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【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 「われらの」憲法ではないのだ - MSN産経ニュース 10-05-02 8:11 PM

【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 
「われらの」憲法ではないのだ
2010.5.3 03:06

 「海ゆかば」の作曲家、信時潔が作曲した「われらの日本」という国民歌がある。

 昭和22年5月3日、現行憲法が施行されたが、その際「新憲法施行記念国民歌」とし
て作られたものである。作詞は、土岐善麿。

 この曲は、以前この正論欄で紹介した「SP音源復刻盤 信時潔作品集成」(CD6枚
組)の中に収められていて、今日聴くことができる。2分半ほどの曲である。

 ≪凡作に終わった「国民歌」≫

 この作品集成に付せられた解説書によれば、憲法普及会は、東京音楽学校(現東京芸
術大学音楽学部)校長、小宮豊隆、作曲家、信時潔、橋本國彦、長谷川良夫等と協議
し、橋本に交響曲、長谷川に交声曲(カンタータ)、信時に国民歌をそれぞれ委嘱し
た。

 橋本や長谷川の曲は聴いたこともないが、そもそもこんな曲があったことも今日、忘
れ去られている。信時の曲は、施行の日の皇居前広場における式典で、350名におよぶ
大合唱で歌われたが、CDではテノールの独唱である。

 「われらの日本」は、残念ながら信時にしては、珍しく凡作である。「海ゆかば」や
「海道東征」とは全く比較にならない。信時は、「占領下」の憲法を記念する曲を作る
のに気乗りしなかったのに違いない。

 河上徹太郎が、「配給された『自由』」という有名な言葉を書いたのは、昭和20年の
10月のことであったが、GHQ(連合国軍総司令部)により「配給された」憲法に対し
て、信時の音楽的天才が燃え上がらなかったのも当然であろう。

 詞も「平和のひかり 天に満ち」に始まる、つまらないものである。「海ゆかば」が
『万葉集』の大伴家持であり、「海道東征」が北原白秋であることと比べて、土岐善麿
では仕方があるまい。

 土岐は、若山牧水や石川啄木と同世代の歌人というよりも、私は「ローマ字論者」と
して記憶している。福田恆存が名著『私の国語教室』の追記で土岐を国語審議会の中の
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して記憶している。福田恆存が名著『私の国語教室』の追記で土岐を国語審議会の中の
「無智なローマ字論者」と呼んでいたのを思い出す。戦後の風潮に乗って「現代かなづ
かい」を推進した土岐がつまらない歌詞しか作れなかったのもまた、当然であろう。

 ≪その日の「能面のような」光景≫

 解説書によれば、翌日の4日の朝日新聞が「吉田首相のたんたんたる祝辞がその能面
のような顔からマイクに吸いこまれ、さらに都民を代表した安井新知事の式辞が終る
と、新憲法施行記念国民歌『われらの日本』の合唱が、東京音楽学校生徒の席から起っ
た、それは雨に冷く打たれて静まりかえっていた民衆の心に華やいだ気持をよみがえら
せ、歌声は一節ごとに高くなり、熱を加えていった」と報じている。

 国民歌が始まってから、盛り上がってきたのは、大合唱だったからであろう。CDで独
唱で聴くと、少しも「華やいだ気持」にならない。当日の実情は、「たんたんたる祝
辞」と「雨に冷く打たれて静まりかえっていた民衆の心」にふさわしいものであった。

 これは施行の日の「能面のような」光景であるが、前年、昭和21年11月3日の発布
の日はどうであったか。中野重治の「五勺の酒」は、昭和22年の1月に発表された小説
だが、敗戦後の日本を考えるときに、よく問題にされる作品である。地方の旧制中学の
校長である主人公が、発布の式典に出かける。

 「天皇が来て、帽子を取らぬものもいたが、僕は取った。天皇が台へのぼって帽を
取った。万歳がおこった。仕掛け鳩が飛んだ。天皇はかえって行った。僕の時計で出て
きたのが三時三十五分、おかえりになったのが三十六分、正味一分で、すべてが終っ
た」。そして、「散って行く十万人、その姿、足並み、連れとする会話、僕の耳のかぎ
り誰ひとり憲法のケンの字も口にしていなかった」とつづく。

 ≪「当用憲法」絶対視する悲喜劇≫

 現行憲法の発布も、施行も上述のような光景の中で受けとめられたにすぎなかった。
こんな、福田恆存のいわゆる「当用憲法」が、60年くらい経(た)つと、「絶対」を信
じることもない日本人によって、絶対視されるというのは、日本の悲喜劇以外の何もの
でもないであろう。

 中野のこの小説では、「あれが議会に出た朝、それとも前の日だったか、あの下書き
は日本人が書いたものだと連合国軍総司令部が発表して新聞に出た。日本の憲法を日本
人がつくるのにその下書きは日本人が書いたのだと外国人からわざわざことわって発表
してもらわねばならぬほどなんと恥さらしの自国政府を日本国民が黙認してることだろ
う」という現行憲法の「恥さらしの」出自に関(かか)わる文章が、GHQの検閲によっ
て削除された。

 国民歌「われらの日本」が凡作だった如(ごと)く、現行憲法は「占領下」という特
殊な状況での「当用憲法」にすぎない。「われらの」憲法ではないことを、日本国民は
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殊な状況での「当用憲法」にすぎない。「われらの」憲法ではないことを、日本国民は
いつまで「黙認」するのであろうか。(しんぽ ゆうじ)

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