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高慢と偏見(上)

オースティン
小尾芙佐訳
Title: PRIDE AND PREJUDICE
1813
Author: Jane Austen
目  次

高慢と偏見(上)

©Fusa Obi 2011


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高慢と偏見(上)
   1

 独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だというのが、おしなべて世間の認める真
実である。
 そうした青年が、はじめて近隣のひととなったとき、ご当人の気持だとか考え方などにはおかまいなく、周辺の家
のひとびとの心にしっかり焼きついているのはこの真実であり、その青年は、とうぜんわが娘たちのいずれかのもの
になると考える。
「ねえねえ、旦那さま」とある日のこと、ミスタ・ベネットに奥方が話しかけた。「ネザーフィールド屋敷にとうと
う借り手がついたって、お聞きになりまして?」
 聞いてはいないよと、ミスタ・ベネットは答える。
「それがついたんですって」と奥方は言う。「いましがたロングの奥さまが見えて、教えてくださったんですの」
 ミスタ・ベネットは無言である。
「借り手をお知りになりたくないんですの?」奥方はじれったそうにわめく。
「あなたが話したいというなら、聞く分には異存はないがね」
 きっかけはこれでじゅうぶんである。
「それが、こうなんですのよ、ロングの奥さまのお話では、ネザーフィールド屋敷を借りたのは、英国の北部に住む
シ ェ イ ズ
たいそうな財産家の青年なんですって。月曜日に四頭立てのご立派な四輪馬車であのお屋敷を下見にいらしたとか。
それであそこがたいそう気に入って、ミスタ・モリスにすぐさまお返事したそうですのよ。九月二十九日のミカエル
祭の前までには移ってこられるとか。来週には召使たちが何人もやってくるそうですわ」
「青年の名前は?」
「ビングリー」
「結婚しているのか、独り者か?」
「まっ! 独り者にきまってるじゃありませんか! 独り者でたいそうなお金持、なんと年に四、五千ポンドの収入
があるんだそうですよ。うちの娘たちには、なんとすばらしいお話でしょうねえ!」
「どうして? うちの娘たちになんの関係があるんだね?」
「まあ、旦那さま」と奥方は答える。「そんな、じれったいことをおっしゃって! その青年がうちの娘のだれかと
結婚してくれればいいと思ってますのよ、それぐらいおわかりでしょ」
「ここに腰を落ち着けるについては、そういう下心があるのかね?」
「下心ですって! ばかなことを、よくもそんな言い草が! うちの娘たちのだれかと恋におちるということもおお
いに考えられますわ。そういうわけですから、その方が越していらしたらすぐにでも、ご挨拶に伺ってくださいまし
な」
「訪ねる理由がありませんね。あなたと娘たちが行けばよろしい、いや、娘たちだけやるのもいい、そのほうがいい
かもしれないな、だってあなたは娘のだれにもひけをとらないほどの美人だから、ミスタ・ビングリーは、だれより
もあなたに惚れてしまうかもしれん」
じょう ず
「まあ、そんなお 上 手をおっしゃって。そりゃたしかに、このわたしも昔はまあ器量よしだなんて言われましたけ
ど、いまじゃ威張れるほどのことはありませんわよ。娘を五人も育て上げるとなれば、自分の器量なんぞかまっちゃ
いられませんものねえ」
「そういったご婦人は、そもそもかまうような器量を持ち合わせてはいないのさ」
「とにかく、あなた、ミスタ・ビングリーが越しておいでになったら、きっとお訪ねしてくださいましよ」
「それは、しかとは請け合いかねる」
「娘たちのことを考えてくださいましな。娘のひとりが結婚できるかもしれないんですよ。サー・ウィリアム・ルー
カスだって、そのためにわざわざご夫妻でお訪ねになるそうですわ、ふだんは、新来のひとたちなんぞ見向きもしな
いというのに。あなたにもいらしていただきますよ、あなたがまず伺わなければ、女のわたしたちがのこのこお訪ね
するわけにはいかないんですから」
「まったくお堅いことですなあ。ミスタ・ビングリーは、あなた方だって歓迎してくれますよ。なんならわたしが一
もろ て
筆書くから、それを持っていってはどうかな、うちの娘はよりどりみどり、どれでも結婚してくださるなら、 諸 手を
挙げて大賛成とね。もっともかわいいリジー(エリザベス)のことは特別に推薦の辞を添えておこう」
「どうぞ、そんなことはなさらないでくださいましな。リジーには、ほかの娘よりいいところなんかこれっぽっちも
ありませんわよ。ジェインの半分も器量よしではないし。リディアの半分も愛嬌がありません。それなのにいつもあ
ひい き
の子を 贔 屓なさるんですから」
あたい
「どいつもたいして推賞に 価 するようなところはないからねえ」とミスタ・ベネットは答えた。「どれもこれも、
む ち もうまい
よその娘たちとご同様、無知 蒙 昧 ときている。だがリジーは、ほかの姉妹よりどうやら頭が切れるようだ」
あ いじ
「まあ、旦那さま、わが子を、よくもそう悪しざまに言えますわね。わたしを 苛 めてよろこんでおいでなのね。わた
き や
しの気病みなどおかまいなしなんだわ」
「そりゃ誤解というものだ。あなたの気病みにはおおいに敬意を払っていますよ。わたしの古き友だもの。ともかく
この二十年というもの、傷つきやすい神経を気遣うあなたの言葉を聞かされつづけてきましたからねえ」
「ああ! わたしがどれほど苦しんでいるか、おわかりになっていないのね」
「いや、いずれそれを克服してだな、年収四千ポンドの若い男がぞろぞろとご近所に越してくるのを見届けられるよ
う願っていますよ」
「そんなひとたちが二十人越してきたって、あなたが訪ねてくださらなきゃ、なんにもならないんです」
「まあ、見ていてごらん、二十人もあらわれたら、かたっぱしから訪ねていってやるから」
かいぎゃく こんこう
 ミスタ・ベネットは、鋭利なる才気、辛辣なる 諧 謔 、克己心、気まぐれなどが微妙に 混 淆 している変わり者な
ので、二十三年の長きにわたって共に暮らしていても、その性格は奥方には測りかねた。かたや奥方のひととなりを
説明するのはさほど難しくはない。理解力はお粗末、知識は乏しく、むら気なご婦人である。なにか不満があると、
かたづ
自分は神経を病んでいるのではないかと不安になる。その生涯をかけた大事業は、娘たちを 嫁 けることであり、慰
めはといえば、近隣のひとたちと行き来して噂の交換をすることであった。

   2

 ミスタ・ベネットは、はやばやとミスタ・ビングリーを訪ねた連中のひとりだった。もともと訪ねる気はあったけ
れども、奥方には最後までわたしは行かんぞと言い張っていたのである。だからミスタ・ビングリーを訪問したその
日の夕方まで、奥方はそのことをまったくご存じなかった。その事実は次のような形で明かされた。次女のエリザベ
スが帽子にせっせと飾りをつけているのを見て、ミスタ・ベネットはだしぬけにこう言ったのである。
「ビングリー氏がその帽子を気に入ってくれるといいがねえ、リジー」
「先方のお好みなんて、知りようがないじゃありませんか」リジーの母親は腹立たしげに言った。「どうせお訪ねす
ることもないんですから」
「でもお母さま、お忘れじゃない」とエリザベスが言った。「舞踏会ではお会いするでしょ。ロングのおばさまが、
紹介してくださるっておっしゃったもの」
めい ご
「あのひとが紹介するなんて信じられないわ。あちらには 姪 御がふたりもいるのよ。あんなに手前勝手で、うわっつ
らばかりのひと、当てにはしていませんよ」
「わたしもそう思うよ」とミスタ・ベネットが言った。「あのひとを頼りにしないのはなによりだ」
 ミセス・ベネットは、お答えあそばさなかった。だが我慢しきれずに娘のひとりに小言を言いはじめた。
「お願いだから、その咳はやめてちょうだい! わたしの神経をすこしは気遣ってくれたらどうなの。神経がずたず
たになるわ」

「キティ(キャサリン)の咳は遠慮がないからね」とキティの父親が言う。「しかも間の悪いときに出るときてい
る」
「面白くて咳してるわけじゃないわよ」とキティが苛立たしそうに言う。
「つぎの舞踏会の予定はいつかね、リジー?」
「あしたから二週間後」
「そう、そうだわよ」と母親は叫んだ。「ロングの奥さまは、その前日まで帰ってこないのよ。だから、紹介するな
んて、あのひとにできるはずないじゃありませんか、だってご自分がまだお近づきになってもいないのに」
「それじゃあ、あなたのほうが先手を打てばいい、ビングリー氏をロングの奥方に紹介したらどうだ」
「めっそうもない、旦那さま、めっそうもございませんよ、こちらはまだあの方とお知り合いになってもいないの
に、ご紹介できるわけがないじゃありませんか。ご冗談はよしてくださいな」
「あなたの慎重さには敬服するね。たしかに二週間ばかりのお知り合いじゃ知れたものだ。二週間ぐらいで、その人
物を見きわめるのはむりだろうな。しかしこちらが紹介しなくても、どうせほかのだれかが紹介するさ。そうす
りゃ、ロングの奥方とその姪御たちにも見込みはあるというものだ。したがってだよ、あなたが紹介の労を取らない
というなら、このわたしが取ろうかね、きっとご親切にと感謝してもらえるだろう」
 娘たちは父親をまじまじと見つめた。ミセス・ベネットは、こう言っただけである。「ばかばかしい、ばかばかし
いったら!」
「なにをそう力んでいるんです?」とミスタ・ベネットは声高に言った。「つまりあなたは、紹介という礼儀作法
を、それを重んじる社会通念をばかばかしいと言うのかね? そいつはまったく賛同できませんな。きみはどう思
た ち
う、メアリ? なにしろきみは、物事を深く考える性質だし、分厚い書物も読んで、抜き書き帖など作っているよう
だから」
さと
 メアリは、この際おおいに 聡 いことを言いたかったが、さて、どう言えばよいものやらわからなかった。
「ではメアリが考えをまとめているあいだに、ビングリー氏の話にもどろうか」
「ビングリー氏なんぞ、もうけっこうです」とミセス・ベネットは大声を張り上げた。
「そりゃすまなかったね。それならそうと、どうしてもっと早く言ってくれなかったのかね? けさそれがわかって
いたら、あそこを訪ねることもなかったのに。まったくあいにくなことだったね。しかしじっさい訪ねてしまった以
上は、近づきになったわけだしなあ」
 ご婦人たちの驚きたるや、まさにミスタ・ベネットの狙い通り。奥方の驚きは、おそらく他を圧していた。歓喜の
大嵐がおさまると、ミセス・ベネットは、わたしははなからこうなると思っていたなどと言いだした。
「まあなんて思いやりがおありなんでしょう、旦那さま! でも最後にはあなたを説き伏せられると思っていました
わ。だって娘たちを心から愛していらっしゃるのに、こんなお近づきの機会をおろそかにするはずがありませんもの

ね。まあ、なんてうれしいんでしょう! でもおふざけがすぎますわ、きょうお出でになったのに、いままで一言も
おっしゃらなかったなんてねえ」
「さあ、キティ、思うぞんぶん咳をおし」とミスタ・ベネットは言った。そう言いながら、奥方の有頂天ぶりにどっ
と疲れを覚えて部屋を出た。
「なんてすばらしいお父さまなんでしょうねえ」扉が閉まると、ミセス・ベネットは言った。「どうやってお父さま
のご恩に報いることができるやら、それを言うなら、わたしのご恩にもよ。この年になるとね、毎日新しいお近づき
いと
をこしらえるのは、そう楽じゃないのよ。でもあなた方のためなら、どんな苦労も 厭 いませんよ。リディアや、あな
たはいちばん年下だけれど、次の舞踏会でビングリーさまはきっとあなたと踊ってくださるわ」
「あのさ!」リディアは自信たっぷりに言いはなった。「あたし、心配なんかしてないわよ。年はいちばん下だけ
ど、背はいちばん高いんだもの」
 その夜は、ミスタ・ビングリーがいったいいつ訪問のお返しをなさるかしらと予想し合ったり、午餐にお招きする
日をいつにするか決めたりして過ごしたのであった。

   3

 ミセス・ベネットは、五人の娘に加勢を頼み、ミスタ・ビングリーの人物像について夫君に問いただしてみたが、
満足な情報は引き出せなかった。みんながさまざまな手を使って攻め立ててみた。単刀直入に訊く、それとなく鎌を
かける、あてずっぽうを言ってみる。だがどう攻めてみても、夫君はうまくはぐらかしてしまう。そんなわけで、と
うとう隣人のレディ・ルーカスの受け売りの知識で満足せざるを得なかった。レディ・ルーカスのご報告は、まこと
に好ましいものだった。夫のサー・ウィリアム・ルーカスは、青年をいたくお気に召したという。若く端正な好男子
で、すこぶる気立てもよく、加うるに、村の集会堂での次の舞踏会には、お仲間を大勢引き連れてくるという。これ
ほどよろこばしいことはないではないか! 舞踏が好きとあれば、それが恋におちる一歩であることは確実である。
そこでミスタ・ビングリーの心を射とめようというひとびとの期待ががぜん高まった。
「うちの娘のだれでもいいから、ネザーフィールド屋敷で幸せに暮らせるようになるのを見届けることさえできた
ら」とミセス・ベネットは夫君に言った。「そしてほかの娘たちも同じように良縁に恵まれれば、言うことなしです
わねえ」
 数日後、ミスタ・ビングリーは、ベネット家に返礼の訪問をし、ミスタ・ベネットの書斎で十分ほど話しこんで
いった。美人だとかねてより聞いていた令嬢たちに一目会えればと期待していたのだけれども、父親に会えただけ
だった。もっとも令嬢たちは、わずかながら幸運に恵まれた。二階の窓から、ミスタ・ビングリーが紺色の外套を着
て黒い馬に乗ってくる姿を見ることができたからである。
 午餐会の招待状がただちに送られた。そしてミセス・ベネットが、一家の主婦としての手腕の見せどころと、すで
に献立も考えていたところに、ミスタ・ビングリーから返書が届き、これを延期しなければならなくなった。よんど
うんぬん
ころない用事で翌日ロンドンに行かねばならず、したがってせっかくのご招待なれど応じられない 云 々 と伝えてきた
のである。ミセス・ベネットの計画はすっかり狂ってしまった。ハートフォードシャーに来たばかりだというのに、
すぐにロンドンに戻らねばならぬとは、いったいどんな用事なのか見当もつかない。そこで、ひょっとしたらこの青
年は、いつも方々を飛びまわっていて、腰を据えるべきネザーフィールド屋敷に落ち着いてはいないのではあるまい
かという懸念がふっと湧いた。舞踏会に引き連れてくるお仲間を誘いにロンドンへ行ったのではないかと、レディ・
ルーカスが言いだして、ミセス・ベネットの不安をいささかなりと鎮めてくれた。そうしてまもなく、ミスタ・ビン
グリーは、婦人十二人、紳士七人を舞踏会に引き連れてくるという噂が広がった。ご令嬢たちは、ご婦人の数の多さ
を嘆いていたが、舞踏会前日の噂によれば、ミスタ・ビングリーがロンドンから引き連れてくるのはたった六人、姉
いとこ
妹五人と従兄一人だということでほっと胸をなでおろした。いざそのご一行が集会堂の広間に入ってきたときは、総
勢五人、妹二人と、年上のほうの妹の夫君が一人、そして若い殿方が一人だった。
おも だ
 ミスタ・ビングリーは、気立てのよさそうな、いかにも紳士然とした青年である。人好きのする 面 立ちで気取りが
なく、態度もおおらかだった。そのふたりの妹たちは、上流社会の雰囲気を漂わす優雅な婦人だった。義弟にあたる
ミスタ・ハースト、これは外見だけはいかにも紳士、一方友人のミスタ・ダーシーは、堂々とした長身の体軀、端正
な面立ちの気品ある物腰の紳士である。そしてこの青年があらわれた五分後に、年収は一万ポンドという噂がたちま
じ もく
ち室内にひろまり、満座の耳 目 をこの青年に集めてしまった。紳士方は、なかなか好青年であると断言し、ご婦人方
は、ミスタ・ビングリーよりずっと美男子だと言いはなち、夜の半ばを過ぎるまでは讃嘆の的であったが、その後彼
の鼻持ちならぬ態度がいやでも目につくようになり、形勢は一変したのである。たいそう高慢で、並みいるひとびと
こ けん ぼうだい
を見下し、楽しむのは沽 券 にかかわるという態度が歴然としていた。ダービシャー州にいくら 厖 大 な資産があろう
あたい
とも、ひとを寄せつけぬその気難しさ、友人と比較するにも 価 しないという悪い印象はいかんせん拭い去ることが
できなかった。
じょさい
 ミスタ・ビングリーのほうは、舞踏会に集まった主だったひとびととすぐに近づきになった。快活で 如 才 なく、休
みなく踊り、舞踏会がはやばやと終わってしまうと、ひどく残念がって、次はぜひネザーフィールドでやりましょう
おの
と言った。こうした生来の気立てのよさは 自 ずからあらわれるものである。あの友人とはなんという違いであろう。
あの友人ミスタ・ダーシーは、ミセス・ハーストと一度、ミス・ビングリーと一度踊ったにすぎず、ほかのご婦人に
引き合わせようとしても丁重に辞退し、あとは、広間をぶらぶらと歩きまわり、お連れのひとびとにときどき話しか
けるだけであった。ひとびとの評価は、これで決まった。高慢この上なし、きわめて不愉快な人物、もう二度とあら
はげ
われないでくれとだれしもが思った。なかでももっとも 烈 しい反感を抱いたのはミセス・ベネットである。その振る

舞いのいっさいがお気に召さなかった上に、わが娘のひとりが無視されるに及んで怒り心頭に発したのである。
 エリザベス・ベネットは、紳士方の数が不足していたために、二度の舞踏のあいだ、ひとり取り残されていた。そ
のあいだ、ミスタ・ダーシーがエリザベスのすぐそばに立っていたので、彼とミスタ・ビングリーとのあいだに交わ
された会話が聞くともなしに耳に入った。舞踏の切れ目の数分のあいだに、きみもぜひ加わりたまえとビングリーが
誘いにきたのである。
「来たまえよ、ダーシー」とビングリーは言った。「ぜひ踊りたまえ。きみがいかにも退屈だという顔をして立って
いるのは見るにしのびないよ。踊ったほうがいい」
「まっぴらごめんだね。かくべつ親しい相手でなければ踊りたくないのはきみも知っているだろう。こんな舞踏会は
たま た
堪 らないなあ。きみの妹さんたちにはお相手がいるし、踊る相手として堪えられるような女性はほかにだれひとりい
ないじゃないか」
「まったくそう好みが難しくてはかなわないね」とビングリーは大声をあげた。「いまだかつて今夜ほど大勢の美女
に出会ったことはないと断言していいね、並々ならぬ美女が何人もいるじゃないか」
「きみは、ここで唯一美しい女性と踊っているからね」とミスタ・ダーシーは、ベネット家の長女を見た。
「ああ! あのひとは絶世の美女だよ! だが、あのひとの妹のひとりが、きみのすぐうしろにすわっているじゃな
いか、あのひともとてもきれいだよ、それに気立てもよさそうだ。ぼくのお相手のミス・ベネットに頼んで、妹さん
を紹介してもらおう」
「どれなの?」ダーシーは、うしろを振りむき、一瞬エリザベスを見、視線が合うや、ついと目をそらして冷やかに
言いはなった。「まあまあかな。だが踊りの相手をしたいほどの美女じゃあないね。ほかの男性に無視されているご
令嬢に箔をつけてやるような気分じゃない。お相手のところにもどって、せいぜいその笑顔を楽しみたまえ、ぼくの
そばにいては時間の無駄だよ」
 ビングリーは友の忠告に従った。ダーシーもその場をはなれた。エリザベスにはミスタ・ダーシーに対して好意的
とは言えない感情が残った。そしてこの話を身内の者や友人たちに触れまわった。なにしろエリザベスは、馬鹿げた
ことを面白がる活発で陽気な性格の持ち主なのである。
 その夜は、ベネット家のひとびとにとっておおむね愉快に過ぎていった。ミセス・ベネットは、長女のジェインが
ネザーフィールドのご一行に褒めちぎられているのを見ていた。ミスタ・ビングリーは二度もジェインと踊り、その
ねんご
妹たちからも彼女は 懇 ろな扱いを受けた。ジェインも母親と同じようによろこんでいたが、そのよろこびようは母
親より慎ましかった。エリザベスにはジェインの満足が感じられた。三女のメアリは、自分がこの近隣でもっとも才
芸に秀でたお嬢さんだとミス・ビングリーに伝えられているのをその耳で聞いた。四女キャサリンと末娘のリディア
は幸いお相手には事欠かなかった。それだけが、舞踏会では唯一大切なことだと、この二人は思いこんでいた。した
がって一家はロングボーンへ、自分たちが一番上流に属する住人である村へと勇んで立ち戻ったのである。ミスタ・
ベネットはまだ起きていた。書物があれば時の経つのも忘れているご仁だが、さしあたりは、すばらしい期待をかき
たてたこの夜の成り行きにおおいに好奇心を燃やしていた。できればこの新来の青年に対する奥方の期待がまったく
はずれてくれればよいと思っていたが、ほどなく、それとはまったく逆な話を聞かされる羽目になった。
「ああ! 旦那さま」ミセス・ベネットは部屋に入るなり言った。「なんと楽しい夜だったんでしょう、そりゃすば
らしい舞踏会でしたわよ。お出でになればよかったのに。ジェインは称賛の的、まったく比べるものなしという感じ
でしたわ。なんて器量よしだろうって、みなさん、口をそろえておっしゃって。ビングリーさまも、たいそう美しい

とお思いになったようで、あの娘と二度も踊ってくださいましたのよ。考えてもごらんなさいまし、あの方、ほんと
うに二度も踊られたんですよ。二度も申し込まれたのは、あそこではジェインだけですよ。あの方ね、まずルーカス
のお嬢さまに申し込まれたんですの。あのお嬢さまがごいっしょに立たれるのを見て、わたし、ほんとうにやきもき
しましてよ。でもあの方、お相手をお褒めにはならなかったと思うわ。そりゃ、だれだって褒めるのはむりですも
の。それから、ジェインが踊っているところをごらんになって、たいそう感心なすったらしいの。そこであの令嬢は
だれかとお尋ねになり紹介しておもらいになって、二度目の二曲は、ジェインに申し込まれたんですわ。三度目の二
曲は、キングのお嬢さま、四度目の二曲は、マライア・ルーカス、そして五度目の二曲はまたジェインでしたのよ、
それから六度目の二曲はリジー、そして最後の踊りのブーランジェ」
「そのご仁がわたしの気持を察してくれていたらなあ」と夫君は苛立たしそうに叫んだ。「その半分も踊らなかった
くじ
だろうに! 頼む、踊りの相手の話はもうたくさんだ。ああ! 最初の踊りで足首でも 挫 いてくれりゃよかったの
に!」
「まあっ!」とミセス・ベネットはつづける。「わたしは、あの方がとても気に入りましたわ。そりゃとびきりの美
男子でいらっしゃる! 妹さん方も感じのいいご婦人ですわ。あれほど優雅なお召し物はこれまで拝見したこともご
ざいませんよ。ミセス・ハーストのご衣裳のレースといったら──」
 ここでふたたび奥方はさえぎられた。ミスタ・ベネットは美しいご衣裳の講釈などご免こうむると言った。そこで
奥方はしょうことなしに話題を変え、ミスタ・ダーシーの驚くべき無作法を、いかにも苦々しげに、多少の誇張も交
えて語り出した。
「でも大丈夫ですわよ」と奥方は言い添えた。「あの男の好みに合わないからといって、リジーはいっこうに困りま
せんもの。あんなに嫌みで憎たらしい男はいないんですから、ご機嫌をとる価値もありゃしません。そりゃ傲慢で思
い上がりもはなはだしい、あんな男は我慢なりません! 自分ほど偉い者はいないという顔をして、あちらこちら歩
きまわっているんですのよ! 踊りの相手をしたいほどの美女でなし、だなんて! あなたがあそこにいてくだすっ
たら、いつものようにぴしりとやりこめていただけましたのにねえ。わたし、あんな男は大嫌い」

   4

 ジェインとエリザベスが二人きりになったとき、いままでミスタ・ビングリーを褒めるのは控えていたジェイン
は、ビングリーを敬愛してやまない自分の気持を妹に語ったのである。
「若い殿方はこうあるべきという、そのままの方ね」とジェインは言った。「賢くて、気さくで、快活でいらっしゃ
るの。あれほどすばらしい物腰が身についた方にお会いしたことはないわ──とてもおおらかで、礼儀正しくていらっ
しゃる!」
「それに美男子」とエリザベスが応じる。「若い男性は美男子にこしたことはないわね。それでその人物は完璧とい
うことになるのよ」
「あの方に二度目を申し込まれたときは、ほんとうにうれしかったわ。それほど気に入っていただけるなんて思いも
よらなかったもの」
「ほんとう? わたしは、そうなるだろうって思っていたけどな。そこがわたしとお姉さまの大きな違い。あなたは
ひとに褒められると、いつもびっくりするけれど。わたしはぜんぜん驚かないわよ。あの方がお姉さまにもう一度申
し込むのはしごく当然でしょ? あそこにいた女性のだれより、あなたが五倍も美しく見えたに決まってるもの。二
度も申し込まれたからといって、ありがたがることないわよ。まあ、たしかにとても感じのいいひとだから、好きに
なっても許してあげる。もっとおばかなひとたちだって好きになっていたお姉さまだもの」
「リジーちゃんたら!」
「あらら! あなたというひとは、だれでもすぐ好きになっちゃうじゃないの。ひとの欠点というものがまったく目
に入らないんだから。この世のものはすべてよきもの、好ましいものなのよ。あなたがひとの悪口を言うの、わた
し、聞いたことがないもの」
「どんなひとでも軽々しく悪く言うのはいやなの。でもいつも思ったままを口にしているだけなのよ」
ふんべつ
「そうなのよねえ。そこがとっても不思議なのよ。立派な 分 別 をお持ちなのに、ひとの愚かしさやくだらなさは、
まったく見えなくなっちゃうんだもの! 寛大なふりをするひとは、そこらじゅうにいるわ──そんなひとなら、ざら
にお目にかかれる。でもなんの下心もなく、ひけらかすつもりもなく、ひたすら公平無私なひとなんてめったにいな
いわよ──他人の性格のよいところだけを見て、なんでもよいほうによいほうにとって、悪いところはぜったい口にし
ないなんて──あなたぐらいのものだわね。だからあのお方の妹たちまで、あなたは好きなんじゃない? あのひとた
ちの態度ときたら、あのお方とは大違いだけど」
「そりゃそう見えるでしょうね。はじめのうちは。でもお話ししてみれば、とてもいい方たちなのよ。妹さんのミ
ス・ビングリーは、お兄さまとごいっしょにお住まいになって、家事の切りまわしをなさるんですって。あの方、ご
近所になったら、きっとすばらしいお友だちになれると思うわ」
 エリザベスにはとてもそうは思えなかったけれども、だまって聞いていた。舞踏会での彼女たちの振る舞いときた
ら、そもそもひとに好感をあたえたいという気持がなかった。姉のジェインより鋭い観察力があり、芯が強く、少々
のお世辞などにぜったい左右されない判断力を持つエリザベスは、姉の言葉を認める気はさらさらなかった。ビング
リー姉妹はたしかに華やかな淑女たちである。ご機嫌なときには愛想もないではないし、その気になれば快活に振る
うぬぼ
舞うこともできるのだが。なんとも高慢で自惚れが強い。まあまあ器量もよいし、ロンドンの全寮制の女学校で教育
も受け、それぞれに二万ポンドの資産があり、いささか分不相応な贅沢もし、身分の高いひとびととのおつきあいも
ある。したがってあらゆる点で自らを高く評価し、他人を見下す資格はあるわけだった。なにしろ北部では名だたる
一族である。兄や自分たちが受け継いだ富は商いによってもたらされたという事実は忘れ去られ、現在の境遇のほう
がより深く彼らの記憶に刻みつけられていた。
 ミスタ・ビングリーは、十万ポンド近い資産を父親から正式に相続していた。父親は、いずれは家屋敷を買い求め
る心づもりであったが、生前にはそれが叶わなかった。ミスタ・ビングリーも同じ意向で、いずれの地に定めようか
と、あれこれ考えることもあった。だがいまこうして豪壮な家屋敷とその地所内の狩猟権を借り入れたとなれば、そ
の呑気な気質をよく知るひとたちは、このご当主は、家屋敷の問題は次の代に先送りして、おそらくネザーフィール
ドで残りの人生を過ごすのではあるまいかと考えた。
 ミスタ・ビングリーの妹たちは、兄にぜひとも家屋敷を所有してもらいたいと願ってはいた。だがこうして屋敷を
借りて身を落ち着けることになったにしても、妹のミス・ビングリーは、食卓で主人役をつとめることにやぶさかで
はなかったし、また資産はないが上流階級である紳士と結婚した姉のミセス・ハーストは、借り入れた屋敷が自分の
み な
意にかなうものであれば、実家と見做してもよいとは思っていた。ミスタ・ビングリーがたまたまひとに薦められ
て、ネザーフィールド屋敷を見る気になったときは、成年に達して二年も経っていなかった。屋敷の内外を半時間ほ
ど眺めたあげく、立地条件や主だった広間がたいそう気に入り、所有者が褒めあげるところにすっかり満足し、その
場で借りたいと即決してしまったのである。
 ビングリーとダーシーは、性格はまったく対照的だが、共に堅い友情で結ばれていた。ビングリーは、その明朗闊
達で素直なひととなりからダーシーに慕われていた。こうした性質はダーシーそのひとの性格とは正反対だが、ダー
シーは己の性格についてはどうやら満足しているようだった。ダーシーのゆるぎない友情に、ビングリーは絶対の信
頼をおき、その判断をおおいに評価していた。判断力においてはダーシーのほうがまさっていた。ビングリーの判断
力が劣っているわけではないが、ダーシーのほうが頭脳は明晰だった。ダーシーは傲慢ではあるが、控え目、そして
気難しかった。その物腰は、礼儀正しいとはいえ、冷やかで、よそよそしかった。その点では、友人のビングリーの

ほうにおおいに分があった。ビングリーはどこにあらわれても、ひとから好かれ、ダーシーはたえずひとに不快感を
あたえていた。
 メリトンの舞踏会について、ビングリーとダーシーが交わした言葉には、それぞれの性格がよくあらわれている。
ビングリーは、あれほど楽しいひとびとや美しい女性たちに会ったことはいまだかつてないと言った。だれもがとて
も親切に気遣いを示し、格式ばったところや堅苦しさもなく、あそこにいただれともすぐに親しくなれたように思
う。ミス・ジェイン・ベネットについては、天使といえどもあの美しさには及ばないだろうと言った。ダーシーはと
いうと、目を奪われるような美しさも優雅さもない連中の集まりだと言い切った。感興のわく人物はひとりとしてお
らず、まただれひとり気配りや楽しさを感じさせる人物はいない。ミス・ベネットはたしかに美しいと思うが、笑み
をふりまくばかりだと言った。
 ミセス・ハーストとその妹は、まったくその通りとうなずいたものの──それでもミス・ベネットを褒め、気に入っ
たと言い、心やさしいお嬢さまだからおつきあいをしても不服はないと言った。こうしてミス・ベネットは、ビング
リー姉妹に心やさしいお嬢さまであると認められたので、兄のビングリーはそれを聞きながら、これで先々ミス・ベ
ネットを思いのままに慕うことは公認されたと思ったのである。

   5

 ロングボーンから少し歩いたところに、ベネット家のひとびとが格別親しくしている一家が住んでいた。それは
サー・ウィリアム・ルーカス、以前はメリトンに住み、商売人としてかなりの身代を築いたが、のちに市長職に就
ナ イ ト
き、国王に捧げた恩謝の辞により勲爵士の位を授けられた。そのためこれまでの身分との差異を、おそらく身にしみ
て感じたのであろう。商売にも、小さな市場町にある従来の住まいにも嫌気がさしたため、商売から身を引き、住ま
いも引き払い、メリトンから一キロ半ほどはなれたさる屋敷に家族とともに移ったのである。屋敷は、その後ルーカ
ス荘と名づけられ、そこでは自分の地位の重みを心ゆくまで楽しむことができた。事業からも解放されたサー・ルー
カスは、世間のひとびととのつきあいに専念するようになった。爵位を得て意気揚々としていたが、決してひとを見
ねんご
下すことはなかった。それどころかだれにでもいっそう 懇 ろな心遣いを示した。生来のひとあたりのよさ、気さく
で親切な性格にくわえ、セント・ジェームズ宮殿における爵位授与式の後は、その物腰はいっそう優雅になった。
 夫人のレディ・ルーカスはたいそうなお人好しで、頭がよすぎるということもなく、ミセス・ベネットには貴重な
隣人である。子女も数人いる。長女は思慮深く聡明な、二十七になるかという令嬢で、エリザベスの親しい友だっ
た。
 ルーカス家の姉妹とベネット家の姉妹は、ぜひとも会って舞踏会の話をしなければと思った。そこでルーカス家の
姉妹は舞踏会の翌日、意見の交換をするためさっそくロングボーンを訪れたのである。
さいさき
「ゆうべは、 幸 先 のよかったことね、シャーロット」とミセス・ベネットが心にもないお世辞を言った。「ビング
リーさまがまっさきにあなたのお相手をなさいましたもの」
「ええ。でもどうやら二番目のお相手のほうがお気に召したようでしたわ」
「ああ! ジェインのことね──なにしろあの方、二度もジェインと踊られましたものね。これはもうジェインがお気
に召したとしか思えないわね──たしかにそうですとも──それについてちょっと小耳にはさんだのだけれど──でもよ
くわからないの──ロビンソンさまがどうしたとか」
「あの方とロビンソンさまが話していらしたことを、わたくしが聞いてしまいましたの、たぶんそのことでしょう。
わたくし、お話ししませんでしたかしら。ロビンソンさまが、このメリトンの舞踏会は気に入りましたか、とビング
リーさまにお尋ねになったんですの。それから、ここには美人が大勢いると思いませんか、さてこのなかでだれがい
ちばんの美人でしょうかとお訊きになりましたの。その質問に、ビングリーさまはすかさずお答えになりましたわ──
ああ、それはなんといってもミス・ベネットですよって、それについては異論はないでしょうって」
「これはこれは! ずいぶんとはっきりおっしゃったものね──まるでいまにも──でもまあ、そうおっしゃったから
といって、どうということはないのかもしれないけれど」
「わたしが耳にしたことは、あなたが耳にしたことよりずっとまともだったわ、イライザ(エリザベス)」とシャー
ロットが言った。「ダーシーさまが言ったことなど、耳を貸す値打ちもないわよ。ビングリーさまとは大違い──かわ
いそうな、イライザ!──まあまあかな、だなんて」
「どうかリジーにそんなことを言わないでちょうだい。あれほど踏みつけにされたら、憤慨するだけよ。あんな嫌み
なひとに好きになられたら、とんだ迷惑だわね。ロングの奥さまが昨夜話してくださったけど、あのひと、半時間も
そばにすわっていたのに一言も口をきかなかったそうなの」
「ほんとうなの、お母さま? なにかの思い違いじゃなくて?」とジェインが言った。「ダーシーさまが、おばさま
に話しかけていらっしゃるのを、わたし、はっきりと見ましたもの」
「ええ──それはね、ロングの奥さまがとうとう我慢しきれなくなって、ネザーフィールド屋敷はお気に召しましたか
とお尋ねになったからなのよ、だからあちらも答えないわけにはいかなかった──でも話しかけられてしごく迷惑とい
う顔をしていたらしいわ」
「ビングリーさまの妹さんが言ってらしたけど」とジェインが言った。「親しい方たちのあいだでなければ、あまり
お話しなさらないんですって。親しい方たちとは、とても気さくにお話しなさるそうよ」
「そんなこと、とても信じられませんよ。ほんとうにそんなに気さくな方なら、ロングの奥さまにだって話しかけた
はずだわ。でもそこのところは、察しはつくわね。彼は自尊心ではちきれそうだって、だれもが口をそろえて言って
いるもの。つまりね、ロングの奥さまが自家用の四輪馬車をお持ちでなくて、貸馬車で舞踏会にいらしたのを、きっ
とだれかに聞いたんだわね」
「ダーシーさまが、ロングのおばさまに話しかけなくてもいいじゃありませんの」とシャーロットが言った。「でも
イライザとは踊っていただきたかったわ」
「もう一度機会があってもね、リジー」と母親は言った。「わたしだったら、あんなひととは踊らないわね」
「あのねえ、お母上、あのひととはぜったい踊らないって、お約束できると思うわ」
「あの方の高慢は、わたくし、ちっとも気になりませんわ」とシャーロットが言った。「ほかの方なら気になること
はありますけど、あの方の場合はそれなりの理由がおありですもの。名門のお家柄、資産もおありになるし、いいこ
とずくめのご立派な若い紳士が、ご自分を高く評価なさるのは当然ですわ。わたくしの口から言うのもおこがましい
んですけれど、あの方は、高慢であっていい資格がおありです」
「たしかにそうよね」とエリザベスが応じた。「あのひとが高慢なのはいくらでも許せるわ、わたしの自尊心を傷つ
けないかぎり」
「高慢というのはね」と自分の考察は正しいと常々自負しているメアリが口を出した。「だれにでもある弱点だと思
た ち
うの。わたしがこれまで読んだ色々な書物によると、たしかにだれにでもある弱点で、人間は高慢になりやすい性質
なのね。なにか特別な資質のようなものがあるとすると、それが本物だろうと思い込みだろうと、そのためにたいて
いのひとが自惚れという感情を心に育んでしまうのね。虚栄心と自尊心は違うものなのよ、よく同じ意味に使われて
いるけど。虚栄心はなくとも自尊心の高いひとはいるわ。自尊心というのは、わたしたちが自分をどう見るかという
ことだし、虚栄心というのは他人に自分をどう見てもらいたいかということでしょ」
「ぼくがダーシーさんみたいな大金持なら」と姉たちについてきたルーカス少年が叫んだ。「大いばりだけどなあ。
フォックスハウンド
猟犬 をいっぱい飼うし、葡萄酒も毎日一本は飲んでやるな」
「それじゃ、大酒飲みになってしまいますよ」とミセス・ベネットが言った。「そんなところを、このわたしが見つ
びん
けたら、すぐに 壜 を取り上げますからね」
 少年は、そんなことはしないでくださいと抗議した。いいえやりますよとミセス・ベネットは言い張り、姉妹たち
が引き上げるまで言い合いはつづいた。

   6
 ロングボーンのご婦人方はほどなく、ネザーフィールドのご婦人方のもとにご挨拶に参上した。これに対して先方
からも作法通りの答礼のご訪問があった。姉のミセス・ハーストと妹のミス・ビングリーは、ベネット家のジェイン
の感じのよい応対に好感をおぼえるようになった。母親は鼻持ちならぬ人物だし、妹たちのほうは話し相手にもなら
ないが、ジェインとエリザベスには親しくおつきあいしたいという意向が伝えられた。このご好意をジェインは大喜
びで受け入れた。だがエリザベスは、この二人がだれに対しても高飛車な態度をとるのに気づいており、姉のジェイ
ンもその例外ではないだろうと思ったので、どうしてもこの二人を好きにはなれなかった。もっともジェインに示さ
れた好意はその程度のものだが、おそらく兄の称賛の影響だろうという点に意味があった。ミスタ・ビングリーが、
み と
顔を合わせるたびにジェインに見惚れているのは、だれの目にも明らかだった。そして初対面のときからミスタ・ビ
ングリーに抱いていたジェインの好意が、どうやら恋心のようなものに変わってきているのは、エリザベスの目には
明らかだった。だがそれが世間に知られることはなさそうだと、エリザベスは内心ほっとしていた。なにしろジェイ
せんさく
ンは、燃えあがる気持を、沈着な物腰といつもながらの朗らかな振る舞いに溶けこませて、 穿 鑿 好きなひとびとの目
から自分を守っていた。エリザベスは、親友のミス・シャーロット・ルーカスにこのことを話した。
くら
「それは愉快だわねえ」とシャーロットは答えた。「そんなふうに世間の目を 眩 ませるなんて。でもあまり用心しす
ぎると、かえってまずいこともあるんじゃないかしら。女性が、自分の愛情を巧妙に相手にも隠そうとすれば、相手
の心を射止める機会を逃してしまうかもしれない。そして世間に知られていないことが、せめてもの慰めということ
うぬぼ
になりかねないわ。そもそも恋心には、感謝の気持や自惚れといったものがあるのよ。それをないがしろにしては危
険ね。きっかけはひとさまざまよ──ちょっと惹かれるというのもよくあることだし、でも相手が応えてくれなけれ
ば、恋におちるひとなんてそうはいないと思うわ。女性は、十中八九は、自分が感じている以上の愛情を相手に見せ
るほうがいいのよ。ビングリーさまは、ぜったいあなたのお姉さまが好きよ。でもそれ以上の気持にはならないかも
しれない、お姉さまがあの方の気持を後押しなさらないかぎりは」
「でもジェインの性質としてできるかぎりのことはしているわよ。ビングリーさまに対するジェインの気持がわたし
にはわかるのに、彼にそれがわからないとしたら、よほど間抜けなのよ」
「いいこと、イライザ、ビングリーさまは、ジェインの性質をあなたほどにはご存じないのよ」
「でも女性が男性をとても好きになって、その気持を隠そうとしなければ、相手は気づくはずだわ」
「たぶん気づくわよ、ジェインとたびたび会っていればね。でもビングリーさまとジェインは、何度も会っているけ
れど、二人だけで何時間も過ごすわけじゃないでしょ。それもいつも大勢集まる舞踏会で会うわけだから、二人だけ
でずっと話しているわけにはいかないのよ。だからジェインは、あの方の関心を惹きつけられる三十分という時間を
上手に使って最大の効果をあげなければいけないわ。そうやってあの方をしっかり射止めたら、あとはゆっくりと思
うように恋におちればいいのよ」
「そういうやり方もなかなかけっこうね」とエリザベスは答えた。「良縁を得たいというただそれだけのためなら、
それでもいいわよ。もしわたしが、お金持の夫を、まあどんな夫でもいいけど、ぜったい手に入れようと思うなら、
きっとそのやり方を拝借するわよ。でもそれはジェインの気持とは違うわねえ。あのひとは、下心があって動くひと
じゃないの。それにまだ、自分の気持の深さにも確信があるわけじゃないし、その気持が無理のないものかどうかと
いう自信もない。知り合ってからほんの二週間よ。メリトンの舞踏会で四回踊って。ビングリーさまのお屋敷では昼
間に一度だけ会って、だから彼とは四度お食事をごいっしょしただけでしょ。これだけじゃ、お姉さまに彼の人柄が
わかるわけないじゃないの」
「それは違うわよ。そりゃジェインがあの方とただお食事しただけなら、相手の食欲が旺盛かどうかわかるだけかも
しれない。でも四晩もごいっしょに過ごしたのよ──四晩もあればじゅうぶんにわかると思うわ」
「そうね。あの四晩で、ふたりともトランプはコマースよりヴァンタンのほうが好きだということがわかったのはた
しかね。でも肝心な人柄が、よくわかったとは思えないな」
「とにかく」とシャーロットが言った。「ジェインの成功を心からお祈りしていてよ。もしあした結婚なさるとして
も、きっとじゅうぶんにお幸せになると思うわ、十二カ月かけてお相手の性格を知りつくした上で結婚したってそれ
は同じことよ。結婚の幸せなんてまったく運ですもの。おたがい相手の性格がよくわかっていても、もともと性格が
よく似ていたとしても、それでいっそう幸福になるなんてことはぜったいないわよ。結婚したあとに、だんだんに性
格の違いが出てきて、おたがいにいがみあうものなのよ。一生を共にするひとなら、相手の欠点はできるだけ知らな
いほうがいいわね」
「面白いこと言うのね、シャーロット。でもそれは正しいとは言えないわ。あなただって、正しくないことはわかっ
ているんでしょ、自分じゃぜったいそんなことはしないくせに」
 エリザベスは、ミスタ・ビングリーが姉にどれほど関心があるのか観察するのに忙しく、自分自身がビングリーの
友人の興味の対象になっているとは露ほども知らなかった。ミスタ・ダーシーは、はじめのうちはエリザベスが美し
いと認めようとはしなかった。舞踏会でエリザベスを見るその目に称賛の色はなかった。次に会ったときは、エリザ
ベスのあらさがしをするだけだった。だが、あの女性はとても器量よしとは言えないと己や友人たちに明言したその
すぐあとに、エリザベスの黒い瞳が見せる美しい表情から、その顔が並はずれて知性的であることに気づいたのであ
い かん
る。遺 憾 ながら、この発見につづいて、ほかにもいくつかの美点が見つかった。エリザベスの姿は完全に均整がとれ
ているかというと、ダーシーの厳しい目で見ればそうは言えないものの、そのすらりとした容姿が魅力的であるのは
認めざるをえない。そして物腰は上流社会のものではないと断言したにもかかわらず、その陽気で快活な振る舞いに
はすっかり魅せられていた。こんなことをエリザベスは知る由もない。なにしろどこにいようと相手に好感をあたえ
ないようにしている男性、そして自分を踊ってみたいほどの美人ではないと思っている男性としか、エリザベスの目
には映らなかった。
 ダーシーはエリザベスのことをもっと知りたいと思いはじめ、話のきっかけをつかむために、ほかの連中と話をし
ているエリザベスのそばに寄っていった。その動きはエリザベスの注意を惹いた。それはサー・ウィリアム・ルーカ
スの屋敷に招かれたときのことで、そこには大勢の客が集まっていた。
「ダーシーさまって、いったいどういうつもりかしら?」とエリザベスはシャーロットに言った。「フォスター大佐
とわたしの話に聞き耳を立てているなんて」
「その質問はダーシーさましか答えられないわ」
「もう一度あんなことをしたら、あなたの魂胆はわかっているって言ってやるわ。あのひと、あらさがしが好きそう
な目つきしてるでしょ。こっちが図々しく出ないと、あのひとがだんだん怖くなりそう」
 そのあとすぐにダーシーが近づいてきたが、いっこうに話しかける様子もないので、シャーロットは、さっきのよ
そそのか
うに言っておやりなさいよとエリザベスを 唆 した。エリザベスはたちまち挑発されて、くるりとダーシーのほうに
向き直った。
「ねえ、ダーシーさま、さっきのわたくしのお願いの仕方、とても上手だったとお思いになりませんでしたか? メ
リトンで舞踏会を開いてくださいませとフォスター大佐におねだりしていたんですけど」
「たいそうな意気ごみでしたね。しかしご婦人はそういう話になると、おおいに張り切りますからね」
「わたくしたちに手厳しいんですのね」
「こんどはこのひとがおねだりされる番ですわ」とシャーロットが言った。「わたくし、ピアノの用意をしてくる
わ、イライザ、あとはお願いね」
うた
「あなたって、友だちのくせに変なひと! だってだれの前でもかまわずにわたしに弾かせて 唱 わせるんだもの。音
楽の才能があるとわたしが自惚れていれば、あなたはかけがえのないお友だちでしょうけど、実を言えばこのわた
し、どちらかといえば、名手の演奏を日ごろから聞き馴れていらっしゃる方たちの前にはすわりたくないのよ」だが
相手はいっこうに引き下がる気配がないので、エリザベスはこう言った。「いいわ。どうしてもやれというならやり
ことわざ
ますわよ」それから真顔になってダーシーをちらりと見た。「古い 諺 がありますの、ここのみなさんはようくご存
かゆ
じなんですけれど──『むだ口たたかず 粥 ふいてさませ』という諺ですの──わたくしもむだ口たたかず、張り切って
唱いましょう」
 エリザベスのピアノと歌は、お見事とは言いかねるものの、けっこう楽しめた。二曲ほど唱いおわると、もっと
唱ってというひとたちの求めに応じる間もなく、妹のメアリがさっさとピアノの前にすわった。メアリは家族のなか
ではただひとり不器量な娘だったので、学問や芸事に精進して、いつもその成果を披露したがっていた。
 メアリは非凡な才能も美的感性も持ち合わせてはいなかった。褒めてもらいたい一心で稽古に励んではいるが、技
量をひけらかすような思い上がった態度が目につき、これからいくら高度な技量を身につけようと、これではすべて
がぶちこわしになるだろう。のんびりとしていて気どらないエリザベスは、腕のほどはメアリの半分にも及ばない
が、聴衆をおおいに楽しませることができた。長い協奏曲を弾きおわったメアリは、妹たちの求めに応じてスコット
ランドとアイルランドの歌曲を弾き、称賛と感謝の拍手を浴びて満足していた。その妹たちは、部屋のあちら側で
ルーカス家の姉妹や数人の士官とともに夢中で踊っていた。
 ミスタ・ダーシーは、会話というものをいっさい排除したこうした夕べの過ごし方におかんむりの様子で、むっつ
りと立ったままなにやら考えこんでおり、サー・ウィリアム・ルーカスが近くにいるのも、サー・ウィリアムのほう
から声をかけられるまでは気づかなかった。
「若い連中にはまことに楽しい集まりですなあ、ダーシー君! 舞踏ほどいいものはない。上品な上流社会のもっと
も洗練された趣向と言えましょうな」
「たしかにそうですね──それにあまり上品とは言えない社会でもおおいに楽しめるという強みがありますね。どんな
野蛮人でも踊れますから」
 サー・ウィリアムは微笑するだけである。「ご友人は楽しく踊っておられるようだ」ビングリーが踊りにくわわる

のを見て、ちょっと間をおいてから言葉をついだ。「あなたもさぞやこの道の達人でおられるのでしょうな、ダー
シー君」
「メリトンで踊ったわたしをごらんになったと思いますが」
「ええ、むろん、拝見しましたが、おおいに楽しみましたよ。セント・ジェームズ宮殿の舞踏会でもよく踊られるの
でしょうな?」
「一度たりとも」
あらわ
「踊るのは、あの場にふさわしい敬意の 表 し方だとはお考えにならんのですか?」
「そういう敬意は、払わずにすむならごめんこうむります」
「ロンドンにお住まいがおありだそうだが」
 ダーシーは会釈して同意を示す。
「わたしもロンドンに居を構えようかと考えたこともありましたよ──上流社会には心が惹かれますからな。だがロン
ドンの空気が家内の健康によいものか不安でしてね」
 サー・ウィリアムは返答を期待して口をつぐんだが、この相手には返答する気がなかった。ちょうどそのときエリ
ザベスがこちらに近づいてくるのに気づいたサー・ウィリアムは、この二人のあいだを取り持つことを思いつき、エ
リザベスに声をかけた。「おや、イライザ君、どうして踊らないのかな? ダーシー君、この若い淑女をあなたにふ
さわしいお相手としてご紹介しましょう。よもやお断りにはなりますまいな、こんな美女を目の前にして」そう言う
とエリザベスの手を取り、その手をミスタ・ダーシーにあずけようとした。相手はたいそう驚いたものの、その手を
いな
取ることに 否 やはなかったが、エリザベスのほうがさっと身を引き、狼狽した様子でサー・ウィリアムに言った。
「だっておじさま、わたくし、踊るつもりはまったくございませんの。お相手をお願いするためにこちらにまいった
なんてお思いにならないでくださいませね」
 ミスタ・ダーシーは、お手を取る光栄に浴したいといとも丁重に申し出たが、それも空しかった。エリザベスの決
心はかたかった。サー・ウィリアムの説得にもエリザベスの決意はいささかも揺るがなかった。
「きみはたいそう踊りが巧いじゃないか、イライザ君、きみの踊る姿を楽しみにしておるこのわたしに断るとはひど
いねえ。ここにおられる紳士は、ふだんは舞踏を好まれぬようだが、半時間ぐらいなら、われわれの目を楽しませて
くれることにご異存はないはずだよ」
「ダーシーさまって、ほんとうに礼儀正しくていらっしゃいますのね」とエリザベスはにっこり笑ってみせた。
「そうとも──だが誘いの相手を考えればだね、イライザ君、この紳士が乗り気になるのも不思議はない。これほどの
相手を断る者がいるだろうか?」
 エリザベスは、いたずらっぽい表情をして、くるりと背を向けその場を立ち去った。こんな手ごわい抵抗にあって
も、エリザベスに対するダーシーの評価は下がらなかった。いささか満ちたりた思いでエリザベスのことを考えてい
ると、近づいてきたミス・ビングリーに声をかけられた。
「あなたが考えていらっしゃることぐらいわかってよ」
「それは無理でしょう」
たま
「きっとこう考えていらしたのよ、来る日も来る日もこんなふうに──こんな連中と──夜を過ごすんじゃ 堪 らないっ
て。あたくしもまったく同感。こんなにうんざりしたことってないわ! 面白くもないのに、この大騒ぎ。つまらな
い連中のくせにお高くとまっているのよ! この連中を酷評してくださるなら、よろこんで伺いますわよ!」
そうぼう
「その推量はおおはずれだな。ぼくは心ゆくまで楽しんでいる。麗しの君の美しき 双 眸 がもたらす愉悦にひたってい
たんですから」
おもて
 ミス・ビングリーはすぐさまその目を相手の 面 にひたと注ぎ、そのような想いをかきたてたその女性はいったい
どなたか、ぜひともお聞かせあそばせと言った。ミスタ・ダーシーは、恐れげもなく答えた。
「ミス・エリザベス・ベネット」
「ミス・エリザベス・ベネット!」ミス・ビングリーはおうむ返しに言った。「これはびっくりだわ。いったいいつ
から彼女がお気に召しましたの? それで、いつお祝いを申し上げればいいのかしら?」
「きっとそうお尋ねがあると思っていた。女性の空想はまっしぐらに飛ぶ。賛美から恋へ、恋から瞬時に結婚へ。あ
なたがお祝いを言ってくれるだろうと思っていましたよ」
か あ
「あらあら、それほど真剣に考えていらっしゃるなら、これはもうすっかり決まりですのね。すばらしいお義母さま
がおできになるわけだし、そのお義母さまももちろんペンバリーにお住まいになるのね」
 ミス・ビングリーがこうやっていくらからかおうと、ダーシーは平然と聞き流していた。その泰然とした態度に、
や ゆ
ミス・ビングリーはこれならなにを言ってもかまうまいと、揶揄の言葉はえんえんと続いたのである。

   7

 ミスタ・ベネットの資産は、年に二千ポンドの収入が上がる地所がその大部分を占めている。娘たちにとって不運
げん し
なことには、男子の相続人がいないため、 限 嗣相続の法により傍系の男子がそれを相続することになっていた。ミセ
ス・ベネットの財産は、現在の境遇であればじゅうぶんなものだが、夫の資産が失われれば、それを補うに足るほど
のものではない。ミセス・ベネットの父親は、メリトンの事務弁護士で、娘に遺したのは四千ポンドにすぎなかっ
た。
 ミセス・ベネットには妹と弟がひとりずついる。妹はフィリップス氏なるひとと結婚したが、フィリップスは、姉
妹の父親の書記を務めていた人物で、父親の仕事を引き継いでいた。弟のほうはロンドンに住み、商人としてかなり
の成功をおさめていた。
 ロングボーンの村は、メリトンまでわずか一キロ半、ベネット家の若い女性たちにはたいそう都合のよい距離で
あった。週に三、四回は叔母さまのご機嫌伺いにメリトンへ出かけていき、とちゅう服飾店に立ち寄るのである。下
のほうの姉妹ふたり、キティとリディアはことに頻繁に出かけていった。姉たちに比べると、ふたりの頭はからっぽ
で、ほかになにも面白いことがないときには、メリトンまでのお散歩は、昼間の暇つぶしと、夜の食卓での話題を提
供するには欠かせぬものであった。おしなべて田舎というものは、目新しい話などそうそうあるわけもないが、ふた
りはいつもこの叔母から話の種を仕入れてくる。さしあたりは、市民軍の連隊が近辺に駐留することになったために
話題にはこと欠かず、ふたりは幸せいっぱいというわけだった。連隊は冬まで駐留する予定で、メリトンが本部に
なった。
 キティとリディアのふたりは叔母のミセス・フィリップスを訪ねては、まことに興味深い話題を豊富に仕入れてく
るようになった。士官の名前や縁故関係などが、ふたりの知識にくわえられた。やがてその宿泊先も明かされ、とう
とう士官たちと顔なじみになった。叔父のミスタ・フィリップスは士官たちをすべて訪問し、姪たちにいまだかつて
ない幸福の源をもたらすことになった。ふたりのあいだでは士官の話でもちきりだった。ミスタ・ビングリーの莫大
な資産という、母親を活気づけるあの話題も、ふたりの目には、下っ端の連隊旗手の軍服にくらべても色あせて見え
た。
 ある朝のこと、士官たちの話をべらべらとまくしたてる娘たちに耳を貸していたミスタ・ベネットは、冷たく言い
はなった。
「どうやらきみたちは、このあたりでもっとも愚かな娘たちのようだな。前々からそうではないかと疑っていたが、
やっと確信がもてたよ」
 キティはうろたえて、なにも言い返さなかった。だがリディアは、けろりとした顔で、カーター大尉みたいな素敵
なひとはいない、あすの朝、ロンドンに行くそうだから、きょうのうちに会えたらいいな、などと話しつづけた。
「まあ、とんでもないことを」とミセス・ベネットが言った。「ご自分の娘を愚か者扱いなさって。よその子をけな
すならいざ知らず、わが子をけなす親はいませんわよ」
「わが子が愚かなら、親としてはふだんからそれを承知していたいものだ」
「そうですわね──でもおあいにくさま、うちの子はみんなとても賢いわ」
「ありがたいことに、それだけだな、わたしたちの意見が食い違うのは。わたしらの意見は、あらゆる点で一致して
いると思っていたが、うちの下の娘ふたりが、とほうもない馬鹿だということについては、どうやら意見が違うよう
だね」
ふんべつ そな
「あのねえ、旦那さま、若い娘たちに、親のような 分 別 が 具 わっていると思っちゃいけませんわ。わたしたちの年
ごろになれば、将校さんのことなんか考えないようになりますわよ。そう言えばわたしだって、英国軍の軍人さんが
ひい き
ご 贔 屓だったころもあったわ──いまもまだ心の奥底にはそんな気持がありますわ。年収五、六千ポンドもある若く
て粋な大佐が、うちの娘を所望なさったら、わたし、いやとは申しませんよ。いつぞやの夜、サー・ウィリアムのお
屋敷でお会いしたフォスター大佐、そりゃ軍服がお似合いになって素敵でしたわねえ」
「お母さま」とリディアが叫んだ。「叔母さまのお話だと、フォスター大佐とカーター大尉は、最初に駐留なさった
ライブラリー
ときにはよく行っていたミス・ワトソンのところへはもう行かないんですってよ、近ごろはクラークの 書舗 でよ
くお見かけするんですって」
ふみ
 ミセス・ベネットは、ミス・ジェイン・ベネット宛ての 文 を携えた従僕の出現で、その返事をさえぎられた。それ
はネザーフィールド屋敷から来たもので、従僕はご返事の文を持ち帰る由であった。ミセス・ベネットの目がらんら
んと輝き、ジェインがそれを読むあいだ、しきりに声をかける。
ふみ
「ねえ、ジェイン、どなたの 文 なの? どんなご用なの? あの殿方、なんとおっしゃっているの? ねえ、ジェイ
ン、さっさと話してちょうだいよ、はやく、はやく」
「ミス・ビングリーからよ」とジェインは言うと、文面を読み上げた。

『ジェインさま
あなた
 もし貴女が、今日私とルイザとごいっしょにお食事してくださるお気持がなかったら、ルイザと私はこのさき一
いさかい
生、憎みあう仲になるかもしれませんの。女ふたりが一日じゅう顔をつきあわせていたら、しまいにはきっと 諍 に
ふみ
なりますもの。この 文 をお読みになり次第、すぐにいらしてくださいませ。兄と殿方は、将校さんたちとごいっしょ
にお食事の予定です。
かしこ 
キャロライン・ビングリー』

「将校さんたちとお食事ですって!」とリディアが大声をあげた。「叔母さまったら、そんなことはなにも教えてく
れなかったのに」
「よそでお食事なんて、運の悪いこと」とミセス・ベネットが言った。
「馬車を使ってもいいかしら」とジェインが言った。
「いいえ、だめ、馬で行くほうがいいわ、だって雨になりそうだもの。雨になればどうしたってお泊まりということ
になりますからね」
「それは名案だわねえ」とエリザベスが言った。「あちらが送ろうとおっしゃらなければの話だけど」
シ ェ イ ズ
「まあ! だって殿方のみなさんは、ビングリーさまの四輪馬車でメリトンに行きなさるでしょうし。ハーストご夫
妻に、ご自分の馬車はないし」
コ ー チ
「わたしはうちの大型四輪馬車で行くほうがいいわ」
「でもねえ、お父さまには、あなたにまわす馬がないと思うわ。農場のほうで必要なんですよね、旦那さま、そう
じゃありませんこと?」
「馬車に使うより農場で使うほうが多くてね」
「でもきょう、お父さまが馬車をお使いになる予定なら」とエリザベスが言った。「お母さまの思う壺ね」
 そこでエリザベスは、父親の口からきょうは馬車を使うことになっているとむりやり言わせたので、ジェインはや
むなく馬の背に乗って行くことになった。母親は、ジェインを戸口まで送っていき、にこにこしながら悪天候をあれ
はげ
これと予言してみせた。母親の願いは叶えられた。ジェインがさほど行かぬうちに雨が 烈 しく降り出した。四人の妹
たちは姉の身を案じたが、母親は大喜びである。雨は一晩じゅうこやみなく降りつづき、これではよもやジェインも
帰ることはできないだろう。
「ほんとにわたしの妙案だったわねえ!」とミセス・ベネットは、雨を降らせたのはすべて自分の手柄だと言いたげ
に、くりかえしそう言った。しかしながら翌朝になるまでは、さすがの彼女も、自分のもくろみが大成功であったこ
とには気づかなかったのである。朝食がまだ終わらぬうちに、ネザーフィールドの従僕が、エリザベス宛ての次のよ
ふみ
うな 文 を届けにきた。

『リジーちゃん
 けさ起きてみたらとても気分が悪いの、昨日の雨でずぶぬれになったせいでしょう。親切なわたしのお友だちは、
ちゃんとよくなるまで家に帰ってはいけないとおっしゃいます。それにジョーンズ先生に診てもらうようにともおっ
しゃるの──ですから、先生が往診に来られたことがそちらの耳に入っても驚かないようにね──喉が痛むのと頭痛が
するほかは、かくべつ心配することはありません。
 かしこ』

「やれやれ」とミスタ・ベネットは、エリザベスが読みおわるのを待ってこう言った。「たとえ娘の病気が重くな
り、あげくに死んだとしてもだ、あなたの指図で、ビングリー君の気を惹こうとしたのだから、本望だろう」
「まっ! あの子が死ぬわけがないじゃありませんか。人間、ちょっとばかり風邪を引いたぐらいで死にゃしませ
ねんご
ん。きっと 懇 ろにお世話していただけますわ。あちらにずっとご厄介になれれば上出来ですわよ。馬車があれば、
見舞いにいってやりますのに」
 エリザベスはひどく心配で、馬車がなくとも姉に会いに行こうと決心した。乗馬は不得手なので、歩いていくほか
はない。そしてそうすることを宣言した。
「あなたときたら、なんて物知らずなの」と母親が叫んだ。「あんな泥んこ道を歩いていくなんて! あちらにたど
りついたときにはきっと見られたものじゃないわ」
「ジェインに会うためなら平気ですったら──ジェインに会えればそれでいいの」
「きみはこう言いたいのかい、リジー」と父親は言った。「馬をまわしてくれないかと?」
「違いますってば。歩くのが嫌だとは言っていません。目的があれば、距離なんか問題じゃないわ。ほんの五キロ足
らずですもの。お夕食までには帰ってきます」
「お姉さまのご親切には感心するわ」とメアリが言った。「でもわたしに言わせれば、感情から生まれる衝動は、理
性に導かれるべきよ。どうせ骨を折るなら、それがどれだけ必要とされているか、ちゃんと見きわめなくちゃだめ
よ」
「あたしたち、メリトンまでいっしょに行くわよ」とキティとリディアが言った。エリザベスは妹たちがついてくる
ことを承知し、こうして三人の娘は揃って家を出発した。
「うんと急げば」と歩きながら、リディアが言った。「カーター大尉がどっかに行かないうちにちょっと会えるかも
しれない」
 メリトンで別れたふたりの妹は、ある士官夫人が泊まっている宿に向かった。エリザベスはそのままひとり歩きつ
づけ、足どりを早めて牧草地を次々に横切り、柵にそなえられた踏み段を乗り越え、水たまりをひょいひょい跳び越
くるぶし
え、屋敷が見えるところまでようやくたどりついたときには、 踝 は痛むし、靴下は泥まみれ、せっせと歩いてきた
ために顔は紅潮していた。

 エリザベスは朝餐の間に通されたが、そこにはジェインのほかは皆が顔を揃えていた。あらわれたエリザベスの姿
を見ると、みんなたいそう驚いた様子だった。こんな早くに五キロもの泥んこ道をたったひとりで歩いてきたとは、
ミセス・ハーストとミス・ビングリーにとってはほとんど信じがたいことだった。こんな自分をさぞや軽蔑している
だろうとエリザベスは思った。だがいとも丁重に迎えてはいただいた。そしてビングリー姉妹の兄君の態度には、単
なる儀礼ではないものが感じられた。快活でやさしかった。ミスタ・ダーシーはほとんど口を開かず、ミスタ・ハー
ほ て
ストは一言も口をきかなかった。ダーシーは、遠い道のりを歩いてきたために赤く火照っているエリザベスの顔の色
み と
に見惚れる一方で、これほど遠くまでひとりで歩いてきたことが果たして賢明だったのか気になった。一方ハースト
は、目前の朝食のことしか考えていなかった。
 姉の容態についてエリザベスはあれこれ尋ねたが、返事ははかばかしくなかった。ミス・ベネットは、夜はよく眠
れず、起きていても高熱のために部屋から出るのはむりだというのである。エリザベスはすぐに姉のところに案内し
てもらえたのでうれしかった。一方ジェインは、家族を驚かせて迷惑をかけるのを恐れ、だれかにぜひ来てほしいと
文に書くのは差し控えていただけに、エリザベスの姿を見るとたいそうよろこんだ。だが、いまはまだあまり話ので
きる状態ではなく、ミス・ビングリーがふたりをおいて出ていったあとも、とても親切にしていただいているのと感
謝の言葉をつぶやいただけだった。エリザベスはなにも言わず、そばに付き添っていた。
 朝食がすむとビングリー姉妹が部屋にやってきた。そしてジェインにやさしい気遣いを示してくれるのを見ると、
あん じょう
エリザベスもなんだか彼女たちが好きになった。往診の医師が病人を診察してくれたが、 案 の 定 ひどい風邪を引い
たということで、せいぜい養生させるようにと言った。それから病人には寝床で安静にしているように言い、水薬を
調剤しましょうと約束して帰っていった。熱が上がって頭痛も烈しくなったために、ジェインは医師の忠告におとな
しく従った。エリザベスは片時もジェインのそばをはなれなかったし、ビングリー姉妹も、ちょくちょく顔を見せ
た。殿方がみなご不在とあって、じつはほかになにもすることがなかったのである。
 時計が三時を打ったとき、エリザベスはもう帰らねばと思い、心ならずもそう告げた。ミス・ビングリーが、馬車
を出しましょうと言ったので、エリザベスはせっかくのご好意に甘んじようと思った。ところが妹が帰ってしまうと
知ったジェインがたいそう心細がっている様子を見たミス・ビングリーは、馬車をすすめるのを思い止まり、もうし
ばらくネザーフィールドに留まってはいかがとすすめざるを得なかった。エリザベスは、大喜びでその申し出に応じ
た。従僕がさっそくロングボーンに遣わされてその旨を伝え、着替えの衣服を持ち帰ったのであった。

   8

 五時になるとご婦人ふたりはお召し替えのため部屋から出ていき、六時半に、エリザベスは晩餐に呼ばれた。四方
ねんご かんば
から浴びせられる丁重な質問、なかでもミスタ・ビングリーの 懇 ろな気遣いがうれしかったが、あまり 芳 しい返
事はできなかった。ジェインの容態は快方に向かっているわけではない。ビングリー姉妹はそれを聞くと、なんてお
やまい
いたわしいこと、悪い風邪はほんとうに怖い、そんな 病 はほんとうにごめんだわと何度もくりかえしたが、そのあ
とはもう素知らぬ顔だった。エリザベスは目の前にいないジェインをまったく無視する態度を見ると、この姉妹に対
する嫌悪感を心ゆくまで楽しもうという思いが甦ってきた。
 一座のなかで兄君だけが、心を許せる唯一の人物だった。ジェインの容態を案ずる気持がありありと見え、エリザ
み な
ベスに寄せる心配りもたいそううれしく、だれからもとんだ邪魔者と見做されているのではないかという懸念も、そ
のおかげで薄らいだ。ミスタ・ビングリーのほかは、だれもエリザベスのことなどほとんど気にもかけてはいない。
ミス・ビングリーはダーシーに夢中だし、姉のミセス・ハーストも似たようなものだった。エリザベスと席を並べる
ミスタ・ハーストは怠惰な人物で、ただ食べて飲んでカードをするために生きているようなひとだった。エリザベス
が香辛料をきかせた煮込み料理より淡白な料理が好きだとわかると、もう話しかけようともしなかった。
 食事が終わると、エリザベスはすぐさまジェインのもとに戻った。ミス・ビングリーは、エリザベスが部屋を出て
うぬぼ
いくのを見届けると、さっそく悪口を並べはじめた。まったくお行儀の悪いこと、自惚れが強くて生意気だわ。まと
もに会話もできないし品もない、趣味も悪いし器量も悪い。姉のミセス・ハーストも同じ意見で、さらにこうつけく
わえた。
「要するに、なんの取柄もないってことね、健脚なのは確かだけど。けさのあの姿ときたらとうてい忘れられない
わ。ほんとにぶざまな姿だったわねえ」
「まったくよ、ルイザ。とても平気な顔はしていられなかったわ。そもそもここに来るのがばかげているのよ。姉上
お ぐし
さまがお風邪をお召しになったからといって、彼女が野原を走ってくる必要があるかしら? 御 髪 を振り乱してね
え!」
「そうよ、それにあの下のスカート。あなた、見たでしょ。裾が六インチもどっぷり泥に浸かったのよ、ぜったいそ
うよ。上側のスカートの裾を引っ張って隠そうとしたんでしょうけど、丸見えだったわ」
「きみの描写はいかにも正確なんだろうけどね、ルイザ」とビングリーが言った。「ぼくはなにも気づかなかった
よ。ミス・エリザベス・ベネットがけさここに入ってきたときには、びっくりするほど立派に見えたよ。汚れたス
カートなんて、目に入らなかった」
「あなたはお気づきになりましたわよね、ダーシーさま、ぜったいに」とミス・ビングリーが言った。「お妹さま
さら
が、あんな醜態を 晒 すのをごらんになるのはおいやでしょ」
「それはごめんですとも」
くるぶし
「五キロだって、六キロだって、七キロだって、とにかく、 踝 まで泥に埋めて、それもひとりで、たったひとりで
歩いてくるなんて! いったいなにを考えているのかしら? 嫌みで独りよがりな自立心を見せつけるためとしか思
えないわ、お作法なんておかまいなしの田舎者よ」
わざ
「姉上に対する愛情のなせる 業 だよ、なんとも微笑ましいじゃないか」とビングリーが言った。
「あたくし、心配ですのよ、ダーシーさま」とミス・ビングリーが、声をひそめて言った。「あのひとのこんな冒険
は、あなたが褒めていらした美しき双眸を損なったんじゃございませんこと」
「それどころか」とダーシーは答えた。「歩いてきたせいか、美しき双眸はきらきらと輝いていた」このあとしばし
沈黙がおちたが、ミセス・ハーストがふたたび口を開いた。
かたづ
「ジェイン・ベネットはとても好感がもてる方だわ、ほんとうにやさしいお嬢さま、よいところにお 嫁 きになれば
いいとつくづく思うわ。でもあのご両親ではねえ、それにお身内も身分の低いひとたちだし、とてもそんなことは望
めないわね」
「たしか叔父さまがメリトンで事務弁護士をしているんじゃない」
「そうよ、それにもうひとり、あの商人の町のチープサイドの近くに住んでいる叔父さまがいるのよ」
「まあ、すばらしい」と妹が言い、ふたりはげらげらと笑った。
「チープサイドを埋めつくすほどの叔父さんがいたって」とビングリーが大声で言った。「あのひとたちの人柄のよ
さが減ることはないさ」
「しかし身分の高い男性と結婚する機会はいちじるしく減るだろう」とダーシーが応じた。
 これに対してビングリーはなにも言わなかった。だが妹たちは心からそれに賛意を示し、それからしばらくのあい
だ、友人の身分の卑しい親族たちを種に賑やかに談笑したのである。

 やがてやさしい気持を取り戻したビングリー姉妹は、晩餐の間を立ってジェインの部屋へおもむき、コーヒーに呼
ばれるまでそばに付き添っていた。ジェインの容態がはかばかしくないので、エリザベスは遅くまでそばをはなれる
し た
気にはなれなかった。ようやくジェインが眠ってほっとすると、楽しくはなくとも、とにかく階下におりていくのが
礼儀ではないかと思った。客間に入っていくと、みなはトランプのルーをやっている最中で、さっそく仲間に入るよ
うに誘われた。きっと高い賭け金で勝負をしているのだろうと思ったから、姉が眠っているあいだ、しばらくここで
本でも読むつもりですと丁重に辞退した。ミスタ・ハーストはびっくりしたようにエリザベスを見つめた。
「きみはトランプより読書のほうが好きなの」と彼は言った。「変わったひとだねえ」
「ミス・イライザ・ベネットは」とミス・ビングリーが言った。「トランプなんて軽蔑してらっしゃるのよ。ご熱心
な読書家で、ほかのことには興味がおありにならないの」
「お褒めのお言葉か、皮肉か存じませんけれど、どちらもいただくいわれがありませんわ」とエリザベスは声高に
言った。「ご熱心な読書家でもありませんし、わたくしだって、ほかにもいろいろと楽しみはありますわ」
「姉上の看病もよろこんでしておられますね」とビングリーが言った。「すっかりよくなられれば、喜びもひとしお
でしょう」
 エリザベスはミスタ・ビングリーに心から礼を言った。そして数冊の書物がのっているテーブルに近づいた。ミス
タ・ビングリーが、もっと別の書物をお持ちしましょうかとすかさず申し出た。図書室にあるものならなんなりと。
「あなたのためにも、そしてぼくの名誉のためにも、蔵書がもっと多ければよかったな。元来が怠け者でしてね、多
くもない蔵書にもぜんぶ目を通してはいないんですよ」
 エリザベスは、このお部屋にある本でじゅうぶん満足ですと、ビングリーを安心させた。
「びっくりよね」とミス・ビングリーが言った。「父の蔵書がこれほど少ないなんて。ペンバリーにはすばらしい図
書室がおありになるのよね、ダーシーさま!」
「それはすばらしいはずですね」とダーシーは答えた。「なにしろ先祖代々集めてきたものだから」
「それにご自分だって増やしていらっしゃるでしょ、いつもご本ばかりお買いになっていらっしゃるんですもの」
ないがし
「昨今のように家代々の図書室を 蔑 ろにする風潮は理解できませんね」
「蔑ろにするなんて! ダーシーさまなら、あのすばらしいお屋敷に美しさを添えるようなものはなにひとつ蔑ろに
やかた
はなさいませんわよね。ねえ、お兄さまがお建てになるお屋敷が、せめてあのペンバリーのお 館 の半分でも美しけ
ればいいのにねえ」
「ぼくもそう願いたいね」
「地所もあのご近所にお求めなさいませよ、そしてペンバリーをお手本になさってちょうだい。ダービシャーほど美
しい土地は、このイギリスのどこにもありませんもの」
「よろこんでそうするよ。ダーシーが売ってくれるならペンバリーを買ってもいい」
「あたくしは、実現できることをお話ししているのよ、お兄さま」
「だってね、キャロライン、ペンバリーのような屋敷がほしいなら、真似をするより、本物を買うほうが手っ取り早
いじゃないか」
 エリザベスは目前のやりとりにすっかり気を取られ、本のほうは少々お留守になっていた。やがてその本をわきに
押しやると、カード・テーブルのほうに近づき、ミスタ・ビングリーと妹のミセス・ハーストのあいだに入ってゲー
ムの行方を見守った。
「ミス・ダーシーは春からこちら、ずいぶんとお背が伸びたんじゃありません?」とミス・ビングリーが言った。
「あたくしぐらいになるかしら?」
「そのうちなるでしょう。いまのところは、ミス・エリザベス・ベネットほどの背丈かな、それよりちょっと高いか
もしれない」
「ぜひまたお会いしたいわ! あんなにすてきなお嬢さま、お目にかかったことがないんですもの。あのご器量とあ
のお作法! あんなお年で教養をすっかり身につけていらっしゃるわ! ピアノも見事にお弾きになるし」
「まったく驚くよなあ」とビングリーが言った。「いまのお嬢さんたちには、教養を身につける忍耐力があるんだね
え、みながみなそうだろう」
「いまどきのお嬢さんがみんな教養を身につけているって! お兄さま、それはどういうこと?」
ついたて
「ああ、だれもかれもだよ。みんながテーブルに彩色したり、 衝 立 の装飾をしたり、小袋を編んだりするじゃない
か。そういうことができないお嬢さんというのはまずいないだろう。まずお嬢さんの話になると、そのお嬢さんには
たいそう教養がおありになるというような話になるからね」
「一般に教養と言われているものを、いまきみは挙げてみせたがね」とダーシーが言った。「それはまったくその通
りだ。小袋を編むとか、衝立の装飾をする程度の女性は大勢いるが、そんなものが教養ということになっている。だ
が近ごろのお嬢さん方についてのきみのその評価にはとても賛成できないね。ほんものの教養を身につけている女性
い かん
は、遺 憾 ながら、ぼくの知り合いのなかにも六人ほどしかいないからなあ」
「あたくしもそう思うわ」とミス・ビングリーが言った。
「それでは」とエリザベスが口をはさんだ。「あなたが教養ある女性とおっしゃるとき、その教養にはとてもたくさ
んのものが含まれているのですね?」
「そう。いろいろなものが含まれていますよ」
「ええ、そうですとも」と忠実な補佐役のミス・ビングリーが叫んだ。「ふつうのひとよりはるかに秀でていなけれ
ば、教養ある女性とは言えないのよ。女性は、音楽、歌、絵画、舞踏、フランス語、ドイツ語、イタリア語に至るま
で完璧に身につけていなければならないわ。その上に、そのひとのもつ雰囲気とか、歩き方とか、声の抑揚とか、話
し方とか、言葉の選び方とかにも、なにか際だつものがないと、完璧な教養とは言い切れないのよ」
「そうしたものをすべて身につけていなければいけない」とダーシーがつけくわえる。「その上にさらに、さまざま
な書物を読むことによって思考力を磨き、さらに実のあるものを身につけなければいけない」
「教養ある女性はたった六人しか知らないとおっしゃるのもむりはありませんわね。そんな方をひとりでもご存じ
だったら不思議なくらいですもの」とエリザベスが言った。
「あなたは同性には手厳しいんですね、そういう女性の存在を疑うとは」
「そんな女性にお目にかかったことがありませんもの、いまおっしゃったような、そんな才能や趣味や勤勉さや優雅
さを合わせもつような方には」
 ミセス・ハーストとミス・ビングリーが、いっせいに声を上げ、そんな疑いを口にするなんてひどい、そういう女
性なら大勢知っていると攻勢に出た。するとミスタ・ハーストがご静粛にとふたりを制し、トランプもそっちのけで
と苦々しげに文句を言った。そこでこの話もけりがつき、エリザベスは早々に部屋を出た。
おとし
「イライザ・ベネットというひとは」とミス・ビングリーは、扉が閉まるなり言った。「自分たち女性を 貶 めてみ
せて異性に取り入ろうというたぐいの女だわね。情けないことに、たくさんの男性がそれにひっかかるのよ。あたく
しに言わせれば、卑しい手練、お粗末な手管なのに」
「まさしくね」ミス・ビングリーが当てつけて言った当のダーシーが答えた。「ご婦人がときどき異性の気を惹くた
めに用いる手管はどれも卑しいものですよ。まあ巧妙な駆け引きというようなものはなんであれ卑しむべきものだ」
 ミス・ビングリーは、狙った返答が返ってこなかったので、この話は打ち切りにした。
 エリザベスがふたたび姿をあらわしたのは、姉の容態が思わしくないので、ほうってはおけないと伝えるためだっ
た。ビングリーは、すぐにジョーンズ先生を呼びにやりなさいと言ったが、妹たちは、田舎医者の見立ては信用なら
ない、高名なお医者様に来ていただくようロンドンに急ぎの使いを出したほうがいいと言った。エリザベスはこれに
ついては同意するつもりはなかったけれども、ミスタ・ビングリーの申し出には異存はなかった。それで、ジェイン
の容態にまったく回復の兆しがなかったら、翌日早めにジョーンズ先生を呼ぶということに話は落ち着いた。ビング
リーはひどく不安そうだった。妹たちもたいそう気が重いと言った。そうはいうものの、夜食のあとには二重唱を楽
ねんご
しんで憂さを払っていた。兄のほうは、ご病人とその妹さんを 懇 ろにお世話するようにと女中頭に命ずるほかに、
気持を鎮める方法は見つからなかった。

   9

 エリザベスはその夜はほとんどジェインに付き添っていたが、朝になると、ミスタ・ビングリーが容態を尋ねるた
めによこした女中や、しばらくあとにやってきた姉妹づきの上品なふたりの小間使いのそれぞれに、姉の容態が快方
に向かっているという吉報を伝えることができた。そうはいうものの、母にジェインの様子を見てもらい、この先ど
ふみ
うすればよいか判断してもらいたいと思ったのでロングボーンに 文 を届けてくれるよう頼んだ。ただちに文は届けら
れ、エリザベスの願いはすぐさま叶えられた。ミセス・ベネットは、さっそく下のふたりの娘を引き連れて、朝餐が
すんだばかりのネザーフィールド屋敷にやってきたのである。
 ジェインの病状が重いとあれば、ミセス・ベネットも悲嘆にくれたに違いないが、憂慮するほどの容態ではないと
見るや、すっかり安堵し、いっそすぐに回復しないほうがよいとさえ思った。回復すれば、おそらくすぐにもネザー
フィールドを立ち去らなければならない。だからジェインが家に連れて帰ってといくら頼んでも、ミセス・ベネット
は耳を貸そうとはしなかった。同じころにやってきた医師も、すぐに動かさぬほうがよいという意見だった。みなは

ジェインの枕もとにしばらくすわっていたが、ミス・ビングリーがあらわれ、母と三人の娘を朝餐の間に案内した。
ミスタ・ビングリーがみなを迎え、お嬢さまはお案じなさったほどのことはなかったでしょうとミセス・ベネットに
言った。
「それが案じておりました通りでございまして」というのがミセス・ベネットの答えだった。「だいぶ具合が悪うご
ざいますので、動かすのはむりでございましょう。ジョーンズ先生もいまは動かしてはいけないとおっしゃいまし
て。いましばらく、こちらさまのご好意に甘んじなければならないのでございますよ」
「動かすなどとは!」とビングリーが叫んだ。「めっそうもありません。妹も断じて耳を貸しますまい」
「ご安心あそばして、奥さま」とミス・ビングリーは、冷やかながら丁寧に言った。「あたくしどもにいらっしゃる
あいだは、できるかぎりのお世話をさせていただきますわ」
 ミセス・ベネットは、惜しみなく礼を述べた。
「ほんとうにねえ」とミセス・ベネットはつけくわえた。「こんなにご親切なお友だちがおいでにならなかったら、
娘はどうなっておりましたことやら。だってひどい風邪でございましてねえ、たいそう辛いはずですのに、じっと我
慢しておりますの。ふだんからあんなふうでございましてね、気持もいつもそりゃやさしいんですの。ほかの娘たち
にもしじゅう申しておりますのよ、あなたたちはジェインの足もとにも及ばないって。こちら、綺麗なお部屋ですわ
ねえ、ビングリーさま、あの砂利道のあたりの眺めのよろしいこと。このネザーフィールドのようなお屋敷は、この
あたりにはほかにございませんのよ。すぐに引き払うなんてお考えにならないよう願いますわ、賃貸の契約は短いの
でしょうが」
「ぼくはなにをやるにもせっかちなんです」とミスタ・ビングリーは言った。「ですからネザーフィールドを引き上
げようと決めたら、五分で出ていきますよ。しかし当分はここに腰を据えるつもりでいます」
「そういう方だろうと思っていましたわ」とエリザベスが言った。
「ぼくの性格がもうわかるのですか?」とビングリーは大声で言いながら、エリザベスのほうを向いた。
「ええ! そう──ようくわかりますわ」
「それはお褒めの言葉と受け取っていいのかな。しかしそうやすやすと見抜かれるとは、情けないなあ」
「たまたまですけれどね。もっと複雑で奥深い性格のほうが、あなたのような性格よりご立派ということではありま
せんけど」
の ほう ず
「リジー」と母親が叫んだ。「場所柄をわきまえなさい。そんな野 放 図な物言いは家では許されてもよそさまでは許
されませんよ」
「知らなかったなあ」とビングリーがすかさず言葉をついだ。「あなたが、人間の性格の研究家だったとは。さぞや
面白い研究でしょう」
「はい。でも複雑な性格がいちばん面白いんです。複雑な性格には少なくともそういう利点がありますわ」
「田舎では」とダーシーが口をはさむ。「だいたいそういう研究の対象は少ないでしょう。このあたりの田舎では、
交際する相手も非常に限られているし、変わりばえもしない」
「でも人間自体がどんどん変わっていくんです、つまりひとりひとりの人間のなかに、いつもなにか新しいものが見
つかるんです」
「ええ、そうなんでございますよ」このあたりの田舎では、というダーシーの言葉にいきりたったミセス・ベネット
が叫んだ。「田舎でも、ロンドンと同じように、変化というものはあるんでございますよ」
 一座の者たちは驚いた。ダーシーはミセス・ベネットをちらりと見てから、無言で顔をそむけた。ぜったいに相手
を言い負かしたと思いこんだミセス・ベネットは、ますます図に乗った。

「言わせていただけるなら、ロンドンが田舎よりもおおいに利便があるというのは解せませんわ、そりゃお店だの公
共の建物などはたくさんございましょうけどね。田舎のほうがずっと住み心地がよろしいんじゃございませんこと、
ビングリーさま?」
「田舎におりますと、どこへも行きたくないと思いますが」とビングリーは答えた。「ロンドンにおりましても、同
じような気持になりますね。それぞれに長所がありますから。どちらにいても幸せでいられます」
「はいはい──それはつまりあなたさまが、まともなご性格の方だからですわ。でもあちらさまは」とダーシーを見
て、「田舎など取るに足りないとお思いのようですわね」
「あらいやだ、それはお母さまの思い違いよ」とエリザベスは母親の言葉に顔を赤らめた。「ダーシーさまをまった
く誤解しているわ。田舎ではロンドンのように、いろいろな種類の人間に出会う機会がないとおっしゃっただけじゃ
ないの、それはたしかなことでしょ」
「そりゃそうよ、だれも、田舎にもいろいろな人間がいるとは言っていませんよ。でも、このご近所で大勢のひとと
出会う機会がないというのはどうかしら、これほどご近所づきあいの広いところはほかにはありませんよ。二十四も
のご家族とお食事をごいっしょするようなおつきあいをしていますもの」
 エリザベスの気持をひとえに思いやって、ビングリーは笑いをこらえた。妹のほうはそれほどの思いやりはなく、
意味ありげな笑みを浮かべてダーシーをじっと見つめた。エリザベスは、母親の気持をなんとかそらすことはできま
いかと考え、自分の留守のあいだに仲良しのシャーロット・ルーカスがロングボーンに来なかったかと尋ねてみた。
「ええ、きのう、お父さまとごいっしょに見えたわよ。サー・ウィリアム・ルーカスは、気持のいい方ですわね、ビ
ングリーさま──そうじゃありません? まさに上流社会のお方ですわ! そりゃお品がよろしくて、気さくでいらし
じょさい
て! だれとでも 如 才 なくお話しになる。あれこそ、礼儀正しいというものですわね。ふんぞりかえって、ぜったい
お口もきかないような方は、ものごとをはきちがえておいでなんですわ」
「シャーロットはうちでお食事していったのかしら?」
「いいえ、どうしても帰ると言い張って。ミンス・パイを作るお手伝いでもあったんじゃないの。宅ではね、ビング
リーさま、そんな用事はいつも召使がいたしますわ。うちの娘は、そんなふうには育ててはおりませんから。でもみ
なさん、それぞれにお考えがおありですものね。それにルーカス家のお嬢さま方は、みなさんとても気立てのよいお
嬢さまなんですよ。美人じゃないのがちょっとお気の毒! 別にシャーロットがたいそう不器量だなんて思ってはお

りませんけど。でもうちの娘たちとはかくべつ仲がよろしいんですの」
「とても気立てのよさそうなお嬢さんですね」とビングリーが言った。
「ええ、ええ! そりゃもう。でもご器量が悪いのは認めないわけにはいきませんわねえ。レディ・ルーカスがご自
分の口からしじゅうそうおっしゃって、うちのジェインが美人だと羨ましがっていますもの。わが子の自慢はしたく
ないんですけど、でもジェインはたしかに──あれほどの器量よしはそうざらにはいませんわ。みなさんがそうおっ
しゃいます。親の欲目でしょうかしら。ジェインがほんの十五のときですが、ロンドンにおりますわたくしの弟の
ガーディナーの宅で、さる紳士にお会いしたことがございましてね、その方がジェインにすっかりのぼせておしまい
になって。わたくしどもが帰る前には、きっとその方から結婚の申し込みがあるはずだなんて、弟の連れ合いが申し
ましてね。でもありませんでしたけど。きっと幼すぎるとお思いになったんですよ。それでもジェインのことを詩に
なさいましてね、そりゃ美しい詩でしたの」

「それでその恋もおしまいでした」とエリザベスがこらえきれずに言った。「そうやって想いを断ってきたひとは大
勢いたんでしょうね。恋心を断ち切るには詩作がいいと最初に発見したのはだれだったかしら?」
かて
「詩は『恋の 糧 』とやら、じゃありませんでしたかね」とダーシーが言った。
「詩が糧になるような恋は、きっと強くて、健康なすばらしい恋なんですわ。もともと強いものは、なんでも養分に
ソ ネ ッ ト
してしまいますもの。でもそれがもともとか弱いものなら、どんなにすばらしい十四行詩でも、それを枯らしてしま
いますわ」
 ダーシーは微笑を浮かべただけだった。そしてそのあとに続いた一座の沈黙に、エリザベスは、母親がさらに愚か
しいことを口走るのではないかと気が気ではなかった。なにか話そうと思うのになにも思いつかない。だが短い沈黙
のあとに、ミセス・ベネットが、ジェインに親切にしてくださったお礼をミスタ・ビングリーにくどくどと述べはじ
ねんご
め、リジーまでご迷惑をおかけしてと詫びを言った。ミスタ・ビングリーはたいそう 懇 ろに応対し、妹のミス・ビ
ングリーにも、その場にふさわしい挨拶をさせようと仕向けた。ミス・ビングリーはその役を素気なくこなしたが、
ミセス・ベネットはそれで満足し、それからすぐに馬車の用意を命じた。するとこれをきっかけに、末娘のリディア
がしゃしゃりでた。下のふたりの娘は、ここに来たときからずっとなにやらひそひそ話し合っていたのだが、その結
果、こんどはネザーフィールドでぜひ舞踏会を開きましょうとはじめて会ったとき約束したミスタ・ビングリーに、
リディアが文句を言うことになったのである。
 リディアは十五歳、伸び盛りの健康な娘で、肌の色つやもよく、愛嬌のある顔つきをしている。母親の大のお気に
入りで、可愛いがるあまり年端のゆかぬころから人前に出していた。お転婆でもともと自惚れも強いが、叔父の家の
美味しい夕食やリディア自身の屈託のない物腰に惹かれて集まってくる士官たちの人気者になり、ますますつけあが
るばかりだった。したがってリディアは、ミスタ・ビングリーにいきなり舞踏会の件を持ち出して、その約束を思い
出させる役にはうってつけだった。お約束を守らなかったら、天下に恥をさらすことになりますわ、とリディアはつ
けくわえることも忘れなかった。この不意打ちに対するビングリーの答えは、母親の耳にも快いかぎりだった。
「約束は必ず守りますとも。あなたの姉上がすっかり快復なさったら、あなたが舞踏会の日を決めてください。姉上
がご病気のあいだは、あなたも舞踏会どころではないでしょうからね」
 リディアはそれで結構ですと答えた。「ええ、そうね!──ジェインがよくなるまで待つほうがいいわ、そのころに
は、カーター大尉もまたメリトンに来るし。あなたが舞踏会を開いてくださったら、こんどは、あのひとたちにも舞
踏会を開くように言ってやるわ。開かなかったら笑い者ですよって、フォスター大佐にも言ってやるわね」
 こうしてミセス・ベネットとその娘たちは帰っていった。エリザベスはすぐにジェインのもとに舞いもどり、自分
ひょうじょう
とその身内の振る舞いについての 評 定 は、ふたりのご婦人とミスタ・ダーシーにまかせることにした。しかしな
そうぼう
がら、ミス・ビングリーに、〈美しき 双 眸 〉についてさんざん冷やかされたにもかかわらず、ダーシーは、エリザベ
スをこきおろす側になんとしてもくわわろうとはしなかった。

    10

 この日も前日と変わりなくうち過ぎた。ミセス・ハーストとミス・ビングリーは、徐々に快方に向かっている病人
のそばで昼の数時間を過ごした。夜にはエリザベスも、客間におりていき、みなの座にくわわった。だがトランプの
したた
ルーに使う円卓はあらわれなかった。ミスタ・ダーシーは手紙を 認 めており、ミス・ビングリーがかたわらにす
わってその進み具合を見守り、妹さんによろしくお伝えになってと何度も口をはさんではダーシーの邪魔をしてい
た。ミスタ・ハーストとミスタ・ビングリーはトランプのピケットをやっており、ミセス・ハーストはそれを眺めて
いた。
 エリザベスは刺繡の手を動かしながら、ダーシーとそのお相手のやりとりをおおいに楽しんでいた。お上手な筆跡
とか、行がきれいに揃っているとか、長々とお書きになるとか、ミス・ビングリーがひっきりなしに褒めちぎるの
を、ダーシーが素気なく受け流すというまことにちぐはぐなやりとりを聞いていると、この両者に対する自分の評価
がまさに的中しているのがわかった。
「お妹さんは、こんなお手紙をおもらいになったら、さぞかしお喜びでしょうね!」
 ダーシーは無言だった。
「ずいぶん早くお書きになるのね」
「そんなことはありませんよ。むしろのろいほうだ」
「一年のあいだには、さぞかしどっさりお手紙をお書きになるんでしょ! ご用向きのお手紙なんかも! あたくし
なんか、手紙と考えるだけでもぞっとするわ!」
「そりゃよかった、手紙を書くめぐりあわせになったのが、あなたじゃなくて、ぼくだったのは」
「とてもお会いしたいとお妹さんにお伝えくださいね」
おお
「 仰 せの通り、すでにそう書きましたよ」
「その鵞ペン、使い心地が悪いんじゃありませんこと。あたくしがきれいに削ってさしあげてよ。ペンをきれいに削
るのはお得意ですのよ」
「ありがとう──でもいつも自分でやりますから」
「どうすればそんなに文字がきれいに揃うのかしら?」
 ダーシーは無言だった。
「ハープがたいそうご上達なさったと伺ってよろこんでいますとお書きになって、それから、小卓の美しい絵柄には
大喜びしていますって、ミス・グラントリーのものよりずっとすばらしいって、そうお伝えになってね」
「そのお褒めの言葉は次まで待っていただけませんか? それまで書く余地がもうありません」
「あら、かまいませんことよ。どうせ一月にお目にかかるんですもの。でもいつもこんなにすばらしい長いお手紙を
お妹さんにお書きになるの、ダーシーさま?」
「だいたい長いんですね。でもいつもすばらしいかどうか、ぼくには測りかねるな」
「あたくしの見たところ、長いお手紙を気軽にお書きになる方は書き方もお上手ですのよ」
「そんなお世辞は、ダーシーには通用しない、キャロライン」と兄のビングリーが大声で言った。「だって彼は、気
軽に書いているわけじゃないんだ。しちめんどうな言葉をいろいろと調べ上げるんだよ。そうだろう、ダーシー?」
「ぼくの流儀は、きみとはだいぶ違うね」
「あら!」とミス・ビングリーが大声を張り上げる。「お兄さまときたら、そりゃもういい加減な書き方なの。手紙
の文字の半分はインクのしみで読めないのよ」
「考えがどんどん湧いてくるから、それをぜんぶ書いていくひまがないのさ──ということは、ぼくの手紙は、ときど
き相手にさっぱり意味が通じないことがあるんだね」
「そんなに謙遜なさると、非難の矛先が鈍りますわ、ビングリーさま」とエリザベスが言った。
「謙遜をしてみせるなんて、ひとをたぶらかすのもいいところだ」とダーシーが言った。「それは他人の意見に無頓
着ということだし、そしてときには間接的な自慢にもなる」
「このぼくのささやかな謙遜を、いったいそのどちらだと言うんだい?」
「間接的な自慢だね──なにしろ自分の文面の欠点をおおいに自慢しているわけだ、だって文面がまずいのは、考えが
どんどん湧いてくるせいだと、それをうまく書きあらわすひまがないだけだと言っているじゃないか。そうした欠点
あたい
は褒めたものとはいえないにしても、少なくともすこぶる考慮に 価 するものだときみは思っている。なにごとも
さっさとやってのける能力を、ご当人は自慢するが、やったことが不完全でもだいたいがおかまいなしなんだよ。き
みはけさミセス・ベネットにこう言った。もしネザーフィールドを引き上げようと決めたら、五分で出ていってみせ
るとね。これは己に対する一種の賛辞、一種の自己礼賛なんだろう──しかしやらねばならない用事をほうりだして、
あたい
自分にも、ほかの人間にもなんの得にもならないのに、さっさと出ていくということがそれほど称賛に 価 すること
かね?」
いな
「 否 だ」とビングリーが大声を上げた。「まったくかなわないなあ、朝のたわごとを夜まで覚えていられては。それ
に誓って言うが、自分について言ったことは真実なんだ、いまこの瞬間にもそう信じている。したがって少なくとも
ぼくは、ご婦人たちの前で目立ちたいがために、いたずらに性急な性格をわけもなくご披露したわけじゃないんだ」
「まあきみは、そう信じていたんだろう。だがぼくは、きみがそんなふうにさっさと出ていくようなせっかちな人間
だとは思っていない。きみの行動は、まあ、きみだけには限らないんだが、まったくその場の状況に左右されるんだ
よ。きみが馬にまたがろうとしたところに、友だちがこう言うとする。『ビングリー、来週までここにいてくれたま
え』するときみはおそらくそうするね、おそらくそのまま立ち去りはしないだろう──さらにもうひとこと、あとひと
月残ってくれたまえと言われれば、そうするかもしれない」
「つまりこうおっしゃっているわけですね」とエリザベスが大声で言った。「ビングリーさまは、ご自分の性格を正
しく評価していらっしゃらない。かわりにあなたがビングリーさまの性格のよさを示してさしあげたんですのね」
「これはなんともありがたい」とビングリーが言った。「友人の言い草を、ぼくの気性のよさを示すものだと受け
とってくださるとは。でも彼は決してそんなつもりで言ったわけじゃない、あなたがよいように解釈しているだけで

はないかしら。だってこの場合は、ぼくが相手の頼みをにべもなく撥ねつけてさっさと立ち去るほうが、彼のお気に
召すわけだもの」
「するとダーシーさまは、最初の判断が軽率であっても、一度決めたら変えないほうがいいとお考えなんでしょう
か?」
「ぼくにはどうもはっきりと説明できないから、そこはダーシーに説明してもらいましょう」
「あなたがぼくの意見だと考えるものを説明しろとおっしゃるが、ぼくはそうは言ってはいない。だがこの事例があ
なたの言う通りだとしてですよ、ミス・ベネット、家に戻ってくれ、出立を日延べしてくれと頼んだ友人は、単にそ
しか
う望んでいるだけで、 然 るべき理由を示しているわけじゃないんです」
あたい
「友人の説得に快く──気軽に──応じるというのは、あなたから見ると、評価するには 価 しないことなんですね」
「理由もないのに説得に応ずるのは、双方ともに軽率のそしりを免れないということですよ」
「あなたは、友情や思いやりのもつ影響力をなにひとつお考えにはならないようですわね、ダーシーさま。頼まれた
ひとに対する愛情があるなら、然るべき理由が示されなくとも、快く応じる気持になるんじゃないかしら。わたくし
はなにも、あなたがビングリーさまについて想定なさった事例をとやかく言うつもりはありませんわ。ビングリーさ
まの態度の正否を論ずるのは、そういう状況がじっさいに起こるまでお預けにしたほうがいいかもしれませんわね。
でもふつう友人同士のあいだで、そのどちらかが、さほど重要でもない決意を変えるように相手から頼まれた場合、
理由もきかずに簡単にその頼みに応じるのはいけないことだと、あなたはお思いなんでしょうか?」
「その問題を論ずるなら、その頼みの重要性の度合い、同様に友人としての親密さの度合いというものも見きわめる
ことが、賢明ではないだろうか?」
たけ
「ぜひとも頼むよ」とビングリーが叫んだ。「たがいの身の 丈 や体格を忘れずに、こういう話は聞こうじゃないか。
あなたは気づいていないでしょうが、ミス・ベネット、議論には、身の丈と体格というものがおおいに影響するんで
す。もしダーシーが、これほどの長身でなかったら、ぼくはいまの敬意の半分も払いはしませんよ。はっきり言いま
すが、ダーシーほど威圧感をおぼえる人間はいませんね、まあ、時と場合にもよりけりですが。ことに自分の屋敷に
いるときの、それから手持ち無沙汰の日曜日の夜の彼ときたらなあ」
 ミスタ・ダーシーは微笑したけれども、エリザベスには、彼が不機嫌なのが感じられた。だから笑いを抑えた。ミ
なじ
ス・ビングリーは、ダーシーが受けた侮辱にいきりたち、こんな馬鹿げたことを言う兄を 詰 った。
「きみの意図はわかっているよ、ビングリー」ダーシーは言った。「議論が嫌いだから、これで打ち切りにしたいと
いうんだね」
「たぶんそうさ。議論といったって、口喧嘩みたいなものだもの。きみもミス・ベネットも、ぼくがこの部屋から出
ていくまで議論はお預けということにしてくれれば、おおいに感謝するよ。ぼくのことはそのあとでおおいに議論し
てくれたまえ」
「わたくしはそれでかまいませんわ」とエリザベスは言った。「ダーシーさまはお手紙を書いておしまいになったほ
うがよろしいわ」
 ミスタ・ダーシーはその助言に従って手紙を書きおえることにした。
 手紙を書きおえたダーシーは、ミス・ビングリーとエリザベスに、なにか音楽を聞かせてほしいと言った。ミス・
ビングリーは、つかつかとピアノに近づき、どうぞお先にとエリザベスにひとまず声をかけ、相手が丁重に、かつ
きっぱり辞退するとさっさとピアノの前にすわった。
うた
 ミセス・ハーストが、妹といっしょに 唱 った。ふたりが唱っているあいだ、エリザベスは、ピアノの上にのってい
る楽譜をあれこれ開いて見ていたが、ミスタ・ダーシーの目がしばしば自分に注がれるのに気づかぬわけにはいかな
かった。自分がこれほど身分の高いひとの称賛の的になるとは思いもよらない。かといって自分のことを嫌っている
から見ているというのもさらに奇妙な話である。それでもこうしてちらちら見られているのは、彼の判断の規準によ
ふ らち
ると、ここにいるだれよりも自分におかしなところがあり、不 埒 な人間だと思われているからかもしれない。そう考
えても心は痛まなかった。どうせ好きでもないひとだから、認めていただかなくてもけっこうだった。
 ミス・ビングリーは、イタリアの歌曲をいくつか唱いおえたあと、陽気なスコットランド民謡で気分を変えた。す
るとミスタ・ダーシーがエリザベスのそばにやってきてこう言った。
「ひとつ踊ってみませんか、ミス・ベネット、リールを踊るせっかくの機会ですから」
 エリザベスは微笑むばかりで答えなかった。ダーシーはエリザベスが黙っているので、ちょっとびっくりしたよう
に質問をくりかえした。
「あら! 聞こえていましたわ。でもどうお答えしようかと迷っていましたの。きっとあなたは、わたくしから〈は
い〉という返事を引き出して、わたくしの好みを軽蔑なさって楽しむおつもりだったんでしょう。でもわたくしはい
つもそういったもくろみをひっくりかえしてやるのが楽しみなんですの。軽蔑しようと手ぐすね引いている方をから
かうのがなによりの楽しみなんです。ですから、わたくし、こう申し上げましょう、リールなんてちっとも踊りたく
ありません──さあ、軽蔑なさるならなさいませ」
「むろん、むりにとは申しません」
 相手が腹を立てるだろうと思っていたエリザベスは、彼の丁寧な返答に当惑した。だがエリザベスの振る舞いには
愛らしさと茶目っ気がいりまじっているので、どんな相手でも怒らせるのは難しい。ましてダーシーはこれほど魅せ
さら
られた女性に出会ったことがなかった。彼女に身分の低い縁者さえいなければ、自分はまさに危険に 晒 されていると
ダーシーは本気で思っていた。
 ミス・ビングリーは、どうやらふたりの仲が怪しいとにらんだらしく、嫉妬心をかきたてられていた。親友である
ジェインの快復を一心に願う気持に、エリザベスを追い払いたいという気持が拍車をかけたのである。
 もしおふたりが結婚なさったらとか、そうなったらお幸せな生活を考えなくてはとか、彼女はダーシーをしきりに
あお
煽 ってエリザベスを嫌わせようと仕向けた。
 翌日、林のなかをダーシーといっしょに散歩しながらミス・ビングリーはこう言った。「このけっこうなお話が晴
か あ
れて実現するときには、あなたのお義母さまになられる方に、お口をお慎みになるほうがおためですよと、それとな
くおっしゃることね。それがうまくいったら、将校たちを追いまわしている下の娘たちの身持ちも正してさしあげて
うぬぼ
くださいね。それからとても微妙な問題で言いにくいんですけれど、あなたの奥さまになる方の自惚れというか生意
気というか、そのあたりを注意してさしあげるようになさいませ」
「ぼくの家庭の幸福に関して、ほかになにか助言はありますか?」
「ええ、ありますとも!──あのひとの叔父さま叔母さまにあたるフィリップスご夫妻の肖像画をペンバリーの絵画室
にお飾りになったらいかが。判事でいらっしゃるあなたの大伯父さまのお隣りに。おふたりは同じ職種でいらっしゃ
るし、ただ受け持つお仕事の格がお違いになるだけ。エリザベスの肖像画は描かせてはだめよ、だって、あの美しき
双眸をちゃんと描ける画家なんていませんでしょ?」
「たしかにあの表情を捉えるのは容易ではないな、だがあの色と形、それから睫毛はひときわ美しい、あれを写すこ
とならできるかもしれない」
 ちょうどそのとき、ふたりは別の小道からやってきたミセス・ハーストとエリザベスにばったり出会った。
「あなたたちもお散歩なさるなんて知らなかったわ」とミス・ビングリーは、話が聞こえはしなかったかと、いささ
か慌てて言った。
「あなたときたら、ほんとうに意地悪だわねえ」とミセス・ハーストが答えた。「お散歩に出るとも言わずにいなく
なってしまうんですもの」
 それからミスタ・ダーシーの空いているほうの腕をとると、エリザベスをひとりあとに残して歩き出した。小道の
ぶ しつけ
幅は三人が並ぶといっぱいだった。ミスタ・ダーシーは、ふたりの不 躾 な振る舞いに気づき、すかさずこう言っ
た。
「この道は、みんなで歩くには狭いですね。並木道のほうに行きましょう」
 だがエリザベスは、みなといっしょにいたいとは少しも思わなかったので、朗らかに答えた。
「いえいえ、どうぞそのままで。三人お揃いのところはとてもすてき、めったにない構図ですもの。四人目がくわ
わっては、『ピクチャレスク美学』の調和が損なわれますわ。ではごきげんよう」
 そうしてエリザベスは元気よく駈けだした。あと一日か二日で家に帰れるかもしれないと思うとうれしくてたまら
ず、そこらじゅうを歩きまわった。ジェインは、夕方の二時間ほどは自分の部屋から出てみたいと言うほどの快復ぶ
りだった。

    11

 ご婦人方が、食事をすませて客間に席を移すと、エリザベスはジェインの部屋に駈け上がり、寒くないようジェイ
ンに厚着をさせてから、いっしょに客間におりてきた。ミス・ビングリーとミセス・ハーストがジェインを迎え、
口々に喜びの言葉を述べた。紳士方が客間にあらわれるまでのあいだ、これほど愛想よく振る舞う姉妹をエリザベス
は見たことがない。彼女たちの会話はすこぶるはずんだ。舞踏会や音楽会のことなどことこまかに話してきかせ、そ
のときどきの逸話などもおもしろおかしく話し、知人をさかんにこきおろしてみせた。
 だが紳士方が入ってくると、もはや主客はジェインではない。ミス・ビングリーの目は、たちまちダーシーに向け
られ、相手が数歩も進まぬうちになにやら話しかけている。ダーシーはといえば、ジェインに向かって丁重に快復の
祝いを述べた。ミスタ・ハーストもジェインに軽く会釈し、ほんとうによかったと言った。あふれんばかりの喜色を
浮かべ、真情をこめて挨拶したのはビングリーだった。心の底からよろこび、こまやかな気配りを示した。部屋が変
さわ
わったために体に 障 ってはいけないと、最初の三十分というものは、暖炉にせっせと薪を積み上げていた。そして彼
の希望でジェインは、扉からいちばんはなれた暖炉のわきに席を移した。ビングリーはジェインのかたわらにすわ
り、ほかのだれともほとんど話をしなかった。エリザベスは、向かいの隅のほうで刺繡の手を動かしながら、そうし
た情景をただただうれしく眺めていた。
 お茶を飲みおわると、ミスタ・ハーストが義妹にカード・テーブルを出すようそれとなく合図したが──無駄だっ
た。ミス・ビングリーはダーシーがトランプを好まぬということを内々に聞いていたのである。だからミスタ・ハー

ストのあからさまな要請も撥ねつけられてしまった。トランプをやりたいひとはだれもいませんものと、ミス・ビン
グリーは言った。これについてだれもが口を閉ざしているのは、ミス・ビングリーの言葉を容認しているようだっ
た。したがってハーストはなにもすることがなく、ソファに寝そべって眠るほかはなかった。ダーシーは書物を取り
なら
上げた。ミス・ビングリーもそれに 倣 った。ミセス・ハーストは、腕輪や指輪をしきりにいじりまわしながら、とき
どき兄とジェインの会話にくちばしをはさんだ。
 ミス・ビングリーは本を読んでいるとはいうものの、注意はもっぱらミスタ・ダーシーの本の進み具合に向けられ
ていて、たえず質問をしたり、ダーシーが読んでいる本をのぞきこんだりした。だがあいにくダーシーを話に引き込
むことができない。相手は質問に答えると、さっさと本を読みつづける。ミス・ビングリーは、ダーシーが読んでい
あくび
る本の第二巻だからとその本を選んだにすぎないから、それを読もうにも身が入らず、もううんざりして大きな欠伸
をした。「こうして夜を過ごすのは楽しいこと! 読書ほど楽しいものはぜったいないわねえ。ほかのものじゃすぐ
に退屈してしまうもの! 自分の家を持てても、立派な図書室がなかったら不幸よねえ」
 だれも答える者はいなかった。そこでミス・ビングリーはもうひとつ欠伸をして本をほうりだすと、なにか面白い
ことはないかと部屋を見まわした。兄が、ジェインに舞踏会の話をしているのを聞きつけると、やにわにそちらに向
きなおった。
「あのねえ、お兄さま、本気でネザーフィールドで舞踏会を開くおつもり? ご注意申し上げておくけど、それを決
める前に、みなさまのご意向を伺ったほうがよくってよ。ここにおいでの方のなかには、あたくしの思い違いかもし
れないけれど、舞踏会は楽しいどころか拷問だとお思いの方がいらっしゃるらしいから」
「ダーシーのことを言っているのなら」とビングリーは大声で言った。「はじまる前にさっさと寝ていただいてけっ
こう。舞踏会のことはもうほとんど決めたんだよ。ニコルズがホワイト・スープをたっぷり用意してくれたら、さっ
そく招待状を送るつもりなんだ」
「舞踏会もいろいろと趣向を変えたら、もっと楽しくなるでしょうに」とミス・ビングリーは答えた。「たいていの
舞踏会の進め方ときたら、うんざりするほど退屈だわ。踊るかわりに会話を中心にしたら、もっとまともなお集まり
になるでしょうね」
「おおいにまともになるだろうがね、キャロライン、それじゃ舞踏会とは言えないだろう」
 ミス・ビングリーは答えず、やおら立ち上がると部屋のなかをぐるぐると歩きはじめた。その姿はたおやかで、歩
き方も優雅だった。だがお目当てのダーシーは、もっぱら読書に没頭している。思うようにならぬミス・ビングリー
は、もうひとふんばりと決心し、エリザベスのほうを向いてこう言った。
「ミス・イライザ・ベネット、さあ、あたくしに倣ってお部屋をまわって歩きましょう。長いこと同じ姿勢ですわっ
ていたあとには、きっと気分がせいせいしてよ」
 エリザベスは驚いたが、すぐさまその言葉に応じた。そこでミス・ビングリーのこうしたご親切の本来の目的がか
なった。ミスタ・ダーシーが顔を上げたのである。彼もエリザベスと同じように、ミス・ビングリーのあたりでなに
やらこちらの気を惹くような気配があるのに気づいて無意識に本を閉じたのだ。ごいっしょにいかがというミス・ビ
ングリーのお誘いがすかさずあったが、ダーシーは、おふたりがいっしょに部屋を歩きまわるについては、ふたつの
動機があると思われるし、そのどちらも、自分がくわわれば邪魔になるだけだからと言って辞退した。「いったいど
ういうことかしら?」彼女はその意味をぜひとも知りたかったので、あなたにはあの方のおっしゃる意味がおわかり
かしらとエリザベスに尋ねた。
「いっこうに」というのがエリザベスの答えだった。「でもきっと、わたくしたちに手厳しいことをおっしゃるおつ
くじ
もりよ、だからあの方の狙いを 挫 くには、なにもお尋ねしないのがいちばんだわ」
 ところがミス・ビングリーは、なんであれミスタ・ダーシーを落胆させては困るので、二つの動機とはなにかぜひ
説明していただきましょうと迫った。
「説明するにやぶさかではありませんよ」とダーシーは、きっかけを得るとすぐに言った。「あなた方おふたりは、
今宵を過ごすのにこのような方法を選んだ、なぜならおふたりはおたがいに信頼しあう仲、ふたりだけで話し合わな
ければならない秘密がある、またあなた方の容姿は、歩くことによってその本領を発揮する──一つ目の動機なら、ぼ
くはまったく邪魔者だし、二つ目の動機なら、ぼくは暖炉のそばにすわっているほうが、あなた方をたっぷりと観賞
できるというものです」
「まあ! ひどい!」とミス・ビングリーが叫んだ。「こんなひどいこと、はじめて聞いたわ。こんなことおっしゃ

る方を、どうやって懲らしめようかしら?」
いじ
「ほんとうにお仕置きしたいというなら、こんな簡単なことはないわ」とエリザベスは言った。「だれだって 苛 めた
り、懲らしめたりするのは簡単よ。からかうのよ──笑ってやるのよ。お親しいのだから、どうすればよいかおわかり
でしょ」
「そんなことわかるわけないわ。いくらお親しくしていても、そんなこと、わからないわよ。物静かな性格や、沈着
冷静な態度をからかえとおっしゃるの! だめ、だめ──そんなことをしてもびくともなさらないわよ。それに笑うと
わ け
いったって、理由もなく笑ったりして、かえってこちらが笑われるのはごめんだわ。ダーシーさまはきっと大喜びな
さるでしょうけど」
「ダーシーさまには、からかうところがないんですって!」とエリザベスは大声を張り上げた。「それはまたたいそ
うな強みですこと。でもそんなひと、めったにいないように祈ります。だってそんなお知り合いばかりだったら、
がっくりしちゃうわ。わたくし、ひとをからかって笑うのが大好きなんですもの」
「ミス・ビングリーは」とダーシーは言った。「ぼくを買いかぶりすぎている。どれほど立派な賢い人間でも、い
や、どれほど立派な賢い振る舞いでも、からかうのがなによりの生き甲斐だという人間にかかっては、いくらでもか
らかう材料になりますよ」
「たしかに」とエリザベスは答えた。「そういうひとはいますわね、でも自分がそうだとは思いません。立派なこと
や賢いことは決して笑いものにはしませんから。愚かしいこと、くだらないこと、気まぐれな矛盾だらけのことに出
会うと楽しくなるのはたしかですけど。そういうものならいつだって笑ってやります。でもそういうものは、あなた
とはまったく無縁ですわ」
「いやだれでも無縁ではありえない。しかし人間だれしも、卓抜な知性でさえ嘲笑の的にされかねない弱さがある、
ぼくはそうならないように気をつけてきたつもりです」
「虚栄心とか自尊心とかいうような」
「そう、虚栄心はたしかに弱さですね。しかし自尊心は──ほんとうに卓越した資質の持ち主なら、常に統御できるも
のでしょう」
 エリザベスは笑みを隠すために顔をそむけた。
「ダーシーさまの人物試験は終わったのね」とミス・ビングリーが言った。「それで結果のほうはいかが?」
「ダーシーさまには欠点がおありになりません。ご自分でもはっきりそうお認めになっていますもの」
「いや」とダーシーは言った。「そんなことは言っていない。ぼくにだって欠点はいくつもあるが、知性の欠如によ
るものではないと思いたいですね。気性のほうはとうてい請け合えませんが。いささか従順さに欠ける、世間を渡る
上では少々不都合です。他人の愚かさや不道徳な行為は、忘れろと言われてもすぐには忘れられない、ぼく自身に浴
びせられた侮辱も忘れられない。ぼくの気持は、はたからいくら揺さぶられようと、むやみにふらつきはしません。
ぼくの気性は、おそらく、いわゆる怒りっぽいというやつですね。他人に対するよい評価もいったん失われたら、永
久に失われるんです」
かげ
「それはたしかに欠点ですわね」とエリザベスが大声で言った。「執念深い怒りというものは、性格の 翳 りですね。
でもよい欠点をお選びになったわ。そういう欠点はわたくしも笑えませんもの。ご心配なく」
「人間の気性というものには、ある特殊な悪に流れる傾向がある、最高の教育を受けても克服することのできない生
来の欠点というものがあると、ぼくは思いますね」
「そしてあなたの欠点は、あらゆる人間を憎む傾向があるということですのね」
「そしてあなたの欠点は、あらゆる人間をわざと誤解する傾向があるということですね」とダーシーは微笑みながら
言った。
「さあ、音楽にしましょうよ」自分にはどうでもいい会話に飽き飽きしたミス・ビングリーが、大声を張り上げた。
「ルイザ、旦那さまを起こしてもいいわよね」
 姉はまったく異存はなく、ピアノの蓋が開けられた。ダーシーは、しばし考えたのち、それもよろしかろうと思っ
た。エリザベスに関心を持ちすぎている危険を感じはじめていたのである。

    12

ふみ したた
 姉と話し合った末に、エリザベスはよくあさ母宛てに 文 を 認 め、その日のうちに馬車をさしむけてくれるよう頼
んだ。だがミセス・ベネットは、ジェインがお世話になってからちょうど一週間になる次の火曜日まで、ふたりとも
ネザーフィールド屋敷に滞在するものと当てこんでいたので、その前となると、どうも勇んでふたりを迎えるという
かんば
気になれなかった。したがって返事は 芳 しくなく、少なくとも一刻も早く家に帰りたいエリザベスの願いもすぐに
は叶えられそうになかった。火曜日までは馬車をまわすことはたぶんできないと、ミセス・ベネットは書いてきた。
そして追伸として、もしビングリーさまとお妹さまが、滞在を延ばすようにとおっしゃるなら、ぜひそうなさいと書
き添えてあった。だがエリザベスは、これ以上滞在を延ばすつもりは毛頭ないし、第一そんな誘いを受ける気遣いは
たま
まずあるまいと思った。逆に図々しく長逗留をしていると思われては 堪 らないと、ミスタ・ビングリーの馬車をすぐ
にでも借りるようにジェインを急き立てた。そしてこの日ネザーフィールドを去るという当初の計画を伝えて馬車の
件を頼んだのである。
 このことが伝えられると、ひとしきりほうぼうから心配の声が上がり、せめて明日まで待ってはどうかとしきりに
すすめるので、ジェインの気持も動き、出発は翌日まで延ばされた。ところがミス・ビングリーは、出立を延ばすよ
うにすすめたことをすぐに悔やんだ。ジェインの妹を嫉妬し嫌う気持が、ジェインに寄せる愛情をもしのいでいたか
らである。
 ミスタ・ビングリーは、姉妹がこれほど早く帰ってしまうのを聞いてひどく悲しみ、じゅうぶんに快復していない
のに出立するのはまだ体に応えるだろうと説得をくりかえしたけれども、ジェインは、いったんこうと思ったら、
ぜったい意志を曲げなかった。
 ミスタ・ダーシーにとって、これはよろこばしい知らせだった──エリザベスは、ネザーフィールドに長くいすぎ
た。そのため予想以上に彼女の魅力に惹きつけられてしまった──その上ミス・ビングリーが、エリザベスに無礼な態
度をとるばかりか、彼に対しても常になく妙にからんでくる。そこでダーシーは、ここは慎重に振る舞おうと賢明に
おもて
も考えた。エリザベスへの讃美の情が 面 にあらわれぬように、エリザベスに結婚の期待を抱かせぬようにしなけれ
ばならない。そんな考えが少しでもあれば、最後の日の彼の言動は、相手の期待をいよいよ強めさせるか、あるいは
打ち砕くか、それを左右する重みをもつことになるだろうと思っていた。したがってダーシーは、土曜日は終日エリ
ザベスとはろくに口をきかず、半時間ほどふたりきりになったときも、ひたすら書物にかじりついて、エリザベスの
顔を見ようともしなかった。
 日曜日の朝の礼拝のあと、大方の者にとってはよろこばしい別れのときがやってきた。ミス・ビングリーは、ジェ
インにはあふれんばかりの愛情を示し、エリザベスにもがぜんやさしくなった。そして別れるとき、ジェインには、
ロングボーンでもネザーフィールドでも、お会いするのが楽しみだわと言って、たいそうやさしく彼女を抱擁し、エ
リザベスとは握手さえした。エリザベスは、晴々とした顔でみなに別れの挨拶をした。
 帰宅してみると、母親はそれほど歓迎してくれなかった。ミセス・ベネットは、娘たちがはやばやと帰ってきたの
に驚き、あちらにたいそうなご迷惑をおかけしたに違いないと案じ、ジェインの風邪はきっとまたぶりかえすだろう
と言った。だが父親は、喜色こそ浮かべなかったものの、ふたりの帰宅を心からよろこんでいた。このふたりが家族
だんらん
のなかではかけがえのない存在だとつくづく感じていたのである。家族が顔を合わせる夜の 団 欒 は、ジェインとエリ
ザベスを欠いてはまるで活気がなく、ほとんど無意味だった。
 メアリは相変わらず、和声学の勉強や人間性の研究に没頭していた。そして最近心に残った新しい文章の抜き書き
だの、古臭い道徳論に関する新しい考察などをご披露してくれた。キャサリンとリディアは、それとはまったく別の
話題を提供してくれた。この前の水曜日からこちら、連隊ではいろいろな出来事があり、さまざまな噂がささやかれ
むち
ている。フィリップス叔父が最近、士官を数人食事に招いた、二等兵が 笞 打ちの刑に処せられた、フォスター大佐が
いよいよ結婚するという噂はどうもほんとうらしいなどなど。

    13

「ねえ、きみ」とミスタ・ベネットは、翌朝の朝食の席で奥方に話しかけた。「きょうの午餐にはご馳走を用意させ
てあるといいんだが。というのも、家族のほかに客がひとりくわわると思うのでね」

「いったいどなたですの? いったいどなたがお出でになるやら、さっぱり見当もつきませんが、シャーロット・
ルーカスが寄るぐらいかしら、あのお嬢さんならうちのふだんのお食事でじゅうぶんですよ。あちらさまじゃ、うち
のようなご馳走はそうちょくちょく出ませんもの」
「その人物というのは、紳士でね、しかもはじめての客なんだ」
 ミセス・ベネットの目がきらりと光った。「紳士で、はじめてのお客さま! それならビングリーさまに決まって
いるわね。まあジェイン──あなたったら、そんなことおくびにも出さないで! ビングリーさまがいらっしゃるなん
て、こんなうれしいことはないわ。でも──どうしよう! あいにくなんですのよ! 今日はお魚が手に入らないの
に。さあ、リディアや、ベルを鳴らしてちょうだい。ヒルにさっそく言いつけておかなきゃ」
「ビングリー氏ではないんだよ」とミスタ・ベネットは言った。「このわたしも、これまでに一度も会ったことのな
い人物だ」

 これにはみんな驚いた。奥方と五人の娘たちからいっせいに質問を浴びせられて、ミスタ・ベネットは悦に入って
いる。

 みなをしばらく焦らしたあとで、ミスタ・ベネットはこう説明した。「ひと月前のことだが、この書状を受け取っ
てね、二週間ほど前に返書を送った。いささか微妙な問題なので、早急の配慮が肝心だと思ったからだ。じつを言う
と、わたしの甥のコリンズ君からなんだよ。わたしが死んだあかつきには、いつでもあなたたちをこの家から追い出
せる人物だ」
「まあっ! そんな」と奥方がわめいた。「縁起でもないことを。そんな憎たらしい男のことなんかお話しにならな
いでくださいな。あなたの財産が、ご自分の娘たちには相続できなくて、遠縁の男子の手に渡ってしまうなんて、こ
んな無情な法がありますか。わたしがあなたなら、とうの昔になんとか手を打っていましたわ」
 ジェインとエリザベスは、限嗣相続法がどういうものか、母親に説いてきかせた。これについては以前からたびた
び説明はしてきたのだが、母親を納得させるのはとうていむりだった。ベネット家の財産を家族である五人の娘から
むご
取り上げ、そんなどうでもいい男の手に渡してしまうというなんとも 酷 い仕打ちを母親は口汚く罵りつづけるばかり
だったのである。
「まったく不当な話だね」とミスタ・ベネットは言った。「しかしどうあがいたところで、ロングボーンを相続する
という罪をコリンズ君に免れさせるわけにはいかんのだよ。だがこの書状をいま読んできかせるから、そうすれば、
彼が思いのたけを述べているその心情に、あなたの心も少しは和らぐのではないだろうかね」
「いいえ、和らぐものですか。そもそもあなたに手紙をよこすなんてずうずうしいじゃありませんか、おまけにそん
じつ なかたが
なふうに善人ぶるなんて。そんな 実 のない身内なんて大嫌いです。父親はあなたとずうっと 仲 違 いをしていたんで
すから、息子だってそうすればいいんですよ」
とが
「まあね、その辺のところは、子としていささかの良心の 咎 めを感じているようだよ。まあ聞きなさい」

『ケント州ウェスタハム郊外ハンスフォード
 十月十五日
 拝啓
かくしつ
 貴方様と敬愛する亡き父のあいだの 確 執 につきましては、私は絶えず心を痛めてまいりました。父を失う不幸に
遭ってからはこの確執をばなんとか解消したいと願うことしきりでありましたが、ここしばらくは私自身疑心に駆ら
れるところもあり、その気持を抑えてまいりました。と申しますのは、長らく亡父と不和であった人物と、それがだ
れであろうと、親交を結ぶというのは、故人の霊に対して不敬を働くことになるのではあるまいかと恐れたからであ
ります──「ほうらごらん、奥方」とミスタ・ベネットは言葉をはさんだ──しかしながら、この問題に対する私の気
持はようやくいま固まったのであります。と申しますのも、復活祭に聖職禄を受任し、幸運にもルイス・ド・バーグ
卿の未亡人であらせられるキャサリン・ド・バーグ令夫人閣下の御援助を賜るという名誉に浴したのでございます。
その惜しみないお慈悲をもちまして、私めは、本教区の牧師という重職に任命されたのであります。まずはド・バー
グ令夫人に対し、深甚なる敬意をもって身を処し、ついで英国国教会により定められました数々の典礼、儀式を滞り
なく遂行するのが私の務めと心得ております。さらに聖職者といたしまして力の及ぶ限りのすべての家庭に平和の恵
みを行きわたらせ、浸透させるのが私めの義務と心得ている次第でございます。これらの理由に拠り、私めがかかる
善意の申し出をなすことは、まことに殊勝なる心掛けとひそかに自負するものであります。さすれば、私めがロング
ボーンの家屋敷の次なる限嗣相続者であるという事情は、貴方様におかれましては大目に見てくだされたく、そして
オ リ ー ブ の 枝
また和解のしるしをば拒まれることはあるまいと存じております。貴方様の愛すべき御令嬢方のお気持を私めが傷つ
けること、ただただ憂慮するほかなく、それにつきまして謝罪の機会をお与えいただきたく存じます。先々のことと
あい な しか
は 相 成りますが、御令嬢方に 然 るべき償いをさせていただく用意があることをここに堅くお約束申し上げるものであ
きた
ります。私めを御尊家にお迎えくださることに御異存なくば、 来 る十一月十八日月曜日午後四時に御尊宅に参上つか
まつり、御家族の皆々様に拝眉の栄に浴したく、なお次週の土曜日まで、御尊家の御好意に甘んじ滞在することかな
わば無上の喜びと存じます。この日程につきましては、私めにはなんらの不都合はなく、またキャサリン令夫人にお
かれましても、代理の牧師をばたて日曜日の礼拝を果たさせるとなれば、私めが時折日曜日に留守をいたしまして
なにとぞ
も、なんらの御異存はないのでございます。 何 卒 、御奥様、御令嬢方の皆々様にくれぐれもよろしくお伝えくださり
まするよう願い上げます。
御尊家に幸多かれと祈る友 
ウィリアム・コリンズ』

「したがって四時には、この親善紳士がお越しになる」とミスタ・ベネットは、書状をたたみながら言った。「どう
やら、はなはだ良心的な礼儀正しい若者のようだね。それにわが家にとっては貴重な知己であることは間違いない
ね、レディ・キャサリンが再度の訪問をお許しくださるならばだが」
ふんべつ
「でもうちの娘たちの身を案じてくださるところなどは、なかなか 分 別 のあるひとですわね。それに娘たちに償いを
しようというおつもりなら、わたしも、この方のお気持に水をさすような真似はしませんわ」
「でもわたしたちのために償うといっても」とジェインが言った。「どんな方法があるのか、とてもわからないけれ
ど、そのお気持があるだけでも立派なものだわ」
てい
 エリザベスは、レディ・キャサリンに対するこの人物の尋常ならざる服従の 態 と、求められるならいつなりと教区
ねんご
民に洗礼を施し、婚礼の儀を司り、埋葬を取り行おうというまことに 懇 ろなるご意志のほどにも驚嘆した。
「きっと変わり者だわね」とエリザベスは言った。「人柄はよくわからないけど。この書きっぷりもなんだかごたい
そうなもったいをつけているし。それに限嗣相続の相続人であることをお詫びしたいというのは、いったいどういう
ことかしら? できれば辞退しようというわけでもなさそうだし。このひとって、良識のあるひとでしょうか、お父
さま?」
「いいや。そうは思わないね。きっとその逆に違いないぞ。この文面には卑屈さと尊大さがいりまじっている。こい
つは間違いなく楽しめるぞ。会うのが待ち遠しいね」
「文章という点から見ると」とメアリが言った。「この手紙には欠点はなさそうだわ。オリーブの枝なんて表現は陳
腐だけど、それでもうまく使っているわね」
いとこ
 キティとリディアは、手紙にもそれを書いた人物にもまるで興味が湧かなかった。従兄が将校の緋色の軍服を着て
くるということはまずありえない。ほかのどんな色の服の殿方とのおつきあいももう何週間もなかった。ミセス・ベ
ネットはというと、ミスタ・コリンズのこの手紙のおかげでほとんど敵意は失せ、かなり冷静にこの紳士を迎える心
の準備ができていたから、これには夫君も娘たちも驚いたのである。
 ミスタ・コリンズは、予定通り定刻きっかりにあらわれ、家族総出の丁重なるお出迎えを受けた。ミスタ・ベネッ
トは、やはりあまり口をきかなかった。だがご婦人方は、待ちかねていたように喋りだし、ミスタ・コリンズのほう
た ち
は、促されなければ話さないというふうでもなく、口数少なく黙りこんでいる性質でもないようだった。いかめしい
顔立ちの長身の青年、二十五歳だった。生真面目な肩肘はった態度、物腰ははなはだ形式ばっていた。腰をおろすや
いなや、ミセス・ベネットに向かって、このようなお美しいお嬢さま方がお揃いとは、とお愛想をふりまき、お嬢さ
ま方の美貌のお噂はとくと聞いておりましたが、いまここでその噂は事実に及ばぬことを知りましたなどと言った。
かたづ
そしてこうつけくわえた、お嬢さま方はやがてはご良縁に恵まれてお 嫁 きになること間違いなしですなと。このお
世辞は、聞き手のある者たちの趣味には合わなかったが、お世辞には逆らえないミセス・ベネットは、大喜びで応じ
た。
「ほんとにおやさしいんですのねえ。そうであればよいと心から願っておりますのよ。さもないと生活に困ることに
なってしまいますもの。まったく奇妙な取り決めがあるものですわねえ」
「こちらの家屋敷の限嗣相続のことをおっしゃっているのでしょうね」
「ええ、ええ! さようでございますとも。うちの哀れな嬢やたちにとっては嘆かわしいことでございましょ。あな
たさまに責任があるなどと、ゆめゆめ申してはおりませんよ。こういうことは、この世の運というものでございます
ものねえ。いよいよ限嗣相続ということになりましたら、この家屋敷はいったいどうなるんでございましょうか」
い と こ
「わたしの美しい従姉妹たちの窮境についてはようくわかっておりますですよ、奥さま。その問題につきましては、
いろいろ申し上げてもよろしいのですが、厚かましい、性急なとお思いになられてはと差し控えております。しかし
ながら、ご令嬢方には、みなさまをお褒めするためにお伺いしたのであるとはっきり申し上げましょう。さしあたり
これ以上のことは申しませんが、おつきあいを深めたあかつきには──」
 そのとき、午餐の用意が整いましたとの声がかかり、話がさえぎられた。ご令嬢たちは笑みを浮かべて顔を見合わ

せた。ミスタ・コリンズからお褒めをいただいたのは、ご令嬢たちだけではなかった。玄関の間、食堂、そしてそこ
にある家具調度などが、仔細に眺められ、褒め上げられた。そしてあらゆるものに対するミスタ・コリンズの称賛
は、それらすべてを自分の未来の所有物として見ているに違いないという悔しさがなければ、ミセス・ベネットの心
を動かしていたであろう。食事になれば、これまたおおいに称賛が浴びせられた。そしてこの料理の優れた腕前の持
ち主は、美しい従姉妹のうちのどなたか、ぜひとも教えていただきたいと言った。ところがこれはたちまちミセス・
ベネットの反撃にあった。宅でも腕のよい料理人を雇うぐらいの余裕はございますし、娘たちに厨房に入るような真
はげ さわ
似はさせませんと 烈 しい口調で抗議されたのである。お気に 障 ることを申して失礼申し上げたとミスタ・コリンズは
ひらあやま
平 謝 りだった。ミセス・ベネットは声を和らげ、別に気分を害したわけではございませんよときっぱり言った。だ
がそれから十五分ばかりというもの、ミスタ・コリンズは謝りつづけていた。

    14

 食事のあいだ、ミスタ・ベネットはほとんど口をきかなかった。だが召使たちが引き下がると、そろそろ客人と話
パトロネス
をする潮時だと思った。したがって、どうやら彼が 庇護者に恵まれているらしいと見て、彼が馬鹿なことを言いそう
な話題を取り上げたのである。レディ・キャサリン・ド・バーグの彼に対するご配慮、快適な暮らしに心を配ってく
ださるご親切は、並々ならぬものであるようだった。ミスタ・ベネットとしてはこれ以上適切な話題は選べなかった
であろう。ミスタ・コリンズはたちまち雄弁になり、レディ・キャサリンを口をきわめて称賛した。この話題となる
と、ふだんのしかつめらしい物腰がいよいよ重々しいものになった。そしていとももったいぶった表情で、これほど
高貴なお方のあのようなお振る舞いはいまだかつて見たことがないと断言した──レディ・キャサリンのあのおやさし
さと謙虚なお振る舞いを、自分は身にしみて味わっている。すでにレディ・キャサリンの前で説教をする栄誉にあず
かったが、二度の説教に、もったいなくもお褒めのお言葉を賜っている。また二度にわたり、ロージングズ館の晩餐
にお招きいただき、またつい先週の土曜日には、トランプのカドリールの人数が足りないからとお召しがあった。レ
み な
ディ・キャサリンは、自分の知る多くのひとびとからは、高慢であると見做されているが、自分の目にはおやさしさ
ばかりが映る。身分の高い殿方と話されるのと同じように、自分ともお話しくださる。近隣とのご社交にくわわるこ
とも反対はされず、二週間ほど教区を空けて親類縁者を訪ねるようなことも大目に見てくださる。また慎重に相手を
ろうおく
選び、できるだけ早く結婚するようにと気さくに助言してくださったこともある。また一度などは、わが 陋 屋 をばご
訪問くださり、自分がなしたるさまざまな改修についてもお褒めのお言葉を頂戴し、またありがたいことにおんみず
おお
から助言を賜り、二階の小部屋の戸棚に棚板を何枚か取りつけるがよろしかろうと 仰 せられた。
「それはまあ、ご立派でご親切なお方でございますわねえ」とミセス・ベネットは言った。「きっとたいそう感じの
よいご婦人でしょうね。貴婦人と言われる方たちがみんなその方のようだとよいんですがねえ。あなたのお近くにお
住まいなんですの?」
ろうおく
「わたくしの 陋 屋 が建っております敷地は、レディ・キャサリンのお住まいであるロージングズ館のご用地とは小道
をひとつ隔てているばかりですよ」
「そのお方は未亡人だとおっしゃいましたわね? ご家族はおいでなのかしら?」
「ご令嬢がおひとり、ロージングズ館と広大なるご領地の女相続人であらせられます」
「まあ!」とミセス・ベネットは頭を振りながら大声を張り上げた。「するとそのご令嬢は、この辺の娘たちなんぞ
よりはずっと恵まれていらっしゃるのね。それでそのご令嬢は、どんな方ですの? お美しい方ですか?」
「それはそれはすばらしいお嬢さまでございますよ。真の美しさということから申しますと、ミス・ド・バーグは、
まさ
いかなる美貌の女性よりもはるかに 優 っていると、レディ・キャサリンおんみずから申されております。そのお顔立
い かん
ちには、このご令嬢の高貴なるお血筋がよくあらわれております。遺 憾 ながら、ご病弱でいらっしゃるために、さま
ざまな才芸を磨くことがなりません、さもなくば、どれもご立派に上達されたはず。お嬢さまの教育係りでいらっ
うけたまわ
しゃるご婦人からそのように 承 りました。この方はいまもごいっしょに住まわれております。ですがたいそう気
フ ェ ー ト ン
立てのよいお嬢さまでございましてね、ときどき、ポニーに引かせた小型の軽四輪馬車にお乗りあそばして、拙宅の
前などを気さくに通っていかれます」
「その方はもう王宮の謁見はおすみになったのですか? 王宮に伺候なさった貴婦人方の名鑑にお名前はなかったよ
うですが」
「ご病弱であらせられるので、残念ながらロンドンにお住まいにはなれぬのです。それで、わたくしは、ある日レ
ディ・キャサリンにこう申し上げたのでございますよ。英国の宮廷は、もっとも輝かしき光彩を奪われましたねと。
奥方さまはたいそうお喜びのご様子でございました。あらゆる機会を捉えては、ご婦人方がいつもお喜びになるよう
なこうした心地よい賛辞を捧げることのできるわたくしの幸せをご想像ください。わたくしは一度ならずレディ・
キャサリンに申し上げました、奥方さまの可愛いお嬢さまこそ、生まれながらの公爵夫人、この最高の位は、お嬢さ
まに社会的な重みをあたえるのではなく、お嬢さまによって、その位が社会的な重みを増すことになりましょうと。
こうしたちょっとした賛辞にも、レディ・キャサリンはたいそうお喜びになられます。わたくしはレディ・キャサリ
ンにはことにそのような心配りをすべきものと心掛けておりますです」
「それはまっとうな考えだな」とミスタ・ベネットは言った。「そのように心地よい賛辞を述べる才能があるとは幸
せなことだ。そこでお尋ねしたいのは、相手の耳に快いそのような心遣いは、当意即妙に発せられるものか、あるい
は事前の研究の賜ものなのかな?」
「だいたいは、その場の情況に応じて自然に浮かんでまいります。ときどきはふだんでも使えるようなちょっとした
お上品な褒め言葉を考えたり、工夫したりして楽しむこともございますが、工夫のあとが目立たぬよう気をつけてお
ります」
たが
 ミスタ・ベネットの予想はぴたりと的中した。この甥は、期待に 違 わず滑稽きわまりない人物だった。彼はコリン
ズの話をおおいに楽しんだが、顔はあくまでもくそ真面目に、ときおりエリザベスにちらりと視線を送るほかは、こ
の楽しみをひとり心ゆくまで味わっていた。
 しかしお茶になるころには、こうしたひそかな楽しみももうたくさんだった。ミスタ・ベネットは客をさっさと客
間に案内し、お茶が終わると、こんどはご婦人たちに本を読んでやってはいただけまいかと促した。ミスタ・コリン
ズは、快くそれに応じたが、持ち出された本を見ると(どうみてもそれは巡回図書館から借りたものだった)、思わ
ず身を退いて許しを乞い、私めは小説は読みませんのでときっぱりと断った。キティはまじまじとコリンズを見つ
め、リディアは驚きの声をあげた。ほかの書物が何冊か持ち出され、しばらく思案したミスタ・コリンズは、その中
あくび
からフォーダイスの『若き婦人のための説教集』を選び出した。その本が開かれるとリディアは欠伸をし、コリンズ
がしかつめらしく、しごく単調に三頁も読み進まぬうちに、彼などそっちのけで喋りだした。
「ねえ、お母さま、知ってる、フィリップス叔父さまがね、下男のリチャードをお払い箱にしたんですってよ、で
も、フォスター大佐が彼を雇うらしいの。叔母さまが土曜日にそう言ってた。あしたメリトンまでお散歩して、その
こと、もっと聞いてくるわ。それからミスタ・ディニーがロンドンからいつ戻ってくるのか訊いてくるわね」
 リディアは、上のふたりの姉から、口を慎みなさいとたしなめられた。ミスタ・コリンズは、たいそうなご立腹
で、本をわきに置くなりこう言った。「若いご婦人方は、たとえ、それが女性のために書かれたものであろうと、真
面目な内容の書物にはほとんど興味を示さないのでございますよ。正直申せば、これには驚かされます──若いご婦人
いとこ
方にとってこれほど教訓に満ちた有益な本はほかにないのです。しかしまあ、幼い従妹に無理強いするのはやめるこ
とにいたしますよ」
バックギャモン つかまつ
 そしてミスタ・ベネットのほうを向くと、 すごろく のお相手を 仕 りたいと申し出た。ミスタ・ベネットは挑戦
に応じ、なかなか賢明な判断でしたな、娘どもはくだらぬことを楽しんでおればよろしい、と言った。ミセス・ベ
ネットと娘たちは、リディアの失礼を丁重に詫び、本をお読みいただけるなら、二度とこのような真似はさせません
と約束したけれども、ミスタ・コリンズは、幼い従妹にはなんの悪意も抱いてはおりませんし、あの振る舞いを侮辱
だと感じて腹を立てているわけでもありませんと言って、みなを安心させると、ミスタ・ベネットと共に別のテーブ
ルに腰を落ち着け、バックギャモンの用意にとりかかった。

    15
 ミスタ・コリンズは、思慮分別に富む人間ではなく、この生来の欠陥は、教育や世間とのつきあいによって補正さ
りんしょく
れることもなかった。人生の大半を、無学で 吝 嗇 な父親のもとで過ごしてきた。大学のひとつに籍を置いてはいた
が、必要とされる年限をぶじ修了したにすぎず、卒業後に助けとなる交友関係を築くこともなかった。父親はひたす
うぬぼ
ら服従を強いて育てたため、幼いころから卑屈な態度が身についてしまったが、愚鈍な頭が生み出した自惚れと、世
おご
間と没交渉の暮らしと、年若くして思いがけず手にした豊かさがもたらした 驕 りとがあいまって卑屈さは失われて
いった。ハンスフォードの聖職禄が空席となったとき、幸運にもレディ・キャサリン・ド・バーグの知遇を得たので
パトロネス
ある。レディ・キャサリンの高貴な身分に対する敬意、己の 庇護者として崇め奉る気持に、己に対する過大評価と、
つい
聖職者としての威信と教区牧師としての権限の自覚などといったものが混じり合い、いまのコリンズを、高慢と 追
じゅう
従 と尊大と謙虚とが混淆する人物に仕立て上げていた。
 立派な住居もあり、たっぷりした収入もある身となって、次は結婚を考えるようになった。ロングボーンの一家と
の和解を求めたのも、実を言えば花嫁目当てのことだった。ベネット家の娘たちが、世間の評判通りの気立てのよい
美人ならば、そのうちのひとりを妻に迎えたいと考えたのである。コリンズとしてはこれが──娘たちの父親の資産を
しょくざい
相続することに対する罪ほろぼし── 贖 罪 のつもりだった。これこそ、罪ほろぼしにはまことにうってつけの、自分
としては、欲得なしのたいそう寛容な名案であると思っていた。
 この計画は、娘たちに会ったのちも変わらなかった。長女のミス・ベネットの美貌を見て確信は強まり、なんであ
れ長幼の序を守るべきだという彼の堅い信念を揺るぎないものにした。最初の夜にミス・ベネットを妻とすることに
決めた。だが翌朝にはその計画を変えることになった。朝食前の十五分ほど、ミセス・ベネットと差し向かいで話を
した。牧師館の話からはじまり、牧師館の女主人はロングボーンで見つけたいという希望がとうぜん持ち出される
と、ミセス・ベネットは満面の笑みを浮かべて彼を力づけたものの、彼が心に決めていたジェインについては一言注
意をあたえた──下の娘たちについては、自分の口からはなんとも言えないし──はっきりしたお返事はできないが──
先約があるという話は聞いていない──ただ長女のジェインについてはちょっとお断りしておくのが筋だと思うが、ど
うやら近々婚約することになるかもしれない。
 ミスタ・コリンズとしては、単にジェインをエリザベスに替えればよいだけで──すぐさま心は決まった──ミセ
ス・ベネットが暖炉の火をかきたてているあいだにそうなった。エリザベスは、年齢も美貌もジェインの次だったの
で、そのあとを引き継いで当然だった。
ほの
 ミセス・ベネットは、それとなく 仄 めかされたコリンズの言葉をありがたく受け止め、娘ふたりが早晩結婚するこ
とになると確信した。前日には口にするのも忌まわしいと思われた男が、いまやミセス・ベネットの大のお気に入り
となったのである。
 リディアは、メリトンへ行くことを忘れてはいなかった。メアリを除いたほかの姉妹たちも、いっしょに行くこと
にした。そこでコリンズを是が非でも家から追い出して書斎を独り占めしたいと願っていたミスタ・ベネットは、メ
リトンまで娘たちに付き添っていってくれるようコリンズに頼んだのである。なにしろコリンズは朝食がすむと、書
斎までのこのことついてきて、表向きは蔵書のなかでも高価な大判の二つ折り本と取り組むはずだったが、じつのと
ころは、ハンスフォードのわが家や庭園のことなど、ミスタ・ベネットを相手にえんえんと話しつづけた。おかげで
せいひつ
ミスタ・ベネットはおおいに 静 謐 を乱される羽目となった。本来は書斎にいれば常に安穏と静謐が保証されていた。
この屋敷のほかの部屋で愚劣さや気まぐれに出会うのは覚悟しているが、書斎だけはそういうものから逃れていられ
るからね、とエリザベスには常々そう言っていた。したがってミスタ・ベネットは、散歩に出る娘たちに同行してい
ただきたいとさっそくコリンズに丁重にお願い申し上げたのである。コリンズにしても、書物を読むより歩くほうが
はるかに得意であったので、大判の書物を嬉々として閉じると書斎を出ていった。
い と こ あんばい
 道々コリンズはもったいぶった態度でつまらぬ話をつづけ、従姉妹たちはそれに礼儀正しく応えるという 按 配 で、
そうこうするうちに一行はメリトンに入った。下のふたりの娘たちの関心は、もはやコリンズにはなかった。その目
は、たちまち士官たちの姿を探して通りをさまよい、店の飾り窓に並んだ洒落た帽子か、新着のモスリン地でもなけ
れば、娘たちの視線を取り戻すことはできなかった。
 だがやがて姉妹たちの目は、はじめて見かけるひとりの青年に惹きつけられた。いかにも紳士然とした青年で、通
りの向こう側をひとりの士官と連れ立って歩いていた。士官というのは、ロンドンから帰着したかどうかリディアが
わざわざ確かめにやってきたミスタ・ディニーで、彼は通りの向こうから姉妹に向かって会釈をした。姉妹たちはみ
な、見知らぬ人物の粋な風采に魅せられ、いったいどこのどなただろうと思い、キティとリディアが、確かめてくる
と言いだし、向かいの店に欲しいものがあるようなふりをして通りを渡り、歩道にたどりついたところで運よく引き
返してきたふたりの紳士にばったり出会うことになった。ミスタ・ディニーのほうから姉妹に声をかけ、お許しを得
れば友人のミスタ・ウイッカムを紹介したいと言った。前日ロンドンより共に立ち戻ったが、幸い同じ連隊に着任し
たのだという。彼ならそうあってしかるべきだろう。欠けているものと言えば軍服だけ、それを着せればこの上なく
魅力的な青年に仕上がるに違いなかった。その容姿は文句のつけようがない。美男というもののほとんどあらゆる要
そな
素を 具 えていた。凜々しい容貌、均整のとれた姿形、実に快い話し方。紹介がすむと、その紳士のほうから気さくに
話しかけてきた──気さくとはいえ礼儀正しく、控え目だった。その場に立ったまま話がはずんでいると、馬蹄のひび
きが聞こえ、見ると、馬に乗ったダーシーとビングリーが通りを駈けてきた。ふたりの紳士は姉妹たちの姿に気づ
き、まっすぐ近づいてくると、いつものように丁重に挨拶をした。ビングリーが主に話をしたが、相手は主にジェイ
ンだった。そしてこれからあなたのお見舞いに伺うつもりでロングボーンへ行くところでしたと言う。ミスタ・ダー
シーは、軽く頭を下げてその話を裏づけ、目はエリザベスに注がぬよう努めていたが、そのとき彼の目が、かの見知
らぬ紳士にふいに釘づけになった。エリザベスは、そのふたりが顔を見合わせたときの表情をたまたま見てしまい、
そのときのふたりの反応にはたいそう驚いた。ふたりともさっと顔色が変わり、一方は真っ青に、一方は真っ赤に

なったのである。ミスタ・ウイッカムはちょっと間をおいてから帽子の縁に手をやった──それに応えてミスタ・ダー
シーはわずかに身を屈めた。いったいこれはどういうことだろう? まったく見当もつかない。エリザベスはこのわ
けをぜひとも知りたいと思った。
 やがてミスタ・ビングリーは、その場の情景に気づいた様子も見せず、すぐに別れを告げると、友人とともに走り
去った。
 ミスタ・ディニーとミスタ・ウイッカムは、若いご婦人方といっしょにフィリップス家の玄関の前まで歩いてくる
と、そこで会釈をした。ミス・リディアがぜひ寄ってくださいと懇願しても、ミセス・フィリップスが客間の窓を押
し上げて、大声でリディアの応援をしても、ふたりはそのまま行ってしまった。
 ミセス・フィリップスはいつも大喜びで姪たちを迎えた。上のふたりはこのところ家を留守にしていたので、こと
のほか大歓迎だった。あなたたちがとつぜん帰ってきたのにはほんとうにびっくりしたわ、としきりに言った。それ
もベネット家の馬車は迎えにも行っていないし、たまたま出会ったジョーンズ先生の薬局の小僧から、ベネット家の
ご姉妹はもうお帰りになったので、ネザーフィールドへはもう水薬を届けにいく必要はないという話を聞かなかった
ら、帰ってきたのを知らずにいるところだったとまくしたてた。ここでジェインにミスタ・コリンズを紹介され、ミ
セス・フィリップスもようやく彼に挨拶をした。ミセス・フィリップスは、それはそれは丁重にコリンズを迎えた
が、コリンズは、それをもしのぐ丁重な物腰で挨拶を返し、面識もないのに突然お邪魔する失礼を重々詫びたもの
の、いま紹介の労をとってくれた令嬢とは縁戚になるので、その失礼もお許しいただけるのではないかと心ひそかに
思っていたと言った。ミセス・フィリップスは、こうした度はずれた礼儀作法にすっかり痛みいっていたものの、あ
の人物、つまりミスタ・ウイッカムについて興奮気味の質問が浴びせられたために、初対面のこの人物をこれ以上
じっくり観察するひまがなかった。もっともあの人物については、姪たちがすでに知っていること、つまりミスタ・
ディニーがロンドンから連れてきたひとで、××州の連隊に中尉として赴任したということぐらいしか知らなかった。
この一時間ほど、通りを行ったり来たりしているウイッカムの姿を眺めていたそうだが、いままたその姿が通りにあ
らわれたら、キティとリディアも叔母と同じようにそれを眺めたことだろう。残念ながら、窓の外を通っていくのは
わずかな士官ばかり、ウイッカムにくらべれば、「間抜けで気に入らない連中」ということになった。そのうちの何
人かは翌日フィリップス家で食事を共にすることになっているそうだが、ロングボーンの一家があすの夜こちらに来
るなら、叔父さまにお願いしてミスタ・ウイッカムを訪ねてもらい、食事に招待しましょうと言った。これにはみな
大賛成だったので、ミセス・フィリップスは、それじゃあ楽しくにぎやかに札当てゲームでもやって、そのあとは温
いとま
かなお夜食にしましょうと言った。こうした楽しい提案にみんな大喜びして、うきうきしながら叔母に 暇 を告げ
た。ミスタ・コリンズが、部屋を出るときにくどくどとお詫びの言葉を述べると、そんなお気遣いには及びません
わ、とこれまた馬鹿丁寧なご挨拶が返ってきた。
 家路をたどりながら、エリザベスはジェインに、さっきのふたりの紳士のあいだに見られた振る舞いについて話し
てみた。だがどちらかが悪いということなら、ジェインもどちらかを、あるいは双方を弁護したかもしれないが、そ
のような振る舞いの意味は、妹同様に説明することはできなかった。
 ミスタ・コリンズは家に戻ると、ミセス・フィリップスの態度や礼儀作法を褒め上げてミセス・ベネットをおおい
によろこばせた。レディ・キャサリンとそのご令嬢を別とすれば、あれほど上品なご婦人にお目にかかったことはな
い。まことに丁重にお迎えくださったばかりか、これまで面識すらなかった自分までも明日のご招待にちゃんと含め
てくださった。まあ縁戚ということもありましょうが、それにしても、これまでの人生にこれほどのご配慮にあず
かったことはございませんとミスタ・コリンズは言った。

    16

 娘たちが叔母と交わした約束についてはなんの反対も出なかったし、お世話になっているベネット夫妻を一夜残し

て出かけるのはまことに心苦しいというミスタ・コリンズの言葉もきっぱりと撥ねつけられ、四頭立ての乗合馬車が
い と こ
頃合いの時間にコリンズと五人の従姉妹たちをメリトンに運んでいった。娘たちは客間に入っていき、ミスタ・ウ
イッカムが叔父の招待に応じてすでにこの家に来ていると聞いて大喜びだった。
 このことが伝えられたあと、それぞれが席に落ち着くと、ミスタ・コリンズはゆっくりとあたりを見まわし、部屋
の広さや家具調度にいたく感心したそぶりで、これはもうロージングズ館の夏用の小さな朝餐室にいるような心地で
ございますなどと言った。そのように比較されても、はじめはだれも感激する者はいなかったが、ロージングズ館が
どういうお屋敷で、その持ち主がどなたかということを知り、レディ・キャサリンの数ある客間のひとつの様子を聞
かされ、そこにあるマントルピースだけでも八百ポンドもしたと聞くに及んで、ミセス・フィリップスは、さきほど
の賛辞のありがたみが身にしみた。そういうことならロージングズ館の女中頭の部屋と比較されても腹は立つまいと
思ったのである。
 コリンズは、レディ・キャサリンというお方とそのお館の壮麗さをつぶさに説明するのだが、ときどき話は脱線し
ろうおく
て、おのが 陋 屋 の自慢となり、近ごろ行われている改修の模様など、ほかの紳士方があらわれるまでは上機嫌で話し
つづけた。彼はミセス・フィリップスがこの上ない熱心な聞き手であることに気づいたが、ミセス・フィリップスの
ふいちょう
ほうは、話を聞くうちに相手への評価はますます高まったようで、さっそくご近所にこのことを 吹 聴 してまわるつ
いとこ
もりになっていた。ご令嬢方は、従兄の話など、耳に入るはずもなく、ピアノでもあればいいのにと思ったり、マン
トルピースの上に並んでいる自分たちが買って絵つけをした陶器などを所在なくいじりまわすほかにすることもな
く、紳士方のご入来を待つ時間がいやに長く感じられた。だがそれもようやくけりがついた。紳士方が客間に入って
きたのだ。ミスタ・ウイッカムが入ってくる姿を見たエリザベスは、昨日会ったときのすばらしい印象も、それから
ずっと持ちつづけていた印象も、自分の気まぐれな思いこみではなかったことに気づいた。××州の士官たちは、総じ
て紳士らしい立派な風采のひとたちで、そのなかでも選り抜きの連中がここに招かれているのだが、ミスタ・ウイッ
カムは、人柄、容貌、風采、歩き方にいたるまで、彼らをはるかにしのいでいた。いや、その彼らにしても、ポート
ワインの匂いをぷんぷんさせながら入ってきた顔の大きい野暮くさいフィリップス叔父よりははるかにましだった。
 ミスタ・ウイッカムは、ほとんどあらゆる女性の目が注がれるという幸せな男性であり、エリザベスは、ウイッカ
ムがついに自分の隣りにすわったという幸せな女性だった。彼は気さくな態度ですぐに話しかけてきた。今宵は雨で
すねえとか、雨季がはじまるのでしょうかといった話題なのに、こういう話し巧者の手にかかると、およそ空疎な、
きょう
およそ退屈な、およそ陳腐な話がこうも 興 が深くなるものかと、エリザベスは感心した。
 ミスタ・ウイッカムやほかの士官たちのような、佳人の注目を集める競争相手があらわれては、さすがのミスタ・
コリンズも、取るに足らぬ存在に成り果てたようである。若いご婦人たちにとっては、もはやなきに等しかった。
もっとも、ときどきミセス・フィリップスがコリンズの話の親切な聞き手になってくれ、彼女の絶えまない気配りに
よってコーヒーやマフィンをふんだんに頂戴していた。
 カード・テーブルが出されると、コリンズは、さっそくホイストの席について、ミセス・フィリップスのこうした
ご親切に報いることにした。
「このゲームはあまりよく知りませんが」とコリンズは言った。「ゆくゆくは上達いたしましょう、なにしろ、わた
くしの立場上──」ミセス・フィリップスは、ゲームに参加してくれたことにはたいそう感謝したが、そんな言いわけ
など聞いているひまはなかった。
 ミスタ・ウイッカムはホイストにはくわわらず、エリザベスとリディアが囲んでいるテーブルに大喜びで迎えられ
た。はじめは、喋りだしたら止まらないリディアが、ウイッカムを独占してしまいそうだったが、なにしろ札当て
ゲームも大好きだったから、たちまちゲームに夢中になり、賭け金を張ったり、勝って喚声を上げたりと、目の色を
変えていたので、これという殿方に目を向けるひまもなかった。ミスタ・ウイッカムは、ゲームのほうはほどほどに
お相手をしていればよかったので、エリザベスとゆっくり話をすることができた。エリザベスはよろこんで話に耳を
傾けていたが、自分がとりわけ聞きたいこと、つまりミスタ・ダーシーとの交友関係は話題にのぼらないだろうと
思っていた。かといってこちらから彼の名前を持ち出す勇気はなかった。だがその好奇心が思いがけなく満たされる
ことになった。ウイッカムのほうからその話を持ち出したのである。ネザーフィールドはメリトンとはどれほどはな
れているのですかとまず尋ね、その答えを得ると、ためらいがちに、ダーシー氏はどれくらいそちらにご滞在ですか
と尋ねた。
「ひと月ほどですわ」とエリザベスは言った。そして話をほかにそらせまいと、こうつけくわえた。「あの方は、
ダービシャーの大地主だと伺いましたけど」
「ええ」とウイッカムは答えた。「あそこの領地は広大なものですよ。年収はゆうに一万ポンドはあります。その点
については、ぼくほど確実なことをお教えできる人間はほかにはいませんよ──なにしろ幼いころから、あの家族とは
特別な関係にありましてね」
 エリザベスは思わず驚いた顔になった。
「びっくりなさるでしょうね、ミス・ベネット、きのうぼくらが会ったときの冷淡な態度をおそらくごらんになった
でしょうから。あなたはダーシー氏のことはよくご存じなんですか?」
「もうたくさんというくらいに」とエリザベスは語気を強めた。「同じお屋敷で四日もごいっしょしましたのよ。と
ても不愉快な方ですわね」
「ダーシー氏が愉快か、不愉快か、ぼくが言うわけにはいきません」とウイッカムが言った。「ぼくには、そういう
判断を下す資格がないんですよ。なにしろ長いつきあいでよく知りすぎていますから、公平な判断ができません。ど
かたよ
うしても見方が 偏 るんです。しかしあなたのそういったご意見は、世間のひとたちを驚かせるでしょうね──おそら
くほかでは、それほど手厳しいことはおっしゃらないんでしょうが。ここは、あなたのお身内ばかりですからね」
「この家だって、よそのお宅だって、同じことを言いますわ。まさかネザーフィールドでは言いませんけど。ハート
フォードシャーでも、あの方、すっかり嫌われ者です。みんな、あの高慢な態度にはうんざりしていますわ。あのひ
とをよく言うひとなんてだれもいないでしょうね」

「ぼくとしてもですねえ」とウイッカムは、ちょっと間をおいてから言った。「彼にしろ、だれにしろ、過大に評価
されないからといって、同情するふりはしません。もっともあの男に限っては、そういうことはめったにないでしょ
くら け お
う。世間は、彼の財産や高い身分に目を 眩 まされる、あるいは傲慢で威圧的な態度に気圧される、だから彼自身がこ
う見てほしいと思うようにしか見ませんからね」
「短いおつきあいですけど、ずいぶん気難しい方だと思いますわ」そう聞いてウイッカムはかぶりを振っただけだっ
た。
「それで」とウイッカムは、もう一度話をする機会がめぐってきたときにそう言った。「彼はこの土地に、しばらく
逗留するつもりなんでしょうか」
「さあ、存じません。でも、ネザーフィールドでは、お帰りになるという話は聞かなかったわ。あなたがせっかく××
州をお選びになったのに、あの方が近くにいるからと、お気持が変わることがないように願いますわ」
「いや! とんでもない──ぼくがダーシー氏に追い払われてたまるものですか。ぼくに会うのを避けたいなら、彼が
出ていくべきだな。ぼくらは、仲が好いわけじゃなく、彼と顔を合わせるのはいつもどうも苦痛ですが、こちらに
は、彼を避ける理由はまったくない、それは世間に向かってはっきりと言えますよ。きわめて不当な扱いを受けたと
いう思いはありますし、彼がああいう人間であるということは、なんとも無念ですね。父上である先代のダーシー氏
はね、ミス・ベネット、たいそう立派な方で、もっとも信頼のおける味方でした。当主のダーシー氏と顔を合わせれ
ば、故人の数々の温かい思い出がまざまざと甦って心が痛むばかりです。ぼくに対する彼の仕打ちときたらけしから
んものだった。ですが、彼のことはなにもかも許せると思っています。ただ彼が亡き父上の期待に背き、父上の名声
けが
を 汚 したことだけは許せませんよ」
 エリザベスはこの話にいよいよ興味をかきたてられ、一心に耳を傾けていたけれど、なにしろことが微妙なので、
さらなる質問ははばかられた。
 ミスタ・ウイッカムは、メリトンのこと、その近隣のこと、社交界のことなどの世間話に話題を転じた。これまで
いんぎん
に見聞きしたことはおおいに気に入った様子で、とりわけ社交界については、穏やかながら、いかにも 慇 懃 な口調で
こう言った。
「ぼくにここを選ばせたのは、常に交流のある社交界、上流の社交界があることでした」とウイッカムはつけくわえ
た。「××州の連隊に赴任したのも、それが主な動機でしたね。ここはもっとも勇名を馳せた誉れ高き連隊ですから。
友人のディニーから、現在の宿舎のことや、メリトンで得た立派な知人たちやその熱烈な歓迎ぶりなど聞いていたの
はや
で、いよいよ気持が 逸 りましてね。社交界は、ぼくにとってぜひとも必要なものなんですよ。なにしろぼくは失意の
人間ですから、孤独には耐えられない。ぼくにとって職と社交界はなくてはならぬものです。軍隊生活は望むところ
ではありませんが、現在の情況を思えば、それが適当な選択だろうということになったんです。聖職こそがぼくの天
ぎょ い
職のはずでした──そうなるべく育てられましたからね、もしいま話題にしていた紳士の 御 意にかないさえすれば、
いまごろは、立派な聖職禄をいただいていたはずなんですよ」
「ほんとうに!」
「そうなんです──先代のダーシー氏は、最高の聖職禄授与権を持っておられて、次期の聖職禄をぼくに遺贈してくだ
さったのですよ。ぼくの名づけ親でして、ぼくをたいそう可愛がってくださいました。そのご親切には感謝しきれま
せん。ぼくにじゅうぶんなものを遺してくださるおつもりで、事実そうしたと思っておられたのに、いざ聖職禄が空
位になると、それはよその人間にあたえられてしまったんですよ」
「なんてこと!」とエリザベスは大声を上げた。「どうしてそんなことになったんですの? なんでまた先代のご遺
言が無視されたのですか? なぜ法に訴えて救済をお求めにならなかったのですか?」
もんごん
「遺言書の 文 言 に曖昧な表現がありましてね、法に訴えてもとうてい勝つ見込みがなかった。信義を重んじる人間な
ら、遺言の真意を疑うことはできなかったでしょうが、ダーシー氏は疑ったんです──つまり単に条件つきの推挙とし
て扱うこととして、ぼくが、浪費家で無分別な人間だからと、まあ、なんとでも言えますがね、聖職禄を要求するす
べての権利を失ったと主張したんです。じっさい聖職禄は二年前に空位になって、ぼくもそれを受任できる年齢に
なっていたんですが、けっきょくほかの人間にあたえられてしまいました。権利を失っても仕方がないようなことを
た ち
しでかした覚えはありません。ぼくは、かっとなりやすく、前後の見境がなくなる性質なので、おそらく彼のことを
とやかく言ったかもしれない、本人に面と向かって遠慮なくものを言ったかもしれない。でもそれよりひどいことを
した覚えはまったくないんですよ。要するに、ぼくらはまったく違う種類の人間なんですね。そしてあの男はぼくを
憎んでいるんです」
おおやけ
「なんてひどい── 公 に糾弾してしかるべきだわ」
「まあいつかは、そういうことになるでしょう──しかしぼくのほうからそうする気はありません。父上の思い出が消
えないかぎり、彼に公然と反抗して、その正体を暴露することなどできませんよ」
 エリザベスはそのような気持に感服し、そう言い切ったウイッカムがますます凜々しく見えたのである。

「でもその動機というのはなんだったのかしら?」としばし間をおいてからエリザベスは言った。「どうしてそんな
残酷なことをする気持になれたんでしょう?」
「ぼくに対するあくなき憎悪ですね──まあ多少はぼくに対する嫉妬も混じっていたでしょう。父上のダーシー氏がぼ
くをあれほど可愛がらなかったら、息子もぼくを大目に見たかもしれない。ところが父上は並々ならぬ愛情をぼくに
さわ
注いでくださったので、それが幼いころから彼の気に 障 っていたのだと思いますよ。ああいう張り合いにはとても耐
ひい き
えられなかった──つまりぼくにしばしば向けられる父上のご 贔 屓といいますかね、そういうものに耐えられなかっ
たんですね」
「彼がそれほどひどいひとだとは思いもよらなかったわ──どうしても好きになれませんでしたけど、そこまで悪いひ
さげす
ととは思いませんでした──ふだんからまわりのひとたちを 蔑 んでいるとは思っていましたけど、そんなあくどい復
讐、そんな不当な仕打ちをするひとだなんて、それほど薄情なひとだなんて思いもよらなかったわ!」
 とはいうものの、しばし考えこんでから、エリザベスはこう言葉をついだ。「そう言えば、いつかネザーフィール
ドで、あの方が得々と言ってらしたのを思い出すわ。いったん憎んだら憎み通す、とても執念深い気性だとか。さぞ
や恐ろしい性格なんでしょうね」
「それは、ぼくの口からは言えませんね」とウイッカムは答えた。「とても公平な目で見ることはできませんから」
 エリザベスはふたたび物思いに沈み、しばらくしてから大声で言った。「名づけ子を、身内同然のひとを、父親の
お気に入りをそんなひどい目に遭わせるなんて!」──できるならこうつけくわえたかった。「あなたのような若い方
を、そのお顔つきを見れば気立てのよさは一目でわかるような方を」──だがこう言うだけにとどめた──「幼いころ
からお友だちだった方を、そしてあなたのおっしゃるように、いちばん身近だった方を!」
「ぼくたちは同じ教区の同じ屋敷うちで生まれたんですよ、幼いころからほとんどいつもいっしょに過ごしました。
いつく
同じ屋敷に住み、いっしょに遊び、同じように親の 慈 しみを受けました。ぼくの父もはじめは、あなたの叔父上の
ミスタ・フィリップスが立派に成功をおさめておられるような職業についたんですが、先代のダーシー氏のお役に立
なげう
ちたいとすべてを 擲 ってペンバリーの財産管理に生涯を捧げたんですよ。そしてもっとも身近な、もっとも信頼の
おける友として先代から極めて高い評価をいただいておりました。先代は、ぼくの父の意欲的な財産管理にはたいそ
う感謝されて、父が死ぬ直前に、ぼくを牧師に推薦すると約束なさったんです。ぼくが可愛かったからでしょうが、
父に対する感謝の気持もあったんでしょうね」
「変な話だわ!」とエリザベスは叫んだ。「ほんとうに言語道断よ──ダーシーさまにはあれほどの自尊心がおありな
のに、あなたにそんな理不尽な仕打ちをなさったなんて不思議だわ! たとえもっともな理由があったとしても、そ
んな卑劣な真似をするほど自尊心が強すぎなければよかったんですね。まったく卑劣な行為としか言えませんもの
ね」
「まったく呆れかえるばかりです」とウイッカムは答えた。「なにしろあの男の行動はすべて自尊心に行きつきます
からね。あの男にとって自尊心はほとんど最良の友なんですよ。自尊心がほかのどんな感情よりも、あの男を善行に
近づけるわけですよ。だけど言行が首尾一貫している人間なんていませんよ。それにぼくに対する振る舞いは、自尊
心をしのぐ強い衝動から発していましたからね」
「そんな忌まわしい自尊心が、ご自分の役に立ったことがあるのかしら?」
「ええ。そのおかげで、しばしば寛大になり、太っ腹になり、金を惜しげもなくあたえ、ひとびとを歓待し、小作人
たちに援助をし、貧民を救済することもあるわけですよ。一門の誇り、子としての誇りがそれをさせてきた、なにし
ろ父上を誇りとしていますからね。家名を汚さぬこと、世間の信望に背かぬこと、ペンバリー館の権勢を失わぬこ
いち ず
と、それが彼の 一 途な目標なんですね。それにまた兄としての自負もありましてね、兄らしい愛情をもって、妹の親
身な後見人を務めています。たいそう妹思いの兄だと世間から褒めそやされているのが、そのうちにお耳に入るで
しょう」
「妹さんのミス・ダーシーは、どんなお嬢さまですか?」
 ウイッカムはかぶりを振った。「そう、気立てのよいお嬢さんだと言いたいのですがねえ。ダーシー家の者を悪く
言うのはどうも心苦しい。ですが、兄にたいそうよく似たお嬢さんで、それはそれは気位が高くていらっしゃる。子
供の時分は気立てのよいやさしい子で、ぼくにもそりゃなついてくれまして、しじゅう遊び相手になったものです
よ。しかしいまじゃ、どうということもありません。たしか十五か十六か、美しいご令嬢ですよ、それに豊かな教養
も身についているし、お父上が亡くなられてからはずっとロンドン住まいです。さるご婦人が付き添って教育にあ
たっておられますよ」
 何度も黙りこんだり、ほかの話題を持ち出したりしてみたものの、けっきょくエリザベスははじめの話題に戻らず
にはいられなかった。
「あの方が、ビングリーさまと親しくしていらっしゃるなんてびっくりですわね! お人柄のよさそうなビングリー
さまが、そしてほんとうにおやさしいビングリーさまが、そんな方とよくおつきあいになっていらっしゃるわ。いっ
たいどこが気が合うのかしら? ビングリーさまをご存じでしょう?」
「いっこうに」
「それはおやさしくて感じのよい素敵な方ですわ。ダーシーさまがどんな人物かご存じないはずはないでしょうに」
「おそらく知らないんでしょう。ダーシー氏は、いい顔を見せたい相手には、いい顔を見せる。頭は悪くありません
からね。そうする価値のある相手だと思えば、気さくな話し相手にもなれる。社会的な地位がまったく同等である連
中のなかに入れば、地位の劣った連中に接するときとはうってかわった人間になるんですよ。自尊心はどこまでもつ
いてまわりますがね。だが金持連中を相手にするときは、寛容で、公正で、誠実で、道理をわきまえ、志操正しく、
おそらく愛想もいい人間になるんです、財産や社会的地位を多少斟酌するというわけですよ」
 その後まもなくホイストのゲームもお開きとなり、みながこちらのテーブルのまわりに集まってきた。ミスタ・コ
リンズは、従妹のエリザベスとミセス・フィリップスのあいだに割りこんだ。ゲームの首尾についてミセス・フィ
リップスからコリンズに質問があった。勝負はおもわしくなく、大負けでしたとコリンズは答えた。ミセス・フィ
リップスがそれはお気の毒にと気遣いを示すと、コリンズは、いやいや、たいしたことではありませんよ、金などく
だらぬものですから、お気遣いはご無用でございますよ、といかにもしかつめらしく答えた。
「よく心得ておりますですよ、奥さま」とコリンズは言った。「カード・テーブルにつきますときは、だれしも運に
まかせて勝ってやろうという気になるものでございますよ。さいわいわたくしめは、失った五シリングに気を揉むよ
うな境遇にはございません。このようなことを申せる者はそう多くはあるまいと思いますが、これもひとえにレ
ディ・キャサリン・ド・バーグのおかげでございまして、つまらぬことにくよくよする必要がまったくないのでござ
いますよ」
 その言葉を耳にしたミスタ・ウイッカムがはっとしたようにそちらを向いた。ミスタ・コリンズをしばし観察した
のち、小声でエリザベスに、あなたのご親戚はド・バーグ家とお親しいのですかと訊いた。
「レディ・キャサリン・ド・バーグは」とエリザベスは答えた。「ごく最近、あのひとに聖職禄をおあたえになった
んです。ミスタ・コリンズが、どうやってその方に目をかけられるようになったかは知りませんけど、長いおつきあ
いというわけではないんですよ」
「レディ・キャサリン・ド・バーグとレディ・アン・ダーシーがご姉妹だということは、むろんご存じなんでしょう
ね。したがってレディ・キャサリンは、当主のダーシー氏の叔母上にあたるわけです」
「いいえ、まったく存じませんでした。レディ・キャサリンのご親戚のことなんかなにも知りません。その方のお名
前も一昨日まで聞いたことがありませんでしたもの」
「お嬢さまのミス・ド・バーグは、莫大な財産を相続なさるはずですが、このお嬢さまとその従兄であるダーシー氏
とは、いずれ双方の領地を一つにするというもっぱらの噂ですよ」
 これを聞いたエリザベスの顔が思わずほころんだ。お気の毒なミス・ビングリーのことが頭に浮かんだからであ
る。ミスタ・ダーシーに見せたあのおやさしい振る舞いの数々も空しかったというわけか。妹のミス・ダーシーに示
してみせた愛情や、ミスタ・ダーシーに捧げた賛辞も、彼がすでにほかの女性を相手に決めているのであれば、すべ
ては空しく、徒労に帰したというわけである。
「ミスタ・コリンズは、レディ・キャサリンとお嬢さまをべた褒めでしたのよ。でもあれこれ話を聞いてみると、あ
のひと、感謝感激のあまり、どうやらその方を思い違いしているんじゃないかしら。そりゃ大恩人でしょうけど、と
ても気位の高い傲慢な方ですわよね」
「たしかに気位の高さも傲慢ぶりも相当なものだと思いますよ」とウイッカムは答えた。「もう何年もお会いしてい
ませんが、ぜったい好きにはなれなかったなあ、その態度ときたら高飛車で傲慢そのものでしたからね。たいそう思
慮深く賢いひとだという世間の評判ですが。そう思わせるのも、ひとつには高い身分と財産のおかげ、ひとつにはそ
けんぺい わざ
の 権 柄 ずくな態度のおかげ、あとは甥の高慢のなせる 業 かな。なにしろ彼は自分の親類縁者は揃って第一級の知能
の持ち主だと思いこんでいる人間ですからね」
 エリザベスは、相手がしごくもっともな解釈をしたことを認め、たがいに心ゆくまで話をつづけたが、そのうちに
夜食が出てトランプはお開きとなり、ミスタ・ウイッカムの関心をほかのご婦人方にもおすそわけすることにした。
ミセス・フィリップスの食事会の騒々しさのなかでは話もろくにできないが、ウイッカムの態度はだれからも好感を
もたれた。話は巧みでだれの耳も傾けさせた。なにをやるにも上品だった。帰途についたエリザベスの頭のなかはウ
イッカムのことでいっぱいだった。家にたどりつくまで、ミスタ・ウイッカムのことや、彼が話してくれたことのほ
かはなにも考えられなかった。しかし道々ウイッカムの名前を持ち出す機会はまったくなかった。リディアとミス
タ・コリンズがいっときも黙ってはいなかったからである。リディアは、もう札当てゲームのことばかり、自分が
失ったチップと勝ちとったチップのことを喋りつづけ、ミスタ・コリンズは、フィリップス夫妻は実に礼儀正しい方
だと述べ、自分はホイストで負けたことなどなんとも思っていないと請け合い、夜食の卓に並んだ料理を数え上げた
り、自分が従姉妹たちのあいだに割りこんで申しわけないとくりかえし詫びたりとえんえん喋りつづけたが、馬車が
ロングボーン屋敷の前に停まるまでにはとうてい話しきれるものではなかった。

    17

 エリザベスは翌日、ミスタ・ウイッカムと交わした話をジェインに伝えた。ジェインは、驚いた様子で心配そうに
あたい
耳を傾けていた。ミスタ・ダーシーが、ミスタ・ビングリーの畏敬にまったく 価 しない人物だとはとても信じられ
ないし、そうかといってウイッカムのような好青年の言葉を疑うのは、ジェインの性格としてはできなかった。また
ウイッカムがそのような無情な仕打ちをほんとうに受けたと思うと、傷つきやすい心がゆらいだ。それゆえふたりと
もいいひとだと考えて、それぞれの行動を弁護するほかはなく、どうしても説明のしようのないことは、偶然か誤解
のせいにした。
「おふたりとも」とジェインは言った。「なにかに惑わされておいでなのよ、それがどういうものか、まるで見当も
つかないけれど。利害関係にあるひとたちが、あの方たちに事実を曲げて伝えているのかもしれないわね。つまり、
じっさいはどちらにも非はないのにおたがいを遠ざけることになっているのよ、その理由や事情については、わたし
たちには推測のしようがないわ」
「たしかにそうよね。でもね、ジェイン、この問題に関わっているかもしれない利害関係者たちをどう弁護するつも
り? まずそのひとたちの身の潔白をはっきりさせないと、だれかを悪者にしなければならないわよ」
「笑いたければいくらでも笑っていいけれど、それでもわたしの意見を変えるわけにはいかないわ。ねえ、リジー
ちゃん、このことがダーシーさまにどんな汚名を着せることになるか、しっかりお考えなさいな。お父さまのお気に
入りだったひとに、お父さまが聖職禄をあたえようと約束なさったひとに、そんな仕打ちをするなんて。そんなこと
ありえないわ。人情というものがあるひとなら、自分の評判を大事にする方なら、そんなことはできるはずがない
わ。ダーシーさまととても親しいお友だちまでが騙されているというの? ああ! それはないわよ!」
「わたしなら、ビングリーさまが騙されているというほうがずっと信じやすいわ。ミスタ・ウイッカムが、ゆうべ話
してくれたご自分の過去のいきさつが、ぜんぶ作り話だなんて信じられない。ひとの名前も、事実も、みんなすらす
らと出てきたわ。これが噓だというなら、ダーシーさまに反論してもらいましょうよ。第一あのお顔は真剣そのもの
だったわ」
「たしかに難しい──厄介な問題ね。どう考えればいいのかしら?」
「お言葉ですが──どう考えるべきかははっきりわかっていましてよ」
 だがジェインはただ一点については確信をもって考えることができた──それは、ミスタ・ビングリーが、もし騙さ
れているのだとすると、この問題が明らかになったあかつきにいちばん苦しむのはミスタ・ビングリーだということ
だった。
 こうして植え込みの陰で話をしていたふたりは、たったいま話題にしていたひとたちが見えたので家に入るように
と呼ばれた。ミスタ・ビングリーとその妹たちが、長らく待たれていた舞踏会を次の火曜日ネザーフィールド屋敷で
開くのでぜひお越しをとわざわざ伝えにきたのである。ご婦人ふたりは親しい友にふたたび会えてとてもうれしい、
あのときお別れしてから一年も経ったような気がする、あれからいったいどうしていらっしゃったのなどとしきりに
尋ねた。だがほかの家族にはほとんど見向きもせず、ミセス・ベネットはできるかぎり避けるようにして、エリザベ
スにもあまり話しかけず、ほかの者には声もかけなかった。三人はすぐに立ち去った。ご婦人ふたりは兄君を驚かす
ほどの勢いで立ち上がり、ミセス・ベネットのご丁寧なご挨拶などまっぴらだと言わんばかりのあわただしさで帰っ
ていった。
 ネザーフィールド屋敷でいよいよ舞踏会が開かれるとあって、ベネット家の女性たちは大はりきりである。ミセ
ひょう
ス・ベネットは、この舞踏会は長女ジェインに敬意を 表 して開かれるものと受け取り、それも形式的な招待状が届
けられたのではなく、ミスタ・ビングリーがじきじきお越しになってのご招待であったから、たいそうご満悦だっ
た。ジェインは、ふたりの友といっしょに過ごせる夜を、その兄君のやさしい心遣いを受ける幸せな一夜を心に描い
た。エリザベスはミスタ・ウイッカムと心ゆくまで踊り、ミスタ・ダーシーの表情や振る舞いをとっくり観察して裏
づけを得ようと楽しみにしていた。キティとリディアが期待する楽しみは、ひとつの出来事に限らず、また特定のひ
ととも限らなかった。というのも、ふたりともエリザベスのように、一夜の半分はミスタ・ウイッカムと踊るつもり
でいるが、ふたりを満足させてくれる相手はなにもミスタ・ウイッカムに限らない。舞踏会はとにもかくにも舞踏会
なのだ。そしてメアリまでが、舞踏会は嫌ではない、などと家族にきっぱり言う始末だった。
「わたし、日中の時間が自由になれば」とメアリは言った。「それでじゅうぶん。夕べのお集まりにときどきくわわ
るのが、犠牲的な行為だとは思わないわ。ご社交は、わたしたちみんなの義務ですもの。わたしだって、空いている
時間は、だれしも気晴らしをしたり遊んだりするのが望ましいと思っているわ」
たかぶ
 このときエリザベスの気持はたいそう 昂 っていたから、ミスタ・コリンズにはなるべく無駄口はきくまいとして
いたのに、ついつい、ミスタ・ビングリーの招待をお受けするおつもりですかとか、もしお受けするなら、夜の舞踏
にくわわってもよいとお考えですかなどと訊いてしまったのである。ところが、相手はまったくためらいもせず、女
性を相手に踊っても、大司教やレディ・キャサリン・ド・バーグのご不興を買う懸念はまったくないと言ったので、
エリザベスはいささか驚いた。
「お断りしておきますが」とミスタ・コリンズは言った。「信望厚い青年が身分の高い方々をお招きして催すこのよ
うな舞踏会が害あるものだとは、わたくしは思っておりません。さらにわたくし自ら踊ることにはまったく異存はあ
い と こ
りませんので、その節はわが麗しの従姉妹たちの手をとる栄誉にあずからせていただきましょう。そして、ミス・エ
リザベス、この機会に申しますが、最初の二曲はぜひともあなたのお相手をさせていただきますよ。こう申したから
いとこ
といって、わが従妹ジェインはじゅうぶん納得されると思いますので、決して礼を欠くことにはならぬでしょう」
 エリザベスはこれを聞いてまんまとしてやられたような気がした。最初の二曲は、ウイッカムにお相手をしてもら
うつもりだったのだ。それがこともあろうにミスタ・コリンズとは! 自分のからかい半分の質問がとんだ裏目に出
てしまった。だがもういたしかたなしである。ミスタ・ウイッカムの楽しみと自分の楽しみが、少々先に延びるのは
いんぎん
仕方ないとして、エリザベスはミスタ・コリンズの申し出をなんとか快く承知した。だがこうした 慇 懃 な申し出の裏
にはなにかありそうな気がして、とてもよろこぶ気分にはなれなかった。まず頭に浮かんだのはこんな危惧である。
ハンスフォードの牧師館の女主人にふさわしい女性として、そしてしかるべき客人がいないときの、ロージングズ館
のカドリールのテーブルを囲むお相手にふさわしい女性として、この自分が姉妹のなかから選び出されたのではなか
ろうかという危惧である。ミスタ・コリンズが自分に対してますます慇懃に振る舞うさまを見るに及び、そして冗談
がお上手だとか陽気だとかしきりにお世辞をふりまくのを聞くに及んで、この危惧はたちまち確信に変わった。そし
て自分の魅力がこのような結果を生んだことに、満足するどころか驚き呆れているところに、やがて母親から、ふた
ほの
りの結婚ということにでもなれば、これほどめでたいことはないというようなことを 仄 めかされた。だがエリザベス
はげ
は、ここでなにか言えば、 烈 しい口論がはじまることはじゅうぶん承知していたので、そんな仄めかしには素知らぬ
顔をすることにした。ミスタ・コリンズがそんな申し込みをするとは限らないのだし、まあそんな申し込みがじっさ
いにあるまでは、いたずらに親と争っても詮ないことである。
 ネザーフィールド屋敷で開かれる舞踏会の話だの、そのための支度だのがなかったら、ベネット家の下の娘たち
は、きっと惨めな毎日を過ごしたに違いない。ご招待のあった日から舞踏会当日まで雨が降りつづき、メリトンまで
一度も散歩に出かけられなかった。叔母にも士官たちにも会えず、噂話も聞けなかった。舞踏会に履く靴のリボンを
買うのも人手をわずらわせる始末だった。エリザベスでさえこの天候には忍耐力を試されているような気がしていた
に違いない。なにしろミスタ・ウイッカムとおつきあいを深める機会がお預けになっていたからである。火曜日に開
かれる舞踏会がなければ、キティやリディアはこんな金曜日、土曜日、日曜日、月曜日を耐えられなかったであろ
う。

    18

 エリザベスは、ネザーフィールド屋敷の客間に入って行き、赤い軍服姿の群れのなかに目指すひとの姿がないこと
にいちはやく気づいたが、ミスタ・ウイッカムがもしや来ないのではないかという懸念は、それまでは露ほども浮か
ばなかった。かならず会えると思っていたので、本来気づくはずのことも気づかなかったのである。身仕舞いにはふ
だんより念を入れ、まだしっかりとは捕らえていないウイッカムの心も、今宵のうちにはかならず勝ちとれるものと
信じ、張り切っていた。だがたちまち恐ろしい疑念が湧いてきた。ビングリー家のご当主は、ミスタ・ダーシーに舞
踏会を楽しんでもらおうと、招待する士官のなかからウイッカムをわざわざ除外したのではあるまいか。しかし事実
はそうではなかった。友人のミスタ・ディニーが、リディアのしつこい問いに答えて、ウイッカムの欠席を告げたの
である。その話によれば、ウイッカムは所用のため前日にロンドンに行かねばならず、まだ戻ってきていないとい
う。意味ありげな微笑を浮かべたミスタ・ディニーはこうつけくわえた。
「所用のためここをはなれたとは思えないな、ほんとうはここにおられるさる紳士と顔を合わせたくなかったのでは
ありませんかね」
 ミスタ・ディニーの話のこの部分は、リディアには聞こえなかったが、エリザベスには聞こえた。自分の最初の推
測が正しく、やはりダーシーは、ウイッカムの欠席に責任があるのだと確信すると、ダーシーに対する不快感は、目
つの いんぎん
前の失望によってますます 募 り、このあとすぐに近づいてきたダーシーの 慇 懃 なご挨拶に礼儀正しく答えることす
らできなかった。ダーシーに目を向け、寛容に振る舞い、耐えしのぶことは、ウイッカムに対する侮辱だった。ダー
シーとはぜったい口をきくまいと心に決め、かなり不機嫌な顔のままその場をはなれた。それからミスタ・ビング
ひい き
リーと話すあいだも、気持はおさまらなかった。やみくもにダーシーを 贔 屓するビングリーに腹が立ってしかたがな
かった。
た ち
 だがエリザベスは、いつまでも不機嫌でいられる性質ではない。今宵の期待はことごとく打ち砕かれてしまった
が、いつまでもくよくよしてはいなかった。一週間も会っていなかった親友のシャーロット・ルーカスに自分の嘆き
いとこ
をすっかり打ち明けてしまうと、すぐに話題を従兄の風変わりな言動に転じ、あのひとがそうよと従兄を指さして
シャーロットの目を向けさせた。しかし最初の二曲をコリンズと踊るとまたもや苦痛が甦った。それはまさに苦行
だった。ミスタ・コリンズは下手なくせにもったいぶっていて、気配りをするどころか言いわけばかり、よく間違え
るくせに間違いに気づかず、エリザベスは嫌いな相手からこうむる屈辱と惨めさをたっぷり味わわせてもらった。二
曲を踊って彼から解放された瞬間のうれしさはたとえようもなかった。
 次はある士官と踊ったが、ウイッカムのことを話題にし、だれにも好かれているらしいことを聞くと、とたんに気
分が爽快になった。踊りが終わると、またシャーロット・ルーカスのところに戻って話しこんでいた。するとふいに
ミスタ・ダーシーが近づいてきて、次の踊りのお相手をと、エリザベスの手をとり軽く口づけをしたので、エリザベ
スはびっくり仰天し、思わず承知してしまった。ミスタ・ダーシーはその場をさっさとはなれていき、ひとり残され
たエリザベスは、うろたえた自分が腹立たしくてならなかった。シャーロットが慰めてくれた。
「お相手してみれば、とてもいい方だってわかるんじゃないかしら」
「まさか! そんなことになったら、とんでもない災難だわ。憎んでやると決めた人間が、いいひとだなんて! そ
んな不吉なこと言わないでよ」
 だが踊りが再開し、近づいてきたダーシーがエリザベスの手を求めたとき、シャーロットは急いでエリザベスの耳
もとで忠告せずにはいられなかった。くれぐれも馬鹿な真似はしないようにね、ウイッカムにのぼせているからと
いって、十倍も身分の高い殿方のご機嫌を損ねないようにねと。エリザベスは答えず、踊りの列に並んだが、ミス
タ・ダーシーと向かい合っている自分の位置の重みにあらためて驚き、これを見ている周囲のひとびとの表情にも同
じような驚きを読みとった。しばらくはおたがいに一言も口をきかなかった。この沈黙が二曲の踊りのあいだずっと
続くような気がしたが、はじめのうちは自分から沈黙は破るまいと心に決めていた。だが、彼に強いて口を開かせる
のは、さらに大きな苦痛をあたえることになるのではないかとふと思いついたので、踊りについてさもない意見を述
べてみた。彼はそれに答え、また黙りこんだ。数分してふたたびエリザベスのほうから話しかけた。
「こんどは、あなたがなにかお話しになる番ですわ、ダーシーさま。わたくしは、踊りの話をしましたから、こんど
はあなたが、このお部屋の広さとか、踊るひとたちの人数とか、なにかおっしゃらなくちゃいけませんわ」
 ダーシーは微笑し、あなたがお望みならなんでもお話ししましょうと言った。
「うれしいこと。さしあたり、そのお答えでよしとしておきましょう。たぶんそのうちに、内輪の舞踏会のほうが、
公開の舞踏会よりずっと楽しいと申し上げるかもしれませんけど、いまは黙っていましょう」
「するとあなたは踊るときの作法だから話をされるのですね?」
「ときには。少しはお話もしませんとね。半時間もごいっしょしていて一言も口をきかないなんて変でしょう。でも
ひとによっては、あまり口をきかずにすむようにしてさしあげませんとね」
「それは、ご自分のお気持を考えてのことですか、それともぼくの気持を汲んでのことなんでしょうか?」
「両方よ」とエリザベスはいたずらっぽく答えた。「だって、わたくしたち、性格がとても似ているような気がする
た ち
んですもの。どちらもおつきあいが苦手だし、寡黙な性質だし、もし話すとしたら、このお部屋にいるひとたちを
あっと驚かせるような、子々孫々まで語りつがれるような華々しいことでなければ話したくありませんものね」
「それはあなたの性格をぴったり言い表しているとは思えませんね」とダーシーは言った。「そうかと言ってぼくの
性格をどれほど言い表しているかは、ぼくの口からは言えません。あなたは、正確な人物描写をしたおつもりでしょ
うが」
「人物描写の出来ばえを自分からとやかくは申せませんわ」
 彼は答えなかった。そして踊りながら列の端にたどりつくまで、ふたりはまた黙りこんでいたが、ダーシーはそこ
で、あなたや妹さん方は、メリトンにはよく行かれるのですかと尋ねた。エリザベスはそうですと答えたが、誘惑に
逆らえず思わず訊いてしまった。「せんだってあちらでお会いしたときは、ちょうどある方とお近づきになったとこ
ろでしたのよ」
てきめん おもて
 効果は 覿 面 だった。その 面 に傲岸な表情がくろぐろとひろがったが、彼はなにも言わなかった。エリザベスは己
の気の弱さを呪いながらも、それ以上問い詰めることはできなかった。とうとうダーシーのほうが口を開き、ぎごち
ない口調でこう言った。
「ウイッカム君は、たいそう人当たりのいい男だから友人もすぐにできます──ただし友情が長続きするかというと、
それは心もとないですね」
うと
「あの方は、お気の毒なことにあなたから 疎 んじられているそうですね」とエリザベスは語気を強めた。「それで一
生苦しまれることになったとか」
 ダーシーはなにも答えず、話題を変えたいような様子だった。まさにそのとき、サー・ウィリアム・ルーカスがふ
たりの近くにやってきた。踊りの列を横切って部屋の向こう側に行こうとしていたのである。だがミスタ・ダーシー
に気づくと、立ち止まって深々と一礼し、その踊りぶりとその相手を褒めそやした。
「たいそう楽しませていただいておりますよ、あなた。このようなすばらしい舞踏はめったに拝見できませんから
ね。上流社会のお方だということは一目瞭然ですな。こう申してはなんですが、お相手もあなたにひけはとりませ
ん。このような楽しみは何度でもくりかえしていただきたいものです、ことにどうやらめでたいことがね、イライザ
君(とジェインとビングリーのほうにちらりと目をやり)、実現しそうですからな。そうなれば、さぞやおめでたつ
づきということになるでしょうな! ここはダーシー君にもぜひお願いしておきましょう。だがこれ以上お邪魔はい
たしますまい。若いご婦人とのうっとりするような会話を妨げては申しわけありませんからな。あの輝く目がわたし
とが
めを 咎 めておりますぞ」
 この挨拶の最後のほうを、ダーシーはほとんど聞いていなかった。ただ自分の友ビングリーに関するサー・ウィリ
アム・ルーカスの言及に強い衝撃を受けた様子で、その目は真剣な表情を浮かべ、いっしょに踊っているビングリー
とジェインのほうにひたと向けられていた。だがすぐに気を取り直すと、エリザベスのほうに向き直ってこう言っ
た。
「サー・ウィリアムに邪魔をされて、なにを話していたか忘れてしまいました」
「なにかお話ししていたわけではありませんわ。サー・ウィリアムだって、別に話すこともないふたりの邪魔はでき
ませんものね。おたがいに、話題を二、三、持ち出してみましたけれど、長続きしませんでしたし、これからなにを
お話しすればよいか見当もつきません」
「書物の話はいかがです?」とダーシーは微笑しながら言った。
「書物──ああ! だめだめ。わたくしたち、同じ本はぜったい読んでいないと思うし、感想だって違うと思うわ」
「それは残念ですね。しかしかりにそうだとしても、少なくとも話題はあるじゃありませんか。異なる意見を出しあ
えばいい」
「いいえ──舞踏会でご本の話なんてできません。いつも頭のなかはほかのことでいっぱいですもの」
「こういう場では、いつも目の前のことしか考えられない──というわけですか?」とダーシーは、疑わしそうに言っ
た。
「ええ、いつも」エリザベスは自分がなにを言っているかわからずにそう答えた。思いはこの話題から遠くはなれた
ところにさまよいだしていたのである。だがほどなくその思いが表におどりだし、エリザベスはいきなり叫んだ。
「あなたがいつかこうおっしゃったのを覚えていますわ、ダーシーさま、自分は決してひとを許さない、一度生じた
敵意は、どうしても消すことができないと。ですからあなたは、敵意が生じないようとても用心していらっしゃるん
ですわね」
「そうです」とダーシーはきっぱりと言った。
「そして偏見で目を曇らせるようなことは決してなさいませんわね」
「そうありたいものです」
「ご自分の意見をぜったい曲げようとしない方は、まずはじめに適切な判断を下すことが必要不可欠ですわ」
「お尋ねしますが、どういうおつもりでこんな質問をなさるのですか?」
「ただあなたのご性格を説明するためですわ」とエリザベスは、ことさらさりげなく言った。「なんとか説明しよう
としていますの」
「それでうまくいきましたか?」
 エリザベスはかぶりを振った。「それが少しもうまくいきません。あなたについて、いろいろと違う話を聞かされ
るので、ますます迷ってしまいます」
「そうでしょうとも」とダーシーは重々しく言った。「ぼくに関する風評はほんとうにさまざまでしょうから。でき
ればですね、ミス・ベネット、いまぼくの性格を説明なさるのは止めていただきたいですね。どちらにとっても、
きっと名誉なことにはなりませんから」
「でもいまここであなたの性格をはっきり見きわめないと、二度とそんな機会はないかもしれませんもの」
「ぼくはあなたの楽しみを妨げるつもりはありません」とダーシーは冷やかに答えた。エリザベスはそれ以上なにも
言わず、ふたりは二曲目を踊りおわると、無言のまま別れた。満たされぬ思いはどちらにもあったが、その度合いは
同じではなかった。ダーシーの胸のうちには、エリザベスにかなり強く惹かれる思いがあったので、エリザベスをす
ぐに許してしまい、怒りはすべてもうひとりの人物に向けられたのである。
 ミスタ・ダーシーと別れてまもなく、ミス・ビングリーが近づいてきた。そして慇懃無礼な表情を浮かべてエリザ
ベスに話しかけた。
「ねえ、ミス・イライザ、あなた、ジョージ・ウイッカムにたいそうお熱を上げていらっしゃるそうね! あなたの
お姉さまがウイッカムのことをいろいろ話してくださって、さんざん質問されてしまったわ。それでね、あのひと
が、あなたにいろいろと喋ったくせに肝心なことを言い忘れているのに気づいたの。あのひと、先代のダーシーさま
の執事だったウイッカムの息子なのよ。でもお友だちとして忠告しておきますけど、あのひとの言うことをそっくり
信用なさってはだめよ。だってダーシーさまがあのひとに冷酷な仕打ちをなさったなんて、まったくのでたらめです
もの。事実はその逆、ダーシーさまはいつもジョージ・ウイッカムによくしてあげたのに、あのひとは、ダーシーさ
まにそりゃ忌まわしい仕打ちをしたのよ。詳しいことは知らないけれど、ダーシーさまには非難されるいわれはまっ
たくないの。それは、あたくし、ようく知っていてよ、それにあの方が、ジョージ・ウイッカムという名前は耳にす
るのも耐えられないということもね。それで兄は、士官たちをご招待するのに、ウイッカムを除くわけにもいかなく
て困っていたの。あちらが顔を見せなかったので大助かりだったわ。そもそもあのひとがこの土地に近づくなんて
図々しいのよ、よくも厚かましく来られたものだわ。お気の毒にね、ミス・イライザ、あなたが大好きなお方の罪状
うじ す じょう
をお聞かせしてしまって。でもあのひとの 氏 素 性 を考えれば、せいぜいこんなところだわね」
「あなたのお話だと、あのひとの罪は氏素性ということになるようね」とエリザベスは憤然と言った。「だってあな
たが非難しているのはあのひとが先代のダーシーさまの執事の息子だという、ただそれだけのことですもの。でもそ
のことなら、あのひとはご自分から話してくださったわ」
「これは失礼申し上げましたわ。お節介なことをしてごめんあそばせ。ご親切のつもりでしたのに」ミス・ビング
リーは薄ら笑いを浮かべてはなれていった。
ひ ぼう
「失礼な女!」とエリザベスは思った。「こんな卑劣きわまる誹 謗 でわたしを動揺させようなんて見当違いよ。これ
でようくわかったわ、あなたはあえて事実を知ろうとしない、そしてダーシーの悪意もね」エリザベスは姉の姿を探
した。ジェインも、同じことをビングリーにあれこれと質問したはずだった。満ち足りた笑顔に輝くばかりの幸せそ
うな表情を浮かべてエリザベスを迎えたジェインは、今宵の成り行きに心から満足している様子だった。エリザベス
はそんな姉の気持をすぐに汲みとり、ジェインがいまにも幸せをつかもうとしているのだと思うと、その瞬間ウイッ
カムに対する懸念も、彼の敵どもに対する憤りも、その他のもろもろがたちどころに消え失せてしまった。
「ミスタ・ウイッカムのことでなにかわかったことがあったら早く教えて」とエリザベスは、姉に負けない笑顔で訊
ひ と
いた。「でもたぶんあまり楽しくて、他人のことなど思い出すどころじゃなかったでしょ。それだったら許してあげ
てもいいわ」
「ううん」とジェインは答えた。「忘れるものですか。でもたいしたことはなにも伺えなかったの。ビングリーさま
なかたが いきさつ
は、あのひとの身の上をすっかりご存じではないし。それにダーシーさまと 仲 違 いするようになった 経 緯 について
はなにもご存じないのよ。でも友人の行いの方正なこと、誠実で信義に厚いことは保証なさるでしょうね。ミスタ・
あたい
ウイッカムはダーシーさまの配慮にはまったく 価 しない男だとおっしゃったわ。残念ながら、ビングリーさまやお
妹さんのお話によると、ミスタ・ウイッカムは決して尊敬できるような立派な青年ではないようね。どうやらとても
うと
無分別なひとで、ダーシーさまから 疎 まれても仕方のないひとらしいわ」
「ビングリーさまはミスタ・ウイッカムのことは直接ご存じなの?」
「いいえ、このあいだメリトンで会うまでは、一度もお会いになったことがないんですって」
「それじゃビングリーさまの説明は、ダーシーさまの受け売りね。それで納得よ。でも、聖職禄について、なにか
おっしゃらなかった?」
「ダーシーさまから一度ならずそのお話は聞いたそうだけれど、詳しい事情についてはよく思い出せないんですっ
て。とにかくあれは、条件つきで贈られることになっていたそうよ」
「ビングリーさまが誠実な方なのは疑わないけれど」とエリザベスは心から言った。「でもあの方の保証だけではど
うしても納得できないのよ。ビングリーさまが友人のためになさった弁明はとてもご立派だけれど、とにかくこの話
のある部分についてまったくご存じないし、そのほかのことも、ダーシーさまの口から聞かされたことですもの、こ
のふたりの紳士については、これまでのわたしの考えは変わらないわ」
 それからエリザベスは、おたがいにとって楽しい話題に変えることにした。それなら意見の相違はないだろうから
だ。ミスタ・ビングリーが好意をもっていてくださるらしいという、ジェインの控え目ながら幸せそうな期待をとて
もうれしく思いながらジェインの話に耳を傾け、ジェインがますます自信を深めるようなことを言って精いっぱい励
ました。そこに当のミスタ・ビングリーがあらわれて仲間にくわわったので、エリザベスは座をはずしてミス・ルー
カスのところへ行った。さっきのお相手とは楽しかったかという彼女の質問に答えるいとまもないうちに、ミスタ・
コリンズが近づいてきて、幸運にもたったいまたいそう重大な発見をしましたと、大はしゃぎで話しだした。
パトロネス
「ほんの偶然なのですが」とコリンズは言った。「この部屋に、わたくしの 庇護者であられるレディ・キャサリンの
近親の方がおいでになるのを発見しましてね。その紳士が、このお屋敷の女主人役を務めておられるご令嬢に向かっ
いとこ
て、お従妹にあたるミス・ド・バーグとその母上であるレディ・キャサリンのお名前を口になさっているのをたまた
ま小耳にはさんだのです。なんと驚くべき偶然でありましょうか! この舞踏会で、レディ・キャサリン・ド・バー
おい ご ひょう
グのたぶん 甥 御さまにあたる方とお会いするなどと、だれが思いますでしょうか! その方に敬意を 表 する機会を
逸せぬうちに、かかる発見がなされたことは感謝の極みでございますよ。これからご挨拶に参じるつもりですが、ご
挨拶が遅れたことはお許しいただけるものと思っておりますよ。ご縁戚であられることをまったく知らなかったと申
し上げてお詫びせねばなりません」
「まさかどなたのご紹介もなくダーシーさまにじきじきご挨拶なさるおつもりではないでしょうね?」
「そのつもりです。もっと早くにご挨拶申し上げなかったことをお詫びしようと思っているのです。たしかにレ
ディ・キャサリンの甥御さまでいらっしゃいますよ。昨日から七日前の夜は、レディ・キャサリンはたいそうお元気
であらせられたとお伝えいたしましょう」
 エリザベスはそのようなことはお止めなさいと懸命に説得しようとした。ミスタ・ダーシーは、ご紹介もなく挨拶
するような人間は、叔母上に対する敬意と受け取るどころか、馴れ馴れしい無礼なやつだとお思いになるはず、おた
がいここで挨拶する必要などさらさらないが、必要とあれば、まず身分の高いミスタ・ダーシーのほうから声をかけ
るのが筋なのだと。ミスタ・コリンズは耳を傾けていたものの、自分の意志を曲げるつもりは毛頭なく、エリザベス
が話しおえるのを待ってこう答えた。
「ミス・エリザベスよ、あなたは、ご自分の理解できる範囲なら、すべてについてすぐれた判断力をお持ちですが、
平信徒のあいだの礼儀作法と聖職者を律する礼儀作法のあいだには大きな違いがあることをお教えしたいと思いま
す。あえて申し上げるならば、聖職にたずさわる者は、尊厳という点におきましては、この国のもっとも高位な方に
比肩するものと考えております──ただしそれにふさわしい謙虚な態度が守られねばなりませんが。それゆえこの際わ
たくしが良心の命ずるところに従うことはお許しください。それが、わたくしの義務と心得るものを果たすことにな
ないがし
るのです。あなたの貴重なる助言を 蔑 ろにすることをなにとぞご容赦願いますよ。ほかの場合でありますれば、あ
なたの助言はわたくしのよき導きとなりましょうが、当面の問題の正否を判断するのは、あなたのような若いご婦人
より、受けた教育と日常の経験とを考えれば、わたくしのほうが適任だと思いますね」そう言いおわると、腰を折っ
て一礼し、ミスタ・ダーシーに立ち向かうべくその場をはなれていった。従兄の出方がどう受け取られるか、エリザ
うやうや
ベスはじっと見守っていたが、話しかけられたダーシーの驚く様子は歴然としていた。従兄は、 恭 しく頭を下げた
のち話しはじめた。言葉こそ聞こえなかったものの、ぜんぶ聞こえたような気がした。従兄の唇の動きで〈お詫び〉
とか〈ハンスフォード〉とか〈レディ・キャサリン・ド・バーグ〉などという言葉が読みとれた。従兄がああいう人
たま
物に己の馬鹿さ加減をさらけだしているのを見るのは 堪 らない。ミスタ・ダーシーは、いかにも不審げにコリンズを
眺め、ようやく口を開く機会をあたえられると、冷やかな態度で受け答えをしていた。だがミスタ・コリンズはひる
む気配もなくふたたび話しだし、その再度の長々しい弁舌に、ミスタ・ダーシーの軽蔑の表情はいよいよ露骨になっ
たように見えた。相手が話しおわると、ミスタ・ダーシーは軽く会釈するなり、さっさとその場をはなれていった。
そこでミスタ・コリンズはエリザベスのもとに戻ってきた。
「あちらさまのご応対に不満などあろうはずがございませんよ」とコリンズは言った。「ご挨拶申し上げたことをた
いそうお喜びのご様子でした。それは丁重なご挨拶を賜りました。しかもこんなお褒めのお言葉まで頂戴しました
よ、レディ・キャサリンはひとを見抜く力をお持ちで、不相応な者に恩顧を賜るようなことはぜったいなさらぬ方で
おお
あると 仰 せになりました。まことにご立派なお考えをおもちです。まあわたくしとしてはおおいに面目をほどこしま
した」
 エリザベスは、この上面白いこともなさそうだったので、姉とミスタ・ビングリーのほうにもっぱら注意をもどし
た。ふたりを観察していると次々に楽しい思いが浮かび、たぶんジェインと同じくらい幸せな気持になれた。そして
まことの愛情で結ばれた結婚だけがもたらす幸せに包まれてこの屋敷で暮らすジェインの姿が目の前に浮かんだ。い
ざそうなれば、ビングリーのあの妹たちでも好きになれそうだった。母親もどうやら同じことを考えているようなの
で、とめどないお喋りを聞かされては堪らないと、なるべく近づかないようにした。ところがお夜食の席についてみ
ると、母親とはひとりおいて隣りの席だったので、なんという不運かと恨めしかった。母親が、隣りのおひと(レ
ディ・ルーカス)を相手に、ジェインはもうすぐビングリーさまと結婚することになるかもしれないなどと盛んにま
くしたてているのを聞くと、エリザベスはいたたまれぬ思いだった。ミセス・ベネットはこの話題にすっかり活気づ
き、疲れも知らぬげにその婚姻のもたらす利点を数えあげている。お相手はあのような魅力ある若い殿方、しかもた
ゆえん
いそうなお金持、その上わずか五キロのところにお住まいがあるということが、まずはご満悦である所以。さらには
ふたりのお妹さんがジェインを気に入っているのもひと安心、あちらさまだってきっとこの結婚を待ち望んでいるに
相違ない。さらにジェインがこのような身分の高い方と結婚することになれば、下の妹たちも、お金持の殿方にめぐ
りあえる機会もあるはず。最後にもうひとつ、自分もこの歳で独身の娘たちをその姉の手に委ねることができるのは
ありがたい、そうなれば社交界にしげしげと出入りする必要もなくなるだろう。こういう境遇になったことはよろこ
ぶべきで、こういう場合そうするのが礼儀というものだ。そうはいってもこのミセス・ベネット、いくつになろうと
家にひきこもって安穏としていられるようなおひとではないのである。お宅さまにもじきに同じような幸運が舞いこ
みますよと、レディ・ルーカスを励まして、ミセス・ベネットは話をしめくくったけれども、そんな機会などあるは
たか くく
ずはないと内心は 高 を 括 っていた。
ふいちょう
 エリザベスは母親のとめどない話をさえぎろうとしたが、その努力も空しく、自分の幸せを 吹 聴 するなら、ひと
さまに聞こえぬよう小声でと言い聞かせてもむだだった。おおよその話が向かいのミスタ・ダーシーの耳に入ってい
るのがわかるので、エリザベスは気が気ではなかった。母親は、くだらないことをお言いでないと逆に娘を叱りつけ
るだけだった。
「ダーシーさまがなんだというの、ねえ、どうしてあのひとに気兼ねしなくちゃならないの? あのひとのお気に召
さないことは言わないなんて義理は、これっぽっちもありませんよ」
さわ
「お願いだから、お母上、もっと小声で話して。ダーシーさまの気に 障 るようなことを言って、なんの得があるとい
うの? そんなことをすれば、お友達のビングリーさまだって気を悪くなさるわよ」
とうとう
 だがなにを言っても効き目はなかった。母親は、相変わらず聞こえよがしに自分の期待を 滔 々 とまくしたてた。エ
リザベスは恥ずかしさと腹立たしさのあまり、顔はますます赤くなった。目はどうしてもちらちらとダーシーのほう
にいってしまうが、見るたびに懸念は確信に変わるのだ。ダーシーは、必ずしも母親のほうを見てはいないのに、注
おもて
意はいつも母親に注がれているのは明らかだった。その 面 は、腹立たしげな軽蔑の表情から、思いつめたような真
剣な表情へと徐々に変わっていった。
 だがミセス・ベネットも、ようよう話の種が尽きた。レディ・ルーカスは、お裾分けにあずかれそうもないめでた
あくび
い話をさんざん聞かされ欠伸ばかりしていたのが、これでようやく生ハムと冷製チキンのご馳走を心ゆくまで賞味で
きることになった。エリザベスもほっとひと息ついた。だがその平安も長くは続かなかった。食事がすむと歌の話に
うた さいな
なり、頼まれもしないのにみなの前で 唱 う気になっているメアリが目に入り、エリザベスはまたもや屈辱感に 苛 ま
れた。しきりに目配せをしたり、目顔で懇願したりして、ご愛嬌の一曲を阻もうと必死になった──だがそれも空し
かった。メアリには姉の憂慮をわかろうとする気がなかった。自分の歌をご披露できるのがただうれしく、さっさと
唱いだした。メアリに注がれたエリザベスの目は、苦痛に苛まれていた。辛抱しながら数節を唱いつづけるのを見
守っていたが、歌が終わってもその辛抱は報われなかった。一座のひとびとの感謝の言葉に、ひょっとするともう一
しょもう ま
曲 所 望 されているのではないかと思いこんだメアリは、三十秒ほど間をおいてから、またもや唱いだしたのである。
メアリの力量はこのような場でご披露するほどのものではない。声量もなく、唱い方もわざとらしい。エリザベスは
堪らなかった。ジェインはいかに耐えているかと見てみると、なにごともないようにビングリーと話しこんでいる。
ビングリー姉妹を見ると、嘲るような目配せを交わしている。ダーシーはと見ると、なぜか憂慮の色を面に浮かべた
ままだった。エリザベスは父親のほうを見て、メアリが一晩じゅう唱いつづけないようにどうか止めてやってと目顔
で懇願した。父親はその意味に気づき、二曲目を唱いおわったメアリに声をかけた。
「それでもうじゅうぶん。長々と楽しませてもらったよ。こんどはほかのご婦人方にお願いしようじゃないか」
 メアリは聞こえないふりをしていたが、いささか動揺の色が見えた。エリザベスはメアリがかわいそうになり、父
親の心ない言い方を残念に思い、せっかくの気遣いが裏目に出てしまったのが悔やまれた。ともあれほかのご婦人の
歌が所望された。
「わたくし、唱うことができますれば」とミスタ・コリンズが言った。「ご所望に応じよろこんで一曲ご披露いたし
ますのですが。音楽というものは、まことに純潔なる娯楽と考えておりますから、牧師という職とは両立しうるもの
と考えます。だからといって、多くの時間を音楽に捧げてよろしいというわけではございません。なすべきことはほ
かにもいろいろございます。教区牧師の仕事はたくさんありまして。なによりもまず十分の一税のとりきめがござい
ます、教会に益となるよう、そして庇護者にご不満を残さぬよう教区民との合意をとりつけねばなりません。説教の
草稿も書かねばなりません。そういたしますと残る時間は、教区での数々の義務を果たすにはじゅうぶんとは申せま
せん。また牧師館を常に快適なものにしておくためには、日頃の手入れや修繕も不可欠でございます。そしてまた、
牧師たるもの、すべてのひとびとに対して、ことに就任に当たりご恩をこうむった方々に対しては、丁重に宥和的な
おろそ
態度で接することが大事と考えております。こうした義務は 疎 かにしてはなりませんのです。また、そのご一族に
つながる方々に対しても、敬意を表すことを怠るようではいけません」コリンズはミスタ・ダーシーに向かって一礼
し、演説のしめくくりとしたが、部屋の大半のひとたちに聞こえるような大音声を張り上げていたので、大勢のひと
びとが目を見張った。大勢のひとびとが口元をゆがめて苦笑した。だがミスタ・ベネットほど面白がっていた者はい
なかったであろう。一方奥方のほうは、ご立派なことをお言いだことと本気でコリンズを褒め、若いのによくできた
ひとね、なかなか賢いひとだわねとレディ・ルーカスの耳もとでささやいた。
ほんしょう
 一家が申し合わせて、今宵こそ自分の 本 性 をさらけだしてみせようと意気込んでいたとしても、これほどいきい
きとそれぞれの役柄を演じ、しかもこれほど見事に演じきることはありえないだろうと、エリザベスには思われた。
ミスタ・ビングリーが、こうして演じられた見もののいくつかを見落としたのは、彼にとってもジェインにとっても
幸いだった。そしてビングリーが、たとえこうした愚行を目撃したとしても、ジェインに寄せる気持が揺らぐような
ひとではないことも幸せだと思った。だがその妹たちとミスタ・ダーシーに、自分の近親を愚弄させる機会をあたえ
てしまったのはかえすがえすも無念だった。ミスタ・ダーシーの暗黙の侮蔑か、あの姉妹の無礼きわまる嘲笑か、ど
ちらが耐えがたいか、エリザベスは決めかねていた。
 このあとはエリザベスにとって楽しいことはなにひとつなかった。しつこくまとわりつくミスタ・コリンズには閉
口した。彼はふたたび踊ってくれるようエリザベスを説き伏せることはできなかったが、彼女のほうはこれでもうほ
かの殿方と踊ることもできなくなった。ほかのご婦人と踊ってはいかがですかとミスタ・コリンズに懇願し、なんな
らこの部屋にいる若いご婦人をご紹介しましょうとすすめても無駄だった。自分は踊ることにはまったく関心がな
い、自分の主な目的は、あなたに気に入られるよう細やかな気配りをすることにある、したがって今宵はずっとあな
たのおそばにいることが肝心だと言うのである。そう言われては異議の唱えようがない。親友のミス・ルーカスが、
ちょくちょくそばにやってきて、親切にコリンズの話し相手をしてくれたので、エリザベスはおおいに助かった。
いと
 ミスタ・ダーシーからさらなる注目を浴びるという 厭 わしさは少なくとも免れることができた。もっとも彼はまっ
たく所在なげにエリザベスのすぐそばに立っていることはあったが、話をするほど近くに寄ってはこなかった。これ
はおそらくミスタ・ウイッカムのことを持ち出したせいだろうと思うと痛快だった。
 ロングボーンの一行が辞去したのはいちばん最後だった。ミセス・ベネットの画策で、みなが立ち去ったあと、馬
車の到着を十五分ほど待つことになったのである。そのおかげで、一行はビングリー家のあるひとたちが自分たちに
早く帰ってほしいと心から願っているさまを見る羽目になった。つまりミセス・ハーストとその妹は、たいそう疲れ
たと愚痴をこぼすほかには口を開こうとせず、一刻もはやく自分たちだけになりたいと願っている様子がありありと

見えた。話のきっかけを作ろうとするミセス・ベネットを撥ねつけ、そのために一座に重苦しい空気が流れ、ミス
タ・ビングリーとその妹たちの優雅なおもてなしや、いとも丁重なる客のあしらいなどを褒めそやすコリンズの長々
しい弁舌もその重苦しさを追い払うことはできなかった。ダーシーはまったく無言だった。ミスタ・ベネットも同じ
く沈黙を守り、この情景を心ゆくまで楽しんでいた。ミスタ・ビングリーとジェインは、みなとはちょっとはなれた
なら
ところに立ってなにやら話しこんでいた。エリザベスも、ミセス・ハーストやミス・ビングリーに 倣 ってじっと沈黙
おお あくび
を守っていた。リディアでさえ疲れきっていて、ときおり、「ほんとに疲れちゃったあ!」と叫んでは 大 欠伸をする
ばかりだった。
 ようやく辞去するときがきて、みなが立ち上がると、ミセス・ベネットは、近々みなさまお揃いでぜひロングボー
ンへお越しくださいましとご丁寧にくりかえした。そして特にミスタ・ビングリーには、招待状など差し上げるよう
な仰々しいことはいたしませんが、いつでもわが家の食卓にお越しいただければ、家族一同たいそう幸せに存じます
と言った。ビングリーはたいそうよろこび、明日はちょっとロンドンまで出かけねばなりませんが、戻りましたなら
ば、さっそくお訪ねいたしましょうと二つ返事で約束した。
 ミセス・ベネットは心から満足した。そして花嫁の贈与財産の約定や新しい馬車や婚礼衣裳などの準備の時間を考
こし い
えても、三、四カ月のあいだには、娘は、必ずこのネザーフィールド屋敷に 輿 入れしているはずだと、よろこばしい
確信を胸に抱いて辞去したのである。もうひとりの娘をミスタ・コリンズと結婚させることについても同じように確
信があり、ジェインの結婚ほどではないが、まずまずの喜びを感じていた。エリザベスはほかの子供たちにくらべる
と、いちばん可愛げのない子だった。このお相手も縁組もあの子にはもったいないぐらいのものだが、ミスタ・ビン
グリーとネザーフィールド屋敷に比べれば生彩を欠いていた。

    19

 翌日ロングボーンでは新たな一幕がはじまった。ミスタ・コリンズが、正式な結婚の申し込みをしたのである。賜
暇の期限は次の土曜日までだったので、一刻の猶予もなく実行に移そうと思った彼は、こういう場合にも臆すること
を知らぬ人間だったから、この用談の正式な手順と考えられる仕来たりに従い、威儀を正してその場に臨んだ。朝食
後すぐに、ミセス・ベネットとエリザベスとキティがいっしょにいるのを見つけると、母親に向かってこう切り出し
た。
「奥さま、朝のうちにお美しいエリザベスお嬢さまとふたりだけでお話をいたしたく存じますので、よろしくお取り
計らいのほどお願いできませんでしょうか?」
 エリザベスが驚きのあまり、さっと顔を紅潮させるより早く、ミセス・ベネットは即座にこう答えた。
「おやまあ! ええ──ようございますとも。リジーもきっとよろこびますわ。異存のあろうはずはございませんと
も。さあ、キティ、二階へお行き」刺繡の道具をすばやく片づけるとさっさと部屋を出ていこうとする母親を、エリ
ザベスは大声で呼び止めた。
「お母さま、行かないで。お願いだから行かないで。コリンズさんは許してくださるわ。ひとに聞かれては困るよう
なお話がわたしにあるはずないでしょう。わたしのほうが出ていきます」

「だめ、だめ、リジー、ばかなことをお言いでない。ちゃんとここにお出でなさい」エリザベスが困りきった顔をし
て、いまにも逃げ出しそうなのを見てとると、ミセス・ベネットはこうつけくわえた。「リジー、あなたはここにい
て、コリンズさんのお話をしっかり聞くんですよ」
 エリザベスはこうした指図に背くつもりはなかった──ちょっと考えてみれば、おとなしく、さっさと話をすませる
のがもっとも賢明だと気づいたので、ふたたび座りなおし、苦痛と好奇心のあいだで揺れ動く気持を押し隠すために
せっせと刺繡に励んだ。ミセス・ベネットとキティが部屋を出ていくと、ミスタ・コリンズはさっそくとりかかっ
た。
あだ
「そうですとも、ミス・エリザベス、あなたのその謙虚な態度は、あなたに 仇 をなすどころか、むしろほかの美点を
引き立てます。こうしたささやかな反抗がなかったならば、あなたはわたくしの目にこれほど可愛く映らなかったで
しょう。この求婚についてはあなたのご立派な母君のお許しもたしかにいただきました。あなたの生来の慎み深さが
本心を偽るかもしれませんが、わたくしの話の主意はきちんとおわかりのはずです。わたくしのこれまでの心配りは
じゅうぶんすぎるものでしたから、思い違いはなさいますまい。この家に足を踏み入れるとすぐに、わたくしはあな
たを将来の伴侶と決めました。しかしこの際、感情に押し流され我を忘れる前に、わたくしの結婚の理由をお話しし
ておいたほうがよいでしょう──さらに、妻を選ぶためにハートフォードシャーに参りましたその理由も」
 謹厳そのもののミスタ・コリンズが、感情に押し流されて我を忘れることもあるのかと考えるとエリザベスは思わ
ず吹き出しそうになり、おかげでせっかく話がとぎれたのに、もうけっこうですと相手を思いとどまらせる機会を逸
してしまったものだから、コリンズはそのまま話しつづけた。
「わたくしが結婚する理由はいくつかありますが、まず第一は、安楽な境遇にある(わたくしのような)牧師は、そ
の教区において結婚の模範を示すのが正しいことだと思っておるからであります。第二に、結婚によってわたくしは
いよいよ幸福になるだろうと信じるからであります。第三に、もっと前に申し上げるべきでしたが、これは、わたく
パトロネス
しがもったいなくも 庇護者とお呼びする非常に高貴な貴婦人の特別のご助言とおはからいによるものなのです。この
問題につきましては、二度もご意見を賜りました(お尋ねしたわけでもないのにでございますよ!)。そしてわたく
しがハンスフォードを出立する前の土曜日の夜──カドリールの勝負の合間、ミセス・ジェンキンソンがご令嬢のミ
おお
ス・ド・バーグの足台の具合をたしかめているあいだに、こう 仰 せられたのです。『コリンズさん、あなたは結婚す
べきですね。あなたのような牧師は、結婚すべきです。ふさわしいひとを選びなさい。わたくしのために教養ある女
性を選びなさい。そしてあなた自身のためには、上流の生まれでなくとも、活発でよく働くひとがいい、わずかな収
入で上手にやりくりできるひとがいい。これがわたくしの忠告です。できるだけ早くそういう女性を探し出してハン
いとこ
スフォードに連れておいでなさい、そうしたらわたくしのほうから会いにいきます』ついでながら、麗しのわが従妹
よ、こう申し上げることをお許しいただきますが、レディ・キャサリン・ド・バーグのこうした格別のお引き立てと
ご親切は、わたくしのさしだせる利点のなかでは、決して小さくないものと思っております。お会いになればわかり
ますが、レディ・キャサリンのご威光はなんとも言葉では言いあらわせませぬ。あなたの機知と快活さも、受け入れ
かしこ
ていただけるものと思っております。とりわけ、身分の高いあのお方の御前で、あなたが恐れ 畏 まり、それらの資
質が和らげられるならば。結婚に対するわたくしの好ましい見通しというものはだいたいかくのごときものです。さ
てあとは、わたくしが近在ではなく、ロングボーンで相手を探そうと考えた理由をお話しするだけです、わたくしの
近隣にも気立てのよい若いご婦人が大勢おられるのはたしかですが。じつを申せば、わたくしが、あなたのご尊父の
死後(いや、末長くご存命であろうとは思いますが)、この財産を引き継ぐことになっておりますゆえ、そのご令嬢
めと
たちのなかから妻を 娶 り、悲しい出来事のさなかにも──いや、先ほども申し上げたとおり、そのようなことはこの
先数年は起こりえないでしょうが──ご当家のみなさま方の失われるものが、なるたけ少なくすむようにせねば、わた
くし自身も納得できないでしょう。これがわたくしの動機なのです、麗しのわが従妹よ、それによってわたくしに対
するあなたの評価が下がるとは思いません。あとはただ、わたくしの熱烈なる愛情を熱き言葉でお伝えするのみで
す。財産などは、わたくしのまったく関心のないところでして、お父上には、その種のことについてはいかなる要求
もいたすつもりはございません。たとえ申し上げても無理であることはよく存じております。お母上が亡くなられる
し ぶ
まではあなたのものとはならないあの年四分の利回りの公債千ポンド分が、あなたの受け継ぐ全財産だということも
承知しておりますよ。したがいまして、その問題につきましては、なにも申し上げません。そして結婚したあかつき
にも、わたくしの口から狭量な非難の言葉が洩れることはないとはっきりお約束いたします」
 これ以上コリンズに喋らせておくわけにはいかない。
「ずいぶんお気のお早いことですね」とエリザベスは声を張り上げた。「わたしがまだお返事もしていないことをお
忘れですわ。これ以上時間を無駄にしないためにもお返事をさせてください。いろいろとお褒めをいただいて恐縮で
す。結婚の申し込みをしていただいた光栄はありがたいと思いますけれど、ご辞退申し上げるほかはございません」
「そんなことは先刻承知しておりますよ」とミスタ・コリンズは、おもむろに手を振って答えた。「若いご婦人は、
殿方からの結婚の申し込みには、内心では承諾するつもりでも、表向きはまず断るのが習わしだとか。そしてときに
は、その拒絶が、二度、三度とくりかえされるとか。したがいましてわたくしは、いまのあなたのお言葉に決して落
胆はいたしませんし、遠からずあなたを祭壇の前に導けるものと信じておりますよ」
「誓って申しますけど」とエリザベスは大声を張り上げた。「はっきりお断りしたのに、まだ期待なさるなんて異常
です。あなたがおっしゃるような若いご婦人方とわたしは違います(ほんとうにそんな若いご婦人がいるかどうか知
りませんけど)、自分の幸せを、再度の申し込みに賭けるような勇気はありません。わたしは本気でお断りしている
のです。あなたはわたしを幸せにすることはできません。そうしてわたしはあなたをぜったいに幸せにできません。
いえ、ご友人のレディ・キャサリンがわたしにお会いになったら、わたしがそういう立場には、あらゆる点で不向き
であることがぜったいおわかりになると思います」
「たとえレディ・キャサリンがそうお思いになっても」とミスタ・コリンズはいやに厳粛な顔になった。「あなたを
まったくお認めにならないとはとうてい思えません。これはお約束いたしますが、こんど奥方さまに拝謁するときに

は、あなたの謙虚さ、家計の切り盛りに長けていることなど、立派な資質の数々を讃えてお話し申し上げましょう」
「お願いですから、コリンズさん、わたしをいくら褒めてくださってもむだですわ。自分のことは自分で決めさせて
ください。どうかわたしの言うことを信じてください。どうぞあなたがお幸せに裕福になられますようにと祈ってい
ます、わたしがあなたの手を拒むことによって、あなたが末長くお幸せでいられるよう切に願っておりますわ。わた
しに結婚の申し込みをなさったんですもの、わたしの家族に対する細やかなお気持も満たされたはずです。この家の
あるじ
主 が死んでロングボーンの家屋敷があなたのものになるときも、ご自分をお責めになることはなにもないでしょ
う。したがってこの問題は、決着がついたものとお考えになってよろしいんですわ」エリザベスはこう言いおえると
立ち上がり、すぐにも部屋を出ていきたかったが、ミスタ・コリンズがこう言った。
「こんどまたこの問題についてお話しできる光栄に浴するときは、いまよりさらに色よいお返事を頂けるものと思っ
むご
ております。さしあたっては、あなたの 酷 いお返事をお恨みする気持はさらさらございません、はじめて求婚された
とき、女性の側はひとまず受け入れぬのが慣例であると心得ております。そしておそらくあなたは、女性としての細
やかなお心遣いをもちまして、こうしてわたくしの求婚を励ましておられるのだと思っております」
「まあ、コリンズさん、ほんとうにあなたという方がまったくわからないわ」とエリザベスは、ちょっとうわずった
声で言った。「これまでわたしが言ったことを、励ましと受け取るなら、こちらが拒絶していることをあなたにはっ
きり納得していただくにはどう言えばよいのでしょうか」
「こちらの求婚をひとまず拒絶なさったのは、単なる習わしにすぎないのだと、わが従妹よ、わたくしはそう考えさ
せていただきますよ。そう信じる理由は、簡単に申せばこういうことです。わたくしの差しのべた手が、あなたが受
け入れるに相応しくないものとはわたくしには思えません。つまり、わたくしめが差し出しうる結婚生活は、これ以
上望ましいものはないと思われるからです。わたくしの身分、ド・バーグ家とのご縁故、そしてあなたとわたくしの
縁戚関係は、あなたにとっておおいに有利な条件です。この点をじっくりとお考えになるべきではないでしょうか。
そな
あなたはさまざまな魅力を 具 えておいでですが、この先結婚の申し込みがあるという確証はありません。あなたの持
い かん
参金は遺 憾 ながらあまりにも少額でありますからして、あなたの愛らしさ、気立てのよさなどの美点もおそらくは帳
消しとなりましょう。したがいまして、あなたの拒絶はあくまでも本意ではなく、上流社会のご婦人方の慣習になら
い、曖昧なご返事で、こちらの恋心を募らせようという算段ではないかと思うわけでございます」
「お断りしておきますが、わたしは、ご立派な殿方を苦しめるような策を弄する優雅なご婦人方の真似をしているわ
けではありません。わたしが真剣だということをむしろ褒めていただきたいわ。わたしのような者に結婚の申し込み
をしていただいたことは、いくら感謝しても感謝しきれるものではありませんけど、それをお受けすることはどうし
てもできません。わたしの気持がどうしてもお受けすることを許しません。もっとはっきり言いましょうか? わた
しが、あなたを悩ましている上流社会の女性だなどとはゆめゆめお考えになりませんように、心底から真実を申し上
げている理性ある女だとお考えください」
「なんとも魅力的なお方だ!」とコリンズは、いやに大仰な調子で叫んだ。「あなたの優れたご両親の確たるご意志
のもとにわたくしの結婚の申し込みが認められれば、あなたには必ずやお受けいただけるものと信じておりますよ」

 このように強情に我を押し通す人間に、エリザベスはこれ以上答える気にもなれず、無言のまますぐに部屋を出
た。自分がいくら拒絶したところで、相手がそれを自分の気をそそるためだとうれしがっているのでは、これはもう
父親に助けを求めるほかはないとエリザベスは思った。父親なら、きっぱりした態度で断るだろう、さすがのコリン
ズも父親の言動を、上流社会の女性の思わせぶりな媚態と勘違いするはずはないだろう。

    20


 ミスタ・コリンズは、求婚が上首尾にいったことを心ゆくまで味わうひまはなかった。玄関の間をぶらぶら歩きま
わりながら、ふたりの話が終わるのを待ちかまえていたミセス・ベネットは、扉を開けて出てきたエリザベスが、自
分のわきをさっさと通りすぎて二階へ上がっていくのを見届けるや、すぐさま朝食室に入っていき、これまで以上に
近しい間柄になれる日がちかぢか来ることを、コリンズと自分のために心から祝ったのである。ミスタ・コリンズも
同じように大喜びで、祝いの言葉を返し、話し合いの詳細について語りはじめ、この結果についてはじゅうぶん満足
いとこ
している、従妹のきっぱりとした拒絶の言葉も、はにかみやら生来の慎ましさから湧いて出たものだろうと言った。
 しかしこれを聞いたミセス・ベネットはびっくり仰天した。娘が結婚の申し込みを拒んだのは、相手の気をそそる
ためだというなら、ミスタ・コリンズと同じように満足しただろうが、そんなことはとうてい信じられないので、ど
うしてもこう言わずにはいられなかった。
「でもね、コリンズさん」とミセス・ベネットは言った。「リジーにはきつく言ってきかせますよ。わたしからさっ
そく言ってやります。あれはほんとうに強情で愚かな娘ですの、自分の利害というものがわからないんですから。で
もわたしがきっとわからせてやります」
「口をはさんで申しわけありませんが、奥さま」とミスタ・コリンズが大声で言った。「もしお嬢さまが、まこと強
情で愚かだといたしますと、わたくしのような地位にあるものの妻に果たしてふさわしいものでしょうか。わたくし
といたしましては、結婚生活には当然幸福を求めますので。したがいましてお嬢さまがわたくしの求婚をほんとうに
辞退したいとおっしゃるのであれば、わたくしを受け入れるように無理強いなさらぬほうがよいでしょう。そのよう
な性格の欠陥がおありなら、わたくしの幸福に貢献してはいただけないでしょうから」
「まあ、それはとんだ誤解というものですわ」と驚いたミセス・ベネットは言った。「リジーは、こうした問題につ

いて強情なだけです。ほかのことでしたら、ごくごく性格のよい娘なんですのよ。いますぐ旦那さまのところに行っ
てまいりますわ、そうすればすぐにもあの娘を説得できますとも」
 ミセス・ベネットはコリンズに答えるひまもあたえず、すぐさま夫君のもとへ馳せ参じ、大声を上げながら書斎に
入っていった。
「ああ! 旦那さま、すぐに来ていただかないと。たいへんなことになっちゃって。コリンズさんと結婚するように
リジーを説得してくださいましな、だってあの子ったら、ぜったいあの方と結婚しないと言い張っているんですよ。
早くいらしてくださらないと、あちらの気が変わって、あの子をもらっていただけなくなるわ」
 ミスタ・ベネットは奥方が入ってくるのを見て、読んでいた書物から目を上げ、その目を平然と奥方の顔に注いだ
が、話を聞いても表情はまったく変わらなかった。
「どうもあなたの言っていることが理解しかねるんだよ」奥方の話が終わるとミスタ・ベネットはそう言った。
「いったいなんの話かね?」
「コリンズさんとリジーのことですよ。リジーったら、コリンズさんと結婚するつもりはないときっぱりお断りした
んですよ、あげくにコリンズさんまで、リジーとは結婚しないと言いだす始末で」
「それでこのわたしにどうしろというのかね? どう見ても見込みはなさそうだが」
「どうぞリジーに言ってやってくださいましな。コリンズさんと結婚せよと、言ってきかせてくださいまし」
「あの子をここに呼ぼうじゃないか。わたしの意見を聞かせてやろう」
 ミセス・ベネットは鈴を鳴らし、エリザベスが書斎に呼ばれた。
「ここにおいで」とあらわれた娘に向かってミスタ・ベネットは大声を張り上げた。「大事な用事があって呼んだの
だよ。コリンズ君がきみに結婚の申し込みをしたそうだが。ほんとうかい?」エリザベスはそうですと答えた。「な
るほど──それでその結婚の申し込みを、きみは断ったそうだね?」
「そうです」
「なるほど。さあ、そこで問題だ。きみの母君は、きみがそれを受けるようにと言っている。そうなんだね、奥方」
「ええ、お受けしなければ、わたしは二度とこの子には会いません」
「きみは不幸な岐路に立っているわけだな、エリザベス。今日という日から、きみは、両親のどちらか一方とは赤の
他人にならなければならないわけだ。きみがコリンズ君と結婚しなければ、母君は二度ときみには会わないそうだ。
そしてわたしは、きみがコリンズ君と結婚したら、きみには二度と会わないからね」
 エリザベスは、のっけからこのような結論が出たことに思わず笑みを洩らした。だがミセス・ベネットは、この問
題については夫君も自分に賛成するものと思いこんでいたから、ひどく狼狽した。
「そんなことをおっしゃって、いったいどういうおつもりですの? あのひとと結婚せよとこの子をかならず説得す
るとお約束してくださったじゃありませんか」
「いいかい」と夫君は答えた。「ささやかな願いが二つほどあるんだがね。まず当面の問題については、わたしに判
断の自由をあたえてもらいたい。第二に、わたしの書斎についてなんだがね。できるだけ速やかにここをわたしに明
けわたしてもらえるとありがたい」
 だが、夫君には失望させられたとはいえ、ミセス・ベネットは肝心なところはまだあきらめてはいなかった。なだ
めすかしたり、脅したりと、エリザベスをくりかえし攻めたてた。ジェインをなんとか味方につけようとしてみた
が、ジェインは、口出しは控えたいと、やんわりと断った。そして当のエリザベスは、母親の攻勢に、ときには真っ
向から、ときにはふざけ半分に応じた。だが態度はそのときどきに変わっても、決心が揺らぐことはなかった。
 いっぽうミスタ・コリンズは、この成り行きについて独り物思いにふけっていた。自分の立場には自信があったの

で、従妹がどうして自分を拒んだのか解せなかった。だから自尊心は傷ついてもほかにはなんら痛痒を感じなかっ
た。エリザベスに対する愛情などまったくの空想にすぎない。強情で愚かな娘だと母親に非難されるような娘だと思
えば、なんの未練もなかった。

 こうして家族が大騒ぎをしているところへ、シャーロット・ルーカスが遊びにやってきた。玄関の間でリディアに
ばったりと出会うと、リディアは飛びついてきて、声をひそめるようにして話しかけた。「面白いところに来たわ
よ、だってうちは大騒ぎなんだから! けさ、いったいなにがあったと思う? コリンズさんがリジーに結婚の申し
込みをしたんだけど、リジーにその気はないんだって」
 シャーロットがほとんど答えるいとまもないうちに、こんどはキティがやってきて、同じことを話した。三人が
揃って朝食室に入っていくと、独りでいたミセス・ベネットが同じようにその話を持ち出して、彼女の同情を求め、
あなたの親友のリジーを、家族の希望に沿うように説得してちょうだいと懇願した。「どうぞお願い、ミス・ルーカ
ス」ミセス・ベネットは哀切な口調でこうつけくわえた。「だれもわたしの味方をしてくれない、だれも力を貸して
ひど
くれないの、こんなに 酷 い仕打ちを受けているのに、わたしの哀れな神経のことなど、だれも気遣ってはくれないの
よ」
 そこにジェインとエリザベスが入ってきたので、シャーロットはそれに答えずにすんだ。
「ほら、ご本人が来ましたよ」とミセス・ベネットは言葉をつぐ。「あんなにけろりとして、自分のわがままさえ通
れば、わたしたちが遠いヨークにいるとでもいうように知らん顔してるんだから。でも言っておきますけどね、ミ
ス・リジー、こんなふうに結婚の申し込みをかたっぱしからお断りするようじゃ、生涯結婚なんてできませんからね
──お父さまが亡くなったあと、あなたをいったいだれが養ってくれるというの。このわたしが養うわけにはいかない
のよ、だから言っておきますよ。今日という日からあなたとは親子の縁を切ります。さいぜんお書斎でそう言ったわ
よね。もうこんりんざいあなたとは口をききません。言ったことはちゃんと実行しますからね。親不孝な子と話をし
ても、楽しいことなんかありゃしませんよ。わたしはね、だれと話をしても楽しいと思ったことなんかないんです。
わたしみたいに神経を病んでいる人間は、自分から話をしたいという気にはなれないものなの。わたしがどんなに苦
しんでいるかだれにもわかりゃしない。いつだってひとりで苦しんでいる。愚痴をこぼさない者は、だれにも同情し
てもらえないのよ」
つの
 娘たちは母親の感情の奔流を黙って聞いていた。説得を試みても、なだめてみても、母親の苛立ちは 募 るばかりだ
と心得ていたからである。それゆえミセス・ベネットは、ミスタ・コリンズがその場にくわわるまでは、だれにもさ
えぎられることなく話しつづけた。ミスタ・コリンズはいつになく堂々とした態度で部屋に入ってきた。ミセス・ベ
ネットはそれに気づくと娘たちに言った。
「さあ、いいこと、みんな、しっかり口を閉じていなさい。コリンズさんとちょっとお話がありますからね」
 エリザベスはおとなしく部屋から出ていき、ジェインとキティがそのあとにつづいたが、リディアは聞けるだけ聞
いてやろうと、その場に踏みとどまった。シャーロットは、まずミスタ・コリンズの丁重な挨拶で引き止められ、自
分のことや家族のことなど仔細に尋ねられたので、ひとまずその場に留まった。そのあとは少々好奇心が湧き、窓辺
まで歩みより、聞こえぬようなふりをして立っていた。哀れっぽい声で、ミセス・ベネットが聞こえよがしに話を切
り出した。「ああ! コリンズさん!」
「これはこれは、奥さま」とコリンズは答え、「このお話は、これでもう打ち切りといたしましょう。だからといっ
てわたくしは」とコリンズは明らかに不興げに言葉をつづける。「お嬢さまの振る舞いに腹を立てているわけではご
ざいませんよ。避けえぬ運命を甘受するのは、われら牧師の務めであります。若くして抜擢されたわたくしのように
非常に幸運な牧師の特別の義務であります。わたくしは諦めようと思います。たとえわが麗しの従妹がその手をわた
くしに委ねてくださろうと、わたくしの将来の幸福に疑いの影がさしたと感じる以上諦めざるを得ないでしょう。拒
まれた幸福の値打ちが、われわれの見るところ、下がりはじめたときこそ、諦めることが最善であると、わたくしは
かねがね感じておりました。どうか、奥さま、わたくしめになりかわりあなたさまやご主人さまのご威光をもちまし
てお嬢さまを説得していただくようお願いもせず、こうしてお嬢さまへの求婚を取り下げましたことを、ご家族を軽
んじたというふうにおとりになりませんようにお願い申し上げます。あなたさまのお口からではなくお嬢さまのお口
からじかに却下とのお言葉をお伺いするようなわたくしの振る舞いは好ましからざるものであったと恐縮しておりま
す。しかしわれわれ人間は、だれしも過ちを犯すものでございます。このたびのことは、すべてはよかれと思いいた
したことです。わたくしめの目的は、わが身のために気立てのよい伴侶を得ることでございましたが、それもあなた
ふ らち
さまご一家に対するしかるべき配慮があったればこそでございます。もしわたくしの振る舞いを不 埒 であるとお思い
でしたら、ここで重々お詫び申し上げます」

    21

 ミスタ・コリンズの結婚申し込みについての論議はここでほぼ大詰めを迎え、エリザベスとしてはこれに伴う気ま
ずい思いと、そして母親の不機嫌な当てつけをときどき耐えさえすればよかった。そしてミスタ・コリンズ自身の気
かたくな
持はというと、気まずさでもなく落胆でもなく、エリザベスを避ける気配もなかったが、 頑 な態度と不機嫌な沈黙
か い が
だけはその気持をよく表していた。エリザベスにはほとんど話しかけることもなく、ふだんからよくしている甲斐甲

斐しい気配りも、その日は、すべてミス・ルーカスに向けられることになり、その話に耳を傾けるミス・ルーカスの
礼儀のよさに、ベネット家のひとびとはみな、ことにその親友は、この際おおいに助けられたのである。
やまい
 翌日になってもミセス・ベネットの不機嫌も、神経の 病 もよくはならなかった。ミスタ・コリンズもまた険悪な
いか
自尊心を抱えていた。エリザベスは、それほどお 怒 りなら滞在をさっさと切り上げるだろうと期待したが、ミスタ・
さわ いとま
コリンズの怒りは、本来の計画にはいささかの 障 りにもならないようだった。土曜日にお 暇 することは前々から決
まっていたことであり、その土曜日まではなにはともあれ滞在するつもりでいたのである。
 朝食後、娘たちは、ミスタ・ウイッカムが戻ったかどうか尋ねるためにメリトンまで出かけていき、ミスタ・ウ
イッカムに会ったら、なぜネザーフィールドの舞踏会に来なかったのかと不満をぶつけるつもりだった。メリトンの
町に入るとすぐにミスタ・ウイッカムにばったり出会い、そのまま叔母の家まで送ってもらった。そこで、ウイッカ
ムの後悔やら無念やら、そしてみなの心配やらの話がさかんに飛び交った。だがウイッカムはエリザベスには、舞踏
会にはわざと欠席したのだと白状した。
「実はですね」とウイッカムは言った。「その時が近づくにつれ、ダーシー氏には会わないほうがよいのではないか
と思いましてね。同じ部屋で何時間もいっしょにいるのは、とても耐えられるものじゃないし、まわりの連中は、そ
んな情景を見せられたら、わたし以上に不愉快でしょうからね」
 エリザベスは、その自制心にはいたく感服した。帰りはウイッカムともうひとりの士官がみなをロングボーンまで
送ってくれることになり、ウイッカムはずっとエリザベスと並んで歩いていたので、このことについては彼とたっぷ
ねんご
り話し合うこともでき、おたがいを 懇 ろに褒め合う時間もできたのだった。ウイッカムがみなを家まで送ってくれ
たことには、二重の利点があった。自分に寄せられた彼の好意がしみじみ感じられたし、彼を両親に引き合わせるの
に絶好の機会にもなったからである。
 家に戻るとすぐに、一通の手紙がジェインのもとに届けられた。それはネザーフィールドから来たもので、すぐに
封が開けられた。なかには、小ぶりの上品な光沢紙が一枚入っており、美しい伸びやかな女性の筆跡でびっしりと文
字が書きこまれていた。読みすすむジェインの表情が変わり、あるくだりを熱心に読み返しているのにエリザベスは
気づいた。ジェインはすぐに気を取り直したように手紙をしまいこむと、いつものように快活に話の輪にくわわろう
とした。だがエリザベスは手紙のことが気にかかり、ウイッカムのことさえ頭から消えてしまった。ウイッカムとそ
の連れが帰ってしまうと、ジェインがすぐに目配せをしたので、あとを追って二階に上がっていった。ふたりの部屋
に入ると、ジェインがあの手紙を取り出してこう言った。
「キャロライン・ビングリーからなの。ほんとうにびっくりする内容だったわ。みなさん、もうネザーフィールドを
引き上げて、ロンドンに向かっていらっしゃるころよ。こちらに戻ってくるおつもりはないんですって。なんと言っ
てきたか、まあ聞いてちょうだい」
 ジェインは大きな声ではじめから読みだした。兄に従ってまっすぐロンドンに行くことになったこと、今日はグロ
ヴナー街にある義兄のハーストの屋敷で食事をするつもりであること。そのあとにはこう書かれていた。『親友であ
るあなたとお別れするのは残念ですが、正直に申しますと、ハートフォードシャーに思い残すことはほかになにもあ
りません。でもいつかまた、これまでのような楽しいおつきあいができる日が来るものと心待ちにしております。そ
したた
れまでは、おたがいに思いのたけを 認 めた手紙を折々交わしさえすれば、別離の苦痛も和らげられるのではないで
しょうか。ぜひそうしてくださるよう心から願っております』こうした大仰な表現を、エリザベスは不信の面持ちで
冷やかに聞いていた。とつぜんの引き上げには驚かされたが、別に悲しむようなことではなかった。ビングリー姉妹
がネザーフィールドにいなくとも、ミスタ・ビングリーがここにいられないというわけではない。ジェインは、ビン
グリー姉妹とおつきあいがなくなっても、ミスタ・ビングリーと楽しいひとときを過ごせるなら、そんな淋しさもす
ぐに忘れてしまうだろう。
「あいにくだったわね」エリザベスはしばらくしてから言った。「お友だちがロンドンに発つ前にお会いできなく
て。でもミス・ビングリーが心待ちにしている先の楽しみが、思いがけなく早くやってくるかもしれないわね。お友
だちとしての楽しいおつきあいが、こんどは姉妹というもっと親しい関係になるかもしれないでしょ? あのふたり
だっていつまでもビングリーさまをロンドンに引きとめておくわけにはいかないだろうし」
「この冬はハートフォードシャーにはだれも戻らないって、キャロラインははっきり書いているのよ。読んであげる
わ──
『兄は昨日発つときに、ロンドンでの用事は三、四日で片づくだろうと申しておりましたが、それくらいではとても
わび
片づきそうもありませんし、それにいったんロンドンに参りましたら、急いで戻る必要もありませんので、兄が 侘 し
いホテルで暇な時を過ごすことのないように、私たちも兄のあとを追ってロンドンへ参ることにいたしました。お知

り合いの大勢の方たちが、この冬をロンドンで過ごすためにすでにあちらにお出でになっていらっしゃいますの。最
愛の友であるあなたも、そのお仲間になってくださればうれしいのですが、それは無理なお願いでしょうね。ハート
フォードシャーのクリスマスが、この季節のいつもと変わらぬ楽しさに満ちあふれたものでありますように。そして
私たちがあなたから取り上げてしまった三人の殿方のいない淋しさを埋め合わせるような、たくさんのすばらしいお
相手があらわれますようにお祈りしております』
 これではっきりしたでしょ」とジェインが言った。「ビングリーさまはもうこの冬はお戻りにならないのよ」
「それがビングリー嬢の意向だということだけははっきりしているわね」
「なんでそう思うの? これはビングリーさまのご意向に決まっているわ。なんでも思う通りになさる方ですもの。
でもあなたはすべてを知っているわけじゃないわね。わたしがとても傷ついたくだりを読んであげます。あなたに隠
すつもりはないから。
『ダーシーさまは、お妹さまにとても会いたがっていらっしゃいます。実を申し上げると、私たちも、ダーシーさま
と同じようにあの方にもう一度お目にかかりたいと思っておりますの。ジョージアナ・ダーシーは、美しさといい、
たしな
品のよさといい、優れた 嗜 みの数々といい、だれもかなう者はおりませんわ。そしてあの方がルイザや私の心によ
あ ね
びさます愛情も、将来あの方が私たちの義姉になるかもしれないと考えますと、さらに大切なものに思われてまいり
ますの。こうした私の気持を、以前にお話ししたかどうか覚えておりませんが、この地を離れるにあたり、このこと
はどうしても打ち明けずにはいられません。あなたはこれを理不尽なこととはお思いにならないでしょう。兄は前々
からミス・ダーシーをとてもお慕いしておりますが、これからは、もっと親しくおつきあいできる機会がたびたびあ
ひい き め
るでしょうし、あちらのご親族の方々も、この縁組をこちらの身内同様に望んでおいでですの。妹の 贔 屓目が言わせ
るのではありませんが、兄のチャールズは、どのような女性の心も惹きつけることができるひとです。周囲はすべて
この結びつきには賛成ですし、これを妨げるものはなにもないのですから、親愛なるジェイン、多くのひとびとの幸
せを保証してくれる慶びごとをひたすら待ち望む私は間違っているでしょうか?』
 このくだりをどう思う、リジーちゃん?」と読みおわったジェインが言った。「こんなにはっきりしていることは
ないでしょ? キャロラインはわたしと姉妹になるなんて思ってもいないし、望んでもいないと、きっぱり断言して
いるじゃないの。お兄さまはわたしに無関心だとはっきり確信しているし、ことによるとわたしのビングリーさまに
対する気持にうすうす気づいて、おあきらめあそばせとご親切に忠告してくださっているんじゃないかしら? ほか
にどんな考え方があって?」
「ええ、あるわよ。わたしの意見はまったく違うの。聞きたい?」
「ぜひ聞きたいわ」
ふたこと み こと
「 二 言 、三 言 ですむわよ。ミス・ビングリーは、お兄さまがあなたに恋をしているのを知っているけど、あのひと
はお兄さまをミス・ダーシーと結婚させたい。だからロンドンに引き止めておこうと、あとを追ったんだわ、そして
兄はあなたに関心はないと、あなたに思いこませようとしているのよ」
 ジェインはかぶりを振った。
「ねえ、ジェイン、わたしを信じるのよ。あなたとビングリーさまがいっしょにいるところを見たら、だれだってあ
の方があなたに愛情をよせていることは疑えないはずよ。ミス・ビングリーだって疑えないわ。馬鹿じゃないもの。
もしダーシーさまが、あの愛情の半分でも彼女に示したら、あのひと、すぐに婚礼のお衣裳を注文しているわよ。で
たい け
も問題はこういうことなの。あのひとたちから見れば、わたしたちはお金持でもないし、ご 大 家でもないということ
よ。あのひとはミス・ダーシーとお兄さまをなんとか結婚させようとしている、縁組がひとつ成立してそこに縁戚関
係が生まれれば、次なる縁組は容易に成立するかもしれない。まったく名案だわね。ミス・ド・バーグが邪魔しなけ
れば、きっと成功するわ。でもね、大切な大切なジェイン、兄はミス・ダーシーを褒めそやしているなんて、彼女が
言ったとしてもよ、あの方のあなたへの気持が、火曜日からこちらほんの少しでも変わったなんてありえないし、そ
もそもミス・ビングリーが、ジェインを好きになってはだめ、あたくしのお友だちのミス・ダーシーを好きになりな
さい、なんてお兄さまを説き伏せられるなんて、本気で考えられないでしょ」
「ミス・ビングリーのことを、あなたのように考えられれば」とジェインが答えた。「あなたの説明で、気が楽にな
るかもしれない。でもあなたの考えは根本が間違っているわ。キャロラインは他人を騙せるひとじゃないもの。この
場合考えられるのは、あのひとがなにか思い違いをしているということね」
「そうよね。お姉さまにはそんな気休めしか考えられないのね。わたしの言うことじゃ納得できないんだもの。どう
ぞ、あのひとが思い違いしているんだって信じていらっしゃい。それであのひとに義理は果たしたのだから、もうや
きもきすることはないわよ」
「でもねえ、リジーちゃん、かりにあなたの言うとおりだとしてもよ、姉妹やお友だちがみんな、ほかのひとと結婚
することを望んでいるという方と結婚して、わたしは幸せになれるかしら?」
「それはあなたが自分で決めることよ」とエリザベスは言った。「じっくり考えてみて、あのふたりの姉妹の意に逆
らう辛さのほうが、あの方の奥様になる幸せより大きいと言うなら、ビングリーさまにはきっぱりとお断りなさい
よ」
「どうしてそんなことが言えるの?」ジェインはうっすらと笑みを浮かべて言った。「わかっているはずでしょ、反
対されるのはとても悲しいけれど、わたしは、後に引くつもりはないわ」
「そうこなくちゃ。だからね、お姉さまの立場に同情はできないの」
「でもビングリーさまがこの冬、お戻りにならないのなら、どうするか考える必要もないわね。六カ月のあいだに
は、いろいろなことが起きるでしょうから!」
 ミスタ・ビングリーがもはや戻らないという考えを、エリザベスは一蹴した。それはミス・キャロライン・ビング
リーの自分勝手な願望のあらわれにすぎず、それがあからさまに、あるいは巧妙に伝えられたにしても、独立独歩の
青年紳士の気持を左右するとは、エリザベスにはとうてい信じられなかった。
 そしてこの問題に対する自分の気持をジェインに強く訴えたが、うれしいことにその効果はすぐにあらわれた。
ジェインは打ち沈むこともなく、徐々に希望をもちはじめた。ビングリーの愛情の深さに自信がもてず、ときどき希
望が薄らぐことはあっても、彼はきっとネザーフィールドに戻ってきて、自分の願いに応えてくれるだろうと思うよ
うになった。
 ふたりで相談し、母親にはビングリー一家がロンドンに引き上げた事実だけを伝え、ミスタ・ビングリーのその後
の行動については耳に入れないことにした。だがそうした一部の事実でさえも、ミセス・ベネットはおおいに憂慮
し、みなさんとせっかく親しくおつきあいできるようになったのに、引き上げておしまいになったのは、まことに不
運であると嘆いた。だがしばらく悲嘆にくれたあとは、ビングリーさまはまたじきにお戻りになって、ロングボーン
でごいっしょにお食事していただけるだろうと自分を慰め、そればかりか、内輪のお食事にお招きしてあるけれど、
そのときは二通りのフルコースでおもてなししましょうと大はりきりであった。

    22
 ベネット家のひとびとは、ルーカス家に食事に招かれていた。その日もほとんどミス・シャーロット・ルーカス
が、ご親切にもミスタ・コリンズの話に耳を傾けてくれていた。エリザベスは、折りをみてお礼を言った。「おかげ
で、あのひと、それはご機嫌がいいの。ほんとうに感謝しきれないくらいよ」シャーロットは、お役に立ててうれし
いわ、少しばかり時間を割いただけなのに、たくさん得るものもあったのよと答えた。それはたいそう好意的な返事
だったが、シャーロットの親切な振る舞いは、じつはエリザベスが思いもよらぬところにまで及んでいた。それは、
なんと、ミスタ・コリンズの求婚の狙いを自分に向けさせ、彼がエリザベスに再度の申し込みをしないようにするた
めだった。それがシャーロットの目算だったのである。その夜コリンズと別れたときは、形勢はかなり有望に見えた
ので、これでコリンズがハートフォードシャーをすぐに去りさえしなければ、成功はほぼ間違いなしとシャーロット
は踏んでいた。ところがコリンズの情熱と意固地な気質までには思い至らなかった。翌朝コリンズは首尾よくロング
い と こ
ボーンの屋敷を抜け出し、シャーロットの足元に身を投げ出すべくルーカス家へと走ったのである。従姉妹たちに気
づかれまいと彼は必死だった。出ていくところを見られれば、自分のもくろみはばれるに違いない。成功が明らかに
なるまでは、このもくろみを知られたくない。自分の気を惹くようなシャーロットのそぶりも見えたし、大丈夫だと
は思っていたものの、水曜日のあの予期せぬ事態を経験したあとでは、かなり自信を喪失していた。ところが向かっ
た先で彼は思いもかけぬお迎えを受けたのである。シャーロットは二階の窓から、こちらに向かってやってくるコリ
ンズの姿を見つけると、小道で偶然出会ったふりをしようと、すぐさま外に飛び出した。よもやそこにあふれるよう
な愛の告白が待ちかまえていようとは、シャーロットも予想だにしなかったが。
とうとう
 ミスタ・コリンズの 滔 々 たる弁舌が終わるまでのしばしのあいだに、すべてがふたりの望みにかなう形で決まった
のである。家のなかに入ると、コリンズは、自分が世界一の幸せ者になれる日をすぐにも決めてほしいとシャーロッ
しりぞ
トに懇願した。こうした申し出は、ひとまず手を振って 斥 けるのが習わしだが、シャーロットは、相手の気持をい
もてあそ
たずらに 弄 ぶ気にもなれなかった。なにしろ彼の生来の愚鈍さのおかげで、その求愛は、女性ならいついつまでも
続いてほしいと思わせるような魅力を感じさせなかったからである。シャーロットは、ただ所帯を持ちたいという
淡々とした願望からコリンズを受け入れたのであり、それがいくら早く実現しようが、いっこうにかまわなかった。
 サー・ウィリアム・ルーカスとレディ・ルーカスはさっそく同意を求められ、すぐさま快諾をあたえた。ミスタ・
コリンズの現在の境遇を思えば、わずかな財産しか分けてやれないわが娘にはまことに願ってもない縁組であり、そ
の上コリンズの財産もゆくゆくはかなりのものになるはずであった。レディ・ルーカスはすぐさまあと何年ミスタ・
ベネットが生きているだろうかと、たいそう熱心に胸算用をはじめた。そしてサー・ウィリアムも、ミスタ・コリン
ズがロングボーンの財産を相続したあかつきには、ふたりをさっそくセント・ジェームズ宮殿に伺候させようと確言
した。要するにルーカス一家はこぞってこの慶事に欣喜したのである。妹たちは、予想していたより一、二年早く社
交界に出られるだろうと期待し、弟たちは、シャーロットが死ぬまで独身でいるのではないかという不安から解放さ
れた。シャーロット自身はかなり冷静だった。すでに目的は達し、考える時間もあった。考えた結果、おおむね満足
のゆく答えが出た。ミスタ・コリンズはたしかに賢くもなく好ましい人物でもない。彼とのつきあいは退屈きわまり
ないし、自分に寄せる愛情も幻想に相違ない。だがそれでも彼は自分の夫になる。男性や結婚生活に憧れているわけ
ではないけれど、結婚こそがシャーロットの目標だった。教養は豊かでもわずかな財産しかもたぬ若い女性にとっ
かて
て、結婚は唯一ひとに恥じることのない生活の 糧 であり、幸せになれるかどうかは不確かにしても、飢えを免れる
もっとも好ましい手段なのである。その手段をいまシャーロットは手に入れた。二十七という歳になり、決して美し
いとは言えないシャーロットは、その幸運を身にしみて感じていた。この件について、もっとも気が重いのは、エリ
いぶか
ザベス・ベネットを驚かせることだった。彼女の友情はなによりも大事なものだった。エリザベスは 訝 るだろう
なじ
し、おそらく 詰 るに違いない。たとえ詰られても自分の決意は揺るがないけれども、エリザベスの反対にあえば、気
持は傷つくだろう。このことは自分からエリザベスに伝えようと心に決め、それゆえコリンズには、午餐にロング
ボーンに戻っても、この経緯については家族のだれにも洩らさないようにと念を押した。コリンズは、むろん秘密は
守りますと堅く約束したものの、これを守るにはひと苦労した。コリンズが長いあいだ家を空けていたので、みなの
好奇心ははちきれそうになり、家に戻るや、待っていたとばかり、あからさまな質問を四方から浴びせられ、それを
はぐらかすにはかなりの手管を要した。おまけに首尾よくいった自分の恋をみなに公表したくてうずうずしていたか
ら、その気持を抑えるのも並大抵ではなかった。
 翌日は早朝に出立するためどなたにもお会いできないというわけで、ご婦人方が寝室に引きとる前に別れの挨拶が
交わされた。ミセス・ベネットは、いとも丁重にご用の向きがあればいつなりとロングボーンにお越しいただければ
まことにうれしいと述べた。
「これはこれは、奥さま」とコリンズは答えた。「そのようにお招きいただくとはありがたいことで、なにしろそう
言っていただけるよう願っておりましたのです。できるだけ早くお言葉に甘えるつもりでございますよ」
 これにはみなが驚いた。そうすぐに戻ってきてもらいたくないミスタ・ベネットは、すかさずこう言った。
「しかしそんなことをしてはレディ・キャサリンに反対される危険がありはしませんかね? 親類などはほうってお
パトロネス
くがよろしい、あなたの 庇護者のご機嫌を損じては一大事ですぞ」
「これはこれは」とミスタ・コリンズは答えた。「そのようなご親切なご忠告、ありがたき幸せですが、わたくしめ
は、奥方さまのご同意なしに重大事を決めはいたしませんので、どうぞご安堵ください」
「用心するにこしたことはありませんぞ。レディ・キャサリンのご不興を買うような真似はあえてなさらぬがよい。
貴君がわが家をふたたび訪れることが、レディ・キャサリンのご機嫌を損ねるようであれば、まあ、それはおおいに
ありうることだが、家でおとなしくしておられるがいいでしょう。それでこちらが気分を害するなどと考えるのはご
無用ですな」
ねんご
「いやはや、そのような 懇 ろなるご配慮、まことに痛みいります。ハートフォードシャー滞在中のあなたさまのお
したた
心遣いの数々、並びにこのお言葉に対しましてのわたくしめの感謝の気持をば早速書状に 認 めお送り申し上げま
す。わが麗しの従姉妹たちには、近いうちにまたお会いできることでもあり、ご挨拶をするまでもありますまいが、
いとこ
従妹エリザベスはもとよりのこと、みなさまのご健康とお幸せをいまここに祈念するものでございます」
 ご婦人方は、礼儀正しく挨拶をして退出したが、コリンズがすぐに戻ってくるつもりだと知ってみんな驚いた。ミ
セス・ベネットは、コリンズが、下の娘のだれかに求婚するつもりなのだと期待した。メアリなら、口説かれればそ
の気になっていたかもしれない。メアリはほかのだれよりもコリンズの能力を高く評価していたし、その堅実な考え
なら
方にしばしば感銘も受けた。自分ほど賢いとは言えないけれども、自分に 倣 って書物を読み、自己研鑽に励めば、好
ましい夫になるだろうと思っていた。だが翌朝になると、こうした望みはすべて打ち砕かれてしまった。朝食後すぐ
にミス・ルーカスがやってきて、エリザベスを相手に前日の出来事を語ったのである。
 ミスタ・コリンズはひょっとしたらシャーロットに恋をしていると思いこんでいるのではないかという疑念が、こ
の二日のあいだにエリザベスの胸に浮かんだことはあったが、シャーロットにはコリンズの気を惹くような真似は、
たしな
自分同様できるはずはないと思っていた。だからエリザベスの驚きようといったら大変なもので、 嗜 みなど消し飛
んでしまうほど、思わず大声で叫んでいた。「コリンズさんと婚約したって! ああ、シャーロット、まさか、そん
なことありえない!」
 事の次第を話すあいだ、平静な面持ちを保っていたシャーロットだが、これほどあからさまな非難を浴びせられる
と、その顔に一瞬動揺が走った。だがそれも覚悟の上のことだったので、すぐに気を取り直して静かに答えた。
「どうしてそんなに驚くの、イライザ? コリンズさんが、お気の毒に、あなたに振られたからといって、女性に好
意をもたれることなどありえないと言うの?」
 だがエリザベスもようやく冷静になり、懸命に気持を落ち着かせ、わたしたちが親戚同士になるのは、たいそうよ
ろこばしい、心からお幸せを祈るわとかなりしっかりした口調で言うことができた。
「あなたの気持はわかるわ」とシャーロットは答えた。「あなたが驚くのは当たり前よ、そりゃ驚くわよね。だって
つい最近、コリンズさんは、あなたとの結婚を願っていたんですものね。でもあとでこのことをじっくり考えてくれ
れば、わたしがしたことに賛成してくれると思うわ。わたしって、夢見る乙女じゃないのよ。ぜったいそうじゃない
の。わたしが求めているのは居心地のいい家庭だけなの。コリンズさんの性格や縁戚や身分などを考えると、彼とで
ふいちょう
も、たいていのひとが結婚生活について 吹 聴 する程度には、幸せになれる見込みはあると思うの」
 エリザベスは静かに「間違いなしよ」と答えた。しばらくぎごちない沈黙があり、それからふたりはみなのところ
に戻った。シャーロットは長居はせずに帰っていき、エリザベスはひとりになっていま聞いたことをじっくり考え
た。まったく不似合いなこの結婚話を受け入れるまでには長い時間がかかった。たった三日のあいだに、二つの求婚
をしたというミスタ・コリンズの奇人ぶりも、その求婚が受け入れられたという事実にくらべればさほどのことでは
なかった。シャーロットの結婚に対する考え方が、自分とはまったく違うということは前々から感じてはいたけれど
なげう
も、いざ現実のこととなったとき、シャーロットが世俗的な利益を優先し、自分の本意を 擲 ってしまうとは思いも
よらなかった。コリンズ氏の妻シャーロットとは、なんという屈辱的な姿であろうか! 友が自らを辱め、その品格
おとし
を 貶 めたという苦痛にくわえて、友は自ら選んだ運命のもとでは、ほどほどの幸せすら得られるはずはないという
切ない確信がエリザベスの心に湧いたのである。

    23

 エリザベスは、母親や姉妹たちのそばにすわって、さっきシャーロットから聞かされたことを考えながら、このこ
とをみなに話してよいものかどうか迷っていると、そこへサー・ウィリアム・ルーカスがシャーロットに頼まれて、
婚約のことをベネット家に告げにきたのである。丁重な挨拶ののち、両家が今後縁戚となることにおおいに満足の意
あらわ
を 表 し、ことの次第を明らかにした。聞く者たちは驚いたばかりか、まず信じようとしなかった。ミセス・ベネッ
トは礼儀作法も忘れて、それはまったくの思い違いでいらっしゃいましょうとしつこく言い張ったし、いつも無作法
で軽はずみなリディアは、騒々しくわめきちらした。
「驚いたわ! サー・ウィリアム、どうしてそんな作り話をなさるの? コリンズさんは、リジーと結婚したいの
よ」
 かかるあしらいに怒りもせず耐え、この場をぶじ乗り切らせたのは、さすが宮廷に参上したことのあるサー・ウィ
リアムの身についた礼儀作法の賜ものである。失礼ながらこれは正真正銘の事実ですと言いながら、相手の無礼きわ
まる言行にも、まことに寛容かつ丁重に耳を傾けていた。
 エリザベスは、このような耐えがたい事態からサー・ウィリアムを救い出すのは自分の務めだと感じ、思い切って
口を開き、さきほどシャーロットから一部始終を聞かされたと明かしてサー・ウィリアムの話を裏づけたのである。
そして母親や姉妹たちの抗議の声をなんとか止めさせようと、サー・ウィリアムに、心からおめでとうございますと
なら
言い──ジェインもすぐさまそれに 倣 った──これほどお幸せなご縁組はありませんねとか、コリンズさんはお人柄も
ご立派ですしとか、ハンスフォードとロンドンはお近くでけっこうですわねとか、べらべらとまくしたてた。
 ミセス・ベネットは、サー・ウィリアムがいるあいだはあまりの驚きに口数も少なかったが、客人を送り出すと、
抑えていた感情が凄まじい勢いで噴き出した。まず第一にこんな話は信じられないといきまき、第二にミスタ・コリ
ンズは騙されたに決まっていると言い張り、第三にあのふたりはぜったい幸せにはなれるはずがないと断言し、第四
にこんな縁組はこわれるに決まっていると保証した。だがこうして全体を見渡したところで、ふたつの結論が導き出
された。ひとつは、この茶番を演じさせた張本人はエリザベスであること、もうひとつは、自分はみなからひどい目
に遭わされたということだった。ミセス・ベネットは、その日はずっとこのふたつのことをくどくどくりかえしてい
た。どう慰めようと、なだめようと効き目はなかった。その日は遂に怒りがおさまることはなかった。エリザベスの
顔に小言を浴びせなくなるのに一週間かかり、サー・ウィリアムとレディ・ルーカスに無礼な口をきかなくなるのに
一カ月かかり、夫妻の娘シャーロットをすっかり許す気になるまで数カ月かかった。
おお
 ミスタ・ベネットのご気分は、このときはたいそう穏やかであった。このような経験はなかなか愉快であったと 仰
せられた。かなり良識のある子だとかねがね思っていたシャーロット・ルーカスが、うちの奥方同様に愚かで、うち
の末娘をうわまわる馬鹿だと知って、おおいに満足であるとも言った。
 ジェインは、この婚約には少し驚いたと打ち明けた。でも驚いたことはさておき、あのふたりにはぜひ幸せになっ
てもらいたいと言った。幸せになるなんてありえないとジェインを説きつけるのはエリザベスにも不可能だった。キ
ティとリディアはシャーロットが羨ましいとは思わなかった。ミスタ・コリンズはたかが牧師である。こんな話は、
せいぜいメリトンでささやかれる噂話のたぐいにすぎなかった。
 レディ・ルーカスは、娘が良縁を得たという喜びを、ミセス・ベネットにそのままお返しできる満足感をたっぷり
と味わわずにはいられなかった。わたくし、とても幸せですのよと言うために、ふだんより頻繁にロングボーンを訪
れた。もっともそれを迎えるミセス・ベネットの不機嫌な顔や意地の悪い言い草には、幸せな気分も台無しになって
いたかもしれない。
 エリザベスとシャーロットはおたがいに気兼ねしあい、この問題に触れまいとしていた。ふたりのあいだにはもう
二度と本物の信頼関係は生まれないだろうとエリザベスは確信した。シャーロットに失望したために、ジェインに寄
せる愛情はますます深まり、ジェインの純真で繊細な心を認める自分の気持が揺らぐことは決してないだろうと思っ
た。そして姉の幸せを懸念する気持は日ましに募っていった。ビングリーが引き上げてからはや一週間が経つのに、
戻るという知らせはいっこうになかったのである。
 ジェインは、ミス・ビングリーの手紙にはやばやと返事を書いていたので、そろそろあちらから便りがありそうな
ものと指折り数えて待っていた。ミスタ・コリンズからは約束通り、火曜日に父宛ての礼状がとどいた。それには、
うやうや
ベネット家に十二カ月も世話になったとでもいうような 恭 しい感謝の言葉が書き連ねてあった。そしてあの件につ
とうとう
いての良心の呵責を 滔 々 と述べたのち、みなさまの可愛らしいご隣人であるミス・ルーカスの愛情を獲得した幸せを
したた
歓喜あふれる文言で 認 め、ロングボーンへぜひまたお越しをというお誘いに過日快く応じたのは、ひとえにミス・
ルーカスに会える楽しみがあるがゆえであり、ついては二週間後の月曜日に再度お伺いするつもりである。なぜなら
レディ・キャサリンが、この結婚については心からご賛同くだされ、できるだけ早く式を挙げるようにと仰せられる
ゆえとつけくわえ、わが愛するシャーロットもわたくしを世界一の幸せ者にしてくれる日を一日も早く決めることに
異存はあるまいと信じていると書きそえてあった。
 ミスタ・コリンズがハートフォードシャーに戻ってきても、ミセス・ベネットにはもううれしくもなんともなかっ
た。それどころか、夫君と同じように、文句たらたらである。ルーカスの屋敷に滞在せず、ロングボーンに泊まると
はまったくおかしな話、まったくもって迷惑千万、面倒なことこの上なし。体の具合がはかばかしくないときに客を
たま
迎えるのは 堪 らない。まして恋をしている男など不愉快なこと限りなしである。こういったところが、ミセス・ベ
く ごと
ネットの繰り 言 であったが、ミスタ・ビングリーがいつまでも戻らず、たいそう不安になるときは、こんな繰り言も
さすがになりをひそめた。
 この問題についてはジェインもエリザベスも、心は穏やかではなかった。ミスタ・ビングリーの消息が届かぬま

ま、いたずらに日が経っていき、この冬はもうネザーフィールドにはお出でにはならないという噂ばかりがメリトン
にひろまっていた。この噂に、ミセス・ベネットはおおいに憤激し、そんな噂はまったく根も葉もない噓だときっぱ
り否定した。
 エリザベスでさえ、懸念しはじめた──ミスタ・ビングリーの気持が冷えたというのではなく──あの妹たちが、兄
をまんまと引き止めておくことに成功したのではないかという懸念である。ジェインの幸せを打ち砕くような、そし
てジェインの恋人の節操を疑うようなそんな考えは認めたくもないが、それがくりかえし頭に浮かんでくるのはどう
しようもなかった。あの不人情なビングリー姉妹とあの高圧的な友人ミスタ・ダーシーのたゆまぬ努力にくわえ、ミ
くじ
ス・ダーシーの魅力とロンドンの歓楽の前には、ミスタ・ビングリーの愛の力も 挫 けてしまったのではないかとエリ
ザベスは不安になった。
 ジェインにしても、このようなあやふやな状態におかれている不安は、むろんエリザベスよりずっと大きかった。
だがほんとうの胸のうちは隠しておきたかったから、エリザベスとのあいだでも、この問題に触れることはなかっ
た。だがこうした細やかな気遣いを欠いた母親は、朝な夕なビングリーの話を持ち出しては、あの方のお出でが待ち
もてあそ
遠しくてたまらないと言い、その上ジェインに向かって、あの方がこのままお戻りでないなら、おまえは 弄 ばれた
のだと思いなさいなどと詰めよる始末である。ジェインがこうした暴言をなんとか穏やかに受けとめられたのは、ひ
とえに温和な性格のおかげだった。
 ミスタ・コリンズはきっちり二週間後の月曜日に戻ってきたが、ロングボーンでは、最初の訪問のときのような歓
待はなかった。だが幸せではちきれそうなコリンズに、おもてなしの必要もなかった。ベネット家のひとびとにとっ
て幸いだったのは、コリンズが求愛というお仕事に忙しく、しじゅうお相手をせずにすんだことである。毎日ほとん
どの時間がルーカス家で過ごされ、ときにはベネット家の者がみな床につこうというころにロングボーンに戻ってき
て、留守をして申しわけなかったと詫びるのがやっとというていたらくだった。
 ミセス・ベネットは、いかにも哀れな状態だった。この縁組について少しでも触れられようものなら、たちまちひ
どく不機嫌になる。なにしろ行く先々で否応なくこの話題が耳に入ってくる。シャーロットの顔など見るのも嫌だ。
この屋敷の相続人だと思うと、彼女を見る目は嫉妬と憎悪で燃え上がる。シャーロットが訪ねてくるたびに、あの娘
はこの屋敷の所有者となる日を待ちこがれているのだと決めつけた。そしてミスタ・コリンズになにかささやいてい
るシャーロットを見ると、ロングボーンの屋敷の話をしているのだと気をまわし、ミスタ・ベネットが死んだらさっ
そく自分や娘たちをこの屋敷から追い出す算段をしているに違いないと思った。だから、こうしたことを洗いざらい
夫君に向かって訴えた。
「ねえ、旦那さま」とミセス・ベネットは言った。「シャーロット・ルーカスがこの家の女主人になるなんて、この
わたしがあの娘に追い出されるなんて、あの娘がわたしの後釜にすわるのを生き恥さらして眺めているなんて、考え
るのも嫌ですわ」
「まあまあ、そう悲観するには及ばないよ。もっと明るい希望をもとうじゃないか。このわたしがだれよりも長生き
するかもしれないと考えたらどうですか」
 ミセス・ベネットにとって、それはさほど慰めにはならなかった。だからそれには答えず、繰り言をつづけた。
「あのふたりがうちの財産をぜんぶわがものにするなんて耐えられません。限嗣相続法なんてものさえなければ、気
になることはなにもないんですけれどね」
「なにが気にならないというのかね?」
「なにもかもですよ」
「それじゃ、あなたがそういう無感覚な状態にならずにすむことに感謝しないとね」
「感謝するわけがないじゃありませんか、あんな限嗣相続法なんてものに。娘たちからさっさと家屋敷を取り上げる
なんて、まったく気が知れませんよ。それがみんなミスタ・コリンズのものになるなんて! よりによってなんであ
んなひとの手に渡さなきゃならないんでしょう?」
「そのわけは、あなたが考えてくれたまえ」とミスタ・ベネットは言った。

    24

 ミス・ビングリーの手紙が届き、すべての疑問が消え去った。まず冒頭に、ビングリー一家がこの冬をロンドンで
いとま
過ごすことになった経緯が記され、田舎を去るに当たってハートフォードシャーの友人方にご挨拶する 暇 がなかっ
たことを、兄が悔やんでいると結んであった。
 望みは断たれた、いっさい断たれた。ジェインは最後までなんとか読みおえたが、いかにも愛情ありげな書き手の
言葉のほかは、ジェインの慰めになるようなものはほとんどなかった。大方が、ミス・ダーシーへの賛辞で埋められ
る る
ていた。ミス・ダーシーのさまざまな魅力がふたたび縷々と述べられ、ますます親密になったことが得々と記され、
この前の手紙でお伝えした願いがいよいよ叶いそうですとさえ書いてあった。それにまた、兄がミスタ・ダーシーの
お屋敷にお世話になっているとうれしそうに述べ、ミスタ・ダーシーは新しい家具をお入れになる計画がおありです
の、などとうきうきした調子で報告していた。
 手紙のおおよその趣旨をジェインから伝えられたエリザベスは、憤懣やるかたない思いでそれを聞いていた。その
心には、姉に対する懸念と、ほかの連中に対する怒りが交錯していた。兄はミス・ダーシーを慕っているというミ
ス・ビングリーの主張は頭から信用しなかった。ミスタ・ビングリーはほんとうにジェインが好きなのだということ
は、いまも信じて疑わなかった。ミスタ・ビングリーはいいひとだと思ってきたが、こうもお気楽で意志薄弱なとこ
ろを見せられると、怒りを覚えずにはいられないし、軽蔑もしたくなる。いまや、そのために腹黒い身内どもの言い
なりになって、連中の気まぐれのために自身の幸せを犠牲にしている。まあビングリー自身の幸せを犠牲にするだけ
なら、どうとでも好きなようにすればいい。だが姉のジェインまでが巻き添えにされている、それぐらいのことは彼
も気づいているはずなのだ。要するにこれはいくら考えても仕方のない問題で、結局考えるのは無駄ということであ
る。でもほかのことはなにも考えられない。ビングリーの愛情はほんとうに冷めてしまったのか、それともダーシー
の干渉によって抑えつけられているのか、そもそもジェインの思慕に気づいているのか、それとも見過ごしてしまっ
たのか、そのいずれかによって、ビングリーに対するエリザベスの見方はおおいに変わってくるが、それでジェイン
のおかれた情況が変わるわけではないし、自分の心の平和が蝕まれたことにも変わりはなかった。
 一日、二日と経つうちに、ジェインも自分の気持を思い切ってエリザベスに打ち明けることができるようになっ
あるじ
た。だが母親のミセス・ベネットが、ネザーフィールド屋敷とその 主 について長々とかきくどいて出ていったあと
は、さすがのジェインもこう言わずにはいられなかった。
「ああ! お母さまも、もっとご自分を抑えてくださればいいのに。あの方のことを非難なさるたびに、わたしがど
んなに辛い思いをするか、ちっともわかってくださらない。でも嘆くのはよしましょう。こんなことがいつまでもつ
づくわけはないもの。あの方のこともそのうちに忘れられるし、そうしたら、みんな元通りになるわね」
 エリザベスは、気遣わしそうに疑いの目を姉に向けたが、なにも言わなかった。
「疑っているのね」とジェインはかすかに頰を上気させて叫んだ。「疑うなんておかしいわ。ビングリーさまはわた
しのお知り合いのなかでいちばんやさしい方だった、そんな思い出は残るかもしれない、でもそれだけのことよ。希
望ももたないし、不安もないの、あの方を責める理由はなにもない。ああ、ありがたいことね! その苦しみだけは
ないんですもの。だから少し時間が経てば、かならず立ち直ってみせるわ」
 さらに語気を強めてジェインはつけくわえた。「でもよかった、だってこれはわたしの独りよがりだったんだし、
傷ついたのは自分だけ、だれも傷つけてはいないんですもの」
「ああ、ジェインったら!」とエリザベスは大声を上げた。「あなたって、ひとがよすぎるのよ。やさしくて無心な
ところは、ほんとうに天使みたい。ああ、なんて言ったらいいのかしら。いままで、あなたのほんとうの値打ちを知
らなかったような気がする、そこまで深くあなたを愛していなかったような気がする」
 ジェインは、自分にはそんなすばらしい値打ちはないと躍起になって言い張り、妹の温かな思いやりを逆に褒めあ
げたのである。
「やめてよ」とエリザベスは言った。「そんなのおかしい。お姉さまというひとはね、世間のひとたちはみんな立派
だと思いたいのよ、わたしが他人を悪く言うと傷つくのよ。わたしはね、あなたこそ完璧だと思いたいだけ、ところ
があなたはそれを否定する。わたしは、出すぎた真似はしないから大丈夫よ、万物に慈悲をたれるあなたの特権を侵
したりしないから、どうぞご心配なく。大丈夫よ。わたしがほんとうに愛しているひとはほんのひとにぎりなの、立
つの
派だと思えるひとはもっと少ない。世間を知れば知るほど不満が 募 るばかりよ。人間の性格なんて矛盾だらけという
思いが日を追うごとに強まるの、一見して美点や良識だと思えるものだって、ほとんど信用ならない。最近、そのい
い例に二つ出会ったわ。一つは言わないでおく。もう一つはシャーロットの結婚よ。あれは理解できない。どう考え
ても理解できないわよ!」
「ねえ、リジーちゃん、そんな気持になってはだめよ。そんなふうに考えていたら、自分を不幸にしてしまうだけだ
わ。あなたは、ひとそれぞれの立場や性格の違いを思いやってあげないんだもの。コリンズさんの社会的な地位をお
考えなさいな、それからシャーロットの慎重で堅実な性格を考えてごらんなさい。あのひとのところは大家族なの
よ、財産のことを考えれば、これはシャーロットにふさわしい縁組じゃないかしら。あのひとはきっと、わたしたち
いとこ
の従兄に好意や尊敬といったものを感じているのかもしれない、みんなのためにそう信じてあげましょうよ」
「お姉さまが満足なさるなら、なんでも信じましてよ。でも信じたからといって、だれのためにもならないわよ。
シャーロットがあの従兄をほんとうに尊敬していると言われても、わたしは彼女の判断力が鈍ったと思うだけだし、
うぬぼ
いまじゃ彼女の頭がどうかしちゃったと思っているけど。あのねえ、ジェイン、コリンズさんというひとは、自惚れ
が強くて尊大で、度量の狭い愚か者よ。あなたにも、わたしにもそれはわかっているじゃないの。それにあんな男性
と結婚するような女性は、まともな考え方をする人間じゃないって、あなただって感じているはずだわ。たとえ相手
がシャーロット・ルーカスでも弁護することはないのよ。たったひとりの人間のために、節操とか清廉という言葉の
意味を曲げてしまってはだめ、自己本位なことが思慮分別で、危険に鈍感であれば幸福がつかめるなんて、あなた
だって、わたしだって、思ってはならないのよ」
「あのふたりに、あなたの言葉は厳しすぎるわね」とジェインは答えた。「ふたりがともに幸せになるのを見れば、
ほの
あなたにもわかるでしょう。でももうこの話はたくさん。あなた、いまさっきなにやら 仄 めかしていたわね。二つの
実例に出会ったとか言ったでしょ。あなたがなにを指しているのかわかるけれど、でもお願いだから、リジーちゃ
ん、あの方を非難したり、見損なったなどと言って、わたしを苦しめないでね。わたしたち女性は、故意に傷つけら
れたなんてあさはかなことを考えてはいけないわ。元気な若いひとが、いつもとても用心深く周囲に気を配るなんて
考えちゃいけないのよ。たいていは自分たちの自惚れのせいでとんだ思い違いをするんだわ。女って、褒められれば
すぐにいい気になってしまうものだから」
「そして男は、女がいい気になるように仕向けるわけね」
「わざと仕向けるとすれば、とても許せない。でもみんながあれこれ想像するような下心なんて世間にそうざらにあ
るものじゃないと思うわ」
「ミスタ・ビングリーの行動のどこかに、そんな下心がひそんでいたとは言っていないわよ」とエリザベスは言っ
た。「でも悪いことをしようとか、他人を不幸にしようとか思わなくても、間違いは起こるかもしれないし、他人を
不幸にするかもしれない。思慮のなさ、他人の気持に対する思いやりのなさ、決断力のなさというものが、そういう
ことを引き起こすんだわ」
「それであなたは、このことをそのうちのどれかのせいにするわけね?」
さわ
「ええ、そう。この最後の決断力のなさのせいにするわ。でもこれ以上言うと、きっとあなたの気に 障 るわ、あなた
が尊敬しているひとたちの悪口を言うことになるから。わたしにもうこれ以上言わせないで」
「すると、あのご姉妹があの方の行動を左右していると、どうしても言いたいのね」
「そう、あの方のお友だちと力を合わせて」
「そんなこと、信じられないわ。どうしてあのご姉妹が、ビングリーさまの気持を動かそうとするの? お兄さまの
幸せをひたすら願っているだけだわ。ビングリーさまがわたしに心を寄せているのなら、ほかの女性があの方を幸せ
にはできないでしょう」
「お姉さまのそもそもの見方が間違っているのよ。あのひとたちは、彼の幸せのほかに、願っていることがたくさん
あるのかもしれないわ。彼が富を増やし、社会的な地位を高めることを望んでいるのかもしれない。ご立派な親族
や、お金も自尊心もあるお嬢さまと結婚してもらいたいのかもしれないのよ」
「あのご姉妹が、お兄さまとミス・ダーシーの結婚を望んでいるのはたしかだわ」とジェインは答えた。「でもそれ
は、あなたが考えているより、もっとやさしい気持から生まれたものじゃないかしら。だってミス・ダーシーのこと
は、わたしとお友だちになるずっと以前からよく知っていらっしゃるんだし、ミス・ダーシーのほうが好きだといっ
ても不思議はないわ。でもあのひとたちの望みがどうであろうと、お兄さまの望みに逆らうなんてとても思えない。
よほど反対すべき理由がないかぎり、いくら兄妹でもそんな勝手な真似をしようとは思わないでしょう? お兄さま
がわたしに愛情をもっていると、あのひとたちがほんとうに信じていたら、わたしたちの仲を裂くような真似はする
はずないわ。ビングリーさまのお気持がほんとうにそうなら、そんなことうまくいくはずないもの。あなたは、そん
な愛情があると勝手に想像して、だれしもが道にはずれた間違ったことをすると言ってわたしを苦しめるのね。そん
なことを考えてわたしを苦しめないでちょうだい。わたしはビングリーさまのお気持を誤解していたことを恥ずかし
いとは思っていないの。そんなことは取るに足りないこと、あの方や妹さんたちを悪く思うことに比べたらなんでも
ないことよ。とにかくわたしは、いい方に考えたいの、自分に納得がいくように」
 エリザベスも、ジェインのこうした願いには逆らえなかった。以後ふたりのあいだでミスタ・ビングリーの名が口
にされることはめったになくなった。
 ミセス・ベネットはいまだにビングリーが戻ってこないのを不審に思い、愚痴をこぼしていた。戻らない理由につ

いては、エリザベスが毎日のようにはっきり説明し、言い聞かせているのに、なかなか腑に落ちないらしい。エリザ
ベスは自分でも信じていないことを、母親に納得させるのに苦労した。つまりミスタ・ビングリーがジェインに惹か
れたのは、よくある束の間の恋心のようなもの、ジェインと会わなければ、それでおしまいというわけだと。そうか
もしれないわねえと、当座は母親も納得するものの、結局エリザベスは毎日同じ話をくりかえす羽目になる。ミセ
ス・ベネットの最高の慰めは、夏になればミスタ・ビングリーはきっとお越しになるはずという期待だった。
 ミスタ・ベネットはというと、この問題は別の捕え方をしていた。「どうやら、リジー」とある日ミスタ・ベネッ
トは言った。「きみの姉上の恋路に邪魔が入ったようだね。おめでとうと言っておこう。若い娘が結婚の次にうれし
がるのは、ときどき失恋することらしいからね。まあ、考えごとの種にはなるし、仲間うちでは名誉のしるしのよう
なものがあたえられるわけか。きみの番はいつ来るんだね? いつまでもジェインに抜かれっぱなしじゃ辛いだろう
に。いまこそきみの番だぞ。メリトンには士官どのが大勢いるじゃないか、土地のご令嬢方をぜんぶ失恋させてくれ
るほどね。ウイッカムをきみのお相手にしたらどうだ。好青年だし、見事に振ってくれるだろう」
「ありがとうございます、お父さま。でもわたしは、それほど好ましい男性でなくてもけっこうなの。みんながジェ
インの幸運にあやかれるわけじゃありませんもの」
「ごもっとも」とミスタ・ベネットは言った。「だがなにが起ころうと、きみにはおやさしい母上がついていて、ど
うにかしてくださるから心配はご無用だ」
 ミスタ・ウイッカムとのつきあいは、このたびの不幸な出来事がロングボーンの一家に投げかけた暗い影を追い払
うのに、おおいに役立った。みなが頻繁に会うようになると、ウイッカムのこれまでの数々の美点に、だれにでも腹
蔵なく接するという美点がさらにくわわった。エリザベスがこれまでに聞かされた話、つまりミスタ・ダーシーから
受けるべき聖職禄の権利、その権利を彼に拒否された経緯は、いまやだれもが知るところとなり、おおっぴらに取り
沙汰されるようになった。そしてそう言えば、ミスタ・ダーシーは前々から虫が好かない男だったと、だれしもが得
心したのである。
 ジェインだけが、この話にはきっと、ハートフォードシャーのひとびとには知られていない、なんらかの酌量すべ
き事情があるのではないかと考えていた。常にひとのよい面を見ようとするジェインの温和な性格が、これにはきっ
と事情があるのだとそのたびに再考を促し、その話にはおそらくなにか行き違いがあったのだろうとしきりに言うの
だが──ほかのだれもが、ミスタ・ダーシーこそ極悪人だと決めつけたのである。

    25

いと
 ミスタ・コリンズは、愛の告白と慶事の計画に一週間を費やし、土曜日になると、 愛 しいシャーロットのもとをい
よいよ去ることになった。しかしながら別離の辛さも花嫁を迎える準備に追われることになれば和らぐことだろう、
なにしろこんどハートフォードシャーを訪れるときには、自分を世界一の幸せ者にしてくれる日がすぐにも決まると
うやうや いとま ご い と こ
期待できる根拠があったからである。ロングボーンの親族には相も変わらぬ 恭 しさで 暇 乞いをし、麗しい従姉妹
たちの健康と安泰を願い、その父上には後日礼状を送ると約束した。
 ミセス・ベネットは月曜日には、クリスマスをロングボーンで過ごすことが恒例になっている弟夫婦を迎えて、大
喜びであった。弟のミスタ・ガーディナーは思慮深い、いかにも紳士然とした人物で、その性格も教養も姉のミセ
まさ なりわい
ス・ベネットよりはるかに 優 っていた。商売を 生 業 とし、自分の店舗が見えるところに住んでいるような人物が、
これほど礼儀正しく爽快な人物であろうとは、ネザーフィールド屋敷のご婦人方には信じがたいに相違ない。ミセ
ス・ガーディナーは、ミセス・ベネットやミセス・フィリップスよりいくつか年下だが、やさしく、聡明で気品もあ
り、ロングボーンの姪たちからたいそう慕われていた。ことに上のふたりの姪とは特別な愛情で結ばれていた。ふた
りともロンドンにある叔母の家によく泊まりにいった。
 ベネット家に着いたミセス・ガーディナーはさっそく贈り物をみなに配り、最近流行している衣服の型など話して
聞かせた。これが終わると、こんどは脇役にまわった。みなの話を聞く番だった。ミセス・ベネットには、訴えねば
ならない不平不満が山とある。あなたにこの前会ってからこちら、みんな、とてもひどい目に遭わされた。娘ふたり
は、せっかく結婚するところまでいったのに、けっきょくなにも実らなかった。
「ジェインは責められないわ」とミセス・ベネットは言葉をついだ。「だってジェインは、できることならビング
リーさまをものにしてたわよ。ところが、リジーときたら! ああ、あなた! まったく考えられない、いまごろは
コリンズ夫人になっていたかもしれないのよ、あの子があんなにつむじ曲がりじゃなかったら。このお部屋でせっか
く結婚の申し込みをしてくれたのに、あの子ったら、なんと、断ったのよ。そのおかげでレディ・ルーカスが、わた
しをさしおいてお嬢さんを結婚させることになって、このロングボーンの家屋敷は、けっきょく限嗣相続法のおかげ
でそっくりあちらさんのものになってしまう始末よ。ルーカス家のひとたちときたら、そりゃずるがしこいのよ、あ
なた。手に入るものならなんでもいただくというんだから。こんなふうには言いたくはないんだけれど、じつはそう
なのよ。うちのなかには、やたらに逆らう娘がいるし、ご近所はまず自分たちのことしか考えないし、おかげで神経
さわ
に 障 って惨めな思いをさせられているわ。こんなときにあなたたちが来てくれて、ほんとにありがたいわ。流行の長
いお袖の話も聞かせてもらって、ほんとうによかった」
 この件については、ジェインやエリザベスと交わした手紙ですでに知らされていたミセス・ガーディナーは、姪の
気持を思いやって、義姉の話は軽くあしらい、さっさと話題を転じた。
 あとでエリザベスとふたりきりになると、ミセス・ガーディナーはこの問題をさらに話し合った。「ジェインには
お似合いのお相手だったらしいわね」とミセス・ガーディナーは言った。「だめになって残念だわ。でもこういうこ
とはよくあるのよ! そのビングリーさんのような青年は、美しいお嬢さんとほんのしばらく恋におちる、でもたま
たまはなればなれになると、相手のことなどけろりと忘れてしまうのね。こういう気まぐれな恋はよくあることよ」
「そう考えれば慰めになるのかもしれないけれど」とエリザベスは言った。「わたしたちの慰めにはならないわ。わ
たしたち、たまたまはなればなれになってるわけじゃないのよ。独立して楽に暮らせるだけの財産をもっている若い
男性が、ほんの数日前まで激しい恋におちていた女性を忘れなさいと、身内のひとや友人に説き伏せられるなんて、
そうしじゅうあることじゃないでしょ」
「でもその〈激しい恋におちた〉というのがね、いかにも月並、いかにも曖昧、およそ当てにならない表現で、どう
もよくわからないわねえ。三十分のおつきあいで生じた感情を表現することもあるし、真実の熱烈な愛情を表現する
こともあるし。ねえ、ビングリーさんの恋心はどれほど激しいものだったの?」
「あんなお熱の上げっぷりは見たことがないわ。まわりのひとたちには目もくれないで、ジェインに夢中だったの
よ。ふたりが会うたびに、それがますます目立っていったわ。ご自分が開いた舞踏会でも、若いご婦人たちを何人も
怒らせてしまったのよ、一度も踊りに誘わなかったんですもの。わたしだって、二度も話しかけたのにお返事もして
もらえなかったわ。これほど立派な徴候はないでしょ? まわりのものに礼儀を欠くのは、これこそ恋というもの
じゃなくて?」
「ええ、そうよね! その方の恋心は本物だったのね。かわいそうなジェイン! 困ったわね、あの子は、そういう
た ち
ことをすぐには克服できない性質だから。これがあなただったらよかったのにね、リジー。あなたなら、笑いとばし
て、はい、おしまいだもの。いっしょにロンドンに連れていきたいけど、説得できるかしら? 環境が変わればいい
かもしれないと思うの──家から少しはなれてみるのもいいかもしれない」
 エリザベスはこの申し出をたいそうよろこび、ジェインもよろこんで承知するのではないかと思った。
「そうねえ」とミセス・ガーディナーが言った。「その若い殿方のことを思うあまり、ジェインがためらわなければ
いいけれど。わたしたちの住んでいるところは、ロンドンでもまったく別の地域だし、おつきあいの範囲もまったく
違うし、あなたも知っての通り、外出もあまりしないから、その方とばったり出会うようなことは恐らくないと思う
のよ、あちらからジェインに会いにこないかぎりはね」
「それはまったくありえないわ。いまは、お友達に監督されているんですもの。まさかあのダーシーさまが、ロンド
ンのあんなところにいるジェインを訪ねていくのをビングリーさまに許すはずがないわ! ねえ、叔母さまはどうお
思いになる? 彼だってグレイスチャーチ街のような場所はたぶん知っているでしょうけど、そこに一歩足を踏み入
れたら最後、汚れた体をひと月かけて洗っても清めることはできないと思うんじゃないかしら。第一ビングリーさま
は、彼といっしょでなければぜったい腰を上げないわ」
「それならいいけれど。ふたりが出会わないですむといいわね。でもジェインは、妹さんとは文通しているんでしょ
う? だからジェインは妹さんを訪ねずにはいられないんじゃないかしら」
「あちらはおつきあいをいっさいやめると思うわ」
 だがエリザベスは、こうした点や、ビングリーがジェインと会うことを止められているというさらに重大な点に確
信はあったものの、不安になった。よく考えてみると、自分はふたりの関係はまったく望みがないとは思っていな
い。ミスタ・ビングリーの愛情が甦って、友人たちの影響力など、ジェインの天性の魅力の前には無力になることも
あるかもしれない、いや確実にありうると思うこともあった。
 ジェインは叔母の誘いによろこんで応じた。そのときはビングリー一家のことはあまり考えもしなかったが、た
だ、ミス・ビングリーはいまは兄上と同じ家で暮らしているわけではないので、兄上と出会う懸念もなく、ときたま
ミス・ビングリーといっしょに過ごせるかもしれないと思ってはいた。
 ガーディナー夫妻は、一週間ロングボーンに滞在した。フィリップス家やルーカス家のひとびと、士官たちなどと
連日のように会い、予定のない日は一日もなかった。ミセス・ベネットは、弟夫婦のもてなしに心を砕いたので、ふ
たりが、家族だけの食事の席に連なるということは一度たりとなかった。家に客を招待するときは、士官たちがいつ
もそれに加わり、ミスタ・ウイッカムが必ずそのなかに入っていた。ミセス・ガーディナーはこんなとき、ウイッカ
ムをやたらに褒めちぎるエリザベスの振る舞いに疑念をおぼえ、ふたりの様子をつぶさに観察した。見たところ、ふ
たりが本気で愛しあっている様子は見えないが、おたがいに好意を抱いているのは明らかで、それが少々気がかり
だった。それでハートフォードシャーを去る前に、このことについてエリザベスと話し合い、色恋に深入りするのは
軽率だと言い聞かせようと思った。
 ミセス・ガーディナーにとってウイッカムは、そのさまざまな魅力とは別に、ある愉しみをわかちあえる人物だっ
た。十年か、いや十二年前になろうか、ミセス・ガーディナーは結婚する前に、ウイッカムが生まれ育ったという
ダービシャーの地に、かなり長いあいだ住んでいたことがあった。したがって、共通の知人が大勢いた。ウイッカム
は、五年前、ダーシーの父上が他界された後は、ほとんど帰ることもなかったが、それでも旧知のひとびとの最新の
消息などは、ミセス・ガーディナーよりはずっとよく知っていた。
 ミセス・ガーディナーはペンバリー館を見たことがあり、亡くなられた先代のダーシー氏の人望もよく知ってい
た。そんなわけで、話題はいつまでも尽きなかった。ミセス・ガーディナーが記憶しているペンバリー館に、ウイッ
やかた
カムのこまごまとした 館 の描写を重ねてみたり、亡き先代のお人柄に賛辞を呈するなどしてウイッカムをよろこば
せ、自分も愉しい思いを味わった。当主であるミスタ・ダーシーのウイッカムに対する仕打ちに話が及ぶと、ミセ
ス・ガーディナーは、ミスタ・ダーシーの幼少のころの評判など記憶をたどり、そういえばミスタ・フィッツウィリ
アム・ダーシーは、とても高慢ちきで、気難しい少年だったという評判を聞いた覚えがたしかにあると言った。

    26

ねんご
 ミセス・ガーディナーは、エリザベスとふたりで話し合える機会を捉えると、さっそく 懇 ろな注意をあたえた。
自分の思うところを正直に伝え、さらにこう言葉をつづけた。
「あなたはとても賢い子ですものね、リジー、反対されたからといって、意地で恋をするような真似はしないわよ
ね。だからはっきり言いますよ。あなたにはくれぐれも用心してほしいの。ウイッカムに夢中になったり、あのひと
を夢中にさせたりするようなことはしないでね。おたがいに財産がなければ、それは軽はずみというものよ。あのひ
とを悪く言うつもりはないわ。とても感じのいい青年ですもの。持つべきものを持ってさえいれば、申し分のないお
ふんべつ
相手だと思うわ。でも現実を考えれば、夢にひたっていてはだめよ。あなたには 分 別 というものがあるのだから、そ
れに従うことをみんなが期待していますよ。お父さまだって、あなたの判断力と良識ある行動を信じていらっしゃる
はずだわ。お父さまの信頼を裏切らないようにね」
「叔母さまったら、いやに真面目なのね」
「そうよ、あなたもちゃんと真面目に聞いてちょうだい」
「それなら、叔母さま、ご心配なさらないで。自分のことはちゃんと気をつけるし、ウイッカムさんのことも用心し
ます。わたしに恋なんかさせませんよ、わたしに止める力があるならばだけど」
「エリザベス、あなた、もうふざけているわね」
「ごめんなさい。もう一度言い直します。いまのところ、わたしはウイッカムさんに恋なんかしていません。ええ、
ほんとうよ。でもね、彼って、いままで会ったひとのなかでも、ほんとうにいちばん感じのいいひとなの。だからも
しわたしをほんとうに好きになったら──いいえ、そうならないほうがいいのよね。それが無分別だということはよく
わかるわ。ああ! それにしてもあのにっくきダーシー! お父さまがわたしを信頼してくださるなんて、こんなに
誇らしいことはないわ。それを裏切ったりしたら、恥ずかしいわね。でもお父さまは、ウイッカムさんがとてもお気
に入りなの。とにかく、わたしのために叔母さまたちを悲しませるようなことがあったら、ほんとうに申しわけあり
ませんものね。でもいまどきの若いひとたちは、恋をすると、たとえおたがいに財産がなくとも、どんどん結婚に突
き進んでいくのよ。わたしだって、その気にさせられれば、ほかのひとたちより賢く振る舞えるかどうか怪しいもの
だわ。そういう気持に逆らうのが果たして賢明なのかどうかわからないな。だから、いま叔母さまにお約束できるの
は、決して焦らないということね。自分が相手のいちばんのお目当てだなんて、早合点しないようにするわ。あのひ
とと会うときも、物欲しそうな顔はしないつもり。とにかく、最善をつくします」
「あのひとが、ちょくちょくここに来ないようにするほうがいいかもしれないわね。まずお母さまに、あのひとを招
待する気を起こさせてはだめよ」
「このあいだは、うっかりやっちゃったけど」とエリザベスは、心得顔に笑った。「そうね、それは慎んだほうが賢
明ね。でも、あのひとはそうしじゅううちに来ているわけじゃないわ。今週、あのひとをたびたび招待したのは、叔
母さまのためなのよ。お客さまにはいつもお相手が必要だというお母さまの思いこみはご存じでしょ。でもこれから
はほんとうに、わたしの名誉にかけても、じゅうぶんな思慮分別をもって行動します。さあ、叔母さま、これでご安
心でしょ」
 叔母は安心したと言った。エリザベスは、いろいろご忠告くださってありがとうと礼を言い、ふたりは別れた。こ
しゅ
の 種 の忠告をして、相手が腹を立てなかったという、これは稀有な例である。
 ミスタ・コリンズは、ガーディナー夫妻とジェインが出立してからまもなくハートフォードシャーに戻ってきた。
だがこのたびはルーカス家に逗留したので、ミセス・ベネットもさほど迷惑はこうむらなかった。結婚もまぢかに迫
り、ミセス・ベネットも、これはもう避けえぬものとようやくあきらめの境地に達し、「おふたりが幸せになるよう
祈っている」と棘のある口調でくりかえした。木曜日が婚礼の日となり、水曜日にミス・シャーロット・ルーカスが
ぶ しつけ
お別れの挨拶にやってきた。挨拶がすんでシャーロットが立ち上がったとき、エリザベスは母親の不承不承の不 躾
な挨拶を恥ずかしく思いながら、自分はひどく心を動かされ、部屋を出ていくシャーロットのあとを追った。いっ
しょに階段を下りながら、シャーロットが言った。
「たびたびお便りちょうだいね、イライザ」
「まかせておいて」
「それからもうひとつお願いがあるの。会いにきてくださる?」
「ハートフォードシャーでちょくちょく会えるじゃないの」
「しばらくはケントを離れられないと思うの。だから、ハンスフォードに来るって約束して」
 あちらを訪ねても楽しいことはあるまいと思ったものの、エリザベスは断れなかった。
「お父さまとマライアが、三月に来ることになっているの」とシャーロットはつけくわえた。「そのときあなたも
いっしょに来てほしいの。ほんとよ、イライザ、父やマライアも歓迎だけど、あなたは大歓迎だわ」
 結婚式が執り行われた。花婿と花嫁は、教会からまっすぐケントに向けて出立し、そのあとは例によって例のごと
く、みながこの結婚を種に話に花を咲かせた。エリザベスはさっそく友の便りを受け取った。文通はこれまでと同じ
ように頻繁に規則正しく続けられた。ただし、いままでのように心おきなく書くことはできなかった。エリザベスは
したた
手紙を 認 めるたびに、あの心やすらぐ親密な関係は終わってしまったのだとしみじみ感じた。手紙のやりとりを減
らさぬよう心がけてはいたけれど、手紙を書くのは、いま現在のためではなく、過去の友情のためだった。だが
シャーロットのはじめの手紙の何通かはおおいに興味をそそられて読んだ。彼女が新しい家庭についてどう書いてく
るだろうか、レディ・キャサリンはお気に召しただろうか、彼女自身がいまはどれほど幸せだと言うだろうか、そう
したもろもろに好奇心をかきたてられずにはいられなかった。だが何通かの手紙を読みおわってみると、シャーロッ
トは、彼女自身があらかじめ予想していたことをそのまま書いているように思われた。生活を快適にするものに囲ま
れている様子が、いかにも楽しそうに書いてあった。彼女自身が褒めようがないことはなにひとつ書かれていなかっ
た。家も家具調度も近隣も道路も、すべてが彼女の好みにかなっていた。レディ・キャサリンはとてもおやさしい気
さくな方らしい。ミスタ・コリンズが大仰に描いてみせたハンスフォードとロージングズ館の姿が、理性の目で和ら
げて書いてあった。このほかのことを知るには、自分があちらを訪ねるよりほかはあるまいと、エリザベスは思っ
た。
 ジェインから、無事ロンドンに着いたという短い便りが届いた。次の便りには、ビングリー家のひとたちの消息が
書いてあるだろうとエリザベスは期待した。
 二通目の手紙をじりじりする思いで待ったが、そうした思いは報われないものと決まっている。その手紙によれば
ジェインは一週間ロンドンにいたのだが、そのあいだキャロラインに会うこともなく、手紙をもらうこともなかった
という。どうやらロングボーンから出したキャロライン宛ての最後の手紙が、なにかの手違いで行方知れずになった
ようだとジェインは考えていた。
『叔母さまは』とジェインは書いている。『あす、ロンドンのあちらのあたりにおでかけになります。私はこの機会
にグロヴナー街をお訪ねするつもりです』
 ジェインは、グロヴナー街を訪れ、ミス・ビングリーに会ったときの様子をふたたび知らせてきた。『キャロライ
ンはお元気そうには見えませんでした。でも私に会えてよかったと、たいそうよろこんで、ロンドンに来るのをなぜ
なじ
知らせてくれなかったのかと 詰 られてしまいました。やっぱり私の思った通りでした。私の最後の手紙が、届かな
かったのです。むろんお兄さまがお元気かどうかお尋ねしました。お元気だそうですが、ダーシーさまとごいっしょ
で、いろいろとお忙しいらしいの、だからほとんど会っていらっしゃらないそうです。ダーシーさまのお妹さまが午
餐にお出でになるということでした。私もお会いしたかったのですが。キャロラインもミセス・ハーストもちょうど
いとま
お出かけになるところだったので、すぐにお 暇 しました。いずれ近いうちにこちらにお出かけくださるでしょう』
 エリザベスは、この手紙を読んでかぶりを振った。これではジェインがロンドンにいることは、偶然でもなけれ
ば、ミスタ・ビングリーの耳に入ることはないだろう。
 四週間経っても、ジェインはまだミスタ・ビングリーに会えなかった。会えなくとも悔やんではいないとジェイン
は自分に言い聞かせていた。だが、ミス・ビングリーの冷たいあしらいには、さすがのジェインも気づかずにはいら
れなかった。叔母の家で日ごと彼女を待ちわびて暮らし、夜になれば来られない理由を彼女にかわって考えるという
二週間が過ぎたところで、ようよう待ちびとがあらわれたが、それもほんの束の間立ち寄っただけ、しかも態度まで
すっかり変わっていたので、ジェインもいつまでも自分を欺いているわけにはいかなくなった。このときの様子を伝
えてきたジェインの手紙には、その気持がよくあらわれている。
『私の愛するリジーは、私がミス・キャロライン・ビングリーのみせかけの好意にまんまと欺かれていたと告白して
も、ほうら、ごらん、やっぱり私の判断は正しかったと胸を張ったりするひとではありませんよね。でも愛する妹
よ、この成り行きは、たしかにあなたが正しかったことを証明しています。でもキャロラインのこれまでの態度を考
えると、私があのひとを信じたのは、あなたがあのひとを疑ったのと同じように当然だった気がします、どうかこん
な私を強情っぱりめと思わないでくださいね。キャロラインが私と親しくしようとした理由は見当もつきませんが、
もしまた同じような情況になれば、私はきっとまた惑わされるでしょう。キャロラインは、昨日になってようやく訪
問のお返しに来ました。それまでのあいだ、短い走り書きの一枚も届けてはくれませんでした。見えたときも、本意
でないことは一目でわかりました。これまで来られなかったことを、形だけちょっと謝っただけで、ぜひまた会いま
しょうとは一言も言わなかったし、以前とはまったく人が変わったようでしたから、あのひとが帰ったあと、もうこ
れでおつきあいは止めようときっぱり決心しました。あのひとを責めずにはいられませんが、でも気の毒に思いま
す。そもそも私をお友だちに選んだのが間違いだったのです。はじめに親しいおつきあいを求めてきたのは、あちら
だったということ、これは間違いありません。でもお気の毒です、だってすまないことをしたと思っていらっしゃる
でしょうから。それもお兄さまの身を案ずるあまり、こういうことになったに違いありませんもの。これ以上くどく
ど説明する必要はないわね。あちらがそんな心配をなさる必要はまったくなかったのは、私たちにはよくわかってい
ますものね。でも、あちらがまだ心配しているとしたら、私に対する振る舞いも容易に納得できます。たいそうお兄
さま思いの妹さんが、なんであれ、お兄さまの身を案ずるのは当然ですし、やさしいお気持のあらわれですものね。
でもまだそんな心配をなさっているのが不思議でたまりません、だってビングリーさまが、私に少しでも関心がおあ
りになるなら、もうずっとずっと前にお会いできているはずです。キャロラインの言葉のはしばしから察すると、ビ
ングリーさまは、私がロンドンにいることはご存じのはずですもの。お兄さまはダーシーさまのお妹さん、ミス・
ダーシーに思いを寄せていると、どうやら彼女自身が信じたがっているような気がします。そこが私には理解できま
せん。あえて厳しい見方をするならば、これには、なにかまやかしがあるような気がしてなりません。でもこんな胸
の痛むような考えはみんな追い払うよう努め、私を幸せにしてくれるもの、あなたの愛情と愛する叔父さまと叔母さ
まのいつに変わらぬご親切だけを考えるよう努めます。どうかすぐにお返事くださいね。キャロラインによると、ビ
ングリーさまはもう二度とネザーフィールドにはお戻りにならず、あのお屋敷は引き払うようなお話ですけれど、確
かなことはわかりません。このことについてはおたがいにもう触れないほうがよいでしょう。ハンスフォードのお友
だちからとても楽しい報せがあったとか、ほんとうによかったですね。サー・ウィリアムとマライアとごいっしょ
に、ぜひあちらをお訪ねなさいね。あちらではきっと楽しく過ごせるはずです。
かしこ』

 この手紙を読んだエリザベスはちょっと心が痛んだものの、ジェインがもう、あの妹に欺かれることはないと思う
と気分が晴れた。その兄に寄せた期待はこれで完全に消えた。会えば愛が甦ると願うことすらもうないだろう。ミス
タ・ビングリーの人格というものも考えれば考えるほどその評価は落ちていった。彼に罰をあたえる意味でも、そし
てジェインに慰めをあたえる意味でも、彼がほんとうにすぐにでもミスタ・ダーシーの妹と結婚すればよいのにと、
エリザベスは心から願った。ウイッカムが言っていたとおりなら、ミス・ダーシーとの結婚は、ミスタ・ビングリー
に、自分が捨てたものの価値の大きさを思い知らせるに違いないからである。
 折しも叔母のミセス・ガーディナーから手紙が届き、ウイッカムに関する約束をあらためて持ち出し、その後の経
過を知らせるように言ってきた。エリザベスは、自分より叔母がよろこびそうな事実を書き送った。ウイッカムがエ
いんぎん
リザベスにはっきりと示していた愛情はいまや冷め、 慇 懃 な心配りもなくなり、目下ほかの女性に熱を上げている。
エリザベスは注意深く観察していたので事実がよく見えたが、さほど苦痛も感じないで叔母にありのままを伝えるこ
とができた。心はちょっぴり傷ついたものの、こちらに財産があれば、自分こそがウイッカムの選ぶ相手だったと信
じることで虚栄心は満たされた。ウイッカムがいま夢中になっている若いご婦人の最大の魅力は、突如転がりこんだ
一万ポンドという遺産だったからである。だがウイッカムに対しては、シャーロットのときと比べると、いささか見
方が甘くなり、経済的な自立を望んだウイッカムを非難する気はなかった。逆に、こうなるのはごく自然なことだと
思われた。自分をあきらめるについて多少の葛藤があったに違いないと思えば、どちらにとっても妥当で賢明な行動
であったとすなおに認める気にもなり、心からウイッカムの幸せを望む気持にもなれた。
 こうした経緯はすべて、ミセス・ガーディナーに伝えられた。そしていまの情況をことこまかに説明したのち、エ
リザベスはさらにこう綴った。

『いまにしてよくわかりますが、叔母さま、私は、それほど深い恋をしていたわけではなかったのです。もしほんと
うに純粋で激しい情熱に身を焦がしていたのなら、いまはあのひとの名前を口にするのもいやでしょうし、あのひと
の身にありとあらゆる災いが降りかかるように祈るでしょう。でも私はあのひとに対してとてもやさしい気持になっ
ていますし、お相手のミス・キングにも温かな気持を感じています。憎しみなどどこにもありませんし、むしろとて
もいいお嬢さんだとさえ思っています。これでは、恋をしていたとは言えません。私の用心深さが効を奏したのです
ね。万が一私がミスタ・ウイッカムに狂おしいほど恋い焦がれていたら、まわりのひとたちにとってはさぞや面白い
じ もく
見ものだったでしょうけれど、別にひとから注目されなくても情けないとは思いません。世間の耳 目 を集めるには、
ときにはとてつもない代償を支払わなくてはならないのかもしれませんね。私よりキティとリディアが、彼の心変わ
う ぶ ぶ おとこ
りに、ひどく胸を痛めています。ふたりともまだ初心なので、若くて美男子でも、醜 男 と同じように、食べていく
ための財産がなければならないという過酷な現実がわかっていないのです』

    27

 ロングボーンの一家には、あれ以来たいした出来事もなく、楽しみといえば、メリトンまで、ときにはぬかるんだ
道を、ときには寒風にさらされて歩いていくのがせいぜいで、こうして一月と二月が過ぎていった。三月にはエリザ
ベスはハンスフォードへ行くことになっている。はじめのうちはさほど本気で考えてはいなかったが、シャーロット
が、この計画を待ちわびているとわかると、エリザベスも次第に胸をときめかせ、ぜひ行ってみたいと思うように
なった。シャーロットがいざいなくなってみると、ふたたび会いたいという気持が強くなり、ミスタ・コリンズに対
する嫌悪は薄らいできた。この計画なら目先が変わっていい、なにしろ母親とつきあいにくい妹たちが相手では、わ
が家も居心地がよいとは言えないし、少し気分を変えてみるのも悪くはない。それに旅の途中でジェインの様子もの
ぞいていける。つまりは出立の時が近づいてくると、もう一刻の猶予も惜しい気分だった。なにもかも順調に進み、
シャーロットの最初の案の通りにすべてが運んだ。エリザベスはサー・ウィリアムとその次女マライアに同行するこ
ととなった。ロンドンで一夜を過ごすという案まで運よくくわわって、計画は期待以上に完璧なものになった。
 ただひとつ苦痛だったのは、父親を残していくことだった。エリザベスがいなくなれば淋しがるに違いない父親
は、いざ出立という段になると、娘とはなれるという事態にどうしてもなじめず、かならず手紙をくれるよう、手紙
にはかならず返事は書くからと、堅く約束までする始末だった。
ねんご
 エリザベスとミスタ・ウイッカムとの別れは、まことに和やかで、ウイッカムのほうがいっそう 懇 ろに名残を惜
しんだ。いまや別の女性にご執心とはいえ、はじめて自分の目にかない、心を惹かれた女性はエリザベスだった。身
の上話にはじめて耳を傾けてくれ同情してくれたのもエリザベス、はじめてあこがれた女性がエリザベスだったこと
は決して忘れられなかった。ウイッカムは別れの挨拶をし、旅の無事を祈ってくれ、レディ・キャサリン・ド・バー
グについていつか言ったことを思い出させてくれ、令夫人やほかのすべてのひとたちに対するふたりの意見はきっと
一致するに違いないと言ってくれたが、そうしたウイッカムの態度にはエリザベスを心底魅了する心遣いと彼女への
関心が感じられた。結婚しようと、独り身であろうと、このひとは自分にとって、いつまでもやさしく魅力的な人物
の見本であろうと彼女は確信しながら別れたのである。
 翌日からはじまった旅の道連れは、ウイッカムの魅力をいささかでも忘れさせてくれるようなひとたちではない。
サー・ウィリアム・ルーカスはもちろんのこと、その令嬢マライアも、陽気な娘だとはいえ、父親同様に頭はからっ
あたい シ ェ イ ズ
ぽ、耳を傾けるに 価 するような話はいっこうになく、さながら二頭立て四輪馬車のがらがらという車輪の音を聞い
ているようだった。エリザベスはばかばかしい話が大好きだが、サー・ウィリアムのばか話はこれまでにもうさんざ
ナ イ ト きょう く
ん聞かされていた。宮廷に伺候して勲爵士の授与式に臨んだ際にいかに 恐 懼したかという話ばかり。馬鹿丁寧な物
腰もそのお話同様うんざりだった。
ひる
 たった四十キロ足らずの旅であり、おまけに早朝に出立したので、 午 ごろにはもうグレイスチャーチ街に到着し
た。ガーディナー叔父の屋敷の玄関に向かうと、ジェインが客間の窓から身を乗り出して馬車の到着を待ちかまえて
いた。玄関を入ると、ジェインはもうそこにいてみんなを出迎えた。その顔を見つめたエリザベスは、ジェインがこ
いとこ
れまでと変わらず美しく血色もよいので安心した。階段の上には、小さな坊やや嬢やたちが集まっている。従姉に会
いたい一心で、客間で迎えるまで待ちきれないのだが、はにかみやさんの上に、十二カ月ぶりで会うものだから、階
下におりてくる勇気もなかったのだ。あたりには喜びと、親切な心遣いが満ちあふれていた。一日がたいそう愉快に
過ぎていった。日中はせわしく歩きまわってお買い物、夜は芝居見物に行った。
 エリザベスは叔母の隣りに席をとった。ジェインが一番の気がかりだった。こまかい質問に答えてくれる叔母の口
から、ジェインはいつも元気に振る舞うように努めてはいたけれど、沈みこんでいるときもあったと聞くと、驚くよ
りも心が痛んだ。そんな状態が長くは続かないようにと願うのは当然だった。ガーディナー叔母はまた、ミス・ビン
グリーがグレイスチャーチ街に訪ねてきたときの様子をつぶさに語り、そのあと何度かジェインと話を交わしたが、
どうやらジェインは本気でミス・ビングリーとの交際をあきらめたようだと言った。
 それからガーディナー叔母は、ウイッカムの心変わりにあったエリザベスをからかい、よく辛抱したわねえと褒め
てやった。
「でもねえ、エリザベス」と叔母はつけくわえた。「ミス・キングっていったいどんなお嬢さんなの? ウイッカム
さんがお金目当てだと思うと、残念だわね」
「まあ、叔母さまったら、お金目当ての結婚と、分別ある結婚と、そこにどんな違いがあるというの? どこまでが
分別で、どこからがお金目当てなの? 去年のクリスマスには、叔母さまは、あのひとがわたしと結婚するのを心配
していらしたわ、そんな結婚は無分別だからって。それなのにいまは、ウイッカムさんがたった一万ポンドの持参金
つきのお嬢さんと結婚するのは、お金目当てだとお考えになりたいのね」
「そのミス・キングがどういうお嬢さんか教えてくれれば、考えようもあるんだけど」
「とても気立てのいいお嬢さんだと思う。悪いところは見当たらないわね」
「でもそのお嬢さんがお祖父さまの遺産を受け継ぐまでは、ウイッカムさんは目もくれなかったんでしょ」
「そうよ──あたりまえでしょ? わたしにお金がないから、あのひとはわたしに愛情を求めてはならないというな
ら、愛してもいない上に、わたしと同じように貧しい女性に言い寄るわけがないわ」
「でも、遺産相続のすぐあとに、そのお嬢さんに言い寄るなんて不謹慎だと思うけど」
「貧しい境遇におかれた男性は、礼節などにこだわっている余裕はないのよ。彼女が嫌がっているわけでもないの
に、なんでわたしたちが異議を唱える必要があって?」
「そのお嬢さんが嫌がっていないからといって、ウイッカムさんの行動が正しいことにはならないのよ。それはその
お嬢さんに何か欠けているものがあるということよ──常識とか感情とか」
「まあ」とエリザベスは大声で言った。「なんとでもおっしゃってくださいな。ウイッカムは欲張りで、あのお嬢さ
んはお馬鹿さんだって」
「そうじゃないのよ、リジーちゃん、わたしはそんなふうには思いたくないの。ダービシャーに長いこと住んでいた
青年を悪く思うのはいやなのよ」
「ああ! そういうことだったら、わたしはダービシャーに住んでいる青年なんかよくは思っていないし、ハート
フォードシャーに住んでいるその親しいお友だちだって、似たようなものだと思うわ。あの連中はみんなむかむかす
るわ。ああ、やれやれね! わたしがあした行くところにも、いいところなんかまるでない、礼儀知らずで常識はず
れの男性がいるのよ。つまりおつきあいできるお相手は、お馬鹿な男ばかりというわけだわ」
「口を慎みなさい、リジー。その言い草は、まるで失恋したお嬢さんみたいだわ」
 芝居が終わって帰途につく前に、エリザベスには思いがけない幸せが舞いこんだ。叔父と叔母がこの夏に計画して
いる楽しい旅にいっしょに行かないかと誘われたのである。
「どこまで行くかまだ決めてはいないのだけれど」とミセス・ガーディナーは言った。「でもたぶん湖水地方までは
行くと思うの」
 エリザベスにとってこれほどうれしい誘いはなかった。だから一も二もなくよろこんで応じた。
「まあ、おやさしい叔母さま」エリザベスは有頂天になって叫んだ。「なんてうれしい。なんて幸せなんでしょう!
 叔母さまのおかげで生き返ったように元気になれるわ。さらば、失望よ、憂鬱よ。湖水地方の岩山に比べたら、男
なんてなんでしょう? わあ! 夢のようなわくわくする時間が過ごせるのね! でもふつうの旅行者とは違って、
なんでも正確に答えられるようにしましょうね。どこへ行ってきたか、ちゃんとわかるように──なにを見てきたか、
ちゃんと思い出せるように。湖や山や川が、頭のなかでごっちゃにならないように。風景の説明をするときには、そ
れがその地方のどのあたりだったかということで言い争ったりしないように。たいていの旅行者がそうだけど、自分
たちの感動を夢中になってまくしたてて、聞き手をうんざりさせることのないようにしましょうね」

    28

 翌日の道中は、見るものすべてがエリザベスには目新しく興味をかきたてられた。気分もうきうきしていた。健康
の不安など吹き飛ばすほど元気そうなジェインに会えたことと、北への旅の期待が、喜びの尽きせぬ源となっていた
からである。
 本街道をはずれて、ハンスフォードに通じる細道に入ると、みなの目が、牧師館を探し、角を曲がるたびに、こん
どこそは見えるものと期待した。ロージングズ館の庭園を囲む柵が道の片側にえんえんと連なっている。エリザベス
は、そこの住人について聞いたことを思い出して笑みを洩らした。
 遂に牧師館が見えてきた。道に向かってなだらかに傾斜している庭、そのなかに立つ家、緑色の木柵、月桂樹を刈
りこんだ生け垣、あらゆるものが、目的地に到着したことを告げていた。ミスタ・コリンズとシャーロットが戸口に
あらわれ、みなが笑顔でうなずきあううちに、馬車は、家に通じる短い砂利道の手前の小さな門の前で停まった。み
なはいっせいに馬車をおりて、再会をよろこびあった。ミセス・コリンズとなったシャーロットは小躍りしながら友
いとこ
人を迎えた。たいそう心のこもった歓迎を受けたエリザベスは、ほんとうに来てよかったと思った。従兄の物腰が、
結婚してもまったく変わっていないのは一目瞭然だった。あの形式ばった礼儀作法は、いままでとまったく変わらな
い。門のところでエリザベスをしばし引き止め、家族ひとりひとりの消息について満足がいくまであれこれ尋ねた。
ミスタ・コリンズは、それから抜かりなく小綺麗な玄関に客の注意を向けさせたのち、一同を家の中に招じ入れた。
ろうおく
みなが客間に入るとすぐに、わが 陋 屋 へようこそお越しくださいましたと、またもや格式張った大仰な挨拶をし、妻
のすすめる茶菓を几帳面にくりかえしすすめた。
 エリザベスは得意満面のミスタ・コリンズに会うだろうと覚悟はしていた。部屋のほどよい広さや、そのたたずま
いや、その家具調度を自慢するときは、わざわざエリザベスに向かって話しかけるので、自分を拒絶したエリザベス
に失ったものの大きさを感じさせてやりたいと願っているのではないかと思わずにはいられなかった。なにもかもが
小綺麗で快適そうに見えるけれど、悔やむ様子を見せてコリンズをよろこばせてやる気にはならない。それよりも、
こんなひとといっしょにいて、これほど機嫌よく振る舞っていられるシャーロットを不思議な思いで眺めていた。ミ
スタ・コリンズが一再ならず、妻にかなり恥ずかしい思いをさせるようなことを言うたびに、エリザベスはシャー
ロットのほうについつい目を向けてしまう。二度ほど、友がかすかに顔を赤らめるのが見えたが、シャーロットはた
いていは聞こえぬふりをしている。食器棚から炉格子にいたるまで部屋にある家具調度をことごとく褒め、旅の話を
し、ロンドンでの出来事など話してしまうと、ミスタ・コリンズが、庭をひとまわりしませんかとみなを誘った。
広々として美しく整えられた庭は、すべて彼自身が手入れしたものだった。庭仕事はコリンズの無上の楽しみのひと
つなのである。外で動きまわるのは健康にいいから、おおいに勧めているのよとすました顔で言うシャーロットにエ
リザベスは感心した。コリンズは縦横にめぐらされた小径を先に立って歩き、みなに褒めてもらいたいくせにその
いとま
暇 はあたえず、風景の美しさなどはそっちのけで、あちらこちらと指さしてはことこまかに説明する。四方にひろ
がる畑の数も言えるし、いちばん遠くにある木立には何本の樹木があるかも知っていた。だがこの庭園にしても、こ
やかた
の地方や国が誇る景観にしても、ロージングズ館の景観には及びもつかない。その 館 は、牧師館のほぼ真向かいに
ある広大な庭園をかこむ木立が途切れるあたりから望むことができた。小高い丘にどっしりと構えた現代風の美しい
建物だった。
 ミスタ・コリンズは、庭園のさらに向こうにある二つの牧草地を案内したい様子だったが、ご婦人方はあいにく、
あたりに残る白い霜柱を踏んで歩けるような靴をはいていなかった。サー・ウィリアムがコリンズのお供をし、
シャーロットは妹やエリザベスに家のなかを案内した。夫の付き添いなしに、自由に家のなかを見せてまわれるのが
よほどうれしいらしい。家はこぢんまりしているが、しっかりした造りで使い勝手もよい。なにもかもが調和のとれ
たすっきりした形で整えられており、これはすべてシャーロットのお手柄だろうとエリザベスは思った。ミスタ・コ
リンズの存在を忘れれば、すべてがまことに心地よく、シャーロットがそれを明らかに楽しんでいる様子を見れば、
コリンズは妻からしばしばその存在を忘れられているに違いないとエリザベスは思った。
 レディ・キャサリンがこの地にまだおられることは、エリザベスもすでに知っていた。夕食の席にはミスタ・コリ
ンズもくわわってふたたびその話が出た。
「はい、ミス・エリザベス、次の日曜日には教会で、レディ・キャサリン・ド・バーグにお目にかかる光栄に浴すこ
とでしょう。あらためて言うまでもなく、よろこんでいただけましょう。それはおやさしく、腰の低い方でいらっ
しゃいますから、礼拝が終わりましたときに、かならずやお目に止まり、お声をかけていただけるでしょう。あなた
いもうと
方が当家に滞在なさるあいだ、ご招待の栄誉を賜るかと思いますが、その際はあなたとわが 義妹 マライアも共にご招
待くださることは間違いありますまい。うちのシャーロットにもそれはよくしてくださいます。週に二度は、ロージ
ングズ館で午餐のお相伴にあずかっておりますが、決して徒歩で家に戻ることはございませんのですよ。奥方さまの
馬車を、わたくしどものためにかならずご用意くださいます。正確に申せば、奥方さまの馬車のうちの一台ですね、
数台お持ちでいらっしゃいますから」
「レディ・キャサリンは、とてもご立派で思慮深い方でいらっしゃるのよ」とシャーロットが口を添える。「それに
とてもご親切なお隣りさんでいらっしゃるわ」

「まったくその通りだねえ、わたくしの言いたいのもまさにそこです。奥方さまはなんと申しましても尊敬措くあた
わざるお方でございますよ」
 その夜は、ハートフォードシャーの噂話でもちきりで、すでに手紙で知らせたことがふたたび話題になった。話も
終わって部屋でひとりになったエリザベスは、シャーロットがどの程度満足しているのかあらためて考えてみた。家
を案内するときのてきぱきとした応対ぶりや、夫の言動に耐えているときの落ち着いた態度を思うと、すべてが順調
にいっていると認めないわけにはいかなかった。そして自分がここに滞在するあいだ、どのように日が過ぎていくの
だろうかということも考えた。平穏な日常の営み、ミスタ・コリンズのわずらわしい闖入、ロージングズ館の賑々し
いお招き。あとは活発な想像力がたちまちこうした思いにけりをつけてくれた。
ひる
 翌日の 午 すぎ、エリザベスが自分の部屋で散歩のための身支度をしていると、階下でふいにあわただしい物音がし
て、家じゅうが大騒ぎしているようだった。耳をすますと、だれかがものすごい勢いで階段を駈け上がりながら大声
で呼ぶ声が聞こえる。扉を開けると、階段の踊り場に立ったマライアが、はあはあ息を弾ませながらこう叫んだ。
「ねえねえ、イライザ! 早く食堂にいらっしゃいな、たいした見ものよ! なんだかは教えてあげない。急いで、
すぐに下りていらっしゃい」
 エリザベスがなにを訊いてもむだだった。マライアがそれ以上はなにも言おうとしないので、好奇心に駆られたエ
フ ェ ー ト ン
リザベスはマライアとともに小径に面した食堂へ駈けこんだ。門の前に、小型の軽四輪馬車が停まっており、馬車に
はふたりの婦人が乗っていた。
「なんだ、あれだけ?」とエリザベスは大声で言った。「豚がぞろぞろお庭に入りこんだのかと思ったのに、レ
ディ・キャサリンとご令嬢だけじゃない!」
「まあ! あなたったら」とマライアは、相手の勘違いに仰天した。「あれはレディ・キャサリンじゃないことよ。
年配のご婦人はお世話係りのミセス・ジェンキンソン、あちらに住み込んでいらっしゃるの。もうひとりのほうがミ
ス・ド・バーグよ。ちゃんと見てごらんなさいよ。なんて小さいんでしょ。あんなにやせっぽちで小さいなんて思い
もしなかったわよねえ!」
「こんなに風がひどいのに、シャーロットを外に立たせておくなんて、ずいぶん失礼じゃない。どうして家の中に入
らないの?」
「ああ! シャーロットの話だと、中にはめったに入らないんですってよ。ミス・ド・バーグが家の中にお入りにな
るなんて、とびきりのご好意なんですって」
よう す
「あのご 容 子は気に入ったわ」とエリザベスは言ったが、ふとほかのことを思いついた。「弱々しくて気難しそう。
そうね、あのお嬢さまならあの方にぴったり。うってつけの奥方になりましてよ」
 ミスタ・コリンズとシャーロットは門のところに立ったまま、ふたりのご婦人と話を交わしている。玄関口に立っ
きょう く
たサー・ウィリアムは目前の高貴なる存在に 恐 懼し、ミス・ド・バーグが彼のほうを見るたびに頭を下げている、
その様子が、エリザベスにはたまらなくおかしかった。
 とうとう話すこともなくなって、ご婦人方の馬車は走り去り、コリンズ夫妻は家に戻ってきた。ミスタ・コリンズ
は、エリザベスとマライアの姿を見るや、ふたりのまたとない幸運を祝し、シャーロットの口から、この家のすべて
のひとたちが翌日ロージングズ館に午餐に招かれたことが告げられた。

    29

パトロネス
 ロージングズ館からご招待を賜ったことで、ミスタ・コリンズの昂揚感も絶頂に達した。己の 庇護者のご威光を、
いんぎん
驚嘆する客人たちに知らしめ、自分たち夫婦に対する庇護者の 慇 懃 なる振る舞いをごらんいただき己の威力を示すの
は、コリンズが願ってやまなかったことであり、その機会がこうも早くあたえられたのは、いくら称賛してもしきれ
ないレディ・キャサリンの謙譲の美徳の賜ものであった。
「正直申し上げますと」とミスタ・コリンズは言った。「奥方さまが、日曜日にロージングズ館でお茶をいただきな
おお
がら一夕を過ごすようにと 仰 せでしたら、これほど驚きはいたしません。奥方さまのおやさしいお心遣いを知ってお
りますわたくしとしましては、いずれはお誘いがあるものと思っておりましたのでね。しかし、このようなご配慮は
だれが予想できましょうか? みなさま方がご到着後すぐに、午餐のご招待とは(しかもみなさま方も含めて全員を
でございますよ)だれが想像いたしますでしょうか!」
「このようなことは、さほど驚きませんな」とサー・ウィリアムが答えた。「高貴な方々のお作法は、わたしも身分
柄よくわきまえておりますのでね。宮廷では、高貴な方々のこのようなご厚意は珍しいことではございませんよ」
 その日一日、そして次の日も、もっぱらロージングズ館ご訪問の話題で賑わった。ミスタ・コリンズはみなにその
心構えなどをくどくどと説き、あちらにはかくかくしかじかの広間があり、召使も大勢、その贅を尽くしたご馳走に
は決して驚かぬようにと念入りな注意をあたえた。
 ご婦人方がお着替えのためそれぞれの部屋に引き上げるとき、コリンズはエリザベスにこう言った。
「お召物のことは心配には及びません。レディ・キャサリンは、ご自身やご令嬢にお似合いになるような優雅なお召
物をわたくしどもにはお求めにはなりません。お手持ちのなかでいちばん上等のものをお召しになればよろしい。そ
れ以上のご心配には及びますまい。レディ・キャサリンは、お召物が質素だからとひとを見下したりはなさいませ
ん。むしろ身分の違いをはっきりさせることをお好みになられます」
 みなが身支度するあいだ、ミスタ・コリンズは、二度も三度もそれぞれの部屋にやってきて、早く早くとせきたて
いと
た。なにしろレディ・キャサリンは、待たされることをたいそうお 厭 いあそばすというのである。奥方さまについて
のこのような恐ろしい指摘の数々、そのごたいそうなお暮らしぶりなどを聞かされて、このようなご社交に不馴れな
おび
マライア・ルーカスはすっかり 怯 えてしまい、ロージングズ館に伺うのを楽しみにしてはいたものの、父親がセン
ト・ジェームズ宮殿に伺候したときにも劣らぬ不安でいっぱいになっていた。
 天気がよかったので、広大な庭園を一キロばかり心地よく歩いた。どこの庭園もそれなりの美しさがあり、それな
りの眺望が開けているものである。エリザベスは、美しい眺めをたっぷり楽しんだものの、さぞや感激するだろうと
いうミスタ・コリンズの期待に応えるほどではなかった。館の前面に並ぶおびただしい窓をミスタ・コリンズが数え
ガラス
あげ、館が建てられた際にそこにはめこまれた硝子にはサー・ルイス・ド・バーグがたいそうな出費をなさったとい
う話をしてくれても、ちょっぴり感心したにすぎない。
 玄関の階段を上るとき、マライアの不安はいよいよ募るばかり、サー・ウィリアムでさえ、まったく平静とは見え
くじ そな
なかった。しかしエリザベスの気力は 挫 けなかった。レディ・キャサリンが、ずばぬけた才能と稀に見る美徳を 具 え
た畏敬すべき人物であるとは聞いていないし、単に財産と地位がもたらす威厳を具えただけの人物であるなら、かく
のぞ
べつ恐れおののくこともなくその場に 臨 めるだろうと思っていた。

 ミスタ・コリンズが夢中になって指し示す洗練された装飾や美しい調和を見せる玄関の間から、一同は召使たちに

導かれて控えの間を通り、レディ・キャサリンとそのご令嬢、そしてミセス・ジェンキンソンが待つ広間へと入って
いった。客を迎えるため令夫人がおもむろに立ち上がられる。ミセス・コリンズはあらかじめ夫と話し合い、みなを
紹介する役は自分が引き受けると決めておいたので、夫ならぜひとも言わねばと思うお詫びやら感謝の言葉などは
いっさい省かれ、型通りの紹介が行われた。
きょう
 サー・ウィリアムは、セント・ジェームズ宮殿に伺候した経験があるにもかかわらず、その壮麗なる雰囲気に 恐

懼し、ただただ深く頭を下げるばかりで無言のまま着席した。その令嬢マライアは、失神せんばかりに脅えきって、
どこを見てよいやらわからず、椅子のはしにおずおずと腰をおろした。エリザベスはこの場の雰囲気に臆することも
なく、眼前の三人のご婦人を冷静に観察することができた。レディ・キャサリンは、長身の大柄な婦人で、彫りの深
いきりりとした顔立ちはさぞや美貌であったろうと思われた。その雰囲気に打ち解けたところはなく、客を迎えたと
きも、客に身分の低さを忘れさせてはくれなかった。無言で相手を威圧するというのではないが、物言いはどこまで
も高飛車、いかにも尊大で、ミスタ・ウイッカムの言葉がすぐに思い出された。この日観察しただけで、ミスタ・ウ
イッカムの言葉通りの人物だと確信した。
おも だ
 レディ・キャサリンをつぶさに観察するとその 面 立ちと立ち居振る舞いが、どこかミスタ・ダーシーに似ているこ
きゃしゃ
とにすぐ気づいたが、令嬢に目を移してみると、たいそう 華 奢 で小柄なその姿には、マライア同様エリザベスも驚い
てしまった。姿も顔も母上に似たところはまったくなかった。顔は青白く病人のようだった。顔立ちは不器量という
きわ
わけではないけれども、とりたてて 際 だったところもない。小声でミセス・ジェンキンソンに話しかけるほかは、ほ
とんど口を開かなかった。ミセス・ジェンキンソンは、ごくごく平凡な様子の人物で、ミス・ド・バーグの言うこと
ついたて
に耳を傾けながら、暖炉の火が目に入らぬようにとミス・ド・バーグの前におかれた 衝 立 の位置を直したりしてい
る。
 腰をおろしてからほんの数分も経たぬうちに、一同、景観を愛でるために窓の一つに案内され、そこでミスタ・コ
リンズが、眺望の美しさをいちいち指さしては教え、レディ・キャサリンからは、この景観を愛でるには夏のほうが
よろしいのですよというご親切なご指摘があった。
 午餐はまことに見事なもので、ミスタ・コリンズが言っていたように、大勢の召使や銀器の数々があらわれた。ま
しょもう テーブル
た同様にミスタ・コリンズの予告通り、彼は、奥方さまのご 所 望 により、本来はご当主がすわるべき 食卓 の下座に
すわり、わが人生にこれほどの至福はなしという顔をしていた。肉を切りわけ、口に入れ、さもうれしげに料理を褒
める。出てくる料理はどれもまずコリンズが褒め、次いでサー・ウィリアムが褒める。このころになるとさすがに
ごんじょう
サー・ウィリアムも気を取り直し、婿どのの言葉をそっくりそのまま 言 上 するものだから、レディ・キャサリンは
よく我慢なさっていらっしゃるものだとエリザベスは感心した。ところが、令夫人はふたりのこの大げさな賛辞にど
うやらご満悦のご様子で、目新しい料理にふたりが嘆声をあげると、なんとも品よく微笑されるのである。食事のあ
いだ、会話はまったくはずまなかった。エリザベスはきっかけがあれば話そうと待ちかまえていたが、席がシャー
ロットとミス・ド・バーグのあいだではその機会もなかった──シャーロットは、レディ・キャサリンの話にじっと耳
を傾けているし、ミス・ド・バーグは、食事のあいだエリザベスにはひとことも話しかけなかった。ミセス・ジェン
キンソンは、ミス・ド・バーグを絶えず見守り、わずかばかりしかお口に入らぬのが心配で、ほかのお料理も召し上
がれとしきりにすすめ、お加減が悪いのではと案じている。マライアは話をするなどとんでもないという様子だし、
殿方たちはせっせと食べては褒めるのに忙しかった。
 客間に戻ったご婦人方は、レディ・キャサリンのお話を伺うほかにすることもなかった。コーヒーが運ばれてくる
まで、令夫人は絶え間なく話しつづけ、なにごとにもきっぱりとした意見を述べられ、察するところ、ふだんからご
自分の判断が論駁されることには慣れていないご様子だった。シャーロットの家庭内のさまざまな問題を次から次へ
と遠慮なく聞き出し、そのひとつひとつをいかに処理すべきか、惜しみなく助言をあたえ、コリンズ家のような小世
か きん
帯では、すべてにわたりいかに引き締めていくべきか説き、飼っている牛や家 禽 の世話の仕方まで教えてくださる。
ひとに指図する機会とあらばこの貴婦人の目はどんな些細なことも見逃さないのだとエリザベスは悟った。ミセス・
コリンズに説教する合間を見ては、マライアとエリザベスにもさまざまなご下問があったが、相手は主にエリザベス
だった。エリザベスの家族のことはよく知らないが、たいそう礼儀正しいきれいなお嬢さまだと、ミセス・コリンズ
に言った。そして折りを見てはエリザベスに向かってこまごまと質問なさる。ご姉妹は何人なの、それはお姉さまな
の、それとも妹さん、ご姉妹のうちにご縁談はあるの、ご姉妹はおきれいかしら、教育はどちらでお受けになった
の、お父さまはどんな馬車をお持ちなの、お母さまの旧姓はなんとおっしゃるの。エリザベスは、なんて失礼な質問
だろうと思いながら、それでも落ち着いてその質問に答えた。するとレディ・キャサリンはこう申された。
「お父上の財産は、コリンズさんが限嗣相続なさるのでしたね。あなたのためには」とシャーロットのほうを向い
て、「よろしかったわね。それにしても、男子の相続人がいない場合、財産は女系が相続できないという理由がわた
くしにはわかりませんね。サー・ルイス・ド・バーグ一門では、それが必要とは考えられませんでしたね。ところで
ピアノやお歌はなさるの、ミス・ベネット?」
「少々は」
「まあ! それでは──いつか聞かせていただきましょうね。わたくしどものピアノは、すばらしいものですよ、おそ
らくそちらとは格段の──いつか弾いてごらんになるといいわ。ご姉妹方もピアノやお歌をなさるの?」
「ひとりだけは」
「なぜみなさんがおやりにならないの? みなさん、お稽古なさらなくてはだめよ。ウェブ家のお嬢さま方はみなさ
んおやりになっているわ、親御さんの収入は、お宅より少ないはずだけど。絵はお描きになるの?」
「いいえ、まるきり」
「まあ、どなたも?」
「だれひとり」
「変わっていらっしゃるのね。きっと機会がなかったのでしょう。お母さまが、毎年春にあなた方をロンドンにお連
れになって、よい先生におつけになればよろしかったのに」
「母は異存はないでしょうが、父がロンドンを嫌いまして」
「家庭教師はもういないのね?」
「家庭教師は雇ったことがございません」
「まあ、家庭教師がいなかったの! よくまあそんなことが? 五人ものお嬢さんを家庭教師もつけずにお宅でお育
てになったなんて! そんなお話、聞いたこともありませんよ。あなた方の教育をなさるのに、お母さまはさだめし
ご苦労なすったでしょう」
 そんなことはございませんときっぱり答えながら、エリザベスはあの母親を思い、苦笑せずにはいられなかった。
「それでは、だれが教えたの? だれがあなた方のお世話をしたの? 家庭教師がいないとなると、きっと放任され
ていたのね」
「よそのご家庭とくらべれば、そうだったかもしれません。でも勉強したい気持があれば、その方法はいろいろとあ
りました。まずふだんから本を読むようにと言われていましたし、どうしても必要な先生には来ていただいておりま
した。でも怠けたい者は、いくらでも怠けられましたけど」
「ああ、そりゃそうね。そうはさせないのが、家庭教師の務めですからね。お母さまを存じ上げていたら、ぜひとも
お雇いなさいとおすすめしたのに。教育というものは、規律正しくやらないと効果があがらないというのが、わたく
しの持論です。それができるのは家庭教師をおいてほかにはいませんよ。どれだけたくさんのご家庭に家庭教師をお
世話したことか、驚くばかりですね。若い方たちによい条件のお仕事をお世話するのはうれしいことね。ミセス・
ジェンキンソンの四人の姪御さんには、それはすばらしい勤め先をご紹介したのよ。先日も、たまたまお話に出た若
い方をあるお宅にご紹介したら、先方にたいそう気に入っていただけたの。ねえ、ミセス・コリンズ、昨日レディ・
メトカーフがわざわざお礼に見えられたのよ、お話ししたかしら? ミス・ポープを宝ものだとおっしゃるの。『レ
ディ・キャサリン』とあの方おっしゃったわ。『あなたはわたくしに宝ものをお授けくださいました』ですって。あ
なたの妹さん方はもう社交界にお出になったの、ミス・ベネット?」
「はい、奥方さま、みなが」
「みなですって! 五人ともお揃いで? それはおかしいわねえ! あなたは二番目なんでしょう。いちばん上が結
婚しないうちに、下の方が出るなんて! 妹さん方は、ずいぶんお若いでしょうに?」
「はい、いちばん末の妹は十六になっておりません。社交界に出るには幼いかもしれませんね。でも妹たちには辛い
ことではないでしょうか、姉が早く結婚する気もなく、結婚の見込みもないからといって、妹たちに社交界の楽しみ
を味わってはならぬというのは。末の妹にも、長姉と同じように、若さを楽しむ権利はあると思います。そんな理由
で社交界に出られないなんておかしいですわ! そんなことでは姉妹同士の愛情や細やかな心遣いも生まれてはこな
いと思います」
「これはこれは」と令夫人は申された。「お若いのに、はっきりとものをおっしゃること。あなた、お歳は?」
「大きくなった妹が三人おりますので」とエリザベスは微笑みながら言った。「まさかわたくしの口から申し上げる
とはお思いになりませんでしょう」
 レディ・キャサリンは、返事を拒まれて呆気にとられたようだった。ひとを見下した令夫人の態度を、このように
軽くあしらった人間は自分がはじめてではないかとエリザベスは思った。
「二十を超えてはいませんね──それなら隠すことはないでしょう」
「二十一にはなっておりません」
 紳士方が一座にくわわり、お茶を飲みおわると、カード・テーブルが持ち出された。レディ・キャサリン、サー・
ウィリアム、そしてコリンズ夫妻がテーブルを囲んでカドリールをはじめた。ミス・ド・バーグがカシーノをやりた
いと言うので、エリザベスとマライアは、ミセス・ジェンキンソンとともにそのお相手をする光栄に浴した。この
テーブルは退屈きわまりなかった。ゲームに関わる言葉のほかは一言も発せられなかった。ミセス・ジェンキンソン
が、お暑くはございませんか、お寒くはございませんか、明るすぎはしませんか、暗すぎはしませんかなどとミス・
ド・バーグに心配そうに尋ねるのがせいぜいだった。もう一方のテーブルは、たいそう賑やかなことだった。レ
ディ・キャサリンがもっぱら話をしている──お相手の三人の間違いを指摘したり、ご自身にまつわる挿話など話して
おお ひょう
おられる。ミスタ・コリンズは、奥方さまの 仰 せにはことごとく賛意を 表 し、チップを勝ちとるたびに御礼を申し
上げ、自分が勝ちすぎたと思うと恐懼してお詫びを申し上げる。サー・ウィリアムはあまり口をきかなかった。レ
ディ・キャサリンが話してくださった挿話の数々と高貴な方々のお名前とをせっせと記憶に蓄えていたのである。
 レディ・キャサリンとご令嬢がじゅうぶん堪能あそばされると、カード・ゲームはお開きとなり、馬車を出しま
しょうとミセス・コリンズに仰せがあり、お申し出をありがたく受けると、ただちに馬車の用意が命じられた。それ
から一同は、暖炉を囲むように集まって、明日の天気模様を決めるレディ・キャサリンのお言葉を拝聴した。こうし
うけたまわ コ ー チ
たお指図を 承 っているうちに、大型四輪馬車の到着が告げられ、ミスタ・コリンズからは感謝の辞が存分に述べ
られ、サー・ウィリアムはいくたびも深々と腰を折り、かくして一同は退出したのである。馬車が走り出すやいな
や、エリザベスは従兄から声をかけられ、ロージングズ館で見聞きしたものについて感想を求められたが、シャー
ロットのために、エリザベスは、じっさいに得た感想よりやや好意的な感想を述べた。だがせっかく苦労して褒めた
つもりなのに、ミスタ・コリンズはいっこうに満足せず、令夫人礼賛をすぐさま一手に引き受けたのである。

    30


 サー・ウィリアムがハンスフォードに滞在したのはわずか一週間であった。それでも、わが娘がきわめて安楽な生
活を送り、なかなか得がたい夫君や隣人に恵まれていることを確信するにはじゅうぶんであった。サー・ウィリアム
ギ グ
の滞在中、ミスタ・コリンズは、ほとんど一日じゅう自分の一頭立て二輪馬車に義父を乗せて、この土地を見せてま
いとこ
わった。だがサー・ウィリアムが帰ってしまうと、一家はまたふだんの生活に戻り、お陰で、従兄ともこれまでのよ
うにたびたび顔を合わせずにすむようになったのが、エリザベスにはなによりだった。ミスタ・コリンズは朝食と午
餐のあいだは、庭仕事をするか、道に面した自分の書斎で読書や書き物をしたり、窓の外を眺めたりしていた。女性
たちが陣取っている部屋は家の裏手に面している。シャーロットが食事室を居間として使わないのが、エリザベスに
は不思議だった。そちらのほうがほどよい広さだし、眺めもよかった。だがシャーロットが奥の部屋を使うのには深
い理由があることにエリザベスはすぐ気づいた。もし自分たちが居心地のよい部屋に陣取っていたら、ミスタ・コリ
ンズが居室に籠もることははるかに少なくなるのは間違いない。この読みはシャーロットのお手柄だと、エリザベス
は思った。
 家の裏手にあたる奥の客間からは、小道を行き来するものはなにも見えないので、どちらの馬車が通ったか、こと
フ ェ ー ト ン
にミス・ド・バーグの小型の軽四輪馬車が何度通ったかというようなことがわかるのは、すべてミスタ・コリンズの
おかげだった。馬車はほとんど毎日のように通るのに、ミスタ・コリンズはそのたびにご注進にやってくる。ミス・
ド・バーグは、牧師館の前でよく馬車を停めたが、シャーロットと数分のあいだ話をするばかりで、馬車をお下りに
なりませんかという誘いに応じることはめったになかった。
 ミスタ・コリンズがロージングズ館を訪れない日はまずなかったし、彼の妻が、夫に同伴するのが義務と思わない
日はまずなかった。なぜそれほど多くの時間を犠牲にするのかエリザベスにはわからなかったが、レディ・キャサリ
ンが自由に裁量できる聖職禄がほかにもあるらしいことを思い出して納得した。ときおり令夫人じきじきのご光来に
浴することもあるが、そうした折りには、令夫人の目は部屋のすみずみにいたるまで配られた。夫妻の暮らしぶりを
調べ、針仕事の出来ばえをごらんになり、こうしたほうがよいのではないかという助言があたえられた。家具の配置
の仕方がまずいと指摘され、女中の怠慢を見つけ出される。また軽い食事に応じられることがあっても、どうやらそ
あぶ
れは、ミセス・コリンズが用意した骨つきの 炙 り肉が、この家にしては大きすぎることをご指摘なさるためのようで
あった。
 エリザベスがほどなく気づいたのは、この身分の貴い令夫人は、州の治安判事を拝命しているわけではないのに、
自分の教区ではたいそう活動的な治安判事であらせられ、教区内の出来事は細大漏らさずミスタ・コリンズによって
令夫人のもとに持ちこまれていることだった。喧嘩ばかりしている村人や不満をもつ村人、貧乏のどん底にある村人
がいると聞くと、レディ・キャサリンはわざわざ村までお出ましになり、争いを解決し、不満を鎮め、叱りつけて、
村に融和と繁栄をもたらすのである。
 ロージングズ館のお招きは、週に二度ほどあった。サー・ウィリアムがいないことと、カード・テーブルがひとつ
になったことを除けば、こうしたお招きも最初のときとまったく変わらなかった。他家からのお招きはほとんどな
かった。近隣の住人の生活水準は総じて、コリンズ家には手の届かぬものだったからである。だがそのおかげでエリ
ザベスは、不満どころか、むしろ快適な時間を過ごすことができた。シャーロットと水いらずで半時間ほど楽しいお
喋りもできるし、この時期にしては天候もよかったので、戸外の散策がじゅうぶん楽しめた。コリンズ夫妻がレ
ディ・キャサリンのもとに伺候しているあいだ、たびたび行ったのは、ロージングズ館の庭園の脇を縁取っている小
さな森で、そこには木立におおわれたすばらしい小径があり、ここがお気に入りなのはどうやらエリザベスぐらいの
せんさく
ものらしく、レディ・キャサリンの 穿 鑿 のまなこもここまでは及ばないように思われた。
 このような静穏な日々のうちに、最初の二週間はまたたくまに過ぎた。復活祭が近づき、その前の週には、ロージ
ングズ館のお身内がくわわることになっており、他家とのおつきあいの少ないド・バーグ家ではこれも大きな出来事
に違いなかった。ミスタ・ダーシーが数週間後にここにやってくるということは、ここに着いてまもなくエリザベス
の耳にも入っていた。エリザベスの知己のなかでも好きになれないひとはそう多くはないが、ともあれ彼があらわれ
れば、ロージングズ館の集まりに、かなり新鮮な観察の対象がくわわるというものだし、レディ・キャサリンのご意
いとこ
向で結ばれることになっている従妹ミス・ド・バーグにダーシーが接する様子を見れば、ミス・ビングリーのダー
シーお目当てのもくろみがいかに空しいものかよくわかるという楽しみもあるかもしれない。レディ・キャサリン
は、しごく上機嫌でダーシーの来訪について語り、その人柄を褒めたたえたが、ダーシーがすでにミス・ルーカスと
もエリザベスともしばしば会っていたと知ると、たいそう不機嫌なご様子だった。
 ミスタ・ダーシーの到着は、牧師館にもすぐに知れた。なにしろミスタ・コリンズは、その到着を真っ先に確認す
るべく、ハンスフォード・レインに通じる門番小屋が見えるあたりを朝からずっと歩きまわっていたのである。馬車
ふかぶか
がロージングズ館の庭園に入っていくのを見るや 深 々 と一礼し、それからこの重大な知らせをいちはやく届けようと
わが家へ駈けもどった。翌朝コリンズははやばやとロージングズ館に伺候した。そこにはご挨拶しなければならない
おい ご ぼう
レディ・キャサリンのふたりの 甥 御がおられた。ミスタ・ダーシーは、叔父である 某 伯爵の次男であるフィッツウィ
リアム大佐を伴ってきたのである。ミスタ・コリンズが、このふたりの紳士をお連れして帰ってきたものだから、コ
リンズ家の一同はたいそう驚いた。夫の書斎にいたシャーロットは、そのふたりが道を横切ってくるのを見るなり、
みなのいる部屋に走っていき、なんとまあ光栄なことだわと告げて、こうつけくわえた。
「あなたにお礼を言うべきかもしれないわね、イライザ、さっそくご訪問いただいたなんて。あなたがいなければ、
ダーシーさまがこんなに早くご挨拶にお見えになるはずはないもの」
しりぞ ま
 エリザベスがこんな賛辞を 斥 ける間もないうちに、玄関の鈴がふたりの到着を告げ、ほどなく三人の紳士が部屋
に入ってきた。先に立ってあらわれたのはフィッツウィリアム大佐、歳のころは三十、美男子ではないが、風采とい
い話しぶりといい、まさしく紳士である。ミスタ・ダーシーは、ハートフォードシャーで見たときと変わらない。い
つもどおりの控え目な口調でミセス・コリンズに挨拶をした。エリザベスをどう思っているかは測りかねたが、落ち
着きはらった態度で一礼した。エリザベスは無言のまま、膝を折って会釈しただけである。
 フィッツウィリアム大佐は礼儀正しい紳士だが、とても気さくに打ち解けて話をはじめ、楽しそうにみなと話し
いとこ
た。だが彼の従弟は、この家と庭についてミセス・コリンズに少しばかり感想を述べたあとは、腰をおろしたまま、
しばらくだれにも話しかけなかった。しばらくすると、自分の無作法に気づいたのか、家族のみなさんはお元気です
かとエリザベスに問いかけた。エリザベスはふだんの調子でそれに答え、ちょっと黙りこんでからこうつけくわえ
た。
「姉がここ三カ月ほどロンドンに滞在しておりますの。あちらでお会いにはなりませんでしたか?」
 会っていないことはじゅうぶん承知していたものの、彼がビングリーとジェインのその後の成り行きを知っていれ
おもて
ば、それが 面 にあらわれるのではないかと期待したのである。ミス・ベネットには運悪く一度もお会いしませんで
け しき
したよ、と答えた相手が、ちょっと狼狽の気 色 を見せたように思われた。だがこの話はそれでとぎれ、ふたりの紳士
はまもなく帰っていった。
    31

 フィッツウィリアム大佐の物腰は、牧師館のひとびとの称賛を浴び、ご婦人方はだれしも、この方がいればロージ
ングズ館のご招待もさだめし楽しいものになろうと期待した。とはいうもののお招きを受けたのは数日後だった。
やかた
館 に客人がいれば、牧師館のひとびとは無用なのだろう。紳士方の到着後ほぼ一週間経った復活祭の祝日にようや
くお招きがあったが、それも教会を出るまぎわに、今夕来るようにとお声がかかった。この一週間というもの、牧師
館の者たちはレディ・キャサリンにもご令嬢にもほとんど会っていなかった。フィッツウィリアム大佐は、そのあい
だ二度ほど牧師館を訪れているが、ミスタ・ダーシーとは教会で会っただけだった。
 ご招待はむろんよろこんでお受けし、しかるべき時刻に参上してレディ・キャサリンの客間にいる一座にくわわっ
た。令夫人は丁重に一同を迎えたものの、客人がいないときほど歓迎されていないのは明らかだった。じっさいふた
りの甥御にほとんど心を奪われておいでのご様子で、だれよりもこのふたり、ことにダーシーともっぱら話をされて
いた。
 フィッツウィリアム大佐は、エリザベスたちに会えたことを心からよろこんでいるようだった。ロージングズ館で
は、なにもかもが大佐にはうれしい息抜きで、とりわけミセス・コリンズの美しい友人エリザベスがたいそうお気に
入りの様子だった。エリザベスの隣りにすわりこんで、ケントやハートフォードシャーのこと、旅の話、日常の暮ら
しの話、新しい書物や音楽の話など、楽しそうに語りつづける。この客間で、この半分も楽しいことはこれまでな
かったようにエリザベスには思われた。ふたりが熱っぽく語り合うさまが、ミスタ・ダーシーばかりか、レディ・
キャサリンの目も惹いた。好奇心を浮かべたダーシーの目がたびたびふたりに注がれた。しばらくすると令夫人も好
奇心をおぼえたご様子で、ダーシーよりはあからさまにそれを示された。躊躇せず声を張り上げてこう申されたので
ある。
「あなた、いま、なんてお言いなの、フィッツウィリアム? なんのお話をしているの? ミス・ベネットとなんの
お話? わたくしにも聞かせてちょうだい」
「音楽の話をしているのですよ、叔母さま」答えぬわけにはいかぬと観念したフィッツウィリアムが言った。
「まあ、音楽のお話なの! それならもっと大きな声で話してちょうだい。わたくしのなによりも好きな話題ですも
の。音楽のお話なら、このわたくしをお仲間に入れなければだめよ。このイギリスにも、わたくしほど心から音楽を
そな
楽しむ人間はそういないし、天性の鑑賞力を 具 えた人間もいないでしょう。もっと精進していれば、このわたくしも
名手になっていたはずですもの。それにうちのアンだって、健康であれば名手になっていたでしょうし、きっとすば
らしい演奏を聞かせてくれたはずよ。ところでジョージアナは上達したかしら、ダーシー?」
 ミスタ・ダーシーは、妹の上達ぶりを、さもいとおしそうに褒めたたえた。
「それほど上達したとは、うれしいこと」とレディ・キャサリンは申された。「あの子にぜひこう伝えてちょうだ
い、お稽古に励まなければ、ひとに抜きんでることはできませんって」
「ご心配なく、叔母上」とダーシーは答えた。「妹にそのような助言は必要ないでしょう。稽古はしっかりしていま
すから」
ふみ
「それはけっこうなこと。なにごともやりすぎるということはありませんからね。こんど 文 を送るときは、決して怠
けてはいけないと書いてやりましょう。若いお嬢さま方によく言うのだけれど、不断の稽古なくしては、優れた才能
も伸びませんよ。ミス・ベネットにも何度も言っているのだけれど、もっとお稽古しなければ、決して上達はしませ
んよ。ミセス・コリンズはピアノをお持ちでないけれど、毎日でもここにお通いなさいといつも言っているの、ミセ
ス・ジェンキンソンの部屋にあるピアノならいくら弾いてもかまわないから。屋敷のあのあたりなら、だれの邪魔に
もなりませんからね」
ぶ しつけ へきえき
 ミスタ・ダーシーは、叔母の不 躾 な言葉にいささか 辟 易 しているらしく、答えようとはしなかった。
 コーヒーを飲みおわると、フィッツウィリアム大佐がエリザベスに、ピアノを弾いていただくお約束でしたねと
言った。エリザベスはさっさとピアノの前にすわった。フィッツウィリアム大佐はそのかたわらに椅子を引きよせ
た。レディ・キャサリンは歌の半ばまで聞くと、またしてもダーシーのほうに話しかけた。しばらくするとダーシー
は叔母の前をはなれ、ふだんのようにゆっくりとピアノのほうに近づき、美しい演奏者の顔がよく見える位置に腰を
おろした。エリザベスには彼の動きがよく見えたので、曲の区切りのいいところがくると、いたずらっぽい笑みを浮
かべてダーシーのほうを向いた。
「わたくしを怖がらせるおつもりですのね、ダーシーさま、そんなふうにもったいぶっていらっしゃるなんて。で
た ち
も、お妹さまがいくらお上手でも、わたくしはいっこうに平気です。もともと意地っ張りな性質なので、ひとさまに
脅かされるなんて我慢なりません。威嚇なさればなさるほど、勇気が凜々とわいてきますわ」
「それはあなたの思い違いだとは言いませんよ」とダーシーは答えた。「ぼくがあなたを脅かそうとしていると、あ
なたが思っているはずはありませんからね。あなたと親しくおつきあいしているうちにわかったことがあるんです。
あなたは心にもないことを口にしては楽しんでいますね」
 自分のことをこんなふうに言われたエリザベスは思わず笑いだし、フィッツウィリアム大佐に向かってこう言っ
いとこ
た。「お従弟さまは、こんなひどいことをおっしゃって、わたくしの言うことはなにも信じるなとあなたに教えてい
ほんしょう
らっしゃいますわ。わたくしの 本 性 をこれほどはっきり暴いてしまう方とこんなところでお会いするなんて、よほ
ど運がありませんわね。だってここでは、まあまあ信用できる人物になりすまそうと思っていましたのに。ねえ、
ダーシーさま、ハートフォードシャーで気づかれたわたくしの欠点を話しておしまいになるなんて、ほんとうにひど
い方──でも言わせていただきますけれど、これは得策ではありませんわね──なぜって、わたくし、だんぜん仕返し
しようという気になって、ご親戚の方たちがお聞きになったらたまげるようなこと、お話ししてしまうかもしれませ
んわよ」
「怖くはありませんよ」ダーシーは笑顔で言った。
「彼がどんなことで責められているのかぜひとも聞きたいものですね」とフィッツウィリアム大佐が大声で言った。
「知らないひとのあいだで、この男がどんなふうに振る舞うのか、ぜひ知りたいものだ」
「それではお話ししますわ──でもとても恐ろしいことですから、お覚悟なさってくださいね。ハートフォードシャー
ではじめてお会いしたのは、ご存じでしょうけれど、舞踏会でしたわ──その舞踏会で、この方がなにをなさったとお
思いになります? たった四度しか踊られませんでした! こんなことを申し上げてごめんなさい──でもほんとうな
んです。この方は四度しか踊られませんでした、殿方の数が不足していたのに。わたくしの見たところでも、何人も
の若いご婦人がお相手がいなくてすわったままでした。ダーシーさま、このことは否定なさいませんでしょ?」
「あのときあそこに集まっていたご婦人のなかに、ぼくの連れのほかは、面識のあるご婦人がひとりもいませんでし
たからね」
「そうですわねえ。舞踏場では、どなたも紹介してはいただけませんものねえ。ええと、フィッツウィリアム大佐、
つぎはなにを弾きましょうか? 指がお指図を待っております」
「たぶん」とダーシーが言った。「紹介していただいていれば、ぼくの考えも変わっていたかもしれませんね。知ら
ぬひとにこちらからお近づきになるのはどうも不得手です」
「お従弟さまにその理由をお尋ねしませんこと?」とエリザベスはまたもや、フィッツウィリアム大佐に向かって話
しかけた。「思慮深く教養もある殿方が、上流社会にいらっしゃる殿方が、知らないひとにこちらからお近づきにな
るのは不得手だなどとなぜおっしゃるのでしょう?」
「その質問なら」とフィッツウィリアム大佐は言った。「彼に訊かずともぼくに答えられる。彼はそういう面倒なこ
とはしたがらない男です」
「ぼくにある種の能力が欠けているのはたしかですよ」とダーシーが言った。「面識のないひとと気軽に話をすると
いう能力がね。相手の話に調子を合わせることができないし、相手の関心に興味があるようなふりもできない。そん
なふりをしている連中をよく見かけますが」
「わたくしの指は、たいていのご婦人のように、初対面のこの楽器の上では上手に動きませんの」とエリザベスは
言った。「ふだんのような力強さも速さもありませんし、表現力も乏しいし。でもこれは自分の怠慢のせいだと思っ
ています──だってふだんから面倒なお稽古はしませんもの。自分の指が、ほかのお上手な方の指のように動かないと
は思っていませんわ」
 ダーシーは微笑した。「まったくあなたの言うとおりですね。あなたはぼくより時間の使い方が上手というわけ
だ。あなたの演奏を聞く光栄に浴した者は、あなたの演奏に不足があるとはだれも思わないでしょう。要はふたりと
も、はじめてのものは苦手ということですね」
 ここで、レディ・キャサリンの邪魔が入った。いったいなんのお話をしているのとお声がかかったのである。エリ
ザベスはすぐにまたピアノを弾きはじめた。レディ・キャサリンは近づいてきて、ほんのしばらく耳を傾けてから、
ダーシーに言った。
「ミス・ベネットは、ロンドンの先生についてもっとお稽古なされば、それなりに弾けるようになるわ。指の運びは
とてもお上手、ただ感性となると、うちのアンにはかなわないわね。アンも体の具合さえよければ、もっとお稽古が
できて、すばらしい演奏ができるのに」
 エリザベスは、従妹に対するこの賛辞にダーシーが心から同意するかどうか、その顔をじっと見つめていた。だが
そのときも、そのあとにも、ダーシーの顔に恋の兆しらしきものは認められなかった。そしてミス・ド・バーグに対
するダーシーのこうした振る舞いから推して、これはミス・ビングリーを力づけることになりかねないとエリザベス
は思った。もし兄がミス・ダーシーと結婚して、ダーシーと親戚ということになれば、ダーシーがミス・ビングリー
とほんとうに結婚することもありうるのだ。
 レディ・キャサリンは、エリザベスの演奏についてなおも意見を述べ、その演奏ぶりや感性についてあれこれとご
うけたまわ
教示を賜った。エリザベスは失礼にならぬよう慎んで 承 っていた。みなを家まで送りとどけるために令夫人の四
輪馬車の用意ができるまで、紳士方に望まれてエリザベスはピアノの前にすわっていた。

    32

 翌朝、ミセス・コリンズとマライアが用事で村へ出かけているあいだ、エリザベスはひとり部屋に残ってジェイン
に手紙を書いていたが、来客を告げる玄関の鈴の音がして、はっとした。馬車の音は聞こえなかったものの、レ
ディ・キャサリンかもしれないと思い、お節介な質問を浴びせられてはかなわないと、書きかけの手紙をあわてて片
づけていると、部屋の扉がふいに開き、なんと驚いたことにミスタ・ダーシーが、しかもたったひとりで部屋に入っ
てきたのである。
 彼もエリザベスがひとりでいるのを見てびっくりした様子で、みなさんご在宅だと聞いたのでと弁解し、非礼を詫
びた。
 それからふたりは腰をおろし、エリザベスがロージングズ館の方々のご様子を伺ったあとは、そのまま双方が沈黙
さら しょう び
におちこむ危険に 晒 されそうだった。なんとか話題を見つけるのが 焦 眉の急となったが、さいわい、この前ハート
フォードシャーでダーシーに会ったときのことを思い出し、あのあとあわただしく屋敷を引き払った経緯について、
彼がなんと言うかぜひとも聞いてやろうと思った。
「昨年の十一月には、ほんとうにとつぜんネザーフィールドを引き払っておしまいになりましたわね、ダーシーさ
ま! みなさんがあんなに早くあとを追っていらしたから、先にお発ちになったビングリーさまはさぞやびっくりな
さったりよろこばれたりしたんじゃないかしら。わたくしの記憶が正しければ、ビングリーさまは、たしかほんの前
日にご出発なさったばかりでしたものね。このたびロンドンをお発ちのときは、ビングリーさまも妹さん方もお元気
でいらっしゃいましたか」
「たいそう元気です──おかげさまで」

 それ以上の答えはもらえないらしいことが、エリザベスにもわかった──だからちょっと間をおいてから、こうつけ
くわえた。
「ビングリーさまはもうネザーフィールドにお戻りになるお考えはないのですね?」
「そういう話は聞いておりませんが、さきざきあそこで過ごす時間はずっと少なくなるかもしれませんね。ロンドン
には友人も大勢いますし、友人もつきあいもどんどん増えていく時期ですから」

「ネザーフィールドにお出でになるおつもりがあまりないのでしたら、あそこは引き払われるのが、近隣の者にはあ
りがたいかもしれません、そうすればあそこにずっと落ち着かれるご家族に住んでいただけますもの。でもビング
リーさまは近隣の者のためというより、ご自分のためにあのお屋敷をお借りになったんですものね。そのままお持ち
になるか、引き払われるかは、あの方のご自由ですわね」
「他にいい物件があれば、あそこはすぐにでも引き払うと彼が言っても、別に驚きませんね」
 エリザベスは返事をしなかった。ミスタ・ビングリーについてこれ以上話し合うのが不安になったのだ。ほかに話
ゆだ
すことがなくなったので、話題を見つける面倒はダーシーに 委 ねることにした。
 ダーシーはそれを察すると、すぐに話し出した。「こちらはたいそう居心地のよいお住まいですね。コリンズ氏が
ハンスフォードに赴任するにあたって、レディ・キャサリンが、だいぶ手を入れたんでしょう」
「そうだと思います。令夫人からお心遣いを賜る相手としては、あれほどありがたがるひとはいないと思いますわ」
「コリンズ氏は、よい奥方に恵まれたようですね」
「ええ、たしかに。コリンズさんのお友達はきっとよろこんでいますわよ。彼を引き受けようというそりゃ奇特な女
性にめぐりあったんですもの、しかも引き受けたばかりか幸せにしてあげたんですもの。わたくしのお友達はたいそ
う賢いひとですの──でもコリンズさんと結婚したことがもっとも賢い選択だったかどうかは、確信がありませんわ。
でもいまのところはとても幸せそうですし、ようく考えてみると、とてもよい縁組だったのかもしれません」
「ご家族やご友人と楽に行き来できるところに落ち着かれたのはよかったでしょうね」
「ここが楽に行き来できるところだっておっしゃるんですか? 八十キロもありますわよ」
「よい道であれば八十キロぐらい問題ないでしょう? ほんの半日かそこらの旅ですもの。ええ、ぼくなら、楽に行
き来できると言いますね」
「その距離が結婚の利点のひとつになるなんて考えたこともありません」とエリザベスは大声を上げた。「ミセス・
とつ
コリンズの 嫁 ぎ先が、実家に近いなんて、わたくしならぜったい言いません」
「それはあなたがハートフォードシャーに愛着がある証拠ですよ。ロングボーンから少しでも離れたら、どこでも遠
くに見えるんでしょう」
 話しているダーシーの顔に笑みのようなものが浮かんだが、その笑みの意味がエリザベスにはわかるような気がし
た。おそらくジェインとネザーフィールドのことを考えていると思ったのだろう、彼女は顔を赤らめてこう答えた。
「女は実家から近いところに嫁ぐほうがいいと言っているんじゃありません。遠いとか近いとかいうのは相対的なも
ので、ひとそれぞれの事情に左右されるものですから。旅の費用など心配せずにすむほどの財産があれば、距離など
さわ
なんの 障 りにもなりません。でもこの家の場合はそうじゃありませんわ。コリンズ夫妻にはかなりの収入があります
けれど、しじゅう旅ができるほどの余裕はありません──わたくしの友人は、いまの半分より短い距離でも、実家が近
いとは言わないと思います」
 ミスタ・ダーシーは、エリザベスのほうに椅子を少し引きよせた。「あなたは、生まれた土地にいつまでも執着す
るわけにはいきませんよ。あなただって、いつまでもロングボーンにいられるわけじゃありませんもの」
 その言葉にエリザベスは驚いたような顔をした。ミスタ・ダーシーはその場の空気が変わったことに気づいた。椅
子をうしろにずらせ、テーブルから新聞を取り上げ、ちらりと目を走らせ、前より冷静にこう言った。
「ケントはお気に召しましたか?」
 それからこの土地について短いやりとりがあったが、どちらも冷静で素気なかった──そこへ外出から戻ったシャー
ロットとマライアが入ってきたので、話はそこで終わった。さしむかいで話していたふたりを見て、シャーロットた
ちは驚いた。ミスタ・ダーシーは、うっかりミス・ベネットのお邪魔をしてしまったと弁解し、さらに数分ほどす
わっていたが、だれにもあまり口をきかぬまま帰っていった。
「これはいったいどういうことでしょう!」ダーシーが帰るとすぐにシャーロットが言った。「ねえ、イライザ、あ
の方、きっとあなたに恋をしていらっしゃるのよ。さもなければ、こんなふうに親しく訪ねていらっしゃるはずがな
いわ」
 でも彼はほとんど黙りこんでいたわよとエリザベスが言ったので、シャーロットの期待も空しく、やはりそうでは

ないだろうという結論になった。あれやこれやみんなで推測したあげく、きっとなにもすることがないからお出でに
なったのだろう、いまの季節を考えるとその可能性が高いということになった。狩猟を楽しむ季節はもう終わってい
やかた
た。 館 の内にはレディ・キャサリンがおられ、書物とビリヤード台はあっても、紳士方はそうそう屋内にひきこ
もっていられるものではない。牧師館が近くにあり、そこまでの散策は快適だし、そこの住人もなかなか楽しいひと
い と こ
たちとあって、ふたりの従兄弟は散歩に出れば、ほとんど毎日のようについこちらに足が向いた。日中のさまざまな
時間に、あるときはひとりで、あるときは連れ立って、またあるときは叔母上のお供をしてやってきた。フィッツ
ウィリアム大佐が、ここの住人たちとのつきあいを楽しみにしているのは、だれの目にも明らかで、そのために彼の
人気はいっそう高まった。エリザベスは、フィッツウィリアムといっしょにいるときの満たされた思いに気づくと
き、自分に寄せられる賛辞を聞かされるとき、かつてのお気に入りであったジョージ・ウイッカムをいつも思い出し
ていた。もっともふたりをくらべると、フィッツウィリアム大佐の物腰にはウイッカムのようにひとの心を魅了する
やさしさこそなかったが、大佐がたいそう博識であることは疑いなかった。
 だがなぜミスタ・ダーシーがこれほどしげしげ牧師館を訪れるのか、だれしもが理解に苦しんだ。住人とのつきあ
いを楽しむためとは思われない、十分間、一言も口をきかず、ただすわっていることもしばしばである。口を開くと
きは、話したいから話すのではなく、必要に迫られて話をする──楽しいからではなく、礼儀上やむをえぬから口を開
くのである。いきいきとした表情はめったに見られない。シャーロットは、ダーシーのことをどう考えればよいのか
わからなかった。フィッツウィリアム大佐がときどき、ぼんやりしているダーシーをからかうのは、ふだんとは様子
が違っているという証拠だが、ダーシーのことをよく知らないシャーロットにはどう違っているのかわからない。彼
わざ
の変わりようを恋のなせる 業 だと、その恋の相手はエリザベスだとどうしても思いたいシャーロットは、それをはっ
きりさせることに真剣に取り組む決心をした。ロージングズ館に伺ったときも、ハンスフォードをダーシーが訪れた
ときも、いつもじっと観察したが、その努力はたいして報われなかった。たしかにミスタ・ダーシーはエリザベスを
しじゅう見てはいるのだが、その目に浮かぶ表情は定かではなかった。ひたむきで真剣なまなざしではあるが、そこ
に思慕の情があるようには思われなかったし、ときにはただ放心しているようにも見えた。
ほの
 二度ほどエリザベスに、ダーシーさまはきっとあなたがお好きなのよと 仄 めかしてみたが、エリザベスはそのたび
に笑って取り合わなかった。シャーロットは、けっきょくは失望に終わるかもしれない期待をいたずらに抱かせる危
険は避けようと、この話題を強いることは断念した。シャーロットの意見としては、ダーシーは自分に恋していると
エリザベスが思えるなら、彼女のダーシーを嫌う気持も消えるだろうということに疑問の余地はなかったのである。
 エリザベスのために役立とうと思うシャーロットは、いっそフィッツウィリアム大佐と結婚させたらと思うことも
あった。大佐ほど気立てのよいひとはほかにいない。エリザベスに心服しているのは確かだし、社会的な地位も結婚
の相手としては望ましいものである。ただしこうした利点を帳消しにするのは、ミスタ・ダーシーには数多くの聖職
いとこ
禄授与権があるのに、従兄のほうにはそれがないということだった。

    33

 エリザベスは、ロージングズ館の庭園を散策しているあいだに、一度ならずミスタ・ダーシーにばったり出会うこ
とがあった。ひとがだれも来ないようなところに、彼があらわれるというのはまったく不運なめぐりあわせだとエリ
ザベスは思った。ここではじめて出会ったときは、二度とこのようなことがないように、ここはわたくしのお気に入
りの散歩道なのですと、はっきり断っておいた。それが二度あるとしたら、じつに奇妙ではないか! それが二度あ
り、しかも三度もあった。それはミスタ・ダーシーがわざと意地悪をしているようでもあり、彼が自らに課した苦行

のようにも思われた。なぜなら三度とも、型どおりの挨拶のあと、ぎごちない間があり、そしてそのまま行きすぎ
る、ところがわざわざ引き返してエリザベスと肩を並べて歩かねばならないと思うらしい。彼のほうはたいした話も
せず、エリザベスのほうも自分から話しかける気はなく、相手の話に耳を傾ける気もなかった。三度目に偶然出会っ
たときは、なんの脈絡もない奇妙な質問をいくつかされてびっくりした──ハンスフォードの滞在は楽しいか、ひとり
の散歩が好きなのか、コリンズ夫妻を幸せだと思うかというような質問だった。そしてロージングズ館の話を持ち出
し、あなたにはあそこのことがまだよくわかっていないと言い、こんどケントに来たときは、彼女があの館に泊まる
のを期待しているようだった。言葉のはしばしにそんな含みが感じられた。ことによるとフィッツウィリアム大佐の
ことが頭にあるのだろうか? なにか含みがあるのだとすると、どうやらそのあたりに関わりがあるように思われ
た。それがいささか気になった。牧師館に向かいあう木柵の門までたどりついたときにはほっとした。
 ある日のこと、エリザベスは散歩をしながら、ジェインからこの前とどいた手紙を読みかえし、ジェインに元気の
ないことがうかがえるいくつかのくだりについてあれこれ思案していた。そのときふとひとの気配を感じて目を上げ
ると、そこにいたのはミスタ・ダーシーではなく、なんとフィッツウィリアム大佐だった。あわてて手紙をしまいこ
み、むりやり笑みを浮かべてこう言った。
「このあたりをお散歩なさるなんて存じませんでした」
「この庭園はいつもひとめぐりすることにしているんですよ」と彼は答えた。「毎年ここに来るたびに、だいたいそ
うしています、最後には牧師館に寄るつもりでしたが。あなたは、この先まだ歩かれますか?」
「いいえ、ちょうど戻るところでした」
 そこで彼女は向きを変え、ふたりは並んで牧師館のほうに歩きだした。
「土曜日にはほんとうにケントをお発ちになりますの?」
「ええ──ダーシーがまた延ばそうと言いださなければ。なにしろぼくは彼の言いなりですからね。彼は自分の気のむ
くままに事を運びます」
「あの方は、ご自分の思うように事が運ばなくても、とにかくご自分が采配をふることが楽しいんですわね。ダー
シーさまほど、ご自分の意のままになさるのを楽しんでいらっしゃる方、ほかに知りません」

「どこまでも我を通す男ですからね」とフィッツウィリアム大佐は答えた。「でもだれでもそんなものでしょう。た
だ彼はだれよりも自分の思いどおりにできる手段に恵まれている。だって彼は金持で、ほかはたいていが貧乏です。
これは実感ですね。次男ともなると、常に自分の気持を抑えたり、他の者に従ったりすることを強いられますから
ね」
「わたくしに言わせれば、伯爵さまのご次男なら、そんな思いはめったになさらないはずだわ。そもそも、ご自分の
気持を抑えたり、他の方に従ったご経験がおありなのでしょうか? お金がないために、行きたいところにも行けな
い、欲しいものも手に入らないというようなことが、おありでしたかしら?」
「これは痛いところをつかれましたね──たしかにその種の苦労はめったにしたことはありませんよ。しかし、もっと
重大な問題となると、金がないがために苦労するかもしれない。次男三男ともなれば、好きだからというだけでその
相手と結婚するわけにもいきません」
「財産のあるご婦人を好きになれば問題はないんだわ、たいていはそうなさると思いますけど」
「われわれのような生活はいろいろと出費がかさむので、どうしても金に頼ることになりますね。ぼくのような次男
で、金に頓着なく結婚できる者はそうそういませんね」
 これはわたしに当てつけているのかしら? とエリザベスは思った。そう考えると頰に血がのぼった。だが気を取
り直して朗らかに言った。「あのう、伯爵さまのご次男のお値段って、ふつうどれくらいですの? 跡を取るご長男
が瀕死の重病なら別ですけれど、ふつうはせいぜい五万ポンドというところかしら」
 彼もエリザベスと同じ調子で答えたので、この話はこれきりになった。このまま黙りこんでいると、いまの話に動
揺しているのではないかと思われそうなので、エリザベスはすかさず言葉をついだ。
いとこ
「お従弟さまがあなたをここにお連れになったのは、ご自分の思いどおりになる人間をそばにおきたいからでしょ
う。思いどおりになるひとをいつもそばにおいておきたいのなら、結婚なさればよろしいのに。でも、いまのところ
はお妹さんが、そのかわりをなさっていらっしゃるのね、あの方がおひとりで面倒を見ていらっしゃるのだから、ご
自分の思いのままにおできになるわけだわ」
「いや」とフィッツウィリアム大佐は言った。「ミス・ダーシーのことなら、ぼくにも半分はその権利があるな。な
にしろこのぼくも後見役を引き受けていますのでね」
まも
「あら、ほんとうに? 後見役って、どんなことをなさるんですの? お 守 りしているお嬢さまがお世話をやかせる
ようなことはありませんか? あのお年ごろのお嬢さまは、なかなか扱いが難しいものですし、しかもそのお嬢さま
が、ダーシー家の気質をお持ちだとすると、なんでもご自分の思いどおりになさりたいでしょうしね」
 話しながらエリザベスは、相手が自分をじっと見つめているのに気がついた。なぜミス・ダーシーが、厄介の種に
なりそうだとお思いですかと彼がすぐさま問い返したところを見ると、自分がかなり真実に近いところをついたのだ
とエリザベスは確信した。彼女は切り返すように言った。
「ご心配には及びませんわ。お妹さんの悪い評判などなにひとつ聞いたことがありませんもの、きっとたいそう素直
なお嬢さまなんでしょうね。わたくしのお知り合いのさるご婦人方、ミセス・ハーストとミス・ビングリーは、たい
そう気に入っておいでですもの。たしかあの方たちをご存じだとおっしゃいましたわね」
「多少は知っています。兄貴のほうは好紳士ですね──ダーシーの大の親友です」
「ああ! そうですわね」とエリザベスは素気なく言った。「ダーシーさまはビングリーさまにはとてもご親切です
ねんご
わ、それは 懇 ろにご面倒を見ておいでですもの」
「面倒を見ているか! ダーシーなら、まあ、どうしても面倒を見る必要があるところは、面倒を見てやるでしょう
ね。ここに来る途中でダーシーから聞きましたが、ビングリーは、彼にずいぶん面倒をかけたようですよ。いやい
や、こんなことを言っては、ビングリーに申しわけないかな、彼に面倒をかけた人物がビングリーだと決めつけては
いけない。これはみんなぼくの推測ですからね」
「それはどういうことでしょう?」
「ダーシーはもちろんこの一件が世間に知られることは望んでいないでしょう。ましてそのご婦人の家族の耳に入っ
ては、さだめし不快でしょうから」
「だれにも申しませんからご安心ください」
「そもそもそれがビングリーだと考える確かな根拠があるわけじゃないんです。ダーシーが話してくれたのはこうい
うことですから。つまり近ごろ、まわりの迷惑も顧みずたいそう軽率な結婚に走ろうとした友を救ったのは幸いだっ
たと言ったのです。当事者の名前はあがりませんでしたし、詳しいことはなにも言いませんでした。そんな面倒を起
こしそうな青年と言えば、ビングリーかなとぼくが推測したにすぎません、この夏、あのふたりはずっといっしょで
したからね」
「ダーシーさまは、その結婚に干渉なさった理由をお話しになりましたか?」
「相手の女性については、反対するきわめて強力な理由があったようですよ」
「それでそのおふたりの仲を引き裂くために、どんな策をめぐらしたのでしょう?」
「策については話してはくれませんでしたね」とフィッツウィリアム大佐は笑みを浮かべた。「いまお話ししたよう
なことを聞かせてくれただけですから」
 エリザベスは無言で歩みつづけていたが、胸のうちは憤怒ではちきれそうだった。そんな彼女の様子をしばし見
守っていたフィッツウィリアム大佐は、なにをそう考えこんでいるのですかと尋ねた。
「いまお話しくださったことを考えています」と彼女は言った。「お従弟さまのなさり方は、わたくしの意に添いま
せん。どうしてそんな権限がおありになるのでしょうか?」
「彼の干渉は要らざるお節介だというのですね?」
「ご友人の好きなお相手が、果たしてふさわしい人物かどうか、ダーシーさまに決める権限はないと思います。それ
にこうすればそのご友人が幸せになれると勝手に決めて指図までなさるなんて、どうしても納得がいきません。で
も」とエリザベスは気持を鎮めて言い直した。「詳しい事情も知らないのに一方的に非難しては不公平ですわね。そ
のおふたりのあいだに深い愛情があったとは思えませんし」
「そう考えるのが自然ですかね」とフィッツウィリアムは言った。「だがそうなると悲しいかな、得意満面の従弟の
面目はいささかつぶされることになるなあ」
 おどけた調子で彼はこう言ったのだが、それがミスタ・ダーシーの人柄をよく言いあらわしていると思われ、エリ
ザベスはとても冷静には答えられまいと思い、唐突に話題を変えて牧師館に着くまであたりさわりのない話をつづけ
た。客人が帰ったあとエリザベスはすぐさまひとり自室にひきこもり、さきほど聞いた話をじっくりと考えてみた。
ひ と
どう考えてもあれは他人ごとではない、自分に関わりをもつひとたちの話だと思った。ミスタ・ダーシーがこうした
絶大な影響力を及ぼせる人物が、この世にふたりいるはずはない。つまりミスタ・ビングリーをジェインから引き離
す方策を講じたのは、まさしく彼だということをエリザベスはもはや疑わなかった。これまでは、ふたりを引き離す
べく画策した首謀者は、ミス・ビングリーだろうと思いこんでいた。しかし彼が自身の虚栄心のせいで道を誤ったの
ではないにせよ、彼こそが画策の張本人だったことに疑いはない。彼の高慢と気まぐれがジェインを苦しめ、いまな
お苦しめつづけている元凶なのだ。彼はこの世でもっとも愛情深い寛容な心の持ち主から幸せを求める希望をことご
とく奪ってしまった。しかも彼がもたらしたその災いがいつまでつづくのか、だれにもわからないのだ。
「相手の婦人については反対するきわめて強力な理由があったのです」というのがフィッツウィリアム大佐の言葉
だった。反対する強力な理由とはおそらく田舎弁護士である叔父と、ロンドンで商売をやっている叔父の存在であろ
う。
「いったいジェインのどこに」とエリザベスは胸のうちで叫んだ。「反対する理由があるというの。あれほど美しく
そな
やさしいひとなのに! 優れた知能や磨かれた知性を 具 え、その優雅な物腰はひとの心を惹きつけてやまない。お父

さまだって、言いがかりをつけられる謂われはまったくない、少し変わったところはあるけれど、ダーシーさまなど
に負けない力量はあるし、立派な人柄はダーシーさまなど及びもつかないはずだわ」たしかに母親のことを考える
と、自信もちょっと揺らいだが、母親については、ミスタ・ダーシーの異議はさほど重い意味をもつとは思えなかっ
た。友人の妻となるひとの身内が、良識を欠いていることより、社会的な地位の低さのほうが、彼の自尊心をいたく
傷つけることは間違いない。彼は、こうした許しがたい自尊心にひきずりまわされ、その上にミスタ・ビングリーを
是が非でも妹の結婚相手にしたいという願望にひきずりまわされているのだと、エリザベスは最後にそう結論したの
である。
たかぶ
 この問題を考えれば考えるほど、気持は 昂 り、涙があふれ、ついには頭痛さえしてきた。夕刻になるにつれ頭痛
はいっそうひどくなり、ミスタ・ダーシーにはなんとしても会いたくないという気持もあり、従兄たちといっしょに
お茶に招ばれていたロージングズ館には行くまいと決心した。ミセス・コリンズは、いかにも気分の悪そうなエリザ
ベスを見て無理強いはしなかったし、夫にも無理にすすめさせまいと気を遣ったが、ミスタ・コリンズは、エリザベ
スを家に残していっては、レディ・キャサリンのご不興を買うのではないかという懸念を隠すことができなかった。

    34

 みなが出かけてしまうと、エリザベスは、ミスタ・ダーシーへの怒りをいよいよかきたてようというつもりか、こ
こケントにいるあいだにジェインから来た手紙をすべて念入りに読み返すという仕事に取りかかった。文面には不満
が述べられているわけではなく、過去の出来事を蒸し返すようなくだりもなく、いまの悩みを訴えているくだりもな
かった。しかしどの手紙にも、どの行間にも、ジェインの持ち前の明るさがなかった。安らかな心の落ち着きから生
みだされ、すべてのひとたちにやさしく注がれてめったに曇ったことのないあの明るさがなかった。最初に読んだと
きにはわからなかったが、こうしてじっくり読み返してみると文章の一行一行に不安がにじみでている。ひとを不幸
ふ らち
のどん底におとしいれながら得々としているミスタ・ダーシーの不 埒 な振る舞いを思うにつけ、姉の苦悩がいっそう
ひしひしと感じられた。ただ彼がロージングズ館に滞在するのも明後日までと思うと、いささか心は慰められ、それ
にも増してうれしいのは、あと二週間もたたぬうちにジェインに会えること、姉の気分が晴れるように、思いのたけ
を注いで姉を励ませることだった。
いとこ
 ダーシーがケントを去るときは、その従兄もいっしょに去ってしまうのだと、エリザベスは考えた。でもフィッツ
ウィリアム大佐は、財産のない女性と結婚するつもりはないと明言していた。好感のもてる青年ではあっても、いな
くなったあと心を痛めるほどではなかった。
 この問題にもけりがついたところで玄関の鈴が鳴り、エリザベスははっとして、もしやフィッツウィリアム大佐で
はないかとちょっと心が騒いだ。前にも夕方遅く訪ねてきたことがあり、こんどは気分の悪いわたしを気遣ってわざ
わざ様子を見に来たのではないかと思ったのだ。だがそんな期待はすぐに消しとび、気分は逆に沈みこんだ。驚いた
ことになんとミスタ・ダーシーが部屋に入ってきたのである。なにやらそわそわした様子で、さっそく見舞いの言葉
を述べ、お加減がよくなられたかどうかお訪ねしてみたのだと言った。エリザベスは丁重だが冷やかに応対した。ミ
スタ・ダーシーはしばらく腰をおろしていたが、また立ち上がると部屋のなかをぐるぐると歩きはじめた。エリザベ
スは驚いたが、ひとことも口はきかなかった。数分の沈黙がつづいたあと、ミスタ・ダーシーが興奮した様子で、や
おらつかつかとエリザベスに歩みより、こう語りだした。
「いたずらに苦しみました。でもだめでした。この気持はもう抑えられない。こう申し上げることを許してくださ
い、ぼくがどれほど激しくあなたを想い、愛しているかということを」
 エリザベスの驚愕はたとえようもなかった。目を見張り、顔を赤らめ、耳を疑い、口もきけなかった。その彼女の
様子に自信を得たミスタ・ダーシーは、これまでずっと抱きつづけていた彼女への思いのたけをすぐさま述べはじめ
た。よどみなく話しはしたものの、こうした思慕とは別に、きちんと伝えておかねばならぬ気持があり、愛情の問題
きょう じ
について語るより、己の 矜 持について語るときはいっそう雄弁になった。エリザベスの身分の低さということ──そ
れが家門の不名誉となること──彼女の家庭に自分の気持とは相入れない問題があることなど、それが彼の苦しみの原
因であったとはいえ、求婚にはふさわしからぬ激しさで語りつづけたのである。
 胸に深く根ざしている嫌悪感はあったが、このような人物の愛の告白にエリザベスも心を動かされずにはいられな
かった。自分の意志はいっときでも揺らいだわけではないが、こちらの拒絶によって受ける相手の苦痛を思いやる
と、はじめは気の毒にもなった。しかし、そのあとに続いた身分云々の言葉には激しい怒りをかきたてられ、同情な
どたちまち消え失せた。だが彼の話が終わったときには、自分を抑えて答えようと思い、気持を鎮めていた。彼は最
後に、抑えようにも抑えきれぬ恋情の激しさを切々と述べて話を終えた。そしてどうかわが手を受け入れ、わが心に
報いたまえと言い添えた。彼がこう言ったとき、承諾をもらえるものと信じているのは目にも明らかだった。不安や
おもて
苦悩を語っていたのに、 面 には自信がみなぎっていた。そうしたさまを見るにつけ、エリザベスの怒りはいよいよ
募り、相手が話しおわると、頰を紅潮させてこう言った。
「このような場合には、たとえ色よいお返事ができませんでも、頂きましたお気持に感謝するのが世の習いでござい
ましょうね。ありがたく思うのが当然ですわ。わたくしに感謝の気持がございますなら、いまお礼を申し上げるで
しょう。でもそんな気持にはなれません──あなたに高い評価をいただこうと思ったことはありませんし、あなたも、
いやいやながらそんな評価をおあたえくださったのでしょう。わたくしがどなたにせよ苦しみをおあたえしていたな
んて心外です。でもこちらは知らずにしたことです。そんな苦しみが長く続かないよう願っていますわ。わたくしへ
の愛を認めることをずっと阻んできたとおっしゃるそんな感情がおありなんですもの、わたくしがこうして気持をお
伝えしたからには、わたくしへの愛なんてすぐに冷めてしまいますわ」
 マントルピースによりかかり、その目をエリザベスに注いでいたミスタ・ダーシーは、驚きと同時に怒りをおぼえ
ながら彼女の言葉を聞いたようだった。顔面は蒼白になり、心の動揺がその面のすみずみにまであらわれた。なんと
か平静を保とうとあがき、もう大丈夫と確信がもてるまでは口を開こうとしなかった。その沈黙はエリザベスにとっ
ては耐えがたいものだった。彼はどうにか冷静になり、ようやく口を切った。
ぶ しつけ
「それが、ぼくが頂けるものと思っていたお返事なのですか! なにゆえに、これほど不 躾 に拒絶されるのか、教
えていただきたいものですね。いや、そんなことはどうでもいい」
「わたくしもお尋ねしたいことがあります」とエリザベスは答えた。「ご自分の意志に背き、理性に背き、徳性に背
いてわたくしを好きになったなどと、わざわざお話しになったのは、わたくしの心を傷つけ辱めるためですわね。そ
れはいったいなぜですか? これは、わたくしがご無礼をする理由にはなりませんか? でもご無礼をする理由なら
ほかにもあります。おわかりでしょう。わたくしがあなたを嫌いでないにしても、興味がないにしても、万が一あな
たに好意をよせているにしても、わたくしがこの世でいちばん愛している姉の幸福を、おそらく永久に奪ってしまっ
た人物を、わたくしが受け入れるとでもお思いですか?」
 エリザベスがこうした言葉を発すると、ミスタ・ダーシーの顔色が変わったが、感情の乱れはすぐさま消え、話を
さえぎろうともせず耳を傾けた。
うと
「あなたを 疎 ましく思う理由はいくらでもありますわ。あのことであなたが果たした役割は、動機がなんであろう
と、卑劣、狭量のそしりは免れないと思います。あれがふたりを引き裂く唯一の手段ではなかったとしても、あなた
が首謀者であったことは否定なさいませんわよね、否定できるはずがないわ。あのふたりの仲を裂き、片方は、浮気
者、気まぐれ屋と後ろ指をさされ、もう一方は、失恋してお気の毒にと世間の物笑いになり、ふたりともそれは悲惨
な境遇におとされたんですものね」
 エリザベスは一息つき、相手が悔恨の情に動かされることもなく平然と耳を傾けている様子を見て少なからぬ憤り
を覚えた。彼のほうは、エリザベスの思わぬ反論に驚いて、笑みさえ浮かべて彼女を眺めていたのである。
「ご自分のなさったことを否定できますか?」エリザベスはもう一度問い詰めた。
 すると彼は平静を装ってこう答えた。「友人をあなたの姉上から引き離そうと力を尽くしたことも、そしてそれが
成就したことをよろこんだのも、否定しようとは思いません。彼のことはいつも自分のこと以上に親身になって考え
ていますから」
 エリザベスは、私心はないという彼の言葉に耳を貸す気もなかったが、その言葉の意味はきわめて明白であり、彼
女の怒りはとてもおさまりそうになかった。
「でもこのことだけじゃありません」とエリザベスは言葉をついだ。「あなたが嫌いになった理由は。これよりだい
ぶ以前に聞いたことですが、あなたに対する見方はそれで決まりました。何カ月も前にウイッカムさんから詳しいお
話を伺って、あなたのお人柄が見えてきました。これについては、どう申し開きをなさいますか? ここでもそらぞ
らしい友情を持ち出して、ご自分の弁護をなさるおつもりですか? それともどのような虚偽の陳述をして、ひとを
欺くおつもりですか?」
「あの紳士にいやに関心がおありなんですね」ダーシーは顔を紅潮させ、やや平静を欠いた口調でこう言った。
「あの方のご不幸を知れば、どうして関心をもたずにいられましょう?」
「あの方のご不幸か!」ダーシーは吐き捨てるように言った。「そう、彼の不幸はたしかにたいそうなものだ」
「そしてあなたのひどい仕打ちも」とエリザベスは勢いこんで言った。「あなたのお陰で、あの方は貧乏になってし
まったんです、かなりの貧乏に。あなたは、あの方が本来受け取るべき数々の特権をお与えにならなかったんですも
のね、なにもかもご承知の上で。あの方の人生の最良のときを奪っておしまいになった、あの方が道義的にも法的に
も得られたはずの自立の基盤まで奪っておしまいになった。すべてはあなたのなさったことです! それなのにあな
たはあの方の受けた不当な仕打ちのことをお聞きになっても、軽蔑と嘲笑で報いるのですね」
「これが」とダーシーは叫びながら、部屋をつかつかと横切ってくる。「ぼくに対するあなたの見方なんですね。こ
れがぼくに下したあなたの評価なんですね! きちんと説明してくださってありがとう。あなたの推測に従えば、ぼ
くの罪はたしかに重い。おそらくは」と彼は言葉をつぎ、立ち止まってエリザベスのほうに向き直った。「真剣な申
し込みをすることを長いあいだ躊躇させていたぼくの煩悶を率直に打ち明けて、あなたの自尊心を傷つけさえしなけ
れば、その罪も見逃されていたでしょう。もしぼくがこの煩悶を押し隠し、無条件の純粋な愛情と理性と熟慮をもっ
て巧く事を運び、あなたの信頼をかちえていれば、このような手厳しい非難も受けずにすんだかもしれない。だがな
んによらず自分を偽るのは忌むべきことだ。それにさっきお話ししたぼくの気持に恥じるところはまったくありませ
ん。ごく自然なまっとうな気持です。あなたの身内の社会的な地位の低さを、ぼくがよろこべるだろうか? ぼくよ
りずっと身分の劣った身内が増えるのをぼくがよろこべるだろうか?」
 エリザベスはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。それでも必死に冷静になって話そうと努めた。
「あなたのこのような告白がわたしの気持を動揺させたとお思いでしたら、それは思い違いですわ、ダーシーさま。
ただ、あなたがもっと紳士らしく振る舞われたら、こちらはお断りするのを心苦しく思ったでしょうに」
 ミスタ・ダーシーはこの言葉にぎくりとしたようだが、そのまま口をつぐんでいたので、エリザベスは言葉をつい
だ。
「どのようになさっても、さしだされたあなたの手を快くお受けする気にはなれません」
 彼はまたもやあらわな驚きを示した。そして懐疑と屈辱感のいりまじった表情で、エリザベスをじっと見すえた。
彼女は言葉をついだ。
うぬぼ
「あなたとお近づきになったそもそもの始めから、お目にかかったその瞬間から、あなたの傲慢さと自惚れと、ひと
の気持などいっさいおかまいなしのわがままで高慢なお振る舞いは、しっかりとわたくしの心に焼きついて、あなた
への不満は募る一方でしたし、その後のさまざまな出来事は、あなたに対して揺るぎない嫌悪の情を抱かせました。
お近づきになってひと月も経たぬうちに、この方とだけは結婚すまいと思うようになりましたわ」
「もうじゅうぶんです。お気持ははっきりわかりました。いまはもう自分の気持を恥じるばかりです。長々とお邪魔
して申しわけありませんでした。これからもお元気でお幸せでおられるように祈ります」
 そう言いおわると彼は部屋を出ていった。すぐに玄関の扉の開く音がして、彼の立ち去る気配がした。
 エリザベスの心は痛々しいまでに乱れていた。どう気力を保てばよいのかわからず、じっさいふらふらになって腰
をおろし、それから半時間というもの泣きつづけた。ミスタ・ダーシーとのやりとりを思い起こし、それをひとつひ
とつ考えてみると、驚きはいよいよ増すばかりだった。ミスタ・ダーシーから結婚の申し込みを受けたなんて! あ
のひとがこの何カ月ものあいだ自分に恋していたなんて! ミスタ・ビングリーとジェインの結婚を妨げたあの数々
の障害、その障害は彼の前にも同様に立ちはだかっていたはずなのに、結婚を決意するほど恋に悶々としていたなん
て、ほんとうに信じられない! 自分の知らぬうちに、それほど激しい愛情を彼の心に芽生えさせていたとは、なん
いと
と愉快ではないか。でも、彼の自尊心、 厭 わしい自尊心、ジェインの恋路を妨げたというあの恥知らずな告白、正当
化できるはずはないのに、どこまでも正当だと主張する許しがたい図々しさ、ミスタ・ウイッカムの話を持ち出した
ときの冷淡な応対、残酷な仕打ちを否定しようともしない態度などを思うと、彼の愛情によって一瞬でもかきたてら
れた憐憫すらもたちまちのうちに消え失せてしまった。
 興奮さめやらぬまま、あれこれと思案するうちに、レディ・キャサリンの馬車の音が聞こえた。帰ってきたシャー
ロットの観察の目に耐えられる状態ではないので、エリザベスは急いで自分の部屋に引き上げた。

    35

 エリザベスが翌朝目を覚ますと、昨夜目を閉じるまで頭のなかに渦巻いていたさまざまな思いがそのまま残ってい
た。昨日の出来事の驚きからまだ醒めてはいなかった。ほかになにも考えられなかったし、針仕事に熱中する気にも
なれなかったので、朝食をすませるとすぐに外の空気をたっぷり吸って散歩しようと思い立った。大好きなあの散歩
道にまっすぐ向かったものの、あそこにはミスタ・ダーシーがときどきあらわれるのを思い出して足を止め、ロージ
ングズ館の庭園には入らずに小径のほうに折れた。この小径は本街道からはずっとはなれていた。庭園をとりかこむ
木柵が小径の片側に連なっている。エリザベスはやがて、庭園に通じるいくつかの門のひとつを通りすぎた。
 この小径を二度三度と行ったり来たりしたのち、清涼な朝の空気に誘われて、いくつかの門の前で立ち止まっては
庭園をのぞきこんだ。ケントに来てからはや五週間が経ち、田園の風景にもだいぶ変化が見られ、早春の樹木を彩る
新緑は日ごとにその濃さを増している。そのまま歩きつづけようとしたそのとき、庭園の縁にある木立のなかに、男
のひとらしい人影がちらりと見えた。どうやらこちらに向かって歩いてくる。ミスタ・ダーシーだったらどうしよう
と、彼女はすぐさま後戻りしようとした。だがこちらに向かって歩いてくるその人物は、エリザベスの姿が見えると
ころまで近づいており、彼女の名前を呼びながら勢いよく歩いてくる。エリザベスはすでに背を向けていたが、自分
の名前が呼ばれるのを聞き、その声がたしかにミスタ・ダーシーのものだとわかると、仕方なくふたたび門のほうに
進んだ。ミスタ・ダーシーもすでに門のところまでたどりついており、手にした手紙をさしだしたので、エリザベス
がついそれを受け取ると、落ち着きはらった高慢な表情でこう言った。「あなたにお会いできるかもしれないと思い
ながら、森のなかをずっと歩いていました。その手紙をお読みいただければありがたいのですが」──そして軽く会釈
をすると、ふたたび木立の中に入っていき、やがてその姿は見えなくなった。
 期待に胸をときめかすはずもなく、エリザベスはただ激しい好奇心に駆られてその手紙を開けた。宛名を書いた封
紙のあいだに、びっしりと文字を連ねた二枚の書簡箋が入っていたので、いよいよ驚いた──封紙の裏も同様に文字で
びっしり埋められている──小径を歩みながらエリザベスはその文面を読んだ。ロージングズ館にて、午前八時と記さ
れている。文面は次のようなものであった。

あなた
『このような書状を受け取られたからといって心配はご無用です。昨夜貴女に不快な思いをさせたこちらの心情や、
したた
結婚の申し込みなどを蒸しかえされるのではないかと危惧されることはありません。これを 認 めるにあたって、あ
おとし
なたに苦痛をあたえるつもりは毛頭なく、また私の願望をくどくど述べたてて自分を 貶 めるつもりもありません。
お互いの幸せのためには、この一件は一刻も早く忘れるに越したことはありません。このような書状をあえて認め、
貴女に読んでいただくというわずらわしさを強いるのは、私の信用にかかわることゆえとご海容ください。従って何
卒ご一読賜りますよう切に願うものであります。お気持は進まぬとは思いますが、ぜひとも貴女の公平な判断に委ね
たいのです。
あいこと
 まったく 相 異 なる性質の、重要性から見れば決して相等しいとは言えない二つの問題について、昨夜貴女は私の責
任を追及されました。はじめに言及された問題は、ビングリー君と貴女の姉上の感情を無視し、両者の仲を引き裂い
たということ──そしてもうひとつは、私がさまざまな権利の要求を無視し、名誉や人情を無視し、ウイッカム君の目
前の幸運を潰し、有為なる前途を破滅させたということです。わが幼時の友、わが父が目をかけた者、当家の庇護な
き まま
くしては頼る者もない青年、ひたすら庇護を願いつつ成長した青年を勝手気 儘 に絶縁するなどはまことに非道なる仕
打ち、その罪の重さたるや、ほんの数週間の愛を育んだ若いふたりの仲を裂いた罪とは同日の論ではありません。し
けんせき
かし私の動機についての説明をお読みいただければ、昨夜思う存分賜った厳しい 譴 責 を、今後は免れるものと期待し
ております。私自身の責任と考えるところを詳述するにあたり、貴女にご不快の念を起こさせるやも知れぬ当方の心
情も語らねばなりませんが、それについてはひとえにお許しを乞うばかりです。言わねばならぬことは言う──これ以
上の弁明は愚であります。ハートフォードシャーに参上してまもなく、ビングリーが、あの土地の若いご婦人のだれ
よりも貴女の姉上に心を奪われていることは、ほかのひとびとと同様に私も気づきました。彼の愛情が真剣なもので
はないかと私が危惧するようになったのは、ネザーフィールドの舞踏会の夜でした。それまでにも私は恋におちる彼
をたびたび見ています。貴女のお相手をする光栄に浴したあの舞踏会で、サー・ウィリアム・ルーカスがたまたま口
にされた言葉から、姉上によせるビングリーの愛情の深さは、世のひとびとにふたりの結婚を期待させるほどだとい
うことをはじめて知ったのです。卿の口ぶりでは、結婚はすでに決まった話で、日取りだけが未定であるということ
でした。そのときから私は、友人の行動を注意深く観察するようになったのです。その結果、ビングリーがミス・ベ
ネットに寄せる恋情は、これまで見たこともないほど深いものであるのに気づきました。私は貴女の姉上も注意深く
見ておりました。その表情も態度も屈託がなく、いつも朗らかに愛想よく振る舞われていましたが、ビングリーに特
別な好意をよせているような兆しは一向に見えませんでした。あの夜じっくりと観察した結果、姉上は、ビングリー
の愛情を快く受け入れてはおいでだが、自らの気持も示して、その愛情を共に深めようというおつもりはないのだと
いう確信に至りました。これについてあなたが誤っていなければ、私が誤っていたのです。姉上のことはだれよりも
知っておられる貴女ですから、これは私の思い違いだったのでしょう。もし貴女が正しく、私が単なる思い込みで判
断を誤り、その結果姉上が苦しまれることになったのであれば、貴女のお怒りはごもっともです。しかしながら姉上
のあくまでも穏やかな表情や挙止を見れば、気立てはいくらやさしくても、その心は容易に動かしがたいものだと、
鋭い目をもつ観察者もそう確信したに相違ないと私はためらわず断言します。姉上が無関心であると信じたい気持は
ありましたが、ふだんの私は、己の願望や懸念ゆえに観察する目や決断力が鈍ることはぜったいありません。姉上が
無関心に見えたのは、私がそう望んでいたからだとは思いません。なにものにもとらわれぬ確信をもって私はそう信
じた、理性に照らして姉上の無関心を望んだのが真実であるように、これもまた真実です。昨夜、私の場合、障害を
度外視するには激しい恋情の力が必要であったと認めましたが、私がふたりの結婚に反対だった理由は単にそれだけ
ではありません。有力な縁戚がいないということは、私にとってもビングリーにとってもさほど大きな障害ではあり
ませんでした。ただ強い反発を覚える原因がほかにありました──それはいまなお存在し、私たち両人にとっては同じ
程度に重要なことですが、私の場合は、目前の問題というわけではありませんでしたので、忘れようと努めていたの
です。それらの理由については、手短かにではありますが、お伝えせねばなりません。貴女の母方のお身内の社会的
地位は、好ましくないにしても、母上のまったく礼節を欠いたお振る舞いに比べれば、取るにたらぬものです。そし
て母上のみならず、貴女の三人の妹方にもほとんど同じような振る舞いが、そしてときとするとお父上にまで、それ
が見受けられました。どうか許したまえ。貴女の気持を傷つけるのは心が痛みます。貴女ご自身、身内の方々の礼を
はた
失した振る舞いを気遣っておられるのに、このようなことを 端 から聞かされるご不快はさぞやと察しますが、お身内

と同じ非難を受けぬよう振る舞っておられる貴女と姉上ご両所の良識と気性は尊敬措くあたわざるもの、まことに称
賛さるべきものであるとお伝えして、貴女が心を安んじられるよう願っております。あと少々申し上げましょう。あ
さだ
の舞踏会の夜の出来事から、ご家族のみなさんに対する私の見方は 定 まり、もっとも不幸な結びつきであると考えら
れる事態からわが友を救うために、以前から画策していた行動をとろうという意気ごみが私のなかでいよいよ強まっ
ていったのです。ご記憶のことと思いますが、ビングリーは、あの翌日、すぐに戻るつもりでネザーフィールドを発
ちロンドンに向かいました。私が演じた役割をここで説明いたします。ビングリーのふたりの妹の不安も、私同様ま
すます募っておりました。私たちの気持がたまたま同じだったことは、たがいにすぐわかりました。彼をあそこから
引き離すには一刻の猶予もならないという気持も同じでしたから、私たちは、すぐさまロンドンの彼のもとに行くこ
わざわい
とを決めました。そしてロンドンへ行き、そこで私は、このような選択は 禍 のもとだとわが友に直言する役目を躊
躇なく引き受けました。私は懸命に彼を説得しました。こうした私の忠告が、彼の決心を鈍らせた、あるいは遅らせ
たかもしれない、しかし、貴女の姉上にその気持がないことを私がためらうことなく指摘しなければ、この結婚を
けっきょく妨げることはできなかったでしょう。彼はそれまで、貴女の姉上が、その愛情の深さに差こそあれ、自分
た ち
の愛情には真剣に応えてくれるものと信じきっていましたから。だがビングリーは、生来まことに内気な性質で、自
分の判断より私の判断をよしとしていた。従って、君は思い違いをしていると納得させるのはそれほど難しいことで
はありませんでした。それを納得させたとなると、ハートフォードシャーに戻るなと説得するのはわけのないことで
した。そうまでしたわが身を責めることはできません。ただこの件に関する自分の行動について、一点だけ許しがた
いことがあります。それは、貴女の姉上がロンドンに滞在していることを彼に隠しとおすという卑劣な行為に及んだ
ことです。私もミス・ビングリーも、その事実は知っていたのですが、ビングリー自身はいまもって知りません。ふ
たりが出会っていても悪い結果にはならなかったのかもしれません。しかし彼の恋心が冷めきっていたようにも見え
なかったので、姉上と会えばそこになんらかの危険が生じるのではないかと危ぶんだわけです。おそらくこの隠蔽、
この偽装の策謀は、私としては、してはならぬことでした。だが現実にそうしてしまった、ただそれはよかれと思っ
てしたことです。この件についてはもうこれ以上言うべきことはなく、これ以上弁明もいたしません。貴女の姉上の
お気持を傷つけたにせよ、あくまでも知らずにしたことでした。私をそのような行動に走らせた動機は、貴女にはと
うてい承服しがたいものでしょうが、いまもってその非を認めるすべを私は知りません。もう一件、ウイッカム君の
けんせき つまび
人生を踏みにじったという由々しきご 譴 責 についてですが、彼と私一族との関係を 詳 らかにして反論とするのみで
あります。彼が私を著しく非難していることについては、私のまったくあずかり知らぬところです。しかしこれから
述べようとする事実については、疑う余地のないまったく信頼に足る証人をひとりならず呼び集めることができま
す。ウイッカム君は、まことに人格高潔な人物の子息であります。その人物は、長年にわたりペンバリーの家屋敷と
諸所にある領地の管理に当たってきた者ですが、その責任を立派に果たしてくれたために当然わが父はその労に報い
たいと考えました、そして父はその者の息子、ジョージ・ウイッカムの名づけ親となり、たいそう目をかけてやった
のです。父は学資をあたえ、後にはケンブリッジ大学に入学させました。ウイッカムの父親は、妻の浪費癖のため常
に貧しく、息子に紳士としての教育を施すことは不可能でしたから、これは容易ならぬ援助だったでしょう。父は、
この人当たりのよい青年との付き合いを好んだばかりか、非常に高く評価して、ゆくゆくは聖職に就かせようと、そ
のための財政的な援助も考えていました。私自身は、彼に対してはずっと以前から別の見方をしていました。自堕落
な性向──節操の欠如、そういったものを彼は最愛の友というべき私の父に悟らせまいと用心していましたが、同じ年
ごろの若者同士であれば、無防備の彼を見る機会は多々あり、父の目はごまかせても、私の目を逃れることはできま
せんでした。ここでまた貴女に苦痛をあたえることになるでしょう──その苦痛がどれほどのものか、私は知る由もあ
ほんしょう
りませんが。しかしウイッカム君が貴女の心に芽生えさせた感情がいかなるものであろうとも、彼の 本 性 を明らか
にしたい私の気持を押しとどめることはできません。むしろそれゆえにこそ明らかにせざるを得ないのです。善良な
る私の父は、五年前に他界しました。ウイッカム君に対する父の愛情は最後まで変わらず、その遺書に彼のことはよ
ろしく頼むと私に書きのこしました。つまり牧師として許されるかぎりの昇進ができるよう計らってほしい、聖職に
就いたあかつきにはダーシー家が授与権をもつ価値ある聖職禄が空席になり次第、その権利を彼にあたえてやってほ
しいという内容でした。その上一千ポンドが遺贈されました。彼の父親は、私の父の死後まもなく他界しました。こ
うした出来事があってから半年もたたぬうちに、ウイッカム君から書状が届きました。結局聖職に就くことは断念し
た、たいして利益にもならない聖職禄の権利は要らない、ただし早急に金銭上の援助を得たいと思っているが、どう
か理不尽だと思わないでほしいと書き送ってきました。法廷弁護士になる勉強をするつもりでいるが、その費用には
一千ポンドの利息ではとうてい足りないことを知ってほしいと書き添えてありました。彼が真剣であると信じるとい
うより、そうあれかしと願っていましたが、いずれにせよ、その申し出にはよろこんで応じるつもりでした。ウイッ
カム君が聖職に就くべきではない人物であることを私は知っていたからです。従って話はすぐに片がつきました。彼
は、聖職禄の権利を得られるようになっても、その権利はすべて放棄することとし、かわりに、三千ポンドの金を受
け取ったのです。われわれの関係はこれですっぱり解消されたかに見えました。まったく不届きな男だと思っていた
ので、ペンバリーへ招くこともなく、ロンドンでも出入りは許しませんでした。彼はだいたいロンドンで暮らしてい
くびき
たと思いますが、法律を学ぶというのは単なる口実にすぎず、あらゆる 軛 から解き放たれた後は、怠惰で放埒な生
活を送っていたと思います。ほぼ三年のあいだ消息はほとんど途絶えていました。しかしかつて彼にあたえられるは
ひっ
ずだった聖職禄を得た牧師が世を去ると、彼はその聖職禄の授与を頼むという書状をよこしました。暮らし向きが 逼
ぱく
迫 していると言うのですが、さもありなんと思いました。法律はまったく儲からない学問であることがわかった、問
しか
題の聖職禄をあたえてくれるなら、牧師となる決心はしっかり固まっているというのです──ほかに 然 るべき候補者

はいないことは重々承知だし、貴君の尊敬措くあたわざる父上の遺志をよもやお忘れではあるまいと申してきまし
しりぞ
た。私がこの懇願を 斥 け、執拗にくりかえされる嘆願をきっぱり拒絶したからと言って、貴女は私を非難はなさい
ひ ぼう
ますまい。生活に追い詰められていた彼の怒りは凄まじいものでした──そのために世間に対し私を誹 謗 したであろ
うことは疑いなく、私にも面と向かって痛烈な非難を浴びせたのです。それ以来、行き来はぷっつり途絶えました。
どんな暮らしをしていたか、私は知りません。ですが昨夏のこと、彼はふたたびわたしに過大な要求を押しつけてき
ました。私自身忘れたいと思っているあの出来事にも、ここでは触れねばならぬでしょう。このような状況でなけれ
ば、だれにもさらけだしたくない事実です。かく申せば、貴女もきっと秘密を守ってくださると信じます。十歳年下
の私の妹は、母の甥に当たるフィッツウィリアム大佐と私が後見役を任されていました。一年前に、妹は学校をはな
れ、ロンドンに妹のための住まいが構えられました。そして昨夏、妹は屋敷を取り仕切る婦人、つまりミセス・ヤン
グとともにラムズゲイトに赴きました。そしてそこにウイッカムがあらわれたのです、むろん下心があってのことで
す。彼とミセス・ヤングは、前々から知り合いだったことがそこでわかりましたが、彼女の人柄には私たちもまんま
と騙されていたのです。彼女の黙認と力添えによって、ウイッカムは、妹のジョージアナに取り入った。妹の愛らし
い胸には、子供のころ彼に可愛がってもらった記憶がしっかり刻まれていたために、自分が恋をしていると思いこま
され、駆け落ちまで約束してしまったのです。わずか十五歳では、それもやむをえなかったということでしょう。妹
の軽率な行為をお話ししましたが、妹の口からじかにその事実を聞いたということをお伝えできるのは幸いです。駆
け落ちをするというその二日ほど前に、私はたまたまそこを訪れたのですが、ジョージアナは、父親のように尊敬し
ている兄を悲しませ、怒らせるのではないかという不安を胸にしまっておくことができず、すべてを私に打ち明けま
した。私がどのような気持で、いかなる行動に出たかお察し願います。妹の名誉と気持を考え、世間には知られぬよ
したた
うにしましたが、ウイッカム君には書状を 認 め、直ちにこの地を去るよう申しわたし、ミセス・ヤングもむろん解
雇しました。ウイッカム君の狙いが三万ポンドある妹の財産であることは疑いようはありませんが、私に復讐したい
いな
という願望が強い動機になっていたのではないかという推測も 否 めません。これが成功していれば復讐は完璧だった
でしょう。われわれ両人が関わった事柄のすべてをここに忠実に述べました。貴女がこれをすべて虚偽であると斥け
るなら別ですが、そうでなければ、ウイッカム君にあたえた苛酷な仕打ち云々については、今後は無罪放免としてく
ださるよう願います。彼がいかなる形で、いかなる虚言を貴女の耳に吹きこんだか知りませんが、貴女は私たちのこ
とをなにもご存じなかったわけですから、彼の意図がまんまと成功したのも不思議ではありません。彼の本性を見抜
くのは、貴女の力も及ばないことでしょうし、疑う気にはならなかったでしょう。こうした一切をなぜ昨夜話してく
れなかったのかとさだめし不思議に思われるでしょう。しかしあのときは、なにを明かせるか、明かすべきかという
ことを判断するだけの気持の余裕がありませんでした。これまで述べてきたすべてが真実であることは、フィッツ
ウィリアム大佐に証言してもらいたいと思います。彼は近親であり、親しくつきあってもおり、いまもって父の遺言
の執行者のひとりでもありますから、これらの経緯についても当然詳しく知っています。私に対する憎しみのため、
私のこうした主張も無意味だとお考えだとしても、私の従兄であるフィッツウィリアム大佐まで同じ理由で信頼しな
いというわけにはいかないでしょう。そして彼に相談なさる可能性もあるやと思い、この書状を朝のうちになんとし
ても貴女の手にお渡ししたいと願っております。
 最後にただひとこと、貴女に神の祝福がありますように。
フィッツウィリアム・ダーシー拝』

(下巻へ)
制作/光文社電子書店  2013年4月30日

◎本文中、今日の社会情勢と異なる事実や表現、あるいは差別的と受け取られかねない表現がある場合もあります
が、著者に差別的意図のないこと、および作品が書かれた時代的背景を考慮し、概ね発表時のままといたしました。
読者の皆様にご理解いただきますようお願いいたします。
(光文社電子書店)

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