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小説 マジンガーZ

INFINITY

角川e 文庫
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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは関係がございません。
目次

序 章

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

終 章

あとがき
 六年前──。

 完成したばかりのミケーネ平和記念博物館、通称マジンガーミュージアムは、休日ということもあり、親子連れを中心に
賑わっていた。

 二歳くらいの男の子を連れた親子が、順路に沿って、中央ホールから出てくる。中央ホールには、この博物館の目玉であ
るマジンガーZが展示されていた。

「パイルダーオン!! 」

 と言いながら、父親は、男の子を持ち上げ、肩車をした。男の子は、きゃっきゃと声をあげて、喜んでいる。

「近くで見ると、やっぱりデカかったなー、マジンガー。すっげーわ、やっぱ」

 父親は、髪の毛を子供に引っ張られながら、しみじみと言った。

「うーん、少し怖かったかな」

 母親は、ベビーカーを押しながら、苦笑いをする。

「そう?」

「なんか、想像しちゃわない? あの手が飛んできて、自分を押しつぶすところとか?」

「しないよ。機械獣じゃあるまいし」

 父親は笑う。通路には、マジンガーミュージアムができるまでの経緯を記したパネルが展示されていた。じっくり読みた
いと父親は思ったが、子連れの立場では、なかなかそうもいかない。同じように、母親も横目でパネルを見ている。

「へー、ここの館長って、兜甲児なんだー」

 母親は驚いたように言った。

「そうそう、そうなんだよ。兜甲児は、ぜったい統合軍に入ると思ったんだけどなあ……。グレートのパイロットだった剣
鉄也は、軍属になったけど」

 父親は、少し残念そうな顔をした。

「それもいいんじゃない? せっかく平和になったんだしさ……。ちょっと気持ちわかるような気もするけどなあ」

「だってさー、もったいないじゃん、せっかくマジンガーのパイロットなんだよ!?  オレだったら絶対、やめないけど
なー、いやー、もったいない」

 父親は、何度も、もったいない、と口にした。

「ハハハ、庶民だなあー、パパ」

「そうかなー、イテッ」

 肩の上の子供が父親の髪を強く引っ張った。
「どうしたどうした?」

「あれ!」

 子供はミュージアムショップを指差す。父親が肩から降ろすと、一直線に、走っていき、何かを手に取り、両親に見せ
た。それは、マジンガーZの塩ビ人形だった。実物に比べると、手足が短く、全体にずんぐりとしていた。

「ほしいんだ?」

 父親の問いに男の子は、大きく頷いた。

「こっちとか、これは?」

 父親は、横に並んでいるグレートマジンガーやビューナスAのフィギュアを手にとって薦めてみた。しかし、子供はぶん
ぶんと首を横に振る。

「いい趣味だなあ! やっぱりマジンガーZがいいか!」

 子供の頭を父親が撫でた。

「いまそこで見たばっかだからでしょ?」

「いやいや、わかるんだよ、子供にも。最初のマジンガーだもの、やっぱり特別だよな。よしじゃあ、これは買ってやろ
う!」

 子供が満面の笑みを浮かべる。父と子は、手を繫いで、レジの列に並んだ。

「甘いなあ、パパは」

 母親は、カバンから財布を取り出しながら、その後に続いた。
 地下坑道に、合成音声によるアナウンスが響く。

「まもなく岩盤の発破作業を行います。作業員は、速やかにセーフエリアに退避してください。くりかえします。まもなく
──」
 むき出しの地肌の上を、数本のケーブルが奥の方へと伸びている。すでにあたりに人気はない。残っているのは、黄色い
装甲をつけた二機の土木作業用ロボット・マジンガーイチサン式だけだった。マジンガーシリーズをベースに開発された量
産型二足歩行骨格モジュールに、土木作業用の装甲やセンサー類を拡張したタイプである。肩の大型ライトが周囲を確認す
るように照らす。

「総員退避よーし」

 コクピットの作業主任が指差し確認をする。その動きをトレースして、イチサン式も指差しをする。主任は、ふーっと大
きく息を吐いた。

「アンカーシールド展開」

 イチサン式の上腕についた大きな分厚いシールドを自らの前面に立てると、シールド下部の鋭く尖ったアンカーが地面に
突き刺さる。コクピットにも、その震動が伝わった。コクピット内のモニタには岩盤が映し出される。ダイナマイトの位置
をタッチパネルで確認しながら、読み上げる。僚機に乗っている部下が、それを復唱した。

「モニタシェアリング開始。ハンドルロック解除」

「シェアリング作動。解除確認」

「発破機母線連結」

「連結確認」

 イチサン式は、操縦用のレバーとフットペダル以外は、タッチパネルによる操作が基本である。しかし点火ボタンだけ
は、昔ながらの物理ボタンだった。主任が、ボタンに指をかける。

「これより光子力プラント『フジ』第三期工事イ号岩盤発破を行う」

 小さく咳払いしてから、主任は宣言した。

「……点火!」

 主任がボタンを押し込むと、次の瞬間、大きな爆発音がする。岩に亀裂が入るキシキシという音がして、岩盤が崩落し
た。砕けた岩が、シールドにゴツゴツとぶつかり、あたりが土煙に覆われる。昔だったら、半日がかりだった発破工事が、
このイチサン式の普及のおかげで、わずか一時間で終わるようになった。

「…ん?」

 主任は、口を真一文字に結んだまま、片方の眉だけ上にあげた。計画では、前に大きな空間が広がるはずだったが、わず
かに表面が崩れ落ちただけだった。あるはずのない場所に岩肌が見える。

「火薬量、間違えてないよな……?」

 主任は、独り言のように呟いた。しかし、そんなわけがないことは、重々わかっていた。部下は、メインモニタをタップ
し、いくつかのウインドウを順に確認していく。

「不発もありません」

 アンカーシールドをあげ、主任のイチサン式が、ゆっくりと岩盤に近づく。一歩、二歩……。イチサン式の鋭敏なセン
サーが人の目には見えない微細な亀裂を見つける。警告音と、ほぼ同時に、どさっと大きく土が落ちた。

「うわ!」

「主任!」

 僚機が駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「ああ」

 多少、土は被ったものの、駆動系、センサー系ともに不具合は出ていない。しかし主任は、正面の岩盤を見たまま、怪訝
な表情を浮かべて、呟いた。

「これ……何かに見えねえか?」
 その岩盤は、いくつかの幾何学的な平面で立体的に構成されていた。いままでどの現場でもこんな光景は見たことがな
い。体長二五メートルあるイチサン式より、さらにひとまわり大きい。

 僚機のライトが、さらにその不可思議な岩盤を照らした。それは大きさを除けば、日頃、見慣れた造形だった。部下がぼ
そりと言った。

「………顔……ですかね?」

 たしかにその岩盤は、顔のように見えた。

 新しい光子力プラント『フジ』──通称「フジプラント」の建造は、急ピッチで進んでいた。
とま こ まい

「完成すれば、日本では、苫小牧 、佐渡島、関ヶ原に続いて、四基目の実用光子力炉となります。イチサン式の導入を始
め、最新の工法で造られているプラントですが、こうしてみると、いわゆる工事現場の風景ですね」

 むき出しのままの鉄骨、無数のパイプやケーブルが壁面をはい、そこかしこに「安全第一」と書かれた大きなパネルや、
いくつもの安全標語が貼られていた。

 兜甲児は、無骨な作業用エレベーターで、巨大な縦穴の最下層へ降りていた。直径八〇〇メートル、深さ二四〇〇メート
ル。メインの光子力炉のメインシャフトが入る予定の縦穴である。壁面に沿う形で配置された作業用エレベーターは、地表
から八分かけて、最下層に到着する。

 作業用ヘルメットをかぶり、スーツ姿で、光子力研究所のスタッフにアテンドされる甲児の姿は、いやでも目立つ。少し
離れた場所の作業員たちがそれを見て噂をする。

「おい……あれ? もしかして……兜甲児じゃねえか!」

「おわぁ、オレ生で見んのはじめてだ。ずいぶんお偉いさんが出張ってきたなあ」

「パイロット引退して、科学者やってんだっけか?」

 もう一〇年もやってるよ、と甲児は思うが、もちろん口には出さない。甲児がしているサングラス型のARグラスには、
発言内容はもちろん、発言者のIDまで表示されていた。そんなことはまったく知らずに、作業員たちは話を続ける。

「いまじゃ光子力研のお偉いさんだっけか?」

「それがなんでまた? こないだの発破が失敗した件か?」

「そんなことで、いちいち視察かよ、たまらんな」

 せめて作業着で来ればよかったか、と甲児は小さくため息をついた。アテンドしているスタッフがそれに気がついて「す
みません」と小声で謝る。マジンガーを降りてから、こういう扱いは、よくあることだった。できるだけ事務的に甲児は尋
ねた。

「機密管理は?」
秘密保持契約

「現場に居合わせた作業員は、NDA の特記条項に基づき、行動と発言のログを二四時間すべてモニタリングしていま
す。もちろんメディアには漏れていません」

「なら、問題ないよ」

 甲児は小さく笑った。それを受けて、スタッフは安堵する。

 正直、やっかまれるのも仕事のうちだ、と割り切っている部分もある。立ち入り禁止のテープを越え、ブルーシートをめ
くり、中に入る。

「ここから先は、光子力研究所の人間だけです。さやかさん、あ、いや、所長の厳命で……」

 あわててスタッフが取り繕う。六年前、弓弦之助の政界進出に伴い、光子力研究所の所長の座は、その娘、弓さやかに引
き継がれた。古参のスタッフは、いまでも所長と呼ばず、うっかり、さやかさん、と呼ぶことがある。ただ当時のスタッフ
はもうほとんど残ってはいない。

 工事区画を越えると、あたりはゴツゴツとした岩場が続く。薄暗い坑道を進む。コツコツと足音が響く。しばらく進む
と、その先に、LED灯で簡易的に照らされた大きめの体育館ほどの空間が広がった。そのいちばん奥が、例の岩盤であ
る。数人のスタッフたちが、携帯型の3Dスキャナを岩盤に向け、内部の解析をしていた。甲児は入口に立ち止まって、し
げしげとその岩盤を見つめた。
「ふーむ」

 これが顔だとした場合、現在、露わになっているのは両目と鼻筋にあたるといえよう。

「……顔に見えなくもないが、顔と言い切れるほどでもないな」

 甲児に気づいた者が声をかける。

「おつかれさまです」

 甲児は、正面の奇妙な岩盤を眺めたまま、おう、と軽く手を挙げて応える。

 よく見ると、岩盤には面ごとに平行な細かい溝がいく本も刻まれていた。岩盤に近づき、指でなぞる。溝は、見事なまで
に、均一な太さ、深さだった。

「ん?」

 溝が一瞬、うっすらと発光したように見えた。怪訝そうな表情を浮かべつつ、甲児はもう一度指でなぞってみる。しかし
変化はない。

「気のせいか……。とはいえ、自然物でないことは間違いなさそうだな」

 甲児は、似たような紋様を、古代ミケーネの神殿を調査したときに見たことがあった。ここがヨーロッパであれば、驚く
べきことではない。しかし、富士山麓に古代ミケーネの遺跡があるというのは、どうにも不自然である。

 ノートPCを片手に解析をしていたスタッフが、甲児に声をかけた。

「スキャン終了しました。解析結果、シェアします」

 ARグラスのフレームをコツコツ、とダブルクリックする甲児。フレームがブブッと震え、実際の風景に、解析結果が透
過したレイヤとして、表示される。

 甲児は短く息を吞んだ。目の前に映し出されたのは、マジンガーともグレートとも異なる魔人の顔だった。

「なるほど」

「下も見てください」

 スタッフの指示で、甲児は視界を下方に動かす。顔に続いて、胸や腕が見える。全体像はこの角度からでは見えない。二
歩三歩と後ろに下がっていく甲児。やがて胴、脚が確認できた。それは、明らかに人型だった。

「巨像か……。大きさは?」

「身長、といっていいのかわかりませんが、観測できる範囲では、およそ六〇〇メートル」

 ミケーネの遺跡群でもこのサイズのものは、前例がない。甲児は、あまりに現実ばなれしたその光景に呆れたように言っ
た。

「さながらマジンガーが乗り込む魔人、といったサイズだな」

 そして、覚悟を決めたようにサングラスを外す。

「現時刻をもって、本現場の調査権は、光子力研究所特務局・兜甲児が預かる。機密レベルはS」

 いわゆるトップシークレットである。これで正確な調査が行われるまで、この遺跡の存在は、世間に知らされることはな
い。地中深くから出た未確認の巨大建造物。本来ならば、発掘と調査で、数年かけたいところだが、プラントの工期は、た
だでさえ遅れ気味だった。どこかで大人の判断をせざるを得ない可能性は高い。そのとき世論と対立することは避けたい。

「なるべく早く、どこかに移設するしかないか……」

 スタッフが困り顔で答える。

「またお金がかかりますね」

 甲児は、ざっと予算を見積もって、その数字にうんざりした。

「問題の解決は、時間をかけるか、金をかけるかの二者択一さ。どちらにせよ、所長 との一悶着は覚悟しなくちゃな」

「ははは、よろしくお願いします」

 甲児とさやかのプライベートな関係を知っている職員は、それを踏まえて笑った。
 そのときだった。

 スタッフのひとりが、場違いな大声を出した。

「うそだろ!? 」

 その場の全員が振り向く。

「どうした?」

 甲児が尋ねると、声を出したスタッフは、自分でも信じられないといった風に答えた。

「内部に生命反応……?」

 甲児は駆け寄り、スタッフが手に持っているタブレットを覗き込む。巨像のちょうど額の部分、マジンガーでいうコク
ピットの部分にアラートが出ている。スタッフがタップすると詳細が表示された。

「わずかながら、温度の上昇がみられます。また心拍に似た振動も感知……どうします?」

「どうしますって……確認するほかあるまい」

 甲児は頭を搔きながらそう答えた。

 スタッフ総出で土を払う。むき出しになった岩盤は、すでに誰の目にも顔だった。スタッフが慎重にレーザーカッターを
あてる。しかし全く歯が立たない。

 スタッフが困ったように言う。

「これ本当に岩なんですか? こいつ、ダイヤモンドだって削れるカッターですよ」

「代わろう」

 甲児が、職員からレーザーカッターを受け取る。出力を最大にする。刃先がブブブと低周波音を発する。それを岩盤に押
し当てる甲児。だが、たしかに切れる気配すらない。

「……なにか別の手を考えるか」

 表面の様子を確認しようと、甲児が右手を伸ばした。

「ん!? 」

 溝がうっすらと青白く発光した。

「なんだ!? 」

 思わず手を離す甲児。すると光は消えた。再び手を伸ばす。溝は、先ほどより強く光った。そのまま手を触れていると、
光は、触れている部分に集約していき、次第に光量を増していった。甲児の手の平に、ほんのりとした温かさが伝わってく
る。

「これは……」

 ミケーネで見た遺跡でこんな反応をしたものはない。

 タブレットを見ていたスタッフが言う。

「熱源、表層部に移動してます!」

「みんな下がれ!」

 叫ぶ甲児。

 スタッフが数メートル後退した。甲児は手を伸ばしたまま、ひとりその場に残っている。すでに溝だけではなく、面全体
が発光を始めている。

「熱源きます! 表層まで距離三、二、一」

 光はますます強くなり、眩しさのあまり甲児は目を細める。もはや何も見えない。そのとき甲児の手の平が、なにか温か
く柔らかいものに押し返された。
「この感触は……?」

 ふと光が消える。甲児の手が触れていたのは、少女の胸部だった。

「なっ!? 」

 赤面する甲児。巨像の顔の前には、全裸の少女がふわりと浮いている。しかし次の瞬間、少女はその姿に見合った重力で
落下した。それを甲児はとっさに支える。

 甲児の腕の中で、少女はぐったりと横たわっている。

「おい! 聞こえるか、おい!」

 少女は、うっすらと目を開ける。さらに呼びかける。

「聞こえるか! 大丈夫か!」

 少女がようやく口を開いた。

「ゴラーゴン……」

 それだけ呟くと少女は、再び目を閉じて気を失った。

 甲児が指示を出した。

「至急、医療チームを呼べ。それから……機密レベルをトリプルSに格上げする……」

 それは、光子力研究所の存続に関わるレベルの情報を扱うときにのみ設定される、機密レベルだった。
 初夏の見事な晴天だった。そびえる富士もまた青い。山々は、新緑に覆われ、陽の光がきらきらと反射している。

 そんな風景の中を五両編成の列車が走っていた。ワインレッドのボディに、Zの文字を意匠した金色のラインが施されて
いる。新富士研究都市環状線である。

 列車は、山を抜け、富士川を渡る。橋脚は、所々、景観に配慮して、強化ガラスが使われているという世界でもめずらし
い工法だった。

《本日は、新富士研究都市環状線にご乗車いただきありがとうございます。この列車は、新富士吉田を出ますと……》

 環状線は、富士山の周囲をぐるりと囲むように走っている。直径およそ三〇キロの去年できたばかりの路線だった。車内
は、平日にもかかわらず親子連れや学生グループ、サラリーマンなどで、ほぼ満席。昼時なこともあって、車内で駅弁を広
げている人もいる。

 進行方向左側、車両の一番前の二人席に、シローとジュンは並んで座っていた。シローが窓側、ジュンが通路側だった。

「すっげー、絵葉書みたいな景色。って絵葉書なんて出したことないけどさ」

 シローは、そう言いながら、スマートフォンで撮った写真をジュンに見せた。

「ほんとだ。この子なんか、絵葉書どころか、ハガキすら出すことない世代になるのかもしれないけど」
 大きいお腹を撫でて、ジュンは笑った。左手の薬指にはシルバーのシンプルな指輪が光っている。グレートマジンガーパ
イロット・剣鉄也との子だった。臨月を迎えているジュンのお腹は、ふんわりとしたクリーム色のワンピースの上からで
も、よく目立つ。

「ほんとに、通路側の席でいいの? こっち眺めいいよ」

「ありがとう、でも大丈夫。お腹大きいとさ、ほんと動くのが面倒でねー。こっちの席の方が移動も何も楽でさ」

 的外れでもなんでも、妊婦をあれこれ気遣ってくれるシローの気持ちが、ジュンはうれしかった。

「今日は、いてくれて助かったよ。このお腹でひとりで外出は不安でね」

「鉄也さんは?」

「仕事。北米勤務が一週間延びちゃって」

「会えると思ったのに」
さ さい

 子供のころから、鉄也に懐いていたシローは、そんな些細 なことで本当にがっかりしているようだった。

「鉄也もシローちゃんに会いたがってたわよ」

「ほんとに!? 」

「ええ」

 シローは、素直に喜んだ。そういう仕草が、子供のころから変わっていないな、とジュンは、微笑ましく思う。ジュンが
はじめて会ったとき、シローは、まだ十一歳だった。戦いに明け暮れる日々だったけれど、無邪気に懐いてくるシローは、
ずっと孤児だった鉄也とジュンにとっては、新鮮な存在で、とてもかわいかった。

「もう軍に入って何年だっけ?」

「十八歳のとき、入ったから……三年かー」

 シローは指折り数えた。

「ほんと入る前に相談してくれればよかったのにー」

 シローは、二人の後を追うように、統合軍に入隊した。

「いや、だってさー。相談して反対されたらどうしよう、とか思うじゃん」

「でもさ、そうすれば……」

 ジュンは、口を尖らせて、頰を赤らめた。

「あー、あれ!?  あれはウケた。だって、入隊式で、いきなり壇上で上官が泣き出すんだよ」

 シローはケラケラ笑った。ジュンは、新兵の中に、シローを見つけ、その晴れの姿に感極まって、うっかりその場で涙し
てしまったのだった。統合軍でも、すっかり有名な笑い話になっている。

 ポーンという音とともに、座席の前に備え付けられているモニタに、光子力研究所のロゴが表示された。光子力研究所の
広報映像だった。

《完全無公害のうえ驚異的なパワーを持つ人類最後のエネルギー・光子力。その光子力は、総合インフラ・光子力ネット
ワークを通じて、電力や通信といった様々な形で、我々の身近な暮らしを支えています》

 モニタには、光子力ネットワークの概念図が表示されている。

《地上だけでなく、極マイクロ波を使い、宇宙空間も活用する光子力ネットワークは、文字通り網の目のように地球上に張
り巡らされています。兜十蔵博士が完成させていた基礎理論を、わずか数年で広く普及させた光子力研究所の功績は、世界
でも高く評価されております》

「ずいぶん自画自賛するなあ。この路線、光子力研、相当お金出してるんだってね」

 シローは口の端を上げて笑った。

「ははは、それで車内で、こんな映像を流してるんだ。さやかも手広くやってるなあ」

 この路線は、主に光子力研究所が出資をした鉄道事業者による第三セクター鉄道である。鉄道だけでなく、このあたりの
地元経済は、光子力研究所に大きく依存していた。

《その光子力の生成から、ネットワークの維持管理を一手に担う大型拠点施設が前方に見える〝フジプラント〟です》

 アナウンスに合わせるように、富士山中腹、宝永火口にある巨大な建築途中の建造物が見えてきた。巨大な足場と、いく
つものクレーンが見える。完成すれば、火口をドーム状の建屋が覆うはずだった。

「あれか……」

 シローが呟いた。

「今日の目的地って本当にあの下なの?」

「そうみたいよ」

 シローは、スマートフォンの地図を見ながらそう言った。今日は、甲児とさやかが、プラントの建設現場で発見された魔
神を見せてくれるという話だった。シローが、ジュンに顔を寄せる。

「光子力研のトップ中のトップシークレットでしょ? オレたち今は統合軍所属の軍人じゃん。知らせていいわけ?」

 シローの素朴な問いに、ジュンは、微笑みながら答えた。

「だからよ」

「?」

 シローは、まだピンとこない様子だった。ジュンは続けた。

「統合軍も、光子力研究所も大きな組織だもの。当然、一枚岩じゃない。軍の内部にも事情を知ってくれている信頼できる
人間がほしい、そして何か軍部で動きがあったときには、知らせるパイプになってほしい、っていうことじゃない?」

「なるほど……ってか、それスパイじゃん。ゆるいな、アニキ」

 シローが顔をしかめる。

「たしかに、そういうとこあるかもね」

 ジュンが遠くを見ながら、笑う。

「甲児にしろ、ウチの鉄也にしろ、良くも悪くも、正義の味方だから……」

「ふーん……」

 線路沿いにフジプラント反対の立て看板が点々と立っていた。シローは、なんとはなしにそれらを見る。景観保護はもち
ろん、騒音反対、生態系を守れ、強引な用地買収をするな、といったものから、光子力炉の危険性を指摘するものまであ
る。

 そんな風景とは裏腹に、映像はフジプラントの完成予想図が流されていた。
ギガワツトアワー

《試運転中の現在でも、最大出力は、電力に換算すると二二〇〇万 GWh にものぼります。完成すれば世界最大の光子力


炉となり、日本のみならず、アジアの光子力需要を一手に担う施設となります》

 富士山のその直下に巨大な光子力だまりが発見されたのが、二十五年前。

 霊峰富士の景観を損ねると建設に反対する声が根強かったが、 ヘルの蜂起、ミケーネ帝国の侵攻で、
大きな被害を受けた日本政府は、復興という錦の御旗のもとにフジプラントの建造許可を出した。強引といえば強引な開発
である。

「正義か……」

 プラントを造る側も、この看板を立てている人たちも、自分では正義のつもりなんだよな、とシローは思う。でも声にす
るほどには、うまく言葉がまとまらない。ただなんとなく、当時、平和のためにと懸命に闘った自分たちが、悪者扱いされ
ているような気持ちになった。
 映像は、すでに国連で演説する弓博士が流れていた。テロップには第百代日本国内閣総理大臣・弓弦之助とある。

「博士、少し老けた?」

 ジュンが、からかうように言うので、シローは笑った。

 数年前、弓博士は、所長の座を娘さやかにゆずり、政界に転身した。しかし、二人にとっては、いまだに弓博士だった。

《旧来のエネルギーでは、こんなに早く世界は復興を成し得なかったでしょう。我々はいま有史以来もっとも平和な時代に
生きていると言っても過言ではないのです》

 映像はそこで終わった。

 列車が、新市街地に入る。風景が一変し、真新しいオフィスビルが立ち並ぶ。ビルの壁面につけられた大型ディスプレイ
には、先ほどまでのプラントに反対する立て看板とは対照的に、プラント開発による明るい未来を期待する映像が流れてい
た。

 そして、斜め上方に伸びている大きな構造物が見える。シローはそれに沿って、視線を上の方にあげていく。すると、先
は見慣れた形の三角形の塔へとつながっていた。旧光子力研究所に似ている。車内アナウンスが流れた。

《この電車は、五分後に新光子力研究所中央センタービル駅に到着します》

「あー、これが新しい光子力研」

 海外勤務の多いシローは、はじめてだった。たしかに塔の形は、かつての光子力研究所に似ている。ただしサイズはぜん
ぜん違う。こちらの方が数倍は大きい。

「前の光子力研究所って、もうすぐ取り壊しちゃうんだって? なんかもったいなくない?」

 ふとシローはジュンに聞いてみた。数年前に旧光子力研究所は閉鎖された。一時期は、保存も検討されたらしいが、維持
管理の費用もバカにならないということで、解体が決定した。跡地は、公園として整備される予定だという。

 てっきりジュンも、そうだね、と言ってくれるかと思いきや、ジュンの回答は、シローの予想外だった。

「そのほうがいいよ。戦争の記憶なんてさ、ないほうがいい」

 ジュンは、お腹を撫でている。シローは、少しだけムキになって続けた。

「せめて平和の象徴って言おうよ。マジンガーだって、博物館で展示されてるんだしさー」

 戦後、マジンガーZは、ミケーネ平和記念博物館、通称マジンガーミュージアムに展示されていた。甲児が軍属になら
ず、研究者の道を選んだため、マジンガーZの処遇に困った光子力研究所が造った施設だった。

 ジュンは、それ以上、なにも言わない。だから、シローも黙ることにした。ただ昔のジュンだったら、同意してくれた気
がした。なんの根拠もないけれど、子供ができたからなのかな、と、ジュンのお腹を見ながらシローは思った。

 列車は減速を始めた。

「ひさしぶりー。もうずいぶんお腹大きくなったねー」

 改札ゲートを抜けたシローとジュンを出迎えたのは、光子力研究所の現所長・弓さやかだった。

 ピンクのシャツに、タイトなデニムのスカートに無造作に白衣をまとっている。若干、昔より大人っぽくなった気はす
る。

 妊婦らしくゆっくり歩くジュンに、さやかが駆け寄る。

「さわっていい?」

「うん」

 そっと撫でるさやか。

「わ、うごく! 三年ぶり? 結婚式以来だよね?」

「その節はお世話になりました」
「いやいやいや。それより鉄也さん元気?」

「……こないだ白髪見つけて落ち込んでた」

 ジュンの言葉に、さやかは笑った。その笑顔は、まったく昔のままだった。

「さやかさん、所長の貫禄ないよね」

 いい意味でさ、と付け加えてシローは言った。

「前任者みたいな貫禄、まだまだ身に付けたくないって」

 そう言うと、さやかは、手元のキーを押した。しばらくすると、遠くから一台の黒いバンが走ってきた。さやかたちの前
で車が止まる。しかし運転席には誰もいない。シローが反応する。

「あれ、レベル5の自動運転? 日本って、もう公道走っていいんだっけ?」

「おもしろそうだからねー。このあたり、日本初の実証実験区域にしたの。いいでしょー」

 大層なことをことも無げに言うさやかに、シローは啞然とした。

「……すげーんだな、所長ってやっぱり」

「いきましょ」

 三人は車に乗り込んだ。

 プラント入口までは、車でほんの数分だった。ゲートでセキュリティチェックを受け、そのあとは地下坑道と呼ばれる、
富士山に掘られたトンネルを通っていく。その途中にもさらにセキュリティがあった。

「甲児のとこまでは、あと二ヶ所あるから」

 さやかの言葉に、シローはうんざり顔をした。巨像の発掘は、プラント開発にとっては、厄介だった。セキュリティの面
ではもちろん計画全体にも影響を及ぼしていた。

「ただでさえ、もう工事が半年、遅れててね。そのうえ、あんな巨像が見つかっちゃったでしょ。もう勘弁してっての。
いっそ埋めちゃおうかと思ったんだけどね」
ゆえん

 さやかは、冗談交じりにそう笑った。そんな空気が、光子力研究所を単なるディベロッパーとは一線を画している所以
なのだろう、とジュンは思った。

 発掘は厳戒態勢のもと、行われていた。

 巨像の全長は、およそ六〇〇メートル。ちょうど像の上半身前側が掘り出されていて、エジプト南部のアブ・シンベル神
らくさん

殿や、中国四川省の楽山 大仏のような趣があった。

 全体に足場が組まれており、ところどころで、スタッフが数人単位のチームになって、調査が行われている。中でも頭部
の周辺には、ひときわ大きな足場が組まれており、幾つものセンサーが額部分の表面に粘着テープで留められていた。そこ
から伸びたケーブルは、束ねられ、ゴンドラ式の詰所にあるリクライニング型の端末に繫がっている。端末は、大型旅客機
のコクピットに似た形状で、座席のまわりには各種コンソール系が所狭しと配置されていた。
ヘツドマウントデイスプレイ

 端末には、少女が座っていた。感覚没入型の大型 HMD が、彼女の胸部から頭部までをすっぽり覆っている。左


右の指先の部分には、入力用のタッチパネルがあり、忙しく指先が動いていた。そして彼女の腕には、ケーブルが直接刺
さっている。それは点滴のように皮膚を通じて、体内に刺さっているのではなく、彼女自身の腕にある、機械的なコネクタ
に直接、刺さっていた。

 詰所の広さは、四×八メートル程度。甲児は、同じく詰所の中にある外部出力のモニタを見ている。そこには、解析ログ
が表示されていた。兜甲児の他、数名の研究員が事務机に座って、作業をしている。

 甲児と少女は、レシーバ越しに会話をしていた。

「チェック終了」

「ターゲットモード時のツリーと比較」
「九九・九九九六%で一致」

「差分をコピー」

「ラジャ」

 短い警告音がして、監視カメラの映像に、さやか、ジュン、シローたち三人がうつる。顔認証システムにより、三人の個
人情報とセキュリティ上問題ない旨が表示された。

「キリもいい、いったん降りよう、リサ」

「はい」

 リサと呼ばれた少女は、自ら腕に刺さっているケーブルを抜いた。コネクタはほんの数秒で見えなくなり、周囲の肌と区
別がつかなくなった。

 シローは、巨像を下から、見上げている。

「でっけぇ~!!  これが発掘された魔神かよ!! 」

 興奮するシローとは対極的に、さやかは、どうも足が進まず、溜息まじりの深呼吸をしている。ジュンがそれに気づく。

「どうしたの?」

「うーん……実はその……」

「甲児とケンカでもしてる?」

「……というか」

 モジモジしているさやかを見て、ジュンは、手をひらひらさせる。

「アンタたち、いい加減、籍入れちゃいなよ」

 既婚者の気楽さだった。けれど、さやかは真顔のまま、ジュンの耳元に顔を寄せて、ひそひそと話す。

「え────!!  別れるぅ!? 」

「おっきい声で言わないで!! 」

 さやかは、真っ赤な顔をして、ジュンの言葉を、大声で打ち消した。ジュンは、声をひそめて、しかし、しっかりと、確
実に、聞いた。

「なんで? 何かあったの?」

「……」

 しばらくの沈黙のあと、さやかが左右に首を振るのを見て、ジュンはようやく腑に落ちた。

「ああ……つまり何もないのね」

 さやかは、こくりと頷いた。この二人なら、さもありなん、とジュンは思った。

「まあ、付き合って何年だっけ? たしかに甲児、そっち方面に関しては典型的なボンクラだしね……。そう思う気持ちも
わからんでもないけど」

「……お父さんも甲児にその気がないなら、次の道を探すように、って」

「そりゃまあねー」

 品定めするように、さやかのつま先から頭の先まで、しげしげとジュンは眺めた。さやかは、身をよじって、視線をかわ
そうとする。

 その仕草は逆効果だろう、とジュンは思った。

「ちょっ、やめてよ」
あまた

「そりゃ、見合い相手は、引く手数多 だろうけど……」
 二人の目の前に、甲児とリサをのせたゴンドラ式の詰所が、ゆっくりと降りてきた。ゴンドラのハッチが開き、甲児が手
をふった。

「こんなところまで、よく来てくれたな、みんな!」

「アニキ! ……ん!? 」

 シローは、甲児に寄り添うように隣に立っているリサに気づいた。青いショートヘアーに青い瞳。首には通信用のヘッド
フォン端末がかかっている。胸元の開いた青いインナーの上に紫色の上着を羽織っており、ショートパンツからは、白い足
がすっと伸びていた。どうみても高校生くらいのルックスで、この発掘現場にはかなり不似合いだった。

「はじめまして~。いつも主人がお世話になっております」

 状況が飲み込めないシローとジュンに、リサが、明るい声であいさつをした。

 文字通り目を丸くして、驚くジュンとシロー。

「しゅ! 主人!? 」

「ちがーう!!!」

 腰に手をあて、眉間にしわを寄せたさやかが、ツカツカとリサの前に歩み出る。

 リサは、大きな目をさらに開いたキョトンとした表情で、

「あれ? 主人間違ってますか? ご主人様の謙譲表現は主人? ですよね?」

 ととぼける。

「あってるけど違う! だいたいねー、ご主人様って呼び方なんとかならないの? こないだも言ったでしょ、その訳おか
しいって」

 強く抗議するさやかだが、リサは一向に意に介す様子はない。

「ミケーネ語だとミストル。英語だとマスター。日本語だとご主人様です」

「アンタ、わざとやってるでしょー! ご主人様ってのは、日本だと別の意味があってねー」

 甲児がわって入る。

「まあ、そう怒るな、さやか」

「なにまんざらでもないって顔してんのよ!」

 あのー、と完全に目尻の下がったシローが、おずおずと話しかけてくる。

「こちらの方は?」

「紹介しよう。新しい魔神のコントロールユニット、リサだ」

「よろしくお願いします!」

 ぺこりと頭をさげるリサ。青い髪がさらさらと揺れる。

「こんとろーるゆにっと? そりゃまたずいぶん珍しい苗字で」

 よく状況が飲み込めていないシローは、間の抜けた返しをする。

「言っただろ? 魔神といっしょに人工知能が発見されたって」

「えっ!?  人工知能って!?  この子がぁ!? 」

 どう見たって、人工知能のイメージとかけ離れている、とシローは素っ頓狂な声を出した。

「ハイ、主人の研究を手伝ってもう三ヶ月になります」

 リサは、頰に手を当てながら、会釈をする。その仕草は、どうみても人だった。

「だから主人ちがーう!」

 ふたたび、さやかは怒鳴った。
 三ヶ月前。
する が

 フジプラントから一時間。熱海のはずれにある駿河 光科大学に、甲児は、バイクで乗り付けた。

 駐車場から、小走りでキャンパスのはずれにあるいちばん古い校舎を目指す。その廊下の一番奥に目当ての研究室はあっ
た。入り口に、木製の看板が掲げられており、見事な毛筆で「光子力研究所熱海分室」と書かれている。

 のっそり博士とせわし博士の研究室だった。

 甲児は、ノックもほどほどに、中へと入る。

「博士! 彼女の件で話って!? 」

 甲児は、巨像と一緒に発見された少女を、昔馴染みの二人の博士に預けていた。発掘現場に駆けつけた医療チームも、そ
のあとの病院も、彼女が生きているのか、死んでいるのか、判断できなかった。脳死とはことなり、脳幹が完全に停止して
いるわけではない。ただ常人では考えられないほど極微弱に機能している。強いて言えば、コールドスリープに近い状態
だった。その解析を甲児は、二人に依頼していた。

 白衣を着たのっそり博士と、せわし博士がニコニコとした笑顔で甲児を出迎えた。先に口を開いたのは、グレーの髪と髭
ほうき

が、上下に箒 のように伸びているせわし博士だった。

「……早かったのう、甲児」

 丸メガネの位置を直しながら、せわし博士は言った。

「まあまあ、ひとつどうじゃ~」

 禿頭に白い口ひげをたくわえたのっそり博士は、手にしているドーナツをにこやかに甲児にすすめた。まだ息を切らせて
いた甲児は、独特のテンポを持つ二人の博士に「……ど、どうも」と言うのが、精一杯だった。

 古い研究室である。何度か改装をしているが、建物自体は昭和初期に建てられたもので、天井や壁には、後付けで設置さ
れたダクトや配線がむき出しになっている。

 真ん中には大きなラボベンチがあった。ただ何かしらの実験を行うというよりは、物置に近かった。ジャンクパーツだ
か、実験装置だか、現役の科学者である甲児にも、わからない様々な器具が所狭しと置かれている。

 甲児は、その横に折りたたみ式のパイプ椅子を出して座った。

 のっそり博士が、コーヒーの入ったマグカップと、ピンク色のチョコでコーティングされたドーナツを、ゆっくりとゆっ
くりと運んできた。甲児はあわてて、机の上のものを避けて、それの置き場所を作って、受け取った。

 せわし博士が、自らのたっぷりとしたアゴヒゲを撫でながら、ひっひっひっと笑う。

「トリプルS機密なんぞ言うから、何事かと思いきや、運び込まれたのが女の子じゃからの。てっきり、さやかに浮気がバ
レたのかと思ったぞ」

 のっそり博士もコーヒーをすすりながら、ニヤニヤしている。
「甲児はなぁ、やっかいごとは、年寄りに押し付けるのがいちばんじゃと思うとるのじゃよ~。なにしろ、ワシら、もうす
ぐあの世行きじゃあ。死人に口なし以上のセキュリティはないからのぉ、ふぉっふぉっ」

 なかなか本題に入らない二人を、甲児は急かした。

「で、彼女の容態は? 彼女のことで話したいことって何です?」

「あー、そうじゃった、そうじゃった」

 と、せわし博士が、膝を叩いた。

「ほれ、のっそり博士」

 のっそり博士は、うむ、と頷いて口を開いた。

「彼女は、実はなあ……」

 のっそり博士が、窓から外を眺めながら、深刻な表情で話し出した。視線の先にあるイチョウの木には、ムクドリがと
まっている。博士は、それからゆっくりとドーナツをかじった。甲児が、そののっそりとした一連の行動に痺れを切らす直
前、ようやく博士は言葉を続けた。

「……人間じゃあない」

「え? じゃあ一体!? 」

 ムクドリが、こちらを見た。

「アンドロイドじゃ」

「ええ──っ!? 」

 甲児の声に驚いたムクドリは、どこかに羽ばたいていく。

「よぉく調べたから、間違いない。到底今の人類の技術力では作れん代物じゃ」

「じゃあ、やっぱり作ったのは?」

 甲児が尋ねると、のっそり博士のメガネがキラリと光った。

「……古代ミケーネ帝国、じゃろうな」

 のっそり博士の言葉に、甲児は深くため息をついた。そして、

「巨像にも、古代ミケーネの遺跡と同じ紋様があった。やはりあの巨像は、ただの石像ではない。機械獣と同じく、かつて
は動いた兵器というわけか……」

 と言った。

「そう考えるのが、道理じゃろうのう。マジンガー、グレートと同等、もしかしたらそれ以上の力を持っていた魔神だった
のかもしれん……」

 そう言うと、のっそり博士は、ふたたびドーナツをかじった。

 せわし博士は、手についたドーナツの粉をはたくと、甲児にタブレットを手渡した。画面には、隔離された部屋で、薄水
色の検査着姿の彼女が、ベッドに横たわっている姿が映し出されていた。脈拍、血圧といったバイタルサインがレイヤで重
ねられていた。

 甲児が見ていると、せわし博士が語り出した。

「彼女は今、この建物の地下にある実験施設に隔離してある。名前がないのも不便でな、Large Intelligence System Agents。頭


文字をとって、リサと呼ぶことにした」

「大規模知的支援システム……リサ……?」

「いまの我々の概念じゃと、人型コンピュータとでも、呼ぶのかの。ほれ、例の量産型マジンガーにも、戦闘補助AIがは
いっているじゃろ?」

「あー。オートマ運転しているみたいだって、パイロットの間じゃ評判の悪い?」

 甲児は、せわし博士の方を見て、そう答えた。
「それじゃそれじゃ。わかりやすくいうと、彼女はあれの進化形じゃなかろうか、とワシらは推測しとる。あのサイズの魔
神じゃ、人間ひとりで操作するには、処理することが多すぎる。圧倒的な演算力で、人と魔神の間を取り持つインターフェ
イスが必要じゃった、という仮説じゃ」

 理屈ではわかるものの、甲児には、眠っている少女にしか見えない。

「今、どういう状態です?」
ろ かく

「生命維持に関する部分だけが機能しておる。人間でいうと植物状態に近い。ただ、むかし、戦闘獣を鹵獲 したときにミ
ケーネ帝国の工業規格はあれこれ調べておいたでな、そのときのノウハウで、なんとか光子力ネットワークと接続して、機
械学習をできるようにしておいた」
けい ぶ

 甲児が、タブレットの画面をピンチアウトすると、リサの上腕と頚部 にあるコネクタにケーブルが刺さっているのが、
大きく表示された。

「機械学習ってあのAIに大量のデータ食わせて、パターンを学習させたりするあの? どうしてまた」
き はつ

「リサの不揮発 性メモリに、自己学習プロトコルが残っとった。あの子は、一定量のデータが蓄積されることで、ふたた
すべ

び起動する仕組みのようじゃ。データ自体ではなく、データを獲得する術 を残したところが、彼女の設計者の思想なん
じゃろうな」

 のっそり博士は、マウスを差し出した。画面には、機械学習を開始するOKのメニューと、取り止めるキャンセルのメ
ニューが表示されている。

「どうする、甲児? 彼女を目覚めさせることも、このまま永遠に眠らせておくこともできるぞ」

 甲児は、マウスに手を置いた。そして昔を懐かしんで言った。

「なんだか、マジンガーに乗る前に、ジイさんに『神にも悪魔にもなれる』と凄まれたときみたいだな」

「……」

 博士たちは、少し寂しそうな表情で、互いの顔を見合わせた。

「あの頃は、まだみんな生きとったなあ。ワシらも若かった」

 せわし博士が、ぼそりと呟いた。研究室の壁には、亡くなったもりもり博士の遺影が飾られていた。

 甲児は、しばらく目をつぶった後、カーソルをOKの上に置き、静かにクリックした。カチリ。

「迷わぬか……。波風を立てぬことより、好奇心が勝ったようじゃの。おじいさん、お父さんと続く、兜家に流れる科学者
の血じゃな」

 せわし博士は、しみじみと言った。

「そんなかっこいいもんじゃないですよ。たんに彼女と目が合ったもんだから、情が湧いただけかもしれない」

「ほほほ。それはそれで、甲児らしいの~」

 のっそり博士は、そう笑った。

 モニタには、いくつものプログレスバーが表示された。バーの進みが極端に速いものもあれば、遅々として進まないもの
もある。バーが百%まで進んだものは消え、また新たなバーが表示された。

 リサの髪が、次第に発光を始める。巨像から発見されたときと同じ光だった。

「はじまったようじゃのー」

 甲児は、ふと思い出して聞いた。

「そういえば、ゴラーゴンって単語に聞き覚えないですか? 彼女を助けたとき、それだけ呟いて気を失ったんです。ミ
ケーネ語で、名詞だと『隣』、動詞だと『おきかえる』という意味らしいんですが」

「ゴラーゴン? うーん、聞いたことないのー。ゴラーゴン、ゴラーゴン……」

 せわし博士は、手元のタブレットをいじる。のっそり博士は、腕を組んで、うーん、と天を仰ぐ。

「おおー、もしかして!」
 のっそり博士がめずらしく素早い動きで、書庫から埃まみれの一冊のファイルを持ってきた。ふーっと息で埃を払い、
ページをめくる。

「これじゃこれじゃ」

 甲児とせわし博士が覗き込む。博士が指差したところに『GO RAGON』とある。

「ラゴン状態になる、という読みじゃと思い込んじゃったが、ゴラーゴンと読めなくもない」

 甲児がファイルを受け取る。

「論文……ですか?」

「じゃな。この中で、任意の次元から、他次元への物理的な干渉現象を『ラゴン』と定義づけておる」

 甲児がタイトルを読み上げる。

「『隣接次元への物理的干渉とその可能性』 著者は……聞いたことないなあ」

 のっそり博士が、重たそうに口を開く。

「 ヘルが、まだ人だった頃の名じゃ」

「 ……ヘル……」
「論文自体は、トンデモあつかいされて、科学の世界では、まったく相手にされていない論文じゃが……読んでみるか?」

「はい」

 甲児は頷いた。

 そのとき、ピー、とアラート音が研究室に響いた。リサの機械学習をモニタリングしているコンピュータからだった。

「なにか、エラーが?」

 甲児が振り向くと、せわし博士がそれを否定した。

「いや、もう終わったんじゃよ」

「だってまだほんの五分も……」

 のっそり博士がポンと甲児の肩に手を置いた。

「じゃから言ったろ。今の人類の技術力では作れんもんじゃて。桁違いなんじゃよ」

 モニタには、ゆっくりと上半身を起こし、監視カメラを見据えるリサが映っていた。甲児は、モニタ越しに、ふたたび彼
女と目を合わせた。
 ふーん、とジュンは感心したようにリサを見て言った。

「人間じゃないんだ、あんた」

「でも機械じゃないんですよ。全身の九一%は生体パーツですし」

 と言いながら、リサは、ジュンのお腹の部分を興味深そうに、じーっと見ている。

「透視能力とかあんの?」

「さすがに、そういう機能は、ちょっとついてないです」

 ジュンが声をかけると、リサは、顔の前で手を振って、あわてて否定した。

「さわってみる?」

「いいんですか!? 」

 リサは、目を輝かせた。緊張した面持ちで、おずおずと手を伸ばし、そっと目を閉じる。

「……すてき」

 リサは、そのままジュンのお腹に頰を寄せて、静かに笑みを浮かべた。

「ほんとに、ひとつの体の中に、二つの心拍がある……。わー、ずいぶんリズムも違うんですねー」

「ははは、そんな言い方されたのは、はじめてだよ」

 ジュンにつられて、みんなも笑う。あわせるように赤子も動いた。

 リサだけが、キョトンとしている。

「私、またなにか変なこと言いましたか? ご主人様」

「ま、いいんじゃないか」

 と甲児は、なにげなくリサの頭を撫でた。それをさやかが睨む。

「……いやらしい」

 さやかの視線に気づいた甲児はパッと手を離した。

「しょうがないだろ、そういう仕様なんだから」

 甲児は、慌てて言い訳をする。

 ひととおりの機械学習を終えたとはいえ、より精度を上げるために、誰かが正しさを教えなくてはならない。教師信号と
呼ばれる人工知能の学習方法だった。頭を撫でることが、リサにとっての教師信号としてプリセットされていた。

「ほんと、製作者のシュミを疑うわ」

 甲児が話の流れを変えようと、取り繕うように説明を始めた。

「オレが発見したとき、彼女のシステムが初期化されていたため、オレを管理者として登録してしまったらしい。実際問
題、彼女がいないと、我々の技術では、この魔神にアクセスすらできない。だからこうして協力してもらってるというわけ
だ」

 甲児は、魔神を見上げる。

「こいつにしたってそうさ。基礎構造解析だけでも人類の科学をゆうに百年は、進化させる発見がいくつもあった」

 んー、とシローはなにかが腑に落ちていない様子だった。
「だけどさ、なんで古代ミケーネの遺跡が富士山の下に埋まってんの? 富士山って何度も噴火してるよね?」

「うーん………」

 と甲児はうなったあと、笑顔で答えた。

「なんでだろうな」

「……おいおい」

 とシローがつっこむ。

「古代からここにあったものではない、としたら?」

「誰かが埋めたっての?」

 甲児は、首を横に振った。

「なあシロー……隣接次元ってわかるか?」

「りんせつじげん?」

 難しい話はしないでくれ、といった風に、シローは、肩をすくめた。

「我々が生きている現実空間のすぐ隣にありつつ、我々には認知できない空間。通常の概念が通用しない未知の世界さ。光
子力みたいな強いエネルギーが集積していると、現実空間と隣接次元の境界面がわずかながら不安定になる。その現象を応
用すれば、エネルギーを物質に転換可能だ。ようするにワープのようなことだって、理論上は可能になるんだよ」

 熱っぽく語る甲児を、さやかは、うさんくさそうな目で見ている。

「じゃあ、このフジプラントにたくさんの光子力があるからミケーネから飛んできたってこと?」

 思わず質問するジュンに、そろそろ耐えきれなくなったさやかが口を挟む。

「あくまで仮説の仮説よ。真に受けないでいいから、そんな荒唐無稽な話。なんか、この人、変な論文読んでかぶれちゃっ
てんのよ、最近」

「そんなんじゃねーよ。いずれにせよ、我々には測りしれない存在であることは間違いない。だから我々は、こいつをこう
呼んでる。マジンガーインフィニティ。無限の魔神というわけさ」

 腰に手を当て、魔神を見上げながら、甲児が反論した。その横顔は、どこか楽しげであった。

「ふーん……」

 と、ジュンが、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「なんだよ?」

 とまどう甲児に、ジュンは続けた。

「甲児、すっかり科学者の顔だなーと思ってさ」

「……そうか?」

 ジュンは、甲児に顔を寄せ、

「いい加減なんとかしてあげなよ」

 とそっと耳打ちをした。ジュンの視線は、さやかを捉えていた。少し離れたところで、リサとさやかとシローは、甲児た
ちを気にせず、インフィニティじゃなく、イマジンガーがいい、ヒマジンガーはどうだ、と些細な話をしている。

 ジュンは、続けた。

「余計なお節介なのはわかってるけど、いつまでも若くないんだからさ。人生にリハーサルはないよ」

「……わかってるよ。けどさ……」

 甲児は言い淀んだ。ジュンは、その様子を見て、ふっと笑う。

「なに十代の片思いしてる男子みたいな顔してんの? 命がけで世界を救った勇者がまったくさあ」

 ジュンは、ポンと甲児の背中を叩いた。甲児は少し頰を赤らめた。
 そのときだった。

 甲高い警告のような音があたりに響いた。みんながキョロキョロする中、さやかはすっとポケットから、スマートフォン
を取り出した。さやかの着信音だった。ただし通常の着信音ではない。光子力研究所からのエマージェンシーコールだっ
た。

「はい、弓です。えっ!?  うん、うん……。……………… そんな」

 さやかの緊迫した表情に、その場の全員が顔を見合わせる。

「了解。とにかく情報収集をよろしく」

 さやかは、そう言って通話をオフにした。それから、みんなの方に向き直る。

「一時間前、テキサスの光子力プラントが、襲撃にあったって」

「襲撃? 一体何者が?」

 甲児の問いに、さやかは、重々しく答えた。

「………機械獣」

「なん……だと……?」

 甲児は、目を見開いた。

「さいわい光子力炉の大破は免れたらしいけど。ただ……」

 とさやかは、ジュンのほうを振り向いて、真剣な顔をした。

「グレートで出撃した鉄也さんの生存信号が確認できないそう……」

 そこまで言うと、さやかは唇を真一文字に結んだ。

「!」

 ジュンは、声にならない声をあげた。
 アメリカ合衆国、テキサス州。

 夜空に、バチバチと音を立てながら、赤々とした火の粉が舞っている。

 光子力プラント「テキサス」のあちこちで、火災が起きていた。消防チームが、懸命の消火活動をしているが、消火する
より早く、新たな火の手が上がっており、なす術がなかった。

 機械獣の大群による襲撃だった。

 双頭のダブラスM2、上腕が伸縮するグロマゼンR9、右手に剣を持ったキングダンX10 。空からは、ヘビのようなボ
ディを持つデスクロスV9、三つの首に六本の脚を持ったジェイサーJ1、翼の生えたロケットのようなフォルムのジェノ
サイダーF9……。その数はゆうに百を超え、なおも増えていた。
 軍事用のオプションをつけた量産型マジンガー・イチナナ式が、ガラダK7に応戦している。ガラダは、頭部の大鎌を抜
き、手に構え、いまにも投げようとしていた。イチナナ式の背後には、光子力炉の建屋が見える。稼働中を示す青白い光
が、建屋から漏れていた。

「安全停止するまででいい! 持たせてくれ!」

 プラントのエンジニアがそう叫んだ。

 光子力炉に向けて、前進して来るガラダ。イチナナ式は、その間に入って腰の高さに構えた二〇〇ミリ短機関銃を放つ。

 だが、ガラダは、大鎌で弾丸を受けて、はじき返した。イチナナ式の弾倉が空になったタイミングを見計らって、ガラダ
は、大鎌をイチナナ式に向かって投げる。大鎌は、回転しながらイチナナ式の正面めがけて飛んでいく。イチナナ式は右に
体を振り、それを避けた。大鎌は、イチナナ式の左肩にあたり、統合軍のロゴのついた装甲が弾き飛ぶ。だが、致命傷では
ない。イチナナ式は、その隙に、腰のパックにつけた予備の弾倉に交換する。しかし、次の瞬間、大鎌は、ブーメランのよ
うに戻ってきて、イチナナ式の左ひざを直撃した。崩れ落ちるイチナナ式。そこに大鎌を構えたガラダが襲いかかる。

 そのときだった。

「マジンガーブレード!!!」

 ガラダの体が、縦に真っ二つに切り裂かれ、爆発した。

 黒いボディに、真紅のVの高熱板。二つの目が炎の向こうで、黄色く光っている。巨大な西洋剣・マジンガーブレードを
手に、仁王立ちしたグレートマジンガーであった。

「大丈夫か?」

 頭部に収納された小型ジェット機・ブレーンコンドルのコクピットにいる剣鉄也が、僚機に声をかけた。イチナナ式は立
ち上がろうとするが、関節のモーターからは、軋む音がするばかりだった。

「光子力エンジン出力があがりません」

 パイロットが報告する。

「グレートブースターをパージして出力を保て」

「ラジャ」

 イチナナ式の背中から、翼型のグレートブースターがはずれ、振動とともに地面に落ちる。重量が軽くなったイチナナ式
は、なんとか立ち上がった。

「六時の方向、新たに機械獣出現。つづいて十時からも来ます」

 別の僚機からの報告が入る。

「ちっ、どうなってんだ! 次から次に湧いてきやがる! こんなにどこに隠れてやがった」

 増える機械獣に鉄也は、戸惑いと苛立ちを覚えていた。 ヘル、ミケーネ帝国を倒してから十年。それ
から三年かけて、残存戦力の掃討を世界中で行なった。機械獣は、もうこの地上に存在しない。それが各国政府を始めとす
る世界中の公式の見解だった。

「CICよりアルファ1。状況を報告せよ」

 統合軍作戦司令部より、通信が入る。

「アルファ1よりCIC! 大破一、中破一、小破一。無傷なのは、グレート一機だけだ。機械獣なおも増加!」

 鉄也は、交信をしながらも、正面から来たダブラスM2の首をマジンガーブレードで刎 ねる。だがその後ろから、次々
と別の機械獣が現れる。その数の多さに、また一歩、また一歩と後退するグレートたち。

「サンダーブレーク!! 」

 敵に指先を向け、たまらず鉄也はそう叫んだ。しかし何も起こらない。サブモニタには、警告音とともに「非承認」のエ
ラーが表示された。鉄也は、ちっ、と舌打ちした。
「ブレストバーンおよびサンダーブレークの使用許可を求める!! 」

 鉄也は、司令部に許可を求めた。すぐに回答が来る。

「プラントに大きな損害を与える特殊兵装の使用は、許可できない」

 グレートたちは、光子力兵器に比べれば、格段に威力の弱い物理兵器のみで戦闘を行っていた。しかし、もう限界なのは
明らかだった。

「このままではじりじりとやられるだけだ!! 」

 鉄也は、叫んだ。

 プラントの中での光子力兵器の使用は、光子力の連鎖反応による誘爆の可能性があるとされ、法律で禁じられている。大
したエビデンスはなかったが、地元自治体の民意への配慮として通された法律だった。法のもと、すべての光子力兵器は、
プラント内および周辺では、使用できないようシステム上で制限がかけられていた。
ふたまる

「増援部隊、二〇 ちょうどに到着予定。それまで当該戦力で中央光子力炉を死守せよ」

 司令部からの指示に、鉄也は毒づく。

「くそったれが!! 」

 そして、苦渋の表情を浮かべながら、

「ニーインパルス・キック!!!!」

 とジェノサイダーF9の腰に、グレートのヒザから突き出た鋭い針をつきたてた。ミサイルを斉射しようとしていたジェ
ノサイダーは、砕け落ちる。

 その先には、光子力炉を止めようとしているエンジニアたちがいた。グレートのマイクが、会話の音声を拾う。

「隔壁内圧力なおも上昇! 自動安全装置起動しません!」

「手動だ! 手動に切り替えろ!」

「ここはアメリカ最大の光子力プラントだぞ。ここをやられたら、北米の電力と通信網は壊滅だ。どれだけの二次被害、三
次被害が出るかわからない!」

 その言葉に、歯を食いしばる鉄也。

 押し寄せる機械獣をとにかく叩き切っていく。

 さらに上空から四機。グレートが剣を持たない左腕を上に向けると、

「ドリルプレッシャーパーンチ!!!」

 と鉄也は叫んだ。左腕が射出され、回転しながら飛んでいき、腕部側面からせり出したプレッシャーカッターが敵を切り
裂いていく。しかし逃した一機がグレートを襲う。

「させるかよ!!! バックスピンキッーク!!!!」

 スネの両側から出たブレードが相手の頭部を切り落とした。

「敵数、減少に転じました!!!」

 僚機からの報告に、鉄也は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 そのときだった。

 背後で、大きな爆発が起きた。

 建屋の裏にいる何者かが、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる影が見えた。ボロボロのイチナナ式だった。しかしその
脚は、地面についておらず、宙にぶら下げられている。イチナナ式は、頭部を何者かに摑まれ、軽々と持ち上げられてい
た。

「た、隊長……」

 呻くような隊員の声が聞こえる。鉄也は身構えた。
「貴方とは、はじめまして、でしたね。剣鉄也」

 その声は、男性的な声と女性的な声の二つが同時に聞こえる奇妙な声だった。

「その声は……」

 何者かが正体を現した。人型のメカであった。グレートよりはるかに大きく、グレートは、相手の腰の高さしかない。声
と同じく、体の右半分は女性的、左半分が男性的な形状となっていた。右手の先には、鞭のような複数の触手が、赤くう
ねっており、左の拳は、イチナナ式を軽々と持ち上げていた。

 その人型は、かつての ヘルの腹心、右半身が女、左半身が男のサイボーグあしゅら男爵にそっくり
だった。

「……あしゅら男爵?」

「ホォーッホッホッホッ!!!」

 男爵は、高笑いを鉄也の問いへの返答とした。

「貴様……死んだはずじゃ」

 鉄也は、戸惑いの色を隠せない。あしゅら男爵は、口元でニヤリと笑った。ぶら下げられているイチナナ式から、通信が
入った。

「コード616、全機退避!」

 自爆装置だった。隊員が、コクピットデッキの右下についている起爆用の物理スイッチを押そうと手を伸ばす。

「させませんよ」

 ぐしゃりという音とともに、アシュラーP1は、ことも無げにイチナナ式の頭を潰した。吊り下げられている部位を失っ
たイチナナ式の首から下は、ボトリと地面に落ちた。

「きさまあああ!!!」

 鉄也の怒りをまったく相手にせず、あしゅら男爵は、辺りを見回し、肩をすくめた。

「ふう、こちらはハズレのようですね」

(ハズレ?)

 どういうことだ、と鉄也は、その言葉の真意を測りかねていた。かろうじて動ける僚機が二体、銃を構えるが、鉄也はそ
れを制した。

「下がれ。こいつはお前らが敵う相手じゃない……」

「賢明ですね」

「マジンガーブレード!!!」

 サブモニタに「承認」と表示され、左脚部から、もう一本、マジンガーブレードが射出される。二本の刀を構えるグレー
ト。鉄也は、司令室に通信をつないだ。

「アルファ1よりCIC。こいつら機械獣の生き残りなんかじゃねえ。あの世から蘇ってきた亡霊だ……」

「……ククク、お相手しましょう。兵装を制限されたアナタじゃ少々物足りないですが」

 あしゅら男爵は、苦笑した。ゆっくりとアシュラーP1は、グレートの方に近づいて来る。右手の赤い触手が、ときお
り、グレートとの間合いを測るように揺れる。

「それはどうかな? 光子力エンジン、リミッター解除!! 」

 鉄也は、操縦レバーの上部についているキーで、解除コードを入力した。グレートの目や放熱板が、うっすらと光り始め
る。関節部分に小さくスパークが走り、分割装甲の隙間からも光が漏れる。
「マジンパワ─────ッ!!!!」

 鉄也は、吠えるように叫んだ。光子力を集中的に使うことで、限界値以上の能力を引き出すマジンパワーに最後の可能性
を賭けた。グレートのコクピット、メインモニタの右上に、マジンパワーの稼働限界をしめすタイマーが表示される。残り
時間は、四十八秒。残存の光子力で、動ける時間は、わずかそれだけだった。カウントダウンが開始される。鉄也は、フッ
かん

トペダルを踏み、操縦桿 を前に倒した。

「うおりゃあああああ!!!!」

 グレートは二本の剣を構え、全速でアシュラーP1に突撃していった。

 上空から見たテキサスプラントは、あちこちで火災が起きていた。その中央から質量のある金属同士がぶつかる重たい音
が響いてくる。一度、二度、三度……。

 そして四十八秒が経ったとき、その音はパタリと止まり、あしゅら男爵の高笑いが聞こえた。

 テキサスプラントから、光子力の青白い光が消え、赤い炎の色だけが荒野に浮かんでいた。

 高度四〇〇キロを飛行している国際宇宙ステーションからは、テキサスを中心に、北米大陸に暗闇が広がっていく様が見
えたという。
 静かに佇むインフィニティの足元で、さやかたちは動揺していた。

「……大丈夫、鉄也だよ?」

 最初に声を出したのは、ジュンだった。

「機械獣なんか、最後、素手で殴ってやっつけるって。これくらいのピンチ、いままで何度もくぐり抜けてきたじゃん!! 」

 いまいちばん辛いはずのジュンの強がりだった。

「そ、そうだよね」

「……鉄也さんだもん!! 」

 さやかとシローも自らに言い聞かせるように頷いた。

 ただ甲児だけは、じっと押し黙っていた。

 冷静さを多少取り戻したさやかが、みんなに声をかける。

「とにかく私はいったん研究所に戻るから。みんなはどうする? いっしょに来てもいいし、軍に出頭するなら、車手配す
るけど」

 その瞬間だった。

 あたりが大きく揺れた。
「地震!? 」

 さやかの反応に、タブレットを見ていた研究員が答える。

「速報でます! え!?  そんな!」

 ありえない、と言った表情の研究員に、甲児が尋ねる。

「どうした!? 」

「震源、ここの頭上。しかも複数です……」

 研究員は、上を見上げた。しかし頭上から石や土がパラパラと落ちてくるので、うまく確認できない。土砂の勢いは増し
ていく。

「待避壕まで、走れ!! 」

 甲児が叫んだ。一同、その声で、五〇メートルほど先にある、鉄骨で補強された小さな待避壕まで走った。妊娠している
ジュンには、付き添うようにリサが走っている。二人が無事に待避壕に入った瞬間、天井部分が大きく崩落した。土煙が吹
き込んでくる。それぞれ腕で、口や鼻を押さえたり、背中を向けたりしてそれを避ける。土煙が落ち着くと、入口はすっか
り土砂で埋まってしまっていた。

 甲児がスマートフォンのライトで辺りを照らし、奥の方に扉があることを確認する。

「大丈夫だ。ここには非常用の脱出トンネルがある。リサとシローは、ジュンに付き添っててくれ。オレとさやかは先に出
て助けを……」

 甲児がそこまで言ったとき、入口を塞いでいた土砂が大きく取り払われた。

 救助が来た、とスタッフたちに安堵が広がった。だが、その先に見えたのは、黒と水色の見慣れぬ重機だった。

「出るな!! 」

 気づいた甲児は、表に出ようとしたスタッフたちを止める。

 しかし手遅れだった。短い銃声がして、スタッフたちがバタバタと倒れる。

 眼の前に、すーっと落下傘で降りて来たのは、古めかしいグレーの軍服に、黒いヘルメットをかぶった兵士たちと、人の
背丈の三、四倍ほどもある機械式の頭部だった。ピンと跳ね上がったカイゼルひげを模したパーツに、甲児は見覚えがあっ
た。

「ほう、ついてる。兜甲児までいるではないか。やはり、あしゅら男爵とは別行動にして正解だったな」

 口の部分が大きく開くと、中から、自らの首を小脇に抱えた軍服の男が出てきた。

「ブロッケン……伯爵!? 」

 甲児は息を吞んだ。

「どういうこと!?  死んだはずじゃ……」

 さやかも戸惑いを隠せない。

「フハハ、死んだはずじゃ、だと? もうとうに何度も死んどるわ、小娘。そうか、さては貴様まだ一度も死んだことない
な?」

 ブロッケン伯爵は、楽しげに高らかに笑った。そして彼が右手を上げると、鉄十字兵たちは甲児たちに銃口を向けた。
さっと拳を構える甲児とシロー。しかし、すぐに後ろからスタッフたちの悲鳴が聞こえる。振り向くと、すでに非常口から
も鉄十字軍団が溢れて来ていた。逃げ場はない。

「安心するがいい。今すぐお前たちをあの世に送ってやろう」

 周囲を見回す甲児。天井にも床にも、他にルートはない。なにかまだ手はあるはずだ、と思ったそのとき、ブロッケン伯
爵の向こうに、詰所として使っていたゴンドラが見えた。ほぼ無傷だった。

「シロー、全員をゴンドラへ誘導するぞ」

 甲児は、シローたちに小声で手早く指示を出した。

「けど、どうやって!? 」
 リサが、すっと甲児のとなりに立った。

「お手伝いします、ご主人様」

「頼む」

「リサちゃんが!? 」

 シローが驚いたそのとき、ブロッケン伯爵が右手をすっと下ろした。

「マジンガーに乗っていない貴様らなど、鉛弾で十分だ。やれい!」

 鉄十字兵たちは、機関銃を撃ちまくる。あたりに土煙が舞う。数秒の斉射ののち、伯爵は異変に気がついた。悲鳴はおろ
か呻く声すら聞こえない。

「!? 」

 伯爵が、右手を真横に出すと、兵たちは機関銃を撃つのをやめた。視界が回復していく。

「ぬあっ!」

 伯爵が見たのは、無数の弾痕がある三×四メートルほどの鉄の板だった。待避壕の床に使われていた現場用の敷鉄板であ
る。リサだった。斉射の直前、リサが鉄板の縁を強く踏み、その反動で浮いた鉄板を盾にしていたのだった。いわゆる畳返
しである。

「前にニンジャムービーで学習して、一度やってみたかったんですよー」

 鉄板を支えているリサは、ことも無げに笑った。そして、今のうちです、というように小さくみんなに目配せすると、フ
すんで

ン! と気合いを入れて、鉄板を兵たちの方に蹴り飛ばした。その重さ、百キロ超。伯爵は既 のところで屈んで避けた
が、勢いのついた鉄板は、両脇にいた兵たちをなぎ倒した。

「すみません。ただの人間じゃなくて」

 リサが、手についた土を払いながら、にっこり微笑んだ。

「……きさま。まさかガミアQのコピーか!? 」

 伯爵は、かつて ヘルが、兜甲児を暗殺するために送り込んだ金髪の少女型アンドロイドの名前を口に
した。

「失礼なこと言わないでください。こっちがオリジナルです!! 」

 口を尖らせ抗議するリサ。

 そして、

「私の方がスペックはずいぶん上ですが」

 と左の拳を前に突き出して構えた。

「その体勢! まさか、ロケットパ……」

 彼がひるんだその瞬間、リサは拳を開いた。あたりが閃光に包まれた。リサの手の平にある光学通信用のコネクタを応用
した目くらましだった。

「うおっ!? 」

 こちらを凝視していた伯爵はじめ兵たちは、しばらく視力を失った。彼の胴は、頭を見失い、制御を失った頭は、リサの
足元に転がって来る。

「まったく私、機械じゃないんですから、腕が飛んだりしたら、危ないじゃないですか!」

 リサは、伯爵を見下ろして、そう抗議した。
「今のままでも十分危ないだろ!」

 言い返すが、なにせ頭だけである。

「もういいぞ、リサ!」

 リサが敵を引きつけている間に、甲児は、全員を連れて、無事、ゴンドラまで逃げていた。

「はーい、今いきまーす」

 そう言うと、リサは、伯爵の頭を力一杯蹴り飛ばした。伯爵の間の抜けた悲鳴があたりにこだまする。

 ゴンドラから、別の非常口を抜け、通路の先の重たい金属性のドアを開けると、そこは駐車場だった。

 さやかは車のキーを取り出すと、キーのグリップの部分にあるフタをスライドさせた。指紋認証用のセンサーが現れる。
さやかが、親指をのせると、駐車場にある車のロックがいっせいに解除された。

「どれでも好きなの乗って!」

 さやかがそう叫ぶと、スタッフたちはそれぞれ車に分乗する。

「災害用のシステムだったけど、こんなに早く役立つとはね」

 さやかは、そうぼやきながら、甲児が運転席に座った赤いセダンの助手席に座った。シローは、横須賀の統合軍基地へ向
かった。

 ジュンとリサは、同じ車の後部座席に座った。ジュンは、少し苦しそうだった。お腹をさすりながら、息を切らしてい
る。腹部に負担をかけないよう、シートベルトの位置を調整している。

 外は、すでに機械獣があふれていた。

「飛ばすぞ」

 甲児は、そう言うと、オートパイロットをオフにした。安全のため自動運転をオンにしてください、という車の音声警告
を無視して、ギアを入れる。キュルキュルキュルと後輪を滑らせて、向きを変えると、甲児は、光子力研究所へとアクセル
を踏み込んだ。
 御殿場市内。

 交差点の信号機の向こうを、バッファローのような湾曲したツノを持ったグレイダーF3が横切っていく。

 Tシャツにキャップ姿の若者が、その様子をスマートフォンで撮影している。彼だけではなかった。多くの人たちが、物
珍しそうにスマートフォンを機械獣に向けている。

 グレイダーF3が振り向いた。

 おお、というどよめきとともに、人々は一斉にシャッターを切る。

 グレイダーF3の目が徐々に光を帯びていく。次の瞬間、熱を帯びた強い光がアスファルトごと人々を焼き切った。レー
ザー光線である。まともに浴びた数人は、瞬時に蒸発し、その近くにいた人は、体の一部を失った。

「きゃあああああ!!!!!」

 という悲鳴が沸き起こり、まだ生きていた人々は、後ろを向いて逃げ出した。

 そこをグレイダーF3が、口から火炎放射で追い立てる。

 オフィスビルでは、ヘルメットをかぶったスーツ姿の会社員たちが、訓練通りに整列して、避難を開始していた。

「荷物は持たず! 走らず! 順序良く逃げてくださーい!! 」

 防災、という黄色と黒の腕章をつけた社員が、ドアの横で拡声器で指示を出している。そのとき、作業中のデータを保存
しようと、最後まで机に座っていた社員が、わあっ! という声をあげた。

 窓の外から覗いていたのは、ヘルメットをかぶった巨大な骸骨、スケルトンO7であった。あわてた社員たちが出口に殺
到する。

 スケルトンO7が口を開くと、人々は耳を押さえ、その場にうずくまり悶え苦しんだ。中には、耳から血を流し、口から
泡を吹いている者もいる。可聴領域をはるかに超えた音を直接脳内で響かせる発狂音波だった。

 予期していなかった機械獣の襲来に、人々は、なすすべがなかった。

 機械獣たちは、富士山の宝永火口にあるフジプラントを目指していた。

 機械獣たちの咆哮が、一帯に響き渡る。その声は、次第になにかの言葉をなしているように聞こえてくる。

「ご……らー……ご……ん、……ご……らーごん、……ごらーごん……」

 機械獣による白昼の百鬼夜行は、真言を唱えている行者の群れのようにも見えた。

 新光子力研究所に到着したさやかは、すでにコントロールルームで指揮をとっていた。全高千メートルにも達する研究所
の九〇〇メートル地点に光子力研究所コントロールセンターはある。大きめの体育館ほどの広さがあり、前面から上面にか
けては、強化ガラスで覆われており、研究都市の街並みが一望できた。

 室内は二層構造。一層目が、光子力プラントおよび光子力ネットワークの管理、二層目が、各種実験やテストなどの臨時
ミッションの管理に充てられている。壁面には、大小合わせて、百枚以上のモニタが埋め込まれていて、光子力炉やネット
ワークのログやパラメーターが所狭しと表示されていた。

 五十名ほどのスタッフがつめており、それぞれに大型の専用端末が与えられている。二層目の中央に、情報が集約される
デッキがあり、そこにさやかはいた。

「光子力ネットワーク。出力さらに七ポイント低下」

 若いオペレーターが、冷静な声で現況をさやかに報告する。スタッフの平均年齢は若く、この部屋には、旧光子力研究所
時代から勤めるスタッフはもういない。
とま こ まい

「民間プロバイダにさらに帯域制限。ライフライン維持を最優先。苫小牧 と関ヶ原、佐渡島の出力を一〇二%まであげ
て」

「限界値を超えます」
「どれも私が設計から携わった光子力炉です。スペック的には問題ありません」

 緊急用回線の入電を知らせるコールが鳴る。

「首相官邸です。正面モニタに回します」

 オペレーターが、手元のタッチパネルに映っている入電を知らせるウインドウを、正面モニタを示すボックスにドロップ
する。正面ガラスの一部がモニタに変わり、グレーのスーツを着た弓首相が大きく映った。後ろには日本庭園のホログラム
が見える。

「おお、さやか。無事だったか。プラントへ行っていたと聞いたから、心配したぞ」

 そう安堵する弓首相の顔は、完全に親のそれであった。さやかはそんな親心を、むしろ見下すように、キッと弓首相をモ
ニタ越しににらんだ。

「お気遣いありがとうございます。ですが総理! 情報提供が遅すぎます。地元自治体へはウチから情報提供をしている状
況です」

「いや……その……ご協力に感謝する。いま緊急の安保理会議が終わった……」

 国の対応の遅さに対するさやかのもっともすぎる指摘に、弓はたじろいだ。

 安保理会議といっても、対面で行うのは年に数回。ほとんどはオンライン上で行われる。VR空間で開催され、三百六十
度の視野が確保され、音声、映像のディレイも、ほぼゼロに近い。それもまた光子力ネットワークの賜物であった。

「……で? 何が決まったんですか?」

「テキサスプラントとフジプラント、ともに ヘル一派の残党による第一級テロ行為と認定された」

 第一級、ということは、各国の軍隊ではなく、統合軍が積極的に関与することになる。ここまで来る最中に見た市街地は
相当な惨状を呈している。統合軍による救助支援は、一刻も早く積極的に受け入れたい。その点は評価できると、さやかは
考えた。

 ただ、引っかかるポイントがあった。

「残党?」

「そうだ。奴らが、再び人類を混乱に陥れようと起こしたテロ行為ということだ」

「待ってください! ありえませんよ! 我々が、あの戦いの後、どれだけくまなく世界中を探索したと思ってるんです
か!? 」

 戦後、アフリカに展開していたピグマン子爵をはじめとして、世界には、 ヘル、ミケーネ帝国の残党
がまだ数多くいた。それを掃討したのが、マジンガーZ、グレートマジンガーを中心として編成された『ミケーネ調査団』
である。

 自衛隊ではなく、光子力研究所、科学要塞研究所という民間研究機関が、強大な暴力装置とも呼べるマジンガーシリーズ
を海外に派兵することは、法的根拠に乏しく、あくまでも、遺跡発掘調査、という名目での派遣だった。

 そんな法の目をくぐるようなやり方に、批判の声もあったが、それでもさやかたちは、完全なる平和を目指し、それを成
し遂げた。そのことはさやかの誇りだった。それを気軽に、残党、などとは言って欲しくない。

「私もこの目で、ブロッケン伯爵を見ました。あれは間違い無くブロッケン伯爵本人です。決して生き残りなどではない。
何らかの未知なる現象により、ブロッケン伯爵が生き返った。いくら非常識ではあっても、そう考える方が妥当です!」

 さやかは、自らの胸に手を当てて、そう主張した。しかし、弓は、さやかの憤りに正面から答えることはしなかった。

「いまは現実的な対応策を考える時だ。……七日後に武力によるフジプラントの奪還のための軍事作戦を行なう。ついては
甲児くんの参加を要請する」

 さやかは言葉を失う。

「……ちょっ……なに言ってんの…………。 彼、いま研究者ですよ!?  とっくに現役退いた人間をどうするつもり?」

「わかっている。……だが鉄也くんが行方不明ないま、甲児くんが戦場に立ってくれれば、現場の士気が上がる」

 弓は、理解を求める。しかし、さやかは、あからさまに怒りの表情を浮かべた。

「どうせ甲児の知名度を利用して、無茶な作戦に反発する声を抑え込もうというプロパガンダでしょ!?  だいたい今や、光
子力研は、光子力の平和利用を目的とした研究機関です。職員を軍事作戦に、しかも兵士として参加させるわけにはいきま
せん!」

 自分のパートナーを政治利用することに対する抗議と、光子力研究所所長としての抗議。その両面からの抗議に、弓は
困った表情を浮かべた。首相の立場としては、甲児の作戦参加は容認せざるを得ない。しかし娘を思う親の立場としては、
さやかの気持ちを、弓は、痛いほど理解できた。

「たしかに我々は光子力のおかげで復興を成し得た。ただし人々の心の傷まではまだ完全に癒えたわけではない。我々に
は、わかりやすい希望が必要なんだよ」

 弓は、さやかを諭すように、言った。それは、首相、親の立場を超えた、弓の偽らざる気持ちであった。

「……いつまで世界は彼におんぶにだっこなんですか!」

「これは命令ではない。ただ日本政府からの強い要請だ。現実的な回答を期待する」

 さやかの言葉には、この世界の理不尽さに対する悔しさがにじんでいた。しかし弓の中では、首相としての自分が、親と
しての自分を抑え込んだ。

「……彼はもう十分戦った。世界を、人類を、何度も滅亡の危機から救った。もう十分働いたのに……」

 さやかの声は震えていた。

「すまない。わかってくれ……」

 弓がそう言うと、さやかは回線をオフにして、唇をきつく嚙みしめた。

 その日の深夜、弓首相は、国民に向け、自ら会見を行なった。

「現時刻をもって、国家非常事態宣言を発令する」

 プラントから五キロ圏を即日、立入禁止区域に指定。プラントから駿河湾方面に向けて、二〇キロ圏は、避難計画に従っ
て、順次避難ということになった。人口四〇万人を一週間で、疎開させるという前例のない計画だった。

 沼津駅前のロータリーは、避難する沢山の人であふれていた。

 上部に大型モニタが付いている警察の広報用車が《落ち着いて避難してください。手荷物はひとり二つまでです》という
メッセージと、政府広報のCMを流していた。兜甲児が出演するCMだった。

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

 急遽、撮影された政府の広報CMは、テレビ、街頭モニタ、動画サイトなど、多くのところで流れていた。避難用のバス
を待つ幾人かがそれを見上げた。

「そういや兜甲児、次の作戦に参加するんだって?」

「子供のとき、よくニュースで見たよなあ、マジンガーZ」

「機械獣軍団ってさ、前に一度は、やっつけた敵だろ? 本気出せば、楽勝だって話じゃん」

 学生と思しき、男性二人組が、スマートフォンを片手に、そんな話をしている。SNSを中心に広まったそんなウワサ
は、人々を勇気づけていた。

 フジプラント奪還作戦は「タゴノウラ作戦」と命名された。
やまべのあかひと たか ね

 万葉集に収録されている山部赤人 の《田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺 に 雪は降りける》にち


なんでの命名である。

 フジプラントを含め、富士山が見渡せる駿河湾内に、統合軍第三艦隊の強襲揚陸艦、空母、イージス艦などのおよそ四〇
隻が集結していた。
ひとふたまるまる

「なにもたついてんだよ! 一二〇〇 には、補給準備終わってるはずだろ?」

「作戦要綱の最新版、サーバにアップされてんぞ!」

 あちこちで怒声が飛び交っている。どの艦の甲板も、作戦を前に、兵器と弾薬とケーブルと人で慌ただしかった。

 旗艦である揚陸指揮艦ピースキーパーにとっては、初の実戦だった。
どきゆう

 一昨年できたばかりで、乗員三千五百名を誇る超弩級 艦である。指揮艦は、一般的には、通信・探索が主任務であり、
武装はほとんど積んでいない。しかし、このピースキーパーには、量産型マジンガー・イチナナ式も艦載されており、専用
のカタパルトデッキが四本設置されていた。
ゆえん

 そのあたりが揚陸指揮艦たる所以 であった。

「ポート開放一番から八番。補助AIチューリング開始。光子力エンジン出力、待機モードからAモードへ移行」

 作戦に参加するイチナナ式は、すでにカタパルト射出用の格納庫に移動している。しかし、ピースキーパーの第三甲板最
きつりつ

後部のヘリポートスペースに、一台だけむき出しのまま、イチナナ式が屹立 していた。デッキに固定されたままで、動く
気配はない。

 他のイチナナ式とは、カラーリングが異なっていた。第三艦隊所属のイチナナ式は、水色とくすんだ青で塗装されている
のに対し、この機体は、胸と肩、腰は黒。下腕と下肢は濃いブルーで塗り分けられている。本作戦のために特別に作られた
マジンガーZカラーリングのイチナナ式であった。兜甲児の本作戦への正式参加が決定したことを受けて、急遽、塗られた
ものであった。

 足元には、多くの人だかりができている。甲児を囲む軍広報部主催のマスコミ取材であった。

「勝利への意気込みをぜひ!」

 記者が、甲児にマイクを向けた。青を基調に作られた統合軍のパイロットスーツを着た甲児は、にこやかにカメラのフ
ラッシュを浴びていた。

「この作戦は今後の我々の平和と自由を守るための正義の戦いです。必ずご期待に添えるようがんばります!」

 両手を後ろ手に組み、背筋を伸ばして、爽やかに答える。

「ひさしぶりのマジンガー搭乗ですが、いかがですか?」

「軍の訓練プログラムは終えたので不安はありません! と言いたいところですが、せいぜい若い皆さんの足を引っ張らな
いよう気をつけたいと思います」

 甲児が、冗談めかしてそう言うと、場は笑いに包まれた。甲児の近くで、腕時計をチラチラとチェックしながら、頃合い
を見計らっていた広報官が、甲児の前にすっと割って入る。

「では、これから撮影に入りますので!」

 合図を受けて、軍艦には不似合いな軽快なポップミュージックがかかった。記者たちが、待ち構えていたかのように一斉
にレンズを向ける。甲児はひるんだ。その場でただひとりだけ、状況を把握できていない甲児は、あたりを見回した。

「ヘイ!」

 突然の掛け声とともに左右から二人ずつ、計四人の女性が甲児を囲むように飛び出してきた。そして音楽にあわせて、煽
情的なポーズを次々ととる。

 甲児は狼狽した。

 彼女たちは、全員、胸の下、みぞおちのあたりまで極端に胸元が開いた、ハイレッグの赤いコスチュームを身にまとって
いる。そして、脚には赤いピンヒールのロングブーツ、手には同じく赤いロンググローブ。そしてなにより、甲児のごく至
でん ぶ

近距離で、布の面積よりも、肌の露出が明らかに多い臀部 を左右に振っている。

 彼女らは、ひとしきり踊ると、
「勇気りんりん! 戦うあなたの守り神! 統合軍所属アイドル・マジンガールズでっす♡」

 とポーズを決めた。フラッシュが一斉にたかれる。

「……!? 」

 そういえば、女性士官との記念撮影があるとは聞いていたけれど、と甲児は思い出した。

(士官……?)

 言われてみれば、首元の詰襟のようなデザインにかろうじて、軍服の名残があるような気がしないでもない。ただ少なく
とも、甲児が想像していた士官とは、大きくイメージがかけ離れていた。

 そんな甲児の戸惑いに有無を言わせないかのごとく、彼女たちの豊満なボディのあちらこちらが、右から左から、絶え間
なく甲児に押し付けられる。いずれにせよ、甲児ひとりのときより、明らかに多くのフラッシュがパシャパシャとたかれて
いるのは事実だった。

「はい。右目線お願いします」

「次、左お願いします」

「はい、甲児さん、もっと笑って!」

 甲児は、言われるがままに、引きつった笑みを浮かべる他ない。

 その最中だった。甲児は、幾人かの兵士たちが、遠巻きに、私物と思われるスマートフォンやカメラで、こちらを撮影し
ていることに気がついた。

「?」

 腕を伸ばして、自撮りしている者もいる。上官が通りかかったが、特に注意する気配もない。次第にその人数は増えて
いった。マジンガールズは、そんなに人気があるのか。甲児がそう思ったとき、カメラマンが、

「今度は、敬礼ポーズをお願いしまーす!」

 と注文を出した。

 マジンガールズが、スッと背筋を伸ばし、口角をキュッとあげた写真映えの良い笑顔で、敬礼をする。あわてて、甲児も
敬礼をした。

 次の瞬間だった。離れたところから見ていた兵士たちが、一斉に敬礼をした。全員が真剣な表情である。甲児は驚いた。
マジンガールズのうち、センターポジションにいるリーダー格の髪の長い女性が、甲児にそっと耳打ちをする。

「彼らはみな、かつてマジンガーや甲児さんたちに憧れ、自分も平和を守る仕事に就きたい。そう思って、統合軍に入った
者たちです。……かくいう私たちもそうですが」

 と、頰を少し赤らめた。

 そういうことだったのか、と甲児は、敬礼する指先を、あらためて伸ばした。

「……アーアー」

 ザザ、という短いノイズのあと、甲板に備え付けられているスピーカーから、声が流れた。

「皆、そのままで聞いてくれ。第三艦隊司令官アキラ・キャンベルである」

 撮影しているカメラマンたちの手が止まった。

 艦橋内の司令室の中央にある艦長席に、司令官であるアキラ・キャンベル大将は座っていた。白い制服の肩の部分にある
階級章には、大将を示す四つの星が付いている。有線式のハンドマイクを握った彼は、話を続ける。

「皆も既に知っているように、本作戦には、かの英雄・兜甲児氏が特別参加してくれた。我々は皆、あなたのおかげで先の
戦いを生きのびることができた。そしていまあなたと共に人々のために戦うことができることをこころより誇りに思う。兵
たち全員にかわって礼を言わせてほしい」

 一瞬の静寂のあと、敬礼していた兵士たちが力強く右手を上げた。

「うぉぉおおおおおおおお!!!!!!!」
 その声は、次第にピースキーパーだけでなく、艦隊全体に広がっていく。まるで地響きのようであった。甲児は、その歓
声の意味をかみしめるように、静かに目をつぶった。

「十秒前……五、四、三、二、一……オペレーション『タゴノウラ』を開始しました」

 ほどなくして、作戦のカウントダウンが始まった。

 カタパルトの轟音とともに、ピースキーパーの両翼にいる空母ハテルマ、イースターから、F37 ステルス戦闘攻撃機
が、次々に発艦する。上空で五機ずつの編隊を組み、作戦空域へと向かう。

 イチナナ式のコクピットでは、青いパイロットスーツに、黒いヘルメットをかぶったシローが発艦許可を待っている。ヘ
ルメットの中央、ちょうど額の部分には漢字で赤く「参」と書かれている。シローは三番隊の小隊長を務めていた。小隊の
ロゴを決めるのは、隊長の特権だ。漢字を使ったのは、日本人だから。赤くしたのは、マジンガーZ、グレートマジンガー
のコクピットでもあるパイルダー、ブレーンコンドルが赤だから、という理由だった。

「認識番号A00007 兜シロー」

「本人と認めます」

 シローが声紋認証を行うと、操縦をサポートする補助AIが、音声とともに画面に『承認』の文字を表示した。

「マジンガー小隊のトップを取るのはオレたち三番隊だ! 気合い入れてくぞ!! 」

 ARバイザーを降ろしながら、シローは部下を鼓舞した。

「ウッス!! 」

 ヘッドフォン越しに聞こえる部下たちの声には、士気の高さがうかがえ頼もしい。シローは、ニヤリと笑う。

「イチナナ式、三番隊射出準備よし!」

「三番隊射出準備確認」

 シローの気合いの入った声に、オペレーターが復唱で答える。巨大な油圧ピストンが、メインカタパルトを押し上げ、仰
角を合わせていく。

「仰角合わせよーし。進路クリア。三番隊装塡開始」

 イチナナ式の射出は、発艦カプセルと呼ばれるカプセルに、イチナナ式を格納し、弾丸のように打ち出すカプセルカタパ
ルト方式と呼ばれるスタイルである。

 戦闘機と異なり、イチナナ式は、より複雑な形状の人型だ。しゃがんだ状態、もしくは立った状態では、腰や股関節が射
出時のGに耐えられず、結果、このような方法が採用された。本来は、カプセルの回収、落下地点への配慮などから、海上
や砂漠などでしか運用されないものだった。

「よく日本政府は、カプセルの市街地への落下を容認しましたね」

 部下が、シローに尋ねた。

「航続距離を考えたら仕方あるまい。それに市街地とは言っても、避難区域だ。いまは誰もいない」

 市民には、自分の住んでいた地域で、このような軍事行動が行われることは、知らされていない。シローはそのことを思
うと、大きく息を吸い込んだ。

「けど……」

 いま自分にできることは、目の前の作戦を成功させることだけだ、と心の中で誓う。シローのカプセルが、装塡された。

「射出 ーっ!!!」

 一昔前のロケット並みの加速度で、シローたちのカプセルは、ピースキーパーから撃ち出された。

「カプセルパージ、三、二、一……パージ!」

 沿岸より、内陸に五キロ入った地点で、カプセルは、空中で二つにわれた。カプセルは、市街地に向けて落ちて行く。で
きれば何もない空き地にでも落ちてほしい。

 機体が反転し、陽の光が、コクピットに直接、差し込んでくる。シローは、眩しさのあまり少し目を細めると、すぐに
キャノピーが明るさを自動補正した。晴天のもとそびえる青い富士山が前方に見える。シローは、その風景を見ながら、ほ
んの数日前、ジュンと一緒に列車の中から見た書き割りのような富士山のことを思い出した。

「……鉄也さん」

 シローは、小さく呟いた。死んだとは思っていない。この作戦が終わったら、自分もテキサスへ探しに行こう。シロー
かん

は、そう決心すると、操縦桿 を握りなおし、スクランダーのアフターバーナーを噴かして、さらに加速した。

 新光子力研究所は、富士山山頂とフジプラントを結ぶ直線の延長線上にある。プラントからは、わずか直線距離で五キロ
しかない。本来であれば、民間人である研究所の所員は、避難しなくてはならないのだが、フジプラント及び光子力ネット
ワークへの不測の事態があったときに対処するため、多くの者が、研究所に残っていた。

「光子力バリア展開」

「展開します」

 さやかの命令で、新光子力研究所の周囲にある八本のバリア放射装置から、バリアが放射される。それぞれの放射装置か
ら発せられたバリアは、はじめは互いに不定形に結びついているが、次第に六角形に安定し、研究所全体を覆っていく。ほ
んのりとした水色のバリアは、すべてを覆うとホワイトバランスが調整され、モニタには自然な色として映る。

 研究所の前方、駿河湾方面から、後方の富士山方向に向けて艦載機、イチナナ式が飛行していく。
いと

 さやかは、緊張していた。危険な仕事に、厭 わず参加してくれた所員をひとりたりとも傷つけてはならない。所長とし
ての覚悟だった。

「……はじまったわね」

 さやかは、隣にいるリサになんとはなしに言った。声が、緊張しているのが自分でもわかる。

「ご主人様が戦闘に参加することで、戦局が有利に働く合理的な理由が不明です」

「反対?」

 不満なのか困惑しているのか、はっきりしない表情で、そう漏らすリサに、さやかは尋ねた。

「反対ではなく、無意味だとしか考えられません」

 即答だった。さやかは、理解できないこと自体に、この子は不満を感じているのだ、とリサの気持ちを理解して、少し表
情を緩めた。

「後方に立ってるだけだって言うしね。もちろん現場の人たちだって、いまさら現役退いた人に前線で大きい顔されても困
るだろうけど」

「……さやかさん!」

「仕方ないじゃない。やっかまれてるのよ、ウチ」

「?」

 さやかは声のトーンを落として、話を続けた。

「この研究所は、光子力に関する研究結果を一定期間ののちすべて公開しなくてはならないの。そのかわりに莫大な補助
金、制約のない幅広い研究テーマ、その他、多くの特例を受けてきた。けれど光子力が実用化して十数年、世界中で光子力
の研究が進むいま、この研究所の必要性に疑問を持っている人も増えてきている」

 前線で行われている戦闘だろう。爆発の炎と煙がモニタに映る。

「でもね、光子力の平和利用を理念にかかげる我々が常に最先端を走っていなかったら、どこかの誰かが悪用したときにそ
すべ

れを止める術 がない」

「……そのためにさやかさんは、ご主人様を戦場に?」

 そう正面切って言われてしまうと、さやかは、すぐに、うん、と頷くことはできなかった。お金のため、研究テーマのた
め。どちらもしっくりこない。しばらく下を向いてから、さやかは顔を上げた。

「自由を守るってね、わりと不自由なことなのよ」
 毅然とした表情で、正面を見据えてそう言った。

 リサの目に涙が浮かぶ。

「……いいんですか、それで!」

 いつの間にこの子は、こんな感情を理解し、そして表現するようになったのだろう、とさやかは驚いた。子供をあやすよ
うに、ポンポンと頭に手を当てた。

「ほらー、機械のくせに生意気にそんな顔しないの……。このまま作戦がうまくいってくれれば問題ないわけだし」

 リサの目から堪えていたであろう涙が溢れる。

「もう機械、機械、言わないでくださいよー」

 リサは涙をぬぐいながらそう言った。

「イチナナ式三個小隊、中央溝に到達した模様。第二層を制圧開始」

 オペレーターが、作戦が予定通り進捗していることを知らせた。

 フジプラントの巨大な縦穴・中央溝では、シロー率いるイチナナ式三番隊が、二機ずつの二つのコンビになり、敵を撃破
おとり

していく。シロー機が、味方を囮 に、機械獣の脳天に、直上からマジンガーブレードを刺した。

「五つめ!」

 胸にダイヤが埋まっていて、左手が湾曲した刀になっているブルタスM3だった。立て続けに補助AIが、

《六時の方向に敵反応》

 とサジェストした。背面カメラを確認すると、赤い鎧のキングダンX10 が、西洋剣を構えて、こちらに向かってきてい
た。シロー機は、振り返りざまに、マジンガーブレードを構え、その剣を受けるふりをしつつ、僚機が、

「ロケットパーンチ!! 」

 と右腕を放ち、キングダンの胴の真ん中に風穴を開けた。

「よおし!」

 小隊の撃墜スコアは、これで二〇。悪くない、とシローは自信を深めた。

「テキサスの悲劇は、運用に問題があっただけだ。イチナナ式は決して弱い機体ではない」

 シローはひとりごちる。

「ウワサの敵幹部は出てきませんね」

「ああー、ブロッケンか。オレたちが強すぎてビビってんだろ」

 シローは軽口を叩いた。みんなが笑う。

 あながち単なる冗談だとは思っていない。テキサスプラントの教訓を生かし、今回はプラント内でも使用できる実弾系武
装を中心にしたし、そもそもの戦力も違う。

「単独での性能はともかく、チームで運用すれば、イチナナ式は、マジンガーやグレートにもまったく引けを取らない。む
しろ上だ。行くぞ!」

 シローは、心からそう思っていた。

 ピースキーパーの司令室は、慌ただしかった。

 大型モニタには、俯瞰でみた戦局がリアルタイムで表示されており、部隊ごとに部隊長のカメラ映像が、サブウインドウ
で表示されている。

 各艦、各部隊との通信オペレーターだけで、三十人以上いる。さらに索敵オペレーターが八人。戦況分析をしている士官
が六人。副長は二人。
 作戦開始前に、艦長は甲児に、

「いっそ艦長席に座ってほしい」

 と冗談交じりに言ったが、もちろん丁重に断った。甲児が「どこかみなさんの邪魔にならないところで」と言うと、モニ
タがよく見える席を用意してくれた。

 甲児は、こんな大規模な戦闘というものを経験したことがない。いや、敵が大多数だったことは、何度もあった。ただ、
味方の数は、いつも数えるほどだった。

「どうですか?」

 と艦長が、甲児にコーヒーを差し出しながらたずねた。

「僕らが経験した戦闘とはまるで別物ですね」

 と甲児は、それを受け取りながら答えた。

 艦長は、少し笑った。

「言われた場所で、言われた通りに戦う。そして言われた通りの戦果を出す。これがいちばん難しいんです」

「わかる気はします」

 統合軍に入った、鉄也やジュン、シローが日頃こんなことをやっているのかと思うと、ほとほと感心するとともに、やは
り自分にはつくづく無理だったな、と、コーヒーを一口飲んだ。なかなか美味しいコーヒーだった。

 戦局は、統合軍の優勢ですすんでいた。

 メインモニタに映る俯瞰図の中のM3というアイコンが、シローたちの部隊である。シローたちは、フジプラント中央溝
最深部へと到達したようだった。

「三番隊。これより第四層Dブロックにかかる」

 ここはインフィニティの研究区画があるエリアだった。

 今回の作戦の最深部であり、作戦の難易度はもっとも高く分類されている場所だったが、シローは、そこを担当すること
を自ら志願した。スパイはできないけど、こういうことなら、というシローなりの兄への配慮だった。

 第四層Dブロックに三番隊四機のうち二機が先に着地した。すばやく互いに背中合わせに立ち、互いの死角をカバーし、
索敵をする。

「クリア!」「クリア!」

 その次の瞬間、残りの二機が次のポイントまで進行する。

 先ほどの二機は、今度はカバーに入る。

「クリア!」「クリア!」

 それを繰り返しながら、三番隊はDブロックを進んでいった。この層に入ってから、一度も敵に遭遇しない。ポイントご
とにおいてきた索敵用ドローンにも、反応はない。いやに静かだった。

「あとは、ここだけか」

 目の前に隔壁がある。この向こうがインフィニティ研究区画だった。

(……この先でブロッケンが待ち伏せ?)

 念のため、シローは、ハンドサインで、小隊に無線の使用を禁じた。

 そして、隔壁を右手で指差してから、手首をひねり、手を開いた。奇襲をかけよう、という合図である。僚機が腰につけ
たパックからC6プラスチック爆弾をとりだしセットする。残りの三機は、周囲を警戒する。そして、設置が完了すると、
全機、安全位置まで後退した。

 三、二、一……爆破。
かが

 ちょうどイチナナ式が屈 んで通過できる程度の穴が、隔壁に開いた。目くらましの照明灯を投げ込み、素早く四機とも
突入する。二機ずつ左右に展開し、壁を背に、全員が異なった角度に二〇〇ミリ短機関銃を構える。しかし辺りは静まり
返っている。

「?」

 そこは、シローたちが鉄十字兵と戦ったときの瓦礫そのままだった。リサが投げた鉄板も打ち捨てられている。ただた
だ、もぬけの殻であった。照明灯が光を失っていく。シローは、光学センサーに、熱センサー、光子力センサーのデータを
レイヤで重ねた。やはり、なんの反応もない。そして、一歩、また一歩と警戒しながら、前に進む。また一歩、また一歩。
…………………… コツン。
 イチナナ式の脚に当たって瓦礫の転がる音が妙に響く。

 シローは、ハッとして、そびえ立っているはずのインフィニティの方を向いた。だが、ついこのあいだまで、インフィニ
ティがあった場所には、何もなく、ただむきだしの岩肌があるだけだった。

 シローは、思わずキャノピーを開け、コクピットに立ち上がった。そしてヘルメットを取り、見上げた。

「うそ……だろ……? あんなでかいものを一体どうやって……」

 ピースキーパーの司令室に、レッドコールが入った。

 作戦自体に支障をきたすようなコールのときにのみ使うエマージェンシー用のコールだった。

「こちら三番隊兜シロー、インフィニティ確認できず! くりかえすインフィニティ、所在を確認でき…………」

 通信にノイズが混じる。メインモニタの表示もノイズが混じったタイミングから、リフレッシュされなくなった。

「三番隊、状況を報告してください。三番隊?」

 オペレーターの呼びかけにも応答はない。

 甲児は、すっかり冷めたコーヒーを椅子の横についている小さなテーブルに置いた。司令室の正面に捉えていた、富士山
の宝永火口の上空に黒い雲が渦巻き出しているのが、肉眼でもはっきり確認できた。ちょうど笠雲を二つ上下に合わせたよ
うな形をしている。真ん中が細く、上と下が広い8の字を縦に潰したような形だ。次第にその大きさを増している。

 ピースキーパーのオペレーターが状況を報告する。

「宝永火口上空で急激な気圧の低下を確認。九六○ヘクトパスカル……九五○……九四○! マウントフジ上空で急激な気圧
の低下を確認。現地標準大気圧より八〇%に減圧。七五、七〇%、なおも低下中。現地の瞬間最大風速……秒速一二〇メー
トル!? 」

 あたりの海面が、さざ波立つ。

「なんだ! 敵の新兵器か!? 」

 艦長が叫んだ。

「わかりません!」

「拡大しろ!」

 メインモニタに雲が大きく映し出された。上下の雲は、それぞれ逆方向に回転しているようである。幾本もの雷がそこを
つなぐように走る。ときおり巻き込まれた何かが爆発しているのが見えた。ただそれがイチナナ式なのか、機械獣なのか、
その両方なのか、この距離からではこれ以上は、判断がつかない。炎も煙もすぐに雲に吸い込まれていく。

 甲児の脳裏にリサを発見したときの「……ゴラーゴン」という声が耳に蘇った。

 新光子力研究所のコントロールルームは、より宝永火口に近いぶん、その影響を強く受けていた。

 木や車などが強風で宙に舞い上がり、それが光子力バリアにぶつかる。そのたびにバリアが青白く発光した。バリアの強
度はまだ余裕があったが、地表を通じて、激しい振動が伝わり、コントロールルームは、大きな地震のように揺れていた。

 上下の雲のつなぎ目、いちばん細くなっている部分に、わずかに雲が切れた拍子に、何かが見える。それは黒い小さな球
体だった。

「ありったけのセンサーで、台風の目をモニタリング!」

「ラジャ!」

 さやかの指示で黒い球体が、手元のモニタに表示された。周囲に、うっすらと青いゆらめきが見えた。安定しておらず、
不規則に形状を変えている。

 さやかは、それをさらにピンチアウトして、拡大した。光学レンズの限界を超えたため、粒子の荒れた画像が表示される
が、すぐに画像補正がかかり、なめらかな画像に切り替わる。青いゆらめきの中に蠢く幾何学模様が見える。

「ヘスターレン発光!?  ……重力変動をリアルタイムでこちらに流して!」

 オペレーターが端末を操作する。モニタ上部のメインメニューから二段階下の階層に入り、重力変動と書かれたメニュー
をタップし、右上のタスクエリアの最上段に置いた。

「出ます!」

 さやかのモニタに、XYZ軸をベースにした白いマトリクスが表示された。規則正しく直行しているはずのXYZ軸が、
黒い球体を取り巻く直径六〇〇メートルほどの空間だけは、ぐにゃりと線が曲がっている。中には曲がっているだけでな
く、ひとつの交点から、三本以上の軸が生えていたり、途中で消滅している軸もある。

「……時間が止まってる? まさか! 隣接次元の仮説が正しかったとでもいうの!? 」

 さやかは、目を疑った。

 その後ろで、リサはじっと台風の目を見つめていた。いや、見つめていた、というよりは、自らの意思とは関係なく、そ
の方向に視線を強制的に固定されていた。眼球が左右に小刻みに震えている。まばたきもせず、表情も変わらない。感情を
なくしたというよりは、表情を管制することを放棄しているようだった。瞳が、発見されたときや、機械学習をしたときと
同じく、徐々に青く発光を始めた。
 リサは、青い光が溢れる空間にいた。

 それは、さやかがヘスターレン発光と呼んだ光と同じ青であり、またリサの輝いた瞳と同じ青だった。幾何学模様が浮か
んでは、形を変え、やがて消えていく。リサは、その空間に、上とも下ともなく、漂っていた。

「ここ……は?」

 うっすらと目を開けたリサが、ぼんやりとしたまま呟いた。
くし くし くし び

「そんなことも忘れたのか……。ここは《くしびの間》だ。霊 びであり、奇 びであり、櫛美 なり。……すべてを紡ぐ源で


ある」

 声のする方を振り返ると、マントを着て、杖を持った男が立っていた。頭髪は白く、肩よりも長く、口ひげ、あごひげも
また白く長い。肌は静脈のような青紫色で、生者とは思えぬ色だった。そして、すべてを見抜こうとするかのような鋭い目
つきをしている。
 その男は、かつて ヘルと呼ばれた男に瓜二つであった。

「……源……そう……ゴラーゴン」

 リサは、ぼんやりとしたまま答える。
うつわ

「さすがにアレの名は覚えていたか。魔神の究極の兵器 であり、貴様の存在意義……」
うつわ

「究極の……兵器 ……」
おう む

 リサは、記憶を確認するかのように鸚鵡 返しをした。

「この力を手にした者が、この世は存在に値しないと判断したなら、この世界と、並行世界の中から望みの可能性の世界を
置き換えることができる」

 男はそう言うと、杖を空間に突き立てた。リサの背面がさざ波のようにゆれる。その向こうに、巨大な影が、うっすらと
見える。その影は、魔神インフィニティのように見えた。

「こいつは神にも悪魔にもなる」

 男はすでにいない。ただ声だけがそこに響き渡っていた。

「そして神であり、悪魔である」

 影が空間全体に満ちていく。やがてリサの手や足、体が飲み込まれ、見えなくなっていく。すべてが闇に飲み込まれる直
前、顔だけになったリサは、大きく目を見開いた。
 黒い球体は、コントロールルームから、肉眼でもはっきりと確認できる大きさになっていた。

「……逃げてっ!! 」

 リサが叫んだ。その声にコントロールルームの全員が振り向いた。

 次の瞬間だった。

 球体の中から、大きな箱状の物体が現れた。出るにつれ、魚眼レンズで覗いたかのように、どんどん大きくなる。それは
幅が五〇メートルはあろうかという、巨大な拳だった。指を開くと、そのまま付近でホバリングしていた戦闘用ヘリをいと

も簡単に薙 ぎ払った。さらに雲に飲み込まれないように、必死にバーニアを噴かしていたイチナナ式は、気流を乱され、
制御を失った。

 続いて、巨大な脚、胸部、腹部、最後に頭部が現れる。
 宝永火口にそびえ立ったのは、地下にいるはずのインフィニティであった。しかし、もはやプラントの地下にあったころ
の朽ちた石像の面影はない。全身は磨き上げられた鉱物のように輝いており、その目には光が宿っていた。胸には、炎を模
したような鈍く光る赤いプレートが、左右に三枚ずつついている。まごうことなき魔神であった。

 インフィニティが、拳を腰の高さで構える。あまりの巨大さゆえ、その動きは、相対的に緩慢に見える。インフィニティ
くろがね

は、世界を見下すようにわずかに首を下げると、咆哮をあげた。周囲に機械獣を従えた、その姿は、まさに 鉄 の城であっ
た。

 ピースキーパーの司令室は、想定外の事態に混乱していた。

「こちらCIC。こちらCIC。全機状況を報告せよ。こちらCIC……」

 オペレーターのインカムには、ノイズしか入らない。

「……な、なんだあれは」

 艦長は、やおら立ち上がり、額から冷たい汗を垂らした。

「データベースにない機体です!」

「全機に後退するように伝えろ!」

「ダメです、ノイズなお増大。通信障害範囲拡大中!! 」

「モールスでも、照明弾でもいい! あらゆるチャネルで、呼びかけを続けろ!」

 艦長の声が司令室に響く。

「甲児さん、念のため、安全区画に……ん?」

 艦長が甲児の方を振り向くと、そこには、冷めたコーヒーだけが置いてあった。

 甲児は、艦内の通路を走っていた。

 まさか連中が、インフィニティを起動させられるとは思っていなかった。いや違う。完全に朽ちているもので、再び起動
する可能性があるとは、みじんも思っていなかったのだ。甲児は、自分の無能さに、腹を立てた。

「ちっ!」

 甲児は、撮影会で敬礼した若い兵士たちのことを案じていた。先にその可能性に気がついていれば、作戦の立てようも変
わったはずだ。何度かエレベーターに乗り、ダクトがむき出しの通路を走る。

 格納庫へ着いた。昔の団地なら、ゆうに三、四棟は入りそうな空間だった。一列に十二機分のイチナナ式用ドッグが四列
ある。甲児は、薄暗い中、デッキを先へと進んだ。ほぼすべての機体が出払っていた。たまに残っていてもメンテナンス中
で装甲などが外されている機体ばかりだった。さらに進むと、いちばん奥に一台だけイチナナ式が残っていた。

「これか……」

 先ほどの会見で使われたマジンガーZカラーリングの機体だった。

 甲児は、道すがら拝借したヘルメットをかぶり、コクピットに乗り込むと、五点式のシートベルトで体を固定する。フッ
トペダルを踏みながら、起動キーを押す。一斉に計器が光りだし、システムが立ち上がる。いくつかの設定の確認を終える
と補助AIがサポートする。

《認証番号をどうぞ》

「Z000002 兜甲児」

 訓練のときに使用した甲児のコードである。

 モニタに『限定』の文字が表示された。

《武器の使用は禁止されております》

「飛べれば、十分だ」

 デッキの上の回転灯が点灯し、イチナナ式の発射カプセルへの収納が始まる。発射カプセルは、ちょうど茶筒のフタと本
体のように上下にわかれている。まず下部カプセルがせり上がってきて、あとからカプセル上部が降りてくる。

「誰だー? 出撃許可出てないぞ!? 」

 大柄な整備主任が怒鳴りながら、近づいてきた。手に持ったタブレットで命令書を確認している。すでに下部カプセル
は、イチナナ式をすっぽりと覆っていた。降りてくる上部カプセルに手をかけ、中を覗き込む。

「勝手なことをすると……って兜甲児……さん!? 」

 コクピットを覗き込んだ整備主任は、素っ頓狂な声をあげた。

「困ります! 何やってんっすか!! 」

 整備主任は、屈みながら声を張り上げた。

 もう上下のカプセルの距離は一メートルもなかった。

「このままでは全滅だ。オレが前線で撤退を支援する」

 計器類をチェックしながら甲児が答える。

「無茶言わないでください!」

 もう隙間は、わずかしかない。整備主任は、あたかも土下座をするような姿勢で、デッキに頭をつけ、懇願した。

「勘弁してください!」

「責任ならオレがとる」

 甲児は、ストレッチをするように、コクピットで首や手首を回しながら、そう言った。カプセルがロックされて、モニタ
に外の様子が映った。真っ先に見えたのは、床に帽子を叩きつける整備主任だった。

 インフィニティのまわりでは、息を吹き返したかのように機械獣たちが、攻勢を強めていた。先ほどからの混乱で、部隊
として機能していないイチナナ式も多い。また一機、また一機と個別に撃破されている。

 インフィニティの関節や装甲の隙間からは、無数のケーブルが垂れ下がっていた。中でも腰の部分からは、何本もの一〇
メートル超の太いケーブルが生えており、一メートル程の太さに枝分かれし、イチナナ式を捕らえる。

 ケーブルは、それぞれ独立した動きをしており、何かを探しているかのように蠢いていた。さらにケーブルの先は枝分か
れし、イチナナ式の装甲や関節の隙間から、機体の内部へと侵食する。それはどこか植物の根の成長をタイムラプスで見た
光景にも似ていた。

 プラントの陰から、ケーブルに向けて、短機関銃を放っていたイチナナ式も、弾切れの瞬間、ケーブルに右脚を侵入され
てしまう。すかさず、マジンガーブレードで右脚を断つ。しかしそこに複数の機械獣が迫ってくる。

 じりじりと詰められる間合い。スクランダーで脱出のチャンスをうかがうものの、片脚が無いため、身動きは不自由だっ
た。表情を持たないはずの機械獣たちが、ほくそ笑んでいるように見える。

「う、うわーっ!! 」

 機械獣が、とどめを刺そうと、それぞれの特殊兵装を繰り出した。

 そのときである。機械獣の目の前にいたイチナナ式が忽然と消えた。攻撃のやり場を失った機械獣たちは、互いの攻撃で
相打ちとなった。

 甲児の機体だった。背中のスクランダーでケーブルを切断した甲児機が、イチナナ式の腕をつかんで、上空へ退避させ
た。

「撤退だ! 全機撤退をしろ!」

 甲児は、外部スピーカーを最大音量にして叫んだ。この通信障害の中で、甲児は、この方法しか思いつかなかった。

 コクピットで警告音が甲高く鳴る。

《右上方熱源多数》

 甲児機の補助AIが、警告を発した。
 甲児が見上げると、ミサイルとしか呼びようのない飛翔体が、大きく広げたインフィニティの両手から大量に射出されて
いた。

「あんなもん撃てるなんて、聞いてねえぞ!? 」

 甲児は思わず叫んだ。

 インフィニティと同じ材質と思われる黒光りした円筒状の物体が、誘導式のミサイルのように飛んできた。青い例の光で
軌跡を作りつつ、統合軍の機体を追尾している。

《熱源三〇、五〇、一〇〇》

「ちっ!」

 武装のない甲児機は、ひたすら回避するほかない。

 すぐ目の前を飛んでいたイチナナ式が反転して、胸の放射板から、石筒に向けてブレストファイヤーを放った。

「ブレストファイヤー!! 」

 射線上に、たくさんの小さな爆発が広がり、炎の壁が広がる。しかし壁を突き破るように、あらたなミサイルが飛んでき
て、そのイチナナ式は撃墜されてしまった。

 そんな光景が、戦場のあちらこちらで繰り広げられていた。

「くっ……!」

 甲児機がようやく弾幕を切り抜け、体勢を立て直したとき、味方機の数は半減していた。インフィニティを見上げる。

「これがあのインフィニティなら、誰かが、何らかの方法で、玉座にアクセスしたはずだ」

 インフィニティの調査中、甲児たちは頭部にインフィニティの知覚と運動機能の処理を司る部位を見つけた。人間で言え
ば、小脳に近い。ただ風化が激しく、甲児たちは、アクセスすることはできなかった。ただ、ここを掌握して、インフィニ
ティを動かしていたのだろうという推論をたて、玉座と命名した。

「そこを壊せば、こいつは機能を停止するはず」

 甲児機は、機体をひねりつつ機械獣をかわし、上昇を続けた。

「武装はなくとも!」

 甲児は、イチナナ式の自爆プロトコルを起動し、脱出の七秒後に爆発するようにセットし、安全装置を外した。インフィ
ニティの頭上まで到達した甲児は、玉座に手をかける。

 そのときだった。

「うそ……だ……ろ?」

 眼前に現れた玉座に固定されていたのは、テキサスプラントで行方不明になったはずのグレートマジンガーだった。

 ブレーンコンドルが見える。コクピットをのぞく。大量のケーブルに覆われていたが、その隙間から見えたのは、かつて
いっしょに戦ったあの友だった。

 下半身と両腕がケーブルに侵食され、身動きが取れないようだった。

「鉄也……?」

 甲児は、息を吞む。

 鉄也は憤怒の表情をしていた。額や首に浮いている筋が、血管なのか、はたまた体内まで入り込んだケーブルなのか区別
がつかない。

「鉄也!!  鉄也ー!! 」

 甲児の呼びかけに、鉄矢の眼球だけが反応したように見えた。

《一五〇メートル下方、高エネルギー反応》

 補助AIがアラートを発する。インフィニティの胸のプレートが赤く発光していた。

(この出力のブレストファイヤーだと!? )
 インフィニティのプレートは、単純な面積の換算で、マジンガーのおよそ一万二千倍ある。ちっ、と舌打ちすると、甲児
機は、玉座を離れて、外部スピーカーで味方に向けて叫んだ。

「散れ! とにかく射線上から出るんだ!! 」

 甲児の機体を、下からブレストファイヤーの赤い光が照らしていく。

 見たことのない光の帯だった。

 敵も味方も、音も立てずに蒸発していく。大地は削られ、川は干上がった。
あしたか

 インフィニティがゆっくりと振り向くと、光もそれにあわせて、ゆっくりと動く。富士山の南にある愛鷹 山は丸くえぐ
られ、駿河湾は激しく沸騰した。

 光は、次第に、新富士市研究都市に向けられた。南海トラフ地震が直下で起きても安全という設計で造られたはずのビル
群が、あっさりと崩れていく。小高い丘の上にあったマジンガーミュージアムも展示してあったマジンガーZごと跡形も無
くなってしまった。

 そしてついに光は、新光子力研究所に達する。

 コントロールルームが、次第に真っ赤に染まっていく。

「直撃します!」

「最大出力! 急いで!」

 さやかが叫んだ直後、赤い光が白く輝くバリアに直撃した。

 研究所が備蓄している光子力をバリアがみるみる消費していく。

「バリア消失まで、あと五秒!」

 バリアの色が薄くなる。六角形のバリアが、一枚、また一枚、と破損し、漏れ入った赤い光が、建物を溶かす。コント
ロールルームの屋根も一部が削り取られた。うわああ、という悲鳴と共に、立っていたスタッフは一斉によろける。端末の
縁につかまり、なんとか耐えたさやかは、

「海側のバリアの出力をすべて富士山側へ!」

 と命じた。これ以上は打つ手がない。

「甲児……」とさやかが思わず口に出した直後、光はようやく収束した。

「みんな大丈夫!? 」

 リサに支えられながら、さやかが言った。コントロールルームのあちこちから、大丈夫です、平気です、と返答がある。
重篤な負傷者はいなかった。さやかは安堵した。

 しかしその直後、耳をつんざくような激しいアラートが鳴り響いた。

 光子力ネットワークの管理システムだった。セキュリティ画面に、警告を示すウインドウが、次々に開く。ネットワーク
の寸断が、東海地方を中心に全国に広がっていく。

「光子力ネットワークに大規模クラッキング進行中」

「侵入経路複数。物理的に回線に介入している模様。思考防壁、対応間に合いません」

 すべてのモニタが暗転した。

「うわあ!」

 一層に座っているオペレーターが叫びながら飛び退いた。端末の隙間がこじ開けられ、中から小指の太さほどのケーブル
がこちらを窺うように左右に動いていた。インフィニティのケーブルの末端だった。

 そして、すべてのスピーカーから、聞き覚えのあるあの声がした。

「久しぶりだな、人類よ」
「まさかそんな……」

 さやかは、目を見開いた。忘れようにも忘れられない声だった。全身に鳥肌が立つ。勝手に正面モニタがつく。そこには
あの男が映っていた。

「 ……ヘル……」
 リサの目がうっすらと青みを帯びる。

「このたびの我々の目的はただひとつ。それは……人類との共存共栄」

 さやかはギリッと奥歯を嚙みしめた。

「我々は、現時刻よりいくばくかの光子力エネルギーを徴収させていただく。この行為を妨げないかぎり、我々は人類に対
し武力を行使しない」

 モニタに向かって、さやかは眉間にしわを寄せ叫んだ。

「独裁者が何を言うか!! 」

 リサの目が、さらに青さを増した。

「……ゴラーゴンが始まる」

 そう呟くと、リサは気を失い、その場に倒れた。

 甲児の乗ったイチナナ式は、衝撃波に巻き込まれ、インフィニティの足元で動かなくなっていた。甲児は割れたキャノ
ピーを内側から叩き割ると、イチナナ式の上に立って、ヘルメットを片手に、インフィニティを見上げた。

「私は、互いに不幸な歴史を乗り越え、これ以上の無駄な血を流すことなく、心から共存共栄をもとめるものである」

 コクピットの残ったモニタからは、ヘルが正義を語る声が聞こえた。

 甲児は、背中を向けたままだった。
 国道一号線は、避難する車と人であふれていた。避難所へ向かう長い列である。いちばん外側の車道が歩道として開放さ
れており、十数メートルおきに誘導する警察官が立っていた。

 新東名高速道路はインフィニティの熱線で一部が消失し、封鎖された。東名高速道路は、南の絶対防衛線として、統合軍
の戦車および戦闘ヘリが配備され、一般車両は通行禁止となっていた。

 統合軍は、インフィニティの熱線の射程範囲をおよそ四〇キロと発表。それに合わせて、日本政府は、立入禁止区域を大
幅に拡大した。近隣の小田原、静岡だけでは、避難民を収容しきれず、横浜、東京、名古屋などにも、順次、避難所が作ら
れていたが、それでも十分とは言えない状況だった。

 警察官に、人の流れに逆らって歩いてきた初老の女性が、話しかける。

「すぐそこのマンションなんですけど、ちょっと忘れ物をしてしまって……」

 困った様子の女性が指差した先には、二十階建てほどのクリーム色のマンションが建っていた。距離にして、二〇〇メー
トルといったところである。

「すみません。ここから先は、一般の方の立ち入りはできません」

「大事なものなんです。ほんの十分、いや五分でもいいんです!」

 女性は、必死な表情で訴える。ほんの一時間までは、自由に行き来できた場所だった。しかしそこに通じる道路には、す
でに「立入禁止」と書かれた赤と白のテープが貼られていた。

 遠くで爆発音がした。あたりに小さな悲鳴とどよめきが起きる。女性も警察官も音のする方角を見た。ただここからで
は、煙すら見えず、機械獣によるものなのか、そうでないのかもわからない。

「……もうしわけありません。ご協力ください」

 向き直った警察官は、頭を下げた。女性は、うつむきながら頷いて、避難の列に戻っていく。

 新富士市の旧市街地にある古い木造住宅の二階の窓辺にジュンは佇んでいた。海からはそう近いわけではないが、風向き
によっては、ときおり潮の香りがする。今日はそんな日だった。六〇年代に建てられた建物で、いまは借家だ。元は、酒屋
だった、と不動産屋には聞いている。

 窓の下を大きな荷物を持った親子連れが、避難していく。

 ジュンの足元には、まだ荷造りが終わっていないトランクが開いたままになっていた。いちばん上には、母子手帳と産婦
人科の入院のしおりが載っている。

 ジュンがお腹をさすると、中から子供が蹴り返してきた。

「……ごめんね」

 ジュンは微笑もうと思ったが、うまく笑えなかった。

 鉄也とここに住んで、もう十年近くになる。
 ジュンと鉄也が、ギシギシと軋む急な階段を上がると、そこは、八畳の和室だった。見取り図によると、隣にはもう一間
あるようだった。昔ながらの押入れをはじめ、たしかに収納は多い。でもなあ、とジュンは洗面台の蛇口を指先でつまむよ
うにひねった。

「水回りは、新しくしてあるそうですが、それでもこの築年数なので、それなりの……」

 不動産屋は、正直、この物件はオススメしない、というわかりやすい口ぶりで話した。

「軍のパイロットさんといえば、相当な高給取りですよねえ?」

「……ねえ、まあ」

 ジュンは曖昧な返事をする。

 最新のタワーマンションをいくつも見たあとのこの物件である。不動産屋がぼやきたくなる気持ちは、ジュンにもよくわ
かった。けれど、鉄也はそんなことは少しも気にしていないようで、うれしそうに部屋を見回すと、窓を開け放った。ふ
わっと風が吹き込んでくる。少しだけ潮の香りがした。

「やっぱりこういった古い街はいいなあ」

 街は、すでに夕焼け色に染まっていた。すぐ下の路地では、子供たちが、アスファルトにチョークでいくつも円を描い
て、けんぱけんぱ、けんぱけんぱ、と遊んでいる。

「でもちょっと狭くない?」

 ジュンがそう言うと、

「こういうのだよ」

 と、鉄也は静かに笑った。

 ジュンには意味がわからずにいると、鉄也は、首の後ろをかいた。ジュンの前でしかしない、照れを隠すときの仕草だっ
た。

「いやさ……子供のころ憧れてたんだ。それこそ夕方になるとカレーの匂いがするような街にさ。ずっと施設育ちだったか
らかなあ」

 ジュンと鉄也は、二人とも孤児だ。施設で知り合った二人は、今日の今日まで、ずっと一緒に過ごしてきた。

「どうも立派な官舎暮らしは落ち着かない性分でな。昔ながらの商店街があって、近くに顔なじみなんかもたくさんできて
さ、そんな風な街で子供を作って、家族で暮らしたい。いいかな」

 鉄也は、ジュンの手を握った。ジュンは、こぼれた涙をぬぐいながら、こくりと頷いた。
 あの日と変わらない夕暮れだった。

 ただ、遠くに見える山肌は、熱線で削られ、地表がむき出しになっている。インフィニティから生えたケーブルは、この
辺りにも伸びていて、路面は凸凹していた。ところどころにあるひび割れからは、ケーブルの一部がゆっくりと点滅してい
るのが見える。
《こちらの地域はいますぐ戦闘地域になることはありませんが、避難が推奨されています。市民のみなさまは落ち着いて行
動してください》

 避難を促す無人広報車が前の路地をゆっくりと走っていく。

 もう子供の声も、カレーの匂いもしない。ジュンは、お腹を押さえながら、立ち上がると、もう一度、ゆっくりと見回し
てから、部屋を出た。

 再び、オンライン上で、安保理会議が開催されていた。

 先日の ヘルの〝共存共栄宣言〟をどう受け止めるか、が主な議題である。

 参加国は、常任理事国と準常任理事国をあわせ、二十カ国。各国の首脳や特任大使たちが円卓を囲んでいる。日本は、戦
後、光子力と超合金Zに関する特許使用を平和利用に限る、という条件のもと、すべて無償とした。それが新国連の常任理
事国入りの対価だった。

 その交渉を、光子力研究所所長の立場で行なったのが、現在の弓首相だった。

 議論は、各国の立場を交え、白熱していた。

「テロリストの脅迫に屈することは断固として認められない! それはこの新国連の原理原則である。国際社会一丸となっ
て積極的に圧力をかけるべきだ!」

「いいや、まずは交渉のチャネルを用意し、あくまで話し合いによる解決を目指すべきだ!」

「奴が以前、人類に対して何をしたのか忘れたのか!」

「問題は過去ではない、現在だ!」

 議場は、抗戦派と対話派、あとは出方を見守って、どちらについたほうが自国の利益が大きいかを見極めようとしている
国々にわかれていた。

 対話派の首脳が、資料の提出の許可を求める。議長がそれを認めた。

「これは我が国の情報収集衛星が当該区域を撮影したものです」

 真上から見た富士山一帯の画像が、各国代表の前にそれぞれあるモニタに映った。粗い画像だったが、インフィニティの
上にグレートマジンガーがいることは判別できる。

「グレートのパイロット剣鉄也といえば、世界的な英雄だ。それが今度は、世界を滅ぼさんとしているとしたら、大変な問
題だ。勝てる勝てないの話ではない。軍事作戦のうんぬん前に、まず情報を世間に明らかにすべきでしょう」

「彼は、テキサスプラントで撃墜された。それは事実だ」

 抗戦派はそう答えたが、対話派は一歩も引かない。

「あなたの国の衛星は、この程度の情報も収集できないんですか?」

 対話派の挑発的な発言に抗戦派は、どんと机を叩いた。

「どんな詳細な写真であれ、本人であることをどうやって証明する! だいたい ヘルだって本当に本人
かどうかあやしいもんだ。すべて偽者と考えた方が辻褄は合う。むしろ剣鉄也の弔い合戦だ。問題は、目の前の現実の脅威
ですよ。排除すれば、自ずと事実ははっきりする!」

「勇ましいことを言うのは簡単だ! しかし統合軍の実力で排除できるとは思えない。テロに屈しない、などという原理原
則に縛られて、現実を見ていないのはそちらだ!  ヘルが徴収すると言っている光子力は日本が負担す
る。それなら問題ないでしょう?」

「一度でもテロに屈してしまえば、必ず第二、第三のヘルが現れる。人類の未来を放棄したのと同じだ。核だ! 核を使え
ばいい! 我が国は統合軍に、核兵器を提供する用意がある!」

「統合軍は、核兵器禁止条約に準じた軍であることをお忘れか!」

 双方がそこまで言うと、場は、静まり返った。両国とも旧国連時代にも常任理事国だった国だ。そして冷戦時代から、常
に対立していた国でもある。新国連になって大きく体制が変わってもその対立関係は変わらなかった。

 議長が、話を整理しようと発言をした。

「いずれにせよ、日本政府は、今後どうしたいと、お考えですか。この件で、もっとも血を流すのは、気の毒だが、あなた

方だ。特に ヘル一派と直接戦った経験をお持ちの弓首相、我々は、あなたの意見を尊重したい」

 弓は悩んでいた。かつて魔神とともに戦った経験があるからこそ、あの魔神の恐ろしさは肌身でわかっていた。おそらく

核を以てしても、到底倒せるものではないだろう。かといって、百歩譲って対話が成立したとしても、
ヘルの主張は、国民感情として到底受け入れられるものではない。抗戦、対話、どちらか一方を選ぶことで、失うものが大
きすぎる。

 長い沈黙が続いていた。

 抗戦派の代表が、口を開く。

「弓首相が何も言えないお立場はよくわかりますよ。なにしろ当事者がすぎる。どうです、議長。いっそ、この件に関して
は、日本には一歩引いて、オブザーバーとして、参加していただくというのは?」

 対話派も手をあげた。

「それには賛成しましょう。たしかに、あのような兵器を発見しておきながら、情報を秘匿していた日本政府に原因の一端
があるのは明白だ。私も本件では、日本政府が理事国を務めるのは、公平性に欠けると考える」

「光子力の供給が不安定なことから、市民生活に大きな影響が出ています。まずは市民の安全の確保を最優先したいと考え
ており……」

 弓は、そう口にするのが精一杯だった。各国の代表は、その回答にがっかりしたように、肩をすくめたり、顔をしかめた
りしている。

 議長は続けた。

「では、兜甲児はどうですか?」

「と、言いますと?」

 曖昧な問いかけに、弓は、慎重を期した。

「統合軍のレポートにある『最新鋭機を用いて、無断で出撃した上、被弾』というのは、日本政府としてはいかがです
か?」

「そこだけを抜き出せば、事実です。ただそれは撤退を援護するため、ということで一定の酌量は検討されてもよいのでは
ないか、と考えています」
「現在、彼の所在は?」

「………… 不明です」

 弓が、今いちばん指摘されたくないポイントだった。タゴノウラ作戦終了後、甲児とは、さやかをはじめ、誰も連絡が取
れなくなっている。

「酌量を検討しようにも、本人の所在がわからないのでは、如何ともしがたい」

「……目下捜索中です」

「こちらには、兜甲児が、光子力研究所が所有するゼタクラス人工知能を私的に占有し、逃亡しているという情報も入って
います。対話、抗戦、いずれの方針にせよ、剣鉄也に続いて、兜甲児まで失うわけにはいかない。日本政府が、彼をコント
ロール下に置けないのであれば、拘束、もしくはそれ以上の措置も選択肢として検討しなくてはならない」

 議長は、一気にそう話すと、一時間の休会を宣言した。去り際、誰かが「もう英雄の時代は終わったんだよ」とぼそりと
言った。たしかにそうかもしれない、と弓は思った。

 常任理事国入りして十年。日本の発言力は、弱まっていた。

 新富士市にある富士駅前ニコニコ商店街は、閑散としていた。

 どの店にも「臨時休業」「都合によりしばらく休業します」などの張り紙がシャッターに張られている。ここも避難区域
に指定されていた。そんな中、商店街のはずれに、ぽつんとまだ営業しているラーメン屋があった。換気扇からは麵を茹で
る香りがただよっている。

 トタン張りのどちらかといえば、小屋にちかい建物で、入口横の小さな黒板には〈仕入れの関係でラーメン以外のメ
ニューはご注文いただけません、あしからず〉と書かれていた。看板には、黄色地に黒い文字で《富士元中華そば ぼす
らーめん》とある。

 老夫婦がガラリと引き戸を開けた。

「ラッシャイ!」

 厨房から威勢のいい声がした。

 ボスである。元々は、甲児と高校のクラスメートで、かつてはボスボロットを操縦し、機械獣らと戦っていたこともあっ
た。今はラーメン屋を営んでいる。

 相変わらずの太い眉にどんぐり眼で、鼻歌交じりに豚ばら肉をタコ糸で縛っている。一緒にボスボロットに乗り込んでい
たムチャ、ヌケもいる。ムチャは、フロアで空いたどんぶりを下げ、カウンターを拭いている。ヌケは洗い場で洗い物をし
ていた。

 老夫婦は、出入口に近い席に座った。

 コップで水を出しながら、ボスが聞く。

「ラーメンしかできないけど、いいかい?」

「二つお願いします」

 ご婦人が丁寧に注文をした。

「アイヨォ!」

 ボスが威勢良く答える。

「ラーメン二つ、いただきました~♪」

「あっざま~す♪」

 ボスのおどけたような掛け声に、ヌケとムチャがあわせる。

 そこそこ席は埋まっている。カウンター数席と小上がりだけの小さな店である。小上がりの上にある小さな棚には、テレ
ビがのっている。付けっ放しのテレビには、 ヘル関連の報道特番が流れていた。ちょうど、世論調査の
結果を円グラフにしたものが映し出されている。

〈あなたは ヘルにどのように対応すべきだと考えますか?〉

〈徹底抗戦すべきだ 二八% 対話をすべきだ 二五% わからない 四七%〉

 画面がスタジオに切り替わった。アナウンサーが先ほどの画面と同じフリップを持ちながら、

「という世論調査の結果が出ました。〈わからない〉が最も多く、抗戦派と対話派はほぼ拮抗。結局、本日の安保理でも、
抗戦派と対話派の溝は埋まらなかったようですね。日本政府の対応はどうでしたでしょうか?」

 と横にいる解説者に尋ねた。

「まさに世論調査の結果と同様〈わからない〉というスタンスだったように思います。弓総理は、非常に難しい判断を求め
られていると思います」

「明日以降、当事国として、日本の立場をより明確にすることを国際社会は一層強く求めるものと思われますが?」

「その通りですね」

 ここ数日、新しい事実もなく、代わり映えのしない報道が続いている。どのチャンネルも似たようなものだった。

 子供の声が店内に響いた。

「テレビつまんない! ニュースばっかり!」

 小上がりの席にいた四、五歳の女の子だった。ちゃぶ台の端を足でガンガンと蹴飛ばしている。箸立てが揺れて、カタカ
タと音を立てた。

 カウンターの初老の男性客が小上がりをチラと睨んだ。

「しっ! そういうこと言わないの!」

「だってー!! 」

 母親が慌てて叱るが、女の子は、ますます大きな声を出した。

 母娘二人連れだった。男性客が苦々しそうに、咳払いをする。気づいた母親が、大声で子供を怒鳴ろうとした。そのとき
だった。

「なー、つまんないよなー。おじさんもそう思う。はい、お待たせ~」

 ボスが笑いながら、ちゃぶ台にどんと二つラーメンをおいた。

「それと、はい」

 ボスは、小上がりの端にちょんと座ると、女の子の目の前にちいさな皿を置いた。中には、タコさんウインナーが入って
いる。丁寧に日の丸のついた楊枝まで刺さっていた。

「わー!」

 女の子の目が輝く。

「サービスだわさ」

 とボスは、女の子にウインクをした。

「ほんとすみません、助かります! ほら、ありがとうは?」
「ありがとー」

「おう!」

 女の子は、満面の笑みで、さっそくウインナーに箸を伸ばした。ボスは、ごつい大きな手で、女の子の頭を撫でると、
よっこいせ、と立ち上がる。そして、厨房への帰りしな、すみませんね、といった風に、カウンターの男性客に片手で詫び
を入れた。

 そんなやりとりを、カウンターの端の席で、チューリップハットを目深にかぶった男とその連れの少女が、微笑ましそう
に見ている。

 甲児とリサだった。

《この地域は、現在、停電が続いております。復旧のめどは立っておりません》

 外から無人広報車のアナウンスが聞こえる。

「……電力どうしてるんだ?」

 甲児は、厨房でどんぶりにスープを注いでいるボスに聞いた。

「な~に、ボスボロットのエンジンで発電してんのよ」

「ボスボロット!? 」

 ボスボロットは、かつて光子力研究所が、ヘルたちと戦っていたときに、ボスが、自分も戦闘に参加したいと博士たちに
お願いして、無理やり作らせたロボットだった。マジンガーとは比べるべくもない性能だったが、それでもなんども死線を
くぐり抜けた機体だった。

「あれって、旧光子力研の格納庫だろ? 立ち入り禁止じゃ?」

 甲児の疑問はもっともだった。

「ここのすぐ横んとこ、地下に多目的坑が通ってんだわ。ちょいちょい~と行くとよ、旧光子力研の敷地につながってんの
よ。知らなかっただろ~」

「……マジか」

 甲児は、頭を抱えた。

「何年か前に、この辺を地上げするだの、しないだので揉めてたことあったろ。そのころ計画変更が何度かあって、その影
響で、うっかり繫がっちまったもんみたいだな。二ヶ所ほど、金網ぶったぎったら、らくらく行けたよ」

 ボスは悪びれもせずにそう言うと、茹で上がった麵を、平網で器用に湯切りをし、スープの中へ流し込んだ。

「ダハハ、非常時だ。大目に見てくれ」

「……こっちもお尋ね者だ。聞かなかったことにしとくよ」

 手際よく具材を盛り付けながら、ボスも笑った。つられて甲児も笑う。

 そして最後にねぎを散らす。

「へい、お待ち!」

 甲児とリサの目の前に、ラーメンが置かれた。チャーシュー、ナルト、ほうれん草、メンマ、ねぎのシンプルなラーメン
だった。

 さっそく食べ出したリサが、突然、素っ頓狂な声をあげた。

「すごい……なんですか、この食べ物は!」

「らーめん、っていうんだ」

 子供に言い聞かせるようにボスが言う。

「コク、旨味、塩味……パーフェクトです。栄養のバランスもすばらしい。人類の英知の味がします!! 」

「ダハハ、ありがとよ、おじょうさん。ハイ、アンタにもおまけだ~」

 ボスがリサのどんぶりにひょいと煮卵を乗せる。
「ありがとうございます!!  あー、もうこの低温加熱でゲル状になったタンパク質のシズル感♪」

 うっとりと卵を眺めるリサを見て、ボスは満足げだった。

「ごちそうさまでした」

「はい、またどうぞ~」

 老夫婦が席を立った。

 二人が出ていったのを見計らって、ボスが話し出した。

「あのご夫婦な、奥さんの方がヒザが悪いのよ。とてもじゃないが避難所まで歩けない」

「行政の支援があるだろ?」

「なかなか電話が繫がらない挙げ句、車も人も足りてない。申し込めても、いつ来るかわからないんだと」

 ボスは新聞を広げた。

「しかもいまからじゃ、近場の避難所はどこも満員だ。避難バスに乗ろうにも、そこまで行く足がない。他に身寄りがなけ
りゃ、ここにいるほかないってわけよ。この街に残っているのは、そんな訳ありの連中ばっかさ」

 甲児は店内を見渡した。年寄りや親子連れが多い。

「そんなわけで、店開けてんのよ。まあ、こんなときだものな。動ける奴はテメエにできることくらい精一杯やらないと
よ」

「……」

 甲児は、言葉に詰まった。

 そのとき外で爆音がした。ガラスがビリビリと振動する。ムチャが、ドアを開け、双眼鏡で見上げる。ムチャは、富士山
の方へ飛んでいくイチナナ式を目で追いかけた。ヌケはさっとしゃがむと、岡持に偽装した無線機で、軍の交信を傍受す
る。

 外から戻ってきたムチャとヌケがこそこそと話している。

「量産型だな。こんなとこでアフターバーナーふかしやがって。この時間じゃ、定時偵察だな」

「みたいでしゅね。相変わらず軍の新しい動きはないようでしゅ」

 二人のやりとりを見ている甲児にボスが説明をした。

「いよいよやばくなったら、客連れて、逃げ出そうって算段よ、ダハハハ。それよりよ……」

 ボスが甲児に顔を寄せた。折りたたんだ新聞を甲児の前に差し出すと、

「……鉄也が生きてるって件、まちがいないのか?」

 と小声で聞いた。

「ああ」

 甲児は、チャーシューをかじりながら、短く答えた。戦場で見た、鉄也の鬼のような形相が脳裏に浮かぶ。

「じゃあ、ありゃあなんだ?」

 ボスは、テレビを親指で指差した。

「本日も、統合軍パイロット剣鉄也大佐ら行方不明者の捜索が行われており……」

 瓦礫の手前で、ヘルメットをかぶった現地レポーターが、テキサスベースからの中継を行なっている。

「行方不明じゃないと困るんだよ」

 甲児は、そう言うと、どんぶりごとスープをすすった。

「……生きてることが明らかになっちゃ困る連中がいるってことか」
 ボスが眉間にしわを寄せてそう言った。

「かといって、死んだことにするわけにもいかない。行方不明はその落とし所さ」

「かー。たまんねえな、そういうの」

 ボスは、吐き捨てるように言った。

 鉄也関連のニュースが終わり、テレビではCMが流れていた。兜甲児が出演した政府広報だった。

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

 画面の中の甲児は、明るい笑顔でそう訴えていた。

 次のCMも甲児のCMだった。

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

 今回の一件で、民間企業の多くがCMの出稿を自粛していた。その穴を埋めるために、政府広報のCMが繰り返し、流さ
れている。

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

《ご不便をおかけしております! みなさまの安全と平和は、我々が全力で守ります!》

 カウンターの男性客が、会計をしながら、ホールにいたムチャに声をかけた。

「そういや兜甲児はどうしてんだろうねえ?」

「え、いや、ど、どうなんでしょうねえ」

 本人は何気ない世間話のつもりなのだろう。男性は、すぐ後ろに兜甲児本人がいるとも知らずに話し続ける。

「なんでも、こないだの作戦に参加したけど、まるで役立たずだったそうじゃねえか。みんなネットでそう言ってるよ。も
う過去の人だねえ、すっかり」

「は、はあ」

 なんとも言えないムチャは、適当にはぐらかす他ない。

 そのやりとりが聞こえていないわけはないだろう。けれど、甲児は、我関せずといった様子で、どんぶりを持ち上げ、
スープを飲んでいる。リサは、甲児の反応を窺っていたが、甲児がそうしたのを見て、あわてて真似をした。

「ごちそうさん。二人分」

 甲児は、席を立ち、カウンターに千三百円を無造作に置いた。

「へい、毎度」

 ボスがどんぶりを下げる。ボスは少し、迷ったような表情をした。しかし覚悟を決めた様子で、甲児の背中に声をかけ
た。

「なあ」

 ハッとして、その場で立ち止まる甲児。そして、ほんのわずかだけ振り返った。

「……なにがあろうと、オレは、お前と、お前がやることを信じているよ」

 ボスも、甲児の方を見ることはしない。

 リサは、黙ったまま、二人のやりとりを見守っていた。リサは、二人の言外のコミュニケーションを表情から読み取ろう
としたが、リサの経験値では、情報が足りなかった。

 店を出ると、富士山にそびえるインフィニティと、その周囲に蚊柱のように飛ぶ機械獣が見えた。あの日以来、連中は派
手な攻撃を仕掛けてこない。そのことが却って不気味だった。

 二人の目の前を、荷台に家財道具を載せた小さなトラックが走っていく。これから避難する人たちだった。助手席だけで
なく、荷台まで人がぎっしり乗っている。急いでいるのだろう。だいぶ乱暴な運転だった。

 赤信号でブレーキをかけた拍子に、荷台に乗っていた子供が、なにかを落とした。

「あっ! 待って!」

 子供はあわてて車から飛び降りようとした。しかしとなりにいた父親らしき男性が、とっさにそれを止めた。

「危ない! 時間がないんだ、そんなおもちゃなんか放っておけ! やっと見つけた避難所なんだぞ!」

 信号は青になり、車は行ってしまった。

 甲児は、道に打ち捨てられたそれを手に取った。だいぶ色あせていたが、それはマジンガーZの塩ビ人形だった。

 ──富士山宝永火口。

 江戸時代中期一七〇七年の富士山の噴火によってできた火口である。このときにできた火口は、三つあるのだが、いちば
ん大きな第一火口をさして、宝永火口と呼ぶことが多い。それ以降、三百年近くにわたって、富士山の火山活動は観測され
ていない。

 二十五年前、甲児の祖父であり、マジンガーZの開発者・兜十蔵は、この辺りの地層から、新元素ジャパニウムを発見し
た。そしてそのジャパニウムを核分裂させる過程で抽出される膨大な光エネルギーを光子力と命名した。

 これが富士山一帯で、光子力研究が盛んになった理由である。

 宝永火口に立つインフィニティのまわりでは、ジャイアンF3やタイターンG9といった大型機械獣を中心に多くの機械
獣が、フジプラントの廃材や瓦礫を組み合わせて、足場を組んでいた。そこを鉄仮面軍団や鉄十字軍団のエンジニアたち
が、忙しそうに行き来している。

  ヘルは、あしゅら男爵、ブロッケン伯爵を従えて、直径四メートルほどの浮遊円盤に乗りこんだ。ヘ
ルが、バードスの杖で床面を小突くと、円盤は上昇を始める。目の前で、インフィニティの表面にある幾何学的な紋様が
ゆっくりと点滅を繰り返していた。あれだけうねっていたケーブルは、すでに安定している。水分を吸収するかのように、
じわりじわりと光子力を吸い上げていた。

 片膝をついたあしゅら男爵が恭しく報告をする。

「現在、インフィニティにより隣接次元に転送された光子力エネルギーは四二〇〇万GWh。ゴラーゴン発動までおよそ一
二〇時間です。ただ……インフィニティの起動キーである例のアンドロイドが気になります」

「まだ見つからんのか?」

 抑揚のない声で、ヘルは尋ねた。

 今度は、自らの首を小脇に抱えたブロッケン伯爵が口を開いた。

「我々が光子力ネットワークのモニタリングを開始して以来、ネットへの接続を意図的にさけているのかと思われます。新
光子力研究所のコントロールルームを最後に消息がつかめておりません」

「兜甲児はどうだ?」

「おそらく行動を共にしているものかと。日本の警察のほか、各国の諜報機関も捜索を始めました」

「まあ、そう遠くへは行っていまい」

 真っ直ぐ前を見据えたまま、ヘルは、断言した。

「なぜ……そう思われるのです?」

 あしゅら男爵は、顔を上げ、さも不思議だ、と言った様子で尋ねた。

 ヘルは、半分だけ振り返る。
「魔神を奪われ、友を奪われ、奴のハラワタは今煮えくり返っている。兜甲児とはそういう男だ」

 ヘルは、笑みを浮かべてそう言った。あしゅら男爵は、その笑みに違和感を覚えた。

「ヘル様……まるで……」

「なんだ?」
こうべ

 あしゅら男爵は、首 を垂れた。

「あ、いや……おそれながら。まるで兜甲児と会うのを楽しみにしてらっしゃるようなお顔を」

 ヘルがひと睨みすると、あしゅら男爵は、さらに頭を低くした。ヘルは、フン、と鼻で笑い、身を翻した。

「……見つけ次第消せ。奴も魔神に魅入られし者とはいえ、今はただの人間だ。せめてもの手向けに楽に死なせてやれ」

「アンドロイドのほうはいかがいたしましょう?」

「アレの使い道はある。機能停止させずに捕獲しろ。脳と脊髄だけでも構わん」

「はっ!」

 胸の放熱板の前を通過する浮遊円盤は、血で染まった海原を漂う小舟のようだった。

 インフィニティの頭上にある玉座に、グレートは鎮座していた。幾本ものケーブルが絡みつき、脚や腕から、内部に侵食
している。その上から装甲板が、鎧のように、ケーブルまみれの下半身を隠していた。

「……う……うう」

 コクピットの鉄也が、朦朧としながら目を開ける。額から流れた血は、すでに黒く乾いていた。ただ身体中が細い糸状に
から

なったケーブルに搦 め捕られていて自由が利かず、それを拭うことすら叶わない。それでも、かすかに動く指先をなんと
かん

か伸ばして、操縦桿 にあるトリガーを引いた。

「……サンダー……ブレーク!」

 しかし反応はない。

「グレートタイフーン! アトミックパンチ!!  ネーブルミサイル!! 」

 どれひとつ反応しない。

「……ちっ」

 鉄也は、弱々しく舌打ちをした。

「フフフ……無駄だ」

 鉄也の前に、浮遊円盤に乗ったヘルたちがゆっくりと下から現れた。鉄也が、ハッと顔を上げる。浮遊円盤は、鉄也の正
面まで来ると静かに停止した。

「貴様ら……」

「ほう。糞尿を垂れ流しながら、起動用のダミーキーとして生かされてる分際でまだ自我が残っていたか」

 ヘルの言葉に、鉄也はあえて笑みを浮かべた。

「聞こえてたぜ。なんだあの共存共栄なんてペテンは? お得意の世界征服はどうした?」

「いまこの状況がまさにそうだとは思わんか?」

 ヘルは、両手を大きく広げて、鉄也にそう問いかけた。

「なんだと?」

「人類はいま私の一挙手一投足に注目し、それを無視して動くことはできない。これを支配と言わずしてなんという」

 鉄也は、奥歯をギリと嚙みしめ、険しい目つきで、ヘルをにらんだ。ヘルはその目つきに満足した様子だった。
「貴様、人類最大の弱点が何かわかるか?」

 あたりには少し霧が出てきた。

「教えてやろう。それは『多様性』だ」

「多様性……だと?」

 鉄也が、ヘルの言葉に眉をひそめた。

 ヘルが、バードスの杖を大きく振ると、グレートのキャノピーに、いくつものウインドウが現れた。その一つ一つに、人
が映っている。見覚えのある顔ばかりだった。各国の首脳や大使だ。当然、弓首相もいる。今、行われている安保理会議の
中継だった。みな一様に興奮しているようだった。中には、感情をあらわにし、あからさまに怒鳴っている者もいた。

「多様性とはすなわち複数の正義だ。しかしそんな複雑な価値観を受け入れられるほど、人類は知的な存在ではない。現に
私が『共存共栄』を口にしただけでこの有様だ。そして多様性を処理できない人類は、また人同士争うぞ」
 円卓のちょうど十二時の席に座っている議長が、木槌を叩いた。

「では決議を取ります」

 場が静まる。それぞれの代表の前に投票前を示す緑のランプが灯る。

「安保理決議第七八七号。 ヘルおよび大型魔神に対する方針をご投票ください。投票は無記名にて行わ
れます」

 投票開始と同時に半数ほどが投票を終え、ランプが消えた。残りの国も順次、投票をした。最後まで緑のランプがついて
いたのは、日本だった。弓首相は目をつぶり大きく息を吸うと、投票ボタンを押した。どちらに投票したのかはわからな
い。彼の真意を隠すかのように、弓のメガネは、光を反射した。

 ほどなくして、中央のモニタに開票結果が表示された。

「武力行使七、対話七、棄権六。よって本決議は無効とします」

 議長がそう読み上げると、議場は再び怒声に包まれた。
 ヘルの高笑いが響く。

「相変わらずだな人類よ。我らが姿を消し、何年経った? 我らを排除さえすれば、平和が、理想の社会が訪れると声高に
叫んでおいて、このざまか!」

「……」

 鉄也は悔しそうな表情を浮かべていた。

「やはりこの世は、存在に値しない……」

 ヘルはそう言うと、バードスの杖を振った。キャノピーからウインドウが消え、鉄也を拘束している糸状のケーブルが、
鉄也の体内に侵食していく。熱さにも似た痛みに、鉄也は思わず叫んだ。

「……私が世界を作り直してやる。貴様もせめて、その礎となるがいい」

 浮遊円盤がインフィニティから離れていく。ヘルは、静かに振り返ると、あしゅら男爵、ブロッケン伯爵に命じた。

「ゴラーゴンの予定を早める。光子力の充塡をただいまより八%プラス修正せよ」

「ハッ!」

 薄れゆく意識のなか、鉄也には、ヘルの高笑いが、渦まいて聞こえた。

ひと け

 数百メートル内陸の国道は、避難する人たちで溢れていたが、漁港につながる海岸沿いの道に人気 はない。甲児は停め
たバイクに寄りかかるように立っていた。そして、さきほどのマジンガーZの塩ビ人形を手に持って、しげしげと見つめて
いる。

 甲児が一時期、館長を務めていたマジンガーミュージアムで数年前に販売していたものだった。

「こんな古いものを……」

 何年も大事にしてくれていたのか、という言葉を甲児は飲み込んだ。

 缶コーヒーをもったリサが戻ってきた。

「やっと売り切れてなくて、現金で買える自販機がありましたー」

「……まったくカードが使えないだけでずいぶん不便だな」

 甲児は、そう笑った。塩ビ人形をパーカーのポケットにしまうと、缶コーヒーを受け取った。

「仕方ありません。IDから足がつきます」

 そう言いながら、リサはプルタブを物珍しそうに見ている。

「はじめてか?」

「あー、自分で考えるから、ご主人様、教えないでくださいよ。このつまみをなんとかすれば開くんだろうというところま
では、正解だと思います……あ」

 プルタブをいじっていたリサは、プルタブだけを缶から切り離してしまった。呆然とした顔で甲児の方を見る。

「ネットで検索していいですか?」

「だめだ。IDから足がつく」
 甲児がそう答えると、二人は笑った。

 二人は防波堤に座っていた。波は、人類の危機とはなんら関係なく、いつもと同じように寄せては返している。

「ご存知のように宇宙はビッグバンではじまりました。現在なお膨張を続けているとされています。しかし同じように無数
の可能性の数ほどの宇宙へと分岐したとも言われています」

 リサは、缶コーヒーを両手で持ちながら、そう話した。なにか硬いものにぶつけてこじ開けたのだろう。缶にはいくつか
傷がついていた。

「量子論でいう多元並行宇宙か」

 甲児の言葉に頷くリサ。リサは言葉を続ける。

「量子的重ね合わせを強制的に引き起こし、世界どころか宇宙ごと望む宇宙と置き換える行為がゴラーゴンです。インフィ
うつわ

ニティは、それを引き起こすための兵器 。臨界まで光子力が充塡されることで発動が可能になります」

「そしてそのための生きた鍵が……お前というわけか」

「はい。ですが、ヘルは、私の代わりにグレートと鉄也さんをキーにしてインフィニティの起動に成功しました。まさかそ
んなことができるなんて。すみません、私がもっと早くにその可能性に気づけていれば……」

 リサは、うな垂れてそう言った。

「それはオレも同じだよ」

「え?」

 リサは顔を上げた。

 甲児の言葉の意味が、リサにはわからない。

「パイロットを辞めて十年。科学者としてなんとか一人前になれたと思っていた。多少は自信もあった。そんなときお前と
インフィニティに出会った」

 甲児は水平線を見つめながら、話した。

「……正直、チャンスだと思ったよ。この発見をなんとかモノにしたい。そんな功名心がなかったと言ったらウソになる。
お前を起動させて、研究を手伝ってもらって、いくつもの新しい発見をした。順風満帆ってのはこういうことを指すんだと
思っていた。そんなときだよ、この一件が起きたのは」

 甲児は一口コーヒーを飲んだ。口の中に甘ったるさが広がる。

「戦場で、自分に憧れてくれていた、たくさんの若者が死んだ。もう大丈夫だと思っていた平和がいかに脆いものなのかも
よくわかった。けど、オレの中で、いまいちばん悔しいのは、ヘルに科学者として負けたことだ」

「……負け?」

「とんだエゴイストだろ。奴がいつから準備していたのかわからない。だがお前を手に入れたオレの方がその瞬間、奴より
有利だったはずだ。にもかかわらず、オレはインフィニティを起動できなかった」

「……ああ」

「奴が若い頃書いた論文を読んだよ。奴はまごうことなき天才だ。オレは、奴が天才だとわかるのが関の山の凡人に過ぎな
い」

 そこまで話すと、甲児は残りのコーヒーを飲み干した。

 リサは覚悟を決めたように話し出した。

「さきほどインフィニティへの光子力供給の増加を確認しました。ヘルは本気でゴラーゴンを起こすつもりです」

「残された時間は?」

「およそ一二〇時間」

「五日ってわけか」

「今の人類では、インフィニティを破壊するどころか、傷ひとつつけられない。……もうこの宇宙は終わりです。だった
ら……だったらわずかな時間でも幸せを享受する選択をするのが、現状下での最善の策かと判断します」

「幸せ?」

 リサはこくりと頷いた。

「……さやかさんは、社会的責任を優先するあまり、個人的幸福の充足の優先順位を下げる傾向があります」

「ん?」

「つまりご主人様にもう戦ってほしくない、できるだけ近しい距離で日々の生活を共にしたい、と考えているのです」

「………… 知ってるよ。そんなことは」

 リサは、甲児のことも無げな物言いに、ストレスを感じた。これが、苛立ちという感情なのだろう。

「だったら! だったらお願いです! 人間には婚姻という制度があると聞きました。特別な信頼関係のある個体同士は婚
姻とよばれる契約関係を構築し、家族という社会的共同体を形成するって。せめて人類が滅びる前に、さやかさんとその関
係性だけでも構築してください」

 リサが一気にまくし立てると、甲児は心底感心したように、

「ずいぶん難しい言い方をするんだな、お前。機械のくせに生意気だ」

 と笑った。

「……すみません。さやかさんにもそう言われました」

 涙を流すリサ。

「あーもう、ごめんなさい。これ泣くって現象ですよね。なんで機械のくせにこんな機能ついてんだろう。処理能力落ち
て、気持ち悪いんですよ。すごくイヤです、感情なんかいらないのに」

 だまって甲児はリサの頭を撫でる。

「……神にも悪魔にもなれる」

 甲児は、そうポツリと言うと、リサの頭から手を退けた。

「それは!? 」

 リサには聞き覚えがある言葉だった。くしびの間だった。あそこで、ヘルが同じことを言っていた。いや、あれはヘル
だったのか? ヘルではない気がする。もっと昔から知っているような。

 甲児は、ひょいと防波堤から、砂浜の方に飛び降りた。

「昔、マジンガーに乗る前にさ、マジンガーを作ったオレのジイさんにな、そう言われたんだ。どちらを選ぶのかってすご
まれてさ。けどそんなもん選べやしない」

 ゆっくりと波打ち際を甲児は歩いた。リサもその後に続いた。波で足が濡れそうになると、二人は避けた。

「ただ悪魔にはなれない、そう思ってオレは乗った」

「……」

「戦いが終わって、鉄也はそのまま統合軍に、一方オレは研究者になった。もうマジンガーには二度と乗らないつもりだっ
た。それなのにこのあいだ久しぶりに戦場に立って、正直、高揚した。その感覚を悪魔と呼ぶなら、オレはそれを否定でき
ない」

「ご主人様……」

「いまのオレには、お前を作った人が、お前をただの機械にしなかった理由がなんとなくわかるよ。人は神でも悪魔でもな
い。その両方を持ち合わせている。あの強大な力を預けるにはお前みたいに感情がなくちゃダメだ。そう考えたんだろう」

 リサが不意に立ち止まった。

「神にも悪魔にもなれる……そして神であり、悪魔である」

 リサの言葉に甲児が振り返った。

「その言葉は!? 」
 リサはまっすぐ甲児の目を見つめて言った。

「……私を作った人の言葉です」

「作った人?」

「おそらく…… ヘル」

 ふーっ、と深く息を吐いて、甲児が空を見上げた。

 ここからもインフィニティが見える。

「もしもオレが科学者にならず、そのままマジンガーに乗っていたら、あそこにいたのはオレだったのかもしれない」

「?」

「……そう思うとほっとくわけにもいかない」

「無茶ですよ!」

「わかんねえじゃねえかよ。科学者として負けたからって、アイツには、前に一度勝ったことがあるんだしよ」

 甲児は、口を尖らせておどけた。リサにはその態度が理解できない。

「そうじゃなくて、いまの人類に勝ち目は!」

「別の魔神でインフィニティを乗っ取る」

「……え? でも魔神はもう……」

 博物館に展示されていたマジンガーZは、インフィニティの攻撃で消失していたはずだった。リサの記憶では間違いな
く、そうなっている。

 マジンガーの塩ビ人形をリサの目の前に突きつけると、甲児はニヤリと笑った。

「魔神ならもう一機……ある」
 仲間の死骸をあさっていたネズミが、顔を上げ、耳をそばだてた。

 真っ暗な闇の中、遠くから音と光が近づいてくる。やがて音はいったん止まり、光だけが確かめるように二度三度、右左
にふれた。ネズミは光が当たると、排水溝の中に逃げ込む。

 壁や床、天井にあたった光が反射して、音と光の主を照らした。茶色いずんぐりとしたボディに黄色い腕と脚、ピンク色
のドーム型の頭。目は光ってライトになっていた。ボスボロットである。

「……こっちだ」

 ボスはハンドルを右に切った。

「この地下道を通れば、たしかにセキュリティを通らずに旧光子力研まで行けるけどよぉ、お前を連れてって、本当に問題
にならねえんだろうなあ、甲児。あとでオレだけパクられるとかゴメンだぜ」

「安心しろ。そんときはオレも一緒に捕まってやる」

「ふざけんなよ、こんちくしょー」

 コクピットには、ボスと甲児、リサの三人が乗っていた。シートは畳敷き、各種メーターは、ガスや水道のを流用してい
たし、マザーボード始め各種基盤のケースは、冷却も兼ねて冷蔵庫だった。

「相変わらずだな、このボロットは」

 甲児は辺りを見回して、言った。

「お前の目は節穴か! よく見やがれ!」

 ボスが上を指差す。そこには、昔ながらの裸電球があった。

「?」

 甲児がわからずにいると、ボスが自信に満ちた声で言った。

「LEDに変えたのよぉ」

 甲児が笑った。ボスも笑った。リサには、そのやりとりの意味はよくわからなかったけれど、この空間をとても心地が良
いものだと感じて、やはり笑った。旧光子力研究所というのは、このような人間関係を構築できた、とても良い場所だった
のだろう、とリサは推測した。

「私、楽しみです。昔の光子力研究所に行けるの」

「おいおい、リサ。遠足じゃねえんだぞ!」

 と甲児はたしなめたが、その口調は十代のようにくだけたものだった。

「いいじゃねーかよ、甲児。おじょうちゃん、こいつなあ、昔っから変なとこで頭固くてよお」

 三人は再び笑って、多目的溝を進んでいった。

 旧光子力研究所は、宝永火口からは、真逆とまではいかないまでも、富士山を挟んでほぼ裏側に近い場所にある。時計の
文字盤でいうと、宝永火口が四時だとして、旧光子力研究所は、九時くらいの位置だ。

 新光子力研究所ができた七年前に閉鎖された。すでに、取り壊されて公園として整備する計画が発表されている。

 当初は、戦争遺構として、保存も検討されていた。しかし当時、悲惨なニュースとともに人々の記憶に刷り込まれたこの
建物は、一部の人たちに辛い記憶を蘇らせるトリガーでもあった。

 またマジンガーZの展示が目玉だったマジンガーミュージアムは初年度以外、赤字経営が続いていた。これ以上、類似の
施設を増やすよりは、いっそ壊したほうがよい。そういう台所事情もあった。

 いずれにせよ、すでに周囲は、鉄条網付きのフェンスで囲まれており、立入禁止になっていた。ただその計画はなかなか
実施されることなく、来年、また来年と、順延されていた。

 ボスボロットが、迷路のような多目的溝を抜け、使われていない排水パイプをつたい上にのぼると、そこは旧光子力研究
所の地下通路だった。奥にある格納庫の前でボスボロットを停める。三人は、口のスリットから、縄ばしごで下に降りた。
「けどよ、マジンガーはさ、博物館に展示してたじゃねえか。オレだってお披露目のとき、たしかに見たぜ。ハア、重てえ
な、チキショウ」

 ボスが、格納庫の大きな鉄製のドアを開けながら言った。本来は電動式なのだが、今は、ブレーカーが落ちている。かと
いってボスボロットのパワーでは、壊してしまう。手で開けるほかはない。

「私の記録上もマジンガーミュージアムに保管、その後、インフィニティによって破壊、となってるんですが」

 リサが反対のドアを開けている。網戸でも開けるかのように、片手で軽々と開けるリサを見て、ボスは目を丸くした。

「すげえな、おじょうちゃん。何万馬力あるんだ?」

「うーん、どうなんでしょう。自分のスペックを馬に換算したことないですねー」

「そ、そういうもんだっけ?」

 戸惑うボスに、甲児が声をかける。

「一馬力は七三五・五ワットだ。からかわれてるんだよ、ボス」

「なぬっ!」

 ケラケラとリサが笑った。

 ボスが、ボスボロットで格納庫を照らす。

「ほらなー。マジンガーはここにないだろ?」

 さもありなん、といった様子でボスが言う。

 たしかにそこには整備途中で放ったらかしにされたであろう重機がいくつかと、資材が隅の方に積まれているだけだっ
た。

 だが、甲児は平然と奥へと歩いている。ボスボロットも後をついて行く。

「なあボス、あとこの基地で他にマジンガーを隠すとしたら、どこに隠す?」

「この基地に、あんなでかいもの置いとけるスペースったってなあ……」

 甲児は、格納庫の一番奥まで行くと壁をノックした。鈍い音が格納庫に響く。巨大な金属製の壁だった。

「……あーっ!」

 ボスは何かに気づいた様子だった。

「プールだ! プールの下ならしまっておける!? 」

 甲児は頷いた。

「そうか、ここが開くんだったなー。けど、これはさすがにボスボロットでも開けられないぜ。厚みだって相当ありそうだ
しよ。いくらなんでも重たすぎる」
すく

 ボスボロットが肩を竦 める。

「ここ開けられるか? リサ」

「はーい。少々お待ちください」

 リサがことも無げにそう答えた。それを聞いて、ボスは目を丸くする。

「マジか!?  この巨大な鉄の壁をおじょうちゃんのその細腕で!? 」

「あのですね、ボスさん。人のこと、そんな化け物みたいに言わないでくださいよ、こんな重たいの無理に決まってるじゃ
ないですかー」

 リサは、ムッとした表情でそう言うと、壁の横の制御端末から引っ張り出したコードを自分の腕にできたコネクタにつな
いだ。

 そして、短く、
「んっ」

 と力を入れる。壁がゆっくりと音を立て動き始めた。

「すっげーな……」

 ボスは口をあんぐりと開け、呆然としている。

「これくらいなら、私の体内バッテリーで十分動かせます」

 リサは得意げな笑みを浮かべた。

 壁が次第にせりあがっていく。

 ボスもボスボロットから降りてきて見上げる。

「………… ミサイルパンチ、……ブレストファイヤー、ルストハリケーン、光子力ビーム、冷凍光線」

 リサが、それぞれの部位を見ながら、装備されている武装の名をひとつひとつ確かめるように口にする。

「資料で見たのと……おんなじだ。これが……人が作りし、魔神」

 壁は完全にせりあがり、バンパーにぶつかり停止する。

「……マジンガーZ」
くろがね

 ベルト状の拘束具で幾重にも縛られていたが、そこにはたしかに、かつて 鉄 の城と謳われた魔神がいた。

 リサは腕からケーブルを抜くと、一歩二歩と近づいた。そしてひょいとエレベーターに飛び乗ると、マジンガーの足に手
を広げて抱きついた。その姿は大きな木に抱きつく子供のようだった。

 リサの瞳が、一瞬うっすらと青みを帯びる。

 甲児は、久しぶりに対面するマジンガーを見つめ、大きく息を吸い込んだ。

「お前らが言うとおり、一度は博物館に展示したんだけどさ、ちょっとした暴走事故があってな……」
 七年前──。

 落成したばかりのマジンガーミュージアムは、夕闇の中、うつくしくライトアップされていた。

 関係者を招いてのオープニングレセプションの日だった。マジンガーの前では、記念撮影の行列ができている。

 カメラを持っているスタッフが声を掛けた。

「まじんがー!」

「ぜーっと!! 」

 来賓たちは、両手の親指と人差し指をひっくり返して、胸の前で組み合わせ、指で「Z」マークを作る。
「しかしここは暑いなあ」

 来賓がネクタイを緩めた。

「すみません、どうも空調が効かなくて。パーティルームの方は涼しいのでぜひ」

 スタッフが、その原因に気づいたのは、その数時間後だった。

 放熱板が、肉眼でも確認できる程度に、ほんのりと明るくなっていた。

 ブレストファイヤーの暴走だった。

 来賓が帰ったあと、マジンガーの展示ホールの窓すべてに目張りがされた。厳戒態勢の中、整備用ハッチが開けられ、測
定用の計器やコンピュータがつなげられていた。

「現在、ブレストファイヤーの光子力充塡率は二五%。このペースだと明朝には、ブレストファイヤーが発射されます」

 スタッフの報告に、当時まだ所長ではなかったさやかがたずねた。

「光子力の抜き取りは?」

「やってるんですが、できません。というか、マジンガーZ内の光子力はゼロのままなんです」

 全ての測定機器の動作確認が行われた。それでも結果は変わらなかった。

「被害予想です」

 スタッフが見せたタブレットには、市街地を直撃して薙 ぎ払うブレストファイヤーの予測地図が描かれていた。

 甲児は、あれこれ手を考えた。

「マジンガーの向きを変えるのはどうだ?」

「ダメです。重機の手配には時間がかかるし、マジンガー自身に光子力を充塡し起動することは、国際条約で固く禁止され
ています」

「じゃあ、放熱板だけ取り外すのは?」

「そのほうがリスクは少ないですが、やはり時間的に厳しいですね。グレートと違って着脱前提の設計になってないですか
ら……」

 結局、解決策を提案したのは、鉄也だった。

「グレートをブレストファイヤーの射線上に立たせるってのはどうだ?」

 ブレストファイヤーとグレートバーンを同時に発射し、対消滅させようという作戦だった。コンピュータによる制御は間
に合わず、甲児はマジンガー、鉄也はグレートにそれぞれ搭乗することとなった。
「け、結局どうなったんだよ?」
 ボスがたずねた。

「さやかは危険だと言って大反対。でも鉄也と二人、なんとか怪我人も出さずに成功させたさ。ただ、さすがにそのまま展
示するのはまずかろうと、マジンガーは、予備装甲で作ったレプリカと差し替えた。原因がはっきりするまでは仕方ない、
ってな。ところがその時期がちょいとややこしかった」

「時期?」

 リサが不思議そうに聞いた。

「ああ。日本が新国連の常任理事国入りをするかしないか、微妙なタイミングでな……」

 甲児がそこまで話すと、ボスが思い出したように言った。

「あったなあ。光子力研究所の武装解除……要件? とかいったっけか」

 甲児が頷いた。

「オレが統合軍入りを拒否したもんだから、マジンガーは国内に留まることになった。かといって、マジンガーは一国が持
つには、強大すぎた。落とし所が、武装解除だったってわけさ。それなのに、外したはずの武装が勝手に動く。そんな事案
を報告したら、常任理事国入りの見送りは必至だ」

「……それでここに隠した、と」

 ボスは、冷や汗を垂らした。甲児の告白は続いた。

「最初は、原因究明まで、一ヶ月もかからないだろう、と誰もが思った。それが三ヶ月になり、半年になり、三年を超えた
ころには、究明よりも封印が前提となっていた。要するにこの旧光子力研究所は、マジンガーの墓標なのさ」

 甲児はそのことを少し後悔しているような目をした。

「けどよお」

 ボスが不安そうに口を開いた。

「……その暴走は大丈夫なのか? また勝手に動いたりしたら」

「そりゃ、わからん」

「わからん、ってお前……」

「それでも、もう人類には、こいつしかいないんだ」

 今まで黙って話を聞いていたリサが、

「……大丈夫ですよ」

 とつぶやいた。

 マジンガーに頰を寄せながら話している。リサの目も髪も、あのときのように発光していた。うわあ、とボスがたじろ
ぐ。

 リサは、懐かしい昔の話を語るような柔らかい口調で話した。

「放熱板のメインメモリ内に消去不可能なファイル群があったんですよね……。そしてそのファイルパターンを解析したと

ころ九六・二%で ヘルのバードスの杖と一致」

「なぜそれを? その記録はすべて抹消済みだ」

「いま、この子に聞きました。それは、隣接次元……いえ、さらに上位階層であるくしびの間からの干渉ですね。みなさん
が認知している現次元からその原因を特定することは不可能です」

「何か手はあるのか?」

「私がこの子に同乗します」
「マジンガーに?」

「ええ。それでリアルタイムに干渉を防ぎます」

「できるのか?」

「私、そういうの得意なんです」

 リサの頰に涙が一筋流れた。

「いいのか、リサ? お前は ヘルの……」

 甲児は、その先を言い淀んだ。うまい言葉が見つからない。

 その葛藤を打ち消すように、

「大丈夫です」

 とリサは小さく頷いた。甲児は、しばらく目をつぶった。それからゆっくりと瞼を開いた。

「ボス、頼みがある。オレとリサだけじゃ、マジンガーをどうにかすることは、さすがに無理だ。だから」

 甲児がそこまで言うと、ボスが言葉をかぶせた。

「みなまで言うな、甲児。人手が欲しいってんだろ? 旧光子力研の連中なら、だいたいウチのラーメンのファンだから
よ。首に縄つけてでも、かき集めてやるだわさ」

 甲児とボスは、ニヤリと笑い、互いの拳を合わせた。

 リサは、そんな二人を温かい眼差しで見ていた。彼女の頰を伝う涙は、まだ少しだけ青く輝いていた。

 ぼすらーめんは、本日も開店していた。相変わらず客はポツポツと入っている。

 先日の老夫婦がまたやってきた。

「ラーメン二つお願いします」

 ご婦人が今日も丁寧に注文をする。

「あいよぉ~♪」

 返事をしたのは、ヌケだった。

「あら、いつもの大きなお兄さんは?」

「いやあ、今日はちょっと光子力研の……ゴボッ!」

 ヌケの脇腹をムチャが全力で小突いた。

「いやいや、同窓会というか、なんというか」

 かわりに冷や汗を垂らしながら、ムチャが話す。

「こんなときに?」

「ほんとにねえ、物好きなんすよ、ウチのボス」

 そのとき、ガラリと引き戸が開いた。

「まいどー」

 男がひとりやってきた。大きな段ボールをいくつも載せた台車を押している。

「おー、奥にしまっといてくんな」
 ムチャが声をかける。

 続けて、引き戸をしめる間もなく別の男がやってきた。またしても同じように台車を押している。

 ヌケが男たちを連れて奥に進む。

「はい、お疲れしゃーんねー。どんどん運んでねー。はい、どんどんどんどん♪」

 その後も続々と人が集まってくる。

 老夫婦がその様子を呆然と見ている。

「ずいぶんたくさんいらっしゃるのね。改装工事かなにか?」

「ま、まあ、そんなとこッスね! そうそう! チャーシューおまけしときますんで! ハハハッ!」

 ムチャが大鍋に麵を入れながら、ごまかすように笑った。

 ヌケが、店の奥、客席からは見えない位置にある古びた業務用冷蔵庫のドアに手をかける。ぐいと握り込んで、大きくド
アを開けると、そこには地下へと続く階段があった。

「はい、どんどんどんどん♪ どんどんどんどん♪」

 ヌケの気の抜けた掛け声に合わせて、男たちは、旧光子力研究所へつながる多目的溝へと下りていく。

「おおー、久しぶり! よく来てくれたな」

 旧光子力研の地下通用口には、ボスがいた。

 男たち一人一人と握手をしている。

「お前ら酷だなあ。引退した人間を気楽に呼び出しやがって」

「ダハハ、あとでラーメンおごってやるからよ。電源チームの方に行ってくれ」

 そう言うとボスは、横の段ボールに入っている白衣を男に渡した。

「おう!」

 と返事をすると、男は白衣をひらりとまとい、奥へと進んでいく。

 次から次に男たちはやって来た。

「この騒ぎで、息子の結婚式が延期になっちまった」

「甲児がご祝儀がっぽりはずむってよ。コントロールルームのシステムまわり頼むわー」

「あいよ!」

 みな数年ぶりに会う連中ばかりだった。

「ボス、またずいぶん腹出たんじゃねえか!? 」

「前にも増して太っ腹なのよ。バリアのメンテよろしく」

「まかしとけ!」

 ボスは、名簿片手にテキパキと人をさばいていた。

 すでに旧光子力研時代のスタッフの多くは、光子力研を去っている。

 さやかが率いる新体制に馴染めなかったからではない。あの数年におよぶ戦いを乗り越えたときに、なにかぽっかりと心
に穴が空いてしまったような心境になったからだった。それが、あの時代の空気だった。そうとしか言いようがない。

 それはボスにもよく理解できる気持ちだった。ボスもそれでラーメン屋を始めたのだった。

「……うれしいやなあ」

 ボスがみんなの背中を見て、鼻をぐずらせていると、後ろから肩を叩かれた。
 振り返ると真っ赤なタイトなニットを着た女性がいた。

「アタシも来ちゃった!」

「みさとぉ!! 」

 ボスからみて、父親の祖父の祖母のおじのいとこ、という遠縁のみさとだった。元々は、兜家で家政婦をしていたが、当
時の弓所長に、その腕っ節を買われて、光子力研究所で働いていたことがある。

「いやいや、来ちゃったってよぉ、お前。子供どうした?」

「大丈夫、大丈夫。岐阜にある旦那の実家に預けたから。甲児さんのピンチって聞いちゃね♡」

「ダハハ、また、さやかにヤキモチ妬かれんぞ。さっそくで悪いけどよ、食事係頼むわ!」

「ま~かせて!」

 みさとは、自信ありげに親指を立てた。

 コントロールルームには、すでに多くの白衣をまとったスタッフが詰めていた。

 端末下部のカバーが外されている。中からリサが出て来た。

「これで繫がるはずです」

「悪いねえ、優秀なアンドロイドちゃんに、そんなとこ入らせて」

「いえいえ、いいんですよ~」

「みんなもう腰がこれでさあ」

 一人が、腰に手をあてておどけると、一同が笑った。

「よし、システム起動すんぞー」

 スタッフが主電源のレバーをオンにする。

 ブーン、という低いうなるような音が部屋に響く。

 モニタが端からひとつずつ点灯していく。各種メーターの針は、一度、限界まで振り切れたあと、正常値へと振れる。

 おお、という声が一斉にあがった。

「よーし、これで電源系はすべて復活したはずだ」

 主電源を入れたスタッフが言った。

「ただ、マジンガーのメンテナンスはどうするよ」

 別のスタッフが、ミーティングテーブルの上に積まれたマジンガーの図面や、整備マニュアルを見ながら、不安げに言
う。

「そんなに難しいんですか?」

 リサがたずねる。

「当時の通常メンテナンスならともかく、こう久しぶりに動かすとなると、おそらく部品交換もしなくちゃいけないとこも
出てくるだろうしなあ」

「電装系は総チェックするとして、駆動系もだいぶ怪しい気がするぞ」

「だよなあ」

 そのときだった。

「安心せい!」

 とうしろから声がする。

 ふりかえると、のっそり博士、せわし博士だった。手にはもりもり博士の遺影を持っている。
「やあ~」

「ひっさしぶりじゃのう!」

 スタッフたちが駆け寄る。

「博士!!!」

 リサも人の輪の向こうから、ペコリと頭をさげる。

「ごぶさたしてます!」

「リサちゃんもずいぶん大きくなって。ウチにいたころはこんなだったのに」

 せわし博士が、自分の肩くらいの高さに手を伸ばす。

 博士の冗談に、リサはこなれた仕草で、

「いやですよ、博士ったらもう」

 と手招きに似たリアクションを返した。リサの成長に、博士たちは眼を細める。

 さっそくスタッフがたずねる。

「そうそう、博士たち。マジンガーのメンテ、なにかいい手ありますか? パーツのストックもそうはないだろうし、かと
いって発注しようにも、当時と今じゃ部品の規格も違う。しかも時間もない……」

 博士たちは眼を見合わせて、ニヤリと笑った。

「見るがいい」

 せわし博士が、警備カメラのうち、地下格納庫を映しているカメラをメインモニタに回した。

 格納庫の中央に、クモのような脚がついた巨大な機器がある。脚の長さは、一本一〇メートルほど。関節は二ヶ所にあ
り、胴体にあたる部分を六メートル程度の高さに持ち上げている。胴体の上部は、タンクを二本背負っており、下部には金
色をした突起が大量に付いている。側面には、光子力研究所のロゴが輝いていた。

 モニタに、ボスが興味深そうに下からのぞいている様子が映る。

「これはなあ、いまワシらの大学で研究中の超合金光積層造型器じゃ」

 せわし博士が言った。

「ボス~。ちょっとさがっちょれ~」

 マイク越しにのっそり博士がボスに呼びかける。

「お、おう」とボスが、後ろに下がる。

 せわし博士が手元のタブレットを操作した。

「どれ。手始めにボスボロットの新しい武器でも作っちゃろうかの」

 タブレットに筒状の3Dオブジェクトが表示されている。それを博士がつまんだり伸ばしたりして、ちょうどバットのよ
うな形にした。

「せっかくじゃから、もうちょいと強そうにしちゃれ」

 横から、のっそり博士が手を出す。サブメニューから円錐を選択し、それを表面にちりばめた。

「ウシシ、いい感じじゃの」

 と二人は満足そうに顔を見合わせる。

「そ~れ~」

 スタートボタンをタップすると、超合金光積層造型器の上の回転灯が赤く光りだす。胴体が床面近くまで、低くさがる
と、下部にある突起群から、激しい光が放たれた。胴体が次第に上にあがっていく。するとその下には、さきほどタブレッ
トに表示されていたオブジェクトと同じものが少しずつ形成されていった。

「すっげ~!!!」
 ボスの興奮する声がモニタごしに聞こえてくる。

 数分後、突起がたくさんついた巨大なバットが完成した。

「ニュー超合金Z製『鬼の金棒』じゃ」

 せわし博士が言うと、ボスは、ボスボロットに乗り込んで、早速それを振り回した。

 スタッフたちから、どよめきが起きる。

「要するに巨大な3Dプリンタじゃよ~」

 のっそり博士とせわし博士は、そう言うといたずらっぽく笑った。

「これさえあれば、マジンガーのパーツから、ボスボロット用のまでバッチリじゃい」

「宇宙が滅びる前に必ず間に合わせるぞい!」

 おー、とスタッフに安堵の色が広がった。

 そんななか、ひとりのスタッフがふと気付いたような表情をした。

「けど、こんなもの勝手に持ち出して、大丈夫なんですか?」

 と、心配する。

「博士たちって、まだ光子力研究所に籍ありましたよね? オレたちみたいな辞めた人間と違って、いろいろまずくないで
すか?」

 博士たちは、ばれたか、という様子で、肩をすくめた。

「そこはな、すでに甲児に伝えてある」

「いちばん辛いのは、甲児じゃろうて」

 二人はそう言うと後ろ手に背筋を伸ばし、ここにはいない甲児を案じるように、視線を遠くに向けた。

 甲児は、オーセンティックなバーのカウンター席に座っていた。

 電気は通っておらず、ろうそくの明かりだけが辺りを揺らしている。天然の一枚板でできたカウンターは、厚みもあり、
幅も広く、いかにもな高級感があった。誰かが片付けたのだろうか。いくつかのボトルは倒れたままになっていたが、床に
割れたボトルが散乱しているということはなかった。

「いらっしゃい」

 甲児が振り向くと、薄い紫色をしたセミフォーマルなデザインのワンピースを着たさやかがいた。

「あの……さ……」

 甲児は振り向いたものの、思わず見惚れて、言葉が続かない。

「あまりジロジロ見ないでよ」

「……えっと、その、よく似合う」

 甲児が落ち着かなそうに視線をそらす。

「いいよ、そういうこと無理して言わなくて」

 さやかは、あきらめたように言うと、カウンターに入った。

「ここは? 研究所にこんなところあったんだな」

「接待用のシークレットバー。お父さんが、あれば何かと便利だ、って言うから作ったんだけど、一度も使わないうちにこ
のざまよ。ま、もう使われることもないだろうけれど。何か飲む?」

「あ、いや、バイクだから」

「あっそ」
 ロンググラスに入れたウーロン茶を甲児に差し出した。

「停電してるから、氷ないけど、我慢して」

 それから、んー、と自分用の飲み物を物色して、緑色に白いラベルのシングルモルトのウイスキーを手に取り、ロックグ
ラスに注いだ。とくとくとく、と音がする。

 グラスを手にしたさやかは、甲児の隣に座った。

「今日、なんでこんなよそ行きの格好して来たかわかる?」

「え……?」

「怒鳴りたくないから。自宅謹慎も無視、出頭命令も無視……。現行法上は光子力研究所の備品である人工知能を私的占有
し逃走。仕事、プライベート問わず、メッセンジャーに既読もつかないし、電話は圏外。急に連絡してきたと思ったら、人
目につかないところで会いたい……。そういう人って、どう思う?」

「……ごめん」

 甲児は、そっとIDカードと辞表をさやかに出した。

 のっそり博士とせわし博士の分もある。

「……迷惑かけることになると思う。だからさきに最低限の筋は通しておきたくて」

「みんなでこそこそ何やってるの?」

「……鉄也を助けて、インフィニティを破壊する」

「無茶苦茶言わないで」

「これを見てほしい」

 甲児はスマートフォンを差し出した。

 3Dの地図上に、ワイヤーフレームで描かれたインフィニティがいる。その体内、ちょうど胸の部分に青いメビウスの帯
がゆらめきながら、浮かんでいる。

 その下に「GORAGON」と書かれている。

「これは?」

「リサと博士たちが作ったゴラーゴンのシミュレーションだ」

 甲児が再生ボタンをタップすると、帯が中央から二つに裂かれた。二つの帯はチェーンのようにつながった。それぞれ帯
がさらに中央から裂かれる。さらに中央、そのさらに中央、と帯は無数に分裂していく。

「どういうこと? ありえない。メビウスの帯を真ん中で切ったら、ひとつの大きな輪になるはず。それが無限に続くなん
て……まさか!? 」

「そう。そういうことが起きるのが、隣接次元さ」

 やがてインフィニティの体内が帯で充満し、青く発光しているように見えた。

「どれかひとつ選んでくれ」

 甲児の言うとおり、さやかは画像をズームして、その中の一つの帯をタップした。するとその帯を中心に、帯が結合を始
め、すべての帯が一つになり、メビウスの帯が再構成された。

「これがさやかが選んだ宇宙というわけだ」

 次の瞬間だった。帯が高速回転を始めた。

 輪の下部から、富士山が吸い込まれていった。それだけではない。日本、ユーラシア、オセアニア、北米、やがては地球
自体も歪みながら吸い込まれていった。それから太陽系を始め、多くの星々……。しかしただ吸い込まれただけではない。
今度は逆に輪の上部から、強い光が吐き出された。シミュレーションはそこで止まった。

「新しい宇宙のはじまりだ。ここがシミュレーションの限界。ここから先はとてもじゃないが、要素が多すぎて、予測不可
能だ。ただひとつ言えることは、我々の宇宙は強制終了されて、別の宇宙が始まる、ということさ」

 甲児はスマートフォンを手にすると、画面をオフにした。
「これが……リサが呟いていた……ゴラーゴン」

 さやかが震えるようにそう言った。

「無数の隣接次元の中から、望む宇宙を選び、現在の宇宙と置き換える……。なんとも、ヘルが興味持ちそうな代物さ」

「どういうこと?」

「奴は、なぜ世界征服なんてことを目論むと思う?」

「それは世界を思い通りにして……」

「なにをする? めんどくさいだけさ、世界征服なんて。富、権力、名声……。そんなものどれひとつにも奴は興味ない
よ。あの戦いが終わってからずっと、オレはそれを考えてきた。そしてひとつの結論に至った」

「一体……」

「……好奇心」

「好奇心?」

「人類とは、世界とは、宇宙とは何か? そのすべてを知りたがっているのさ。奴は根っからの科学者なんだよ。もしかす
るとオレは、本当は奴のことを理解したくて科学者になったのかもしれない」

 甲児が少し笑っているように見えて、さやかは思わず顔をのぞきこんだ。

「奴は、今もこの世界が存在に値するかを値踏みしているんだ。自分が観察するに値する世界かどうか」

「じゃあもしヘルが……人類に興味を失えば……」

「すべてが奴の予測の範囲内に収まるようであれば、奴は躊躇なくゴラーゴンを起こすだろう。そして新たな世界を観測対
象にするだけだ」

 それを聞くと、さやかは深いため息をついた。

「……数時間前、連絡があったの。ヘルへの抗戦を主張する国々が、多国籍軍を結成し、対話派の国々と国境を挟んで睨み
合いが起きてるって。一部では、散発的な戦闘が起こったという話も……。また世界は人同士が争う世界に逆戻りした」

「……それは奴にとって、もっともつまらない飽き飽きした展開のはずさ」

「そうよね」

 さやかは爪を嚙んだ。甲児は席を立った。

「月並みだけど……やれることがあるうちは、やっておきたい」

「……勝てるの?」

 甲児はもう一度、辞表をさやかの方に押し出した。

「封印していたマジンガーを使う。あくまで個人として動く」

「そういう問題じゃ……」

 さやかは、思わず席を立った。甲児がかぶせるように話した。

「リサに言われたよ。わずかな時間でも幸せを享受する選択をするのが、次善の策だって」

「……幸せ?」

 振り返った甲児が、さやかを抱きしめた。

「大人になったら、もう少し分別がつくかと思っていたんだけど、そうでもなかったって、ようやくわかった」

 さやかの頰が赤らむ。互いの体温が伝わる。

 残り少ないろうそくの火が、壁にうつった二人の影をゆらす。

「この戦いが終わったら話がある……」

「……あ、あんまり……戦う前にそういうことは言わないほうが……」
 見つめあう二人。甲児も顔が赤い。

 ついにろうそくが消え、あたりが闇に包まれる。

「さやか」

「……は、はい」

「大事な話なんだ」

「甲児……」

 甲児は、さやかを抱きしめる腕に力を込めた。

 その瞬間だった。

 さやかの携帯が鳴った。二人はあわてて離れる。

「……はい。えっ?」

 さやかは思わず大声を出した。

 統合軍横須賀基地・技術研究本部格納庫。

 銃を手にした兵三名が、コクピットデッキを走ってくる。ブーツと金属製のデッキがぶつかる音が格納庫に響いた。

 先頭を走る兵が、右手を下におろし、後続に立ち止まるように促した。足音が止む。先頭の兵だけが、腰を落とし、足音
を立てないように進む。進む先にあるのは、女性型をした戦闘用ロボット・ビューナスAだった。

 兵は、ビューナスAの頭部、右ツノ下部にある小さなハッチを開けた。赤い大きなボタンがみえる。コクピットのキャノ
ピーを外部から強制的に開けるためのボタンだ。兵はそこに指をかけると、ふりむいた。そして、後続の兵たちと目と目を
合わせ、指で三、二、一とカウントダウンし、ボタンを押し込んだ。

 蒸気の漏れるような音が短くして、キャノピーが開く。兵たちが銃を構え、コクピットを囲んだ。

「炎ジュン中尉だな。特殊兵装私的占有の現行犯として連行する」

 そこには、ジュンがうずくまっていた。声をかけられるとジュンはゆっくりと顔を上げた。

 ジュンはひとり、狭い営倉に留置されていた。

 端にある硬いベッドに腰掛け、携帯を見ている。営倉には通信防止措置が施されているので、外部との連絡は取れない。
それでも通常、携帯は、留置中、没収されるものだが、そうはされなかった。統合軍でのジュンの立場に対する配慮か、そ
れとも腹のふくれた妊婦に対する憐れみあたりなのだろうと、ジュンは考えた。

 いずれにせよ構わない。手にした携帯には、鉄也とジュンの二人のあれこれが写っていた。ジュンが撮った鉄也の写真。
鉄也が撮ったジュンの写真。腕を伸ばして撮った二人の写真。

 その写真を見ていることが、かろうじてジュンの正気を保たせていた。

 携帯の写真アプリには、昔からのいろいろな写真が入っている。アナログカメラで撮影したプリントを、わざわざスキャ
ンして取り込んだ古い写真もある。二人で、たくさん笑った。ケンカもした。一緒に戦った。傷ついたこともあった。いた
わったことも、いたわられたこともあった。

「けど……」

 ジュンは、携帯の電源ボタンを押し、スリープさせた。画面が暗転する。そこにジュンの顔が映る。ヒドい顔だった。

「昔はよかったなんて死んでも言うもんか……」

 ドアの外で声がする。

 プシュ、とドアが開いた。さやかだった。

「なにやってんの! あなた今自分がどういう体かわかってんの!? 」

 うなだれて壁にもたれかかっているジュン。
「お願い、二人にしてください」

 さやかが、警備兵に頭を下げた。

「ですが……」

「責任はとります」

 さやかが再び頭をさげると、ドアは閉められた。

 さやかは、ジュンのそばにゆっくりしゃがみこんだ。

「聞いたんだ。鉄也さんが囚われてるって。……ひとりで鉄也さんを助けに行こうと?」

 ジュンは、こくりと頷いた。

「でもできなかった」

 そして、お腹をさすりながら自嘲した。

「まさか、お腹がつかえてフットペダル踏めないとは思わなかった」

「バカ」

 さやかは小さく笑うと、お腹にそっと手を当てた。

「この子が止めてくれたんだよ」

 言い聞かせるように、さやかは言う。ジュンはうなだれたまま、ゆっくりと話し出した。

「……世界をよくするために戦ってきた。……たぶん少しはよくなったと思う。軍人なのだから、と覚悟もしてきた。それ
なのに……それなのに割り切れない自分がふがいない」

 ジュンの目に涙が浮かぶ。さやかは、ジュンの強さがうらやましかった。もし逆の立場だったらどうしただろう、甲児を
助けに行けるのだろうか。

 そのとき、ジュンの腹が動いた。

「……元気そうだね」

「サイアクだよね、こんなタイミングでさ」

 さやかは、ジュンのとなりに座ると、そっとジュンを抱きしめた。

 そして監視カメラの位置を確認して、口元がカメラに映らないことを確認すると、耳元で囁く。

「……大丈夫。鉄也さんのことを想っているのはあなただけじゃない」

「?」

 さやかは、そっと甲児のIDカードを見せた。

 ジュンが目を見開く。

「お尋ね者だから、ここには来られなかったけど……」

 ジュンは、小さく頷くと、涙を拭うことすらせずに泣いた。

 旧光子力研究所コントロールルームでは、数年ぶりに息を吹き返した機器たちが、マジンガーZの発進準備の進捗を知ら
せていた。

 ブラウン管特有の色のにじみが懐かしい。室内の端末に、いまどきのタッチパネルは、ひとつもなく、すべてが物理ボタ
ンだった。押し込んだときのカチリカチリという音が、部屋のあちらこちらからリズミカルに聞こえてくる。

「MZwereOS ver1.55ハードウェアチェック実行中」

「バッテリー充電一〇〇%。外部温度、内部温度ともに正常」

 黒い壁面に白い線で描かれたマジンガーZの模式図には、チェック項目を示す赤いランプが、チェックが進むたびに、順
次緑色に切り替わっていく。
「交信状態確認。バンド信号受信中………信号受信」

「メインイメージャOK。ヒートシンクOK」

 レーダーにも火が入り、付近の索敵が始まる。これで旧光子力研究所の機能は、完全に回復した。歓声が沸いた。

「作戦の最終確認をする」

 館内に甲児の声が響く。

 甲児はコンクリートがむき出しの通路を歩いていた。何度も何度も通ったパイルダーの格納庫へと続く通路である。

 甲児は、パイロットスーツを着ていた。鮮やかな赤と濃い赤のツートンカラーで、つなぎ目には黄色のラインが入ってい
る。あの頃と同じスーツだった。久しぶりの感触を確かめるように、甲児は、何度か拳を握りなおす。そのたびにギュッと
布地が締まる音がした。二つのツノ状の突起があるクリーム色のヘルメットを小脇に抱え、右耳につけた通信機を経由し
て、甲児はブリーフィングを続ける。

「この作戦の目的は二つ。剣鉄也の奪還およびインフィニティの破壊だ」

 コントロールルームに新たに設置された大型モニタに、プラント周辺の断面図が表示された。いちばん右側に新光子力研
究所。そこから富士山の稜線に沿って左に進んだところにまっすぐ掘られた横穴が見える。その手前にマジンガーを示す黄
色い点が光る。

「まず閉鎖中のフジプラントへ地下坑道から侵入」

 点が、横穴を左に進んでいく。

「コ・パイロット兼ミッションスペシャリストとしてリサも同乗する」

 リサは、甲児と色違いの青を基調としたパイロットスーツを着て、甲児のすぐ後ろを歩いている。

 モニタには、真上から見た地図が表示された。旧光子力研の真上に、青い丸が二つ現れた。ボスボロットと超合金光積層
造型器を改造した多脚砲台だった。

「こちらの発進と同時にボスボロットと博士たちは敵の陽動を開始。ありったけの火力で敵を引きつけつつ、逃げまくって
くれ」

「おう! まかせとけい!」

 ボスボロットのコクピットで、ボスが気合の入った返事をした。出番を待つバッターのように、ニュー超合金Z製の金棒
をブンブンと振り回している。コクピットには、もちろんヌケとムチャもいる。二人ともボスの後ろでガッツポーズをして
いた。

 せわし博士、のっそり博士もコクピットに座っていた。

「せいぜい派手にやってやるわい」

「ひっひっひ~」

 胴体部分にとりつけたミサイルランチャー二門、ホーミングレーザー一門をガチャガチャと動かした。

「どうじゃ~。戦う3Dプリンタじゃぞ~」

「武器をプリントアウトすれば、いくらでも戦えるぞい!」

 博士たちは、手をわしわしと開いたり閉じたりさせて、ニヤニヤと笑っている。

 甲児には、みんなの反応が嬉しく、懐かしかった。

「オレたちはプラントに到着後、敵部隊との無駄な交戦を避けるため、坑道エレベーターを使い、インフィニティの足下へ
出る」

 甲児の指示に合わせるように、大型モニタには、ゆっくりと縦穴を上昇する黄色い点が表示された。

「この角度からなら、インフィニティは、ブレストファイヤーを撃てない。そこからインフィニティの装甲にそって上昇す
る。機械獣は張り付いているが、腕から出るホーミングミサイルはかなり回避できるはずだ」

 二人は、パイルダーの格納庫に到着した。真紅のホバーパイルダーがゆっくりと回転し、覆っていたポールが天井に収納
されていく。
 キャノピーが開き、上部装甲が後方にスライドする。コクピットは、前後に二つシートが取り付けられていた。武装やエ
ンジンの追加で、空間に余裕がないジェットパイルダーではなく、ホバーパイルダーならではの改造だった。

 はじめに搭乗したのは、甲児だった。ヘルメットをかぶると、シートを前にスライドさせた。続いてリアシートにリサが
乗る。リサが説明を引き継いだ。
けいつい

「その後、インフィニティ頚椎 部分にある外部入力スロットから、グレートを強制的にパージするプログラムをインス
トール。これでゴラーゴン停止確認後、鉄也さんを回収、脱出します」

 それが作戦の概要だった。要は奇襲である。不確定要素が多かったが、これが今の戦力でできる精一杯のことだった。

 甲児は、メインパワーを入れ、各スイッチをオンにしていく。計器に光が入る。左右のプロペラが、金属音を立てて回り
はじめ、あたりの空気を激しく揺さぶる。

「時間がない中、よく間に合わせてくれた。ここにいる誰ひとりが欠けても、オレはもう一度マジンガーに乗ることはでき
なかっただろう。これがマジンガー最後の出撃になる」

 格納庫の正面シャッターが開いていく。外の光が格納庫に差し込む。左右の壁面と上部についているガイドランプが順次
点灯した。ホバーパイルダーが、ふわりと浮き上がる。

 格納庫にオペレーターの声が響いた。

「全シークエンス終了。発進を許可します」

 ペダルを踏み込むと、後部ノズルから、ジェットが噴射された。

 次第に速度が増す。射出口を滑るように飛び出すと、真紅の機体は、青い空へと舞い上がっていった。甲児は、久しぶり
の感触を確かめるように、一度大きく旋回すると、ヘルメットに内蔵されているゴーグルをおろした。

 息を深く吸い込む。

「マジーンゴー!!!!」

 光子力研究所のプールが左右にわれる。大量の水が中央から下に流れ込んで行き、エレベーターに押し上げられたマジン
ガーZが姿を現す。

 パイルダーが、頭上でホバリングする。機体下部からアンカービーコンを射出すると、マジンガー頭頂部のポートマーキ
ングが白く光った。甲児は、パイルダーの翼を折りたたみ、下部バーニアをふかし、高度を下げる。

「パイルダーオーン!!!!」

 パイルダーの着底と同時にマジンガーの目が黄色く輝く。

「ジェットスクランダー!!!!」

 甲児がそう叫ぶと、旧光子力研究所の東側にある斜面に生えている木々ごと左右にわかれていった。その間から、レール
がせりあがる。奥から真っ赤な翼がゆっくりと進んできた。マジンガーZは単独では飛行できない。そこで開発された追加
武装であるジェットスクランダーである。

 次第にジェット噴射の出力が上がる。バーニアのノズルが開く。すると翼は音速を超える速度で飛び立った。

「スクランダークロス!!!!」

 地上を走っていたマジンガーは、ジェットスクランダーと射線を同期する。そして大きくジャンプした。足底のバーニア
を使い、高度二〇〇メートルまで上昇すると、ジェットスクランダー下部にあるベルトフレームが、マジンガーを捉えた。

 スクランダーの出力を得て、マジンガーの装甲の隙間から、黄金色の光が漏れる。甲児がアフターバーナーを入れると、
マッハ四・五まで加速したマジンガーZは大空へ羽ばたいていった。

 久方ぶりに陽の光を浴びた魔神は、あの日と同じように輝いていた。
 駿河湾上は、南から来た低気圧の影響で、次第に風が強まっていた。波高は七メートル。しかし統合軍旗艦ピースキー
パーの艦内で、揺れを感じることはまったくない。排水量一〇万トンを超える艦とはこういうものか、と弓首相は思った。

「ようこそいらっしゃいました、ミスター弦之助。かつてのあなた方の戦闘ログはすべて拝見させていただいてます」

「光栄です」

 統合軍を視察に来た弓首相を司令室で艦長が出迎える。二人は固く握手をした。

「多国籍軍の件、さぞやご心配でしょう」

 ヘルへの抗戦を主張する国々は、多国籍軍を結成した。六時間前から小笠原沖の公海上で、合同軍事演習を行なってい
る。

「名目上は、統合軍で対処できない事態になった場合に支援するため、としているが、実際のところは、核攻撃というカー
ドもちらつかせた挑発行為です」

 と艦長は拳に力を込めた。

「ええ、日本の首相として、核の使用はいかなる理由であれ断じて容認できません」

 弓はそう明言した。この視察は、日本の非核の姿勢を内外に示すための視察である。

「統合軍の精鋭がここにいてくれるかぎり、我が国の平和と安全は守られると固く信じています」

「そうおっしゃっていただけると、我々の士気も一層高まります。まあ、ご安心ください。我々の最新鋭の監視システムで
あれば、奴らがミサイルを装塡する音まで聞き分けますよ。ただ……」

 艦長は、少しくだけたあと、富士山の方を見た。

「ヘルのほうは少し長引くのかもしれませんなあ。私には、どうにもヘルという男が何を考えているのかわからない」

「……と言いますと?」

 弓は、艦長のほうに少しだけ振り向いた。

「あ、いや。ただ、あの共存共栄という言葉が、単なる絵空事とも思えなかったんですよ。少なくともあの言葉を言った瞬
間、その時点では、本気でそう考えていた。そんなような気がしてならない。予測ができないとはいえ、テロリストを相手
にしているというよりは、強大な自然災害と向かい合っているような……そんな心持ちになります」

「……なるほど。わかる気はします」

 弓は自分の経験と引き合わせて、言葉少なにそう語った。

 それを誤解したのか、艦長が慌てて、取り繕う。

「あ、これは、憧れの人を前にして、つい立場をわきまえない話をしてしまい、失礼しました。さあ、艦を案内しましょ
う。より一層ご安心いただけることをお約束します」

 そう艦長が弓をエスコートしようとしたときだった。

 司令室に、アラートが鳴り響いた。

「どうした!? 」

「マウントフジ周辺を高速移動する飛行物体捕捉」

「画像出ます」

 モニタには、両手を伸ばして飛行姿勢をとるマジンガーZが映しだされた。

 司令室にどよめきが起きた。

 この騒ぎは、甲板にも即座に伝わっていた。兵たちが双眼鏡を奪い合っている。

「ちょっ、貸せ!」

 シローもようやく手にした双眼鏡で覗いた。
「……アニ……キ?」

 双眼鏡は、すぐに誰かにとられた。

「……なにまた勝手やってんだよ」

 シローは、唇を嚙む。

 インフィニティの被害を受けた新光子力研究所は、いまだ復旧のめどは立っていなかった。そこで、ひとまず静岡県熱海
市にプレハブの仮施設の建設が決定。所内では、まだ使える機材や研究データの運び出しが行なわれている。

 しかし、ここは、インフィニティまで、わずか数キロの地点である。国が立ち入りを許可した時間は、一日にわずか数時
間。作業は遅々として進まない。

「はーい、みなさーん。今日もそろそろ撤収準備してくださーい」

 ヘルメットをかぶったスタッフが、ハンドマイクを片手にコントロールルームに声をかけた。研究所の中でも、ここの被
害は大きかった。熱線で外壁の一部が蒸発し、インフィニティから伸びたケーブルがあちらこちらから、顔を出していた。
人的被害が出なかったのが奇跡である。

「もうかよ! ぜんぜん進まねーよ!」

 データのバックアップを取っていた若いスタッフが愚痴をこぼした。

「これ、今日バックアップまわしといて、明日、回収するじゃダメなんですかねー、先輩」

「誰かに盗まれたら、どうするんだよ」

「こんな非常事態にセキュリティも何もないでしょう。だいたいヘルのクラッキングで、どこまでこちらが丸裸にされてい
るやら」

「それでも規則は規則だよ。……ん?」

 先輩、と呼ばれたスタッフが顔を上げた。

「どうしました?」

「なんか音しないか?」

 他のスタッフたちも耳をそばだてた。

 甲高いジェットエンジンの音だった。しかも次第に近づいてきて、空気の振動すら伝わってくる。互いに怪訝な顔をす
る。

「うわっ!」

 爆音がした。そして目の前を通過していったのは、まごうことなきマジンガーZだった。

「ええっ!?  なんで?」

「だってマジンガーは、博物館ごと……」

 インフィニティの熱線でできた穴から、スタッフたちが身を乗り出して、マジンガーを目で追った。

「知らなかった? あれ、レプリカだったの」

 スタッフの背後から声をかけたのは、さやかだった。

 しかも普段のニットに白衣、という格好ではなく、手にヘルメットを持ち、ピンクと白のワンピーススタイルのパイロッ
トスーツを着ている。

「しょ、所長!? 」

「何? この歳でこんなに足出すなっていうの!?  十年ぶりだけど、ちゃんと入ったし!」

 下は、丈が短めなフレアになっていた。さやかが、腰に手を当て、これ見よがしに腰を振る。スカートが、ふわりと広が
り、太ももがチラと見える。

「いや、あのそういうことじゃなくて……」
 さやかは、有人ドローンの上に立っていた。しかもそれはコントロールルームの二層目にある中央デッキの一部がそのま
ま分離したものだった。

「あーこっち? 前所長がねー、あれば何かと便利だ、っていうから、半信半疑でつけといたんだけど、まさかほんとに使
うことになるとはね」

 さやかは、遠ざかるマジンガーを呆れ顔で見送った。それから正面のコンソールをたたいた。天井が開き、ドローンは高
度を上げていく。

「みんな、真似しちゃダメよ。ああいう悪い大人の」

「ど、どちらへ?」

 スタッフが下から声をかける。ドローンの風で、スタッフたちの白衣がバタバタと揺れる。

「まともな大人としては、ちょっと頭下げにねー。先方に呼び出されるのと、こちらから出向くのだと心証違うし。まった
く……あんなぺらぺらの辞表一枚でなんの責任が取れると思ってんだか」

 ヘルメットをかぶり、バイザーを下ろす。

「いやだよねー、惚れた弱みってのはさ」

 自分に言い聞かせるように小さく呟くと、一気に飛び立った。職員たちは啞然とした表情でさやかを見送る他なかった。

 多脚砲台とボスボロットは、甲児たちの発進を確認すると、甲児とは逆方向を目指した。宝永火口のちょうど裏側、青
木ヶ原樹海である。

「うりゃうりゃうりゃうりゃ~!! 」

 ボスボロットは、両手に一本ずつ持った鬼の金棒を振り回しながら走っている。額には鉢巻で発煙筒を何本もくくりつ
け、樹海には右に左に煙の帯が漂っていた。しかしまだ敵は来ない。

「イマイチまだ目立ち方が足りねえかなあ」

 ボスがぼやいていると、せわし博士から通信が入った。

「ボス、ほぉれ、できたぞい!」

 多脚砲台が黒い玉を作り出している。

「博士、これは?」

「いいから蹴り上げてみい」

 ボスボロットが思いっきり蹴り上げると、玉は、ドーンという音とともに四散し、色とりどりの光が空中に広がった。花
火であった。

「ほっほ~ぉ、こいつぁいいぜ!! 」

 ボスは歓声をあげた。

「まだまだあるぞい!」

「た~まや~! か~ぎや~!! 」

 ボスたちは、口々にそう叫びながら、花火を蹴り上げた。

「うひひひ~。敵がおいでなすったようだぞ~」

 のっそり博士は、レーダーに映る敵機影を見て、ニヤニヤした。

「ようやくおいでなすったか」

 ボスボロットは、敵の方を向いて仁王立ちで待ち構える。

「ボス、慌てなさんな。その前にホーミングミサイル発射じゃあ~」

 機械獣めざして、ボスたちの背後から、多数のミサイルが飛んでいく。博士たちが仕掛けたミサイルランチャーだった。
「ありゃ、いつのまに!? 」

 森のあちこちに着弾すると、いくつも爆煙があがる。

「うひゃひゃひゃ!!  やったぞ~い!! 」

 博士たちは、コクピットで、うれしそうに体を揺らす。

 ボスがニヤリと笑う。

「こっちも負けてらんねえぜ! さあ来い!」

 ボスボロットは、正面の煙の中から、飛び出して来た機械獣を金棒で殴りつける。

 二つ、三つ、四つ、と調子よくやっつける。しかし、

「ん?」

 と気がつけば、煙の中に大量の機械獣のシルエットが見える。振り返ると、先ほど殴り飛ばした機械獣もゆらりと起き上
がった。

 ボスの額に冷や汗がたれる。

「ボス~。なんか思ったより数来てません……?」

 ヌケが指摘するが、ボスはまだ強がる。

「う、うるせー。ビ、ビビってんじゃねーよ。これが、よ、陽動作戦さ」

「ボス! 博士たちがいません!! 」

 辺りをキョロキョロすると、ずいぶん遠く、樹々の向こうに多脚砲台が見える。

「お~い、ボス~。ぼやっとしてるとやられるぞ~い」

「きったねえな博士!!  逃げるんなら逃げるって言ってくれよ!」

 ボスは叫ぶと、博士たちの方へ、一目散に逃げ出す。

「こんなやつら……ほ、本気出せば屁でもないけどな!」

 強がるボスに、ムチャとヌケがぼそりとつっこんだ。

「たいして倒したこともないけど」

「でしゅね~」

「うるせー!」

 ボスは、ゴツンとムチャとヌケの頭を叩いた。

「とにかく逃げろ~」

 多脚砲台とボスボロットは、機械獣の集団に追いかけられながら、樹海を縦横に逃げまくった。

「フジプラント地下坑道入口まで距離五キロ。敵影捕捉!」

 リサの言葉と同時に、甲児のゴーグルに敵の位置が、現実の風景と重なるように表示される。

「うまくやってくれてるな、ボスたち」

 それでも数十体の機械獣が付近にはいた。

「迎撃順の推奨とかもできますけど、ご主人様、そういうのおきらいですよね」

 リサが冗談交じりに言うと、

「よくわかってるじゃないか」

 と甲児は、高度を下げ、バーニアを噴かした。
「一気に行くぞ!」

 坑道入口にいたダブラスM2が、マジンガーに気づく。二つの首から、熱線が発せられる。マジンガーはさらに低空に入
り、かいくぐる。甲児は、プラントのタンクとタンクの間をすり抜ける。ダブラスの首はそのスピードに対応しきれない。

「スクランダーカァッ───── ト!!!!」

 背中の翼が、ダブラスを双頭のちょうど真ん中で縦に二つに切り分ける。それぞれの頭はしばらくマジンガーを追うよう
に動いていたが、すぐにバランスを崩し、爆発した。

「六時、ミサイルきます!」
かん

 リサが言うが早いか、甲児が操縦桿 を右に倒した。減速せずに背面飛行をするマジンガー。上空に白い翼のジェノサイ
ダーF9がいた。さらにミサイルを放ちながら、ジェノサイダーが間合いを詰めてくる。両手を伸ばし、空中で、マジン
ガーを捕らえようとする。

「ロケットパ───── ンチ!!!!」

 マジンガーの右下腕が上腕から分離し、加速する。固く握られた拳は、ジェノサイダーの胴に食い込み、貫通した。バラ
ンスを崩したジェノサイダーは、きりもみを起こし、爆散する。

「派手に戦いすぎです!」

 戦闘に気づいた機械獣たちが、次々と押し寄せてくる。

「仕方ねえだろ!」

「下方、来ます!! 」

 坑道入口を塞ぐようにダムダムL2が地中から現れた。進路を塞がれたマジンガーは、一度、上空へ逃げる。先ほど放っ
た、右下腕が戻ってくる。指先についた補助ジェットノズルで、微調整をすると、腕は元通り装着された。そして両腕を開
き、胸の放熱板を機械獣に向ける。

「ブレストファイヤー─────!!!!」

 三万度の熱線が機械獣を薙 ぎ払う。次々に爆煙が広がる。甲児の顔を赤い光が照らす。が、リサは冷静だった。

「ブレストファイヤーは光子力を使い過ぎます! 実弾系の兵装を優先してください。このさき何があるかわからないんで
すから!」

「あーもー、やりにくいなー」

 炎の向こうから、マジンガーを狙うレーザーを回避しながら、甲児はぼやいた。マジンガーが先ほどのダムダムを捕らえ
る。それに気づいたダムダムは、両輪と胴体を分離して、襲いかかってくる。

「ドリルミサイル!!!」

 マジンガーの下腕が折りたたまれ、上腕の断面から、小型ミサイルが連続で発射された。先端のドリルが次々とダムダム
にめり込んでいき、ダムダムは、内側から弾けるように爆発した。

「これでいいんだろ?」

 甲児が半分ふてくされたように言う。

「はい♡」

 とリサは微笑んだ。

 マジンガーは、坑道入口に向かって一直線に中に突っ込む。リサがタイミングを合わせて、坑道入口の隔壁を作動させ
る。マジンガーの背後で大きな音を立てて隔壁が閉まった。

 二人は、メインシャフトに出た。

 甲児がキャノピーを開け、上を見上げる。

「シャフト内敵影ありません」

 リサの声ががらんどうのシャフト内に響く。
 シャフトのあちこちには、機械獣の爪あとと思われるえぐられた跡が残っている。安全第一などの看板や、足場はだいぶ
崩れて、穴の底まで落ちて溜まっていた。甲児は、エレベーターの床板へ、マジンガーに片膝をつかせ、コクピットから降
りた。リサもそれに続く。

「よかった。エレベーターは生きてますね」

 リサは、操作盤に電源が入ることを確認すると、そう言った。

 ふと甲児が立ち止まった。甲児の足元に転がっていたのは、逃げ遅れた作業員の遺体だった。空調の止まった地下の気温
は、三度程度まで下がっていた。腐敗はさほど進んではいない。よく見ると、そこかしこに遺体が転がっている。

 甲児はそっと手を合わせた。そして、数ヶ月前、発見されたばかりのインフィニティの視察に来たときに、たくさんいた
作業員たちの姿を思い浮かべた。リサが見よう見まねで真似をする。

「……行こう」

 顔を上げると、甲児は再びマジンガーに乗り込んだ。

 エレベーターが動き出す。

 メインシャフトと並行して走っている資材運搬用のエレベーターである。カゴやドアはなく、むき出しの床面だけが、エ
レベーターシャフトに沿って移動する無骨なものだった。

「いまのうちに光子力充塡しましょう」

「頼む」

 甲児が手短に答えると、リサは、エレベーターの光子力コネクタをマジンガーに握らせた。モニタの光子力ゲージの右に
充塡中を示すZの文字を円形にあしらったアイコンが表示される。

「あの……こんなときになんですけど、ちょっと伺っていいですか?」

 リサがリアシートから、顔をのぞかせた。

「ん?」

 甲児がゴーグルをあげる。

「……このあいだ、さやかさんとはどんな話を?」

「そりゃ……ゴラーゴンのことと……この作戦のことと……」

 と言いつつ甲児は、さやかとのことを思い出し赤面した。

 リサはケラケラと笑う。

「……よかった」

「別にお前に言われたからじゃねえよ」

 甲児は、人差し指でカリカリと頰をかいた。

 モニタには、エレベーターがまもなく宝永火口地上階に着く旨が表示されている。

 五、四、三……。

「索敵レーダー回復します」

 同時に、コクピットに警告音が鳴り響く。

「直上、機械獣!!!」

 と同時にリサが叫んだ。

 上を見た瞬間、シャフトの天井が崩れ、紫色の腕が伸びてきた。腕は、マジンガーを摑むとエレベーターから引きずり出
す。大型機械獣のタイターンG9だった。子供が人形を振り回すように、タイターンは、マジンガーを振り回した。そし
て、宙に放り投げ、左手に持っている金属製の棍棒で打ち付けた。反動でマジンガーは、プラントの建屋に激しくめり込ん
だ。土煙が舞い、瓦礫が降ってくる。そこに機械獣が群がっていく。

 視界が回復した甲児たちの目の前にいたのは、見渡す限りの機械獣の大群だった。その背後にはインフィニティがそびえ
立っている。

 マジンガーが立ち上がった。

「まるで城攻めだな」

 吐き捨てるように言うと、甲児は、不敵な笑みを浮かべる。

「ゴラーゴン開始まで、あと三十分」

「上等だ! 行くぜ!! 」

 と、フットペダルを踏み込んだ。

 御殿場市、富士宮市に設置された統合軍の超望遠カメラを通じて、ピースキーパーのブリッジには、マジンガーと機械獣
の戦いが中継された。不鮮明な画像ではあるが、それでも圧倒的な戦力差の中、マジンガーが一人戦っていることは見てと
れた。

「パイロット判明しました! パイロットは兜甲児。兜甲児です!」

 オペレーターの報告に、艦長が、弓の方を向きなおる。

「どういうことです、ミスター弦之助!」

「いや、私にも……」

 機械獣だけではない。インフィニティの腕からは、例のミサイル状の飛翔体による攻撃が行なわれている。さらにイン
フィニティのそれぞれの指先からは、レーザーが射出され、マジンガーを執拗に追いかけている。

 ただ、それでも攻撃がやまない、ということは、マジンガーがまだ撃墜されていないことを表していた。

「警備部より入電! 甲板に不審者です」

「こんなときになんだ! 警備部で対処しろ!」

「……それが」

 甲板で、銃を向けた警備兵たちに囲まれているのは、さやかだった。

 さやかは手に光線銃を持っている。

「大人しく銃を置け! 手を頭の後ろに組んでひざまずけ!」

 さやかは、銃をつまむように持ち、手を上にあげる。

 ちょうどこめかみの高さくらいまで持ち上げたとき、さやかは銃を構えた。

 兵たちが、脇を絞るように、銃を構え直す。

 しかし、さやかの銃口は、さやか自身のこめかみに向けられていた。

「艦長にお取り次ぎ願いたい! 新光子力研究所所長・弓さやか。状況説明にまいった! 速やかにお取り次ぎいただけな
い場合、世界最高峰の光子力研究の知見が失われるが、その覚悟はおありか!」

 その様子は、司令室のモニタにも映し出された。

 弓は、壁に手をつき、うなだれている。

「……すみません、娘です」

 艦長は、弓の方を振り向くと、あんぐり口を開けた。

 さやかはブリッジに通された。

「もう! お父さん来てるなら言ってよ、恥ずかしい!」
「恥ずかしいのはこっちだ、バカモノ」

 二人のやりとりに、艦長は咳払いをした。

「で、ミスさやか。お話とは?」

「お願いします! 統合軍に兜甲児及びマジンガーZの支援をしていただきたい」

「統合軍が新国連の決議がなくては、そのようなことができない軍隊だと知ったうえでのことですか?」

 さやかは頷いた。

「あなた方の戦闘ログは、すべて読んだ。あなた方は、まぎれもなく正義の味方だった。ただそれが現代においては、容易
に認められることではない。そのこともご理解いただけますか?」

「はい」

 さやかはまっすぐ相手の目を見た。

 艦長は、深いため息をつく。

「いいでしょう。……お話だけは、お聞きします」

 さやかは、艦長に深々と頭を下げた。

 その様子を見て、弓も頭を下げた。それは、首相としてでなく、親としての礼であった。

匍匐飛行

 甲児たちは、玉座を目指し、インフィニティの外装に沿って飛ぶNOE で上昇をしていた。

 インフィニティの体には、蟻塚に群がる蟻のように機械獣が張り付いている。かといって、少しでもインフィニティから
離れると、今度は、ミサイルとレーザーが嵐のように襲いかかる。

 少しでも敵の少ないところをすり抜けるように、甲児たちは進んでいった。それはリサの敵軌道予測と、甲児の驚異的な
反射能力のコンビネーションによるものだった。

「方位四-三-五! つづいて三-三-二!」

 リサの視線が目まぐるしく動いている。甲児が細かく弾くように操縦桿を操作する。一度でもリズムを崩せば、すぐにや
られる。これが、そういう類の戦いかただということは、甲児もリサもよくわかっていた。

「アイアンカッター!!!」

 マジンガーは両の拳を放つ。ただしロケットパンチと異なり、前腕部の両サイドには斧状の刃がついていた。コントロー
ルは、ロケットパンチに劣るが、貫通力ははるかに高い。拳は、数体の機械獣を次々にぶち抜き、進路を確保する。

 しかし、その先にいたデスクロスV9の回転する翼が、右の拳と浅い角度でぶつかり、拳を弾き飛ばした。そして、さら
に射線上に入ってきたジェイサーJ1も分厚い甲羅で、左の拳をはねのけた。それでもマジンガーは減速しない。

 デスクロスの刃がせまる。それをすんででかわす。今度はジェイサーの三本の首がそれぞれ赤、黄、緑のビームを撃って
くる。

「ちっ!」

 かわせたものの、逃げ場がなく、インフィニティから機体が離れてしまう。

 即座にインフィニティの指レーザーが襲いかかる。甲児が縫うようにそれを避ける。

「ホーミングミサイル多数。回避ルートありません。ダメージコントロール入ります」

 すべての方位からマジンガーめがけて、ミサイルが飛んでくる。

「まだまだぁ───っ!!!」

 甲児がシフトボタンを押しながら、操縦桿を動かす。弾かれた拳の遠隔操作だった。拳が同士討ちからのがれようとして
いるデスクロスの尻尾を捕まえた。甲児は、強引にデスクロスを引き寄せると、四方八方にジャイアントスイングした。マ
ジンガーの盾がわりにされたデスクロスは、迫り来るミサイルと相殺された。

 リサは、自分の予測を超えた甲児の動きに思わず漏らした。
「……やりますね」

 まあな、と甲児はニヤリと笑う。

「あと玉座まで三〇〇メートル!!  四-二-一」

 マジンガーは上昇を続ける。

「サザンクロスナイフ!!!」

 背後のスクランダーの翼前縁にあるスリットから、ニュー超合金Z製の十字手裏剣が射出され、前面の敵を撃破した。

「進路クリア! いけます!」

 甲児はマジンガーを加速させた。

「距離二〇〇……一五〇」

 そのときだった。

 マジンガーの進路を塞ぐように、巨大な物体が左右からせり出してきた。インフィニティの巨大な腕だった。

「のわっ!!!」

 左はかわした。ただ右はかわせず、マジンガーは空中で停止する。

「しまった!! 」

 上下をふさがれ、正面に出るしかない。

 しかし、そこには二つの影が待ち伏せていた。

「ようやくお目にかかれましたね、マジンガーZ。いや兜甲児!」

「積年の恨み晴らしてくれるわ!」

 アシュラーP1とブロッケーンT9であった。

「バストテードル!!!」

 先陣を切ったのは、アシュラーだった。右胸から、ビーム針を連射する。

「ロケットパ────ンチ!!!!」

 マジンガーは、インフィニティの腕の上を走ってそれを回避しつつ、アシュラーを狙う。

 アシュラーも右手に持った杖で、拳を軽くいなす。

「ご主人様!!! インフィニティの腕が」

「わかってる!」

 インフィニティの腕が、マジンガーを押しつぶすように上下から迫って来ていた。

 電気剣を抜いたブロッケーンも襲いかかる。

「ハッハッハ!!  逃げられると思うなよ!!!」

 マジンガーは後ろにかわすしかない。しかし、そこにはブロッケーンの頭部が待ち構えていた。

「鉄十字ガス!!!」

 口から吐かれた怪光線がマジンガーに絡みつく。

「ちっ、身動きとれねえ!」

 さらにアシュラーが左手にある触手状の鞭を何度も打ち付ける。

「ハッハッハッハッ、このままつぶれてしまえ、マジンガー!!!」

 あしゅら男爵の男女入り混じった声が響く。
 上下の腕の隙間は、ますます狭くなり、すでにマジンガーが立ち上がれるだけの余裕はない。マジンガーは、片膝をつ
き、両手で支える。しかしインフィニティのパワーは、マジンガーでも如何ともしがたい。じりじりと狭められていく。

「ミサイル発射!!! ブレストファイヤー!!! 光子力ビーム!!! ルストハリケーン!!!」

 だがやはりインフィニティにはかすり傷一つつけられない。

「マジンガーの最期は、我々が見届けてやろう! フハハハハ」

 ブロッケーンの頭部が、マジンガーのまわりをひらひらと飛びながら高笑いをしている。マジンガーの関節に短くスパー
クが走り、ギシギシと音を立てる。
けいつい

「左右肘、肩関節、出力上がりません! 第四、第六、第七頚椎 、ストレス増大!」

「リサ!!  お前だけでも行け!!  鉄也を助けるんだ!!  時間がない!」

 カウンターはゴラーゴン開始まで、あと十五分と告げていた。

 甲児はマジンガーのキャノピーを開ける。

 冷たい外気がコクピットに流れ込む。リサの髪が風で乱れる。

「むちゃくちゃ言わないでください!! 」

「いいから行け!!  お前の身体能力なら、上まで行ける!」

「そういう問題じゃありません!」

「このままじゃ二人ともおしまいだ!」

「でも!!!」

 リサが大きく首を振ったそのときだった。

「ブレストファイヤー!!!!!!」

 聞き覚えのある声だった。

「なにィ!? 」

 ブロッケーンの頭部が振り返ると、下方向からの真っ赤な熱線が、ちょうどその胴体を溶かしているところだった。

「オレのカラダ───!!!!」

 ブロッケーンの頭部は、あわてて外に飛び出し、下を見る。

 すると今度は上から、

「くらえ!!!」

 と銃弾を浴びせられる。無防備なブロッケーンの後頭部に、弾頭がめり込んでいく。コクピット内のブロッケン伯爵は、
なすすべもなく潰されていく。

「うわあああああっ!! 」

 ブロッケン伯爵の断末魔にアシュラーが振り返る。

「なんだとぉ!? 」

「マジンブレード!!!」

 と、アシュラーの体が左右から輪切りにされた。

「ぬおわっ!? 」

 アシュラーの体が、ずるりと横にずれる。

「切るなら縦にしろ~~~!!!」

 そう叫びながら、ブロッケーンにつづいて、アシュラーも飛散した。
「なにぜいたく言ってんだ、何度も生き返るような非常識な連中がよ」

 そう吐き捨てながら、現れたのは、イチナナ式に乗ったシローだった。

「シロー!? 」

 今の隙に脱出した甲児が驚いて言った。

 シロー以外の三番隊の連中もマジンガーに敬礼をする。

「どういうことだ!? 」

「さやかさんが、ゴラーゴンのシミュレーションを持ってきた。それをいま世界中の研究機関が全力で追試してる。現状、
数カ国から速報があって、事態は急を要するという光子力研究所の判断を支持する、だってよ」

「さやかさん……」

 リサの顔は安堵でほころんだ。

 通信が入った。

《こちらピースキーパー艦長アキラ・キャンベルである。これより統合軍は全戦力で、光子力研究所、およびマジンガーZ
を支援する!》

 雄叫びが響く。そして、シローの背後に現れたのは、ピースキーパーが誇るイチナナ式の軍団だった。

「っていうわけさ」

 シローが得意げに言う。

「アニキ、弟として一言言わせてもらうぜ」

「?」

 モニタ越しにシローは、じっとりとした目で甲児を睨んだ。

「次は、最初から、一声、かけろ!」

「わかった」

 と甲児は、口のはしで笑った。

「とにかく、ここはオレたちに任せて、アニキは鉄也さんを!」

「おう!! 」

 インフィニティの玉座は、雲の向こうだ。

「このまま一気に雲を突き抜け、インフィニティの管制を掌握する!」

「はい!」

 リサが答えると、マジンガーは加速して、天上を目指した。

 青木ヶ原樹海では、ボスボロットと多脚砲台が機械獣に囲まれていた。

「ボスロケットパーンチ!!!」

 ボスは、ちぎれたボスボロットの左腕を機械獣に投げつけた。

 しかし効果はない。

「博士! なんか新しい武器くれよ!」

「だめじゃ~! もう材料が底をついちまった~」

「そんなあ!」

「……だんだん追い詰められてるような気がしましぇん!? 」
「や、やばい感じっすよ」

 ヌケとムチャが震え声で言う。

「誰かさんが『……なにがあろうと、オレは、お前と、お前がやることを信じているよ』なんてカッコつけるからです
よ……」

「う、うるせええ!!  男にはなあ!」

 すでにボスボロットも多脚砲台も装甲が剝がれ、立っているのがやっと。徐々に間合いが詰められていく。舌なめずりを
するようにゆっくりと機械獣が迫ってくる。ボスボロットの口の部分のスリットから、機械獣がコクピットを覗く。

「ひぃぃぃぃぃっ!」

 ボスたちは、機械獣と直接、目が合い、思わず声が出た。

 しかしそのとき、戦場には不似合いな軽快なポップミュージックが聞こえてくる。

「な、なんだァ!? 」

 そして、

「オッパイミサーイル!! 」

 と発射音が響く。

 ボスたちを取り囲んでいた機械獣たちが破壊される。

「おおおお!! 」

 そしてボスたちの周囲に、女性型ロボットが四体降り立った。

 ボスが身を乗り出す。

「……ビューナスA!?  ジュンさんじゃねえし、さやかでもねえよな……」

「勇気りんりん! 戦うあなたの守り神! 連合軍所属アイドル! マジンガールズでっす」

 ビューナス軍団は、生身のマジンガールズと同じように、決めポーズをした。

「おおお~♡」

「ボスさま、博士さま。以降、当部隊が、みなさまのサポート担当となります。なんなりとお申し付け下さい!」

「よ、よろこんで~」

 ビューナスAたちは、腰を落として、敵に身構えた。

 どんよりとしたくもり空だった。

 小田原総合病院は、駐車場に仮設でテントを出すほど、怪我人や病人でごった返していた。地べたに敷かれた救護用マッ
トに直接寝ている人も多い。

 富士山の方から、幾度となく聞こえる爆発音が、人々を不安にさせていた。ひときわ大きな爆発音が聞こえる。鈍い地響
きがした。おもわず親が子をかばうように抱きしめる。

「死んじゃったらどうなるの?」

 子供がたずねた。四、五歳の女の子だった。まだ死を恐れることすら、よくわかっていない子供の素朴な疑問だった。

「大丈夫、大丈夫だよ。ずっとママいっしょにいるから」

 親だって、そんなのわからない。でも、もしものときは、最期に、この子の大好きな猫のお話をしてあげよう。少しで
も、痛い時間や、怖い時間を少なくしてあげよう。そのことだけは覚悟していた。やっと入れた保育園に、つい先日まで
通っていたという当たり前のことが、夢の中の出来事のように感じる。あの日にどうして戻れないのだろう、そう何度思っ
たかしれない。

 この親子だけでなかった。そんな人それぞれの決意や思いが、そこかしこにあふれていた。いつ終わるともしれない避難
所暮らしに、誰もが疲弊していた。
 そのときだった。誰かが叫んだ。

「マジンガーだ……マジンガーがいるぞ!! 」

 新光子力研のライブカメラの中継だった。小さなスマートフォンの画面には、上空目指して、飛んでいるマジンガーZの
姿が映されていた。わっ、と人だかりができる。

 新光子力研究所に残された若いスタッフたちによるものだった。「所長だけにいい格好はさせませんよ!」とあり合わせ
の機材で、発信しているものだった。

「兜甲児だ! 兜甲児がきてくれたんだ!! 」

 人々の瞳に、わずかに光が灯る。

「通してください!」

 ストレッチャーで妊婦が運ばれてきた。

 息が荒い。付き添っている助産師が、

「はい、ゆっくりすってー、すってー、はいてー」

 と声をかけている。妊婦は、呼吸を整えようとするが、なかなか上手くいかない。

「胎児心拍さらに低下!」

 腹部に心拍計を当てていた看護師が言う。

「NICUのドクター、探してきて! 子宮口は?」

「五分前に、九センチでした! 三番テントいま開けます!」

「もうちょっとですからね、がんばってください、剣さん!」

 ジュンだった。

 ジュンは、看護師の呼びかけに、歯を食いしばりながら、頷いた。

「あかちゃん、うまれるの?」

 さっきの女の子だった。

「ちょっと、やめなさい」と母親が止めるが、それをジュンが手で制した。

「そうだよ……、産まれたら……赤ちゃんとお友達に……なってくれる?」

 玉の汗を垂らしながら、ジュンは、それでも笑顔を作った。

「うん、ねこのおはなし、してあげる! それから、ねこごっこ!」

「ありがとう」

 ジュンは、その子の頭をなでると、テントの中に運ばれて行った。子供はすっかり笑みを浮かべている。久しぶりに見た
我が子の笑顔に、母親は思わず涙し、ジュンのいるテントに深々と頭を下げた。

 新光子力研のライブカメラのURLは、ネットワークが不安定な状況にもかかわらず、拡散されていった。

 マジンガーが、雲を抜けると、そこには、まばゆい青空があった。雲海の上にインフィニティの頭部が浮かんでいる。玉
座には、グレートが拘束されていた。鉄也の様子はうかがい知ることができない。

「外部入力スロット確認!」

 マジンガーが拳を構える。玉座の下、ひたいにある金色の菱形の玉石に、標準がロックされる。そこは、最初にリサが出
現した場所でもあった。

「方位ヨシ! 射程内入ります!! 」

「マルチプルアンカー射出!! 」

 甲児が、マジンガーの拳を下向きに曲げると、手首から、アンカーが射出された。風に煽られて、コースが曲がる。
「軌道補正、右〇・三、下〇・二」

 アンカーの側面部から短く軌道修正用のバーニアが噴射する。アンカーの先端が六つにわれて、玉石の中央に吸着した。
アンカーの中から、出現したコネクタが多段式に伸びていく。コネクタが触れると、玉石の表面が波打ち、コネクタは飲み
込まれていった。玉石は、リサが出現したときと同じように青く光る。

「……三、二、一。グレート解除プログラムインストール!」

 モニタにパージの進捗を示すプログレスバーが表示された。

 リサは、くしびの間のことを思い出していた。

 ──この力を手にした者が、この世は存在に値しないと判断したなら、この世界と、並行世界の中から望みの可能性の世
界を置き換えることができる。

 こいつは神にも悪魔にもなる。

 そして神であり、悪魔である──。

 もし私も世界を望むとしたら、それはどんな世界だろうか。

 誰と何をしたいのだろうか。

 そもそも私の望む世界は、存在に値する世界なんだろうか。

 インストール終了の通知が、リサを現実に戻す。

「リンク確立。パージいけます!」

「パージ!!!」

 グレートを覆っている幾重もの装甲板の隙間に閃光が走った。ウロコが剝がれるように、装甲板が飛び散っていく。バー
が急速に進む。
え し

 グレートのコクピットを満たしていたケーブルも壊死 するように朽ちていった。

「鉄也──っ!!!」

 うなだれている鉄也の姿が見えて、甲児は叫んだ。

「鉄也!!  鉄也────!!!!」

 鉄也は呼びかけに応えない。

「ダメです! パージ完了しません!」

 見ると、鉄也は、首の後ろから、頰にかけて、まだケーブルに侵食されていた。

 リサが端末を操作する。モニタの上からみた玉座の模式図は、ちょうど背中側のパージが完了していないことを示してい
る。

「何かが物理的に引っかかっています!」

「排除する!」

 マジンガーが回り込む。

 たしかに装甲板が残っていた。その最上部に何かが刺さっている。

 それはピンのように見えた。大きなものではない。

 甲児は、操縦桿を倒し、機体を近づけて、マジンガーの右手を伸ばす。

(あれは!? )

 何かに気づいたリサが目を見張る。
「ダメーッ!! 」

 リサの警告は間に合わず、マジンガーはそれに触れてしまった。その瞬間、マジンガーを拒否するかのように、激しくピ
ンが青い光を発した。

「うわあああ!! 」

 甲児の叫び声がコクピットに響く。操縦桿を通じて、衝撃がコクピットまで伝わる。見ると、マジンガーの右の指の関節
がすべて裏がえっている。

「近くに空間のねじれを感知! 隣接次元を使った結界が張られています! バードスの杖です!! 」

「バードスの……杖だと?」

 同時に、背後から声がした。

「……遅かったな、兜甲児」

 振り返ると、そこには古代の神像のような地獄大元帥に乗ったあの男がいた。

「 ……ヘル」
「かつての兜甲児ならば、もっと早かったぞ。……さては貴様、悩んだな?」

「……違う!」

「かりそめの平和はどうだった? 退屈だったんじゃないか?」

「そんなことはない!」

「ずっと戦う理由を探していたんだろ? 大人になったお前は大義名分がないと戦ってはいけないと思い込んでいる」

 地獄大元帥が西洋剣を構える。

「ごちゃごちゃうるせえ!! 」

 甲児は叫んだ。

「リサ、ここは全力でいかせてくれ」

「はいっ!」

 マジンガーの装甲が発光する。アクチュエーターに光子力がみなぎり、出力が上がっていく。

「マジンパワー!! 」

 そう叫ぶと、甲児は、ヘルめがけて、殴りかかった。地獄大元帥が、マジンガーめがけて、剣で斬りかかる。

 マジンガーはそれを腕側面に逃がす。拳で剣を弾き、剣で拳を受ける。回し蹴りを、膝で受けるような攻防が続いてい
る。

「貴様は本来こちら側の人間だ。楽しかったんだろう? 平和を求める戦い、それ自体が。平和はな、手元にないからいい
んだよ。思い出せ。昔のお前はもっとあさはかで、単純で、まっすぐで、力強かった。いい加減人類に愛想をつかせ」

「うるせええ!!! ブレストファイヤー──!!!!」

「地獄ビィィィ─── ム!!!」

 両者の中央で、二つの熱線が激しくぶつかり合う。両者一歩も引かない。

 次第に距離が近づく。スパークが激しくなる。

「よもや、ささやかな幸せなぞ望んでないよな、兜甲児!! 」

 体格で劣るマジンガーが、弾き飛ばされ、インフィニティに叩きつけられる。すかさずヘルが馬乗りになる。両者のコク
ピットが近づく。

 ヘルが、リサを見つけた。

「なるほど、そいつがオリジナルか」

 リサは下唇を嚙む。その仕草にヘルはうすら笑みを浮かべる。

 そして、

「まあよい」

 と呟くと、ヘルはまっすぐにリサを見つめて尋ねた。

「Ous le siera Unow ?」

「……………… Si le i Unows nomas !」

 リサはしばらく言い淀んだあと、覚悟を決めたようにそう答えた。

 ふん、とヘルは小馬鹿にしたように笑う。

「いまだ!」

 マジンガーは、この隙に地獄大元帥を蹴り上げた。

「ロケットパーンチ!!!!」

 地獄大元帥はそれをかわす。

「ハハハ、どこを狙っている! とどめだ!!!」

 地獄大元帥が剣を大きく振りかぶる。

「狙い通りだ、馬鹿野郎!! 」

 甲児は、シフトボタンを押しながら、操縦桿を握って、ロケットパンチを操っていた。地獄大元帥がロケットパンチのほ
うを振り返る。拳は玉座に向かって、飛んでいった。

「貴様の拳がバードスの杖の前に無力なことが、まだわからぬのか!! 」

 ヘルは笑みを浮かべた。

「狙い通りだって言ったろ? 杖がダメでもこっちならどうだ?」

 甲児が不敵な笑みを浮かべる。

「歯ァ食いしばれ、鉄也ァ──────ッ!! 」

 甲児が操縦桿を前に倒す。拳の加速が増す。

「ロケットパァ──────── ンチ!!!!」

 グレートの顎にマジンガーの拳がめり込む。

 メインバーニアの出力が上がる。グレートをつなぎとめていたケーブルが引きちぎれていく。グレートの体がついに持ち
上がった。

「なんだとぉ!!!」

 バードスの杖が、弾け飛んだ。ヘルが目を見開く。

 グレートは、拳とともに雲の中に落ちていった。

「シロー──ォッ!!!」

 甲児が通信機に向かって叫ぶ。

「見えてる!!!」

 シローが言うが早いか、落下するグレートに向けて、三番隊は、イチナナ式を飛ばした。
 カウンターがゴラーゴン発動までの残り時間を示す。

 七、六、……五、………… 四、…………三。

「グレート回収!!!!」

 両脇をイチナナ式に抱えられたグレートの映像がモニタに表示される。

 残り二秒で、カウンターも止まっていた。

 シロー機が雲の下から現れた。銃を構える。

せんめつ

「 ヘル! 大人しく投降すれば、捕虜として扱う用意がある。武装を解除しろ。機械獣は統合軍が殲滅
した。貴様とて、たった一機で統合軍を相手にするほど、馬鹿ではあるまい!」

 甲児が口を開く。

「ヘル。人間の勝ちだ」

 ヘルは、うつむいて、肩を震わせている。

「?」

 甲児が訝しがる。その震えが笑いだと判明するまでにそう時間はかからなかった。

「フフフ、ハハハハハハッ。そうだ、それでこそ兜甲児!!! その浅はかさこそ、貴様だ!!!」

 そして顔を上げると右手を高々と上げた。

 手の平から発した青い光が、バードスの杖をヘルの手元に引き寄せる。地獄大元帥のキャノピーをすり抜けると、杖はヘ
ルの手に収まった。

「まだ気づかないのか? そのアンドロイドが、こちらにアクセスできるということは、こちらからもそのアンドロイドに
アクセスできる可能性があるということに」

「……なに?」

 ヘルが杖で床を叩く。

「きゃああああああああ!!!!」

 甲児は後ろを振り返った。

 リサが頭を抱え、悲鳴をあげている。

「リサ! どうした! リサ!!!」

 リサの瞳が、髪が、体が、青く発光する。

「リサ────ッ!!!」

 その光は、次第にリサの体から離れていき、ヘルの持つバードスの杖へと集約されていく。リサの体が光を失うと、カウ
ンターが再び動き出した。

 ……二、……一、…………〇。

「フハハハハハッ! これが本来の鍵の力か」

 空席だった玉座に、地獄大元帥がゆっくりとおさまっていく。パージしたはずの装甲が、ふたたびせり出し、地獄大元帥
を固定していく。

「光子力ビィィィィ───── ム!!!!!」
 甲児が最後の攻撃をした。

 しかしマジンガーの目から発せられた光線は、こともなく弾かれる。玉座のヘルは、杖を高く掲げた。

「さあ、ゴラーゴンの始まりだ!!!」

 インフィニティが青い光に満たされ、紋様が激しくゆらめく。甲児が見た最後の風景は、自分の体が、青い光に包まれ、
量子分解されていく様だった。
 ピースキーパーが揺れていた。

「風速四〇メートル! 波高二〇メートル! ますます上昇してます!」

「全機、状況を報告せよ、繰り返す、全機状況を報告せよ!」

「電磁パルス増大」

「目視だ! 目視で確認しろ! マジンガーはどうした!? 」

 艦長はそう叫んだ。

「確認できません!! 」

 富士山の宝永火口から、青く発光したインフィニティがゆっくりと山頂に向かって歩いていた。わずか数十歩で山頂に到
達すると、インフィニティは咆哮を上げた。その声は、駿河湾に展開している統合軍の艦隊に届いていた。

「仕方あるまい! 陣形そのまま全艦、太平洋へ後退せよ!」

「ダメです! 艦がマウントフジに引き寄せられています!」

 右舷で爆煙があがる。

「カボス、ブルータス衝突!」

 インフィニティの引力によりイージス艦の錨が海底から外れ、他の艦と衝突したものだった。

「救助急がせろ! 艦の距離を十分に取れ!」

 鈍く軋む音が艦内に響く。

 空は黒い雲に覆われていた。

 大きく腕を広げ、上体を反らしたインフィニティが、放熱板から青い光を天に向けて発する。光のまわりは、わずかに雲
が切れて、その向こうが見えていた。ただそこに見えたのは、あるべきはずの青空ではなく、黒い空と赤や緑に輝く光の帯
だった。

「こんな低緯度でオーロラ? あの光によって起こされたプラズマなの?」

 さやかが驚く。

「これがゴラーゴン……宇宙が終わるのか」

 弓は、呟いた。

「すみません。私がもっと早くに気付けていれば……」

 とさやかは、くちびるを嚙みしめる。

 弓は、口を真一文字に結んだまま、さやかの肩に手を乗せ、首を横に振った。

「おまえのせいじゃない」

 インフィニティは、再び大きく咆哮を上げた。

 甲児は、無数の青い帯の中に漂っていた。帯には、幾何学模様が内側から湧くように出ては、消えていく。その模様は、
インフィニティの表面に書かれたミケーネの紋様と何処となく似ていた。帯の中央を指でなぞる。表をなぞっていたはず
が、気がつけば裏をなぞっている。メビウスの帯だった。

「この帯は……並行宇宙……」

 帯は、ねじれて繫がり、輪になっていた。

「シミュレーションで見たのと同じだな……」

 甲児は、ぼんやりとした頭でそう思った。

 すべての輪と輪は繫がっていた。ただ鎖のように、輪同士が、ひとつながりに順序良く繫がっているわけではない。すべ
ての輪が、すべての輪と繫がっていた。ただひとつとして、単独で存在している輪はなかった。
「そうか、ここが隣接次元……」

「はい。我々は、くしびの間と呼んでいます。……認知しやすいよう三次元に視覚変換しておきました。無理やり変換して
いるので、あちこちに矛盾が生じてますが」

 甲児は辺りを見回した。

「リサ!? 」

 すぐ隣にリサがいた。ずっと前からいたようにも思うし、今その瞬間から、そこにいたようにも思う。リサの体は、青い
光に包まれていた。見れば自分も青い光に包まれている。二人とも何も身につけていない。ただ光をまとっていた。

「大丈夫なのか!? 」

「すみません。ヘルに乗っ取られるなんて……。ダメですね。いつもあと一歩足りない」

「今どういう状況なんだ? オレたちは死んだのか?」

「いえ、そういうわけではありません。いまはゴラーゴンが始まって、5.39×10^- 44秒後です」

「時間の最小単位?」

「これを過ぎると、時間に不可逆性が生じます」

「時が止まってるのか……」

「はい、この空間には、時間の流れという概念がありません。一見、連続した時間ですが、実のところ、今だけが、連続し
て存在している状態です」

「なるほど……たしかに死んではいない、というわけだな。これはお前が……」

 リサはこくりと頷いた。

「強制介入しました。でも私にはこれが限界です」

「?」

「この介入を解除した瞬間に、時が進み、宇宙は、ヘルの選んだものに置き換わります」

 リサは、振り返り、甲児をみつめた。

「ただ……もしも。もしもご主人様が望むなら、今なら新たな世界に置き換えることができます。その気になれば、ヘルも
何もいない、平和な世界を望むことだって可能なんです」

「要するに、ゴラーゴンをオレが?」

「あれを見てください」

 リサが指さした先に、ひときわ大きな光が見える。

「あの光がインフィニティのマジンカーネルです。そして我々も、他から見れば、青い光に見えています。これがマジン
ガーのマジンカーネルです」

「マジンカーネル。魂……みたいなものか?」

「そうですね。概念としては近いです。イチナナ式などには、これはありません」

 少し離れたところに、もうひとつ光が見える。あれはグレートなのだろう。
ゆえん

「魔神の魔神たる所以 というわけか」

「はい。そのカーネルを司る者であれば、ゴラーゴンは引き起こせます。……おそらく別の時間軸で、ヘルは私が介入した
ことに気づいているはずです。ヘルが宇宙を選ぶ前に、ご主人様が……うっ……」

 リサは苦悶の表情を浮かべた。リサの体の発光が強くなる。次第に肌が透けていく。リサの体内で、青い帯が蠢いている
のが見える。

「ああっ!!!」

「ヘルの干渉か!? 」
 甲児が、両手でリサの肩を抱く。

「ダメです! 離れてください! これは私の!! 」

 肌を突き破って、帯が溢れてくる。

「リサ────!!!」

 甲児は、帯をかき分ける。帯の向こうにリサが見える。しかしかき分けてもかき分けても、どうしてもリサには届かな
い。

「リサ!!  リサ!!!」

 帯は溢れつづけて、もうリサの姿は見えなかった。やがて帯は、甲児のことも包んでしまう。

 その帯は、他のどの輪とも、繫がっていない帯だった。
 薄いピンクとクリーム色をベースとした内装で、大きな窓から差し込む日が柔らかかった。長椅子がいくつか置いてあ
り、人はまばらにしかいない。

(なんだ……これは……)

 そこは病院の待合室のようだった。

 甲児にはまったく見覚えのない場所だった。

 壁には、大型の液晶テレビがかかっていた。ワイドショー番組か何かだろうか。若い女性レポーターが、真新しい街並み
の中をときおりカメラの方に振り向きながら、歩いている。

「こちらが、明日オープンする予定のフジプラント《シティ》のショッピングモールでーす。今日は一足早くみなさまにこ
の話題のスポットのご紹介をしちゃおうと思いまーす!」

 シティ? 聞いたことはない。しかし奥に見える富士山には、見慣れた宝永火口が映っている。戸惑う甲児に後ろから声
がかけられる。

「ちょっと突っ立ってないで座りなさいよ。あなたの子が生まれるわけじゃないんだから」

 さやかだった。白いブラウスにピンクのカチューシャをつけ、ヒールが低めのパンプスを履いている。

「あ、ああ……」

 甲児は、さやかの隣の席に座った。見ると自分もシャツにベージュのチノパンを穿いている。

 遠くから、リズムのいい足音が聞こえてくる。

「ここ病院ですよ、走らないでください」

「あ、すみません!」

 紺のブレザーにグレーのプリーツスカートという制服姿の青い髪の少女が、看護師にぺこりと頭を下げていた。振り向い
た彼女は、やはりリサだった。

 リサは、甲児たちを見つけると、今度は走らないように気をつけながら、早歩きでやってきた。

「生まれた!? 」

 まだ息を切らせながら、リサはそう聞いた。

「……まだ。アナタも落ち着きないのね。ほんとに誰に似たんだか」

 とさやかが、ちらりと甲児のほうを見やる。

 リサは、あたりをキョロキョロと見回す。

「鉄也おじちゃんは?」

「いま北米から向かってる。民間機じゃ間に合わないから自分で操縦してくるって」

「ニヒヒー。ジュンさん愛されてるねー」

 リサは、甲児の隣に座った。

「お父さん、なにさっきからボーッとしているの?」

 お父……さん?

 甲児は、呆然とした。

 おーい、とリサが甲児の顔の前で、手をひらひらとする。

 かまわず、さやかが話す。

「落ち着かないのよ、こういうときに男の人は。あなたが生まれたときだって大変だったんだから」

「えー」

 リサがさやかのほうに向き直る。

「そう、もう一分おきに看護師さんつかまえて、どうですかどうですか? って聞いてたんだって。あとから聞かされても
う恥ずかしくて」

「ハハハハハ」

 リサは、大笑いする。

 先ほどの看護師が、聞こえるように咳払いした。

 リサは、あわてて座り直して、また頭を下げた。それから大きな瞳で、甲児の顔を覗き込んだ。

 そして、

「なんかちょっとうれしい」

 と笑った。

「あ、呼び出し!」

 さやかが、院内用のPHS端末を見て言う。

 三人で廊下を歩く。

 遠くから、産まれたばかりの赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

「あ! この声って!! 」

 リサがそうはしゃいだ。

 甲児は、リサとさやかの後ろを歩く。

「そうそう! お父さん!」

 リサが振り向いた。
「これ、どうする?」

「ん?」

 リサが手渡したのは、青いリボンのようなものだった。

 広げるとそれは、一度ねじれて輪になっていた。

「これは……?」

「ようやく渡せた。探すのけっこう大変だったんだよ」
 ピッ、ピッ、ピッ、という電子音で、甲児は目を覚ました。

「今のは……夢!? 」

 あたりを見回す。そこはまぎれもなくマジンガーのコクピットだった。あたりには赤茶けた礫地が見えるばかり。草木の
一本も生えていない。もはや空に暗雲はなかった。赤と緑のオーロラが不気味に輝いているだけだった。

「リサ、大丈夫か!!  リサ!! 」

 リアシートを覗き込むが、リサは、うなだれたままだった。

「チッ、立てエェ─────ッ!!!  マジンガー!!!!」
かん

 甲児は、フットペダルを踏み込み、操縦桿 を手前に引く。しかしマジンガーは、大地を踏みしめるべき脚を片方失って
いた。

「まだまだぁあああ!!  スクランダァー────!!!」

 甲児は、スロットルレバーを押し込み、スクランダーの出力を全開にする。だがそれも光子力ゲージが点滅し、残量がゼ
ロであることを示しただけだった。

 マジンガーは、すでに装甲が剝がれ、両手と片足、片翼を失っていた。放熱板も片方がない。

「ちっくしょおおおおおお!!!!」

 甲児は、それでもレバーを何度も何度も押し込んで、叫んだ。

 インフィニティの咆哮が地響きとして伝わる。

「ここで終わってたまるかよぉおお!!!!」

 そのときだった。

「すみません! 私まだ隣接次元にいます!」

 リサの声だった。リアシートのリサは、先ほどと同じようにぐったりしている。

 ただ声だけが、直接、耳元で聞こえた。
「リサ、なにやってる!!!」

 隣接次元のリサは、十数台のクラシカルなタイプライターに囲まれていた。タイプライターからは、青いロール紙のよう
なものが吐き出され続けている。それはひとつひとつが《可能性》であるメビウスの帯だった。帯は、リサの足元に折り重
なるようにたまっていた。リサは、座り込んで、出力されたものをかたっぱしから見ている。

 ときおり、タイプライターに、ひらりと手を向けた。

 そして指を数回、動かす。例えば、人差し指だけをはじめに九〇度折り曲げる。そのあと小指と人差し指を手の平まで折
り曲げる。それから全てを伸ばして、手首から、二回九〇度回転させる。最後にタイプライターに向けて、お辞儀するかの
ように、手を下げた。するとタイプライターのキーがパタパタと動き、また新たな文書が打ち出された。

 膨大なロール紙に埋もれたリサは、制服を身にまとっていた。

「今、宇宙のログから、インフィニティのカーネルの解析をしているところです。この空間が不安定な状況下なら、もしか
したらZにもインフィニティと同様の力を与えられるかもしれない」

「どういうことだ!? 」

 甲児の声がリサに届く。

 リサは、いっしゅん作業する手を止めた。

 そして覚悟を決めたように聞いた。

「ひとつだけ教えてください! この世は存在に値しますか?」

「……値する?」

「さっきヘルに聞かれたんです。この世は存在に値するかって」

 リサの脳裏にヘルと交わした会話が思いだされた。

「Ous le siera Unow ?」

「……………… Si le i Unows nomas !」

 リサは、甲児の答えを待っていた。

 人工知能だもの、待つのは慣れている。リサは、そう思った。それでもリサは、この間をとてもとても長く感じた。何度
も何度も甲児の回答をシミュレートした。そして何度シミュレートしても結果は変わらなかった。それでも、それでもじっ
と答えを待った。

 リアルにしたら、一秒にも満たない時間なのだろう。それでも今の連続の中にいるリサには、永遠だった。

 七万二千八百三十四回目のシミュレートのあと、甲児の声が聞こえた。

「………クソったれで、ロクでもないことも、たくさんあるけれど、それでも………それでも……オレはこの世界を肯定す
る」

 リサの目に涙が浮かぶ。

「よかった……。私と同じ答えで」

 静かに目をつぶると、上を見上げた。涙が頰を伝う。

 リサの唇が震えている。それでもリサは、ほんのりと笑みを浮かべた。

 やっぱりシミュレートはあっていた。それがたとえ私が望む答えでなくとも。リサは、涙を拭った。

「了解しました!!  ご主人様!! 」

 リサは笑顔で叫んだ。

 そして脚を開いて仁王立ちになると、胸の前でクロスした腕を勢いよく大きく開いた。

「ハッ!!!!」

 タイプライターが左右に合わせ鏡で写したように増えた。

 それから手を頭の後ろで組む。組んだ手を前に振り下ろす。
「ハアアッ!!!!」

 反動で、リサの青い髪が乱れる。

 今度は縦に増えた。無限に続くタイプライターの壁だった。

 最後に、正面のタイプライターに、いちばん近くにあった青いメビウスの帯を挟み込んだ。同じようにすべてのタイプラ
イターに帯が挟み込まれた。

 リサは、ポケットから取り出した写真を叩きつけるように貼った。甲児と、さやかと、まだ幼いリサの写真。中学校の入
学式の写真だった。何だか全員、緊張していて表情が硬いところが、却ってリサのお気に入りだった。

 リサは、胸の前で腕を組んだ。

 そして顔を上げ、きっとインフィニティのマジンカーネルを見据えた。

「操縦系は既存のままでいけるようこちらでサポートします!! 」

 リサの声で、数万のタイプライターのキーが一斉に動き出した。

「これが最後のチャンスです。マジンガーが勝てば、今のままの宇宙に。ヘルが勝てば、ヘルの望む宇宙になります。思い
切り戦ってください!」

 マジンガーのコクピットにある、すべての計器が光り出した。

 残量ゼロだった光子力は、ゲージを振り切る。そして、失われた手脚、翼は、その断面が光りだした。

「……これは」

 甲児自身の体もまた光を放ち始めていた。

「そんな……バカな……」

 ピースキーパーのブリッジで、状況を確認していたクルーは、思わず双眼鏡を一度下ろした。そして倍率を確認してか
ら、もう一度のぞいた。さやかをはじめ、ブリッジにいる一同も、富士山頂の方を見て、目を見張っている。

 艦長が、クルーの双眼鏡を奪ってのぞく。

「……マジンガーZが巨大化だと!? 」

 たしかに艦長の言葉通りの現象が眼の前で起きていた。

 富士山頂で、インフィニティと同サイズまで巨大化したマジンガーが対峙していた。

「ありえない! 一体何が起きている!」

 弓が叫んだ。

 山頂のインフィニティが、両手を上げた。放熱板が赤く発光を始めた。

「あれは……」

 その場の全員があの日の惨劇を思い出した。

 いや、ブリッジだけではない。光子力研究所のスタッフ、ボスや博士はじめ旧光子力研に集った面々、地上に展開してい
る統合軍の兵士たち、避難所に避難した人たち、まだ避難できずに街に残っている人たち、警察官、ボランティア、メディ
ア関係者。それらすべての人たちが、唇を嚙みしめ、歯を食いしばり、その光景を見ていた。

 そのときだった。

「ブレストォォォォ!!!!」

 聞き覚えのある声だった。

「ファイヤァァァァァァアアアッ!!!!!!!!」

 それは、かつて日本中、いや世界中がその叫び声とともに、その姿を記憶した、あの人の声だった。
 インフィニティの放射とほぼ同時に、マジンガーの放熱板からもブレストファイヤーが放たれた。それはインフィニティ
のそれにまったく負けていなかった。

 両者のちょうど中央で、二つの熱線が激しくぶつかる。

「あれを見ろ!」

 クルーのひとりが空を指差して叫んだ。

 青空だった。

 インフィニティとマジンガーの直上から、オーロラが晴れていく。その円は大きくなり、ついに水平線まで晴れ上がっ
た。

 両者の放熱板が次第に光を失う。

「全天周視界クリア! 風、波ともにおさまります!」

 司令室を赤く照らしていたアラートのランプが、いっせいに緑に変わる。

「センサー回復!」

「あれは幻影なのか!? 」

 艦長が叫んだ。

「対物センサーに感あり。まぎれもなく実体です!」

 オペレーターが答える。

 ずっと口に手を当て、考えごとをしていたさやかが、閃いたように口を開いた。

「あ……もしかして」

 さやかがオペレーターに声をかける。

「マジンガーの表面温度を測れませんか!?  絶対零度付近を!」

「無茶言わないでください! この環境では、ノイズが多すぎます!」

 そのとき通信が入った。

「三番隊全機健在! なにかできることがあるなら言ってくれ!」

 シローだった。

「お願い! イチナナ式の赤外線センサーでマジンガーの温度を測って!」

「おう!」

 すぐにデータが転送されてきた。

 マジンガーの表面は、サーモグラフでいちばん温度が低いことを示す黒だった。

「表面温度……十のマイナス十乗ケルビン……」

 オペレーターがその数字を読み上げた。

「……縮退形成」

 さやかが小さく呟く。それから腰に手を当て、自問自答した。

「まさか本当にマジンガーの光子力エネルギーが質量に変換されて実体化している?」

 さやかは、ジュンとシローが視察に来たあの日のことを思い出していた。

 なぜ古代ミケーネの遺跡であるインフィニティが、富士山麓に埋まっているのかを聞かれ、たしかに甲児はこう言ってい
た。

〈光子力みたいな強いエネルギーが集積していると、現実空間と隣接次元の境界面がわずかながら不安定になる。その現象
を応用すれば、エネルギーを物質に転換可能だ〉

 まさか。あの理論が本当だと?

 それなら説明はつく。

「……でもそんな不安定で膨大なエネルギーをピンポイントに送り込むって、一体どうやって……」

 さやかは、熱っぽく隣接次元の話をする甲児が苦手だった。

〈あくまで仮説の仮説よ。真に受けないでいいから、そんな荒唐無稽な話。なんか、この人、変な論文読んでかぶれちゃっ
てんのよ、最近〉

 だって、それは、 ヘルの論文だったから。そんなものに惹かれている甲児が何だか怖かったから。で
もそうか。隣接次元、インフィニティ、ゴラーゴン、そして目の前の実体化……これらをつなぐもの。

「……リサ!? 」

 リサのまわりには、タイプライターから出力されたメビウスの帯が、幾重にも取り囲んでいた。それが次第に、大きな青
い球体を形成しつつあった。その中心にリサは浮いていた。

 打ち出された新たな帯を、リサが右手で誘導する。

「次っ!!!」

 今度は左手をすくうように振り上げる。

「次っ!!!」

 新たな帯が取り巻くたびに、光の輪が球体の内側に形成された。光子力だった。

「ハアアッ!!!」
から

 今できた二つの輪を搦 め捕ると、リサは球体のいちばんてっぺんにある星に向かって、撃ち放つ。リサは、すでに肩で
息をしていた。髪は乱れ、制服もところどころほつれてきていた。

 それでもリサは、やめようとはしなかった。

「次っ!!!!」

 その天頂の星こそが、マジンガーだった。

 富士一帯には、マジンガーとインフィニティが殴り合う重たい金属音が響いていた。マジンガーが右の拳を繰り出せば、
インフィニティも右の拳を。マジンガーが左の拳を繰り出せば、インフィニティも左の拳を出した。拳と拳がぶつかるたび
に衝撃波が広がり、地表から土煙が舞い上がる。

「時間を歪めたか! 兜甲児!」

 すでにインフィニティと癒着し一体化したヘルが、怒りの表情で叫んだ。

「興味深い! 非常に興味深い! あのアンドロイドをどうやって手なずけた!!  あれは、あれは我が祖先のしもべ! 貴
様ごときにどうにかなる代物ではないぞぉぉぉぉ!」

「てめえんトコの親戚事情なんざ、知るかー!!!」

「ふん! だが妥協はせん!!  貴様がしていることは、ただ光子力を浪費しているだけだ。いずれ底をつく。あの空間にあ
るすべての光子力を足しても、もはや私を倒すことは叶わん!」

 わずかずつだったが、マジンガーの拳がスピードを失いつつあった。
 その様子を多くの人が見ていた。

 テレビ、街頭モニタ、パーソナルコンピュータ、タブレット、スマートフォン……。新光子力研が配信する動画は、すで
に世界中に配信されていた。

 誰もが見守った。誰もが信じていた。でも誰もが不安だった。

 ピースキーパーのブリッジでもそれは同じだった。

「マジンガーが圧されている……のか」

 艦長が呟いた。

 さやかが前に出る。

「光子力が足りないんです。あの子が作り出してる光子力だけじゃ……」

「あの子?」

「あの、えーと……」

 さやかが説明に窮していると、艦長が帽子を脱いだ。

「いや、失礼をした。私には難しいことはよくわからないが、この星を、この宇宙を守るために、必死に戦ってくれている
すべ

誰かがいることはよくわかる。この艦、いやこの艦隊すべての光子力、何とか役立てる術 はありませんか?」

「え?」

 突然の申し出に、さやかは戸惑った。足りないから送る。それはあくまで素人考えだ。隣接次元への光子力の転送どころ
か、まともな観測すらできていないのに。

 でも、理屈は正しい。

 もしかしたら、リサなら……。

〈……いいんですか、それで!〉

 軍の作戦に参加せざるを得ない甲児とさやかの関係を案じ、泣いてくれたリサなら……。

〈リサに言われたよ。わずかな時間でも幸せを享受する選択をするのが、次善の策だって〉

 彼女にとって最も理解し難いであろう、幸せという概念を理解できたリサなら……。

「お願いします! 我が光子力研究所が誇る人工知能なら、きっとご厚意を無駄にはしません」

 さやかは艦長の目を見てそう言った。

「全艦光子力タービン出力最大! ただし艦内での消費は、最低限度にせよ。これはすべての命令に優先する」

 艦長はそう命令を出した。司令室の全モニタ、全照明が消えた。ブリッジから見える大型レーダーも回転を止めた。

「本当に大丈夫なんですか? それこそ今、多国籍軍に狙われたらおしまいです」

 オペレーターが心配する。

「そうだな。でも、それでも私は、人を信じたい」

 艦長はそう一言だけ言った。

 青い球体の中で、リサは叫んでいた。

「ハアアッ!!!」
 集まる光子力の量は、目に見えて減っていた。

「ダメだ……私はあと一歩でいつも……」

 そのときだった。

 青い球体の天頂近くに小さな輝きを見つけた。

 光子力だった。

「これは……」

 続いて、先ほどよりは少し大きい輝きを見つけた。

 苫小牧、佐渡島、関ヶ原の光子力炉だった。

 そのあとそれらよりも大きな輝きを見つけた。

「……一体」

「光子力が何処かへ消えていきます……そんな」

 ピースキーパーでタービンの出力管理をしているオペレーターが不思議そうに言った。

「あの子が……リサが繫げてくれたんです。私たちの希望に……」

 それでも、マジンガーの右の拳をとうとうインフィニティが、手の平で受け止めた。続いて左の拳も受け止めた。やは
り、インフィニティのパワーが、優っている。

 すでに、さやかが作った三つの光子力炉は、リサがつないでくれていた。しかしついにマジンガーは膝をついた。

 さやかは、歯を食いしばった。

(まだだ、まだ足りない)

 そのとき入電があった。

「テキサスプラントからです!」

「!? 」

「マジンガーZの支援をしたい、との申し出です!」

 さやかがモニタに駆け寄る。

「だって、あそこは、まだまともに動かせる状態じゃないはずなのに!」

 メッセージには「今度はオレたちが助ける番だ」と添えられていた。

「もう、無茶して……」

 さやかは胸が熱くなった。

「続いて入電きます! バレンシア、ポンペイ、ニュルンベルク、ミンスク、ヴォルゴグラード、ゴア。各プラントからも
協力の申し出です!」

「多国籍軍から入電!」

 司令室に緊張が走る。

「なんと言っている!」

 艦長が腕組みをしたまま尋ねた。

「光子力を提供したい、と……」

 艦長は、無言のまま、何度も頷いた。
 ある家では、小さな女の子が、テレビとエアコンの電源を切っていた。

 ある街角では、カップルが、真っ暗な高層ビル街で、星空を眺めていた。

 ある教会では、人々が、ろうそくの明かりで、祈りを捧げていた。

 ある広場では、平和を希求するプラカードを持った者たちが、集まっていた。

 ある戦場では、兵士たちが、銃を下ろした。

 シローも、鉄也も、機体にわずかながらに残っていた光子力を限界まで提供した。

 ピースキーパーの司令室に、オペレーターの声が響いた。

「各国から、光子力提供の申し出が止まりません!! 」

 弓は、大きく息を吸い込むと、

「この星の……すべての人の……支援に……こころより……感謝する」

 と涙をこぼした。

 リサを囲む球体は、すでに隙間のない完全な青い球状になっていた。

 その内側に光子力の光が見える。

 大きな光も、小さな光も。

 その数はどんどん増えていった。

「ちょうど、地球を内側から見たら、こんな風に見えるのかな……」

 リサは独り言を呟いた。

 光は、ちょうどこの星の大地を真裏から見た形に光っていた。

 それが、この星の人の営みだった。
ポラリス

「すべての光を私たちを導くあの北極星 へ」

 リサは、大きく手を動かすと、その光をすべて束ねた。

 マジンガーの全身が黄金に輝いた。片膝に手をつき、マジンガーは、再び、ゆっくり立ち上がった。

「ハアアアアアッ!!!!!」

 甲児の叫びにヘルが、思わず後ずさる。

「なんだとぉ! 貴様、どこからこんな光子力を!!!」

「全光子力転換完了! 拳出力五六億七〇〇〇万%!!! いけます!!!」

 リサの声が甲児に届く。

「この星のすべての光子力、しかと預かった!」

 甲児は目を見開いた。

「くらえ!! 」

 マジンガーは右の拳を突き出した。マジンガーの瞳が光る。

「鉄拳!!! ロケットォォォォォォ!!!!!!」

 右下腕のバーニアが点火する。
 ゆっくりと、力強く拳が前に進む。

「パァ───────────── ンチ!!!!!!!!!!」

 拳がインフィニティの胴にめり込む。

 その巨大な脚が、大地から離れた。拳のバーニアは、ますます加速をする。

「ヌノオオオオオオ!! 」

 ヘルが叫ぶ。

 そして、ついに押しつぶされた。そして、拳は、さらにインフィニティを大地、重力、太陽系、銀河、やがてこの宇宙を
超えるに足る速度まで上昇させた。世界中の誰もが、それを見守った。

 役目を終えたマジンガーZは、元の大きさに戻った。手や脚は、もがれたときのままである。コクピットの甲児は、うな
だれたまま、まったく身動きをしない。

 旧光子力研究所が、インフィニティの消失を観測したのは、それから四十三分後のことであった。

「リサ!! 」

 甲児は、気がつくと、リサのいた青い球体の中にいた。

 その底にリサは、ぐったりと倒れていた。

 はじめて隣接次元に入ったときと同じく、青い光だけを身にまとっていた。

「リサ──!!!」

 甲児はかけよって、抱きかかえる。

 すると、リサは少しだけ目を開けて微笑んだ。

「うまくいきましたね」

「ああ、だから帰るぞ!」

「すみません。もうちょっと上手くやれると思ったんですけど」

 リサの体は、少しずつ透明度を増していた。

「どういうことだ!? 」

「制服……似合ってました?」

「まさかあのとき同じ夢を!? 」

 甲児の脳に、記憶が蘇る。

 リサといっしょに遊園地に行って、アイスを買ったこと。

 熱を出したリサの看病を一晩中したこと。

 中学校の入学式ではじめて制服を着たリサを見たこと。

 運動会のかけっこでリサを応援したこと。

 はじめてリサが立った日のこと。

 どうやっても泣き止まなくて、途方にくれた赤子だった頃のこと。

「……ごめんなさい。漏れちゃった、記憶」

 リサが恥ずかしそうに謝った。

「図々しいですよね。あと一歩、間が抜けてるんですよね、私」
「リサ!」

 甲児は、リサを抱きしめた。

「え?」

「少しわかった。子供ができるって気持ちが。この世は生きるに値するものだと強く感じた」

 その言葉を聞いて、リサはホッとした様子だった。そして目をつぶって、甲児の背中に手を回した。

「私もです」

 甲児も目をつぶった。

「また会おう」

「うん、お父さん……」

 リサは、最後、甲児の腕の中で、青い帯になった。それもまた宇宙の可能性のひとつだった。

 帯は、腕をすりぬけると、青い球体に吸い込まれて行った。

 統合軍旗艦ピースキーパーの甲板には、心地よい海風が吹いていた。

 さやかはひとり、そこに立っていた。夕日が、まるで何事もなかったかのように富士山を赤く染める。復興までの道のり
は、想像もつかなかった。

 それでもやらなくてはならない。さやかには、それだけの責任があった。

 ただ、いまは、いまだけはどうしても泣きたかった。

「……ありがとう、リサ」
 熱海の埋め立て地に造られた新光子力研究所の仮施設は、プレハブ造である。会議室として造られた三つの部屋の間の壁
をすべて取り払って、仮設の記者会見場ができていた。国の内外あわせて二百人以上のメディア関係者が詰め掛けている。
人の多さに、空調が間に合わず、中は、むっとするような熱気に満ちていた。

「つまりゴラーゴンとは、 ヘルの新兵器などではなく、自然現象だったということですか?」

「ゴラーゴン自体 は、多元宇宙論での並行世界の重ね合わせ現象とみて、現在調査中です」

 正面には折りたたみのテーブルが出され、数本のマイクがのっていた。その中央には、さやかが一人で座っている。さや
かは、いつものピンクのブラウスに、白衣を羽織っていた。別の記者が手を挙げる。

「光子力の集中的な利用が、時空の歪みを引き起こし、 ヘルらが蘇ったという専門家の指摘もあるよう
ですが」

「そういった可能性も含め、今後の研究課題とします」
かえ

 さやかは、事実だけを、できるだけ感情の抑制を利かせた話し方で伝えていた。しかし、中には、そのことに却 って、
苛立つ記者もいる。

「では今後、光子力の使用はどうするのですか!?  市民の中には光子力のような危険なものは廃止すべきだという声も大き
いようですが!! 」

 それに合わせて、堰を切ったように数人が、挙手もせずに声を上げた。

「これからも『完全無公害』なんて耳当たりのいいコピーを使う気ですか?」

「火力、水力、原子力といった既存の技術を使ったほうが安全じゃないんですかねー!? 」

「そうだそうだ!」

 質問には、途中から感情的な抑揚が混じるようになり、それは、やがてただの罵声へと変わっていった。この記者会見
は、ゴラーゴンに関する科学的な説明を行う、という趣旨で開かれたものだったが、それで収まる雰囲気ではなかった。

 やっぱりこうなるか、とさやかは内心うんざりした。

 ただそれでも、つらい出来事にいらだちを覚える気持ちは、さやかにもよく理解できるものだった。だから、さやかは、
それらの声をただじっと聞いていた。そして、同じ野次が繰り返されるようになるまで待った。
 それからゆっくりと喋り出した。

「人類には……」

 言葉を選びながら、慎重に、ゆっくりと、ゆっくりと。

「……あらゆる困難を乗り越えるだけの力は……まだありません」

 次第に野次が収まっていく。

「おどろくほどちっぽけな存在です。今回の一件で私はそれを学びました。いや、人類だけじゃない。この星、この宇宙は
そんな危うい存在なんです。だからこそ常に、過ちを犯しつつも、それを糧として全力で生きていかねばならないと考えて
います……」

 それは、さやかの偽らざる気持ちだった。さやか自身、あの時点でああしていれば、こうしていれば、という後悔は多々
あった。記者会見場が、静まり返る。それは、さやかの予想外の反応だった。思わぬ沈黙が、さやかに余計な一言を言わせ
た。

「要するに、次はもっとうまくやります。今後とも光子力研究所をよろしくお願いします!」

 さやかがぺこりと頭をさげると、一斉に罵声が起こった。

 首相官邸で、記者会見の一部始終を見ていた弓首相は、頭が痛い、といった様子でこめかみを押さえた。しかしその口元
は、少し笑っていた。

 会見が終わると、さやかは、甲児が入院をしている病室へと急いだ。手に持っている携帯の画面に、病院からのメッセー
ジが表示されている。

〈兜甲児さんの意識が戻られました〉

 病室に着くと、すでにみんなが集まっていた。ボス、ヌケ、ムチャ、博士たち、みさともいる。同じ病院で出産したジュ
ンも、赤ん坊を抱いて来ていた。同じく入院している鉄也も、頭に包帯を巻き、車椅子に乗っていた。みんな笑みを浮かべ
ていた。

 そしてその中心には、ベッドに横たわる甲児がいた。まだ点滴を打ち、酸素マスクをつけていたが、それでも目を開け、
うっすらと笑みを浮かべていた。

 さやかの目に涙があふれる。甲児が目を覚ますのは、インフィニティを倒した日以来、実に五日ぶりだった。

「……よかった」

 さやかは、人目もはばからずに甲児に抱きついた。みんなもそれを温かく見守っている。記者会見などでは決して見せな
いさやかの側面だった。

「心配かけて悪かったな」

 甲児の言葉にさやかは、首を横に振って泣きじゃくった。

「それと……その……聞いてもらっても……いいか?」

 そう言うと、甲児は、ベッドに肘をついて、ようやっと、といった様子で、上体を起こした。

「いいから、まだ寝てて」

 さやかが慌てて、支える。しかし、甲児は、大丈夫だ、とベッドの上に座った。そして左手で鼻の頭をかきながら、少し
うつむいて、

「ほらその……戦いが終わったら言うって言ったじゃん」

 と言った。甲児の頰は赤く染まっている。さやかも、新光子力研のバーでの出来事を瞬時に思い出した。

「は、はい!」

 さやかの顔もみるみる真っ赤に染まる。病室の仲間たちは、そんな二人の初々しい様子に互いに顔を見合わせて、うなず
いた。

「……さやか」

 いよいよの甲児の告白に、病室に緊張が走る。
 甲児は、両手でさやかの肩をがしりと摑むと、まっすぐ目を見て言った。

「子供を作ろう」

 コノヒトハ ナニヲ トツゼン イッテイルンダロウ。

 さやかは、しばらく固まったあと、怒鳴った。

「人前でなに言ってんのよ!!  あんたは!!!」

「え!?  いやだって!」

 状況が飲み込めない甲児は、慌てふためいた。病室は笑いに包まれる。

 ジュンは、本当に、甲児おじちゃんは、ボンクラだねえ、と生まれたばかりの赤ん坊に笑いかけた。
 それは、ある晴れた日だった。

 がこーんがこーん、という教会の鐘の音が辺りに響いている。

「そぉーれ!」

 新婦が投げた白いブーケは、青空によく映えている。

 祝福する多くの人々が歓声をあげていた。

 そんな風景を、一人の少女が少し離れたベンチから見て、微笑んでいた。

 彼女の髪の色は、たしかに見覚えのある青い色をしていた。
 もう五、六年は前の話だと思う。

 神楽坂の居酒屋で、東映アニメーションの金丸プロデューサーに「『マジンガーZ』劇場版の脚本書きませんか?」と切
り出された。直接会うのは、たぶん二度目だった。漫画家に映画の脚本を頼むとは勇気あるなあ、とは思ったけれど、同じ
物語を書くことに違いはない。不安は、さほどなかった。

 ただ一点だけ、確認したいと思った。

「『マジンガーZ』って、僕はドンピシャの世代じゃないですよ。熱狂したのは、十くらい上の世代です。それでもいいん
ですか?」

 すると彼は、それはわかっています、と前置きしてからこう言った。

「むしろそういう人にお願いしたい。単なるファンムービーにはしたくないんです」

 なら、お引き受けします、とその場で答えた。

 世代としては、テレビアニメの何度目かの再放送で見た世代だと思う。水木一郎の主題歌は、もちろんそらで歌えるし、
幼稚園でマジンガーごっこをした記憶もある。ただ幼すぎて、作品のディテールまでは、正直よく覚えていない。

 それでも、一箇所だけ明確に記憶しているのが、『マジンガーZ』の最終回である。いままでどんなにボロボロになって
も、最後には必ず勝利したマジンガーZが、されるがままにやられた挙句、グレートマジンガーに助けられた。これが子供
心にたいへんショックだった。なかなかグレートと剣鉄也を受け入れられず、しばらくテレビを見るのをやめたのを覚えて
いる。

『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』が、兜甲児とマジンガーZが鉄也とグレートを助ける構図になっているのは、四〇年


前のそのときの気持ちが根っこにある。

 結局、映画は、プロットで七稿、脚本で五稿作られた。この小説版は、その中から、尺の都合などでカットされた部分
や、逆に、脚本完成後にコンテ段階で追加されたシーンなどを加え、再構成した。そのままアニメにすると二時間半~三時
間といったところだろうか。本著が情報量としては、もっとも多いものと思っていただいて差し支えない。

小沢高広(うめ)
著:小沢高広(うめ)

漫画家ユニット・うめでは企画・シナリオ・演出を担当。

代表作は〈東京トイボックス〉シリーズ。中でも『大東京トイボックス』は、マンガ大賞2012第2位、文化庁メディア
芸術賞2013審査員推薦作、2014年テレビドラマ化もされた。その他の作品に『スティーブズ』『南国トムソーヤ』
がある。現在は、手土産と文学をつまみにお酒を飲む食べもの漫画『おもたせしました。』、育児エッセイ漫画『ニブンノ
イクジ』などを連載中。『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』で、アニメーション作品の脚本を初めて手がける。なお、本
著が初の長編小説となる。

原作:永井豪

漫画家。1967年「目明しポリ吉」(ぼくら11 月号/講談社)で漫画家デビュー。『ハレンチ学園』『マジンガーZ』『デ
ビルマン』『キューティーハニー』など、これまでに数々の作品を世に送り出す。現在も『デビルマンサーガ』連載中(2
017年12 月現在)。また映像化された作品もアニメーション、実写化問わず多数存在する。2017年10 月に画業50 周
年を迎え、さまざまな企画が用意されており、『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』も画業50 周年記念作品である。
装丁・デザイン 外立泰介
しようせつ ゼツト インフイニテイ

小 説  マジンガー Z / INFINITY
お ざわたかひろ

著:小沢高広 (うめ)
なが い ごう

原作:永井 豪

協力:ダイナミック企画、東映アニメーション

2018年1月17日 発行
(C)永井豪/ダイナミック企画・MZ製作委員会
(C)OZAWA Takahiro(UME) 2018
(C)KADOKAWA CORPORATION 2018
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました

『小説 マジンガーZ / INFINITY』

2018年1月17日 初版発行
発行者 青柳昌行

発行 株式会社KADOKAWA

〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3

KADOKAWA カスタマーサポート

[WEB]http://www.kadokawa.co.jp/

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