You are on page 1of 3

エステルとルツ

聖書には女性の名前がタイトルとして使われている本が二つある。一つはエステル記、
もう一つはルツ記である。どちらもユダヤ人、さらには人類全体の運命に関わる女性で
ある。背景や状況は異なるが、神を畏れる生き方と姿勢において、神の救いの計画の重
要人物となり、神の驚くべき御業を目撃することに参加したのであった。

ルツ記では、モアブ人の異邦人女性が、飢饉のためにモアブに逃れてきたユダヤ人男性
と結婚し、義母への愛と主を神とする意志から、夫の死後、義母を伴ってユダヤ人の故
郷ベツレヘムに戻り、神は彼女に新しい夫ボアズと息子オベッドを与え、彼女はダビデ
王のひ孫となり、イエスキリストの系図に登場する 4 女性の一人として記載されている
のである。ルツは、イスラエルの贖い主である神の姿を私たちに見せてくれます。神は
彼らを奴隷の束縛から救われました。また、二人の未亡人の窮状を見て、彼らのために
働き、彼らだけでなく、彼らの家族を通して全イスラエルを救済されました。神は憎ま
れた国の貧しいやもめを用いて、その義母を、イスラエル全体を、そしてその子孫を通
して全世界を祝福されたのです。

ルチは、信仰による歩みは行動を必要とすることを教えています。神はルツとナオミの
人生の舞台裏で、彼らが想像もできないような方法で動かれました。神は、やもめを貧
しさから救い出すために、地位のある人、贖い主であるボアズを備えられました。しか
し、彼女たちは一歩一歩、主が示した開かれた扉の中を歩いていかなければなりません
でした。私たちの人生も同じようなことがよくあります。その瞬間には神の手が見えな
いけれども、次の一歩が見えるのです。神に従う者としての私たちの使命は、毎日従順
に歩むことであり、そのためには忍耐と意図と規律が必要です。私たちは、配偶者を愛
し、優れた仕事をし、人々に仕えることによって、主に従うことができるのです。

結婚式でよく引用されますが、ルースはナオミに対して言ったのです。わたしはあなた
の行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、
あなたの神はわたしの神です。 (ルツ記 1:16 Kougo) 女友達の間には激しい嫉妬があり、
燃えるような献身があり、大きな忠誠心がある。私たちの友情は、神が宿り、変容が起
こる心の深い水の中に流れています。この聖なる場所で、女性は神と協力して他の人に
影響を与え、また他の人から影響を受けて、永続的な善を行うことができるのです。女
性はここで、母になり、育み、励まし、いのちを呼び起こすことができるのです」。

不安な季節のために安らぎの場所を手放すように言われたら、どう考え、どう感じるで
しょうか。私たちは、命綱である神様に頼らず、どのような安全網に頼っているのでし
ょうか?

エステルはユダヤ人の女性で、異邦人の王と結婚して外国に捕らえられ、女王の地位を
与えられたためにユダヤ人を滅亡から救う機会がありました。エステル王妃には選択肢
があった。安らかに眠り、宮殿で楽しみ、自分のことは放っておくこともできた。ある
いは、この機会を捉えて、国のために自分を犠牲にすることもできたのです。
エステル記 4 章 13-14 節では、モルデカイが王妃エステルのために、微妙な、しかし説
得力のある神との結びつきを語っています。「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダ
ヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがもし、このような時に
黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし
あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、この
ような時のためでなかったとだれが知りましょう」。 (エステル記 4:13-14 Kougo) 神は
この中におられるのだ!

モルデカイの応答は、エステル王妃の肩に重くのしかかります。この時点まで、彼女は
自分の民族性を王に明かしていない。彼女は自分の民を救う立場にあるのです。エステ
ル王妃は、もう王のハーレムに連れてこられた無力な女性ではない。ハーレムの責任者
であるヘガイは、ファーストレディのエステル王妃をしっかりと準備した。ペルシャの
習慣や文化は、もはや彼女にとって異質なものではありません。

エステル記 4 章 15-16 節で、エステル王妃はスサのユダヤ人に自分のために断食をする


よう呼びかけ、三日三晩、何も食べず、何も飲まずに過ごすように言います。「そして
わたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならない
のなら、死にます」。(エステル記 4:16 Kougo) ため息と安堵がある。今こそ、この瞬間
を受け入れる時なのです

王妃エステルは、戦略的に自分の宴の舞台を用意します。それは、適切なタイミングで
適切な聴衆と、適切な状況下で行われたのです。彼女は聡明で、勇気があり、忍耐力が
あります。エステルは、王の足元にひれ伏し、民のために泣きながら憐れみを請い、心
を注ぎます。それは決して自分勝手な行動ではない。アハシュエロス王が笏を下ろすと
王妃エステルは涙を止めて立ち上がり、望んだ謁見が許される。王宮に来たときから、
エステルには寵愛がつきまとう。王の勅令によって、ユダヤ人は自らを守り、王国のす
べての都市で安全を確保できるようになった。王妃エステルの行動は、民衆の運命を変
えるのに役立ちます。

神様は、私たちの今の状況を無視しているわけではありません。神は私たちを愛し、御
子を通して私たちを贖ってくださっています。御霊は私たちのうちに生きておられます
神の御手は、私たちの生活の細部にも、歴史の動きの断片にも働いています。神は主権
者であり、善なる方です。神に従う者として、私たちは神のようになるように召されて
いるのです。「あなたの召命が何であれ、あなたは自分の踊りでみことばを祝福し、イ
エスがあなたを導くところならどこへでもついて行くよう定められているのです。そし
て、イエスと一緒に、イエスが愛し、あなたが愛することを必要としている世界へとあ
なたを導いてくれるのです。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に
ついて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めて
おられることである。 (テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18 Kougo)

参考文献
<Captivating-John and Stasi Eldredge>
<NIV, Kougo version Bible>

You might also like