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太宰治生誕百年

あらすじで楽しむ

太宰治
VOL.
VOL.1

平成22年1月

定武禮久
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作作作作品品品品 のののの読読読読 みど ころ、、、、聴聴聴聴きど ころ
斜陽 没落貴族 の黄昏。 お母様と弟 と私 のそれぞれ の苦悩。 私 は父な し子を産 む。 4
人間失格 お道 化 に長け、情 死未遂、薬物中毒 の末、病院 に いれられ 「
狂 人」 にな った。
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6

ヴ ィヨンの妻妻妻妻 夫 の小料 理屋 で の つけ返済 のために働き始 めた私。浮き浮きと して 26


おさん 若 い女性と の恋 に陰鬱 に悩む夫 に、暗澹 た る気分 にな る 「
私」。 30
きりぎ りす 急 にお偉 くな り、成金的 に変貌 した画家 の夫 に失望感を深 める妻。
2

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葉桜とととと魔笛 十八歳 で結核 で死んだ妹 の悲哀 と不思議を、老女が回想す る。 37
燈籠 魔 がさ して盗 みを働 いた 「
私」と、貧 し いながらも温か い家庭。
桜桃 微妙な緊張を はら む夫婦 のや りとり。 「
子供 より親 が大事、と思 いた い。」 39
黄金 風景 昔 いじめた女中 のお慶 一家 が、突然 現れ困惑す る。 44
水仙 自ら の才能を過信 した 「画家 」女性 は、 「
私」 に面罵さ れ、や が て自殺す る ・ 46
親友交歓 突然 現れ て飲 んだくれ る 「
旧友」 に、 「
私」 は当惑。 49
津軽 生れ故郷 の津軽を巡 った著者 が、感慨をも って語 る。 子守 のたけと の再会。 52
富嶽 百景 「
富士 には月見草がよく似合う」 。 三坂峠 の茶屋 で の逗留記。 57
女生徒 十四歳 の女生徒 の、多感 で繊細な気持ち で過ごす起床 から就寝 ま で。 61
饗応夫人 気弱 で いや と言えず、体 を壊すま で接待 に狂奔す る奥様 の悲哀。 65
畜犬談 犬嫌 いの 「
私」 の、愛犬ポ チをめぐ る滑稽譚。 68
トカト ント ン 厳粛さ、恋、感激などす べて剥ぎ 取 ってしまう トカト ント ンの音。 72
鷗鷗鷗鷗 戦時 下 の小市 民的作家 が抱 く自分 への懐疑、心細さ の心象 風景。 75
日日日日のののの出前 困り者 の不肖息 子を親、 兄弟 が共謀 して殺 した事件を ヒントに ・・ 79

3
満願 結核 の夫 の療養中、禁欲を余議なくさ れた 「
奥様」 にお許 しが出 る。 83
人間失格
● あらすじ
はしがき
私 は、 そ の男 の写真 を三葉、 見た ことがあ る。 一葉 は、 そ の男 の十歳前 後 の幼年時代と
推定さ れ る。大勢 の女 の人たち に囲まれ て醜 く笑 って いる。な んとも いえず イ ヤな薄気味
悪 いも のが感ぜられ る。第 二葉 は、学生時代 の姿 でおそろ しく美貌 であ る。これも ひどく
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変 して いて、 人間 の笑 いと、 ど こやら違 う。 充足感 が少 しもな い。 もう 一葉 は、最 も奇怪


なも ので、 と し のころがわ からな い。 いくぶ ん白髪 のよう であ るが、 ひどく汚 い部屋 の片
隅 で、火鉢 に手を かざ し、笑 って いな い。 ど んな表情 もな いし、思 い出 せるような特徴が
な いのだ。 私 は こんな 不思議な男 の顔を みた ことが、 いちどもな か った。
第 一のののの手記
恥 の多 い生涯を送 って来ま した。自分 には、 人間 の生活と いうも のが、 見当 つかな いの
です。 駅 のブ リ ッジ にしても、地 下鉄道 にしても、実利的 必要 から案 出さ れたも のと は思
って いません でした。ハイカラにす るため、面白 い遊 びだ から、とば かり思 って いま した。
実利的なも のと知 って、 にわ かに興が覚 めま した。 また、自分 は空腹と いう ことを知 りま
せん でした。 それがどう いう感覚 な のか、さ っぱ りわ からな か った のです。 めずら し いも
の、豪華 と思われたも のは食 べますが、空腹感 から食 べた記憶 は、 ほとんどあ りません。
めしを食 べなければ 死ぬ、と いう言葉 は、 いやな おど かしと しか聞 こえ ません でした。
つまり、自分 には、人間 の営 みと いうも のが いまだ に何 もわ か って いな い、と いう こと

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にな りそう です。隣 人 の苦 しみ の性質、程度 が、 ま るで見当 つかな いのです。自分 ひとり
全 く変 わ って いるような、 不安 と恐怖 に襲 わ れ るば かりな のです。自分 は隣 人と、 ほとん
ど会話が できません。
そ こで考え出 した のは、道 化 でした。 おも てでは、絶 えず笑顔を つくりながらも、内 心
は必死 の、油汗流 して のサーヴ ィ スでした。自分 は肉親 たち に何 か言われ て、 口応え した
こと はあ りません でした。自 分 は怒 って いる人間 の顔 に、獅 子や鰐 よりも おそろ し い人間
せんり つ
の本性を見 る のです。髪 の逆立 つほど の戦慄を覚 え ます。 人間 に対 して い つも恐怖 に震え
お ののき、自分 の言動 に自信 が持 てず、 そ の憂鬱を ひた隠 して、無 邪気 の楽 天性を装 い、
お道 化た変 人と して次第 に完成さ れ て行きま した。
何 でも いいから笑わ せ ておけば いいのだ。 と にかく彼ら の目障 りにな っては いけな い、
自分 は無だ、 風だ、空だ、と いう ような 不思議な感覚ば かりが募 り、家族だけ でなく、 下
男 下女 にま で、 必死 のお道 化 のサーヴ ィ スを した のです。夏 に、 浴衣 の下 に赤 い毛糸 のセ
エターを着 て廊 下を歩 いたり、 下男 にピ アノを滅茶苦茶 にキーをたたかせ て、 それ に合わ
ひょうきん
せ てイ ンデ ヤ ンの踊 りを踊 ったり、 少年雑誌 で読 ん で小咄な ど に通 じ て、 剽 軽 な ことを
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まじめな顔 で言 ったりと、家 の者 たちを笑わ せる のには事欠きません でした。


しかし、ああ、学校 ! そ こでは私 は、 「
でき る」こと によ って、尊 敬さ れかけ て いた の
です。 それ は、 はな はだ自分を おびえさ せま した。全知全能 の者 に見破ら れ、 死ぬ るほど
の赤 恥を かかせら れ る ・・・、だ まさ れたと気づ いた人 々の怒 り、復讐 ・・・身 の毛がよ
だ つ心地がす る のです。
たん つぼ
綴 り方 の時間 には、 滑稽話ば かりを書 き、客車 の痰壺 にお し っこを してしま った失敗談
で、先生 は大声 で笑 い、自分 はお茶 目と見ら れ る こと に成功 しま した。 しかし自分 の本性
た いし ょ
は対蹠的 で、 下男 下女 たち から哀 し いことを教えられ て いま した。 おも しろくな い演説会
だと帰 り道 嘆き合 って いた のに、 母たち の前 ではと ても面白 か った、と言 ってけろりと し
て いる のです。 互 いにあざ むき合 って いるが傷 つかな いほがら かな 不信 の例が、 人間生活
には充満 して いるよう に思わ れます。 けれども、自 分 には正義 と か、道徳 と かにはあまり
関心が持 てな いのです。 そう して、自分 の孤独 の匂 いが多 く の女性 に本能 によ って嗅ぎ当
てられ、 つけ込まれ る誘因 の 一つにな ったような気 もす る のです。

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第 二のののの手記
私 は、東北 のあ る中学校 に、受験勉強 もろく にしな か った のに、無事 入学 できま した。
そ の頃 には、自分 のお道 化 は いよ いよぴ ったり身 に ついて来 て、 人をあざ むく のに以前 ほ
ど苦労を必要と しなくな りま した。自分 の人間恐怖 は、 以前 にまさ るとも劣ら ぬくら い烈
しく胸 の底 で蠕動 して いま したが、演技 は実 に のび のび してき て、 い つも皆を、蛮声 を張
り上げ る配属将校さえ も、笑わ せ て いま した。
いんぺ い
自分 の正体 を隠蔽 し得 たと ほ っと しかけた矢先、意外 にも背後 から突 き刺さ れま した。
鉄棒練 習 で砂地 に尻餅 を ついた計 画的な失敗 を して、皆 の大笑 いとな りま したが、貧 弱な
肉体 の竹 一が背中を つつき、低 い声 で、 「
ワザ。 ワザ 」自分 は震撼 しま した。 一瞬 にして地
ごうか
獄 の業火 に包 まれ、発狂 しそうな気配 でした。 それから の日 々の、自分 の不安 と恐怖。 私
は、彼を手なづけ るために家 に招きま した。 ひど い耳だ れを見 つけ、膝枕 にして寝 かせ、
念 入りに掃除 してや りま した。竹 一は、 「
お前、き っと、女 に惚 れられ るよ。」 これ は、竹
一も意 識 しな か った ほど の、 おそろ し い悪魔 の予言 のような者 だ った ことを、後年 に至 っ
て思 い知 りま した。
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い つか、竹 一から お化け の画を見 せられた ことがき っかけとな り、 お化け のような陰惨


な自 画像 を画き続けま した。竹 一は、自分が画 いた自 画像 を見 て、「
お前 は偉 い絵 画き にな
る。」とも予言 しま した。 二 つの予言を額 に刻印 せられ て、東京 に出 て気 ま した。
自分 は美術学校 に入りたか った のですが、 父は、自 分を高等学校 から官吏 にす る つもり
でした ので、 口応え せず、東京 の高等学校 に入りま した。 はじめ寮 に入りま したが、肺 湿
潤を理由 に上 野桜 木 町 の父 の別荘 に移 りま した。ち ょいち ょい学校 を休 ん で、本を読 んだ
り画塾 に通 いま した。そ こで堀木正雄と いう 六 つ年長 の画学生と知 り合 いま した。堀木 は、
四六時中くだらな いお しゃ べりを続け る ので、気 まず い沈黙 におち いる危懼が全 くな いこ
と のです。自分 は 一人 で電車 に乗 り、歌舞伎座 に行 き、 レストラ ンに行 くと緊張 し、 人が
こわ いがために、家 でご ろご ろ して いた のですが、 そ の堀木 に誘わ れ、酒、煙草、淫売婦
に馴染 むよう にな りま した。 それ は皆、 人間恐怖 を 一時 でも紛らす こと のでき るよ い手段
であ る ことが、わ か ってきま した。自分 の 「
同類」 の淫売婦 のもと では、安 心 してぐ っす
り眠 る ことが できた のです。淫売婦たち と遊 ん で いるうち に、女達者 と いう匂 いが つきま
とう よう にな り、女性 は本能 によ って嗅ぎ 取 って寄 り添 って来 るよう にな りま した。また、

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堀木 には共産主義 の秘密会合 にも連 れ て行 かれ、 お道 化を い って笑わ せ て いま した。 あぶ
な いと称す る仕事 もや って のけま した。 刑務 所 で暮らす ほうが、楽 かも しれな いとさえ考
え て いま した。
や が て、 父 の別荘 は人手に渡 り、 私 は本郷 の古 い下宿 の薄暗 い部屋 に引越 しま した。 そ
してたちまち金 に困りま した。今 ま では、 別荘 に何 でもあ った のだ、急 に、 月 々の送金 で
間 に合 わ せな いと いけなくな りま した。自分 は 一人 でじ っと して いる のが おそろ しく、安
酒を飲 み歩 いたり、画 の勉強 も放棄 し、年上 の有夫 の婦 人と情 死事件を起 こし、身 辺は 一
変 しま した。
そ の頃、私 に特別 の好意 を寄 せ てく る女 性が、 三人 いま した。 ひと りは、 下宿 の娘、 も
う 一人 は運動 の 「
同志 」 でした。 もう 一人が、銀座 の大 カ フ エの女給 のツネ 子 (
と い った
と覚え て います。)でした。飲 ませ てくれた のですが、そ の人は、侘 しさを外郭 に持 って い
て、自 分 の陰鬱 の気流 と ほど よく溶 け合 い、恐怖 からも不安 からも、離 れ る ことが でき る
のでした。
あ る夜、堀木と 一緒 にそ のカ フ エにそ の人たよりに行きま したが、堀木 は彼女 を貧乏く
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さ いと悪態 を つきま した。 そ のとき、生 まれ てはじめ て、微弱ながら恋 の心 の動く のを自


覚 しま した。そ の日は我を失う ほど酔 いま した。気が ついたら彼女 の部屋 で寝 て いま した。
夜 明け に女 の口から 「
死」と いう言葉が出 て、 そ の夜、自分たち は鎌倉 の海 に飛び込みま
した。女 は死に、私 は助 かりま した。故郷 から親戚 の者 (
ヒラメと呼ん で います。)が 一人
駆け つけ、様 々の始末を してくれま したが、生家 の 一家 中が激怒 して いて、義絶 にな るか
も しれぬ、と申 し渡 して帰 りま した。
自分 は自殺幇 助罪 で警察 に連 れ て行 かれま した。左肺 に故障 があ る のが幸 いし、保護室
に収容さ れま した。署長 の取調 べもあ っさ りして いて、「
いい男だ。お前 が悪 いんじゃな い。
こんな いい男 に産 んだ お前 のおふくろが悪 いんだ。」と いい、 ハンケチ に ついて いる血を見
て血痰だと誤解 し、 いたわ ってくれま した。
お昼すぎ に、横 浜 の検事 局 に移さ れま した。 そ こで、 た った 一つ、生涯忘 れら れぬ悲惨
な しく じりがあ った のです。検事 は四十歳前 後 の物静 かな 人柄 のよう でした。咳が出 て来
て、 ハンケチを取 り出 し、そ こに ついた血を みてこれも何 か の役 に立 つかも しれぬとあさ
ま し い駆け引き の心を起 こし、贋 の咳を大袈裟 に付け加え て、 チラと みたと ころ、 「
ほん

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とう か い?」も のしず かな微笑 でした。 竹 一に地獄 に蹴落とさ れたあ の時 以上と い っても
決 して過言 ではな い気持ち です。 生涯 におけ る演技 の大失敗 の記録 です。 私 は起訴猶 予に
な りま した。
第 三のののの手記
こ の事件 で、高等学校 は追放さ れ、 ヒラメ の家 の二階 の三畳間 で寝起きす るよう にな り
ま した。道 化を演ず る気力もなく、 ヒラ メから は、 あな た の心掛け ひと つで更 正 でき るわ
けだが、 ま じめに私 に相談をす る気 にな ってもらわな いと仕様 がな い、と いわ れます。 画
家 にな りた い、と言 いま したが、話 にもなら ぬと言われ、明け方 にな り、堀木 の家 に向 か
いま した。 堀木 の老 母が おしる こを持 って来 ま したが、堀木 は外出す ると いう ので素 っ気
な い風 でした。堀木 にさえ 見捨 てられたような気配 に、狼狽 し、 たまらな く侘 し い思 いを
しま した。 堀木が外出をす ると いう そ の時、雑誌社 の女 のひとが訪ね てき て、堀木 はにわ
かに活気づきま した。 ヒラメから の電報 に、すぐ に帰 ってくれ、と いわれた のですが、女
のひとが自分を送 って いくと いいます。女 の高 円寺 のアパート ではじめ て男 めかけ みた い
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な生活を しま した。
こ のシズ 子 の紹介 で、雑誌 に連載漫画を書 くよう にな り、案 外 お金 にな りま した。 シズ
子から は、 あなた のことを見 ると、 た いて いの女 の非と は、何 かしてあげ たく て、 たまら
なくな る ・・・等 々さ まざ まな ことを言われま した。や が て自 分 の飲酒 の量も増え、情 死
以前 よりさら に荒 ん で野卑 にな り、 シズ 子 の衣類も持ち 出す ほど にな りま した。 私 は、高
円寺 のアパートを捨 て、京橋 のスタ ンド ・バ ア の マダ ム の家 の二階 に泊 り込む こと にな り
ま した。自 分 は世 の中 に対 して次第 に用心 しなくな りま した。漫画もくだらな い卑猥なも
のも かくよう にな り、酒 の喜 び の詩も添え ま した。 けれども、自分 に酒を止めよとすす め

る処女 が いま した。 バ ア の向 か いの煙草 屋 の娘 でした。 酒を止めるとげ んま んしま した。
自分 は こ のよご れを知らぬ処女性 の美 し いヨシ子と結 婚 しよう と思 いま した。 そう して自
分たち は結 婚 して、 それ によ って得 た歓楽 は必ず しも大 きく はあ りません でしたが、 そ の
後 に来 た悲哀 は、凄惨 と言 っても足りな いくら い、実 に想像 を絶 して、大 きくや って来ま
した。
堀木と の交友 は続きま した。 あ る日、築 地 の自 分 のアパートに日暮 れご ろや って来 て、

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焼 酎を飲 みま した。酔 いが回り、堀木が下に行 ったかと思うとまた引き返 して来た のです。

見ろ !」階 下 の自分 の部屋が見え、 そ こには二匹 の動物が いま した。 ヨシ子を助け る こ
とも忘 れ、階段 に立ち 尽く して いま した。逃げ て い った のは、自分 に漫画を かかせ てはわ
ず かな お金を置 いて いく三十前後 の無学な 子男 の商 人な のでした。「
な んにも、しな いから
って言 って ・・・」ヨシ子は、ひとを疑う ことを知らな い信頼 の天才な のです。 ヨシ子は、
それから は、私がどんな にお道 化を言 っても、 おろおろ し、 びくびく して、や たら に自分
に敬語を遣う よう にな りま した。
そ の年 の暮 れ、私 は、 泥酔 して帰 り、睡 眠剤 を飲 みま した。 三昼夜、自分 は死んだ よう
にな って いたそう です。 こ の 一件 以来、自分 のからだが め っき り痩 せ細 って、 仕事 も怠 け
がち で、大雪 の降 った夜、酔 って銀座裏 で、 はじめ て喀血を しま した。 近く の薬 局 の奥さ
んが、薬を いろ いろくれま したが、どう してもお酒を飲 みたくな ったとき のお薬、と言 っ
て、 モルヒネ の注射液 の小箱 をくれま した。 注射 をす ると、 不安 も焦燥もきれ いに除 去 せ
られ、陽気な能弁家 にな る のでした。や が て自分 はそれがなければ 仕事が できな いよう に
な って いま した。薬屋と アパート の間を半狂乱 の姿 で往復 し、薬屋 の奥さ んと醜関係さえ
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結 びま した。薬代 の借 りが おそろ し いほど の額 に のぼ りま した。


こ の地獄 から逃 れ るために、故郷 の父あ てに、事情 の 一切を告白す る長 い手紙 を書きま
したが、何 の返事 もあ りません。今夜、大 川 に飛び 込もうと したそ の日 の午後、 ヒラ メと
堀木が現れ、自動車 に乗 せら れま した。森 の中 の大 き い病院 に着 き、あ る病棟 でガチ ャン
と鍵を おろさ れま した。 脳病院 でした。 まわ りは男 の狂 人ば かり でした。 いま はもう自分
は、罪 人ど ころ ではなく、狂 人 でした。
人間、失格。 も はや、自分 は、完全 に、 人間 でなくな りま した。初夏 に ここに来 て、や
が て コスモスが咲 く頃、長 兄が訪ね てき て、 父が死んだ こと、 もう過去 は問わな いし、生
活 の心配も かけな いから、故郷 で療養生活 に入るよう に、と のこと でした。東北 の暖 か い
海 辺 の温泉 地 の古 い家 を与え てくれ、女中を ひとり つけ てくれま した。
いま は自分 には、幸福 も不幸もあ りません。
ただ、 一さ いは過ぎ て行きます。
自分 は こと し、 二十七 にな ります。白髪が増え た ので、 四十以上 にみられます。

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あとがき
こ の手記を綴 った狂 人を、 私 は直接 は知らな い。 けれども、 手記 に出 て来 る京橋 のバ ア
の マダ ムを知 って いる のであ る。
こと し二月、船 橋 に疎開 して いるあ る友 人をたず ねた。 土地 の人 に所番地をたずね ても
わ からな い。 リ ュックサ ックを背負 った肩も痛 くな り、 レ コード の音 にひかれ て、あ る喫
茶店 に入 ったと ころ、 そ の マダ ムに再会 した。 マダ ムは、 小説 の材料 にな るかも しれな い
と い って、 三冊 のノートブ ックと三葉 の写真 を私 に手渡 した。 そ の夜、友 人 の家 で、 一睡
もせず に ノートを読 みふけ った。 マダ ムは、 それ は京橋 の店あ てに差出人が かかれず に送
ってきたが、葉ち ゃんに決ま って いると いう。

人間もああな っては、 もう駄 目ね。」 「
あ のひと のお父さ んが悪 いのです。」 「
私たち の知
って いる葉ち ゃんは、 と ても素直 で、 よく気 が利 いて、 あれ でお酒さえ飲 まな ければ、 い
え、飲 ん でも、・・・神様 みた いな いい子 でした。」
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斜陽
● あらすじ
私たち 一族 は、爵 位があ るけれど、戦後 にな ってす っかり没落 してしま って いる。 私 は
二十九歳。離婚 して、 お母さまと侘 し い生活を、伊 豆 の山荘 でひ っそりと暮ら して いる。
お母様 は、スウプを飲 む のも礼法 にはず れ て いるが、可愛ら しく エロチ ックにさえ 見え
る。西片 町 のおうち の奥庭 で立ちながら おし っこした こともあ る。でも、弟 の直治 は、「

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位を持 って いても、 下卑 た奴 も いるが、本物 の貴族 は ママくら いだ ろう」と私 に言 った。
そ の直治 は、大学 の途 中 で召集さ れ て、南方 に行 ったき り消息 がな い。 お母さ ま は、 も
う直治 に逢 えな いと覚 悟 して いる。直治 は、高校 に入 った頃 から文学 に こ って、 不良 少年
みた いな生活 で、どれだけご苦労を かけたかわ からな い。
四、 五 日前 の午後 に、 近所 の子供 たちが、 お庭 の竹やぶ から、蛇 の卵を十ば かり見 つけ
まむ し
てきた。 蝮 の卵だと いう ので、私 は怖 くな って焼 いてしま った。でも、ただ の卵だと近所
の娘さ んは言う。お母さま は、「
可哀 そうな ことをす る人ね」とお っしゃ った。お母さま は、
西片 町 のお屋敷 で、 お父上が亡くなられたとき に、ご臨終 の直前 に、枕 元 の黒 い紐 のよう
なも のが蛇だ った こと から、蛇をと ても怖 れ て いら っしゃる。 私 は、 たたりをす る のでは
と心配 にたまらなくな った。午後 にな って、お庭 の芝生 の上を、蛇が ゆ っくり這 って いる。
お母さま は、卵 の母親だと、 かすれた声 でお っしゃ った。
夕 日 のが当た るお母さま の、幽 かに怒 りを帯びたような お顔 は、飛び つきた いほど に美
しか った。 あ の悲 し い蛇 にど こか似 て いら っしゃると思 った。
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西片 町 の家 は、和 田 の叔 父様 の勧 め で、 日本が無条件降 伏 した年 の十 二月 に売 って、伊


豆 の別荘 に引 っ越す こと にな った。お母さま は、「
西片 の家 で死んだ ほうが いいけれど、か
ず 子が いるから伊 豆に行 く のです よ」と お っしゃ った。 こんな弱 い態度 を みせた こと は こ
れま でな か った。 別荘 は、伊 豆長岡 で下車 して、 ゆるや かな坂 を登 って い ったと ころ にあ
った。お母さま は熱を出 してしまたが、翌 日それも下が った。坐 りながら、 「
以前 のことが
夢だ ったような気 がす る」と お っしゃる。 それから、 これま で四 ヶ月後 の今 日ま で、 山荘
生活 はまあどうや ら安穏 に続 いてきた。 お母さま は、弟 の直治 を思 い、 スウプ を 一さ じ吸
って 「
あ」とお叫 び にな る。 お母さま は、 日に日に衰え、私 の胸 には蝮が宿 り ・・・。
蛇 の卵を焼 いた ことがあ ってから 十 日ほど経 って、 私 はお風呂 のかまど の不始末 で、火
事 を起 こしかけた。 かまど の傍 の薪 の山がすご い勢 いで燃え て いた。 たち まち、村 の人が
飛び込ん で いら して、事なきを得 たが、寝巻 き のまま取 り乱 した自 分が恥ず かしく、 つく
づく落ちぶれたと思 った。
私 は、地下足袋を は いて、畑仕事 に精 を出す。す っかり体 は丈夫 にな ったが、お母さま

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は、 め っきり病 人くさくおな りにな った。
私が、 おナ スに水をや って いると、 お母さま は、 しず かに 「
実 はね、直治 は生き て いる
のです」とお っしゃ った。 かな り ひど い阿片中毒 にな って いるら し い。 「
また !」直治 は、
高校 の頃 に小説家 の真似事 を して、麻薬中毒 にかかり、莫大な借金を した ことがあ る のだ。
お母さま は、私 のことを、 「
今 のうち にお嫁 入り先を捜す か、宮様 のと ころにご奉 公に」
とお っしゃるが、私 は、 「
いやだわ !」と言 ってわ っと泣き出 した。預金が封鎖さ れ、もう
うち にはお金がな いそうだ。和 田 の叔 父様がそう い って いるそうだ。私 は、「
着物を売れば
いいじゃな いの。 お母さま は、直治が来 るま で私を利用 して いら っしゃ った のよ。 私 には
いくと ころがあ る の。 出 て行 きます」と泣きながら言 ったら、 お母さま は怒 りに震え る声
で、 「
馬鹿だねえ」と いい つつ、 「
着物を売 って思 い っき り贅 沢な暮ら しを しま し ょう。 あ
なたを畑仕事などさ せたくな い」
。初 め て和 田 の叔 父様 のお言 い つけ に背 かれた。 「
かず 子
のひめご とが、 よ い実をむす ん でくれたら いけれど」とお っしゃる。
そ の日あたりが、私たち の幸福 の最後 の残 り火が輝 いて いた頃 で、それから直治が南方
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から帰 って来 て、私たち の本当 の地獄が始 ま った。


直治 は、前触 れもな い、夏 の夕暮 れ に帰 ってきた。蒼 黒 い顔 で、裏 の木戸 から庭 に入 っ
てき て、「
わあ、ひでえ。趣味 の悪 い家だ」と言 った。お母さま の枕 元に坐 って、ただ いま、
とお辞儀を し、家 の中をあち こち 見 て回 った。 翌 日、 お母さま から 二千円もら い、東京 に
行 ったきり、 もう 十 日も戻 ってこな い。直治 の部屋 には、麻薬中毒 で苦 しん で いる頃 の手
記 のような ノートブ ックがあ った。 「
夕顔 日記」とあ る。 「
人から尊 敬さ れよう と思わぬ人
たちと遊 びた い。 けれども、 そんな いい人たち は、僕 と遊 ん でくれや しな い」
私 は、 そ の日記を閉 じ、 六年前 の頃を考え た。 そ の頃、直治 は麻薬中毒 で薬屋 に払う お
金をねだ った。 私 は嫁 いだば かり でお金 が自 由 にもならず、首飾 りや ド レ スを売 って、ば
あや に、直治が尊 敬 して いた小説家 の上原 二郎 に届けさ せた。直治 の中毒 はひどくな るば
かり。初冬 の日暮 れ、 私 は上原さ ん の京橋 のアパートを訪ねた。奥さまや お子さ んは外出
なさ って いるようだ った。
別 に上原さ んを好き でもな か った のに、そ の時 から 「
ひめご と」が出来 てしま った。上

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原さ んは、 私を東京劇場 の裏 手 のビ ルの地下 の店 に連 れ て行き、勧 められ るまま に コップ
二杯 お酒を飲 んだ。 こんなと ころ に来た のは初 め てだ ったが気分が よか った。 帰 りがけ、
暗 い階 段 のと ころ で素 早く私 にキ スをなさ った。 私 は不思議な透 明な気分 で、外 の川風が
頬 にと ても気持ち よか った。
あ る日、私 は夫 から お こご とを いただ いて淋 しくな って、 「
私 には、恋 人があ る の」とふ
っとそう い ったら、 「
知 って います。細 田でし ょう」
。 私 は娘 の頃、無 邪気 に 「
細 田様が好
き」と公言 して いた のだ。 私 は黙 って いたが、 お腹 の子ま で疑われ て離婚 した。赤ち ゃん
は死ん で生 まれた。麻薬中毒 の直治 は、責任を感 じ て泣 いた。 でも いず れそうな るよう に
決ま って いた のだ。・・・あれから六年。
私 は、迷 った末 に、上原さ んにお手紙を書 いた。お忘 れだ ったら思 い出 してほし いこと、
今 の生活がたまらな いこと、 私 はあ る方 に恋 して いて将来 そ の方 の愛 人と して暮らす つも
り であ る ことを母や弟 に宣 言 した いこと、など。
二度 目には、 「
私、あな た の赤ち ゃんが ほし いのです」
。 三度 目には、 「
私 は札付き の不
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良 にな りた いの。 こ の胸 の炎 は、あなたが点火 した のだ から、 あな たが消 してくださ い」



三通とも返事がな か った。 私 は上京 して上原さ んにお目にかかろうと決心 した。
密 かに心支度 を始 めたとたんに、 お母さ ま のご様 子が おかしくな った。東京 から 三宅様
の老先生がご診察 に見え た。結核だ った。 「
手が つけようがな い」とお っしゃ ってお帰 りに
な った。寝 たきり のお母さまだ ったが、 お顔 はち っとも病 人ら しくな か った。
夜 は嵐 にな った。直治 の部屋 から持 ってきた ローザ ・ルクセ ンブ ルグ の 「
経済学 入門」
を読 ん で いた。 ローザ は旧来思想 を破壊 して いき、 そ の本 には奇妙な興奮 を覚 え る。敗戦
後、私たち は世間 の大 人を信 用 しなくな った。 これま で大 人たち は、革命 と恋を意 地悪く
青 い葡萄だ と教え て いた に違 いな いと思う よう にな った。 私 は、 人間 は革命 と恋 のために
生まれ てきた のだ、と確信 した い。
十月 にな ったが、 秋晴 れ の空 にはならな い。 じめじめした蒸 し暑 い日が続 いた。食堂 に
行 ったら、直治が半熟卵を食 べて いた。 「
私、 もう 一度、 お母さまをな おした いの」と い
ったら、突然、直治が泣き出 した。 「
僕 たち にはな んにも いいことがな いじゃねえ か」
。私

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も、 お母さ ま の傍 に いな い時 は、朝 から晩ま で泣 いて いた。 お母さ ま に いわれ るまま に見
た庭 の蛇を見 て、あきら めが初 め て私 の心 の底 から湧 いて出た。
秋 の黄昏、 お母さ ま は、静 かに亡くな った。 お顔 の色 はち っとも変 わらず、呼吸だけが
絶え た。 日本 の最期 の貴婦 人だ った美 し いお母さま。
い つま でも、悲 しみに沈 ん でも いられな か った。 私 は、是非とも戦 いとらなければなら
な いも のがあ った。恋。 それ にすがらな く ては生き て いけな いのだ。 お母さま の葬式 が終
わ り、直治 が出版業 の資本金 と称 して、 お母さま の宝 石を全部持ち 出 した。 あ る日、若 い
ダ ンサ ア のような女性を連 れ て帰 ってきた ので、私 は留守 番を頼 ん で、東京 の荻窪 に向 か
った。 上原さ ん の家 を捜 し当 てた。奥さ まが駅前 のお でんや で行き先がわ かるとお っしゃ
る。 西荻窪 の小料 理屋 で見 つけた。夢 見 るような気持ち にな った。
六年たち、上原さ んはま る っきり違 った ひと にな って いた。ギ ロチ ン、ギ ロチ ン、 シ ュ
ルシ ュルシ ュルと いう乾杯 の歌が、絶え る ことな く続 いて いる。外 は深夜 の気配だ った。

僕 の赤ち ゃんが ほし いのか い」
。そ のひと の顔が近づき、遮 二無 二キ スさ れた。 「
しくじ
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った。惚 れち ゃ った」と上原さ んは笑 った。 「


行 くと ころま で行 く か」
。友 人 の画家 の家 の
二階 で、 い つの間 にか、上原さ んは私 の傍 に寝 て いら して ・・・。 私 は 一時間近く無 言 の
抵抗 を したが、ふと可哀 そにな って、放棄 した。「
ひが ん で いた のさ、僕 は百姓 の子だ から」

上原さ んは私を お抱 き にな って、 そう お っしゃ った。 もう こ の人から離 れま い。
直治 は、そ の朝 に、遺書を残 して自殺 して いた。 「
姉さ んだ めだ。先 に いくよ。僕 と いう
草 は、 こ の世 の空気 と陽 の中 に、生き にく いん です。高校 でもたくま し い草 の友 人 の勢 い
に押さ れ、負 けま いと して麻薬を用 い、 兵隊 でも生き る最後 の手段と して阿片 を用 いま し
た。僕 には生活能 力がな いん です。僕 はも っと早く死ぬ べきだ った。 しかし、 ママの愛情
を思うと、死ねな か った。人間 には生き る権利と同様 に、死ぬ権利もあ るとあ る筈だ。」「

さ ん、僕 には秘密 があ るん です。戦 地 に いても、ず っと そ の人 のことを思 い つめ て、 目が
覚 め て泣き べそを か いた ことも何度 あ ったかしれま せん。 もう、僕 には希望 の地盤がな い
ん です。姉さ んが ママのかた み の麻 の着物を縫 い直 して下さ った麻 の着物。あれを僕 の棺
に入れ てくださ い。さ ようなら、姉さ ん。僕 は貴族 です。」

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私 は、あ のひと に最後 の手紙を、水 のような気持ち で書 いた。 「
どうやら、あなたも私を
お捨 てにな ったよう でござ います。 けれども私 は幸福な ん です の。 私 の望 みど おりに、赤
ち ゃんが出来たよう でござ います の。 ふ る い道徳 は変わらな いけれど、恋 し い人 の子を生
み、育 てる事が、 私 の道徳革命 の完成な のでござ います。 私生児と そ の母。 けれども私た
ち は、ふ る い道徳 とど こま でも争 い、太陽 のよう に生き る つもり です」

私 は上原 に、 ひと つのことだ け要求 した。 それ は、生まれた子を、 た った いち ど上原 の
妻 に抱 かせ て欲 し いと いう ことだ った。私 は こう言 いた いのだ。 「
これ は、直治が、或 る女
のひと に内緒 に生ませた子 です の」と。
私 は、 手紙 の最後 に こう記 した。 「 M
・ C マイ、 コメデ ア ン。 昭和 二十 二年 二月七 日。」
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ヴ ィヨンの妻妻妻妻
● あらすじ
泥酔 の夫が深夜 に慌 しく帰 ってきた ので、眼をさ ま した。 すさまじく荒 い呼吸を しなが
ら、 い つになく優 しく、 四 つにな る坊や の熱 を気遣 う。 い つも はお金がな いのに、 医者 に
連 れ て行けば いいと いう のみな ので、 そ の夜 は、何だ かおそろ し い予感が した。
しばらく して、夫婦が訪ね てきた。鋭 い語調 で、どろぼ うを働 くな ん てどう いう こと か、

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と難詰 して いる。夫 は、帰れ !ゆす りだ !と居丈高 に いい、 羽織を引 っ掛 け でかけようと
す る。 引き止めようとす る男を、 ナイ フで脅 し、 飛び出 してしま った。
私 は、夫 の六畳間 に夫婦をあげ て事情 を聞 いた。夫婦 は中 野駅近く の小料 理屋 の経営 し
て いるが、 あ るとき夫が新宿 のバ ア の女給を して いた女 性 に連 れら れ て来 たと のこと。 そ
れ以来、店 は夫 に見込まれ てしま い、裏 口から 入 ってき て、 百円と いう大金を 旦那さ んに
握ら せ、飲 むよう にな った由。 しかし、後 にも先 にも代金をもら った のは こ の時 いち ど切
り。 それから の三年間 は、 一銭 も払わず に、店 の酒を飲 みほしてしま ったと いう。大 谷男
爵 の次男 で、有名な詩 人だと いう し、静 かに飲 み、時 々は 一緒 に来 る女性があ る程度 まと
め て支 払 いを してくれ る ので、仕方なく飲 ま せ ては いた。終戦 にな り、店 も のれんを新 し
く し、女 の子も雇 ったが、夫が今度 は、雑誌 記者らを連 れ てき て支 払わず に消え る ことも
あ ったと いう。や が て、酒量 も増え、 人相 も悪くな り、 記者 と つかみ合 いの喧 嘩を し、店
の女 の子をたら し込む に至 って、 もう拝 むから これ っき り来な いでくださ い、 と言 っても
また次 の晩 には平気な顔 で来 る。そして、遂 に大晦 日ま でもうすぐと いうとき に、夫が突
然、店 の奥 の六畳間 に つか つかと上が り こみ、戸棚 の引き出 しにあ った五千円 の札束をわ
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しづ かみにして出 て ってしま ったと いう。 それ で追 いかけ てきたそうだが、私 は、わけ の


わ からぬ可笑 しさが こみ上げ て、声をた てて笑 ってしま った。
そ の夜 はそ のまま引き取 って いただき、朝 にな ったが、と ても黙 って家 の中 におれな い
気持ち にな って、家 を出た。 それ から、 井 の頭 公園を歩 いた のち、中 野ま で行 き、夫婦 の
小料 理屋 にたどり ついた。
私 は、おも いがけなく、「
お金 は綺麗 にお返 しできそう です の」とすらすらと嘘 を言 った。
一日待 ってもらう ま で の間、 こ の店 で手伝 いをす ると言 った。店 では、客 の下卑 た洒落
にも応 じ、 く るく ると身軽 く立ち働 いた。 そ の日 の店 は異様 に活気 づ いた。 と、九時すぎ
くら いに、黒 の仮 面を つけた夫が、綺麗な女 性を連 れ てきた。 後 で聞けば 京橋 のバー の マ
ダ ムと のこと。事 の次第 を知 って、警察沙汰 にならな いよう にと、盗 んだ お金 を女性が返
しに来たと いう。
しかし、夫 の未払 いはまだ 二万円もあ る。 そ こで私 は翌 日から こ の店 で働き始 めた。 私
の生活 は、 いまま でとま る で違 って、浮 き浮きと楽 し いも のにな った。電髪 屋 にも行 き、
化粧品も取 り揃え、白 足袋 ももら って、重苦 し い思 いがきれ いに拭 い去られた感 じだ った。

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椿 屋 のさ っち ゃんと いう呼び名 で、眼が 回るくら いの大忙 しだ った。夫も 二日に 一度 くら
い立ち寄 り、 一緒 に帰 った こともあ る。
お正月 の末 に、 私 は店 のお客 にけがさ れた。初 め て の若 い工員 風 のお客 で、 雨 の中、近
くな ので送 って いくと いう。夫 の詩 のフ ァンだと いう。 い ったん玄関 で別れたが、深夜 に
彼が終電を逃 した ので、玄関 の式台 でも いいから泊 め てくれ、 と いう。す ぐ に高 い鼾 が し
たが、翌朝、あ っけなくそ の男 の手に いれられた。
そ の日も、や はり同 じ様 にお店 の勤 め に出 かけた。店 の土間 で、夫が酒を飲 みながら新
聞を読 ん で いた。昨夜 は ここに泊 ま ったと いう。新 聞 に、自分 のことが人非 人と書 かれ て
いるが、あ の夜、 五千 円盗 んだ のは、私も坊や に久 し振 りに いいお正月をさ せたか ったか
らだと いい、人非 人 ではな い、と いう。私 は格 別うれ しくもなく、 「
人非 人 で いいじゃな い
の。生き てさえすれば。」と言 った。
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おさ ん
●●●● あらすじ
夫 は、 たま し いの抜けた ひと のよう に、 足音 もな く玄関 から出 て行 く。 と ても こ の世 に
生き て いるも のではな いような、情無 い悲 し いう しろ姿 を見せ て歩 いて行 く。 七 つにな る
長女が、 お父様 は ?とたずね るが、 お寺 へお参 りに行 ったと出ま かせを言う。
私 の夫 は、神 田 の、 かな り有 名な或 る雑誌社 に十年ち かく勤 め て いた。 八年前 に私と、

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平凡な見合 い結 婚を して、中央線 の郊外 の小さ い貸家 に、大戦争 ま でず っと住 ん で いた。
夫 はからだが弱 いので、召集 からも徴用 からも のがれたが、空襲 が激 しくな り、 そ の家
も半壊 した。 一家 で住 めなくな り、私と 子供 は青森 の実家 に疎開 したが、夫 はそ こから通
勤 して いた。しかし、青森 も空襲 で全焼 し、知 り合 いの家 にや っか いにな って いるうち に、
無条件降 伏とな った。 私 は、夫 のいる東京が恋 しく て、 半壊 の家 を修 理 してもら って、 ま
た親 子水 入らず の生活 にもど った。 しかし、 そ の頃 から、夫 の身 の上が変わ ってきた。
雑誌社 は解散とな り、新 しく立ち上げ た出版社 も欠損 を抱え、 そ の穴埋めが できた頃 に
は、仕事 の気力が失くな ってしま ったようだ。何 か考え、縁側 に の っそり立 って、煙草を
吸 いながら、遠 い地平線 のほうを い つま でも見 て いら っしゃる。深 い溜息 を ついて吸 いか
け の煙草を庭 にぽ んと捨 て、机 の引出 しから財布を取 って懐 に いれ、足音 の無 い歩き方 で、
そ っと玄関 から出 て行 って、 そ の晩 はた いて いお帰 りにならな い。
夫 は優 しか った。 私 は八年間幸 せ者だ った。 あ る日、 配給 のビー ルを 一緒 に飲 んだ。夫
は酒 には強 くなく、体 は真 っ赤だ った。と、夫 の顎 の下にむらさき色 の蛾 の形 のあざ をち
らと見 て、は っと した。巴里祭だと いう ので、ラジ オから流 れ る フラ ンス国歌を聞 いて い
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るうち に、夫 は涙声 にな り、革命 の話を して、六畳間 に行 ってひ っそりとな ってしま った。
忍び泣 いて いるに違 いな い。
暑 い日が続き、暑さ と心配と で食 べ物が喉 を通らなくな った。夫 も食 も進 まな い様 子 で
目が落ち窪 ん で光 って いる。或 る夜、夫 の蚊帳 には い って倒 れ ると、夫 はかす れた声 で、
「エキ スキ ュウズ、ミイ。」と冗談 めかして言う。夫 は、私 に余計な心配す るから痩 せたん
じゃな いか、と言う。私 は、 「
な んとも思 って いな いから。 でも時 々はでえ じ (
大事)にし
てくんな」と祖 母 の口調 で笑 って言 った。夫 に甘え て、笑 い合う事が出来た のがうれ しく、
胸 のしこりも、少 し溶 けたような気持 にな った。
或 る朝、夫 は出 し抜け に、 温泉 に静養 に行 きた いと言 い出 した。 お昼 にはもう出発と い
さ るす べり
う こと にな った。玄関 の前 の百日紅 に ついて の会話が最後 の夫婦 の会話 にな った。
そ の三 日後、諏訪湖心中 の小さな記事が載 った。夫 の手紙も受け取 った。 「
自分 はジ ャー
ナリ ストと して の自 己嫌悪 に堪え かね て、 みず から、革命家 の十字架 に のぼ る決心を した
のであ る」 云 々と馬鹿げ た ことが書 いてあ る。相 手は、雑誌社 の記者 と のこと。
夫 はどう してそ の女 のひとを、も っと公然 とた のしく愛 して、妻 の私ま でた のしくな る

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よう に愛 してや る事が出来な か った のだ ろう。気 の持ち方 を、軽 くく るりと変え る のが真
の革命 で、 それさえ出来たら、何 のむず かし い問題もな い筈だ。夫 の死骸 を引取 りに行 く
汽車 の中 で、 呆れかえ った馬鹿 々々しさ に身 悶え した。
きりぎ りす
●●●● あらすじ
おわ かれ致 します。 あなた は、嘘ば かり ついて いま した。 私 は、 おわ かれ して、私 の正
し いと思う生き かた で、 しばらく生き て努 め てみた いと思 います。
あなた のと ころに、ほとんど身 一つで来 てから、もうすぐ五年 にな ります。今だ から申 し
ますが、こ の結 婚 には父母とも ひどく反対だ った のです。あ の頃、私 には縁談が他 に二 つ
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あ りま した。 ひと りは帝大 の法科 を出たば かり の外交官志望 の方。 もう 一人 の方 は父 の会


社 の技師 の方。 父も母も熱 心 に見合 いだ け でもと進 めま したが、私 はそんな お方 と結 婚す
る気 は、 ま る っき りな か った のです。 私 でな ければ お嫁 に行けな いような 人 のと ころ に行
きた いも のだ、とぼ んや り考え ておりま した。
たじま
ち ょうど そ の時 に、 父 の会社 に出入り して いる骨董 屋 の但馬さ んが、 あなた のことを、
いま にき っとも のにな るからと い って、話を申 し込ん できた のです。
父や 母 ははじめから 不機嫌 でした。 私 は、 そ の無鉄砲な話を聞 いて、あな た にお逢 いして
みたくな りま した。 そ っと、 父 の会社 にあな た の画を見 に行きま した。火 の気 のな い応接
間 にかか ったあな た の画を みながら、私 は立 って居られな いくら いに震え てきま した。 こ
の画 は、私 でなければ わ からな いのだと思 いま した。 どう してもあなた のと こ へ、 お嫁 に
行 かなければ、と思 いま した。
私 の家 では、あなた の評判 は日がた つに連 れ て悪 くな る 一方 でした。 但馬さ ん のと りな
しで、何と か見合 いま でこぎ つけま した。母はあなた の悪 口を い っそう強 く言 って いま し
た。

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ひと つき、すね て、 とうとう私が勝ち ま した。淀 橋 のアパート で暮ら した 二年間 ほど、
た いか
楽 し い月 日はあ りません でした。 あなた は、大家 にも てん で無 関心 で、勝 手な 画ば かりを
描 いて いま した。貧乏 になればな るほど、ぞくぞく して嬉 しく て、質屋や 古本屋 にも懐 か
しさを感 じま した。 お金がな くな ったときも、自分 の力をためす ことが でき てと ても張 り
合 いがあ りま した。
今 は、だ め。何 でも欲 し いも のを買え ると思うと、何 の空想 も湧きません。
こ の三鷹 の家 に住 むよう にな ってから は、楽 し いことが何 もなくな りま した。
あなた は、急 にな んだ か、 お偉 くな ってしま って。 私 は、恥ず かしく てたまりません。
個 展が開 かれ、 あな た の画 は新 聞 でひどく ほめら れ るし、出品 した画 は全部売 り切れ る
し、有 名な大家 からも手紙が来ます し、 あ んまりよすぎ て、私 は恐 ろ し い気が しま した。
それから、 あなた は毎夜、 ほうぼ う の大家 の家 に挨拶 に参 ります。 翌朝 お帰 り のこともあ
りま した。
三鷹 の大き い家 に引 っ越 して、あなた は知らぬ間 に、デ パート で立派な お道 具をたくさ
ん買 い込ん できま した。私 は胸 が つま って、悲 しくな りま した。こではそ こら の成金と少
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しも違 って いな いのですも の。女中を置 こうと言 い出 し、年賀状も三百枚 も刷ら せま した。


父母もと ても機嫌 が いいのです。
あな た は本当 におしゃ べりにな りま した。 以前 はあ んな に無 口だ った のに。何 も かもわ
か って いながら、何 でも つまらな いから黙 っておら れ ると思 い込ん で いま した。 そう でも
な いら し いのね。前 の日にお客様 から伺 った話を、 そ のままご自分 の意 見 のよう に述 べた
り、私 の小説 の感想を、 そ のまま お聞 かせして いるも のです から、 私 は恥ず かしく て立ち
すくん でしまう こともあ りま した。
あなた は人が変わ ったよう に、 お金 のことを いう よう にな りま した。 私 の財布 の中ま でみ
るよう にな りま した。 お客様 に先生と呼ば れ、誰 かれ の画を片 っ端 からや っつけます。 二
科 から脱退 して新 浪漫 派とや ら の団体 を作 るときだ って、どんな に私 は惨 めな思 いを した
事 でし ょう。陰 であ んな に馬鹿 にして いたお方達ば かり集 め て、あ の団体 を お作 りにな っ
た のでござ いますも の。 あなた のような生き方が正し いのでし ょう か。
あ の有名な岡井先生 のと ころに、私を連 れ てお年始 に行き、先生 の前 ではあ んな にぺ こ
ぺ こして いら した癖 に、そ の帰 り、先生 の陰 口をたたくな ん て、あなた は気違 いです。私

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は、 こ の時 から お別れ しよう と思 いま した。 あなた は早く躓 いたら いいのだ。 あ の夜、 早
かす
く休 みま した。 背筋 の真 下あたり でこおろぎ が懸命 に鳴 いて いま した。 こ の小さ い、幽 か
な声を 一生忘 れず に、背骨 にしま って生き て行 こうと思 いま した。
葉桜とととと魔笛
● あらすじ
これ は、 三十五年前、 父と 二十歳前 の私と妹 と三人 で島根県 のあ る城 下町 (
浜 田市) に
来 て二年 目 の春 に、妹 が腎臓結核 で亡くな った時 の話 であ る。 母は既 に他界 して いた。 父
は、中学校長と して赴任 してき て いて、 一家 は山 の近く のお寺 の離 れ座敷を拝借 して住 ん
で いた。妹 は、私 に似ず大変美 しく、髪 が長 い可愛 い子だ った。 あと 百 日 の命 と いわ れ、
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終 日寝 たきりだ ったが、陽気 に歌 ったり、私 に甘え たりした。


野も山も新 緑がまぶ しか ったが、 私 は身 悶え しながら 小道 を歩 いた。 と、 どど おん、ど
おんと地獄 の底 で太鼓 でも打ち鳴 ら して いるか のような、 おどろおどろ し い音 が絶え 間な
く響き、私 は恐 ろ しく て泣 いてしま った。 あと から聞くと、 それ は日本海海戦 の大砲 の音
だ った。
そ の日、衰え て いく妹 のもと に、 M ・Tと いう男性 から 手紙が届 いた。妹 は知らな い人
たんす
だと いうが、 そんな はず はな か った。実 はそれ は、妹 の箪笥を整 理 して いて見 つけた三十
通も の彼 から妹あ て の手紙を読 ん で不憫 に思 った私が書 いたも のだ った のだ。 文通 の内容
から、 二人 の恋愛 は心だけ のも のではな か った こと、彼 は発病 した妹 に別れを告げ た こと
が分 か った。 こ のまま死ん で いく のを気 の毒 に思 い、私 は、彼 に成 りすま して改 め て の求
愛 の手紙を書 いた のだ。毎 日六時 にな ったら窓 の外 から 口笛 で軍艦 マーチを吹 いてあげ る
とも書 いた。妹 は、私 に読 ん でみるよう に言われ当惑す るほど震え たが、何食 わぬ顔 で読
つぶや
んだ。読 み終わ ると、妹 は こう 呟 いた。 「
私、知 って いる のよ。」
真実 のと ころは、こ の文通自体 がす べて妹 の創作だ った のだ。そ のことを打ち明けられ

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て、私 は恥 じ入 った。 「
男 の方 とも っと大 胆 に遊 べば よか った。死ぬな ん て、私 の指が、髪
が可哀 そう。 死ぬな ん て、 いやだ。」
と、 そ こに低 く幽 かに軍艦 マーチ の口笛が聞 こえ てく る ではな いか ・・・。神 はあ る の
だ、と私 は信 じた。 が、年をと るに つれ て信仰 も薄 ら いだ今 とな って振 り返ると、あれ は
立ち聞き した 父 の 一世 一代 の狂言だ った のかも しれな い ・・・。
燈籠
● あらすじ
言えば 言う ほど、 人 は私を信 じ てくれな い。 みな私を警戒す る。 たまらな い思 いだ。 も
うど こにも いきたくな くな った。 誰 にも顔を みられたくな いのだ。 私 はまず し い下駄屋 の
一人娘。今年 二十四にな るが、父と母が 一緒 にな ったとき の複 雑な事情 があ り、父にも似
て いな いと いわれ、 一時 は 一家 は日蔭者扱 いを受けた。そんな こともあ り、それ に器量も
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よくな いので縁遠 い。でも、私 は父 の実 子を信 じ て いるし、父母も私を大事 にしてくれ る。


けれども、学生 の水 野さ んと知 り合 いにな ってから は、少 し親孝行を怠 ってしま った。
男狂 いが始 ま ったと噂 が立ち始 めた。水 野さ んは、 五 つ年 下 の商業学校 の生徒さ んだ。水
野さ んはみな し児 で、親身 にな ってくれ る人が いな い。 私と 一緒 に散歩す るときだけが楽
し いのだ、 と しみじみお っしゃる。今年 の夏、友達 と海 に泳ぎ に行 く約束 を したとお っし
ゃるも のの、ち っとも楽 しそう でな い。
そ の夜、 私 は盗 みを した。 町内 の大丸 で、女 の簡単 服をえら ん で いるふ りを して、男物
の海水着 を脇 の下 に抱え 込み、店 を出た。 二三軒歩 いて、後 ろ から、 も しも し、と声 を か
けられ、恐怖 にかられ て走 った。 どろぼ う !を喚 き声が聞 こえ て、振 り向 いたら頬 を殴ら
れた。 交番 に連 れ て行 かれた。 おまわ りさ んは、 二十七、 八 のいや ら し い人 で、 こんど で
何 回めだね ?と にや にや笑う。 私 はぞ っと寒気を覚 え、 必死に弁解 の言葉 を探 した。や っ
と言 い出 した言葉 はぶざ ま で唐突なも のだ った。狂 って いたよう にも思われ る。
― 私を牢 に いれ ては、 いけません。私 は悪くな いのです。私 は二十四年間、父母に大事
に大事 に仕え てきま した。…水 野さ んは立派な方 です。私 は水 野さ んに恥を かかせたくな

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か った のです。 私 は立 派 に水 野さ んを仕立 ててご覧 に いれます。 私を牢 に入れ ては いけま
せん。 二十 四年間、努 めに努 め て、 た った 一晩、ふ っと間違 って手を動 かした から って、
私 の 一生をめち ゃめち ゃにす る のは、 いけな いこと です。・・・・・
おまわ りさ んは、蒼 い顔を してじ っと私を み つめ て いた。 どうや ら精神病者扱 いをさ れ
たようだ。 一晩留置場 に入れられ、翌朝、 父が迎え に来 て、家 に帰 してもら った。
夕 刊 に は、 私 のことが で て いた。 万引 き にも 三分 の理、変 質 の左 翼 少女 滔 々と美 辞麗
句 ・・・。 近所 の人は家 のまわ りをう ろう ろと歩 いて覗き に来 る。や が て、水 野さ んから
も手紙が来た。
― 僕 は、さき子さ んを いちば ん信 じ て いる人間 であ ります。 ただ、さき 子さ んには教養
が足りな い。 …以後 は行 いを つつしみ、罪を償 って深く社会 に陳謝す るよう に。読後焼却
のこと。
私 は、水 野さ んがもともと お金持ち の育ちだ った ことを忘 れ て いた。針 の筵 の 一日 一日
が過ぎ て、涼 しくな った。父が六畳間 の電球を明 る い五十燭 のも のにとりかえ た。母は浮
き浮 き はしゃぎ、 私 は父にお酌を してあげ た。 覗くなら覗け。 私たち親 子は美 し いのだ。
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静 かな よろ こびが胸 に こみあげ た来た。


桜桃
● あらすじ
私 の家 庭 は夫婦と幼 い子供 三人。 私 は家 で い つも冗談を言 って いる。他 人と接す るとき
もそうだ。 それ は糞真 面目 で興覚 めな気 まず いこと に堪え 切れな いからだ。薄 氷を踏 む思
いで冗談を言う。夫婦間 の口争 いも した ことがなく、子供も 父 の私 に陽気 にな ついて いる。
しかし、それ は外見だけ。胸 の内 は夫婦 お互 い苦痛 を持 って いる ことを知 って いる。長

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男 は四歳 にもな る のに小さく、少 しも成長 せず 一語も発 しな い。白痴、啞 ・・・? それ
を肯定す る のが いや で、あえ て話 し合う こと はしな い。また妻 の妹 は病気が重態だ。私 は、
極端な 小心者 で、議論 にな っても勝 った試 しはなく、 たたけば ホ コリが いくら でも出 る。
それら の苦痛 にさわらな いよう努 め て冗談を言うが、 お互 い 一触即発 の危険 にお ののいて
いると ころがあ る。
あ る時、そんな冗談を いう私 に、赤 ん坊 に乳をや って いる妻 がふと、「
私 は こ の乳と乳 の
間 に ・・・涙 の谷 ・・・」と言 った のが導火線 とな り、気 まず い雰囲気 とな った。 私がま
じめな顔 で、 「
人を雇 いなさ い」と言 ったと ころから、や りとりが緊張を はら んだ。
私 は黙 し、堪え 切れず、仕事部屋 に行 くと称 して、 馴染 み の女 将 のいる飲 み屋 に出 かけ
た。「
飲 もう。今夜 は泊 るぜ。だ んぜ ん泊 ま る。」桜桃が出た。それを食 べながら種を吐き、
また食 べては吐き、心 の中 で虚勢 みた いに呟く言葉 は、 子供 よりも親 が大事。
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黄金風景
● あらすじ
昔、裕福な家 に生まれた 「
私」 は、家 の女中を いじめた。特 に のろくさ いお慶 を いじめ
た。癇癪を起 して頬 を蹴 ってしま い、「一生覚え ております」と恨 めし い目 で言われた こと
を覚え て いる。そ の後、私 は家 を追われ て零落 し、病気 も したが、何と か千葉 の船橋 に家
を借 り て落ち着 いた。

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そんなあ る日、警 官が戸籍調 べ のために訪ね てきた。彼 は 「
私」 のことを よく覚え て い
た。 二十年前 に 「
私」 の故郷 で馬車屋を して いたと いう。 そしてお慶 の長男が ここ の駅 に
勤 めるよう にな ったと いい、今度連 れ てき ても いいかと尋ねた。 私 は、 お慶 のことをすぐ
には思 い出 せな か ったが、や が て自分 の仕打ちととも に記憶が蘇 った。 言 い知 れぬ屈辱感
に襲 われた。
そ の三 日後、 お慶 が夫 と子供 三人連 れ で突然 訪ね てきた。 「
私」 は不意 のこと で思わず、
用事があ るからと い って、 一言も 口を聞 かず に家 を飛び出 した。 しばらく して家 にも戻り
かけたと ころ、海 浜 でお慶親 子三人が、談笑 して いる のが聞 こえ てきた。お慶 は、 「
私」 の
ことを誇ら しげ に、昔 からや さ し い人だ ったと振 り返 って いた。 「
私」 は泣 いた。負 けた。
が、希望が湧 いてきた のだ った。
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水仙
● あらすじ
十三か四 のとき に、「
忠直卿行状記」と いう 小説を読 んだ。筋書き は今 も忘 れず に記憶 し
て いる。剣術 の上 手な若 い殿様が、家来 たち はわざ と負 け て いる のではな いかと の疑念 に
とらわれ、次 々と真剣勝負 を挑 んだ。けれども家来たち は本気 で戦 ってくれず、あ っけな
く殿様が勝 った。殿様 は狂 いまわ り、 ついに家 も断絶 した。

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僕 は こ のご ろ、気味悪 い疑念が起 こり、夜 も眠ら れな いくら い不安 にな った。 こ の殿様
は、本当 は剣術 の巣晴 ら し い名 人だ った のではあ るま いか。古来、 天才 は自分 の真価 を知
る ことを甚だ疎 いも のだ。自分 の力が信 じられぬ。 そ こに天才 の煩悶と深 い祈 りがあ る。
僕 にと って の忠直卿 は、草 田惣 兵衛氏 の夫 人 の三十三歳 の静 子だ った。草 田 の家 を、僕
の生家 と は、先 々代あたりから親 しく交際 して いる。しかし、実 は身 分も財産も段違 いで、
交際を お願 いして いると いう のが実情だ。 まさ しく殿様 と家来だ。僕 は、 ひが み根性が身
に つき、草 田 の家 にはめ った に いかな か った。 と、 三年前 の正月、突然、招待 の手紙が来
た。夫婦とも、あなた の小説 の読者 です、と いう言葉 に浮 かれ て、 のこ のこ出 かけ て い っ
た。歓 待を受けたが、静 子夫 人は、酔 っ払 った僕 が注 いだ盃を冷 たく拒絶 し、 しじみ汁 の
貝を ほじく る僕 の様 子を みて本心 から驚 いて いる のには、 ま い った。 こんな恥辱を受 けた
こと はな か った。
昨年 の九月、草 田氏 の訪問を受 けた。静 子夫 人が大金 を持 って家 出を したと いう。 聞け
ば、夫 人 の実家 が破産 してひがむよう にな り、慰 める手段と して、洋画を習わ せたと いう。
中泉 画伯らと夫 人 の画を ほめちぎ った。結 果、夫 人は 「
あた しは天才だ」と い って家 出 し
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た のだ そうだ。 そ の三 日後、夫 人が僕 の家 を来訪 し、画を書 く仕事 場 のアパートを借 りた


いと いう。僕 は、冷 たくあ しら って返 した。 そ の後、赤坂 のアパート で研究生 たち のお世
辞 に酔 って、毎晩馬鹿 騒ぎ を して いると いう。
あ る日、夫 人から 手紙が来た。悪 い酒を飲 みすぎ て耳が聞 こえなくな ったとあ る。 半狂
乱 にな り、や が て研究生たち も寄 り付 かなくな り、さ び し い思 いを して いると いう。僕 に
面罵さ れた ことが こたえ たそうだ。
僕 は、 手紙 にあ るアパートを訪ねた。部屋 はひど か った。草 田家 に戻 る こと勧 めたがだ
めだ った。そ の後、僕 は、中泉 画伯 のアトリ エに、静 子夫 人 の絵 を見せ てもら いに行 った。
わず かに秘蔵さ れ て いた水仙 の絵 を手に取 ると、僕 はそれを引き裂 いた。「つまらな い絵 じ
ゃあ りませんか」と い ったが、断 じ て つまらな い絵 ではな か った。 な んだ か天才 の絵 のよ
うだ。静 子夫 人は、草 田氏 に引き取られた後、自殺 したそうだ。忠直卿 の物語が思 い出さ
れ、僕 の不安 は増大す る 一方だ。

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親友交歓
● あらすじ
昭和 二十 一年九月 はじめに、津軽 の生家 に避難 して いた私 は、或 る男 の訪問を受けた。
かす
野良着姿 の大きな親 父だ った。彼 は、 小学生時代 の同級生だ ったと いう。 幽 かに見覚えが
あき
あ った。 しかし、 こ の男 には呆れた。ずば抜けた無頼漢だ った。
し ょ っち ゅう喧 嘩 したと いい、 ひ っかかれた傷 だと い ってみせるが記憶 にな い。 「
酒を
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のませろ。 かか のお酌 で 一ぱ い飲 ませろ」と いう。奥 の書斎 に案内 し、ウ イ スキイを飲 み


始 めた。 ぐ いと飲 みほす ので、 またも 一本あけ る。 か つて の三流品と いえ ども、秘蔵 のも
のであ った。
酔う にしたが って、 「
俺 の東京時代 は」を連 発 せられ てきた。 「
お前 も東京 では女 でしく
じ ったが、俺だ ってあぶな いと ころま で い った ことがあ る。 あ の頃 は ・・・」と言うが、
ど の頃 かわ からな い。 私 の弱 み の如 く考え てそれ に付け 込むと いう気配が感ぜられ て、 そ
の心情 があさま しく思われた。しかし、そ の日 の私 は極 め て軽薄な社交家 であ った。彼 は、
水菓 子には眼もくれず、ウイ スキイ の茶呑茶碗 にだ け手を かけ る。 話題 は政治 に飛び、さ
ら に私 の兄 の選挙 の話、彼 の兄 の話 に飛ぶ。
や が て、「
かかを連 れ て来 い! かか の酌 で飲 ませろ !」 女房を連 れ てき て挨拶をさ せ
はな は
た。女房 の酌 でぐ いと飲 む。話 の中身 も 甚 だまず い事 にな ってきた。女房が宝物 のよう に
大事 にして いる毛布をくれと いう。膳を運ん できた家内 に、東京時代 の自慢を し、「
修治 も
俺 にかか ったら 一ひね り で、気取 る ことも できな い」と無遠慮な 口をきく。
韓信 の股くぐりなど の故事 を思 い出 した。卑怯だ って何だ ってかまわな い。無頼 の徒 か

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ら は のがれ去 るほかな い。彼を怒ら せ ては穏や かでな いこと にな る。 私が煩悶 して いるう
ち に、突然、彼 は 「
うわ ぁ!」と いうすさま じ い叫声を発 したが、 三十秒後 にはけろりと
な った。またまず い話が続く。女房 は子供が泣 いて いるからと逃げ てしま った。彼 は、 「

かん ! お前 のかかは、 いかん !」と怒鳴 って立ち上が り、 「
かか の部屋 はど こだ。寝室を
見せろ。」なだ め て座ら せたら、歌を唄うと いう のでほ っとと した。そろそろ 日が暮 れ るま
で の五、 六時間、 一瞬 たりとも こ の全 く付き合 いのな か った親友 を愛す べき奴だとも、偉
い奴だとも思う ことが できな か った。

さ、帰 るぞ」 私 は引きとめな か った。押 入れ のウ イ スキイをもら って いくと いう。
これ で、井伏さ んが来 ても共 に楽 しむ ことが できな くな った。 しかし、 まだ これ でお しま
いではな か った のであ る。玄関ま で送 って行 き、 いよ いよわ かれ ると いう時 に、耳 元 で激
ささや
しく、 こう 囁 いた。 「
威張 るな !」
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津軽
●●●● あらすじ
あ る年 (
注 :昭和十九年) の春、生 まれ故郷 の金 木 のあ る津軽半島 を 三週間 かけ て訪問
した。作業 服 にズ ック靴と いう洒落者 には似合わな い姿 で の訪問だ。上 野発 の夜行 列車 で
朝八時 に青森 に着 いた。 T君宅 で蟹 田行き のバ スの時間を待 った。東京 は食糧難だが、男
の意 地 で食 べ物、白米 の哀 訴嘆 願だけ はすま いと心 に決 め てきた。が、そんな用心 は無駄

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だ った。白米 はど こでも出な か った。
青森 から津軽半島東岸 を北上。 二時間 ほど で蟹 田に着 いた。 ここは蟹 の名産 地、中学時
代 の唯 一の友 人 N君宅 で歓待 を受 けた。事前 に 「
リ ンゴ酒と蟹だけ で、あと はくれぐれも
おかま いな く」と書 いたが、 N君 は、あ い つが ビー ルと酒が嫌 いにな るはず はな い、柄 に
もなく遠慮 して いる、 とす べてお見通 しだ。 N君と は 一緒 に登校 したり、 日曜 に近く の山
に遊 び に行 ったり した仲だ。 二人とも相前後 して上京 し、交遊 は続 いた。 彼 はな にせ鷹揚
な性質 で、 いくらだまさ れ ても いよ いよ のんき に明 るくな って いく不思議な男だ。実家 の
精米業 を継 ぐため帰郷 しても、 不思議な 人徳 で信頼さ れ て 今や 町会議員 もや り蟹 田にな
く てはなら ぬ存在 とな って いる。 そ のN君 の昔 から の親友 と いうだ け で皆、多 少 の親 しみ
を感 じ てくれ て、 盃 の献酬を して いる。 私 は東京 の言葉 は使わず、努 め て純粋 の津軽弁を
話 した。 こ の旅 は、都会 人と して の私 に不安 を感 じ て、津軽 人と して の私を つかむため で
あ る。
顔役が帰 ったあとも飲 み続けたが、鶏が鳴 いた ので引き揚げ た。
か ん ら んざ ん
翌 日、青森 のT君が来 てくれた。彼が連 れ てきた何 人かとも 一緒 に、観瀾山に登 った。
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高さ 百 メート ルの小山ながら、 見晴ら しは悪 くな か った。 はるか先 ま で遠 望 できた。桜 の


下 で、 N君 の奥さ んによる重箱 の料 理 でビー ルを飲 んだ。 が、 そ こで自戒 して いた にも か
かわらず、集 ま った皆が好きだと いう文壇 で畏敬さ れ る先輩作家 の悪 口をまく した ててし
ま った。
蟹 田分院 の事務 長 のSさ ん のと りな しで、蟹 田町 で 一番大き い旅館 にまた上等な酒を飲
んだ。 Sさ んは、 小説家 が大好き で、 子供を文男と名付 けたくら いであ る。や が て、自分
の家 に来 てくれと しき りに誘 い、 リ ンゴ酒 で誘惑す る。 私 は不安だ ったが、行 ったら そ の
とたん熱狂的な歓 待だ った。 酒だ料 理だ、音楽だ、 と矢 継ぎ 早 の指 示を飛ば し、疾 風怒濤
の如き接待だ った。 これが津軽 人 の愛情表現だ。 私も似 たと ころがあ る。
翌 日、 一仕事 のあと、津軽 の郷土 の悲惨な凶作 の歴史 の記録 を見 て、感慨 に耽 った。 そ
みんまや
の翌 日、 N君 の案内 で北上 し、義経伝説 で知られ る三厩 で 一泊 した。宿 で、途 中 で買 った
鯛をそ のまま の形 で塩焼き にす るよう頼 んだが、 五 つに切 って出 してきた無神経さ に、地
団駄踏 む思 いであ った。翌 日、竜 飛崎 に向 か ったが、近づく に つれ風景 は異様 にすご くな
ってきた。点景 人物 の存在 を許さな いただ岩 石と水ば かり の光景 はおそろ しく、言葉 もな

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い。竜 飛 の宿 では、 お婆さ んが配給 の酒を集 め てくれ て飲 んだが、 またたく間 になくな っ
た。 N君 の歌声 の蛮声 に驚 いたら し い婆さ んにさ っさと寝 かさ れ てしま った。
青森 に戻り、津軽平 野を北上 して、生家 のあ る金 木 に着 いた。 まず仏間 で拝 んだ のち、
嫂 に改 め て挨拶 した。 二階 で飲 ん で いる長 兄、次 兄、長 兄 の娘 のお婿さ んら のと ころ に上
が り、無沙汰を詫 びた。長 兄も次 兄も、 あ、 と言 ってち ょ っと首肯 いたき りだ った。 それ
がわが家 の流儀 であ り、津軽 の流儀だ。兄たち はお互 いに、さ、どうぞ、いえ いけません、
と譲 り合 って いる。 ま るで龍宮 か何 か の別天地 のよう で、荒 っぽ く飲 ん できた私 の生活 の
雰囲気 と の差異 には愕然 と した。 生家 では気疲 れす る。 私が後 でこう して書 く から いけな
いのだ。
翌 日、 姪とそ の婿さ んらと弁当を持 って小山に遊 び に行 った。津軽富士 の岩 木山が素晴
ら しく、眼前 に展開す る春 の津軽平 野 の風景 にはう っと りしてしま った。 生家 に三 日滞在
した のち、 父 の生 まれた木造 に向 か った。 父 の生家 の薬問屋 に思 い切 って入 ったら、 たち
まち床 の間 に座らさ れ、酒が でてき て歓待さ れた。金木 の家 を、生家 と同じ間取 りに改築
した養 子 の父 の 「
人間」 に触 れたような気が して、立ち寄 った甲斐があ ったと思 った。
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引き留 められ る のを何と か辞去 し、深浦 に向 か った。最後 の目的 地 は、 子守 と して三歳


から八歳 ま で育 ててくれた越 野たけ のいる小泊 であ る。 たけ は当時 十四歳だ った。 一日 一
本 のバ スで何と か着 いたも のの名前だけが頼 りだ。 たけ の家 はみ つか ったが、ガ ラ ス戸が
固く しま って いる。煙草屋 に聞 いたら、 たけ は娘 と運動会 に行 って いると いう。 運動会 に
行き、誰 かれ にたけ は いな いか聞 いたが、 み つからな い。 あきら め て、 一本 のみ の 一時半
のバ スで帰 ろうと決 めた。今 生 の別れ の つも り でたけ の家 の前 ま でまた来 たと ころ、 戸が
二三寸開 いて いる。 天 の助け !たけ の娘だ った。 そ の案内 で運動会 に行き、 ひと つの掛 小
屋 に来た。中 からたけが出 てきた。 「
あらあ」とそれだけ で笑 いも しな い。小屋 に招 じ入れ
られ、座ら せられたが、 たけ は何 も言わず に子供が走 る のを見 て いる。 私 は安 心 してしま
った。や が て、 たけ は、龍神様 の桜を見 に行 く か、 と誘 った。 砂山を登りき って、 八重桜
の小枝 を折 と って、花 をむ し って向き直 ると、 にわ かに能弁 にな った。矢 継ぎ 早に質問を
す る。たけ のそ のような無遠慮な愛情 のあらわ し方 を みて、私 はたけ に似 て いると思 った。
そして兄弟 の中 で 一人粗 野 でがら っぱちな私 の育ち の本質を は っきり知らさ れた。私 の忘
れ得 ぬ人は、青森 の 君 T であ り、五所川原 の中畑さ ん であ り、金木 のアヤであ り、そして

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小泊 のたけ であ る。 そ の昔、 一度 は私 の家 に いた ことがあ る人 で、 私 は これら の人と友 で
あ る。
富嶽 百景
● あらすじ
た いて いの絵 の富士 は、鋭角 であ る。細 く、高 く、華奢 であ る。 しかし実際 の富士 は鋭
角 も鋭角、決 して秀抜 のすら りと高 い山 ではな い。
十国峠 から見た富士だけ は、高 か った。あれ は、よか った。東京 の、アパート の窓 から
見 る富士 は、く るし い。酒をがぶがぶ飲 ん で便所 の金網窓 から見た、あ の富士を忘 れな い。
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窓 の金網撫 でながら、 じめじめ泣 いて、あ んな思 いは、 二度 と繰 り返 したくな い。


昭和十三年 の初 秋、思 いを新 た にす る覚悟 で、 かば ん ひと つで甲州 に旅 に出た。海 抜千
三百メート ルの三坂峠 の天下茶屋。 ここで井伏鱒 二氏が仕事 を しておられ る ので、 そ こに
落ち着 く こと にな った。 ここから 見 る富 士 はむかしから富士三景 のひと つと いわれ るが、
ま るで風呂屋 のペ ンキ画だ。 私 はあまり好 かな か った。
峠 を引きあげ る井伏氏を送 って甲府 ま でともを し、 そ こで見合 いを した。 き めた。 私 は
こ の娘さ んと結 婚 した いも のだと思 った。 三坂峠 に戻り、九月 から 十 一月ま で、仕事 を少
しず つすす め、 「
富士三景 の 一つ」と へたば るほど対談 した。
新 田と いう 温厚な青 年が訪ね てきた。 そ の後も いろ いろな青 年を連 れ てきた。 私 は仲良
くな って、 一度吉 田に連 れ て い ってもら い酒を飲 んだ。 そ の夜 の富 士がよか った。 月光を
受け て青 く透 きとおるよう で、燐が燃え て いるような感 じだ った。一泊 して帰 ってきたら、
十五 の娘さ んは、 つんと して いた。 不潔な ことを してきた のではな いと いう こと知ら せた
く、昨 日 一日 の行動を こま かに言 いた てた。機嫌 が直 った。
あ る朝、 「
お客さ ん !起 き て見よ !」と いう かん高 い声 で娘さ んが外 で絶叫 した。富 士

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に雪が降 った のだ。 山頂が、真白 に光 かがや いて いた。 私 は、 ど てら姿 で月見草 の種を い
っぱ いと って来 てま いた。 月見草 を選んだわけ は、 以前、河 口湖畔 の郵便 局から の帰 り の
バ スで、老婆 がふと指差 した路傍 の月見草が、富士 に立派 に対峙 して いる のを見たからだ。
けなげ にす っくと立 って いるあ の月見草 はよか った。富士 には月見草がよく にあう。
十月半ば を過ぎ ても、 私 の仕事 は遅遅と して進 まな い。 人が恋 し い。朝 に夕 べに富士を
見ながら、陰鬱な 日 々を送 って いた。結 婚 は、ふ るさと から助力が来な いことが は っきり
し、 一頓挫 の形 にな った。途方 に暮 れ、先方 を訪ね て事 の次第 を洗 いざ ら い打ち明けた。
母堂 は、「
あなたおひとり、愛情 と仕事 への熱意さえ お持ちなら、それ で私たち結構 でござ
いいます。」と品よく笑 いながら言 った。 私 は、 呆然 と し、眼 の熱 いのを意識 した。
十月末 にな ると、 山 の紅葉 も黒ず ん で、 あら しがあ って山はま っくろ い冬 木立 に化 して
しま った。 い つか堂 々の礼装 の花嫁姿 のお客が、茶店 で 一休 みした ことがあ る。黙 って花
嫁を み て いると、茶店 の外 にそ っと出 て、富 士 に向 か って大きなあくびを した。茶屋 の娘
さ んも み つけたら し い。 「
馴れ て いや が る。 あ い つはき っと 二度 目、 いや 三度 目くら いだ
よ。」娘さ んは、 「
お客さ ん、あ んな お嫁さ んもら っち ゃ、 いけな い。」
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私 の結 婚 の話 はだ んだ ん好転 し、先輩宅 で、 ほん の身内 の人に立ち会 ってもら って、式


を して いただけ る こと にな った。
十 一月 には いると、寒気堪え がたく、 山を下 る こと にした。 そ の前 日、若 い知的な娘さ ん
二人が、ト ンネ ルのほう から歩 いて来 て、に こに こ笑 いながら、 「
相す みません。 シャ ッタ
ー切 ってくださ いな。」と のこと。 へどもど しながら レンズを のぞくと、大きな富士とそ の
け し
下に小さ い罌粟 の花 ふた つ。 私 は、どうも狙 いが つけ にくく、 ただ富士山だけを、 レンズ
い っぱ いにキ ャ ッチ して、 パチリ。帰 って現像 してみて驚 くだ ろう。 そ の翌 日、 山を 下り
ほおずき
た。 甲府 の富士 は、 山 々の後 ろから 三分 の 一ほど顔を出 して いる。酸漿 に似 て いた。

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女生徒
●●●● あらすじ

私」 は、 十四歳 の女生徒。 お父さ んは亡くな り、 おかあさ んと 二人暮ら し。 おねえさ
んは、北海道 にお嫁 に い った。 あと犬 のジ ャピイとカ アが いる。
朝起 きたとき の灰色 の気持ち は いや にな る。 いろ いろ醜 い後悔ば かり。 眼鏡 は いやだ。
顔 から生まれ る いろ いろな情緒 をさえぎ ってしまう。私 ひまなもんだ から、生活 の苦労が
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な いも んだ から、毎 日、幾 百、幾千 の見たり聞 いたり の感受性 の処 理が できな くな ってし


まう。
出がけ に、門 の前 の草 む しり。 いじら し い草 と にく にく し い草 と、形 はと っとも変わら
な いのに、 どう してこう、わ かれ て いる のだ ろう。 理屈 はな いんだ。 駅近く、労働者 たち
は、 い つも の例 で いや な言葉 を私 に吐き かけ る。電車 に座 ろう と してお道 具を置 いたら、
眼鏡 の男 の人がそれをどけ て座 ってしま った。雑誌を繰 って いると、「
若 い女 の欠点」と い
う見出 しで、 いろんな 人が書 いてあ る。自分 のことを言われたような気が して恥ず かし い
気 にな る。
席 が空 いた ので素 早く割 り込む。 左隣 のおばさ んは、年寄 り のくせに厚化粧 して いる。
のど の所 に皺 が黒く寄 って いて、 あさま しくぶ ってや りた いほど いやだ った。 向 か い合 い
の席 にはサラリイ マンぼ んや りと、 目をド ロンと して座 って いる。覇気がな い。
御茶 ノ水 のプ ラ ット フォムに降 り立 ったら、な んだ かす べてけろりと して いた。 けさ の
小杉先生 はきれ い。こ の先生好きな のだけれど、ポ オズを つけすぎ て無 理があ る。ど こか
難解なと ころがあ る。お昼御飯 のとき は、お化け の話が出 る。午後 の図画 の時間 は、校庭

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で写生 のおけ いこ。伊藤先生 は、自分 の画 のモデ ルにな れと い って困ら せる。 話がねちね
ち して理屈が多 すぎ る。伊藤先生が馬鹿 に見え てしようがな い。先生 は、 私 の下着 に、ば
ししゅう
ら の花 の刺繍があ る ことさえ、知らな い。
放課後 は、 お寺 のキ ン子さ んと こ っそり ハリウ ッド に行 き、髪 をや ってもらう。 できあ
が りを見 てが っかりだ。ち っとも かわ いくな い。 こ っそり髪を つく ってもらうな ん て、す
ご くきたなら し い 一羽 の雌鳥 みた いな気さえ してく る。電車 で隣 り合わ せた厚化粧 のおば
さ んとち っとも かわらな い。 ああ、きたな い。
バ スから降 りると、少 しほ っと した。お家 に帰 る田舎道、気持ちを浮き浮きさ せ て歩 く。
でも、な んだ かたまらなくさ び しくな ってき て、道ば た の草原 にペタリとすわ ってしま っ
た。 こ の頃 の自分 はどう してこんな に不安な んだ ろう。青草原 に仰 向け に寝 ころが って、
夕焼け空 に、 お父さ んに話 しかけた。 「
みんなを愛 した い。」と涙が出そうなくら いに思 っ
た。
家 に帰 ってみると、お客様。れ いによ ってにぎや かな笑 い声。おかあさ んは、お客様と
話 して いるとき は、私と 二人きり の時 と は違 って、かん高 く笑 って いる。北海道 のおねえ
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さ ん のと ころに遊 び に行 ったとき ことを思 い出 しながら、ジ ャピイを呼ん で、可愛が った。


お部屋 に入 って和服 に着替え る。客間 のほう からど っと笑 い声。 む っとす る。 おかあさ ん
は、 お客が来たとき は、 へんに遠 くな りよそよそしくな る。 そんな時 には、 おとうさ んが
な つかしく悲 しくな る。 小金 井 の家 の頃がな つかし い。胸 が焼 け るほど恋 し い。 あ の頃 は
みんな いた。 私 はただ甘え ておれば よか った のだ。
いけな い、 お客様 に夕食 をさ し上げなければ。 ロココ風 の料 理を味 も て いさ いでば たば
たと出す。今 井 田さ んご夫婦。ご主 人はもう 四十近 いのに、好男 子みた いに色 が白く て、
いやら し い。奥さ ん のし つこ い無知な お世辞 には、さすが にむかむかす る。
今 井 田さ んが お帰 りにな るが、おかあさ んも用事があ ると かで連 れ て出 てしまう。私 は、
お風呂を沸 かして、窓 を い っぱ いあけ放 してから、 ひ っそりお風呂 に入る。自 分 のからだ
が、気持ち と関係なく ひとり でに成長 して行 く のが、 たまらな く、 困惑す る。 風呂 からあ
が って、庭 に出 てみる。星が降 るようだ。ああもう夏が近 い。おかあさ んが帰 ってら した。
ご きげ んがよ い。風呂 から出たおかあさ ん の肩をもん であげ る。世間 からば かにさ れま い
と努 め ておられ る のだ ろう。おかあさ ん のお疲 れが伝わ ってく る。だ いじにしようと思う。

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おかあさ んだ って、や っぱ り私と同じ弱 い女な のだ。 いろ いろな意味 のお礼もあ って、 ア
ン マがす んだら、クオ レを少 し読 ん であげ る。おかあさ んは、う つむ いて泣 いておられた。
先 におやす みにな ったあと、 私 はお洗濯。 お月様 にそ っと笑 いかけ てみる。 いま に大 人に
な ってしまえば、 私たち の苦 しさわび しさ は、 おかしな も のだ った、とな ん でもなく追憶
でき るよう にな るかも しれな いけれど、 そ の大 人にな りき るま で の、 こ の長 いいやな期間
をどう して暮ら して い ったら いいのだ ろう。
あすもまた、 同じ 日が来 る のだ ろう。幸福 は 一生 こな いのだ。 あす は来 ると思 って信 じ
て寝 る のが いいだ ろう。 おやす みなさ い、私 は王子さま のいな いシンデ レラ姫。
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饗応夫 人
●●●● あらすじ
奥様 のご主 人は、本郷 の大学 の先生を して いら して、生れた お家 もお金持ちな んだ そう
で、奥さま のお里も、福島県 の豪農 とや ら で、 お子さ ん の無 いせ いもあ るだ ろうが、ご夫
婦ともま るで子供 みた いな苦労知らず の、のんびりしたと ころがあ った。四年前 にご主 人
が召集さ れ、南 洋 の島 で消息 不明 にな った。

67
奥様 は、 もと から お客好きだが、錯 乱 したよう に接待 に狂奔す る。 あ る日、 マーケ ット
で、ご主 人 のお友達 の笹島先生 にお会 いして、ご案内 してら した のが運 の つきだ った。先
生 は、奥さ んな んか いいほうだ、 と いい、今度友 人を連 れ てく ると いう。 そ の三 日後、厚
かま しくも、本当 に三人連 れ てき て、忘 年会 の二次会だ と いう。 そう してただ もう おどお
ど して無 理 に笑 って いなさ る奥様 をま る で召使 いか何 か のよう に こき使う。 一緒 にお酒を
飲 まさ れ、雑魚寝 にも参加さ せられた。
私が諌 め ても、 「
私、 いや、 と言えな いの。」と、寝 不足 の疲 れ切 った真蒼 な お顔 で、眼
には涙さえ浮 べてそう お っしゃる のを聞 いては、私もそれ以上な んとも言えなくな った。
狼たち の来襲 が いよ いよ ひどくな るば かり で、 こ の家 が、笹島先生 の仲 間 の寮 みた いに
な ってしま った。 いくら言 っても、「
みんな 不仕合 せな お方ば かり で、私 の家 へ遊 び に来 る
のが、 た った 一つの楽 しみな のでし ょう」と言 って、接待をや めようと しな い。
あ るとき、今 井先生ら酔客 の来訪があ り、客間 でど っと笑 い声が した。 君とおばさ んが
あや し い、と言われた今 井先生が、

何を言 ってや が る。俺 は愛情 でここ へ遊 び に来 て いるんじゃな いよ。ここはね、単な る
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宿屋さ。」と言う のを聞 いて、さすが に奥様 も目に涙を浮 か べて いた。


や が て、奥様 の体 は弱り、 あ る朝、庭 で血 を吐 いた。 泣 いて接待 をや め るよう に いい、
療養 を勧 めた ので、実家 の福島 に 一度帰 る こと にな った。
お客が来な いうち にと せき立 て、出 かけようと したとき、南無 三宝 !
笹島先生が、白昼 から酔 っぱ ら って看護婦ら し い若 い女 を 二人 ひき連 れ てや ってきた。奥
様 は、 またも コマ鼠 の如 く接待 の狂奔が はじま った。財布代わ りに渡さ れた旅行 かば ん の
中を見たら、 列車 の切符が 二 つに引き裂 かれ て いた。奥様 の底知 れぬ優 しさ に呆然 と し、
私も切符を引き裂 いた。

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畜犬談
― 伊 馬鵜平君 に与え る―
● あらすじ
私 は、犬 に ついては、 必ず喰 い つかれ るだ ろうと いう自信 があ る。犬 は猛獣 であ る。 そ
の猛獣を放 し飼 いにして徘徊さ せ ておくと は、どんなも のであろう か。私 の友 人も遂 に被
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害 を受 けた。傍を通 ったら、 ワ ンと言 って右 の脚 に食 い ついたと いう。恐水病 の注射 を受


けながら の友 人 の憂慮、 不安 は いかば かりだ ったろう。 私だ ったら、 そ の犬、生 かしては
おかな いだ ろう。 私 は、 人 の三倍も四倍も復讐 心が強 い男な のであ る。友 人 の遭難を聞 い
ぞうお
て、私 の畜犬 に対す る日頃 の憎悪 は極点 に達 した。
今年 の正月、 甲府 の街 はず れ の草庵 に隠 れ住 むよう にな った。 が、 こ の甲府、ど こに い
っても犬が いる。 おびただ し いのだ。 私 は、実 に苦 心を した。 あわ れな窮余 の 一策 で、犬
に出逢 うと、満 面 に微笑を湛え て、 いささ かも害 心がな いことを示す こと にした。犬 の傍
むや みや たら
を通 る時 は、ど んな に恐 ろ しく ても、絶 対 に走 ってはならぬ。無闇矢鱈 とご機嫌 をと って
いるうち に、意外 の現象 が現れた。。犬 に好 かれ てしま った のであ る。尾を振 って、ぞろぞ
ろ ついて来 る。
早春 のこと。散歩 に出 ると 二、 三 の犬 が私 のあと に ついてく る。家 に帰 り着 くま でには
雲散霧 消す る のが常 であ ったが、 そ の日に限 って、執拗 で馴れ馴れ し いのが 一匹 いた。 子
犬 はとうとう私 の家 ま で ついて来た。私 の内 心畏怖 の情 を見抜き、家 に住 み込ん でしま っ
が ま
た。 こ のポ チ は、はじめ の頃 はまだ 子供 で、蝦蟇を恐れ て悲鳴 を挙げ たり、そ の様 には失

71
笑す る ことがあ った。 しかし、 そ のうち 猛獣 の本性を暴露 し、喧嘩格闘を好 むよう にな っ
た。行 き逢 う犬 にかた っぱ しから喧嘩 して通 る のであ る。 いち ど、 子牛 のような シ ェパー
ドに飛びかか って い ったが、 果た してひとたまりもな か った。犬 は いちど ひど い目に逢 う
と意気 地がなくな るも のら し い。ポ チ はそれ から は喧嘩 を避け るよう にな った。卑屈な ほ
ど柔弱な態度 をとりはじめた。
七月 には い って、 三鷹 の建築中 の小さな家 を見 つけ る ことが でき、完成次第貸 してもら
え る ことな った。ポ チ はもち ろん、捨 てて行 かれ る こと にな った。家内 は、 「
連 れ て行 った
って、 いいのに」と いうが、 私 は いま こそ絶 好 の機会だ と思 って いた。 と ころが、 ここで
異変 が起 こ った。ポ チが皮膚病 にやられち ゃ った。これが、また ひど いのであ る。家内 は、
ご 近所 に悪 いので殺 してくださ い、と いう。女 は こうな ると男 より冷酷 で、度胸 が いい。
引越 しま でもう少 し の我慢だ と言 ったが、或 る夜、 私 の寝巻 き に、犬 の蚤が伝播 して いる
こら
のを発見す るに及ん で、堪え て来た怒 りが爆発 し、 ひそかに重大な決 心を した。 殺 そうと
思 った のであ る。家内 に牛肉 の大片を買 いにやら せ、私 は、薬屋 で或 る種 の薬品を買 い求
め、用意が できた。
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翌朝、四時 に起きた。 「
ポ チ、来 い!」 尾を振 って縁 の下から出 てきた。私 は練 兵場 に
急 いだ。途 中大きな赤 毛 の犬 が猛烈 に吠え た て、ポ チ に襲 いかか った。ポ チ は、私 の顔を
チラ ッと みた。 「
や れ !思う存分や れ !」赤毛 はポ チ の倍 ほどあ る のに、悲鳴 をあげ て退散
した。
私 は歩き出 し、練 兵場 に着 いた。ぽ とりと牛肉 の大片を足もと に落と して、「
ポ チ、食え」

一分 のたたぬうち に死ぬ はずだ。
私 は のろ のろ帰途 に ついた。中学校前 ま で来 て振 り向くと、ポ チがち ゃんと いた。 私 は
事態 を察知 した。薬が効 かな か った のだ。白紙還 元であ る。家 に帰 って、 「
ゆるしてや ろう
よ」
。家内 は、浮 かぬ顔を して いた。

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トカト ント ン
● あらすじ
拝啓。 ひと つだ け教え て下さ い。 困 って いる のです。 私 は、 二十六歳 です。 軍隊 で四年
暮ら し、無条件降 伏と同時 に、生 れた青森 の寺 町に帰 ってきま した。横 浜 の軍需 工場 で事
務員を して いた時 に、あなた の作品を捜 して読 む癖が ついて、読 ん で いるうち にあなたが
中学校 の先輩 であ る ことを知 りま した。
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私 は兵隊 にな って、千葉県 の海岸 の防 備 にまわさ れま した。 昭和 二十年 八月十五日正午


の陛下 のポ ツダ ム宣 言受諾 のラジ オ放送後、若 い中 尉が突然壇上 に駆け上が り、徹底抗戦
を呼びかけま した。厳粛 と はあ のような感 じを言う のでし ょう か。 死 のうと思 いま した。
ああ、 そ の時 です。 背後 の兵舎 のほう から、誰や ら金槌を釘を打 つ音 が、幽 かに、 トカ
ト ント ンと聞 こえ ま した。 それを聞 いたとたんに、悲壮 も厳粛 も 一瞬 のうち に消え、な ん
とも白 々し い気持ち で、私 には如何な感慨も、何 一つもあ りま せん でした。 そ の小さな音
は、私 の脳髄 の金的 を射 貫 いてしま ったも のか、私 は実 に異様な、 いまわ し い癲癇持ち み
た いな男 にな りま した。
最初、私 は郵便 局 に来 て、 小説 を書 いてみ て いよ いよ完成 と いう とき に銭湯 に行き、 天
井 の裸電球 の光を見上げ た時、 トカト ント ンと遠 く から聞 こえ てき て、 ただ の 一個 の裸形
の男 に過ぎ なくな りま した。 郵便 局 で、 円貨 切り換 え の大騒ぎ が始 まり、 私 の働きぶ りも
異様な ハズ ミが ついて、獅 子奮 迅を続け、騒ぎ もき ょう でおしま いと いう 日にほ っと溜息
を ついた時、トカト ント ンの音 が幽 かに聞 こえ たような気が して、何 も かも 一瞬 で馬鹿ら
しくな り、自分 の部屋 で布団を かぶ って寝 てしま いま した。

75
そう してそれから、 い つと はな しに恋を はじめま した。郵便 局 に来 る女中さ んに片恋な
ん です。恋を はじめると、と ても音楽 が身 にしみて来ますね。 彼女、花 江さ んは、 一週間
に いち どくら いは 二百円か三百円 の新 円を貯金 しに来 て、総額がぐ んぐん殖え て いく ん で
す。な んだ か胸 がどきどき して顔があ から む のです。
思えば思われ ると いう事 は、や っぱ り有 るも のでし ょう か。五月半ば過ぎ に、「
五時 に橋
に いら して」と いわれま した。橋 のたもと で待 って いた花 江さ んは、 スカートが短すぎ る
よう に思わ れま した。海岸 の漁船 のあ いだ の砂地 に腰を 下ろ しま した。 そ して、 い つも多
額 の貯金をす る ことを、 へんに思 って いら っしゃるん でし ょう ?と いい、 そ のわけを話 し
ま した。花 江さ ん の目が涙 で光 りま した。 私 は花 江さ んにキ スしてや りたく仕様があ りま
せん でした。花 江さ んとなら、ど んな苦労も しても いいと思 いま した。 そ の時、近く の小
屋 から、 トカト ント ン、と釘打 つ音 が聞 こえ た のです。 私 は、身震 いして立ち上が りま し
た。空 々漠 々た るも のでした。貯金がどうだ って、俺 の知 った こと か。ば かば かし い。
もう こ の頃 では、あ のトカト ント ンが、 いよ いよ頻繁 に聞 こえ ます。もう気が狂 ってし
ま って いる のではな かろう かと思 って、自殺を考え ても、 トカト ント ン。教え て下さ い。
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こ の音 は、な ん でし ょう。
こ の奇異な る手紙を受け取 った某作家 は、無学無 思想 の男 であ ったが、次 の如き返答を
与え た。 「
拝復。気取 った苦悩 ですね。僕 は、あまり同情 して いな いん です よ。・・・云 々」
かもめ
鷗鷗鷗鷗
―― ひそひそ聞聞聞聞え る。。。。な んだ か聞聞聞聞え る。。。。
● あらすじ
私 は、ときどき自身 に、唖 の鷗を感 じる ことがあ る。 私 は醜態 の男 であ る。 な ん の指針
も持 って いな い様 子 であ る。波 の動くがまま に、右 に左 にゆら りと無 力 に漂う、あ の群集
の中 の 一人に過ぎな いのではな かろう か。そしてど こに行 く のかわ からな いおそろ し い速

77
度 の列車 に乗 せられ て いるようだ。
祖国を愛す る情熱、 を持 って いな い人があ ろう か。 しかしそれを おくめんもなく語 ると
わざ
いう業が私 にはできぬ のだ。 のどま で出 かか って いる愛 の宣 言が私 にも在 るようなきがす
る のであ るが、言えな い。 あ せると尚さら、 そ の言葉が、す るりす るりと逃げ 廻る。戦線
の兵隊さ んに慰問袋 に手紙を 入れ るが、自分 でも呆れ るような歯 の浮くお世辞などを書 く
のであ る。戦線 からも、 小説 の原稿が送 られ てく るが、 よくな いのであ る。 そ こに書 いて
あ る戦 地風景 は、 私が 陋屋 で空想す る風景を 一歩 も出 て いな い。新 し い感動 の発見が、ど
こにもな い。永遠 の戦慄 と感動。 それを知ら せ てもら いた いのだ。ご自分 の見た物を語ら
ず、ご自分 の嘗 て読 んだ悪文学 から教えられた言葉 でも って、戦争 を物語 って いる。戦争
を知ら ぬも のま で戦争 を語り、内 地 でば かな喝采を受け て いる ので、戦争 をち ゃんと知 っ
て いる兵隊さ んたちま で、 そ のスタイ ルを模倣 して いる。戦争 を知らぬ人 によ る いい気な
文学 が、無 垢 の兵隊さ んたち の、 「
も のを見 る眼」を破壊さ せた。
私 は、五年前 の半狂乱 の 一期間を持 った ことがあ る。病院を出たら、焼け野原 にひとち
ぽ つんと立 って いた。何 も無 いのだ。 人 の噂 に依 れば、私 は完全 に狂 人だ った のであ る。
78

じら い
しかも生まれたとき から の狂 人だ った のであ る。 それを知 って、私 は爾来、唖 にな った。
人に逢 いたくもな くな った。何 も言 いたくな くな った。 ただ に こに こ笑 って いる こと にし
た のであ る。 あれから 五年経 った。今 でも私 はな お半きちが いと思われ て いるようだ。
兵隊さ ん の原稿 の話 であ るが、 私 は、 てれくさ いのを堪え て、編集者 に掲載 を お願 いす
る。 ときたま、載 せ てもらう ことがあ る。 兵隊さ んから も無 邪気な、留守宅 の奥さ んから
もも った いな い手紙が来 る。 これ でも私 は、悪徳者 か。 しかし、考え てみると、 それ は婦
女 子 の為す べき奉 公 で、 別段誇 る べき ほど のこと でもな か った。 私 は小説 と いうも のを間
違 って考え て いる のであろう か。自分 に自信 を つけ る特筆大書 の想念が浮ば ぬ。
ろう おく
家 に帰 ると、雑誌者 の人が来 て待 って いた。最 近、雑誌社や新聞社 の人が、 私 の陋屋を
探 し回 って、様 子を見舞 いに来 る。 そ の都度大変恐縮す る。 いろ いろ応答す るが、敢然 た
る言葉 を持 っておらず、客も私 の煮え 切らなさ に腹が立 ってきた様 子 で語調を改 め、「
小説
を書 く に当た ってどんな信条 を持 って いる のです か。」と問う。 「
あ ります。 それ は悔恨 で
す。」 こんど は、打 てば響 く の快調を以 て、即座 に応答す る ことが できた。 が、 また つま
づ いてしま った。来客 は私 の思想 の歯 切れ の悪さ に失望 した様 子 で帰 って い った。

79
私 は妻 から財布 を受 け取 り、外 へ出 る。 もう暮 れ て いる。 三鷹 駅 の近く の、す し屋 には
い った。酒をくれ。 こ の言葉 を、 い った い何千 回繰 りかえ した こと であろう。 これま で、
何 万升 の酒を呑 んだ こと か。 いち どだ って、うま い、と思 って呑 んだ ことが無 い。 けれど
も、酒 は、私 の発狂を制止 してくれた。自殺を回避さ せ てくれた。 少 し酔 って来た。
す し屋 の女中さ んが、 もら ってくれ るような 人が いたら紹介 してくれ、 と言う。約束 は
できま せんよ、と言 って店を出た。家 に帰 ると、 もう酔 いがさ め て いる。 ふと んにどさ ん
と音 た てて寝 て、夕刊を読 み、眼 玉をぎ ゅ っとおさえ る。 「
待 つ」と いう言葉が、 いきな り
特筆大書 で、額 に光 った。 唖 の鷗 は、無 言 でさまよ い つづけ る。
80
日日日日 のののの出前
● あらすじ
昭和 のはじめ、鶴 見仙 之助と いう高名な洋 画家 は、 フラ ンスから帰朝 して、夫 人と の間
に 一男 一女 をもうけた。勝治 と節 子 であ る。
仙 之助 は上品 で寡黙な紳 士 で、世間 の尊 敬を集 め て いたが、勝治 と の衝突が、事件 の萌
芽だ った。勝治 は、からだも大きく、容貌 も鈍重な感 じ でや たらと怒 り っぽ い。仙 之助 は、

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勝治が中学 をや っと卒業 したとき、 医者 にな れと宣告 した。勝治 は、 チ ベ ット へ行きたが
った。仙 之助 の耳 に入 ったとき、薄笑 いして、静 かに、 「
低能だ。」と言 い渡 した。勝治 は
父に向 か って飛びかか った。 これが親 不孝 のはじめ。
チ ベ ット行 の話 はうや むや にな ったが、 以来、勝治 は家庭破 壊者 と して凶悪な風格 を表
しはじめた。節 子 の小使銭 も巻 上げ る、大事な訪問着 も質 入す る。遂 に、 アトリ エの壁 に
架 け てあ る父 の気 に入り の画を盗 ん で売 った。 父は、勝治を問 いただすが、勝治 はしらを
切り、節 子は自分が病気 のお友達 にあげ たと言 い繕 った。
勝治 には、悪 い仲 間が三人 いた。 T大学 の予科 の主 で三十 に近 い風間 は、節 子が 目当 て
で家 に乗 り込ん で来 る。す こぶ る礼儀 正 し い。勝治 は、節 子を み つぎ も のと して差 し上げ
ようと いう考えら し い。 もう ひと り の杉浦 は マルキ スト の苦学 生 で、勝治 も最 も苦 手な友
人ら し いが、ストイ ックな彼を拒 否す る ことが できな か った。党 の費用だと い って、十円、
二十円を請求 して帰 って行 く。
さら に 一人。実 に奇妙な有 原と いう友 人。 三十歳 を少 し越え て いた。新進作家 ら しく、
皆、先生と呼ん で いた。勝治 に圧倒的な命令 を下 して、仙 之助氏 の画を盗 み出さ せた のも、
82

こ い つだ。 た いて い、電話 で勝治を呼び出す。


勝治 の出費 は、 かさ むば かり であ る。 ついに女中 の松や の貯金 ま で強奪 す るよう にな っ
た。強奪 した のは金だけ でな か った。
或 る日、勝治 は父に呼ば れた。 「
頼 む ! 画を持ち出さな いでくれ !」仙 之助氏 の顔 は、
冷 い青 い鬼 のよう に見え た。さすが の勝治 も からだが竦 み、「
もう致 しません」と涙を落と
や にわ
した。しかし、松や のことを問われ、矢庭 に、「
ちく し ょう !」と大声を発 し、怒 り狂 った。
節 子が告げ 口を したと思 い、引きず り廻して蹴たおした。
勝治 はほとんど家 に い つかなくな り、麻雀賭博、喧嘩、質 入れ、借金、 めぼ し いも のの
売 り払 いな ど で、 一家 の空気 は険悪 にな るば かり であ った。何 か事件が、起 こらざ るを得
なくな って いた。
真夏 の井 の頭 公園 で、 それが起 こ った。朝 早く、節 子が勝治 に呼び出さ れた。改心す る
から、 二百円、 いや 百円、 七十円 でも いいから持 って来 てくれ、さ もな いと懲 役 五年 で牢
に入 る こと にな る、と切 々た る語調 で電話 で言 ってきた のだ。相談 した 父は無視 したが、
母は行 ってくれと言 い、 百円を持 って井 の頭 の旅館 に行 った。

83
部屋 には有 原と いて、勝治 はひどく酔 って いるら しか った。 また兄にだまさ れたような
気が した。 月夜 を 三人 で散歩 して いると、 父 の仙 之助が ひょいと現れた。勝治 がボ ートに
乗 ると いう ので、仙 之助が ひら りと飛び乗 った。ボ ートは小島 の陰 の暗闇 に吸 い込まれた。
や が て、舟 は小島 の陰 からあらわ れた。 父が ひとりだけ で、 兄は橋 のと ころ で上陸 してし
ま ったと言う。
翌朝、勝治 の死体 が、発見せられた。みんな取 り調 べを受けたが、泥酔 の果 て の墜落 か、
自殺 か で、事件 は簡単 に片づくよう にみえ た。決着 の土壇場 で、保険会社 から、 二万円 の
保険 が かけられ て いたと いう ので、横槍 が出た。 再び調査が開始 せられ、仙 之助 の供述 も
乱れ はじめた。事件 は、意外 にも複 雑 でおそろ しくな って来た のであ る。
節 子は、 まず先 に釈放 せられた。検事 は、 しんみりと 「
悪 い兄さ ん でも、 あ んな 死に方
をす ると、や っぱ り肉親 の情 で、君も悲 し いだ ろうが、 元気を出 して。」
少女 は、眼を挙げ て答え た。「
いいえ。兄さ んが死んだ ので、私たち は幸福 にな りま した」
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満願
● あらすじ
私 は、 四年前 に伊 豆 の三島 の知 り合 いの家 で 一夏 を過ご した。或 る夜、酔 って自転車 で
怪我を し、 出血が大変 だ った ので、 医者 に駈け つけた。 医者 は西郷隆盛似 で、や はり酔 っ
て いた。 二人はだ んだ ん可笑 しくな って、最後 は大笑 いした。それから仲良 くな った。医

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者 の家 でビー ルを飲 んだ り哲学 を語 ったり、ブ リ ッジを したり した。新聞を 五種類と って
いた ので、毎朝散歩 の途中、立ち寄 って読 ませ てもらう のが 日課 にな った。
朝決 ま った時刻 に、薬をと りに来 る若 い清潔な感 じ のす る女 のひとがあ った。 よく お医
者 と診察室 で笑 い合 って いて、ときたま 「
奥さま、もうす こし のご辛棒 です よ。」と大声 で
叱咤さ れ て いる。
聞けば、夫が三年前 から肺 を悪 く して養生中だが、 こ のご ろず んず んよくな って いると
いう。 しかし、今 がだ いじな と ころ で、 お医者 は心を鬼 にして、言外 に意味 をふくめ て叱
咤す る のだ そうだ。
八月 のおわ り、 医者 の家 のすぐ眼 のまえ の小道 を、 そ の女性がさ っさ っと飛ぶ よう にし
て歩 いて い った。白 いパラ ソ ルをく るく る っとまわ した。 けさ、 おゆるしが出た のだ そう
だ。
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