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私は、人と上手く(楽しく)関われないという悩みを相談するために木の花ファミリー

を訪問しました。

私は小さいときから人の輪に入っていくことができず、16 のときに引きこもりになり、

以後、23 歳になるまでただ日々が過ぎるのを待つように時間を潰していました。

23 歳から老人介護施設でバイトを始め、結構楽しかったにもかかわらず、1 年ちょっと

で辞めてしまいました。特別、トラブルがあったわけでもなく、やっぱり人と打ち解ける

ことができなくて辛い、という理由でした。

人と上手く関われない、といってもいじめられたりしたことはなく、むしろこれまでの

人生ではいつも人に親切にしてもらっていて、ほとんどいつも誰かしらが私を守ってくれ

ているような状態でした。なのに、私はいつも壁を作ってしまって関わってくれる人を遠

ざけ、当然、皆、私から離れていきました。

私が壁を作ってしまう理由は、相手に対してうしろめたいことがあると思ってしまうか

らです。私は何故だか何をしていても、していなくても、恥ずかしい気持ちを持っていま

す。するべきことをしていないというか、もっと他にしなくちゃいけないことがあるのに

自分は何をしているんだろう、とか。

かといってそういう気持ちと向き合うこともなく、
「するべきこと」というのが何かなん

て全く考えず、ただ「恥ずかしい」と思って終わりでした。

実際、私は恥ずかしいことばかりしてきて、いじめや万引き、有言不実行であったり、

ちょっとでも嫌なことは見て見ぬふりをするところなど、恥じて当然なのですが、私は恥

ずかしいと思ってそこで終わりでした。私にとっては「恥ずかしい」というのが逃げ場だ

ったのですね。
「はいはい、この話はここで終わり、行き止まりだよ」というような。

人と関わるときも、人と関わりたいのに、「恥ずかしいところは見られたくない」と思っ

てしまい、でも、どこもかしこも恥ずかしく、結局自分からは何も表そうとせず、ただ黙

ってしまっていました。
そんな風に過ごすうちに、
「恥ずかしいと思って何もしないことが一番恥ずかしいのでは

ないか」と思い始めたのですが、なかなかその考えと向き合うことはできませんでした。

逃げ場所からも逃げなくちゃいけなくなって、でも逃げた先は元々逃げずにいられなかっ

た場所で、どうすればいいんだろう、と思ったところで思考が止まってしまい、そのまま

何年も過ごしました。何も考えずに。

最近になって「やっぱり何とかしたい」
「むやみに恥じたりせずに生きていきたい」とい

う思いが強くなり、そういったことを少しだけ人に相談してみたりしたのですが、皆「自

分の気持ちだけの問題なのだから、自分で気をつけるしかない」というだけで、私は「ま

ったくその通りだけど、自分だけじゃどうにもできないと思うから、相談したんじゃない

か」と逆恨みのような気持ちを持ってしまうだけでした。

そんなときに、相談した相手の一人から木の花ファミリーを紹介されました。私はもう

自分は本当にどん詰まりにいて、どこで相談してもどうにもならないと思っていました。

変わる、変えるのは自分なのに、自分はこんなにダメな、自分ですらやる気があるのかな

いのか分からない奴なんだ、と。どうせ、言われることは同じなんだし。

それで、やっぱり他で相談したときと似たようなことを言われました。

「お前にやる気がないなら変われるわけがない(意訳)

私は「自分にやる気があるのか、ないのかもわからない。だから、こちらでお世話にな

る資格があるのかわからないが、お世話になれるのならなりたい」と言いました。すると、

この後の言葉はこれまで聞いたものと少し違う部分がありました。

「これから変わろう、っていうのに、変わる前のお前が資格だなんだって言ってちゃん、

変われるわけがない。自分を自分以外にゆだねる気がないのだから(意訳のつもり)

私は、自分が変わりたいというときに、自分で変わるということだけしかない、と思っ

ていました。これまでの自分を保ったまま別に人間になろうとしていました。できそうも

ないことです。
でも、
「ゆだねる」という言葉を聞いて、何だか別の不可能でない道が見えた気がしまし

た。自分以外の自分というかまだ表現できませんが、そういうものが。

色々な事を過去形で書いてしまいましたが、本当はどれも進行形です。私はまだ何も変

わっていない。でも、希望はある。今は、そう思っています。木の花になら、委ねられそ

うな気がするんです。

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