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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信    Mole Communication Monthly Magazine


2016年9月30日 第49号 第二版 www.abekobosplace.blogspot.jp

迷う あな
事の
ない
たへ
: あこのもぐら通信を自由にあなたの「友達」に配付して下さい
あな 迷路
ただ を通
けの って
番地
に届
きま

ドイツ語版『R62号の発明』

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もぐら通信 ページ2
もぐら通信                          ページ2

    
               目次

0 目次…page 2
1 ニュース&記録&掲示板…page 3
2 食物と病氣の關係:安部淺吉…page 6
3 坂口安吾の発案になる『近代文學』の草野球試合の第一回…page 9
4 安部公房の箱根の仕事場とご贔屓のレストラン「ブライト」を尋ねる∼存在の部屋
と『もぐら日記』の中のレストラン∼…page 11
5 安部公房の読者のための村上春樹論…page 35
6 言葉の眼 7:映画『シン・ゴジラ』を読む…page 43
7 連載物次回以降一覧…page 63
8 編集後記…page 63
9 次号予告… page 63

・本誌の主な献呈送付先…page 64
・本誌の収蔵機関…page 64
・編集方針…page 64
・前号の訂正箇所…page 64

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•シュー
ズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。そこであ
なたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。

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もぐら通信 ページ3
もぐら通信                          ページ3

  ニュース&記録&掲示板

1。今月の安部公房ツイート BEST 10

むた郎 @mutaro11 9月17日


ole 賞
安部公房の壁読了…普通に面白かった
en M
Gold

lttrs @23limpflig 9月14日


はぁ NHK訪問インタビュー 安部公房全4回 終わってしまった。今回も解体さ
le 賞 れてしまった…
r Mo
Silve

ハトリオット @hkfreud 9月13日


受験生は君の名は観ないで安部公房読め

aketani_17 @Ake_T2 9月16日


@donkeys__ears まったく別の本ですが雑誌「國文學」の安部公房特集を書店
で何気なく手に取ったら製本ミスで中身が全部逆さまになっていたのを見つけ
て、すごいテンションが上がって購入してしまいました。

サナ @its_37A 9月16日
今年のハロウィンは安部公房の箱男コスをしようと決めました今。

zuriのみ@婚活垢 @mate_2d 9月12日


安部公房の箱男みたいに箱をかぶって生活したい!

幻想文学bot @I_hate_commie 9月10日


未だに安部公房"箱男"しか読んでない.

板倉拓人 @takusmw 9月13日


安部公房の全集買いたい。でも値段が高い(泣)

自閉症の宮地くん @ghy303 9月10日


安部公房みたいな作家いねえかなあ

ライ麦 @in_the_rye_ 9月11日


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大学生の頃、熱に浮かされたように読みあさっていた倉橋由美子。安部公房は、
時折ふと読みたくなるので長い時間をかけてじわりじわりと蔵書数が増えてい
る。福永武彦の本は触れただけで泣きそうな気持ちになる。
もぐら通信 ページ4
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メイ@jg @me_i_jg 9月3日


眠れなくて、唐突に思い出した
高校生の頃、安部公房の棒って小説の続きを書け、みたいな課題が出て、制限
時間内にめっちゃ筆が進んだのね
一度夢で死んで柩に入った感覚を思い出したので、物語と絡めてつらつらと書
いたら長くて暗い話になった
後日、皆の前で先生に読み上げられて死にたいと思った

ななさん @nana23_723 9月11日


あしゅが安部公房読んでるって聞いて、ゼミの課題で安部公房のデンドロカカ
リヤ読んだときにわけわかんなすぎて知恵熱出したことを思い出しました。砂
の女読んでみようかな。確か物置にあった気がする。

コクゴったー(BOTときどき手動) @kokugotter 9月5日


安部公房ワールド
「砂の女」→アリジゴクにハマったら壇蜜がいた話。
「飛ぶ男」→フツーに空飛ぶ男と目が合って家に押し掛けられた話。
「赤い繭」→自分って?家がないとわかんない!あ、じゃあ自分が家になれば
いいや!という話。
「公然の秘密」→ドブにはまった象を、なかったことにする話。

暁@奈々余韻9/30KEYTALKなんば @gyou3ao7 9月10日


安部公房も死ぬまでに読めるだけ読みたい作家です。

シン・はる @223bis 9月10日


気になるの予約しとこうと番組表確認したらCSで安部公房のインタビューを放
送してるみたいで、しかも全4話で、1話目を逃したの、ただただ絶望。2話
から拾えたとして、それでも大丈夫なんだろうか。ああ、明日三島さんと安部
さんの対談読み返しておこう。今日はもう寝る。「渇き。」で疲れた。

えある @earu_fifa 9月7日


安部公房は、ほんとすごいなあ。
時代性によるものとは思えないな。文学が生活に根ざしたもので、時代ごとに
需要があって、それに文学が応じるものだとしても、今の時代にこれだけの文
章を書ける作家さんがいるのだろうか、、。
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もぐら通信 ページ5
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名前ちゃん @toriaezuikinobi 9月1日


安部公房勧めてくれた友達が三人
貸してくれた人が一人

あまりに安部公房みんな褒めるから、
よしそのひとびとにまかせとけば安心だ、という気持ちになり一冊も読んでな
かった

そういう他人に任せた作家は長嶋有と柴崎友香と有川浩と安部公房と伊坂幸太

エンド @kaminotawamure 9月1日


安部公房の壁読んでるんですけど、ルイス・キャロルをカフカで割った感じで
面白いですね

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もぐら通信 ページ6
もぐら通信                         ページ6

食物と病氣の關係

醫學博士 安部淺吉

られ易いカロリー說
 食物の良否を根本要素に就いて檢討すれば、質と量と味と外觀の四つになると思ふ。このう
ち從來は料理人はもとより、一般人も味や外觀のみに捉われてゐたのである。味や外觀も我々
が食事をする場合等閑に附すべきではない。同じものなら味をよくし、外觀をよくして喰べる
といふところに文化があり進步があるのであるが、之にも限度があつて過ぎたるは及ばざるが
如しである。

 また質と量の問題にしても從來はその觀點が極めて主觀的であり、客觀的の批判は極めて少
なかつたのである。勿論その中には傾聴すべき幾多の真理を含んではゐたが、取つて以って萬
人に当て嵌める尺度とする訳に行かない状態であつた。

 ラボアヂェーの有名な酸化学説――即ち我々の喰べたものが消化され吸収せられて血液中に
入り、この血液が肺臓に運ばれ、肺胞壁(はいちうへき)で呼吸により吸込まれた酸素と化合
する時、エネルギーを遊離するといふ學説――が提唱せられて以来、量の問題の規準としては
熱量(カロリー)が用ひられるようになつた。

 食物の容積と熱量は比例するものではないから、貝原益軒先生の腹八分目といふ養生訓だけ
では少なくとも衆團栄養の規準としては不十分である。

第十九世紀の中葉までは食物の價値は單に熱量の多少だけで決定出來ると考へられてゐた。と
ころが閒もなく酸素、水素、窒素、炭素等の元素が發見されるに至り、蛋白質、脂肪、含水炭
素の三大榮養素が出現して、茲に食物の質の問題が提起されるに至つたのである。更に無機養
素の價値が認識せられ、ヴィタミンが發見せらるゝに至つて、食物の質の問題は極めて複雜化
すると同時に、特に重要視せられるに至つた。殊に最近に至つて都市生活者、就中產業人の異
常なる增加に伴ふ不自然なる集團生活と、食品工業の發展に伴ふ食品成分の單純化は、食慾の
赴く儘に、放置し得なくなつたのである。

食慾と榮養とは違ふ
次に各榮養素の身體に及ぼす影響を簡單に述べて見る。

(一)蛋白質 蛋白質は澤山のアミノ酸が集合して出來てゐるものである。現在わかつてゐる
アミノ酸の數は二十餘種であるが、その中には生命の維持や生長發育に不可缺の重要なものも
あれば、左程大切でないものもある。
もぐら通信 ページ7
もぐら通信                         ページ7

 この大切なアミノ酸が全然缺けてゐる蛋白や、その分量の少ない蛋白は榮養價がが劣る譯で、
その程度は樣々であるが、何れにしてもかやうな蛋白質だけを攝取してゐたのでは見掛けの蛋
白質量は十分でも、長く健康を維持することは困難で、軈(やが)て榮養不良になり抵抗力も
衰えて疾病の原因となる。特に發育途上にある乳幼兒や靑少年では全く成長が止まるのみなら
ずその惡影響は大人の比ではない。
(二)脂肪 脂肪は他の榮養素の二倍以上の熱量を有する點で重寶がられてゐるのである。以
前は脂肪の種類が違つても、その榮養價には大した差はあるまいと思はれてゐたが、近來に至
つて脂肪もその種類によつて榮養價に大差があるといふ事が判明したのである。

 良質の脂肪は牛乳の脂肪(バター)や卵黃の脂肪で、不良の脂肪は鯨油や魚油である。其他
の動物脂肪や植物脂肪は兩者の中閒に位する。卽ち動物實驗で鼠の飼料十五%位の割に鯨油を
加へると鼠の毛は濡れたやうになり、毛竝は亂れ次第に衰弱して死んでしまふ。これに反し、
牛酪ならば飼料中に五十%位加へても鼠は立派に成長するのである。かやうに脂肪にも種類に
よつて差があるのであるから、性質の惡い油を多量に喰べてはいけない。

 それからこれは脂肪自身の性質ではないが、脂肪の或るものはヴィタミンAやDを含んでゐ
る。これが又病氣に關係があるから氣をつけなければならなぬ。
(三)含水炭素 含水炭素の中で食物成分として重要なものは砂糖と澱粉である。特に澱粉は
穀類の主成分であつて、攝取總熱量の七十%以上を占めてゐる。しかし砂糖や澱粉は食品の種
類による榮養價の差はない。
(四)無機質 無機質は熱量を有しないので、榮養上重要でないかのやうに思つてゐる向もあ
るやうだが、無機質恒浸透壓や恒反應を保持する立役者であると同時に、骨格の主成分である。
また鐵は血色色素を作り、沃度はチロキシンといふ甲狀腺ホルモンを作る。從つて、鐵の不足
は貧血を惹起し、沃度の不足は甲狀腺腫を發現する。
(五)ヴィタミン類 ヴィタミンは二十數年前に發見されたものであるが、その後の進步發達
は眼覺ましく、既に提唱せられたものは十種にも及んでゐる。既に生物學的の作用も、化學的
性狀も、微に入り細を穿って硏究せられ、中には人工的に合成せられてゐるものもある程であ
る。
 從來、原因不明の疾患中、ヴィタミン發見以來原因が明瞭となり、その治療も、極めて簡單
になつた疾患が少くない。

ヴィタミンA………夜盲症、角膜乾燥症、豫防因子
ヴィタミンB1……脚氣豫防因子
ヴィタミンB2……成長促進因子
ヴィタミンB3……鳥類成長因子
ヴィタミンB4……鼠成長因子
ヴィタミンB5……鳥類成長因子
ヴィタミンB6……抗皮膚炎因子
もぐら通信 ページ8
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ヴィタミンB7……抗腸管障碍因子
ヴィタミンC………抗壞血病因子
ヴィタミンD………抗佝僂病因子
ヴィタミンE………抗不姙症因子

以上は一般的に認められたものである。この外になほ論爭中のものもあり、今後發見されるも
のもあらう。兎に角ヴィタミンの發見は、榮養學上不明の點を解決したことが甚だ多い。

 以上極めて 括的に申述べたが、これは食物成分と疾病の關連においては直接的のものであ
るが、更にこれが二次的の影響や相互關係に及べば甚だしく複雜であり、疾病原因を考へる時、
たとへそれが如何なる疾病であらうとも、食物との關聯なしには考へられない位である。

料理人の頭を改造せよ
ただ我々の身體は相當の調節力があるので、食物の缺陷の如きも直ちに身體に故障を起こす譯
ではないので、一般にそれと氣付かぬだけである。

 現在の榮養學の知見を以つてすれば、多數の食物缺陷によつて起こる疾病は簡單に治療も出
來るし、完全に豫防も可能なのである。實社會を見ると、家庭で主婦が知識階級の處では食物
缺陷による疾病は漸減の傾向を取つてゐるが全體的に見れば、寧ろ漸增の傾向をにある。爾餘
の家庭食の改善は社會敎育だけでは困難であつて、之が急速な改善は共同厨房制度か配給制度
に俟つ外はあるまい。然し食事缺陷の最も大きい害毒を流してゐるものは集團榮養である。こ
の原因は現在の集團榮養にをる料理人に榮養知識がないといふ點である。もう魚のおろし方や
出汁の取り方だけでは料理人の資格にならない時代である。一日も早く料理人も科學者として
健康の片棒を擔げるやうにしなければならぬ。そんな時代になればこんな表題で「協和」の紙
面を汚さなくても濟むであらう。

[編集部註]
『協和』(昭和十四年 255號・十二月十五日)に揭載された、安部淺吉のエッセイです。

「料理人の頭を改造せよ」などといふ見出しは、誠に安部公房の世界であるという氣がしませ
んか?『R62號の發明』や『第四閒氷期』や『羊腸人類』といった作品を連想しますね。
もぐら通信 ページ9
もぐら通信                         ページ9

坂口安吾の発案になる
『近代文學』の草野野球試合の第一回
岩田英哉

もぐら通信第25号に「安部公房との時代(1)」と題して、中田耕治さんにご寄稿をい
ただき、『近代文學』同人による草野球の様子を読者にお届けしました。

さて、第5回安部公房のエッセイを読む会(通称 CAKE )に事務局が用意しました安部


公房の「文芸時評」と題したエッセイ(1948年の30日と31日。全集第2巻、51
ページ)の中で言及された『近代文學』(昭和23年7月1日発行。1948年第23号)
の実際の刊行物の16ページの「雜報板」という欄に『近代文學』による最初の野球試合
の記録がありましたので、転載してお届けします。

「近代文學チームを結成しようとしたのは、實は坂口安吾」の発案であったとは、初耳で
した。

「★近代文學同人は、健康增進と運動神經の習練のため、野球チームを組織しました。そ
の第一囘の公式(?)對抗戰を、讀賣新聞文化部と行ひ、接戰のうゑ、十三A對十二で快
勝(?)しました。ちなみに、この戰における主戰投手は佐々木基一君でした。近代文學
チームを結成しようとしたのは、實は坂口安吾氏でありましたが、連絡不十分で、氏の名
投手(?)ぶりは見られませんでした。遺憾の極みでした。
 なほ、同じ目的から、ダンスのレエッスンもはじめられました。敎師は埴谷雄高君、第
一囘入門の生徒は佐々木基一、平田次三郞、野閒宏の三君。第二囘入門生は某君。第三囘
入門生は椎名麟三、梅崎春生の兩氏。月二囘位の割合で、埴谷宅で練習しつつあります。
パートナーが不足してゐます。多少心得ある方なら置いて下さるとことをさまたげません。
また入門料、授業料は不要と聞いてをります。
★同人、加藤、中村、福永君らを中心とする季刊誌『方舟』第一輯が發刊されました。ど
うかご愛讀下さい。」

その何回か後に、以下にもぐら通信第25号より再掲する「中国文学」との野球試合があっ
たのでしょう。これは、中田耕治さんのご寄稿です。

「2007/03/03(Sat) 527 [No.543]

 戦後すぐの昂揚した気分のなかで、いちばん盛んになったのは草野球だった。

 ある日、「近代文学」の人びとが、ほかのグループと親睦を深めるため、(みんなで八
もぐら通信 ページ10
もぐら通信                         ページ10

方手をつくして集めた酒、ビールの「飲み会」が目的で)野球をすることになった。しか
し、メンバーが足りない。安部公房から連絡があって、きみも参加するように、といわれ
た。

 相手は「中国文学」の人たちが中心で、ほかに画家たちも加わった強豪チームという。

 当時、私は肺浸潤でスポーツどころではなかったが、それでも、安部公房の頼みでは断
れない。大宮から上井草まで出かけて行った。

 球場は見るかげもなく荒れ果てていた。

 すぐに試合がはじまった。私は補欠だった。

 このときの「近代文学」のメンバーは、埴谷雄高、平田次三郎、佐々木基一、安部公房、
関根弘にまじって、寺田透、栗林種一など。三十代ばかり。

 相手の「中国文学」の人たちは知らない人が多かったが、武田泰淳、千田九一など。ピッ
チャーがなんと岡本太郎だった。

 日頃、バットをもったこともない選手ばかりなので、試合は大荒れ。好プレイ珍プレイ
の続出に爆笑、哄笑。最後まで笑いが絶えなかった。しかし、岡本太郎のピッチングで「近
代文学」側はきりきり舞いをさせられた。

 安部公房がホームランを打った。拍手喝采。それでも、「近代文学」は負けた。

 私はピンチヒッターで出してもらったが、最初のバッターボックスは三振。そのまま二
塁をまもったが、つぎに打順がまわってきたときヒットを打って塁に出た。しかし、せっ
かく塁に出たのに、岡本太郎の牽制に刺されて、あえなくアウト。

 試合のあとは、ビール(当時アルコール飲料は貴重品だった)で乾杯。私は、いちばん
年少だったし、大宮に住んでいたので早く帰った。疲れが出た。

 その晩、私は発熱して寝込んでしまった。母が私を叱りつけた。」
もぐら通信 ページ11
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安部公房の箱根の仕事場と
ご贔屓のレストラン「ブライト」を尋ねる

 ∼存在の部屋と『もぐら日記』の中のレストラン∼

岩田英哉

1980年(昭和55年)代に入ってから、安部公房は箱根の山荘に籠って仕事をするよう
になります。

もぐら通信で定期的に開催している読書会CAKE(安部公房のエッセイを読む会:Club of
Abe Kobo s Essays)のメンバーのお一人の笹本さんが、ある時の会の終わった後の二次会
で、箱根の仕事場に行ってみたいと言ったことから、安部ねりさんに尋ねて箱根の仕事場の
住所を教えて戴き、併せて教わった、安部公房がご贔屓でよく通っていた芦ノ湖湖畔のレス
トラン、ブライトを尋ねることを二つの柱にして、我ら3人は安部公房の読者とて積極的に
ネットを使い、Chatworkを使って、十分な事前のやり取りをして企画を練ってから、二つ
の場所と関連する周辺の安部公房の、まあ言ってみれば歌枕を尋ねて終日箱根の山中の迷路
をさ迷ったわけです。(これは比喩ではなく、実際に迷った。)その記録を以下にお伝えし
ます。あなたにとって貴重な情報が沢山ある筈です。

目次

1。安部公房の仕事場を尋ねる
(1)Google Mapで見た仕事場の写真
(2)安部公房の山荘へ向かう
(3)山荘にたどり着く
(4)安部公房が中にいる?
(5)山荘から眺めた景色
(6)あのチェニジーを発明させた急坂
(7)何故安部公房はこの場所に別荘を建てたか?
(8)空想安部公房文学館を建てる

2。ブライトを尋ねる
(1)ブライトの位置
(2)安部公房のいつも座ったテーブル
(3)安部公房の定席から眺めた外の景色
(4)1985年8月23日のもぐら日記で書いた安部公房の食事
(5)店長松井さんにお話を伺う
もぐら通信 ページ12
もぐら通信                         ページ12

(6)安部公房がいつも自動車を駐車した場所

3。曽我兄弟の碑を尋ねる
4。小田原に戻る

******

1。安部公房の仕事場を尋ねる
CAKEの常連、須田さん笹本さんと小田原の駅で待ち合わせて、周遊のできる1日有効のバ
スを案内所で購入して、バスに乗車。停留所で降りて歩き出す。

(1)Google Mapで見た仕事場の写真
もぐら通信 ページ13
20もぐら通信                         ページ13

(2)安部公房の山荘へ向かう
さて、目的地は上の地点。バス停を降りて直ぐにある自治会の掲示板にある「安部」と書か
れた家を目指す。珍しく正しい安部の字が書かれていることに、3人は驚く。

(2)山荘にたどり着く
安部公房の家らしく、仙川の家もそうであるし、後者にはまだ玄関がそれらしくあるものの、
一人隠棲した此の家は安部公房好みそのもので、どうも正面から入る玄関は全然ない。ある
としたら車庫のシャッターを開けて、その奥に、玄関といふよりは入り口があるのではない
かと察せられた。しかしいづれにせよ、横すぐにあるヴェランダから家に入ることが容易に
できるのであるから、これは、既に『安部公房の奉天の窓の暗号を読み解く』(もぐら通信
もぐら通信 ページ14
20もぐら通信                         ページ14

第32号と第33号)で詳細に論じたように、玄関のない、奉天の子供時代に自分の部屋に
二階の窓から入った、即ち存在の部屋である。何故なら、斜面に建っているから。

車庫の白い扉と其の向かって左隅、家の角にあるABE KOBOの郵便ポスト。車庫の向こうを
曲がるとヴェランに通じています。写真の正面向こうは、芦ノ湖方面。

斜面は差異である。地面を連続量として考えれば、そのズレや歪み(これはバロックの概念)
が斜面である。安部公房の山荘は、非連続量としてみれば、両極端の差異に、上と下の隙間
に立っている。

従い、ここは、『砂の女』の砂の穴の窪地の凹、『他人の顔』の顔の失われて出来た窪みと
ノートを書くいつもの部屋、存在の部屋、世間の陰画の存在の凹、そして『燃えつきた地図』
の探偵の尋ねる山に囲まれた窪地の凹にある町、いや、あの団地そのものが急坂を登ってい
たる存在の団地、『箱男』の存在の箱という世間の裏返しの凹、『密会』の病院が傾斜地に
あることと(ここは箱根の山荘の位置に同じ。委細後述)山に囲繞されてある窪地の凹、『方
舟さくら丸』の地下の凹、『カンガルー・ノート』の有袋類の袋といふ凹と其の存在の凹と
いう窪地で書かれるノート(手記)等々表通りの傑作群に共通する、これは、安部公房の存
在の部屋である。
もぐら通信 ページ15
20もぐら通信                         ページ15

安部公房の仕事場の外のヴェランダ。しかし、ヴェランダにしては幅が狭い。これは、「他
者への通路」であり、『S・カルマ氏の犯罪』でY子と主人公が手を取り合って閉鎖空間を脱
出するために、砂漠という存在へと抜けるトンネルであろうか。

山荘をぐるりと巡っていて笹本さんが見つけた、不思議な木組みの細工物が、これです。
もぐら通信 ページ16
20もぐら通信                         ページ16

これに、しかし考えてみれば、そっくりなものを、私たちは知っております。それは、
『箱男』の写真8枚のうちの1枚で、男子便所の写真の下にある次の詩のことです。

「滑り止めの溝を刻み、枯葉色のぶちを散らせた堅焼きの白タイル。その溝を伝って静かに
うねっている、細い水の流れ……いったん水溜りをつくり、再び流れ出し、ドアの下に消え
る。」(全集第24巻、110ページ)

安部公房がカメラを「奉天の窓」以来の窓として、外界を眺めるときの窓であることは、『も
ぐら感覚5:窓』にて論じた通りです。

そして、これら8枚の写真は丁度葬儀の祭壇の写真の様に太い黒枠で囲まれている。窓の向
こうが死者たちの世界なのか、それとも窓のこちらの箱男が死者であるのか。その交換関係
を成立させるのが、この窓であり窓枠です。

さて、上の詩を読めば、この木組み細工の枠も、窓の一種なのであり、「その溝を伝って静
かにうねっている、細い水の流れ」を、この窓に依って安部公房は一人観察したものであり
ましょう。晩年のリルケのように本当に孤独な、しかし幸せな安部公房。

(3)安部公房が中にいる?
私たちが山荘の周囲をあれこれと見ているうちに、どうもおかしなことに、私たちは気づき
ました。

家の中に灯りがついているのです。

山荘の急斜面の下に降りて、下の道から山荘を見上げている時に、敏感な笹本さんが、家の
中でガタンという物音を聞きました。前者は、確かに帰りの車中で笹本さんに見せてもらっ
た写真には灯りのともった窓が写っており、これが証拠写真となっています。後者の音は、
二人の鈍感な男たちには聞こえませんでした。

しかし、安部公房が内部にいたのでありましょうか?

外部で経験した不思議な体験でした。

あれは、安部公房が私たちを歓迎してくれたのだろうか。内部の我と外部の我を交換しなが
らtopological(位相幾何学的)に生きよ、と。「自分の墓を暴け」と。

(4)山荘から眺めた景色
山荘の下に降りて見上げた安部公房の仕事場の写真を掲げます。
もぐら通信 ページ17
20もぐら通信                         ページ17

安部ねりさん曰く、この辺りはイノシシが多数出没するのだそうで、この崖下の道は、「イノ
シシ道」と呼ばれているとか。私たちは勝手に「イノトツ道」と呼ぶことにしました。いうま
でもなく、イノトツとは、『方舟さくら丸』の父親の名前です。しかし、またこうやって書き
ながら考えて参りますと、「イノトツ」とは「イノ凸」かもしれないと思ったりします。つま
りもぐらが凹なら、父親はその正反対の凸。丁度安部公房の父親浅吉と息子の公房の対照のよ
うに。前者は浪曲や浪花節が好き、後者はこれらが大嫌い。以下、「イノ凸道」の写真です。

降りて、山荘を見上げて右手のイノトツ道が、これ。
もぐら通信 ページ18
20もぐら通信                         ページ18

山荘を見上げて左手のイノトツ道が、これ。

安部公房の山荘の真下のこの直線のイノ凸道に交わって、更に一層急斜面を左へと巻くように
曲がって下に降りて行く道があります。その道の写真です。イノ凸道の全体は最初に掲げた
Google Mapで見ることができます。
もぐら通信 ページ19
20もぐら通信                         ページ19

再度降りてきた急階段を登って、安部公房の仕事場へ。この写真を見ると、安部公房の山荘が
一体どれくらい急な斜面に建っているかがお分かりでしょう。

(5)あのチェニジーを発明させた急坂
そして、その山荘の前の急斜面の写真をお見せします。これは非常なる急坂です。しかし、次に後
述するように、また一部既述の通り、自分の家、即ち存在の部屋は、このような急坂の斜面であ
ることを必要としました。その坂の写真です。
もぐら通信 ページ20
20もぐら通信                         ページ20

これでは、冬には自動車では登り降りは無理です。普通の感覚ならば、この坂の上に自
動車を止めて置いて、行き来をするでしょう。しかし、どうも幾つかの資料を読みます
と、安部公房は自分の家にまで自動車で降りたのでしょう。如何あっても自動車という
移動する箱は、存在の部屋のそばになければならなかったのです。

(6)何故安部公房はこの場所に別荘を建てたか?
何故、このような急斜面の上に安部公房は自分の仕事場の建物を建てたのでしょうか?

これが、どれ位急な斜面かは、上の掲げた写真でお判りのことと思います。

以下に、私の思う理由を挙げて説明します。

①差異に存在する存在としての仕事場
笹本さんの、これも大発見ですが、この建物は周囲の建物と敷地の関係では同じ平面に
はなく、周囲のすべての建物と敷地の差異の中にあるように、その場所を選んで建てら
れています。安部公房の写真の構図と全く同じです。それを示す、少し上に坂を登って、
山荘の上にある建物へと通じる小道から山荘を見下ろす位置に立って撮った写真を掲げ
ます。感じがつかめると思います。

安部公房の写真については『『箱男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く』(もぐら通信第34号)をご
覧ください。
もぐら通信 ページ21
20もぐら通信                         ページ21

小説の中での仕掛けとして、最初に差異を設ける安部公房の小説作法、それはそれとし
て、実際に現実に差異の中に山荘を作り、その差異で仕事をする場所、即ち存在に生き
る場所として、この箱根の山荘は、安部公房によって明確に意図されて作られているの
です。

②窓から入る
既に最初の章で述べましたように、この建物には玄関と呼ぶに価する入り口がなく、ヴェ
ランダ側から、つまり広く高い窓から、入ることのできる設計になっています。つまり
奉天の小学校時代のように、これは斜面ですから、よく斜面に立つ建物がそうであるよ
うに正面玄関から入った階が二階や三階という迷路のようなよく階数を考え間違える建
物がありますが、それと同様に二階から入ることができるわけです。これは、如何にも
安部公房らしい。

③リルケとの関係
このような急な傾斜面にあるものといえば、やはりリルケとの関係を言わなければなり
ません。このことからも、安部公房が如何に数学の世界とリルケの詩という文学の世界
と自分のもぐら感覚の三つを一つに融合していたかが、わかるのではないでしょうか。

リルケの詩も存在の凹(窪み)を歌うのであり、またこの箱根の部屋のあるような急な
傾斜を歌うのです。『ドィーノの悲歌』の第1番の第1連より引用します。付言すれば、
リルケはまた、縁(へり)をも歌います。安部公房は詩の世界と論理の数学の世界の両
方で、この意味を自分のものとなしたのです。その一端に触れて下さって、リルケと安
部公房を理解してもらいたいと思うのです。この崖という急斜面については下線部にご
注目、そしてその前後をも併せてご覧下さい:

【原文】
Wer, wenn ich schriee, hörte mich denn aus der Engel
Ordnungen? und gesetzt selbst, es nähme
einer mich plötzlich ans Herz: ich verginge von seinem
stärkeren Dasein. Denn das Schöne ist nichts
als des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen,
und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht,
uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich.
Und so verhalt ich mich denn und verschlucke den Lockruf
dunkelen Schluchzens. Ach, wen vermögen
wir denn zu brauchen? Engel nicht, Menschen nicht,
und die findigen Tiere merken es schon,
daß wir nicht sehr verläßlich zu Haus sind
in der gedeuteten Welt. Es bleibt uns vielleicht
irgend ein Baum an dem Abhang, daß wir ihn täglich
wiedersähen; es bleibt uns die Straße von gestern
und das verzogene Treusein einer Gewohnheit,
もぐら通信 ページ22
20もぐら通信                         ページ22

der es bei uns gefiel, und so blieb sie und ging nicht.
O und die Nacht, die Nacht, wenn der Wind voller Weltraum
uns am Angesicht zehrt -, wem bliebe sie nicht, die ersehnte,
sanft enttäuschende, welche dem einzelnen Herzen
mühsam bevorsteht. Ist sie den Liebenden leichter?
Ach, sie verdecken sich nur mit einander ihr Los.
Weißt du's noch nicht? Wirf aus den Armen die Leere
zu den Räumen hinzu, die wir atmen; vielleicht daß die Vögel
die erweiterte Luft fühlen mit innigerm Flug.

【散文訳】
もしわたしが叫んだならば、天使たちの位階の秩序のいづれの天使が、わたしのこの叫び声を
聞いてくれるだろうか、そして(来る筈はないが)たとえ仮にその天使たちのひとりが突然やっ
てきて、わたしをその心臓、その胸に抱いたとしても、わたしは、天使の今ここにそのように
してあるあり方が、わたしの同じあり方よりも強いので、わたしは衰弱し、滅んでしまうだろ
う。なぜならば、美しいもの、美しきものは、驚くべきこと、恐ろしいことの始まり以外のな
にものでもないからであり、わたしたちは、かろうじてその始まりには堪えるし、またそのよ
うに、美しきものに驚くわけだが、それは、美しきものが、わたしたちを破壊することを、平
然と軽んじ、無視しているからなのだ。ひとりひとりの天使はどの位階の天使であっても恐ろ
しい。そうして、そうであれば、そのようにわたしは振舞い、暗いすすり泣きの叫び声、天使
をわざわざ呼ぶようなすすり泣きの呼び声をたてずに飲み込むのだ。ああ、わたしたちは一体
だれを必要としているのだろう。天使ではなく、人間でもないことは明らかだ。しかし、目ざ
とい動物たちは、わたしたちが、この解釈された世界の中で、どんなところであれ棲みかとし
ているところでは、余り信頼がおけないということに既に気づいている。ひょっとしたら、わ
たしたちが毎日なんども見ているのだとして、それが崖に掛かった一本の何かの木ならば、わ
たしたちのところに留まるかも知れないし、昨日通った通りが、わたしたちのもとに留まるこ
とがあるし、それから、わたしたちのところで気に入られた習慣があって、その習慣が、歪ん
でいても、信頼のおける存在であったのであれば、実際そのようにその習慣は残って留まった
し、去ることがなかった。ああ、そして夜だ、夜だ、宇宙空間で一杯になった風が、わたした
ちの顔を食み、食い尽くすたびごとに、夜が来る。夜ならば、だれのもとに留まらないだろう
か、この待ち焦がれた夜、優しく幻滅させる夜は、ばらばらになった孤独なこころの前に、苦
しみ疲れて立つ夜は。愛する人たちのもとでは、そうではなく、夜はもっと軽いのだろうか。
なにを言っているんだ、愛するひとたちというのは、自分たちの運命を、ただ狭く互いに隠し
あっているだけではないか。お前は、それにまだ気づかないのか。だったら、わたしたちのこ
うして呼吸している数多くの空間に向けて、両の腕の中から外へと、空(から)の空間を投げ
つけて付け加えてみるがいい。ひょっとしたら、それで、鳥たちが、よりひろくなった空気を
感じるかも知れない。鳥は、わたしたちよりもより親密に内部を飛行するから。その方が広く
てずっといいだろう。
もぐら通信 ページ23
20もぐら通信                         ページ23

【解釈と鑑賞】

「ひょっとしたら、わたしたちが毎日なんども見ているのだとして、それが崖に掛かった一
本の何かの木ならば、わたしたちのところに留まるかも知れないし、昨日通った通りが、わ
たしたちのもとに留まることがあるし、それから、わたしたちのところで気に入られた習慣
があって、その習慣が、歪んでいても、信頼のおける存在であったのであれば、実際そのよ
うにその習慣は残って留まったし、去ることがなかった。」

「崖に掛かった一本の何かの木ならば、わたしたちのところに留まるかも知れない」とは、
安部公房の仕事場のように、落差、即ち垂直方向の差異の中に、この場合が樹木が、あれば、
行かずに留まるのです。そしてここは『S・カルマ氏の犯罪』の主人公のように永遠に時間の
ない方向に限りなく成長する壁の立つ砂漠なのであり、何故なら砂は移動する砂粒の差異だ
から、差異があるから移動するから、それ故に砂漠は存在であるから、そして、たとえ過去
に経験した、通り過ぎた時間の中の通りであれ、目に見えない(日常の生活の中で歪んだ)
習慣であれ、その樹木が、即ち安部公房の仕事場の部屋が、壁が、砂漠が、顔が、地図が、
箱が、病院が、地下の洞穴が、ノートブックが、「信頼のおける存在であったのであれば」、
残り、止まり、過ぎ去ることがないのです。永遠の仕事場です。リルケの純粋空間の具現化
です。

やはり、リルケとの関係でも、この山荘の中の安部公房の部屋は、存在の部屋なのです。

『ドィーノの悲歌』の第9番の悲歌にも、斜面に咲く竜胆の花があって、それをリルケは求
めて自分のものにした言葉、即ち純粋なる言葉の言い換えとして、黄色であり青い色をして
いる竜胆の花に言い換えております。美は斜面に純粋に立つ。安部公房の大好きだったリル
ケの『形象詩集』には、斜面と斜面に関する動詞などの言葉が、全部で13回出てきます。
リルケの斜面は他の詩集にももっとあることでしょう。

(7)空想安部公房文学館を建てる
このように考えて参りますと、ここは安部公房文学館を建てるには一番ふさわしい、安部公
房の思考と論理と感性の発露し、満州の奉天で過ごした幼年時代から現在に至るまでの時間
が過ぎ去ることなく其ののままに存在する、「信頼のおける存在であったのであれば」、安
部公房が残り、止まり、過ぎ去ることがない土地柄だということになります。

小田原に降りてからも、また行く前からも、こんな感じで敷地を限り、安部公房文学
館が立つのではないかということを語り合いました。妄想極まれり。空想の安部公房文学館
です。勿論安部ねりさんはご存じない。勝手なる我らが空想の設計とおぼし召されよ。しか
し、このようなことを考えることは誠に楽しい。
もぐら通信 ページ24
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空想安部公房文学館の概要は、次の通りです。

(1)イノトツ道の下の斜面には、入ると二階であるという二階建の建物を建てる。このよ
うに読者には二階から存在の空間の中に入ってもらう。勿論玄関はない。窓から入ってもら
う。
(2)イノトツ道の上の敷地、安部公房の仕事場の、急坂の道を挟んで向かい側の敷地には
駐車場を作る。自動車で来る人には、駐車場に車を止めた後、この急坂を徒歩で下りてきて
もらって、安部公房を体験してもらう。つまり、これは同時に、
(3)安部公房18歳の時の論文『問題下降に依る肯定の批判』にある下降の経験でもあり、
(4)「では、此の事̶真理の認識̶は不可能なのだろうか。しかし此処に新しい問題下降
̶一体座標なくして判断は有り得ないものだろうか。これこそ雲間より漏れ来る一条の光な
のである」という此の光という、少年安部公房の至った判断の実感を実感してもらうことに
なり(座標がなければ、差異を求める以外には方法はありません。それ故に上下の差異ある
急斜面に安部公房は山荘を建てた。これは稿を改めて論じます。)
(5)上記(2)のことから、冬場は閉館。
(6)春が来て雪が溶けてから、秋深まる辺りまで開館。ということになります。
(7)建設費用は幾らかというと、安部公房の山荘へ行く途中に次の売地の看板を見まし
た。
もぐら通信 ページ25
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100坪で、1280万円也。一坪12万8000円。しかし、ここは上の方の平たい地面の上
での土地の値段です。安部公房の辺りの上の2面は傾斜地にあるので、もっと安くなる筈。

これに対して、一番極端な値段は、私の故郷の北海道の東の原野の値段です。一坪8000円。
但し熊や蝦夷鹿やキタキツネが出ますが。今年の夏に帰ったら、奈良の友人が道東に移住して住
む土地と家を探すというのでついて来ただけなのに、この何もない原野が気にって(何しろ場所
によっては地平線が360度見えて地球は円盤である)、この四月から其のまま住み着いてしまっ
た大阪の人がいて、1000坪の敷地にオール電化のいい家を建てて住んでおりました。坪数が
多くなればなるほど不動産屋は一坪の価格を安くするのだそうです。箱根の不動産屋は如何に。

このあたりの坪単価は幾らなものか、今度は不動産屋に値段を尋ねてみることにします。
このように考えて来ると、妄想→空想→想像→予感→実感→実現という感じが段々として来ます。

2。ブライトを尋ねる
安部公房とは惜しみつつ別れを告げ、来た道を帰ってバスに乗り、芦ノ湖湖畔の恩賜公園前にて
下車。歩いて1分のところに、レストラン・ブライトがあります。
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(1)ブライトの位置
ブライトの看板が見えます。

ブライトの正面です。後ろ姿は笹本さん。
もぐら通信 ページ27
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住所は、

〒250-0521 神奈川県足柄下郡箱根町箱根560−1

食べログのURLです:
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14031259/

(2)安部公房のいつも座ったテーブル
店内を入って、左側に広い空間があります。その空間に向かってまっすぐ正面の、広い窓の一番
右奥の隅のテーブルが、安部公房の定席です。

私たちは、そのことを知らずに、そのテーブルを選び、着席しました。これは偶然でありましょ
うか。否と云いたい。そして、何と、笹本さんの座った席が、安部公房のいつも座った席だった
のです。この企画そのものが、笹本さんの発案ですから、ご本人は至って満足満足、幸せです。
これは、安部公房の配慮ではないだろうか。

安部公房の座った席の椅子の写真です。手前右の椅子が、それです。
もぐら通信 ページ28
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(3)安部公房の定席から眺めた外の景色
そこに座って外を眺めると、このような景色が見えます。
もぐら通信 ページ29
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広い窓の一番右端です。

向こうに白い横矢印のある箱根の関所
の案内の標識があります。
もぐら通信 ページ30
もぐら通信                         ページ30

(4)1985年8月23日のもぐら日記で書いた安部公房の食事
ここで安部公房が1985年8月23日に食したものは、次の通りです(全集第28巻、182
ページ上段)。

1。クラブハウスサンドイッチ
2。アスパラサラダ
3。コーヒー

しかし残念ならが、この日は1のグラブハウスサンドイッチはなく、アスパラサラダはメニュー
からなくなっており、残るは最後のコーヒーのみでありました。31年も時間が経っているので
す。下の写真の一番下にクラブハウスサンドイッチがあります。

これがありませんでしたので、それぞれに他のサンドイッチとサラダを注文し、しかし同じコー
ヒーを飲み、外の景色を眺めて、安部公房を偲びました。

クラブハウスサンドイッチのあるメニュー

ブライトのメニューの表紙
もぐら通信 ページ31
もぐら通信                         ページ31

(5)店長松井さんにお話を伺う
精算をする時に、店長と思しき品の良い正服の身なりの年配の男性がいらしたので、思い切って
声を掛け、安部ねりさんからの紹介であること、安部公房について思い出を伺いたいことをお伝
えしたところ、応じて下さり、安部公房との思いでは、沢山ありますと静かにおっしゃたのです
が、しかしその静かな口調から聞こえてきた言は、それはそれはたくさんありますよとおっ
しゃっていて、本当にそのご様子で、それを全て聞きたいところでしたが、仕事の邪魔をしても
ならず、以下にお聞きしたことのみに留めて、伺ったところをあなたにお伝えします。

①安部公房がブライトに来る時にはいつも車で、メルセデス、それも伺うところによればスポー
ツタイプで2ドアで、従いクーペであったかも知れませんが、いづれにせよメルセデスで、それ
から二種類のジープ、三菱製かアメリカ車のチェロキーで来店したこと。本当に車が好きだった
こと。
②最初の頃は何回か奥さんの真知さんと一緒であったが、その後は、全く一人で来店したこと。
③安部公房はブライトではいつも現金で支払いをしたこと。
④松井さんは、安部公房の山荘にも遊びに行ったこと。
⑤安部公房の亡くなった後、真知さんが『砂の女』の単行本を持って来てくれて、戴いたこと。
この本を拝見しましたが、写真を撮影しなかったので、安部公房から直接贈られたもう一冊の
『カンガルー・ノート』をお目にかけます。
もぐら通信 ページ32
もぐら通信                         ページ32

12月13日は、奇しくも私の誕生日です。

安部ねりさんが『安部公房伝』の出版の時に、安部公房の山荘で出版祝いに一席を設けたので
しょう、料理を用意してお届けしたことなどをお話しくださいました。

さて、松井さんにおご挨拶をしてブライトを辞するに際して名刺を戴きました。これは拝見しま
すと、何と、芦ノ湖・芦ノ湯地区観光連絡協議会の会長でいらっしゃいました。

(6)いつも自動車を駐車した駐車場
三人で外に出てタクシーを待っていましたところ、その姿を店内からご覧になったのでありましょ
う、丁度私たちの立っているそこの駐車枠が、安部公房のいつも車を停めた場所だと、わざわざ
外に出ていらして、松井さんが教えて下さいましたので、この写真をご覧ください。店に近い方
の白枠が、安部公房がいつも駐車していた場所です。上で掲載したブライトの看板の直下にある
場所です。

安部公房がいつもメ
ルセデスとジープを

駐車した駐車枠

松井さんには、本当に感謝申し上げます。仕事中のお忙しい中を、色々お教えくだ
さって、ありがとうございました。
もぐら通信 ページ33
もぐら通信                         ページ33

3。曽我兄弟の碑を尋ねる
箱根はやはり故事の多い、従いまた故地の多い土地柄ですから、事前にあれこれと思案をして、
安部公房の山荘に近いというので、曽我兄弟の碑を尋ねようと考えておりました。山荘へ向かう
以前にバスを降り、曽我兄弟の慰霊と記念の碑を拝見。

大きい写真の方の左二つは曽我兄弟の、右一つの小ぶりのものは虎御前のもの。しかし、更に脇
に目をやれば、実に小さく草に埋もれるようにして、曽我兄弟の碑が一つ立っていました。こち
らの方が、何か古いもののように思われましたが、確かではありません。しかし、大きなものよ
りも、ずっと風情がありました。箱根という地が古代からの日本人の仇討ちという情念を宿して
いるということは、そのまま、考えてみますと、『カンガルー・ノート』の世界に通じています。

曽我兄弟の仇討ちについては次のWikipeida
を:
https://ja.wikipedia.org/wiki/曾我兄弟の仇
討ち
もぐら通信 ページ34
もぐら通信                         ページ34

4。小田原に戻る
この間、安部公房が行ったという温泉なども幾つか、須田さんがよく調べてくれていて、どれも
みな既に閉鎖して営業していないことを承知で、バスの経路に従って下車し、訪れては、また乗
車してというようにして、小田原を目指し、小田原に戻ったのは、日曜日でもあり、途中も交通
は混雑して渋滞しておりましたので、もう18:00を過ぎていました。

すっかり夜でしたが、『安部公房とわたし』(山口果林著)を手掛かりにして、安部公房が食事
をしたという「だるま」、「喫茶店豆の木」、レストラン「グリル・木の実」を覗き、結局値段
とも相談して、最後のグリル・木の実に決めて入店、フランス料理に舌鼓を打ち、エビスの琥珀
色の濃いビアを飲んで疲れを癒してから、小田原駅に戻って解散、それぞれの家路に就きました。

食事をしながら話したことは、一日を振り返ってみれば、どこを訪れても、あの愚かなるピース
サインという人差し指と中指を立てるV字型の指だらけの集合写真を撮ることなど一度もなく、
そもそもそんなことを全く意識することなしに、それぞれがカメラを構えiPhoneを構えて好きな
写真を好きなように撮り、とは言へ、全然バラバラというのでは全くなく、自然にまとまって恰
も散策するようにして一緒に歩くことができたというのは、成る程さすがに我らは安部公房の読
者であるなあと三人で頷きあったことでした。これが三島由紀夫の読者であれば、こうは行かな
いでありましょう。

さて、最後になりますが、あなたも一度箱根は芦ノ湖湖畔なるレストラン・ブライトのサンドイッ
チを食してみてはいかがでしょうか。私と笹本さんはローストビーフのサンドイッチを食べまし
たが、美味しかった。須田さんはカツサンドでしたが、これも肉厚で、見ていると、実に実に美
味そうでした。次回尋ねた時には、私は此れにしようと思いました。

ああ、そうそう、小田原といえば、鈴廣の蒲鉾、元箱根にあって小田原からは少し離れますが、
お薦めします。ショッピングモールがありますし、海の幸を使った料理を供するレストランもあ
ります。須田さんが行ったことがあるそうです。

何だか、最後は小田原の食べ歩きの『ガイド・ブック』みたいになってしまった。

そのうち、安部公房全集の中から拾った料理の名前を列挙して『安部公房の食卓』というエッセ
イを書こうと思っています。作中人物の食べた料理を実際につくってみて、食べながらの読書会
など面白いかもしれないと思っています。江戸屋の宣伝文句ではありませんが、何はなくとも安
部公房、です。乞うご期待。
もぐら通信 ページ35
もぐら通信                         ページ35

安部公房の読者のための

村上春樹論
(上)

岩田英哉

目次

(1)村上春樹論(上):安部公房と村上春樹の共通点
(2)村上春樹論(中):村上春樹とBaseball:ボールとバット
(3)村上春樹論(下):Baseballとは何か?

******

ある読者より私に電話あり、話の中で、私が今まで安部公房を論じ、三島由紀夫を論じ
たのであれば、今度は村上春樹を論じては如何ということを言われて、これは思いもか
けぬことでしたが、その後の数週間の成り行きで、これもまたご縁というべきでありま
しょうけれども、村上春樹の小説を読む機会を得て、ここに村上春樹論をお届けするも
のです。

「安部公房の読者のための」と銘打ったのは、村上春樹には、安部公房の文学の論理と
形象(イメージ)に共通するものがあるからであり、それは、安部公房の読者でなけれ
ばなかなかわからない共通性であるのですから、そのような題としたわけです。村上春
樹の読者は、話したところ、この共通性は知りませんでした。小説の読み方が異なるの
です。

一番の共通性は、村上春樹はアメリカ文学に学んだ人であることから、安部公房の読者
ならご存知のことと思いますが、安部公房は若い時代に二つアメリカに関する論考を書
いておりますし、この興味の持続は最後まで変わることなく最晩年に書く予定であった
アメリカ論にまで至っておりますので、このアメリカという国の(ヨーロッパから逃亡し
て来てアメリカという国家をつくったー逃亡と国家、これも安部公房の世界に通じるー)
白人種の創造した文物の持つ、古代の神話の無いことに原因する其の贋物性という観点
からも、二人の文学には互いに相照らすものがあるのです。

勿論、全く村上春樹に独自のものもあります。最初に安部公房との事実に関する共通点
を挙げて、次に村上春樹の文学の根底にある独自の物事を二つ挙げ、更に此の二つを詳
もぐら通信 ページ36
もぐら通信                         ページ36

細に論じることをしながら、そのことによって村上春樹の世界で安部公房と共通する動
機(モチーフ)を列挙してそれぞれを比較して論じ、村上春樹の文学を安部公房の読者に
伝えるという順序を取ることにします。同時にまた、村上春樹の考える論理を知ってみれ
ば、幾つかのことについて、それは三島由紀夫の論理と形式上全くと言って良い位に同
じですので、その論理に言及する範囲で、三島由紀夫との関係についても論ずることに
します。

1。安部公房との事実に関する共通点
安部公房との人生と事実に関する共通点を挙げると次の4つがあります。

(1)芥川賞の選考において、滝井孝作(私小説の作家)によって評価されたこと。
村上春樹の処女作『風の歌を聴け』に関する瀧井孝作の選評。「外国の翻訳小説の読み
過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。(中略)しかし、異色のある作家
のようで、わたしは長い目で見たいと思った」。(https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春
樹)
(2)学生結婚をしたこと。
(3)シナリオを書いたこと。
安部公房はラジオドラマと映画のシナリオを書いた。村上春樹は早稲田大学で演劇科の
学生でシナリオライター志望だった。後者のシナリオライターとしての感覚(センス)は、
小説の中の科白によく現れている。

上記(1)に挙げた滝井孝作という、志賀直哉に師事した私小説の大家(というべきで
ありましょう)は、1935年、創設された芥川賞の選考委員となってから1982年に同賞選
考委員を辞するまで、その任に当りました。この間、安部公房や村上春樹という、私小
説とは正反対の作風を支持したということは、これら二人の主要な主題が不在の父親で
あるということを考えますと、実は私小説というものは、普通文学の講義や教科書にヨー
ロッパの近代文学を基準にして言われるような否定的なものでは全然なく、私たち日本
人の歴史的・伝統的な普通の論理と感覚を基準にして考えれば、ヨーロッパの考え方に
抵抗して日本人の論理と感性を守り大切にしようとした、従い、近代の、明治以来の日
本人の創造した家族小説(ファミリー・ロマン)ではないかと考えることができます。そ
れは、失われた家族小説であるのかも知れない。私は村上春樹を読んで、この考え方に
至りました。

付言すれば、滝井孝作という作家は、その人生を拝見しますと、苦労も多く、しかし立
派な人生を全うした、人間として尊敬すべき方であり、慧眼の士です:https://
ja.wikipedia.org/wiki/瀧井孝作

2。安部公房との言葉と形象に関する共通点
安部公房との言葉と形象に関する共通点を、順不同で挙げると次のようなものがあります。
もぐら通信 ページ37
もぐら通信                         ページ37

(1)内部と外部の交換
(2)凹の形象
(3)地下世界
(4)The End of the World(村上春樹は「世界の終わり」、安部公房は「世界の果 
   て」)
(5)風
(6)隙間
(7)不在の父親
(8)贋
(9)壁
(10)塔
(11)Kafka
(12)ドストエフスキー
(13)言語機能論
(14)アメリカ

3。村上春樹の世界
村上春樹の文学にとって重要なる、主要な動機(モチーフ)は、次の2つです。

(1)baseball game
(2)地面に穴を掘るということ。

Baseballを明治時代に正岡子規が野球と翻訳しましたが、やはり野球ではなく、村上春
樹にとっては英語の綴りのままの原語のbaseball gameが、その文学にとって甚だ重要な
意味を持っていますので、敢えて英語で名前を挙げた次第です。これについては後述しま
す。

地面に穴を掘るということについては、もぐらである安部公房の読者には説明不要であ
りましょう。しかし、穴を掘る意味が互いに異なるのです。安部公房は自らの身を其の
中に投じて入れ、他方、村上春樹は、自分自身以外のすべてのものを穴の中に入れて土を
かぶせて埋めてしまいます。これが何を意味するかについては後述します。

3.1 baseball game
(1)この作家にとって本質的に重要なことは、baseball gameを見て、小説が書けると
いう一種の霊感を得たということ。このことの意味は、普通に人が考える以上に、この
作家の文学にとって本質的です。

1978年4月1日、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルト・スワローズ対広島カープ
もぐら通信 ページ38
もぐら通信                         ページ38

の試合を観戦中に小説を書くことを、村上春樹は思い立つ。村上春樹は前者の熱烈な
ファン。1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが二塁打を打った瞬間に、小説
が書けるという一種の霊感を得たということです。

参照:
日本語のWikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹#cite_note-77
英語のWikipedia: https://en.wikipedia.org/wiki/Haruki_Murakami

この事実の意味するところは、言語の世界に置き換えれば、一行の文を書けば、世界が
二つ生まれるということを知ったということです。つまり、二つの世界の存在する両義
性を一行の文で表すことができるということを知ったということです。

以下、英語のWikipediaより引用します。よくこの一文を味わってください。やはり、野
球とbaseball gameでは、それぞれの国民にとっての意味が全くことなっているのです。
私は『安部公房のアメリカ論∼贋物の国アメリカ∼』(もぐら通信第22号)で、次のよ
うに書きました。

「また、Baseballと呼ばれる、アメリカの国技ともいうべきスポーツもまた、同様な事
情を、即ち忘却の上の神聖を表していて、そこに根差しているのではないでしょうか。(そ
して、アメリカ人の発明したスポーツで不思議なことは、アメリカンフットボールという
サッカーの贋物もそうですが、何故いつも攻める側と守る側という順序が規則正しく交
替するのかということです。本来のフットボール、即ちサッカーは、そうではありません。
攻守が絶えず時間の中で流動的に入れ替わります。)そして、チユーイングガム。
Baseballの選手は、何故チューインガムを噛むのでしょうか。これについて論じると、ア
メリカと贋物から少し筋道が外れますので、この主題は、また稿を改めることに致しま
す。」

さて、この野球論を念頭に置いている此の村上春樹論は、これから村上春樹を安部公房
との比較で論じながら、結局『安部公房のアメリカ論∼贋物の国アメリカ∼』で言及し
た野球論、baseball論の一部となります。

英語のWikipediaには、次のようにあります。

“He was inspired to write his first novel, Hear the Wind Sing (1979), while watching a baseball
game.[20] In 1978, Murakami was in Jingu Stadium watching a game between the Yakult
Swallows and the Hiroshima Carp when Dave Hilton, an American, came to bat. According to an
oft-repeated story, in the instant that Hilton hit a double, Murakami suddenly realized that he could
write a novel.”

「二塁打を打った」という英語をよく見てください。下線を付しました。私たちの野球
とは意味が違うことがわかるでしょう。
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Hilton hit a double.

アメリカ人は、日本人とは違って、ヒットを打つと、その値(value)を単に足し算して
いるのではなく、single, double, tripleと掛け算して計算しているのです。一つの二塁打
ですが、一塁の2倍、即ち値はdouble、更に即ちバットを一閃すれば、二つの、二重の
世界が同時に(同時にとは何か?ですが)現れるのです。

即ち、このgameの事実の意味するところは、言語の世界に置き換えれば、一行の文を書
けば、世界が二つ生まれるということを知ったということです。つまり、二つの世界の
存在する両義性を一行の文で表すことができるということを知ったということです。

これが、何故村上春樹にとって、このアメリカ人の選手の二塁打が極めて(というべきで
しょう)重要かということの本質なのです。

しかも、その選手がアメリカ人であり、次のような3rd baseを一義的に担当する選手で
あるということに意義があるのです。以下、英語のWikipediaより引用します。:

Hilton was primarily a third baseman, but played several games at second base.

この選手が一義的に三塁手だということは、村上春樹にとって、重要なことであり、こ
のような選手として三塁に立つ人間の重要な役割である。誰にとってか?小説の主人公に
とって。何故ならば、小説の主人公(仮にDave Hiltonだとしましょう)がバットを一閃
した後走者になって、一塁二塁と走者として廻る(走る)が、3塁の守備についている
playerという役割を演ずる自分自身には永遠に達することができないからです。

つまり、主人公が攻める側の時には、Dave Hiltonは守る側であって、そのような位置に
いること。つまり、小説の主人公がその世界にいる時には、その啓示を与えた人間は、
反対側の世界にいて、3塁に立っており、前者の世界でbatを振ってhitを放ち走者
(runner)になっても、後者の反対側の世界にいる3塁手には永遠に到達できないとい
うことなのです。Baseball gameの規則の通りに従って、いつも二つの世界は入れ籠になっ
て交代して現れ、互いに交わることがない。

この筋立ては、第3作目の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や最後の
作品『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』に見られます。他の作品にもある筈
です。「野球」の構造が、村上春樹の小説の構造なのです。もしいうならば、処女作『風
の歌を聴け』に始まり、2作目の『1973年のピンボール』や3作目の『羊をめぐる
冒険』に章と章の間に置かれている、話の転換の印である方向を指し示す手と指や一本
の樹木の絵柄も、二つの世界の交代を、場面転換や発想の転換として、示しているという
ことが言えます。これらは、攻守を交代する印(サイン)なのです。
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不思議なことに、本来は3作目にあたる筈の『街と、その不確かな壁』(文藝誌文学界、
1980年9月号)は、その後の作品集にも収録されず、再刊もされていない此の作者が
謂わば封印した作品には、この章間の図柄の記号は姿を消し、算用数字の連番になって
います。この作品は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に発展する物語
で、この作品の封印と算用数字による章間の表示とは、どこか深いところで繋がってい
るのかも知れない。これは仮説です。

さて、三塁手の話に戻ります。

2013年刊行の最新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』にあっては、か
つての高校時代の親しい仲間たちのそれぞれを主人公が尋ねる時に、一人二人、一塁二
塁と尋ねた後には、3塁手がフィンランド人と結婚して今はフィンランドに住む女性の陶
芸家、則ち土に穴を掘って其の土から作る陶土の藝術家であるということから、この登
場人物は地下世界に通じていて、主人公が故郷であるhome plate(本塁)に帰還する最
後の特権的な位置を守っています。そうしてまた、重ねて言えば、この女性は主人公に対
して主人公のことが当時実は好きだったと打ち明けるという趣向になっています。ここで
もまた、二人の世界は二つになっていて、互いに出会うことがない。しかし、この三塁
手の位置にいる陶芸家を通じて、主人公は故郷のhome plateに帰還する方向へと歩をす
すめるのです。勿論、この小説でも方向へと歩をすすめるだけで、二つの世界は一致、交
差はしない。

繰り返しますが、大切なことは、このHiltonという選手の守備位置は三塁であるという
こと。二塁までのhitでは、runnerとしては、三塁を経由しなければ、homeplateという
故郷には帰還することができない。しかし、三塁手のHiltonは守備のhiltonであり、
hitterまたはbatterとしてのHiltonではないので、Hilton(または村上春樹の主人公)は
三塁のbaseを踏むことができずに二塁打で二塁までに留まり、従いhomeplateに、即ち
homeであるふるさとには、塁と塁をつなぐ線をrunningして連続的に時間の中では、帰
ることができないのです。

つまり、Dave Hiltonが、時には二塁手を務めたということは、この選手は二塁と三塁に
線を引くことの(繋ぐことの)できる選手だということなのであり、変な言い方ですが、
村上春樹の小説の、batを一閃してrunner(走者)となって塁を走る主人公には、そのよ
うな可能性を持っていて、しかし到達することのできない三塁手として、三塁手は、二つ
の世界の攻守の交代の中で、あるということを、一行の英文から思い出して欲しい。

Hilton was primarily a third baseman, but played several games at second base.

こうしてまた、村上春樹の世界は攻守の両側ですれ違い、行き違って、主人公はgameの
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規則に従って二つに分裂してしまい、それぞれの当事者である二人の主人公は普通に
baseball gameの規則に従う限り、永遠に出会うことがないのです。

これらのことを一言で、村上春樹の「D.H.体験」と呼ぶことにします。

しかし、分裂した二つの自己が出会う方法が一つだけあり、それが時間の逆流です。2
塁のrunnerは、batterのhitによって飛んだballが内野手または外野手によって、地面に触
れることなく一回で直接捕捉された場合には、次の塁へは進めないので、元の塁へと戻
らねばならない。消極的ではあるが、この時に時間は逆流するというのが、baseball
gameの規則です。この場合に、塁間にあって、runnerは敵方によって生きたり殺された
りするわけです。

3塁のrunnerは、しかし特別な位置にいます。3塁のrunnerは、2塁へ戻ることもでき
れば、実はhomeplateに戻る能力も持っている。今homeplateに戻ると書いたが、しかし
このことは同時に(同時にとは何か?である)、homeplateに時間を進めて塁を進め、
時間の前進の流れに乗るということでもあるのです。即ち、3塁にいるrunnerは、2塁
に戻るという時間の逆流(記憶の想起)と3塁からhome(ふるさと)に回帰するという
時間の前進(であり且つ記憶の喪失)である二つの役割を担っているのです。

しかし、村上春樹がD.H.体験をした試合では、2塁まで到達したHiltonは、3塁までに
至ったのでしょうか?多分、到達しなかったのではないでしょうか?(勿論これは記録
を見ればわかることです。)もしそうであったら、村上春樹の文学は生まれなかった。
何故ならば、3塁まで襲って、さらに、別のbatterがhitを打って、Hiltonという3塁手が
3塁からhomeplateに帰還したら、村上春樹はいつものヤクルトスワローズのファンの一
人として熱狂してスタンドで拍手を送るだけで、それを深く意識することはなかったであ
ろうと思うからです。

そうすると、村上春樹という作家がmarathon runnerでありたいと願う気持ちの根底に
あるのは、守備にいる3塁手としてのHilton(実は存在していない)または其のようにあ
る自分が、特別な3塁という位置にいるrunnerとして、時間の逆流(記憶の想起)と時
間の前進(記憶の喪失)の二つの役割を担っていることを意識し(あるいは無意識し)
することのできるgameであること、即ち、攻撃側の一員として自分が厭う暴力的なbat
を振ってhitを打ったことによってrunnerになることなく、暴力的なbatを振らずに、
runnerの役割を演じることができるというということ、この動機が、何故この作家がマ
ラソンを走る(runnerになる)かという、これが理由なのです。

更に其の上に、batを振ってhitを打たずにrunnerになった存在しない3塁手として、即ち
仮想現実の世界(攻撃側から見ると守備の側)の時間を逆流もさせ得るし順流もさせ得
るという特権的な地位を持ち、即ち、二つの敵と味方との立場の攻守ところを替え、交
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代してplayを演ずる二つの世界のそれぞれの役割を同時に演じることができて、また同時
に記憶を忘却し(時間をhomeplateにも前進させることができて、つまりマラソンのゴー
ルを目指すことができて)、且つ記憶を想起し、時間を二塁方向に逆流させることので
きるという二役を同時に一人の人間として、そのdoubleの役割を演ずることが、runner
としてできるからであるということになります。この時村上春樹の自己は、以下に引用し
ますが、プラハでのカフカ賞授賞式での演説で述べたような二つに分裂した15歳の自
己が、二つに分裂することなく、マラソンにおいては、年相応の大人として一つになる
ことができるのです。これが何故村上春樹がマラソンが好きで、marathon runnerなの
かという理由です。

また、以上のことからわかるように、時間という視点から村上春樹のD.H.体験を眺めれ
ば、この小説家の苦心するところは、いつも時間の処理だということがわかります。安
部公房ならば、現実の諸要素を全て関数関係に変換して時間を捨象することによって、無
時間の空間的な世界を立体的に造形するものを、この作家はそうはせずに、あくまでも
直線的な時間のある世界を大切に最初に思っているのです。Baseballのrunnerは、base
の間の直線を走ら(runし)なければならない。即ち、安部公房の世界は立体的な構造を
備えていますが、他方、村上春樹の世界は平面的な構成を取り、分裂した二つの自己と、
それぞれの自己を反映させている二つの世界が、同じ水平面の上にあるのです。あって、
それらが交代して記述されるのです。水平面の上下に分かれて。野球の規則のように, field
と呼ばれる水平面で。

そして、自分自身はいつも其の水平面に立っていたい、baseball playerとして立っていた
い。それ故に、自分以外のすべてのものを地中に埋めて、土をかぶせてしまうのです。村
上春樹は、群像新人賞受賞作『風の歌を聴け』の後の第三作目の『街と、その不確かな
壁』(1980年『文學界』9月号)で次のように書いています。

「僕はこれまでにあまりにも多くのものを埋めつづけてきた。 僕は羊を埋め、牛を埋め、
冷蔵庫を埋め、スーパー・マーケットを埋め、ことばを埋めた。 僕はこれ以上もう何も
埋めたくはない。

しかしそれでも僕は語りつづけねばならない。それがルールだ」

そうして、その後この作品を謂わば封印して世に出しておりません。この論考の中で、そ
れが何故かについて言及することになるでしょう。

村上春樹は、このような、作家として立つための豊かなD.H.体験をもたらした記念と感
謝の念を、処女作『風の歌を聴け』では、デレク・ハートフィールド(D.H.)というア
メリカの架空の作家としてD.H.を登場させて、Dave Hiltonに対して表明しているのです。
誰にも知られぬように。勿論、読者には一番。

(続く)
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言葉の眼

映画『シン・ゴジラ』を読む

岩田英哉

目次

1。シン・ゴジラとは何か?
2。助川先生のご感想
3。シン・ゴジラと関係するその他の大切なこと
4。Cool Japanとは何か?
5。Role Reversal(役割交換)とは何か?
6。映画『シン・ゴジラ』と『君の名は。』の共通性
7。シン・ゴジラは、超越論で構想されていた


シン・ゴジラとは何か?

先日の「虎ノ門ニュース」で、百田尚樹氏が映画観劇の感想をおっしゃっていて、これ以
前のゴジラは皆、観客としてゴジラを応援して、自衛隊をやつけるゴジラに共感を覚えて
見てきたものが、今回のシン・ゴジラは、自衛隊がやっつけろという、ゴジラが憎いか
らゴジラを攻撃する側の応援に廻ってみるゴジラ、今までと全く違うゴジラだったと感
動しながら云っているのを見ました。

これ以外にも、二度映画館に脚を運んだといい、それ程に素晴らしい映画だという賞賛
の言葉を、何人もの方の口から聞いたので、私も珍しく映画館に脚を運んだ次第です。

この感動は、ご自身の年齢や以前のゴジラ観劇体験の有無を問わず、他の観客も同様で
はないかと思われる。新鮮な、全く新しいゴジラ、シン・ゴジラである。

それは、どこに最初に私は見たかというと、ゴジラはこの映画では4段階に変態するわ
けであるが、その海から上がった最初の姿が地面という、幼いさなぎのように水平面を
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這って歩く、ゴジラの姿であったということに、今までのゴジラとは全く異質のゴジラ
の姿を見たのである。

第1形態のゴジラの眼は死んでいる。

最初の地を這うゴジラは、「ゴジラ」以前のゴジラである。第4形態というゴジラに至
るまでの間の2段階のゴジラの姿は見ることがない。それは海の中で変態するから。こ
の目に見えない隠された二つのゴジラの後に、最終形態の新しいゴジラ、シン・ゴジラ
が姿を表す。「ゴジラ」以後のゴジラである。

この最終形態のゴジラは、従い、アナログではなく、デジタルで、即ち時間連続的にで
はなく、時間非連続的に、人間の眼のまえに突如として、垂直方向に屹立するゴジラ、
シン・ゴジラとして、姿を現わす。

シン・ゴジラの眼は生きている。

今まで日本人の造形する怪獣は、如何にも作り物めいていて、偽物という感じがあり、
それを承知で、日本人はゴジラに惹かれ、ゴジラに喝采を送っていた。ニセ・ゴジラで
ある。第1形態のゴジラの眼は、如何にも作り物の、従来の、ゴジラに限らない日本人
が敗戦後作ってきた全ての怪獣ものの眼、縫いぐるみの眼、ゴッコの眼である。(この
姿に私は監督の意図を感じる。)だから、それ以前のゴジラは皆、観客として無責任に、
偽物のゴジラを応援して、自衛隊をやつけるゴジラに共感を覚えて見てきたものを、今
回のゴジラは、自衛隊よ、やっつけろというように、自衛隊の応援に廻って全員がみる
ゴジラだったのではないか。シン・ゴジラである。

しかし、シン・ゴジラの眼は誠に小さく、更にしかし小さいだけ其の分だけ大きく逆に
怒っており、怒りが凝縮している玉(ギョク)のように見える。ギョクといえば、やまと
民族の玉が、日本の歴史上初めて、怒りを表したのだ。映画でゴジラの眼を見てごらん
なさい。

このシン・ゴジラの体内で、2016年日本人は覚醒した。何故ならば、シン・ゴジラ
が、その身を犠牲にして、自衛隊による「ヤシオリ作戦」の決死行によって薬が口腔か
ら体内へ注入されることによって体が冷却して活動停止に至り、巨大な彫像のように首
都東京のど真ん中に死んで屹立して垂直方向に立つ、即ち無時間の方向に天に向かって
立ち、静止することによって。シン・ゴジラは犠牲である。この犠牲の静止は永遠だろ
うか?「永遠のゼロ」であろうか?

ヤシオリ作戦のヤシオリとは、八塩折之酒(やしおりのさけ)のことであり、これは日
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本の神話の有名な登場人物である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまた
のおろち)を殺すために用いた酒の名前である。

恐らく、ゴジラの命と引き換えに、ゴジラの死によって、日本人は逆に、体内が熱くな
り、生き生きと、水平方向に、従い生きていることの日常の時間の中に、つまり敗戦後
の偽物の虚構の現実の中にではなく、自分の意思で普段の日本人の生活を生き始めたの
ではないか?それが、ここかしこで聞く、シン・ゴジラを二度見に行ったという声の証
明の根拠なのではないか?

それを象徴するのが、冒頭に始まる日本国憲法の、ゴジラ出現という異常事態に対処す
るための条文解釈の議論の喜劇である。これは喜劇だ。私は何度も思わず笑ってしまっ
た。日本人はやっと、この原文英語の、10日間の、憲法の専門家も一人もなしに作成
した(制定ではなく、本当に作成という薄手の日本語にふさわしい)アメリカとGHQの
やっつけ仕事の翻訳憲法の正体を、日本人の無意識下の70年の苦渋を、このように笑
いとユーモアを以って、映像で表現することができる段階に達したのだ。日本人も進化
した。日本人も変態したのだ。海の底の二つの隠された段階が、戦後の70年であった
ということなのである。シン・ゴジラである。

日本人というシン・ゴジラの眼は生きているだろうか?

映画の最後に出てくるシン・ゴジラの映像は、シン・ゴジラが無数の焼け焦げて苦しん
でいる人間の体から成る集合体になっている。あなたにはそう見えなかったか?それを
見なかったのであれば、三度目の観劇をお勧めする。あれは、大東亜戦争で亡くなった
日本人の、また広島長崎にアメリカによって国際法違反で大虐殺された罪のない、そし
て軍人ではなかったのに殺された、日本人たちへの鎮魂の彫像である。

このシン・ゴジラの犠牲の上に、敗戦後の私たちの生活の安定があったのだということ
である。敗戦後の日本を復興したのは、戦地へ赴いて死地をくぐり抜けて生きて帰還し
た、俗にいふ戦前派の当時中年の働き盛りの大人たちだった。そのあとはこの世代の息
子たちの、戦前の旧制高校生であった世代が引き継いで、そうやって1950年の復興
を、1960年代の高度成長を、成し遂げたのだ。苦労に苦労を重ねて敗戦後の日本人
は生きた。問いたい。敗戦後の教育を受けた日本人は、一体何をしたのか?、と。「ゴ
ジラ」以前のゴジラばかりを量産してきたのだ。シン・ゴジラは、時間を超越した、圧
倒的に垂直方向に立つ「ゴジラ」である。

何故今までのゴジラは、日本の首都東京ばかりを襲い破壊してきたのか?これが私の年
来の、日本人に対する問いであった。日本国憲法の偽善的な解釈に実に象徴的であるよ
うに、自虐的なゴジラである。ゴジラは、本来は、これを大東亜戦争の隠喩(metaphor)
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ととるならば、皇居のある東京ではなく、アメリカのニューヨークとワシントンD.C.を
襲い破壊すべきことであった。

「ゴジラ」以前のゴジラ、即ち憲法第9条第2項はそれほどに日本を象徴しているのか?
そう、映画の冒頭で喜劇的であるほどに、今のではなく、今までの日本を象徴していた
のだ。この映画を見たらもはや、誠にありがたいことに、このことを過去形で書くこと
ができる。

今の敗戦後の「憲法」によれば日本の国を象徴するのは神武天皇より今上陛下に至るア
メノシタ/シラシシメス/スメラミコトである。憲法を超える存在、それが、シン・ゴジラ、
である。憲法を遥かに超越している、時間のない存在である。象徴という言葉はそれ以
外には使いようがない。何故ならば、敗戦後の憲法は、人間が作ったのである以上、人
間の手によって修正可能であるから。もっと言えば、人間の意志で、核兵器と同様にい
つでも廃棄できるからである。シン・ゴジラは、人間の手になるものでは、全く、ない。

前の段落で用いたカッコのない憲法という言葉の意味は、映画を見た方はお分かりの通
り、「ゴジラ」以後のゴジラ、シン・ゴジラは、日本国一国の問題解決のレヴェルを超
え、日米安全保障条約のレヴェルを超え、国際連盟のレヴェルを超えて、地球上の人類
のレヴェルでの解決を人間に対して要求している以上、地球上で近代国家を立て憲法を
有する国家のすべての憲法を意味している。シン・ゴジラの存在は、そのような諸国を
超えているのだ。

さて、ゴジラは、そのようにGod+zillaであり、作中人物の一人が其の字義を解釈して見
せたように、神に等しい存在である。しかし、それは実は最初はゴジラではなく、アメ
リカが密かに呼ぶGodzillaであった。日本人は日本語で名前の付けていない、日本人の
知らないGodzillaという巨大未知の生物であったという設定に、この映画の叡智がある。

初めてゴジラがアメリカからやって来たのだ。

今まで、アメリカから日本にやってきて日本の国を破壊するゴジラが一度でも制作され
たことがあろうか?何故日本人の製作する今までのゴジラは、日本の首都東京ばかりを
襲い破壊してきたのか?

しかし、この映画では、アメリカのGodzillaが、日本語に翻訳されて、日本政府が自らの
意思で、ゴジラと日本語で呼ぶことに決定する。シン・ゴジラである。

あらゆる意義と意味において、シン・ゴジラである。
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この主客が倒置され、主体と客体が交換されて生まれた水平面を、冒頭のモスラの幼虫
のような第1形態の巨大生物は這い、海底での2段階を閲した後一層に巨大な姿となっ
て再び現れた時には最終形態に至っていて、最後には垂直方向に屹立し、従い無時間の
中に、時間を超越した存在として、そのまま首都のど真ん中に立っている。

「私は好きにした。君らも好きにしろ」という言葉が、自分自身の命と引き換えにして
シン・ゴジラを創造した牧博士の一行から成る遺言書の簡潔簡素な中身である。これは、
観客たるあなたへの遺言です。映画の冒頭に宮沢賢治の処女詩集『春と修羅』が映り、
これが題名の通り、この映画の世界の季節はシン・ゴジラが生命の謳歌する春であり、
シン・ゴジラは「ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの」
修羅であること、しかしまた日本人も、その修羅と戦う自衛隊もまた同じ修羅であるこ
とを陰陽それぞれの演ずる役割ともに等しく暗示しているのである。Role reversal(役
割交換)である。

この博士もまた、最初から海の中に喪われた人間として、第2第3形態のゴジラのよう
に、姿を隠し、死者として全篇に亘って絶えず登場している生きた英霊の一人である。

もう一つの同じ姿をした「ゴジラ」が、海底に眠っているのである。あなたは、これを
海神(わたつみ)と呼ぶのであろうか?

もし此の映画監督がもう一度続篇を撮影しようとしたら、ゴジラはまたいつでも息を吹
き返し、また繰り返して自分の二本脚で歩き始めることができるのではないだろうか?
屹立するシン・ゴジラは、そのようなゴジラに、私には見える。

永遠とは、そのような意味ではないのか?

一回だけ、繰り返さないことを誓うのではなく、永遠に繰り返すことを誓うことが、人
間にとって本質的な、大切なことではないのか?どの民族にあっても。日本ならば、伊
勢神宮の遷宮のやうに、千年単位の時間の中で変わることなく続けることこそが。

日本人は、この映画を見て、敗戦後にやっと再び、敗戦直後を苦労して脱して其の後忘
れ呆けていた、忘却していた戦争を思いだしたのだ。

「シン」・ゴジラ、である。

この意義において、3.11の大津波と大地震以来の、大勢の死者を悼む心から自然に
生まれた絆(きづな)という、日本人の選択した言葉は、誠に尊く、正しいものだと、
私は思う。生(き)の綱である。その延長に、そして其れを超えて、シン・ゴジラは不
動に立っている。シン・ゴジラは不動明王である。あの背鰭は光背である。光背からア
メリカ軍爆撃機の群れを一瞬で壊滅させる光を幾つも幾つも発してゐるではないか。
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「シン」ゴジラは、多義的な解釈を幾らでも許してくれる、素晴らしい、新しい「ゴジ
ラ」映画である。

ここから先は尚、語ることは尽きない。

あなたも、もう一度映画館へ日本の脚で、いやご自分の脚を運んでご覧になってはいか
がでしょうか。あなた自身が、最終形態に変態し、自分の二本脚で立つために。


助川先生のご感想

私の上記1の映画評をお読み下さった、日本文学がご専門の助川幸逸郎先生の感想とコ
メントです:

「岩田さんのシンゴジラ評、拝見しました。私の友人の仏文学者が、シンゴジラに異様
に敵意を燃やし、観に行った日の夜、「軽すぎる!」・「オレは庵野が大嫌いだ」と一
晩中、Twitterで叫びつづけた。周囲が相手になるのに疲れてスルーするようになった翌
朝も、まだ止まらなくて、はっきりいって異様でした。

岩田さんの評を読んで、彼が何であんな「醜態」をさらしたがよく理解できました。「フ
ランスを使って、アメリカのパワーポリティクスを抑え込む」というのは、戦後の日本
の左翼インテリの夢であった。その「夢」の実現を、ある意味、身も蓋もないカタチで
シンゴジラは描いた。仏文学者は、おそらく日本のなかで、戦後的左翼インテリの含有
率がもっとも高い集団です。自分のたちの「願望」をあそこまで身も蓋もなく描かれて、
私の友人は狼狽したのです。「憲法」をはじめ、日本の戦後システムが、戯画化されつつ
きわめてわかりやすいかたちであの映画には描かれている。そんな岩田さんのご指摘を
受けて、友人の仏文学者がどうしてあんな具合の反応をしたかが、、深く腑に落ちた次
第。

Sさん(筆者 :Sさんは大阪のご出身)が「自分は親米派なのに、シンゴジラに対し嫌
な気持ちにならなかった」というご発言は、(Sさんが)「大阪人は「システム」と「ゴ
ジラ」の両面に共感する」とおっしゃっていたのと、私の中で重なりあいました。戦後
の日本は、安保もあることだし、結局「対米従属路線」でやっていかざるを得ない。そ
れに文化の面でも、野球が好きで、ディズニーランドとハンバーガーなしには生きられな
い。そのことを骨身にしみてわかっている面と、そうした「アメリカに支えられた日本」
が、「ニセモノ」でしかありえないことにいら立つ面。その両方をSさんは抱えておられ
る。だからSさんは、「ゴジラをやっつける側」と「ゴジラ」に同時にシンパシイを感じ
た。そしてこの点は、村上春樹もSさんとおなじだと思われます。」
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シン・ゴジラと関係するその他の大切なこと

この章の文章はある読書会での、シン・ゴジラを巡る議論と疑問に関して回答した私
の、この映画に関する解釈ですが、一般化してそのまま読むことができるように私の考
へを示したものです。以下お読み下さい。

1。海外でのシン・ゴジラの評判
今日本語圏での海外のシン・ゴジラ評を見ると、海外で評判が良くないと書いてありま
すが、しかし、私はこれは疑わしいと思っています。何故ならば、次の日本語の記事が
あるからです:http://lineblog.me/dessart/archives/10320685.html

「一方、ハリウッドでもゴジラ映画の製作が進んでいる。1998年に最初の米国版「ゴ
ジラ」が公開。

 その後、2014年にも米映画会社ワーナー・ブラザースが「ゴジラ」を公開、現在
この続編「ゴジラ2」がスタンバイ中で19年3月の封切りがすでに決まった。翌20
年には「ゴジラvsキング・コング」の公開もすでに決定している。

 また来年、全米公開されるキング・コング映画「コング:スカル・アイランド」には、
ゴジラが カメオ出演 するとの情報もある。」

このやうにアメリカで既に本日現在で計画されてゐるアメリカ製のゴジラがあるのに、
ゴジラといふものがアメリカで嫌われてゐるわけがありません。勿論、日本製のゴジラ
がアメリカ製の、ハリウッド映画の薄っぺらい、ただ興奮し感激してお終ひといふ怪獣
怪物映画になり得ることはあります。

2。シン・ゴジラとアレゴリー
私はシン・ゴジラアレゴリー(寓話)とは見ていません。志水義夫先生の論じたゴジラの
やうに多義的な存在と見ています。しかし、アレゴリー(allegory)という英語の意味も、
今辞書を引くと、a symblic representationとありますから、日本語で言う寓話とは少し
異なっていますね。英語の意味ならば、yesですが、更にしかし、一つのゴジラが
"symbolic representations"を体現しているという意味です。シン・ゴジラは、そのよう
な多義的で且つ統一感のあるゴジラになってゐると思ひます。

それに、私はいわゆる寓意や寓話でそもそもは理解する人間ではないのです。私は散文
の修練をして来た人間で、社会の中でこれを追求してきた者ですので、文学の世界に戻っ
て来て、叙情的に、また先生のいふ括弧に入れたポエムの中に入ることは、感じる人間
として、できますが、それに浸かって生きる人間ではないのです。勿論、私も「ポエム」
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といふ通俗的な叙情を知ってをりますし、否定してゐるのでは全然ありません。

西脇順三郎を例に引いたのは、この読書会で安部公房の回の課題図書になってゐる「赤
い繭」といふ作品を読むときに、この問題が必ず出てくると予測したからです。アレゴ
リー(寓話と訳したallegory)か、隠喩(metaphor)か、事実か。といふ議論です。そ
れを事前に提示しておきたかったのです。西脇順三郎が詩とは何かを説明するために持
ち出した一行の文「茄子は紫の瓢箪である」といふ一文は(エッセイ『オーベルジンの
偶像』)、果たしてallegoryか、metaphorか、事実か?といふ問いです。私の回答は、
もちろんこれらは言葉ですから、その意味はcontextによるといふものです。つまり、言
葉のつかひ方に依るのです。どの場合もあり得る。逆に、アレゴリー、隠喩、事実であ
る場合のcontextを創造することが、議論をする私たちの仕事になるでせう。それについ
て考えることが。

私は散文家ですので、常に例外なく、一義的には言語的な現実、即ち言語による事実の
創造を考えてゐます。Elias Canettiのいふ第二の現実、即ち現実と等価交換可能の事実か
らなる現実です。

3。詩とは何か
ええ、西脇順三郎の詩論で言いたかったことは上の通りですが、他方、それが読者とい
う他者に何かを喚起させることに、その使命のあることも、全くその通りです。それを、
Canettiは第二の現実と呼んだわけです。安部公房は、藝術家といふ人間は言葉によって
存在すると言いました。これが、この言語藝術家の人生を貫いてをります。三島由紀夫
は同じことを、言葉が最初にあり肉体が遅れてやって来たと言いました。

4。再度シン・ゴジラとは何か
私も、古事記との関係も論じ、折口信夫の説を引用して自在に論ずる志水先生のやうな
神話の生き物としてシン・ゴジラを読みとってゐます(志水義夫著『ゴジラ傳 怪獣ゴ
ジラの文藝学』参照)。あれは、最後に、意図的な時間の長さを以つて映し出される焼
け焦げた、天に向かって手を差し伸べて苦しむ原爆で虐殺された死者たち、その他の大
東亜戦争で死んだ死者たちの姿であることから、

(1)無辜の民として死んだ、本土の日本人たちの集合:アメリカによる国際法違反の犯
罪の大空襲と二発の種類の異なる実験的な原爆投下
(2)従軍して死んで、死者となった英霊たちの集合、従い、御霊を祀るといふことか
ら、
(3)全国にある神社と神々、従い、八百万の神々の集合、また、
(4)(1)と(2)のことから、関西の大震災と関東の3.11で亡くなった方、死
者たちの集合
(5)(4)の自然による、即ち人間が制御できない大災害と、それが原因で起こった
もぐら通信                         ページ51
もぐら通信 ページ51
原子力発電所の事故で被災した方たちの、又同時に私たちの、恐怖の感情の
representation(対応・照応関係を体現したもの)、また、
(6)上記(3)のことから、天の下知らししめす天皇(すめらみこと)が、すべての
神社の統帥者であり、国民のサキハヒのために祈る祈祷者であることの記憶の想起。

といった事柄を実にバランス良く統合的に表現されたゴジラ、それ故にシン・ゴジラだ
と思っています。

上記(6)については、ネットの批評の中に、最後に冷却されて動きを停止した垂直に
屹立するシン・ゴジラが顔を向け、あのギョクの目玉の向いてゐる方向は、皇居である
といふものがありました。実際にどうあれ、この言葉は実に生々しいものがあります。

これらの過去70年間といふ時間が、一つのcontextと(1)から(6)をまとめて一つ
にいふことができるでせう。他方空間的には、この映画の素晴らしさは、地球的な規模
に及んでゐることです。日本一国で解決ができないゴジラというのは、今までのゴジラ
とは違いますね。シン・ゴジラです。

これは、Sさんと全く同じ考へです。

6。ヨーロッパ白人種のGod
ニーチェが『Zarathustra』の中で、God ist tot (=God is dead)といふ、キリスト教徒に
とっては恐ろしい一行を書いてから、白人種の唯一絶対のGodは、言葉の上では、死に
ましたが、しかし実際にはどうか、もしGodを信仰しないとしたらどうなるかというこ
とが、近世17世紀のバロック時代からの本格的な、これは探究であったといふのが、
私の結論です。それで、

(1)資本主義
(2)民主主義
(3)哲学

これらが生まれた。

(1)は経済形態、(2)は政治形態、(3)は思考形態です。

これらの最上位にあるのは、(3)の哲学です。(3)の下に諸科学がある。

唯一絶対のGodから逃れてものを考へると、今詳細は省いて結論を言いますと、汎神論
的存在論に向かいます。これは思考論理の必然で、何故奴ら紅毛人が、哲学の始祖を古
代ギリシャの、即ち多神教の世界の人間に求めたのかといふ理由と心理と、それからや
はり人間として自分の頭を使つて考えた場合の論理の帰結する方向を示してゐます。さう
思ひます。
もぐら通信 ページ52
もぐら通信                         ページ52

キリスト教の絶対唯一のGodを立てたことの思考欠陥は、再帰的な論理を絶対的に否定
し、排除したことです。従い、キリスト教と其の影響下に生まれた資本主義、民主主義、
そして(誤解を恐れずに言えば)哲学までもが、キリスト教といふ一神教と一緒にやって
くる限り、侵略的です。つまり、現下の言葉で言えば、globalismです。何故ならば多神
教の世界の人間には、そのような哲学は、そもそも生まれつき不要であるからです。つ
まり、その哲学のむかふ汎神論的存在論は、すでにキリスト教やユダヤ教やイスラム教
といふ一神教以外の多神教の宗教では当たり前のことで、八百万の神々の古代的な世界
です。神社に各地でお参りする私たちの、実は普段の日常感覚です。これを「皮膚感覚」
と呼ぶなら、さう呼んでも良い。

(しかし考へてみれば、この地球上で戦争を起こして来たのは、同じGodを戴いてゐると
称してゐる一神教ばかりではないか。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教。)

上記5との関係では、カントの「崇高」という概念は、Godの存在しない場合の、やは
り神聖性を求めたものでありませう。それは、ニーチェの言葉は、キリスト教の世界で
は神話の英雄がゐなくなったことを日常的感覚では意味しますから、さて、英雄のない
時代に如何に「崇高」ではない、英雄的にではない個人の死を如何に死ぬかといふこと
が、1900年に死んだニーチェや、その時25歳であったリルケやトーマス・マンの
課題でした。同様に、八百万の神々の世界に住みながら、(1)資本主義(2)民主主
義を100数十年前に持ち込まねばならなかった(そうでなければ白人種の植民地となっ
て日本もまた他のアジアの国々のやうに収奪の限りを尽くされてゐたことになってゐた
筈の)日本である以上、三島由紀夫や、安部公房の課題でもありましたし、二人以外の
作家にとっても、さうであったのです。

安部公房の『赤い繭』や『魔法のチョーク』を、このやうなcontextで読むことは、勿論
可能です。そのように生きようとした人間がどのような論理で、どのような感情で、これ
らの関係をどのように考えて生きようとしたかを、これらの作品から読み取ることがで
きます。その解決策もまた。

7。モダニズム
実はモダニズムについては、私は無知です。言葉は知っておりますし、西脇順三郎はモダ
ニズムだという言葉をどこかで読んでこともありますし、今に至るまで戦後を引きずっ
て残っている(ここまでは私の意見)思潮社といふ詩専門の出版社もモダニズムだと正
津勉さんといふ詩人が発言したのを目の当たりに聞いたこともあります。

モダニズムとは何かです。

今Wikipediaを見ると、
もぐら通信 ページ53
もぐら通信                         ページ53

「モダニズムは20世紀以降に起こった芸術運動、特に第一次世界大戦以後(戦間期)の
1920年代を中心にした前衛的な動向を指す。 従来の19世紀芸術に対して、伝統的な枠組
にとらわれない表現を追求した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/モダニズム)

とありますので、これは「伝統的な枠組みにとらわれない表現」といふ限り、それは一
番徹底的には、時間を捨象した表現となります。リルケがそうでしたし、トーマス・マ
ンがそうでしたし、安部公房も三島由紀夫もそうでした。

しかし、これらの藝術家は果たしてモダニズムなのでせうか?時間を捨象して空間的に言
語の構造の有機体(第二の現実)を創造するこれらの人間は、モダニズムという時代限
定の考え方から、時間を捨象するのですから、モダニズムとは無縁であるといふのが、
私の考へです。

同じことが、敗戦後の日本にもあって、猫も杓子も、前衛前衛といい、アヴァンギャル
ドアヴァンギャルといひ、実存主義実存主義といひ、マルクス主義マルクス主義といひ、
これらは、白人種のキリスト教の世界では上述の歴史から言っても意味がありましたが、
八百万の神々の私たち日本人の世界では、そもそも不要ですから、当然のことながら、
すべての思想が時代制約的な流行で終わりました。団塊の世代は今もこれら白人種の思
想に依拠して毎日必死に生きているのか?左翼といふ、白人種にとって(資本主義と民
主主義に対して)歴史的な価値ある此の用語ですら、既に日本にあっては死語ではない
か。21世紀になった今も安部公房を論ずれば、前衛(アヴァンギャルド)として論ずる
白人種の研究者に、私たちは無理につきあふ必要はないのです。勿論白人種にとっては
意味がある。しかし、もういい加減に、日本語に生きる私たちの、私たちによる、白人
種の肺腑を抉(えぐ)るやうな、独自の安部公房論があるべきです。私は此れを「二十
一世紀の安部公房論」と呼んでゐます。

確かに凡百の「命脈は尽きている」のです。全く同感です。安部公房の同時代を生きた、
若い時に生きの良かった、しかし年をとってただそれだけで、若さに頼って生きただけ
だということのわかる、つまり時代的な制約のある複数の友人のゐることを私は全集を
読んで知ってをります。安部公房は辛辣です。敗戦直後のあのマルクス主義や実存主義や
シュールレアリスムの思想の流行と軽薄な理解に、「ああ、あれはムード(雰囲気)
だったからね。」と、そのやうな類の友人たちの一人に、安部公房は普通になんといふ
こともなく、後年の対談で当人に、さう言つてをります。

8。ポケモンGOとゆるキャラ
上記7の文脈(context)においては、ポケモンGOは、八百万の神々が意匠を変えて、
登場したことの事実ではないだろうか。そうだというのが、私の考えです。ゆるキャラ
もそうです。
もぐら通信 ページ54
もぐら通信                         ページ54

これらの可愛い怪異の生きものが、土地土地に現れるといふことに、白人種ならば地霊、
genius loci(ゲニウス・ロキ)を、即ちキリスト教の滅ぼした古代の多神教の世界の神々
を思い出してゐるのではないだろうか?ゲルマン人ならば、ケルト民族の末裔ならば、
いやそうでなくとも、さうでありませう。哲学の始祖を多神教の世界である古代ギリシャ
のソクラテスに求めた欲求。これと同じ欲求が、実はCool Japanと英語で呼ばれる、日
本の文物の世界的流行の本質なのではないか?

先だって、国際会議のために日本に参集して、白人種キリスト教徒たちの国々を代表する
首脳たちが伊勢神宮に参拝したといふ事は、民族と神話との関係で、20世紀型の一斉
同報大量情報提供型のマスメディアは一切論じることが不能(impotenz)であったが、
神話と神々の古代の世界との関係で世界的・世界史的、文明史的・文明論的に見れば、
これは人類にとって一大事件であったのではないか?シン・ゴジラが、アメリカから初
めてやってきて日本に上陸して、そのやうな解決策を人類に要求したのと全く同じこと
であるやうに。

シン・ゴジラも、このcontextで、実はシン・ゴジラを見る各国の人間の深層心理には、
あるのではないか?ただし、アメリカ人にとっては、日本との大東亜戦争の記憶がある
ので、アメリカ人が評価しないか誤解をするか魅力を感じない可能性(possibility)はあ
る。アメリカの公開が10月といふ(日本公開とほぼ同時の)早い時期にありながら、
しかし440館といふ限定をつけて公開されるということは、何かそのあたりの事情を、
アメリカという国の心理を暗示しているのではないか?といふのは推測でありますから、
これは引き続き観察を要します。


Cool Japanとは何か?

このやうに考へて参りますと、Cool Japanといふ呼称は、実は日本がcoolであるのでは
なく、日本といふ国とその文化・文物が、英語でそのやうに呼ぶ国々と人々にとってcool
であるといふ意味であり、そのやうな使いひ方であり、従ひそのやうな文脈、contextで
あることがわかります。つまり、一神教の世界が多神教の世界、八百万の神々の世界、
即ち日本、21世紀のジパングを、必要としてゐるといふことになります。以下、私の愛
用するWebster Onlineから。本論に関係のある行には下線を施しました。:http://
www.merriam-webster.com/dictionary/cool

Simple Definition of cool


: somewhat cold : not warm or hot


: made of a light, thin material that helps you stay cool




もぐら通信 ページ55
もぐら通信                         ページ55

: able to think and act in a calm way : not affected by strong feelings


Full Definition of cool


1

:  moderately cold :  lacking in warmth


2

a  :  marked by steady dispassionate calmness and self-control <a cool and
calculating administrator — Current Biography>

b  :  lacking ardor or friendliness <a cool impersonal manner>

c  of jazz  :  marked by restrained emotion and the frequent use of counterpoint

d  :  free from tensions or violence <we used to fight, but we're cool now>


3

—used as an intensive <a cool million dollars>


4

:  marked by deliberate effrontery or lack of due respect or discretion <a coolreply>


5

:  facilitating or suggesting relief from heat <a cool dress>


6

a  of a color  :  producing an impression of being cool; specifically  :  of a hue in the
range violet through blue to green


以下、上記3の章をお読みくださった、読書会の主宰者Sさんよりのご感想に対する私の
返信を、cool Japanの意義と意味をお伝へするために、そのまま引用します。

「Sさん、ご感想ありがたうございます。

さうですね、Cool Japan、私達はcoolではありませんね。一神教の人たちが、自分たち
の何か熱狂を覚ましてくれる日本文化なので、coolなのですね。

確かに、明治以来かうして振り返ってみますと、奴らは騒々しいこと、この上ない。そ
の最たるものが戦争でしたね。何度も何度も。そして今も、です。何故一神教の人たち
は、戦争ばかりを起こすのか。仰る通りに、私もシン・ゴジラはCool Japanでは無いと
思ひます。シンゴジラの体内の高熱は冷却によって体外に発散してゐる筈ですから、今度
はhot, hotter, hottest Japanの筈です。資本主義と民主主義と哲学と科学によって近代文
明を作ったヨーロッパのキリスト教の白人種の心胆を寒からしむるのではありませんか。
もぐら通信 ページ56
もぐら通信                         ページ56

さうであれば、余り興行的には成功しないかも知れませんね。自分たちがシン・ゴジラ
の放射熱でhot, hotter, hottestになるわけですから。上記3の末尾に書いたやうに、ア
メリカでの興行の成果を注視しませう。

Genius loci(地霊)といふ言葉は、学生の時にLessingを授業で読んで知ったのです。爾
来社会に出て仕事をしながら折に触れ思ひ浮かぶので、それが何かを繰り返し考えてき
たのでした。まさか、ここで、シン・ゴジラのcontextで突如、シン・ゴジラのやうに記
憶の海底の深みから、日本人である我が身の上に上陸するとは。

映画『Sleuth(スルース)』(『探偵』)、ご覧になったのですね。さう、本当に知的
で洒落てゐて、傑作でした。DVDを買ってしまひました。通俗では全然無い娯楽、
entertainmentですね。こんな小説を書いてみたいし、読みたいものです。

さう、迷路は冒頭の導入部に探偵小説作家の邸宅にあるバロック風の迷路の庭園に敵役
のマイケル・ケインが尋ねる所から始まり、家の中で演じられるお互いの役割を演ずる
事が恰も迷路を行くやうでしたから。

さういへば、老年の探偵小説作家の用意したプロットとシナリオによって、二人は役割
を交換しますね。Role reversalですね。これも今思へば、安部公房の登場人物たちの世
界ですね。医者が患者になり、患者が医者になり(『密会』)、船長が船員になり、船
員が船長になり(『方舟さくら丸』)。『砂の女』の女、砂の穴の外に出ることを諦め
てゐた女が最後には自分の意志に逆らって穴の外に出て、出たい出たいと切望してゐた
男が自分の意志で穴にとどまる役割を演じ、といつたやうに。」


Role Reversal(役割交換)とは何か?

安部公房の読者には親しいこの概念を再度説明します。あなた自身を知るために。以下
もぐら通信第17号掲載の『安部公房の変形能力18:まとめ∼安部公房の人生の見取
り図と再帰的人間像∼』より当該箇所を引用してお伝えします。

「(10)安部公房の作品は、水戸黄門や遠山の金さんのお話と同じです。これらの主
人公は、通俗的なわたしたちの心理が求めるところに従って、最後には正義が勝ち、悪
を懲らしめるわけですが、しかし、普段は別人に変装し、世に隠れて生きているところ
が全く同じです。

安部公房の登場人物たちは、同様にみな同じ面の上に(水戸黄門や遠山の金さんならば
世間という庶民の平面の世界の中で)同じ価値を持たされて並んでいて、安部公房の世
界の登場人物たちは、インターネット時代の用語を使えば、みなsuperflatな世界に住ん
もぐら通信 ページ57
もぐら通信                         ページ57

でいます。(これが普通の社会人の垂直構造になれている感覚からみると、その作品が
シュールレアリスティックに見える理由です。)その世界には絶対的な正義はないので、
お裁きがないのです。従い、その代わり、告発者が被告になったり、被告が告発者になっ
たり、登場人物たちは、お互いの役割を交換し、そうすることによって、互いの関係を
変化させることができます。医者が患者になったり、患者が医者になったり。船長が船
員になったり、船員が船長になったり。

このような役割の交換を、人類学の用語で、communitasと呼びます。これは、人類学者
の観察によれば、社会が流動化して、大きな変化を経験しているときに生まれる儀礼で
ある(これも儀礼になりえる)と説明されています。Hatena Keywordから引用します
(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%E0%A5%CB%A5%BF%A5%B9):

「【communitas】スコットランドの文化人類学者ターナー(Victor Turner, 1920-83)が


提唱した概念。
通過儀礼(イニシエーション)の中での人間関係のあり方を意味する。
身分、地位、財産、男女の性別や階級組織の次元など、構造ないし社会構造の次元を超
えた、あるいは棄てた反構造の次元における自由で平等な実存的人間の相互関係の在り
方と定義されている。」

文化人類学者のこの観察が正しければ、安部公房の意識は、いつも変化の中に自分自身
をおいていたということになるでしょうし、その限りにおいて、安部公房は終生前衛の、
アヴァンギャルドの作家だったことになり、他方、その世界の一定した諸要素の機能化
によって、その世界は構造を以って安定しており(或いは逆に、構造があるので、諸要素
の機能化が成り立つというべきでしょう)、偉大なるマンネリズムの作家ということが
できるでしょう。この二つは、安部公房の中では、少しも矛盾しておりません。

(11)さて、このcommunitasということからも、従い、安部公房の主人公たちはみな、
普通に固定した社会だと思っている社会の法律の外に生きている人間たちであるという
ことになります。それは、安部公房の実存の考え、即ちその人間の未分化の状態という
考えからいっても当然のことでしょう。法律の外に棲んでいるということ、このことが
読者に安心感を与え、読者を魅了するとは、なんということでしょうか、読者というも
のは。

さて、図像ではなく、言語の世界に戻って、言葉で再帰的な人間を定義してみましょ
う。」

このrole reversalといふ視点で、時間の中での役割交換とは、言葉を換へていへば、転
生輪廻といふことになります。安部公房の言葉によれば、「三島君とは接点はすべて共
有していたが、その関係は裏返ってゐた」といふ両極端の二人、即ち三島由紀夫の仏教
と唯識の転生輪廻の物語『豊饒の海』その他の作品、それから安部公房のすべての作品
もぐら通信 ページ58
もぐら通信                         ページ58

を、この視点で読み直すことは、敗戦後の日本の文学の新しい、そして決定的な、世界
文学的な論点を私たちに提供するでせう。それが、バロックといふ差異の概念なのです。


映画『シン・ゴジラ』と『君の名は。』の共通性

上記5のrole reversal(役割交換)といふ視点から見れば、この二つの映画は同じ主題
を扱ってゐます。

それが、role reversal(役割交換)であり、ともに私たち人類の、多神教の世界に棲む
古代ギリシャ人はこれをlogos(ロゴス)といひましたが、その深い転生輪廻の意識に関
わる論理から生まれた作品だといふ事です。ヒンズー教も仏教の思想もそれから生ま
れ、釈迦も此の論をなした。私たちは、21世紀の今Cool Japanの一部として此ををな
してゐる。

この視点から、二つの映画を論ずる論考を期待します。

今度は、安部公房の読者であるあなたに論じてもらいたい。Role reversalを。


シン・ゴジラは、超越論で構想されていた

「シン・ゴジラと常盤橋プロジェクト」について書かれた、

yosha-ki.log http://yosha-ki.hateblo.jp/entry/2016/08/03/013218

このブログをみてください。

このブログによれば、東京の破壊された建物には、未来に立てる予定の三菱地所のビル
やその他の高層ビル群があったとのことです。以下引用します。

「レビューとかじゃないんでいきなり最終決戦のヤシオリ作戦の話をしますけど。
さんざん東京3区をゲロ放射熱線で火の海にしたゴジラが酔っ払いよろしく東京駅ホーム
でグッスリご就寝なんでそこが決戦の舞台となった訳ですが。

ネットの感想見てるとみんな列車爆弾の印象の方が強く残ってるみたいなんだよね。

(略)
もぐら通信 ページ59
もぐら通信                         ページ59

それも凄いけど観てて一番の衝撃だったのはゴジラの後ろですよ。
118.5メートルの史上最大ゴジラの3倍以上あるやつ。

見た瞬間えっお前何で建ってんの?ってなった。

(シン・ゴジラのカタログであるか何かの配布・販売資料の写真は割愛します。未来の
丸の内に建てた高層ビル群を前に、構想されたシン・ゴジラが立っています。)

しかも八重洲一丁目東地区市街地再開発事業(地上250m 2023年度完成予定)もいる
し。

そしてゴジラに壊されるならともかく、なんとこれらを全部大爆破。
まさか常盤橋プロジェクトが完成するよりも10年も早く爆発四散するのを見ることにな
るとは思わなかった。

無人機だー背びれビームだー新幹線爆弾だーであれよあれよという間に、
もぐら通信 ページ60
もぐら通信                         ページ60

• グラントウキョウノースタワー(物理攻撃)
• グラントウキョウサウスタワー(物理)
• 丸の内トラストタワー(物理)
• サピアタワー(物理)
• 八重洲一丁目東地区市街地再開発事業(物理)

ときてとどめの

• 常盤橋街区再開発プロジェクト(A棟)(物理)
• 常盤橋街区再開発プロジェクト(B棟)(物理)
だからね。

もう正直

2027年完成予定の現時点で存在しないビルをわざわざモデリングして登場させてるんだ
よ。ゴジラにぶつける為だけに。

製作期間中の去年の8月末に常盤橋プロジェクトが三菱地所から発表された時、庵野樋口
コンビは「これゴジラにぶつけたら面白そうだよね」とか会話したんだろうか。

三菱地所もすごいよね、
20年以上かけて続く大手町連鎖型都市再生プロジェクトの総まとめの国家戦略特別区域
指定計画ですよ?
三菱地所が威信をかけて手掛ける総事業費1兆円超の日本最大(予定)のビルですよ?

それを景気よく根本から大爆破でゴジラの頭にドーンですよ。
丸ビルも新丸ビルもゴジラの背びれビームでドカーンよ。

これを許可した三菱地所ちょっと懐が深すぎない?
いやJR東も三井不動産もだけどさ。」

この常盤橋プロジェクトについての記事を読むと、このひとは、実によく東京とゴジラ
のことをよく知ってゐる。

といふ事は、この映画シン・ゴジラは、超越論で構想されているといふことです。安部
公房の『第四間氷期』の世界と同じ論理です。これを超越論だと、白人種の哲学という
学問ではいふのだといふ話は、もぐら通信のあちこちで何度もお伝へしてきた通りです。
もぐら通信 ページ61
もぐら通信                         ページ61

即ち、「ほら」「いつの間にか」「どこからともなく」シン・ゴジラが現れて、「ほら」
「いつの間にか」「どこからともなく」、私たちは、その世界に「既にして」ゐるので
す。

それが夢のやうであり、狐につままれたやうであるから、そのわけを知りたくて、観客
は二度も三度も脚を映画館に運ぶ。しかし、因果律で考へる限りは、その問ひに答へは
出ない。時間の無いシン・ゴジラの世界です。従ひ、始めも終りも無い。最後に東京駅
前に垂直といふ時間のない方向に屹立するシン・ゴジラは、この映画監督がまた自作の
撮影を始めれば、またいつでも其の姿勢から動き出しさうに見える。

かうしてみると、ヨーロッパの哲学者や藝術家たちの反応が楽しみです。もしこの超越論
の論理を主体に宣伝すればヨーロッパで大ヒットする筈です。これは、あらゆる意味で、
やったぜ!といふ映画です。といふことは、反対に、アメリカ人の反応は、鈍い場合が
あり得るといふ事を意味しています。何故ならば、アメリカには哲学は無いから。アメリ
カは『安部公房のアメリカ論 ∼贋物の国アメリカ∼ 』(もぐら通信第22号)で論じた
ように、親のゐない孤児の国です。スーパーマンもバットマンもスパイダーマンも親がゐ
ない孤児である。アメリカ人の英雄(hero)には親がゐない。そして同じ理由で、ハン
バーガーもコーラもジーンズもディズニーランドも皆ヨーロッパ由来の換骨奪胎してでき
た、しかし実にアメリカ人らしい素晴らしいuniversal specificationの贋物である。これ
が、アメリカでは440館での限定上映といふ理由かも知れません。これは、あくまで
も可能性の問題ですが。

これで、大体シンゴジラ論は出尽くした感があります。あとは海外の反応待ちとなります。
私もネットで海外の反応を注視したいと思ひます。
もぐら通信 ページ62
もぐら通信                         ページ62

連載物次回以降一覧

(1)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(2)存在の中での師石川淳(1) 
(3)安部公房と成城高等学校(連載第7回)
(4)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5
回):安部公房の汎神論的存在論
(5)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(6)奉天の窓から日本の文化を眺める(6)
(7)言葉の眼6
(8)安部公房の読者のための村上春樹論(中)(下)
もぐら通信                         ページ63
もぐら通信 ページ 63
【編集後記】

●安部浅吉のエッセイ:書きながらテキストと文字に対して距離のある浅吉のセ
ンス、また一定の読者を意識した文体、鮮明な語彙の選択、これらは皆長男安部
公房に受け継がれているようですね。弟の春光さんの文章は一層激しいものがあ
ります。●坂口安吾の発案になる『近代文學』の草野野球試合の第一回:これも
新発見、いや、当時の文學界の常識であったかも知れません。中田耕治さんのご
寄稿に再度お世話になりました。感謝申し上げます。●安部公房の箱根の仕事場
とご贔屓のレストラン「ブライト」を尋ねる:笹本さんの、これは大発見二つで
す。山荘の住所と読者に隠れたるレストラン・ブライトを教えて下さった安部ねり
さんに感謝申し上げます。本当にあっというまの一日でしたが、思い出すと、な
んだか時間のない一日であったような気持ちがします。わたしたち三人は安部公
房の純粋空間をさまよったのでしょうか。● 安部公房の読者のための村上春樹論
(上):これもご縁で論じ始めた村上春樹論です。あと二回、お楽しみください。
自分で言うのも可笑しいけれども、3回目の野球論は必見です。こんなbaseball論
は今までなかったことでしょう。アメリカ人には余りに近すぎて文字にすること
ができない。やはり八百万の神々の世界の人間でなければ書けない野球論です。
何しろ聖書と野球のルールとの関係を明確に論じたからです。乞うご期待。●言
葉の眼7:映画『シン・ゴジラ』を読む:これも映画に行かない私が人に言われ
て観て驚いたので書いた一文です。ご賞味あれ。書きながら、時代は急激に変わっ
てしまったと実感しました。この「変わってしまった」という最後の文は単純過
去で書いています。もう二度と戻りません。●前号でドラえもんの漫画の単行本が
45巻。ついにドラえもんを抜いたぞと書き、。次はNarutoの72巻、その次の
目標はOne Pieceの82巻(2016年7月現在)と書きましたが、更に最近こ
ち亀の200巻完結の報道がありました。主人公の両さんのように過激に、
radical(根源的)に、しかし亀のようにコツコツと歩みたい。この組み合わせそ
のものがsurrealisticかも知れません。しかし、地下に潜ってsub-realisticであれば
大丈夫でしょう。これ、もぐらの精神なり。相当に怠惰ではありますが。●では
また来月

差出人:
贋安部公房 次号の原稿締切は10月29日(金)です。
〒 1 8 2 -0 0
03東京都 ご寄稿をお待ちしています。
調
布市若葉町
「閉ざされ
次号の予告
た無限」
1。安部公房と成城高等学校(連載第6回):安部浅吉の論文(2)
2。安部浅吉のエッセイ
3。安部公房の読者のための村上春樹論(中)
4。安部公房文学サーカス論
5。リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
6。言葉の眼7:今の若者は何を求めているか
7。その他のご寄稿と記事
もぐら通信 ページ64
もぐら通信                         ページ64

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新しい知
見の発見に努め、それを広く紹介し、その共有
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくため を喜びとするものです。
に、 安部公房縁りの方、有識者の方などに僭
越ながら 本誌をお届けしました。ご高覧いた 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、も
だけるとありがたく存じます。(順不同)  ぐら通信の編集及び発行を行うものです。

安部ねり様、渡辺三子様、近藤一弥様、池田龍 【前号の訂正箇所】
雄様、ドナルド・キーン様、中田耕治様、宮西  
忠正様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 30ページ:『Why Bach is Barock??かのな
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓一郎 クッロバはハッバ故何』の中で:
様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行様、内藤
由直様、番場寛様、田中裕之様、中野和典様、 訂正前:
坂堅太様、ヤマザキマリ様、小島秀夫様、頭木 『安部公房の奉天の窓を解読する∼安部公房の
弘樹様、 高旗浩志様、島田雅彦様、円城塔様、 数学的能力について∼』
藤沢美由紀様(毎日新聞社)、赤田康和様(朝
日新聞社)、富田武子様(岩波書店)、待田晋 訂正後:
哉様(読売新聞社)その他の方々 『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部
公房の数学的能力について∼』
【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、日本近代文学館、
 コロンビア大学東アジア図書館、「何處 
 にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集と交
歓の場を提供し、その手助けや下働きをするこ
とを通して、そこに喜びを見出すものです。

2.もぐら通信は、安部公房という人間とその
思想及びその作品の意義と価値を広く知っても
らうように努め、その共有を喜びとするもので
す。

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

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