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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊 もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2024年7月1日第183号(初版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
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あな
ただ
迷路
を通

けの って
番地
に届
きま

三島由紀夫・安部公房・石川淳・川端康成四名による毛沢東共産党の文化大革命に
反対する声明発表後の座談会での四人
(『われわれはなぜ声明を出したか』安部公房全集第21巻、16ページ)

eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(67):われは海の子:文部省唱歌…page 9
3 コーボー・ベーシックスkobobasics(27):ユダヤ人……page10
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(16):陽だまり……page 20
5 日本一極国家論(続 )(20):古代帝國論 X・XI……page24
6 私の本棚(60):クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』を読
む……page49
7 カフカの箴言(31)克己と茫然たる光景…..page54
8 ショーペンハウアーの箴言(26):礼儀正しさは空気枕である……page66
9 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(41):5.60猿田彦(2)/5.61星座
とトポロジーの関係(2)/5.61⚪ ……page67

・本誌の収蔵機関…lastpage
・編集方針…lastpage
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NRB:ニュース&記録&掲示板
(NRB:News・Records・Bulletin)
The best tweets of the month
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巻頭詩
(67)

われは海の子
作詞作曲 文部省唱歌

われは海の子(7番まで)byひまわり 3🌻 歌詞付き【日本の歌百選】

https://www.youtube.com/watch?v=QAsk12rY32w

【解釈と鑑賞】
美しい歌詞である。ほかにいふことはない。如何。良きかな、このをなご、や
まとなでしこなり:われは海の子 弾き語り 7番まで:山口あやきチャンネ
ル AYAKI:https://www.youtube.com/watch?v=4MP2sx8JuZE
これもよい。愛国行進曲 弾き語り 山口采希:https://www.youtube.com/
watch?v=I695RCWLxF8
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コー ー・ ーシックスkobobasics
(27)
ユダヤ人(1)
岩田英哉

全集には『ユダヤ人について』と題して、「伝統と変容」を論じて対談したジョン・
ネーサンと、安部公房は対談を重ねてゐる(全集第22巻188ページ)。同じ巻に収録
されてゐる次の作品は『内なる辺境』であつて、この時期1968年は、この作家がユダ
ヤ人について特に考へた時期でもあることが判ります。
『内なる辺境』といふ題名から既に読者には容易に理解できるやうに、安部公房は
「私の中の「私」」といふ意識と無意識の構造で、二十歳の論文『詩と詩人(意識と
無意識)』以来の主題と論理を一層この時期に現実的な問題に敷衍して応用し、ユダ
ヤ人問題を論じてゐる。

この年1968年に何があつたのかといふと、この年は1960年代の学生運動とヴェトナ
ム戦争に反対する運動が頂点に達した年で、しかしそれぞれの国情の違ひよつて何に
「異議申し立て」をしたのかは米独仏日 といふ国々で少しづつズレてゐたことが次の
論文によつて解ります。

「2.「1968年」「1960年代」とは何か
2. 1. 各国の「68年運動」概観
前述のように「1968年」「68年運動」とは,1960年代 に起きた若者や学生による世
界的な「異議申し立て」「抗議運動」を指す。学生運動やベトナム反戦運動がその代
表で,68年にピークに達したことからそう呼ばれる。代表例として,米独仏日4 か国
の運動を概観してみよう。 」
(『ドイツにおける「1968年」研究の現状と考察 ─ ドイツの博物館における企画展
示を見て ─ 』(西田慎 奈良教育大学社会科教育講座(歴史学) :https://nara-
edu.repo.nii.ac.jp › NUE69_1_49-62))

このとき此の流行はポーランドにまで及んで、次のやうなユダヤ人迫害が起こつた:

「ポーランドにおける「3月事件」をご存知だろうか。 それは、社会主義政権下で自
由を求める学生たちが1968年に起こした民主化運動である。 「3月事件」の直後、運
動を弾圧しようとする過程で、ポーランド政府がユダヤ人を排斥し、国外に追放した
ことを、ポーランド政府は長きにわたってタブーの闇に葬っていた」
ボ
ベ
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上記引用のうちの前半部の学生騒動が、まづ安部公房の耳に入つたことであるだらう
が、しかし安部公房の鋭敏な耳には後段の当時のポーランド政府即ちポーランド共産
党によるユダヤ人排斥の事実を推測できる。

この引用からわかることは、ユダヤ人は資本主義国家であらうが共産主義国家であら
うがいづれの国家形態を持つ西欧米の諸国からも弾圧されて迫害を受け、国外へと追
放されるといふことである。何故こんなことになるのかは、ユダヤ人との関係では宗
教と民族と国家がユダヤ人とは異なるのでヨーロッパ各国で迫害が起きるのだと、ま
づここで一先ず先へ進むための前提を措いてをくことにします。この場合の宗教は誰
えがどう考へてもキリスト教であり、同時にカルト宗教といふべきマルクス主義に派
生する共産主義の両方である。
といふことになると、二十世紀を通じて二十一世紀の今まで猖獗を極めてきたグ
ローバリズムといふ共産主義は、ユダヤ人による西欧米・資本主義国家と共産主義国
家(実はグローバリズム国家)への復讐だといふことになる。その上で、同じ年に日
本で何が起きたかといふと以下のやうな事件が起きてゐる。どれも、私が子供の頃の
事件で、それでもTVを通じて知つてゐる事件は赤字にしますので、ざつと目を通して
下さい。俗にいふ東大紛争の起きた年で、このやうに世情不安定であつた。

TBS成田事件
飯田橋事件
エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件
カネミ油症事件
神田カルチェ・ラタン闘争
金嬉老事件
校長着任拒否闘争
佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争
三億円事件
首都圏女性連続殺人事件
新宿替え玉事件
新宿騒乱
鈴木清順問題共闘会議
ダーク油事件
東大紛争
徳島市公安条例事件
栃木実父殺し事件
永山則夫連続射殺事件
成田デモ事件
日大紛争
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日通事件
博多駅テレビフィルム提出命令事件
林健太郎監禁事件
東大阪事件
マルセル盗難事件
都島事件
明大紛争
横須賀線電車爆破事件
吉本興業レコード会社乗っ取り事件」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1968年の日本の事件)

今から40年前の1968年は、世界各地で暴動や大規模デモ、暗殺などの大事件が多発し
た年だった。なかでも、この年に世界を震撼させたいくつかの重大事件を以下に列挙
する。日本での事件とは別にアメリカではアメリカ特有の事件が起きてゐる。フラン
スはフランスで、チェコスロヴァキアではチェコスロヴァキアで、ナイジェリアはナ
イジェリアで、メキシコではメキシコで、そのほかイタリア、ドイツ、トルコ、日本、
ブラジルでも学生による反体制運動が広がった。』」二十一世紀の今にまで因果を及
ぼす事件が一年を通じて此のやうな国々で起きてゐる。

【「4月18日 AFP】
「<1月>
ベトナム戦争で北ベトナム人民軍が、南ベトナム軍および同政府を支援する米軍に一
斉攻撃を仕掛けた「テト攻勢(Tet O ensive)」。米軍の絶対的優勢を確信していた
米国世論に衝撃を与え、国内に反戦機運が高まる。ベトナム戦争の転換点となった。

<3月>
8日、ポーランドのワルシャワ大学(Warsaw University)の学生・知識人たちが民主
化を要求した「3月事件」が発生。事件後、共産党政権はこれを口実に、反ユダヤ主
義運動を開始した。

<4月>
4日、米国の黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King
Jr)牧師がメンフィス(Memphis)のモーテルで暗殺される。 これをきっかけに、全
米各地で人種暴動が発生。

23日、米ニューヨーク(New York)のコロンビア大学(Columbia University)で、


学生たちが大学当局に対し、ベトナム戦争支援機関に関与していると非難、大学を封
鎖する。
ff
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<5月>
フランス各地の街頭で、学生たちが大規模な反体制デモを展開。13日にはパリ
(Paris)でゼネストが行われ、学生が警官隊と衝突、仏全土はまひ状態に陥った。こ
のいわゆる「5月革命」に触発され、イタリア、ドイツ、トルコ、日本、ブラジルでも
学生による反体制運動が広がった。

<6月>
5日、故ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)米大統領の実弟、ロバート・F・
ケネディ(Robert F. Kennedy)上院議員が、ロサンゼルス(Los Angeles)で大統領
選の選挙活動中に暗殺される。

<7月>
前年から開始されたビアフラ(Biafra)戦争により、ナイジェリアで数百万人が飢え
で死にゆく姿が世界中に報じられ、国際人道支援が本格化する。

<8月>
チェコスロバキアで当時のアレクサンデル・ドプチェク(Alexander Dubcek)共産
党第1書記が「人間の顔をした共産主義」を掲げた民主化運動、「プラハの春(Prague
Spring)」が起こったが、ワルシャワ条約機構(Warsaw Pact)軍が侵攻し、動きを
圧殺。多数の死者が出た。

<10月>
メキシコ五輪を10日後に控えたメキシコ市(Mexico City)で、民主化要求デモに警
官隊が発砲し、学生ら200-300人が死亡。五輪では米国人の黒人選手2人がこぶしを突
き上げて「ブラックパワー」を誇示、「動乱の1968年」のシンボルになった。(c)AFP」
((「動乱の1968年」、世界を震撼させた40年前のできごと:https://
www.afpbb.com/articles/-/2379400)

もし歴史は繰り返すといふ言葉が正しいとしたら、この年に起きた次のことが現在二
十一世紀の第一四半期に、一つ次元を上げて、繰り返へしてゐることになります。だ
から解決策がある筈だ。

1。 ケネディ家の暗殺
ジョン・F・ケネディの暗殺に続く、実弟ロバート・F・ケネディ・JRの暗殺。今また
前者の甥、後者の息子が、大統領選挙に反グローバリズム、即ちアメリカにあつては
ネオコンといふ軍産複合体とダヴォス会議といふグローバリズムを私的ロビー活動で
世界中に蔓延させた組織と国連のWHOに対して徹底的な批判を加へてやまないロバー
ト・F・ケネディ・JRが大統領選挙に立候補して、暗殺の危険に身を晒してゐる。とい
ふのは、因果だ。この男の無事を祈る。
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2。 反グローバリズムへの弾圧
東欧の共産党支配諸国での反ソヴィエト連邦・共産党への運動。これは共産主義が既
にこのときのグローバリズムであつて、東欧各国の指導者が国民の利益を考へて反グ
ローバリズムの運動を起こしたが、しかしマルクス主義・共産主義の総元締めソ連の
軍事力によつて暴力的に弾圧された。今は金融と資本といふ経済力および大手ITプ
ラットフォオーム企業による通信網の独占と検閲によつて同じことが繰り返されてゐ
ることは全然変はつてゐない。
これは、二十一世紀の今の反グローバリズムの各国ごとの運動に反射・反映して継
承されてゐる。連続の非連続、非連続の連続。これが歴史といふ生き物なのではない
のだらうかと、今の私には思はれる。つまり、歴史といふ生き物の運動は、片や粒子
であり(非連続)、片や周期性ある波の波動である。
歴史もまた物理学の原理によつてゐる。さうであるならば、地球上の人類の歴史も
また、人間が自然の一部である以上、宇宙物理学と量子力学の原理に則つて運動して
ゐるのではないのか。私の答へはYESです。

3。 アメリカ国内の人種差別問題
マルチン・アーサー・キングが暗殺されたといふことは、今この二十一世紀の第一四
半期から此の事実を眺めると、アメリカが宗教を否定した年であると理解することが
できる。それも黒人の牧師を白人が暗殺したのであるから、ここに今に至る一層激し
いアメリカ国内での人種差別が起きることになつた。この問題の根本的解決を時の政
府が図ることなく、問題を先延ばしにしてきたので偽善の(対白人の)黒人均等配分
主義といふ数量で人種差別を解決したが如き政治政策がとられて今日のアメリカの混
乱に至つてゐることがわかる。
アメリカといふ国家にはヨーロッパの国々のやうには哲学といふ学問がないので、
この問題の解決は無理である。ヨーロッパの西欧カトリックがアメリカ大陸の民族・
インデェイアンの土地を侵略してに植民地をつくつたときの十五世紀のスペインの僧
侶たちのやうに、果たしてインディアンは人間か否かといふ問ひを立てたのにならつ
て、果たして黒人は人間か否かといふ問に正面からアメリカの白人種は答へるべきで
ある。日本人にはかういふ問ひ自体が理解不能であるが。彼らは彼らの歴史と宗教と
流儀に従つて、この人種問題を解決する以外にはない。しかし、解決しないだらう。
ところで、日本人は人間であるか否か。トルーマンの答へは、NOであつた。これが
二十世紀のアメリカであつた。二十一世紀の両国の関係や如何に。

誰がコロンブスを発見したのだらうか?と問ふて、私たちもアメリカに対して逆の問
ひを立てては如何か。果たしてアメリカ人は人間であらうか?と。もしアメリカ人が
人間なら、わたしたちは人間ではない。もしわたしたちが人間なら、アメリカ人は人
間ではない。二十世紀の両国の関係はかうではなかつたか。私たち日本人は二十世紀
の決算書をまとめなければ、日本の二十一世紀はないのである。明治維新は成功に終
はつたのか、失敗に終はつたのか。私の決算書は否定的なバランスを示してゐる。今
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もぐら通信 15
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の反国民である無能有害な極左・共産主義の自由と民主を標榜する偽りの政権与党を
見よ。さうであれば、わたしたちのなすべきことは、この偽善の党の悪も含めてすべ
ての二十世紀のマイナスを、すべてプラスに転ずることである。

これは150年の失敗か?それとも此の80年の失敗か?、もし問ひを立てるならば此の
問である。この二つの問に答へよ。私の答へはともにYESである。

4。アフリカ大陸の飢餓と政治の混乱
アフリカ大陸の飢餓と混乱は二十一世紀にも続いてゐる。だれが此の飢餓と政治的混
乱、経済的貧困をつくつたのか?西欧諸国である。アフリカ分割をだれがみとめたの
か。十五世紀のトルデシリャス条約のときにスペインとポルトガルに地球の東西地域
分割を許した時のやうにローマ法王が勅許したのか。この「条約調書の原本は2007年
にスペインとポルトガルの共同申請で、ユネスコの記憶遺産に登録された。」さうで
ある。大体、霊峰富士を静岡県の一知事の判断よつてユネスコに登録させることを許
してよいものか。何故政府は此れを禁じなかつたか。かふいふことには安部公房は無
関心かもしれないが、わたしには耐え難いものがある。もはや日本もユネスコなどと
いふUnited Nationsの機関から脱退すべきではないのか。これを潮に、いつそ
United Nationsそのものから脱退しなさい。さて、それとも既にキリスト教を捨てた
西欧米近代諸国がキリスト教の道徳を失つたので好き勝手にアフリカ大陸の分割をや
つたのか。宗教があらうがなからうが、こんなことが赦されるわけがない。このやう
な判断と怒りを、わたしたちは常識と呼んでゐる。

アフリカの西欧諸国による好き勝手な分割
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もぐら通信 ページ 16

閑話休題

以上のやうにザッと眺めても、1968年の世界的な事件はみな今の世界的事件にそのま
ま続いてゐて、問題は持ち越されて今だに未解決である。安部公房は、安部公房スタ
ジオの若い役者たちに、二十世紀の課題は、弱者の救済であるといつてゐる。これ以
外の安部公房が考へ、また同時に三島由紀夫の考へてゐる二十世紀の解決すべきであ
つた西欧諸国の文学的な問題については『二十世紀の文学』を御覧ください。文学的
課題ですから、それはそのまま精神的課題なのであり、特殊と普遍に関する思考形式
の問題なのであり、従ひ、この二人の論じた問題の決算書を作成しなければ、わたし
たちの二十一世紀はマイナスのまま酷いことになつたままで二十二世紀の若者たちに
政治を引き継がせることになる。西欧米型の近代国家の政治は人間を量で考へて来た
ので、最終的な、人間の質に焦点を当てた解決は、それぞれの国に優れた固有の政治
家が出現しな限り無理でせう。即ち問題の解決は国家単位になる。今表舞台に登場し
てゐるこの、質の観点からの二十世紀の問題の政治的解決者を、二十世紀に生まれて
今に至る大手マス・メディアは一斉に極右と呼んでゐる。このことがマス・メディア
が実は二十世紀を通じて常に自分たちは極左であつたといふことを問はれずに、自白
し、白状してゐるのである。

しかし、この問題の解決が2022年2月24日のプーチンのロシアの対ウクライナ限定
的・東部侵攻以来今も進行中の、世界の多極化といふ政治・経済の現象である。世界
の多極化とは、二十世紀の西欧米の植民地主義といふ収奪問題の解決であり、地球的
な規模で問題の解決に向かつてゐるといふことである。弱者の救済がどこまで実現す
るものか。これまでの因果がありますから、西欧米型の近代国家では、余程優れた政
治家の出ない限り、無理でせう。彼らの国体を根本から変革しなければならないから
である。それはみづからの近世・近代・現代史のもともと虚構である共産主義的虚構
史の否定と破壊であるからだ。

さて、現在只今の意識を此のやうに前提にした上で、当時の二人の対談を読んでみま
せう。1968年・昭和45年、二人の論点はユダヤ人を巡り、文学的領域を超えて、
次の通り。これだけの議論のできる文学者も知識人も、政治家も政治学者も、経済学
者も含めて、みな、文学的教養ある人士は此の間日本の国の言論の表舞台から消えて
しまつた。大人はいふまでもなく子供時代に先の戦争を経験した人間たちを総称して
戦時経験者と呼ぶと、最後の戦時経験者が世の中の表舞台から姿を消して行つたのと
歩調を合はせるやうにして、日本文学の衰退は2年後に三島由紀夫が自決して逝つた
1970年・昭和45年以後に象徴的に且つ具体的に始まつてゐる。日本人が日本語
の言葉の意味も考へずにペチャクチャ御喋りするやうになつたのである。『何故日本
文学は衰退したのか』(もぐら通信第79号・第81号・第82号)は、御興味があ
れば、ダウンロードは:
第79号:https://www.scribd.com/document/374148657/第79号
第81号:https://www.scribd.com/document/378468883/第81号-第四版
もぐら通信
もぐら通信 17
ページ

第82号:https://www.scribd.com/document/379680303/第82号

以上のことから良くわかつたことは、ヨーロッパといふ地域は西欧と東欧に分かれて
ゐるが、そして更に西欧からみても東欧からみても、距離の遠近はあるものの向かう
隣にユーラシア大陸を控へたロシアがゐて、ですから、ヨーロッパ地域の構成地域を
西欧・東欧・ロシア(正確には極西部ロシア)と並べてみると、これらの三つの地域
はユダヤ人を迫害して来たといふ事実を共有することで一つにまとまつてゐるのであ
る。ユダヤ人が格好の三者の共通の、相互の利害による衝突を消去できる問題なので
ある。ヨーロッパ地域の安定のためにはユダヤ人を迫害し続けなければならないとい
ふことである。ドイツ人、否、オーストリア人ヒットラー一人を血祭りにあげても何
の問題の解決にはならず、偽善のみが蔓延るヨーロッパ地域なのである。
さて、この理由、即ち各地域ごとのユダヤ人迫害の動機と目的は、とてもわたした
ちには理解ができないので、わたしたちの常識で理解できる限りに、また日本の国に
関係する限りに於いて、問題解決に消極的に応ずるほかはない。

最近読んでゐる西尾幹二著『日本と西欧の五〇〇年史』によれば、キリスト教の敵は
ユダヤ教とイスラム教ですから、さうであれば、この問題は永遠に解決しない。ユダ
ヤ人がかうして、キリスト教圏諸国による迫害を回避して我が身を守るためには、共
通の利害、といふよりは共通の利を共有する以外にはなく、それがお金であり金融で
あつたといふことなのです。旦那、期日までに金が返せなければ、旦那の肉を1ポン
ド戴きますぜ。。。
これで、何故スイスが永世中立国といふ立場を政治・経済ともに保持しなければな
らないかの動機・motivationが明らかになりました。ここは私のさう名付けた「ロス
チャイルドの中央」の中央ですから、それ故にユダヤ人の金融・経済国家としての地
位を此の国によつて守らねばならないからである。といふことは、ユダヤ人にとつて
の国は二つあつて、一つはイスラエル、もう一つはスイスである。イスラエルとスイ
スは表裏一体である。違ふか? スイスが私の「環太平洋造山帯火山帯文明帯」文明
論による分類によれば、アルプスといふ山脈を要する国家であるといふ即ち緩衝帯で
ある国家だといふことに大陸型国家からみると地政学的な意義があるのだとわかる。

スイスの域内中立に至る歴史は次の通り。これを表だつたヨーロッパ史と照らし合わ
せると、スイスが何故中立国家に、ヨーロッパ域内でなつたのかの舞台裏がわかるだ
らう。以下の引用の国際社会も国際国家共同体も、国際何々の国際とはヨーロッパの
ことである。地球の上のすべての国々のことではない。このinternational・国際的と
いふ言葉にわたしたちは随分と されてきたのである。ヨーロッパの外はすべてミソ
もクソも一緒に地球・globe・グローブである。ヨーロッパの人間にとつては。だから、
グローバル・グローバルとバカの一つ覚ゑで彼らはいつてゐるのだ、植民地をまたあ
たらしく金融の世界でつくつて収奪するために。
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もぐら通信 ページ 18

「スイスは、1815年以来、国際社会から公式に中立国として承認されている。 スイ
スの中立は、1515年のマリニャーノでの敗北と三十年戦争の終点となる1648年の
ヴェストファーレン条約締結に る。 しかし、スイスの中立が認められたのは、
1815年の国際国家共同体によるウィーン協定の際である。」
(https://www.eda.admin.ch/aboutswitzerland/ja/home/politik-geschichte/die-
schweiz-und-die-welt/neutralitaet.html)

ユダヤ人の過ちは、ヨーロッパといふキリスト教圏以外の地域とそこの国々でも金
けの利を共有しようとした事である。これがユダヤ人の犯した罪である。これによつ
て世界中の国々の道徳が退廃した。だから、ヨーロッパ域内に留まつてゐればよかつ
たのである。しかし、これは第三者のものの見方であつて、ユダヤ人は利害の利も害
もいづれの側とも金によつて得、利の側には害を、害の側には利を共有するために金
を用ひて両建てすることには何も違和感はない。何故なら、ヨーロッパ地域では、域
内で衝突する国々のどの国からもユダヤ人は迫害されて来たからである。これが「国
際社会」で両建てて金を融資する無節操に論理的な根拠を与へる。ここに道徳は無関
係である。だから、ユダヤ人はヨーロッパ域内で嫌はれるのか?だとしたらこれは
「国際社会」であるヨーロッパとユダヤ人の関係は、ロスチャイルドが滅びない限
り、永遠にいつまでもシャム双子のやうにくつついたまま続いて行く。ヨーロッパ西
欧諸国がヨーロッパ域外に即ち「地球」の上に、植民地をつくつて行くたびにロス
チャイルドも金を出した。だから、反グローバリズムとは反植民地主義といふことで
ある。安部公房の論法を借りると、反植民地主義では植民地を肯定し前提にしてゐる
「反」なのである以上、少しも植民地主義との縁が切れないので、反対ではなく、と
なると、非植民地主義の国が多くなればなるほど、西欧米とロスチャイルドは衰退し
凋落するといふ道理である。
つまり、ユダヤ人迫害に関しては、ポーランドにロシアを此の故に非難する資格は
なく、ドイツにはいふまでもなく、ロシアにもドイツを非難する資格はなく、イギリ
スもスペインもポルトガルもオランダも、あの国この国は皆共犯者であり、安部公房
流にいへば、ユダヤ人迫害はヨーロッパでは白昼堂々たる「公然の秘密」なのであ
る。そしてユダヤ人は此の「公然の秘密」を徹底的に利用する。

カネで建国したイスラエルは建国の由緒がロスチャイルドの金であるので、建国が金
ならばロスチャイルドの金でまた国も滅びるといふのが世のならひです。このとき、
ロスチャイルドの金庫もまた空になるやうな戦略を多極化した文明圏が連帯して其の
政策を採用すればよいのである。この初手がドル決済の廃止であり、ロシア・中国・
インド・サウジアラビアの国々による金の買ひ占めです。要するにスイスにあるロス
チャイルドの金庫を空にするのである。プーチンはわたしよりもつと先を二十年前に
BRICSを始めたときに考へたであらうし、今はもつと先を「国際社会」と本当の国際
社会即ち地球的な規模での国際関係の情勢の変化をみて三歩先をもう既に読んで先手
もぐら通信
もぐら通信 ページ 19

を打つてゐるであらう。かうしてよくわかることは、二十世紀来のマス・メディアは
例外なく西欧のいふ「国際社会」にアメリカを入れて「国際社会」と呼んできたこと
である。わたしたちは本当にこのinternational・国際的であることに明治以来散々
され続けてきたのだ。もういい加減に目を覚ませ、おい、こら、Japanese people。

さて、だから、日本がハマスを支持するとかイスラエルを支持するとかいふそんな議
論が最初から間違つてゐるのである。そんな議論はする必要がない。する必然性も日
本にはない。我関せず焉、といふ態度が日本の国のとるべき道なのだといふ結論にな
る。「国際社会」にまかせてをけば良いのである。木枯し紋次郎ならば、あつしには
関はりのないことでござんす、といふところで、これが現下のイスラエル・ハマス問
題を議論する外交の場での日本の政治家の決め科白ではないのか。‫אני מצטער שזה ל‬
‫א קשור אליי‬. これはGoogleがヘブライ語に翻訳してくれた木枯らし紋次郎の科白で
す。日本の独立自尊は、‫אני מצטער שזה לא קשור אליי‬.の木枯し紋次郎で行くのだ。

どうも寄り道が多すぎる。ジョン・ネーサンとの対談での安部公房のユダヤ人を巡る
論点は、再度、次の通り。
(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 20
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(16)
陽だまり

岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 21
ページ

この『陽だまり』と題した写真とエッセイは、どこか『笑う月』に収載された1971年
から1975年に書かれたエッセイに、文章の方はどこかしら似てゐるやうな感じがす
る。
といふことは、それは一 の悪夢の短編小説と同じといふことであり、従ひ、文章
の解釈など不要で、このエッセイ中、最も安部公房らしい小説の文章である最後の段
落の次の文章を除けば、それ以前の二つの段落は悪夢への案内のための文章といふ役
割を果たしてゐる。最後の段落は次のやうなものである。

「 いま男は大勢の顔見知りにかこまれ、声高に打ち興じながら、長いエスカレー
ターでどこか特売場のようなところに搬ばれる夢をみているような気がする。そこに
は遭難現場の柩の列を思わせる無数のガラス・ケースが並び、きらめく光が浴槽から
あふれた湯のやうな襞をつくっているはずである。」

男は、光のつくる襞の中でガラス・ケースの中に眠つてゐる。といふことは、光と光
の間の暗闇に眠つてゐるといふことである。ガラス・ケースの透明な光もある闇の中
に眠つてゐる。それがヒダヒダに眠る男の此の写真だ。
もぐら通信
もぐら通信 ページ22

さて、この浮浪者の男の夢の中に入るまでの、安部公房による道案内の文章は次のや
うなものです。

第一段落:
写真家安部公房は、この文章を読むと一瞬で撮影しようと思つてシャッターを押し
た。そして、あとで一体なにが写つてゐるのかを、影の中にある物品を取り出して影
の構成要素分析をした。曰く、「小さなグラス」、「ビール瓶らしいもの」、「牛乳
瓶の紙蓋のやうなもの」、そこの上に書かれてゐる文字は「ルーペでのぞくと「日本
酒」と読めたが、「酒」の時はぼんやりにじんでいて、確認はできない。見方によっ
ては「盛」のような気もする。」あらためて「ビール瓶を見直すと」「これもビール
瓶にしては首が短いし口径もやや太めである。」「するとグラスもプラスチック製
で、よく酒の小瓶の口なのでにかぶせてある上蓋なのかもしれない。」といつた風に
一度確かに思つたものの名前が次から次と曖昧なものになつて喪はれて行く。

これが第一段落目。かうして読者は夢の世界へと誘はれることになる。しかし、安部
公房は再度読者の夢見ごこちの世界から外部へと意識を連れ出して、この浮浪者の男
を外部から、といふ意味では観察するといふ、さういふ文章の全体が第二段落であ
る。
ここでは、すべてが推論でありながら、確かな推論の連鎖で男が間違ひなく、第三
段落に至つて死ぬであらうことへの、安部公房が殺人犯ではないにも拘らず、確信め
いた推論の連鎖で、道筋をつけてしまふのだ。曰く、「それにしても深い眠りだ。」
こんな小瓶の酒一本で泥酔するといふのは「アルコール中毒気味で、新機能が低下し
てゐるのかもしれない。」「安眠を保証してくれる場所がなく、慢性の睡眠欠乏症に
かかっているのかもしれない。」「やつと見つけた日溜りにしがみつき、ひたすら眠
りをむさぼっているのだ。しかし長くのびた影の具合からすると、この日溜りもそう
長くは続いてくれそうにない。」

「この日溜りもそう長くは続いてくれそうにない」にも拘らず、既にして、時間の前
後とは全く無関係に、さう、まだ続いてゐる日溜りの時間の終はらぬといふのに、浮
浪者の男は影に眠る場所から次の光と光の光線の狭間のヒダヒダの夜の中に入り込む
のだ。何かに運ばれて。

『箱男』の最後の一行は次のものである。運搬者の一行。

「救急車のサイレンが聞こえてきた。」

「長いエスカレーターでどこか特売場のようなところに搬ばれる夢をみているような
気がする」といふ運ばれて行く次の場所は、『密会』の場所である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 23

安部公房の全作品は、前作の結末が自作の冒頭に継承されてゐて(「結末継承・冒頭
共有」といひます)、初期安部公房の作品から最後の『カンガルー・ノート』に至る
まで全体が一つの円環をなしてゐて、それぞれの継ぎ目で一捻りがなされてゐて、こ
の円環がメビウスの環になつてゐるので、全作品が1になつて即ち存在になつてゐるや
うに安部公房は極く其の文学活動の初期から各作品の接続を構想したといふことは
『冒頭共有・結末共有と結末継承については、「『 ン ロカカリヤ』論(前 )」(も
ら通信第53号)を らんく さい。ダウンロードは:https://www.scribd.com/
document/724513151/第53号

上記の『デンドロカカリヤ』論の上に詳細な初期安部公房から最後の小説『カンガ
ルー・ノート』までの結末継承・冒頭共有についての作品年表と其の作品接続
関係分析は、『処女作『(霊媒の話より)題未定』と最後の小説『カン ルー・ノート』
の 結末継承と作品継承について 』(もぐら通信第57号)を御読み下さい。この論
考のダウンロードは:https://www.scribd.com/document/724514834/第57号-第
三版
ぐ
ご
だ
デ
ド
ガ
もぐら通信
もぐら通信 ページ24
日本一極国家論(続篇)
古代帝國論 X・XI

岩田英哉

古代帝國論 X:カール・シュミットの言葉

大陸型国家ドイツの著名な政治学者カール・シュミットが次のやうに海洋型国家か
ら眺めた大陸について正に正 を射た言葉を述べてゐる。この引用は西尾幹二著
『日本と西欧の500年史』からの孫引きです。

「ドイツの公法学者カール・シュミットに『陸と海と――世界史的「考察」』とい
う魅力的な著作がある。その中に次のような含みのある表現があった。「海からだ
けの視点にとっては、大陸とはただの海岸、「背後地域」のある沿岸でしかない。
大洋から、また海洋的な存在から見ると、陸地全体ですらもただの漂流物、海の排
泄物であることになる。」(生松敬三・前野光弘訳、慈学者出版、二〇〇六年)」
(同書206ページ)

私たちの住む日本列島は島嶼国家であり、この島々から眺める大陸を、それが支那
大陸であれ、ユーアシア大陸であれ、アメリカ大陸であれ、私たちは禅僧ではない
し、別に悟りを得るためでもないが、しかし大陸型国家諸国も含み大陸とは「海の
排泄物」と観ずることこそが国家の一大事と心得よ。何だか随分と肩の荷が軽くな
つたやうな気がするが、こんな悟達の境をドイツ人の政治学者に教はつて良いもの
か。

このカール・シュミットの言葉によつて、私の海政学用語の定義の基本的な考へ方
は正しかつたことになります。たとへば、Rim Land(地政学用語)をLand Rim
(海政学用語)に転じたやうに。

カール・シュミットの教へるところによれば、日本にとつて大事なものは、大陸の
海岸線または海岸帯である。そこまでを海洋の島の民の領分と心得て其処に留ま
り、その先へと侵入してはならないのだ。この過ちを犯したのが大東亜戦争であつ
たと、今解る。
まづ兵站線を築かねばならないが、陸上での物資補給線を引いて此れを守り維持
するといふことは、多分海の民であり島の民であるものには難しいのは、島単位で
は長い兵站線など不要だからです。港々で物資を運搬する方が遥かに楽だからです。
それに島内の補給路のあり方も自然の道筋に従つて与へられたものである。このこ
とは今の日本列島の物流でも変はらない。トラックは東海道他の街道筋を主要な枝
もぐら通信
もぐら通信 ページ25

道として走り、フェリーで港々を訪れて荷を下ろし、新しい貨物を積んで次の港に
行くか出発港に戻る。
だから、日本・古代帝國は海洋と大陸沿岸帯までを活動範囲とするのが、海の航
続距離の如何に関はらず、良いといふ結論になります。それは、環太平洋造山帯火山
帯文明と名付けた此の文明圏の適用範囲に此れも一致してゐる。この適用範囲の外
にでたり出ざるを得ないときには、わたしたちは相当に無理をしてゐて、何か問題
が起きる筈だとまづ考へるのがよろしからう。といふ、さういふ備へになります。
普通の個人や家族や友人やツアーでの観光旅行でも、さう考へる方が身の安全を図
ることになります。

さて、ここに航続距離との関係で、縄文時代の昔々の大昔に一体どんな船で小笠原
諸島を北上し、諸島の北端から鹿嶋・香取の地に渡来して上陸したものか、その船
についての解説、それも西欧米の名付けた「大航海時代」の白人種の実見の記録が
あるので、引用します。参照するのは、中江克巳著『失われた古代文明の 』(大
陸文庫、228ページ)。

「ポリネシアのカヌーと公開術の

古代のポリネシア人たちは、カヌーで荒波を超え、公開をした。むろん、カヌー
は木製である。
キャプテン・クックは十八世紀、タヒチ島で三〇メートルのほどの大型カヌーが
一〇〇 以上も並んでいるのを見て驚いた。すでに、ヨーロッパでは大型ハンセン
の時代だから、その原始的な姿に驚いたのかもしれない。
これはダブルカヌー(双胴船)と呼ばれ、船体を二つ横に並べて固定し、そのう
えに甲板とキャビンがつくられていた。大型帆船と比べれば、たしかに貧弱かもし
れないが、三〇メートルダブルカヌーでは、七〇人から八〇人の人間が乗れるし、
さらに家畜、大量の食料や飲料水も積むことができたのである。こうしたカヌーに
は、ココヤシの葉などで編んだ帆がつけられていた。ポリネシアのソシエテ諸島フ
アヒネ島で一九八一年、カヌーの木片が発見されたことがあった。その後の調査
で、これは約一〇〇〇年前のカヌーの舷側版と確認され、もとのカヌーは全長三〇
メートル程度はあったという。それほど古くからカヌーが使われていたわけだ。
カヌーといっても、ダブルカヌーばかりではない。シングルで、小型のアウトトリ
ガーカヌーも盛んに使われた。アウトリガーは「腕木とか、「浮き材」と訳される
が、カヌーのバランスを保つために、舟の片方、あるいは両方につけた。
かつてキャプテン・クックなど多くの航海専門家は、ポリネシア人はカヌーで漂
流し、島々へ到着したと主張していた。しかし、いまではその説は否定され、十分
な準備をしたうえで、独自の航海術で目的地へ航海していた、と考えられている。
もぐら通信
もぐら通信 ページ26

道として走り、フェリーで港々を訪れて荷を下ろし、新しい貨物を積んで次の港に
行くか出発港に戻る。
だから、日本・古代帝國は海洋と大陸沿岸帯までを活動範囲とするのが、海の航
続距離の如何に関はらず、良いといふ結論になります。それは、環太平洋造山帯火山
帯文明と名付けた此の文明圏の適用範囲に此れも一致してゐる。この適用範囲の外
にでたり出ざるを得ないときには、わたしたちは相当に無理をしてゐて、何か問題
が起きる筈だとまづ考へるのがよろしからう。といふ、さういふ備へになります。
普通の個人や家族や友人やツアーでの観光旅行でも、さう考へる方が身の安全を図
ることになります。

さて、ここに航続距離との関係で、縄文時代の昔々の大昔に一体どんな船で小笠原
諸島を北上し、諸島の北端から鹿嶋・香取の地に渡来して上陸したものか、その船
についての解説、それも西欧米の名付けた「大航海時代」の白人種の実見の記録が
あるので、引用します。参照するのは、中江克巳著『失われた古代文明の 』(大
陸文庫、228ページ)。

「ポリネシアのカヌーと公開術の

古代のポリネシア人たちは、カヌーで荒波を超え、公開をした。むろん、カヌー
は木製である。
キャプテン・クックは十八世紀、タヒチ島で三〇メートルのほどの大型カヌーが
一〇〇 以上も並んでいるのを見て驚いた。すでに、ヨーロッパでは大型ハンセン
の時代だから、その原始的な姿に驚いたのかもしれない。
これはダブルカヌー(双胴船)と呼ばれ、船体を二つ横に並べて固定し、そのう
えに甲板とキャビンがつくられていた。大型帆船と比べれば、たしかに貧弱かもし
れないが、三〇メートルダブルカヌーでは、七〇人から八〇人の人間が乗れるし、
さらに家畜、大量の食料や飲料水も積むことができたのである。こうしたカヌーに
は、ココヤシの葉などで編んだ帆がつけられていた。ポリネシアのソシエテ諸島フ
アヒネ島で一九八一年、カヌーの木片が発見されたことがあった。その後の調査
で、これは約一〇〇〇年前のカヌーの舷側版と確認され、もとのカヌーは全長三〇
メートル程度はあったという。それほど古くからカヌーが使われていたわけだ。
カヌーといっても、ダブルカヌーばかりではない。シングルで、小型のアウトトリ
ガーカヌーも盛んに使われた。アウトリガーは「腕木とか、「浮き材」と訳される
が、カヌーのバランスを保つために、舟の片方、あるいは両方につけた。
かつてキャプテン・クックなど多くの航海専門家は、ポリネシア人はカヌーで漂
流し、島々へ到着したと主張していた。しかし、いまではその説は否定され、十分
な準備をしたうえで、独自の航海術で目的地へ航海していた、と考えられている。
もぐら通信
もぐら通信 ページ27

とはいえ、いまのようにコンパスや六分儀、海図などがあったわけではない。で
は、何を頼りに航海したのか。
星や月、大洋の位置、雲の形、あるいは風や潮の流れ、渡り鳥や魚類などを観察
しながら航海をつづけたのだ。むろん、そうしたことを経験的に熟知していたし、
若い人は学習していたのである。
しかし、海図やコンパスがまったくなかつたわけではない。たとえば、ミクロネ
シアでは、木の細い棒でつくられた不思議な海図が使われていた。
一辺が三〇センチほどの、ほぼ正方形である。枠のなかには縦、斜めにも数十本
もの細い棒が、途中で切れたりしながら交差点を紐で結びつけ、固定されている。
さらに三十数箇所に子安貝を取り付けてあるが、この子安貝は島の位置、数十本の
細い棒は潮流などを示したものだ。
また、ハワイ諸島では、ヒョウタン製のコンパス[ 1]が使われていたという。
まるい部分に数本の線を引き、太陽がもっとも北にくる位置と南にくる位置をあら
わしたほか、主要な星や惑星、星座の位置が示され、これで確認しながらカヌーの
位置を知ったのであある。
そのうえ、このヒョウタン製コンパスの上部には穴が四個あけられ、北の北國生
を基準として、四個の穴が東西南北にくるようになっていた。つまり、このヒョウ
タンはコンパスであると同時に、磁石の役目ももっていたわけだ。」

[ 1]
この「ヒョウタン製のコンパス」については竹内均著『ムー大陸から来た日本人』にもつと詳しい記
述があるので、少し長いのですが、後世のために引用します。

「たとえば、赤道では、北極星は水平線上に見え、また北極では、それは水平線から九〇度上、すな
わち頭のてっぺんへとくる。またたとえば、北緯約二〇度のハワイ諸島では、水平線から二〇度の高
さに見えるはずである。

(略)

水平線からの北極星の高さをはかるのに、「魔法のひょうたん」が使われたといわれている。まず
ひょうたんの上部の口の部分を水平に切り落とし。次にこの水平な切り口から下の、同じ高さ場所に
四つの穴をあける。こうしてひょうたんを水中におし入れると、この四つの穴によってきめられる平
面の高さまで水がひょうたんの中へ入る。こうしてひょうたんは、水平を保って水に浮かぶ。
そうしておいて、穴の一つに目をあて、その穴とひょうたんの口のへりとを結ぶ線上に北極星がく
る場所まで船を進める。四つの穴の高さを適当に選んで、この直線がひょうたんの中の水平面となす
角度が、たとえば二〇度となるようにすることができる。穴の高さをこのように選べば、そのひょう
たんはハワイ諸島用となる。すなわち四つの穴の一つとひょうたんの口のへりとを結ぶ直線上に北極
星がきたとき、その船はハワイ諸島の緯度へきたことになるのである。」
もぐら通信
もぐら通信 ページ28

日本の文化に関係するものを上記引用から拾つてみよう。

(1)ダブル・カヌー(双胴船)
この大型の70∼80人乗船して海上を航行できる船が、恐らく三つのネシアを出発し
て日本列島の鹿嶋・香取に上陸した時に使はれた船であらうと私は推理する。それ
は以降の考察によつても確かなものになる。

(2)天津磐船と子安貝とムスビのこと
この記述を読むと、この三つは一式のセットである。天津鳥船を入れれば四つで一
式である。著者はカモメを考慮に入れてゐないのは、福井・越前大野といふ四囲高
いが山で囲まれた美しい大野盆地の生まれと育ちであるからかも知れない。日本の
盆地にカモメはゐない。

「星や月、大洋の位置、雲の形、あるいは風や潮の流れ、渡り鳥や魚類などを観察
しながら航海をつづけたのだ。むろん、そうしたことを経験的に熟知していたし、
若い人は学習していた」

この「若い人は学習していた」ことについて、竹内均著『ムー大陸から来た日本人』
(129ページ)より標記三つのことについての説明があるので引用します。

「海図と二種類のカヌー

ポリネシア人たちはまた、彼らが獲得した技術を子孫に伝えることも心がけた。
そのような工夫の一つが、木の枝と貝殻でつくった海図である。すなわち彼らは、
細い木の枝を何本か組み合わせて平面の海図をつくり、ところどころに貝殻をしば
りつけて島の位置を示した。木の枝は、一つの島からもう一つの島へ行く場合にた
どるべき方向を示している。
これは一八〇〇年頃にソシエテ諸島訪問したドイツの探検家によって最初に報告
されたものである。それは 長だけが知っている秘密であり、その秘密をもらすこ
とはタブーとして許されなかった。このために、有名なキャプテン・クックも、こ
の海図のことを知らなかったといわれている。
彼らはまた、父親が息子にカヌーの操縦を教えるための「石のカヌー」をもって
いた。
それはまん中の平たくて大きい石のまわりに、いくつかの小さい石をおいたもの
であった。ある場合には、真ん中の石がカヌーのモデルとなった。その場合には、
まわりの石はカヌーのまわりのうねりの方向を示すものとなった。またある場合に
は、真ん中の石が彼らの住む島を、まわりの石がその近くの島々を示すものとされ
た。」(同書130ページ)
もぐら通信
もぐら通信 ページ29

私の推理は、この練習用の岩を配置した陸・おかの練習船が天津磐船であり、磐座
とはその形その素材からいつても神聖なるカミのゐまします山の、なければ岩石を
山頂に押し上げて磐座となすやうなーまあ、山の下で磐座にして押し上げてもよい
が、これは技術の問題ー、これは何を意味するかといふと、磐座自体がツチの民と
海の民の習合の産物だといふことである。天津磐船とは、海の民が川を上り、川の
岸辺の乗り降りする場所で土地のツチの民と共同で習合して上流へと登つて行つた
跡なのではあるまいか。もし川沿ひに磐座のある場合には。これが一般化すればも
つと内陸にでも磐座はひろまる。即ち、磐座の位置が上記引用の通りで中心となる
要のモデルなのであり、周囲にある石かその他の事物(例:山々。別の磐座また別
の神社の場合もあるだらう)を磐船に見立てて、さう呼んでのではないのであらう
か。
といふことは、今の関西に海の民が行く前に、関東の鹿嶋・香取の地域でも天の
磐船があつた筈であり、その遺跡もまだこれらの地に残つてゐて、由来も使用法も
理解されないままなのであらう。普通に考へたら、海の民のモデルとしての磐座と
は、ツチの民の岩石文明にしてみれば、そのまま世界中の大陸にある岩石文明の民
と同じ意味を有し、即ち東西南北といふ方位と太陽の出と入りー出入りの単位は一
日から一年まであるーの方角と磐座の位置に合はせて、中心の磐座の周囲に岩石
が、大陸のやうな複数の石柱が円形に配列され又は岩石やその他の事物が「根原の
類似」[ 2]の事物として配置されて、習合のための調節がなされるだらう。即
ち、

日本列島の上で一つ磐座があれば、それを中心として其の周囲にある事物の配置を
観るといふことが肝心といふことになる。対象を知るためには、対象の「周辺飛
行」をして、対象の外部へと出なければならず、出るためには隣接する外部のものを
横目で見なければならない。「周辺飛行」は安部公房の用語と概念である。物事の
本質は中心・centralな場所にあるのではなく、その周辺・周囲・ヘリ・peripheral
な場所にあるからである。場所には、コト(関係概念)とモノ(事物)の二種類が
ある。磐座といふモノまたは磐座のある場所即ち物事/モノ・ゴトのコト(関係概
念)は、他の事物との関係ではコトである。さて、私の此の磐座への理解は正しい
か。

ですから、横目で見るのですから対象を一つのものとして対象だけを正視するだけ
のではなく、その周辺の事物と其の動きを且つ横目でみる。即ち正視と横視、正視
線と横視線を同時に保持する。まあ、温泉に浸かつてボンヤリしてゐるときなどに
名案・妙案・着想の湧くのは、こんな風にボーっとしてゐるからなのでせう。緊張
が解けなければならない。身も心も解けてゐなければならない。しかし緊張がなけ
れば緩くなることもない。
私などは温泉に浸かつてゐるときに何かの論がフトお湯の泡のやうに目の前に浮
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

かびます。さういへば、アルキメデスも湯船に浸かつてゐてアルキメデスの原理を発
見したのでした。まあ、かういふ経験の起きるためには常日頃自分自身の好きなこ
とや問題や課題に集中して思念を凝らす時間がなければなりません。緊張の持続ま
たは集中の持続と解放、凝縮と其の緩和・弛緩、contractionとrelaxation。星々の、
天球の世界の動きならば、収縮と膨張。渦巻の右巻きと左巻き。前者は収縮と凝
縮、後者は膨張と緩和・弛緩または解放。
これはそのまま安部公房スタジオの役者たちのための演技指導論の核心なのです
が、これについては既に一連の『周辺飛行』論で論じ解説しましたので、これをご
覧下さい(もぐら通信第8号から第146号)。

[ 2]
この用語は解剖・生物学者三木成夫の用語です。三木成夫は其の著書『内臓とこころ』(河出文庫)
の中で、内蔵の形成と言語の関係を此の用語で呼んで本質は同じだと述べてゐます(同書134ページ
から135ページ)

三つのネシアと思はれる海域から日本列島の上でツチの民の文明と此の海の民の文
明を習合するとは、上記に説明してみせたやうに、「根原の類似」を創造すること、
類似ですから全く同一なのではなく相同なのではない。さうではなく、ズラすこと
且つそれでゐて似てゐること、この後者の為に前者のことをすること、即ちズラす
こと、これが習合であり、この習合をなす時に私たちは同時に御祓ひをするので
す。これが御祓ひの言葉と行為の意味です。
この「根原の類似」といふ用語と其の概念は実は三木成夫による用語「根原の類
似」といふ生物学用語の応用的説明なのですが、これはトポロジー・位相幾何学と
いふ数学の生物学方面での起源の説明です。神道とトポロジーの関係については別
途解説します。ちなみにトポロジーとは接続と変形の数学のことです。物事または
モノ・コトの接続にはいろいろな接続がありますが、そのうちの「根原の類似」を
共有したままズラすことが御祓ひなのであり、それが神官の所作であり振る舞いで
あるのです。しかし、考へてみれば、これは神社と社殿の関係にまたそつくりで、
『縄文紀元論』で既に述べましたやうに、神社の本質は社殿にはなく鳥居にあるの
だといふといふ事実に同じです。社殿・本殿が中心だともしあなたが考へたら、社
殿の本質は鳥居といふ御参りの最初の入り口にあるといふことです。即ち、社殿と
鳥居の間の距離、即ちズレ・差異が、神道の本質だといふことです。本質とはズレ
である。差異である。といふことなのです。これを設け、これを消滅させるのが神
職の神主さんたちの所作であり振る舞ひであり、そして祝詞である。宣(の)りト
のトとは、祝詞を宣るために の枝を二本前の左右に立てて差異を作り、そのトと
呼ばれる戸の前で歌詠する其の当の何もない空間、 間のこと、空間的な差異のこ
と、それをノリ・戸といふのだといふことは既にこれも最初の『縄文紀元論』の章
で既述の通りです。わたしたちは実に体系的な秩序立つた生活を、だれにいはれる
もぐら通信
もぐら通信 31
ページ

ともなく営んでゐるのです。家にも門といふトがあり、カドがある。笑ふ門・カド
には福来たる。鬼は外、福は内といふわけです。そして、 の小枝を葉っぱごと二
本立てて 間といふトを立てるといふ私たちの生活は次の海図の製作のことを思は
せる。神道の葬儀または法事の簡素な、横に渡して置いた段々に白布を被せただけ
の祭壇には、生のままの海の幸と野菜といふ山の幸が捧げられるのです。ところ
で、

問1:
御日様をズラすと天照大御神になり、さう呼ばれることでお互ひにズレる。どちら
が本家、どちらが分家、どちらが本物、どちらが複製の別は全くない。これが私た
ちの世界です。天照大御神をズラすと御日様になり、御日様をズラすと天照大御神
になる。それでは、日本の国をズラすと一体何になるのだ?日本・古代帝國のズラ
した場合の名前を何であるか?答へよ。

(1)この国を東にズラした場合の名前は何か?
(2)この国を西にズラした場合の名前は何か?
(3)この国を南にズラした場合の名前は何か?
(4)この国を北にズラした場合の名前は何か?

答1:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さあ、次は日本・古代帝国を 転させて、位相を変へるとどうか。

問2:
(1)東西軸を南北軸に左巻きで九十度位相を変へた場合の国名は何か?
(2)東西軸を南北軸に右巻きで九十度位相を変へた場合の国名は何か?

答2:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さてまた上記引用に傍線を施した最初の文「木の枝と貝殻でつくった海図」を製作
すること、「すなわち彼らは、細い木の枝を何本か組み合わせて平面の海図をつく
り、ところどころに貝殻をしばりつけて島の位置を示した。木の枝は、一つの島か
らもう一つの島へ行く場合にたどるべき方向を示している」とあるので、木の枝で
島と島の距離を示すといふのであれば、海の民は既に縮尺といふことを知つてゐた
といふことであり、その縮尺して示された枝の長さを実際の海の上での距離と対応
関係を測定する技術と方法を有してゐたといふことである。そして、枝を「交差さし
て其処に貝殻である子安貝を結びつけるといふ行為のあることは注目に値します。
もぐら通信
もぐら通信 32
ページ

これは私たち日本人のムスビと同じ価値を持つてゐる。漁労の成功と豊かな海の幸
の収穫と海路の平安を祈る祈りが此のムスビといふ行為と出来た結び目またはムス
ビといふ行為の過程に託され、思ひが籠められてゐるかである。子安貝は日本では
安産のお守りであり、この枝か棒による海図の交差点は二つの潮流の交差してプラ
ンクトンと魚の交流する海の豊饒を示す交差点であると考へられる。そこに海図の
上でムスビをなすといふことは、ツチの民と海の民の習合なのだと私は推理しま
す。この祈りと習合と航海技術が交差点で一つになつてゐる。さて、

「ポリネシア人たちの船はカヌーであり、これにはアウトリガーつきのものと、カ
タマランと呼ばれる二種類があった。前者は船と直角に二本の横棒すなわちアウト
リガーをつき出し、その先端に船と並行に走る細長い浮をつけることによって、船
の転覆を防ぐようにしたものである。後者は二隻のカヌーを横にならべ、これを二
本の棒でしばりつけてつくったダブル・カヌーである。小型の丸木舟から、板をは
りつけてつくった大型のものまでいろいろあった。
東南アジアから太平洋への民族の移動の第二波がはじまった今から約五〇〇〇年
前には、彼らはすでに簡単なカヌーをもっていたとされている。この頃にはすで
に、最後の氷期であるビュルム氷期が去っており、海面の高さも現代とそれほど違
わず、東南アジアと太平洋の島々とが陸つづきであるというようなことはなかった
からである。」(同書130ページ)

上記最初の傍線の「アウトリガーつきの」カヌーとは、著者竹内均氏の現地で撮影
した此のやうなカヌーであらう。これは遠洋の航海には多分向かない。近海の漁労
の船ではないのだらうか。まあ、乗つて船酔ひを経験してみなければわかりません
が。
もぐら通信
もぐら通信 33
ページ

この写真は、『ムー大陸から来た日本人』の130ページに置かれてゐます。そして此
の写真の下の文章に、上記[ 1]に引用した、一体ポリネシアの人たちがヒョウタ
ンを使つてどのやうに海路をゆくために緯度を計測して、たとへばハワイ諸島なら
ハワイ諸島に到達できたかが詳細に説明されてゐますので、非常に面白い。

さて、三つのネシアのどこかから海の民が鹿嶋・香取に上陸した時期は、(1)この
地域の海進・海退による地形の変化を見てーこの場合の着眼は今の利根川に相当す
る海と接続してゐる水の地帯があるか否かー、それから(2)縄文時代の考古学的遺
跡の分布地図をみて、且つ(3)伊豆箱根にある火山・神山の噴火によつて出来たカ
ルデラが3000年前までは中臣の大祓へに書かれてゐる美しい木花咲耶姫命(コノハ
ナサクヤヒメノミコト)であつて其の後彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と
名付けられた噴火即ち火の神によつて美しいカルデラが壊れるので、今から3000年
前以前までの間、即ち6000年前から3000年前までの間に上陸が行はれたといふの
が、私の推理です。これももつと詳しく『縄文紀元論』に書いた通りです。

箱根神社の主祭神は天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)ですの
で、この神山に天降つた瓊瓊杵尊が日本列島に三つのネシアからやつて来て上陸し
た最初の瓊瓊杵尊です。いふまでもなく、瓊瓊杵尊といふ名前はいはば職務名・任
務の名前即ちfunction・人間の世の中での機能の名前であつてーだから、カミもミ
コトもヒトなのですー、本名は「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(ア
メニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホ・ノ・ニニギノミコト、『記』)、も
しくは、天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(アメニギシ・クニニギシ・ヒコホ・ノ・
ニニギノミコト、『紀』)」と言ひます通り、アメニギシ・クニニギシ・アマツヒ
コ・ヒコホ」なのであり、漢字の用字法は異なりますがいづれにせよ同じカミ様で
す。この三柱のカミは瓊瓊杵尊を主祭神として ノ湖畔なる箱根神社の祭神です。
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)は彦火火出見尊(ヒコホホデミノ
ミコト)の妻であり、二人の子供が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)といふ一つの家族
を構成してゐる。二代目の瓊瓊杵尊は「鹿嶋から鹿児島へ」と海路、国常立の神即
ち霊峰富士山を右手に見て天降つた瓊瓊杵尊です。ともに美しいカルデラのある山
に天降るといふ共通項をもつてゐます。さうしてカルデラは美しい凹の円錐形をして
ゐる。さうでなければ、天降ることはないのです。同じ此の火山の持つ噴火といふ
恐ろしい自然現象と、同時にそれによつて生まれる美しい木花之佐久夜毘売といふ
女性・凹の象徴的な陰型の存在を宿す山が、本来の私たち即ち海の民である縄文人
にとつての神聖なる山であつた、それも島にある山であり火山であつたといふこと
が判ります。このやうな火山島・カルデラ島を探せば、そこにわたしたちの遠津親
の地がある筈です。それは、そのやうな単数または複数の島を含む、場合によつて
は島嶼国家に違ひない。
もぐら通信
もぐら通信 34
ページ

この解りやすい絵図のほかにもう一つ『ムー大陸から来た日本人』よりもう少し詳
細に三つのネシアの内部にある島々の名前を記した地図が此れです。

***
もぐら通信
もぐら通信 ページ35

これらの島々の内部と外部での・からの・相互同士のヒトの移動の地図が次のもの
です。同じ著作からの引用です。

地球物理学者である著者曰く、海上を島々へと・島々から・島々伝ひに移動する「こ
れらの人たちはカロンリン諸島からマリアナ諸島へ進出し、またボナぺ[島]やク
サイエ[島]をへて、マーシャル諸島やギルバート諸島へも進んで行った。マリアナ
諸島の北には小笠原諸島をへて日本がある。またマーシャル諸島やギルバート諸島
の東にはポリネシアが広がっていた。」(同書114ページ)

著者は地球物理学者ですので、何度も現地に調査に行つて、このやうな文章を専門
の領域で持つ知識といふ学術的事実と現地調査で得た現場の事実に基づいて書いて
ゐます。この文章の意味するところは、日本列島に至る三つのネシアのうち、ミク
ロネシアとポリネシアからの最初の瓊瓊杵尊の天降りがあつたといふことが、可能
性・possibility即ち今の段階ではひよつとしたらあつたかも知れないといふことが
言へます。勿論、このヒトの移動の地図をみると、メラネシアから日本に来ても構
はない。なぜなら、これらの海域の人たちの移動するための海流が次のやうである
からです。同じ著書から示します。
もぐら通信
もぐら通信 ページ36

この海流図を見ると、三つのネシアのいづれから日本列島に北上するにせよ、いづ
れの人も黒潮に乗ることになるといふことです。この日本列島の東すぐを北上する
黒潮に乗れば、九州の南端ー鹿児島湾といふ天然の良好があり海亀の産卵地であ
るーと鹿嶋ーここも海亀の産卵地ーに容易に到着することができ、また同時にベー
リング海・カムチャッカ半島の方から南下する親潮と衝突して、房総半島沖、三陸
沖、三陸沖から青森から道東までの沖合は豊かな漁場であることも一目で判りま
す。

この海流の環太平洋の海洋を流れる、といふよりも回流する潮の矢印と矢印の連続
性をみると、やはり日本列島と三つのネシアとその周辺、特にその西の島々、およ
びアメリカの北・中・南の大陸の沿岸部、私の定義したLand Rimとは交流があつた
と知ることが出来ます。それが双胴船であつたか、アウトリガーのついたカヌーで
あつたか、また其の船の規模はどうであつたかといふ問ひは横に措いてをくとして
も。

また、更に上掲のそれぞれの視点ごとに異なる地図の上に別の地図を重ねてみよ
う。これは、著名なフランスの文化人類学者レヴィ・ストロースの著書「野性の思
考」の第三章「変形または習合の諸システム」に掲げられてゐる、この場合の調査
対象の適用範囲です。これを見ると、この調査適用範囲は三つのネシアのうちのメ
もぐら通信
もぐら通信 ページ37

ラネシアです。

このメラネシアの習俗と風習と慣行・慣例に関する儀式と普段の生活様式に関する
記号化して記述した、本物・複製の別のない、要するにメビウスの環である文化・
文物の様子を描いたのが、この記号の少しづつズレてゐて、否、ヅラしてゐて出来上
がつてゐる連鎖です。この記号連鎖は次の通り。A1だ始まり、A1で終はるメビウス
の環です。今は以上の記述との関係で此の図を示して措き、詳細な説明は後日を期
します。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 38

レヴィストロースの此のメビウスの環に関する説明は、これらの要素を糸で縫つて
一つにするのだ、と書いてあります。要するに、私が馬鹿の一つ覚ゑでいふトポロ
ジーのことです。上の文章で私が下の文章の下部に下線を引いて鉛筆で矢印を入れ
てゐるzusammennaeht・ツーザンメンネートが、糸で縫つて全体を1にする、即ち
西欧・ドイツの、特にハイデガーの哲学用語でいふなら存在にするといふことが、
私の言葉でいへば、さう書いてあるのです。
これは日本語では、一つ一つの記号をタマとした、コト・タマ連鎖だといつて良
いのです。宣長のいふ玉の緒即ち概念の関係連鎖、即ち記号化したタマとタマをコ
ト・タマの緒で結んだ図がこれです。といふことは、宣長もまた日本文化の本質は
日本語にあつて、日本語はメビウスの環だといふ結論に至つてゐたといふことで
す。その証明は、小林秀雄が『本居宣長』で証明した。小林秀雄の文学そのもの
が、コト・タマ文学であり、コト・タマ批評であり、裏が表で表が裏である其の文
章はメビウスの環であることは、『初期小林秀雄論』で私が証明しました。小林秀
雄の読者がみな小林秀雄の文章は難解だ難解だと嘆くのは、そのやうな読者にはヤ
マト・ココロがないからだといふことになる。ヤマト・ココロとはメビウスの環を
ムスビするこころ、結びのココロです。ココロとは何か、魂・タマシヒとは何かは
別に論じます。

また、上記のコト・タマ連鎖のある見開きの左のページに実は、このメラネシアの
文化の様式がメビウスの環であることを示した次の図があるのです。ざつと眺めてみ
て、一体これはなんだらうと思つてみるだけでいいですので御覧下さい。解説は後
日とします。ただ、この図と一緒にトポロジー用語で、トーラス・taurusといふ言
葉を記憶してをいて下さい。要するにドーナツの形をしてゐる形象のことです。トー
ラスの定義です。

「初等幾何学におけるトーラス(英: torus, 複数形: tori)、円環面、輪環面は、円


周を回転して得られる回転面である。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/トーラス)
もぐら通信
もぐら通信 ページ39

これは純粋のトポロジーでの幾何学的図形のトーラスですが、これがメラネシアの
文化様式としてのトーラスです。同じ文化様式が鹿嶋の隣に利根川を挟んで千葉県側
の佐原に今も祭りとして毎年利根川の支流を挟んだ二つの神社即ち諏訪神社と八坂
神社の二つの神社同士の主宰者位置の等価交換といふ規則によつて行はれてゐるこ
とは『鹿嶋日記』に書いたところです。後段で再説します。さて、メラネシアのトー
ラスです。川を挟む、それも利根川の支流の川を挟むといふところに祭りの意義が
あるでせう。即ち、島と島の間にある海と其の海流を想起させる祭りです。天の浮
き橋も実物が此処にかけられて、実際に海の上に浮いてゐた。

(4)勾玉または曲が玉に似たもの
この章の帝國論の最後に、中江克巳著『失われた古代文明の 』の「第9章 クジラ
の歯製ペンダントは何を意味するのか」より引用して、勾玉に似たものとしての「根
原の類似」の例を示します。これはメラネシアの産物ではなく、ハワイのものの写
真です。

これがタマであらうか、さうであるならば確かに曲がつてゐるので曲が玉と呼べる
のですが、しかし何故もう一つの漢字の当て字の勾玉の勾の文字の意味が体現され
てゐる、この部分はハワイの言葉で「ロレ」と呼ばれてゐる。全体は今風にいへば
首飾りであり、首飾りとしての此の全体は「レイ・パラオア」と呼ばれてゐます。そ
して、このロレは、これも今風にいへばペンダント・トップである。このロレは鯨
の歯で製作されてゐる。
もぐら通信
もぐら通信 40
ページ

このロアはポリネシア最北端にあるハワイのものであつて、その意味を尋ねて此れ
が仮にハワイの勾玉なのであれば、縄文時代に来日、といふのも変ですが、日本列
島の鹿嶋・香取に上陸しまたはその後に続いた太平洋のヒトの移動の中には、ハワ
イ諸島からの人々もゐたといふことになります。また、この首飾りは「ハワイ諸島
[ポリネシアの北端にある]の他にも、マルキーズ諸島[ポリネシアの東端にあ
る]、ニュージーランド[ポリネシアの南端にある]などの遺跡から出土してゐ
る。いかに広い地域でつくられていたか、わかるだろう。」といふことですので
(同書231ページ)、さうであれば、上記勾玉の意味が此のレイ・パラオアとロラ
との「根原の類似」を共有してゐるのであれば、ポリネシア全域から日本列島に少
なくとも青森の三内丸山遺跡からの勾玉の出土ですから、これは大倭日高見国以前
に既に遅くとも一万六千五百年前にはポリネシアからの来日があり、ポリネシアと
日本列島の間には交流があつたといふ証明になります。
また、ポリネシアではなく、ミクロネシアにある「ポナペ島から東へ約500キロ
メートル離れたところにクサイエ島があり、ここにはレロ遺跡と呼ばれる遺跡があ
る。」とありますので(『ムー大陸から来た日本人』149ページ)、ロアといふ名
前からハワイ諸島のあるポリネシアとミクロネシアは交流があり、ロアといふ私の
いふ勾玉仮説が正しければ、ポリネシアから来日したのであれば、きつとミクロネ
シアからも来日したに違ひないといふ仮説を立てることができます。
また、既にメラネシアのことはレヴィストロースの力を借りて、日本との文化的
また精神的相関関係を明らかにしてゐますから、かうなると可能性の問題ではな
く、蓋然性の問題として間違ひなく、実際に三つのネシアから日本列島に海流に乗
つてやつて来たのです。

さて、ところで、勾玉とロアの文字での意味論上の
一致を吟味しませう。漢字の勾といふ文字の語義を
尋ねると白川静著『字統』によれ、左のやうになり
ます(同書268ページ)。

この字義を尋ぬれば、

(1)体の屈曲した姿である
(2)ヒトの死に際して葬るときの姿である

といふことが判ります。さうであれば、ロアといふ
此の二つの同じ形の飾りの部分の中心にあるこれは
死者と生者、死と生の間にあつて双方を繋ぎ・接続
する働きを有する通し穴を備へたタマなのではない
でせうか。さう考へることが出来ます。さうして
もぐら通信
もぐら通信 41
ページ

上記(1)と(2)の含意を象徴する鎮魂の形または様式・styleが、このロアであ
る。と、さう考へれば、私たちが日本列島上に数多く考古学的な発掘をして有して
ゐる勾玉がロアと同じ価値を持つ列島独自の産物であるといふことになります。
クジラの歯ではないのは、既に内陸で発掘されてゐること自体が証明してくれてゐ
るわけですが、海の民と地・ツチの民の習合が此のやうにして済んでゐたからで
す。といふことは、以前の前には既にその前が以前としてあるわけですから、単に
三内丸山遺跡の時代ではなく、それ以前に勾玉もまた習合されてゐたといふことに
なります。いづれ新しいくもつと古い遺跡が勾玉と一緒に見つかるでせう。
わたしはかういふ時にいつも宮澤賢治の詩集『春と修羅』の序文の詩の次の一節
を想ひ出します。いや、今読み返しても部分的な引用は全体の文脈と詩行の脈絡を
欠くので、やはり全体を示します。
これが考古学の本質であり、歴史の本質なのではないのでせうか。光の中で歴史
も考古学も共に、粒子(非連続量)と波動(連続量)で出来てゐる。歴史は時間の
下位概念なので、時間同様に歴史もまた、単位と周期でできてゐる。詩中青字は引
用者による。

「序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
もぐら通信
もぐら通信 42
ページ

宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
もぐら通信
もぐら通信 ページ43

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます」

このロアといふ勾玉は、実際には釣り針の形をしてゐるので、日本のあちこちにあ
る古代の展示館にある動物の骨でできた釣り針の類はみな、ロアと同様に鎮魂の祈
りの籠められた勾玉と等価な作物なのだと以後考へることができます。過去の遺物
を単なる物質として見るだけでは浅慮である。何故なら、形をなすのは人間であ
り、物事に意味を割り当てるのが人間の仕事だからです。さうして、その意味を探
究するのが学問といふ科学・science・サイエンスだからです。このことに例外はな
い。

最後に、上掲のロアの二つの飾りは、日本語でいふならば、フサと呼ぶものです。
房総半島のフサ・総、常総学院高校のフサ・総、髪の毛のフサフサのフサです。今
の 城県・常陸国と利根川を挟んで千葉県の房総半島にフサが多くあるのは意味の
あることでせう。その地名はまた他の地名と呼応して一つのコト・タマを構成して
ゐる。房総といふ地名も昔はきつと、フサフサと呼んだに違ひない。鹿嶋神宮駅か
ら電車に乗つて水戸へと向かふ路線図をみてゐると、路線の沿線の駅はみな読み方
がやまと言葉であるのに、常総だけが音読みなのです。だから、昔はツネフサと呼
んでゐたに違ひないのです。田んぼの秋の実りの稲田のあの天日干しの姿が、稲穂
が確かにロアと同じフサになつてゐるからさう呼んだのかも知れない。いつも秋の
実りの雄高なフサフサした土地といふ意味です。このツネフサも房総のフサフサも
確かに「根原の類似」の音です。だから、房総半島とは昔は、フサフサ半島だつた
のです。

さて、もしロアといふ語彙がミクロネシアとポリネシアの共有する語彙だとして
も、日本語のフサとは余りに音が違ひ過ぎる。それとも私の語彙の比定が間違つて
ゐるのだらうか。三つのネシアの中で引き算をすれば、それでは残りのメラネシア
の島々の島ごとの個別言語のうちの単数または複数が来日したのであらうか。しか
し、ここでもう一度、文明と文化の伝搬の構成要素をみてみませう。

1。言語
2。ヒト
3。文物
4。地勢および地形図◎
5。経度・緯度◎

この5つの項目の持つ視点は、次の意味があるのでした。
もぐら通信
もぐら通信 44
ページ

1。言語:宇宙観・世界観、即ち宗教と信仰心を運んで来る。これによつて、従ひ
実は、一国も其の人と一緒にやつて来るのです。
2。ヒト:遺伝子を運んで来る
3。文物:モノ・コトと技術を運んで来る
(1)モノ:物
(2)コト:文、即ち文化
(3)技術:モノ・コトを具現化するための技・ワザとワザの使ひ方

1。言語
言語は宇宙観・世界観および宗教と信仰心を運んで来るので、これらの研究を要す
る。

2。ヒト
三つのネシアの人々の遺伝子を日本人の縄文の遺伝子と比較して差異をみてみる。

3。文物
(1)モノ:カヌーまたは船もしくは舟相当のフネが日本にあるか。
(2)コト:文化が日本に渡来してゐるか。私の実見では、上記に書いた佐原の祭り
の様式には、この渡来があることは論理的に又様式上明らかである。
(3)技術:これは文字の有無は横に置いて措くとして、音楽の様式と技術(例:楽
器、奏楽の技術、音調など)絵画、彫刻、石工の技術、家の様式、男女の着物・衣
装と意匠・デザインなど)

4。地勢および地形図◎
(1)島に連山があるか
(2)火山があつて、カルデラがあるか
(3)急流の川があるか

5。経度・緯度◎
(1)亜熱帯
(2)熱帯
(3)その島から北極星、即ち天の常立の神が見えるか。南限は確か赤道線ー15度
だと以前南限を書いたときに書いた記憶があるが、しかし今ここに至つて調再度べ
ると赤道緯線以下の位置にゐるとほとんどもはや北極星は見えないといふことであ
るので、遠津祖の港ある島は赤道線以北と断定して良いでせう。
もぐら通信
もぐら通信 ページ45

しかし、この北極星が見えるかみえないかといふ基準によると、メラネシアでは北
極星の見える赤道線以北の領域は限られて島の数が少なくなるといふ、正解に至る
ための制約条件がある。わたしの仮説を否定的に制約する条件なので、これを否定
的制約条件と呼ぶことにする。しかし、他方、

「域外ポリネシア

域外ポリネシア(Polynesian outlier)と呼ばれる、ポリネシア文化を保持した島々
がミクロネシアおよびメラネシアに点在している。域外ポリネシアには、ポリネシ
ア・トライアングル内では失われてしまった古代の知識が継承されている地域があ
り、特にソロモン諸島に属するサンタ・クルーズ諸島のタウマコ島(英語版)
(Taumako)は、古代ポリネシアの航法技術(後述)に最も近い技術を継承してい
る地域として注目を集めている[14][15]。域外ポリネシアとされる島は以下の通りで
ある[16]。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリネシア)

といふあるやにポリネシアの人々がメラネシアやミクロネシアに入り込んでゐると
いふことを考慮しなければならないといふ二つ目の制約条件がある。これは私の北
極星可視条件を肯定するので、肯定的制約条件と呼ぶことにします。

また、南米大陸との交流について、私が既述した南米のLand Rimとの交流について
私の仮説を支持する次の記述がある。

「南米との交流の可能性

チリ南部のチロエ島で行われているクラント
ポリネシアと南米の間で航海が行われた確実な証拠は見つかっていない。しかし、
ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、ヨーロッパ人の
来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていた[20][21]。そのう
えサツマイモは、アンデス地方のケチュア語族ではクマル(Kumar)、ポリネシア
のトンガ語ではクマラ(Kumala)と呼称される[21]。そのほかに、ポリネシアやミ
クロネシアで一般的な、肉類やイモなどの食材をバナナやココヤシの葉で巻いた
後、焼け石とともに土中に埋めて蒸し上げるウム料理という調理法[22][23][24]は、
ペルーのパチャマンカ(Pachamanca)やチリ南部チロエ島のクラント(英語版)
(Curanto)として南米の太平洋沿岸地域にも存在する[25]など、古代ポリネシア人
が南米までの航海を行った可能性は否定できない[21]。

ペルー太平洋岸の民族にはポリネシアとの交流を示唆する伝承が存在する[26]。イ
もぐら通信
もぐら通信 ページ46

ンカ帝国の10代サパ・インカ(皇帝)であるトゥパック・インカ・ユパンキは、
1480年頃に20,000の兵力で太平洋上の「ニナ・チュンピ(炎の帯)」、「ハフア・
チュンピ(離れた帯)」の2つの島に遠征し、財宝を持ち帰ったとされている。また
これに対し、ポリネシア側でもトゥアモトゥ諸島に東からトパという英雄が来航し
たという伝承がある[26]。更に、インカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロ
(Francisco Pizarro)の従兄弟であるペドロ・ピサロ(英語版)(Pedro Pizarro)
が1570年に残した記録には、「ペルー太平洋岸の民族は海の向こうと交流を行って
いたが、今(1570年)では大海流(フンボルト海流)によって妨げられて接触が断
たれている」との記述がある[26]。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリネシア)

しかし、ざつと三つのネシアを上記の文明・文化の構成要素視点で眺めてみると、
一番の問題は、言語であつて、これは、メラネシアだけでも「数十の語族、800の
言語」があるといふことである。

「言語

英語、フランス語、ピジンなどが公用語となっているほか、以下のような多様な言
語が使用されている。

•オーストロネシア語族 大洋州諸語
◦大洋州諸語(英語版) (Western Oceanic) - モトゥ語(英語版)など。ニューギ
ニア島北岸からニューブリテン島西部
◦中部メラネシア諸語(英語版) (Meso-Melanesian) - クアヌア語など。ビスマル
ク諸島、ソロモン諸島
◦南東ソロモン諸語(英語版) - ソロモン諸島
◦アドミラルティ諸島諸語 (Admiralty Islands) - パプアニューギニア アドミラル
ティ諸島
◦テモツ諸語(英語版) - ソロモン諸島テモツ州
◦南大洋州諸語(英語版) (Southern Oceanic) - フランス領ニューカレドニア、バ
ヌアツ
◦フィジー語
◦ポリネシア諸語 - 飛び地のようなポリネシア文化は、域外ポリネシアと呼ばれる
•パプア諸語 - 数十の語族、約800の言語がある」

この公用語・標準語と島ごとの土着語の二重構造の問題は、三つのネシアをひとつ
と仮にみると、その西に隣接するマレー語公用語の島嶼国家でも同じくマレー語が
もぐら通信
もぐら通信 47
ページ

公用語で、その下の階層に現地の島々の土着語があるといふことになつてゐる。以
下に宮武正道著『大東亞語学叢刊 マレー語』に掲載のマレー語といふ公用語・標準
語の適用範囲の図を掲載する。

これは

この言語の二重構造または二層化は、これらの三つのネシアとマレー語圏のみなら
ず、アフリカ大陸でも同じことが、植民地主義の原因で起きてゐると考へられる。

いづれも海陸の別を問はず、植民地主義諸国の言語の下に、部族と土着言語の組み
合はせによる複雑多岐な言語圏の層が多数上下に輻輳してゐるものと考へられる。
従ひ、日本語との一対一の対応関係を単純にどの部族圏の言語がさうだと決めるこ
とが難しいといふ問題がある。やはり文法構造の比較をして決めることになる。

といふことは次の優先順序をつけてて、調査・研究を始めることになる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ48

1。言語
2。ヒト
3。文物
4。地勢および地形図◎
5。経度・緯度◎

上記の5つの構成要素のうち、優先順位をやはり4と5に置くとしても、まづ言語の優
先順位を落として、最初に文物を置き、次にヒトを置き、これによつて言語の種類
を絞り込んで、数も絞り込み、対象の範囲を限定する。といふことは、優先順位は
次のやうになる。

1。ヒト:遺伝子を比較する
2。文物:生活様式を比較する
3。言語:文法構造を比較する
4。地勢・地形図を調べて、火山のない島はひとまづ取り除ける。急流があるか否か
5。経度・緯度:これもひとまづ赤道線以北を中心に調査・研究をする。但し、ネシ
ア間の交流のあることを十分に考慮すること

古代帝國論 XI:3つのネシアとジャポネシア:環太平洋共栄圏
古代帝國論 XII:Huntington+の文明観:二十一世紀の文明観
古代帝國論 XIII:核保有論:一般論と個別論:核保有の一般論および大陸型国家と
海洋型国家の核保有個別論

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ 49

私の本棚(60)
クリストファー・ノーラン監督
映画『オッペンハイマー』を読む

岩田英哉

これは被爆国の日本人を描いたものではなく、アメリカといふ国家とアメリカ人
を、特に映画の題名である科学者オッペンハイマーを中心にして描いたものであ
る。

この映画をみたあとに、現下の国際情勢を思ってみて、実はアメリカ合衆国のワ
シントンD.C.の政府はワシントンD.C.にあるといふのは幻想で、本当はフロリダ
のディズニーランドのあの贋の中世のシンデレラの城にあるのではないか、とい
ふのが私の思つたことであつた。権力欲の亡者と守銭奴は確かにワシントンD.C.
に蝟集してゐるのだらうが、これらの人間の方が亡霊ごときものであつて、本当
のアメリカ人を政府の人間としても其の権力を代表してゐる者どもは、ディズニー
ランドに生きてゐるのだ。これは私の幻想であらうか。皮肉なことに、フロリダ
はドナルド・トランプの居城のある州・stateである。

西尾幹二さんの近著『日本と西欧の500年史』を読んでゐて思ったことは、この映
画と併せて考へると、次のことです。

1。著者が言葉を正しく厳密に使ってゐること、即ちヨーロッパとか西洋とはいは
ずに、西欧と明確に歴史を論ずる場合の地域を限定して歴史を論じてゐること。
この場合の歴史とは本の題名の通り、日本と西欧の500年です。
2。この著作の優れた点は、その意義といひ価値といつてよいものですが、日本史
家がだれも今まで書かなかつた太平洋について其の日本に対して持つ意味を明ら
かにしたことです。もちろん此の500年に関してですが。この論じ方は、私の縄文
紀元論または古代帝國論または環太平洋造山帯火山帯文明論に、期せずして一致
してゐます。
論ずる対象について考察する場合にはいつでも、その対象の内部から外部へと
出なければ、対象について論ずることができないといふ思考論理上の原理を日本
人は明治以来段々と忘れてしまつて今日に至り、日本の国は政治と経済と文化の
惨状を呈してゐる。今や、文明開化の外部へと出るときである。安部公房流に脱
出とかescapeとか脱皮とかmetamorphosisなどと言つて見たいといふ文学的な表
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現に魅力を感ずるが、ここでは此の魅力には応じないことにして、禁欲的に先に
論を進めます。文学論になり過ぎると「周辺飛行」のスレスレ飛行ができなくな
りますから。つまり、政治といふ範疇から離れすぎてしまひますので、この映画
の今の日本との関係で十分な批評ができない。つまり、
3。この映画を論じただけでは此の映画を論じたことにはならない。この映画の外
部とは、製作といふことではハリウッドであり、その更に外部とはアメリカとい
ふ国家である。西尾幹二著の上記最新刊の記述によれば、アメリカといふ国は、
歴史上戦争をするたびに変質して来た国だとあります。この指摘は私には新鮮で
した。そして、この変化・変身の原因をひとまづ「心の闇」と呼んでゐる。この
「心の闇」とは何かは西尾さんは分析してゐないが、私の『贋物の国アメリカ』
論によれば、すべては建国の歴史に由来する心理的な自己抑圧によるものであ
る。自己抑圧の対象はいふまでもなく、奴隷貿易とインディアンの大量虐殺で
す。これがアメリカの国家心理の根底にある。
それはそれとして、著者と私の共有するアメリカ観を以下に列挙します。

(1)アメリカは国際政治に無知である。
だから、といふことは、西欧で国際といふ場合の国際はヨーロッパ地域の
ことを意味して来たが、アメリカはそのやうな国際といふ言葉の用法に無知だと
いふことである。アメリカはヨーロッパの鬼子だといふ私の辛辣な表現は、この
点で、正しい。西尾さんは著作の冒頭に結論を書き、「アメリカにとつて国際社
会は存在しない」と書いてゐる。私も同感です。
アメリカは東部と西部の都市部を除けば、その間にあるのは巨大な田舎だ。東
部西部の極左・共産主義・グローバリズムの都市のあるこれらの地域を除けば、
あとのstatesはみな田舎っぺstatesである。ディズニーランドの贋の中世の城に蟠
踞するアメリカ政府は、国内の多くのstatesを治めるのに精一杯であるので、海外
のstatesに目が行つても思ひが行かないのではないのか。だから、もしアメリカが
国内事情で分裂するならば、東・西・田舎つぺstatesの、大きくは三つに分裂し、
この田舎つぺstatesが更に同時に其々の地域・地勢・地政の事情によつて更に分裂
するといふことになるだらう。その予測地図を以下に示します。これは核分裂の
地図ではない。アメリカ分裂の地図である。分類の視点は次の三つ。

① 地勢・地図
② 政治的優勢地図
③ 天然資源の産出の地図
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(2)アメリカは領土拡張的な野心はない国家である。その代はりに間接統治の
範囲を拡大する。それは、経済と軍事であり、金融ードルによる一極支配ーと武
力の力ー制空権支配ーによる間接統治である。西尾さんは此れを「脱領土的支配
の方式」と呼んでゐる。日本は今此の傘下に極端な形で入つてゐる。しかし、こ
れが日米関係の極限であるとするなら、この関係は極限であるが故に早晩壊れる
ことになるだらう。だから、ドナルド・トランプの11月大統領選勝利に依頼心を
起こしてはならない、といふことである。即ち、トランプもまたドルの一極支配
と制空権支配を手放す筈はないからであり、さう考へてアメリカと外交交渉すべ
きである。大事なことは何を背骨・spineにして国を再興するかといふことであ
る。天皇といふ言葉を一度禁句にして、自分の頭で考へて御覧。これを神器無き
戦ひといふのだ。
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(3)「アメリカにとつて国際社会は存在しない」。何故なら自国内に一杯国
家・statesがあるからだ。だから、外部にある国際社会とーこれについては無知で
あるー内部にある内国国際社会ー連邦政府・federa Stateと州・statesの各政府と
の確執と軋轢が絶えないーと区別がつかないのがアメリカのワシントンD.C.であ
る。これは西尾さんのではなく、私の見解です。しかし、この同じことを西尾さ
んはアメリカの「鎖国性」または「鎖国意識」と呼んでゐる。冒頭に私がアメリ
カの政府はワシントンD.Cにあるのではなく、フロリダのディズニーランドにある
のだと言つたこころが此れです。

かく考へれば、アメリカが何故NATOをコントロールして東方へとNATOの拡大を
図り、ロシアと敵対させようとして来たのかがよく理解できます。NATOの中心国
はEUと同じでドイツとフランスである。そして、ウクライナ戦争のみならず、最
近ではドイツがイスラエルに武器供与をしてゐるといふことがドイツの議会で問
題になつてゐる。このことは同時に、フランスのMacron大統領がウクライナに軍
を送るといふ攻撃的な発言をしたのと軌をいつにしてゐる。かうしてNATOもEU
も崩壊するのは、めでたいことである。シュルツもMacronも、ドイツもフランス
も、アメリカ同様に、「心の闇」を抱へてゐるに違ひない。

此の映画に日本人の目から見て価値があるとすれば、科学者としてのオッペンハ
イマーといふユダヤ人であるアメリカ人が、時の政府の最高権力者に対して日本
への原爆投下後これ以上の核兵器の開発に反対をした映像をつくつたことと、そ
の反対によつてマス・メディアによつて扇動されたアメリカ国民に村八分にされ
たことを描いたことである。これが映画の1/3を占めてゐる。この姿勢が、アカデ
ミー賞の7賞を受賞する理由となつたのではなからうか。

しかし、さうだとしたら、これはハリウッドの映画業界の人間たちの此の映画に
対する誤解に違ひない。何故なら、この映画はオッペンハイマーといふ科学者
の、その性的な生活も含めて「心の闇」を描いてゐるからである。これがそのま
ま今のアメリカ人とアメリカといふ国家心理の「心の闇」だと思つてみると、ア
カデミー賞の7賞を受賞する理由となつたのは、アメリカによる広島・長崎への原
爆投下による日本人の大虐殺の映像を映すべきところで映すことが、この監督に
はできなかつたといふところにあるのだ。もし当時の此の二つの都市の惨状を映
した実録の映像を挿入したら、直ちに其処で、まづ映画そのものが破壊されて映
画ではなくなり、アメリカといふ国家の恥部が世界中に露はになるからである。
アメリカは此の歴史的恥部を正視できなければ、日本の国との対等な関係を創造
できないし、維持することもできないのである。過去に於いてもさうであつた
し、未来に於いてもさうである。この隠れた、否、意図的に監督の隠した映像
が、この映画の中心である。

繰り返すが、映画の最後のところで、オッペンハイマー以下ロスアラモスの科学
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者たちと職員たちが広島の惨状の映像を観る場面では、その広島の惨状の映像を
映してゐない。沈黙してゐるこれらのロスアラモス人たちの横顔のみを映してゐる
のみであるのは、とても映画の中に其の惨状を其の一部として入れることはでき
なかったからである。横顔の群れは何の感情も示さず、オッペンハイマーの横顔
もまた同様であるので、ここがアメリカ人の限界であり、アメリカ人・ノーラン
の限界である。ノーランは素晴らしい監督であることを、私はほかの作品をみて
知つてゐるので、これは日本人の眼から見た公正な評価である。

さて、ジェノサイド条約といふ条約はいつできたか。1948年に、アメリカの広
島・長崎でのジェノサイドのあとに国連で決議された。其の後アメリカは此の条
約を遵守したか?NOである。日本も此の条約・genocide conventionを国会で批
准してゐない(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェノサイド条約)。それが何故か
を問へば、アメリカと日本の国家の「心の闇」を明らかにして、国家と日本人の
恥部を正視することになるだらう。アメリカにはアメリカの恥部を正視してもら
ひたい。しかし、この映画には、その姿勢はなかつた。クリストファー・ノーラ
ンの向かうを張つて、広島・長崎への原爆投下の日本人虐殺を告発する映画をだ
れか日本人の映画監督に製作してもらひたい。それは、ノーランが隠した映像を
表に出して、シナリオを書くことになるだらう。ゴジラ・マイナス・ワンの次の
映画が、これである。Hiroshima・Nagasaki Minus Oneだ。

この映画をみて日本人に益するところがあるとすれば、この原爆開発プロジェク
ト全体の工程管理は軍人が行ふものだといふことと、その直属の上司はぢかにア
メリカの大統領であるといふことを知ることにあるだらう。
日本の国ならば、自衛隊の最高司令官に総理大臣が核兵器の開発を命じて、軍
人がプロジェクトの全体の管理をするといふことである。軍人の指揮下に科学者
は配置される。オッペンハイマーは、その結果が如何なるものになるのかを想像
する想像力に欠けてゐた。これを映画ではオッペンハイマーへの批判者の役 り
をアインシュタインに演じさせてゐたが、これはシナリオ上の映像による虚構で
ある。科学者の新兵器開発への強い好奇心と自負心と名誉欲および政治家による
兵器の用途決定との間には、個人と組織の問題が隠れてゐる。ここに於いて、個
人の「心の闇」は組織の「心の闇」の問題となり、国家の「心の闇」の問題とな
る。科学者に求められるのは、常識である。科学の常識ではない。この常識・
common senseは、デカルトが『方法叙説』の開巻第一行に書いた、人種・民族・
個別言語・個別国家・個別国民によらぬ、そもそも人間の生まれつき持つてゐる、
もう一つ高次の常識または良識または感覚・sense・センスのことです。

これら三つの「心の闇」を白日のもとに晒したとして、果たして核兵器廃絶が可
能か?この映画を見終はつた私の答へはNOである。
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カフカの箴言

(31)

克己と茫然たる光景

岩田英哉

【原文】

Nach Selbstbeherrschung strebe ich nicht. Selbstbeherrschung heisst: an


einer zufälligen Stelle der unendlichen Ausstrahlungen meiner geistigen
Existenz wirken wollen. Muss ich aber solche Kreise um mich ziehen,
dann tue ich es besser tätig im blossen Anstaunen des ungeheuerlichen
Komplexes und nehme nur die Stärkung, die e contrario dieser Anblick
gibt, mit nach Hause.

【和訳】

克己しようと、わたしは努力しない。克己とは、わたしの精神的な存在の無限
の放射の偶然の場所で働きたいといふことを意味する。わたしは、しかし、そ
のような円を、わたしの りに描かなければならず、さうなれば、わたしは途
方もない複合体を単に呆然と眺めることにおいて、もつとより良くそれをする
こと(円を描く事)にならうし、そして、今度は反対にこの光景が与へてくれ
る強さを取つて、一緒に家に帰ることになる。

【解釈と鑑賞】

克己とは、自己の りに円を描くことだと、カフカは言つてゐます。

しかし、カフカの言ふには、自分の、そして人間の精神の働きから言つて、そ
れは不可能だというのです。それが、「わたしの精神的な存在の無限の放射」
です。円を自己の りに描くことは、有限の範囲に自己をおくことを克己とい
ふのだといふ考へです。

自己の周囲に円を描くと、それは複合体を招来する。そして、カフカはそれを
茫然と眺める以外にはない。しかし、今度は茫然とながめると、その光景がカ
フカに強さを与えてくれるという。それを自分のものとして、家に帰るという
のです。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 55

この場合の家は、どのやうな家であるか、カフカは言つてをりません。

文字通りに、仕事場から家に帰るととるのもよし。そうなれば、この文章は、
会社で考へたことだということになるでせうし、それはそれで、大変味わい深
いものがあります。そこでは、克己を強いられるからです。克己と訳したドイ
ツ語の言語はまた他には日本語で、自己制御とか、自己を支配することといふ
訳語もあるのです。

しかし、他方、カフカはこの文章にあるやうな方法で、即ちその現実の光景が
与へてくれる強さを我がものとして、家に帰つたのです。カフカに強さを与へ
てくれるといふ、それを自分のものとして、家に帰るといふのです。

この文章を読んで、わたしは野球の讀賣ジャイアンツの名投手であつた藤田投
手が後年ジャイアンツの監督の時代に、試合に負けた日には多摩川の土手で一
休みし、タバコを吸つて一服して、こころを鎮めてから、家族の待つ家に帰つ
て、明るい顔で只今といつて玄関の戸を開けたといふ、ご本人の回想の言葉を
想ひ出しました。

カフカは生涯独身でありましたから、「わたしの精神的な存在の無限の放射」
といふ表現が実にカフカらしいと思ひます。これは此の通りの事実なのです。
ここがカフカの難しさでせう。日本語と日本人にとつては。日本人ならば、魂
の無限の光の放射、とか、魂の無限のエネルギーの放射などといふところで
す。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 56
ショーペンハウアーの箴言

(26)

礼儀正しさは空気枕である

岩田英哉

【原文】

Die Höflichkeit ist wie ein Luftkissen: es mag wohl nichts drin sein, aber es
mildert die Stöße des Lebens.

【和訳】

礼儀正しいということは、空気枕のようなものである。即ち、其の中にはきっと
何も入っていないらしいし、とはいへ、そのお蔭で、人生のあまたの衝突が和ら
ぐのである。

【解釈と鑑賞】

これも、ショーペンハウアーらしい、辛辣な箴言です。

「何も入っていないらしい」というこの「らしい」(助動詞、moegen)が、ひ
とを食った表現になっていて、可笑しい。

しかし、他方、ショーペンハウアーの箴言話のショート・ショートで、人間は破
ハリネズミのやうな生き物である。お互ひが近づき過ぎると痛いといつて飛びの
いて距離をとることの繰り返しである。このハリネズミのハリが礼儀作法だ。と
いふのです。学生の時に授業で読んだ言葉で、社会にでて仕事をしながら良く思
ひ出しては、なるほどさうだなと思つて今日に至る此の哲学者の言葉の一つで
す。

日本人もみづからの道徳に対して距離をとつて、道徳を些か戯画化しては如何
か。さうすると、笑ひとユーモアが生まれます。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 57
縄文紀元論
Topology
(40)
5.55息栖神社(2)/

岩田英哉

5.55息栖神社(2)
5.55.1猿田彦大神について(2)

書きたいことが一杯あつて筆が追いつかない。しばし待たれよ。次号まで。
で
もぐら通信

もぐら通信 58
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1.も ら通信は、安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働きを
することを通して、そこに喜 を見出すもの す。

2.も ら通信は、安部公房という人間とその思想及 その作品の意義と価値を広く


知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3.も ら通信は、安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、そ
の共有を喜 とするもの す。

4.編集子自身 楽しん 、遊 心を以て、も ら通信の編集及 発行を行うもの す。


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