを取り押さえる で メートル先も見えなくなった。全てのセ

2
ニーベルング
︽霧
 の子 ︾を修復作業に駆り出す。本来は液体 んだ ﹂ ンサーを開放して彼女の位置を探ると す

!
や気体を扱う彼らの分子機械であるが、構造 ﹁かなり強引に話を切り替えましたね﹂ ぐ近くだった。
材の加工に使えない事は無い。 ﹁そんな事言ってる間に、全住民の命があ∼
広野はレアに背後を取られた。
崩壊の足音が大きくなっていく。 と、突 ∼∼﹂
彼女が、万物を分解してしまう﹃手﹄を振
然地面から灰色の巨大な腕が何本も生えてき ﹁⋮⋮まあいいですけど。無傷で、ですか?
り上げた。そのまま広野に振り下ろす⋮⋮が、
た。指の太さが、妙齢の女性の腰くらいある。 それは難しいですよ﹂
動きが止まる。広野が沈痛な声を出す。
殆ど大部分の人の頭に、同じ疑問が浮かぶ。 広野の言葉に、バールは少し黙考する。
﹁ごめんよ﹂
コ ア
﹃何だアレは ﹄ ﹁⋮⋮やむを得ない。頭
 脳 だけは攻撃しない
第 5 章 母神狂乱

?!
彼女は、そのウエストが半分程切断されて
その﹁殆ど大部分﹂でない一人、バールが ように﹂
いる。彼女の胴をえぐったのは、広野の肘か
妙に落ち着いた声で言う。 ﹁了解﹂
ら突き出しているダイヤモンドの剣だった。
﹁暴 徒 鎮 圧 用 に 密 か に 設 計 し て お い た ん だ その言葉と共に、バールには広野の姿がか
が⋮⋮。こんなふうに活用されるとは﹂ き消えて見えた。 同時に突風が発生したが、 アクセラレーターを止める。レアがゆっく
りと倒れる。そしてそのまま 溶けるよう に向け、放電する。彼女らの動きが鈍くなっ しかしそこは不思議な空間であった。

C
1
に地面に沈んでいく。 た所でそのうちの一人を破砕、更にもう一人 の殆ど全ての地域は地震と暴風に見舞われて
﹁あれ?﹂ をワイヤーで細切れにし、レア個体群の輪を いるというのに、そこだけは揺れず、微風す
何かがおかしい⋮⋮。広野は、今は何も残っ 抜けようとする。 らもふいていない。ただ、建物自身は相当の
ていない地面を見詰めた。バールが、身体に が。 ダメージを受けているようだ。
似合わない大音声を上げて注意を喚起する。 ﹁うそ⋮⋮﹂ ﹁ありがたい﹂
﹁広野君 ﹂ 輪は十重二十重と出来上がっていた。 広野は皮肉交じりにそう言うと、二〇メー
!

いつの間にか、広野はレアの集団に囲まれ トル前方のレアに向かい、跳躍した。当然、ま
ていた。あまりの不気味さに、広野が思わず レア達を蹴散らしてその輪を抜ける頃には、 たもや巨大な腕が何本も襲ってくる。
顔を歪ませてうめき声を出す。 広野の片腕と片腹は消え去っていた。 ﹁邪魔だ ﹂

!!
﹁げ﹂ あまりの痛みに膝から崩れ落ちようとする 痛みで、広野は凶暴になっていた。いきな
バールが呟きながらメモを取る。 が、何とか踏みとどまる。 り反物質砲︵実体はプラズマジェット︶で大
﹁成程、こんなことも出来るのか﹂ それにしても⋮⋮と広野は思った。 部分を消滅させる。勿論、レアには当たらな
﹁感心してる場合ですかっ あなたが造物 レアの﹃手﹄の分解速度は、そんなに速く いようにはしたが。
!

主でしょう ﹂ なかった。もし最大速度で仕掛けられていた 反物質砲の電磁波のせいで、センサーは利


!

いつまでも漫才をしているわけにもいかな ら、広野はとうに全身を消されていただろう。 かない。あたりは濃い煙と熱い空気で覆われ


いようだ。それは⋮⋮。 そして彼女は 触れてみて分かったことだ ていて、 メートル先も見えない。だから広

1
﹁え?﹂ が 恐れていた。何かを。 野は、着地する位置を自分の計算に頼るしか
多数のレアが一斉に襲い掛かってきたから ⋮⋮まあ、いい。こちらには都合が良い。 ない。そして非線形計算というものには誤差
だ。 広野は思考を中断する。そして全方位に気 とケアレスミスがつきもので 。
﹁あーもお ﹂ 配を探る。 広野は、レアのすぐ近くに着地した な
!
再びアクセラレーターを発動させるが、タ ﹁本体は⋮⋮﹂ にか黒くて小さいものを踏みつけて。だが高
イミングが遅すぎた。 本物のレアは脚が伸びて床を突き破ってい 度を少し勘違いしていたらしく、タイミング
一体のレアが広野の肩をつかむ。とたんに たが、まだ硬直したままだった。何故それが を外した。不器用な力を受け取った崩壊寸前
痛みが走る。人間で言えば、強塩基をかけら 本物だと言えるのかというと、電磁波である。 のその床は、力を逃がし切れず 。
れたようなものだろう。取り敢えず、攻撃し 彼女にも一応人間のような︵材質は有機物で ズボッ。
てきた個体を超音波兵器で粉砕する。そして、 はないが︶骨格があり、それが特異的な波形 間抜けな音とともに、広野は床に腰まで埋
さらにつかみ掛かろうとしている美少女たち の電磁波を発しているのだ。 まってしまった。
25
﹁しまった ﹂ ﹁だから、アレって何よ﹂ 傷を舐め合っているような感じさえする。
26

!!

もしかしたらこの衝撃でレアの攻撃行動が ﹁う⋮⋮﹂ ﹁トラウマか⋮⋮?﹂


解発されるかも 絶望的な気持ちで、眼前 レアは、いつも以上に歯切れが悪い。 アイオロスがボソッと言った。広野が話題
のレアを見やる。レアは。 ﹁ほ ら、 意 外 に も シ ロ ア リ と 近 縁 だって い を戻そうと、バールに尋ねる。



こちらを、いや、こちらに顔を向けて、鼻 う⋮⋮﹂ ﹁ ア レって、黒くて脂ぎってて暗い所が好き
先の空間を凝視している。レアの体がゆっく などとよく分からない説明をする。 で、カサカサ動くアレですか?﹂
りと傾き 。 それを聞いて、バールが何か納得したよう ﹁⋮⋮そうだ﹂
﹁あれ?﹂ だ。妙に悟った様子で、レアに言う。 テテュスがやっと分かったようで、口をは
広野が間の抜けた声を出す。 ﹁そうか、アレなら仕方ないな⋮⋮﹂ さむ。
そのまま静かに倒れたレアは、砂のように ﹁ああ、それってゴキぶっ⋮⋮ ﹂
レアがそれに元気付けられたみたいで、少

!!
崩れることはなかった。 いつの間にか、レアがテテュスの背後に回
し舌が回るようになってきた。
いつの間にか、暴風も地鳴りもなくなって り、口を塞いで首を絞めていた。
﹁そうなのよ。アレの名前を思い浮かべただ
いた。巨大な腕は、もう動かない。そよ風が通 背筋が凍った。テテュスには急所となる喉
けで、気分が悪くなるのよ﹂
り抜けていく。バールとアイオロス、テテュ 仏や頸部神経叢などないが、レアの迫力には
﹁そうだな。私もアレを見ると、金縛りになっ




スは既に住民の手当てを行っている。広野は 首ごと も が れそうな気配すら存在していた。
てしまうんだ﹂
一言、呟いた。 ﹁お願い、その単語だけは口にしないで⋮⋮﹂
﹁どうしてあんなモノが存在するのかしら﹂
﹁⋮⋮一体、何だったんだ⋮⋮?﹂ ミュータンス レアが涙ながらに︵笑︶訴える。それに対
﹁虫
 歯 菌と共に殲滅すべきだな。腹を空かせ
爽やかな風は、何も答えてはくれなかった。 するテテュスの返事は、
たサスライアリでもけしかけるか﹂
尚、反物質砲の 
ガンマ
 線のせいで いくら人 ﹁むむむ⋮⋮﹂
と、何だか論点がずれてきた所に、アイオロ
γ という素っ気無いものだった。
口密度が小さいといっても 数十人が重篤 スが声を掛けた。
に陥ったのは、言うまでもない。 ﹁あのおー⋮⋮﹂
疲れたような声に、レアとバールの会話が
﹁⋮⋮で、原因は何だったんですか?﹂ 中断される。二人は少し不機嫌な様子で声の
全員を代表して、広野が尋ねる、レアに。彼 主の方に向き直る。
第 5 章 母神狂乱
女は、少しばつが悪そうに答える。 ﹁何だ﹂
﹁それが⋮⋮どうも、アレらしいのよ﹂ ﹁何よ﹂
その答えに、全員が全員とも首をかしげた。 二人を、異様な雰囲気が包んでいる。少し
今度はテテュスが焦れったそうに問う。 目付きが悪くなっていたりする。互いの心の
27
28

間奏 ﹁夢﹂
男と、女の声。光の中の、黒い影。画像も音声も不鮮明だ。
﹁ねえ⋮⋮私達は、色々な事を⋮⋮てしまったわ。いつの時代も、⋮⋮が絶えることは無い⋮⋮﹂
﹁⋮⋮だな。でも、その⋮⋮った事から、⋮⋮せるかもしれない﹂
二人とも、私はとてもよく知っている⋮⋮。誰だろう?
﹁一⋮⋮いえ、ゼロから⋮⋮てみる?﹂
﹁⋮⋮だな。貴重な⋮⋮を、無かった事には出来ない。知性の⋮⋮い宇宙、これほど⋮⋮があるかね﹂
これは、夢⋮⋮?
﹁また、⋮⋮が出てきたわね﹂
﹁ああ、数百年前から、およそ⋮⋮勃発するらしいな﹂
静かな話し合い。それだけが淡々と続く。
﹁⋮⋮あなた、何歳だったっけ?﹂
﹁まだ二十代だ﹂
﹁⋮⋮それで、具体的には何を?﹂
﹁少人数で、⋮⋮脱出する。自分達だけの力で、自分達の⋮⋮出来るか、やってみたい﹂
そして、画面が砂嵐になり、少し雑音が入って⋮⋮。
第 5 章 母神狂乱
淡い光が差し込む、白い空間。
﹁ねえ⋮⋮して﹂
よく聞き取れないが、女性の声。続いて何か、陶器が割れる音。
﹁やれやれ、⋮⋮看護婦に怒られるな﹂
少し強張った、男性の声。
﹁バール﹂
たしなめるような、女性の声。
﹁⋮⋮しかし、⋮⋮はそんなに⋮⋮﹂
﹁もう⋮⋮、と言うよりも、⋮⋮が無かったんでしょう?﹂
﹁む⋮⋮﹂
女の発言に、男が凍ったようになる。
また、砂嵐と、雑音。
見つめ合う男女。傍らにもう一人、男がいる。
カップルの男が我に返り、止まっていた時間が、動き出す。
﹁⋮⋮はじめまして、バール⋮⋮バール ヴ
=ァルトシュタインです。兄がいつもお世話になってます﹂
女の方も意識が戻る。
﹁はじめまして、私はレアと言います。こちらこそいつもお兄さんに助けられて⋮⋮。カール﹂
と、横の男に顔を向ける。
﹁何だ?﹂
﹁双子の弟さんがいるなんて聞いてなかったわよ﹂
﹁そうか、そう言えば話してなかったか。こいつはな、生物専攻のくせに機械工学が得意で、時々俺の研究を手伝ってくれるんだ﹂
﹁へえ⋮⋮﹂
﹁バール、このレア女史はな、一応俺の上司という事になっている、某一流大学を主席で卒業した才媛だ﹂
﹁へえ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮と、ここで立ち話もなんだから、場所を移そう﹂
暗転。
光の乏しい光景に、声だけが響く。
﹁⋮⋮起こしちゃった?﹂
﹁む⋮⋮﹂
男がむっくりと起き上がり、頭を振る。
29
﹁眠ってしまったか﹂
30

﹁根をつめ過ぎよ﹂
﹁⋮⋮もう少しで完成出来そうなんだ。残る問題は、あと二つ﹂
﹁研究もいいけど、自分の健康にも気を付けてよ﹂
﹁幼少からこんな生活を続けてるが、風邪くらいしかなったことが無いぞ﹂
﹁はいはい﹂
雑音と砂嵐。
そして元々はっきりしない映像が、更に光の中に薄れてきて⋮⋮。
目が覚めた。
第 5 章 母神狂乱
第 章 ペット
6

寒さもようやく和らいできたある日の午後。 り敢えずその物体が何なのか確かめる事にし している。


バールが何やら風呂敷に包んだ箱のような た。恐る恐る、箱の中を覗き込んでみる。そ そのあたりまでは、まだいい。だが二つ程、
ものを持ちだしてきた。 こにあったモノは⋮⋮。 不可解な特徴があった。
﹁なーに、それ?﹂ ﹁何、コレ?﹂ 背中に、コウモリのような黒い翼。額に、大
早速テテュスが尋ねる。すると。 アイオロスが疑問符を浮かべて問う。そし きな、宝石のように赤い水晶体。
﹁ふふふふふふふふ⋮⋮﹂ てレアは。
と、バールは薄気味悪い笑い声を上げて、そ ﹁か⋮⋮﹂
﹁何ですか、これは?﹂
の物体を包んでいた布を剥いだ。 しばらく固まった後、言い放った。
後からやってきた広野が問う。
﹁こ、これは ﹂ ﹁かわいいっ ﹂

!!
バールは少し首をかしげて停止。そして暫
!?

テテュスの驚愕に満ちた声を聞いて、レア ﹁でしょでしょ?﹂
くして答えた。
が読んでいた本から目を上げ、アイオロスは どうやらテテュスも同じ感想を持ったよう
﹁⋮⋮たぶん夜行性で、しかも砂漠に適応し
夢の世界から呼び戻された。 だ。しかし残りの者は。
そうな動物⋮⋮﹂
﹁どうしたの? テテュス﹂ ﹁⋮⋮こういう反応をするとは思わなかった
﹁そーじゃなくて、どうやって創ったんです
﹁何だよ、一体⋮⋮﹂ ⋮⋮﹂
か、これ?﹂
口々にそう言って、バールの元に集まる。
﹁お ﹁﹃かわいい﹄⋮⋮ねぇ⋮⋮﹂ いじ
﹁えーっとな、マウスの構造遺伝子を弄 
 って、
姉ちゃん お兄ちゃん 何だか凄いよ、コ 何やら困惑していた。 コウモリとキツネの遺伝子とシャッフルして、
!

!
レ ﹂ 放射線を当てまくったら、こうなった﹂
!!
﹁ふふふふふふふふ⋮⋮﹂ それは確かに哺乳類に見えた。少なくとも ﹁随分テキトーな遺伝子操作ですね⋮⋮﹂
バールはまだ笑い続けている。 動物ではある。 ﹁科学ってのは、結構いい加減なところもあ
﹁⋮⋮﹂ それは白い毛皮を持っている。尻尾は長く、 るんだよ﹂
よ そ 同 業 者
レアとアイオロスは嫌な予感がしたが、取 耳も大きい。前肢は小さく、後肢はよく発達 ﹁他
 所 の科
 学者 が聞いたら怒りますよ﹂
31
﹁取り敢えず、
﹃ハルシス﹄と名付けた﹂ ネジと釘の山が載った皿に頭を突っ込んで ﹁そう⋮⋮﹂
32

﹁まだ一匹しかいないんですか?﹂ いるペットの姿だった。 アイオロスはやる気なさげに相槌を打った。


﹁ああ。⋮⋮交尾しても、繁殖は難しいだろ ﹁わー ﹂ ﹁あくまで補助エネルギー源だけどな。因み
!

バッキ ー ボ ー ル
うからな﹂ アイオロスは喚くと、大急ぎでペットを危 に、 ・ をその構造に取り入れた酵素

60

70
C

C
険物の塊から引き離した。余程驚いたのか、肩 も内蔵だ﹂
⋮⋮と言う事で︵?︶、レアとテテュスが面 で息をしている。 ﹁⋮⋮共生菌を仕込んだ方が良かったんじゃ
倒を見る事に決定した。 ﹁これだから子供は⋮⋮﹂ ⋮⋮﹂
﹁まず、何を食べるか調べないとね﹂ ﹁金属が好物⋮⋮と﹂ 適当に答えながら、アイオロスは﹃常識っ
幸せそうな空気をまといながら、レアはこ ﹁ちっがーう ﹂ て何なんだろう﹄などと自問していた。

!
の珍獣の前に、それの食物になりそうなもの 嬉しそうに記録するレアに、思わず突っ込 ﹁こっちの方が難しくて面白そうだったからな﹂
を次々に並べた。テテュスは興味津々に眺め むアイオロスだった。 バールは事も無げに言う。
﹁⋮⋮違うの?﹂
お も ちゃ
ている。新しい玩
 具 を手に入れた子供のよう ﹁ところで、どうして一匹しかいないの?﹂
である。この娘にしてみれば、どちらも同じ と、普通の人間だったら慙愧に駆られそうな 少し眉根を寄せてレアが尋ねる。どうやら
なのかもしれないが。 悲しげな顔で問うレアだったが、アイオロス ハルシスの大繁殖を夢見ているようだ。父親
﹁⋮⋮おい﹂ には通じないようだ。 は娘の問いに真摯に答える。
アイオロスが何やら陰気な声を掛ける。 ﹁隣町のキュビエさんが言ってたろ、ウチの ﹁⋮⋮かなり無茶な遺伝子操作をしたんで、有
﹁何?﹂ 犬は錆の臭いにやたらと反応するって。それ 害な遺伝子変異が含まれている可能性が高い
レアが幸せそうな顔で振り返る。 と同じだよ、多分﹂ 事。それと万一繁殖できても、今度は 全

C
1
﹁いくら何でも、ネジとか陶器とかは食べな ﹁じゃあ、その口の中にあるのは?﹂ 体の生態系にどんな影響を与えるか分からな
いだろ﹂ ﹁え?﹂ い事。⋮⋮だから神話の怪物みたいに、一代
﹁⋮⋮そうなの?﹂ 姉に言われて弟は、生まれたてで力の弱い だけで終わらせるつもりだ﹂
﹁特殊な細菌じゃあるまいし﹂ ハルシスの口をこじ開けてみた。そしてそこ
アイオロスは肩をすくめてその場を去ろう に半ば溶解した鉄屑を見た彼は、しばらく固 突如、出荷間近の路面電車 台がひしゃげ、

3
としたが。 まったままだった。 爆発した。夜空が一瞬だけ白く染まる。もう
第 6 章 ペット
﹁あ、でもほら﹂ もうと煙が上がり、飛散した部品がバラバラ
﹁?﹂ ﹁鉄細菌の遺伝子も組み込んでみたんだ﹂ と落ちて来る。
無邪気な姉の声に振り返る。その目に映っ バールから帰ってきたのは、そんな答えだっ 路面電車は、 において主要な と言

C
1
たのは。 た。 うか唯一の 乗り物である。車体は専用の
ア セ ン ブ ラ こ け おど
ドックにて専用の分
 子機械 で造られる。ほぼ 少し苛ついていた。確かに防戦一方という 叩かれて火の玉は四散。 
虚 仮 
 威 
 しだ。火の点
わ たぼこり さしつか
完全に自動化されていた。 のは、テテュスの趣味ではない。 いた綿 
  埃 が飛んでいると考えて差
 支 えない。
﹁⋮⋮派手にやったわね﹂ 電磁障壁で受け止めて脚から地殻に力を逃
何時の間にか現場に現れた機械少女 テ がし、何とか全弾を無力化する。一塊にして



テュス が呟いた。その彼女に向かって、 足下に置く。こうすれば簡単には 再 利 用出来
﹁ ﹂ ないだろう。動かすだけで大量のエネルギー
!

鋭くも重い音がして、テテュスが吹きとば が要るからだ。
された。危なげなく宙返りして着地する。 しかしながら、その考えは甘かった。
いった
﹁痛 
 いなあ、もう⋮⋮﹂ ﹁え?﹂
気楽な口調だが、つり目気味の紅い双眸が 最初の爆発で上空に飛ばされたのだろう、
鋭い光を放っていた。本当に痛いわけではな 路面電車の前方・後方部、合わせて六つの金
プ ロ ツ タ
い。咄嗟に磁界制御装置﹃陰
 謀家 ﹄で電磁障壁 属塊がこちらめがけて落ちて来たからだ。
を展開したので、そもそも直撃すらしていな ﹁資源の無駄遣いしてんじゃないわよ ﹂

!
アクセラレータ
い。それでも弾丸の運動量までは殺せず、跳 叫びながら、テテュスは 
加速装置 を発動し
ね上げられた。方向とタイミングが判明して 亜音速でその場所から離脱した。流石に急激
いれば、上方に逸らす事も出来たのだが。不 な方向転換はままならないらしく、巨大な弾
意打ちを防ぐためにセンサを全開にする。因 丸はそのまま直線的に地面に衝突する。

みに 弾 丸の正体は 耳障りかつ盛大な激突音を背に、テテュス
﹁これか﹂ は避けた勢いのまま最初の爆発があった場所
路面電車の金属部品だった。散布した分子 に突進する。そこに彼がいるような気がした
機械で即席のレールガンを形成したのだろう。 からだ。頼りない勘だが、今回は外れなかっ
彼にとっては雑作もないことだ。もっとも、一 たようだ。
段式のレールガン程度でテテュスは倒せない。 ﹁ビンゴッ ﹂

!
彼もそんな事は分かっている筈。と言うこと 弾丸が尽きたのだろう、進行方向から数十
は 。 個の火の玉 エアロゾルを核にしたプラズ
﹁ん﹂ マ球 が飛んで来た。テテュスは退くどこ






第二波が来た。三桁の弾丸が、 全 方 向 か ら。 ろか右腕を突き出し、更に加速した。音速を
﹁性に合わないわね、こういうの﹂ 超えて固体化した空気を引き裂く。衝撃波に
33
第 章 個人的世界 其の一
7

おそらく神は傍観者としての楽しみを享受 彼の目の前に黒い円盤 直径 メートル があんなに憎しみで一杯だったのに︾

1
しておられるのだ。 位か が現れた。その物体は、彼を追尾し 男は、その科白に動揺したが、努めて冷静
ドーキンス ていた数本のミサイルを飲み込み、消えた。彼 に言った。

R

女︵?︶は引き続いて怪しげな単語を並べる。 ﹁⋮⋮あんたは、ただ破壊したいだけじゃな
こんな⋮⋮こんな事が、許される筈が無い。
︽﹃虹の断裂﹄︾ いのか? いくら何でも、ここまでやる必要
こんな事が、在っていい筈が無い。絶望に ﹁﹃虹の断裂﹄ ﹂ は﹂

!
絡みつかれながら、男は歯ぎしりした。それ 今度は、彼の見ていた景色が、横に七つに ︽あるわよ。敵さん、そんなに甘くないみたい︾
に応えるように。 裂けた。錯覚ではない。彼の周囲の殆どの建 その言葉が現実化したかのように。
︽勿論よ︾ 造物が切断され、崩れ始めた。さらに、追い ﹁何?﹂
﹁ ﹂ 討ちを掛けるように。
!?

瓦礫を更に砕きながら、三体の直立二足歩
声は、どこからともなく響いた。生意気そ ︽﹃鉄色の狼﹄︾ 行型ロボット やや細身で身長 メートル

2
うな少女の声音で。 ﹁﹃鉄色の⋮⋮﹂ 程度、全体的に鈍色の がこちらに向かっ













︽ 私 が 創 っ た 世 界 な ん だ か ら ね︾ 男は詠唱を止めた。予想された不可思議な て盛大に突進してきていた。男はそれを見て、
﹁え⋮⋮?﹂ 効果は発動せず、騒音と共に周りの景色が崩 顔を引きつらせた。さほど高機能とはいえな
︽いい? 手を前に突き出して、これから私 れていく。 い量産型だが、常人が敵うはずもない。
の言う通りに唱えなさい︾ ︽どーしてやめちゃうのよ ︾ ﹁やばい⋮⋮ ﹂

?!

!
この際だ、何でもいいからすがってやれ。そ 少女の声は、少し苛立たしそうだった。男 ︽ほーら、どうする?︾
んな心地であった。 は冷や汗を浮かべながら。 男は少し逡巡して、問うた。
たて

﹃黒の楯 
 ﹄︾ ﹁いや、何だかまた恐ろしい事が起こりそう ﹁⋮⋮逃げる方法は、無いのか?﹂
﹁く⋮⋮﹃黒の楯﹄ ﹂ な気がして⋮⋮﹂ ︽無い事もないけどー、教えてあげない ︾

!!


瞬間。 ︽案外、弱気なのね∼。さっきまで、頭の中 少女の声は、何だか楽しそうだ。やっぱり
35
破壊魔じゃないか、と男は思った。声の主は、 断片的な残骸のみ。 ﹁どういう事だ? 何が起こった?﹂
36

都市の一つや二つ、嬉々として滅ぼすような ︽⋮⋮﹃青の道﹄︾ 彼女の返答は、答えになっていなかった。


厄介な存在なのかもしれない。 少女の声は、少し沈んでいた。訝しがりな ︽んーとね、ちょっと事態を整理しようと思
彼は掌を額に押し付けて、毒づいた。 がらも男は復唱する。 って︾
﹁くそ⋮⋮、幸運なんだか不運なんだか分か ﹁?⋮⋮﹃青の道﹄﹂
りゃしない﹂ 視界が一瞬青くなり 。 彼女︵?︶の話はさっぱり要領を得なかっ
︽﹃生きるべきか、 死ぬべきか。 それが問題 た。いきなりこの国の歴史を語り始めたので
だ﹄。まさに名言よねー︾ 気が付くと、周りの景色は全く別のものに
ある。男は頭を抱えてうずくまった。
﹁五月蝿い。⋮⋮分かったよ、言えばいいん なっていた。さっきまでいた場所には緑など
﹁誰か、誰でもいいからこの状況を説明して
だろ、言えば﹂ ひとかけらも無かったし、地平線など見える
くれ⋮⋮﹂
︽そうそう。分かってもらえて嬉しいわ ︾ 筈も無かった。
︽どーしたの? 急にいじけたりして︾

﹁ホントに嬉しそうだな⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮どういう事だ?﹂
声は心底不思議そうに尋ねる。男はやっぱ
言い合ってる内に、ロボット達は男を取り 男は警戒しながら、何処とも知れぬ相手に
り腹が立ってきて、遂に。
囲んだ。男は慌てて叫んだ。 問うた。ところがその相手は。
﹁お前は一体何者だあぁぁ ︱ ﹂

!!
﹁﹃鉄色の狼﹄ ﹂ ︽⋮⋮。︾
と叫んだのだった。少女︵?︶は今気が付い
!!

その言葉と共に、男の影から黒くて丸い何 ﹁おい﹂
たようで、
か 直径二〇センチメートルくらい が 返事がない。しかし何となく気配はある。 ︽あら、そーいえば自己紹介がまだだったわ
︽時間⋮⋮ ×。位置⋮⋮ 、 、0。

109
十個程度飛び出し、男の胸の高さ辺りで一旦 ね︾

20
30

・ 1
2 7
6
6
停止した。 G⋮⋮ 。気圧⋮⋮ 。種数⋮⋮ と、のたまった。彼女は更に続けて。

1
0

1
1
0
0
×。人口⋮⋮︾

106
ロボットはそれを見ると動きを止めた ︽でも、こういう事は直接会ってするべきよ

6
が、数瞬と経たぬ間にタイミングを少しずつ どうも、彼女は何やら測定中のようだった。 ね⋮⋮、ねえ︾
第 7 章 個人的世界 其の一

ずらして男に攻撃を仕掛けようとした。男の 男は暫く待つ事にした。 ﹁え?﹂


周りで浮遊していた物体は、それに反応した そして三分後。 ︽﹃海の老女﹄って唱えて︾
かのように 三体のロボットにそれぞれ高 ﹁⋮⋮もういいか?﹂ ﹁⋮⋮? ﹃海の老女﹄﹂
速で飛び掛った。 ︽え?⋮⋮あ、はいはい。ちょっと待ってね。 男は思った。
﹁老女﹂って言うくらいだから
黒い物体は目標に接触すると、ロボットの ⋮⋮よし、と︾ よぼよぼの御婆さんなんかが出て来てめんど
身体の大部分もろとも 轟音を上げて 何かを広げていて、それを片付けたらしい。 くさそうに説明するんだろうな⋮⋮と。しか
消えた。後に残ったのは、火花を発している 男はそう推測し、そして尋ねた。 し。
﹁はぁい ﹂ 望む世界だと言うのか?﹂ 知全能の﹃神﹄じゃないよ﹂

男の予想は外れた。いつの間にかTシャツ 少女は、横に首を振った。
突然に。
とGパン姿で目の前にふんぞり返っているの ﹁まさか。⋮⋮初期設定の後、ちょっと早送
彼女は厳しい目をして空を見上げた。
は、声のイメージそのままの 。 りし過ぎただけよ。そしたら何だか酷い事に
﹁こんなに早く突き止められるなんて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹃老女﹄?﹂ なってるじゃない。この世界にも無数の意思
彼女はそう呟くと少し背中を丸め、
一二歳くらいの少女だった。 があるから、まさか巻き戻すわけにもいかな
﹁しょーがないわね。 全弾発射 ﹂

!!
﹁細かい事は気にしない﹂ いでしょ? 慌てて修正にやって来たって訳﹂
言うが早いか、彼女の背中から無数の光の
﹁修正⋮⋮ねえ。外からパパッと出来るんじゃ
帯が放たれた。
﹁この世界の創造主ぅ ﹂ ないの?﹂
!?

﹁まあ、その基礎を作ったのはパパなんだけ そう言われると、彼女は少し上を向いて考
ど﹂ える素振りをした。そして言う。 ︽ 見付けた。︾
﹁﹃パパ﹄って、⋮⋮あんたが全ての始まりじゃ ﹁じゃあ、訳も分かんない内に世界が一変し その声は、頭の中にはっきりと響き渡った。
ないのか?﹂ ちゃってる方がいい?﹂ ﹁神判﹂ そんな言葉が頭に浮かぶ。
男は改めて﹃彼女﹄の顔をまじまじと見た。 ﹁それは⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮やっと出て来たか﹂
一言で言えば、 幼さはあるが 美人だ。 ﹁あたしはね、歴史の決定に、創造主が直接 ﹁驚かないのね。つまんないの﹂
誰が見てもそう言うだろう。腰まで伸びた亜 関わっちゃあいけないと思うのよ。世界の未 その声は、背後から聞こえてきた。流石に
麻色の髪もよく似合っている が、不敵な 来を決めるのは、あくまで、その世界の全て 驚いて振り向く。
あ た し
視線だけはそぐわないと言えばそぐわない。 の意思の総合。創
 造主 はその手助けをする事 そこにいたのは、十代前半の少女。馬鹿な、
街角よりも美術館に展示されているほうが似 しか、しない﹂ ここには誰も入っては来られない筈⋮⋮。い
合う美貌である。 ﹁⋮⋮﹂ や、それ以前に。





ワ ガ マ マ
﹁ こ の 世 界 で は、ね。あたしは、いつもは外 ﹁まあ、これはあたしの 
自己満足 かも知れな この数十キロメートル四方に、こんな少女
の世界でフツーの生活を送ってるわけ。つま いけどさ﹂ など存在しただろうか?
り、ここはあたしの箱庭なの﹂ ﹁⋮⋮いや、それは正しいと思うよ。しかし ﹁⋮⋮まさか﹂
﹁⋮⋮﹂ ﹂ ﹁どうやら、うすうす分かってたみたいね。私
男は絶句した。 この世界が、この少女 ﹁?﹂ がここに来るのを﹂
お も ちゃ
の箱
 庭 ? ﹁神様も悩んだりするもんなんだな﹂ ﹁ヒントなら、いくらでもあった。余りにも突



、 、
、 、
﹁じゃ、 じゃあ何故、  こ ん な になるまで放っ 男は微笑みながら、そう言った。 然な人類の出現、短過ぎる先史時代、簡単に割
て置いたんだ? それとも こ れが、あんたの ﹁⋮⋮あたしは確かに﹃人間以上﹄だけど、全 り切れる物理定数、⋮⋮。どれもこれも、まる
37
で⋮⋮、意図的に決定したような感じがして 視界が白く染まり、更に。 男は当然の疑問をやっと口にする事が出来
38

ならない。どれも明らかに、創造主の存在を示 壁となった空気が男の身体をいとも簡単に た。
そ れ
唆していた。そして 
創造主 は、世界のバラン 吹き飛ばした。 ﹁五〇〇キロメートルくらい北に移動した所
スが根本から崩れる時に現れるだろう。⋮⋮ ﹁⋮⋮ ﹂ よ﹂
!

分かり切っていた事だ﹂ ﹁ふーん⋮⋮。で、俺はさっきの微妙におか
叫び声をかき消されながらも、男は何とか
﹁⋮⋮何が目的?﹂ しな呪文を使って、その塔を倒せばいい訳だ﹂
頭をかばって着地した。
﹁私には目的など、ない。ただ ﹂ ﹁呪文は一日五回まで。あんまり連発すると、
光と暴風が収まり、男はようやく起き上がっ
そう言いつつ、白衣の男は振り返った。 いろいろ歪んじゃうからね。﹂
た。辺りを見回す。 メートルほど飛ばされ

10
﹁⋮⋮﹂ ﹁五回⋮⋮って、さっき使い果たしちまった
あ な た
たらしい。しかし彼女は、一歩も動いていな
﹁会いたかっただけだ。  造主 に﹂
創 じゃねえか ﹂
かった。

!
﹁気にしない、気にしない ﹂


彼女が小さく呟く。
男の声には、覚悟があった。 彼女は気楽に笑う。その気楽さに根拠はな
﹁⋮⋮ちょっと派手だったかな?﹂
﹁さあ、殺すがいい﹂ さそうだ。
﹁あ、あんたは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹃死﹄では、償いにはならない﹂ ﹁今日はもう襲ってこないって保証はないだ
男の声は、震えていた。当然といえば当然
ろ ⋮⋮それに呪文はさっきの五つだけなの

!
だが。
彼女は天を見詰め、呟いた。 か?﹂
﹁何?﹂
﹁世界は、予想されたよりも遥かに早く、上 ﹁あ、そっちは大丈夫。まだまだいっぱいあっ
﹁⋮⋮あんた、もしかして⋮⋮ロボットなの
位の世界に気付いた⋮⋮﹂ て、状況に応じて適切な呪文が脳裏に浮かぶ
か ﹂

?!
﹁ただ一つ、この世界にとって不幸だった事 ようにしたから﹂
﹁そーよ。ここは、あたしの頭の中。人間が、
は ﹂ ﹁﹃そっちは﹄ってのが心配だな﹂
ここまで精確に世界を描ける訳ないでしょ?﹂
そう言って足元を見やる。 ﹁本当に窮地に陥ったら、予定調和的にあた
第 7 章 個人的世界 其の一

﹁最初に気付いたあなたが、不幸な人間だっ しがしゃしゃりでるわよ﹂
それから彼女は、世界を救う方法を語り始
たって事かしらね⋮⋮﹂ ﹁本末転倒みたいな気がするが⋮⋮﹂
めた。
﹁取り敢えず今日はあたしが一緒に居てあげ
﹁あなたのもと居た場所から、やたらとデカ
創造主と称する少女の身体から放たれたも るから、安心なさい﹂
いタワーが見えてたでしょ? あれをぶっ潰
のは、緩やかな放物線を描いて飛んでゆき、す せば終わりよ﹂
ぐに見えなくなった。 ﹁えらく簡単に言ってくれるな⋮⋮。って言 何もない空に、 突然数十本の稲妻が走る。
一瞬の静寂。そして。 うかここはどこだ?﹂ 正に青天の霹靂だ。不可思議な事に、男を取
り囲んでいたロボットにのみ落雷しているよ んだ。 さっきまで確かに存在していた筈の高温高圧
うだ。 ﹁鎚﹄よ ﹂ のプラズマは、唐突に雲散霧消していた。
!

虚空の一点が一際強く輝く。そこからも電 言葉も無く立ち尽くす男。傍らの少女は、溜
太陽が輝きを失う。純粋に黒い雲が全天を つ
撃と雷鳴が漏れる。いや そここそが一連 め息一つ 
吐 いて言う。
覆う。生温い風が吹き荒れる。
の超常現象の根源らしい。薄く硬い何かを破 ﹁⋮⋮これが、あいつの能力よ。あたしの創っ
﹁あああ⋮⋮、やっちゃった⋮⋮﹂

るような音と共に、 何 かが現れる。 た法則を一時的に書き換える 言わば究極


彼女が頭を抱える。男は無表情だ。
様々な金属部品の塊だった。それが触手を の力⋮⋮﹂
伸ばすように大きくなり、 やがて人型を やがて、街の殆ど真上に幾つもの雷を集め ﹁しかしこの感じ、どこかで見たような⋮⋮﹂
取る。それは紛れもなく、この世界の創造主 たような光が現れる。それが段々黄色くなる。 ﹁そりゃそうよ、あたしがあなたに与えたの
を自称する機械少女だった。 そして⋮⋮。 とほぼ同じものなんだから﹂
雷の発生が収まり、男は目の前に降り立っ ﹁え⋮⋮?﹂
同時刻。もうすぐ被害を受けるであろう街。
た少女を見た。 男の動きが一瞬凍った。思わず勢い込んで
何キロメートルも向こうの呪文は。
﹁助かったけどさ⋮⋮、もう少し静かに出て 問い詰める。
﹁なんだ?⋮⋮こんなに黒い雲、初めてだ﹂
こられないのか?﹂ ﹁それじゃ、あんたが﹂
不吉な前兆を呼び寄せ。
﹁あれ? ちょっと派手だった?﹂ ﹁違う﹂
﹁ねぇ⋮⋮、気温が変じゃない?﹂
﹁派手って言うか⋮⋮、落雷で死ぬかと思っ 少女が苦々しくも強い口調で遮る。
人心を惑わし。
たぞ﹂ ミ ユ ー タ ン ト
﹁突
 然変異体 なのよ、あいつは。生まれつき
﹁あれ⋮⋮何だろう? あの光﹂
﹁むー、やっぱ空間割り込み法は駄目か。じゃ あの能力が使える。﹂
滅びを予言する。
次は厳密確率調整法にしてみる﹂
﹁太陽?⋮⋮じゃない ﹂ ﹃言葉﹄の係数設定を高くし過ぎたのが間
﹁どんなのだ?﹂

!
違いだったか⋮⋮。
﹁いつの間にか目の前に居るっていう、心臓 呪文によって造られた、異常に大きな黄色
こんなつもりではなかった。ただ、﹁奇跡﹂
に悪い方法よ﹂ い雷のようなものは。
の起こる確率を高くしたかっただけなのに。ま
滅びる。亡びる。途切れる。跡絶える。亡 さかこんなに早く、この仕組みに気付く輩が
とても⋮⋮、とても恐ろしい光景を思い浮 出現しようとは。
くなる。無くなる。
かべる。
﹁﹃黄昏の⋮⋮﹂ その大きさのまま、指定された街に
﹁ちょっ、それはヤバ ﹂ ﹁何っ ﹂ 白衣の男が問う。

?!
デ ウ ス・エ ク ス・マ キ ナ
彼女が制止しようとしたが、男は構わず叫 何 も 起 こ ら な かった。 誰 も 死 な な かった。 ﹁君が、﹃機
 械仕掛けの神 ﹄かい?﹂
39
﹁⋮⋮なあ、そういえばまだ聞いてなかった
40

な﹂
﹁何を?﹂
﹁あんたの名前だ。あるんだろ?﹂
﹁そうね、あたしの名前は⋮⋮﹂
彼女は少し考えると、悪戯を思いついたよ
うに笑った。男は思わずその顔に見とれてし
まう。そして。
彼が瞬きをしたその瞬間に、もう目の前か
ら彼女は消えていた。
声だけを残して。
ネ モ
﹁あたしの名前は、﹃ 
誰でもない ﹄よ﹂
第 7 章 個人的世界 其の一
第 章 侵入者
8

別れはいつも突然である。電話も突然に鳴 ﹁すいません、体が勝手に⋮⋮﹂ ﹁えげつない事するわねー、いろんな意味で﹂


る。そして出会いもまた然り。それは暗い夜 そう、彼女の父親はこんな時の為に娘のプ ﹁お父さん、テテュスちゃん﹂
道を急ぐ おっとりして見えるが、実は急 ログラムに護身術を叩き込んでおいたのだ
﹁む?﹂

!
いでいるのである うら若き美女にもあり 男は、一分程悶え苦しんだ後、
不審者の相貌を認識した途端、 非常に
得る。 ﹁この女⋮⋮ ﹂
珍しいことだが バールの顔が困惑に彩ら

!

闇から現れたその見知らぬ男は、 レ アの腕 よせばいいのに、逆上して彼女に殴りかか
れた。
を乱暴に掴んだ。頭髪を角刈りにした大柄な った。
﹁何? 知り合い?﹂
男。それだけなら広野と同類なのだが、その レアは またもや無意識の内に 男の
テテュスが訊く。
瞳は理知的でありながら、凶暴性をも表して 右拳を左に弾き、それと交差させるように左
﹁⋮⋮まあな。 ホイーラー、﹂

Dr.
いる。 拳で男の顎を砕き、そのまま流れるような動
﹁ドクター キャラにあってない⋮⋮﹂

?!
﹁さあ、一緒に来るんだ ﹂ きで男の腕を捻りあげつつ路上に倒れ込んだ。
テ テュス の ど う で も い い 指 摘 は 無 視 し て、
!
﹁あ﹂ ごりょっ⋮⋮と、少し変な音がした。
バールは不審者に言う。
﹁ぐっ ﹂ ﹁ぎゃあああああ ﹂
﹁貴公が此処に居るということは ﹂
!

!
ずね
彼女は男の向こう笘 
 を軽く蹴ってしまった。 ﹁ああっ、すいません でもでも、肩が外

!
アンドロイド
軽くといっても機
 械人形 である彼女は常人を れただけだから、大丈夫です。すぐに治しま
遥かに超えた力を持っているので、生身の人 すから﹂ 壁が、内側から爆破されたかのように砕け
間にとっては半端な痛さではなかっただろう。 などと言いつつ、レアの身体は男を地に伏 散った。そこから目にも留まらぬ速さで飛び
うずくま
男はたまらず脚を抱えて蹲 
 った。 せさせたまま右腕を捻って固めた挙句、それ 出してきた影がある。
﹁うあえおいあえおおおお⋮⋮﹂ を足蹴にしていたりした。見事な言行不一致 最初はあの広野とかいう 
機械人形 だと思っ
アンドロイド
バール
ついでに、 痛過ぎたのか ちょっと変な である。 た。囚
 人 は身動き取れない状態だからである。
呻き声も付随している。 ﹁⋮⋮物騒だな﹂ しかし。
41
﹁バール ﹂ ﹁降参して欲しい﹂ すると。
42

?!

ありえない。常人に解けるような拘束では 眠たげな少年が静かに告げる。人畜無害そ 鞭の先の地面が割れ、3メートル程本体が


ア イ オ ロ ス あらわ
なかったし、第一、コンクリートを粉々に破 うに見えても彼は気
 相の主 である。瞬く間に  になった
顕  それはまだいい。
壊できる人間など、聞いた事がない。そして 数十の火の玉を作り出したのも彼。その気が テテュスの遥か後方からも長大な鞭が現れ
あの尋常でない速さ。 あれば直接敵を燃やすことも出来るだろう。 たのである。そして続々と鞭が噴出する。全長
それをしないのは 。 など想像もつかない。そしてそれよりも 。
バールの四肢は己の力に耐え切れず、内出 つもり
﹁下らんな。情けをかけた心
 算 か? それと ﹁ 動力は?﹂
血を起こしていた。皮膚から染み出した緋色
もロボット工学三原則か?﹂ 呆然としながら、カールは呟いた。律儀に
の体液が、白っぽい床にぽたぽたと滴り落ち
思わず皮肉が出た。 テテュスが答える。
る。苦痛の為か、バールは小さく呻いて膝を
﹁後者はフレーム問題に直結するから、違う﹂ ﹁超音波振動とトルク増幅⋮⋮ま、物凄い電
ついた。⋮⋮普通の人間なら、火事場くらい
応えずとも構わないのに生真面目に応えて 力量と驚異の材料が前提だけど﹂
でしかこんな力は出ない。
ア イ オ ロ ス
 はバール製のアンドロイドの
くる。 EXOD002 ﹁そんな馬鹿な ﹂

!
カールが目を見開いて、問う。
中でも特に冗談や皮肉が通じない。
﹁まさか⋮⋮お前、脳改造を?﹂
﹁⋮⋮別に傷付けられない訳じゃない。ただ﹂
ニ ヒ ル
バールは虚
 無的 な笑みを浮かべると、言い 火の玉が幾つか燃え尽き、また生まれる。
返した。 ﹁血が繋がってなくとも、機械と人間の違い
﹁それこそまさかだ。⋮⋮いや、ある意味脳 があろうとも、あんたは俺の﹃伯父さん﹄な
改造かも知れんな﹂ んだ﹂
幽鬼の如く立ち上がる。
﹁物心ついた頃はまだ、普通だった。意識せ テテュスはおもむろに自らの長い髪を一本
ずとも呼吸できたし、椅子に少し座るだけで 千切ると、その場 地面はレアの管轄領域
激痛が走ることもなかった。それが段々⋮⋮﹂ である に片膝と髪の毛をつけた。
おねーちやん
彼は左手を額に当て、独白を続けた。 ﹁固
 相の主 、力を貸して﹂
﹁今じゃ意識的に心臓の拍動や呼吸を止めたり、 テテュスがそう言うと地面が少し波立ち、彼
第 8 章 侵入者
痛覚を消したり そして、普通では取り出 女の髪の毛に 更には腕にも 纏わりつ
せないような圧倒的な情報量をもつ記憶⋮⋮﹂ き、太い鞭のようなものを形成した。鞭の先
﹁意識領域の拡張に、知覚の亢進だと ? は地面と同化している。
馬鹿な﹂ 立ち上がり、 鞭と繋がった腕を軽く振る。
第 章 浮上∼ ∼
surfacing
9

ア セ ン ブ ラ ゴ ツ ズ・ウ オ ー プ
彼女の分
 子機械 の名は︽神
 の縦糸 ︾という。 きた。肌を凍らす湯気が周囲の空間を充たし、 背中 腰のくびれの辺りから不可視の糸
セ ンサー コンダクター
その形状は神経細胞を模してあり、感
 覚器 で 自分の脚すら視認出来なくなる。ボコボコと の奔流が噴きだす。彼女は指
 揮者 となり、そ
エ フェク タ ー
ありながら効
 果器 でもある。感覚器はありと 響く音が聴覚を圧倒する。思わず、自分の肩 の流れを操る。
あらゆる電磁効果に反応でき、効果器は個々 を抱きしめる。寒い とても寒い。 ぶしゅ、と音がして、直径 メートル程も

3
の原子をも操ることができる。故に本来は彼 遂に水面が爆発し、湯気を吹き飛ばす。 ある岩が消滅した。
女には人間サイズの﹁眼﹂や﹁手﹂など必要 静寂と、溢れる光、暖かい雰囲気。
ないのだが、社会的に問題ありとの理由でそ 目を開ける。まず、その目を疑った。足首ま ﹁⋮⋮久しぶりね、私の知らないあなた⋮⋮﹂
デバイス
のような 
装置 が取り付けられている。 で水没したもう一人の自分がいたからだ。し 彼女が無表情に言う。 男は眉をひそめた。
かも何だか光り輝いている。 彼女の真意がつかめない。今ここに居るのは、



﹁あなたは⋮⋮誰?﹂ 紛れもなく彼の望んでやまなかった 彼 女の筈
濁った、氷の冷たさを持つ湖水。それでい コピー
口に出してみて、愚問だと思った。そんな だ、例え 
複製 に過ぎないとしても。
て、沸騰しているかのように現れ続ける泡。気
しじま
の決まっている。 ﹁どういう意味だ?﹂
泡の弾ける音が、静かに 
静寂 を侵す。宙に浮
みなも
﹃分かっているでしょう?﹄ ﹁言葉のとおりよ。⋮⋮あなたは変わってし
いた私は 
水面 をただ見つめる。
目の前の人影が、柔らかく微笑みながらそ まったの﹂
﹁⋮⋮これは夢?﹂
う言った。 ﹁⋮⋮変わりもするさ﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁お母⋮⋮さん?﹂ 彼女が死んでから、もう 年が経つ。しか

30
何か、聞こえたような気がした。見回して し永き月日以上に彼を変えたのは、彼女の死
私の声は震えていた。
も、ただ湯気と深遠なる闇があるのみ。足元 そのものだったろう。
の水面は濁りと泡で見通せない。⋮⋮水中だ ﹁君はちっとも変わらないな。⋮⋮時間が止
ろうか? 彼女が命じる。 まっていたから当然か。それと⋮⋮﹂
ほど
見詰め続けていると、沸騰が激しくなって ﹁解 
 けよ﹂ ﹁﹃それと﹄?﹂
43
﹁すぐに人を試したがる悪い癖もそのままだ﹂
44

彼女の無表情が崩れた。 だけで無く、楽
しくて仕方がないとでもいうように身体全体
で笑い出した。
レアの爆笑は五分程続いた。
第 9 章 浮上∼surfacing∼
第 章
10

symmetrical duel
こうべ
 を垂れたまま、バールは呟いた。
首  ﹁何するの?⋮⋮何となく分かるけど﹂ 人差し指を壁に向けた。
﹁レア⋮⋮、君はいつも正しかったけれど、一 プリシラが下がると、テテュスは右の拳を 間もなく一点から煙が立ち昇る きっと
つだけ間違っていたよ﹂ 壁に向けて半身に構えた。そして。 レーザーだろう。だが数瞬もしないうちに、凄
彼は頭を上げ、目前を見詰めて、 プリシラの目には、テテュスの体が一瞬ぶ い勢いで灰色の霧が空間を満たした。チンダ
﹁君はちっとも似ていないと言ったが⋮⋮﹂ れたように見えただろう。 ル現象で紫色の軌跡が顕になる。こうなって
そう言いつつ、銃を持つ腕を前に上げる。 部屋全体が細かく揺れ、次いで は光学兵器も役に立たない。
﹁僕達はよく似ているんだ﹂ ぱき。 ﹁むう、こしゃくな⋮⋮﹂
そう言って、引き金を テテュスの左足首にひびが入った。 プリシラが霧を吸い込まないように手で顔
﹁だ、大丈夫 ﹂ を覆いつつ訊く。

!?
﹁こんなのすぐに治るわよ。それにしてもま ﹁頭 い い ね⋮⋮、 こ の 壁。 他 の 火 器 は ダ メ

こんこん、と灰色の 壁をノックした。 さか﹂ なの?﹂


チョバ ム プ レ ー ト
﹁⋮⋮ 
複合装甲 にしちゃ変だし、アクティブ 壁を破砕しようとした少女は、忌々しげに ﹁でも手持ちの銃弾じゃ即吸収されそうだし
フアイアスターター
シールドでもない⋮⋮﹂ 眼前の強敵を睨み付けて言った。 なー。﹃発
 火能力者 ﹄も効き目なさそうだし﹂





彼女はそうごちた。 ﹁ 返 さ れ るとは思わなかったわ﹂ しばし考え込むと、テテュスは最初と同じ
﹁そんなことまで分かるんだ﹂ 知的材料。自らを修復したり、環境に合わせ 構えを取った。
尋ねたのは、少し気弱そうなテテュスと同 て変形する素材の事である。しかも最近のも ﹁またはね返されるんじゃ⋮⋮﹂
ア セ ン ブ ラ
年代︵に見える︶
の少女。テテュスが地球から のは 
分子機械 の導入で更に高度なものになっ ﹁その前に破壊すればいいのよ。超音波でね﹂
ている。
スクリーマー
連れ出した友人の一人である。名を、プリシ ﹃叫
 喚者 ﹄タイプ 。ランジェバン振動子を

H
ラという。 ﹁拳法とかはダメみたいだね⋮⋮﹂ 忠実に発展させただけの代物である。無論、部
﹁んー、なんとなくね。ちょっと離れてて、危 ﹁んじゃ、飛び道具で﹂ 位や振動数を精確に制御できるようにはなっ
ないから﹂ そう言うと、全身兵器だらけの機械少女は ている。因みに、振動は細かすぎて人間の目
45
には捕らえられない。そしてこの兵器が最も いた分子機械は溶媒となる知的材料が存在し れない。でも﹂
46

威力を発揮できるのは水中だったりする。 ないと働かないようだ。 機械少女が存外冷静な声で応える。


テテュスは壁に突進した。壁は逆らわなかっ めでたく壁に穴が開いたわけだが、それも ﹁一筋縄では行かなくても、﹂
た 液状化したのである。 みるみるうちに塞がっていく。 プリシラの耳を聾する程の音を立てて、有
﹁え﹂ ﹁テテュスちゃん⋮⋮ ﹂ りったけの弾丸が吐き出される。鉛でも劣化
!
機械少女が間抜けな声を出す。人間の少女 ﹁慌てなさんなってば﹂ ウランでもない、鋼鉄の弾丸が。
が息をのむ。そして壁のなれの果てである灰 テテュスは落ち着いているが、あまり楽観 壁の表面が蜂の巣状態になる、が、貫通し
色の液体がテテュスの腕にまとわりつく。加 的とはいえない状況である。すぐに液状化し た穴は一つもない。衝撃を分散したのだろう、
害者を分解するつもりなのだ。 てしまうような素材には、
﹃切

 り裂き魔 ﹄も効
ツ パ ー
部屋自体が震動している。吸収された弾は急
ヘ ツ ド レ ス の
﹁ 
統率者のいない 分際で、気安くあたしの身 かないだろう。突進してブチ抜けるかも知れ 速に分解されて行く。
と え は た え
体に触るんじゃないわよ ﹂ ないが、目鼻口から知的材料が入り込んでき ﹁十
 重二十重 のザイロンロープならどーかし
!!

遂にテテュスが爆発した。今までならなかっ そうでとても嫌だ。 らっ ﹂

!!
たのが不思議なくらいだ。 ﹁デカい穴を開ければいいんでしょ?﹂ 微妙に的外れなことを叫んで、磁場を展開
機 械 少 女 の 前 腕 が 膨 大 な 熱 量 を 発 す る。 ﹁でも手持ちの銃器だと駄目って⋮⋮﹂ する。
ヒートクラツシヤー
﹃熱
 破壊兵器 ﹄ マイクロ波を用いた 
誘導 

I
﹁だーいじょーぶ ﹂


加熱 により、身体の一部又は全体を周りの空

H

加速する。音速を超えたために衝撃波が生
気ごと加熱する兵器である。勿論この兵器が ﹁うふふふふふふふふふふ⋮⋮﹂
まれ、周囲の景色を家屋といわず道路といわ
有効なのは、対象に近接している場合である。 テテュスが可愛くも不気味な笑い声を垂れ
ず叩く。
かいな
対象物は と伝導熱により振動を加速させ 流し続ける。ゆっくりと、両の腕 
 を眼前の壁に
体重の百倍以上もの空気抵抗が鬱陶しい。
H
I

られて分子結合を解かれる。 向かって差し伸べる。ジャキッ、とかバシャッ、
摂氏五百度を上回る摩擦熱が煩わしい。
ただ、激昂したものの少しは冷静な回路が とか何だか物騒な音がして、脇腹から太腿か
自分は無敵の筈なのに、不可能な事などな
残っているらしく、背後の少女に被害が及ば ら、鎖骨から肩から、上腕から前腕、果ては
第 10 章 symmetrical duel

のろ
バレル
い筈なのに。この鈍 
 さは何だ、この不甲斐無
ないようにはしているようだ。因みに彼女の 個々の指先まで、鈍く輝く銃
 身 があらわれる。
さは何だ。
衣服が発火しないのは、衣料自動洗浄・強化 足がずぶずぶと床にめり込み、反動を吸収す
用分子機械︽ 
神衣 ︾のお陰である。
ハルク
る用意が整う。
自分の拳から半径 メートル以内の 
障害物 
知的材料
﹁ちょ、ちょっと﹂ 暗闇。そして閉塞感。

1
を全て燃やし尽くすと、テテュスはようやく プリシラが慌てて止めようとする。 広野とテテュスは、バールに呼び出されて
攻撃を中断した。どうやらこの壁に使われて ﹁そーね。確かに銃撃自体は効かないかもし 奇妙な空間に遭遇していた。二人とも赤外線
が見えるので暗闇は気にならなかったが。 ﹁うっ ﹂ ﹁まさか、こんな簡単な罠に引っ掛かってし
?!

﹁先生、どこですか?﹂ ﹁アイちゃん ﹂ まうとは⋮⋮﹂


?!

﹁パパぁー、隠れてないで出てきてよー﹂ アイオロスが倒れ そのまま動かない。数 ﹁全くだわ﹂


それに答えるように、ややくぐもった声。 秒後、非常電源により視界が回復する。 呼び出した人物は、二人が呆気に取られて
こつぜん
﹁二人とも、本当によく来てくれた わざ バールが駆け寄り、身体を抱えて揺さ振る。 いる内に 
忽然 と姿を消していた。出口など何
わざ、な﹂ ﹁アイオロス、しっかりしろ ﹂ 処にも見当たらないのに。そして二人が入っ
!
ここでようやく、二人は不審に思う。 バールが掴んでいた部分から、アイオロス てきた筈の入り口もいつの間にかなくなって
﹁先生?﹂ の身体が、まるで、乾いた砂で出来ていたか いた。
﹁パパ?﹂ のように崩れ始め、そのまま骨格だけになっ の最も外宇宙に近い場所 最深部と

C
1
﹁ さらばだ﹂ てしまった。 でも言おうか。広野とテテュスは、想像するの
ピッ、と音がして、爆発が四方で起こる。そ 爆音が響き渡る。 も嫌になるほどの重さの岩の塊を支えていた。
して、まるで冗談のように 天井がゆっく どうやら爆発は の真の中心 太陽の ﹁⋮⋮まず、この状態をどうにかしましょうか

C
1
りと下りてきた。 代替となる電球 で起こったらしい。 ⋮⋮﹂
﹁お父さん これは ﹂ ﹁そうね⋮⋮反物質でも打ちこんでみる?﹂

!
爽やかな朝。アイオロスは巨大クレーン程 ﹁⋮⋮どうやら、本体がやられたらしい⋮⋮﹂ ﹁こっちも巻き添えを食らいますよ。それに
の角速度でベッドから起き上がると、アメー ﹁じゃ、じゃあ⋮⋮まさか⋮⋮﹂ 上の住人もただじゃ済みません﹂
バ状になりたくなるのを堪えて二本足で立ち ﹁死⋮⋮?﹂ ﹁じゃ、超音波兵器で⋮⋮﹂
上がり、階下に下りていった。 小さく響いた広野の言葉に、レアが絶望し ﹁それも自殺行為です。粉々にすると体積が
レアは既に台所で腕を振るっていた。珍し たような顔をする。 増えますから。住民が被害を受けるのも前例
く早起き と言うよりも徹夜だろうが ﹁いや ﹂ 同様。周波数をどう調節してもうまくいきそ
したバールが席についている。広野は行儀正 バールが低く言う。 うにありません﹂
しく朝食を摂っている。テテュスはいつもの ﹁⋮⋮まだ、希望が無い訳じゃない﹂ ﹁じゃ、どーすんのよ﹂
如く、まだ夢の中だろう。 ﹁取り敢えず、少しずつ分解していく他無い
いつもの平穏な生活が始まる。こういう習 美しささえ感じさせる、精確に直方体の空 かと﹂
慣化は歓迎したい。 洞、その内部にこれも神経質なほどに精確な ﹁重力と閉空間が敵か⋮⋮。シンプルイズベ
しかし、平和というものは、不安定なもの 立方体の塊 一辺は キロメートル程か。 ストとはよく言ったもんだわ﹂

1
で 。 そして、立方体の下敷きになりかけている ﹁⋮⋮ちょっと違う気がしますなあ。⋮⋮あ、
突然、世界が闇に包まれる。同時に。 二つの人影。 分解は出来るだけゆっくりと行って下さいね﹂
47
﹁⋮⋮スタミナが持つかしら﹂ ﹃何で?﹄ バールに何かを投げつけた。それはバールに
48

﹁何とかなるでしょう。最悪でも、コアのみ と、テテュスは物凄い形相で問うた。広野は 当たると砕けて、その内容物がバールの服に


を死守すればいいわけですから﹂ 申し訳なさそうに告げた。 飛び散った。煙を上げて、バールの服と皮膚
﹁それもそうね。⋮⋮ねえ、この空洞に水を ﹃どうやら意図的に排除されたみたいで⋮⋮ が瞬時に焼け焦げる。
み じん
流し込むってのはどう? 一千トンは軽くな この付近にレアさんの分子機械の気配は 
微 塵 
  ﹁ぐうっ ﹂

!
るでしょ?﹂ もありません﹄ たまらずその場にうずくまる。レアが慌て
﹁浮力を利用するわけですね。妙案です﹂ て駆け寄る。
﹁それじゃ早速⋮⋮﹂ 銃声。 ﹁お父さん ﹂

!
﹁あ、でも、やっぱり ﹂ 傷ついて倒れた一般市民︵ ︶にレアが駆け ﹁だ⋮⋮大丈夫⋮⋮だ﹂


広野が何か言いかけた途端、轟音と共に大 寄る。そして傷口に手をかざす。 と、傷 その隙にカールは逃げようとする。
量の水が流れ込んできた。 が瞬時に塞がった。レアが、自らを構成する が。
ゴッズ・ウォー プ
﹃早過ぎませんっ ﹄ 分子機械︽神
 の縦糸 ︾を分離して傷口に貼り 響き渡る一発の銃声。
?!

﹃⋮⋮近くに河があったみたい。で、あんた 付けたのである。 立ち昇る一筋の硝煙。


が今言いかけたのは⋮⋮﹄ ﹁一時間は絶対安静にして下さいね﹂ カールは叫び声を上げて転倒した。弾は脚
﹃⋮⋮もう手遅れですけど﹄ そう周囲の適当な人間に言うと、バールを に突き刺さっているようだ。
追いかけていった。 バールは銃を構えたまま動かない。
﹁よく分かったな﹂ バールが、カールに銃を向けて立っていた。 レアも固まっている。
﹁こんな事するのは、お前しかいない﹂ 二人の間に、レアが割り込む。 カールの途切れ途切れのうめき声だけが、
バールはおもむろに懐から愛用しているか ﹁どうして殺しあうの?⋮⋮二人きりの実の 響く。
なり古い型の銃を取り出し、言う。 兄弟なのに ﹂ ﹁な⋮⋮﹂

!
﹁今日こそ、決着をつけてやる﹂ バ ー ル は、 狙 い を カ ー ル に 定 め た ま ま 答 長いような短いような空白の時間を断った
える。 のは、レアだった。
第 10 章 symmetrical duel



お姉ちゃん
﹃⋮⋮ねえリュージ、 コ レもレ
 ア の一部なわ ﹁⋮⋮レア、私はこいつが憎いから殺すんじゃ ﹁どうして ﹂

?!
けよね﹄ ない。⋮⋮カールよ、お前も分かっているは バールは、その悲鳴にも似た問いにも反応
テテュスが頭上を睨みながら言った。広野 ずだ。無くしたものは、もう戻らない。そし しない。
はハッと気が付いたように、 て、死なない事を選ばなかったお前は⋮⋮﹂ ﹁逃がしてあげればいいじゃない。⋮⋮どう
﹃おおっ ということは御都合主義的に⋮⋮ ﹁ それ以上は、言うなっ ﹂ して撃ったの ﹂

?!
!
!
あ、駄目です﹄ カールはすぐ前にいるレアを押し退けると、 そしてまた束の間の永遠が流れて⋮⋮バー
ルがようやく声を出した。 のだが、これは速度調整と安定化機構を外し
﹁⋮⋮これがこいつの望みだからだ﹂ て恣意的に暴走させる事によって速度を補っ
﹁そんな筈無いじゃないの 今すぐ治療を ていた。凄まじい勢いで殺人分子機械が複製
!

⋮⋮ ﹂ され、カールの体組織が破壊されていく。す
!

﹁無駄だ。 弾に LD
 の
半数致死量
二倍の毒と、 系列 ぐにでもカールは生と死の分水嶺を越えてし
C

50
﹃カムイ﹄殺害用の 
ア セ ン ブ ラ
分子機械 を塗ってあ まうだろう。レアは意を決した。
る。⋮⋮もう、間に合わん。お前の﹃手﹄も この場、この身体での再生は諦める。
﹃手﹄を
効果は無い﹂ 大量動員し、カールの身体が破損するのも構
﹁そんな⋮⋮ ﹂ わず、力学的応力に物を言わせて頭蓋に浸入
!

する。せめて人格情報だけでも保存しておか
﹁永遠の地獄に住まう、汝の魂に平安を⋮⋮﹂
なければ。脳波パターン 断末魔だろうが
バールが、胸に十字を切る。
を記録した後、組織を表層から削り採っ
﹁死なせない⋮⋮﹂ マップ
て行き、回路網の地
 図 を作成する。新皮質を
生命の火が消えかけたカールに、レアが近 ス キャン
 査 し終えたところで殺人分子機械が殺到。

付いていく。
 液blood-brain
血 脳関門  が頑張ってくれたようだ。細胞体
barrier
﹁⋮⋮レア?﹂
をニューロンの種類毎に採取し 細胞質も
﹁絶対に死なせない ﹂
重要な情報源である 撤退する。
!

レアの絶叫と共に大地が大きく波打ち 、
冷たくなりかけたカールの身体を飲み込ん
でしまった。
バールが呟く。
﹁無駄だと言っとるのに⋮⋮﹂
遺伝子改造で後天的﹃カムイ﹄になったカー
自 分 ゴ ツ ズ・ウ オ ー プ
ルに  
レア の︽神
 の縦糸 ︾ 系列分子機械

B
は効かない。先ず殺人分子機械を排除し
毒物を分解しようとしたが、殺人分子機械は
圧倒的な物量で阻止した。 系列分子機械は

B
系列に比すると反応速度と安定性に劣る筈な
49
50
間奏 ﹁夢﹂その二
防音設備は、その責務を果たしていない。中から響く呻き声にはまだ、聞く者の心をかき乱す力が残っているからだ。
部屋の扉の前に、悲しげな顔をした一人の女性が立っている。
﹁⋮⋮﹂
女性の声。内容は名前のようだが、うまく聞き取れない。
﹁⋮⋮の能力⋮⋮暴走し⋮⋮のね﹂
女性が扉に手をつく。
﹁終わりが欲しい?﹂
無表情を装った、声。今度ははっきりと聞こえる。
﹁⋮⋮そんなものは、いらない﹂
扉の向こうから、必死の声。
﹁優しいのね﹂
随分時間が経って、女性はそう言った。
﹁⋮⋮﹂
帰ってきたのは、沈黙。
﹁だって⋮⋮、﹂
﹁やめてくれ﹂
男性が辛そうに遮る。その辛さは、さっきまでのそれとは少し違うようだ。
﹁私は⋮⋮、創り上げてしまったんだ。もう一人の私を﹂
﹁⋮⋮﹂
51
沈黙。
﹁そいつは狂っている。自分を含めた世界の全てを⋮⋮壊そうとしている﹂
52

ロ キ
﹁⋮⋮あなたがその 
邪神 を創ったのは、どうして?﹂
尋問するその声は、悲しみに満ちている。
﹁⋮⋮北欧神話か⋮⋮。そうだな、⋮⋮﹃社会に不満があったから﹄では⋮⋮駄目かな⋮⋮?﹂
﹁誤魔化さないで﹂
二人の声はどちらも痛々しい。
﹁別に⋮⋮誤魔化している訳じゃない。私は⋮⋮幻想を持っていた﹂
﹁幻滅⋮⋮絶望⋮⋮厭世﹂
﹁そういう⋮⋮事だ。よく⋮ある話だろう?﹂
﹁⋮⋮それだけじゃない筈よ﹂
﹁私には無理だったけど⋮⋮あなたなら、出来る﹂
第 10 章 symmetrical duel
第 章 滅びの場
11

黒くも、白くもない、何故か生温かい闇。 さあ、選ぶといい﹂ ﹁⋮⋮ンなわけないでしょおぉぉぉ ﹂

!!
厳かに、男とも女とも分からない無機質な 振り下ろす。 彼女は猛然と立ち上がった。
声だけが響く。 最後まで、その声に感情らしきものは表れ ﹁うわっ ちょっと待てお前、なんか肘か

!
﹁ここには、あらゆる滅びがある﹂ なかった。 ら先が帯電してるぞ。超音波震動まで起こし
闇におぼろげに浮かび上がる、声の主らし てるし﹂
き影。頭からすっぽりと黒い衣を被っており、 わめく兄など殆ど無視して、テテュスは力
彼女は悩んでいた。 か? それとも か?
顔も身体の線もよく分からない。 の限り叫んだ。

2
﹁おい﹂
﹁永過ぎる生に飽きたものは、ここに来ると ﹁どーしろって言うのよおぉぉぉ ﹂

!!
例えば にしてみよう。四分の一の確率で

1
いい。意識の、永遠の断絶を与えよう﹂ そ の 瞬 間、 こ の 部 屋 の 壁 と 天 井 が 吹 き 飛
なかなか良い結果が得られよう。
いつの間にか、影はその背丈よりも大きな んだ。
例えば を選んでみよう。⋮⋮︵計算中︶⋮⋮

2
得物を手にしていた。 鎌だ。この闇の中 ついでに兄も壁際まで飛んでいったが、気
よりは低確率だが、更に良い結果となろう。

1
でも、その刃は鈍い光を発している。大鎌を にしない。
以上から鑑みると、⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。
握る手は、白磁でできているかのように生命 テーブルの、彼女の側には五枚のトランプ。
﹁早くしろよ﹂
感のない白さを持ち、また華奢だ。 彼女はそれをにらみつけた。
鑑みると⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。⋮⋮︵計算中︶
﹁方法ならいろいろある﹂ の 、 同じく 、更にジャック、ジョー

A

2
⋮⋮。
影が急に大きくなった、否、近付いてきた カー、 のジャック。


﹁大丈夫か?﹂
のか。死神の凶器は強い光を放つようになり、 兄がよっこらしょと立ち上がりながら、愚
⋮⋮︵計算中︶⋮⋮。⋮⋮︵計算中︶⋮⋮ 。
どういう仕組みか、放電まで始まった。 痴る。
﹁おい、頭から煙が出てるぞ。知恵熱か?﹂
﹁逝く者の、最後の選択を聞き入れよう﹂ ﹁⋮⋮ポーカーで家壊すなよな。初歩的な確
ゆっくりと、影が鎌を振り上げる。 ちえ ね-つ ︻知恵熱︼ 乳児が知恵づきは 率計算なんだし﹂
フ ラッシュ狙 い フルハウス狙い
﹁それが⋮⋮その者の最後の権利だから。 じめる頃、不意に出る熱。ちえぼとり。 そう、 彼女は 
一枚交換 か二
 枚交換 かで迷っ
53
ていたのだ ないよ﹂ 言う。
54

のこのこと父親と姉がやってきた。 ﹁⋮⋮その強力な自信は一体どこから来るん
﹁⋮⋮やはり、決戦場所に離れ家を選んだの だろうな﹂
* *
は正解だったな﹂ ﹁強気が運を呼び込むってね﹂
と、父。 ﹁とても がはじき出した答えとは思えな
A
I

﹁そうねえ﹂ いな⋮⋮﹂
何かと調子のいい妹がさっさとゲームを放
と、姉。 棄したので、俺はこの場を去ることにした。誰
イ ン プ ラ ン ト
﹁全くだわ﹂  に埋め込まれた コンピュータを使っても
脳 が見たってさっきのポーカーは俺の勝ちなの
と、なぜかテテュス。 別に構わないのだが、こういう時には使いに だが、あいつは認めないだろう。それどころ
三人とも分かったような顔をしてうなずい くい。壁面埋め込み型のディスプレイの前に か﹁惜しかったわ。せっかくあたしの必殺の
ている。 移動する。 手が炸裂するところだったのに﹂などと言い
﹁最初っから、暴走しなきゃいいんだよ ﹂ 出すかも知れない。お前の﹁必殺の手﹂は文
!
アイオロスの悲痛な突っ込みが空しく響き ﹁オープン ﹂ 字通りの兵器だろーが。

!
渡った。 アイオロスが叫ぶ。スリーカードだ。 微妙にモヤモヤした頭を切り替えて、さて
﹁⋮⋮﹂ これからどうしようかと考える。



耐えられなかった。何が、と問われてもはっ テテュスは沈黙。 ⋮⋮そうだ、 彼 女に 悲劇の歌姫に
きり答えられないが、とても耐えられるもの ﹁おい。まさか ﹂ 会いに行こう。
ではなかった。 ﹁あ﹂
あの映像が浮かぶ。 アイオロスが﹁また暴れだすんじゃないだ ﹁私を殺すときは、笑顔でいてくださいね﹂
⋮⋮そうだ、解決方法が一つだけあった。 ろうな﹂と言う前に、テテュスが唐突に声を 彼女はそう言った。まるで感謝しているか
あげ、彼女の掌から光が飛び出した。 のような、爽やかな微笑みで。
兄に指を突きつけて、テテュスが偉そうに 光は人物の姿を作り出す。三十歳位の神経 最初の会見 俺の、彼女の家系に関する
宣言する。 質そうな男性である。 用事を説明した直後の発言だ。外見 二十
第 11 章 滅びの場

﹁今度は交換無しのジョーカー無しだからね﹂ ﹁ニールス﹂ 代前半にしか見えない からは想像もつか


アイオロスが投げやりに答える。 テテュスが呼び掛ける。 ない、幾重もの星霜を感じさせる反応。俺は
チャット
﹁わーかったよ。だから間違っても暴走する ﹁おい、話

 ならもう一つ意識を作って対応で 呆気にとられた。
んじゃないぞ﹂ きるだろうが﹂ ﹁私も、もう歳ですから﹂
﹁ふっ、運だけならお兄ちゃんに負けたりし アイオロスが正にうんざりした顔で文句を 俺の反応が面白かったのか、笑みを強くし
て彼女はそう言った。そう、彼女は確かに八 の 家 系 は 系 列 分 子 機 械 を 無 効 化 す る ﹃カ ム われている。
B

十年もの歳月を生きてきた。 イ﹄でもあったのだ。 何故この処理が自分に回されたか。


何故この処理が自分に回されたか。 ﹃カンナギ﹄と﹃カムイ﹄は 系列分子機械 彼 女 は い つ も の よ う に 庭 園 で 歌って い た。
B

﹃脆弱﹄の名に反して、歌声はのびやかで、そ
ドメイン
彼女は老化しない。そういう形質の家系だっ の或る同一の基幹領
 域 に対する免疫応答を示
た。数世代前の先祖が自らの配偶子 生殖 す遺伝形質である。前者は急激なショック症 の声量は小さくない。しかし庭園の目前にま
細胞に遺伝子改造を施したのだという。 状 アナフィラキシーを引き起こすが、後 で迫った壁はその声を反射せず、吸収するの
不死身、という訳ではない。むしろその形 者は分子機械を適切に排除する。﹃カンナギ﹄ み。全ての壁には音を吸収し起電力に変換す
質の持ち主は病気がちで、幼児期の死亡率が は反応が過激であるために分子機械の開発直 る機構が組み込まれていて、彼女の歌声を決
高い。幼児期を乗り越えても、生涯を通して 後に確認されたが、
﹃カムイ﹄は﹁何も起こら して外に漏らさない。また、万一の場合には
リアルタイム
貧血気味で激しい運動は望めない。しかし彼 ない﹂という地味な形質と該当者の絶対数が 音声を 
実時間 で解析し逆位相の波をぶつける
等は多産 子沢山で、生きる限り繁殖し続 少ないために発見が遅れた。二つの形質が同 事によって歌声を消滅させる。
ける。まさに福祉社会に寄生し、ただ生き続 じドメインに反応する事は比較的簡単に判明 彼女の邪魔にならないように、慎重に降り
姉 の 身 体
け、増え続けるだけの家系だった。遺伝子改 したのだが、その問題点を完全に克服した分 立つ。即席の翼を分解して  の地殻 に返還。

C
1
ソ ロ
造を請け負い、経過を追跡した医師はこの超 子機械は未だ登場していない。基幹ドメイン  唱 は続く。殆どが、尖った感情が永い刻

フ レ イ ル・エ タ ニ テ イ
正常家系を﹃ 
脆弱なる永遠 ﹄と呼んだ。 はどれ一つを取っても分子機械の機能に必要 に削られたような不思議な感触を持つ歌であ
こ こ
  は地球より遥かに規模の小さな閉鎖系 不可欠であり、しかもドメイン一つを改変し る。ふらふらと揺れる身体、力の抜けた笑顔。
C
1

である。生物に自由に繁殖させたなら、あっと ただけで分子機械全体の形状と機能が影響を 彼女は歌うことに全身全霊を傾けている。


言う間に飽和してしまう。従って一組の夫婦 受けてしまう。現在はバールが全ての基幹ド 甘く、良く通る声質。彼女の声は大衆を魅









は最大二人の子供しか遺せない事になってい メインを少しずつ改造した 系列分子機械を 了する。 そ れ が 問 題 だ っ た。

C
る。二児を産み落とした後母体は閉経を迎え、 急造したところである。この 系列は 系列 極めて強力な、音声による感情同調能力。彼

B
今後の繁殖に使われる筈だったエネルギーは に比べて安定性と速度に劣り、究極的な代替 女の声を効いた者は、強制的に彼女の感情と
若さと健康を保つために回される。子供が更 とは成り得ない。 同調してしまう。彼女が起伏の緩やかでない
デバイス
にその子供を産む前に死んだ場合には、申請 翼状外部装
 置 を増設し、彼女のところへ。彼 感情の持ち主だったなら、現代の魔女狩りを
すれば再び妊娠が可能になる。 女の居宅は、 には珍しい地形である険し 引き起こすか独裁者になっていたであろう。

C
1
テ テ ユ ス ところ ア セ ン ブ ラ
この処置を実施しているのは 
液相の主 の い山々 と言うか幾重もの壁に囲まれた 
処   子機械 による無痛声帯手術という手も在っ

B
ア セ ン ブ ラ クラツクヘツド
系列分
 子機械 ︽麻
 薬常習者 ︾である。ところ に在る。そしてそこには彼女しか住んでいな たのだが、彼女が拒否した。声を変えられる
が﹃脆弱なる永遠﹄の人間にはテテュスの︽麻 い。生殖隔離というだけではない。人々を愛 ぐらいなら、他人との繋がりを失った方が良
カ ナリア ケイジ
薬常習者︾が通用しないことが判明した。こ し歌を愛するが故に、金
 糸雀 は自ら鳥
 籠 に囚 いと。自分はもう、社会的存在であることを
55
まっと
 うしたのだからと。
全 
56

意識的存在において、感情は意識そのもの
の基礎であり、認識の要である。人間の 
脳内 
in vivo
オツサン
事象をそのまま計
 算in機  に移しただけの広
silico
 野 や
それと同類としか思えない我が姉レアの感
情は、 彼女のそれに服従してしまうだろう。
現にこの鳥籠の内側には二者の分子機械
ア ー ティフィシャル・セ ト ラ ー ゴッズ・ウォー プ
︽不
 自然な植民者 ︾と︽神
 の縦糸 ︾ は存在
しない。
何故この処理が自分に回されたか。
我が妹テテュスと俺アイオロスには、認識
フ エ イ ル セ ー フ
機能に 
多重安全機構 が掛かっている。本来な
テ テ ユ ス
ら人類を含む生物圏の管理は 
液相の主 の管轄
なのだが、これ以上仕事が増えるのは御免だ
と駄々をこねて俺に押し付けた。 余談だが、
親 父
 ール もその人間離れした特殊な精神性から

彼女の﹃声﹄に耐えられるのではないかと俺
は考えている。
第 11 章 滅びの場
第 章 悪霊綺譚
12

ヴァンパイア
vam·pire /vǽmpai r/ [名][C]
e 1 吸血 う。
﹃悪  霊 ﹄は血液中でしか活動せず、血液 主に産業用の微小機械 はその殆どが破壊
鬼 (死体に宿り生き返らせて夜眠って を介してのみ感染する。 された。残っていても血液を創り出す事は出
いる人の血を吸うといわれる悪霊; ﹃悪霊﹄感染者には文字通り超人的な身体 来なかった。生体組織の設計図など、産業用微
→Dracula).2 他人を食い物にする悪者; 能力が備わった。特に筋力、反射神経と夜間 小機械のメモリに存在しなかったからだ。不
妖婦.3 = vampire bat 視力が強化された。 幸なことに幾つか見付かった医療用微小機械
ヴァンパイア
代償として彼等は陽光から追放され、他人 は全て﹃悪
  霊 ﹄に変質していた。
先ず、超越者達による支配があった。
すす
の血を 
啜 らねば生きてはいけない身体になっ 二次感染の事実が周知のものとなった後、血
細胞よりも小さな機械を用いて人々を支配
てしまった 太古の吸血鬼伝説そのままに。 液を採取する際に﹃悪霊﹄を感染させないよ
し、管理していた。出生率は厳密に調整され、
血が足りなくなると﹃悪霊﹄は宿主の理性 うに感染者等が用いたのは大抵が注射器や強
言論や集会の自由は制限されていた。超越者
オーバーテクノロジー
を奪い、他人を襲わせる。 化プラスチックのストローだった。
達の持つ超
  技 術
 は時折暴走したが、その犠
牲となるのはいつも何の力もない人々だった。 暴走した感染者の歯茎は充血し、恐ろしい やがて当然のように、﹃悪霊﹄ 非感染者は
勝ち目が微 
 塵 
み じん
 もない事を知りつつ、自由を 事に血で出来た牙が形成されていた。 感染者を差別し始めた。非感染者とは比べ物
よ ごと
得る為に人民は蜂起する。 感染者は瞬く間に増えていった。 にならない程の身体能力、夜 
 毎 
 の徘徊、貧血
甚大なる犠牲を生み、文明を灰燼に帰 
 しな

戦乱直後故に、輸血パックなどというもの に伴う凶暴化と吸血行為、﹃悪霊﹄の感染性、
がらも、人々は世界の果ての巨大な︽墓
 所 ︾に
トゥー ム
は存在しなかった。 その全てが非感染者にとって忌避すべき事例
彼等を封じ込めた。 だったからだ。
感染者は他人に頼み込むか︵主に寝込みを︶
しかし 
旧 き 神
超越者 はただでは倒れなかった。 襲うかして血液を補充するしかなかった。超 人類は昼と夜の二つの種類に分裂した。
﹃昼﹄
ヴァンパイア
﹃悪
  霊 ﹄ という、 人間を呪われた夜の怪 越者時代は通貨が必要なかったために経済と は従来のヒト、
﹃夜﹄は﹃悪霊﹄に感染し発症
物へと変貌させる、殺人ウイルスよりも性質 いう概念が壊滅状態にあった。従って最初は、 してしまったヒト。
の悪い微小機械をばら撒いたのである。﹃悪 物々交換で血を売ってもらうという試みもな 月日を経て徐々に明らかになった事がある。
霊﹄は元来、医療用の微小機械であったとい かった。更に、戦乱により超越者達の遺産 遺伝形質に関係なく、病状には以下の 種
57

4
類があること。 の夜の者など存在しないこと。 ﹃アルケー﹄の三人だな?﹂
58

ノーライフキング
いつしか、三百年の時が経ち 。 碧の視線と紅の視線が、交錯する。
 死の王 

• じゃくじょう
ヴァンパイア
薄碧い寂 静 たる光の下、己の身長の倍近
自分のものとなった﹃悪
  霊 ﹄の挙動を細
異様な切れ味だった。殆ど抵抗無く、強靭 くある得物を手に彼女は佇んでいた。その得
かく制御できる。紫外線にある程度耐え
な筈の﹃夜﹄の者の身体を幹竹割りにしてし 物は薙刀にしては反りが弱く、柄が短い。丁度
られる。
ミ ド ル まったのだから。如何なる膂力をもってして 真ん中の刃と柄の境界には、鍔 太刀から


• 間種 
も、通常の打撃武器ではこうはならない。 進化した、長巻だ。それも反りが強く斬りやす
身体能力以外にこれといった長所もなく、
今夜の獲物である﹃不
ノーライフキング
 死の王 ﹄をゆっくり い女物ではなく、斬るには力と技量を必要と
銀イオンと紫外線以外にこれといった弱
じっくり追い詰めていたら、こうである。穏健 する男物だ。もっとも通常の長巻は長くとも二
点もない。再度﹃悪霊﹄に感染すると不
に説得から始めずに問答無用で拉致すれば良 メートル程しかないが、これは三メートルも
死の王になる。
かった、と物騒な後悔を紅玉の瞳に浮かべる。 ある。普通の人間はこんなものを振り回した
スレイブ
• なます
スレイブ 宿主の心拍の停止を感知し、
﹃悪  霊 ﹄が活
ヴァンパイア
りしないし、ましてや小柄な女性が人間を 
膾 
文字通り﹃悪霊﹄の奴
 隷 。他者を襲い﹃悪
動を停止する。いかな不死者とは云え、中枢 に叩くために使うような得物でもない。そん
霊﹄を感染させはするが、液体を飲むと
神経系と心臓を破壊されれば死は免れ得ない。 な異様な武器を携行する彼女は、
﹃夜﹄の者を
咽喉が痙攣するために血を飲むことはな
二つに分割された骸 
むくろ
 が血をまき散らしながら 拉致監禁して怪しげな儀式を執り行い、﹃昼﹄
い。感染後しばらく経ってから筋肉と骨 コ ン バ ー タ
左右に倒れる。 の者に戻すという﹃改
 宗させる者 ﹄が一人。
格が際限なく成長し始め、皮膚が硬質化
その背後から現れたのは碧の瞳をした迷彩 正体を看破された動揺を押し隠し、小首を
してひび割れる。日光、水、大きな音な
服の男だった。身体は正に筋骨隆々、身長は二 傾げてみせる。
どを恐れる。一週間程度で死に至る。再 アルケー
メートル近くある。手には両刃の長剣が握ら ﹁⋮⋮﹃始
 源 ﹄?﹂
び感染すると中間種になる。 とぼ
キャリ ア れている。不思議なことに刀身に血が付着して ﹁惚 
 けなくてもいい。お前達は、この円筒世


• 体 
いない。彼自身も返り血を浴びていなかった。 界の創造主 悪名高い超越者だろう?﹂
﹃悪霊﹄を有してはいるが、無症状。紫
獲物を横取りしてくれた人影に向かって、彼 沈黙。それが答え。こちらの仕事を邪魔し
外線にも銀イオンにも反応しない。数箇
女は確認する。目の前の人物が活動を開始し てきたのは、これを確かめたかったからか。こ
月後には非感染者に戻る。再び感染する
第 12 章 悪霊綺譚

てから百数十年、幾度か邪魔をしたことはあ ちらも気になることがある。苦い声で問う。
とスレイブになる。
スクリーマー
るが、直接顏を合わせるのは初めてだ。 ﹁⋮⋮その剣は遺産 ﹃叫
 喚者 ﹄ね? ど
ノーライフキング
そしてそれぞれの症状に対応する ﹃悪霊﹄ ﹁あんたが噂の不
 死の王 殺し ﹃エバーグ こで入手したの?﹂
トゥー ム
の型が存在すること。感染者は子をなせない、 リーン﹄ね?﹂ ﹁︽墓
 所 ︾だ﹂
コ ン バ ー タ
則ち﹃悪霊﹄は垂直感染せず、生まれついて ﹁有名なのはお互い様だ⋮⋮。改
 宗させる者  それは世界の果てにある、巨大な漆黒の石
板。超越者をこの世界から追放した記念碑で うのが実情だ。
﹃夜﹄を殲滅しようなどとは夢 く蒼白い肩を出した、くるぶしまである闇色
ミ ド ル
もある。この地点は混乱初期から神聖視され、 にも思わない。
﹃夜﹄の者は中
 間種 であれスレ のドレス。紅色に濡れた瞳は、少し戸惑って
﹃昼﹄の者も﹃夜﹄の者も近付こうとはしない。 イブであれ、
﹃昼﹄の者を一撃で葬り去る膂力 いる。
トゥー ム あまっさ ノーライフキング
ところがこの︽墓
 所 ︾に侵入し、剰 
 え誰にも と瞬間移動じみた速度を誇る。 
不死の王 とも ﹁いらっしゃい﹂
知られていないはずの兵器庫から強力な遺産 なれば、ほぼ無敵である。確かに﹃夜﹄の者 カウンターの向こうでグラスを磨いている
を盗み出した誰かがいた。 にとって銀の弾丸は弱点であるが、当てる機 陰のある青年が静かな声で迎える。
﹁⋮⋮そう、あんただったの、あそこを荒ら 会など殆どないに等しい。そして﹃夜﹄の者 客の入りは多くない。やや気怠げな雰囲気。
したのは。てっきり﹃不死の王﹄だと思って は陽光を恐れはするが、それで瞬間的に死ぬ ぽつり、ぽつりと話し声が。
た。 そう言えば、
﹃エバーグリーン﹄の出 わけではない。数分間照射したところで、凶 カウンターの青年の正面に座る。 程無く、
現と同時期だったわ﹂ 暴化して手に負えなくなるのが落ちである。 紅い液体の入ったグラスが差し出される。や
超越者の少女が、己の迂闊さに頭を抱える。 ﹃昼﹄の者が一丸となるまで、多くの悲劇 やぎこちなく、彼女はそれに紅い唇をつけた。
お ま え ら おさ
﹁数々の無傷な遺産と、 
超越者 の長 
 バールの が繰り返された。それは、
﹃夜﹄の者が増加す 少し口に含み、味と香りを確かめる。

遺言 いや、 伝 言があった。世界の本当の る過程でもあった。ヘモグロビン不足で暴走 ﹁美味しい⋮⋮﹂


歴史と、お前達の姿を知ったのも、そこだ﹂ する﹃夜﹄の者。巻き込まれて死ぬ者、感染 甘い溜め息と共に、そんな感想が漏れた。
コク
﹃バール﹄という名前が出た刹那、
﹃改宗さ し﹃夜﹄になる﹃昼﹄の者。無謀にも復讐を ﹁でもちょっと変わった 
酷 ですね。ヘパリン
せる者﹄達の気配が揺れた。そこまで知って 誓い玉砕する﹃昼﹄の者。 が入ってないのはいいんだけど﹂
いて、 こまごま こだわ ﹁⋮⋮﹂
 々 とした拘
細  泥 りとわだかまりを捨て、
﹃昼﹄
﹁どうして、それを公表しなかったんだ?﹂ 青年は沈黙で応じる。
の者は団結した。集落の周りには太陽燈と銀
先刻までとは違う、少年の声。黒髪蒼眼の、 彼女はその応えに不満だったのか、肩をす
でコーティングした有刺鉄線を設置した。皆
一五歳程度の少年の姿をしている。 くめた。どうやら青年との意志疎通は困難を
で少しずつ献血し、集落の外に輸血パックを
﹁公表したところで、どうにもならん。いや、 極めそうだ。
置いた。幸い﹃夜﹄の者の人口は少なく、貧血
自分達の三〇〇年が間違っていたなどと、考 ヴァンパイア
﹁おいおい﹂
になる程提供せずに済んだ。結果、
﹃悪 霊
 ﹄の
えたくもないだろう﹂ 笑いをこらえた声がかけられた。
感染者 犠牲者の増加率が激減した。
それが今から二百年前のこと。 密かに驚愕した。半瞬前まで誰もいなかっ
分裂したといっても、
﹃昼﹄と﹃夜﹄の種族 た筈の左隣の席に、大柄な男が鎮座していた。

は露骨に対立しているわけではない。
﹃夜﹄も カラン、とドアベルが鳴り、細く優美な人 奇妙な意匠の長剣を 
帯 いている。彼の前には

元は﹃昼﹄であるから。
﹃昼﹄の種族が徒党を 影が薄暗い屋内に入って来た。まず目に入っ ジョッキになみなみと注 
 がれた紅い液体。
組み、徹底して﹃夜﹄の者を避けている、とい たのは、逆光に映える銀糸の長髪。そして細 ﹁こいつはノリはいいんだが、無口なのが玉
59
きず キャリ ア
に瑕 
 でな﹂ なった。不活性な﹃悪霊﹄を宿す担
 体 もいな
60

ミ ド ル
﹁ノリ⋮⋮ですか?﹂ い。中
 間種 も殆どが更なる力を求めて﹃不死
意味のよく解らない単語を反復する。 の王﹄になることを望んだ。つまり、現在の
﹁解らないか?﹂ ﹃吸血鬼﹄は大部分が﹃不死の王﹄なのである。
﹁まさか⋮⋮﹂ ﹁俺は、中間種のままで充分だ﹂

まさかこの 施 設の巫

 山戯 た内装が、目の前
ざ け
本音である。
の物静かな青年によるものだとでも⋮⋮?
テクスチャー
﹁そのまさかだ。まぁそんな事よりも﹂ その美しき翼は、雲母の煌きと 
質感 を持
男の碧の瞳がこちらを正面に見据える。﹁俺 ちながらも、鉱物ではありえない柔らかさを
セ ラ ミ ツ ク
はアンタに興味がある﹂ 持ち合わせていた。 そう、 それは 
陶器製の 、
セ ラ フィック
 使の 翼。

女は顏ばせに少しの困惑を浮かべ、尋ねる。
﹁⋮⋮男に飢えているように見えますか?﹂
﹁微小機械﹃ 
悪霊 ﹄は 型番 ︲ 、 つま
Vampire

K
V
﹁違う違う﹂ ア セ ン ブ ラ
りカ
 ール が 
五 番目に造り出した 
分子機械 だ﹂

V
a
r
l
苦笑する。こちらこそ色情狂のように見え ﹁﹃カール﹄? まさか⋮⋮﹂
たのだろうか?
その名は、超越者の血族でありながら人民
﹁見慣れない顏だからさ。新しい客なんて数 の自由のために殉死した、英雄の名ではなかっ
十年ぶりだ﹂ たか?
女は哀しげな表情で言う。 ﹁そんな筈があるか 彼は力なき人々の大

!
﹁五十年程、眠っておりまして⋮⋮﹂ 恩人だぞ ﹂

!




てっきり な り た てだと思っていた。どう見 ﹁カールが望んだのは人民の解放ではない。私
ミ ド ル
ても二十歳前後にしか見えない。中
 間種 も老 の殺害、いや 抹消だ。 
私 Baal
の 系列分子機

B
化が遅いが、其れ程複雑な事象を引き起こせ 械を排除するために秘かに 系列の分子機械

K
第 12 章 悪霊綺譚

る訳でもない。とすると⋮⋮。 を製造した。故意に欠陥を持たせてな。其の
ノーライフキング
﹁あんた⋮⋮ 
不死の王 か﹂ 最たるものが、狂犬病のラブドウイルスをモ

﹁そう言う貴方は⋮⋮違うんですか?﹂ デルにした﹃悪
 霊 ﹄だ。そしてカールは私が

V
ヴァンパイア
﹃悪
  霊 ﹄ の大流行が終結して久しい。 不 分子機械を用いて人体実験を行っていると噂
夜 の 者
安定なスレイブは死滅したか完全な吸
 血鬼 に を流した﹂
第 章 遥かの流れ
13

避けられない事故だった。局部的には、そ 老化がどのようにして起こるのか が
ア セ ン ブ ラ
れは確かだ。 分かったわけではない。よって 
分子機械 によ
イモータライズ
路面電車の前に突然、白衣の人影が飛び込 る不
 死化 とは、酵素反応の殆どを凍結して分
んできたのだ。人影は メートル程跳ね飛ば 子機械に肩代わりさせるということ。血管の
5

され、鮮血をまき散らしながら勢いよく転がっ 中を流れるのは血球ではなく、赤い分子機械
ブ ラッド レ ス
ていった。電車が急ブレーキをかけ、乗客が なのである。彼等 ﹃不
 死人 ﹄とは即ち半
被害者を見詰めたまま凍っている。車載コン 死人なのだ。
リップ ヴ
・ァン ウ
・ィンクル
ピュータによる自律制御なので車掌はいない。 彼はまるで 
浦島太郎
 の様だった。
注目すべきは、ここからだった。被害者から 気・液・固体のそれぞれを司る三柱は最初
神意執行者
噴き出した大量の赤い液体が、紅い霧となっ の身体であった型番﹃   ﹄から究極の生

X
O
D
E
ク ラ ウ サ・エ ク ス・マ キ ナ
てその主人の下へ還 
かえ
 っていく。裂けた白衣か 物模倣たる機
 械仕掛けの細胞 の集合体にその
らのぞいた擦過傷が、みるみる治っていくの 意識を移している。
が見える。
やっと、一人の男の声が響く。何か忌まわ
しいものを見たような、そんな声。
こ こ ブ ラッド レ ス
﹁何で  に不
 死人 がいるんだ ﹂

?!
C
1 ブ ラッド レ ス
﹁ふむ⋮⋮﹃ 
血無し ﹄か、言いえて妙だな﹂
そう呟いて、白衣の男 血塗れで真っ赤に
染まっていたが はゆらりと立ち上がった。
生物の代謝経路は殆ど全てが解明されたが、
システムの調整がどのように行われているか
61
第 章 続序 現
: 在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼
0

⋮⋮それは、四体のアンドロイドが目覚める、少し昔の事⋮⋮。
﹁さっき、あなたのお兄さんが来たわよ﹂
﹁そうか、何か言ってたか?﹂
﹁いいえ、別に。⋮⋮いつも思うんだけど、双子なのにちっとも似てないわねぇ﹂
﹁そうか? 一卵性だから、似てない筈は無いんだが﹂
﹁容姿じゃなくて、性格よ。正反対といってもいいくらいにね﹂
﹁⋮⋮そうだな。それにしても﹂
﹁ん?﹂
男は、彼女の前にあるテーブルの上を眺めながら言った。
﹁よく、こんなに食べられるな﹂
﹁そんなに多かったかしら?﹂
﹁私の二日分位だ﹂
﹁だって、いくら食べても太らないんですもの。それに誰かが言ってたでしょう? よく食べる女は信頼できるって﹂
﹁そういう問題なのか⋮⋮? 私はてっきり、療養の為のエネルギー補給だと思っていたんだが﹂
﹁そうそう、それもあったわね﹂
﹁⋮⋮﹂
彼は、その言葉に少し、⋮⋮少し傷付いた。彼女にそのつもりは無かっただろうが。
63
レアは原因不明の病に罹ってしまった。病状は特にどこが痛いという訳でもなく、ただ痩せ衰えていくのみだった。どんな薬も対症療法も効果が
64

無い。どんな医師に相談してみても、この病に有効な手段が見出せなかった。しまいには主治医もさじを投げざるを得なかった。それでも彼女はよ
く食べ、点滴に頼ろうとはしなかった。
﹁だって食べた気がしないじゃない﹂とは彼女の言だ。バールには、それが無理をしているように見えた。彼
女に何もしてやれない腑甲斐無さで、看病している夫の方が余程病人のようだった。健気な彼女に、気休めでもいいから何か慰めの言葉を掛けずに
いられなかった。
﹁心配するな、すぐに良くなる﹂
バールは、花瓶の花を取り替えながら言った。
﹁ねぇ、バール⋮⋮﹂
﹁何だ?﹂
﹁私を⋮⋮︽転送︾して﹂
花瓶が落ちて割れた。無機質な床に、破片と花が散乱する。夫は呟きながら、ややぎこちなく片付け始める。
﹁やれやれ⋮⋮看護婦に怒られるな﹂
﹁バール﹂
咎めるようなレアの口調に、バールは片付けを止めて立ち上がり、言う。
﹁しかし、君の病状はそんなに⋮⋮﹂
第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

﹁もう手遅れ、と言うよりも、手の打ちようがなかったんでしょう?﹂
﹁む⋮⋮﹂
ずばりと言い当てられて、バールは言葉に詰まる。視線を逸らして虚しい抵抗を試みようとするが、更にレアは差し迫った声で言い寄る。
﹁ねえ、お願い、このまま死にゆく身体の中に居たくないの﹂


﹁しかし、君は あ れの成功率は信じられないくらい低いと言ったじゃないか﹂
﹁でも、この身体のまま生き延びられる可能性よりは高いわ﹂
﹁しかし⋮⋮﹂
夫は何とかしようともがくが、恐るべき事態から逃れる術は皆無だった。
﹁あらゆる手段を用いて自分を残そうとする、これは生物として当然の行為じゃない?﹂
﹁しかし⋮⋮、しかし⋮⋮ ﹂

!
反論しようにも、言葉が出てこない。無意識に、拳を強く握り締める。
この夫婦は過去、幾度にも渡り対等に討論を交わしてきたが、今度ばかりは夫の惨敗であった。バールが彼女の顔を見ると、その双眸には強い意
志の光が宿っていた。バールは尚も出て来ようとする無意味な言葉を無理矢理飲み込むと、悲壮な決心を固めた。
﹁⋮⋮分かった。君の︽転送︾を行おう﹂
それを聞くと、レアは急におとなしくなった。
﹁ごめんなさい、⋮⋮あなたには残酷なことだったわね﹂
バールは苦笑して答える。
﹁それが分かってるから、あんな切り出し方をしたんだろう?﹂
﹁だって⋮⋮﹂
﹁ああ、議論になったら、こちらに分は無いからな。それに⋮⋮﹂
﹁いつだってあなたは、私との約束を破った事がないもの⋮⋮﹂
夫は力強く頷くと、妻の目を見つめて言った。
﹁今度も、必ず約束は守る﹂
十二畳程のその部屋は、複雑な計器や機械で埋まっていた。苦労してやっと作ったような狭い空間には、ベッドが二台置いてあり、そのそれぞれ
に人の形をしたものが安置してある。その二人は互いによく似ており、瓜二つといってもおかしくなかった。片方は深い眠りに就いており、もう一
方はまだまだ動いていないだけの﹃モノ﹄だった。二台のベッドの間に白衣の男が一人身じろぎもせずに立っていて、その部屋は静寂に包まれてい
た。最初にそれを破ったのは、白衣の男だった。
﹁レア⋮⋮我が妻よ⋮⋮﹂
低い、呟くような声を、男は絞り出していた。
﹁私は今から、君の︽転送︾を始める。飽く迄運命に逆らおうとする、君の意志によって⋮⋮﹂
男は、そのままストンと落ちてしまいそうな重い溜め息を吐いて、これまた重そうな言葉を放った。
﹁主よ、人の望みの喜びを⋮⋮﹂
男は無神論者であったが、
︽転送︾の余りにも低い成功率に、何かにすがりたいと思わずにはいられなかった。これは賭けだ、万が一の成功に希望
を託す⋮⋮。
失敗したら、どうなるか。不完全な記憶、不完全な感情は、彼女を苦しめるだろう。そんな彼女に、自分は何をしてやれるだろう? もしかした
ら、精神崩壊を起こすかも知れない。最悪の場合、この手で彼女の息の根を止めなければならない。出来るか出来ないかではなく、やらなければな
らない。いや、それ以前に。⋮⋮自分はこれから彼女の頭蓋を開く。自分に、そんな事が出来るだろうか?
65
⋮⋮いや、ここで弱気になってはいけない。これは彼女の意志だ。彼女との約束だ、彼女を救う為なんだ。勇気を出せ、これが、今出来る最善の事
66

なのだ。
﹁運命とは、かくも苛酷なものか⋮⋮﹂
バールは無造作に、傍らに在る機械のボタンを押した。後は勝手に、手術ロボットがやってくれる。脳波の解析を行ったりニューロンの配線を調
べたりするので、人間の手では到底無理なのだ。それでなくとも最近は、ロボットの自律化が進んで来ている。しかし、見届けない訳にはいくまい、
彼女が分解されてゆく様を。
﹁今度会う時は、万が一成功した場合か天国だな⋮⋮﹂
男の呟きは、誰にも聞かれることなく、静寂の中に溶けていった⋮⋮。
白い、十畳程度の病室。大きな窓から、白いカーテンを通して柔らかい光が差し込んでいる。中央にはベッドが一つだけ。そこに、静かに眠る若い
女性。ベッドの傍らに立つ白衣の男。
レアが目を開く。身体を起こし、目蓋を半分程開けて、寝ぼけたような顔で辺りを見回す。夫は、相好を崩して妻に駆け寄って言った。
﹁レア ⋮⋮良かった⋮⋮ もう目を覚まさないんじゃないかと⋮⋮﹂
!!

﹁はじめまして﹂
第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂
﹁私の名前は﹃レア﹄なのですか?﹂
﹁あ、ああ﹂
﹁あなたは⋮⋮誰ですか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ ﹂
!!
失敗か、⋮⋮それとも︽転送︾のショックによる一時的な記憶喪失か? どちらともはかりかねたが、バールは取り敢えず最も重要な質問をレアに
投げ掛けた。
﹁⋮⋮君は、一体誰だい?﹂
﹁私?﹂
﹁そうだ﹂
彼女は少し考えて、答えた。
﹁私は、人間に似せて造られたロボット。骨格から無数に枝分かれした付属肢には、高感度センサーとナノオーダーの⋮⋮﹂
﹁もういい﹂
いたたまれなくなって、止めさせた。⋮⋮︰失敗だ。どうやら人格だけは保っているらしいが、その他は壊滅状態だ。あんな基幹情報だけしか覚
えていないなんて⋮⋮。
彼女を死なせてしまった。その事実が、重く伸し掛かってくる。レアは、永久に失われた⋮⋮。手術直前、一般麻酔剤を打つ時のやり取りが思い浮
かぶ。
﹁ねえ⋮⋮この期に及んでだけど、まだお願いがあるの﹂
バールは、注射器を片付けながら短く答える。
﹁ん?﹂
﹁⋮⋮もし私が死んだら、﹂
︽死︾という言葉は、今の彼にとって聞きたくない言葉の一番目だった。抑えた声で、彼女の言葉を遮る。
﹁やめてくれ、考えたくもない⋮⋮﹂
しかし、彼女は言いたい事を話さないまま眠るつもりは無いようだった。
﹁遺言だと思って、真面目に聞いて﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
彼は、どういう訳だかレアにだけは逆らえなかった。いつかその謎を解明しようと思っていたが⋮⋮。ともかく、彼女は彼の答えに満足したようだ。
﹁それでよろしい。三つあるけど、そんなに難しい事じゃないわ。一つ、⋮⋮もし私が死んだら、﹂
﹁⋮⋮死んだら?﹂
彼女の語尾を繰り返して次の言葉を待つ。緊張が極限に達し、つばを飲み込む。
﹁あなたは私の分まで生きる事﹂
﹁ ﹂
!!

その一文は、彼にとって少しばかり残酷なものだった。
﹁レア⋮⋮﹂
﹁⋮⋮だって私は、死後の生なんて信じていないもの。あなたには、生きて、幸せになってもらいたい。⋮⋮約束よ﹂
この時もまた、バールはレアに逆らえなかった。
﹁⋮⋮了解。約束だ﹂
正直、バールは︽転送︾が失敗に終わったら、彼女の後を追って死のうと思っていた。彼女のいない世界に、用は無い。⋮⋮が、それも封じられて
しまった。何もかも見抜かれているとなれば、逆らうだけ無駄だ。バールは諦めて、次を促す。
﹁⋮⋮で、後二つは?﹂
67
﹁二つ目は、アイオロスとテテュスの事。必ず、目覚めさせてあげてね﹂
68

それは彼にとって、そんなに難しい事ではなかった。他人の土俵で相撲を取るのは少し居心地が悪かったが。
﹁分かった。少々時間がかかるかも知れんがね﹂
﹁三つ目は、私達の夢 例の計画よ。理想を実現させる為の⋮⋮﹂
確かに、実現すればそれは理想郷に違いない、とバールは思った。やらなければならない事は、全て専門外の領域だった。
﹁⋮⋮三つ目は私の腕次第か。まあ、自信は無い事は無いが﹂
レアは微笑むと、少し茶化して言った。
﹁頼りにしてるわ、天才科学者さん。⋮⋮あら﹂
妻の漸進的な変化が、夫にもようやく知覚出来るようになった。
﹁どうした?﹂
﹁⋮⋮眠く⋮⋮なってきた﹂
麻酔が効いてきたのだろう。目がとろんとなっている。バールが名残惜しそうに言う。
﹁出来れば、生きていて欲しいんだがな⋮⋮﹂
レアが、少し弱々しくなった声で気だるく言い返す。
﹁⋮⋮私も、⋮⋮死ぬつもりは無いわよ﹂
第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

﹁それは分かっているつもりだ﹂
﹁⋮⋮あなたは心配し過ぎるのよ。⋮⋮大丈夫、⋮⋮きっとうまくいくわ。⋮⋮根拠は無いけど、そんな気がするの。⋮⋮女の勘は、よく当たるのよ﹂
﹁レア⋮⋮﹂
﹁レア⋮⋮﹂
﹁はい?﹂
我知らず呟いていた。そしてレアの返事に、現に戻った。何が起ころうとも驚いたりしないと思っていたが、虚脱状態になるほど衝撃を受けてい
た事に非常に驚いた。こうなる事は、分かり切っていた筈なのに。いやむしろ この状態は幸運だとさえ言えるかも知れないのに。ただこの幸運
は、彼にとって少々残酷なものであろう。
バールは顔を上げた。今まで俯いていた事にも気付かなかった。レアと目を合わせる。彼女は、バールの知らない彼女だった。今のきょとんとし
た表情は、見た事が無い訳ではない。どこが変わったという訳でも無い 限りなく彼の妻に近い が、違うのだ。バールは改めて確信した。妻
は、思い出になってしまったのだと。
﹁これは必然か? それとも偶然か? いや ﹂
バールは芝居じみた口調と身体の動きで、陶酔したように独白した。
﹁あのー﹂
﹁起こった事全て 歴史は、必然でもあり、偶然でもあるのだ。それを運命と呼ぶ事もある⋮⋮﹂
﹁はあ⋮⋮﹂
﹁運命は人を踊らせ、誰の為でもない 運命自身の為に傀儡の糸を操る。多くの人はそれに気付かない、気付こうともしないのだ﹂
﹁何だか言っている事が微妙に首尾一貫していないような気がするんですが﹂
突然、バールは笑い始めた。
﹁はーっはっはっは⋮⋮、茶番だ、全ては茶番だ⋮⋮﹂
﹁そうなんですか﹂
ひとしきり笑うと、正気に戻る。
﹁ははははははははは⋮⋮って、いちいちうるさいね。今回の失敗を吹っ切る為にも、言いたい事くらい言わせてくれ﹂
﹁⋮⋮何だかよく分かりませんが済みません。⋮⋮で、まだあるんですか? 言いたい事⋮⋮﹂
バールは少し考え込んだ。そして口を開く。
﹁⋮⋮無いな。大体さっきのも、言うべき事じゃなかったような気がするし﹂
﹁それは良かった﹂
﹁⋮⋮で、君の用件は?﹂
﹁いやあの、そこはかとない不条理を感じるんですが⋮⋮私とあなたの関係は?﹂
バールはすっかり失念していた。妻が消滅してしまったのならば、今目の前にいるこの女性は何なのだ?
﹁何がいいかな⋮⋮﹂﹁え⋮⋮?﹂
﹁あ、いや⋮⋮そうだ﹂
﹁思いつきで決めるんですか⋮⋮﹂
﹁いや、これもまた必然というか偶然というか、⋮⋮つまり君は、私の﹃娘﹄という事になる﹂
﹁私は、あなたの娘⋮⋮?﹂
﹁そうだ﹂
﹁あなたは、私の⋮⋮お父さん?﹂
﹁その通り﹂
どうやらレアが理解するのに、しばらく時間が掛かりそうだ。と、バールは思ったのだが⋮⋮。唐突にレアが切り出す。
﹁﹃お父さん﹄っていう割には若過ぎませんか?﹂
69
﹁は?﹂
70

そうなのである。バールはどう鯖をよんでも二十代後半で、レアはどう若く見積もっても十代後半であった。他にも施設から引き取ったとか後妻
の連れ子とかクローンとかの可能性はあるが⋮⋮。
﹁ちょっと待て。君はさっき自分が言った事を覚えていないのか?﹂
﹁え?﹂
﹁君のその身体を造ったのは私の妻、そして君の精神を創り出してしまっ⋮⋮いや、創り出したのは私だ﹂
﹁ああ ﹂
!

﹁君が私達夫婦の子というのは、極めて自然な事じゃないか?﹂
﹁成程﹂
﹁分かってもらえたみたいだね﹂
バールは軽い溜め息を吐いた。少し考えて、レアが発言する。
﹁⋮⋮それじゃあ、﹃お母さん﹄もいるのですね﹂
彼は、その言葉に少し、⋮⋮少し傷付いた。彼女にそのつもりは、全く無かっただろうが。何にせよ、事実を知らせねばならないだろう。かなり修
整された事実を。
﹁妻は⋮⋮君の母親は、もういないんだ。私の力が及ばなかったばかりに⋮⋮﹂
第 0 章 続序 : 現在形の過去∼ぶどう畑を荒らす者∼

少し、時間が止まった。そしてまた回り出す。
﹁そう⋮⋮。死因は?﹂
バールは自嘲気味に苦笑した。
﹁⋮⋮いわゆる不治の病⋮⋮いや、私が殺したのも同然だな。成功率殆どゼロの手術を決行したんだが、やはりというか⋮⋮失敗してね、そのまま
帰らぬ人となってしまったんだ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁君が無事生まれる事が出来たのは、不幸中の幸いだったよ。⋮⋮どこか悪い所は無いかい?﹂
﹁ええ、別に⋮⋮﹂
﹁それは良かった。⋮⋮安心したよ﹂
悪い所はない、というのは嘘だった。が、父親だというその男性は、気付いていない様子だった。
﹁しばらく待っててくれ﹂
そう言って、白で塗り潰されたようなこの部屋を出ていった。
レアは身体を倒した。そして瞳に憂いの感情が浮かぶ。
頭 特に記憶の所在する場所 が重い。不必要なデータや、読めなくなった領域が多過ぎる。それに 。
﹁自分の場所じゃないみたい。他人の家に間借りしているような⋮⋮﹂
無意識に、声に出していた。 少し、驚いた。
痛み。そのまま破滅に直結しそうな、耐え得ない痛み。
⋮⋮﹁痛み﹂
?⋮⋮そうか、過剰な刺激による精神の歪み これが痛みだ。
悲しみ。昔、誰かが悪徳だと言った、悲しみ。
⋮⋮﹁悲しみ﹂
? 私は何が悲しいのだろう? もう悲しまないと、幼い頃に誓った筈なのに。これは喪失感なのかも知れない。
涙。とめどもなくあふれ出る涙。
⋮⋮﹁涙﹂?⋮⋮そうだ、涙だ。悲しみの結果だ。
私がこういったものを取り戻したという事は、喜ぶべき事なのだろうか?
71
参考文献
[ Biblio01
]エリック ド
・レクスラー著﹃創造する機械﹄
[ Biblio02
]エド レ
・ジス著﹃不死テクノロジー﹄
[ Biblio03
]エド レ
・ジス著﹃ナノテクの楽園﹄
[ Biblio04
]R L
・フ・ォワード著﹃SFはどこまで実現するか﹄
[ Biblio05
]ブルフィンチ著、野上弥生子訳﹃ギリシャ ロ
・ーマ神話﹄
[ Biblio06
]阿刀田高著﹃新約聖書を知っていますか﹄
[ Biblio07
]ひきの真二、濱田隆士監修﹃NHKまんが地球大紀行 第5巻﹄
[ Biblio08
]本多敬介著﹃超音波の世界﹄
[ Biblio09
]ニコラス ハ
・ンフリー著﹃内なる目 意識の進化論﹄
[ Biblio10
]エイミー ト
・ムスン著﹃ヴァーチャル ガ
・ール﹄
[ Biblio11
]文部省国立天文台編﹃理科年表 ﹄
2001
[ Biblio12
]リチャード ド
・ーキンス﹃延長された表現型﹄
[ Biblio13
]橋元淳一郎著﹃人類の長い午後﹄
[ Biblio14
]宮坂信之著﹃膠原病教室﹄
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