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語り得ぬものへのことば : 「莊子」における言語問題と

Title 言說への意識について

Author(s) 鈴木, 達明

Citation 中國文學報 (2003), 66: 1-30

Issue Date 2003-04

URL https://doi.org/10.14989/177929

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University
中心とはならなか った。もち ろん'赤塚忠氏 や大横暗氏'
請 -得 ぬも の へのことば 池 田知久民ら のよう に、 ﹃
荘子﹄ の言説 の特徴を分析 し'

- ﹃荘子﹄における言語間題と言説 への意識 そ の結果を言語思想と関係づけ て論 じた研究もあ った が 、
についてー それら にお いても'扱う範囲がほぼ斉物論篇 に限定 され て
おり'何よ-最終的 に知識論 の中 に回収す ると いう目的意
識 が依然とし て存在 し て いた ことから、 ﹃
荘子﹄ におけ る
鈴 木 達 明
大草
京都
言葉 の問題はまだ十分 に議論 し蓋-されては いな いと考え
られる。

7-
この問題 に ついて更 に踏 み込んで考え てゆ-ため には、
は じ め に
まず ﹃
荘子﹄ の言説が置かれ ていた特殊な状況を認識す る

-

荘子﹄ にと って言葉とは何 であ った のか。従来 の研究 必要 があ る。 ﹃
荘子﹄ の言語思想 は、言語 の意味表象機能
の多-は' この間題を ﹃
荘子﹄ の知識論 の中 に包括 して論 に封し て否定的な方向性を持 つも のであ-'言語化 不可能
じ てき た。 ﹃
荘子﹄ が 「
道」を言語化 不可能 であ るとす る と いう性質 を、 「
造」 が絶野的な存在 であ るため の重要な
のは'そ の 「
道」を通常 の知的能力 では認識 できな い存在 係件 と し て設定 し て いた。 こ のよう な言 語思想 のも と で
と位置づけた こと に由来す るとし、言語 の問題は知識 の問 「
道」 に ついて語 ることは、自 ら の言説によ って 「
道」 の
題 の 一端 であ ると考えたから であ る。そ の結果、議論 の中 絶野性 を失 わ せ る可能性を常 に有 す ると いう意 味 で 「

心 は思想内容 の方 に置かれ、賓 際 の言説 (
dis e
cours)に見 険」な行為とな る。加え て、本論 で見 るよう に、 ﹃
荘子﹄
られる言語化 の努力 や言語表現そ のも のの特徴は '問題 の はそ の危険性を確 かに意識し ていた。 つま- ﹃
荘子﹄ のテ
語り得 ぬも の へのことば (
鈴木 )
中国文学報 第 六十 六 冊
キ ストは '言語 思想 と言 説 の間 に矛盾 を抱え 込 み つ つ' そ 説 は'名 (
言語記髄)と賓 (
指示封象) の 1敦 を 稀揚 す る言
の危機 を意 識 しながら語 られた言 説 の集 合 であ ると言 え る。 語思想 を持 つ ﹃
苛 子﹄ のよう な儒 家 的 テキ スト の言 説と異
注意 す べき は' こ の危険 性 は言語を 問 題とす る場合 に特 に な るば か り でな -、 「
道」 の言 語化 を 拒否 す ると いう鮎 で
明確 化 す ると いう鮎 であ る。知 識 の場 合 には' 「
道 」 に封 ﹃
荘 子﹄ に類似 した言 語 思想 を持 つ ﹃
老 子﹄ の言 説とも大
す る無知 を 「
坐忘 」 や 「
心療 」 と いう 言葉 で表 現 し ても直 き -異 な って いる。 そ こ で ﹃
荘 子﹄ の言 説 にお いては、言
接 矛盾 は生 じな いが'言語 の場合 ' 「
道」 に封す る 「
無 言」 語 思想 の内容 だ け でな-' そ れを いか に表 現す るかと いう
を表 現 す れば ' そ れ が俸 達 さ れ る以 上 、 「
無 言 を 言う 」 と 考 え 方も ま た'表 現形式 を決定 す る大 き な要因 と な って い
いう 矛盾 が明示 され てしまう 。厳密 に言え ば知 識 の場合 で ると思 わ れ る。 ゆえ に'言説 と言 語 思想 と の封療 関係 への
も 、 1つの判断 を 下し て いる時 鮎 で'例え 直観的 な把握 で 考 察 を 通 し て' そ の関係性 の中 に現 れ る ﹃
荘 子﹄ の 「
語る
あ ると し ても '何 ら か の理知 が働 いて いる こと にな- '矛 こと」 への意 識 に ついても注意 深 -検討 し てゆ-必 要 があ
盾 と言え る のではあ るが' そ の場合 も 矛盾 は言語 によ って る。
表 現 した こと で生 じ たも のであ るか ら、結 局 言語 の問 題 へ なお ﹃
荘 子﹄ のテキ スト の成立 と作 者 の問題 に ついては

と 回収 さ れ る こと にな る。以 上 か ら、 私 は' ﹃
荘 子﹄ の 言 基 本 的 に池 田知久 氏 の説 に従 う 。 す なわち

荘 子﹄ を戦 国
語間題 を知 識論 の中 から 1旦取 -出 し、従 来 のよう に思想 時代 中期 から前 漠武帝 期 ま で の間 に 「
道」 を思想 の中心 に
の面だ け に集 中す る こと な- 、言 説 の表 現形式 を中心 にし 置 -多 様 な思想集 園 によ って生 み出 さ れた テキ スト の集 成
て、検討 し てゆ-必要 があ ると考え て いる。 と考 え 、 現在 のテキ スト におけ る内 ・外 ・雑 篇 の直 別 や三
これ に加 え て我 々が考 え な - ては な ら な いこと は' ﹃
荘 十 三篇 の分 け方 に拘 泥 す る こと な-、同 じ篇 の中 でも各 寓
子﹄ にお け る 「
語 る こと」 への意 識 であ る。 ﹃
荘 子﹄ の 言 話 ・論 説 ごと に別 々 の成立事 情 を持 つことを前提 と し て扱
う 。但 し 、 具 鰹 的 な成 立 年 代 に ついては池 田氏 の案 のみ に 局 言 葉 があ る こと にな る のか 。 そ れと も 言葉 が な いこ
依 る のではな - '従 来 の議 論 を 掛 酌 し て推 測 を行 った 。 と にな る のか 。 そ れを殻 の中 に いる雛 鳥 の鳴 き 聾 と は
違 う と い った と こ ろ で' 厚 別 があ る のだ ろう か .直 別
一 ﹃
荘 子﹄ の言 語 思 想
が な いのだ ろう か 。
複雑 な ﹃
荘 子﹄ の成 立 問 題 の中 でも '斉 物 論 篇 が最 も古
い時 期 に成 立 し た種 類 の テキ スト であ る こと は'諸 家 が ほ こ こ では 「
言」 を 「
吹 」と直 別 し て 「
言 」 たら しめ て い

ぼ 一致 し て認 め ると こ ろ であ る 。 ま た奔 物 論 篇 は 篇 中 に る 「
言 者 有 言 」 と いう 存 在 理由 に暫 し、 そ れ が寓 物 賛 同 の

言」 や 「
知 」 な ど の認 識 問 題 に関 わ る論 述 を多 -含 み' 思想 のも と では結 局 「
穀 音 」 と 異 な るも のでは な いと言 う 。

- 3-
更 に そ れ ら が 理 論 的 に展 開 さ れ て いるた め、 ﹃
荘 子﹄ の 言 つま - 「
言 」 の表 象 す る世 界 の差 異 を否 定 す る こと によ っ
語 思想 の資 料 と し て扱 う のに適 し て いる。 そ こ でま ず 斉 物 て' 「
言 」 の記 鍍 鰭 系 と し て の機 能 に射 し て不 信 が表 明 さ
論 篤 にお け る言 語 思想 を 見 てゆ こう 。 れ て いる。更 に こ の間 答 の最後 では '賛 同 世 界 の維 持 のた
めに 「
言 」 を 排 除 す る こと が 要請 さ れ る。
- 夫 言非 吹 也 '言 者有 言 '其 所 言 者特 未 定 也 。 果有
言 邪。其以 為異於 穀音 '亦有 群平 、其
邪 ' 其末 嘗 有 言 2 天地 輿 我 並 生 、 而寓 物 輿 我 馬 1。 匪 己為 1臭 ' 且
無 群乎 。 (
斉物論篇 南郭子黄 .顔成子蕎 馳) 得有 言乎 。 旺 己 謂之 1臭 ' 且 得 無 言平 。 1輿 言 烏 二'
そも そも 言 葉 と いう も のは革 に風 の音 ではな い。 も 二輿 l為 三 。自 此 以 往 、 巧 歴 不能 得 、而 況 其 凡 乎 。故
のを 言う 場 合 には 言 葉 の意 味 と いう も のがあ る。 だ が 自 無 通 有 以 至 於 三 、而 況自 有 通 有 平 。無 適 蔦 、 因是 己 。
そ の言 葉 の意 味 内 容 は全 く確 定 でき な い。 な ら ば '結 (
斉物論篇 南郭子素 ・顔成子港間答)
語り得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中囲文学報 第 六十 六 冊
天地は自分と差別な-成り立 ってお-'寓物も自分 強 い不信が存在 し ている。但 し'それはまた、ほとんど斉
このよう に世界は)す で に
と と も に 「二 であ る。 ( 物論篇 に限定 された特徴 でもあ る。 ﹃
荘子﹄ の中 で主流を
「一」 (
賛同)であ ると言 った。 そ の他 に言葉 が有 - 占 めるのは、通常 の言語 の意味表象機能 には限界があ ると
得 ようか。す でに世界は 「一」 であると言 った。そう 考え'「
道」と いう相野的な存在 は言語 によ って直接語 る
言 った限-は言葉を無 しとして済まされようか。す る ことは できな いとする言語思想 であ る。 この場合 は'斉物
と賓在 の 「二 と' 「二 と いう言葉 と で二 つにな っ 論篇 のよう に言語 の意味表象機能を全面的 に否定するわけ
てしま い'(
この 「
二つ」というのも別の言葉であるから) ではな-、「
道」以外 のも のに封 し ては'言語 が 一定 の機
表現 の二 つが星章 の 「二 と合わさ って三 つとな って 能を持 つことを認める。
しま い、 これから先 は計算上手 でもとらえられな い。
凡人ならなおさら であ る。「
無」 から 「
有」 に向 か っ 3 元始 日' 「
道不可聞'聞而非也。道不可見'見而
てゆ-だけ で、 「二 は三 つとな ってしまう のだ。ま 非也。造不可言'言而非也。知形形之不形乎'道不雷
し てや 「
有」 か ら 「
有」 に向 かう と な れば'絶封 の 名。
」元始 日'「
有間道而麿之者'不知造也。錐間道者、
「二 など得られるはずはな い。ど こ へも行-ま い。 亦未開通.道 元間へ開先雁。
」(知北進篇 泰 清 ・無為 ・

ただ この境地 に止ま るばかり だ 。 無始 ・無窮 説話)
無始は言 った。「﹃
造﹄ は聞- ことは できな い。聞け
寓物賛同は 「
言」 によ って否定 され、本来 「
無」 であ- るならば それは異 の ﹃
道﹄ ではな い。 ﹃
道﹄ は見 る こ
「一」 であ る世界が際限な-壊 され てゆ- こと になる。斉 とも できな い。見え るならば ﹃
道﹄ ではな い。言う こ
物論篤 には'全膿 にわた って以上 の二例 のような言語 への とも できな い。言え るならば ﹃
道﹄ ではな い。こう し
て形有 るも のを形髄として成立 させる ﹃
道﹄ が'それ 4 夫精粗者、期於有形者也。元形者、敏之所不能分
自腔は形を持たな いことを理解するなら、そ の ﹃
道﹄ 也。不可固着、数之所不能窮也。可以言論者、物之租
を名付 け てはなら ぬとす る のは首然だ。
」無始 は こう 也。可以意致者'物之精也。言之所不能論、意之所不
も言 った。「﹃
道﹄ に ついて問われて答え る者は ﹃
造﹄ 能察致者、不期精粗蔦。(
秋水篇 河伯 ・北海若問答)
を知 らな いのだ。質 問 した者 にし ても、 ﹃
造﹄を数え そもそも精微とか粗大とか いうも のは '形有 るも の
てもら った こと にはならな い。 ﹃
道﹄ は問う ことも で の範噂 のことだ。形 のな いも のは数量 では笹分 できな
きず'問われても答え ることはできな い。
」 いも のであ るし、枠づけられな いも のは'数量 では究
明 できな いも のである。 つま-'言葉 によ って説明 で
この例 では、造物者とし ての 「
道」自膿は形を持たず、 き るも のは、有形 の物 の中 で粗大なも のであ-'心 に
名付 け られも しな いと言う。もう少 し説明 を加え れば、 よ って接近 でき るも のは、有形 の物 の中 で精微なも の

道」とは 「
言」以前 の根元的存在 であ-、始 めも終わり であ るが、言葉 で説明 できず'心 でも把握 できな いよ
もな い無窮 の存在 であ るから、人間 の知的能力とし て限定 う な封象 に ついては、もはや精微 や粗大と いう概念 で
された機能 しか持たな い言語 では'そ の根元性 ・無窮性を はとらえ られな いのであ る。
表 現す ることは不可能 であ ると いう考え方 であ る。 「
道」
に封す る言語 の意味表象機能を否定 はす るも のの、斉物論 この例 では 「
言」と 「
意」 の及ぶ範囲を規定す ること に
篇 に見え たよう な言語全般 に封する不信 は無-'寓物賛同 よ って、それ によ って把握 できな い 「
造」 の無窮性を示唆
のためには言語を排除すると いう考え方とは異な って いる。 荘子﹄ には'例4のよう に 「
し ている。 ﹃ 言」と 「
意」'或
いは 「 知」とを分け'そ の間 に段階 の差を設け て
言」と 「
語-得 ぬも の へのことば (
鈴木)
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いる例 が他 にも見られるが、そ の場合'常 に 「
言」 の方 が の言語思想を想定す べきな のか検討す る必要があ る。まず
低次 の段階とし て扱われ て いる。ともあれ' この例 にお い 天道篇 ・大道有序論 の場合は、法家思想 や黄老思想 の影響

ても' 「
造」以外 の 1部 の存在 (
この例文では 「
物之粗」
)に 関係 が色濃-見られ' ﹃
荘子﹄ の中 でも異質 な部分 である。
射 して 「
言」が 〓疋の意味表象機能を有 して いると いう考 また秋水篇 の例 では、例4のよう に 「
言」を制限する言語
え方は共通し ている。 思想 が同じ寓話 の中 で示され てお-'寓話全憶から見れば'
そ の他 に、 ﹃
荘子﹄ には言語 の意味表象機能を全面的 に 矛盾 し封立する二種 の言語思想 が見 られると いう よ-'賛
認めて いると思われる部分も見られる。例えば例4と同じ 際 の言説 にお いて言語思想と矛盾す る表現を用 いてしま っ
是所以語大義 之方、論寓物之理也。」 (
寓話 の中 には' 「 こ たも のと解樺す べき であ ろう。 ﹃
荘子﹄ の中 で言語 に封 し

∂-
れが大 いなる徳義の道を語り'寓物全てのし-みを論ずる手だて て肯定的と思われる記述 (
「道」を言葉で直接的に説明してい
である。)と北海若 が述 べる箇 所があ-'「
大義之方」・「
寓 るなど)は量的 にも少 な-'論 説と し て明示 されることも

-
物之理」と いう 「
道」 の働きが言語化可能 なも のと考えら な い。ゆえ に' これら の記述を ﹃
荘子﹄ の言語思想 の表す
れ て いるよう に見え る。ま た'天道 篇 の大 道有序論 には も のとし て扱う のは通常 でな いと考え る。したが って本論

語道而非其序者'非其道也。語道而非其道者、安取道。」 では' ﹃
荘子﹄ の言語思想を'暫物論篇 に見 られる言語全
(
「道」について論じていながら'本末 ・先後 の序列を忘れたも 膿 への厳 し い不信を持 つ考え方と'それ以外 の部分 に廉-
のは、あの異の 「
道」ではないo「
道」について論じていながら、 見 られる' 「
道」 に封す る言 説は排除す るけれども、他 の
賓はそれは異の 「
道」ではないと いうような者に'「
道」を曾得 寓物 に野しては言語 に 〓疋の機能を認める考え方と の二種
することができようか。)と いう言葉 が見 られ る。 これら の 類 に分け て論 じ てゆく こと にす る。以後'前者を 「
斉物論
例 から' 「
造」ま で言語 によ って表現 しう ると いう、別種 篇的言語思想」'後者を 「
主流的言語思想」と呼稀する。
れを 「
判断放棄 の表現」と呼 ぶ。なお、判断放棄す る根嫁
二 奔物論篇的言語思想 における言説
は斉物論篇的言語思想 にあ るわけだが'逆 に言語思想 の側
斉物論篇的言語思想 は'言語 の意味表象機能を根本的 に から考え ると' ﹃
荘子﹄ の意園 が反復疑問 のうち の 「
末嘗
疑う厳 し いも のであ った。 では'そ のような言語思想 にお 有言」 や 「
其無料」 の方 にあ ることが分かる。 このよう に
いては' いかなる言説が使用を許されるのだ ろうか。そ の 「
判断放棄 の表現」 では'常 に疑間中 の否定的判断 の方 が
答えを斉物論篇 に見え る特徴的な表現から探 ってゆ- こと 選揮 されるべき答えとな っている。
に し た い。 これに類似するも のとし て、目覚 め ているのか寝 ている
ま ず は反復疑問 による問 いかけを用 いた表現が翠げられ のかを夢を見 て いるそ の時 には知-得な いと いう現象 に基
る。例 -では 「
果有 言邪'其末嘗有言邪。
」また 「
其以馬 づ いて、今は 「
夢」か 「
覚」かと自問する形式を用 いて自
具於穀音'亦有耕乎。其無群平。
」と いう 具合 に'反復疑 己 の判断を打ち消すと いう表現形式 がある。 これも 一種 の
問 の型 で問題を提起す るが'結局それに封する答え は出さ 判断放棄 の表現と言え るだ ろう。
れな い。もしここで肯定な-否定な-何らか の判断を下す 次 に奉 げられる のは'「
言」 に封す る不信を表 明 した後
ならば'それは直前 に述 べたことに射 して自 ら矛盾をきた で、「
嘗試論之」 (
ちょっと語 ってみよう)など の言辞を置 い
す こと になる。なぜなら 「
言葉 があ る」と いう ことも 「
言 て、そ の前提を 一時保留 した上 で語ると いう表現 であ る。
葉がな い」と いう ことも是非判断 に他ならず、そ の時 には

其所言者特未定也」と いう認識と矛盾 し てしまうからで 5 蓄映 開平王悦 日' 「
子知物之所同是平。
」 目' 「

あ る。以上 のようなこの表現特有 の論理 に ついては'早- 悪乎知之。」「
子知子之所不知邪。
」 日'「
吾悪乎知之。


に大演暗氏 による指摘 がある 。そこで大演氏 に従 って' こ 「
然別物無知邪。」 日、「
吾悪乎知之。雑然'嘗試言之。
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鈴木)
中国文学報 第六十六冊
庸拒知吾所謂知之非不知邪。庸拒知吾所謂不知之非知 黄 ・顔成子涯問答 にも同様 の文句 が見られるLtまた雀鶴
邪。
」(斉物論篇 蕃鉄 ・王侃問答) 子 ・長梧子問答 での 「
予嘗馬女妄言之、女以妄聴之'葵 。

寄紋 が王悦 に尋ね て い った 。 「
先生 は全 ての存在 が (
私がちょっと試しにお前のためにでたらめに話をするから'お
共通し て正し いとす るも のをご存 じ ですか。」 「
私がど 前もでたらめに聞-のだよ。どうかね。)と いう文句 も、 こ の
う してそれを知 って いよう。」 「
先生 は'ご自分が知 ら 表現 の 一種とみなす ことができ る。これらを 「
不信保留 の
な いと いう ことをご存 じな のですか。
」「私がどう して 表現」と呼 ぶこと にす る。
それを知 っていよう。
」「それでは全 ての存在 には知 が 斉物論篇 には、例5や次 の例6のよう に'不信保留 の表
な いのでし ょうか。」 「
私がどう してそれを知 って いよ 現と判断放棄 の表現が話 の内容を挟 み込んで置かれ ている
う。とは言え'ち ょ っと試 しに言 ってみようか。私が 場合も多 い。そ の場合、最初 に 「
嘗試論之」と言う こと で

知 って いる﹄と言う ことが、賓 は ﹃
知 らな い﹄ こと 強力 な言語不信を 1旦保留 Lt更 に自己 の語- の最後 に判
ではな いのか'はたまた私が ﹃
知 らな い﹄と言う こと 断放棄をす ること で、今語 ったばか- の言説を無化 しょう
が'賓 は ﹃
知 って いる﹄ こと ではな いのか、どう して とす るねら いがあ ると考え られる。 このよう に、 これら二
それが私 に分か ろう。
」 つの表現は'厳 し い 「
言」 への不信を持 つ斉物論篇的言語
思想 の下で何とか語 ろうとす るため の表現手法 であ ったと
三度 の問 いに封して全 て 「
吾悪乎知之」と答え ること で、 考えられる。
知識論としてのみならず、賓際 の言説 の上 でも 「
無知」を 以上 の二者とは性質を異 にするが、もう 一つ挙げ てお-
徹底す る。そ の上 で 「
錐然、嘗試言之」と以上 の 「
無知」 べき特徴があ る。それは 「
言説 の過剰」 である。具膿的 に
を 1時保留 して語-出す のである。 この例 の他 に'南郭子 は同型文 ・類型文 の反復 による列叙表現を指す。まずは上
昇的漸暦法 (
cli
max)のレトリ ックを用 いる例を挙げ よう。 無 いと いう ことが有 る。無 いと いう ことさえ、無か っ
たときが有 る。また無 いと いう ことさえ無か ったとき'
6 今且有言於此、不知其輿是類平。其輿是不類乎。 それさえまだ無 か ったときが有 る。突如極限 の無が有
類輿不類'相輿為類'則輿彼無以異臭。雑然'講嘗言 ること になる。しかしながら、そ のような無が有 ると
之。有始也者、有未始有始也者'有未始有夫末始有始 いう ことが'果たして 「
有」 であるのか 「
無」 であ る
也者。有有也者、有無也者'有未始有無也者'有未始 のか分からな い。今私は ここでこのよう に言葉を述 べ
有夫未始有無也者。俄而有無夫'而未知有無之果執有 た。だが私が言 ったこの言葉が'果たして言 ったこと
執無也。今我則己有謂臭、而未知吾所謂之其果有謂平。 になるのか'言 ったこと にならな いのか'それも分か
其果無謂平。 (努物論 篇 南郭子素 ・顔成子済問答) らな い。
今 ここに言葉があ るとす る 。 この言葉 があ の是非判
断を超えた 「
道」と類似 している のか いな いのか'そ この例文 では'「
有」 に封す る否定として 「
無」'更 にそ
れは分からな い。類似し ていると いう のも類似 して い の否定 と し て の 「
未始有無」 へ'更 にそ の否定 と し て の
な いと いう のも同類 であ って、か の世俗 の是非判断と 「
末始有夫未始有無也」 へと いう よう にへ否定を重ねるこ
異 なることはな いのだ。(
だからどう言おうと詮無 いのだ と によ って 「
無」 の追求 が進 んでゆ-。ここでは'無限回
が)とは言え'試 しに言わせてもら いた い。始 めと い の否定 の繰- 返 し によ って'究極 の 「
無」 (
「俄而有無臭」
う ことが有 る。また始 めと いう ことさえ無か った始 め の「
無」) へと行き着- ことが表現され ている。
が有 る。また始めと いう ことさえ無か った始 め'それ このよう に否定を用 いること でよ-高 い次元 へと超え出
さえまだ無か った始 めが有 る。有 ると いう ことが有 る。 てゆ-論理形式は'赤塚忠氏 によ って道家 の特徴として指
語り得ぬものへのことば (
鈴木)
中国文学報 第六十 六冊
摘 されたも のであ- 、 「否定陳述 による超出」と呼ば れ て 他 に第 二章 ・第 四十三章 に見え る 「
不言之敦」 や第十 四

い る 。例5に見え る 「
吾悪乎知之」 の繰-返しによる無知 章 に見え る 「
無状之状」なども' この類例 であると言え る。
の徹底も こ の 一種 であ る。 ﹃
荘子﹄ の 「
言説 の過剰」 に つ このよう に、 ﹃
老子﹄ における 「
否定陳述 による超出」は'
いて論 じるため に、 ﹃
老子﹄ におけ る 「
否定陳述 による超 逆説 のレトリ ックを用 いて表 現され て いる のであ る。 ﹃

出」 の表現と比較 してみよう。 子﹄と ﹃
老子﹄ の間 には、同じ 「
否定陳述 による超出」 で
あ っても論理とし て微妙な差 があ-、単純 に否定 の数量 の

7 大成若鉄、共用不弊。大盈若沖'共用不窮。大直 多寡をも って比較す るわけには いかな い 。 しかし、少な-
若屈'大巧若拙、大群若調。操勝寒'静勝熱。清静馬 とも表現 の面 にお いて、 一つの超出を 一句 の逆説 で表現す

天下正。(﹃
老子﹄第四十五章) る ﹃
老子﹄ に射 して'漸暦法 のような敷句 にわたる列叙表

0
1
本皆 に完全なも のは放けたと ころがあ るか のよう で 現を用 いる ﹃
荘子﹄脅物論篇 の 「
鏡舌 さ」を指摘す ること
あ るが、そ の働きは衰え ることがな い。本営 に充満 し は可能だ ろう。次 に暫物論篇と ﹃
老子﹄ の封偶表現を比較
たも のは空虚なよう であ るが'そ の働き は蓋き ること し てそ の傍謹としよう。
がな い.本昔 に最 っ直ぐなも のは曲 が っているか のよ
う であ-'本首 に巧妙なも のは拙 いよう であ-、本営 8 通行之而成'物謂之而然。悪乎然、然於然。悪乎
に雄梓なも のは納梓 のよう であ る。動き回れば寒 さを 不然'不然於不然。悪乎可、可乎可。悪乎不可'不可
し のげ るが'じ っとして いれば暑さを し のげ る。清ら 乎不可。物固有所然、物固有所可。無物不然'無物不

か で静かなも のが天下 の君主となるのだ。 可。 (
斉物論篇 南部子素 ・顔成子港間 答 )

造」はそれを歩 いて始 めてできあが-'事物 はそ
れを名付 け て始 め てそうなる。しかし何を 「
そう であ るが' そ の中 で比較 的贋 -同意 を得 て いるも のと し て'
る」とす る のか。 「
そう であ る」と思うも のを 「
そう ﹃
老子﹄ の封偶 は主題 に ついて深甚な印象を輿え る致果を

であ る」とす るのである。何を 「
そう ではな い」とす 持 つと いう
説 、 そし て ﹃
荘子﹄斉物論篇 の封偶は、内容博
る のか。 「
そう ではな い」と思う も のを 「
そう ではな 達 における明断 さを犠牲 にし ても音韻的 ・形式的な遊戯性

い」とす る のであ る。何を 「
よし」とす る のか。 「
よ を追求 した表現 であると いう説が挙げられる。
し」と思うも のを 「
よし」とす るのであ る。何を 「
よ よ-言われる 「
寡欺な老子と健吉 な荘子」と いう比職を'
-な い」とす る のか。 「
よ-な い」と思うも のを 「
よ 雑多 な種類 のテキ ストを含む ﹃
荘子﹄ の全髄 に昔 てはめる
-な い」 とす る のであ る。全 て の存 在 にはも とも と のには慣重 になる必要があるが、少な-とも'例6 ・8の

l-

そう であ る」と でき るも のが備わ-'またもともと 考察 から浮かび上が って-る ﹃
荘子﹄斉物論篇 の特徴は'

- l

よ い」とす べき債値があ る。全 ての物 には 「
そう で まさに 「
言説 の過剰」 であ-' 「
健吉」と いう印象を輿え
はな い」も のはな-、「
よ-な い」も のはな い。 るも のだ ろう 。私 は こ の 「
言 説 の過剰」を' 「
はじめ に」
で述 べた ﹃
荘子﹄ の 「
語 ること」 への意識を示す重要な ヒ
ここに見られる封偶表現は'畳語 ・反復を多用し、指示 ンー であ ると思う のだが、それ に ついては第 五節 であらた
詞 や否定 詞を入 れ替え た列叙表 現 であ る。 それ に封 し て め て論じること にする。
老子﹄ の封偶表現は'例7 のよう にほぼ同句型を用 いな

三 脅物論篇的言語思想から主流的言語思想 へ
がら'それに載 せる語嚢を次 々に類比的な別 の語 に襲え て
ゆ-と いう形式を持 つ。両者 の形式 の違 いに伴う機能 ・致 前 節 に お いて' 斉 物 論 篇 に見 ら れ る表 現 は、 厳 し い
果 の面 での違 いに ついては匪 に色 々な鮎から研究 され て い 「
言」 への不信を持 つ言語思想 の中 で' でき るだけそれに
語り得ぬも の へのことば (
鈴木)
中国文学報 第六十六冊
抵鯖 せず に言 説を行う ため の手法 であ ると考えた。 ではそ 以活身 者 元有 哉 。
」 には反復 疑 問 が用 いら れ てお-'判断
れら の表現形式 は'斉物論 篇以外 の部分 ではど のよう に扱 放棄 の表現 に似 て いる。 しかし、以降 の文章を見 る限り'
われ て いる のだ ろうか。例と し て至契 篇 の冒頭部分 の、斉 ここでは 「
至楽」 や 「
活身」 が存在 す ると判断 し て いると
物論篇 に類似 した文章表 現 に ついて検討 し てみよう 。 考え る べき であ-、最終的 に否定 の立場をと っては いな い。
また これは饗語 の部分 であ-'位置 から言 っても語 った後
9 天下有 至柴元有哉 。有 可以活身者 元有哉 。今実 篤 にそ の判断を放棄す ると いう役割 は持 ち得 な い。従 って'
美 禄、実 避奥 庭、実 就実 去 '葵 饗葵 悪。 (
至奨篇 至柴 例9 の反復疑問 は'奔物論篇的な判断放棄 ではな-'単な
論) る自 問 であ る. 「
今美 馬奥 様 、葵 避集 塵'葵 就莫 去 、実 禦
こ の世 に至高 の楽 しみと いうも のはあ る のだ ろう か' 実 悪。
」 に ついても'成玄英 の疏 が 「
此仮 設疑 問' 下自 暁

2
1
な いのだ ろう か。我 が身 を安 らか に生 かす こと のでき 蘇。
」(これは仮定として疑問を設けたのであり'以下を謹んで
る方法 があ る のだ ろう か'な いのだ ろう か。今、私 は いけば自然に明らかになろう。
)と いう よう に'単純 な問 いか
何を行 い何を止 め'何を避 け何 に身 を置き、何 に従 い けと し て解稗す る のが 一般的 であ-'奔物論 篇 での用法 と
何を去 -'何を楽 しみ何を憎めば よ いのか。 は異 な る。
更 に こ の例文 の後 には' 「
請嘗試 言之」 と いう、 不信保
斉物論篇 におけ る判断放棄 の表現 は、是非 判断 を 下す こ 留 に似 た表現 が見え る。 しかし 「
言」 への不信 がそ の前 に
とを避け るため に'問 いかけ の形 で文を締 め-- るが、 そ 提示 され ておらず'前後 の文脈 から言 っても' こ の部分 は
の賛 、 ﹃
荘子﹄ の意園 と し ては否定 的 判断 の方 を と ると い 話題提起 の機能を持 つだけ であ ると考え る べき であ って'
うも のであ った。 こ の例文 でも 「
天下有至禦元有哉 。有 可 帝物論篇 におけ るような'自分 の言説 のため に言語 への不
信を保留 す ると いう機能 はな い。不信保留 の表現 に類似す と密接 に関 わ る機能 を持 って いな い。 ﹃
荘 子﹄ に近 い時期
る形式 は'至奨篇 の例を含 め て斉物論篇以外 の部分 に十 三 に成立 した他 の道家 テキ スI でも状況 は同じ であ る。例え
例見られるが' そ のうち奔物論 篇的 な機能を果たし て いる 准南 子﹄ 倣其 篇 では'冒頭 に例6 の 「
ば ﹃ 有始者、有未有
ことが明 らかな のは田子方 篇 (
孔子 ・老子問答)の 一例 に過 有始者」節 が引用 され るが、宇宙生成論とし ての解 説を加

ぎな い。 え られること によ って、斉物論簾 におけ る 「
否定陳 述 によ
言 説 の過剰 」 に ついても検討 し てみよう 。例6 のよう
「 る超出」 の無 限 の繰り返 しと いう性質 は失 われ て いる。斉
な否定陳述を重 ね て超出 し てゆ-表 現 は、奔物論篇 の他 に 物論 篇的言語思想と主流的言語思想 は、勢力範囲 の贋 さ に
は徐 元鬼 篇 (
南伯子素 ・顔成子問答)に見 られ るだけ であ-' 大 き な差 があ -、 ﹃
荘 子﹄ の雑 駁 な成立事 情 から言 っても

3-

不言之敦」 (
徳充符篇)や 「
不知之知」 (
知北遊篇)のよう 本来 は直線的な継承関係を想定 す ることは遠雷 でな い。

- 1
老子﹄的 な逆説表 現 による超出 が中心とな る。例8で
な ﹃ しかし奴 に述 べたよう に、他 の様 々な方向 から の考 葦 に
見 られたよう な封偶表 現は斉物論篇以外 の箇 所 にも散見 さ よ っても賛物論篇 の大部分 は ﹃
荘子﹄中 でも最も古 い時期
れるが'次 に見 る寓言篇 のよう に'斉物論 篇 の引用 や模倣 に成立 した テキ スト であ ると考え られること、 そし て以上
であ ると考え られ るも のが多 い。但 し' 「
言 説 の過剰」 と に見 られるよう な状況 から'基本 的 には斉物論篇的言語思
いう印象を輿え る表 現と いう こと であ れば'主流的言語思 想 が先行 し て存在 し'それが漸進的 に主流的言語思想 へと
老 子﹄ の誓
想 の言 説 にお いて中心 と な る種種 の寓話 は' ﹃ 愛化 し て い ったと考えられる。 ではなぜ、斉物論篇的な言
除と比較 した場合 にそれ に普 てはま るだ ろう 。 語思想 や言説は'荘子学派 の中 で大き な勢力 を持ち績けら
このよう に、斉物論 篇 に似 た表現 は他 の部分 にも見 られ れなか った のだ ろう か。次 に、 そ の原因 に ついて考え てみ
る のだが'それら のほと んどは賛物論篤 のよう な言語思想 よ、
つ。
語-得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中隊文学 報 第 六十 六冊
斉物論 篇的言語思想 は '言語 の意味表象機能 に強 い不信 が斉物論 篇 の言語思想と表 現形式 が保持 されなか った最大
を抱き '言 説が寓物 の賛 同を破壊す ると考え るも のだ った。 の原因 であ ったと考え る。遊説家と し ての生活形態 を取 る
またそ の言語思想 を反映 した言説は'言語 への不信を保留 限-、言語 への不信 は'少 な-とも表 現 の面 では緩和 され
し てから語-始 め、語 った後 で判断 を放棄 す ると いう複雑 ざ るを得 なか ったはず であ る。そし て'不信 が緩和 され、
な手績きを求 めるも のであ-、列叙表 現を多 -含 む難解 な 言 説 の自由度 が高 ま ってからは'賛物論篇的表 現は使 われ
表 現形式 を持 って いた。思想を共有す る撃派内 で の倍達な な-な-'そ の結果 それら の表 現 が斉物論 篇以外 ではほと
らばとも か-'遊説家と し て'群説をも って自 説を展開 し、 んど見 られな いと いう現象 が生 じたも のと考え られる。 こ
他学派と の角 逐 の中 で自 ら の学派を纏積 し馨展 し てゆ- に のよう に考え ると、言語思想 の撃化 は言説 の饗化 にリード

4-
営 た っては、 こ のよう な言語思想と表 現形式 は大きな障害 された可能性 が高 いと思われ る。

- 1
にな ったと思われる。荘子撃涯 が他 の先案文厳 に現 れる こ とも あ れ' こ の緩和 された言 語思想 にお いても' 「
道」
とは少 な-、 そ の活動 は他 の諸子と比 べて目立 たな い。け に ついて の 「
言」 は依然 と し て禁 じら れ て いる以 上、 荘

れど も ﹃
萄 子﹄ 解 蔽 篇 や ﹃
荘 子﹄ 天 下 篇 に 「
荘 子」・「
荘 子﹄ が 「
造」 に ついて語 ろう とす る限り'通常 の言説を 使
周」 の名 が見 られること'ま た説鋤 篇 にお いて 「
荘周」 が 用 し て直接語 るわけ には いかな い。 そ こで、斉物論 篇的表

遊説家と し て措 かれ て いることなどか ら '戦国時代 末期 に 現 に代 わ る、 「
道」を語 るた め の新 たな言説 が模 索 された
お いて、荘子学派が遊説家と し て 〓疋の勢力 を保 って いた ことが推測 され る。 そ の理論面 におけ る 一つの成果と考え

ことが推 測 でき る。そし て自 己 の粁 説 によ って身を立 てる られる のが'寓言篇第 1章 であ る 。
遊説家 であ った以上、賛物論 篇的特徴 が引き起 こす梓説 の
障害 は'切賓 な問題 であ った に違 いな い。私 は'それ こそ 10 寓言十九、重言十七、后言 日出'和以天悦。
寓言十九㌧寿外論之。親父不烏其子煤。親父馨之' 寓言は十中九を占 める。 これは他 の物 に借り て論ず
不若非其父者也。非吾罪也'人之罪也。輿己同則鷹、 るも のであ る。父親 がそ の子供 のために媒酌人を つと
不興己同則反。同於己為是之'異於己為非之. めな いのは、父親 が彼を褒めるよりも'父親以外 の人
重言十七、所以巳言也。是馬着丈。年先臭、而売経 が褒 める方が致果的 であ るからだ。そ の効果が生じる
緯本末以期年著者'是非先也。人而売以先人'元人道 のは'こちら の責任 ではな-相手 の責任 であ る。人は
也。人而元人道'是之謂陳人。 自分と同じ意見 には同調す るが'自分と異なれば逆ら
后言日出'和以天保'因以星宿'所以窮年。不言則 う。自分と同じ であれば 「
是」とするが'自分と異 な
斉'斉輿言不斉、言輿斉不哲也 。故 日、売言。言元言' れば 「
非」とす るも のな のだ。

終身言'未嘗言。終身不言、未嘗不言。有自也而可' 重言は十中七を占 める。論争をそこで止 めさせるた


J
有自也而不可。有自也而然'有自也而不然。悪乎然' め のも のである。それは古老 の言葉を用 いるも のであ
然於然。悪乎不然'不然於不然。悪乎 可、可於可。悪 る。だが歳 の上 では先 んじ ていてもtも しそ の年齢 に
乎不可'不可於不可。物固有所然'物固有所可。元物 適合するだけ の、筋道立 って本末 の備わ った中身 がな
不然'元物不可。非后言日出'和以天保'執得其久。 ければ'それは人 に先 んじて いるとは言えな い。人と
商物皆種也。以不同形相揮、始卒若環'莫得其倫'是 して (
年齢を重ねながら)人を先導す ることができな い
謂天均 。天均者、天侃也。 のなら'人 の道が備わ っていな いこと になる。そ のよ
(
私の語る言葉は)寓言が十中九を占め'重言 が十中 う な人物 は' 「いたずら に歳を重 ねただけ の人間」と

め '后言 は 日 々に現 れ出 て、 天保 (
七 を占 自然のす- 言う。
つぶし)を用 いて全 てを調和す る。 后言は日 々に現れ出 て'天悦を用 いて全 てを調和 し'
語り得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中囲文学報 第 六十 六 冊
極ま- のな い饗化 に任 せ てゆ-。 これが書
芸叩を極限ま を辿 ることは できな い。 これが天均 (
天の賛同化作用)
で窮 める方法 であ る。言葉を 口にしなければ、寓物は と言われるも のであ る。天均とは天保 である。
賛同 である。しかし賛同を言葉 で表現す るとき'それ
は既 に賛同 ではな-な る。 「
賛同」と いう言葉と本来 ここで ﹃
荘子﹄ は 「
寓言」・「
重言」・「
后言」と いう三種
の賛同とは 一致しな い。そこで 「
も のごとを言葉 で表 類 の言説 の形を提示 している。そ の中 で際だ って重要税さ
現しな い」と言う のであ る。言葉 にし てもそれが物事 れ て いる のは 「
后言」 であるが'そ の解梓 に ついては説が
を表現して いな いならば、生涯語 っても語 ったこと に 分かれ ている。「
后言」を言語を越えた 「
言」とし て'「

はならず'また 二言もし ゃべらなく ても'それは語 っ 言」 や 「
重言」とは別 の次元 のも のであると解する のが主

0-
て いな いこと にはならな い。人はそれぞれ の理由 があ 流だが、本論と の関係 では池 田知久氏 の意見 が重要 であ る。

一1
って 「
よし」とす るのであ-、理由があ って 「
よ-な 池 田氏は、例 10中 の 「
言尤言、終身言'未嘗言。終身不言、

-一
い」とす る のであ-'理由 があ って 「
そう であ る」と 未嘗 不言。
」の 「
言売言」を 「
世界 の絶佳性 に ついての無
す るのであ-、理由 があ って 「そう ではな い」と判断 言を内包す る言を言う」と解碍Lt寓言篇 の引用部分を初
す る。︹「 物固有所可」までは例8と重なる
悪乎可」から 「 期道家が賓践的最知とそ の判断 ・表現 の矛盾を解決するた
ので詳省略︺后言 が日毎 に口から出 て' 天保を用 いて め に書 いたも のと し て位 置づ け る。 更 に 「
后 言」 と は'
全 てを調和 してゆ- のでなければ、誰 が極限 の長寿を 「
言元言」 の賓践 であ-、世界 の賛同を内包 Ltそれを否
得 ることが できよう か。あらゆる事物 は種 であ る。そ 定 でも って表 現 す る 「言 」 であ ると し て' そ のよう な
れらは皆異な った形をと-ながら次 々に奨わ ってゆ-0 「
言」はむしろ積極的 に言う べきだとする 「
言」 の擁護 が
初めと終わ-とがま るで輪 のよう に循環して、そ の理 この寓言篇 に登場し、それによ って荘子学派 の中 で 「
言」

がほぼ完全 に回復 したと考え て い る 。しかし'池 田氏 の理 れな い。しかし、主流的言語思想 における言説 の特徴 の中
解するような 「
后言」 に普 てはまる具鰹的な言説 の例が斉 に'そ の跡を探 ることは可能 である。
物論篇以外 には見られな いこと、更 に 「
后言」と いう言葉
四 主流的言語思想 における言説
も天下篇を除 いては他 に見 られな いことから'「
言 売言」
以下 の解梓 のみを根接として池 田氏 のよう に 「
后言」を理 主流的言語思想 の下 での 「
至言」追求 の試 みに ついて考
解するのは いささか武断 に過ぎよう。むしろ私は'「
危言」 察す る際 にヒントになる のは、寓言篇 に提示 された三言 の
の説明が斉物論篇 の引用 や斉物論篇的表現を用 いて行われ 中の 「
寓言」と 「
重言」 であ る。
てお-'内容もまた脅物論篇 の言語思想 や表現 の特徴 に沿 前者 に ついては、寓言篇 の 「
薄外論 之」 (
他の物に借-て

7-
う ことから、 「
后言」 は第 二節 で指摘 したような賛物論篇 論ずる)と いう説明 で十分だ ろう。後者 の 「
重言」 に つい

- 7
的表現を定義 した言葉 であ ろうと考え る。但 し、斉物論篇 ては諸説があ るも のの'世 の中 で尊重 され ている人物 の言
と寓言篇 の先後関係がまず覆らな い以上' この定義 は後付 葉として述 べると いう形式 の言説とす る解樺が 一般的 であ
け のも のであり、鑑 に存在 し ていた斉物論篇的表現を追認 る。 つま- 「
寓言」と 「
重言」とは'どちらも寓話形式 に
して 「
后言」と名付けた のであ って'寓言篇以後 にそ のよ 封す る呼稀 であ ると解樺 でき る。
うな表 現が積極的 に用 いられなか ったことからも' これを ﹃
荘子﹄ の寓話 は ﹃
墨子﹄ や ﹃
孟子﹄と比較 して'量的
も って 「
言」 の回復を果たしたと考え ることは難し いと思 に多 いば かり でな-'性質 の面 でも大き な違 いがあ る。
われる。 ﹃
荘子﹄ の寓話 の特徴 に ついては鑑 に様 々な鮎から指摘 さ
「 言」(
造」を語りう る 「 以降それを 「
至言」と呼ぶ)の追 れ ているが、それら の特徴を生 み出す原因とな っているの
求 に関 して、寓言篇 のような理論的な記述は他所 には見 ら は'寓話を猫立した表現形式とし て使用す る意識 の存在 で
語り得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中国文学報 第六十六伊
あ ると言えよう。例えば '寓話 の前後 にそ の主旨 に ついて 黄帝 は答え た。 「
あ の無為詔 が本営 に正 し いのは'
の追加説明が置かれることが少な いと いう現象は' ﹃
荘子﹄ 彼が ﹃
道﹄ に ついて何も知 らな いからだ。次 の狂屈が
が、寓話を論説 の付属物として扱う のではな-'寓話 のみ やや近 いと いう のは、彼 が ﹃
造﹄ のことをす っか-忘
を用 いて自 説を語 ろうとす る意識を有 して いたことを示 し れ てしま ったためだ。そし て私と君が結局近づ-こと
ている。寓言篇及び天下篇 (
例15参照)にお いて 「
寓言」・ も できな いと いう のは'我 々が ﹃
道﹄と いうも のを知

重言」 が 「
危言」と遊 んで挙げられ て いること から考え って いるからだ よ。
」後 に狂屈 は 二人 の問答 を聞き'
て' こ の寓話 に封す る意 識 は' 「
至言」 の追求と結び つい 革帯を 「
知言」 であ ると許した。
たも のであ ったと言え る。そ の例を見 てみよう。
知 北 遊 篤 の知 ・無 為 謂 ・狂 屈 ・黄 帝 問 答 は' 「
知」 が 「
知言」 の意味 に ついては' ﹃
論 語﹄ や ﹃
春秋左氏博﹄

8
1

道」を把握す ること に ついて尋ねた のに射 し て' 「
無為 の用例 に基づ いて'責帝 に封する馨 め言葉として解稗する
謂」 は知 らぬが ゆえ に答えず' 「
狂屈」 は言 おう と し て途 のが 一般 的 であ る。 しかし私 は成玄英 の疏 に 「
(狂屈)請
中 でそ の中身を忘 れ'結局責帝 のみが答え ると いう寓話だ 黄帝難未 近異'適 可知玄言而 巳央」 (
黄帝は最 の 「
道」には
が、そ の最後 は次 のよう に締 め--られ て いる。 まだ速いけれども'それでも 「
玄言」だけは知 っているのだと狂
屈は思 った)と言 う こと からも 'も う 少 し踏 み込 ん で'
11 黄帝 日、「
彼其鼻是也、以其不知也。此其似之也、 「
道」 の表現不可能性を印象づけるために'黄帝 が 「
道」
以其忘之也。予輿若終不近也'以其知之也。
」狂屈聞 に至 る前 の段階 の存在として設定 され ていることを表示す
之'以黄帝為知言。 (
知北進篇 知 ・無為謂 ・狂屈 ・黄帝 る評債 であ ると考え た い。 つま -'黄帝自身 が、自 分 は
問答 ) 「
造」を知 って いるからこそ 「
道」 に近づ-ことができな
いと自己否定 して 「
道」 の不可知性を アピ ールする のに止 「
造」を語ることが でき るわけ であ る。
まらず、更 に狂屈をも って 「
道」を語 った責帝を 「
造」 に 脅物論篇的表現 では'「
嘗試論之」と いう不信保留 の表
至らぬ者とし て批評させて いるのであ る.最後ま で無為講 現と問 いかけ の形 の判断放棄 の表現を用 い'時 にはそ の両
の言葉 はな-、 「
造」を得 ること にお いて不完全 な狂屈 の 者 で挟 み込 ん で、 この二 つの表現 に関わ る言説 (
挟み込ん
みが批評して いること にも作為性 が謹 み取 れる. だ場合はその内部の言説)を他 から切-離された特殊 な虚構
このような'評者が 「
道」 (
或いは 「
造」を侵攻する人間) の場 であ ると示す こと によ って'言語 への不信を徹底 しょ
に ついて解説 ・許債 した後 で'そ の評者自身 は 「
道」 の外 うとした。 このような手法 は、強引 に言説 の中 に階層性を
に いる人物 であ ることを別 の登場人物 の批評 によ って表現 生 み出し利用す るも のであ ると言え る。それに野し て'寓
す ると いう寓話類型は他 の部分 にも見られる。評者を批判 話 の場合'複数 の登場人物 のいる説話形式を用 いること に

9
1
す ること で'彼 の言説が 「
道」を表現し てしま った のでは よ って'よ- スムーズ に階暦性を生 み出し'利用す ること
な いかと いう問題は留 保 され'「
造」 の表 現不可能性 は 一 が でき る。しかしそ のためには'寓話と いう形式 に野す る
席守られること になる。そ の 一方 で、批判 ・反省 の野象は' 理解'ひ いては寓話を濁立 した表現形式とし て扱う意識が
あ-ま で 「
道」を表現しょうとした評者 に止まるため'評 必要 であ ろう。しばしば 「
無為謂」 や 「
狂屈」と い った登
者が 「
道」 に ついて語 った内容 には直接批判が向 けられな 場者 の名稀 によ って寓話 の虚構性を強調す ることからも分
い。理屈としては撃 百着 が 「
道」を得 ていな い以上、そ の か るよう に、 ﹃
荘子﹄ は 「
道」を語 るため の手法 と し て'
聾 吉内容も 「
道」を正し-表現し ていな いこと になるのだ 明確な意識を持 って寓話を利用し て いた のである。
が'明確 に批判が向 けられな いこと によ って、結果とし て 寓話 の持 つ比暁 の性質を利用し て成果を挙げ ている別 の

道」 に ついての 「
言」 の内容 は残-'間接的 にではあれ' 例が技術論寓話 であ る。 これは、技術者が自 ら の技術 に つ
語-得ぬも の へのことば (
鈴木)
中国文筆報 第 六十 六 研
いて語 る のだが、それがまるごと 「
道」 の比瞭とな って い みることができ るよう にな った結果 であるとも考えられる。
ると いう形 の寓話 であ-、養生主篇 の庖丁解牛寓話 や連生 具憶的 には、 この試 みは寓話 の中 で 「
造」を鰹現した人
篇 の痛儒者承鯛寓話などがそ の代表 であ る。池 田知久氏が 物 (
星人)が' 「
歌」 やそれ に準 じ る呼 吸運動 を用 いて表
⑳ ㊧
指摘し て いるよう
に 、 これら の寓話 に ついては'それぞれ 現すると いう形式をと る。そ の中 でも、比較的新 し い時代
の技術が 「
道」 によ って完成 に行き着-と いう ことを述 べ に成立したと考え られ ている部分 ではあ るが、音楽をも っ
ることが目的な のではな-、技術論を用 いるのはあ-ま で て 「
道」を表現す ることが詳 し-措かれて いる部分とし て'

造」を語 るため の方便 であ ったtと理解するべき であ ろ 天運篇 の 「
威池之楽」 に ついての寓話 が注目される。
う。更 に技 術論寓話 の多 く は'語 る技 術者自身 には全 -

造」 に ついて語 ろう とす る意 園 がな いと され ており' 12 北門成問於 着帯 日'「
帝張成池之契於洞庭之 野'

0
2

道」を語 る登場人物と 「
道」と の関係を切-離すと いう 吾始聞之催'復聞之怠、卒聞之而惑。蕩蕩欺欺'乃不

鮎 で、最前 の評者を批判する寓話類型と似た形式 であ ると 自得。」帝 日へ「
女殆其然哉。吾奏之以人' 徽 之以天'
言え る。 行 之 以碓義、 建 之 以大 浦。
」(天運篇 北 門 成 ・着 帯 問
そ の他 の 「
至言」追求 の表現として考え られる のが'言 答 )
語 に代わる手段を用 いて 「
造」を表現しょうとす る試 みで 北門成 が責帝 に尋ねた。「
帝 が成池 の楽を洞庭 の野
ある。 これは例4の考察 で述 べた'「
意」 や 「
知」を 「
言」 で演奏されましたとき、私は最初 に聞 いて恐ろし-な
よりも高 い認識方法とす る考え方 に通じるも のであ ろう。 -'次 には物憂くな-、最後 には戸惑 ってしま いまし
また'寓話と いう表現形式 への理解が深まること によ って' た。ぼんやりとし て言葉を忘 れ' ついには荘然自失 し
直接言語化する以外 に'様 々な方法 で 「
道」 への接近を試 てしま いました。」黄帝 は言 った。「
お前 がそうな った
のも普然だよ。私は この音柴を人心をも って演奏 し、 「
(成池の柴は)ど こで終わ ることもな-'ど こから
天理をも って奏 で'樽 の秩序をも って進行させ'澄 み 始ま ると いう こともな い。死んだかと思えばまた生ま
切 った無為をも って確立 させた のだ。
」 れ、倒れたかと思えばまた立ち上がる。壁化を常とし
て極ま る所な-'全-何 にも依接しな い。お前はだか
この後 で、黄帝は北門成 の 「
催」・「
怠」・「
惑」と いう そ ら恐 ろし-な った のだ。」
れぞれ の反麿 がなぜ起 こ ったか に ついて' 「
威池之柴」 の 「
君は これを考えようとし ても知 ることは できな い
性質から説明す る。以下にそ の部分を抜粋 し て挙げ る。 Lt これを眺 めても見 ることは できな いし、 これを追
いかけ ても追 いつ-ことはできな い。呆然と四方空虚

- 21-

其卒元尾'其始元首。 一死 T生' 一億 一起。所常売 な道 に立ち つ-Lt古机 によりかか って吟詠す るしか
窮'而 一不可待。女故健也。」 な い。目と知 の働きは見 ようとした地鮎 で行き止ま-'

子欲慮之而不能知也'望之而不能見也'逐之而不能 足 の力 は追 いかけようとした地鮎 で蓋き'私と てもは
及也。償然立於 四虚之道、倍於福梧而吟。目知窮乎所 や追 いつ- ことは できな いのだ.肉膿 に室虚が満ちれ
欲見'力屈乎所欲逐'吾匪不及巳夫。形充杢虚、乃至 ばぐんな-とす る。お前はそ のために物憂-な った の
委蛇。女委蛇、故意。
」 だ。


故有簸氏馬之頒 日' ﹃
聴之不開其馨、税之不見其形、 「
そこで聖人 の有簸氏がこの音楽をたたえ る歌を作
充 満 天 地' 竜 蓑 六 極 。
﹄ 女 欲 聴 之 而 元接 蕎' 而故 惑 った。 ﹃
聞 こうと し ても そ の昔 は聞 こえず'見 ようと
也。
」 し てもそ の形は見えず'天地 に充ち満ち'世界を包 み
込む﹄と。 これではお前がそれを聞 こうとしても及ぼ
語-得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中園文学 報 第 六十 六 冊
な い 。お前はだから戸惑 った のだ 。」 明言 され ては いな い。しかし、有簸氏 の項 の内容 が' ﹃

子﹄ 第十 四章 の 「
道」 に封 す る表 現と重 な る こと、ま た
結論としては 「
慢」・「
怠」・「
惑」と い った反歴 は'そ の 「
吾奏之以人'徽之以天'行之以穐儀、建之以大浦」と い
音楽 の無窮性と'それ に由来する不可知性 に基づ-も ので う 「
威池之禦」 の演奏 の仕方、またそ の無窮性 ・不可知性
あ ると さ れ る。 そ し て最後 に' こ のよう な 音 禦 こ そ が と いう性質を見 る限-、 この音楽 は 「
道」を表現し'倍達

造」 に至 る手段 であ ると述 べる。 す るも のとして考えられていることは明らか である。
こ のよう な 「
道」 と音楽 の関係 に ついて の考 え方 は、

奨也者、始於催、催故崇。吾又次之以怠'怠故 遁。 ﹃呂氏春秋﹄ にお いて'よ-理論化 された形 で提示され て

2-
卒之於惑'惑故愚。愚政道'道可載而輿之倶也。
」 いる。

- 2

至高 の音楽と いうも のは'まず始め に聞-者 にお
それを抱かせる。おそれにと- つかれると災 いを受 け 13 音楽之所由来者達臭'生於度量'本於太 一。(
﹃呂
る。私はそれに績け て心をたるませ てやる。心 がたる 氏春秋﹄大柴篇)
むため に世俗から逃れ出 る。最後 に私は戸惑わせる。 音楽 の本源ははるかな昔 にあ る。音楽は適切 に計算
戸惑う ために無知 になる。無知 ゆえ に ﹃
道﹄ に至 る。 された十 二律 から生 じ'(
「道」なる)「
太 一」 に基づ い


道﹄ こそはそれに我 が身を載 せて 一緒 にな っていけ てい る 。
るも のだ。」
こ の寓話 では、 「
威池之柴」 が 「
道」を表 現 し て いると
仲尼問答)
五 ﹃
荘 子﹄ の言 説 の原動 力
言 葉 と いう も のは風 や波 のよう なも ので、 行 為 と い
- コミ ュニケーション への意志-
う のも得 失 を 伴 う も のです 。風 や波 は動 き やす - '得
第 三節 で' 私 は斉 物 論 篇 の言 説 と言 語 思想 が遊 説 家 と し 失 は危 険 に陥 - やす いも のです 。 です か ら人 の怒 り を
て輯 説 す る の に障 害 と な ったと 述 べた。 し か し程度 の差 は 招 - のは '他 に理由 はあ り ま せ ん'巧 みな言 葉 やお べ
あ れ、 こ れ は 奔 物 論 篇 に限 った 問 題 で は な い。 そ も そ も んち ゃら によ る の です 。

荘 子﹄ の言 説 は、 語 りえ な い 「
道 」 を他 者 に俸 達 す ると
いう 根 本 的 な 矛盾 を 抱 え て いた。 そ の矛盾 を解 決 す るた め こ の間答 の中 では' 囲滑 な コミ ュ ニケ ー シ ョン の難 し さ

}--
には結 局 沈 欺 す るし か な か った のかも 知 れ な いが '彼 ら は が指 摘 さ れ て いる。 「
固 滑 な」 と いう のは、 自 分 の言 いた

- 3
沈 款 を 選 ば な か った。 ま た、 例 外 はあ る にし ろ' そ の矛盾 いこと を 過 不 足 無 - 停 え '相 手 の言 う こと を 過 不 足 無 - 理
に目を つぶ- 、言 語 思想 と 言 説 と の乗 離 を気 にせず に語 る 解 す ると いう こと だ が' こ のよう な コミ ュ ニケ ー シ ョン の
ことも しな か った。 では彼 ら が語 り漬 け た 原動 力 と な った 困 難 さ に関 す る考 察 は、 ﹃
萄 子﹄ 非 相 篇後 半 部 や ﹃
韓 非 子﹄
のは い った い何 だ った のか 。 そ れを知 るた め にも ' 私 は最 説 難 篇 にも見 ら れ るも のであ る。 そ れ は コミ ュ ニケー シ ョ
後に ﹃
荘 子﹄ におけ る 「
語 る こと」 への意 識 に つ いて考 え ンを 成 功 さ せ よう と いう意 識 があ って初 め て生 ま れ るも の
てみた い。 であ ろう 。 ﹃
荘 子﹄ の中 で' コミ ュ ニケ ー シ ョ ンに封 す る
考 え が述 べら れ る こと は少 な いが' 例 10 で見 た よう に'寓
14 言 者 、 風 波 也 。行 者 '賓 喪 也 。夫 風 波 易 以 動 '賓 言 篇 での 「
寓 言 」・「
重 言 」 の説 明 が、 説得 力 を重 要 な規 準
喪 易 以 危 。 放 念 設 売由 ' 巧 言 偏 辞 。 (
人間世篇 葉公 ・ と し て いる こと な ど は ' コミ ュ ニケ ー シ ョンを希 求 す る意
語り得ぬも の へのことば (
鈴木)
中国文学報 第 六十 六 冊
志 を 示 す 一例 であ ると考 え ら れ る。 な お' 「
后 言」 に つい 15 以 謬悠 之 説'荒 唐之 言 ' 天端崖 之鮮 '時窓 縦而 不
ては 「
所以窮 年 」 と いう 個 人 的 な目 的 が設定 され てお- 、 償、 不以鯨見 之也 。以 天 下為 沈 濁 、利可 乱川
矧矧竹.
.釧風
他 者 と の関係 と いう 面 か らは全 -梱 れられ て いな い。 つま 雪 矧 矧1功 利
矧甫矧 風 。猫輿 天地精 神往
- 「
危 言」 には最初 から コミ ュニケ ー シ ョン の道 具と し て 来而 不敵侃 於寓物 、不適 是非 '以輿 世俗 虞 o矧 劃観 劇
の力 が全 -期待 され て いな いよう に見え る。 これ に関 連 し 鐘 而 連狩 売傷也 。其静雄参 差而 談論 可観 。彼 其充賓 不
て、 「
后言 」 に ついて の記 述 が、 「
寓言」 や 「
重 言」 と比 べ' 可以 巳'上輿 造物 者 遊'而 下輿外 死生 元終始 者為友 。
具健 性 に放 け て いた こと が想 起 さ れ る。 「
寓 言」・「
重 言」 其於 本也 '弘大而 閲 '深 閑而 韓 '其於宗 也 、可謂 調適
と投 ん で構想 されなが ら' コミ ュ ニケ ー シ ョンの力 を持 た 而 上 逐臭 。 (
天下篇 荘周論)

4-
ない 「
后 言」 は、 いか に高 い債 値を輿 え ら れよう が' こ の (
荘周は)ど こま でも と - と め のな い説 '廉 - つか

- 2
原動力 の後 押 しを受 け ら れず '主 流と はな-得 な いも ので み所 のな い言 '際 限 のな い言葉 をあ らわ し て'時 に任
あ った。第 三節 で述 べた よう に、 「
后 言」 を 斉物 論 篇 的表 せ て勝手気 ま ま にふるま い'誰 とも 同調 せず、 一面 的
現を定義 した言葉 と し て考 え るな らば '斉物 論 篇的言 説 が' にも のごとを見 なか った。 天 下を沈滞 し て濁 った世 界
コミ ュニケ ー シ ョンの障害 と いう 問題 によ って荘 子学 派 の とと らえ 'ま とも な言葉 を かわす こと は でき な いと し
中 でわず かな期 間 ・範 囲 でしか存 在 を許 されなか ったと い て、 「
后 言」 によ って 「
道 」 の窮 ま - な い饗 化 に合 わ
う仮 説 は' こ の鮎 からも裏付 け る こと が でき る。 せ てど こま でも贋 が-、 「
重 言」 によ ってそ の其賓 を
荘 子﹄ にお け る コミ ュ ニケー シ ョ
更 に別 の角 度 から' ﹃ さ と ら せ' 「
寓 言」 によ ってそ の内 容 を 押 し贋 げ た。
ン への意 志 が謹 み取 れ るも のと し て、荘 子学 派 に封 す る漠 ただ 一人、 天地 の塞妙 な働き と行 き 来 したが'寓物 を

代初期 の許債 と考え ら れ る 天 下篇 を見 てみよう 。 見 下さず、是非 に ついて詮議 せず 、世 の中 に身 を置 い
た。そ の書は常識を超え るも のだけれども、囲特 して え てみよう。今 ま でに' ﹃
荘子﹄ の 「
鏡舌 さ」を代表 し て
お-事物を傷 つけることはな い。そ の言葉はふぞろ い いる のは'斉物論篇 の列叙表現と'説話形式 の寓話 であ る
であ るが、そ の奇異 さには見 るべき鮎 がある。荘周は と述 べてきた。こ の二 つの特徴を持 つテキ ストを先秦から
内心充害 し て止ま ることな-'上は造物者ととも に遊 前漠初 めま での諸子 の中 に求 めてみると'後者 の寓話 に関
行 し、下は死生を忘 れて始めも終わ-もな い生を生き し ては' ﹃
韓非 子﹄ や ﹃
呂氏春秋﹄ などがすぐ に挙げられ

る真人と交わ った。本源 たる 「
道」 に野しては贋大 に る。それに比 べ、前者 の列叙表現 に似た特徴を持 つテキ ス

し て開け'深-通達 しており'大本 の 「
造」 に調和適 トは多 -な いが、 一つに ﹃
公孫龍子﹄ が挙げられ る 。
合 して、はるか高 み へと上-詰 めたと言う べき であ る。
16 枚彼彼止於彼'此此止於此'可。彼此而彼且此'

J
2
この中 には'傍線部 のよう に荘周 の言説に関する コメン 此彼而此且彼、不可。( ﹃
公孫龍子﹄名書論)
トが再三見られるが、 これは天下篇 の中 でも突出 しており' そこで 「
彼」と いう名稀を 「
彼」と いう野象 に用 い
例えば荘周よ-も高-許債 され ている老聯 ・開平 に関す る て 「
彼」以外 のも のを意味 す る ことなく' 「
此」と い
記述 には'言説 に野す る評債 は全-な い。 この 「
荘周」と う名稀を 「
此」と いう封象 に用 いて 「
此」以外 のも の
いう人物を荘子撃波を集約 した存在とし て考え るならば、 を意味す ることなければ、正 し い。「
此」を 「
彼」と
少な-とも漠代 の初期 にお いて'荘子学派を代表する要素 名 付 ければ 「
彼」 はま た 「
此」 にも な ってしま い'
の 一つがそ の滞日的な言葉 の有様 にあ ると周囲から認知さ 「
彼」を 「
此」と名付 け れば、 「
此」 はま た 「
彼」 に

れていたことが推測 でき る。 もな ってしまう。 これは間違 いである。
さら に 「
言説 の過剰」と いう鮎から この間題 に ついて考
語り得 ぬも のへのことば (
鈴木)
中国文筆報 第 六十 六 珊
このよう に ﹃
公孫龍子﹄中 の論説部分 (
名書論 ・指物論) な道理は規範とすべきでないことを言うのである)とあり、ま
には'斉物 論 篇 によ-似 た列叙 ・野偶表 現 が見 ら れ る。 た現在 の ﹃
公孫龍子﹄六篇 のうち'跡府簾を除 いた五篇は'

公孫龍子﹄ の場合、 こ のような表現を生じさせた原因は 先秦時代 の公孫龍撃液 の姿を比較的思案 に侍え て いると考
比較的推測しやす い。まず ﹃
公孫龍子﹄ の中心問題が正確 え られるので'本論 で参考 にすることは許されるだ ろう。
な概念 の規定 ・使用 であることが挙げられる。加え て'公 以上から' ﹃
公孫龍子﹄ の場合 は'自 ら の言語思想 に照ら
孫龍 に封す る同時代 の許債 には'言辞使用 に封す る彼 の過 し て過剰なま でに 「
正し-」語 ろうとする意志がこの封偶
剰な意識を指摘 したも のが見られる。 表現 に反映されて いると推測 でき る。
では ﹃
公孫竜 子﹄ と比較 し て、 ﹃
荘子﹄奔物論篇 の場合

一 26一
17 夫堅白 ・同異 ・有厚無厚之察'非不察也。然而君 はどうだ ろう か。まず言語思想 の面 では'例 16からも分か

子不梓'止之也。 ( ﹃萄子﹄修身 篇 ) るよう に、名と害 の完全な 一致を追求す る ﹃
公孫龍子﹄と、
あの 「
堅自」・「
同異」・「
有厚無厚」など の明察 さは、 そ の結び つきを否定する ﹃
荘子﹄とは'名賓関係 のとらえ
鋸-な いわけ ではな い。しかし君子がそ の話題 に つい 方 にお いて真 っ向 から封立し ている。次 に、おそら-上述
て帝記しな いのは、止ま るべき所 に止ま るから であ る。 の相違 にも通じる事象 であ るが' ﹃
荘子﹄ には自 己 の過剰
さに封す る認識と、それを話語をも って語る態度 が存在す
ここでは公孫龍 が名指 しされて いるわけ ではな-'そも る。 ﹃
荘子﹄ の作者 たち の自己認識は' ﹃
荘子﹄中 に見え る
そも公孫龍と現在 の ﹃
公孫龍子﹄を単純 に結び つけること 自己 の言説 に封す る評債から謹 み取 ることが でき る。例え
も できな いが、楊保 の注 に 「
此言公孫龍 ・恵施之曲説異理' ば例 15に見え る 「
謬悠 之説'荒唐 之言' 先端崖 之辞」 や
不可馬法也。
」(これは'公孫龍 ・憲施らのねじけた韓説や異常 「
其善雄壊韓而連狩元傷也」'「
后言」 に野す る 「
星宿」と
いう表 現は' いずれも 「
過剰 さ」を想起させる評債 であ る。 と考えられる。
また'同じ-例 15中 の 「
壊建」・「
参差」・「
談論」 や奔物論 以上から私は、言語化不可能な 「
道」 に 「
言」をも って
篇 に見え る 「
滑疑」 や 「
弔読」
'「妄言」など の表現は、戦 近づき'何とか俸達 してゆこうとす る強力な意志'それが
国時代から漠代初期 における 一般的な慣値観から見 て反慣 ﹃
荘子﹄ の濁特な言語思想と言説を生 み出す原動力とな っ
値的と いう べき評債 であ-、自分自身 に暫し てこのような たも のであ ったと考え る。 この意志 の根幹部分は、 ﹃
萄子﹄
評債を輿え ることは、 一種 の話語と いう ことができ る。 こ や ﹃
韓非子﹄ にも共通す るも のであ ると思われるが' ﹃

れら の表 現から、 ﹃
荘子﹄学派 の人 々が、自 己 の言 説 の過 子﹄ の作者達が他者と異な った のは、そ の言語思想と言説
剰 さを十分 に意識 し'語諺をも ってそれを受 け入れ ていた の間 に根本的な矛盾を最初から抱え込 んで いたこと であ っ
ことが分かる。少 な-とも現行 の ﹃
公孫龍子﹄ には'そ の た。しかし'それは必ずしも不幸 な こと ではなか ったかも

27
ような態度は見られな い。とは いえ'自己認識と語諺 の有 知 れな い。なぜなら'寓話を 1つの文学形式として確立 さ
無 にお いて違 いはあ るにしても'両者 は言説 に封す る意識 せたよう に'矛盾を持 つがゆえ の試行錯誤 こそが'後世高
の過剰'言 いかえ れば言説 の 「
正しさ」 への過剰な希求と -評債 される ﹃
荘子﹄ の文学性を生 み出すもと にな ったと
いう鮎 にお いて通じあう要素を持 っている。 ゆえ に'例 17 も言え るのだから。
の 「
止ま るべき適首な地鮎 に止まらな い」と いう評債は'
そ のまま斉物論篇 の言説 にも昔 てはま ると言え る。 ﹃
荘子﹄ 証
① 赤塚忠 ﹃諸子思想研究﹄( 赤塚息著作集第四巻 研文献
は自己 の言説 の過剰さを意識し っつ'それ でも語り得な い
一九八七年)、大演暗 ﹃中国古代の論理﹄(東京大学出版含

道」を語 るため の手法としてそれを利用し ていた のであ l九五九年)'池田知久 r r
荘子J
)賛物論篤の知識論- 審
り'そ の自意識 こそが ﹃
荘子﹄ の静諺性とし て表 れ ている 決 ・王侃問答と埋鶴子 ・長梧子問答- 」(﹃
日本中国学曾
語り得 ぬも の へのことば (
鈴木)
中国文筆報 第 六十 六 冊
報﹄第 二十七集 1九七五年)
、同 「﹃
荘子﹄斉物論篤 の知識 是也。
」と謹む方向 で'「
そ の境地 に止まる」と解蒋した。
論・
-⊥岡郭子素 ・顔成子瀞問答- 」 (﹃
岐阜大学教育学部研 ⑥ 王夫之 ﹃
荘子解﹄ (
中華書局 一九六四年)巻十 三 に、天
究 報 告﹄ 人文 科学 第 二十 五巻 一九 七 七年)
'同 ﹃
改 訂版 道篤 に ついて 「
蓋秦漠間撃黄老之術へ以千人主著之所作也。

老荘思想﹄ (
放送大学教育振興舎 二〇〇〇年)など参照。 (
おそらく薬代 から漠代 にかけ ての、藁老 の草間を修 めて君
② 池 田知久 ﹃ 中国 の古典五 二ハ 学習研究祉
荘子﹄上 ・下 ( 主 に見えようとした者達が作 ったも のであ ろう)と言う のを
一九 八三年 二 九八六年)を参照。 参照。
③ 但し 「
夫道未始有封」から畜映 ・王悦問答が始ま る前ま で ⑦ 大横暗 ﹃
中囲古代 の論理﹄ (
前出)参照。
の部分 に ついては' ﹃
荘子音義﹄ (﹃
経典滞文﹄)に 「
壁 石、賛 ⑧ 赤塚忠 ﹃
諸子思想研究﹄ (
前出) の 「一 道家思想 の本質」
物七章'此連上章、而班 固説在外篇」 (
握 講は'賛物論篇 は 参照。但 し、本論 でこの論理 に ついて考察す るに普た っては'
全七草 であり、この部分は上 の章と連積して いるとするが、 赤 塚氏 の説を数行 し て説明す る池 田知久 ﹃
改訂版 老荘 思
班固 の説 では、この部分は外篇 に入れられて いた)と注され 想﹄ (
前出) の説明 に基づ いて理解 した。

g
2
ており'用語 や文膿が大き-異なることからも、斉物論篇 の ⑨ ﹃
老子﹄ は、宇佐見潜水校訂明和七年江戸刊本 ﹃
王注老子
他 の部分とは笹別して考え る。以下文中 で斉物論第と言う場 道徳経﹄を底本とした。 この章 の内容は馬王堆吊書 ・郭店楚
合 には'全 てこの部分を除外した範囲 の斉物論篇を指すも の 簡 (
乙租) にも見られ、字 の違 いや前後 の句 の入れ替えがあ
とする。 るが'ここで問題 にしているレ-リ ックや論理構造 に関して
④ ﹃
荘子﹄ の引用文 は頬舌逸叢書本 ﹃
宋刊南華基経﹄ (
景北 は大きな違 いは無 い。
宋南宋刊本合壁本 江蘇贋陵古籍刻印敢 一九九 四年)を底 ⑲ 例えば池 田知久 ﹃
改訂版 老荘思想﹄ (
前出) の第十 四章
本とし'字を改めた場合は全 て注を つけた。また'引用部分 にお いては、 ﹃
荘子)
)が無限 の否定 の繰-返し によ って'絶
の草分けと名補に ついては'赤塚忠 ﹃
荘子﹄上 ・下 (
全碍漢 対的 に高 い次元 (
例 6では 「
俄而有無臭」
) へと到達す るこ
文大系十六 ・十七 集英社 一九七四年 ・一九七七年) に依 とを目指す のに射 し' ﹃
老子﹄ の場合 は否定 が有限度 (
多-
った。 は 山鹿)であり'現状よりも相野的 に高 い次元を表すも ので
⑤ 「
因是」 に ついては諸家 に説があ-'脅物論篇解樺 の重要 ある'とそ の論理 の差違を説明す る。しかし'超出 の仕方は
な争鮎 にな っているが'今 は郭象注が 「
各止於其所能、乃最 異な るにしろ' ﹃
老子﹄ が否定 によ って至 ろうとす る次元も
別次元 であると いう意味 で絶封的 であり'相封 ・稚封 の違 い 荘子学派 の姿 の 1端を反映していると考えられる。
を兄 いだす のはそれほど重要 でな いと思われる。 ⑲ 武内義雄氏 ・池 田知久氏 の説 に従 い'寓言篇引用部分は'
⑪ 王先謙 ・馬叙倫ら の説 によ-'寓言簾 の文章 に合わせて文 ﹃
荘子﹄ の中 でも比較的初期 (
戦国末) の荘子後学 の手 によ
を改 めた。 るも ので'天下篇 に先行するも のであると考え る。
⑫ 吉川幸次郎 「﹃
老子﹄ の封偶 に ついて」 (﹃
日本中国学曾報﹄ ⑰ 底 本 では 「
言無 言へ終身 言、未 不嘗言」 に作 るが、馬叙
第 四鍍 一九 五三年)参照。 倫 ・王叔眠氏 に従 い、高山寺古抄本 ・林希 逸本 ・道蔵本 や
⑬ ﹃
荘子﹄ の文章 の遊戯性 に ついて言及したも のは多 いが' ﹃
文選﹄遊天台山賊注引郭象注など によ って 「
不」字をけず
奔物論篤を中心 に思想的 に踏 み込んだ解説を加え ているも の る。
と し て、大童幹雄 ﹃
新編 正名と狂言﹄ (
せ-か書房 一九 ⑲ 「
寓言十九」・「
重言十七」 に ついて'郭象はそれぞれ 「

八六年) 「
市 場 のことばと空自 のことば」
'特 に九 四頁 の注 (
人)[
之︺他 人'則十 言而九見信。
」(古逸叢書本 に従 って
(
≡)を参照した。 字を改める)「
世之所重、則十言而七見信。
」と注し てお-∼

9-
- 2
⑲ 田子方篤 の l例とは'孔子 ・老子問答 に見える 「
心因蔦而 成疏もそれを引き継ぐ。この解樺はそれ以後採用する者が少
不能知'口梓鴛而不能言.嘗鵠汝議乎其将。
」(心を苦しめて な-'「
十九」・「
十七」を多 くは十分 の九、十分 の七と いう
も知 ることができず'大 口を開け ても言う こと のでき ぬも の よう に ﹃
荘子﹄ の中 で用 いられる頻度とし て解している。私
だが、試 しにお前 のためにそ のあらましを論 じょう)と いう も解樺としては後者 に賛同するが'郭象がこれを 「
説得 の可
表現。なお'庚桑楚篇 のl
二者公族之説に 「
嘗言移是」と いう 能性」として考え ていたことは重要 である。
語が二度見え るが'そ の 「
移是」 の解梓 によ ってはこれも奔 ⑲ 池 田知久 ﹃
改訂版 老荘思想﹄ (
前出)第十四章参照。
物論篇と同じ機能を持 つ例となり'合計三例となる。 ⑳ 池 田知久 ﹃
荘子﹄ 下 (
前出) の連生篇解説部分参 照。
⑮ 説鋤篇は内容 ・表現形式とも に ﹃
荘子﹄ の他 の部分とは大 ㊧ こ の種 の表現 の 一部は' 「
被髪行歌」など のよう に、後 に
き-異な ってお-'荘子学派 のみならず道家 の作 であること 道家的理想像 の形象として常套句的 に用 いられる。常套句化
すら疑わし い篇とされる。しかしそ のような異質性とは別 に' した後 は言語思想 とは直接 関係 しなくな ることもあ るが'
この篤は戦闘末から漠初 にかけ て 「
荘周」と いう人物を遊説 ﹃
荘子﹄ の場合 には'成立年代から言 って常套句化する以前
家として扱う俸承が存在したこと の明澄 であ-'戦国末期 の と考えられるも のも多 い。
語り得ぬものへのことば (
鈴木)
中隊文学報 第 六十 六 冊
㊧ 「
徽」字 は底本 には 「
徴」 に作 るがへ ﹃
荘子音義﹄ に 「
古 ⑳ ﹃
公孫龍子」は正統道蔵本を底本とした。ただし例 16にお
本多作徽」とある のに従 って字を改 めて解滞する。 いては'巌可均 の校訂 により'冒頭 「
故彼」 の下 の 「
故」字
⑳ ﹃
呂氏春秋﹄ の音契思想 は' ﹃
萄子﹄柴論篤 に見え る儒家 を桁字としてけず った。
的な音楽思想とも関係して いるが'そ の中 でも例 13に奉げた ⑳ ﹃
萄子﹄ は古逸叢書本 ﹃
萄子﹄ (
景宋台州刊本 江蘇贋 陵
大柴篤は'音柴を本質的 に 「
道」 に結び つ-も のとする鮎な 古籍刻印赦 一九九七年)を底本とした。
ど にお いて' ﹃
荘子﹄ の音楽観 に通じる要素をよ-多 -含 ん
でいる。
㊧ ﹃
呂氏春秋﹄ は諸子集成本 ﹃
呂氏春秋﹄ (
畢阪校本 中華
書局 一九 八六年)を底本とした。 「
太 一」 に ついては'同
じ大柴篇 の後文 に 「
造也者'至精也'不可寅形'不可為名、
彊薦之謂之太 l。
」(道とは精妙 の極 みであり、形を表す こと

- 30 -
も名づけることも できな い。無理やりそれを 「
太 一」と呼 ぶ
のである)とありへ「
造」と同じ存在として考えられる。
⑮ 池 田知久 氏 の考 え方 に従 った。他 日知久 ﹃
荘子﹄ 下 (

出)及び 「
老荘思想﹄ (
前出)第十 五幸江 (
六)参照。
⑳ これは ﹃
史記」 の荘周博 の記述からも裏付けられる。
⑳ これら の諸子と 「
荘子﹄ の寓言とは'思想 の中 に占める位
置 や説話とし ての質 の面 では大きな違 いがある。 ここでは'
あ-ま で鰻舌な印象を輿え るかどうかと いう鮎から比較 して
いること に注意して頂きた い。
⑳ 今席真 F
諸子百家﹄ (
中国詩文選 五 筑摩書房 l九七五
年) の 「
公孫龍子﹄ に、 ﹃
荘子﹄賛物論篤と の類似 が指摘 さ
れて いる。

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