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U .
D .
C ,72 ,
03 : 645 .
t 日本 建 築 学会 論 文 報告 集
・
第 60 号 昭和 33 年 IO 月
欝 櫑 饒 伽 て
澗 鴨灘 研 鋭警
“
準 会 員 内 藤 昌
林 泉 之 坊 書院 ,
城寺円満院客殿 ,妙 法 院 丈 書 院 ,浄 土 大 院書 院
絆
二
ま え が き 我 が 国住居 形 式 の 特 色 を 示 め す も の と し ,
条 城 二 之 丸 書 院 ,本 願 寺 対 面 所 , , 観 音 寺 書院 , 三 宝院 奥
金地院方丈
て fiooring
. に タ タ ミ を 使 用 し て い る 事 が 指摘 さ れ る 。 震 殿 纏,浄 土 院 客 殿 ,観 心 寺 書 院 ,
獅 法隆寺西 園 院客殿 掌
桝
も 正 伝 寺
絆
方 丈 ,堺 大 安 寺 方 丈 ,南 禅 寺 小 方 丈 ,妙 心 寺 小 方 丈 ,円數 寺
* 1
その タ タ ミを部 屋に 敷 ぎ結 め る場合 2
鰰 艸
っ の 方 法が あ る 脚 *
. 妙 成 寺 書 院 ,善 徳 寺 大 納 言 之 間 ,雲 峰 寺書 院 ,
。
寿量 院客 殿 ,
ii S *“
1っ は 柱 の 位 置及 び大 き さを 決定 し て 後 敷 居 内 法 に 適 宜
実 測 の 方 法 柱 大 きさ の 測 定 に は ス チ ール テ ーヲ柱 間
タ タミを お さ め る方 法で 、他.
は 先ず規 格化 され た タ タ ミ.
に は 布 テ ープを 使 用 し た ス チ ール テ
ープ それ 自身 の 誤
。
厂タ
の 割付 け を 考 え て か らそ の 外 側 に 柱 を 配 置す る 所 謂 差 は通 産 省 工 業技 術 院 計 量 検 定 所 に よ れ ば 最大 O.
025%
タ ミ割 』 の 方 法 で あ る 。 従つ て 前 者 は 真 々 制 、後 者 は 内 ープ の 誤差 は 最大
で 、事実上零 と 見な して よい 。 布テ
法 制 設 計 の 建 築 で あ る 。設 計 順 序 を 問題 に す れ ば 両 者 は O・
25 % で あ る 。夊 実測 行 為 の 誤差 は 、柱 の 太 き さ の 場 合
一
タ タ ミ が 種 の 座 具 に 用 い られ て
全 く逆 の 関係 に あ る 。
最 大 0. 4% で あ る 。従つ て 実 測
5 % 、柱 間 の 場 合 最 大 0 ・
『
と し て 室 内 に 敷 き 結め ら れ て 来 た 変 5 % 以下 、柱 間 は 0 .
7%
寸 法 の 誤 差 は 、柱 の 太 きさ は 0 .
よ り漸次 且ooring
遷 過 程に 於 い て 真 々 制 建 築 の 必然 性 は 理 解 さ れ よ うが 、
以 下 で あ る 。な お 柱 間 寸 法 の 測 定 は 、原 則 と し て 敷 居 又
内法 制即 ち 「タ タ ミ割 」 の 万 法 は そ の 逆 で あ る か ら、正
は 鴨 居の 位置 に於 い て 行つ て い る 。
に ep ck −making な 事象 と し て 、特筆 す べ き多 くの 要
2 , タ タ ミ 割 築 建 の 種 類 江 戸 期 に 見 られ る タ タ ミ
。
そ こ で 本 稿 は 室町 時代 以降 建 立 さ れ た
規 格 は 一 部 例 外 的 な 寸 法 も あ る が 大 休京 間 (6 ・
素を 持 つ て い る。 30 ×
住宅遺構 を 実測調 査 結 果に 基 き、 「タ タ ミ 割 」 技術 一閥 (6 ・ 中 京 間 (6 ・
00x3 ・
した
3,15尺 )、六 10 × 3 ・
05尺 )、 00尺 )
の 発 生 過 程に つ い て考 察を 試 み た い と思 う 。 5・80 × 2 ・
90尺 ) の 4 種 で あ る 。上 記 遺 構 に 於 い
田舎 間 (
1. 実 測 の 対象 及 び 方 法 住 宅 遺 構 の 建 立 に つ い て
て 「タ タ ミ 割」 が 行わ れ て い る もの を 見 る と、時代が く
は 所 謂伝称 多 く、そ の 年 代 を 明確 に 出来 る も の は 極 め て れ て 真 々 制 の 建築 が 少 くな る 代 り に 、内法 制 の
だる に つ
る の で 無 視 出 来 な い 。 こ こ で 対 象 とす る 遣 構は 下 記
51 ケ
割 建 築を 分類 す る と第 1 表 の 如 くな り京 閊 タ タ ミに よ る
で あつ て 、元 和 以 前 建 立 の 事 実 叉 は 伝 称 の あ る もの を 可
もの が 圧 倒 的 に 多 く、中 京 間、田 舎 間 の 住 宅 は 極 め て 少
能 な 限 り調 査 した 従つ て 今 口寛 永 以 降 建 立 が 明 白に な 以 下各型 式 を分析 す る 。
。
ない 。
つ た 遺 構 も含 まれ て い る 。 年 代を 元 和に 限 る 事 は 調 査 実 第 1 表 タ タ ミ 割建築 の 分類
測 以前 に 規 定 し た の で は な い 。 調 査 は 年 代 を 特 に 限定す 一過 渡 期 の 遣 構 妙心 寺霊雲院 書院 、円 城 寺 光 浄院 客 殿
護 国 寺 月 光 殿
る事 な く大様 古 い もの か ら順 次 行 つ て お り 、そ う した 資 一京 覯 一
散 雛 龕堯離齋
齣 鞴
発生過程 の 考察
棗覊 簾 姦
料 を 整 理 分析 し た 結 果 、
「タ タ ミ割 」 の 本願寺飛雲 閣 願 寺 白 、本 . 書 院
大 通 寺 広 間 海 会寺方 丈 .
で は元 和 以前建 立の 遺 構 を 対 象 と す る 事 で 充 分 と考 え た 上
浄 院 書 大 院 泉 之 坊書院 、
三 宝 院奥宸 殿 浄上 院 客 殿 、
か らに 他 な らな い そ れ 故 問 題 な く寛 永 以 降建 立 と さ れ 法 隆 寺 西 園 院 客 殿 南 禅 寺小 方丈 、
、
。
金 地 院方 丈 堺 大 安 事 方 丈
て い る 遺 構は 省 略 し て あ る 。な お 遺 構 の 種 類 は 在 来
「
書 . 観 心 寺書院 正 伝寺方丈
. 、 .
妙 心 寺小 方丈 妙成寺書院
. 、
・民
住 宅 に し て 、茶 室 ・庫 裡 円数 寺寿 量 院 客 殿
院造 」 の 名称で 代 表 され る 一 中 京間 規 格 の 遺 構 曼 陀 羅 寺大 書 院 徳 林 寺 小 方 丈 、
一 一
家 等 は 元 和 以 前建立 の もの 少 く未 だ 資料 と し て 統 的 に 田 舎 間 規 格 の 遣 構 善 徳 寺 大 納言 之 間
考 察す る 段 階 に な い の で 、他 日 稿 を 改め る予定 で あ る。 A ) 過 渡 期 の タ タ ミ 割 建 築 所 謂 書 院 造 遺 構 の 柱
調 査 対 象 一 無 印 真 4 制 遺構 ,・印 填 は の 々 制 遺よ )内法 制 へ
:
移 聞 は 初 期に は 7 尺 間 (今 西 家 書 院 )、6 ・
8尺 間 (東 福 寺 龍
行 す る 過渡 期 の 要素 を 持 た遺 構 , は 内法 制 O 遺
吟庵 方 丈 、吉 水神 社書 院義 経 之 間) 等 比 較 的 大 きな 柱 間
つ **
構 .
東 福 寺 龍 吟庵 方丈 ,吉 水 神社 書 院 義経 之 閲 ,今 西 冢 邸 宅 、慈 照 寺 東 求 を 見 るが 、後御 所の 殿 舎 の 如 き格 式 が 高 い 上 に 大 規 模 な
堂 及 び 銀 閣 ,妙 喜 庵害 院 ,大 徳 寺 大 仙院 方 丈 ,大 徳 寺 龍 源 院方 丈 ,妙 建 築 を 除 い て 、一般 の もの は 6 ・
5 尺を 基準 と し て そ の 倍
心寺霊宝院書院零 ,法 隆 寺 子 太 殿 客 殿 ,建 仁 寺方 丈 ,南 禅 寺 大 方 丈 ,
大 徳 寺 黄 梅 院 方 丈 ,妙 心 寺 退 蔵 院 方 丈 ,西 教 寺 客 殿 ,三 宝 院 表 宸 数 関 係 で 柱 問 寸法 を 決 定 し て い る。 慈 照寺東 求堂 及 び 銀
li **
味院 客 殿 , 吉 水 神 社 書 院 王 座 之 間 .
、曼 陀 羅 寺 大 書院紘 徳林 寺 小 方丈 教 寺 客 殿 、三 宝 院表宸 殿 、円 城 寺 観 学 院 客 殿 、大 覚 寺客
本 願 寺 飛雲 an i , 本願寺 白書院
*穿,大 通 寺 広 間 ,海 会寺 方 丈 も 円
* ++
殿 、建 仁 寺方丈等 は そ の 例 で あ る 。 この 場合 敷 か れ る タ
K 一東 京 工 タ ミ の 大 きさは 室 の 大 小に よ り種 々 様 々 で あ る 。二 間 四
業 大 学大学院生
_ 609 一
一
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方 以上 の 大 き な部 屋 は 問題 な い が 、
3 帖 とが 長 4 帖 等入 様 入 側 部分 は タ タ ミ割が行わ れ て お らず、や は り発 生 期
一辺 が 5寸
側部 の 如 く部 屋 の 1 間の 場合 ,柱 の 大 き さが の 技法 を 示 め し て い る〔
1 )
。 そ れ に 続 く遣 構 は 大 徳 寺龍光
乃至 6 寸 に な る と 、そ の 柱 間 内法 は 6 尺 を 割 り狭 小 な 空 院 書院で あ る 。 この 書 院の 建立 年 次 に 就 い て は 、 故 沢
間 に な る事 は さ け られ い 。 そ こ で 、そ う し た 部 分 だ け 1 島 英太 郎氏 が 詳 細 に 考 察 な さ れ て お り〔2 )、慶 長 13 年
0S 5 尺 の 統一を 破 り多少 間 の び させ
6・ た例が 円城寺光浄
(ユ608 ) に 完 成 し て い る 事 が 明 らか で あ る。
院客殿で あ る
そ の 他 、元 和 5 年 (
1619) 前後 の 建 立 と推 定 され る 堺
。
目状 に 整全 と配置 され て い るの に 比べ 、大 きな変化 と云 の 曼 珠 院書 院 、
、 明暦 3 年 (1657)Cf )
の 本 願 寺黒書院等は す
え る 。然 し て そ の 部 分 の 柱 間 内 法 寸法 は 6 ・
28 尺 で 、京 べ て 完 全 に タ タ ミ 割が 行わ れ て い る。 又 在来江 戸期 以前
間 タ タ ミ に 近 似 し て い る 即 ち 、光 浄 院 客殿 は 6 .5 尺真 。
の 建 立 と考 え られ て い た 観心 寺 書 院 一正 保 4 年 (1647)(6 )
々 制 の 建 物 か ら、京 間 タ タ ミ内法制 建 築 へ の 過 渡 期 的様
年 正 伝 寺 方 丈 一承 応 2 年 ( 妙 心 寺 小方 丈 一明暦
1653 )(7 )、
相 を 示め し て い る 遣 構 と 考 え られ る の で あ る Cl) 護 国京 2 年 (1656)c8}、妙 成寺書院一万 治 2 年 (1659)c9)、円教
。
月光 殿に も 同様 な傾 向 が 見 られ るが 、詳 細 は割 愛す る。 寺 寿 量 院客 殿 一天和元 年 (1681)(1 °)
とて も同 様 で あ る 。
な お 、天 井 板 背 面 墨 書 銘 「天 文 十二 年八 月 ひ つ め の 与 問 題 は ま だ 建立 年 次 が 明 らか で な い 浄土 院大 書 院 、同
次郎宗 次 此 を す る 也 」 (正 法 山 誌 ) に よ つ て 、在 来 室 町
客殿 、本願寺飛 雲 閣、同 白書 院 、泉 之 坊 書 院、三 宝 院奥
時 代 建 立 と さ れ て い る 妙心 寺 霊 雲院書 院 、帳 台 構 奥 「玉
宸 殿 、大 通 寺 広 間 11 )
、 南禅寺小方丈 [ の 諸建 築 で あ る。
座 之 間」 3 帖 及 び 侍 者控 之 間の 3 帖は 京 間 タ タ ミ の 割付
こ れ 等 は 、発 生 期 の タ タ ミ割 建 築 大 徳 寺 黄 梅 院方丈 、妙
け が 行わ れ て お り、又 表 心 寺 退 蔵 院 方 丈 、東 寺 観智 院客 殿 一に 比 べ は る か に 発 達
「
御 幸 之 間 」 及 び次 之 間に も そ
れ に 準 じた 内法制 の 過 渡期 的 手 法 を見 い 出せ る 。併 し、 した技 法を 伝えて い る。
柱 及 び 天 井 板 の 痕 跡 よ りか な りの 改 造 が 考 え られ 、現 状 』
C ) 中京間の タ タ ミ 割建 築 初 期 の タ タ ミ割建築
平面をその ま ま 天 文 12 年 (1543) 建 立 当 時 の 遺 構 と し は 数に於い て 京間規格 に よる もの が 圧倒 的 に 多 い が 、中
て把 握 す る 事は 出来 な い 。 そ れ 故 天 交 年 間建 立 と い う問 京 間の タ タ ミ 6・
( 00x3 ・
00尺 )に よ る 遺 構 もな くは な い 。
題 を離 れ て 当 書 院 を こ の 類 に 入 れ て お く。 愛知県江 南 市 前飛 保 の 曼 陀 羅寺大書 院が それ で ある 。宝
B ) 京 間 の タ タ ミ 割建 築 京 間 タ タ ミ 6・
30x3 .
15 暦 6年 (
1756) 寺 社 奉 行 へ 提 出 し た 差 出 状 の 控 と 思 わ れ
尺 に よ つ て 平 面寸尺 が 決 定 され て い る最 初 の 遺 構 は 大徳 る もの に よ る と、当 書院は 文祿 元 年 (1592) に 建立 され
寺 黄 梅 院 方 丈 で あ る 。当 方丈は 天正 16年 (1588)小 早 川 隆 た と云 い 、 尾 張 名 所 図 絵 の 抜 書 に 依 る 「
曼 陀 羅 寺 軍議」
景 の 造 立 と い う。 柱 は 太 い 上 に 面 広 く、舟 肘 木 の 形 状 、 (慶 長 5 年 8 月 22 日 関 ケ 原 の 前 哺 戦 と し て の 岐阜 城攻
正 面棧 唐戸 の 格狭 間彫 刻 、内 部 壁 及 び襖 の 張 付絵 (
雲谷 略 の 為 に 開 らか れ た ) は こ こで 行わ れ た と伝 え て い る が
等 顔 筆 ) 等桃 山初期 の 様式 を 充 分 に 持 つ て い る と され 、 確 証 は ない 。 タ タ ミ 割 の 技法 か ら見 る と、広椽 入 側 部 迄
い 。 この 建物 の タタ ミ割に つ い て は 後述 す る が 、方 法 と れ 、京 間の 遺 播 と比 べ る と元 和寛 永以 降の 完 成 期 様式 を
し て は 稚 拙 な 点が 見 られ 、タ タ ミ 割 建 築 発 生 期 の 特色 を 示め して い る 。 柱 の大 き さ 、面 巾 、更 に は 内法高 迄 曼 陀
よ く示 め し て い る 。 妙 心 寺退 蔵 院方 丈 は 平 面 形 式 ば か り
羅 寺 大 書 院 と 同寸 で 構成 され て い る 遺 構 に 徳林 寺小 方丈
で な くタ タ ミ割の 技 法 に 於い て も黄 梅 院 万 丈 と同 一で あ が ある 。 これ は 、八 帖 二 間 、六 帖 一問 よ り な る 、い ず こ
る 。 退 蔵 院 は文 亀 ・永 正 ・大 永 の 頃 よ り順 次 整 備 され た か の 万 丈 を 再 用 し た 小 規 模 建 築 に 過 ぎ な い が 、中京 間 に
塔 頭 と云 うが 、現 在 の 処 建 物に 就 い て の 記 録 は な く、そ よる タ タ ミ割技法 を伝 え る意 味で 重 要で あ る。
の 建 立年 次は 不 明で あ る 。
D ) 田 舍 間 の 夕 タ ミ割 建 築 中京 間 と 共 に 田 舎間
さて , 建 立 年 次 の 明確 な最初 の タ タ ミ割建 築 は 東 寺 観 の 書 院型 式 遺 構 は 極 め て 少 な い 。関 東 地 方 の 遣 構 と し て
智 院客殿 で あ る 。 当 客殿 に は 慶 長 10 年 (1605) 5 月 吉 貴 重 な 存在で あ る 雲 峰 寺 書 院は 6 尺 間真 々 制 で あ つ て、
日 の 棟 札 が あ り、 更 に 侮 鉢懸 魚六 葉 裏 に 「慶 長 十年藤 井 タ タ ミ割は 行わ れ て い な b 富 山県 城 端 町 に あ る 善徳 寺。
石 見 守 吉 次 作 之 、五 月 十 五 日 」 な る 墨書が 存 在 す る事 よ 大 納 言 之 間は 、田舎 間規 格 (5 .
80 × 2 .
90尺 ) に よ つ て タ
り慶長 10 年 の 建 立 が 判 明 す る 主 室 部 分 は 完 全 に タ タ 。 タ ミ 割が 行わ れ て い る 。 当書 院は 慶長 1604)8 月加
9年 (
ミ 割 が 行 わ れ て い る もの の 、黄 梅 院方丈 の 広 碌 部 分 と同 賀 2 代 の 藩 主 前 田 利長 (
僧 正 二 位 枢 大納言) が 当地 方 に
一 610 一
一
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放 鷹 し た 折使 用 し た 部 屋 と伝 え て い る。 柱 に面 皮を 用 第 2 表 大 徳 寺 黄 梅 院 方 丈 の 柱 間 寸 法 算 出 表
い 、タ タ
院 に似 る
ミ割技 法 、書 院 の 型 式 共 に
そ れ らが 京 間 で 割 付 け られ て い る の に 比 べ 当
那谷寺及 び妙成 寺書 柱 ・ ・ 号 1’ 躙 寸法黜 値
実測平
均 値
(尺 )
1窪4鷙 1 ’
1.
。
63
懼、3王
6 3°×
磁 −盈
+ °
− ・.
5・ ・ 56
建 築 は 田舎 間 に よ つ て い る 点 持異 で 、慶長 と い う 建立 年 、,
(A .− .
3 4 >(A 45 )(B 12 13)
次 を別問題 と こ あげて お く
して こ こ } 。 (C. 34 )(C .−
4 5 )(C 5S ) . 6 30 × 2 十 〇 63 . , =.
.−−
(C 12 13)(C 13 14XG . − .−
5 8 )
2
6 52 6 63 .
. − .−
3 . 大徳寺 黄梅 院方丈の タ タ ミ 割 前節 に て タ タ ミ ( .
G 11 12)(K 5 8XK 11 12 )
.−−
(A 2 3XG .−
2 3)(C 14 15ン.−
割建築 の 各種 タ イ プ を 考察 し て 来 た が そ の 中で 大 徳寺黄 (E2 − ,−
3 )(G 2 3 )(G 14 15).−
◎ (K.−−
2 3 K .−
)( 14 15)(2 A C ) .− 6 30 十 D 63 6 93 , 6 96 .= . .
梅 院 方 丈 は 最 古 の 遺 構 で あ る か ら 、こ .
(3 A C )( .−
4 A C )(5 A G ).−
9jA−−
に タ タ ミ割の 内
.− .−
こ
( GX13 A C ) (15 A C )
容 を 分 析 し て 見 た い と 思 う 。 こ の 建 物の 柱間 寸法 は 真 々 . .−
(2 C E )(2 E G )(3 C E ) .− ・−
.− − −
「 .
隆,
5 + ° 63
(3 E F )( 5 C E )(5 E G ). ・ ・9 9 .
.− .−
…
(12 C E )(12 E F )
で 測 定 し た場 合 、極 め て 多 くの 種類 が 見 られ 、6 ・
5 尺の
〔G.−8 10 )(K 8 10) ,− 6 30x1 .
5 9 45 1948 =
. .
基 準 格 子 に 整 全 と柱 が 配 置 され て い る 同 じ大 徳 寺 大 仙 院
方 丈 と 比 較 す る と平 面 の 上 で は 全 く同一で あ る もの の 、
・
1・
・・5
G ・)・・…
・
K ・
12 14 )(K ・3−5 :
鰤
・・
禦
63
・… 一
− ・ 771
・3 .
… 8 ・
柱 聞寸 法 の 種 類 は 問 題 に な らぬ 程 複 雑 で あ る
・
織 −量益野 − ) 3… ・・
」・3 … +
1(14 .
。
一⊆LI∫唆 一
×
kL .2 −5 )(L .
12−15)
16
C −G )( 他 の (A .
法 に て お さ め る 様 設 計 され た 柱 間 (3 . 5.C −G )(12 . 13 )(G .2 )CL . 2)(L , 3XL . 12)( L . 15 ) 計 6本 !t 平 均 O . 70尺 角 の
C −G )を 夫 々 2 等 分
・ した 位置 に柱 2
( .
E )(5 .
E )(12 .
E) を 4 . 夕 タ ミ 割 技 術 の 諸 問題 内 法 制 の 方法 は 真 々 制
配 して い る 。 従つ て こ の 部 分 の 柱 と タ タ ミ 境 目線 とは全 の それに 比 ぺ る と は るか に 複 雑 で 手 間が か か り 、 従つ て
く一致 し な い 。完成 期 の タ タ ミ割 で あ つ た か ら、タ タ ミ 高度 の 技術 を 必 要 とす る 。 茶 室 の 如 く小規 模建 築 の 場 合
境 目 と柱 真 が 一致 す る 様 考 慮 し 、恐 ら くE 列 の 柱 は D が は よ い が 、対 面 所 の 様 に 大 規 模 に な る と 、 そ の 技法上種
F列 へ
配 置 した と思 わ れ る 柱 (3 . 3.
且 )〔 」)(14 .
H )(14 .
。 J) 々 の 問題 を 供 う 。
に して も 同様 で あ る 。 これ G −K )(14 .
等 は (3 . G −K ) を 夫 A ) 切 目 長 押 前節 で 述 べ た 如 く黄 梅 院 方 丈 は 広椽
々 等分 し て配 置 され て お り、 タ タ ミ境 目と柱心 とは 一致 部 分に タ タ ミ割が 行われ て い ない が 、 後に な る とタタ ミ
して い ない p 更 に 広 椽部分は タタ ミ 割が 行 わ れ て い な を敷 く敷か な い に 関 係 な く、建物全 域 に タ タ ミ 割 が 行 わ
い 。 こ れ は タ タ ミを 敷 く必要 が な い 為 と 考定 さ れ る が 、 れ る様に なる 。 従 つ て 広 椽 や 入 側等迄 タ タ ミ割付を する
完成期 の 遭構 で は 殊 更 タ タ ミを 敷 か な くと も タ タ ミ割が わ け で 、時 に 切 目長 押が け られ た りす る と、そ の 見 込
つ
行わ れ ている 例 え ば 海 会寺 方丈
( 、 金 地 院方丈 等) 故、 み 寸法 を 考 慮 し て タ タ ミ割を 行 う 第 2 図 は そ れ を 図 示。
や は り発 生 期 タ タ ミ割建築 の 特 色 と 云 え る 。 した もの で あ つ て 、実例 と し て は 金 地 院方 丈 、円 教 寺 寿
量 院 客 殿 等 を あ げ る 事 が 出来 る 。
B ) 柱 真 と タ タ ミ境 目線 室 の 四 隅 に は 構
造 上 柱 を 必 要 とす る 。 そ れ 等 四 辺 の 柱 間へ 更 に 柱
8G
を 挿 入 す る 場 合 、真 々 制 で は 当 然 等分 さ れ る 。 併
し 内 法 制 の 場 合 は タ タ ミ の 境 目線 と柱 真 と を 一致
D
邑 さす べ く配 慮 し て 等 分 さ れ な い 。例 と し て 三 間 四
F
方 9 帖の 聞を考
母
え て 見 る 。 (遣
構 として は 海会
【 ハ 寺 方 丈 及 び本 願
+ B+ c
1 第 2 図 寺 飛 雲 閣 第 2 層
6 . 6 .506
東 側 等 が あ
引 引
k
)第 3 図
る 。
h99
り
9ε
9 足
「 り
の 中央柱 問は
. 6
30 6.
6 30
両側 の そ れ 憩
よ
o 1 穿 胤
ee1 図
大 徳 寺 黄 梅 院 タ タ ミ割 図 第 3図 り狭 い 。 こ れ
一 611一
一
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は 中 央柱 間 の 真 々 に タ タ ミ寸 法を 合せ た の に 比 し 、両 側 うが 、凡 そ 次 の 事 が 云 え る 即 ち タ タ ミ 割 の 技 法 は 天 正
。
柱 間は タ タ ミ寸法に 隅柱 半分 の 寸法 を 加 え な け れ ば な ら 末 年 よ り漸 次 発 生 を 見 、文 祿 慶 長 年 間 の 過 渡 期 を て 、 へ
な い 為で あ る 30 + 42012 − 6 ・
即 ち 、6 ・ 。
51 尺 と な る の で 元 和 特 に 寛 永 年間 に 一般 化 さ れ 、技 術 的に も完成 の 域 に,
ー
あ る タ タ ミ 境 目線 を 柱 真にニ 致 さ せ る 為 に 生 じた 細 工
。 達 した と考 定 さ れ る 。 中 京 間 、田 舎 の タ タ ミ割 りは 遺構
で あつ て 、タ タ ミ割技術 の 複 雑 さ を知 る。特に 床柱 の 配置 が 極 度 に 少 く京 周 の 発 生 過 程 よ り推 定 す る 以 外 に な い 。
に は この 様 な万法が 必ず とい つ てい い程行わ れて い る 。 そ の 場 合 技 術 的 に は や は り多 少 お くれ て い た と 考え る の
C ) 寄真柱 タタ ミ割 建 築 は 内法 で 仕 事 する ので ある
が 適 当で あ ろ う 。
か ら 、柱 の 大 ぎ さ が 統 一 され て い な い と 、上 手に お さ ま
[註 ]
らな い 。基 準の 柱 よ り小 さ い 柱 は 敷 居 の 中 へ お さ め る 事
(1 ) 建 築雑 誌 1958 .
10 .モ ヂ ユ ール 特集号拙稿 「聞
が 出 来 るか ら問 題 な い が 、 そ れ よ り大 きい 時は 柱 真 を す
と タ タ ミ」 参 照
べ て 一致 さ せ る と 敷 居 の 内 側 に 柱 が 繊 て し ま い 、タ タ ミ (2 ) 画 説 1941 .
5 沢 島 英 太 郎 氏 「竜 光 院 密 庵 之 席 に
を 欠 か な け れ ば な らな い 。 この 不 手際 を さ ける 為に は 、 い て」 参 照
つ
柱 の 大 き きを 厳 密 に 統 一す る か 、 さ もな くば 柱の 内側 を (3 > 拙 稿 「堺 海 会等 方 丈 の 沿 革 に つ い て 」 第 24 図
関 東 支 部 研 、同 「堺 海 会 寺 方 丈 の 柱 間 寸尺 に つ い
敷 居 面 に 合せ 柱真 を ず らせ る か の 方 法 し か な い 。後者が
て 」 参 照
所謂 「寄真 柱」 の技 法で あ る 。 それ に は 柱 の 真 を ど の 程 (4 ) 1953 .
3 重 要 文 化 財 曼 殊 院 書 院 修 理 工 報告 書
度寄せ るか の 「寄真 割 」 を 行 わ ぬ ば な らず 、 手 間は 倍加 (5 ) 本 願 寺 記 録
(6 ) 正 保 四 年 卯月 上 棟 の 墨 書
す る 。発 生 期 の タ タ ミ割建 築は そ こ 迄 考え ら れ て い な
一 (7 ) 正 伝 寺 古 文 書 、藤 岡 通 夫 博 士 は 「正 伝 寺 方 丈 建
い 。完成 期 に な る と 小規模 建 築 は 柱 寸 法 を 均 化 した技
築 に つ い て 」 (画 説 194e .1) で 現 在 地 移 退 さ れ へ
法を と る一方、大規 模
甎 柱 る に あた つ て 規 模 が 縮 小 さ れ た 事 を 論 じ て お られ
建築 は構造 柱に 「荷 持 る 天 井 長 押 内法 長 押 に 大 部 柱 間 改造 の 跡 が 見 ら
。
れ 、現 状 の 柱 間 寸尺 は 承 応 2 年 の 設 計 と 考 え る ・
柱 」 とい う特に 太 い 柱 。
(8 ) 19534 重 要 文 化 財 妙 心 寺 小 方 丈 修 理 工 事 報 告 書
を 使用 し て 寄真割 を 行
参 照 、明 鞜 年 玉 鳳 院 の 建 物を移 し て小方丈 とした
つ て い る 。金 地 院方 丈 事 が 解 体 修 理 に よ り発 見 さ れ た 棟 札 で 判明 し た 。
の 荷持柱 に は 部分 的で 第 4 図 . 正 伝 寺 方 丈 と 同 様天 井 及 び 内法 長 押に 大 部 柱 問 改
は あ るが 、こ の 方 法 が と られ て い る 。
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(第 4 図参 照 ) 造 の 跡 が 見 られ る の で 、現 状 の 柱 間寸尺は その 時
の 計 面 と 考 え られ る
D ) 真 々 制 との 一致 上 記 の 諸 技法 は 極 め
。
て煩雑
(9 ) 1944 .
19 .
国 宝妙成 寺書 院及 鎮 守堂修理 工事報告
で あ る か ら、平 面 が 複 雑 に なれ ば な る 程 、 タ タ ミ割 を 完 参 照 当書 院 は 、元 和 2年 と伝 え られ て い たが 、修
全 に 行 う事 は 困 難 に な る 。 そ の 為で あろ うか 元 和寛永 以 理 の 結果 万治 2年建立 と推 定 され て い る 。
一般 化 し た と い つ て も大 規 模 な 建 築 に (10) 壁 板 墨 書 に 第 八 世 永 尚 の 再 建 と あ る の で 寺院
降 タタ ミ 割建 築 が 、
所 有 物 明 細 帳 寿 量 院 の 条 に あ る伝 は 正 しい と 考え
は 真4 制 が 採用 さ れ て い る 。二 条 離 宮 二 之 丸 諸 殿 舎 は そ
られ る 。
の 好 例 と云 え る 。 (11) 藤 岡 通 夫 博 士 著 「京 都 御 所 j 南 禅 寺 大 方 丈 の 項
そ うし た 困難 に め げず 、タ タ ミ 割 を 大 広 間 や 対面所 に 参 照 そ こ で 桜 井 景 雄 氏 の 御 説 と し て 、承 応 元 年
c
る 三 列型 式 の 複 雑な 平 面 に 適 用 し た 場 合 、何 よ り建 て 始 め られ た 褐 堂 之 間 を 小 方丈 と 考定 さ れ
よ く見 られ
る 事 を 紹 介 さ れ て お られ る
。床 棚 及
。
処か で 破綻 び納戸等 は タ タ ミ割 の 不 完
当 方 丈 の 建 立 年 次 に 就 い て は 藤 原 義 一博 士 北 尾
し て い る
(12)
全 を 補 う緩 衡地 帯 と し て よ く用 い ら れ る の あるが 、も 春 道 氏 森 薀 博 士 山 田 幸一氏 の 諸 説 が あ る 藤 原博
で
。
う一つ の 方 法 と し て 内 法 制で あ り な が ら柱 の 寸法 を 加減 士 北 尾 春 道 氏 は 寛 永 4 年 以 前 の 建 立 と し 、そ れ に
し て 真 々 制 と一致 さ せ る 手 法 が と ら れ る 。6 ・
5 尺 真 々制 対 し 森 藻 博 士 は 寛 永 年 将 軍 御 成 の 為 の 御殿 と し 、
更 に 山 田 幸 一氏 は 大 坂 域 殿 舎 の 一部 を 移 建 し た の .
の 柱 間 と京 間タ タ ミの 差は 2 寸で ある 従っ て 、2 間梁
で は な い か と 推 定 ざ.
。
れ て お られ る o 調査 し た 処 と
問に は 4寸 の 柱 を 、 3 間 梁 間 に は 6 寸 の 柱 を 用 い れ ば 、 り わ け 移 建 の 痕 跡 は 見 当 らず 、従 つ て 万 一移 建 の
複 雑 な 内 法 制割 付 に 煩 わ され る 事 な く、単 純 な 6 ・ 5 尺真 可 能 性 が あ る に せ よ 、当 建 物 の 如 き 煩 離 な 技 法 で
完 全 に タ タ ミ 割 が 行 わ れ て い る も の は 、そ っ く り
々 制 の 方式 で タ タ ミ割が 出来 る わ けで ある 。 遺權 と して
そ の ま ま 移 建 し た 場 合 以 外 に そ の 機会 を 求 め る 事
は 本願 寺 白書 院 に そ う し た技 法 を 見 る 。 後
− rv住 宅 に
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は 出 来 な い 。然 る と き 伏 見 域 は も と よ り 大 坂 域 に
4 寸角 の 柱 が 多用 さ れ る 様 に な つ た 原 因 も、標 準 規 模 2
方 丈 型 式 の 建 築 が あ つ た と は 思 わ れ ず 、結 局 私 は
間 梁 間 の 設 計に 内法 制 と 真々 制が 巧 み に 一致 す る 利便性 寛 永 4 年 新 築 と 考 え る な ほ 当方 丈え タ タ ミ割に
。
を 考 えた 結 果 と 推 定 され る 。 つ い て は 拙 稿 「金 地 院 方 丈 の 柱 間 寸 尺 に つ い て 」
(関 東 支 部 5 月 第 24 同 報 告 ) 参 照
あ と が き 以 上遺 構 を 中 心 と し タ タ ミ 割 の 発 生 過 程
(13) 1958 .5 ,伊 藤 鄭 爾 著 「巾世 住 智 史 」 に 於 い て 氏
に っ い て 種 々 考 察 を試 み た 。 数 に 限 りの あ る 遺構 よ りの
は 民 家 の 内 法 制 を 分 析 し 、大 黒 柱 の 逃 げ に つ い て
判断 で あ る か ら一般 的傾 向 と し て 考 え る 事 は 早計で あ ろ 論 じ て お ら れ る o
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