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ラム酒博物館
ラム酒博物館
コロンブスのアメリカ大陸発見後、1493年にサトウキビが持ち込まれました。キューバにも16世紀初
頭(しょとう)にサトウキビが持ち込まれ、栽培が始められました。スペインの支配が始まり、病気や虐殺
(ぎゃくさつ)によって先住民がほとんど死んでしまったので、アフリカから奴隷が連れてこられました。この黒
人奴隷が砂糖プランテーションの主な労働力でした。これは19世紀まで続き、100 万人を超える奴隷
がキューバに存在しました。
小さな船に押し込められ、病気になると海に捨てらました。また、暴動(ぼうどう)を防ぐために、暴力やマ
スク、足かせ、手錠(てじょう)を使ってアフリカ人を押さえつけていました。アフリカからの長旅で、キューバ
に着く前に死んでしまった人も多くいました。
しゅうかくじき
12月から4月までがサトウキビの ;収穫時期でで 。この時期は太陽の光が弱く、乾季のため雨が
少ないからで 。サトウキビは根元(ねもと)から刈り取られ、高さ2メートルから5メートル、太さ2センチ
から5センチくらいが目安(めや )で 。
煮詰(につ)めま 。鍋の周りに残った結晶(けっしょう)が砂糖になり、底に残ったものが糖蜜になり、
この糖蜜がラム酒のベースになりま 。絞ったサトウキビの繊維(せんい)を乾燥(かんそう)させて燃料
(ねんりょう)にしま 。
このあと、16世紀からキューバは砂糖の生産がさかんになり、1820年ごろ Villanueva 伯爵によって
蒸気機関(じょうききかん)が導入されました。この機械の力で、さらに生産量をあげ、輸送(ゆそう)の
ため、1837年に世界で7番目に蒸気機関車(じょうききかんしゃ)が導入されました。砂糖の生産
のおかげで、本国(ほんごく)スペインより早くの導入でした。ちなみに、日本の蒸気機関車の導入は
1872 年、横浜―新橋の間。
模型は、サンタクルスデルノルテの砂糖工場をあらわしていま 。ラム酒工場と精糖工場、労働者
たちをミニチュアであらわしていま 。
できた糖蜜に、水と酵母を加えて24時間かけて発酵(はっこう)させま 。この発酵させた「もろみ」はま
だアルコール度数10%以下で 。これを、蒸留させま 。
ま 。
たる
樽はホワイトオークで作られていま 。もともとは、ヨーロッパなどで、ウイスキーを入れていた樽でした。この樽
を削ったり、焦がしたりしてきれいにしてから、ラムをいれ、熟成させま 。この樽は何度も繰り返し使えるの
で80年ほど使えま 。味、色、香りを調節 るのにも樽は重要な役目を果たしま 。樽の色がラム酒に
くせいばしょ)は暗くて ずしくなるように、きちんと管理されていま 。
ほしょう
てブレンドし、最も若い熟成年数を保証で るという手法は、ラムの世界でも非常にユニークであると言える
でしょう。
このブレンドのレシピはマエストロと呼ばれるラム酒のソムリエしか知りません。
び ん づ
その後、瓶詰めして、ハバナクラブのラム酒が完成しま 。