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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

もぐら通信   


Mole Communication Monthly Magazine
2019年12月1日 第87号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路
あ ○小説の主人公で好きな人物は?
ただ を通 不思議の国のアリス
けの って
番地
に届 ○好きな画家は?
きま
す 昔はエルンスト、ブリューゲル
○あなたの特技は?
腕相撲と徹夜
○なってみたい職業は?
天才的な数学者
○あなたの欲しいもの三つ
思っただけで動いてくれる邦文タイプ
音のしないモータードライブ付き自動露出カメラ
時間延長機
○演出家に不必要な条件とは?
啓蒙精神

『一問一答』(全集第25巻、348ページ)

廃屋

安部公房の広場 | s.karma@molecom.org | www.abekobosplace.blogspot.jp


もぐら通信
もぐら通信                          ページ 2

    
               目次
0 目次…page 2
1 記録&ニュース&掲示板…page 3
2 安部ねりさん追悼:編集部…page 4
3 オート・フォーカス・カメラ時代 安部公房が新型4機種を診断:安部公房…page 5 
4 荒巻義雄詩集『骸骨半島』を読む(5):エリオット氏に捧げる詩:
                             岩田英哉…page 10
5 三島由紀夫『月澹荘綺譚』論:岩田英哉…page 14
6 安部公房とチョムスキー(10):9. ネットワーク・トポロジーの変遷で近代ヨーロッ
パ文明の300年間を読む:岩田英哉…page 36
7 哲学の問題101(4):自然:岩田英哉…page 37
8 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(31):第2部 V: 花の筋繊維、そ
れは、アネモネの草原の朝を次第に開く :岩田英哉…page 52
9  編集後記…page 60
10 次号予告…page 60

・連載物・単発物次回以降予定一覧…page 57
・本誌の主な献呈送付先…page57
・本誌の収蔵機関…page 57
・編集方針…page 61
・前号の訂正箇所…page61

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。
そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。
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  ニュース&記録&掲示板

The best tweets 10 of the month

コーボーズは夏枯れなり。
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Priz コーボーズは夏枯れなり。

安部ねりさん追悼
安部ねりさん(あべ・ねり=作家・安部公房の長女、医師)が8月16日、胸部大
動脈破裂のため亡くなられました。享年64歳。葬儀・告別式は近親者で行はれま
した。

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp


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安部ねりさん追悼

編集部

安部ねりさんが、8月16日、胸部大動脈破裂のため亡くなられました。
享年64歳。葬儀・告別式は近親者で行はれました。

ご本人から体調よからずとは折々に聞いてをりましたが、しかし急なご逝
去でした。今までのもぐら通信へのご配慮に感謝申し上げます。

その成果は安部公房の未発表原稿の掲載、写真の掲載、また箱根の山荘へ
の探訪など思い出数多(あまた)あり。お父上安部公房の、それも写真の
記事と一緒に掲載のできることが、慰めとなりますやうに。

ありがたうございました。

ご冥福をお祈り致します。
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フォトグラファー

安部公房 

新型4機種を診断
4万5千円前後の価格で、AFカメラという名の妖怪が巷に徘徊している。この妖怪は、LSI
や赤外線でピントばっちりの最新メカで、感性ある男たちにとって最高の、イメージ瞬間凍
結機である

来!
ラ時代が到

フォーカス・カ
オート・
安部公房

 面白いカメラだとは思った。ねらったものにピントが自動的に合ってくれる。あまり話が
うますぎるので、実際に使ってみるまでは半信半疑だった。どこか不都合なところがあるに
違いないという気がしていた。
 確かに万能ではない。機種によって(システムが違うので)それぞれ盲点はある。コント
ラストのないものに弱かったり、光る金属面に弱かったりする。しかしその弱点を心得てし
まえば、けっこう実用的な発明だ。暗いところで一眼レフのピント合わせをする苦労を思え
ば、信じられない便利さである。
 ぼくは主にキャノンを使ってみた。ワインダーが内蔵されているからだ。自動焦点と自動
巻上げの組合せには、単なる足し算以上の相乗効果を感じさせるものがある。経験がなかっ
ただけに好奇心も強かったようだ。

 ぼくにとってカメラはもっぱら小説のためのメモである。すぐには言葉に置き替えられな
い瞬間のイメージを、とっさに凍結して保存しておくためだ。凍結したいと思う瞬間は、予
期しないときにとつぜん姿をあらわす。だからいつも瞬間凍結機であるカメラを手離せない。
というより、なぜかカメラを持っていないと、そういう出会いもやってこないのである。ぼ
くを触発する瞬間がもともと存在するのではなく、カメラを持っているおかげで、その瞬間
が発見されるのかもしれない。カメラは単なる手段ではなく、イメージを発見するための方
法なのかもしれないのだ。
 そうかもしれない。このキャノンのオート・フォーカスも、最初のフィルムの1本目はひ
どく心もとなく、手応えがなかった。僕の撮り方は、もっぱら街頭のスナップショットなの
で、一眼レフの場合は25ミリ前後の広角を絞り込んでパンフォーカスにするか、あらかじめ
1.5メートル程度に距離をきめておき、ノーファンダーでシャッターをきる。だからカメラが
体になじんでくれないと、シャッター・チャンスもうまくつかめないのだ。
 しかし2本目からは、呼吸が分かってきた。ぼくは現像から引伸ばしまで自分でやるので、
写した瞬間を、はっきり再構成出来る有利さがある。ふつうはトライXで1600増感、現像液
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もぐら通信                          ページ 6

いつもは35ミリ一眼レフだが、今回の道具は「自動焦点カメラ」。安部公
房氏はこのメカに、「瞬間の世界」を写し込んだ(AFカメラ・自動露出)

はHC−110を使う。多少ハイコントラストが好きなのだ。このキャノンは400のノーマルし
かきかないが、馴れた調子を見るために、やはりHCを使ってみた。印画紙はイルフォスピー
ドの3号と4号。仕上りは、ぼくの予想を上まわっていた。多少、芯が弱いような気もしたが、
被写体にもよるだろう。いささか馬鹿にしすぎていたようだ。必要なのは、このカメラが良
いか悪いかではなく、このカメラによって発見できる独自なものがあるかどうかだ。さもな
ければ、一眼レフの場合だって、レンズの焦点距離や性能にこだわったりする理由もない。
結論をいうと、満足した。これはもう記念撮影用の簡便さを超えて役に立つカメラだ。今後
は手離せない道具の一つに仲間入りしてくれるだろう。
 まったく文句がないわけではない。たとえばASA感度の設定範囲が狭すぎる。400どまり
なので、トライXを使うと露出補正も出来ない。増感も不可能だし、シャッター速度が8分の
1までしかないから、ストロボ嫌いの僕にはかなり都合が悪い。しかし、そうした不自由さ
を差引いても、なおかつこのカメラは実用性が高いのだ。レンズ交換が出来なくても、どう
せふだん、ワインダーつきの一眼レフを2台に交換レンズを6本も苦にせず、いやかなり苦に
しながら、持ち歩いているのだ。いずれ本体がレンズ1本の重さしかないのだから、これ1台
ふやしたところで、いまさらどうということはない。レンズの性能も立派なものだ。38ミリ
という準広角的標準レンズは、オート・フォーカスと組合わさって、さらに幅の広い使い方
が出来るようになったように思う。とくに僕のような接近してのスナップには威力を発揮し
てくれる。
 とにかくたのしさを感じさせてくれるカメラだと思う。本来カメラは、よく撮れるからた
のしいのではなく、たのしいからよく撮れるはずのものなのだ。
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帰り道 「さて、どこへ行こうか」

「こっちの方が
いいよ」(右)
ミラーの
「待ちくたびれ
中の街
た」(中右)
(左)
「いらっ
しやいま
せ」(中
左)

待ち人来たらず 小さな秘密
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キャノン・オートボーイAF 35 M

ここに紹介した4機種の自動焦点(オート・フォーカス)カメラの中では、最も進んだモデルといえる。自動
焦点機構に加えて、フィルム巻上げ/巻き戻しを自動化したオートワインダー/リワインダー、ワンタッチで顔
を出す内蔵ストロボの3つのアイデアを備えているのだ。つまり、カメラにフィルムを入れ、フィルム感度さ
え合わせれば、あとはシャッター・ボタンを押すだけで、総てOK!子供から大人まで誰でも写せるとは、ま
さにこのことだ。また、このキャノン・オートボーイの自動焦点機構は、他メーカーのモデルと異なり、赤外
光を利用した世界初の「光学式アクティブ方式」。外光がなくても(明るくなくても)距離測定が自由に出来
るというまことに便利なものだ。ただ、赤外光の反射利用で距離測定をしているわけだから、反射率の低いも
のや、乱反射する被写体は苦手という欠点もある。いや、それにしても、すごいカメラが生まれたものだ。

ジャスピン コニカC35AF

カメラに自動焦点機構(オート・フォーカス)を世界で最初に採り入れたのが、このコニカ35AF。
  ジャスピン・コニカ の愛称で知られるモデルだ。コニカが世界で初めて実用化した自動焦点機構は、ハニ
ウェル・ビジトロニックモジュールを搭載した二重像合致式。この方式は、カメラ前面のふたつの窓から入っ
た被写体像を、ふたつのミラー(一方は固定、他方は可動)でとらえ、それぞれの像が合致するところをLSI
(フォーカス検出器)が判断、ピントを合わせるというもの。
 自動焦点カメラのパイオニア的な存在だが、後出モデルと比べてみても、すこしも古さは感じさせない。ア
タッチメントをとりつければクローズ・アップ(接写)もできる。ストロボも内蔵されている。サイズは
132mm x 76mm x 54mm。
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もぐら通信                          ページ10

ミノルタ・ハイマチック AF

ここに採り上げた4モデルの中では、最も後発の自動焦点カメラが、このミノルタ・ハイマチックAFだ。後
発だからといって、特別に目新しい機構が盛り込まれているわけではなく、キャノンAF35Mやフラッシュ・
フジカAFにも採用されている、フォーカスロック機構が備えられている程度だ。このフォーカスロックは解除
不可。自動焦点機構はヴィジトロニック方式。このカメラで写真を写す人にとってありがたいのは、ファイン
ダーをのぞいていた時、中央の測距フレームを被写体に向けて撮影すると、ピント位置を示す赤いフォーカス
ランプが、ファインダー上部のゾーンマーク上に点灯すること。2個点灯した時は、その中間距離であること
を示している。レンズはさすがに高精度である。

フラッシュ・フジカ AFデート

コニカC35AFと同様、ヴィジトロニック方式による自動焦点カメラ。他の3機種には見られないフジカ独自の
機構ビームセンサー(ストロボ撮影時に、自動的に被写体をつかまえるために点灯するランプ)が備えつけら
れており、暗黒下での測距が可能となっている点が、このカメラの特徴だ。解除可能なフォーカスロックが付
いており、シャッター・ボタンの一段押しの繰り返しで操作できる。2段押し込みでレリーズされる。また、
ASA感度が100と400のフジ・フィルムを使用する時には、フィルム感度がオートセットされるように出来て
おり、写す人の手間がはぶけるようになっている。さすがフィルム会社の開発したカメラだけのことはある。
日付が記録される、フラッシュ・フジカAFデートもある。
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ページ

【編集部註】

1980年5月号の日本版PLAYBOYに掲載された安部公房の新機種のカメラ批評です。全
集では第27巻49ページに同じ題名で本文のみは収録されてゐます。各カメラ別の批評紹
介文は、その文体と用字からみて安部公房自身のものと判断し、一緒に掲載をしました。

写真は皆安部公房自身の手によるものです。写真の名前も安部公房のものと思はれます。

以下、当時のままの表紙、寄稿者紹介(安部公房が写つてゐる)、目次の順に転載します。
このやうな時代であつたといふことが偲ばれます。1980年ですから、日本経済のバブル
の始まる年といふことになります。既に「何故日本文学は衰退したのか」で論じた通り、1
980年代には「作家の劣化は二度あり。劣化1は1980年(S55)、劣化2は198
5(S60)である」と明らかにした通りに、書き手の側の能力が劣化した10年のうちの
最初の年です。[註1]

[註1]
『何故日本文学は衰退したのか』(もぐら通信第79号)を参照ください。
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目次
もぐら通信
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ページ
もぐら通信
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ページ

荒巻義雄詩集『骸骨半島』を読む
(5)
エリオット氏に捧げる詩
岩田英哉

哲学解説者は昆虫採りだ
虫どもを捕まえて虫ピンで留めるように
言葉は標本箱の中で干からびて
飛びまわる虫や這いまわる虫のように
言葉は生きているのに

言葉には金平糖のように核があって
幾層もの意味の重なりがあるのに
おれたちの使う言葉は中身が空っぽ
思考は空疎になり
対話は空回り
何かおかしいと気づいたとき
おれたちの言葉が
分裂症に
罹った……
患者だと悟った

だからこそ、
それでは行ってみようか、君も僕も
詩人の国へ
手術台のうえに乗せられて 麻酔にかけられた患者のように
夕暮れが 空いっぱいに這いのびているとき

そこには言葉の沃野があり
蒔かれた種の生き生きと芽吹くはずだったが……

四月は残酷きわまる月で
死んだ土地からライラックを育て……

April̶̶ おれの生まれ月
    アフロディティの月
もぐら通信
もぐら通信                          15
ページ

にもかかわらず、荒地の世紀は
はや
世紀末!

失われた言葉が失われ、 力つきた言葉が力つき
聞かれない、語られない言葉が
語られず、聞かれないとしても、
ほんとうにまだ、
語られない言葉があるというのですか

はい̶̶おれは無信心です
でもプサイを信じます
あなたはおられるのかもしれないが
その座は空位です
世界はあなたのものですが
あなたに造物されたものは 廃墟になっているのです
今̶̶
あなたは いつ もどられるのですか
待っています この廃墟の世界で
留守番をしている おれのことも忘れないでください
ええ――そのときは一緒に飲(や)りましょう
俺は待っています
あなたに届く言葉を探しながら……

***

この詩は三つの部分からなつてゐます。

最初は、黒字の連、次には青字の連、三つ目は再度の黒字の連の三つです。最初の
部分は言葉の多層性、多重性を知らぬ人間たちの分裂病について、二つ目の部分は
分裂病の快癒する詩人の国であるエリオットの四月について、三つ目の部分は沈黙
の言葉の存在する空位といふ廃墟の世界についてです。

この詩の主題は何かといへば、それは「エリオット氏に捧げる詩」とあることの
通りに、この題名の詩文をT.S.エリオットの、それも『荒地』(あれち:The
Waste Land)といふ有名な1922年第一次世界大戦の後の時期に書かれた詩に
捧げるとふことです。
もぐら通信
もぐら通信                          16
ページ

1922年に何があつたか。エリオットが歌つたこととそのことの在つた時代に相
当する物事が、今このときこの詩を書いた荒巻義雄といふ詩人にも巻末の『覚え
書き』最後の一行としてある収録作品の制作期間が「一九九六年から二〇一一年ま
で」とあるので、この時期に、あつたといふことになります。

荒巻義雄といふ詩人がエリオットの『荒地』に感銘を受け、また先の戦争後の二つ
の有力な詩誌のうちの一つ、同じエリオットの此の詩から詩誌の名前とした『荒地』
に惹かれたことは、次のやうに『覚え書き』に書かれてゐます。詩人は「著者着歴」
によれば1933年小樽の生まれです。

「私は東京での遊学時代『荒地』で育った世代だ。今は一九五一年のもの一冊し
か残っていないが、同人らの詩は新鮮で実験的、生気に満ち、若者の心を揺さぶっ
たのである。(『荒地詩集1951』国文社)」(同詩集99ページ)

この同じ時期、安部公房は『荒地』に対するにもう一つの有力詩誌『列島』にて編
集委員を初代から務めたことは『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)で
次のやうにお伝へした通りです。この時期は、安部公房にとつては、日本共産党員
として悪戦苦闘してゐた最も辛い時期でした。

「他方、同時期、1952年3月に、安部公房は、『列島』という詩誌の創刊号
に編集委員として、椎名麟三とともに、小説の世界から名を連ねています。[註8]

やはり、この苦しい時期にも、安部公房を支えたのは詩の世界でした。この詩誌
はシュールレアリズムを含み、シュールレアリズムからドキュメンタリズムを志向
する詩人の集まりでした。このとき既に、安部公房は1950年代後半の記録藝
術の会での活動を詩の世界で先取りしております(小海永二著『日本戦後詩の展望』
研究社叢書、100ページ∼108ページ)。

[註8]
『列島』は、大東亜戦争敗戦後の日本語の世界の二大詩誌『荒地』(あれち)と『列
島』の片方の雄であり、『荒地』と並んで詩の新たらしい潮流を生み出した詩誌で
した。
『列島』がシュールレアリズムからドキュメンタリズムを志向する詩誌であり、如
何にも安部公房の志向に合った詩誌でした。また、その詩誌の名前が『列島』と
いうことから判るように、日本の国と国民のあり方を問題意識に持っていて、サー
クル詩の活動を組織して、全国的に組織だった活動を行ったのに対して、『荒地』
は、個人としての詩人を中心に、お互い自律的にその活動を行った詩誌です。後者
の現実認識は、大東亜戦争敗北後の日本の国土は、その精神の国土も含めて、荒地
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であるというものであり、詩誌の名前はそのことに由来します。二つの詩誌に共通
するのは、シュールレアリズムです。後者にあって前者にないのは、戦前からのモ
ダニズムです。前者『列島』は、1952(昭和27)年3月創刊,1955(昭和30)年3月
終刊、後者『荒地』は、1947(昭和22)年9月創刊、1948(昭和23)年6月終刊。
『列島』と安部公房については、稿を改めて論じます。

さて、安部公房は、この短い時間、即ち1953年9月10日から1955年2月
25日までの1年半の間に、上述したマルクス主義の終末思想と方舟思想の正体を
見抜き、その思考論理の欠陥を見抜きました。」

確かに二人の詩人が共有するのはシュールレアリスムです。荒巻義雄に初期の傑作、
ダリのあの有名な柔らかくなった時計に材をとつた『柔らかい時計』や『トロピ
カル』があるのはむべなるかな。安部公房のシュールレアリスムについてはいふま
でもないでありませう。『柔らかい時計』や『トロピカル』を読むと、あなたは驚
嘆して、間違ひなく荒巻義雄ファンになること必定です。一読をお薦めします。

さて、この安部公房より9歳年下の詩人の眼から見た当時の時代と思想界は『覚え
書き』によれば、次のやうな様子でした。

「実存主義の全盛期でもあった。『異邦人』でカミュを知り、『城』でカフカに
出会った。サルトルは『嘔吐』を読む。日本の小説は大岡昇平や野間宏、埴谷雄高、
武田泰淳ら戦後の第一から第三世代までも読み、私の精神の糧となった。
 六〇年安保闘争のときは、催涙ガス立ちこめる国会議事堂前にいた。あのとき、
樺美智子が圧死した。
 が、まもなく左翼に挫折。帰郷し、家業を継ぎ、傍らSF作家になつたのであ
る。」(同詩集99∼100ページ)
  
二人の共通点は、かうしてみると、同じ時期にマルクス主義の限界を悟り、メタSF
作家として小説を書き始め、または既に書いてゐたことにあるといふ事になります。

更に、安部公房とこの詩人の共通点は、言語です。『覚え書き』に次のやうに書い
てゐます。

「私の仕事は〈言葉〉を使うこと。(略)
 散文ではその機能が究明できない。何かが詩にはあるのかも知れない。
 たとえば比喩表現である。
 たとえば、エリオットである。」
(同詩集100ページ)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ18

この『エリオット氏に捧げる詩』は、このやうに若年から考へ続けて来た言語ま
たは言葉といふ何かに関する思弁、思索の結晶の一つなのです。『骸骨半島』の第
一回目の論でリルケの『マルテの手記』から引用して伝へたかつた引用を今度は引
き写して正確にお伝へします。この最初の章「九月十一日 トゥリエ街」からの引
用をお読みになれば、このマルテの言葉が如何に若い安部公房に深く受容されたか
を私たちは感受することができます。安部公房は待つ人でした。詩人とは忍耐強く
待つ人でした。

「見る目ができかけている。僕は仕事を始めなくてはと考える。僕は二十八歳にな
るが、まだほとんど仕事らしい仕事をしてはいない。(略)詩も書いた。ああ、若
くて詩をつくっても、立派な詩はつくれない。詩をつくることを何年も待ち、長い
年月、もしかしたら翁になるまで、深みと香とをたくわえて、最後にようやく十行
の立派な詩をかくというようにすべきであろう。詩は一般に信じられているように、
感情ではないからである。(感情はどんなに若くても持つことができよう。)しか
し、詩は感情ではなくて――経験である。(略)」
(望月市恵訳岩波文庫『マルテの手記』22∼23ページ)

マルテついでに、安部公房20歳の論文『詩と詩人(意識と無意識)』に安部公房
の言葉で論ぜられ、数学(topology)と多次元的存在論と併せて一つのものとな
つてゐる(詩作の視点からの核心である)マルテの詩観について、上記引用のすぐ
後の箇所を更に以下に引用しますので、ご覧ください。これが安部公房の文学の核
心だといつて一向に差し支へないものです。

様々な経験を経験した後に「しかし、思い出を持つだけでは十分ではない。思い
出が多くなったら、それを忘れることができなければならない。再び思い出がよみ
がえるまで気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない。思い出だけでは十分ではな
いからである。思い出が僕たちのなかで血となり、眼差となり、表情となり、名前
を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の
最初の言葉が思い出のなかに燦然と現われ浮かび上がるのである。」
(望月市恵訳岩波文庫『マルテの手記』24ページ)

この引用の最後の一行は、リルケの最晩年の傑作二つのうちの一つ『ドゥイーノの
悲歌』の天使が、当時滞在してゐた海辺の崖の上に立つドゥイーノの館の建物の外、
海の側に立つ壁のところを歩いてゐた時に、突然姿を表した時のリルケの言葉その
ままです。
もぐら通信
もぐら通信                          19
ページ

ドゥイーノの館

さて、冒頭述べた黒字の連、次には青字の連、三つ目は再度の黒字の連の三つのそ
れぞれを見て見ませう。そして、その前に、安部公房と共通するこれも形象(イメー
ジ)を、即ち譬喩(ひゆ)を、三つの部分から抜き出して並べてみませう。

①哲学解説者は昆虫採りだ(『砂の女』)
②分裂症(初期安部公房から幾つもの精神分裂病の言葉あり)
③手術台のうえに乗せられて、麻酔をかけられた患者のように(『終りし道の標べ
に』と『カンガルー・ノート』)
④四月は残酷きわまる月で/死んだ土地からライラックを育て(『終りし道の標べ
に』の結末)
⑤荒地(あれち)(『終りし道の標べに』)
⑥語られない言葉(リルケに学んだ沈黙の記号「……」に顕著な「沈黙と余白の
論理」)
⑦はい――おれは無信心です/でもプサイを信じます[註1](安部公房と反対で
すが。安部公房はプサイ(超能力者)の否定論者)

[註1]
https://kotobank.jp/word/プサイ-617830

大辞林 第三版の解説
《「プシー」とも》
1 ギリシャ文字の第23字。
2 精神医学で超能力を表す記号。
3 〈ψ〉量子力学でφとともに波動関数を表す記号。

⑧廃墟(安部公房の隙間嗜好からも、また写真家としての安部公房の廃墟の写真多々
もぐら通信
もぐら通信                          ページ20

あること)
⑨おれは待っています。/あなたに届く言葉を探しながら――(安部公房の主人公
の言葉は愛する人に届いてゐるのか?しかし、どの主人公も忍耐強く、たとへ狂気
に落ちても忍耐強い。)

上述の通り、この詩は言葉を巡る詩行から成り立つてゐます。

哲学者は昆虫採りだといふ最初の一行は、さう、子供のころ奉天の砂漠を友人と
昆虫採集に出かけた安部公房を思はせます。しかし、この詩人と同様に、哲学の解
説者にはなることなく、哲学者になり、詩人になつた。数学(topology)と存在
論(哲学)とリルケと自分の詩の世界を統合して一つにして如何に小説家になつた
かは、初期安部公房論で詳細に其の論理的な過程(プロセス)を論じた通りです。
[註2]

[註2]
『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』(もぐら通信第56号から第59号)
をお読みください。

さう、世間の人は、一つの言葉には一つの意味しかないと思つてゐる。しかし、実
際には一つの言葉を幾つもの文脈(context:コンテクスト)で使ひ、自分で新し
い思ひもかけない文脈を創造して自由に言葉を使ふことも時にはあるといふのに、
このことを忘れて生きてゐたり、生存するだけだつたりしてゐる。

「言葉には金平糖のように核があって/幾層もの意味の重なりがあるのに」、一つ
の言葉には一つの意味しかないと思ひ込んでゐると、「おれたちの使う言葉は中身
が空っぽ/思考は空疎になり/対話は空回り/何かおかしいと気づいたとき/おれたち
の言葉が/分裂病に/罹った……/患者だと悟った」といふ詩行は、全く安部公房の
世界に通じてゐます。「『鏡と呼子』論」(もぐら通信第86号)で論じた主人公
Kが天地逆さまに見える望遠鏡を覗いてからの倒錯の世界のことを思つてください。
この詩の言葉(藝術の言葉といつても良いでせう)と現実の言葉の分裂を症状と見
立てた時に、その人間のあり方を、安部公房は精神分裂病と呼んでゐます。

蛇足ながら「金平糖のやう」な「核」とは、論理学でいひ哲学でいふ意義(sense)
即ち内包(intensive)のことです。しかし果たしてこの核は実在するのか?とい
ふのが詩人の問ひであり、これを在らしめる何かを第三部では「はい――おれは無
信心です/でもプサイを信じます」といつてプサイといふ何かがゐるのかもしれな
いが、しかし「その座は空位です」としてゐます。さう、この詩人も言語機能論な
もぐら通信
もぐら通信                          ページ21

のです。さうして、それ故に、あるいは其の結果、「その座」即ち核の「空位」は、
この詩人の愛してやまないマニエリスムの世界に直通してゐるのです。私見によれ
ば、マニエリスムもバロック様式ですが、しかし詩人は否定するかも知れません。

このやうに金平糖の核が空位であり、機能の集合は一つの機能全体であれば、こ
の一つの機能全体もまた函数であるからには、やはりこの全体もまた「空位」で
ある。それ故に、第三部の最初の連は、次のやうに再帰的(recursive:リカーシ
ヴ)に歌はれるのです。安部公房が繰り返しいふやうに、言語は常に言語に再帰す
るからです[註3]。

「失われた言葉が失われ、力つきた言葉が力つき
 聞かれない、語られない言葉が
 語られず、聞かれないとしても、
 ほんとうにまだ、
 語られない言葉があるというのですか」

[註3]
『安部公房文学の毒について』(もぐら通信第55号)の「4。言語論といふ毒(問題下降の毒)」
をお読みください。言語の再帰性に関する安部公房の発言の引用を集めました。

上の引用で太字になつてゐる詩行は、失はれた言葉についての、「ほんとうにまだ」
存在してゐるのかも知れないが、しかし未だ語られていない言葉についての、従ひ
人の耳に聞かれることのない言葉の存在、または即ち存在の言葉についての詩行で
す。

この言葉はどこにあるのか。プサイの造物したものは廃墟になつてゐる。在るもの
は無く、無いものは在る。プサイはどこにゐるのか不明である。しかし、プサイの
回帰を、上記引用の第二部の第一連の失はれた言葉、即ち「力つきた言葉が力つ
き」、この事によつて未だ「語られない言葉ある」といふことになるこのメビウス
の環の接続点に、プサイの空位は存在してゐる。ここは空(から)であるが故に廃
墟である。廃墟であるが、普通の人の目には見えないのは、私たち安部公房の読者
が隙間に目を遣ることなく通りすがる街の人々を思へば、私たちの眼には確かに
箱男の見る世界として私たちの眼に見える廃墟である。

時間の中で存在でゐること。さうすれば、いつまでも忍耐強く待つてゐられる。私
は最後の第三部の失はれた言葉とプサイと空位と廃墟と留守番と待つといふ言葉の
もぐら通信
もぐら通信                          22
ページ

連鎖を読みながら、論理の方向は正反対ですが、「るす」と題したダダイスト高橋
新吉(1901年∼1987年)[註4]の次の詩を連想しました。

留守と言え
ここには誰も
居らぬと言え
五億年経ったら
帰ってくる

[註4]
高橋新吉:https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋新吉

また、安部公房の好きだつたベケットの『ゴドーを待ちながら』も想ひ出されます。

人は豪勢に建てられた町が、実は廃墟であることを普段忘れてゐる。何故なら世間
の人が生きるのは昼間、しかし詩人の生きるのは手術台の上で麻酔をかけられた
患者のやうに生存する「夕暮れが 空いっぱいに這いのびているとき」即ち昼と
夜の時間の隙間(時差)であるからです。さうすれば、四月は如何なる月の四月で
もなくなり、時間といふ差異、即ち時差といふ遅延の中で、「四月は残酷きわまる
月で/死んだ土地からライラックを育て……」といふ確かに沈黙と余白といふ時間
の隙間にあつて、安部公房ならば『終りし道の標べに』の結末にいふ春、この詩人
の歌ふ、

「April―― おれの生まれ月
    アフロディティの月」

といふ生命の生産を繰り返す豊饒の季節が繰り返し巡つて来る。

このエリオットの詩の有名な最初の行を引用した詩人は、自分の生まれた四月を
エリオットの詩の四月に掛けて、また重ね合はせて、自分自身の再生を祈り、また
性愛豊かに古代ギリシャ神話の美しい女神アフロディテを引いてきて、この二重の
意味の四月を「アフロディテの月」と呼んでをります。

「にもかかわらず、荒地の世紀は/はや/世紀末!」

しかし、この詩人の世界は、極初期の『しみ』からして主人公といふべき生物は汎
神論的存在論的時間生物であり(時間の空間化)、『時の波堤』(改題『大いな
もぐら通信
もぐら通信                          23
ページ

る正午』)からは時間は液状化して遍在する上記挙名の初期作品『柔らかい時計』
『トロピカル』から今日に至る世界ですから(時間の空間化)、液体になつて氾
濫する時間は既に時間ではなく、汎神論的に遍在する空間的な時間になりますか
ら、従ひ時間の始めと終りの無い世界であり、この言葉を巡る廃墟もまた透明な
る時間の海の底に沈んでゐることでせう。海とは勿論、安部公房がリルケに学んだ
存在の形象(イメージ)であることはいふまでもありません。

二人の作家の共有する言語再帰性に関する認識は、時間の空間化といふことから、
明瞭なる超越論(汎神論的存在論)です。

荒巻義雄といふ詩人の廃墟を、詩人安部公房の廃墟と重ね合わせてみませう。『水
中都市』から(全集第3巻、212ページ下段、222ページ)。安部公房の水
中都市の廃墟の形象(イメージ)を。

「「堤防から見たおれ達の工場の風景だ。」と間木が言った。しかしそれは水の
中に沈んだ廃墟のように見えた。壁はくずれぼろぼろになり、割目が海藻のように
全体を覆っている。その割目から幾千という小さな手足のある魚が出入している。
(略)
 おれたちは冷たく枯れた堤防の草に並んで腰をおろした。
 間木がマッチをすってタバコをつけた。驚いて、
「水の中で、タバコが吸えるはずがないじゃないか。」
「吸えないさ、」と彼は言った。「吸えないけれど、吸うんだ。」
 おれたちはまたながい間、次第に変っていく工場の風景を、黙って眺めつづけた。

 すると、その風景が変化するにつれて、おれ自身も変化していくような気がした。

「画けそうかい?」とおれが聞いた。
 彼は黙ったまま答えなかった。
 しかしおれはもう返事を待ってはいなかった。おれはその風景を理解することに
熱中しはじめているのだった。
 この悲しみは、おれだけにしか分からない……。」

この沈黙の中の、即ち存在の中の会話は、本当に安部公房の言葉の真骨頂です。安
部公房の会話の科白には美しさがあります。

これを、エリオットに詩を捧げた詩人は、「ほんとうにまだ、/語られない言葉」
といつたのです。安部公房ならばきつと「言葉以前の言葉」といつたことでせう。
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三島由紀夫『月澹荘綺譚』論

岩田英哉

目次

1。『月澹荘綺譚』の結構
2。三島由紀夫と川端康成の関係
3。三島由紀夫文学史上の此の作品の位置

***

1。『月澹荘綺譚』の結構
三島由紀夫の短篇に『月澹荘綺譚』といふ小説があります。

三島由紀夫らしく、舞台は海と岬と島と月澹荘といふ岬に立つ館の物語、もし男女といへば、
貴族の二代目の若い男と美貌の妻の物語、男同士といへば、其の若い公爵と(子供の頃から一
緒に遊んで親しく、従ひ)忠実に仕へる「生涯に一度も、殿様の御命令に背いたことはなかつ
た」若い漁師の男(今は老人)の物語。性といへば、若公爵と君江といふ白痴の娘の隠れた物
語、そして後者の前者への復讐物語といふことになります。

舞台は、話者たる者が「伊豆半島南端の下田に滞在中、城山の岬」の突端の茜橋といふを渡つ
て至る茜島。茜といふ名前が既に此の先に起こる事件に対する解決の色[註1]を最初に表し
てゐる。

[註1]
この赤い色は既に7歳の時の詩『秋(「秋が来た……)』に現はれてゐて、三島由紀夫の一生を貫く赤です。『三
島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』と題して三島由
紀夫が記号に割り当てた意味を論ずるのと併せて此の詩を論じましたのでご覧ください(https://
shibunraku.blogspot.com/2015/09/blog-post.html):

「秋(「秋が来た……」)

     (一)
    秋が来た
    秋が来た
 おにはの柿はあかい顔
 木の葉もまねしてあかい顔
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 25

     (二)
    秋が来た
    秋が来た
 一人で庭に立つてると
 木の葉はさらさらよつてくる
 ぼくをめがけてよつてくる」

しかも、帰路、主人公は茜橋を渡つて岬へ戻るものの「もと来た道を辿ればホテルへかへる」
べきところを、「日が沈むまではまだ間があるので、逆のはうへ歩き出したばかりに、私はあ
の異様な物語の中に身を涵(ひた)す羽目になつた」のです。この帰路に同じ道をとることな
く反対方向を選んだといふ導入部が「異様な物語」の入り口になつてゐる。それも、三島由紀
夫の場合も安部公房と同様ですが(例へば『赤い繭』)、事件は夕方、夕暮れに、あの赤い夕
焼けの時間といふ時間の隙間に起きる。三島由紀夫といふ超越論者[註2]の隙間です。話者
は「海のほとりの崖に架した小屋があつて、その暗い筵(むしろ)の床で、網を繕つてゐる老
人」に月澹荘のあつた公園への道を訊くのです。今は老いたる漁師が驚いて曰く「月澹荘が焼
けてからもう四十年になるといふのに。」といつた後に、一人で先に行く話者を遅れて追ひか
けて来てわざわざ道案内をしてくれて、館の立つてゐた跡地の海を臨む公園で冒頭の話を詳細
にしてくれる。この詳細な話が小説の核心である悲劇的な殺人事件と月澹荘焼亡を構成してゐ
る。

[註2]
三島由紀夫の超越論については『三島由紀夫の十代の詩を読み解く31:12歳の超越論 『窓硝子』』にて詳細
に論じましたので、ご覧ください:https://shibunraku.blogspot.com/2015/12/blog-post.html

今は老いたる漁師勝蔵の語る若公爵照茂は、面識を得た子供の時分から自分では何も行為をす
ることのない人間であつて、ただ見るだけの、眼の人である。勝蔵のみる照茂は「ただ、時つ
と静かに見て、たのしんゐる。行為は必ず、人に命じてやらすのだ。」「その目は実に美しく
冷たく、勝蔵はそれを上等のメガネのレンズのやうだと思つた。」当時「彼の目はあひかはら
ず、感動もせず、水のやうな淡々とした喜びに充ちて、人にやらせることに向けられてゐた。」
「切れ長で、ほんのすこし出目で、高い冷たい鼻梁の両側に、知恵のよろこびに涵(ひたつ)
てゐる二顆(くわ)の水晶のやうに、静かな光を放つてゐたのである。」といふやうな人間で
ある。

話の筋を語るのは本論の趣旨ではないので、結論をいへば、この若公爵は性的な不能者であつ
て、美貌の妻を迎へても、最後に老いたる漁師に打ち明けるには「私たち夫婦は、結婚以来、
只の一度も、夫婦の契りをしたことはなかつたんです。殿様は、……あなたも御承知のとほり、
ただ……何と言つたらいいか、ただ、すみずみまで、熱心にご覧になるだけでした」といふや
うな男であり、若い勝蔵をお共に山道を散策する途中で白痴の娘の「奇妙な調子外れの唄声を」
もぐら通信
もぐら通信                          ページ26

聞きつけて、若殿様は漁師に、この唄を歌ひながらここで夏茱萸(ぐみ)を採つてゐた娘の暴
行を命じ、その間若公爵は、夏茱萸の草叢で「必死に抗(あらが)ふ君江の顔へできるだけ顔
を近づけて眺めて」ゐた、また「水の中の水棲動物の生態を観察されるやうに、澄んだ瞳を動
かさずに、娘の顔をじつと眺めつづけて」ゐたといふ美貌の妻に隠されてゐた事件があつたの
です。それを勝蔵は夫の一周忌の後呼び出されて事の次第を座敷に請じ入れられて客人の身分
で語つたといふ筋立てになつてをり、勝蔵にだけはといつて夫婦の上の秘密が告げられるとい
ふ次第になつてゐる。

勝蔵のいふ若公爵の殺人犯が君江だと勝蔵に知れたのは、公爵未亡人にいふやうに「殿様の屍
体からは両眼がゑぐられて、そのうつろに夏茱萸の実がぎつしり詰め込んであつた」からです。
そして、ここに至つて話を振り返れば、この話は最初から最後まで、この岬に生える夏茱萸(ぐ
み)の赤い色が点綴されてゐる。

2。三島由紀夫と川端康成の関係
実は、この若公爵は川端康成であるといふ説を仄聞して、確かめるために初めて此の短編を読
んで、本論を書いたのです。

確かに、この見るだけの眼の人である若公爵は川端康成であると思はれた。となれば、話を語
る老人は三島由紀夫であり、これも安部公房の小説と同じ構造化のなされた話中話に登場する
白痴の君枝は、抗ひながらの服従といふ点では、老人の分身といつてもよく、またこの話全体
を語る三島由紀夫と、今度は現実の中での川端康成との関係が、若公爵と老人の関係といふこ
とになるからです。即ち、川端康成のいふことに逆らふことなく(自分自身がノーベル文学賞
の候補になつてゐたものを、川端康成に依頼されて川端康成の同賞のための推薦文までを書
き)、三島由紀夫はなんでもいふことを聞いたのでありませうし、話中話にあつては老人はま
た若公爵のいふことに逆らふことなく何事もおこなつた。さうして、後者のいふがままに、表
立つてはあらがふことなく、心中では抗(あらが)ひながらも、老人は君枝といふ白痴の娘に
乱暴をまで働いたのである以上、この絶対的な支配と被支配の関係は次のやうになります。(安
部公房の読者としては、二人の関係に深く立ち入ることは致しません。)

川端康成>三島由紀夫
若公爵>老人
老人>君江

君枝が若公爵を殺したのであれば、上の関係図では、君江(三島由紀夫)が川端康成(若公爵)
を殺す順序となつてゐる。これが田中美代子氏の解釈と仄聞致し、この小説の結構と登場人物
同士の支配・被支配の関係を上のやうに見ると、私も其の通りだと思ひました。

この話の中の若く美しい若公爵の妻は、老人が若公爵が君江に殺される次第を話す話の尋ね役・
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 27

聴き役となつてゐて、やはり三島由紀夫らしいのは、美といふものを、かうしてみると、話の
結構の中心に据ゑてゐることです。さうして、その邸宅は焼亡する。この結構に焦点を当てる
と、これはこのまま『金閣寺』の結末であり、『豊饒の海』第三巻の『暁の寺』の最後に近い
所で二人の男女が火事で焼け死ぬところに同じです。

この火は、これらの火事がさうであるやうに、やはり浄化の火でありませう。探せば他にも同
じ結構、同じ浄化の火事が幾つもあるのではないでせうか。さう、夕焼けが火事の形象(イメー
ジ)であり、三島由紀夫の世界では形象であることからいつてそれは火事そのものであるとい
ふことが言へますから、さうであれば十代の詩『凶ごと』(まがごと)[註3]や『海と夕焼
け』もまた同じ作品といふことになります。

[註3]
三島由紀夫の十代の詩を読み解く31:12歳の超越論 『窓硝子』(https://shibunraku.blogspot.com/2015/
12/blog-post.html)より引用してお伝へします。この論の主題は12歳の超越論 の詩『窓硝子』ですので、次の
引用の始めは『窓硝子』に関する論評で始まつてゐます。

「やはり救済者は、夕闇迫るこの時刻にやつて来なければならない。さうして、町々は闇の中に、昼夜逆転して、
黒い色の中に明るい火を点として灯(とも)さなければならないのです。この倒立は、様々な作品中に、その作品
の範疇を問はずに現れてゐる筈です。今夕闇迫る夕焼けの時刻については、『凶ごと』といふ詩を、昼夜の逆転し
た陰画としての昼間については、近代能楽集の『卒塔婆小町』から引用して、お伝へ致します。

凶(まが)ごと

わたくしは夕な夕な
窓に立ち椿事を待つた、
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに町並の
むかうからおしよせてくるのを。

枯木かれ木の
海綿めいた
乾きの間には
薔薇輝石色に
夕空がうかんできた……

濃沃度丁幾(のうヨードチンキ)を混ぜたる、
夕焼の凶ごとの色みれば
わが胸は支那繻子の扉を閉ざし
空には悲惨きはまる
黒奴たちあらはれきて
夜もすがら争ひ合ひ
星の血を滴らしつゝ
夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。

わたしは凶ごとを待つてゐる
もぐら通信
もぐら通信                          ページ28

吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額(ぬか)は黒く
わが血はどす赤く凍結した……。 」

同じ火事の色、夕焼け色による問題の倒錯的な解決は『窓硝子』にも歌はれます。

「この第5連は、三島由紀夫の大好きな夏、それも四季の正午の時間である真夏です。三島由紀夫は、この季節の
真夏の時間といふ、時間の停止して存在しない詩人の高みに「既にして」「説明抜きに」「最初から」「そもそも」
「いつの間にか」「知らぬ間に」「気がついたら」「理屈抜きに」「有無を言わさず」「余計な講釈抜きに」「四
の五の言わずに」ゐるのです。詩人の命は救済されたのです。「仔熊は大きなあくびをしてゐた」ほどに、また、
第1連の直喩(「仔熊のやうな」)の仔熊が、この第5連にをいて到頭隠喩(「大きなあくびをしてゐた」「仔熊」
である)の仔熊になることができたほどに。しかし、

すると
再び雨雲があらはれた。

この雨雲は、雨を降らせることから、涙雨の、話者に悲しみを催さしむる雨雲なのでせうし、さうなるとまた、
繰り返し繰り返して、前の連と同様に、夕焼色や橙色の時間に、何か悪いことが起きるやうな予感がします。そし
て、やはり、さうなるのです。何故ならば、

橙色(だいだいいろ)の黎明(よあけ)が迫り
土は早や けだるさに喘(あへ)ぎ
わたしは窓の下に行つて試(み)た。

とあるやうに、詩人の高みは真夏ですから、今度は夜から黎明になる時間、しかし夕闇といふ夜の始まりの闇で
はなく、黎明の前の夜の最後の闇が迫つて来て、地上といふ水平面にある世界は「早や けだるさに喘(あへ)」
いでゐるからであり、從ひ悲しみの情から「わたしは窓の下に行つて試(み)た」のです、すると、

すると
窓硝子は
もう張られて居た
厚いすていんど・ぐらすを通しては
光だけしか這入つて来なかつた。

「既にして」「説明抜きに」「最初から」「そもそも」「いつの間にか」「知らぬ間に」「気がついたら」「理
屈抜きに」「有無を言わさず」「余計な講釈抜きに」「四の五の言わずに」「窓硝子は/もう張られて居たので
す。」

三島由紀夫はこの火によつて何を浄化しようとしたのでせうか?

それは、現実との関係に於いてさうある自分自身の不能、処女作『仮面の告白』に告白したあ
の性的不能の人間を浄化しようとしたのです。若公爵は確かにあの眼の表現の仕方は川端康成
であるでせう、しかし、さうだとして、肉体に指一本触ることなく美を眺めるだけの不能の人
間とは、実は三島由紀夫自分自身にほかならないのです。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 29

ここに三島由紀夫の、川端康成に対して抱懐する、一種自分自身と同種の人間であること、そ
して現実の世界では上記の絶対的な関係にゐなければならぬことに対する、自分自身と川端康
成に対する二重に複雑な感情があるでせう。

『私の遍歴時代』によれば森鴎外とトーマス・マンを範として「古典主義の時代」(1950
年∼1963年:25歳∼38歳)と三島由紀夫が呼んだ文学上の遍歴に精励せしめることに
なつた二人のうちの一人であるトーマス・マンもまた三島由紀夫と同じ苦しみを苦しんでゐま
した。『ヴェニスに死す』はその通りの話です。[註4]

[註4]
「トーマス・マンと三島由紀夫の関係については三島由紀夫の十代の詩を読み解く30:再帰的人間像と三島由紀
夫』と題して論じましたので、ご覧ください。:https://shibunraku.blogspot.com/2015/11/blog-post_21.html

3。三島由紀夫文学史上の此の作品の位置
三島由紀夫の作品の内容での(時系列ではなく)精神の年譜を書いて参りますと、この『月澹
荘奇譚』といふ作品は昭和40年(西暦1965年)1月の発表、となれば、私の描いた三島
由紀夫の精神史の見取り図によれば1964年∼1970年の晩年の時代(ダーザインの時
代:ハイムケール(帰郷)の時代、10代の抒情詩の世界へと回帰する時代)の39歳∼45
歳といふ最後の7年間の始まる時期の始めの作品といふ重要な位置を占める、小品ながら、作
品だといふことになります。1965年(昭和40年)9月から三島由紀夫は『豊饒の海』の
第一巻『春の雪』を発表し始めてゐます。

私の描いた三島由紀夫の精神史の見取り図では、その人生の全体は次のやうになつてゐます:
https://shibunraku.blogspot.com/2015/09/blog-post_12.html

1. 1925年∼1930年:0歳∼5歳:幼年時代:6年間
2. 1931年∼1949年:6歳∼24歳:遍歴時代:19年間
2.1 1931年∼1945年:6歳∼20歳: 抒情詩人の時代(ザインの時代:夜と月の
時代):15年間
(1)1931年∼1937年:6歳∼12歳: 少年期1:7年
   ①1937年:12歳:『HEKIGA』:詩人になると自覚して書いた最初の詩集   
   ②1938年:13歳:『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ日付の入った
日記体の叙事詩(『木葉角鴟』206∼214ページ)
(2) 1938年∼1940年:13歳∼15歳:少年期2:3年
   ① 1939年:14歳:『日本的薄暮』(『Bad Poems』387∼388ページ) 
といふ戯曲的科白のある典型的な詩
   ② 1940年:15歳:『少年期をわる』といふ詩(『公威詩集 III』630∼631
ページ)[註3]
もぐら通信                         
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(3) 1941年∼1945年:16歳∼20歳:詩文散文併存期:5年
   ①1941年:16歳:『花ざかり森』(「リルケ風な小説」):『海賊頭』の最初の
創造。
   ②1941年:16歳:『理髪師』といふ詩:蛇といふ「殺人者」の最初の創造。
   ③1943年:18歳:『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』(「短
い散文詩風の」小説):殺人者と海賊頭の二人ながら登場する小説の最初のもの。

2. 2 1946年∼1949年:21歳∼24歳:詩人から散文家(ザインからゾルレンの
言語藝術家)へと変身する時代:4年
この時期に安部公房に初めて会ふ。
(1)1947年:22歳:エッセイ『重症者の凶器』
(2)1948年:23歳:小説『盗賊』
(3)1949年:24歳:小説『仮面の告白』、最初の戯曲『火宅』

3. 1950年∼1963年:古典主義の時代(ゾルレンの時代:太陽と鉄の時代):25歳
∼38歳:14年間
4. 1964年∼1970年:晩年の時代(ダーザインの時代:ハイムケール(帰郷)の時代:
10代の抒情詩の世界へと回帰する時代):39歳∼45歳:7年間

三島由紀夫は川端康成と、ハイムケール(帰郷)の時代を始めるに当つて、かうして虚構の中
で最後のお別れの挨拶をしたのではないでせうか。

敬愛して来た藝術家を虚構の中で殺すといふのは、三島由紀夫の礼儀作法です。

この『『月澹荘奇譚』』の後、『春の雪』の第38章にて、三島由紀夫はもぐらの安部公房を
赤ん坊のもぐらとして登場させ、殺してゐます。『三島由紀夫が安部公房に贈った別れの挨拶
∼『春の雪』の中のもぐら∼』で論じましたので(https://abekobosplace.blogspot.com/
2015/03/blog-post_7.html)、その要所を抜粋して以下にお伝へします。

「それは、この小説の第38章の文字通りの終りで、広壮な松枝侯爵邸の庭を、まだ旧制高校
生の二人、即ち主人公の松枝清顕と親しき同級生の本多繁邦が、現に苦しんでいる恋の成就の
この世での不可能とこの世の終末の来ることへの期待と死と権力とお金のことを考え語る松枝
清顕と、松枝清顕と一緒に話をしながら歩いていて、その広大な庭の中の池ー船遊びのできる
ほどの広い池ーのほとりまで来ると、地表に現れて死んでいる子供のもぐら(土龍)をみつけ
る場面です。

「第一時限の論理学の講義がおわり、血洗いの池を囲む森の小径を歩きながら、二人はその話
(筆者註:恋と世の終末と死と権力と金の話)をしたのであるが、第二時限がはじまる時が迫
り、今来た道を引返した。秋の森の下道には、目に立つさまざまのものが落ちていた。湿って
重なり合い茶いろの葉脈が際立った夥(おびただ)しい落葉、団栗(どんぐり)、青いままに
はじけて腐った栗、煙草の吸殻、......その間に、ねじけて、白っぽい、それがいかにも病的に
もぐら通信
もぐら通信                          ページ31

白っぽい毛の固まりを見つけて、本多は立止まって瞳を凝らした。幼い土竜(もぐら)の屍(し
かばね)だとわかったときに、清顕も蹲(うずく)まって、朝の光を頭上の梢がみちびくまま
に、黙ってこの屍をつぶさに眺めた。
 白く見えたのは、仰向きに死んでいる胸のあたりの毛だけが白いのが目を射たのである。全
身は濡れそぼった天鵞絨(ビロード)の黒さで、小さな分別くさい掌(てのひら)の白い皺(し
わ)には泥がいっぱいついていた。足掻(あが)いて、皺に喰い込んだ泥だとわかる。嘴(く
ちばし)のような尖った口が仰(あお)のいて裏側が見えるので、二本の精妙な門歯の内側に、
柔らかな薔薇色の口腔がひらいていた。
 二人は時を同じゅうして、かつての松枝家の滝口にかかっていた黒い犬の屍を思い出した。
あの犬の屍は、思いがけず念入りな供養を享(う)けたのである。
 清顕は、毛のまばらな尻尾をつまんで、幼い土竜の屍を、自分の掌の上にそっと横たえた。
すでに乾ききった屍は、不潔な感じを与えなかった。ただ卑しい小動物の微細な造りがいやら
しかった。
 彼は又、その尾をつまんで立上がり、小径が池のほとりに接すると、事もなげに屍を池へ投
(ほう)った。
 「何をするんだ」
と本多は、友のその無造作に眉をひそめた。一見学生らしい粗暴な振舞のうちに、彼は清顕の
常ならぬ心の荒廃を読んでいた。」」

これを読んだ安部公房は映画『憂国』(1965年:昭和40年)を観て、三島由紀夫の死を
此の時予知してをりましたので[註5]、勿論この章の意図は十分に承知してをりました。

[註5]
安部公房全集第20巻に収録の『映画「憂国」のはらむ問題』と題して書いた映画批評に次の批評がある:

「(略)作者が主役を演じているというようなことではなく、あの作品全体が、まさに作者自身の分身なのだ。
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆にこの作品に、自己を転位させようとしたの
かもしれない。
 むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させて
しまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っ
ていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、
羨望に近い共感を感じさせたのも、おそらくその不敵な野望のせいだったに違いない。
 いずれにしても、単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、
ともかくぼくは脱帽を惜しまない。
                            [1966.5.2]」

対して、安部公房は三島由紀夫への追悼の心を籠めて、1984年の長編小説『方舟さくら丸』
の冒頭に次のやうに死者三島由紀夫を仔くじらの死体として描いた。「『方舟さくら丸』の中
の三島由紀夫」と題して論じた(https://abekobosplace.blogspot.com/2017/01/blog-
post_1.html)中から抜き出してお伝へします。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ32

「『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫」(もぐら通信第46号)と題して、安部公房が三島
由紀夫と交わした時間と空間に関する哲学談義を論じ、それを小説といふ虚構の世界に映した
ことを述べましたが、1967年刊行の『燃えつきた地図』より17年後の、1984年刊行
の『方舟さくら丸』の冒頭に、やはり三島由紀夫の愛した形象を二つ書いて、この、安部公房
の人生に於いて最も親しかつた筈の友人の霊に、安部公房は密かに追悼の意を表はしてをりま
す。

その二つの形象とは、仔鯨と、ラグビーのボールです。

「仔鯨」と、「子鯨」とではなく、何故安部公房は、この文字で此の言葉を選んで、書いたの
でせう。

三島由紀夫が1970年に亡くなつたあと立ち上げた安部公房スタジオのために書いた戯曲『仔
象は死んだ』(1979年)の題名が、子象ではなく、仔象でなければならない理由は、当時
奉天で小学生の頃に、当時何度も大陸を巡回して、奉天では千代田公園でテントを張った[註
1]矢野サーカス団のサーカスでは間違ひなく見た筈の子供の象の曲藝に、死を思はせる何か
を同じ子供の安部公房が見たのか、それともサーカスを観て感動した後に、その子象が死んだ
ことを知つたのか、いづれかでありませう。『安部公房文学サーカス論』は別途論じます。

ここで、安部公房が仔鯨と書き、子鯨と書かなかつたのは、同じ理由によります。安部公房は
詩人ですから、『没我の地平』でも『無名詩集』でも、用字については、その文字の間の一文
字文の空白も含め、厳密厳格に此れを文字通りに用ゐてゐることは、『安部公房の奉天の窓の
暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について(後篇)』(もぐら通信第33号)で詳細に
論じた通りです。

この仔鯨は、死んだ鯨の子供、いや、それ故に、仔供なのです。

鯨は海の形象ですが、『方舟さくら丸』の主人公の仇名でもあるもぐらは陸の形象です。後者
については、三島由紀夫が畢生の名作『豊饒の海』の第1巻『春の雪』の第38章で、死んだ
子供のもぐらとして描いてゐることは、「三島由紀夫が安部公房に贈った別れの挨拶∼『春の
雪』の中のもぐら∼」(もぐら通信第30号)で述べた通りです。 [註1]
(略)
その箇所を引用します。この言葉の文脈を知つて戴くために、その前後も含め、少し長い引用
になります。傍線筆者。

「月に一度、県庁のある街まで買い物に出る。車で小一時間かかってしまうが、蛇口のパッキ
ング、電動工具の替え刃、大型積層乾電池といった特殊な品物が多いので、地元の商店街では
間に合わないのだ。それに出来れば顔見知りとは顔を合わせたくない。影のように綽名がつい
てまわるからだ。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 33

《豚》もしくは《もぐら》がぼくの綽名である。身長一メートル七十、体重九十八キロ、撫で
肩で手足は短めだ。体形を目立たせまいとして、丈の長い黒のレインコートを試してみたこと
もある。しかし駅前の大通りに面して新築された合同市庁舎の前で、そんな幻想はあっけなく
吹き飛ばされてしまった。市庁舎は黒い鉄骨と黒いガラスに覆われた、黒い鏡のような建物で、
列車を利用しようと思えばどうしてもその前を通らざるを得ないのだ。黒いガラスに映ったぼ
くは道に迷った仔鯨か、ゴミ捨て場で変色したラグビーのボールに見えた。背景の街が歪んで
映るのは面白いが、歪んだぼくはみじめなだけだ。」(傍線筆者)

黒い鏡の箱型の建物といふのは、この冒頭で既に昼間の世界とは異なる地下の世界の陰画の洞
窟の世界を意味してゐて、この小説の結末で、主人公が再び此の市庁舎の黒い箱の前へと脱出
する最後の章への、最初の導入となつてゐます。

さて、ラグビーのボールの話です。平面(二次元)であれ立体(三次元)であれ、この楕円形
の球の形象が、三島由紀夫の文学に持つてゐる大切な意味については、既に幾つかの論考で論
じたとおりです。[註3]一言でいへば、これは対称性を備えた形象であり、また其の対称形
の組み合わせによつて十字架の形象に通じる楕円形であつて、三島由紀夫が十代の詩人の時代
から愛した、生命の充実した、死と隣り合わせの、極限の形象であるといふことです。

[註3]
楕円形やフットボールについては、以下の論考を書きましたので、ご覧ください。

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師』:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-
post_4.html
「三島由紀夫の十代の詩を読み解く27:『剣』論(1)」:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-
post.html
「三島由紀夫の十代の詩を読み解く28:『剣』論(2)」:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-
post_3.html
『卵をめぐる冒険∼三島由紀夫の卵と村上春樹の卵∼』:https://sanbunraku.blogspot.jp/2016/12/blog-
post.html

また、楕円形を巡つて、年代順に十代の詩の世界から思ふママに挙げて見ますと、次のやうな詩や小説があります。
勿論、これ以外にも幾つもの詩と小説に登場してゐます。

(1)詩『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』:13歳
(2)詩集『一週間詩集』の表紙にある楕円形:15歳
(3)小説『卵』の楕円形:28歳
(4)16歳の詩『理髪師』の改作の詩『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』の楕円形:
32歳
(5)小説『剣』の冒頭の竜胆の紋の楕円形:38歳(上記『剣』論二つをご覧ください。)

このラグビーのボールといふ一語から判ることは、安部公房が三島邸を訪ねて、あの太陽の部
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 34

屋に、賓客として、特別な客として、招じ入れられた時に、三島由紀夫は間違ひなく、自分が
十代で詩人であつたことを打ち明け、自分の大切な詩集の幾つかを開いて、自分の詩の世界を
安部公房に語り、伝へたといふことです。

二人が二人だけで会つた時には、無条件で、云ふことなしに、詩人として会つたのだといふこ
とが、この一語から判ります。[註4]

[註4]
安部公房全集を読みますと、安部公房は十代からは勿論ですが、詩を解する友と哲学を解する友を常に求めてゐ
ます。十代には、前者については、金山時夫が、埴谷雄高とご縁ができてからは中田耕治さんが、後者については、
中埜肇が、さうでした。三島由紀夫は、この二つの領域に十分に及び、互ひの立場と主張の論理を交換しながら
自由闊達に論戦できる友でした。」

敬愛して来た藝術家の友人を虚構の中で殺すといふのは、三島由紀夫の礼儀作法でした。

『ある評伝 三島由紀夫』(ジョン・ネイスン著。野口武彦訳)によれば、三島由紀夫は自決
の年1970年(昭和四十五年)に次のやうに友人知人にお別れをしてゐます。

「六月に入ってからの三島は、それとなく人々に別れを告げはじめている。(略)他の友人た
ちも唐突に飲む場所や夕食に呼び出された。六月だけでも、三島は六人ばかりの作家や批評家
たちと最後の夜を過ごしている。その中には、三島がもっとも敬愛していた石川淳、武田泰淳、
安部公房の三人(いずれも三島が楯の会を創設したとき、これからは政治の話はよそうと申し
合わせた文学者たちである)もいた。七月下旬、三島は新潮社の新田とNHKの伊達を『浜作』
での夕食に招き、突然、もし自分が死んだら「ビッグ・ニュース」になるだろうかとたずね
た。」(同書235ページ上段)

石川淳は安部公房が師と呼ぶ作家です。[註6]安部公房と三島由紀夫がどれだけの接点を共
有してゐたかは『岡山典弘著『三島由紀夫外伝』を読む:三島由紀夫が安部公房と共有した1
9の主題、又は『安部公房外伝』』と題してまとめましたので、これをお読みください[註7]
(https://abekobosplace.blogspot.com/2014/11/blog-post_80.html)。武田泰淳は三島由紀
夫の葬儀に読んだ弔辞を読めば、この天才を理解してゐた親しい友人だといふことが伝はつて
参ります。また、新潮社の新田敞は、安部公房の最晩年まで長い交友のあつた編集者です。

さて、この『月澹荘綺譚』論の最後に至つて私の抱く問ひは次の問ひです。

三島由紀夫は川端康成を最後の晩餐に招待したのだらうか?

[註6]
安部公房の石川淳に関する文章には、次の二つがある。
もぐら通信
もぐら通信                          35
ページ

(1)『師と私と――石川淳氏』(全集第20巻、50ページ)
(2)『巻貝の文学』(全集第21巻、31ページ)

[註7]
この論題の元にこの時私が論じた二人の共有する接点は次の19の接点です。(https://
abekobosplace.blogspot.com/2014/11/blog-post_80.html)

1。剣道
2。岸田今日子
3。賽の河原や和讃
4。超常現象
5。宇宙人
6。都市
7。エロチシズム
8。引き籠り
9。共産主義
10。藝術の毒
11。キャンティ(Chianti)
12。殉教
13。本物と贋物
14。文化観
15。盾の会
16。クーデターと革命
17。犯罪
18。狼
19。青春
もぐら通信
もぐら通信                          ページ36

安部公房とチョムスキー
(10)
目次

1。ヨーロッパ文明の近代とは何であつた/あるのか
2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置
3。バロックとはどういふ時代か
3.1 バロックとは何か
3.2 バロック建築:差異の建築 青字は前回までに
論じ終つたもの、
3.3 バロック文学:差異の文学
赤字は今回論ずるもの、
3.4 バロック哲学:差異の哲学
黒字はこれからのもの
4。チョムスキーの統辞理論とバロックの言語学:生成文法とポール・ロワイ
ヤル文法
(1)チョムスキーの統辞理論とは何か
(2)ポール・ロワイヤル文法とは何か
4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語の持つ冗長性とは何か
5。ポール・ロワイヤル文法とラシーヌ
6。「2。西洋近世哲学史の中の安部公房の位置」に関する補遺的説明

(1)再度バロックとは何か:バロックの概念ー歪な真珠とは何かー:真珠の分類と存在の凹の形象の一致

7。 一神教と大地母神崇拝をtoplogyで読み解く 載

7。1 一神教のtopology は

7。2 大地母神崇拝のtopology

7。3 一神教のtopologyを大地母神崇拝のtopologyに変形する
8。スコラ哲学は21世紀にも生きてゐる
9。ネットワーク・トポロジーの変遷で近代ヨーロッパ文明の300年間を読む
10. 近代ヨーロッパの17世紀に何があつたか
(1)宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント)の内部の宗教戦争
(2)政治:ウエストファリア条約:近代国家同士のヨーロッパ内部の政治戦争
(3)経済:株式会社と中央銀行の成立:近代国家同士のヨーロッパ外部の経済戦争
(4)文化:超越論に依るバロックといふ差異の様式
   ①目に見えるバロック様式:都市設計、建築、庭園、美術、天文学
   ②目に見えないバロック様式:文学、哲学、論理学、修辞学、文法学、数学(幾何学)、音楽
11。イスラム文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:イスラムから見た近代史:『イスラームか
ら見た「世界史」』(タミム・アンサーリー著。小沢千重子訳)を読む:一神教内部の宗教と文明の戦争
12。アフリカ大陸文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:『新書アフリカ史』を読む
13。 日本列島文明の視点から近世・近代ヨーロッパ文明を相対化する:大地母神崇拝と一神教の文明間戦争
13. 1 座談会『近代の超克』(文芸誌『文学界』(1942年(昭和17年)9月及び10月号))を読む
13. 2 座談会『世界史的立場と日本』(1943年(昭和18年)中央公論社)を読む
13. 3 二つの座談会で指摘された問題の列挙と解決方法について
14。Topological(位相幾何学的)な「近代の超克」
(1)日本の世界史的立場:公武合体政策の解消とバロック的楕円形国體への復帰を
(2)世界の日本史的立場:汎神論的存在論(超越論)に拠つてヨーロッパ地域での古代の神々の復活を
もぐら通信
もぐら通信                          37
ページ

哲学の問題101
(4)
  自然
岩田英哉

この自然といふ題目は、精神と認識といふ範疇に分類されて書かれてゐるたつた1ページの記述
の題名です。隣の左のページに著者が自然と目する写真が、これも丸々1ページ掲げられてゐる。

考へてみれば、自然を精神と認識の範疇に、即ちその下位の位置に置くとは、私たちには馴染み
のないことではないでせうか。私たちにとつては自然を理解するのに精神も認識も不要であるか
らです。しかし、ヨーロッパの人間はこのやうな異質の分類を持つてゐる。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ38

これはドイツの自然ではなく、ヨーロッパの自然でもない。何故ヨーロッパの自然の景色を載せ
ずに、多分アフリカ大陸かと思はれる自然の写真を載せて、自然を論じようとしたのでせうか。

私はここにヨーロッパ人の内部を省みることなく、常に外部へと自分たちの考への正しさを求め
たいと思つて来た「自分ではないもの」、即ち「自分以外のもの」に自分のことを及ぼして自分
の正しさを証明したいといふ強い衝動の現れを見るのです。この自省なくして自己以外を排除す
る論理(排除律と呼びませう)は、歴史に関していへば、諸処既述の通り、近代ヨーロパ文明を
つくるに当たり、自分たちの歴史的連続性・継続性といふ自分の日常生活の基礎になつてゐる大
切なものを(無知蒙昧にも)切断して、古代ギリシャ文明をイスラム教圏から学んだといふ歴史
をないことにして真つ直ぐ古代ギリシャにヨーロッパ近代が接続してゐるといふ歴史の偽造と捏
造を行つたことに原因があります。これがカントーヘーゲルに始まる共産主義の系譜の根底にな
る最初の偽善であり、それが今political correctnessや男女平等や人権やフェミニズム[註1]
や動物愛護や環境保護といふ偽善になつて現れてゐて、隠れたマルクス主義、即ちglobalismと
いふ名前の共産主義となつて姿を変えて猖獗を極めてゐること20世紀と何ら変はらぬことは前
回も述べ、他の論考でも諸処記述の通りです。

[註1]
フェミニズムに関係して私の知る一番早い例は、志賀直哉の『邦子』といふ小説について作者が新潮文庫版の短編
集『万暦赤絵 他二十二編』の「あとがき」で曰く「「邦子」(昭和二年)」は「山科の記憶」の材料から存分に
作った小説。(略)この小説はある人々には好かれ、ある人々には好かれていない。女に対する考え方で分かれる
らしく、大体いわゆるフェミニストの傾向ある人々にはこの小説は愉快でないらしく、その反対の考え方をする人々
には同感を得るらしい。」とあるのが、それです。昭和二年は西暦1927年。

この写真のいふところは、そして著者のいふところは無意識に、これはここに住む人間たち即ち
有色人種のものではない、この自然は私のものだ、私の所有物だと言つてゐるのです。さう思つ
て本文を読むと、然り、その通りでした。一体ヨーロッパの人間(正確には西ヨーロッパの人間
といふべきでせうが、この人間たち)が何を自然に関して考へてゐるのかを、本文の話の筋を追
つて、またその深層心理も尋ねて読んでみませう。

ここに出てくる哲学者は次の四人です。

(1)アリストテレス(BC 384ー322)
(2)アーノルド・ゲーレン(1904ー1976)
(3)ハンス・ヨナス(1903−1993)[註2]
(4)カール・ライムント・ポッパー(1902ー1994)[註3]
もぐら通信
もぐら通信                          ページ39

[註2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ヨナス

[註3]
https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・ポパー

いつのもやうに写真と一緒に大書されて併記されてゐる言葉は上記(4)のカール・ポッパーの
1993年の次の言葉です。

「哲学者たちが、世界がそもそも存在するものかどうかと議論し争つてゐるその間(かん)、私
たちの周囲では、自然が滅亡し破滅して行つてゐるのだ。」

この解釈は二つあり、

(1)一つは、この哲学者たちの議論が自然を破滅させる論議だといふものと、
(2)二つ目は、そんな悠長な議論をしてゐる暇があつたら、目の前の問題を解決しろといふ程
度にいひたい程に、自然が現に滅んでゐるのだといふ現実を述べてゐる

といふ此の二つの解釈です。

本文の内容は(2)のもので、しかし、自然といふ言葉が精神と認識の範疇にあるといふことか
らして、既に私たち日本人の自然観と普段の生活とは異質です。ですから、Natur(ナトゥーア:
英語ならばネイチャー)が、実は日本語の自然には当たらないと考へる方が正しいのです。とす
れば、何と日本語で呼ぶのか?日本人の古代からの智慧を使つて、出生の不明のものは一まづカ
タカナで表してneutral(ニュートラル:中性)の分類籠に入れて置いて、ネイチャーとかナトゥー
アとかいふのが良いではないでせうか。その間に再度概念化して訳語を考へる。

ここまで書いて見ると、どうも今回の話はNaturは自然ではないといふ話になりさうです。それ
でも、著者の話の順序について行きませう。

上掲の異大陸の自然の写真の横に小さく書かれてゐる著者の説明文は次のやうになつてゐます。

「まだ人間の手の触れてゐない自然は、私たちに、文明の様々な要求から逃げるための避難所を
見かけ上与へるものです。しかし、自然と文化の間の境界線は簡単に引くことができません。私
たち人間もまた自然の部分だからです。」(拙訳)

ここで解ることは、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ40

(1)自然とは、人間の手の入つてゐない生のものであること。
(2)自然とは、文明からの逃避先であること、それも見かけだけで、人間にとつての実質的な
慰めや本質的な自然の理解に至るやうな逃避先ではないこと。しかし、
(3)人間も自然の部分であること。そのために、
(4)自然と人間の間の境界線を引くことは容易ではないこと。

上の(2)に訳した「見かけだけ」といふドイツ語scheinbar(シャインバール)は文字通りに
さうで、見かけと中身(実質)が一致してゐる見かけのことはanscheinend(アンシャイネント)
といつて別にあるのです。シャイン(Schein)は英語のshine(シャイン)で太陽の輝くあのシャ
インです。

さて、この4つのこと、これが自然であると著者の考へてゐることだといふ事が判ります。以下
Naturの訳語として自然を使つて話を進めます。見かけの話ではなく、anscheinend(アンシャ
イネント)に自然の話を話します。

著者は自然といふ言葉は様々な文脈(コンテクスト)で使はれてゐるといつて例を幾つかあげ、
共通した意味を抽出して次のやうにいひます。

「これらの例に共通してゐるのは、自然が、根源性といふイデアに関係してゐることであ
る。」……(A)

「ギリシャ語のphysisは、 自然(Natur) といふ言葉で訳されるわけですが、古代にあつては、


自然とは 単にそのやうに 成るもの全てを広く意味した。」……(B)

「人間もまた、まさに動物、植物や地球(または大地)がさうであるやうに、自然に帰属してゐ
る。」……(C)

「アリストテレスによれば、自然の根底にある原理は、動くこと(運動性)である。運動性なく
んば、変化もなく、それ故に成長もない。」……(D)

さて、ここからが私たち日本人には理解が難しくなるのです。

「人間と自然の関係は、昔から、ある二律背反の感情(ambivalenz)が刻印されてゐる。一方
では、人間は有機的な生物として自然の部分であり、そして他方、人間は、文化と芸術性を生む
唯一の生物である。これによつて、私たちは自然よりも上位に(自然を超えて)私たちを 高く
掲揚する(erheben:エアへーベン) のであり、そして(哲学者にして人類学者であるアーノル
ド・ゲーレンの文化をかくいふ所の)第二の自然を創造するのだ。」
もぐら通信
もぐら通信                          ページ41

ここでよくわからないのは(勿論理屈はわかりますが、心情として、また感覚として理解できな
いことは)、

(1)自然に二つあり、一つは第一の自然であり、二つは第二の自然であるといふこと。
(2)第一の自然は普通に写真の如き景色の自然であり、第二の自然は文化と芸術性が一体とな
つた自然であること。一体となつたと訳したのは、原文が文化と芸術性に中性名詞の定冠詞を冠
してひとまとまりにしてゐるからです。といふことは、
(3)このヨーロッパの人たちは、やはり人間として自然を創造したいと願つてゐる事が判りま
す。どうしても、唯一絶対神が世界を創造し、人間を自分の似姿に創造した事から、ここでも、

①人間はGodになる事ができる
②人間は生物を創造する事ができる

といふ此の二つの無意識の衝動が、自然との関係でも生きてゐる事がわかります。とすれば、私
たちの理解する自然の破壊は人間の文化と藝術活動がなすことになつて、確かに明治以来近代ヨー
ロッパ文明を輸入してきた私たちの先人の大きな悩みの一つは、これが野蛮であり即ち道徳を欠
いてゐるといふ事だからです。[註4]即ち、

[註4]
『近代の超克』(富山房百科文庫)および『世界的立場と日本』(中央公論社)二冊に収められた当時の座談会の
議論をお読みください。それ故に西田幾多郎は自分の確立しようとした哲学書の主著の題名を『善の研究』としな
ければならなかつたのです。西田幾多郎の此の書を読みますと、常に念頭にあつて意識したのはヘーゲルの『歴史
の哲学』通称「歴史哲学」と呼ばれる歴史と人間に関するものの考へ方です。カントーショーペンハウアーーニー
チェの超越論の系譜を西田幾多郎がみれば、絶対矛盾的自己同一がこれらの超越論者の論じる同じ問題である事が
知られた事でせうから、禅とは無関係に、即ち参禅せずとも、言語論理だけで自分の哲学を考へる事が出来たので
はないと思ひます。しかし他方、それだけヘーゲルーマルクスの思想が(これが思想だとして)日本と日本人を否定
するものとして日本人の間に流行したのでせう。

文化は、自然と対立するといふ考へだといふ事であり、文化は第二の自然を創造するといふ事で
す。といふことは、この第二の自然が古代ギリシャ人の理解したやうな自然であるならば、いや
あるにも拘らず、人間の生み出す文化としてある自然は、人工物だと考へてゐることになり、そ
れにも拘らず、いやこれは人工物ではない、自然の物だと、確かにambivalenz(二律背反の感
情)を以つて自然について考へてゐることになります。

この二律背反の感情が私たちには理解する事が出来ません。何故なら、私たちはこのやうな感情
を持つて生活してゐるわけでもなく、何か文化の領域での、それが文学の世界でもいひのですが、
活動をしてゐるわけではないからです。このやうな論を重ねる場合に、文学ならばよく引き合い
に出されるのが、志賀直哉の長編小説『暗夜行路』の最後の、主人公の人生の問題の解決部で、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ42

主人公が伯耆の国(鳥取県)の大山といふ自然の中で解決を見い出す事の次第です。

さて、そして著者が文化の例として挙げるのは、衣装、家、道具であり、これらは社会の中にあ
る、人間の伝統的歴史的な社会の中にあるといふ理由で、これらの名前を挙げてをります。不思
議なことに、衣装の素材がどこから来るのか、何から来るのか、家の素材も何から出きてゐるの
か、道具もまたどこから来るのか何から出来てゐるのかといふ、素材といふ自然についての考へ
を巡らせる事が全く出来てをりません。つまり、物は物だといふわけなのでせう。人間が文化を
つくるための自然は物(ブツ)であると考へてゐることになります。文化のために役立たぬ自然
を、だから、冒頭に引用したやうに「人間の手の触れてゐない自然」「手付かずの自然」と写真
の解説文に書いたわけなのでせう。そして、そのやうな自然はヨーロッパ域内にはなく、植民地
にあるといふわけなのでありませう。だから植民地をつくり、収奪をする。といふ理屈の順序に
なります。

しかし、ここで例によつて例のごとく、これまで4回の文章を読んで来て私たちによく知られた
通りに、著者はまた曖昧な問ひをここで立てるのです。それは、

「どこに境界線を引くかといふ問題は、相当に恣意的なことに見える。自動車を運転することは、
畑で小麦の種を播くことよりも、もつと不自然なことではないだらうか?」

といふ問ひです。

著者の論旨に従へば、自動車の運転も小麦の種播きも文化的な行為であり、文化の創造である。
後者、即ち小麦の種播きは「手付かずの自然」ではない。前者、即ち自動車の運転も「手付かず
の自然」ではない。しかし、著者はこれらも実は文化ではないのかと自問自答してゐるのです。
そして、後者が自然の中での行為ならば、前者もまた自然の中の行為であるといひたいのです。
私たちには、後者は自然の中の行為と解することはできますが、しかし前者の自動車の運転はさ
うではないでありませう。

しかし、ここで著者はドイツ人でありますから、文化物として自動車を持ち出したのは理由のあ
ることなのです。ドイツやヨーロッパの人間たちにとつては自動車は文化なのです。F1の自動車
競技が盛んなやうに、自動車は文化であり、藝術品なのです[註5]。それで、近代文明の最た
るものの一つである自動車を、古代からの畑作の仕事と比較をしてみて解を得ようとしたのでせ
うが、しかし、疑問を投げかけただけで答へに至つてをりません。

[註5]
もしドイツへ行く機会があれば、シュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツを製造して来たダイムラー社の本社
工場の隣に併設されてゐるメルセデス・ベンツ博物館に足を運んでみてください。初代のメルセデスから最新のメ
ルセデスまで回遊式の高層の建物の中に回廊に沿つて全てのメルセデスが陳列されてゐます。極く初期のオープン
もぐら通信
もぐら通信                          ページ43

カー(無蓋)のメルセデスの車体は、まるで白磁でできてゐるかと驚く程に美しい藝術品でした。昭和天皇が乗車
された時代物の箱型の漆黒のメルセデスもまた陳列されてゐます。皇室が贈つたものなのでせう。つまり、自動車
は美しい文化財なのです。日本人の感覚とは異なります。自動車は移動のための馬の代用品(最初はさうでしたが)
ではありません。

さて、最後に著者のいふには、古典的な哲学者は、といふことは古代ギリシャから19世紀の哲
学者までといふ意味が広義の哲学者、そして狭義にはデカルト以来19世紀までの哲学者といふ
意味でありませうが、これらの哲学者が問題にしたのは、人間の自然とは何かといふ問題であつ
たといふ。これが現在の哲学者の問題としては、自然の資源と人間はどのやうに交流するかとい
ふ問題になつてゐるといふのです。ここではや、自然を資源として考へ、即ち素材に自然を見る
ことなくブツとしてみる白人種の弊が自然に現れてゐます。どうしても、言語の外部へと出る事
ができない、即ち異文明、異文化を入れ替へて理解する事ができない今のヨーロッパ人の姿です。
といふことは、相変はらず、ヨーロッパ域内の中でだけものを考へてゐるといふことになります。
それで共産主義とglobalismを言はれて自分の規格と仕様に従へと外部の私たちに言はれるのは
堪らない。はつきりとお断りする以外にはない。

現代企業は、20世紀の終はり辺りから、人間を人的資源と呼んで、人事部門の英語訳を
Human Resources Department(人間資源部)とよんで、恐ろしいことに日本の企業も国内で
すらさうですから、人間もブツとしての素材だと、このやうな考への延長に考へてゐることにな
ります。果たしてこれで良いものか。

最後に、いよいよ環境保護運動といふ(私の呼ぶ)偽善の運動を持ち出して、ハンス・ヨナスの
1979年の「惑星(引用者註:地球のことです)を維持し守るための技術的な進歩が更に前進
して至つた多くの結果に対する」「責任の原則」(または「責任の原理」)の言葉として著者が
次の言葉を引用します。

「人間は、自然を人間に従属させ(または屈服させ、隷属させ)る事ができるのである以上、た
だそれだけの理由で、それ故に、人間はさうしていいのではないだらうか?/さうすべきなのだ
らうか?」

これが、1979年のドイツ人の、ハイデッガーに学んだ哲学者の言葉であり、今も尚この言葉
を引用する著者であつてみれば、当時から、実は、ヨーロッパの人間たちの自然と人間との関係
に関する意識は環境が幾ら変はつても、政治的な環境即ち世界の政治情勢が幾ら変はつても、一
向に変はらぬ程に頑固であり頑迷であるといふ事になります。

さて、ここまで来ますと、上記のカール・ポッパーの1993年の大書された次の言葉、即ち、
もぐら通信
もぐら通信                          44
ページ

「哲学者たちが、世界がそもそも存在するものかどうかと議論し争つてゐるその間(かん)、私
たちの周囲では、自然が滅亡し破滅して行つてゐるのだ。」

この解釈は二つあり、

(1)一つは、この哲学者たちの議論が自然を破滅させる論議だといふものと、
(2)二つ目は、そんな悠長な議論をしてゐる暇があつたら、目の前の問題を解決しろといふ程
度にいひたい程に、自然が現に滅んでゐるのだといふ現実を述べてゐる

と書きましたが、ここに至つて前言を翻へし、ポッパーの含意は(1)と(2)と両方だと訂正
します。変はらないのは、このものの考へ方では、自然が危殆に瀕してゐるといふ事です。

この題目の副題は「何故私たちは地球を守ら(保護し)なければならないのか?」といふものな
のですが、この副題の保護にあたるドイツ語は、その通りの保護といふ意味ですが、しかしハン
ス・ヨナスの「惑星を守るための技術的な進歩が更に前進して至つた多くの結果に対する」「責
任の原則」の「守る」と訳したドイツ語はErhalt(エアハルト)といふ守るであつて、手元の独
和辞典をひけば、これはまた受領すること、領収する事、得ること、手に入れることといふ意味
が重なつてゐて、いつも得ることとその対価を支払ふといふ事と暗黙の対になつてゐます。私た
ちならば、惑星である地球(自然)を受領して対価を支払ふなどとは露思はぬことでせう。

最後に、読みながらメモしたことを追記して終はりにします。

実は著者は、人間は自然の一部であるといふ際には、ein Teil(一部分)と書かない。英語なら
ばaとかanといふ不定冠詞にあたるドイツ語のein(アイン)を部分の前につけないのです。不定
冠詞抜きでいつも部分といふ言葉(Teil:タイル)であるTeil(タイル:部分)とだけ無冠詞で
曖昧に書いてゐるのは、本当は人間は自然の一部とは思つてゐないといふことである。何故、自
分が自然の一部であると書くことに抵抗がこんなにあるのだらうか?

この物事の境界を意図的に曖昧にしたまま放置して、疑問を自分で解くことなく(その意志はな
いように見える)、一見知的な衣装を被り着て見せて、まあ、一種の誤魔化しをするのは、前回
の中世スコラ哲学の「一と多数」といふ三基準同時不定立の論理による唯一絶対神存在証明と同
じ理屈、即ちマルクス主義の通俗化、即ち姿を変へてマルクス主義といふ文字を隠したglobalism
です。[註6]これが今ヨーロッパを日常的に覆つてゐるのでせう。

[註6]
『哲学の問題101(3):何が在るのか?』(もぐら通信第86号)より引用しまします:

「この著者がこの章の最後に述べてゐることは、ハイデッガーがナチスに協力的であつたといふことであり、上記
の羊飼の格言の趣旨とは正反対に、次の言葉で章を締めくくつてゐます。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 45

「全てを存在に従属させるものは、その視界から存在してゐるものを、これによつて具体的な人間を、簡単に見失
ふ。」

しかし、ここでいふ「全てを存在に従属させる」とある言葉の中の存在は、das Sein(ダス・ザイン)であり、こ
の一行だけでは、この著者が果たして此の存在が、私といふ人間の現存在に対する私の存在であるのか、それとも
私といふ人間の現存在に対する人間一般の(何故ならば私はたくさん居りますから)の存在であるのかの区別がつ
かないといふ上述の問題にまた、ここで直面することになります。

これは、ドイツ語の文法の限界であり(この限界を突破するには新しい文脈(context:コンテクスト)を創造すれ
ばよい。これが哲学であり文学の筈です)、同時にキリスト教といふ唯一絶対神に絶対的に支配されて来たヨーロッ
パ人の論理のあり方としては、中世スコラ哲学のGodといふ唯一絶対神の存在証明の三つの論理基準の一つ、即ち
「一か多数か」といふ基準が隠れてゐると私には見えるのです。ちなみに、中世のスコラ哲学はGodの実在を三つ
の思考論理基準[註A](あるいは公準といふべきかも知れませんが、これら)によつて証明しようとしました。
但し、この証明の限界は最初からあつて、中世の神学者たちが採用して唯一絶対神存在の証明の根拠は、これらの
基準三つは同時には成立しないといふ三基準同時不定立といふ否定的な矛盾発生論理による、それ故にGodは存在
する、何故ならばこの論理的事実は人間の人智を超えてゐるからといふ人間の能力に否定的な唯一絶対神存在証明
であるからです。

この否定的にGodといふ絶対的な存在を証明するといふ此の論理が、このままヘーゲルの(時間の中にある)否定
的な三つの因子を相互否定関係に置く、正反合の弁証法に、三つの基準同時不定立の理屈として、瓜二つであるの
です。それ故に、この 何が在るのか? といふ存在論の方面から考へても、即ちカントーショーペンハウアーー
ニーチェーハイデッガーといふ超越論の系譜から考へても、ヘーゲルの考へは幾ら意匠と衣装を新しいものに見せ
たとしても、依然として中世のスコラ哲学のままであり、唯一絶対神を奉じるキリスト教の教義と何ら変はること
なく、従ひ、マルクス主義を奉じる共産党といふ一党独裁中央集権絶対命令型の組織がそこから生まれても不思議
はないのです。歴史といふ時間の中での否定形による足し算(二進数ならば否定論理和:non-disjunction)を幾ら
繰り返しても、それこそ永遠に答へには至ることはありません。無目的な虚無主義に陥ることになります。だから、
絶対的な精神などといひたくなり、これを絶対精神の自然の姿だなどと言ひたくなるのです。上掲最初の晒し首の
写真をご覧なさい。絶対精神の自然の姿が、これです。

[註A]
スコラ哲学の唯一絶対神存在証明三基準について、八木雄二著『神を哲学した中世ーヨーロッパ精神の源流ー』よ
り以下の箇所を引用します。良書です。

「中世の議論をより深く理解してもらうために、もう少しギリシャ哲学の本質について述べておきたい。(略)こ
うした哲学用語を学ぶことは、いわば子供が自転車に乗る練習をするときに補助輪をつけるようなもので、それに
頼っていると、むしろいつまでたっても自転車に乗れるようにならない。補助輪を捨てて、自転車の両輪だけで乗
る練習をする必要がある。
 では、哲学において、その両輪に当たるものは何かと言えば、それは「より大とより小」、「全体と部分」、「一
と多」という三つの対である。この三対を使いこなすことができるようになれば、哲学はむずかしくない。(略)
じつのところ普遍論争は「全体と部分」及び「一と多」の論であり、後に説明するアンセルム巣の神の存在証明に
は、「良い大とより小」の論理が使われている。また神と被造物の関係は、「一と多」の関係なのである。むずか
しい言い方をすれば、たしかにこれらの対は「超越論」的に用いられる。超越論的に用いられて、じつは形而上学
を可能にする。(略)基本をみて見よう。そのためには、三つの対同士をぶつける。(略)
なんだか三すくみのようで頭が混乱するかもしれないが、ようするに三つの対はうまく整合しない。「多」は「一」
と比べて「より大」であるにもかかわらず、「多」は「部分」と一致するのだから「全体」たる「一」と比べて
もぐら通信
もぐら通信                          ページ46

「より小」でもある。
 ここに紹介した三つの対は、プラトンが『パルメニデス』で示した哲学分析の道具である。哲学するためにはこ
の道具を使いこなす必要がある。」(同書「ギリシャ哲学という道具」より)」

やはり、キリスト教といふ一神教の弊を思はずにはゐられない。即ち、

自然、God、人間の関係を、(A、B)としてAを支配者、 Bを被支配者とすると、

(1)(God、人間)
(2)(自然、人間)
(3)(人間、自然)

という関係で二重に考へてゐて、1900年に没したニーチェのツァラトゥストゥラがGodは死
んだといふ一行を隠喩(メタファ)ではなく事実として市中を触れ廻つたにも拘らず、さてその
あとにGodといふ唯一絶対神の空位を埋める何かが見つからずにゐて、これを自然にしようか、
それとも教義(ドグマ、イデオロギー)といふ論理にしようか(例:マルクス主義、金融資本
globalism)、それとも人間にしようかと迷つてゐるのが今のドイツ人の著者の、といふことは
ヨーロッパの現状であるといふことなのでせう。

唯一絶対のGodを離れて生きようとすると、まづ無宗教になり、次に虚無主義(ニヒリズム)に
堕ちる。かうして考へて来ますと、20世紀後半より世界的に、いやハンス・ヨナスにならへば
地球といふ惑星の環境保護は、典型的なニヒリズム(虚無主義)であることになります。

何故ならば、ハンス・ヨナスのいふ「人間は、自然を人間に従属させ(または屈服させ、隷属さ
せ)る事ができるのである以上、ただそれだけの理由で、それ故に、人間はさうしていいのでは
ないだらうか?/さうすべきなのだらうか?」などといふ問ひの中の最初の言葉「人間は自然に
従属(または屈服し、隷属)する事ができる」といふ言葉が、ヨーロッパの人間の、自然に対す
る高慢と屈辱の感情を表してゐるからです。

何故、こんなに自然を、いやNatur(英語ならばネイチャー)を憎むのでせうか?自然を普段の
生活、即ち自分たちの文化の中に受け入れることに何故憎悪と屈辱の感情を持つのでせうか?何
故こんなに自然を征服し屈服させたいと心の底では思つてゐるのでせうか?

このことはつまり、自然を創造したGodの存在を憎んでゐるといふことです。何故憎むのかとい
ふことを思つて見ると、考へてみれば、キリスト教はユダヤ人の宗教であつて(イエス・キリス
トはユダヤ人である)、ヨーロッパ白人種の宗教ではないからです。つまり、異民族の宗教を強
制されて改宗させられたといふ感情が、そのまま今だに唯一絶対のGodに対する憎悪の原因にな
つてゐるのではないでせうか。即ち、キリスト教とは深層心理に於いてはキリスト教を信じては
ゐないといふことです。藝術の恐ろしさは、それであつても、藝術の世界はまた別してゐるとい
もぐら通信                         
もぐら通信 47
ページ

ふところにあることなのですが。

さて、といふことは、やはり、上述の通りに、唯一絶対神の代わりに、Naturを置いただけで、
一神教のtopologyから抜け出す事ができないからでありませう。

自然を、支配・非支配の関係を抜きにして、受け入れることに憎悪と屈辱の感情を持つ人間に、
自然の保護などといふ事ができるものでせうか?即ち、私たち日本人が自然環境保護は大切だと
いふ日本語でいふ言葉の意味と、欧米白人種キリスト教圏の人間のいふ自然環境保護は全く異質
であるといふこと、自然観、世界観、宇宙観が全く異なるといふことなのです。

私たちにとつて自然は同じ平面にあるのに、欧米白人種キリスト教徒にとつては、

(1)(God、人間)
(2)(自然、人間)
(3)(人間、自然)

とあるやうに、(1)でなければ、(2)か(3)の場合であり、(3)であれば人間が自然を
人間に従属させ隷属させる、(2)であれば、自分たち以外の有色人種に対して冒頭名付けた排
除律を適用して同じ一神教のtopologyを強制する。逆らへば非難をし、内政干渉を違法であり無
礼であるとは思はずに、ことさらに人権をいひ環境保護権をいふ(我を失つて)偽善に堕ちると
いふ見易い図式になります。この図式を環境保護運動のnetwork topologyとして図示しましたの、
ご覧ください。見やすい道理です。

「環境保護運動のtopologyなど」図のダウンロードのURLは:
https://ja.scribd.com/document/386524831/環境保護運動のtopologyなと

次に掲げた「環境保護運動のtopologyなど」図の横に註記したGodとLordといふ名前と概念の
関係、即ち時間の中にゐるLordをGodと呼び、時間の外にゐるLordを時間の中でGodと呼ぶ此
の旧約聖書(とキリスト教の呼ぶ)ユダヤ教の聖典に現れる唯一絶対神[註7]の、言語機能論
の観点でみると、この二重性・二層性のあり方をキリスト教の僧侶も神学者も此のやうに考へる
ことができなかったのです。この二つの、時間との関係で存在する唯一絶対神の二つ名前で呼ば
れるものを、存在概念を集中的に論じたハイデッガーを含み其れ以降のヨーロッパの超越論者は
みなすべて、これを存在と呼んだのだ。これが、私の、仮説です。これがヨーロッパの超越論の
存在と存在論に関する理解であり見解です。従ひ、ヨーロッパ人の超越論は、言語論になり、別
名言語哲学の論といはれることに其の後なるのです。例へば、ソシュール、例へば、ヴィトゲン
シュタインです。これ以降の言語哲学論者は、自称他称みな同類です。どうか、私の仮説を批評
し、全体であれ部分であれ、大いに反論してもらひたい。即ち、

[(Lord、God)、(存在、現存在)、(時間、空間)]を考へることが、ヨーロッパの超越
論者の頭痛の種、即ち、これらの概念の関係を体系的に説明することができない、即ち、体系
もぐら通信                         

もぐら通信 48
ページ
的に説明できる文明論的な水準の視点を、また文明論的な視点であれば其の文明圏にとつては不
動な観点といつても良いでせうが、この観点を持つに至つてゐないといふことなのです。この著
者の通俗的な哲学的解説書の文章の水準がこのことを物語つてゐます。即ち、LordとGodの上位
接続者を存在(das Sein:ダス・ザイン)と呼びますか?呼びませんか?といふ問題なのです。

[註7]
『安部公房とチョムスキー(6)』(もぐら通信第78号)の「4.1 チョムスキーの疑問に回答する:日本語の
持つ冗長性とは何か」をご覧ください。詳述しました

https://ja.scribd.com/document/386524831/環境保護運動のtopologyなと

自らの宗教と歴史と伝統の成して来た事実を反省をすることなく、一神教topooogyで、
ただ唯一絶対神を自然に代置しただけの安易安直な論理を他の大陸のまた島々の人間に
押し付けること、また自分たちの論理にかなつてゐないといつて非難することは、それ
故に、私は偽善であるといつてゐるのです。その偽善が通用したのは20世紀といふ換喩
の世紀の話。一神教のtopologyは換喩の世界です。即ち、隣人同士はただ物理的に隣接し
てゐるだけで理解し合ふことができない。相互に隣人同士の理解が成り立つためにはい
つも中央にゐる絶対命令者を解さねば意思疎通(コミュニケーション)が成り立たない
といふtopologyだからです。換喩は隣接するだけで意味の交はりのない譬喩(ひゆ)です。
[註8]
もぐら通信
もぐら通信                          ページ49

[註8]
換喩とは何かを『リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(29)第2部 III』(もぐら通信第85号)から
引用します:

「修辞学の視点で20世紀を眺めますと、20世紀は政治の世界のマルクス主義もさう、民主主義も資本主義も、
商業のマスマーケティングによる広告も宣伝もさう、文学の世界の村上春樹の小説もさう、これらはみな換喩であ
り、前世紀は換喩の時代でした。21世紀は、これから隠喩の時代になるでせう。まあ、シュールレアリスムが日
常になつてしまつた世界といふことになります。安部公房の読者には日常的に過ぎるかもしれませんが。

[註1]
宣伝広告での換喩の典型例は、化粧品の広告です。美しい若い女性と並べて化粧品を置くと、これを見た消費者は、
本当はそんな関係など全く無いのに、この化粧品をつかふと其の女性と同じやうに美しくなる効果があるのだと錯
覚すること、これが換喩です。」

換喩といふのは単なる並列であり、隣接であつて、二つのものが実際に交流して何か新しい価値を生み出すとい
ふ事はないのです。言語の意味の問題としては、次の通りの関係です。『言語とは何か』(もぐら通信第39号)
より引用します。

AとDの関係が換喩、AとBの関係が隠喩です。銭形平次と本名をいはずに、八丁堀といつたり、新潮社と呼ばず
に矢来町、文藝春秋社と呼ばずに紀尾井町、国会議事堂の中の政治とはいはずに永田町、行政府を霞が関といふ
のが、これみな換喩。これに対して、君は薔薇だ、あいつは麒麟だといふのが隠喩です。三島由紀夫は隠喩の作
家。安部公房はこのいづれでもない直喩の作家。この図でいふと、BとEといふ無関係なものを上位接続して一つ
にまとめる、即ち存在を創造するのが安部公房。ですから、三島由紀夫のいふコミュニスト(換喩)であつて且
つシュールレアリスト(隠喩)といふ評言は当たつてゐるのです。
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ 50
しかし今猖獗を極めて悪事をなしてゐるpolitical correctnessや人権などといふのは、相変はらず、一神教の
topologyを世界中で主張して20世紀を失ひたくない換喩人間たちの悲鳴のやうに(これは直喩)聞こえます。ま
あ、リルケの詩を熟読玩味して、もう少し文化とは何かといふことについて考へてもらひたいものです。」

マルクス主義に基づく共産主義は、このtopologyで自国民を支配しようとしたので、人間の間に
スパイと密告者を満遍なく置いたのです。さうすれば、隣人同士はただ並んでゐるだけで常に中
央演算装置である共産党を通さねばならないからです。私の東ドイツといふ共産主義国家(これ
を国家といふことも怪しい、何故なら国民の安寧も福祉もないわけですから)での体験によれば、
密告者には金が支払はれたと推測してゐます。絶対命令下の密告社会の恐怖には、人間は消極的
に耐えるだけですが、金といふ対価がもらへるのでれば積極的に(恐怖心と猜疑心のある分だけ
一層)密告するだらうからです。恐ろしいファシズムの、全体主義の、ジョージ・オーウェルの
『1984』の恐怖政治の社会です。しかし今の日本の現状を見ますと、以つて他山の石、人の
ふり見て我がふり直せ、です。それにしても、猿と人間と、どつちがどつちの祖先なのでせうか?
ダーウィンの進化論は間違つてゐるのではないか?人間こそが猿の祖先なのではあるまいか。

かうなつて来ますと、次回の題目は戦争を選んで論じてみませう。何故なら20世紀は一神教の
topology同士の、いづれが上位者になりいづれが下位者になつて絶対的な上位者の位置を占め
るかといふ地球規模での争いの極であつた世紀だつたからです。ちなみにこの主題は、この本で
は社会と政治に分類されてゐます。私たちならば、この150年の明治維新以来の歴史から言つ
て、政治と文明といふやうな分類になるのではないでせうか。この著者はドイツ国内か、せいぜ
いヨーロッパのことしか考へてゐないといふことになります。それとも、愚かなことに、社会は
世界共通、人類共通だとでも思つてゐるのでありませう。しかし、ここでも、私たち日本人は、
今の国情・世情を見ると、欧米白人種キリスト教徒のつくつた近代先進国家を笑ふことはできま
せん。以つて他山の石。猿のふり見て我がふり直せ、です。

ここでいふ著者の範疇の社会はドイツ語でGesellschaft(ゲゼルシャフト)といふ、まあ、分か
りやすく一刀両断すれば、語源から言つても、一宿一飯の義理の社会と日本人ならいふところ、
即ち取り澄ました翻訳語でいへば、契約社会といふ意味です。もう一つの社会はGemeinschaft
(ゲマインシャフト)といふ社会がありますが、これは、まあ、地縁と血縁の社会といふ、つま
り前者は都会のご縁、後者は土地のご縁の田舎の社会といふそれぞれの社会といふことになりま
す。

かうしてみますと、私たち日本人は相も変はらず、義理・人情・浪花節に生きてゐると私には見
えるが、あなたは如何。

安部公房の読者にとつては、義理は法律・規則・契約・約束、人情は時間の中を生きてゐること、
即ち現存在としてある人間の感情。浪花節とは、義理を守れば人情が廃る、人情を守れば義理が
廃るといふ、この時間の中の現存在として在る人間が生きることの矛盾(西田幾多郎ならば絶対
矛盾的自己というでせうが、この矛盾)に遂に窮して世界の果てであなたといふS・カルマ氏が
最後に壁になつて一滴の透明な存在の涙を滴らせる存在になること、です。安部公房の世界では、
もぐら通信                         
もぐら通信 ページ51
ここに存在論的浪花節といふ、存在論の、安易な直情抜きの詩が生まれる。あなたは、この詩に
惹かれてゐる安部公房の読者といふわけです。もちろんこの場合(この時、ではなく)、「いつ
の間にか」(超越論的時間)「どこからともなく」(超越論的空間)、《明日の新聞》があなた
の傍に配達されてゐる。まあ、この場合、存在となつた現存在の其の透明なる涙とともに、溶骨
症の少女といふ未分化の実存、即ちあなたの案内人が、あなたの腕(かひな)の中にゐれば、人
生は最高、といふことになりますが、如何?
もぐら通信
もぐら通信                          52
ページ

リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(31)
   第2部 V
       ∼安部公房をより深く理解するために∼ 岩田英哉

BLUMENMUSKEL, der der Anemone



Wiesenmorgen nach und nach erschließt,

bis in ihren Schooß das polyphone

Licht der lauten Himmel sich ergießt,

in den stillen Blütenstern gespannter



Muskel des unendlichen Empfangs,

manchmal so von Fülle übermannter,

daß der Ruhewink des Untergangs

kaum vermag die weitzurückgeschnellten



Blätterränder dir zurückzugeben:

du, Entschluß und Kraft von wieviel Welten!

Wir, Gewaltsamen, wir währen länger.



Aber wann, in welchem aller Leben,

sind wir endlich offen und Empfänger?

【散文訳】

花の筋繊維、それは、アネモネの草原の朝を次第に開く
その子宮の中へと、響く天の多声音楽的な光がみづからを注ぎ込むまで

すなわち、果てしない受容の、張りつめた筋繊維の、静かな花芯の星の中へと入るまで。
花の筋繊維は、時には、充溢で一杯になり、もっと圧倒され、打ち負かされて、
下へ向かえという没落の合図、静かな合図(あるいは、静かにせよという合図)が、

遠くまで行ってそこから撥(は)ね返される葉という葉の縁(へり)をお前に返すことが
ほとんどできないほどだ、お前、どれほどたくさんの世界の決心と力であるものよ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ53

わたしたち、暴力的で無法なものたちは、(アネモネの花よりも)より長く存続するだろ
う。
しかし、いつ、すべての生活のどの生活において、わたしたちは、ついに、開いており、
且つ受け容れるものであるか?

【解釈と鑑賞】

冒頭に出てくる、Blumenmuskel、ブルーメン・ムスケルという言葉は、ドイツ語をその
まま直訳すると、花の筋肉というのである。しかし、この無粋な訳語はないであろう。試
しに、Googleの画像検索でこの言葉を検索すると、ヒットした数はたった47件、文字の
検索で727件。いづれも、やはり、リルケのこの詩が検索されて、この言葉そのものが、
リルケのこのソネットの言葉で、一般的な言葉ではないし、専門の言葉でもないのだとい
うことがわかる。画像としてみようとしても、やはり花の画像としては出てこない。ただ、
それを思わせるデザインの、放射状の梁の走った何かの天井の写真をみることができた。

しかし、他に言いようもないのだと思う。この言葉は、花びらの根元にある肉厚の、内側
と外側の部分で、そこに走っている、花びらの開閉を支え、維持する筋(きん)繊維部分
を言っているのだ。それは、詩からも明らかだと思う。花の筋肉ということばは、いささ
か抵抗があったので、花の筋繊維という訳語をあてました。

一寸話しが横道に入りますが、Google検索をすると、リルケのこのオルフェウスへのソネッ
トからいくつかのソネットを歌曲にしたてた作曲家がいて、ちなみに、それは、次のよう
なことになっています。無料体験でこれらの曲を聴くことができました(http://
ml.naxos.jp/album/BCD9178)

リーバーソン:リルケ歌曲集/6つの王国/ホルン協奏曲(リーバーソン/ピーター・ゼル
キン/パーヴィス)

作曲されているソネットは、次のソネットです。既にこれまで読んだソネットもあります
し、これから読むソネットもあります。

No. 1. O ihr Zartlichen(第1部ソネットIV:おお、柔らかき者たちよ)


No. 2. Atmen, du unsichtbares Gedicht(第2部ソネットI:呼吸せよ、お前、眼に見えぬ
詩よ)
No.3. Wolle die Wandlung(第2部ソネットXII:変身を求めよ)
No. 4. Blumenmuskel, der der Anemone(第2部ソネットV:花の筋繊維、それがアネモ
ネの)
No.5. Stiller Freund(第2部ソネットXXIX:静かなる友よ)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ54

さて、性愛を歌うリルケの常で、アネモネという花を歌っている第1連、第2連、第3連は、
すべて、冒頭の花の筋繊維という名詞にかかっているだけで構成されています。なんとい
う構成でしょう。

「下へ向かえという没落の合図、静かな合図(あるいは、静かにせよという合図)」と註釈
的に訳したところは、花びらが反り返って下に行くという意味と、没落するという意味が
掛け合わされているのではないかと思い、そう訳しました。何か、そのような女性の姿態
を想像せしむるものがあります。静かにせよという合図というのも、エロティックに響き
ます。

このアネモネは、ドイツ名では、Windröschen(ヴィントレエッシェン)、直訳すれば、
風薔薇、風の小さい可愛らしい薔薇という名前で、リルケは薔薇に似た形状の花を愛した
のでしょう。

それは、花びらが幾重にも深く重なっているからで、その筋繊維を「どれほどたくさんの世
界の決心と力であるもの」と呼んでいます。花びらの一枚一枚が、それから花びらと花びら
の構成する空間が、それぞれひとつの世界だといっているのです。それらの決意と力であ
るものが、Blumenmuskel、ブルーメン・ムスケル、花の筋繊維なのです。

最後の連は、いうまでもなく、アネモネと人間を対比させて、わたしたち人間が、アネモ
ネの花ほど、開いていて、受容するものであるかと問うています。リルケにとって、開いて
いるとは、前のソネットで書いたように、外側を知っているということ、永遠に向かって、
普通名詞としての神に向かって、開かれているということです。しかし、ここでは、このよ
うに註解しないことの方が正しいことだと思います。この詩のエロティックなものを生か
すために。

そうしてみると、最後の、「わたしたち、暴力的で無法なものたち」というのは、男たちの
ことをいっているのではないでしょうか。

リルケは、そう意識したのではないでしょうか。それゆえ、次のソネットは、薔薇が歌わ
れており、それを君臨する女性、女王として歌い始めます。恰も男性と均衡を保たせむか
の如くに。

【安部公房の読者のためのコメント】

【解釈と鑑賞】に私の意は尽きてゐますので、薔薇の話に話を限ります。

リルケは薔薇が好きでした。好きといふよりも、欧米語の文脈でいへば愛してゐました。
もぐら通信
もぐら通信                          55
ページ

リルケの墓はスイスにあります。

リルケが生前墓碑銘に指定した薔薇の詩が、これです。拙訳です。

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,



Niemandes Schlaf zu sein unter

soviel Lidern.

薔薇よ、ああ、純粋な矛盾、
かくも数多くのまぶたの下で
誰のものでもない眠りであるという喜びよ

リルケの際立つた特徴は、今回の詩がさうであるやうに、女性を歌ふ場合には、名詞だけ
になつて、動詞といふ時間の入る言葉を使用しないことです。リルケにとつて女性といふ
性は時間の外にあるのです。この墓碑銘も例外ではありません。

私たちは第一部VIIの詩を既に読みましたが、ここでの知見を再掲します。リルケが女性と
花と性愛を歌ふ場合のリルケの姿です。花びらが開くといふところに、リルケの性愛に満
ちたエロティックな連想があります。

「【解釈と鑑賞】

性愛を歌うリルケの詩文の特徴がそうであるように、このソネットでも歌われているのは、
冒頭の「花々」と、第2連に出てくる、花々の言い換えである「再び高められて入るものたち」
のふたつです。

あとの言葉は、それぞれの名詞に掛かる従属節、従属句で、恰も花弁が重層的に包み包ま
れてあるように、次から次への従属節、従属句は、そのふたつの言葉を中心にして掛かっ
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もぐら通信                          56
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ているのです。こうして、恰もひとつの花を言葉によって構成しているかのようです。

最初の一行、「花々、お前たち、結局は秩序立てる手の親類であるものよ」を読んで、何故
か、リルケは一生を一日で考えたひとだという思いが浮かんだ。人生を一日で考えるとは、
一生を一日のこととしてという意味でもあれば、一日の時間の中で人生を知った、その本
質を理解したひとという意味でもあるだろう。後者だという思いがする。それは、リルケ
に固有の、個人的な経験のせいではないかと思う。特に、若さと青春に関する経験の。そ
れは、リルケにとっては、いつも喪われたものだ。そのように思います。その思いが、5
0を過ぎてもなお、このようなソネットを書かせるのだ。

第3連で、娘たちの暖かさが歌われている。娘たちは暖かさを放出する。このリルケの考え
は、第1部XV第1連でも歌われているし、第2部XVIII第2連でも歌われている。

興味深いことは、この娘たちの暖かさが、懺悔や告解をするように、娘たちが与えている
と歌っていることです。それは、懺悔としては、わたしは摘み取られてしまいましたとい
う罪を告白することでしょう。この「摘み採られてある」という罪は、ひとを疲れさせる罪
だといっている。

第2部ソネットVの第4連で、アネモネの花を歌っている中で、

いつ、すべての生活のどの生活において、わたしたちは、ついに、開いており、且つ受け
容れるものであるか?

と歌われているように、花は結局は開くもの、受け容れるものだということに、この罪は
関係しているでしょう。そうであれば、花であるということそのものが、最初からそのよ
うなものであれば、罪のあるものだということになります。しかし、その罪は、娘たちが
再び花々を「結びつける」ことがあれば、それによって、浄化されると歌っているのだと思
います。この「結びつける」という動詞は、接続法II式、英語の文法でいう非現実話法になっ
ています。つまり、現実にはあり得ないことを、あり得ないこととして歌っている。しか
し、それは歌われている以上、現実であり得るという、言葉を超えた言葉の不思議よ。

このソネットもそうですが、ここ少し連続している花についてのソネットでは、明らかに
花は女性のことなのですが、男性という性が表には出てきません。このソネットでも、女
性である花を、娘たちが救済するソネットになっています。」
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連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部

(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(2)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
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もぐら通信 ページ58
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
    真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
    て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
    ①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
    ②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
    ③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
    ④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
    ⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
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もぐら通信 59
ページ
(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少
年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(68)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(69)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(70)Topologyで神道を読む(1):祓詞と祝詞と結界のtopology
(71)Topologyで神道を読む(2):結び・畳み・包みのtopology

[シャーマン安部公房の神道講座:topologyで読み解く日本人の世界観]
(71)超越論と神道(1):言語と言霊
(72)超越論と神道(2):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(73)超越論と神道(3):topologyと産霊(むすひ)または結び
(74)超越論と神道(4):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(75)超越論と神道(5):呪文と祓ひ・鎮魂
(76)超越論と神道(6):存在(ザイン)と御成り
(77)超越論と神道(7):案内人と審神者(さには)
(78)超越論と神道(8):時間の断層と分け御霊(わけみたま)
(79)超越論と神道(9):中臣神道の祓詞(はらひことば)をtopologyで読み解く:
              古神道の世界観

(80)三島由紀夫の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(81)安部公房の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(82)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(83)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(84)安部公房とチョムスキー
(85)三島由紀夫のドイツ文学講座
(86)安部公房のドイツ文学講座
(87)三島由紀夫のドイツ哲学講座
(88)安部公房のドイツ哲学講座
(89)火星人特派員日本見聞録
(90)超越論(汎神論的存在論)で縄文時代を読み解く
もぐら通信                         

もぐら通信 編集後記 ページ 60


●安部ねりさんの訃報に接し、ご本人から体調よからずとは折々に聞いてをりました
が、しかし急なご逝去でした。今までのもぐら通信へのご配慮に感謝申し上げます。
その成果は安部公房の未発表原稿の掲載、写真の掲載、また箱根の山荘への探訪など
思い出数多(あまた)あり。お父上安部公房の、それも写真の記事と一緒に掲載ので
きることが、慰めとなりますやうに。
●オート・フォーカス・カメラ時代 安部公房が新型4機種を診断:全集に収録済みの
文章ですが、掲載誌の日本版PlayBoyに写真がありましたので、掲載しました。暗闇
の中の安部公房はなかなかに渋いものがあります。
●荒巻義雄詩集『骸骨半島』を読む(5):エリオット氏に捧げる詩:荒巻さんの詩
を論じました。この後も継続して論じて参ります。安部公房と9歳違ひとはいへ、安
部公房と同じ時代を共有してゐます。後年詩人のまま作家になつたのも同じ。共通点
が多々ありました。
●三島由紀夫『月澹荘奇譚』論:久しぶりの三島論ですが、田中美代子さんの見立て
はまちがつてゐないと思ひます。恐るべし。
●安部公房とチョムスキー(10):9. ネットワーク・トポロジーの変遷で近代ヨー
ロッパ文明の300年間を読む:休載御免。
●哲学の問題101(4):自然:かうやつて素人向けとはいへ哲学解説書を読むと、
今のヨーロッパの問題がよくわかります。やれやれ、もつと早くに知つてゐれば、日
本の国も軽佻浮薄に流れずに済んだものを。反省は猿でもする。とすれば、人間が人
間であるためには何をなすべきか?
●リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(31):アネモネを歌ふリルケ。
花を歌ふ時のリルケはエロティックです。ご賞翫ください。

次号の原稿締切は超越論的にありません。いつでも
差出人: ご寄稿をお待ちしています。
贋安部公房
〒 1 8 2 -0 0 次号の予告
03東京都
調布
市若葉町「 1。私の本棚:建築学会論文:安部公房の作品にみる視線と空間のイメージ
閉ざされた
無 2。火星人特派員報告
限」
3。哲学の問題101(5):戦争:私たちは如何にして平和を生み出すもの
か?
4。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(32)
5。Mole Hole Letter(12):超越論(6):安部公房の女性の読者のため
の超越論
もぐら通信
もぐら通信                          61
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくた その共有を喜びとするものです。
めに、 安部公房縁りの方、有識者の方など 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、
に僭越ながら 本誌をお届けしました。ご高 もぐら通信の編集及び発行を行うものです。
覧いただけるとありがたく存じます。(順
不同)  【もぐら通信第86号訂正箇所】

安部ねり様、近藤一弥様、池田龍雄様、ド P21:第二段落最後の行
ナルド・キーン様、中田耕治様、宮西忠正 訂正前:まいりません
様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 訂正後:まゐりません
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓
一郎様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行 P26:[註14]の第二行
訂正前:12ポイントの文字の大きさ
様、内藤由直様、番場寛様、田中裕之様、
訂正後:10ポイントの文字の大きさ
中野和典様、坂堅太様、ヤマザキマリ様、
小島秀夫様、頭木弘樹様、 高旗浩志様、島
P27:「3。安部公房文学史上の此の作品の
田雅彦様、円城塔様、藤沢美由紀様(毎日
位置」本文3∼4行目
新聞社)、赤田康和様(朝日新聞社)、富
訂正前:1974年の戯曲『緑色のストッキン
田武子様(岩波書店)、待田晋哉様(読売 グ』に至るまでを貫いてゐる
新聞社) 訂正後:1974年の戯曲『緑色のストッキン
グ』を通り、1984年の『方舟さくら丸』に
【もぐら通信の収蔵機関】 至るまでを貫いてゐるし、それどころかもし鏡
に焦点を当てるのならば最後の作品『カンガ
 国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ ルー・ノート』の最終第7章の「垂れ目の少女
ア図書館、「何處にも無い圖書館」 B」の持つ手鏡にまで及びます。

【もぐら通信の編集方針】 P26:「3。安部公房文学史上の此の作品の
位置」第二段落最後の二行
1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集 訂正前:特殊の中に普遍が存在しない

と交歓の場を提供し、その手助けや下働き 訂正後:特殊の中に普遍が存在しない

をすることを通して、そこに喜びを見出す
P51:題字の番号
ものです。
訂正前:(29)
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
訂正後:(30)
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
訂正の場合には、Googleドライブには訂正後
とするものです。 の最新版を差し替へて置いてあります。
安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

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