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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊 もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2024年5月1日 第181号(初版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
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迷路 あ
ただ を通
けの って
番地
に届
きま

eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(65):帰去来辞 : 陶淵明…page10
3 コーボー・ベーシックスkobobasics(26):伝統(4)……page18
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(14):風景に穴が……page 24
5 「S・カルマ氏の犯罪」執筆時の石川淳宛安部公房書簡「書けば書くほど重い、たまらなく
重い壁」……page 32
6 日本一極国家論(続 )(19):古代帝國論 IIIおよびIV……page 34
6 散文思索塾(14):円錐形の内部と外部(3) ……page 52
7 私の本棚(58):福岡伸一の『箱男』(安部公房生誕100年記念発売新潮文庫版)の
後書きの解説「安部公房ー内部の内部に外部を探し求めた作家ー」への書評……page 56
8 カフカの箴言(28):悪を受け容れること .....page 63
9 ショーペンハウアーの箴言(23):名声と忘却……page 64
10 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(41):5.60 猿田彦(2)/5.61星
座とトポロジーの関係(2)/5.61 ⭕ ……page 65

・本誌の収蔵機関…last page
・編集方針…last page
もぐら通信

ニュース&記録&掲示板

(NRB: News・Records・Bulletin)
The best tweets of the month
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2024年3月31日 仙川安部公房生誕100周年祭 鳥羽先生と読む 読書会 第6回


『他人の顔』

仙川 安部公房生誕100周年祭記念読書会の次回は、

1。日時:5月3日19:00より20:30
2。場所:仙川Senichi Books。人数の多い場合には隣のビルにて開催。
3。作品:『他人の顔』

問合はせと申込みはこちら https://sengawa-abekobo.peatix.com/
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遅ればせながら、次の通り、改訂版を発行しました。

1。もぐら通信(第177号)の第二版を配信します。訂正箇所は次の通り。

ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/718431554/第177号-第二

P25
(1)第1段落
訂正前:夢化作用と読んで
訂正後:夢化作用と呼んで
(2)第2段落
訂正前:H02
訂正後:H20
(3)第二段落
訂正前:まtが
訂正後:また

P28
(1)第2段落
訂正前:こレ
訂正後:これ
(2)第3段落
訂正前:言葉とお金。
訂正後:言葉とお金、

2。もぐら通信第180号(第三版)を発行しました。訂正箇所は次の通り。

ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/718433593/第180号-第三

(1)P18
訂正前:結論としてを
訂正後:結論として
(2)P26
訂正前:わああわれの
訂正後:われわれの
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巻頭詩
(65)
陶淵明
帰去来の辞
陶淵明
翻訳:釋 清潭
【原文】
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【読み下し文】
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【注解】
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【注解】
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【大意】
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【大意】
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【解釈と鑑賞】
以上が此の『淵明・王維全詩集』の編纂者・釋清譚による訳 である。

住まいする鹿嶋市の中央図書館が毎日書庫にある流行遅れの本を大きな棚に並べて好
きなやうに持つて行つてくれといふバーゲンをやつてゐて、先日は一週間ほどの書庫
整理で休館であつたから、休み明けの初日には出物があるだらうと、近所の同好の士
から連絡を受けたので、わたしにはめづらしく直ぐに車を走らせて行つてみると一番
下の棚に、この詩集あり、そのほかにも、李白や白楽天や杜甫やら何やらと凡そ日本
に来て知られてゐる唐の詩人の全集がみな各人全巻そろつてゐたので、車に積んで帰
宅がてら、今度の号は淵明の帰去来の辞にしようと決めたのである。

これは学校の古典の教科書に載つてゐて、冒頭の一行に非常な魅力を感じ、その後上
京して会社勤めをしながらも時折この一行が心の中で響くのであつた。お前の田園は
荒れてゐないか、蕪れてゐるのではないか?帰りなんいざ田園まさにあれなんとす。
わたしの田園とは、安部公房ならば存在の故郷といふやうなものであり、故郷は存在
であるといふやうなものであるから、実際の故郷に帰つても、この詩人のやうには俗
世間との交流を断つなどといふわけにはいかないのである。明治以来この方、故郷に
錦を飾るのが上京の目的であつた日本人であるが、わたしは全然そんなことは考へた
ことがなかつたからである。それどころか、ふるさとの田園ーヨーロッパやユーラア
シア大陸に似た気候と風土の道東にそんな悠長なものはないがさう敢へて言へばーを
抽象化しなければ東京といふ都会では生きることができなかつたといふのは、万年齢
一歳で奉天に渡つて育ち、成城高校生として東京に来てみれば異国であつたので奉天
といふ故郷を抽象化し概念化しなければ生きていけなかつた安部公房と私は同類であ
つた。自分の故郷にあるものは一つもなく、無いものばかりがあつたからである。

わたしが長じて後里帰りをして当時の同級生に誘はれて中学や高校の当時の担任の先
生を訪ねたときに談笑して知つたことは、先生といふものは生徒の立身出世を願つて
仕事をしてゐたのだといふことであつた。生徒の立身出世の話を聞くと、喜ぶのであ
つた。このやうな先生たちの姿をみると、それが悪いとは全然思はぬが、トーマス・
マンの高校時代の担任の先生は実にマンに深い影響を与へた、日本の世間の尺度から
いへば相当に変はつた先生であつた。日本に帰国後に大学の図書館で読み耽つたトー
マス・マン全集の中でその先生は、諸君、決して立身出世のために仕事をしてはなら
ない、そんな大人になるな、と戒めたからである。いふまでもなく、立身出世は仕事
をする目的ではないが、はつきりと16・17歳の子供に言葉で自分の人生観を伝へる
ことで、後世のマンのやうなドイツ語でいふDichter・ディヒターが生まれるのであ
る。これも日本語に訳しようがないドイツ語だが、普通文豪と訳されてゐますが、文
豪とドイツ語で呼ばれるためには詩人でなければさうは呼ばれないのである。あるい
は、詩の精神を解さぬ小説家は文豪とは呼ばれない。マンのその後の人生をみると、
この先生のいふ通りに生きたことは間違ひはない。先生の名前も書いてあるほどにマ
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ン少年には印象深い言葉なのであつた。今その御名前を失念。

この先生のいつたドイツ語で立身出世をKarriere・カリーレ、今の日本の世で英語
からカタカナ語に転じてキャリアなるものが、それに当たるのだが、平成の三十年
間はキャリアばやりで、その結末が今の惨憺たる日本の国の政治と経済と文化の姿
である。キャリア。ぞつとする言葉である。ウイルスの菌を運搬する人間もカタカ
ナ語ではキャリアといふのだ。CareerとCarrierは、日本では相同たり。

最近文明について考へ論ずることがあるので、有名なイギリスの歴史家アーノル
ド・トインビーのことを調べてゐて、次の言葉のあるを知つた。

その民族の文明が滅びる三つの要件は次の通りだといふのである。

自国の歴史を忘れた民族は滅 る。
す ての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅 る。
理想を失った民族は滅 る。
[https://ja.wikipedia.org/wiki/アーノルド・J・トインビー]

この言葉はまづ何よりも、自分の国イギリスに向けた反省の言葉でもあるだらう。
今のイギリスや如何に。今のドイツやフランスや如何に。陶淵明の去つた当時の支
那の都も、このやうな惨状であつたらうか。今の日本はあきらかに、これである。
私は東京を去つて、此処に侘び住まひをしてゐる。

ところで、トーマス・マンの高校時代の成績表を私は或る本の中に見ることができ
たのだが、ドイツ語といふ国語の成績は、5段階評価ならば3であり、優良可不可
ならば真ん中の可であり、要するにギリギリ並みであつて、松竹梅なら竹なのであ
つた。竹の中にもまた松竹梅か上中下があるだらうが、かくほどに学校の成績ほど
当てにならぬものはない。当時の年齢ですでにマンの読書能力と理解能力には恐る
べきものがあつた筈だからである。『トーニオ・クレーゲル』を読むと、授業中に
も上の空で全然別なことを考へてゐたことが判る。同じこの一行を、塩野七生さん
が高校時代のことを書いてゐる文章にも同級生の日比谷高校の秀才の男の子たちと
は違つて、別のことを考へてゐて授業に上の空の生徒だつたとさう書いてゐたのを
覚えてゐる。今おもふに、子供はこれで良いのではないのだらうか。寝る子は育つ
のだ。偏差値とか平均値とか、そんなものなど糞食らへ、である。ドナルド・キー
ンさんとの長 対談『反劇的人間』の冒頭で、安部公房は平均的な日本人などどこ
にもゐないといふ正論を吐いてゐます。くたばれ、偏差値。

詩の解釈と鑑賞はどこかへ行つてしまつた。済まぬ、陶淵明殿。
べ
び
び
び
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コー ー・ ーシックスkobobasics
(25)
伝統
(4) 岩田英哉

伝統について安部公房が意見を述べてゐる作品には、全集を検索すると表立つては次のやうなものが
あります。

1。『二十世紀の文学』(全集第20巻、55ページ)
2。『隣人を超えるもの』(全集第20巻、385ページ)
3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)
4。『伝統と変容』(全集第27巻、144ページ)

上記四つのエッセイや講演を通覧して安部公房の伝統観をまとめたい。

***

3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)

これはジョン・ネイサンといふ、三島由紀夫の作品の英訳を手掛けたアメリカ人の
日本文学者です。最初の章立ての見出しは「前衛について」となつてゐて、読むと
ネイサンの主張はいはば正論です。即ち、たとへ前衛を名乗つても其れは伝統を前
提にして其の上に成り立つものだといふのがネイサンの主張ですが、これは三島由
紀夫の伝統観と同じです。しかし、これに対して、三島との対談の場合と同様にネ
イサンに対しても、安部公房は超越論者ですから伝統「以前」の立場を主張してゐ
る。勿論、三島由紀夫の意見を理解してゐるやうに、安部公房はネイサンの常識論
も十分に理解してゐるのです。その上での伝統「以前」、即ち従ひ、前衛「以前」
論なのです。次のやりとりをみると、安部公房の言語観がよくわかります。言語も
また超越論的なものなのです。この言語観は晩年箱根の山荘に籠つてゐるときに書
いた一連の『もぐら日記』でしばしば名前の挙がるアメリカの言語学者チョムス
キーの生成変形文法といふ文法観・言語観に通つてゐます。つまり、人間はこの世
に生まれてから時間の中で言語を習得するのではなく、生まれる「以前に」時間と
は無関係に、といふことは「既にして」「最初から」「そもそも」人間の中に、さ
うであれば遺伝子の中に《言語》はプログラムとして組み込まれてゐるのではない
か、といふのが安部公房の言語論でした。

「ネーサン でもね、文学にたずさわっている人間にとって、表現を言葉、つまり
スタイル(文体)と切り離して考えることは出来ないと思う。そこで、日本語で書
ボ
ベ
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もぐら通信 ページ19

く以上、日本語としての伝統とつながりを持たざるをえないんじゃないか。
安部 でも、言葉っていうのは、伝統以前のものじゃないかな。伝統という概念
も、反伝統の概念に支えられなければ、意識されないものでしょう。つまり、正統
としての伝統が本流にあって、異端(前衛)がどこかで支流として発生するんじゃ
なく、まだ正統でも異端でもない、ある混沌としたものから、正統と異端が同時に
分化する。」(全集第23巻、37ページ下段)

これで、安部公房の伝統観は明らかです。言葉づらを幾ら前衛だとか正統だとか異
端だとか言つても何も始まらないのだ。といふ、安部公房の主張に私も同意しま
す。十代の安部公房ならば、実存は本質に先立つのだ、と述べたでせう。同じ論理
を此処でも述べてゐるのです。そして、同じ論理の延長に立つて、安部公房は、こ
の後も実に良いことを安部公房らしい表現で述べてゐるので引用を続けます。

「まあ、言葉というのは、まるで精密機械のような構造をもっていて、地球の表面
のいろいろな場所によって違っているけど、ぼくが驚くのは、その相違点よりも、
言語のもっている原理的な普遍性なんだな。お互いの言葉が接触するのには長い歴
史が必要でしょう。それが接触してみたとき、相互に置き換えのきくところまで展
開していたということね。そういう歴史の背景にあるのは、伝統概念なんかじゃな
くて、むしろ普遍性でしょう。その普遍性はどこからく来るかというと、労働の形
式だと思うんだ。これだけ精密な言語形成は、農耕社会というものすごい長い歴史
がなかったら、おそらくできなかったろう。
一般に伝統を論ずる人は、言語のオリジナルな独自性を強調しすぎるんだよ。独
自性は確かにあるし、それなりに洗練されてもいるだろう。でも、ぼくらを驚かせ
るのは、独自性じゃなく、むしろその共通性じゃないかと思う。人間の言語使用の
痕跡は、すくなくとも五十万年以上昔にさかのぼることができる。しかし、伝統概
念(独自性)がさかのぼれるのは、せいぜい五千年くらいのものじゃないかな。」
(全集第23巻、38ページ上段)

此の後に、安部公房は神話と時間の観念とジプシーの話を持ち出して、ジプシーに
は伝統の観念はないこと、従ひ時間の観念がないので神話もジプシーにはないこ
と、あるのは恋の歌だけだといふことをいふが、ネイサンの主張は、安部公房の言
語機能論といふことでどの個別言語にも共通性があることに着眼せよといふ主張に
対しては、個別言語が機能としては同じ働きをするとしても働く其の機能の質が異
なるだらう、だから言葉の伝統は別々に大切なものだといふもので、ここで二人の
意見は、三島由紀夫の時がさうであつたやうに二つに分かれて収束しません。しか
し、いい議論です。
もぐら通信
もぐら通信 20
ページ

この議論のあとの章は「異端の発想」といふのですが、それぞれの主張は土俵を変
へただけで同じ実力を有するお相撲さんが相撲を取るやうなもので、行司の軍配は
どちらにも上がらない。ですから、二人の対話のうちで実に面白いとわたしの思つ
た次のやりとりを引用します。ネイサンと安部公房のやりとりでのそれぞれの発言
は、殊に日本の民主主義を論ずるのにすぐにエドモンド・バークなどといふ外人の
名前を持ち出して日本の民主主義に普遍性があると主張してゐる左翼・右翼・保守
を問はず、日本人の政治に関係する学者・識者・評論家・専門家には耳の痛い発言
です。何しろ発言してゐる本人がアメリカ人なのであるから。

「ネーサン いま、ちょと気がついたことだけど、日本のように、海のどまん中に
浮いているような国でいう伝統と、ヨーロッパにおいていう伝統と、だいぶ違うと
思うんです。だとしたら、安部さんのいう「時代性」というのは、ぼくらの使う「伝
統」の概念の中に、十分織りこまれているということも、ありうると思うんだ。
安部 それはありうるよ。たとえば「民主主義の伝統」という言葉がすでに成り
立つでしょう。しかし、百五十年前に、「民主主義の伝統」といふ言葉はヨーロッ
パでも使ってなかった。
ネーサン 使わないですね。
安部 しかし、いまは使われるでしょう。フランスだったら、共和制の伝統と
か……伝統という言葉は、ヨーロッパでも変質があると思う。」

言葉の意味を考へるとは、このやうに言葉の意味の変遷を其の時代に戻つて、現在
の時点からではなく、当時の人々の言葉の使ひ方に立ち返つて、真意を確かめると
いふことだといふことが、二人の議論からよくわかります。これを常識といひま
す。今の日本人が大方忘れてゐる態度です。さう、安部公房なら、態度、といふだ
らう。

ネイサンが上の安部公房の意見に賛意を表明したあとで、安部公房は次のやうに続
ける:

「安部 ルネッサンスという概念がそうだ。中世に対するルネッサンスという概念
は、中世という長い一つの伝統に対する反逆的、異端的なものだった。おそらくそ
の当時の人にとっては、下品な、いやらしい、へんてこなものだったと思う。しか
し、やがてそれが伝統になってしまう。
ネーサン ルネッサンスが伝統になる……伝統というのはとだえることがない。
生きてきた根本をなすところのものなのだから。人間はどうしてもいま立っている
地点よりも、理想化された自分にあこがれざるをえない。そういうものを伝統と呼
ぶとまずいかしら。
安部 しかし、理想も時代によって変質しているからね。それは伝統というよ
り、人間の一つの存在論的な位置づけだと思う。」
もぐら通信
もぐら通信 ページ21

安部公房の最後の言葉によつて、わたしたちは安部公房の云ふ伝統概念が「存在論
的」に考へられ言はれてゐることに此処でもさう理解することができる。安部公房
の存在論は言語論と同じく超越論なので、最初に前衛「以前」とか伝統「以前」と
言つた言葉が此処でも生きてゐます。

このあと二つの章が続き、この対談は終はりになります。それぞれの章は「孤立無
援の作家」と「文学の普遍性」です。

「孤立無援の作家」では、ネイサンが以前日本に来て安部公房に会つた時に安部公
房に尋ねた問、「日本文学はだれのものを読めばいいかって聞いたら、そのとき、
安部さんは、一人の名前もあげなかった」ので、「安部公房という作家は、ほんと
うにそう思っているらしいと、ぼくは感じた」といふことと同時に「この作家は、
ありえないほど孤立無援なところで仕事をしてきるんだなと感じた」ことを述べて
ゐます。安部公房の読者としては納得の逸話ですが、しかしネイサンは続けて、そ
んな作家は英語圏にはゐないといふのです。これに対して安部公房が疑義を呈する
と、ネイサンは、

「ネーサン たとえば、ぼくにとって前衛の代表的な作家のジームス・ジョイスで
も、それほど孤立はしていなかったと思う。
安部 しかし、ロシア文学なんかの場合だったら、そうは言えないでしょう。」

と切り返す安部公房の舌鋒は鋭い。私たち日本人はロシア文学に多くを学びまし
た。これはドイツ文学にも共通してゐます。ドイツ文学も多くのものをロシア文学
から学んだ。トルストイとドストエフスキーです。そして、日本人は此の歴史的事
実を知つてゐるといふ教養を失つてしまつたので、文学的教養の欠如から、ロシア
を巡る政治的な情勢についても公平な判断を下すことの出来ない政治家と専門家ば
かりの国になつてしまつた。歴史も文学も、現在を正当化するプロパガンダのため
にあるのではない。

ネイサンは上のロシア文学に言及したあとでは、アメリカ人としてもロシア文学
についてはよく知らないといひ、結局は日本語は特殊だから伝統論は日本文学にも
必要なのだといふ、読むと一種ゴリ押しと逃げの論を展開してゐて、日本語特殊論
といふ此のやり口は、われらが安部公房の最も忌み嫌ふ論法である。だから、かう
反発するのである。

「安部 とにかくぼくは伝統が嫌いだし、英雄が嫌いだ。伝統と英雄、国家とスー
パーマン、こいつは何時でもひとつのメダルの裏と表でしょう。
もぐら通信
もぐら通信 ページ22

ネーサン 率直にいってまごつくな。ぼくにとって、国家はやはり避け難い必要
悪に思われる。英雄伝説だって、ぜんぜん無ければ、想像力のよりどころも薄弱に
なってしまうんじゃないかしら。」

ドナルド・キーンさんとの長い、そして素晴らしい対談に『反劇的人間』といふ対
談があるが、ここでも安部公房はオペラといふ奴が大嫌いで、大体なんでまたあん
な大袈裟な身振りと大仰な発声で芝居をしなけりゃならないのだといふことをいつ
てゐますから、上の発言も単に伝統といふことからだけではなく、もつと私たち読
者は高く、従ひ広い視点から安部公房の発言を理解する必要があります。何しろ
何々「以前」といふ超越論的視点でものを考へ同時に実践をしてきたといふことに
かけては徹底的な人生であり、首尾一貫した人生であつて、それ故にネイサンの感
じた此の作家の孤立無援の姿なのですから。

安部公房はブレヒトの戯曲『ガリレオ・ガリレイ』の最後のセリフを引用して、か
う此の章を締めてゐる。

「安部 ぼくはブレヒトの「ガリレオ・ガリレイ」の最後のところ、好きだな。弟
子が「英雄のいない時代は不幸だ」といって嘆くところがあるでしょう。すると、
ガリレオがこうこう答える。「英雄を必要とする時代が不幸なんだ」。ぼく、この
せりふがすきなんだ。」

最後の章は、文学の普遍性の題名のもとに、翻訳の文学が果たして普遍性があるか
を二人は議論してゐる。持ちかけたのは、翻訳者のネイサンの方で、安部公房の答
へはドストエフスキーの名前を持ち出して、その問を肯定してゐる。さうして、二
人の対談は、結局並行線を描いて最後に至る。翻訳者であるアメリカ人がドストエ
フスキーの翻訳文学としての価値を否定的にみるのに対して、安部公房が肯定をす
るのは、満洲の大陸でロシア文学の風土を知つてゐるからであると其の発言から知
られる。
満洲とくれば、安部公房ならば砂漠だといふだけでは、やはり日本の読者は其の
文学への理解は狭隘なものになりかねないといふ誤解の素地を安部公房の文学は最
初から含んでゐる。だから、日本の読者が研究者も含めて安部公房を論ずると哲学
的・形而上学的思考訓練を経ないままに抽象論になりがちなことは致し方がなく、
それをしかし前衛と呼んでも本人が否定するのであるからどうしようもない。それ
では実証主義で行くかとしても、やはり細かな事実を、トリヴィアも含めて集めて
も、作家の実像にはならない。といふのは、しかし、どんな作家どんな作品にあつ
ても、同じであらう。となれば、やはり安部公房のいふ通りに、日本語が特殊な言
語だから日本文学も日本の伝統に立脚しなければ世界普遍性がないなどといふ戯言
をいふことは止めて、若い時代から此の作家がいつてゐる通りに、特殊の中に普遍
もぐら通信
もぐら通信 ページ23

を求めるといふ姿勢を、わたしたち読者は大切にして生きることの方がよいと私は
思ひます。

さて、かくして、二人の最後の章の最後のやりとりはかくの如し:

「ネーサン (略)安部さんはなにも答えなくてもいい。「そこに作品がある、そ
れを読んでみろ。」といいえばいいんだ。
安部 こういう対談をやることが、そもそも無理なんだよ。
ネーサン 完全にむだなんだ。(笑)
安部 むだという結末はいいと思うよ。きょうの話はわけがわからないけど、な
んだかわけのわからないところがいいんだ。」

4。『伝統と変容』(全集第27巻、144ページ)

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 24
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(14)

風景に穴が
岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 25
ページ

この写真によく似た写真をわたしたちは『箱男』に挿入された八枚の中に見つけるこ
とができます。それは「旧海軍将校クラブ」の建物を撮影した此の写真です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ26

これは、一言でいへば、凸面鏡に映つた景色を写した写真といふことになります。メ
タ・写真です。この黒い枠組みで囲われた八枚の写真のそれぞれの向かうに写された対
象はみな、それ故に沈黙の弔鐘の鳴り響いてゐる空間に存在してゐる。即ち、わたした
ちは此の窓を通して、安部公房の眼で、閉鎖空間である此の私たちのゐる空間の外部に
あるものとして、この写真を見、その中に歪んだ写真の中に映る建物の写真を見る。い
ふまでもなく、この種の鏡は、「カーブの向う」を見るために交差点に立つてゐて、こ
の鏡を必要とするのは自動車といふ四方が窓だらけの閉鎖空間に座つて運転してゐるあ
なたである。
おまけに、自動車といふ箱には、運転席に座ると、前を見て前進しながら後方を鏡
で見ることのできる車内のバックミラーといふ鏡と車外の車体の前両端に付いた鏡で
後ろの景色も前進しながら見ることができるといふ、誠に奉天の子供時代の冬の風の
寒さに身を切られるのを嫌つて後ろ向きになつて寒風に背中を向けながら体は前進で
きるといふバックミラー付きのメガネを考案した安部公房好みの箱が、自動車であ
る。といふわけで、この写真の下には安部公房の次の詩が書かれてゐます。

安部公房は1973年から始めた安部公房スタジオの舞台でも、舞台の構成要素がみなそ
れぞれ独立してゐるやうに舞台設計をし演技指導をしたのは、安部公房の好きなバロッ
ク趣味であつて、この箱男の一連の写真についても本人は各写真の下につけた詩は写真
とは独立した作品として読んでほしいといつてゐるので、私たち読者も、そのつもりで
作品に対するのがよいでせう。安部公房は舞台にかけるバッハが好きで、実にスタジオ
の舞台にぴつたりと合ふのだと対談の相手ドナルド・キーンさんに話してゐるが[
1]、グレングールドのバッハの演奏が両手の指十本がそれぞれ独立して均等の圧力で
ピアノの 盤を叩いて音を出してゐるのでグレネングールドが好きだと、これもどこか
で述べてゐました。山口果林著『安部公房とわたし』で読んだのかも知れないが、今
探しても見つからなかつたので、インタヴューの記事であつたのかも知れない。

[ 1]
バロック音楽については、ドナルド・キーンさんとの対談で、次のように述べています。

1。『演劇と音楽と―バロック風にバロックを』(全集第25巻、350ページ上段から351ページ上段)。こ
の戯曲は『ウェー』です。1975年、安部公房51歳。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 27

「この芝居のなかにも、ちょっとFM放送が出て来る。もちろん曲はこちらで選んだものだけどね。バッ
ハです。静かなチェンバロの曲なんだけど、べつに静かなバッハ的な場面に使うわけじゃない。むしろ逆
だな。ひどく滑稽で 気違いじみた場面に使うんだ。「ウエー」というのは、人間そっくりで、しかし人
間じゃないという触れ込みの奇怪な珍獣でね、それが本物か偽物かをテストする場面、靴下の洗い水を
飲ませてみるとか、いくつかそんな場面があるんだけど、その中の一つのバックに使ってみた。うまく
合うんだね、これが。合うというより、互いに矛盾するものが衝突しあって、残酷なポエジーという
か、実に不思議な効果をあげるんだ。」

「一流の音楽同士は、どうしたって矛盾しあう。その矛盾するものが衝突しあって、加え算ではない、
掛け算的な効果を可能にしてくれるんだな。」

「使いやすいバロック

そんな使い方をしようとすると、こんどの「ウェー」に限らず、不思議にバロック音楽が使いやすい。な
ぜだろう。 バロックというのは、あんがい、音楽の中で、いちばん純粋な構造を持っているんじゃない
か。純粋というのは、 文学だとか、演劇だとか、美術だとかいった、音楽以外の要素を含んでいないと
いう意味。だから、舞台の上でも 自立しやすいんじゃないかな。舞台には、言葉も、肉体も、美術も、
ぜんぶそろっていますからね。音楽に今さら 肩がわりしてもらう余地はないんだ。バロックというの
は、ある意味で、もっとも音楽的な音楽なのかもしれないという気がする。極論すると、現代音楽の一
部をのぞいて、バロックは音楽史のなかに築かれた純粋音楽のピラミッドだったのかもしれないね。」

これが、安部公房の純粋な藝術、安部公房は自分ではそうは呼ばなかったけれども、その意を んで、
敢えて呼べ ば、純粋藝術というべき安部公房の総合舞台藝術のこころでありました。様々な構成要素
が、それぞれ自律的に単位として相互に矛盾しながら、陰画のポエジー(詩情、詩想)としてその全体を構
成して、まとまるということ、 これが安部公房の意図した舞台であったということ、また、映画や記録
藝術に求めた考えかたであったということなのです。後者の二つのうちの前者、即ち映画について言え
ば、安部公房の求めた映画の世界はtalky movieではな く、silent movieの世界でした。「映画俳優の祖
先は決して名優だったのではなく、単に走る一頭の馬だったのである。」とこの論考の最後にしるして
います(『映画俳優論』全集第6巻、481ページ。1957年、安部公房 33歳)。
この論考は、映画俳優に求められる演技と比較しながら(この映画俳優演技論がそのまま安部公房の映
画論になってもいます)、既に1970年代の安部公房スタジオの演技論を先取りしております。安部公房の
演技論については稿を改めます。馬が安部公房にとって何を意味したかは[ 7](1)を参照下さい。

共産党員として無残な文章を書いた時代は、現実に対して法則的な必然を求めたのに対して、その夢から
覚めた後には、終生、現実に対して偶然を、このようにある物事の、生の全体の中にあることの確かな、
現実的な偶然を求めたのです。これこそが、その人間がこの人生を誰のものでもなく一回限りで生きて
いるということの一番確実な証であるからです。つまり、バロック様式の精神とは、脱出しようとして
至った現実の涯にある次の現実が贋物で あることを既に最初から知っている精神であるからです。そし
て、そのことに幻滅も絶望もすることのない強靭な、何故ならば現実と人間を信じ過ぎることのない故
に強靭な、精神です。 『箱男』の話中話として出て来る贋魚の精神です。また、芥川賞受賞作『S・カル
マ氏の犯罪』 も、最初からそういう小説でありました。 」(『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29
号より。ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/253560708/もぐら通信-第29号)

上掲の歪んだ鏡の下の詩に戻りますと、十代の安部公房の詩に次の詩があります。19
43年10月6日付の詩『〈秋でした〉』の第六連に次の歪んだレンズの詩行がある。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 28

「六

白い壁の上に 秋の日差しは、
クリーム色に柔らかな影やそよぎを
ぢつと 静かに夢見ます。
けれど小さな滴がぽつたりと……
おゝ 僕は、
大きなゆがんだレンズです。
救ひに両手を差しのべる、
大きなゆがんだレンズです。」
(全集第1巻、67ページ)

上掲の歪んだ鏡に反射する事物はcamera obscura・カメラ・オブスキュラ[ 2]で


見た景色だといふことになります。安部公房は実は暗箱の中にゐて、小さな窓から外界
を眺めてカメラのシャッターを押してゐる。だから、上掲『箱男』の詩が生まれるし、
そう考へると、作家が此のやうにいつても、安部公房にとつて詩も写真も、写真が詩
であることも、同じものだといふことが納得されるのです。

[ 2]
camera obscura:
「ラテン語で〈暗い部屋〉の意味。正しい読みは〈カメラ・オブスクラ〉。暗い部屋で,小さな穴を通
して壁に外の景色が映し出されるという光学的原理はよく知られている。紀元前に中国の墨子やギリシ
アのアリストテレスによって知られていたといわれ,11世紀のイブン・アルハイサムの研究報告やレオ
ナルド・ダ・ビンチの非公開のメモなどにも,その光学的考察の記述が見られる。はじめは字義どおり,
暗い部屋の中で日食の観察や絵の下描きのために用いられたが,16世紀ころになるとピンホールの代り
に凸レンズが装着され,17世紀に入ると現在のカメラの原型といえる暗箱型のカメラ・オブスキュラが
完全な遠近法による絵を描くための 道具 として普及する。日本でも写真機が将来される以前に,杉田
玄白や司馬江漢らによって〈暗室写真鏡〉〈写真鏡〉として紹介された。カメラ・オブスキュラの歴史は,
単にカメラの原型というだけではなく,人間と映像の初源的な関係を物語っている。」
(https://kotobank.jp/word/カメラオブスキュラ-466847#: :text=カメラ・オブスキュラ
-,camera%20obscura,よく知られている%E3%80%82:)

カメラ・オブスキュラの絵をネットから拾つて引用すると、
もぐら通信
もぐら通信 ページ29

安部公房は暗箱の中にゐて外部の空間の光の中の風船を写してゐるのであらうか。それ
とも、その撮影によつて、実は奉天の子供時代のやうに、前を見てシャッターを押し
ながら後ろの天地さかしまの写真を撮影してゐるのであらうか。

この問ひに答へるてゐる箇所が『終りし道の標べに』に次のやうにあります(第1巻、
309ページから310ページ)。《 》といふ記号は、いふまでもなく、安部公房の汎神
論的存在論の記号です。そして、安部公房の好きな位相幾何学・トポロジーの論理と形
象が其処には隠れてゐる。本は末であり、末は本であり、終りは始まりであり、始まり
は終りであるといふ永遠に続くメビウスの環で接続されてゐる螺旋階段。登ることは降
りることであり、降りることは登ることである。安部公房は下へと地下へとマイナスの
方向に次元を上げて登つて行く(例:『方舟さくら丸』)。この作品の当初の原題が
『粘土屏』であつたことも思ひだして下さい。粘土屏に手形の凹の痕跡を残すところか
ら、この小説は始まるのでした。

「確かに《終りし道の標べに》は一つの象徴であったし、粘土の屏もその確証であっ
たにちがいないだろう。一切の関係が更に新しい象徴の影に消えてしまったのだ。私は
しばらくの間、その阿片の幕に映った不思議に明るい光の点を見詰めていた。しかも幸
いな事に私の手の中には存在象徴と云うレンズが掴まれている。用心深くその関係に
そって、そのレンズを動かして見た。するとやがてその光の点は明確な焦点を結ぶ。そ
れは……。」(『終りし道の標べに』全集第1巻、309ページから310ページ)

安部公房のいふ十代に創造した概念《存在象徴》とは、自己を忘却することによつて
時間と無関係に、さういふ意味では空間的に、今目の前に現前する物事や人の影を象
徴と呼び(「一切の関係が更に新しい象徴の影に消えてしまったのだ。」)、みづから
が存在となつて初めて自分といふ透明人間の眼に映じる存在の象徴としての其のやうな
姿または眼に映じる影としての現実のことをいひます。

ですから、この石油を満載したタンクローリーの大型トラックもまた、透明人間《箱
男》になつた安部公房が写した《終りし道の標べに》即ち存在の交差点に立つて万を
侍して撮つた写真なのです。それ故に、鏡の中の正反対になつてひっくり返つてゐる都
市の風景が凸面鏡に映つてゐる。他方、しかし、多分このトラックは実際の現実の交
差点で一時停車して信号の切り替はるのを待つてゐる。安部公房の魔法でありマジック
です。かくして内部と外部を等価交換したトポロジーのマジックです。

もし私たちが此のタンクローリーのナンバー・プレートに着眼すると、同じ写真が『箱
男』の中の貨物列車の写真でもあることに気づきます。
もぐら通信
もぐら通信 30
ページ

この写真の下にある詩は次のものです。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 31

この詩に詠はれてゐる主線と支線の鉄道の切り替へといふ切り替へ地点の交差点の話
は、そのまま最後の長編『カンガルー・ノート』の隠れた主調低音となつてゐて、「新
交通体系の提唱」の章で主線と支線のスイッチが切り替わつて、主人公の乗つた自動走
行ベッドは結末である其の死へと進んで行く。伴走するのは此の鉄路の切り替へで支線
から主線に登場してきたお猿の電車に乗つた知恵遅れの少女です。主人公はベッドとい
ふ閉鎖空間に閉ぢ籠められた《箱男》である。主人公は最後の時まで此の少女に隠に
陽に案内されてゐる。

この、『箱男』といふ傑作に挿入されたそれぞれの写真に関する作家自身の感想は、
エッセイ集『笑う月』の中の「シャボン玉の皮」に書かれてゐる(全集では第24巻、
416ページ)。更に、安部公房にとつての写真の意義については、同じエッセイ集の、
その直前にある「アリスのカメラ」によく書かれてゐます(全集では第25巻、201ペー
ジ)。

安部公房の写真と小説の関係を語ると話が尽きません。このことに興味のある方は
「『箱男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く∼」をお読み下さるとありがたい。
ダウンロードは:https://www.scribd.com/document/718107137/第34号-第二版

最後にもう一言を。

Camera obscuraはヨーロッパの17世紀のバロック様式の時代の産物です。ヨーロッパ
の人間とは誠に皮肉な時に、世の中が戦乱の世が乱れるといい仕事をします。わたしに
はバロックとマニエリスムの区別がつかない。これはマニエリスムの凸面鏡に写した姿
の絵。
もぐら通信
もぐら通信 ページ32
「S・カルマ氏の犯罪」執筆時の
石川淳宛安部公房書簡
「書けば書くほど重い、たまらなく重い壁」
岩田英哉

世田谷文学館の2021年度の展示資料の中に、この葉書を見つけましたので、ご紹介し
ます。
もぐら通信
もぐら通信 33
ページ
もぐら通信
もぐら通信 ページ 34
日本一極国家論(続篇)
古代帝國論 III
環太平洋火山帯文明帯・文明論仮説
岩田英哉

あるべき国家像と国家基本戦略を提示するために、この仮説を提出したい。

この国家戦略は既に『縄文紀元論』で論じた通りで、日本列島にある日本の国の文明
は環太平洋火山帯の上にある文明の一つであるといふ文明論仮説に基づくものなの
で、この仮説名の環太平洋火山帯[ 1]を記号化して、英語のCircum-Paci c Belt
を採用してCPBを、文明帯を英訳してCivilizartion Beltとして略号CBを得、二つを併
せてCPB・CVとし、次の定義を得る。ただし、大陸型の文明と海洋型の文明の文明の
概念は同じでも大陸型と海洋型では定義が異なるので、両者については後で定義をす
る。文明の分類と定義をする前にまづは環太平洋火山帯の定義をします。

CPB・CVの定義(狭義の定義)
狭義のCPB・CV[環太平洋火山帯]とは、下図に示す環太平洋火山帯[ 1]のこと
である。

(世界の火山帯(1):https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋火山帯)

CPB・CVの定義(広義の定義)
広義のCPB・CV[環太平洋火山帯]とは、狭義の定義に加へて、大・小スンダ列島(イ
ンドネシア)と西インド諸島(カリブ諸島)を含めたものである。
fi
もぐら通信
もぐら通信 35
ページ

広義の「環太平洋山帯では世界の8割近くの火山を擁している。火山帯は閉じた輪では
無く、周囲が約4万キロメートルの蹄鉄状である。この蹄鉄状の火山帯には海亀の産卵
する場所が含まれてゐて地域的に重なつてゐる。これに縄文土器に典型的な、火山帯
にある粘土を素材につくる土器文明が重なつて、この環太平洋火山帯文明帯が構成さ
れてゐる。また、カリブ海にも海亀が棲息してゐる。」(『環太平洋火山帯』:
https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋火山帯)
従ひ、縄文概念の適用範囲は日本列島を含み対岸の南北中米大陸の太平洋側の大陸
の縁辺・リムを含み更にカリブ海諸島[ 2]にまで及ぶことになる。
従ひ、この二つの定義に基づき、海洋型文明の存在してゐる環太平洋火山帯上の文
明の要件は、北米・中米・南米の太平洋側にある山脈沿ひに存在した帝国の文明をひ
とまづ横に置いて、殊に日本と同類の火山帯上の文明の要件に絞ると、次の通りで
す。

(1)火山帯に文明のあること
文明存在の証拠:古事記による瓊瓊杵尊の高千穂の峰にある火口またはカルデラへの
天降り。縄文日本人は火を吐くカルデラの円形の凹に美を感じてゐた。高千穂の峰に
天降る前の他の瓊瓊杵尊は、後述する南太平洋の文明圏からやつて来て、最初にまづ
箱根にある神山の当時まだ火を吹いてゐた火口の縁にまで登つて、その火山の勢力の
及ぶ範囲をシラス国としたのです。これがシラスの最初の意味です。瓊瓊杵尊は職務
の名前なので何人も瓊瓊杵尊はゐた。といふことは、スメラ・ミコトと邇邇芸命の機
能は同じだといふことになります。即ち、ここは私の推理ですが、今にいふ天皇は太
古にあつてはスメラ・ミコトになる前にニニギのミコトとして火山の火を噴く火口に
登つてシラス人になるための何かの儀式を執り行つたといふことになります。
といふことは、これも後述しますが、南太平洋の島々の中で火山を持つてゐる島々
から海の民が遠津祖・遠い港にゐる親である祖先から日本列島へとやつて来たといふ
ことです。そして、その島には、
(2)海亀が棲息してゐて産卵する砂浜を擁してゐること
文明存在の証拠:日本書紀の年数の数へ方:海亀の産卵時季を規準にした海亀歴の使
用。キリスト教歴であるグレゴリウス歴の一年の半分の期間が海亀歴の一年である。
この古暦を今も持つてゐれば、そのやうな年数の数へ方をする住民のゐる島々が、わ
たしたち日本人のふるさと、遠津祖の住む島々だといふことになります。そして、
(3)縄文土器または縄文土器に類する土器の製作と出土のあること
文明存在の証拠:縄文土器とその渦巻模様・縄目模様が、豊かな食料生活を、即ち宗
教と形而上学および藝術の存在を示してゐる。

更に、下記の二つの図をみると、学校の教科書で教へる世界何大文明などといふ文明
はみな大河のもとで生まれたといふ理論は大陸型文明にのみ適用できて通用するもの
であるのに対して、海洋型文明である日本文明には通用しないことが一目瞭然です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ36

ここに例として示されてゐる利根川と木曽川の此の急な傾斜はまさしく日本を代表
する河川の角度を示してゐて、そのまま中臣の大祓へにてその第三段に美しく神々の
名前とともに言挙げされて大祓ひされてゐる日本の、海に流れ入る急流・ミナト(海
の門ーこれの象徴が鳥居です)・海の景色と一致してゐます。
最初の図は上掲の「Ring of Fire」の図の足りないところを補ふものであり、次の
河川の傾斜の図は日本で最も古い祝詞である中臣の大祓への景観を説明するもので
す。中臣の大祓への祝詞はこのやうな自然の景観のある限り有効です。しかし、大陸
の大河には通用しません。これが自然の景観視点で考察すると、何故日本人の道徳が
大陸で全く通用しないかの論理的な根拠を日本学の一部をなす日本列島自然論として
示してゐます。
また、三つ目に引用して示した「図3.5震源分布(1963 1977,M4.5以上)」をみる
と、火山帯分布と震源帯分布が重なつて一致してゐることが判ります。この図をみる
と、意外にも日本とイタリアは相性がいいのではないでせうか。日本の国が西欧の国
と政治的に・経済的・文化的に組む時の判断の主要な規準・クライテリアの一つとな
る事実です。人間は自然の一部だからだといふ事実が此の規準の根拠となつてゐま
す。(自然災害情報室>防災基礎基礎講座>地域特性編>Ⅲ 地体構造と地震・火山災
害>1. プレートの構造>プレート境界の種類>造山帯・安定陸塊):https://
dil.bosai.go.jp/workshop/05kouza_chiiki/03jishin.html)

ここに例として示されてゐる利根川と木曽川の此の急な傾斜はまさしく日本を代表
する河川の角度を示してゐて、そのまま中臣の大祓へにてその第三段に美しく神々の
もぐら通信
もぐら通信 ページ37

名前とともに言挙げされて大祓ひされてゐる日本の、海に流れ入る急流・ミナト(海
の門ーこれの象徴が鳥居です)・海の景色と一致してゐます。
この図は上掲の「Ring of Fire」の図の足りないところを補ふものであり、この河
川の傾斜の図は日本で最も古い祝詞である中臣の大祓への景観を説明するものです。
中臣の大祓への祝詞はこのやうな自然の景観のある限り有効です。しかし、大陸の大
河には通用しません。これが自然の景観視点で考察すると、何故日本人の道徳が大陸
で全く通用しないかの論理的な根拠を日本学の一部をなす日本列島自然論として示し
てゐます。

また、次に引用して示す「図3.5震源分布(1963 1977,M4.5以上)」をみると、火山
帯分布と震源帯分布が重なつて一致してゐることが判ります。これら二つの図をみる
と、意外にも日本とイタリアは相性がいいのではないでせうか。日本の国が西欧の国
と政治的に・経済的・文化的に組む時の判断の主要な規準・クライテリアの一つとな
る事実です。人間は自然の一部だからだといふ事実が此の規準の根拠となつてゐま
す。(自然災害情報室>防災基礎基礎講座>地域特性編>Ⅲ 地体構造と地震・火山災
害>1. プレートの構造>プレート境界の種類>造山帯・安定陸塊):https://
dil.bosai.go.jp/workshop/05kouza_chiiki/03jishin.html)
もぐら通信
もぐら通信 ページ38

[補足説明1]
火山帯は閉じた輪では無く、周囲が約4万キロメートルの蹄鉄状であるといふCPB・
CV[Circum-Paci c Belt]の定義(広義の定義)の此の火山帯の特徴は、そのまま海
の地政学(これを以後「海政学」と呼ぶことにする)と、これが大陸の所謂地政学と
異なる特性を持つてゐることを意味してゐる。だから、このわたしの書いてゐる知識
と思考論理が学問・科学となつたあかつきには、これは地政学に対して海政学と呼ば
れる。この深く広い意味は後々明らかにしたい。この環太平洋火山帯の特徴は狭義広
義を問はず地図を見ると有効である。
更にまた、環太平洋火山帯は、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界の2大造山
帯とも言われる。アルプス・ヒマラヤ造山帯は、環太平洋火山帯ほどではないが地震
の多い地域である。しかし火山は少なく褶曲が多い点が異なっている。(環太平洋火
山帯:https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋火山帯)
fi
もぐら通信
もぐら通信 ページ 39

更にまた、環太平洋火山帯は、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界の2大造山
帯とも言われる。アルプス・ヒマラヤ造山帯は、環太平洋火山帯ほどではないが地震
の多い地域である。しかし火山は少なく褶曲が多い点が異なっている。(環太平洋火
山帯:https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋火山帯)

[ 1]
本文の内容との一部重複を厭はずに引用します。
Wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋火山帯:

環太平洋火山帯(かんたいへいようかざんたい、英: Circum-Paci c belt、Ring of Fire)または環太平


洋造山帯(かんたいへいようぞうざんたい)は、太平洋の周囲を取り巻く火山帯のことで、日本列島も
含め火山列島や火山群の総称である。環太平洋火山帯には世界の活火山の約6割があり、大・小スンダ
列島(インドネシア)と西インド諸島(カリブ諸島)を含めた広義の環太平洋火山帯では世界の8割近
くの火山を擁している[2]。
環太平洋火山帯は、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界の2大造山帯とも言われる。アルプス・
ヒマラヤ造山帯は、環太平洋火山帯ほどではないが地震の多い地域である。しかし火山は少なく褶曲が
多い点が異なっている。
和名で環太平洋、英語でRing of Fire(直訳: 火の環)と呼ばれているが、火山帯は閉じた輪では無く、
周囲が約4万キロメートルの蹄鉄状である。地球上で発生する地震の約90%、活火山の75%が環太平洋
火山帯で発生、点在しており[3]、452の火山が南米大陸の南端から中米・北米を経てベーリング海峡、
日本列島、フィリピン諸島、大スンダ列島、ニューギニア島からメラネシア、ニュージーランドへと連
なっている[4]。ニュージーランドから南米大陸の南端ティエラ・デル・フエゴにかけては火山の帯が途
切れている。

[ 2]
十九世紀後半より、二十世紀中頃にかけて最盛期を迎えていたケイマン諸島のアオウミガメ産業は、学
術雑誌のみならず、一般紙にまでとりあげられるような影響力を誇っていた(Duncan 1943;Parsons
1962)。ケイマンの漁獲技術はその後、モスキート海岸の先住民らへと受け継がれて行くこととなるが
(高木 2019)、本稿では現地で調査収集した未報告の資料より、その産業を解明するために更なる検
討をくわえていく。

・カリブ海の海亀保護活動:https://jp.globalvoices.org/2023/09/30/61807/
・トゥルムでウミガメの産卵&ベビーウミガメの誕生を観察しよう!:https://amiga-mexico.me/
articles/135
・カリブ海の人々とウミガメ(2):https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001288143473664:
「抄録
概要
十九世紀後半より、二十世紀中頃にかけて最盛期を迎えていたケイマン諸島のアオウミガメ産業は、学
術雑誌のみならず、一般紙にまでとりあげられるような影響力を誇っていた(Duncan 1943;Parsons
1962)。ケイマンの漁獲技術はその後、モスキート海岸の先住民らへと受け継がれて行くこととなるが
(高木 2019)、本稿では現地で調査収集した未報告の資料より、その産業を解明するために更なる検
討をくわえていく。
fi
もぐら通信
もぐら通信 ページ 40

研究結果
特にモスキート海岸の研究者らは、英領ケイマン諸島民の漁獲や、諸近代国家との交易がこの近海に
及ぼしてきた影響を過小評価する傾向にある(池口 2017;Nietschmann 1997)。しかし、収集した
幾つかの公文書資料をつなげてみるだけでも、政治経済の中心であった英領ジャマイカ島における缶詰
工場の設立に加え、漁獲は遙かホンジュラス沖のスワン諸島(1858)やコスタリカのタートル・ボーグ
(1890)、ニカラグアのモスキート諸島やパール諸島(1895: 1903)、キューバ島の近海(1902)に
まで及んでいたことがわかる(図1)。<br><br>結論<br>特にアオウミガメだけでなく、モスキート海
岸の住民らの生業を考えるには、こうした西欧による広域産業の形成は再評価が必要な可能性が示唆さ
れることとなった。」

・カリブ海の海のカメを見る場所:https://ja.traasgpu.com/カリブ海の海のカメを見る場所/

『海亀類(総説) 』(2014 水産庁・水産総合研究センター )によれば海亀の世界的分


布は次の通りです(https://kokushi.fra.go.jp/H25/H25_42.pdf)。
もぐら通信
もぐら通信 ページ41

従ひ、高・天の原(通用読み「タカマ・ノ・ハラ」)といふ用語の適用範囲は次の通
りとなる。

高・天の原の適用範囲の定義(狭義の定義)
高・天の原の狭義の適用範囲は、環太平洋火山帯と赤海亀・青海亀・黒海亀・タイマ
イ・ヒメ海亀・ヒラタ海亀・オサガメの棲息範囲に及ぶ。ケンプヒメ海亀は大西洋に
棲息するので、ここではひとまづ省いてゐる。

高・天の原の適用範囲の定義(広義の定義)
高・天の原の高・天の原の広義の適用範囲は、狭義の定義にケンプヒメ海亀の生息地
行きを含めたものである。
しかし、下記の海流図をみると、やはり環太平洋の海流の範囲に適用範囲を及ぼすの
が正しいと考へられるし、火山帯は大西洋側には及んでゐないので、私は狭義の定義
を採用して論を進める。しかし火山帯の全体を一度は眺めることは大事だらう。
また此の適用範囲の限界は、縄文人の製作した船の技術的な航海技術の限界に一致
する。そして何よりも環太平洋火山帯に一致する。それから縄文土器または相当土器
の製作の出土に一致してゐるべきだからである。これはこの海流図の上で海洋型文明
間の交流があつたし今もあると考へることができる。わたしの上述した西欧米は太平
洋に関する軍事的知識はあるが、文明論的視点を欠いてゐると述べたのは、このこと
である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ42

上掲図は「海洋の循環」(国土交通省・気象庁):https://www.data.jma.go.jp/
kaiyou/db/obs/knowledge/circulation.html

古代帝國論 IV:古代帝國の形而上学

既に縄文紀元論にてもその他の僕の文章にても再三再四述べたやうに、人間と言って
も良いし人類と言っても良いが、人類の共通に持つてゐる太古からの時間概念および
空間概念を一言でいへば、次の二行一体の宇宙観・世界観に収斂するのです。

世界は差異である
価値は等価で遍在する

世界が差異であるとは、時間範疇にあつては時間的差異とは遅延に他ならず、私たち
の今ここに此の時見てゐる現実は常に既に起きた過去である。あなたが眼を瞑つて闇
の中にゐるとして、次に眼を開けるとあなたの眼に見える現実は常にズレるのです。
この私の言語と概念の方面から至つた結論は量子力学の結論と同じです。
といふことは、未来も常に過去であり、過去こそが未来であり、もしこのアングロ
サクソン語族のいふ未来といふ言葉を直線の時間上に今の次の時間の単位においたと
すると、未来とは過去の時間であれば過去の時間は未来からやつて来るといふことが
でき、また過去の時間単位は既に起きてゐる未来の時間だといふことができて、これ
が神道にいふいはゆる中今である。だから、人間は常に今、この今に生きてゐるので
あるから、人は死なないのです。これが神道の時間概念であり、魂の不死の考への根
拠を形成する時間概念であり時間論です。これとあはせて神道の空間概念を論じて魂
と人の不死の関係を総合的に論じなければならないのが物事の順序ですが、これは後
日として本題に集中します。
かういふ思考論理の訓練を私はドイツ文学とドイツ哲学を読むことで学んだのです
が、日本の神道家たちはこれができないし知らないので此の150年間苦慮して来た
わけです。西欧の学問・科学をそれぞれの専門家が専門領域の範囲内の知識だけをそ
れぞれバラバラに輸入してしまつたので、つまり哲学が欠落してゐたので此の150年
間、安部公房のいふ特殊の中の普遍といふ考へをする人間がゐなかつたのである。わ
たしが今やつと21世紀になつてこれをやつてゐる。なぜならわたしは安部公房の読者
だから。
安部公房のいふ特殊の中の普遍といふ考へをここで導入すれば、日本の神道家は此
の特殊をのみ主張して、その持つ普遍を、まあいつてみれば敵の土俵の上で敵の言語
論理に従って展開することができなかったのです。しかし、これは夏目漱石以来の血
の滲むやうな努力と作家・詩人たち文学者たちの死屍累々といふ死の後にやつとここ
もぐら通信
もぐら通信 ページ43

まで来て、日本の近代も脱却することができる時代にまで来たといふのが令和の時代
だといふことが僕は言いたいのだ。ここでやつと、遂に、外国に何の気兼ねもなく、
スメラ・ミコト万歳、瓊瓊杵尊万歳、天皇陛下万歳!といふことなのです。

それでは、本題に戻って、この中今といふ時間が、日本に特殊なものなのではなく普
遍性のある時間概念だといふことを以下に説明します。これは古代帝国論の一部を構
成します。帝国と呼ぶに値するにはその最高権力者がヨーロッパ風に呼べば皇帝・カ
イザー・エンペラーが宗教的な基礎と背景を有し、その祖先が神話の世界・神話の時
代に起源を有するものでなければならないといふことは既論の通りです。即ち中今と
いふもよし、何といつても良いが、要するに上記の時間概念が神話が事実であつたこ
と、未来の事実であり且つ既にあつたこと、神話も従ひ未来の時間からやつて来ると
いふことがわかるでせう(この文学範疇はSF文学です)。
即ち、これがこのまま何故西ローマ帝国が滅んだ後キリスト教だけが西欧に残り、
その上に帝国が生まれなかったか、これが何故ユダヤ教の上に王国は生まれても帝国
は生まれなかったかの理由です。後者即ちユダヤ教の聖典である旧約聖書の宇宙創造
観は唯一絶対神が創造するので、神話的に人の祖先が神であるといふ理屈にはなりや
うがない。また前者即ちキリスト教の場合もまた、時間が直線的で、しかもユダヤ教
の聖典の上に成り立ってゐる宗教ですから、如何にイエス・キリストがユダヤ教の改
革を試みたとしてもキリスト教の時間論はユダヤ教と同じ直線且つ単線の時間論に留
まりますから、帝国の宗教にはならず、帝国を生み出さないのは、ヨーロッパの歴史
の示すところです。だから、トマス・アキナスの言葉としてよく引用される時間に関
する短い論説は、時間といふ概念を定義できてゐません。辛辣ないひかたですが、捻
りの効いたアフォリズムに過ぎません。時間の本質、即ち時間の概念を、定義できて
ゐない。カントもこの概念を定義せずに、人間の生来的に持つ直観の形式としてし
まってゐてその上に論をなしてゐますから、この時間の本質を考察する努力は、共産
主義の系譜に正反対に対するに生命の哲学の系譜、即ちカントの後のショーペンハウ
アー・ニーチェ・ハイデガー・ハラルド・ヴァインリッヒ・デリダやドゥルーズ以降
に深く展開されることに、二十世紀のうちになったといふわけです。これらの哲学者
たちに感謝しつつ、かくして二十一世紀の神道学・Shintoismを語りたい。神道はism
か?といふ問ひに対する答へはここでも留保して先へ話を進めます。これは後日の談
とします。神道学の英訳はShintotogyといふ方がいいかも知れない。ドイツ語ならば
Shintlogie・シントロギーであり、日本学・Japanologieの中心の柱となる天の御柱・
アメのミハシラです。これを教へる学校は、私塾にしか今の日本には、ない。

さて、後はハンチントンの挙げた文明及びその他滅びた、といふか西欧人の残虐に滅
ぼした複数の古代帝国と宗教の関係即ち皇帝の祖先・始祖が果たして神話の世界に淵
源してゐるかを検証すれば、私の文明論仮説とその文明の時間概念の共通性が証明さ
もぐら通信
もぐら通信 ページ44

れることになります。せいぜいたとへ単線の時間論でもいいので、この単線の時間が
同時並行的に複数存在するといふ時間概念を有する国ならば、そのやうな神話を有し
て皇帝を戴き、帝国足りえたかも知れませんが、ここはどうもSF文学の領域といふべ
きかも知れません。といふのもまた、私の考察によれば、時間もまた有機的に立体的
に次元を幾つも抱へてゐるからです。神道のやうにいつも限りなく時間の次元を二次
元の平面的な世界の次元に還元してやまないといふ思想もまたありえます。もし日本
文明の特殊性をいふならこれです。これは諸処既述の通り、日本語の文法構造によつ
てゐる私たち日本人の思考構造がさうだからです。だから日本に舶来品が入ってくる
と何でもかんでも日本流に小さくなり柔らかくなり平たくなる、単純になる。ドイツ
人の好きなあの石のやうに硬い小さなパンも、日本に来ると食パンと呼ばれて平たく
なり平面になって柔らかくなるわけです。小さく丸めたパンですら見かけは硬さうで
すが、中は柔らかいといふ有様です。わたしの好きなのはいふまでもなくあの硬いド
イツのパンです。日本のパンはパンではない。やはり本物を日本人は求めるべきで
す。もし海外に学ぶといふならば。そしてどんなにその文物が硬くて私たちの歯に立
たなからうが。

ここに於いて時間は次元化すれば限りなく空間概念に近づきます。この議論も別の論
考に任せるとして、本題に集中します。要するに、私のいひたいことは、日本人の時
間概念によれば、本居宣長の主張した通りに、カミはヒトである以上は、

神話こそが現実であり、従ひ人間と神に関する事実を正直に文字に写して書いてゐる
のだ

といふことです。上記に難しく書いた此の帝国時間論・神話時間論・中今論を、本居
宣長は自分の言葉で全く上記の論理と同じ言葉の意味の等価交換原理に基づく論理
で、カミはヒトなりと断言してゐます。これも縄文紀元論に引用したので此処では繰
り返さない。カミはヒトだが、それではヒトはカミであるのはどうやつてかといふと
ころにお祓ひがありメビウスの環の神道の存在論があり、ヨーロッパ流にいへば科学
の問題としてのトポロジーの解法がある。これについても後日の談とします。トポロ
ジーは位相幾何学ですから、時間と空間が限りなく同じものになるといふことが、次
元の観点から眺めると、なる、といふことが此処でもわかります。

最後に何故日本は日本帝国を名乗るに値する国家かといふ理由とその根拠を述べま
す。

問:日本は神道または神仏習合の結果としてある日本の宗教を基礎にしてゐながら、
日本列島一国を国家として来たのだから、帝国が複数の王国を統治するわけではない
のだから、帝国と呼ぶことができないのではないか?たとへ天皇・カイザー・エンペ
もぐら通信
もぐら通信 ページ45

ラーと欧米流に呼んでも論理的な説明がつかないのではないか?ユダヤ教のやうに一
王国を支持する宗教に過ぎないのではないか?

答:環太平洋火山帯文明帯・文明論仮説を思ひ出してほしい。日本文明と同じ型の文
明が此の環太平洋の火山帯の上に栄えたし今も栄えてゐるのです。それは北中南米の
太平洋側の大陸の縁・へりにある帝国もあれば、太平洋の海の中に島嶼王国として幾
つもの島々があり、それらをまとめた帝国もあつたといふことです。即ち、帝国には
次の二つの型がある。

大陸型帝国
海洋型帝国

この二つです。ですから、何も特に支配をするなどといふことをせずに、環太平洋火
山帯に沿つて他の帝国と交流して、同じ宗教を共有するが故に緩やかに支配ーといふ
支配といふ言葉が適切かどうかは疑わしいがーをなす一つの帝国なのです。といふこ
とは、他の海洋型帝国もまた日本帝国に対して同じ位置に等価で、太平洋ではあると
いふことになります。といふことは、大陸型の帝国の文明と文化の概念も海洋型の帝
国の文明と文化の概念と異なるといふことになり、海洋型帝国または海洋型文明と文
化の定義は次のやうになる。

海洋型文明の定義
海洋型文明とは、大陸型文明が城壁を有した都市間ネットワークであるのに対して、
海洋にある島嶼の全体または部分もしくは単独・単一の一個の島にあるミナト間ネッ
トワークである。
このやうに考へることができる。わたしが今持つてゐるミナトまたは水奈門もしく
は海奈門の階層は次の通りです。津が夜の星辰にある恒星を呼んだ縄文語であること
は『縄文紀元論』の最初のところで縄文語の基本用語の分類表を示して明示してあ
る。これも其処に書いた通り古事記と中臣の大祓へを読んで分類したものです。縄
文・古代の日本人の分類は次の通りです。

[夜の月と星の海上の世界][昼の太陽の照らす海上の世界]
[天之御中主神の世界][天照大神の世界]
大津>津 > 湊>港

この階層化された縄文語の分類の階層をみると、古事記の冒頭の天地初発の叙述の通
り、高・天の原の第一層と第二層の階層と一致してゐることがわかります。ここまで
来ると、『日本一極国家論』と『縄文紀元論』が次第に収斂して一つになつてゐるこ
とがわかります。以後双方に同じ原稿の部分の引用が相互にあり得る。
もぐら通信
もぐら通信 ページ46

海洋型文化の定義
海洋型文化とは、海洋型文明の下の階層にありまたは海洋型文明の上にあつて、島嶼
といふ一つの全体集合に、島嶼の中に部分集合としてある島々に、または単独・単一
の島の上にある、部族社会の習俗・慣習・習慣・風俗のことである。

あとは、たとへば地中海に海洋型帝国があるか、キューバのあるあのアメリカの下の
海に海洋型帝国があるかといふ考察をすることによつて、海洋型帝国の概念と定義の
適用範囲をもう少し洗練させ彫琢して確定することができます。この考察は後日とし
ます。

日本帝国は、さうすれば複数の王国からなつてゐる筈ですから、今なら都道府県、江
戸時代ならば幕藩体制とそれぞれの藩は、ヨーロッパ流にいへば王国といふことにな
ります。大祓へを読みますと、太古の大倭日高見国は帝国であり、傘下に関東以北の
国々を形式論としては要してゐたといふことになります。これがおそらくは資料とし
て、即ち文字として残る世界最古の帝国の名前であり姿です。この太古の帝国が今で
もスメラ・ミコトを戴いて二十一世紀にも存在してゐるといふことは、私は間違ひな
く、そしてこれは皮肉を込めてこの英語の副詞でいふのですがglobalな、そして奇蹟
です。この太古・古代帝国が如何に王国を統治したかは、この鹿嶋の地にきて、これ
は一種のフィールド・ワークですから、実地に見聞をしてよくわかりました。結論を
いへば、

要するに、ハンチントンの文明論は大陸型文明を論じただけで、残り半分の海洋型文
明に少しも気づいてゐないといふことです。アーノルド・トインビーも同じです。日本
は、それでも、ハンチントンの気になる文明であつたといふことです。わたしの文明
論はハンチントンの論じ残した地球文明論の残りの半分です。これを言語化できるの
は明治維新以来西欧米と切磋琢磨しその文化を嚥下咀嚼して戦争を幾つも経験して犠
牲を払ふほどに死力を尽くして生きて来て今に至る私たち日本人しかゐません。

日本文化についていへば、鹿嶋の地に住んでゐての結論は、河合隼雄の唱へた日本文
化の中心は中空だといふ仮説は正しいといふことであり、河合隼雄がユングの理論か
ら転用して使用してゐ星辰の配置を表すconstallationといふ用語を以て呼んだ日本文
化のあり方は正しいといふことです。このconstallationといふ文化分析用語は、本来
日本のお祭りはすべて夜に行はれてゐたといふ歴史的事実に合致してゐる。即ち、日
本のお祭りは元来すべて高・天の原の第一層で執り行はれてゐたといふことになりま
す。高・天が原は今の鹿島神宮のあるところに今も現存してゐること、その海からの
参道を挟んで高・天が原の向かいには猿田彦の一族の名前が猿田として今もあること
は、これも『縄文紀元論』にて既述の通りです。さて、
もぐら通信
もぐら通信 ページ47

問1:一体天皇とは何でありませうか?
私の答:この問に答へることができたら、日本の国とは何かといふ問に答へることが
できます。この論考の回での文脈では、ここまで考察して来てのキーワードは中空と
constallation。天皇は日本語といふ言語の構造通りに二重性を備へてをり、その名前
は漢意の名前ですから、それは表の姿。裏の、やまとこころの本当の名前はこれもご
存知、スメラ・ミコトです。スメル・統べるといふ言葉の適用範囲は、以上の考察か
ら、またこれまでも書いた通りに、三つのネシア(ミクロネシア・メラネシア・メラ
ネシア)のある辺りの島々を統治するーといつても大陸型国家でアングロサクソン語
族のいふやうな暴力的で野蛮な統治ではないー中心の海洋型帝国の最高権力者であ
り、その名前がスメラ・ミコトであつた。瓊瓊杵尊が火山の火を噴く山頂の火口かま
たは同様の自然状態のカルデラといふ美しい凹の形象を拝んで、その自然の圧倒的な
力を我が身とスメル傘下の諸国または諸部族の土地土地・島々・国々をシルス深い宗
教的な根拠となつた。ですから、神話的とは宗教的といふことであり、具体的なマツ
リ・コトと一致してゐて、今の漢意の用語にいふ政治と宗教との間には全く逕庭はな
かつたのです。シラスに対してある縄文日本語のウシハクとは、かくして、諸王・諸
族長の治めるところを言ひ、スメラ・ミコトの知り且つ知らしめるところに従ひ、そ
れぞれの王国または王国相当の国である島を島々を島嶼をクニとして治めたといふこ
とです。クニの語源がクネクネのクネの名詞化の活用にあつて、これは其の音の通り
に解剖・生物学者三木成夫の用語にいふ「根原の類似」言葉であり、島々を一筆書き
で書いて、即ちトポロジーによつて一筆書きで描いた線が起点に戻つて初めが終りに
なり終りが初めになつたところで、その線の内側の空間が、クニと呼ばれる国であつ
たといふ説明、これも既に『縄文紀元論』で記述のところです。

このやうに、スメラ・ミコトの知らす国々または交易する国々の所在は、環太平洋火
山帯文明帯にあつた。さうすると、やまと言葉でいふシラスの意味は、今の用語でい
ふ勅使を派遣して何かを知らせることによつて統治できるといふ意味になり、その統
治の範囲がそのままシラスことの範囲であり、縄文太古の超古代帝国の交易範囲であ
つたといふことになります。明治時代初めに発布された大日本帝国憲法の第一条の、
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之を統治ス、とある此の条文に初代総理大臣伊藤博文は
次のやうに 釈してゐる。

「 所謂「シラス」とは即ち統治の義に他ならず。蓋し、祖宗其の天職を重んじ、君
主の徳は八洲臣民を統治するに在て一人一家に享奉するの私事に非ざることを示され
たり。此れ及び憲法の拠て以て其の基礎と為す所なり。」
(呉PASS出版『帝國憲法 皇室典範義解 全』伊藤博文著、2ページ)

シラスといふやまとことばは、漢意・からこころでいふ統治のことであると伊藤博文
は言つてゐる。この統治とはシラスことだといふことについて伊藤博文は此の一条、
もぐら通信
もぐら通信 48
ページ

それも憲法の第一条の 釈で非常に大切なことを言つてゐる。それは次の二つです。
シラスの意味とは、

1。祖宗其の天職を重んじ、君主の徳は八洲臣民を統治するに在て一人一家に享奉す
るの私事に非ざること:
八洲とは大八島の意味ですから、これは現在の日本列島の意味だとして理解をした上
で其のこころを読めば、次のことが解る。

天皇家の先祖代々には天職があつて、その天職を重んじてきたわけであるが、その天
職とは君主たる天皇の徳を以て日本の国を統治即ちシラスことにあるのだ。従ひ、こ
の天職たるシラスことの地位は私事ではないこと。普通に私たちが思ふやうな一人一
家ではなく、一人万家であり(古事記の世界)、一人千家(日本書紀の世界)である
こと。私事でなければ、これが天皇と公事(くじ)の関係である。即ちチ・ヨロズ/千
萬の世界が君主たる天皇即ちスメラ・ミコトの及ぶ徳の範囲であるといふこと。千の
世界は時間の存在する日本書紀の世界、萬の世界は時間の存在しない古事記の世界。
この二つを古代の日本人は文字の導入によつて二つに分けねばならなかつた。

ここに於いて、この論考の文脈では、この第一条の意味するところの前半の意味と
は、このスメラ・ミコトの及ぶ徳の及ぶ範囲、即ちシラスこと・知らし示すことの範
囲が、大倭日高見国を建国する前の、既述の、3つのネシアを中心とした環太平洋火
山帯の島嶼群であるといふことです。その宗教的権威および権力は、上述の通りで
す。権力のない権威はなく、権威のない権力はない。

2。此れ及び憲法の拠て以て其の基礎と為す所なり:
これも非常に大切な一行です。何故ならば、このスメラ・ミコトの徳が憲法の基礎で
あり、その逆ではないと明記されてゐるからです。憲法の理論的根拠は天皇にあり、
天皇家の天職たる其の職務は私事ならざることに存し、従ひスメラ・ミコトの徳によ
る勅令の備へる威徳即ち威令によつて道徳的に統治する範囲がシラスことの範囲であ
るといふことになるからです。道徳的に統治するためには其の根拠となるのは宗教で
ある。即ち、

天皇といふ存在と其の地位は、憲法の内部にあるのではなく外部にあつて、憲法の精
神と条文の基礎になる。といふことを言つてゐる。この文脈に於いて、今のGHQ製の
当用憲法の世の中で天皇が革命を起こすことができるといふ三島由紀夫の天皇観・憲
法観は正しい。GHQ製当用憲法を否定するならば明治帝国憲法に戻りて、後者の憲法
を国際天下・国内天下の環境に合はせて改正をすべきであるといふ理・ことわりにな
ります。そのためには日本の憲法学者は、古事記と日本書紀を読まねばなりません。
さうでなければ憲法に関する議論ができないからです。もう一度繰り返せば、
もぐら通信
もぐら通信 ページ49

日本は王国ではなく帝国でありますから、前者即ち王国の王の起源が人に るのに対
して王国群を束ねシラス後者即ち帝王即ち天皇即ちスメラ・ミコトの起源は神に
る、即ち神話に ること即ち神話に淵源する徳の人に及ぼす威令によつて統治するこ
とを、伊藤博文はシラスとは統治のことだと 釈してゐるのです。
だから、憲法の性格も根底から本質的に他の王国または王国相当の国の憲法あるい
は西欧近代に生まれた共和制の国々の憲法とは異なる。即ち、憲法と英語でいふ
constitutionとは、このやうに異なつてゐるのです。ですから、ここに至つて私たちは
憲法はconstitutionではなく、constitutionは憲法ではない、といふことができる。と
すれば、わたしたちが回帰して模範とすべき憲法は聖徳太子の定めた十七条の憲法で
せう。この17箇条をお読みになるとすぐに気づく筈ですが、どの条文もみな人の道徳
に関することが定められてゐます。これが日本の憲法の基礎なのであり、その基礎の
基礎が天皇家の天職であるシラスこと即ち徳によつて島嶼国家ーこれは今の日本列島
そのものの姿ーを治めるのであるといふことが私たちに理解されます。このやうな日
本列島の上に日本国の憲法は載つてゐる。その逆ではありません。従ひ、国民が天皇
といふ御存在に上奏すれば、国民はGHQ謹製当用憲法を改正しまたは廃止することが
できる。これが憲法論議の際にものを考へる順序ではないでせうか。そして国民を代
表するものが国会議員である。即ち国会の場で万機公論に決して後、総理大臣が天皇
陛下に上奏して新しい憲法をお読みいただき、承認を戴いて、今上陛下の御名前で天
下に発布するといふことが、憲法改正を考へる物事の順序であり道理であるといふこ
とになります。憲法の改廃と改廃の手続きおよび憲法の改正を巡る条文の新たな文言
に関する今の政治家も含めた専門家たちの議論は混乱を極めてゐて愚劣である。改廃
の制度および条文の修正は法的に表裏一体でなければならないが、論ずるものは誰も
法的に有効な改正手続きについて正しく論じてゐない。このやうに、明治帝国憲法に
戻らねば、ものごとの道理と具体的な筋道は明らかにはならないのです。保守を自称
する人間でありながら政治と文化の二つの範疇を混同するものが多いがーこの範疇の
混同は三島由紀夫が最も意味嫌ひ否定したものであることは安部公房とともに出した
文化大革命に対する反対声明を読めば明らかであるー、しかし、従ひ、政治と文化は
範疇が異なるので、この二つは峻別しなければならないのであり、従ひ、ここでこれ
以上政治・政事に足を踏み入れないが、笑ふべし笑ふべし、保守を自称するならば古
事記を読めと神々がいひ、日本書紀を読めと神武天皇がいつてゐる。皇統?以上の意
味もよくわからずに、よくも皇統などといへるものだ。言葉の意味をよく理解してか
らその言葉を口から発しなさい。理解できてゐなければ沈黙せよ。これが最高の力で
あり最高の権力の発露である。民草の沈黙にこそ耳傾けよ。ところで、一番の近道は
天皇陛下に尋ねることだよ。ところで、天皇つてなあに?神聖にして侵すべからず。
従ひ、自問自答なされよ、各々方。当用憲法の改正に国民投票が必要か?それなら廃
止にも国民投票が尚必要か?いづれの答へも明らかである。不要である。明治帝国憲
法の制定のプロセス・過程に従へばよいのである。日本の憲法学者が最も詳しく知る
ものたちであるので、彼らに教へを乞ふべきである。学者はそのためにゐる。これを
もぐら通信
もぐら通信 ページ50

本当の御用学者といふのだ。無用学者は要らない。この文章を書きながらつまらぬ英
語の洒落を思つたが、洒落にもならぬ洒落である。

Delete Elete!

閑話休題

しかし、更に憲法論議を続けよう。

既に『日本一極国家論』にて古代ギリシャの哲学者ソクラテスがプラトンの著した
『国家 』で人の体を国家といふ有機体に適用すると実によく隠喩としての説明がつ
くことに驚いてゐるといふ逸話を引用して国家と戦争を論じた。ここで引用するのは
既に名を挙げた解剖・生物形態学者の三木成夫の憲法論です。この憲法論ならば、わ
たしたちは憲法を自己に正直に嘘偽りなく日本人の日本語による憲法として制定する
ことが新たに出来る。

「世間では「体質」と呼んでいます。英語ではconstitution。つまり「なりたち」のこ
とです。生まれながらにして備わっている。からだのタチ……よくタチがいい、わる
いと言っているあのタチというのも、このなりたちのたちと同じでしょう。私どもの
からだには長い長い歳月をかけた、このなりたちの歴史があるわけですが、人によっ
て、それらが異なるものであることはいうまでもない。そしてこれは胃袋についても
いえる。胃のタチはけっして「均一」ではないのです……。』
(『内臓とこころ』河出文庫60ページから61ページ)

さう、世界中のクニは均一ではない。みなタチが違つてゐる。それを漢意で私たちは
国民性と呼んでゐる。国民のタチが異なれば憲法のタチも異なつて当然である。アメ
リカの占領軍GHQの制定させた今の当用日本国憲法はタチが悪いのです。

さて、天の下知らし示すスメラ・ミコトの意味が以上のことだとして、中臣の大祓へ
に拠つて、高・天の原の世界を更に論じます。そのあとで、環太平洋火山帯文明帯・
文明論仮説に基づいて、あるべき国家像と国家基本戦略を提示したい。

しかし、ここまで論じてきて、もはや此は文明論仮説ではなく、文明論または文明理
論であること確実であるので、以後仮説をとつて、環太平洋火山帯文明帯・文明論ま
たは同文明理論と呼ぶことにする。CPVB・CB_Theoryと略称し、更に・の両側のCB
を一つにして単にCPVB TheoryまたはCPV_Belt理論若しくはCPV帯理論と呼ぶこと
にします。但し、用語の概念としては、理論よりも論理が上位概念であることに留意
すること。即ち、theoryよりもlogics即ちlogos即ち言語論理が上位概念であり、言語
もぐら通信
もぐら通信 ページ51

論理から理論が生まれるからである。

天皇といふ存在は制度の外部にあり、憲法論議に限らず、法律体系を超越してゐて、
その上位に位置してゐる。何故なら、道徳が法律の基礎であるからだ。従ひ、法律に
よつて道徳を定義することによつて規制することは誤りであり、法律によつて道徳を
取り締まることは、犯罪である。今の世の政治家どもの悪業を見よ。

さて、とすると、日本の国家の模範・モデルとして還るべき時代は、私の考へでは十
八世紀の江戸時代の政治・経済を生み出した幕藩体制です。それをどのやうに変形さ
せて、即ち18世紀の政治・経済形態を21世紀の政治と経済の新しい形態に変形さ
せて今の日本に適用させて実現するかの具体的な方法と方策を考へることになる。こ
れは/これも後日の談としたい。あるいは後述する。
何しろ十八世紀の江戸・大阪・酒田に既に先物取引を生み出した日本の、世界に突
出した成熟した資本主義経済の商人たちである。二十一世紀のアングロサクソン族の
守銭奴資本主義など糞食らへといふべきである。日本の成熟した資本主義の十八世紀
に中央銀行など不要であつた。私たちはもはや西欧米に別れを告げるべき時が来たの
である。もつとも、私たちと志を通ずる生命の系譜の哲学者たちとは話ができるので
捨ててはいけないが。

古代帝國論 V:中臣の大祓への冒頭には何が書いてあるか

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ52

散文思索塾
(14)
思索とは何か
円錐形の内部と外部の関係について
(3)
岩田英哉

私がトーマス・マンの『Vision - eine Skizze』の文章を絵に転じたのと同じ絵を


描いてゐる画家を『藝術新潮』誌上に知つたので紹介したい。この画家の名前は、
長谷川潔さんといふ方で、既にパリで没してゐる日本人の画家です。

この画家の追悼文を竹本忠雄さんといふ方が書いてゐて、しかも私の今論じてゐる
安部公房の連載フォト&エッセイ『都市を盗る』の第十三回「分解された日常」
の号と同じ1981年2月号に同氏の追悼文は『神秘家・長谷川潔の遺したもの』と題
して掲載されてゐた。冒頭の最初の段落を引用します。

「銅版画の巨匠にしてパリ最長老の明治人、長谷川潔画伯が逝った。現代から姿を
没したというようりも過去から ったとでも言いたい。この現象的人物の死を報
ずるのに、日本の新聞界はそれを美術欄よりもむしろ「社会部あつかい」にした
ほどだった。そこに、日本におけるこの芸術家の位置づけがまず端的にあらわれて
いる。その作品と同様に、その人物もあらゆる意味で〈時のそと〉にあったから
もぐら通信
もぐら通信 ページ 53

だ。ということは、〈問題外〉ということと同じであろうか?」

竹本さんといふ方は此の画家を神秘家と呼んでゐるが、此の銅版画をみると、散
文家の私には此の銅版画もまた事実である以上、少しも神秘家の作とは思へない
が、しかしもしさう呼ぶことができるとしたら、結局この連載の最初に示した詩
文と散文の地層図といふべき人間の意識の階層層図の一番下に書いたやうに、
qualitas occultaといふ人間の言語化ができない領域・根底を此の版画家が、十八
歳のトーマス・マンと同様に、描いてゐるからです。ならば、なるほどさうか、確
かにマンもまた神秘家といふことができます。若い時代ミュンヘンにゐたころに降
霊会に参加してゐますし、それを小説にもしてゐますから。

追悼文によれば、この銅版画家は「「科学と神秘現象のあいだに接線を引きう
る」と宣言しつづけた」といふことなので、この絵は接線を描いた画像だといふこ
とになり、実際にさうである。この暗闇の中に置かれた事物、とリルケならばい
ふだらうものは確かに皆互ひに接してゐるし、接してゐるだけである。唯一薔薇花
をつけた小枝だけが、からうじて半円球から水平方向に出てゐるかと見えるのみ。
それなら、円錐形の光もまた暗闇に接してゐるのかといへば、然りであり、その
円錐形の光の中の、即ちアインシュタインの光に関する原理の適用範囲である世界
の中にある半円球を含む三つの事物もまた接してゐる。

接してゐるといふならば、これは言語の意味の世界では、修辞の問題としていふな
らば、換喩・メトニミーの世界である。換喩とは言葉の意味の世界でも物理の眼
に見える世界でも互ひに隣接してゐるだけ、接して隣り合つてゐいるだけの関係を
いひます。既にほかでも述べたので此処では詳述しないが、フランスはカトリック
の国なので其の教義の論理に従つて、この国は換喩の国、対して日本は何事も交差
する隠喩の国、隠喩以上・隠喩「以前」の隠喩の国ですから、この画家が日本を
嫌つたのか、フランスといふ国の宗教的論理を求めたのかと思ふと、同氏の追悼
文を読むと日本から追はれた様子ではないので、求めて彼の地に住み着いたといふ
ことなのでせう。日本人に追はれるやうにしてパリに住みついて画業を完成させた
藤田嗣治の乳白色の絵と長谷川潔の銅版画の絵は白と黒の対比によつて対照的な
ものに見える。

少し巻いた紙に書かれてゐる方程式は「アインシュタイン方程式の修正を記し
た」ものといふことであれば、方程式の両端にある と⃝の意味するところは、
⃝が全体で が部分ですから、⃝は を含むといふことをいつてゐる。とすれ
ば、これも正しい。が、しかし他方、 を⃝に変形すれば二つは等価であるとい
ふこともいへるが、しかし、この方程式に此のトポロジーの考へはないのは、こ
⬜︎
⬜︎
⬜︎
⬜︎
もぐら通信
もぐら通信 ページ54

の藝術家の論理が換喩であつて、等価交換の可能な隠喩の世界ではないからであ
る。

この光の円錐形の象徴思考のスイッチは今ONになつてゐるが、これをOFFにした
らどのやうな絵になるのであらうかと想像すると、全てが溶暗するのか、それとも
円錐形だけが消えて残りの事物は残るのか、接するとは何かといふ問に答へなけれ
ばならない。もう一枚の絵が掲載されてゐる。

上の鳥は下にある球面体に接してゐるのかと問へば、間違ひなく溶暗によつて、闇
であり夜であるものによつて、この鳥は球面体に接してゐるのである。と、さう考
へれば、夜が接線であると明言することができる。

この画家の此の溶暗の技法といふべき技法は渡仏後六年目にしてみづから開発した
技法であるとのことですが、結果として此のカトリックの国で日本人がヨーロッパ
のバロック様式を産んだ「十七世紀」の「マニエール・ノワールを復興した言われ
る」といふのも不思議だ。といふのも、十七世紀は三十年戦争が起きて、特にドイ
ツの国土は戦場となつて荒廃したが、この世紀は神も仏もあるものかと西欧の人
間たちが思つた世紀であるからだ。

このやうに言語化して絵画を読むといふことも一興とおもつて取り上げました。ひ
もぐら通信
もぐら通信 ページ55

とことでいふと、あなたが日本の内部にゐやうが外部にゐやうが、物理的にさう
であれ精神的にさうであれ、神と仏があることか、または神も仏もあるものかの
いづれかを書き、またいづれをも書いてみせる言語表現が散文であるといふことが
お伝へしたかつたのです。

トーマス・マンの『Vision - eine Skizze』の円錐形の光の中に浮かんで来る事物


は性欲に満ちてゐて生動してゐる生命そのものであるといふことが、この銅版画家
の世界の静謐とは異なる。しかしまた、マンの世界の夜に囲繞された円錐形の内
部も外部も無音で静寂の、沈黙の世界なのです。沈黙とはqualitas occultaの世界
といふ意味です。言葉は、誰の、どの個別言語の世界であつても、この沈黙の世界
から不立不文字の世界から生まれる。さてもまた、

あなたの日々の生活に、神はゐますや仏はおはすや?

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ56

私の本棚(58)
福岡伸一の『箱男』
(安部公房生誕100年記念発売新潮文庫版)の後書きの解説
「安部公房ー内部の内部に外部を探し求めた作家ー」への書評

岩田英哉

福岡伸一といふ生物学者、それも『生物と無生物のあいだ』の略歴によると分子
生物学者であるといふことであれば、『もぐら日記』に度々作家が言及してチョ
ムスキーの生成変形文法による遺伝子レヴェルでの言語の起源や、パブロフの死
の直前に残した資料から一次元上の反射が言語の起源であるといふ推論や、ロー
レンツの動物行動学を検討しながら同時に考へてゐる安部公房独自の言語起源論
といふべきクレオール論に加へて、この著者による後書きにある細胞論をそのま
ま安部公房の愛好したどころではない小説やエッセイの至るところに隠れてゐる
位相幾何学・トポロジーの形象を専門家の立場から論じてゐるのだと考へて読む
とその後書きの題名の「安部公房ー内部の内部に外部を探し求めた作家」といふ
意味が、まさしく一言で安部公房文学の本質を細胞生物学の方面から、しかも細
胞の構造と生成の視点から、言ひ当ててゐるといふことに、私たち読者は安部公
房の終生の問ひが生命とは何か?といふ問ひであつたのだと気づくことになるの
です。かうなると、ー生命ー言語ー位相幾何学ー国家ー文明ーが、安部公房の主
題の連鎖だと判ります。
そして、著者の安部公房の此の問への解答が、内部の内部に外部を求めること
が生命であるといふ結論を最初に題名として書いてゐる。

私たち読者は既に安部公房の世界がメビウスの環(二次元)であることを知つて
ゐる。クラインの壺ならば三次元の形象であるが、細胞を内部の内部へと外部を
求める生命力だと詳しく述べて、安部公房の文学世界スレスレに「周辺飛行」し
ながら専門的な語彙を使ひながら正 を射た解説をしてゐるので、今度は著者の
分子生物学の世界スレスレに安部公房の言語論が「周辺飛行」してゐるといふ、
読みながら、そんな気持ちのした書評です。

あなたは安部公房の読者ですから、もう新潮社文庫の『箱男』はお持ちでせう
が、この生誕100年記念版を手元に置いて、福岡伸一の後書き付きの新版をお読み
になることをお薦めします。何度読んでも面白いと思ふ。たつた9ページの文章で
す。それで十分過ぎる位の安部公房文学本質論になつてゐます。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 57

私は自分のことに言及することは余り好きではないが、しかし、この生物学者の
展開する細胞生物学の「細胞の持つ生命の自己展開の論理は、私のいふ言語を生
命ある有機体であるとした場合の普遍原理として言語は再帰的・recursiveな自己
増殖を繰り返すといふ事実と同じ事実を福岡伸一といふ方は其の方面から論じて
ゐるのです。これはこのまま安部公房の世界の構造を示してゐ、またドナルド・
キーンさんの此れも正 を射た指摘である、安部公房の小説にははつきりした終
はりがないといふ指摘に通じてゐます。キーンさんは其れ故に、安部公房の小説
は非常に日本的だといふのです(全集第25巻付属の「贋月報25」)。私も全く同
感です。私の安部公房トポロジー形象論は、日本語の言語構造の二重性・両義性
即ち再帰性に求めて私の安部公房論の最初からもう長い間展開してきたものだか
らです。松岡正剛も同じことを言つてゐる。松岡正剛が其の『千夜一冊』の安部
公房論でキーンさんと同じことを具体的な生理感覚として次のやうに書いてゐる
(https://1000ya.isis.ne.jp/0534.html)。傍線は引用者が付したものです。

「いま思い出してみると、『砂の女』に日本的なものを感じたことは妙だった。
そのころ[引用者:学生時代のころ]は日本とか日本的とかというものに、ぼく
の思念がかたちをなすことはなかったから、きっと日本の町のラーメンが中国の
ラーメンではなく、喫茶店で出るナポリタンとかミートソースというスパゲッティ
がイタリアのパスタとまったく違うものであるような、そういう独得の日本的限
定感覚といったものを感じたのかもしれない。
それに、なんというのか、日本人の身体のクセのようなものと、安部公房が慎
重に選んだ部屋や映画館や村や砂丘のような限られた時空間とが、どこかでふい
に入れ替えっこをしているようにも感じた。これはのちに『箱男』や『燃えつき
た地図』を読んだときも似た印象をもったので、きっとアベコーボーの言葉と人
生そのものの特色か、それともぼくの偏見なのだろう。
この印象は、あいかわらずうまく説明がつかないのだが、駄菓子屋の不均質な
ガラスの壺の中や、その駄菓子を買うと割烹着姿のおばさんが持ち出すペラペラ
の紙袋の音が気になるというような感覚につながっていた。駄菓子屋を一時的に
仮所有してしまうというような、そういう身近かな身体がくるりと反転していく
印象だ。その場面はウィーンのカフェやスターバックスや東南アジアの道端の色
水売りの店ではなく、必ず昭和の駄菓子屋でなければならないのである。ぼくは
そのあたりにアベコーボーに惹かれる意味を見いだしていた。」

上掲の引用で傍線を私が引いたところが、安部公房のトポロジーによる贋物の感
覚です。安部公房の小説で此のトポロジーの用語であるホモローグの概念説明を
火星人が主人公にする説明と全く同じです。松岡正剛が頭で考へるのではなく、
もぐら通信
もぐら通信 ページ58

いはば安部公房の主人公みたいに「飢えた皮膚」で考へる人であることがよく判
ります。『人間そっくり』で火星人は主人公に次のやうにいふ:

「そこがトポロジーの面白さなんですねえ。たとえば、原型になる模型を一つ最
初に作って置きさえすれば、あとはどんな複雑なパターンにでも、そのままそっ
くり位相転移させることが出来る。ですから、この場合なら、まず〈火星人だと
思い込んでいる地球人〉の構造模型でしょう。」(小説『人間そっくり』全集第20
巻305ページ下段)

「原型になる模型を一つ最初に作って置きさえすれば、あとはどんな複雑なパ
ターンにでも、そのままそっくり位相転移させることが出来る」といふ数学的・
トポロジカルな論理は、そのまま後年の安部公房スタジオの演技指導論の言葉で
す。安部公房スタジオの設立が1973年、この小説の発表は1966年です。

安部公房スタジオの俳優たちに安部公房は『周辺飛行18』で「ニュートラルなも
のの持つ意味について」と題して次のやうに説いてゐる:

「このゼロのニュートラルを基点にして、無数のニュートラルの変形が存在す
る。」(全集第24巻146ページ下段)

これでニュートラルといふ安部公房スタジオの演技指導理論の核心にあるのは、
ニュートラル即ち原型といふモデルまたは模型であることが判る。だから、安部
公房はまた『周辺飛行17』の「ニュートラルなもの」で、かうも演技論として言
つてゐるのです:

「その姿勢のままで、音の集中と排除をはじめる。(このときの姿勢の変化を、
自覚させること。何度も反復して、いきなりその集中=ニュートラルに飛び込め
るようになること。」(全集第23巻412ページ上段)

このトポロジーの本物・贋物論即ち原型と無数の変形の存在との関係を、この生
物学者は細胞生物学のこととして次のやうに解説してゐます。これは、私の言語論
の解説と全く同じ論理です。即ち日本人は、三島由紀夫が『文化防衛論』の中で
喝破したやうに、日本人は本物と贋物を区別しないといふのは、私によれば其れ
はなぜかといへばメビウスの環といふ日本語の構造にあるのだといふのと全く同
じ論になつてゐるのです。文学論と言語論と細胞生物学論の三つが全く同じ一致
点を共有してゐる。それに数学者の位相幾何学を入れれば、全部で四つの領域の
人間が同じ概念についての共有がある。それに宇宙物理学の宇宙発生理論である
「超弦理論」(Super-String Theory)即ち・振動紐理論が加はれば、その数が五
もぐら通信
もぐら通信 ページ59

つになる。紐理論とは結局紐の結び目と結びの祓ひ・払ひおよび波と渦巻の理論
ですから、まあ、私ならば縄文土器をご覧なさいといふところです。縄文神道の
形而上学の正しさを物理学者の方で証明してくれてゐる。
いや、さて、細胞は立体的なので、メビウスの環ではなくクラインの壺論とい
ふべきですが。福岡さんといふ方の最初の、冒頭の三つの段落だけで、これはも
う立派な一 の完成した、完結明瞭にして単純明解なる安部公房論、即ち生物学
的トポロジー安部公房論なので、その三つの段落を引用します。

「 細胞生物学の中で最も重要な概念は、内部の内部は外部でる、というテーゼ
ではないか、と私は思っていて、自分の本の一章もこのタイトルをつけたことが
ある。細胞とは、一枚の薄くて丈夫な膜で囲まれ、水溶液に満たされた小さな袋
だと捉えられがちだが、実のところもっと動的な存在である。細胞を取り囲む細
胞膜は、脂質二重層という構造を持ち、極めて動的に流動している。絶えず新し
い細胞膜成分が供給され、古い細胞膜成分は回収されて分解される。そうしない
と活性酸素の攻撃による細胞膜の酸化を排除することができない。
細胞膜から古い部分が回収されるときは、一部が内向きに陥入してそれがくび
れ取られるようにして小さな球体(小胞)を形成、これが細胞内で分解される。
逆に、細胞膜に新しい膜成分を挿入したいときは、細胞の内部で細胞膜と同じ成
分でできた小胞が形成され、この小胞が内側から細胞膜にドッキングするかたち
で、小胞は細胞膜の一部となる。
後者の仕組みは細胞外に放出すべき分泌タンパク質の輸送や、細胞内の老廃物
を細胞外に捨てるためのシステムでもある。細胞内で生じた物質を細胞外に出し
たいとき、細胞膜に直接、通路を作ることは極めて危険である。その通路を通し
て外来物が一挙に流れ込んでくるし、細胞内の重要成分が流れ出してしまう。な
ので、細胞は自分の内部にもう一つの内部空間を作る。内部空間は膜で閉じられ
た小胞である。そして細胞は、内部につくられた内部の、そのまた内側に分泌タ
ンパク質や老廃物を入れる。この行為は、分泌タンパク質や老廃物を細胞の外部
に放出したのと、トポロジー的に同じことになる。これらを内包した小胞は内側
から細胞膜にドッキングし、その一部が外部に平衡することによって、内容物は
外に放出される。これがすなわち、 内部の内部は外部である ということであ
り、生命現象にあっては、内部の内部は常に外部と絡路を持っている。その絡路
を行き来する動き、それが動的な生命の本質でる。

初期の作品である『砂の女』、『他人の顔』から、後期の『方舟さくら丸』、
そして未完の遺作となった『飛ぶ男』に至るまで、安部公房の作品には一貫した
問いかけがあると感じる。それは、人間は常に閉ざされた王国を自分の内部に作
り上げようとする。が、それは決して自己完結した宮殿として完成することはな
い。むしろ閉された空間は何らかの方法で世界に向かって開かれなければならな
い。そうでなければ生命は生命たることができない。その方策を何とかしてでも
もぐら通信
もぐら通信 ページ60

探求しなければならない。こんな問いかけである。
言い換えれば、安部公房は終生、内部の内部に外部との絡路を探し求めた作
家、ということができると思う。」

私が言語の世界で「動態的均衡点」と呼んでゐるものを、この生物学者は「動的
平衡」(dynamic equilibrium)と呼んでゐる。この名前の嚆矢は自殺したユダヤ
人の生物学者ルドルフ・シェーンハイマーとのことですが(著者の『生物と無生
物のあいだ』講談社現代新書「プロローグ」8ページ)、それなら私の「動態的均
衡点」も「dynamic equilibrium」と呼ぶことにしよう。ダイナミック・イクイリー
ブリウム。三木成夫は同じことを「私たちの目 みるものも、耳 聞くものも、
す て大脳皮質 の段階 は融通無碍に交流し合って」ゐると説明してゐます
(『内臓とこころ』河出文庫139ページ)。トポロジーといふ数学の起源が此れで
す。それから、福岡伸一さんのいふ細胞の働き・機能である、「細胞生物学の中
で最も重要な概念は、内部の内部は外部である」といふ言葉によつてやはりトポ
ロジーの起源を説明してゐる。

私は此の言語原理、即ち古代ギリシャ人の呼んだ宇宙原理であるlogs・ロゴス
を其のまま国際政治と国際経済にまで適用して論じてゐる、といふことになりま
す。なるほど、言語原理といふ宇宙原理は、やはり、生物学的細胞原理であつた
か。言語学的細胞原理としての言語構造論は既に「散文思索塾(13)思索とは
何か:円錐形の内部と外部の関係(2)」(もぐら通信第180号)で文法の問題
として論じた通りです。人間は脳で考へてゐるのではない、全身の細胞を総動員し
て物を考へ書き発話し意思疎通をし全身で記憶してゐるのだ。確かにわたしは言
語構造と遺伝子の二重螺旋構造が同じ構造をしてゐるといふ証明をしたのでし
た。音楽理論の力も借りて。このとき私は福岡伸一さんの後書き解説「安部公
房ー内部の内部に外部を探し求めた作家」をまだ読んでゐない。他の著作も読ん
でゐない。手元にあるのは未読の、ひとからもらつた『生物と無生物のあいだ』
があるだけです。

この方の安部公房論の後半もまた見事な解説になつてゐます。安部公房の終生の
関心事であつた、

ー生命ー言語ー国家ー伝統ー文明ー

この関係を見事に生物学者として、私たちのために、解説をしてくれてゐます。同
じことを最後に繰り返しますが、あなたは安部公房の読者ですから、もう新潮社
文庫の『箱男』はお持ちでせうが、この生誕100年記念版を手元に置いて、福岡伸
一の後書き付きの新版をお読みになることをお薦めします。
べ
で
で
で
もぐら通信
もぐら通信 ページ61

私は、今連続的に論じてゐるフォト&エッセイ『都市を盗む』が終はつたら、次
は『もぐら日記』を読むことにしようと、福岡さんの安部公房論を読んでいつの
間にか決めてゐる自分に気がつきました。

結局福岡さんは、若い十代の安部公房が「部屋」と呼んで哲学上の親友中埜肇に
手紙で書いてゐた、一人一人の人間個人の「心の中の部屋」、後年云ふところの
「私の中の「私」について論じて下さつてゐるのです。この「心の中の部屋」の
部屋を英訳すれば、それはcellと呼ばれ、独房とも和訳される、孤独な閉鎖空間の
ことです。しかし、何故安部公房があんなにリルケの『マルテの手記』と『オル
フェウスへのソネット』を れるやうに読んだかといへば、そこには必ずトポロ
ジカルな「内部の内部の中の外部」即ち「私の中の「私」」といふ出口が書かれ
また歌はれてゐるからなのです。わたしは、安部公房がどのやうにトポロジー・位
相幾何学でリルケの『オルフェウスへのソネット』を読んだのかは、もぐら通信
誌上で、このドイツ語の詩を日本語に訳して【解釈と鑑賞】で論じました(もぐ
ら通信第56号から第111号まで)。 かく考へて来ると、安部公房のいふ地の文
に存在論の記号無しで書かれる窓が実は《窓》であつて、存在へと開かれた出口
であることに気づくのです。さうであれば、安部公房の好きであつたカメラの其
のファインダーも《生きた窓》であつて、実は安部公房にとつての写真撮影とは常
に写真を撮影してゐるときに其れは《生きた窓》であつて、脱出を安 されて向
かうに見えてゐる生命ある世界への《生きた窓の出口》であつた。

[ 1]
安部公房は中埜肇宛に次のやうに書いてゐる:

「中埜君、どうかどんな時にでも僕たちの心が君の心に接してある事を想出して下さい。君がどん
なに苦しく想っても、どんなにつらく想っても
、君の心の部屋のほんの角っこに、小さく君を見つめて居る眼のあることを忘れないで下さい。そ
して時々はその部屋の中で深呼吸する事、其の中で僕達は永遠に語り合ふ事も出来るのぢやないで
せうか。」(全集第1巻、79ページ下段)

中埜肇宛の書簡本文の後に幾つかの詩 が続いてゐて、その詩の中に愛といふ言葉が出てきますの
で、安部公房が愛といふときには必ず此の「私の中の「私」」といふ存在への出口が心の中では同
時に思はれてゐるのです。世俗的な表層的な愛では全然、ない。同じ「心の部屋のほんの角っこ」
については、安部公房による埴谷雄高論『物質の不倫について̶̶『死霊』論』で「片隅の歴史」
といつてゐて、「部屋中で一番大事なところだ」と書いてゐる(全集第2巻78ページ)。勿論この
部屋の隅などには誰も目を向けることなく、薄暗い角なのです。箱男の世界です。

この福岡さんといふ生物学者の生命観は、安部公房の読者にふさはしく越境的で
あり、従ひ自分固有の範疇の分を弁へながらーこれが大事。これが此の方の倫理
と道徳の規範の描く「周辺飛行」の軌跡となつて節度と謙虚のある安部公房論に
なつてゐるー、従ひ両者の範疇の混同は一切なく、更に従ひ、素晴らしい安部公
房文学の本質論になつてゐます。
もぐら通信
もぐら通信 ページ62

ここから先は書評の書評、論の論ではなく、初心とは何かといふ話になります。
初心とはいつも、終はりの始まりの話であり、始まりの終はりの話です。やはり
此の福岡さんといふ生物学者の言葉がイキイキしてゐるので、私も引きずられて次
のやうな文章を書きたいと思つた。イキイキとは、解剖・生態学者の三木成夫の
用語でいへば「根原の類似」の言葉です。こんな文章を読むとワクワクするし、
ドキドキする。福岡伸一著『ルリボシカミキリの青』の序文からの引用です。あ
なたの人生の役に立ちますように:

「私はたまたま虫好きが嵩じて生物学者になったけれど、今、君が好きなことが
そのまま職業に通じる必要は全くないんだ。大切なのは、何かひとつ好きなこと
があること、そしてその好きなことが、ずっと好きであり続けられることの旅程
が、驚くほど豊かで、君を一瞬たりとも飽きさせることがないということ。
そしてそれは静かに君を励ましつづける。最後の最後まで励ましつづける。

ルリボシカミキリの青。その青に震えた感触が、私のセンス・オブ・ワンダーだっ
た。」

私の場合には、この子供時代のルリボシカミキリの青とは、言葉の青であつた。
その青に震えた感触が、私のセンス・オブ・ワンダーでした。それは、雲一つな
い、夏の来る前の北の大陸性気候の大地の、或る時家の玄関を出てフト仰ぎ見た
大空の青色であつた。この青を目にしたときに、こども心に、宇宙がどのやうに
できてゐるかを何とかして知りたいものだ、と心の底から思つたのである。何と
かして、とは、何を差し置いても、であり、何が何でも、であり、一心不乱に其
のことだけ、といふ心である。わたしの人生には、考へてみれば、このほかのこ
とは何もない。

次回は映画『オッペンハイマー』を観たので論じます。政治と科学者の問題も含
めて感想を、私のsense of wonderで書いてみたい。安部公房は此のsense of
wonderで書く文学を、仮説設定の文学、と呼んだのです。そして、このsense of
wonderによつて生まれた文学を、人は、SF文学と呼んでゐます。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 63
カフカの箴言

(28)

悪を受け容れること

岩田英哉

【原文】

Wenn man einmal das Böse bei sich aufgenommen hat, verlangt es nicht mehr,
dass man ihm glaube.

【和訳】

ひとが悪を自分で受け容れたからといつて、そのことは、悪を信じることを要
求するわけではないのだ。

【解釈と鑑賞】

これも、その通りの箴言ではないでせうか。

悪事をなすことを自分で知り、それを受け容れて、したとして(そういう人間
は数多くゐ るに違ひない、知つても知らずとも)、そのことと、悪の言ふと
ころを信ずることは、また別だといふのです。

理性を失はないための箴言です。しかし、日常的な悪とはむしろ、悪を信じて
なすのではないのであらうか?といふ逆の問ひも立ててみたい欲求に駆られる
のである。つまり、このカフカの文は宗教に触れてゐる。
もぐら通信

もぐら通信 64
ページ

ショーペンハウアーの箴言

(23)

名声と忘却

岩田英哉

【原文】

Der Ruhm mag verschwinden, die Vergessenheit währt ewig.

【和訳】

名声は消滅するかも知れないが、忘却は永遠に続く。

【解釈と鑑賞】

この箴言は、奥深いものです。

名声が世俗の儚い、流行のことであれば、これに対して、忘却といふことは、永
遠に継続するといふのです。

もしこの世が永遠に時間の中にあるやうに見えてゐるとしたら、それは、深い忘
却の上に、この世が成り立ってゐるといふことを、この一行は、意味してをりま
す。

そして、私は其の通りだと思ふものです。あるいは、深い眠りの上に此の世がある
といつてもよい。

さて、さうであるとして、次の問ひは、

問:それでは、この世の夢を見てゐるのは一体誰だなのだ?何なのだ?
答:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もぐら通信

もぐら通信 ページ 65
縄文紀元論
Topology
(40)
5.55 息栖神社(2)/

岩田英哉

5.55 息栖神社(2)
5.55.1 猿田彦大神について(2)

書きたいことが一杯あつて筆が追いつかない。しばし待たれよ。次号まで。
で
もぐら通信

もぐら通信 66
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1. も ら通信は、安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜 を見出すもの す。

2. も ら通信は、安部公房という人間とその思想及 その作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3. も ら通信は、安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、
その共有を喜 とするもの す。

4. 編集子自身 楽しん 、遊 心を以て、も ら通信の編集及 発行を行うもの


す。
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