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Antonin Raymond 3
Antonin Raymond 3
西 日本 にお け る民 家 の 地 理 学 的考 察
-屋 根 を 中 心 と し て-
杉 本 尚 次
は じ め に
民 家 の地 理 学 的 研 究 は,す で に 内 外 諸 先学 に よっ て集 落 地 理 研 究 の 片 隅 に 付 加 的 に
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取 扱 っ た ものか ら,集 落 構 成 要 素 と して の 民家 自体 を独 自の テ ー マ と して 研 究 した も
の に至 る まで 数 多 くの 業 績 をあ げ て い る 。民 家 は地 理 学 の み な らず,建 築 学 ・民 俗 学
・社 会学 な ど隣 接 諸 科 学 か ら も各 々の 視 点 に立 っ た考 察 が な され,特 に 戦 後 に お け る
地 方研 究 の進 展 は 著 しい もの が あ る。 ま た民 家 は 変 化 す る生 活 設 計 の 一大 要素 で もあ
り,古 い姿 が 失 わ れ つ つ あ る今 日,早 急 な調 査 が 望 まれ る。 最 近 各 地 各 分 野研 究者 の
協 力,例 えば 民 家 研 究 会 や地 理 学 ・民俗 学 ・建 築 学 な どが 共 同 で 民 家 研 究 を 推進 すべ
き こ とが 提 唱 され て い る。(1)地
理 学 と して は,家 屋 自体 を屋 根 ・間 取 な ど各 構 成要 素 に
分 解 し,(2)各
指 標 の 自然 との 直接 的 関連 や 広 義 の生 活 様 式(経 済 的 ・社 会 的 側 面)と の
関 係,残 は 瓦 葺 や 養 蚕 の盛 衰 な ど生 活 機能 の変 化 に よ って 形 態 が 改 良 を うけ 一地 域 型
い で 各 構 成 要 素 分布 圏 の 重 ね合 せ(総 合)な どの 繰 作 を経 て 民 家 の 地 域 的性 格 を 抽 出
筆 者 は 先 に ほ ぼ 同様 の 方法 で 近 畿 地 域 につ い て の 報 告(3)や(4)小
地 域 のintensiveな 研究
を 行 った が,本 報 告 で は対 象 地 域 を拡 大 して 西 日本 全 域 に わ た り巨 視 的展 望 を試 み た
合 と して の 地 域 区 分 の 問 題 は 別 の機 会 に報 告 した い 。
1 調 査 地域 と調 査 方 法
州 地 域 ・沖繩 ・八 重 山諸 島 を含 む 周 辺 島 嶼 を包 括 した 所 謂 日本 列 島 の西 南 部 全 域 で あ
る 。 対 象 は 農 山漁 村 の一 般 民 家 で あ り,都 市 住 宅 ・寺 社 ・公共 建築 物 は除 外 した 。 調
計384村 落 を有 意 抽 出 した 。
総 計3600地 点 にて 写 真 撮 影 し,分 類考 察 した 。
活 その 他 との 関連 を も把 握 す べ く,各 種 統 計 資 料 を活 用 した 。調 査 地 域 が 西 日本 とい
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う 広 大 な地 域 で あ り,未 調 査 地 域 も多 く,空 白 地 域 は 隣接 諸 科学 を も含 め た諸 先 学 の
研 究 資料 を数 多 く引用 した 。
調 査 は1953-1956年 に実 施 した もの が 主 体 をな して い る。
2 屋 根
民 家 の 外 観 上 最 も注 目 され るの は 屋根 で あ る。 これ を問 題 とす る場 合,屋 根 葺 材料
と 屋 根 型 が 重 要 な 構 成 要 素 とな る。
(1) 屋 根 葺 材 料
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ス レー ト(石)な どが 列挙 され る。
得 易 さ と共 に 防寒 防 暑 的 で あ り,過 去 に 於 て は 茅 が 最 も普 遍 的 に 用 い られ た と考 え ら
治 以降 共 有 林 の分 割,私 有 化 や 開 墾 植 林 な どの 進 展 の 結果,減 少 の一 途 をた ど って い
講 な どの 葺 換作 業 を 中心 とす る諸 慣 習(6)も
根 強 く保 存 され て い る場 合 が 多 い 。 即 ち材 料
が 容 易 に豊 富 に得 られ る奥 まった 山 間 部 や 山 深 い 離 島 に 顕 著 に 残 存 して い る。一 方平
野 部 で は 階 層 的 に 上 層 を 占 め る 旧家 な どで 茅 が 用 い られ る程 度 にす ぎ な い 。茅 の減 少
は 当 然 他 の材 料 へ の 変化 を促 す るが,草 葺 を継 続 して 麦 稗葺 に 変 化す る地 域 と瓦 葺 化
い 離 島 で は一 部 に 砂糖 黍 の搾 殻 を使 用 して お り,甘 蔗 栽 培 を主 とす る当 地域 の 生活 の
一 端 が 窺 え る。
好 景 気 を背 景 と して,瓦,ト タン な ど文 化 的 材 料 が 著 し く増 加 し,地 域 的 に は 山間 部
か ら平 野 ・海 岸 ・都 市 地 域 に至 る ほ ど草 葺 の 減 少 が 激 しい 。
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葺 は熊 野 川上 流 か ら紀 ノ川 上 流域 に 至 る紀 和 山地 ・丹 波 高 原 ・中 国 山 地 ・
吉 野川 上 流
か ら剣 山 周 辺 に 至 る四 国 山地 ・高 千 穂か ら椎 葉 ・五 家 荘 に 至 る九 州 山地 ・離 島の 隠 岐
島 後 ・屋 久 島 な どに 主 要 分 布 を 示 し,中 国 山地 で は栗 材 を そい だ 枌 葺 が,他 で は杉 皮
葺 と,杉 材 を そい だ 柾 葺 が 卓 越 して い る。
板 葺 も日本 民 家 の 古 い 形 式 で,(7)江
戸初 期 に は町 屋 に用 い られ,か って は 平 野地 域 で
も用 い られ た が,現 在 で は 隔 絶 的 山 間部 と島嶼 を 中心 に分 布 す る。 これ ら板 葺 卓 越 地
域 で あ り,素 材 の 得 易 さ と共 に 重要 な 因子 と考 え られ る。
石 置 屋 根 は 板 葺 の 押 え で あ る石 を 並べ た もの で,熊 野 灘 沿 岸 か ら熊 野 川 中流 域 ・中
国 山地 三 瓶 山周 辺 の 山村 ・隠 岐 島
後 の 山 間部 ・五 島列 島 ・屋 久 島 な
ど石 に富 む 渓 谷 や(谷 風)・ 島嶼 に
多 く分布 す る。石 は 円礫 よ り角 礫
が 多 く用 い られ,特 に屋 久 島 で は
全 戸 の60-70%は 石 置 屋 根 で,3
寸 勾 配 の傾 斜 面 に 杉 平木 で葺 き,
竹 を のせ,石 を屋 根 一 面 に 並 べ て
第2図 杉 平 木 葺 ・石 置 屋 根
押 え た 典 型 的 な もの で あ る。全 国 (屋久 島吉田部落)
的 に は北 海 道 南 西 部 海 岸 ・下 北 半 島 東 岸 ・三 陸海 岸 ・佐 渡 島 ・日本 海 岸 羽 越 沿 線 ・直
江津 付 近 ・上 越 沿 線 ・八 ヶ岳 周 辺 ・木 曾 谷 な ど,谷 風 及 至 は風 雪 の 強 い地 域 に 多 くみ
られ る よ うで あ る。 板 葺 は 平 均10-15年,多 雨 な屋 久 島 な どで は8年 程 度 で 耐 久性 は
な ど瓦 葺 に まで 変 え る余 力 な き階 層 に 利 用 さ れ る傾 向 が強 い 。 また 奄 美 群 島 の 場 合,
天水 利 用 の面 か ら集 水 に 至 便 な トタ ンが 導 入 さ れ た こ と も見 逃 せ な い。
(C) 瓦 葺 瓦 葺 は 都 市 及 び 都 市 的 色彩 の強 い近 郊 平 野 ・海 岸 地 域 と瓦 生 産地 帯 に
分 布 が 顕 著 で あ る。 瓦 は 維 新 後 一 般 に 普 及 し,(9)都
市 的傾 向大 な る地 域 は,経 済 力 と交
通 至 便 な点 に 於 て,高 価 だ が不 燃性 で耐 久 力 に富 み 外 観 に も優 れ た 瓦 を採 用 した の で
あ る。 和 泉 平 野 ・淡 路 島 ・播 磨 平 野 ・石 見 海 岸 部 ・讃 岐 平 野 ・佐 賀 平 野 な どの瓦 葺 卓
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て い る。 中 で も和 泉平 野 や 淡 蹄 島 は 良 質 の粘 土(10)や
河 川,山 地 よ りの 燃 料 の供 給 と相 俟
の 代 表 的地 域 を な して い る。 海 岸 地 帯 で は 集 落 密集 し,風 な どの 自然 的 制約 か ら瓦 葺
シ ユ ロ繩 で 覆 う所 もあ り,こ の 方 法 は,か な の低 い階 層 に も行 え る手 隣 で あ る こ とを
示 して い る 。 これ ら の耐 風 設 備 は 草葺 に も網 を用 い た り,斜 面 を割 竹 で補 強 す る な ど
各 種 の 方 法 が 講 ぜ られ,こ れ ら は
岬 端 部 や 台 風 通 過 堆域 に 当 る 島嶼
ほ ど著 し く,外 洋 暴風 地 域 の共 通
性 を示 して い る。
沖 繩 で は,反 りを もつ 中 国 風 の
美 しい 本 葺 赤 瓦 屋 根 が 特 徴 的 で,
白 漆 喰 を厚 くぬ り固 め て 重量 感 に
富 ん だ 様 相 を 呈 して い る。 こ の タ
第3図 中国 風 の赤 瓦 屋根(白 漆 喰 で 固
め る)(与 論島茶花) イ プは 沖 繩 本 島 を中 心 に 与論 ・沖
永 良 部 ・徳 之 島 に ま で 分布 して お り,大 陸 文 化 の影 響 と共 に 耐 風構 造 の 面 で 南西 諸 島
の風 土 に 適 した 形 態 で あ る と思 われ る。 山陰 海 岸 か ら若 狭 に か け て の 日本 海 側斜 面 か
ら湖 北 に 至 る地域 で は,雪 に対 す る施 設 が 顕 著 で あ る。 ま ず 「雪 止 め 瓦」 或 は 「丸 太
但 馬 山 間部 や 湖北 な どで は2-3列 に も雪 止 め 瓦 を 施 して い る。 なお,丸 太 式 雪 止 め
は 分布 縁辺 部 や経 済 的 に 余 裕 な き民 家 に 多 く採 用 され る よ うで あ る 。
山 陰 海岸 で は艶 の あ る 「石 見 の 赤 瓦 」 が 景 観 に 一大 特 色 を与 え て い る。 これ は 宍 道
湖岸 来 待 産 の黒 来 待 石 粉 や 温 泉 津 の 金 生 粉 を溶 い た釉 薬 を用 い た飴 色 瓦 で,素 焼 瓦 の
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如 く水 分 を吸 収 せ ず,山 陰 地 域 で は 冬季 季 節風 に加 えて 凍 雪 破 損 を防 ぐ利 点 を持 って
お り,山 陰 地 域 に適 した もの と考 え られ る 。詳 細 に石 見 赤 瓦 の 分 布 を み れ ば,生 産 中
以 上 の卓 越 地 域 を示 し,(15)県
下 の 海 岸 部 を 中心 に 隠岐 島(70-80%)・ 山 口県 ・鳥取 県
へ 延 び,西 条 盆 地 ・津 山盆 地 な ど広 島 ・岡 山県 北 部,西 へ は対 馬 ・壱 岐,東 で は 河 川
沿 い に但 馬 山 間 部 か ら市 川 上流 ・丹 後半 島 に至 り,北 四 国 ・北 九 州 に も分 布 し,分 布
周 辺 部 で は棟 瓦 や 付 属 舎 に 用 い られ て い る。 か くの如 く分 布 地 域 は か な り広 範 囲 に わ
た るぶ,山 陰 とほ ぼ 類 似 した 性格 を有 す る地 域 に採 用 され て い る こ とが 指 摘 され るの
で あ る。 販 路 は 島 根 県 の 農 山 漁 村 を 第1に 鳥 取 ・山 口 ・兵 庫 ・岡 山 ・広 島 と隣 接 地 域
布 を拡 大 した と考 え られ,赤 瓦 の分 布 は 自然 的 条 件 の み で な く,交 通 との 関連 や 経 済
上 の理 由 も見 逃 せ ぬ もの で あ る。
山 間 部 で は 一 般 に 草葺,板 葺 の分 布 領 域 で あ るが,円 山 川 上流 山 間部 は例 外 的 瓦 葺
塗 込 式 卯 立 の 構 造 もみ られ,火 災 を考 慮 した 点 も考 え られ るが,当 地 域 は西 日本 随 一
れ,経 済 的余 裕 と相 俟 って 瓦 が 普 及 した もの で あ ろ う。
節 理 を持 つ 火 成岩 で,西 日本 で は対 馬 に み られ る。 しか し多 くの場 合 小 屋 に使 用 され
俗 謡 に ま で 歌 わ れ て い る。
(2) 屋 根 型(草 葺)
屋 根 の形 態 的 な分 類 は,寄 棟 ・入 母 屋 ・切 妻 に三 大 別 され るが,西 日本 で は これ ら
基 本 型 の他 に,切 妻 か ら発 達 せ る大 和 棟 ・寄 棟 と関 連 深 い 円錐 屋 根 ・変 形 或 は組 合 せ
して い る。
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(a) 寄 棟 寄
棟 は破 風 の な い4
つ の傾 斜 面 か らな
る屋 根 で,全 国 的
分 布 を示 す 型 で あ
る。
西 日本 で は,伊
勢平 野 か ら一 部 湖
東 平 野 中南 部 ・伊
賀盆 地 ・大 和 高 原
東 部 ・中央 構 造 線
以南 の紀 伊 半 島
第4図 西 日本(草 葺)屋 根 型 分布 図
(抽 出 村 落 に お け る調 査 を基 本 とし,先 四 国 ・九 州の 大 部
学 の 調 査 を 加 え て 作成 した もの で あ る
分 ・淡 路 島 ・南 西
諸 島 ・中 国 地 方 と広 範 囲 に分 布 し,湖 東 平 野 ・大 和 高 原 ・山 口県 東 部 ・島 根県 中東 部
・鳥 取 県 と広 島 ・岡 山 県 北 部 ・瀬
戸 内島 嶼 で は 入 母屋 な どと混 在 し
漸 移 地 域 を形 成 して い る。 寄 棟 で
も伊 勢 ・伊 賀 ・大 和 高 原 の型,中
国 地 方 の 整 った寄 棟,北 四 国 ・淡
路 島の ず ん ぐ り した型,北 九 州唐
津 か ら佐 賀県 東 富 久 ・呼 子 半 島に
か け て 分布 す る壱岐 と同系 統 の急
し,こ れ に 瓦箱 棟 や諸 種 の棟 飾 りが雪
加 って 多 様 さ を増 す ので あ る。 また 大 和 高 原 の場
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プ を模 倣 し,多 少 変 形 しつ つ も大 和 棟 に属 す る型 を分 布 せ しめ た もの と考 え られ,社
会 環 境 の 変 化 に よる型 の 変容 と して 注 目 され る。 同 様 の 事 例 は南 部 の 曲屋,北 九 州 の
ク ド造 りな どに つ い て も考 え られ るが 詳 調 査 の 必 要 が あ る。寄 棟 は四 方 に斜 面 を もつ
屋 根 で あ り,二 面 に の み斜 面 を もつ 切 妻 や 破 風 を もつ 入 母 屋 に比 して よ り耐 風 的 と考
え られ,前 記 の南 九 州か ら南 西 諸 島 に 分 布 す る方 形 に近 い寄 棟 や沖 永 良部 ・与 論 島 の
た 分布 が東 海 ・紀 伊 半 島 ・四 国 ・中 国 西 部 ・九 州 な ど太 平 洋沿 岸 地 域 に顕 著 で あ る こ
地 ・北 上 川 中流 域 な ど内 陸 部 を中 心 に 分布 す る こ とか ら,寄 棟 が 入 母 屋 に 比 し耐 風 的
と も考 え られ るの で あ る。 な お 寄 棟 の 力学 的構 造 に つ い て は今 後 の調 査 が 期 待 され る
(b) 入 母 屋 入 母 屋 は最 も複 雑 で 技 巧 的 な構 成 を示 し,か って は 一 般 に 使用 を禁
じ ら れ た型 で あ り,(20)寄
棟 よ り新 しい もの と思 わ れ る。 分 布 は 山 城 ・河 内 ・和 泉 ・丹 波
・丹 後 ・但 馬 ・若 狭 ・近 江 北 半 ・甲 賀 山地 な ど近 畿 中 部 ∼ 北 部 に95%以 上 の卓 越 地 域
を み せ,西 に 延 び て 岡 山 ・広 島県 北 部 ・山 口県 東 部 か ら島 根 県 中 東 部 に寄 棟 と混 在 し
つ つ 分 布 圏 を拡 大 し,四 国 で は愛 媛 県 大 洲 盆 地 を中 心 に 石 槌 山 北 部 か ら久万 町 ・東 宇
で は 福 岡 県 東 部瀬 戸 内沿 岸 苅 田付 近 か ら中 津 ・英 彦 山 山 麓地 帯 ・国東 半 島南 部 に寄 棟
布 が み られ る 。全 国 的 に は前 述 の 如 く寄 棟 に 比 し内 陸 側 に分 布 す る傾 向が 強 い 。 ま た
入 母 屋 で も破 風 に丸 竹 を交 叉 した もの が 山 城 ・大 和 ・河 内平 野 に,丹 波 か ら若 狭 ・山
所 もあ り,丹 波 胡 麻 郷 か ら福 知 山 盆地 に か け破 風 極 大 で あ り,民 芸 品 的 な 趣 きを み せ
る 。四 国 の入 母 屋 も破 風 は 大 で あ るが,近 畿で も播 磨 ・湖 東 な ど周 辺 部 や 九 州 ・中 国
地 方 に分 布 す る もの な ど破 風 は縮 小 し,寄 棟 に近 い型 を示 す 。 出雲 簸 川 平 野 ・島 根 半
島 ・木 次 付 近 一 帯 に 分 布 す る棟 を 優 美 に そ りあ げ た もの,ま た 福 知 山 盆 地 を中 心 に 但
馬 円山 川 流 域 に み られ る入 母 屋切 落屋 根,棟 の空 気 抜 な ど養 蚕 時 の 採 光,通 風 とい っ
た 経 済 生 活 の 影 響 に よ る型 もあ り,更 に前 述 の丹 波 の 極 大 破 風 も藤 田 博 士 が 日本 民家
史 の 中 で 指 摘 され た 家 格 の表 現 に よる もの と も考 え られ るが,福 知 山盆 地 ・但 馬 山間
部 で も大 正 中 期-昭 和 初期 に養 蚕 の た め屋 根 裏 を使 用 した 実 例 が あ り(破 風→ 明 り と
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り,通 風 窓),家 格 や修 業 を積 んだ 各 地 の 屋 根 職 人 の技 術 な ど と共 に 一 要 因 を なす も
の と考 え られ る。 この よ うに 入母 屋 自身,破 風 の 大 小 な どに よって 地 域 的 に 差 異 が 認
め られ るの で あ る。 ま た 断続 的 に入 母 屋(寄 棟 圏 の中 に 島 状 に)や 寄 棟 が 一 部 落 或 は
二 ・三 戸 と分 布 が み られ るが,こ れ は模 倣 な どが 主 た る理 由 で あ り,稀 に未 解 放 部 落
とい った 場 合 も あ る(武 庫 平 野)。
(c) 切 妻 切 妻 は 屋 根 の 妻側 を垂 直 に切 りと った 形 で,瓦 葺 に は 多 く用 い られ る
型 で あ るが,草 葺 で は 大和 盆 地 と但 馬 山間 部 に 核 心 的 分布 地 域 を もち,全 国的 に は,
母 屋 が 画 か れ,現 在 も入 母 屋 の混 在 が認 め られ る関 係 上,古 くは 入 母 屋 で あ った もの
を 占 め得 る切 妻 を採 用 して妻 側 に 明 り窓 を つ け て い る。 切 妻 は 養 蚕 用 と して 進 歩 した
型 で あ り,(21)本
地 域 の 経 済 生 活 と密接 に結 合 した もの と云 え るの で あ る。 大 和 盆地 を分
布 地 域 とす る もの は,大 和 棟 発達 過 程 の原 初 的 な もの と考 え られ,接 続 した 摂 河平 野
及 び大 和 高 原 に及 んで い る。
瓦 葺 ぶ 発 達 し棟 と同 等 或 は 高 くな った もの < たか へ >,棟 が 杉 皮 針 目覆 を載 せ る もの
こ の様 な 家 屋 構 造 は,閉 鎖式 建物 配 置 と共 に直 感 的 に大 陸 の 影 響 を思 わ せ るが,〔I〕
経 験 的構 成 とみ られ る点 が 多 分 に あ り,ま た東 西 棟 が 最 も多 く 〔
大 和 盆 地 中 央 部 旧二
中59戸82%釜 屋 東 側 〕。 要 す るに 大 和 盆地 の地 域 的特 性 か ら生 じた 形 式 で あ る こ とが
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化 す る。 従 って これ らの 村 方 役 人 は一 般 農 家 に 禁 じ られ て い た武 家的 な座 敷 の 拡 張 及
び長 屋 門 の 建 築 も許 され,座 敷 部 分 も落 棟 とな って 後補 さ れ る」。 即 ち村 方 の 階 層 分
化 の過 程 に お い て 形 成 され,家 格 の表 現 形 式 と して 富 農層 に採 用 さ れ た もの が 今 に 継
承 され た もの と考 え られ る ので あ り,前 記 の 集 落形 式 や大 和 盆 地 の地 域 性 に よ る生 活
経 験 的 形成 過 程 と共 に重 要 因 子 で あ り,日 本 民 家 と して勿 論 大 陸 の 影 響 を受 容 しつ つ
も大 和 盆地 特 有 の地 理 的 歴 史 的 条 件 を反 映 した構 造 で あ り,大 陸 交 化 の 影 響 の み で理
解 す る と とは不 可 能 で あ る。
大 和 棟 は大 和 盆 地 を中 核 と して,大 和 川 ・木 津 川 通 谷 の 各 交 通 線 に 沿 って隣 接 す る
山 城 ・摂 河 泉 平 野 ・大 和 高 原 に ま で分 布 し,分 布 核 心 地 域 で は 発 達 したB・C型 の分
和 棟 に 変 形 し,大 和 高 原 で は妻 壁 上 部 の瓦 が 縮 小 した 型 な ど諸 変型 が混 在 し,分 布 縁
現 形 式 の多 い こ とを示 して い る。 ま た 武 庫 川 右 岸 や 和 泉 山地 ・紀 ノ川谷 な ど分 布 限 界
の もの は模 倣 採 用 した例 が 数 多 くみ られ るの で あ る。
に所 謂 ク ドの形 を な し,そ の 中 央 谷 の 部 分 に瓦 葺 屋 根 が 片 流 れ に葺 か れ た 型 が典 型 で
4間 取 或は 同 系 の もの が 多 い 。 分布 は 筑 紫平 野佐 賀市 付 近 を核 心 と し,東 は 鳥栖 ・久
付 近 ・背 振 山塊 南 部 ・二 日市,東 で は鹿 児 島本 線 沿 い に 大 牟 田 付 近 ま で が ほ ぼ ク ド造
りの 分布 圏 で あ る 。 ま た断 続 して い るが,瀬 戸 内 海 西 部 防府 平 野 四辻-三 田尻 間 に も
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同 様 の タ イ プが 分布 して い る。 ク ド
造 りに つ い て は,直 感 的 に朝 鮮 民 家
との 関 連 の み を 説 く学 者 もあ り,分
布 が 北 九 州 と瀬 戸 内西 部 に あ る こ と
か ら一 考 の 要 は あ るが確 証 はな い 。
聞 取 りそ の 他 に よれ ば,(26)「
強風に備
え るた め 」 との 回答 が 多 く,家 屋 が
多 くの場 合U字 型 の谷 の部 分 を北 に
し,両 翼 が風 に対 す る支 柱 の 役 を果
す もの と考 え られ る(卓 越 風 は 西 南
風),ま た 分布 地 域 が 平野 部 を 主 と
して お り藁 材 の豊 富 な点 が あげ られ
る。 これ と関連 的 に木 材 不 足 に よ る
点 もあ るが,最 近 の調 査 で 大 形 木 材
を 用 い る例 が 明 らか に(27)さ
れ,こ の 点
第6図 ク ド造 り のTypicalな もの
は 薄 らい だ 感 が あ る 。更 に 旧藩 時 代
(屋 根 と 間 取)
<福岡県柳川市両開 > 鍋 島 公 が物 資 節約 と耐 風 工 作 のた め
こ の 特 色 あ る型 を奨 励 した との説 もあ るが,今 後 の 古 文 書 類 の 探 査 が 望 ま れ る。 これ
後 に 多 くの 問 題 を 山積 して い る。 こ のU屋 根 と同 系 と 目 され る谷 の瓦 葺 の部 分 を欠 き
囲に 及 んだ と推 察 され る。
崎 県 児 湯郡 地 方 に も延 び,大 分 県 英 彦 山 周 辺 や 鹿 児 島県 下 に も散 在 し,分 布 縁 辺 部 で
は,麓 集 落 の武 家屋 敷 や 旧家 な どに 用 い られ る傾 向 が あ る 。天 草 で は上 島 の 西 岸 にL
字 型 の 小 屋 が 分布 して い る。 鍵 屋 は,中 国 地 方 で は前 記 防府 付 近 にみ られ,四 国 で は
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波 高 原 を 中心 に 分 布 す るL字 型 は 入 母屋 本 棟か ら つ き出 した もの で,「 つ の や 」 「中
様 家 格 表 現 形 式 と云 え るの で あ る。
(f) 二 棟 造 二 棟 造 りは,居 住 部 分 の 母屋 と炊 事 場 の 釜 屋 が 別 棟 とな っ た形 式 で,
に 分類 す る。 〔
А 〕型 は,本 土 で は 鹿 児 島県 薩 摩 ・大 隅 半 島か ら宮 崎 県 南 部(北 及 び 西
宅 島 以南 の伊 豆 諸 島 ・小 笠 原 諸 島 に もみ られ,南 洋 群 島 で は一 般 の タ イ プ(30)と
な って お
り,南 島 系 の もの と考 え られ る。 以上 が二 棟 造 の主 要 分 布 地 域 で あ るが,長 崎県 西海
岸 ・高 知 県 全域 ・徳 島県 勝 浦 ・那 賀 郡 に も同 形 式 の もの が 僅 小 分布 し,本 州 で も東 北
圏 を拡 大 して い た と推 され る 。 さ ら に 別棟 の カマ ヤが 母 屋 内 に 入 る一 般 型 へ の漸 移型
(B型 も こ の段 階 か)と して 母屋 に下 屋 をか け て釜 屋 と した もの が あ る。 これ は 南 九
州 は 勿 論,四 国 ・瀬 戸 内 を は じめ,関 東 西 部 以 西 の 表 日本 に 広 範 に 分布 して い る。
伝 統 的 手法 で あ り,別 の 機 能 を もつ 各 棟 が接 近 結合 して家 を形 成 した とす る柳 田 説 を
暗 示 す る例 で も あ る。 ま た 住居 部
分 が 土 間 を欠 く点,高 床 式 との関
連 も考 え られ る。二 棟 造 りが南 島
や九 州 南部 を 中心 に 分布 す る こ と
は,一 つ に は暖 地 に於 て 炊 事 場 を
分 離 し,室 内 に 暑 気 を導 か ぬ よ う
考 慮 され た もの と思 わ れ,更 に台
風 圏 内 とい う地 理 的 位 置 に 加 うる
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技 術 的 後 進 的 で あ り,経 済的 に も恵 まれ ぬ 土 地 で あ るた め台 風被 害 防止 に は多 数 の 部
が 良 く,本 地 域 の性 格 に合 致 した タ イ プ とみ られ,分 布 が 日本 列 島 を北 上 す るに 従 っ
て 漸 次 変容 した も の と推 察 され るの で あ る 。 尚,熊 本 県 北 部(菊 池 郡 迫 間 村 ・黒 石村
・鹿 本 郡 岳 間 村)に は 二 棟 相接 した(B型)「 二 つ家 」 と称 す る類 型 が 分布 し
,南 島系
関 係 を も考 え させ る。
(g) 円 錐屋 根 円錐 形 の草 屋 根 は本 邦 最 南 端 与 論 島 と沖 永 良 部 島 に 分布 し,与 論
島 で は 母屋 及 び付 属 舎(砂 糖 搾 り
小 屋 な ど),沖 永良部島では付属
舎 のみ に 用 い られ る。 母 屋 に用 い
られ た の は 戦 後 で,(33)か
って は寄 棟
で あ り(現 今 与 論 島 で 寄 棟 は2∼
3戸),小 屋 に は 古 くか ら用 い ら
れ て い た の で あ る。 人手 不 足や 台
風 毎 の 補 強 の 必 要 か ら少 人数 で葺
第8図 円錐 屋 根 と珊 瑚 石 灰岩 の石 垣 け る円 錐 屋 根(34)を
母 屋 に採 用 した の
(与論島茶花) で あ ろ う。 更 に 先 述 の寄 棟 と 同様
風 向 の 変 化す る場 合 に は 最 も有 利 な構 造 と考 え られ,斜 面 上 部 は 竹 の 輪,が じゆ ま る
風 地 域 と貧 困経 済 の離 島 に発 生 した 特 色 あ る屋 根 型 と云 え るの で あ る。
3. 一つのむすび
以 上 屋 根 を 中心 と した 考 察 をな した が,(1)屋 根 材料 の場 合 ・隔 絶 的 山 間 村 や 島 嶼 ほ
機 関 の 発 達 と共 に 都 市 近郊 → 山 間地 域 へ 浸潤 しつ つ あ り,こ の 傾 向 は 今 後一 層 促 進 さ
れ る。 ま た 瓦 葺 自身 も裏 日本 の積 雪 地 域 と 「雪 止 め瓦 」 「石 州 赤瓦 」海 岸 部(特 に太
平洋 沿 岸)の 諸 防 風 設 備 な ど各 々地 域 性 を反 映 す る こ と,ま た 沖繩 の 中国 風 赤 瓦 屋 根
な ど文 化 系 統 を推 察 させ る。 屋根 材料 に つ いて は,経 済 的背 景 が強 く働 く点 も軽 視 出
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来 ぬ 面 で あ る。
多 い こ と ぶ 注 目 さ れ る 。 特 に 複 雑 な 分 布 を 示 す 近 畿 中 央 部 の 場 合,大 和 ・伊 賀 な ど の
断 層盆 地 や 地 塁 山地 の 交 叉 す る複 雑 な 地 形 な ど多 くの地 理 的単 元 を有 す る こ と を物 語
り,古 くか ら の 文 化 中 心 で 多 くの 要 素 が 加 っ た も の と も考 え ら れ る 。 ま た 各 分 布 地 域
(庶 民 文 化 圏)の 周 辺 部 に 両 文 化 様 式 の 交 錯 し た,或 は 型 自体 が 変 容 し つ つ あ る 漸 移
蚕 な ど 経 済 生 活 の 変 化 過 程 に 於 て 形 成 さ れ た タ イ プ な ど,各 地 域 の 特 性 を反 映 す る点
が 指 摘 され るの で あ る。
< 後 記 > 本 報 告 は 広 大 な 地 域 を 取 扱 っ て お り,未 調 査 地 域 や 不 備 の点 が 多 い 。 また
屋 根 は 古 く か ら の 伝 統 ・建 築 技 術 や 模 倣 ・美 観 保 持 な ど 歴 史 的 ・民 俗 学 的 ・社 会 心
理 的 な 面 も 強 く働 く。 諸 先 学 よ り の 御 高 教 を 乞 い 今 後 研 究 の 充 実 を 期 す る 計 画 で あ
る 。 最 後 に 本 研 究 に 対 し御 指 導 賜 わ っ た 村 松 教 授 は じ め 各 界 に わ た る 諸 先 生,調 査
に 協 力 下 さ っ た多 くの友 人 や 現 地 の人 々に 対 し深 謝 の意 を 表 し ます 。
F. Huttenlocherの 如 く 分 解 せ ず そ の 全 体 に 於 て 取 上 げ る べ き こ と(民 家 は集 落 の
(10)和 泉 平 野 の 陶 土 は 洪 積 層 大 阪 層 群 に 属 し,瀬 戸 よ りお と るが 生 成 の 時 期 は 同 じ。
(11)
扇 田 信:甑 島 の 農 漁 村 住 宅 。 農 村 建 築29。 昭 30. (12)
辻 村 太 郎,田 辺 健 一:沖 繩
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区 瓦 出 荷 組 合 。 県 庁 統 計 課 聞 取 り。 組 合 別 出 荷 の 関 係 上 統 一 資 料 な し 。(17) 石原憲
告 書 。 昭27.及 び 調 査 カ ー ド。 (20)
小 倉 強:東 北 の 民 家p. 206-211。 昭 30. (21)小
倉 強:前 掲 書 。 こ の 地 域 の 調 査 。 河 野 正 直:但 馬 に おけ る居 住 景 観 の 地 理 的 考 察 。
九 州 の 二 つ の 家 に つ い て 。 民 俗 建 築3昭26. (29)
野 村 孝 文:南 九 州民 家 の 概 観 。
児 島 県 に お け る 母 屋,釜 屋 を別 棟 にす る住 居 形 式 に つ い て 。 日本 建 築学 会研 究 報 告
与 論 島 。 農 村 建 築30昭 30。 (大 阪 市 立 大 学 大 学 院 学 生)
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by Hisatsugu SUGIMOTO
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The •girimoya•h roof is spread over the Kinki District north of the median
Pref., and the Yamato Basin. In Tajima, silkworm culture accounts for
its popularity. In Yamato, the •gkirizuma•h style has developed into the so-
the Tsukushi Plain in the North Kyushu District. It is called •gU•h because
The L. type roof, another variety with one projection in the rear of the
and on the Tamba Plateau (•gtsunoya•h). Old families often adopt this roof-
type.
The •gfutamunezukuri•h roof, where the main body of house and the kit-
The conical roof is found in Okinoerabu and Yoron, the islands situated
iv) As shown here, roofs in Western Japan richly vary in type. They
type is seen where two distributional areas meet. Social changes have at
has also contributed to improving the roof. At defiles and mountain pass-
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