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大 智 度 論 の 作 者 に つ いて

干 潟 龍 祥
大 智度 論 (以下智度論と略す) は周 知 の通 り 梵文 にも西 藏 諜 さ て智 度 論 を精 査す る とそ の中 に はど う し て も中 論 等 の作
にも存 せず た だ漢 繹 に のみ あ る も の で、 そ れ は龍 樹 造 鳩 摩 羅 者 な る龍 樹 の語 とは思 わ れな い箇 虚、 そ し て そ こは詳 者 羅 什
什 (
以下羅什と略す)課 と傳 え ら れ て い る。 こ の書 は大 品 般 若 の加 筆 に 相違 な いと思 わ れ る箇 虎 が 諸 麗 に 見 ら れ る。 然 し
経 の註 繹 の形 にお いて當 時 (これ が問 題 だ が) 印 度 及 び 周 邊 叉、 ここ は龍 樹 でなく て は書 け な い であ ろ う、 少 く も 羅 什 の
の宗 教 思 想 風 習 等諸 般 の事 柄 に つ いて懇 切 に叙述 し て あ る の 如 き で は書 け そ う にな いと思 わ れ る箇 庭 も見 ら れ る。 そ こで
で、 一般 文 化史 的 にも 重 要 な意 義 あ るも の であ る が、 特 に佛 ﹁全 騰 を 龍 樹 の作 だ﹂ と言 う こ とも でき な いが、 さ れば と て

-1-
教思 想 研 究 の立場 か ら見 る 時 は、 この中 には當 時 知 ら れ て居 叉 ﹁この論 は龍 樹 の作 だ な ど と は全 く 言 え な い、全 膿 が龍 樹
(1)
た佛 典、特 に大 乗 佛 典 の頗 る多 藪 が 引 用 乃至 紹 介 さ れ て いる。 以 外 の人 の作 だ ﹂ と も言 えな い。 結 局 本 來 は龍 樹 の作 な のだ
そ こで傳 の如 く こ の書 全 腱 が龍 樹 の作 とす れ ば そ こに引 用 紹 が、そ の中 に羅 什 が加 筆攣 改 し た部 分 も 少 から ず あ る の で、現
介 さ れ て い るも の は龍 樹當 時 (
約 二世紀後牛- 三世紀前牛)迄 に 在 の如 く 龍 樹 の作 と し て は疑 問 黙 の多 い書 と な つて居 る の で
存 在 した こ と にな る。 古 來 多 く の學 者 は大 髄 そ う信 じ てそ の あ ろ う と いう こと に な つた。 左 にそ れ を 分解 し て述 べ よう。
基 礎 の上 に佛 教 史 を 建 て て來 た。 然 し近 來 こ の方 面 の研 究 が A、 龍 樹 の言 と は思 わ れな いも の
精 密 さを 塘 す に從 い、 こ の智 度論 が中 論 等 の作 者 な る龍 樹 の (
1)明かに龍樹の言ではなく、繹者羅什の言と思われるもの
作 とし て認 め ら るべ き や 否 や に つい て疑 問 を 起 こす 者 も 出 て
(2)
(a)梵語の宇解的読開叉は印度の慣習をシナ人に読明したもの
來た。 自 分 も 亦 そ の 一人 であ つて、 漸 く 昨夏 に至 り 自 分 とし
(3)
(b)語 句 の読開ではな いが然し龍樹 の言 としては受取りがたく羅
ての結 論 を 得 こ こに獲 表 し て諸賢 の是 正を 講 う も のであ る。 什 の言とすれば 是詔 し得 るも の
大智度論の作者にっいて(干潟)
大 智 度論 の作 者 に っ い て (干 潟)
(
2)﹁明 か に﹂とま では 云 え なく とも、 ﹁恐ら く ﹂龍 樹 の言 で 一日 一夜 不 二
殺生哨
亦 如 レ是。 ⋮(3
不)レ著 ご花謂
櫻路ご不硝
一香塗了身 不レ著二・
はな く羅 什 の言 と思 わ れ るも の 香 薫 衣 幻内 不二自 歌舞 作 ウ樂 不 二
往観聴 ⋮ 巳受 二八 戒 叩 ⋮不二
過レ
B、 (A と封賄 的) ここ は龍 樹 の言 に相違 な い と い う 特色 の 中食刈 ⋮ ﹂ こ れ は 不 過 中 食 を 八 戒 の 外 に 出 し、 し か も こ の 不
は つきり し て いる も の で、龍 樹以 外 の者 少く も印 度 外 の羅 過 中 食 が 八 關 齋 の髄 で あ つ て 他 の 八 戒 は そ の支 分 と 見 る 読 を
什 の如 き﹂
者 の言 と は思 わ れな い も の 示 し て 居 り、 こ れ は 薩 婆 多 毘 尼 毘 婆 沙 の 読 (正、 二 一
二、一五 八)
C、 これ は A では な い、 然 し B とす べ き特 色 も見 ら れな い部 と 一致 す る も の で、 羅 什 の 受 け て 居 た 有 部 律 の読 で あ る。 こ
(4)
分、 郎 ち 何 れ とも 特 色 の 明 か でな い部分、 こ こは致 し方 な れ は十 佳 毘婆 沙 論 (大 髄 龍 樹 の作 と見 て然 るべ し)の読 (正、
い から傳 の通 り 龍 樹 のも の とし てお か ざ るを 得 な いも の。 二六、六〇)と異 る、そ こ では 第 七 不塗 飾 と第 八不 歌舞 観 幕 と
A類 を 合 せ て 一つと し これを 第 七 とし、 不 過 中食 を第 八 とす る読
(5)
A(1)(a)これは全巻のの至る塵で散見せられるもので、﹁秦言であ つ て、 これ は 恐ら く 龍 樹自 身 實 修 し て居 た 八關 齋 であ つ
云 々﹂ と あ る は いう ま でも な いが、 そ の他 梵 語 の読 明 の爲 の た の であ ろ う。 從 つても し龍 樹 自 身 が 智 度論 に於 ても 八關 齋
語 句 で、例 え ば、 巻 四四 (大正藏、 二五、.
三八O b- c)、
﹁天竺 の読 明 を書 いた な らば この十 佳 論 と同 じ よ う に書 いた であ ろ

-2-
語法衆字 和合成レ語、衆語 和成レ句、如下菩爲二一字 一提爲二一蜜 是二 う。 智 度 論 のはそ れ と異 る読 で これ は羅 什 の受 け て居 た有 部
不レ合則 無レ語、若和合名爲申菩提 工、
秦言無上智 慧、薩唾或名二衆生一 律 にょ つ て羅 什 が ここ に加筆 し た と見 るべ き で あろ う。
或是大心 ⋮是名二菩提薩唾こ の如 き で あ る。 叉印 度 の語 法 習 例 口、 巻二五 (二四三 a)、
弊 生塵 の読 明を し て (
安陀羅 (An-
慣 を シ ナ人 に知 ら し め る爲 のも の が あ る、 例、 巻九 (一二三 dhra舎)婆、羅 (sabar兜a
怯)羅、(Tokkha修r利a( )S
、uli安?)、
(
6)
b)﹁復次天竺國法名 二
諸好物 一
皆名 二天物一 ⋮故名爲二天華こ の如 息 (Arsa大c秦)(、Ts-ch國i等n
﹂)と し て い る。 然 し 龍 樹 は
き皆 然 り で、 こ の(a
に)入 れ るべ き例 は頗 る多 く枚 學 に暇 が な Andhr
國aに佳 し活 動 し そ の王 の庇護 を 受 け て居 た こ と は諸
いか ら 略 す る が、こ の論 を 讃 む 人 は 直 ち に氣 つ く 所 であ ろ う。 傳 によ り推 定 し得 る所 であ り、 當 時 (二- 二世紀前牛) の こ の
A(1)(こ
bれ)は内容 の本 質 か ら見 て龍樹 のも のと は受 取 れ 國 は南 印 度 の盛 な 丈 化 國 であ つた こと は、龍 樹 等 諸 學 者 を 出
な いが、 羅 什 のも の と見 れば 首 肯 し得 ら れ るも の。 例(1)
巻、 し た こ とか ら も、 叉 現 存 す る文 化遺 蹟 (ア マラブ チー 等) か
一三 (一五九b- c)﹁秦言二共佳 一(如
1)諸佛霊レ壽不二
殺 生一我某甲 ら も知 ら れ る。 そ の安 陀 羅國 を シ ャバ ラ (
山間未開民族 の構)
な ど と同 様 に弊 生虎 の 一に學 げ ると いう こと は、龍 樹 の言 と (
7)顯 者一
名二由
摩詞衛 一所 レ麺
硝般 若 皿
波羅 蜜 ﹂
脛、 六波 羅蜜 紹脳、
華首 ﹂
脛、 法
し ては受 取 り が た いが、 印 度 特 に南 印 の事 情 にう とく、 然 か 華経、 佛本 起因 縁経、 雲経、 法雲経、 大 雲経、 如是等 :諸経爲レ
も 自 ら は中 華 の如 き文 化 國 で豪奢 な生 活 を し て居 た羅 什 の言 得二
阿褥 ⋮ 菩提 一
故読。(
毘佛略認液頼藤有経 (Adbhutad如
h下a
佛rma)
とす れば 首 肯 し 得 る で あろ う。 現二種 々神力一衆 生怪中未曾有上、 ⋮論議輕者答 二
諸問者 一
繹二其所以一
例(3)
巻、三三 (三〇 六 c-三〇八b)﹁諸輕申直読者名二
修多羅一 叉復廣 説二諸義 蝋 ⋮是名二優波 提舎 舶 ⋮乃至像法凡 夫人如レ法読者
⋮ 諸輕中偶名一 亦多 優 波 提舎 ご 以 上 は十 二部 経 の読 明 を な す 塵 であ るが、 こ
舐 夜鴫
衆 生九道 中 受記 ⋮ 一切偶名二舐夜 隔
⋮ 句多
小不定亦名二砥夜一亦名伽剛、優陀那者名下有レ法 佛 必 懸レ読而無華有二 の長 文 (大 正 藏 経 で約 一頁 牟) は全 部 龍 樹 の言 でな く 羅 什 が
間者一 ⋮、是名二優陀 那一叉如下佛浬葉 後諸弟子抄司集要偶一諸 無常 読 明 の爲 に加 筆 し た も の であ ろう。 龍 樹 の文 はそ の前 の ﹁所
偶等作 二無常品 一
乃至婆羅門偶等作申婆羅門品上、
亦名二
優陀那一諸有集 二 読 法 者 部 此 十 二部 経 ﹂ から こ の後 の ﹁聲 聞 所 レ不 レ聞 者、 佛 猫
衆妙事 一
皆名二優陀那一如是等 名二優陀那輕相 刈尼陀那者読二諸佛 法本 與 ご菩薩 一
読 法 無 ご諸聲 聞嘉 者 ご に つづ く の で あ ろう。 そ の理
起因 縁一佛何因縁読二此事 一修多羅中有レ人問故爲読 二
是事一⋮ 阿波 由 は、(1)Gey
とaGatha
と の優別 が全 く つけ ら れ て な い。
附姻 者與二世間 一相似柔軟淺語、如二中、阿含 申 長 阿 波 陀 那、長阿

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(ロ)udaの n読
a明 に、 無常 晶 に始 ま り婆 羅 門 品 に絡 る も の帥
含中大阿波陀 那、毘尼中億耳阿 波 陀 那 一⋮。如是語 (Itivutち t南
ka傳,等 で普 通 は 法 句経 と稻 す る も のを udanのa例 とし て
Ityukt
者a有)
二二種一 一者結句言我先許レ読者 今巳読寛、 二者三藏 出 し て居 る。 こ のも のは北 傳 では udanavaな rgるa名 で呼
摩詞衛外更有レ経名三 目 多迦 鴨(Itivr有
t人t言
a二k目a多)
塑 目多迦 ば れた こ とあ る は、 現 に中 亜 獲 見 の梵 文 や 西藏 鐸 が こ の名 で
名 レ出 三二藏 及摩 詞 術 一 ⋮ 如レ是等 輕名 爲 二
出 (Itivrt因
t縁ak
一⋮a) 残 り、 漢 鐸 にも 竺 佛 念 課 の出 曜 は恐 ら く こ の意 繹 であ ろ う か
⋮本 生輕 者 昔 者 菩 薩曾 爲 二
師 子 一在 二林 中 一
住、 與 ご一禰 猴 圃
共爲二
親友一 ら。 そ こ で羅 什 な ら ば こ の法 句経 を udanの
a例 とし て出 す
禰 猴 以 二二子 蝋
寄 二於師 子 一時 有 鷲 墨 飢 行 求 レ食、 値 飾 子 睡 故 取 二 は極 めて 自 然 であ るが、 南 方 に居 た 龍 樹 が果 た し て こ の名 で
礪猴子 一
而 去、 ⋮。 叉 過去 世 時 人 民多 病 二黄 白 湊 熱 一菩 薩 爾時 身 爲 二 呼 んだ か は頗 る疑 問 であ る、智 度 論 に於 ても 龍 樹 自身 の言 で
赤魚 鴫
自 以 二其肉 施 二
諸 病 人 軸 ⋮。 叉 昔 菩 薩 作 二 鳥 身 一在 二
林中 一
佳、 あ ろ う と思 わ れ る部 分 (例、巻 一、
五九 c、
巻 三〇、 二七八 c等)
見 レ有 二一人 一入 二於水 中 一 ⋮ 爲 二水 神 幅
所 レ羅、 ⋮ 鳥知 二
解法賊
至二香 では常 に 法 句 と 呼ん で居 る から。 囚 次 に こ こに學 げ る本 生 話
山中 軸
取 二一藥 草 一
著二其 羅 上一纒 即燗 壌 ⋮ 如 是等 ⋮是 名 二
本 生経一 の例 は何 れ も南 傳 に は 全然 知 ら れ て居 な い の みな らず、 ここ
大 智 度論 の作者 に つ いて (干 潟)
大 智 度論 の作 者 に つ いて (干 潟)
の獅 子 の話 と鳥 の話 と は北傳 でも文 献 で は こ このみ に出 る の 羅 什 時 代 に漸 く 成 立 レ つ つあ つた程 度 のも の で、羅 什 も 恐 ら
であ るが、 し か もそ の獅 子 本生 は羅 什 の本 國 轟 鼓 地方 の窟 院 く 其 の名 を 聞 き 知 つ て こ こ に墨 げ た程 度 で、 實物 を見 て居 た
(8)
の 壁 書 に は 屡 々 書 か れ て 居 る も の の 一 つ で あ る。 も と より 現 か ど う か はわ か ら な い。 か か る大雲 経 の如 き を 含 め て 列基 し
在 のそ れ ら 壁 書 は 七、 八 世 紀頃 のも の であ つ て四、 五世 紀 の も の は た こ この文 は龍 樹 の も のとし ては 受 取 り がた いが、 羅 什 の言
残 つて居 な いが、 然 し現 存 し な いから と て無 か つた と は 云 へな い、 とす れば 首 肯 し得 ら れ る。 以 上 の如く 見 來 る時、 こ こ の十 二
む し ろ以 前 か ら作 例 があ つた ので そ れ に倣 つ て豊 いた のが残 つ た も 部 経 の読 明 を し た長 文 は全 艦 龍樹 のも ので はな く、 羅 什 が 読
のと 考 へて い いだ ろう、 そ れ は こ の地 方 の壁 書 の題材 が多 く は そ う 明 の 爲 加 え た も の であ ろ う。
であ る か ら。 赤 魚 本 生 も 撰 集 百 縁 経 (Avadanasat三
ak一
a、) 例 (四)
巻、六七 (五二九b)﹁是般若波羅蜜部窯輕巻有 多有 少有 上
菩 薩 本 行 経 二 五 に は あ る が、 こ の爾 書 と も 北 方 に の み 知 ら れ 申下、光讃放光道行﹂ これ も部 蕪 な る語 に當 る梵 語 が あ つた の
(9)
る話 を多 く 含 ん で居 る書 であ り、 これ ら の黙 か ら見 る に、 こ か、 あ つた と す れ ば 何 であ つた か も確 め得 な い が、 中 國 では
こに墨 げ ら れ る本 生話 は龍 樹 が 知 つ て居 て墨 げ た と見 る より 羅 什 の頃 に は慣 用 さ れ て居 た ら し い語 であ り、 光 讃 放 光 道 行
も、 羅 什 が本 國 に居 る間 に熟 知 レ て居 て特 に印 象 に深 く 淺 つ と いう は漢 繹 し た 後 に中 國 で慣 用 し て居 る経 名 で、印 度 の原

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て居 た の で、 五 百 も あ る本 生 話 の中 から こ の特殊 な 三 つを選 典 にか か る経 名 が あ つた の、
で はな いか ら、 こ こ の句 も 羅 什 の
ん で本生 の例 とし て出 し た と見 る方 が 安 當 であ ろ う。 (二
次)に 挿 入 と見 る べ き で あ ろう。
廣経 と し て墨 げ る と ころ で、 他 のも の にも 問題 はあ るが暫 く 例 (五)
巻、百 (
七五 六 a)﹁問日若佛囑 二
累阿難是般 若 波羅蜜 一⋮
問 わず と し て、 大 雲経 に つい て は 一言 し な け れば な ら な い、 如ご此中般若波羅 蜜 品一有 三一
萬 二千偶一大般若品有二十萬偏 一諸龍王
曇 無識 諜 (四 一四-二六) の大 方 等 無 想 経 は叉 大雲 経 とも稽 せ 阿修羅王諸 天宮中 有二千億萬偶等一 ⋮叉有二不可思議解腕 経十萬 偶一
ら れ る が、 こ こ に學 げ ら れ る大 雲 経 は恐 ら く そ れ で あ ろ う 諸佛本起輕寳雲輕大雲輕法雲輕、 各 々十萬偶、 毘 尼名ご比丘作 レ
罪佛
(そ れ以 外 に は考 え ら れな い から)、然 り とす れ ば こ の 経 は 結ワ戒、 ⋮略 読有 二八十部一亦有 三 一
分一 一者摩楡羅國毘 尼、含二阿
大 乗 の浬藥 経 に影 響 さ れた か、 少 く も そ れ と同 じ流 れ にあ る 波陀那本生一有 二八十部 一 二者 騒賓國毘尼、 除副却本 生阿波陀那 一但
思 想 を 示 し て居 り (佛 の常 樂 我澤、 一切衆 生 悉有 佛 性 を 明言 取レ要用作 二
十 部一有二八十部毘婆沙解羅 一 ⋮不レ在下集三二藏 一中加﹂
し強 張 す る)、これ は龍 樹 の時 に はま だ あり 得 な い輕 であ り、 こ こには般 若 経 に中 大 小 の三 種 を基 げ る が、 本 論 に於 て は こ
こま で には 一同 も中 大 小 の三 種 の般 若 を 墨 げ た虚 は なく (放 ら内容 を見るに龍樹 の時 にあ つたかどう か疑問で、こ の律 に關 す る
光 光 讃 道行 と し て いる の は別 だ が)、叉 龍樹 の時 に 十萬 偶 の 記 述 は羅 什 の受 け て居 た當 時 の有 部 律 の傳 を傳 え た も の であ
般 若 が あ つた か否 か は甚 だ疑 は し い。 叉 不 可 思議 解 睨経 と は ろ う。 か く見 來 る時 智 度 論 巻 百 の上揚 の長文 は羅 什 の も のと
(10)
本 論 に引 用 さ れ て居 る塵 か ら見 て、 後 の大華 嚴 経 の最 後晶 な す れ ば首 肯 し得 ら れ るが、 龍 樹 のも のと し て は受 取 り 難 い。
る入法 界 晶 (gamasavy
にh相a
當)す る。 而して同じ梵名gan- A(2)これ は の如 く 強 く は 云 え な いが、 然 し ﹁恐 ち く ﹂
davyな
uるh名
a で後 の大華嚴 輕全鐙をも呼んだことのある ことは、 龍 樹 の言 で なく 羅 什 の言 であ ろ う と思 わ れ る も のであ る。 例
梵文 に現存す る siksamuに
cgcan
ydaavyu
とhあa
る、を、そ の (一)巻、九 (一二六b- c)﹁
復次羅迦牟尼佛在ご閻浮提中 嚇生、在二

漢繹大乗集菩薩學論 (正、三二、七五- 一四四頁)で は常 に華嚴 経 毘 羅國 一多遊ゴ行東天竺六大城一有レ時飛到二南天竺億 耳居士舎ご受二

と謬して居 るによ つても知られる。故 に智 度 論 の こ こ で 不 可 思 養 一有レ時暫來ご北天竺月氏國一降 二阿波羅 羅龍王一叉至二月氏國 西 一
降二
議解 脱 経 十 萬 偶 と い つて居 る のは 全 謄 の大華 嚴 経 を 指 し た も 女羅 刹一佛在二彼石窟中 二 宿、干レ今佛影猶 在、有レ人就レ内看レ之則
の で、 そ れが 十 萬 偶 あ る と い つた も の であ ろう。 然 し 十 禺偶 不レ見、出レ孔遙観光明相 如レ佛。有レ時暫飛至二爾賓隷蹟仙人山上一仙
有 り と稻 し て い い程 の大華 嚴 経 が龍 樹 の時 にあ つた と は 思 わ 人言、我樂レ佳二此中一願佛與二我佛髪佛爪一起レ塔供養。塔干レ今現

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れ な い。龍 樹 の時 には後 の大華 嚴 経 の部 分 とな る十 地経、 不 存、 ⋮ 人與レ佛 同レ國而 生猫不二
遍 見一何況 異慮、 以レ是故 不レ可下以レ
可思 議 解 脱 経 (
印 ち後 の大華嚴 の入法界品となるも の)、
菩薩本業 不レ見二十方佛 一
故 匝言杉無也。﹂ この中 に は南 印 の こ とも あ るが、
経 (支謙課、後 の六十華嚴 の第七浮行品と第十 一十佳品とを 合せた 然 し北 印 の こ とが 詳 しく 述 べら れ て い る。 而 し て佛 留影 窟 の
一経) の如 き も のが そ れ ぞ れ 輩凋 経 と し て 存 し た と考 え ら れ こと や佛 髪 爪 塔 の こと は玄 弊 も 西 域 記 巻 二 (正、五 一、八七八)
るが、 十萬 偶 の 大華 嚴 の 如き は存 した と は思 わ れ な いか ら、 に 那掲 羅 易 (nagarah近a郊
rにaこ
)れ ら遺 跡 のあ る こと を 報
(11)
これ を基 げ て い る こ この言 は龍 樹 のも の と は思 わ れ な い。 叉 じ て居 る。 羅 什 は そ の少 年 時 代 に母 と共 に、叉長 じ て軍 身 で、
(12)
大 雲経 に つい て は先 に い つた 通 り であ る。 叉 律 の二種 の こと 麗 賓 地方 に遊 學 し た ので あ る から、 そ の際 見 聞 し て印 象 に淺
は な お 研究 を 要 す るが、 八 十 部 の律 の毘婆 沙 が龍 樹 の時 に出 つ て居 た こ とを こ こ に読 明的 に挿 入 し た の であ ろ う。 又右 の
來 て居 た か も疑 問 で、 士 論律 に封す る毘婆沙 は薩婆多毘尼毘婆沙 文 の絡 り の方 に ﹁
佛 と同國に生れた者 でも佛 を見ること 容易 で な
として謬者 不明なるも 五世紀初 の謬 のも のとし て存 するが、そ れ す い のに況んや異塵 に生れた者をや、故 に十 方佛 を見な いからと て佛
大 智 度論 の作者 に つ い て (干 潟)
大 智 度 論 の作 者 に つ いて (干 潟)
無しとは云 へな い﹂と 云 つて居 る のも、 自 ら 印 度 人 でな い こと 疑 わ し いが、 現 在 の妙 法蓮 華 経 の諜 者 羅 什 の言 とし て は首 肯
を 意識 し て居 る羅 什 の言 とし て見 れば特 に意味 深 い。 し得 る。 何となれば 法華 経 の行者を普 賢 菩 薩 が 白象 (
或 は六牙 白
例 (二)、
巻九 (一二六 c)﹁復次⋮ 如二
大月 氏西佛肉髪佳塵國一 一 象) に乗 つて來て守護す るという ことは、羅什 の繹した (
課 は智 度
佛圖中有二人癩風病一來ゴ至遍吉菩薩像邊一 一心自鎌念二遍吉 菩 薩 功 論を課した翌四〇六年)法華経 や現存梵文法華経にはそ の通 り あ る
徳一願除二此病 一是時遍吉菩薩像印以二右手寳渠光明 喚摩 ご其身一病即 が、古謬なる法護繹正法華 には、そこは象馬車叉は箪に駕 とあ つて
除愈。復 一國中有 二
阿蘭若比 丘一大讃 一
摩 詞 衛一其國 王常布レ髪令二贈レ 白象と か六牙白象とかにはな つて居な い。龍樹 の見て居 た法華輕 は
上而過一有 一
二 比丘一語レ王言、此人摩詞衛不二多讃ウ経、何以大供養 む しろ古課 に近 いも のであ つたであろうと考 へる ことは常識 であ ろ
如レ是。王言、我 一日夜牛欲レ見二此比兵 帥往コ到 奨 佳 慮 一見こ此比 う (時代が近 いから)、從 っ て龍 樹 が若 し こ こを 書 い た と す れ
丘一
在二窟中嵐
讃二法華 経一見下上金色光明人騎 二
白象 鴨
合掌供養加我韓近 ば果 た し て ﹁白 象 に乗 つて ﹂ と書 いた であ ろう か疑 問 であ る
便滅。我即 問二
大徳一以二我來 一
故金色光明人滅。 比丘言、此帥遍吉菩 が、 これを 羅 什 が 書 いた とす れ ば彼 れ の見 て居 た (す ぐ 次 の
薩、遍吉菩 薩自言、若有レ人請一讃法華 経 一
者我當乗一
自 象﹁
來教司導之一 年 に繹 す る) 法 華 経 によ つ て ﹁白 象 に乗 つて﹂ とす るが 自 然
我踊二法華 経 鴨
故遍吉自來。樋儲離難経復有一
二 國 唱有一
二 比 丘一諦 二阿彌 であ ろ う。 特 に こ こは實 例 話 と共 に出 す ので あり、 そ の實 例

-6-
陀佛経及摩詞般若波羅蜜一 ⋮以二是因 縁一
故知三實有二十方佛。﹂ この 話 の揚 所 は西 北 印 度 の 一地 で あ ろ う か ら (
虚を明記してな い
中 の月 氏 國 に佛 肉 髪 を 祭 つた盧 のあ つた こと は法 顯 も佛 國 記 が、月 氏國 でのことを書 いたすぐ次 に ﹁復 一國中 ⋮﹂とし て 居 る
(
正、五 一、八五 八 c)に、 叉 玄 鼻 は 西域 記 (正、五 一、八七九 のだから)羅 什 が遊 學 中 に知 つた實 例 話 を 記憶 し て 居 て、 自
a)
に記 し て居 り、 四世 紀 後 牛 に 二同 も 此 地方 を訪 う た 筈 の ら の見 て居 る法 華 経 を 参 考 にし つ つ こ こに 加筆 し た と見 る方
羅 什 はよく 知 つて居 た であ ろ う し、 特 にそ こ の普 賢 菩 薩 を 祭 が眞 に近 い であ ろ う。
つた寺 で 一癩 病 患 者 が 卒 癒 し た 話 の如 き は、 そ のあ たり を 訪 例(三)
巻、 (一四 一c- 一四二 a)﹁警如ご大月 氏弗 迦羅城中 隔
(13)
う た 時 に聞 き知 つた であ ろ う か ら、 そ の羅 什 の記入 とす れば 有 二一書 師 一
名 二干 那 一 到 二東 方 多 刹施 羅 國 一
客 書 十 二年 得 三ご十 爾 金 一
受 取 り得 る が、南 印 の龍 樹 が か か る話 を 記 す と は思 はれ な い。 持還 二
本 國 一 於 二弗 迦 羅城 中 鴨
聞 下打 レ鼓 作 二大 會 喩聲 上 往 見 二衆 僧 一 信 心
叉 これ に引 績 い て出 て居 る所 の法 華 経 護 請 者 を 守 護 す る爲 に 清 浮、 印 問 二維那 一 ⋮以二
所有三十爾金 一
付 二維 那 一爲レ我 作 二一日食 一
普賢 菩薩 が 白 象 に乗 つ て來 た と いう話 は、 龍 樹 の言 とし て は 我 明 周當 レ來、 塞 手 而 露、 其 婦 問 日、 十 二 年 作 得 二
何等物一⋮ 婦便
縛二
奨 夫鴨
邊レ官 治レ
罪断レ事、 ⋮芽巳得レ生、大果方在二後身ご、 (vaosrika-の
sもuの
tにr等
a)し い、し かも そ の経 を 左 右 に
例 四、 巻 一四 (一六五 a)﹁
警 如二
尉賓三藏比丘一
行二阿蘭若法 一
至二 置 い て居 て見 な が ら そ の読 を 破 し て居 る の でな いか と 思 わ れ
一王寺一寺設 二
大 會一守門人見二其衣服鹿弊 一遮レ門不レ前、⋮ 便作二 る ほ ど であ る (例、巻 二三 (二三〇 c)の我存在 の讃明に用 いる輕
方便 一
假副借好衣 暗
而來、門家見レ之聴レ前、不レ禁。⋮ 故以與レ衣。﹂ の読)。而 し て経 の読 以 上 に進 ん だ読 は出 て居 な い。勝 論 派 は
以 上 のう ち例 日 のも の は北方 傳 に はよ く 知 ら れ て居 た と見 - 及 び これ に俘 つ て正 理 派 も- 龍 樹 や提 婆 等佛 教 側 の論 師 に
え て、雑 寳 藏 経 四 二、 大荘 嚴 論 (kalpanamaditikaよ つ
pて.烈
1し4く
2)論 難 され、 そ れ に封 抗 す る必 要 上、 自 派 の読 を
等 にも 出 て居 る が、南 方 には 一向 知 ら れ な い、例 画 も南 方 に 精 密 にす る こ と にょ つ て進 ん だ ので あり、 そ の進 ん だ 読 は 正
(16)
は 知 ら れ な い。 何 れ にし ても これら 二 つ の ヱピ ソ ード は大 品 理経 (nyaya-su
にt出rてa居)る。 而 し て正 理 維 の読 は詞 梨
般 若 の註 繹 に於 て入 れ な け れ ば なら な いほ ど 重要 な話 ではな 蹟摩 や無 著、 世 親 によ つ て攻 撃 せ ら れ る の であ るが、 智 度 論
い、恐 らく これ も 羅 什 が 西北 印 度遊 學 申聞 い て深 く 印 象 に残 に於 け る勝 論 読 は勝 論経 そ のま ま で あ つ て正 理 経 の読 に はま
つて居 た の で こ こ に挿 入 し た も の であ ろ う。 だ な ら な い読 であ る から 丁度 そ の頃 居 た龍 樹が こ こを 書 い た
例 (五)
巻、二 (一四三b)﹁又復繹迦文佛本作二一鵠 軸
在二雪山中一 とす れば 最 も ふ さわ し いが、 そ れ より 遙 か後 の羅什 の如 き が

-7-
時 大雨雪、有一
二人 隔
失レ道窮厄辛苦、 ⋮鵠 ⋮以レ身投レ火施二此飢人こ 書 いた と は受 取 れな い。
これ は 一種 の鵠 本 生 で あ るが、文 献 で は この書 に のみ 出 るが、 又巻 七〇 (五四六 c)に は頗 る詳 し い藪 論 読 が 出 て い る、 帥
(14)
竈 鼓 地方 の壁 書 には好 ん で書 かれ て居 る か ら、 此 の部 分 も龍 ち、 世性 (prak←
r畳it
(又iは
)中陰 buddh
←i我)(
聾 鋤彊冨 筍)
樹 のも の でな く、 恐 らく 羅 什 の挿入 であ ろう。 色 火大←眼根
3 類、 ここ は龍 樹 の言 でな く て は な ら な い、 他 の人、 殊 に 聲 塞大←耳根
羅 什 の如 き時 代 も異 り 印 度 以 外 の人 では書 け そ う にな い と思 ←五種微塵 香 地大←鼻根
わ れ る部 分 であ る。これを 自 分 は更 に次 の三 つ に分 け て見 た。 味 水大←舌根
趨 風大←身根
(1)
智 度 論申 に 出 る外道 読 の圭 な も の
智 度 論 の論 破 の封 象 と な つて いる外 道 読 は勝 論 と藪 論 と が 歎 論 派 の読 とし は て、 我 以 下 の開 展 の仕 方 には種 々異 読 が あ
(15) (17)
大 立物 であ る。 而 し て こ こに 出 て 來 る 勝 論 の読 は、 勝 論 経 つた ことが 知 ら れ るが、 然 し こ このも の はそ れ ら の何 れ とも
大 智 度論 の作者 に つ いて (干 潟)
大 智 度 論 の作 者 に っ いて (干 潟)

異り 全 く 特 殊 のも のであ る。 か か る特 色 あ る読 を ﹂
然 かも 詳細 であ ろ う。 何 れ に し て も 第 四 地 を 不 退 韓 と す る 読 が 古 く あ つ
に學 げ る と いう こと は、 そ の読 を なす 者 と常 に接 し て居 て議 た と 思 え る こ と は、 現 存 mahavaat
のu十 地を 読 く庭 (vol.
論 も闘 わ し て、 そ の読 を よ く熟 知 し て 居 る者 でな く て は でき I.pp0
.11
-110)の 第 四 地 の読 明 中 に、 一〇 五 頁 に、 ﹁第 八地 より
な い こと であ ろ う。 少く も 羅 什 の如 き がな し 得 た 所 で は な 菩 薩、 勝 者 の子 達 は、正 畳 者 と 見 ら れ、そ れ より は 不退 な り ﹂ (as-
く、 こ こは南 印 度 に居 て常 に當 時 の外道 等 と論 議 し て居 た で
あ ろう 所 の龍 樹 の言 と見 な け れ ば な る ま い。 dha iri draavya, atah pr
とbあtつyて、aこ
niah.)
こに第 八 地 に入 れ る菩薩 の諸 徳 を 詳し く 述 べ て居 る が、 そ れ
(2)墨 読 そ のも のか ら見 て
學 読 そ のも のか ら見 て、 こ こ は龍 樹 でなく て はな らな い、 が第 四 地 の読 明 中 に於 て であ つて、 第 八 地 の読 明 の虎 では 第
他 の者 で は こう は書 け な い であ ろ う と 思 わ れ る塵 多 少 あ る。 八 地そ の も の の内容 に つ いて は何 等 述 べ て いな い。帥 ち 第 八
其 の(一
菩)薩 十 地 読 及 び不 退韓 位 論 に つ いて 他 でば あま り 見 地 に つい て の読 明 は、 第 八 地 の塵 では杢 く 無 く、 却 つ て第 四
ら れ な い猫 特 のも のが あ るそ れ は大品 系 般 若 等 に あ る十 地読 地 の読 明 の虞 で詳 しく 読 い て居 る の で あ る。 これは 一見 不可
の種 々な るを 矛盾 な き よう に適 當 に會繹 し よ う と し た も の 解 の如く見 へる。然 しかくな つて居る理由は、恐 ら く 高原信 一君 の

-8-
で、印 ち 巻 七 五 (五八五 c-五八六 a)に、乾 慧 地 か ら 始 ま る 云ふ如く (印佛研、三 ノニ、 二二〇- 二一
二) 第四地に於 て 不退韓
所 謂 三乗 共 通 の十 地 の解 繹 に、 そ の 一々 の地 に聲 聞 の場 合 と を認 める説が以前 にあ つたが、後 に第 八地を不退韓地とす る読 が出
菩 薩 の揚 合 と あ り と し て、 そ の第 四見 地 は、 聲 聞 の方 では預 來たので、そ の第八地不退韓 とする読を誤 つて第四地 の読明 の塵 に
流 果 で、 菩 薩 の方 では不 退 韓 地 だ と す る。然 る に第 四 で不 退 出したも のと思はれる。か く の如 き例 が あ る程 だ か ら、 智 度 論
韓 と いう こと は普 通 に はな い、思 シ に これ は古 く 第 四を 不 退 の著 者 は第 四 地 を 不 退韓 とす る読 を こ こに利 用 し た も の で、
韓 と す る読 が あ つてそ れ を 知 つて居 た か ら で あ り、 同時 に こ かく す る こと によ つて 叉 第 七 地を 最 絡 地 とす る読 にも 合致 せ
この読 では第 七地を菩薩 の正畳位 とする から、それ に合致せ し め る し め る に都 合 が よ か つた のであ り、 不 退 韓 を 第 七 佳地 と し 一
爲にはそれから三階下 つた第 四地を 不退韓とするが都合がよ か つた 生 所繋 位 迄 の間 に 二段 階 を おく 読 な る ﹁初獲 心-灌頂位﹂ の十
からでもあ ろう。然しそ の第 七地を正畳位とする こと も 第七地を最 住地 (菩薩本業輕 の十佳地) の読 にも 合 ぜ し め、 叉 智 度 論 の 同
終 とす る読 (
帥ち聲聞 の七階読)があ つたからそれを准用し たも の じ場 所 で ﹁麟喜 地- 法雲 地の十地 (十地輕 の十地) の読 を も出 し
て居 るが、 そ れ にも通 ず る 所 あ ら レめ よ う と し て居 る の であ 共 諦 を つけ た揚 合 の は、 第二 義 諦 も や はり諦 を読 示 す る爲 の
る。 帥 ち 菩 薩 十 地 に關 し て の古 く から あ る諸 読 を 一庭 に出 し 教 読 の 一方 法 であ つて境地 そ のも の で はな い、 ただ 読 き方 が
て適 當 に會 通 せ し め た も の で あ る。 か か る こと は古 く から あ 實 際 の境 地 そ のも のに印 し てそ れ と離 れな いよ う にし てそ れ
る諸 読 を 一々よ く 知 って居 り、 そ れら をす べ て取 入 れ つ つ何 を わ から せよ う とす る にあ る。 而 し て大 品 系 般若 では前 者 帥
と か矛 盾 な く 會通 し よう とし、 そ れを 爲 し得 る能 力 のあ る者 ち 一方 に は諦 を つけ な い揚 合 のが 墜 倒 的 に多 く、 後 者 の場 合
の所 作 であ る。 これ は大 乗 の菩薩 十 地 は ﹁初獲 心- 灌 頂 ﹂ の は前 述 の如 く後 に附 加 し た と思 わ れ る部 分 (第六十八品以下)
十 佳 地読 と、﹁激 喜 地- 法雲 地 ﹂の十 地読 と の二種 読 に定 つ て に四、 五 同 あ る に過 ぎな い。 然 る に龍 樹 は こ の大品 般 若 経 に
し ま つたも のを そ のまま に承 け つい で居 る の み の 後 世 の者 於 け る爾 方 に諦 を つけ爾 方 共 読 示 の方 法 だ とす る使 方 を 受 け
(例 えば 羅 什 の如 き) のよく な し得 る所 では な か ろう。 た も の か、 中 論 第 廿 四品 に極 め て 明瞭 に 二諦 を 爾 方共 佛 の読
(20)
其 の(二
眞)俗 二 諦語髄に つ いて 法 (buddhanam dharmだ
a-とd
のe圭s
張aをn掲
aげ)て居 る。
佛 の 教を 世 俗 諦 (loka-samvrti-or vyaと
vah
爾a來r龍a樹
-はdこ
atの読
yaを)
以 て 一貫 し、 智 度 論 で は こ の二諦 読 を張
第 一義 (aramartと
hにa分
)け る こと は早 く か ら あり、 大 品 張 し て居 る。 大品 般 若 経 そ のも の で はま だ 二 諦 を読 法 形式 と

-9-
(18)
系 般 若 とな れば 盛 に用 い ら れ る こと は周 知 の通 り であ る。 然 し て居 な い塵 で でも、 繹 の方 で は こ の 二諦 読 を使 つて 居 る塵
し 大晶 系 般 若 でも 早 い時 代 と 少 し遅 れ て から と では用 語 も用 が あ る。 巻 二九 (二七四 a、このあたり では輕 で は 勿論 一方 は諦
法 も異 つて居 る。翻ち 早 い方 では世俗諦 と第 一義 と (一方 には諦 を つけな い、印 ち箆り の境地そ のものとする) の繹 の虎 では、 ﹁佛
を つけ、他方には諦 を つけ てな い)して居るが、後 の方 では 爾方共 法有二二種一 一者世諦、二者第 一義諦、世諦故読二三十 二相一 第 一義
(
19)
諦 を つけ て世俗諦第 一義諦 として居 る。そ し て意味 が ち が つて來 諦故読二無相ご と し て居 る。 かく 佛 読 法 の方 法 とし て二 諦 を 出
て 居 る、 一方 だ け 諦 を つけ 第二 一
義 の方 に は諦 を つけ な い場入潤 す のは中 論 に於 てそ の読 を 確 立 さ し た龍 樹 であ るか ら であ ろ
のは、 立
思吐黙は、 世俗 諦 とは諦 (satya truth r)
如 ealう。
f勿a論
c龍t樹 の系統 の人ならば誰れ でも龍樹 に倣 つて二諦を かよう
を読 示す る爲 の世 俗 的 語 叉 は 世俗 的教 読 の意 味 であ り、 第 一 に使う であろうが、しかし、二諦読は龍樹以後でも彼れ の立 て た語
義 (parmartはh佛aの
)畳 り の境 地 そ のも の、事 實 そ のも の、 のみが行 われ たわけではなく、 一方を教読 とし他方を畳 り の境地そ
實 際 そ のも の であ つて、 そ は 言 忘 慮絶 だ とす る。 然 る に爾 方 のも のとする読もやはり行 われて來 て居る のだ か ら、智度論 を謬す
大智 度 論 の作 者 に つ い て (干 潟)
大 智 度論 の作 者 に つ い て (干 潟)
る際に、も し智度論 の原本に右 の如くなか つたな らば、羅什 は果 た 品第十八偶 と第十五品第十 一偶 とである。次 に巻十八 (一九〇 b-
してど のような課文を残したであろう か疑 えば疑 い得る であ ろう。 一九 一a)に ﹁如二讃般若波羅蜜偶言 こ と し て出 す 廿 偶 は 作者 名
かく 考 え る時、 智度 論 に 於 け る 二諦 に關 す る読 の部分 は龍 樹 を 學 げ て 居 な いが、 これ が 羅 喉羅 (rahulabhの
a作dな
rるa)
(21)
自 身 の筆 にな れ るも のと見 て然 るべ き であ ろ う。 こと は宇 井教 授 によ つ て詳 論 さ れ て居 る。 羅 喉 羅 は龍 樹 の弟
子 提婆 の後 縫 者 と せら れ るが付 法藏 因縁 傳 (
正、五〇、三 一九)
(3他)量日の引 用 の仕 方 より 見 て
佛 教 徒 の著者 が他 書 中 の竜 のを 引 用 す る揚 合 に、 著 者 名 も によ れ ば これ ら三 人 は同 時 存在 し た 期聞 が あ つた と推 定 さ れ
書 名 も基 げず に引 用す る場 合 は(
イ)佛読そ のも の、叉 は 佛読 に准 る。 而 し てそ の偶 を 作者 名 を學 げず に、 つま り 中 論 偶 を學 げ
じて権威あるものと信ぜられて居るもの、(ロ)著者自身の著書、(ハた
)と著同様 に し て出 し て居 る。 智 度 論 の著 者 に と つ ては こ の羅
者と教理的にも思想的 にも殆ど同様 に感 じら れ る師、弟、同僚 のも 喉 羅 の偶 が中 論 偶 と同等 の、 つま り龍 樹 のも の と同等 の贋 値
の、の何 れ か であ ろう。 右 以 外 のも のを引 用す る揚 合 は著 者 あ るも のと襯ち れ て いた の であ る。 さて以上 の場合、智度 論 の
名又 は書 名 叉 は 双方 共 を 基・
げ るか、 叉 は ﹁有 日﹂ の語 を 以 て 著 者は龍樹 でな く、龍樹以外 の後人でむしろ龍樹 (及びそ の師弟 同
す るが普 通 であろ う。 さ て今 智 度 論 を見 る に、 諸 塵 に龍 樹 の 僚) の読を佛読に准 じて権威あ る も のと貧崇して居 たが故に龍樹及

-10-
著入 とし て疑 う 蝕 地 のな い) 中 論 中 の偶 を 引 用 す るが、 そ の び羅喉羅 の偶を作者名を出さ ず に引 用した のでな いか、と の疑問が
際、 書 名 を 出 し て居 る揚 合 も あ るが、 著 者 名 は勿 論 全然 書 名 出な いとは限らないであ ろ う、然しそれを解決す る道 はそ の引用さ
さ えも 出 さず に學 げ て居 る こと も 屡 々あ る。例、 巻 一 (六〇 れて居る箇慮 の前後 の文章 の内容 を精査 するにあ る。.
もし前後 (

b)﹁読レ偶言﹂ として出す偶は中論第廿 三品第三偶 に。(六 一b)の にはそ の前) の文章 の内容が 龍樹 よ りは後人 のも のに相違な いとい
﹁如二摩詞衛義偶中読 こ とし て出す三偶 の申、初は 明 に申論第十 八 う黙 が明にな れば、智度論 の著者 は龍 樹でなく 後 人 で あ つ て龍樹
品第七偶に、三番目はそ の第八偶 に當 る (
中間 の偶 は未 だ謹定 し 得 (
及び羅喉羅) のも のを引用して 居 る のはそれによ つて自 分 の読 に
な い)。
又 (六四 c)の ﹁如二
偶 読 こ として出す二偶 の中 の後 の偶は 権威 づけようとして居る のだと いえ る であ ろう。然るに右の諸偶 の
申論第十七品第 廿偶 であり。巻五 (九六 c)﹁如二偶読 こ として出す 引かれる前後 (
特 に前) の文章 を糟査する に ﹁龍樹らしくな い後人
偶は申論第十八品第七偶 に。(九七b)に同檬 にして出す偶 は申論露 に相違 な い﹂と思われるよう な黙 は 見當らな い、大膿 龍樹 の言とし
敬偶 である。巻六 (一〇七 a)に同檬にして出 す 二偶 は申論第廿 四 て受取り得るも のであ る。故 に龍樹 (
及び羅喉羅)の偶を作者名を
墾げず に引用 した のであ つて、帥 ち 智 度 論 の著 者 は 本 來 龍 樹 な 1 塵 見 徹 堂 氏 ﹁龍 樹 所 引 の大 乗 輕 典 の二 三 に っ い て﹂ (宗 硯、
の であ つて、 龍 樹 が そ れ ぞ れ の問 題 に つ い て自 分 の意 見 を 述 新 九 ノ六)、三 枝充 恵 氏 ﹁智 度 論 に引 用 さ れ た諸 経 典 に つ いて﹂
(印佛 研、 一ノニ) 参 照。
べ、 そ の締 めく く り に、 再 び 同 じ ことを くり か えす 代 り に、
2 李 川 彰 氏 ﹁十 住 毘婆 沙 論 の著 者 に つ い て﹂ (印佛 硯、 五 ノニ)
自 分 の嘗 て作 つて お い た偶 (叉 は孫弟 子羅 喉羅 が嘗 て作 つて
3 最近の拙著 suviktantavikramipariprcha-prajnaparam-
自 分 も感 心し て 居 る偶) を 持 來 つ てそ の段 の結 語 と し た の で
あ ろう と観 ら れ る。 以 上 の如 く観 る時 は かか る引 用偶 を 含 む v.(on the author of ta-
滲c看hih-to-lun)
前 後 の文 は大 髄龍 樹 のも の と見 て然 るべ き であ ろ う。 4 十 住論 竜漢 課 (羅 什) の みあ つ て梵 藏 とも 傳 わ ら な いし、 そ
c類 これ は A でも なく、 B でも な い部 分、 の説中 智 度 論 の説 と 一致 し な い箇 虎 竜少 く な い (李 川 氏 前 掲丈
こ こは龍 樹 の屯 の ではな い と いう 特 色 は見 つか ら な い、 叉 参 照) ので、 龍 樹 の作 な り や否 や 疑 わ れ な い こと 竜 な いが、 自
分 は大 髄 龍 樹 の竜 のと 見 て い いと 思 って居 る。
龍 樹 のも の に相違 な いと いう 特 色 も見 つ から な い、 ぼ ん やり
5 李 川 氏前 掲 論 丈 参 照。
し た 部分 な のだ が、 致 し方 な い から 暫 く 傳 の通 り龍 樹 のも の
6 舎婆 羅 は ど の地 域 を指 し た か は わ から な いが、sabaは
rデaツ

-11-
とし て おく。 こ の部 分 は 全髄 と し て相 當 分 量 は多 い、 そ し て
カ ン地 方 の山 聞 未 開 族 と せ られ て居 るか ら攣 族 には相 違 な い。
この中 には今 後 精 査 す れば 或 は A の中 に、 或 は B の中 に入 れ
兜 咲 羅 を脚 註 に は 小 月 氏 と し て居 る。 修 利 は sukiとす
だれ ば
ら れ るも のも出 て來 ると思 う。 今の kashg地
a方rであ り、 後 漢 代 以 後 必 ず し も攣 國 で はな く
絡 り にA の部 分 は諸 庭 に散 在 す る が然 し総 計 し た文 章 の分 羅 什 も傳 に よ れば 嘗 て 一年 程留 學 して 居 た 虎 で あ る。 安 息 は
量 は必ず し も 多く はな い、 而 し て傳 の通 り に龍 樹 のも の とし parth
のiこaと で、 シ ナ では 少 く 竜 二 世 紀 以 後 か く稻 し た ので
て おく と いう C の部 分 は 今後 多 少 の攣 動 は あ つて もや はり 分 あ る。 これだ け な ら ば 梵 丈 に partと
hあiつ
aた のを 羅什 が 安息
と鐸 し た と 竜見 ら れ る。 大 秦 は ロー マ帝 國 の欧 洲 以外 の領 土を
量 は大 き い、 而 し て龍 樹 でな く て は な ら な いと思 わ れ る B の
やは り 二 世紀 以後 シ ナ人 が かく 呼 んだ の であ る が、 龍 樹 の頃 印
部 分 も あ る のだ か ら、 且 つ龍 樹 以 外 の人 の作 だ と いう傳 はな
度 の人 は 何 と 呼 ん で居 た か は知 ら ぬが、 大 秦 と いう のは シナ的
い のだ か ら、 結局 大 智度 論 は本 來 大 艦龍 樹 の作 で、 ただ漢 諜 呼 稽 であ る。 何 れ にし て竜 安 陀 羅 以 下 これ ら は シナ入 か ら見 れ
の際羅 什 が かな り 加筆嵐
痩改 レ た﹂
部 分 が あ るも のと いう こ と に ば 僻 遠 の攣 國 で あ つた のであ ろ う。 少 く 竜龍 樹 な ら ば自 分 の國
な る。 (一九五八、六月七 日) 安 陀 羅 を 弊 生 虎 の筆 頭 に お く筈 は な かろ う。
大 智 度論 の作 者 に つ いて (干 潟)
大智 度 論 の作 者 に っ いて (干 潟)
7 こ の上 に三 行 程後 の ﹁毘佛 略言娼夜反秦﹂ が あ る べき であ り、 後 18 西 義 雄 氏 ﹁初 期 に於 け る 二 諦 説 の 意義 ﹂ (宇 井 教 授 選 暦 記 念
の ﹁毘 佛略 呂夜反秦﹂
言未の曾
代有り にた だ ﹁未 曾 有 ﹂ とす べき であ る。 論 丈集、 三 七 五- 三 九 六頁)、同 氏 ﹁眞 俗 二諦 誰﹂ (佛 教 の根 本
8 眞 理、 一九 ニー 一二 八 頁)。佐藤 哲 雄 氏 ﹁般 若経 に 於 け る 二 諦
9 拙 著 ﹁本 生纏 類 の思 想 史 的 研究 ﹂ 一〇 六、 二 二 - 一二 二頁、 説﹂ (宗 學 院 論 集、 十 三)。
及 び 附篇 頁 四 一、五 七参 照。 19 大 品 般 若 第 六 十 七 (無 壼) 品 以 前 のも のは 一方 には 諦 叉 は 法
10 巻 五 (九 四b)、巻 三 三 (三〇 三 b、一
三 〇 八 c)、巻 三 五 (
三 を っけ ても 第 一義 の方 に は何 も つけ な い。第 六 十 八 (擾 五) 品
二 ハC、三 一七 a)、巻 五〇 (四 一九 a)。 以 下 でも 第 六 十 九 品 (正、八、三 六九 c)、第 七十 品 (同 三 七 四
11 西域 記 では 少 し ず つ異 つ た所 が あ る、 例 え ば ここ で女 羅刹 と b- C、 三 七 六 a)、第 七 十 四 品 (
同 三 八 一a)、第 七 十 六 品
あ るを 記 では龍 と し、 こ こ では佛 髪 爪塔 は濁 賓 隷 蹟 山 にあ ると (同 三 八 七 c、三 八九 b)、第 八 十 品 (
同 四〇 二b、 四〇 四 a)、
す るが、記 で は 那掲 羅 易 の近 郊佛 留影 窟 の西北 隅 とあ る。西 域 記 第 八 十 六 晶 (四 二二c、四 一四 b、四 一五b)。では 第 一義 には
のこ の佛髪 爪塔 は隷 蹟 山 の竜 のと は 全 く 別 物 な のかも 知 れ ぬ。 諦 を つけ てな い。 爾 方 共 諦 を つけ た のは 第 七 十 一道 樹品 (同 三
12 出 三藏 紀 集 巻十 四 ﹁鳩摩 羅什 傳 ﹂ (正、 五 五、 一〇 〇)。 七 八 c)、第 七 十 六 四囁 品 (同 三 九 七 b、 三 九 七 bf c)、第 八
13 現 大 正藏 経 本 には 千 那 と あ る も 干那の 誤 爲 な る こと は 明 であ 十 一具 足 品 (同 四〇 五 a)等 であ る。 放 光経 では これ に 相當 す

-12-
る、 雑 寳 藏 経 四二 では厨 那、 大 荘 嚴 論 では 鵜 那、kalpanaman- る揚 所 でも 世 諦、 第 一要 義 な ど と し て 一方 に は諦 を つけ て な い
ditika, で
pは.1l
4a8rn
でaあ るか ら。 が 軍 に二諦 と し た 場 合 は あ る。 な お 佐藤 哲 雄 氏前 掲 論 丈 では、
14 大 品般 若 には 爾 方 共 諦 を つけ た のは 全然 な い如 く と れ る が、 そ
15 六句 義 に つ い て、 巻 一〇 (二 三 二b)。實 髄 と し て の時 ・方 に れ は 誤 り で、 有 る こと は 有 る ので あ る。
つ い て、 巻 一五 (一七 一b)、巻 一 (六 五)。實 髄 と し て の我 に 20 中 論 第 廿 四 品 第 八偶 (正 三 〇、 三 二 c)、sk.
つ い て、 旛 一五 (二七 一b)、巻 一九 (二〇 〇 b- c)、巻 二 三
21 宇 井 伯壽 著 印度 哲 學 研 究 第 一、
三 四 一頁 以下、 拙 著suvikran-
(二 三〇 C)。業 に つ いて、 巻 六 (一〇 二 C)、極 微 (aun)に tavikramipariprcha-pps,p.1. (干 潟)
っ いて巻 二 一(一四 七 c)。
16 例 へば趣 微 存 在 の謹 明 に つ いて 勝論 経 よ り進 ん だ 説 は 2団騨
ya-autra iv.
にb出.て
2居3る
-、25
これ ら 正 理 輕 にあ る自 然哲
學 に關 す る 説 は 勝論 汲 のも の であ る。
17 mbh. moksadharma,3等
0。8,27-29

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