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~新しい「神の創造物」としての

イ メージ~

キリスト(救い主)にあってあなたが何者であ
るかを知ること

講師: A.L. & ジョイス ギル

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~新しい「神の創造物」として
の イ メージ~

キリスト(救い主)にあってあなたが何者であ
るかを知ること
講師: A.L. & ジョイス ギル

この手引きは日本語で話す信者達の活用のために無料で提供されています。コピーや、ダウ
ンロード、そして配布等も主の導きに従ってどうぞ自由に用いて下さい。

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The New Creation Image

マニュアル(手引き): A.L. & ジョイス ギル


(
これらの本は、「キングダム 神の王 国 )トレイニング」の一部ですから、私達は下記の順
番通りに読 まれる事を提案します。

新しい「神の創造物」としてのイメージ(姿形)
( ) 内
キリスト 救い主 の にある貴方が何者であるかを知ること

信者達が持っている権威 ( )
如何にして負ける事を 意識的に 止めそして勝利し始めるか

信仰 超自然の中に生きるため

超自然的人生 霊 聖 の賜物を通して

癒しの為の神の備え 神の癒しの力の受け取りと奉仕すること

賛美と礼拝 礼拝 神の 者になること

祈り 国天 を地上にもたらす

栄光 神の臨在

奇跡の福音伝道 画
世界に及ぶ神の計

勝利を得た教会 働
使徒の きの書を通して

奉仕の賜物 使徒、預言者、 伝 教 道師、牧師、 師

生活の模様(原型)旧 約から

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目次
レッスン1 彼(神)の御姿(イメ ー ジ)に創造された 5
レッスン2 私達の御父のイメ ー ジ 15
レッスン3 私達の神の息子(御子)のイメ ー ジ 27
レッスン4 新しい神の創造物としてのイメ ー ジ 40
レッスン5 私達の古い自己イメ ー ジの交換 49
レッスン6 救い主の内 にある私達のイメ ー ジ 62
レッスン7 新しい神の創造物としての 権 利 75
レッスン8 新しい神の創造物としての待遇/得点 84
レッスン9 神からの性質を共にあずかる者 95
レッスン10 神の言葉と新生した神の創造物 108

5
6
レッスン 1
神の御姿に創造された
序文
新しい神の創造物としての姿に 関 しての 学 びは、私たちが、救い主にあっ
て何者であるかと言う力に 満 ちた 黙 示(啓示、 霊 的悟り)を
もたらすでしょう。新しく創造された者であるとは何を意味するのか、罪
悪 感、罪の意識、分不相 応 感(自己卑下)、そして劣等感からの自由解放を
もたらすでしょう。大胆に私達をイエスキリストと一つになる者であると
いう事を意味するという、人生を 変 える目標、この興奮的(エキサイティン
グ)な 状 態に解き放してくれるでしょう。

私達は罪による負債からの身請けと言う神の偉大な業を通して、神の私達
に 対 しての意向(意 図) が何であるかを
発 見するでしょう。私達はそれによって私達自身が以下のように現された
事を見い出すでしょう。

 新しく生まれ 変 わった者

 再創造された 霊
 新しく創造された者

使徒パウロは、このような事を書きました。

第2コリント人への手紙 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
信じる者として私達は、新しい人種の人間、私達の内 にある神の命によっ

て 新しく生まれ変 ( ) ”
わった 新生した 人種 なのです。

私達はキリスト(救い主)にあって新しく神によって創り換えられた者です

しばしばこの学びの中では、信じる者たちが“新創造物”として照会(参照)さ
れるでしょう。
この学 (様)
びでは、「イエス ( ) 「
が何者 誰 であるか」という事と、 私達が救

い主に在って何者であるか という事の新たなる神からの 霊 的悟りを
もたらすでしょう。
この神の力に満 (黙 )/
ちた神からの啓示 示 レバレイションをもって、私達は

信者としてエキサイティングな 新しい次元の自由、権 威、大胆さ、力、そ
して私達の人生と神への奉仕にあっても勝利の中を 歩 き始めるでしょう。

私達は大胆にこう宣言している自分自身を見い出すでしょう。

「私はイエスキリストにある自分が何者であるかを知っています。」
「私は、神が(これが)“私である”、と言われたところの私です。」
「私は、神が言われるところの“私が出来る事”が出来ます。」
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「私は、神が“私が所有する事が出来る”と言われる物を所有する事が出来ま
す。」
人類¯¯神の姿形(イメージ)に似せて造られた
私達は新しく創造された物として自分が何物であるかを理解するには、先
ず男と女がどんな物に成る 為 に創造されたのかを理解しなければならない
のです。

私達は
神が男と女を神御自身のイメ ー ジに似たものに創られて、この地球上での
完全な 権 威を彼らにお 与 えになった時、目的と計 画 を持って居られたとい
う事を理解しなければならないのです。

創世記 1:26-28
神はまた言われた、「我々のかたちに、我々にかたどって人を造り、これに
海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地すべての這うものとを
治めさせよう。」
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と
女とに創造された。神は彼等を祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に
みちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物
とを治めよ」。
一つのイメージ
私達は、神のイメ ー ジに創られました。新しい創造物として、私達は神の
息子(御子)のイメ ージとして確信されているのです。そのイメ ー ジは、正
にそっくりそのままの似た物です。

ウエブスタ ー のアンブリッニド 辞 書によると イメ 「 ー 」


ジ という言葉は、こ
の 様 に意味します。

 イミテ ー ション(在る物の 真 似をして作った物)、もしくは一


人の人の肖像

 鏡に映り出された物の映像表現

 他の人にそっくり同じ 様 な人;コピ ー ;副本; 写 し;もしくは


、似ている物

 鮮明な/活 発 な代理、代表

神は、アダムを御自分とそっくり似た物に創造されました。

彼(神)は、アダムが正に神と同じ 様 に成る 為 に創りました。¯¯


肉体の身体は鏡に移し出された神の姿に在り、その 内 面は神と同じ魂によ
って、そしてアダムの 霊 、即ち神の命と息によって生きていました。

人類は この地上で神のイメ ー ジ、そして 栄 光と成る 為 に創られたのです。

第一コリント人の手紙 11:7a
男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない

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三位一体で在る物
神は言われた、 人間を我 「 々 のイメ ー 」
ジに創ろう 。神は言われた、 我 「 々 の
」 等から
神は唯一の神で在るが、三つの違う人格によって現わされるからです。

 父なる神

 子/息子なる神

 聖 霊 なる神

男も女も神のイメ ー ジによって創られた物、そして又三位一体の物として
もです。

私達は霊です 霊(
。私達の ) 霊
スピリット とは、 関与 の見解に し
所 覚/ 覚)

ている (
の神意識 神的自 知 ¯¯の部分です。
神との 関係 と交わりを持つ事が出 来 内 る私達の なる部分です。

私達は魂を持っています。
(ソ ル) 精 関与 所

私達の魂 ウ とは、 神的見解に している の部分で
す。其 頭脳 情 思
れは私達の 、感 其
、意 です。 れは私達の理由を
求 めたり、そして又 思考 したりする部分です。

私達は肉体の中で生きている。 私達の身体は、私達の肉体の部
霊 住む所 家

分です。 ¯¯ 私達の と魂が の です。

正に三人格の神性/神格が分かれていてはっきりしている 様 に、しかしなが
ら、 や はりそれらは唯一の神で在る 様 に、同じ 様 に私たちも神が創られた
ところのそうある べ き本 来 の私達が、私達の 霊 、魂、身体から成り 立 って
います。使徒パウロが書いた時(以下の御言葉を)私達の三位一体を 引 合

いにしました。

第一テサロニケ人への手紙 5:23
どうか、平和の神御自身が、あなたかたを全くきよめて下さるように。また
、あなたがたの霊と心と身体とを完全に守って、私達の主イエス・キリスト
の来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
私達は、私達の新しく創られた 霊 ( ) 必要 有 の啓示 レバレイション を持つ が
るのです、そしてその啓示を通して神は私達の魂と身体が、再び成る べ き
様 回復
に創造された全てに 様 して下さるでしょう。その にする事によって

私達は、私達の主イエスキリストの再 来 「 別 」 臨の時に、 完全に聖 された


そして「非 無 保存
の 」
い者として された 者と成るでしょう。

神の命と共に
私達は、神が御自身の 手 によってアダムを御自身のイメ ー ジに似 せ 模
て ら
れて、そしてそれから彼(神)の命の息を彼(アダム)に 吹 込
き まれた、という
事をしっています。

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創世記 2:7
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで
人は生きた者となった。
神の命は、た だ「 」
生きている という 状 其 態以上の物である。 れは全ての生
命の源 です。

 ゾエライフ(神そのものの命)
新約の中で、 二 重要 ギ ャ語つの な 「 」リシ 対 の言葉が 命 という言葉に して使
われています。 Psuche( ーケ) 「 」
ス は、 自然
或 「 」
いは 人間の命 を意味します。 “ZOE”(ゾ ) 「 」 エ は、 命と神御自身の性質 を
意味します。 其 「ゾ の 」 エの命 、命と神御自身の性質其 のものが全ての生ま

れ わった信者達に分け 与 装入 えられ、 されているのです。

これは、何と興奮(エキサイト)することでしょう!! ¯¯
私達は、神の命と 其 の性質と共に生きているのです!
アダムとイブが罪を 犯 した時、彼らはこの神の命である“ ゾ エ”を 失 ったの
です。しかし私達が生まれ 変 わった時(神の 霊 によって)、私達の 霊は神の
命をもって活きたものとされたのです。

神の命の み が、創造する力を持っているのです、人類の創造においてちり(
地上の 土)
が生きた物に成りました、それは神の命が 其 れに 吹 込
き まれたか
らなのです。

ヨハネ 1:3、
1:3、4
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれ
によらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光
であった。
 神の光と共に
輝 栄
神の命は光です、そしてこの光、もしくは光 犯 前 く 光が、罪を す のア
ダムとイブの光になったのです。

第1ヨハネ 1:5
私達がイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神
は光りであって、神には少しの暗いところもない。
アダムとイブが神からの光 ¯¯ 輝 栄 着せ 神の く 光を られていたということは
陥 前 変高 可能 有
、罪に る以 は大 い 性が ります。

 神の完璧/成熟と共に
私達はアダムとイブの身体が完全な 健康 と威力とそして肉体的力とを持っ
ていた事を知っています、な ぜ だ 其 ならこれらは神の命の部分 からです。
「 」
の神の 命の息 が、彼らの 血 細胞 流 を通して全ての に れていて彼に完全な
健康 永遠 と 与 の命を えていました。

アダムとイブは、 永遠 様 に生きる に創られていました。彼らは、彼らの体


内 に神の命を持ち続 死ぬ 来
けている間、 ことが出 なかったのです。アダム
とイブの魂は、 (思 情 い、感 思) 、そして意

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彼らの性質において神の 様 な物でした。彼らの魂は彼らの中で神の命を持
っていて、そして彼らの 思 や 思
い 意 、そして感 情 は神と共に一つ だ ったの
です。

彼らの霊 ¯¯ は完全 神と共に一つでした。

与えられている主権(支配する為の)
神がアダムとイブを創造した 後 最初 付 、 「 に彼らに いて言った事は、 彼らに

、主 せ !」
を持た よう

創世記 1:26
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り
、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這
うものとを治めさせよう」。
神は、アダムとイブにこの地球上で 支配 為 (絶対 )権 する に完全的 的 威と主
権 与を えました。神は、 惑星 除 外 宇宙万
地球という を いたそれ以 の 物を
支配 権 する 権 維
威と主 は 権
持しました。ここでは神はこの 様 威を神と同じ
に成る為 与
に創造した、神の新しい創造物に えました。

創造する力と共に
神の御力が 宇宙 だ を創り 様 したと同じ 想 に、アダムとイブは 像し、そして
信じ、そしてまた創り だ 為 与 す の力を えられました。

彼らの意 思 だ
が神と一つ 内 ったので、彼らの に在る神の創造の命が間違っ
た目的の 為 謝 に、 危険 有 せ
った使い方をするという は りま んでした。

この地球上の全ての神の創造物は完全で完成な物で、そしてそれらは 既 に
完全に創られている物を 産み増 教 すように え示されました。

創世記 1:28
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせ
よ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」
神と交わりを持つこと
神がアダムとイブを創られた時、彼らは完 璧 な神との交わりを持っていま
( )
した。彼 神 は彼らと 顔 顔 合 せ 話 と を わ て しました。彼らは大胆に、神に
近づ (接 )く 来
する 事が出 璧 関係
ました。彼らは神との完 な を持っていたの
です。

神は、アダムが 動 物に 名前 付 を けることが出 来 様
る に、彼の 前 動
に 物を 置
いたという事を持って神のアダムに 対 しての信 頼 の確信を表し、示しまし
た。

創世記 2:19
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のと
ころへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて
生き物に与える名は、その名となるのであった。
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自由意志(自己選択)の力
神はアダムとイブに 選択 与 ¯ を 志¯ 決断
えました。 自由意 自由 力です。彼ら
は、神に 従逆 う方か 選 らう方かを来 ボ 様
ぶことの出 ないような、ロ ットの
に創られては居ま せ 従 従
んでした。彼らは 選 能 うか わないかを ぶ 力を持っ
ていました。この 選択 デ 園 有 は、エ 木 関 ンの 指 に る一本の に して神の 示の
中心 置 を 善悪
かれました、 木 「
を知る知識の でした。神は、 もし彼らがその
木 食べから 必 死ぬ」
たなら、彼らは ず と言われました。

創世記 2:16、
2:16、17
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のま
まに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはなら
ない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。
聖書の 箇所 では、アダムとイブが神に 従 わない方を 選 だ
ん という事を表し
ています。

創世記 3:6
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好
ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたの
で、彼も食べた。
罪を通して全ての人間が、拡 損失 為苦 だ 大な の しん のです。

神との交わりの損失
御自身に在る完 璧 義 な聖性と によって神は、それ以上アダムとイブとの交
わりを持つ事が出 来 隔
なくなりました。彼らの罪が、彼らと神との間の た
り(バリア)になりました。

彼らの罪の意識とそして罪に 対 する 咎 めが、彼らにとって神から 隠 れる 原
因 となりました。

創世記 3:8
彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた
。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した

園に有る木々のうちに居られる主なる神
( ) 関係 璧
彼ら アダムとイブ は、彼らの神との 最 切 と完 な交わりという も大
な 所有 失 物を ってしまったのです。

神の命の損失
アダムとイブが 禁断 実 食べ 霊 死
の を た時、彼らは 的に にました。彼らはそ
れ以 来 所有
神の命を自分達の中にせ していま んでした。

ローマ人への手紙 5:12

12
このような訳で、一人の人によって、罪がこの世に入り、また罪によって死
がはいって着たように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人
類に入り込んだのである。
彼らの 霊 霊 死 だ は、 的に 霊 動 ん 状 者となりました。彼らの は作 していない
態になりました。神がアダムに吹 込 だ 霊 有 き ん 神の の息は。もうそこには
りませ んでした。

神の栄光の損失
アダムとイブの 覆 いであった神の 栄 光は、 突 無 然 くなってしまったのです

ローマ人への手紙 3:23
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなってお
り、
彼らは、突 裸 有 気 付
然自分達が で るという事に が きました。

創世記 3:7a
すると、二人の目が開き、自分達の裸であることがわかったので、いちじく
の葉をつづり合わせて、腰にまいた。
霊的視界の損失
アダムとイブが 霊 的に 死 だ ん 者となった時、彼らの魂は神に 対 して生きた
者ではなくなってしまいました。彼らの 思 (考い え)は、もは や 思
神の いで
はありま せ ん。彼らの見解の 源 が、彼らの 霊 からであったところから、 今
や死 だ ん 者になり彼らの肉体の身体から感じ取ることの出 来る者へと移り
変 わりました。

彼らは自分の自然な身体の 五 感を通して作 動 始めました。現 実 真 と 理が、


彼らの見ること、 聞 くこと、 臭 いを 嗅ぐ こと、味を感じること、または 触
ることによって 判断 する者になりました。

完全な健康の損失
アダムとイブの身体はもは や 血管
神の命が、彼らの を通して 流 れる物では
有 りま せ ん。かれらは 今や病気や流行病 罹 に り、そして 朽 ちて 行 く物とな
りました。彼らが罪を 犯 瞬
したその 年 間に、彼らは を取り、肉体的に 衰 え
死 に向かい始めました。

権威の損失
アダムとイブは、彼らのこの地球上での 権 威と主 権 失を いました。彼らは
其 れを 悪魔( サタン)に、放 棄 してしまったのです。彼らは、 今や悪魔 の王
国 の中で 絶望 的に、 「盗み 殺 、 し、 破壊 する者 に 」 従 って生きる物となった
のです。

無改心(無再生)になった
無改心 心や の 、御言葉によって 更 新していない信者の 心 は、しばしば 悪 意
マ ネー
なイ ジ ション( 想 像)で 満 ちています。

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箴言 6:16,
6:16,17,
17,18 (キングジェームス訳/KJV=文語訳*直訳)
これらの六つの事を行うを主は嫌う:いや、七つが彼の上に嫌悪/憎悪なり:高
ぶりの目、偽りの舌、罪無き血を流す手、悪の想像を創作/発明する心、悪
行に走る素早い足、
それらは神の 忌み嫌 満
われることで ちています。

 プラ イド

 嘘 吐 舌を く

 罪無 血 流
き者の を す事

 悪 思 企い いを てる事

 悪行 走 に る事

使徒パウロもまた、神を知らない、 義 行 を わない人を表現しています。

ローマ人への手紙 1:18~
1:18~22
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不
義とに対して、天から啓示される。なぜなら、神について知りうる事がらは
、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の
見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被
造物において知られていて、明らかに認められるからである。従って、彼ら
には弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあ
がめず、感謝もせず、かえってその思いは空しくなり、その無知な心は暗く
なったからである。彼らは自ら知者と称しながら、おろかになり、
贖いぬしの約束
最初の約束
アダムとイブがエ デ園 ンの立 の中に って居ました。

 彼らと神との 関係 絶望 * と交わりの 的な 取り 除 き

 彼らの 権 除 威の取り き

 彼らの完全な知 恵 健康 除 と の取り き

然しながら神が 悪魔 話 に ( )
した時、彼 神 は女から生まれる種となる 贖 い主
の身代わりの御業を通して、人類の 回復 束 を約 しました。

創世記 3:15
私は恨みをおく、/おまえと女との間に、/おまえのすえと女のすえとの間
に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
アブラハムの種(子孫)を通して
贖 束
い主の約 国民 ラハ
は、神が「世界中の全ての 祝福 はアブ ムを通して、

されるであろう。 更 と言われた時に 新されました。

創世記 18:18
14
アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼らに
よって祝福を受けるのではないか。
神は、この 契 束 ク ヤ
約の約 をイサ 繰 返
と コブとに、( り し言いました。彼 神
)は地球上の全ての 国民 ( ク ヤ ) 孫
が、彼ら イサ 祝福
と コブ の子 を通して され
るということを約 束 贖 来 有
しました。そこに い主の 臨が りました。

ダビデの種(子孫)を通して
( )
彼 神 はまたダビデ 孫
とも、彼の子 契 束 結
についての 約の約 を んでいまし
た。これもまた、 来 贖 たる 照
い主イエスキリストについての事と、 らし現
わされていました。

詩篇 89:34~
89:34~36a
私はわが契約を破ることなく、我がくちびるから出た言葉を変えることはな
い。私はひとたび我が聖によって誓った。私はダビデに偽りを言わない。彼
の家系はとこしえに続き、
イザヤによって預言された
イ ザヤ 来 贖
は たる い主を預言しました。

イザヤ書 9:6、
9:6、7a
一人のみどりごがわれわれのために生まれた、一人の男の子がわれわれに与
えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の
神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは
、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、
とこしえに公平と正義とを持って/これを立て、これを保たれる。
私達の身代わり
罪と 死 (
は、アダムとイブの 神の言葉に 対 )背 /反逆 結果
しての き の でした。
それは私達の身代わりとしての、 「最後 」 来
のアダム の み
臨を通しての 、私
達がこれらの 刑罰( 罰) 許
天 から され自由になることができました。

イ ザヤ 53章
の は、私達に 素晴 贖
らしい 来 描写
い主の 臨を してくれます。

イザヤ書53:4,
53:4,5
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに
われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しか
し彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれ
たのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打た
れた傷によって、われわれは癒されたのだ。
来 (
たる救い主 メシ ヤ) 「贖の 」
いの身代わりの御業 を通して、アダムとイブ
が罪への 暴落 の中で 失 った全ての物が 回復 されるのでした。再び、もう一
度 (
、人類が 神によって 成る) べ き物に創造された全ての物に成る事ができ
ました。新創造物が、 回復 されるという事だ ったのです。

15
復習の為の質問
1. 故
何 アダムとイブは、彼らが創造された時、そのように 多 くの神の 様 な性質(性格)を持っ
ていたのでしょう ?

2.アダムとイブは、神が 想 像した他の 動 物達と、違う者となった物をその 様 に彼らの中に


持っていましたか ?

3.新しく生まれ 変 「
わった 新創造物 に 」 対 して、 回復 される出あろうとされているところの
人類が、罪への 暴落 失
の中で った物の中の 幾 つかをリストに書き出しなさい。

16
レッスン2
私達の御父のイメージ
序文
私達の 内
なる“新創造物”
(新しく創造された物)を理解するには、私達は、父なる神が何物で るか 有
という(神の による) 霊
示/啓示/理解を得なければなりま 黙
ん。私達は彼(神 せ

)のイメ ジに創られているので、私達が御父の の姿(イメ ジ)を得る 真 ー 迄
は、 決 して自分達がどのような物に成る べ くして創られたのか、理解する
事は出 来 せ ま ん。

使徒パウロは、私達が主の 栄 光を見るように、 将来 私達は全く同じ姿に 変


換されるという事を書きました。神からの 黙 示は、 変 換を 齎 します。

第2コリント人への手紙 3:18
私達はみな、顔おおい無しに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から
栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるので
ある。
このレッスンの中で私達は、御父の 栄 光を見るでしょう。私達は、御父に
ついての自分達の間違ったイメ ー 拒否 ジを していくことになるでしょう。
私達は聖霊 愛
が神の言葉によって、私達の 真 して下さっている天の父の の

イメ 許 (許可)
ジを現すことを す していくことになるでしょう。

聖霊の3つの動き
 ジーザスピープル
ーザ ープル ー
ジ スピ ( ム 々 動)
ブメント イエスに在る人多 の活 によって くの
々人 が、新たなる黙 親密 関
示を受け取りそして、人としてのイエスとの な
係 入 来
と交わりに って ました。

 カリスマ的更新
カ マ 更 リス 的 新にあって、
多 々
くの人 霊様 親密 関係
が人としての聖 入 との な と交わりに ったのです。

々 霊 導
人 が聖 に 従 かれていくに 歌 横 置って、彼らは古い聖 の本等を に き、
イエスへの聖書的な 賞讃 入 喜 の表現に ビっていく びを見い出しました。ダ
デ( ) ( )
王 は書いた時 以下 、私達の 為 にこの事を現してくれました。

詩篇 100:4
00:4
感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し
、その御名をほめまつれ。
 御父を知る事(親密に)
今 、このイエスの再 来 直/ 前 臨の間 動 目 である現在の神の きの中で、私達は
御父との親密 関係 な 入 とそして、交わりに ( っていくのです。私達は、彼 神
) ワー
の ーズ(礼拝
シッパ ) 歌
する者達 になっていきます。私達は、 うことも
手 げ
、 を上 手 叩
ることも、 叫 を飛 跳ね くことも、 ぶことも、 び ることも、

17
そして 踊 ることも、 宮
庭 の中 で主の御 前 でして 来 ました。然しながら、 今
や 所 聖 の中に 有る御父の臨在に 入 りたいという 圧倒 的な 心 願
の いが 沸 起 き
こるのです。 ¯¯幕や 入
の中に りたいという 願 いが。

もは や 私達は、 宮 庭の だ に居る けでは 満足 することはありま せ ん。私達は


ずっと御父の 顔 捜 求
を し めること、彼の目を見つめ、彼の 愛 腕 の を私達の
周 りに感じ、そして 賛美(礼拝) の中で彼と 親密 になることを 熱望 している
のです。

ヨハネ 4:23
しかし、まことの礼拝をする者達が、霊とまこととをもって父を礼拝する時
が来る。そうだ、今来ている。父は、このような礼拝をする者達を求めてお
られるからである。
御父は、彼を 霊 誠 礼拝 為 と をもって 所 する に時間を使う者達、即ち聖 の中
に 入 真 礼拝る 探 求
の 者達を し めています。

私達の地上での父
天の父に 対 ー する私達のイメ 親 ジは、しばしば私達の地上の父 達の人格に
因 設立って 親 色々 関係
されています。私達のこの地上での父 との な が私達
の天の父との 関係 影響 に するのです。

多忙過ぎる
多 くの父親 供 長 過程 置
達は、彼らの子 供 達が成 する に いて、子 達との時間
を 費や 忙 過ぎ
すにはあまりにも し たのでした。

そこには 多 来 有
くの理解出 る理由が ったのかも知れないでしょう、がしか

しこの事が、 神は自分に 対処 忙 過ぎ 」 するには、あまりにも し る
という感 覚 多 々 残 を くの人 に してしまいました。

厳格な訓練者(規律を躾ける人)
ある父 親 供
達は、彼らの子愛 無 手厳 躾 たちに を表す事 しに しい を以て、き
つく取り 扱 供
ってしまいました。これらの子 達は、しばしば彼らの天の父
がまるで 手 棒 にこん線 み を持ち、その 様 厳 からは 出る者を待っている な 格
で不 認 顔 的な 様 で見下ろしている に感じているのです。

愛の欠乏r
多 くの者は、彼らの父 親 非常 少 愛や 注 (注 )
から に しの 、もしくは 目 意 しか
表して 貰 無 家庭 育
え かった 程 懸 努
で ってしまいました。どれ 一生 命 力して
み ても、其 決 親 賛 (認
れは して彼らが父 )や 承認 から 成 められる事 、 を得る
事が出 来 様 なかった です。

これ等の事のために彼らの天の父のイメ ー 必要 対 ジは、彼らの 性に しての


不 賛 無関心 成と 実績 関 気
のうちの一つです。彼らは、神は彼らの に して に
掛 けることの無 当 愛
い、そしてまた彼らを本 に していないと感じているの
です。

18
貧困
他の人 々 は彼らの父 親 達が、 基 必要
本的な をもって正しく 家族 養 為
を う の
正 当 (十
な 分な) 収入 を得る事が出 来 なかったか、または得ていなかったか
のどちらかという 家族 の中で 育 てられていました。彼らは 貧困 育
の中で っ
たのです。

私達の御父のイメージ
これ等の人 々 は、しばし神に 対 して“ 貧困 ー イメ ジ”を持ちます。彼らは神
が、全ての生活の 必要 を提 供 して下さる だ ろうと、信じる事に 困難 をもっ
ています。

虐待
多 くの子 供 達が、自分達の地上の父 親 虐 から 有
待を受けた事が ります。あ
る人達は 精 神的な、他の人達は肉体的な 虐 更
待を受け、そして にもっと他
の人達は、性的な 虐 待によるト ラ マ(Trauma) 苦
ウ に しんでいたのです。こ
の事が、彼らを天の父を完全に 100%) 頼
(100 信 していられる事から、もしくは
彼(神)の偉大な 愛 愛情
と を受け取る事から 妨げ てきました。

彼らは神の御 前で罪の意識を感じたり、また彼に 対 怒 して りを感じたりす


るのです。そして彼らは自分達の人生を彼に 100% 頼 来 信 する事が出 ない
でいるのです。

私達の天の父

私達が自分達の地上の父 親 から受けていたかもしれない 処 傷や 拒否(否
の 、
定) 、又は 虐 待に 関係無 く私達は父 親 赦 達を さなければならないのです。そ
して神からの癒しを受けるのです、そうすれば私達は天の父の 圧倒 愛 的な
を知り、受け取り、そして 其 れを 楽 む 来
し 事が出 るのです。

第1ヨハネ 3:1a
私達が神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか
、よく考えてみなさい。
使徒パウロはどんな事も、御父の愛 引 離 来 から私達を き すことは出 ないと
いう事を書いています。

ローマ人への手紙 8:38,
8:38,39
私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力
あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私達の主キリ
スト・イエスにおける神の愛から、私達を引き離す事はできないのである。
御父は私達の事で喜ばれる
厳 気 掛 格で にも 親 変 けてくれない父 嬉 思 の わりに、私達は私達の事で しく

い、 喜 いながら 愛
んで下さっている、私達をこよなく している天の父を
持っているのです。

預言者 ゼファナ イアは、神をこの 様 に書きあらわしています;

19
ゼファナイア 3:17
あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる
。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛に依ってあなたを新にし、祭の日
のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。
ヘ ル語 喜
ブ の “ゼファナ
びという言葉に使われている” 湧 イア は き出る、も
しくは 飛 跳ね 第び る事を ( ) 供
一に意味しています。神は私達を彼 神 の子 と
して非常 喜 に 圧倒 楽
んでおられます。彼が、 喜 溢 的な しさの びに れた表現
を飛 踊 ほ
びまわり、 る どと表しています。

何と御父のイメ ー !
ジの違うことでしょうか
( )
彼 神 は私達の事を 構 ほ 忙 有 せ
えない ど厳 愛 しいのでは りま ん。彼は 格で
してくれない 訓練 せ 者ではありま罰 好 ん。彼は私達を する事を んでいるの
ではありま せ 歌 喜
ん。彼は私達の事で、 いながら んで居られます。彼は私
達のことで 喜 飛 跳ね
び、 び上がり、 上がりしておられるのです。

御父に向き直った心
今日 旧 も 様
約の中にあるのと同じ 供 心 親 に、神は子 達の を彼等の父 達に向

く に預言者達を使っています。

マラキ書 4:5,
4:5,6a
身よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、私は預言者エリヤをあなた方に
使わす。彼は父の心をその子供達に向けさせ、子供達の心をその父に向けさ
せる。
神は息子達、そして 娘 心 親達の せ を彼らの地上の父 達に向か ているのです
、そしてまた彼の息子達 や娘 心 せ 達の を彼らの天の父に向か ようとしてい
ます。

交わりに対しての三つの邪魔

アダムとイブは罪を 犯 すまでの 瞬 迄 間 、神との完全なる交わりを持ってい
ました。聖なる、そして 義 なる神は、罪と交わりを持つことは出 来 なかっ
たのです。

救いの 瞬 間に、私達の罪は 赦 されそして、取り 除 かれています。私達の神


との 関係 犯
、そして交わりが始まります。もし私達(信者)が罪を しても、
神と私達の 関係 続 は 壊 きますが、私達と神の交わりは されてしまいます。
この交わりは、私達の罪を神に 対 告白 み 回復 せ して する事によっての 、 さ
ることが出 来 ます。

第1ヨハネ 1:9
もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから
、その罪を赦し、すべての不義から私達をきよめて下さる。
拒絶(不合格品/傷物)
多 々
くの人 親 拒絶
は、彼等の地球上の父 達によって されました。彼等は不
計画や 望 妊娠 結果
、 まれない 親の であったのかもしれない。おそらく父 は

20
反対 の性別 供 望 の子 を んでいたのかも、もしくは子 供 として彼等が、彼等
の父 親 期 叶
の 待に わなかったのかもしれない。

その人が 実際 拒絶 苦 の に しん だ 若
か しくは、 望 まれなかったという 拒絶 間
にしろ、その人の人生において 非常 に大きな 傷後 残 が されてしまっている
のです。

これ等の人 々は、しばしば天の父も彼等を 拒絶 していると感じがちでいる


のです。彼等は神の 愛 承諾( と 神が自分を受け 入 れて下さったこと)を受け
取ることに 困難 (
をもちます 感じています 。何時も何かが、彼らが彼等の )
天の父と 個 人的な 近 関係 入
い に り、そして 真 礼拝
の 者になることを 妨げ て
いる 様 なのです。

彼等の人生において 拒絶 間を持っている人は、 必 ず自分達を 拒絶 した人達


を 赦 さなければいけないのです、そしてそれから、神の癒しの力を彼等の
魂に受け 入 れるのです。

恐れ
御父の臨在の中に 入 って 行 くことの 恐 れが、多 々 真 礼拝
くの人 を神の の 者
に成る事から 遠ざ けてしまったのです。がしかし 恐 れの代わりに、神は私
達に神の元に 来 「 てそして、神を アバ父よ と 」 呼 来 プ
ぶことの出 るアダ ショ
ン (養 縁組) 霊 与
子 の を えて下さっているのです。

ローマ人への手紙 8:15
あなた方は再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分
を授ける霊を受けたのである。その霊に依って、私達は「アバ、父よ」と呼ぶ
のである。

アバ ”(Abba) 親愛(敬愛/寵愛)
というのは一つの の表現であり、私達の御父
との 近接 個 関係 な “ デ /
人的 ” 訳 良 の現われです。 ダ ィ パパ と されても いでし
ょう。

第2コリント人への手紙 6:18
そして私は、あなたがたの父となり、/あなた方は、/私の息子、娘となる
であろう。全能の主が、こう言われる」。
其 れは、御父の私達が彼の子 供 為 養 縁組 と成る に、 子 をして下さるという
私達に 対 圧倒 愛 する、 み 的な によっての でした。

第1ヨハネ 3:1a
私達が神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか
、よく考えて見なさい。
神の私達に 対 巨 愛 する 恐 除
大な を理解することが、私達の れを取り きます
。ダビデ( ) 追 求 心
王 は神を い める を持った人でした。彼は、彼の天の父と
礼拝(ワー プ) 密接
シッ 熱望 の中で に成る事を しました。

詩篇 27:4
私は一つの事を主に願った、私はそれを求める。私の生きる限り、主の家に
住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ね極める事を。
21
ダ ビデ は彼の人生の 日々 が神の臨在の中で在 住 することを 熱望 しました。
彼は御父の臨在に 入 りそして、彼(御父)の “美 ”
を見 続 けている事を 熱望 しま
した。

 賛美と礼拝(ワーシップ)が捧げられた
詩篇 27:6b
それ故、私は主の幕屋で喜びの声を上げて、いけにえをささげ、歌って、主
をほめたたえるであろう。
ダビデ 宮 庭 様
は、 前 賛美 歌 踊の でどの に主の御 で を って るのかを知ってい
ました。しかしそれでも、より一層 熱望 彼は しました。彼は御父の正にそ
の臨在そのものの中に 入 顔 捜 求 熱望 り、そして彼の御 を し めることを しま
した。

詩篇 27:8
あなたは仰せられました、「我が顔をたずね求めよ」と。あなたに向かって、
私の心は言います、「主よ、私は顔をたずね求めます」と。
 神からの拒絶を恐れた
ビデ
ダ 礼拝
が持っていた御父を 熱望 程 熱望 することを する のその でさえ、
彼が密接 礼拝 な 入 の中で御父の臨在に突 り始めるにつれて、彼は 然にして
拒絶 恐 後 の れで ずさりしてしまったのです。

詩篇 27:9
御顔を私に隠さないで下さい。怒ってあなたのしもべを退けないで下さい。
あなたは私の助けです。我が救いの神よ、私を追い出し、私を捨てないで下
さい。
 地球上での父親による拒絶
ビデ 少年
ダ 頃
は であった親 拒絶 苦 だ経
に、彼の地球上での父 からの に しん
験 有 が 拒絶 恐
り、そしてその同じ の れが、その現時点において彼を彼の天
の臨在に 恐 無 入 遠ざ
れること しに る事から けていたのでした。

ビデ 若 青年
ダ が い ュ ル 期 (
であった時、預言者サミ 儀式 エ が次 王に 神による
的な)油 注ぐ為 ベツ ヘ
を 来 ビデ
に べ レ ムに ました。ダ の父はす での他の息子
達を
その中の一人が次の王として 油 注 希望 が がれるかもしれないという を持っ

て ビデ
めました。ダ 重要 日 ュ ル 前 はその 為 招 な に、サミ エ の に現れる に
待されていなかったのです。これが、ダ ビデ 深 拒絶 が地球上の父により い
を感じてしまった時になってしまったのでしょう。この事が、彼が天の父
からも 拒絶 だ 心 恐
される ろうという彼の の れを作ってしまいました。

彼が彼の天の父の臨在に 入 顔 捜 求 為 (
ることを神の御 を し める に、そして彼
) 美 注
神 の 為 求に 求 ほ
目する ( ビデ) 深 礼拝 入
に めれば める どに、彼 ダ が い に
り始めたその 瞬 拒絶 恐 鷲掴み
間にその の れが彼の魂を しました。

22
 拒絶から解放された
ダビデ 親 母親 拒絶
は、彼の父 来 だ
と 気 付
から されて たの という事に が きま
した。彼は 問題 拒絶 対抗
を理解しました、そしてその時彼はその 間に して
強 告 い宣 をしました。

詩篇 27:10
27:10
たとい父母が私を捨てても、主が私を迎えられるでしょう。
その 瞬 ビデ
間に、ダ 入 行
は確信をもって神の臨在に って きました。彼は、
( ) 顔
彼 神 の 入 に見 ( ) 愛 入 (承諾)
り、そして彼 主 の父の 霊 流 と受け れ が彼の に
れるのを感じたのです。

イエスは彼の父を現す
この地上においてのイエス( 様) の時代の主な目的の一つは、彼の父を現す
為 逮捕 裁判(尋問 災難 困難
でした。イエスの地球上での奉仕が、彼の 、 、 、
) 十字架 刑 直前 終
、そして の の に わりを向かえた時にイエスは、自分の父を
ヨハネ 福音 の 14章 17章 亘 50回述べ
書の中で、 から に って ました。

彼は何度 度 繰 返 も何 弟 も り「 し彼の 子達に言いました、 私は、あなた方に私


の父を知って 欲 !」 しい

“私を知りなさい¯¯御父を知りなさい”
もし私達がイエスを知るならば、私達は御父を知るでしょう。 綿 地たちが
福音 書を通してイエスを知ることに時間を費やせ 費や ほ ば す ど、私達はよ

り一 御父を知るでしょう。

ヨハネの福音書 14:7
もしあなた方が私を知っていたならば、私の父をも知ったであろう。しかし
、今は父を知っており、またすでに父を見たのである。
福音 書の中に、私達は神が人々 手 差 延べ 心 触 に を し 、そして に れる事をし
続 けて下さる事からイエスの愛 様 情 深 と、自分の事の に共感する け さをも
必要 満
って彼等の を 回復 続
たし、彼等の身体を癒し、そして彼等の魂を し
けて下さるところに見ます。これが御父の 愛 の表現でした。

ヨハネの福音書 14:9b
14:9b
「・・・私を見た者は、父を見たのである。 ・・・」
御父の愛(アガペ)

イエスが子 膝 乗せ両腕 包 だ
達を自分の ( )
の上に で ん 時、彼 イエス は神の
供 対
子 達に 愛 行動
する御父の を によって示しました。

マタイ 19:14
するとイエスは言われた、「幼子らをそのままにしておきなさい。私の所に
来るのを止めては成らない。天国はこのような者の国である」。
素晴
何と らしい映像でしょうか、これは如何に私達の御父が私達を彼御自
引 寄せ
身に き 両腕 抱 、そして 愛 で きしめる事を されていたかを表します。

23
イエス( 様)
が彼の 周 りの人 々 に仕えておられる時に、彼の父の 愛 を表され
ました。

ヨハネの福音書 14:23
イエスは彼に答えて言われた、「もし誰でも私を愛するならば、私の言葉を
守るであろう。そして、私の父はその人を愛し、また、私達はその人のとこ
ろに行って、その人と一緒に住むであろう。
これは何と力に 満 溢 ち (黙 )
れる啓示 ?! 示 でしょうか
大きな声 で言いましょう !
私の天の父は私を愛します!
彼(神)はイエス様と一緒に私の所に来て、一緒に住みたいのです!
私の御父は私と一緒に、御自分の家庭(home)を作りたいのです!
 御父の捧げ物
イエスは私が確信を持って、私達の御父に 必要 供給(用 備 ) な物の 意、 え を
求 めても 良 だ いの と言いました。

ヨハネの福音書 16:23b
16:23b
よくよくあなた方に言っておく。あなたが父に求めるものは何でも、私の名
によって下さるであろう。
私達はた だ 愛
御父がイエスを 為だ して、彼の けにして下さるからという理
由で、イエスの御 名 求によって せ
めるのではありま ん。私達は、イエスの
犠牲 を通して私達と御父との 親 関係 回復 子 が されているから、イエスの御
名 によって 求 めます。

 御父の家
イエスは御自分の御父の 家 語
について、私達に 前 られました。彼は もって
御自分の御父の 家 に、私達のための場所 準備 行 を しに って下さるという事
を言われました。

ヨハネの福音書 14:2
私の父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、私はそう言
っておいたであろう。あなた方のために、場所を用意しに行くのだから。
将来には、私達は御父の 家 住む に 家族 住む場 事になっています。これは が
所なのです。私達は私達の天の父と 密接 (親 )関係 べ な 子の を持つ きものな
のです。

“あなた方に、何も 隠 さず言いましょう!”

イエスは御父について、そのままはっきりと私達に 話 したいと 望 んでおら


れます。

ヨハネ福音書 16:25
私はこれらの事を比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさま
に、父のことをあなた方に話して聞かせる時が来るであろう。
24
これ等は、この四 章 つの の中でイエスが御父のことに 触 れて 話 された50 回
中のほ 2 3回 んの 、 です。イエスは私達一人一人 各々 が、御自分の御父との
親密 関係 入 来
な に って てくれる事への大きな 熱望 を表現しました。

放蕩息子
伝導 的メッ セー ジに、 悔 改 や若
い め しくは交わりの 回復 為 進 の の めの 呼 び
掛 けとして、しばしば 放 “ 蕩 例 ”
息子の え がよく 用 いられます。私達はどん
なに下に 沈 んでしまったとしても、 関係 なく御父の元へ 来 ることが出 来 る
と言う事を理解しています。

反逆期 にこの放蕩 息子は、 家 を出て自分の 財産 与 無秩序


分 を な生活の中で
無駄 に使い 果 たしてしまいました。それから、 非常 厳 飢饉 来
に しい が た時
、彼は 当 豚 餌や
等 の りをする始 末 、そして 豚 食べ
が 豆 鞘 食べ
ていた の を る
ことを待ち 侘 様 びる に成ってしまいました。

息子
私達の 殆 どがこの息子と同一と 認 来
める事が出 ます。私達は天の父から 疎
遠 してしまった 様 に感じたり、 若 今 しくは も感じていたり、 拒絶 恐 を れつ
つ相 応 しくない感 や 激
、 しい 後悔(良心 呵責) の 、そして罪 悪 感に 満 たされ
てしまっているのかもしれま せ ん。

ルカ 15:17~
15:17~20a
そこで彼は本心に立ち返って言った、『父のところには食物の有り余ってい
る雇人が大勢いるのに、私はここで飢えて死のうとしている。立って、父の
ところへ帰って、こう言おう、父よ、私は天に対しても、あなたに向かって
も、罪を犯しました。もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。ど
うぞ、雇人のひとり同様にしてください』。そこで立って、父のところへ出
かけた。
( )
彼 息子 は、 「僕 やふ 」はもは さわしくないものです
この 若 今日 多
者は正に ふ の くの信者のように、 さわしくない者と感じまし
た。彼は、自分は ふ ー さわしくないと言うイメ ジを自分自身に持っていた
のです。しかし彼は、 其 セルフ ー 家 帰 の イメ ジを持ったままで に りました

御父
この例 話 え 素晴 黙 (
は、私達の天の父の ー ) らしい 示 レバレ ション です。

神は批評的(審判的)ではありません。彼(神)は、無慈悲ではありません。彼
は御自分の息子や娘達が赦しを
施しを請う様に頼む事を待っているのではありません。
イエス様 ?
は、何をしたと言われましたか

ルカ 15:20
15:20b
まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首
を抱いて接吻した。
25
御父は、 拒絶 して私達から御 顔 背 を ける代わりに む しろ、私達が御父の 許
に 来 る事を待っておられるのです。御父の偉大で 圧倒 的な 愛 の表現として
彼(御父)は私達に 両腕 をまわし (親 供 が子 にする 様 に)キスをしたいと 望 んで
おられます。

21節
21節
息子は父に言った、『父よ、私は天に対しても、貴方に向かっても、罪を犯
しました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。
父はこの息子が何をしていたのかも、其 話 の時何を言っていたのかもさえ
そうとしま せ んでした。

22~
22~24節
24節
しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこ
の子に着せ、指輪を指にはめ、履物を足に履かせなさい。また、肥えた子牛
を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。この息子が死んで
いたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから
祝宴が始まった。
息子のイメージ
其 の父は、彼の息子の セルフ イメ ー ジ(自 画 像)を 変
えてしまわなければな
らない事を知っていました。彼(父)は、彼の一番 良 着
い 物を彼の息子に 着
せ ました。彼は彼の 指輪 を息子の 指 にはめ、そして新しいサンダ ル(靴) を
息子の 足 履 せ
に か ました。

一 旦 私達がイエスを自分達の救い主として受け 入 れたら、私達の天の父は
私達を自分の息子達、 娘 達として見てく だ さいます。私達は、彼(天の父)
の 義 衣 着せ
の を られているのです。私達は、彼の 権 威の 印 指輪
の を私達の
指 にはめているのです。

愛 にあって彼(天の父)は言っています。 あ 「 ぁ 、どんなに私が彼等に、彼等
がイエスキリストにあって何物であるかを知って 欲 しいと 望 んでいること
か。彼等は私の息子(イエス)と一つの者なの だ 。彼等は、イエスキリスト
にあって神の 義 なのである。 」

使徒パウロは、この事に いて書きました。

第2コリント人への手紙 5:21
神は私達の罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、私達が、彼
にあって神の義となるためなのである。
私達の新創造物イメージ

私達がイエス 許 対
に、彼の父を私達に現すことを す時、私達が天の父に
ゆ 曲げ
して持っているあら 若 制限 る ー られている、 しくは されているイメ

ジは わるでしょう。

ビデ 様 志
私達はダ の な美 を持ちます、見よ私たちは主の しさを
( ) 顔 追 求
彼 神 の御 を い礼拝 めるでしょう。私達は、神の 者に成るでしょう

。私達は、私達の 承認( 入 ) りに神の 受け れ を感じるでしょう。

26
私達が主の 栄 光を見上 げ る時、私達の御父に 対 するイメ ー ジが 変 わるでし
ょう、そして同時に私達自身の古い セルフ イメ ー ジも新しい創造物イメ ー
ジへと 変 えられるでしょう。

多 くの者は神の御 手 追 求 続
を い め けています、神の御 顔 追 求
を い める代わ
りに。彼等は神の 来臨を自分達自身の 必要 満 が たされる事を得る 為 に彼等
の時間を 費や して 来ました。

変 換された

 御父を追い求めることに依って
その代わりに私達は神の御 前 行
に き、彼(神)の御 顔 栄 と 光を見つめ 続 ける
事を 追 求 為 い める に、時間を 費や べ す き物です。 其 の時に、私達は神のイ
メー ジの中に変 換されていきます。

第2コリント人への手紙 3:18
私達はみな、顔おおい無しに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から
栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるので
ある。
詩篇 を書いた人ダビデ 様 思は、使徒パウロの に同じ いを表しました。

詩篇 17:15
しかし私は義にあって、御顔を見、目ざめる時、御姿を見て、満ち足りるで
しょう。
 御父を礼拝する事に依って
私達は、自分自身を見ながらそして、自分達の人生の中に 変 起 換が きる事
を心 望 で 変
んでいる事によって、神に似た物に えられないのです。私達は
、私達が私達の御父との 密接 愛野 故 な 中で、そして神が神で在るが に、神
を礼拝 掛 行
する事に時間を ( ) 変 行
けて く時に、彼 神 と似た物に えられて く
のです。

私達が神の御 顔 追 求 を 掛 続 行
い める事に時間を け けて く時に私達は、自分
達の 顔 栄 輝 輝 行
が神の 光の 覚 きで いて く事に目 めることでしょう。私達は
、 モーゼ ナ 山 がシ イ 費や 後
の上で神との時間を した そこから下りてきた時
の 様 に、神の栄 輝 光で光り き放つでしょう。

ルカ が書きました、

ルカ
11:36(
11:36(TLB)(*日 語 だ無 訳
本 直訳聖書にはま い なのでここは、 。)

もし、あなたが内から光りに満たされて、暗い部分が隅まで全く無いならば
、その時あなたの顔も輝かされるであろう、まるで光線があなたを輝き照ら
すように。
もう一 度 「 々
私達は、神が人間を 我 ー 」 と同じイメ ジに創ろう と言われた時
の、 其 べ
の創造される きである物に成るでしょう

27
復習の為の質問
1.
私達の幼少期 経験 依 の に って、どの 様 に私達の天の父に 対 するイメ ー ジが 影響 されてい
ますか?

2.どの 様 にして、私達の 内 にある天の父のイメ ー ジを


神の言葉の 内 に表された本 当 の御父の姿と一 致 為 変
する に える事が出 来 ますか ?

3. 第2
コリント人
3:18 によると、如何にして私達は主のイメ ー ジの中に 変 換されて 行 く事ができるのでしょ
うか?

28
レッスン3
私達の御子(神の息子)のイメージ
神の息子
私達が新創造物としての全体の 黙 示を得る 為 には、私達は神の息子のイメ
ー ジの 黙 示を得なければなりま せ ん。

使徒パウロは、私達が神の息子のイメ ー ジに 適合 様 する に神が 予 運
め 命を
定 めている、 心 決
に めている、 若 しくは私達の 歩み 制定を しているという
事を書きました。

ローマ人への手紙 8:29a
神はまえもって知っておられる者達を、更に御子のかたちに似た者としよう
として、あらかじめ定めてくださった。(*Predestin::
神があらかじめある一 定 運 定 ) の 命の方向を める

私達が、神の息子のイメ ー 適合 行 将来 与
ジに されて く時に、私達の に えら
れている 可能 満 性が たし始めるでしょう、そしてまた、新しい創造物とし
て生きて 行 霊様
くでしょう。私達はイエスが御父と聖 と共に一つでありそ
して、其 ぞ 特 のそれ ¯¯ れの 質を持ておられる 私達も持っているという事を
知っています。

神は、...
使徒 ヨハネ は、神の息子について 四 つの 重要 の事を私達に言っています。

 彼(神)は、 常 存 に 在している。

 彼は、生きた神の言葉である。

 彼は、全ての物の創造者である。

 彼は、肉体と成って私達の間に 住 まれた。

ヨハネの福音書 1:1~
1:1~3,14
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉
は始めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたも
のの内、一つとしてこれによらないものはなかった。
そして言葉は肉体となり、私達のうちに宿った。私達はその栄光を見た。そ
れは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真とに満ちていた。
アダムとイブを想像した
ヨハネ 依
は、全ての物は神の息子に 白 って創造されたと言う事を明 にさて
ました。アダムとイブは、彼(神)によって創造されました。

創世記 1:27
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と
女とに創造された。

29
買 戻 い された人類とは、再創造された物に成るという事、アダムとイブを
彼御自身のイメ ー ジに創造された御方のイメ ー ジと 適合 されるという事で
す。

人の子(息子)
神としての権利を放棄した
イエスはこの地球上で人間として、 処 (乙女 女)から生まれました。彼はそ
れでも 誠 の神であったがしかし、神としての彼の 権 利を放 棄 し、そしてこ
の地球上に一人の人として 来 られました。彼は 真 に人間でしたがしかし、
不滅 の神性でした。

ピリピ人への手紙 2:5~
2:5~8
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間で
も互いに生かしなさい。キリスト、神のかたちであられたが、神と等しくあ
ることを固守すべき事とは思わず、かえって、己をむなしうして僕のかたち
をとり、人間の姿に成られた。その有様は人と異ならず、己を低くして、死
に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
イエスが彼の神としての 権 旦横 置 利を一 に かれていた事を理解することは
、とても重要 様
な事なのです。彼は自分自身を人間と同じ にしました。

イエスがこの地球上で生き、奉仕している間に行 われた全てのことは、一
人の人間としてされました、神としてではなく。

誤った概念
もし私達が、神としての御力で活 動 しながらこの地上で生活されたイエス
を 描 いたとしたら、私達は如何にして私達が彼のイメ ー 様 適 ジと同じ に、
合 せ さ ることが出 来 るのか理解する事が出 来 せ 「 !」 ま ん。 はい
私達は言ったでしょう ね 「 。 イエスは 病 悪霊 追
人を癒し、 嵐 を い出したし、
を沈 めましたよ。 や はり彼は、神の息子 だ 満
ったのです。彼は全ての力に
ちていました! いったいそれが、私達と何の 関係 ?」 があるのでしょうか

もしイエスが神として活 動 していたら、どうしてイエスが私達の人生の見
本、 若 しくはパタ ー ンに成る事が出 来 たでしょうか?!
もしイエスが超自然の次元の中で生き、そして奉仕したとしたら、私達の
言い 訳 は“私達が生身の人間であるから”という事です ね 。

“私達にあるたった一つの 希望 …” は
私達はこう 考 “ 様
えるかもしれない、 神 に私達を私達の持っている 困難や 、
病気や 、また 経済 問題 開
の から為 放する の神の超自然的な、 仲裁(介入) を
祈 ることなの だ”
と。

もし私達が、イエスはこの地上でこの 様 に活 動 されたと 描 くなら、¯¯


彼の神としての 権 旦捨 ¯¯
利を一 てた
神が人間に 与えたところの 権 威を持つ、一人の人として や って 来 た¯¯
その時私達は、イエスが 行 った事と同じ事をしている自分達自身を 描 くこ
とが出 来 るのです。

30
地球上での権威
イエスは言った、

ヨハネの福音書 5:24,
5:24,25
よくよくあなた方に言っておく。私の言葉を聴いて、私を使わされた方を信
じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることが無く、死から命に移ってい
るのである。よくよくあなた方に言っておく。死んだ人たちが、神の子の声
を聞くときが来る。今既に来ている。そして聞く人は生きるであろう。
神の息子の声 聞 を く者たちは生きるでしょう。

それからイエスは 続 いて言われます、

ヨハネの福音書 5:26,
5:26,27
それは、父が御自分のうちに生命をお持ちに成っていると同様に、子にもま
た、自分のうちに生命を持つ事をお許しになったからである。そして子は人
の子で有るから、子に捌きを行う権威をお与えになった。
イエスがこの地上に居た 期 権 間に生きて奉仕した 威が、神の息子としての
彼の権 無
威では 箇所かった事は、この から明らかである。

イエスは私達の見本と成る 為 普 (ユ ーク ) 法 資 与 に 通とは違う ニ な 方 で 格を
えられました。

イエスにある私達の、新創造物としての、この地上において 神から 「 与 えら
れている 権 」 威 という物が、取り 戻 されているのです。

私達は、イエスが“人の子 として ” 行 様 った に、同じ 権 威の中で活 動 べ


する
き物なのです。私達が聖 霊 依 プ マ
に るバ テス を受けた時、 其 の聖 霊様 ( が彼
イエス)のもとに下った 後に、彼が行 ったと御業と同じ力を持って、活 動 す
る事が出 来 るのです。

さて、私達が 福音 書を 読む 連 に れ私達は、イエスが 真 に私達の見本であり


、パタ ー ンである事を見る(理解)事が出 来 るのです。私達はこの地上でイ
エスが 行 った時と同じ 権威と力で活 動 することが出 来 るのです。人類は新
創造物として、神が「彼等に主 権を持たせ よう!」と言われた 其 の時に、そ
の同じ 権 威の 基 に生きるために創造された物として生きる事が出 来 るので
す。

最後のアダムで在った
イエスは、 最後 来 のアダムとして られました。

第1コリント人への手紙 15:45
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてある。しかし最後の
アダムは命を与える霊となった。
アダムが 行 為 う 行
に創造されていた全ての事は、イエスが った。

神は言われた、「彼等に主 権 せ ¯¯ を持た よう」


イエスが 悪霊 権 没収 達から主 要素( )
を しました、生物からも、 成分 からも
、そしてイエスは 権 歩み 威の中を ました。

31
マタイ 7:28,
7:28,29
イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその数にひどく驚いた。
それは律法学者達のようにではなく、権威ある者のように、教えられたから
である。
 私達の人間性を分かち合った
イエスは「肉体と地」の 様 合 に私達の人間性を分け った。

ヘブル人 2:14a
このように、子達は血と肉とに共に与っているので、イエスもまた同様に、
それらを備えておられる。
 誘惑を経験した
( )
彼 イエス は私達が 遭 誘惑 経験
うのと同じ を して下さった。

ヘブル人 4:15
この大祭司は、私達の弱さを思いやる事のできないような方ではない。罪は
犯され成ったが、全てのことについて、私達と同じ様に試練に会われたので
ある。
( )
彼 イエス は、どんな人間でも 遭 誘惑 遭 うような同じ に ったけれども、正
にアダムとイブがそうする 為 様 犯 無
に創造された に、彼は罪を す事 しに生
きました。

 彼の働き-私達の働き
イエスは、彼が成る べ く物、そして 行 べ
う く事の 為 に人類を創造したとこ
ろの全てに成り、そして全てをする 為 来
に られました。彼は彼の神として
の 権 利を 横 置
に き、そして生き、奉仕を一人の人間としてこの地上で 行 っ
た。

ヨハネの福音書 14:12
よくよくあなた方に言っておく。私を信じる者は、また私のしている業をす
るであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。私が父の身元
に行くからである。
イエスは、「( ) 行 だ
私を 信じる者は、同じ業を其 う ろう。また れより大きな
業を」 可能 無
とは言わないでしょう、もしこれが で かったのなら。

 彼の力-私達の力
イエスの全ての力に 満 霊様 行ちた業と奉仕は、聖 の力の中で われました。

ルカの福音書 3:22a
聖霊がはとの様な姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、
イエスのバプ マ 霊 テス降 前迄
の時に聖 (様) 奇
が彼の上に る以 は、イエス の
跡 録 は記 せ されていま ん。
これが、イエスの地球上に 置 いての奉仕の始まりでした。

32
イエスは言った、彼(自分)は 福音 述べ 病
を 、 人を癒し、 悪霊 達を 追 い出す
為 霊
に聖 によって油 注を がれたと。

ルカ 4:19
主の恵みの年を告げ知らせるのである。
イエスがこの地球上を 去 為 準備
る の 来 べ 霊
をした時、彼は る き聖 の事につ
いて話 しました、そして聖 霊 従 付 来
は、彼に 与って いて る者達に力を える
だろうと言う事を言いました。

使徒の働き 1:8a
ただ、聖霊があなた方に下る時、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダ
ヤとサマリヤの全土、更に地の果てまで、私の証人となるであろう。
イエスがこの地上で奉仕した 様 動
に、彼の人生において活 した力と同じ力
を私達は持っているのです。 ルカ がイエスの人生について書いた時、彼は
同じ言葉を使いました ¯“ ” “ 霊”
力 と 聖 。

使徒の働き 10:38
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共に
おられるので、良い働きをしながら、また悪魔に押さえつけられている人々
をことごとく癒しながら、巡回されました。
イエス様は来られました
 御父を表す為
イエス、神の息子は、御父と全く同じイメ ー ジです。

イエスは言った、

ヨハネの福音書 10:30
:30
私と父とは一つである。
彼は又言われました、

ヨハネの福音書 14:6,
14:6,7
イエスは彼に言われた、「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私
によらないでは、父の身元に行くことは出来ない。
ヘ ル 著
ブ 書の ー
者は、イエスは神のイメ だ ジの現われ ったと言いました。

ヘブル人 1:3a
御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉
をもって万物を保っておられる。
パウロは、キリストは目見えない神のイメ ー だ ジ と書きました。

コロサイ人 1:15
御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先立って生
かれた方である。
33
イエスは全ての物の創造物に成る 為 に、彼の御父のイメ ー 「最初
ジの に生ま

れた物 であった。私達は、新創造物として彼(神)のイメ ー 適合ジと される
為 に、再び生まれた物です。

 父の御心を行う為
イエスがこの地球に 来 られた時には、彼の意 思を御父に 委ね ました。

彼がこの地上を 歩 んでいた時は、彼は父の御 心 行
を った。

ヨハネの福音書 6:38
私が天から下ってきたのは、自分の心のままを行うためではなく、私を使わ
された方の魅心を行うためである。
 悪魔の業を滅ぼす為
イエスが奉仕した全ての 場所 悪魔 滅ぼ
で、彼は ヨハネ の業を しました。 は
、これが、イエスがこの地球上に 来 られた主な理由の一つであったと私達

に します。

第1ヨハネ 3:8b
3:8b
神の子が現れたのは、悪魔の業を滅ぼしてしまうためである。
イエス¯私達の代理(身代わり)
罪の罰則
アダムとイブの罪は、彼等を罪と共に 存 来 在している事の出 ない聖なる神
から離 離 れ せ 置 去
れにさ 、 き 愛 軽
りにしました。神は、 に在って く罪を見
逃 来
す事が出 ぜ
なかったのです、な 璧 義 なら神は又、完 な正 でもあるから
です。罪は、聖なる 公 依 黙認
正な神に って、 来 された物に成る事は出 なか
ったのです。神は言われました。

創世記 2:17b
2:17b
・・・それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
アダムとイブは、彼等の神との 関係 失 内 を いました。彼の 面に居られる神
の霊 が、彼らが罪を 犯 留
してしまった時に、そこに 来 まる事は出 なかった
のです。アダムとイブは、彼等の子 供 や所有 達に彼等がもは していない物
を与 来
える事は出 内 「
なかったのです。彼等の 」 去 面の 神の性質 は ってしま
「 」
ったのです、そして 罪の性質 がその 場所 を取って代わったのです。アダ
ムの罪の性質は、彼の子 孫 継 達に受け がれました。

第1コリント人 15:22
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じ様に、キリストにあって全
ての人が生かされるのである。
罪の性質はその父 親 の種を通して、一世代から、又もう一つの世代へと受
け継 がれているのです。この地上の全ての人に父 親 有 が りますから、使徒
パウロは書きました、

ローマ人への手紙 3:23
34
すなわち、全ての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており

罪に対 罰則 死
する は 死 結末
です、そしてこれは肉的 という に成ってしまい
ました。

ローマ人への手紙 6:23
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、私達の主キリスト・イエス
における永遠の命である。
ローマ 5:12
このようなわけで、一人の人によって、罪がこの世に入り、また罪によって
死が入って来たように、こうして、全ての人が罪を犯したので、死が全人類
にはいり込んだのである。
イエスの誕生
イエスは、聖 霊 によって 妊娠 した一人の 処 女から生まれ、私達の身代わり
に成る 為 にこの地球上に 来られました。彼(イエス)の 奇跡 的な受 胎 依
に っ
て、彼は罪の性質を持っていま せ んでした。彼は彼の 内 面に、神の性質を
持っていました、¯人類が 失
ってしまったところの。

マタイの福音書 1:20
1:20b
その胎内に宿っているものは聖霊によのである。
マタイの福音書 1:23
「見よ、乙女が身ごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと
呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
神の愛の計画
人類に 対 愛 殆 想
する神の 来 は、 !ど 像も出 ないものなのです
ヨハネ とパウロの両 方がそれについて書きました。

ヨハネの福音書 3:16
神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を
信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
ローマ人への手紙 5:8
しかし、まだ罪人であった時、私達のためにキリストが死んで下さったこと
によって、神は私達に対する愛を示されたのである。
人類の 為 愛 画
の神の偉大な の計 璧は、たった一人の息子、イエスを完 な人
間として生きる 為 其に、そしてそれから 対 の自分の息子が、人類の罪に す
る罰則 為 送
を彼自身の身の上に受ける 含 に り出す事が まれていました。

第1ペテロ 3:18
キリストも、あなた方を神に近付けようとして、自らは義なる方であるのに
、不義なる人々のために、ひとたび罪の故に死なれた。ただし、肉において
は殺されたが、霊においては生かされたのである。
35
イエスは私達と 入 れ代わって下さったのです。私達が受けるに相 応 しい全
ての 裁 きは、彼(イエス)が自分自身の上に受けて下さったのです。彼は私
達の 為 に罪となって下さった、そうすれば私達が彼の 義 を受け取れたから
です。彼は私達の罪を請け負いました。そうすれば私達は、それらの罪を
負わなくても 良 いからです。

第2コリント人への手紙 5:21
神は私達の罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、私達が、彼
にあって神の義となるためなのである。
( )
彼 イエス は私達の病や 痛み 済む為
、そして私達が を負わなくて に御自分
の其 の身に負って下さったのです。

イザヤ書 53:4
真に彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、わ
れわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
イエス¯私達の贖い主
旧 初期約の ヨ 来 贖
に書かれている中に、 ブが る い主について預言しました

ヨブ記 19:25
私は知る、/私を贖う者は生きておられる、/後の日に彼は必ず地の上に立
たれる。
ダビデ が書きました、

詩篇 19:14
我が岩、我が贖い主なる主よ、どうか、私の口の言葉と、心の思いがあなた
の前に喜ばれますように。
イザヤ 贖 が、 度 繰 返
い主について何 も り し書きました。

イザヤ書 44:6
主、イスラエルの王、イスラエルを贖う者、万軍の主はこう言われる、「私
は初めであり、私は終わりである。私のほかに神は無い。
奴隷生活から贖われた
旧 約全体を通して、人は 経済 困難 期 的な や 若 の時 には自分自身 、 しくは自
分の 家族 奴隷 を売 来
として る事が出 ました。この人本人、またはこれ等の
人々 は、もし身内や 十 金 用
または自分自身が 来分なお を 意する事が出 て、
其 依 買 戻
の彼等に って い 来
されたなら、自由な者に成る事が出 ました。時
によっては、 其 年数
の人達の使えた 若 普
によって、 無 しくは彼等が 通でわ
い勇敢 行動 な 依
を取ったことに って自由な者に成れました。

聖書に書かれている言葉によると、 更 希望無 生されていない人類は しの罪


の、そしてサタン (悪魔) マ ー( ) 奴隷
である、彼等の スタ 主人 の として見てい
ます。

36
彼(イエス)の血によって
人類は、どんな物でも 滅 びる物に 依 ってでは 贖 われる事は出来 なかったの
です。¯ 銀や金 依 に ってでも、¯彼等の出 来 うるあら ゆ 行動 依
る に ってでも

其 の彼等の 贖 いの代 価 は、人間と成って下さった 永遠 の神の息子の 血だ っ


たのです。 其
其 血 無限 価値 れは の 洗 の の であった、 其の全ての人類の罪を
清 為 十
い める にほ 満
分であった、それ どの力 ちた 血だ ったのです。

第1ペテロ 1:18,
1:18,19
あなた方の良く知っている通り、あなた方が先祖伝来の空疎な生活から贖い
出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、傷も、しみも
無い子羊のようなキリストの尊い血によったのである。
自由な者に成る為に
ギ ャ語 リシ 箇所 “贖 はこの”( ) での われた と言う言葉 を
買 げ い上 釈
る事によって自由にするまたは、 行 放するという いである事と
強調 ( )
しています。私達は、創造という事を通して彼 神 のものと成りまし
今や買
た、そして 依 贖 属
い取るという事をに って い主に する者と成りまし
た。

ヨハネの福音書 8:36
だから、もし子があなた方に自由を得させるならば、あなた方は、本当に自
由な者となるのである。
イエスは私達を贖 だ って下さった けではなく、彼は私達を自由な者として
下さったのです!
彼は彼自身の大切 血 買 な をもって、私達を い取って下さったのです。私達
は彼の所有 ( ) 法 権
するものと成り、そして彼が私達を自由に 解放 する 的な
利を持ったのです。

王とそして祭司に成る為に
原語 「 ゴラゾ」 「贖
の ア 」 は節 “市場(マーケ
われた 、以下の で意味している ッ
) 買 為
ト へ う ” 訳
に出かける と 祭
されています。イエスは、彼にあって王と
司 せ 為
に成ら る 奴隷 買
に、私達を から 取り出して下さったのです。

黙示録 5:9,
5:9,10
彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受け取り、封
印を解くにふさわしい方であります。あなたはほふられ、その血によって、
神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々を贖い、私達の
神のために、彼等を御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配
するに至るでしょう」。
全て永遠の為に
組み合 来
わさって出 “ ザゴラゾ”(exagorazo)
た言葉であるところの エグ は、
ガラ ヤ 3:13 “贖
テ 人 ” 訳
では “二度 戻
われた と 来されている と ることが出 ない
様 にそこから買 ”い取られる事 を意味しています。

37
ガラテヤ人 3:13a
3:13a
キリストは、私達のために呪いとなって、私達を律法の呪いから贖い出して
下さった。
私達の代理人としての救い主の 贖 依 奴隷市場
いの御業に って、私達が に再
び 戻 らされている 様 無 な事が 来 程
いという事を確信している事が出 る に、
私達は罪に 対 奴隷 買
しての から 効果
い取られました、完全に、そして 的に
。これは、 特 ーマ にロ 依 奴隷 オー
時代に生きた彼等の主人達に って、 達の
ク 広場 度 度 繰 返 売
ションの で何 も何 も 来 り し られる事が出 ていたところの
人 々 にとっては、 特 に意味の大きい事でした。

イエス¯私達の身元/身分(アイデンティティ)
彼と一つの者
私達の救い主としてのイエスのうちに、私達の信 仰 其 瞬 を持った の 間に、
奇跡 起が きました。神なる聖 霊様 ( ) せ
が、私達を彼 イエス と一つに成ら て
下さいました。私達は彼の肉体と成ったのです。

第1コリント人 12:13,
12:13,17
なぜなら、私達は皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御
霊によって、一つの身体となるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御
霊を飲んだからである。
もし、身体全体が目だとすれば、何処で聞くのか。もし、身体全体が耳だと
すれば、何処で嗅ぐのか。
イエスの 贖 いの御業の理由は、何時か私達が天 国 来 で彼と共に居る事が出
る様 戸 だ
に いう 無けでは ペ
かったのです、 義 テロは、私達が のために生き
ることが出 来 様 ( 法)
る な道 方 を
イエスが 備 えて下さったという事を書きました。

第1ペテロ 2:22,
2:22,24
キリストは罪を犯さず、その口には偽りが無かった。
更に、私達が罪に死に、義に生きる為に、十字架にかかって、私達の罪を御
自分の身に負われた。その傷によって、あなた方は、癒されたのである。
私達の為に罪となられた
私達の為 のイエスの 贖 為
いの御業によって、彼は私達の に罪となって下さ
ったのです。彼は、自ら自 発 十字架 的に其 上で、御自身の の身体の上に、
私達の罪を取って下さいました。

第2コリント人への手紙 5:21
神は私達の罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、私達が、彼
にあって神の義と成る為なのである。
私達の為に呪いとなられた
罪というものに由って人類の上に 来 せ 呪 たら てしまった いをイエスは、自
分の上に受けられました。

38
ガラテヤ人 3:13
キリストは、私達のために呪いとなって。私達を律法の呪いから贖い出して
下さった。聖書に、「木にかけられる者は、全て呪われる」と書いてある。
私達の罪を取り去られた
十字架 “
上で、イエスは 世の罪を取り 去 羊” る神の子 となられました。彼は
、神が 二度 思
と 無 様 永遠
い出すことが い に、 深 に私達の全ての罪を地の き

にと取り 去 られました。

ヨハネの福音書 1:29
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方に来られるのを見ていった、「身よ、
世の罪を取り除く神の子羊。
詩篇 88:3,
88:3,6,7
私の魂は悩みに満ち、私の命は陰府に近づきます。
あなたは私を深い穴、暗い所、深い溝に置かれました。あなたの怒りは私の
上に重く、あなたはもろもろの波をもって私を苦しめられました。[シイラ]
私達は彼の 死 の中で彼と一つに成りました。

ローマ人 6:6
私達は、この事を知っている。私達の内の古き人はキリストと共に十字架に
つけられた。それは、この罪の身体が滅び、私達がもはや、罪の奴隷と成る
事がない為である。
生かされた(生きた者とされた)
彼は私達の罪を地の 深 所 引 渡
き へ き 死 獄
してしまって、墓 、地 、そして か
ら大勝利を得て 甦 「最初 死
りました。彼は、 」
の から生まれたもの に成られ
ました。

コロサイ人 1:18
そして自らは、その身体なる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死
人の中から最初に生まれた方である。それは、御自身が全てのことにおいて
第一の者と成る為である。
彼は、(神)の霊によって“生かされたもの”
第1ペテロ 3:18
キリストも、あなた方を神に近付けようとして、自らは義なる方であるのに
、不義なる人々のために、ひとたび罪の故に死なれた。ただし、肉において
は殺されたが、霊においては生かされたのである。
イエスが生き 返 返
らされた時、私達は彼と共に生き らされました。

エペソ人 2:5,
2:5,6
罪過によって死んでいた私達を、キリストと共に生かし¯¯あなた方の救われ
たのは、恵みによるのである¯¯
39
イエスが 甦 らされた時、彼は御父の命と性質に完全に 回復 されました。彼
は、もう一 度義 なる者とされました。

ローマ 3:26
それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神自らが義とな
り、更に、イエスを信じる者を義とされるのである。
私達の義と成られた
救いに入 其 瞬 った 様 義 与
の 間に、私達はイエス の を えられました。私達は
イエスが義 様 義
であられると全く同じ に と成りました。

パウロは書きました。

第2コリント 5:21
神は私達の罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、私達が、彼
にあって神の義と成る為なのである。
さて今や 義 私達、 “義 為 ”べ
とされた者達は、 の に生きる きなのです。

パウロは書きました。

第1ペテロ 2:24a
更に、私達が罪に死に、義に生きる為に、十字架にかかって、私達の罪を御
自分の身に負われた。
救い主イエスに在る新創造物として私達は、もは や せ 罪びとではありま ん
。私達は、 既 義 に !
とされているのです

第2コリント人 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべでが新しくなったのである。
もはや 私達は罪の 悪 ( )定 、又罪 人と 必要 無められている下で生きる は いの
です。私達は 義 !
とされたのです

私達はもは や 潜、罪の べ
在意識と共に在る 義 きではないのです。私達は の
潜在意識と共に在る べ きなのです。

私達はもは や (悪魔)
サタン 落 せに私達を 打 許胆さ 、そして ち負かす事を す
べきではありま せ ん。


私達はイエスキリストに在って、神の 義 ” とされている事 を知っています
。私達は、 有 告
罪と、罪の宣 から自由になりました。

ローマ人 8:1
こういうわけで、いまやキリスト・イエスにある者は罪に定められることが
無い。
私達は、救い主イエスに在って新しい創造物(神によって新しく創造された
物となった者達)です!

私達の 霊 は、神の 義 と同じ 義


なるものなのです。 日々 、私達の魂と身体は
、彼(神)の息子(御子)のイメ ー ジに 適合 されつつあるのです。

40
復習の為の質問
1.
ヨハネ 福音 5:24~27
の 書 によれば、イエスがこの地球上に居た時に、何の 権 威に 依 って奉
仕をしましたか?

2 .私達の身代わりである救い主としてのイエスの 働 きを 述べ なさい。

3. どのように、救い主にあって私達が、“神の 義” になる事が 可能 ですか?

41
レッスン4
新創造物イメージ
キリスト(救い主)に在って
使 途 パウロによれば、私達がイエスを私達の救い主として受け 入 れた時、
私達はキリスト(救い主)の 内 にある(共に居る)のです。私達は新創造物です
。私達の人生の全ての事が新しく成るのです。

第2コリント人 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
イエスを私達の救い主として受け 入 其 瞬 霊 れた の 間に、聖 が私達をイエス
キリストにつな げ ( せ 仲 入
て下さる 交わら ) て、 間に れて下さる のです。私
達は全ての 永久 続 為 (に )
く物の に彼 イエス と一つに成るのです。

古いものは過ぎ去った

私達が キリストの 内 ” 過ぎ去
に在る者 と成る時、古いものは るのです。と
いう事は、以 前存 や存
在していた私達の部分がもは 在していない事を意味
“ (
しています。 古い者 物、事 )” 死
として言われているそれらの部分は にます
。と同時に、生まれ 変 ¯¯ 霊
わりがあるのです。 新しい の人が生まれるので
す。

全ての事(物)が新しく成る
新しい信者は、もは や 古い 昔 の彼、または彼女と同じ人では 無 いのです。
其 の人はもは や存 在しないのです。 其 の人は 死んでしまったのです。全て
の事が新しく成ったのです。もし私達が新生 児 皆
を に見 せ びらかしている
時に、誰かが「でも、この 赤 ゃ ち んの 過去 の事はどうなるの?」と 尋ね たと
したらどんなに 驚 くことであったでしょうか。貴方は 答 えたでしょう、 こ 「
の 赤 ゃ 産 ち んは まれたばかりですよ。彼に 過去 無 其 は いですよ。 れは、 悪
魔 が私達に新しく生まれ 変 前 過去 失敗や
わる以 思 の せ の 罪等を い出さ よう
とする 為 来 に る時と全く同じ事なのです。
其 の私達の古い人生の部分は 死 だ ん や存 のです。それはもは 在しないので
す!
新創造物として私達は、 悪魔 訴 起 為 過去
が私達に向かって えを こす の をも
は や 持っていないのです。パウロは書いています、「古い物は 過ぎ去 った!
全ての事は新しくなっている!」

再び産まれた(生まれ変わった/新生した)¯¯Born Again
イエスがニコ デマ 話 スと 「 度
した時、彼は 貴方はもう一 生まれなければなら

ない と言いました。

ヨハネの福音書 3:7
あなた方は新しく生まれなければならないと、私が言ったからとて、不思議
に思うには及ばない。
42
最初 デマニコ スは、イエスが彼(ニコ デマ ス)の肉体がもう一 度産 まれる事
の必要 を言っていると 思 いました。 其の時イエスは、新生を 経験 する べ き
人類の部分は肉体の身体でもなく、魂でもないという事を明 白 にしました

ヨハネの福音書 3:5,
3:5,6
イエスは答えられた、「よくよく貴方に言っておく。誰でも、水と霊とから
生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれる者は肉であ
り、霊から生まれる者は霊である。
新しい霊
救いに 入 其 瞬
った の 霊
間私達の新しく創造された は、完全です。それは、
決 して其 瞬 の 義
間より以上に完全に、又は 無 其 霊に成る事は いのです。 の
が、私達の 永遠 其
に生きる部分なのです。 れが神の臨在を感じ取る、そし
て意識する部分です。信じる者の 霊 ぜ
が神と交われる部分です、な ならそ
こは、神が 義 義
であるのと同じ なる者とされているからです。

“ 石 心”
の は、去 !
りました
神は私達に 肉の “ 心” 与 を 柔
えて下さいました。彼は私達に柔和 らかくて な
、そして 愛情 溢 心 に れた 義 為
を下さったのです。彼は、私達に の に生きる
事を 望む心 与 を えて下さいました。

エゼキエル 11:19
そして私は彼らに一つに心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉
から石の心を取り去って、肉の心を与える。
私達の 霊 はイエスに在って完全です。神は魂に在る 思考 更 ( ュ ) が 新 リニ ウ
する事を通して私達の魂を 回復 望 する事を んでいます。神は、私達の身体
が完全な 健康 回復 体に する事を臨んでいます。救いの即時に私達は、新創
造物に成りました。身体 (骨 血) (、肉体、 志 情)
そして、魂 知性、意 、感 は完
全に 変 えられていませ 霊 瞬
ん、しかし は救いの 間に新しくそして完全なも
のになりました。

パウロは、ピリピにある意味 深 い言葉を書いています。¯¯“自分の救いを達
成する”

ピリピ人 2:12
私の愛する者達よ。そういうわけだから、あなた方がいつも従順であったよ
うに、私が一緒に居る時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐
れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
私達は救いは 無料だ S 瞬 霊
と知っています;私達が くいの 間に私達の はキ
リストに在って、完全なものにされているという事を理解する迄 は、この
節 節 矛盾
は他の 様と 其 している 霊 に見えます。 の時からずっと私達の は、
私達の知性と身体がキリストのイメー 適合 為 霊 働 ジと する に聖 と共に いて
いるのです。 其 日々変 れ等は えられつつあります。私達の救いは、私達の
知性と身体とを通して達成しつつあるのです。

パウロは 続 けて書きました、

43
ピリピ人 2:13
あなた方のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、且つ実現に至らせるの
は神であって、それは神の良しとされるところだからである。
魂¯経済¯健康
私達がキリストに在って、私達の 霊 の人が誰(何者)であるのか、という 黙
示(レバレイション)を持っているという事が 重要 です。私達は、私達の再
創造された 霊 が神の目には完全で、全くの 義であるという事を理解しなけ
ればなりま せ ん。

この 黙 示とそして、私達の身代わりとしてのイエスの 贖 いの御業を理解す
ることをもって私達は、私達の魂も身体も 健康 歩みに 始めるでしょう。私
達の魂は私達の知性が神の御言葉を 読む こと、 聞 黙想 く事、 する事、信じ
る事 語 る事、そして 行動 に移すことによって 更 新されていく時に 繁栄 され
るでしょう。

ローマ12:2
あなた方は、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにする事によ
って、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって。神に喜ばれ
、且つ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
私達の魂が 変 連 ¯ ( )
換されるに ー 適合 行 ¯
れて 彼 イエス のイメ ジに されて く
私達は繁栄 健康
するでしょう、そして私達の身体が ヨハ に成るでしょう。
ネ はこの事に付 いて書きました。

第3ヨハネ 1:2
愛する者よ。あなたの魂がいつも恵まれていると同じく、あなたがすべての
ことに恵まれ、また健やかであるようにと、私は祈っている。
神の義
どの 様 に神は 義 ?
ですか

彼(イエス)は彼の存在においても、そして彼の全ての生き方に
おいても、永久の義です。


彼の義は、罪の不在や又罪を犯さない能力より以上のものなの
です。


其れは、罪を見逃すことや罪と共に存在することが出来ない、
完璧で無限の善良さです。


 神は、罪を犯す機能を持っていない。
義 のうちに居られる神は、 例 愛 え彼の 望 だ
にあって彼がそう ん としても、
アダムとイブそして彼等の子 孫 来
達の罪を大目に見る事が出 なかったので
す。

44
ローマ人 3:25,
3:25,26
神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべき贖いの供
え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯さ
れた罪を、神は忍耐をもって見逃しておられたが、それは、今のときに、神
の義を示すためであった。こうして、神自らが義となり、更に、イエスを信
じる者を義とされるのである。
神の 義 仰は、信 によって表されるのです。

ローマ人 1:17
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは
、「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりである。
私達の義
私達は、私達自身の 働 きをもって 義 とする事は出 来 せ ま ん。
預言者イ ザヤ 義
は、私達の について、明 白 描写 描
な を きました。

イザヤ書 64:6a
われわれは皆汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく
汚れた衣のようである。
私達が出 来 試み
る全ての事を私達が 可能 限 懸 来 る事が な り一生 命出 たとし
ても、神の目にはけがれて 汚 ぼ 布 ぎ れた ろ にす ないのです。
私達が新しく神によって創造された者となる以 前 ( にした全ての 人間の目か
ら見た)良 汚 ぼ 布 山
い事は、けがれて (汚れたぼ 布 )増 ろ の にまた れた ろ を し
加 積み げ
えて 上 ていたのです。

身代わりとしての義
イエスが 十字架 死 上で ¯
なれた時、彼は私達の全ての罪を受けました 私達の
不義 を御自身の上に。

彼は、私達に彼の 義 引 を与 き換えとして 素晴 えて下さいました。なんと ら


しい交換でしょうか!

私達の罪は、彼に負わせられているのです、その代わりとして完全完了の
義(とそれを守る責任)が私達に与えられています。
私達が、私達の救い主としてのイエスキリストの 内 仰 置 に私達の信 を いた
その 瞬 霊 “ 義”
間に、私達の は 神の になりました。

ローマ人 3:22
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じ
る人に与えられるものである。そこにはなんらの差別も無い。
“ ”
信じる という言葉は、信 用/ 頼 粘着/固執 信 する、 する、そして私達の身代
わりになって下さったイエスの 贖 基 頼む いの業の により という事を意味し
ます。

パウロは、私達が新しく生まれ 変 わり、そして新しい神の創造物になった
時、イエスにあって神の 義 となったという事を 述べ ました。

45
第2コリント人 5:21
神は私達の罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、私達が、彼
にあって神の義と成る為なのである。
私達が神の 義 やになった時、私達がもは 罪人ではなくなったという事を意
味するだ せ
けではありま 赦 だ
ん。私達の全ての罪が されているという事 け
を意味するのではありま せ ¯¯ 素晴 ん その事はとても らしい事です。しかし
それは私達が、神の 義 霊 義
になった時に私達の義 が神御自身の と全く同じ
とされているという事を意味するのです。

私達は、宣言/布告されている義なるものです。私達は、神の義を受け取っ
たのです。
古い不義のイメージ

その私達は神が 義 々
であると同じ であるという事は、何人かの人 にとっ
入 難
て受け 善 教
れ 非常
い事です。私達は 教 意の 師達によって、 に違って え

られて てしまっています。

多 ク チャ くの リス 悪 や 打 ひ
ン達が、彼等の全人生を罪 感 罪の意識で ち しが

れて生きているのです、キリスト イエスにあって彼等が何者であるのか
を知らずに。

信 仰 によって私達は、神の 義 であるという事を受け 入 れ、そして信じなけ


ればいけないのです。私達がより神からの 良心/良 (God’s 識
conscience)をもつ者に成って くと、私達は罪意識 行 の の代わりに /良心 呵責
、(神から る)来 義
意識(Righteouse conscience)をもつ者に成ります。

 もはや罪人ではない
私達はもは や 自分自身を“ 恵み によって救われている罪人達”として見る べ
きではないのです。私達はもは や 罪人ではありま せ ん! 私達は、New
Creation(新しい神の創造物 = 神によって新しく創りかえられた者)なので
す!

多 くの ク リスチャ ン達は、罪を 犯 している自分達に 気づ きます。な ぜ なら


彼等は、 引 続 き きずっと罪人であると 教 えられて 来 たからです。

彼等は、罪についての 教 えから 教 えを 聞 いて 来 ているのです。彼等の 考 え/


思 いは、 継続 して罪のもとに 根付 いてしまっています。彼等は 義 という事

の 黙 霊
示(神の による啓示)をま だ 受け取っていないのです。それ ゆ えに、
罪が 今 だ
もま 彼等の人生の中で(彼等を) 支配 しているのです。神の 義 黙の
示を通して、私達は“ 義 意識”になるのです。私達は神が私達を見るように
、自分自身を見るのです。私達は神が 義 であるのと同じように自分たちを
義 であると見ます。それ ゆ えに、罪はもは や 私達の身体の中で 支配 してい
ま せ ん。私達はもう 二度 と、いつもの 様 に罪と分かっていて 行 せ
いま ん。
私達は、神が罪を見るように罪を見ます。罪は、私達が神の 義 黙
の 示を得
てしまったので、その (誘惑 する 為 )魅 失
の 力を ってしまいました。

46
彼(神)のイメージに適合されている
私達がキリスト ・ イエスにあって、新創造物とされている者として、神の
義 視
であることの目 と共に 歩 続 き けるにしたがって、私達は私達の知性の
更 変
新によって 換された者になるのです。それは、 プ セ (行程) ロ ス です。
私達は、彼の息子(神の御子)のイメ ー ジに 日々 適合
、 されつつあるのです

ローマ人 8:29
神はあらかじめ知っておられる者達を、更に御子のかたちに似た者としよう
として、あらかじめ定めてくださった。それは、御子を多くの兄弟の中で長
子とならせるためであった。
罪を告白する
もし信者としての私達が罪に 満 ちた 行動 行 を 悪
ったとしても、私達は罪 感
や 、罪の意識に や られてしまっている中で生きなくても 良 いのです。私達
が、罪を 犯してしまったという事に 気付 瞬 いた 対
時に、私達は神に して罪
を 犯 した事を告白 しなければなりま せ 仰
ん、そして信 赦 によって彼の しを
受け取らなければならないのです。そしてそれから、私達は 続 悪 けて罪 感
や 、罪の意識から自由な者とされて、 義 歩 続
の中を 来 き ける事が出 ます。

第1ヨハネ 1:9
もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方で有るから、
その罪を赦し、すべての不義から私達をきよめてくださる。
告白 するという事は、私達の罪について神と同意するという意味です。私
達は、神のように罪を意味 嫌 近づ
うに違いないでしょう。私達が神により
くにつれて、より一 層 義 黙 歩 行
神の の 示と共に いて きます、そして私達は
罪に誘惑 少
される事より なくなるでしょう。

元に返る事を学ぶ
私達が、私たちの生活の中のある 領域 失敗 跳ね返 で する時、私達は元に る
事に敏速 学
になることを マ
ばなくてはいけないのです。 ノ ク ットの上に ッ
ダウンされてしまった ボク ー 様 サ 可哀想 と同じ に、私達は自分を と感じな
がらそこで 寝 べたままで居る せ 逆
きではありま ん。そうではなく、 に私達
はそのマ 跳ね返
ットから 跳 立
ってそして、 び上がって ち上がるように私達
自身を鍛 えなくてはいけないのです。

私達は元に 跳ね返 動 続 べ
りそして、 き 犯 ける きなのです。私達が罪を して
しまった時、私達は罪 悪 敗北 思
感、罪の意識、そして 入 の いを受け れてし
まってはいけないのです。その代わりに私達は、私達の罪を即時に 告白 し
、そして神の 赦 しの完全な確信をうけ取らなければいけないのです。まる
で勝利する ボク ー サ 跳ね返
のように、私達は戻 るように り、そして勝利に
向かって 進み続 けなければいけないのです。

変換されている
私達は神の 義 毎日
を得ています。しかし、私達は 私達の身体を神に生きた
捧げ 差
物としてべ し出す きなのです。

47
ローマ人 12:1
兄弟たちよ。そういうわけで、神の哀れみによってあなた方に勧める。あな
たがたの身体を、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい
。それが、あなたがたの成すべき霊的な礼拝である。
私達の霊 義は神の 黙
をもっています、がしかし私達の魂は、神の御言葉の
視( 霊神の ) 来 更
による悟り を通して 変 べ
る知性の 新によって、 換される き
ものなのです。

ローマ人 12:2
あなた方は、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにする事によ
って、造りかえられ、何が神の魅旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ
、且つ全きことであるかをわきまえ知るべきである。
大胆であれ
新しい神の創造物である私達は、神の 義 黙視の によって神の御 座 に大胆に
近づ く事が出 来 「
ます。私達は、 神は私達の事を 聞 」
いて下さる という事を
知る(理解する)ことが出 来 ます。

ヘブル人 4:16
だから、私達は、哀れみを受け、また、恵みに与って時機を得た助けを受け
るために、はばかることなく恵みの魅座に近づこうではないか。
私達は大胆に、そして確信を持って神のもとに来 来 ぜ ることが出 ます、な
なら私達は、神の 恵み を理解しているからです。私達はイエスが私達の身
代わりとして、何をして下さったかを知っています。私達は、自分達が 赦
されているという事を知っています。私達は、救い主イエスにあって新し
く創造された物であるという事を知っています。私達は、自分達が神の 義
であるという事を知っています。

生きよ
新しく神に創造された者として、私達は私達の 内 に新しい命を持っていま
す。この新しい命こそが、キリスト御自身の命そのものなのです。

エペソ人 2:1~
2:1~3
さてあなた方は、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
かつてはそれらの中で、この世の習わしに従い、空中の権をもつ君、すなわ
ち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
また、私達も皆、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉
とその思いとの欲するままを行い、他の人々と同じく、生まれなが
らの怒りの子であった。
満たされよ
新しく神に創造された者として私達の 霊 は、神の全てで 満 たされています
。神であるそのもの全て¯¯が私達を 満 たしたのです。彼御自身の持つ全て
の最高 豊 の かさが私達のものになったのです。

エペソ 3:19
48
また人知を遥かに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべ
てをもって、あなた方が満たされるように、と祈る。
新しい神の創造物とされた者として私達は、もはや空 しいものではありま
せん。その代わりに私達は神でいっ ぱ 満 ! いに たされています
( ) 豊
私達は、彼 神 の ふ かさであ れているのです。

私達が、引 続 き 義 飢 乾 追 続
き神の に え いて い ける時、私達は私達の魂と身
体にさえも神の 義 満 で ( 気 付 )
たされている自分自身を見つける に が く でし
ょう。

マタイの福音書 5:6
義に飢え乾いている人達は、幸いである、彼らは飽き足りるようになるであ
ろう。
神の愛を受け取る
黙視 何と偉大な でしょう、神は私達のように創られていないという事を知
るという事は!

彼は私達を 愛 しているのです!
私達が彼の 敵 であった時でさえも、彼は私たちを 愛 していて下さったので
す。

ヨハネの福音書 15:12,
15:12,13,
13,14
私の戒めは、これである。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに
合いし合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てる事、これよりも大
きな愛は無い。あなた方に私が命じる事を行うならば、あなた方は私の友で
ある。
(
新しい肉の 生きた)心 を持つところの、新しい神の創造物とされた者とし
て私達は、神が私達にしなさいと命じられる事を行動 対 に移すことに して
敏速 なのです。

 神と 友 になりなさい

神は私達を 攻撃 する 為 存 に 在するのでは 無 いという事を知ることは、如何


に偉大な事でしょう?!

そして彼は 今や 私達に、 あなたは、私の 「 友 です! 」


と言って下さっています。私達は、かつては彼の 敵 であった者が、キリス
トを通して彼と 和 解している者なのです。私達は、 今 友 はもう神の であり
また、彼は私達の父なのです。神の 友 として私達には 和 解のミニストリ ー(
奉仕)があります。私達は他の人達に、私達の 友 会 欲
と出 って しいと、そし
て私達のように神の 友 になる事を 望 んでいるのです。

 神と 和 解しなさい

新しい神の創造物となった者として、私達は神と 和 解しているのです。

第2コリント人 5:17、
5:17、18
だれてもキリストのあるならば、その人は新しく造られた者である。古いも
のは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。しかし、全てこれ
49
らの事は、神から出ている。神はキリストによって、私達を御自分に和解さ
せ、且つ和解の務を私達に授けて下さった。
復習のための質問
1. 新しい神の創造物になるとはどういう意味ですか? (何を意味するか?)

2. 神の 義 述べ
を よ。

3. 新しい神の創造物とされた者の 義 述べ
を よ。

50
レッスン5
私達の古い「セルフ(自己)イメージ」の交換
選択は私達のものである
私達がこのレッスンのシリ ーズ 学 を ぶに 連 れ私達は、 選択 しなければいけ
ないという 場 面に向かっていくでしょ。私達は神の御言葉の 黙視 を信じる
のでしょうか、それとも私達は何 年 もの間受けてしまった、 昔からの言い
伝 えられている 教 えにしが み付 くのでしょうか?

私達は、使徒パウロがこの事を書いた時の彼と同意するでしょうか、

第2コリント 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
私達は何者に成る べ 学 来
くして創造されたかについて んで ました、私達の
愛 して下さっている天のお父 様 についてそして、私達の代理として大いな
る身代わりとしてのイエスキリストの 贖 今いの業についても。さあ 、神が
私達の為 備 に 進み入
えて下さっている全てに 覚 発 るための自 をもって自 的
決心
に をする時なのです。

古いセルフ( ) ー 脱ぎ捨自己 イメ ジを てること

良 セルフ ー
い イメ 切
ジを持つことは大 悪魔 「
な事です。私達は に、 私達は神
祝福
の 応
を受け取るに相 だ」 説 せ
しくないもの と 得さ てはいけないのです。
もし私達がそうさ せ 敗北
てしまうなら、私達は 過ご の人生を すでしょう。
もし私達が 敗北 の人生を生きるなら、私達は 悪魔 戦 的力と完全な勝利の い

を 来
うことが出 ク チャ
ないでしょう。私達は勝利の リス ン生活もそして
、他の人 々 効果 に 来
的に奉仕することも出 なくなるでしょう。

私達の多 「 」
くにとっては、 古き人 を取り 除 必要 くための時間が、そこで に
なるのです ¯過去 癖¯ の /考 更
そして私達の知性 えの 新によって、新しい創造
物としてのイメ ー 着 ジを ます。

パウロは、古き人を 脱ぎ捨 てる事について書きました。それは、私達の意


志 行動 の です。

エペソ 4:22,
4:22,23
すなわち、あなた方は、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人
を脱ぎ捨て、こことの深みまで新にされて、
新しいものを着ること
私達が古き人を 脱ぎ捨 連 てるに /考
れて、私達は私達の知性更 えの中が 新さ
れなければいけないのです。この 更 考 ( )
新は、私達の え 知性 が神の御言葉
黙視
の 仰
によって信 更 に向かって 行 み起
新されて くに及んでの こりえます

パウロは次の 節 続 で けて言いました。

エペソ人 4:24
51
真の義と聖とを供えた神にかたどって作られた新しき人を着るべきである。
私達が古き人、古い自己イメ ー 脱ぎ去 ジを 考 ( )
る時、そして私達の え 知性
を神の言葉の 黙視 更
に向かって 「 」
新する時に、私達は 新しい人 、その新し
い神の創造物 (New Creation) 着 を ることになるのです。

新しい神の創造物とされている者はもは や や 五 依 彼 覚 彼女の 感に って知 す


ることに 限 られてはいないのです。新しい創造物とされている者は、信 仰
の中での次元の中で生きます。新しい創造物とされている者は、彼 や 彼女
が、自分は新しい創造物である、神によって創造された物であって 義 と聖
さ (Holiness= だ
神のため ) だ
けのもの の中に在る者 と知っています。

新しい創造物とされている者達は、もは や 彼等自身を罪人として見ていま
せ ん。彼等は、彼等の 霊 様 義
が神と同じ に であり、聖なるものであると知
っているのです。彼等は、彼等の魂と身体が、彼等の 日々 歩み の の中での
経験 基づ に 実践 義
いた、そして 的な ( ) ー
と聖さの中で御子 神の息子 のイメ
ジに 適合 行
されて っている事を知っています。

古い要塞(stronghold=塞、ある思想等の中心地、本拠)
私達が大人に成 長 行 して った時に、私達の知性の上に、悪魔 数多 が くの違
った 要塞 設立 を 今
したのです。さて 今
においても私達は、大人に成った で
さえある 特定 来 せ
の事は出 ま ぜ ん、な 供 なら私達は子 来 のときに出 ないと
教 えられていたからです。
その時 期 吐 に 損傷 与 言葉 壊 必要 要塞
かれた を える が、 される のある に成っ
てしまっているのです。

不適当/不完全/不十分

おそらくあなたは、 ああ、それしなくていいから、あなたの 兄 さんがち ゃ

んとするから と言われたことでしょう。
そしてあなたはこう 考 え始めました、“私は 兄 さんの 様 に出 来 る人じ ゃ ない
”。
下級/下等/下位
学校 )
( 等の 先生が言ったかもしれま せ ねぇ 「
ん 、 これがどうしてあなたにと
ってそんなに 問題 であるのか、私は理解できないのですよ、 クラ スの他の
皆 問題 無
は が いんです。 」
あなたの即時の 思 いは、“私は クラ スの他の 皆 のように 賢 くないのです。)
だ ったでしょう。

典型的タイプ
おそらく私達は、他の人達が私達の 民族 背景や 的 、もしくはある 特定 のグ
ループ の人達について言った事と私達が一 致 して、それらの事を信じてい
たのでしょう。

これ等の一 般論 は、私達の人生を 限度付 け、 特定 される 典型 的タイ プ に成


ってしまったことでしょう。

もしあなたが 赤毛だ ったら、あなたはおそらく 聞 いたことがあるはずです


、 「赤毛 の人は、いつも 短気( かんし ゃ くもち)な 気 性を持っている。 」
52
もう一つ他の 典型 的タイ プ 「
は、 私の 母 はいつも 心配 していました、 だ から
私もその 様 になり、これが私なのです。 」
私達は 多 くの事を 聞 いて、信じていたかもしれま せ ん、私達の人種 や民族
的 背景 について、私達が私達の 周 りの他の人達と 比べ て、同じレ ベル に達
していない、もしくは 好 意的とされていないという事を信じさ せ られてし
まったのです。 アイ 「 ルラ ンド人はいつも ・・・」 「 とか、 ドイ ツ人はいつも
・・・」 。新しい神の創造物であることの 黙 過去
示は、 に私達の人生の上に
影 覆 を いかぶら せ ていたかもしれない下 級 十
とか、不 分なものという 思 い
から、私達を自由な者に解放するでしょう。

偏見(先入観)
新しい神の創造物とは何かという 黙視 は、人種の 偏 見から私達を自由なも

にするでしょう。私達はキリストにあって新しい神の創造物として、全て
の人種の信者を 仲 間達として見始めるでしょう。パウロの新しい神の創造
物の 黙 直前 節
示のその の に彼は書きました、

第2コリント人 5:16a
それだから、私達は今後、誰をも肉によって知ることはすまい。
パウロは ガラ ヤ テ 人にも書きました、

ガラテヤ人 3:26~
3:26~28
あなた方は皆、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
キリストの内に入るバプテスマを受けたあなた方は、皆キリストを着たので
ある。もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女
もない。あなた方は皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
私達が、イエスを私達の 個 入 人的救い主として受け れた時、私達は新しい
家族 家族
の中に、神の 変 の中に再び生まれ わります。私達は、私達の人生
の中に 偏 要塞 残 (残留 ) 許
見という せ が る する 事を してはいけま ん。私達は
(
全ての信者を新しい創造物とされた者としてそして、又全ての不信者 救わ
れていない人 を ) 将来 の新しい創造物とされる者として見なければいけない
のです。

私達は、私達自身とそして他の全ての信者達を神が私達を見るように見な
ければいけま せ 更 ん。 新された 霊 の生き物として、私達はもは や 前 以 の人
種 や民族 的グ ループ 属 に するものではありま せ ん。私達は、新しい 家族 、
神の 家族 の中に生まれました。私達はもは や 他の人を 皮膚 色
の によって 考
察 することはないのでしょう。私達は自分自身も他の人達も、イエスキリ
ストにあって新しい神の創造物とされている者として受け 入 れるでしょう

53
要塞を取り壊す
悪魔)
サタン( 束縛 は、私達を の中に確 保 して 置 くために 過去 の古い感 情や
級 無価値 や
下 的な偏 さ 、そして 見を使いたいのです。 今がこれ等の 要塞 を
滅ぼ す時なのです。

それらを破壊せよ

もしこの びをしている時に、神があなたの 思 い(知性)に 要塞 を表してい

たなら、あなたはたった それらを 打 壊 ち す事が出 来 るのです。大きい 声
で言って下さい、

「悪魔よ、私はイエスの御名によってお前(の業)を縛る。私はイエスの御名
によって、この(~その名前~)の要塞をたった今拒否する、私は、それが
居残る事を許さない。
私は、私が何者であるかという神の御言葉からの黙示による、私がイエス
キリストにある新しい創造物とされた者として出来る事や、所有すること
が出来る事に相反しているあらゆる思い/考えや、そして想像を打ち壊す!
古い考 や ネガ (悲観 ) 思
え方 、 癖 打 壊 ティブ 的 な いを言ったりする を ち すこ
とは、時間がかかるかもしれま せ 思 考 ん。がしかし、これ等の いが私達の
えに入 来 って 直 拒否
たそのつど、私達はぐ 捨 ちにそれらを し、かな り てて
、引 続 き き神の御言葉が新しい創造物とされた者について表している事を
宣言し続 けなければいけないのです。

そうすることによって、癖 直ぐ 打 壊 は に ち されて、そしてあなたは自由に
なるでしょう。

こう 考 え、そして言い始めましょう、

「神の言葉は、私は新しい神の創造物とされた者であると言っている。私は
神の家族に属しているそして、神の家族には
は無い。古いものは過ぎ去った、私はキリストにあって新しい人である!呪
断 切 いを ち る

悪魔 過去 は 家族 呪
の世代の罪を通して 功 の上に いをかける事に成 してしま
っているかもしれま せ 例 殺ん。たとえばの として、一人の人が自 してしま
った時、自 殺 霊 名 の 打 壊がイエスの御 家 の力を通して ち されるまで、その
族 留
と共に まります。

一人の人が 殺 家族 々
人をする時、そこにその渡 苦 を次 と次世代に って しめ
る 殺 霊 人の 達がいるのです。

先 祖 々 代 呪 や遺伝 霊
に及ぶ い の が居るのです、彼等自身がしばしば私達の
身体を 攻撃 為 特定 病気 罹
する オープ
の、ある の に るドアを ンしてしまうの
です。

「 ああそうです、 心臓 問題 の 家系 流は私達の に れています。 もしくは「私 」


達の家族 の女子の全ては 癌 罹 み に る たいなのです。」

先祖 々 呪 代 の いは、私達の 思考 覆 要塞 打 壊 を う を ち すのと全く同じ 様 簡

単 打 壊せ
に ち ます。

54
魔よ、私はイエスの御名によって、お前(の動き)をしばる! 私は、
「悪
、 、
そして の呪いを打ち壊す!
私はたった今、先祖の呪いも、全ての遺伝の霊たちも、私の人生から立ち
去る事を命ずる!
私は、新しい神の創造物とされている! 私は神の子だ!
私は新しい家族の一員だ!
私は、神の家族の一員であって、そこには束縛は無い、呪いも無い、そし
て神の家族に病気も無い!
束縛や呪 や 病気 思 や症状
い 、もしくは、 来 等の い があなたの下に ようとす
る時、それらを叱 付 ! り けるのです
もしあなたが、既 症状 入 にその 直 を受け れてしまっているなら、 ちにそれ
らを叱 付 り けそして、神の言葉があなたの自由について何と言っているか
を大胆に宣言するのです。

古いセルフ(自己)イメージを変える事
私たち自身の 品疎 ー 続 なイメ ジを持ち ける事は、罪です。私達は、使徒パ
ウロが 述べ 様 望み せ
ているそれらの人達の に成りたいとは ま ん。

ローマ人 1:21,
1:21,22
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、か
えってその思いは空しくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼ら
は自ら知者と称しながら、愚かになり、
私達は、神が言うところの私達なのです。イエスが私達をこれ等の事から
自由にする 為 に、 死 んで下さったの だ から、それらにしが み付 いていると
いう事は、神への 侮辱 です。

下級コンプレックス
多 くの信者達は、彼等の能 安 敗北 力について不 を持っています。彼等は 者
の 恐 怯れに 苦 えている中で しんでいるのです。神の言葉はこう言います。

ピリピ人 4:13
私を強くして下さる方によって、何事でもすることが出来る。
第2テモテ 1:7
というのは、神が私達に下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みと
の霊なのである。
私達は、継続 続 必要 有 して宣言し ける が ります。

私は、私を 強 来
くして下さる方によって何事でもすることが出 る。私は神
が、私に力の 霊 愛 霊 健 思考 霊 与
、 の 、そして 全な の を えて下さっている事
を知っている。

55
外見の様子
多 くの人は、彼等の 外 や 考
見について 、 え方に不 安 を感じていて。 私は 「 肥
りす ぎ 」 「
です 、 私は 痩せ ぎ 」 「 髪す です 、 私の が違う 色だ ったらいいのにな
」 「
あ 、 こんなに 真 直ぐ ゃ
っ 良じ なかったら かったのに 、とさえ言っていま 」
す。彼等は、(自分を )恥 思ずかしく っていたり、彼等の 外 見に 対 して自意
識過剰 でいたりするのです。

調査 では、 殆ど全ての 美 しい モデルや 画 映 スタ ー 達は、彼等の 外 見の何 処


か変 えたい 所 有
が ると感じているという事を表していました。

私達の 社会 の中では、 外側 容 の 姿に 対 非常 強 強調
し に い 性が 有 ります。し
かし神の言葉は、私達は 霊 の生き物であって、神のイメ ー
ジによって創造
された物であるという事を表します。私達は、まさに神とそっくりに創造
されました。私達の 美 しさは、私達の 内 なる人で在る “ 心” 当
その本 の人(自
分)、私達の 心 の中の 霊 にあるのです。私達は、私達の 頭 げ
を上 てそして、
その 美 しさとイエスの 輝 きを私達の 顔 から放た せ 良 て いのです。

預言者サミ ュ ル
エ ェ ー
が、ジ シ 就任 為 油
の息子達の一人を次の王に する の
を 注ぐ ために、 ベツラハ 来 最年長 ム ハ
た時、 だ の息子が、如何に ンサム っ
たかということに 気 付 が せ 名誉
かずには居られま んでした。 ある地位とい
うものは通 常 最年長
、 与 の息子に ( ュ ル)
えられたので、彼 サミ エ の即時の
思 いは(その 最年長 ) 多
の 彼が、 為 選 だ 分神が王に成る に ん 物であろうとい
うところでした。

しかし主は彼(サムエ ル) を止めました。

第1サミュエル 16:7
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身の丈を見てはならない。私
はすでにその人を捨てた。私が見るところは人とは異なる。人は外見を見、
主は心を見る」。
教育の不足(欠乏)
他の人 々 教育 足
は、彼等の 安 の不 している事を不 に感じています;しかし
ながら神の言葉は、キリストにあって私達は全ての知 恵 宝 と知識の を持っ
ている事を表します。 真 の知識とは神を知っている事です。

コロサイ人 2:2,
2:2,3
それは彼等が、心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊かな理解力を十
分に与えられ、神の奥義なるキリストを知るに至るためである。キリストの
内には、知恵と知識との宝が、一切隠されている。
拒絶感
何 故 非常 多
私達は、 今日 拒絶や 拒絶 苦
に くの信者達が、 、 又 間に しんで、
彼等の魂の 深 情 傷後 い感 的な ? と共に居るのを見るのでしょうか

神は言いました、

56
エペソ人 1:5~
1:5~7
私達に、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨
のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである
。これは、その愛する御子に依って賜った栄光ある恵みを、私達がほめたた
えるためである。私達は、御子にあって、神の豊かな恵みの故に、その血に
よる贖い、すなわち、罪過の赦しを受けたのである。
もし私達が、 “愛 入 ”
する人に受け れられている としたら、その時には、私
達は私達に対抗 来 拒絶 情 許 べ して る の感 を す きではないのです。私達は、
私達のイエスキリストにある、受け入 / 諾/承認 内 安 れ 受 についての知識の に
心 べ
している きなのです。

父なる神は、彼が御自身の息子、イエスを受け 入 れられていると全く同じ
量 愛 の 入
をもって私達を受け 拒絶 思 打 れて下さいます。私達は、 の いを ち
壊 入 対
しそして、私達が完全なる私達の受け 認 来 れに して、 識と確信が る
迄 黙想 告白 続
御言葉を し、 ぜ し けなければいけないのです。な ならば、神
が私たちを受け 入 入
れられるので、私達も私達自身を受け れる事ができる
のです。

偽謙遜
しばしば、 誤 って 謙遜 呼と ばれてしまっているところの、 年 重ね 行
を て く
うちに上達してしまった、 霊 プラ
的 イドというものが 有 ります。

私達は、“私は 恵み によって救われた 貧 しいさ 迷 う罪人です”というような


言葉を持って 歌 歌
を います。それは 真実 ではありま せ ん。一 度 私達が救わ
れたら、私達はもは や“可哀 迷 相な える罪人”ではありま せ ん。

何 年 もの間私達は、 この “ 様 蛆虫み な たいな私のために”という フ レイ ズ が


有 有名る な古い 詩/ 歌聖 歌
の言葉を いました。これは、神が私たちを見る 視
点ではないのです !
これは、神の御言葉に相 逆 らいます。私達は、ちりの中の 可哀 相な 蛆虫 で
はありま せ ん。私達は新しい創造物とされた者です!
私達は、キリストにある者です。私達は彼のイメ ー ジに 適合されたものな
のです。

無価値/ 応 相 しくない者の自己イメ ー ジは、まさに私達の人生の 敗北( 滅) 自


であるプラ イドと全く同じものになりえるのです。

如何に私達が 無価値 考であるか、と える事は 謙遜 の現れであるかの 様 に見


えるかもしれま せ ん、がしかしそれは、私たちをイエスキリストにある私
達の完全な 将来 込み(十 可能
の見 分な 性)に 気付 く事から 離 そうとする 敗北
の 要塞 を私達の人生の上に 建 げ て上 るのです。

誠の謙遜
誠 謙遜の とは、神の 恵み 認証 の から 来 るのです。 謙遜 とは、 過去 日々 の に
私達が神の 敵 であった、神の偉大な 愛 に相 応 しくなかった 頃 ( )
に、彼 神 が
私達を創造して下さったところの成る べ き全てのものに成る事が出 来 るた
めに私達を 贖 って下さった、という事の 認証 です。

57
真 謙遜の とは、神について 良 考
い えをもつという事です。それは、私達が
成るべ き全てのものと、出 来るところの全ての事が、神の偉大な私たちに
対 恵み 哀 み
しての と れ のお 蔭であるという事を知っているということです

私達が私達自身よりも、分相 応 以上に高 思 べ く う きではないという事は 真


実 ですが、しかし私達自身で在る べ 低 考
きより く える事も、する べ きでは
ありま せ ん。

もし私達が、私達自身をイエスと似た物で、イエスの業をする者として見
る べ きなら、私達は先ず始めに私達の 昔 無価値 “ 来
の で、 出 ない”イメ ー ジ
を 打 壊 ち しそして、新しい創造物のイメ ー 入 替 ジと れ えなければいけま せ
ん。

奴隷イメージを変える
多 々 くの人 内 奴隷 ー は、彼等自身の に イメ ジを持っています。彼等は、彼
奴隷
等自身を 赤貧 み として の中を生きている者と ています。彼等は、自分
祝福 繁栄
自身が神の 描 来 と を受け取ることを く事が出 ないで居るのです。

彼等は自分自身を王の子 として見ていないのです。

イスラエル人の例
プ エジ ラ ル 供 百年
トで、イス 奴隷 外 エ の子 達は 間もの間、 生活以 の何も知

ることが 贖 娘
かったのです。新しく われたばかりの、神の息子そして 達
契 民
として彼等が、神の 黙 必要だ 約の として何者であるのかという 示が っ
たのです。

 金、銀
神は、彼等の自己イメ ー ジを 奴隷 である 貧困 贖
な者の一人から われた神の
子供 としての新しい創造物としてのイメ ー 変 望
ジに えたいと んでいます。
(
彼等 イスラ ル ) エ 人 に、エジ プト人から 金銀 宝石や 高価 飾 立
の 、 な り てた
衣服 貰 を 指令 うようにと しました。

その 金や銀 宝石 宝石箱 の 置 は、せ にしまって くための物ではありま んでし


た。その 美 飾 付 衣服 しい 砂漠 抜 旅
りの いた は、彼等が を通り けて した時、
安 守 為 保管 置
全に る にせ 金銀して いたのではありま ん。神は彼等に、 、そ
してその 衣服 娘 着を彼等の息子、 達の身に けるように言いました。

出エジプト記 3:21,22a
私はこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときの、空
手で去ってはならない。女は皆、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の
飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい。
イス ラ ル エ 娘 ¯¯ 選民¯¯奴隷 ぼ ぼ 服 着
の息子、そして 達 神の 人の ろ ろの を た
ままエジ プ 来 せ トから出て衣服 靴 束 ま んでした。その も も、彼等の約 の地
への 旅 傷 の間中 んでしまわなかった

それらは、 衣服 宝石 財産だ と の大きな ったのです。

神は、彼等の古い自己イメ ー 変 行 ジを えて っていました。神は彼等自身の
内 有 に 「奴隷 ー 」 壊
る彼等の古い イメ ジ を す事をしていたのです。

58
 過度に/極端に
後 幕屋 建
に 来
を ( プ ) 与 余 多
てる時が た時、彼等 エジ ト人 が えた にも くのイ
ス ラ ル 供 所 品
エ の子 非常 多 金や銀 有
達の 持 工芸 には、 に くの が りました。
職 人達はモーゼ 捧げ
に、もうそれ以上彼等が 物を持ってくる事を止めるよ
うにたの み ました。

出エジプト記 36:5-
36:5-7
モーゼに言った「民があまりに多く携えて来るので、主が施与と命じられた
組み立ての工事には余ります。
同じ 様 ラ ル (
に神は、イス ) ー 変
エ 人の 持っていた 彼等自身のイメ ジを えま
( ) 貧困
した。彼 神 は 奴隷 で罪の ー 変 という私達の古い自己イメ ジを える事
を 望 喜 経験 欲
んでおられます。彼は、私達に私達の救いの びを して しいの
です。

イマジネイションを打ち壊す事
どのようにして私達は、神にとってそれ 程 に不 快 なものである古い自己イ
メ ー ジを取り 除 くことが出 来 るのでしょうか?

如何にして私達は、その相 応 しくないもので、確信の 無 い不 安定 な者で、


相応 情や 有
しくない感 告 攻 立
、 や
罪間、罪の宣 に め てられている感 、そし
て無価値観 束縛 除
からの 来 ?
を取り く事が出 るのでしょうか
どのようにして私達は、これ等の私達の人生の中での 敗北思考や 想 、 像と
対処 来
する事が出 ? るのでしょうか

神の言葉が私達に 答 与 えを えます。

第2コリント人 10:5( :5(KJV:文語訳*直訳)


想像をかなぐり捨てる事、そして神の知識に立ちむかって奉る(誇る/自慢す
る)ところのあらゆる高ぶり/思い上がりをも、そしてすべての思いをキリス
トの内の忠実さのとりこにする事;
想 像というものは知性 (思考) 有 思 や考
の中に ります。私達は、私達の い え
をコントロ ール (制 )べ する する 逆 きであり、そして神の言葉に らっている
あら ゆ 思 打 壊 べる いを ち 戦 す 思考
きなのです。 いは、私達の知性での の中
にあるのです ¯¯ 志
私達の魂の中、私達の意 、私達の感性の中

です。その 戦 領域
いの勝ち負けは、その 思考 の中にあるのです。私達の は
神の御言葉によって、新しく 変 せ えられなければいけま ん。私達は、あら
ゆ 思 虜
る いを べ にする 従 せ べ
きなのです、そしてそれをキリストに わ る き
なのです。

蛇のように
もし 毒蛇 木 が 腕 巻
から 落 ちて私達の だ に きついたとしたら、私達はた そこ
に 立 蛇 毒液 泌 牙
ったまま、 皮膚 入 込む準備
が を分 する を私達の に れ を見て
いないでしょう。違います ね!
私達は 直 来 限 ちに、出腕 素早 る杯振 払 り私達の を く、そして力一 り うでし
ょう。それは 敏速 決断 杯 行動
で、 蛇して力一 の全力 でしょう。私達はその
が 噛み付 前 除 く に取り くでしょ。

59
それと同じ 様 に、私達は全く同じ位の 嫌悪 感で、その古い自己イメ ー ジの
思 や想い 像を取り 除 無
か ければいけないのです。私達は 叫 ばなければいけ
ないのです、

私は、その思いをイエス様の御名によって拒否する!」

私達の古い思いがこう言う時、「あなたは、恥ずかしがりや過ぎて、それを
する事が出来ないよ!」私達は言います、「私はその思いを
イエスの御名によって拒否する。私は、私を強くして下さる方、キリスト
を通して全てのことをする事が出来る。」
古い私達の思いが、“あなたは、癌に罹っている”と言う時、私達は言いま
す、「私は、その思いをイエスの御名によって拒否する。神の言葉は“どん
な疫病や天災も、私の住む所に近づく事は無い”と言っている。
私は、イエスの打ち傷によって私達は癒されているという事を知っている
。」
強力な武器
私達は、私達の人生を 覆 要塞 打 壊 為 強
う を ち す の 力な 武器 を持っています


使 パウロが書きました、

第2コリント人 10:4a
私達の戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほ
どの力あるものである。
私達が、神の知識に 逆 思 や想 打 壊 拒否 行
らっている い 像を ち し、 して く時
に私達は、私達を 覆 破壊うそれらの力を します。

古い自己を脱ぎ捨てる
私達の古い自己を 脱ぎ捨 過程 途 てる は、使 パウロによってコロサイ人への
手紙み 述 に記 されています。

コロサイ人 3:9,
3:9,10
互いに嘘を言ってはならない。あなた方は、古き人をその行いと一緒に脱ぎ
捨て、造り主の形に従って新しくされ、真の知識にあたる新しき人を着たの
である。
私達が、神の言葉の 黙 脱ぎ捨
示によって、古き人を 後 ててしまった 、私達
は新しい人を 着 べ る ー
きなのです、その創造主のイメ 程 ジと同じになる ま
での、知識により新しく 変 ひ えられている新しい とです。

私達の思考を新しく更新する
私達は救いのその 瞬 単純間には、私達の 志 行動 の一つの意 の によってでは
、如何に私達の魂が作 動 変 来 せ
するかを だ最
える事が出 ま ん。それは、た
初 歩 過ぎ せ
の一 に ま 思考
ん。私達は、私達の 変 行 を新しく えて き、そして
適合 行
されて 瞑想 度 口
き、そして私達が聖書の言葉を し何 も に出して言う

に れて、私たちの創造主のイメー 変 行 ジへと えられて くのです。

60
ローマ人 12:2
あなた方は、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにする事に依
って、造り返られ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
パウロは、人は神のイメ ー 栄 ジであり又、 光であると書いています。

第2コリント 3:18
私達は皆、顔おおい無しに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄
光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのであ
る。
もし私達が、神のイメ ー ー 回
ジに創造されている、そして又神のイメ ジに
復 された新しい創造物とされている自分達のことについて、 否定 (拒否 的 的
)
なことを言い 続 対 侮辱
けるならばそれは、神に しての なのです。

私達は、新しく神によって創造された物なのです。私達は、 栄 栄 光から 光
へと 変 行
換されて っているのです。

蝗イメージを打ち壊す
“出来る - する”イメージ
もし私達が、勝利を得た者として、成 功 ク チャ している リス ン生活を生き
る べ “ 来
き者であるなら、私達は 出 ” ー “ 来 ” ー 入ない イメ ジを 出 る イメ ジに れ
替 必要 有
える が - 来 -
ります。私達は、神の御言葉が 私達に出 る と言って
いるところの事が、出 来 だ るの 必要 という事を理解する があるのです。

12人
12人のスパイ達の例

神は、イス ラ ル エカナ 土 与
人に 束 ンの 地を える約 をしました。主が一人ず
つ 12 族
部 から、その地を 探究 報告 帰 来 為
して、そしてその をもって って る
に 送 り出すようにと言った、その 日 来 40日 最後 日 が ました。 の の 、彼等は
、彼等の 報告 帰
をもって りました。

民数記 13:27,
13:27,28a、30-33
彼らはモーゼに言った、「私達はあなたが、使わした地へ行きました。そこ
は真に乳と蜜の流れている地です。これはその果物です。しかし、その地に
住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、
私達は、する 能 有 力が ります。

30節
そのとき、カレブはモーゼの前で、民をしずめて言った、「私達はすぐに登
って、攻め取りましょう。
私達は、する 能 有 せ 力が りま ん。

民数記 13:31~
13:31~32
しかし、彼と共に登っていった人々は言った、「私達はその民のところへ攻
め上る事はできません。彼らは私達よりも強いからです」。そして彼らはそ
61
の探った地のことを、イスラエルの日t人に悪く言いふらして言った、「私達
が行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所で私達
が見た民はみな背の高い人々です。
違いは“神”です。

カ レブと ヨ ュ
シ アは、誰が神であるのかという事の、本 当 黙
の 示を得てい
ました。

彼等は、新しい創造物とされている者達が 当 べ だ 然言う 話 様 き ろう事を す


に言いました。“さあ、 直 ちに 登 って 行 占領
って 々 十 打
しよう、我 は 分 ち勝
てる だ ろうから。”

彼等は 続 けました、

民数記 14:8,
14:8,9
もし、主が良しとされるならば、私達をその地に導いて行って、それを私達
に下さるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。ただ、主に背いては
なりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らは私達の食い物に
過ぎません。彼等を守る物は取り除かれます。主が私達と共に居られますか
ら、彼等を恐れてはなりません」。
他の10 カ ヨ ュ
人の男達も、 状況
レブと シ アが見たように、同じ を見ました
。然しながら彼等は、神の偉大さに彼等の 視 置 点を いて居なかったのです
。彼等は、自分達の持つ生身の 能 蝗 力を見て、そして自分達を のように見
たのです。彼等は、彼等自身の 内 “蝗 ー ” に イメ ジ を持っていたのです。

私達の選択
今日 私達は、自分自身の 内 有 “蝗 ー ” 打 壊
に る イメ ジ を ち し、そしてそれを“
新しい創造物とされた者のイメ ー ” 入 替 必要 ジ と れ える があるのです。 カ レ
ブと ヨ ュ シ アの 様に、私達は私達の信 仰 置 を神の偉大さの中に きそして、“
我 々 十
は 分、我 々の地を 獲 来 ”
得する事が出 べ る と言い始める きなのです。

多 くの人達にとって、私達の古い自己イメ ー ジが、神が新しい創造物とさ
れた者としての私達に 備 えて下さっている全ての物に成る事からも、持つ
事からも、そして 行 う事からも、私達を 離 頑丈 しておこうとする なバリア
に成ってしまっているのです。

私達は大胆に、 状況 という 山 に向かって“そこから 動 いて、 海 の中に 沈 め!”


と言うべ きなのです。

マタイの福音書 21:21
イエスは答えて言われた、「良く聞いておくが良い。もしあなた方が信じて
疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく
、この山に向かって、動き出して海の中に入れと言っても、そのとおりにな
るであろう。
私達の戦 武器 敵 要塞 打 壊 程
いの は、 の をも ち す 、神によって偉大なのです
。私達の古い セルフ ー 要塞 粉々 砕イメ 崩 落 ジという は、 に かれて れ ちるで
しょう。私達は、神の言われるところの全てに成るでしょう。新しく神に
よって創造された者として、古い セルフ ー 過ぎ去 イメ ジは るでしょう、そ

62
して全ての事は、私達の新しく 発 見した セルフ イメ ー ジも 含 めて新しく成
るでしょう。

第2コリント人 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
復習のための質問
1.
この 学 びの 結果 として、あなたが 打 壊ち した 幾 つかの セルフ イメ ー ジという 要塞 は、何で
すか?

2.
ロサイ人3:9,10 ふ で れられている古き人を 脱ぎ捨 て、そして新しい人を 着 るという 過程(
プ セ ) 述
ロ ス を記 しなさい。

3.
はどのようにして、ロ ーマ 12:2
人 に示されている 様 に私達の 思考 効果
を 的に新しく 変 えて
行 く事が出 来 るでしょうが?

63
レッスン6
私達の、主の内に有るイメージ
主に有る私達の家族
新生
私達がイエスキリストを
私達の 個 人的な救い主として受け取るその 瞬 間、私達は、“新しい 家族 の中
に再び生まれ 変 わったのです。

イエスは、ニコ デモ に言いました。

ヨハネの福音書 3:7
あなた方は新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不
思議に思うには及ばない。
イエスは、肉体からの出生について 語 “ っているのではなく、 再び生まれた

者 とは、 霊 だ
によって生まれる事を意味するの という事を
ニコ デモ 白 に明 にしました。

ヨハネの福音書3:5,
3:5,6
イエスは答えられた、「よくよく貴方に言っておく。誰でも、水と霊とから
生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれる者は肉であ
り、霊から生まれる者は霊である。
イエスを私達の救い主として受け 入 前 (骨
れる以 、私達が私達の身体 、肉体
、そして 血) 情
と、そして私達の魂(知性、感 志 、そして意 )の中で生きて
いた間私達は、 霊 死 的にだ んでいたもの瞬 ったのです。救いの 間に、私達
は霊 “
的に、 再び生まれ 変 ” わったもの になったのです。

私達の 霊 “
が、生きたものになりました。私達はイエスキリストにあって 新

しく創造された物 になったのです。私達は、新しい 家族 家族 の元に、神の
の元に生まれたのです。私達が神の 家族 ( )
の元に生まれた時、私達は彼 神
の子 供 達になったのです。

神の子供達
使徒(宣教 )ヨハネ師 はかきました、

第1ヨハネ 3:1a
私達が神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか
、よくよく考えて見なさい。
もし私達が、 最 有 最 も力の 高 宇宙
る、 最 恵 有
も知性の い の中で、 も知 の る
父の息子 や娘 や 置
達であるという事を理解するならば、私達の人生 、 かれ
ている位 置 権 、 (特典) 将来
利、待遇 そして、変 というものが、完全に えら
れてしまっているという事に 気付 き、悟らずには居られないのです。

私達の、神の息子 娘 家族 関係
達としての、新しい の を理解する事が、私達
の自分自身についての 考 変 来
え方を完全に えることが出 るのです。

64
パウロは書きました、

ローマ人 8:14
すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
私達が、イエスキリストを私達の主であり、救い主として受け 入 れる時、

私達は神の子供 に成るのです。

ヨハネの福音書 1:12
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の
子となる力を与えたのである。
“権 ” 法 権
利 という言葉は、 的 威を意味します。私達が信じる時から、私達
は神の息子もしくは 娘 法律 権 に成る 的な 威を持つのです。

神の相続人
神は私達を彼の子 供 にした だ けではなく、彼は私達にイエスと同じ 報 いを
もって、 遺産 をも又下さっているのです。私達は、キリストと共同相 続 人
なのです。

ローマ人 8:17a
もし子であれば、相続人でもある。
富 所有
御父の と 物は計り得ないもので、そして全て御父が持っている物は
、彼の息子のものなのです。何と、如何に 圧倒 せ さ られることでしょうか
、私達が神の 家族 来
の元に生まれて ていて、そしてイエスキリストと共に
、共同相続 !
人に成っているという事を悟り、理解するという事は
全ての彼の 遺産 遺産 が、私達の に成ったのです。

全ての天国 豊 の 様
かさは、イエス のものです、そして私達は彼と共に共同

相 国 豊
人なので、全ての天 の かさは私達のものでもあるのです。

エペソ人 1:3
誉むべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあっ
て、天井で霊のもろもろの祝福をもって、私達を祝福し、
私達の遺産を所有している
イエスにある信 仰 家族
によって、私達は神の の元に生まれて、そして神の

息子、 達になります。


神の子 束
として私達は、約 遺産 されている を受け取ります。

ガラテヤ人 3:26
あなた方は皆、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
エゼキエル書 46:16
主なる神は、こう言われる、君たる者が、もしその遺産から、その子のひと
りに財産を与える時は、それはその子らの遺産の所有と成る。
65
新しい神の創造物とされた者として、私達は私達の 所有 物を 所有 しなけれ
ばいけないのです。私達は、 遺産 による 法 的な 権 利の下で私達のものとさ

れている のものを自分のものに( 所有) しなければいけないのです。

私達の恩恵(利益)を受け取ること

私達の天のお父 の息子、そして 娘 達としての私達の 恩恵 の事を知るとい
素晴
う事は、なんと らしいことでしょうか。私達はその自分達の 遺産 楽

むし ことを始める事を天 国 到着に するまで待たなくでも 良 いことを 気付 き
、知るという事は、何と興奮することでしょう!

使途 パウロはかきました、

ピリピ人 4:19
私の神は、御自分の栄光の富の中から、あなた方の一切の必要を、キリスト
・イエスにあって満たして下さるであろう。
私達は 既 に“新しく生まれ 変 わった”者として神の 家族 入に っているので、
今 、新しい神の創造物で在る者として、私達の 遺産 楽 む
を し ことを始める
事が出 来 るのです。

新しい創造物なる者として、神の子 供 として、そしてイエスキリストと共
に共同相 続 必要
人として、私達は神にこの地球上での私達の 泣 なものを き
ながら、 乞 求 い 良 めなくても 既いのです。神が持っている物の全ては、 に
私たちのものなのです。私達がする 必要 有 富 の る全ては、如何にして神の
を信 仰 忠実 依
と に って受け取るかを見い出す事です。

 富豪/財産を得る為の力
モーゼ は、イス ラ ル 供 エ 話の子 達にこれ等の言葉を しました。

申命記 8:18
あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖達に誓
われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるか
らである。
 与える性質
与 える事は、御父の性質なのです。

ヨハネ はかきました、

ヨハネの福音書 3:16a
神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
私達は、私達の御父の子 供 与 なので、 える人と成る事が、私達の新しい性
質の中にある 筈 なのです。

イエスは言った、

66
ルカ 6:38
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々は押し入れ、ゆす
り入れ、あふれ出るまでに量を浴して、あなたがたのふところに入れてくれ
るであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にもはかり返されるであろ
うから」。
 福音の蔵(倉庫)
私達が信仰 忠実 と 与 行
にあって、神に 祝福
えて く時、私達は神に私達を す
るために使う 量 手渡 りを 必要
しているのです。それによって私達の は、私
永遠 遺産
達の の 蔵 満 の偉大な から たされるのです。

マラ 読む
キ書より、私達は でしょう、

マラキ書 3:10
3:10
私の宮に食物のあるように、十分の一全部を私の倉に携えてきなさい。これ
をもって私を試み、私が天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなた方に注ぐ
か否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
素晴
何と 娘
らしい事でしょうか、神の新しく創造されている息子 達として
、どのようにして私達の 祝福 !
を受け取るのかを知ると言うことは

キリストの肢体
新しい創造物とされている者として、私達は神の 家族 の一部と成った だ け
ではなく、新生というミ ラクル(奇跡)によって私達は、キリストの一部に
も成ったのです。

使 途 パウロは書きました、

第一コリント 12:27
あなた方はキリストの身体であり、一人びとりはその肢体である。
全ての信者達は、 集合 げ
体としてキリストの身体を作り上 ています。私達
はそれ ぞ 個れ ( 器官)
人的に、その身体の一部 一つの なのです。

私達は 重要 な部分である

神は彼の身体に、それ ぞ 場所 有
れ全ての信者のための が ります。彼は、私
達が完全に 満 機能(任務)
たすための明確な をもっています。

18節
18節
そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、身体に備えられたのである。
 お互いが必要
キリストの身体にある全ての信者は、他の部分が 必要 なのです。

67
21、
21、22節
22節
目は手に向かって、「おまえは要らない」とは言えず、また頭は足に向かって
、「おまえは要らない」とも言えない。そうではなく、むしろ、身体のうちで
他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
26節
26節
もし一つの肢体が悩めば、他の肢体も皆共に悩み、一つの肢体が尊ばれると
、他の肢体も皆共に喜ぶ。
それ ぞ 必要
れ、全ての神の身体の部分が ! なのです
人間の身体が 気遣 助 う事、 能 ける事、そして創造するための 力があるのと
全く同じ 様 に、キリストの身体もそれをもっています。

私達のキリストにおける位置(ポジション)
救いの 瞬 霊
間に、聖 内 洗礼(包み込む 浸 )
が私達をイエスキリストの に 、 す
しました。新生の 奇跡 密接 化
によって、私達はイエスと に一体 された者と
成りました。私達は、彼と一つになりました。

第一コリント人 12:13
なぜなら、私達は皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御
霊に依って、ひとつの身体となるようにバプテスマを受け、そして皆一つの
御霊を飲んだからである。
バプ マ(洗礼)
テス :
という言葉の意味は

~ 総合
 と 的に全く同一のものとなる

救いの瞬 間に私達は、全くイエスキリストと同一のものとされたのです。

一切 白 布 赤色 染色液
れの い が、 (長 形 料
の 入 ) のバット 方 の 理等に使う れ物
の中に入 布 染色液 色
れられた時、その 様 は の と同じ になります。それは、
その中に 洗礼( プ マ) バ テス 染色液 色
されるように、その と全く同じ に成る
のです。それと同じ 様 霊 に、私達の 瞬 霊 も私達が救いの 間に聖 によって、
神の内 洗礼に ( ) 染
された時、神の息子 御子 の性質に まるように、同じもの
に成ります。

私達は、彼(イエス)と全く同じ 様 になります。¯¯
彼と 密接 に同一 化 された ¯¯ 彼の身体の一部 ¯¯ 彼と一つに成る。

イエスである全てが、私達なのです!
イエスの持っている全てが、私達のものなのです。私達の全てと、持って
いる全ては、私達が彼の内に在る者だからです。
エペソ人の中で教えられた様に
パウロがエ ペソ 手紙 人への3章 度 繰 返 “
の始めの の中で何 も り し キリストに

あって の私達の 立 置(ポ ) 所有
ち位 ふジション と 物について れています。

 霊的な祝福で祝福された
( )
彼 パウロ は、私達はキリストにあって、全ての 霊 祝福 祝福 的な で されて
いると書きました。

68
エペソ人 1;3
ほむべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあっ
て、天上で霊のもろもろの祝福をもって、私達を祝福し、
全ての富 栄 国 満足 霊 祝福
、そして 光のある、天日々 の する 的 は私達の の生
活の中で私達が受け取り、そして楽 む 与 し ために えられているものなので
す。

 彼にあって選ばれた
御父はイエスを 選 びました。彼(イエス)は、 選 ばれた者なのです。私達は
、彼(主)に在る者なので 今や 彼(主)の 選 びの 内
にあって分かち 合 うのです。

エペソ 1:4
御前に清く傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストに
あって私達を選び、
神は私達を私達の 容 や 能 や 個姿 、 価値力 選 だ
、又私達 人の自己 によって ん
のでは有 せ ( )
りま ん。彼 主 は私達を
永遠 過去 の の中でキリストにあって私達を見たからなのです。

 彼にあって、運命を予定されている
私達は彼の 内 運 合
に在るので、彼の 命を分かち うのです。

エペソ 1:5
私達に、イエス・キリストに依って神の子たる身分を授けるようにと、御旨
のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである

( )
私達は、彼 主 が私達を他の人達より 多 好 運 く んでいるから、 命を神と共
永遠 過ご
に を 運 予定 すための 無
命を されているのでは いのです。御父は、

それ ( )
れの時代を 天から全てを 見通し、そして主にあっての私達を見る
ことが出来 ( ) 選
ました。彼 御父 はイエスを び、そして私達がイエスと一つ
に成っているので、私達を 選 だ ん のです。

私達の遺産 運 予定 と 命の 有 場所
は、イエスキリストに る、私達の居 による
からなのです。

エペソ 1:11
私達は、御旨の欲するままにすべての事をなさる方の目的の下に、キリスト
にあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
 彼(主)にあって受け入れられている
私達は、 愛 内 入
する者達の に受け れられています。私達の御父による受け
入 だ
れというのは、私達がキリストに在る者 からなのです。

エペソ 1:6
これは、その愛する御子によって賜った栄光ある恵みを、私達がほめたたえ
るためである。
69
私達の(罪の) 贖 い、 赦 し、そして神の 恵み の全ての 富 は、私達が主の 内 に
在る者 だ からなのです。

エペソ 1:7
私達は、御子にあって、神の豊かな恵みの故に、その血による贖い、すなわ
ち、罪過の赦しを受けたのである。
 彼の内に封印された
私達は聖 霊 ( ) 密接 結合
によって、彼 神 が に したものそして、私達をイエス
キリストと 永遠 封印
に一つにされている者として されました。

エペソ 1:3
ほむべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあっ
て、天上で霊のもろもろの祝福をもって、私達を祝福し、
 彼(主)と共に御座に着かされた
私達は彼と一つであるから、私達は天で主と共に御 座 着 に かされているの
です。

エペソ 2:6
キリスト・イエスにあって、共に甦らせ、共に天上で御座に着かせて下さっ
たのである。
私達は、この地上での肉体的位 置(ポ ) ジション の中で生きているとしても
、私達はキリストに在って天で御 座 座 に 贖
っているのです。イエスが いの
業を完全に 終えた時、彼は、御父の御 座 右 座 着 の の に きました。

詩篇 110
110:1
主は我が主に言われる、「私があなたのもろもろの敵をあなたの足代とする
まで、私の右に座せよ」と。
パウロは、私達が私達の 立 置 ち位 座 着
として、主と共に天の に かされてい
るという事を表しました。私達は、彼のこの地上での完 結 の業に在る待遇
の全てを 楽しんでいるのです。

私達は、信 仰 依
に ぞ 有効
って全ての信者達それ 安 々 れに である 息をその時
、楽 しんでいるのです、たとえ人生の 嵐 只 の 中でもです。

 彼にあっての良い業
私達は、イエスキリストの 内 良 に、 い業のために、創造されたのです。

エペソ 2:10
2:10
私達は神の作品であって、良い行いをする様に、キリスト・イエスにあって
造られたのである。神は、私達が、良い行いをして日を過ごすようにと、あ
らかじめ備えて下さったのである。
アダムとイブは、一つの目的の 為 に創造されました、そして主にあって私
達は、 其 の同じ目的の 為 に創造されているのです。私達は、この地球上で
( )
彼 主 の業を 行 為う に創造されているのです。

70
私達は主在っての 置 かれている 立場 の中でこの地球上で 機能 しているキリ
ストの身体なのです。

イエスがこの地球上で生きて、奉仕していた時に、彼は彼の信者達に言い
ました。

ヨハネの福音書 14:12
よくよくあなた方に言っておく。私を信じる者は、また私のしている業をす
るであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。私が父の身元
に行くからである。
イエスキリストの信者として私達は、イエスの身体なのです。私達はこの
地上において彼の 足 、彼の 足(靴 履
を く部分)、彼の 腕 、そして彼の 手 なの
です。

イエスの身体として私達は、 今日 も彼の業を 行 続
い ける者で在る べ きなの
です。

キリストの身体
 キリストを世界に代表する。

 神の 愛 を世界にもたらす。

 神の癒しと解放をもたらす。

 人 々 に神の救いの知識をもたらす。

 彼にあって近付けられた
私達が彼の敵 遠 離
であり、彼から だ く れたもの った者が、彼に在る者であ
るから、彼の 血 “近
によって、 ” い者 とされているのです。

エペソ 2:13
ところが、あなた方は、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリス
ト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
私達は、今や従属 近 した身 や ュ ケー
な交わり 楽
、彼とのコミ ニ ションを し
む事が出来 るのです。

 一つに成った
私達が彼にあって 想 敵 廃
像された時、私達と神との間の全ての 意は 止され
ました。私達と神という 二 つのものが一つに成ったのです。

エペソ 2:15
数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあ
って、二つのものを一人の新しい人に造り替えて平和を来たらせ、
新しい創造物である者は、 其 の彼、もしくは彼女が、主と一つのままで居
続 限
ける 平安 離
りイエスと彼の 来 から れる事は出 ないのです。

 聖なる宮
彼にあって、私達は神御自身の 住 宮 居として、一つの聖なる として、共に
建てられているのです。

71
エペソ 2:20
2:20-22
またあなた方は、使徒達や預言者達といる土台の上に建てられたものであっ
て、キリスト・イエス御自身が隅のかしら意思である。このキリストにあっ
て、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなた方
も、主にあって共に建てられて、霊なる神の住まいとなるのである。
神がこの地上で私達と共に 住む 選 事を ばれたということを見い出すのは、
何と興奮することでしょう。彼は、私達それ ぞ 内 住む れ、一人一人の に こ
と、そして又一つの共同体として、彼の 教会 内 住 として私達全ての に まわ
れる事を 選 ばれていました。

 大胆さ¯¯彼(神)にあっての確信
私達が新しい創造物とされた者として、主にあって彼と一つであり、完全
に彼と 結合 されているので、私達は彼の全てと彼の持っている物全てを分
かち 合 うのです。

彼の 義 が、私達の 義 に成っているのです。彼の 運 命が私達の 運 命に成って


いるのです。彼の命が私達の命に成っているのです。

私達が新しい創造物とされている者としての 黙 示/啓示を受け取る時、私達
は大胆に言うことが出 来 ます。

私は、イエスキリストに在って自分が何者で在るか知っています!
私は、彼と共に一つに成りました!
私は、今は彼の義、彼の運命、そして彼の命を共有しています!
私は新しい創造物とされた者です! 古いものは過ぎ去った!
全ての事は、新しく成った!
エペソ 3:12
この主キリストにあって、私達は、彼に対する信仰によって、確信をもって
大胆にかみに近づくことができるのである。
私達は、彼の 内 有 に在る者で や 悪や 非難 るから、私達はもは 罪 、 の下に居
ないので、私達は大胆に、確信に 満 入 来 たされて彼の臨在の中に る事が出
るのです。私達は新しい創造物なのです。私達はイエスキリストにあって
、神の義 なのです。

光の子達
イエスは、肉体を持って現された神でした。イエスは、彼を信じ 続 ける だ
ろう者達に、この 霊 的な 闇 の世で神の 愛 と力を現すための光として 送 られ
ました。

ヨハネの福音書 8:12
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「私は世の光である。私に従っ
て来る者は、闇の内を歩く事がなく、命の光をもつであろう。

72
第一テサロニケ 5:5
あなた方は皆光の子であり、昼の子なのである。私達は、夜の者でも闇の者
でもない。
信者達は、光の子として生きる べ 黙 /
きものなのです。彼等は神の言葉の 示
啓示の光に 従 べ
って勝利者の人生を生きる きものなのです。パウロは、こ
の言葉によって私達を 教 え示します。

エペソ 5:8
あなた方は、以前葉闇であったが、今は主にあって光となっている。光の子
らしく歩きなさい。
洗われた、聖別された、義とされた
新しい創造物としての私達は、罪から解放されているのです。私達は、 洗
い清 められました、聖 別 義
されました、そして とされているのです。

第一コリント人 6:10
6:10,11
貪欲なもの、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国を継ぐ
ことはないのである。あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし
、あなた方は、主イエス・キリストの名によって、また私達の神の霊によっ
て、洗われ、清められ、義とされたのである。
洗 われているというのは、きれいな物にされているという事です。神は、
汚 内 許可
れを彼の臨在の に、 来 せ
する事は出 璧 義ま 璧ん。完 な正 と、完 な
義 繋
は、罪と 来 せ
がることは出 ま ん。

第一ヨハネ 1:7
しかし、神が光の中にいますように、私達も光の中を歩くならば、私達は互
いに交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪から私達を清め
るのである。
“ 別”
聖 というのは、人間がキリストに 有 仰 る信 来を通して持つことが出 る
神との 関係 述べ を 悪 離別
ています。それは私達が、 から した者、そしてキ
リストのために、取り 置 きされているといる意味なのです。私達はこの世
から 離別 した者なのです、そして私達に 帰 義されている神の の下に、神と
の関係 を持っているのです。

私達は 洗 別
われ、そして聖 されているのです。私達は、又正しい者とされ
ています。正しい者とされるという事は、神によって 法律 義 的に であると
宣告 されているといる意味なのです。

私達は、 義( 無 )
罪 霊
き者 です。私達の 前 は神の御 で、完全な者です。キリ
ストにあって、私達は新しい創造物なる者なのです。古い罪は 去 ( りました
消 無 えて )¯¯
くなった 流
イエスの 血 洗 流
された を通して い されました。

ローマ書 3:28
私達は、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信
仰によるのである。
73
ローマ署 8:31b
8:31b、33
もし、神が私達の味方であるなら、誰が私達に適し得ようか。
誰が、神の選ばれた者達を訴えるのか。神は彼等を義とされるのである。
(悪魔)
サタン 軍勢 と彼の(想 や が私達に ) 過去
い 人の言葉によって 、自分達の

の事を せ い出さ 来 ようとして べ る時、私達はこう言う きなのです、

「忘れよ、サタン(悪魔)よ、私はもう洗われて、聖別されて、義とされて
いる! 私は新しい創造物と
された者だ! 古いものは過ぎ去っている!
全ての事は、新しく成っている!」
私達の新しい国籍
私達の権利
新しい創造物なる者として、私達は新しい 国籍 を持っています。

国 国籍
一つの の 其 国家 憲法
というものは、 奪 の の の下に、 い取ることの出
来 特定 権 保証
ない の 利が 憲法 其
されているのです。 最高権 とは、 の地の 威
法律
の 其 国家 です。 法律 憲法 依 与
の の全ての他の は、 に って えられている
基 権 服従 本的 利に 権
するものです。もし私達が、自分達の 利が何であるの
かを知らないとしたら、私達が、ある 無法( 埒) 不 な人によってそれらを受
ける事を阻 来
まされてしまうことが出 るのです。

新しい創造物なる者として私達には、 多 奪 無 権 与 くの われる事の い 利が え
られていますが、しかし私達が 無法 悪魔 権 奪 な によって、私達の 利を われ

た物の 有に成る事が 必要 苦
るのです。私達は、不 に しめられている者に
成ることが 可能 なのです。

新しい創造物とされた者であるという事が、私達の全ての 霊 祝福 楽 的な を
むし 保証
であろうという事 無 しているのでは いのですが、しかし私達に、
それらの変 要求 法 権 与 換を する 的な 利を えます。

私達の武器
この世において 悪魔 権 強奪
は、新しい創造物なる者としての私達の 利を し
てしまっているのです。しかしながら、神は私達にそれを取り 戻 すために
必要 霊 武器 与 な 的 を えて下さったのです。

パウロは、私達の 武器 要塞 破壊
はこの世の物ではなく、又それらは を する
ほ 強 ど い、神からの力を持っているという事を書きました。

第二コリント人 10:4
私達の戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほ
どの力有るものである。私達は様々な議論を破り、
要塞( ホール =思 や考
ストロング 心 ) ド い 塞( )
えの中 地点 というのは、 とりで

と同じ 状況
なものです。それは 々 の上に、人 を
もしくは組織 硬 掴 把握
体を く んでいる 悪魔 力があります。それは、 が私達
健康
の 経済
の上に、又設立 要塞
の上に せ
しているところの なのかもしれま

74
ん。その 要塞 が何であれ、私達はそれを 打 破 武器
ち る を持っているのです

 効果的で有るために
使わない 限
効果 有 武器 り、 の る は一つも 有 りま せ ん。

例 敵 武装
えば 襲
が した人を おうとしたとして、もしその( 武装 した)人が、
彼の 武器 敵 や
を使わなかったら、 は はりその人を 傷つける (痛 める)事が出
来 敵 攻撃 遭
たでしょう。その の に っている人が、 頭 足
から のつま先まで 武
装 しているかも知れないでしょう、しかし彼が自分の 武器 を使わない 限 り
、 や (武装
はり彼は )や していても られてしまうでしょう。

それと同じ事が、新しい創造物である者としての私達にとっても 真実 です

私達は、 敵 倒 を すためにいつか 必 必要 武器
ず な を持っています、がしかし
、私達はそれらが何なのか、そしてどのようにそれらを使うのかを 学 ばな
ければなりま せ ん。

 記述された
パウロは、エ ペソ 人への 手紙 に、新しい創造物とされた者のための 武具 と
武器 述 を記 しました。

エペソ人 6:10
6:10-17
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。私達の
戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威を、闇の世の
主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日
にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、硬く立ちうるために、神の武
具を身に着けなさい。
すなわち、立って真理の帯を腰に締め、正義の胸当てを胸につけ、平和の福
音の備えを足に履き、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもっ
て、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救いのかぶ
とをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言葉を取りなさい。
 一つの攻撃の武器

ここに 般 武器 つの一 プ 有 的の 守 攻撃 幾のタイ が ります、 りと という。 つ
武器
かの 攻撃
は、私達が 守 された時の私達の りのためで、そして一つは、
敵 攻撃 を 為する目的の のものです。

霊 剣¯
御 の ¯ 述 節
神の言葉 が、この記 攻撃 武器 の に表されている の です。


私達が信 話 デビル(悪魔) 手 話
にある神の言葉を す時、 は を さなければ成
らないのです。彼 (デビル) 武器 対 守 は、このせ に しての りが一つもありま
ん。神は私達にこの 武器 与 を えて下さったのです、しかし私達はそれを使

う事を ばなければいけないのです。新しい創造物なる者として私達は、
引 摺
私達を き 環境り下ろそうとする 口 に向かって、神の言葉を から出さな
ければ成らないのです。

75
最後に
私達はキリストにあって新しいイメ ー
ジを持っています。

新生の 奇跡 によって、私達は神の 家族 の中に生まれているのです。神の息


子、娘 達として私達はイエスと共に、共同相 続 者に成っているのです。彼(
) 属
イエス に する全ては、 今や 有
私達の共 するためのものです。私達は彼の
内 に在るのです、そして私達の新しい 立 置(ポ ち位 ジション)のため、私達
は全ての 霊 祝福 的 を持って 祝福 選
されていて、 ばれ、神にあって 運 付 命 け
られ、 封印 ( )
され、そして彼 神 と共に御 座 着 に けられた者なのです。

私達はキリストにあって、この地上において彼の 良 い業を 行 為 う に創造さ


れています。私達は、かつて彼の 敵 であった者が彼との 近 関係
い を持つこ
とを 許 されたのです。私達は彼の聖なる 宮 なのです。私達は、彼(主)にあ
っての私達の信 仰 故
の に、新しい新鮮な大胆さと確信を持っているのです

かつて 闇 の中に居た私達が、 今 は光の子として記 述 されているのです。私


達は、 洗 清 い められて、聖 別 されて、そして 義とされているのです。私達
は新しい創造物なる者としての、 国籍権 利を持っています。私達は、神の
全ての 武具 を身に 着 け、そして全ての私達の 財産 、私達の待遇、そしてイ
エスキリストにあって、新しい創造物とされた者としての私達の 権 利の 変
換を 要求 しなければならないのです。

復習のための質問
1. 貴方にとって新生とは、何を意味しますか ?

2. 貴方にとって“キリストに 有 る”とは、何を意味しますか ?

3. 貴方にとって光の子の部分であるという事は、何を意味しますか ?

76
レッスン7
アブラハムの子供として
新しい創造物なる者の権利
使徒パウロは、私達が信 仰 内 有
の に ラハ る者なら、私達はアブ ムのkどもで
有 るという事を書きました。これは、 重要 ぜ な事なのです、な ならば、ア
ブ ラハ ムの子 供 として私達は、 多 権 特典(特権) くの 利と を持っているので
す。

ガラテヤ人 3:6,
3:6,7
このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められ
た」のである。だから、信仰による者こそアブラハムの子である事を、知る
べきである。
アブラハムの義
神はアブ ラハ ムを正しい者として 認 めたのは、彼の利 行 いによって や 模

範 的な人生、又は彼の偉大な 富 によってでは 無かったのです、それはアブ
ラハ ムが信 仰 を持っていたからでした。アブ ラハ ムは、完 璧 ではありま せ
んでしたが、しかし彼は彼の信 仰 によって 義 とされていたのでした。

私達は神の 義 を得るために、完 璧 にならなくでも 良 いのです。しかし私達


は神を信じ、そして信 仰 依
に って 紙 儀 の を受け取らなければいけないので
す。まさにアブ ラハ ムがしたと同じ 様 に。

肉体の 領域 属
においては、私達は、私達の地上の父に する者であり、父の
名 家族 内
を持つ の 仰
に生まれたものです。私達が信 を通して、再び生まれ
変 わった者と成っている時、私達は信仰 家族 にあっての に生まれた者で、
その 家族 名前(名字/姓名)
の 権 を使う 利を持っているのです。¯¯アブ ラハ ム
の 家族( ラハ 家)
アブ ム としての。

アブ ラハ 束
ムへの神の約

神がアブ ラ (後 ラハ 呼
ムを )ハラ (
にアブ ) ムと ばれた ン の地 から 呼 び出した時
( ) 多
、彼 神 は 束 ラ 与
くの約 をアブ ムに えました;そして私達は、アブ ラハ
ムの 家族 束
なのですから、私達はこれ等の約 に共に預かることが出 来るの
です。

創世記 12:1-
12:1-3
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族から別れ、父の家
を離れ、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民年、あなたを
祝福し、あなたの名を偉大にしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あ
なたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地のすべての
やからは、あなたによって祝福される」。
私達は、アブ ラハ 祝福 資 ムの を受ける 格を持つ者なのです。私達はこれ等
の約束 要求( 求)
の物を自分達の物として、 来 請 する事が出 るのです。

77
彼の子孫達
彼(神)はアブ ラハ
ムに、 非常 多 に くの子 孫 を約 束 しました。彼の種は、地
上の チ リの 粒と同じほ 多 ど くなるための物でした。¯¯彼の肉体的種の 引用

創世記 13:16
私はあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数え
ることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。
神は又、アブ ラハ 孫 空 星 数多
ムに彼の子 は、 の のように くなるであろうと
言われました。 ¯¯ 仰 霊 引用
彼の信 を通しての 的種を している。

創世記 15:5
そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることが
できるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのよ
うになるでしょう」。
永遠の契約
神はアブ ラハ ムと、そして彼の子 孫 と共に 永遠 契 の 約を 結びました。信 仰
を通して、私達は、彼の子 孫 有 で りそして、私達はこの 永遠 契
の 約の部分

に まれています。

創世記 17:7
私はあなた、及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなた
と後の子孫との神となるであろう。
イエス、アブラハムの種
もし私達が、イエスに在る者ならば、私達はアブラハ 対 ムに して、神の約
束 祝福 続
の の相 者なのです。

ガラテヤ人 3:16
さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは
、多数をさして「子孫達とに」と言わずに、一人をさして「あなたの子孫とに」
と言っている。これは、キリストのことである。
ガラテヤ人 3:29
もしキリストのものであるなら、あなた方はアブラハムの子孫であり、約束
による相続人なのである。
アブラハムに有る私達の祝福
私達はアブラハ 供 ¯¯ 霊 孫 ¯¯
ムの子 仰 依
です 彼の 的子 です そして信 に って私
達は、彼の祝福 行 来を 仰
け取る事が出 ます。もし私達が、信 によってこれ
等の祝福 べ を受ける きであるならば、私達はそれらが何であるのかを知ら
なければいけないのです。

78
祝福のリスト
申命記 28;
28;1-14
もしあなたが、あなたの神、主の声に良く聞き従い、私が、今日、命じるす
べての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国
民の上に立たせられるであろう。もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き
従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。またあなたの身
から生まれる者、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子
は祝福されるであろう。またあなたの籠と、こね鉢は祝福されるであろう。
あなたは、入るにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。敵が起こって
あなたを攻める時は、主は貴方にそれを撃ち敗らせられるであろう。彼らは
一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去るであろう。
主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべての業に下し、あなたの
神、主が賜る地であなたを祝福されるであろう。
もし、あなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むならば、主は誓われたよ
うにあなたを立てて、その聖なる民とされるであろう。そうすれば地のすべ
ての民は皆あなたが主の名をもって唱えられるのを見てあなたを恐れるであ
ろう。主が貴方に与えると先祖に誓われた地で、主は良い物、すなわちあな
たの身から生まれる者、家畜の産むもの、地に産する物を豊かにされるであ
ろう。
主はその宝の蔵である天を貴方のために開いて、雨を季節に従ってあなたの
地に降らせ、あなたの手のすべての業を祝福されるであろう。あなたは多く
の国民に貸すようになり、借りることはないであろう。主はあなたをかしら
とならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えること
はないであろう。今日、私が命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、こ
れを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。今日、私が命
じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲がり、他の神々に従い、それ
に使えてはならない。
私達に与えられている
これ等の約束 ラハ 最初 与
は、アブ ムに に えられました、それから彼の肉体

による子 霊
に、そしてそれから 孫 与
による子 にそれらは¯ えられました。
¯ 仰 内
信 の に在る者達

ガラテヤ人 3:6,
3:6,7,14
このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められ
た」のである。だから、信仰による者こそアブラハムの子である事を、知る
べきである。
それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及
ぶためであり、約束された御霊を、私達が信仰によって受けるためである。

79
今日のために
アブ ラハ ムに 与 えられらた約 束 は、 今 、現在の 為 である事に 気付 いて下さ
い、私達が天 国 到着に する時のためではなくて。それらのものは 今日 のた
めです。

さあここで、 幾 つか、新しい創造物とされた私達の 祝福 対 に して主に感 謝


するための時間を持ちましょう。

「父よ、私は貴方に都会でも祝福され、そして郊外でも祝福されている事を
感謝します。私は、何処に居ても祝福されています。私の体の実が祝福さ
れている事、私の子供達が祝福されている事を貴方に感謝します。私の動
物達は、貴方に依って祝福されている事を主にあって感謝します。
私は、私の籠はいっぱいに日々の食物がある事を主に感謝します。
私は主に感謝します、私が入るにも出るにも祝福されている事を。私は敵
が私に対抗しようとして来る時、彼は既に敗北している事を知っています
。彼(敵)は、一方向から私に向かって来るでしょう。しかし彼は、七つの
方向に逃げて行くでしょう。
主よ、私は全て私のする事は、繁栄するという事を貴方に感謝します。私
は今日も、明日も、そして私の人生の毎日、貴方の道(方向)の中を歩み続
けます。私は、人々が私の人生を通して、如何に貴方が偉大であるかを見
るでしょうから主に感謝します。
私は 貴方が私に豊かな繁栄を与えて下さることを主に感謝します。私は

、貴方が天国の豊富な蔵を開いて下さっていて、そしてそれを私がこの地
上で受け取る事が出来ることを主に感謝します。私は、貴方が私を尾とし
ないで、頭として下さっている事¯¯私を最下に置かないで、最上において
下さっているということを主に感謝します。
あー父よ、貴方の全ての祝福に感謝します。主よ、私は貴方に従って行く
事から横にそれません。私は、他の神々に使えません。私は貴方の掟(命令
)を守ります。イエスの御名によって、アーメン!」
罪と死の法則からの解放
恵みによって救われた
パウロは、それらのイエスを主であり救い主として、信 仰 告白 の をする者
達の上に、罪はもは や法 支配や権 的な 述べ 威を持っていないという事を ま
した。

私達は、もは や律法 の下に生きているのではありま せ ん。私達は救われて



いる¯¯ 律法 依
われているのです、 恵み 依 に ってではなく、 に ってです。

ローマ書 6:14
なぜなら、あなた方は律法の下にあるのではなく、恵みの下に在るので、罪
に支配されることはないからである。

80
エペソ人への手紙 2:8
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それ
は、あなた方自身から出たものではなく、神の賜物である。
恵み 定義 の 過ぎ 特権 特別 ¯¯
は、何もしないで得た、分に た、 、 待遇 私達が
受けるには 足 与
りなかったところの何かを私達に えられました。
私達が神の分に 過ぎ 特別 応 た、 だ 待遇を受けるに相 しくなかった けではな
く、私達はその 真反対 応 律法
を受けるに相 しかったのです。男も女も、 を
満 来
たすことは出 (律法)
なかったのです;であるから、それは 彼等に救い
をもたらす事はできま せ ¯¯ だ死 んでした。 た をもたらしてしまったのです

救われているという事は、何から救われる、もしくは何かから解放される
という事を意味します。私達は何から解放されているのでしょうか ?
呪 いから自由になる

私達は、もは や 罪と 死 法則 の せの下には居ま ん、そして私達はもは や律法


の 呪 いの下には居ま せ 律法 呪
ん。私達は、 贖 の いから い出されているので
す、そしてそれでもま だ もし私達が、私達の新しい創造物としての 権 利を
知らないで居るなら、サタン (悪魔) 悪霊
もしくは、彼の 達が私達の上に 呪
いをかけるために 来 や
た時、 可能
られてしまう事が なのです。しかしなが
ら、私達が、私達の新しい創造物としての 権 特権 利と を知っている時、私
達は全ての 戦 いに勝つことが出 来 呪 (
るのです。 いの一部 一つ)として表さ
れている事が、私達に向かって 来 る時、私達は新しい創造物とされている
者として、これ等の事を大胆に言うことが出 来 るのです。

私は律法の呪いから贖われている
 イエスは、呪いとなった
イエスは私達のために 呪 いとなって下さいました!
彼は、私達の身代わりと成り、そして私達をこれ等ののろいから 贖 い出す
ために、彼御自身の身体にこれ等の 呪 いを受けて下さいました!
彼が 十字架 罰則 支払
上で私達の ぞ を って下さった時、彼は私達をそれ れ一
つ一つの全ての 律法 呪 の いの下から自由に解き放して下さいました。

ガラテヤ人 3:13
キリストは、私達のために呪いとなって、私達を律法の呪いから贖い出して
下さった。
イエスは、唯一 律法 守 来 だ を完全に律法 る事が出 た人 ったのです。彼は の
下で完璧 行 の人生を ゆ 璧 犠牲 捧げ
きましたそして、それ えに完 な の 者と成
られたのです。

 呪いから贖われた

何が 含 いの下に まれているのかを知るという事は、 重要 な事なのです。
イエスは、何を私達のために御自分の身の上に受けて下さったのでしょう
? 律法 呪
か の いとは、何でしょうか ?
セク
私達が、この ションを 学 んで 行 く時私達は、サタンから 来 ている 所 の

81
私達が受け 入 れなくて 良 い事を受け 入 れてしまっていることを見つけるか
もしれないでしょう。

モーゼ 申 28:15-68
は、 命記 多 柄 にのろいの部分である くの事 をリストに
挙げ ました。(この セク 読む 良 モーゼ
ション全てを と いでしょう。) は、
不忠実( 対 神に ) 結果 来
しての の 呪 挙げ として たらした いもリストに ました
、そして以下がその 簡単 要 な 約です。

申命記 28:15,
28:15,20
しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、今日、私が命じるすべての戒め
と定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あ
なたに及ぶであろう。
主はあなたが手を下すすべての働きに呪いと、混乱と、懲らしめとを送られ
、あなたはついに滅び、速やかに失せ果てるであろう。これはあなたが悪を
行って私を捨てたからである。
律法 呪 の ?
いとは何でしょうか
律法 守 を 罰則(ぺナル ー)
らない ? テイ とは何でしょうか

流行病 

熱 炎症 、

枯 果 せ 熱 寒波
 れ てさ る と

害虫(植 病) 物のこちょう と、かび

青銅 空 の

鉄  の地

雨  粉 変 はちりと と わった

敗北 

鳥 獣 食
身体は と の 物に成る

来 腫瘍 膿 行 腫
 出 物、 痒み 、 んで く れ物、

狂気 失 思考 困惑
 、 明、 の

 功 圧迫 盗
私達のする全ての事の不成 、 、 まれる

愛  家 労働 実 損失
する者、 、 の の

敗北 所有
 供 損失( 物、子 の )

これはリストの ほ んの始めです。

実践的な適用
今 もう一 度 申
、 命記から 律法 呪 読む
の いを 時間を取りましょう、がしかし
、 今度 はイエスがあなたを 律法 呪 贖の いから い出されているという事を 覚
え、そしてこの言葉を 加 えて下さい;

「 イエス 様 は、私を から 贖 って下さいました。 」 例 えば、

82
「イエスは、私を熱と炎症から贖い出して下さった。イエスは、私を浪費さ
せる病気から贖い出して下さった。イエスは私を熱と炎症から贖い出して
下さった。イエスは私を焼き焦がすような熱から贖い出して下さった。
イエスは、私 ... 贖 を から い出して下さった。

サタンが貴方に被せ 来 申 28章
てしまって挙げ ている事を 命記の のリストに
られているそれらの事から見つけるのです。それらは、 律法 呪 の いの部分
です、そしてイエスは、貴方をその特定 呪 贖 の いから い出して下さったの
です!

神の言葉と同意する事を始めるのです。

「私は、イエスによって
の呪いから贖い出された。イエスは私の罪のための罰則を支払って下さっ
た。私は今、この全ての呪いの症状/兆候に私から去ることを命ずる!」
イエスが十字架 釘打 付 に( ) ち 呪 けられた時、彼 イエス は私達のために いと
成って下さいました。

そうすれば、私達が正しい者(神の目から見ての 義 で在る者)に成ら せ 頂

けるからです。

彼は、私達に 永遠 の命の 贈 り物を 与 えて下さった だ けではありま せん、イ


エスは私達に、私達がこの世の生活の中で、勝利を得た者に成る 為 必要

な全てを 与 えて下さったのです。

サタンがそれらの 呪
来 いの一つを持って ようとする時、言うのです、

「いやいや、有り得ない、サタン!
イエス様が、私をその呪いから既に贖い出して下さっている!
過去からの自由
しばしばサタンは、私達が罪を 犯 してしまったと 思 込 せ
い ま て、この 呪 い
はその罪に 対 しての罰則 だ なの からと信じさ せ て、その呪 いの一つを受け
入 れてしまう 様 騙 落 入
に し、 とし れようとするでしょう。私達は、彼(サタ
ン)が私達の上に 被せ ている事を私達が受けるに 当 だ 考
然なの と え始めるの
です。サタンが、私達に罪の 結果 として 呪 いが 来 だ
るの と言う時、彼は正
しいです。

がしかしサタンは、イエスが 既 にその罪のために 支払 って下さっていると


いう事は、決 思 せ して私達に い出さ ようとはしま せ ん、そうすれば私達は
もは や や その罪 結果
もしくは、その罪による慢 耐 として 来 呪 る いを我 して
えなくても良 いのですから。

第二コリント 5:17
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いもの
は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

83
勝利者らしい生き方
新しい創造物とされている者として私達は、罪と 呪 いの 法則 から自由な者
にされています。私達はあら ゆ る罪、あら ゆ 罰則
る 、そしてあら ゆ 呪
る い
から 贖 い出されているのです。

ローマ人 8:2
なぜなら、キリスト・イエスにある命の御霊の法則は、罪と死との法則から
あなたを解放したからである。
もし私達が罪を 犯 告白
すなら、私達はその罪を 対 し、そしてその罪に する
赦 しを受け取らなければいけないのです。

第一ヨハネ 1:9
もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、
その罪を赦し、すべての不義から私達を清めて下さる。
私達が、私達の罪を 告白 覆する時、自分達を 支配 ってしまっている罪の 力
から 直 逃ちに 義 清
れるのです。私達は、全ての不 から められるのです。サ
タンはもは や 犯 や
、 罪告 訴 罪の宣 打 の えを通して私達を ち負かすことは出
来 ないのです。

罪、その 呪 死 法則
い、そして罪と 敗北 の 法 権 には、 をもたらすどんな 的 利
もありま せ 対
ん。私達は、私達の人生を新しい創造物とされている者に す
る 祝福 を持って生きる事が出 来 るのです。

克服する力と共に
アブ ラハ ムは、信 仰 義
を持っていました、そしてそれが彼を と見なしたの
です。信 仰 与
によって、私達は彼に 祝福 来 えられた を受け取る事が出 るの
です。

イエスは(地上に) 来 られて、 律法 呪 の いを御自分の身の上に取って下さい


ました。信 仰 依
に って、私達は私達の救いを受け取ります。信 仰 によって
、私達はこの世に事に 打 来
ち勝つことが出 仰 克服 るのです。信 は、私達に
する力を 与 !えます

第一ヨハネ 5:4
なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そして、私達
の信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
新しい創造物なる者として、私達は私達の 内(霊) 必 所有 に ず勝つ神の力を
しています。私達がこの力を 起動 せ 否 許可 さ るか又は かを するしないは、
私達次 第 選択
の 残 として されています。

私達は、神の言葉を信じる事を 選べ 周 状況
るのです、もしくは私達の りの
を信じる事を 選 来
ぶことも出 ます。

神の 必 ( )
ず勝つ力は、私達が彼 神 の言葉を信じてそして、大胆にその言葉
を口 ( )
から出し放った時、 その力が 解き放されるのです。それは私達に勝
利を 与 える神の言葉から来 仰
る私達の信 です。

84
サタンは私達に、私達は 有 罪で無価値 な罪人で、私達は 呪 いの一部である
病気 痛み 貧困
、 、 、そして 絶望 対 感に して成す 素手無 しであると言います

神は、私達は新しい創造物とされた者であり、有罪や、非難や、そ
して律法の呪いから自由な者だと言っておられます。


神は、私達は全ての約束されているアブラハムの祝福の相続人で在
ると言っておられます。


神は、私達は克服者として神の溢れるほどの祝福の中を歩む事が出
来るといっておらてます。


私達は、イエスキリストの信者として、神が私達に 備 えて下さっている全
てで在る事、する事、そして持つ事が出 来 るのです。

私達は、デビル(悪魔)の嘘ではなく神を信じる事を選ばなけれ
ばいけないのです。


私達は、神が私達を見る様に私達自身を見る事を選ばなければ
いけないのです。


私達は、神が私達自身について言って下さっている全ての事を
宣言する事を始めなければいけないのです。


そしてそれから、私達は、イエスキリストにあっての新しい創造物なる者
として、私達に 素晴 らしい 権 利を 楽 む
し 事が出 来 るのです。

復習のための質問
1. 故
何 ラハ 家族 属
私達が、アブ ムの に する者であるという事を理解する事が 重要 なのです
か ?

2.神がアブ ラハ ムと 結 だ 束 契
ん 約 の 約の 幾 つか、貴方にとって 需要 所 な の事をリストに 挙
げ なさい。

申 28:15-68
3. 命記 を使って、貴方の 律法 呪 の いからの自由を 述べ 伝 る 言書を 1ペー ジ書き
なさい。

85
レッスン8
新しい創造物なる者の待遇(特権)
序文
新しい創造物の 黙 示(神の 霊 による啓示)とイエスにある私達の 義 は、イエ
スキリストに在る信者達に 多 くの 益 をもたらします。

詩篇 68:19a
日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。
神との交わり
新しい創造物なる者の待遇の一つは、私達が神の 栄 輝 光に く御臨在の光り
の中で神と共に確信して、 恥 じること 無 歩
しに けるという事です。私達は
、彼と 話 す事が出 来 るのです。私達は、 密接 親密した な交わりを
彼と持つ事ができます。

第一ヨハネ 1:3-
1:3-7
すなわち、私達が見たもの、聞いたものを、あなた方にも告げ知らせる。そ
れは、あなた方も、私達の交わりに与るように成る為である。私達の交わり
とは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりの事である。これを書き
送るのは、私達の喜びが満ち溢れるためである。私達がイエスから聞いて、
あなた方に伝えるおとずれは、こうである。神は光りであって、神には少し
の暗いところもない。神と交わりをしていると言いながら、もし、闇の中を
歩いているなら、私達は偽っているのであって、真理を行っているのではな
い。しかし、神が光の中にいますように、私達も光の中を歩くならば、私達
は互いに交わりを持ち、そして、御子イエスの血が、すべての罪から私達を
清めるのである。
キリスト教 ( ) 入
は、私達がキリスト 救い主 を受け 個 れる時、私達は神との
人的関係(永遠 家族 に神の) (日々 密接 懇談/
の一部 、そして神との交わり の な
霊 )
的交わり を持つ事が出 来 宗教 異 るという事において、他の全ての と なる
のです。

贖 いにおける神の目的とは、人類と彼との 関係 回復 を する事でした。

定義
ウエブスタ ー アン アブリッジド
デ ク ィ ショ ナ ー リ によると、交わりの 幾
つかの 定義 ... とは

 結合 している(共同の 同 / 僚 )状
の 態

 々 人 の共通の 仲 間に 対しての同等で 親 しい言い方

 ある事を共にすること、 密接 会話/談話

 密接 親 (熟 な 交 知)

 共通の分ち合 い

86
召し(呼び出し)
私達は、神との交わりのために 召 されています。

第一コリント人 1:9
神は真実な方である。あなた方は神によって召され、御子、私達の主イエス
・キリストの交わりに、入らせていただいたのである。
何と恐 べ 素晴 る 想 き ! らしい いでしょう
神は、彼御自身との交わりの中に私達を 召 されたのです。

神は、私達と共に交わりを持ちたいと 望 密 んでおられます。私達の神との
接 家族
な交わりは、私達の神の 兄弟や姉妹 ベル に在る たちと共に、同じレ
の交わりに導 べ ヨハネ
く きなのです。使徒 は書きました、

第一ヨハネ 1:3,
1:3,4
私達の父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が、あなた方にある
ように。私は、あなた方がキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを
思って、いつも神に感謝している。
喜びをもたらす
喜 びとは、 密接 妨げ で られない神との、そしてイエスキリストに在る同 僚
の信者達との交わりの 結果 です。

詩篇 16:11
あなたは命の道を私に示される。あなたのあなたの前には満ち溢れる喜びが
あり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
( )
彼 神 の言葉を通しての神御自身との 密接 経験 せ な交わりによって さ られ
た事より以上の 喜 有 せ びなど りま ん。

エレミ ヤ はかきました、

エレミヤ 15:16
私は御言葉を与えられて、それを食べました。御言葉は、私に喜びとなり、
心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、私は、あなたの名をもって唱え
られている者です。
イエスに在る新しい創造物なる者であるという 黙 / 示 啓示を見つけた信者達
は、 喜 有 批判
びを見つけました。かつて 無価値観 思考 依 罪、 、そして の に
って、 圧迫 度( )義 黙 /
されていた人達が、一 神の の 示 を見い出すと、彼等は
束縛 圧倒 喜
から 歓喜 的な びと、 の中へと解き放たれます。

その新しい創造物なる者の 黙 経験 み 批判 恐 無 示を している者達の 、 の れの
い神とのその 圧倒 密接 喜 経験 的な 来 な交わりの びを することが出 るのです

ダ ビデ はこの 喜 びについて書きました、

87
詩篇 32:1,
32:1,2 (TLB、*直訳)
それらの人達にとって罪悪が赦されていることは何と幸せな事でしょう!
罪が覆い隠された時は、何と言う喜びでしょう!
壊 された交わり

たとえ私達が罪を 犯 関係 壊
すとも、私達の神との は れないものです。罪は

、再 私達と神との間のバリアに成ってしまうでしょう。がしかしながら
、神の偉大な 哀 み れ 直 回復
の中、神は、私達と神との交わりが、 ちに され
るための 準備 用 を 意して下さいました。

ヨハネ は書きました、

第一ヨハネ 1:8-1:8-10
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺く事であって、真理は私達のう
ちにない。もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方で
あるから、その罪を赦し、すべての不義から私達を清めて下さる。もし、罪
を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の
言葉は私達のうちにない。
“告白” は、それをはっきり 名指 しするという事を意味します。私達は私達
の罪の名前 をはっきりと 呼 べ ぶ 犯
きなのです。そして、私達が罪を したと
いう事を 隠 そうとか、また 否定 欺 して自分自身を反対 かないで、その に、
私達は素早 く私達がした事は、神の目にも私達自身の目にも罪であるとい
う事を自分自身に 対 対 認 べ
しても、神に “ ”
しても める きなのです。 罪 とい
う言葉は、その目 印( べ) 道しる( 印 外 )
をミスする 間違えて を す を意味します
。私達は、私達の 思 や行動 い 義 印 過ご
によって、神の完全な の目 を見 す時
にいつも罪を 犯 します。

“ 印 外
私達が、 目 を ” 気付 瞬
した という事に 直 いた 間、私達は ちに自分の罪
告白
を 赦
し、神の 義 しと不清 からの せ
めを受け取らなければいけま ん。

 神の恵みの悪用
義 黙 の 示を持っていない 多 恵み 悪用
くの者は、神の を してしまっています
。彼等は、これは、彼等が 後 告白 赦
でそれを 限 して、神の しを受け取る り
意識的に罪を 犯 良
しても だ 誤いという意味 考 と、 ってそう えてしまってい
るのです。

ヨハネ はそれを明 白 にしました、彼が次の 節 の中で 続 けているように、私


達は意識的に罪が私達の生活に 入 って 来 る事を 許可 する べ きではないとい
う事を。

第一ヨハネ 2:1
私の子達よ。これらの事を書き送るのは、あなた方が罪を犯さないように成
る為である。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、私達のために助
け主、すなわち、義なるイエス・キリストが居られる。
私達の神の召 離
しとは、罪から 召 れるという しです。

88
繁栄
もう一つ他の新生した信者である事の 益 とは¯¯
一人の新しい創造物なる者として ¯¯
私達が、 真 繁栄の を持っても 良 いという事です。そこには、 二 つのタイ プ
の 繁栄 有
が 関
り、魂に するものと、 経済 的な 領域 においてのものが 有 りま
す。

使徒 ヨハネ 繁栄 健康 過ご
を通して神は、私達が ¯¯ し に す事、
正に私達の魂が 繁栄 望 するようにと んでいるという事をかきました。

第三ヨハネ 1:2
愛するものよ。あなたの魂がいつも恵まれていると同じく、あなたがすべて
のことに恵まれ、また健やかであるようにと、私は祈っている。
神は、この全ての他に何をより強 望 ? く んでおられますか
それは私達が健康 繁栄(恵 )
で、私達の魂が 様 栄 まれる事 すると同じ に える
事です。

“貴方の魂が 豊 かになると同じ 様 に”とは、何を意味しますか ?


魂の繁栄
私達の魂は、私達の知性、私達の感 情 、そして私達の意 志 です。魂の 繁栄¯
¯知性の 繁栄 とそして、感 情 面での 繁栄¯¯ とは、私達の人生を生きた 捧げ 物
としてイエスに 捧げ た、全てにおいての 委任 来 を通して るものです、そし
て又、神の言葉を通して 来る私達の 心(心 思 ) 更
の い の 新です。魂の 繁栄 こ
そが、繁栄 健康と肉体の のための 前 必要 必 条件
もって な、 す なのです。

ローマ人への手紙 12:1,
12:1,2
兄弟たちよ。そういうわけで、神の哀れみによってあなた方に勧める。あな
た方の身体を、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなた方は、この世と妥
協してはならない。むしろ、心を新たにする事によって、造りかえられ、何
が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるか
を、わきまえ知るべきである。
神は、彼の 民 、彼の新しい創造物なる者が、魂とそして、肉体とにおいて
繁栄 欲 して や
しいのです。新しい創造物である者達は、もは この世のシス
テムに適合 無
するための者では いのです。

彼等は、神の言葉に適合 べ ! される き者なのです

 過程
その新しい創造物である者達は、 変 行 過程/プ セ 換されて く ロ スに在り、そ
してこの 変 心/思考 従属
換は彼等の 読む や聴
が 黙 して、神の言葉を 事 く事、
想(繰 返 口 む)
り し ずさ 実行 続 行
する事、信じる事、そして に移し けて く時
に起 重要
きるのです。 健康 繁栄 な完全なる 最初 第 歩 と に向かっての の 一 は
、新しい創造物なる者の 黙 踏み入 示の中に る事なのです。彼又は彼女が、
全ての新しい創造物なる者の 内 有 来 に 繁 る待遇を受け取る事が出 、そして

89
栄 と、完 璧 健康な の中を 歩み 始める事が出 来 様 る に、この 黙 示が信者を
罪 悪 感、 非難 、そして 無価値観 という 思 いから自由にしてくれるでしょう

 既述された
真 “栄に ” 詩篇 最初 述
えている 神の子は、 の に記 されています。

詩篇 1:1-
1:1-3
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人との道に立たず、あざける者の座に座
らぬ人はさいわいである。このような人は主の掟を喜び、昼も夜もその掟を
思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
真 繁栄に している人とは、

黙 対
 神の言葉の 仰 忠実 示に歩 して信 と の中を んでいる人です。

愛 深 経験 と い 仰 仲 密接
と、又神とそして同じ信 の 間との な交わりの


中を んでいる人です。

 自分のする事の全てにおいて、神の平安 十 経験 と 分さを している人


 継続 して主に使え、そして又他の人達の 必要 にも使えている人。

 自分があら ゆ 良
る 十
い業のために 分に 装備 されているように、その
ために 経済 必要 十 備
的 が 分 えられている人。

 寛 大に主にも他の人達の 必要 与 にも える事が出 来 る人。

経済的繁栄
私達が 教 えられていたかも知れない事と相 反 して、お 金 悪
が ではありま せ
ん。 金銭 愛 を悪 根源 有 する事が の で るという事です。

お 金 教 令 実 ( ) 重要 必要
は、偉大な宣 命 の 現 達成 に な 物です。私達は、イエ
スキリストの 福音 失 々( ) 手 差 延
を持って、この世の われている人 魂 に を し
べ る事が出来 様 る 経済 繁栄
に、そのために私達はどのように神の 的 を受け
取るかを知らなければいけないのです。確かに ヨハネ は、私達に私達がこ
の世の物に 心 思 置 様 気 付
の いを かない に を けていなければいけないという
事を 忠告 続 富 惑 や
しました。私達は、 欲
けて の わし 、物質的な物を肉の に
よって 追 求 い導 ( ) 誇 (プラ
める事に )
く生活 人生 の り イド 、もしくは人からの
名誉(栄 ) 対光 などに 心 守 していつも せ を っていなければいけま ん。神は、
もし私達が、先ず神の 国 義 捜 求 と神の を し めるならば、彼は物質をもって
私達を 祝福 するであろうと言われました。

マタイの福音書 6:33
先ず神の国と神と義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて
添えて与えられるであろう。
神の 義 黙 の 国 拡張
示を得ている新しく創造されている人は、いつも神の の
と神の 義 必要
を自分自身のどんな 最 置 ( ) よりも 上に くでしょう。彼 その人

90
は、神と神の 義 捜 求
を し めるでしょう、そして神は、“全ての物”を彼に 与
えるでしょう。

 神に捧げる事
神は、彼の 経済 祝福 的 をその中に 降 注ぎ入
り れておく 貯蔵庫(溜 池 様
め の な
)を 探 してはいま せ ん。

それとは 反して、彼(神)は、神の 国 への 捧げ 人と成るところの人 々 川(流



れ出す)を 探 しておられるのです。

イエスは言われました、

ルカ 6:38
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々は押し入れ、ゆす
り入れ、あふれ出るまでに量を良くして、あなたがたのふところに入れてく
れるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量り返されるであろ
うから」。
私達が、神に 対 仰 忠実 与 行 従 する信 と によって えて くに って、神は私達が
、神に捧げ返 続 来 様 し 倍増 返
ける事が出 る に、私達にそれを してお しして
下さるでしょう。

繁栄 は新しい創造物なる者のための約 束 された利 益/ 待遇の一つです。神は


、彼に 従 う彼の 民 のために 経済 祝福
的 である 契 約を作ったのです。

健康と癒し
もう一つの新しい創造物なる者の偉大な 特典 は、彼又は、彼女の肉体の癒
しの 為 の神の 備 えです。新しい創造物なる者の 義 黙 の 示は、それらの何人
かの人達が神から彼等の癒しを大胆に (堂々 ) と 受け取る事が出 来 様
る に成
る 為 に、罪 悪 感、 非難 、そして 無価値 縛
感によって、 られてしまっている
人 々 を自由にするでしょう。

私達の身代わりであるイエスの 贖 いの業の中に、彼(主)は、全ての 永遠 の
ための私達の救いを 備 えて下さいました、そして彼は私達の肉体の身体の
ための癒しをも又 備 えて下さったのです。

彼の打 傷 依 や
ち に ってい された

メシヤ 来 の ザヤ 臨についてのイ の偉大な預言の中に、彼は私達の癒しを明


白 語 に りました。

イザヤ 53:5
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕
かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打た
れた傷によって、われわれは癒されたのだ。
ペ 贖
テロは、その同じ言葉を使ってイエスの いの業について書いた時、こ
のイザヤ セー 認 のメッ ジを確 しました。

91
第一ペテロ 2:24
更に、私達が罪に死に、義に生きる為に、十字架にかかって、私達の罪を御
自分の身に負われた。その打ち傷によって、あなた方は、癒されたのである

ジェホバ‐ラファ(主は癒やす方)
イスラ ル プ
エ 来 後直ぐ
の子達がエジ トから出て たその に、神は御自身をジ
ェホ ラファ バ 、彼等の癒し主である神として現されました。

出エジプト記 15:26
言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に
正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るな
らば、私は、かつてエジプトに下した病を一つもあなたに下さないであろう
。私は主であって、あなたを癒すものである」。
神は、決 変 無 して 今 !
わる事が いのです。癒しは、 、現在のためです

神の言葉は、健康をもたらす
ソ モ ロ 健康
ン王は、人の身体全体の生命と 来 だ は、神の言葉を通して たの
という事を私達に言っています。

箴言 4:20
4:20-22
我が子よ、私の言葉に心をとめ、私の語ることに耳を傾けよ。それを、あな
たの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命で
あり、またその全身を健やかにするからである。
もし私達が、神の言葉に 注 健康 過ご ( )
意を向け、 に す事について彼 神 が何
と言っているかに 心 集 せ 黙想(口 度を 繰 返
中さ て、 から何 も出して り し言う
)
事 するならば、その御言葉が私達の生活の中で現 実 と成るでしょう。

私達の思考 更 様 が 新されている に、私達の身体も又そうなるでしょう。こ


の黙 霊
示が、私達の 心(思考) 動 から私達の 仰 へと く時、私達は大胆に信 の
中で、神の言葉を 口 健康 実から出し、そして癒しと が現 となるでしょう。

注 : 更 深 学
意 癒しについての A.L.& に い びのためには、 ジョイス
ギル 「 為 備 」 読
による 神の癒しの の え を んで下さい。

神の力
そして又他の新しい創造物なる者の大きな利 益 は、私達の 内 面から聖 霊 の
力を解放(解除) 能 する 力です。

否定的(マイナス思考的)妨げ(邪魔)
多 霊 満
くの聖 に たされている信者達が、彼等の 内 有 に る神の力を解放しそ
こなってしまっています、な ぜ ならば、彼等は彼等の 否定 的の 思 や
い 、自
分自身の自 画 /セルフ 像 イメ ー ジによって、 抑制 してしまっているからなの
です。

新しい創造物なる者の 内 に、 今 現在 有 る神の 義 黙 の 示をまだ 得た事が 無 い


ところの 多 くの者達は、彼等の生活の中において、罪が 残存 する事を 許可
92
している事のよって、 妨げ られてしまっているのです。彼等は、 義 人意識
で 有 悪 (心 疾 )
る代わりに罪 意識 の しさ で居てしまっています。彼等は自分
自身を罪人として見てしまっています、そして彼らの生活の中で、 決 して
勝利を得る事が出 来 来 ないで てしまっています。彼等は、彼らの生活の中
で聖 霊 悲 む や
が し 事火 消 もしくは、その を されてしまう事を 許可 してしま
っているのです。

パウロは書きました、

エペソ人 4:30
4:30、31
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなた方は、贖いの日のために、聖霊の
証印を受けたのである。すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また
、一切の悪意を捨て去りなさい。
罪悪 (心 や 意識 )の 犯 続
ましさ の人は、罪を 為 し けるでしょう、そしてその
に聖霊 悲 を 無 敗北
しめ、そして 力で、 人生を生きるでしょう。

義の黙示
新しい創造物というものの 黙 示を得ている信者達は、彼ら自身を 義 とされ
ている者として見るでしょう。彼等は彼ら自身を創造されている通りの者
として見るでしょう。彼等は、彼ら自身がイエスの業をしているのを見る
でしょう。彼等は彼ら自身を 義 とされた者として見、そして神と共に交わ
りを持っている者、そして他の人 々 に奉仕するために、神に 依 って使われ
ている者として見るでしょう。

彼等は彼ら自身が、彼等の人生を通して現されている神の 油 注ぎの を持っ


て、 機能 しているのを見るでしょう。正に主が言われた 様 に、生ける救い
の 川 が、彼等の生活と奉仕を通して、 妨げ られる事 無 流 く れるでしょう。

イエスは言いました、

ヨハネの福音書 7:38
私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって
流れ出るであろう」。
承認の力
イエスは言いました、私達が聖 霊 のバ プ テス マ を受けた時に 来 る力の目的
は、私達をイエスキリストに 対 する 効果 的な 証 人にするため だ といる事を

使徒行伝 1:8
ただ、聖霊があなた方に下る時、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダ
ヤとサマリヤの全土、更に地の果てまで、私の証人となるであろう」。
 印と不思議
失 われた魂に、 手 をさし伸 為
ばす事の の神の計 画 は、 奇跡 伝の 道です。 印
や 思議不 、そして又 奇跡 福音は、 の御言葉が分かち 合 われ又は、 述べ られ
ていく時にそれが 常 認
に確 されるでしょう。

93
マル コの書によると、この地上を 去 前
る のイエスの信者達への 最後 の言葉
は、こうでした。

マルコの福音書 16:20
16:20
弟子達は出て行って、至る所で福音を述べ伝えた。主も彼らと共に働き、御
言葉に伴う印をもって、その確かな事をお示しになった。
新しい創造物なる者の 黙 霊 示を通して、信者達は聖 の力の中で大胆にイエ
スキリストに 対 証 /証 来
しての 明 言する事が出 るでしょう。

 恐れからの自由
彼等はもはや 対 恐、人に 妨げ する無 れによって、 られる事は いでしょう。

彼らは大胆に言うでしょう、

第二テモテ 1:7,
1:7,8a
というのは、神が私達に下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みと
の霊なのである。だから、あなたは、私達の主の証をする事や、私が主の囚
人である事を、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力に支え
られて、福音のために、私と苦しみを共にして欲しい。
新しい創造物なる者の 黙 恐 恥 無
示を持って信者達は、 れも じる事も い、イ
エスのための証 人になるでしょう。

彼等は大胆に言うでしょう、

ピリピ人 4:13
私を強くして下さるによって、何事でもすることが出来る。
 妨げられない力
新しい創造物なる者の 黙 印や 思議や
示を持っている信者達は、 不 、そして
癒しの奇跡 妨害 無
を通して 許 (
の せ
い神の力が現される事を す 自由にさ る)
でしょう。

罪 悪 非難
と は、もは や 彼等が大胆に 悪霊 追 を い出す事から や 、又は 病 人に
彼等の 手 置を く事 や、そして神の力が彼等の身体の中を 流 れるために彼ら
自身を 委ね る事を 抑制 して止める事も 無 いでしょう。

新しい創造物なる者の 黙示と共に人は、神との交わりに 有 益 経験
る を する
でしょう :喜 び、癒し、 健康 繁栄、 防 、そして 御の 無 い神の力。

これ等の利点は、信者達の み だ 楽
によって け しまれる べ きでは 有 りま せ ん
。それらは、 失 われた魂と 死 行んで く世界のために 流 れ出る べ きなのです

94
復習のための質問
1.
如何に罪悪 非難 感、 、そして 無価値観 が、信者たちの神との交わりを 妨げ る事が出 来 て
しまうのか述べ なさい。

2.どの 様 な方 法 によって、新しい創造物なる者、そして 義 とされている者の 黙 示が、彼 や


彼女の神からの癒しの現われを受け取る事が出 来 様
る に(その)人を自由にするのでしょう
か ?

3.どの 様 な方 法 によって、新しい創造物、そして 義 黙
の 示が、 効果 的で大胆なイエスのた
めの 証人に成る 為 に信者を自由にしますか ?

95
レッスン9
神から 来 る性質の共同受取人達

神の性質/本質
私達がイエスを私達自身の 個 人的な救い主として受け 入 れる時、私達は新
しい神の創造物なる者になります、私達は全く新しい性質を受け取るので
す。それは、神の、彼御自身の性質なのです。私達が、 実際 に神の神で 有
る性質そのものに共に 与 る者である事を見い出すという事は、何と感 激 す
る事でしょうか!

第二ペテロ 1:4a
また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、私達に与えられてい
る。
神の性質とはなんでしょうか ?
幾 有
つかの神の性質の部分が 特 (象徴) み り、神の 質 である、神の のために
保存/保留
、 されている部分です。

:
それらは

永遠 ¯¯
 性終 始まりも 無 わりも い

変 ¯¯変
不 性 来 える事が出 ない

能 ¯¯
全 性 有
全ての力が る

偏 ¯¯
 在性処 同時に何 にでも居る

私達に帰された/負わせた
しかしながら、救いの 瞬 帰 間に私達に有 された神の性質の部分が ります。
それらは、私達の新しい創造物なる者としての 必須 の部分になります。私

達が えられているもの;

( )義神の

別 (聖 )
か 神のために

( )愛神の

( )良神の 恵み さ、 哀 み 、そして れ

これ等の神の性質の部分は、救いの 瞬 霊 帰 間に私達の新しく創造された に
されるのです。

彼(神)の約束によって現された
ペ テロは、命と神性さに 関 する全ての事が神によって私達に 与 えられてい
るということを書きました。私達は、神の言葉の 黙 示によって、神からの
性質というものに共に 与 る者に成ります。これらのものは、私達に 素晴 ら
しくそして、貴 重 な約 束 によって 与 えられているものです。

96
第二ペテロ 1:2-
1:2-4
神と私達の主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなた方に豊
かに加わるように。命と信心とに関わるすべてのことは、主イエスの神聖な
力によって、私達に与えられている。それは、御自身の栄光と徳とによって
、私達を召された方を知る知識によるのである。また、それらのものによっ
て、尊く、大いなる約束が、私達に与えられている。それは、あなた方が、
世にある欲のために滅びる事を免れ、神の性質に与る者と成る為である。
共に与る/受け取る者達と成る
経験
私達の ( ) 来 与
の中で彼 神 の神から 無 る性質の共に る者と成る事 しに、
神の性質を私達の霊 内 所有 可能
の に する事が です。

使徒パウロは書きました、

ピリピ人 2:12,
2:12,13
私の愛する者達よ。そういうわけだから、あなた方がいつも従順であったよ
うに、私が一緒に居る時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐
れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。あなた方のうちに働きかけて
、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神の良
しとされるところだからである。

救いの 間に、私達はこれ等の神の 特 霊 所有質を私達の の中に します、が
しかしそれは、彼等が 訓練 思考
し、そして自分達の 為 と身体の一部に成る
の時間の過程 有
を通す事に ります。

全ての信者達は、彼等の 霊 内 の 来 に神の神から る性質を共に受け取る者と


成っているのです。しかしながら、それは私達の新しい創造物なる者とし

ての 示を通してのみ 内
魂と身体の で私達が、彼の神としての性質を共に
与 る者と成る事が出 来 るのです。

信者達は、彼等は 既 に神の神性なる性質を受け取っているの だ という事を


真 黙
現す 理の 示によって、共に与 既
る者達と成る事、そして に彼等のもの
とされている、その事を 楽 む し来 ことが出 ます。

それは、私達が神の言葉を 心 思 巡 に い仰 依 ( )
らし、そして信 に って彼 神 の
言葉の中から 来 束 求 行 従
る約 を請 して み 実際
くに っての 、私達が に私達の
魂と身体の内 に、彼の神性なる本質に共に 与 る者達と成るのです。

私達の新たに創造されている 霊 内 帰
が彼の神性なる性質の に すことを受け
取っている間にこのレッスンの中で私達は、どの 様 領 に私達の魂と身体の
域 において、彼の神性なる性質の共に 与 学 る者に成るのかを ぶでしょう。

彼(神)の様に成ること
( )
私達は、彼 神 のイメ ー 適合 ジと 様 される 予定
に、キリストにあって、 さ
れています。

ローマ人 8:29a
神はあらかじめ知って折られる者達を、更に御子のかたちに似た者としよう
として、あらかじめ定めて下さった。
97
新しく創造された 霊 は、神のイメ ー ジに創造されていて、そして ク リスチ
ャ ンは、彼等の体と魂も 領域 においての神のイメ ー ジと 適合 されて 行 過 く
程 にあるのです。

変換の過程
使徒パウロがロ ーマ 人にかきました、

ローマ人 12:1,
12:1,2
兄弟達よ。そういうわけで、神の哀れみによってあなた方に勧める。あなた
がたの身体を、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなた方は、この世と妥
協してはならない。むしろ、心を新たにする事によって、造りかえられ、何
が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるか
を、わきまえ知るべきである。
新しい創造物なる者として、私達はもは や 適合 べ この世と される きではあ
りま せ ん。

( )
私達は、神の息子 御子 のイメ ー 適合 ジと 従属 されつつ在る者として、 し
た変 過程換の べ
の中で生きる きなのです。

 身体を差し出す(提出する)
私達は、神に私達の身体を完全に 委任 せ 変 プ セ さ る事によって、 換の ロ ス
を始めます。私達の身体は、聖 霊 宿 や の る身 であり、そして私達は、私達
の身体を生ける 捧げ 前 捧げ べ
ものとして神の御 に る きものなのです。

私達が、 既 与
にイエスにあって持っている、神からの性質と共に る者と成
る為 には、私達が毎日 権 内 委任
私達の人生をイエスキリストの完全主 の に
しなければいけないのです。

 思考(知性の思い)を更新する
たとえ私達の身体が 変 換されているとしても、私達の魂が 思考 更 呼 の 新と
ばれる 継続 過程 的 変によって、 換されなければなりま せ ん。

この 変 過程
換の 継続は、私達が して神の言葉を 読み 聞 妄想 (口
、 き、 し ずさ
む/繰 返り や しつぶ )
くように言う 、そして 行動 に移して行 従 起 くに って き
るのです。それは、聖 霊 の超自然的な業 (働 )き なのです。この超自然的な
過程 や
によって、私達の身体 、私達の魂は、神からの性質に共に 与 る者と
なります。

私達の内に働いている神
パウロは、女の人の出 産 激烈
の さを持って、キリストが彼らの中( 内 面)に
形付 だ
けられる ろう事を ガラ ヤ
祈 テ 人の信者達のために りました。

ガラテヤ人 4:19
ああ、私の幼子達よ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、私は
、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。
( ) (内 ) 働
彼 パウロ は、ピリピ人の信者達に、神は彼らの中 面 に いておられる
のだ という事を言いました。

98
ピリピ人 2:13
あなた方のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、且つ実現に至らせるの
は神であって、それは神の良しとされるところだからである。
神は、引 続 き ( ) ー 適合
き彼等が、彼の息子 神の御子 のイメ ジに されるまで
、彼の新しい創造物である者達の人生において、働 続 き けて居られるので
す。

私達が、より一 層 神が私達の 内 面に彼の 働 き(業)を 行 う事を 許せ ば、 許 す


ほ ど、私達がより一 層 キリストに似た者になるのです。

*特別注解 私達は既に、神の義とそして、どの様にしてそれが私達に帰せられ
:
るのかについて学びました。義というものは、神の特質の一つです。このレッス
ンの中では、私達は貴方方が彼の義(正しさ)と、そしてどの様に救いの瞬間にそ
れが、私達に着せられたかについて知っていると仮定し、そして他の神の特質に
ついて進んで行きます。
彼(神)の聖かを共に受ける事
神は聖なる
神の聖さは威 厳 であり、完全な 純潔 と完 璧/ 熟 成 であり、言い表 せ ない 程
です。それは、罪と不 純 から完全に 離 原因 起
れる を こします。

神は完全に、彼の 要素 と全ての彼の道 (や 法)
り方、方 において 清 いのです
。御使い達が彼の聖さを宣言します。

イザヤ書 6:3
互いに呼び交わして言った、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍
の主、その栄光は全地に満つ」。
聖なる者である事を命令されている
私達の新しく創造された霊 様 は、神御自身が聖であると同じ に聖なのです

使徒パウロは書きました、

エペソ人への手紙 1:4
御前に清く傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストに
あって私達を選び、
思 ー
い出しましょう、私達の身体と魂は、キリストのイメ 化(適合 ジに同一
)されていく 過程 日々
の中にあります。私達は、私達の の生活の中で、聖な
る者である事を 選 ばなければいけないのです。

レビ記 19:26
あなた方は何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない
。魔法を行ってはならない。
私達は、私達の 行 選
いにおいて、聖なる者に成ることを ばなければいけな
いのです。私達は、私達の人生を神にとって聖なる、神のために使われる
器 ( )委任
、として 神に しなければいけないのです。私達は、自分自身を罪

99
に 対 して 死 だ ん 者、そしてイエスのために生きている者として見なさなけ
ればいけないのです。

これは、 経験 基づ に いての聖 別 かで、この世のシステムから 離 されて、イ


エスキリスト御自身のために取り 置 きされた者と成る 過程 なのです。それ
は、私達の 日々 の生活と 行 いの中で、イエスと似た者に成っていく事です

第一ペテロ 1:15,1:15,16
むしろ、あなた方を召して下さった聖なる方にならって、あなた方自身も、
あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、「私が聖なる者であ
るから、あなた方も聖なる者に成るべきである」と書いてあるからである。
私達は、聖なる者で居る事を命 令 されています、そして私達は神の聖さの
性質を共に 与 来
ることによってこの事が出 るのです。

神の愛を共に受けること
神は愛である
神は、彼のもともとの本質による 愛 愛 根源 です。彼は、全ての の です。

第一ヨハネ 4:16
私達は、神が私達に対して持っておられる愛を知り、且つ信じている。神は
愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
神の人類に 対 最 愛
する も大きな 尊 贈
の表れは、彼の い息子という り物の中

に りました。

ローマ人 5:8
しかし、まだ罪人であった時、私達のためにキリストが死んで下さったこと
によって、神は私達に対する愛を示されたのである。
ヨハネ 3:16
神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を
信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
四つのタイプの愛
近 愛
代では 誤
という言葉は、しばしば ギ ャ語 愛 解されているので リシ で に
対 して使われている 四 良
つの言葉を知る事が いでしょう。

 エロス
“ ”
エロス は、 官能 / 欲 愛 的 肉 の せ
です。それは、新約ではつかわれていま ん
ソ モ 雅歌
。 ロ ンの 述 様
の中で記 夫 妻
されている 定 に、神が と の間に めてい
る性的 愛 愛 参照 の に 夫 妻
されています。それは、 愛 密接 と との間の の な表
現以外 禁
では、神によって じられています。

100
 ストージ
“ ー
スト 官能
ジは、 (無 欲 )愛 家族愛
的ではない 肉 的 です、それは もしくは、
情愛 です。それは、 柔和 親 み 愛情 な 形容 し の である事を意味するところの
詞“ フ ーガ ”
ィロスト 有 根源 ス の中に る の言葉として、使われています。

ローマ人 12:10
12:10
兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。
スト ー 家族 員 血
ジは、 家族
の一 家族 両
達が 肉による とそして神の の 方にあ
って、 互 対 いに 情愛
して表すところの です。

 フィリア

“ ”
ィリア は、誰かに対 深 友情 真 /熱心 愛着 愛
する い 又は、 面目な な の です
。 血族(親 関係) 名詞 “フ マ”
類 の 、 フ ィレ は「キスをする」を意味します。 ィ
リアは、大きな 暖 親 情愛 かさと しい です。

ヨハネの福音書 5:20
5:20a
なぜなら、父は子を愛して、自らなさる事は、すべて子にお示しになるから
である。
フ ィリアは、イエスと ラザラ 愛 関係 述 スとの間の の を記 するのに使われま
した。

ヨハネの福音書 11:3
姉妹達は人をイエスの許に使わして、「主よ、只今、あなだが愛しておられ
る者が病気をしています」と言わせた。
もう一つ他の親 関係 “フ 類” 情愛 切
の言葉は、 ィロス その人の がとても大 な
人を意味するところの言葉です。

ヨハネの福音書 15:13
人がその友のために自分の命を捨てる事、これよりも大きな愛は無い。
これが、夫 妻 互 対 と 親密 愛
がお プ/形 フ ラ
いに して持っている な のタイ ( ィ
ンドロス)です。

イエスが ラザラ スに 対 して持っていた 所 密接 暖 愛 関係 加の した、 かい の に


えて、ダ ビデ とジョ ナ サン(ヨナ ) 愛 関係
タン との間の の の中にも又それが
見られます。それは、 極少 二 しの 有 非常 密接 関係
人の人達の間に る に した
にの み限 られている、 特別 愛 な なのです。

 アガペ
アガペ 愛 の 霊 実
は、信者の人生の中の聖 の として表されているところの神
の肉欲 無 愛 の い です。

ガラテヤ人 5:22、
5:22、23
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自
制であって、これらを否定する律法は無い。
101
ア ガペ 愛 の は、超自然の 愛 です。それは私達の人生を通し、そして私達の
他の人達に 対 しての 行動 の中で、私達の 霊 内 の に居られる聖 霊様 によって
現される神の 愛 です。

この 愛 は、神から 来 ているものなので、それは世が 新創造物 を通して¯¯ 「 」 「


私達 を通しての」 み経験 する事が出 来 愛る です。それは私達の 隣 人達、私達
の 友 達にとっては、そして世にとっては、それが 様 奇妙 に見えるのと同じ
に、私達の敵 達にもそう見える 程 愛
の なのです。

第一ヨハネ 3:16
主は、私達のために命を捨てて下さった。それによって、私達は愛と言う事
を知った。それゆえに、私達もまた、兄弟のために命を捨てるべきである。
要約
エロスは、私達の 配偶 対 限者に しての られた神の 愛 律法(法則)
の 、スト ー
ジは私達の 血 肉と 霊 家族 対 限
的な に して られています。 フ ィリアは、私達
の 配偶 者かもしくは、 個 密接 友 対
人的な な に して 限られています。

しかしながら、新しい創造物なる者を通して神のア ガペ愛 は、全ての人に


示されます、私達の 敵軍 をも 含 んでです。

アガペの愛の実行
 互いに愛し合いなさい
神の神なる本質の超自然的な、分 与 によってそして、御 霊 実
の として新し
い創造物なる者は、 互 いを 愛 する人達に成っているのです。

ローマ人 13:8
互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者
は、律法を全うするのである。
イエスは言われました、

ヨハネの福音書 13:34,
13:34,35
...私は、新しい戒めをあなた方に与える、互に愛し合いなさい。私があ
なた方を愛したように、あなた方も互に愛し合いなさい。互に愛し合うなら
ば、それによって、あなた方が私の弟子である事を、すべての者が認めるで
あろう」。
イエスの 弟 (区別 )所
子達を見分ける 有 する の、他の全ての物の上に る物は
、彼等が 互 対 いに 愛 して持っている です。

 愛の弟子
弟 子とは、イエスの 躾/訓育 の下に 来 ている人です。彼は、た だク チャリス
ンであるより以上なのです。彼は、信 仰 忠実 と さにより、(ア ガペ)愛 の性
質とイエスのイメ ー ジに同一 化(適合) されているところの人なのです。

使徒ヨハネ と共に 弟 子は言うでしょう、

第一ヨハネ 4:7
102
愛する者達よ。私達は互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものな
のである。すべて愛する者は、神から生まれたものであって、神を知ってい
る。
新しい創造物とされている者達、神の神たる本質に共に 与 有 る者達で るそ
れらの者達は、神のア ガペ 愛 歩 の の中を くでしょう。

ローマ人 5:5
そして、希望は失望に終わる事は無い。なぜなら、私達に賜っている聖霊に
よって、神の愛が私達の心に注がれているからである。
 律法によって命令されている愛
モーゼ 律法の 互 愛 合
は、私達が 定
いに し う事を めています。

レビ記 19:18
あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはな
らない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。私は主
である。
新生されていない男女は、 律法 満 来 せを たす事は出 ま ん。彼等は彼ら自身
の中で、彼らの 隣 様 愛
り人達を彼ら自身と同じ 来 せ に する事は、出 ま んで
した。イエスは、新しい 愛 戒 ( ) の 与
めを彼 主 の新しい創造物なる者に えま
した。

ローマ人 13:9
姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒め
があっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの
言葉に帰する。
 愛によって律法は全うされる
愛 律法 了( )
は の完 達成 です。

ローマ人 13:10
13:10
愛は隣り人に害を加える事は無い。だから、愛は律法を完成するものである

ガラ ヤ
パウロは、 テ 人へ書きました、

ガラテヤ人 5:14
律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの
一句に尽きるからである。
私達の敵達を愛する事
神は、彼の偉大な “愛 ” 内 だ 敵
の本質 の に、私達がま 彼の であった時でさえ

私達を して下さいました。

新しい創造物として私達も又、神の 愛 の本質を持っています。私達も又、

この世の 愛
われた者達を 愛 慈悲
し、そして彼等に神の偉大な と を分かち
合 わなければいけないのです。

103
な ぜ ならば私達は、新しい創造物なる者なので、私達は神の 「愛- 」
本質 を
共に 与 る者なのです。

聖 霊 敵
によって私達は、私達の 々 愛 であるそれらの人 でさえも する事が出
来 愛
ます、そして又 さなければいけないのです。

マタイの福音書 5:44
しかし、私はあなた方に言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
イエスは、 決 可能 様
して私達にとってすることが不 な何かを私達にする に
命 令 有 せ
していたはずが 愛 りま 敵 愛ん。私達は神の をもって、私達の をも
す事が出来 愛 ます、そして さなければいけないのです。

 アガペの愛を表現する事
イエスは、彼に 従 来 ガペ 愛
って 々
る者達に如何にして、ア の を他の人 にも
¯
そして又 彼らの 敵 含 をも 教 (教授)
めて、表現するのかについて え示し まし
た。

ルカの福音書 6:27-
6:27-30
しかし、聞いているあなたが名に言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。呪
う者を祝福し、辱める者のために祈れ。あなたの右の頬を打つ者には左の頬
をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。貴方に求
めるものには与えてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
貴方に求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取り戻そう
とするな。
使徒パウロは書いた、

ローマ人 12:20
12:20
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、乾くなら、彼に飲ま
せなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積む
ことになるのである」。
 アガペの愛の見本
ステファノ 敵 石打
は、彼が自分の 様 から にされていた時の に、超自然的な
アガペ 愛 行動 の を に現した一つの偉大な見本でした。

使徒の働き 7:59,
7:59,60
こうして、彼等がステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈り続けて
言った、「主イエスよ、私の霊をお受け下さい」。そして、ひざまずいて、大
声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言
って、彼は眠りについた。
私達は、神からの性質を共に 与 霊 る者達として、聖 によってこの同じ超自
然的な、他の人に 対 愛 来 する を持つ事が出 、又持っているに違いないので
す、私達の 敵 々
であるところのそれらの人 にさえもです。

彼又は彼女の感 情 決 様
によって生きているという人は、 してこの な種類の
愛 経験を 来 する事は出 内 愛
なかったでしょう。それは、彼らの に神の の目

104
視/ 啓示を得た事の 有 るそれらの人 々 によっての み経験 され、そして現され
る事が出 来 るのです。

 愛すことを選ぶこと
私達の 敵 愛 を 情
す事は、私達の感 /とそして、肉 自我である自分自身とに相
反 する事なので、私達、神の 愛 視 の目 愛 様 愛
を持つ者は、神が する に す事

を ばなければいけないのです。

第一ペテロ 1:22
あなた方は、真理に従う事によって、魂を清め、偽りの無い兄弟愛をいだく
に至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。
神の愛
彼等が、キリストの 内 黙
にあると言う新しい創造物の 示を持った事がある
( )
、そして彼 主 の、神からの性質を共に 与 る者達と成っている人達は、そ
れらの 与 えられている全ての事の上に、神を 愛 す者達に成るでしょう。彼
等は、神の言葉に 忠実 依 である事に 喜 って、神を ばすために全ての事をす
るでしょう。彼等は、神の 礼拝 者達に成るでしょう。

新しい創造物なる者達は、全ての神の 素晴 祝福 対 髪 継続らしい に して を し
賛美 続
て し けるでしょう。彼等は、神が神で在られるという事に、神を 礼
拝 するでしょう。神の 賛美 唇 有 続 が彼等の に り けるでしょう。新しい創造
物なる者達は、神との 深 密接 愛 関係
くそして、 した の を持つでしょう。

詩編 42:1、
42:1、2
神よ、鹿が谷川を慕いあえぐように、我が魂もあなたを慕いあえぐ。我が魂
は乾いているように神を慕い、生ける神を慕う。何時、私は行って神の御顔
を見る事が出来るだろうか。
新しい創造物なる者は、キリストのア ガペ 愛 仰
の の中にあって、彼の信 の
仲 や 敵軍間達 彼の 歩
に向かっても、そして又、神御自身に向かっても いて
行 くでしょう。

彼(神)の良さとあわれみ/慈悲を共に受け取る事
神は、良いお方
神は、彼そのものの本質によって、 良 いお方なのです。

詩編 52:1b
52:1b
あなたはひねもす人を滅ぼす事を企む。
神の良 変 璧
さは、不 の完 良
の中の一つです。彼の み 恵 さは、彼のあわれ と
み によって、全ての彼の創造物に 対 して表現されています。

神のあわれ み 恵み と

罪に満 対
ちている人類に み
しての神のあわれ は、神が自分の息子を私達の
代わりに 死ぬ 与 ために 最 白
えて下さった時に、 も明 にそして又、完全に示
されました。

恵み 定義の の中の一つは :
105
律法に逆らい(それを)曲げる者の上に負わされている罰を差し
控える事


神のあわれ み 益
は、私達の利 必要 訓練
となるために 良
な中で される、神の
さです。

み 富
神は、あわれ ! に んでおられます

エペソ人 2:4
しかるに、哀れみに富む神は、私達を愛して下さったその大きな愛をもって


神は、あわれ 呼 の父と ばれています。

第二コリント人 1:3
ほむべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰
めに満ちたる神。
 恵みによって救われた
恵み 定義 : の は


 応 (
神の人類に ) 恵(
しての分不相 な それを受けるに値しない 恩
厚意)。

それは、彼の偉大な 愛 のもう一つの表現です。

エペソ人 2:5、
2:5、8
罪過に依って死んでいた私達を、キリストと共に生かし¯¯あなた方の救われ
たのは、恵みによるのである¯¯
あなた方の救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは
、あなた方自身から出たものではなく、神の賜物である。
 恵みの御座
今や 堂々 恵み 座 来
、新しい創造物なる者として、私達は と神の の御 に る事
来 が出 るのです。

ヘブル人 4:16
だから、私達は、哀れみを受け、また、恵みに与って時機を得た助けを受け
るために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
神の赦しを共に受け取る事
神は赦します
恵み 神の み 最 赦
とあわれ の も偉大な表現は、彼の しの中に見い出されます

彼の 赦 しは全ての罪人達が、イエスを彼等自身の救い主¯¯彼等の 個 人的身
代わりとして受けいれた時に、彼等一人一人に 差 延べ
し られました。

エペソ人 1:7
106
私達は、御子にあって、神の豊かな恵みの故に、その血による贖い、すなわ
ち、罪過の赦しを受けたのである。
主の赦 告白
しは、信者達が彼らの罪を 差 延べ する時に、信者達に し られま
す。

第一ヨハネ 1:9
もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、
その罪を赦し、すべての不義から私達を清めて下さる。
新約において 赦 :
しとは、以下の事を意味します

~ 遠 送
 から くへ る出す事

 消
負債又は、罪を完全に取り 様 免除 されている に する事

無条件 特別 厚 授 の ~ の (緩
意を ける事、 から解く める、自由にす
や 義 散

) る 事、罪 不 を解放す、又は解 する事

神は赦 忘
し、そして ! れます
彼の赦 しは、私達の罪の 罰則 支払 だ を無 って下さった けでは く、私達の罪
を地の 深 迄
きところ 去 、持ち 決 思 って下さり、 して い出される事も又、再
びそれをもって私達に 立 贖 基
ち向かう事もなされない、イエスの いの業に
づいています。

ヘブル人 8:12
私は、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」

私達は赦さなければならない
神の神たる本質に共に 与 る者として、私達新しい創造物なる者は、他の人
々 対
に し、神のあわれ み 恵み 歩 行
と の中を んで くでしょう。私達は、神が
赦 様 赦
した に すでしょう。

エペソ人 4:32
互に情け深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたを
赦して下さったように、あなた方も互に赦し合いなさい。
 赦し続ける
例えある人が私達に 対 犯 続 して罪を 赦 続
し けたとしても、私達は し けなけ
ればいけないのです。

マタイの福音書 18:21,
18:21,22
そのとき、ペテロがイエスの許に来て言った、「主よ、兄弟が私に対して罪
を犯した場合、幾度赦さねばなりませんか。七度までですか」。イエスは彼
に言われた、「私は七度までとは言わない。七度を七十倍するまでにしなさ
い。
新しい創造物なる者として私達は 赦 来 ぜ す事が出 ます、な ならば、私達は
/
神の神なる本質 性質を共に受ける取る者達 だ 赦 からです。私達は、 す事が

107
出 来 る、そして 赦 さなければいけないのです、な ぜ ならイエスが 赦 された
からです。

 赦すことを選ぶ
赦 選択しは です。それは一つの神に 対 する 忠実 さの 行動 です。私達は、私

達がその 赦 持ちになるまで す事を待ってはいけないのです。私達は神に
従 赦
いそして、 決心 す事を しなければいけないのです、な ぜ ならば、御自
身のあわれみ 恵み と のうちに、神が私達を 赦 して下さっているからなので
す。

イエスは、御自分の 敵達の居る 所 で、十字架 貼 付 に り けられました。彼ら


は彼(イエス)を 激 しく 殴 り、彼に向かってつばを 吐 き、彼をあ ざ けり、彼
について 嘘 をつき、彼の 頭 の上に 茨 冠
の せ
をかぶ 、そして 十字架 刑 の にさ
え 着 けてしまいました。そして、それでも彼が 十字架 につけられている時
でさえ、彼は、彼等のを 赦 しました。

ルカ 23:34a
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼等をお許しください。彼等は何を
しているのか、解らずにいるのです」。
イエスは、私達の 模範 ぜ 赦 です。な なら、彼は しました、そしてその彼は
、私達の 内 許 来
に居られますので、私達もまた す事が出 るのです。

赦 されるために赦 す

この同じイエスが言われました、

マルコ 11:25
また立って祈る時、誰かに対して、何か恨み事があるならば、赦してやりな
さい。そうすれば、天に居ますあなた方の父も、あなた方の過ちを、赦して
くださるであろう。
神の 愛 み
、あわれ 恵み 所有 、そして の神なる本質を しているところのイエ
ス・ 対
キリストにある新しく創造された者として、私達もまた、私達に し
てもしくは、私達の 愛 対 犯 々
する者達に して、罪を してしまった全ての人
を赦せ 赦
るのです。私達は、そのようにして、私達自身が 可能 される事が
に成る 為 赦 令
に、 すことを命 されています。

結論
新創造ぶつとして、私達は私達の 霊 内
の に、命と神の性質を持っています

私達の魂と身体は、私達が彼の息子(御子) 野 イメ ー ジに 適合 されていくに
連 れて、神の神なる本質を共に 与 る者達に成ります。

私達の 行 う部分(パ ー ト)は、神に、私達自身の身体を生きた聖なる 捧げ 物


として 差 し出し、神の言葉のうちに時間をかける(使う)、そして、彼(神の)
先生達の言う事を 聞 くことです、そうすれば、私達の魂が、神の言葉の 黙
示によって、 変 換されるでしょうからです。

108
私達は、神の 義 、聖 別 か、 愛 、そして 良 さの共に 与 る者達になる べ き者な
のです。

私達は、私達が彼(主)の 様 に他の人 々 赦
を す者達に成るまで、彼のあわれ
み そして、 恵み を共に受け取る べ きなのです。

新しい創造物なる者として、私達の 霊 は、神の神なる本質の 譲渡 を受け取


りました。

私達の魂と身体は、私達の命/ 霊 有
に る神の言葉の 変 換の力によって、神か
らの性質の共に 与 る者達に成って 行 きます。

復習のための質問
1.私達が神の神なる性質/本質を共に受け取る者達に成る事が出 来 様
る に成る 為 過程(プ
の ロ
セ ス)を記 述
しなさい。

2.貴方が、神の神なる本質を共に 与 る者となるに 連 れて、他の人達に 対 しての貴方の態 度


や 、人との 関係 、そして 行動 の中で、貴方は何が 変 わるかを 期 待する事が出 来 ますか ?

3.何 故 私達が、私達に 対 して罪を 犯 してしまった全ての人を 赦 す事が 重要 なのでしょうか


109
レッスン 10
神の言葉と新しい創造物
神の言葉
紹介
新しい創造物なる者の 黙 示は、神の言葉の中に見い出されます。彼(神)の
言葉は、イエスとそして、私達の(主にある) 立場 を表します。私達の魂と
身体の 変
換は、神の言葉の力を通して私達の 思考 更 の 新によっての み来 る
事が 可能です。

この 変 過程(行程)
換の は、私達が神の言葉を 黙想( デメ ィテイト)して 行 く時
に、神が私達を見る 様 に、自分自身を 心に目で見える 様 描 に く時に 来ます
。私達が、神の言葉を自分自身の上に何 度 度
も何 も宣言し始める時に、私
達の 想像が神と同じ様 なイメ ー ジを 形付け始めるでしょう。私達の信 仰 が
解放され、そして私達は、自分達が御子にあっての新しい創造物として、
神が私達について言っているところの全てに成っている事、 行 っている事
、そして 所有 している事を見始めるでしょう。

イエス、生きている言葉
イエスと御言葉は一つです。彼の言葉を知る事は、彼を知る事です。

ヨハネの福音書 1:1,
1:1,14
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
そして言葉は肉体となり、私達のうちに宿った。私達はその栄光を見た。そ
れは父の一人子としての栄光であって、恵みと誠とに満ちていた。
イエスは、神の言葉です、そしてその言葉は、イエスの 黙 示です。イエス
は、聖書の中の全ての本に表されています。御言葉を 黙想 するという事は
、丁度 訪問
、イエスを する事と同じです。イエスが私達に表される時、私
達は彼の様 に成るのです。

第一ヨハネ 3:2
愛する者達よ。私達は今や神の子である。しかし、私達がどうなるのか、ま
だ明らかではない。彼が、現れる時、私達は、自分達が彼に似るものとなる
ことを知っている。その誠の御姿を見るからである。
私達が、新しい創造物としての人生を変 黙 発 える 示を 見するのは、神の言
葉を理解する事を通してです。

神の霊感によって与えられた
聖書は、神によって書かれました。それは、その時代を通して 多 くの人達
によって書かれた本の 収集 という だ けではなく、又それは、神の息がかか
った物、そして神の 霊 感によるものです。

第二テモテ 3:16,
3:16,17

110
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、
正しく、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良い
業に対して十分な準備ができて、完全に整えられた者になるのである。
“神の 霊 感”と 訳 されている本 来 の言葉は、“神が息をした/かけた”という意

味です。神が、彼の息をアダムに 吹 きかけた時、アダムは生きた魂と成り
ました。アダムは、彼の 内 に神御自身そのものの命を持っていました。

同じ 様 に、神は彼の命を
彼の言葉の中に息を 吹 きかけました。神の言葉は、 決 して 誤 無
り く完 璧 で
す、な ぜ 霊
ならそれは聖 霊 吹 込 によって、 感が き まれているからです。

第二ペテロ 1:20
1:20,21
聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、先ず第一に知る
べきである。なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人
々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
生きていて力に満ちている
神の言葉は、神の命と共に生きています。神の言葉は、神の聖 霊 依 の力に
って、私達の人生を 変 強 えるのに 大です。

ヘブル人 4:12
というのは、神の言葉は生きていて、力があり、もろ刃の剣よりも鋭くで、
精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いと志と
を見分けることができる。
神の命を含んでいる
神の言葉に 吹 込 き 日 様
まれている神の命は、それが書かれた時と同じ の に
、 今 尚も 同じ神の臨在と力を持って生きています。神の命は、神の言葉の
内 に居り、又その神の言葉の中で時間を (十 ) 々 分 かけるところの人 の命の
中に 流 続 れ けます。

箴言 4:20
4:20-22
我が子よ、私の言葉に心をとめ、私の語ることに耳を傾けよ。それを、あな
たの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命で
あり、またその全身を健やかにするからである。
御言葉によって生きる事
新しい創造物なる者は、神の言葉によって生きます。

マタイの福音書 4:4
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口
から出る一つ一つの言葉で生きるものである』と書いてある」。
新しい創造物というのは、御言葉の中で生き、そして御言葉の中に 昼 夜 も
も留 べ まる き者です。

111
ヨシュア書 1:8
この律法の書をあなたの口から話すことなく、昼も夜もそれを思い、そのう
ちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そう
するならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
打ち負かす御言葉
読み 黙想
私達が 告白
、 し、信じ、 行動 し、そして神の生きている御言葉を

に移して ペソ 市内 起 様 打
く時に、それが、エ の で きた に ち勝つでしょう

パウロは、ティ ラナ 学校 日々 スの 教
で、 神の言葉を えました。

使徒の働き 19:10
19:10-12
それが二年間喪続いたので、アジアに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシャ
人も皆、主の言葉を聞いた。神はパウロの手によって、異常な力ある業を次
々になされた。たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを
取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
パウロがエ ペソ 教
で、御言葉を 述べ伝 続 行 連
えそして、 え けて くに れて、
力に満 来 起 続
ちた出 事が き きました。

使徒の働き 19:17-
19:17-20
このことがエペソに住むすべてのユダヤ人やギリシャ人に知れわたって、皆
恐怖に襲われ、そして、主イエスの名があがめられた。また信者になった者
が大勢来て、自分の行為を打ち明けて告白した。それから、魔術を行ってい
た多くの者が、魔術の本のを持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。
その値段を総計したところ、銀五万にも上がることがわかった。このように
して、主の言葉はますます盛んに広まり、また力を増し加えていった。
もし私達が、神の言葉に 繋 読み がって 昼 夜 黙想、その御言葉を も も し、信
じ、口 から出して言う、そして大胆にそれを 行動 に移すならば、その神の
言葉の 黙 示が、力強 長 く大きく成 町
し、私達の生活の中で、そして私達の
々 ペソ
でも、エ 諸国 起 様 打
とアジアの で きた に、 ち勝つ事でしょう。

私達の生活の中での御言葉の重要さ
私達の霊 に食べさせよ

神の言葉は、私達の 霊 仰 与に信 を分け 互


え、そしてそれは私達の神とお い

に 愛 立 げ
しての を て上 霊 食べ せ
ます。新しい創造物の に さ ている神の言
葉は、肉体を 養 食べ うために 普 食 遥
ている 切 通の 物より かに大 なのです。

ヨブ記 23:12
私は彼のくちびるの命令に背かず、その口の言葉をわたしの胸に蓄えた。
エレミヤ書 15:16a
私は御言葉を与えられて、それを食べました。
マタイの福音書 4:4
112
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口
から出る一つ一つの言葉で生きるものである』と書いてある」。
承認をもたらす
神は、パウロがテ モ テに 指導 したと同じ 様 に、私達に彼の言葉を 学 び、そ
して知る事を 期 待しておられます。

第二テモテ 2:15
あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない練達した働き人にな
って、神に自分をささげるように努め励みなさい。
私達の信仰を立て上げる
仰信 は、神の言葉を 読む 聞 事と、そして 来 くことによって るのです。

ローマ書 10:17
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉か
ら来るのである。
仰信 が、御言葉を聞 来くことによって 仰 話 告白
た時、その信 が、 し出し、
し、そして神の言葉を 真 (断 )理として宣言 言 しはじめるでしょう。

神の言葉を黙想(口ずさむ、思い巡らす)する事
私達が神の言葉の上に、 ・・・ 背景 欠乏( 足)や 能 欠乏や
私達の 、 不 、 力の
状況や
、 、そして問題 黙想
等にではなく、 重要 する事は です。もし私達が
、これ等の マ ナ イ 思考
スな事の下に私達の 続 を持ち けるならば、私達の知

性は 新される事が出 来 せ ま ん。

ピリピ人 4:8,
4:8,9
最後に、兄弟たちよ。すべて真実な事、すべて尊ぶべき事、すべて正しい事
、すべて純真な事、すべて愛すべき事、すべて誉れあること、また徳といわ
れるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心に留めなさい。あ
なた方が、私から学んだ事、受けた事、聞いた事、見た事、これらを実行し
なさい。そうすれば、平和の神が、あなた方と共に居ますであろう。
神の言葉を 黙想 更
する事が、私達の知性の 変 新によって 換されているため
鍵の です。

詩編 1:1-
1:1-3
悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に座らぬ人
は幸いである。このような人は主の掟を喜び、昼も夜もその掟を思う。この
ような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もし
ぼまないように、そのなすところは皆栄える。
新しい創造物なる人として、神の言葉を 昼 夜 黙想 連 も も するに れ彼の、又
は彼女の人生の中で 変 起 換が きます。

3節 は、人が神の言葉を 黙想 続 来し 四 結果
けるときに生じて るところの つの
与を えます。

113
安定性(堅実性)¯ 彼らの 根源 は、一 貫 した( 途切 れない)生きる 水
供給

の を持つでしょう。

 実りの豊富さ¯ 彼等は、その 季節 合 に った 実 実 せ
を ら るでしょ
う。

信頼性¯  それらの(彼らの)葉は、 枯 れることは 無 いでしょう。

繁栄¯  彼らのするどんな事も、 繁栄 するでしょう。

私達の知性を更新する事のために
黙想
私達が神の言葉を するに 従 って、私達は、私達の知性の 更 新により 変
換されます。

ローマ人 12:2a
あなた方は、この世と妥協してはならない。
神の言葉を黙想 変 起 する事によって、 換が きます。私達の魂(知性、感 情 、
そして意志) 瞬 霊
は、救いの 間に私達の が成ったように、 変 換されたものに
なります。

ソ モ ロ ン王は、書きました。

箴言 23:7a
(彼は心のうちで勘定する人のように、「食え、飲め」とあなたに言うけれど
も)、その心はあなたに真実ではない。 *日 語 英語 文法 ( 本 と の に違いに
より書かれている 行 前後 の順番が しています。)

私達が神の言葉を 黙想 連 変 ( モーフォー ) 起
するに れて、 身 メタ シス が きま
す。私達の古い魂の性質である 青虫 美 蝶 変 行 が、 しい に 換されて くように
、キリスト自身のイメ ー 適合 ジに されるのです。

メ デ ィテイション (黙想) が、意味するのは

 集中する
私達が、神の言葉を 黙想 連
するに れ、私達は神が 話 された御言葉に 対 して
、全ての 注 目に全神 経 集
を 中します。私達は、それらの御言葉を何 度 も何
度 も、自分達自身に 繰 返 語
り し ります。

 目で見る 様 描 Visualize
に く( )

私達が、神の言葉を 黙想 続 し けていく時に、私達は新しい創造
様 描

物とされた者を目で見る に き始めます。私達は、神が私達
を見る 様に、自分達自身を見始めます。

 ( )
私達は、彼 神 がこうで 有 ると言われている者に成っている。

 私達は、彼が私達に出 来 ると言われているところの事をしてい
る。

 私達は、彼が 所有 する事が出 来 ると言われているところの事を


持っている。

114
使徒パウロはテ モ テに、彼が御言葉を 黙想 して 行 くに 従 って、彼の 進歩 は
、全てに対 して明らかに成るであろうという事を書いた。

第一テモテ 4:15
これらの事を黙想しなさい;すべての事にあなたの進歩が表れるため、これ
らの事を実行し、それをすることに励みなさい。
ヨ ュ
シ アは、先ず初 昼 夜 黙想 べ
めに私達が、 も も御言葉を する きである、
それから私達は、その御言葉が言っている事をするべ 最後 きでり、そして
に、私達の道が 繁栄 良 功 されて、そして私達は、 い成 を得るであろうとい
う事を書きました。

ヨシュア記 1:8
この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのう
ちに記されている事を、ことごとく守って行われなければならない。そうす
るならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
私達が、イエスである彼 其 描 の物を目に ( ) き始めていく時に、私達が彼 主
にあっての新しい創造物であるという事を理解し始め、私達は自分達自身
( )
を彼 主 と同じ者として見始めるでしょう。 ヨハネ ( ) は、私達は彼 主 と似た
者に成るであろうという事を書きました。何と 素晴 束 ! らしい約 でしょう

第一ヨハネ 3:2
愛する者達よ。私達は今や神の子である。しかし、私達がどうなるのか、ま
だ明らかではない。彼が現れるとき、私達は、自分達が彼に似るものとなる
ことを知っている。その誠の御姿を見るからである。
私達が黙想 連するに れ、私達は神の言葉が、私達について言っていること
度 度 繰 返
を何 も何 も り 実
し、それが私達の人生の中で現 と成るまで、言い
続 けるでしょう。

 ぶつぶつとつぶやく/何度も口ずさむ事
ヘ ル語
ブ デ
の言葉のメ (黙想) 度 繰 返 口 む
ィテイト は、「何 も り して ずさ 、
呟 様く に言う事」を意味します。私達が、自分自身に何 度 度 も何 も神の言
繰 返
葉を り 口して、 だ ずさん り、もしくは、宣言していく時にそれが、神
の言葉の力を私達の生活の中での 行動( 動) 言 に解き放されます。

イザヤ書 59:21
主は言われる、「私が彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にある我
が霊、あなたの口においた我が言葉は、今から後とこしえに、あなたの口か
ら、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れる事はない」と

私達が、神の言葉を自分自身に 繰 返 口 だ り 行 し ずさん り、又宣言して くに
連 れて私達は、其 心( ) 消
の御言葉が、私達の 無 刻印 様 知性 に える事の い の

な感 になっているので、それを 暗 発
記してしまっているという事を 見す
るでしょう。

115
 想像する(心に描く)
私達が、神の言葉の新しい創造物なる者の 真理について 黙想 続 し けていく
に 連 れて、私達の 想 像することが、“神”¯¯の 様 想
な 像から 来 るように、解
き放されます。私達は神の 想 う事 や考 える事を 思 い、そして神の目を通し
て新しい創造物として私達自身を見始めます。

イザヤ書 55:8~
55:8~9
我が思いは、あなた方の思いとは異なり、わが道は、あなた方の道とは異な
っている¯¯と主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなた方
の道よりも高く、我が思いは、あなた方の思いよりも高い。
 抱含する
私達は、神の知 恵 黙 包含 と 示を 、又は理解し始めるでしょう。

エペソ人 1:17,
1:17,18
どうか、私達の主イエス・キリストの神、栄光の父が。知恵と啓示との霊を
あなた方に賜って神を認めさせ、あなた方の心の目を明らかにして下さるよ
うに、そして、あなた方が神に召されていだいている望みがどんなものであ
るか、聖徒達が継ぐべき神の国が如何に栄光に富んだものであるか、
神の言葉
神の言葉に使われている新約の ギ リシ ャ語 の中に、 二 つの 重要 な言葉が 有
ります。

一つ目は、 ロゴス 文字
、 に書かれている神の言葉です。 二 つ目は、 レイマ
、 語 られた神の言葉です。

 ロゴス
ロ ゴ スは、聖書全体に使われている言い方( 専門用語) です。それは、彼(神)
の 民 の全てに 与 えられている、神の 普 通の 一 ( 般 )
的な 言葉です。

 レイマ
レイ マ は、貴方に、 個 人的に 語 られた神の言葉です。

レイ マ は、私達がロ ゴ スを 黙想 している時に、聖 霊 から 来 黙 る 示によって


私達に、 個 人的に 来 るところの超自然的な 開化 です。

レイ マ 来 が た時、それはまるで私達の 霊 に光が 入 込
り んで 来 るかのようで
す。私達は、神が私達に 個 人的に 語 られた事を知ります。それは聖 霊 によ
って、私達に 個 人的に 開化 されたところのロ ゴ スの言葉であるレイ マ が、
仰 私達の信 を解き放します。

神の言葉を宣言する事の力
使徒パウロは、信仰は聞くこと、神の言葉を聞くことによって来るという
事を書きました。私達は、私達自身に対して、それを読む事、私達自身に
それを繰り返して言う事、そして正しい(良い)教えを通ることによって、
神の言葉を聞きます。
116
もし私達の生活の中で或る特定の必要が有るならば、私達はその必要に答
えるところの節を神の言葉の中に見つけて、そしてそれらを再三読むべき
なのです。
信仰は聞くことから来る、そして「神のレイマ=語られた言葉」を聞くこと
から来るのです。
私達が、これ等の節を繰り返し何度も読み又、引用していく時に、それら
は突然、私達が立たされている状況よりも、私達にとってより一層現実に
なります。信仰が来たのです。
ロゴスの言葉は、聖霊によって私達の霊にそれが現され、そして語られた
時に、神の個人的なレイマの言葉になります。私達が、其の黙示を受け取
ると直ぐに(速効で)信仰が私達の霊の中に、喜び、飛び込みます。
ローマ人 10:17
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉か
ら来るのである。
神のレイマによって、私達の理解が開化されるに連れて、私達の内に在る
私達が、実際何者で有るのかという知識が入って来るでしょう。私達は、
新しい創造物なる者に、変換されるでしょう。
神の言葉を宣言する事
神のレイマを宣言する行動は、又神の言葉の告白とも呼ばれています。ギ
リシャ語で告白は、“ホモ・ロゲオ”(homo‐logeo)と訳されています。
神の言葉を告白することは・・・・(以下)を意味します。
 ~同じ事をはなすこと
 ~と同意すること
 ~と一致していること
これが、私達が福音の黙示のレイマを受け取った時に、私達各々に起きた
事なのです。
私達は、イエスが神の息子である事、彼が私達の身代わりに死んで下さっ
たという事、そして彼が死人の中から甦られたという事を信じました、そ
して告白しました。
ローマ人10:9,
:9,10
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人
の中からイエスを甦らせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、死
とは心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
 私は信じる¯¯私は語る
私達が信じる瞬間に、私達自分自身に現された事を悟り、告白するべきな
のです。
そこには、信仰の霊が在り、そして其の霊は言います、「私は信じる、それ
故私は語る!」
117
第二コリント人 4:13
「私は信じた。それゆえに語った」と記してあるとおり、それと同じ信仰の霊
をもっているので、私達も信じている。それゆえに語るのである。
 誤解されている告白
多くの者は、この真理を誤解してしまい、そして彼等が望んでいたところ
の事を何度も何度も告白する事を試みてしまったのです。彼等は、神に無
理やり彼等自身の願望を満足させようとする企ての中、彼らの願望を支持(
サポート)する様に思えるところの聖書の箇所を調べたのです。
それは、神が私達に個人的に語ってそして、現して下さったところのレイ
マを告白するのです、それこそが(神の律法による)合法的に、私達のもの
である事を大胆に告白し、そして要求(請求)するために、私達の信仰を解
き放して下さるであろうところのことなのです。私達が新しい創造物なる
者として、大胆に宣言するべきなのは、レイマなのです。私達がこれ等の“
神から与えられらた”言葉を語っていくに連れて、(神の)強力な出来事が起
こり始まるのです。
 神は言葉を口から出す事によって創造した
私達は、神のイメージによって創造されました。神が創造者であり、そし
て彼は言葉を話すことによって創造しました。
ヘブル人 11:3
信仰によって、私達は、この世界が神の言葉で造られたのであり、従って、
見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
私達は、“そして神は言われた”というフレイズが何回も繰る返されている
創世記の最初の章の中で、行動に現されている髪の創造の力を見ます。
私達は語る事によって創造する
私達は、新しい創造物なる者として、又私達が話す言葉によって創造しま
す。
箴言 18:20
18:20
人は自分の言葉の喜ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって
自ら飽きる。
 舌の力(影響力)
新しい創造物として、神のイメージによって創造されている私達は、言葉
によって創造します。其の舌の力(口から出す言葉の力)によって、私達は
命の言葉か、それとも死の言葉かのどちらかを解き放します。
新しい創造物なる者として私達は、私達の口を守らなければならないので
す、そして何を言うか気を付けなくてはならないのです。私達は、私達の
話し方を変える必要が有るのかも知れません。
もはや私達は、死から来る否定的言葉や悪を私達の口から来たらすべきで
はないのです。
118
御言葉を宣言する事
私達が、神の言葉を黙想するに連れ、信仰が私達の霊の中に喜び跳び込ん
で来るでしょう;そして、神が彼の言葉の内に語って下さった、其のこと
を宣言するでしょう。
第一ペテロ 4:11a (NIV/ニュウインターナショナル訳、*直訳)
もし誰であれ話すなら、彼らは神の言葉そのものを話す者としてそうするべ
びである。
 山に向かって言う
イエスは、語る(口に出して言う)信仰の重要さを現しました。
マルコの福音書 11:22~
11:22~24
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。誰で
もこの山に、動き出して、海の中に入れと言い、その言った事は必ず成ると
、心に疑わないで信じるなら、その通りに成るであろう。そこで、あなた方
に言うが、何でも祈り求める事は、すでにかなえられたと信じなさい。そう
すれば、その通りに成るであろう。
 私達が受け取る事を信じなさい
私達が、私達の新しい創造された霊の内に神のレイマの黙示を受け取った
時、私達は神が私達に語った事を受け取るという事を私達は信じるでしょ
う。私達は、私達の生活の中に有る、状況の山に向かって言い始めるでし
ょう。新しい創造物ある人は、彼(その人)が口で告白する事を得るでしょ
う。
新しく神によって創造された物の宣言
新しい創造物の黙示を受け取ったそれらの人々は、彼らの新しい創造物な
る者の権利と特典(特権)を宣言し始めるでしょう。
大胆に宣言する
私は、イエスキリストにあって、自分が何者であるか知っている!
私は、新しい神の創造物なる者である! 古いものは過ぎ去った!
全ての物/事は新しくなった!
私はイエスキリストにあって、神の義である!
なので今や罪に定められる事は無い、なぜなら私は、イエスキリストの内
にあるからです!
私は、アブラハムの信仰の種である、全てのアブラハムの神によって約束
された祝福は、私の物です。神は、私に恐れの霊を与えたのではなく、力
と、愛と、そして健全な誠心を下さっている!
私は、私を強くして下さる救い主を通して、全ての事をする事が出来る!
イエスがなされた業は、私も又する事が出来る! 主の喜びが私の力です!
御言葉は言っています、“弱い者に私は強いと言わせよ”だから私は、強い!
確かにイエスは、私の病気も、流行病/病癖、そして痛み/苦しみも、其の身
に負って下さった、だから私がもうこれ以上自分の身に受けなくて良いの
119
だ! イエスの打ち傷によって、私は癒されている!
これ等の流行病の何一つ、私にふりかかって来ることは無い!
これ等の全ての上に、私が繁栄しそして、健康であることが、神の御心で
ある!
私の神は、私の必要の一切を彼の栄光の内にある富に従って、補充(満た)
してくださる! 私に富を得る力を下さっているのは、かみである!
私は、神に捧げました、そして彼(神)は、私に満杯にそして、量を超え溢
れる程に、彼の経済的繁栄を倍増し与え返して下さる!
私が蒔いた物は何であれ、それを又私は刈り取る!
私は入る時にも祝福されて、出て行く時にも祝福される!
私が手を懸けてする仕事は何であれ、神によって祝福される!
私は滅ぼされない!
私は、イエスキリストにあって、新しく創造されたものである!
結論(最後に)
私達が神の言葉を読み、聞き、学び、そして黙想するに連れて、信仰が私
達の心に設立します。
其の御言葉を話す(語る)様に宣言します。
神の言葉は生きていて力強いのです。それは、神の命が入っています。私
達が、新しい創造物なる者としての黙示を宣言していく時に、私達は神の
性質に与る者と成るのです。私達が神の言葉の黙示を宣言し続けて行く時
、私達は、新しい創造物として自分自身を見い出します。
神が、「私達は、・・・・である」と言うところの全てであること。
神が、「私達はする事が出来る」というところの全てをする事、そして神が
、「私達が所有することが出来る」と言うところの全てを所有すること。新
しい創造物なる者の黙示が、私達の生活の中で現実に成ります!
復習のための質問
1. 私達は、どの様にして、神の言葉を黙想するべきか記述しなさい。

2. ロゴスとレイマの違いを記述しなさい。

3. 何故神の言葉を 貴方の口から宣言し、語る、又は告白する事が重要なのですか?
120

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