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日衛誌 (Jpn. J. Hyg.

),64,824-825(2009)
論  壇

安全基準に関連する動物実験のジレンマ

村田 勝敬 *1,佐藤  洋 *2
*1 秋田大学大学院医学系研究科環境保健学講座
*2 東北大学大学院医学系研究科環境保健医学

Dilemma of Animal Experiments in Relation to Safety Standards

Katsuyuki MURATA*1 and Hiroshi SATOH*2


*1 Department of Environmental Health Sciences, Akita University Graduate School of Medicine
*2Environmental Health Sciences, Tohoku University Graduate School of Medicine

環境中の安全基準は時の流れの中で変化する。その変 血管系死亡リスクは 1.55 倍(同,1.08 ~ 2.24)であっ


遷の主要因の 1 つは測定機器の技術革新に負っているよ た。一方鉛と無関係の論文の中で,睡眠が 5 時間以下の
うに思われる。例えば,水銀分析法は以前用いられてい 成人群の冠動脈性心疾患死亡リスクは,対照群(7 時間
たジチゾン抽出比色法から原子吸光法やさらに原子蛍光 睡眠群)と比べ,1.57 倍(同,1.32 ~ 1.88)高くなり,
法などに変わり,また筋電計の信号対雑音比の向上やコ また 9 時間以上の睡眠群で 1.79 倍(同,1.48 ~ 2.17)と
ンピュータ技術を駆使した加算平均法の導入に伴い,曝 記されている (5)。同様に,閉経後の米国女性を対象と
露指標だけでなく影響指標データの信頼性や妥当性が格 した睡眠研究でも似通った数値が報告されている (6)。
段に良くなっている (1,2)。もっとも,機器や測定法が 上の鉛論文では,平均年齢が 14 歳も違う集団の睡眠時間
どんなに進歩を遂げても,それらを実施・管理する検査 が交絡因子として調整されておらず,鉛と睡眠時間のい
者(研究者)が測定技術(要所要所のコツ)を磨かねば ずれが死亡リスクに影響したのか,また血中鉛 10 ~
大いなる測定誤差は生じうる。 40 μg/dl で死亡リスクが曝露量に依存してさらに高くな
環境中有害物質のヒトに対する安全基準値を作成しよ るのか不明のままである。
うとするとき,当該物質の広い曝露レンジを持つヒト集 安全基準値の作成に当たって,当初より毒性が疑われ
団が存在すれば,量 - 反応関係から NOAEL(no-observed- ている農薬などのリスク評価はヒトを用いて実証するこ
adverse-effect level,無毒性量)を比較的容易に算出する とができず,動物実験に頼らざるを得ない。生物統計に
ことができる。この場合,既知の基準値を超える広範な おいては標本が大きいほど検出力は高くなるが,動物実
曝露を有する人々は発展途上国に多数いる可能性が高い 験を行うに際しては「動物の愛護及び管理に関する法律」
が,そのような人々を研究対象とすると社会経済的要因 (2006 年 6 月 1 日改正施行)を遵守しなければならない。
が著しく異なるため,得られた結果を先進諸国の人々に すなわち,動物を科学上の利用に供する場合,科学上の
当て嵌めることが可能かどうか再検討しなければならな 利用の目的を達することができる範囲において「できる
いだろう。一方,先進諸国においては近年曝露レベルが 限り動物を供する方法に代わり得るものを利用するこ
低濃度域に限局しており,広い曝露レンジを持つ集団を と」 (replacement),
「できる限りその利用に供される動物
集めることは難しいかもしれない。それにもかかわらず の数を少なくすること」 (reduction),
「できる限り動物に
標本の大きさ(sample size)を大きくすれば,既知の基 苦痛を与えないこと」(refinement)が盛り込まれている
準値を含まない狭い曝露レンジを持つ集団でも統計的に (7)。このためか,医科学で求める究極目標に到達してい
有意な結果は得られようが,それが本質的結論に直結す ない動物実験結果に遭遇することもある。
るかどうかは疑わしい。 表は,人工受精した雌ウサギにテフリルトリオン(除
例えば,鉛の臨界濃度は成人の血中鉛で 30 ~ 40 μg/dl 草剤)を 0,0.1,10,1,000 mg/kg/ 日の用量で妊娠 6 日
と考えられてきたが(3),米国の一般成人 13,946 人の血 から 27 日まで毎日 1 回強制経口投与し,生存胎児を安楽
中鉛濃度は 0.05 ~ 10 μg/dl(幾何平均値,2.58 μg/dl)で 死させた後に Stuckhardt と Poppe の未固定内臓検査法に
あった (4)。この集団を 12 年間追跡した研究によると, より胸部と腹部の軟組織を調べた結果である (8)。2×4
血中鉛濃度 1.94 μg/dl 未満群(平均年齢 36.7 歳)に比べ, の χ2 検定を行うと P=0.017 であり,曝露に伴う出現率
3.62 μg/dl 以上群(平均年齢 50.7 歳)の全死因死亡リス は高くなる傾向がある。個々の群間の出現率を χ2 検定
クは 1.25 倍(95%信頼区間,1.04 ~ 1.51)であり,心 (Yates 修正)で比較すると,対照(非投与)群と 0.1 mg/

〔824〕
日衛誌 (Jpn. J. Hyg.) 第 64 巻 第 4 号 2009 年 9 月

表 曝露された雌ウサギから生まれた胎児の内臓検査の変異に 文   献
関するまとめ

投与量,mg/kg/ 日 対照(0) 0.1 10 1,000 ( 1 ) Murata K, Dakeishi M, Shimada M, Satoh H. Assessment


of intrauterine methylmercury exposure affecting child
変異のある胎児数 15 37 29 30
development: messages from the newborn. Tohoku J Exp
変異のなかった胎児数 137 156 140 95
Med. 2007;213:187-202.
変異の出現率(%) 9.93 19.2 17.2 24.0 ( 2 ) Araki S, Murata K, Yokoyama K. Application of neuro-
physiological methods in occupational medicine in relation
to psychological performance. Ann Acad Med Singapore.
kg/ 日投与群の間では P=0.025,対照群と 10 mg/kg/ 日投 1994;23:710-718.
与群の間では P=0.083,対照群と 1,000 mg/kg/ 日投与 ( 3 ) International Programme on Chemical Safety. Environmen-
tal health criteria 165: inorganic lead. Geneva (Switzer-
群では P=0.003 である。農薬のリスク評価では,対照群
land): WHO, 1995.
と 0.1 mg/kg/ 日投与群の間で有意差が認められても,
( 4 ) Menke A, Muntner P, Batuman V, Silbergeld EK, Guallar
NOAEL は 10 mg/kg/ 日,LOAEL(lowest-observed-adverse- E. Blood lead below 0.48 µmol/L (10 µg/dL) and mortality
effect level,最小毒性量)は 1,000 mg/kg/ 日と判断される among US adults. Circulation. 2006;114:1388-1394.
らしい。しかしながら,0.1 mg/kg/ 日と 10 mg/kg/ 日の ( 5 ) Shankar A, Koh WP, Yuan JM, Lee HP, Yu MC. Sleep du-
間で確定的でないと察すれば,動物実験であることを鑑 ration and coronary heart disease mortality among Chinese
み標本をある程度大きくして確認することもできる筈で adults in Singapore: a population-based cohort study. Am J
ある。また表の結果を考えると,投与量も 0.01 mg/kg/日 Epidemiol. 2008;168:1367-1373.
( 6 ) Chen JC, Brunner RL, Ren H, Wassertheil-Smoller S,
と 1 mg/kg/ 日を加えるべきであった。 それを行わないで,
Larson JC, Levine DW, Allison M, Naughton MJ,
未解決のまま結論を出している報告書を見ると,毒性科
Stefanick ML. Sleep duration and risk of ischemic stroke in
学を何と心得るのかと問い正したくなる。ヒトへの安全 postmenopausal women. Stroke. 2008;39:3185-3192.
性を検討するために行われる実験が,恰も農薬の安全性 ( 7 ) 国立大学法人動物実験施設協議会.動物の愛護及び管
を立証することに利用されているかの如き印象をもつ。 理に関する法律の改正.2009. Available on http://www.
動物実験は,動物固有の病態生理解明のために行われ kokudoukyou.org/kisoku/index.html
ることもあるが,ヒトの病態を念頭に置きつつも倫理的 ( 8 ) ウサギにおける催奇形性試験(GLP 対応) .財団法人残
に実施できない状況下で行なわれる。この場合,一定レ 留農薬研究所,2006.
ベルの明確な結論を引き出すことが常に要求され,半端
な結論は弊害をもたらす畏れすらある。何故なら,物言
わぬ動物で変異が現れる以前にヒトが自覚症状を発する
かもしれないからである。ヒト健康事象を標榜する医科
学の中で動物実験が行われるのであれば,たとえ毎日動
物の顔を眺めながら実験していようとも,その初心を忘
れるべきでない。

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