『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六

『経典』に学ぶ

妙法蓮華経如来寿量品第十六
経文
われ ほとけ え このかた へ ところ もろもろ こっ しゅ む りょうひゃくせん まん
我 仏 を得 てより 来 。経 たる 所 の 諸 の劫 数 。無 量 百 千 万 。億載阿僧 (おくさ
つね ほう と む しゅ おく しゅ じょう きょう け ぶつ どう い
いあそうぎ)なり。常 に法 を説 いて。無 数 億 の衆 生 を 教 化 して。仏 道 に入 らしむ。
しか このかた む りょうこう しゅ じょう ど ため ゆえ ほう べん ね はん げん しか じつ
爾 しより 来 無 量 劫 なり。衆 生 を度 せんが為 の故 に。方 便 して涅 槃 を現 ず。而 も実
めつ ど つね ここ じゅう ほう と われ つね ここ じゅう もろもろ じん づう りき
には滅 度 せず。常 に此 に 住 して法 を説 く。我 常 に此 に 住 すれども。 諸 の神 通 力 を
もっ しゅ じょう ちか いえど しか み しゅ わ めつ ど
以 て。 倒(てんどう)の衆 生 をして。近 しと 雖 も而 も見 ざらしむ。衆 我 が滅 度 を
み ひろ しゃ り く よう ことごと みな れん ぼ いだ こころ しょう
見 て。広 く舎 利 を供 養 し。 咸 く皆 恋 慕 を懐 いて。 仰(かつごう)の 心 を 生 ず。
しゅ じょうすで しん ぶく しち じき いっ しん ほとけ み
衆 生 既 に信 伏 し。質 直 にして意柔 (こころにゅうなん)に。一 心 に 仏 を見 たて
ほっ みずか しん みょう おし とき われ およ しゅ そう とも りょうじゅ せん い われ
まつらんと欲 して。 自 ら身 命 を惜 まず。時 に我 及 び衆 僧 。倶 に 霊 鷲 山 に出 ず。我
とき しゅ じょう かた つね ここ めっ ほう べん りき もっ ゆえ めつ ふ めつ げん
時 に衆 生 に語 る。常 に此 にあって滅 せず。方 便 力 を以 ての故 に。滅 不 滅 ありと現 ず。
よ こく しゅ じょう く ぎょう しん ぎょう もの われ また か なか おい ため む じょう ほう と
余 国 に衆 生 の。恭 敬 し信 楽 する者 あれば。我 復 彼 の中 に於 て。為 に無 上 の法 を説
なん だち こ き ただ われ めつ ど おも われ もろもろ しゅ じょう み く かい
く。汝 等 此 れを聞 かずして。但 我 滅 度 すと謂 えり。我 諸 の衆 生 を見 れば。苦 海 に
もつ ざい かるがゆえ ため み げん そ しょう
没 在 せり。 故 に為 に身 を現 ぜずして。其 れをして 仰(かつごう)を 生 ぜしむ。
そ こころれん ぼ よ すなわ い ため ほう と じん づう りき かく ごと
其 の 心 恋 慕 するに因 って。 乃 ち出 でて為 に法 を説 く。神 通 力 是 の如 し。阿僧 劫
おい つね りょうじゅ せん およ よ もろもろ じゅうしょ しゅ じょうこう つ
(あそうぎこう)に於 て。 常 に 霊 鷲 山 。及 び余 の 諸 の 住 処 にあり。衆 生 劫 尽 き
だい か や み とき わ こ ど あん のん てん にん つね じゅうまん おん
て。大 火 に焼 かるると見 る時 も。我 が此 の土 は安 穏 にして。天 人 常 に 充 満 せり。園
りん もろもろ どう かく しゅ じゅ たから しょうごん ほう じゅ け か おお しゅ じょう ゆ らく ところ
林 諸 の堂 閣 。種 種 の 宝 をもって 荘 厳 し。宝 樹 花 果 多 くして。衆 生 の遊 楽 する 所
しょ てん てん く う つね もろもろ ぎ がく な まん だ ら け ふ ほとけおよ だい
なり。諸 天 天 鼓 を撃 って。常 に 諸 の伎 楽 を作 し。曼 陀 羅 華 を雨 らして。 仏 及 び大
しゅ さん わ じょう ど やぶ しか しゅ や つ う ふ もろもろ く のう かく ごと
衆 に散 ず。我 が 浄 土 は毀 れざるに。而 も衆 は焼 け尽 きて。憂 怖 諸 の苦 悩 。是 の如
ことごと じゅうまん み こ もろもろ つみ しゅ じょう あく ごう いん ねん もっ
き 悉 く 充 満 せりと 見 る。是 の 諸 の罪 の衆 生 は。 悪 業 の因 縁 を以 て。阿僧 劫
す さん ぼう みな き もろもろ あら く どく しゅ にゅう わ
(あそうぎこう)を過 ぐれども。三 宝 の名 を聞 かず。 諸 の有 ゆる功 徳 を修 し。柔 和
しち じき もの すなわ みな わ み ここ ほう と み ある とき こ しゅ ため
質 直 なる者 は。 則 ち皆 我 が身 。此 にあって法 を説 くと見 る。或 時 は此 の衆 の為 に。
ぶつ じゅ む りょう と ひさ いま ほとけ み もの ため ほとけ あ
仏 寿 無 量 なりと説 く。久 しくあって乃 し 仏 を見 たてまつる者 には。為 に 仏 には値
がた と わ ち りき かく ごと え こう てら む りょう じゅ みょう む しゅ こう ひさ ごう
い難 しと説 く。我 が智 力 是 の如 し。慧 光 照 すこと無 量 に。寿 命 無 数 劫 。久 しく業 を
しゅ う ところ なん だち ち もの ここ おい うたがい しょう まさ だん
修 して得 る 所 なり。汝 等 智 あらん者 。此 に於 て 疑 を 生 ずることなかれ。当 に断 じ
なが つ ぶつ ご じつ むな い よ ほう べん おう じ
て永 く尽 きしむべし。仏 語 は実 にして虚 しからず。医 の善 き方 便 をもって。狂 子 を
じ ため ゆえ じつ あ しか し よ こ もう と
治 せんが為 の故 に。実 には在 れども而 も死 すというに。能 く虚 妄 を説 くものなきが

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 ごと われ また こ よ ちち もろもろ く げん すく もの ぼん ぶ 如 く。我 も亦 為 れ世 の父 。 諸 の苦 患 を救 う者 なり。凡 夫 の 倒(てんどう)せる もっ じつ あ しか めっ い つね われ み もっ ゆえ しか を為 て。実 には在 れども而 も滅 すと言 う。常 に我 を見 るを以 ての故 に。而 も 恣(き こころ しょう ほう いつ ご よく じゃく あく どう なか お われ つね しゅ じょう ょうし)の 心 を 生 じ。放 逸 にして五 欲 に 著 し。悪 道 の中 に堕 ちなん。我 常 に衆 生 どう ぎょう どう ぎょう し ど ところ したが ため しゅ じゅ ほう と の。道 を 行 じ道 を 行 ぜざるを知 って。度 すべき 所 に 随 って。為 に種 種 の法 を説 く。 つね みずか こ ねん な なに もっ しゅ じょう む じょうどう い すみや ぶっ しん じょう 毎 に 自 ら是 の念 を作 す。何 を以 てか衆 生 をして。無 上 道 に入 り。速 かに仏 身 を 成 じゅ え 就 することを得 せしめんと。 現代語訳 わたし ほとけ た じかん むりょう むげん わたし 「 私 が 仏 となってから、これまでに経 った時間 は無量・無限 です。そのあいだ 私 は、 つね しんじつ おし と むすう しゅ じょう きょう け ぶつどう みちび 常 に真実 の教 えを説 き、無数 の衆 生 を 教 化 して仏道 に 導 きました。そのときからも むりょう つきひ た また、無量 の月日 が経 っているのです。 わたし しゅじょう すく しゅだん ひと よ すがた け 私 は 衆 生 を救 う手段 の 一 つとして、 この 世 から 姿 を消 したこともありますが、 じっさい めつ ど にゅうめつ つね しゃ ば せ か い ほう と 実際 は滅 度( 入 滅 )したのではなく、常 にこの娑 婆 世界 にいて法 を説 いているのです 。 わたし つね せかい じゆうじざい じん づう りき 私 は常 にこの世界 にいるのですが 、自由自在 な神 通 力 によって、 倒(てんどう)し なに じ ぶ ん ちゅうしん かんが しんじつ み しゅじょう すがた ている(何 ごとも自分 中 心 に 考 え、ものごとの真実 を見 ようとしない)衆 生 には 姿 み が見 えないようにするのです。 しゅじょう わたし にゅうめつ み しゃ り く よう しんけん 衆 生 は、 私 が 入 滅 したのを見 て、舎 利 をまつって供 養 をし、そこではじめて真剣 ほとけ おし もと こころ お ぐ どう こころ お しゅじょう おし に 仏 の教 えを求 めようという 心 を起 こします。 求 道 の 心 を起 こした 衆 生 は、教 え こころ しん やわ すなお こころ ほとけ じかく え いのち を 心 から信 じ、柔 らかく素直 な 心 で、仏 とともにいるという自覚 を得 ようと、命 を お しんけん どりょく も惜 しまないほどの真剣 さで努力 します。 ひと おお わたし で し よ で わたし つね このような人 びとが多 くなれば、 私 は弟子 たちとこの世 に出 てきて、 『 私 は常 にこ きょうけ しゅだん ひつよう おも にゅうめつ み こにいますが、教化 の手段 として必要 だと思 われるときに 入 滅 を見 せるのです。また、 せかい いがい ばしょ ただ おし うやま しん き ねが ひと この世界 以外 の場所 でも、正 しい教 えを 敬 い、信 じ、聞 きたいと願 う人 たちがいれば 、 わたし ひと まえ あら むじょう ほう と しゅじょう かた おお ひと 私 はその人 たちの前 にも現 われて無上 の法 を説 きます』と 衆 生 に語 ります。多 くの人 し わたし めつど おも こ は、このことを知 らないために、 私 が滅度 するのだと思 い込 んでいるのです。 ほとけ まなこ しゅじょう み おお ひと く うみ しず くる 仏 の 眼 で 衆 生 を見 ると、多 くの人 は苦 の海 に沈 んで、苦 しみもがいています。さ わたし み あら しゅじょう みずか ほとけ もと き も お ればこそ、 私 はわざと身 を現 わさないで、 衆 生 に 自 ら 仏 を求 める気持 ちを 起 こさ せるのです。 ほとけ れん ぼ こころ ひと お み あら ひと ほう 仏 を恋 慕 する 心 が人 びとに起 これば、すぐに 身 を現 わして、その 人 たちのために法 と ほとけ じんづうりき むげん か こ むげん みらい を説 きます。仏 の神通力 とはこのようなものであって、無限 の過去 から無限 の未来 ま しゃば せかい た せかい ほとけ そんざい で、娑婆 世界 およびその他 の世界 に 仏 は存在 しているのです。 しゅじょう め み せ か い ぜんたい たいか や じだい ほとけ 衆 生 の目 で見 ると、世界 全体 が大火 に焼 かれてしまうような時代 になっても、仏 の .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 くに あん のん てんじょうかい もの にんげんかい もの あつ たの せいかつ おく 国 は安 穏 であって、天 上 界 の者 や人間界 の者 がたくさん集 まり、楽 しい生活 を送 って うつく はなぞの しず はやし ひかりかがや ほう ぎょく かざ りっぱ たてもの います。 美 しい花園 や静 かな 林 、 光 輝 く宝 玉 によって飾 られた立派 な建物 がたく き ぎ うつく ばな さ ゆた み した ひと さんあります。木々 には 美 しい花 が咲 き、豊 かな実 がなっていて、その下 で人 びとは なん うれ あそ てんにん たえ おんがく かな まん だ ら け はな あめ 何 の憂 いもなく遊 んでいます。天人 は妙 なる音楽 を奏 で、曼 陀 羅 華 の花 びらを雨 のよ ほとけ ひと うえ さん うに、 仏 や人 びとの上 に散 じています。 ほとけ め み せかい へいわ うつく しゅじょう め み 仏 の眼 から見 た世界 は、このように平和 で 美 しいのですが、衆 生 の目 から見 ると、 たいか や ふあん きょうふ み み あたかも大火 に焼 かれるがごとく、不安 や恐怖 に満 ちているように見 えるのです。こ しゅじょう おこ つ かさ なが ねんげつ た さん ぼう ぶつ のような 衆 生 は、よくない行 ないを積 み重 ねるために、長 い年月 が経 っても三 宝(仏・ ほう そう な き 法 ・僧 )の名 を聞 くことができません。 はんたい よ ひと ぜんこう こころ にゅう わ すなお もの わたし 反対 に、世 のため人 のためにさまざまな善行 をなし、 心 が 柔 和 で素直 な者 は、 私 つね ほう と すがた み じかく がいつもそばにいて常 に法 を説 いている 姿 を見 る(自覚 する)ことができるのです。 ひと たい ほとけ じゅみょう かぎ む し そのような人 びとに対 して、あるときは『 仏 の 寿 命 は限 りないものであって、 無始 むしゅう と なが ほとけ そんざい し ひと 無終 である』と説 きます。長 いあいだかかって、ようやく 仏 の存在 を知 った人 には、 ほとけ で あ むずか で あ よろこ むね きざ おこた はげ 『 仏 に出会 うことは 難 しいのだから、いま出会 えた 喜 びを胸 に刻 んで、 怠 らず励 む と のですよ』と説 くこともあるのです。 ほとけ ち え ちから おお ち え ひかり て せかい 仏 の智 慧 の 力 はこのように大 きいものであり、その智慧 の 光 が照 らしだす世界 は むりょう ほとけ じゅみょう むりょう なが ぜん ごう つ え じゅみょう 無量 です。また、仏 の 寿 命 も無量 であって、それは長 いあいだ善 業 を積 んで得 た 寿 命 なのです。 ち え もと ほとけ じゅみょう えいえん ち え ほんとうの智慧 を求 めようとしているみなさんは、仏 の 寿 命 が永遠 であり、智慧 の ちから むげん うたが うたが お まよ こころ 力 が無限 であることを 疑 ってはなりません。もし、疑 いを起 こすような迷 いの 心 が えいきゅう た き ほとけ ことば しんじつ あれば、 永 久 に断 ち切 ってしまわなければなりません。 仏 の言葉 は、すべて真実 な のです。 さき の たと ばなし どく の ほんしん うしな こ なお 先 に述 べた譬 え 話 において、毒 を飲 んで本心 を 失 ってしまった子 どもたちを治 す い し よ ほう べん じっさい し し つ ために、医師 が善 い方 便 をもって、実際 は死 んでいないのに『死 んだ』と告 げさせた おな ほとけ すがた み けっ ことを、だれもとがめたりしないのと同 じように、 仏 が 姿 を見 えなくするのも決 し いつわ てうそ、 偽 りではありません。 わたし ちち よ ちち くのう かか しゅじょう すく もの しゅじょう 私 は父 です。世 の父 です。さまざまな苦悩 を抱 える 衆 生 を救 う者 です。いつも 衆 生 くる のぞ ぼん ぷ こころ のそばにいて、その苦 しみを除 こうとしているのですが、凡 夫 の 心 が 倒(てんどう) しんじつ み め さ しているので、その真実 を見 ることができません。そこで、その目 を覚 まさせるため じっさい じ き すがた け つ に、実際 はそばにいても『時期 がくれば 姿 を消 すのだ』と告 げるのです。 ほとけ あ しゅじょう こころ しょう もし、いつでも 仏 に会 えるのだということになれば、衆 生 にわがままな 心 が 生 じ ごよく しゅうちゃく おのれ よくぼう しゅ ら あらそ せかい じごく いか て五欲 に 執 着 する( 己 の欲望 にとらわれる)ため、修 羅( 争 いの世界 )や地獄(怒 せかい あくどう くる じんせい あら りの世界 )などもろもろの悪道 の苦 しみが人生 に現 われてくるのです。 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 わたし しゅじょう つね み もの ほとけ みち ぎょう もの 私 は 衆 生 のすべてを常 に見 とおして、ある者 はよく 仏 の道 を 行 じており、ある者 ぎょう し つ しゅじょう こころ おし りかい は 行 じていないということを知 り尽 くしていますから、衆 生 の 心 がけや教 えを理解 ちから おう てきせつ ほうほう えら ほう と する 力 に応 じて、適切 な方法 を選 び、さまざまに法 を説 いてあげるのです。とはいえ、 しゅじょう たい わたし ほんしん すこ か しゅじょう ほとけ みち どんな 衆 生 に対 しても、私 の本心 は少 しも変 わりません。どうしたら 衆 生 を 仏 の道 みちび い すみ ほとけ きょうち たっ に 導 き入 れることができるだろうか、どうしたら速 やかに 仏 の境地 に達 せしめるこ つね ねん とができるだろうかと、常 にそれのみを念 じているのです」 じん づう りき い じんづうりき しゅぎょう え ふ し ぎ ちから 〈神 通 力 〉――ここで言 う神通力 とは、修 行 などによって得 られる不思議 な 力 という く おん じつ じょう ほんぶつ うちゅう いっさい い こんげん ことではありません。 久 遠 実 成 の本仏 は、 宇宙 の一切 のものを 生 かしている 根源 の だいせいめい じゆうじざい ちから も ちから ひょうげん 大生命 ですから、自由自在 の 力 を持 っておられます。その 力 を 表 現 しているのです。 りょうじゅ せん しゃくそん ほけきょう と ばしょ りょうじゅせん 〈 霊 鷲 山 〉―― 釈 尊 が法華経 を説 かれた場所 が 霊 鷲山 であったために、こうおっし まこと い み よ わたし ほとけ おし ゃられたのであって、 真 の意味 は「この世 」ということです。 私 たちが 仏 の教 えを き ばしょ りょうじゅせん 聞 くところは、どんな場所 であっても、そこが 霊 鷲山 なのです。 よ こく しゃ ば せ か い い が い こくど うちゅう ばしょ 〈余 国 〉――娑 婆 世界 以外 の国土 ということですが、 宇宙 のありとあらゆる 場所 とい い み う意味 にとらえるといいでしょう。 まん だ ら け てんじょうかい さ はな み ひと こころ よろこ うつく 〈曼 陀 羅 華 〉―― 天 上 界 に咲 く花 で、見 る人 の 心 を 喜 ばせずにはおかない、 美 しい はな 花 のことです。 つみ しゅ じょう ぶっきょう つみ かなら わる い み 〈罪 の衆 生 〉―― 仏 教 でいう罪 とは、 必 ずしも悪 いことをしたという 意味 だけでは ぼん のう ふ まわ みずか ぶっ しょう なく、煩 悩 に振 り回 されて、自 らの仏 性 をくらましてしまっていることもいいます。 さん ぼう みな き ほとけ あ ほとけ おし おし 〈三 宝 の名 を聞 かず〉―― 仏 さまに会 うことも、 仏 さまの教 えにふれることも、教 え もと なかま い きかい めぐ を求 める仲間 に入 れてもらう機会 にも恵 まれないということです。 え こう む りょう ほとけ ち え ひかり て せかい むりょう 〈慧 光 無 量 〉―― 仏 の智 慧 の 光 が照 らしだす世界 は無量 であるということは 、いつ、 ばしょ まよ やみ しゅじょう すく ちから あた ぶっしょう かがや はたら いかなる場所 でも、迷 いの闇 にいる 衆 生 に救 いの 力 を与 え、 仏 性 を 輝 かせる 働 き ひと かなら しんり め ざ をするということです。したがって、すべての人 が 必 ず真理 に目覚 めることができる い み という意味 です。 意味と受け止め方 えいえん い 永遠のいのちに生 きる しゃくそん たと ばなし か こ せ ものがたり もち にんげん ほんしつ ぶっ これまでに 釈 尊 は、 譬 え 話 や過去世 の 物 語 などを用 いながら、「人間 の本質 は仏 しょう かえ と せっぽう き ひと 性 である」ということを、くり返 しお説 きになられました。説法 を聞 いていた人 びと じゅんじゅん みずか ほんぶつ あら め ざ じぶん ほとけ こ も 順 々 に、 自 らが本仏 のいのちの 顕 われであることに 目覚 め、自分 が 仏 の子 であ .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 じかく た るという自覚 に立 つことができるようになってきました。 ひと しんきょう たか み しゃくそん さいこう しんじつ う 人 びとの 心 境 が高 まったことを 見 きわめられた 釈 尊 は、いよいよ最高 の真実 を打 あ おとず はんだん ほとけ ほんたい ほとけ ちから はたら ち明 けるときが 訪 れたと判断 されます。そして、 仏 の本体 と 仏 の 力 ( 働 き)につ あき いて明 らかにされるのです 。 ほとけ ほんたい むげん か こ むげん みらい く おん じつ じょう うちゅう つまり、 仏 の本体 は無限 の過去 から無限 の未来 まで(久 遠 実 成 )、あまねく宇宙 に へん まん おお えいえん ほんぶつ ほんぶつ ばんぶつ い ちから 遍 満 している大 いなる永遠 のいのち(本仏 )であり、本仏 が万物 を生 かす 力 は、いつ か えいえん そんざい おし でもどこでも変 わることなく永遠 に存在 することを教 えられるのです。 ほとけ おし わたし これは「 仏 」についてだけ教 えられたものではありません。 私 たちのいのちもま えいえん しめ わたし ほんぶつ た永遠 であることを示 してくださっているのです。なぜならば、私 たちはみな本仏 の あら ほんぶつ ひと いのちの顕 われであり、本仏 と一 つのいのちにつながっているからです。 にんげん にくたい かなら し むか たいせつ 人間 としての肉体 は、やがて 必 ず死 を迎 えます。それはちょうど、どんなに大切 に ふく ふる やぶ す おな している 服 でも、いつかは 古 び、破 れて、捨 てるときがくるのと同 じです。しかし、 わたし ほんしつ にくたい ぶっしょう ほんぶつ いったい えいえん 私 たちのいのちの本質 は肉体 ではありません。 仏 性 、すなわち本仏 と一体 の永遠 の いのちです。 かいちょうせんせい ちょしょ しんでん たがや 会 長 先生 は、ご著書 『心田 を 耕 す』のなかで、このように述べられています。 にんげん ゆうげん わたし む じょう ほう えいえん しんり ほう にんしき 「人間 のいのちは有限 ですが、 私 たちは無 常 の法 、永遠 なる真理・法 を認識 できる のうりょく そな わたし ゆうげん そんざい むげん 能 力 を具 えています。それは、 私 たちが有限 な存在 でありながら 無限 にふれること えいえん れんけつ むじょう ほう ができ、つまり永遠 のいのちにジョイント(連結 )できるということです。無常 の法 にんしき えいえん し つう ゆうげん にんげん むげん ほう を認識 することは、永遠 のいのちを知 ることに通 じます。有限 なる人間 が無限 なる法 けち えん えいえん い つづ にふれ、結 縁 することによって、永遠 に生 き続 けているのです」 ばんぶつ い ほんぶつ はたら しんり ほう はたら はたら わたし 万物 を生 かす本仏 の 働 きとは、真理・法 の 働 きそのものです。その 働 きは、 私 た み そとがわ うちがわ あら えいえん しんり ほう わたし ちの身 の外側 にも内側 にも顕 われています。ですから、永遠 なる真理・法 は、 私 たち のいのちそのものなのです。 しんじつ こころ そこ かくしん わたし にくたい し にんげん この真実 を 心 の底 から確信 できたとき、 私 たちは「肉体 の死 」という、人間 とし こんぽんてき きょうふ くのう と はな おお えいえん い ての根本的 な恐怖 ・苦悩 から解 き放 たれます。そして、大 いなる永遠 のいのちに生 か い よろこ あじ にんげん う しん もくてき みずか されて 生 きる 喜 びを 味 わいながら、 人間 として 生 まれた 真 の目的 である、「 自 らの せいちょう こうじょう よ ひと こうけん む あゆ だ 成 長 ・ 向 上 」と「世 の人 びとへの貢献 」に 向 かって、いきいきと歩 み出 すことがで きるのです。 にょ らい じゅ りょうほん ほ け き ょ う ぜんたい がん もく りゆう 如 来 寿 量 品 が法華経 全体 の眼 目 とされる理由 は、ここにあります。 ひと 一 つになる おお えいえん ほんぶつ おな ひと なに にんげん 大 いなる永遠 のいのち・本仏 と同 じ一 つのいのちにつながっているのは、何 も人間 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 はな とり そんざい ほんぶつ あら だけではありません。花 も鳥 も、ありとあらゆるすべての存在 が、本仏 のいのちの顕 たが かんれん あ い い われです。お互 いに、さまざまに関連 し合 って生 かされて生 きているのです。 ふか み わたし い い ひと い このことを深 く見 つめてみると、私 たちは生 きとし生 けるものと一 つのいのちを生 えいえん おお ひと い きているということがわかります。ですから、永遠 の大 いなる一 つのいのちを生 きる そんざい ひと だいちょうわ ということは、すべての存在 と一 つにつながっていく(大調和 )ということなのです。 おお ひと い わたし にんげん う では、大 いなる一 つのいのちを生 きている 私 たちは、なぜ人間 に生 まれてきたので ほっ し ほん まな こころ せいちょう こうじょう しょうか。それは法 師 品 でも学 ばせていただいたように、 心 の 成 長 ・ 向 上 をめざし じ り ほとけ おな きょうち いた (自 利 )、 仏 と同 じ境地 に至 るためです。 ほとけ おな きょうち みかた か くる なや ひと すく 仏 と同 じ境地 ということですから、見方 を変 えると、苦 しみ悩 む人 びとを救 うため り た う よ ひと にんげん (利 他 )に生 まれてきたともいえるでしょう。 世 のため 人 のためにつくせる 人間 とな じぶん せいちょう じぶん せいちょう こうじょう はか りたぎょう はげ るために自分 を 成 長 させるのであり、自分 の 成 長 ・ 向 上 を図 るために利他行 に励 む じ り り た ひょう り いったい ぎょう ――つまり自利 と利他 は 表 裏 一体 の 行 なのです。 おや こ かんけい 親 と子 の関係 わたし じ り り た はげ すがた ほとけ こ せいちょう たの おや 私 たちが自利・利他 に励 む 姿 を、仏 さまは、わが子 の 成 長 を楽 しみにしている親 おな こころ め ほそ みまも すがた しゃくそん ろう い と同 じ 心 で、目 を細 めて見守 ってくださっています。そのお 姿 を、 釈 尊 は「良 医 の たと と 譬 え」によって、わかりやすくお説 きくださいます。 ひとり めいい い し こ ちち しょよう あるところに一人 の名医 がいました。医師 にはたくさんの子 どもがおり、父 が所用 たこく で あやま どくやく の けっ で他国 へ出 かけているあいだに 、誤 って毒薬 を飲 んでしまいました。いつもは決 して こ ちち る す そんなことはしない子 どもたちですが 、 父 が留守 のあいだに 、やりたいほうだいの せいかつ じたい 生活 をしていたので、このような事態 になってしまったのです。 こ じ くる ちち かえ こ 子 どもたちが地 べたをはって苦 しんでいるところへ、父 が帰 ってきました。子 ども ちち すがた み よろこ とお わたし おろ どくやく の たちは、父 の 姿 を見 て 喜 び、「お父 さん、 私 たちは愚 かにも毒薬 を飲 んでしまいま たす うった した。どうか助 けてください」と 訴 えました。 ちち き しゅじゅ やくそう いろ かお えら ちょうごう こ 父 は、よく効 く種々 の薬草 から、色 も香 りもよいものを選 んで 調 合 し、子 どもたち あた くすり の こ なお どく まわ はや くる に与 えました。 薬 を飲 んだ子 どもはすぐに 治 りましたが、毒 の回 りが早 く、苦 しみの はげ ほんしん うしな こ の 激 しさに本心 を 失 っている子 どもは飲 もうとしません。 ちち いっけい あん き わたし とし からだ よわ そこで父 は一計 を案 じ、 「みんな、よく聞 きなさい。 私 はもう年 をとって 体 が弱 っ い ところ で くすり ているので、いまのうちに行 かねばならない 所 がある。これからまた出 かけるが、薬 お じぶん の い いえ あと をここに 置 いておくから 自分 で飲 むのだよ」と 言 って、家 を後 にしました。そ し て、 たびさき つか だ ちちうえ な つ 旅先 から使 いを出 し、「父上 は亡 くなられました」と告 げさせたのです。 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 こ なげ かな ほんしん うしな こ 子 どもたちはたいへん嘆 き、悲 しみました。本心 を 失 っている子 どもも、そのショ かえ ちち のこ くすり の どく け ックではっとわれに返 り、父 が残 してくれた 薬 を飲 んで、毒 を消 すことができました。 こ ぜんいん なお みとど ちち ふたた すがた あら こ よろこ 子 どもたち全員 が治 ったことを見届 けた父 は、再 び 姿 を現 わして子 どもたちを 喜 ば せました。 たと ちち い し ほとけ こ わたし しゅ じょう この譬 えにある父 の医師 とは 仏 さまのことであり、子 どもたちは 私 たち衆 生 をさ どく ごよく しゅうちゃく ぼん のう くすり ほとけ おし ほとけ します。毒 は五欲 に 執 着 する煩 悩 のことであり、 薬 は 仏 さまの教 えです。 仏 さま おし すなお こころ じゅ じ み おこ かなら すく しめ のみ教 えを素直 な 心 で受 持 し、身 に行 なえば、だれでも 必 ず救 われることが示 され ています。 ほとけ だい ど う し みぢか わたし みちび 仏 さまのような 大 導師 がいつも 身近 にいて 私 たちを 導 いてくださっているとき おし とうと おし せいかつ おく しどうしゃ は、教 えの 尊 さがわかり 、教 えにそった生活 を送 ることができます。しかし、指導者 おし こころ がいなくなってしまうと 、教 えはちゃんとそこにあるのに、ついわがままな 心 がわき お じ こ ちゅうしん みかた かんが かた しゅうちゃくしん とん よく みずか くのう 起 こり、自己 中 心 のものの見方 、 考 え方 による 執 着 心 (貪 欲 )によって 自 ら苦悩 しょう たと こ どく の くる すがた を 生 じさせてしまうのです 。譬 えのなかで 、子 どもたちが 毒 を飲 んで苦 しんでいる 姿 あら は、このことを表 わしています。 ちち やくそう ちょうごう の くすり わたし 父 が、さまざまな薬草 を 調 合 して飲 みやすい 薬 をつくってくれたというのは、 私 しゅじょう りかい ほとけ ほう と わ たち 衆 生 が理解 できるようにと、 仏 さまがさまざまに法 を説 き 分 けてくださったと ごかん たの おぼ ぼんのう ふ まわ ほんしつ いうことです。しかし、五官 の楽 しみに溺 れ、煩悩 に振 り回 されていのちの本質 をく にんげん おし じゅじ じっせん き も らましている人間 は、教 えを受持 し、実践 しようという気持 ちになりません。それが ほんしん うしな こ すがた 本心 を 失 っている子 どもたちの 姿 です。 ちち こ くち む り あ くすり の みずか ところが、父 は子 どもたちの口 を無理 に開 けて 薬 を飲 ませることはせず、 自 らの い し の ま しんこう みずか なに だいじ 意思 で飲 むまで待 ちます。それは、信仰 には「 自 ら」ということが何 よりも大事 だか らです。 べんきょう き こ おや べんきょう かえ たとえば、勉 強 をする気 のない子 どもに、いくら親 が「 勉 強 しなさい」とくり返 し い じゅく かよ ほんにん き なに み じぶん もと 言 っても、 塾 に通 わせても、本人 にやる気 がなければ何 も身 につきません。自分 で求 じぶん み め、自分 でつかんでこそ身 になるのです。 ほとけ おし もと き も ひと けっ みはな 仏 さまは、教 えを求 める気持 ちのない人 びとをも決 して見放 したりせず、あらゆる しゅだん もち すく ほとけ ひと め さ 手段 を用 いて救 ってあげようとされます。そこで 仏 さまは、人 びとの目 を覚 まさせる い ち じ み かく む い し き ほとけ じ ひ ために、一時身 を隠 されるのです。すると、いままで無意識 のうちに 仏 さまの慈 悲 に あま ひと みずか もんだい じぶん かいけつ 甘 えっぱなしでいた人 たちにも、自 らの問題 は自分 たちで解決 しなければならないと き も お ひと ほんしつ ぶっしょう いう気持 ちがふつふつと起 こってきます。どんな人 でも、いのちの本質 は 仏 性 なので しんけん おし もと き も すから、やがて真剣 に教 えを求 めていこうという気持 ちになっていくのです。 こ なお ちち ふたた すがた あら こうして子 どもたちがすっかり治 ったあとで、父 が 再 び 姿 を現 わしたということ .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 おお い み わたし ほとけ おし こころ じゅじ おし に、また大 きな意味 があります。これは、 私 たちが 仏 の教 えを 心 から受持 し、教 え い かた ほとけ すがた み じっさい にそった生 き方 をすれば、仏 さまの 姿 が見 えてくるということです。もちろん、実際 にくがん ほとけ すがた み じぶん に肉眼 で 仏 さまの 姿 が見 えるということではありません。自分 にふれるさまざまな えん ほとけ おお じ ひ たし み けっか つね ほとけ 縁 のなかに、 仏 さまの大 きな慈悲 が確 かに見 えてくるのです。その結果 、 「常 に 仏 さ ほとけ みまも じかく まといっしょにいるんだ 。仏 さまに見守 られているんだ」ということが自覚 できるわ けです。 ほとけ にんげん かんけい しはいしゃ しはい もの しゃくそん 仏 さまと人間 の関係 は、支配者 と支配 される者 というものではありません。釈 尊 は、 たと ほんぶつ わたし おやこ わたし ほんぶつ ふか じ ひ いだ この譬 えによって、本仏 と 私 たちが親子 であること 、私 たちが本仏 の深 い慈悲 に抱 か い い あき れて、生 かされて生 きていることを明 らかにされたのです。 ほとけ ふか じ ひ こころ わたし ひとり あん せいちょう 仏 さまは深 い 慈悲 の 心 で 私 たち一人 ひとりを 案 じ、どうしたらよりよく 成 長 ・ こうじょう ねん わたし せいちょう ど あ おう 向 上 できるかを念 じてくださっています。そして、私 たちの 成 長 の度合 いに応 じて、 もっと てきせつ まな き えん あた 最 も適切 な「学 びの機 縁 」を与 えてくださるのです。 せいちょう たね すべてが 成 長 の種 わたし ほとけ ほんしつてき すく しん い み こころ ここで 私 たちは、 仏 さまがくださる「 本質的 な救 い」の 真 の意味 をはっきりと 心 きざ ほとけ ほんしつてき すく わたし にくたい せいめい ゆうげん に刻 まなければなりません 。 仏 さまの本質的 な救 いとは、 「 私 たちの肉体 生命 は有限 うちゅう えいえん にんしき わたし ひとり であっても、宇宙 の永遠 のいのちを認識 することによって、私 たち一人 ひとりのいの き しんり ほう ちが、かけがえのないいのちであることに気 づくこと。そして、真理 ・法 にそいなが みずか せいちょう たしゃ こうけん よろこ まん きつ きょうがい ら、自 らの 成 長 と他者 への貢献 の 喜 びを満 喫 できるような 境 涯 になること」です。 もくてき む ほとけ みちび では、そうした目的 に向 けて、 仏 さまはどのように 導 いてくださるのでしょうか― ―。 ちきゅう ろくじゅうおく にんげん せいかつ ほとけ ひとり こ 地球 には、六 十 億 の人間 が生活 していますが、仏 さまはその一人 ひとりをわが子 と みまも おお もと おや ぜったい じ ひ そそ ほとけ して見守 り、いのちの大 本 の親 として、絶対 の慈悲 を注 いでくださっています。 仏 さ じ ひ こころ つぎ ことば あら まの慈悲 のみ 心 は、ちょうど次 のような言葉 に表 わせるでしょう。 こ こころやす おお きぼう も せいちょう かいだん 「わが子 よ、いつも 心 安 らかであれ。そして、大 いなる希望 を持 って 成 長 の階段 を いっぽ いっぽ ふ ほとけ ひつよう えん あた 一歩 一歩 踏 みしめよ。 仏 はそのために 必要 な、あらゆる縁 を与 えるであろう」 わたし あた えん たの じゅん け こ じ こうして 私 たちに与 えられる縁 は、うれしいことや楽 しいこと( 順 化 =己 事 )も、 かな つら ぎゃっ け た じ わたし せいちょう こうじょう 悲 しいことや 辛 いこと( 逆 化 =他 事 )も、すべてが 私 たちを 成 長 ・ 向 上 させるた ほとけ みちび わたし きちょう まな きえん めの 仏 さまのお 導 きであり、 私 たちにとって貴重 な学 びの機縁 なのです。 まな きえん わたし ひとり せいちょう ど あ おう しかも、この学 びの機縁 は、 私 たち一人 ひとりの 成 長 の 度合 いに応 じて、いまの じぶん い っ ぽ こうじょう もっと こうかてき ぜつみょう あた 自分 が一歩 向 上 するために 最 も効果的 なかたちで、また 絶 妙 のタイミングで与 えら ほとけ いだい ほう べん ただ きょう け しゅだん ひと れるのです。これを 仏 さまの偉大 な方 便 (正 しい 教 化 の手段 )といいます。人 のや .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 うつく おんがく そうい くふう しごと えん わたし こころ ゆた さしさや 美 しい音楽 、創意 工夫 ができる仕事 などのうれしい縁 は、 私 たちの 心 を豊 やくどう せいちょう きえん どうじ びょうき けいざいてき く かにし、躍動 させながら 成 長 の機縁 となってくれます。同時 に、病気 や経済的 な苦 、 にんげん かんけい なや つら えん じぶん 人間 関係 の悩 みなどといった辛 い縁 も、いままでの自分 をひとまわりも、ふたまわり おお せいちょう も大 きく 成 長 させてくれるのです。 なや わたし たにん こころ いた りかい おお ひと ささ 悩 みのなかで、私 たちは他人 の 心 の痛 みを理解 できるようになり、多 くの人 に支 え き ひと しん ゆる とうと し め られていることに気 づき、人 を信 じること、許 すことの 尊 さを知 っていきます。目 の まえ あら えん い み い み わたし き おお まな 前 に現 われるすべての縁 には意味 があります。その意味 に 私 たちが気 づき、大 きな学 え ほとけ ねん びを得 ることを、 仏 さまはじっと念 じてくださっているのです。 みが アンテナを磨 く わたし ほとけ じぶん かんけい ほとけ おお じ ひ なかみ し いま、 私 たちは 仏 さまと自分 の関係 、そして、 仏 さまの大 いなる慈悲 の中身 を知 じっさい く ちょくめん ほとけ じ ひ ることができました。ところが、実際 に苦 に 直 面 すると「これも 仏 さまのお慈悲 」 う で き ご と すなお ほとけ じ ひ とは、なかなか受 けとめられないものです。どんな出来事 も素直 に 仏 さまの慈悲 とし う ひと じ ひ かん こころ みが て受 けとめられるようになるには、ただ一 つ、慈悲 を感 じとる 心 のアンテナを磨 いて いくほかにありません。 ぐたいてき い ひ び せいかつ おも で き ご と こ じ みのが 具体的 に言 うと、日々 の生活 のなかで《ありがたい》と思 える出来事(己事 )を見逃 あじ さないで、しっかりと味 わっていくことです。 しょもつ で あ しょくじ せき ゆず き も すばらしい書物 に出合 えた、おいしい食事 をいただけた、席 を譲 って気持 ちよかっ で き ご と ほとけ わたし た……。こうした出来事 があるたびに、 「うれしいなあ。 仏 さまは 私 をほんとうにか あじ わいがってくださっているんだ」と味 わっていきます。 じょじょ ほとけ わたし おや ぜったい じ ひ すると、徐々 に「 仏 さまはいつ、いかなるときも 、 私 に親 としての絶対 のお慈悲 を そそ しんじつ ちしき じっかん なっとく 注 いでくださっている」という真実 が、知識 ではなく実感 として納得 できるようにな るのです。 む り きんもつ みち ころ め しかし、無理 は禁物 です。たとえば、道 で転 んだとき、 《ついていないな、ひどい目 おも にあった》と思 ったとしたら、それはそれでいいのです。ただし、そのあとにうれし で き ご と みのが ほとけ あじ い出来事 があったら、そこは見逃 さないで、《また 仏 さまにかわいがられた》と味 わ まえ お で き ご と う かんじょう ひ っていきます。前 に起 こった出来事 と、そこから生 まれた 感 情 をいつまでも引 きずっ かんど にぶ てはいけません。それは“とらわれ ”であり、アンテナの 感度 を鈍 くするもとです。 き も き か 気持 ちをすっきりと切 り換 えましょう。 む り ちゅうい ぶか ほとけ じ ひ あじ こうして無理 なく、しかも注意 深 く 仏 さまの慈悲 を味 わっていくうちに、アンテナ かんど ま ともな はしだいに感度 を増 していきます。すると、それに 伴 って「きのうまではありがたく かん げんしょう つぎつぎ お なかったことが、きょうはありがたく感 じる」という 現 象 が次々 に起 きてくるのです。 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 おな みち ころ す ていど そして、たとえと 同 じように 道 で転 んでも、《ひざを 擦 りむいたけど、この 程度 です しぜん おも んでよかった。ありがたい》と自然 に思 えるようになっていきます。 こ おや あい ひ め み あじ きび しか 子 どもが親 の愛 を日 ごろから目 に見 えるかたちで味 わっていれば、ときに厳 しく叱 こ おや き も りかい みずか せいちょう かて られても、そこに込 められた親 のほんとうの気持 ちを 理解 して、 自 らの 成 長 の糧 と おや あい かん こ しか らくたん することができます。しかし、親 の愛 をふだん感 じていない子 どもは、叱 られると落胆 はんぱつしん いだ し、反発心 すら抱 くことがあります。 わたし おや ほとけ そんざい ぜったい あい じ ひ ひ みぢか あじ 私 たちも、親 である 仏 さまの存在 とその絶対 の愛( 慈悲 )を、日 ごろから身近 に味 たいせつ こころ かんど ま つづ じ ひ おも わっていくことが大切 です。そうすれば、 心 のアンテナは感度 を増 し続 け、慈悲 と思 げんしょう はんい ひろ め まえ あら えん たい える 現 象 の 範囲 はどんどん 広 がり、ついには 目 の 前 に現 われるすべての縁 に対 して おや ほとけ ぜったい じ ひ い っ ぽ せいちょう 「これも親 である 仏 さまがくださった絶対 のお慈悲 なんだ。よし、また一歩 成 長 する げんき ぞ」と、元気 にチャレンジできるようになるのです。 事例から学ぶ1 じれいへん かくほん こ おし わたし ひ び せいかつ 事例編 では、各品 に込 められた教 えを、 私 たちが日々 の生活 のなかで、どのように い ぐたいてき じれい かんが 生 かしていけばよいかを、具体的 な事例 をとおして 考 えていきます。 鈴 木さん 一家プ ロ フ ィ ル お ば あ ち ゃ ん・ミ チ コ さん (75 )…佼 成 会の青年部活動 も経験している 信仰二代目会員 アキオさん (45 )…一家 の大 黒 柱。ミ チ コさんの 末息子 アキオさ ん の妻・ 夕カエさ ん(3 8)…婦 人 部 リーダー。 行動派お 母さん 長女・ケ イ コさん (16) …やさしい心の 持ち主の 高校一年生。ブ ラ ス バ ン ド 部 長男・ヒ ロ シくん (9)… 元気いっぱいの 小 学 三 年 生 けっこん タロウくんが結婚 にちようび あに たず きょうだい はなし 日曜日 に、アキオさんの兄 ・ノブオさんが訪 ねてきました。しばらく 兄 弟 で 話 を ははおや へ や にかい したあと、母親 の部屋 がある二階 にあがっていきました。 かあ しょうがつ い ら い かお み げんき 「母 さん、 正 月 以来 、顔 を見 せなくてすみませんでした。元気 そうですね」 くち とう に 「あら、その口 のひげ・・・・・・。ますます父 さんに似 てきたわねえ。それはそ .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 ひとり き うと、きょうは一人 で来 たの」 はなし 「ええ、ちょっと 話 がありまして」 「どうしたのよ、あらたまって。あなたらしくないじやない」 かあ わ 「じつは、きょうは母 さんにお詫 びをしようと―」 じなん はな はじ だいがくいん 「ノブオさんは、二男 のタロウくんのことから話 し始 めました。タロウくんは大学院 かいようがく べんきょう せんげつ とつぜん だいがくいん い で海洋学 を 勉 強 していますが、先月 になって突然 、大学院 をやめると言 いだしたので がいしけい しょうしゃ つと いつ としうえ じょせい けっこん しゅうしょく す。外資系 の 商 社 に勤 める、五 つ年上 の女性 と結婚 するために、どこかに 就 職 した りゆう いというのが理由 です。 つま むすこ じょせい こうさい し ノブオさんと妻 のユミコさんは、息子 が女性 と交際 していることさえ知 らなかった ことば で おどろ こころ お はなし き だけに、言葉 が出 ないほど 驚 きました。ノブオさんが 心 を落 ちつけて 話 を聞 くと、 がくせい けっこん かのじょ けいざいてき ふたん い タロウくんは「学生 のままで結婚 したら、彼女 に経済的 な負担 をかけてしまう」と言 そつぎょう ま ねんない けっこん いってんば います。しかも「 卒 業 まで待 てない。どうしても年内 に結婚 したい」の一点張 りです。 ごじつ じょせい あ かのじょ はなし ふたり 後日 、ノブオさんはタロウくんとその 女性 に会 いました。彼女 の 話 では、二人 のあい たし けっこん はなし かれ き も さっきゅう けっこん だで確 かに結婚 の 話 をした。彼 の気持 ちはとてもうれしい。しかし、 早 急 に結婚 し かんが かれ だいがくいん べんきょう つづ じ き み けっこん ようとは 考 えていない。彼 に大学院 で 勉 強 を続 けてもらい、 時期 を見 て結婚 できる かんきょう ととの 環 境 が 整 えばそうしたい、ということでした。 さんにん はな あ けっか ひとり かのじょ い ぶん 三人 でじっくりと話 し合 った結果 、一人 あせっていたタロウくんは彼女 の言 い分 を き い べんきょう つづ けっこん たが かぞく 聞 き入 れ、勉 強 を続 けることになりました。結婚 のことは、これからお互 いの家族 を まじ おりおり はな あ ごうい え 交 えて、折々 に話 し合 っていくということで合意 を得 たのです。 ほとけ 仏 さまはそばにいる なん い 「ユミコさんは、何 て言 っているの?」 ほんしん けっこん ゆる しん みと じぶん い き 「本心 は結婚 を許 せないようですけど、タロウを 信 じて 認 めようと自分 に 言 い聞 か せているみたいですよ」 き も いた 「ユミコさんの 気持 ちは痛 いほどよくわかるわ 。ノブオ、ユ ミ コさんにやさしくし てあげるのよ」 かあ とう しんぱい 「はい。タロウのことがあって、ぼくも 母 さんや 父 さんに、どれだけ 心配 をかけて み なん わ きたかということが身 にしみましてね。それでいまさら何 ですが、そのことをお詫 び おも したいと思 ったんです」 「まあ」 とう はんたい お き いえ で か ぐ しょくにん とう 「ぼくは父 さんの反対 を押 し切 り、家 を出 て家具 職 人 になりましたからね。父 さん だいがく で ど な おぼ に、大学 まで出 てなぜだと怒鳴 られたときのことを 、いまでもハッキリと覚 えていま .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 かあ ないしょ けっこん もう すよ。それに、母 さんたちに内緒 で結婚 までしてしまって・・・・・・。ずっと申 し おも い わけなかったと思 っていたんです。でも、それを言 いだすきっかけがなくて」 かお めがね め お ノブオさんが顔 をあげると 、ミチコさんは眼鏡 をずらし、ハンカチで目 を押 さえて いました。 かあ かって とう け さ はか 「母 さん。勝手 なことばかりしてきて、すみませんでした。父 さんには今朝 、お墓 の まえ て あ とう かあ しんこう つた れいせい 前 で手 を合 わせてきました。でも、父 さんと母 さんが信仰 を伝 えてくれたから、冷静 かのじょ はなし き かぞく かのじょ にタロウと彼女 の 話 を聞 くことができ、いま、ぼくたち家族 と彼女 がどうすればいい ほとけ おし もと かんが おも ほとけ のかを、 仏 さまの教 えに基 づいて 考 えられたんだと思 います。 仏 さまがタロウのこ じぶん み せっぽう とをとおして、自分 を見 つめなさいと説法 してくださっていることがよくわかるんで ほとけ そんざい はだ かん す。これほど 仏 さまの存在 を肌 で感 じたことはなかったですからね」 ほとけ じ ひ 「いままでも、 仏 さまはノブオのそばにずっといてくだざり、お慈悲 をかけてくだ き いえ で かえ さっていたのよ。ノブオが気 がつかなかっただけ。家 を出 てからのことをふり返 って じ ひ ごらん。たくさんのお慈悲 をいただいていることがわかるはずだよ」 じ ひ 「いままでもずっと、慈悲 をかけてくださっていた ?」 おやかた しゃちょう いえ す こ はたら いちにんまえ そだ 「そうよ。親方 、いや 社 長 さんの家 に住 み込 みで 働 かせてもらい、一人前 に育 てて けっこん こ さんにん さず もらったんじゃない。結婚 をして、子 どもが三人 も授 かって・・・・・・」 おやかた きび ひと かげ こうぼう も 「そうですね。 親方 は厳 しい人 だったけど、そ の お 陰 でぼくも工房 を持 てるように くろう こ な っ た ん で す か ら ね 。 ユ ミ コ に も だい ぶ 苦労 を か け た け ど 、 子 ど も た ち が い た か ら・・・・・・」 つら くる おも 「これまでのノブオには、 辛 いことや 苦 しいことがたくさんあったと 思 うけど、ふ かえ くろう じぶん にんげん けいせい こ ほとけ り返 ってみると 苦労 がみんな 自分 の人間 形成 の 肥 やしになっているんじゃない ? 仏 ひと せいちょう こうじょう さまは、そのときどきに、どうしたらこの 人 がよりよく 成 長 ・ 向 上 できるだろうか ほうべん もち げんしょう み ほとけ そんざい かん と、さまざまな方便 を用 いて 現 象 を見 せてくれるの。ノブオはいま 仏 さまの存在 を感 い ほとけ みちび じると言 ったけれど、 仏 さまはいつでもノブオを 導 いてくださっていたのよ。あな ほとけ そんざい こころ め み そんざい き たが 仏 さまの存在 を 心 の目 で観 ようとしていなかったから、その存在 に気 づけない でいただけ」 ほとけ わたし ひとり せっぽう 「 仏 さまは、いつでも 私 たち一人 ひとりに説法 してくださっている・・・・・・」 わたし ほとけ み ほとけ すがた み 「そう。 私 たちが 仏 さまを観 ようとすれば、 仏 さまも 姿 を観 せてくださるの」 かあ あ つね ほとけ たいわ かあ 「きょう母 さんに会 ってよかった。これからは、常 に 仏 さまと対話 していくよ。母 さ ん、ありがとう」 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 事例から学ぶ2 じれいへん かくほん こ おし わたし ひ び せいかつ 事例編 では、各品 に込 められた教 えを、 私 たちが日々 の生活 のなかで、どのように い ぐたいてき じれい かんが 生 かしていけばよいかを、具体的 な事例 をとおして 考 えていきます。 鈴 木さん 一家プ ロ フ ィ ル お ば あ ち ゃ ん・ミ チ コ さん (75 )…佼 成 会の青年部活動 も経験している 信仰二代目会員 アキオさん (45 )…一家 の大 黒 柱。ミ チ コさんの 末息子 アキオさ ん の妻・ 夕カエさ ん(3 8)…婦 人 部 リーダー。 行動派お 母さん 長女・ケ イ コさん (16) …やさしい心の 持ち主の 高校一年生。ブ ラ ス バ ン ド 部 長男・ヒ ロ シくん (9)… 元気いっぱいの 小 学 三 年 生 なかむら お や こ く の う 中村さん親子の苦悩 ひ ご ご どうじょう しぶちょう たず ふ じ ん ぶ なかむら その日 の午後 、タカエさんは 道 場 に支部長 さんを訪 ねました。婦人部 の中村 レイコ いっけん ほうこく さんの一件 を報告 するためです。 しぶちょう ひるまえ なかむら あ なかむら ひとばん 「支部長 さん、お昼前 に 中村 さんと会 ってきました 。 中村 さんは一晩 かけてじっく じぶん かえ ははおや かた み なお りと、これまでの自分 をふり返 り、母親 としてのあり方 を見 つめ直 すことができたと はな わたし はなし き き 話 してくれました。 私 はその 話 を聞 いているうちに、とてもすばらしい気 づきをさ かんどう むすめ かんけい しゅうふく れたなあと感動 しました」 「まあ、それはよかった。これで 娘 さんとの関係 も 修 復 さ れていくわね」 しぶちょう はな なかむら いちけん つぎ タカエ さ ん と 支部長 さんが 話 している中村 さんの 一件 とは 、お お よ そ 次 のような で き ご と 出来事 です。 おっと にねんまえ かいがい たんしん ふ に ん なかむら だいがく さんねんせい ちょうなん こうこう 夫 が 二年前 から 海外 で 単身 赴任 している 中村 さ ん は 、 大学 三年生 の 長 男 と高校 いちねんせい ちょうじょ さんにん ぐ ちょうじょ ぜんこく な し ゆうめい 一年生 の 長 女 の三人 暮 らし。 長 女 のミキさんは、 全国 にもその名 が知 られる有名 ・ しんがくこう かよ 進学校 に通 っています。 ゆうがた おおがた しょてん ぼん まん び しょてん そのミ キさんがきのうの 夕方 、大型 書店 でマンガ 本 を 万 引 きしたのです。 書店 の てんちょう よ だ う なかむら どうよう でんわ いっしょ 店 長 から呼 び出 しを受 けた中村 さんはひどく動揺 し、タカエさんに電話 して、一緒 に い し ついて行 ってもらいました 。タカエさんが知 っているミキさんは、どちらかといえば うちき せいかく かのじょ まん び しょてん つ しん 内気 な性格 でしたから、彼女 が万 引 きをするなど、書店 に着 くまで信 じられませんで .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 した。 しょてん じ む し つ すわ すがた み め しかし、書店 の事務室 のいすに座 っているミキさんの 姿 を見 て、タカエさんは目 を うたが え か かのじょ かみ だっしょく は で けしょう 疑 いました。まじめを絵 に描 いたような彼女 が髪 を 脱 色 し、 派手 な化粧 をしている に げつ まえ あ へんよう ではありませんか。ミキさんとは二 か月 ほど前 に会 ったきりですが、その変容 ぶりに おどろ 驚 かされました。 てんちょう なんど あたま さ いえ つ かえ なかむら 店 長 に何度 も 頭 を下 げてミキさんを家 に連 れ帰 った中村 さんとタカエさんは、ミ じしん くわ じじょう き ほんにん な はなし キさん自身 から詳 しい事情 を聞 こうとしましたが、本人 は泣 きじゃくるばかりで 話 を こえ あ むすめ きつもん なかむら してくれません。タカエさんは、声 を荒 らげて 娘 を詰問 する中村 さんをなだめ、ミキ へ や ふたり はな さんの部屋 で二人 だけで話 しをすることにしました。 へ や はい ははおや かんけい はな はじ 部屋 に入 るとミキさんは、これまでの母親 との関係 について話 し始 めました。 あに おな ゆうめい しんがくこう にゅうがく がっこう じゅぎょう いち ミキさんは、兄 と同 じ有名 進学校 に 入 学 したものの、学校 の 授 業 についていけず、一 がっき せいせき がくねん か い けっ 学期 の成績 は学年 のなかでも下位 のほうでした。決 してなまけているわけではなかっ せいせきひょう み ははおや きび しか じしん うしな たのですが、 成 績 表 を見 た母親 から 厳 しく叱 られ、自信 を 失 ってしまったのです。 なつやす はい ははおや まいにち あそ じかん べんきょう 夏休 みに入 り、母親 から毎日「あなたに遊 んでいる時間 などないはずよ。もっと 勉 強 い つづ せいしんてき お つ せいせき しなさい」と言 われ続 けたことで精神的 に追 い詰 められ、さらには「こんな成績 では、 は ほごしゃかい い がっこう つね にい 恥 ずかしくて保護者会 にも行 けない。この学校 で常 にトップクラスだったお兄 ちやん かお どろ ぬ い こころ ふか きず お の顔 に泥 を塗 るつもりなの」と言 われて、 心 に深 い傷 を負 ったのでした。 ひとつぜん かみ だっしょく ほそ げすがた ははおや まえ た ある日突然 、ミキさんは髪 を 脱 色 し、細 いまゆ毛姿 で母親 の前 に立 ちました。 いらい かぞく いっさいくち い ぼん まん び 以来 、家族 とは一切口 をきかないようになったと言 います。マンガ 本 を万 引 きしたの ははおや たい はんこう あら も、母親 に対 する反抗 の表 われだったのでしょう。 へ や で き はなし なかむら つた 部屋 から出 てきたタカエさんは、ミキさんから聞 いた 話 を、すべて中村 さんに伝 え ました。 わたし い こ べんきょう いよく 「そうだったの。 私 がガミガミ言 ったのは、あの子 に 勉 強 する意欲 がないからだと おも 思 っていたの」 いっしょうけんめい せいせき むす 「ミキちやんも 一 生 懸 命 にやっていたのよ。だけど、それが 成績 に結 びつかなかっ くる おも たから、苦 しんだと思 うわ」 なかむら ばん おそ き も ははおや タカエさんと中村 さんは、その晩 遅 くまで、ミキさんの気持 ちや母親 としてどのよ はな あ うにふれあっていけばよいかなどについて話 し合 いました。 ほとけ 仏 さまのはたらき しぶちょう なかむら すがた ほとけ ははおや 「支部長 さん。中村 さんはミキちやんの 姿 をとおして、 仏 さまが母親 としてのあり かた おし い 方 を教 えてくださったと言 うんです」 .

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経如来寿量品第十六 しぶちょう どうじょう ほうざせき ほんぞん み あ すわ タカエさんと支部長 さんは 道 場 の法座席 で、ご本尊 さまを見上 げるようにして 座 っ ています。 なかむら ゆうしゅう にい みくら にい 「中村 さんは、 優 秀 だったお兄 ちゃんとミキちやんを見比 べて、お兄 ちやんがこれ せ じぶん すがた だけできたのに、どうしてミキちやんにできないのかと、いつも責 めていた自分 の 姿 き に気 づいたそうです」 ひとり ちが じんかく こ も こせい みと 「きょうだいでも、一人 ひとりは違 う人格 なのだから、その子 の持 っている個性 を認 だいじ き めてあげることが大事 なんだということに気 がついたのね」 なかむら べんきょう こ も じまん こ 「はい。それから中村 さんは、勉 強 のできる子 どもを持 っていることが自慢 で、子 ど じしん あい せいせき あい おろ ははおや なみだ も自身 を愛 していたのではなく“よい 成績 ”を愛 していた愚 かな母親 だったと、 涙 を なが ははおや ぜったい あいじょう こ そそ 流 されていました。母親 としての絶対 の 愛 情 を子 どもたちに注 いでいなかった、ほん もう とうに申 しわけなかったとも、おっしゃっていました」 なかむら こころ ひら にょらい 「よかったわ。ミキちやんのことをとおして、「中村 さんの 心 が開 いたのね。『如来 じゅりょうほん ろくわく じ げ ん しめ ほとけ ほうべん もち わたし 寿 量 品 』に六或 示現 が示 されているように、 仏 さまはさまざまな方便 を用 いて 私 た すく さ とお で き ご と ちを救 おうとはたらいてくださっているの。避 けて通 りたいような出来事 のなかにも、 ほとけ じ ひ なかむら いっけん 仏 さまの慈悲 がたくさんつまっている。中村 さんも、ミキちやんの一件 をとおして、 み だいじ ほとけ おし わたし ひと いままで見 えなかった大事 なものを、 仏 さまから教 えてもらったのね」 「 私 たちは一 ひと げんしょう ほとけ じ ひ あじ つ一 つの 現 象 のなかから、 仏 さまの慈悲 をしっかりとつかみとり、 味 わっていくこ たいせつ とが大切 なんですね」 .