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◎トリニダ

トリニダーはキューバの真ん中、サンクティ・スピリトゥス州のカリブ海側にある街です。16世紀前半にディエ

ゴ・ベラスケスによって建てられました。17世紀から18世紀まで、砂糖産業で栄え(さかえ)、1988

年に世界遺産に登録されました。このあたりは、砂糖のプランテーションがたくさんあり、黒人の奴隷も多く

いました。19世紀には、イギリス、フランスやアメリカなど国際的な世論(よろん)が奴隷制度廃止

(どれいせいどはいし)を訴え(うったえ)はじめ、奴隷の値段がどんどんあがりました。そのころまだ、キュ

ーバの砂糖プランテーションでは奴隷を使っていましたから、砂糖生産にかかる費用(ひよう)があがり、こ

れまでよりも高い値段で砂糖を売らなければならなくなりました。しかし、砂糖農家(さとうのうか)の希

望とは反対に、国際的な砂糖の値段は下がり、キューバの砂糖農家(のうか)はどんどん貧しくなってい

きました。そうして、いままで栄(さか)えていたトリニダはそこから発展(はってん)せず、そのままの町並

みが残されています。当時のまま残っているものが多いので、町全体が博物館のようです。変わらない美し

さから、キューバの「眠れる森の美女」と呼ばれています。

◇マヨール広場

と う き
周りの家の屋根をご覧ください。トリニダは陶器の生産でも有名な町なので、同じ素材(そざい)ででき

どくとく
ているレンガも独特な形をしています。周りは、現在は博物館となっていますが、昔は砂糖プランテーション

の大富豪(だいふごう)の家でした。

・ロマンティコ博物館

・建築博物館(けんちくはくぶつかん)
こ う こ
・グアムアヤ考古博物館

・革命博物館

て ん じ
昔の邸宅で使っていた家具や食器や装飾品(そうしょくひん)などが展示されています。また、考古博物

館では、コロンブスが来る前にキューバにいた先住民の生活を知ることができます。

・あちらに見えるのが、サンティシマ大聖堂です。

1612年に木材で建設され、小さな教会として使われました。しかし1820年の嵐で壊れてしまい、

1892年にはサンティシマ大聖堂として再建(さいけん)されました。この中には、木でできたキリストの

像が安置(あんち)されています。1731年にスペインのバルセロナからメキシコへ運ぶ予定でしたが、

強風(きょうふう)や高波(たかなみ)に阻(はば)まれ、人々はこれを天の思し召し(てんのおぼしめ

し)だと考えました。この像、クリスト・デ・ベラクルスはそのときからこのトリニダに保管(ほかん)されてい

ます。


・みなさん、25セントを持っていますか。持っている方は、描かれている建物と目の前にある建物をよく見

比(みくら)べてください。これは、革命博物館です。もともとサンフランシスコ教会でしたが、先ほどみたサ

ンティシマ大聖堂を作ったあとに、教会としては使わなくなりました。

◇ラ・カンチャンチャラ

ラ・カンチャンチャラといいます。ちゃんちゃらおかしい、ではありません。アグアルディエンテというさとうきびの焼

酎(しょうちゅう)に、はちみつ、レモンジュース、氷をいれたキューバのカクテルの一つです。40度のキュー

バの焼酎は日本の焼酎より強く、素材(そざい)が違うので味も全く違います。砂糖からできているので、
甘みが強いのも特徴(とくちょう)です。

キューバは暑い国ですが、冬のエスカンブライ山脈の中での朝と夜はとても冷えます。独立戦争中、この寒

さをしのぐために、兵士達はこのカクテルを飲み、体を温めたといわれています。器(うつわ)も独特(どく

とく)な形をしています。もともと、飲んでいたのは山の中です。当時は、そこにあった「グイラ」という果物の

皮を乾燥(かんそう)させたものや木の実を割ったものをコップとして使っていました。今はその形を真似し

て陶器(とうき)で作っています。このコップは「ヒカラ」という名前です。

◇マナカ・イスナガ

だ い ふ ご う
19 世紀前半、砂糖プランテーションの大富豪、イスナガ家によって建てられました。イスナガ家の人びとの

うらにわ
絵や家具がおいてあります。裏庭には「トラピチェ」という当時のサトウキビを搾(しぼ)る機械が展示(て

んじ)されています。昔のこの機械は、牛などの家畜(かちく)か奴隷の力で動かしていました。ここで、自

分でサトウキビを搾(しぼ)ってジュースを飲むことができます。どなたか、挑戦(ちょうせん)したい方はい

らっしゃいますか?

いちぞく
一族の息子たち、アレホとペドロがいました。二人の息子は同じ女性に恋をして、お互いに競(きそ)い

合いました。彼女の心をつかむために、どちらがより大きなものを作れるかという勝負をしました。アレホは空

に向かって塔をたて、ペドロは地下にむかって井戸を掘りました。アレホの塔は45m、ペドロの井戸は地

下28mで、アレホの勝ちでした。どちらが彼女の心を手に入れたかは記録にありません。彼女はどちらを

ち い き
選んだのでしょうね。その後、塔は奴隷の監視(かんし)のために使われ、井戸はこの地域のひとびとのた

め、今でも使われています。
かたむ
塔はだんだん傾 いてきているので、キューバのピサの斜塔(しゃとう)と呼ばれています。

◇ロス・インヘニオス渓谷

1988年に、トリニダの街と一緒に世界遺産に登録されました。砂糖プランテーションがこのあたり一帯

や ま な
(いったい)に広がっていました。あちらの山並みはエスカンブライ山脈といいます。昔、砂糖プランテーショ

ンから逃げ出した奴隷が隠(かく)れて住み。自分達のアフリカの文化を守っていました。そのため、キュー

バでは今でもアフリカの文化がところどころに見られます。例えば、旧市街で見たカラフルな衣装(いしょう)

を着た人々、カーニバルや「ルンバ」というダンスも、このころの文化の名残(なごり)です。

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