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1954 年ベトナムが北緯 17 度より北ベトナムと南ベトナムの二つに分断され、共産主義と非共産主義に

分かれた。南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権を維持するためにアメリカが介入するかどうかという問題に、ケ

ネディ政権は直面していた。テイラーとロストウの勧告案によると軍の投入と限定的協力関係に切り替える

というものだった。この案に反対する意見は軍を投入したら、ベトナムの独立を脅かす存在になり、対抗ゲ

リラ戦に巻き込まれる、賛成の意見はもし北ベトナムに南ベトナムが制圧されたならラオスの和平交渉は

共産主義の拡大によってなくなるという意見だった。朝鮮戦争の経験からアメリカは二度とアジアで地上

戦を戦うべきでない、長期による限定戦争を戦い続けることが不可能だということを学んだ。だがフィリピン

とマラヤでの軍の成功例のイメージが強くベトナムも同じイメージで見るようになった。ベトナムとマラヤなどで

は全く条件が違うものの南ベトナムを放棄すればかつての中国を喪失したときと同じになると考えその事態

の再発防止を決意した。ケネディが暗殺されジョンソンが大統領になり、戦争するかしないかの決断をしな

ければならなかった。国内で戦争反対の風潮が起こるも、共産化の拡大を防ぐため緩慢な搾り上げ計画

など作戦を考えた。このようにごく最近の歴史的事象、フランスの敗北やフィリピンでの経験、朝鮮戦争の

経験などからベトナムへの介入が決定されたと考えられる。これまでアメリカが政策を決定していくのは合理

的で単一な行動主体だからである。アメリカの高官たちが慎重に自国の論理を分析し、他国の指導者た

ちの論理も歴史的証拠に基づいて分析していたら、政策決定までの予測は変わったかもしれない。歴史

の誤用によって政策が決定されるため、統治者にとって歴史を知るということが重要である。

今回の章を読み、アメリカの制作決定する際の考えの根底に出てしまう、喪失を恐れることなど、不安要

素を極力排除したいというものがあったと思う。やはり政策を思索するならば最悪のケースを想定しながら
考えるものであると思う。そこで過去の成功例に考えを揺さぶられるのがアメリカらしいと思った。

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