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アポロの杯
アポロの杯
新潮文庫
アポロの杯
新 潮j 文 庫
アポロの杯
三島由紀夫著
新 潮 社
﹂
新潮文庫
アポロの杯
三島由紀夫著
容
子
新潮社版
2898
目
.
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アボ
の
ロ
ー包
一
沢村宗十郎について・・;:
三正
雨 月 物 語 に つ い て -j
フ守
オスカア ・ワイルド論
寸二
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陶酔について
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中
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白岡
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十八歳と三十四歳の肖像画・ ・
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存在しないものの美学 ﹁
新古今集 ﹂珍解--
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北 一輝論l ﹁日本改造法案大綱 ﹂を中心として ・・
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一
小説とは何か・ ・
ヨ正
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白
説
彰
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杯
アポ
ロ
の
杯
8
航海日記
十二月二十五日
手 続 と 仕 事 の 疲 労 。 あ わ た だ し い 出 帆 。 少 量 の 風 邪 。 ク リ ス マ ス ・ディナー。サンタクロー
スから贈物をもら って、クリスマス ・カロんをうたう子供らしいパーティー。就寝。(船の名
の 杯
はプレジデント ・ウィルスン、船室は一八二号室)
ロ
十二月 二十六日
ポ
しり
。
7
隣 室 の 日 本 人 の 友 人 て人は船酔で起きて来ない 。一 人で朝食をとる。今朝はやや時化である
。
千 佼 -夜 物 語 の 管 法 に よ る と 、 乙 の 船 の 生 活 は 一行 に 尽 き る 筈 で あ る
﹁それから私たちは、十四日の航海を経て、バグダッドに篇きました﹂
ヲ
そ れ は バ グ ダ ッ ド で も 、 わ れ わ れ の よ う に サ 業 匙ョでも、変りはない。船客としての航海日
J
記はほとんど意味がない。とこには行為が欠けているから、書く価値がないのである。
船 客 の 生 活 と い う も の は 抽 象 的 な も の だ 。プ ロムネイド・デ Yキを初老の夫妻が、腕を組ん
で 、 衛 兵 の よ う に 規 則 正 し く 行 った り 来 た り し て い る 。私はデ γキ ・チェアに寝乙ろんで、と
の単調な動物の運動を見物している 。少くとも四カ月、私は仕事をしないでもいい。仕事をし
しゅうち
ていない時のとういう完全な休息には、太陽の下に真裸で出てゆくような、或る充実した蓋恥
がある 。
船客たちの抽象的な生活、それは必ずしも純粋な精神生活の保障とならない。自の前の単調
な散歩がその 一つの証左であるが、精神生活と肉体生活が殆ど同様の意味をしかもたないよう
はつらつ
なそういう抽象的な生活・なのである 。精神生活が滋刺としているためには、肉体がもっと具体
的なものにつなが ってい・なければならない。と ζろがと ζでは具体的なものに、たとえば海と
いう自然に肉体がつながる場所とでは、ただあの船酔という場所を措いてはないのである 。
ロ の停
会食
一方 ﹁船客立入るべからず ﹂ の札の彼方では、具体的な躍動する生活がたえず緊張して動い
AV
ている 。 それは海という自然を指し示し、いつもその自然の機密を人聞に密告しているレーダ
7 ボ
ーや羅針盤をめぐる生活、さらにまた船が発明されて以来伝承されている縄をたぐったり、機
関を操作したりする肉体的なカのいとなむ生活なのである。
ζうした具体的な生活の営まれる場面の更に彼方から、航海のあいだ、自然はなお、鉄墜を
とおして船客たちの抽象的な生活に影を投じて来る 。それが船酔なのである。
単なる船酔を、思考と思いちがえている知識人がいかに多いととであろう。
*
﹁君 は 太 平 洋 を 泳 い で 横 断 で き る か ?﹂ と案内書に書いである 。 っ,つけて﹁わけはない。毎日
本船の施設完備のプ l ルで泳ぎたまえ ﹂
0
1
私たちの食卓のボオイは気さくな老人だ。彼はいつもロのなかで歌いながら料理を運んで来
る。﹁コlンド ・ビ1 フ ミ ツ ウ ﹂ : ﹁ グ リ 1 ィ1 ン ・ティlイ﹂ l│'時には、紅茶の袋をポ
ットに入れるのを忘れてお湯のまま持 ってくる。﹁チヨッ 、チ ヨッ 、チ ヨッ、アイム ・ソ lリ
ィ l・アイヴ ・フォlォ!ゴットン﹂
トタアシアメザ γ
との年とった搬船同は料理の名なら大抵知っている。それから沢庵と悔千まで。
十二月二十七日
の杯
あんたん
きのうにまさる時化である。日は時く、時として雲どしに現われてい暗渚たる光を投じる。
ロ
海は昨日も今日も黒い。船尾と、彼方の波が砕ける真際とに、了度硝子の切白に見られるよう
私製翠色が鮮やかに現われる。それだけである。私は船室へ眼鏡を忘れて来たO 今プ、 Jム一MM
ギ中
ド ・デッキの窓際をかすめた鳥が、蹴伊ったか 、それともボオドレエルが出酬の背骨骨 ﹁
間一九
ア
ダ﹂だったか、見定めるととができない。・・船の中では税がかからないというので、今日私
はカフスボタンを買った。ああ、愚劣な買物 。
きのうも今日も、木下訟が鵬氏が紀行の中で、 ﹁味のない煙草 ﹂ と賠ヅている・へんメルを貿
﹁ 味のない煙草 ﹂を喫して、胃をいたわるためである 。
つてのんだ 。
宮-
降、同
木下杢太郎氏の紀行は、 K氏の貸与によるものである。文章は富山尼美しい。殊に眺めるに美
レい。
1
おどろ
その ﹁寂 し い 旅 ﹂ の心境が、私の心境とあまりに隔っているととに侍いた 。ゆくりなくもモ
ン
一ア l ニュが ﹁随 想 録 ﹂中の ﹁悲しみについて ﹂ の章で、 ﹁と の 悲 し み と い う 情 緒 は 私 と は 縁
遠 い も の で あ る ﹂ と書いている冒頭の数行を、対蹴的に思い起した 。
たいせき
﹁智 恵 の 悲 し み ﹂ は十九世紀人に流行したダンディスムである 。ヴアレリーは地中海的晴朗の
ζうし よう デジlル
うちへとれを脱出し、ワイルドはメナルク式の咲笑のうちへ、ジイドは欲望のうちへ、とれを
脱 出 し て 赴 い た 。今世紀の文学者はほとんどダンディスムを持っていない 。芸術家が市民的念、
できれば銀行家のような装いをすべきととを説いたのはマンである 。
杯 ポ オ ド レ エ ル は 不 感 不 動 を 以 て ダ ン デ ィ ー の 定 義 を し た 。感じやすさ、感じすぎるとと、乙
もつ
の
・ れはすべてダンディーの反対である 。私は久しく自分の内部の感受性に悩んでいた 。私は何度
かとの感受性という病気を治そうと試みた 。 それには 二 つの方法がある 。濫費して使い果たす
ポ
見反対の効用をもちながら、併用する乙とによって効果を倍加する薬品があるものである 。
感 じ や す さ と い う も の に は 、 或 る 卑 し さ が あ る 。多くの感じやすさは、自分が他人に感じる
ほ ど の こ と を 、 他 人 は 自 分 に 感 じ な い と い う 認 識 で 軽 癒 す る 。子 供 の と ろ 私 は 父 や 母 が 、 人 前
け いゆ
で 私 の 恥 か し い と と を 平 気 で 話 す の を き い て 、 絶 望 し た 。 しかしやがて世間の人がさほど思 つ
し
ていないととを識るにおよんで安心した 。
世間の人はわれわれの肉親の死を篭も悲しまない 。少くともわれわれの悲しむようには悲し
まない 。 われわれの痛みはそれがどんなに激しくても、われわれの肉体の範囲を出ない 。
11
、物乞いをする卑しさで
感じやすさのもっている卑しさは、われわれに対する他人の感情に
2
1
ある 。自分と同じ程度の感じやすさを他人の内に想像し、惣像するととによって期待する卑し
さである。感じやすさは往々人をシヤルラタンにする。シヤルラタニスムは往々感じやすさの
ふ
︿しゅう
企てた復讐である。ふしよ︿
。
私 は ま ず 自 分 の 文 体 か ら 感 じ や す い 部 分 を 駆 逐 し よ う と 試 み た 感受性に腐蝕された部分を
献附した 。 つ い で 私 の 生 活 に 感 じ や す さ か ら 加 え ら れ て い る さ まざまの剰余物、スい吋りとか
。ね の 理 想 と し た 徳 は 剛 毅 で あ っ
けられたホワイト ・ソースの如きものを取り去ろうと試みた
。
た。 それ以外の徳は私には価値のないものに思われた
の 杯
すペ
。すとし遠いととろにあるコ
ロ
午食のとき、卓がかしいで、皿もコップも片方へとってしまう
*
'
ップを支えようとして、筋子を乗り出すと 、椅子がとり出して、私はとりながら落ちそうにな
ア
った 。
﹁
どとへ行くんですか ﹂
とポオイが笑いながらきく 。
私が答える 。
﹁サンフランシスコへ ﹂
十 二月 二十八日
はじめての晴天。海は穏やかである。船長以下白服に着かえる。
亭午、船は北緯三十度二分、東経百六十三度十三分に在る。横浜を隔るとと千二百六十マ イ
ルである 。
テネシーのカレッジを経てハーバード大学へ留学する坂庭君と 、二世の木村君と三人で ωFE
・
5与S E というデ ッキ・スポーツをする。興の乗るあまり、救命具をつけて集まる船客待避
演習におくれる 。
日没ちかくまで露天の椅子にいた。四固に陸影を見ない。
今日すでに私は怠惰に慣れている 。 ζういう私を見るのが私は大きらいだ 。
ロ の杯
太陽 l 太陽 1 完 全 な 太 陽 !
私たちは夜中に仕事をする習慣をもっているので、太陽に対してほとんど飢渇と云っていい
ポ
欲望をもっている。終日、日光を浴びている ζとの自由、仕事や来客に煩わされずに 一日を日
ア
はベ
光の中にいる自由、自分のくっきりした影を終日わが傍らに侍らせる自由、との 一日サン ・デ
ッキにいて 、鶴ザにして私の顔はVWけした 。
B
hv酔A-AJFレトA'AJ
今日の快晴と平穏とは、昨夜おそく甲板に出て、かすかにゆれている僑上の灯ゃ、頭上のオ
リオンを仰いだとき、すでに予期されたものである 。陸の影も、船の影も、雲の影ももたない
巨大なフラスコの内部の ような海。とのすばらしさは、とれから見るどんな未知の国のす ばら
りょう,か
しさをも凌駕しているように思われる。とういう時にわれわれは、えてしていちばん下らない
ζとを思い出す。﹁ワイルドの回想 ﹂ の一一貝に、ジイドがとう書いている 。
﹁ 太陽を崇拝する ζ
3
1
と、ああ、それは生活を崇拝する ζとであ った﹂
4
1
今日はじめて .
アールに海水が湛えられた 。外人の父子が熔々として泳いでいる 。私も少し泳
企たきき
いだ。水はまだ甚だ冷たい 。水の中にいたのはわずかの聞である 。
み と
私は今日、日没を見なか った。一 日、太陽の面差に見惚れていたので、その老いの化粧を見
ょうとは思わなか った 。ボルト ・リ ッシュの ﹁
昔 の 男 ﹂ に出てくる感じやすい少年オ lギ ュス
つく る。弘もまた日没以外
たね
タ ンは、日没にばかり興味をもっ ζとで、その両親の心配の種子を
に太陽 の存在理由をみとめようとしなか った少年時代を持 っている 。 そういう感じやすい頑固
の 何:
さから今や自由である ζとの喜びを、私は太陽に身をさらしながら満身に酌ひか 。
夕刻、船長コ yクス氏招待のカクテル ・パーティーへ出る 。
J
J小
北米紀行
ア
曲
や
六十ちかい小柄な痩せた女で、お納戸いろの洋服を着て、金ぶち の眼鏡をして、首にレイを
不イド ・デ ッキの窓から、遠ざかりゆくホノルルの灯をみつめている 。彼女は
かけて、.フロム 、
ハワイまで同行して来た同郷の老いた友人たちとことで別れ、 一人でロサンゼルスへかえるの
である 。
四十年まえ、彼女は仙台から米国加州 へ移民に行 った。今ではロサンゼルスに中どとろのホ
テルを持ち、 一家はその土地で栄えている 。 日本へかえったのは、今度で四度目である 。三 度
目のときは 二十八年前の関東大震災にぶつか って、出帆真際に、荷物をす っかり焼かれてしま
った 。 四度目の今度の旅が、彼女にはどうしても臼本の見納めだと思われるので、四十五日の
旅券をさらに延期して、ぼうぼう へ足をのばして、四国や九州や、そうかと思うと故郷からそ
う遠くない平泉や 雪 の松島を見た 。松島は 一等親しみのある名勝であるが、 雪 に包まれたとの
島を見たのははじめてである 。
のい
例、
息子や姪は米国の市民権をも っているのだから、自分も帰化さし
もう四十年も米国に居り、 、
はか ど う
てくれてもよさそうに思う 。 しかし帰化の手続はなかなか捗らない 。九分九厘巧く行きそうに
全
の
なると、また御破算になって、はじめからやり直さなければならないのである 。市民権のない
ロ
ポ
者には、土地所有が許されない 。彼女は自分の土地を姪の名義にしており、姪が遠い都会にい
ア
イ
ワ
ノ、
ロ
一月 一日
ポ
む肩ぴただ
の家のたたずまいも、移しい自動車の色も、空の色、海の色も、五セントで売っている紙筒入
ζおりいち
ロ
り氷荏の ζ
F
シロップの色も、われわれが人工的な着色だと思い込んでいる、あのライフやコリヤ
ポ
! の 天 然 色 広 告 写 真 の あ り の ま ま の 現 実 化 な の で あ る 。 ワイルドの理論を借りれば、ハワイの
ア
風光は、商業美術の発達なしには考えられない筈である 。
ハワイにはわかりやすくないものは何もうけ人れられないように見えるが、ハイフェアツも
メニューヒンもとの島へ来るのである 。東京のようにメニューヒンを祭り上げる事大主義の歓
迎をあざ笑って、二世たちは彼らを冷静に迎えた ζとが自慢である 。
ハワイでは精神の緊張がともすれば失われるので、意外に肺結絞や胃腸病や精神病が多い。
自動車の発達が、足を退化させ、消化を不良にする傾向を、皆が心配している 。二 世部隊の忠
をど
勇 義 烈 が 、 こ う し た 母 官55202 の危慎に対するまととに有力な反証になった。
7
1
ホノルルは何か用意周到な野趣というようなものを持 っている 。あらゆる観光地には、 ﹁
売
8
1
られた花嫁 ﹂ のような野趣、いわば野田胆の売笑化があるものだが、ホノルルのはそれとも幾分
、
ちがっている 。 そ れ は 文 明 の も た ら す 生 活 的 利 便 の 、 さ ら に 先 廻 り を し て い る 自 信 を も っ た
熱措のあの偉大な自然の怠惰の威力なのである 。 とういう対抗手段をもたない不幸な米国本土
、
の婦人たちが、生活の完全な電化のために生じた閑な時間をもてあまして、来る日も来る日も
骨骨砂で昼間から町慨に脳って、憂欝な表情で札を繰 っている写真を、何某の雑誌で見たとと
がある 。 とれに反して、物質文明の利便に追いつめられた果てにのがれてゆく先を持っている
ハワイは仕合せである 。 その先には何ものも位すべからざる怠惰があり、何もせずにいるとと
杯
ζそ熱帯のお家の芸であり、とれとそホノルルを観光客に魅力あらしむる野趣であり、ホノル
の
ζの風土にあきたらないで多くの青年がなお
ロ
ルの真の健全さの源泉であるかもしれないのに、
ポ
アメリカ的野心にかられている。
ν
7
ホノルルでの十時間のあいだ、印象の深か った鼠色は何かというと、それはあの広大な
リ ・ロード の眺めでもない、著聞のワイキキ海岸の日投でもない、私の今乗 って来冗官船が碇
制しているさまを、町の 一角からながめた風民である 。港の入口に沢山植えられた榔子に船腹
を半ば隠されて、船は今、夏用去を背景に、口動車の行交う銀行やビルディングの整然たる街路
へ、乗り入れようとしているかに思われる 。 との両聞には、凡庸であればあるほど 一回尽きな
い詩情があったが 、見ているうちに、私はそれが 一度どこかで見た風景である ζとを思い出し
た。叫仰向穴にして思い出した 。それは私の船の属する会社で発行したパンフレ ットの、或る頁に
:図
刷│
港3 明
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11
た
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天
色
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た
真
の
印
で
桑f 写
れ
一月 六 白 ││ 八 日
船が 23=s 烏の傍らをすぎると、冬の朝の蒋呈りの河内に、桑港が徐々に姿を現わした。
左方の山脈は 雪 をいただいており、船のゆくてに金門橋が模糊として見えた 。
PILOTと自書した水先案内のヨ ットが近づいて来て、甚だしく揺れ・ながら、検疫{呂をの
ざん ζう
せたポ l トを下ろした 。 その儲間をおびただしい鶴がかすめ、 ウ イルスン号の残肴を追って湾
杯
の
口深く護衛して来るとれらものほしそうな水先案内の鳥たちの、 一羽 一羽の愛らしい横顔を、
Yキ の 窓 か ら 、 日 近 に 眺 め る と と が で き た 。 そのま っ白な紡錘形
ロ
われわれはプロム 、
不イド ・デ
ポ ︿ちばし
の 躯 と 、 そ の 黄 い ろ い 噴 と 、 小 さ い 黒 い 目 は 、 大 そ う 生 真 面 目 に 見 え た 。鴎はときどきあわ て
ア
よそみ
て外見をする生徒のように、その身は船の方向と平行を保ちながら、われわれの見ている窓の
ほうへ顔だけをちらりと向けたりした 。
判
ド
日 本 料 理 を た べ さ せ る 屈 が あ り 、 私 の 泊 ったお粗末な宿のように、日本料理の献立を看板に
し て い る 日 本 人 経 営 の ホ テ ル が あ る 。 ととでは日本という概念が殊のほかみじめなので、まる
で わ れ わ れ は 祖 国 の 情 な い 記 憶 だ け を 強 い ら れ て い る よ う な 気 持 に な る 。顔 い ろ の わ る い 刺 身
ふん い き
と、がさつな給仕と、 一膳 飯 屋 の 雰 囲 気 と 、 組 患 な 味 噌 汁 と 、 日 本 で は 下 等 な 宿 で し か 使 わ な
9
1
い均 一物の食器との食事である 。
0
2
すす ろうしゅう
身をかがめて不味い味噌汁を畷 っていると、私は身をかがめて日本のうす汚れた随習を犬の
'
ように畷 っている自分を感じた 。 とういう陣習のかずかずには、日本にいるあいだ、私自身可
成都黙とした反抗を試みていたつもりであ ったが、桑港に来て、(幸い本国の日本人たちの目
ふ︿しゅ う
阻習 ﹂という存在に復讐され、刑罰を課せられてい
にとまらない場所ではあるが)私はその ﹁
るのである 。
r
bva
F
あらゆる民族が、その住む土地に彼らの民族的風習を持ち込む ζとは、恕すべき場合もあり、
微笑に価する場合もある 。英国人はあらゆる土地に英国をもちとみ、米国人はあらゆる土地に
の杯
いしどうろう れきぜい
。殊に米国人
米国をもち ζむ。 そうして東京の接収住宅の石燈龍を白渥育で塗り上げたりする
は科 学 があらゆる風土の生活の非衛生や非合理を解決してくれるものと信じているし、英国人
ロ
。
7
日本人が移入して、ささやかに日本人の問だけで売られている味噌汁には、とうした意味で
二重の不調和があり、 二重の醜悪さがある 。 それは善意を欠いた消極的な小さな汚れた嘘のよ
y ポ
みいだ
うなものであるのと同時に、移住した風土と謂和を見出し、あるいはとれに反抗しようにも、
その対象を見出す ζとのできない迷児になった風習であり、しかも遠い故国の風土自身が精刀
きゅ い
に乏しいととろから、崎型に育 ったその遺児なのである 。
桑港周遊の 一日は、時雨の往来のあわただしい 一日である 。止むかと思えば降る。今し自動
や
車の前窓を大粒の雨が叩くかと思えば、人気のない広大な金門公園の森の 一角に、突然現われ
る目ざしを見たりした 。
わ れ わ れ は 冨RW・
2ouES 出 O︻己の楼上に上 って、午後の酒をすとし呑んだ。ととは桑港
1
2
市を斗昨の下に収められるととろである 。
a
rち宮う
2
2
L
桑港湾の跳望を右方にベイ ・プリ アジが、湾口に削げの金門橋が区切っている。きのうその
やす
。
金門橋をくく った私の船は、今眼下に紺と赤の煙突を見せて憩んでいる 湾の中央に連邦刑務
同がうずくまり、その右方に、トレジャア ・ア イ ラ ン ド (宝烏)と名付けられ
所 の ﹀}gq 由N -
H
。
た埋立地が横たわ っている 。監獄島のあたりは雨らしい
。
対岸 はバークレイ、リ ーチモンドの地である 。中央に加州大 学 の白い培が瞭燃勺見える と
のとき風景は、思いがけない異常な美観を 呈 していた 。湾の中央部まで雨雲が件んでおり、そ
の彼方は口が 当っ ているので、対岸の市街全体が、白昼でありながら、月光を浴びたようにき
の事事
めて光りを放つ死んだ 星 のように、夜の燈火も及ばない異常な白い花やかな反射光を一せい以外
ア ポ
放 っていた 。それはいわばかれら自身の存在以上、能力以上の光に照らされている無カな枕惚
感を湛えており、われわれが日光を浴びているとき気が つかないでいる自然や市街の表情、森
や白壁や、 岸壁ゃ、杭航や、塔や、急坂ゃ、教会ゃ、住宅地の窓でさえも、おのずとうかべて
いるかもしれない、とうした 天体と 全 く同じ表情を、雨と晴との微妙な同時の交錯のおかげで、
私はぬすみ見るととができたのである 。
ゆくりな くも謡曲 ﹁船弁慶 ﹂ の ﹁波頭の報開は日晴れて見ゆ ﹂を思 い出させるとうした鴨川
をた のしんだ のち、われわれは楼上を 去りがけに、湾と反対の方角の 空 にかか った 一条の稀薄
な虹を見た 。
桑港で活動写真を つ 、 ﹁クォ ・ヴアディス ﹂ と ﹁ホフマンの物語 ﹂を見た 。前者は無味乾
燥な見世物である 。一
一
後者はどんなに讃めてもいい佳品である 。殊に第 二 の褐話の ﹁ジュリエ ッ
隠そ うわ
おういっ
タの物語 ﹂ は詩趣横溢している 。 レオニイド ・
むち聡
7yv
イヌ扮する蒼白のシュレミ l ルは、ワイ
うふつ きしよう
ふん ぞう附︿
ルドの ﹁漁夫と人魚﹂ の腕慨をたずさえて森にあらわれる蒼白の貴人を努需とさせ、その奇獲に
えんぜん
して憂惨な黒衣は、宛然ビアズレエ画中の人である 。
ロス ・ア シ ジ ヱ 凡 ヌ
羅府
の杯
一月八日 │ │九日
フラシス
. ロ
ハンテイントン 美術館は英国美術とルイ王朝仏蘭西工芸品と英国古典文学の古文書との注目
ホ
しゅうしゅう
すべき蒐集を展覧している 。 へンリイ ・E ・ハンテイントン氏が 一九O八年から 一九 二七年に
ア
わたる蒐集の公開せられたものである 。
、ら
ロココ様式の調度で統一された窓のない灰惜蝿暗い 一室に、ルイ十五位時代の幾多の白粉宮ゃ 、
のF おしろい duc
ちゅ う
十八世紀末から十九世紀初頭にわたる英国華宵界の名撃の肖像をえがいた、あまたのメダイヨ
AB
ンが陳列されている 。
会。んザ ︿
との 一室 は就中、ととに作む人をしばらく夢みさせる 。白粉宮は甚だ精巧な細工を施され、
ζうち ほぽし ら しつぴ
その工人の手は優雅と巧綴の境を極めている 。蓋の 一つ 一つが楢の櫛比する港の光景ゃ、戯れ
げ ら
に矢をつがえている幼ない葺緩いろの裸のクピイドや、美しい 三人の姉妹の肖像画ゃ、古典劇
3
2
を演ずる劇場の風景ゃ、貴族の男女が緑濃い庭に嬉戯するワートオ風の画面ゃ、狩の動物の密
4
2
固などで飾られており、細かい宝石をちりばめた色あざやかな七宝や彫金の額縁がとれを囲ん
ガラスおり
でいる 。その蓋をあけようにも、とれらの白粉笛は無粋な硝子の撞にとじとめられているので、
手をふれるととができない 。 しかし七宝の鮮やかな緑や庭園嬉戯図の潤いのある夕空の彩色な
ちょうつがい
どを見ると、これらの小宮の中、たとえば金の小さな蝶番の内側などに、そのかみの白粉のほ
wf
んの 一 ほどが名残をとどめていそうに思われる 。硝子をへだてて移り香はわれわれに届か
ないが、小宮の周囲には今なお昔の佳人の薫りが漂 っていそうに思われる 。その人は亭午をす
ぎてものうげに目ざめ、昨日も今日も同じ無為の 一日の装いのために、窓持切りが鳥簡の影を
ロ の杯
落す窓わきの鏡台に立ち向い、白粉宮の蓋をあけたであろう 。 しかしとの些か繊巧に過ぎた白
粉宮は、むしろ蹴献を予感している貴婦人の午後の化粧にふさわしいかもしれないのである 。
ポ
むしろ貴婦人はとの小宮の収める白粉の量のあまりに少ない ζとを嘆いたあげく、日々費され
ア
と︿たん
る移しい白粉を収めるためには、黒檀の大きな笛のほかにはない ζとを、応じだしていたのか
もしれない 。 そうだ、とれらロココ経味のエ ッセンスのような白粉宮は、掛 って私を不吉な夢
。
想に誘う 。 その形はともすると、小さ・な棺の形を連想させて止まないのである
むしろわれわれの日を、生涯の最も若く最も美しい絵すがたを残しているメダイヨンの人々
の上 に移そう 。
だ えん
。
とれはエドガア・ポオの、あのロマネスクな ﹁惰同形の肖像画 ﹂たちである ポオのとの作
品の 奇妙な芸術的効果は、作品自体が小さく完全で、冒頭の風景描写を人物の暗い背景とした
その作品自身、 一つの ﹁
惰同形の肖像画 ﹂ たる ζとである 。 との物語はかくて 二重の効果をあ
げている 。
メダイヨンはいずれも、金の、あるいは七宝の、宝石の額縁を持っている 。その彩色は今も
あざやかな光沢を保 っている 。 もちろんそれらは厳密な意味での芸術品ではなく、富と権勢が
てきしゆ っ
工人に強いた ﹁人工的 ﹂な美にしか過ぎないが、なまじ芸術的な気位が引出した醜さよりも、
とれらの蝿態の作り出した美しさのほうが、今では残すに価値あったものとさえ思われる 。
ぴ ‘ほ
い
つらつ
それでも大英帝国の ﹁かがやく藤壷 ﹂を形づく った ζれらの麗人たちは 一人 一人澄刺たる性
MM
格を帯び、多くはいたずらっぽい目付を典雅な額の下にかがやかせている 。一 人一人が誇らし
の事事
自分を
ポ
ダイヨンを隠し持っていたその愛人たちは、おそらく夢想もし-なかった ζとであろう。半世紀
ア
おおかげん
その 二人 の 名 を 思 い 出 す と と は 閤 難 で あ る 。私は今機ょにあり、カタログはチッキの大鞄の
中 に 入 っている。と もかく 二人とも 一番美しい。 一番若々しい 。一 番気高い 。
お
強 ‘
d
ともすると私はその名を思い出さないほうがよいのかもしれない。何故なら私の夢想は、 二
人の相愛を偲んで止まないが、おそらく年代をしらべると、 二人の年齢は同じ若さと美しさの
時期に、かれらを逢わせる ζと が な か っ た か も し れ な い 。 そ し て 万 一 私 の 夢 想 が 真 実 だ っ た と
おそ
し て も 、 そ の 夢 想 の 結 果 に 思 い を 及 ぼ す の は 、 怖 ろ し い と と で あ る 。二 人の聞に出来る子供の
こと、 ・ ・ああ、との両親以上の美を考えるのは怖ろしい。しかし美はその本質上不毛なもの
の事事
e e
であるから、よし二人が結婚したとしても、子孫を儲けるととなく終ったかもしれない。
ロ
│ │ 羅 府 よ り 紐 育 に む か う A -A -L機上にて
ポ
ホ
了
大 英 美 術 館 か ら 借 用 出 品 の タ l ナ ア を た く さ ん 見 る 。 タ Iナ ア は 私 を お ど ろ か せ た 。 水 彩 の
スケッチは殊にいい。イタリーの劇場の印象、オセロのスケッチは殊にいい 。
判
ド
ウィリアム ・ブ レ ー ク の 初 版 本 ﹁ソングス ・オプ ・イ ノ セ ン ス ﹂ を 見 た 。 自 刻 の 木 版 に 水 彩
を施したもので、きわめて美しい。とれを見たととは緩府における私の最も大きな浄福だと 一
玄
っていい。
ニューヨーク
一月十日││二十日
も︿ろみ
その土地々々で、そとにふさわしい日々を送るととが、私のこの度の旅行のたのしい目論見
であり、野心でもあった 。素速い順応と転身の想像は、その土地に着く何日も前から、旅人の
心をそそって止まないものである。桑港の味噌汁が私を怒らせたのは、その逆の理由に拠る。
さて紐育で、私ははからずも、甚だ紐育的な日々を送った。つまり寧日ない日々を送 った の
である。
の杯
,舎の
東京に於ける米人の友パッシン氏の紹介状が殊のほか利目があった。飛行場へ出迎えに来た
クル iガア女史の属する団体が 、紐育滞在中いろいろと私の面倒を見るととにな った。
ロ
ポ
なので、パ氏は・へン ・クラプよりも多くの芸術家が参加しているとの団体へ私を紹介してくれ
彼ら
たのである。氏は私について随分と法螺を吹いてくれたらしい。そ ζでとの団体の歓迎ぶりは 、
ゅう智
友誼的でもあり、札を尽くしたものでもあった。殊にクル lガア女史の親切は、親身も及ばな
いものだったと云っていい。
っと
クル I ガア女史は社会主義者である。三十七八の見るからに俊敏な女性で、良人と子供三人
L8
と或るアパートメントに住んでいる。紐育つ児で、早口で、実にてきぱきしている。それでい
7
2
て情にもろくて、感情が激してくると、途端にふつうの女にかえるととろなどは、日本にも決
して珍らしくない型の女性である 。彼女はその団体││﹀ヨ四三g ロの055E2 向。﹃の巳gg-
8
2
彼 女 の 髪 は ブ ロ ン ド に 近 い 色 を し て い る 。 そうかといって赤毛ではない。しかし赤毛の女を
彼女は時々羨しいと思う。
うらやま
ロ
ポ
私を案内して彼女は生れてはじめてエムパイヤ ・ステート・ビルディングの頂上へ登った。
7
とれはねが毎月泉岳与のすぐ近くで会合を持ち・ながら、 一度も泉岳寺の門内へ入ったととがな
いのと同様である。さらに彼友はレイディオシティ l ・ミュージックホ l ルへ案内して、その
劇場の規模に私がびっくりするように要求する。地下室の婦人用化粧室がすばらしいから、そ
れを私に見せたいと思うが、さすがの彼女にもそれはできない 。 そ ζで出しなに、案内係に劇
場の収容人員を大声で聞く 。案内係は七千人と答える 。
﹁お お 、 七 千 人 !﹂
彼交は 一番先に模範的におどろいてみせる 。近くにいたお上りさんの若者二人が、今度は彼
女からそれをきいて、目を丸くする 。
クル l ガア女史は、ゲイシャ ・ガーんに つ いてしきりとききたがる 。 そうしてゲイシャ ・ガ
ー ル を 好 く 日 本 の 紳 士 や ア メ リ カ 紳 士 に つ い て 、 何 度 も 問 じ 冗 談 を い う 。私は社交喫茶の女の
ととも話して、法外なチ ップ に つ い て と ぼ し た が 、 彼 女 は そ の 何 割 が 彼 女 自 身 の 手 に 帰 す る か
な い が 七 割 ぐ ら い だ ろ う と 返 事 を し た 。 七割ならいい、それならい
と質問した 。 私 は よ く 知 ら ・
い、と彼女は大いに我意を得た 。
クル lガア女史の着物の好みは渋い 。 派手な色は好まない 。.
し ゃれ
l度 よ い 程 度 Kお酒落である 。
彼 女 は 黒 い 着 物 を 好 む 。 それが髪の色に似合うからである 。彼 女 は 私 が 話 す グ リ ニ ア チ ・ヴイ
の伺:
レ ッジのボヘミアン ・ライフの話をきいて、舌打ちをしながら、私はボヘミアンではない、と
言っ た。
ロ
7 ポ
彼 女 は 自 分 の 年 が 、 私 の 同 伴 者 と し て は 多 す ぎ る と い う 冗 談 を 何 度 も い う 。一 度私が彼女の
年 に つ い て ひ ど い 冗 談 を 言っ た ら 、 大 声 で 笑 って、あとで少し泣いた 。 明くる日、私に ζう言
った 。
e念 企
﹁き の う の あ れ は ゆ る し て あ げ る わ 。貴方だ って、本 当 に私がおばあさんだ ったら、そんな冗
a
談は 言 わ な か っ た で し ょ う ﹂
寸そ う で す と も 、 貴 女 が 若 い か ら 、 僕 だ って平気 で云っ たんです ﹂
急智弘信た
よろしい 。 ゆるしてあげる ﹂
1
彼女は私を社会主義者にしようと試みる 。
9
2
アメリカの社会主義者はきわめて少数である 。その或る人たちはかつて共産主義者であった
0
3
のが、今は社会主義者に転向している事情は日本に似ている 。 アメリカの社会主義はまだ英国
に於けるがような実績をあげていない 。固有化の行われた産業は 一つもない 。それはまだ知的
一傾向たるを脱していない 。
私を社会主義者にしようとする彼女の試みは、間同時になかなか功を奏しない 。見送りに来た
飛行場の休憩室で、彼女はまたその議論をむしかえす 。 そのため私は危うく飛行機に乗りおく
れるととろである 。
。
私はタラ ップをかけのぼ って、もう閉 っているドアを j yクして、乗せてもら った
の杯、
* ζとである 。返事をし
ロ
に思われているζとは、甚だしいものがある 。はじめ私は社会主義者だけがそうなのかと思っ
ていたが、フロリダで会 った富裕な男女からも、アメリカのインテリはとぞ って彼を毛ぎらい
しているという証言をきいた 。 よほど彼の超人主義がアメリカの水に合わないのであろう。
私は紐育に着いた晩のとと、メトロポリタン歌劇場で、オ ペ ラ ﹁サロメ ﹂と ﹁ジヤニ ・スキ
プッ チ1 ニ作曲)を聴き、滞在中ミ ュージカル・ プ レイ ﹁コl ル ・ミ l ・マダム ﹂ と
キ﹂ (
﹁サウス ・パシフィック ﹂を見、コメディ ﹁ム1 ン・イズ・プルウ ﹂を見、活動写真 ﹁羅生門﹂
﹁欲望という名の電車 ﹂を見た。知識階級のあいだでは ﹁羅生門 ﹂ の評判は非常なものである。
リヒャルト ・シュトラウスの ﹁サロメ ﹂ は、私の容恋の歌劇である 。主役を演ずるソプラノ
本けんれん
歌手は楽天的に肥っていて、到底 ζの役のエクセントリックな性絡に適しない 。 しかしとの歌
劇を見て、私の渇は大方癒されたと云っていい 。欧洲のどとかの都市で、同じ作曲者の﹁エレ
いやお うし ゅう
クト一フ ﹂を見たいと思う 。
その娩は慈善興行で、客は大方正装を凝らしている 。 オペラ座の内部は欧洲のオペラ劇場を
かわや
模した金ぴかな仏湿のような装飾だが、廊下や聞は、日本の映画館のように占くて汚ならしい。
その廊下をお引きずりの貴婦人達が歩いている 。幕聞に、新聞の社交欄の写真班らしいのが 、
の何:
いる男がある。
﹁サロメ﹂の舞台装置はオ ペ ラ然とした常套的なものである 。 ワイルドが意図し、シュトラウ
じようとう
スがその意を承けた世紀末的な雰囲気は竜も見られない。上手の平舞台に弁戸があり、下手 は
減壁をとりまく階段と、テラスの出口とで、立体的に組立てられている 。劇の後半 ζ の階段に
群衆が列座して、上手の平舞台のサロメの 一人芝居に照応せしめられる為である 。幕があくと 、
たの
われわれは、不安な雲のたたずまいに隠見する月を見たが、オペラの舞台はこうなくてはなら
ない 。天井が高いので、空のひろい部分が、との劇の場合は殊に大事な要素である 。数人の土
卒が才み 、下手の階段の下段に 、ナラボととれを 恋している侍童がいる。シリヤの士卒の衣裳
31 たえずいしよう
も ナ ヲ ポ の 衣 裳 も 斡 鳥 風 の 軍 装 で あ る 。 ひとり侍童がシリヤ風の短衣を着ている 。
2
3
シュトラウスの音楽は、神経質で無礼な音楽である 。 ζ の 一幕は感情のおそろしい誇張の息
づかいを音楽が総械にくりかえし、ヨカナ 1 ン献齢のあとの賠お μ弘前開げ展開にいたい吋、極
点に達する 。彼は 二十世紀のワグネんである 。 ニイチェを激怒させたワグ、不ルという蝿の嫡子
である 。純然たるデカダンの徒である 。私はかねて彼の交響詩 ﹁ドン ・ジュアン ﹂を甚だ愛し
た。 そしてシ ュトラウスをして、トマス ・マンの Tヴェ、不チヤ客死 ﹂を作曲せしめたいと空想
ーし九凡 。
演出の特に記憶に残 っている部分をあげて、日本でとれを上演しようとする人の参考に供し
の判、
。
たい 。第 一にコーラスが秩序整然として分を守り、芝居に身を入れているととである 第 二 に
主要人物の演技は皆音楽に則っていて、ある部分は歌舞伎に近い 。 誇張の限りを尽している。
。っと
ロ
ポ ζとどと
エ ロ ド 王 の 登 場 と 共 に 宴 の 群 衆 が 出 て 階 段 の 上 か ら 下 ま で を 悉 く 占 め る 。 その後の劇の進行
7
に際しての群衆の反応は、常識的にでもきちんと計算が行き届いている 。 エロディアスの脚行
には、 二人の侍童が寝とろんで、たえず蝿を含んでふざけている 。妃エロディアスの生活の淫
ζぴ
鋭を、 ζの二人の侍童の姿態をして問援に語らしめる 。 ヨカナ 1 ンの首下井戸の中からさし出
さ れ る と 、 悉 く の 砕 衆 は 色 を 失 って倒れ伏す 。凝片比していた群衆が塁均と川川欣す瞬間は劇的
である 。 エロドすら簡をそむける 。 ひとり紀エロディアスが微笑を含んで孔雀扇をゆらしてい
る。 との効果も劇的である 。
。
七つのヴェールの踊りは、サロメの裸体が楽天的に肥 っているので、岡山くない サロメの
髪が赤毛の断髪のようなので面白くない 。 日本人の考えでいうと 、 ζ とのサロメは髪をふり乱
していなくてはならないのである 。
設 *│ │指 停 者 ア リ ッツ ・ラ イ ナ ァ 、 舞 台 装 置 ド ナ ル ド ・エンスレ l ガ 了 、 エ ロ ド ( テ ノ ー ル ) セ γ
ト ・ス ヴ ア ン ホ ル ム 、 エ ロ デ ィ ア ス ( メ ゾ ・ソ プ ラ ノ ) エ リ ザ ベ ス ・へ yゲン(初舞台)、サロ
メ ( ソ プ ラ ノ ) リ ゥ パ ・ウ ェ リ ヌチ 、 ヨ カ ナ l y (パリト l y ) ρ ンス ・ホ タ 了 、 ナ ラ ポ ( テ
ノ ー ル ) ブ ラ イ ア ン ・サリヴァ y
*
ミュージカル ・プレイというのは、日本でもいろいろと評判をきいていた。見てみると、
の係
﹁大 衆化 されたオペラ ﹂ である。オペレッタともちがうととろは、 ﹁
南太平洋 ﹂ のように真面目
な主題をも扱いうるところである 。
ロ
ふん
しか し私の見たのは、すでにオリジナル ・キャストではない。主要人物に扮する俳優がどれも
ア
ハ ロl 、
す る 。 夜 会 の 場 で 、 女 公 使 が ト ル l マンからの電話に、 ﹁ ρリ l﹂ と 心 安 立 て な 返 事
をして客を笑わせる。との公使は怖いもの知らずで、無軌道で、いつも暗記している同じ文句
の無味乾燥なスピーチをやってのけて、全然因習にとらわれず、非外交的で、時に初老の博士
-
7 よ銃をとれ﹂のタイト
と の 恋 に あ っ て は 甚 だ 印 刷 げ で あ る 。 エ セ ル ・マ1 7 ン は 舞 台 の ﹁ア
ル ・ロ ー ル を も 演 じ た 人 の 由 で あ る 。
。
装 置 は ﹁南 太 平 洋 ﹂ も と れ も 大 し て 金 が か か っ て い る よ う に 思 わ れ な い 場 合 に よ っ て は 日
の何:
本の大劇場の装置のほうがよほど立派である。衣裳も慨して在り来りのものである。ただ乙れ
だ け 長 い 興 行 を や っ て い な が ら 、 端 役 の 衣 裳 ま で 仕 立 卸 し に 見 え る ζと は 、 そ れ だ け 見 え な い
費 え が か か っ て い る か ら に ち が い な い 。 一 つ 特 筆 大 書 し て お き た い と と は 、 拡 声 器 を 一切使わ
ロ
のど
ポ
ないととである。しかし日本のように毎日二回も歌うのでは、咽喉をいたわるために、拡声器
ア
が必要なのかもしれない。
註*││ジェイムス ・ミ yチナアのピュリッツア賞受賞小説﹁南太平洋物必﹂に拠るミュージカル ・プレ
ィ。脚色オスカァ ・ハムマスタイン、作曲リチャ lド・ロ ジャース、ネリィ ・ア ォ lブ γシユ
・ ライト 、エミ 1ん・ド・ ベ yク ロ ジ ャ l ・リコ
府間市少尉・ 71サ
︿マジエスティ ッ
ク 劇場
設Z││作曲故びに脚色 アlヴイング ・パlリン、、創出ジョ ージ ・アポット、サリ 1 ・アダム ス犬人口
エセル ・7 lマン、コスモ ・コンスタンチンポ lル ・ルカス
︿
帝国劇場
本
*
コメディ ﹁ムl ン ・イズ ・プルウ ﹂ はラ イト・ コメディである 。 日本でもいつぞや上演され
た ﹁ヴォ イ ス ・オヴ ・タトル ﹂と同系列のものである 。米国風なプウルグ 7 1ル演劇と調 った
らよ い。
序幕が エム パイヤ ・ステ ート ・ビル頂上の見晴し台で 、終景がまた ζ ζ で、 二人が出会 って、
めでたしになる 。聞の 三景が青年のアパートメントで 、お定まりのいざ ζざがある。気の利い
た会話だけでもたせる 一種の情緒劇である 。登場人物は 、青年と娘と青年の女友達の父親と娘
の父親とわずか四人である 。鍛の父親は端役なので、本当のと ζろ ζ 乙までは 三人である 。 い
7 ボ ロ の 杯
きおい軽い会話のやりとりが大切な要素になる 。
序幕から次のアパートメントに移る転換の早さにはおどろいたが 、あとで人に案内されて舞
台裏へ行ってみると 、仕掛には侍くべきものはなかった 。展望台と背景を飛ばして 、部屋の道
具を 押し 出 す だけのととである 。 アパートメントの道具は 、色彩が茶と灰色と緑で統一された
趣味のいいもので 、精巧にが っちりと出来ている 。演出家は 、﹁ 高 度 に 段 式 化 された装置だ ﹂
と私に語ったが 、日本で費用節約のためのおどろくべき様式化を見慣れている私には 、と ζが
様式化なのかわからなか った。
主役は 、モ ルナアルの ﹁お人よしの 仙女﹂の主役を努莞とさせる 、どと ま で人 がいいのか悪
いのか 、純情なのかあばずれなのかわからない 、 しかし見かけだけは至極可憐な娘である 。彼
かれん
しゃ ︿
5
3 女はたえず喋 っており 、たえず人を当惑させる よ うな質問を発する 。 との役を演ずる女優がな
。
かなかよいが、楽屋で 一寸話した僚子では、本当のあばずれのようであ った
36
詫 也 事 │ │ 作 ヒ ユ │ ・ ハ l パl ト 、 パ テ ィ l ・オ ネ イ ル バ l パ ラ ・ベ ん ・ゲ ズ ス 、 ド ナ ル ド ・グ レ ハ ム
パ リ イ ・ネ ル ソン 、 ダ ヴ ィ ッド ・ス レ イ タ ア ド ナ ル ド ・ク ァ ク
ヘン リ l ・ミラ1劇場
*
25 予
り (デム 1ス)である 。
との美術館では毎週古物の活動写真を見せる 。今週はヴアレンチノの ﹁
黙示録の四騎士 ﹂を
"ロ
中で私の記憶している色である 。色彩はこれほど淡白であり、画面の印象はむしろ古典的であ
る。静的である 。何ら直接の血なまぐささは感じられない 。画材はもちろん阿鼻叫喚そのもの
だが、とらえられたが白献の瞬間は甚だ静粛である 。都膨彫刻の ﹁ニオベの娘 ﹂は、背中に神の
、
矢をうけながら、その表情は甚だ静かで 、湖のような苦悶の節度をたたえて 見る人の心を動
かすととが却 って大である 。ピカソは同じ効果を狙 ったのであろうか7 3
﹁ゲルニカ ﹂の 静けさは閉じものではない 。乙 とでは表情自体はあらわで、苦痛の歪みは極度
に達している 。 その苦痛の総和が静けさを 生み 出 し て い る の で あ る 。﹁ゲ ルニカ し は苦痛の詩
というよりは、苦痛の不可能の領域がその画面の詩を生み出している 。一 定量以上の苦痛が表
現不可能のものであるとと、どんな表情の最大限の歪みも、どんな阿鼻叫喚も、どんな訴えも 、
どんな涙も、どんな狂的な笑いも、その苦痛を表現するに足りない ζと、人間の能力には限り
があるのに 、苦痛の能力ばかりは限りもしらないものに思われる ζと
、 :
e・・とういう苦痛の不
e
可能な領域、つまり感覚や感情の表現としての苦痛の不可能な領域 Kひろが っている苦痛の静
けさが﹁ゲル ニカ ﹂の静けさなのである。との領域にむかつて 、画面のあらゆる撞類の苦痛は 、
その最大限の表限を試みている 。 その苦痛の触手・
を伸ばしている 。 しかし 一
つ として苦痛の高
杯
失敗の瞬間をピカソは悉くとらえ、集大成し、あのような静けさに達したものらしい 。
ロ
ポ
死んだ今世紀前半の画人である 。私はととで、自転車競走の絵と、階段のコムポジションを見、
さらにメトロポリタン ・ミュ lジアムでの 5 の字を大書した商庖の飾窓のコムポジシ ョン を見
た。 いずれも不吉な感じのする絵で、好んで使う朱とだ即時色が ζの感じを強めている 。
ほんの小幅だが、私には自転車競走の絵が 一等気に入った。選手のジャケツの色が非常に鮮
明で明るくて、それでいて不吉なのである 。
場
ド
黒人部落の酒場││午前零時半から三時まで
7
3
りつすれ
白 人 は 二 三 を 数 え る に す ぎ な い 。 しかも酒場は立錐の余地もない。その周囲に客がひしめい
8
3
ている同形のスタンドの内側には、漆黒の巨人が立っている。彼がとの酒場の主である。今日日以
ず野次を投げられてやり返したり、時には怒声を発したり、かと思うと白い歯そ露わして愛婿
も。りしし
をふりまいたりしている 。 スタンドの憶がなかったら、との漆黒'の獅子は人を噛みそうに思わ
AU
れる 。
。
私は白人の友、コロンビア大学の B君と 一緒に行った 。彼は物馴れていた ついさっき把里
からかえったという黒人の老優と 、私は彼の仲立ですとし話した 。老優がわれわれに酒を奪っ
た。 そしてわれわれ二人が黒い娼婦にからかわれるのを見て愉快そうに笑った。
の杯
。
黒人の娼婦は、わ れわれの聞に割 って入って 、B君の頭を府ぜ、私の咽喉を撫ぜた 年端の
えり
ゆかない少女で、にせものの宝石をたんとぶらさげている。毛皮の襟のついた外套を着て、 大
ロ
a
"
きな金の留金の手提を携えている 。
三
ア
われわれはまた黒人のレスピアンの人目もなげな戯れを見た 。
また ζ の畝艇をつんざいて、われわれの耳に行情的な歌声がひびいてきた。黒人の給仕と女
給仕が、ピアノにあわせて、古い恋唄をうたうのである。
騒 は や ま な い の で 、 主 人 が 制 止 の 声 を か け る 。 その声が大きいので、喧騒は倍加され
客の階一
る。 そのために却って、持情的な節の哀切さが増すのである 。われわれのいた 二時間あまりの
あいだ、思い出したように歌われるとの恋唄を四五曲ほど聴くととができた。女も男も、その
声ははなはだ美かった。
︿ちずさ
醜 い 白 人 の 中 年 女 が 、 そ の 歌 に 合 わ せ て と き ど き ロ 吟 ん だ 。彼 女 は し た た か に 酔 っていた。
酒 を 浴 び て 、 汚 れ た 金 髪 が と と ろ ど ζろ濡れていた 。
ハレムのパアはこのように面白い 。 しかし情趣を求めるのはまちが っている 。 ととにあるの
は 、 悪 徳 の 情 趣 で は な く て 、 悪 徳 の 健 康 な 精 髄 の 如 き も の で あ る 。 いかがわしい人々を支配し
て い る の は む し ろ 常 識 で あ る 。 われわれは ζ ζ で も き わ め て 常 識 的 な 殺 人 に し か 会 わ な い だ ろ
Aノ。
黒人たちはもう匂わない 。 ととには船の 三等船室のような匂いもない 。
の 杯、
あ る 黒 人 た ち の 趣 味 は い い 。銀 座 の 伊 達 者 の ほ う が 、 時 に は よ ほ ど 悪 趣 味 で あ る 。
だて
ぜげ ん
ζ とのパアには、娼婦も女街も水夫も紳士も俳優も運動選手も学生もジゴロもお尋ね者も一
ひじ
緒 く た に な っ て 呑 ん で い る 。 立 っ た ま ま 、 肱 も ぶ つ か る ほ ど に 混 み 合 って、呑んでいる 。黒人
ロ
ポ
J
た ち の 表 情 は 、 わ が 家 に い る 落 着 き で 、 く つ ろ い で い る 。 そして自分たちの皮膚の黒さが白人
?
いと︿
の心に投影するあのふしぎなもの、醜さや罪悪や惇“"徳や無智の印象の或る輝やかしい精髄が、
つ
自 分 た ち に そ な わ っているととを感じて、心ひそかに満足している 。 かれらはそれを、嘗て太
AU
陽から得たのである。
対
ド
エ21ヨーク
紐 育 の 印 象│ │
などというものはありえない 。一言 にして 言 えば、五百年後の東京のようなものであろう。
ぁ ζが
今の 東 京 と 似 て い る と と ろ も い く ら か あ る 。 ととでも画壇の人たちは朝から晩まで巴里に憧れ
~9
て暮している。
0
4
ロリダ
フ
一月 二十 一日 │ │二十四日
マイアミの飛行場で待合わせて、私はフライシュマン氏と共に、フロリダ・ネイプルスの氏
人一明の自動車道のかたわらに、たえず心をたのしませる鳥類の
の別荘へ行く道すがら、百.一
生態を見た 。
巴の tc んせい
道 路 に 沿 う て 川 が あ り お 械 が あ る 。禁 猟 区 な の で 智 や 五 位 鷺 や 野 鴨 ゃ 、 時 に は 鶴 の 群 棲 を 見
の 杯、
るのである。翼をひろげて低く飛ぶ鷺の姿はいかにも美し山。
イ ン デ ィ ア ン 部 落 が あ っ て 、 そ ζで車を停めて 二十 五 仙 を 払 っ て 見 物 す る 。 家 は お お む ね
ロ
ポ
日本の農家から、壁と床と畳を除いて、屋棋だけを残したようなものである。無愛想な若いイ
ア
*
フロリダ ・ネ イ プ ル ス 沖 の キ ン グ ・フ ィ ァ シ ュ 漁 │ │
ー ジ ュ リ ア ス ・フライシュマン氏は、アラインュマン ・ウイスキ ー の社長である。芸術愛
好家で、ブロードウェイの芝居に出資する。例の SSE-5巾に出資する 。出 版 事 業 に 出 資 す
ぜいた ︿
。
る 。 ネ イ プ ル ス に は 別 荘 と 植 物 園 の ほ か に 、 十 人 の 客 を 泊 め う る 沓 沢 な ポ l トを持っている
そ れ に 乗 って沖へ釣に出かけるのである 。 その朝フライシュマン氏は、ほかに客を招ばなかっ
よ
た。私 と 氏 と 、老 船 長 と 若 い 助 手 の 船 員 と 、 乗 組 員 は 四 人 だ け で あ る 。
かたす
ネ イ プ ル ス 海 岸 は 多 く の 潟 を 抱 い て い る 。潟は屈折して 、小 島 や 洲 を と と ろ ど ζろに露出し
かんげ︿
ている 。潟 の 両 岸 も 小 島 も ほ と ん ど 同 じ 背 丈 で 連 な っている 。 つまりマングロ 1ヴの濯木林が 、
いたると ζろ を 覆 う て い る の で あ る 。
マングロ lヴの緑は柔かで美しい 。 その叢林は 、 一切ほかの植物をまじえない 。単調で、秘
密 に み ち た 、静 か な 音 楽 の よ う な 叢 林 で あ る 。 というのは 、船 が そ の か た わ ら を す ぎ る に つ れ 、
かい e
と ζろ ま だ ら な 日 か げ が 叢 林 の な か に と ぼ れ て い る 無 人 の 境 を 垣 間 見 る と と が で き る の だ が 、
z
ロ の杯
す
そとにはいかにも人や生物が棲む代りに、意味をもたない音楽が棲んでいるように思われるの
おびた一
である 。 水 の ほ と り の 部 分 に は 、 そ れ ら マ ン グ ロ iヴが静かに水中に垂れている移しい枝棋が
た
ポ
見られる。
ア
つ 。
L
rt
花
ふ
沖へ出ると、その 一劃は港のような雑沓であった 。われわれの船がいちばん大きいが、大小
ざ っとう
さまざまのモ lタア ・ボ lトが散らば っている 。 とのあたりが、キング ・フイ ツシ ュの漁場な
のである 。
船尾の 二つ の筒子に、 フライシュマン氏と私は坐 って、船の水尾の両側にめいめいの的保を
帥リ 仰れん
。 そ
垂れた 。船は同じ速さで進んでゆく 。二 十分も待つと私の釣糸が窪堕した 若い船員は操舵室
へむか つて ﹁フイ ツシュ 1﹂と叫ぶ 。 ζれに応じて船長が速度を落す 。私は釣糸を繰るハンド
I
'
t
ルをしきりに廻した 。
の
。
私一は釣の経験をもたないが、釣の面白味がとの瞬間だけに在るととは想像がい いていた 獲
ロ
J
ボ
得の 一歩手前、九分、どおりの確実な希望、逃がすかもしれないという 一分の危倶、手ごたえで
7
測る魚の大きさ、あるいは目ざす魚でなくて下らない獲物かもしれないという危倶、・こう
いう快楽は、人間の発明した大抵の快楽の法則を網羅している 。関
心う K快楽というものは、欲
望をできるだけ純粋に昂揚させ、その欲望の質を純化して、対象との関わりを最小限に止めし
めるものでなければならない 。純化されない欲望は対象に ζだわるから、どんな対象もその欲
唱を満足させず、従 って欲望は真撃にな って快楽から遠ざかる 。快楽の対象は、そ叫が一哨巾巾
しんし
る前には欲望を昂揚するために十分であり、しかも得られたあとは、欲するものが得られて心
わ引わという絶望を都起しないために、出来るだけ以前の欲望を思い出させないような、山百恥帆
な客観的価値をもっていなければならぬ c その価値はしかし主観的には伸縮自在でなければな
らぬ。虚無あるいは理想は、主観的な価値をしかもっていないから、おそらく快楽の対象とし
て最適のものである c
海の中から私の釣糸を引いているものは、実はまだ乙の瞬間には魚ではない。釣の主要な点
はととにあるので、魚を引上げるまでのあいだ、暫時われわれは魚ならぬものと格闘し、それ
がわれわれの獲得に帰した瞬間、それは魚になる。つまり値があるにしろ、われわれの払った
費用や労力とは比べものにならない、些細な客観的価値をしか持たないものになるのである。
n
の 何:
陪傘
-:さて今私の糸を引いているものは、 ζれはまだ魚ではない。それは甚だしく観念的な力
が、物理的な力を装うているのにすぎない。ハンドルをまわすには幾ばくの筋力を要するが 、
のうり
ロ
一個の明確な観念を脳栂から釣り出すためにも、精神は多少の筋力をいつも貯えていなくては
ポ
J
ならない。徐々に魚の盗が、水の表面ちかくにあらわれた。その銀いろの背は船を追って疾走
ア
してくるかのようである 。
うろ ζ
最後の小ぜり合い、・・:宙に釣り上げられた鱗の反射が躍動して私の目を射た。船員の介添
メートルひっ
で一米ばかりの丈の ζ の最初の獲物は、船尾のブリキ張りの慣に収められた。
キング ・フイ y
y ュは鯖に似た猛々しい銀いろの大魚である。背鰭は鋸状に尖り、その筋
者、ぽたげだりせびれの
Fんぽ︿
ζぎ りとが
肉は見るからに固く締っている。銀箔のような薄い皮胸は、との魚をほとんど裸休に見せる。
樋のなかで跳ねまわる音は、まるでブリキ箱の中で鉱艇があばれていると常った感じである。
ずが WCつあど
頭蓋骨を打ち砕かれ、顎を裂かれた彼は、口から血を流しながら、まだ自分の死を信じない。
3
4
彼 は ひ ど く 苦 し ん で い る 。 そしてとの苦痛が、魚なんぞには不似合なものであるととを、誰か
4
4
が教えてやらなくてはならない 。
その晩のカクテル ・パーティーで、気のいいフライシュマン氏は、私の期間を皆に誇ってく
かき
れた 。私は生れてはじめて釣に出て五疋のキング ・フイツシュと、 一疋の勧鱗を得たのである。
席上 一人の夫人の口から、私は σ巾恒ロロE
m. 帥-
znr という重宝な英語を教わ った。
サ シフワ
ω田口﹄巳曲ロ
J
一月 二十五日
ロ の何
マイアミを午後四時半に貯 った飛行機は、九時どろ .
フェルト・リコの首府サン -フワンに着
。
gi
いた 。 と ζは 現 米 国 領 土 の 内 、 コ ロ ム プ ス が 足 跡 を 印 し た 唯 一の地である そ の の ち 司
母Fgロが拓植に戒め、今・なお町民尽植民地時代の建築と、近代亜米利加建築との奇妙な郡
アメ リ カ:‘
ポ
ア
山的で目をたのしませる町である 。
翌朝のリオ・デ ・ジアネイロ行を待つために、私は機上知り合 った米人の紹介で、ホテル ・
。
パレスという安宿に泊 った 。 その宿は保町の只中に在って、空港を隔る tuμ二哩である
。
部屋へ導かれた私は、白い四角い蚊帳に包まれている 二台のベ 7ドを見出した 避 病 治 初 一
室のような殺風景で不安な部屋である 。私は風呂に入ろうと思って、まる裸にな って、浴憎の
。私は風
湯 の 出 る べ き 栓 を ひ ら い た 。 出てくる水が、いつまで待っても、熱くなろうとしない
呂へ人るととを断念して、シャワーを浴びた 。米本国では、どんな安宿でもありえない ζとで
ある 。組育の 一等安いフラ ットは湯が出ないので、コールド ・ウォ 1タア ・フラットと戯れに
︿ 凶り い ゆが
呼ばれるそうだが、グリニ ッチ ・ヴイレ アジ の、天井が傾いて、ドアが矩形に歪んでいるフラ
ットでも、湯にだけは不自由をしていない 。
げき
私はまた着物を着て、街へ散歩に出た 。十 一時前だというのに、すでに街路は聞としている 。
大 方 の 庖 は 閉 ざ し て い る 。夜 の 早 い 町 で あ る 。街 角 に 人 が 件 ん で い る 。傍を通ると、プエル
危たず
ト ・リカン特有の鋭い暗い日付でとちらを見る 。文別の街角には、身援はまだ少年の名残があ
︿ち ひ げ た む ろ
るのが、 一様に口髭を生やしたプエルト ・リカンの若者たちが屯して談笑している 。 かれらは
涼んでいるのであるらしい 。小公園の前へ出る 。先刻の雨に濡れているベンチには人影がない 。
ロ の杯
'冨Cω ﹀ ︼(V
ア
.﹀冨OHN
﹀司﹀ωHOZ﹀OO ・・
-: e
私は突然、明日南米へ自分の身が運ばれるととを思 って胸のときめきを感じた 。 日本を発 つ
てはじめて感じる旅のときめきと調っていい 。
私 は 只 一軒あけている汚いキャフェテリヤを見出して、わぎと名物のラムは呑まずに、との
土 地 の 人 の 注 文 に 倣 ってV A T六十九のウイスキー・ソオダを呑んだ 。脚下には紙屑が散らば
傘らかみ︿ず
っている 。人々は声高に笑 っている 。 そのさわがしさは、もし ハレムの酒場ほどに混んでいた
45
ら、あれにおさおさ劣るまいと思われるほどである。私の隣りでは中年の.フェルト ・リカンが、
6
4
げきぜっ
たえず大声で独り言を喋っている。それをきいていると鉄舌という言葉の適切なととを思わず
にいられない 。畳句のように、彼は何度も﹁プエルト ・リコ ﹂ という言葉をはさむ 。私に理解
できるのはその一語だけである。従って私には彼がプエルト ・リコの悪口を っているのか 、
さんじ 言
一
讃辞をならべているのか、そのへんがわからない 。しかし常連やパアテンダアが微笑して彼を
見ているとζろを見ると、日本の右翼がかった酔客が、二三分ごとに﹁日本 ﹂﹁日本 ﹂ とくり
ζ ω︿
かえして管を巻くのとはちがっているらしい。私はウェイトレスの髪の黒い、時悦泊いろの肌を
凶
した、つぶらな自の少女を見た 。働きながら、彼女はたえず何かを喰べたり答んだりしていた 。
の停
そしてときどきつんとした生意気な表情をした 。 それが莫迦に美しく見えた 。
げか
ロ
宿へかえって、窓のフレンチドアをひらくと、アラベスクの古い鉄の欄干が露台の代りをし
7 ポ
スペ ィ ,
,
ているのを見出した。眠っている家々の窓には西班牙風の露台があった。建物はみな古かった 。
一軒の 二階の露台は、丁度街燈に下から照らされているので、欄干の影が壁に美しい唐草を描
いていた 。
ζとは海が近い 。海の音かと思うと 、駿雨が来たのである 。向うの銀行の時計台の青いネオ
しゅ うう
ン ・サインがおぼろげにみえる 回﹀ZのO 司O司CF﹀河。 そのパンコの NとOが燈っていない 。
かまっ
雨は欄干に当 って容赦なく室内へ飛沫を散らした 。暖雨である 。銀行の時計台がとのとき卜
二点鐙をおもむろに鳴らした 。
本
あかつきに私はサン ・フワンを発 った。雨であった 。飛行機が雲上に出ると、私ははじめて ・
雲聞をつん、さいて昇る太陽の光に遭 った。
ll機上にて 1│‘
南米紀行 │ │ ブラジル
リ オ ││ 転 身 ││ 幼 年 時 代 の 再 現
ロ の停
一月 二十七日 │ │ 月四日
深夜コンステレ l シヨン機は 、リオ の上空にさしかか った。 一月 二十七日午前 一時すぎであ
ス。
ポ
u
ア
︿びかぎり
リオ ・デ ・ジア不 イ ロの移しい灯が眼下に展開した 。黒大理石の卓に置かれた頭飾のように、
シュガア ・ロ1 フ ( 一
ωaR-O国﹃) 峰 を め ぐ る 海 岸 線 の 燈 火 が 見 え る 。私はとの形容の凡臨時さ
を知っているが 、或る種の瞬間の脆い純粋な美の印象は 、凡庸な形容にしか身を載さないもの
もろ
である 。美は自分の秘密をさとられないために 、カめて凡腐さと親しくする 。その結果 、われ
われは本当の美を 凡庸だと眺めたり、ただの凡庸さを美しいと思 ったりするのである。
しかしリオの乙の最初の夜景は 、私を感動させた 。私はリオの名を呼んだ 。着陸に移ろうと
して、飛行機が翼を傾けたとき、リオの燈火の中へなら墜落してもいいような気持がした 。自
7
4
分がなぜとうまでリオに憧れるのか、私にはわからない 。き っとそ ζには何ものかがあるので
8
4
ω引していた何ものかがあるのである 。
んいん
ある 。地球の裏側からたえず私を牽り
取る朝おそく起きて、私は新鮮なオレンジと、よく肥えた短かいバナナを食べた 。実におい
。
しか った。 そして私は案内者をももたずに、ひとりで街へ散歩に出た
日曜日のととで劇場と飲食庖をのぞく多くの商庖は閉ざしていた 。人々は連れ立 って映画館
の前に影山川していた 。私はプラサ ・パリスの手前を右折して、人通 リ った。
J ゆすくない街路に向
突然坂にな って、丘の中腹に重な っている古い住宅地の街路には、ねむの並木のおとす影のほ
かに、 寂然と夏の日光が充ちているばかりで、人の姿が・なか った。
係
があるという、夢の中の記憶のようなものに襲われた 。
ロ
7 ポ
内野併はいずれも閉ざされて、家中が外出をしているとみえて、高台にそそり立つY の家も、
露i の扉と窓の鋭円 を閉ざして いた 。古びた拡には風を失 った骸が彫金のように府庁としてい
た。
夢の中に突然あらわれるあの都会、人の住まない奇怪な死都のような、錯雑した 美 しい、勝
寂をきわめたあの都会、それを私は幼年時代に、よく夏の寝苦しい夜の夢に見たζとを思い出
した 。都会は培のように重畳とそそり立 っていた 。 その背景の新鮮な夏空の色と雲の色も同じ
。
であ った。私は自分が今、眠り・ながらそれを見ているのではないかと疑 った
とのとき痛切な悲哀の念が私を襲 った。それもまた夢の中の悲哀に似ていて、説明しがたい、
し か も 痛 切 で 純 粋 な 悲 哀 な の で あ る 。 との現実の瞬間の印象が、帰国ののちには夢の中の印象
と等質のものとなること、なぜなら記憶はすべて等質だから、夢の中の記憶も現実の記憶と等
質のものでしかないとと、その記憶の瞬間において、私の観念はまた何度でもリオを訪れリオ
に存在するかもしれないが、私の肉体は同時に地上の 二点を占める ζとはできない ζと、もは
や死者が私の中に住むようにしてリオは私の中に住むにすぎまいが、もう 一度現実にリオを訪
よみSA
れでも、 ζ の最初の瞬間は 二度と匙らぬであろうという ζと、その点では時がわれわれの存在
のすべてであって、空聞はわれわれの観念の架空の実質というようなものにすぎ念い ζと、そ
のA'
。
私はプラサ ・パリスの外れの同池に臨む石のベンチに腰を下ろした 私はそ ζに二時間もい
た。隣りのベンチの婦人も、その隣りのベンチの中年男も、 二時間をすぎてもそiζから立去る
気配がなかった 。
ζ eげ
リオはふしぎなほど完全な都会である 。美しい木蔭も、刈り込まれた庭樹も、古いポルトガ
ル風の建築も、超近代建築も、昼のあいだは黙っていて、日曜の夜だけ美しい五彩の燈火を包
ん品川山町ジ噴水も、ことのベンチから見える 。放をついて静かな散歩をつ ,
つえ
つけている老婦人の葡
萄いろのス 1 ツの色も、子供たちの日曜の晴着も、 一人の子供が追いかけている風船の淡い桃
の 訴
に、インキの汚点のようにはみえず、 一つの暗い強烈な色彩の役割をうけもっている
私のベンチのかなたには、海の青い 一一線がある 。海は真夏の日にかがやいている。そ
ボ
ζを今
ア
し白い小さな汽船が、ゆるやかに湾口から出てゆくところである 。汽船はしばしば街路樹の蔭
。
にかくれる 。 それが悠長な隠れん坊をしているかのようだ 。汽船はまた現われる そしてたゆ
みなく、公園の日曜日の午後の時間を、沖のほうへと運んでゆく 。
引相は夏服を明日買おうと思う 。 しかしとうや って、暑いのを我慢して、冬服をきちんと着込
んでいるのも恵くない 。仰 が か と い う と ζの着心地のわるい暑さは、私を半分病人のような気
持にさせ、その病気と閑暇の情緒が、私の中に徐々に病弱な幼年時代の夏を匙らせてくれるか
らである 。
私はふりむいた 。
私の背後には大樹の木かげに包まれた街路があ った。市内電車がそ ζ の停留所から、木洩れ
陽 を 縫 って動きだした 。
リオの市内電車は郷愁的な形をしている 。車体は古く、ある電車はもう 一まわり小型の車体
ひまどが ラス
を牽いている 。 その電車は窓硝子もなく板壁もない 。屋線と柱と、走る方向へ向いて順に並ん
さえぎ
でいる木のベンチと、その 一方の側を遮る低い金網と、 一方の側の、立乗席と出入口をかねた
縁側のような張り出した板とで出来上 っている 。 それは遊園地の子供の汽車を拡大した形だと
思っていい 。張り出した板の上には多くの乗客が、住につかま って鈴なりに乗っている 。 コ
パ
ア ホ. ロ の 杯
カバナの海岸へ海水浴に行ったかえりの、濡れた裸の開口がの少年たちもそ ζに乗っている 。電
車 は 愉 快 に 、 体 を ゆ す ぶ り な が ら 賑 々 し く 走 り 出 す ・・。
私は又しでも幼年時代の記憶に襲われた 。病院のかえりに、 ζうして木洩れ陽を浴びながら、
電車を待っていた ζとがたしかにある 。暑さは耐えがたく、いとわしか った。 その上麻の窮屈
な子供用の背広と、ネクタイが私を締めつけていた 。電車はなかなか来ない 。 永い気のと
どり
お く な る よ う な 期 待 が つ づ い た 。 そのあげく、とうした古い懐しい市内電車が、雀躍するよう
ζha
に揺れ・ながら、突然人気のない真夏の街角に現われたのである 。
私は美しいプラサ ・パリスの花壇のほとりを歩いた 。庭樹が小鳥や馬や象や花筒や巣箱や騎
ら︿
貯の形に刈られていた。私はグワラナをのみ、子供たちに伍して映画館の行列に加わ った。
‘
叫ん べん
1
5 というのは、 ζ 乙でも私は自分の幼年時代に出会ったのである 。短篇や漫画にまじ って、連
続活劇の 一巻が上映されていたが 、 とれとそ幼年時 代 の私の憧れの全部であったoH引は荒唐
2
5
、 、 、
無稽な自国険の物語で、別の天体の上の奇妙な王国 若い英雄 清らかなその恋人 嫉妬にから
。
れる王女 、航院と忠臣 、眠り薬、地下幣 、火竜の出現などからでっち上げら札たものである
。
私は子供たちの聞にまじって 、子供たちと 一緒に笑った そしてとある短篇の宝石泥俸の 一
。
場面で、その盗賊の非行に憤慨して 、子供たちが思わずあげる怒声をきいた 功祁われも、か
つてとのように、正義のために怒るととができたのである 。 しかし幼年時代に喝采を送 った正
義が、 売られた勲章のように見すぼらしくみえる年齢に、やがて彼らも達すると考えるのは悲
しいととである 。
め杯
。
宵に私は知人のアパートメントのテラスにいて 、近づいてくる太鼓の音と歌声をきいた
ロ
あれは何ですか ﹂と私は問うた 。
7 ポ
﹁
﹁都町内艇の練習 です 。まだ 一ト月も先の乙となのに、かれらは今からああやって練習している
のです ﹂
太鼓と館鋭♂附ぶの単純な音楽 が歌声 にまじってい よ いよ近づいた 。幽はおそらくサンパで
ある 。
あふ
私はアパートメントの門に 立っ た。人々は踊りながら、街路に溢れて進んでくる。先頭の 若
。
者が 、首からかけた太鼓を手の平で叩いて音頭をとる あとは 二三 の少年鼓手や 黒 い楽人が踊
りながら縦V に立 つ。その聞をほぼ 三 四十人の町内の子供や 若い 男女が、乱舞しながら、行く
のである 。そして日本の祭と同じように、見物人たちは、両側の歩道と列のうしろに、ぞろぞ
ろ と連れ立 ってついて行った 。
太鼓の音は、曲馬団の綱渡りの時に使う燦打ほどに迎いとと甚しか った。
黒 人は白人の少女と肩を組み、あるいは黒人の少年と白人の少年は腕をつらねて踊 っている 。
合衆 国 では決して見られない眺めである 。かれらは、時々見物のなかの子供や少女の 上 に踊り
な がら襲いかかって、踊りの渦の中へ捲き込もうと試みた 。
a
z
暗い 舗道は時折り明るい窓明りや街燈の下へ出た 。するとかれらの狂 喜乱舞は、あからさま
隠どう
ロ の 何f
に照らし出された。そういう道へ、自動車が進んで来たりすると、自動車・は行くことができな
い。 しばらく辛抱したあげく、警首を鳴らして走り出す。するとその場はあたかも革命劇の 一
場のようになり、群衆は自動車を群がり襲って、行かせまいとするのであ った。
-
e
7 ポ
程よいとろに、踊りの人たちは休息をとった 。道ばたで煙車を吹かし、新聞紙で焚火を焚い
危 ぴ
て、太鼓の革を乾かした 。五分も休むと、かれらはまた踊りだした 。 そして 草むらに腰を下 ろ
して煙草を喫んでいる、自の 美 しい少年鼓手をせき立てた 。
道は丘の頂きへ向 って螺旋形にのぼ ってゆく 。踊りの群はわずかず つそれを登 ってゆくので
ら ぜん
いつ果てるとも知れない 。夜は暑か った。人々は前庭の倫子に涼み、前庭をもたない人は、門
前の鋪道に英藍を敷いて横たわ っていた 。或る人は 二階の窓から、戯れに火の ついた巻煙草を
どぎ
群衆の上へ投げたりした 。
私は丘の頂きまで行かずに、道の半ばでかれらに別れて石設を 下りた 。 そ の時かれらは休ん
3
5
。
でいた。しかし石段を下りかけたとき 、又お乙る歌声と鼓笛の響におどろかされた
4
5
濃紺の星空に包まれている丘上へむかつて、かれらの踊りながらゆく影が、街燈 r照 k らされ
、
て大きく躍動するさまが眺められた 。一 人の黒人の少女の影が 突然高く跳躍して、人々の影
を抜きん出たりした 。
国間民地時代の古い建物の並んでいる夜の暗い街路をゆくと、暗い石塀に墨で黒々と描いた絵
。 。
がある 。 それはべ っとりとして、まだ絵具が乾いていない 絵は 一人の男の立姿らしい そし
ったものらしい 。
、
やf
て描きそ ζねて、墨で塗りつぶしてしま
突然白い歯が笑う 。絵はうどめき、 r
問問えするように、堅からその身を引き離そうと努力し
の
ているのがわかる。やがて、身を離して夜の街へ何事もなげに歩きだす。
ボ
私は乙の小さなず蹴の理由をたずねた 。そうだ 、あんなにたやすく画像が背景をぬけ出す ζ
7
とのできた責任は画家にある 。彼は黒い夜の中に黒人を描く過ちを犯したのである。
アパ ートメントの発達がポルトガル風の習俗を大方滅ぼしてしま ったが、まだ街のそとかし
。
ζに そ れ ら 古 い 恋 の 絵 は 残 っ て い る
二階の露台、窓、前庭の石の ベ ンチ、低い鉄門、低い石塀、::それらが因襲的な恋の舞台
である。マリアンナ ・アルコフォラ lドの末試聞が、まだ夏の蒸暑い夜へ開け放 った窓のうしろ
ま つえい
にいて、男の永々しい口説をきくために、が町山舶に蹴浦団を置いたりしている 。あるいはまた若
てっさ︿よ
者は門柱に、娘はすでに閉ざされた低い鉄柵の門に究って、夜の更けるまで語らいをつ,つけて
いたりする。窓のうしろで母親がちいさな関川町いを響かせる。娘は男とつつましやかな握手を
ろうそ︿
交わして、裾をひるがえして家の中へ消えてしまう。門の繁みにともっていた小さな恋の蝋燭
が、そうして消える。 ζ のふしぎな蝋燭は明日の晩もともるであろう。あさっての娩も 、同じ
ようにともるであろう。少くとも謝肉祭のあと、娘が若者の不実を知って泣く日までは:::。
私はまたとある前庭に、マリイ・パシュキルツェフの描いたような、窓と子供たちの構図を
見た。低い塀から行人が見物している。石段に並んで腰かけた白い子供、黒い子供、女の子、
- ロ の杯
男の子が五六人、笑いさざめきながら唱歌の練習をしているのである。教えているのは、十八
九の快活な美しい少年である。彼の黄いろいポロシャツが宵閣の中に、蝶のように動いている。
7 ォ
っとも浪憂的な図案である 。
ろう企ん
コパカパナ ・パ レス ・ホテルの周囲の歩道は、主として曲線や向から成る抽象的な模様であ
る。それはエレガンな女たちの往来ゃ、畳んだピ !チ ・パラソルを抱えて駈けてゆく裸の子供
たちによく似合う 。
私はきのうから ζのホテルに引移 った。梅へ出て波乗りに疲れて、砂浜に横たわ って陸地の
鼠色を眺めやると、最初 ζ の町の 一角が、夢の場面の ように思われた理由がはっきりしてくる。
aい し
さ つぴ
コパ カパナ海岸のゆるい大きな半向を、車道一つを海との堺に、櫛比する高層建築が縁取って
の杯
とつと っ そ ぴ
。
いる。その高層建築のうしろには、南画風の突冗たる丘が釜えている
、
go
そういう奇抜な対照は、ポタフォ l ゴ (∞o o) からコパカパナへ向ってくる途中で
ロ
m ﹃
附が先端に夕日をうけている高層建築と赤い殻叫と 、半ばかすんでいる島の遠景との聞にも見
ポ
、異様な大ビルディン
ア
るととができる。文あるととろでは、 二 つの丘陵の迫った寂しい谷間に
グがそびえている 。
それらのが肌街な幻想的効果は、ニイマイヤアが建てた文部省の建物などよりも数等まさ って
いる 。 いたるととろに隆起している南画風な丘の山ふととろに抱かれた高層建築を見出すと、
われわれはそれらの建物が、今加駒山仰と生れたように感ずるのである 。千夜 一夜認の黒島の玉の
物語にあるように、魔法の解けた原野に忽然と大都会が よ みがえるのを見るのであ同いろう
そして今 ζの海辺の協郊の下から眺めやるコパカバナの高層建築群は、何か嵐気楼のよ
・
・
うに思われる 。
私は海から上って 二階の部屋へかえ って手紙を書いた。
突然窓硝子が僚え、.へンが塵筆した 。甚しく近い爆音が起ったのである 。
ふるり いれん
私は窓に駈け寄った 。向いのビルディングの窓からは人の顔がたくさんのぞき、モザイ ク の
歩道を、子供たちが海のほうへ駈けている 。私は着物を着、サロンへ下りた 。給仕たちはテラ
スの入口 K立って海を見ていた 。
﹁何だい、あの音は ﹂ と私は英語のできる給仕にたずねた 。
﹁何ね、砲台で演醤をや っているんです ﹂
の 杯
どうもん ヨ ー ド チ シ キ
8
そのとき再び、右方の岬の先端の禿山の砲台から、轟音と 一しょに沃度丁幾いろの砲震が上
った。沖の小さな島がその標的らしい 。
ロ
ポ
砂浜では、ビ lチ ・パラソルのまわりで人々がポ l ルを投げたりして、事もなげに遊んでい
ア
はち
る。海水浴場特有の、あのたえず蜂の羽音のように耳につく叫喚が、自動車の警笛を縫 って昇
ってくる。
とげり
リオはいかにも幻想的な都会である 。部屋の窓の側千を乙え、その白い雌をゆらして砲声 が
とど ろ れ ん ぞ う
私の部屋に轟いて来たとき、私が突然聯想したものは、流行の近代兵器では決してない、私は
帆布のはためきを、海の潮風と血のために黒ずんだあの粗い帆布のはためきを聯想したのであ
る。 : ・﹁激しくもかの帆布は胸にうかぶ ﹂ ・ 。 (アルチ ュ
ウル・ラ
ン ポオ )
7
5
動物園││
8
5
あおいん ζ
海の色をした青勢認可(﹀﹃曲円曲目 N己)
てん
少年のような顔をした詔 。
そのまま襟巻になりかねない小さい豹 。
えりまき ひょう
(
﹄間5 2ロ全︿25帽子。)
国
gg という歯歯類 。短い民尾を除けば、
げ つし し っぽ
豚 ほ ど の 大 き さ の 肥 った鼠であるととろのの目立
まるでそのまま鼠の拡大図である 。戸棚 を あ け る と 、 と ん な 奴 が 出 て 来 た ら 大 変 だ 。 (但し食
用になる 。)
ω25﹃
FBI
- と 書 い た 立 札 に 矢 印 が つ い て い る 。 そ ζ の 慣 は 出 入 自 由 で あ る 。債 の 中 に
何:
り
L6
は、あまりめずらしくない動物がたくさん立 っている 。 つまり人間どもである 。大きな戸では
の
かわや
ζは闘である 。
ロ
云えないが、そ
ポ
ア
リオでの 二度目の日曜日 。
きょうは朝日新聞の茂木氏は、在外事務所の上野氏と競馬に行 った。誘われたけれども、行
か ないでしま った。私は競馬を好かない 。
-
茂木氏は本当に立派な人だ 。旅先でい ろ いろつまらない日本人に会うと、 ζういう人の立派
さがはっきりする 。 日本にも下らない白本人が多すぎる 。外国にも下らない外国人が多すぎる。
今日 一日ひとりで海水浴をしようと思 っていた予定は、涼しい風と、今にも雨になりそうな
空模様とで崩れてしま った。私は灰暗いサロンで 二三 の手紙を書いた 。滞在客の外人の家族も
隠の﹁ら
退屈そうに坐ったり立ったりしていた 。 テラスが濡れだした 。可成り大粒の雨である。雨のな
かに、甚だしく高い波が崩れて、水煙を上げているのが見える 。今日の海は、モザイクの散歩
路のほとりにまで迫っている 。
私は部屋にかえって、覆布をかけた寝台の上に寝とろんだ 。疲れていたが、眠るととはでき
なかった 。茂 木 氏 に 電 話 を か け た 。 との天候であるのに、果して彼はいなか った。煙草を喫も
うと思った 。 ライターは油が切れていて、つかない 。::・私は突然立 って、ウェザア ・コl ト
を着て、ホテルの玄関口へ下りて、タク シーを雇 った。別に行く 当 てがあるのではない 。 アル
の 村:
ポ
活 動 が す む と 、 夜 食 を し に 行 った。すとしはメニューも読めるようにな ったので、ほぼ想像
ア
のほとりを歩いた。道はぬかるみで歩きづらい。私はタクシーをとめてホテルへ帰った 。
﹁とんな一日は﹂と私は考えた 。
﹁ 東京にいても時々ある。日どろはお喋りのくせに、そうい
う日は誰とも口をきかないから、言葉が通じても通じなくても同じ ζとだ。実際どこにいたっ
て、同じ ζとだ。リオにまで、とんな一日があろうとは思わ-なかった
・9︿ぴ 。﹂
私は幸い欠伸を催したので、はやばやと寝に就いた。明日は早胡明から三回目取りにまわらな
くてはならない。明後日、私はリオを発って、サン ・パウロへゆく。カルナヴアルの前に、私
はまたリオへ戻るだろう。
の杯
サン ・パ ウ ロ
ロ
ポ
二月五日││十日
ア
ルア ・アイモレス、ルア・イタポッヵ、古いインディアン語の街の名 。
ひ
その街は飾りもなく、人目を惹く看板ももたず、古い他奇のない軒並にすぎない。ただ低い
窓が街路にむかつて際限もなく連なっている。扉にも同じ窓がある。それは窓ばかりの町であ
。
えu
よろいど
ど の 窓 に も 硝 子 は な い 。粗 い 鎧 扉 に 似 た 伎 の 内 側 に 、 観 音 び ら き の 板 戸 が あ る 。 或 る 窓 は そ
の板戸をひっそりと閉ざしている。
ざっとう
車道の石畳をとおる車はほとんどない 。 しかし歩道は、夜に入ると大そう雑街する 。そ の町
には明りと云 っても所まだらな街燈のほかには、桟を洩れる窓明りがあるにすぎない 。男たち
は忘れものをしたように、窓の中を丹念にのぞいてすぎる 。或る男は伊達な様子で、窓に究り
かか って話して いる。或る男は突然扉をひらいて出て来て、何気ない顔で行人の群に加わる 。
窓の中には灯がついていて 、 レコードの 音 楽がきこえたり、歌声がき ζえたりする 。窓 の 中
には何か幸福に似たものがあるらしい 。
ゆり
それが証拠に 、年と った花売り女が歩道をうろうろしている 。灰暗い百合の花束を 、そ の丈
にあまるほど抱えている。或る男たちは扉のあいだから、百合を 一輪 、窓のなかの団縄県に贈 っ
だんらん
てやる 。 ま るでそのなかの幸福にあやかろうとするよう K。
ロ の停
桟 が 眺 め を ロ マ ネ ス ク な も の に す る 。女ばかりの騒々しい家族 。女ばかりの諦らめに充ちた
あき
も の し ず か な 家 族 。或る窓のなかでは 、家人は灯を点けわすれたままど ζかへ出かけていると
-
7
ア ポ
もっと高い桟にかけて、顔を桟におしつけるようにするためである 。彼女は服の下に風をあて
ようというつもりらしい 。 しかし戸外は冷やかだが、夕方から風が落ち、そとを好んでそょが
せてとおる微風はない 。
時々、窓のなかは舞台に似ている 。多分その思わせぶりな照明のせいであるγ
月賦のそろいの家具を並べた寝室が、幕あきを待 。ている 。小道 具 の末まで揃 っていて紅い
γ がいの船がかげで、出を待 っている初々しい主役の、胸の鼓動が聴かれそうに思われ
館総
る。
ロ の杯
或る舞台では、すでに幕があいて、乳房の凄まじく大きな黒奴女のダンスが見られる 。彼女
すさ ︿ ろんぽ
はもう五枚目までヴェールを脱いでいる 。彼女は大声で笑う 。窓に人だかりのしているのが嬉
しいのである 。すると、長崎子にいる女は負けまいとして、も っと大河な声で笑う。彼女は酔
アボ
ポタシ
。
っている 。薄鼠いろのスラックスの腰の釦を 一度きに外してしまう 臓を見せて、嬉しそうに
げ らつ ぼみ
。
また笑う 。腕胴は灰暗い明りの下で、白い、死んだ蓄蔽の苔のようにみえる
﹁ 意地悪な王妃 ﹂役を演ずる、無恰好な老女優があらわれ
そのとき奥の維がさ つとひらく 。
。 っ
る。彼女は決して笑わない 。短い明いの 言葉を 二言三言 いうだけである すると女たちは凍
しぼ 。
たように立ちすくみ、王妃が立去るまで暫しの間無言 の活人闘を演ずるのである
或る舞台では。
いや、そこは、額縁と云 ったほうがいい 。-なぜかというと、その窓の女は、見物なんぞに目
ゅんわ
もくれようともしないからである。窓からほんの一間ほどの壁に、一角の破れ落ちた大きな壁
しゃ
鏡が掛っている。その鏡は彼女の金髪に照らされて明るくみえる。彼女は黒い紗のシュミーズ
ひざ俗
をまとっている。足もとにじゃれついてその丸い膝に這いのぼろうとする純白のポメラニアン
に手をのばして、うつむいている 。そしてときどき垂れかかってくる髪をうるさそうに 、揺ぶ
るので、町け却はますますその金髪にじゃれつ ζうとする。女の胸とお腹のとむろについている
いらだ
黒いレエスが、ひらひらして、仔犬を苛立たせているらしい:
或る舞台では・
そ ζは明かに終幕である。窓のなかの場面は室内ではない。
の杯
せa z E みすて
湿った石畳を、鉄の窓と、窄い出入口と芥捨箱との暗い建物の背景が囲んでいる。彼女だけ
•
が窓明りをもっていない。窓外の街燈の明りがそとまで届いて、まだ若いのに、目の落ちくぼ
7 ポ
んだ顔を照し出す。彼女はほとんど桟につかまって身を支えている。さもなければその身は湿
った石畳の上に崩れ折れてしまうにちがいない。
せりふ
彼女は何か叫ぶ。自分のものではない、何か偉大な不似合な台詞を叫ぶ。
しかしそれはき ζえない。高架線のけたたましい汽笛と車輸の響が、その叫ぴを打ち消して
すぎるからである。
彼女の窓には観客は一人もいない。との悲劇の大詰は大そう、水いので、誰もおしまいまで観
ょうとしないのである 。
3
6
4
6
ス
ン
三月十 一日││十六口
ブラジルの 雲
ブラジルの雲、そういう呼名に値いするものを、私ははじめてリンスで見た 。
ゼ
元齢叫内野 若 宮 、 多 羅 問 氏 の が 酌は、リンス近郊十八:W;のととろにある 。一 日私は、多
制
。
会の
羅間氏の運転する車に同乗して 、リンスの町へ行った まだ線ルてい日立大きな豹の皮や、さ
ている館院を見る 。半長靴と影宵降を穿き、つば広の帽をかぶ
まざまな馬 具 ゃ、自転車を売 っ
ロ の杯
デ 。
り 、伊達な齢いろのスカ ー フを首に巻いたが 車が主 人 と話している
同 車 は む し ろ 牛 追 い で あ る 。 その社会には厳しい仁義があ J戸、ジユステイツサ ・デ ・マ
、
ットグロ ッソとよばれるその仁義にそむくものは 投げ土げた燐寸を 二分する様な拳銃の腕前
ボ
。 。かれらは遠い牧場
ア
ζの土地の風土 K叶 っている 。
か傘
ロ の
その道路の赤土の色とよく似合い、すべてが
私が雲を見たのは、その帰路の自動車の窓からである 。
ポ
コーヒーた危ず
リンス近郊の遠景には、牧場や瑚排園のただなかに、ふしぎな形の枯木が才んでいるのを見
7
ることができる。それは開拓に当って焼き払われた原始林の名残である 。焼かれた樹は孤立し
て 、 真 黒 で 、 ふ つ う の 枯 木 に な い 奇 矯 な 人 工 的 な 形 を し て い る 。 その背後、牧場や瑚排闘や赤
隠しい a
z
土の道に区切られた地平線上に、雲の怒まな乱舞があった 。
*
とれらの熱帯性の雲は、下辺が皆定規をあてて裁断されたように平行している 。高い雲も低
い雲もそうである 。大西洋の水蒸気がアンデス山脈に運ばれて出来たとれらの雲は、別段原料
に 不 足 し な い が 、 秋 か ら 冬 │ │三月から九月ーーにかけてど ζかの倉庫に貯蔵されてでもいる
らしく、草は枯れ牛馬は捜せる乾燥期のあいだ姿を見せない 。今日は盛夏の雨季の 一日で、し
や
5
6
かも乙の一帯は快晴なので 、雲を見るには好適の機会であった。
66
それは実に断続な眺めで、雲はわれわれの見る方角にも、ポリヴィヤ松の美しい並木の上に 、
いくつかの峯を連ねていた 。光りを彩しく受けている部分は、白い大理石の隆々たる筋肉が内
いんえい
部から光を放っているように見え、光りと陰騎の相半している部分は、荘厳な墓石のようにみ
ひしよう
えた。私はウィリアム ・ブレークの飛朔する神や天使の絵が、雲に暗示をうけているととを疑
わない 。
いつも自然の形象からうける私の感動が、絵画的というよりも音楽的なものである ζとは言
葉の表現を大そう困難にする。私は音楽を作る才をもたないが、雄大なあるいは美しい自然に
の杯
かに音楽があるが、それは外部に流露する機会をもたないで、徒らに蓄積されるほかはないの
ポ
に、最初の新鮮な幻影を喚起する幸福にも恵まれない。小説家は何よりもまず、立派な散文を
書くととにカめなければならない。そとで ζうした音楽は 、散文のなかにそ の片付言葉の形で
あらわれたり、浅はかな文章のリズムとしてあらわれたりするよりは、むしろ沈澱して散文の
。
堅固な目に見えない実質として匙えるために、 一度は死ぬ必要があるのである
永らく私の内部には悪い音楽があって、文章に不必要な悲しみの調子を与えたり、故らな
c
s
照 時 味 を 蹴 ら し た り し た 。今 も 私 は そ れ と 戦 わ ね ば な ら な い が 、 今 で は 良 い 音 楽 の 効 果 に 関
する確信が、私を勇気づけるに十分である 。悪い音楽は散文に悲哀の調子を与えるが、良い立日
楽は・おそらくそれに別箇のもの、喜悦の調子を与えないでは措かないからである 。
註*││乙の雲は単なる積雲であろう。積雲の形態の特徴は、上回がド iム形に隆起し、底辺がほとんど
水平なととである 。
小邑ヴィラサビノ
き の う わ れ わ れ は 、 ブ ラ ジ ル の 典 型 的 な 小 邑 を 訪 れ た 。 その名をヴィラサピノという 。
大多数の小口巴は発生が新らしい 。古 い小さな町がさびれたまま残 っているのは、わずかにチ
エテ、イツウなどを数えるにすぎない 。グイラサピノも農固に固まれて、 │ │現に最近までそ
干
の 事
の庖は、農園の外れなどに孤立していて、ヴエンダとよばれる 。
ポ
あんじよう
代碕いろの屋根、鞍上の代結いろの羊の皮、崩れた壁からのぞく代結いろの煉瓦の色、:・:そ
c
れらはまるで動物の保護色を思わせる。村は・
寂
砂として、亜熱情の強烈な夏の日光を浴びている。
也
じゃ︿ねんかいいそぴ
空にはまた寂然と魁偉な夏雲が整えている。
もしあるとき、何か不測の凶事が襲って、ヴイラサビノが地上から消え去ったとする。世界
の新聞はそれを告げず 、 ζ の国の新聞も数行を割くにとどまるだろう 。誰もその消失 K気がつ
かない。あるいは隣村の住民でさえ、それに気がつかずにすむかも しれない 。何故かというと 、
ζの謙虚な村が全く同じ色をした土に帰しても、難が去ればまたその土の中から、そしらぬ顔
の麻
をして起ちぺより、再び難犬の戸が起り、何も知らぬさすらいの牛追いは、静かな町角にその馬
ロ
を繋ぐにちがいないのである。
ポ
ア
ほ寄りあり降たる同ちすずめだちょう
糞切蟻・蛍 ・蜂雀 ι舵鳥
ζんちゅう
ととへ来て、昆虫学者になりたいと思った少年時代の夢が匙えるのを私は感じた。たとえば
夕空の脊とだ骸ぃ色も、蝶の羽根の色としか思われなくなった。
多羅問家の庭の叢林の一角に、私はすでに住んでいない白蟻の高い巣を見た。一米弱の高さ
せんたん
の巣で、堅固な ζとは岩のようである。高い塔の尖端に、もはやゆ匹の向蟻の出入もない穴が
ζ坊 さ 念 が ら も う じ ん
見られる。その塔は苔むして、宛然、王族蒙塵のあとの古城である。
とうもろ ζし K傘
私はまた夜更けの錐舎をよぎって、玉濁黍の実と、何うに適当な大きさに切りとったパイネ
1一フの葉をはとぶ、葉切蟻の大群を見た 。
をや
との移しい群盗の行列は、荷い手よりも荷の方が大きいので、懐中電燈でとれを照すと、ま
るで 三角や四角に切った無数の葉と玉萄黍の無数の実とが、地上 一センチほどのととろで宙に
浮いて 一つ 一つその影を土に落して、ゆ っくりと練り歩いてゆくようにみえる。低い止り木の
上で眠 っていた難が、寝苦しそうに羽樽いて、向きをかえる 。 しかし蟻の行列は乱れる ζとな
凶M d u合処
く粛然と進んでゆく 。
葉切蟻の休色は赤茶けており、頭は大きく、働蟻の姿が、日本の蟻の兵蟻に似ている 。収穫
はつ ζう
の葉は醗酵させて、ビスケ ットのようなものに作る由である 。 それに適当な葉をかれらはよく
の事事
知っていて、或る晩は茜一微の葉ばかりを、或る晩は石竹の葉ばかりを狙うので、時には丹精の
な ったりする 。
ロ
草花が一夜で悲惨な裸の姿 K-
7 ポ
旅行者の目は幸いなるかな 。ブラジルの農村の悩みのたねであり、ブラジルが蟻を滅ぼすか、
蟻がブラジルを滅ぼすか、とまで云われるとの葉切蟻を、何の利害ももたずに、ただ旅の興趣
として眺める ζとができる 。旅先では、悪もわれわれの心を悲しませず、も っと喜ぶべきとと
は、やかましい幾多の美徳も、われわれを悩ます ζとがないのである 。
昨夜、私はとの農固に附属している農夫たちのコロニヤを見に行った 。門のかたわらに日本
つる
人 の 監 督 の 家 が あ る 。 そのテラスに鐙が吊してあり、夜は九時の就寝時、朝は五時の起床と 六
時の仕事はじめの鐙を、監督が手ずから鳴らす 。
そ ζ のコロニヤは、十軒ほどの家並で、 一軒々々が 二つ の区制に分れており、その 区剖毎
69
ζとどと
に一家族が住んでいる。悉くブラジル人の良夫である。室内は暗く、調度は貧しい。流れ者は
0
1
寝 台 も も た ず 、床にマットを敷いて眠るそうだが、ある家にはラジオもあって、家族がラジオ
を 置 い た 卓 を か と ん で い る 。多くは戸口のととろで涼んでいる。週末のほかには 、 ζれと 言つ
ポア ・ノイチ
て娯楽を求めない。われわれが、 ﹁今晩は ﹂と 呼 ん で す ぎ る と 、 お の お の の 戸 口 の 人 影 が 、 ポ
ア ・ノイチと答えるのであった 。
︿きむら
私 は コ ロ ニ ヤ の 叢 に と び か わ す 畿 を 見 た 。 その光りはたおやかで、話にきく南米の巨大な畿
のようでは な か っ た 。 捕 え て み る と 、と の種類は日本の畿と大差がなく、大きさも、尾の光る
さまも同じである。燈下でその姿を点検すると、日本の畿とちがっていた。
仲
リ
M んれん
今日私は、也管恋の峰雀をはじめて見た。それはたった 一羽の、しかも瞬時の訪れであった 。
ロ の
'
風のない午後の灼熱の日ざしの中を軽い模型飛行機のプロペラのような響きが渡ってくる。来
"
るのは何十種とあるなかで、最も巨き-な種類の蜂雀である 。 と謂ってもその巨きさは小さな雀
L
aLa い
ア
つる︿さ︿ち傘し
にさえ及ばない 。 そ れ は ま ず テ ラ ス の 欄 に ま つ わ る 蔓 草 の 花 、 つ や や か な 葉 は 山 振 に 似 て い る
にじぜんどう
が、大輪の花は黄いろい夕顔のよう・な、アラマンダに近づいて、翼を虹のように顧動せしめて
︿ちばし
空中に止 った ま ま 、 長 い 噴 を 花 に さ し 入 れ た 。ブ ラジル語でとの鳥をベジヤフローんという意
味は、ベジヤは接吻、フロールは花である。
ほ老みつ
蜂 雀 が ア ラ マ ン ダ の 花 蜜 を 吸 っ て い た の は 、 も の の 一二 秒と云っていい 。
ν
ez
'
それは忽ち身をひるがえして、藤棚のプリマヴェ lラの洋紅色の花に移 った
お山色
。 二三の 花々を
訪れたのち、とのせわしない訪問者、吉報か凶報かはしらないが告げては去り告げては去ると
そうりん
の急使は弾丸のように裏庭の花壇へ抜け、咲き誇 っているカンナには目もくれずに、叢林の中
へ朔け去 った 。
ハドスンがあれほど微細に描写しているその羽樽いているときの翼の色などは、との最初の
出会のおどろきに制せられて、見きわめる余裕を私はもたなか った。
数週間前、リンスの町をふしぎな訪客が駈けすぎた 。
それははじめ近郊の獅排固にあらわれて、その独特な足型を土にのとした 。曲辰夫が農園主に
注進に行 った 。
﹁
今、 ζ と を 舵 鳥 が と お り ま し た !﹂
ロ の杯
へあらわれた。ある沼屋の客たちは、昼間の街路をゆく一羽の駐鳥の姿におどろいた 。気がつ
いて人々が追いかける用意にかか ったのはすでにとの町の訪問をおわ った駐鳥が、行方をくら
ましたあとであった 。
註窓││英国の動物学者ジュリア y ・ ρックスリは、との葉切蟻(冨ω rgp喜E EE--市湯議菜吋 同
ぞきい
栽培銭)についてとう書いている 。
﹁牛叫す銭の園芸家中首位を占めるハキリアリをと って見ょう 。 テキサ スから ブ ラジ ルにわたる森
a
s
ャ,ド ある い
林 中 で は 、 踏 み な ら さ れ た 道 を 、 往 々 に し て 長 さ 百 磁 或 は そ れ 以 上 に も 及ぶ列を・なして、蟻が
行進する のを時折見るととがある 。一 方 に 向 って進む行列は口になにもくわえていず、道の片側
を 歩 いて行 く
。 反対の方向に進む行列は道のもう 一つの側を通り、緑の葉片を運 ん で行 く。との
1
7
業片は 、屡々それを運ぶ蛾を隠すほど大きいととがある。そういうわけで 、 との蟻は、 パラソル
-
uvdH'
uv
d"
72
ちぎる のを仕事としている大、中駿銭の隊を警護する 。 ヲ
巣の中では、薬片は更に小さなかけらに切り刻まれ 、他の駿蛾が前以て撮 っておいた大きな地
下室 の床の上の苗床に つくられる 。それからとの苗床は最も小さな職蟻の手に波されるのである 。
ロ
とれらの駿蛾は時折光線と外気の中で遊ぶために外に出て来るといわれているが 、働くのは地下
ポ
黒人の少年が二頭の白馬を前庭に曳き入れた。私はきのうヴィラサビノで見たのと同じ羊の
ポ
わ れ わ れ は 麦 藁 帽 子 を か ぶ っ て 、 日ざかりの瑚緋園のなかに馬を行った。ブラジルの馬は背
む管わらや
だ︿あし
が低くて小造りである 。反動は小刻みで激しくない。飽足の反動は羊の毛皮で柔らげられて、
汽車の座席の動揺と大差がない 。
瑚排の葉はつややかであった 。今年の 収穫の予想は大へんいい 。瑚排の葉かげの土から 、黒
いものがむくむくと起き上って、ポア ・タルジという 。 日灼けのした伯人の農夫が 、午寝をし
ひやひるね
マy チ
て“
いたのである。傍らの葉の上に、煙草の包みと燐寸の箱が載せてある。
頭に丸い査をのせた女が、道を避けてポア ・タルジという。亭主のと ζろへ弁当を届けに行
3
7
ったかえりである 。
74
われわれは蜘排園をぬけると人通りのない赤土の道へ出たが、よく伽排圏内で道に迷って明
け方まで出られなくなるという話がある 。
かんぽ ︿
ζの 濯 木 の 畑 は 単 調 で 、 見 た 目 に 変 化 の 面 白 さ を 示
すものがあるわけではない 。
あり
われわれはまた、とある瑚排の樹の根本に大きな蟻の巣ゃ、アルマジロの穴を見た 。赤土の
道ばたに、日本の石地蔵の嗣のようなささやかな屋綴をも った慰霊碑を見た 。それに開拓時代
隠Cら nフペ イ ラ
-
に土地や女の争いからととで殺された人の名が彫られている 。
慰霊碑は雨季の気まぐれな天気の日毎に、何度も雨を浴びたり日光を浴びたりする 。ゆきき
桝L
ζぷうし むのびただわ
には白 い癒牛たちのゆるやかに移動している牧場があり、雲が地平線上に移しく湧いている 。
ポ
癒牛自体が日本では珍らしいものであるが、ととには白い癌牛が多く、首のうしろに高い癒
ア
をも った白牛は荘厳な姿をしている 。 ζれらは乳牛ではな・くて、食肉用の種類である 。
われわれは多羅問牧場の 一角 に 入 った。馬の群れている柵の傍ら へ立寄 った。 はじめ仔馬た
とう 金
ちはわれわれを見て逃げた 。 やがて親馬たちに従 って、われわれの乗馬のそばへすり寄って来
て、無 言 のまま、柵どしにその鼻を寄せた 。
帰路、沢に架けられた板橋を、馬はおそれで渡ろうとしなか った。われわれは馬を下りてそ
つ
の手綱を引いた 。橋の丸木の連なりは、蹄の下に動指して、ある丸木は沢水の白い飛沫を立てた 。
ひづ め H
v a
z
再 び リ オ ・デ ・ジャ 、
不イロ
二月 二十日 ││二 十九日
テアトロ ・ムニシパ l んの前のショパン像が、数日前から板固いで封ぜられてしまった 。そ
凶りんぞう
の上に謝肉祭の造り物が架せられるためであるが、リオの市民は、ヵルナヴアルの陪一
操なサン
ふさ
バを、楽聖の耳に聴かせるのは気の毒だから、市当局が板でその耳を塞いだのだと云っている 。
ショパン像の上に同屋根形の八本の柱が架せられ、今夜その頂上 K、巨大な 王冠の造り物が
起重機でとりつけられる段取にな ったので、物見高い連中が、時折雨のばらつく街路にいつま
の杯
物は根気づ よく待っており、ある人たちは劇場の石段κ手巾を敷いて腰を下し、ある人たちは
ハシ カチ
ア
今夜中にうまく上るかどうかという賭事をはじめている 。
アグエニ lダ ・リオブランコの両側には、 二三 間おきに大きな旗、謝肉祭のさまざまな仮装
の絵をえがいた旗が下げられた 。 かつて一七八八年の羅馬の謝肉祭についてゲエテが 言 ったよ
うに、早くもあらゆる街路が、 ﹁室内のような感じを 一一層募 ﹂ らせ、との効果には最適の街路
のモザイクは、まるでとの日のために敷かれたかのようである 。
あらゆる場所に祭のための造り物が自につくので、(ちょうどホテル ・セラド l ルの私の窓
セナドールかをた らつ
からは、上院議場と彼方の海が眺められるが)、上院議場の青銅の同頂をめぐ って、四方へ捌
5
7
ぜい
れ引を吹鳴らしている四休の青銅の天使たちも、その噺夙の吹奏で謝肉祭の開始を告げている暫
76
沢な造り物のように見えてならない 。
定︿
ζうして謝肉祭のはじまる前日が来て、われわれは夜食の前に、祭の景気づけに作られた、
ぼかしゅう
奇妙な英迎さわぎの活動写真を劇場で見ていたが、突然はげしい雷鳴が起り、室外へ出ると駿
雨であった 。私ははじめその大音響を脈絡も何もない筋をひつくりかえすために使った乱暴な
音響効果かと考え、つぎには花火かと思い直したが、外へ出て稲妻を見るに及んで、はじめて
雷鳴だ ったととを知 ったのである 。
われわれは、料理屈へ行とうとして粁づたいに歩きだしたが、雨ははげしくなるばかりであ
の杯
る。ある街角まで来たときに、雨の響にまじって、日本の披露目屋のような楽隊の音楽と合唱
がきとえてきた 。
ロ
ポ
よろいど
商庖はすでに四時間も前、六時の定刻に庖を閉めている。下した鎧院の上のネオン ・サイン
7
よ ζ
ルセイドスの札を与えて、お釣りをくれというと 、乞食が釣りを寄越す愉しい園、とういう国
の貧困はただ怠惰の代名詞であるが 、幸いにしてブラジルでは 、怠惰はまだ悪徳のうちには数
ポ
えられ て いないのである。
ア
いたずら
雨の勢いは一向弱まらない。しかし踊りのニ付は別の街路へむかつてうどき出した。悪戯な
一人が、踊って過ぎながら 、細い街路樹を乱暴にゆすぶった。街路の明りをうけて、緑の明る
い街路樹が 、ちょうど雨の中をかえってきた犬が身をゆすぶって飛沫を散らすように、 一瞬
、
霧かとまがう雨滴を散らしたさまは、実に美しかった。
肉
致問
祭
二月二十三日││二十六日
7
7
リオの謝肉祭についてまず云わねばならぬととは、それが何ら宗教的な祭事ではないという
78
MAU
乙とである。大統領は、人気とりのために、市は物価高による市民の穆債をしばらく他へ転ぜ
胤
しめるために、また北米や欧洲からの観光客誘致のために、多額の補助金を与えてとそおれ 、
おうしゅう
ゅうそく
脈駅のカトリック教会は、との馬鹿さわぎに反対している。それは何ら方式のない、有職故実
のない祭事であっ て、もしその方面の興味を求めれば、早速失望せねばならないだろう 。
しかしリオの謝肉祭は傾聴すべき多くの教訓を含んでいる。数万の人心を団結せしめ、それ
らをかくも共有の情熱の中へ投げ込む力として、伝習、あるいは単に習慣というものが決して
むしば
無意味なものでない ζと。近代生活は目的意識に蝕まれ、われわれが政治の奴隷となるのはこ
の杯
とり ζ おそ
の弱点からに他ならないが 、生の恐怖から政治の虜になり、さらに政治を怖れねばならないの
ロ
は愚かであるとと。無目的な生は、短い数日の聞でとそあれ、かくも完全な生の秩序と充実と
ボ
を、現出させるものである ζと 0
・-それが謝肉祭の教訓である。
7
キりスト
ともあれ、われわれ非基督教徒にとっては、謝肉祭の興奮に、馬鹿さわぎだけがあって、狂
信の要素が・ないととほど 、喜ばしい ζとはない。はからずも私は悲劇﹁パクカイ﹂にえがか れ
て い る 古 代 郡 勝 の デ ィ オ ニ ュ !ソス崇拝を想起したが 、それは決して 宗教的ドグマにもとづ く
狂信ではなかったに相違ない。日アイオニュ Iソスが正しいがために、人が ζれに赴いたのでは
ない。ディオニュ 1ソスが正しいがために、人が狂乱と殺裁に陥ったのではない。希強人は 、
さつり︿
人間のあらゆる能力を神に祭ったから、安んじて狂乱に陥り、生の恐怖に安んじて身をゆだね 、
陶酔のうちに、愛児を八つ裂きにしたのである。
事務所も商屈も医師の診察室も 、 二十 三 日の正午を以て閉じたのちは、 二十七日の正午にい
たるまで、全くその働きを止めてしまう 。
二十三 日の午下り 、それはふしぎな期待の時間である 。造り物は出来上 っていないのがいく
つかある 。今なおアヴェニ 1ダ ・プレジデント ・ヴアルガスの巨大なモモ像は、(肥満したモ
モは、ヵルナヴアルの主神である)、肝腎の首が肩の上に見られない 。街 を 歩 く 仮 装 は ま だ 稀
れ
憲一
である 。徒らに人出がして、窄い街路は人どみを分けるのが容易でない 。
いえず Aga事
コロムポの二階で中食をとっていると、家族連れの卓がまずテ lプを別の卓へむか つて投げ
ロ の侭
のが、群衆に押されて、花束は浮きつ沈みつしている 。
いし よう
太 鼓 の 音 が し て 最 初 の 行 列 が あ ら わ れ た 。 それはそろいの水あさぎの衣裳を着た希磁の女に
ふん
扮した男たちである 。
ひも
道路の上に、自分たちの踊る空間を確保するために、四人の男が 一団の周囲にめぐらした紐
をいつも平行四辺形に支え持 って、あわせて先駆の役をも果している 。露払いに当る男は旗手
であって、旗をふりまわし-ながら、ひときわ狂おしく踊っている 。 とれに従うそろいの衣裳の
二三 十人と、楽隊の十人ほどが、街頭のサンパのほぼ標準的な 一単位であるが、前後に従う群
衆が、次第に踊りに加わるととによ って、あたかも 雪だるまのように肥え 太っ てゆく 。
9
7
カルナヴアルの喧騒をったえるために、言い忘れてならないととは、あらゆる人がーただ黙
0
8
って踊るのではなく、声をあわせて、 ・声のかぎり歌いながら踊り、歌いながら行進するという
点であろう。日本のいわゆる ﹁拍子舞 ﹂ である 。音楽はすべてサンパあるいはマlげ吋あって、
その年のカルナヴアルの歌は、早くから沢山作曲せられ、発表される 。 その選択と淘汰は民衆
によって行われる 。 ほぼ五つ六つの、もっとも踊り易く、歌い易く、悦楽的で、衝動的で、表
情ゆたかな音楽が、カルナヴアルの前にすでに流行し、子供にいたるまで、その歌詞をおぼ以
ζんでしまうのである 。歌詞は大抵ふざけた断片的な、リフレインの多いもので、ある歌は調
研を、多くの歌は好色な意味を隠している 。歌詞の 一つ 一つが 二重の意味を持たしめられて、
杯
好色な郎官を秘めているのであるが、その歌を良家の幼い子女までが、両親の前で大声で歌 っ
ロ の
て慨山りないのには、おどろかずにいられない 。
ポ
クラブの音楽は大概黒人の楽団であって、 一刻の休止もなく、曲のつなぎに短い早急な行進
ア
曲をはさんで、五つ六つの曲をくりかえして演奏する。街頭の音楽は 1街角に設けられたゴン
ドラの造り物の中などで演奏している市や警察の楽隊をのぞいては、甚だ単純で、吹奏楽器の
二、三 と、大太鼓と、館側が主なものである 。なかんずく耳につくのは太鼓の単調な伴奏で、
とれは日本の祭の太鼓を思わしめる 。
とういう歌と音楽に、各人が吹き鳴らす笛の音、けたたましい不協和音を立てる玩具の 音 、
がんぐ
タンバリンの音、時折打ちあげられる花火の音が加わ って、カルナヴアルの無類の時燥が形づ
くられている 。
今 ま で は 禁 ぜ ら れ て い た の が 、 今 年 に 限 って許されたものに、エーテルの入 った安香水の噴
*しよ うち ゅ う え り も と
霧器と、 . ヒンガという焼酎がある 。前 者 は 女 の 衿 元 や 民 や 胸 に か け て か ら か う た め の 玩 具 で あ
る が 、 も し 自 に 入 れ ば し ば ら く は 目 が 痛 ん で も の を 視 る と と が で き な い 。 ζれを沢山手巾に浸
ませて、いきなり女の鼻孔に宛がうと、失神状態 κ陥る場合がないではない 。後者は ζの国の
大衆的な強烈な酒であるが、クラブでシャンパンが水のように呑まれているのに、危険を
お 蹴 ぽポ て民衆に飲酒が禁ぜられているのは片手落だという非難に動かされたものであろう 。
J
設本 ││ピンガ町カ シアサ(りオ)町 パラチ肝アグアルニアンチ ・デ ・カ yナ。
とれ以外の小道具は、テープと、頭上にふりかけあうコンフェ ッチ、丁度芝居の 雪 のような
の 杯
細 か い 丸 い 紙 片 で 、紅、黄、育など色のちがいがある、そのコンフェ ッチとが主なものである 。
今 日 で は 街 頭 の カ ル ナ ヴ ア ル は 、 黒 人 と 下 層 階 級 と で 占 め ら れ る よ う に な った。金がなくて
ロ
ポ
むがい
ク ラ ブ へ 行 け な い も の だ け が 、 街 頭 で さ わ い で い る の で あ る 。以 前 は 無 蓋 自 動 車 の コ ル ソ ー が
ア
あ っ て 、仮装を凝らした 上 流 の 家 族 が 自 動 車 を つ ら ね て 街 頭 へ 押 し 出 し 、 そ の 場 合 庶 民 は テ ー
プやコンフェッチを投げかけて、さわがしい観衆の役をつとめたのであるが、今日では主客が
転 倒 し て 、 毎 夜 十 一時にはじまるクラプの舞踏会へ赴く前に、中流以上の人たちは仮装のまま、
民衆の狂喜乱舞を街頭へ見物に出かけるのである 。
*
二十 三 日 の 夜 に 入 る と 、 カ ル ナ ヴ ア ル の 中 心 で あ る 目 抜 き の 通 り ア ヴ エニlダ ・リォ .
フラ ン
ζとどと
コは、車道も人道も悉 く人で埋められるが、その七割ほどが仮装を凝らし、あとの 割も派手
1
8
一
で
ちょうちん
な色合の軽装で、街の色どりに加わ っている。街 路樹には燈火がちりばめられ、旗や大提燈や
82
巨大な造り物は灯を点じている。
からす
何ぞ鵠の雌雄を弁ぜんやというが、夜に入ると、黒人の男装と女装とはほとんど見分けがつ
ひげ
きがたい。筈を生やした大男が半裸で乳当てをつけた女装の如きは、もつばら滑稽な効果を狙
っているが 、少年の女装にもきわめて美しいものがあり、男装の女と女装 の男の一組ゃ 、並の
男と男装の女の一組は、見る者の目を惑わすに十分である。
てずま
猫がいる。骸骨がいる。生写しのチャップリンがいて、ステ ーキや手巾で軽妙な手皆様を演じ
てみせる 。伊太利料理底には空の瑚緋茶碗を皿の上で見事に宙返りさせてみせる器用な伊太利
a1ar 叫
, , ..
咽
の杯
した青年の一団がある 。 チロルの若者に扮した姉妹がいる 。
ア
子供たちの仮装は殊に可愛いもので、両殺が仮装していない場合は、日本の七五 三と変りが
ない 。男の子たちはカウボーイや冒険物語の主人公に扮し、女の子たちは、ハンガリー、オラ
ン ダ 、 ス ペ イ ン な ど の 、 各 国 の 民 俗 的 な 晴 治 に 身 を 飾 っ て い る 。 そして心は半ば仮装の人物に
なり、もう半分大人になったような気持がして、見るよりも見られる ζとを意識しながら、母
親に手を引かれて生まじめな顔つきで進んでゆく 。
大きなお腹の造り物をスカートの下に詰め、 ﹁私 は 失 敗 し た !﹂ と い う 札 を 背 中 に ぶ ら さ げ
て、妊婦に扮した滑稽な男が歩いてくる 。
ととうするうちにコザ ックに扮した市の騎篤隊が、 二三 の山車の先駆をつとめて、群衆を蹴
ちらして進んでくるが、さまざまな趣向を凝らした山車の行列は、最後の自になら・なくては見
られない 。
仮装の人たちのあいだに、仮装ではない本物のインディアンがあらわれるときは、実に奇妙
な光景を呈する 。贋物のインディアンも、しりぞいて人垣に加わ って
にせもの
、 ζれを見物しないでは
?りれない 。
んさ
MM
インディアンの一行は威風堂々と進んでくるが、その最高礼装は実に煩現なもので、頭の羽
わに陥 ︿必Z MV
根 か ざ り の 前 に 、 小 さ な 鰐 や 水 鳥 の 剥 製 が と り つ け ら れ 、 額 に か ざ っ た 小 さ い 三 つの丸鏡が
の 綜
げんわ ︿ っ
時々燈火を反射して見物人の目を舷惑するととにカめている 。腰には豹の毛皮を巻き、豹の歯
と ひょう
くびかぎり
の頭飾をかけている。手に携えた原色の弓矢はきわめて美しい 。背中には矢筒のほかに、御苦
ロ
ア ポ
KAな
労 に も 、 大 き な 水 鳥 の 剥 製 と い た ち の 剥 製 を 荷 っ て い る 。 かれらは毎年の吉例の訪客で、奥地
から先祖代々の姿をして、カルナヴアルのリオを訪れて来るのである 。
*
リオの下層階級の中には、一年間をただカルナヴアルのために働く人聞が少くない 。仮装を
するのも、 三流ど ζろのナイト・クラプへ押し出すのも可成りの物入りなので、 一年間働らい
て貯め込んだ金を四日で費消するのは易々たるものである 。京都近在の農家では、十 二月の南
座の顔見世興行を見物す。 るために、 一年がかりで貯金をする慣わしがあるが、リオの人たちの
はその比ではない 。 カルナグアルの前に、今まで 一年間給仕や女中としてつとめた家から暇を
3
8
もらい、あとの四日間で有金を悉く使い果したのち、また新しい勤め口を探すのである 。
4
8
κ
のみ・ならず黒人の問 は、カルナヴアルを心ゆくばかり享楽すれば、子供の代には白人にな
るという迷信が行われている 。
ラ カ ポクロ
ブラジルは世界で最も奴隷解放の遅れた国で、親から享けた漆黒の肌をなげく解放奴隷の歌
、 ﹁白 く な り た い 白 くなりたい :・﹂ と歌うのである 。黒 人 た ち が 仮 装 に 身 分 不 相 応 な
は
はは仮装というものが、自分以外のものになりたいという欲望を充たして
金をかけるのも、 半.
くれるからに相違な い
。
“
“︿AZ-e
事実 、ず 蹴はたびたび起 って、その漆黒の父親が知らない場所で、彼の金髪白醤の息子が生
の杯
、思いがけ
れて来る場合がある 。 しかしその白醤の息子が年長じて、白人の娘と結婚したのち
ない漆黒 の赤ん坊が生れたりする 。
ロ
ろ、あの神聖な私生児の精霊と手をつないで、地上へ生れ落ちてくるのである 。
私は四晩の内 三晩を、 二晩はナイト ・ク一フプ ﹁ハイライフ ﹂ で、最後の晩はヨット ・クラブ
の舞踏会で踊り明かしたが、別段白人に生れかわりたか ったためではない 。 カルナヴアルの陶
酔は、とれをただ眺めようとする人の目にはいくばくの値打もないからである 。その結果、私
は正直に自分が陶酔したととを告白したい 。
骨骨舎の舞踊では 一組の男女のあいだに、しばしば狂言舞踊の所作めいたものが行われる 。
ざっとうも
それは人に観せようというのでもなく、踊りの雑沓に探まれながら演ぜられるのであるが、歌
きょうが ︿ と ん し ゅ
調の一行一行をそれぞれ男女が分担して、歓喜や得意や驚侍や落胆や閉口頓首の表情を巧みに
かつ身娠りた っぷりに示しながら踊るのである 。相手がなくて、女 一人男 一人で、あるいは女
ζう ふんかえ
ばかり 三 四入手をつらねて踊 っている者もあるが、彼らも完全に踊りの昂奮 K融け入って、却
って踊りの指揮を買 って出たり、見しらぬ相手を踊りの渦の中へ引込んだりする 。女たちは決
かしずゆかぴたい
った男に侍かれていても、床の周辺のテーブルの見しらぬ男に、たえず蝿態を示して偉らない。
他人のテーブルの煙車や酒をねだる ζとは当り前である 。中には抜目のないのがいて、他人が
踊っているあいだにそのテーブルを占領して 、他人のシャンパンを呑んだりする 。
ロ の杯
私は今さっき 、﹁その陶酔は ζれ を 眺 め よ う と す る 人 の 自 に は い く ば く の 値 打 も な い ﹂ と 書
いたが、カルナヴアルの舞踏会は、踊り疲れて卓に究 ってとれを眺めていても 、独特の興趣を
ア ポ
の要請を充たすと同時に、またそれとは反対の要請、われわれに気がつかずに行きすぎた親し
いたずら
い友人が、そう見せかける ζとによってわれわれの悪戯どとろを満足させたのち、急にふりむ
い て 笑 い か け て ほ し い と い う 要 請 を も 充 た し て い る 。 サンパの舞踏はとの花道の行進に近いと
玄っていい 。
一
次々とあらわれるオダリスクや女士官や女闘牛士やクレオパトラやオフェリヤなどの美しい
儲顔の行進を見ていると、彼女たちは今からおのおのの悲劇の役割へ急いでいるようにも見え
るのであるが、その取合せが雑多で思いがけず、中には ζれと云って仮装していない人も少く
ロ の杯
ないので、私はパレエの舞台裏で、登場の合図を待つあいだ、足馴らしをしている踊り子たち
の聞にいるような心地がした 。自の前の乱舞は舞台の上の出来事のようであるが、それに私が
ポ
思わせる 。 その予想されている舞台とは、今ととでは自に見えないが、たしかに現前を約束さ
れているもの、四日四晩の陶酔の時の経過が、それがおわったのちに人の心によびさますいい
しれぬもの、快楽のあとの目ざめ、あのルパイヤットに歌われている ﹁死 ﹂ の如きものでない
とはいえ・ない 。
ヨット・クラブのカルナグ アル。 : :クラブの前に、群衆が今宵の客の仮装を見物しようと
待 っている 。人のたのしみを見るととも、かれらのたのしみの 一部 -
なのである 。
会場はヨ yト ・ハ!バアにのぞむクラプ ・ハウスで、各室の区切を取り除き、中央の広間と
テラスを中心に、各所で随意に踊れるように・な っている 。 ζ ζ ではよほど念入りな仮装が見ら
はげみえま
れ、白いカ ァタアシャ ツの背に大きな白い翼をつけた、小肥りした禿頭の天使ゃ、(その禿頭
が御丁寧に同光を頂いている)、サムソンとダリラの夫婦や、海賊や鼠が 一緒 に な っ て 踊 っ て
ちょ っと
いる 。 卓 上のコ ップ を 一寸 放 っておくと、いつのまにかコンフェ アチがい っぱいうかぴ、知ら
n
ず に 呑 む と 赤 や 緑 の 紙 片 が 、 口 の 中 に 貼 り つ い て し ま う 。卓に就けばいやでも踊りの陶酔に巻
き 込 ま れ ね ば な ら な い が 、 さ も な け れ ば い ろ ん な 心 配 で 神 経 衰 弱 に な ってしまうであろう 。
しb
私は現に、多分子供の無軌道を監視するために来た母親で、終始眉根に簸を寄せながら忙し
の杯
に扇でかわるがわる・おおうているうちに、とうとうとの無益な仕事に愛想をつかしてしまい、
"
今 度 は 卓 に ぶ つ か っ て す ぎ る 乱 暴 な 踊 り 手 が 、 コ ップを倒すととを警戒しはじめた 。 そのうち
7
ピl 凡
に 同 じ 卓 の 、 麦 酒 会 社 の 専 務 の 夫 人 だ と い う 美 し い ツ イ ガ 1 ヌが給仕の制止もきかずに卓上に
上って踊り出したので、憂穆な働き手はすぐさま卓布を丸め、コ ップを片岡の安全な場所にま
ぴん
とめて置き、シャンパンの瓶が倒れないように、 ζれを両手で、 一生懸命押えていなければな
ら ぬ 始 末 に な った 。卓布が泥だらけにされただけでも、彼女の衛生思想は痛手をうけたにちが
いないが、そのうちに卓上の踊り手は、 二人のコロンビイヌを加えて 三 人になり、卓の板はみ
︿金
しみし 云 ぃ、汗はたちまち踊り手たちの衣裳の背に隈をとしらえ、運ばれた皿い っぱいの砕氷
を、踊り手たちが手づかみで口に投げ入れあい、卓の債をすぎる踊り手の髪にたわむれに氷を
d7
ぴんみ
練り込んだりするのを見ては、シャンパンの躍を押えている婦人の眉聞の簸は、ますます深ま
8
8
るばかりであった。
ζういう面白い眺めをあとにして、ヨ Yト・ ρ !バアにのぞむ庭へ涼みに出ると、その岸壁
には、見事な欄干が一夜にして築かれている。というのは、さまざまな仮装の若い男女が一組
ずつよりそって、岸壁の端から端までを占めて腰かけているのである。
ぴょうぶ
海風はかれらの髪をひるがえし、その髪の扉風のかげで、とめどもない接吻をつづけている
かん つ
幾組かが見られるが、海ぞいの散歩道をゆく寛闘なシ 1ザアや、肥った天使は、とんな子供ら
AU
しい陶酔には目もくれない。
の事事
けんか
ととうするうちに、庭の榔子のかげの一つの卓で喧嘩がおとり、物見高い人たちが忽ちその
まわりに人垣をつくった 。見ると金髪の女 と栗毛の女が髪をつかみあ って組んずほぐれっして
ロ
ひげ
ア ポ
いる。喧醸の原因をなしているらしい浮気な色男は、髭を生やした好い年配の大男であるが、
ピエロの仮装で心配そうに必ろおろしている。そ ζ へ肥った黒衣の中年婦人が仲裁役を買って
即納して女二人をそれぞれ控室へ退かしめると、自分の役割の成功に満足した彼
出て、男たちに A
女は、みんなの注目を浴びながら胸に十字を切って悠然と引上げてゆくのである。 ζ の土地何
人には、それは本当の喧嘩を見る 喜びに他ならないが 、私にと っては 、むしろ伊太利喜劇の 一
帥をみるたのしみであった。
前
判
謝肉祭の最後の夜は、 ζんな風にいつまでも名残り惜しく踊られるが、その最後の舞踏会の
はじまる前に、民衆の待ちかねていた山車の行列が街を練ってゆくのが見られる 。それは主と
してアヴエニ 1ダ ・プレジデント ・ヴアルガスから 、リオブランコの大通りを通って 、リオプ
みちゆき
ランコの尽きると ζろで引返す道行であるが、とういうものにとそ由緒がほしいのに、どの山
車も半裸の女を乗せたアメリカ風の見世物ゃ 、ブラジルの産業的繁栄を謡歌したものや 、教訓
aうか
b
的なものや、さもなければ議刺的・なものに尽きている 。
﹁カシアス行電車 ﹂ というのがあって、機関銃や物騒な武器を携えた男たちの乗っている電卓
しそう
の山車があるが、 ζれは暴力団を養っており、時折とれを使曝して政敵を暗殺するので有名な
代議士カシアスを皮肉ったものである 。 ζれほどその非道が周知であり、その悪名が高いのに
ロ の杯
サンパの 一団がつぎつぎととおりすぎ、いたずらな子供たちは、インディアンやツイガ l ヌに
扮した恋人同士の衿部に香水をふりかけてまわるのに忙しい 。 いつも出入を煉凶られている芝
生も、人の踏むに任せられているが、照明が大そう明るいために、散乱した紙屑が際立 ってみ
え、それが船山仰が不安な感じを醸し出すのに役立 っている 。
どうしゃ
ム ニシパ l ルの舞踏会と、商売女
私の行かなか った舞踏会 のうちに、最も豪議官なテアトロ ・
ばかり集まる秘密倶楽部の舞踏会があるが、後者は好色な紳士たちが、なじみの女と出かける
の 杯
ボ
*
ア
は必定なので、多くはすとしも早く身を隠そうとあせりながら、うつむきがちに群衆の間をす
りぬけ、裏道,ったいに我家へかえ ってゆくのである 。
'
ロ
"
ア
欧洲紀行
ジ ュ ネ lヴ に お け る 数 時 間
三月二日
スイス
機上からアルプス連峯の壮麗な眺めをたのしんだのち、私は瑞西に入 って、ジュネ iヴで数
1
9
時間をすごした 。
チュ 1リッヒ経由で巴里へ行く筈の飛行機が、天候の加減でジュネ lヴに止ったのである 。
92
ガ,ス
日曜日のととで大抵の庄は閉まっていた 。が、澄んだ硝子窓の中には、沢山の時計が飾られ、
そのあるものは克明に時を刻んでいた 。 とれを見ても、私はとの国の有名な時計工業を、いか
7 ポ
にも拍象的な作業の集積のように感じるのであ った。
行人は手袋をはめていたが、私の手袋は日本へ送り返した外套のポケ ットに入れたままだっ
たので、指先が多少かじかんだ 。私は中央停車場前の大通りをしばらく下り、ジュネ lヴ湖へ
そそぐロ l ヌ河に架せられた橋をわたって、河中の小島、イル ・ド・ルソオのベンチに憩んだ 。
やす
小島の周囲には、沢山の水鳥が河中に放し飼にされて飼われていた 。白鳥がいる。黒鳥がい
t
る。野鴨がいる。鶴がいる 。白鳥の 一隊の悠々たる遊 の頭上を、おびただしい鳩がかすめて
のがもげんゅうよ︿
飛ぶ 。鳩たちは橋の上のいたるととろを歩きまわり、人が近づいてもおどろかない。
私は河をさしのぞいて、その水の澄明な ζとにおどろいた 。 とうした透明な水の結晶のよう
な輝きを、久しく見ないような心地がした 。
ひろ
水 に も 空 気 に も 、 抽 象 的 な 匂 い が 調 が っていた 。すべて は 正確で 、 的確で 、 軒並の 建物 の輪
郭 ま で が 実 に 正 し く 見 え た 。街 の 彼 方 に は 雪 を い た だ い た 連 峯 が 眺 め ら れ た が 、 よ く 晴 れ た 空
と山々との境界も、正確な稜線の計算を隠しているかのように思われる 。
りょ うせん
;
:・ 私の目の前の繁みに、 二三 羽 の 雀 が 来 た 。雀は長い虫をくわえて いて
、 首 をめぐらして、
そ の 虫 を ふ り ま わ す よ う な 仕 草 を し た 。一 羽 が 朔 った 。他の 一羽 も 俄 か に 落 着 か な い 様 子 を 見
さ にわ
せて飛び朔 った 。 その形も大きさも、日本の径と全く変りがない 。
対岸 の 俣 楽 部 の 建 物 の 前 を 風 船 売 り が と お る 。倶 楽 部 か ら 午 前 中 の 用 談 を す ま せ た 老 紳 士 が
の杯
二人 現 わ れ て 、 帽 を 脱 い で 挨 拶 を し て 、 左 右 に 別 れ る 。
だん庁う
った 。寒気がだんだん身にし
ロ
私はど ζか に 媛 房 を 施 し た 喫 茶 庖 を 探 そ う と 考 え て ベ ン チ を 立
7 ポ
みて来たからである 。
鉄 柵 に 究 っ て 五 六 人 の ボ オ イ ス カ ウ ト が 河 の 中 の 水 鳥 のうどきを眺めていた 。 か れ ら の 背 後
のベンチの上には、その質朴な荷物、ヵ lキいろの小さなリュ ックサ ックが積まれていた 。 か
れらは今日、 雪 のある山 へ連 れ 立 って登るのにちがいない 。
リ
ノ、
三月 三 日│ │四月十八日
シルク・メドラノ
3
9
日曜の晩のメドラノの曲馬 。子供の数が大そう少いのは、夜の興行だからであろう 。
4
9
曲馬はとれを見るどとに、およそ平衡を失わなければ、どんな危険を冒しても安全だと語っ
ているように私には思われ、また、どんな不可能事の実現と見えるもののなかにも、厳然と平
衡が住んでいるζとを教えられるのである 。
わ れ わ れ は 肉 体 の 危 険 に も ま し て 、 た び た び 精 神 の 危 険 を 冒 す 。 そのときわれわれは曲芸師
の よ う に か く も 平 衡 に 忠 実 で あ ろ う か 。曲 芸 師 が 綱 か ら 落 ち 、 曲 芸 師 の 額 か ら 皿 が 落 ち る と き
に、われわれは彼等があやま って肉体の平衡を冒したととを如実に見るが、われわれが自ら精
神の平衡を失うさまは、 ζれほど如実に見るととはできない ので、それだけ危険は多くかっ重
の杯
大である 。
曲芸師は肉体の平衡を極限まで追いつめて見せる 。 しかしかれらはそ のすれすれの限界を知
7 ポ
っており、そとでかれらは引返して来て、微笑を含んで観衆の喝采に答えるのである 。かれら
は決して人聞を踏み越えない 。 し か し わ れ わ れ の 精 神 は 、 曲 芸 師 同 僚 の 危 険 を 冒 し な が ら 、 そ
れと知らずにやすやすと人間を踏み越えている場合があるかもしれない 。
しい
思惟が人間を超えうるかどうかは、困難な問題である 。超えうるという仮定が宗教をつくり 、
り&v
哲学を生んだのであ ったが、宗教家や哲学者は正気の時内にある限り曲 芸師の生活智をわれし
'
らず保っているのかもしれない。もし平衡が破られたとき実は失墜がすでに起 っており、精神
は曲馬の向い舞台に滋ちて、すでに息絶えているかもしれないが、そののち肉体が永く生きつ
づけるままに、人々は彼の死を信じないにちがいない 。
狂気や死にちかい芸術家の作品が 一そう平静なのは、そ ζに追いつめられた平衡が、破局と
すれすれの状態で保たれているからである 。 そこではむしろ、平衡がふだんよりも 一そう露わ
あら
なのだ 。 たとえばわれわれは歩行の場合に平衡を恵識しないが、綱渡りの場合には意議せざる
をえないのと同じである 。
今宵、私は綱渡りを見なか った。 その代りに組合せた十五の精子を、 口で支えてみせる男ゃ、
つる ぜ ん ぷ うき しよ︿だい
空中高く同僚の歯に体を吊して煽風機のように身を廻してみせる男ゃ、額の上に十の燭台を重
ろうそ く
ねて載せ、その上に蝋燭を投げ上げてみせる男ゃ、女を片手の掌の上に直 立させてみせる男を
何:
見た 。
あし か
lゲンベ ァク ・サーカスで 一度私
の
なかんずく面白いのは海掴の曲芸で、それを子供の ζろハ
ロ
は見ている筈であるが、海櫨が鼻先にゴム誌をのせ、投げ上げられたそれを同僚の鼻先が見事
ポ
企m つ
にうけとめたりするのである 。或る海瞳はオリムピア lドの選手のように、松明を鼻にのせて
vez
7
卓上にのぼってゆき、或る海瞳は鼻に大きなゴム誌をのせたまま逆立をしてみせる 。-なかに一
匹出来のわるい海姐がいて、同僚の番のときに自分が出て行 ったり、自分 の番になるとしくじ
かれ
ったりし・ながら、同僚がむつかしい闘技に成功すると、身を くねらして、真先に両鰭で拍手を
し J足 。
'
海輔の体はセピアいろの光沢を放ち、との上もないほど柔軟性に富んでいる 。それが鼻先に
誌をのせたまま階段を上り下りする時、身をくねらして平衡を保 っている筋肉 の滑らかな運動
が 、 薄 い 皮 の 下 に あ り あ り と 見 え る 。平 衡 を 保 つに適した精神も、海姐 の休 のような柔軟性
95
に富んだものでなくてはなるまい。
96
水陸同様げとの獣のふしぎな柔軟性に、幽芸師たちの調練された肉体は近づ ζうと努力して
いる。しかし悲しいかな、人間の肉体も精神も、乙のような危険な均衡のためにだけ生きてい
取し
るのではない。曲芸師は単に 一個の職業であって、満場の観衆は感嘆し、拍手を苔まないが、
μ だり、曲芸師になりたいと思って見物しているわけではない 。
誰も曲芸師を挺
われわれの精神も ζうした危険な平衡を保つためにばかり調練されると、遂にはそれが職業
的 な も の に 堕 し て し ま う 危 険 が あ る 。 調教は熟練を要求するが、熟練が時として技術に固定し
てしまうのは自然である 。 の み な ら ず 海 誼 と 違 っ て わ れ わ れ の 内 部 で は 、 い つ も 肉 体 と 精 神 が
の郎
対立しており、 一方がのさばり出すと、一方は不器用にならざるをえない 。
ロ
危険はわれわれの精神をして平衡へ赴かしめる。しかしそれは予期された危険であってはな
ポ
らないのだ。反復される危険も危険である ζとには変りはないけれど、それはいつしか抽象的
ア
な危険になる。あの危険、乙の危険、今の危険、乙の次の危険、それから 一つ の抽象的な危険
が編み出されてくる 。 しかしわれわれの生きている精神が会うべき危険は、具体的な危険でな
ければならないのだ 。
肉体と精神とは、やはり男と女のようにちが っている 。肉体はわれわれの身を謹り、もし精
神の異常な影響がなければ、進んで危険へ赴くものではない。肉体はわれわれを病菌や怪我か
ら護り、 ζれらに 一度冒されれば、抗毒素や痛みや発熱でもって、警戒と抵抗を怠らない 。 し
かし精神は自ら進んで病気や危険に赴く場合があるのだ。というのは、精神は時としてその存
在理由を 一
不さねばならぬ必要から、危機を招いてみせる必要に迫られる場合があり、さもなけ
れば、 .
われわれの精神は頑強に、おのれの存在を信じようとしないかもしれないのである 。
実に奇妙なととだが、それは事実である。むしろそれは精神の本質であって、肉体が存在す
るようには精神は存在せず、精神は自分の存在を疑うと ζろに生れて来たのだから、むしろそ
れは常態なのであるが、との常態が永くつづくと、精神は反対の力、自己証明のカでもって、
とれと平衡を保とうと試みる 。生きた危機、具体的な危機が要請され、とれに直面した精神は、
緊張して平衡状態を保つために白熱する 。 はじめて精神が現前したよう K思われ、その存在理
由は明かになり、危機の中で、 一瞬、精神は自分自身を信ずるにいたるのである 。
の杯
瞬間にとそ平衡を保ちつ,つけるととが、精神の真の機能であり、精神が真に存在するという証
ア ポ
明になるであろう 。
││曲馬団は肉体の危険の見世物であるが、出馬が演ぜられ、曲馬が観られるととは、あた
かも精神の要請であるかのようで、それをもたない動物たちは、危険なスポーツも好まなけれ
ば、仲間に危険な見世物を演じさせて喜ぶとともない。
ぎよ
私はさらに、叡せられるままにワルツやルンバを踊る馬を見たが、馬はすとしも踊っている
つもりはないのであろう 。
陽気なクラウンたちの幕間狂 言 は殊に面白く、 一人のクラウンは山高帽子をとると髪に赤い
7
9
リボンを結んでおり、 一人のクラウンは親方に叱られて、あわててス l ザ ホ l ンの中に逃げ込
むのであったo f
8
9
脚ヂや虎が跳躍して輸をくぐってみせる曲技もあり 、 とうした猛獣の曲技は、同い緑の燈の
、 むち
中で演ぜられるのであるが、最後に 一匹残された虎にむかつて 鞭を捨てた年間の猛獣使が真
向から悠々と進んでゆくと、そうするように命ぜられている忠義者の虎は、猛獣使が胸にさげ
。
ている勲章の威光をさもおそれるかのように、巧みにたじたじと退いてみせた
フォ ンテエヌプロオへの ピ ク ニッ ク
三月三十日
ロ の杯
いてかえ
。
巴里の春は遅々として進まない 。三 月の上旬はむしろ暖か った 下旬から涯返って、一昨日
はしばらく 雪 が降った。 雪 の前後はひどく寒かった 。
ζ乙のパンシオンへ移 って以来、 二週間というもの殆ど晴天を見ない 。一 日二日晴れた空を
ポ
ア
見たととはある 。それも午後になると曇るか、却って寒さのまさる前触れであったりするか、
である 。 そういう寒い晴天にも、公園の芝生が一冬のあいだ鮮やかな緑を失わず、雲もちょう
。
ど夏雲のような形の雲があらわれていたりするので、その対照が異様な感じを与える 芝生の
タモむωリ
。
暖かい緑を見ていると、との寒さは私 一人の寒気ではないかとさえ思われて来る
きょうの日曜、われわれは在外事務所の S氏に招かれて、フォンテエヌプロオヘドライヴに
行 った。
﹁ われわれ ﹂ とは、同じパンンオ
S氏の家族は、夫人と小さいお嬢さんと坊ちゃんである 。
ンに逗留している木下恵介氏と私とである 。
とうりゅ う
あ
春寒の曇った朝で、雨の気配はないが、晴間もどとにも見られない 。私はこういう巴里に倦
かいわい
き倦きしている 。殊に私のパンシオンの界隈は、沈滞した小市民の住宅街で、窓から見ると、
黒い同じような服を着て前かがみに歩く老婆ばかり、それと乳母車を押して買物に出かける女
ばかりが目立ってならない 。私は仕事の合聞に、曇 った空と枯れた並木と、同じ高さの建築の
前をとおる彼女らを眺めながら、とう考える 。
﹁ζとでは赤ん坊と老人しか見ないのは、ともすると赤ん坊がすぐ老人にな ってしまうせいで
はないだろうか ﹂
ロ の停
それでも樹々は日光のためではなく、何かただ因習を守るためかのように、少しずつ不安そ
ζずえ
うに芽吹いている。セエヌ河岸をゆくと、水はまだ見るからに冷たいのに、両岸の並木の梢が、
うすみどP
ほんのりと淡緑を加えているさまが、曇り空を背景に窺われる 。
7 ポ
今朝のドライヴの道中でもそうである。ととろど ζろの郊外住宅の塀のうちそとに、われわ
れは花ざかりの桃(志向Z) の樹を見た 。それは日本の桃よりも、見た目はむしろ桜に似てい
。
。
ヲ 巴里から東南へ出て、いくつかの町や小都会を走り抜ける 。
ひ老
HN503ロ何回臼のあたりで、部
びた厚い石塀の上を歩いている犬がある 。猫がよくそうするのを見て、 一度やってみたいと思
っていたのであろう 。
的
フォンテエヌプロオに向って疾走する家族づれの自動車が数を増してくる 。自動車ばかりで
b っと
はない 。良人が運転して、妻がその胴に手をまわして、うしろに相乗りしているオートバイを
∞
1
てつかぶ と らりX
いくつか見る 。夫婦とも革の上 着 を活 、鉄兜のようなものをかぶり、塵除けの眼鏡をかけてい
る。も っと勇敢・なのは、そういう相乗りの夫婦が、前後の 二人のあいだに子供をさしはさんで
疾走してゆく 。 かれらは緊張のしどおしで、愉しいピクニ ァクの目的地 へ着くまでに疲れ切 っ
てしまうであろう 。
きゅ うりゅ う
木蓮によく似た並木が道の上に湾陸を作 っているととろを通 ったが、緑の時分になると、そ
なるそうである 。
れが緑のトンネルのように ・
やがてわれわれはフォンテエヌプロオの森に入ったが、それは森というよりも際限もない林
の事事
ζり
であり、早春というよりも秋の眺めであ った。木々の幹には苔が青々と生え、地面は落葉に榎
ロ
色 の そ の 葉 が 、 林 の 奥 の ほ う ま で 、 ほ ぼ 自 の 高 さ に つ づ い て い る 。 そしてそれより上の伎は葉
ア
をとどめない 。
ζかしとから巨き・な石が肩を露わしているさまは、日本の庭のようである 。
おお
落葉のそ
うべきものに行き当る 。森の各所に秀でている
或る 一角へ来ると、それらの石の源泉ともい ,
丘陵が皆、石なのである 。巨石が無細工に積み上げられて丘陵をなしているだけで、石のほか
にはその割目から生い立 った松のほかに何もない 。石をおおう何ものもない 。河原石をつみか
さねて子供がよく小さな山を作るが、それを拡大したような形のとういう丘陵は、どういう地
質学的原因によ って出来たものであろう 。
ぬき
一つの巨石の上に登っ て見ると、む ζうにも同じ石の山が林を抜ん出ている 。石の 色は荒涼
たる白さであるが、遠自に見るとその荒涼たる感じは柔らげられて、服らの残雪のように見え
る
。
おい
われわれは一つの奇石のかげで、弁当をひらいた。葡萄酒とフロマ 1ジュが美味しかった。
,
そのうちに森の中で、俄かに賑やかな笑い声がき
K
えた。何台かのパスに分乗して来た小学
ζ
生の団体が着いたのである。かれらの駈けつくらをしている姿が、樹聞に隠見する。半ズボン
ひざがしら
からあらわれた少年の膝頭は、白く引締って、いかにも美しい。
各国の田舎者の聞にまじってわれわれはフォンテエヌプロオ宮を見物したが、私はそれにつ
の怖
n
いて殊更に書く気がしない。そとで数枚の色つきの絵葉書を貼りつけるための、余白をあけて
ロ
おくにとどめよう。
ポ
ア
帰路、鮮やかな緑の麦畑のかたわらに立って、黄水仙の花束をかかげて、疾走する自動車に
呼びかけている人が、 一町おきに 二三 人つづいている。帰りをいそぐ自動車の乗手は-なかなか
とれを購おうとしない 。買手は主に若い自転車の人たちである。若者たちの自転車、若い男女
の相乗りの自転車が、率の前後に黄水仙の花束を二つも三つもつけて 、巴里へいそいでゆく 。
てんとう
ある花束は、揺れるうちに顛倒して、切りそろえた茎の淡緑の切口を夕空へ向けている。相乗
りの元気な乗手は、しばしば自動車を追い越すほどである。
ひ
0
11 われわれが巴里に入ったとき、七時でまだ明るかった。しかし巴里はすでに灯をともしてい
ルも
た。 こうして暮れぬさきから灯している都会へかえるときに、われわれの感じる悲しいような
AV
0
12
く、巴里では私の心身を疲れさせる噴事が次々と起った。 一刻も早く私は巴里を遁れたかった。
1
>
ζのえ
めかせて、近衛騎兵の一隊が粛々と通った。
ア
英国の劇場では、開演前、又は終演後に国歌を奏して見物が起立する習慣がある。シュニツ
ツラ アの ﹁輪舞﹂を原作とするエロチ ューの終幕に裸の 踊
Yクな 仏蘭西映画のあとでも 、レビ
り子たちが勢揃いをしたあとでも 、 そうである。英国人の好むのは主として喜劇であるが 、欧
ぜいぞろおう
しゅう
洲 大 陸 に 周 期 的 に 流 行 す る ﹁不安 ﹂を、乙の喜劇と国歌が同じように好きな国民の聞に流行
させるのは 、容易なととではあるまい 。
註本 │ !作 曲 フ ラ ン ツ ・レ ハ1 ル 、 台 本 ル ド ウ イ y ヒ ・へ ん ツ ア ! お よ び ブ リ ァ ツ ・ロ l ナl 、 スl ・
チ ャ y 公 ・ ミ ッシェル ・ダ ン 、 ポ テ ン ス タ イ y 伯 " ジ ャ ック ・ピ エ ル ヴ ィ ル 、 リ ザ 鮫 ジ ャ ク リ
の 体
ィヌ ・ド ・プ ー ル ジ ェ 、 ミ イ ジヤ夕刊ノィヌ ・ルジュ l ヌ
υ
z ー ー キ ャ プ テ ン ・ヴェ 1 ア・ピ 1 9ア ・ピ ア ! ズ 、 ピ リi ・パ ッド ・ ア ラ y ・ホプス y
ロ
註
ポ
︿コヴェント ・ガー デ ン 帝 室 歌 劇 場 ﹀
ア
いしよう
註 * ま ││ 演 出 ジ ョ y ・ギ1 ル ガ ァ ド 、 装 置 ・衣 裳 マ リ ア ノ ・ア ン ド リ ュ ウ 、 作 曲 レ ス リ ィ ・プリァ
ジ ウ オI Fア 、 ベ ニ デ ィ ァク ジ ョ ン ・ギl ルガ yド 、 ピ ア ト リ ス υダ イ ア ナ ・ワ イ ン ヤ1.
ト、
クロ l デ ィ オ ・ ロ パ l ト ・ ハl ディ l 、 ヒ ア ロ l nド ロ シ イ : ア ュ l テ ィ ン 、 ア ラ ゴ ン 公 ド ン ・
ビ ー ド ロ ! "ポール ・ス コ フ ィ ールド、 メ yナ 総 務 リ オ ネ 1 ト l ・ルイス ・カ ァ ス ン
︿フエニ Yク ス 劇 場 ﹀
どとの国でも 、首都の威容よりも小都会の風物を愛する私は 、﹁朝 日 新 聞﹂ の椎野氏を煩 わ
して、乗合自動車で ωロミミ州の小都会。EEFE へ行った。
沿道の郊外には、春の移りやすい空模様の下に、イギリスの野がそのさまざまな姿態を示し
た。晴れたと思えば降る。雨上りの空は殊に美しく、巴里の印象派美術館で見たシスレイの
雲﹂を思わ せる雲があざやかに泥んでいる 。
﹁
と ζろどとろに牧場を見る。親の白い鰍創刊のあとを、小刻みの足取りで俄斡が追う。ある仔
eん ぽ ︿ し ゅ う ら ︿
羊は黒兎の ように黒く、ある仔羊は足だけが黒い 。黄いろい花をつけた濯木の血病落がいたる と
ζろにあるのは、ヒ l スであろうか。
ギルドフォードの町の小さい劇場では、倫敦の或る一座が巡業して来て、エリオットの﹁カ
の停
クテル ・パーティー﹂を上演している。ときをつくっている赤い難を看板にえがいた酒場、古
ロ
風な喫茶庖、レコードを商う応、そういう町並には ζれといって特色があるわけではない。
7 ポ
きちょうめん
裏切っているのは 、英国らしく凡帳面に外界の時刻を指し示し、現にアメリカ製の新式の私の
たど
腕時計と寸分ちがわぬ時間を辿っている ζの大時計のほかにはない。白
しよう ζうすい
との病院には白い診察着の医師の姿も看護婦の姿も見えない。昇一来水の匂いもしない。する
のはかすかな都の匂いと雨上りの芝生の匂いとばかりである。見上げると空が丁度四角に区切
られて、天井画のような趣きを示している。雲は適当な位置に配分され、そのあいだの青空は
澄明で、その光りは静かである。二本ずつ並んでいる屋根の煙出しのかたわらを二羽の鳩が歩
いている。
の杯
ezど ガ ラ ヌ
とのとき二階の窓の反映がかすかに動いた。窓はどれも斜め格子で、厚い窓硝子は黒ずんで
鉄のようである。その窓の反映がやや動いて 、窓の一つが薄自にあけられた。私はこれを見 上
ロ
げたが、人の影は見えなかった。窓辺に置かれている瑠璃色の花瓶と 、それに挿された黄のチ
るりかぴん
ポ
ア
ューリップの一輪だけが臨慰された。黄という色は、いかにも神秘な色である。
ホスピタル ・プレッスド ・トリニティを出て二、三軒先に、われわれはとの町の名物だとい
ほどう
う大きな四角い時計が、市会と裁判所を兼ねた年老いた建物の軒に、鋪道の上にせり出して架
っているのを見た。置時計のような形をした黒地に金の文字盤のある大時計である。金の字で
﹁千六百八十三年﹂と刻まれている。乙の時計もまた、私の腕時計の時刻をきちんと指し示し
ているので、もしかすると戸惑いした私の時計のほうが、十七世紀の或る水曜日の午後の時刻
を指しているのではないかと思われるのであった。
われわれはそとから街路を横切ろうとして、ふと坂の下方に目を移したとき、ふしぎな風景
に直面した 。
ギルドフォードの町は急坂に沿うている 。 そしてその下り坂の尽きたと ζろから町外れにな
って、又しでも上り坂の傾斜がはじまる 。 つまり今われわれの居る地点、町の頂きから、そち
らを眺めると、峡谷をはさんで相対する山を眺めるのである 。
空気は雨上りのせいか異様に澄明で、風景は遠近法の法則を忘れているように思われた 。町
ぴょ うぶ
の谷あいのむとうの斜面は、立体感を失って、 一枚の扉風絵か、見物の目をだますととに失敗
した舞台の背景画のように見えた 。
外
せんと う た い し ゃ
谷あいから一番高い教会の尖塔がそそり立ち、その上に代錯いろの同じ形の住宅の屋根と同
ロ 内
アテネ及びデルフイ
J7
ネ
一
圏
四月二十四日11二十六日
ギリ νヤ け ん れ ん
希噛は私の容恋の地である 。
飛 行 機 が イ オ ニ ヤ 海 か ら コ リ ン ト 運 河 の 上 空 に 達 したとき、日没は希蝋の山々に映え、西空
かぶと
に黄金にかがやく希磁の宵のようなタ雲を見た。私は希雄の名を呼んだ。その名はかつて女出
入りにあがきのとれ・なくなっていたパイロン卿を戦場にみちびき、希雌のミザントロ 1.7、ヘ
の事事
のオクタ lヴに勇気を与えたのである。
ポ
飛行場から都心へむかうパスの窓に、私は夜間照明に照らし出されたアクロポリスを見た。
ア
今、私は希轍にいる。私は無上の幸に酔っている。よしホテルの予約を怠ったためにうす汚
ない 三流ホテルに放り込まれている身の上であろうとも、インフレーションのために 一流の庖
の食事が七万ドラグマを要しようとも。今との町におそらく只一人の日本人として暮す孤独に
置かれようとも。希雌語は一語も解せず商店の看板でさえ読み兼ねようとも。
私 は 自 分 の 筆 が 躍 る に 任 せ よ う 。 私 は 今 日 つ い に ア ク ロ ポp ス を 見 た ! パ ル テ ノ ン を 見
た ! ゼ ウ ス の 宮 居 を 見 た ! 巴 里 で 経 済 的 窮 境 に 置 か れ 、 希 蟻 行 を 断 念 し か か っ て い た ζろ
の ζと、それらは私の夢にしばしば現われた。とういう事情に免じて、しばらくの問、私の筆 .
ゆる
が躍るのを恕してもらいたい。
いきょ
MM
空の絶妙の青さは廃悼却にとって必須のものである。もしパルテノンの同柱のあいだにとの空
の代りに北欧のどんよりした空を置いてみれば、効果はおそらく半減するだろう。あまりその
あらかじぜいひつ
効果が著しいので、とうした青空は、廃盤のために予め用意され、その残酷な青い静設は、ト
ルコの軍隊によって破援された神殿の運命を、予見していたかのようにさえ思われる。とうい
う空想は理由のないととではない。たとえば、ディオニュ 1ソス劇場を見るがいい。そとでは
ソフォクレ l スやエウリピデ l スの悲劇がしばしば演ぜられ、その悲劇の滅尽争(︿22nY5・
みまも
市﹃穴国自主)を、同じ青空が黙然と見成っていたのである。
丹
ロの麻
廃撞として見れば、むしろ美しいのは、アクロポリスよりもゼウスの宮居である。とれはわ
ずか十五基の柱を残し、その二本はかたわらに孤立している。中心部と ζの二本との距離はほ
, ,.ルわ,、
ボ
pi
ぼ五十米である。二本はただの孤立した同柱である。のとりの十三本は残された屋根の枠を
ア
支えている。とのこつの部分の対比が 、非左右相称の美の限りを尽しており、私ははからずも
竜安寺の石庭の配置を思い起した。
巴里で私は左右相称に疲れ果てたと言っても過言ではない 。建築にはもとよりのとと、政治
ヲヲシス
にも文学にも音楽にも、戯曲にも、仏蘭西人の愛する節度と方法論的意識性(と云おうか)と
がいたるととろで左右椙称を誇示している。その結果、巴里では ﹁節度の過剰 ﹂ が、旅行者の
心を重たくする。
その仏蘭西文化の ﹁方法 ﹂ の師は希臓であった。希放は今、われわれの自の前に、との残酷
ω
1
な 青 空 の 下 に 、 廃 撞 の 姿 を 横 た え て い る 。 しかも建築家の方法と意識は形を変えられ、旅行者
1
10
はわざわざ原形を思いえがかずに、ただ廃越としての美をそとに見出だす 。
み い
オリムピアの非均斉の美は、芸術家の 意識によ って生れたものではない 。
し か し 竜 安 寺 の 石 庭 の 非 均 斉 は 、 芸 術 家 の 意 識 の 限 り を 尽 し た も の で あ る 。 それを意識と呼
しつ よう
ぶよりは、執勘な直感とでも呼んだほうが正確であろう 。 日本の 芸術家はか つて方法に頼らな
か った。 かれらの考えた 美 は普遍的なものではなく 一回的 (mgg回一回向)なものであり、その結
果が動かしがたいものである点では西欧の 美 と変りがないが、その結果を生み出す努力は、方
法 的 で あ る よ り は 行 動 的 で あ る 。 つまり執勘な直感の鍛錬と、そのたえざる試みとがすべてで
の杯
ある 。各々の行動だけがとらえるととのできる美は、敷街されえない 。抽象化されえない 。 日
ふえん
本の美は、・おそらくもっとも具体的な或るものである 。
ロ
7 オf
失われた部分の情図を容易に窺わしめる 。 パルテノンにせよ、エレクテウムにせよ、われわれ
はその失われた部分を想像するとき、直感によるのではなく、推理によるのである 。 その想像
7 ポ
の喜びは、空想の詩というよりは悟性の陶酔であり、それを見るときのわれわれの感動は、普
遍的なものの形骸を見る感動である 。
しかもなお原形のままのそれらを見るときの感動を想像してみて、廃撞の与える感動が ζれ
にまさるように思われるのは、それだけの理由からではない 。希雌人の考え出した 美 の方法は、
生を再編成するととである 。自然を再組織するととである 。ポオル ・ヴアレリィも、 ﹁秩序と
は偉大な反自然的企剖である ﹂と言っ ている 。廃撞は、偶然にも、希脳人の考えたような不死
き か︿
の美 を、希睡人自身のとの紳しめから解放したのだ 。
いま
1
1
1 アクロポリ スの いたるととろに、われわれは希蝋の山々、東方のリュカベ ットス山、北方 の
パルナ ッソス山、眼前のサロニコス湾そのサラミスの島、それらを吹きめぐる希般の風に乗 っ
1
12
じだ
て、狩概いている翼を感じる 。 (乙れとそは希磁の風である 1 私の頬を打 ち、耳采を打 って
いるζの風 ζそは)
それらの翼は、廃掻の失われた部分に生えたのである 。残された廃媛は石である 。失われた
部分において、人聞が翼を得たのだ 。 ととから ζそ、人聞が羽樽いたのだ 。
幹しめをのがれた生が、神々の不死の見えざる肉体を獲て、羽縛いているさまを、われわれ
け し
はアクロポリスの青空のそとかし とに見る 。大理石のあいだから、 真紅の嬰粟が花をひらき、
野生 の麦 や百戸風になびいている 。 ととの小神殿のニケが翼をもた-なか ったのは、偶然ではな
の事事
い。 その木造の翼なきニケ像は失われた 。 つまり彼女は翼を得たのだ 。
アクロポリスばかりではない 。ゼウス神殿の同柱群を見ていても、そのパセティ ックな同柱
ロ
の立姿が、私には織がを解かれたプロメテウスのように見えた 。 ととは高台ではないが、廃嘘
ポ
7
。
の周辺が 一面の芝 草 なので、神殿の大理石がますます鮮やかに、いきいきと見えるのである
今日も私は っきざる舵配の中にいる 。私はディオニュ 1ソスの誘いをうけているのであるら
しい 。午前の 二時間をディオニュ l ソス劇場の大理石の空席にすどし、 午後の 一時間を、私は
草の上 K足を投げ出して、ゼウス神殿の同柱群に見入 ってすごした 。
今日も絶妙の 背 空 。絶妙の風 。移しい光 。・:そうだ、希臓の日光は混和の度をとえて、あ
おびただ
まりに説わで、あまりに彩しい 。私はとういう光りと風を心から愛する 。私が巴里をきらい、
印象派を好まないのは、その温和な適度の日光に拠る 。
サボ テン
むしろ、乙れは亜熱帯の光りである。現にアクロポリスの外壁には 聞に仙人掌が生い茂 っ
一
一
ている 。今は 一人の観客の姿も見ないディオニュ l ソス劇場の観客席の更に高くから、松や糸
か隠ん
杉や仙人掌ゃ、黄いろい禾本科植物の観衆が、凝然と空白の舞台を見下ろしている。
つぼの
私は半同の舞台に影を落してすぎる小さな燕、あのアナクレオ l ンが歌 った燕を見た 。燕た
ちは白い腹をひるがえして、日アイオニュ l ソス劇場とオデオン劇場の上空を往復する 。どちら
さえ ず か
の小屋もきょうは休みなので、彼らは苛立たしく噌りながら朔けまわ っている 。
いらだ
ディオニュ i ソス神の司祭の座席に腰を下ろして、私は虫の音を聞いた 。さきほどから、ど
ロの杯
習を私に教えるつもりなのであろうか 。 それなら私はもう知っている 。
希服人は外面を信じた 。 それは偉大な思想である 。 キリスト教が ﹁
精神 ﹂を発明するまで、
人聞は ﹁精 神 ﹂なんぞを必要としないで、衿らしく生きていたのである 。希雌人の考えた内面
隠ζ
は、いつも外面と左右相称を保 っていた 。希搬劇にはキリスト教が考えるような精神的なもの
は何 一つない 。 それはいわば過剰な内面性が必ず復讐をうけるという教訓の反復に尽きている 。
ふ︿しゅう
われわれは希睡劇の上演とオリムピ ック競技とを切離して考えてはならない 。 との彩しい烈し
い光りの下で、たえず超勤しては静止し、たえず破れてはまた保たれていた、競技者の筋肉の
ζとは、私を幸福にする 。
ほんしん
ような汎神論的均衡を思う
1
13
そんき ょ
ディオニュ l ソス劇場は、わずかに蹄鋸せるディオニュ 1ソス神の彫像と、とれの周囲のレ
1
14
リーフだけを、装飾品として残している 。劇場の背後にわれわれは石切場のような石の堆積を
υだ
見るが、そ ζには衣裳の壁の断片や、同柱の断片や、裸体の断片が、惨劇のあとのように四散
している 。
-
へん
私はほぼ 一篇の悲劇が演ぜられるのに近い時聞を、そとかしとに座席を移しながらすどした
のである 。司祭の席、民衆の席、そのどとからも、希睡劇の台詞は仮面をとおして明瞭にきと
ぜりふ
え、俳優の姿態は鮮やかな影を伴 って明瞭にうどいたにちがいない 。今写真機を手にした 一人
の英国の海軍士宮が舞台の半同の上にあらわれたので、劇場の規模と俳優の背丈との釣合を、
の綜
容易に目測するととができる 。
ロ
調
ド
ポ
再びオリムピアを訪れるために、私はアクロポリスから民臨な歩道をしばらく歩いた 。ネク
ア
タイは私の肩にひるがえり、すれちが った老紳士の白髪は風に乱れている 。
私はゼウスの宮居を見るのに、又 一つ恰好な位置を発見した 。十 三本の柱と 二本の柱の丁度
半ぼのあたりの草に腰を下ろして、軍隊の縦隊を眺めるように十 三本の同柱を眺める位置であ
。
︾
ス
すると中央の 六本、右方の四本、左方の 三本は、それぞれ束ねられて、神殿を透かしてみえ
る空を、正確に 二分するのである 。 しかし中央の六本はも っとも量感を持 っている。右方の四
本と左方の 三本は、それぞれ不均衡な、やや劣る量感を以て中央へ迫 っている 。中央の 一番前
りんぜん
に見える同柱は、その背後の五本を従えて、漫然と一きわ気高く見える 。
神殿の左右には希磁の町の遠景を背景に、二三の糸杉が立っている 。神殿を透かしてみえる
空の、頂上から四分の三ほど低まった位置に、禍色の・なだらかな山脈が同柱を横切って連なっ
ている 。残りの四分の 三を占めるものは、例の絶妙な青空である 。
との位置から見る神殿は、殆んど詩そのものだ 。
隠う し おどき
一時間の余も ζれに眺め呆けて、私が立上ったのは好い汐時であったにちがいない 。丁度そ
のとき遊覧パスが到着して、今まで私一人で占めていた詩の領域に、騒がしい観光客たちが入
れ代りにぞろぞろと侵入して来たからである 。
の杯
彼らの姿を眺めるととは、私にとっては殊更憂諺である 。というのは、他に便宜をもたな い
私は、明日遊覧パスの団体の 一人とな って、デルフィへ赴くからである 。
ロ
7 ポ
デル フィ
四月 二十七日 ││二 十八日
デルフイへの道中 。
き ぐ きゅ う
団体見物の危倶は杷憂に終 った。朝七時にシャトオプリアン街 二十九番地を出発したパスの
同乗の客は、ほとんど希睡人ばかりで、同じ一泊のクーポンを買 ってデルフイへ赴くのは、組
書円から来た老紳士と、巴里へ勉強に来ている米国人の若い女と、その友人の若い仏関西女だけ
おしろ い
である 。彼女は仏蘭西人にめずらしく白粉気のない、化学の研究室にいる篤学 の女性で、素足
1
15
に運動靴をはき、肩には着替えや地図を入れた小さな網袋を掛けている 。
1
16
ととろでデルフィまで五六時間の行程は、出発間もなくエンジンに起きた故障のおかげで、
延 々 十 時 間 を 要 す る と と に な っ た 。 パスは何度故障を起しても、また執勘に動き出し、しまい
'
lunJV
AFAJ
会﹁し ζうばい
には十ヤアド乃至 二十ヤアドおきに止るのであった。大した勾配ではないが止るたびに車はず
ひげ
るずると後戻りをする。と髭を蓄えた助手が、大儀そうに車を下りて、大きな石を抱えて来て、
滑り止めのために ζれをタイヤのうしろに据える 。 ζ の原始的な儀式が際限もなく繰り返され
たのち、どうした加減か、エンジンは急に立直り、湾暮の ζろデルフィに到着するととができ
そうそう
たので、翌日早朝の出発を控えているわれわれは、暗くなるまでの問、勿々の見物をしたので
の杯
あった 。
o、 、 と
ロ
アテネを出てしばらくゆくと、山肌に王冠がえがかれて、その下に K、E、B、
ポ
書いてある。私はその意味を詳らかにしない。私の見た希醸の自然の概況を伝えるには 、殆ん
7
ど日本の河原のような彩しい石を想像してもらわ-なければならない 。耕地は少なく、石だらけ
の賠府の地と、石だらけの牧場がつらなる飴 P
、褐色のなだらかな山々を見るのみである。
彩りといえば、ととろどとろにある密粟畑と、石のあいだに咲き競っている黄や白や赤や紫の
オリ1ヅ
小さい野生の花だけで、緑は松ゃ、アテ 1ナのゆかりの樹、徹棋のほかには、さほど鮮やかな
緑を見ない 。松 は い た る と と ろ に あ る 。多くは低いずんぐりした松である 。
かぜいれつ
川 は多くは澗れていて 、豊かな消例な水を見ない 。ときどき石のあいだ 、黄いろい野菊のあ
やぎ らす
いだに、真黒・な山羊がうずくまっている 。所によっては白い石だらけの山ぞいに、聴の大群の
AU
ように、黒い山羊の群が集っている。
、 hp
民家は土あるいは石の低い塀をめぐらして、土壁の家の多くは白く、あるものは水いろに、
あるものは戸口の周囲だけ桃いろに塗られている。低い屋根、土聞に椅子を置いた暗い室内、
すべてがブラジルで見た民家に酷似している。ある家の庭に二三の小動物の毛皮が干してある。
とういう犠牲は商業の神ヘルメスに捧げられたものであろう。
パスがとまるガソリンスタンドの傍らによく茶庖があるが、そういうと ζろには概して泉が
あり 、前掛をかけた子供が水を運んでいる 。茶庄の前庭では、牛だか羊だかわから念い肉を 、
a
eぷ
野天で結って売っており、茶底の室内には無数の蝿がうなっている。
の粁、
行程のほぼ三分のこのととろにあるレヴアディアの町で、私は二人の小さい友を得た。かれ
いと
ロ
ζ
らは従兄弟同士で姓も同じミトロポウロスといい、 一方の父親につれられて、私と同じパスで
デルフイよりもっと遠くへ一晩泊りの遠足に行くと ζろである 。かれらは二人とも十二歳で、
ポ
ア
崖の下にデルフイがあるのである。
みつぽち
レヴアディアをすぎると、牧場があり、蜜蜂の巣箱がある。黒衣の女と、黒い上着を肩にか
けた男が、遠い山ぞいの道を歩いてゆく。
パスがとうとう動かなくなった泉のほとりに一軒の屋根の低い農家がある。(そうだ、私は
そ e
MF
思い出した。焼けたエンジンに乙の泉の水がそそがれたおかげで、パスは蘇生したのであっ
た)。農家の室内は暗く、土聞にゆがんだ筒子が置かれている。髭を生やした農夫が一人、戸
f
f
口に出てとちらを見ている。
泉のかたわらには十字を裁いた小嗣がある。それは丁度小鳥の巣箱のような形をしていて 、
いただしようし
の
かん
ロ
沿道のいたると ζろにある。黒衣に黒い布を頭に巻いた水はとぴの女が、大きな曜に入れた水
ポ
ろげ
を、輔馬の背にのせて ζれを引いてゆく。瞳篤の首の鈴がのどかに鳴る。
ア
そとへ羊飼の少年がかえって来る。赤いジャケツの肩に幅のひろい粗布をかけ、古来の?形
つえにわ
をした羊飼の杖を傍えたさまは、ダフニスの物語を思わせる。パスは俄かに勢いを得て走り出
して、山の奥深く進んでゆき、ほとんど中空に架ったような山腹の町アラホヴアをすぎた。町
つ傘さき
の中心の茶筒のテラスには、質朴な顔立の人たちが坐っており、その足には爪先につけた黒い
は
毛皮が跳ね上った、昔の日本の武将のような靴を穿いている。
乙 ζから三、四十分ゆくとデルフィである。デルフイの谷間に白々と光っている水がある。
湖かと思うと、それは・へロポ、不ソスに臨む海が湾入しているのである。われわれは海のほとり
から来て、幾多の山々を経めぐ って、また同じ海に出会 ったのであ った。
*
MvnJ
鼻,
AY
梁
‘
。
, は 代 表 的 な 希 睡 型 で あ る 左右の目の大きさは故意に幾分かちが って作られ、布に覆わ
*
れ た 下 半 身 は 上 半 身 K比して随分長い感じを与える 。 しかも露われている足首の写実は真に迫
ロ
オf
っており、その足の甲には血が通 っているかと思われる 。
ア
傘れ
との像がかくまで私を感動させるのは、物事の事実を見つめる目と、 完 全 な 様 式 と の 稀 な 一
致が見られるからにちがいない 。
vだ
h
上半身には見事な雄々しい若者の首と、肩と胸との変化に富んだ花やかな援と、さし出され
e n︿
た下脚があり、との複雑な重い上半身に対比されて、故意に長くつくられた下半身が、単調で
端正な壁だけで構成されているのは、すぐれた音楽を白から聞くかのような感動を与える 。 そ
とでは様式が真実と見事に歩調をあわせ、えもいわれぬ明朗な調和が全身にゆきわた っている 。
駆者像の頭部は、その後の大理石彫刻の頭部とちが った独創性をもち、いかなる抽仰にも似な
1
19
い人間の若者の素朴な青春を表現している。私はとの顔をアポロよりもさらに美しいと思う。
2
10
きよど う はじ
そとには神格を匂わすようなものは何 一つなく、倍倣の代りに蓋らいが 、好色の代りに純潔が
香りを放っ ている 。勝利者の蓋らい、輝やく ような純潔、 ζういうものの真実の表現は、何と
われわれの心を奥底からゆすぶる ζとであろう 。芸術が深刻なあるいは暗い主題よりも、はる
かに苦手とするものは、との種の主題である 。
設 * │ l帰国ののちしらべて見ると、叡者像の下半身は、北目車鴛のために略されていたのである 。 これに
よると、私の見方はまちが っていたととになるが、美術口加にも廃媛のような見万がゆるされるの
ではあるまいか 。
の 杯
*
さきほど私は湖かと思われる隊子をして、山岳地帯の奥から突然あらわれる悔のととを書い
ロ
たが、廃撞もしばしば、海のような現われ方をする。
7 ポ
がりした
アポロ神殿の廃撞は崖下から眺めると、乱雑な石切揚のようにしか見えない。との崖ぞいに
み ζ
まず宝物殿があり、その上に神託と亙女を以て名高いアポロ神殿があり、その上に最古の劇場
があり、更にその上に大競技場があろうとは、想像も及ばない。滑りやすい大理石の聖路を辿
つ 一つ、商然として目の前にひろがるのである。
って登るにつれ 、それらのものが、 一
宝物殿から神殿へのぼる際に、上半身を失った羅停の女神像が、大理石の一片に黙然と腰か
とう んしや
MM
けている。彼女は登挙者たちをじっと見張っている。失われた目を以てではない、その下半身
の端麗な壁がわれわれを見張っているのだ。
えてどと
宝物澱の左の支柱の、下から五番目の大理石には、いたずら書きのように、竪琴を抱いた小
さいアポロの線描が彫られている 。
アポロの神殿は巨大な三本の同柱が、その壮大を臨ばせるだけで、大理石の台座がいたずら
に白々とひろがっている 。犠牲の叫ぴは円柱に反響し、その血は新しい白醤の大理石の上に美
路︿ぜき
しく流れたにちがいない 。希強彫刻において、いつも人間の肉を表現するのに用いられた ζの
石は、血潮の色とも青空の色ともよく似合う 。今われわれの見る廃撞に、青空の育は欠けると
とろがないが、鮮血の色彩の対照は欠けている 。 と ζろどとろに咲いている密粟の真紅で以て、
ほか
それを想像してみる他はない 。
の杯
われわれは自動車道路と渓谷の底とのあたかも半ばにある、ダイアナの神殿と競技場とを、と
・の同柱の聞の恰好な位置に望む ζとができる 。同形の台座の上に立ったダイアナ神殿の 三同柱
ア
は、比べるものがないほど美しく優雅である 。
加ろあ
もし、アポロ神殿の同柱の外れから ζれを見ると、ダイアナ神殿の美しさは幾分色槌せ、自
然の構図は全く崩れてしまうのにおどろかれる 。古代建築は、自然を征服せずに自然を発見し
し げき
たのであり、近代高層建築の廃婚が、いささかもわれわれの想像力を刺戟しないのは、との逆
の理由に拠る 。
米国人の老紳 士と女の学生と、仏蘭西人の女化学者と希放の青年と、私との五人は、われわ
れがチ ップを弾まないので、通り 一ぺんの説明がおわると勿々にかえりかけるガイドと別れて、
21
1
古代劇場の座席の最上階から更にスタジアムへと志,したが、そ ζ へ着くとろにはすでに暮色が
2
12
迫り、一行はあのように美しいダイアナ神殿を割愛しなければならないととを、お互いに大そ
う残念がった。
暮色の中で散乱している大理石は、不気味なほど生きてみえる。かれらは最後まで夜に抗し
ている。夜もその滑らかな断面を泊のように包むだけで、かれらを冒すζとはできないのだ。
あらが
幾多の夜にかれらは無言で抗って来た ζとよ 。
γ
帰路 、私一は、宝物殿の閣の中にしばらく仲んだ 。それは大理石の閣である 唯一はひしひ
しととの神域を包んでいるが、乙の冷たい四角の端正な空聞にも、静かな拒否が綴っており、
の杯
人間の蹴おの真只中から、かくも端正にぜり取られて来た高貴な石は、決して迷妄を滅ぼすに
は足りないが 、拒否の力の今なお滅びないという神託を、暗示しているように思われる。
ロ
ポ
アポロ神殿の背後の峨々たる裸山は、さっきも言ったパイドリアドスの断崖である。その空
ア
に下弦の新月がかかっているのを、われわれは宿へのかえるさ、発見して嘆声をあげた。
ホテル ・カスタリアは、小ぢんまりした清潔な宿である。食事は殊によく、組育以来久々に
私が対面する、好物のヨーグルトをデザートに供した。食後、散歩に出る。町は暗りいい往来の
人の顔も見え-ないほど、燈火がすくない。そのため、軒のあいだから望むイテアの湊の灯が、
ひときわ美しい。
はちみつ
朝、ささやかなパルコニイでとる朝食に、新鮮な蜂蜜が供されて私を喜ばせた。それよりも
乙 と の 露 台 の 眺 め は 、 ど う い う 御 馳 走 で も そ れ に は 敵 わ な い 。プレイストスがイテアの入海に
か会
かち つら栓
そ そ ぐ 渓 谷 の 両 側 に 、 西 に は 縞 い ろ の ギ ヨ ナ の 山 脈 が な だ ら か に 連 っており、東にはキルアイ
スの山が秀でている 。灯 を 失 った イ テ ア の 湊 は 、 湾 の 奥 に 小 さ い 屋 根 々 々 を 光 ら せ 、 湾 口 に ち
かいララクセドスの湊と相対している 。
あさ もや
朝需のかなた・おぼろげに ベ ロポネソスの岸は横たわり、 パ ン ハイコンの山が ひときわ高 い
。
希睡の名どとろの多くのものが、 ζ の朝露の海の周囲にある 。 コリントがそうである 。 アルゴ
スがそうである 。 は る か 西 の か た 、 ミ ソ ロ ン ギ が そ う で あ る 。
つ老み
紀 元 前 三 七 三年 、 デ ル フ イ の 神 殿 の 破 滅 を も た ら し た 大 地 震 と 大 海 輔 も 、 と の 視 界 の 中 か ら
の杯
たて がみ
生れ、地下に縛られたテイタアンどもは再びその肩をゆるがし、ボセイドンは白い波頭の置を
つかんで、その海馬をデルフイへ駆り立てたのである 。
i ロ
j
,
方 の さ び れ た 漁 村 に す ぎ な い 。 山 々 の 緑 も 、 緑 と い う よ り は 枯 れ か け た 苔 の 色 で あ る 。私は鶏
鳴 を 聴 く 。朝 の 燕 が 、 と れ ら の 風 景 の 廃 撞 の 上 に 、 あ わ た だ し く 飛 び 交 わ し て い る 。
私 は も う ナ プ キ ン を 卓 上 に 置 か ね ば な ら な い 。 七時半に出発する パス が警笛を鳴らして、ア
テネへゆく客を促しているからである 。
再びアテネ
四月 二十九日
23
1
アテネのスケッチ 。
2
14
アテネの町は、行人の数も商品も数多いのに、日本の縁日のような物寂しきがどこかしらに
ひそんでいる。夜の街衡のありさまはブラジルの都会に似て、路上で立話をしている人が沢山
おり、それを縫って歩くζとが容易でない 。人を呼ぶのに犬を呼ぶように ﹁
プシ ッ、プシ ツ
﹂
というポルトガル語は、リオに着いた ζろ実に奇異な感じを与えたが、ギリシャでもそうであ
。
Q
ヲ
映画館へ入ると、どんな映画でも途中に中休みがある。連続活劇のように、あわやというと
ζろで途切れるのではなく、巻数の丁度半ば位のと ζろで休むのである。
の脈
アングロサクソンの国ではたえてみられず、ラテン系の国だけにあるカフェのテラスがと ζ
ロ
にもあるが、アテネの中心部の憲法広場に面した一カフェでは、そのテラスの椅子とテ ーブル
ポ
を、車道をへだてた広場にまでひろげている 。
ア
げぴん
M
夕刻の交通の劇しい車道を、両手にグラスや壇をいっぱい積んだ銀の盆を俸げた給仕が、自
凶
動車やパスの聞を縫って、物馴れた様子で横切ってゆくのは、奇妙・な面白い眺めである 。
r
ロ
て
四月三 十日││五月七日
CK
ζと
五月 一日はメイ ・デイである 。事 務所も商屈も悉く閉ざされ、町には 一台の無軌道草も電車
もタクシイも見られない 。 そのため私はヴィア ・ルドヴイシからコロセウムまで四五十分も歩
いて行 った。
コロセウムの空の下にも燕が彩しか った。以前大徳寺へ茶室の見物に行 った折、彩しい鰻嫁
ま︿悲ぎ
に襲われ、それらが自に入ろうとするのを払うのに骨折 った記憶がある 。 ととの燕の移しいと
主︿会,
とは、あたかも蟻按のようである 。 しかしかれらの飛ぶ空は高いので、 ζんな大きなものが、
e
自に飛び込んで来る心配がないだけでも幸だ 。
コロセウムは私を感動させなか った。 それを芸術品と見るととがそもそもまちがいであるが、
もし芸術品だと仮定すると、 ζの作品は大きすぎる主題を扱った作品の欠点のようなものを持
っている 。そもそも芸術には ﹁大きな主題 ﹂などというものはないのだ 。
の怖
羅馬の遺跡は、コロセウムを代表として、コンスタンティヌスの郎舷聞にしても、大水道に
しても、大きすぎるという欠点を持 っている 。ゲーテはこの偉大さに市民精神の最初のあらわ
ロ 1
j
7 ,
もない大きなものにぶつかるととだろう。
勢いに乗じて、コロセウムの欠点をもっと拾い上げると、希睡の遺跡を見て来た目では、そ
ぞうは︿
の煉瓦と古代のコンクリートの色がいかにも美しくない。パルテノンの蒼白な美しさと、何と
いうちがいであろう。
ホ
と左腕と右腕の下勝は失われているが、その美しさは見る者を悦惚とさせずには置かない。何
ロ
という優雅な姿を伝って、清測な泉のような聾が流れ落ちているととか。右の乳房はあらわれ
ア ポ
ひ ざ グ ヱ1凡
ており、さし出された左の膝は羅を透かしてほとんど露わである。その乳房と膝頭が、照応を
保って、くの字形の全身の流動感に緊張を与え、いわばあまりに流麗にすぎるその流れを、二
ぜ
つの滑らかな岩のように堰いている。
(QO︿回ロ巾仏国ロ N Z2)の援もきわめて正確で美しい。その肢下の
えをか
壁といえば、踊り子像 曲目
壁の的確さは、おどろくばかりである。
まととに心の底からの感動をよびおとし、いつまで見ていても立去りがたい感を与えるのは、
希瞳古典期の彫刻である。
ニオベの娘の完全-な美しさ、その苦痛の静謹。シレ 1ネのヴィーナス。 一説にニ オベの息子
わし
とも、 一説に鷲にさらわれるガニメデともいわれるスピアコの青年像。美しいヘルメス 。それ
らがそろいもそろ って紀元前回、五世紀に生れたのである 。
私は叙上の四つに同盤投げのトルソオを加えて、震も私の心を動かした五つを選んだ 。ウエ
ぜんり つ
ヌス・ゲニトリクスやニオベの娘の前では、感動のあまり、背筋を戦懐が走ったほどである 。
もちろん有名なルドヴィシのへ一フや、プラクシテレスの ﹁バ ッカスとサティ l ル﹂や、物思
わしげな ﹁憩えるマルス ﹂や、アフロディテ誕生の浮彫は美しい。思うに人聞が一日に味いう
ゆる
る感動には限りがあるから、不幸にしてそれらを見た瞬間には、私の心が弛んでいたのであろ
ロ の停
。
E円ノ
ヘレニスティ ック時代の逸品 ﹁眠るアリアド、不 1﹂は、私が詩人でないととを思い出させて、
私 を 大 そ う 悲 し ま せ た 。 とういう完全な小品(と云っても偶然がその頭部だけの断片に小品の
ポ
完全さを与えたのであ ったが)の美しさを代えるには、きわめて短かい音楽か、きわめて短か
了
くて完全な詩か、そのどちらかでなくてはならない 。それを能くするのは、ドビ ュ
よ
ッ シーかマ
ラルメであろう 。 ミ1 ノl スの娘アリアド、不 1は、クレ lタに来た英雄一ア 1 セウスに恋心を抱
き、迷宮の案内をして、彼の信頼を得たのであるが、さて妻になってアテ lナイへかえる途中、
ナクソスの地でディオニュ iソスに恋着され、ふしぎにもテ 1 セウス 一行は眠 っている妻をの
として、ナ ク ソスの島を立去 って行くのである 。 との若妻の閉ざされた船がは、しかも死の不
吉な影 はいささかもなく、深い温かな平安が息づいている 。
7
*
2
1
、 三時にいろいろなお菓子を出されると、その中でいちばん好きなお菓子の味が
子供の ζろ
2
18
いつまでも口のなかに残るように、それをいちばんおしまいまでとっておく癖が私にあったが、
三日自の今日なおヴアチカン美術館を訪れていないのはとの理由に拠る 。
私は今日ポルゲ lゼ美術館へ行った 。 それは私の宿エデン ・ホテルふら、歩いてものの十分
とかからない。ポルゲ 1ゼのよいものはル 1ヴルやその他へ移されて、残っている名作は数少
、 ζとへ行か・なくては見るとと
ないが、それでもティツィア lノの ﹁神聖な愛 ・異端の愛﹂ は
が出来-ない 。
。
巴里でもそうであったが、宮殿という建築は何という人を閉口させる代物であろう ポルゲ
の杯
iゼ宮も最も悪い意味での羅馬趣味に充ちている。それはいわば、.へトロニウスのあの決濯の
。或る室のごときは奇妙な境及趣
名 ﹁サチュリコン ﹂ で、総ぽというよりは、ごった煮である
ロ
ア ポ
味で飾られている 。
とういう背景のなかで異様に心を普くのは、 二三 の風変りな絵であるが、そ川 μ巾う意ほmhは
O
﹄回円MONcnnyHの ﹁
U 海 の 宝 ﹂ や ﹁クピイドとプシケエ ﹂ ﹁E 目 的 。 ﹃ 国Enr の独逸風な妖怪味
にあふれた ﹁ヴィ ーナス及び峰の巣をもてるクピイド ﹂などは、なかなか美しい。なかでも
NznnE の ﹁海の宝 ﹂ (十六世紀)は、ギュスタアヴ・モロオの筆触を思わせるものがあり、
前景では多くの裸婦が真珠や服府を捧げもち、その背後には明るい海がえがかれて、無数の男
女の遊泳者が、さまざまのきらびやかな宝を海から純 っているととろである 。 ﹁ クピげ叩とプ
シケエ ﹂ のほうは、今し眠れるクピイドを好奇心にかられたプシケエが、日祭を破って燭の火に
ろうきん
うかがい見る図柄であるが、作者はとれにも、近東風な浪円安的色彩を加味するため眠れるクピ
イドのかたわらに一疋の紳を錨き添えている 。
ぴきちん
ととにあるラフアエロもん 1 ペンスも私を感動させるに足るものはなかった 。 一フフアエロで
そうりよ
は ご 角獣を抱ける婦人像 ﹂より、太った中年の僧侶の肖像画のほうが、ル 1 ペンスでは ﹁ピ
エタ ﹂ よりも ﹁スザンナ ﹂ のほうが、 周いいように思われる oU2800白色の ﹁女魔法使
い﹂ の絵は大そう美しい 。 一
一
ポルゲ 1ゼで私の心を最も深くとらえた絵は、一アイツィア 1ノの ﹁
神聖恋愛 ・異端の愛 ﹂を
窄頭に、もう一つはヴエロネIゼの﹁聖アントニオ魚族に説く ﹂ である 。
いろ︿ず
の事事
まととに閲達で聖人はじめ多くの人物は右半分、それも右下半部にまとめられており、魚たち
ア ポ
を指さす聖者の指先が、漸く画面の中央に達している 。聖者の胸に飾られた白い花は海風にそ
ょうや
よいで 、愛すべき仔情的な効果をあげている 。
しいふ F
V iν 予A
-Aa
'
テイツィア 1ノのほうは、ヴェネツイア派の絵の多くがそうであるように、背景の細部が、
世にも美しい 。左方には西日に照らされた城館と、そとへ昇ってゆく道をいそぐ 二三 の騎馬の
人がおり、左下方の暗い森の中には 二疋の愛らしい兎がえがかれているが、 一層美しいのは右
方の背景である。
入江の残照、その空のタ雲の青と黄の美しさ、前方に漂っている薄暮の憂欝、猟犬に追われ
てんてい
る兎と 二人の騎馬像、その騎馬の人の 二点の赤い上清の点綴、すべての上にひろがっているタ
2
19
暮の大きな影、・・これらのものに加えるに、複製で見て決して発見できないものが、前景の
3
10
裸婦の足もとにひらめいているのを読者に・お伝えしよう 。それは薄暮の小さい花の周囲に、名
残りおしげに附きまと っている蔀いのしじみ蜘である 。
たいぜを
横長の画面はとの絵のアレゴリカルな主題にいかにもぴ ったりしている 。二 人の対際的な情
熱の象徴、たとえばあのアベラアルとエロイlズの愛の手紙と求道の手紙との聞に在るような
対際的な象徴は、 一組の恋人のように寄り添 って坐っていてはならないか九円である 。肉体と精
神、誘惑と拒否、とのワグネル的な氷遠の主題が、いかに明朗に、いかに窮りなく描かれてい
るととカ 。
ロ の停
*
*
夜、私はヴェルディの ﹁リゴレ ット﹂を聴きに出かけたが、とのパルザ ック的な物語(実は
。
アポ
残念なζとに原作者はユウゴオであるが)は甘美で明朗な音楽とふしぎな調和を示している
せむしの老人の 一人娘に対する恋愛に近い愛の妄念、その失望、その憤怒、その復時一て究閣で
好色な支配者の軽やかな移ろいやすい愛の冒険、その自由、そのいつわりない情念;;:そして
終幕で、侯爵爪山由加が入っているとばかり思っている袋を前にしたリゴレ ットの耳に、あの軽快
な侯爵の歌﹁羽根のように ﹂ がき乙えてくる件りはすばらしい 。 ζ ζ でも侯爵の意識しない悪
︿だ
行は終始王者の慰みのたのしい音楽で語られ、決して侯爵は罰を蒙るにいたらない 。
ζうむ
註 * │ │ マ ン ト lヴ ア 侯 ・ ジ ュ 1ゼ y ・サ ヴ ィ ォ 、 リ ゴ レ ァト テ ィ1 トオ ・ゴ ッピ 、 ギ ル ダ ・ ジ ュ ー
υ
ゼ ァ ピ ナ ・ア ル ナ ル デ ィ 、 マへ
・ツダレ l ナ υマリア・ノエ
︿
羅馬オ.へ一フ座﹀
*
私は器楽よりも人間の肉声に、一層深く感動させられ、抽象的な美よりも人体を象った美に
一層強く打たれるという、素朴な感性を固執せざるをえない。私にとっては、それらのもう一
つ奥に、自然の美しさに対する感性が根強くそなわっており、彫像や美しい歌声の与える感動
は、いつもこの感性と照応を保っている。私には夢みられ、象られ、そうする乙とによって正
確的確に見られ、分析せられ、かくて発見されるにいたった自然の美だけが、感動を与えるの
の事'f
である。思うに、真に人間的な作品とは﹁見られたる﹂自然である。
希醸の彫刻の佳いものに接すると、ますますとの感を深められる。
ロ
*
アポ
十九世紀英国の美術文学 、あのベイタアやラスキンの額尾に付そうとして、私は自分の見た
きぴ
美術品の印象を丹念に描写しているのではない。しかし古代の作品や文芸復興期の作品には、
レッシングが一フオコ l ンの例を借りて、空間芸術と時間芸術のジャンルの差別を論じた、あの
厳密な差別を ζぇ、なおわれわれ文学者をして不断に語らしめるものを持っている。絵画は十
たもとけっ 4つ
九世紀中葉の浪憂派時代まで文学とはっきり挟を分つにいたっていない。絵画が文学に訣別し、
純粋絵画を志すにいたったのは、周知のとおり印象派以後のととであるから、私は印象派につ
めまっさ
いて語るととを文学者として潔しとせず、剰え勝手に去って行った女房を追懐するような真似
はしまいという、滑稽な亭主の威厳の如きものを、保ちたいと考えているのである。現に私が
3
11
巴里できいた話では、最近アンドレ ・モ オロアなどの示唆によっ芝 、永らく忘れられていたシ
3
12
取
今日私はアンティノウスに関する小戯曲の想を得た。舞台はナイル河畔のアンティノウスの
み ζ
神殿である。人物は年老いたるハドリア l ヌスと、その重臣と数人の亙女と、アンテイノウス
の霊とである。それが書かれた暁には、私の近代能楽祭に、多少毛色の変った一篇を加えると
とになろう。
ロ の杯
註 * │ │ 左 は 帰 朝 勿 ヱ 奇 い て 、完結にいたらなかった詩劇アンテイノウスの草稀である。
わし*本
鷲ノ座 ││近代能楽集ノ内││
ア ポ
所
プト
EV
換及ナイル河岸なるア y-アィノウスの神殿。
時
紀 元 二 二 五 年 ( 腔Em皇帝ハドリア l ヌスの治険。晩年の帝は挨及を訪れていないが、作者はその
史 実 を 官 げ 、 老 い た る ハ ド リ ア l ヌスをして再度淡及を訪れしめた)
人
年 老 い た る ハ ド リ ア l ヌス皇帝(六十歳 十 年仰に死せるアンティノウス。大陸。五人の一必
)O
一
女
。
*
幕あきの前に !リラの桜島骨につれ 、低き憂わしき時四声をあらわすコーラス 、﹁ああ 、ああ﹂と歌
かみてしもて
ぅ。幕あくや上手に一本のコリント式悶柱と大理石の玉座あり 、下手に二本の同柱、一一一一一段のき
だはし見ゆ。舞台奥はナイル河を見渡す心持。夜。五人の亙女、あるいは坐りあ る いは立ちて、
きだはしの上に集いいる。大臣(実は執政官である)下手より登場。なおもリラの弾奏つづ く。
大臣 私は羅馬皇帝ハドリア I ヌス陛下の大臣です。お年を召された陛下の永い旅路をお守りし
て、はるばるとと E 裟 及のナイルの河のほとりまで来ました 。とれはあの 悲れいと とど も の起
・
・ e
Lq
った御幸以来、十三年をへだてた二度目の御幸です。美しいヒュラスが水に溺れた土地を、大
255
なる繕馬をモの腕に支えておられる 、今の世のへラクレスがどうして忘れましょう。政事は政
か と
ay
事、恋慕は恋慕、私は永い宮仕えで、王者のお心の、 ζの止みがたいこつの力を知っておりま
ロ の係
・
ME
す。二つの力は王者のお心を引裂きます。 Eとから遥か遠い緩馬の民草も 、 との永い旅路の収
描慣が、ただお国の費えのほかには、何もないものとは思わないで下さい。陛下が ζとで尽きぬ
ポ おん悲しみに、それだけ思うさま身を沈められれば、調帰国のあとそれだけお恵みは、一そう
いきおっ hau@
ひろく民草の上にうるおうでしょう。羅馬の功し高い兵士たちも、陛下の御心弱りを責めない
7
みかど
で下さい。今まであなた方の前にマルスの姿で、雄々しく君臨しておられた帝のお心には、も
っとも深いおん悲しみが 、秘し隠されていたのですから。(五人の亙女たちにむかつて)ぞれ
い
っき。
からととアンティノウス神般に、消らかな日夜をおくる斎女たちょ、どうか陛下のみ心を綴し
, ..
e
て、御幸のあいだはいっそう怠りなく、神前のっとめにはげんで下さい。
zq
かし ζ a z b a とど
五人の忍女 (合同町)畏りました。大臣の君。
いつきの
大臣 (亙女たちに近よりて、きだはしに身を機たえる)ょくす口われました、斎女たち。
亙女 一どうかあなたの永い旅絡を、わたくしどもに諮ってください。
3
13 大臣 たとえ王土のうちとはいえ、旅の心は安らかではありません。旅のほとんどは船旅でした。
船がシキリアをかたえに見て、さらに東へ進むにつれ 、陛下はじっと東のかた、挨及の空を眺
3
14
めておられた。
玄人の忍女 (合唱)そ ζとそはア yティノウスが 、
大臣 悲しい恩い出を残した土地です 。
五人の亙女 (合唱)わずかな海風に帆布がしぼむと、
大臣 陛下は目立っていらいらなさったい
う
しお
五人の亙女 (合唱)風が帆布を大きく苧ませ 、潮が船そやさしく押すと、
大臣 陛下のお口もとは縦伊ました 。 そうだ、私ども臨制の省にも、船足の早さおそさが、苫 の
智乎でもあり、喜びの智子でもあ った。なぜならそのときわれらの心は、丁度ガ HYヤ船のタ パ
の艇が、第 一の熔に縦えてうどくように、陛下のお心に動きをそろえて、帆布の気まぐれ V出 M
の 杯
ったのです。
五人の忍女 (合唱)壊及の黄いろい岸、ナイルが海にそそぐと ζろに、河馬のように背をあら
わす 、三角の洲を眺めたときは 、
す
7 ポ
すい危い
八年までである 。 もとトラヤヌス帝の崩御によって、箪に綾戴せられて、帝位にのぼったのであ
。
ZM
ギポンによると当時の羅馬帝国は、 ﹁地 球 上 の 最 善 美 の 部 分 と 人 類 中 の 忌 開 化 の 部 分 と を 包 絡
ロ
ckどと
ボ して﹂おり、 ﹁緩 馬 元 老 院 は 統 治 権 を 保 有 し て い る よ う に 見 せ な が ら 、 政 治 の 執 行 備 は 悉 く 皇 帝
に委暗躍して﹂いた。
7
み@ d z n んしん
ハドリア 1 ヌ ス は 文 治 の 帝 で あ っ た 。貴 族 の 叛 心 を 苛 酷 に と り お さ え 、 ひ た す ら 民 治 に 心 を 致
した。とのヘレニズムの復興者は、芸術家のよき友であり、また、終生をその広大な版図の巡幸
に費した 。 ρド リ アl ヌスの鳳益が訪れ・なか った土地はほとんどない 。鳳輔副というのは、場合に
信うれん
よ っ て は 妥 当 で な い 。 時 に は 徒 歩 で 無 聞 の ま ま 、 カ レ ド ニ ア の 雪中 ゃ 、 上 部 エ ジ プ ト の 苦 熱 の 砂
漠を旅したのである。ガリア、又そのゲルマニアの地、プリタンニア、イスパニア、マウリタニ
アジア M'リシヤ
ァ、エジプト、小亜細亜、および希蝋が、帝の足跡を印した諸地方である 。
帝はトラヤヌスの征服主義の穏健な修正者であったが、羅馬の平和を支えるものが軍隊の威力
ne みず・
3
15 に他ならないととを知っていて、あらたに多くの騎兵隊を編成し、しばしば親ら新兵の教拙怖を行
6
ぃ、また時Kは、新兵らを相手どって、力量や技術の優劣を争ったりした。どうけい
3
1
ρドリア 1 ヌスにもし固癖があったとすれば、古代希機に対する終生かわらぬ熱烈な憧僚の念
信じ
がそれである。帝はアテナイ城壁の東郊外に新市を肇め、アゴラの北に図書館を建て、紀元前六
しゅん ζう
世紀以来竣工を見なかったゼウス神殿オリュンピエイオンを完成し、ローマにはパンテオンとヴ
エヌス神殿を建立した。また小亜細亜アイザノイには別のゼウス神殿を建立した。
彼の古典主義には、その原対な版図にふさわしい折衷主義がまじっていた。帝の称号、 ・ E
H
2 司丘町ル口市は、かくてヘレニズムの織化であった。峻及の古美術の最も美しいものは、希雌
古典時代の緩も美しい美術品と同様に彼を魅した。帝は小亜細亜の彫刻家たちをして 、古代彫刻
の僕作K従事せしめる。ととろがある時期から、かれらはアポロやメルクリウスやマルスの模作
をやめ、いっせいに或る新らしい神の彫像の制作に従事しはじめる。その新らしい神は豊かな体
の杯
艇をもった少年の姿であらわされ、美しいうら若い容貌には必ず憂愁 死の影が刻まれる。はか μ
らずも ζ の神は 、異教世界の最後の神となり、それらとは全く系図を異にしたへプライ神の誕生
ロ
の前 K、古い神々の滅亡を代表するにいたるのである。
ポ
ア
本
それというのも 、今日ヴアチカン 美術館を訪れて、私はアン一アイノウスのその一つは胸像で
あり、その一つは古代竣及.の装いをした全一身像である、(もう一つ有名なベルヴェデ I レのア
ンテイノウスは、その体つきも顔立ちも、当然アンティノウスではなくて、ヘルメスである)
二 つ の 美 し い 彫 像 に 魅 せ ら れ て し ま い 、 他 の さ ま ざ ま な 部 農 の 名 画 を 見 て い て も 、心はアンテ
ほ念俗
イノウスのほうへ行っているので、全体としてヴアチカンの見物は、甚だ収穫の之しいものに
終ってしまった。
のぼ
とのうら若いアビおニヤ人は、極めて短い生涯のうちに、奴隷から神にまで陸ったのであっ
えぐ
たが、それは智力のためでも才能のためでもなく、ただ皆同いない外面の美しさのためであり、
彼はとの移ろいやすいものを損なう ζとなく、自殺とも過失ともつかぬふしぎな動機によって、
おぽ
ナイルに溺れるにいたるのである。私はとの死の理由をたずねようとするハドリア l ヌス皇帝
しつよう
の執勘・な追求に対して、死せるアン一アィノウスをして、ただ﹁わかりませんしという返事を繰
り返させ、われわれの生に理由がないのに、死にどうして理由があろうか、という単純な主題
を暗示させよう。
えんぜい
一説には厭世自殺ともいわれているその死を思うと、私には目前の彫像の、かくも若々しく、
の杯
かぐ
かくも完全で、かくも香わしく、かくも健やかな肉体のど ζかに、云いがたい暗い思想がひそ
ロ
むにいたった径路を、医師のような情熱を以て想像せずにはいられない。ともするとその少年
ア ポ
きぴす
の容貌と肉体が日光のように輝かしかったので、それだけ濃い影が躍に添うて従っただけの ζ
とかもしれない。
*
そ
さでかくて私はしばらく脇道へ外れる ζとを余儀なくされたが、ア度未知の大森林 一
の中へ踏
︿ま
み込んだように、案内人ももたずにグアチカンの部屋々々を隈なく歴訪するのは、たのしい期
待にみちた仕事であった。たとえば、ボルジャ家のアパルトメントの如きは、それぞれ忍び戸
ぜま
のような窄い戸口で接しており、もう ζ の部屋が行き止りかと思うと、またその奥に大きな暗
いきらびやかな部屋がひろがっているのである。
3
17
私 は ま ず EZ﹀のO吋何(い﹀へ入 って、ティツイア lノの傑作 ﹁聖ニコロ ・デ ・フラ 1リの
3
18
さんぴ
マドンナ ﹂ に接したのであったが、 ζれについてはゲ 1テのあのような感動と讃美の 一文があ
る 以 上 、 私 は そ れ に 附 加 え る 言葉 を 持 た な い 。虫5252 では、私はと の絵と、メロァツ
。gzzRE( g'ENE-8
ォ ・ダ ・フオルリ l の楽を奏する天使の 三幅のプレスコが最も好きである 。そ の上、人に知ら
れていない 二三 の好いものもあり、 OBN5 目印 ∞)の ﹄ や司gz E
FHY
omZ 円(ES--斗包)のロ切国内ESO 舎のユ主はなかなか美しい 。
寸円
アンティノウスの胸像は、彫刻美術館の入口の、パンテオンを模して作られた同形のサロン
にあるが、挨及の装いをした立像のほうは 、奇妙な挨及室の一聞にあり、 ζ の挨及室の装飾の
ロ の杯
な っている 。
ア
ラオコ 1 ンや、ベルヴェデ l レ の ア ポ ロ や 、 ベ ル ヴ ェ デ 1 レ の ト ル ソ オ や ﹀ ℃o
uco
ggo 切
に接した ζとは、私の心を疑いようのない幸福で充たしたが、紀元前五世紀の希臓の競技者の
浮彫もきわめて美しく、大理石の動物園ともいうべき、動物彫刻の 一室は 、なんとわれわれを
念いきつ
古代の人々の狩猟の歓喜へ誘惑するととであろう 。ゲーテが彫刻鑑賞について松明照明の必要
を述べているが、そのきわめて良い例を、カノ 1ヴアのベルセウスの向 って左に据えられてい
る 闘 技 者 の 像 の 上 に 見 る と と が で き た 。 というのは、丁度とのとき天井の明り取りが正午をす
ぎた強い日光を、ほとんど直射と見えるばかりに、との像の頭上に注ぎかけていたので、影の
ゅう ζん に わ
効果は雄海な力を帯。ひ、筋肉は俄かに躍動して、 ζれと比べると弱い万遍のない光線をうけて
いるもう一人の闘技者のほうは、力を失って早くも敗北を予期しているように見えるのであっ
た。
*
ると、小さい子供たちに固まれたナイルの神のいる翼楼をとお って、又換及室のアンティノウ
スの前へ行った 。
*
次の目、私は早朝から起きて 三つ の美術館とパ,ンテオンの見物を、中食前にすましてしま っ
た。 とれをきいたら、日頃私が午前中ほとんど床の中にいる習慣を知 っている東京の友人は、
目を丸くするにちがいない 。 しかも ζ の強行軍は、誰にも強いられ-なか ったからできたので、
誰かお節介な他人がとんな窮屈な日程を組みでもしたら、私は早速サボタージ ュを企てたとと
であろう 。
3
19
三つの美術館とは、コンセルヴアト iリ宮の美術館と、キャピト I ル美術館と、ヴェネツイ
4
10
ア宮の美術館の三つである。
今日も郎臨としながら私の思うととは、希蟻と羅馬とのとの二週間、 ζれほど絶え間のない
悦惚の連続感が、一生のうちに 二度と訪れるであろうかというととである。私は人並に官能の
喜びも知り、仕事を仕終えたあとの無上の安息の喜びも知っているが、それらがかつて二日れ
つ,ついたととはなかった 。希臓と羅馬では半ば予期されたとうした幸福感が、他人の親切で慶
されるととがないように、注意深く交際の機会を避け、すで K二週間、私は三度の食事を一人
で食卓に向 っているが、とういうととも家族に恵まれた今までの生活では、はじめての経験で
ロ の杯
ある食卓を前にして、客の遅い来訪を待ちわびていると ζろへ、見知らぬ招かれざる客が現わ
﹁私は一度もあなたの食事に招かれたととがない 。
ア
本
パラーツオ・コンセルヴァト 1リでは、グイドオ・レニの ﹁聖セパスチャン ﹂を遂に眼前に
ν
した幸のほかに(が 写真版でかねて見ていたと ζろでは、ゼノアにある閉じ作品の複製のほ
うが、私は好きだ。写真版で見ても、とのこつの聞には微妙な違いがある)ルウペンスやヴエ
ロネlゼや、仏蘭西のプッサンの作品が私を感動させた 。
フランス
グイドオの﹁聖セパスチャン﹂の一つ隣りに折衷派の師なるの間 三宮己 の﹁聖セパスチャ
シ﹂があるので、門弟グイドオの耽美的な個性がいっそうはっきりする。その画風は 、ある時
たんぴ
代にはラフアエルよりも上位に置かれたのであるが、今彼の名が一般的でないからと云って、
その作品が低く見られる理由はなく、セパスチャン像も、大理石のような裸体に 一切流血のえ
がかれていない ζとが、作品の古典的な美を一そう高めている 。
(URgn2 の或る作口聞は・なかなかよいが、羅馬の美術館の至ると ζろにある O OF Z は私
の杯
を閉口させた。それも無闇と大きな作品がみなの国﹃o p
- ﹃
国すぎるとい
o である 。鯨の欠点は大き
ア ポロ
う点にあるのだ。
プッサンの﹁オルフエ ﹂ は何という美しさだろう 。何という森の微妙な光線だろう 。そ れは
7トオの先蹴である 。
ぜんしよ う
明らかにワ
ととでもヴエロネ Iゼは私を感歎させ、ヴエニスにある作品の複製である ﹁↓ zm 田宮 O ﹃
開
口﹃O宮 ﹂ や 、 二 つ の 切ON25 ﹁戸田司R巾﹂ と ﹁戸
田 ω宮司gN曲﹂ や ﹁聖母と塑アンナ ﹂ は、し
ばらくその前を立去りがたくさせるのであった。
﹁聖母と聖アンナ﹂はテイツイア lノのように澄明でなく、ルウ ペンスのような光りもないが 、
︿ すう
爆んだ青空、暗い緑、日本の西陣織のような聖母の衣、すべての上に神秘な午後の倦さが潔つ
あ
ており、画中の人物は、かれら自身の神聖さに倦いているように見えるのである 。
4
¥¥
ルウペンスの﹁ df共にあるロムレスとレムス﹂はきわめて美しく、乙 ζの美術館の絵で
4
12
一つを選べと強いられれば、私は即時院がくとれを選ぶだろう。二人の幼児は暗い木立と狼の暗
い毛並の前に 、燦然と蓄議いろにかがやいている。
さんぜんぽら
*
ζとの彫刻では、﹁鵬を抜く少年 ﹂ただ一つが美しい
。足の裏の練にむかつてうつむいてい
るその熱心な表情には、人聞がとういう状態にあるときの孤独が正確にとらえられ、われわれ
どう
はあたかも、少年の無心な瞬間を、少年には華も気づかれずに隙見をしているかの感を与えら
れる 。
の相:
。しかは く
ある位置から見ると、右の下肢と、左の下肢と、右の下勝と、胴の左側の線とが、丁度十字
ロ
を-なしており、その十字の中心に足の裏があって、そとにζの作品の主題である小さな見えな
ポ
い練が刺っているのだ。その巧妙な主題の扱いは、すぐれた短篇小説を読むかのようでい比れ
ア
ほど単純で鮮明な主題に凝縮された短篇を書く ζとはわれわれの困難な、しかもいつも蟻烈な
希望である。
*
キヤピト l ル美術館では、入り際に、面白いものを見た 。それは挨及のスカラベサクレのレ
リーフである。との甲虫は半ば擬人化されているように見えるがそうではなく、可成り忠実な
写生が、挨及人の考えた神聖さの目的に照らして、面白く様式化されているのである 。
希醸の浮彫、﹁アンドロメダを救えるベルセウス ﹂は、きわめて優雅な小口聞である 。 そのア
ンドロメダの衣裳の聾が 、 いかに歓喜に波立 っている ζとか 。
いしようひだ
υん し た いせ い か え ひ ざ
疑いもなく傑作である ﹁瀕死のゴ 1 ル人 ﹂よりも、私は今し頭勢に陥 って、片膝と片手を地
σ 曲目広三市)のほうが好きだ 。
ふぜ
に突き、の乙る右手の剣で辛うじて身を禦いでいる戦士像(のO
B
ゴール人は近代の傑作がも っているよう・な死の不安と苦悩とに充ちているが、戦士像のほうは、
ぜいひつ
生命の危機もその静詮を優すに足りず、何か舞踏の 一瞬の美しい姿態のように、外商それ自体
だけがわれわれに語りかけているのである 。他 に 見 れ ど も 飽 か ぬ 美 し い彫像は、 ﹁カピト l ル
のヴィーナス ﹂と ﹁クピ lドと .
フシケエ ﹂ である 。
の杯
みと
まり胸像にばかり見惚れていたためと、もう一つは、立像のほうはあまりに神格化され、胸像
や挨及の立像のような初々しさに欠けているので、その人らしい特徴が目立た-なかったためで
あろう 。
みいだふん
パレストリナで見出された ζ の立像は、バ ッカス神に扮したアンテイノウスであるが、その
かったっかよういっ
表情や姿態には、パァカスらしい閥達さや、瓢逸さはなく、やや傾けた首はうつむきがちで、
彼自身の不吉な運命を予感しているかのようである 。
*
アンティノウスの像には、必ず青春の憂穆がひそんで必り、その眉のあいだには必ず不吉の
の杯、
かげ
騒 が あ る 。 それはあの物語によって、われわれがわれわれ自身の感情を移入して、 ζれらを見
るためばかりではない 。
ロ
ζれらの作品が、よしアンティノウスの生前に作られたものであった
ポ
としても、すぐれた芸術家が、どうして対象の運命を予感し-なかった筈があろう 。
ア
私 は 旧 弊 な 老 人 が 写 真 を と ら れ る の を い や が る 気 持 が わ か る よ う な 気 が す る 。 その生前にす
ぐ れ た 彫 像 が 作 ら れ る 。するとその人の何ものかはその時に終ってしまうのだ。その死後にす
ぐれた彫像が作られる 。するとその人の生涯はとれに委ねられ、 ζ の上に移り住み、とれによ
ゆえ
いま
って永遠の縛しめをうけるのだ 。われわれの苦悩は必ず時によって解決され、もし時聞が解決
せぬときは、死が解決してくれるのである 。希搬入がもっていたのは、このような現世的なニ
いふあおそうは ︿
ヒリズムであった。希搬入は生のおびただしい畏怖のために蒼ざめた石、あの蒼白の大理石を
刻んで、多くの彫像を作りだし、ζれによってかれらを生のおそるべき苦痛から解放した 。ぁ
るいは厳格な法則に従った韻文劇を、かれらの言葉の中から刻み出し、それによって人々の潜
在 的 な 苦 悩 や 苦 痛 を 解 放 し た 。 そ れ が 希 臨 劇 で あ る 。 それらはいわば時間や死による解決の模
会ぶ
倣である。彫刻は一瞬の姿態を永遠の時聞にまで及ぼし、悲劇は鵬り殺しのような永い人生の
解決の時間を、わずか二十四時間に圧縮したのである 。
希騒人の考えたのは、精神的救済ではなかった。かれらの彫像が自然の諸力を模したように、
かれらの救済も自然の機構を模し、それを ﹁運命 ﹂ と呼びなした 。 しかしとうした救済と解放
キリス ト
は、基督教がその欠陥を補うためにのちにその地位にとって代 ったように、われわれを生から
ふち
生へ、生の深い淵から生の明るい外面へ救うにすぎない 。生は永遠にくりかえされ、死後もわ
f
の 事
おびか ・4K
れわれはその生を罷めるととができないのである 。あの彩しい希放の彫刻群が、解放による縛
きず傘
ロ
しめ、自由による運命、生の果てしない紳によ って縛しめられているのを、われわれは見るの
7 ポ
である。
彫像が作られたとき、何ものかが終る 。そうだ、たしかに何ものかが終るのだ 。一 刻 一刻が
われらの人生の終末の時刻であり、死もその単なる 一点にすぎぬとすれば、われわれはいつか
終ったものをまた別の 一点からはじめるととができる 。希
終るべきものを現前に終らせ、 一日一
磁 彫 刻 は そ れ を 企 て た 。 そ し て ζ の永遠の ﹁生 ﹂ の持続の模倣が、あのように優れた作品の
数々を生み出した 。
信
生の託洋たるものが堰き止められるにはあまりに豊富な生に充ちている若者たちが、そうし
た彫像の素材にな ったのには、希蝋人がそニ ユメンタ l ルと考えたものの中に潜む、悲劇的理
45
1
念を暗示する。アンティノウスは、基督教の洗礼をうけなかった希臓の最後の花であり、羅馬
4
16
が頭廃期に向う日を予言している希蟻的なものの最後の名残である。私が今日再び美しいアン
ほうじよう
テ ィ ノ ウ ス を 前 に し て 、 ニ イ チ ェ の あ の ﹁強 さ の 悲 観 主 義 ﹂﹁ 豊 後 そ の も の に よ る 一 の 苦 悩 ﹂
生 の 部 配γ ら 直 ち に 来 る と ζろ の 希 睡 の 厭 世 主 義 を 思 い う か べ た と し て も 不 思 議 で は あ る ま い 。
生れざりしならば最も善し 。
次善はただちに死へ赴くととぞ 。
ミ ダ ス 王 が 森 の 中 か ら 連 れ て 来 ら れ た サ テ ュ ロ ス に き い た ζ の言葉、それが今私の耳を打つ。
ア ン テ ィ ノ ウ ス の 憂 穆 は 彼 一 人 の も の で は な い 。彼 は 失 わ れ た 古 代 希 蟻 の 厭 世 観 を 代 表 し て い
の 杯
るのである。
たたず
ロ
私は文しでも挨及の部屋の立像の前にしばらく件み、 ζの三体のアンティノウスの印象がほ
ポ
易、久 J易
、A J
かのさまざまのもので獲されぬように、勿々にヴアチカンを齢し去った。
ア
むしば
私 は 今 日 、 日 本 へ か え る 。さ よ う な ら 、 ア ン テ ィ ノ ウ ス よ 。 わ れ ら の 盗 は 精 神 に 蝕 ま れ 、 す
でに年老いて、君の絶美の姿に似るべくもないが、ねがわくはアンテイノウスよ、わが作品の
いきさ
形態をして、些かでも君の形態の無上の詩に近づかしめん ζとを。
一九五 二年五月七日経馬にて
註*││プルクハルトは ﹁チチェロ lネ﹂の中でアンティノウスについてとう書いている。 22
﹁より高い芸術形式(つまり神の姿)として表現された足後の神はハドリア!ヌス皇帝の宙開見に
して神絡化されたアンティノウスである。そして ζ ζでは、円ドリア lヌスのために恐らく自ら
死の道を選んだ(紀元一三O年)若者に実際に似せて作り、同時にその似顔を理想的に高めると
いう事が主目的であった 。 従 っ て 精 神 錨 写 よ り も 寧 ろ 外 貌 、 外 姿 の 方 が そ の 目 的 に 適 う 訳 で 、 身
h u L d vh
FaU9av 傘 AF'p
府つきは立派によく整ぃ、額や胸は広く張り、口や鼻も笠かに作られた。一方、表情は白や口元
にし,はしば若者らしい悲愁の情が美しく漂っている作品もあるが、また時としては幾分の償りと、
きょうぼう 9aが
ほとんど兇暴に近いものすら帽現われる。
ア ン テ ィ ノ ウ ス の 像 は 通 例 若 い 英 雄 型 の 胸 像 が 多 い が ( 例 え ば グ ァ テ ィ カ ノ の サ -7・ロトン
v
am
ダ)、外に立像も幾っか残っている。そしてとれらのものに於ては、彼は単 K祝 福 を trえる{寸神
ーもしくは或る極の神の姿として具体化されている 。例え
として ││時には宝角をもっている ー
ばラテラノ第三室のアどアイノウスはグエルトヲムヌス(良の神│ │主として果実等の)として
作られ、ヴイラ ・アルパニの浮彫には大きな半身像で現わされている 。その外、ヴアテイカノの
ロの杯
エジプト美術館にはオンイリス(食の神)にかたどったアンティノウスがあり、ロトンダの肇艇
な像(以前はパラ ァツオ ・プラスキイにあった)はパ ッ コス Kかたど ったそれである 。 しかも ζ
の巌後の像は古典期以後の段も優雅な巨像の 一っと 言 えよう 。なお単なる英雄像としてはナポリ
ポ
美術館(アンティノオの部屋)のものが最もすぐれている 。
ア
L
hveゐ
次に間違ってアンティノウスの名で呼ばれているものとしてはカピトリ 1ノ(瀕死の剣士の部
屋)の美しい像がある 。 とれは頭部や骨格からして、まず へんメスか競技者のそれであろうが、
ただ一般のその極の像ほど、すんなりした身体つきではなく、どちらかといえば、普通よりもず
{
眼鮭ヨ*
んぐりしている 。然しそうかと言って、アンティノウスのあの見事な豊満さからは透かに速いが、
一方又、頭部における彼の肖像彫刻との類似は 一概に否定し去る ζとも出来ぬのである 。更にヴ
いわゆる
ァティカノ(ベルヴェデレ)の所調アンティノウスは既に述べた如くへんメスである 。
uヲと
(原註*)表情にはむしろ幾分の悲しみの面影さえ見られるll尤も
'
ζうした表情は他のアン
4
17 ティノウス像に於ても見られるし、又へんメスにも現われている 。
4
18
旅の思い出
日本へかえって、 二月が経 った。私は求められる旅行談を語り倦きた 。旅立ち前と同じ国製
ふた つき
が再び身のまわりをとりま いた。 とうして私の気づかないと ζろで、旅の思い出は、徐々に結
問してゆくらしかった 。
自
旅行が何を私に附加えたか、それを私は語る ζとができない 。むしろ私から何かを奪 ったら
しい 。何ものかを癒したらしい 。出発前、求められるままにとう 言 った私自身の 言葉が思い出
の村;
いや
﹁ も ってゆく金は十分ではない 。金を濫費するととは僕にはできない 。 しかし僕は感
される 。
受性を濫費してくるつもりだ 。自分の感受性をすりへらしてくるつもりだ ﹂と。
ロ
ア ポ
たまたま南の国々へ旅したおかげで、近づいてくる日本の夏は、私にと って今年の二度目の
夏である 。私はまた海を見たい 。二 週間以内に、私は海辺の宿に仕事場を移すだろう 。
ロ
ポ
ア
4
19
沢村宗十郎について
5
12
古い時代の歌舞伎劇がどのようなものだ ったかを考えると、あの顔見世番附の画面が一つの
り
象徴のように思い出される 。一 人も正面をむいている顔はない 。左右から院み合った無数の顔
に'
が、むらむらと際限もなく湧き上 って来る幻想を覚えさせる 。あの古い時代の方角に、 われわ
わ
の 何:
ろう そく げんよう
れはそういう無数の顔を夢みるととができる 。 そとには蝋燭の火の諸問暗がりにあまたの幻妖な
顔がひしめきあ っている 。語りつぎ言 いついで来た古名優の記憶は、ついに残された古びた絵
姿の・なかに要約される 。 しかしそれは古名優にと って本望であ ったろう。立役は立役、女形は
ロ
7 ポ
女形として、命をかけた美しい典型としての生き方をしか知らなか った彼等にとっては。
彼等が名優の名にがて志したも のは実は自ら典型と化するととであ ったといえる。役者論語
に見るどときさまざまな心構えは、写実を志したのではなく典型を志したのである。女形の私
生活も、それゆえに女の典型でなければなら・なか ったし、私生活にまで加えられるそういう
諸々の制約は、写実の必要を超えたものであ った。実悪にせよ、色事師にせよ、女形にせよ、
民衆の空想に 一つの型、 一つの方向を与えるために、その 一挙手 一投足が期待された長上の線
をえがくように附山泊された 。 しかし突は民衆の空想の礎は民衆自らが創造したものというより
も、役者によ って逆に培われ来 ったものであるかもしれない 。現実のなかへ網を投げて、そ ζ
に住む民衆自らも意識していないひそかな願いをとらえ、それを見事に典型化したのは役者で
とぎぞうし ζ じようるり
ある。室町時代のお伽草子や近世初期の古浄瑠璃のたぐいが、民衆の無自覚な美しさを言外に
がんぼう
語りつくして遺憾がないように、大首ものの錦絵にみる古名優の顔貌は、役者と無自覚な民衆
との問の微妙な交感によるH
e造を偲はせるものがある。従ってわれわれがその時代の名優の絵
し
申、
倉
姿に 、 その時代の現実の面影をさぐるとともまたあやまりでは念い。あるがままの現実にさま
ざまな願いが ζもってきてそれが歴史として残されるどとく、一時代の現実に往んだ人々の面
影は、とうした媒介を経るととによってはじめて歴史の上の現実の面影となりえたのである。
近世の歌舞伎劇は一つの宗教であった。歌舞伎劇の下において独特な光彩に縁どられた近世
沢村宗十郎について
文化の一秩序が形づくられたととは、かつて中世の文化が仏教の下に沿いてそうであったのと
似通うている。貴族的洗練(それはとれまで文化の新らしさを生む原動力であったが)を経ぬ
たいはい
異様、な新らしさの具現がそとにあった。そしてとの異常な新らしさは、頭廃期の毒々しい花の
っぽみ
雷をおのずと内にひそめていたともいえる。
とのような経緯がひとつひとつの幻妖な顔のなかに結自問しているとしても 、ともあれそれら
ひ左たびわざおず
の顔は、一度現実であり生身であった美しい俳優たちの顔、一時代をすとやかに生きた人たち
胞か
の顔に他ならぬ。今は亡びた一時代の文化が花のさかりであった頃に、かれらの顔貌も若さと
けみあとが
すとやかさの絶頂を閲した。一時代の好尚と趣味と憧れとが見事に張りつめた糸でそれを支え
とうず
ていた。しかし時代がすぎ好尚は衰えて尚古癖や好事に席をゆずる他はなくなると、残された
絵姿は自らが立脚していた時代の好尚をきびしく拒みはじめた。典型たらんと志したのは、そ
5
13
の時代をはるか後にのとして、捨身で後代の前に立とうとする身構えでもあった。自らのうち
5
14
。 とれは亡びつつある 一時代の
7 ポ
われぬ 。あれは時代の盛時を概って亡びたものの再生であった
返り花に他ならなかった 。
季節はずれのその顔は、痴呆のように、過ぎし世のかずかずの類型を無心に映したまま、も
はや何事も語ろうとしない。それだけにわれわれがほしいままな幻想と憧れを描きち怜すとと
のできるその顔である 。古い時代からわれわれに向 ってさし出された雅趣ある姿見の枠であり、
描かれざる古画の即断な額縁である 。宗十郎の顔貌は 一時代がわれわれの聞に残した記憶の証
拠としての戯しさにみちている 。証拠である ζとの限りたい虚しさだ 。
彼の前髪立の蹴おには、化政度の若衆たちの殺伐と郡湯の生活が漂 っているように思われる 。
-ぷ た り だ る
e
船いまだ若くして親しんだ漁色の重荷ははやうら若い険の下を黒ずませている。大きく気倦く
けんたい
みひらかれたその目は、常人よりも早く兆した青春の倦怠が、女や酒や ζの世のあらゆる逸楽
さげすかげぴんしよ う
を冷酷な蔑みの眼差で流し目に見るととを学ばせはしたが、官能の微妙な騒をとらえる敏捷さ
にはかけがえのない若さの妖しい発露がある 。 たとえば紀伊国屋の家の芸と称される ﹁
あや うぐい す
黄鳥
ふっきゅう
邸 ﹂ の源之助のごとき、作中のその役は父の復仇に心を砕く孝心厚い若者にすぎないが、化政
度の見物が源之助に見た幻影ははるかに顔廃の色濃いものであったに相違・ない 。成長しきらぬ
女性的な肉体に諜せられた武術の錬磨が、それに不釣合な屈強な骨格を与えた倒錯的な感じ 。
いつ げん ぜいそう
そういうものが若衆方の顔廃的な魅力の 一斑であるとするならば、羽左衛門の前髪姿の清爽典
沢村宗十郎について
えんせい
にひそむ厭世思想の様式的念展開、とれらはすべて暗黒時代のきれぎれの記憶がはぐくみ来つ
た幻影である。一見底の底まで明快閥達な歌舞伎十八番の荒事の様式が 、金平浄瑠璃の戦国的
かったつきんぴら
ふんいをいちをつ
雰囲気から発祥した ζとを思うと、丹青を凝らした稚気あふるる舞台面にも、なお一抹の不安
M
C''レ
の残浮が感じられる。それは暗黒時代の記憶が泰平の世の新興階級の上にたえず及ぼした不安
もっ・とかん凶りい
と危険な誘惑を暗示していはすまいか。北も十八番物のうちでも確たる脚本の伝承しない簡勤
ひゆ
素朴なものについてあてはまる比喰ではあるが。復活された十八番の一つ関羽や終戦後の仁左
もちろんいきさ
の料:
衛門の阿古屋に於て、宗十郎が扮した白田山重忠は、との不安の底流を(勿論些かも自ら意識せ
ょうえい
ずに)まざまざと揺曳させた演技を示した。それは演技というべくあまりに象徴的な何物かで
ロ
あり、重忠役を構成している個々の要素の善悪巧拙を論ずる余地はもはやなかった。云うまで
ポ 者
、
もなく重忠のような役が陰々と冴えぬととを望むのではないが、乙の種の役に必要な明朗閥達
ア
危急たま
はゆめ近代的明朗であってはならず、宗十郎の場合、偶々巧まぬ中世的明朗が、その持味に合
いんえい
まれる特異な陰騎と結びつくと、大蔵卿(殊笠間舞)のような彼の佳品の一つが生れる。
世話物の名人出船M
m慰問称が巧みでなくてはならぬ。同様に時代物の名手は、無意味な片言
し戸、さす伝わ 、、、
隻句にその天分を示すのである。台詞のみならず、科の片言隻句、即ち見得やきまり以外の日
企のふ
常茶飯の動作の隅々に、時代物の面白さが溢れていて ζそ名優と称するに足りるのである。宗
か川会内
十郎の覚寿は手を拍いて腰元を呼ぶ個所や丞棺との別れの挨拶に、微妙な盛綱との応対に、政
はやしかたふたりばか傘
岡は栄御前を迎える式札に、曲舞の大蔵卿は﹁嘱方をよベ﹂という一言に、二人袴の往吉は終
げんやだ念︿だり ζれしげ
始かわらぬ温顔に、玄冶屈の多左衛門は世話木戸入って安とぶつかる件に、紅葉狩の維茂はか
かぶとめ安き
わるがわる腰元がからむ件に、顔世御前は兜の目利に、水野は就中村山座の場に、昔の芝居は
とうもあったろうかと思わせるそれぞれ一つの典型としての科白がある。
彼が手をあげる。彼は空中にみえざる複雑な花文字をつまみあげる、彼の仕草は時にあやか
たいしょ︿
しめいてみえる。時K神秘的な圧迫感を備えている。彼の大仰な歩き方は古い罷色した勘亭流
の筆法を思わせ て古雅である 。
沢村宗卜郎について
ょうたい
わねばならぬ。世芸を理智の芸とすれば思入れは情緒の芸である。恩人れの要請は、心情の情
趣と様式の情趣との合致であろう。偶々あげた維盛の一例にとどまらず、宗十郎の思入れには、
掬すべき多くの詩趣があり感懐があった。
世人は彼の対ggを非難しつつ、彼の一面に内輪な床しい女形の芸の伝統が流れているその
せせらぎのような響を耳にとめようとしない。立女形の位に安住する役者で彼ほど舞台で気を
しdzζろ
抜かぬものは少ない。注意して宗十郎の舞台を見る人は、立役の演処の角々に、女形としての
aるかや
彼の目立たぬ礼節ある態度を発見するととがあろう。最近上演された苅萱の宮守酒に於ても、
の事事
新洞の愁嘆の聞に﹁贋物わたす﹂という台詞に対して宗十郎の橋立は何の思入れもなく、モド
ロ
リになってからの新洞の述懐に当つては一々丁寧な思入れがあったのは、前後の照応をわきま
ポ
えたかくあるべき正しい演技といえる。同様にその政聞は、ざわつき勝ちな連判状の件りで一
ア
切そわそわせぬやり方の聞に、目立たぬ恩人れが周到に織り込まれていた。
四
しかし宗十郎という一個の俳優を支える観客の好尚が、しらずしらずの内に彼に挑みかかり
彼を崩していると感じることは悲しい ζとである。それは彼の古色を捨てて顧みない自然主義
もえも aそ
流の鑑賞家よりも、むしろその古色を愛する偏奇な鑑賞家によって粛らされる倶れのある危険
ではなかろうか。
彼を最後の歌舞伎役者として愛惜する眼差、失われた時代の貴重な形見として懐しむ眼差、
ゆだ
それはやがて考古学者の手に歌舞伎劇が委ねられる日も同じ愛情で見送るであろう眼差である。
美しいものを一歩々々衰亡の方へ追いやりながら、しかも一刻々々に名残を惜しんだととろで
さんたん
何になろう。すでに齢七十を ζえた老優がもつものは惨惜たる老醜の容姿に尽き、彼が漂わす
美はわれわれの幻影にすぎぬのかもしれない。星がまたたきそめた夜空になお消えやらぬ赫た
る落日の幻影であるかもしれない 。
宗十郎の顔には まぎれもな い荒廃のしるしがある。彼が辛うじて(とは言いながら彼自身は
のんき ζa
ロ
何もしらずに呑気に)生きて来た時代の手が、寄ってたかつて彼の顔を毅ち荒らしたのである。
沢村宗十郎について
nる
それは決してその顔を養い育てた慈母の手では・なかった。自らよりも遥かに美しかった先妻の
さいしっと
遺児を、その母の美のゆえに虐げ苛なんだ継母の手であった。嫉妬の手であった。頚齢がその
顔に兆して来ると、あの古い繁栄の時代の美はとうした衰亡の美にすぎなかった、と悪意ある
おしすベ
声が訓えはじめた。しかも季節外れの顔には、凡てを厳しく拒むととによって自ら郵え立とう
とする力がなかった。痴呆のように拒まぬ顔は、生れて ζのかた年毎に衰え月毎に滅んで来た
のである。
しかし事歌舞伎劇に関する限り、後継者の名にふさわしいのは未だ生れざる者のみである 。
とうほん、、
今生きて世にある若者も幼児も、分化した広汎な役柄の一つの現時の担当者として、現代の歌
舞伎劇を構成するものに他ならないから、演劇という虚構の社会に奉仕するために作られた特
殊な人工的社会であるいわゆる﹁梨園 ﹂を封建性のみに着目して批判するのは片手落も猷がし
5
19
ぃ。五歳の子役も虚構の社会のゆるぎない一単位でなければならぬ。その裏附として五歳の俳
6
10
優が非職業的に存在しうる条件が必要になる。との条件をたえず充たすように構成されている
世襲的役者社会は、欠陥もあり積弊もあろうが、ともあれ現代の歌舞伎劇の唯一無 二 の担当者
である。されば批評家ひろくは観客の責務は、もっと深く広大な地盤から、かつて古名優の顔
貌が作られたのと同じ経過を辿りながら、真の後継者を創造する仕事であろう 。 一名優の壮麗
。その時代が
な容貌を築き上げるほどの文化の創造力は、貧しい文化にはもとより望みがたい
誇 るに足る 一個の壮大な記念碑的な顔を残しうる文化、顔を形成しそれを歴史に刻みつけうる
ほど偉大な形成力をもった文化、それは同時に、その顔をして安んじて自らの時代を拒ましめ、
の杯
その顔に時代の記憶を安んじて預けうる寛大な文化でなくてはならぬ 。 そ ζにとそ真の後継者
が産声をあげ、耐えられなかった前時代の願望をも己れ 一身に具現しようとする勇気を示すで
ロ
:
ハ あ ろ う 。 そとにはじめて壮麗な顔が生れる。憎む者と愛する者と二つの手によって引裂かれた
1 ・
。
宗十郎の悲劇的な顔貌も、その時は理会しにくい昔語りとなるであろう それでよい。
とはいいながら、われわれが築くべき次代の脱抑制たる文化もまた、古い時代の胎蕩たる文化
bvpe
の残した生ける証拠を基いにして築かれる。証拠l!との空しい使命のためにのみ永らえてき
た宗十郎であろうか 。 その使命は更に彼の顔を衰亡にみちびきはすまいか。たえざる回春にも
似た一種輝やかしい衰亡がいよいよその持肝の美を深めようとも、彼の顔貌は、自然科学者が
。
年毎にその衰退を報ずる肯い優雅な鳥類のように、失うべく最も惜しい財産の一つである
ー l一九四七、一││
雨月物語について
6
12
戦争中どとへ行くにも持ちあるいていた本は、富山房百科文庫の﹁上田秋成全集﹂であった。
座右の書のみならず、歩右の書でもあった。今ではそれは多少身辺から遠ざかった 0・戦後の座
右の書は求竜堂版の ﹁ドラクロアの日記 ﹂ である。ドラクロアの日記は私を鼓舞する。無力か
しようそうしった
らたえず私を救い上げ、居たたまれない焦燥をとりしずめる。私を叱時し、偉大なものからと
hし
もすると背とうとする私の目を再び引戻し、仕事に対する絶対の信頼を訓え、不屈の魂の在り
方をたえず示唆してくれるのは ζ の本である。何度私はその同じ頁をくりかえしくりかえし読
の郎
読せよ 。高貴なる空想に再び没頭するよう自分で鞭鑓せよ。もし自分が、践しい想像しか持た
いんとんいか
三
オ
ないようなら、とんな風な、殆んど隠遁に近いものから、果して如何なる成果を自分は引出す
7
で あ ろ う か ?﹂とある数行あとに、 ﹁それじゃ自分は木履のようにみじめな人聞なのかな。熊
しげき
手で打たれなければ動かない 。刺戟物が無ければ、すぐに限ってしまう﹂という一行が卒然と
つづくような真の人間性の顕現は限りなく私を力づける。との日記は紛れ の
iない 私の師である 。
,
、
eb.
,
︿
上回秋成全集も、当時の私にとってはこのような本であった 。そして就中、雨月物語の裏面
に流れる鵬しい反時代的精神と美の非感性的な追求とが、あのとろの私を内面から支える力と
して役立ったように思われる 。
高座の侮軍五船が私は疎開工場の穴掘り作業に使役されていた 。台湾人の十 二三の 少年工た
ちが私の子分である。恐るべき子供たちに私は雨月のわかりやすい物語を話してきかせた。掘
りかえされた生々しい赤土の上、わずかな樹影をおとす松の根方に陣取って、私が砕いて話す
たん
雨月のいくつかの怪異認が、 ζの異邦の子供たちにどんな影響を与えたか知る由もない。私は
話しかける人聞がいないので、誰にともなく雨月を語りかけていたのに相違ない。それほど雨
月は、当時の私のたえざる独自、夢中のうわ言のような親身なものになりかわった。雨月の非
情なまでの美の秩序は、私にとってのかけがえのない支えであった。
ふうし
上田秋成は日本のヴィリエ・ド・リラダンと言ってもよい。苛烈な菰刺精神、ほとんど狂熱
どうがん 4っし
的な反抗精神、暗黒の理想主義、倣岸な美的秩序。加うるに絶望的な人間蔑視が、一方では
雨月物語について
きたいようかい
﹁未来の イヴ ﹂と なり、 一方では稀代の 妖怪謂とな って結実した。
ロボ ットと妖怪 。 とれは共に人聞を愛そうとして愛しえない地獄に陥ちた孤独な作家の、復
必︿
しゅう
望的な創造なのである。リラダンは作中で、との比類ない創造、失われた精神の代位とも称
しんえん
すべき無機質の美の具現を、海中の深淵に投ぜざるを得九ぽか ったし 、秋成もまた、幾多の貴重一
念革稿を、狂気のようにな って古井戸の中へ投げ入れざるを得なか ったのである。二人ともに 、
bu弘、
己れの生涯を賭けた創造の虚しさを知っていた。
私はのちにむしろ雨月以後の﹁春雨物語﹂を愛するようになったが、そ ζには秋成の、堪え
ぬいたあとの凝視のような空洞が、不気味に、しかし森厳に定着されているのである。こんな
絶望の産物を、私は世界の文学にもざらには見ない 。
とうそう
五歳の時悪性の痘箔によって左手を不具にされ、六歳の時養母に死別して継母の手に育てら
6
13
れ、晩年は眼病のために失明し、妻に先立たれ、世聞からは狂人と呼ばれ、七十六歳で窮死し
6
14
もとおり
先 ζの不幸な文人は、国 学者としては本属 一派のオルソド γクスに徹底的に反抗し、おのれの
学殖にふさわしい名誉をも得なか った。十九世紀の実証主義へのリラダンの挑戦を、日本的規
模で行 ったものとも 言えようか 。
初期の秋成は、西鶴的念作家であった 。八文字屋本系統の気質物 ﹁
かたぎもの
諸道徳耳世間猿 ﹂と ﹁当
めか貯
世 妾 気 質﹂ で、当時の風俗小説の 一ジャンルに線ざしながら、人間の本来的悲惨の調刺に到
達して西鶴の域に迫った 。西鶴に発した気質物の小説は、日本に於ける人性批評家の文学とし
おそ ・ ス‘ r 7dv
ロ の 柄、
て、徒然草の伝統を継承するものである 。しかしそれはともすると末流の、批評精神を喪失し
てんら︿
た単なる風俗小説に崩落した 。
めいせき
秋成は 一見徴笑を含んだ方法で ζ の小説手法を踏襲しながらも、明断な批評精神の復活によ
ポ
プロテスル
社会議刺は次元を高めて、作品の存在そのものの抗議の形をと って、人間性へ対置されるに
いたった 。美学が明白な批評性を、又いわば、批評が明白・な美学的性格を帯びるにいたった。
モラリストと美学者との結婚が企てられたのである。とれは西鶴が樹立した近世的小説への 一
種のアンチテーゼとなった。ル、不サンス的な企図を帯びて古典的な小説の伝統に連なった。な
ぜなら、日本の古典的な小説の伝統は、源氏物語以来いつもとの こ つのものの結婚を要件とし
てきたからである。
雨月物語 ﹂ であった 。私はわけでも ﹁
しらみ ね り ぎ よ
とれらの成果がわが ﹁ 白峯 ﹂と ﹁
夢応の鰹魚﹂を愛し
仏法僧 ﹂を愛した 。完壁な傑作 ﹁
ちぎりかんペき
た。 とれに次いで﹁菊花の約 ﹂と ﹁ 白峯 ﹂ は、魔道に搭ちた
きはん
上皇の苦悩をえがき﹁夢応の鯉魚 は人間の鴇斜を脱して鰹に化した僧の日に映る絶美の自然
﹂
をえがいている。との二つの物語の美しさは、人間の信義のために幽魂が援用される ﹁
菊花の
そうりよ
約 L の及ぶと ζろではない。鯉身の僧侶の自に映る琵琶湖の風光は、秋成の企てた究極の詩な
のである。
うろ ζ
不思議のあまりに、おのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へて、ひとつの鯉魚
と化しぬ。あやしとも思はで 、尾を振り鰭を動かして 、心 のままに遺遁す。まづ長等の山
りひれせうえう去がら
お隠わたみぎはもぬら
おろし、立ちゐる浪に身をのせて、志賀の大曲の汀に遊べば、かち人の裳のすそ湿すゆき
雨月物語について
た AUや ま か づ
かひに驚されき。比良の高山影うつる深き水底に潜くとすれど、かくれ堅田の漁火による
すやそみ去とやそ︿牽
ぞうつ?なき。ぬば玉の夜中の潟にやどる月は、鏡の山の峯に清みて、八十の湊の八十隈
めり
もなくておもしろ 。沖津島山、竹生島、波にうつろふ朱の垣 ζそおどろかるれ 。さしも伊
あさづまぶねや せ
du みさを
吹の山風に、旦妻船も潜出 つ
a
れば、葦聞の夢をさまされ、矢橋の渡する人の水なれ樟をの
がれては、瀬田の橋守にいくそたびか追れぬ。
っ
との鯉魚の目には孤独で狂おしい作家の目が滋いていはすまいか。湖の水にその網膜の狂熱
・とうあん
を冷やされて、一瞬の夢幻の像安を許された魂がありのままに見た自然が展開するのである。
魂の安息日が、との鯉の見た湖水のなかに息づ炉ているではないか 。鴇束をのがれた 一個の生
ほだし
。ぞ ・
命が、深く透明な存在の奥底を、やすらかな愉楽を ζめて覗き見る眼差が目に見えるようでは
ないか 。
6
15
作品の解説はともかくとして、私が雨月物語に持たれたもう 一つのものは、その非感性的な
6
16
造した。それは源氏の対鋭ではあるが情感的な文体とはととなって 、中世文学(殊に謡曲)の
ロ
ロココ的文体を通過した冷たい非感性的な文体なのである。 ζの文体の完全な人工性は、ポオ
ポ
J
の文体の効果に接近する。しかし秋成が形式上の方面からポオに 比せられでも、それ以外の方
ア
面でもポオに比せられる乙とは適当でない 。怪異の効果は秋成にとっては、ポオよりもさらに、
d 7f
29ヨト
一種の抗 議としての意味が強かったと私には考えられるからである バ
さればとそ春雨物語が、あのおそるべき不満と穆屈の書が、雨月のあとから生み出されたい
ほんか加そ うか い 自 つ
というよりは、吐き出されたのであ った。それは ﹁笑噌 ﹂ の 一種爽快な、白墜に打ちつけた墨
嵐のような ﹁悪 ﹂ のめざましい表示を伴なって、今日なおわれわれの前にあるのである 。
ーー一 九悶九、 六、二一ーー
オスカア・ワイルド論
6
18
すでに時代の流行を離れ、狂熱の追随から置いてけ掘を喰ったワイルドの名が、永いあいだ
私の関心からは立去ってゆかなかったが、正直に言うと、アルフレッド・ドゥグラス卿の事件
への関心が、そのいちばん蔀即なきずなであったかもしれないのである 。私はあらゆる作家と
作品に、防総以外のもので結びつくことを猷んじない 。 との肉慾は端的に対象を求める心情で
ある場合もあり、同類のみが知る貯酷である場合もある 。さらにまた、深い憎悪に似たそれで
ある場合もある 。
ロ の杯
山附パ¥べきことには、ワイルドはそのすべてであり、そのおのおのであ った。私がはじめて手
にした文学作品は ﹁サロメ ﹂ であった。とれは私がはじめて自分の目で選んで自分の所有物に
さしえ
ポ
した本である。との選択には 言うまでもなくビアズレイの挿絵があずかっ:ていたが、ピアズレ
ア
"M らい ら
だ 。 中世という甚だ逆説的考時代には、苦痛が快楽とされ、廟病人の傷口が欝薮の花と見られ
"“
傘 du
会せき くま
る理由があった 。ワイルドの童話はとれらの奇蹟を隈なく語 っており、そのいくつかはトルス
ゅう
トイの民話に尤に匹敵するものである 。終始マルキ ・ド ・サドへの関心から離れる ζとができ
きゅうもん
なかったフロオベルが、ド ・サアド乙そは異端札聞の精神、拷問の精神、中世紀の 教会
A V の
精神、自然に対する恐怖心であり、カトリシズムの最後の 言葉であると考去たように、ワイル
じゅん
ドのきわめて美しい童話 ﹁わがままな山男﹂は、もっとも醇乎たる中世的なものである 。
ζ
さまざまな論者がワイルドの逆説のいずれかに引っかかっている 。ジイドでさえが 。
大作家ではない、しかし大生活家だ。
ジイドはワイルドの回想の主題を ζ とに置いたが、その根拠は、ワイルド自身の苦々しい自
69
1
己弁護にみちた逆説、 ﹁私は自分の天才のすべてを生活に注いだが、作口聞には自分の才能しか
・
用いなかった ﹂という逆説に係っている 。天才。才能。誰がそれを分割するととができよう。
ジエ = 1 h
p 7J
7
10
は動く。十六の頃、人は﹃ドリアン ・グレイ﹄を愛読する。次いで、あの小説が馬鹿らしくな
る。その後再読してみて、僕はあの官官の中に非常に美しい影を発見して(シビル ・ヴェインの
兄のエピソオド)、人の批判がどんなに不公平だかという ζとを知った。﹂
.
コク トオの鰍献は、反 へドニズム、反ヘレニズムの甚だしきェ ヒソオドを、 ﹁ドリアン ・グ
レイ ﹂の中 から拾 って来ている 。 おそらく皮肉ではない 。皮肉なんぞ 言 えない生野暮なコクト
オだ 。
アイ ル
ワイルドの作品を読むためには並外れて単純な眼をもっ必要があるように思われる。との愛
喝' JνF
蘭人、乙のダプリン人、ケルト伝説の素朴な悲劇性とダプリンという町の運命的な俗物性を
オ yタヌフ ォ ー ド ギ u
v,ャ
兼ねそなえた青年が、牛津大学に学んでベイタアに師事し、希臨に旅してヘラスの美に開
眼 し た 。 との経歴には、 一種 の 類 型 が あ る の で あ って、その類型をワイルドもまた免かれてい
ない 。彼が見た希膿、彼が見たイタリイは、ひどくデコラテイヴで、とれはゲエテ一人を除い
て 大 多 数 の 独 乙 人 が 見 る 希 蹴 と 似 た も の で あ る 。 とんな独乙風な希臓に比べると、フランス人
は 己 れ の 血 の な か に 地 中 海 を 持 っている 。 フランス人はわざわざ希蟻へ修学旅行にゆく必要が
。 しかるにワイルドを見たまえ 。 - 彼がダンテ境基の地ラヴエンナへゆく 。
ない
色
のがき
オ ス カ 7 ・ワイ ル ド論
│ │しだいに胞を速めきたり
落日と馬を競べて
深紅色のタ映が消えない前
ついにわたしはラグエンナの連壁の内部に入 った !
隠ζ
ジイドの芸術鑑賞に際しての無感動の衿りが、とんな風にして見出だされたイタリイやギリ
シ ャに美を認めたがらないのは当然だ 。伊太利紀行の中でラフアエルの偉大を知るゲエテの開
イタ リイ
けい ︿つ
眼だけが、根生からのラテン民族に軽蔑されない唯一つのものだ 。 ワイルドの希睡は、ニイチ
と︿しん おそ
エの希噛よりも、もうすとし単純な明快な概念で、官能の歓びから潰神の怖ろしい歓ぴを差引
ωリんたい
い た ア レ キ サ ン ド リ ヤ 風 の 同 満 な 倦 怠 で あ り 、 と れ に 加 う る、
にケルト英雄物語風な悲劇性であ
った 。 ワイルドは田舎者の羅馬人だ った。田舎者でなくて、どうして 一生のあいだ、機智があ
71
れほどの関心事たりうるものか!
1
た︿
ワイルドの逆説には或る還ましい単純な筋肉があって、ジイドを魅したのは、おそらくとの
72
1
筋肉の運動なのである。との破戒僧の筋肉には 、戒律を破るべくして破った真率な力があった。
ろう ζう
彼は大声で、それとそ怖ろしい大声で笑う。アルジェリヤのとある阻巷をゆく馬車のなか、ジ
イドがふとした艇が己にはじめて内心の秘密を明かしてしまうのを見たワイルドが笑う 。
。
-ワイルドが笑い出した。陽気なと云うよりは、勝ち誇 った破れるような笑である 果
のないどうにもならない 、途方もない笑である 。僕がとの笑に対して、あきれた様子をす
ればするほど、彼は余計に笑うのであった 。
。我慢が出来ないんだ 。
の何:
│ │ ζんなに大笑して失礼だが、どうにもならないんだ
云い終ると彼はまた一居激しく笑い出した。
,
﹁ドリアン ・グレイ ﹂ のへンリ卿は ζんな風には供笑しない 。へン リ卿の人工的な犬儒派風な
F ﹄AJ''bトA'A
ロ
笑いは、ワイルドの杭都にすぎぬ。彼は断じて犬儒派ではない。﹁背徳者﹂のミ Yシェルはメ
7 ポ
。
ナルクの歓びをシニックだと考えるが 、メナルクさえ断じてシニ Yク ではない ワイルドの咲
笑は、言葉の本来の意味での悪魔的な笑いである。悪魔の発明は神の衛生学だ。ワイルドの悪
魔主義は衛生的なものだ 。 ζの笑いは衛生的なものだ 。
推測されるととは、ワイルドにと って、罪を犯すととがきわめて容易である ζとの恐怖があ
。
ったにちがいない。彼にはジイドのような変質もプロテスタントの環境的束縛もなかった 理
。
論により、理論の命ずるととろによ って、罪を犯すこと以上の味気なさがあろうか ジイドに
とっては罪は本質的に快楽であるために犯すととが難い。しかるにワイルドにとっては、快楽
の所在を探すことが罪の者説剛のために必要な倫理となったのである。なぜかというと、ワイル
ドにとって、罪はただ罪であるがゆえにまた、快楽であるべきだったのである。
乙の命題の模索は、たえず命題からのがれようとするととの模索であって、まるではじめか
ら矛盾した構造をもっている。そうではないか。彼の背徳は、はじめから一種の是認の哲学の
上に坐っていた。デカダンスはすでに大陸において稽古が重ねられ、英国文壇はその初日の幕
ょうやあ
あきに漸くにして間 K合った。﹁倦怠﹂ももう倦きられた!倦きるものが・なくなった。そ ζ
で人々は狂奔したのである。
ざんLゆ や ︿ さ つ し つ 左 お び た だ カ タ ロ グ
オスカア ・ワイ!ルド論
ような解説が光彩を放っ 。
ワイルドは快楽へ赴くとと、人が義務へ赴くがどとくであ った。
苦痛のうちに本来的な快楽があると感じるととは、彼の ﹁悪 ﹂ の観念をヒロイ ァクな行動主
義にまで祭り上げた 。苦痛は 一一砲のドラマである 。人がその欲しないものへ赴くためには、丁
度子供が歯医者へゆく御褒美に菓子をせびるように、虚栄心をせびらずにはいられない 。虚栄
格うぴ
心はとのドラマの舞台であ って、ワイルドにと っては、彼の道徳の苗床でもあったように思わ
れる 。
の 杯
つくづく思うのだが、ワイルドは悲劇役者として上の部ではなか った。生活の信条としての
ろう虫 ん
ロ
彼の悲劇への志向は、浪目安主義詩人のボヘミアン ・ライフの卵の殻を背負っていた。悲劇の節
度も礼譲も、悲劇をして壮麗ならしめる抑制の苦悩もなか った。 おかしな ζとだ 。彼は数ある
7 ボ
ろうどく
抑制の苦痛 ﹂だけを知らなか ったのである 。牢 獄 が は じ め て 外 部 か ら そ れ を 彼
苦痛のうち、 ﹁
に教えた 。
彼の耽美主義はなにか樫準のようなものであった﹂とホフマンスタールが書いている 。 ホフ
け いれん
﹁
マンスタールはワイルドの悲壮な戦懐を、現実の復讐を挑戦しつ 。
せんり つ ふ︿ しゅう
つける男の現実からうける脅
﹁ オスカア ・ワイルドは輝き、魅惑し、傷つけ、そして誘惑した 。 ひとを裏切
威と見ている 。
り、ひとからも裏切られ、ひとの胸を突きさし、自らも刺された ││つまりワイルドの苫
﹂
。
痛は、自ら刺されるために人を刺すととの苦痛だというのである 。 そ う で あ ろ う か ?
﹁ドリアン ・グレイの画像 ﹂はドリアンの苦悩について、あまりに筆を省いている。ドリアン
のいささか古風な霊の悩みは、物語風の悩みであって、苦悩の金看板だけが硬く明確に作品か
ら 浮 き 出 て い る 。 ワイルドは苦痛を表現する能力を、生活に対して負うほかはなかったのであ
る。牢獄の生活がはじめてとの期待を満足させるが、それ以前に於て、彼はおそらく、苦痛を
表現せしめる生活の不安に、苦痛の存在理由を見出だしていたのではなかろうか 。彼は自分の
生活が満足すべからざる何ものかであるという意識にたえず追いかけられていた。とれとそは
苦痛が生に対してもつ一つの役柄 、 一つの 存在理由ではなかろうか 。向いあわせにした鏡の中
に無限の映像を形作るように、 ζうした方法で彼は無から苦痛を製造した 。生活の天才、生活
オスカア・ワイルド論
の王者という彼の定義は、おおむねとうした精神のマニアアクチュア的能力である。作品に対
しては、彼は人が生活に対してなすように、精神の消費、苦痛の消費の作業を振当てた 。 しか
うの
し時あって、作品のなかからさえ、一種異様な、単純で健康な岬き声がきとえてくる。それは
オルゴールをしつらえた化粧箱のなかから、男の捻り声がきζえてくるように不気味である 。
その一つを私は明朗精巧な社交喜劇﹁ウインダ lミヤ夫人の扇﹂ のなかにさえ聴くのだが、
ウインダ lミヤ夫人がダ 1リントン卿の必死の求愛をしりぞけたあとで叫ぶ、﹁わたくしは生
涯独りぼっちだ!何という怖ろしいととだろう!﹂というたった一行のあの叫びは、何か男
の鍛枯れた苦悩の 叫びのようにさえきとえるのである 。他ならぬその叫びが、 ﹁ちょっと イギ
しわが陪か
リス人向きにとしらえた、いかがわしいフランス小説の特製本のような ﹂札っき女を母に持 っ
た貴婦人のロから洩れるものだけに 。
7
15
その叫びの多くは、彼の逆説が犀利に役立った社会調刺的な童話の-なかにあらわれている 。
さいりふ うし
7
16
とれらの童話がいちばん彼の生活に近い作品であったであろうととは、ジイドが記録したワイ
r
ルドの幾多の座談の郎 に似ていることから推測される 。
﹁ ブルジョアをびっくりさせるとと ﹂
2852Z5mg広)に天才の唯一の発露を見出だそうとする世紀末位浮の自己調刺 'で沌ある
;La; f
ζの童話は、 星よりも月よりも太陽よりも高く昇るつもりで爆発した点煙が、一羽の鷲鳥をお
どろかしたにすぎなかったみじめな結末もしらず、 ﹁ 俺は非常な評判を惹き起したにちがいな
い﹂と息もたえだえに 言 いながら死んでゆくのである 。
岡つでもよかろう)な成功の穫に中った 。それが
めた
オスカア・ワイルドはまずも って卑俗(と 静
ロ の何
しん し
彼をして半ばは虚栄心、半ばは持ち前の真撃誠実から、(との こ つは彼にとって-は同じもの
ら ζ,か げ つ ζう
だ)、すすんで嫌われ者の光栄 K憧れさせた 。社会はある男を葬り去ろうとまで激昂する瞬間
ポ
に、もっともその男を愛しているもので、とれは嫉妬ぶかい女と社会とがよく似ている点であ
7
る。軽業師は観客の興味を要求するととに飽き、ついには恐怖を要求するととに苦心を重ねて、
ちんじ
死とすれすれな場所に身を挺する 。彼が死ぬ 。それはもはや椿事だ 。綱渡り師の墜死は、芸当
,L MV
から単なる事件への、おそろしい失墜である 。イギリス社会にはとりわけイギリス特産の、醜
聞という ﹁死 ﹂ の 一つの様式があったので、綱渡り師がとの危険に魅惑を感じない筈はないの
であ った。ボオドレエルがカソリシズムの苦悩の教義に照らして眺めた﹁醜の美 ﹂を、すでに
人々は何らの府間を感ぜずに炉辺で享楽しはじめていたために、人々に嫌われるためには、む
しろ身自ら廟病に宮駅する必要があった 。 ワイルドは苦行僧のひそかな快楽の微笑をうかべて、
徐々に精神上の廟病に、あの悪習に身を浸した 。
グア イス
ジイドによると、ワイルドをとりまく若者の一群は、煙草をすすめ合うときまず自分で一口
ゆびわ
吸ってからすすめ、また青年同志で指環を交換してあげる結婚式を幾組か挙げたというが、そ
の一団はピエ l ル ・ルイスをすら驚嘆させたほど礼節正しい青年たちで、とれはおそらく世紀
末風念会合ではなくて希雄風な会合であ ったと想像される 。 ワイルドは、.ハイドロス篇のソク
ζ かげせみ
ラ一アスが、プラタナスの樹蔭で蝉の音をきき・ながら、美しいパイドロスとエロスについて語る
ように語 ったのでは・なかろうか 。 との静誰が悪徳と呼ばれるととの逆説が、とりわけでヮ・イル
せ いひつ
ドを魅したのでは‘なかろうか 。 (エリスによると、当時ロンドンのそれ専門のカフェには、ド
オスカア・ワイルド論
貴族の話が出ている 。
の
ロ
しかし運命のみが独創的でありうる 。 キリストが独創的だったのは、彼の生活のためではなく、
ア
危つゆい
礎刑という運命のためだ 。もうひとつ立入った 言 い方をすると、生活 K独創的な外見を与える
のは運命というものの排列の独創性にすぎない。カザノヴ了、あの生活の天才が、いかに運命
的に女に出 っ会 わ す と と で あ ろ う 。まるで女が彼の生活にあらわれるのは、電報配達が夜中に
戸を叩いてあらわれるような具合ではないか 。 カザノヴァはただ従順だ っただけだ。従順、実
は ζれが卜八世紀の美徳であ ったのだ 。
ワイルドがとてつもなく幸福を軽蔑したのは、彼が本質的にとの十八世紀人の美徳を欠いて
ぜいた︿
いたためであろう 。賀沢が生活の、ひいては芸術の信条 Kなり、その作品を生活の ﹁
美しい剰
余﹂としたのも、とれの・おかげだ。
彼に比べると弟子のジイドははるかに従順で、したがって幸福がその主な関心になる。ジイ
ドの精神は見かけによらず十八世紀人の精神であって、フランス革命の申し子なのだ。フラン
ス革命は端的に幸福を求めた。独 乙で革命が成功しないのは、ドイ ツ人の幸福ぎらいから来て
いるのである。﹁幸福ではない。断じて幸福ではない。快楽だ。常に最も悲劇的なものを求め
・なければならない﹂というワイルドの言葉をきいていたので、のちにニ 1チェを読んでもさほ
どあわてなかったとジイドは書いている。﹁ハリyl卿の哲学はあなたを幸福にしますか?﹂と
オスカア ・ワイルド論
公爵夫人がたずねる。﹁僕は決して幸福を求めたととはありません。誰が幸福なんか要るもん
ζうぜん
で す か ? 僕 は 快 楽 を 求 め て き た の で す ﹂ と ド リ ア ン ・グレイは昂然ととたえる。とれが﹁ド
リアン・グレイの画像 ﹂の無作法な 、同時に無邪気な主題である。
すいぜんねな
ワイルドが垂誕万丈の嫉ましさで書いた、トオマス・グリフイス ・ウェインライトという男
の評伝(・へン、鉛筆及び毒薬1 1 3 HMEn--sι250ロ)がある。ワイルド自身の後年の
運命を暗示する点で興味のつきないと・
ロ
のメモワナルは、﹁犯罪と教養との聞には本質的な不似
しつよう
合いはない﹂という主題の執勘な反復から成立っているが、美の判断力がただちに犯罪のエネ
︿るぶし
ルギ i k転身する神話的な一例として、ウェインライトは、ある女が厚い牒をもっていたとい
うことを、彼女を殺害するのに十分な理由と考えるのである。ワイルドが求めたのはとの障の
神 話 で あ った。 羅馬頭唐期の暴君は、ある男が自宅の墜に塗料を塗 ったというだけの理由で 、
ある女が自宅の皇帝画像の前で裸かになったというだけの理由で、彼らを死刑に処したという
7
19
ととだが、ワイルドはこのような政治権力の気まぐれを美的判断力の気 まぐれで代替しようと
8
10
欲した。最高の気まぐれの拠って立つ根拠を教養と呼んだ。世のつねの作家は作品のなかで犯
罪を犯す。 ﹁サロメ ﹂ と ﹁ドリアン ・グレイ﹂は作品によるかかる犯罪である。ワ イ ルドはそ
れだけでは満ち足らない 。彼は美の判断カがもっと直接に鋭利に兇暴に人間の肉体を切り苛な
きょうぼうさい
む場面を夢みた 。 それにしては後年彼が犯した罪は、あんまりささやかすぎるように思われる。
獄中記 ﹂の 悔恨は、あんまり大仰すぎるように思われる 。
﹁
トオマス ・グリフイス ・ウェインライトという男は、詩人であり、画家であり、美術批評家
であり、好古家であり、散文家であり、好個のディレ ッタ ントであった。無数の仮面の下に、
の杯
すなわちスタンダアル風の変名の趣味を以て、文芸評論を書いて文壇に出たが、美しい指輪、
F
古代風な浮彫を施した胸針、蒼い棒様色の山羊皮の手袋 、豊かな縮れ毛、涼しい眼 、人並すく
あお レモン や
ロ
7 ボ
れた白い手は、パルザックのえがいたリュシアン ・ド -P ュパンプレを眼前に見るようであっ
た。ドリアンのモデルは彼ではあるまいか 。最高の趣味生活、ポオの ﹁
しの
牒し合せ﹂の一場面に
書かれたような紛然雑然たる最高の趣味生活を営みながら、彼は十九世紀美術文学とよばれる
ラスキンやプラウニングの先縦をなした 。またかたわら、そのえがいた絵画はウィリアム ・プ
せんしよう
レイクの賞讃に会った 。彼はまたポオドレエルのように拍を溺愛し、 ﹁
しようさんぜき今い
最もア lテイフイシヤ
ルな人がそうであるように ﹂自然を愛した 。
一方、きわめて巧みな毒殺者である彼は、美しい指輪の中にストリキニーネをかくし持 って
いた 。美 しい庭と館をほしさに叔父を殺して、その館の相続人になり、翌年九月には妻の母を
殺し、翌々年十 二月には義妹へレンを 一万八千ポンドの保険金のために毒殺し、さらに養父を
同じ目的で殺害した 。
乙れらの犯行は永く気付かれ・なか った。やがて疑惑が落ちかかり、追跡の手がのびた 。
彼が見付けられたのは、ほんの 一寸した偶然の機会からであ った。街の通りに何か騒が
ちょっと
しいととがあったので、彼は、近代生活に於ける芸術的興味から、ほんの 一寸の間窓掛け
を取り除いた 。すると誰かが外で叫んだ 。
﹁ あれが銀行詐欺ウェインライトだ ﹂と。そ れ
はボワ街の探偵フォルスターであった 。
ウェインライトは流刑に処された 。その航海で三百人の囚人の中にあ って彼は孤独であ っ
士ス占テ ・ワイルドふ
た。
﹁ 英国での犯罪は、罪悪から出たものはきわめて稀だ 。
﹁それもその筈 ﹂とワイルドは 言 う。
多くは必要から出たものにすぎぬ ﹂
そうb
との断定は、ワイルド自身の後年の獄中の掃話とふしぎな照応を保 っている 。
ー
対する新たな批評による変改と、そこに見出だされる自由との主題に造りかえている。
7ポロの
ζれを彼は創造の機能と考えた 。 ととろが批評と創造とが一致を見るためには、精神の可食
細胞のような作用が要るのであって、精神の飢渇から来る欲望が、批評によって対象を手もと
までたぐり寄せ、それを肘べてしまう ζとによ って表現する、そういう距離の必然性がワイル
なかった 。 ワイルドの欲望はみな意地っ張りであった 。それはすべて健康な無駄事の欲
ドには -
望であった 。 お ど ろ く ば か り 飢 え を 知 ら な い と の 飽 食 の 羅 馬 人 を 、 デ ィ レ ッ タ ン ト た る と と か
ら救 ったものは、彼の欲望ではなくて、彼の真撃な純粋無垢な虚栄心であった 。
しんしむ︿
虚栄心を軽蔑してはならない 。世の中には壮烈きわまる虚栄心もあるのである 。 ワイルドの
虚栄心は、受難劇の民衆が、血が流れるまで胸を叩きつづけるあの受苦の虚栄に似ていたよう
に思われるom川町そうするか 。 それがその男にと っての、ともかくも最高度と考えられる表現
だからである 。 ワイルドが彼の詩に、彼の戯曲に、彼の小説に選択する 言葉は、とうした最高
度の虚栄であ った。人間の心が通じ合うための唯 一の一言葉である音楽を、師ウオルタア ・ペイ
タアにならって 、芸術の形式上の典型と呼んだワイルドは、また芸術の感情上の典型を俳優に
見出だした 。音楽は詐術ではない 。 しかし俳優は最高の詐術であり 、ア1ティフイシャルなも
のの最 上である 。 それは人間の 言葉である台詞が無上の信頼の友を見出だす分野である 。
文学者の簡明な定義を私は考えるのだが、それは人間の 言葉が絶対 K通じ合わぬという確信
ぜいじゃ ︿
をもちながら、しかも人間の 言葉に 一生を託する人種である 。 との脆弱な観念を信じなければ
ならぬ以上、文学者は懐疑主義者になりきれない天分をも っている 。 その代り、もう 一
オスカア ・ワイルド論
つ の別
の危険がある。彼は平凡以上に美しいものがないととを 、言葉の最高度の普遍性以上に美しい
じよ う・
ものがないととを 、信じたい誘惑にとらわれるにいたる。彼は常套句の美しさを知り、常套句
とう
をしか信じなくなる。すると彼は凡庸に化身してしまう 。獄舎から出たワイルドは凡庸になっ
た。 そして黙った 。さきに彼は社会主義に関するエ ッセイを書いた 。すでに 一世紀 、人聞は芸
術が不要になる領域を夢みている 。
しかしその前にあの絶美の ﹁ド ・プロフォンディス﹂(獄中記│深き底より)と、絶妙の﹁レデ
ィング牢獄の歌﹂があった。
﹁獄中記 ﹂ には悲哀という主題を、 ﹁人生に於ても芸術に於てもその最後の原型 ﹂ と考えたワ
イルドが居るのである 。 それを彼は内面の表現とな った多面であり、肉を与えられた霊であり、
精神を持つ肉休本能であると考えた。また彼は別なととろで卒然と一否う。﹁人生のぜ部は苦悩
8
13
である﹂。
S
iI
はあり
彼の一生のあらゆる大切な観念が、たちまち翼を得、羽蟻の結婚のように必びただしく空中
で結婚する ζ の書物には、﹁彼が罪から救った人々は、単に彼等の生涯中の美しい瞬間のため
キリスト
に救われたのであった ﹂ という基督への讃美が強引に設定されている。﹁美しい瞬間 ﹂ と言つ
のうり
たとき、すでにワイルドの脳裡にはあのように快楽を求めさせた義務の観念が、苦悩の義務と
わかちがたくなっていた 。彼は素朴な中世風の信仰、青年時代から実は一度も彼が目を放たな
かったものの胸へとび ζんだ。
の何:
ワイルドはその逆説によって近代をとびとえて中世の悲哀に達した。イロニカルな作家はパ
ネをもっている人形のように、あの世紀末の近代から跳躍するととができた。彼は十九世紀と
二十世紀の 二つの扇 をつなぐ要の年に世を去った 。彼は今も異邦人だ 。だから今も新らしい。
ロ
,ポ
ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の生まじめは、もう律儀でなくなった世
『
町田停を担ぐととは幼時からの夢であったが、今まで果たされなかった夢であった。それには
。
体力がなくてはならない 。又 、山の手育ちの人聞は神輿を担がないという出会的慣習がある
山の手育ちの人で 、 一度は神輿というものを担いでみたいと思いながら 、空しく年老いてゆく
人は、どんなに数多いととであろう 。
年来のボディ ・ピルのおかげで体力的にも自 信がつき 、文そのジムナジウムが自由 ヶ丘の町
内にあるととろから 、町内の人々に誘われて、八月十九日の熊野神社の夏祭κ、私ははじめて
の杯、
神輿を担ぐ機会を得た。二百四十貫の神輿を四十人で担ぐのである。いよいよその日が来て、
さらしふんどし
ロ
私はそろいの祭の鉢巻を巻き、新らしく切った一反の晒で、僚と腹巻を締め、その上から白い
もも陥ももひきは hき た す き ま つ り げ ん て ん
7 ポ
ι
ぴったりと腿を包む出股引を穿き、鴇いろの俸をかけた祭半穫の片肌を脱ぎ、白いゴム足袋を
穿いて熊野神社の前に勢揃をしたのである 。
せいぞろい
私には幼時から一種の暗い固定観念があった 。他人の陶酔に接すると、自分だけはその陶酔
から隔てられていると思うととである。祭の神輿は、夏どとに生家の門前を通ったが、その熱
狂と陶酔を内側から生きるととは、自分には終生不可能なような気がしていた。かくて陶酔の
人たちは、内側へ決して私を容れないととろの、石のような堅固な外観を持っているように見
え、多分こういう見方が、小説における私の造型的意慾の基礎になった 。 しかしいつか九ら、
'
AU
私は自分のとの確信を疑わしく思うようになった 。ようやくあらゆる種類の陶酔に身を委せよ
うと私が決心したのは、青年期も終りに近づいてからである 。
今では私は他人の陶酔を黙 って見ている ζとはできない 。自分がそ ζから隔てられていると
いう悲劇的な諦念に満足するととはできない 。どんな種類の陶酔も味う資格が私にはあり、味
て いねん
わねばならぬと思うにいた った。 そして文学に於ては、静かな知的確信が何ものをも産まず、
おい
つ傘
も っとも反理性的な陶酔とも っとも知的なものとを繋ぐ橋だけが、何ものかを生むのだと私は
考 え た 。 アンタゴニズムがなければならず、更にまるで不可能に見えるととろのその全き親和
がなければならぬ 。 極端なもの同士を、おのおの反対の極から引寄せて結ばなければならぬ 。
文学はおそらく、も っとも知性に抵抗を与える素材を取り来って、それを知的に再構成すると
陶酔に ついて
いう殺分を持っており、 ζれ ζそ知的冒険であり、水の力で以て火を消さずに、火を水で包ん
で結晶させるような一一閣の魔術なのである 。
おおげさ
と ζまで書いて私は失笑せざるを得ない 。 乙んな乙とを考えて神輿を担ぐ大袈裟な滑稽
な男は、一体どんな面をしているのであろう 。
つら
私は神輿を担ぐについて、障が上下左右に揺れ動くにつれ肩をそれに密着させていないと、
時として高く離れて落下した棒が、肩に衝撃を与えるという忠告を受けていた 。 ζれは思った
ほど容易いととではない 。私が出仲を左腕でし っかりと巻き、俸にすっかり身を究せて、頭を枕
たやす私企
ゆだ
のように棒に委ねるというコツを会得したのは、神輿が 二三 丁も行 つてのちであ った 。それま
で俸はたえず肩に浮動して、痛く当 った。
87
1
神輿の担ぎ手にとっては、神輿というものは要するに肩に当るとの俸であり、それ以外のも
1
1抱
eんぼう だしゅ
のではない。客船の全貌をしょっちゅう見ているものは船客だけであり、舵手にとっては操舵
隠か
輪だけが船に他ならぬという事情にそれは似ている。行動する人聞は全体を展望するという ζ
とがない 。全体の力がたえず部分に波及しており、そしてそもそも個人が思案によ ってではな
く、行動によ って受けとめる ζとのできるのは、個人の肉体の力にふさわしい 一小部分だけで
あるから、私の目に神輿は会説を見せる必要はないのである 。 しかもたびたび見物として神輿
会e
の渡御を見ていたときよりもはるかに明確に、私の心は神輿を感じていた 。伺故ならそれは、
うち
見られている形ではなくて、 一つの重量だったからだ 。肩に加わるとの力、との重量の裡にし
の料ト
か神輿の本質はないので、そうで・なければ、それが 二百四十貫もの重さを持つ必要はないので
ある 。重量をうけとめるととで、私は神輿の形態を忘れているととができ、かくて私は神輿の
ロ
ポ
った。陶酔はそとからはじまるのだ 。
ぜいひつ
・実際、行動する人聞は全体を展望する ζとはない 。 しかもとれは静議な全体ではなく、
括れ動き、躍り上り、熱狂し逸脱する危険な全体なのだ。町の辻などで探まれる神輿は、あた
かもそれ自体の意志と力で狂奔しているかのようで、担ぎ手の誰の意志があのように神輿を突
如として旋回させはじめたり、はげしく上下させはじめたりするのかわからない 。一 人や 二人
き主ま
がそういう企図を抱いたと ζろで、重い神輿と勝手気健な担ぎ手はそのように動いてくれるわ
けではない 。もちろん ﹁廻せ、廻せ ﹂とか ﹁操め、協同め ﹂とかいう懸芦はかかる。だが最初に
その懸声に答えた者も、まさか自分の力がとの激動の原動力だとは信じないだろう。彼自身も
たちま
忽ち彼の知らぬ力によって、次の瞬間には傾く神輿に、危うく下敷にされかかるかもしれない
のだ 。
おそらく ζ ζ には集団心理の動きが、あたかも 一個体の意志のように発現する典型的な例が
見られるだろう 。 しかし神輿は、時たま不慮の災難をも起しはするが、究極のところ、祭典の
.たど
喜.はしい目的 K向 って急ぎ、定められた道筋を 辿って練られる 。
陶酔について
幼時から私には解けぬ謎があった 。あの狂奔する神輿の担ぎ手たちは何を見ているのだろう
&hogL
という謎である 。
かし
彼らはあの太い樫の担い棒に頭を究せ、のけぞり、足は体の遠くを低迷しながら、笑いのな
い厳粛な表情で懸声をかけて担いでいる 。彼らは無垢な目をどとかしら私の知らないととろへ
む ︿
向けている 。鋭さと悦臨の入りまじったその自には、何か想像も及ばぬものが映っていそうに
思われる 。
担いだ私はとの謎を容易に解いた 。彼らは青空を見ているのだ った。広い道へ出ると、晩夏
の秋めいた雲をうかべた空は、担ぎ手の視野を占め、その 青空は躍動して、大きく落ちかかる
かと思うと、又高く引き上げられた 。私はあのような空を見たととがない 。私が決して詩人で
はないととは御承知のとおりである 。詩人の知ら・ないとういう青空を、神輿の担ぎ手たちは知
8
19
っているのである 。
!
l拘
神輿の担ぎ手たちの陶酔は、肩にかかる重みと、懸声や足取のリズム感との、不可思議な結
、
合にあるととを私は知 った。舞踏の陶酔には重みが欠けている 。快活さと軽やかさが い6そら
。
く舞踏の陶酔を、神輿の陶酔に及ばぬものにしているのだ 。舞踏はとる 。跳ぶ 。走る 。退く
音楽がいつもその身を貫ぬいて流れている 。 :・
:しかし力をたえず行使しているという充足感
は欠けている 。
リズム感と力とが結合するまでは、不馴れな私には、それはただ百しい仕事であ った。 しか
yy
し徐々にと のこ つのものは結合した 。 ワ 7シヨイと 一組が 言 う。 ワ ヨイと別の 一組が答え
の 杯
。
る。自分は いつの間にか、そのいずれかの 一組に属している ζの懸声 にもヴァリエーション
があり、 ﹁ワ ーシ ョィ、ワ ッシヨイ ﹂ は ﹁どうした、こうした ﹂ にな ったり、 ﹁ありやさ、とり
ロ
やさ﹂ K
帥恥川引などが、さまざまな 言葉に聞き倣されるのと似ている 。
払 '
U
。
肉体労働が、或るリズムを与えるととによ ヲて促進されるととは、北日から知られていた 線
路工夫たちは、交互の悠長な懸声の掛合によ って鶴鳴をふり下ろす 。力がそのリズムに包まれ
つるほし
て、肉体の不透明な蹴艇な活力が、秩序あるものへ整えられる 。 しかし神輿の場合はそれとは
き つ ζう
少々ちがう 。-
なぜなら神輿の重量に措抗するわれわれの力は、労働の正確な目標をも持たず、
決して均等には働らかず、今十の力を出し切るかと思えば、忽ち身は浮き上 ・って、 二 の力だけ
しか必要とされなくな ったりする 。 われわれのカの行使は意のままにはならず、たえず別の力
によ って醗弄されている 。 との無目的な喜戯的・な力は、ふつうの肉体労働のような、懸声のた
附MdLA AJ
叩 ソ
すけを借りずとも意志に統制されている力とはちが って、何か活力が暗い状態でわれわれの内
部に混濁し、不均衡と無秩序のままに揺れ動いているのを思わせる 。それはまた嵐に対抗する
船員の労働ともζとなる 。なぜなら嵐に対処するその力は、同時に人間理性をも象徴している
からだ 。
そうだ 。 とのたえず増減し浮動する重量を、われわれの肩が支えるカは、力自体がその気盛
、
-e azp
な 重 み に 影響 され乗り移られて、あたかも力自体がそのおそるべき気紛れを発揮しつつ、自在
に十の力に増えたり、 二 の力に減ったりしているかのように思われて来る 。神輿の担ぎ手の一
陶酔に つい て
あEわ
人 一人 が 味 っている自由の根拠はととにあり、彼らは力の自由のみならず、内部のあらゆる自
由が躍動しているよう-な感じに襲われる 。 ほとんど信じられぬ ζとだが、私が神輿を動かして
いるのだ 。
しかし懸声は、単純な拍子木や、原始的な金俸のひびきに溶かれて、終始同じリズムでやり
とりされている 。もし神輿に懸声が伴わなか ったら、それは神輿の屍体にすぎぬ 。なぜなら、
し たい
(おそらくととに、神輿の懸声が、他の肉体労働の懸声とちが っている点があるのだがてとの
リズムある懸声 は、神輿の脈樽なのである 。それは理性の統制を決して意味するととなく、わ
みや︿は ︿
れわれの動きを秩序づけようと作用するととも・ない 。正しい懸 声 のあいだにも、肩にかかるカ
は目まぐるし く増減しており、足先は人に踏まれたり踏み返されたりしながら、調子をとろう
とするそばから小刻み κ
乱される 。 われわれの 気儲な動きのあいだにも、心臓が鼓動を早めな
9
11
がら、なお正確な脈樽を忘れぬように、そのとき懸声は担ぎ手たちの感じている自由なカを保
9
12
証するために挙げられている 。あの力の自在な感じは、懸声がなかったら、忽ち失われるにち
がいない 。 そしてリズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにいるかと云えば、ふし
ぎなととに、それはむしろ後者のほうである 。懸声をあげるわれわれは、力を行使しているわ
れわれより 一そう無帝笈剛的であり、 一そう盲目である 。神輿の逆説はそとにひそんでいる 。担
ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、秩序に近いものほど意識からは遠いのであ
。
。
ヲ 神輿の担ぎ手たちの陶酔はそとにはじまる。彼らは 一人 一人、変幻するカの行使と懸声のリ
ロ の杯
ズムとの聞の違和感を感じている。しかしこの違和感が克服され、結合が成就され・なければ、
生 命 は 出 現 し な い の で あ る 。 そ し て 結 合 は 必 ず 到 来 す る 。 わ れ わ れ は 生 命 の 中 に 溺 れ る 。懸 声
ロ
86
む
7 ポ
はわれわれの力の自由を保証し、カの行使はたえずわれわれの陶酔を保証するのだ。肩の重み
ζそ、われわれの今味わ っているものが陶酔だと、不断に教えてくれるのであるから 。
炎天、若さ、カの意識、:::とれは何度くりかえされても飽きない詩句のようなものである 。
うちわ
担ぎ手たちは裸の胸に滝つ瀬をなしている汗に気づかない 。時たま巨大な団扇の風がそとに
吹きつけると、しみとおる涼しさが、かれらの胸から天空へ向 って蒸発してゆく汗を知らせる 。
り
ζ へ
い
神輿の棒の 一端が挨をかぶった生垣の塀の 一部を、みしみしと打ちゃぶる音にまして爽やかな
ものは念ぃ 。人々が呆気をつけて、神輿へ水のしぶきを浴びせる 。 そのしぶきは金銅の屋根を
したたり落ち、担、ぎ手たちの熱した頭にふりかかる 。
渡御はしばしば中断され、小休止がある 。私は終戦以来久々に路傍の石に腰を下ろす安息と、
パケツの水を靴町村で飲む民さを味わった 。ズボンの汚れを気にする生活の愚劣さよ!
そしてまた神輿の渡御がはじまる 。出発を告げ知らせる拍子 木が 鳴っ ている 。神輿は動
きだす 。私はその棒に肩を入れる 。
神輿はそうして、われわれの自由を最大限に容認し・ながら、躍り、跳ね、さまざまな方角 K
傾き-ながら、定められた方角へ進んでゆく 。町角で橡まれるうちに、傾きすぎた神輿の 一方は、
陶酔に ついて
ほとんど地に触れかかるときがある 。数人の若者はあおのけに倒れ、下敷にならぬ先に、あわ
まば
てて身をひるがえして飛びすさるが、 ζれほど肱ゆい瞬間はない 。 そのとき神輿の金いろの反
映は地面に散乱して、そとに突然きらめく水をぶちまけたように見えるのである 。
すべてのものに終りがあるように、神輿の渡御にも終りがある 。納められるときの神輿はす
ねて暴れる。そしてなかなか納められようとしない 。彼は今日の晴れた 一日に、その兇暴な力
きょうぼ う
を以てしても破局の到来し・なか った ζとを、不満に感じているのかもしれない 。
9
13
じ
J
三6
.
ロf
町
9
16
じようるり
日臨ジ ュ1 ヨ1クで映画 ﹁サヨナラ ﹂を見たとき、そのなかに人形浄溜璃の多分 ﹁曾根崎心
中 ﹂ の心中の揚が出てきて、生身を裂かれようとしている G Iと日本娘の夫婦が涙を流し、つ
いに自分たち自身も心中するというシ l ンがあるのを見て、 G Iと日本娘の心中という事件は、
いちず
事 実再 三あ った話ではあるが、日本の若 い世代がドライ 一途にな ってゆくとき、アメリカの映
の杯、
っ 。とこ
画製作者は古いウェ ットな日本にぞ っ ζん参 っていると思 って、苦笑を 禁 じ得なか た
ろが数日後、務総即応腔嬢の心中事件がアメリカにも伝わり、若いアメリカ人たちがその事件を
ロ
7 ポ
しきりにロマンチックが っているのを見たり聞いたりして、あいた口がふさがらないでいると
とろ で 日 本 へ か え ってみると、またもや学習院の 学生の心中事件が起 っており、わが母校は
。
いつ のまにか心中大学と呼ばれる始末にな っていた
しかし、何と云 っても若い人同士の心中はいいもので、太宰治などの中年者の心中の不潔さ
。
はない 。自殺でも心中でも若いうちに限るので、それが 美 男美 女なら 一そう結構なのである
おんなじハラキリでも、乃木大将の船艇より、白虎隊のほうがどんなにきれいかしれない 。
。
或る人は私のこういう放言 に眉をひそめるだろうが、私は今、故意に放 をしたのである
言
一
。 日本人には古代ロ
日本人の誰の心の中にも道徳を超越して、右のような 美意識が眠 っている
ーマ人のような残虐趣味は少く、淡白をも って鳴っているけれども 、とういう美意識の包含す
とうはんし ζう
る内容は広汎で、そ ζにはたしかにゾッとするほど残酷で冷酷な晴好があるのだが、それが涙
ちとが
と同情と憧れの糖衣ですっかり覆われているのである。
ょうせつ
美しい人は夫折すべきであり、客観的に見て美しいのは若年に限られているのだから、人聞
はもし老醜と自然死を待つ覚悟がなければ、できる限り早く死ぬぺきなのである。平均寿命の
延長のおかげで、他の遊星から地球を眺めたら、地球の表面は年毎に醜くな ってゆきつつある
だろう。 ﹁人生で最も善い ζとは、生れて来・なかったという ζとであり、次に善い ζとは、で
きるだけ早く死ぬというととであるしとミダス王は森で会ったサテュロスから告げられた 。
"
岡
参企
ちょうら︿
さて、人間の肉体の可視的な美は、せいぜい二十代で終ってしまって、あとは凋落の一途を
中 たど
辿るだけであるから、それからの人聞は仕事や知恵や精神に携わらなければならぬ 。精神の営
-
U みの未成熟な若い人の上に起る死は、病死であれ自殺であれ、結局肉体が滅びるだけのととで
'
ある。精神や知性の声がそとで途絶えるというのではなく、若い美しい肉体が急 K音を立てな
くなって、動かなくなって、腐朽するというだけの ζとである。青年の死はかくて、どんなに
哲学的な遺書を残そうとも、要するに一箇の肉体的事件なのである。青年が精神的と考えるあ
らゆる問題が、より深い意味では、純粋に肉体的な問題にすぎぬという考えは、私が自分の青
年時代を経て到達した頑固な確信であって、昨今の心中事件を見ても、との確信を変えるとと
はでき一ない 。
9
17
9
18
しかし、私は若い人を臨するのではない 。年を重ねるとともに、人は純粋な肉体上の死が不
。
可能になる 。そうな ってからの自殺や心中を醜い、と私は 言 うのである
私は若い人の心中を 美 しいとする日本人特有の偏奇な美意識から出発比一て、い つのまにか、
っ 。
若い人の心中に 一一砲の精神の勝利を見ょうとする日本人に共通な感覚と背馳してしま て いる
い。 精
事実 、私はかれらの心中に、精神の勝利などというものをみじんも感じる ζとができな
神というものは頑固に生き永らえ、頑固に老い、頑固に形成しようと志向するものであ って 、
停
っ
である 。青春時代をすぎて、生命がその真の活力と魅力を失った時にな げいいがあたかも別の生
ボ
命が動き出したように、精神が生命の働きを模倣しつつ働き出し、生命を凌駕するまでに至る
7
6
し ζう
本では、殊に、女性的、情感的、肉体的、官能的なものへの噌好を充たすように要請されてい
中
の情念に屈服し敗北する、同じ主題が語られている。男の側のエクスキューズとしての﹁意気
地﹂などというものは、取るに足らぬものである。
ひとうき
﹁よそのつ つねも我が命も一 よぎりなる憂ふしゃ、
しゅうおやいちごしげ
憂身の果は主親のばちにかかりし三味線の二十二三の糸きれて残る一期も暫しぞや、
たもとさっき ζ
いかに今年のから露も哀れ快のさみだれに、心は今も皐月間木の下聞にどまくれて、
覚えし道も幾たびか同じ所にまひ戻る。(中略)
仇の警の朝顔も今咲きかかる花の露、
9
19
それより先に鋤む身は叩明日口の朝日に似体、干さん脱さん浅ましと綴る涙の都知斡にあゐの水
∞ 2
さへまかすらん、
世の中に絶えて心中なかりせば、
にぜ
二世の頼みもなからまし :::﹂
(近総門左衛門 ﹃ ﹄ 1心中川月は氷 の朔日
宇兵衛小かん伎の朝顔 t
)
大人の心中では、必ず心中の直前に性の営みが行われるそうであるが、近松の心中物の道行
の 係
の文章はつねにとれを暗示している 。文辞の上ではそれに類した文句はないけれど、あの永い
道行の美文は、死の直前の性的陶酔そのままである 。
ロ
ポ
しかし、愛親覚羅嬢の心中古事件に際してはそういう ζとがなか ったと云われ、 二人が純潔を
7
庸な幸福を守るために協力する。のみならず多くの凡庸な行為者自身も、他人によって自分の
中
行為を解説され、名をつけられ、整理されるととを喜んでいるのである。
-
U さて、ロムプロゾオ以来、天才に狂的素因のひそんでいるととは定説にな っているが 、﹁
逆
もまた真なり﹂と云えないととも、とれまた定説になっている。精神病院の患者がみんな天ぃイ
であるというわけには行かず、狂人の狂想と見えるものも、凡庸な社会通念の或る誇張にすぎ
ない場合が通例である。自設や心中の理由づけもまたとの例に洩れない。今 ζとに一人の冴年
がいて、失恋をし、神経衰弱であり、生活苦のどん底 Kあったとしても、彼は自殺するとは限
らないのである。戦後の青年犯罪の増加や、とのごろの心中の増加に対して、すぐさま社会学
ひっきょう
的考察の引っぱり出されるのが流行になっているけれど、あらゆる社会学的考察は、畢寛、右
に述べたような ﹁
理由づけ﹂の体系化であって、最後のととろは何も語らない。
0
21
0
22
たいぜを
肉体というものが本質的に滅亡の論理をもち、精神がその対燃物として据えられて、永遠へ
の志向をもっというζとは 、キリスト教や仏教を問わず、あらゆる宗教の前提であ った。
日本人にはとういう宗教的情操に加うるに、 占種の芙的な思考があ って 、肉体の持 っている
滅亡の論理そのものを美化して、崇敬の対象にしようとする傾きがある 。日本 人の自設讃主に
は、か くて 、人間意ぶの悲劇というものが欠けていて、自殺や心中という人間怠占の行為その
ものさえ、突にあいまいな形態を借びるのである 。
杯
ロ の
たとえ自設や心中をしなくっても、自己破壊が青春の本質的衝動なのであるが、それは荷春
なるものが ﹁肉体的状態 ﹂ であるというととをしか意味しない 。 ζうした肉体的状態に突如と
ボ
つぎき
して プ水遠 ﹂を継木して、自分たちの活純な忽愛の、水遠性を保証しようというのは、思えば悔⋮
7
暴な論理であるが、 ζんな無暴な論理からしか、心中の美しさが生れないことも事実なのであ
たち金
る oはねい人の清純な心中が、忽ち伝説として流布され、 ﹁恋 愛 の 永 遠 性 ﹂ や 1精神の勝利 ﹂ の
証左にされるのは、少くともとのような架空の幻影のために彼らが身命を賭したという誠実さ
の証拠にはなる 。 というのは、 ﹁
恋愛の永遠性 ﹂ や ﹁梢神の勝利 ﹂なるものは、生きていよう
が、向殺してみようが、心中してみようが、月春という肉体的状態にとっては不吋能な文下な
のであって、身春のあらゆる特質と矛盾する性質のものであるから、それゆえに、そういうも
のは美しいのである。精神や永遠に身自ら近づきかけている年齢の人たちの心中が酸くて不潔
に思われるのは、正にかれらの内部にとそ、生き・ながら、精神や永遠性への志向が、期待され
ているからなのである 。 とういう点では、私は、世間の成人たちが若い人たちに対して抱いて
いる甘 ったるい幻影に全く与しない 。
︿み
ととろで心中の美しさというものも、全く幻影的なものである 。文楽の人形で見たって ﹁
財
しど ︿ もんみも の
死 期 ﹂ の苦悶はいいかげんグロテスクな見物であるが、人間の死にざまがそんなに美しかろう
はずがない 。 しかし、 当人たちは陶酔と幻影をたよりにして死に、世間の人も幻影をしか見な
いのであるから、警官や医師やその場の立会人の見た心中現場は、忽ち人間の記憶の中へ埋没
してしまって、どうでもよくなってしまうのであるらしい 。
論
うとするとき、孤独の本源的な意味に触れて、死のみならず生そのものも完全に孤独であると
いう結論に到達するには、ある弱さがその妨げをなし、心中という形に落着くとともあろう。
そとには何か人間意志にとっての不純さがある。あらゆる形の自殺に、演技の意識が伴うとと
を、心理学者はよく知っているが、私には自殺という行為は、他のあらゆる人間行為と同様、
あらわな、あるいは秘められた不純な動機を手がかりにして、はじめて可能になるものだと思
われる 。純粋自殺というものが机上の空想であるなら、自殺の中でもどうやら 一等純粋性のあ
いまいな心中だって、悪い乙とはあるまい 。そとではあくまでも物事が相対的であって、男女
の杯
の仲そのもののように相対的であって、雪に埋もれた山中に入って一応主観的な死への欲求を
充たし、恋人の死を見、また見られるという状況によって死の客体化の欲求をも充たし、欲張
ロ τ・
つ の技術である 。多分どんなに幸
7 ォ
りで、⋮即時派で、消費的で、:要するに人智の編み出した 一
福な恋人同士も、或る気まぐれな悌際感の中で、恋人の死顔を美しく想像するととがあるだろ
う。 そのためには身の不運や窮境というような原因は、 一つの言訳に使われるだけである。ア
メリカ人が小説と映両 ﹁サヨナラ ﹂ の中で、米人と日本娘の心中を描いたとき、かれらは不幸
や不運を快楽に化するという驚天動地の技術を 、と の感傷的で官能的な国民から 、はじめて 学
んだのだと思われる 。
十八歳と 三十四歳の肖像画
206
一体、作家の精神的発展などというものがあるのかどうか、私は疑っている。若いときむや
ろ偽金ん
みと旧秩序に反抗し、浪目安派で悪魔派で個人主義だったものが、中年に及んで同熟すると、古
典派になり、社会的関心を持ち、微笑を帯びた現実主義者になり、老境にいたっては、ヒステ
の宇r-
リアクな人道主義者になり、むやみと民衆を尊敬する、というようなのが、一体精神的発展で
あるか。とれはただ平凡人の生涯の、青年の客気と、中年の同熟と、老年の気の弱りに、思想
いしようたど
ロ
の衣裳を着せただけのことではないか。又かりに、 ζれが進歩主義思想の逆を辿って、社会主
ボ
義的青年が、中年に及んで俗物の現実主義者になり、老年となるや神秘主義に沈潜すると云っ
7
たと ζろで、要するに、青年の客気と中年の同熟と老年の気の弱りという公式どおりのことじ
ゃないか。もし前者だけを精神的発展と名付けて、後者を精神的退歩と呼ぼうと、それは思想
や精神に一つの物差をあてはめてみるだけのととで、一人の生きた人間の生涯とは何の関係も
ない。
とう考えてゆくと、作家というものは、人生的法則、生の法則と、思想的法則、精神の法則
主
企ほ
と、両方に平等に股をかけて生きてゆくべきものであるが、その両方の法則がまず常識的に折
れ合うととろで二頭の馬を御してゆけば、思想的にも納得がゆき、人生的にも最大多数の共感
を呼ぶととができるわけで、西洋の 流作家には、自分の生涯をそういう風に作り上げた男は
いくらもいる 。
そもそも作家にとって思想とは何ものであるかという問題は、そんなに簡単じゃない 。作家
うち
の思想は哲学者の思想とちがって、皮膚の下、肉の慢、血液の流れの中に流れなければならな
い。 だが一度肉体の中に埋没すれば、そとには気質という厄介なものがいるのである 。気質は
永遠に非発展的なもので、思想の本質がもし発展性にあるとすれば、気質の織にな った思惣は
もはや思想ではない 。
十八践と 三 卜四践の内像岡
しかし問題をあわててそとまで押し進めずに、気質と完全に結合した思想をも、思忽 とみと
めるととにする 。 そうすると、とういうコケの 一念みたいな、決して発展せずただ繰り返しな
がら硬化してゆく思想のほうが、いかにも ﹁作家の思想 ﹂らしく見えるからふしぎである 。
え
最近某氏が永井荷風氏を訪れたととろ、常にかわらず雨戸を開て切 った家の中で 、うんうん
ζえる 。荷風氏は神経ー婦に悩んでいるのである 。某氏は 、戸を叩いて案
うの
苦しそうに岬く声がき
内を乞うたが、中から苦しげな声がして、﹁との始末だから、かまわずお上りなさい ﹂ という。
そとで某氏は手さぐりで家へ上 ったが、灯もついていない 。荷風氏はその周の闘の中で 一人床
に臥って苦しんでいたのである 。 しかし某氏が坐ると、荷風氏も、もはや岬吟の色もみせずに
ふ ぜし んぎん
起き上って、きちんと坐 って、尋常に応対し、医者や薬や者護婦や家督百般に閲する某氏の好
意ある申し出を、片っ端からきっぱり謝絶して、とりつく烏もなか ったというととである 。人
み , しっ ぽ
の好恵を一切受けつけないという決意がその面上に綴 っている ので、某氏も尻尾を巻いて返散
&
r.
0
27
せざるをえ・なかった。
0
28
ぜいた︿
とんな橋智は、いかにも作家の思想や精神の直叙たるを思わせる 。荷風氏がその私財で賀沢
な養生ができるととは世間周知の事実である 。明治以後の作家の 一つの型に、青年時代に自分
の気質と似寄りの思想を発見して、一旦とれと結婚するや、生涯家の外へも出ず貞淑に 一夫 一
婦制を説明ザるというのがある 。永井荷風氏ゃ、正宗白鳥氏は ζの型であ って、もしかすると
非思想的作家と思われている谷崎潤一郎氏や川端康成氏でさえ、そうかもしれない 。
とういう型の作家に、いかに技法上の発展があろうとも、精神的思想的発展のありえないの
は自明の理で、その代り、気質と結合して硬化してしまったような思想は、冒頭に述べたよう
の 杯
な凡庸な人生的法則から作家を護るのである。そ ζに老年の硬化と永遠の青年らしさとの奇妙
な結合が生ずる。それはいわば青年の木乃伊なのである 。
ロ
ポ
ζんな事情は、月並な論法だが、日本人の大人しい社会の特殊性に帰せらるべきで、日本に
ア
おいて、気質そのものをさえ思想と呼ぶととができるのは、日本人に hp ける気質的生き方の稀
バ 性 か ら 来 る ら し い 。外国では、たとえば英国のような国の社会でさえ、何ら芸術家ではな
い普通人が、偏奇な気質的生き方を貫ぬいている例が少くない 。 日本の社会では、社会と個人
の双方の理由から、普通人が気質的な生き方をするととは至難であって、ほとんど不可能事に
﹁ とかく町内に事なかれ ﹂主義がすべてを制している 。 こういう社会では、作家の生
属する 。
き方は 一つの驚異であって、気質だけでも十分に思想たり得るし、世間もまた、思想とはその
ような例外的なもの、普通人の裡に抑圧された自由への無際限な意志を曲りなりにも偏奇な形
で実現するもの、個性における代表者と見倣す傾きがある 。
み念
ζの点では、気質と密着して固定
観念とな った社会主義というものもありうるので、社会主義が本質的に気質に密着しない、な
どと考えるのは社会主義者だけだ 。
かくて特殊な社会的抵抗において保障された思想性という点では、作家の偏奇な個人的気質
も、国家の禁圧するとζろとな った外来思想も、実は日本の作家においては、大したちがいは
ないのである 。 e
さて ﹁思想の本質がもし発展性にあれば ﹂ という前の仮定に戻るとしよう 。 そとでは気質は
十八歳と 三 十四歳の肖像伊i
気質にすぎず、決して思想ではないのである 。 しかし発展しない気質を抱きながら、思想が発
展してゆくためには、思想があくまで気質に対して独立性を確保していなければならぬ 。何ら
気質に邪魔されずに、思想が、自律的運動をしてゆかなければならぬ 。気質が個別性を代表す
るなら、思想は非個別性と普遍性を持たねばならぬ 。ととろで作家にとって、 ・
普遍性を獲得す
る道は、個別的気質に執着して、人生的法則を免かれつつ、表現技術において普遍性を獲得す
るか、個別的気質を抑圧して、人生的法則、生の法則に忠実を誓うととによ って普遍性を獲得
するか、 二 つの道しかない。前者を思想が許容しないならば、後者に就くほかはない 。後者に
就けば、どんな思想的精神的発展も、回目頭に述べたように、人生的法則の摸写にすぎなくなる。
作家の思想とは哲学体系ではないからである 。
しかも一人の作家のメチエにおいて、個別的気質的なものと、普遍的人生的なものとは、微
妙にまざり合っているのが常であ って、前者の成分の多い作家が、(一例が正宗白鳥氏のよう
ω
2
に)、唯美派芸術派であるとは限らず、後省の成分の多い作家が、必ずしも人生派であるとは
1
20
限らない。
・かくして問題は紛糾してとめどもなくなるが、 ζんな風に考えてゆくと、作家の忠怨と
。
は、大体ど ζらへんに位置すべきかが見吋がつく 。それは当然、皮膚の下でなければならぬ
しかし気質の甑宗である肉体の深部ほど深いと ζろであ ってはなるまい 。そんなととろに住め
ば、深海の対ず停に町われる潜水夫のように、思忽は気質に喰われてしまうに決 っている。そ
しんしょ︿
れほど深くないととろに住めば、思怨は気質にほ蝕されない代りに、人生的法則を完全に免か
れた ﹁青年の木乃伊 ﹂ になるという光栄にも浴しない 。 しかし 一方、皮属の下にさえ住んでい
の 制L
れば、人生的法則に完全に忠実に従う必要もなく、ほどほどのととろで人生的法則と不即不離
の関係を保ってゆけるが 、同時に、思想としての完全な普遍性に達する ζともできない 。
ロ
ポ
こういう思想がいろいろと移り変ってゆけば、まず穏当な ﹁精神的発展 ﹂と与えられるであ
ア
、
ろう。完全に 外部の現実に支配されるのでもなく、内部 の気質と共に硬化する のでもないから
辛うじて発展の余地がある のだ。乙うして何とかよろよろと発展し 、毎年少しちが ったととを
弓い 、社会の臨黙とややずれたととろで自分の糸を紡ぎ、おしまいには悟達に至 って 、 芸術を見
捨ててみたり、見捨てた芸術にまたかえ って来てみたり、::そういうことをや って.生を送
ればいいのである 。しかし ζんなケ l スを、世間はまともに ﹁梢神的発展 ﹂と 呼 ぶ で あ ろ う か ?
そろそろ私は自分の ζとを語らなければならない 。
私は自分の気質に苦しめられてきた 。 はじめ少年時代に、私はとんな苦しみを少しも知らず、
気質とぴったり一つになって、気質の-なかにぼんやり浮身をして幸福であった 。引払はにせもの
の詩人であり、物語のZ き手であった 。 (
、 く少年 ﹂︼
持を HA 申
印 -
ε
-l
品 │﹁ 花ざかりの繰 ﹂
Zぇ:ス 由
彩絵硝F﹂-
﹁
主︼)
そのうちに私は、作家としての目ざめと、人生における目ざめとの、不透明κからみあった
状態で、しゃにむに小説を書きはじめた 。 とれは半ば意識的、半ば無意識的な小説で、あいま
践の肖像画
いな表現に充ちている 。 (
-盗賊﹂-宏∞)
&
ほんべん
同時に、物語の書き手のほうも活漉に、いたずら小僧のように跳びはねて、数々の短篇小説
Y
十八践と三i"V
を弘に大した労苦もなしに書かせはじめた 。
とうとう私は自分の気質を敵とみとめて、それと直面せざるをえなくなった 。 その気質から
搾情的な利得ゃ、うそつきの利得ゃ、小説技術上の利得だけを引出していたのに耐えられな
くなって、すべてを決算して、貸借対照表を作ろうとしたのである 。 (仮
1 面の告白
﹂ 由
)E
とれを書いてしまうと、ねの気持はよほど楽になった 。私は気質と折れ合おうと試み、気質
と小説技術とを、十分意識的に結合しようと試みた。(﹁
愛の渇き ﹂38)
そのあとでは、気質からできるだけ離脱して、今までの持ち前の技術からも離脱して、抽象
的なデッサンを織とうとして失敗した。(寸HH
の時代﹂-
由包)
弘の人生がはじまった 。私は円分の気質を徹底的に物 叫開化して、人生を物語の中に埋めてし
11
γ
2
まおうという不逗な試みを抱いた。(,祭色 ﹂第 一部沼町7 第-部SS)
ふてい
1
22
任
ζんな試みのあとでは、何から何まで自分の反対物を作ろうという気を起し、全く私の HH
knmせられない思想と人物とを、ただ言語だけで組み立てようという考えの織になった。(、
潮
騒LS忠)との ζろ か ら 、 人 生 上 で も 、 私 は ﹁自 分 の 反 対 物﹂ に自らを化してしまおうという
さかんな欲望を抱くようになる。それは果して自分の反対物であるのか、あるいはそれまで没
却されていた自分の本来的-な半面であるにすぎないのか、よくわからない 。
潮 騒 ﹂ の観念が自分に回帰し、自分に再び投影するにいたる 、不透明な過渡期の作品を、そ
﹁
の翌年に書いた。と ζにはかつての気質的な主人公と 、反気質的な主人公 との強引な結合があ
の係
る。 (
寸沈める滝 ﹂-83
ロ
に安心して立戻り、それは曲りなりにも成功して、私の思怨は作品の完成と同時に完成して、
ア
そうして死んでしまう。(﹁
金閣寺﹂ -
由印由
)
労 作 の あ と の 安 息 。 古 典 的 幾何 学 め い た 心 理 小 説 へ の 郷 愁 が 生 れ る が 、 そ の 郷 慾 は も は や 昔
のとおりの形では戻ってとない。そこで、シニカルな不可知論を主軸にした、占方的な姦通小
説を PMいた。(﹁克徳のよろめきLS印 叶
)
﹁
金閣寺 ﹂ で 個 人 の 小 説 を 書 い た か ら 、 次 は 時 代 の 小 説 を 書 ζうと思う 。 (ぷ制﹁の家 t
進行中)
とれで私の文学的 自 叙 伝 は お し ま い 。
その聞に、私は芝居を書いたり、エ ッセイを書いたり、紀行をS いたり、短篇小説をど っさ
り書いたりしたが、本当の自叙伝は長篇小説の中にしか 書 いていない 。思うに私も、ま ζとに
日本的念、 ﹁青年の木乃伊 ﹂ になる型の作家らしい 。
文学的影響というものも、そんなに大したものとは思われない 。模倣性の強い私は、人がい
いネクタイをしていると、すぐそれと同じゃつを欲しく・なるように、いい小説を読むとすぐ真
十八歳と 三 十四歳の肖像画
られて、近いうちに死んでしまうのである 。それを想像すると時々快さで身がうずく。でも、
よく考えると死は怖いし、 辛いととは性に合わず 、教練だ って小隊長にもな れない器だから、
何とか兵役を免かれないものかと空想する 。人並外れた空想力を持っているので、死ぬ直前に
自分が健倖によ って救われて、スリルと安穏と両方を心ゆくまで味わえそうな予感がする 。
ぎよう ζう
や
十五、六まではひどく体が弱くっていじめられてばかりいたが、 ζ のどろは痩せてはいるが
かなり丈夫だし、行軍でもとにかく落伍しない自信はついている 。それに高等科の学生だから、
もう誰にもいじめられる心配はない 。
杯
の
歌舞伎や能が好きで、娯楽と云ったら、そういうものを見にゆくのが関の山である。学校で
ロ
強制される以外の運動は 一切やらず、家にいるときは、ただやたらに本を読んだり小説を書い
7 ポ
たりしている 。読むのは文学書ばかりで、日本の近代小説やら、近世文学やら、中世文学やら、
'
J ヌき s
az し ζう
古典文学やら、仏蘭商の醗訳小説やら、勝手気値に、自分の曙好に合うものだけを片っ端から
読む。それまでは 仏蘭西 の心理小説にかぶれて 、その真似事ばかりや っていたのに 、日本浪目安
ひおどしかたんぴ
派の緋械の若武者のような威勢に惹かれて、日本の古典をまねた擬古的耽美的な物語ばかり書
くようになる 。
ヘんしゅう
私は文芸部の委員長になり、輔仁会雑誌という校友会誌を編輯したり、かたわら学校の同文
学の先生が同人に加わ っている国文学雑誌に寄稿したり、学校の先輩と 三 人で ﹁
赤絵 ﹂とい う
同人雑誌をや ったりして、い っぱしの文学青年気取で、父親の屑をしかめさせた 。 でも大学は
父親のいうとおり法科へ進む気になっていた 。ど っちにしろ同じととだ 。もうすぐ死ぬのだか
ムソ 。
学校へ行くと、文学なら私というととにな っていて、その点では 一目置かれていたから、 学
ne
校はきらいじゃなかった 。それに第 一、他へ遊びにゆくととろはどとにもなか った。学校から
かえるとすぐ勉強部屋にとじ ζもり、寝るまでただ机 Kかじりついていた 。机の前がむしょう
に居心地が よ くて 、 そとから動きたいと思わなかった 。哲学書は大きらいで 、自分の精神的形
成などに 一顧も払わなか った。 そして自分がそう嫌いじゃなか った。小説を書いていて 一等凝
十八歳と 三十四歳の肖像画
ひゆ
るのは比喰だ った。 いい比輸が見つかると 一日幸福な気がした 。人の小説を読んでいても、比
喰ばかりに感心した 。
あるとき野球部に入 っている友だちが 、肺浸潤の診断をうけて学校を休みだす直前、かえり
の電車の中で 、突然私にとうきいた 。
﹁ Z ロ (死)する覚倍はあるかい?﹂
君は 22
私は目の前が暗くなるような気がし、人生がひとつもはじま っていないのに、今死ぬのはた
まらない、という感、しが痛切にした 。
それから半年ほどのちその友だちは死んだ 。
次は現在の私 。
のっと
現在の私は旦那燥である 。妻には適当に威張り、 一家 の中では常識に則 って行動し、同分の
1
25
家を建てかけており、少なからず快活で、今も北目も人の悪口をいうのが好きだ 。年より若く見
1
26
られると喜び、流行を追って軽薄な服装をし、絶対に俗悪なものにしか興味のない顔をしてい
ス。
u
同りい ︿ つ
。
まじめなととは 言 わぬように心がけ、知的虚栄心をうんと軽蔑し、ほとんど本は読まない
百五十歳まで生きるように心がけて、健康に留意している 。
月曜と金曜は剣道に通い、火木土はボディ・ビルに通 っている 。文士のぶよぶよの体や鳥の
ガラのような休に比べて、俺ほど立派な緊 った休はないと思 って いる。 それに小説家生活もも
う十 三年だから、もうそんなに人を怖が って暮す ζとはない 。
の事事
歌舞伎や能や新劇も、もう娯楽として見るという気はなくなり、結婚してからザンスもやら
合
-E 調
ロ
なくなり、娯楽と云ったら、映画を見るととと、ビフテキの思い切り大いやつを喰べるととと、
友だちと野町話をするととである 。家にいるときは、毎晩夜中から朝まで、せっせと長い小説
ポ
。
ア
感ずる 。
私 は そ れ で も 時 々 、 自 衛 隊 に で も 入 ってしまいたいと思う ζとがある 。病気で死んだり、原
爆で死んだりするのはいやだが、鉄砲で殺されるならいい 。
﹁君は 2qσg す る 覚 悟 は あ る か い ?﹂
という死んだ友人の言葉が又 ひび いて来る 。そうまともにきかれると、覚悟はないと答える
他はないが、死の観念はやはり私の仕事 のも っとも甘美な母である 。
1
27
存 在 し な い も の の 美 学 │ ﹁ 新古今集 ﹂珍解
220
たとえば定家の 一首 、
み渡せば花ももみぢもなかりけり
浦の蔀官の秋のタぐれ
の歌は何でい引かいるかと考えるのに ﹁なかりけり ﹂ であるととろの花や紅葉のおかげでも
引ゃいるとしか考えようがない 。 とれを上の句と下の句の対照の美だと考えるのは浅はかな解
の 何:
釈だろう 。むしろどちらが重点かといえば上の句である 。
﹁ 花ももみぢもなかりけり﹂という
のは純粋に 言語の魔法であって、現実の風景にはまさに荒涼たる灰色しかないのに、言語は存
ロ
在しないものの表象にすらやはり存在を前提とするから、との荒涼たるべき歌に、否応なしに
ボ たいどみ
縦鰍たる花や紅葉が出現してしまうのである。新古今集の醍醐味がかゆふ 語のイロ戸げにあ
全 ︿ ら ζと ば さ んE
λ
宕
一 わAとう
7
るととを、定家ほどよく体現していた歌人はあるまい 。万葉集の枕詞W燦欄たけ同調官聯合と、
。
ちょ っと似ているようで、正に正反対なのが新古今集である 乙こには長失が荘厳され、喪失
が純粋言語の力によってのみ蘇生せしめられ、回復される 。
そぜい
同じ定家の、
駒とめて袖打ちはらふかげもなし
さののわたりの雪の夕暮
も同じ美学の別のヴアリアシオン 。
とが
帰るさの物とや人の詠むらん
待つ夜ながらの有明の月
む傘
の 一首では、喪失が逆の形であらわれて、空しい期待と希望、つまり何事も獲得しない状態
が
、 言語の魔術をよびお ζす 。 ζとでも定家の手法は妙にシンメトリカんである 。 シンメトリ
カルであるけれども、それにとらわれではならない 。
ζ ζ には 二ヶ の月がある 。二ヶの 有明の月である 。一 方の月は、 ﹁待つ夜ながら ﹂ に眺めら
れている 。もう 一方の月は ﹁帰 るさ ﹂ に眺められている 。前者の月は現実の月のようであり、
.しないも のの美学
後者の月は空想上観念上仮定上の月のように思われる。しかし、実は後者の月乙そ現実の月で
あって、前者の月は、正に自の前に見えてはいるが、ありうべからざる異様な怪奇な月であり、
おそ
信じようにも信じるととのできぬ怖ろしい月、正にそれ故に、歌に歌われねばならない月なの
である。なぜ・ならその月は喪失の歴然たる証拠物件として出現しているからだ 。
<
Uf
新古今風の代表的な叙景歌 二首 。
去にほえ
夕月夜潮みちくらし難波江の
かでよ し
あしの若葉を ζゆるしらなみ(藤原秀能)
かすみ
霞 立っすゑの松山ほのぼのと
別
院にはなるるよと雲の空(藤原家隆)
。
とれは 二首とも、自然の事物の定かならぬ動きをとらえたサイレント ・フィルムだ しかし
の料
とんなに人工的に精密に模様化された風景は、実はわれわれの内部の心象風景と大してちがい
。 。っこ
のないものになる 。新古今の叙景歌には、風景という ﹁物 ﹂は何もない 確乎とした手にふれ
ロ
ポ
る対象は何もない 。言語は必ず、対象を滅却させるように、外部世界を融解させるように ﹁現
ア
実 ﹂を蹴卸するようにしか働かないのである 。それなら、心理や感情がよく描かれているかと
いうと、そんなものを描くととは目的の外にあ ったし、そんなものの科学的に正確な叙述など
。
には詩の使命はなか った。 それならこれらの叙景歌はどとに位置するか それは人間の内部世
界と外部世界の概臥のと ζろに、あやうく浮遊し漂 っているというほかはない 。 それは心象を
映す鋭としての風景であり、風景を映す鋭としての心象ではあるけれど、何ら風呆自体、心象
自体ではないのである 。それならそういう異慌に冷たい 美 的構凶の本質は何だろうかと云えば、
言葉でしかない 。但し、抽象能力も捨て、肉感的な叫びも捨てたそ の言葉、とれらの純粋 言語
めいせき
の中には、人間の塊の一等明断な形式があらわれていると、彼らは信じていたにちがいない。
:
s
イ下在 Lないものの :
223 下
北一輝論 1 ﹁日本改造法案大綱 ﹂を中心として
226
北 一輝の ﹁
純 正 社 会 主 義 ﹂ は、二十 三歳のときに苦かれたもので、書かれてたちまち発祭に
なったが、その紛糾した論宵にもかかわらず、めざましい天レイのZ 物である 。彼の激しさ、そ
してまた、住 H春の思考過程の中にある混乱と透徹、論間見の展開の急激さと、とれを支える前一観
の繊細さその他は 、 私 の 知 る 限 り で は オ Yト1 ・ワイニングルの x
rk 比べられる 。
引払は、北 一輝 の 思 怨 に 影 響 を 受 け た 乙 と も な け れ ば 、 北 一輝によって何ものかに目覚めた ζ
きしよう
ともない 。 た だ 、 私 が 興 味 を も っ 昭 和 史 の 諸 現 象 の 背 後 に は い つ も 奇 受 な 峰 の よ う に 北 一向の
ロ の郎
し会そう︿危なず
支 那 服 を 着 た 痩 騒 が 件 ん で い た 。 そ れ は 不 吉 な 映 像 で も あ る が 、また 一種悲劇的な日本の革命
家 の 理 想 像 で も あ っ た 。錦旗革命というととが言われたときに、すでに日本の国家主義運動は、
ポ
一つの計 画 性 を も っ た の で あ る 。西 南 戦 争 以 来 、 日 本 の 同 家 主 義 運 動 は 疋 漠 た る 大 ア ジ ア 主 義
ア
と感情の激越、純粋と非論理的天皇崇拝と、やみくもな行動意欲によって特徴づけられていた 。
そして、ヨーロッパ・ファシズムとは違って、反資本主義の性格を坂田守に現わし、すべて日本
の西欧化 ・近 代 化 が 提 示 し た 物 質 主 義 に 対 す る 反 措 定 と し て の 意 味 を 担 っ て い た 。 そ れ は 、 あ
たかもついに現実社会の運動とかかわるととのなかったキリスト教の清教徒主義の代怪物であ
る か の ど と く で あ っ た 。唯 物 論 に 対 抗 す る に 精 神 主 義 を も っ て し 、 西 欧 的 近 代 化 に 対 抗 す る に
農 本 主 義 を も っ て し 、 す べ て の 西 欧 文 明 に 対 抗 す る の に は な は だ 無 前 提 の ア ジ ア 主 義 を も って
し、理性に対抗するに感情を、権力に対抗するに赤誠を、革命に対抗するに暗殺をもってした
のである 。 日本の志士の系列は、明治維新以来、その有効性を自らおとしめていた 。何らかの
有 効 な 政 治 的 結 果 を 招 来 し 、 何 ら か の 有 効 な 統 治 の 米 米 を 予 言 させるようなものが、唯物弁証
法の錨く未来社会の映像を否定するに足りなか ったのである 。今の ζとばでいうと、反体制的
な 言行が、体制の中に融け入ってしまうととを何よりも恐れたのは、左翼よりもむしろ右翼で
あ った。
ある 一つの行動の目的と有効性とは、行動の純粋性に反比例するという考え方がとられた 。
その論理的・な結果は、われわれの行動が無目的であり、無効であればあるほど純正に近づくと
とになり、それは政治運動の域を脱して、日本的心情の結晶としての純粋行為の模索になるの
論
である 。暗 殺 も 一人 一設の形においては、その純粋行為の発現と考えられ、その罪は自決によ
邸
その中聞にはどんな違う思想体系の影響をとり入れても 、それが正当化されるというととにな
るだろう 。 そして、権力奪取の方式が少なくとも民主的な方法による ζとがまったく不可能な
戦前の日本では、左右いずれも暴力的な方法によらざるをえない以上、その権力の奪取の態様
自体がお互いに見分けのつかないほど似てきてしまうのである 。当時は左翼から右翼運動に入
。街頭連絡、いわゆるレポ
ったものもあり、右翼から左翼運動に入 ったものもたくさんあった
。明治末
や ピ ラM
mり戦術その他、左翼戦術は、左翼から有翼にもたらされて大いに利用された
年に 書 かれた北 一輝の純正社会主義が、とのような時代の背景に生々と浮かびだしてきたので
事
F
ある 。
町
の戦前の政治体制の中でさまざまな形で用意されていたのである 。 その 一つは、統帥権の独立
ポ
ア
応するものである。
純
廃止と普通選挙と、国民自由の回復を声高 K歌ぃ、国民の自由を拘束する治安警察法や新聞紙
条令や出版法の廃止を主張し、また皇室財産の国家下付を規定している。とれらはすべて新憲
法によって実現されたものであり、また私有財産の限度も、日本国民 一人の所有しうべき財産
の限度を三百万同とする、と機械的に規定したが、実質的には戦後の社会主義税法により相続
税の負担その他が、おのずから彼の目的を実現してしまった 。また大資本の国家統 一について
は、北一輝自身が注をつけて、大資本の国家的統一による国家経営は、米国のトラスト、ドイ
229 ツのカルテルをさらに合理的にして、国家はその主体たるものであるという、国家社会主義の
ト刀法を設けたが、新憲法以後の日本の資本主義は、すでに修正資本主義の段階に入って、資本
3
20
うるかどうかというととに対して、いまさら疑問なきをえない 。北 一輝は、国家としての当然
の要請として徴兵制を維持し、また、兵営または箪艦内においては、階級的表象以外の物質的
ポ
生活の階級を廃止するというととをも って、軍隊の悪弊を打破し、また真の国民兵役の確立の
ア
課している 。そしてまた、開戦
ために当然の、現代のヨーロ ッパ諸国と少しも違わない義務を -
の積極的な権利を国家主権の本旨としているととろは、十九世紀的な国家観のそのままの祖述
、 ζれは何も北 一輝 一人の独創ではない 。
であ って
私は、北一輝を予 言者、あるいは思忽家として評価し、北 一輝の中にあ ったデモニッシュな
国家改造の熱意が、ある冷厳な性格に支えられていたととを、いつも面白く思うのである 。彼
はその点ではいつも人間離れがしていた 。中国革命の犠牲者の遺児を養子として愛した心情に
は、やさしい志士の心情があふれでおり、また彼の遺書も、その血の違う自分の子に対して
切 々 と 志 を 伝 え よ う と し て い る の は わ か る の で あ る が 、 北 一輝の心の中には革命家としてのフ
必なの
アシチズムと冷たさが閲ぎあっていたように思われる。 二 ・二六事件によって青年将校に裏切
られたととも、北一輝は初めから覚悟していたととかもしれない 。 日蓮宗の予 言 による決行日
時の決定ゃ、さまざまな神秘主義のひらめきは、フランス革命当時のジヤコパン党員が、フリ
さん貯 い
l ・メl ソンのど託宣を仰ぐためにスコ ットランドの本部に参詣したのと大した変りはない 。
革命には神秘主義がつきものであり、人間の心情の中で、あるパ ッションを呼び起 ζす最も激
し い内的衝動は、同時に現実打破と現実拒否の冷厳な、ある場合には冷酷きわまる精神と同居
しているのである 。北 一輝の天皇に対する態度にはみじんも温さも人情味もなかったと思われ
論
る。 その 一点で青年将校との心情の疎隔ができた ζとは感じられるが、 ﹁純 正 社 会 主 義 ﹂ の中
蝉
対 の 価 値 と い う も の に 対 し て 冷 酷 で あ った。また自分の行なう純粋な革命行動というものに対
しても、自ら冷たい目をも っていたと思われる 。 それならば彼は、ま ったくの戦術的な人間だ
け で あ ったのだろうか 。北 一輝の家に呼ばれる青年将校達は、いつも大変など馳走を饗応され、
そ の場で、きみとそは、日本の将来を背負う代表的青年だ、とおだてられ、軍隊内部でとき使
われている小隊長の身分が、 一時的にも明日の日本を背負う偉才であるという快い幻想を与え
せんどう
られた 。北 一輝は革命家として、あるいはまた煽動家として抜群であった 。彼は青年の心の中
ζんとん
に権力意志と純粋な情熱とが混沌未分のまま眠 っている ζとを洞察していた 。彼は、じつは純
231
粋性というものの愚かな側面と、純粋行為の追及がいつかは権力追求一に終る行方を、だれより
232
そど
もよく知っていた 。 そして、戦術的にはその権力意志と純粋性との組踊が宮城包囲の放棄とい
う よ う な 、 い か に も 愚 か な 無 為 無 策 に 終 っ た と き が あ っ て も 、 北 一 輝 は 自 分 に 戦 術 的 な 助言 を
hり弘、
求められることもなく、ただ 軍 部の権力主義者達の良にはまって、直接の関係がないにもかか
わらず、彼らと行動を 共 にして自らも死刑になったのである 。 そのとき北 一輝は、 一言も弁解
を言 わず、自分らが青年を思想的に感化した以上、 一緒に死ぬのは当然ですといっていたよう
であ る。 そして、いよいよ死刑の直前に、多くの被告が﹁天皇陛下万歳 ﹂を唱えていたのに、
。
北 だ け は 、 そ れ を ﹁や め て お き ま し ょ う ﹂ と言 った ζとがはなはだ印象が深い また、北は
町村:
﹁座っ て 処 刑 さ れ る の で す か 、 西 欧 の よ う に 立 っ て 縛 ら れ る よ り は 、 よ ろ し い で す な ﹂ と言 っ
て死刑の座に就いたと伝えられている 。
ロ
*
"
私は、北一輝をどうしても小説中の人物と考えることはできない 。私が小説の人物と考える
7
、 一人の人物の性格がある矛盾を生みながらも統 一されて
には、ドストエアスキーとは違 って
。
い・なければならないのであるが、私は北 一輝になお生々とした混沌を認めるからである そし
て北 一輝の冷血が、もし革命の成功の場合にどのようなおそるべき結果をもたらしたかという
ととを思いみると、そとに異常な戦艇と昂奮を感ぜずにはいられない 。-
なぜならば、革命の情
熱がその現れにおいて人間的冷酷と残虐の極致の形をとることは、どく小さい規模で現代の学
ぜいさん
生運動にも繰返されているからであり、日大騒動の場合のリンチの凄惨さは、このような革命
の夢 と 人 間 の 冷 血 と の 不 思議 な調和と融合を描いている 。北 一輝は、私に、よりよき未来及び
よりよき社会というものの追求が何らかの悪魔性なしには行なわれないという不断の生々しい
教訓を与えるのである 。北 一輝の憲法、その﹁日本改造法案大綱 ﹂ は、いわば当時のはなはだ
窮屈な天皇制国家の中における人間主義の叫びであったように思われるが、 ζの人間主義の叫
りつ
び は 、 常 に 血 に ま み れ て い た 。 ととろが戦後われわれに与えられた人間主義は、このような血
痕を拭い去り、いかにもものやわらかな動物愛護協会的な人間主義でしかなか った。私は人間
んζ
主義が再び血の叫びをあげる ζとを期待し、また恐れた。そして、それを恐れるときにはいつ
も北一輝が頭にあ ったのである 。遠くチェ ・ゲパラの姿を思い見るまでもなく、革命家は、北
なければならない 。裏切られると
自
一輝のように青年将校に裏切られ、信頼する部下に裏切られ -
Z
おい
理想像を現実が絶えず裏切っていく過程に於て、人間の裏切りは、そのような現実の裏切りの
一つの態様にすぎないからである 。革命は厳しいビジョンと現実との争いであるが、その争い
~t
つ会が
の過程に身を投じた人聞は、ほんとうの意味の人間の信頼と繋りというものの夢からは、覚め
ていなければならないからである 。一 方では、信頼と同志的結合に生きた人聞は、理論的指導
と戦術的指導とを退けて、自ら最も愚かな結果に陥るととをものともせず、銃を持って立上り、
死刑場への道を真 っ直ぐに歩むべきなのであった。もし、北 一輝に悲劇があるとすれば、覚め
ていたととであり、覚めていた ζとその ζとが、場合によっては行動の原動力になるという ζ
とであり、とれとそ歴史と人間精神の皮肉である。そしてもし、どとかに覚めている者がい・な
233
ければ、人間の最も陶酔に充ちた行動、人間の最も盲目的行動も行なわれないというととは、
文学と人間の問題について深い示唆を与える。その覚めている人間のいる場所がどこかにある
3
24
のだ。もし 、時代が嵐に包まれ、血が嵐を呼び、もし、世間全部が理性を没却したと見えるな
ら ば 、 そ れ は ど と か に 理 性 が 存 在 し て い る と と の 、とれ以上はない確かな証明でしかないので
ある。
の杯
ロ
7 ポ
小説とは何か
3
26
とうふん
闘 な ど を 、 水 し ぶ き の 音 と 共 に き い て 昂 奮 し た 時 代 を 思 え ば 、 わ れ わ れ が も は や ζの種の活綾
な想像力を伴った昂奮をラジオから求めていないととは自明に思われる。
ロ
車を運転しながらの交通情報や、プロ野球の放送をきくなどの例を除けば、全般的に、ラジ
ポ
オの与えるものは、人を激発させるよりも慰め安らげるためのものが多くなった。朗読や、何
ア
よ り も 音 楽 が 重 ん じ ら れ 、 テ レ ビ の よ う に 視 覚 を 奪 わ な い か ら 、 い わ ゆ る ム lドをかもし出す
のにより好適である。カ l ・ラジオは現代の恋愛の不可欠な伴奏者の役割を占めている。それ
はあたかも十九世紀ヨーロッパで、レストランのテーブルの聞をめぐり歩く楽師の役をチップ
抜きで演じているのである 。
ラジオはテレビより、ムードの醸成には有利な点もあろうが、意味伝達においては隔段にま
ゆだ
わり道である。視覚的なものはすべて想像力に委ねられているからであり、 一挙 手 一投 足 の 労
を惜しむ現代では、想像力の支出はかなり億劫な労務支出なのである 。
おっ︿う
では、ラジオが動的な機能よりも静的な慰安的機能により傾いてきた現代、ラジオのも っと
も熱心な聴取者は誰であろうか?車の運転者は、いろんな点ではなはだその場かぎりの、不
まじめな、不実な聴取者と考えられる理由が十分ある 。連続物の内省的な朗読などに、しんみ
り、心の底から耳を傾けてくれている人は誰であろうか?目で見る他人の不幸の面白さに、
あさましい好奇心をむき出しにするテレビの視聴者などとちが って、他人の内心の 声 のしたた
りをしずかに自分の心に受けとめてくれる人は誰であろうか?
老 人 か ? と ん で も な い 。老人はテレビにしがみ ついて、 最新 の情報と最新の流行に通暁し
ている 。も っともそれをただ否定するためにだけではあるが 。
小説とは何 か
わいせつ
た興味と、ディテールと、テレビよりも高度に観念的な(それだけ高度に狼婆な)性的描写を
なしうる点で、わずかにとれに対抗している 。
しかし、真の享受者の数が限られているのは、その本質に根ざすもので、テレビは今まで小
説に代償的娯楽を求めていた擬似享受者を奪ったにすぎない 。
もともと小説の読者とは次のようなものであった 。すなわち、人生経験が不十分で、しかも
人生にガツガツしている 、小心 臆病な、感受性過度 、緊張過度の、分裂性気質の青年たち 。性
的抑圧を理想主義に求める青年たち 。あるいは、現実派である限りにおいて夢想的であり、一歩
の杯
低金は
想はすべて他人の供給に倹っている婦人居 。 ヒステリカルで、肉体嫌事包征の、しかし甚だ性的
に鋭敏な女性たち 。何が何だかわからない、自分のととばかり考えている 、そして本に書いて
ロ
ポ
もうそう
あるととはみんな自分と関係があると思い込む、関係妄想の少女たち。人に手紙を書くときに
ア
たる下品な表現!)というととは、右のようなリストに絞らざるをえぬものを人々の中から誘
発するととであり、そのおかげで、読者の側からすれば、自分のも っとも内密な衝動の、公然
たる代表者かつ安全な管理人を得るのである 。或る小説がそとに存在する・おかげで、どれだけ
多くの人々が告白を免かれているととであろうか 。それと同時 K、小説というものが存在する
おかげで、人々は自分の内の反社会性の領域 へ幾分か押し出され、そとへ押し出された以上、
もちろん無記名ではあるが、リスト ・ア ップされる義務を負うととになる 。社会秩序の隠密な
再編成に同意するととになるのである 。
ζ のような同意は本来ならば、きびしい倫理的決断である筈だが、小説の読者は、同意 Kよ
って何ら倫理的責任を負わ-ないですむという特典を持 っている 。その点は芝居の観客も同様だ
が、小説が芝居とちがう点は、もし単なる享受が人生における倫理的空白を容認するととであ
239
れば、いくらでも毘鮮ザありうる小説というジャンルは、芝居よりもずっモ長時聞にわたって、
4
20
読者の人生を支配するので、(あらゆる時間芸術のうちで、長篇小説はいちばん人生経験によ
く似たものを与えるジャンルである)、人々は次第に、その倫理的空白に不安になって、つい
に自分の人生に対するのと同じ倫理的関係を、小説に対して結ぶにいたるととがないではない。
すなわち読者は、与えられた特典を、自ら放棄するにいたるのである。
そのとき人々は、小説などというものがあるおかげで、それさえなければ無自覚に終った筈
の人生の秘密に対して目をひらかされ、しかもその秘密の板を否応なしに自分の中に発見させ
られ、無言の告白を強いられ、:::それだけですめばまだしも、告白を通じていつのまにか社
ロ の杯
会の外側の荒野へ引きずり出され、自分が今も忠実を誓っている社会的法則と習俗からはみだ
している自分の姿を直視させられ、決定的な﹁不安﹂を与えられる。一冊五百問、ぐらいの金を
、 、
払ったために、こんな目 K会わされてよいものだろうか。かくて ζれが ﹁あなたの・おかげ
7 ボ
、
で私の人生をめちゃくちゃにされた。一体どうしてくれる﹂という意味の文面の 未知の読者
から小説家へ送られる手紙の原因をなすのである。
問題を整理しよう。
第一に、不安を与えられるとと。
第二に 、その結果、不安を克服するために倫理的関係を小説と結ぶとと。
との二つが、小説享受のもっとも根本的本質的な影響である。 ζとまで行けばしめた目的だ
が、大半の小説は ζとまで行かずに、﹁体をたのしまれる﹂だけで終ってしまうという売女の
運命にあるととは云うまでもない 。
さて、第 一の影響はかなり健全な結果で、小説の芸術的責任は実はととまでだというととが
会
、
,
云えるであろう 。何故なら、市場に、おいては、人々は喜々として ﹁不安 ﹂をさえ買うからである 。
-v
しかし第 二 の影響のほうは黙過しがたい 。なぜならとのほうは 、場合によってはもっとも厄
しゅうらん
介な読者を培うからであり、 一方
、 ζのような傾向に陥りやすい読者の心を 収捜するつもりで
作られた、さまざまな仇而ず芸術 、すなわち ﹁人生論的小説 ﹂
﹁ いかに生くべきか小説 ﹂ とい
う短絡現象を生み出すからである 。
もっとも熱心でまじめな読者が、ついに小説作品と倫理的関係を結ぼうと熱望するにいたる
小説とは何か
のは自然であるが 、又 、そ ζまで読者をのめり込ませる小説にはたしかに傑作が多いのは事実
であるが 、小説の最終的責任はそとまでは及ばない。そとまでは及ばない 、というととを、し
か し作者は 、作品のどとかに 、 とっそり保証しておかなければならない。とれをかりに芸術上
の制御装置と呼んでもいいし、 言 い古された言葉で芸術上の節度と呼んでも よ い。その制御装
かえ
置を持たぬ作品は、却ってどとかで、作者自身の芸術家としての倫理的責任をどまかしたもの
である ζとが多いのである 。 そしてもし制御装置がし っかりしていれば、だまされた読者がわ
るいととになり、だましたほうにはちゃんと 言訳が立つのである 。
きぬ
・:さて読者についてあれだけ歯に衣着せぬととを 言 ったからには、今度はその刃を、小説
4
21
の作者自身へ向けなければならない 。
4
22
ものごとをやるには 、それぞれに適した才能を持っていなければならないのは自明の理で、
曲 り な り に も 職 業 的 作 家 と し て や っ て ゆ け る 人 聞 は 、 それだけの才能に恵まれていると云わね
ばならない 。
では 、航 空 技 師 に な ら ず 、 株 屋 に な ら ず 、作曲家にならず、小説家になったという才能の特
質は何であろうか。もちろん人生には幾多の偶然が働らくから 、親の強いた教育のおかげで、
文学的才能を持ちながら航空機工学の権威になったという人もあろうが 、結果論で云えば 、そ
れは単に彼の文学的才能がすべての制約を打ち破って噴出するほどに強力なものでもなければ、
の杯
ポ
がなか ったからにすぎない 、と極 言するととさえできる 。
ζれが作家たちにと,ひりついて離れ
ア
ぬ天職の意識と職業的自負にな っているのである 。
では、小説家的才能というものは、将来もし小説に対する需要が皆無になり、誰 一人小説に
b
uw
。 そとには何ら経済
ふりむく人が・なくな った場合も、空し
仇
h く小説の生産に析を出すであろうか
'
、
社会の需要供給の原則は働らいていないであろうか 。本当のととろ 、小説という 歴史も浅け
、
れば形式意欲も足りない芸術上の 一ジャンルに 、 はじめから適合した人聞が生れて 予定調和
、
的に 、その人間のいイ能の開花と読者の需要が見合うという与えは 不自然で変な考えなのであ
る。 それはあたかも、(私はわざと技術と芸術を混同して よロっているのだが)、{主由飛行上たる
べき才能の人聞が、十五世紀にもたくさん生れていたと主張するようなものである 。 とう考え
ただけで、職業的作家の持つ天職の意識が、いかに根拠の湾弱なものかがわかろう 。
それよりもとう考えたほうが自然である 。すなわち常凡な人聞がと ζに生れて、先天的原因
ちょ っと
か後天的原因かわからぬが、何ものかが彼の全存在の軌道を或る方向へ 一寸曲げる 。するとそ
の曲 った方向に、たまたま現代では小説というものがあ って、そ ζ へ彼の人生がす っぽりはま
ってしま った、という考え方である 。彼は自ら意図しつつ、同時に自らの意図を裏切 って 、 一
わと
つの快適な毘にはま ったのである 。 そ の 毘 が 現 代 で は た ま た ま 小 説 と 呼 ば れ る も の だ ったの
だ。
小説とは何か
そのほんの少し曲げられた軌道 ζそ、小説家をして小説家たらしめるものであり、自分の人
生をも含めた人生そのものを素材としたいという、危険で奇妙な選択のはじまりなのである 。
ζんちゅ う
たとえばとんな例を考えてみたらよかろう 。昆虫学者が蝶を採集し、サーカスのために捕獲
業者が猛獣を捕獲するように、人聞を採集しようとしている異様な人問 。人間でありながら人
間を採集するというだけでも、すでに背徳的犯罪的な匂いがするが、それも現実につかまえる
言葉という捕虫網で、相手の本質を盗み取 ってしまう人問 。 しかもそれを、宗
のではなくて、 一
もつ
教家のように責任を以てやるのではなく、無責任きわまるやり口で、自分の不可解な目的のた
めに勝手に使役しようとする人問 。何の権利ももたずにそんなととをする人間を、社会が容認
しているのは、実はへんなととなのである 。
地位も権力もないくせに、人間社会を或る観点から等分に取り扱い、あげくのはてはそれを
4
23
はし
自分の自我のうちに取り込んで、箸にも棒にもかからぬ出来損いのくせに、自分があたかも人
44
ι
2
いうととほど、自然な現象があるだろうか 。彼がちゃんとした肉体的自信を持ち、それ放に傷
の
るのである 。
ア
告白と自己防衛とはいつも微妙に智み合 っているから、告白型の小説家を、傷つきにくい人
。 彼はなるほど町島の行者のように、自ら唇や頬に針を
間だなどと思いあやま ってはならな い
突きとおしてみせるかもしれないが、それは他人に努せておいたら、致命傷を与えられかねな
い ζとを知 っているから、他人の加 害 を巧く先取しているにすぎないのだ 。とりもなおさず身
の安全のために!
小説家になろうとし、又な った人聞は、人生に対する 一一僚の先取特権を確保したのであり、
それは同時に、そのような特権の確保が、彼自身の人生にと って必要不可欠のものだ ったとい
うととを、裏から暗示している 。すなわち、彼は、人生を ζの種の ﹁客観性﹂ の武装なしには
渡るととができ・ないと、はじめに予感した人聞なのだ 。
客 観 性 の 保 証 と は 何 か ? そ れ は 言葉である。しかも、特殊な術語でもなく、尊貴な用語で
もな く、主観的な叫びでもなく、象徴的な詩語でもなく、通俗的な中世ロマンス語から小説が
発生したと云われているように、なるべく俗耳に入りやすい 言葉を使うととによって、彼が確
なければならない 。
保する客観性はマジヨリティーに近づき、:::要するにそれは好んで読まれ -
し げき
しかも 言葉は二重に安全である 。なぜなら、それはいくら親しみ易くても、想像力を刺戟する
と ないからである 。
ζろの抽象的媒体にすぎ -
胸Iか
人生に対する好奇心などというものが、人生を 一心不乱に生きている最中にめったに生れな
イシテ レヌト 、、
いものであるととは、われわれの経験上の事実であり、しかもとの種の関心は人生との ﹁関
係 ﹂を暗示すると共に、人生における ﹁関係 ﹂ の忌避をも恵味するのである 。小説家は、自分
の内部への関係と、外部への関係とを同 一視する人種であ って 、 一方を等閑視するととを許さ
ないから、従 って人生に密着するζとができない 。人生を生きるとは、いずれにしろ、 一方に
ζとなのである 。
目を つぶ る
とこまで 言 えば、小説家というものが、前に列挙したグロテスクな読者像と 、それほど速い
.
f
の 宇
しっと
東末節にプライドを賭け、おそろしい自己満足と不安との問を往復し、きわめて嫉妬深く、生
あき
きる前にまず検証し、適度の狂気 を内包し、しかし 一方では呆れるほどお人好しで、欺されや
すく、苦い哲学と甘い人生観をどち ゃまぜに包懐し、:::要するに、 一種独特の臭気を持った、
世にも附合いにくい人種なのである 。小説家同士が顔を合わせると、お互いの観察の能力で、
・お互いのもっとも隠しておきたいものを見破 ってしまうから、紳士的な会話というものが成立
たない 。
何のために書くか、と小説家はよく人に尋ねられる 。鳥に向 って何のために歌うかときき、
花に向 って何のために咲くかときく ζとは愚かだが、小説家に対しては、いつも ζのような質
聞が用意されている。それというのも、小説は歌のように澄んではきとえず、花のように美し
くは見えないからで、いつもそとに何か暗い﹁目的﹂を含んでいるように疑われるからである。
さて、作者と読者 K関する ζのようなベシミステイ Yクな観察、小説の本質のどとく見える
﹁
客 観 性 ﹂ に関する陰気な疑問は、書きつ,つければきりがないが、ひとまずととで、私が最近
読んだ小説のうち、とれ ζそ疑いようのない傑作だと思われた二作品について、やや具体的に
詳述してみるととにしたい 。
小説とは何か
しつよう
少年平太郎が、いかなる変幻果てなき化物の執勘な脅しにもめげず、ついに一ト月を耐えとお
り必なげちょう
すのを見て、その健気さに感心した化物の統領山 y本五郎左衛門が姿を現わし、一挺の手槌を
るじゅっ
のとして立ち去るまでの話であるが、その一ヶ月聞に日記風に緩述された化物のヴァラエティ
ー の豊富と 、 一種ユ ーモラ スな淡々たる重層的描写の巧みさもさる ζとながら 、私がも っとも
ちみもうりょう
感心したのは、 ζ のような単調な勉魅魁魁の出現のつみかさねののちに、最後の夜、
﹁待タレヨ。ソレへ参ラン﹂
カみしもかもい
糾;
という声と共にあらわれる尋常な持姿の、しかし身の丈は鴨居を一尺も泣す程の、はなは
ロ の
だ正体不明な、山 y本という存在の出現と退去のクライマァクスである。
ζ りてんぐ
彼は狐狸でもなく、天狗でもなく、いわんや人間でもない。何ものともわからない。源平合
ポ
戦の時はじめて日本へ来たが、
7
ょうかい ζとどと
ととろから来るように思われる 。 というのもそれまであらわれる無数の妖径は、悉く礼儀を弁
わきま
え ぬ 小 者 ら し い か ら で あ る 。 又、山ン本も神野も日本では仮りに日本名を名乗 って い る が 、 飛
行自在の国際的存在であるらしく、路四界における高位の者、並々ならぬ権力者であるらしいの
である 。 私には殊に 、 つ いに姿を見せぬ神野が何ともいえず怖ろしい 。
をひ
恐怖はとの作品の中であまり日常的に豊富に濫用されるので、すぐに麻描押してしま って、お
し ま い に は 可 笑 し く な ってしまうのであるが 、読者がもう大丈夫と安心しきったととろであら
おか
わ れ る 山 ン 本 と そ 、 真 の 恐 怖 と 神 秘 の 根 源 を 呈 示 し 、 森 厳 な ﹁まじめな ﹂怪 奇 の 、 威 儀 を 正 し
た姿を見せるのだ 。
そ し て そ の さ わ や か な 退 去 は 、 現 世 的 な 世 界 か ら の 妖 カ 魔 力 の 二度とかえらぬ退去のうしろ
姿を 思 わ せ て 、 い い し れ ぬ 名 残 惜 し き を さ え 感 じ さ せ る 。
49
2
﹁アノ 心細サガ、今デハ何カ悲シイ澄ンダ気持ニ変ツテイル 。秋ノセイダロウカ?﹂
5
20
と平太郎は述懐する。
﹁山ン本サン 、気ガ向イタ一フ又オ出デ !﹂
乙 ζまで来て、読者は主題の思いもかけぬ転換に驚かされるのである。平太郎にとって妖慢
との常ならぬ生活と山ン本の来訪とは 、実は彼の二度とかえらぬ少年期を象徴するものではな
かったか。その短かい時期を選んで 、魔は人間とのもっとも清澄な交会を成就し、平太郎は又、
人間の常凡な社会生活の虚偽を前以て徹底的に学んでしまったのではなかったか。稲垣氏は、
。
逆の教養小説を 、妖怪教育による 詩と可能性の無限の発見を企てた ようにも思われるのである
のIf
とれほど移しい妖魔仇郎知町、試煉では・なくて、教育であり、懲らしめではなくて、愛だった
のではないか。乙の 小説の総説ピ、氏はいかにも氏らしh
m時的な唐突さで、 ﹁一体 、愛の経
ロ
γ
ポ
験は、あとではそれがなくては堪えられなくなるという欠点を持っている﹂と追記している
ア
ノンシャランであり・ながら礼節正しい稲垣氏の文体によって、われわれは主人公平太郎の豪
舵な少年の魂の内部を通過した。との通過はいかにも リアルに、巧みに運ばれるので、破局に
いたって、ともすると読んでいる恥酌めひわ山川恥か小わ⋮いがと疑われて来る J何故なら、閉
ざされた少年の精神世界を最後に破る者とそ、読者である和自身ゃな小ればわい恥からである。
もとより私は小説 一般について語るのが本来であり、 一作品の解説紹介に終始してはな
らなかった。
。
しかし敏感な人は、すでに私が小説の本質について語ってしま っているのに気づく筈だ
晶
du、し
稲垣氏は ζの荒唐無稽な化物唱の中に、ちゃんとリアリズムも盛り込めば、告白も成就して
︿ぜい
いるのみならず、読者をして、作中人物への感情移入から、一転して、主題に覚醒せしめ 、し
AU
かも読者自らを、山ン本という、﹁物語の完成者であり破壊者であるととろの不可知の存在﹂
に化身せしめ、以て読者の魂を天外へ技し去るととに成功しているのである。
ζれとそ正に小説の機能ではないだろうか。しかも稲垣氏は、決して観念的なあるいは詩的
。ん
な文体をも用いず、何一つ解説もせず、思想も説かず、一見平板な、いかにも豪胆な少年の呑
き
気な観察を思わせる汗述のうちに 、どと とはなしに西洋風なハイカラ味を漂わせて、悠々と一
簡の物語を語り終ってしまうのである。
小説とは何か
悲しいととには、とのような綴砂たる文学的効果は、現代もっとも理解されにくいものの一
つ降なってしまった。人々はもっとアクチュアルな主題だの、時代の緊急な要求だの、現代に
生きる人間の或る心もとなさだの、疎外感だの、家庭の崩壊だの、性の無力感だの、(ああ、
ああ、もう全く耳にタコができた!)そういうものについてばかり、あるいは巧みに、あるい
はわざと拙劣に、さまざまな文学的技巧を用いて書きつづけ、人々は文、小説とはそういうも
のだと思っている。自分の顔(実は自分がそうだろうと見当をつけている自分の顔)を、すぐ
目 a
さま小説の中に見つけ出さなくては、読むほうも書くほうも不安なのだ。とれはかなり莫迦げ
た状況ではなかろうか。
﹁うわ
﹁山ン本五郎左衛門只今退散仕る﹂は、決して寓話ではない。平太郎は単なる平太郎であり、
r、うゆ
化物は単なる化物である。それは別に深遠な当てこすりゃ高級な政治的寓喰とは関係がない。
5
21
oりのものをありのままに信じる
人は描かれたと h ζとができ、小説の中の物象を何の幻想もな
5
22
しに物象と認めることができる。実はとれとそ言語芸術の、他に卓越した特徴なのであるが、
小説は不幸なととに、 ζ の特徴を自ら忘れる方向へ向っている。
言語芸術において ζそ、われわれは、夢と現実、幻想と事実との、 言語による完全な等質性
に直面しうるのである。歴史小説や幻想小説は、いずれもとの特徴を別々の方向へ拡張したも
のであるが 、歴史小説や幻想小説というレ ッテルでまず読者を警戒させる ζとが賢明でない ζ
とはいうまでもない。音楽や美術では 、音や色彩そのものがすでにわれわれのふだん用いる音
や色彩とちがった法則性で整理されているから、夢と現実とは等質性を持ちえず、それと引き
の村、
代えに、芸術としての独立性自律性と、象徴機能の醇化を獲得しているわけだ。
ロ
﹁山 y本五郎左衛門只今退散仕る ﹂ に登場する化物どもは、かくて、無数の現代小説にあらわ
7 ポ
れる自動車や飛行機ゃ、女たらしのコピl・ライターや、退屈した中年男ゃ、小生意気な口を
きく十代の少女たちと、全く等質問次元の存在であるが、化物のほうがより明確でリアルな存
在に見えるとすれば、それだけ深く稲垣氏のほうが言葉というものを信じているからである。
そしてもしとれが寓話であったら、読者はもはや化物を見るととはおろか信、するとともできず、
しんぴょう会いし
口
語芸術の本源的な信濃性は失われて、そ
f
↓ ζには物象乃至人物と抽象観念との、邪魔な 二重露
出がいつも顔を出すことになるであろう。
ζ ζ で私は﹁山ン本:::﹂ の原典である﹁稲亭物怪録﹂と、稲垣氏の現代化とをいちいち照
合してみ ようと思う 。
四
せぬ﹂
何の ζとはない、稲垣氏の名文は、単・なる現代語訳で、それも人によ っては 、原文のほうが
はるかに名文だという人もあるかもしれない 。
しかし稲垣氏の換骨奪胎の才能を知るには、そとで速断を下してはならないのである 。との
神韻綴砂たるクライマックスを効果あらしめ、かっとれに西欧のロマンチック文学の味わいを
加えるために、氏は十分計算して布石を打ち、独特のアンチ ・クライマックスを書き加えて、
素朴・な怪異謹を哲学的な愛の物語に変え 、みどとに自己薬箆中のものにした ζとは前述のとお
たんや︿ろう
りである。
その布石とは、たとえば、原文では、出現に当って山ン本が、平太郎の諮問に答えて、すぐ
3
・
さ古品
、
5
2
﹁成程汝が申如く人間にあらず、我は魔王の類なり ﹂
5
24
と正体を明かしているのを、稲垣氏は、
Mm門ニモ御身ノ云ウ如ク人間ニハ非ズ 。 サリトテ天狗ニモ非ズ
﹁
。然 ラ パ 何 者 ナ ル カ ? コハ
御身ノ推量ニ委ネン ﹂
とととさら翻案して神秘を深め、読者の想像力を刺戟している如きをいうのであり、又、 ク
ライマ ックスの山ン本昇天の貯管の供廻りも、原文では、 ﹁ 駕能も常体の駕館、供廻りも常一体
の人なり ﹂ とあるのを、稲垣氏が、 ﹁駕ナドハ普通ノ物ダガ、供廻リハミンナ異形デ ﹂ と改変
している如きをいうのである 。
ロ の綜
。 かr
z
ん
しかしそれも末節の技巧だと、 言 う人は 言 うであろう 肝腎なのは、稲垣氏の掌中で、でき
るだけ原文の汗述に忠実に従いながら、 一つの古い忘れられた怪異護が、いかなるものに形を
変えられたかという ζとなのである 。 そして 一旦その物語の枝本的な寓意が変えられると、物
オ
ミ
ア
語のどんなディテールも、原文に忠実であればあるほど、完全にその意味その芸術的効果を 一
変してしまうということなのである 。
本
。
次に、国枝史郎氏(昭和十八年残)の ﹁ 神州糊傾城 ﹂ に ついて述べなければならない
大 正 十 四 年 (一九 二五)に書かれて、最近復刻されたとの小説は、多くのドイツ ・ロマンチ
ックの作品がそうであ ったように、未完成のまま、作者の死後に泊されたが、もともととの奔
波な構想と作者の過剰な感性は、未完の宿命を内に含んでいた 。
み会
一読して私は、当時大衆小説の一変種と見倣されてまともな批評の対象にもならなか った ζ
ぶんそう
の作品の、文藻のゆたかさと 、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみどとさと 、今読ん
でも少しも古くならぬ現代性とにおどろいた 。 とれは芸術的にも、谷崎潤一郎氏の中期の伝奇
小説や怪奇小説を凌鰐するものであり 、現在苦かれている小説類と比べてみれば、その気哀の
e ひん
-
高さは比較を絶している 。事文学に関するかぎり、われわれは 一九 二五年よりも、ず っと低俗
な時代に住んでいるのではなかろうか 。
もとす ζ みずき
富 士の本栖湖の只中に水城があ って、いつも煙霧 K包まれて見えないが、 ζの城の磁密は地
ζうけつ つ︿ らい
下の工場で、人血を絞って傾顕なる紅巾を製り、又、その城主が、奔馬性掘の重患にかか って
、
小説とは何晶、
崩れる全身を白布で包んでいるととである 。望郷の想いにかられて城主が城を出奔し、甲府城
たち掌
下 ま で 駈 け 戻 る と 、 その指に触れたものは忽ち感染し、とれを介抱する者もたちどとろに廟省
となるのである 。
むういっ
作者には陰惨 、怪奇 、神 秘 、色彩の題味が横溢していた 。小説はまず、秘密への好奇の心を
a
ち しっ
そそり立てねばならぬととを知悉していた 。
知りたい。何を?何をかわからぬが、とにかく知りたい 。 -そういう気持を起させる ζ
とが小説本来の機能であるとすれば 、﹁神 州 緬 傾 城 ﹂ は、それだけで、も っとも模範的な小説
なのである 。
傘ぞと
謎解きが、かくて小説の重要な魅力であるなら、現代流行の推理小説にまさるものはないと
いえよう 。 しかし、作者によって巧妙にしつらえられた謎が 一日一
5
解明されると人々は再読の輿
5
2
味を失う。過程はすべて、謎解きという目的のための手段であったにすぎず、再読すれば、そ
5
26
の手段としての機構が寒々とあらわになるからである。
そとで、小説が文学であるためには、二次的ながら、 ζの過程を単に手段たらしめず、各細
部がそれぞれ自己目的を以て充足しうるような、そういう細部で全体を充たし、再読しても、
あら
手段としての機構ではなく、自足した全体としての機構のみが露わにされるように作るべきで
あり、それを保障するものが文体というわけだ。しかし、趣味が異様に洗煉されると、目的そ
れ自体が卑しいものと見倣されがちになり、読者の低い好奇心が知りたいと望むものを、作省
が軽侮の目で見るようになり、あげくのはては、作者自身の目的をできるだけ読者の目的(知
の杯
りたいという謎解きの目的)から遠ざけようとするがあまり、ついには手段としての細部を目
ロ
的化し、小説からその本来の目的を除去したくなってくる。
7 ポ
と と に 小 説 に お け る プ ロ ッ ト の 軽 視 が は じ ま る 。 な ぜ な ら プ ロ ッ ト と は 小説における必然性
であるが、劇においては必然性が十分高尚なものになりうるのに、小説では、必然性が小説を
ち念
卑しくすると与えられるようになるのである。因みに、ストーリーと.フロートの差について、
E ・M ・フォ l スタアが、すとぶる簡潔な定義を挙げているが、フォ 1 スタアによれば、スト
ーリーとは、 ﹁王妃が病んで死んだ。一カ月後に王が死んだ﹂という事実の列挙であり 、プロ
ットとは 、﹁王妃が病んで死んだので 、悲しみのあまり、 一カ丹後に王が死んだ﹂という 、複
数の事実の必然的連結だというのである。
それはさておき、読者はその﹁知りたい﹂という欲求を、プロァトに よ って、﹁ 必然 ﹂に置
‘
き 換 え て も ら い た い と い う 欲 求 を 抱 く に い た る 。何故、いかに、何を知りたいか、を読者はよ
品h o d
く知ら・ない 。読者は、小説によ ってそれを教えてもらいたいと望むのだ 。
伝奇小説の利点は、とうして謎が知られたのちも、なお謎が神経の利点を失わないと ζろ に
正 に 存 す る の だ 。 そして国校史郎氏のような小説を読むときに、読者は、自分の知りたいとい
そ ど
う目的と、作者の知らせたいという目的とが、実はどとかで組踊していて、作者もまた、読者
と同じように、何か不可知のものに魅惑されているのではないかと直感するであろう 。 との何
か甘い、胸のときめくような不信感は、作品が未完である って倍加される 。 ζとによ
かきゅ うか︿
読者は作品を読む前に、まず犬のように匂いを嘆ぐ 。 との嘆覚はおどろくべきものだ 。小説
小 説 と は 何晶、
に 限 ら ず 、 映 画 の 興 行 の 初 日 の メ ー タ ア は 、 い つ も 神 秘 に 充 た さ れ て い る 。事 前 の 宣 伝 も 行 き
届 か ず 、前売券も売り出さず、ストーリーも分明でないのに、封切映画の初日の朝窓口に長ぶ
群衆は、何どとかを前以て喫ぎつけているのである 。一 方、いかに宣伝が行き届いていても、
当らない映画は初日の朝にすでに当らなか ったととがわか つてしまう 。客はとにかく映画館へ
来ようとしないのである 。
か傘た
﹁
神 州 繍 傾 城 ﹂ は、忌わしいものが彼方に待ち、しかもその忌わしさには超道徳的な美がまっ
ひ
わりついていて、作中人物は悉くそとへ向って惹かれて動く、という物語の結構を、読まない
先から予感させる 。 恐怖と戦艇と神秘を味わいたいという欲求は、実はとの世でもっとも無益
と'du傘 し そ う わ ま
な欲求だと云 ってもよい 。多くのお伽噺の挿話に見られるように、聞かずの間に対する好奇心
のおかげで、身を滅ぼす人は多いのである 。 ともすると、人聞にと っては、 ﹁命 を 賭 け て も 知
257
りたい﹂という知的探究心が真理を開顕するととよりも、﹁知る ζとによって身を滅ぼしたい﹂
258
という破滅の欲求自体のほうが、重要であり、好もしいことなのではなかろうか?もし国枝
ζうした破滅の要求
神州編傾城 ﹂が、すぐれたデカダンスの作であるとすれば、読者の
氏の ﹁
を必然化する ζとになるのである 。
ζ ζまで来れば、との小説の目的が、謎解きにはなくて、恐怖自体を芙と魅惑に変える ζと
にあり、しかもそれを、幻惣を信ずる作省の不可測な熱情の赴くままに、 一一僚の神桜の精華と
もいえる 言語の美で、構築する ζとにあるのは自明になろう 。
神州繍傾城 ﹂ でもっとも忘れがたい場面のひとつ、若侍庄 三郎が富士教団の私刑に遭い、富
﹁
の杯
。
7 ポ
五
さて、しばらく実作について説いたので、文しばらく原理的な問題に戻る ζとにしよう。
小説も戯曲も文学作品であるととに変りはないけれども、大きなちがいは、小説が書かれた
形で完全に完結しているのに引きかえて、戯曲は上演を予定し、他人の肉体や照明や舞台装置
やさまざまなもののカを借りて、最終的に完結するというととである 。戯曲は、むしろ、楽譜
に比較すべきものであって、作曲家の営為の記録された形である楽譜は、オーケストラと指揮
者を予定し、劇作家の営為の記録された形である戯曲は、俳優と演出家を予定していると云え
るのである 。それでももちろん、モーツァルトも、ィ .
フセンも、それぞれ ﹁完結した芸術家﹂
であり、決して部品製造業者ではなく、それ自体が 一つの世界である作品の作者なのである 。
と ζろが小説はどうかというと、それは作者 一人の手で何から何までしつらえられたものが 、
小説とは何 か
直κ享受者の手に引渡されているわけで、むしろ小説は、絵画その他の造形美術にたとえられ
よう 。強いて舞台芸術にたとえれば 、小説というものは、舞台上の演出 、演技、照明、音響効
いしよう
果、衣裳 、靴 、舞台装置、小道具、はては舞台監督、大道具方の仕事まで 、作者 一人で請負い 、
全責任を以て享受者に提供しているわけである 。 ただ小説の特徴は、生 ・自然 ・および人間
(動物である場合もある)のすべての表現が、 言語を通じてなされており、かっ、 言語を以て
完結している、という ζとである 。 ζ の点ずは、随想等のノン
・フィク シ ョンだ ってそうであ
るが、ノン ・フィクションの場合は、形式上は 言語表現を以てすべてが終 っていても、内容上
は言語以外のファクトに依拠しているととろが多い、という点でととなる 。 ζの ﹁ファクトに
依拠している ﹂という点で、歴史小説というのは、実に宙ぶらりん の矛盾した分野であるが、
9
そういう例外はさておき、フィクションとしての小説は、
5
2
付言語表現による最終完結性を持ち、
6
20
同その作品内部のすべての事象はいかほどファクトと似ていても、ファクトと異なる次元に
属するものである 。
と定義づけるととができるであろう 。
すると又しでも、モデル小説だの、私小説だの、という紛らわしい事例が出て来て、困 った
ζとに、そういう紛らわしい分野では、芸術性の低いものほど、ファクトと異なる次元へ読お
を連れてゆく努力を怠 っているのであるが、その ﹁別次元へ案内する努力 ﹂とは、とりもなお
さず付 の条件に関わってきて、ハ門の条件を十分に充たしていないものは、同の条件も十分に充
ロ の杯
に冗漫ならしめ、表現の簡潔さを犠牲にしかねない 。第 一、との種の親切心にどとまで附合う
小説とは
歴史を信ぜずして日本語を使う ζとなどできよう筈がない。私は明らかに、舞良戸は、ただ
﹁舞良戸﹂と書くととを以て満足する小説家である。そして私は、読者に次のように要求する
権利があると信ずる。すなわち、 ﹁もし私が ﹃
舞良戸 ﹄ とだけ書いて、ただちにその何物なる
かを知り、そのイメージを思い描く ζとのできる読者 ζそ、﹃私の読者 ﹄ であり、あなたは ζ
の小説のとの部分において、古い 一枚の舞良戸がいかなる芸術的効果を発揮しているかを知り、
かっ、それは必ず舞良戸であるべく、ガラス戸であってはならないという芸術的必然を直感す
の 何:
る ζとのできる幸福な読者である 。 しかし、 ﹃
"“あ ︿
舞良戸 ﹄ と い う 名 か ら 、 何 ら の 概 念 を 把 握 し え
ちゅうちょ
ない読者は、臨踏なく字引を引いて、その何物なるかを知り、 ζの言葉 、 ζの名をわがものに
してから、私の小説へかえ ってくるがよろしい 。 そうしなけれ 、
ロ
ば、あなたは私の小説の世界の
7 ポ
指定として使われた 言語が、舞台ではちゃんとした物象として存在するにいたるのである 。 そ
7 ポ
よ
して小説とは、そのような、ちゃんとした物象、役者が究りかか ったぐらいではグラつかない
本物の物象を、 言語で、ただ 言語のみで創造してゆく芸術なのである 。
.・
、
L
ノ
.
..
:さて、私は最近きわめて佳い小説を読んだ 。 との読後感の鮮烈さは、ちょ っと比類のな
いものに思われたから、何を措いても、とれについて書かねばならない 。
それはジヨルジュ ・パタイユの ﹁聖なる神 ﹂ という作品集に収められている﹁マダム ・エド
ワルダ ﹂ と ﹁わが母 ﹂ という 二信の小説である 。今までパタイユの訳著は、その悪訳で読者 を
できぽ
悩ませてきたのであるが 、今度の生田耕作氏の翻訳は出色の出来栄えである。
現代西洋文学で、私のもっとも注目する作家は、他ならぬ ζのパタイユや、クロソウスキー
やゴンプロヴィ ッチであるが 、それというのも、 ζれらの文学には、十九世紀を通り越して、
じかりいじじよう
十八世紀と 二十世紀を直に結ぶような、形而上学と人間の肉体との、なまなましい 、又、荒々
しい無礼な直結が見られるからであり、反心理主義と、反リアリズムと、エロティックな抽象
ちょ︿せっ
.その裏にひそむ宇宙観念どの 、多くの共通した特徴が見られるか
主義と、直裁な象徴技法と 、
らである。
さてパタイユの ﹁マダム ・エドワルダ ﹂ は、神の顕現を証明した小説であるが 、同時に狽裂
小説とは何か
レ・グ,ース
を き わ め た 作 品 で あ る 。 娼 家 ﹁ 鏡 後 ﹂ で 、 自 ら 神 と 名 乗 る 娼 婦 マ ダ ム ・エドワルダを買った
﹁おれ ﹂ は、そのあと、裸体の上から黒いドミノを直に着て黒い仮面をつけてさまよい出るエ
つ
ドワルダのあとを尾行け、その発作を目撃し、とれをたすけて共に乗 ったタクシーの中で、運
転手に馬乗りになって交接するエドワルダの姿に、真の神の顕現を見るという物語である 。
次の ﹁わが母 ﹂ と併読すると、エドワルダには母のイメージが重複している ζとがわかり、
聖母の聖性を犯す近親姦の潰聖の幻があるととが了解されるが 、 とれらの作品では、聖母は姦
と︿ぜい
ベんたつ
淫の対象として受身に犯されるのではなく、自ら人を鞭撞し、強制して 、恐怖と戦傑と陶酔と
の相まじわる見神体験へと誘導するのである。
ここではパタイユ論を展開するのが目的ではなく、又、私がパタイユについて語りたい 言葉
は多すぎて、とても乏しい紙幅では果せない 。
265
ただ明らかなととは、パタイユが、エロティシズム体験にひそむ聖性を、 語によ っては到
6
26
言
一
達 不可能なものと知りつつ、(とれは又、 言語による再体験の不可能にも関わるが)、しかも 言
語によ って表現しているととである。それは ﹁神 ﹂という沈黙の 言語化であり、小説家の最大
の野望がそとにしかないのも確かなととである 。 そして小説に出現する神として、女が選ばれ
たの は、精神と肉体の女における線源的 一致のためであり、女のも っとも高い徳性と考えられ
る母性も、もっとも汚れたものと考えられる娼婦性も、正に同じ肉体の場所から発していると
いう認識に依るのであろう 。神を売笑婦の代表と呼んだポオドレエルの 言葉 (﹁赤裸の心 ﹂
)を
f
。
の I
ζとで思い出してもよい
パタイユを、とんな概念的な解釈で割り切るととはできない相談だが、 ζの小説を読むには、
ロ
(まして醗訳で!)、 言語の墜を突破した場面だけしか描かれていない、という前提がまず必要
7 ポ
なのである 。
パタイユはその序文の中でとう 言っ ている 。
﹁万難を排して存在を絶ち切るべく、自己を超越するなにものか、すなわちわが意に反して自
己を超越するなにものかが存在しなければ、私たちは、全力を傾けて指向し、同時にまた全力
を傾けて排除する不合理な瞬間に到達する ζとはない ﹂
との ﹁不合理な瞬間 ﹂ とは、いうまでもなく、おぞましい神の出現の瞬間である 。
せんりつ
﹁けだし戦僚の充実と歓喜のそれとが 一致するとき、私たちのうちの存在は、もはや過剰の形
でしか残らぬからだ 。 (中略)過剰のすがた以外に、真理の意味が考えられょうか?﹂
つまり、われわれの存在が、形を伴 った過不足のないものでありつ,つけるとき(ギリシア的
存在)、神は出現せず、われわれの存在が、現世からはみ出して、現世にはただ、広島の原爆
投下のあと石段の上に印された人影のようなものとして残るとき、神が出現するというパタイ
ユの考え方には、キリスト教の典型的な考え方がよくあらわれており、ただそれへの到達の方
法として ﹁エロテイシズムと苦痛 ﹂を極度にまで利用したのがパタイユの独自性なのだ 。
﹁マダム エドワルダ は、どくふつうの、 一般的な、好色の酔漢である ﹁おれ ﹂を紹介する
・ ﹂
﹁ 便所の階段へと っそり降りていく 二人の娼婦 ﹂を見かけたときから、
簡潔な 一節にはじまる 。
K︿ よ ︿
肉慾と苦悩に襲われた ﹁おれ ﹂ は、スタンド ・バアのはしどをはじめて日が暮れるが、との冒
小説とは何か
頭の紹介は、わずか六行でおわる 。
ζ かん
次の一節で、物語は急転直下する 。酔漢は、 ﹁おれの勝間と夜の冷気とを結びつけたか った﹂
きつり つ
あまりに、町なかでズボンを脱いで、 ﹁ 舵立した器官を片手に握りしめる ﹂ のである 。
何がはじまるのか?突然、との世の錠は、 ﹁おれ ﹂ のズボンと共にずりおちてしまう 。物
おきて
aそ し ・ グ
L ラ?ス
語は怖ろしいスピードで、 ﹁おれ ﹂を 娼 家 鏡 楼 へ つ れ て ゆ き 、 娼 婦 マ ダ ム ・エドワルダに会
わすのである 。
ら せん
彼女を人どみの乱酔と性的挑発の中から、部屋へ伴 って交接するまでの、めくるめく螺旋階
じよじゅつあふ
段を駈け上るような狩述には、正にフランス的簡潔さが溢れている 。女は片足をあげ、両手で
ふとももた ζ
太腿の皮膚を引張って、彼女の ﹁桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸 ﹂を誇示した上で、
67
自ら ﹁神 ﹂ と名乗るのであるが、とれらすべての狩述は、簡潔さとスピードと密度によ って上
l
:
ロ聞なのである 。上品とは、事文学に関しては、.ヒンと背筋を立てている、という姿勢の問題で
6
28
ま
ワルダを追うまでは、エドワルダ自身 ﹁神﹂を名乗りはするけれども、 ﹁おれ ﹂ は未だ見神の
ボ
体験に達せず、神の存在証明は放置されている 。
ア
しかし ・
.
﹁おれの絶望のなかでなにものかが飛躍した ﹂
﹁熱でかわいた陶酔が生まれつつあった ﹂
再び ﹁陶酔 ﹂が必要だ った の だ !
かくて、 ﹁おれ ﹂は、今までのほとんど数学的な記述から 一つの錯乱へ陥 ってゆき、 言葉は
脱落し、 ﹁おれの書く行為は無駄だ ﹂というあがきにとらわれる 。 との、 言語に関する不可能
性、到達不可能のコメンタリーは、小説の単なる寄り道ではなく、とれが、後段の、エロティ
ックな見神体験の伏線を・なしているのである 。
後段のタクシーの場面にいたって、小説は真のクライマ ックスを迎える 。タクシ ーの運転手
しんえん
との交接の場面は、人間存在のもっとも暗い深淵と同時に、そとに生ずる清澄な薄明の領域を
269
思町田凡させる十数行であって、パタイユは、とのとき、小説家として、 一瞬人の白をくらませ
7
20
るような、衝撃的な腕力を振うのだ 。
もはや ﹁神﹂という言葉はあからさまに使われない。 ﹁おれ ﹂ は自己放棄に達し、見るとと
すら放棄し、﹁おれの苦悩と発熱はものの数ではなかった ﹂ と告白する 。 しかし、文、それな
。
ればとそ、とのとき神が出現し、﹁おれ ﹂が神を見たととは確実になるのである
﹁マダム ・エドワルダ ﹂ は、いかにも異様な小説で、たとえばプロスペル ・メリメの ﹁マテ
オ ・フアルコ iネ﹂の ような、古典的短篇小説の・お手本から見ると、わがままな八方破れの作
しさい
ロ の柄:
品のように思われるのだが、仔細に読むと、そとには厳格な古典的構成が隠されていて、息づ
まるような迫力の醸成は、とうした古典的骨格に拠っているととがわかるのである 。
ボ
七
7
のであるが、父の死をきっかけに、母の像は一変する 。意外にも母は、自分が父よりもさらに
悪い存在である ζとを告白するのである。
﹁母の醜悪な微笑、錯乱した微笑は、不 幸の微笑であった﹂
意外にも﹁僕﹂の人生は、大人たちの配慮によ って ﹁仕組まれ ﹂ ていた 。
﹁後になっ て、母は僕に父の 言葉をあかしてくれた みんなおれのせいにしてくれ v。それが
oA
かんぺき
父の念顕だった。僕の眼には母が完壁な存在であるととを、なんとしてでもその状態をつづけ
ねばならぬ ζとを、父は心得ていたのである﹂
真相は徐々に明らかになる 。母は最後には毒を仰いで死ぬのであるが、その遺言ともいうべ
き言葉は次のようである。
﹁
あたしは、死の中でまでお前に愛されたいと思います 。あたしの ほうは、いま ζの瞬間、死
7
21
の中でお前を愛しています 。 でもあたしがいまわしい女であることを知ったうえで 、それを知
7
22
﹁お前の眼の中にあたしは軽蔑を読みとりたいのよ 、軽蔑と、怖気を ﹂
けい ぺつ おじけ
とれが母の、母としての 、又、女としての最終的な願望であ った。人を堕溶に誘うとは、真
*ロ
理に目ざめさせるζとであり、彼女はもはや究理者ではなくて 、その信ずる真理の体現者でな
ア
どを ﹁僕 ﹂が代表して、心ならずも、正にそれらの欲求の必然的結果として、も っとも見たく
小説と 1
ない真相に直面させられ、その嫌悪と戦棟を経過する ζとによってのみ、はじめて見神体験を
得るように仕組まれた小説である。
では ﹁母 ﹂とは何か 。母は、神に向ってわれわれをいざないゆく誘惑者であり、神自身です
ちし つ
らあるが、自分の体現する最高理性へ人を誘い寄せる通路が 、官能の通路しかないととを知悉
しており、しかもとの官能は錯乱を伴っていなければならないのである。彼女の ﹁愛﹂は残酷
ふち
であり 、自ら迷うととなく、相手を迷わせ、滅亡の淵に臨ませ、相手の官能的知的欲求 のギリ
しった
ギリの発現をきびしく要求し、叱略する 。
﹁お前はまだあたしを知りません。あたしに到達するととはできませんでした ﹂
えんえん
母の堕落の真相を知り、その中に巻き込まれて気息奄々たる息子に答えて、母が言うとの言
7
23
葉は、正しく神の 言葉である 。
74
2
ひら
イ1 ンの俗悪な精神分析学者などの遠 く及ばぬエロテ イシ ズムの深淵を、われわれに切り拓い
てみせてくれた人とそパタイユであ った。
しかし前にも 言 うように、パタイユはζの エロティ ックな形而上 学的小説に、小説として必
要な精轍な ﹁心理的手続 ﹂を織り込むことを、決じてゆるがせにしていない 。死んだ父の書斎
ぜ いち
の仕事を清純な息子に郵せ、わざわざ現写真を発見するように仕向け、息子の嫌悪を予測し、
たかぶ
﹁共通の嫌悪が彼女を錯乱の境地にまで昂らせるものを、なんらかのかたちで僕にも分け与え
るまでは、どうしても彼女は落着け ・
なかったのだ ﹂
と説明するときの作者は、 一人の心理小説家なのである 。
dζpb AJ
そのあとではすぐ、怒請、,のようなやさしさ、共通のみじめさに溢れた愛、 一種の残酷さを秘
めた甘美なものが、蜜のようにひろがる 。
みつ
そして母子相姦のデヌ 1 7ンを慎重に準備するに当って、作者はわざとその後の母の自殺の
結末を洩らし、母の自殺が、ついに息子をベァドに誘うほかはなくなった事態に対する自責の
念からであると共に、 ﹁
僕は母に欲情を感じず、彼女も僕に欲情を感じてはいなかった ﹂ とい
う絶望からであるととを暗示する 。 と乙ろで、とれは単に心理学的分析であり、読者を納得さ
せる手続である 。心理小説としてはそれで十分なのであるが、作者の野心は単なる心理的破局
を描くととではなかったから、わざとそのような心理的破局を前以て読者に洩らし、結末を知
小説とは何か
って安心した読者を、肉体的母子相姦よりもさらに怖ろしくさら K官能的でさらに﹁墜落﹂し
た、精神的知的母子相姦のデヌlマン(見神体験としての)へ推し進めてゆく準備を整えるの
だ
。
母自身 ζう言っている 。
﹁
知性の快楽 ζそは、肉体の快楽よりも不潔で、いっそう純粋で、その刃がけっしてさびつか
ない唯一のものです 。退廃はあたしの自には、そのまぶしさに命を奪われる、精神の黒い輝き
のように思えます 。堕落は万物の奥底に君臨する精神の癌です ﹂
がん
との言葉が、前に引用した ﹁堕落するにつれて、わたしの理性はますます冴えわたります ﹂
というニ付につづくのである 。
サ フ ォ l のともがらである彼女にとって、 ﹁男﹂と は何であ ったか 。
7
25
ゃ
ー
男はけっして彼女の想いを占めるととはなく、ただ灼けつくような砂漠の中で、彼女の渇き
6
27
、
をいやすためだけに介入し、その中で彼女は、不特定のよそよそしい存活初静かな美しさが
彼友もろとも汚濁にまみれて自滅することを願っていたのだろう。との淫蕩の王国に愛情のた
めの土地があっただろうか 。福音書の 言葉が招き寄せるその王国から、優しい者たちは追放さ
れるのだ。10-gZ 円 目E
立 E--
E仏 (猛き者どもそを傘い去る)彼女が君臨する激しさへ、母は僕
を運命,
つけていたのだ ﹂
小説 ﹁わが母 ﹂ の最後の母の独自は、おそるべき最高度の緊張に充ちた独自であるが、全篇
。
糾:
を読んだ人の感興にのみ真 K深く訴えるとの独自を、私はわざと引用しないでお乙う
"の
八
7 ポ
有用である。
しようしゃ
芥川龍之介の﹁将軍﹂の末尾の会話は、とのような機酒な味として比類のないものだ。
﹁少将は足を伸ばした櫨 、嬉しそうに話頭を転換した 。
マルメロ
﹃又祖梓が落ちなければ好いが、 -e:・
﹄
﹂
しかし、日本文学はマンやドストイエアスキーのような、理念の衝突が人物の衝突として掛
かれるロマン ・イ デオロジックの伝統に乏しいため、小説中の会話が思想表白の手段として用
いられるととが少ない。思想の闘いとして行使される長大念会話は、上演をあてにした戯曲の
の杯
ように観客の注意力集中の限界を心配しないですむために、小説の大きな武器となるものであ
ロ
り、西欧では、戯曲とは云えない対話形式の文学作品が多く生み出されてきた。ゴビノオ伯爵
ポ
だけを再編集して上演した例もパリであった。
アゴヲ
とれは一つには、ギリシア以来の広場の弁論術や、上流社会のサロンの会話など、抽象的論
たのかか
争そのものを娯しむ社会伝統と関わりがあり、ヨーロッパの演劇がとの伝統上にあれば、小説
もとの伝統から恩恵を受けていない筈はないのである。写実主義小説と写実主義戯曲との間に
ある、前述のような方法上理念上の区別は、まだ小説形式が未発達だった十八世紀には、明瞭
でなかった。十八世紀フランス文学では、小説の会話と戯曲の会話との聞に本質的な意味効用
の差はないと云ってよい。
しかし ζれを ζのまま日本へ持ってくると、見るも無残念ととになるのである。私は ﹁
美し
い星 ﹂ でその実験を試みたが、成功したとは云いにくい。論争の小説化としては古くは源氏物
しゃれ
語の ﹁雨夜の品定め ﹂から、江戸末期の酒落本、明治初期の遺遣の ﹁当世書生気質﹂や 二三 の
g
、んりん
政治小説などに片鱗があるけれど、その後日本の近代小説は、外国人をして会話小説(の ・
52 白Fロ
FO ZO 一郎の ﹁細雪
︿巳)と 言 わしめた潤
﹂ も含めて、論争を小説中に取り入れる乙と
あき
を諦らめてしまい、写実的会話だけが小説の会話としてふさわしいという 一種の文学的慣習を
作 ってしま った 。もちろん例外はいくつかあるが、その例外にしても、横光利 一の ﹁旅愁 ﹂の
ように、
1何 か
﹁じゃ、あなたがたは、科学と道徳とどちらが良いと思われるのですか ﹂
小説と 1
今わ
などという、 一読肌に粟を生ぜしめるような怪奇な対話を出現させたのである 。
問題を整理しよう 。 日本語では抽象語がそれ自体生活の伝統と背景を欠いているため、逆に、
会話に於ける抽象語の濫発(それは論争には不可避である)は、サタイヤとしての効果を狙う
ならいざ知らず、狙わなくても、それだけで、根無し草の近代都市インテリの或るタイプのイ
メージを、会話だけから浮ぴ出させてしまう 。従 って、その臭味を避け、そのイメージの限定
を避けて、抽象的論争の会話を作中に持ち込む ζとは至難である 。殊に女性を抽象的論争に加
わらせるととは、その女性のイメージ自体を特殊化するととであり、化粧、髪型、服装、顔形
まで、きわめて特殊な、それも決して 美 しくない女のイメージを喚起させてしまう 。もちろん
とういうととは社会の変化と共に変 っても来るであろう 。 しかし、主題の普遍化を意図した抽
7
29
かえ
象的会話は、却って小説を或る特殊なインテリの社会集団の間接的写生に近づけてしまうので
280
。
糸りス u
かくて日本語の会話は、できるだけ抽象語観念語を避け、感情や心理についてもできるだけ
分析的表現を避けて暗示にとどめるほうが、無難だという ζとになる。殊に小説は演劇とちが
たす
って、俳優の肉体の有無を言わせぬプレザンスに扶けられる ζとがないから 、会話が肉体を侵
おそ
食する娯れに絶えずさらされている。そして近代小説の進化に伴って、小説の地の文の、分析
性観念性抽象性には、日本語の限界ギリギリまで読者も馴らさ れて来た のであるが 、との無理
-c ,
し
な要請が、却って会話の部分に写実性具体性官能性を要求させ、些少・ eA
V予
の不自然も許容させ一-なく
ロ の杯
なった、という ζとが云えると思う。読者の感覚的違和感をいかに欺しながら主題を展開する
か、というととは 、日本の近代小説家のほとんど詐欺師的メチエに属する 。
ポ
それから日本語のもう一つの特性は、敬語の使い分けによって人物を描き分けた源氏物語ほ
ア
れる。私は手綱を引き締め、会話の一つ一つのリアリティーの裏附けのため、顔の表情や心裂
てんてい
の動きや情景描写を点綴する。場面がそんな余俗のないほど緊迫していればいるほど 、そう い
そうにゅう
う挿入がふしぎな効果を発揮するのが小説というものであり、とのあくまで客観的な芸術では、
登場人物のどんな感情の嵐のさなかにも作者が冷静を失っていないという証拠を 、読者は要求
したがるからである。乙の要請をあまり無視しすぎると、作者自身が陶酔しているように疑ぐ
ら れ 、 と の 疑 惑 は 直 ち に 読 者 の 陶 酔 を 冷 ますのだ 。
ζれに反して 、戯曲のクライマ ックスの場面では 、私は何ら描写の義務に迫られないですむ 。
戯曲では序幕がもっとも難物であるが、大詰か大詰に近い部分で 、 いよいよプ ロタゴニストと
アンタゴニストの対決がはじまると、いつも経験するととだが、私の筆はほとんど心霊科学の
自 動 書 記 の よ う に な っ て 、 思 考 が 筆 に 追 い つ か ぬ ほ ど 、 筆 が 疾 駆 す る 。 それというのも、待ち
8
21
に待たれたそういう頂点に来ると、相対する こ人の登場人物は、私の内部で全く相対立する 二
8
22
現代小説に対しては程よいお附合はするけれども、本当のととろ ﹁
三 時点とれ久しゅうする ﹂
というほどの感激を味わうととができなくなっているのは、 ζちらの感受性の磨滅にも依るの
であろう。文学賞の審査をいくつもやりながら 、なお小説を読む のが三度の飯 より好き、な ど
ロ の杯
という人がいたら、その人はまちがいなく怪物であろうと私には思われる 。
では、私が小説がきらいになったかと云えば、そうも云えない 。依然私は ﹁小説 ﹂を探して
ボ
いるからである。評論を読んでも歴史を読んでも私が小説を探しているととに変りはなく 、そ
ア
ることにしよう 。
通夜の晩あらわれた幽霊は、あくまで日常性を身に着けており、ふだん腰がかがんで、引き
ずる裾を三角に縫い附けであったまま、縞目も見おぼえのある着物で出現するので、その同 一
性が直ちに確認せられる。ととまではよくある幽霊談である。人々は死の事実を知っているか
ら、そのときすでに、ありうべからざるととが起ったという ζとは認識されている。すなわち
したい
棺内に動かぬ毘体があるという事実と、裏口から同一人が入って来たという事実とは、完全に
矛盾するからである。二種の相容 れぬ現実が併存するわけはないから、一方が現実であれば、
ロ の綜
他方は超現実あるいは非現実でなければならない。そのとき人々は、目前に見ているものが幽
霊 だ と い う 認 識 に 戦 懐 し ながら、同時に、超現実が現実を犯すわけはないという別の認識を保
ポ
持している。とれはわれわれの夢の体験と似ており、一つの超現実を受容するときに、逆に自
ア
己防衛の機能が働いて、とちら側の現実を確保しておきたいという欲求が高まるのである。自
の前をゆくのはたしかに曾祖母の亡重であった。認めたくないととだが、現われた以上はもう
仕方がない。せめてはそれが幻であってくれればいい。幻覚は必ずしも、認識にとっての侮辱
ではないからだ。われわれは酒を呑むととによって、好んでそれを・おびき寄せさえするからだ 。
しかし﹁裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくる/¥とまはりたり﹂と来ると、もう
しんかん
いけない。との瞬間に、われわれの現実そのものが完全に霞憾されたのである。
すなわち物語は、とのとき第二段階に入る。亡霊の出現の段階では、現実と超現実は併存し
ている 。 しかし炭取の廻転によって、超現実が現実を犯し、幻覚と考える可能性は根絶され、
ととに認識世界は逆転して、幽霊のほうが ﹁現実 ﹂ になってしまったからである 。幽霊がわれ
われの現実世界の物理法則に従ぃ、単なる無機物にすぎぬ炭取に物理的力を及ぼしてしま った
からには、すべてが主観から生じたという気休めはもはや許されない 。かくて幽霊の実在は証
明されたのである 。
その原因はあくまでも炭取の廻転にある 。炭取が ﹁くる /¥﹂ と廻らなければ、とんなとと
ちょ うつ がい
にはならなか ったのだ 。炭取はいわば現実の転位の蝶番のようなもので、 ζの蝶番が-なければ、
われわれはせいぜい ﹁現実と超現実の併存状態 ﹂までしか到達するととができない 。それから
1か
'
1
﹁同位、同位と呼ぶ声す ﹂
。
の 一行のどときも、正しくとれであろう 。そのとき炭取は廻 っている
しかし凡百の小説では、小説と名がついているばかりで、何百枚読み進んでも決して炭取の廻
らない作品がいかに多い ζとであろう 。炭取が廻らない限り、それを小説と呼ぶことは実はで
。
きない 。小説の厳密な定義は、実に乙の炭取が廻るか廻らぬかにあると云 っても過言 ではない
そして柳田国男氏が採録したとの小話は、正に小説なのである 。
﹁遠野物語 ﹂ に小説が発見されるのは、 ζの第 二十 二話にとどまらない 。
の杯
第十一話の、嫁と折合のわるい母を殺す俸の物語は、 .
せがれ
フロスペル ・メリメも 三舎を避ける迫
力と猷蹴の極である 。 この 一篇を熟読玩味すれば、小説とはいかなるものかがわかろう 。 そ ζ
がんみ
ロ
そ︿そ︿
オ
ミ
には肉親愛のアンビヴアレンツが、 一言 の心理説明もなしに側々と諮ら川、母と妻と息子とい
ア
寒村の小人間集団であるために、なお濃密に不可避に仕組まれた人間存在の ﹁問題性﹂の 、
小説とは
間接的な表現であるととろの民話の集成の、血なまぐさい成果を示すに当 って、氏が次のよう
な美しい序文を書いた心事に想到してみるがいい 。
﹁天紳の山には祭ありて獅子踊あり 。誌にのみは軽く慶たち紅き物柳かひらめきて 一村の緑に
映じたり。獅子踊と云ふは鹿の舞なり 。 (中略)笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞き
難し 。 日は傾きて風吹き酔ひて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑ひ児は走れども猶旅愁を奈何とも
する能はざりき。 ﹂
十
x
u, ス
私がこうして綾々'
uと小説論を展開しても、いうまでもないことながら、それはあくまで﹁私
87
2
の小説論﹂にとどまる 。
お8
芥川賞のような新人の作品の審査をするに当って、いずれもしたたかな十 一人の小説家が居
並ぶと、その小説観の多種多様なととに hoどろかされ、しかも各審査員が 一人一人、永年の経
験とカンで、
﹁ζれは小説ではない ﹂
れは小説だ﹂
﹁ζ
という、ほとんど独断的な確信を抱いているととに驚嘆させられるのである 。又 、お互いに
の 何:
文学的傾向の近いと考え合っている二人の作家が 、 一つの候補作品について極端な好悪のちが
いを示すかと思うと、・お互いに資質も傾向も全く異質だと考え合っている二人の作家が 、 一
つ
ポf ロ
の候補作品についておどろくほどの意見の一致を見る ζともある。十一人の審査委員が十篇の
候術作を審査して、たとえ最後は機械的な多数決に陥りがちにもせよ、 一篇の当選作を選び出
ア
すにいたる過程は、神秘としか名付けようがない。
もちろん、小説とは何か、という基準的範例的な考え方と、好きな小説きらいな小説という、
どく主観的な趣味や感覚の撰択とは、しばしばあいまいに混同される 。 しかし 一方では、趣味
ぜんた︿
的感覚的にきらいな小説でも、自分の感覚に逆らってまで、客観的な批評基準をとれに適合さ
せようという良心的努力は、十分に払われていると信ぜられる 。それがまたしばしば見当外れ
の努力であるにしても。
小説の賞というものは、 当選作が候補作の中で忌上の作品であったとは、-なかなか言い難い
ものだが、﹁小説とは何か ﹂ と い う 原 理 的 思 考 へ 審 査 員 の 小 説 家 た ち を 、 し ば し が ほ ど は 立 戻
ら せ る だ け で も 、有益な事業と 一
五わねばならぬであろう。
たとえ禾熟な新人の作品であっても、 一人の成熟した作家が、審査員としてとれに立ち向う
ときには、さまざまな心理的な思惑に悩まされるものである 。
何 と い う 下 手 な 書 出 し だ ろ う 。地 理 的 関 係 も 、 人 間 関 係 も 、 何 も わ か ら ぬ で は な い か 。
﹃
まあ、よしょし、その内面白くなるだろう 。 しかし、それにしてもひどい文章だな 。 とのどろ
隠し
の若い人は、小説を書くのに、文章などどうでもよいと思 っているのかしらん 。 :::箸にも棒
、 、 ピと
川にもかからぬたわ言を、読者がうかうか読んでしまうのは、文章の力のおかげなのだが 。
-e ぎ
は・ ・おやおや、女が出て来たぞ 。出て来るなり、女が何か気障なととを 言 い出した 。女 K ζんな ζ
と と を 言 わ せ て は い か ん 。 と れ で イ メ ー ジ は 台 な し だ 。 しかも主人公は、女のそういうイヤなと
咽同胞
l h ζろに気づかず惚れ込んでゆくが、それはいいとしても、作者まで、とういう女を肯定してい
るらしいのは、青二才もいいととろだ 。 :::ははあ、今度は何かカクテル・パーティーのシー
ンらしいぞ。へえ、洗煉された会話のつもりで田舎の洋裁学校のような会話を喋らせている。
ふうし
お里が知れるな。::よく読むと、そういう軽薄な会話は、調刺のつもりらしいが、議刺のつ
もりで自慢の鼻をうどめかせている作者自身が、同じ水準だという ζとはすぐにわかる 。 :
0・
もっと侮蔑を!もっと侮蔑を!侮蔑が足りない フチ ・プウルジヨアを描くのに、片時も
侮蔑のタッチを忘れてはだめだ 。一 体フロオベエルを読んだととがあるのかしらん?・・はは
289 あ、今度は風景摘写と来たな 。海か 。ちっとも潮の匂いがしないじ ゃないか 。
一言葉を沢山使え
ば使うほど、張りぼてになってしまうじゃないか 。 ・・うん、うん 。 オートバイのあんちゃん
9
20
ちょ っと
たちが出て来た 。 との連中の会話は 一寸蘭白い 。 へえ、とんなふうに女の子をからかうのかね
え。昔では 一寸想像のつかん ζとだ 。なるほどねえ 。はやり 言葉もとう機関銃のように使われ
ると、 一種のダイナミズムが出て来る 。 とれは 一寸真似ができんな 0・:・:おやおや、伏線も引
かず に ζんな事件を突発させて、短篇の枚数で、どう処理するつもりだろう 。 ζれをそもそも
書きたか ったのなら前置きが長すぎ、尻切れ鯖蛤になるのはわかりきっているじゃないか 。 パ
とんぼ
カだな 。 そんなとともわからないのか 。 :・:・そら、そら、そら、:::おっと 。 ζの結末は完全
な失 敗 。 ζれでとの小説はオジヤンだ ﹄
ロ の停
かつルう
たくなく、 ﹁頑固 ﹂ と見られたくなく、又、 ﹁妥協的 ﹂と見られたくなく、心理的葛藤でへトへ
トになってしまう人もあろう 。
む 。 み き しよ
しかしともあれ町会の旦那衆は、御神酒所に陣取って表面だけはに ζに ζしながら、年々山政
ζし
歳担ぎ方が下手になり格を外れて来たように思われる神輿の渡御を見送るのである 。
み
﹃ちえっ 。俺が若いとろは、ずっと巧く、ず っといなせに担いだもんだがなあ ﹄
ーー だ が 、 困 ったととに、小説は神輿ではなく、小説には型も格式もない 。
それでも ﹁とれが小説だ ﹂ というものがある筈だ、本当の小説なら必ず 一カ所でも炭取の廻
るところがある筈だ、という思いは、審査員のどの胸にもくすぶっている 。 そして子供らしい
希望がまだ消えずに残っていて 、十一人が十 一人とも、天才の珠玉の前にひれ伏したい気持を
持 っているのである 。
私が永年 ζの種の審査に携 って来て、只 一度、生原稿で読んで傑然たる思いのしたのは、深
傘らや まぶ し ζう
沢七郎氏の ﹁楢山節考 ﹂ に接した時のととである 。中央公論新人賞というのは、百枚以上の中
篇を生原稿で十篇以上も読むのであるから、決して楽な審査ではない 。 いくつかの候補作に倦
んじ果てたのち、忘れもしない或る深夜のとと、恒健に足をつっとんで 、そのあまり美しくは
ζ たつ
て 、
、、
ない手の原稿を読みはじめた 。 はじめのうちは、何だかたるい話の展開で、タカをくくって読
んでいたのであるが 、五枚読み十枚読むうちに只ならぬ予感がしてきた 。 そしてあの獄縦なク
小説とは何 か
はばか
クのとの作品は、私の読んだおよそ百篇に余る S Fのうち、随一の傑作と呼んで僚らないもの
たいぜき
であるが、﹁幼年期の終り﹂は徹頭徹尾知的な作物である点で、 ﹁樋山節考﹂とは正に対際的で
ありながら 、その読後感のいいしれぬ不快感は共通しているのである。
S Fを好まぬ読者には、つまらぬ筋立てと思われようが、ある日地球の上空に大宇宙船団が
あらわれ 、人 類の世界国家建設と戦争の絶滅を促し、その意図は全く人間主義的な理想主義を
最高度に示し 、見えざる上帝が船中から地球を間接支配するにいたる。誰も見たととのないそ
の上帝が、五十年後姿をあらわすと、それは人間の伝説上の、翼を持 った悪魔と全く同じ姿な
ロの杯
のである。悪魔伝説は古い昔に、との宇宙人の姿を垣間見た人類が、人類の敵と考えて造型L
伝承させたものであり、上帝は ζ の姿を見た人類に誤解されるととを怖れて、五十年の時を仮
アボ
十
気ままな連載の形を許してもら っているので、前回で未解決 の問題をさしおいて、自分の身
あい
9
23
辺のととを語らせてもらいたいと思う 。一 種の間狂 言というつもりでお読みをねがう 。
,
暁の寺 ﹂を脱稿した 。
市AJfLp
︾a'A
つい数日前、私はこと五年ほど継続中の長篇 ﹁豊鏡の海﹂の第三巻 ﹁
同
日
9
24
ζれで全一巻を終ったわけでなく、さらに難物の最終巻を控えているが、一区切がついて、いわ
ば行軍の小休止と調ったととろだ 。路ばたの草むらに足を投げ出して、煙草を一服 、水筒の水
いみち
で口を湿らしていると ζろを想像してもらえばよい 。人から見れば、いかにも快い休息と見え
るであろう 。 しかし私は実に実に実に不快だ ったのである 。
ぜき du
ζ の快不快は、作品の出来栄えに満足しているか否かというとととは全く関係がない。では
何の不快かを説明するには、沢山の 言葉が要るのである 。 ζれからが、おそらく他人には何の
興味もない、私O陰気な独自になる 。
の 杯
私は今までいくつか長篇小説を書いたけれども、とんなに長い小説を書いた ζとははじめて
ロ
ムを 一つ建てるほどの時聞がかかる 。小説と限らず、目前に七年がかりの仕事を控えた人聞が、
ア
世間で考える簡単な名人肌の芸術家像は、との作品内の現実 Kのめり込み、作品外の現実を
離脱する芸術家の姿であり、前述のパルザ ックの逸話などはその美談になるのである 。 しかし、
その 二種の現実のいずれにも最終的に与せず、その 二種の現実の対立・緊張にのみ創作衝動の
み いだ
泉を見出す、私のような作家にと っては、書くととは、非現実の霊感にとらわれつづける ζと
ではなく、逆に、 一瞬 一瞬自分の自由の根拠を確認する行為に他ならない 。その自由とはいわ
ゆる作家の自由ではない 。私が 二種の現実のいずれかを、いついかなる時点においても、決然
と選択しうるという自由である 。 との自由の感覚なしには私は書きつ,つけるととができない 。
ロ の杯
由抜き選択抜きの保留には、私は到底耐えられない 。
﹁暁の寺 ﹂を脱稿したときの私のいいしれぬ不快は、すべて ζの私の心理に基づくものであ っ
た。伺を大袈裟なと 言 われるだろうが、人は自分の感覚的真実を否定するととはできない 。す
おおげさ
なわち、 ﹁
暁の寺 ﹂ の完成によって、それまで浮遊していた 二種の現実は確定せられ、 一つの
かみくず
作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑にな っ
たのである 。私は本当のととろ、それを紙屑にしたくなかった 。それは私にと っての貴重な現
実であり人生であ った筈だ 。 しかし っていた 一年八カ月は、小休止と共に、
ζ の第三巻に携わ
二種の現実の対立 ・緊張の関係を失ぃ、 一方は作口聞に、一方は紙屑にな ったのだった 。それは
私の自由でもなければ、私の選択でもない。作品の完成というものはそういうものである 。そ
れがオ lトマティックに、 一方の現実を ﹁廃 棄 ﹂させるのであり、それは作品が残るために必
須の残酷な手続である 。
私 は と の 第 三巻の終結部が嵐のように襲 って来たとき、ほとんど 信じる ζとができなか った。
それが 完結する乙とがないかもしれない、という現実のほうへ、私は賭けていたからである 。
との完結は、狐につままれたような出来事だ った。﹁ 何を大袈裟な ﹂と 人々の 言 う声 が再びき
ζえる 。作家の精神生活というものは世界大に大袈裟なものである 。
小説とは何か
くれない限り、(そのための準備は十分にしであるのに)、私はいつかは深い絶望に陥るととで
ちんじ
あろう 。思えば少年時代から、私は決して来ない椿事を待ちつ つ e
ける少年であった。その消息
は旧作の短篇 ﹁海と夕焼﹂ に明らかである 。そしてとの少年時の習慣が今もつづき、二種の現
実の対立 ・緊張関係の危機感なしには、苫きつづける ζとのできない作家に自らを仕立てたの
であった 。
吉田松陰は、高杉晋作に宛てたその獄中占簡で、
﹁
身亡びて魂存する者あり、心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり ﹂
の杯
と書いている 。
ζの世には 種の人聞があるのである 。心が死んで肉体の生きている人間
ロ
との説に従えば、 二
ζとは実にむずかしい 。
7 ボ
と、肉体が死んで心の生きている人間と 。心も肉体も両方生きている
生きている作家はそうあるべきだが、心も肉体も共に生きている作家は沢山はいない 。作家の
場合、困 ったととに、肉体が死んでも、作品が残る 。心が残らないで、作品だけ残るとは、何
と不気味なことであろうか 。又、心が死んで、肉体が生きているとして、なお心が生きていた
とろの作品と共存して生きてゆかねばならぬとは、何と醜怪なととであろう 。作家の人生は、
生きていても死んでいても、吉田松陰のように透明な行動家の人生とは比較にならないのであ
る。生き・ながら魂の死を、その死の経過を 、存分に味わうととが作家の宿命であるとすれば、
のろ
これほど呪われた人生もあるまい 。
みたび
﹁何を大袈裟な ﹂と笑う声が三度き ζえる。
﹁お前は小説家である。幸い本も多少売れ 、生活も保障されている 。何を憂うるととがある。
大人しく小説を書いていればいいではないか 。われわれはそれをたのしんで読み 、読み飽きれ
ば古本屋へ売り、やがて忘れるだろう。それだけが小説家の仕事ではないか。お前は何か誇大
妄想に陥っているのではないか 。ただ大人しく小説を書いておれ 。それ以外 Kお前のやるべき
もうぞ う
ととはなく 、われわれもそれ以外にお前に対して何も期待してはいないのだ﹂
その忠言 はま ζとに尤もであり、 一々当を得ていて 、返す言葉もない 。 しかし私は生きてい
る限り 、カの限りジタパタして、との忠言に反抗し 、 ζの忠言からのがれようとつとめるであ
小説とは何か
ろう。もし、(万が一にもそんな ζとはありえ念いが)、私が心を改めて、とんな忠告に素直に
従うとしたら、その時から私は 一行も書けなく・なるであろうからである 。
十
ろう
とのどろは 一般に小説家の偽善的言辞を弄する者が多くなって、偽善の匂いの全くしない小
説家といえば 、わずかに森莱新さんと野坂昭如氏ぐらいしかいないのはま ζとに心細い。 ζれ
はもちろん、内田百聞氏や稲垣足穂氏のどときは別格と考えての上である。
重症者の兇器 ﹂ という漫文を書き、その中で 、﹁
私はかつて昭和二十 三年に ﹁ 私の同年代か
ら強盗諸君の大多数が出ているととを私は誇りとする ﹂と書いたが、今もこの心持は失ってい
ないつもりである 。
﹁ 金閣寺 ﹂という小説も明らかに犯罪者への共感の上に成り立った作品で
9
29
∞
あった o
3
d んきん
私がこんな ζとを言い出したのは、税近のいわゆるシ l ・ジヤツク事件のととからで、とれ
さんぴまつえい
に対する文士の反応は、弁天小僧を讃美した日本の芸術家の末商とも思えぬ、戦後民主主義と
κ
ヒューマニズムという新らしい朱子学 忠勤をはげんだ意見ばかりであった 。近どろとの積の
事件が起るたびに、何か飛び抜けた意見があらわれず、とれを言つてはいけない 、とれは 否定
しなくてはいけない、という自己検聞が、文士の問ですら無意識に強化されているらしいのは、
ま ζとにふしぎな傾向である 。
会路
M
ドストイエアスキーの ﹁罪 と罰 ﹂を引張り出すまでもなく、本来、芸術と犯罪とは甚だ近い
凶
ロ の綜
﹁ 小説と犯罪とは ﹂ と言 い直してもよい 。小 説 は 多 く の 犯 罪 か ら 深 い 恩 顧 を 受
類縁にあ った。
けており、 ﹁赤 と黒 ﹂ から ﹁呉邦人 ﹂ にいたるまで、犯罪者に感情移入をしていない名作の数
ア ボ
かえ
は却 って少ないくらいである。
それが現実の犯罪にぶつかると、う っかり犯人に同情しては世間の指弾を浴びるのではない
か、という思惑が働らくようでは、もはや小説家の資格はないと云ってよいが、そういう思惑
み申
の上に立ちつつ、世間の金科玉条のヒューマニズムの隠れ蓑に身を隠してものを 言 うのは、さ
らに 一そう卑怯・な態度と云わねばならない 。 そのくらいなら警察の権道的発言 に同調したほう
ひきょう
がまだしもましである 。
さて、犯罪は小説の恰好の素材であるばかりでなく、犯罪者的素質は小説家的素質の内に不
が肺ぜん
可分にまざり合 っている 。なぜ・ならば、共にその素質は、蓋然性の研究に秀でていなければな
らぬからであり、しかもその蓋然性は法律を超越したととろにのみ求められるからである。
どうか
法律と芸術と犯罪と三者の関係について、私はかつて、人間性という地獄の劫火の上の、餅
ひゆ
焼きの網の比喰を用いたととがあるが、法律は ζ の網であり、犯罪は網をとび出して落ちて黒
先M
焦げになった餅であり、芸術は適度に狐いろに焼けた喰ぺどろの餅である、と説いたととがあ
吋
った。いず れにしても、地獄の劫火の焦げ跡なしに、芸術は成立しない 。
トル l マン ・カポ Iティは、﹁冷血﹂という、きわめて語り口の巧いドキュメンタリー ・ノ
ヴエルの中で、弁護の余地のない凶悪犯罪を、一種の神話的タッチで、しかもきわめて無責任
ト
K描いたが、 ζの小説は弁護の情熱だけは徹底的に避'
Aけて通るという点で、ソアイスティケイ
小説とは何か
テァドな効果をあげた一方、小説としての倫理的性格を根本的に欠くととになった。それはも
ちろんカポ 1 ティの最初からの意図であったろう。しかしとのような倫理的性格をはじめから
放棄したものを、小説とよんでよいかどうか疑問である 。もちろん私は小説と修身を混同して
いるわけではなく、﹁冷血﹂が悪徳小説でありえていないという点を批判しているのである。
サド侯爵の作中の食人鬼が、いかに自己正当化の理論を情熱的に展開するか、思い出してみる
がよい。
小説は、世間ふつうの総花的ヒ ューマニズムの見地を排して、犯罪の被害者への同情は(当
然の ζとであるから)世聞に預けて、むしろ弁護の余地のない犯罪と犯罪者に、弁護の情熱を
燃やすととろにしか、成立しない筈のものであった。法律や世間の道徳がどうしても容認せず、
みいだ
又もし弁護しようにも所与の社会に弁護の倫理的根拠の見出せぬような場合に、多数をたのま
0
31
ず、断ハ献をたのまず 、小説家が 一人で出て行 って、それらの処理によ って必ず取り落されると
0
32
、
とになる人間性の重要な側面を救出するために、別種の現実世界に仮備をしつらえて そ ζで
小説を成立させようとするものであ った。
もちろん ζんな情熱を正義感とまちがえてはいけない
。小説家も商売人である以止、世間が
ろう れ っ しょ
どんなヒューマニズムの仮面をかぶ っていても、その下に随劣な好奇心と悪への噌慾を隠して
いるととを財思している 。一 旦その通路をとおれば、どんな人も犯罪者の孤独と無縁でなくな
る乙とをよく知 っている 。 しかも小説家の方法は、講演会場で大ぜいの聴衆の賛同を求めると
いう行き方ではなく、ひとりひとりの個室へ忍び入 って、余人をまじえずにしんみりと説得す
の 杯
るというやり方なのである 。
し げき
、形
世間ふつうの判断で弁護の余地のない犯罪ほど 、小説家の想像力を明較し、抵抗を与え
ロ
ひ
ろう。しかし小説はそ ζに魅かれ、そ ζを狙うのである。
そのとき悪は 、抽象的な原罪ゃ、あるいは普遍的な人間性の共有の問題であるにとどまらな
い。きわめて孤立した、きわめて論証しにくい、人間性の或る未知の側面に関わっている筈で
ある。私はアメリカで行われた凶悪暴力犯人の染色体の研究で、男性因子が普通の男よりも一
個多い異型が、とれらの中にふつうよりもはるかに多数発見されたという記事を読んだとき、
g
か
戦争というもっとも神秘な問題を照らし出す一つの鍵が発見されたような気がした。それは又
裏返せば、男性と文化制造との関係についても、今までにない視点を提供する筈である。
それはさておき、犯罪は、その独特の輝きと独特の忌わしさで、われわれの日常生活を薄氷
の上に置く作用を持っている。それは暗黙の約束の破楽であり 、その強烈な反社会性によ って
、
却って社会の肖像を明らかに照らし出すのである。それは ζの和やかな人間の集団の只中に突
0
33
同
ドつ必 な ん ほ
然荒野を出現させ、獣性は 一閃の光りのようにその荒野を馳せ、われわれの確信はつかのまで
304
もばらばらにされてしまう 。
実は小説家が小説を書く ζとによ って犯っている効果も、とのようなものなのである 。効果
そのものにはそういう犯罪的意図があ っても、小説は近代社会特有の寛大さのおかげで、め っ
たに罰せられる ζとがないから、法律や社会道徳を無視した倫理的緊張を自らに悠々と - 課する
ととができ、いわば法律上の ﹁確 信犯 ﹂ の体系を 美的に形成するととができるのである 。現実
の犯人は現実の法律に屈するほかはないが、小説はベかくて、もし成功すれば、その小説を裁
ζとができる 。
く者 は神しかないととろへまで、自己を推し進める
の杯、
しかしそれは、小説独自の作用であり、小説家の自前の功績であろうか 。その点がどうも疑
わしい 。小説家の犯罪者的素質は、殺人よりもむしろ泥棒にあり、むかしから盗作はおろか、
ロ
7 ポ
先 ど ろ 私 は 芥 川 賞 の 選 衡 に 当 う て 、 久 々 に よ い 新 人 の 作 品 を 読 ん だ 。吉 田 知 子 さ ん の 無 明
d-
Aζ 今
-1何か
長 夜 ﹂ がそれである 。 ζ の 作 品 は 狂 気 を 級 っ て 、 そ れ な り に 成 功 し た 小 説 と い え る で あ ろ う 0
小説と 1
1
学校へ行っても家へ帰っても私には親しく話しあう人は・なかったので他人の ζとは、あまり
考 え た ζとがありませんでした 。 他人のととばかりではな く 、外界 に も現実 に も深い 関心 は抱
き ま せ ん で し た 。 それらは所詮、仮のかたちにすぎない のです 。 ほんの間に合せなのです ι
ζん な 心 境 で 育 った女主人公も、そのうち 平凡な妓師と結婚し、 ﹁
f味 の な い 女 ﹂ と云われ、
しゅうと の か っとう H っと
子供も生めず、 一方、変り者の姑の福子とも門岡山騰を生ぜず、そのうち良人が出張先から行
庁 不 明 に な って二 カ月後、 戻 って隊予を見るととにする 。 そとには
一人で実母のいる門前村へ ﹂
自 分 の 心 の 恨 源 の ﹁物園休 ﹂ ともいうべき御本山があり、 X 、 一万、その近くの千台寺六角堂
には、幼時から ﹁純 粋 男 性 の影ともいうべき印象を深く刻まれていた新院がいる 。 その新院
﹂
aん
との 一方 的 な 心 の 交 渉 、 幼 な な じ み の 綴 欄 も ち のE伎を間出欲的な ↑
てん
刀法で設してしまう事件、本
305
こうしん
山の村肘八などが後半のあらすじであるが、後半へゆくほど、女主人公の狂気は昂進して、現実
306
と非現実との境界はあいまいになってゆくので、こんなレジュメは意味をなさない。
しかし乙の小説の面白さと実感はあくまで細部にあるので、筋立てはやむをえず設け校吋の
のように、作者自身も言っている。主人公は人聞にはめったに感動せず、 ﹁
晩秋に見た焚火 ﹂
には官能の極ともいうべき感動を覚えるが、人聞に対して深い関心が働らくのは玉枝の癒摘の
発作のように、人聞が即時に ﹁物 ﹂ に化する瞬間のみである 。 又、新院に対する感情も、決し
て思慕などというなまやさしいものではなく、さりとて色きちがいのべたべたした色情でもな
じ よう
凶リh
v
く、忘れられた官能の根源へ迫ろうとする一種の形而上
・ 学的曙慾とごっちゃになっている。つ
し
の杯
まりそれは知的能艇が官能的形式なのであり、主人公はどうしても手が届かず、届かぬのみか
ますます離隔を深める現実に対して、何ら回復の手段も持たぬまま、何とか自分のなまの存在
・
む
ポ
aF
感を取り戻そうとして空しい焦燥にかられている。
ア
感じようとしても感ずるととのできないとの深い離隔のなかで、しかも人間の形をして生き
ている 一たん自分自身をコーヒー ・ポットだと信ずるにいたれ
ζとに、狂人の矛盾があって、
ば、それはもう狂気の勝利なのだ 。
文学と狂気との関係は、文学と宗教との関係に似たところがある 。 へんダ 1リンの狂気も、
ジェラアル ・ド ・ネルヴアルの狂気も、ニイチェの狂気も、ふしぎに昂進するほど、 一方では
極度に孤立した知性の、澄明な高度の登磐のありさまを見せた 。何か酸素が欠乏して常人なら
・とう陥ん
高山病にかかるに決っている高度でも、平気で耐えられるような力を、(ほんの短かい期間で
はあるが)、狂気は与えるらしいのである 。
もちろん ﹁無明長夜 ﹂ は、そ乙を織とうとしたものでもなく、作者自身の体験から出たもの
でもない 。描かれているのは狂気の経過であり、或る人間離脱の素因が、次第次第に成長して、
人間的現実の喪失感を増し、クレ ッチマアがいみじくも 言っ たように、 ﹁外界に接する皮厨が
だんだん革のようにごわごわしたものになる ﹂分裂症の進行に似たものが、鮮明なデ ィテール
、 一つのクライマ ックスにいたる物語である 。 しかし分裂症の進行が、往々あ
の集積によ って
るように、殺人や自設に終 っても 、それを厳密な意味でクライマ ックスと呼ぶととはできない
であろう 。 とちら側から見れば、危険な反社会性の現実化であり、 一
つ の社会事件としてのク
小説とは何 か
ライマ ックスであっても、向う側から見れば、さらに進行する経過の上の偶発的事件であるに
すぎないからである 。
乙とに狂気を扱う場合の、織成上の最大の難闘があ って
、 ﹁無明長夜 ﹂ もその点で、明白な
弱点を持っている。すなわち、小説は、情成上の必然性がなければならず、プロ ットは因果関
係の上に成立たねばならぬとは、しばしば述べてきたとおりである 。 それが小説をして ﹁お
王 妃が死んだ 。 そ
話 ﹂ から脱却せしめた要素であり、 E -M ・フォ lスタアも 言 うように、 ﹁
の悲しみのあまり、 一カ月後に 王も死んだ ﹂ という、 ﹁その悲しみのあまり ﹂ というプロ yト
要因に小説の本質がひそむのである 。
しかるに、狂気は、その進行過程に・おいて、ついに必然的クライマ ックスを持たない 。必然
的クライマ Yクスとは ﹁ ﹁ 自己物質化 ﹂ であ って、常人の側からは ﹁死﹂ と同 じとと で
物化 ﹂
0
37
ある 。狂人の自殺は 二重の青山味を持つ 。すなわち、自己物質化を狂気が達成しうるのに、さら
308
象は、神の領域に他ならないからである 。
ロ
﹁無明長夜 ﹂ の殺人と本山炎上の妄想のクライマックスは、との点で、むりに小説を終結させ
ようとした作者の器官にもとづいている 。 とのような小説は、ディテールの集積だけで十分な
ポ
ア
いる 。
なぜなら 、小説も芸術の 一一種である以上、主題の選択 、題材の選択、用語の選択、あらゆる
[
小 ;
のようなものが具現されるであろうか。
犯罪と狂気について述べつつ、私はいわゆるパ l ヴ ァ lジョン(倒錯)の問題には触れずに
しまったが、最後に、とのような小説世界の構築性という問題に触れて、沼正 三氏の ﹁家蓄 人
ヤプ l﹂を取り上げぬわけには行かない 。
との作品をマルキ ・ド ・サドの ﹁
ソ ドム百 二十日 ﹂と 比較したくなる誘惑をしばしば感じる
のは、スカタロジ l の類縁ばかりではなく、一にかかってその構築性の論理にある。﹁家畜人
ヤプ l﹂ の世界は決して狂気の世界ではない 。それはイヤになるほど論理的で社会的で俗悪で
-
の やf
さえある。文章自体がとり立てて文学的だというわけでもなく、感覚のきらめくディテールが
ソ ドム百 二十日 ﹂ととの作品はよく似ている 。
あるわけでもない 。 との点でも ﹁
ロ
ポ
山町パ¥のはただその自由意志による壮大な構築性である 。その世界は実にわれわれの社会と同
ア
じ支配被支配の論理に立ちつつ、ただそれを露骨千万に押しすすめただけであって、との作品
au
のアナロジーや謝酔を過大評価してはいけない。アナロジーや調刺は遊びの部分である。陸自
dとA
,
,
、,
つ の倒錯が、自由意志と想像力によって極度に押し進め
させるのはただ、マゾヒズムという 一
られるときには、何が起るかという徹底的実験が試みられている ζとである。一つの倒錯を是
認したら、ととまで行かねばならぬ、という戦懐を読者に与えるとの小説は、小説の機能の本
質 に 触 れ る も の を 持 っ て い る 。 そとでどんな汚磁が美とされようと、その美はわれわれ各自の
の
b わ い
感受性が内包する美的範時と次元において少しも変りはしないのである 。
同んちゅう
四
十
小説とは何か、という問題について、無限に語りつ ,
つけるととは空しい 。小説自体が無限定
ぬえ ザ テ29コシ
の鶴のようなジャンルであり、ペトロニウスの普から ﹁雑 組 ﹂ そのものであ ったのだから、
それはほとんど、人間とは何か、世界とは何か、を問うに等しい場所へ連れて行かれる 。 そ ζ
まで行けば ﹁小説とは何か ﹂を問うととが、すなわち小説の主題、いや小説そのもの Kなるの
であり、プルウストの ﹁失われし時を求めて ﹂ は、そのような作品だ った。概して近代の産物
である小説の諸傑作は、ほとんど ﹁小説とは何か ﹂ の、自他への問いかけであ った、と云って
小 説とは何か
も過言ではない 。小説はかくて、永久に、世界観と方法論との問でさまよいつ,つけるジャンル
なのである 。 その紡復とその懐疑とを失 った小説は、厳密な意味で小説と呼ぶべきでないかも
JF﹄A J
附MA
しれない 。
そとで小説とは、小説について考えつ ,
つける人聞が、小説とは何かを模索する作業だ、と云
ってしまえば、技術的定義に偏して、重要な何ものかを逸してしまう、というととろに、文、
にせがね
小説の怪物性がある 。
﹁ 小説の小説 ﹂たるジイドの ﹁贋金つくり ﹂ や、現代各種のアンチ ・ロ
マンが、ほとんど血の通 った印象を与えないのともとれは関わりがある 。
小説は、生物の感じのする不気味な存在論的側面を、ないがしろにするととができない 。ど
いきも の
んなに古典的均整を保 った作品でも、小説である以上、毛がはえていたり、体臭を放 っていた
りする必要があるのである 。
1
31
との間私は江の島の海獣動物園で、ミナミ象アザラシという奇怪な巨大な海獣を見た 。 との
312
何ともいえない肥大した紡錘形の、醜悪な顔つきの海獣は、実に無意味な、始末 K困る存在で
あり、かれ自身も自分を持て余しているように見えた。鉄いろの滑らかな体躯を怠惰に寝そべ
らせ、人が小魚の餅で誘 っても、そ っちのほうへ向くのは面倒くさいので、まるで見当mMの
方向へ、桃いろの口をあんぐりひらいて、結局その僻をアシカにとられてしま っても、悟淡と
お っ︿う
。
している無精さであった 水へ飛び込むのも億劫、寝返りを打つのも億劫、だからコドクリ 1
げちょ うちん
ト の上で、脳宣いにな って、ときどき提灯なりにちぢめた長い鼻をうどめかせたり、糞をひ っ
たりしている 。目をあけたり、閉じたり、それにも大した意味はない 。住家の大洋からは隔て
の杯
られ、その巨体と背景とのバランスを失ぃ、全くバランスを失った巨大さが、見物人を興がら
せている 。置かれるべきととろに置かれていないからとそ珍奇さを増し、風の加減で異臭が人
ロ
ボ
人を閉口させ、とにかくいろんな欠点はあるが、自然が何のためにとんなものを作 ったのか、
FEFE
ア
彫刻が生の理想形の追求であったとしたら、小説は生の現存在性の追求であ った。小説にお
けるヒーローは、劇K Bけるヒーローとちがって、糞をひり、大飯を喰ぃ、死の尊厳をさえ敢
て犯すのだ った。
もつふり
私がとのような感想を以て動物園を離れ、自宅へ帰って読み耽った小説は、しかし、 ζのよ
ぜつぜん
うな小説とは毅然とちがっていた 。
陰彰な美青年 ﹂ (小佐井伸 二氏訳)である 。
それはジュリアン ・グラ ックの ﹁
しよ うしゃ
ζ とには冷たい一分の隙もない知的構成があり、一種の繍酒な気取りがあり、荒涼とした避
暑地のプウルジヨア生活があり、海辺の ﹁魔の山 ﹂ともいうべき有閑男女の知的病人の社交界
があり、そとにあらわれる主人公の ﹁
陰穆な美青年 ﹂ アランは、終始 一貫
、 一点の乱れもなく、
もちろん大飯も喰わず、糞もひらず、典雅をきわめた姿勢を崩さずに、 居なが ら にして人々を
3
31
支配し、ついには自らの死へ端然と歩み入るのである。
1
34
私はとの醗訳の硬さ、殊に女の会話の生硬さに、閉口しながら読み進んだが、ジュリアン ・
グラックの反時代的な趣味、その冷艶な趣、世紀末文学の現代への余響、しかもすとぶる現代
的な追究力と主題の展開に、終始魅せられながら読み終った 。 そしてなかなか小説というもの
は、ミナミ象アザラシだけでは律しきれないというととを、今更ながら覚 った。
ただ本書の解説で、主人公アランを ﹁死﹂その ものだと決めつけているのはどうかと思われ
る。私見では、アランは決して ﹁死 ﹂そのものではない 。彼がはじめから自殺の決意を以てと
しゃべ
とに現われたととは、登場人物たちにはなかなか気づかれず、ホテルの主人のはしたない・お喋
の杯
りによって、はじめてそれと気づかれるのであるが、作者がアランを形象化して言いたか った
と と は 、 死 の 決 意 が 人 に 与 え る 透 明 無 類 の 万 能 性 で あ ろ う 。生 き よ う と い う 意 志 が す で に 放 棄
ロ
ポ
されているのであるから、そのまわりに群がる精神的な死者や知的な病人は、 ζうした自己放
ア
か&
棄に決して敵わない自分たちを発見して、ごく自然にアランの王権に服するのである 。 アラン
の王権は、ただとの 一﹄白⋮から発して、すべての人々を圧服してしまう 。人々は、アランの謎、
会ぞ
念た
アランの不可解に魅せられるが、それは彼がすでに ﹁彼方 ﹂から ζちらを眺めているととに気
AU
づ か な い か ら で あ る 。 賭 事 の い さ ぎ よ さ も 、 人 間 関 係 に お け る 超 越 性 も 、アランが決して異類
ではなく、ただアランが、人々を瞬時に凍りつかせるような或る視点を獲得したというととか
ら起る 。 ックはおそらく通常の小説の作者の視点とは異なる、彼自身
ζ のような視点を、グラ
の作家の視点として設定したものであろう 。従 って人々はアランに ζの世ならぬ目で眺められ
ているととに気づかずに、ひたすらアランを見詰めて紡復し、その結果、アランの毒にやられ
てしまう 。 アランは本来、眺められる存在ではなく、小説の中へ露骨に姿を現わした ﹁
見者 ﹂
なのであるが、彼の美しさがどうしても人々の注視を集めてしまう 。 しかも彼の閃体的魅刀は、
実はもはや彼自身から完全に見捨てられたものなのである。
非常に微妙なととを巧みに言い廻すフランス的な文体が 、 いやでも余分な文学臭を帯びてく
スプリ ? M
る ζとは避けがたい。 ζの不吉で憂診なドン ・ジュアンは、しかし、現代に憂穆の値打を復活
させた 。 それは一九一 0年代以後、たえて顧みられる ζとのなかったものだ 。
、んぽ
││それにしても私の読書は何と偏頗であろう。ジュリアン ・グラ ークの 小説を読んで数日
小説とはfOIか
たんぺん
後 、 私 は 村 上 一 郎 氏 の 短 篇 小 説 集 ﹁ 武 蔵 野 断 唱 ﹂を 読 み 、 巻 末 に 収 め ら れ た ﹁
広瀬海軍中佐 ﹂
という一篇に心を樽たれた 。
ζ の短篇集を読んだのは、あの魂をおののかせるような ﹁北 一輝論 ﹂の 著者が、どういう小
説を書くのだろう、という純然たる好奇心からであ ったが、ととでも私が触れたのはミナミ象
アザラシからは無限に遠い小説であ った。もう 言っ てもよかろうが、ミナミ象アザラシから無
限に遠い、というととは、パルザックから無限に遠い、というのと、ほとんど同じ ζとを意味
する 。
ζう言つては失礼だが、村上一郎氏の小説技巧は、ちかどろの芥 川賞候補作品などの達者な
技 巧 と 比 べ る と 、 拙 劣 を 極 め た も の で あ る 。 しかしとれほどの拙劣さは、現代に於て何事かを
意味しており、人は少くともまどとろがなければ、 ζれほど下手に小説を書く ζとはできない。
5
31
ふ︿い,、
下手である ζとが一種の複郁たる香りを放つような小説に、実は私は久しぶりに出会ったので
6
31
みもだとん ,
かすり院かま
あった 。 そとにとめられた感情が、表現のもどかしさに身悶えし、紺紛の着物と小倉の袴の素
ひ金つ
朴さを丸出しにし、すべての技巧を安 っぽく見せ、自他に対する怒りがインクの飛沫をあちと
・
ちへ散らし 、本当は命がけで・なくては言えないととを 、小説と狩情レ
・をごっちゃにした形で言
rb A'rLWPA'AJ
詩
おうとしている、その奇矯なわがままが 美 しいというほかない小説。私はふと吉田健 一氏の小
説との類似性を 、(文体も 主題も全くちがうが )、読み ・ながらときどき感じた。
筋というべきものは、戦時中海軍の主計将校になった﹁俺 ﹂が、広瀬中佐の慰霊祭の祭文に
感動しつつ自らは死なずに終戦を迎え、戦時中死に接し てあとがれを絞 っていた女性を、戦後
ロ の村、
めと
思いを遂げて妻として嬰り、貧しい生活の中に児を得ながら、念お例の祭文を心にとどめてい
ゅうもん
で、それがたえず心の憂悶を培う、というだけの話である。
ポ
しかしとの短篇ほど、美しく死ぬととの幸福と、世間平凡の生きる幸福との対比を、 二者択
ア
一のやりきれぬ残酷さで鮮明に呈示している作品は少ない。地上最美の文字ともいうべき祭文
の強い暗示カ、そとに盛られた圧倒的な ﹁死の幸福﹂の観念は、いつもとの地上の幸福にのし
かかってやまず、村上氏は、最も劇的な対立概念を、おそれげもなく、赤裸のままで投げ出し
て、氏のいわゆる ﹁小説 ﹂ に仕立てたのであった。
解
彰
佐
{
自
骨董には ﹁時代がつく ﹂ という ζとがあるようだ 。とにかく年代が古いと、値打ちが出てく
る。書物だ って、じつは似たようなもので時がた つて、歴史の 一部と化してしまうと、まず大
がいの文章は思わぬ味が出て、面白くなる 。ただし、との有難い通則も、純フィクションには、
説
り出すどとろか、愉快そうに笑い出したのではあるまいか 。例ののけぞるような咲笑を高らか
レト4'AJ
P ﹄AJT
にひびかせながら、 ﹁ひどいなあ 。 又いやがらせの皮閃をい って﹂ と、気軽に応じ、興がって
くれそうな気がする 。 ど自分のフィクションには絶大なる自信をもっていた人だから、ぼくの
きぃ 、、
ゅ 、 、
放言 にふくまれたいささかの毒気など大らかに笑いとばして、時間の読計、いたずらに対する
ぼくの着眼に快く共感してくれたのではあるまいか 。
時代のついた ﹂旅行記というものは、どれもとれも面白い 。立 U
実際、たとえば古い紀行、 ﹁
き手の無智、偏見、時にはそのいい気な鈍感さまでもが、読者の楽しみの種とな ってくれると
1
37
と、驚くばかりだ 。三 島さんの ﹃アポロ色白は、一九五一年の暮から翌年五月にかけての初
318
かえしてまず感慨をそそられたのは、その時代色であり、 一世代前のいわば歴史的背景の方で
あ った。
第 一、三島さんは太平洋を砂か渡 っている 。一 九五 一年の日本は、まだようやく占領下から
即け出したばかりで、たとえば、その前年あたりからようやく始ま ったアメリカ留学生(ガリ
。
オアとか フ ルプ ライトとかいう名で呼ばれた)も、大方は船で出かけた ジェ ット機時代は、
まだ大分先の っ 。じつは、ぼく自身、
ζとで、飛行機自体が、まだそれほど 一般的では一-なか た
三島さんより 一年半ほど前にアメリカ留学に出かけ、それがたまたま飛行機というのは、朝鮮
ぽつぽ つ
戦争の勃発というめくり合せのせいに他ならなか った ζとを、いまだに忘れない。朝鮮への兵
あ
隊派遣の輸送機の帰り路がガラ空きにな ってしまい、そとへぼくら留学生が、急に便乗させら
れる羽自になったのである 。 と ζろが、船旅のせいで、 三島さんは、日どとサン・デ Yキで日
光浴をたのしむととをおぼえ、とれが ﹁太陽 ﹂と親しむ最初のき っかけとなり、後年の印象的
なエ ﹃太陽と鍛 ﹄ にまで つなが ってゆく のだから、時代の生み出す偶然のいたずらとい
Yセイ
うものは面白い 。
そして、と の船旅で知り合 った日系移民、 一世の老女の話が、 ﹁北米紀行 ﹂ の冒頭にすえら
れているのも、敗戦後まだ六年という時代色をしのばせる、注目すべき因縁といわざるを得な
説
歳のポメラニアンを愛している ﹂と三島さんもさりげなくつけ加えているように、悠々とアメ
ζうふん
リカで余生を楽しんでいて、戦争当初の愛国的な昂奮も今は速い笑い話にすぎない。しかし、
とうした変転の無数の実例をうらに含みとんだまま間付と流れてゆくのが、時間であり、歴史
というものだと、改めて納得させられる 。
つげんざん
三島さんのハワイとの初見参の印象記も面白い 。
﹁ ホノルルは、未聞と物質文明とのいかに
MU
も巧みな融合である ﹂といった気ど ったコメントから始めて、ハワイの自然から服装まで 一せ
いの原色調に、﹁天然色広告写真﹂(とういう言葉も 、今では時代ものかも知れぬ)を思い合わ
の杯
ゆいがん
7 ポ
議論自体、すでに歴史の一部というべきであろうが、さすがに桐眼にして先見 K富む三島さん
は、ハワイで ﹁ 尽 きない詩情 ﹂を味わわせてくれた風景というのが、じつは汽船会社発行のパ
ンフレ ットにの っ ていた ﹁天然色写真の図柄 ﹂そっ くりというヒユーモラスな挿話でしめくく
っている。セルフ ・パロディとでも いうのか、 ζうした批評的な機知は、わが国の作品ではめ
ったにお目にかかれない。
き也る r M A Uマ
一般には、三島さんはヒユーモア不在の作家とうけとられがちであり、生真面目すぎるほど
の真剣さに、 三島文学の基調が存したととは確かだが、日常の座談ぶりを通じてふれた 三島さ
んは、じつに機智ゆたかで、廻転の早いプリリアントな語り手であった。そ ζで喜劇的センス、
パロディの才能もたっぷりそなわっていたことは、いくつもの短篇ゃ、 ﹃
近代能楽集 ﹄を通し
て明らかにうかがえるのだが、そうした 一面の 一層ナマな動きとかたちにふれ得る所κ、 ζの
↑円い旅行記の功徳がある 。 たとえば、ニューヨークで親切な案内役を引き受けてくれたクルー
︿ど︿
ガア女史のスケッチ 、その無邪気な﹁社会主義者ぷり ﹂など 、思わず吹き出さずにいられない 。
もちろん﹃アポロの杯﹄における劇的なクライマックスは、題名の示す通り、ギリシャ紀行
4"シヤ
にあり、そとにおけるほとんど手放しの汗情的高揚 、陶酔の定着にあるだろう。﹁希磁は私の
じよじよう
容恋の地である ﹂ と書き出して、 ﹁私は自分の筆が躍るに任せよう 。私は今日ついにアクロポ
けんれん
A
a'品位
リ ス を 見 た ! パ ル テ ノ ン を 見 た ! ゼ ウ ス の 宮 居 を 見 た !﹂といった調子で謡い上げてゆく
税
あたりは、まさしく三島さんの文学的青春のリズムの高鳴りに違いなかった。 ﹁今日も私はつ
のいてい
きざる酪町の中にいる。私はディオニュ 1 ソスの誘いをうけているのであるらしい 0 ・・今日
ζまれた﹁十二 、三の希磁の少
おびただ
も絶妙の青空。絶妙の風。彩しい光。:・:﹂そして、ふと描き
解
画めいた軽みさえふくんでいる 。
﹁ 人生経験が不十分で、しかも人生にガツガツしている、小
B︿ぴょ う
心臆病な、感受性過度、緊張過度の、分裂症気質の青年たち ﹂から始めて ﹁ヒステリカルで、
ボ:
けんお同会凶日
肉体鎌田千包妊の、しかし甚だ性的に鋭敏な女性たち ﹂とか ﹁人に手紙を書くときには、自分の ζ
ア
とを 二三 頁書いてからでなくては用件に進まない少女たち ﹂ とか列挙しながら、彼らとそ小説
aえり
読者の典型と 言 い切るのだから、とちらも性 ζりない小説愛好者のひとりとして、わが身を省
みながら苦笑しない訳にゆかない 。 そして、 三島さんの批評的な機知は相変らず冴えていると
さ
つぶや
政いてしまうのだ 。 しかし、 三島さんの機知の刃は、読者の方ばかりに向けられている訳では
なく、小説家自身に対しても、いとも軽九と 一太刀浴せている 。
﹁ ・:世間 一般では、小説家
ζそ人生と密着しているという迷信が、いかにひろく行われていることであろう 。何よりもそ
げ
れを怖れて小説家になった彼であるのに!私がいつもふしぎに思うのは、小説家がしたり気
な回答者として、新聞雑誌の人生相談の欄に招かれることである 。 それはあたかも、オレン
ジ・ ジ ュースしか呑んだとと のない人聞が、オレンジの樹の栽培に ついて答えているようなも
のだ ﹂
しんら っ そ 会
まととに軽妙さと辛練さとをかね 具 えた名評であ って
、 いかに生真面目な深刻派の小説家と
いえども、とのウイ ツテイなポー ト レートには口もとをほとろばせない 訳 にゆくまい 。
しかし、とうしたいわばスケルツォ調で書き始められながら、とれはやはり 島さんのさり
一
一
げない告白であり、文学的遺書である 。たとえば、四部作 ﹃ 豊鏡の海 ﹄ の ﹁暁の寺 ﹂を書き終
えた際の ﹁いいしれぬ不快 ﹂ が率直に打ちあけられていて、 ﹁しかしまだ 一巻が残 っている 。
説
最終巻が残 っている 。
﹃ って最大のタブーだ 。
ζの小説がすんだら ﹄ という 言葉は、今の私にと
ζの小説が終ったあとの世界を、私は考える ζとができないからであり、その世界を想像する
ら ち
ζとがイヤでもあり怖ろしいのである ﹂ といい、また ﹁作品外の現実が私を強引に位致してく
解
れない限り、(そのための準備は十分にしであるのに)、私はいつかは深い絶望に陥る ζとであ
ろう ﹂ と書く 。
さらには、ジュリアン ・グラ ックの小説にふれて、 ﹁
自殺の決意 ﹂を固めた主人公の発散す
る ﹁謎 ﹂ と魅力は、 ﹁彼がすでに ﹃
彼 方﹄ か ち と ち ら を 眺 め て い る ﹂ せ い で あ り 、 と う し た
﹁人々を瞬時に凍りつかせるような或る視点 ﹂ は、おそらく通常の小説の作者の視点とは異な
、 ﹁彼自身 ﹂ のものに他ならぬと説くとき、グラ ックのすぐ背後に 三島さん自身を重ね合せ
る
ない ζとは鱗ひい 。 一見、余裕をふくみ、機知に富む小説論が、じ つはそのまま 三島さん の最
2
33
。
後の心境と覚悟とを、まざまざと読者に伝えてくれるのだ
24
。
3
小説とは何か ﹄か
また ﹃オスカア ・ワイルド論 ﹄を念入りに読み返されるがよい とれは ﹃
ら丸 二十年も以前の、いわば若書きの文芸評論であるが、ワイルド論として、国際的レベルで
みて抜群の鮮かな町ず栄えというばかりでなく、その中にとんな 一節が見つかる。 ﹁虚栄心を
。 ワイルドの虚栄心は、
軽蔑してはならない 。世の中には壮烈きわまる虚栄心もあるのである
, 。
受難劇の民衆が、血が流れるまで胸を叩きつ つけるあの受苦 の虚栄に似ていたように思われる
伊 が そ う す る か 。 それがその男にとっての、ともかく品市度と考えられる表現だからである ﹂
余計な説明を加えるまでもあるまい 。三 島さんは、丸 て十年も前に、自身の最後の行動につ
何:
。
いて、いち早い予見とそして最良の註釈を書きのとしていた 何という先河川の想像力、自己
の
h
v
︿' , ,
. dl
洞察の持ち主だろう 。あたかも疾走する天使のように、日も怯むばかりの閃光でぼくらを圧倒
ロ
し、ほとんど終始その後ろ姿しか見せ・なか った三島さんの折々の親しみゃすい肢きが、本集に
7 ポ
はたっぷりと収録されている 。
昭和五十七年 八川)
﹁アポロの杯﹂は朝日新聞社刊 ﹃アポロの杯﹄ (昭和 二十七年十月)K、 ﹁ 沢村宗
十郎K ついて﹂﹁雨月物語について﹂﹁オスカア ・ワイルド論﹂は要書房刊﹃狩と
獲物﹄ (昭和二十六年六月)に、﹁陶酔について ﹂は新潮社刊﹃現代小説は古典た
り得るか﹄(昭和三十二年九月)に 、﹁心中論﹂﹁十八歳と三十四歳の肖像画﹂寸存
在しないものの美学l ﹃ 新古今集﹄珍解﹂は講談社刊 ﹃美の 襲撃﹄ (昭和 三十六
年十 一月)に、 ﹁
北 一輝 論 │ ﹃日本改造法案大綱﹄を中心として ﹂は新潮社刊
三 島由紀夫全集第三十四巻﹄ (昭和五十一年一一月)K、 ﹁
﹃ 小説とは何か ﹂ は新潮
社刊 ﹃小説とは何か ﹄ (昭和四十七年三月)に、それぞれ収められた 。
文字づかいについて
新潮文庫の文字表記については、なるべく原文を尊重するという見地に立ち、次のように万針を定めた。
て口語文の作品は、旧仮名づかいで苫かれているものは現代仮名づかいに改める。
二、文語文の作品は旧仮名づかいのままとする 。
。
A-1-般には常用漢字友以外の漢字も音訓も使用する
問、鍛読と思われる淡・干には振仮名をつける 。
五、送り仮名はなるべく原文を市んじて、みだりに送らない。
六、極端な宛て字と思われるもの及び代名詞、副司州、後続同同等のうち、仮名にしても版文を財うおそれが少
ないと恩われるものを仮名に改める 。
。
本書で文中に引用の文語文の部分は原則として旧仮名づかいのままとした との部分の振仮名は旧仮名づ
かいに よる 。 ただし、漢字の字音による語は、十μい(ナ音仮名づかいによらず、現代の字音による仮名を依る。
﹁ しゅう
﹁執泊 ﹂を ﹁サウサウパウパウ L﹁シフチヤク ﹂とせず、 ﹁そうそうぼうぼう ﹂
(例え,は、 ﹁蒼土佐々 ﹂
ちゃく﹂とする)
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島 由
島 由
島 由
島
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紀
島
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著
夫
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島
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夫
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著
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著
夫 夫
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せた表題作。その、、文乍的 Y
1:ゃの謎を
解く鍵として 書き遣された遺作 評 論
『小説とは何か 』。透徹した美意識と
市選した批評眼を奔放に駆使して本
質を鋭利に浮彫りにする i
寅康J
I論、 f
学
品論、政治論など、初期から晩年に
かけての多彩な紀行、評論全 1
0編。
金
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