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軒  数  壁  長く

﹃大般捜索経典解﹄ における僧宗の教判思想

を目標とする。﹃集解﹄は﹃南本埋葬経﹄を二千八百六十四

本稿は'僧宗(四三八-四九大)の教判思想を考察すfQtこと

考える上で'﹃集解﹄は弟一次資料として重要な価値を持つ。

と後代の成立であろうと推定されており'その成立の歴史を

とかなり規似した考えである。実は'慧観の五時教判はもっ

患観の五時教判(三乗別教'三乗通教'抑揚教'岡帰教'常任教)

菅     野     博     史

の経文に分節しているが'僧宗の注は千百四十五箇所に採録

そこで'僧宗と慧観の五時故判を比披してみよう。患観の三

(-)

されており'僧亮に次いで第二位を占めている。さて'僧宗
)

いては四静のしみが取り出されている点が両者相違する。三乗

3

通教については'僧宗においてすでに確立している点が牲目

(

如従牛出乳者'仏説小乗四諦法輪。此是成仏十二年中説也。従乳

される(僧亮には見られなかった)。抑揚教については'僧

)

出酪者'謂十二年後説三乗道教。大品経是也。酪出生蘇者'如思

2

における最も詳しい教判思想が見られるのは'僧亮の場合と

乗別教は四諦'十二因縁'六度を包含しているが'僧宗にお

益維摩抑挫二乗称揚菩薩也。従生蘇出勤者'説法花破無三因果

揚菩薩」という表現は抑揚教と内容的には十分な対応を示し

宗においてその用語の成立を確認できないが'「抑挫二乗称

(

同様'聖行晶の五味の常愉に対する次の注である。

也。今此経明仏性常住窮理尽性'如醍醐也。(大正三七・四九三

ていると言えよう.同帰敬については'発行晶の「三乗之法

(・{)

上-申。以下﹃集解﹄からの引用は貫段のみを記す)

これによれば'十二年間にわたる小乗の四諦法輪'犬晶般

)

説冨︼乗。7乗之法随宜説三〇」(大正7二・七〇七下)に対する

8

注に「三説一着'破典三之惑'説同帰之教。]説三者'昔日方便随

(

若経の三乗過敏'維摩経などの「二乗を抑挫して菩薩を称揚

)

宜之教也。」(五〇四下)とあるのが注目される。常住教につい

,

「仏性常住にして理を窮め性を尽-す」教え'の五段階に分
r

する」教え'法華経の「三国巣を破鹿する」教え'埋葬経の
E

ては'僧宗においてその用語の成立を確認できないが'か

(

類している.これは'膏蔵が﹃三静玄義﹄において解介する
印度畢俳教串研究解三十七奄鈴1翫 昭和六十三年十二月

ー 87 -

﹃大股捜典経銀解﹄における僧宗の教判思想(菅 野)

(†)

わって「常教既興・知音所行未為理極。」(四〇六下)などと「常
数」という概念が見られる。

以上の五段階の教えが最も詳細な分頬であるが'それ以外
の教えが撃がされることがある。それは'「背教亦有滞浅.如
十蓉五戒是浅'四諦十二線是深也o」(四二九上)とあるように'

十着・五戒'四静'十二線である。そのなかで'四静は第一

段階の「小乗四諦法輪」であるから除くと'十手'五戒'十
二線が新しく挙げられていることになる。)椴に'十羊は天

し三方「昔七処八会・説華厳方広o」(四三下)と述べられて

教」とするような位置づけはまった-見られない。

おり,華厳経の説法堅炭している。ただしへ華厳経を「頓

三乗の教えに対する評価は'菩薩品の「世若無仏'非壁亮
得二浬典。迦非望p'党重石何.仏11.rut無毒辺阿僧祇劫乃至仏
出現於牡,開示三乗。」(大空二二ハ六四中)に対する注に見ら

不同。故知二乗権設小果。何得同仏邪。無丑劫乃有仏出'釈上旬也。

れる。すなわち「潜世間都無作仏理者'非無二乗得二埋典。理既

謂円解難固,常倒易生。細事感仏・不得恒現。手機希有.所以聖

小異権施'而非登也?A(四七二中)とある。ここでは二一乗の

胡世,背化失磯・動経劫数.云何説大耶。致教唯以三乗級引o故知

得る埋葬=小巣は仏の浬輿とは同じものではな-、大乗を説

ではないことが指摘されている。

くことのできない段階において仮に設けられたもので'英米

法華経は第四段階に位懸づけられているが'個宗が着日し

1

_

[

.

Bl暇n

-

_

.

-

.

-88-

来・五戒は入来,十二線は縁覚乗とされるが'これらを釈尊

の教化のなかにどのように位置づけるかについては'僧宗は
(8)

望tpしていないo怒観の五時教判は'人乗'天来について言

及せず,浄影等慧遠の﹃大乗義牽﹄敏速義に解介される劉机
の五時教判が第一に人天教を挙げていることを思うと'僧宗

た思想は']仏乗による二乗の授記作仏である。法華経で

が人乗'天来に対応する五戒'十着を視野に入れている点だ
けでも注意を要する。「化主説人天因果」(四八一上)「明背所以

は・二乗はもはや二乗ではな-菩薩へと転換するのである。

(9)

衆説五乗之敏也。」(五1四中)という住も人乗'天来を意識し

.

境'行のおおよその意味を記すことしかできないが'この四

下に説かれる修行を指すことがわかる。ここでは'困'果'

行終期柾果。即答前琴二十三間也。」(四七七中)から'聖行品以

る。「行」については'型行品冒頭の旺「従此日下'明依経遊

「因果仏性之境」(前岡)などの注から仏性を指すことがわか

境・生其下品聞意。」(四四七下)「境中之妙'唯仏性。」(五四二上)

境中之妙・不過仏性.」(四︼五上)「境中之妙'不過仏性。説此其

中)ことがわかる。「境」については'「行之所生'必由乎境。

指す(「以綿護持正法困縁故得成就是金剛身。」大正1二二ハ二三

ら,「果」は法身'般若を指すことがわか書「困」は護法を

「上旬己間果。此下旬間困也o下文答以護法為因也。」(前岡)か

一九中)に対する僧宗の注'「向閉般若'此間法身。」(四-ニ下)

「云何得長寿金剛不壊身o復以何因縁得大堅固力。」(大正〓1・六

あるように困,果'境'行の視点を分親に利用している。

次有︼間,明依(経)生行。次空間'明所照境。」(四二三)と

明境弁行。--聖有十三問'明常住因果。次有十九問'欺経功鰭。

二二ハ1九中-六二〇上参照)について'「然問答大旨'訴因説果'

単に記すo長菅紺の迦共菩薩の発した三十四の問い(大空

ければならず,ここで辞し-論じることはできないので'簡

困・果・境,行の内容については'﹃集解﹄全体を参照しな

かで浬紫経とそれ以前の経を区別していることがわかる。

こ れ に よ れ ば ' 囚 ' 果'境' 行を明かすことが十分かどう

.

が菩薩となってはじめてすべてのものが「仏之英子」と呼ぶ
のセある1.またj芳疑7

上)に対する牲であるが'法華経の二乗授記によって'二乗

(三八六中)は,序品の〓切皆是仏之英子」(大正三二ハ〇五

たとえば「自法華巳釆'皆得称萱壷。芳未爾之前'不得称也。」

ていると言えよう。

また,華厳経の位置づけについてはどうであろうか。「従
初鹿苑'迄至今日'随能生解'皆為人説。」(三八六下)とあるよ
うに・華厳経はまった-視野に入っておらず'また'「千時正

のも'必ずしも' 華 厳 経 と の 関 係 は 胡 ら か で

在三七日思惟・知衆生有従化之現'願絡遂也。」(四O八中)とある

(‖し

為有為無'法華諸経己能除之。」(五二ハ上)も同様である

次に,多くの経教の相互関係についてはどのように考えら
れていたのか。「維復十二部中艶味有輿'然同-仏説也o」(四-A

上)とあるように'すべて仏説であることが指摘されている
が,やはり「根有利鈍'教有涜深o」(四]四中)とあるように'

教えの浅深の葦を説いている.そして'・理解経以前の教えは

浅く埋葬経は深い教えとされる。すなわち「此即聖明教
典。謂苛浅而今探也。」(四九二上)と。これらの資料は'釈尊

の説法を浅い教えから深い教えへと展開すると見ることを示

しているわけではないが'僧宗も僧亮と同様に'そのように
考えていたと推定してもよいであろう。僧宗が埋葬経を最高
の経典と考えていたことは'「此経深喝始尭窮理也o」(四五九
上)「粒体所明'文理円僻。除惑滅罪'功勝余経。」(四七七中)「当

知衆経之勝也。」(五〇八上)「既教円埋満'能減窓生善。カ用弥喝
勝於余典。」(五四二上)などの注に明らかである。

では'埋葬経が最も深い教えとされる理由についてはどの
ように考えられていたのか。経題の「大般浬鱒経」の「大」
を解釈する経序のなかで'次ように述べられている。

者,始於鹿園,詑至法華・弁因果未満'明境行不周。所以為小。

(12)

此展尽之都賀万事之極称也.大老'一謂教大。二謂理大。何

法身般賓客乎衆累之外。所以称大。(三七八中)

此経円僻。所以称大。昔三乗浬輿'非契究克。是道理中小。今明

﹃大般浬典経典解﹄における僧宗の教判思想(菅 野)

-89 -

四五二上'四七二中'四九三上)「円極」(四〇〇下'四七三下)「円

る.たとえば「円解」(四〇六中'四7五上'四五7中'四五1下'

﹃大般浬奥経典解﹄における僧宗の教判思想(菅 野)

「因果」が重要であるが'なかでも「此経大要'以常果為宗。」

つのなかでは「経之宗要'其唯因果。」(四二四下)とあるように
果」(四〇1下'四二〇上'四八〇上)「円徳」(四〇二申)「円体」
(四〇二上'四一二中)「円理」(四六六上)である。

(四]二上)「経旨意不在困。但以果為宗o」(四]三上)とあるよ

)

(

1

6

)

次に'さまざまな教えの存在する理由について'僧宗は衆

うに「果」が最も重視される。では'埋葬経の重要な思想で

5

ある「仏性」は「境」として位置づけられるだけで、最も重
1

生の横根との閑適で二道者'此明如来随板磯故政教不同。」(四

排異音個故。」(四二五中)「琴二明雄矢本解'事力所感'聖則出世'

此円教所明円究理奥'備]切徳'不同孤城解脱。猶如宝器蔵也。将

「門数」を対にして用いる例を検索すると'「金剛宝蔵無秋着'

価'法華経の思想への関心についても論及した。次に'僧宗

の存在'華厳経の位置づけ'背教における二乗の浬柴の評

摘し'あわせて若干の相違点を明らかにした。また'人天乗

られたので'いわゆる患観の五時教判との用語の頬似性を指

愉に基づいて'釈尊)代の説法を五段階に分親する教判が見

以上'僧宗の教判思想を考察してきた。聖行品の五味の轡

且発'解釈仏果以為常。」 (四五二申) である。

薩。」(四四九中)「第四明常磯始発為説円教。」 (四五]中)「今常磯

「何者'以晋常磯宋層'不得説常」。(四三三上)「常機欲肇応為菩

の説かれるべき横根を「常機」と表現tている。たとえば'

との対応関係をしっかり踏まえて'「常数」すなわち浬東経

っきり示されていた考えであるが'僧宗はこの「機」と「教」

(

視される「果」と'どのような関係を持つのかoこれについ
八五下)と述べている。このことは'道生においてすでには

「因果仏性中道」(六〇五中)とあるように'仏性が因果に通じ

ては'ここでは'「仏性通因果也。如来謂果地人也。」(五三二上)

る概念であることを注意しておくにとどめたい。

これまで述べてきたように'僧宗は埋葬経を最高視してい

るが'彼は埋葬経以前の教えと埋葬経の教えとを指し示す概
念として.「偏教」と「円敦」を対にして用いる。このこと
(13)

は'僧亮においても見られたことであるが'僧宗においては

説偏教也.弟四明常戟始発為説円教。」(四五1中)(向挙響以明門

においては'埋葬経が最高の教えと位置づけられるのである

1層頻繁に「偏教」「円教」が用いられる。今'「偏教」と

数。今挙寄留以頗偏教。」(四五五下)「潜常病者'為説偏教。若断病
(〓)

者'為説門数。」(四五九下)「偏教以三心減処為滅。円故以常住之体

(創価大学専任論断)

16 拙稿「竺道生における機と感応について」(﹃印仏研﹄三二
-一'昭和五十八年十二月)露。
<キーワード> 僧宗'五時教判'偏教'円教

などを参照。

春風放線。」(四二四中)「如来致教'消息根機。」(四二七上)
「亦云i消息物情d」(四二九上)「尊児機宜'動必有益也o」(四
九九下)「正以善巧方便'応衆生根'令物悟道。」(五五〇下)

15 これに閑適する思想'用語についての注として'「必最大士'

14 その他'「偏教」の語は'四〇六下'四〇七下'四〇八下'
四三三上'四四四下'四五〇上'四五〇中'四五二上'四五二
中'四五九上'四六五下'四七1上'五〇四下'五六五下に出
るまた'「円教」の語は'四一四中'四五〇中'四五五中'四
五六上'四五八下に出る。これによって'僧宗が「偏教」「門
数」の語をいかに多用したかがわかる。

13 「境有深浅'政教有偏円。」(四一三上-中)「乗数有偏円'由
機有次緒。」(四一三下)を参照。

12 ここと同じように'法華経までの窪と埋奥経とを比校する視
点で巻かれた注に「白魔苑至乎法華'所説階級大帝不同。唯此
教円僻.将明常住妙困'必資中道観照.」(四四五下)がある。

11 僧宗は法華経の二乗授記についての﹃経典経﹄の記述'すな
わち'菩薩晶の「如法花申八千声問得受記別成大果実。」(大正
]二二ハ六7中)に対しても'「如法華中八十声脚者'誤也。
彼経云..八千声問也o」(四六九下)と注している。僧宗の見た
浬奥経のテキストには誤字があったようである。

10 同じ箇所の明駿の江「法華之日'己鮮声聞。況在此席。豊更
別有菩薩耶。」(三八七上)は理解しやすい。

9 僧亮も「楊葉潜入天来四果。」(五1四下)とあるように'人
天乗について言及している。

∴ l ・ 1 1 /   < ∴ . ∫ - -   ・ ・ ・ . I t I 十 . ・ / ■ ' . . / ; I . ・ 一 - , I / し - 1 1 1 ■ ー - . . 汀 ・ : ・ 卜 . 1 ㌧ I J J ・ L I H 一 ㌧ 」 . ・ . ・ J _ 1 ・ : - ・ -

教と埋葬経の区別を偏教'門数の対概念にiふって示す用例を

!

が'その理由を常住の「果」を明かす点に求めたoさらに背

I

絶衆粕為城也。」(四八〇上)が挙げられる。また'「円教」と閲

'

適して'しばしば「円」のつ-熟語を用いる鳩が特徴的で虜
示し'それに関連して'僧宗の好んで用いる「円」のつく多

-の概念を紹介した。最後に'教の多様性の根拠を衆生の横
根に求める思惟に基づいて'僧宗が浬奨経を説くべき対象と

して「常機」を取り挙げていることを指摘した。
1 拙稿「﹃大般浬典経典解﹄における僧亮の教判思想」(﹃印仏
研﹄三五Il'昭和六十一年十二月)姦照。
2 大正1ここハ九〇下-一上参牌。

3 次に詳しい注に「如来初開四諦'但言是菅鹿央。未明苦境不
生.及般若之教'姶腐不生。妾至法華'苦集之相猶止三界。今
日所明・・-・・」(四7三中)がある。

4 次下に出般若者'7乗実意般若也。従般若出大捜索者'即今

教也。又1解云'此経文小誤o般若応為舘三。方等応在第四
しない。・

也。」(四九三中)という注目すべき注があるが'本論では考察

5 ﹃輿解﹄には法蓮'敬迫'溢朗などの僧宗注に対する注釈を
しばしは載せているが'「敬追記僧宗田」として「白魔苑聖霊
懲'四時次第'檀云復倍上数。自有偏万別教。如大雲勝窒之
流。此為上根者耳。今日開宗原常'正為下板。故有次第也。」
(三九7中)と述べている。勝蟹経などを「偏万別教」と規定
している点'重要である。膏蔵が﹃法華玄諭﹄巻第三におい
て'「後人更加共.︼'復有無方教也。」(大正三四二二八二中)
と述べているのと大いに関係があるであろうO但し'僧宗自身
るが'偏万別教については全-言及していない。

は勝雀経を三回(四1七中'四八六中'五四九上)引用してい
6 大正四五・五中参照。
7 その他の用例。「終聞常数'皆有愛読。」(四〇八下)「今常数
既興t T切悉断?A(四二八中)「修行万行'必須円解常数。」(四
七〇中)

8 大正四四・四六五上参照。

﹃大般薬理経典解﹄における僧宗の敦判思想(菅 野).

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