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「できない」ことの 恵み
築紫 裕子
「も っと英語できたらいいのになぁ・・・」
よく聞く言葉です。私も、数年前までは
とメガネをかけていましたが、40 歳で緑内障が始まり、
今では白内障と老眼も加わり、どんなメガネをかけても
そう思っていました。職業柄、私は外国人と接す あまりよく見えません。だから車の運転はできないし、
ることも多く、周りには英語が堪能な人が大勢い 細かい字も読めないし、目を使う手元の作業もできませ
ます。そういう友人たちは、通訳や翻訳の仕事に ん。パソコンだと文字を拡大できるので便利ですが、長
就くこともできるし、英語を教える仕事もできて、 時間の作業は目に負担がかかって頭痛になります。
子育てが終わってからでも、英語力を生かせる仕 私の一番好きな仕事は、執筆や編集。そのためには、
事に就いているのを見て、私はちょっと羨ましく 本も沢山読みたくなります。
「もっと目が良かったらどん
思っていました。 なに楽だろうか・・・」と、何度思ったことでしょう。
私もある程度はできるのですが、ブロークンイ でも、長い間、どうにかして少しでも目が楽になる方
ングリッシュなので仕事にはなりません。仕事を 法をと、いろいろ工夫してきて、自分では気づかぬうち
別にしても、彼らのように英語ができれば、もっ に沢山の良いものを見つけていたのです。今では、そう
と外国の人たちとのコミュニケーションも自由に やって見つけたものの多くが、私にとって人生の宝となっ
できるし、字幕のない洋画も楽しめ、英語の資料 ています。
を読み、英語でしか聞けないメッセージを聴講す
ることができます。 具体的に言うと、まず目に負担をかけないために、自
特に、信仰に関するメッセージとなると、英語 分の信仰を強めるための読み物を、なるべく音声で聞け
のほうが断然、良質のものが沢山あるのです。世 るものに切り替えました。最初の内、英語では良質のも
界にある英語の情報と比べるなら、日本語に翻訳 のが沢山あるのに、自分はそれを聴いても半分ぐらいし
されているものはほんの一部に過ぎません。だか か理解できないことで、とても歯がゆい思いをしました。
ら、自由に英語で読み、聴き、理解できたらどん でも、だからこそ、私は必死になって日本語で聴ける
なにいいだろう、とよく思ったものです。 良い内容のものを探し続けたのです。それは簡単ではあ
ところが最近、
「英語、そんなにできなくてよかっ りませんでした。自分にとって納得のゆくものや、面白
た」と思うようになったのです。それだけではあり いと感じるものがなかなかなかったからです。でも沢山探
ません。以前、
「もっとこうだったらいいのに・・・」 していく内に、日本でのクリスチャン事情に随分と通じ
と思っていた幾つもの事柄について、「そうでなく るようになっていきました。それは、日本で神様の愛を
ても良かったんだ」と思えるようになったのです。 伝えたいと願ってミッション関係の仕事をしている私に
たとえば、私は小さい時から近眼と乱視でずっ とって、とても重要なことでした。
もし私が英語がよくできて、英語のメッセージを
聴いて満足してしまっていたら、決して日本語の音
声メッセージを探したりはしなかったでしょう。た
とえ、少し聞いたとしても、きっとすぐに飽きて聴
くのを止めてしまっていたと思います。でも私は日
本語で納得いくものを見つけるまで、いろいろと探
し続けなければならず、その過程で得た情報は、私
の視野を大きく広げてくれました。そして、その結
果として、 新しいプロジェクトを始めることもでき
たのです。
視野を広げると言っても、世界に視野を広げると
いうような遠くへの広がりではなく、自分の住んで
いる国や地域への洞察を深めるタイプの広がりで
す。現代社会では、視野を広げることの大切さは誰 ちらの方向に、
どのような形に伸びて欲しいかに応じて、
もが説いていますが、視野の広げ方にもいろいろあ 庭師は木を剪定していくのです。
ることに気づいたのは、つい最近のことです。 神様は誰よりも賢く愛情深い庭師です。私たちの人生
自分の生活や仕事に縁遠いものや別世界への視野 を上手に剪定して、一番良いと思われる方向へと導いて
を広げることも、時には刺激となり、新しいアイディ くださっているのです。だから、何かが「できない」と
アを得るために必要なことです。でも、身近な事柄 か、
「できなくなる」という剪定をされる時、そこには
についての視野を広げ、深めることは、もっと大切 良い計画があるに違いありません。
かもしれません。 それに、人というのは気が散りやすいもので、あまり
私は今まで、海外での宣教活動の話や外国で起 にも視野が広がったり、できることが沢山ありすぎたり
こってきた奇跡の話はよく読んできました。なぜな すると、一番しなければならないことに集中するのが難
ら、英語から翻訳されたものが多かったからです。 しくなってしまうものです。果物の木を育てる時にも、
でも、日本で日本人に神様の愛を伝えたいという時 実り始めた小さな実の幾つかを摘果します。実がたくさ
に、もう少し日本での事情を知る必要があるのは当 んつきすぎていると十分栄養が行き渡らず、美味しい果
然なのですが、人は慣れ親しんだものがあってそれ 物にはなりません。素人は、どうしてももったいないと
に満足していると、あえて別のものに目を向けよう 感じてしまうものですが、最善を知っている農夫や庭師
とはしないものです。 は、せっかく伸びた枝でも剪定し、あえていくつかの実
だから神様は、私にはもっと日本にフォーカスし を落とすのです。
てほしいという良い理由で、私が頑張ってもそれほ
ど英語ができないようにされたのかもしれません。 このことに気づいてから私は、
「できないこと」があ
また、目をあまり使えなくすることで、今まで読ん るのを感謝するようになりました。
「できない」という
でいたものではない別のものに手を伸ばすよう導い のは、きっとそれを無理にしなくてもいいんだと思える
てくださったのではないかと思ったのです。 ようになったのです。
「できない」という制限があるの
そんなことでもなければ、私が日本のクリスチャ は、もしかしたら私たちが忙しくなりすぎないための神
ン事情をこんなに知ることはできなかったでしょう。 様からの配慮かもしれません。もし、何でもできて、ど
私は日本人が大好きで、神様の愛を日本に伝えるこ こにでも行けて、みんなからあれもして欲しい、これも
とが何よりの心の願いなので、そのためにもっと日 して欲しいと頼まれ続けたら、きっと自分自身がパンク
本人の心を知り、日本の事情を知れるよう、神様は してしまいます。
あえて私に制限をかけられたのかもしれません。 誰にでも、
「できること」はすでに沢山すぎるほどあ
るはずです。そうだったら、できることに集中したらい
たとえば、木を育てていると分かるのですが、木 いのではないでしょうか。できないことで思い煩ったり、
は、てっぺんを摘まないと、上にばかりぐんぐん伸 嘆いたりするのはもったいないことです。さあ、自分に
びてしまいます。それを願うならそれでいいのです できることを感謝して、それにフォーカスしましょう。
が、上に伸びるより横に枝を張ってほしい場合には、 そうしたら、その実がどんどん大きくなって、美味しい
庭師は上を剪定して脇枝を出させます。つまり、ど フルーツとなることでしょう。