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台湾、チベット、抗日から逃れられない中国 JBpress 03/05/09 12:30 AM

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台湾、チベット、抗日から逃れられない中国
中国株式会社の研究∼その4
2009年04月24日(Fri) 宮家 邦彦

 「政経一体」とはどういうことか、というご質問を頂いた。実際に、エコノミストと政
治学者では「中国株式会社」の捉え方がまるで違う。今回は双方の視点を比較しながら、
政経一体の意味を考えてみたい。

計画経済から産業政策へ

 エコノミストは「産業政策」の分析から始める。例え
ば、こんな感じだ。

第1期:1978年以前(計画経済万能の時代)

 改革開放前の中国は計画経済であり、旧ソ連を模して
1952年に設立された国家計画委員会が圧倒的な権限を有
文化大革命(1966年∼1976
していた。当時の中国は建国、大躍進、文革といった政治 年)の指導者、故毛沢東・国家
的激動期にあり、市場経済を前提とする「産業政策」の概 主席は1976年9月9日にこの世
念はなかった。 を去った〔AFPBB News〕

第2期:1978年から1998年まで(産業政策が生まれた時
代)

 改革開放政策に伴い、国家計画委員会は、従来の「計画経済」に加え、次第に「産業政
策」に関する権限も併せ持つようになる。但し、中国経済に占める国有企業の比重は圧倒
的であり、真の「産業政策」が生まれるのは1990年年代中頃からだと言われる。

第3期:1998年から2002年まで(産業政策が一時後退した時代)

 国内市場経済の発展に伴い、「計画経済」はもはや時代遅れとされ、「市場原理」が
「産業政策」よりも重視されるようになる。国家の市場関与は最小限にすべしとの「小さ
な政府」論に基づき1998年に国務院機構改革が断行される。

 その結果、国家計画委員会は国家発展計画委員会と名称を変え、「産業政策」に関する
権限を失う。同権限は国家経済貿易委員会と対外貿易経済合作部に移管される。
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権限を失う。同権限は国家経済貿易委員会と対外貿易経済合作部に移管される。

 しかし、改革にもかかわらず、国内ではデフレが進行し、1997年のアジア通貨危機も
あって、中国経済は深刻な停滞期を迎えてしまう。

第4期:2003年から現在まで(産業政策が復活した時代)

 こうした反省もあってか、2003年の国務院機構改革では、国家経済貿易委員会が3分
割され、国家発展計画委員会は1998年に失った「産業政策」権限を取り戻す。さらに、
同委員会は新たに「国家発展改革委員会(発改委)」として再出発する。

 これにより、発改委はマクロ経済コントロール、社会発
展戦略、中長期的指針等の政策研究、立案、策定、推進だ
けでなく、国務院各部門に対する総合調整、内外経済情勢
の予測、石油製品や電力、水道料金などの価格決定、経済
体制改革の指導に責任を担う中国国務院のスーパー官庁と
なっていった。
国家発展改革委員会の傘下には
国営シンクタンク、国家情報セ
 政治学者にはどうもぴんとこない。この発改委こそが
ンターがあり、人民元の相場に
「中国株式会社」の司令塔なのだという結論は分かるとし ついて強い影響力を持つ
ても、このような経済政策史的アプローチだけでは「中国 〔AFPBB News〕
株式会社」の政治的意味がちっとも見えてこないからだ。

 政治の専門家は、「中国株式会社」の本質を、産業政策よりもはるかに政治的なものと
見る。経済的価値だけではなく、政治的価値の所在にも焦点を当てて見る必要があると考
えるのだ。例えば、こんな具合に。

統治の正統性

 現在の中華人民共和国の最大の政治問題は共産党による
「統治の正統性」が揺らぎつつあることだ。毛沢東、周恩
来、トウ小平といった革命第1、第2世代の指導者にはカ
リスマがあった。

 彼らの存在自体が中国共産党の正統性を具現していた。
しかし、文化大革命の混乱から立ち直った中国社会は
故・トウ小平によって中国経済
1980年代に入り、大きく変化し始める。 は著しい発展を見た。とりわけ
華南地域はその影響が大きかっ
 1978年末に始まった改革開放政策の中身は、(1)人民 た(写真は深セン)〔AFPBB
に対し政治的自由は与えないが、(2)経済的自由は与え News〕

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る、(3)だから共産党を支持すべし、という3点に尽き
る。

 この政策により中国経済は飛躍的な発展を始める。ところが、80年代末にゴルバチョ
フの政治改革によりソ連・東欧の社会主義体制が相次いで崩壊し始めた。当然中国でも学
生を中心に政治改革を求める声が高まる。改革開放時代になって初めての「統治の正統
性」に対する挑戦であった。

カリスマのない第3世代

 トウ小平は国民に政治的自由を認めるソ連型の政治改革が共産党統治の終焉を意味する
ことを正確に理解していた。だから、1989年の天安門事件に際し躊躇なく人民解放軍を
出動させたのである。かくして中国共産党は政治改革を拒否し、曲がりなりにも「生き延
びる」ことができた。

 あの事件から20年の歳月が流れた。共産党は何事もな
かったかのように今も君臨している。しかし、この間に中
国社会は大きく変質した。文革直後「10億総貧乏」だっ
た中国で、今や「13億人の大富豪から大貧民まで」格差
が拡大した社会が出現したのである。彼らの多様化した政
治的、経済的、社会的利益を「誰が代表するのか」が静か
に問われ始めた。
天安門事件から今年で20年。中
国人の生活様式は様変わりした
 残念ながら、天安門事件後に統治を引き継いだ革命第3 〔AFPBB News〕
世代には毛沢東、周恩来のようなカリスマはない。こうし
て共産党指導部は統治の正統性を維持するために民族主
義、愛国主義に益々依存するようになる。

 青少年に対する愛国教育が強化されたのも、全国に続々と抗日戦争記念施設が建設され
たのも、「3つの代表」理論が大々的に唱えられたのも、全て1990年代以降のことだ。

正統性は3本柱

 中国共産党の統治の正統性は3つの柱からなる。(1)第1は「中国の統一」であり、
その延長上には「台湾問題」「チベット問題」等がある。むろん、その背後にあるのは米
国である。(2)第2は「抗日愛国戦争勝利」であり、その最たるものが対日「歴史問
題」だ。(3)第3は改革開放政策による「経済発展・生活向上」である。

 問題は第3の柱だけでは第1、第2の柱を代替できないこと
だ。中国人の諸利益が多様化したのなら本来は「政治改革・民
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だ。中国人の諸利益が多様化したのなら本来は「政治改革・民
主化」という第4の柱が必要なのだが、そのような選択肢がな
いことは天安門事件の際に決着済みである。

 従って、中国共産党が新たな統治の正統性を見出さない限
り、第1、第2の柱は今後とも半永久的に存続する可能性が高
いと思われる。

 さらに重要なことは、最近都市と農村、沿岸と内陸などの経
済格差が許容範囲をはるかに超えて拡大し、第3の柱の正統性 チベットの指導者・ダラ
そのものが揺らぎ始めていることだ。しかも今は昔のような強 イ・ラマ氏。チベット問題
は未解決だ〔AFPBB
権は使えない。 News〕

 政治学者は、このような状況の下だからこそ「中国株式会
社」が生まれたと考える。

 産業政策の有無など結果でしかない。政治的に見れば、「中国株式会社」とは、共産党
独裁への不満を封じ込めながら、少しでも安定した経済発展を続けることにより、共産党
の「統治の正統性」をつなぎ留めるための「最後の切り札」なのである。

 どちらが正しいのだろうと今悩む必要はない。恐らく真理は中間にあるからだ。

 大事なことは常に、政治を考える時は経済を、経済を考える時は政治を、それぞれ念頭
に置くことである。そうしない限り、政経一体という「中国株式会社」の本質はいつまで
経っても見えてこない。

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