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労働制学研.究 第一巷 第二戟

わが邦出塵率の赴曾生物学的観察
嘩▼ 唆 義 等
第一r、序    言
第二、人口椅加率
第三、出産超過と出産率並に死亡率との関係
第四、出産率減少傾向の鑓合生物撃的説明
︵ィ︶ 出酪琴の経過
︵ロ︶ 駁近出産率に就いてのわが邦諸家の説明
ハ〇 民族の年齢構成と出産率.
.︵ll︶ 婚姻率と出産率
319
・わが邦出産率の祉昏生物学的観察

わが邦出産率の祉合生物学的観察
︵ホ︶ 女子鱒姻隼齢と出産率
320

︵へ︶ 生理的姫学力に影響を及ぼす諸事項に就て
川︰累粗と姫学力
花  柳  宿
(5)(4)(3)t2)

酒   精   竃
退 潮 常 養
綺紳作用の複杜化
第五、都合に於て出産率の低率なる事賀及びそれと一般出産率との関係
第六、一般欝の槽池と出産率
第七.経済的相制と出産率
第八、最近出産率減少に就いての経済的心理的説明
第九、結    論
︵イ︶ 宮撃上からは説明がつき兼ねること
人口︶ 経済的心理的説明の貢要硯さるべきこと

弟一 序    言
吾々の融合的生活の諮條件は、西欧文化のわが社含組織への導入rどもに、最近五十年間に於
で、驚くべき鼻化を雅たもた、而してそれは僅々数十年前に於ても・・吾々の到底考へ及ぶこど■の
出家なかったほざの毎化であったのであそ藤間博士︵作太郎︶はその著に於で
﹁維新以後年を経ることまだ三十年に垂んとす、其の問の剃蛙文物の情態を察するに塑造の著しきこと此時より甚だしきはな

(1)恋岡作太郎、牢也鑑二郎、日本風俗史465文
し毒暑︶明治年間の革新の風潮は址合菰翳事物を的じて古今宋曾冨新現象を現はしたれは、到底蒜の略説を以て足るべ
きにあらず、而して吾輩は比の攣輪の渦中にありて紐禽とともに旋回す・自ら疾走の革に乗。て其の串を冨さんとすっこれ非
常なる桐限才筆あるものにあらざれは雷す能はざる所なり﹂−と︺
欄も吾〝は、吾々の組先か経過したる史的費展の退路中に於ける最も驚異すべき姻旋期に立て
るものであって、この慶蓮の間に於て吾々は異常なる努力を以で、勃興し凍れる新らしい融合
組織並にそれを支配する諸條件の中に於で新らしい形式の生活に・比較的速かほ慶移し・個應し
てゆくこ軍を飴義なくせしめられたのである0
、 、 、   1   −   1   − 、   も   l I I I   1   − − ・ ・ − −   I I I I   1   − − − − − −     − − −   ●   l l l l l   1   −
この生活株式数遜り諸原因のうちで.書々の最も彗息をひくものは、大屋某組織のわが融合へ
の導入であらふ軍思ふ。即ち機械的産業臥勃興は二万七於て産経的鹿骨生活に大なる鼻化を起
321
わが邦出産率の紐合女物蟹的観察

わが邦出産率の紅色生物蟹的観察 匹l し、今日青々の点るが如き、五十年前亡は全く典っ花、超臍的の配合階級を形成せしめるメこうも 322 に、他方人間の労働の形式及び蒋園を鼻化することになっていった。自由な.自然生活によb準 かつた、農村的社食組織のもどでの生活は、強制的な.政甚な、より人鰯的な産業的融合組織に 潮ける生活に辟化しtいった。この間に於て、多くの手工業、家内工業は、機械によって奮ひと ちれ、置換せられ﹂多数り人間は機械の一部分セして労働することになっていった■のである。両 も、だんく不平均にかたむいてゆく富の鹿骨的分布のなかに、押し寄せて凍る経済生活の困難 官職ひっ1、驚くべく多敦の人間が、近三二十年の問に、機械を中心だして螢働するやうになっ た。而もかくの如き労働楼式の欒化のみならず、労働の範囲も亦、産業の急進的興隆ごどもに、 婦人及び幼年者にまで及んでいった、既婚、未婚の婦人及び多数の幼年者は.桟械の管理者だ し、否機械の一部分ごし、ほとんど凡での場合には、機械ご同格に、産業組織から招集された。 か∼る社食的鼻移のうちt、而して一方絶へや促進されカ教育制度普及の影響のもどに、吾が国 民生活の諸條件は.すんく鼻化していったのである。 上述の融合生活陳件の鼻化が、現在のわが民族の諸階紋の上に、何等かの影響をもわらし凍る こ亡は、明白な事嘗であるやうに自分には考へられる。故に自分は、今、かヽろ事情を顧慮しっ .

っ、鹿骨衛生撃の立場に立って、我邦生産率減少傾向についての卑見を述べやうどするのであ る、そして出産率に閲する問題は、凡ての意味に於いて離合衛生車上の最も興味ある中心問題で ムー 弟 二 人口増加率 .先づ順序だして、我邦人口増加率を零やう。 / ̄ ̄ ̄、、 年可人口莞吉甜′架㌶ニ 我が人口増加率は、過去二十年間に捗って、少しつ∼減少の傾向が認 i3199750 12・65 3388784  12.77 2956007  10.50 封39695  13.47 められる。即ち、今、一九一二年から二九一七年までの五年間と.一八 第一表 日本人口増加率 九八乃至一九〇三年の五年間の増加率亡を比するだ、人口千につき、 一・九七人の減少を示してゐる。トして何二八九八年から、一九一七年 48542736i に至る閥の各、五年間の減少歩合を通観するだ、最後の五年間の増加率 51742486 55131270 58087277 45403041 の減少は、前年に比して亡くに著しい。かゝる人口増加率の減少は、果 して何に掃因してゐるか、それは一朝一夕に論究することは困難である 1693 1903 19】2 1903 1917 が、かくの如き、民族の畳駒減少傾向は、多くの場合.その民族の政令 323 わが邦出産率の吐合生物学的観察 五 .

わが邦出産率の祀昏生物学的観察                      六 的鼻遷・或はその文化的費展ざ密接なる関係があるこ亡は、藷研究者の等しく承認する所であ 324 そこで、自分はわが邦に於ける出産率の検索から始めて最近出生率減少に就いての部分的詮 明を試みょふと思ふ。 第 三 出産超過ヾJ出産率並に死亡率ヾJの関係 人口の慶移に注意する凡ての人が知ってゐるよふに、他の文明国、例へば、狗逸に於では、十 九世紀の終末頃から狙産率が拭過しで来たにか、はらす、絶へず、出産超過が統計上に示されて 雄花。だが燭過に於げろ.この出産超過は、常時の死亡率の状態に左右されて雄花ので通って、 出産率め波浪言同時に、死亡率の叔少が相伴ふてゐ花にょるのでみる。かゝる出産率減退ご同時 に現はれで凍る・死亡率の減少の奉賀は、猫逸のみならず、欧洲.の他の文明国が、その文化的螢 展の過程に於で、しぱく、経験したことであま︰また呑舟はこの事賓々肯定するに足る十分な 理由をもち得るものである。その反射に、生産率の減退さ同時撃て死亡率の相加は、文明諸国 l l l l       1   −   −   −   −   −   −   −   −   −   −   −   −   I I I I I I I I   、   −   、   −   、   −   、   、       、   −   −   −   −   I I   、 に起った、正常なる文化史的の過程ではなかった亡者へるこだが至皆である.。それは明かに民族 .

lllllllll1−111●lll1−、l1−111iI1−1−−−−−11−111 の肉体的精細的破壊.を意味するものでやり、民族の生存を危険ならしむる諸原因の伏在を語るも のと見ることが出凍る。而してそは民族生物犀的見地かもは、僻に悲しむべき現象である呈耳は (2)hl.fr王rsch,FluChtabtreibungundPr註▼entiYVerkehr.1914101貢 ねばならない/ 。 昏々は文明諸国の人口統計を精査するに昏って、ある民族の死亡率の減退が、その文化的螢展・ によって▼−こくに、その寮術並に祀含衛生施設の進歩によっで、促進され し2) てゐることを皆然のことILで托意せやにはいられない。然るに.我が邦 第二義 ドイツ出産超過 1910 14.3 1860■  9.0 1880 11.9 1890 11.7 1861− 1870 10.8 1861− 1900 】3.9 に於ては、串賞はこれlこ反してゐる。過去三十年間に於て、あらゆる祀含 ∴ 衛生法令.の公布が行はれ、悪疫、民族疾患に封する封策が、伺不十分であ 1851− 1671− 1881− 1801_ る亡は云ふもの1、常局者並に悶畢者の側から、驚くべき熱心だ、速度に よって進められて凍た。而もか1る努力の間に於でも、死亡率は何、依然 ビして増加して、一九一七年には、その最高率に逢したのである。 LJの死亡率増加に関しては、他の横合に於で詳しく卑見を述べるつもりであ・。が..その虎因に ついて自分はこう考へてゐる。即ち、我邦の如く、敬甚在社合組織の極超を綴過せなければなら l l ︳       、       l     ■ l l l l l     1   − ●   . ■ l     1   − 1     1     1       −       1     1   . ■ l l l l     1   − 1 l ■   1   −   1   ■ 一   l l l   1   −   1   ・ − ・ ︳   −         1   1   1   1   、   、   −   、   l l   、   −   −   、   −         −   、   −   1   −   1   1   −   −   1   1 ● 鞍かつ、た民選.は、若しその場合に、\敢食生活に於欄も諸條件の改革が、融合組織の慶蓮だ歩調を 325 わが邦出寅率の社台生物学的観察 .

わが邦出産琴の祀昏生物撃的観察 八 一つにして促進されなければ、その民族の生存は危険に隅 l ▼   ■ l ▼   ■ l   − 1   1   1   1   1   1   1   1   ■ l l l l   1   − ︳   l l l l l   ■ ■   l   ヽ ■ るものである。そして我が国の状態は、正しくそれを貿盃 ▲ ︳   l I   . 1   1   1         1   1   1   1   −   1   1   1   1 − ・ ︳         ■ l l l l l   ■ l J l   、 してゐるのである0 −︳ .1  1  1  1  1  1  1 第二表は燭泡に於ける出産超過を示すもので、これにょ る亡、欄泡に於では十九世紀の終末から、大戦以前にかけ 第三表 日本ノ捷琵超過 で、出席超過が認めらる1、我邦も同じく、出産超過を今 日章でついけてゐるが、七かし二者の含有する意味は異っ てゐる、即ち前者に於では、死亡率の減少が、その出産超 過の現象に、最も重要なる影壁を有するに此し吾が部の掛 産超過は、死亡率の抱へざる増加の傾向の下に於けるもの であったビ云ふべきである。 今、吾邦出産超過の有様を通観するに︵上表︶、一九一三 年に於でその最高に達し、人口叫000に対し二二・八を示 してゐる。それ以後、次第に接少しで、一九一七年には人 .

口一〇〇〇に封し一〇・九を示すに至った。両もその翌年、一九一八年には更に下降して、五・四 主管リ二九二二年に比し、七●六の減少︶一九一九年に至って、また多少増加の傾向がみへる が、一九一七年のそれには及んでゐない。而して一九二〇年以後は国勢調査の影響があるからそ れ以前だ比較することはさけたい。か∼る最近の虎屋超過の傾向が一時的の現象に止ま.るか、は たまた、可及的永唐の性質のものであるかば・、俄かに判断することは出家ないが、自分は、日本 人口の螢展の過程を看るにつけ、過重二十年間にわが民族の上に加へられつでけて来た経済的方 至敢骨的生活の諸億件の重さを宅ふる時、また近代に於けるわが民族心理の一般的趨蹄tトより 利己的誓よ且早業的な生活に封する欲彗それは近代資本主義配合組織完成の過程に生み出さ れた傾向であるビ云へるーを考ふる時、出生超過の積極的増加を期待することはむしろ困難で あかだ考へる。しかしながら・もし購凍・出産超過の増加がわが人口上に凍るものとすれば・そ は必ずや、死亡率の減少による、出産超過の椚極的増加に原因すむものであろふご恩ふ0倫附言 しなければならないこ亡は、一空八年並に一空九年に於け絹出産超過の激減は・その年間に 於ける死亡率の異例になる上昇︵流行性戚官による多数死亡︶によるものである0 鱒7 わが弗出産率の縫合生物拳的軌察 九 .

わが邦出産率の紐禽生物撃的観察 一〇 828 第 四 出産率減少の赴骨生物学的説明 ︵ィ︶ 出産率の経過 そこtで出産率の検索に篭か∼るこごになるのであるが・わが邦の出産率の泊長を大体四期に 昇って見るこ亡か出凍るビ自分は思ふ。 即ちその第一期は十九世紀の末から二十世紀の頭劾二九〇毒︶まで、換言すれば日露戦等 の二年前までであって・この期間に於では、出産率は絶へず上昇してゐる。一九〇二年から一九 〇六年まではその第二期であってtこの間出産率は常に降ってゐも。次で一九〇七年盲露戦役 後二年︶から一九二年まではその撃一期で・胡座率は再び漸次増加し、完二年に至ってむ の最高鮎に捜してゐる。而して第四期は完三年からl九元年までの間を指寸のであって、 この間出産率は漸次萩過しで秀光のである。二九二〇年以後は第一回国勢調査の結果、在務の 静態調査に比し、材料の整理が行はれたため、人口組敷の上に減少を来し、−この減少は同時に出 産率の算出に慶化を輿へてゐるから暫くこゝにはふれないで措く︶ 以上の経過から判定するミ戦雫によ・り起ち得べき人口状態の慶動、特に出産率に影響をもち .

水らす詩條件、例へば、成年男性の多数の死亡、既婚男女の (3)高田保馬最近出生率戒少に就てい 経済論詰第九巻一統大正七年六月 性慾生活の上に鳳へられる影響、及び出征軍人の性慾生活の 不自然に原因する花柳病の蔓延等は、直接民族の量的鼻化を 一 ̄i盲話し◆一32.7−一 年 代l出産率 1921 35.1 1915  33.1 1917  32.3 1918  32.2 1919  31.6 1920  36.2 1922  34.2 凍すに十分であるが、面もこれら切詰條件の影響は.戦甲の 鮨局によっては直ちに憶されない。むしろ戦事後丙三年間持 筋四表 日本ノ出産率.車リ 月エフ 蘭されるこ草を主張するに足る十分なる理由が赤するのであ 年 代l出産率 年代1出産率 1907  33.1 l。 l若 lし ■か −く 1の 、如 、き −戦 −野 −に 1よ ●る −民 1族 1の ●量 −的 −慶 −化 −の −諸 −條 −件 −が ヽな ●llll■ll 1908  83.7 1909  33.9 1910  33.9 1911  34.2 1912  33.3 1913  33.2 】914  33.7 る Iっ Iた 1な 1ら −ば −、 −自 1分 1の 1云 、ふ l第 l二 l期 −の ヽ出 ●産 l率 1減 −過 1期 1だ 1見 ■や lに l、 l か ノ予 l日 lは l十 l九 l世 、紀 lの l終 l末 lか ・ら −、 ■一 l九 ■二 l年 lま lで 1増 −加 1し 1っ −t 1、●.1−111一けた 人 lあ lろ ・ふ lと l考 lへ lる ■。 l即 ・ち ●こ ・の l期 ・問 lに l於 ■け lる l出 l産 ■率 lの l減 l退 、は 1. .−.1−11.1.1 1899  31.3 1900  31.7 1902  32.9 1903  32.0 1904  30.6 1905  80.5 1906  28.9 1901  33.1 で 1見 ■的 lな ll l時 l的 l萩 l少 ■で ■あ −っ −た 1ビ 1云 ■ふ lべ lき lで ヽあ ●る l。 ■llllヽ● 外 ′\ .高田︵保馬︶博士は、一九二年以後の減少を点て﹃反動的 な人口向後過程に次いで起る自然的な現象下ある﹄ぴご観察 してゐるが︵現在もやはりこの葛へを持ってゐられるかざふ 829 わが邦出産率の縫合産物撃的軌察 一一 .

汀が邦出産率の政令生物撃的軌察一一 〓l かは知ら老い︶・この鮎美トて自分は疑問をサつでゐ告示与九二〇年には国勢調査が嘗摘草 汀、∴その結果・由産拳も外見的な麺化を受けるこ■亡になり、著七ぐ上昇J三一六三㌢な 、つたが.1 / 一九二右には三五・丁呑丈更に一九二二年には三好・.二に減少してゐ各所から見もむ、出革 率は国勢調査以後の二三年間にも相不鼻碗少の傾向をもって進んでゐるご見 て差支はない。 出産率■ 31.4・ 32.8L 32.2■ ・一一一▲ 33.7 併しながら、−似上の如き各年の比較は、出産率の上に働いてそれ々上昇 し或は下降せしむる諸種の特殊な事情に左右せらる∼■ことが可なう多い○故 桝や冠が ∴1904⊥190g 、.1909二/1913 了1899−1903 .1914−1918 .年代苺五年 に今一八九九年から﹁九一八年に至る二十年間各五年毎の牢均を見ると第五 表に掲げ尭通わであもこれによる最近の出産率の披少はそふ著しくは■な い。これを以てわが邦の出産率は最近拭少の傾向を示してゐる三方ふこども 質は困難冬をJだⅥなるのであノる。、 以上の如き情態でサ£ユして、わが劇に於け古詩畢者の∵最近出産率嬢少に関する見 紗▼い﹂ 偶は各?自重して結論を急がない状態にある。而してこれを欺洲諸文化民族が近き過溝に も.つた l l l   ■ l l l l I   ヽ ▼   ■ −   1   −   1   1   −   −   −   −   1   −     −   −   −   −   −   −   −   I I I I   −   I I   、   、   、   、   − ■ ︳     l ■     l .

高田博士は﹃惟ふに本邦現時の出生率低下は未だ之れを欺洲諸国の出生減少と比すべきものに非 ざるペし﹄軍云ふ統計局の見解に賛同の意を表し、高野博士も﹃わが邦に出産率の減少が晩にあ (4)本論文〔わが邦出生率に就いての諸家の説明〕の項参照(15−17真) らはれたど論する人もあるが、まで俄盗日定することは出水ない﹄ひど諭する。 併し、要するに、出産率が最近十年間多少の減少の傾向を以て進んで水たことは事賓である。 そして、これが果して一時的の現象であって、近き丼凍再び増加するのであるか、或軋伺減少の 傾向を持積するかの推定法各々典克って凍る。だがそれ彗換言すれば・欧桝に於ける最近の出 ぴ)九l血1恥祀GQbu−ten一触毎卿唱19は184文 産率減少を惹起した原因が、日本融合を襲ひっ1あるが・また丼に凍らんだするかにょつて・諸 家のこの問題に封する老寮は確定されるのである0 ユーリス、タオルフ︵・盲。払W。︼r︶によるミ冒本に於では、.欧洲文明諸国に於けるど・各 く反射の現象を見るのである。出産率の相加は驚くべきである。一八八〇年の軍都に於では約二 五であったものが、最近には=壷に通した、即ち約四〇房の増加である0両も日本に於では死亡 率も同時に上昇・してゐる。であるからして、日本の出産率の増加は・驚く可き短時日問に■、人口 の増加を水芸しめたこミ由に四千百寓から.五千一百高である﹄び 而も彼は陶ゼームス、エドモンド ︵J昌誌巨星・d︶・の言を引用してゐるが、それによるミ 831 わが邦出発率の社食生物学的取黍 .

わが邦出産率の祀禽生物撃的観察.                        一四 2 3 .  3 ﹃か1る状態に於ける日本欄、百年後には、二億五千番以上の人口を有することにな右﹄ぴ ビ去 ふのである。                                ′ (7)GT叫品n,KauP.汀andwGTteTbuclld.Soヱhknhygiene1912・が0文 ・更にプリン.チソグ ︵PL11㌢g︶ も亦、その著書に於で日本.の出産率に言及してゐるが、彼にょ る亡、﹃出産率の増加に関しては日本の如き格段なる地位は、むしろ著しい徽侯だして見なさね ばならない﹄び三石ふのである。けれども自分は思ふ、これらの凡ての欧洲の学者の漁言は、今 日では最早信することが出凍ないほざに、わが民族の状態は鼻化した、而して青々自身も、.考へ l     ■ l l l l     ■ l     ■ l l l l     ■ ︳   − 1     1   . 1     1     1     1     ■ 1       . . ●     1   . − ●     l 一   l l l     1   − ︳     l t − . 1         . 1     1     1   . ■ ●     l l l l l l 及ばなかったほざの壌度に於で、敢含生活の諸條件は鼻化を飴義なくされて.茶托のである。曾て ヽ ■   ■ l l l ▼ + l ︳   l   ■ l l ●   l l     、     ■ l   ■ l   1           −     1   1   1   . 1   1   − 1   1 1   1   1   1   1   1   . 1   1     −   . 1   1   1   . 1   1 一   l l l l   ■ ︳         . 1   1 l l l l l l l l l   1   − 1           1   − 1   1 1   1   ■ l l l ︳   l l l ▼ + l ︳   − 1   ■ l   ▲ ▼   l l l l   1   − ︳   l l l l l l l l   ヽ ■ てブリンチン〆、ウオルフ.ゼーイスをして驚異せしめた出産率は、今吾皐をして全く異っ花立 場から、而も新らしい人口問題の研究力針へ向はしめるこどほならつゝある如く考へられる。即 l     1   1 ︳         l l l ●   − 1   1   ■ l   ▲ l l l   ■ l   ■ l l ●   l l − . 1   1   1   −   1 ●   − ︳   l l   1   − 1   1   1   . 1   1   1   1   1   1   1   1   1   1   1         1 (6)J.Wort.op cit・184耳 ちわが出産率をして彼等の云ふが如く上昇せしめるモメントは最近大いに減殺されつ1あるので 、   、   1   −   −   、   、   l   ・ −   I I I   1   −   −   −   1   −   1   1   ・ −   1 ▼ + − −   1   1   1   1   1   1   1   ■ l l l l l l l l l l l l ・ − 、  、 一    一・・− − 1 − 1 1 − − 1 − 1 − 1 1 1 1 1 1− 1 1 1 あ/ノて、こヽに又自分の論述の粛心が構ってゐるのでめる。 ︵P︶ 最近出産率に就いて町わが邦諸家の説明 一体人口問題は、わが邦に於ても仲の欧洲諦観の例に漏れず、その研究はまだして露済尊者乃 .

至統計学者に上ってその儀緒が附かれた去ってよい。而して人口問題に合せるゝ藍墨物拳的 性質は全く閑却されて今月に至ったのである0経済畢考が・人口現象を以て・社食絃臍撃的乃至 融合撃的方別に支配さる1現象だして∵−れを取扱って黍た如く・昏々昏学者も了1れ竺何の 純然たる穀倉生物学︵SOをbi身亘の法則に支配される現象だして・その研究に従はねばなら なかったのである。が、悲しいかな、それは多くを孝されなかったのである0 自雷前節に於で完が邦の望率の宝の大嘗祭て・そが減少の傾向ましてゐる署 指摘した。故に自雷∴し∼に出産率を左右する晶めらるL諸條件の検索に入って、その原因 を探って見たいキ思ふのであるが、それに先き立ってー今日までになされたるわが邦出生率に関 するわが邦語畢者の意見を簡単に述べるこ亡は、自分の諭旨を吻かにする濱に必要な串であるO ︵イ︶高呉保馬︶博士、は﹃最近出生率減少に就いて﹄ぴなる二論文に於いて、わが国の人 口状態が、普悌戦役後の狗逸旦同様なる立場にあるだ覆し・西欧に於けるが如き出生率械少の (8)高田保馬 前出 金森近きにあらと云った二階堂保則氏の所詮に射してt且の意見を述べてゐる0それによる ミ明治四十左乃至陶四十四年へか.けて高率であった出生率が、その後の五年間に引き預き 低下してゐるが、この出生率の低下は、果して近世的意義を有ってゐるのかざふか、即ち西欧 333 わが邦出産率の吐合生物蛍的親祭 .

わが邦出産率の祉含生物壁的観察 一六 に於けるが如く人馬的制限の結果であるかざふかな明かにLやうど企てた。而して著者は婚掴 ;㍍4 率ご出崖率との相関関係を∴或は各国的統計の上から或は大中都市の上から観察してその間 に著しい並行状態を認めた、だが出産率の減少は婚姻率の減少を以て、荘接の原因l ビするもの / でない。即ち若し出産率の増減の結果が、婚姻率増減の結果であるならば、婚姻率の樹液正一 年だけ後れで・出生率の増減が現はれる筈である。然るに二者が並行する所から寮するミ近 年の出生率の慶動は、決して婚姻率慶動の直接の結果ではない七断じ、更に著者は、出生率も (9)二階堂保則 統計集誌第四旨六十七競 婚姻率も凡て経済的景気によっで左右さる∼ものであるから、婚姻率だ出生率己が並行するの は常然七ことである。わが邦に於けろ現今の出生率の披少Jでゐる状態は・、一時の躍蹄的景気 に促されたる状態であって、歓別のやうな原因によう町ではない。 ︵こ■ご監㌫訃氏、はの﹃出生率に就いて﹄なる一論文のなかに・出生率を左右する原因は 第一、姫孝可能年齢婦人の敦、第二∵有配偶婦人の琴夢二、文化の程度、第四、緯度の高低 殊に気塩ビの関係、の四着が重要なものでかるとしーわが邦現在の出生率萩少の原因は、以上 の四着のうちの,ぐのいづれかが働いてゐるのであって、たぐの偶然的な一時的革質ではないで 主張する. 。著者は更に進んで、前記高田博士の見解に対して論駁を試みてゐる。即ち、日本に .

於ける目下の出生率減少は、一時的な経済関係に促された結果である±云ふ高田氏の議論を批 評し、それむ一つの原因ではあろふが、それよりももつと重大なることは、日本婦人の平均婚 姻年齢の高くなつたこ亡、及び婚姻率の低下が重要戒さるべきものである。 ︶ ︵〇 高野︵岩T二郎︶け博士は最近﹃アドルフ、ケトレーだ唯物蘭的見解﹄なる一論文のなか (10)高野台≡臥大原吐合問題研究所壮誌 拓一巻第一読 に、敢骨現象には一定の親梓の存在するこ草を論じ.その親律は、不陸性のものでなくして、 徐々に慶化するものである。々は自然的及び融合的の∵般原因が徐々に鼻勤するに困ると解紆 するの外はないだ云ひ、わが邦出生率に言及し、そが数十年来寧ろ漸増の傾向をさへ毒してゐ るのであつたが.近凍我観にも亦.出生率低下の勢が既に戊はれたど諭やる人もあるが、まだ ′俄に首肯することは出水ない。但し、出生率を低下せしむべき虎因︵その重なるものは、家計 の形成及び維持を困難ならしひる社食経紆状態︶が著しく有力に働くやうになっただ認められ′ るから、出生率低下の状態の我国に現はれるのは.必ずしも速くはあるまいど考へられる﹄と 以上は、今日までに出産率に就いて諭せられたま妥なる文献である。それによると、みな大体 に於て、わが邦出産率の減少は認めてゐるのであるが、それを一時的現象とするか、購叉、近世 的な、欧洲諸国に見るやふな可及的永綿的な現象と見るかに於七は典論があるのである。 335 わが邦出産率の社昏生物撃的観察 .

わが邦出産率の放骨生物学的視察 336 ︵ハ︶ 民族の年齢構成と出産率 そこで愈々自分は弘達率減少の諸條件の検索に入るのであるが・先づ第一にわが民族の年齢構 成を槍べることにする。そして姓孝可能年齢にある婦人の教と出産率虻の間の関係を明か上しゃ ぅビ企てるのでぁる。 次の数字を見る三八九八年から一九一八年まで、〇歳乃至十五歳所謂幼年年齢階級は漸進的 に樹加してゐる。,﹂れは人口の自然増加に伴ふ現象であって常然のことである。だが吾々の忌る べからざるこ亡は、乳見死亡の世乳的高率が伺且っこの現象の背後にあることである。次に注 意さるべきは.姫孝可能誓叉生活能力の最も充質したる年齢階級、即ち一五乃至ハ〇歳の比率 が、大体咋於で漸次的狭少傾向にあるこ亡である。而して高年齢階級の増加は、その階級に於け る死亡率の減少に辟囚するものであろふビ考へられる。それビ反射に.姫孝可餞年齢階級の減少 は、主ごして死亡率の樹高によるのである亡者へてよいご恩ふ。しかし死亡率lこ就いては・次の 横合に述べるつもわであるし、何、且、出産率に直接影響ありだ考へられるのは、全人口の年齢 構成まわもむしろ、姫孝可能年齢期にある婦人の教によも多く関係する▼㌻﹂二階堂戊の詮かる − .

る通りである。 けれども、盲ニーに云っておこう竺思ふことがある0それ Lll)石原修衛生学上より見たる女工現呪大正二年国家冒草色葛行 3 ・ は、最初ほのペたわが邦血合就態の慶化ビ関係があるこ亡である 570 . 88 . 0. lOOO . 3札 0 7 0 1918 0 虻ら簡単に述べる次第であるが、大産業組純の導入と中年死亡・ 0   4  7  1 9 Ⅰ3  8 m   封 9. 562.  ̄  0 . 0 _ 1000. n ことに結核死亡との関係である。︵第七衷塵讐 l ▼   ■ l l I   − − − − −   1   1   1   1   1 第六表 人口ノ鮮即諾成 2   この統計の示す所ではー肺結核死亡者の男子は七二〆女子に於 2  6  0  1 9 0 8  3 42. 572 . 持 . 0. 1000・ では七五〆は生活能力の盛んなる、叉増舶力保有者である0而し 2   0   8  0  −1 9 0 3  334・ 5S 3・ 82・ 0・ 1000・ 0 てかくの如き、人口の中堅をなしてゐる年齢階級㌧殊に増殖可能 年齢に於ける男子、ことに女子の結核死亡の高率が近代的都市の 3  5  1  0 ・1  1 8 9 8  田 8・ 58 9・ 82 ・ 】0 0 0 ・ 0 出現及びその膨脹、或は赦骨組紐の大慶菜化から引き起される・ 経済的融合的事情の漸進的慶化を内容とする、融合生活の慶動に 0 − 15 エ5 − 6 0 椚 以 上 明 よるものビ考へるならば、そは民族衛生上の重大なる開田であ 不  る0 石原︵修︶P博士は、﹃工場凝結者の死亡はそり過等教が結核性 337 わが邦出産率の政令生物轟的勘察 −九 .

・ わが邦出詮撃の社台生物撃的観察 粥 の小 ′ やた津 ・−_〕 一一■一 ̄ ̄ ̄ \ 一、 .

挟愚にこ因ること・並に工業に従事せしものの死亡尿国中肺結核によるものは、死亡者千人中三九 八人である。而して同年齢の一般死亡者中肺結核によるものは最も多きも三四〇飴に止まる、で (le)拙著 社台紆生撃上に於ける捕紅板宿 怪事公論 大正十三年六月 あるから少ぐとも千人につき五〇人は工業の鰯廟王肺結核にて死亡したものである。工業に従事 した一9ものゝ結核又はその疑ある疾患によるものは七割であるが、同年齢の一般死亡者は、結核 叉は其の他結核の疑ある疾患にょるものは極端に過大打言見積をなすも六割内外に止せるから、 T菜に従事せLものは、一般に比し結核又はその疑ある疾患にて死亡するものは、少くども.一割 以上である﹄ご云ってゐる。 その後工業に於ける健験増進に関する知念の進歩、諸施設の増加は、或はこの石原氏の主張を ある程度まで緩和し凍ったであろふ。そして又一方、社台の産業化は結核の戚染及び倦括に対し l l l   1 − − − − − − − − − − − − 1 − − −   − − − − − − − − 1 − −   − − − 、 l I I 、 、 、 ての三ノントを奥へるものであるとともに、社食組織の産業的進歩は、同時にその文化一皆も促 l l l   1     − − − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − 1 −   − − − − − − − − −   、 、 、 、 、 進せしめ・経臍生拓の一般的向上字つながすものであるから、赦食の産業化する所、結核の倦括 l l l l   1 − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − −   − −   − − − − 1 − − − − − − − 1 、 ・ 、 が必然的に伴ふものであるだ葛へることは正皆でないー。だが、職業階級そのもの−こ結核を誘螢す l l l l l l l   ヽ   l l I I I I 2 − − − − − − − − − − − − − − − 1 − − − − 、 、 、 − − − 、 べき政令的素因が存在する以上口疾病誘教の危険は依然どして国民生活を襲ってゐるのである。 839 而して一方工場に螢働する婦人の.政は常に増加し、一九一八年には百番を超へてゐるビ云って わが邦出産密の社台生物撃的軌察 二一 .

ゎが邦出産率の整墨物撃的観察                 二二 (13〕拙著「乳見死亡の組合的原因に関する考察」中「産業主義と母性」の項を よい.同年に於ける娼孝可能年齢婦人の数は二二四八房五九七人であるから、大約姫孝可能婦 別0 人会教竺○〆が産業に垂加して雪のであ㌃、而予1れら婦人の約字数が未婚乃至二十五歳未 満の婦人であって、圭として.繊維虚業に従事し、一日中均九乃至十時間の穿役︵十年以前には 十二時間︶に服し、加ふるに花菜の苦役を静めでゐる0 かくの働き婦人生活の鼻化し凍った状態のもどに、こゝに多数の労働婦人階級の教生ごな㌔ 、 、 − − 、 I I I I − − 1 − − − − −   1 − − − − − − − − −   − − − − − 1 − −   − 1   1   ヽ   l 上記の如き生活傑件から凍る生理率的危険並びにその害意は、月を迫ひ年を露で・益々深く民 、、、l l 1−−、−、、ヽ l I I−I I I I I I I I I 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1  割ノ 族の女性、ことにその本質たる母性の中に侵入したと考へて先づ誤はないでゐろふ0−1而して他 方、姫率可餞年齢にある婦人の教は漸次戒少の傾向を以て今日−こ及んだのである0だが・.姫率年 齢階顔にある好人数の減少が1果して上述する所の、産業に於ける婦人の垂加並にその害悪に辟 (14X16)J.W01Pop.eit. 囚Lでゐるか否かは何軒虜の一能地がある0カクツ盲︵ロ互阜この云ふところの﹃近代の経済的 参照されたい。 ヽJ 螢達は文化民族を肉体的進化に導びくなる事嘗空けカール・マルクス︵戸夢r且の云ふ所の﹃資 本主義生座がいかにか速かに・また・いかに深く、由民力を根こぎにしたか0また産業に垂加す る人軌の過化が、掩わず田舎から吸収される健傭なる生命要素にょつてのみーいかに戌和されて ︶ ゐるか﹄けなる革質は、わが邦近代の鹿骨組織に於でも・十分に研究され論究されねばならない ■ .

娘率年齢期間にゐ㌃好人数の減少が・カクッキー・及びマルクス呈張する 8nU 191抑 も如き、近代癒合あ大産業品因するか・はたまた、他の蛋生物学的の條件に 左右されで雪か、それは自分ゐ今の玲究の主管はない・が・⋮角我が邦の 15歳−50読 247.3 243.0 239.0 238.4 誇八束 人口1000中二於ケル妊孝可能女子 1898 1903 1908 1913 地学可能年齢挿入歌は上表の如く超過してゐる。 即ちこれによる亡、姫孝可餞年齢にある婦人の数は、完九八年以釆減少の 傾向慮ってゐる。而して完−八年には︵二十年間に︶人芋につき一〇人 を披じてゐるのである0 そこで、今自分の讐よムヒする主題は、以上のやふな姫率可能挿入歌の減 少が果して出産率披少品等かの閥係が雪か芸ふこ妄ある○而して叉嘗 際、こら二者の関係の存在がわが邦に於ても往々主張され凍ったのである〇 日分の考へでは、著しも二三の鞄膚の主張する如く、姫率可能年齢婦人の敦 の減少展で、直接間語、出産率減少・亨に現今わが響於ける出産率減 少傾向の原因ざ見なすならばlわが出産率減少の傾向はもつ昌期に現はれね 341 ゎが邦出産率の統合生物学的観察 / .

わが針肇の詰生物学的観察              二四 ばならなかった筈である0しかるに革質はこれに反し、梶田的要素が眈竺八九八年乃至九〇 342 三年の間に乳はれで雪にもか∼はらす・その結果は漸く完一二年に現はれ、その間十年の歳 月がへだてられてゐるのである。 かくの如き出産率及び姫孝可館年齢挿入歌亡の間に於ける非並行関係は、亡くにわが邦に見ら る∼のみではない・既に欺訓Iの畢者のうちーこも、これを認めてゐる人がある。即ちウオルフの云 ふ所にょるご﹃歓訓に於ける、ほどんで凡ての文明国に於では、人口に於けち年齢構成は、出産 (17)山崎正喜 近世産祐筆 前編 79・81・82支 数が増加冨莞さねば琶ないやうな状態に鼻化して禁のであるが、而■もその多くの国に於 では、出産率の減少が見られ空けのである0疏ってわが邦の状況を見るミ前述の通りで.出 産率ご人口に於け卑年齢構成品並行関係義明する根警しては・甚だ薄弱である芸術関係 (16)J.WolLop.cit・10貫 l l l l l     1 − − − − − − − − − − − − − −   − − − − − I I − − − 、 、 、 ぎころではない、この両者は・各々異なる鹿骨法則に支配されて、白濁な鼻化を来してゐるもの l l I   −   1   −   −   −   −   −   −   −   1   、   、   l でなかろふかご考へられるのである。 ヽ■.ノ 備考山崎正喜将士いの記載によると、日本橋人の月経初潮や高田、楠田、演出、呵木下、緒方等の諸研究の結果を組合 し、十四歳の後半期である0文具婦人閑鮎期は片⋮博士によれは四十七空ハヶ月、榊博士によれば四十五聖ハケ旦 山崎博士によれは四十六年七ケ旦てある0そしてこの三氏は各ケ堅摺機能成熟期問を計算してゐる。即ち三十二転四ケ 月︵片山︶、三十一年︵榊︶、三十一年八ケ月︵山崎︶であろ。 .

以上の瓢から判断して、日本痘人姫卒年齢の両端を、十五歳と五十歳にとってゐる、内閣統計局の統計区分は茫鴇を得 たものと見ていゝ。 ︵一二 婚姻率ざ出産率 次に凍る蚕要なる要因は、婚姻率の高低だ出産率亡の関係である。︵註、わが邦の婚姻率疲計 を以て、赫姻款を示す正確な標準とすることはいけないかもしれない。何故ならば、賞際的には .立振な夫婦だ認められながら、婚姻の法梓的手順がなされないために、婚姻教の上に掲上されな い所謂内線の夫婦関係があるからであるPだがこれは戯計そのものゝ不備ではなく、現在の状態 では如何七もすることの出灘ない不可抗の欠陥であるJ 婚姻率の高低と出産率との関係については、今日まで諸撃者によって施灸議論されて来た。近 くはわが邦に於ても二階堂﹂高呉保馬︶両氏の問にも起ったのであるが.前者がその因果関係の 存在を主張するに反し、後者は並行関係は認めるが因果関係は現状に於では認むるこそが虻凍な い。若し直接的な因果関係があbビすれば、婚姻率の高低に一年後れて出産率の高低があらはれ るであろ与主;てゐる。 このうち、高田博士の主張に欄大体自分も賛成せねばならない。だが、隠士が労し直接的な因 313 わが邦出産率の鉦昏生物撃的観察 一重 一 .

わが邦出産率の鍍含生物学的観察                       二六 県関係があこソビすれば婚姻率の高低に一年後れて出産率の高低があら 3・14 はれる筈であるピ云はれるのは、たで.もにそれに賛同することは出凍 − 0.43 −1・02 +0.68 +2.62 −0.58 −1.08 ないO. しかも今日までに、この方面の研究に従事した諸革者例へば、オル 各五年間 デyブルグ、ブレンサーノー、ブヅず、及び国辱者側に於ける■ヒルシ 婚姻率 出産率、死産ヲ含ム) ュ、〆。−トヤーン等の諸研究は、みないづれ八この雨着の無影響 第九衷 諭に締着してゐる. 。即ちタオルフは、その昔に於で述べて云ふには、 人口1000ニ付キ ﹃狗泡に於ては、・日下の所、婚姻率そのものは、出産率に封しては、 ほ亡んで影響がないやふに見わる。叉欧洲諸国に於ける人口の年齢構 (18)J.lVom op.〇itlO貢 8.42 7.99 8.67 8.09 成に見るも、そはむしろ出産率が増加しなければならないやうに鼻化 して凍てゐる。而も最近十年間に於ける出産率の減少は、・フ一マッス、 1913−1917 1898_1902 1903_1907 1908−1912 年  代 ィタブーの如く.婚姻率が減少せず、むしろかへってそれが増加せる 図にもこれを見たのである﹄だ。P即ちこれによれば、香車は、婚姻 率の出産率の上に及ぼす影響を否定せねばならなくなるのである. 。 .

然らば、わが邦に於ては.如何であるか。 第九歳に於ける両者の関係は、一見、 二者の並行関係を是認せしめるやふである。即ちそれら の埼波は、比較的規則正しく見わる。けれども、 自分はこの関係をより精密に検ぺるために、過去 二十年間の毎年の滑長を見やふご恩ふ。 第十表の数字に願はれる所を見ると、大体に於 第十表 姑姻率出産率毎年ノ比較 .て、或はその増減は相並行してゐるだま重し得る かもしれないがlしかも昔々払、反射に、各々こ の両者の関係が反封せる場合をも教へ乙こ.亡が出 凍るのである。高田博士はこの両者の相関係数を 求めて、並行閲係が﹃認められるであろふ﹄と云 ほれてゐるが、例へ和関係数が、その確か.らしさ ビ証するにせよ自分には備且っその並行性を倍す るこ草は出凍ない。その理由だして吾々の注意す 345 わが邦出産率の悲合金物堅的親祭 二七 .

わが邦出産率の鑓禽生物学的勘察                        二八 べきは、先.つそれらの城少の度合である。婚姻率の最高なるは一九〇八年で、一九一九年に至る :ト1−1 までの問に、人口千に一つき〇・八二の減少であろ。出産率︵死産を合む︶の最高は一九〇九年であ って、一九一九年だ比較する亡、その減少は人口千に就き二二・〓である。即ち、前者の減少 の皮は、はるかに後者に及ばない状態にある。 しかのみならず、今これをクオルフ.の畢げねやプロイセン の例に比するだ.第十一表の通りである。 ほヲ含ム)坊姻李 巳産を含む)婚姻率 37.11    8.77 33.96    8.58 37.2      8.6 31.5      7.8 プロイセり′に於ける十年間の婚姻率の低下は〇・八である、 軒 ̄去月歪霜緑蒜謂姦 人口1000ニ就キ 人口1000ニ就キ 而してその出産率の減少は五・五を示七でゐる。即ち前者の 拭少の度は、やはむはるかに後者に及ばない。 (19)J.Wo蛇0p・Cit・S・19 わが国に放ても、今仮に﹁九〇九年から山九一九年までの 9   9 0  1 問をごつで凍ると、又タオルフの奉げた結果だ大体に於で相 9  qU i l 一     l 一致する。 本 日 そこ.でわが邦だプロイセンの革質七を比較する亡、婚姻率 の低下の度に於ては、大差はないが、他方出産率の減少には .

鋸7 第十二義 各国姶蝦率卜出産率トノ比較 わが邦出産率の敵合産物撃的観察 国  名 婚姻率 出生率 ド イ  ツ 8.5   36.8  17.7   30.7 オーストりヤ 8.2   36.1 7.6   33.3 ハンガリー 8.9   40.1 8.6   36.4 フ ラ ン ス 7.7   22.4 7.8 . 20.5 イ ギリ ス 7.6   28.2 7.2   25.1 ス イ ス 7.7   29.6 7.3   25.8 イ タ ワ ー 7J2   34.4 7.8   34.7 ベ ル ギ ー 8.6   30.3 7.9   34.8 オ ラ ン ダ 7.6   33.0 7.2   39.8 ヂンマルク 7.6   30.5 7.3   38.2 i8・8(1909)37・7 8.1(1919)34.0(1919) 日    本 l7.7(1900)礼8、1900) 8・7(1010つ36.0(1910) 婚姻率の低下ざ生産率の減少亡の並行繭係を見る 異のあるこごをも托意せねばならないのである。 せるほもかゝわらや、後者の増加せる場合をも敦 年から一九一〇年間に於ける両者の関係は、土着 されてゐるので填ない▲、その間に可なら大きな差 かもその増減の割合は、軋る一定の割合を以て示 ことが出凍る軍同時に、その反封に、前者の低下 の並行が主張されるはぎに単一なものではない。 造かに少さいのである。 於ける出産率較少は、プロイセンに於けるよりも へることが出癒るこ旦別掲の例旦同じである。し 可なりな差がみどあられる.・換言すれば.日本に 即ち..第十二表の各国の例を見るビ二九〇〇′ 更にこれを、欺洲諸国の統計ビ比較しやう。 二九 .

わが邦出産率の社台生物蟹的取察                   ≡O l l l l l   1   − − − − − − ・ − − − − − I I I − − − I I I I I I   1 − − − − − − − − − − 、 出産数が嫡胴歌に件ふべき皆然の結果であるビ云ふこ亡は信じ得べきこ亡であるかもしれな 348 い0だが、それは・吾カの結鰭生活の開始︵忘夫婦間の生慾生活の開始︶がたぐちに正直に増 l l l I I − 1 − − − − − − −   − − − − − − − − − −   − − − − − − I I I I I I I 、 、 、 、 苑lこ影響する三雲前提に於で、信じられるこ亡であを。而して文明諸国に於ける人間の生活の l l l l I 1 − − − − − − − − − − − − 1 − I I I I I 1 − −   − − − − 、 − − − − − 0 − 現状は、決して性慾だ増殖慾孟同時性の上に街はれてほゐない。﹃檜殖カの人袋的制限﹄Pは、 l l l l l l l l − − − I I I   1 − − − − − − − − − − − − − − I I I I 、 、 、 、 、 今や正に諸文明民族に可なり虞き範囲に於て賓行されつ、あるといってよいのである。 (20)本論文、第六、「一般教育の増進と出産率J参照 自分は以上述べたる理由によりt出産率が直接に婚姻敦に支配されるだ云ふこご、即ち雨着の 並行詮を是認するわけには行かない。而して欧洲諸国にこ於ける既往及び日本億近の出産率減少を 以て・婚姻率の低下から直接に影響された.ものである己説明するためには、その諭掟が甚だ持弱 l l l l l l l   1   −   −   −   −   −   −   −         −   −   −   −   、   、   、   、   、   、   、   、   、   、 であるご恩ふ0否むしろ、以上述べるが如き諸.点から見ると、﹃出産率童婚姻率とは各々自洞の l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l I I   1   − − − − − − − − − − − − −     − − − 、 、 方向に向ひっーあるも換言すればそは相異なる秤々の法則のも亡にあるものである﹄と云ふべj であらうご恩ふ。         . l I   . ︳     l     ■ ︳   . 1     ■ l ︵ホ︶ 女子婚姻年齢ご出産率 証魯衛錐毎上lこ於ては、出産率を左右する條件として、婚姻するもの1竜齢.特に女子の婚姻 .

年齢は、一その婚姻敦よりもよら多く重要なものである。 前節に於で既に述べたる如く、文明諸国に於ける現在の出産率は、直 25以下 25−29 30−34 35−4445以上 男子婚姻年齢l3・50  3.25 3.02 228 1.10  ̄女子婚姻年齢】5.53 4.48 4.11 2.93 1.糾 接婚姻率の影響受けることは割合に筈いやうである・そし孟今に 20以下 20−25 25−30 30−35 35 於ける日本の出産率液少傾向も、婚姻率からは十分に詭明すろこ亡が出 第十三表・男女賂姻年商け子女敷トノ脇侍 (21)(221Scllallmlアel・VeTerbungunbA由Ieso・201▼202文 水ないこ呈越の通名あるつだが婦人の婚姻の年齢は、婦人の姫率率 1 − 、 、 − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − − − − − − 1 1 1 1 に重大なる意儀をもってゐるものであって・・ある一人の婦人から期待さ 、 1   − − − − − − − − − − − − − − − − − − 1 − − − − − 1 1 1 1 れる、子供の賢、その婦人の結婚の年齢並に夫婦関係持肇期間に右左 せらる1ことは、自明のことである0而してこの際・男性の婚姻年齢彗 、 1 − − − − − − − − − − − − − − − − 、 ▲ l ▼ ■ − − − − − − − 1 1 l 、 I I − − 1 − − − − − − − − − − − 1   1   1   1 女子の婚姻年齢ほざは重婁威されるものではない。 それは男子に就いてのルービン︵R家−︶及び三スターゴード︵We・ lノ 吾g⋮d︶鰐の研究並に女子に就いてのペック︵冒ckF︶岬の研究によっ て明かである。︵第十三敦盛照︶ こゝで盲しな労ればならないのは、か1る論議の際にュく引き合ひ に出される、申均婚姻年齢に就いてぐある0年均緒姻年齢の高低は映し 349 ゎが邦出産率の祀昏生物撃的観察 .

わが邦出産車の縫合生物撃的親察                     三二 l l l I I   1 − − − − − − − − − − − I I I I 、 − − − −   − I I − −     I I I − 、 、 、 、 、 、 て出産率の高低に封しての原田的要素をなすものではない。何だならば﹂卒均婚姻年齢に影響を ;追0 l   ヽ   I I   1 − − − − −   − − − − 1   1 − − − − −   1 − − − − − − − − . 、 、 − 、 l 、 、 、 、 、 及はす事項のなかには・姫孝率の最も高かるべき、最も若い婦人の塙姻、並に姫率率の最も低か l l l l l l   −   −   I I       −   −   −   −       1   −   −   −   、   、   、   l   、   、 るべき高年婚姻婦人が、最も強く、卒均婚姻年齢の算出に l l l l l l l l l l 影響されるからである。 15_20 20−25 25−30 30−35 4   9 一 7   ︹ 0   8   0   3   7 q︼ 1 0 n8 5 6 7 7 7   7   7   7   6   6   6   6 わが国に於では平均婚姻年齢が埠加Lで凍たことは確か (23)秋元巻二 日本婦人科孝雄誌第十三巻 第六眈 第十四衣 日本女子年齢別格姻率 である。だが前述する通りの瑚由で.出産率との関係を諭 482.2 155.5 434.8 159.4 435.7 155,5 416.7 162.1 418.7 159.9 420.5 162.2 410.2 163.2 430.8 155.6 する場合lこは重要なる慣伍をおけない。そこでこ,に各年 (24)山崎正室近世産梯撃前編 8痕 齢に於ける女子の婚姻率を見やうど思ふ。 今日までの日本に於ける文献に散するに﹂四四結婚年齢 818176m72 965856 222q一2222 ざ初姫との関係に就いては、二十歳乃卓二丁十五歳の間に結 4 −hU 6 7 1  1  1  1 9 9 9 .9 1     1     1   ■ l 婚せるもの最も早く娃娠し、一七歳未満の早婚者は、其の 姫孝期間稀遅く、叉二十六歳以後の晩婚者にあつては.た だに其の期の早くないのみならず、往々不姫に了もものが あるビ云ふ。今前表に見るに、二十歳以下の結婚者は漸次減少しっゝある、また二十五歳以上の .

晩婚者はごれ莞減少の傾向票してゐる0而して専門芸の云品の、即ち・一母たるべく最 も適普誉時機に於ける結婚、婚警掌る最適.の年齢・換看れば姫率に好都合なるべき三十 歳乃至二十五′歳に於ける結婚は逐年若しでゐるのである0両し高附加すべきこ孟・十蓋 乃至二十歳の女子の婚姻教の減少は、−般毎均婚姻年齢呈昇嘉へ告で、きしで書年に ・於けるの婚姻敦の減少仁影響されてゐる0即ち早婚の風習が書の普及、婦人の雷の増加・其 の他の露的掬係によって漸次その雪をたつに至ったものだ薯へることが重富である0だから して、以上の統計的翌月からして、二十歳前後乃至二十五歳に至る女子の婚姻教は漸次増加して 凍セも一〃ご考へるここは重富であえ?フ。 、 1 1 − − − 1 − − − − − − − − − − − − −   1 ニ ー − I I I I I 1 − − − − − 1 1 1 1 1 かゝる傾向から見るミわが邦書婚姻年齢は・大体に於て出産率品警べきやう芸向に 鼻化し誓推断し量文はない晶ふ0換亨れば・わが要子の痔姻年齢は1豊率品進せ 、 − 、 − 1 − − − − − − − − − − − −   1 − − − − − − − − − − 1 − − − − − − − 1 1 1 1 、 、 − 1 − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − − − − − − − I I 1 − − − − − − − − 1 1 1 し忍ば苦ないやうに慶化して来たのであるが・しかも音標に於では出産率は絞少しで警ゐ るの芸も1。故に菅は、女子婚姻年齢の歪かムも・最近の出産率波遽傾向に蹄して十雷詭 、 、 l − I I − − − − − 1 − − − − − − − − − − − − − − − − − こ 、 I I 、 ■ 1 ▼ ■ − 1 1 1 −   、   −   、   I I I I I   、   l 明を下すことが出凍ない。 351 わが邦出産率の鍍昏生物蟹的勘案 .

わが邦出産率の吐合生物学的観察 三四 ︵へ︶ 生理的姫学力に影響曽及ぼす諸事項に就■て 352 生理的媚孝力乃至出産率に影響を及ぼす四五の事項をあげて・わが邦の事情を顧慮しっ1簡単 ・なる詑明を加へるこご托したい。. M 気温ご姫孝力 第十五黄 朝肺統計院二於ケル婚姻率、出産率 気温・こごに緯度の高低ご増殖率亡の関係が、時〝、生産率に ついて問題になって凍る。わが邦に於ても∵二階堂氏も既にこの 鮎について論じられたこ嘉ある。わが邦の地癌的阻係は歓洲文 明国に於けるミ大いに典ってゐる。即ちわが邦の地理的位置は、 ほ亡んで熱帯的気候から、寒帯的気侠にまで統計院は及んでゐ る。北土は寒流の鳴らす所どなり、南は暖流の影響のもどにつ、 まれでゐる。 このうち北海道は三縄の殖民的地方でゐ㌔東北は純農村的 人H状態を有する琶日本である。九州は北部の小部分をのぞき、 .

中部南部の・大部分は、農村的な融合組織をもってゐる。欄鈍も亦・漁業農琴芝エビする人口を以 .      て書芸れてゐるビ云ってよいと恩ふのである。耐いで︰Jが釘付肘掛 、   l   、 、 − −   I I I I   1   − − − − −     − − − − − − − −   1   1   1   1   i 端に於ける婚姻率には大差はないが、.をの出産率には吋なら大きな 39.9 39.2 釦.3 40.137.5 19151916191719181919 42.0 42.6 41.9 42.8 38.9 30.130.4 30.131.2 29.7 19.8 24.0 24.9 27.8 22.2 25.0 27.2 27.5 2ひ.5 26.0 37.7 35.7 36.7 37.3 36.0 − − 、 、 − − 、 −     − 1 − − − − − − − − − − −     − 1 − ヽ   l l l 差異のあるこ亡は、.吾皐の注目すべきことである。かゝる地理的粕 、 、   − 、 、 − − − − − − − − − − I I − I I I I I   1   1   1   1   1   1 達が、何等かの影響々合図出産率統計上にもち凍らすこ亡は自明の −   ヽ■  ■︳  .︳   、 こ亡である0 筋十六表 第十五表に於で明かな.るが如く、提案両地方に於ける婚姻率には 大差はない.。否むしろ殆んで相接近しでゐるにかゝわらや・その出 東 北 北海眉 平’均 九 州 沖 縄 平 均 産率の上には、可打音大なる相違が認めらるゝ。而して北海琴東 北はわが邦に於ける高さ出産率を代表し−九州沖縄はその低さ地方 を代表してゐるどいつでよい。出産率のかゝる地理的関係の上には 和‘在る鹿骨事情の作用せること勿論であろうが、叉一方に於で束 候的風土的閥係の増殖カの上に及ぼす影響を為考へねばならない0 今立に最近四五年間︵阻勢調査以前︶に於ける・両地方に於ける出産率り高低を示すざ第十六 軍5 わが邦出産率の統合生物撃的勘案 .

わが邦出薄琴の祉含生物撃的観察 表の通すである。 354 即ち完一五年から一九一九年までの経過に於ては、やはり隠越の、北に出産率は高く、南に 低い閲係は常七保たれてゐる。而して申均に於ては、むしろ増加の趨勢さへ嘉はれ乙ので雪 が、底分別に観察するミ各々一卜二下はあるが、沖縄を除いては一九二五年三九一七年だは いづれの場合も後者に於で低下してゐる0即ち以上から見れば、出産率最も高き地方に於でも、 出産率の最も低き地力に於でト、出産率が増加しっ1あらだ主張し得べき串賞は甚だ少ない、む しろ大体に於て︵沖縄を除く︶減少の傾向を示しっ1ある。ご云ふこごが=i凍る。 .囲 花  柳 病 花柳病が民族の質・並に星の上に影響するこ忘、明白な串賞であるのであるが、民族衛生学的 見地からは、徴毒よりも麻疾はより多く重要な聞像にある。微等並に琳淡が男女両性の増殖カを 減殺し叉はこれを否定することはごれを認めればならない。伺且、過去三十年間の交通械閥の敬 遠、都市の勃張並に配合組織の慶化に仲ふ家計の形成並に維持の困難は■、花柳病体棒に好機をあ たへたご云よこだが出凍る。而して微寺にょつては、姫孝力其のものよりも、出産見がより多く その筈をうける。即ちあるものははごんで受胎の判明しない、極く早期な胎兄の時代に於で、あ .

るものは初期妊娠時に於で、或は蝦娠後期に至って死産どなってその害毒はあらはるゝのであ 1 − 1   1 − − − − − 1 − − − − − − −   − − − − − − 1 − − − − − −   1 − − − − − − 1   1 る。麻薮の侭ほは恐らく敬毒以上であろう。而して民族の増加に封しては・徴毒よりもその関係 はー厨深いものである。一子のみを有する夫好の多くは淋疾の影響の もどにあらだ去ってよい。エルブ教授鰐︵−︶rCn字b・警︷lCl・be−・g︶は且っ て四百例の内:百七十五例、即九三解の男性が麻涙に擢思せるこどな 第十七衷 徴兵適轟者ノ花紐病敢 記載してゐる0 今我が邦に於ける緻毒麻疾の統計を見るど・聖は徴兵検査時に於 ける花柳病患者数であるが、大正七年度に於では槍脊人員千に封し、 二二三五を示してゐる。而して過去十ケ年間の統計は、胡かに患者 (25)Eeb】lmayer.Op.eit.205貫 数の減少を家光してゐる0 叉大正七年十一月内務省保健衛生調査室の螢未によると・大正元年 から同四年にかけての花柳病患者数は第十八末の適すである。 この表のうちで、この四ケ年間に敷ける花柳病患者の相加率が、一 般患者の増加率よりは少し多いビ云ふこ亡は注意される。しかしながら、これらによって花柳病 355 わが邦出産率の縫合生物撃的取察 三七 .

わが邦出産率の社台生物盤的取察 三八 の体格の大勢を窺ふには大いに不十分である。 356 ヽ l ノ 更に山田、軍馬両氏笹のあげたる徽毒死亡の過去十ヶ年の統計は第 十九表の如くである。 ・両氏Pは更に明治四十一年二九〇八年︶から、大正七年︵一山一 第十八表 官公立病院二於ケル花玖病患者数 八年︶までの十ヶ年関の生荏腰三歳未開徴毒死亡者との割合を奉げ (26〕山田、平屈、統計上より閂たる花柳帝 237貰 てゐる。︵第二十表参照︶ 著者山田弘槍、中馬左桔氏等は、これを以て、冠近十ケ年間に於 いては、梼めて怪かながらも死亡率は年を逐ふに従って漸次遭下しっ つあることを認むるは欣ぶべき現象どす﹄と結諭しでゐる。同氏は更 lここれを英問の聖母死統計だ比較して﹃英国に於ける一九一〇年の統 計に上るlこ人口千につき微毒死亡率は〇・〇九冤にして我国の二分の (27)同上、244貢 一弱に過ぎず、此の封留まふするも本邦に於ける撒寺治療の英国に比 して如何に等閑に附せられつゝあるかを知るべきなり﹄佗さ論じてゐ る0 .

だが、圏師の死亡診断書記載の際に於ける有り 得べき誤謬、直接死因が数奇でなくとも.それが 0.21 0.18  0.19 0.18  0.20 0.17  0.19 0.17  0.19 0.17  0.19 0.1S O.20 0.17 (1.19 0.19  m21 0.17  0.19 0.17  0.19 0.11; 0.18 男  女  計 香性人口100昌就キ 数寄によって甘さ赦されてゐる場合等、これら薪 第十九美 り ]   2   , ⊥   0   0   9   ︵ U O   9   0 計上の陥りやすき誤謬をも考へねばならないか 2   2   2   の 一   2   1   9 一   2   1   2 0   0   0   0   0   0   0   0   0   0 ら、・これらの前述の統計的数字に絶封の信頼をお 1617均 19 91卒 き難いことは事賞である。だからして、これによ って敢毒死亡の賓際的低下を断定することは不可 醗なるのみならず、偶吾々は、一部の昏家の推定 ︵患者敦の八〇〆頂上は花柳病を経過せり三景ふ︶ 生産1000ニッキ 1才宋論敵毒死 (28)山臥平罵、238貢 5 6 61 6 5 4 6 6 5 5 ウ り   8   9 り   3   3   3   3   3   3   0 り するが如く、一般患者に於け巧緻毒の非常に範囲 妨二十菜 贋き体格よらしで、一般政令に於けち花柳病の体 播率が、近時特に高率になって凍たど断定するこ ともむつかしい。否むしろ一般衛生忠想の普及、 わが邦Ⅲ斧率の祀命産物蟹的観察 三九 .

わが邦出産率の社命金物撃的観察                         四〇 治療栃の迄歩よりして、花柳病の体格及びその手悪は、一方に於でよりよく防止されつゝあらこ 35R ざをも考慮しなければならない。 次に徽章ど密接なる関係にある死産率の槍栗に入る。 死産だ徽毒亡の関係については、既に山田∵中馬両氏の研究が 乳2.6。誓㌫ あるが、氏等はド本邦の死産率が欺酬諸国のそれに比し、二倍乃 至四倍の高率にあるこざを指摘し、本邦の累年死産者十五番中. 七苗五千は姫娠中の胎見死亡でやり、而もその七〇乃至八〇〆即 人口1000ニッキ 1915 1916 1918 1917 一室堕. 第二十一英 ち五畢二千乃至六苗は数寄に因する胎兄の死滅であるビ云ってゐ 1908  3.30 1914  2.72 る0 1913  2.79 1698  2.87 1903  3.30 (291山田、卒馬.248.251貫 第二十一未はわが邦死産率の毎年の滑長を示すものである℃こ 年代 れによれば死産率も漸次減少を釆してゐろが、そは他方嘗術殊に 産科術の進歩、姫好の衛生に開する一般知識の進歩にも関係があ るから、これも花柳病そのものとの直接関係を論する材料亡はな らない0 .

更に生産百に封する死産の割合を見ると、されもやはり 年代傷を100 ツニ嘉t 年代俵産100ニッ嘉』 年代俵産100ニッ嘉 0  7 2 9 減退に向つてゐる。これを猶逸の十九世紀未壱此するミ 日  本  1  日   本  l  掲    逸 4   の 0   3   2 我が邦の死産の生産に封する割合は狗泡のそれに比して二 倍至乃二倍竿の高率である。 1891−1900 1881−90 1871−80 1909… 以上述べた所によると、花柳病の体格が拡大されたビ云 、 、 、 、 、 、 、 − 、 − 1 、 − 1   、 1   1 − 1   1   ヽ − ヽ   ヽ 、 ふことの静壕は頗る昏弱である。ただ内務省に於ける大正 、 、 、 、 、 、 、 ヽ   1 、 1   ヽ   1 、 、 ヽ   、 1 、 、 − 1   − 、 ヽ   l 元年から四年にかけての全図あ私病院に於ける花柳病擢息 ’8.4 8.1 7.9 7.8 7.7 8.0 7.5 第二十二束 、 − 、 、 1 、 1 − − 、 1 − 、 1 、 − − 1 − 1   1   1   1 、 1   ヽ 者の増加数が一般患者のそれに此して少しく大であること 、 、 、 − − 、 − 、 1 − 1 、 1 − 、   、 − − 1 、 − − − ヽ   1 位が吾々の注意を引くのであるが、花柳病体拓に髄する− 1913 1917 1918 1919 1914 1915 1916 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 1     − 、 1   ヽ   1 、 − ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 、 − ヽ 般敢留的條件が点備され、その急速にして且っ力強き俸播 ●   ● 、 、 、 、 、 − 、 1 − 、 1   − ′ I I I I 、 ヽ     I I   ヽ − ヽ カが一方に於て推定され得るにもかゝはらす、その嘗際の 、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   1   1   、   ヽ   ヽ   ヽ   1   1   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l 増加は甚だ不確定である。而して一方花柳病に就いての衛 、 、 、 、 、 − ヽ   ヽ   、 、 、 、 − 、 、 、 1   、 、 −   ヽ   ヽ   ヽ   、     、 生思想の進歩花柳病漁防法の一般化をも考へ合せると、今 、 、 、 、 、 、 、 ヽ   ヽ   、 、 ヽ   1   、 、 ヽ   1   −   1   −   1   1   ヽ   1 ヽ 億に花柳病が十敦年凍非常に増加したどは信じられな 3鋪 ヽ   0 ■ヽ わが邦出置率の統合生物撃的靭察 四︼ .

わが邦出産率の紋日生物蛍的取察                         四二 従って、近代の出産率減少傾向が.花柳病の体格と深き関係があるこ亡は勿論断定するに困難であ 360 田l)′拙著 二三社台的問題の雷撃的祝祭 国家雷撃台杜誌 yr・劉1唄 も、且っそれは頗る異質らしからざるこ亡である。 拘 酒精中寺だ出産率 酒精中毒。晴精が生殖細胞に傷害を及ぼし、殊に慢性隋精中毒が不蛇孝の原田ビして作用する Iyは、グルlベル笹︵く.G≡liが既に鐙明したこ亡であり、自分も亦三三址合的問題の \ノ 博学的観察﹄はし なる一文に於で、大酒家の子孫の幼死、並にその髄質の退化を賓表したのであら (30)Ⅴ.Grlll光r.Die AllこOllO汀bge19の9.12真 が、その貯率カの減退につきでは、グルーベル︵G⊇訂r︶はどな串欝を奉げることは出水なかっ た。′しかしなが宣シャルマイエルは、飲晴家の免教は、決して、一般的に平均以下ではないだ云 ($2)簸haumayer・Op・Cit・207頁 ふ統計的革質のあるこごを指摘し㌘狗乙飲酒史上例へは十五二ハ世紀に於労る出産見教は今日 よりも少なかつた亡は云へないこと、並に規約精を飲用するpシアの出生数は決して少なくない (鱒〉 蕗四十一 統計年鑑 こ草を指摘してゐる。 わが国に於ても・晒精並に酒精合有飲料醸造高は乱年相加してゐるがで これを以て飲晴の風 習の樹加ご見るこ亡は勿論出家ない。むしろ最近に於ける就合致青の普及、衛生的文化の一般化 は、民衆の問に酒害に封する理解の増進ビ在り、暴飲の頻度を減少しっ∼ある傾向を考へ合さね .

ばならない。 拘過剰粂蓑ビ姓孝力 次に過剰粂菱は生物の増殖率暫減少する三千ふ串賞についてである。これに関しては、ダブル デー︵P阜㌻ぞ︶がその人口方則中に論じ.更−こべーベル二三吾ブレンクーノー︵冒主旨声︶ lノ .の配合率的の諸研究者がこれ.を引葺し凍ったのであるが、ダブルデーの研究は伯、動物並に植物に 於で.過剰発意は増殖を減少せしめるが、その反対に限極され或は欠乏膠ちな粂養状態は増柿を 樹進するビ云ふのである。此の議論は今日まで多数の人ケの注目する所となって水化が.両も動 植物界の一般的方別かTllこの場合に於では亡くに十欽乃至幾十、百▼の子孫を産出し得a能力 ある動挽物だ、多く見積って六乃至十人の子女を持ち得る人類の檜栢カとの比較11た1 .ちに人 (鎚)Sehal1−1にyer.Ol).C:t・209文 顔に適用する,、孟安皆性の問題が解決せられねは?違いのであるが、ぐれは非常に困難なる ことに屈する。即ちこの方面に於では偶、多数の信接するに足る人類を対象ごしたも材料の整理 が宥はれ、ある粂蛮由階級にある人.々亡、それよりも勝れた叉は劣った粂拳的階紋にある人々ご の問の生産数の関係が明かにならなければ議論の椴櫨が薄弱なる理である。而して近代に於ける が1 人類のある部分が過剰粂拳にある三石ふこ亡、並にそれが如何なる割合に於でt .あるかを窺ふこ わが邦坦定率の虹色生物学的取察 .

わが邦出産率の社台生物撃的観察 ビだけでも.これを学術的に質感する事は難事であるご云はねばならない■ 。 3弛 囲精神的作業の複雑化ざ軍産率 次に述べたいご恩ふのは文化の費蓮だ秤族の増殖カとの関係である。それlこは先づ精紳作業の ● 榛雑化と増殖カ亡の関係を考へねばならない。ヘル.ハ1㌧スペンサー︵Her一︶ertSpg喜︶ヂミ キヤンドクエ︵deC21dCnエ等は、且ってこの間題を評諭してゐるのである。自分はこ1にこの 問題について引用するに足る何等の材料を持たないが、購家か1る研究が国学的方面に於でもな されカい希望を有するから、こゝにこれを手みぢかに述べるつもりである。 スペンサーは脂作用の揚就化叉は緊張し凍れる精紳作用が民族の生殖力を低下するこ草を重粥 (35)FeldIm吋er.Op.eit.207貢 し、﹃ダークン︵HFコ一1in︶は現代に生存する非文明民族がほどんで死滅に誼かんごしてゐるのは、 後等が欧洲文化だ接飼することによって、その生活の慣性の急激な乙鼻化を凍したによるざ主張 する。即ちこの場合に於ては、これら非文化民族は、短聴聞のうちに、多様なる﹃潮らしいも の﹄を受容し、新らしき宗教、道徳、並に法律、及び新らしい生計方法、異りたる象限、アルコ ール、及び全く異った種々の文化的所得を取り入れねばならなかつセのであるド﹄。 摂ってわが邦の状態を見ると、近々四十年間に、ダークンの指摘した弔欝、スペンサーの主張 .

シャルマイエルの云ふ所の革質は、よくこれを見ることが出氷る。新たな亮科挙の導入、あら ゆる泰西の文化的取得の受容等これを吾々の一乃至二代前の組先町生活に此するご・・まことに 吾々にごつては目まぐろはしいはざな軽化であった三石ふこ亡に誰も反対するものはなかろう。 、   、   ヽ   ヽ       、   、   ヽ   、   、   ヽ       ヽ   、   、   、   l l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ ・ l   、   l I   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   、 しかしながら、章にして、わが民族には、この精神作業の激鼻並に向上に應やるために、吾々の 、   ヽ   、   1   −   −   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   −   ヽ   ヽ   ヽ   l   、   l l l   ヽ   −   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 生理的順底力は十分に偏ってゐた。而して辛にも非文化民族の陥ったような運命を過ふことがな 、   、   、   、   、   、   ヽ       、   ヽ   、   、   l l   ヽ   ヽ   、   l   ヽ   、   − 、   l   、   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   l   ヽ かつたのでゐる。そして伺一方高率なる死亡率の絶わざる上昇を有ちながらも、出産率は一九一 、 、   、 − 、 − 、 、 、   、 、 . − 、 、   、 、 、     ヽ   、 、 、     、 、   ヽ   、 、     l   、 、 、 . ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ 一年まで上昇しっでけて凍ねのである。これ重く、ダーウィン、スペンサー等のあげ允事質せ、 、   、   、   、   、   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   −   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   、   l   、   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ わが民族の虫的経過が相異なれるを意味するものである。而かも最近になって出産率減少の傾向 、 、   1   、 、 、 、 、 、 、   ヽ       ヽ   、 、   l   、 、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、 、 、   ヽ   、   l I   、   ヽ   l l t   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   、   l   ヽ を生み出したのであるが、これを以て花心ちに上述の原図せ見jこ己は賛成上条ねる誓1ろであ ヽ         ヽ   ヽ   l l       、   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ         ヽ   l   、   l   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   l l l l l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ る。否むしろ、こは融合組織の鼻化に伴ふ、諸種の政令的害悪乃至露蕗的條件に左右されてゐる ビ見るこ亡が至皆であろう。元黍、増殖能力は、何千年水青々が租先からの擾承した所の遺像的 ヽ   、   、   ヽ   、   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       l   、       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   l I   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ       −   ヽ   ヽ       、   l   ヽ   ヽ   l   、   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   1   −   ヽ   l   ヽ   ヽ   l l   、   ヽ   ヽ   ヽ   l l   ヽ       l   ヽ   ヽ   、 総力である。而して、この道体的能力が、たどひ通暁に大いなる鼻化を家したにせよ、叉生活内 l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   、       、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l l       ヽ   、   ヽ   ヽ   I I   、   ヽ   ヽ   ヽ   、   、   、   ヽ       ヽ   ヽ   、   1   −   1 容に急鼻が起ったにせよ、僅々三四十年の間に、統計事留吉して怒あらる1ほざ、しかく大なる l   、   l   、   、   、   ヽ   、   ヽ   l   ヽ   、   ヽ   l   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ       1   1   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l       ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ       − 慶化を受けよう亡は信じられない。ことに、わが民族の場合の如く、放くべき強き噸應カ亡、民 365 わが邦出産率の紅色生物蟹的観察 .

わが邦出産率の社台生物学的訊察 四六 ヽ   ヽ   ヽ   l I   ヽ   ヽ   1   ヽ   ヽ   、 −   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   − 、 、 、 、 、 、 、 一 、 族の量的並に質的稔展力が他方に認められる場合は伺更のことである。 364 第 五 都合に於て出産率の低率なる事茸及び それヾ二般生産率ヾ1の関係 ヽノ 高田博士は大正五年、日本lこ於ける出産率増加の原田についての論述されたβ そのうちlこ、都 市出産率たついて述べて日く、﹃わが邦郡市揖屋率はなは未だ、減少の傾向なきのみならず、連 (36)経済論遍 第二亀 一、三披 大正五年 年多少の増加をすら示せり、五番以下の都市に於では、増加の速度、⊥般出産率に及ぼやご雉五 蕎以上の都市、こ亡に大知市に於では、明かにこれを超へたら﹄ど。 位か八年を露過せろ今日、吾々はこの事貿︵勿論高田博士の場合は明治四十四年までの統計的 貌黍で、統計約番欝に於では九年間の差がある︶だ、全然反対の立場から、出産率の問題を観察 しなくではならないこ亡になったのである0 今人口五番以上の都市の出産率を観察す.る亡、︵第二十三表二九〇六年︵明治三十九年︶から一 九一二年︵大正元年︶までは何等減少の傾向なきのみならず、漸次増加の傾向をさへ示してゐたこ 草は寧貨である。けれどもそれ以後の七年間に於ては、漸進的減少が認められてゐるのである。 .

23・5(〝2・6)36・2(矧 ノ 仰吾々切注意すべきことは、一般出産率に比して ヽ   ヽ   ヽ   、 ヽ   ヽ   ヽ   ■   ヽ 、 、 ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 都合の出産率の低率なる事賞である。こ法都合に特 五万以上ノ  一 般 23.4(〝1.9)32.8 24.4(〝 2.3)32.2 28.3(〝2.0)35.1 28.1(〝2.0)34.1 25.7(ん】.9)33.1 25.1(〝1.9)33.7 25.0(〝1.9)32.1 25.4(死産2.1)33.7 殊なる人口構成Pの就態にも閲係あるこ亡は否むこ 第二十三表 人口五万以上ノ都市三於ケル出産率 とは出.水ないが、両も、わが邦に於ける都市の現状 都   市 は、今問盛んなる螢達の途上にあるものであって、 田舎の人口は、常に都合に吸収せられ、都合の人口 は常に新たなる要素を以て附加されつ∼あるのであ 、   、   ヽ   ヽ   −   、   ヽ   l l l   ヽ       −   ヽ   、   l l   、   l   ヽ って、若しマルクスの指摘した﹃産業に垂加する人 都   市 .出産牽 五万以上ノ  ー 股 25.9し 〝 2.4)33.9 25.8(〝 2.1)33.2 26.9(〝2.1)33.3 26.5(〟 2.6)お.7 26.2(〝2.4)33.1 26.4(〝 2.3)33・9 26.8し 〝 2.3)封2 21.6(死産2.3)28.9 ヽ − , I I I     、   ヽ   1   、 − − − − 、 − − − − 、 − 、   ヽ 間の退化.か、抱へす聞合から攻牧される健康なる生 ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   l l   ヽ   ヽ   、   l   ヽ   ヽ   ヽ         ヽ   ヽ   l l l   ヽ   ヽ   ヽ 命要素によってのみ緩和される﹄と云ふ事質を認め ヽ ヽ ヽ ヽ. 、 − 、 、 、 ヽ 、 ヽ ヽ 、 ヽ l ヽ ヽ   ヽ ヽ ヽ るならば、わが邦の都市に於ける出産率が、既に最 (釘)本箇 鋤貫参照 1   、 −   ヽ   1   ヽ   1   、   1 . 1   1   、   1 − 、 − 、   1 、 、   ヽ     − 近多少ならども減少の傾向を示してゐることは、書 ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 々の非常.に注目七倍する重大事貨である。 1910 1912 ユ913 1906 1907 1908 1909 1911 更に.六大都市に於ける年々の出産率の消長を観 365 わが邦出産率の癒合生物学的視察 四七 .

366 対素謡 署 Ⅶ 弐 山⋮ 況期討 蕾頭討 米 胃 認 ・叫㍍ か碑取哉 わが邦出産率の吐合垂物蟹的観察 銅 届 一指 【ノーヽ    ′−ノ、一一ヽ 諾=肝.語仁肝 組 掬 拗 執 間 卸 翻 掛 熟 印  舘熱 ︼苫00  ︼望這 −讐0 −3− −望忘 −りー∽ −讐石 −竺石 −芝の 旧払 潮P巴 は い.小 . 望芦 【8芦 ふ g望 諾l雲 l・一    lO Cb ほご 岩忘 り 上■        l、〇 厳∴ニ トう       tO .− p P P!■ Ⅰや p P ヱト ⊂〇 、1    の く○ ー▲ トJ      ト.■  ト■ 課目±盟仰 丼連璧晋癒す三忘嶺 封営一 針2 …‖… 是溌… 誌だ 溌 lや       ト〇       トご       トつ       ト〇 〇 箋  柏 の  柑 −▲  柑 帽  相 や  トさ の ・一 CO    ゝゝ bう       Cの    ○○ 上古  .ト■ −1   トラ ⊂○ こ)       tう ト〇 ・. lう        tj ーJ (=〉     トつ  くわ − ぐ. 柏 空 】  く〇    トユ ー1 ∽ CJ     ∽ G71 くロ ト.    l・一 If■ く   一可     ト▲  01 、ド○ O lぅー.¢ 鱒00 P t、〇        トJ ト〇        N l t■  くつ1    l.つ  く⊃ ト▲  くb lJ  可 l− CJl l=〉 ■ト 、1+(Fl    ト■  くカ 間伽 は仇.A 沌PA H 濫 ¶∴閂 トつ ー8        18 ∵ . 泥 】  01    トつ く:沿 ﹃ P P ⊂> A 00 勺〇     − −1 ー.のり.¢ 当.功lJPか l8 望.のはP.柑 −.00H.∞ 帽ひ.ぐ、柑−.KP ー.可H.∽ ー仇.ulこPA 8. 忘罠.Eだ .1 ドl; ■ミ         ト〇 トJ  仁や    ト⊃ −1 (ンl (=〉     ⊂> Jゝ はひ.の 望∴巴 ︰ ト■ ー は −︼ td ︼ ト・▲        tJ . . . くつ ロ b9 ㌢ ん 封 ト▲ ¢     ト▲ tも − (〉 lA A 01 トー (:0 ■1 bさ       lつ ト・▲ 柏 トJ bう 10 く亡〉 ■1 、1   ト〇 むつ ナ▲!ト 匝 00   − r r 一 トJ も  00     91 13 くD く> 0 00    − lJ 〇〇 Jゝ く乃 卜一 亡J b〇 N〉 トJ b9 ld ・・一 ト■    【■ lJ トつ くコ) ト1  00     −  bさ く♪ ト▲  Q ■■ 訪.b・  むつ くね く> b CO  >     、、  ■J b b く亡 .

凛す■むと、束京市に於ては減少の傾向は非▲常に少な
備 考 この統計は内閣統対局人口動態統計表より算出したるものであ
る0即ち大阪府全体の人口(その正々の比例算出に闇ひたる推

によって市部及び郡部の出産率を計出し、ゝこれから人口千に封
たるものを郡部の人口とした。出産数についても国枝なる方法
定人口)から、大阪市堺市の揖年に於け孝雄玉人口を引き去り

い。﹁九一五年︵大■正四年︶までむしろ増加の傾向乳
以1温み、後棺虜少のあざが見わる。梼濱市に於でも
亦同様であも。だが三界都.大阪、神戸、名古屋の諸
市に於ては、以上の二市に比して、出生率は胡かに漸
次減少の傾個を不してゐる︵第二十四表塵讐
する比を算出したるもめである。ノ
そ一■Jで、今わが邦に於ける商工菜都市の代表だ見な
されか大阪市を有する大隊肝につ∼いて其出産率を分析
し都合品合に於ける出産率窟讐鬼才晶ふ。
即ち第二十五表にょ打は、大阪府に於て誓都市の虻
ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ . 1   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ
産率は常に減少の傾向を以で今R二に及ん汀のである。
′ . ヽ   、   、 、   、   、   、   、   、   、   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l       ヽ   ヽ   ヽ
しか竃にこの両都市を除いた大阪府の人口は、農村だ
、 、 、   ヽ     、 、 、 、 、   、 、   ヽ   、 、 、   ヽ   、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ
地方都合、小都督によって構成されてゐる牒であるが、
、   ヽ   、 、 、 、 、 、 、 、 、 、   ヽ   、 、   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   1   ヽ   ヽ   l
その出産率は、前者に比して非常に高率なるのみなら
367
わが邦出産率の縫合生物学的祝祭 四九.
/   / 、

わが邦出産率の吐合生物学的観察五〇
ヽヽ、、、、ヽヽヽヽ、ヽヽヽヽヽ、ヽ、lヽヽヽヽ、、ヽ、、、、、ヽ、
す、一九一四年までは絶わや増加し、同年には人口千につき些二・八を示しでゐも。その後多少
368

減少の傾向が鬼へるが、それは市部に於ける減少はざ明かなる畢賃ではな.い、そしてその傾向が

(37)高野岩三郎 本邦大都倉の人口 穏銃先生還暦鋭貨論文集1094瓦
伺暫く摸績されるかどうかご云よこドニも今の所頗る疑問である。
叉高野博士Pは都合の人口年齢構成を論じたるなかに、﹃一方わが大都骨に在って壮年者の割合
多数なるにも拘らず他方如此く出生の低率なるは、かの婚姻率の低きだ相照應するものど謂ひ得
ペしビ難、その原因の.那過に伏在すべきかは国より此の短期間の事欝を以て軽々に論断すべから
す、但しこの事賓に留意すらの必要は深く在るペく考へしろゝなよと給じ・部首に於ける人口
年齢構成の特異、即ち壮年階級の著しく大なる畢欝を奉げ、それざ出産率並に赫梱率亡の間に於
ける関係に言及してゐられるのである。而して上記の敦行に滞る博士の儲連より推察する亡、博
士は、郡市出席率の低率なる原因を、たI .その低率なる婚姻率に求めんとすむよb以上、吏lこ他
の何等かのモメソトの存在を汲見するが如く思ほれるのである。
今以上述べた事欝を通観するだ、都市の出産率は、わが邦の一般出産率lこ比して著しく低率で
ある。而して全敗の統計から見る亡、一役出産率の減少傾向の現ほれたのは一九一二年からであ
る甘−都市に於ては一九二二年から現はれでゐる。六大都市のうち東京、債濱の両市改一九一四

年乃至五年までlむしろ増加の傾向などつてゐるが、.他の四

C
都市は、いづれも一九〇人年乃至完﹂〇年から減少の傾向
3三三1.3  296.7

276.1 274.8
404.2  309.1

を示してゐる0
343.7  294.6

183.5  210.3
苗謂 全国

225.5  221.2
第二十六表 都市卜金団トノ人口牢戯構成(38)

備考 高田博士は都而の出産率減少の一般出生率戒少よりも高いのは中都市の
出生率の減少の度の高きによると説明jれてゐる。だがこれは後に逓ぶ
る所の大中都市の人口埼加歩合を考揺すれば、即ち大都市の人口椅加歩
合が中都市のそれに比して著しく大なることを岸ふれば、大都合に放け
る出産率碗少は常に田舎より吸収きる1人口によって影響さるゝこと中

、(鵠)高野岩三郎.前出1075−76真一
都市よりも多きが故に、戒少のあらはる1ことは比較的少ないと解持さ
517.7  405.8

523.7  428.4
嘉謂 全国

489.2 ■ 407.0

491.1 879.0
522.5  401.6

421.6  870.1
れないことはなからう○
更にこれを商工業都市としての代表者たる大阪市︵堺市を
合む︶とその田合︵地方小都合を合む︶亡について観察する
亡、出産率の・減少は前者に於て著しく.一九〇七年以後は亡

20−25

30−35
25−30
年齢
んで、減少傾向を特損してゐるに反し.後者に於では、出生
率は一九一四年までむしろ樹加の傾向をさへ示してゐたが、
369
わが邦出産率の社食生物学的観察 五一

わが邦出産率の祉昏生物学的軌賓 最近少しく披少の傾が鳴る。1 370 大都命 中合都   か都合・地方部昏 村 落 1万人 以 下 ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   、       ヽ   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ とれを妥するlこ、わが邦に於ける都市ビ田舎の出産率の 38.5    43.9  823.6 73.3   9q.7  677.7 35.7    45.4  840.3 41.6    51.0  793.0 46.9    69.3  750.7 53.2    81.6  723.9 31.7   23.5  871.1 、   l   ヽ   1   1   1   ヽ   ヽ   l   ヽ   l       ヽ   ヽ   、   、   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   、   l l   ヽ 間には著しい相違がある、そして郡市の出産率に多少の披 芸芳全学上招き挙上 −   、   ヽ   l l   ヽ       ヽ   、   l l   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   l   、   ヽ   l l 少傾向が兄へ、六大都市のうち多く法最近短慮率の披少を 第二十七表 日本三於ケル都部人口配分 l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l       、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l 示して凍てゐる。だがこれらの傾向は、十八世紀のヰ頃か ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   、   l   、   ヽ   ヽ   l   ヽ   、 ら十九世紀の初めにかけて起った欧洲諸国の出産減少の串 (39)人口の都合集中.統計蒔報 第三兢 8克 ヽ   ヽ   、   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   、   、 賓はぎには明瞭ではない。 10万人 5万人以上 10万マデ 然るに今、日本に於ける都合と餌食壱あ人口の配分を見 三千三 ると、一八八八年︵明治二十一年︶から今日までの鍵化は 第二十七表の如くである。桝 即ち三十年飴の間に於で、村落の人口は、全人口に封す る八割七分の割合より六割八分に減少し、その反対に都市 の人口は年々増加したのである。面して最近に於ける都都 の人口の割合は、都合三強、郡七窮ごなったのである。 つ .

然るに更に都都に於けち人口の増加の歩合を見るミ第二十八表の如くで ある0 大都昏 中都合小郡昏地方部合 村落 31・41 24・お 礼36 17.56 4.18 10・96 22・25 24・40 】9.12 11.41 これによると都合ビ田合に於いては、人口増加の歩合に非常な相違のある プ∠  %  %  %  % ことは明瞭である。こ亡に大都合の膨張は特に著しいものがあら0而してし の統計の算出者たる濱田戊四は冒下人廿の重心は伺村落にあるけれども、 第二十八表 日本都郡人口増加歩合 従姉の経過から推断するミ幾千もなく、都誹人口は等分どなり・伺進んで 人口の重心は都合に移る期の除も泣き脳賓ではをかろうど蒸せらるゝ﹄こと・ の判断を下してゐる。 、 、 、 、 、 、 、 1   、 − 、 − − − − 1   1 − − − 1 − ヽ   1 、 1 、 ・ ● − 、 ヽ   ヽ − 若し以上の革質から営田氏の日ふ所の人口重心の都合への推移が近き苗木 、 、 、 、 、 、 、 、   − 、 1   1   1 − 、 − 1   1 、 − ∼   ヽ 、 − 、 I I I I   ヽ 、 、 、 (40)統計時報 ≡銃 が貢 に賓現されるこし、又他方自分がこゝに述べ凍った亨Jろの都合の出産率が 1日08−1913 1913−191さ 、 、 、 、 ● 、 、 、 、 、 1 、 − − −   − 1 − 1   1   1   1   1   1 − 1 − 1 、 ヽ 、 1 、 その傾向を持蕾するものどすれば、一般出産率が都合の出産率によって影響 、 、 、 、 、 、 、 、 − 、 − − ヽ   1   1   ヽ   ヽ   − ヽ   ヽ   ヽ   −   ヽ   ヽ   − I I I I される範囲及び程度は益々拡大される蓬命をもってゐる.のであるO かゝる論議を上古徹底的に進めるためには、鮭孝率の考究に入らぬばなら ・.ない串は勿論である。だがこれは今日の自分によくなし得らる1併ではない。 371 わが邦出産牢の社台生物学的鞍察 .

わが邦出産率の吐合生物撃的観察 多くの研究者は都市ざ生産減少についで論じで今日に及んだ。而してそのうら、ビスItルは 372 ﹃姫串率の低下は明かに郁市人口にょつて将来される㌢J亡を主張し、ヂJi。ワ.ヅヒ︵芽t−.i三 は﹃珂栢緯カを有する階級は.都合に於ける彼等の慶化によって、堵苑が害はれるlうな状態に 凍るものである﹄三方ひ、オルダンプルグは﹃同氏の都合化に於いて、出産減少の主動力が存す る﹄こ草を指摘しープレり′クーノーは﹃ド右ツ以外即ちフ一㌢γス、イギ,スに於では田合に於け るより大なる姫学卒は澄明されないが・併し猟泡に於では、田舎号も都合に於ては姫冬季が少 ないこ亡が貰透されたー而して都合に於では、田舎よりも著しく且つ早期− ご減少した﹄こ亡を指 摘し,更に後は、その設明だして﹃猥泡に於ても亦、都合のrb大なる露済的福利が出産率減少 ヽJ の尿関をなしてゐる四﹄だ詭いてゐるのである。 (41)J.W011叩・由・67貫 タオルフは以上の如き諸家の説明の外に多少の心理的説明を附加してゐるのである。即ち﹃農 家に於では、子女の多少は問題でない、そこでは住居、食料の問題が都合に於けが如く重大でな い0叉田舎に於では、子女は都骨よりも早く役立てるこぞが出凍る。即ち田舎に於では子女は資 本であり、都合に於ではそは一種の黎澤である。両も婦人の解放は、伺、田合にそう深く及ばな い0だからして常習は依然としてm合に権威をもってゐる。苦い文物は伺比較的令婁きれてゐ .

ヽ■ノ 2                     、   −   ヽ   l   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   l l   ヽ         、   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l l l l   ヽ   ヽ   l l l   ヽ   l る四﹄ ど七、彼は都合に於ける出産減少が、かゝる心理的契機による人名的減少であるこぞを重 張するのである。 l   ヽ   ヽ   ヽ     ヽ   ヽ   ヽ 、 、 、   ヽ   、 、 、   ヽ   、 、 、 、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   − ヽ   ヽ   、 、 、 、   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ ・わが邦に於ける上越の如き都合の膨脹及びそれに件ふ都督の出産減少の串薯が、怒臍的原因に 、   ヽ   ヽ   ヽ   1   、 、     、 、     、 、 、 、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   、   I I ・ l   ヽ   ヽ   −   ヽ   −   ヽ   ヽ   、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ よるのであるか、将叉、かゝる心理的契機によるのであるか、そば非常に慎重に考究すべき問題 、 1 、     l I 、 − 、     1 、 1   1   1 、 − 1   1 −     1   1   1 − 、 ヽ − 、 − 、 ヽ   ヽ 、 ● 、 1   ヽ   ヽ 、 ヽ − である。だが自分は、わが邦の現状に照らし、そのいづれも注意さるべきものであろうだ思ふ0 、 、 、 ・ 、   ヽ   ヽ   、 、 、 − 、   −   ヽ   、 、   l   、 、   I I       ヽ   l   ヽ   ヽ   ヽ   − 、   ヽ   l I   ヽ   ヽ   −   1   1   1   1   ヽ   ヽ   ヽ   l こ亡に最近に於ける婦人解放に関する諸現象、わが赦骨に於ける個人主義勃興の傾向等IT。見 、     、 、 、 、 、 ヽ   、 、 、 、 ・ 、 、 、 、 ヽ   、 、 1   − − 、 、 1 − ・ 、   1 、 −   1   − − 、   1   − 、 、 ヽ − −   ヽ て、出産減少の心理的考察も、現下の人口問題の中の重要なる方面をなすものであるビ考へる0 第 六 一般教育の増進ヾ﹂出産率 く42)J.Woe仁op.eit.73文 何技に述ぶべきは、一般教育の進歩と姫学力又は出産率との由係である。而して教養あら、知 識の程度高き階級に於ける生産率が、下層の数苓少なき叉は知識の得度低き階級の出席率に此し て、倍率なる革質は、今日までィギプス、フランスーアメリカ合衆国に於いて、多数の学者によ ってその例歪が示されて水た。わが邦に於いては、甚だ退熔ながらこの方面の研究は未だ若手さ れない状態にある。ある部分は国勢調査の結果の整理だどもに明かになることであらうが、こゝ 373 わが邦出産率の敢昏生物撃的覿察 .

わが邦出発率の社食生物聾的碍察 には歌字をあげてそれを諭や一ることは不可能である。 沼4 だが今日まで取捌諸国に於いて示された論究の結果から判断するミ科挙の進歩だ露渚的福利 の増進は、一般教育の普及どなり、従って民族の致苛の程度は高まり、各自は各自の生活就態を 出家得る限り合理的にLやうざ努力することlこなつていった。而して劇甚なる融合的生存のうち に於てよく各自の生活の安定を維持するためには、どうしても利己是認の行動が最も手ざら早 き嘗際生晴上の手段である。かくして各自の安定を求める心理は、子女の人弟的制限どなり、生 荏率は減過したのである。 l l l I I   ヽ   ヽ   l I I   、       ヽ   ヽ   ヽ   −   ヽ   l   ヽ   ヽ       ヽ   、   l   、   −   ヽ   ヽ   ヽ   、       ヽ   ヽ   l   、   、   l       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ 而も吾々の注意てべきは、か,る場合に於て、絶わや増加してゆく﹃教育あるもの﹄即ち知識 l I I I I I   ヽ   ヽ   ヽ   1   1   ヽ       ヽ     、   ヽ   ヽ   、 、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ     、 、 、   ヽ   、 、 、   ヽ   、 、   ヽ   −   ヽ 階級︵ある意味での上流階紋︶は、無知識階級よりは常に速かに、個人主義的乃至は資本主義的 ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   −   ヽ   I I I   ヽ   1 − 、     、 、 1   、 ヽ   ヽ   ヽ   、 − 、     、 、 、 、 、 、 、 、 、   ヽ   、 、 、 、   ヽ な経済生活の遺徳に支即され、増殖カり方面に於tは、その栢増は理性化されるのである。 − ヽ   ヽ   、   ヽ   −   1 、 − − −     、 −   ヽ   ヽ       ヽ   、 ヽ   、 、 、 、 、     ヽ   八   、 、 ヽ   、   ヽ   ヽ   、 −     、 ヽ   ヽ   ヽ   、 近代わが邦に於て見れば.下層階紋.無知識階紋に於で、むしろ産施制限の必要︵度兄制限は ヽ   −   ヽ   −   1   ヽ   −   ヽ   、 、   ヽ   l   ヽ       ヽ   、 、   ヽ   、 、   ヽ   ヽ   、 、 、 、 、   ヽ   、 、 、 、 、 、     、   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ 過渡時代に於七のみ軌過され、駅許さるべきことであるご自分は考へてゐる。而してその無意慮 ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   1   −   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   、 、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、 、 、 、   ヽ   、 、       ヽ   ヽ   、   ヽ   、 、 、   1   、     、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ なる宣倍は民族を自殺に導くものご自分は考へてゐる︶なるにもかゝわらや、知識階級上流有産 ヽ l l ヽ − 1 ヽ ヽ ヽ   l − ヽ − ヽ ヽ l 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ   、 ヽ ヽ 、 、 、 、 ヽ 、、 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ 階級に興味をもたれ、而もそれが按大されて行くこごは、日本の知識階級乃至上洗有産階級が、H .

個人主義的乃棄資本主義的な霹蹄生活の道徳に向ひっ∼あることか語.るものであろうご恩ふ。 第七 度済的両利ヾJ生産率 次に論すべきは、十九世紀の未葉から廿世紀の夢初にかけて欧洲畢界に於いて、大いに論議さ・ ▲(44)呼吸、乳見死亡の縫合的原因に関する考察 37.が真 れた、絃臍的福利を上り多く有する階級に於では、其の子女の款が少ない・即ち近世の出産減退 を経絡的福利の程度にょつて説明せんとする、所謂ノ21−を1d賢喜iCに就いてである。この理 論は、最初てフンスに起ち、次でドイツに於で論究せられたものであるが・この議論は要するだ 、 、   、 、 、 、 、 、   、 、 、 1 、 − 、 1   1     1 − 1   1 − − 1   1   1   1   1 − 1     1   ヽ   ヽ   ヽ − − − ヽ − ころ、経済的福利は、いかなる関係に於で、蘭孝カに影響をもち凍らすか、将又出産の減退を清 水するかの問題に締着するのであるが、今日までの静哉り結果に上ると、この方面からの出産減 退についての諸説明は、可nT。不徹底である。而してクオルフによれば必ずしも・大なる経済的 (431J・Woはop・dt.41文 兎利と、小なる子女教亡は相並行してゐない。そは一定の範囲に於で云はるヽことでありー両も 他方大なる経済的福利と.大なる子女教との並行する場合もあるのである四。 ︶ 今我邦の材料について見よう。自分が八王子市について調査したる潜果四は第二十九表の如く であるが、之に就いて、自分は皆時﹃三区域に於ける貧富の差は、勿論これを判定するこビ困難 375 わが邦出蒸牢の政令生物撃的隋察 五七 .

わが邦出産率の社台垂物撃的観察 五八 なるも、其の住民の多数の業態及び市呪の賓際に照し、大体に於で.商業、機業、農業地域の順 訂6 序に富の程度は下るもの亡兄で誤りはない、この鮎から見るミ宮の帯皮の比較側低い部分に於 ては、出産率高く、この反対に富の程度の高い部分は揖生率が少ない﹄だ詑 明しでおいたのであるが︵第二十九表塵照︶∵ぁ限局されたる材料によって 人口1000三付キ 一般問題たる.我邦出産率過少傾向について諭やることは頗る危険である。 自分はよしリ多数なる材料の蒐集を待って更にこれを諭するこ亡にしたい。 経済的福利の程度によって生産率が左右せらち1ご云ムこ亡については、・ 第二十九表 種々の議論、乃至反覆のあることは勿論である。わが邦に於ても明治維新前 に於ける史賓を槍べ承れば、上洗乃至経済的福利を多く持ち得たる人々の問 に・多敦の子女を有してゐた家族を見出すこ亡が出水るであろ・Lだ恩ふ。叉 現代に於てもか1る例露を見出すことはそう難事ではなかろうざ思ふ。 ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   l   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   、   、       ヽ   ヽ   ヽ   、   ● 故に著し経済的編制の程度が出産率に影響するものとすれば、そは民族の ヽ   、   1 − ヽ   ヽ   、   I I I   ヽ   、 、 −     − ヽ   、 、 、   ヽ   、 、 、 ヽ   − 、 、 、     、 ヽ   、 、 、 − 、 ヽ     、 、 、 、 在所的頑利が増進するごどもに、その民族の宥する人生観の上に、大なる塵化を生じ、この民族 l l   、   1   − 、   ヽ   ヽ   ヽ   、 、 −   ヽ 、 . ヽ   ヽ   1   1   ヽ   、   J   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   、 、 、 、 、   . 、 、 、 、 、 の人生観の鼻化が生産率を抵下するように働くのであるだ解繹する方がtTり正しい。例へば十九 .

ヽ   ヽ   l ・ 、   、   、   ヽ ノ   ヽ   、   l   ヽ       ヽ   、   ヽ   、   、   −   、   、   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ       −   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   −   −   ヽ   ヽ   ヽ   l 世紀に於で欧洲諸国民が、科挙の登達及産菜革命によって、漸次に、その基督敦的思想乃至宗教 、   、   、   −   、   、   、   、   −       、   、   、   、   、   、   、   、   1   、   1   、   、   1   1   ←   、   −   、   I I I I I   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   l       ヽ   l 道徳より解放せられ、その他種々の鹿骨的状態の慶超による個人主義的思想の勃興だ共に、民族 、   、   ヽ   t   、   、   −   、   − 、   、   、   、   、   − 、   ヽ   、   、   、 、   ヽ   t t   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   −   1   1   1       −   ヽ   ヽ   ヽ   l   ヽ   l   ヽ   l の多数は人間生活の低値をこの個人主義的道徳のうちlこ見出すようになり、個人主義に常に件ふ 冥Jが・計謝針掛軒か針肘掛針静かが針い卦封γか計肘掛軒が肘掛か禦㍗訂〃い∴しい ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ . I に・子女の歌の人馬的の制限が現はれるこどになったのである。 ヽ   、 、 、 、   ヽ   l   ヽ   、   ヽ   、   ●   、 、 、 、 、 、 、 、 − 、   ヽ   ヽ   ヽ   、     ヽ   l   ヽ   ヽ   1   、   ヽ   1   1   ヽ       l   ヽ   ヽ   ヽ 故に出産率に直接影響するものは経済的福利の其物よhJも、むしろそれに鴇伴して、民族の多 ヽ   、   ヽ 、 、   ヽ   、 、 、 、 、   ヽ   ヽ   、 、 、 、 、   ヽ   ヽ   ヽ   、   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l l   、   l l l 教を支配するようになった人生観世界観の上に放ける橙化であるビ云工べきではなかろうか。 第 人 最近出産減少傾向に於ける経済的 心理的意義 既に度々述べた如ぐ、高田博士はこの方面について論究された唯一入着であるが.博士の所説 は︵大正七年︶最近の出産率減少は、霹臍的景気の影響であって、未だ心理的條件︵ことにカの 欲望︶の干渉を認めるこ亡が出水をいき云はれる。叉博士は昔時﹃最近出生率の減少もやはb別 に、今後の由生率の痙動が重に檻臍的事情にITりて決せらるべしだ遽ペたる預断を否定すももの 3巧 わが邦出産率の敵昏生物学的軌察 .

わが邦出産率の鑓昏生物撃的軌寮 でない﹄四と論断されてゐる。 878 この論文に於て、生産率並に椿梱率が経済的事情にょつて左右せられる,寺を正接立てるため に、輸出入額の指数だ出生率並に婚射率との間の相隣係数を求め、その結果﹃相関の程度か決し て十分だとは恩は弟月いが、なは私の提詮を支持すJに足る箪信する﹄だ結諭されてゐる。 偶は博士は﹃出生率だ輸出入額﹂婚姻率室輸出入額どの粕関係数が、生籍二者の和掬係数に及 一ばないのは、一・見此の立論︵著者、証∵生鱒二率の起伏を決定するものは、重に経済的事情であ る草云ふ立論︶に封する障帯の様に見わる。併しながらこれは、輸出入転の経済的指数としての (鱒)qotjaもnundK沌p・Op・Cit.T■220京 ぴ5)高田保罵 現代杜合の諸研究 263貢 鉄鮎に基くものとは見られせいか﹄と附加されてゐる。 ヽ   ▲ ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       、   l   ヽ   、   ヽ   、   、   、   、       、   ヽ   、   、   ヽ   、   −   ヽ   、   l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   、 ・   ヽ   ヽ   l l l   ヽ 自分は前に、出産率星野覇卒去は、並行して進展する箪云ふよりも、近代世界の趨勢よりすれ ヽ       l   ヽ   l       ヽ   l   ヽ   ヽ   l   、   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   、   、   ヽ   l l   、   l   、   ヽ   、   、   l l l   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   l ば︰むしろ、.自猶の道をたぎるものだ見る軌方が正しいやうであるこ草を云った。∴Jれに閑聯し て、出産率及び婚姻率が各々・霧降的事情に左右せられる.三吉ふことは、今日ま†屡々論せられ たことである。例へば、ドイッに於では一八四〇年頃から一八六〇年頃までは、練歩の倍と妬姻 率とは、常に正反対の昇降を見たが、﹁八六〇年以後に於では、狗泡に於ける産業の螢蓮は、 ヽ1ノ この関係を不明瞭にして了つた。而してブサ′ンチング四lこよると﹃今日に於でも僻婚期率は経済 .

的事情の影響のも罠あるこ這勿讐ある0だが狗泡の最近の炊飯百・何等々わに就いての概 弁的表現︵︷窟it−ie訂rAl−Sdr長を見出すこ嘉出苦い﹄去ってゐる。また一般血合の福 利が、圭己主菜又は商農に茎配克てゐる英讐於では・婚姻率晶出額との関係を槍ペる 8、−ト=下はどんど相伴なってゐるこ亡がブサ′ンチングほよって示されてゐる0 併しながらわが日本の如く・工業品第品警の関係がイギリスはぎに空でだ場合に於 では、工業、商業の黄金時代が農村の経済的不呪ご倉致し、或はこの間に接就なる霧降的閲係を ∴惹起して二概に経済的好呪が蒜婚姻率に荘接k影響して・その滑長を左右するものである亡 は断言し難い事情が伏在してゐる亡者へねばなるjい0出産率の場合にも亦同じこ亡が主張され 得るご恩ふ。 高田博士は、最近の出産率の減少は短期の娩少ビ見るべきで、それは経済的事情に影響されて ゐるのである。長期の減少は、それに心理的の條件が加はるのであるざ云はれでゐる0自分も現 在の亨−ろ、最近の出産率の減少が短期的のものであるか・永埼的のものであるか亨Jlに警口 するこ亡はさけたい。否、さける方がよ怠しい態度である。だがそれが経済的事情に左右£ 379 てゐるにせよ、又心理的條件が附加されてゐるにせよ、出産率の少しでも遮下した呈芸事賃は わが邦掲遼寧の社台生物撃的弼察 六一 .

わが邦出菱賓の社台生物学的観察六二 ヽヽヽ、ヽヽヽヽヽヽ、ヽ、ヽヽヽヽヽヽヽ、ヽ、ヽヽヽヽヽ、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ その民族にだって重大な事件であって、一民族の存在は、その民族個々の生殖意志及び埼殖カに 380 ヽヽヽヽlヽlヽ、ヽ、ヽヽ−ヽヽ、、、l、ヽヽ−ヽ、ヽヽヽlヽヽヽヽヽヽlヽヽ、、 関係してゐるのであって、こIにその民族勿県東の拍長はか∼つてゐるのである。そしてこの埠 ヽヽlヽヽヽlヽヽ−、ヽ、、−ヽヽヽlヽ、ヽヽ、ヽヽヽ、ヽ、ヽ、ヽ O7).Grotjahn・QeburtellruCkgangtndGeburthregel叫1921・16文 苑力並に生殖意志に影響を及ぼすものは、主だして内的外的の諸株件である。既に前に述べたる が如く、近代文化民族に於ける出産率減少の原因は、姫率カの邁下にょるめではなく、まとして ヽヽヽ、ヽ、ヽ、ヽlIヽヽヽ、、ヽ、ヽヽヽ、、、ヽ、ヽ、、ヽヽヽヽヽヽヽヽ、、ヽヽ 内的外的の諸條件から凍る、子女に封する欲望の減少であるご解辞してよいのである。換言すれ ヽ最ヽ近 lのヽ出 ヽ産ヽ率 lのヽ速 l下lは l﹃1娩 −率1カ ●をl示 lすlと lこlろ lのl尺 l度l﹄ lにlあ lらlず lしヽて l、lむ lしlろ lそlの l民l族 l合、体叉は ば ︶︳.︳llllllllll1−︳l1711111▼■l▼■1−︳ − 個 々のもつてゐる﹃子女に封する慾望﹄四を示す尺度である。 lしlて l﹃l子 l女lに l封■す ︳るl慾 l望l﹄ ■は︳内 ■的︳に ・はl. ■産︳見 1制−限 ︳にl関 lすlる ■啓︳拳 l的l乃 l至l技 l柄l的 ヽ知l識 lの■進 ■歩lに lよl︳lllll 而 .て︳減 .少1さ 1れ1る 1傾1向 1が1あ .う1、 1而■も ︳そヽれ ●は■一 l皮l知 I識.階 ︳級1或 .は1上 .中1流 1に1環 1が■る ︳亡l、 lたlぐ lち■に l停l止 lす1る −︳llllllヽll っ 肝かい肘掛か†砂肝がかやかかかすい卦禦Jが牢かかかで 、口論、野㍗け増野附か分紛い紛いγ卿 (48)高野岩三郎 前出 lなlろ l事l智 ・で■あ lるl。 ■l か ﹃子女に封する慾望﹄に影響する外的條件に.ついて、,いゝに一々論究することは私には不可解 なる仕事である。。だが高野博士の所謂、﹃出生率を低下せしむる原因、家計の形成及び維持を困難 ならしむろ融合的霹済状態が著しく有力に働くやうになった﹄匹こどヽ並に一般の経済的癒利の .

槍準民族の文化的螢展・就中、教育の此俊的速かなる普及の影攣精紳生宿並びに道徳的生活 の感細になってゆくこビミ好人啓鋤の増加等・諸種の問題がこ1に提供されるのである0 ゎが邦経済国者の言に従へば、わが邦の経済的螢達を大体三期に分けることが出凍る0その節 蒜慧清撃から日露戦役に至晶芸ふのであって∴1の時代に於1是の資本主義的軋 骨組織はその基礎を造られた。日露職甲によって・日本は世界的な地位に達し・この後わが資本 主義的政令組織は長足の進歩を㌣げた0そして大産業的融合組餓披、全図に渉って盛大になって いった、晶時に、国民の知識は教育の普及ぎーもに非常なる進歩を凍した0か1る就態のもさ に、個々の人間はその白々の牡合的乃至個人的地位についでの白鼠㌢得るようになり、人間生活 の自由に封する欲求は、いたる所で叫ばれることになった。掃人の配合的地位も・この間に・外 的状態からも、又は婦人それ自身の内面からも慶化せざるを得なかった。以前には、めつたに家 庭外に出なかった日本婦人も、家族を補助し、自ら生活を螢むセめに街頭に出往くてほならなく なった。そ←でかゝる状態の間に、家計維持の闇難は.世界交通の開けゆくにつれ・人口の増加 につれて、..絶へや増加したのである。 世界大戦によって、日本は資本主義的融合組織の第三期に入ったのであってこ∼に資本主義 381 わが邦出産率の鑓昏生物学的関察 .

わが邦拍養率の杜含生物学的碑察 六四 的赦魯組織の土釜は確立されたので点ると云はれる。 382 前に逓べたやうに、一般教育の普及、程蹄的頑利の埼進、婦人の産業への塵加、子女の教養の 困難になり行くこミ等誓文北国に於ける生産率の減少の條件だして考へられて凍ねのである が、これら生産率に消極的影響を及ぼす雪Jろの諸事項は、凡てこれ、近代に於ける就含組織の 螢達に仲ふ鴎件現象であることは否むこ亡が出水ないであろう。 而してか1る鹿骨的慶超の下に於で、民族の一般心理的傾向は、甚だしく利己的になってゆく (49)河上撃 資本主畏短済撃の史的葺裏 60Ⅰ支 ヽ.ノ こ亡は禽然のこ亡である。河上博士四はその著書に於で﹃現代の日本に於七、新らしい思想にめ ざめただmせらる,連中の大軍は、今漸く資本主義的にめざめつーあるのであって、彼等が甚だ ∴しき利己主義を道徳的是認の下に振り廻しっゝあるのはそのためである﹄軍述べられてゐるよ うに、わが邦近代の人心は恐ろしく利己的に進んで雄花。そしてこの利己是認の思想は、やがて ﹃個人が各自の娯栗︵⋮lぎー︶、快楽︵ple琶re︶、享柴︵e首竃邑︶を追及するこミ徒つ一て、こ (50)同  上 4耳 れが手段たる富を追求する亮を二般的に是認し、之領に拘束を加へや、その自由に放任する こ亡によか、初めて祀骨の費達を耕し最大多数の幸頑を賓現するこ亡を得べし草云ふ思想﹄戸が ﹂般的は民族の中に浸入しけだ解していゝのであろう。 .

− − − 1 − − − − − − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − − − − 1 − − − − − 1 1 1 即ち品戦甲以凍、■特に世界大戦以雄志が民族の間に・遠のユう怠己男量聖的傾向 が資本義的音義の漸蒜完成の中に、漸く増向し管・か∼る心理的乃至悪的傾向が、 、 l 、 、 − 1 − − − − − 1 ▼ ■ 、 、 − − − − − − I I − − 1 − − − − − − − − − − 1 − 1 1 1 こ こ 、 こ こ ニ ー − 1 ▼ + 1 − − 1 ▼ 二 二 二 二 −   ニ ー 、 二 二 二 ニ ー 1 1 嘗民族の埼男並墓書誌の上靂用し雪空昆・欧洲合の史的憲に散tで・患 − 、 I I − − 1 − − − − − − − − − − − − 1   1 、 切の場合に於でも是認される守であろうご恩ふ。 元響人間の据警管は、・その本能的機讐同時豊諾成畳が結びついてゐる○そして種 、 、 、 − − − − − 1 − − − − − − − − − − 1 ▼ ■ l ▼ ▲ 1 − − − − − − − − − − 1 ▼ 、 ■ 1   − 1 1 1 、 、 1 − − − − − − − − − − − − − − − − − − I I I I I − 1 − − − − − − − − 1 1 1 1 1 の保存kついての行鰯は・随時に強い革琵成警粕結んで雪の・で雪0由して菅文化豊 速程度に於では、享楽は・常にか1る本館的遠望の満足の外に・豊克て警のであって・ 、 、 、 I I 1 − − − − − − − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − − − 1 − − − 1 1 1 、 l 、 、 − − − 1 − − − − 、 、 − − − − − − 1 − − − − − − − − 1 − − − − − − − 1   1 文化の進むに従って二藁的生活は爛熟せられ、餓細に苦、忘化されてくればくるほざ・こ 芸然的慾誓、その豪的孟芸露は霊的に行はれることになるのである0即ちこゝ 、 − 1 − − − − − − − − − − 1 ▼ ▲ − − − − − − − − − − 1 − − − − − − − − − − −   1 1 1 1 に、増苑生活の理性化の時代が始まるのである。 −   、 1 − − − − − − − − − − − − − ′ − − 1   1 易は是の彗廿年の昔的雷∵1㌢その昔露的霊のあ妄雪につけて・わが 民族が、・か1る時代を霧過しっ1あるのではなかろうか孟£lこ考へる次讐ゐ︵一てIかlる 鮎から云へは、自分は、朗静﹃心理的倣件の干渉﹄が既にわが出産率め上に加へられつ去るの ではなかろうかど云ふことは辟若せねばならないのである。. 383 ゎが邦出席率の穀倉生物草的軌儲 .

六大 わが邦出産率の吐合生物学的軌察 由4 第 九 結. こゝで自分は、以上の論述から得た飽満的観察を述べ.て本編を結ぼうご恩ふ。 、 ︵ィ︶ 歯学的乃至融合生物翠的方面からは説明が つき兼ねるこざ 自分は﹁讐﹂から﹁第巴までの鮮蓮に於て、出産率を左右する諸事項に就いて、藍星物琴 的乃至牡合宿生撃的立場から観察を下した。 そし苗床率夢の傾向が・わが国人口統計舌現はれ聖でゐるこ嘉事等雪,㌻を指 摘し・その減少は・わが民族の年齢痛嘆並に二とくに蝦孝期に細管する婦人の敦に、直接的関 係のないこ妄志した0しかのみならず・欧芸国に於けち近代の崇率の消長は・.往々にし て人口の年齢構成の滑長だ並行してゐない事賓からごり万両まする出産率減少の説明の出水 がたいこ草を論じた。                          一 次に・自分は始期挙の上から説明せんビ企てたのであるが1在家のま、主張満た、出産婚姻 .

率の並行説は現在の欺態に於では・是認Lがたいこざ官軍嘗上証明し、現在わが邦の出産率減少 が娼姻率に左右されてゐる古記明するためには、その諭接が甚だ渾弱であることを主張し︰Jの 二者は相異なる稲片の法則に左右されてゐるものであるこ亡に結諭せねばならなかった0 次に、自分は、婚射年齢の慶化ざ揖産率との騙係を開明せんビ企てた。そして日本に於ける女 子婚姻年齢は大体に於て、出産率を促進すべきやうな方向に陸化して水化にもからはらす・貰際 に於ては、出産率は減少の傾向を示して今日に至った0だからして婚姻年齢の方面からもー最近 訂崖率減少傾向の原因を説明することは出凍なかった。 更に進んで、自分は、生理的娘率カに影響し得べき四五の事項・由ち屈温・花柳病、括精・精 油作業、過剰粂責等の方面から、出産率減少の傾向を説明するに足る材料を蒐集せんと企てたの であるが、わが周に於けるこの方面の研究、並に文献の不足は、自分をして十分に突き込んで論 述することを許さなかった。だが、それでも伺・自分は、これらの生理的姫孝カ・ぜ左右する諸事 項から、近代各文化民族に共通在る出産垂疲少なる敢骨現象が説明され得るものであることを主 張するほざに大臍にはなれない。むしろこれらの諸事項はある限度に於でのみ碍産率を左右する こ亡が出凍るのであって、−股生高率の減少、或は各民族に共通なる出産率減少の傾向を・この 335 わが郵出定率の吐合生物撃的崇 .

わが邦出産率の藍星物撃的視察                 六八 方面から説明しょぅ芸ふこ昌、少しく考慮を要する芸ふ見解を有す計のである。即ち偏 3S6 柳警しても、怠民の大部票これに誓れでゐる嘉島管見ないし・莞酒精賢賢 の大部分が鼻はれ、その第二世代.がこれによっで、多く傷写されてゐる串質を怨めることが出水 ないのである0枚に以上の四節に捗る論究の諸点から、最近面出産率の経過を詑明せんご企てる ことは・極めて賓証に乏しいご云ふこ亡に結宕せねばならない。 完二年十月三上ル︵冨︵−ユが.覇泡の欝串間題についでの科挙的朋究合の討議に於で﹃曙 苑能力の減少は、いかにしてきれを嘗証するごむは出払ない﹄嘉じ、叉これご前後して、彿 国のランネロ−三−︵1Ml⋮−e−妄glle︶︵⋮u算1−e−⋮e−こー肇ed、−温elle思川丘の創設者である が・冠代の子供の少なくなつたこ亡は・フランス民族が機餞的に劣弱になったことには蹄関し てゐない﹄主張するこピー及び・スク;ンの赦骨学者がンタス、プアルペック︵冒︷u昌〒 書きーハ︶が完二年民族衛生国際合議に於て亘今日に於では最早出産率の減少は増殖能力の低 下のねめである亡者へるものは誰トゐ甘い0増殖能力を支配する諸條件にょって出産率の低下が あらほれてゐるものだすれば・欧洲諸民族はとっくの苦しに退化してしまったであケう﹄と論じ てゐるが・自分も亦、わが出産率の経過姦しで・これらの諸家の近代出産率に封する詮賢賛 .

同せざるを得ないのである。 ︵P︶ 経済的乃至心疫的説明の重要なること 然らばわが邦に於いて、最近に認められた出産率の戒タについて、吾々は何を考へ得べきであ るか、そは云ふjでもなく.その経臍的乃至心理的の考究である。 自分は本論文﹁第五﹂に於で、わが出産率が都合に於で特に低率なるこざ哲指摘し、而も商工果 都市たる大阪市に於では、その田舎の出産率に比して減少の度の大なる事欝を奉げたのである。 而して日本の人口の重心は、今や漸次に田舎IT。都合にうつbつゝある事賓が明瞭であるから、 もし都合に放ける出産率が、脾水に於tも現在の傾向を特損するものどせば、′わが邦出産率は、 備漸次減少しなければならない蓮命をもってゐることを指摘したのであった。 去ふよでもなく、大都合の愚生並にその隆大なる敬遠は、近世に於ける文化的財産の核心をな l l l l l l l l l l l l l   1   −   −   −       、   ■ −   I I I   −   1   、   l   、   −   、   、   、   、   、 してゐる0こlに吾皐は最も顕著に現代の諸散を認識することが出凍るのである。而してわが邦 l   ヽ   l l       1   − − − − − − −   − − 、   I I I   −   I I I I I   −   1 ■   ■ − − − −   1   − − − −     、 、 、   、   l   、 に於で見る上述の如き都市生産率に於ける特色も亦.近代文化の一朗産であるご取る所に.わが l l l l l l   1   − −   1 ▼   ■ − − −   1   − 1   − − −   1   − − −     − −   1   − − − − − − − − − − − 、 −     、   I 邦出産率に関する閉息の重心が存在するのである。 ■ ︳   l l l l l l l   1   −   −   1   1   1   1   、   l I I I l   、 も87 わが邦出産率の社台生物撃的摂察 六九 .

わが邦出産率の社命生物蟹的織察 自分法主元本論文﹁第六﹂、﹁第七﹂及び﹁第八﹂に於で、わが邦五叶年の文化道程中、最も重要な 828 ちご思考さる、文化的所産、即ち科挙の興隆並に諸工垂の発達より購凍された一般的教育の普 及、及び産業の勃興.ひいて披国民の脛臍的福利の一般的増進、換言すれば、わが民族の上に、 五十年凍間断なく作用し績けた融合的乃至経済的螢展が、民族の心理的傾向に慶動を輿へる導因 だふナウ、より自由なる人間生活の欲求.菖道徳の漸次的な構成の失落、及び民族に於ける利己的 道徳是認の埼大を誘致したのである。即ち個人主義的乃至資本主義的道徳が最近に於でわが民族 を支配し始めるごどもに、民族の草葉的傾向は氾ケその濃度を増し凍り、こ∼に﹃子女の教をな るべく少なからし虻んことを希ふ﹄やうな心理を番生し、この心理が、樹殖力並に生布置志に働 いて、出産率を減少せしめる傾向に向はしめたのであろう軍配黍することは、決して誤った考察 ではないご恩ふのである。 即ち、わが民族は、最近に於けるわが邦の個人主義的乃至資本主義的人生観の費達から、各々t l l l l l ●   l l l l l l   ■ ︳   − ︳   l   ■ l l   ・ l   、 l l l l   ヽ   ■ l l l   ■ 1   −   1   ■ ︳   l   、     t l l l l l l l その敢魯生活の藁境に相脛して、各自の生殖意志だ増殖カとの上に、何等かの方法によって、あ t ●   l l l l l l l   ヽ   l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l   ・ l l l l l l l l l る制限を加へることを希ふやうになって射たのである。そしてかゝj民族の心理的傾向が、民族 l l     1     −     ■ 1   − 1     1   . ︳     l l l l   ■ l l l l l l l   ▲ l l l l l の生殖生活の上に作用して、こ∼に出産率減少の傾向を生み出したのである。. .

以上の理由からして、わが氏族の培殖カの理性化.叉は現代に於ける性慾生活の理性化を以て 最近出産率減少傾向の原因と見るこ草は、誤耳ではないご恩ふ。そしてわが民族は、その以前の 非理性的な増殖の時代から、漸次、白壁ある理性的埠苑の時代に入って凍ねのであるだ云ふこと が出凍るご恩ふ。両もこの事賓は、わが民族の眉近の蚤展、及びその文化的所産から観察して、 必然的な歴史的道程をたぎつてかるものである亡者ふべきである。 追記、 本論文を丁寧に校閲して下さった永井、高野駒先生に厚く掛蕗を申し上げる。侍に高野先生は、先生の人口畢上 の見地から.私の儲越に封して稜々憩箆なる批評を奥へられた、それによって私は〓三石統計を附加し、改軽を 加へた弘のあることを附記しておく。 389 わが邦出産率の紐含生物撃的観察 .