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快楽かいらくに蕩とろけ堕おちる白衣はくいの天使てんし

-ヴァイサーエンゲル・イユ-

著者/ADU

イラスト/ありえす渡辺わなたべ

オシリス文庫

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本書の内容はフィクションであり、登場する団体・店名・人物などの名称はすべて架空のものです。

快楽かいらくに蕩とろけ堕おちる白衣はくいの天使てんし

-ヴァイサーエンゲル・イユ-

 自分の身体すらも認識することのできない、心地良い浮遊感。まるでゆりかごに揺られるかのように、ゆっ
くりと、その意識は傾いては元の位置へと戻る。

 奇妙な感覚ではあったが、それは決して不快ではなかった。すでに記憶にはない、母の胎内というのはこん
な感覚なのだろうか、とぼんやりとした思考が生まれて、そして流れていく。

 イユの意識はまどろみの中にあった。このまま、ずっとこの心地良さに身を任せていたい。そう思っている
と──。

 コツン、と。

 ──星が、瞬いた。

「あだっ」

 鋭い衝撃を頭頂部に感じると、それを基点として全身の感覚が戻っていく。

 イユが最初に感じたのは、嗅ぎ慣れた香りだった。

 消毒薬と石鹸の匂いの混じり合った、どこか安心感を覚える芳香。

「ん、ふにゃ……?」

 照日テルヒ癒イユ。それが彼女の名前である。

 同年代の同性と比べてもさらにひとまわり小さな身長と童顔気味の顔立ちのせいで、3年生になる今でも、
いまだに中学生と間違われることもしばしばだ。

 そのわりに不要な部分の成長だけは人並み以上で、胸につく無駄な脂肪分は気づかぬうちに肥大し、お気に
入りのブラジャーをそう長く使えずに替えざるをえなかったのは一度や二度のことではない。

「トランジスタグラマー」と言うと聞こえはいいものの、いざ自分がといえば、別段うれしいものではない。
むしろそのぶんの栄養が、もう少し身長に向かってくれても良いのではないかと思う。

 それがぜいたくな悩みであるとはわかっていても、コンプレックスには変わりなかった。何よりも、すぐ近
くに自分とは真逆のパーフェクトビューティがいるのだからそれも仕方のないことだろうとイユは思う。

「うぅ……なんか頭イタイ……」

 机に突っ伏した体勢から、腕の力でゆっくりと上体を持ち上げる。目の前に垂れ下がった濃茶色の髪房を、
寝起きのうろんな意識のままにかきあげ、視線を前へ。

「イユがこんなところで寝てるからいけないの。揺すっても起きないし」

 どこか呆れたような表情で声をかけてきたのは、同僚であり、同期でもある親友の高嶺タカミネ和ナゴミだ
った。

 170センチを超える、女性としては充分に高い身長と、ほどよく筋肉のついた肢体はファッション雑誌の
モデルにもそうはいない。その細く整った身体つきに釣り合ったクールで大人びた美貌と艶のある黒髪は、ど
れもイユにはないもので、羨望の対象である。

 内面に関しても、イユは向こう見ずな猪突猛進タイプで、空回りすることも少なくないのに対し、和は常に
冷静で、何事もそつなくこなしてみせる。

 そんな、どこまでも正反対なふたりだが、不思議とその仲は悪くはなかった。それもある意味では当然でも
ある。表面上こそ正反対に見えても、その奥底にある気持ちは同じだからだ。

 困っている人を助けたい、傷ついた心を癒してあげたい。そのためにもまず、看護師という夢に到達したい、
と。

「ほら、もう昼休み終わるよ」
「えっ、もう終わり? うそっ」

 ふたりは看護学校の学生として、看護師になることを夢見ている。もちろん、ただ夢に見ているだけではな
く、その夢に向かってまっすぐ、そして着実に進む努力を惜しんではいない。

「イユ、もしかして、昨日寝てないの?」

 心配そうに覗き込んでくる和に、イユは、はは、と小さく笑う。

「いやぁ、ちょっと教本読んでたら日が昇ってたんだよね」

「本当、イユはなんにでも一生懸命だね。なんか、羨ましいな」

「和にそう言われると、嬉しいけどイヤミにしか聞こえないよー。和だったらパパッて読んだだけでサラサラ
って覚えちゃうじゃん」

「そんなんじゃないよ。イユみたいな一生懸命さが、きっといちばん大切だから」

「……ありがと、和」

 自分の母は看護婦だった、とイユは聞いている。伝聞形なのはイユ自身、直接母に会った記憶がないからだ。
母はイユを産み、その直後に亡くなったという。

 だからイユは母親の顔を写真でしか知らないし、どんな人物だったかは他人に聞いた話しか知らない。

 癒イユ、という名前は、そんな母が遺してくれた、ほとんど唯一といってもいいものだった。

 母が看護師だから、イユも看護師を目指しているというわけではない。

 イユは、幼少期から病弱な娘だった。10 歳になる頃までは、年の半分は入院し、そうでないときも月の半分
は病院通いを余儀なくされるほどだった。

 病院生活の長さは、イユに孤独を強いることにもなった。友達も、最初こそ見舞いに来る者はいたが、入院
が長く、そして何度もとなるうちに、イユの周囲からは少しずつ、友人といえる存在は減っていき、その結果
としてイユ自身の性格も、暗く沈んだものとなっていく。完全な負の連鎖が形作られていた。

 転機は、イユが何度目ともとれない入院をしたときのことだった。他人に心を開かなくなっていたイユの担
当となったのは、当時新人だった武藤ムトウ拓馬タクマという医師だった。

 ほかの看護婦や医師が、もはや心を開かせることをあきらめるほどに固く心を閉ざしたイユに対し、武藤は
心底、親身になって対応した。

 どれほど優しく問いかけても、イユは武藤に何を語ることはなかったし、どんな話をしたところで、笑みひ
とつ見せることはなかった。だが、どんなにむげに扱われようとも、武藤はそのスタンスを変えることはなか
った。

 まる1年ものあいだ、ずっとずっと、ただひたすらに武藤はイユに接し続けた。ほかの看護婦や医師、そし
て患者からさえ、滑稽こっけいに見えるほどに。

 ──だが、その献身は無意味などではなかった。

 ようやく病状が安定し、あとは通院でもかまわないという段になって、イユは数年ぶりに笑ったのだ。

 武藤の注ぎ続けた心の熱は、固く閉ざされたイユの心の氷をも溶かしたのである。

 それからのイユの快復には目を見張るものがあった。リハビリが必要なほどに筋肉の衰えた身体は、みるみ
るうちにツヤとハリを取り戻し、1ヵ月もしないうちに同年代の平均値へと回復した。無気力に何も映してい
なかったうつろな表情は、瞳に光を灯し同一人物とは思えないほどにはつらつとしたものとなった。性格もそ
れまでとは一転、入院を繰り返す前の本来の明るさを取り戻し、学校でも多くの友達を再び得た。
 それからも、検査のために通院するたびに、あるいは非番の日にも、イユは武藤と会い、存分に語らった。
イユの快復を武藤は喜び、その笑顔を見て、イユもまた喜んだ。

 今のイユがあるのは、紛れもなく彼があってのことだ。

 自分を暗闇の中から救い出してくれた恩人のためにも、そして、癒イユという名を与えてくれた母のために
も、イユは看護師になることを決意したのだ。

 イユの通う看護学校では、2年生の中ごろになるとインターンシップとしてさまざまな病院へと派遣され、
実際に医療の現場で手伝うことになる。

 実際の現場は学校でやってきた座学などとはわけが違う。ただでさえ飛び抜けて優れているとは言いがたい
ことに加え、誰もが認めるほどの天性のおっちょこちょいであるイユに不安がないはずもなかった。

 だが、不安以上にイユは期待をまた抱いてもいた。実際の医療現場に立つことができる。つらい状況におか
れた人々を癒すことができるということに対する期待が、イユの不安を希望で照らしていた。

 インターンシップで病院にやってきたのも初めてのことではない。イユはどちらかといえば現場派で、座学
よりも実際に患者たちと触れ合うほうが得意だったし、好きだった。

 実際に看護師としての仕事を間近で見て手伝うことになる。この日もイユは、担当の先輩看護師と一緒に入
院患者の検温をして回っていた。

 看護師としての仕事は過酷なものだ。毎日へとへとになるまで働いて、しかもそのあとには勉強が残ってい
る。

 イユはそれを楽だとは思っていない。確かに大変で、つらい仕事だと思っている。だが、だからこそ、自分
を救ってくれた武藤のことを尊敬する気持ちはさらに強くなる。

「さってと、今日も頑張りますかぁ!」

 うーん、と、大きく伸びをすると、清潔な純白のナース服の下にある大ぶりな胸がぶるんと揺れる。

 今のイユは人見知りをしない性格だ。それはかつて、他者をすべて拒絶していた過去があるからこその反動
なのかどうかはイユ自身にもわからない。この病院にやってきてから、すでに2週間ほどが経過している。順
応の早いイユにとって、2週間も過ごした場所はもはや慣れたものであるといっていい。

 イユはどんな相手でも、体当たりでぶつかっていこうと思っている。もちろん、その人なつこさをうっとう
しいと思う者も少なくないだろう。しかし、それでもいいとイユは思っている。踏み込むことを恐れて近づか
なければ、癒すことすら叶わない。本当に救いを必要としているのは、泣き声を聞かれたくないからと他人を
突き放しながら泣く人なのだから。

 かつて、イユは入院先の病院の医師であった武藤に心を癒され、救われた。だがそれは、最初からそう感じ
ていたわけではない。うっとうしいと、自分になどかまわないでほしいと、そう思い続けていたのだ。

 しかしそれでも、武藤はイユに話しかけ続けた。執拗な、と表現してもいいほどの情熱。それこそがイユの
心の氷を溶かし、癒したのだ。

 自分自身がそうやって救われたからこそ、イユは思う。しつこいと思われても、嫌われてさえしてもかまわ
ない。いつか、その心を癒せれば、と。

 まだイユは看護師見習いでしかなく、正しく人を癒す立場には至っていない。半年もしないうちに別のイン
ターン先へと移らなければならない身だ。

 半年というのは短い時間だ。だがだからこそ全力で、体当たりで向かいたい。そうして患者に接していくこ
とで、たったひとりではあるものの、イユも確かに救うことのできたと言える者がいる。

 その娘はイユとよく似た境遇にあった。彼女もまた、かつてのイユと同じように、その身に闇を宿していた。
それでいて、ほかの誰かを傷つけたくないから、自ら心を閉ざしていた。

 彼女の暖かな笑みを頭に思い描いている最中だった。

「あっ……」

 小さな、可憐、と表現してもいいような、そんな声が耳に入る。

 それは焦りを含んだもので、至近から生まれたもので、イユの進行方向から聞こえたもの。

「きゃっ」

 イユが視線を正面へと戻すよりも早く、

「ぎゃふんっ!」

 激突した。

 あたたたた、といつもなら言うところだが、それ以上に、

「だ、大丈夫ですかっ?」

 焦燥を伴って、イユは問いかける。今のは完全に、10 割すべて自分のミスだ。怪我人や病人の集まる病院と
いう場所で、うわのそらのままに人にぶつかってしまうとは看護師としてあってはならない失敗だ。何かあっ
たらたいへんだと、そう思ってぶつかった相手の様子を見ると、

「「え?」」

 ふたりの声が、重なった。

 前を見れば、そこにいるのはイユと同年代と思われる女性だった。イユ自身は幼く見られることが多いので、
外見的にはイユよりもいくらか年上に見える。和ほどではないが、小柄なイユと比べると 10 センチは違うだろ
う。肩上ほどまでの茶色の髪に、大きく丸い瞳。愛嬌ある顔立ちに驚きを張りつけた彼女は、

「「もしかして」」

 そこまで、ふたつの声は重なり、

「恵めぐみ、ちゃん……?」

「イユ、さん……?」

 お互いの名前を、呼び合う。

 大塚おおつか恵めぐみ。それが彼女の名前だった。

 イユは彼女のことを、そして彼女はイユのことをよく知っている。

「「どうして、ここに?」」
 まるで鏡像かのように、挟まれる間すら同調させて、ふたりの声が三度みたび重なる。

「えっと……」

「その……」

 イユは待つ。恵が言葉を継ぐときを。

 だが、数秒待っても声は来ない。なぜならば、彼女もまた待っているからだ。

 お互いがお互いを待って、さらに数秒が経ち、

「ぷっ……」

 どちらからともなく、吹き出した。

 しばしふたりはそのまま笑い合う。

「えっと、じゃあ私からでいいかな?」

 笑いが収まるのを待って、苦笑交じりに問いかけたのはイユのほうだった。

 恵が無言でうなずくと、イユはあらためて口を開く。

「まずはその、大丈夫? ぶつかっちゃったけど」

「気にしないでください。私もよそ見してましたから。おかげさまで体調もいいですし」

「そっか」

 日なたのように暖かくも元気ある笑みを浮かべる彼女こそが、かつてイユと同じように心を閉ざし、イユが
救うことのできた人物なのだ。

 かつてイユがインターンで訪れた病院で、イユは彼女と出会った。

「今ちょうど恵ちゃんのことを考えててさ、ボーっとしてたらぶつかっちゃった。そしたらそれが恵ちゃんな
んて運命を感じるね」

「本当ですか? じつは私もイユさんのことを思い出してたんです。本当、運命ですね」

 そういって、ふたりはほほえみ合う。

「えっと、イユさんはまたインターンで?」

「うん。またしばらくしたら別の病院に移ることになると思うけどね」

「やっぱり、イユさんは看護師に向けて頑張ってるんですね」

「まぁね。今みたいに失敗することも多いけど」

「それで恵ちゃんのほうはどうして? 体調は……」

「えぇ。おかげさまでバッチリです。なんであんなに身体が弱かったのかわからないくらい」

「そっか」

 恵の言葉にイユは思わず笑みを漏らす。イユもまた、恵と同じだったからだ。
 かつて、イユも病弱だった。それこそ入退院を余儀なくされるほどに。しかし今のイユは健康そのものだ。
かつて病弱であったことが、夢か何かだったと思えるほどに。

 病は気から、とはよく言うが、それだけのことで済まされないほど、その変化は劇的だったといっていい。
それもそのはず、イユの身体の弱さは、単なる先天的なものでもなければ、偶然などではなかったからだ。

「それじゃあ、なんで病院に?」

「内科の武藤先生ってわかります?」

「え? 武藤先生?」

 その名をイユが知らないはずもなかった。

 武藤拓馬は 20 代という驚異的な若さでこの病院の内科部長の座についた、天才と表現すべき医師である。

 優男やさおとこ、といった印象を受ける細面ほそおもてに乗るその顔立ちは至極整ったもので、自分と同じ
くインターンに来ている看護師見習いや、先輩の女性看護師たちが彼にお熱をあげるのも仕方ないことだろう
とイユは思う。

 そして何より、彼はかつてイユの心を救ったその人なのだ。この病院に配属になったときも驚いたが、その
名前が恵から出てきたことに、イユは驚きを隠せなかった。

「もちろん知ってるよ。有名だし、私の恩人だもん。えっと……武藤先生がどうかしたの?」

「ほら、私って昔から身体が弱かったじゃないですか。急に良くはなりましたけど、一応経過観察ってことで
検査に来てるんです。その担当が武藤先生なんですよ」

「そっかぁ。武藤先生、すごいもんねぇ。安心して、武藤先生だったら信頼できるから」

 恵の担当が武藤だと聞いて、それだけで何故かうれしい気分になる。

「はい。突然、病気がうそだったみたいに全部なくなって、いろいろ調べてみたいっていうのもあるらしいで
す。もし私の体質が誰かに役立つんだったらうれしいかなって思って」

 恵の体調が急変した理由を、じつのところイユは知っている。そしてその理由である以上、科学的な検査で
結果が出るとは考えづらい。だが、誰かのためになれるようにと、そう思って行動する恵の姿に、イユは自分
と同じ志こころざしを見る。

 だから、

「わかるといいね」

 と、イユはうそ偽りのない思いを言葉にした。

 確かに結果が出る可能性は低いだろう。だが、それは決してゼロではない。信じて、そして恵が献身的に協
力するならば、結果が出ることだってありえるだろうとイユは思うから。

「じゃあ、そろそろ行きますね」

「うん。頑張ってね」

「ふふ、私が頑張ることなんてありませんよ?これ」

 苦笑して、受付のほうへと歩いていく恵を見て、

「あっ……仕事忘れてた!」

 せわしなく、イユは病院の廊下を駆けていく。それを見た入院患者たちは、あわてんぼのナースの一挙手一
投足にはらはらしながら、しかし最後は笑顔を浮かべる。

 どこか抜けていて、それでいて周囲に笑顔を与えることのできる人物。それがイユの、癒しの担い手として
の姿だった。

「さて」

 と、ひと息ついて、仕事に戻ろうとしたイユの耳に高い声が届いた。

 その声は大きなもので、その種別は「恐」と表現すべきものだった。

 病院という、心と身体を癒す場にまったくもってふさわしくないその声は、悲鳴と呼ばれるものだった。子
どもが注射を嫌がるとか、そんなものなどではない。もっと恐ろしい、明確な暴力に対する反応だ。

「っ!」

 そう思ったときには、イユはもう走り出していた。

 イユには秘密がある。いちばんの親友である和にすら話していない特大の秘密が。

 彼女は裏表のない性格だ。生来的にもそうであるし、イユ自身、意識してそうあろうとしている部分もある。

 だが、そんな彼女も年頃の娘。誰にも知られたくないことのひとつやふたつくらいはあるものだ。とはいえ、
彼女の持つ秘密は、どれほど控えめにいったところで、普通の年頃の娘が持つそれとは大きく異なるものであ
る。

 最初はひとつだけだった恐れの声は、まるで波のごとく伝播してゆく。非常ベルが響き、院内がパニックと
なる。

 悲鳴のする方向に走ったイユは、ほどなくして入院患者用の談話室にたどり着く。逃げまどう人々の流れに
逆らって走るのは簡単なことではないが、逆に考えれば、流れに逆らっていきさえすればその原因となってい
る場所に着くという意味だ。

 開けたスペースである談話室にあった光景は、とうていこの世のものとは思えないような異質なものだった。

 恐禍の中心にあるのは、ひとつの影だった。

 それを人影、と表現していいのかは微妙なところだ。なぜならば、それらはヒトには見えないからだ。

 おおまかな形状こそ人間のそれに似てはいる。しかし、まるで昆虫や甲殻類のような硬質の甲殻に覆われて
おり、人間というよりはカブトムシかなにかを人間のようなかたちに整えたかのような異形。二対の多腕を持
ち、背中から触手を生やす存在を世間一般では人間とは呼ばない。

 怪物だ。

 全高2メートル近くにもなる異形の巨躯は、周囲のありとあらゆるものに憎しみをぶつけるかのように談話
室の調度品や壁を殴りつける。コンクリートでできているはずの壁が、異形の振り下ろした拳ひとつでヒビ割
れ、砕ける。

 目に見えるほどの強烈な怒気は、ひと目見ただけで誰しもが恐れ、たじろぐようなものだ。

 そんな異形の怪物を目にして、普通ならば恐怖するだろう。逃げまどうだろう。先ほど、人々が逃げ散って
いったのは、責められることでは断じてない。

 しかし、

「種別タイプ《憤怒イーラ》、だね」
 いつもと同じように、否、いつも以上に真剣で、落ち着いた口調でイユはつぶやく。誰に向けるわけでもな
いその言葉には、恐怖ではなく安堵があった。

 談話室には怪物とイユしかいない。それはつまり、大怪我をして動けない人がいないということだ。だから
こそイユは、よかった、と安堵する。

 だがこのまま怪物を放置し続ければ、被害は確実に広がってしまう。そうさせたくはないし、そうさせるつ
もりもイユにはない。

 相手は自分の何倍もの体重であろう怪物だ。素手でたやすくコンクリート壁を砕くような化け物に、イユの
ような華奢な女性が敵うはずもない。

 にもかかわらず、イユはまるで怯まない。一歩、また一歩とイユは怪物へと近づいていく。

「お願い」

 イユの手に武器などはない。

 イユは無手の両手を、胸の前で重ね合わせる。その所作は神への祈りといえるものだ。

 だが、願うのは神に対してではない。

「私に、力を貸して」

 自分自身に向けた、優しい祈りの言葉。

 次の瞬間。

 応えがイユの中からやってきた。

 光だ。

 光がイユの胸元から生まれ、談話室を満たしていく。光量こそ強いが、まぶしくこそあれど優しさを感じさ
せるものだった。

 イユから生まれた光条は、少しずつその光量を弱めていく、否、弱まっているのではない。凝集しているの
だ。無形の光はその姿を変えていき、野球ボール大の光の球を形作る。

 光に気づいた憤怒の怪物はそれを脅威と判断したのか、4本の丸太のように太い腕を振りかぶり、イユへと
突撃する。

 イユもまた、怪物の動きに気づいていた。しかし、強い意志を秘めたイユの瞳は目を逸らすこともなく、光
球に両手を伸ばし、その手のひらで包み込む。

「!」

 ひと際強く光球が発光したかと思うと、光がはじけ、イユの全身を包んでいく。まるで成虫になるために蛹
を作るチョウの幼虫のように。

 異形の四腕が振り下ろされ、イユを包んだ光の蛹を打ちつける。

 ガギン、と。骨の軋むような異音。そしてそれに次いで、

「────!」

 異形の絶叫が響く。

 硬質の甲殻によって覆われた四腕はしかし、光の蛹に傷ひとつつけることも叶わない。それどころか、その
鎧殻には破損がある。異形は、己の強大な力ゆえに自らの甲殻を砕いてしまったのである。
 蛹の中、イユの着るナース服が光によって分解、小柄な身体に不釣り合いな巨乳や、肉感的な肢体が投げ出
される。

 光の中で誰に見られているわけでもないとはいえ、恥ずかしいことは恥ずかしい。

 再び拡散した光は、再度集まっていく。その先にあるのはイユの身体。

 ワンピースタイプの衣にグローブ、ソックス、そしてレギンス。不定形の光がそれらの形状を固定し、純白
の姿を見せた。

 光の蛹が解け弾け、降臨したのはイユであり、しかし先ほどまでのイユとは違う姿だった。

 全体的なフォルムや、受ける印象だけでいうならば、先ほどまでイユが着ていたものと同じ、ナース服のよ
うだ、と表現することができるだろう。しかし、光が転じた新たな衣装は、やはり同様に清潔な純白ではあり
ながらも、本来のナース服以上に身体にフィットする形状で、イユの肉感的なボディラインを浮き上がらせる。

 細く華奢な指先から腕までを覆うのは、新たに生まれた長手袋。その甲にはひと目見るだけで心洗われるよ
うな、聖浄なる光を携える無色透明の結晶が輝く。タイツはソックスに、院内用のサンダルは再構成され、ス
ニーカーにも似た動きやすさを重視したものへと変わっていく。

 リボンのような浅緋の結び帯が背を飾り、ナースキャップの中心にも手甲と同様の温もりに光る宝珠が生ま
れる。魔を祓う存在としての役を表わすかのように、その姿は看護婦のそれに似ながらも、どこか巫女を思わ
せるもの。

 まるで女児向けのアニメに出てくるヒロインを思わせるような変身ぶり。

「────!」

 咆哮。

 蛹を破って生まれ落ちた可憐な蝶めがけて、怪物は再び4つの拳を振り上げる。

「ヴァイサーエンゲル・イユ! 私が来たからには何も、誰にも、失わせない!」

 名乗る。

 ガラスを震わせるほどの大音量の咆哮に、一歩も引くことなく、自らの名を、自らの意思を、伝えるように。

 心や身体に傷を、あるいは病を患い苦しむ人を、癒し、救う白衣の天使。イユがなりたかった存在。そんな
意を込めて、イユは自らを名乗る。

 Weisser Engel ヴァイサーエンゲル──白き天使を意味するドイツ語だ。

 これこそが、イユの秘密。

 かつて、病魔にその身を蝕むしばまれていたイユは、しかし他者を傷つけまいという優しい心と強い精神力
によって病魔を抑えつけ、同時に自ら心を閉ざしていた。イユの身体が弱かったのはそれが原因だ。

 武藤の献身によって、自分の中の病魔を浄化したイユが手に入れたのが、人を救い、癒すための異能の力だ
ったのだ。

 再三、振り下ろされる超重の剛拳を見据えながら、イユ──ヴァイサーエンゲル・イユは一歩、強く床を蹴
る。うしろではなく、前へ、だ。
 純白の長手袋をまとった細い手に武器はない。

 イユの目的は、眼前の怪物を討伐することではないのだから。

 怪物の瞳、本来瞳があるべきうつろな眼窩がんかには憤怒だけではなく戸惑いと、そしてもうひとつの感情
がある。

「哀かなしいんだね……」

 踊るようにステップを踏み、そのひとつひとつが必殺といえる剛撃を避けながら、イユは小さく、怪物に語
りかけるようにつぶやく。

 憤怒の炎を爛々とその眼窩に輝かせる怪物は、しかしその光に哀しみを含んでいるようにイユには見えてい
た。

 10 はくだらず、50 にはおよばない。多方向から放たれる砕撃の連続の末に、

「大丈夫」

 息ひとつ切らせることなく、イユは告げる。

「大丈夫だよ」

 言って、イユは笑う。

 それは慈愛を含んだものであり、ほほえみと呼ばれるものだ。

 砕拳の雨の中、イユは力を蓄えていく。

 利き手である右手、その掌に、手の甲の結晶から生まれ、増幅し集まっていくのは清浄な光。イユの手に生
まれていたのは、大きさにしてサッカーボール小程度の、光の球体だった。

 イユはそれを、ハンドボール投げを行なうように、サイドスロー気味に右手を引き絞り、

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 裂帛れっぱくの気勢とともに、投てきするように、

「──ッ!」

 破、という息を伴って、振りきった。

 光の球は怪物の胸元、正中よりやや左へと外れた位置──人間であれば心臓のあるはずの位置へ命中し、怪
物の胸へと埋まっていく。

「取り戻して……」

 息を吸い、

「……あなた自身を!」

 イユは叫ぶ。

 瞬間、

 怪物の身体が、爆ぜた。

 だがそれは、死と呼ぶべき結果を生んだわけではなかった。異形が解ほどけ、その中から別の姿が現われた
からだ。

 異形の内側から現われたのは、人間だった。

 意識を失ったようにまぶたを閉じ、床へ崩れていくその姿を、イユは支える。その胸元が規則的に上下して
いる様子に安堵の息を吐くと、ゆっくりと床に横たえる。

「よかった……」

 人混みに紛れれば、すぐにわからなくなるほどのなんの変哲もないやや痩せ気味の初老だ。細い、というよ
りやつれたというほうが近いその身体は、ほんの数分にして廃墟のような様相を呈したこの空間を生み出した
暴力の担い手の姿とは思えない。

 だが、間違いない。この初老こそが、この破壊を生み出した存在なのだ。

 病魔。

 イユはこの怪物たちのことをそう呼んでいる。

 病気のことを比喩的に表現しての意味ではなく、病気のような魔物という意味での、病魔だ。

 彼らは人間の持つ精神エネルギー、とりわけ怒りや憎しみ、哀しみや欲望といった負の感情を糧として生き
る精神生命体である。彼らは取り憑ついた人間の精神に干渉し、その負の感情を肥大化させる。

 そうして宿主に完全に定着した病魔は成体、今しがたイユが浄化したような、怪物へと変化するのだ。

 精神は肉体に影響を与えるというが、そうして病魔に完全に支配された宿主は、さまざまな姿かたち、そし
て超常的なまでの能力を得る。甲殻に覆われた多腕の異形はその一例だ。

 さらには病魔はウイルスのように、他者へと感染する。成体となった病魔は皆、自己複製を行ない、他者に
病魔を伝染うつすのだ。

「ふぅ……」

 イユは、またひとりを救うことができたという実感を得て、大きく息を吐く。

 一撃受けてしまえば死の可能性もある必死の戦いは、一見すればイユが圧倒的優勢に見えていたとしても、
イユに多大な精神的疲労を与えるのである。今にも床に崩れ落ちそうになったそこに、

「──────!」

 絶叫をあげ、新たな怪物が現われた。

 先ほどイユが浄化した怪物と同様、規格外の巨躯きょくといっていい。体表面は粘り気のある体液に覆われ、
てらてらと油のような輝きを放っている。身体のいたるところから伸びるのは、タコのそれにも似た触手。先
ほど戦った怪物が昆虫の怪物というならば、新たに現われたのは海洋生物の怪物といえるだろう。無数の触手
の先端は、見たこともない男性器のそれを想起させる淫猥なもの。

「これは……種別タイプ《淫蕩アスモデウス》……?」

 言葉を漏らし、思わずイユはたじろいだ。淫蕩の感情を糧とする病魔は、イユがこれまでほとんど出会った
ことのない種別タイプのものだからだ。

 未知の敵との、それも2連戦を目前に、イユは疲労を押し殺し、覚悟を決める。

 だが、

「そこまでだ」
 うしろから突然、理性的な男性の声がかかった。

「ぇ……?」

 突然の制止に対して、最初にイユが紡いだのは、吐息ともいえるほどにかすかな、声ともとれない音だった。

 その小さな呼気に含まれていたのは驚愕と疑念。

 病魔と戦うこの空間に誰もいなかったはずという意味での驚き。そして何より、その声がイユにとってあま
りにも聞き慣れたものであったことに対する疑念だった。

「そこまでだ、と言ったんだよ。イユ君」

 思わず動きを止めたイユに、男の声はさらに続ける。

 病魔も乱入者の存在は想定外だったのか、憤怒の炎のみを灯すその眼窩にすら驚きが宿っているのがイユに
はわかる。

 声質だけではない。その口調も、テンポも、ほんの短いふたつのフレーズだけからでも、イユにはその声の
主が誰なのか容易に想像がつく。ついてしまう。

 イユはやや空回りする部分もあるとはいえ、本質的には賢い娘だ。だからこそ、悟ってしまう。この場にお
いて、病魔を浄化するのを制止する理由など、本来ならばないということを。もし、あるとすればそれは──。

「なん、で」

 震え混じりに、イユは誰にともなく問いかける。

 ただ振り返る、というだけのほんの一行程の動きにイユは、それまでになかったほどの恐怖を感じていた。

 制止の声を投げかけた男が誰であるか、振り返ってしまえばそれが確定してしまうような気がして。

 それが逃避であることは、聡さといイユにはわかっている。だがそれでも、そうとわかっていてなお、振り
返るのがイユには何よりも恐ろしかった。

「おや」

 そのかすかな逡巡。イユの身体が硬直したその瞬間、眼前の病魔がその巨腕を振り上げた。

 本来ならばたやすく避けられる速度だ。だが、イユの身体はまるで枷かせをつけられたかのように重く、初
動が数コンマ遅れる。病魔の剛腕を前に、その一瞬の差はあまりにも大きなものだった。

 まずい、と、イユがそう認識したそのときには、

「ガァ、ア……グゥ」

 病魔は貫かれていた。

 2メートルを超える巨躯の、人間であれば心臓にあたる部分を貫いたのは、男の細腕。

 怪物と比較すれば4分の1もあるかどうかといったその体格は、男性にしては華奢と表現してもいいだろう。
スラリとした長身と目鼻立ちの整った細面、汚れひとつない白衣をその身に纏った、まだ青年と表現すること
もできる。

 瞳には理知的な光が輝き、凍てつくように冷静な無表情で、自身に何が起きたかわからず断末魔を漏らす怪
物を見上げている。

 武藤拓馬。
 この病院の内科部長にして、かつてイユを絶望から救い出した、イユにとっての救世主ヒーロー。

 だが、

「う、そ……」

 いつも、物静かな中にも優しさを宿していたその瞳は、

「そこまでだ、と言ったつもりなのだが」

 今はただ、怒りでも憎しみでもない、虚無を映しているようですらあった。

「イユ君は大事なサンプルだ。あなたのようにいくらでも代わりのきく木偶でくとは違うんだ」

 そこまで言うと、武藤は怪物の巨躯から右腕を抜き取る。白衣に包まれたその腕はしかし、怪物の血に染ま
ってはいない。ほんの少しの黒ずんだ汚れを見つけると、不快げに顔をしかめる。

 怪物はそのまま黒いもやを吐き出したかと思うと、人の姿を取り戻す。だが、胸に開いた風穴は埋まらない。
そのまま、まるでもともとマネキンだったかのように、遊戯室のひび割れた床に崩れ落ちる。武藤はそれを、
みじんの興味もないと言わんばかりにただ見下ろすのみ。

 それは、イユの知る武藤拓馬ではない。

「さて」

 両手を合わせ、武藤はイユへと向き直る。

 そのほんのわずかな時間の流れが、イユにはコマ送りのように、長い時間をかけて再生されるように感じて
いた。

「話をしようか、イユ君」

「武藤、先生……」

「そう、君のよく知る武藤拓馬だ。長い付き合いだからね、君の考えていることはなんとなくわかる。だが私
は偽物なんかじゃあない。なんなら、君と出会った日からの思い出を言ってやってもいい」

 間違えようもなかった。その顔立ちも、身体つきも、口調も、そして、場を和ませるために子どもめいたこ
とを話すその様子までもが。すべて、イユの知る武藤拓馬その人であるといって疑う余地すら与えてはくれな
い。

「なんで、先生が……」

 そして何よりイユを驚愕させたのは、目の前にいるのは武藤拓馬であると同時に、病魔でもあったというこ
とだ。これまで対峙してきたどんな病魔よりも強力な病魔の気配が、武藤から放たれているのがイユにはわか
る。

 病魔は人の心の闇に巣食い、その感情を糧として育っていく。イユにとって武藤は優しさの象徴ともいえる
人物だった。そんな彼が、病魔を宿すほどに心の闇を持っていたという事実が、イユには信じられなかった。

「いつ、から……」

 疑問に対する答えはない。

 だが、現実として武藤は病魔に侵されている。それも今までイユが対峙してきたどんな病魔よりも強大な力
を持つほどの。それほどまでに強大化するのに要した時間がほんの一日や二日などというはずもない。

 しかし、それでもイユは強い意志の持ち主だった。驚きから抜け出すこともできないままに、しかしあらた
めて自らの意思を強く握り直す。
「先生は、私のことを助けてくれた。あなたの心の温かさが、私の心を溶かしてくれた。だから、私は今、こ
うしていられるんです」

 過去を回顧し、イユは告げる。

「私には、先生の心の奥にある闇を見通せませんでした」

 でも、とつなぎ、

「だからこそ今度は私が先生を救います。かつて先生が私にそうしてくれたように」

 息を吸い、

「あのとき私の心を癒してくれた、優しい先生を……取り戻す!」

 力強く宣言したイユに対して、武藤がとったのは拍手という対応だった。

 パチ、パチ、パチ、と、乾いた拍手の音が、ふたり以外には誰もいない談話室に響く。

「さすが。さすがだよイユ君。その強く、優しく、高潔な魂。それこそが私の求めていた人材サンプルだ。や
はり私の目に狂いはなかった」

「人材サンプル? いったい、なにを」

 問いかけに武藤は答えない。その代わりというべきか、武藤はアゴでイユの背後を指す。

 嫌な予感を覚えて振り返ったイユが見たのは、イユも知る内科の医師が、見知った少女の細い首をつかみ、
優越の笑みを浮かべていること。そしてその少女が、恐怖に目を見開き怯えている光景だった。

「イユさん……」

 おそるおそるといった様子で、イユの名を呼んだのは、

「恵ちゃんっ!」

 思わず駆け寄ろうとする自身の身体を、イユは理性で押しとどめる。

 病魔の膂力りょりょくをもってすれば、一瞬にも満たない短い時間で恵の頸椎はへし折られてしまう。それ
こそ、イユが恵を救うよりもずっと早く。

「月並みだとはわかっているが、抵抗はしないほうがいい。そうすれば驚いて手を滑らせることもないから
ね」

「病魔の、言葉を信じろなんて……」

 歯切れの悪いイユの言葉は、病魔を信じられないと思う反面、無条件に武藤を信頼したくなる気持ちの表わ
れだった。

「確証を与えてあげることはできない。信じてほしい、としか言いようがないね」

「信じられるわけが……」

 イユの内心にあったのは焦燥だった。考える時間を得るために、イユはただ言葉を紡ぐ。

 どうすれば恵を救うことができるのか、イユの思考を満たしているのはそのひとつのみだ。しかし、そんな
思いに反して、イユの思考は停滞していた。焦りが焦りを生み、稼いだ時間を有効に使うこともできない。

「だが、君に選択肢もないだろう。彼女を見捨てる、というのであれば話は別だがね。その場合、彼女には同
胞になってもらう」

「それはっ……」

 それはつまり、恵に再び病魔を寄生させる、ということだ。

 あの優しい先生が、そんなことをするわけがない。そう考えたい自分がいる一方で、病魔に侵された人間が
どれだけ変わってしまうのかをイユは嫌というほどに知っている。理性と感情、ふたつの板挟みになって、イ
ユの心はきしみを上げ始めていた。

「我々としてはどちらでもかまわない。どちらにしても君を倒すことになるわけだからね。だが、確かに合理
的な選択だ。病魔を浄化することのできる君自身と、なんの能力もない一般人。どちらが大切かなんて、子ど
もでもわかる」

「……っ!」

 武藤の言葉に、イユは納得という感情を得ることはない。なぜならば、

 ──人は誰でも、等しく価値があるから。

 かつてイユにそう告げたのは、ほかならぬ武藤自身だった。それを含めた無数の言葉が、彼女を今あるはつ
らつたる少女にしているのだ。

 確かに自分には病魔を浄化する力がある。たとえ恵が再び病魔に侵されたところで、あとになって浄化して
やればいい。そうすることが結果としてはお互いにとって最善の手だと、無機的に思考するならばそう結論づ
けることもできるだろう。

 だが、イユにとってその選択をすることは、かつて自分を救ってくれた武藤を否定するにも等しいことだっ
た。今、目の前に敵として存在していても、それでもイユはまだ、武藤のことを信じていた。その本質はかつ
て自分を癒してくれた救済者なのだと。

 そして、そんな決断をできない《人間》だからこそ、イユに浄化の力が宿ったのだから。

「わかった。その子を離して」

 迷いはほんの一瞬だった。

 その迷いすらも、もっと良い方法があるのではないかという意味のものであり、恵を見捨てるか否か、など
という種のものではない。

「ほぅ。いいのかね?」

「えぇ。私は誰も見捨てない。それを教えてくれたのは先生だから。その代わり約束して。彼女には手出しし
ないって」

 武藤の、答えのわかりきった確認にも、イユは毅然とした態度で答える。

「もちろんだ」

 うなずいてから、

「あぁそうそう。彼女にはしばらく入院してもらうことになる。安心してくれ、ただの検査入院だよ」

 わざとらしくそう告げて、笑う。

「君が、おとなしく従ってくれればいいのだがね」

 武藤はあえて、脅迫の言葉を明言はしない。
 しかし、婉曲的に表現しているだけで、実際には明言しているのも同然だ。

 もし自分が逆らえば、彼女は病魔に侵され、欲望に堕ちてしまうことだろう。

 そんなことは決してさせない。イユは自らの心にそう強く誓う。

「連れていけ」

 武藤がそう告げると、病室の外で待機していたのか、同じ内科の医師たちが恵を連れていく。彼らからもま
た、病魔の生体の気配を感じる。

 病室に残されたのはイユと武藤のふたりだけだ。

 邪悪で、それでいて強大な武藤の気配に気圧されることのないように、イユは精根を振り絞って対峙する。
それ自体が気圧されているということにほかならないことにイユは気づいていない。

「さて、それではさっそく頼みたいことがある」

 言って、武藤は女を魅了する魔性の笑みを浮かべながら、白衣の下、ズボンを指してみせた。

 その中心、股間は膨らみ、内側から布地を強く押し上げているのがイユにもわかる。

 イユは優しく、そして強い精神力の持ち主ではあるものの、精神的には幼いといっていい。

 とくに性に対しての意識はきわめて希薄で、さすがに保健体育的な意味での性知識は持ち備えているものの、
異性を意識したこともなければ、性行為に対する自発的な興味というものもほとんど持っていなかった。

 そんなイユであってさえ、男性が興奮状態にあるとき、男性器が勃起するということは知っていたし、業務
の上で触れることもあった。だが、それとこれとはまた別の話だ。実際にまじまじと見せつけられたのは当然
のように初めてのことだ。

「これ、って……」

「脱がせてもらえるかな?」

 かたちこそ、問いかけのかたちをとってはいたものの、その実、イユに拒否権などあるはずもなかった。も
し反抗すれば、恵の身に危険がおよぶことは明らかなのだから。

 なんの抵抗もできない自分に歯噛みしながらも、イユは武藤のすぐそばまで近づくと、家臣が主人に対して
そうするように、姿勢を下げてひざまずく。嫌悪感を押し殺して、そのまま武藤のズボンに手をかけると、ジ
ッパーを下ろす。

「何かひと言欲しいところだね」

 武藤の下衆な注文に、しかしイユは答えるすべを持たない。

 拒絶、というわけではない。もちろんロクなことではないだろうという想像はつくものの、性知識をほとん
ど持たないイユには、武藤の注文が何を求めるものなのか、そもそも理解できなかったのだ。

 疑問符を浮かべるイユを見て、武藤はその笑みを深めると、

「そうやって奉仕するときは、いやらしい言葉で男を興奮させるのだよ」

「いやらしい、言葉……」

 イユは思考を回転させる。

 武藤が求めるようないやらしい言葉など、イユの記憶にはほとんど存在しない。数秒のあいだ、思案した末
に、
「ご奉仕、させていただきます……」

 イユが絞り出したのは、そんなひと言だった。

 そんな言葉でさえ、イユにとっては病魔への屈伏を意味するこの上なく屈辱的なものだ。

 隙間からこぼれ出た怒張を覆うトランクスから、内側の屹立をあらわにする。

 黒々とした艶を放つソレの表面には太い血管が通っており、イユの想像よりもはるかに太く、長く、それで
いてグロテスクだ。それだけでひとつの、別個の生物なのではないかと思えるほどの異様さがある。

 数十センチの距離をもってしても匂ってくるその香りは、生臭く、それでいてどこか女性を惹きつける香水
のような甘さを伴っていた。

「どうした? もしかして、見入っていたのかな?」

「ち、ちがっ……!」

 否定しようとするものの、見入っていたのは事実だった。否定の言葉を紡ぐその瞬間ですら、イユの視線は
固定されていた。

 見たことのない、卑猥でグロテスクなそれは、気持ち悪いはずだというのになぜか目を逸らすことができな
い。

 引き寄せた虫を溶かし、養分とする食虫植物のごとく、武藤のペニスはイユの視線を惹きつけて離さない。

「気に入ったのならいつだって見せてあげるさ。ほら、続きを頼むよ」

 フェラチオ、という行為が存在すること自体はイユも知っている。それが男性器を口に咥え、舌で刺激を与
えるものであるということも、だ。

 だが、なぜそんな汚いものを口に含まなければいけないのかも、それがどうして快楽につながるのかも、イ
ユにはわからない。

 とはいえ、拒否することのできる状況ではない。イユは眼前の魔根に口を開くと、

「んっ」

 意を決したように、口に含んだ。

 大魔羅は、性奉仕の経験など皆無のイユにはあまりにも大きすぎた。鋭角ともいえるほどに高く張ったカリ
を含めた半分と少しほどしか、イユの小さな口には収まらない。それだけでもイユにとっては充分に苦しさを
覚えるもので、思わず瞳に涙が浮く。

 魔香は口腔に収めたことでさらに強くイユへと届く。理性を溶かしていく甘い香りの誘惑に、奉仕したい、
隷属したいという気持ちが湧き上がる。

「舐めるんだ。歯を立てないように、撫でるようにね」

 武藤のペニスから漂う魔香のせいだろうか、イユは武藤の言葉に従順にしたがってしまう。

 まるでその方法を子細に説明されたかのように、イユの脳裏に口腔奉仕の作法が伝わってくる。それは、イ
ユの内側に存在する、無毒化された病魔の持つ知識が、イユの記憶野に情報をインストールしたかのように。

 たとえそんな知識があっても、そうする義理などありはしないというのに、イユは情熱をもって、全力で武
藤のイチモツに奉仕する。

 じゅぷ、じゅるっ、じゅぅっ、と、下品な旋律が響き始める。
「とても初めてとは思えない、いやらしい舌使いだ」

 本当ですか? と問い返しそうになって、イユは思わず自身を制止した。

 イユはもともと他人の心の機微に敏感だ。だから武藤の言葉が、心の底から発せられた真実であるというこ
とがわかってしまう。

 そして、たとえ怨敵のペニスに対する奉仕という状況であっても、イユの精神の持つ奉仕性は、相手からの
感謝を満足という感情として受け入れてしまっていた。

「最高だよ、イユ君」

「ぁ、ぁ……」

 嬉しい、と、イユは思っていた。

 相手が病魔であるとか、そんなことは関係ない。ただ、他人に対する奉仕が、他者の悦びとなっているとい
う事実が、イユに充足を与えているのだ。

 武藤のペニスの先端から染み出したカウパーを悦びの証として、もっと、もっととそれを求めてイユの舌は
蠢うごめく。

 さらに勢いを増して染み出すカウパーが、今のイユには極上の甘露のように思える。

「射精でるぞ」

 宣言にわずかに遅れて、武藤のペニスが白濁した欲望を噴出した。

「ぅ、ぁふ……」

 熱い。

 最初にイユが感じたのは、煮えたぎるマグマを思わせるようなその熱だった。

 口内を満たしていく熱い欲望の奔流に、イユは溺れそうになる。

 次にイユの感覚が認識したのは、

「おぃ、ひぃ……」

 美味、という味覚だった。

 苦味があり、生臭い。それぞれを分けて考えればどう考えてもおいしいと思えるはずのないものだというの
に、どこか甘味のある芳香が混じると、この上ない美味に感じられる。

 口腔奉仕だけでイユの瞳はとろんと蕩とろけ、両の乳首と淫核は痛いほどに勃起している。触れてすらいな
い淫裂からは粘りのある蜜汁がこぼれ出すほどだ。

 そうなっているのには、もちろん淫魔としての武藤の力も少なからず存在する。しかしそれ以上に、イユの
奉仕に対する悦びこそが、イユの身体を淫猥なものとしていた。

「ぅ、んっ……!」

 武藤の射精のはじまりから2秒ほどの間をあけて、イユの思考がぶつんと途切れる。

 絶頂。

 身体を触られたわけなどではない。ただ、口腔奉仕し、口の中に射精されたというだけで、イユは絶頂に至
る。

 それは、性に対して驚くほどに疎いイユにとって、生まれて初めての絶頂だった。

「フェラチオだけでイッたのか? 間違いない、君には淫乱の素質があるようだな」

 それが侮蔑の言葉であることを理性でこそ理解していても、イユの心と身体はそれに充足を覚えてしまう。
ののしられることによるマゾヒスティックな快感ではなく、奉仕の快楽に、だ。

 敵に対する抵抗の意思以上に、悦んでもらえたという奉仕の快楽がイユの心に染み込んでいく。

「さて、これからしばらく、このようなことをしてもらうことになるが、いいね?」

 拒否権などあるはずもない。イユはただ、無言でうなずく。

 今すぐにでも、武藤にすべてを委ねてしまえと、このまま快楽に溺れてしまえと、そんなささやきがイユの
心の中から聞こえてくる。

 悪魔の誘惑に、イユは一瞬、負けそうになる。求められているのだから、悦んでもらえているのだから、と。

 しかし、

「……私は負けないから。絶対、助けてみせる」

 自分に言い聞かせるように、誘惑を否定する。

 その口調はすでに断固たる意思とは呼べないようなものだった。それを自覚しながらも、しかしイユは恵を
救うため、拒絶の言葉を紡ぐ。

「ああ、楽しみだ」

 その日から、イユの孤独な戦いが始まった。

 断続的な、快楽に喘ぐ女性たちの声オト。

 肉と肉のぶつかり合う打擲音オト。

 この上なく下品なアクメ顔をさらしながら、淫蜜をぶちまける水音オト。

 早朝の小鳥のさえずりのように、盛夏の蝉の鳴き声のように、日常のひとつとして与えられた、BGMオト。

 日が暮れ、昇り、また暮れても。一日という時間の区切りはいつの間にかなくなり、イユの意思なども関係
はなかった。

 ただ、男たちが望めばソレは始まる。

 インターンの仕事をこなしながら、呼び出されれば男たちの精を受け続ける性の狂宴は、毎日のように繰り
広げられた。

 牡の匂いを嗅いだだけで、イユの理性は容易に蕩け、淫らな期待に満たされていく。

 そんな狂った日々の中でイユが感じていたのは、羞恥でもなければ怒りでもない。

 イユの心を満たすもの。それは、奉仕の悦びにほかならなかった。

 ひたすら淫行に漬け込まれたイユは、その心のみならず肉体にも淫猥な変化を得ていた。

 最初に影響が現われたのは、乳房だった。

 何をされているわけでもないのに、服とのこすれだけで快楽が与えられる。

 桃色の乳頭は痛いほどに硬くなり、ナース服の上からも容易にその膨らみを見てとれるほどだ。

 武藤らによって幾度となくさせられてきた奉仕と教え込まれた快楽は、淫らな行為による悦びをその身体に
刻み込んでいた。

 ヒップのサイズはひとまわり以上大きくなり、ただ普通に歩くだけでも淫猥な誘惑に見てとれる。

 口腔や膣の感度も高められ、ただショーツがこすれる刺激だけで幾度となく絶頂を極めてしまう淫らな身体
となっていた。

「んっ……」

 夢見に回想フラッシュバックした出来事に、イユは夢に浮かされるかのようにパジャマの中に片手を差し入
れた。

 寝起きの身体に生じる思考と動きのあいだのわずかなズレラグすらももどかしく感じつつ、指先がショーツ
のクロッチに伸ばしていく。

 本来ならば清楚な印象を与えるはずの薄布は、すでにしぼることができるほどの愛蜜に濡れきっていた。

 最初こそショーツの上から牝筋を撫でていたものの、いくらもしないうちに、我慢の限界といわんばかりに
中に手を入れ、直接淫裂をなぞるようになる。

 それでも飽き足らず、人差し指と中指を牡棒チ×ポに見立てて膣道へと挿し込み、牡との交尾まぐわいを思い
描きながら抽送をはじめる。

 陰部の快感だけでは物足りなくなったイユは、空いた左手を重力に圧されていてもなお、綺麗な形を保つ自
らの美巨乳へと伸ばし、こねくりまわす。ブラジャー越しであっても乳首がピンと勃起しているのが感じ取れ
るほどだ。

 口から漏れ出す快感の声は少しずつ大きく、甘ったるいものになっていく。

 指先の抽送が加速していく。その白魚のような指は牡の精液スペルマとも見間違えるばかりの粘度の高い本
気汁にコーティングされ、品なく泡立った淫蜜が壊れた蛇口のようにとめどなくあふれていく。

 脳裏に思い描くのは牡の生殖器ペニス。どれだけ指を、牡であるとイメージしたところで足りない。

 口腔で、手で、脇で、胸で、牝穴で、尻穴で、全身のありとあらゆる場所でその牡性を感じたい、受け止め
たい。

 欲しい、という飢餓感はたちまち、あって当然のはずのものがなぜないのか、という空虚感に変わる。

 だが、ここに牡はいない。仕方がないと割り切って、イユは自分を責める動きをさらに激しくする。

 視界が暗転した。
 意識が一瞬途切れるほどの快感。全身が待ち望んだものに歓喜するかのように絶頂を極め、何かにおもいき
り引っぱられたかのように、背が弓を描くように反る。淫汁はあふれるという域を越えて噴き出し、パジャマ
どころか寝床にまで牝臭を染みつかせた。

「はぁ、はァ…………ふぅ」

 絶頂から数刻、イユは昂たかぶっていた息を落ち着けると、ゆっくりと身体を起こす。ねちゃ、と股間から
いやらしい粘音が聞こえてくるのを気にも留めない。

 腰から下の一帯は豪雨に降られたのだと言われても納得できそうなほどにびしょびしょだ。枕元に置いてあ
る時計を見ると、液晶画面は今が6時半であることを示している。

「わた、し……なんで……」

 イユは自慰というものをしたことがなかった。マスターベーションという行為が存在することは知っていて
も、だ。だが、それが淫らで恥ずべき行為であるというくらいはわかっていた。

 いかに病魔によってその身をけがされたとはいえ、異性を求め、意識するまでもなく自慰行為に溺れてしま
ったという罪悪感と後悔に、イユの心は沈んだものとなる。だというのに、イユの身体は沈むどころか、さら
なる快楽を求めてイユを駆り立てる。

「いや……だめ……」

 絶頂と、それ以上に湧き上がる情欲を抑えるため、イユは落胆したようにつぶやきながら、シャワールーム
へと向かった。

 ぬるめのシャワーが打ちつける連続的な水音に、蜜の立てる粘質の濡れ音が混ざった双奏が、日が昇りはじ
め、イユが疲労のあまり眠りにつくまで延々と続いた。

「入ります」

「どうぞ」

 軽くノックすると、すぐに内側から武藤の返答がある。いつもどおりのことだ。

 ここで幾度引き返そうと思ったかは、2週間という短い時間のうちでも数えきれない。だが結局は、そんな
ことできはしない。

 2週間。

 それだけの期間、イユは毎日のように武藤たちによって弄ばれた。

 ある日は武藤自身に、ある日は病魔に寄生された医師や入院患者たちに、そしてまたある日は、病魔に寄生
されていない普通の患者を相手にして。

 ごく普通の仕事などさせてもらえはしない。借りているひとり暮らしのアパートにも押し入られ、寝る暇も
なく奉仕を続けた日もある。

 だが、彼らは一度としてイユを犯そうとはしなかった。ただ、イユに奉仕を命じ続けただけだ。しかし、恵
を人質にとられたイユはそれに従うことしかできなかった。

 その日、イユが呼び出されたのは病室のうちのひとつだ。つい先ほどまで、何十人もの男たちの精をその身
に浴びたため、その身体には淫猥な精臭が染みついていた。

 しかし、その程度はすでに気にするに値するものではない。そんな程度のこと、気にならないほどのことに
なってしまっていた。

 病室に入ると、そこにはふたつの影があった。武藤と、そして恵だ。

 なぜ恵がここにいるのか、などと疑問に思う暇はなかった。目の前に広がっているのはそんな些末さまつな
ことよりも、よほどに衝撃的なものだったからだ。

 診察用のベッドに腰かける武藤の横で恵が、自身のかたちの良い胸を揉み、スカートの内側に手を突っ込ん
でまさぐっているのだ。その様子は人質であるとは思えないようなもので、今この状況を心底楽しんでいるか
のような淫らなものだった。

「恵君」

 あぜんとするイユを前に、武藤が短く呼びかける。

 武藤の言葉に促された恵は、自身の快楽衝動を抑えるように秘裂をまさぐる手を止め、武藤の足元にしゃが
み込む。

 そのまま武藤のズボンのベルトをはずし、ズボンを下ろす。そのまま、さらに下着も引き下ろし、そのペニ
スをあらわにする。

 うっとりとした様子で、ビンビンに勃起した武藤の怒張を眺め、そして撫でる。

 かつてのイユであれば、嫌悪感に目を背けたであろう醜悪な肉塊に、しかしイユは目を離すことさえもでき
なくなっていた。

「ぁ……」

 無意識のうちに、イユの口から小さな声が漏れる。

 うしろにたじろくのではなく、小さく、しかし確かに前へ。くちゅっ、という水音がイユのナース服の下か
ら聞こえた。

「ごめんなさいね、イユさん」

 言葉こそ謝罪ではあるものの、どこか小馬鹿にしたような口調は、それだけ見ても恵が心から謝罪している
わけではないのが明らかなものだった。

「恵さん、なんで……」

 イユの口からこぼれた疑問はか細く、そして震えていた。

 そんなイユの内心を知ってか知らずか、恵は顔色ひとつ変えることなく問いかけに答えんと口を開く。

「なんでって、御主人様がそうしろっていうんだもの」

「御主人様……?」

「そ、武藤先生」

「そんな! 恵さんには何もしないって約束したのに!」

 相手が病魔であることを失念していたわけではない。だがそれでも、相手が恩師である武藤であるという事
実が、イユに彼を信じようとさせていたのもまた現実だった。

「うふふ、違うんですよ。全部教えてあげます」

 しなを作り、どこか演技がかった口調で告げる恵は、牝の表情をしていた。

「私、イユさんに助けてもらってから武藤先生が担当になったんだって言いましたよね? そのときにいろん
なことを教えてもらったんです。病魔のことだとか、イユさんの力だとか……」

 一瞬、言葉を溜めて、

「セックスの気持ちよさ、とか」

 恵の視線はイユを射抜きながらも、その手で武藤の魔羅を包み、しごく。

 愛情を込めた奉仕に、武藤のペニスに視線を固定されたイユはそれがいっそう膨らむのが遠目からもわかっ
た。

「じゃあ、恵さんもまた病魔に……」

「いいえ、それはまだなの。でも、イユさんを罠にかけたら、私に病魔を寄生させてくれるって言われたんで
す。だからごめんなさい、イユさん。ぜーんぶ演技だったんです」

「どう……して……?」

 イユの視界が、巨大なハンマーで殴られたかのように揺らぐ。

 かつて、病魔によってその心を閉ざしてきた優しいイユだからこそ、怒りや憎しみなどといった、つらい感
情を肥大化させる病魔を求める気持ちが理解できなかった。

「病魔のせいでつらい思いをしてきたんでしょ? ようやく解放されたのに、それなのに、なんで病魔を求め
るの?」

「武藤先生に愛してもらって、それだけでも気持ちいいのに、病魔になったらもっと気持ちよくなれるんです
よ?」

「そん、な……」

「武藤先生ぇ」

 絶句するイユに視線を向けながら、恵は甘えるような声で、武藤にしなだれかかる。イユほどではないまで
も充分に女性的な身体を武藤に押しつけ、陶酔したようにほほえむ。

「ねぇねぇ、先生のおち×ぽ恵のおま×こにくださいよぉ。もう1時間もち×ぽもらってなくって我慢の限界ぃ」

 そんな恵の姿を見つめていたイユは、口の中に唾が溜まり、欲しくてたまらなくなっているのを自覚する。

「イユさんも知ってるんでしょう?」

 イユの発情した様子を見抜いてか、恵は艶のある動きでイユに問いかける。

 言い当てられたイユは、思わず口の中に溜まっていた唾を飲み込む。ごくり、という音が室内に響いたよう
にイユには聞こえる。

「知ってて、目を逸らしてるんですよね?」

 イユは答えない。答えることができない。

 否定すべきなのに、口から否定の言葉が生まれない。
「ねぇ、なんで目を逸らすんです?」

 快楽に蕩けさせられ、さらには守ろうとしていた相手に裏切られていたという事実によって硬直したイユの
心に、問いかけは染み込んでいく。

 投げかけられた疑問は、イユの中で自分自身への疑問となる。

 なぜ目を逸らすのか、あれほどの快楽から、と。

「あんなに気持ちいいのに。なんでそれを認めないんですか?」

 恵の手は武藤の下半身、いきり立つ股間へと至り、白衣の下の怒張を愛おしそうに撫でる。

「それは、だって……」

「悪いことだから? 誰が決めたんですか? 悪いことなんかじゃないですよ」

 立て続けに言葉を次いでいく恵の言葉に、イユの自我が蕩けていく。

「悪く、ない……」

「セックスは気持ちいいことです」

「気持ち、いい……」

 まるで催眠術にかけられたように、イユは恵の言葉を復唱する。

「エッチなことは悪いことじゃありません」

「悪く、ない……」

「病魔に寄生されたらもっと気持ちいいんです」

「もっと、気持ちいい……」

「イユ君」

 思考力を失ったイユの耳に届いたのは武藤の声だった。それは心地よい夢のように、イユの心にそのまま染
み込む。

「どうだねイユ君? もっと、快楽が欲しくはないか?」

 それは紛れもなく、悪魔の誘惑だった。

 しかし、聞いてはいけない。そう意識したところで、武藤の言葉は心の壁を透過するようにイユの心に染み
入っていく。

「君が求めるならば、コレで君を貫いてあげよう。なに、君の奉仕に対するちょっとした対価だ」

 武藤が指し示すのは、天を向いてそそり立つ情欲の塔。

 この数日で奉仕した、のべ幾百にも至るペニスの中で、もっとも雄々しく、淫らで、それでいて魅力的な1
本。

 奉仕の快楽を知ってしまったからこそわかる、自分が初めて口にしたソレが持つ魔力ともいうべき誘引力に、
イユは意識を囚とらわれる。

 2週間におよぶ徹底的な快楽漬けを受けたイユだが、その秘裂にはまだ侵入を許してはいなかった。
 イユが行なってきたのはひとえに、性奉仕でしかない。

 だが、性奉仕の悦びを植えつけられたイユにとっては、ただ奉仕を行なうだけでも充分以上の幸福感と快楽
だった。

 触れてさえもいないその淫貝は、欲情汁をこぼすようになっていた。

 ただ奉仕する以上に強いであろう、未知の快楽への渇望がイユを狂わせる。このままではよくないと、イユ
の理性は理解しているのに、身体はそれとは裏腹に、武藤の牡精を求めて熱を持つ。

「わた、し……私、は……」

 答えあぐねるその姿は、かつてのイユであればありえなかったことだろう。迷うということ自体が、イユが
屈伏を選択肢として認めている証左だ。だがそれでも、イユはまだ選ばない。淫らな欲望に蕩かされながらも、
その瞳の奥には強い意志力が残っている。

「奉仕の快楽を知り、守るべき相手に裏切られても、まだ迷うか」

 いまだ陥落しないその姿に、しかし武藤が浮かべるのは憤懣ふんまんではなく笑み。

 むしろ、そうであるべきだと言わんばかりの、極大の悦びの詰まった満足。

「しかし、その高潔な魂と強靭な精神力、それこそが私の望んだものだ!」

 待ち望んだ瞬間の到来を前に、声高に武藤は告げる。

「かつての主治医として、最後にとっておきのことを教えてあげよう」

 その瞬間、聞いてはいけないと、根拠もなしにイユは思った。

 耳をふさぎ、目を閉じ、かつてのようにすべてを拒絶してしまいたいと。

 だが、そんなことはできない。意識は武藤の言葉と、目の前に差し出された牡精へと向けられ、逸らすこと
もできはしない。

 まるで、武藤の言葉を、理性を手放すための最後の免罪符として求めるように。

 武藤はさぞ愉快と言いたげに、くく、と笑ってから、

「信じ、疑うことのない君の信頼の心は紛れもなく美徳だろう。だがそれは同時に油断であり、疑うという辛
苦からの逃避ともいえる行動だ」

「それは、どういう……」

 驚きを隠しきれないイユに視線を合わせながら、追い打ちをかけるように武藤は言葉を重ねていく。

「私は昔から病魔わたしだよ。少なくとも、君と出会ったあの頃にはね」

 告げられるのは、真実。

 そう、武藤はずっと昔から病魔をその心に寄生させていた。それでもイユの心を癒し、救い出したのは善意
からなどではなければ、ちょっとした気まぐれなどということでもない。

 すべては、純然たる計算があってのことだ。

 精神に干渉する精神寄生体である病魔、その中でも高位に位置する武藤は、初めてイユを目にしたときから
その特異性に気づいていた。すなわちは、病魔をはねのける、強く特殊な精神に、である。
 病魔の存在意義は、第一に殖ふえることだ。そのために、自らをより強くしようとするのはあらゆる生物に
共通することといえる。

 そのための手段として、武藤はイユに目をつけたのだ。彼女に病魔の種を植え、それによって心を、身体を
蝕んだ。

 その結果は、武藤が想像していたよりもはるかに上を行くものだった。

 イユは病魔を完全にはねのけ、その力を無毒化し、むしろ反転させ、ウイルスに対するワクチンのような浄
化能力を手に入れるに至った。

 武藤はイユをさらに成長させるため、低位の病魔たちをイユにぶつけ、経験を積ませた。

 その一方で、ある程度の力を持つ病魔に対しては、イユに手を出さないようににらみを利かせることも忘れ
なかった。

 その結果として完成したのが、ヴァイサーエンゲル・イユ。病魔を祓う、救世のヒロイン。

 そうして成長したその力を収穫する。

 もちろん、武藤によってそうとも気づかずに育て上げられたイユの力は決して侮って良いものではなかった。

 しかし元より、武藤が植えつけた種だ。一度は無毒化させられたとはいえ、それを媒介にイユの精神や肉体
に干渉することはそう難しいことではなかった。

「…………ぇ……………………?」

 2週間にもおよぶ徹底的な快楽漬けを経て、自らの内側に存在する淫らな奉仕への悦びを開花させたイユが
それでも抵抗したのには、ただの精神力の強さだけではない理由がある。

 病魔を浄化する唯一の力の持ち主としての使命感と、自分が関わったばかりに巻き込んでしまった恵に対す
る想い。そして何より、イユの根底を支え続けてきたのは、耐え続ければ、自分が負けなければ、かならずい
つか、あの優しかった武藤を取り戻すことができるという想いだったのだ。

 それが、崩された。

 イユの心の拠りどころが、音を立てて瓦解する。

「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 守りたい人々がいる。親友の和や、同期のみんなや、これまで支えてくれた人、そしてこれから出会うであ
ろうすべての人々を守り、癒し、救いたい。そんな気持ちも、今のイユを止めることはできなかった。

 崩れゆく理性の中で、イユは──

「あ、はっ」

 狂ったように乾いた笑いを漏らし、

「お願い、します」

 泣き笑いのような奇妙な表情で、そう告げた。

「先生のおち×ぽで、イユのエッチなおま×こ犯してください!」

 武藤の極太魔羅に視線をフォーカスすると、さらにその欲求が増したのか、口の端から唾液を垂らし、

「それぇ、それちょぉだいぃ。ち×ぽでイユのおま×こじゅぽじゅぽしてぇ」
 完全なる屈服宣言。

 まぎれもない女、否、牝の懇願だった。

「そのたくましい病魔ち×ぽで、イユの奥まで犯してぇ!」

 汗とは明らかに異なる粘質の液体が、イユの白く肉感的な脚をつたう。

「んっ」

 隣に座る恵を押しのけ、イユは抱きつくように武藤に倒れかかる。

 大ぶりな乳房が押しつけられ、圧力で卑猥に変形する。硬く勃起した乳首は衣擦れし、敏感なイユの身体に
快楽を伝える。

 当然のように挿入を邪魔するような無粋なショーツなど穿いてはいないし、抵抗の意思をみじんも感じさせ
ない程度にはイユの蜜貝は愛蜜でぐちゃぐちゃに濡れていた。

 救うべき存在と恩師に裏切られたという事実がイユに与えたのは、絶望ではなく虚無感だった。

 イユはおそらく、誰よりも人という存在の善性を信じている。どれだけ極悪人と評される人間であろうとも、
その心には善なる心が存在するのだと。

 幸か不幸か、イユは負の感情の凝集たる病魔と幾度となく戦い、それを祓いながらも、人の悪意というもの
を理解していなかった。

 それゆえに、恵という友人が自分を裏切り、罠にかけたという事実を信じられなかったし、何よりも信じた
くなどなかった。

 理解不能な事象による思考の停止。

 それが、イユの魂の抵抗力を、ほんのわずかな時間ではあったが、静止させた。

 抵抗力を失ったイユの魂を悦楽という名の毒が蝕んでいき、その間隙をつくかのように、武藤はその肉槍で
イユの未通を貫く。

「くる、クルクルクルゥゥ!」

 咆哮にも近い嬌声をあげ、愛蜜と尿の混ざり合った液体をまき散らしながらイユはいきなり絶頂を迎える。

 淫魔たる武藤本人のペニスを受け入れたことによる処女喪失は、イユに破瓜の痛みなど感じさせない。それ
どころか、強烈な快楽は、多福感となってイユの意識をスパークさせる。心の奥底に追いやられた、かすかな
忌避の意思さえも至極の快楽に焼きつくされる。

「ぁ、ああっ」

 フラッシュバックするのは、イユにとって幸福な過去。

 病気がちで、入院を繰り返し、減っていった友達。友達ができては離れていくモノクロームな世界にイユは
絶望し、世界そのものを拒絶していった。

 そんな世界に伸ばされたのは、武藤の温かな手だった。

 彼はイユの心を癒した。どれほどの時間を、言葉をつくしたのだろうか。それはイユが誰よりも知っている
し、同時にイユにすらわからないほど。その献身が、固く凍てついたイユの心を溶かし、本当のイユを取り戻
させてくれた。

 友達ができた。互いを想い合い、どんなことでも話すことのできる友達が。
 救うことができた。かつての自分のように苦しみ、心を閉ざした人を。

 そのすべて、今のイユがあるのは彼が──武藤がいたからだ。

 だからこそイユは、身体を治す医者ではなく、心を癒す心理療法士セラピストでもなく、身体と心、その両
方を──人を癒す看護師になりたいと、そう思ったのだ。

「ぅ、ん、ぁっ」

 幸福な記憶に混ざるのは、肉悦。

 はねのけるにはあまりにも甘美すぎるそれは、極彩色の思い出を、ヘドロのように汚していく。

 ありとあらゆる思い出の群れが、ただひとつの淫らな感情に埋めつくされ、その価値をおとしめられていく。

 そんなすべてをかなぐり捨てるように、イユはただ一心に腰を振る。

 肉を打つ打擲ちょうちゃく音と淫汁の水音、そしてイユの漏らす狂ったような嬌声が奏でる淫らなオーケス
トラが、その空間自体を塗り替えていくかのようだった。

「イクぞ、イユ君!」

「はぃ、はひぃ! くださ、くらさぃせんせぇ!」

 それまで冷静だった武藤ですらもイユの熱に呼応するかのように、興奮した様子で宣言し、それと同時、淫
魔の牡精がイユの子宮へと注がれる。

 その音は、びゅる、とも、どびゅ、ともいうべきもので、マトモな感性の持ち主であれば思わず耳を塞ぎた
くなるほどに下品で淫らで、それでいて、誰もが思わず耳を奪われるような、本能に訴えかける淫音。

 注ぐ、というよりも撃ち出すような勢いで放たれたそれは、イユの膣道を征服し、その奥にある子宮に叩き
つけられる。

 淫魔の知識を得たことで、本能的にもっとも効率的に精を取り入れるすべを理解したイユは、注がれる白熱
を腰を打ちつけることを止めることなく、膣をうねらせ、まるで搾り出すように、その子宮に収めていく。

「さぁ堕ちろ照日イユ! 我が眷属に。最悪の病魔へと!」

 武藤の宣言に応えるように、イユ──ヴァイサーエンゲル・イユが、心の深奥まで快楽に屈伏しながら二度
目の絶頂に至る。

 その瞬間、

「あ、あああああ」

 イユの身体から濃密な《力》があふれ出す。それは、病魔を浄化し、人々の希望を取り戻す清浄な《力》で
はない。快楽に浸され、蕩けた堕落の心が生じる病魔そのものの力。

 武藤によって植えつけられた《種子》が、10 年以上もの長い年月の醸造を経て、芽吹く。

 それは加速度的にイユの内面、その思考の隅々にまで染み渡り、書き換えていく。

 それは、一瞬のことだった。

 反転。

 無毒化していたイユの中の病魔は、絶え間なく注ぎ込まれる欲望によって、再び病魔としての本分をよみが
えらせる。

 それはイユにとってはあまりにも不意打ちというべきもので、外側からのみならず、内側からも責め立てら
れるようなその状況に、イユの心は折れたのだ。

 鼻につく生臭い香りも、自らの痴態に集まる粘質の視線も、イユの処女を奪い、子宮の最奥や、魂までもけ
がし続けた極悪魔羅も。何もかもが今となっては心地よく、愛おしかった。

 イユは目を弓にする。それは魔を祓う梓弓ではなく、射抜いた者を堕落させる魔弓ともいえる笑み。

 イユの身体を光が包む。

 その光は、イユが変身する際に生じる光の蛹に似通いつつも、明らかに違った。

 黒。

 あらゆる存在を癒す、慈愛に満ちた白の光とは正逆。まるで絡みつくような、粘度を持った黒の光。

 ヴァイサーエンゲルとしての服装は、イユの内側に存在する病魔が具象化した物質だ。ナース服のそれによ
く似たそのコスチュームは、人の心を癒したい、そのための力がほしい、という感情の表われといえた。

 では、イユのその感情が、自身の中に巣食う病魔に求める感情が変質したならばどうなるのか。

 答えはすぐに、直接的なものとして現われた。

 黒い光というありえないはずの存在をまとって、イユは変質する。

 彼女の内側に新たに生まれた、淫欲という昏くらい感情を表出させていくかのように、それはドス黒く邪悪
に染まっていく。

 ただでさえその肢体を整えていた白のワンピースは、さらにひとまわり引き締まり、イユの豊満な肢体をよ
りいっそうエロティックに見せる。全裸でいるよりもよほどに卑猥な格好。

 胸元のボタンは、ひとつのみが締められるのみで、かたちのいい大ぶりの乳房を無理やりに押しとどめるか
たちとなる。スカートの裾長こそ変わらないものの、ある種のチャイナドレスのような深いスリットが入り、
かたちのいい脚が腰上ほどに至るまであらわとなる。

 簡素だったグローブとソックスは、黒く、レースの入った装飾過多気味なものへと変わる。

 浅緋色の帯は毒々しい血色に変色し、ナースキャップと手甲に輝く光の結晶は、その精神性の変容を映し出
すかのようにドス黒く染まり、目にしたものを堕淫の悦楽へと引きずり込む魔眼のごとく、禍々しい光を放ち
はじめる。

「ぅんっ……」

 この服装は卑猥だろうか? 男たちの欲望を集められるだろうか? どんなことをされてしまうのか? そ
んな、欲望とも期待ともいえる疑問を自身に向けて、イユは歓喜の嬌声を漏らす。

 ドロォリ、と。

 イユの淫裂から武藤の吐き出した欲望が垂れていく。

 床へとゆっくりと、高粘度で落ちていく牡汁。つい先ほどまで嫌悪の一文字を感じていたそれを、イユは指
ですくうと、口元へ持っていき、

「んぁっ」

 伸ばした舌で、舐めた。

 じゅぼ、じゅぽぉと、あえて空気を含ませながら、イユは自らに注がれ、こぼれ落ちた欲液を自身の指から
舐めとっていく。

 淫猥きわまるその動作は、愛しい男根に対する口淫奉仕のそれに酷似していた。

 イユはひとしきり、自身の指を舐めつくすと、妖艶な笑みを浮かべ、

「武藤、先生ぃ」

 甘ったるい、娼婦のような声で、倒すべき敵であるはずの者の名を呼ぶ。

 その瞳にあるのは、不屈の決意でも、救済の慈愛でも、尊い気高さでもない。

 底のない、ヘドロの沼のような、粘ついた──欲望。

 あるいはそれは、言葉を変えれば魔性と呼ぶこともできるものだ。

「はぁ、はぁ。気持ち、よかったぁ……せんせいは、どう、でしたぁ?」

「ああ。最高だったよ。これまで、こうして何百と女性を病魔に堕としてきたが、その中でも文句なしのいち
ばんだ」

「えへへぇ、先生の、いちばんだぁ」

 小柄で張りがあり、出るところは出ている豊満な肢体に、男たちの淫欲をぶちまけられたその姿は、目にし
た者を老若男女問わずして魅了──否、欲情させるに足るだけの魔性を秘めていた。

 病魔に侵され、何人もの女たちを抱いてきた男たちですら、その妖艶なしぐさに思わず生唾を呑む。

「堕ちたか」

 武藤は、自分が干渉したとはいえ、かつて病魔による侵食を耐え抜き、その性質を無毒化、反転させたその
精神力には特筆すべきものがあると知っていた。

 過酷な環境下におかれた生物が強靭な進化を遂げるように、イユという強い正の精神力を持った存在の中に
病魔の因子を存在させ続けることで、その進化を求めていたのだ。

 そんなイユの精神を堕落させ、再び病魔とするために、多大な時間と手間暇をかけたのである。

 イユは性交はおろか、男性と交際したこともほとんどない。そんなイユから淫欲を呼び起こそうとしても、
病魔の能力からの防御手段を持つイユには通用しない。それどころか、性行為に対する嫌悪感のみを与えてし
まう可能性が高かった。

 だからこそ武藤は、イユに快楽の味を教えることにした。快楽をむさぼることは、淫欲というものは悪いこ
とではないのだと、そう思わせるために。

 もともとイユは、他者への無償の奉仕に精神的充足を覚える人格の持ち主である。

 それゆえに性的な奉仕を行なわせ、それによって悦びを得る患者たちの姿を見せれば、かならずや嫌悪以外
の感情を引き出すことができると思っていた。

 次第に精神的なものだけではなく、肉体的な快楽をも与えていくことで、他者に快楽を与えることで直接的
な肉の悦びを得られるということがその魂に刻み込まれていく。それは紛れもない淫欲。

 その結果こそが、今この場で起こっている事象の原因だ。
 もしイユが、他人の気持ちを気にすることのない人間であれば意味のないことだったろう。だが、そんな人
間であれば病魔を浄化するという能力を得ることもなかったはずだ。

 重要なのは、イユが淫欲に溺れ、堕ちたという現実。

「イユ君。君のマン汁で汚れたこれを、綺麗にしてもらえるかな」

「はぁい、武藤先生ぇ」

 武藤の頼みに、イユは嬉々としてうなずく。

 一度射精したとは思えないほどに猛々しく屹立したままの牡棒を、イユはもうためらうことすらなく口愛撫
する。

「イユ君、どうかね?」

「はい、武藤先生のおち×ぽぉ、すっごくおいしいです。おくちでもぉ、おま×こでもぉ」

 武藤の問いかけに、イユは喜悦の表情を満面に浮かべ答える。

 唾液が口端から垂れ落ちることも意に介すことなく、ぺろり、ぺろりと武藤のイチモツを舌先で弄ぶ。

 淫欲に堕したイユは、自らの内側で覚醒を遂げた病魔の知識を存分に引き出し、その舌技をもってして武藤
を責め立てる。

 じゅる、じゅるる、という下品な音をあえて立て、尿道の奥深くに残った精の一滴すらも残しはしないとい
わんばかりにすする。

「そうだ。イユ君にはもうひとつ教えておかなくてはいけないことがあるんだ」

 イユの堕落具合に満足を覚えた様子の武藤は、整った細面に邪悪なものを浮かべて告げる。

「なんですかぁ? 私のおま×こ、先生のおち×ぽ欲しくてぐちゃぐちゃですよぉ」

 淫猥な言葉に抵抗をなくしたイユの様子に武藤は笑い、

「さっきあげたばかりだろう。それよりも、教えておきたいのは恵君のことだ」

「恵、ひゃんのぉ?」

 音を立て、武藤のイチモツを味わいながら、さほど興味もなさそうにイユはその言葉を聞く。

「そう。じつは彼女の精神を操作していたんだ」

 唐突な告白は、すべてを覆すような内容のものだった。

 もちろん、イユが堕落するに至ったのは、恵の裏切りのみに起因するものではない。

 イユがもともと持っていた他者への奉仕の精神や、与え続けられた快楽への嫌悪感の薄れ、そしてなにより、
かつて救ってくれた武藤が、純粋な善意からではなく、イユを病魔へと堕するためにイユを救ったのだという
事実の公開こそが大きく影響している。

 だが、イユの心にヒビを入れたその直接的なきっかけが恵の裏切りであったことは事実だ。

「つまり、君を裏切ったのは彼女の意思ではないということになる」

 イユはそれを聞いて、一瞬だけ動きを止めるが、

「んっ」
 じゅぼっ、じゅぼっ、と。

 空気を巻き込んだ淫猥な口腔奉仕をすぐに再開する。

 きっかけは恵の裏切りだったのかもしれない。それがなければ、今でもイユは気丈に抵抗を続けていたこと
だろう。

 だが、一度堕ちてしまえば、もはやきっかけなどというものはただの付随要素でしかない。

 ただただ、与えられる快楽と、そして与えることによって得られる悦楽に溺れていくだけだ。

「イユ君」

 名前を呼ばれ、それを合図とするように武藤の逸物が欲望を吐き出す。

 口内を満たしていくのは熱く、淫らな欲望の蜜。

 こくっ、こくっ、と。喉を鳴らしながら、イユはそれを体内に収めていく。

 食道を通って臓腑に至るそれは、イユにとって生臭くも愛おしい、天上の甘露だった。

 この愛しい人とともに悦楽の階段を上っていくのが、たまらなく嬉しく、快感でもある。

「さて、それでは約束を守るとしようか」

「やく、そく?」

 どんな約束をしていただろうか、淫らな欲求のみにその思考を満たしていたイユは、武藤の言葉に首をかし
げる。

 これほど気持ちいいことをしてもらって、これ以上に何があるだろうか、と。

「恵君を解放する、という約束だよ。約束は守らなくてはね?」

 ああ、とイユは理解する。

 確かにそんな約束をした覚えがイユにはあった。それはほんの2週間ほど前のことだったはずなのに、何十
年もの大昔にした約束であるように今のイユには思える。だが、確かに約束は守らなくてはならない。それで
こそ、自分の敬愛する存在だ、と。

「さて」

 ぱちん、と武藤の指が鳴る。

 瞬間、恵の瞳に、それまでとは異なる感情が宿った。

「約束どおり、恵君の洗脳は解いた。これで彼女は自由の身だね?」

 武藤はわざとらしく、イユと恵のふたりに教え聞かせるようにそう告げる。

 その表情には深い笑み。残酷な喜悦といって良いものを浮かべていた。

「イユ、さん……」

 恵の瞳に戻ったのは、恐怖と後悔の感情だ。

 精神操作中の記憶も残っているのだろう。自分の存在がイユの堕落に寄与してしまったという現実に対する
罪悪感がその表情には浮かんでいる。
「ごめんなさい、私のせいで……」

 謝罪する恵に、しかしイユは首をかしげる。

「どうして謝るの?」

 その淫貌に浮かぶのは、笑顔だった。

 今のイユには恵が謝る理由がわからない。

 それはくしくも、先ほど精神干渉を受けていた恵がイユに向けていたものときわめて酷似した感情でもあっ
た。

「せんせぇ」

「ああ、いいとも。君の堕落祝いに、彼女を侵してあげなさい」

 イユが甘えた声で武藤にお伺いを立てると、武藤はさぞ愉快そうな様子で、イユの言わんとするところを了
承する。

「ありがとうございまぁす。恵ちゃん。安心して、怖くないからね」

 優しげなイユのほほえみにも、しかし当然、恵があげるのは恐怖を伴った叫びだ。

 イユはこれまで《淫蕩》の病魔、すなわち淫魔と対峙したことはなかった。

 ある意味で淫魔は、イユにとって最悪の相手であったといえる。というのも、淫蕩の欲望はかならずしもイ
ユの精神性と相反しない。むしろ、ある意味ではきわめて親和性があると言ってさえいい。

 他者を傷つける暴力の顕現たる《憤怒》や、他者に対する妬みの《嫉妬》などであれば、イユはそれを拒絶
したはずだ。

 しかし《淫蕩》は淫らな快楽を求める欲望だ。誰を傷つけることもなく、むしろ他者へ快楽を与えることさ
えも是とする。

 それゆえに、イユのもともと持っていた性質である癒しと慈愛の心をもって、他者へとその快楽を広めたい
という感情がイユの心を埋めつくしていったのだ。

「すぐに、気持ちよくしてあげる」

 宣言どおりに、イユはリノリウムの床にへたり込んだ恵の肩を逃がさぬようにつかむと、そのまま、ぐい、
と唇を合わせた。

「んっ……」

 あまりに突然の動きに、恵は反応することもできなかった。ほんのわずかな抵抗も、イユの舌でこじ開けら
れ、口腔への侵入を許す。

 口と口、精神干渉を受けていたとはいえ、武藤ら病魔のペニスを味わい続けた恵の口は、すでに性器といっ
ていいほどの感度を持った快楽器官と化している。

 つながったイユの口から漂う、濃密な欲望の香りが、恵の思考を揺るがす。

「んっ、ちゅっ」

 イユは唾液を舐めとり、流し込み、舌を絡め、愛撫する。それは口と舌で行なわれる凌辱行為のようでもあ
る。
 イユの側から、恵へと流れていくのは唾液だけではなかった。

 黒。

 病魔そのものともいえる濃密な欲望の凝集体が、ゆっくりと口の中へと注がれていくことに、恵は気づくこ
とができない。

 最初は恐怖と拒絶を浮かべていたその顔は、黒の波動を流し込まれるごとに蕩けていく。

「んっ、ちゅっ、んぁっ、おいひぃ、イユさんぅ……」

 ものの数秒も経った頃には、むしろ自らイユの舌を求め、絡め返す淫らな雛鳥へと変貌していた。

「これは……想像以上だ」

 弱毒化、あるいは無毒化したウイルスを投与することで抗体を作り出すのがワクチンの役割だ。もしくは、
自然治癒によっても抗体は精製される。

 しかし、それに対してウイルスとて無抵抗なわけではない。かつてのものとは異なる形質を得ることで、抗
体の通用しない新型へと変質することは珍しいことではない。インフルエンザウイルスなどであればほぼ毎年
のように騒がれていることだ。

 イユの内側で無毒化していた病魔にも、まったくもって同様のことがいえる。

 淫欲を受け入れたことで、彼女の持つ病魔が再び病魔としての性質を取り戻したのである。

 病魔を浄化する存在として得た、本来の病魔にはなかったさまざまな能力。

 それが、病魔としての本質を封じていたがために失われていた多くの形質とともに、病魔のものとして再構
成されたのである。

 本来、病魔が他人に寄生するとき、個体差はあるもののその負の感情を蓄積させるために長い時間を必要と
する。

 まだ弱い期間である若齢期が長くなることは病魔にとって好ましくない。そのときであれば強い精神力によ
って抵抗を受け、消滅してしまうこともありえるためだ。

 だが、一瞬にして成体となった病魔を浄化するイユの能力は、反転することによって、一瞬で対象の精神を
欲望で汚染することを可能とした。

 それこそが、武藤の求めた病魔にとっての救世主ヒロイン。

「もっと、もっとぉ!」

 2匹の牝たちは、口と口でお互いを貪り合うように、歯の裏を舐め、唇を甘噛みし、淫気に満ちた唾液をす
すり合う。

 もう二度と、イユは這い上がることはない。快楽を、淫欲に溺れるその悦びを、その心に刻んでしまったの
だから。

 一度堕ちた魂は、二度と戻りはしない。ただただ、自らの意思で、転がり落ちていくことしかできない。

 人々を欲望の獣から救う癒しの天使は、欲望によって人々を救う、淫欲アスモデウスの化身へとその身を堕
したのであった。


 イユが病魔に堕ちてから、1ヵ月が過ぎようとしていた。

 イユはいつもと変わらず、見るだけで人を癒すような、優しい笑顔を振りまきながら院内をせわしなく駆け
回っていた。

 だが、その瞳にはつい先日までは存在しなかった色の光がある。よこしまな、淫欲の光だ。

 まるで値踏みするかのようなねっとりとした視線は、患者たちの下半身へと向いている。淫欲の病魔が与え
る権能として、周囲に淫気をまき散らし、誰彼かまわず発情させる。

 自分の奥深くから湧き上がる欲望に、それがなぜかも理解できぬまま、牡性を屹立させる。

「んふっ」

 漏れる吐息は喜悦のもので、色でいうならば桃色だった。

 身にまとうナース服のボタンは一部しか留められておらず、その豊かな膨らみが強調されている。あまりに
も短い裾からは、ほんの少しかがめば下着が見えてしまう。

「んっ」

 ヴィィィィィィィンという、低い振動音が聞こえる。

 音はイユ自身か、あるいはよほどに近づいていなければ聞こえないだろう。そんな、小さな音。

 その音源は5ヵ所。

 小柄な背に不釣り合いな双乳の頂点からそれぞれひとつずつ、ショーツの前面に固定し淫核を責め続けるも
のがひとつ、残りのふたつは前とうしろ、両の淫孔に呑み込まれ、その内側から鈍い音を響かせている。

 下着こそ身につけてはいるものの、それは肌を隠すためではなく、ローターを固定するための留め具として
の役割しか持たない。そもそもヒモでしかないそれを下着と表現すること自体、間違っているかもしれないが。

 身体を左右に大きく揺らしながら、その肉感的な肢体を見せつけるように廊下を歩くイユは、目的の病室に
入っていく。

「上倉うえくらさぁ~ん。どうされましたぁ?」

 甘い声で問いかけるイユだが、その実、上倉が何を求めているのかは聞かずともわかっている。

 今のイユが呼び出される理由など、ひとつしかないからだ。

 上倉から向けられるいやらしい視線を受け、そして続いて放たれるであろう言葉に期待をもって、イユは妖
艶な笑みを浮かべる。

 自分のことを呼び出したナースコール代わりのリモコンローターの動きだけで、イユの劣情は決壊寸前だ。

「それがねぇ、イユちゃん」

 でゅふふ、とでも表現すべき男の吐息は下卑た欲望に満ちていて、かつてのイユであれば思わず眉をひそめ
たことだろう。

「ココがねぇ、腫れちゃってさぁ。こんなになっちゃったんだよぉ」
 そう言って、男は自らの股間、天井に向けて勢いよく立ち上がるペニスを指す。

 あらあら、とイユは困ったようなそぶりをあえて見せてから、姿勢を落とす。男性の目線より下、ベッドの
高さだ。

 男の下半身に覆いかぶさるようなかたちになって、

「じゃ、触診しますね?」

 言うが早いか、上倉のズボンを下ろし、その下のトランクスの中でテントを作る怒張を取り出し、華奢で繊
細な手指で包む。

 その淫靡な手つきとシチュエーションに上倉が気味の悪い喘ぎを漏らすのを聞いて、イユは征服感ともいえ
る充実に喜悦を得る。

 ただでさえ血液の集中した海綿体は、イユの触診によってさらに硬化していた。自らの行為が、他人に快楽
を与えることができたという事実がイユには心地良い。

「膿が溜まっちゃってますね。吸引器で搾り取っちゃいましょう」

 イユは上倉へとほほえみかけると、

「いただきまぁす」

 と、いきり立ったペニスを、その小さな口腔で咥え込んだ。

 じゅぷぅ、という淫音をあえて響かせて、イユはご馳走を味わおうとする。

 淫蕩の欲望を糧とする病魔に完全に支配されたイユにとって、性快楽はそのまま生命力に直結しているとい
っていい。まさしく、現代によみがえった淫魔サキュバスとでもいうべきだろう。

 舌と唇のみならず、口内の頬などのあらゆる部分を使って、患者のペニスに刺激を与えていく。その手は精
嚢をマッサージするように揉み、上倉に背徳的な快楽を与える。

「ひほひひひへふは?」

 気持ちいいですか? という問いかけは、口いっぱいに頬張った淫茎によってまともな発音にすらなっては
いない。

 しかしそんな声やしぐさも、口腔奉仕をさせる側にとっては興奮の材料となるし、それをイユはよく理解し
ている。口腔による刺激とシチュエーションによる効果で、上倉のペニスはよりいっそう大きさと硬さを増す。

「あ、ああ、イユちゃん、いいよ……さすが、うっ」

 瞬間、イユの口の中で上倉が爆発した。

 口内を犯していく白濁した生臭さを、イユはまるで至極の甘露であるかのように味わう。

 すぐには飲み込みはしない。

 一流のワインソムリエがワインで行なうときのように、鼻から息を流し、その風味から味わうのだ。牝を犯
す悦びに満ちたその香りは芳醇で、イユに悦びの感情を与える。

 そうするあいだにも上倉の射精は続く。本来ならば人間に不可能なほどの吐精量だが、病魔によってその身
体を変質させた者にとってその程度は驚くべき点ではない。

 口内を満たしたところで欲望の放出は止まらない。そのままではあふれ出すであろうそれを、イユはそのま
ま飲み込み始める。
「ごくっ、ごくっ、んぁっ」

 あえて音を出しながらの、豪快な嚥下えんげ。

 そうすることで空気が取り込め、より深い香りを感じることができることをイユは経験則から知っているの
だ。

 そのまま数十秒ほどそうしていただろうか。

「げふっ」

 生臭いげっぷを吐き出してから、大きく口を開けてすべてを嚥下したことを上倉に見せつける。

「満足していただけました?」

「さすがイユちゃんだ。すっごくよかったよ」

 すでに院内には病魔の感染が蔓延している。

 罹患率はほぼ100パーセントというべき高さであり、職員や入院患者はもちろん、通院してきた患者もそ
の場で病魔を寄生させられる。

 イユという脅威を排した病院は、その方針を大きく変更させた。

 病院で鬱々とした感情を蓄えないように、どんなときでも患者に癒しを与えるという方針に、である。

 言うまでもなくその癒しは、肉欲による癒し。

「でもさぁ、ね?」

 具体的に口にしなくとも、イユにも伝わる。

「もちろんですよぉ。そんなの、ガマンできるわけありません」

 生臭い自分の息に興奮を覚えながら、イユはナース服の短い裾をたくし上げる。

 1センチにも満たない太さの、服というよりは繊維と呼ぶべきショーツをずらし、

「前とうしろ、どっち使います?」

「そうだなぁ。やっぱり前かなぁ」

「わかりましたぁ」

 上倉の言葉に、イユは前の肉壺に仕込んだローターを引っぱり出す。淫具の刺激のみならず、奉仕すること
によって快楽を得ていたイユの淫裂はすっかりと大量の涎を垂らしており、目の前の欲望を咥え込む準備は万
端だ。

 サンダルを脱ぎベットに上ると、上倉にまたがるようなかたちでイユは動きを止める。

 一度、それもあれほどの量を射精したとは思えないほどに屹立した欲棒に狙いを定め、イユの秘裂はその過
程を楽しむように、ゆっくりと動いていく。

 獲物を捕らえると、カリ高のその先端に自らの濡貝を触れさせる。くちゅり、という小さな音が双方に興奮
を与える。

「いきますよぉ」
 宣言した瞬間、イユの腰が落とされた。

 強烈な快感。一瞬で果てそうになる上倉の勃起ペニスを、しかしイユは膣壁で抑えつけ許しはしない。

 射精を管理された哀れな患者は、おあずけをくらった駄犬のような表情でイユを見つめる。

 遊んでやろう、と言わんばかりにイユが緩慢な動きをはじめたそのとき、

「イーユちゃん」

 カーテンで遮られた隣のスペースから声がかかる。イユは思わず腰の動きを止め、首をかしげる。

 病院中のナースは、イユのようなインターン中の学生も含めてすべて病魔に心の深層までを侵食されている。
さながら風俗店のような様相を呈しているのだが、そんな中でもイユは秀でたレベルの美人であり、当然人気
も高い。

「ちょっとぉ、石澤いしざわさん、今は俺がイユちゃんとシテるんだからあとにしてくれよぉ」

 生殺しともいえるあまりな静止に、上倉は自ら動こうとするものの、イユに抑えつけられて動くこともでき
ない。

 サディスティックな色を持ったその表情に、蛇ににらまれた蛙のごとく、上倉の動きも止まる。

 動きこそないものの、蠢くような膣壁が会話の最中も上倉のイチモツに刺激を与え続ける。

「んもう、石澤さん、なんですかぁ? 今度ちゃんとおま×こさせてあげますからぁ」

 媚びるような、嬌声といってもいい域にある声をカーテンの向こうに向けると、石澤と呼ばれた患者は下卑
た笑声ののちに首を振る。

「もちろんそれも楽しみだけどさぁ」

「なんですか?」

「イユちゃんの話してた友達。あの美人の」

「和のことですか?」

「そう、和ちゃん。イユちゃんに不満があるわけじゃないけど、おじさん、あの子の写真を見てからずっとヤ
りたくてねぇ」

 イユは親友として、和のことをほかの患者たちにも話していた。

 イユに負けず劣らずの、それでいて方向性の正反対な美人である和を抱きたいという患者は石澤だけではな
い。

「ふふ。おじさまたちがそうおっしゃると思って。準備をしてるんです。ちょっと待ってくださいね。もうす
ぐ和のことも堕としますから」

 親友に向けられる下衆な欲望の宣言を聞いて、イユが浮かべるのは笑み。

 それも、かつてのような誰に対しても安堵感を与える優しいものではない。

 邪悪にして淫猥。淫魔の艶笑とでもいうべきものだ。

「それまで、イユのおっぱいとおま×こで我慢してくださいね?」

 言葉はそこまでだった。
 代わりに、動きが再開する。

 足に力が入り、奥まで突き込まれたペニスをゆっくりと抜いていく。もどかしさと喪失感を覚えながら抜き
続けていくと、カリ高の亀頭が膣口に引っかかる。外向きに中身を引っぱられるような感覚がたまらなく心地
良く、それでいてはがゆい。

 あとちょっと、あとちょっと足に力を入れれば抜けてしまうようなギリギリのところまで抜けかけ、しかし
抜かない。それはまるで淫裂そのものがペニスに甘えているかのような、絡みつきの行為。

 イユは限界まで自分の中身を引っぱり、

「んっ、ぁっ……」

 一気に腰を、落とした。

「んぁぁぁぁぁ!」

 嬌声。

 甘ったるい艶声は、それを始点として連続する。

 さまざまな粘度の淫液が漏れだし、淫肉と絡み合うにちゃぁ、ぐちゅぅ、ぴちゃ、という水音が響く。

 終わることのない淫獄。

 それが今のイユが求める世界であり、癒しだった。

 淫獄。

 淫らな地獄、という意味ではなく、淫らな天獄という意味での淫獄。

 男がいる。女がいる。若者がいる。老人がいる。学生がいる。会社員がいる。医師がいる。主婦がいる。日
本人がいる。外国人がいる。警官がいる。議員がいる。

 そこにいる、共通項などとうてい見出せないほどに多様な人々は誰しもが苦しみを感じてはいない。悦楽に
よって心を癒された者たちの世界が、ここにはあった。

 ふたりの娘を持った人妻が、娘の彼氏を奪って交合におよんでいる。その夫は、自分の娘よりも若い女子を
持ち上げ、勢いよく腰を振る。

 この病院の医師がいる。自分の担当の女学生を床に這わせ、うしろから肉槍でその尻孔を貫いている。

 そのかたちはさまざまながら、皆等しく性の快楽に溺れていた。

 パートナーのいない者のうち、ある者は別の組に乱入し、ある者はパートナーを奪い取り、ある者は自慰に
浸る。

 かつては病院を訪れる老若男女が行き交い、お互いを思いやる優しさに満ちあふれていたはずのこの場所は、
ただただ淫欲を吐き出し、受け止め、増幅させ合うためだけの場所になっていた。
 そこにかつての思いやりなどはみじんも存在しない。

 あるのは、自分以外の誰かにも、病魔に寄生されることによって得られる快楽を与えたい。そんな身勝手で、
あまりにも一方的な、親切に見えてその実は自分自身を満たすためだけの醜い欲望くらいだ。

 かつては消毒液の香りが清潔さを印象づけていたそこは、いつしか甘ったるい発情臭と、生臭い精臭のふた
つが混ざり合った淫らな芳香で満たされている。

 ほとんどの人々が自身の快楽のために他者を貪る空間に、ただひとりだけ異物があった。

 女性にしては高めの身長とスレンダーな身体つき、それに釣り合うクールで大人びた美貌を持つ彼女は、イ
ユの親友、高嶺和の姿だ。

 親友であるイユの呼び出しに応じ、彼女のインターン先であるこの病院へとやってきたのだ。

「何よ、これ……」

 周囲で繰り広げられる淫らな交合に呆然としながら、しかし和は強い意志をその瞳に燃やして、一歩一歩、
淫獄を進んでいく。

 その光景に強い嫌悪感を覚えながらも、和は思わず目を奪われる。

 あるいはそれは天啓だったか、和が視線を吸い込まれたのは、筋肉質な大柄の男が看護師姿の女性を組み敷
き、交尾をしている場面だった。

 死して本望と言わんがばかりに、男は必死に腰を振る。

 痛々しいほどに強く続けられる、激しい肉と肉の打擲。

 男の頬がこけ、肌から血色が失われる。瞳に意思の光はなく、狂気を孕はらんだ濁りだけがある。

「く、ぁ」

 それはおそらく、断末魔と表現すべき末期の声だったのだろう。

 苦悶の中にも喜悦を含んだそれが、喉の奥から搾り出される。

「ぁ、ぐ、ぁ、ぁ」

 しかし、それだけで終わりではなかった。

 芒、と、光を失った瞳に、再び火が灯る。だがそれは理性の光では断じてない。その代わりといわんばかり
に尽きることのない欲望だけが、虚無へと続く深淵のごとし昏くらい光を爛々と放つ。

「ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 変容がはじまる。

 身体はふた回りは肥大化し、筋肉質なものへと変わる。身体のいたるところから、男性器のそれを模したと
しか思えない卑猥な形状の触手や突起が生える。

 そうしてできあがったのは、人とも獣とも、あるいは海洋生物ともつかない明確な異形。

 入院着は肥大化した筋肉と骨格によって破れ落ち、もはやそれがかつて人間であった面影すらほとんど残し
てはいなかった。背部から伸びるタコやイソギンチャクのそれを思わせる触手は股間に屹立する怒張に酷似し、
先端から吐き出された欲望が、もわりと院内に生臭さをまき散らしていた。

 和が瞬きすることを忘れるほどのほんの十数秒で、ついさっきまで人間であったはずのそれは欲望の怪物へ
の変質を終えた。それはまるで生物進化を早送りしたかのような、現実離れした様相であった。

 より交尾することに、快楽を得るために最適化されたその結果ともいえる、異形。

「え……?」

 あまりに衝撃的な出来事を目の前に、和の思考は停止する。

 しかし、和に真に衝撃を与えたのは異形と化した患者ではなく、もう一方。

 患者と交わり、それを怪物へと変貌せしめた存在だった。

 和にとって見慣れた姿。誰よりもよく、家族以上にお互いを知る存在。

「イ、ユ……? イユ、なの?」

 それはまぎれもなく、照日イユその人だった。

 改造されたナース服は、ほんの少しかがめばすぐに秘裂が見えてしまうほどに裾が短く、そこまで短ければ
本来見えるはずの下着も見てとれない。

 牡を誘う。ただそれだけのために特化した衣装は、イユの肉感的な肢体によって、今にも弾けそうになるの
を耐えていた。

 イユがそんなことをするはずがない。あれほどに優しく、誰よりもまっすぐに前を見ていたイユが。そう和
が思っても、しかし誰よりも近しい親友であるからこそ、和にはわかってしまう。目の前の人物が、間違いな
くイユなのだということが。

「あぁ、和だぁ」

 問いかけに返された答えは、甘く媚びた、和の知るイユであれば決して放つことのない艶のある声。

 淫気。

 それも、周囲に充溢するそれと比較してもなお、桁違いに濃密なそれは、周囲を満たす、吐き気すらもよお
すほどの精臭を忘れさせるほどのものだ。

 抱いていた恐怖や反抗心、この空間に対する嫌悪や忌避の感情すらも蕩けさせるような、あまりにも邪悪で
甘美な芳香。

 イユが放つその香りを嗅いだだけで、和の心が大きく揺らぐ。

 まるで自分の身体が一瞬にして千夜を遊び歩いた淫女のそれにすげ替えられたかのような、耐え難い飢餓感。

 子宮が精を求め、きゅんきゅんと収縮する。ショーツはすでに許容貯水量を超え、意思に反した肉欲の蜜が
つぅ、と和の長くスレンダーな脚線を伝っていく。

「待ってたよ、和」

 和は病魔の存在を知らない。

 イユは和に一度として病魔の存在を明かしたことはなかった。

 それは、和が病魔と関わりのないところにいる友人であり、巻き込みたくなかったという気持ちが半分ほど、
そして残る半分は、どれだけの言葉で修飾したところで戦いには変わりない殺伐とした場所に踏み込んだイユ
にとって、まったくそれらとつながりのない和の存在は癒しでもあったのだ。

 だが、そんな和であっても、今のイユの姿を見て、それがいつものイユのそれとは違う、邪悪なものである
ということくらいはわかった。

「淫らな欲望よ、私に力を貸して」

 言葉に応じ、イユの身体を瘴気が覆い、その身を病魔をまとう淫欲の天使へと変身させる。

 露出度だけでいうならば、周囲にはいくらでも全裸で交わっている者たちがいる。それと比べればよほどに
肌を隠しているはずなのに、要所要所で締められ、ボディラインを強調したそのコスチュームは、ほかの誰よ
りも淫靡に映る。

「これが酒井さかい君で、こっちが藤堂とうどう君。あっちが……えっと、誰だったっけ? まぁいっか」

 イユは至極軽い口調で、自らの周囲に集まった異形の怪物たちを指さしていく。

「え?」

 和は耳を疑った。今イユが告げたのは、すべて和の、そしてイユの同期の男子たちの名だったからだ。

 何も知らなかったときならば、ただ冗談か何かだと思って逃避することもできただろう。しかし今、イユと
交わった男性が怪物に変貌していった様子を目の当たりにした和には、そうやって心の逃げ道を作ることすら
もできなかったのだ。

「和も、みんなと一緒に堕としてあげる。ぁぁん」

 イユが、あくびをするように大きく開けたその口内に生じたのは光だった。

 黒の光だ。

 病魔を生む、その源ともいうべき、濃密な欲望の塊。

 それを、

「ぅんむっ……」

 親友の唇を奪い、流し込む。

「んっ、ぅぁっ」

 一度は病魔を克服したほどの強靭な精神力と優しい精神性を持ち合わせていたイユの心さえも侵し、堕落さ
せた最凶の欲望が、何も知らない看護師志望の女学生の魂へと注がれていく。

「んむっ……」

 耐えられるはずがなかった。これだけ濃密な淫気を直接注がれれば、かつてのイユですら、すぐさま蕩けた
であろう濃度。

「はぁ……和の口、おいしかったよ」

 だが、それでも、

「知ってるよ、私は」

 和は、折れてはいなかった。

「イユがどれだけ優しい子なのか、どんなに頑張る子なのか、わかってる」
 和はごく普通の看護学生だ。イユのように特別な力を持っているわけではない。

「だから、言うよ。頑張って。頑張って頑張って、つらかったから、休んでるんだよね?」

 だがそれでも、和には強い意志があった。大切なものがあった。

「これ以上、頑張るのはつらいかもしれないけど……でも、私も一緒に戦うから」

 それは、イユ。

「だからお願い。もう一度、あと少しだけ、頑張って」

 大切な、心優しい親友を、これまで何度も、そのひたむきな生き方で自分を癒してくれた彼女を、和は助け
たかった。

 だから、和は折れなかった。常人ならば耐えられるはずのない、圧倒的な欲望の奔流にその魂をさらしても。

「和……」

 親友の呼びかけに、イユの瞳に光が宿る。

 それは、淫欲に浸された暗い闇ではなく、優しく気高いイユ本来の心の色。

「ありがとう、和」

 ゆっくりと紡いだのは、感謝の言葉。

 しかしそれは、牡臭を伴ったものであったが。

「でもヤーダ」

 続いたのは拒絶の言葉。

 この快楽からは逃れられない。逃れたくはないのだと、決別を告げるように。

「安心して、和もすぐにおち×ぽ大好きなエッチな子にしてあげるからね?」

 イユの、これまで和の見たことのない不気味な笑みに、和は思わず恐怖すら覚える。

「ほらぁ」

 そんな、まるで子どもが親に、自分の手柄を褒めてもらおうとするかのように、イユはあるものを誇らしげ
に見せる。

 それを見た和の息が、一瞬止まった。

 それは、本来ならば女性であるイユには、ありえないはずのものだった。

 男性器ペニス。

 性経験のない和も、教科書の写真や、父親のものを見たことくらいはある。淫獄と化したこの空間では、誰
もが恥ずかしげもなくさらしているような代物でもある。

 だがそれが、同性であり、親友であるイユから生えているのを見るというのは、まったくもって別の話だ。

「なんで……」
「んー? 気持ちよくなるため。べつに理由なんてどうでもいいでしょ?」

 淫魔として、快楽を追求した末に至った到達点。それが牡性と牝性を同時に味わうことのできる、両性具有
だった。

 だが和にとって、そんな収斂しゅうれんの結果などわかるはずもないし、興味があるはずもない。

 そして同時に、イユにとってもそれは興味のあるものではなかった。

「さて、と。酒井君、ちょっと和を持っててくれない?」

 イユが指示をすると、酒井であったのだろう怪物は背後から和を持ち上げる。無理やりに持ち上げられたこ
とで、その態勢はM字開脚をしているようなものとなる。

 黒のストッキングに隠れた下着はすでにびしょびしょに濡れ、欲望を注ぎ込まれるのを待ち遠しそうにして
いた。

 いかに、イユを想う強い心で抵抗したとはいえ、直接病魔の元となる欲望を流し込まれたのだ。

 そうでなくとも、この空間にはあまりにも濃密な淫気が満ち満ちている。本来ならばただ立っているだけで
も自慰をはじめ、異性に襲いかかっても不思議ではない。

 それゆえに、和の陰部が淫蜜に濡れそぼり、イユの剛直を求めているのは仕方のないことといえた。

「さ、シよっ」

 言葉のとおり、イユはみじんの容赦もなく和のストッキングを破り、搾れるほどに愛蜜を蓄えたショーツを
ずらす。

 抵抗の声に誰も耳を貸すことはなく、その動きは怪物の剛腕に完全に抑え込まれる。

 抗うすべを失った和の、未開通の処女貝に、イユはその異形の牡剣を突き込んだ。

「──────!」

 イユと和。

 ふたりの、あるいは2匹の獣の、快楽の咆哮。人間の持つ理性ある言語とはほど遠いそれは、まさしく咆哮
と呼ぶにふさわしいものだった。

「んっ、和のおま×こ、すごぉいぃ。こんな気持ちいいおま×こ初めてだよぉ」

 壊れたおもちゃを思わせる動きで、イユは狂ったように腰を振る。

 それに対して和は、あまりに強烈な快楽に思考が焼きついたのか、ただされるがままにしながら、その動き
のひとつひとつに叫び声にも似た喘ぎをあげるだけ。

「射精でる! 射精でるよぉ和!」

「いや、いやぁ! イユ、イユ! やめて!」

 和の意識が戻ったのは、イユの酷薄な快楽宣告がきっかけだった。

 和の精一杯の懇願も、しかし快楽に夢中になったイユは聞こえてすらいない。

「あ、あひぃ!」

 黒々とした欲望が和の膣内へと注がれる。
 でゅるるるるるるる、とでも表現すべき高粘度の欲汁が、和の内側へと注がれていく。

 しかし、そこで誰しもが想像しなかったことが起こった。

「お願い。神様でもなんでもいい。イユを助ける力を、私に……!」

 黒の欲望は、和の強い意志に呼応し、その色彩を変化させる。

 和が知る由もないが、くしくもそれは、イユが堕落した際に起こった現象とまさしく正逆のものであった。

 欲望の反転。かつてイユが、美空の献身によって病魔をはねのけたように、和もまたその意志を持って病魔
を無毒化しようとしているのだ。

 和のナース服が、以前のイユのようなコスチュームを形作り、

「ふふっ」

 その瞬間、イユの笑みが響いた。

 吐精を続けながら、注挿を再開したのだ。

 びゅるるるるるるるるるるるるるる、と。

「────ッ!」

 言葉にもならない快楽と苦悶が和の喉から絞り出される。

 白へと変化していた光は、再びドス黒く変色する。

 奇跡は起こった。

 だがその奇跡は、イユの起こした負の奇跡によって塗りつぶされる。

 今のイユのそれによく似た、極めてエロティックなコスチュームへと転身を遂げた和は、うつろな様子で、
どこともわからぬ場所を見つめるのみ。

「ねぇ、和」

 イユの呼びかけに、和は瞳に意思を取り戻す。

「なぁに、イユ」

 答えた和の声は、艶のある、牝の声。

 新たに生まれた救世の担い手は、しかし、一度の勝鬨かちどきをあげる間さえもなく、堕ちた天使の手によ
って堕とされたのである。

「どんな気分?」

「とってもいい気分。それでいて、ものすごくエッチな気分」

 淫獄は終わらない。

 ずっと、ずっと、世界を呑み込んで、堕ちてゆく。

 その淫獄を舞う黒い翼の癒しの天使たちは、今もまた、淫らな嬌声をあげる。

<了>
著者紹介

著者

ADU

 どうもADUです。

 今作はウイルスとワクチンをテーマとして書かせていただきました。そしてワクチンといえばナースだろう
と。

 エッチなナースさんというものは良いものですね。

 気丈なヒロインが快楽に蕩け堕ちるというのもとても素敵です。

 要はそういうことです。

 新年度に突入してしばし、自分を取り巻く環境がこれまでにないほど変動しましたが、理想の作品をつくれ
るよう、自分の歩幅で前へ前へと精進していきたいと思います。

快楽かいらくに蕩とろけ堕おちる白衣はくいの天使てんし

-ヴァイサーエンゲル・イユ-

著者/ADU

イラスト/ありえす渡辺わなたべ

オシリス文庫

2014 年 7 月 18 日 電子版 ver1.0 制作
(C)2014 Adu

(C)2014 Ali-S Watanabe

発行人 青柳昌行

発行所 株式会社KADOKAWA

〒102-8177 東京都千代田区富士見 2-13-3

企画・制作 エンターブレイン

http://www.kadokawa.co.jp

本書に関するお問い合わせ先

エンターブレイン カスタマーサポート

電話 0570-060-555

(受付時間 土日祝祭日を除く 12:00~17:00)

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