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2023 一橋大学(前期)日本史 解答例

【解答例】

1 海保青陵。
2 朱子学では個人の道徳が強調されるのに対して,古学派の系譜に連なる荻生徂徠は,
孔子などの原典研究を通じ,儒学を統治のためのより実践的な学問ととらえて経世論の
先駆けとなった。経世論はその後,殖産興業などによる財政再建や経済発展を重視する
ものとなった。
3 公事方御定書。判例に基づいた合理的な司法判断を行うため,将軍徳川吉宗のもとで
三奉行が中心となって編纂した,幕府の刑事裁判における基本法であった。
4 掛屋は,大坂などに置かれた幕府・諸藩の蔵屋敷で主に代金などの出納を行い,蔵物
を取引する蔵元が兼ねることもあった。一方札差は,江戸で旗本・御家人の代理として
俸禄米の受取や換金を行い,彼らへの金融も担った。
5 村田清風。長州藩の多額の借金を長期年賦によって整理したほか,紙や蠟などの専売
制を改革した。また下関の越荷方を拡充し,西廻り海運を利用する諸藩の商品の委託販
売などを行って藩の収入を増やした。
(総字数 400 字)


1 明六社。
2 征韓論で下野した板垣退助らは,愛国公党を結成し民撰議院設立の建白書を左院に提
出した。また立志社など政社の結成も各地で相次ぎ,それら政社は大阪に結集し愛国社
を結成した。こうした民権運動の高まりに対して大久保利通は,大阪会議を開いて木戸
孝允と板垣の参議復帰を促し,漸次立憲政体樹立の詔を発する一方で,政府批判の言論
を取り締まるために新聞紙条例を制定した。
3 黒岩涙香の『万朝報』は民間の対露強硬論に押されて主戦論に転じ,開戦に慎重な政
府の姿勢を批判した。一方,『万朝報』を退社した幸徳秋水や堺利彦らの『平民新聞』
は社会主義の立場から非戦論を展開し,また徳富蘇峰の『国民新聞』も慎重論を唱えて
政府を擁護した。
4 政府は戦時総動員体制の強化を目的に,国家総動員法の制定や内閣情報局の設置でラ
ジオや映画を含むマスメディアの検閲・統制を強化する一方,戦意高揚をはかるために
マスメディアを積極的に利用した。
(総字数 400 字)
2023 一橋大学(前期)日本史 解答例


1 ①鉄血勤皇隊。②非核三原則。
2 日本政府は日ソ中立条約を背景に,ソ連の仲介による米英との和平工作に期待をかけ
た。しかし,すでに両国とヤルタ協定を結んでいたソ連は対日参戦を決定し,終戦工作
は失敗した。
3 朝鮮戦争の勃発後,アメリカは自軍の日本駐留を条件に,日本を西側陣営に早期に編
入しようとした。これに対し,南原繁らの知識人層を中心に日本社会党や日本共産党も
加わり,ソ連や東側諸国を含む全面講和を主張する運動が高まったが,吉田茂首相は西
側諸国のみとの単独講和によって平和条約を結んだ。
4 嘉手納基地。
5 重化学工業を中心とする高度経済成長が進展されるなか,そのひずみから生活関連社
会資本の整備が追いつかず,人口過密による住宅問題などの都市問題のほか,水質汚濁,
大気汚染,騒音などの公害問題が深刻になり,都市部における生活環境は著しく悪化し
た。そのため福祉の充実などを求める声が高まり,革新首長が支持を集めた。
(総字数 400 字)

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