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書 全 學 律法 新

史制 法 本日

搬家 大田稻 早

著 康 理 澤 金

i
房 書签 三
1

)
はしがき
不易 で 誰 が 讀ん で も わかる もの を 書き まい と 思っ て 筆 を 取っ た 。 少く とも 知識 人 なら ば 法律
學 の 素養 の 無い 人 で 興味 を以て 嵌める やう に しよ う と 心掛け た 。 所 が 根 が 法律 学 出身 であ
り、 簡單 に 事 を 記さ う と 思る と 使い慣れ た 術語 を 無意識 の 間 に 使っ て しまふので 、 法律 學 を 修
めた 人 以外 の 人 に は わかり 難い 所 が 多々 ある で あら う と 思ふ。 又 勉めて 平易 に しよ う と 心掛け
た ので 、 法律 學 を 修め た 人 に は 冗長 に 感ぜ られる 部分 が 相 當 ある と 思ふ。 そして 道 を 期待 し
て 成る べく 前後 を 脈絡 づけよ う と し た ので 、 事項 が 網羅 的 に な つて ゐ ない の ある こと 充分
認める 。 然し 重要 な 話 は 出來る だけ 洩らさ ない やう に 努め た 。 そして 行届い た 説明 を しよ う と
勉め た 。 所謂 重 點 主義 で ある 。
史賞は 凡て 原典 を用い て 論定 し た 。 書物 の 性質 上 一々 原文 を 掲げ、 出所を 明記 する こと を し
なかつた 効 で ある 。 無論 今迄 韓 先進 に よ つて 行 はれ た 研究 を 参照 し た 。 そして 時には それ の 結
論 に 服し 得 ない で 異説 を 立て た 所 も ある。

3
然しそれ は 極く 僅 で あつ て 、 大 部分 は 諸先望 の 研究
4
の 拙き 綜合 に 外 なら ない。 唯 當時 の 賞 情 を 眼 に 見える やう に 書き 度 い といふ 著者 の 念願 が 、 多
少 とも 成功 し て いれ ば 、 それ は 著者 の 功績として 認め られ て ょい と 思ふ。 恐らく 成功 は 覚束 な
いと は 思う が。
昭和 十七 年 六月
早稲田大 學 法学部 研究 室 にて
金澤理康しるす
目 次
緒論論 .
一 時代 區分 :
1K
二 叙述 的 方法:
三法 源 的 種類, 律 cl
本 論
第一 章 氏族 法 時代 ,
七六 五四

四 法 源
五 統治 組織, III
六 制裁 法 二八
民事 法制 01
·
6
第二 章 公家 法 時代 • g
八 律令 の 編纂 富
九 格式 の 細 ・
10 慣習 法 の 袋 生 OF
. .
一一 徹底 的 中央集權 制


一 二 令 外 の 統治 組織 の 愛生 ・
一 三 律令 の 戶制..

一 四 律令 の 財産 法 香

営む
一 五 律令 の 刑法・
一 六 律令 の 裁判 法 ・

七 庄 函 制 毛

第三 章 武 家法 時代 ( 上 )
八 式 目 法 の 成立 と其遷 6

| 九 鎌倉 幕府 の 職制 ・


10 室町 幕府 の 職制 ・
一一 御 家人 關係 の 特質 .
108
10K
二 二 所領 ( 職 ) の 知行 ・
115
式目 の 土地 制度
二 四 式 目 の 資 買 質 入法 ・

二 五 式 目 の 賃 權法 ・
二六 、 德 政 ・

二 七 式目 の 相 續制 度 」 での
190
式目 の 親族 制度 ・

二 九 式 目 の 罪 刑 制度 ・ ●
・ .
三〇 式目 の 裁判 制度 ・
三 一 戰國時代 に 於ける 法制 一 斑 ●

第四 章 武 家法 時代 ( 下 )
8.

三三法 源
三三江戶 仍 職 制, 二
三四 遠 國 役 人 ..

毛衣
三五 職 制 通則 及 名主、 五 人 組 - 11
三 六 封建 制 作 1 七四


三七 大名 旗 本 制, 1
三八 土地 及 年 資 制度 : 四
三九 土地 仍 質 入 書 入 制度 -
一 台
四 O 夫 食 種 貨 」 助 鄉 , 一 九五
再 中
四 一 金錢 及 度量衡 制度 单 兴
1100
四 二 金 鍵 財產 的 特殊性
110K
四 三 小 作 制度
四 債權 諮 制度 及 請 人 · 證人 二元
四五 人 别 制 上 婚姆 · 養子 線 組
}
四六 相 管制
四七 服 忌 制
四八一刑罰一般 三o.
四九 刑罰 特 則 三八
五 O 犯罪 總 說
1711
五 一 犯罪 の 種類 と 刑罰
五一 公事 訴訟, 究

毫 竟
五 三 執行手續。

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1
日本 法制 史

一 時代區分
と 明治維新 と で ある 。 この 兩度 の 革新 は 殊に
我國 で は 急激 な 革新 を 二 度 經驗 し た 。 大化 改新
以外 の 法律 制度、 否、 社會制 度 一般 に 關 し て
行政 組織 に 於 て 顕著 に 表 は れる の で ある が 、 それ
前後を 區別する 標準 と する 。
も 同様 で あつ た 。 そこで 我々 は 此兩 度 の 革新 を以て
は 存在 し なかつ た 。 然し 絶えず 綾 漫 なる 変化
此兩 革新 の 間 の 千 二 百 年間 に 於 て は 急激 な 革新
テンボ 」 はや 調 と なつ て ゐる。 この 時期 を
が 行 は れ 、 殊に 平安朝 時代 の 末期 に 於 て その 「
ある
十 年 と それ以後の 六 百 數 十 年 と を 分ける の で
捉 へ て 人々 は 區分 を 行い、 それ 以前 の 五 百 數
は 人 によって 意見 を 異にする 。 執れ も 一應 の 理
が 、 變化 綾 漫 なる 爲 、 どの 年 を 區分 點 と する か ぶにん
由 を 持つ て ゐる が 、 筆者 の 見解 に 依れ ば 、源頼朝 に 全國 に 對 する 守護地頭補任 I 勅許 が 與 へら

れ た 、 文治 元年 を以て すること が 最も 適 當 と 考へ られる

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文治 元年 より 五 年 前 の 治 承 四 年 に 侍所 を 、 前年 の 元暦 元年 に 公文 所 及び 問注所 を 鎌倉 に 置い
ケイシー
て 、 やイ 攝關 家 の 家 司 に 似 たる 鎧 裁 の 事務所 を 整備 し た 上 に 、 文治 元年 その 主人公 たる 鎌倉 殿 4
源頼朝 に 上述 の 如き 勅許 が 與 へら れ、 こん に 事實上 、 全國 に 布置 せ られ たる 御家人 を通じて ■
自 の 命令 系統 を 備 へ 獨自 の 行動 を 起し 得る に 至っ た から で ある。 その後 七 年 を 經 た 建久 三 年 に
賴朝 は 征夷 大 將軍 に 任ぜ られ た 。 然し 二 年 を 經 て 同 五 年 に 、 惜し 氣 なく 將軍 職 解任 の 辞表 を
提出 し て ゐる 點 より 見 て 、 鎌倉 殿 として の 質 力 の 方 が 高く 評價 せら れ て い た わけ で ある から 、
將軍任命 の 年 を以て 新しき 時代 が 初 まる と する 見方 は 総 當 で は ない と 思ふ 。
斯く て 我々 は 時代 を 四 分 し て 別々 に これ等 を 扱る こと に なる が 、 その 名稱 は 標準 の 立て 方 に
よって 種々 の もの が 用 ひら れ て いる 。 筆者 の 見解 に 依れ ば 、 その 時代 の 法律 の 內容 が 、 如何 な
る 社 會唇 を 中心 として 定 まつ て ゐ た か と いふ 點 に 着眼 し て 、 氏族法 時代、 公家 法 時代 、 武家 法
時代 、 市民 法時代 と する 方 が よい と 思ふ 。
氏族 法 時代 に 於 て は 、 社會 生活 の 中心 が 氏族 に 置か れ て ゐ た 結果、 國家 として は 氏族 を 統制
する こと が 最大 心 事 で あり 、 法律 の 內容 は それ に 關 する こと が 主 で あっ た 。 それ 以外 の 大部
うち の かみ
分 の 事項 は 氏族 の 長 たる 氏 上 に 任せ 切り で あっ た 。 .
公家 法 時代 の 最大 關心 事 は 、 官吏 ( 當時 官 人 と 稱 し て い た ) の 任用 ・ 昇進 ・ 賞罰 ・ 特槍 に 加
へ て 、 官吏 の 組織 する 官司 の 職 橋 ・ 職務 に 關 する 事 で あつ た 。 かゝる 天皇 の 側近 に 在り
又は 還
隔 の 地 に 派遣 せ られ 天皇 の 手足 と なつ て 勤務 す べき 地位 に 在っ た 者 を 、 次 の 時代 の 武家 衆 と 對
くげしゅう」
照 し て 公家 衆 と 稱 する こと が 通常 で ある。 公家 衆 は 略し て 公家 と も 呼ば れ た 。 よって 公家 に 限
する 規定 を 法律 の 主 なる 內容 と し た 時代 といふ 意味 で 公家 法 時代 といふ 名 が 與 へられる。
武家 法 時代 に 於ける 法律 の 內容 は 、 主として 武士 と 武士 と の 間 の 所謂 封建 關係 、 換言 すれ ば
主人 の 側 から 家 來 に 對 し て 與 へら れる 有形 無形 の 保護、 家來 の 側 から 主人 に 對 し て 爲 さ れる 軍
事 的 奉仕 の 相 關係を 定め、 加 ふる に 武士 の 集 つて 組織 し て ゐ た 大小 の 政府 の 組織 權限 等 を 定
め て み た 。 武士 は 全 體 として武家 と 稱 せられる。 そこで 武家 法 時代 なる 名 稱 が 冠せ られる わけ
で ある 。
市民 法 時代 で は 市民 の 生活 關係 を 規律 する 法律 が 、 法律 の 主たる 部分 を 成し 、 それ 以外 の も
の は それ と の 關聯 に 於 て 規定 さ れ て みる と 言 つてよい。 と に 市民 と 言 ふ の は 都市 の 住民 のみ
では なく 農民 共 他 の 田園 居住 者 も 含む わけ で 、 國民 を 獨立 自由 なる 個人 として 見 た 場合 に 斯く
呼ぶ の で ある 。 都市 の 住民 が 他 の もの より 早く 獨立 自由 な もの として 取扱はれる に 至 つたの
で 、 その 名 稱 が 他 を 包攝 し て しまっ た わけ で ある。 而 し て 今や 此時 代 は 既に 終ら ん と し て おる 5
1

か に 見える 。 昭和 十 三 年 國家 總 動員 法 の 制定 が あり、 それ の 發動により 、 從來 と 異る 指導 理念 6


の 下 に 林會 形態 が 作り出さ れ 、 謂はぐ 國家 と 社會 と が 分離 し て い た 時代 から、 これ が 合一 し た
狀態 に 入ら ん と する 趨勢 を 示す に 至っ た から で ある 。
二 叙述 の 方法
法制 は 絶えず 動い て ゆき 變 って ゆく 。 一刻 と 雖 も 留 つて 居る の で は ない 。 所謂 解 釋法 學 と
稱 せられる 憲法 學 、 民法 學 、 刑法 學等 は 、 この 變動 常 な きもの を 靜 止し て 居る もの なる か の 如
くに 取扱 ふ の で ある 。 或 瞬間 に 於 て 行 はれ て ゐる 法制 を 捉 へ て 之 を 將來 ち行 はる のと 假定
し 、 克明 に それ の 理論 を 考へ その 精確 を 期する 所 に 共 特色 が ある。
然るに 法制史 は これ を 動い て ゆく もの として 研究 する 。 従 つて 今日 行 はれ て 居る 法律 も 決し
て 永久 行 は れる 法律 と は 見 ない。 だから 現行 法 の 體系 ・ 組織 を 左程 重要 視 し ない わけ で 、 現行
法 の 體系 を 基準として その個々 の 制度について 遡源 し て 行く といふ 行き方 は 、 格別 の 意味 を 持
た ない わけ で ある。 この 様 な 遡源 し て 行く 方法 を 學者 は 項目 式 と 言 ふ の で ある が 、 これ と
成す 考へ 方 を 年代 式 と 稱 する 。 年代式 に 於 て は 或 年代 に 於 て 行 はれ た 法制 の 中 重要なる ものの
み を 取上げ て 、 之 を以て 代表せしめ て 共 年代 の 法制 を 論ずる という 行き方 で 、 所謂重 點 主義 O
【 種 で ある。
双方 の 方法 は 從 つて 得失 が 正 反 對 と なる 。 項目 式 だ と 解釋法 學 に 従事 し て
居る 人 に は 判り 易
いが 、 さういふ 叙述 を する 爲 に は 現代 の 法制 と 全く 異る 體系 で あっ た 舊時 の
法律 を 無理 に 嵌め
込む 事 に なり 、 必然 的 に 歪ん だ もの に なる 。 年代 式 だ と 答 時 の 法制 は 本然 の 姿 で 浮び 出る が 、
現行 法 に 慣れ て 居る 人 に は 物足りない 感じ が する こと に なる 。 例へば 庄園 領主 の 土地 支配 糖 は
今日 の 公法 上 の 領有 な の か 、 私 法 上 の 所有 な の か 判然 し ない と 敷かる が 如き は その 一 例 であ
る。 然し 上述 の やう に 、 法制史 は 法律 を 動く 姿 で 把握する こと を その 本領 と する の で ある か
ら 、 そして 現行 法 に 泥まない の で ある から、 或程度かういふ 要求 は 無視 し て 年代 式 を 探 つて 行
く 外 は ない。 然し 出來 得る 限り は 、 その 要求 に も 沿 ふ 樣 に 努力 す べき は 言 ふ 迄 も ない。 以下 こ
の 見地より し て 叙述 が 進め られる で あら う 。
三 法 源 の 継類
現代 法 の 解釋 を し た 書物 に 於 て は 、 多く 成文法 と 慣習 法 と を 對立 さ せ
て 說明 し て いる 。 然し
よく 考へ て 見る と 成文法 は 不文法 と 對立 す べき もの で 、 慣習 法 は 制定 法 と 對立 す
べき もの であ
る 。 法律 が 如何なる 形 で 存在 し て ある か という 點 に 着眼 する から、
成文法不文法という 言葉が 7
生れ て 來る わけ で あり 、 或 法律 が 如何 に し て 生れ て 來 た か と いふ 點 が 問題 と せら れ て 制定 法 慣 8
習法 の 區別 が 出來 て 來る わけ で ある 。 即ち 制定 法 は それ が 熟慮 の 結果 、 法律 制定 の 權力 を 有す
るもの に よ つて 探擇 せら れ た 故 に 、 昨日 迄 法律 で なかつ た ちの が 今日 突如 と し て 法律 と なる わ
け で ある。 反 之 、 慣習 法 は 何時それ が 法律 的 な 拘束 力 を 持つ やう に なつ た か 判然 し ない程度に
徐々 として 生れ 成長 し て 來 た もの で ある 。
成文法 ・ 不文法 の 區別 と 制定 法 ・ 慣習 法 の 區別 と は 、 この 樣 に 區別 の 標準 が 異る 。 從 つて 慣
習法 で而成文法 の もの が あつ て も 差 支ない わけ で あり、 制定 法 で 不文法 とい 形 の ものがあ
って 何 等 不思議 は ない 。 之 を 歴史 の 實際 について 見る と 、 文字 の 行 はれ ず 又は 普及 し ない 時
代 に は 、 不文 慣習 法 が 存在 し た のみなら ず 不文 制定 法 も 存在 し た 。 そして 文字 が 行 は れる 樣 に
なる と 、 不文 慣習 法 の 外 に 成文 慣習 法 が 生じ て 來る。 後者 の 適例 は 英國 の 判例 法 ( case -law )
で あり、 それ 等 は 普通 法 ( Common Law ) 衡平 法 (Equity ) と 稱 せられ、 決して 制定 法
( Statute ) で は ない が 、 然し それ は 不文法 で は なく 成文法 で ある。 それ 等 は 裁判所 の 記錄 の 中
から 捜し出さ れ、 民間 の 慣行 の 中 から 捜し出さ れる の で は ない から で ある 。
社會 が 徐々に 変遷 し 法律 が 開 發的 に 出來上 って 行く 場合 に は 、 不文 慣習 法 が 書き留め られ て
成文 慣習 法 と なり 、 それ 等 が 整理 按排 せ られ て 制定 法 ( 法典 ) と なる と いふ 、 経過 を 辿る こと
が 典型 的 で ある。 例へば フランス 民 法典 ( 所謂 ナポレオン 法典 ) 制定 の 場合 の 如く で ある 。 然
し 社會 が 急激に 變遷 し た 場合 に は 、 かういふ順序 を 探ら ず 一足飛び に 法典 が 出來る。 所謂法律
の 後進 國 が 先進 國 に 模範 を 探 つて 新 なる 法典 を 作る 場合 、 即ち 法典 が 繼受 的 外 來的 立場 で 編纂
せらる 場合 に 之 が 見 られる 。
かーる 場合 に は 、 法典 が 突如 と し て 出 來上り 、 而 も その 内容 は 証會 の 管 情 に 適し て 居る と い
ふより は 、 一歩 先 走つ て ゐる こと が 多い 。 そして さ ういふ 時 に は 得 て 法律 と 道德 と の 喰違 いが
生ずる 。 道德 は 変化 し ない といふ わけ で は ない が 、 一夜 に し て 變する こと は ない 。 然るに 法律
は 昨日 と 今日 と は 全く 面目 を 異に し て 奪 態 を 留めない。 かうなる と 法律 を 振 廻す 人 は 非常 な 悪
德人 の 如く 人 の 目 に 映する 。 かういふ 事情 の 下 に 於 て 生じ た の が 、 有名 な 格言 「 法律 家 は 悪し
き 基督教 徒 なり 」 ( Juristen ist bise Christen ) で ある 。 獨逸 に 十 五 世紀 の 末 に 羅馬 法 とい
ふ外來法 が 採り入れ られ、 法律 家 は これ を 振 廻し た 。 然し 一般人 は 在 來 の 道 德律 と 一致 し た 在
來法 に 慣れ て い た ので 、 新 來 の 法律 を 行 ふ 法律 家 は 在 來 の 道 德律 に 合致 し ない 行ひ を する 樣 に
感じ た の で あっ た 。 明治 初年 、 自由 主 該個 人 主義 の 法律 に 突然 に 出會 つた 世人 は 、 やはり 同樣 9
な 感じ を 抱い た 。 然し 數 十 年 の 間 に この自由 主義個人 主義 の 法律 と 一致する やう な 道 德律 が 次 %
第 に 出 來上 つて 來 て みる と 、 今度はか へ つて 全 體 主義 的 な 新 來 の 法律 體系 に 接し て 、 世人 が 新
法 は 道 德律 に 合 つて ゐ ない といふ 感じ を 持つ こと は 、 當然あり 得る こと で ある。
不文法 に は な は 條理 と 稱 せら れる もの が ある 。 制定 法 慣習 法 も 存在 し て ない 場合 でも、
若し 訴 が あれ ば 何か を 基準 として 裁判 を 行 は なけれ ば なら ない 。 その 際 に は 條理 に 從 って 裁判
すること なる 。 條理 を 如何 に し て 發見 する か に 就 て 説明 すること は 今 之 を 避ける が 、 要する
もの 、
に 共 時代 の 法律 の 指導原理 と 解する 人 ( 公家 法 時代 の 「 法意 」) と 、 其時 代 の 法律以外 の
例へば 時代 の 道 德律 とか 他 の 國 の 法律 ( 明治 初期に 於ける 佛蘭 西 法 ) と 解する 人 と が あり、
意見 が 岐 れ て みる わけ で ある 。 一旦 發見 せら れ た 條理 が 裁判 に 當 つて 反費適用 せ られ て みる と
それ が 何時しか 慣習 法的 な もの と なり 、 或 場合 に は それ が 慣習 法 なり と せら れる こと が ある 。
例へば 明治 八 年 太政官 布告 第 10 三 號 裁判 事務心得 を 繞る 論争 に 於 て 、 その 第 三 條 に 「 習慣 に
よって 裁判 す べし 」 とある その 習慣 は、 裁判所 に 於 て 條理 ( 佛蘭西 法 ) が 反 複 適用 さ れ た 結果
生じ た 判例 法 に 外 ならない と せら れ た 如き は 、 その 一 適例 で ある 。
本 論
第一 章 氏族 法 時代
四 法 源
氏族 法時代 に 闘 し て は 不明 な こと が 大 部分 で 、 判明 し て 居る こと は 割合 に 少い 、 法 源 は 大部
分 慣習 法 で あり、 而 も それ は 宗教 ( 神道 ) と 未 分 の 狀態 に あっ た 。 少く とも、 未 分 の 狀態 に 在
る 部分 が 多 かつた。 唯聖 德太子 の 官位 十 二 階 の 規定、 憲法 十 七條 は 成文 の 制定 法 で ある が 、 こ
れ 等 は 極めて 例外 的 な もの と 言 ふ べき で ある。 交通 の 便 悪く 比較的 各地 の 交通 が 少かっ た 事
と、 行政 も 司法 も 大 體 その地方 の 有力 者 に 委せ て あつた 念 と により 、 各 地方 に 存在 し た 慣習 法
の 內容 は 、 相 當程 度 互に 相違 し て み た こと が 推断できる。 制定 法 が 出來る 場合 でも、 抽象 的 包
括 的 な 形 で 行 はる ( こと は 稀 で 、 殆 ん ど 凡て の 場合 具 體的 な 形 で 行 はれる。 或は 一 事件 に つい
て 、 或は 一 人 について 行 は れ 、 或は 共 年 限り の 祖 税 の 免除、 或は 三 年間 の 免除 といふやう に 真
體的 に 定め られ た。 今日 の 地租 法 第 六十 五條 乃至 第 六 十 九 條の 災害 免租 の 如き 、 抽象 的 規定 は の
存在 し 得 なかつ た の で ある 。 定める に際し 、 地方 の 國造 等 の 場合 に は 、 一々 神意 を 問う て 巫女
を し て 宣ら しめ、 それ が 法律 と なつ た の で ある が 、 天皇 の 場合 に は 、 何 等 か いる 手競 を 採る こ
と が 必要 と せら れ て わ なかっ た 。 天皇 の 宣ら れ たる こと は 、 天皇 が 宣せ られ たる が 故に 法律 と
し て の 拘束 力 を 有す と せら れ て ゐ た こと を 、 我々 は 注目 す べき で ある。 そして 攝政 の 如く 天
皇 に 代っ て 政務 を 行 ふ 者 あり たる とき、 攝政 に 此權 あり と せらる 」 こと は 當然 で あつ て 、 從 っ
て この 見地 より し て 憲法 十 七條 の 法規性 を 否認する 論 は 正常 で ない 。
五 組織 統治
氏族 制 統治 組織 に 於 て は 決して 氏 は 平等 なる もの で は なかっ た 。 少く とも 朝廷 に 於 て とれ 等
を 平等に は 扱 は なかっ た 。 朝廷 は これ 等 に カバネ なる もの を 與 へ 差等 を 附し て 待遇 し た 。 臣
とちのみやっこ くにのみやっこ あがたぬ 。 いなざ おびとけ
( 大 身)、蓮 ( 群 主 )、 伴 造、 國 造 、 縣主、 経置、 村主、 首 、 別 等 が それ で あり、 或は 實力
ある 者 の 形容詞より 、 或は 職名 より 、 或は 皇胤 を 示す 言葉から 由來 し て ゐる と せられる 。 この
うち の かみ
カバネ は 氏 の 長者たる 氏 上 が 稱 し 得る のみ で なく 、 族 人 殊に 氏 上 の 子弟 は 之 を 稱 し 得 た のであ
り 、 その 實例 は 枚導 に 違 なき 程 で ある。 然し大臣 ・ 大連のみ は 一身 專屬 の 地位 で あり 、 子 と 雖
も その 地位 を 當然 に は 承継 し 得ず 、 特に 任命 せ られること が 必要で あっ た 。
カバネ は 天皇 が 與 へ たり 剥奪 し たり する こと の 自由 なる もの で あり 、 允恭天皇 二 年 二 月 闘雞
やべ
國造 が 稽置 に 貶せ られ 、 頼宗 天皇 元年 四月 に は カバネ 無 かり し 者 に 山部 連 が 與 へら れ たる 事實
は 之 を 示す 。 更に 次 の 時代 に 入り、 氏族制度に 代 つて 官僚組織 が 整備 せ られる に 至る と 、 官 人
任用に際し カバネ の 上位 なる 者 から 之 を 採用 し 、 譜第 ( 家柄 ) の 宜しから ざる 者 は た と ヘ 景迹
行能灼然 たり と も 之 を 採用する こと なし と 定め ( 天武天皇 十 一 年 八月 、 書紀 卷 二 十 九 ) 、 その 前
年 十 年 四月 に は 連 を 十 四 人 に 賜 はり、 十 二 年 九月 に は 更に 三 十 八 人 、 同 十月 に は 十 四 人 に 進 を
賜はっ た 。 而 も 翌 十 三 年 に は 大 英断を以て 、 諸氏 の 族 姓 を 改めて 八 色 の 姓 と 作 し 、 天下 の 萬姓
、、宿禰 、 思す 、
を 混 する 旨 の 詔 を 下して 、 八姓 の 名 稱 及び 順序を 、 真ん 道 師、 臣 、 連 、
稲置 と し た 。 そして 共 月 に 十 三 人 に 對 し 眞人 を 、 翌月 五 十 二 人 に 朝臣 を 、 十二月 五 十 人 に 宿禰
を、 十 四 年 六月 十 一 人 に 忌寸 を 下賜 し た 事 賞 が ある。 これ によって 、 カバネ の 與 奪 性 が 如何 に
強い か を 知り 得る。
朝廷 は ミカド ( 御門 ) 又は オホヤケ ( 大宅、 公 ) と 稱 せら れ 、 天皇 と マヘツギミ (大夫 )
と によって 統治 は行はれ た 。 ミュ 藩 及び オホキミ 藩 即ち 皇族の 方 に 與り し こと は 言 ふ 迄 も な 。
い 。 大夫 と なり 又は それ を 輔 け て 身を以て 奉仕する 者 は 、 臣 ・ 連 ・ 伴造 等 で あり、 又 その 氏 人 $
達 で あっ た 。 多く は 特定 の 世 職 を以て 仕 へた 。 中 臣 氏 、 忌部 ( 齋部 ) 氏 の 祭祀 、 物部 氏 の 軍事
行刑 の 如き その 例 で ある 。 又 歸化 人 と 稱 せら れ た 朝鮮 支那系統 の 渡 來者 技術 者 として 仕 へ 、
っ か へ の よぽろ
全國 各地 より 上り 來つた仕 丁 も 亦 雑役 に 服し た 。
地方 に 在っ て 権力 を 行使する に は 、 朝廷 より の 精力賦與 を 證明 する 物 を 必要 と し た。 然し

時 未だ 鮮令 の 制 は 無い 爲 め 、 それ に は 斧鉞、 楯 矛 等 が 用い られ た 。 例へば 軍隊 を 率 ゐ て 討伐 に
向 ふ 場合 に は 、 その 統率 者 に 對 し 斧鉞 が 授け られ、 以 て 私 掠者 に 非 さること が 表 は さ れ 、 地方
行政 の 擔當者 たる 國造 ・ 村首 に は 楯矛 が 與 へら れ て み た 。 地方 の 土着 權力者 の 支配 地域 の 間 に
あがた みやけ
は 、 御料地 たる 御 縣 及び屯倉 が 點在 せしめられ、 或 意味 に 於 て それ は 土着 勢力 に 對 する牽制 作
用 を 営ん で み た 。 當時既に 、 全國 が 軍 尼 ( 國 ) に 分た れ 、 それ が 更に 伊尼翼 ( 稲置 ) に 分た れ
て 、 整然たる上下 二 級 の 行政區劃 を 持つ て 居つ た と いふ、 隋書 倭國傳 の 記事 に 信 を 置く こと は
困難 で ある 。
天皇 の 統治 作用 は シル ( 知る ) と 稱 せら れ た 。 又 スベル ( 統べる ) と 名 稱 せら れ た 。 前者 は
神意 を 知る 意 より 出 で 、 後者 は 締めくくる 即ち總覺する 意 で ある 。 従 つて 天皇 は スメラミコト
あきつみかみ と お はやし しろしめすやまと ね こすめ ら みこと あきつ みかん と あめ の し た
ら 奪 と 稱稱 せら れ 、 又 後 に 宣命 等 に 於 て は 明神 大八 洲所知倭根子 天皇、 或は 現 神 御 宇
( 就ら尊)
しろしめすやまと ね こすめ ら みこと
倭 根子 天皇 と 稱 せら れ た 。 天皇 は 一方 に 於 て 祖神 に 仕 へ 給ひ 、 祀り 給 ひ 、 他方 に 於 て 食
っひっ みくら
國 ( 國土) の 統治 を 行 は せら れ た 。 而 し て 食國 の 統治 は 、 皇祖 の 行 はれ た 天津日嗣 高御座 之業、、
略し て 大 御 業 と 稱 せらるんる のに 外 なら ず、 これ の 恢弘 に 外 なら ない 。 故に 統治 は 神意 を 實現
まとまっ あまっひっぎ
する 所以 で あり 、 政 は 祭 の 一 表現 で あつた と 言 へる。 大 御 業 を 行ひ 得る 御 地位 は 天津日嗣 と
稱 せら れ た 。 これ は 最も 古き 抽象概念 の 一つ で あり 、 上 御 一 人 の 御 交替 が あつ て も 、 實質 に 変
更 なく 継激する もの と 考へ られ て み た 。 日嗣 の 語義 に 就 て は 兩説 が ある。 一説 は 日 の 神 より 停
來 せる 大 御 業 を 継ぎ 行 ふ べき 意 と する に 反し 、 他 說 は 火 繼即 ち 聖火 を 保持繼續 す べき 意 と す
る。 後者 は 甚だ 具 體的 な もの を 考へる わけ で ある。 恐らく 後者 は 前者 に 包攝 せらる べき もの で
あらう 。
天津日嗣 ( 皇位 ) は 崩御 によってのみ 承継 せ られ た 。 生前 譲位 は 次 の 時代 に 入っ て から であ
る。 後継 者 は 必ず、 先代 と の 間 に 明瞭 に 辿り 得る 男系 の 血 緣關 係 ある 者 たる べき で あつ た 。 然
し それ 以外 の 點 に 於 て は 法則 は 未だ 確立 し て 居ら ず 、 必ずしる 男子 たる こと を 要せ ず 、 又 必ず

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しも 年長 者 が 年少 者 に 先んずる こと も なかつ た 。 大 多 數 の 場合、 先帝 が 生前 に 、 め 定めらる ト
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か、 又は 遺詔 を以て 定め られ た 。 然 らざる 場合 に のみ、 上述 の 如き資格 者 中 より 後日 定め られ
た の で ある。 然し 容易 に 定まら ない 場合 が 種々 の 理由 によって 生じ、 空位 の 期間 が 度々 あっ
た 。 その 場合 に は 多く 先帝 の 皇子 が 大 御 業 を 代行 せ られ た 。 稱制 と は 此事 を 指す 。 注意 す べき
は 、 未だ 践祚 と 即位 と の 區別 は 生じ て 居ら なかっ た の で あり 、 それ が 明瞭 に 現 はれる の は 、 次
の 時代 の 元明 天皇 の 頃 で ある 。 皇位 に 印 かれ ば 三種 の 神器 ( 後 に は その 模造 ) を 受け られ た
事 言 ふ 迄 も ない。
政治 組織 の 概要 が 既述 の 如き もの で あつ た 結果、 俸給 其他 の 人件 費 は 殆 ん ど 必要 が 無かっ
た。 唯 備品 、 消耗 品 、 行事 の 費用 等 は 缺く こと が 出來 ない。 宮殿、 神社 の 建設、 宮中 の 供御 、
祭祀 の 供物 、 後 に は 佛寺 の 建設、 佛 像 調製、 寫經 の 費用 等 は その 例 で ある 。 これ 等 の 費用 に 充
みやけ たちから
てられる 収入 は 、 全國より 貢納する ミツギ ( 調 ) と 、 直轄 地 たる 屯倉 よりする 稅 と で あっ た 。
調 は 御 機 で あり 、 C 的 貢 納 物 を 意味する。 本 來自 發的 進献 たり し もの が 、 漸次 強制 的 貢納 に
機ること は 、 その 事例 に 乏しく ない 。 江戸 幕府 の 將軍 に 對 し て 大 名簿 が 、 將軍 及び その 一家
の 慶事 ある に際して 、 太刀 馬 代 共 他 の 祝儀提供 を 行 ふ こと が 、 自 發的 の 形態 を 探り つ ~ 強制 的
貢納 たり し こと は 、 よく その間 の 消息 を 物語る もの と 言 ふ べき で ある 。 これ 等 の 収納 物 は 初め
齋藏 に 保管 せ られ た が 、 履中天皇 の 頃 、 隘 を 感じ て 內蔵 が 建て られ 、 雄略天皇 の 頃 更に 大藏
が 建て られ て いる。
社會 に 若し 異常 事項 が 發生 し た 場合 に は 、 之 に 對 する 處置 が 採ら れ なけれ ば なら ない 。 謀反
が 行 はれ た 場合 、 殺人 が 行 はれ た 場合 、 氏姓 を 偽る 者 が あっ た 場合 、 所有 奴婢 が 逃亡 し た 場合
等 に 於 て は、 速 に 疑 は しき 者 を 訊問 し 、 自白 を 得 て 、 正常 の 狀態 に 復歸 せ しむ べき で あっ た 。
任意 に 自白 し なけれ ば 拷問 する 方法 $ 探ら れ た 。 これ 等 の 事 は 今日 の 眼 から すれ ば 裁判 に 外 な
ら ない。 然し 一般行政 と 區別 し て 裁判 なる もの が 考へ られ て 居 た わけ で は なく 、 それ は 行政 の
一部 に 過ぎ なかっ た 。 民事、 刑事 の 區別 なきこと は 言う 迄 も ない。 判斷 ( 裁判 ) に は 神判 の 方
くかたち
盟 神 探湯は その 主 な もの で ある。 他 の 方法 は あつ たらしい が 俺 は らな
法 が 展 ぇ 用い られ た 。
い。 裁判 の 場所 は 限定 せ られ ず 、 川原 で 行 は れる こと も あっ た 。 政治 會議 が 川原 で 行 はれ た と
同様 の 理由 による 。 從 つて 公開 主義 で あり 密行 主義 で は なかっ た。 死刑 の 執行 其他 の 行刑 台 亦
同義 で ある 。
裁判 に 當る 者 は 中央 に 於 て は 通常 刑部 氏 で ある が 、 天皇 、 皇后 、 大 遭 など が 之 に 當る こと も
あつた 。 然し 部內 の 事 は 伴造 、 氏 上等 の 所謂ヒトコノカミ ( 一 の 長官 ) たる 者 が 裁く 者 であ
っ た 。 若し これ 等 の 者 が 不 當 に も 裁判 し なかっ た 時 、 又は 他 の 氏族に 互る 事件 たり し 場合 に は 8
國造 共他 の 上位 者 の 裁判 が行 はれ た の で あっ た。
六 制裁 法
氏族 法 時代 の 制裁 法 は 甚 しく 宗教 的 色彩 を 帯び て み た 。 即ち 神 が 忌み嫌ふ 事項は 凡て 都美
けがれ みそを はら へ
機 と 稱 せら れ 、 又は 破 ( 祓除 ) を以て 之 は 滑めらる べき で あっ た 。 禊 は 自 發的 に 行ひ 破 は 他
動的 に 行 はる 1 色 の で ある。 從 って 祓 は 多分 に 刑罰 的 色彩 を 帶 びる。 は 元 來穢れ たる 者 を 社
會 より 除去 し 又は その 存在 を 縮 少し て 神意 に 副 事 が 目的 で あっ た 。 從 って 重大 なる 場合 に は
穢れ たる 者 のみ で なく 、 その 者 の 近親故に 住宅 家財 等 に 及ん で 殺戮 破壊 が 行 はる べき もの であ
っ た。
斯く し て 死刑 ・ 追放 刑 ・ 財産 刑 が 生 する 。 死刑 に は 火刑 も 存在 し た 。 又 泉 首 も 存在 し た 。 そ
し て 死刑 に 代 へ て 人格剥奪即ち刑罰 奴隷 ( 挙 ) と する 方法 も 探られる やう に なる。 そして 顔面
いれチみ
等 に 縣 せられる 。 追放刑 より 流刑 が 生れ 、 財産 の 破壊 に 代 へ て 政府 へ の 沒收 が 行 はる に 至
る 。 沒收 が 家宅 資財 の 全部 について 行 は れる の は 江戸 幕府 法 の 所謂 闕所 で ある が 、 それ が 一部
について 行 は れる とき は や ~ 罰金 の 性質 を 帶 びる。 財産 が 破 物 として 被害 者 側 に 提供 せ られる
事 が あっ た が 、 これ は 今日 の 眼 からすれ ば 不法 行為 に 基く 損害賠償 に 外 ならない。 機 を 不 當 に
與 へら れ た と 思ふ 者 は 祓物 の 提供 を 要求 し 、 若し 應 ぜ ぬ と 呪詛 し た 。 呪詛 は 、 次 の 時代 に なっ
て も 未だ 相手 を 介す 有 效 な 手段 と 考へ られ て いる 位 で ある から、 此時 代 に 於 て は 無論 其效 力 は
確信 せ られ て わ た わけ で ある 。 言靈 信仰 あり し に 田る 。
なほかーる 個別 的 な 殻 の 外 に 、 朝廷 が 一般人 民 の 犯し た 都美 ・ 機 を 、 人民 に 代っ て 定期又は
臨時 に 祓い清める 大祓 の 儀式 が 行 はれ た の で ある が 、 その 際 の 祓物 は 人民 一般 より 朝廷 に 提供
せしめ られ た 。 従って これ は 客 觀的 に 見れ ば 租稅 の 性質 を 帶 び て い た の で ある 。 斯く 夜 は 癒え
な 制度 に 達する 母胎 を 成し て いる。
刑罰 として 人格 を 全然 剥奪する こと を せ ず 、 單 に 一定 期間 のみ の 自由 を 剥奪する 所謂自田刑
は 、 當時 未だ 存在 し て ゐ なかつ た やう で ある が 、 裁判 に 至る 迄 の 未決拘禁は行はれ て い たら し
か 否
い 。 身體 の 一部 を 毀損 する 所謂不具 刑 は 、 實例 が 全然無い わけ で は ない が 、 浅く 行 はれ た
か は 疑問 で ある。 不具 刑 と共に 併せ て 體刑 と 稱 せられる 答 刑 ・ 杖刑 は 相當 頻繁 に 行 はれてる
る 。
刑罰 は 免除 せ られる こと が あつ た 。 財物 を 提供 する こと に よ つて 免除 せらる とき 、 之 を 騒 ~

:
罪 と 稱 する。 その他 に も 憐惑 の 情 等 に 基き個別 的 恩赦 が 行 はれ た 實例 が 多 數ある。
然し 概括 的 。
恩赦 は 次 の 時代 に なら ぬ と 未だ 行 はれ ない。 天皇 は 神 に 祈る こと なく 單獨 で
恩赦 し 得 た のであ
っ た 事 に 注意 す べき で ある。
扱 て 然 らば 都美 ・ 穢 と せら れ た もの に は 如何なる 種類 の もの が あっ た か 。 今日 の 眼 から
見 て
犯罪 と せらる もの より は 廣かつた と 言 へる 。 正常 秩序 に 選ぶ もの は 自然 現象 等 で さ へ も
それ
のりと あまつつみ
に 加 へ られ た から で ある。 今日 祝詞を通じて 知り 得る 天津 罪 ・ 國津 罪 ( 禁忌 的 犯罪
) の 外 に な
ほ 世俗 的 なる 幾多 の もの が 認め られ て み た 。 例へば 天皇 ・ 皇太子 ・ 皇子 を 害せ ん
と 圖つた 者 が
死刑 たる こと は 言 ふ 迄 も なく 、 其他 叛亂 罪 、 違勅 罪 、 朝廷 を 欺謡 せる 罪 、 隣 使 を 溺殺 せる 罪 、
架 女 を 犯せる 罪 等 が ある。 國家主權 といふ や ト 進ん だ 被害 法 盆 を 考へ て ゐる わけ で
ある。 反
あはなち みうめ ひはなち き 生き いきはき さ くそへ
之 、 天津 罪 に は 農業 や 牧畜 に 關 する畔放、 溝埋 、 樋放、 頻時、 生 剣 、 遊梨、 屎戶 等 が 數 へら
いきはだたち の がはやかすつみ は 」 とこ と おかすつみ
れ 、 國津 罪 に は 諸種 の 禁忌 を 侵す 行爲、 生層断、 死 周 跡 、 巨母 犯罪、 己子 犯罪、 母與子 処 罪、
けもの かつみ しろひと
子與 母 犯罪、 畜 犯罪 ( 牛婚、 馬婚 、 犬 婚 、 雑婚 ) 等 が 數へられる 外 、 な は 自然 現象たる
はらだし 白人 、
た 4つ
昆 蟲之 災 、 高津 鳥之災 ( 猛禽) 高津 神 之災 ( 落雷) 等る 數 へら れ て い た 。
七 民事法制
氏族 法 時代 に 於 て 主たる 財産 と 言 へ ば 土地 、 部 曲 、 奴婢 、 牛馬、 其他 土地 の 生産 物 及 その 加
絹、 絶、 締 ( 眞綿 ) 、 布 ( 麻布 ) 等 で あつた 。 家財道具、 農具 等 も あつ た 。 然
工 物 たる 裕 、 露、
し 鑄貨即ち 金 錢 は 未だ 出現 し て ゐ ない。

土地 に は 陸田 と 水田 と が あつ た わけ で ある が 、 天孫民族の 系統 に 於 て は 水田 耕作 主たるる
こと に よ
ので あつ た 。 多く雛段耕作 の 形 を 探っ て み た こと は 呼放 という 犯罪 が 認め られ て ある
峠放 は 必
って も 知ら れる 。 然し 之 を以て 班田 収授 が 行 はれ て 居つ た 證左 と 爲す に は 足り ない 。
ずし も 所有 關係 の 錯綜 を 前提 と する 犯罪 と 見る 必要 が ない から で ある 。
財産 が 移動 する 方法 として は 、 獻上 及び 下賜とい 形式 の 婚與 が 主 で あり 、 交換 や 消費 貸借
消費 貸借 は 主として 科 に 開 し て 行 は れ 、 伊良布 、 伊良須 と 稱せられ 、 又 イラシノ
も 行はれ た 。
イネ 等 と 稱 せら れ た 。 土地 は 一 年 毎 に 貢 って 耕作 せ しむる こと も 行 はれ た 。 これ は 今日 の 賃貸
借 に 外 ならない。 賃料 なき 使用 貸借 も 行 はれ た 。 消費貸借 に 關聯 し て 質物 の 授受 が 行はれ た や
う に 考へ られる の で ある が 、 その 實例 は 見當 ら ない 。 唯國際 間 に 於 て は 早くから 人質 の 授受
が 行 はれ て ゐる。 ムカハリ ( 身代り ) と 稱 せら れ 、 交換 價値 が 標準 と は せ られ ず 、 質 置人 の 主
觀的 價值 に 標準 が 置か れ て ゐる 。 それ は 質物 を 買っ て 代金 を 債務 に 充てる といふ所謂 資質 。
では なかっ た から で ある 。 強いて 言 へ ば 破壊 質 で あつた 。

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殺し て しまう から で ある 。
氏族 を 構成する 人々 の 間 に は 、 權力 服 從 の 氏族 關係 が 認め られ て ゐ た わけ で ある が 、 な ほそ
の 外 に 血縁 を 標準として ウカラ ( 親族) 關係 も 認め られ て み た 。 男系 女系 を 問 はず、 親 等 も 亦
無制限 で ある 。 氏族 の 異同 を問 は ない 。 唯 それ が 氏族關係 によって 優先 せ られ た こと は 已む

得 ない 。 姻族 關係 も 存在 し た が 、 その 範圍 は 詳 で ない。 親族 間 に 於 て 婚姻は行はれ 得 た 。 そ
し て 兄妹、 姉 弟弟 間 と 雖 もも 母 を 異に する とき に は 禁止 せ られ ずず 、 継 母子 間 で も 差支なかっ たた 。 唯
同母 の 兄弟 姉妹 間 、 實 親子 間 、 夫 と 妻 の 母、 夫 と 妻 の 子 と の 間 の 婚姻 は 禁止 せ られ て 居り 、 若
し 違反する と 刑罰 が 科せ られ た 。 婚姻 を 爲す に は 格別方式 は 必要 で なく 父母 の 同意 必要で な
かつ た 。 當事 者 たる 男女 の 合意 によって 成立 し得た 。 然し 同居 し て 婚姻 繼續 を する に は 、 兩
親 の 同意 を 得 なけれ ば なら なかつ た ので 、 婚姻 の 要件 として は 同意 が 必要で あつ た と 解す
る 。 一夫多妻 は 許さ れ て 居り 、 多妻 の 間 は 本 來不 等 で あつ たらしい が 、 次第に 嫡妻 (コナミ 、
ムカヒメ ) と 次妻 ( ? ハナリ ) と の 區別 が 生じ た 。 兩者 は 婚姻 の 時期によって 決せ られる ので
は なく、 夫 の 嫁 重 の 程度 に よ つて 決せ られ た 。 婚姻 解消 の 方法 は 詳 で ない が 、 乗妻という形式
が 存在 し た こと は 明らか で ある 。 三 四 年 遺棄 し て 顧 なけれ ば その 效果 が 生じ た 。
氏 上 の 死亡 によって 其地 位 が 承継 さ れ 、 所謂 祭祀 相 親 が 行 はれ た 事 は 言 ふ 迄 も ない。 その 内
容 は 祖 名 相 續 で あり、 名 を 継ぎ 父 に 代っ て 主席 と なっ て 祭事 を 執行する 地位 を 得 た のであ
の ふた 。
然し 祭祀 相 續 は 當然 に 財産 相 續 を 意味する もの で は ない 。 大 部分 の 物 は 族 人 の 總有 に 属し てる
た の で ある から、 財産は 相殺する 迄 も なき もの で あつ た 。 部 曲、 耕作 地 、 家宅 等 に 於 て 之 が 見
られる。 然し 族 人 の 特有財産 ( peculium ) 名 認め られ て 居つ た 。 族 人 の 特有財産 は 死亡 にょっ
て 相 續 せら れ た 。 氏 上 に 歸 する こと なく 、 死者 の 子 共 他 の 親族によって 相 續 せら れ 、 氏 の 異同
た 時 は なかっ た 。 かいる制度の 存在 は 、 次第に 氏 上 の 管理 總有財産 を 氏 上 の 個人 有 財産 に
じ 、 それ の 相 織 が 行 は れる 素地 を 作っ た 。

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1
1

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第二 章 公家 法 時代
八 律令 の 編纂

公家 法 時代 の 法 源 の 基本 は 律令 格式 とい 法典 で あり 、 それ が 義 へる に 從 って それ に 代っ
際して の 器 の 內 に も 數多 の 法律 規定 が 含ま
次第に 慣習 法 が 行 は れる やう に なつ た 。 大化 改新に
年 餘
二 十 数 年 後 の 近江 令 が 最初 で ある。 その後 十
れ て み た が 、 法典 の 形 を 探っ て 現 はれ た の は
令 だけ 施行 さ れ た 。 再び 十 年 程 経っ て 大賀元年
を 經 て 天武 律令 が 出來 、 それ は 數年 經 つて から
四 十 年 程 後 に 至っ
更に 二 十 年 近く 過ぎ て 養老 律令 が 出來 、
大資 律令 が 出來 て 翌年 施行 せ られ 、
て 初めて 施行 を 見 て ゐる。
の 人々 に 我國 の 制度 を 確立 し た 最初 の 法
天智天皇 即位 四 年 より 施行 せ られ た 近江 令 は 、 後代
が 作ら れ た に 拘 はら ず 、 元明 ・ 聖武 ・ 孝謙 ・ 文
典 として 苦しく 尊重 せ られ 、 その後度々 新 に 法典
に は 、 常に 是 が 引合 に 出さ れ て いる 。 例へば 元
德 ・ 清和 ・ 陽成 ・ 光 卒 諸 天皇 の 御 即位 式 の 宣命
かけまく かしこ あぶみおふ つのみや に あめ の し た しろ しめ はやま と ねこ すめらみ こと
近江大津 宮 御 宇 大 倭 根子 天皇
明 天皇 慶雲 四 年 七月壬子 ( 十 七 日 ) の もの は 「 關モ威キ
- 典 天地 共 長典田所 誌 需典 ~ 敷嚇ハル 演 ( 送 假名 は 原文 萬葉 假名 ) と あり、
かけ まく も かしこきあゆみおぼっ あめ の し た しろしめすめらみ こと
文德天皇 嘉祥 三 のりのに 年 四月甲子
生 ( 十 七 日 ) の もの は 「 桂 畏 近江大津ノ宮 - 御字シ天皇
じめた 生 さだめ た 生
初賜ヒ 定賜 へ ル 法 魔 」 と あり ( 同上 ) 、 他 も 大同小異 で あつた 。 度雲 四 年 は 大賀律令 の 施行
せら れ た 大 寶 二 年 より 數 へ て 六 年 目 で ある のに 、 而 も それ を 引合 に 出し て 居ら ない の で ある 。
然し 近江 令 の 內容 は 全く 今日 に 停 は つて 居ら ない ので 、 その 性格 を 吟味 する よすが が 無い 。 天
おさかべ 持統 天皇 三 年 に 施行 せ られ た 天武 令 二 十 二 巻 も 今日 に 梅 はら ない。
武 天皇 十 一 年 完成、
し 名 の 手 によって 、
大 寶律 令 は 、 刑部 (忍壁)親王 を 總裁 と し 藤原不比等 ( 淡海公 ) 以下 十 六
一 年 數ヶ月 を 費し て 刊 修せ られ たる もの で 、 律 六 巻 令 十 一 巻 より 成っ て 居っ た 。 古 律 ・ 古 令 と
も 稱 せられる。 この律令 も 今日 に 停 は つて 居ら ない 。 今日 傳 へら れ て 居る の は 養老 律令即ち 新
律 ・ 今 令 で あり 、 律 十 巻 十 二 篇、 令 十 卷 三 十 篇 で ある。 律 の 内 、 首部 、 名 例 律 上 、 術禁律 、 職
制律 、 賊 盗 律 等 が や ト 完全 な 姿 で 傅 は つて ゐる が 、 名 例 律 下 、 戶婚 律 、 厩庫律 、 擅興 律 、 闘訟
律、 詐偽 律 、 雑律 、 捕 亡律、 断獄 律 等 は 散供 し て 梅 はら ず 、 漸く 逸文 が 各 書 に 散在 し て 存する
に 過ぎ ず 、 これ 等 は 石原正明 共 他 の 人々 により 苦心 の 末 集め られ て 、 改訂 増補國史大系 第 二 十
二 巻 に 収められ て おる。 反 之 、 令三 十 篇 は 令義 解 の 形 で 大 部分 完全 に 傳 は つてみる。 篇 名 に お
順序 は 、 官位令、 職員 全、 後宮 職員 令、 東宮 職員 令、 家 令職員 令、 神祇 令、 僧尼 令、 戶 令、 田 %
令 、 賦役令 、 學 令、 選 叙 令、 継 嗣 令 、 考 課 令、 藤 令 、 宮 簡 令 、 軍 防 令 、 儀 制 令 、 衣服令 、 營 繕
令 、 公式 令 、 倉庫 令 、 厩 牧 令 、 盛 疾 令 、 假 寧 令 、 喪葬 令 、 關 市 令、 捕 亡 令、 獄 令、 雑 令 で あ
e
り 、 この 內 、 倉庫 警茨 の 二 令 のみ が 、 不完全 で ある が 、 これ も 大 醒後 審 せら れ 、 全 條數 は 九 百
三 十 二條 と 推定 せ られる。
今日 傳 は つて 居る 養老 律令 が 大賞 律令 で ある と 信ぜ られ 、 明治 の 學者 は 多く その 様 に 信じ て
論 を 成し て み た の で ある が ( 例 、 法制論纂 所収 の 諸 論 ) 、 高田 春滿 の 令三辦以 來 の 主張 が 佐藤 誠
資 博士 の 律令 考 により 確證 せら れ て より は 、 潮 次 奮來 の 説 は 覆さ れ 、 殊に 中田 嘉 博士 が 明治 三
十 八 年 「 養老 令 の 施行 期 に 就 て 」 と 題し、 養老 令 が 養老 二 年 淡 演公 等 六 名 の 手 により 制定 せら
れ ながら、 その 施行 期 は 天平 勝翼 九 年 で あっ た 事 を 論證 し て 以來 、 それ 等 が 養老 度 の もの なる
事 は 、 今日 動かす べから ざる 事 賞 として 信ぜらる A に 至っ た 。 斯く し て 不用 に 露 し た 法律 の 正
文 が 、 執れ も 全く 今日 に 残ら ない の は 、 恐らく 紙 が 得 かつ た ので 紙背 を 利用 し て 他 に 韓 用 せら
れ て しまっ た から で あら う 。
然 らば 何故 に 斯く も 頻繁 に 法典 が 制定 せ られ た の で あら う か 。 當時 唐 と の 交遊 繁く 、 港 に 於
て 殆 ん ど 十 年 每位 に 新しく 法典編纂 が 行 はれ て やる 事実 に 激 せ られ た 事 は 否定 し 得 ない が 、
種々 の 國內事情 殊に 政治 上 の 理由 が 多分 に 作用 し て わ た 事 も 亦考へ ね ば なる まい と 思ふ 。 それ
の 詳細 に 就 て は 今 之 を 略す 。
養老 令 の 註釋 書 として 、 天 長 十 年 末 完成 し 翌承和元 年末 天下 に 施行 さ れ た 令義解 は 、 法律 學
上 所 謂 有 權解 釋的 立法 で あっ た 。 蓋し それ は 當時 の 法律 家たる 明 法 家 が 律令 の 條文 に し 種文
の 解釋 を 立て て 一致 せ ず 、 實務 上 甚だしく 支障 を 生じ た ので 、 天 長 三 年 勅命 によって 編纂 に 着
手 せら れ 、 成っ て 頒布 施行 せ られ た もの だ から で ある。 元 來當 時 の 裁判 殊に 刑罰 を 課する 判
に 當 つて は 、 裁判官 は 必ず 律 合格 式 の 正文 を 具引 し て 判決 を 行 は ね ば なら なかつ た ( 斷獄 律 、
獄命 ) 。 それ は 裁判 の 適正 に 行 はれ た か 否 か を 明らかにする 爲 で ある 。 若し 賄賂 を 得 て 不 當 に
裁判 すれ ば 、 裁判 に 當つた 者 は 柱 法 として 絞 ( 死刑 ) に 至る 刑 を 科せ られ た の で ある が ( 職制
筆 )、 たと へ 賄賂 を 受け なく て 若し 不 當 に 裁判 すれ ば 、 故意 で ある か 過失 で ある か に 從ひ 、
故 入 人 罪、 故 出 人 罪、 失 入 人 罪、 失 出 人 罪 といふ 罪名 により、 科す べ かり し 罰 と 實際科し た 罰
と の 差額 が 裁判官 に 科せ られる 定 で あつた( 斷獄 律 ) 。 從 つて 裁判官 にとって 、 法律 の 解釋 が 多

37
岐 に 分れ て 居る こと は 甚だ 迷惑 で あつ た 。 そこで どうして 統一 する こと が 必要 と なる。 法律
Wirenamihiminni
そゃう 使う か
の 頻繁なる 制定 は 明 法 家 の 輩出 を 促し た 爲 に 多數 の 解 釋 が 生れ 、 又 、 年代 も 次第に 経過 し て 來 &
た ので 時代 に 即應する 様 な 解釋 が 生れ 、 解釋 は 甚 しく 多岐 と なつ て ゐ た ので 、 こん に 統一 が 図
られ た ので あつ た 。
然し 實際上 、 この 有 檔解釋 に 凡て の 明 法家 が 服し た わけ で は なかつ た。 そこで なほ 種文 の 説
を 立て 争っ た の で ある が 、 これ 等 は 令義 解 制定 後 約 五 十 年 の 元 農 年間 に 、 惟宗直 本 の 手 に よ
って 黄 錄 せら れ 、 令 集 解 として 残さ れ た 。 大 部分 今日 に 傳 は つて ある 。 言 ふ 迄 も なく 此令 集 解
は 有 權解 釋的 なる もの で は ない が 、 後世 に 多大 の 影響 を 與 へ て ゐる 。
九 格式 の 編纂
律令 は その 規定 と 異る 定 が 格 として 念 さ れ 、 それ が 律令 に 優先 する こと を 豫定 し て わた 。 養
老 の 獄 令 第 三 十 一條 は 之 を 示す 。 我國 に 於 て は 支那 に 於ける が 如く に 律令 の 編纂 と 併行 し て 格
式 なる 法典 を 編纂する こと は 考へ られ て ゐ なかつ た 。 隨時 必要に 應 じ て 單行 法 として 物 又は 太
政官 符 の 形 で 律令 と 異る 定 が 念 さ れ た の で あり 、 この 事 は 弘仁格 の 序 に 「 律 以懲 粛篇 宗 。 令以
勸誠 爲本 。 格印 量 時 立制 。 式 則 補 闘拾 遺 。 」 と ある が 如く で ある。 換言すれ ば 律令 は 永久 法 で
あり 、 格 は 臨時 法 で あり 、 式 は 補充 的 立法 と せら れ て い た わけ で ある 。 格 は 臨時 法 で ある から
3
あない
逐次 相 矛盾 する 內容 が 定め られ て 行く 。 無論 その 筋 の 人々は案内 として 新 舊 の 格 を記帳 保存し
て 居る わけ で ある が 、 兎角 誤り が 起り 勝ち で ある。 そこで 遂に 平城天皇 は これ 等 の 格 を 編纂 せ
五名 の 者
しめ られ ん と せら れ た が 、 成功 に 至ら ず 、 嵯峨天皇 は その 志 を 継ぎ 給 ひ 、 藤原冬嗣外
に 命じ て 之 を 遂げ られ 、 弘仁格 十 卷 と 各 官 司 の 執務 規程 たる 弘仁 式 四 十 卷 と が 出 來上 っ た 。 大
贅 元年 より 弘仁 十 年 に 至る もの の 內 「 商略 今 古 審 察 用捨 」 し て 成 つたの で ある。 變方 とも 弘仁
十 一 年 より 施行 せ られ 、 それと矛盾 する もの は 效力 な きもの と せら れ た 。
弘仁 格式 後 五 十 年 を 經 て 貞観 十 年 再度 裕 及び 式 の 編纂 が 行 はれ た 。 藤原氏宗 外 九 名 の 手 に よ
って 成り 、 弘仁 十 一 年 より 貞観 十 年 迄 の もの で 先 の 格式 に 定め られ なかつ た 事項 に 反する もの
のみ を 蒐 め 、 格 十 二 巻 式 二 十 二 巻 と せら れ た 。 格 は 十 一 年 より 式 は 十 三 年 より 、 弘仁 の 格式 と
併行 し て 施行 せ られ た 。 越え て 延喜 五 年 三 度 び 格式 の 編纂 に 着手 せ られ 、 前 も 後 三 十 年間 の 單
行法 を 集め て 延喜 格 十 二 巻 が 同 七 年 に 成つた。 そして 前格、 前々 格 と 併行 し て 行 は しめら れ
た。 式 は 十 年 後れ て 延長 五 年 に 成り、 前 式 前 々 式 を 吸収 し て 五 十 巻 の 大 なる もの と せら
れ 、 前 式 前々 式 に 代 つて 單獨にて 事足る もの と せら れ た 。 從 つて 式 は 此延 喜 式 のみ が 今日 に 殘

39
り、 他 は 僅少 の 断片 の 外 は 全く 残らない 。 格 も その 儘 の 姿 で は 格 と も 残らない が 、 幸ひ 事項
別に 頼衆 せら れ た 類聚 三 代 格 が 残っ
て おる ので 、 その 內容 の 大體 は 窺い

40
知る こと が 出來る 。
か いる 一般 的 なる 式 の 外 に なほ 特殊
な目的 を 持つ た 式 も 幾つか 編纂 せ られ
て ゐる 。 それ 等 の
內 、 延 暦 二 十 二 年 の 操 定國司 交替
式 は 國司 の 交替 に 關 し て 定 を 置き、
六 十 數年 後 の 貞観 十 年 の
新定 內外 官 交替 式 下 卷 と 更に 五 十 年
後 の 延喜 二 十 一 年 の 內外 官 交替 式 と
は 、 國司 のみ なら ず 在
京官司 の 交替 に 關 し て も 規定 し た 。
その他 検非違使 式 、 滅 人 式 が あつ た
が 今日 に 母 はら ず 、 儀
式 即ち朝廷 の 儀式 次第 を 定め た もの
は 貞観 度 の もの のみ が は つてみる。
10 慣習 法 の 發生
制定 法 殊に 法典 の 形 に 於ける もの
制定 は 、 延喜 延長 の 頃 を 最後 として 共
後 は 跡 を 断つ た 。
年代 で 言 へ ば 丁度公家 法 時代 の 中頃
で ある 。 そして 其頃 より 次第に 慣習
法 が 勢力 を 得るにつ
よう に
た 。 これ より 先 、 既述 の 令 集 解 に 於 て は 既に 今 行事、
時 行事なる 慣習 法 が 收 載せ られ て 居り 、
それ は 律令 の 成文 に 反する もの で は ある が 、 なほ 法的
拘束力 を 有する もの として 考へ られ て わ
る 。 かくる 行事 法 の 外 に なほ 、 判例
法 として 選 落し た 流例 なる 慣習 法 が
あつ た 。 就中 、 検 非違
使 麗 で 發造 し た 微 非違 使 廳例 ( 略稱
、 嘘例 ) が 編著 で ある 。 かーる 慣習
法 の 發藩 は 制定 法 の 或
部分 を 實際 上 止變更 し た の で ある が 、 なほ 他 の 大き
な 部分 も 不 使用 に 歸 し た。 その 一つ
の原
因 は、 令 外 の 官 司 の 發這により 令 制 官 司 の 作用 が 停止 し た から で ある 。
庄園 の 發藩 は 、 それ 等 に 必ず 不 不入 の 特植 が 附随する の 風 を 生じ、 更に 庄園 は 朝廷 を 代表
する 國司 ( 國衙 ) の 支配 區域外 に 在る もの と せら れ 、 其處 に 法律 の 真空 狀態 を 生じ た もの と 考
へら れ た 爲 、 それ を 充す もの として 生園 獨自 の 法 が 存す べき もの と 想定 さ れ た。 斯く し
て各
園 に 庄園 法 が 生ずる。 その 內容 は 庄園 每 に 區え で あり、 たと へ 庄園 領主 を 同 うする 場合 でも

って み た 。 成立 の 所以 を 異にする から で ある 。 今日 研究 未だ 進ま ず 斷定 は 困難 で ある が 、 時代
的 背景を 同 うし て わる こと 等 を 理由 として 、 それ 等 の 庄園 法 が 大 體同 一 の 傾向 を 辿っ て 居 た こ
と 、 そして その 內容 は 律令 法 に 近 きもの 多く 、 唯 時代 の 進 選 に 從 ひそ の 要求 に 沿う て 相 當 の 變
化 を 遂げ て ゐ た と 言ひ 得る のみ で ある。 就中 顯 著 な もの は 職 と 稱 する 獨特 の 形態 を 具 へ た 土地
關係 の 權利 で あっ た 。 庄園 法 は 又 本所 法 とも 稱 せら れ た。 本所 ( 領主 ) の 政所 から 發 せら れる
くだしぶみ
下文 や 庄 官 の 執務 例 が 大きな 法 源 と なつ て わた から で ある 。 末期 に 近く なり 領國 の 制 が起つ て
から は 、 遙授國司 の 在 臨 や 留守 所 に 對 する 臨宣 、 氏族自治 權 に 基き 藤原 氏 等 の 氏 長者 の 發 する
長者 宣 も 、 亦 之 に 類する 作用 を 有し た 。

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かーる 狀態 に 於 て も なほ 律令 は 基本 法 で あり 、 之 が 解 釋適 用 を 主たる 職務 と する 者 は 依然 と
みか
。 蓋し 兩家出身 者 が 明 法 博士 と なる
し て 存在 し 、 大體中原 と 坂上 と の 兩家出身 者 が 之 に 當つた
慣例 が 成立 し て ゐ た から で ある 。 明法 博士 と は 今日 の 司法省 民事 局長 刑事 局長 の 如き 地位 で 、
法律 解釋 の 疑義 に 答 へる 職務 を 有し 、 學位 で は なかつ た 。 斯様 な 家柄 の 人々 によって 自己 の 心
弘 まっ た 。 政事 要略 、 朝野 群載、 法曹 類
覺え の 爲 に 種々 の 法律 書 が 作ら れ 、 後に それ が 一般に
代 末期 に 於ける 法律 狀態 は 明ら
林 、 法曹 至要抄等は その 主 の もの で ある 。 これ 等 に よ つて 此時
か に せられる 。
し て 行く こと なる わけ であ
て 以上 の 如き 法 源 を 便り として 、 順次 法律 生活 の 狀況 を 観察
刑事 法 の 順序 で 大要 を 述べ、 最
る が 、 到底詳細 の 點 に 互る を 得 ない ので、 行政 組織、 民事 法 、
後 に 裁判 關係 の 說明 に 及ぶ こと する。
|| 徹底 的 中央集權 制
と で ある 。 國司 の 願
先 づ 最 眼 に つく の は 、 徹底的 な 中央 集 權 と 徹底的 な 天皇 御 親政 の 組織
かみ しようかん
遣 せ られ 、 六 年 ( 後 に 四 年 ) の 任期 が
を 組織 する 守 ・ 介 ・ 豚 ・ 目 等 の 人々 は 執れる中央から派
で あつ て 、 その 期間 中 と 雖 も 所謂 四
滿 ちる と 新任 者 と 交替 し て 京 に 上り、 更に 任地 へ 赴くの
使 と なつ て 代る代る 京 に 上っ た の で ある。 四 度 使 と は 朝 集 使 ・ 大隈 使 ・ 稅帳 使 ・ 貢 調 使 を 指し、
一般 政務 、 豫算 、 決算 の 報告 、 調庸 の 現物 運搬 の に 年 四 回 の 上京 が 行 は れ 、 中央 地方 の 聯絡
が 保たれる ので あつ た 。 人民から 取立て られ た 諸 積 の 内 、 田租 は 原則 として地方 に 於 て 消費 せ
られ 、 田租 の 換算 が 大 帳 の 形 に 、 それ の 決算 が 稅帳 の 形 に 作成 せ られる 。 調 と 庸 と は 中央 に 姿
政 せら れ て 中央 の 歳入 と なる。 なほ 中央 に 於 て 消費 する 米 と 、 中央 の 官 臨 に 於 て 使役 する 仕
丁 ・ 栄 女 等 が 、 中央 に せら れ た 事 も 忘る べき で は 泳い 。 一般 の 役 丁 は その 地方 の 土木 事業
等 に 使役 せ られ た 。 斯く 中央 と 地方 と の 頻繁 なる 聯絡 往來 の 為 に 必然 的 に 驛路 の 制度の 完備 が
促さ れ た 。 断 くし て 東山 道 ・ 東海道 等 の 名 が 、 行政 劃 に 非 ず し て 而 も 重要 な 地位 を 占め た の
で ある。
斯く 國司 は その 地方から 見る と 外 來者 で ある 。 從 って その 地方 の 事情 に は 暗い 。 そこで 實際
上 その 地方 の 人々 を し て 助力 せしめなけれ ば 政治 は 行 へ ない。 故に 國司 の 下級 官 として 政治
を 行為 郡司 の 臨 を 構成 する、 大領 ・ 少 領 ・ 主 政 ・ 主 帳 に は 、 土着 人 を 任用 し た 。 殊に 大領 少 領
に は 成る べく 名 ※ 家 たる 國造出身 の 者 を 補任 し た 。 任期 を 附 せ ず 終身 官 と し 、 更に 天平 勝賀 元
年 以降 は 世襲 と せら れ て いる 。 邦 は 多數 の 里 ( 後 に 還元年 と 改稱) に 分た れ た が 、 里長 に
は その 里內 の 人 に し て 清正 強幹なる 者 が 充て られ た 。 無 位 の 人 ( 白丁 ) が 原則 で あつ た が 、 八
位 以下 に 限り希壁 者 あら ば 採用 し 得 た 。 里內 に 適當なる 人 無 とき は 隣里 より 採用 する 。 里 の 4
內 に 數多 の 保 が 置か れ 、 比 隣 五 戶 の 戶主を以て 組織 さ れ た ので、 五保 と 稱 せら れ た 。 斯く 郡以
下 の 區域 に 於 て は 其處 の 住人によって 政治 は 行 はれ た 。 これ は 或 意味 に 於ける 自治 の 形 であ
る 。 無論 それ は 、 近代 民主 々 義 を 背景 と する 自治 制 即ち 地域代表 者 たる 選出 議員 を以て 合議 體
の 議決 機 開 を 構成 し 、 それ が 行政首脳 者 を 決定する といふ 意味 に 於ける 自治 で なかつ た こと は
言 ふ 迄 も ない。 郡司 の 大領以下凡て 選出 で なく 、 任命 に 係る もの で あつ た から で ある 。
中央 に は 八省 ( 中務、 式部、 治部、 民 部 、 兵部、 刑部、 大藏、 宮內 ) に それ の 外局 たる 寮
司 が 数多置か れ て み た 。 それ 等 の 上 に それ 等 を 統轄する もの として 太政官 、 彈正 台 が 置か れ 、
別に 神祇官 が 置か れ た 。 太政官 は 左大臣 (一ノ上 ) 、 右大臣 、 大納言 が 組織 し 、 後 に 中納言 と 參
議 が 加 へ られ て 、 萬般 の 政務 につき 決定 を 行っ た の で あり、 従って これ 等 の 者 は 今日 の 國務大
臣 の 如き もの で あり、 太政官 は 內閣 に 近 きもの で あつた。 太政大臣 は 適當 な 人 が ある 場合 に 限
って 左大臣 の 上 に 置く こと に なっ て み た 。 か いる 者 の 下 に 、 左 大 辦以 下 の 官 人 より 成る 左 解 官
局、 右 大 辨以 下 より 成る 右 辨官 局 、 少納言以下より 成る 少納言 局 の 三 局 が 下 腸 し て、 政務 の 準
備 と 各省 と の 聯絡 に 當っ た 。
弾正 台 は 全国 の 人々 の 非 選 を 紀頭 する こと を 掌り 、 殊に 官 人 の 警察 に 注意 を 撮っ た 。 彈正 尹
が 長官 、 弾正 齢 が 次官 で あっ た 。 宮城 に 左右 兩京 に 關 し て は 下僚たる 彈正大忠 ・ 少 忠 致 に 巡
蘇 [ 正 を 指揮 し 、 共 他 の 國 々 に し て は 、 太政官 より 魔時全國 に 派遣 せらる ト 巡察 使 を 指揮 し
て 、 目的 の 到達 を 圖つた。 養老 三 年 以後は 按察 使 が 全國 各地 に 置か れ 、 近隣 の 三 四 ヶ 國 を 巡線
し た 。 そして 彈正 尹 は 場合 によって は 左大臣 を する こと さ へ 出來 た 。 かる 場合 に は 天皇
に 上奏 し て 之 を 行 ふ の で あっ た 。 逆 に、 弾正 尹 以下 の 者 が 不 當 に 紅彈 し 又は 不 當 に 彈 しな
いで みる と 考へ ら るる 場合 に は 、 左大臣 は 弾正 尹 を 相手取っ て 礼躍 し 、 上奏 する こと が 出來 た 。
これ 等 の 奏上 を 論奏 と 稱 し た 。 論奏 に対して は 勅斷 が 下さ れる こと 」 なる 。
論奏 のみ なら ず 、 種文 の 政務 に 就 て 切斷 を 仰ぐ こと が 律令制 に 於 て は 限定 せ られ て おる 。 例
へば 民事 刑事 の 裁判 の 上訴 に 對 し 、 官 人 の 不 當處分 を 理由 と する 冤柱 の 申 訴 に 對 し 、 究極 に 於
、 て 刺激 を 乞 ひ 得 た の で あり、 かいる 場合 に は 、 天皇 は 在 來 の 法規 を 無視 し てる 具 體的 事態 に 適
合 する やう な 裁決 を 下し 得 た の で ある 。 名 例 律 の 疏文 や 獄 令 義解 中 に 「 非常 之 斷 。 人 主 專之。 」
とある の は 此事 を 指す 。 元 來律 令 格式 は 、 廣義 に 於ける 官吏 服務 規律 の 如き もの で 、 天皇 を 拘
束 する もの で は なく 、 此點 明治 二 十 二 年 制定 の 大 日本帝國 憲法 と は 其性 質 を 異にする 。 従って

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皇位継承 他 天皇 に 關 する 重大 事項 が 規定 せ られ て 居ら ない の で ある。 然し 、 教化 を以て 政治
の 目標 と し て み た 律令制 の 下 に 在っ て は 、 天皇 率先 律令 に 從っ て 行動せらるる 事 は 希望すべ
き こと で あり 、 從 って 律令 の 無視 が 極力 避けらる べき で あっ た 事 は 言 ふ 迄 も ない。
我國 は 、 佛 教 を 國教 的 地位 に 於 て 待遇する に 至っ て 後 も 、 在 來 宗教たる 神道 を 捨て なかつ
た 。 一時たり とる 共國教 的 地位 は 奪 はる こと が なかっ た 。 此點 歐洲 諸 國 が 早き は 西暦 三 世紀
頃遽 き 六・ 七 ・ 八 世紀 の 頃 に 於 て 基督教 に 改宗 し 、 全く 在來 宗教 を 捨て去っ た 事 と よき 對照
を 成し て おる 。 天皇 は 御 親 ら 皇祖 皇宗 共 他 の 神 々 に 奉仕 せ られ 、 之 を 祀ら れ た 。 それ 等 の 準備
を 行ひ 、 又 天皇 に 代っ て 祭祀 を 行者として 、 太政官 の 管轄 外 に 神祇官 が 置か れ 、 それ は 試
伯 以下 の 官 人 を以て 組織 せ られ た 。 そして 神祇官 に 於 て 執行 はる べき大祭例祭 等 に 關 し て は 、
神祇 令 に 規定 が 置か れ 、 又 延喜 式 卷 一 より 卷 十 に 至る 規定 が 設け られ て ゐる。 斯く て 、 政治 と
祭祀 と が 天皇 の 行 はる べき 二 大 事項 たる 點 に 於 て 前代 と 趣 を 同 うする が 、 唯 前代 に 於 て は 寧ろ
祭 が 重く 政治 が 從 と 考へ られ て ゐ た の に 反し 、 此時 代 に 入る と 政治 が 主 で 祭祀 と 其地 位 を 換 へ
た 觀 の あること は 、 之 を 否定する こと が 出來 ない。
由來 、 生存 者 と 蒸らさる 者 と を 餘り 區別 せ ず 、 兩者 を 連結 し て 何 等 不思議 を 感じ ない の が 當
時 の 考 へ 方 で あり、 従って 生存 せる 父 に 任 へる と 同 樣 な 考 で 祖先 に 任 へ 、 奉告 し 、 祈願 し 、 又
氏 人 は 氏 上 の 行為祖先 崇 拜託 業 完成 に 協力 し た ので あつ た 。 又 今日 に も 、 此死 者 と 生存 者 と を
判然區別 し ない 考へ 方 は 残っ て ある 。 現行 民法 第 七 四 三 條 等 に 於 て 活 家 なる もの ~ 存在 を 認む
るのは 、 死亡 家族にょ つて 組織 せ られ て いる 家 を 考へる 國民 的 信念 に 基礎 が 置か れ 、 「 民法 親
族 編 中 改正 要綱 」 第 一 項 第 一 號 に 於 て 、 直系 血族 は 親 等 如何 に 還く と も 親族 の 範囲 に 加 ふべ
し と の 主張 が ある の は 、 死亡 者 親族として 數 へる 國民 的 信念 を 顧慮 し た から に 外 なら ない。
親族 は 生存 者 間 の 關係 に 過ぎ ぬ と 考へれ ば 、 七 親等以上 の 直系 血族 を 親族 中 に 加 へる こと は 、
四 世代 の 同時存在 さ へ 稀 と する 現代 社 會 に 於 て 、 全く 無意味 な わけ で ある 。
斯く 神 に 仕 へ 、 人民 を 統治 し 給 ふ 天皇 の 御 地位 は 、 崩御 によって 承継 せ られ た の で ある が 、
此時 代 に 入る に際し 皇極 天皇 により 我國 に 初めて 生前 位 が 行 はれ た 。 これ が 端緒 と なり 、 爾
後 次第に 生前 譲位 は 頻繁 と なつ た 。 此時 代 全 體 から見る と 牛 以上 が 生前誕位 で ある。 そして 太
上 天皇 は 略し て 上皇 と 稱 せら れ 、 佛 教 に 歸依 し て 剃髪 せ られ た 場合 に は 法皇 と 稱 せら れ た 。 上
皇 法皇 が 一時 に 御 二 方 以上ある 場合 も あっ た 。 これ は 幼冲 の 皇子 に 譲位 せ られる こと から 起

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る。

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二 令 外 の 統治組織 の 發生
元來 天皇 は 上述 の 如き 御 親裁事項 が 甚だ 多い のに 、 幼年 の 皇子 が 即位 せ られる こと は 國務経
行 に 支障 を 來 す 所以 と なる。 そこで 成る べく 避けらる べき で あつ た 。 然し 前 代 の 終 に 厩戸皇子
が 推古天皇 の 攝政 と なら れ て 例 を 開い て から 久しく 行 はれ なかつ た 攝政 の 制 が 、 御 年 九蔵にて
即位 せ られ た 清和 天皇 の 外 組 藤原 良房によって 再興 せ られ て より 後 は 、 藤原 氏 の ! 門 より 描
政 が 任命 せ られる 事 が 例 と なり 、 湖沖 の 天皇 の 大 僕 は 其者 によって 代行 せ られ た ので あつ た 。
さ うなる と 攝政 たら ん が 爲 に 御 譲位 を 迫り 幼主 を 擁立 する 者 さ へ 現れる に 至り、 爾 來約牛數 の
天皇 は 斯く し て 攝政 を 有せ られ た の で あっ た 。 天皇 が 詔書 ( 律令 上 は 勅書について は その 必要
な きもの で あつたが實 際上 勅書 同一 に 扱はれ た ) を 發 せら れる 場合 に は 、 御 自ら 日 を 記さ れ
( 御霊日 ) 更に 可 と 記さ れる ( 御量可 ) ので あつ た が 、 攝政ある 場合 に は その 事 も 攝政 によって
代行 せ られ た こと 言 ふ 迄 も ない。.
攝政 は 天皇 が 成長 し て 成年 に 藩 せら れる と 辭 する こと ト なる 。 成年 といふ も 、 一般人 の 丁年
と 同 一時期 で ないこと 諸外國 の 例 と 同様 で あり 、 而 も 何 成 といふやう な 定例 は 我國 に は なかっ
た 。 唯事實上 十 五 歲乃 十 九 あたること 多く 、 そして 漸く 發生 を 見る に 至っ た 元服 の 時期 より
!
は 後れる こと が 例 で あっ た 。
攝政 を 辭 し たる 者 は 多く 一座 の 宣旨 といふ 特別 の 勅旨 を 蒙っ て 左大臣 ( 太政大臣 あら ば 共 者 )
の 上 に 着座 し 、 奏上 す べき 事 も 下す べき 事 も 一切 共 者 を 経由 し て 行 はる べき もの と せら れ
た 。 凡 ゆる 事 に 閑 はり 白 す ので 、 開 日 と 稱 せら れ た 。 律令制 の 官 司 構成 は こ に 於 て 根本 的 な
る 破壊 を 蒙っ た 。 何 と なれ ば 律令制 は 専断 を 戒める 為 に 極めて 周到 なる 用意 を 念 し 、 就中 官 司
間 の 相互 牽制 と 一 官 司 の 四等官 ( 四 部 官 、 四 分 官 ) による 構成 と を 行っ て い た のに 、 開 日 制 に
よって これ が 破ら れ た から で ある 。
官 司 間 の 相互 牽制 は 、 既述 の 左大臣 と 弾正 台 と の 關係 の 如く 、 同一 事項 を 二以上 の 官 司 を し
て 行 は しめる という 方法 を 探る こと も ある が 、 多く は 権限 を 細分 し て 多 數官 司 に 分配 する 方法
を 探っ た 。 又 四等官 制 と は 、 中央地方の 凡て の 官 司 は 原則 として 四 人 で 組織せしめ、 長官 ・
じよう さくわん
官 ・ 判官 ・ 主 典 と し 、 判官 主 典 が 準備 を 行ひ 長官 が 次官 と共に 決定 を 篇 す という 方式 を 指す 。
即ち 單獨 官 臨 で なく 合成 官 郎 の 制 を 探っ た 。 但し合議 體 で は なかっ た 。 蓋し それ 等 の 者 は 同一
0
序列 に 於 て 合議 し 決定 を 爲 す 制 で は なかっ た から で ある 。 この四等官 制 の 方 は 比較的 永き 生命

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を 有し、 令 制 以外 に 設け られ た 検非違使 臨等 の 所 謂 令 外 の 官 に 於 て も 同様 の 組織 が 採ら れ て お
る 。 四等官 の 人々 が 相互 に 連帶 責任 を 負い、 蓮 坐刑 が 科せ られ た 事 は 餘り に も 有名 なる 事柄 で 。
ある 。
令 制 の 官態系統 の 破壊 は 既に 、 弘仁 年間 に 生じ た 藏 人 所 、 次 の 天 長 承和 の 頃 に 生じ た 検 非違
使 態 によって 行 はれ て ゐ た 。 大賞 年間 を 距る 僅か 百 餘年 で ある 。 藏 人 所 は 元 來宮 中 に 於 て 御物
の 出納 を 掌っ て い た 者 の 話 所 で あり 、 天皇 の 側近 に 在る 所 から 藏 人 通 は 國務 に 干與 する に 至
り 、 宣言 の 宣 及び 殿上 の 取締 に 當る やう に 法っ た 。 職人 窟 の 上 に 頭辨 ・ 頭 中 將 と 呼ば れ た 藏
人頭 二 人 が 置か れ 、 更に それ 等 の 長官 として 左大臣 又は 右大臣 が 兼ね て 別 當 に 任ぜ られ た 。 檢
非違 使 臨 は 別 當 ・ 佐 ・ 尉 ・ 志 の 四等官 制 を 探り 、 別 當 に は 衛門 府 又は 兵衞 府 の 長官 たる 管 が 狭
ね て 任 ぜ られ た 。 佐 以下 に は 文武 双方より 補せ られ、 而多く 明法 家出身者 が 充て られ た 。 と
れ 同 躍 が 司法 警察、 監察、 刑事 裁判 、 行刑 の 事務 を 掌っ た から で ある。 即ち武力 と 法律 知識 と
の コンビ で あつた。
元來 律令制 に 於 て は 特別 な 警察官 司 が 設け られ て ゐ ない で 、 武力行使 者 たる 中央 の 五 術 府
( 後 に は 六衛 府 ) 、 地方 の 國司 ・ 軍團 が その 事 に 當る べきこと ! なつ て ゐ た 。 又 一般人 に も 之 に
協力 す べき 義務 が 課せられ て い た 。 非常 に 稀 に 非選 ( 犯罪) が 行 は れ 、 臨時 的 に 追 捕 の 力 を 結
壊す れ ば 足りる やう な不穏 なる 事態 で あれ ば 、 それ で 事足りる で あら う 。 然し 佛 教 の 尊崇 に 落
き 或は 政治 上 の 理由 に よつ て 頻繁 に 恩 派 令 が 發 せら れ 、 その 念 に 罪 を 犯す こと を 恐れ さる やろ

に なり 、 從 つて 犯罪 頻後 する に 至る と 到底 常置 の 警察官 司 なし に は 済まさ れ ない 様 に なる。
くし て に 京造 に 共 附近 の 爲 に 搬 非違 使 臨 が 、 國郡 の 為 に 検 非違 所 又は 検非違使 所 が 設けらる
る に 至つ た の で ある。 國郡 検非違使 は 多く 單獨 組織 の 官 司 で あっ た 。 中央 の 検非違使 臨 は 初め
陽水 、 強盗 ・
民事 刑事 の 凡 ゆる 事項 に 干 無し て み た の で ある が 、 貞觀 十 二 年 の 別 當宣 に よ つて
編 盗 ・ 殺害 ・ 開観 ・ 博戯 ・ 強姦事件 に 限定 せ らる に 至つた。 そして それ 等 の 事項 に 附する 限
こん に 律
り 術 府 ・ 弾正 台 ・ 刑部 省 ・ 京職 等 の 干渉 を 排除 し て 獨断直行 し た ので あつ た 。 従って
今 の 行政 組織 は 或程度破壊 せ られ た の で あっ た 。
常 令 の 兵制 は 一種 の 徴兵制度で あり 、 志願 兵 制度 で も 、 職業 的 武士 制度でも なかつ た 。 莊丁
は 一 年 の 內 十 日間順次 上 番 し て 軍 に 入り、 役 の 一種 として の 兵役 に 服し 、 武器 食料 自 辦 に
て 勤務 す べき で あつ た 。 但し 極く 少 部分 の 人 は 京 に 上っ て 一 年間 術 士 と なつ て 勤務せねばなら
す 、 又 九州 に 下っ て 三 年間 防人 と なつ て 防備 に 當ら ね ば なら なかつ た 。 その 出 後に際し 別離 を
歌 へる 萬葉 集 の 防人 歌 は 餘り に も 有名 で ある。 軍團 は 大體四 郡 に 一 個 の 程度置か れ た やうであ
る が 、 陸奥 に は 特に 養老 の 頃 から鎮守 府 が 置か れ 北邊 の 守備 に 當 てら れ た 。 軍団 に 於 て 兵 け 。
歩兵騎兵 に 分け られ、 五十人單位 に 編成 せ られ た 。 それ 等 を 率い て その 訓練 に 當る 者 は 、 大

毅 ・ 少毅 ・ 校 時 ・ 旅 師 ・ 隊正等の 官 人 藩 で あつた。 これ 等 の 武官 は 図司 の 指揮 を 受け且つ兵部
省 の 管轄 を 受ける の で ある が 、 戦時 に 於 て は 特に 將軍 ・ 副 將軍 以下 の 指揮 官 が 置か れる。 特に
大 部隊 の 動かさる 場合 に は その 上 に 大 將軍 が 置か れ 、 統帥 の 全 僕 が 委ね られ、 又 軍令 違反 者
専決 の 構 が 與 へら れ 、 その 微 表 として 節 刀 が 授け られる ので あつ た 。 然し 平時 に 於 て は 一般 行
政府 の 外 特に 参謀 本部 の如統帥 の は 置か れ て わ ない し 、 又 文官 武官 の 區別 は あつ た が 、 今
日 の 如き 融通 性 な きもの で は なかつ た 。
以上 の やう な 整然たる 兵制 は 、 蔵人所 の 設置 より も 二 十 年 も 早く 破綻 を 來 し 、 延 暦 十 一 年 に
こんでい
は 邊境 を 除き 全國 の 軍團 は 駿 止せ られ 、 武器 食料 官給 の 少 數 の 健兒 が 置か れ た 。 防人 必同 十 四
後 止 に 歸 し 、 その 地 の 兵士 が 之 に 代っ た が 、 天 長 三 年 選 士 によって 代ら れ た 。 北遊 に 於 て も
弘仁 六 年 健 士 に よ つて 代 られ て いる 。 班田 収授 の 執行 が 困難 と なり 土地 なき貧民 が 増加 し た こ
と 、 食 焚 なる國司 軍 毅 が 兵士 を 不 當 に 使役 し た 爲 に 、 一朝有事 の 際 弱卒 にて 用 を 爲 さ な かつ
こと が 、 徴兵 制 酸 止 の 原因 で あり 、 健兒 という一種 の 志願 兵 制度 探 用 の 理由 で ある 。
一 三 律令 の 戸制
公家 法 時代 の 生活 の 草 位 は 戶 に 置か れ て み た 。 戶 は 外 に 對 し て は 一體 として 權利 の 主 體 と な
り 義務 を 負擔 し た 。 そして 內 に 於 て は 戶主 ( 頭 ) に 率 み られ て 體 主義 的 な 生活 形態 を 探っ
た 。 これ は 前 時代 に 於 て 氏 が 行っ て 居 た 役割 と 似 て いる。 氏 は 此時 代 に 入 つて も 、 依然 親族 園
體 として 存在 する か 、 最早 泄會 生活 の 草 位 たること を やめ、 氏 上 は 裁判 構 、 課 秘權 その他 の 公
法的 體力 を 失っ て いる 。 律令 が 定め ら るる に 及び 、 殆 ん ど 氏 は 法律 の 表面 から 抹殺 さ れ た か に
見え た が 、 少時過ぎ て 藤原 氏 の 勢力 が 高まる 様 に なる と 、 他 の 有力 な 氏 で ある 橋 氏 源氏 等 の 場
合 と 同様 、 氏 の 長者 る もの が 現 はれ て 巨大 なる 権力 を 有する 樣 に なる。 それ は 令 制 に 依れ ば
官 人 と なる に は 試験 の 上 採用 さ れる の で あり( 医 位 の 例外 あり ) 、 試験 に 應 ずる に は 官吏養成 所
たる 中央 の 大學、 地方 の 國學 に 學ば ね ば なら なかつ た のに ( 帳 內資 人 は 主人 の 推薦により 試盤
に 感じ 得る ) 、 次第に 私立 の 官吏養成 所 たる 樹 氏 の 學館 院 、 源氏 の 失學院、 藤原 氏 の 勧学 院 等
が 出來、 それ の 修了 者 は 氏 の 長者 の 娘 族 ( 推薦 状 ) に よ つて 官吏たる こと を 得る に 至つ た から
で ある。 ともあれ 律令制 に 於 て は 氏 は 凋落 し 、 それ に 代っ て 戶 が 登場 し た ので あつ た 。
戶 の 大 さ は 自然 的 生活 團體たる 家 の 大 さ と 一致する 場合 も ある が 、 寧ろ 血縁ある 二 以上 の 家 3
1

が 集っ て 戶 を 成す 場合 が 多 かつた。 さういふ 場合 に は 正嫡なる 家 の 家長 を以て 戶主 と し
た。 か 4
やう な 複合 的 なる 場合 は 各 戶 ( 又は 從屬 的 な 家 のみ) を 房戶 と 稱 し 、 郷戶 と 對立 せしめる こと
も ある。 柳戶 を 單位 として 戶籍 が 作成 せ られる。 戶主 の 手 賞 ( 申告 書 ) に よ つて 六 年 毎
に 作成
せられ 、 口分田 班 給 及び 租税 賦課 の 基礎 と なる 。 一戶 の 人員 は 三 十 人 以上 の もの 左 し て 稀 しか
らず 、 八十 七 人 といふ 實例 が ある が 、 奈良 朝 時代 に 於 て は 平均 二 十 人 と 計算 せ られ て いる 。 こ
れ 等 の 家族 員 が 班 年 に 當り 年齢 六 歲以 上 に 達し て 居れ ば 、 それぞれ 法律 所定 の 口分田 を 受ける
けん
資格 を 有する わけ で ある が 、 そして 又家人 ・ 私 奴婢 といふやう な 賤民 に 危 それ は 及ぶ ので あつ
た が、 班 給 は 決して 個人 に 對 し て 為さ れる の で は なく て 、 それ 等 の 人々 の 受田 額 を 合算 し た も
の を 、 戶主 に 給付 する ので あつ た 。 戶主 を 一 個 所 に 集め て 國司 より 直接 に 與 へ 、 不公平 の 護
なき を 期し た。
口分田 制 の 目的 は 無論 民 の 富強 で あり 、 大陸 に 於 て 頓 に 強大 と なれる 唐 の 勢力 に 對抗 する 爲
の 國 內新 體制 の 隨 一 で あつ た の で ある が 、 それ は 又祖 ・ 調 ・ 役 ( 庸 ) といふ やう な 程 花 の 負 落播
者 を 作 出し、 財政目的 を 結成 せ ん が 為 で あつた。 大化 改新に際して は 調 ・ 役 ( 庸 ) は 戶 が 標
準 で 課せ られ た ので あつ た 。 然し 調 は 直ちに 大化 二 年 、 月 內 の 男子 のみ を 標準 と す べき こと に
を 標準 と
た 。 男子 殊に 成年 の 男子 のみ
に よ つて 男子 標準 に 改め られ
改め られ 、 役 ( 席 ) も 亦 令
弊害 を誤 す 原因 を作
又は 年齢 を 偽っ て 大 なる
の 申告 を し て 男 を 女 と 偽り
くした に 、 戶籍 に 虚偽
み た。 これ 等 の 租税
● 段別 に 從 つて 課せ られ て
は 初から 手 つと 口分田 の
つた 。 調 ・ 情 と 異り 、 租
の で あつ た 。 役 も
、 戶主 が 納入 の 責 を 負 ふ
に 戶主 に 對 し て 課せ られ
は 口分田 受給 の 場合 と 同様
に は 戶內 の 誰
れ ば ならない が 、 他 の 場合
( 指名 ) せら れ た 本人 で なけ
兵役のみ は 例外 的 に 差點 けにん 他 の 物品 について
所屬する 家 人 にて 差支 なかつ た 。 況 ん や 穀物 その
でも 宜 かっ た し 、 又戶 に
部分 を 誰 が
に なる わけ で あつ た 。 どの
生産 せ られ 納入 せ られる こと
は 、 戶內 の 全員 總 動員 にて
なかっ た 。
負 反する といふやう な 事 は は 個
せ ね ば なら ない 。 無論 律令
個人 の 勝手 な 財産 處理 を 禁止
斯く て 勢 ひ 月 內 に 於 て は 、 個人 し て い た の
び 家族 の 財産 は 別々 に 存在
て 居 た の で あり 、 事 賞戶主及
個 家族 員 の 財産 所有 を 認め
事實 上 の 問題
、 各自 の 財産 所有 が 法律 上
體 として 處理 せら れ て 居り
で ある が 、 それ 等 は 不 常 全
た。 それ 以外
相 織 が 行 は れる 時 のみ で あつ
戶主 又は 家族 が 死亡 し て
として 登場 し て 來る の は 、
ること は
の 物 と 雖 も 自由 に 之 を 費消す
管理 僕 が 働い て 、 家族 は 自己

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1
の 時期 に 於 て は戶主 の 強制
ね ば なら ない 。
する と 答杖 の 刑罰 を 受け
の 卑幼 が 勝手 に 財物 を 費消
許さ れ なかつ た 。 若し 同居
1
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當時 の 法則 で は 、 子 のる の は 父 の 強制管理 權 に 服し( 父子 同 財 ) 、 妻妾 の もの は 夫 の 強制 管理 權
に 服し た ので ( 夫婦 同 財 ) 、 かういふ 結果 と なる 。
戶主 が 死亡 する と 、 其強 制 管理 権 が 消滅 し て 財 產 が 本人 の 手 に 戻る のみ なら ず 、 月 自身 の
財産 は 「 應分 」 と 稱 する 財産相 薇 の 法則 によって 、 親族 間 に 分配 せ られる こと に なる 。 分配 せ
しめ 度くない 場合 、 益 に 法律 の 定 と 異る 樣 に 分配 せしめ 度 い とき に は 、 遺言 を 行 ふ 。 口頭 の 遺
言 證人 あら ば 有 效 で あり 、 署名 ある 書面 で あれ ば 證人 を 必要と し なかっ た 。 遺言 なく とも、
遺族 が 分 財 を 欲し ない とき に は 勿論 分 財 する 必要 は なく 、 事實餘り 分 財 は し なかつ た やうであ
る 。 分配 の 割合 は 法律 に 詳細 に 定め られ て いる。 養老 令 で は 嫡子 と 共 母 と は 同額、 その他 の 子
は その 牛 額 を 受く べき で あっ た 。 女子 と と は 四 分 之 一 。 同戶者 たる こと を 要件 と し ない。 そ
の 他 の 無 について は 今 說明 を 略する。 要するに 總 財産 を 評價 し て 、 法定 の 割合 に 應 じ て 個々 の
財産 を 分配 する ので あつ た 。 分配 し て も 同月 の 者 は 、 新戶主 の 強制 管理 槍 に 服す べ かり し は 言
ふ を 俟 た ない 。 家族 が 死亡 し た とき に は 、 遺財 は 戶主 の 場合 と 異り、 諸子 に 均分 せ られ た ので
あっ た 。
戶主 の 死亡 に 當 つて は 斯く 財産 相 練 が 行 はれ た の で ある が 、 同時に 訊名 相 織 と 言 ふ べき 單
獨相 も 行 はれ た ので あつ た 。 従 つて 二 樣 の 相殺 が 行 はれ た わけ で 、 祖 名 相 減 の 意味 に 於ける
る の は 繼父 承 重 又は 継嗣 と 稱 せら れ た 。 これ は 嫡子 と 稱 せられる 相 續人 一 人 によって 行 は れ 、
他 に 嫡子 同母 弟 や 庶子 が あつ て も 之 に 與らない。 羅馬 法 の やう に 數人 の 子 は 當然 に 分れ て
各 目
一家 を 成す といふ やう な こと は ない 。 た ゞ 父母 なき 後 は 別 籍 異 財 する こと は 禁止 せ られ てる な
いの で 、 分家 を し て 一 戶 を 創設する こと は 可能 で あつ た 。 尤も 共 新戶主 たる べき 者 が 成年 の
男子 又は 之 に準ずる 中男 たる こと を 前提 と する 。 分家 は戶籍 の 除 附 によって 行 はれ た。
婚姻 に
よって 他 戶 に 入る 場合 、 養子 と なつ て 他 戶 に 入る 場合 も 、 凡て 戶籍 の 除 附 に よ つて 效力 が 生じ
た の で ある。
調 は 正丁 ( 二 〇 一 六 ○ 歲 ) 次丁 ( 六 〇 一 六 五 歳 ) 中 男 ( 一 七 ― 二 〇 歳 ) に 對 し て 4 : 2 : 1 の
割合 で 課せ られ 、 庸 は 正丁 ・ 次丁 に のみ 課せ られ た。 そして 役 を 免れ たる 者
10 に のみ 課せ られ
た 。 調 に は 正調 と 副物 と が あつ た。 京 及畿 內 で は
、 臨時 の 課 役 を 負擔 せしめる 餘裕 を残す 意味
で 、 調 は 半額、 庸 は 全 発せ られ て おる。 役 は 蔵 役 十 日 は 當然 に し て 且 無償 の もの と せら
れる
が 、 な は それ を 超え て
三 十 日 迄 は 課せ られ 得 た 。 その 際 に は 一 日 につき
三 十 分 之 一 の 祖 及調 を
免除 する こと なる 。 然し 、 地方公共 の 念 に 奉仕 する 六 十 日間 の 宿 について は 、 何 等かる
1
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特典 が ある わけ で は なく 、 食料 ・ 衣服 等 も 他 の 場合 と 同様 に 自 死 で あつた 。 京 に 上っ て 衛士 ・
仕丁 ・ 架 女 ・ 女 丁 と なれ ば 食料 は 官給 せ られ た が 、 報酬 は 與 へ られ ず 相 當 大きな 負務 で あっ
た 。 その他、 調 ・ 庸 の 物 を 京 に 運ぶ 人夫 を 出し 、 又は その衣食 費 を 各 月 から 支出 する を 要し た
ので あつ た 。 但し これ 等 の 調 役 ( 庸 ) 等 の 課 役 は 庶民 に のみ 課せ られ 、 內外 初 位 以上 又は 熟 八
等 以上 の 官 人 も 、 品 部 雜戶 共 他 凡て の 賤民 之 を 免除 せ られ た 。 官 人 は 優待 の 意味 で 、 品 部 ・
雑 戶等 は 特殊 技能 を以て 課 役 に 代 へる 意味 で 、 賤民 は その 能力 無 爲 に 免除 せ られる ので あつ
た。
以上 の 食搭 は 月 に 課せ られ た に し て も 、 共 標準 は 內 の 男 口 といふ 個人 で あつた 。 然し 義倉
の 稲 出捐 額 、 公 出 : 米 の 割 當額 等 は 課 口 に 關係 なし に 行 は れ 、 唯 共戶全 體 の 貧富 に 從ひ、 或
は 類 が 多く 或は 額 が 少な かつた。 義倉 は 救貧 制度 の 一つ で あり 、 貧戶 を 除きたる もの を 上々 月
以下 、 下々 戶迄 九 等 に 分ち、 二 石 以下 一 斗 迄 を 轢出 せしめる 定 で あつ た が 、 電 元年 の 格 に よ
り 中 々 戶以 上 のみより 徴収 す べき こと 改め られ た 。 公 出舉 は 利息 消 黄金 借 で あり、 主 と し
ぞく
稲 票 に 就 て 行 は れ 、 國司 の 臨 が 、 春 所 藏 の 和栗 を 人民 に 貸 付け、 秋元 利 の 回収 を 行 ふのであ
っ た。 元 來 希望 者 に のみ 貸 付ける公的性質 の もの で あつ た が ( 庶民 金庫 參考) 、 超用 に 於 て は
強制 貸付 の 形 と なり 、 雜綻 の 一 に 數 へら れ 、 従って 每 に 「 課丁 を 總計 し 、 その 貧富を 量り 、
百 束 以下 十 束 以上 を 出學」 する に 至つた( 大同 三 年 九月 廿六日 の 太政官 符 ) 。 又 各 國 別 の 出學額
も 法定 せら れ て みる。 利息 なき 全く の 救済 的 消 賞 貸借 も 借 貸 ・ 賑 貸 と 稱 し て 行 はれ て ゐ た 。 そ
し て 場合により その 返還 は 免除 せ られる こと も あつ た 。 その 際 に は 多く 私 出塁 道 伴 れ に せら
れ 、 返濟 を 免除 せ られ た 。 一種 の 德政 令 と 言 ふ べき で ある。
月 を 標準 と し た 制度 は 以上 に 止 ぶら ない。 過失により 人 を 殺傷 し たる とき は 罪 を 許さ れ た
が、 銅 ( 贖罪 金 ) は 被害 者 個人 に で なく その 者 の 屬 する 家 に 入る の で あり 、 被害 者 と 加害 者
と が 同一 の 家 に 属する とき は 、 銅 は 官 に 入る ので あつ た 。 さう し なけれ ば 制裁 的 意味 を 持た
ない から で ある 。 戶內 の 統制 に は 、 雪長 が 卑幼 に 對 し て 行使 する こと を 許さ れ た 款令幡真っ
て 力 が あっ た 。 と は 子 に 謝する 父母祖父母 等 の 如き もの で あり 、 卑 は 之 に 對 する 。 と は 年
齡多 き 者 で あり 、 この 長幼の序 を 強調する 點 は 支那 法 の 影 で ある 。 羅馬 法 以來 歐洲 法 に 於 て
は 、 兄弟 姉妹 は 同列 に 扱 はるく に 過ぎ ない の と 封蝋 を 為す 。 若し子 が 親 の 教 令 に 服從 し なけれ
ば 徒 二 年 の 刑 に 處 せら れ 、 親 は 子 の 懲戒 の 爲 に 打 負傷せ しむる 罪 に 問 は れる こと なく 、 殺
す に 至っ た 場合でも、 過失なら ば 無罪 、 故意 の 場合 に のみ 徒 一 年 半 といふ 處罰 を 受け た 。 一般 %
1
の 殺人 が 死刑 にょ って 制裁 せ られ た に 比較する と 非常 に 軽い。 逆 に 子 が 親 に 對 する 場合 に は 、
寧 屬謀 殺 として 豫備陰謀 の 程度に 至れ ば 死刑 を 課せ られ た 。 親 に 犯罪あり とも子 は 官 に 對 し て
若し祖父母父母 を 告訴すれ ば 死刑 を以て 臨ま れ た 。 親子 以外 の 障
之 を 告訴 す べき で は なく 、
ば 毎 長
卑 ・ 長幼 の 間 で も や ~ これ 等 に 準ずる 取扱 と なっ た 。 若し同居 の 者 が 共同 し て 罪 を 犯せ
のみ 處罰 せら れ て 卑幼 は 無罪 と せら れ た ので あつ た 。 噂 長 に 教 令 權 ある が 故 で ある。 これ 等 刑
と 同居 と は 一該
部 關係 の 定 は 戸籍 を 基礎 と せ ず 實際 上 の 同居 を 標準 と し て いる が 、 當時 は 同 戶
すると 見 て み た の で ある 。
一 四 律令 の 財産 法
する。
祖 ・ 調 ・ 庸 等 の 年貢 ・ 課 役 は 中央又は 地方 の 政府によって 收納 せら れる こと を 原則 と

然し 律令 は 封月 といふ 制度 を 認め 、 或 場所 の 若干 の 戶 より 納付 せらる べき 年 賞 ・ 課 役 を 個人 に
耶得 さ せ た の で ある。 食封 ( 品封、 位 封 、 職封) 、 功封 、 神 ( 封 ) 戶 、 寺 ( 封 ) 月 の 區別があ
る が、 我 れ も 祖 の 半額 、 調庸 の 全額 が 受給 者 に 給 せらるる 定 で あり 、 神戸 のみ は 租 も 全額給せ
られ た 。 神戸 に 準じ た の か 、 和銅 七 年 一 月 三日 新 給 の 封 戶 に は 凡て 租 も 全額 給す と 定め 、 廿 五
年 後 の 天平 十 一 年 五月 三 十 日 の 詔 は 、 新 規定 を 全 封戶 に 及ぼし た 。 尤も 封戶 より の 収入 は 受給
者 自ら 取立てる べきで は なく、 國司 郡司 の 手 を通じて 取得 す べき もの で あつ た 。 然るに 未納 未
進 ある とき に は 受給 者 は 使者 を 遣 し て 直接 取立 を 行い 、 又は 調庸運 般 の 郡司 雑掌 が 京 に 入る 途
中 を 待伏せ し て 、 官 物 の 內 より 責め 取る こと が 行 はれ た 。 太質 年間 を 降る 二 百 年 の 寛平 三 年 五
月 廿九日 の 太政官 符 等 は 、 既に か くること が 行 はれ た こと を 示し て いる。 、
封戶 は 収入 の 源泉 で は あっ て も 、 法律 上 は 個人 の 直接 支配 を 禁じ て いる もの で ある 。 之 に 反
.
し 、 田 ・ 園 ・ 宅地 に 對 し て は 個人 の 直接 支配 を 許し て 居り 、 又 有力 なる 官 人 のみなら ず 、 一般
の 官 人 、 庶民 、 品 部 、 雑戶 、 官戶 、 愛戶等 の 者 に 至る 迄 、 之 を 保有 し 耕作する こと を 得 た 。 こ
けにん
れ 等 が 自 營 せらる 場合 は 家族 員 、 家 人 、 奴婢、 牛馬 等 に よ つて 耕作 さ れ た 。 從 つて 家 人
.
婢 ・ 牛馬 は 重要 な 財産で あり、 家 人 は 所有 せ られ 相 概 せ られるのみ で あり 、 資 買 世 られ
得 な か
っ た が、 奴婢 は 牛馬 の 如く 賣買 せら れ 得 た 。 凡て 奴婢 は牛馬 と は 、 同様 な 地位 に 置か れ 、 所有
者 若し 虐使すれ ば 刑罰 を 科せ られ 、 奴婢牛馬 を 過失にて 殺せ ば 執れ 無罪 で ある が 、 奴婢 の 無
幸 なる を 故殺 すれ ば 杖 一 百 、 罪 ありとも 官 司 の 許可 を 受け ず に 殺せ ば 杖 八十 の 罰 を 受け た 。 故
意 に 牛馬 を 殺せ ば 秋 一 百 で あつた。 奴婢 を 賞却 する に は 特に 管轄 郡司 の 許可 を 受け 徐 契 に 公ン
を 受け た の で ある が 、 牛馬 の 場合 に は 郡司 の 許可 を 受 くる こと を 要せ ず 私 券 を 作成 し 保證 を 立 g
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て ~ 資 買 すれ ば 足り た 。
にて 労役 に 服 せしめ 得 た が 、 他 の 者
國司 の 官 人 のみ は、 正丁 の 內 の 若干 を 事 力 と 稱 し て 無償
を 買い足す か 、 然ら ざれ ば 田地 を 他
は 自己 所有 の 家 人 奴婢牛馬 が 足らない とき に は 、 奴婢 牛馬
賃 と 言い 、 後 鼻 の もの を 祖
人 に 貸 へ て 小作 料 を 取得する 外 は ない。 小作 料 を 前 掃 する もの を
が 必要で あり 、 違反 する と 刑罰 を 受
と 言っ た が 、 貢租 を 行 ふ に は 必ず 官 司 の 許可 を 受 くる こと
行 へ ば 刑罰 を 科せ られ た 上 に 回 は 人 に
け た 、 而 も 宣祖 は 一 年 を 限っ て 許さ れ 、 それ を 超え て
ない の 制度 で あっ
戻し 小作 料 は 還 せしめ なかつ た 。 これ は 勿論 農民 に 口分田 を 失は しめ
ない ので 、 それ の 保有 權 は 永久 たり 得 な
た 。 口分田 は 死亡 後 之 を 政府 に 返還 し なけれ ば なら
得る か 否 か の 論 は 、 結局立場 の 相違
い 。 期限 附 で ある。 かくる 期限 附 の 支配 糖 も 所有 權 と 言ひ
無限 の 支配 襟 のみ が 所有 權 だ と 決め
に 關 する。 百 五 十 年 前 の フランス革命 以來 の 概念たる 絕對
で も 所有 檔 と 稱 へ 得る もの だ と 決
れば 、 それ は 所有 檔 で は ない 。 時間 的 內容 的 に 制限 附 の もの
以外 の 園地 ( 畠 ) 宅地 は 永久 無限 の 支配 が 許
めれば、 それ は 所有 檔 で あつた と 言 へる。 口分田
要件 で あつ
さ れ 、 従 つて 賞る こと も 評さ れ た の で ある が 、 國司 郡司 の 許可 を 受 くる こと が その
た。 家屋 のみ の 置賞 は 徐 によって 行 ひ 得 た 。
上 掲 の 土地以外 の 土地 に対して は 、 私 人 の 獨占 的 支配 を 許さ なかっ た 。 未墾 地 たると山川 数
澤 たると を 問 はず、 公私 共 に 共 利用 を 念 す べき もの と せら れ た 。 然し 開墾 を 希望する 者 が あれ
ば 之 を 許し た 。 令 制 で は 手織 を 經 て 空閑地 を 開墾 し た 者 に は 生涯 保有 を 許す のみ で あつ た が 、
然落 七 年 七月 十 七 日 に は 所謂 三 世 一身 の 法 を 定め 、 新 に 溝池 を 開鑿 し て 新田 を 作っ た 場合 に は
三 世 に 傳 へ しめ、 落溝 池 を 利用 し た 場合 に は 生涯 の 保有 を 許し た 。 二 十 年 を 經 て 天平 十 五 年 五
月 廿 七 日 に 至る と 、 墾田 永世私有 制 が 成立 し た 。 そして その 結果急激 に 墾田 の 數增 加 し たる の
みなら ず 、 開墾 に 名 を 籍り て 不 當 に 廣大 なる 地域 を 占携 する 者 多く 、 而 $ 律令 にて 賞 又は 通貴
と 稱 せら れ 、 後 に 王臣 家 と 稱 へら れ た 五 位 以上 の 官人 や 、 有力 なる 神 証 ・ 寺院 が その 大 部分 を
占め て 居つ た 。 斯く し て 庄園 の 生 、 ひいては それ を 温床 として 發生 し た 武士 による 武家政治
に 迄領展し 、 律令制 崩壊 の 蛹 を 成し た 。
土地 から 生産 せ られ た 稲束 、 Y 、 蹴 より 製し たる 布帛 、 養識 の 結果 たる 絹 、 絶 、 綿 等 は 上掲
る すいこ
以外 に 於ける 重要 なる 財貨 で あり 、 殊に 稲束 ・ 布帛 は 、 或は 出學( 消費 貸借 ) の 目的 物 と なり 、
或は 交腕 の 媒介 物 として 貨幣 作用 を 行っ た 。 金 鏝 ( 齋賀 ) は 、 和銅 四 年 頃 法令 を以て 警鐘 常に
位 を 授ける 方法により 普及 を 圖ら ね ば なら なかっ た 位 で 、 人 が 容易 に 有 慣物として 之 を 受取ら 8
なかっ た の で ある が 、 漸く 不安 朝 に 入っ て 普及 を 初め 、 太費 年間 より 百 年 を 経 た 延 暦 十 六 年 四 外
月 廿 四 日 に 至っ て 、 初めて 鍋 の 出舉 に し て の 利率 が 定め られ た 。 それ 迄 は 一般財物出舉 と
粟 出學 と に 關する利率のみ が 定まっ て 居っ た 。 前者 は 六 十 日 毎 に 八 分 之 一 、 四 百 八 十 日 を 過ぐ
る と も 一 倍 に 止まる 。 廻學 ( 利息 の 元本 組 入 ) は 許さない 。 後者 は 一 年 一 倍 と せら れ た が 、 公
出豪 たる 粟 出撃 の 執行 に 當り 之 と 利害衝突 を 來 す 理由 から か 、 早く も 私 稽出 學 そのもの が 天
平 九 年 九月 廿 二 日 の 詔 により 禁止 せ られ て しまっ た 。 の 出 の 利率 は 初め 一 年 半 倍 永久 牛倍
の 制 で あつ た が 、 武家 時代 の 初頭建久 二 年 三月 廿 八 日 の 宣旨 で 一 年 牛倍 永久 一 倍 の 制 と なる 。
私 出塁 の 方法によって 貸付 を 受ける 者 は 貧窮者 で あっ た 。 今日 の 企業資金貸借 の 如き もの は
存在 し なかつ た 。 即ち 生 產的 貸借 productive loan で なく 消費 的 貸借 consungtive loan で
あつた 。 早く 言 へ ば 暮し 込み を 填補 する 念 の もの で あつ た 。 そこで 貸倒れ の 危険 は 極めて 大き
い 。 從 って 利率 も 高かっ た の で ある が 、 貸主 と する と 法 は 共 上 に 特定 擔保 を 提供 せしめ て 貸 倒
れ を 防止 せんと 圖 っ た 。 物 を 提供 さ せ た 場合 之 を 質 と 稱 し 、 人 を 提供 し た 場合 保 人 と 言っ た 。
若し 財物出學 の 借受 人 が 四 百 八 十 日 を 更に 六 十 日 過ぎ て も 支乃 は なけれ ば 、 官司 に 届出 て その
質 を 所有 者 立 會 の 上 で 質却 し 、 代償 を以て 解 済 に 充て 、 幾 餘 が あれ ば 返還 し た 。 愛 却質であ
り 、 流質 で は なかつ た 。 若し 質 が 無い か 又は それ を
覚 つて も 債務 が 残っ た 場合 に は 、 借受 人 の
他 の 財産 を 自力 を以て 差押え 自己 の 所有 と する こと が 出來 た
。 財産 が 皆無 なら ば 債務 者 を 労役
せしめる 。 労役 する 債務 者 の 居る 間 は 保人 は 代っ て 支掃 は ない でも
よい 。 流刑 に處 せら れ た と
き 亦 同じ。 借受 人 が 死亡 する か 逃亡 し て 歸る 見込 の 無い
場合 に 、 初めて 保 人 が 代っ て 責任 を 負
ふ 。 然し これ で は 貸主 として は 甚だ 不滿足 な ので 、
奈良 朝 の 頃 より 既に 償人 なる もの が 現 は
れ 、 期日 に 辨済 し ない 時 に は 直ちに 責任 を 負っ て いる
が 、 これ は 令制 の もの で は ない。
一體、 令 制 に 於 て は 、 借財 その他 の 債務( 消極財産 ) は
相 蔵せ られない もの と せら れ て い た 。
相 減さ れる の は 積極財産 丈 け で ある。 從 って 應分 に 當 つて は 借財 分 差 の 問題 は 伴 はず、
處理 は
解る 簡單 で あつた 。 債務 の 相 概 性 が ない ので 、 債 橋 者 の 方 で は それ の 對策 として 保 人 を 設け 、
而 も 保 人 が 二 人 以上 ある 場合 に 一 人 死亡 すれ ば 、 他 の 者 が 全部 の 額 につき 債務 を 辦濟 せ ね ば な
らぬ こと に なる 。 なほ 債務 者 の 妻子 を し て 死生 同心 と 掲げ て 名 を 署 せしめ て やる 賞 例 が 多い
が 、 これ は 恐らく 債務 の 相殺 と 同一 の 效果 を 狙っ た もの
で あら う 。
債務不履行 に 基く 損害 賠償 を 請求 する こと は 認め られ
て ゐ なかつ た 。 債務不履行 は 當然 豫見
せらる べきこと で あり、 それ は 高率 なる 利息 中 に 自己
保険料 として 織込み 済み の もの と せられお
之 に 對 し て は 前述 の 如き 制限 を 加 へ 8
て 居つ た から で ある。 斯く て 利率 は 必然 的 に 高く なる が 、
は 支那 法 所 謂
更に 執れ の 出撃 たる を 問 はず 元本 と 同額 以上 の 利息 を 取る こと を 禁止 し た 。 これ
室町 幕府 中期 に 至っ て 崩れ
一 本 一利 の 制度 で あり 、 武家 時代 に 入っ て も 此制 度 は 保存 せ られ 、
貸借 ( 負債 ) は
る が 、 思想 として は 明治維新 後 も 、 否 今日 と 雖 も 残っ て いる。 利息 勝 ならざる

出鼻 と 全く 趣 が 異る 。 そこで 若し それ を 遅延 し て 辨済 し なけれ ば 、 管杖 の 刑罰 によって 制裁
之 を 無利息 の 貸付 と の み 解 せ ず 、 年貢 租税 の 滞納 、 身掛 代金 の 未 卵 等 の
られ た 。 法曹至要 抄 は
場合 を も 合 む もの と し て いる 。
特に 他人 に 不法 行 を 行っ て 損害 を 生ぜ しめ た 時 も 、 減少 し たる 賞 損 ( 積極 的 損害 ) を 賠償
すれ ば 足り 、 得 べ かり し 利益 ( 消極 的 損害) に 及ぶ こと なく 、 又 諸外國 古代 の 法制 に 見る 如く
を 命ぜらる 」 といふこと なかっ た 。 即ち 糞
實損 に 拘 はる こと なく 法定 額 の 賠償 ( 定額賠償 )
が 命ぜらる 外 に
損 賠償 制 で あっ た 。 財産 に 對 し て 侵害 が 加 へ られ た 場合 に は かーる 實損賠償
吸收 關係 で なく 併存 關係 と なっ て お
多く は 刑罰 を も 科せ られ て みる 。 即ち 刑罰 と 損害 賠償 と は
又は 賠償 のみ が 命ぜ られる 。
る 。 生命 身 體 に 對 する 加害 が あれ ば 、 單 に 刑罰のみ科せ られる か
従って こ ト で は 刑罰 と 損害 賠償 と は 吸收 關係 に ある と 言るべき で ある 。 個々 の 點 について は 拙
稿 「 我國 中 世 の 損害 賠償 制度」 ( 早 稲 田 法學第二十 巻 ) 參照 。
一 五 律令 の 刑法
罪 を 犯せ ば 原則 として 處罰 せら れ た 。 罪 の 種類 は 非常 に 多く なり 、 殊に 國家 の 統治 體制 が 復
雑 と なっ た 爲 め 、 國家統治 權 を 害する 行爲 が 多 數 、 罪 として 認め られるやう に なっ た 。 例へば
謀反 と 稱 する 天堂 を 害し 又は 害 せんと する こと 、 山陵宮闘 を 毀つ こと ( 大逆 ) 、 大社 を 毀つ こと
( 毀大 社 ) 、 謀叛 と 稱 する 叛亂 罪 の 如き め の 、 國司 等 の 恐 的 動員 ( 擅興) 、 詔勅 の 停 藩 を 拒むこと
( 對掉 詔 使 ) 、 裁判 を 行 ふ 者 其他 監臨 の 官 が 収賄 し て 法 を 枉げ 又は 柱げさること ( 任 法 ・ 不妊
法 ) 、 同上 の 者 が 感情その他 の 理由 で 故意 に 法 を 枉げ 罰 を 無くし 又は 重く する こと ( 故 出 人 罪
故 入 人 罪 ) 、 過失 で さうすること ( 失 出人 罪 ・ 失 入 人 罪 ) 、 及び 私 第 愛 即 ら 今日 の 貨幣 偽造 等 は
その 主 なる もの で ある 。
人 の 生命 を 奪 ひ 又は 身體 に 傷害 金 加 へる 行為 は 重く 處罰 せら れ た の で ある が 、 その 犯行 の 方
法 や 身分 によって 可 なり 處罰 の 程度 が 異つた。 殊に 人 は 虐殺 ・ 謀殺 ・ 故殺 ・ 毒殺 ・ 呪詛 殺 ・
闘殺 ・ 戯殺 に 分た れ 、 大 部分 死刑 で あつた 。 闘殺 は 特に 童 く 扱はれ た 。 傷害 に 就 て も その 部

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位 程度に 從ひ甚だ 異る 處罰 を 受け た 。 監禁 の 罪 、 良 人 ・ 賤民 を 略取 略嵐和誘する 罪 、 卑幼 親族
L
を 賞る 罪 、 強姦 ・ 和姦 の 罪 等 、 自由 に 關する 諸 の 罪 が 置か れ 、 而 も 無 夫 間 の 和姦 に 至る 迄 8
せら れ た 。 これ は 戶主 權 の 侵害 あり と 考へ たる が で ある 。 前代 と 異り不自然 なる 性行 念 處罰
の 規定 は 無い。
財産 を 犯す 罪 の 大宗 は 強盗 ・ 霧 盜 で あり 、 通常 職 物 の 多寡 によって 處罰 に 軽量 が あつ た 。 然
し 犯禁 の 物 と 稱 せられる 通常 人 の 所有 す べから ざる 物 を 侵し たる 場合 に 於 て は かーる 區別 が 無
い。 犯 禁 の 物故 に 賄賂 (枉法 ・ 不 忙法) 等 の 所謂 彼此 倶罪 の 城 は 凡て 漫官 せら れ て しまう が 、
強 盗賊 に 盗賊は 一旦 官 に 取上げ て 之 を もと の 所有 者 に 返還 し て やる。 その 上 に 盗品 と 同額
の もの を 盗犯 者 から 徴収 し て 與 へる。 之 を 倍城 と 稱 し 、 それに 對 し 本 來 の 物 を 正殿 と 称する。
然し若し盗ま れ た 人 が 盗犯 者 で あっ た 時 に は 、 その 者 は 最初 の 盗犯 者 から の 職 を 取得するこ
と は 出來 ない 。 それ は 没 官 せられる。 盗犯 者 が 未だ 財物 を 得 なかっ た 場合 でも 處罰 は 免れ な か
つた 。 恐喝 取財 ・ 詐欺 取財 ・ 貿易 官 物 は 綺盗 に 準ぜ られ 、 寄託 せ られ たる 財物 を 横領 せる とき
に B に 準じ た 。 樹木 稼橋 を 毀棄 し 官 私 の 器物 を 毀棄せる とき も 亦 同じ 。 放火 の 罪 は 大體強盗
と 處罰 を 同 くし、 博戲 に 於 て 賭 物 の 額 が 多い とき に は 、 各自 の 賭 物 の 額 を 基準として 綺 益 に 準
し て 處斷せら れ た 。
上 の 如き 罪 を 犯し た 者 に対して は 法定 の 刑 を 科し た 。 今日 の 刑法 の やう に 長期 と 短期 と の
定 が ない ので 、 或罪 あり と 決定 せ れ れる ば 自動的 に 刑 が 定まる の で あっ た 。 從 って 法定 刑 は 當
然 に 宣告 刑 と なっ た 。 た ド 法律 に 定め た 理由 が ある とき に は 減刑 せ られ 又は 免 刑せ られる こと
が あっ た 。 例へば 、 官 人 として 高き地位 を 有する 者 、 湿 に その 近親者 たる とき 、 犯罪 を 自首 し

たる とき 等 で ある 。 前者 は 議 ・ 講 ・ 減 ・ 雌 なる 官 人 の 特癌 の 一 で ある 。 一般人 に対する 利詞 は
管 ・ 杖 ・ 徒 ・ 流 ・ 死 の 五 種 で あり 、 管 は 十 より 五十 迄杖は 六 十 より 百 迄 各々十づ ( 五 等 に 分 た
れ 、 徒刑 は 一 年 より 三 年 迄 牛 年 づ ~ 五 等 に 分た れ 、 流刑 は 近流中流 還流 の 三 等 に 、 死 は 綾 斬 の
二 等 に 分た れ た 。 計 二 十 等 。 不具 刑 は 無い。 答 ・ 杖 は を 打撃する の で あり、 徒刑 は 盤枷 を 着
男 は 力仕事殊に 土木 工事 等 に 、 女 は 希
け 又は それ に 鉄 を 加 へ て 労役 に 服せ しめる の で あり 、

刑 と似 た
即ち 米搗き 及び 裁縫 等 に 從事 せしめ られ た 。 流刑 は 遠隔 の 地 に 移住 せしめ て 一 年間
もの と せ
る 労役 に 服 せしめ 、 それ が 終る と 共 地 の 戸籍に 編入 する。 たっ て 必ず 妻妾 を 伴 ふ べき
られ た 。 流人 に は 労役 中 食料 が 官給 せ られ た が 、 徒刑 者 は 食料 を 自 舞 す べき もの と せら れ た 。
流刑 の 一 變形 たる 加 役 流 は 前述 一 年間 の 労役 が 三 年 に 延長 せ られ たる もの に 外 泳 ら ない 。
州 と 稱 する 。 官 人間 ち
特別 な 身分 を 有する 者 に対して は 一般人 と 異 ろ 刑 制 を 科し た 。 むを閏

3

有 位 者 に 對 し て は 免所 居 官 ・ 官當 ・ 免官 ・ 除名 といふ不利益 を 科し て 一般 の 刑罰 に 代ら しめ、
若し 折算 の 結果 なほ 科 す べき 刑 が 測れ ば それ を 一定 の 比率 で 理 罪 せしめ た 。 部 っ 環 銅 ( 後 に は
いたい

駅 費 ) を 官 に 出させる の で ある 。 僧尼 が 管杖 の 罪 を 犯せ ば 官 籍 に ある 一 枚 を 一 日 に 折算 し
て 苦 便 を 科し 、 寺 の 三綱 に 託し て 執行せしめる 。 徒 以上 の 罪 を 犯せ ば 還俗 せしめ て 遺骨 の 處罰
を 行 ふ が 、 還俗 は 不利 証 として 徒 一 年 に 折 算せ られ た 。 兼六 慶 の 如き共に居住 する こと が
要求 せ られ て 居る 者 が 、 若し 流刑 に 該る 罪 を 犯す と 、 百 万 百 六 十 の 杖 を 加 へ て 三 年間 苦役 せ
しむる 方法 を 探っ た 。 留佳 と 稱 せら れる もの 即ち 之 で ある 。 如何なる 身分 の 者 なり と も 、 婦人
に は 流刑 を 科せ ず 留任 を以て 之 に 代へた。 なほ僧尼 が 僧尼 特有 の 所謂內法 の 罪 を 犯し た とき に
は 三綱 が 裁判 も 執行 も 写る の で あり 、 俗人たる 官 人 の 關係 する 所 で は なかつ た 。
一般 の 犯罪 と 今日 から 見 て 官吏 服務 規律 違反 と いうべきもの と は 全然 區別 さ れ て 居ら ず 、
凡て一般 の 例 に よつ て た 。 然し公事 に 綴っ て 罪 を 犯し 私 曲なるの は 公 罪 と 呼ば れ 、 又公
と 稱 し 、 公 坐 流 以下 の 所 犯 は 犯人 が 官 を 去れ ば 處罰 を 免れ 、 官 を 去らない 場合でも 官 當 に 際
し 一 年 餘分 に 差引か れる 特典 が あつ た 。 割れ が 公 罪 なり や に 就 て は 一般 的 なる 規定 は 無い 。 各
場合 につき 定むる の 外 は ない 。 又 、 違令 の 罪 違式 の 罪 といふ もの を 律令 は 定め て ある が 、 前者
は 令 に す べし 念 す べから ず と 定め て あるのみ で 、 處罰 規定 の 無い 場合 で あり 、 管 五 十 の 刑、
後者 は 式 に 關 する もの で 答 四 十 の 刑 で あっ た 。 反 之、 不 應念 の 罪 という の は 、 特に 爲 す べから
手 と の 定 が 置か れ て 居 ない が 、 條理上 篇 す べからざる 行念 を 念 し た 時 に 成立 する の で あり、 或
は 告杖 を以て 或は 贖 を以て 制裁 せ られ た 。
律令 も 今日 の 刑罰 法 と 同様 に 、 罪 を 犯し た 本人 のみ が 處罰 を 受ける こと を 原則 と し て いる 。
然し 重大 なる 犯罪 の 場合 に は 血縁 ある 近親 者 に も 處罰 が 加 へ られ た 。 これ を 縁 と 稱 する 。 又
犯人 と 同 司 に 勤務 し て み た こと 又は 同 地域 に 居住 し て ゐ た こと を 理由 として 犯人 以外 の 者 に 處
剖 が 加 へ られる こと が ある 。 之 を 連坐 稱 する。 連坐 は 成義 に 於 て は 縁坐 を も 含む。 縁坐 に は
けん
通常 の 刑罰 と 沒官 と が ある 。 沒官 に は 斯く の 如き 親族 の 没 官 の 外 に 、 犯人 所有 の 家 人 ・ 奴婢
田宅 資財 等 の 没 官 も あり 、 附加 刑 の 如く 行 はる 場合 と 獨立 に 行 はる 場合 と が ある 。 罪 を 犯
し た 本人 が 九 十 歳 以上 又は 七 歲以 下 といふ 樣 な 者 で あり 、 その 背後 に 之 を 教 令 ( 教唆 ) し た 者
が 居っ た 時 に は 、 本人 は 處罰 せ られ ず に 教 令 者 のみ が 罰せられる 。 然し 通常 の 場合 に は 宣行
着席從者 は 令 者 と共に 處罰 せら れ た 。 勿論 已 が 知れる 所 を以て 標準 と する 。
1
罪 を 犯し て も 罰 を 免れる こと が あっ た 。 恩 降 と 稱 し て 個別 的 に 恩赦 せらる 場合 、 に常石

2

赦 ・ 大赦 ・ 非常 赦等 の 概括 的 なる 恩赦によって 免 刑せ られる 場合 と が 之 で ある。 恩赦は 全國的
なる こと を 原則 と する が 、 一 地方 に 限ら れる こと が ある 。 かーる 場合 に は 之 を 曲赦 といふ 。 恩
赦 は 詔書にょ って 行 は れ 、 多く は 發布 の 日 の 珠喚 ( 未明) を以て 境 と し 「 已發 覺 、 未 發覺 、 已
結正 、 未結正 、 繋囚見徒 、 罪 無 軽重 、 皆 赦之」 という 形式 を 採り 、 その後 へ 例外 として 恩赦 に
浴 し 得 ざる もの を 列記 し た 。 そして 八虐 の 罪 と 稱 せられる 種類 の もの は 殆 ん ど 常に 此除 外 例 の
內 へ 入っ て み た 。 八虐 の 罪 と は 謀反 、 謀 大逆 、 謀叛、 不 道、 大 不敬、 不孝 、 不義 を 指し 、 罰 は
必ずしも 重く は ない が 、 要するに 人 の 倫 常 を 素る もの で あつ た 。 此處 に 儒家 と 法家 と の 安協 點
を 我々 は 見る の で ある。 佛 教 思想 の 論 漫 の 爲 恩赦 は 頻々 として 行 は れ 、 それ が 爲 に 犯人 を 増長
せしめ て 益々 犯罪 は 増加 する 傾向 を 辿り 、 殊に 弘仁 九 年 及同 十 三 年 に 、 盗犯 者 に は 、 たとへ如
何 程 多額 の 物 を 犯す とも、 又 殺人 傷害 を 犯す と も 徒 十 五 年 以上 の 刑罰 を 科せ ず と 定め て 以來 、
その 傾向 は 助長 せ られ た 。 それ が 爲各 地 に 群 益 が 生じ 、 帝都 亦 脅かさ れ た 。 そして 檢 非違 使
廳 及び 國郡 検非違使 の 設置 を 促し、 武力 者 の 發生 を 來 し 、 武力 者 は 各地 に 於 て 騒擾 を 醸し 、 追
捕使 ・ 押領 使 の 派遣 を 見る に 至る 。 これ 等 の 變遷 が 恩赦 令 の 頻發 に 職由 し た と 見る こと は 、 決
し て 過 當 な 觀察 で は ない。
一 六 律令 の 半 法
律令制 の 下 に 於 て は 、 民 の 訴 に 對 する 處置 、 犯罪 者 に 對 する 處置 は 、 積極 的 建設 的 行政 に 對
する 一聯 の 消極 的匡 救的 行政 の 一部 を 形 造っ て 居っ た 。 民 の 訴 を 訴訟 と 言ひ 犯罪 の 處置 を 斷 」
と 言 ふ こと が 多 かつ た が 、 なほ 之 に 類する もの に 官 人 の 冤症 に 對 する 申 訴 が あり 、 勘 解 由 使 の
勘 判 が あり 、 後 に は 記 錄庄 園 券 契 所 の 審査 が ある。 今日 の 言葉 で いる 司法にゃー 近い 作用 であ
る が 、 然し それ 等 は 刑部 省 を 除け ば 、 凡て 一般行政 官 司 に 於 て 行 は れる 事柄 で あり 、 特に 裁判
所 が 置か れ て い た わけ で は ない。 即ち これ 等 の 事柄 は 、 自己 の 德 の 至らざる が 含起 り たる不祥
事 なる が 故に 、 自ら 之 を 国救 し て 本然 の 姿 に 戻す といふ 行 念 で あり 、 換言すれ ば 秩序回復 の 爲
の 行為 で あつた。 從 って 積極 行政 と 異り、 誤 な からしめん が 爲 に 慎重なる 手續を 必要 と し 、 犯
罪 あり として 告 言 する 者 が あつ て も 直ちに 被疑 者 を 拘禁する やう な こと を せ ず 、 日 を 異に し て
三 度 之 を 確かめ ( 三智 の 制 ) 、 然る後 に 告言者 ( 5 人 ) と 被疑 者 ( 前 人 ) と の 双方 を 拘禁する。
若し 睡告 で あっ た 時 に は 、 告 言 者 に 自分 が 告げ た 罪 に 對 する 刑罰 を 反 擊的 に 科する で あつ た
( 反 坐 ) 。 然し 譜第、 良賤、 財物、 継嗣、 婚姻 等 を 争 ふ 訴訟 に 於 て は 、 訴 あら ば 直ちに 三 日 の 日
限 を 定め て 前 人 を 召喚 し た 。 訟告 反 坐 なき で ある 。 召喚し て も 出頭 し なけれ ば 、 更に 日のみ
ことわり ゆし ことわりまち
日限 を 定め て 召喚する。 此兩 限 即ち 判 召 、 判 待 を 過ぎ て も 出頭 し ない とき に は 前 人 朗 席 の_4
ま ▲ 判決 を 行 ふ 。 逮捕する やう な こと は し ない。 然し 前 人 は その 判決 に 對 し 之 を 不 當 として 申
訴 する ( 故障 の 申立) を する こと が 出来 た し 、 又 訴人 は 若し官司 が 不 當 に 明席判決 を 行 は ない
ときには 、 その 官司 の 監督 官 司 へ 越訴 する こと が 出來 た 。
律令 で は 上訴 は 許す が 、 訴 は 凡て 下 より 初める こと が 命ぜ られ て 居り 、 若し 最初 の 判決 に 服
し 得 ない とき に 初めて 、 判決 官 司 に その 旨 を 告げ て 不 理 狀 の 酸 給 を 乞い、 それ によって 順次 上
訴 する。 越訴 は 原則 として 許さ ない。 そして 結局 将断 を 乞 ふ こと も 出來 た 。 上訴 は 、 訴訟 に 於
て は 三 日 以內 と なっ て いる が 、 断獄 に 關 し て は 期限 の 定 は ない。 原官司 に 訴 へる の は 、 反省 し
て 判決 の 訂正 を 自ら 行 ふ 機 會 を 與 へる 賞 で ある 。 尤も 後日 に 至っ て 自己 の 誤謬 を 發見 し た とき
でも、 之 を 直ちに 覚學 ( 自首 の 一種) すれ ば 、 判決 が 未だ 執行 せ られない 內 に 限り 、 失 出入 人
罪 の 處罰 を 裁判官 は 免れる こと が 出來 た 。
裁判 は 五 聽即 ち 辭聽 ・ 色聽 ・ 氣聴 ・ 耳聽・ 目 聽 によって 行 はれる 。 要するに 動作 態度 で ある 。
加 へ て その他 の 證操 を 調べ 明瞭 と なれ ば 判決 を 行 ふ 。 明瞭 で ない 場合 に は 拷問 を 用 ひ て 自白 を
強 ひた。 但し告訴 族 に 記載 さ れ て ゐる 事項 に 限る。 それ 以外 に 巨 れ ば 故 入 人 罪 と なる。 拷訳 は
背 と 臀 と に 交互 に 杖 を 加 へ て 行 はれる。 二 十 日 の 間 を 置い て 三 回 文け行る こと が 許される。 即
ち 拷問 の 方法 は 後世 並 に 諸外國 に 於 て 見 られる やう な 残酷 な もの で は なかっ た 。 身分 年齢
故に 拷訊 す べから ざる 場合 も あり 、 その とき に は 衆證 によって 判断 する こと が 許さ れ た。 即ち
三 人 以上 の 言 が 合致すれ ば それ を 真誉 なり と する 方法 で ある。 審理 が 終れ ば 口供 は 本人 に 試み
聞か せ られ 、 判決 が 行 は れる こと に なる 。 要するに 心 を 得る こと が 主眼 で あり 、 證據 間 に 法
定 の 優劣 は なく 、 法定 證據 主義 は 採用 さ れ て おなか つ た の で ある。
判決 は 律令 の 正文 を 引用 し て 行 はれ ね ば なら なかっ た 。 犯行 當時 の 正文 で あり 、 法律 の 改正
あつ て 新法 き 時 に 限り 判決 當時 の もの が 標準 と せら れ た 。 然し 訴訟 に し て は 正文 なく とも
判断 を 加 へ ぬ わけ に は ゆか ない ので、 その 際 に は 法意 ( 條理 ) を 付度 し 又 行事 ( 慣習 法 ) に よ
って 決し た 。 裁判官 司 が 自分 で 意 信 を 得 ず 判決 し 得 ない 場合 に は 、 事件 を 上級 官 司 に 移送 する
こと は 何 等妨 ない 。 國司 なら ば 刑部 省 に 、 刑部 省 なら ば 太政官 で ある 。 又覆 囚使 が 巡回 し て 來
る の を 待つ て その 判断 を 乞う こと も 出來 た 。 覆 囚 使 は 必要 に 懸 じ 太政官 より 發遣 せら れる 法律
通院 者 で ある 。 否 、 費囚 使 は 獄囚 巡檢 に際し 疑 を 感 すれ ば 、 國司 の 念 し た 裁判 を 積極 的 に 調査
し て その 當否 を 調べ、 原 判決 を 覆し て 新 に 判決 を 與 へる こと も 出來 た 。 國司 が 判決 を 不 當 に 遅方
延し たる とき 亦 同じ。 國司 が 之 に 對 し て 承服 し 難い と 考へ た場合 に は 、 双方 の 意見 を 記し て 太 g
政官 に 上申 し 裁断 を 受け た。
判決 の 內容 が 徒 以上 の 刑 を 加 へる もの なる とき は 服辦 を 取る 。 そして 執行 に 移る 。 答杖死 の
執行 は行決 と 稱 し 、 徒 流 の 執行 は行配 と 稱 し 、 合せ て 決配 と いふ。 郡司 は 答刑 のみ 自ら 執行 し 、
杖 以上 は 判決 と 身柄 と を 國司 に 溶致 し 、 調査 の 上 執行せしめる。 國司 は 杖徒泣 に 贖 す べき もの
のみ自ら 決 配し 得 て 、 流 以上 は 太政官 の 指 圖 に 從っ て 行 ふ 。 死刑 の 執行 は 一々 上奏 し て 御 裁可
を 仰ぐ。 通常 三 回 覆奏 す べき もの と せられる。 恩赦 の 發動 を 促す 禽 で あつた。 執行 の 勅許 ある
馳 ㌧ し て 下向 す べから ず と せら れ 、 勅許 後 な は 冤杜 を 訴 へ 疑 ふ べき 廉 が あれ ば 調査 の 上奏問 、
すべく 、 かる 場合 に は 恥曝し て 使者 を 差遣 す べし と せら れ て おる こと は 、 對照 し て 甚だ 興味
ある こと で ある 。 今日 の 死刑 執行 は 司法 大臣 の 決裁を以て 足り 、 勅許 を 必要 と 世 さること 人 の
知る が 如く で ある 。
判決 の 內容 が 譜第 ・ 良賤 ・ 継嗣 ・ 婚姻 に 關す るる の なる とき は 、 凡て 戶籍 の 籍帳 の 除 附 に よ
って 執行 せ られる 。 競田 「 ち田 の 支配 に 關 する なる とき は 、 勝訴 者 は 労賃 を 賠償 し て 田 の
引渡 を 受ける 。 播種 後 なら ば 敗訴 し て 収穫 の 權 は 共 者 に 在り 、 唯 その 際 借地 料 を 勝訴 者 に 支
ふ 必要 が ある。 奴婢 ・ 馬牛 その他 の 財物 の 場合 に は 、 任意 の 引渡辨濟 を 待ち、 辨消 し なけれ
附 で 任意
ば 官 司 の 監督 の 下 に 自力 執行 を 為し 得 た 。 その 實力 なき 者 は 官司 に 訴 へ 、 官司 は 罰則
履行 を 迫っ た 。 價額 一端 以上 牙 日 を 遅延 すれ ば 、 答廿 、 更に 廿 日 遅延 すれ ば 三 十 。 そして 校 六
十 に 至る。 償額 三 十 端 以上 なら ば 二 等 を 加 へ 、 百 端 以上 なら ば 三 等 を 加 へた。
贖銅 又は 噴錢は 、 それ が 官 に 入る と 私 に 入る と を 問 はず 凡て 法定 の 日 數內 に 納付 せらるべ
く 、 受領 官 司 は 京 なら ば 刑部 省 の 職 贖司 、 諸國 は 國司 で あり 、 若し 故 なく 之 を 忘れ ば 一 日 答
十、 五 日 一 等 を 加 へ 杖 一 百 に 及ぶ 罰 を 加 へた。 法定 の日數は 答 三 十 日 、 杖 四 十 日 、 徒 五 十 日 、
流 六 十 日 、 死 八 十 日 で あつた。 國司 は 受領 し た 順銅 を 藏 順 司 に 送致する。 職 贖司 で は それ 等 を
各 官 司 に 配分 し た 。 なほ職暉司 で は 沒官 の 物 及び 人 を も 收納 し 分配 し た 。
一 七 庄園 制
庄園 ( 莊園 と を 書く 、 全く 同一 ) 制度 が 何 時 頃 如何 に し て 發生 し た か といふ 問題 に 就 て は 、
諸説 が 粉々 と し て いる 。 さういふ 様 に 諸説 が 破れる の は 、 庄園 という もの は 法律 に よ つて 出來
た もの で なく自然 發生 的 なる の で ある から 、 漸次 成長 し て 來 た ので 、 何 天皇 の 何 年 とること

77
が 頗る困難 で ある 故 で ある。 それのみ で なく 、 如何なる 要件 を 具 へ た もの を 庄園 と 稱する か
が、 人 によって 異 つて ゐる。 年貢 米 徴収 の 鳶 の 生家 が あり 、 それ を 中心 と し た 一函 の 旧 地 があ
に や後 に
れば 、 それ が 庄園 で ある と する 人も ある 。 さういふ 賞質を 具 へ た もの は 大化 改新 の 前
も あり、 多く田莊 と 呼ば れ て い た 。 天平 年間 に なる と 庄 と も 呼ば れ て おる。 然し 我々 の 見る 所
作用 を
を以て すれ ば、 庄園 と は 土地 公有 ・ 口分田 制 の 存在 を 前提 として 、 それに 對 する 破壊 的

營 む もの として の 墨田 私有 制 を 基盤 と し 、 且つ 國司 郡司 による 郡縣 主義 的 政治 機構に対する

外 の 特權 を 有する もの で ある から、 さういふ古い 時代 の もの は 問題 と なら ず 、 大化 改新より
二 百 年 を 過ぎ た 承和 十 二 年 頃 に 、 漸く それ は 生れ て 來 た もの と 考へる。

承和 十 二 年 より 百 年 前 の 、 天平 十 五 年 五月 廿 七 日 の 墾田 永世 私有 を 認 むる 器 と 同時に 獲 布
られ た 、 有 位 者 虹 に 庶民 の 私有 墾田 の 限度 設定 ( 賞 は 五 百 町 乃至 十 町 といふ 廣大 なる 土地 の 公
然 たる 占領 の 許容 ) それ より 敗 年 後 の 天平 勝賀 元年 七 月 十 三日 の 、 國分 寺 以下 の 諸 寺 の 私有 /

田 の 限度 設定 ( 賞 は 四 千 町 乃至 一 百 町 といふ廣大 なる 土地 の 公然 たる 占領 の 許容 ) が 、 庄園
生 について 重大 なる 契機 を 成し て ある こと は 言 ふ 迄 ない が 、 庄田 は 必ずしも未然占田 を 開墾
し た もの で は なく 、 寄進 ・ 買得による もの 。 非常 に 多い 。 それ 等 の 田地 は 決して 本 來 免租 の 特
權 を 有し た わけ で は ない。 寺田 ・ 神田 として 政府より 寺社 に 特に へら れ て み た もの 文 けが 免
種 の 特稿 を 有し て い た 。 否 、 國分 寺 の 寺田 の 如き は 國司 が 收入 し たる もの を 寺 に 交付 す べき も
の で あり 、 国 。 大神宮 の 神田 の 如き は 國司 が 投入 し て 神宮 に 交付 すべ も のとなつ て た。
漸く 天平 神護 二 年 八月 十 八 日 に 寺田 が 寺 の 三綱 に 直接經營 せしめらる 」 こと に なり 、 それ より
五 十 數年 後 の 弘仁 十 二 年 八月 廿 二 日 脚田 が 宮司 の 直接經營 に 移っ た の で あっ た 。 と 白 角 寺田 神
田 は 凡て 不 祖田 で は あつ た が 、 寺 有田 ・ 神 有田 が 決して 余部 寺田 ・ 神田 で あつ た わけ で は 次
い 。 その 內 の 極く 一部 が 寺田 ・ 田 で あっ た に 過ぎない。 従って 寺 有田 神 有田 の 凡て に 不 鍮租
の 特橋 を 得る 爲 に は 、 特に 申請し て 奉勅 の 太政官 益 に 民 部 省 の 符 ( 命令 書 ) を 得 なけれ ば なら
なかつた 。 即ち 庄園 は 官省符庄 と なら なけれ ば なら なかっ た。 官省符 は 國司 に 對 する 、 庄田 庄
民 より 租税 を 徴収 す べから ず 且つ 庄田 を 耕作 する 寄人 に 雑役 を 課す べから ず
と する 命令 書 であ
つた。 從 って それ の 反射 的 效果 として 領主 益 に 庄民 は 特欄 を 得 た こと 」 なる 。
そして それ は 庄
園 自 體 に 附着 し た 性質 として、 領主 の 變更 ある も 變る 所 なく 享有 せ られ た 。 斯く て 我國 の 符 は
英國 中世 の king より 地方官 たる sheriff に 對 し て 發 せら れ た writ に 徴 し て ゐる。 後 に 至
る と 、 符 の 下 付 のみなら ず 官 使 又は 國使、 或は 双方 が 現地 に 出張し て 、 領主 又は その 代理人 と

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立會 の 上 、 境界 線 上 に 榜示 を 打つ こと が 行 はれ た 。 そして 庄號 の 命名 が 多く 行 はれ た ので 、 こ
れ の 出 來事 を 總括 し て 立券庄號 ( 稱號 ) と 稱 する。 恐らく 長久 元年 六 月 八 日 の 庄園 停 厳令 の
8
頃 、 承和 十 二 年 を 降る こと 約 二 百 年 、 鎌倉 開府 前 約 百 五 十 年 の 頃 に 始まっ た もの と 推定 せ られ
る 。
不 喩 の 特權 は 必然 的 に 收 税吏 梅田 使 等 の 國 衙使不入 の 特權 を 發生 せしめる 。 進ん で は 犯人 追
捕 の 爲 の 國 衙使不入 迄 包含する に 至る。 不 喩不 入 の 特權 の 獲得 虹 に その 維持 に 就 て は 國荷卸
ち國司 の 臨 の 干與 する 所 が 多い 。 そこで か いる 正式 の 立 奈庄 號 の 手織 を 經 ず に 、 國司 と 結託 し
国司 限り の 免除 處分 を 受け て み た 庄園 も あっ た 。 勿論 國司 の 役人 が 更迭 すれ ば 特權 は 消失 する
わけ で ある が 、 次 の 役人 に も 同様 に 懇請 し て 免除 を 受ける こと が 多 かつた 。 かくる 國砲 の 庄園
決して 少 數 で は ない 。 逆 に 國司 の 役人 に 反感 を 持た れる と 、 正式 に 得 た 特權 を 無觀 し て 桜田
使 を 入部 せしめ て 檢注 を 行ひ、 收秘 吏 を 入部 せしめ て 租税 の 取立 を 行っ た 。 この 國司 の 攻勢 に
對 し て 庄園 の 領主 が 充分 に 對抗 し 得る 賞 力 を 具 へ て ゐ た 場合 は 格別 と し 、 然 らざる 場合 に は 國
司 の 濫妨 を 止め ん こと を 朝廷 に 懇願 し なけれ ば ならない。 その 內容 が 首肯 し 得る
もの で あれ ば
無論 直ちに 濫妨 停止 の 命令 を 發 し て 貰 へ た わけ で ある が 、 手續 に は 可 なり 暇 が 掛っ た 。 又、 庄
園 領主 の 主張 に も 首肯 し 得る 點 が あり 、 國司 側 の 主張 に 正 當性 が ある 場合 に は 、 決定 が 一層
手間どる 。 否 、 庄園 領主 の 主張 に は 無理 の 場合 が 多かっ た。 蓋し 、 庄園 は その 援張 の 方法 と し
て 、 庄民 を し て 公田 へ 出 作 せしめ、 そして 本 來國 荷 に 納付すべ かり し 租穀 を 、 庄園 領主 は 年貢
として 徴収 する 手段 に 出 で 、 何時の間にか 公田 を 庄田 に 編入 する 遣り 方 を 探っ た 。 かういふ 場
合 に は 檢注 を 阻み 方 検吏 を 入部 さ せ まいする 方 が 無理 で あつ た から で ある 。
無理 を 押し て 「 國 衙使 の 入部 を 止め させ や う と する 爲 に 、 庄園 の 領主 は 都 に 在る 權門勢 家、
即ち 政府 に 於 て 強力 なる 發言 槍 を 有する 者 に 一旦 庄園 を 寄進 し た 形式 を とり 、 之 を 本家 ・ 領家
( 後 に は 本所 と 況稱) と 仰ぎ僅少 の 年貢 ( 保護料 ) のみ を 納付 し 、 その 者 の 庄司 ( 庄官 ) となつ
て 實質 上 の 庄園 支配 者 として留まる という 方法 を 採っ た 。 若し目的 を 藩 し なけれ ば 本所 へ の 年
貢 送付 を やめ て しまふので 、 本所たる こと は 一種 の 職務 と 考へ られ た 。 庄 官 得 分 構 を 有し 又
義務 を 負 する 。 庄民 即ち 當時 田堵 、 田 刀 、 田都 、 住人 、 作 人 等 と 稱 せら れ た 耕作 者 も 、 団地
を 講 作 し て 年貢 ・ 公事 を 負 携 する 義務 と 殘餘 を 作德 として 取得する 權利 と を 有し た 。 斯く し て
しき
構利 的 側面 と 義務 的 側面 と を 具 へ た 一種 の 土地 支配 權 を 職 と 稱 する に 至り、 本家 職 ・ 領家 職 ・
● .
下司 職 ・ 公文 職 ・ 案 主 職 ・ 田所 職 ・ 作人 職 ・ 百姓 職 等 の 語 が 生じ た 。 下司 ・ 公文 ・ 案 主 ・ 田所

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は 庄官 の 構成 員 で あっ た 。
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以上 は 圧園 の 內 の 典型 的 なる もの に 就き 述べ た の で あっ て 、 庄園 の 發生 原因 に 就 て 決して
寺田縄 田 のみ で なく 、 封 が 變質 し て 庄園 と 變 じ た もの も ある の で あり 、 寺社 に 非る 橋門 勢 家
の 庄園 に はかるもの が 相當 多い。 又 、 本所 ・ 庄官 關係 の 發生 も 決して 上述 の 如き 上 分 ( 保護
料 ) 寄進 による もの に 止まら ず 、 遠隔 の 地 に ある 庄園 管理 の に 都 より 庄官 が 派遣 せ られ 、 又
は 土着 の 人 の 內 より 特に 任命 し て 之 を 置く といふ 場合 稀 で は なかっ た 。 職 の 重 露 性 、 本
所 ・ 庄官 ・ 作人 といふ 三 段階 に 止まら ず 、 領家 の 上 に 本家 が あり 、 その 下 に 更に 領主 が あり 、
みやうゆ」
庄官 と 作人 と の 間 に 名主 が 存する こと も あっ た の で ある 。 然し 庄園 に し て 本所 圧官 作 人 の 三 職
を 具 へ ざる もの は なく 、 如何に 複雑 な もの で も 、 結局 此典 型 を 或程度複雑 化 し た もの に 外 なら
なかっ た 。
庄園 の 田地 の 一部分 は 領主 ( 本所) が 自 營地 と し 、 庄民 の 公事 として 提供する 労役にて足ら
さる 部分 は 賃銀 にて 雇ひ 、 食料 種子 を 支辨 し 、 凡て 自己 の 計算 に 於 て 耕作 せしめ た 。 之 を 當時
つくりだ
価 と 稱 し た 。 その 割合 は 時代 が 降る に従って 減少 する 。 殘部 の 內 の 一部分 は 、 俸給 の 代り に
庄 官 に 給 し た。 之 を 給田 と 稱する 。 多く 庄官 一 人 に 五 段 乃至 一 町 の 程度で あり、 庄官 は 所從 ・
下 人 によって 耕作 せしめ て み た もの ~ 如く で ある。 これら の 価 及び 給田 を 除い た 幾餘 の 庄田 の
あてが
作手 ( 耕作 橋 ) は 、 個々 の 庄 民 に 宛行 は れ 、 庄民 は 領主 に 請文 を 出し た 。 庄 民 の 出目 は 奴婢 の
解放 せ られ たる もの 、 或は 國 衙領 の 公民 が その 土地 を 失い 流浪 し て 共 地 に 來り 定着 し た 、 浪人
等 で あつた。 從 つて 皆 貧民 に 過ぎ なかっ た の で ある が 、 次第に 富農 を 生じ 、 官農は 土地 を 兼併
し て 、 若し 自作 し 得 ない 部分 が あれ ば それ を 他 の 庄民 又は 庄民 たり し 没落 者 に 小作せしめ た 。
これ が 下作 人 で あり 下 作 職 で あつた 。 かくる 富農 の 土地 は 富農 の 名 を 冠し て 呼ば れ 、 従って 一
みやう でん みやうに
般 に 名田 と 稱 せら れ 、 支配 者 は 名主 と 稱 せら れ た 。 故に 名主 職 は 耕作 權 たる こと も あり 、 下 作
人 より 本所 へ の 年貢、 庄 官 へ の 加 徵 に 加 へ て 徴収せらる 加地子 の 得 分 權 たる こと も あつ た 。
庄官 の 一種 たる 地頭 に 對 し 給せ られ た 給 名 と は 此加 地子 得 分権 に 外 なら ない 。 名田 の 生 年代
は 未詳 なる も 、 天 喜 年間 に は 存在 類 著 と なる。 鎌倉 開府 より 遡る こと 約 百 五 十 年 の ことであ
oes
くに
既述 の 如く 國荷 側 の 攻勢 に 討 し て は 、 本家 領家 の 口 入 (斡旋 ) によって 圧園 側 の 防禦 が 行 は
はえぬ
れ た の で ある が 、 地方生乾き の 郡司 の 官 人 藩 が 、 次第に 遙授國司 の 在 臨 留守 所 ( 多く は 撥 目 )
國司 の 守 ・ 介 は
といふ 地位 を 兼ね て 、 賞力 を 養い 勢力 を 張っ た のみ なら ず 、 偶 々 地方 に 下っ た

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相 當數 の 郎 等 を 引具し、 武者 を も保つ て わ た ので 、 庄園 側 の 防架方法 口 入 に のみレっ て 居つ
た の で は 、 相手 に 先手 を 打た れ 自身は 結局 後手 に 廻っ て しまふ。 そこで 次第に 庄官 名主 自ら ☆
武士 化 し て 之 に 對抗する に 至つた 。 但し 大體屯田 兵 的 存在 に 過ぎ ず 、 純粋 の 武事 專業 者 たる 後
代 の 武士 と は 趣 を 異に し た 。 平時 に 於ける 庄園保護の 備 は 、 兵 面に際して は れ か の 側 に 加擔
し て 重大 なる 働き を 爲 し 、 その 結果 各自 勢力 城 張 の 目的 を 實 現し た 。 そして 武將 と の 、 殊に 皇
胤 に 属する 門地 高き 武將 と の 常住 的 結合 が 次第に 風 を 成す に 至り、 東國 に は 源氏 の 、 西口 に は
本 氏 の 恩顧 の 士 と 稱する 大名 小名 ( 大 名主 小 名主 ) が 充満する に 至っ た 。
第三 章 武 家法 時代 ( 上 )
一 八 式 自 法 の 成立 と共に 遷
後述 の 如く 治承 四 年 鎌倉 に 居 を 構 へ た 源頼朝 が 、 逐次勢力 を 得る と 同時に 、 獨自 の 行政 機構
を 整 へた 結県 , 京都 に 於ける公家政府 と 拮抗する 一大 勢力 と なつ た 。 然し 決して 唯一 最高 の 政
府 と なつ た の で は なく て 、 少く とも 表面 上 は 公家政府 に 隷臓 の 形 を 探り、 文治 二 年 公家政府 か
ら、 段別 五 升 の 兵 米 徵收 度 の 要求 が あれ ば 之 に 應 じ 、 況 ん や 公卿 等 公家 の 人々 の 身分 關係
に関して は 、 何 等 法令 によって 干渉 が ましき 事 を 篇 す に 至っ て は 居 ない の で ある 。 此點 江 戶幕
府 が、 朝 廷致 に 公家 に 對 し 、 公家諸法 度 を 設け など し て 干渉 し た の と 全く 趣 を 異にする。 噛鎌
倉 幕府 討伐 の 學 に 對 し て は 猛然起っ て 反撃 の 態度 に 出 で 、 結果 に 於 て 鎌倉 幕府 の 勢力 を 増大 せ
しめる こと 、 なっ た 。
斯く 言 へ ば と て 事實上 、 鎌倉 幕府 が 朝廷 に 公卿 等 の 公家 方 に対して 何 等 策 を 施さ なかっ た
と 言 ふ の で は ない。 五 攝家 の 分立 及び 兩皇 統 の 送立 等 は その 主たる 施策 で あっ た 。 前 時代 の 中
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頃 より 攝政 が 頻繁 に 置か れ 、 罷職 の 後 は 多く は 白 と せら れ た 事 は 既述 の 如く で ある ( 四 七 頁 參
照 )。 そして 此攝 政 關白 と なる 者 は 、 實際 上 の 慣行 により 藤原 氏 殊に 北家 の 所謂 攝關 家 流 に 一
定 し、 攝闘 と なつた 者 は 當然 氏 長者 と なり、 私立 官吏 養成 所 たる 勘學院 の 別 當 と なり 、 又廣大
なる 多 數 の 庄園 ( 殿下 渡領 ) 及び 諸種 の 陶器 を 受け た ので あつ た が 、 文治 二 年 三月 賴朝 の 口 入
により 農政 基 通 が 退き その 叔父 兼 賞 ( 九條 ) が 之 に 代っ た 際 に 、 後 白河 法皇 の 思者 に よ つて 渡
領行 はれ ず 、 皇 嘉門 院 の 遺 領 と 頼朝 より の 寄贈 と によって 所領 を 充 し て 、 兩家 は 各々 永く 傳領
する こと なり 、 こ ト に 近衛 家 と 九條 家 と は 兩攝 家 として 成立 し た の で ある 。 更に 基 の 孫策
經 の 弟 狼平 は 近衞家より 分 れ て 鷹司 家 を 建て 、 の 曾孫 教 賞 の 二 弟 良堂經は 、 それぞれ 九
家 から 分 れ て 二條 家一條 家 を たて 、 とくに 五 排 家 が 生じ て 、 殿 年 毎 に 解官 交替 し て 攝關 と な
ること なつた 。 これ 等 は 凡て 幕府 の 斡旋 に 依っ た 。 兩皇 統 迭立 に 開 する 幕府 の 斡旋 干渉 に 開
し て は 、 一般史史 に 詳 で ある から、、 此處に 詳認する こと を 避ける。。
鎌倉 開府 後年 數を 経る に 從ひ 、 幕府 の 支配 力 増大 し 公家 方 の 支配 力 は 減退 し た の で あっ た
が 、 なほ 鎌倉 幕府 時代 を通じて 或程度 の 實力 は 持ち 續 け た ので あつ た 。 從 って 公家 方 より 發 せ
られ た 宣旨 故に 院宣 は 、 新制 と 稱 せら れ て 相 當 の 浸透 力 を 有し て み た 。 一方 幕府 に 於 て は 、 當
初 より 公平 なる 裁判 を 行 ふ こと を 目標 として 、 敢 て 律令 の 法 意 に 拘泥 せ ず 、 或は 前代 以來 の 本
所 法 を 封印 し 、 或は 當時 の 必要 を 考慮 し て 獨特 の 執務 例 を 形成 し て 行っ た 。 所謂 「 右大 將家
( 頼朝 ) 之 例 」 と は 之 を 指す 。 此判 例 法 を 根幹 として 貞永元年 に 北條泰時 が 考案 成文 化 し たる の
が 五 十 一 ヶ 條 に 亘る 御 成敗 式 目 (貞永式 目 ) で ある。 その 內容 が 主として 所領 に 關 し 、 且つ 御
家 人 の 保護、 ひいては 幕府 の 基礎確立 を目的として ある こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 公平 と 迅速 と
が 他 の 指導 精神 と なっ て 居る こと も 否めない。 御 成敗 式 目 制定 の 動機 は 、 鎌倉 と 六 波 羅 と の 滅
判 が 區文 と なる こと を 防止 する に 在っ た 。 その 事 は 、 高 一 通 を 鎌倉 の 時 から 六 波 羅 の 落時 に
送っ た 際 の 消息 文 に 於 て 明言 せ られ て ゐる 。
御 成敗 式 目 に 探錄 せ られ なかつ た 事項 に 謝 し て は 、 勿論 不文 の 慣習 法 又は 條理 に よ つて 幕府
の 裁判 は 行 はれ た の で あり、 公家 方 の 新制 其他 の 規定 は 、 幕府 の 方針 と 反しない限度 に 於 て 授
用 さ れ 得 た に 過ぎ ない 。 そこで これ 等 の 點 を 明確 なら しめる 篤 に 幕府 は 、 下知 又は 下文 の 形式
を以て 隨時 式 目 の 追加 法 を 定め た 。 これ が 編輯 せ られ た もの が 御 成敗 式 目 追加 ( 群 書類從卷 四
百所收 ) 虹 に 式目 新編 追加 (日本 古代法典 所収 ) で ある。 室町 幕府 は 獨自 の 式目 を 設け ず に 、

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御 成敗 式 目 及び その 追加 を 自己 の 成文法規として 利用 し 、 唯 必要 に 感じ て 追加 立法 を 念 し 、 こ
れ が 集積 し て 建武 以來 追加 を 形成する。 所謂建武 式 目 十 七條 は 革 案 に し て 置施 せ られ なかっ た

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という 説 と 、 管 施せ られ た といふ 說 と が ある が 、 その 內容 は 裁判 に 關 する 色 の 殆 ん ど 無く 、 幕
更に 關 する 訓戒 的 規定 で あり 、 賞施 の 有無 を 争点 に 足り ない もの で ある 。
京都 に 於ける 公家 方 の 裁判所 として は 、 文治 三 年 二月 に 再興 さ れ た 記 錄所 と , 院 の 文 殿 と が
あっ た 。 文 殿 は 本 來詩 文 を 賦する 場所 で あつ た が 、 何時 の 頃 より か 、 文殿衆 の 意見 が 勘 決 状 に
認め られ て 裁判 が 行 は れる といふ 風習 を 成立 せしめ、 延 慶 二 年 四月 に 至る と 文 殿 味 なる 裁判
手織 規定 迄 設け られ て ゐる 。 その 方法 は 禁震 の 記 像 所 を 模 し た もの と 言 はれる 。 新 置 の 記 錄所
は 前 代 の 記 錄庄 園 祭 製 所 の 如き で い 權限 の もの で なく 、 庄園 祭 製 の 勘 決 に 加 へ て 、 諸 司 、 諸
國 、 諸 人 の 訴訟 に し て 御家人 に 開せ ざる もの は 、 凡て 此 記録 所 に 於 て 裁判 せらる べき もの であ
り 、 更に 年中 式 目 公事 用途 の 事 即ち 朝廷 の 財政 を 名掌る べきもの と せら れ て おる。 否 、 御家人
に 關 する もの と 雖 も 、 本所 を 被告 と する 訴訟 は 幕府 に 召喚 の 欄 が 無い から、 公家 の 裁判所 ( 記
錄所 へ 訴 へ 出 で ざる を 得 ない 。 寧ろ この 本所 と 地頭 と の 争 を 裁判 する こと を 目的 として 、 賴
朝 は 記 錄所 の 設置 を 文治 二 年 六月 に 奏上 し た と 解せ られる。 記 錄所 に 於 て 適用 せらる ト 法律
が、 式目 に 非 ず し て 律令 系 の もの たる こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 然し 成る べく 管情 に 合致する や
うに 解釋 せら れ た もの で あり 、 慣習 法 たる 行事 及び 流 例によって 歪め られ た もの で あつ た 事
は、 後鳥羽上皇 の 院宣によって 坂上 明基 が 編纂 し たる 、 裁判至要抄等によって 明らか で ある 。
後醍醐天皇 の 頃 中原 章任 の 手 に 成れる 、 金玉 掌中 抄吾 亦 同じ 。
元弘 三 年 五月 鎌倉 幕府 滅亡 に 競い て 、 英武 元年 五 月 記 錄所 が 再興 せ られ 、 雑訴 決断 所 其他 の
官衙 が 京都 に 新設 さ れ た。 雑 訴決 聞所 の 管轄 は 、 地域 的 に は 全國 に 及び、 事項 的 に は 所務沙
汰 、 檢断沙汰、 雑務沙汰 の 凡て に 及ぶ と せら れ た 。 そして 極めて 宝 大 なる 事項 のみ が 記 錄所 に
移さ れ た 。 共 場 に 於 て 適用 せらる べき 法律 は 、 金玉 栄中 抄 が 示す やう な 律令 系 の もの で あっ た
こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 事 賞 に 於 て 規定 無き 事項 多かる べく 、 従って 保理 として 武家 に 於 て 破
滋 し たる 知行理論 等 を以て 裁判 せ ざる を 得 なかっ た こと は 、 諸種 の 實例 が 之 を 示し て いる 。
室町 幕府 が 義 へ て 來る に 從い 、 守護 が 自立 し て 幕府 の 命 を 奉ぜ ず 、 各 守護大名 の 領域 內 の 法
令 は 自然 各 別 と なり、 家 法 、 國法、 分 因 法 、 條 日 法 等 と 稱 せられる 式 系 の 法 體系 が 各地 に 發
生し た 。 大 內家 葉書 は 永享 十 一 年 以來 漸次 集積 し て 明應 四 年 迄 に 成立 し 、 相良 氏 壁書 は 明應 二
年 に 成立 し て 天文 十 八 年 に 追加 が あり 、 今川 かな 目 錄 は 大永 六 年 に 成立 し て 天文 廿 二 年 に 追加
が あり、 武田 氏 の 甲州 法 度 は 天文 十 六 年 に 永藤 元年、 長曾我部 元親百 簡條 は 慶長 二 年 に 成立 。
し て 居る。 共 他 列 舉 を 省く が 、 凡て それ 等 の 條目 法 は 、 之 を 發布 し た 守護大名 の 勢力 の 消長に 。
從 つて 適用區域 を 擬張又は 縮小 し 、 滅亡 すれ ば 條 目 法 も 滅亡 し た ので あつ た 。
然し 豊臣 秀吉 は 、 海 內統 一 を 實 現し て も 決して 直ちに 法 の 統一 を 企てる こと なく 、 路 大名 は
單 に 政治 的 に 服蔵する のみ で 、 從來 の 法律 は その ま 1 各自 の 領域內 に 行 はれ て 居 た 。 そして 之
が 江戸 幕府 下 の 藩 法 と 泳る わけ で ある 。 唯秀吉 は 海上 法 の 統一 を 行い 、 それ は 海路 諸法 度 の 名
の 下 に 天正 二 年 正月 、 諸國 手中 ( 係員 ) に 頒布 せ られ た 。 これより 先 廻船 式 目 ( 貞應 の 船 法
度 ) の 名 で 各地 に 行 はれ て ゐ た 海上 法 が あり、 各地 の もの は 規定 の 內容 に 出入 が あつ た が 、 こ
こ に 於 て 完全 に 統一 さ れ た わけ で ある。 廻船 式 目 は 北條 義時 の 作 と 傳 へら れ て 居る が 、 典 者 は
多く その 異 否 を 疑ひ 、 今日 で は 否定 に 傾い て 居る 。 そして 餘程 下っ た 時代 に 比定 せ られ て お
る 。 問丸 ( 問屋 ) の 發港 に 關聯 せしめ て 、 之 を 室町 初期 と 筆者 は 考へる 。
一 九 鎌倉 紫 府 の 職制
湖東 各地 の 庄司 、 大名 小名 を 率 わて 治 系 四 年 以來 鎌倉 に 居 を 構 へた 源 賴朝 は 、 その 家臣 たる
御家人 統督 の 爲 に 同年 侍 所 を 置き 、 元暦 元年 に は 公文 所 ( 建久 二 年 政所 と 改称 ) 及び 問注所 を
開設 し た 。 そして 競令 賞罰 、 所領知行 に 關 する 訴訟 ( 所務沙汰 ) を 公文 所 に 、 負 物 出率其他 財
物 に 關 する 訴訟 ( 雜務沙汰) を 問注 所 に 、 管轄せしめ た 。 侍所 は 御家人 統督 に 加 へ て 犯罪 人 の
追 捕 ・ 裁判 ( 檢断沙汰) に 刑罰 の 執行 に も 當つた。 然し 承久 元年 小 侍 所 設置 せ られ て 以來 は
御家人統督 事務 に は 之 が 當り 、 侍所 は 専ら桜斷 に 當つた。
文治 元年十一月 賴朝 の 代理人 たる 北條 時政 の 言上 する 所 に 任せ 、 朝廷 より 口 宣 を以て 、 全國
に 對 し 守護 ・ 地頭を 補任 する こと 益 に 段別 五 升 の 兵 根 米 を 賦課 する こと が 賴朝 に 容認 せ られ
た。 設置 に 當 つて は 庄園 公 領 の 區別 を 要せ ざる もの として ある。 地頭 は 庄園 の 庄 官 の 一種であ
り 、 從 つて 地頭 職 は 職 の 一種たる こと、 前章 並 に 後段 所 說 の 如く で ある。 此際 に 於 て 頼朝 は 目
己 の 所領 內 の 地頭 職 を 御家人 に 與 へた 外 に 、 庄園 の 領有 者 たる 本所 に 強引 に 口 入 ( 推薦 ) し て
自己 腹心 の 御家人 を 地頭 と さ しめ、 更に 公 領 ( 國 衙領) たる 舞保 に も 御家人 たる 地頭 を 配置
し て 、 支配 と 得 分 の 権利 を 得 しめ た ので あつ た 。
守護 は 前 代 の 追 捕 使 又は 惣 追 捕 使 の 後身 とも 言 ふ べき もの で ある 。 追 捕 使 ( 追 捕 凶賊 使 、 追
捕 海賊 使 ) は 鎌倉 開府 を 遡る こと 約 二 百 五 十 年 の 承平 四 年 十月 に 初めて 置か れ 、 賊 年 を 經 て 天
慶 三 年 一 月 に は 各 道 の 追 捕 使 十 五 人 の 任命 が 行 は れ 、 最初 臨時派遣 の 官 たり し もの が 、 次第に
常置 化 する 傾向 を 辿っ た 。 神領 庄園 に 私設 の 追 捕 使 が 置か れ た 。 そして 惣 追 捕 使 と 美稱 せら 5
れる こと も あつ た 。 平家討滅に際して 關東 方 は 、 その 占領 地 に 勝手 に 之 を 設置 し た 。 然し それ 、 %
等 は 、 文治 元年 四 月 一 應慶止せ られ た 。 そして 同年 十一月、 義經 ・ 行 家 の 追 捕 を 名 として 勅許
を 受け、 御家人 中 の 有力 なる 者 を 全國 各地 に 布置 し 、 守護又は 守護 人 と 名づけ、 謀叛 ・ 殺害 人
追 捕 の 事 を 掌らしめ た 。 文治 三 年 九月 に 大番 催促 の 事 が これ に 加 へ られ て 、 所謂 大 犯
三箇 條 な
る 守護 の 職務權限 が とくに 定まっ た 。 要するに 守護は 鎌倉 幕府 の 私的 職制 の 一 に 過ぎ ず 、 官吏
たる性質 を 帶 ぶる もの で は なかっ た 。 除 日 ( 京都 に 於ける 官吏任命 の 儀式 ) を 継 ず 幕府 の 獨断
にて 任命 せ られ 、 又 獨斷 にて 解任せ られ た の で ある 。 文治 元年十一月 の 口宣 は 單 に 、 守護なる
私的 職員 設置 の 容認 に 過ぎ ず 、 これ を以て 直ちに 、 頼朝 に 官吏 任命 權 が 與 へら れ た と する に は
當 ら ない。 若し さう だ と すれ ば 、 官途 奉行 を 経由 し て 將耳 より 內學 ( 申告) し 、 朝廷より御家
人 に 官位 が 與 へらる 制度を 說明 し 得 ない こと に なる。
京都大 番 の 起原 は 充分 辞 で は ない 。 遠く 律令制 の 福士 に 由來 する こと は 明らか で ある が 、 録
倉 時代直前 の 制度として 辿り 得る もの が ない。 や ~ 近 きもの として 諸國庄園より 上 番 せる 播關
家 の 大番 合 人 が ある が 、 兩者 の 關係 は 明らか で ない。 或は 朝廷 を 他 勢力 と 遮断する 念 の 新 制度
か 。 ともあれ 大番 は 內裡警護を 意味 し 、 御家人 たる 資格 ある 者 は 必ずこれ に 常る べく 、 御家人
の 資命なき 者 は 之 に 當り 得 ないこと な つて おる。 此大
番 に 當る 御家人 を 督促 し 、 それに 假託
し て 管轄 域内 の 御家人 の 動 癖 を 探り 之 を 熟知
す べき こと が 守護 の 職責 で あつた
。 この 御家人
施督 ある に より 、 守護 に 對 する 幕府 の
壓力 が 減退 する と 、 守護 が 管下 の 御家人を 率
わて 自立
し て 群雄 と なり 、 割 携 する 結果 と なる 。
守護 によって 搜査 さる べき 謀叛 ・
殺害 人 中 に は 、 夜討 ・ 強盗 : 山賊 ・
海賊 を 含み 、 放火 $ 後
に 之 を 準ぜ しめ られ、 降つ て 室町
幕府 の 頃 に なる と 、 苅田 狼藉、 使節
澄行 が 加 へ られ 、 更に 関
所 と なれる 所領 の 管理 處分 が 加 へ られる。 鎌倉 幕府 設置 の 初 、
及び 室町 幕府 設置 の 初 に 於
て . 兵 根 米 以收 の 監督 情 が 守護 に 慮
し て わ た こと 言 ふ 迄 も ない。 斯く
て 守護 は 追 捕 使 の 後身 と
し て 、 それと 職務 の 範囲 を 共通 に
し て いる 曲 も ある が 、 又 それと 異る
點 も あつ た の で あり 、 守
護制 は 寧ろ 新規 の 制度 と 言 ふ
べき で ある 。
雅明 の 置い た 守護 地頭 は 、 前述 の
如く 決して 木來 の 意味 に 於ける 官
人 ( 官吏 ) で は ない 。 然
し 職務内容 は それ に 近く 、 それ に 代る
地位 に 立つ た 。 無論 兵亂 の 世 に 於ける
特殊 事情 に よ つて
設置 を 許容 せ られ た の で は あつ
た が 、 前 時代 に 於ける 年 官 年 の 制 、 殊に 氏 仰 の 制は 、 一 私 人
の 家格 に 於ける 官 人 に 、 官 人 を
任命 ( 罷免 の 構力 は 無い ) する
こと を 許容 し て 居り 、 頼朝 の 場
3
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合 は それ の 大 規模 な もの と 考へ られるので、 前例なき 事 が 突然 行 はれ た わけ で は ない。 唯 守護 外
地頭 は あく 迄 頼朝 の 私設 の もの と 當時 考へ られ て ゐ た ので 、 それ の 酸止 ・ 罷免 が 朝廷 より 強硬
に 主張せ られ 、 設置 の 翌年 たる 文治 二 年 三 月 先 づ 兵 根 米 の 徴収 を 、 次いで 同年 六月 一部 を 除く
畿内 近國 の 守護地頭 を 、 同年 中 に 平家 舊領 として 没収 せ られ た 地域 、 謀叛 人 ( 義經 ・ 行 家電 )
譜 領地 勘 に 賊徒潜伏 地 等 を 除い た 地域 の 地頭 を 、 凡て 慶 止 せ ね ば ならない こと なつ た 。 然し
その 臓止 は 實際上餘り 誠賞 に 實行 せら れ て は 居らない 。 而 し て 地頭 制 と 異り 守護 制 は 何 等 の 制
限 を 受ける こと なく 存 減し 、 文治 五 年 閏 四月謀叛 人 追討 の 業 成れる 後 も 驚止 を 見 ず 、 引置 き 存
置 せら れ た ので あつ た 。
全国 各地 に 希置 せら れ た 御家人 落 を 統率 し て その 頂 點 に 立ち 、 鎌倉 六 波 羅 共 他 に 設置 せ られ
た 文筆 造 に 軍事 の 諸 職 を 率 ゐ て 、 之 が 統轄 に 當る 頼朝 に その 後継 者 の 地位 を 、 當時 鎌倉 殿 と
稱 し た 。 鎌倉 殿 として 頼朝 は 、 文治元年 以來 二 位 の 階 に 在り ながら、 右 兵 衞欄 佐 を 辭 し て 數
年間 、 何 等 の 判官 を 帶 びず に 過し た 。 建久元 年 十一月 上洛 し た 際 、 椿 大納言 に 、 次いで 右近 商
大 將 に 任ぜ られ た が 、 在京 勤務 の 意思 なき 爲 め 、 翌月 に は 之 を 解し た 。 同 樣 なる 方針 の 下 に 、
鎌倉 に 在る 中原 廣元 を し て 翌年 十月 に 朝官 たる 明 法 博士 を 辭 せしめ、 關東 に 低 候 する 輩 に し て
親 要 の 朝 官 を 帶 ぶる 者 を 、 之 に 倣 は しめ た 。 然るに 建久 三 年 七月 十 二 日 の 除雪により 、 在京 を
要問 さる 官職たる 征夷 使 大 將軍 ( 征夷大 將軍) に 補せ られ 、 鎌倉 殿 の 事務所 は 、 幕下 又は 幕府
と 稱 せられる こと に なつ た 。 在職 二 年 の 後 、 建久 五 年 十月 將軍 職 の 辞表 を 提出 、 勅許 なき驚同
年 十一月 再び 上表 し た が 、 朝廷 は 翌月 之 を 返却 し た 。 この 事 は 將軍 職 なる もの が 當時如何 に 輕
視 せ られ 、 鎌倉 殿 という地位 が 童概 せ られ て 、 それ が 封建 的 統治 體制 の 基礎 と 考へ られ て い た
か を 示す 好個 の 證左 で ある。 賴朝 の 子 賴家 は 、 父 死去 の 月 に 、 前 將軍 の 遺跡 を 覆け 彼 の 家 人 ・
郎 從等 を し て 音 の 如く 諸國 の 守護 を 奉行 せ しむ べき 旨 の 宣旨 を 下さ れ た のみ で 、 三 年生 を 經過
し 、 然る後 に 代夷大将軍 に 任ぜ られ た 。 前者 は 即ち 鎌倉 殿 たる 賞 質 上 の 地位 の 承認 で あり 、 後
者 は 草 に 形式 の 整備 で あつた。 然し 次第に 、 賞 質 と 結合 し たる 征夷大将軍 の 稱 ] に 價値 を 生じ
て いっ た 事 は 、 自然 の 成行 で ある 。
幕府 の 政所 の 職制のみ は 、 令 制 家 司 の 系統 を ひき、 別 當 ・ 令 ( 執事) 案 主 ・ 知 家事から 成っ
て 居 た が、 他 は 之 と 異り、 侍所 は 別 當 と 所司 、 問注所 は 執事 と 寄人 と から 成っ て 居つ た 。 政所
の 羽當 は 執權 とも 稱 せら れ 、 當初 大江 廣元 のみ で あつ た の が 、 建仁 二 年 十 月 北條 時政 も 相 並ん
で 執橋 と なつ た 。 翌々年元久 二 年 閏 七月 時政 の 子 義 時 父 に 代っ て 執構 と なり 、 八 年 後 建暦 三 年 5
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五月 侍 所 の 別 當和田 義盛 の 死後 を 承け て 義 時 之 を 兼ねる に 至る や 、 執權 の 名 は 特別 の 意義 を 有
する に 至り 、 後に その 地位 は 軍 營御 後見 と 稱 せら れ た 。 義 時 の 後 を 嗣げる子 泰 時 は 若年 たる
の 故 を以て 叔父 時 房 と 合議 し 下文 に 對 し 連署 せ しむる の 方法 を 採り、 こ ト に 連署 なる 地位 が 發
生し た 。
藤原 頼經 に 将軍 宣下 ある 嘉藤 二 年 一月 の 前年 、 嘉藤 元年 七 月 十 一 日 に 尼 將軍 と 俗稱 せら れ た
る 頼朝 の 妻 政子 死し、 こ ト に 事實 上 の 幕府 の 中心 は 失は れ た 。 そこで 之 に 代る もの として 評定
所 なる 合議 體 が 置か れ た 。 執 權運 署 以外 の 者 として は 問注所執事、 政所 執事 共 他 十 人 乃至 十數
人 の 者 が 之 に 補せ られ 、 凡て 評定 衆 と 言 はれ た 。 政道 無私 の 起請文 を 作成し て 、 凡 ゆる 重要 な
る 政務 裁判 に 當つた 。 尤も裁判 に 就 て は 早く も 幾久 十 年 四月 賴家 の 直 判 の 事 は 止め られ 、 北條
時政 以下 十 二 人 の 者 によって 決せらる べき 事 と せら れ て み た 。 評定 所 に 下屬 し て その 政務殊に
裁判 の 準備 を行爲 め 、 評定 所 設置 より 二 十 數年 を 經 たる 建長元年 、 引付 衆 が 置か れ た 。 初め
五 人 で あつた が 後 十 人 乃至 十 數人 と なり、 三方又は 五 方 に 結 番 せら れ 、 各 番 の 頭 人 は 評定 衆 中
から 補せ られ た。
以上 の 如き の 役所 の 命 を 受け その 執行 の 任 に 當る 者 に 奉行 ( 奉行 人 ) が あっ た 。 評定 奉行
は 評定 所 の 座 次 共 他 の 雑事 を 掌り 、 官途奉行 は 武家 の 官 の 事 を 掌っ た 。 公家 法 時代 の 傳統 に
て 、 判官 ( 因幡 守 、 左衛門尉、 等 ) を 帶 びる こと は 非常 な 名誉 と 心得、 武人 に し て これ を 希望
する 者 が 多 かつ た ので 、 幕府 は 御 恩 の 一 として 內學 の 手繰 を とり 、 朝廷 より賦與 せ られる 稼取
計らっ た 。 そして 內 、 に し て 官途 奉行 を 経 さる もの は 無 效 と し 、 內事 を 経 ず し て 直接 朝 官 に 任
ぜ られ たる 者 は 重大 なる 制裁 を 加 へ られ た 。 朝 官 に 內學せられる 爲 に は 功 を 募る こと を 必要と
じ ようごう しょくろう
し た 。 成功 とも 言い 任料 を 提供 する こと で ある。 前 時代 に 於 て 勞 及び 成功 の 二 種 あつたちの
が 、 區別 が 無くなり 一括 せ られ た もの で ある。 贖労 は 減 夢 で あり、 官 人 が 解任 により白丁 に か
ヘり 課 役 を 課せ らる に 至る こと を 避ける 爲 に 、 僅少 の を 納付 し て 他 の 官 司 に 附 悪し 官 人 と
し て の 任務 を 統 けさ せ て 貰っ た ので 、 下級 官 人 に 就 て 行 はれ た 習俗 で ある。 そして 間もなく 初
め から 愛 の 納付 によって 官 人 と なる 事 も 認め られ た 。
じょう ごう
成功 は 成功 延任 、 成功 重任 、 成功 遷任 とも 言 は れ 、 交替 の 期限 の 延長、 同一 任地 に 於ける 重
任 、 又は 公開共 他 の 得 分 多き 地 へ の 選任 を 期し て 、 自費 を 出し て 神社 寺院 の 造営 共 他 の 國家 的
事業 を 代行 し た 。 その 功績 に対する 恩賞 として 希望 が 叶 へら れ た 。 後 に は 自ら 事業 の 執行 に 當
らず その 費用 の 錢穀 を 上納 し た 。 執れ に せよ 朝廷 の 財政 困難 に 基因 し て 生じ た 制度 で あり 、 從 %
って 早く より 定額 が 定まっ て い た が 、 漸次 それ は 低下する 傾向 を 示し た 。 例へば 、 鎌倉 開府 の %
直前 たる 治承 二 年 の 頃 、 兵衛 の 尉 が 七 千 匹 ( 一 匹 は 十文 ) で あっ た が 、 七 十 年 後 の 寛元 五 年 に
は 四 五 百 匹 と なり、 なほ 下落 の 傾向 に あつ た ので 、 弘安 十 年 五月 關白 以下 が 相 集り 「 成功 員 數
事 」 を 議定 し 、 若し 減功 し て 內募 すれ ば 厳重 に 置 す べし として ある。 こんにち 朝 幕 の 利害 衝
突 の 姿 が 見 られる。
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思澤 奉行 は 御 想 の 內 の 最大 な もの たる 所領 の 與 不興 を 定め 、 又 安堵 について の 事 を 行っ た 。
但し 準備 を 行うのみ で 、 本人 に 對 し て は 將軍下知 狀 、 政所 御 下文、 又は 執 構湿 署 の 判 による
選択 安堵 等 の 方法 によって 行 はれ た 。 事 重大 なる が 故に その 奉行 が 評定 衆 の 中 より 補せ られ た
事、 不 當激 判 に 對 する 越訴 を 掌る 越訴奉行 と 同じ 。 安堵 奉行 は 安堵 の 執行 監視、 殊に 所領 に 關
くり
する 訴訟 あり て 結線 し たる 後 の 執行 を 携當 し た 。 賦 別 奉行 は 訴状 の 受付 及び 事件 の 配 賦 を 、 過
所 奉行 は 螺 露 の 事 を 掌っ た 。 營中 の 雑事 を 掌る 御所 奉行、 鎌倉 の 武家 屋 敷地 を 掌る 地 奉行、 錄
倉 の 警察 事務 を 掌る 保々 奉行、 數多 の 寺社 奉行、 臨時 的 なる 勘定 奉行、 造営奉行、 作事 奉行、
材木 奉行 、 御前 奉行 、 神事 奉行 、 佛寺 奉行 、 新禧 奉行 他 数々 の 奉行 が あっ た 。
京都 職 川 の 東六 渡羅 の 地 に 置か れ たる 京都 守護 は 、 承久 三 年 六月 上京 せる 北條泰時 同時 房
が 、 六 波 羅 南北 の 居館 に 於 て 諸 士 の 論功行賞 の 事 を 議し て 以來 、 京都 を 中心 と せる 西國 の 政務
は 凡て 此處 に 於 て 行 ふ こと ゝ なり 、 問注所 ・ 侍所以下 の 部局 を 置き 、 評定 衆 引付 衆 を 置略 と
鎌倉 に 準ずる 形態 を 整 へた 。 世に 六 波 羅 探題 と は 此時 以來 を 指す 。 鎮西 九國 奉行 人 が 鎮西 評定
六 波 羅 探題 の 管轄 から 獨立する に 至 つたの は 、 蒙
衆 鎮西 引付 衆 を 具 へ て 九州 探題 と 稱 せら れ 、
に 對 し て は
古 襲 來以 後 の 永仁 四 年 ( 幕府 滅亡 より 遡る こと 三 十 數年 ) の 事 で ある 。 然るに北湯
氏 と に對し て、
早く 名 文治 五 年 に 、 在 來 の 留守所 伊澤 氏 と 、 藤原泰 衡討滅 に 武功 の あっ た 葛西
奥州 總 奉行 の 事 を 託し て いる 。
な ぼ 最後 に 、 鎌倉大番 なる もの が 存 し た こと を 附言 せ ね ば なら ない。 頼朝 の 頃 は 一 ヶ月 又は
二 ヶ月 づ ~ 當番 と 稱 し て 候 し て み た もの を 、 賴經 將軍 の 嘉禄 元年十二月 に 於 て 、 京都 の 大番
に 微ひ、 還江 國 以東 十 五ヶ國 の 御家人 は 鎌倉 大番 に 從 ふ べき もの と せら れ た 。 これ より 先建 仁
番 と 問 見参
三 年 十月 近習 器 が 置か れ 、 建長 四 年 四月 格子 密 が 置か れ 、 親王 將軍 と なっ て から
番 と が 置か れ た 。 別れ も 警間 的 破務 で ある。
二 O 室町 幕府 の 職制
室町 幕府 の 職制 はぐ 鍮倉 幕府 の もの と同一 で ある 。 先 づ 將軍 で ある が 、 此時 代 に 入り 生前 %
100
護補 の 事 が 初 まった 。 足利 義滿が子 義持 に 護補 し た 先例 に 從ひ 、 その後 展 ” 行 はれ た 。 又 、
滿 が 永德 三 年 一 月 、 それ 迄 公卿のみ 帶 ぶること を 得 た 源氏 長者、 奨學院 淳和 院 別 當 を 稱 し て 以
來 、 代々 の 將軍 は 之 を 発する こと が 例 と なり、 又 義満以來 將軍 を 公方 と 稱 する こと も 例 と なっ
た 。 足利 氏 の 執事 たり し 者 が 正平 十 七 年 以來 管領 と 稱 し 、 ほぐ 鎌倉 幕府 の 執權 に 該る 蔵 況且 つ
強力 なる 地位 を 有し た 。 在職 者 は 一 人 で あつ た が 、 斯波 ・ 細川 ・ 畠山 の 三 家 より 敗 年 毎 に 交替
に 就任 し 、 職 に 就い て ない 時 でも 三 家 の 當主 は 、 三 職 ( 三 管領) と 稱 せら れ て 特別 高き取扱
を 受け た 。 足利 氏 と 一門 たり し 故 のみ で は ない 。
評定 衆 ・ 引付 衆 が 存在 し た こと 蟲 に その 職務 權限 は 鎌倉 幕府 の とき と 異ら ない 。 管領 は 常に
評定 に 加 はり 、 政務 蟲 に 裁判 に 携 は つた が 、 將軍 は 必ずしも 然 らず 、 從 って 將軍 の 出 座 あり し
場合 に は 、 特に 之 を 內評 定 と 稱 し て 區別 し た 。 評定 衆 の 人員 は 最初 十 人 程 で あつ た が 、 間ちな
く 二 十 人 程 と なつ て ゐる。 引付 衆 は 評定 に 付せらる べき 事項 の 內談 を 行込故に 內談 衆 と 言 は
れ 、 引付 頭 人 を 內談 頭 人 又は一方內談 頭 人 と 稱 し た。 頭 人 に 正頭 と 權頭 と あり、 正頭故障 の
際 に 構頭 が 代っ て 職権 を 行っ た 。 五 方 引付 の 內 から 關東 と 鎮西 と は 除外 さ れ て ゐ た 。 關東 に は

關東 管領 あり 、 鎮西 に は 九州 探題 が あっ た から で ある 。 補助 者 として は 開闢 と 右筆 と が あっ
た 。
政所 ・ 問注所・ 侍所 ・ 小 侍 所 が 置か れ た こと に その 職務 権限 るほぐ 前 幕府 と 異る 所 が 泳い 。
唯 些少 の 相違 を 導 ぐれば、 政所 は 所務沙汰 及び 前代 問 注 所 の 管轄 し た 雑務沙汰、 翌 に 將軍 家 の
家務 の 外 に 、 諸國料 所 年貢 、 土藏 ・ 酒屋 以下 諾 商人 より の 公役 徵收 の 事務 を 加 へ 、 問注所 は 古
今 の 記録 を 蓄 へ て 、 證文 紛失、 偽造 文書、 議狀 、 境界 争等 の 争訟 に際して 比 照 する に 便し、 政
所 の 補助 的 地位 に 立っ た 。 侍所 の 長官 たる 頭 人 は 草 に 侍所 とも 所司 と 稱 せら れ 、 遅く と 白文
安 頃 ( 應仁 観 を 遡る こと 約 二 十 年 ) に は 山名 ・ 赤松 ・ 一色 ・ 京極 の 四 家 の 者 の 內 より 補せ られ
る 習慣 と 燃り 、 四 職 と 稱 せらるー こと の あつた點 、 等 が その 主 旅る もの で ある 。 以上 に 準ずる
ちか た
1111,
もの として 評定 衆 の 一 人 を 頭 人 と する 地方 が 置か れ た。 京 中 の 宅地 ・ 家屋 虹 に それ に 關 する 訴
訟 を 掌っ た 。 前作 府 の 頃 の 鎌倉 の 地 奉行 に や ト 類 する 。
奉行 に 評定 奉行あり 、 官途 奉行 ある こと 前代 と 同じく 、 恩賞 奉行 一 名 恩賞 方 は 前 幕府 の 恩澤
奉行 に 同じく 、 越訴 奉行 も 安堵 奉行 も あり 、 賦 別 奉行 も あつ た 。 新しく 置か れ たる もの に 公人
奉行 あり 、 前 幕府 の 問 注 所 執事 の 行 ひたる 奉行 人 任免 の 事 を 掌つた 。 守護 奉行 なる もの が 置か
れ 守遷監察 の 事 に 常り、 證人 奉行 ※ るもの が 置か れ 訴訟 審理 に 立會つて 不正 不 當 の 常連 ぬき を m

1
102
期し た 。 江 戶幕 府 の 片 付 に 類する 。 段々 徴収 の 為 に 京都 に 段 錢總 奉行 、 各地 に 段 錢國 分 奉行 が
置か れ 、 又 別に 倉 奉行 (御藏・ ・倉方 ・ 倉本 ) 及び 納錢一衆 ( 納鐵方 ) が あり、 倉出し 倉 入札 、
.
土倉 役義 ・ 酒屋 役 錢 の 徴収 益 に 金 錢 の 出納 一般 を 掌っ た 。 神宮 に 開 し て は 引付 頭 人 監督 の 下 に
神宮奉行 が 置か れ 、 他 の 神社 の 爲 に も それぞれ八幡宮 奉行 、 北野龍茶 牽行 等 が 置か れ 、 比叡山
の に は 山門 奉行 、 TN
他 寺社 に は 東寺 奉行以下 の 寺社 奉行 と 總稱 せら れる もの が 置か れ た 。 奉行
の 中 に 御前 披露 を 爲 さる ~ 御前 衆 と 、 さる 資格 なき御前 未 參衆 と の 區別 が あつ た が 、 之 が
江戸 幕府 に 於ける 御目見得以上 以下 の 區別 と 異る こと は 言 ふ 迄 も ない 。 江戸 幕府 の 色 の は 役人
の 間 の 區別 で は なく、 一般 家臣 間 の 區別 で あつたから で ある 。

警術 を 主 と する 番 衆 の 存在 し た こと は
前 慕府 の 頃 と 同様 で ある が 、 人員 ・ 名 稱 ・ 組織 に 開 し
て は 多少 の 相違 が ある。 前 代 の 鎌倉 大番 に 該當 する の は 、 單 に 番衆又は 番 方 と 稱 せら れ 、 五
番 に 結審 せ られ て 六 日 づ ~ 順 に 勤務 し 、 各 番 の 人員 は 五 十 人 乃至 八 十 人 程度で 同 數 で は なかっ
た。 五節供 ・ 期日 に 將軍 と 面調する ので 節朔 衆 と も 呼ば れ た 。 各 番 に は 番頭 が あり 取締 の 任 に
當つた。 番衆 の 中 、 數人 或は 十 數人 程 が 詰 衆 と 稱 せら れ て 將軍 に 近侍 し た が 、 後に 之 に 加 へ 、
更に 外接 語 茶 も 置か れる に 至つた 。 別に 部屋 衆 なろ もの が あり 、 人員 二 人 。 多く は 御 設拝 領 の
衆 と 稱 せら れ た 一族の 者 で あり 、 一 人 づ → 交替 に 宿直 し た 。 相伴 衆 は 將耳 の 大名 等 訪問 に際し
同席 相伴 する 者 で あり 、 殿中 の 役柄 で は ない 。 前 幕府 の 用 番 と 問 見 參番 と が 無い 代り に 、 金町
幕府 に は 數人 の 申 次 歌 あり 、 外 に 四 番 に 結番 せら れ たる 十 數人 の 供 衆 が あつ た 。
關東 管領 は 延 元々 年 、 等 氏 により 弟 直義 が 關東 十ヶ國 の 管 頭 を 爲 さ しめ られ て 鎌倉 に 居り 、
十 數年 後 等 氏 の 子 基 氏 に よつ て その 跡 が 嗣が れ 、 爾來 その 子孫 が その 地位 に 就い た 。 その 執事
たり し 上杉 氏 は 早く より 管領 と 稱 し た が 、 成 氏 が 古河 に 在 つて 京都 に 模 し 自ら公方 と 稱 する に
至 つて 、 正式 に 管領 と 稱する 事 と なつ た 。 關東 に 於ける 職制 は 大 體室 町 に 於ける もの と 同じ
で 、 評定 衆 あり 引付 衆 あり 、 政所 ・ 問注所 ・ 侍所 ・ 小 侍 所 あり、 その他 評定 奉行以下 の 諸 奉行
が あつた。 九州 管領 ( 九州 探題) あり 、 九州 の 武將 を 管 し 、 鎌倉 幕府 の 終り に 近く 置か れ た 長
門 探題 の 後身たる 中國 探題 は 八ヶ國 を 支配 し 、 奥州 奉行 の 後身 奥州 探題 は 奥州 管領 と 稱 せ
られ、 初め 出羽 を 管 し て い た が 、 管領 斯波直特 が 弟 爽賴 に 出羽 の 支配 を 託し て より 、 その 子
孫 ( 最上 家 ) は 羽州 探題 として 永く その 地 を 支配 する こと なつた。
室町 幕府 に 入っ て から 特に 目立つ 事 は 、 職務 の 私的 代官 による 代行 で ある 。 公家 法 時代 後

103
期 に 於 て 既に 國司 の 守 ・ 介 等 が 、 自分 は 在京 し て 任國 に は その 目代 ( 國司代 ) を 派遣する 風 が

あつた 。 鎌倉 幕府 の 頃 に も 守護 代 地頭代 の 存在 し た こと は 明らか で ある が 、 中央 の 所 職 に 於 て
に 代 が 。
私的 代官 を 用いる こと は 無 かつた 。 然るに 室町 幕府 に 於 て は 、 政所 の 長官 たる 執事 は 自己 の 家
臣 を し て 自己 の 職務 を 代 つて 行 は 世 、 世に 政所 代 と 稱 せらる に 至り( 執事 代 は 執事 の 次官 )、
問注所 執事 の 家臣 に し て その 職務 代行 者 は 問注 所 代 と 稱 せら れ 、 侍所 所司 の 代官 は 所司代 と 呼
ばれ 、 所司代 は 更に 又 所司代 ・ 小 所司代 なる 代官 を 有し た 。 關東 管領 上杉 氏 の 事務 呂 者 又は 家
務 と 稱 せられる 私的 代官 に よ つて 代行 せ られ て おる。
終 に 銘記 す べき は 、 上述 の 如き 中央地方 の 統治 組織 の 存在 し 活動し た の は 、 室町 幕府 の ほ ド
中頃 に 當る 應仁 文明 年代 迄 で あり 、 爾 來急 速 に 崩れ 初め 、 残存 する もの は その一部 に 過ぎ なか
っ た 。 各地 は 自立 し た 守護大名 の 争奪 に 委せ られ 、 將軍 は それ 等 の 者 の 勢力 均衡 の 上 に 僅 に 飲
喘 を 保つ 姿 と なつ た 。 但し 將軍 を 廢 し て 自ら 將軍 を 稱する 者 の 無 かつ た の は 、 當時 の 家系 尊重
の 氣風 に 因る こと も 大きい。 室町 幕府 に は 御 紋 の 衆 又は 御 紋 拝領 の 衆 なる もの が あり 、 足利 氏
の 家紋 たる 桐 紋 を 用 ふる 一門 近親 の 者 を 指し 、 或は それ に 準ずる 賜 紋 せら れ たる 者 を 指し た 。
永藤 四 年 二 月 一 日 三好 義長 、 松永弾正 は 將軍 義輝 より 賜 紋 せら れ て 「 家 の 面目 、 天下 の 聞、
不可 過 之 」 と 感激 し て みる 。 なほ 鎌倉 幕府 に 於 て 執 權制確立 以來 、 執權 の 家臣 は 御 內方 と
稱 せら れ て 一般 の 御家人 と 區別せら れ 、 後者 は 外 と 呼ば れ た ので あつ た が 、 室町 幕府 に 於 て

外 樣衆 と 稱 せら れ た の は それ 等 の 後身 と 見る べく、 國持 衆 等 の 下位 に 置か れ 大名 中 に は 含ま
轉 じ て 、 鎌倉 幕府 時代
なかつ た もの 如く で ある 。 大名 は 公衆 法 時代 の 大名 田 の 持主 の 意 より
は再職 し て 守護 大名 と 連稱 し て 守護 を 指す こと
既に 大 領主 たる 地頭 の 意 と なり 、 室町 幕府 にて
と なっ て おる。
ニー 御家人關係 の 特質
で ある 。 從者 は 主君 に 對 し 無 定量 の 義務 を 負搭
武家 政治 の 基礎 を 成する の は 主從 の 人 的 結合

從者 の 義務 の 內容 は 武力 的 奉仕 を 主たる もの
し 、 主君 は 從者 に 對 し て 凡 ゆる 保護 を 加 へる。
に は 、 定期 的 なる 大番 役 と 臨時 的 なる 戰闘 參
し 、 財産 的 なる 負 擔 は 極く 稀 で ある 。 武力 的 奉仕
で あつ た 。 主君 の 保護の 內容 は 、 電力による
加 ( いざ 鎌倉 ) が あり 、 凡て 自覚 を以て 果す べき
、 他人 から 所領 の 知行 を 妨害 せ られ たる 從者
保護 と 財産 的 なる 所領 の 給與 と で あり 、 前者 に は
を 與 へる 場
ある とき に 、 その 妨害 排除 を し て やる こと も 含ま れ 、 後者 に は 新 に 所領 の 知行 権
に は 本領 安堵 あり、 遺跡安堵 あり、 共 他
合 のみなら ず 、 所謂安堵 を 行 ふ 場合 も 含まれる。 安堵

105
特に 安堵 する 旨 の 書面 を 作成 する こと も ある
流地 安堵 、 寄港 地 安堵 、 和與 地 安堵等 が ある 。
Іоб
が、 又 、 本橋 を 證明する 文書 の 端 に 判 を 加 へ 、 所謂 袖 判 の 方法 によって 、 安堵は行はれ た 。 安
堵 ある 所領 は 主君 の 確認 を 得 た わけ で ある から、 同 家 中 の 者 からでも全く の 他人 からでち知行
を 妨害 せ られ ば、 主君 は 全力 を以て 共 妨害 を 排除する ので あつ た 。
唯 此主 君 と 家來 と の 間 の 率任 と 御 恩給 典 と の 關係 は 、 當時 法律 關係 と は 考へ られ て 居ら ず 、
専ら 道義 的 係 と 考へ られ て い た こと に 注意 す べき で ある 。 少く とも 主君 側 の 義務 は 道義 的 な
るもの と 考へ られ て み た 。 從 って 我國 の 主従 關係 に 於 て は 、 奉仕 と 恩給 と は 双務 契約 的 給付 關

係 と は 言ひ 得さる もの で あり、 此站 歐羅 巴 諸國 の 主 総 關係 と 甚だ異る 。
うみさん
主 從關 係 は 最初 の 見参 即 ら 初 に よ つて 設定 さ れる。 多く は 多 數 の 從者 港 の 面前 で 行 はれる
が 、 必ずしもその 事 を 必要 と し ない。 又單なる 面接 を以て 足り、 契約 書 の 如き も の 共 他 の 文書
を 必要 と し ない。 從者 と なる より する 二 字 ( 名簿 ) の 奉呈 の 如き は 、 此時 代 に 入る と 殆 ん ど
行 はれ て ゐ ない。 それ は 文字 を 解し 儀式 を 奪 ぶ 公家祇合 に 於 て 、 主人 と 侍 者 と の 間 に 於 て 護生
し た 風習 で ある が 、 多く の 人 の 指摘 する が 如く、 簡易を 伺 び 儀式 を 排する 武家 託合 に 於 て は 、
その 方式 は 普及 する に 至ら なかつ た 。
御家人 が その 主 共 に 對 し て 一時 に 果すべき 奉仕 ( 公事 ) の 分量 は 、 その 所領 の 多寡 に よつて
異 つて わ た こと は 當然 で あり、 御 成敗 式 目 第 二 十 五條その他 に よつ て
明らか で ある。 この 事 は
無 定量 の 奉仕 といふ 事 と 矛盾 する か の 如く で ある が 、 公平
といふ 事 も 亦 武家 法 の 要請 で ある か
ら 、 その 理由 で 一 應 の 制限 が 置か れる ので あつ て 、 必要あら
ば 無限 に 義務 は 追求 せ られる 。 從
って 決して 矛盾 は し ない 。 奉仕 の 日 數 に 就き 、 大番 役 の 如く
一應 制限 が 置か れ て みる の も 、 同
一 の 選田 に 歩く。 必要あら ば 年中 無休 の 奉仕 も 要求 せ られ 得 た の で ある。 從 つて 主君 より 奉仕
を 要求 せらる 」 こと の ない 絵暇といふ もの を 御家人 は 有しない。 そこで その 餘暇 を 利用 し て 他
の 主君 に 主劇係 を 結ぶ こと も 不可能 で ある。 こん に 必然 的 に 武士 は 同時に 二 君 に 仕 へ 得 ない
ことなる 。 西歐 に 於 て 騎士 は 、 一 年 につき 四 十 日 といふやう な 奉仕 期間 の 限定 が ある 、 そ
の 餘暇 を 利用 し て 二 声 以上 に 從關 係 を 結び、 それ を 基礎として 複雑 な 、 封建 法 が 凝結 し た の
と 、 大分 趣 が 異る わけ で ある。
軍 と 御家人 ( 他 の 主 從關 係 も 之 に 準ず ) と の 間 で は 命令 服 從 の 法理 が 働く 。 命令 は 絶對 で
あり 、 職場 に 於 て のみ なら ず 、 正常 の 生活 に 於 て も 亦 同様 で ある 。 若し 服從 し ない こと が あれ
ば 、 それ は 直ちに 敵 對 行動 と 看做される 。 そして 主 從關係 は と ト に 断絶 し て 、 御恩 は 終了 す

107
る。 即ち、 主君 又は 主君 の 祖先 より 從者 に 與 へら れ て み た 所領 は 、 返還 せらる べき こと し な
1

る。 斯く の 如く で ある から、 御家人 が 將軍 を 相手方として 、 或は 一般に 家臣 が その 主君 を 相手


方 として 訴訟 を 提起 し 、 相 ふ こと は 禁止 せ られる。 たと へ 争 が 所領 に 關 する もの で あつ て も
同様 で ある 。 何時 の 頃 より 禁止 せ られる に 至つ た か 、 充分 明らか で は ない が 、 遅くとも 寛治 元
年 十一月 廿 七 日 を 降ら ない こと は 、 吾妻 鏡 同日 條 によって 知られる。 承久 の 變後 約 二 十 五 年 で
ある 。
ニ 二 所領 ( 職 ) の 知行
御家人 の 所領 の 内容 は 樣 々々 で ある。 然し それ が 庄園系系 のの 職 で ある か 、 少く ともそれ に 準ずる
もの で あつ た こと は 凡て 同一 で ある 。 地頭 職 を以て 通常 と し 、 共 他 、 下司 職 ・ 公文 職 ・ 名主 職
等 が あっ た 。 梅 非違 使 所 、 郡司 職 、 郷刀繭、 村刀繭、 保 刀 語 等 の 所職 亦 之 に 準ずる 。
今 地頭 職 を 見る と 、 承久 の 変 以後 に 設置 せ られ た 所 謂 新 補 地頭 と 、 それ 以前殊に 文治 年間 に
設け られ た 本 補 地頭 と で は 、 得 分 の 種類 及び その 額 に 於 て 相違 が あっ た 。 新 補 地頭 の 場合 は 貞
應 二 年 の 宣旨故に 御 下文によって 法定 せら れ 、 従って一律 の 內容 を 有する が 、 本 補 地頭 に 於 て
は 慣習 的 に 定まっ て 居る ので 一定 し ない 。 本 補 地頭 に 給田 が あつ た こと は 明らか で ある 。 支配
し て ゐる 圧園 ・ 公 領 の 面積 の 二 十 分 之 一 程度 が 多い 。 外 に 所當 と 稱 し て 、 本所 に 納付 す べき 年
貴 ( 公 物 ) に 對 する 附加 秘 的 性質 の もの が あり 、 年貢 の 約 三 分 之 一 程度 で ある 。 但しその 名 稱
は 區え で ある 。 所當 の 得分 權 を 缺く場合 に は 給 名 が 與 へら れ た 。 名田 から は 本所 が 雑事 を 徴収
する 權利 を 有する が 、 之 を 本所 が 抱葉 し て 地頭 に 與 へ 、 その 為 この 所謂雑事 免田 から 地頭 が 雑
事 を 徴収 し 得る こと する。 これ が 給 名 で ある。 免 家 なる もの も あり、 似 たる 性質 を 有する 。
田 に 代 へ て 家 が 標準 と せら れ 、 米 鍋 に 代 へ て 労役 が 徵せらる ~ 點 が 異る 。 檢断 又は 犯 過分 と 稱
する 、 檢断沙汰 ( 刑事 裁判 ) 沒收 物 の 取得 穏ち、 地頭 職 の 內容 を 構成 し た 。 新 補 地頭 の 如く 三
.
分 之 一 の 場合 も ある が 全額 の 場合 あつ た 。 これ 等 の 外 に 、
相 當廣 き 門田 ・ 門畠 ・ 堀內 と 稱 せ
られる 屋敷 附属 地 の 免税 特權亦地頭 に は 與 へら れ て い た 。
新 補 地頭 の 得 分 は 、 給田 、 加 徵米 、 山野 河海 の 所出、 犯 過分 の 四 種 で あつた。 給田 は 庄公 を
問 は 田島 十町 につき一 町 の 割合 で 、 地域 の 廣然 に 拘 はらない 。 加賀 米 は 段別 五 升 即 ら 町 別 五
斗 で あり、 十 町 の 土地 で は 五 石 と なっ て 、 給田 一 町 の 年貢 と ほぐ 同額 と なる 。 山野河海 の 所出
と は 田畠以外 の 土地 使用 料 収入 で あり 、 本所 と 地頭 と は 折牛 す べき もの と せら れ た 。 犯 過分 は
本所 三 分 之 二 、 地頭 三 分 之 一 の 割合 にて 取得 す べき もの と せら れ た 。

109
斯く て 新 補 地頭 の 得 分 槍 は 、 或 出 に 於 て は 本 補 地頭より も 有利 で あつ た 。 又 或 點 に 於 て は 不
IIO
利 で あっ た 。 そこで、 本 補 跡 に 新しく 補任 ( 宛行 ) せら れ たる 地頭 は 性質 上本 補 地頭 で あり 新
補 地頭 で は ない の で ある が 、 自己 に 都合 の よい とき に は 本 補 の 得 分 槽 を 主張 し 、 都合 の 悪い と
き に は 新 補 地頭 なり としてその 得 分 を 主張する やう な 、 甚だ 得手勝手 な 者 が あつ た 。 かいる
兩樣 無常 所務 に対して は 所領 沒收 の 制裁 を 科し て いる 。 要するに 地頭 職 は 得 分 槽 の 性質 を 有
し 、 財産 標 の 一種 で あつ た の で ある 。
然しながら 之 を以て 直ちに 、 地頭職 は 單 なる 財産 橋 に 過ぎ ず 、 殊に それ が 不動産 的 なる 物雑
の 一 に 過ぎない の だ と 、 速断 し て は なら ない。 庄園 系 の 職 が 常に さう で ある やう に 、 それ は 職
務 ・ 職 襟 を 伴 ふ もの で あつ た 。 先 づ 領域 內 の 土地 人民 の 管理 を 行 は ね ば ならない。 警察 橋 、 犯
人 追 捕 糖 、 民事 刑事 の 裁判 椿 、 起請文 の 作成 等 に 至る 職務 を 披 は ね ば なら ない 。 そして 本所 た
る 本家 ・ 領家 等 に 年貢 を 徴収 し て 送進 し なけれ ば なら ない。 姿進 は 翌年 二 月 迄 に 行 はる べく、
已む を 得 ない 事情 が あつ て も 六月 を 限度 と し た 。 從 つて 地頭 たる に は 、 かーる 職務 を 適當 に 行
ひ 得る 能力 が 無けれ ば なら ない。 尤も代官 ( 地頭 代 、 眼代 ) による 職務 執行 も 認め た ので 、 適
當 な 代 人 が あれ ば 充分 で あつ た 。 従って 女子 も 地頭たり 得 た の で ある。 代官 の 非行 に 關 し て 正
員 が 責任 を 問 は れる こと は 當然 で ある が 、 之 を 未然に防ぐ こと が 最善 で ある ので 、 延 應元 年 に
幕府 は 下知 を 下し、 不適當 なろ 理 、 殊に 山僧、 商人、 懺 ( 高利貸) 等 を 代官 と 念 す こと を 最
に 戒め て おる 。
地頭 職はかる 兩面 性 を 有する 構利 で あつた 。 この 權利 を 有する 御家人 が 、 生前 に
又は 遺言
を以て 之 を 子女 に 誤與 する こと は 認め られ 、 鎌倉 殿 も 之 を 安堵 ( 確認 ) すること を 常 と し た 。
妻妾、 兄弟姉妹、 叔姪 に 對 する 護與 亦 然り。 生前 護與 が あれ ば その地頭職 は 被護與者 によって
直ちに 知行 せら れ た 。 唯かる生前 襄與 の 效力 は 可 なり 不安定 な もの で あり 、 何時 でも 誤與 者
くやみ へ
がと を 悔返 す ( 返還 せしめる ) こと が 許さ れ て み た 。 息子 の 場合 に は 、 既に 主君 の 安堵 御 下文
を 受け て い た とき で すら、 漫與 者 たる 父母 が 之 を 悔返 す こと は 可能 で あつ た 。 孝養 を 結 さ しめ
る 間接手段 で あり、 不孝 ・ 義絶 の 制 と共に 興味深き 制度で ある 。 妻妾 に 對 する 悔返 僕 に は 多少
の 制限 が あり 、 妻妾 の 過 罪 に よら ず し て 離別 せ られ た とき に は 、 悔返 を 許さ ず と し た 。
地頭 職 は 處分 狀 によって も 護與 さ れ た 。 處分 狀 は 又護狀 と 名 稱 せら れ た が 、 多く 遺言 狀 の 意
味 を 有し た 。 從 つて 後日 附 の 誤狀 は 前日 附 の 護狀 に 優先する 効力 を 認め られ た 。 斯く て 處分 狀
による 護與 は 遺贈 の 性質 を 有する わけ で ある が 、 然しそれ は 死後に 效力 を 發する 生前
行爲 ( 死

III
因 處分 ) で ある こと も あり 、 區別 は 明瞭 に 意識 せ られ て ゐ なかつ た 。 此處 分 狀による 護典 が 寧
II2
ろ 當時 の 原則 で あり、 未 處分 跡即ち 法定 相 續 は 例外 的 現象 で あつた。 處分 族によって 地頭 は 、
自己 の 帶 ぶる 地頭 職 を 多く 分割 し て 子女 妻妾 に 與 へた 。 そして 死亡 の 際 に 、 無條 件 に 且つ 即時
に それ 等 の 者 に 移轉 する 方法 を 探る こと も あり、 或は 一旦 妻 ( 後家) に 全額 が 移轉 し 、 後家 の
死後子女 に 分割 せらる べし と する こと も ある 。 又妻 の 指定 によって 分割 割合 が 定まる と せら れ
いちごぶん
て ある こと も ある。 此後 家 の 有する 生涯 用 盆權 は 一 期 分 に 外 なら ず 、 後家 分 とも 称せ られ た 。
又 、 處分 狀 の 定め 方 が 、 全 地頭 職 を 一應分割 知行すること は 許し て も 、 長子 以外 に は 一 期 分 の
み を 與 へ 、 長子 を それ 等 の 一 期 分 の 未來 領主 に 定め て いる こと が ある。 これ が 惣領 制 發生 の 素
地 と なる。
惣領 制 に 依れ ば 、 家督 即ち 嫡長子 は 主君 に 對 し 全 責任 を 負 は ね ば なら なかつ た 。 家督 は 、 自
己 の 所領故に兄弟姉妹 共 他 の 者 の 所領 に 割當てら れ た 軍役 等 を 、 全部自己 の 責任 に 於 て 果す べ
く 、 若し 橿促 に 應 じ ない 者 が あれ ば 一時その 者 に 代っ て その 分 を も 果すべき で あつ た 。 そして
後 に 賠償 せしめる 。 斯く 責任 を 負 ふ 代り に 、 主君 の 安堵 御 下 文等 は 、 個々 の 知行 者 に 對 し て 與
へら れ ず に 家督 に 代表せしめ て 與 へら れ 、 凡て 家督 は 對外 的 に 代表 的 惣領 的 地位 に 立っ た 。 そ
と で 地域 的 惣領 制 から 始まっ た らしい 惣領 制 は 、 こ ト に 親族 關係 者 間 の 惣領 制 に 適用 せ られ 、
後 に は 惣領 制 と 言 へ ば この 方 のみ が 考へ られる やう に なっ た 。 そして 此惣 領 制 發展 の 結果、 次
いちご さん
三男 等 は 惣領 ( 家督 ) から 一 期 分 其他 の 下級 知行 橋
を 受け て 、 やー その 家臣 的 地位 に 落ちるこ
と 、 なる。 そして 惣領 の 意味 も 變質 し 、 獨占 的 相 續人 の 意 と なる 。
所領 の 與 は、 親族以外 の 者 に 對 し て 行 は るる こと も あっ た 。 所領 に は 、 本 來知 行者 の 有し
て ゐ た もの で あり、 鎌倉 殿 から 唯 安堵 し て 貰っ た に 過ぎ ない、 所謂本領 又は 私 領 と 稱 せられる
る の と、 鎌倉 殿 から 新 に 與 へら れ た 恩 領 と 稱 せら れる もの と の 二 種 が あつ た 。 恩 領 に 就 て は 他
いへのこ
人 殊に 僧侶 や 庶人 に 、 或は 家子 ( 家臣 ) に 護興 する こと さ へ 禁ぜ られ 、 たと へ 護與 し て 安堵
は 得 られ なかつ た 。 然し 私 領 の 護與 又は 資買 は 許さ れ て 居り、 質 入 も 亦 許さ れ て い た 。 相手方
の 如何 を 問 は なかつ た 。 これ が 鎌倉 幕府 初期の 狀態 で ある。 所 が、 延 應 二 年 に 至る と 、 五月 廿
五 日 の 法令により、 相手方 が 凡下借上 ( 百姓 高利貸 ) 又は 非 御家人 たる とき に は 、 私 領 と 雖 も
( 賞却 ) する こと を 許さ ず と し た 。 そして 御家人 間 に 於 て のみ 資買 は 可能 で あつ た 。 然る
に 二十 數年 を 経 て 文永四 年 十二月 十 六 日 に 至り 、 之 も 禁止 さ れ て しまっ た 。 質 入 に 和與 ( 訴
訟上 又は 訴訟 外 の 和解 ) の 方法による 移轉 も 、 漸次 禁止 の 方向 に 進ん だ 。 延 應 二 年 四月 廿 日 恩

113
領 の 質 入 、 文永 四 年 十二月 十 六 日 私 領 の 質 入 及び 和與 の 禁止 が 行 はれ た 。 そして 禁令 後 違反 し
114
て 行 はれ た 所領 は 、 之 を 取り上げ て 、 或は 奮知 行者 に 返還 し ( 質 入 ) 、 或は 沒收 し た ( 和與) 。
質 入 の 代價 ( 被 搭保 債権) は 徐々に 辨濟 せしめ られ た 。
禁令 前 に 行 は れ たる 資 買 及び 質入 の 效力 に 關 し て も 文永 四 年 十二月 廿六日 に 定 が 置か れ 、 そ
れ 等 の 内、 安堵 御 下文 を 受け たる もの は 效力 を 變 じ ない が 、 未だ 之 を 受け て 居 ない もの は 、 資
買 又は 質 入 後 二 十 ヶ年 の 期間 を 経 て ゐる もの に 限り 、 一應 の 效力 を 認め、 本物 ( 原 價 ) を 解消
し なけれ ば 取戻 を 要求 し 得 ない もの と し た 。 但しそれ 以外 の もの は 直ちに 取戻し 得 べき で あっ
た 。 此最 後 の 點 は 延應 二 年 四月 廿 日 の 制度に 比する と 、 牛 額 が 既に 支掃はれ て ゐ た こと を 條件
として ゐ ない ので 、 甚だ 債務 者 に 有利 と なつ た わけ で ある 。
かーる 極端 なる 債務 者 保護 令 が 發布 せら れ た 結果 、 全面 的 金融 梗塞 を 招來 し た 。 そこで 文永
七 年 五月 九 日 一旦 禁制 を 撤旅 し て 見 た 。 所 が 何 等 事態 は 改善 せ られ ない ので、 二 三 年 に し て 再
び 番 制 に 戻っ 。 文永 九 年 十二月 十 一 日 に 和與 禁止 令 が 、 同 十 年 七月 十 二 日 に 質制・ 見質 ( 質 ・
抵當 ) 破棄令 が 發 せら れ 、 此趣旨 に 合 は ぬ もの は 、 和與なら ば 沒收せらる べく 、 質徐 所領 ・ 見
質 所領 は 之 を 取戻すこと を 許し た 。 安堵 御 下文 を 得 た もの に 就 て は 、 原則 として 取戻 を 許さ な
い 。 然し 正嘉元年 即ち 十 六 年 前 以降 の 御 下文 で あれ ば 、 質 置主 は 越訴 奉行 に 越訴 し て 理非 を 箏
ひ 得る こと ~ せら れ て おる。 此新 令 が 以前 の 規定 と 異る 所 は 、 上述 の 如く 越訴 し て 安堵 の 效力
を ふ 権利 が 質 置主 に 賦與 せら れ たる 外 、 二 十 ヶ年 時 效 を 認め ず 、 凡て 取戻し 得る と せら れ て
わる こと で ある 。 取戻 に際して 本錢 ( 元金 ) を 全く 辨消する こと なく 直ちに 取戻し 得る と せら
れ て おる こと は 格別 新 なる 制度 で は ない。
所領 に 關 する 事 は 、 地 を 接する 地頭間 に も 起り 、 地頭 から 年貢 所當 の 納入 を 受くる 本所 と 地
頭 と の 間 に 起る。 所謂 上 分 に 關する 事 と は 後者 を 指す 。 上 分 の 未 進 ( 未納 ) あらば 本所 は 、
地頭の 不 當 を述べ 之 が 替解 を 求め て 京都 の 記 錄所 へ 訴 へる 。 記錄所 は 鎌倉 へ 移燥 し て 之 が 賞現
を 促す。 鎌倉 に 於 て は 慎重 に 審理 を 遂げ、 若し 少額なら ば 即時 に 辨濟 す べきこと を 命じ、 多額
ならば 三ヶ年 の 年賦 に し て 辨濟 せしめる 。 そして 若し 之 を 履行 し なけれ ば 地頭 職 剥奪 の 制裁 を
課する 。 所 職 剥奪 の 事 を 當時 改易 と 稱 し た 。 闕所 の 語 は 知行 者 を 瞬く 所領 の 意 で ある が 、 轉 じ
て 所 職 剥奪 の 義 に 用い られ て い た 。 闕所 が 専ら 住居 資財 の 沒收 の 義 に 用い られる に 至る の
は、 戰國 時代以後の 事 で ある 。
地頭 間 の 紛争 に し て は 、 それ が 御家人 間 の もの なる とき に 鎌倉 の 裁判 權 に 服する こと は 言

IIS
迄 も ない。 被告 が 御家人たり し 場合 も 、 鎌倉 其他 鎌倉 方 の 裁判 を 受け た 。 被告 又は 双方 と 名
II6
御家人 たらさり し 場合 に は 、 公家 方 の 記錄所 の 裁判 を 受ける 。 爭 は 實際上 、 多く 親族 間 の 地頭

1
職 分割 に 闘 し て 起っ て いる 。
地頭 は 庄官 的 地位 を 有する 爲 、 若し それ が 顕東御領 等 の 場合 で なく 、 京方 の 本所 を 戴く 場合
に は 、 一方 に 於 て 本所 に 仕 へ 他方 に 於 て 鎌倉 殿 に 仕 へる と いふ、 甚だ 奇妙 な 立場 と なっ て お
支配 を 及ぼし 得 た わけ で ある。 ら
た 。 理論 的 に は 、 本所 は 上 分 について も 下地 について も 、
1 使 を 發 し て 地頭 の 監督 を 念 し 得 た わけ で ある が 、 實際 上 か よる 直接 支配 際 の 行使 は 、 鎌倉 殿 を
背景 と する 地頭 の 橋 力 に 壊せ られ て し 得 なかっ た 。 それ が 薦め 地頭 は 、 年 の 豊凶 を 口 賞 と し
て 未 進 の 額 を 次第に 増大 せしめ た 。 そこで 本所 は 豊凶 の 口 賞 を 塞ぐため に 、 年貢 の 額 を 低め て
地頭 に 定額 の 年貢 を 請負 は しめ た 。 かる 場合 地頭 は 講 所 と 稱 せら れ た 。 講 所 と なれ ば 地頭 の
地位 は 向上 し 、 本所 の 支配 構 は 直接 庄園 內 に 及ば なく なる こと は 、 自然 の 數 で ある 。 そし
て 本所 職 の 內容 は 完全 な 上 分 知行 權 に 変じ 、 下地知行權 を 喪失する。 然し 地頭 の 怠納 等 の 爲
に 、 上 分 の 知行 權 も 完全 に 實現 し 得 ない と と なる と 、 本所 は 下地 の 知行 を 想起 し て 之 を回復
せんと 商る 。 そして 地頭 と 協定 し て 下地 を 中 分 し 、 牢 分 について 完全 な 知行 權 を 得 て 、 残る 牛
分について は 上 分 知行 を 抱棄する 方法 を 探る に 至る。 中 分 を する 際 に は 、 多く 各 部分に 就
て 行 はれ た 。 従って 中 分 後 地域 は 犬牙錯綜 し て ある ので
、 實力 者 たる 地頭 の 押妨 等 により 紛
争 を 惹起 する こと は 稀 で は なかつ た 。 中 分 は 最初 新 補 地頭に
弱 し て のみ 認め られ た が 、 後 に は
本 補 地頭 に も 認め られ た 。 とも 角 、 斯く し て 漸次地頭 の 一 圓 知行 地 ( 完全 支配
地 ) が 増加 し 、
その 爲 鎌倉 將軍 の 勢力 増大 し た 。
室町 幕府 開始 後 に 至り 、 再び 下地 の 中 分 が 行 はれる 。 それ は なほ 殘存 する 本 所領 ・ 國術 領 の
年貢 の 內牛 額 丈 け 而台 共 年 限り 室町 方 へ 取立て 、 他 の 半額 丈 け にて 本所 や 國備 は 満足 す べし と
いふ 法則 、 所謂牛料 法 の 實施 に 由來 する 。 牛 消 法 が 一部分 に 行はれ た の は 建武 三 年 で ある が 、
十 數年 を 経 て 正平 七 年 に 至る と 近江 ・ 美濃 ・ 尾張一帯 に 實 施せられ 、 漸次 各地 に 及ぼさ れ た 。
一 年 限り と 言ひ ながら 實際 は 違年 で あり、 結局 永久 的 なる ので あつ た 。 正午 七 年 八月 二 十 一 日
の 定 は 可 なり、 強硬 で あり、 若し牛濟 を 肯 ん じ ない 者 が あれ ば 、 下地 中 分 を 強制 する として 居
る 。 正平 二 十 三 年 六月 十 七 日 の 定 に 於 て 、 牛 濟地 より 除外 せらる べき もの として 、 禁 仙洞 御
料 共 他 の もの が 定められ た が 、 それ 以外 の 所 に 就 て は 全部 一律 に 下地 中 分 を 施行 し た 。 従って
と に 、 武家 領 以外 の 下地 は 極めて 僅少 の 面積に 過ぎない こと 」 なつ た 。 この 部分 さ へ も 、 賞

117
力 者 の 押妨 を 蒙る こと を 避ける 篇 、 守護を以て 講 所 と 定め て 所謂 守護請 と 爲 し 、 下地 の 支配 は
118
之 に 依 嘱する こと が 多 かつた 。 そして 上 分 (定額 の 年貢 ) のみ を 受け た 。 斯く し て 本所 は 下地
の 支配 槽 を 全部 喪失する に 至り、 それ は 凡て 武門 の 手 に 移っ た 。
二 三 式 目 の 土地 制度
みや うしゆさくにん
その 土地 に 認 し 名主 職 作 人 職 を 有する 円 の とせ
土地 の 新作者 は 名主 ・ 作人等 で あり 、 彼等 は
られ た 。 地頭 等 が 給田 を 自 營 する 場合 に は 、 所 從下 人 或は 奴婢 雛 人 と 稱 せら れ た 下 僕婢 に 耕作
さ せ た 。 然し 奴婢 雑人 は 勿論 の こと、 所 從下 人 も 獨立 の 生活 を し て 居る 者 で は なく、 主人 の 所
有 權 の 下 に 在っ た こと は 前 代 の 家 人 奴婢 と 同様 で ある から、 特に 職 を 帶 ぶる 者 と は せら れ なか
A ちし
っ た 。 名主 に し て 實際 の 耕作 に 従事 せ ず 、 或は 作 人 に 宛 行っ て 耕作 せしめ て 加地子 を 取り 、 或
は 下 人 等 を 使役 し て 耕作 せしめ た 者 も あっ た 。 大 名主 ( 大名 ) は 多く さう で あつた。
つくで
名主 の 有する 名主 職 、 作 人 の 有する 作 入職 ( 作職 ・ 作手 とも言ふ ) が 、 地頭 職 と 同 樣 に 護典
活却 し 得 た こと 、 故に 相 親し 得 た こと 、 更に それ 等 の 處分 に 當 つて は 、 本所 や 地頭 の 許可 を 受
くべき もの で あつ た こと は 、 職 の 性質 上 當然 で あっ た 。
職 の 行使 は 知行 と 稱 せら れ た 。 下地 たる と 上 分 たると を 問 は ない。 元來、 知行 と は 承知 執行
の 意 で あり 、 事務 の 執行 を 意味する。 それ が 轉 じ て 財産權行 使 の 意味 に も なっ た 。 知行はばき
占有 に 等しい 。 そして 知行 狀態 に 在る こと を 當知 行 と 稱 し 、 知行 し 得 べき 者 が 現在 知行 し て 居
ら ないこと を 不 知行 と 稱 し た 。 當知 行 は 一 の 事 賞 で あり 、 知行權 ( 本橋) の 有無 に 拘 はら な
い。 知行 僧 なき 者 が 知行 し て 居る 場合 、 何 等 の 法律 上 の 保護 與 へ られ ない こと は 當然であ
る 。 然しながら 戰亂 の 世 に 於 て は 、 兎角 現 族 尊重 の 傾向 を 生ずること は 免れ ない 。 當知 行 永き
に 互る とき 、 本橋 の 有無 を 問 はず 之 に 保護を 加 へる 法制 が 自然 的 に 生じ て 來 た 。 鎌倉 開府 を 遡
ること 約 百 五 十 年 の 寬仁 三 年 五月 六 日 の 頃 に 於 て 既に 、 年紀 多積 の 故 に 現狀 の 変更 を 爲 さぐる
こと を 法意 と し た くらみ で あり 、 武家 時代 に 入る と 間もなく 、 少く とも 幕府 法 に 於 て は 甘 年 時
效制 が 確立 し た 。 寺 証 本 所領 に 於 て は 、 室町 幕府 の 頃 に 至っ て も なほ 廿 年 時 效制 の 適用 は なか
っ た が 、 同一 の 精神 は 行 はれ て わた 。 之 を 常時 年紀 法 又は 年 序 法 と 稱 し た 。 序 ながら 奴婢 ・ 雛
人 ・ 所從 の 取得 時 效 は 十 ヶ年 で あっ た 。
知行 の 對象 と なる 土地 は 、 前代 と 同樣 に 國郡 里條 里坪 を以て 呼ば れ、 地番 の 制は 成立 し て お
みやう
ない 。 但し 庄名 ・ 名 名 を 附し 、 又は それ のみ を以て 呼ば れ た こと も 無い で は ない 。 田積 も 前代
と 同 樣 に 町段 步 が 用 ひられ 、 一段は 三 百 六 十 歩 で あつた 。 そして一段 の 三 分 之 二 、 二 分 之 一 、

119
三 分 之 一 を 表 はす もの として、 大 ・ 中 ・ 小 が 用い られ て い た こと 亦 同じ。 但しその他 に 一段 の
五 分 之 一 、 六 分 之 一 、 十分 之 一 、 五 十 分 之 一 を 表 は す 、 丈 ・

120
・ 板・ 合
合 ・・ 代 の 語 も 用 ひら
られれ て お
た。 試 が 合 の 代り に 用い られる やう に なる の は 、 室町
中期 の 寛正 四 年 以前 で は ある が 、 判然 た
る 年代 は 未詳。
田 品 即ち 土地 の 良否による 品位 付 の 制は 、 武家時代 に 入っ て から 確立 し た 。 律令制 に 於 て
も 、 良田 と 易田 と の 區別 が あり 、 後者 は 毎年 の 連作不能なる
、 前者 の 二 倍 が 班 給 せらる べき
もの と せら れ て おる 。 又 延喜 式 に 於 て 公田 即 ら 刺田 に 關 し て のみ 上中 下 下 文 の 區別 が
定め られ
て ある が 、 一般的 なる 品 付 は 無 かつ た やう だ 。 庄園 に 於 て は
斗代 の 制 が 行 は れ 、 鎌倉 末期 の 頃
迄 は それ が 主として 用い られ て わ た らしい。 斗代 と は 反別 當り の
年貢 米 の 率 で ある。 數字であ
る 。 鎌倉 末期から 室町 時代 へ かけ て 漸く 一般的 に 田 品 として の 上田 ・ 中田 ・ 下田 の 區別 が 現


れ、 又 上太田 ・ 下内田 、 上 ・ 中 ・ 下 畠 ・ 下 畠 、 上屋敷・ 中屋敷 ・ 下屋敷 の 區別 も 現 はれ
て 來る 。
永 高 の 制は 豊臣 秀吉 の 頃 迄行 は れ 、 それから石高 の 制 に 移行 する の で ある が 、 永 高 制 が 何時
頃 發生 し 、 如何なる 經路 を以て 普及 する に 至っ た か 、 未だ 充分 明らか で は ない。 延喜 式 に 調錢
の 制 あり、 建久 三 年 十二月 廿 日 の 文書 に 年貢 錢納 の 事 が ある 點 から 見 て 、 本 年貢以外 の 所 當等
が 錢納 せら れ て 永楽 錢 を以て 表 は さ れ 、 それ が 本 年貢 に 轉 じ たち の と 推測 せ られる。 錢約 の 額
が 永高 と 稱 せら れ た もの で あら う 。 何 貫 文 と 稱 し た ので 、 貫 高 の 語 も 此意 味 に 用 ひら るる こと
が ある。 従って 永高 は 上 分 の 額 で あり 、 全收穫 量 を 表 は す 語 で は ない。 石高はと に 反し て 共 地
の 収穫 量 ( 又は 之 に 比定 せらる 人 もの ) を 表 は する ので、 年貢 の 額 で は ない。
永高 ・ 石高 確定 の 爲 に 検地 が 行 は れ 、 田文 が 作成 せ られる 。 延喜 式 に 於 て 校田 と 稱 せら れ 、
庄園 制 に 於 て 検注 といふ も 檢地 と 同一 で ある 。 武家 時代 全 國一 湾 の 検地 が 行 はれ た の は 、 所謂
文録 の 概 地 を以て 最初 と する 。 所謂 天文 縄 は 員 偽 の 程 不明 で ある 。 磁地 の 目的 に は 地積確定 の
みなら ず 、 無税 地 を 有 税 地 と する 意國宮 れ て ある が 、 共 執れ なる や は 各 場合 により 一定 し
ない 。 田文 は 前 代 の 田籍 と 異る 。 班田 終れ ば 国籍 が 作成 せ られる 。 そして その 一 通 は 民 部 省 に
備付け られ た 。 田 圖亦 然り 。 弘仁十 一 年 田籍 を やめ 田圖 のみ を 作成 し 、 綴合せ て 民 部 省 圖帳 と
し て み た。 後世 の 水 帳 は 御 圖帳 に し て 之 に 由來する と 言 はれる。 文治 五 年 源 賴朝 が 奥羽 兩國
の 田交 を 求め、 又建 久八 年 全国 より 田文 ( 大田 文 、 岡田 帳 ) を 求め た が 、 之 は 決して 一筆 得 の
報告 書 で なく 、 共 地域 内 の 庄 領 公演 の 區別 、 郷保 の 田 さ の 合計 、 本家 領家 地頭 の 氏名 を 表 は す

I2I
に 過ぎない 。 從 つて や 前代 の 大 族 に も 比す べき もの で ある。 主として 地頭 の 知行地與 奪 の
に 用い られ た 。 外 に 坪 付 と 稱 する もの が あり、 之 は 一筆每 の もの で ある が 、 課 從其 他 の 目的 の 鳶 %
に 基本 的 帳簿 として 豫 め 作成 せ られ た の で は なく 、 納稅報告 書 の 性質 を 帶 び て わ た ので、 江戶
幕府 の 水 帳 と は 性質 を 異にする 。 坪 付 に は 、 田畠 の 横 縦 の 長 さ 等 の 記載 なき こと 言 ふ 迄 も ない 。
二 四 式 目 の 資 買 質 入法
土地 の 下地 又は 上 分 の 賣買 は 、 私文書 によって 行 はれ た 。 律令制 に 於ける が 如き 國判 郡 判 に
くげん
よる 公 験 を 必要 と し なかっ た 。 又 一般の 債務 負 搭 契約 の 如く 、 起請文 の 形 を 採る こと も なかっ
た。 斯く 公 證制 度 が 存在 し ない ので 、 それ に 代る べき 制度として 手整 證文 の 方法 が 用い られ
た 。 手繼證文 と は 既往 の 資 渡證 を 継 合せ て 一 巻 の 巻物 ( 卷子 ) に し た 物 を 指す 。 新 に 作成 し た
受渡 證文 と共に 、 植原 證書 として 資 主 が 保有 し て わた 手織 證文 が 引渡さ れる こと により 、 追 奪
が 搭保 せられること ト なる。 知行 橋 が 争 と なれ ば 、 それ 等 の 文書 の 寫 が 裁判所に 副進 具書 ( 證
「 書類 ) として 提出 せ られ 、 追 奪 を 防止 する こと が 出來る。 尤も 追 奪 搭保 の 爲 に は その他 に 、
本 錢 ( 代償 ) 一 倍 の 支堺 といふ 違約 金 條 項 が あり、 又資 買 保 證人 たる 口 入 人 ・ 判 形 人 ・ 請人 に
よる 三 十 日 ( 十 日 の こと も あり) 內 の 解決 療 保険 項 等 が 證文 に 記入 さ れ て ゐる。 更に 違約 金 に
つき若し 不服 を 唱え た とき は 、 賞 主 と 保 證人 と が 謀書 ( 文書 偽造 ) の 罪 に 處 せら れ てる 異議 が
無い といふ 搭保 文言 が 添 へら れ て みる こと も あっ た 。 後 に 德政 が 頻繁 に 行 はろー 頃 に なる と 、
德政 搭保 文言 も 加 はる 。
土地 資渡證書 に 、 その 土地 が 相傳 之 私 領 なる 旨 の 文言 が 通常 書か れ て いる 。 先植相 傳 之 私 領
と も あり 、 其他 之 に 類する 文言 が 多い。 事實 相傅 し 來っ た 土地 で ある 場合 も あり 、 然 らざる 場
その
合 も ある が 、 古く は 前者 の 意味 に 用い られ た ので あつ た 。 然るに 次第に その 意義 を 変じ 、
土地 支配 權 が 期限 附 で なく 永久 的 なる もの で ある といふ 意味 を 有する に 至っ た 。 英 法 の fee
從 って 何某 ( 資主自身) 買得相傳 之 地也 といふ やう な 熟語 が 、 何
simple の 概念 に や ト該る 。
等 不思議 で なく 用 ひられる やう に なる。 例へば 東寺 百合 文書 ( へ ) 所収、 建武 四 年 五月 十 日 の
鮎澄 の 私領 屋敷資渡證 の 如し 。 文受渡文言 に 、 永代 を 限り 云々 という 文言 が 頻繁 に 用い られ
年紀 資 又は 年期 賞 は 、 本 錢返
た 。 これ は 完全 護渡 の 意味 で あり 、 年紀 覚 で ない こと を 表 は す 。
厳密 に 言 ふと 年紀 經過 後 、 特に 買 戻
と 稱 する 資渡擔保 の 意味 を 有 せしめ られる こと も ある が 、
( 講 戻) を 為すこと を 必要 と せ ず 、 當然その 支配 權 が 買主 に 復歸 す べき性質 を 有する もの を 指
本 の 支揚を以て買戻す こと が 必要 と せら れ た の で ある。 年紀 資 は 期
す。 本 銭 返 は 名 の 如く、

123
間內 の 土地 の 用 を以て 元利 が 解消 せ られ たる もの と 考 へ 、 本 錢返 は 利息 のみ が 解消 せ られ た
るもの と 考へる わけ で ある 。

124
鎌倉 より 室町 に 且つ て 行 はれ た 債 權搭 保 の 方法 として 、 見 質 又は 差質 と 稱 する 無 占有 資 ( 抵
當 ) と 、 入質 と 稱 する 占有 質 と ある こと は 、 人 の 知る 所 で ある。 入質 は 今日 の 所 謂 質 で あり、
動産 に 就 て は 後述 する が 、 不動産 に 關 し て も それ は 行 はれ た 。 土地 が 入 貨 せら れ た 場合 、 利息
は 支婦 はれ ず 作德 が それ に 充て られ た わけ で あり 、 又 請戻 を し なく て は なら ぬ 部 が 、 苦しく 本
錢返 に 似 て 居る 。 經濟 上 は たしかに 兩者 の 作用 は 同一 と 言 へ やう。 然し 人質 は 借 錢證 書 の 形式
を とり 、 その 末尾 に 握保 文書 として 人質 の 旨 が 記さ れ て いる に 反し、 本 錢返 に 於 て は 賣渡 意書
の 形式 を とり、 その 末尾 に 有期又は 無 期限 の 買 戻權 に 關 する 文言 が 附着 し て 居る ので、 その 點
に 於 て 相 異 を 見る 。 なは 本 錢返 に は 年期 中 講 戻 を さること を 約する もの が あり 、 其他諸種
の 點 に 於 て 多少 の 相 異 が ある。 唯 、 兩者 は 經濟 上 の 作用 が 等しい ので 混同 せ られ、 相 通じ
て 用いらる こと が ある こと に 注意 す べき で ある。 殊に降っ て 江 戶幕 府 の 頃 に なる と 、 それ は
著しい 。
土地 のみ なら ず 人 の 入 及び 見質 も 存在 し た 。 式目 法制 に 於 て も 律令制 と 同様 に 、 凡下 百姓
と 稱 せら れ た 良民 の 賞 買 質 入等は 禁止 せ られ て ゐ た 。 寛喜 三 年 の 飢饉 に際して 一時許容 せ られ
た が、 数 年 後 の 延 應元 年 に 至り 再び 厳禁 せ られ た 。 禁止 は 然し 必ずしも守ら れ て おなか つたこ
と は 、 諸多 の 實 例によって 知られる。 良民 以外 の 奴婢雑人 等 と 稱 せら れ た 者 は 、 主人によって
所有 せ られ 、 又 賞 賞 質 入 せら れ 得 た 。 質 入 に 入質 見 賞 の 區別 が あっ た こと は 、 式目 新編 追加 第
八十八 條 の 規定 に よつ て 明らか で ある 。 そして 入質 の 場合 、 質 人 の 労働 が 利息 に 充當 せら れ た
わけ で ある から 、 利息 を 徴収 す べから ざる は 勿論 で あり 、 況 ん や 質 人 の 生ん だ 子 を 質 取 主 が 取
得する 権利 は 無い 。 子 は 堂 置主 の 所有 に 歸 し 、 從 つて 質 人 を 請 戻せ ば 當然 に その 子 は 質 置主 に
引渡さる べき で あっ た 。 牛馬 等 の 家畜 の 賣 買 故に 質入 に 就 て は 、 前代 と 異り 見る べき 法制 が 無
い 。
動産 質 は 此時 代 に 入っ て 頭 著 なる 構造 を 見 た 。 それ は 土 又は 庫倉 と 稱 せら れ た 質屋 營業 者
の 出現 に 因る。 質屋 営業 は 、 質物保管 の 為 に する 倉庫 の 完備 あり て 初めて 行 はれる。 古く
らせくら」
は 木造 校 会 式 で あつ た が 、 火災 對應 策 として 延 暦 二 年 九月 十 九 日 太政官 符 を 下し 、 郡 毎 に 政府
の 土屋 ( 土藏) を 設置 し た 。 これ より 後 次第に 土蔵 作り が 増加 し 、 戰亂 は 、 その 必要を 感ぜ
しめて 、 之 を 發達 普及 せしめ た 。 その 結果 、 米穀 ・ 布帛 ・ 器具 ・ 武具 等 の 藏演り を 爲 し 、 それ

125
を 接保 として 賞金 を 行 ふ 者 が 鎌倉 幕府 時代 に 入る と 出現 し た 。 勿論 利息 附 で ある。 然し 質取 は
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土倉 のみ に 限定 せ られ ず、 一般人 も 之 を 行 ふ こと が 許さ れ て み た 。 ところが 質取 主 が 逃亡 し て
講 戻 に 應 じ ない こと や 、 質物 が 焼失 し て 講 戻 に 應 じ 得 ない こと が 頻出 する ので、 室町 中期 の 永
享 五 年 に 至り、 遂に 一般人 の 質 取 を 禁止 し 、 土倉 のみ に 限定 し た 。 尤も 斯く 定まる に 就 て は 、
土倉 の 利益 を 擁護 し て やり 、 幕府 は 土倉 から 役 錢 を 徴収 し て 自己 の 財政 を 豐富 なら しめ や うと
いふ 、 利己 心 が 働い て み た こと も 見逃せ ない 。 此法 令 は 同時に 、 初めて 質屋 利率 を 定め た。 土
倉 の 貸付 金 の 利率 も 從來 一般貸金利率 によって わ た の で ある が 、 こん に 初めて 別個 の 利率 が 定
まっ た。 今日 の 質屋 取締 法第 九條 にょ って 質屋 につき 特別利率 が 定め られ て ゐる の と 、 趣 を 同
うする 。
元來 、 銭 の 貸借 に 就 て は 、 前 代 延 暦 十 六 年 に 他 の 財物 を 離れ て 別個 の 利率 が 定め られ て 以來 、
一 年 半 倍 永久牛倍 の 制 が 行 はれ て ゐ た の で ある が 、 前 代 の 後 牛 延久 四 年 末 に 、 米 を以て 利息 を
支卵 ふ 場合 に 限り 雑 令 財物 出 の 利率 に 依る と 定め られ 、 此時 代 の 初 建久 二 年 三月 廿 八 日 の 宣
旨 により、 一 年 半 倍 ( 五 割 ) 永久 一 倍 の 利息 制限 法 が 定ま つた。 鎌倉 幕府 當初 銭 の 使用 に は 養
意 を 表せ ず 、 准 布 准 米 の 制 を 固執 し た の で あっ た が 、 世 の 趨勢 は の 使用 に 傾き、 捻 に 幕府 も
文治 元年 を降る 四 十 年 の 延 應 二 年 に は 、 銅鍋 使用 令 即ち 布帛 使用 禁止 令 を 發布 する に 至っ た 。
銭 の 貸付 が 行 はれ た 場合、 上述 の 利息 制限 法 の 範 圍內 で 利率 の 協定 が 行 は れ 、 授受 せ られる
わけ で ある が 、 永享 五 年 、 質物 ある もの に 就 て は 流質 期限 と 關聯せしめ て 特に 定 を 置き 、 買物
が 絹布 類 なる とき は 十 二 ヶ月につき 五 割 、 武具 類 なる とき は 二 十 四 ヶ月 につき 五 割 と し た 。 二
十 數年 を 経 て 長 三 年 に は 之 を 改め、 質物 が 米穀 雑穀なら ば 一 ヶ月 六 文子 ( 年 七 割 二 分 ) 、 絹
布 類 ・ 家具 等 なら ば 同 五 文子 ( 年 六 割 ) 、 香合 ・ 香 爐等は 六 文子 ( 年 七 割 二 分 ) 、 武具 も 同上 と
し、 流質 期限 を それぞれ 七 ヶ月 ・ 十 二 ヶ月 ・ 二 十 ヶ月 ・ 二 十 四 ヶ月 と 定め た 。
又 一般 の 利息 制限 法 は 時効制度 と 關聯 し て 變遷 を 遂げ、 式目 の 十 ヶ年 取得 時 效制 が 弘安 七 年
利 錢負 物 ( 利息 附 消費貸借 ) に 應用 せら れ 、 十 ヶ年 訴 へ され ば 消滅する と 定め られ た 。 室町 に
至る も その 1 行 はれ て ゐ た の で ある が 、 それ は 永享 二 年 一旦 廢止 せら れ 、 十 年 を 經 たる もの
はか へ って 本 錢 三 倍 の 請求 を 認める と せら れ た 。 同 九 年 再び 變化 し 、 之 を 二 十 年 にて 打切る こ
と ト し た が、 同 十 二 年 三 度 變化 し て 、 二 十 ヶ年 迄 一 倍 の 限度にて 請求 を 認め、 それ以後嵐 に そ
れ 以上 は 微收 を 許さ ず と 定め た 。 然し これ 等 の 利息 制限 法 は 、 德政 令 の 頻 渡せ らる ~ 當時 に 於
て 、 如何程 の 実績 を 學げ 得 た か 、 又暴 げ 得 べ かり し もの で あつ た か 、 甚だ 疑問 で ある。 今日 に

127
れ て
殘れる 實例 を以て 見れ ば 、 諸外國 に 於ける 利息 制限 法 と 同様 に 殆 ん ど 守ら れ て 居ら ない のであ
128
る 。 蓋しそれ は 企業資金 の 貸借 ( 生 產的貸借 ) と いうより は 、 所謂暮し 込み、
即ち消費 的 貸借
で ある 、 借方 は 採算 を 全く 度外 觀 し て た から で ある。
二 六 式 目 の 債 權法
貸付 金 辨濟 の 搭保 の 念 に は 、 不動産 動産 を 搭保 に 供する 方法 と共に 、 保 證人を 立てる
方法 が
くに &
行 はれ た 。 仲介 者 即ち口 入 人 の 地位 が 保 證人 と 同一 視 せ らる に 至 つたの は 、 既に 前 代 末期 に
於 て 見 られる 所 で ある が 、 此時 代 に 於 て 變る 所 なく 行 はれ た 。 別に 請人 なる もの も 存在 し 、
口 入 人 と の 區別 は 明瞭 で ない。 同一 の 如く 取扱はれ て 居る 場合 あり、 然 らざる 場合 も ある。
講 人 は 主たる債務者 に 對 し て 辦濟 を 督促 する 義務のみ を 負 握 する こと も あり 、 更に 進ん で 債務
者 に 代っ て 辨済 義務あり と せらる こと も ある。 そして 本人 が 無 資力 と なつ た 場合 に は 全額 を
支挑 ふ べき で ある が 、 犯罪 等 によって 支卵不能 と なつ た 時 に は 牛額 の 支掃 にて 足る と 、 建武以
來 追加 永享 八 年 の 規定 は 定め て ある。 然し それ以前どこ 迄 同一 の 制度 を 辿り 得る か は 不明であ
たのもし
る。 詩人 は 一 人 の こと も ある が 、 二 人 以上 の 事 も 頻繁 で あつ た 。
殊に 憑文 の 當者 ( 借受 人 )
が 講金 を 借受くる 場合 に それ が 見 られる。
なほ 償權 搭保 の 方法 として 、 代理 權 の 授與 も 行 はれ て ゐる 。 但し その 行使 は 債務 不履行 あり
たる こと を條件 と し た。 即ち 若し 期限 に 於 て 支携 を 爲 ささる場合 に は 、 搭保 に 供せ られ て みる
上 分 を 産出 する 庄園 に 償權 者 が 入部 し て 、 債務 者 に 代っ て 上 分 を 取立て 、 之 を 自己 の 所得 と す
ること を 認める の で ある。 所謂 武務 の 許容 で ある 。 契約による 債 横 者 代位 とも 言 ひ 得や う か 。
揖保 物 なき 金 錢債務 携 契約の履行 搭保 の 方法 として は 、 起請文 の 方法 が 多く 用い られ た 。
若し 約 旨 に 背き たる とき は 、 所掲 の 神佛 により 生命 を 奪 はれ 無間 地獄 に 堕ち 、 或は 生き がら
白 職 黑癒 共 他 の 置病 に 犯さる べし と 定め た の で ある。 この 誓約 の 部分 を 脚 おろし と 稱 し 、 本文
を 前 書 と 稱 し た。 なほ 起請文はかる 賃 構携 保 の 外 に 、 役人 が 職務 を 誠 賞 に 行う べき 旨 の 確
約、 講和 條 約 ( 例 、 慶長 十 九 年 十二月 二 十 四 日 家康 秀頼 間 の もの ) 、
m 等 に も 應用 せら れ 、 更に
裁判 に 當り 證 八 分 明 なら ざる 際 に 、 議 據方 法 の 一 として も 之 が 用い られ て いる 。 起請文 の 起源
は 非常 に 古い。 天平 感 寶元 年 の ちの が 残っ て 居る 。 然しそれ が かや うに 廣く 用い られる やう に
なつ た の は 、 武家 時代 に 入っ て から で ある 。
武家 時代 に 入り 後生 し た 信 標的 制度 に 、 替義 ・ 酒 米 と 稱 せら れ た 命替 と 、 濃 支又 は 親子 、 憲
子 等 と 稱 せら れ た 賴母 子 と が ある。 。 それに 關聯 し て 問丸 ( 同屋
又 海上 運送 契約 が ある。 同居 )

129
( 倉庫 業者 ) の 行 ふ 年貢 米 の 保管 ・ 換貨 、 進ん で は それ の 代 無 取立 の 契約 等 が ある 。 善 製 の 紙
130
( 手形 ) として 今日 に 殘 れる 最古 の もの は 鎌倉 末期 に 近き 永仁 元年 の もの で ある。 今日 の 宇形 に
比 する と 、 支拂 人 に対して 支掃 を 委託 する 代り に 、 持参 人 が 支掃 を 受く べき 旨 を 記し て いる 點
が 爲替 手形 と 異り、 支拂 人 として 記さ れ て 居ろ 者 が 振出 人 で ない 軸 で 他 地 堺 約束 手形 とも相違
し て おる 。 支捕 人 を 振出 人 の 代理人 と 見れ ば 、 や 、 後者 に 近い。 支掃 呈示 の こと を 割符 を つけ
る と 稱 し、 支卵 の こと を 答 へる と 稱 し た 。 支堺 添 き とき は 額面 の 倍額 を 振出 人 より 支携 ふべき
旨 特約 し て ある こと が 多い。 頼母子 の 初 見 は 、 爲替より 二 十 年 程 古く 準治 元年 十二月 で ある 。
構成 は ほ ゞ 今日 の 頼母子講 と 同一 で あり、 當時 庄官 が 親 と なっ て 部 內 の 百姓 と共に 講 を 起す こ
と が 多く 、 又 一族 內 の もの も 相 當 に 見 られる 。 地縁 的 血縁 的 相互 扶則 制 が 戰亂 の 世 に 發嬉 し た
こと は 、 平和 の 世 に 個人 主義 が 接頭 する こと ~ 比較 し て 興味 が ある 。 講 金 の 借受 人 は 、 講 人 を
立て 又は 水田 等 の 接保 物 を 提供 し て ある 。
海上 運送 に し て 廻船 式 目 なる もの が ある 。 それ が 北條 義時 の 作 で ない に し て も 、 その 內容
と する 諸 法則 が 嘗て 行 はれ て ゐ た こと を 否定 する もの で は ない 。 寧ろ 諸 法則 の 遵奉 を 確實なら
しめん が に 偽書 が 行 はれ た と 見る べき で ある 。 その 內容 は 多岐 に 互り 、 殆 ん ど 今日 の 海 商法
に 等しき 事項 に 及ん で いる 。 船舶 の 所有、 船舶 の 當り合( 衝突) 、 海難 に際して の 捨荷、 その 際
に 於ける 船舶 と 積荷 、 積荷 と 積荷 と の 間 の 配當( 損害 分 授 )、 船舶 の 賃貸借 等 で ある
。 就中 最後
の もの に 關 する 規定 が 甚だ 多い。 そして 個 品 運送 に 關 する 規定 は 愛 々 たる もの で ある 。 これ は
當時 の 實狀 を 反映する もの として 面白い 。 豊臣 秀吉 制定 の 海路 諸法 度 の 內容 に 就 て も 亦同じ。
兩者 を 綜合 し て 見る に 、 運送 契約殊に 船舶 賃貸借 契約 の 內容 は 特約により定まり ( 神山 不知 、
神山 を 存知 候はん 等 、 規定 は 特約 なき とき の 補充 的 效力 を 有する もの として 居る 點 が 特に 目
立つ。 事故 發生 後 の 解決 に 就き、 內談 ( 示談) の 重んぜ られ た の も 同一 趣旨 で ある。 特約 は 凡
て 文書 に 依 つて 行 はる べく、 口頭 の 證撮 は 效力 な きもの として おる。 契約 を し た 以上 は 、 その
賃料 は 船舶 を 使用 せ ず と 支掃 義務 が あり、 逆 に 船主 が 契約 せる 船舶 を 引渡し 得ぬ とき は 、
同形同大 の 代 船 を 提供 す べき で あつ た 。 海難 に際し 捨荷 ( 打 ) を 行い たる 場合、 普法 で は 唐
物 の 如き 貴 富 品 と 穀米 の 如き 一般 の 積荷 と の 間 に 配當 ( 損害 の 分 落 ) に 關 し 區別 を 立て
ある
が、 新法 で は 區別 し て わ ない。 其他 の に 關 する 說明 は 今 之 を 省く 。
問丸 の 發生 は 公家 法 時代 末期 で ある が 、 それ が 照 著 な 發藩 を 遂げ、 貨物仲介 業者、 倉庫 業
者、 運送 業者 として の 性格 を 獲揮 する やう に なる の は 、 鎌倉時代 を 過ぎ 室町 時代 の 寧ろ 後 牛 期

I3I
で ある。 最初 それ は 庄官 所 職 の 一 で あり 、 問 職 と 稱 せら れ 、 岡田 問給 を 本所より 與 へら れ て 、
132
年貢 の 遷送 、 渡船 事務、 倉庫 の 管理 に 當 つて わ た わけ で ある が 、 問 給 は 問丸房料 と 名 稱 せら
れ 、 年貢 石 數 の 割合 に 應 じ て 給せ られ て いる 部 が 目 を 牽く。 然るに 年貢 を 現物 の 儘 で なく 映貨
し て 送進すること が 風 を 成す に 至る と 、 倉庫 に 餘裕 を 生じ 、 船腹に 餘裕 を 生じ 、 それ を 利用 し
て 倉庫 を 貸し 又は 商品 の を 行い 、 或は 卸資 を 行つた。 斯く し て 所 に 隷属しつ 1 獨立 的
營業 者 たる 要素 を 増加 し 、 溶 に は 沿岸 港 、 河口 港 、 內河 港 の 競落 と 相俟って 本所 の 場料 を 脱
し、 完全 に 獨立 する 。 そして 港 市 のみなら ず 內匿都市 に 於 て も 治 躍 する に 至る 。
鎌倉 より 室町 へ かけ て の 商業 手工業 の 發藩 は 、 獨占 的 營利 を 岡ろ 商工 業者 を し て 、 座 を 組織
し て 座 外 者 の 排斥 を 行 は しめ た 。 排斥 に は 賞 力 を 必要 と する ので 、 座衆 の 交易 を 行 、 場所たる
市場 の 地盤 所有 者 又は それ に 準ずる 者 を 本所 と 仰ぎ 、 保護 に 對 する 習慣 として 座 役 を 負磨 し
た。 或は 津料 共 他 の 金銭たる こと も あり、 或は 現物 の 納入 又は 技術 を以て する 奉仕 たる こと も
あつた。 商事 專業 者 の 發生 は 比較的 新しく、 殊に 大 規模 の 増加 は 鐵砲 傅來 を 契機 と する 城下町
の 強 藩 以後 で ある 。 古く 行商 人 が あり、 や ~ 専業 者 的 色彩 を 有し た が 、 それ 以外 の 市場商人 は
とにん
多く 農民 の 兼業 で あり 、 又は 神人 ・ 職人 等 の 兼業 で あつ た こと に 留意 す べき で ある 。 座 の 話 は
神社 の 祭 禮 に際して 祭禮 奉仕者 の 着座 する 宮 座 に 由來 し 、 信仰 を 中心 として 仲間 意識 を 深め 、
部外 者 の 排斥 を 策し た の で あっ た 。排斥 の 手段 方法 等は ここ で は 省略する 。 座衆 の 人員 は 區文
で あり、 十 數名 の 場合 が 多く 、 少き は 二 三 名 より 多き は 六 十 人 、 百 二 十 人 といふ の あつ た 。
座 の 組織 は 多く 二 級 制 で あり、 年寄 と 若衆 と に 分た れ 、 庶務は 年寄 ( おとな ともいふ) に よ
って 執行 せ られ 、 重要なる 事項 のみ 全員 の 會議 に 附せ られ て 多 數決 に よ つて 決せ られ た 。 座衆
たる 特權 が 賣 買 質 入 の 對象 と なつ た こと 言 ふ 迄 も ない 。 座 の 獨占 的 支配 は 戰國 末期 に 至る と 徐
徐に 崩れ 初め 、 急速 に 衰滅 へ と 向つた 。 新しき 城下町 を 建設 せんと する 領主 が 、 商人 の 來住 を
獎測 する 爲 に 所謂 楽市 楽座 の 制 を 敷き 、 菅商人 の 特權 を 否認 する 方策 に 出 で 、 これ が 風 を 成す
に 至っ た から で ある。
鎌倉 室町 時代 に 於ける 損害 賠償 制度 に 開 し 、 潤立 に 述 ぶ べき こと は 少い 。 違法 行為 に 對 し て
は 主として 刑罰 を以て 酬い られ 、 債務の 不履行 に 對 し て は 、 一般政策 が 德政 の 發布 等 債務 者 保
護 に 傾い て わた 露 、 賠償 制度 は 備 はらなかっ た 。 殆 ん ど 唯一 の 損害 賠償 規定 は 、 少額 網 益 の 場
合 で ある。 被害 價額 六 百 文 以上 は 體刑、 三 百 文 以上 は 科料 鐵二百文 を 科せ られる が 、 百文 二 百
文 程度なら ば 倍額 を 相手方 に 給付 し て 責 を 免れ 得る として ある 。

133
六 德政
鎌倉 室町 の 財産 法 に 關聯 し て 最後 に 論及 せ ね ば なら ない 事 は 德政 で ある 。 蓋し 德政 は 鎌倉 幕
し 語及 。 幕 %
府 の 後半 より 室町 幕府 全期 に つて 頻え として 發布 せら れ た 、 槍利 關係 の 遡及 的 變更 を 結果 す
る 法令 で あり、 それ は 取引 社 會 に 重大 なる 影響 を 及ぼし た から で ある。 德政 を 考察 する に 當つ
て は 、 一應その 語 の 發現 と 實質 の 成立 と を 區別 し て 考 ふ べき で ある 。 資質 的 に 見る と 債務 者 保
護制 は 鎌倉 幕府 の 初期より 存在 し た 。 否 前 代 公家 法 の 頃 より 存在 し た と 言 へ やう 。 公 出學放出
舉 の 原 免 、 利息 制限 ( 利率、 複利、 一 本 一利) 等 は その 例 で ある。 然し 鎌倉幕府 と なる や 、 御
家 人 の 貧窮 を 救ひ 強兵 を 圖る 爲 に 、 所領 の 賣買 ・ 質 入 ・ 和與 を 禁止 し 、 禁止 に 反し たる 法律 行
爺並 に 禁令 前 の 法律 行 爲 に し て 一定 の 要件 を 具 へ さる もの は 、 之 を 無效 として 取戻 を 行 は しめ
た の で あり、 之 に 隠し て は 既に 述べ た ( 一 一 四 頁 ) 。 文治 元年 を 降る こと 五 十 數年 の 延 應 二 年 に
初 まり 、 その後 二 十 五 年 の 文永 四 年 更に 趣旨 は 損充 せら れ 、 同 九 年 に 十 年 の 定 は 一層 極端 と
なっ た 。 文永 四 年 の 規定 に 於 て 既に 法律 の 遡 及效 を 認め 、 過去 の 法律 行爲 の 效力 を 事後 の 法令
にて 破棄 し 左右 し た の で ある が 、 そして 一方 的 原状回復 と し 、 取戻に際し 本 錢 ( 代金 ・ 元金 )
の 孵済 を 行 は しめなかつ た の で ある が 、 債務の 辨料 を 免除 し た わけ で は なかつ た 。 債務は 逐次
辨濟 す べき もの で あつ た の で ある 。 又 、 事 は 御家人 の 所領 に のみ 闘 し て ゐ た ので あつ た 。 そし
て 德政 令 と は 稱 せら れ て ゐ ない。 然るに 文永 四 年 を 降る 三 十 年 の 永仁 五 年 三月 六 日 、 所謂 永仁
の 德政 令 出 で て 全面 的 債務 者 保護 制 を 展開 し た 。
德政 の 語 は 元 來善 政 の 意味 を 有し 、 又 德政 興行 と 熟し て 用 ひら れ た 。 「 とくせい ゆく 」 の
語 は ここ から 生ずる 。 善政 の 內容 に は 貧窮者 の 救恤 、 租調 庸 の 免除 等 も 含ま れ て 居り、 決して
た ゞ それ は 念政 者 の 犠牲 に 於 て 民 を 喜ば しめる の で あり 、 爲政
後世 の 意味 と 無 關係 で は ない 。

者 又は その 附 從者 の 利金擁護の 爲 に 行う もの と は 性質 を 異に し た 。 尤も幕府 が 直接 支配 する
幕府 に とっ
ころ は 御家人 で あり 、 他 の 人々 は 間接 の 關係 で あつた から 、 御家人 を 喜ば しめれ ば
て は 善政 で あつたとも 言 へる。 德政 の 語 が 遡及 的 契約 破棄 令 の 意味 に 於 て 法令 上 用い られ た の
は 室町 に 入っ て から で あり、 最初 それ は 俗語 として 用 ひら れ 初め た 。 契約 書 の 搭保 文言として
は 永仁 五 年 令 の 直後らしく 、 東寺 百合 文書 永仁 五 年 六月 二 十 二 日 の 意 書 に は 、 既に 關東 御 德政
11
「 公家武家 號 德政。 有 貸 地 買 地 之 沙汰。 於此名田 」

云々 の 語 が ある 。 一般 に 癖保 文言 は
方 に 於 て も 德政
者。 更不可」 政 違観 ? 」 の 形 を 探つ て みる。 公家武家 と 稱 し て みる の は 、 公家
弘安 八 年 七月 十 一 日 及び 永仁 六 年 六月 に 出さ れ た 神領 の 資
發布 が 行 はれ て ゐる から で あつ て 、

135
買 破棄 分 は その 例 で ある。
136
永仁 五 年 の 德政 令 の 內容 は 、 御家人 の 所領 に 關 し て は 殆 ん ど 従來 の もの と 選り なく 、 今後 の
活 却入 流 の 禁 、 純 前 の もの は 買主 質 取主 が 凡下 非 御家人 なら ば 年限 に 拘 はら ず 本 を 解消 せ ず
し て 取戻し 得ろこと ( 本 銭 返 の 場合 は 本 愛 の 支塀 を 要す ) 、 若し買主・ 質 取 主 が 御家人 なら ば 二
十 年 を 經 て いる か 又は 安堵 御 下文 を 得 て 居れ ば 變更 なく、 それ 以外 旅 らば 取戻さ れ 得る こと、
若し 特に 背き 流 射 すれ ば 罪科 に 處 せらる べき こと を 定め て おる 。 それに 加 へ て 利昌 撃 の 訴
訟不 受理 と 越訴 の 禁 が 定め られ 、 殊に 前者 に 就 て は 同年 六月 一 日 に 至り 詳細 の 定 が 置か れ た 。
即 ら 莉愛時學 と 稱 する もの ト 內 に は 、 動産 質 殊に 庫倉 に 對 し て 實 入 し たる 場合 の 賃借 を 含ま
ず 、 替酸 を 含ま ず 。 若し 利息 府 の 替鐵なら ば 、 利息 に 關 する 部分 のみ破棄 せ られ 、 借物預物
ち 無利息 なる もの は それ に 含ま れ ない こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 借物 と 稱 し て も 利息 なる と
は 、 訴訟 不 受理 と なる。 動産 資 買 の 未済代金 も 德政 適用 の 外 で あつた。 斯く し て 今や 債務 者 保
護翻 は 御家人 関係 とい を 認 し て 、 一般 の 取引 社 會 を 規律 する に 至り 、 その 害毒 は 非常 に 質
汎 に 及ぶ こと なつた。 寧ろ此事を以て 德政 の 屬性 と 考 ふ べき もの で あら う 。 注意 す べき は 當
時 に 於ける 訴訟 不 受理 は 債務 免除 と 同義 で は なく 、 裁判 外 の 辨済 は 期待 さ れ て み た の で あり 、
あいたいなし
其期 に 於 て は 相国 消 と 同一 で ある 。 唯 後者 が 借金 銀 に のみ する に 反し て 、 德政 が 物 の 取戻
を 育的 と し て いる 點 に 於 て 異る 。
德政 其後 の 發展 の 經過 を 詳述 する 暇 は ない が 、 年代 が 降る に従って 共 適用 の 範圍 は 凝大 し 、
悪質 と なつ て 行つた。 例へば 應仁 亂前 二 十 五 年 の 嘉吉 元年 の もの に 於 て は 、 年紀 沽却 地 、 本 錢
返地 、 同屋 、 約月 を 過ぎ て ゐ ない 土倉 の 質物 、 借善 に 効 適用 が あり 、 德政 擔保 文言 を以て する
特約 は 無 效 なり と せら れ て 居り 、 更に 五 十 年 後 の 延 德 二 年 十月 廿 日 の もの は 百 歩 を 進め 、 質物
は 限月 を 問ふこと なく 全部 返還 す べく、 萬 一 質物 が 現存 し ない とき に は 土倉 の 側 にて 本 一 倍
を 質 置主 に 賠償 す べし と し 、 利錢 や 出學米 は 全部 免除 と する 、 文言 に 拘 はらない 。 憑支 は 破棄
すると なつ て 居る 。 こん に 於 て 共 弊害 は 極端 に 花 發展 し た わけ で ある 。 室町 幕府 の 勢力 義微 に
伴い 、 德政 の 發令 ある その 効力 の 及ぶ 範圍 は 京畿附近 に 限ら れ 、 天下 一同 之 德政 、 或は 天下
くにつ を
大法德政 と は 稱 し て も 、 その 地域 的 限界 は 狭き もの で あつ た。 各地 の 群雄 が 國次 之 德政 又は 當
國 之 德政 なる もの を 別に 發 し て 、 之 に 似つ た 場合 に は 格調 で ある 。 所謂私 德政 と は 、 多く 共 地
の 支配 者 に 非る 一揆 の 主 領 等 の 営 する もの で 、 法令 の 性質 を 有 せ ざる もの で ある。
二 式 目 の 相 續制 慶

137
式目 の 親族 ・ 相繊 ・ 能力 に する 制度 は 殆 ん ど 御家人 中心 で あり 、 非 御家人 泣 凡下 百姓 に
138
關 する もの が 文献 に 現 はれ て 來る こと は 稀 で ある 。 そこで 以下御家人 を 中心 として 觀察 を 進め
ること する 。 一家 を 統督 す べき 者 は 家督 と 稱 せら れ た 。 一家 と は 、 當時 に 於 て は 今日 の 如き
小 家族で なく、 一門一族 と 同義 に 用いらる こと が 多い。 從 つて 家督 は 族長 の 意 と なる。 將來
家督 と なる べき 地位 に 在る 者 を 子 と 稱 し 、 それ以外 の 者 を 庶子 と 稱 し た 。 多く 正妻 の 長男子
が 嫡子 と せら れ た が 、 家督 は 自由 に 之 を 取立て ( 定め) 且つ 立替える こと が 出來 た から、 次子
三子 が 嫡子 たる こと あり 、 又猿子 が 嫡子 たる こと も あっ た 。 取立 斑 に 立替 は 生前 に 行ひ 得 た の
みなら ず 、 遺言 を以て 行 ふ こと も 出來 た 。 方法 も 亦 自由 で あり 、 江戸 時代 の 武士 に 於ける が 如
き 制限 は 置か れ て い ない。 家督 が 嫡子 の 取立 を 爲 さ ず に 死亡 し た 時 に は 、 家督 の 父母 生存 中 な
らば 共 者 、 若し なけれ ば 後家 ( 寡婦 ) が 諸子 中 より 之 を 定め、 後家 に 子 なき とき に は 一族 家臣
が 合議 し て 定め た 。 死亡直後 に 定め られる こと が 通常 で ある が 、 外孫 の 出生 する を 待っ て 定め
ること も あっ た 。 その間 所領 等 は 親族 が 管理 し 、 家名 を 預る と 言っ て み た 。
家督 は 主君 の 命令 を 一族 に 優宣 し て 、 それに 從 って 行動せしめ、 殊に 大番 役 等 を 勤仕 せしめ
る 。 一族中 に 動功 を 立て た 者 が あれ ば 、 その 者 に 恩賞 あるやう 又 任官叙爵 ある やう 幕府 に 推學
する 。 惣領 制 と 結合 し たる とき に は 、 若し 庶子 が 幕府 に 對 する 義務 展 行 を 忘れ ば 之 に 代っ て 所
定 の 義務 を 果す べく 、 庶子 を 代表 し て 所領 の 安堵 を 受く べき で あつ た 。 そして 義務不履行 を 念
せる 庶子 の 知行 橋 を 没収 する こと も 出來 た。 家督 は 斯く 一族統制 の 權利 と 義務 と を 有し た が 、
共 地位 は 江戸 幕府 時代 に 於ける が 如く 絶 對的 なる もの で なかつ た 。 若し 家督 が 不 賞 の 行 念 を 爲
し 又は 未練なる 所行 が ある と 、 一族の 人々 は 其者 を 廢 し て 「 器用 之 仁 體者 」 を以て 之 に 代 へる
こと が 許さ れ て ゐ た から で ある 。
家督 が 死亡 すれ ば 嫡子 が 代 つて 共 地位 に 就い た 。 そして 所領 と 重代 の 鎧 、 旗、 感 族 等 の 重 寶
を 承け た 。 遺言ある 場合 に は それ に 従 つて 所領 を 庶子 、 後家、 共 他 の 親族に 分 給 せ ね ば なら な
い 。 遺言なき とき 即ち 未 属 分 跡 たり と 雖 も 、 奉公 之 浅 深 、 器量 之 堪否 に 從 つて 分 給す べ かり し
こと は 、 御 成敗 式 目 第 二 十 七條 の 規定 に よつ て 知ら れる 。 分 給 後 も 人的 關係 に 基い て 被 給 者 は
家督 の 統制 を 受け た こと は 上述 の 如く で ある。 死亡 に よら ず し て 家督 の 交替 が 行 は れる 隠居 制
度 は 、 室町 初期 に 入る と 明瞭 に 現 はれ て 來る。 隠居 制 は 公家法 に 於ける 官吏致仕 制 と 開係のあ
ること は 明らか で ある が 、 それ のみ を以て は 起源 を 説明 し 得ない 。 殊に その 發現 年代 に 就 て 然
り。 ご 居行 爲 は 家督 の 地位 を 去り 家産 を 失ふのみ で あつ て 、 親権 を 喪失 せしめる もの で は な

139
いちごぶん
い。 又治 産 能力 を 失ふ わけ で は ない から、 隠居 分 ( 一 期 分 の 一種) を 保有 し 得 た の で ある 。
140
三 八 式 目 の 親族 制度
式目 の 配子 關係 は 律令制 の 親子 ャ 係 の 系統 を 引き 、 親 の 教 令 橋 の 絶對 を 認め たる 上 、 更に 之
を 強化 し て いる 。 その 一 は 親 の 側 よりする 親子 園 係 の 一方 的 切断 で あり、 その 二 は 親子 間 の 訴
訟不 受理 で ある 。
律令 に 於 て は 親子 の 親族 關係 切断 の 方法 は 無かっ た 。 嫁 し たる 女子 と その 夫 に 夫 の 父母 と
の 間 の 親族關係 が 、 法律 上 の 原因 ( 殴打、 罵詈) あること によって 當然解消 する こと が あり、
之 を 義絕 と 稱 し て ゐ た が 、 夫 又は その 父母 の 特別 なる 意思 表示 を 必要 と せ ず 、 武家 法 に 於ける
義絕 と は 甚だ 趣 を 異にする 。 武家 法 に 於 て は 、 血縁 の 親子 關係 に 在る 親 が 、 特に子 に 對 し 親子
關係 切断 の 旨 を 一方 的 に 宣告 する こと を 許し 、 之 を 義絕 と 稱 し て ゐる 。 不孝 ( 不興 ) 、 勘密る ほ
ば 同義 に 用い られ た 。 不孝 は 律令制 八虐 の 罪 の 一 で あり、 教 令 に 違反 する程度で なく、 父母 を
告訴 する 等 の 罪悪 を 犯し たる こと を 指し 、 本 來異 る 意義 を 有し た 。 勘 當 本 來査 問 、 湖 罪 の 意
で あり 放逐 の 如き意義 は 無い。 然るに 録倉 幕府 以來 ( それ より 多少 遡る こと も 出來る ) これ 等
の 三 語 は 如何なる 經路にょ つ た か 不明 で ある が 、 上述 の 如き 意義 に 變 じ て 用い らる に 至っ て
ある 。 義絶 を以て 他人 に 對抗 せ ん が 爲 に は 、 義 紹狀 を 作成 し 又 主君 に 届出 づる こと を 必要 と し
た 。 さうすれ ば 不 孝義 絕 の 子 が 犯罪 を 為してる、 父 に 縁 が 及ば ぬ といふ效果 が あつ た 。 然し
特に 悔返 し ( 取戻 ) を 録さる限り、 父 から子 に 護 興し た 所領 が 當然 に 父 に 復爵 する と いふこ
と は 無 かつた 。 父 が 義絶 を 取消し て 親子 關係 を 復活 せしめ 得 た こと 言 ふ 迄 も ない。
律令 で は 父母 祖父母 の 犯罪 を 摘發 し て 告訴 する こと を 、 不孝 の 一 として 禁止 し て み た こと 上
述 の 如く で ある 。 然るに 式目 法 に 於 て は 、 これ を 民事 的 事項 に 落城 張 し 、 ( 賞 は 所領 の 知行 を
民事 的 事項 と 稱 する こと は 多少 無理 で は ある が ) 、 所領 の 不 當知 行 等 を 理由 として 親子 が 法廷
で 争うこと を 許さ ず と し 、 教 令 違犯 之 罪 なり として 、 主 從對 論 と 同様 に 之 を 禁止 し た 。 然し 不
當 の 事實明白 なる とき は 檢謝沙汰 として 政府 の 手 に ! 制裁 し た 。 こ ト の 父母 父母 中 に は 、 継
母、 外 祖父母、 接祖父母 を 含ま なかつ た 。 かくる 父子 對論 の 禁 は 、 一方に 於 て 親 權強 化 の 時代
思潮 を 反映 する と共に 、 他方 に 於 て 財 產法 と 統治 法 上 の 混淆 狀態 を 示す もの で ある 。
武家 に 於ける 婚姻 は 公家 に 於ける と 異り 、 嫁 入 婚 の 形式 を 探っ た 。 坊 入婚 の 形式 を 排し た 。
導入 婚 は 、 通婚 の 相手方 の 住 地 が 遠く 離れ て ゐる 武家社 會 に 於 て 、 不便と せら れ た 無色あら
COSH資

141
七 日 の 記事 は 之 を 示す 。 この 點 を 除外 し て は 婚姻 法理 は 公家法 と 異る 所 が ない。 例へば 女子 は
142
婚姻 につき 何 等 意思 を 表示 する 權利 を 與 へら れ て 居ら ず 、 婚姻 の 目的 物 的 取扱 と なつ て ゐ た の

で ある。婚姻 の 豫約 として の 婚約 も 存在 し た 。 婚約する こと を 申 名づける 又は 言 名付ける と 稱
し た 。 太刀 等 を その しるし として 、 娘 の 父 より相手方 に 交付 する こと も あつ た 。 婚約 に 婚姻
に 關 する 年齢 制限 は 置か れ て わ ない 。
幕府 は 御家人 の 婚姻 に 干渉 的 態度 を 採つ た が 、 江戸 幕府 の 如く 婚姻自 體 に 迄 は 及ば ず 、 單 に
所領 に 就 て 干渉し た のみ で ある 。 干渉 の 目的 は 所領 に 附着する 御家人 役 ( 關東 之 公事 ) を 確保
する 事 で あつ た 。 從 つて 所領 が 御家人 に 非 る 者 の 支配 下 に 入る が 如き こと さ へ 無けれ ば 干渉 は
し なかつ た 。 此站、 江戸 幕府 が 大名 間 の 婚姻 に 干渉する目的 と 異っ て い た 。 鎌倉 幕府 は 殊に 御
家 人 の 娘 が 月 卿 雲容 に 嫁 する こと を 喜ば ず 、 その 際 に は 娘 に 所領 を 護與 す べから ず と 定め、 又
關東御領 を 学ぶる 單身 の 娘 或は 後家 の 在京 を 禁止 し 、 違反 すれ ば その 所領 を 没収 する こと らし
た。 豫防 的 措置 で ある。 改嫁 ( 再婚 ) は 、 禁止 せ られ ない が 非難 す べきこと ~ せら れ た 。 そし
M
て 若し強いて 行 へ ば 亡夫より 誕與せら れ た 所領 の 知行 權 を 喪失 し た 。
夫婦 たる の 效果 として は 、 夫 の 童 科 の 場合 に 妻 が 縁坐 せらるー こと が あり 、 妻 の 所領 沒收
せら れ た が 、 一般 の 犯罪 に 於 て は 縁坐 は 無 かつた。 離婚手薇 の 詳細 は 不明で ある。 離婚 せらる
る も 當然 に 夫 より 與 へら れ たる 所領 を 失ふ といふ こと は なかつ た 。 喪失 は 妻 の 過失 が 離婚 の 原
因 たる 場合 に 限ら れ た 。 離婚 後 男児出生すれ ば 父 に 付く べき もの と せら れ た 。
元服 の 制度 は 公家 に 初 まつ た もの で 、 武家 は それ を 継承 し た に 過ぎ ない 。 元 は 頭 で あり 服 は
それに 纏 ふる の で ある から 、 元服 と は 冠 の 意 で あり 、 正確 に は 元服 を 加 ふと 言 はれる 。 又 加冠
とも言ふ 。 武家 で は 冠 に 代 へ て 烏帽子 を 用 ひ た 。 殿上 又は 御前 に 於ける 儀式 を以て 行 は れ 、 成
年 式 を 意味 し た 。 その 際 家臣 より起物 を 贈る こと が 慣例 で あり、 太刀 ・ 馬 が 主として 用 ひられ
た 。 代金 を以て する こと も ある 。 これ 德川 幕府 法 に 於ける 大名 の 封建 貨落、 太刀 ・ 馬代 の 濫騰
で ある 。 元服 後 は 呉足 を 附け て 出陣 し 、 軍役 を 果す ことト法る 。 それ 以前に 於 て は 番 代 又は 陣
代 と 稱 する 代理人によって 軍役 を 果さ ね ば ならない。 多く 伯父 等 が 之 に 當る 。 そして 番 代 ・ 陣
代 は 幼 者 養育 の 責任 を 負 ふと 同時に 、 幼 者 の 所領 を 用金する 權利 を 有し た 。 活境 に 通し たる 音
に 對 する 若年 者 後見 制 は 我 武家 法 に は 無 かつた 。 たと へ 七 十 歳 以後に 書か れ たる 誕狀 も 有 效 と
せら れ た 。 そして 一般 原則 に 從 って 、 後 の 護狀 は 前 の 麓 駅 に 優先する 效力 ある もの と せら れ て
ある 。

143
九 式 目 の 罪 刑 制度
144
武家 法 の 罪 刑 制度 は 公家 法 の もの に 比し 可 なり異 って ある 。 刑罰 を 見る と 徒刑
の 消失 が 先 づ
目につく 。 律令 中 に 於 て 徒刑 が 重要なる 刑罰 で あつた のみ で なく 、 検 非 落使 臨 の 露 例 に 於 てそ
れ は 殆 ん ど 唯一 の 刑罰 と なり、 他 の 刑罰 殊に 死刑 は 消滅 に 近かっ た 。 それ が 戰亂 の 後 に 成立 し
た 武家 法 に 於 て は 、 徒刑 は 消滅 し 、 死刑 が 刑罰 の 大宗 と なつ た 。 斬首 の 方法により 行 は れ 、 前
代 の 遺制たる 基首 は 格別として 、 他 に 残忍 なる 死刑 方法 の 用 ひらる こと は なかつ た 。 それ 等
は 戰國 時代 以來 出現 する。 切腹による 死刑 亦 然り。
肉 刑 又は 身 體毀 損 刑 と 稱 す べき 旨 の が あつ た 。 然し その 程度は 軽く、 片方 の 接 髪 を 剃 除く
刑、 指 を 切断 する 刑 、 面 上 又は 身 面 に 對 する 火 即 押捺 の 刑 等 で あり、 則 等 の 極端 なる 不具 は
戰國 時代 以後 で ある 。 そして これ 等 の 刑罰 は 主として 武士 以外 の 者 に 對 し て 科せ
られ 、 武士 に
は それ に 代 へ て 所領 沒收 の 刑 が 科せ られ て おる。 所領 之 沒收 ・ 召ア ・ 召等の 形
で 規定 せらる 」
こと も あり 、 所 職 ・ 所 帶之 改易 の 形 で 規定 せらる こと も あっ た 。 所領 は 職 の 形 に 於 て 知行 せ
られ て おる わけ で ある から 、 結局 同一 で ある。 守護 職 に は 元 來得 分 を 伴 は ぬ もの で あつ た が 、
室町 幕府以來 闕所 管理 檻 共 他 の 方法 により 得 分 を ふこ と なり 、 之 台 大 體他 の 職 を 同 一概 せ
られ 得る 。 所領 没収 に は 全部 の 沒收 と 一部 の 沒收 と が ある 。 主 刑 として 之 が 科せらる こと が
大 部分 で ある が 、 死刑 に 附加 し て 之 が 科せ らる 」 こ と 白 稀 に は あっ た 。 又 自己 犯罪 に 四
の ら
ず 、 他人 の 犯罪により 縁坐 的 に 又は 連坐 的 に 之 を 科せらる こと も あっ た 。 所領
の 沒收 が 行 は
るべき とき に 、 若し 犯人 が 所領 を 有し ない とき に は拠刑 的 に 流刑 を科し た。 流地 は 多く 孤島 で
あつた。 なほ 流刑 と 異る 追放 刑 も 漸く 現 はれ て 來 て ある 。 追放 ・ 追 却 ・ 追 出 等 と 稱 せら れ 、 居
住 地 より 放逐 の 上 、 歸還 を 拒否 せらる 」 ので あつ た 。 一定 の 地 に 居住 す べき 指定 の 無い 話 が 流
刑 と 異る 。
御家人 特有 の 刑 として 出仕 の 停止 が あっ た 。 期限 附 の もの ( 例 、 百 日間 ) 永久 的 なる もの 等
の 區別 が あつ た 。 又 過怠 と 稱 する 刑罰 が あつ た 。 特に 職務 を 怠り たる 場合 に 科せ られ 、 寺社 修
理 等 が 罰 の 内容 で あつた。 な は 今日 の 罰金 に 類する もの も 僅 ながら 存在 し た 。 名主 ・ 百姓 が 他
人 の 妻 と 姦通 し たる 場合、 名主なら ば 過料 錢拾其文、 百姓なら ば 五 貴文 と せら れ 、 三 百 文 乃至
五 百 文 の 少額 窃盗 犯 に 、 科料 錢 二 貫 文 を 科し て おる。 定額 金 錢罰 たる 點 に それ の 特質 を 見る。
犯罪 の 分 績 として は 二 種 のる の が あっ た 。 その 一 は 犯罪 が 守護 の 干典 す べき 大犯 三ヶ條 中 に
合る か 否 か による 區別 で ある 。 前者 に 就 て は 守護 が 身柄 の 管理 構 を 有する に 反し 、 後者 に

145
開 し て は 地頭 が 之 を 有する。 尤も 前者 の 場合 も 守護は 犯人 の 財産 の 管 濯櫃 を 當然 に は 有し
なか
● •

146
つた 。 その 二 は 重科 と 軽科 と の 區別 で あり 、 惡黨 ・ 殺害 ・ 謀書以上 を 重科 と し 、 窃盗 ・ 双 傷 ・
博奕以下 を 軽科 と し 、 輕科 のみ が 恩赦に際し 、 年紀 の 遠近 を 問 はず 悉く 原 せらるべぎる の と
し て おる。 恩赦なく とも 時 の 経過 によって 刑罰 を 免れる と いふ、 所謂 犯罪 時 效制 度 も 多少 現 は
れ て いる。 殺害 人 が 十 ヶ年 を 経 た 後 に は 所 犯 の 輕重 に 陥っ て 放免 せ られる と の 、 文 應元 年 六月
四 日 の 吾妻 鏡 の 記事 は その 意 に 解せ られる 。
守護 代 地頭 代 の 行爲 に し 本人 は 共 責 を 負う べき で あり、 從 つて か いる 代官 が 犯罪 を 行 へ ば
主人 も 連坐 し て 處罰 せら れる こと は 已む を 得 ない わけ で ある 。 唯 代官 が 盗罪 を 犯し た といふ や
うな 職務 に 係 なき 場合 に は 、 勿論 蓮坐 は 及ばない 。 主人 は 代官 を 引渡し て 自己 の 責 を 免れる
方法 も 認め られ た 。 大 犯 三ヶ保 の 罪 を 犯し た 者 の 妻 は、 縁坐 に よ つて 所領 没収 の 厄 を 蒙り 、 課
叛 が 行 は れる と 縁坐 は 親子 兄弟 混類一家一門 に 及ん だ 。
式目 の 定め て おる 犯罪 の 種類 は 、 律令 と 似 たる 所 も あり 又 時勢 を 反映 し て 特殊 な もの もあ
る 。 その 內主たる もの のみ を 學げ て 見る こと する 。 最も 重い もの として 謀叛 が ある。 律令 の
謀叛 に 謀殺 本 主 の 意味 を 加 へ た もの で 、 武家 法 特有 の 意味 を 有する 。 犯人 に 對 する 處罰 は 繰め
定め 難し と し 、 先例 及 時宜 に 依る べき もの と し た 。 縁坐 に 就 て は 上述 し た 。 殺害 ・ 夜討 ・ 強盗 ・
1
山賊 ・ 海賊 は 之 に 次ぐ 重犯 で 、 その 內 殺害 犯 に 就 て は 犯人 は 死刑 、 情 を 知れる 父 又は子 は
し た。 情 を 知ら ざる も 父祖 の 怨敵たる 場合 亦 同じ。 こ ト に 殺害 と は 口論 等 に 基く 突發 的 なる 宮
の を 含ま ず 、 かいる 場合 に は 縁坐 は なかつ た 。 犯人 の 死刑 と 所領 沒收 のみ。 双 傷即ち 傷害 ち 殺
害 に 準じ て 處理 せら れ た 。
夜討 ・ 強盗 ・ 山賊 ・ 海賊 は 集團 犯罪 の 性質 を 有する が 、 刑 は 最初 流刑 、 後 に 動刑 と なつ た 。
徒黨 を 成し 一揆 衆 と 號 し て 合 に 及ぶ 者 は 、 それ が 財物 強奪 の 言 的 に 出 づる と 然ら さる と を 問
はず、 室町 幕府 の 法令 は 首題 に 死刑 を 科し た 。 又 、 幕府 の 命令 に 依ら ず し て 私 員 ( 敬 殿 防職 )
を 行い たる とき は 、 指揮 者 は 所領 没収 の 上 速 流 ( 永正 十 一 年 以來 死刑 ) 、 臨從 者 は 所領 沒收 又は
還流 の 處罰 を 受け た 。 但し 防戴 し たる 者 が 正常 の 理由 を 有する とき は 刑 又は 減 輕 を 見 た 。
不動産照益 と も 構うべき 掠領 、 苅田 狼藉 なる 犯罪 の 存在 も 時代 相 を 示し て いる 。 掠 領せる 者
が 所領 を 有する 者 なる とき は 所領 分 之 一 の 沒收 、 有 せ ざる とき は 流刑 で あつた 。 後 に は 本領
全部 の 沒收 に 抱強 化 せ られ た 。 坂田 沢清 は 所領 五 分 之 一 、 所領 無き とき は 流刑 の 制裁 を 受け
た 。 放火 は 強盗 に 準ずる 。 病盗 は 職 物 の 多寡によって 魔 罰 を 異にする 方針 が 當初 採ら れ た 。 多

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額 犯 に 就 て のみ 流刑 又は 禁獄 を 科し 、 少額 犯 は 賠償 せしめ 或は 罰金 を 科する のみ で あつた。 累
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身 面 に 押捺 し 来
犯 に 就 て 共 後改正 あり、 初犯 は 火印 を 共
犯 は 少額 犯犯 と 雖 も 多額 犯 と 同一 。 多額 就

た 。 土倉 が 不 當
なら ば 一 度 たり と も 還流 の 刑 と せら れ
犯 三 度 に 及べ ば 斬首 と し 、 若し 犯人 武士
て いる 。 賭博 は そ
慶詞 し て みる こと は 、 時代 相 を 表 は し
に 居 を 移し た 時 に は 之 を 満 盗 に 準じ て
天 六 を 許さ
を 問 はず 禁止 せ られ た 。 但し 武士 のみ は
の 方法 が 四 一生 、 日 勝 たると 、 雙 六 たると
詐欺 の 港 と なる
沒收 、 所領 泳 き とき は 遠流 と せら れ た 。
れる 。 違反 音 は 所領 ある とき は それ の
が 凡下 躍 た
刑罰 と 同一 の 罰 を 科せ られ た 。 但し 犯人
文書 偽造 は 謀書 と 稱 せら れ 、 賭博 に 對 する
を 得 ん と 圖つた 者 亦 同じ 。
らば 面 上 に 印 を 捺す こと 」 し た 。 一言 を以て 所領
ゐる こと も 時代 的
狼藉 と 稱 せら れ 、 非常 に 重く 扱 はれ て
言語 又は 動作 による 侮辱 は 當時 惡口
感 を 行
流刑 と せら れ た 。 家臣 が 行動 により
特色 を 成す 。 輕 きる の は 召籠 で ある が 童 きる の は
は 被
犯人 ( 下 宇人 ) を 被害 側 に 委 付し て 責 を 免れ た 。 下手人
ひたる とき に は 、 主君 は 多く その
置く 扱
置 を 受け たると と 言 ふ 迄 も ない。 打擲 ( 殴打 ) も比較的
害 者 の 手 に よ つて 斬首 共 他 の 、
ば 流刑 、 郎 從以 下 は 六 十 日間 の 召禁 の 處罰 を 受け た が
はれ 、 所領 あら ば それ の 沒收 、 無けれ
せら れ た 。
土民 の 間 の もの は 批無 き 限り 無罪 と
無 夫 の 強姦 は 道路 に 於 て 行 ひたる 場合 に 限り
無 夫 の 和姦 の 處罰 は 公家 社 會 に のみ 殘存 し た 。
處罰 せら れ 、 御家人 は 百 日 の 出仕停止 、 郎 從以 下 は 片装潮 除 の 刑 で あつた。 有夫姦
は 強姦和姦
を 區別 せ ず 、 男女 を 區別 せ ず 所領 牛 分 沒收 の 刑 を 科し 、 所領 なけれ ば 遠流 と し
た 。 然し以上 は
みやうし ‼
武士 が 犯人 たる 場合 で あり 、 右 主 百姓 たる とき に は 、 犯人 は 男女 とも 科料 錢 で あつた 。
以上 を 要するに 、 犯罪 人 の 處遇 即ち 刑罰 を 科する に 就 て 、 その 犯人 が 武士 たる か 然 らざる か
によって 刑罰 の 種類 を 異に し 、 又 武士 たり と 雖 も 所領 を 有する 者 たる か 否 か に よつ て 之 を 異に
し た の で ある。 程度 を 異に し た の で ない 點 に 於 て 、 前 代 の 官吏 の 閏 州 に 似る。 又 、 所領 の 奪
を 位記 の 巻 に 對比 し て 、 兩者 の 類似 を 後見 する こと も 不可能 で は ない。 と も 角新くし て 身分
的 黑別 處遇 へ の 途 は 開か れ 、 それ は 江戸 幕府 の 法制 に 於 て 編著 なる 發造 を 逐 ぐる に 至る。
三 ○ 自 の 判 制度
式当 に 於 て は 訴訟 は 沙汰 と 稱 せら れ 、 所務 沙汰 、 継務沙汰、 微 斷 沙汰 の 三種 に 分た れ 、 前 代
律令制 に 於 て 訴訟 ・ 寄識 に 分た れ たると を 異にする 。 蓋し 庄園 制 の 系統 を 引く が 故 で ある 。
所務沙汰 は 所領 に 關 する 訴訟 を その 内容 と し 、 雑務沙汰 は それ 以外 の 私 人間 の 訴訟 で あり 、 被
断 沙汰 は 犯罪の 審理 裁判 で ある。 所務沙汰 ・ 雑務沙汰 の 區別 は 、 德川 法制 の 本 公事 ・ 金 公事 の

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區別 と 必ずしも一致する わけ で は ない が 、 前者 あり し こと に よ つて 愛 者 の 別 が 生じ た こと は
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箏 へ ない。
鎌倉 幕府 に 於 て は 、 當初 所務沙汰 も 雑務 沙汰 も 問 注 所 の 管轄 に 盛 し て わ た が
、 評定 衆 引付 衆
が 置かる に 至り 所務沙汰 は 此處 に 移り 、 問注所 は 雑務沙汰 に 専ら當る こと なつ た 。 然し 兩
者 の 事項 は 關渉 する ので 、 事件 の 受付 及び 分配 は 凡て 問 注 所 に 於 て 行っ た 。 雑務沙汰 の 內 で 關
西 地方 の もの は 六 波 羅 が 、 九州 探題 が 置か れ て から は 九州地方 の もの は 九州 探題 が 管轄 し
、 又
鎌倉 中 の もの は 特に 政所 が 管轄 し て みる 。 檢断 沙汰 は 關東 は 侍所、 京都 にて は 六 波 羅 の 頭
人 が 當つた。 守護 に 裁判 帯 あり し や 否や は 未詳 。
判 を 貸すに際し 退座 の 制 が あつ た 。 退座 と は 今日 の 裁判官 除 斥 の 制 と 同じ 。 裁判官 たる 者
が 訴人 ( 原告 ) 人 ( 被告 ) と 法定 の 親族 關係 ある とき 之 が 行 はれる。 偏頭 の 置 を 篤 す 倶あ
り と 考へ られ た から で ある 。
訴訟 手織 は 所誇沙汰 も 雑務沙汰 、 大 體同 様 で あつた。 先 づ 訴人より 裁判所 へ 目安 ( 5 狀 ) が
提出 せ られる 。 兵 害 と 總稱 せられる 謎操 書類 が 添付 せ られ た 。 それ 等 により 不 當 訴訟 たる こと
が 明らか で あれ ば 、 訴 は 直ちに 却下 さ れ た 。 正 當 な 訴 で ある とき は 裁判所 より 論人 ( 被告 ) に
対し 問 状 が せら れ 、 論 人 は に し 初答 族 ( 初陳狀、 支狀 ) を 提出 する 。 裁判所 は それ を 訴
人 に 示し て 申開き を 求める。 訴人 は そこ で 二 問 状 を 發 し 、 之 に 對 し て 二 答 狀 あり、 訴人 の 三 問
狀、 論 人 の 答 狀 の 提出 、 所謂 三 問 三 答 あつ て 判決 に 熟 する と と なる 。 所謂 書面 保理 制 であ
る 。 但し 對決 (口頭緯 論 ) が 必要と 認め られる 場合 は 、 召符御教書 を以て 指定 期日 以內 に 裁判
所 に 出頭を 命じ 、 若し出頭し ない 者 が あれ ば 相手方 の 申立 り に 判決 せ られる。 ( 但し 寶治 元
年 以前 は 之 と 異る 。 ) 双方出頭すれ ば 双方より 訴狀 陳 状 を 提出 せしめ て これ に 淡 を 加 へ、 別
に 提出 せしめ た 寫し を 用 ひ て 係 奉行 は 自宅 にて 研究 を 巻げ 、 次いで 奉行 所 にて 係 奉行 灌 は 內問
答 を 行 ふ 。 然る後 に 訴論 人 を 呼出し 、 引付 に 於 て 問答 を 行 ふ 。 一同 にて 終了 する こと を 原則 と
し た が 、 織行する こと も あつ た 。 問答 は 記錄 せら れる。 記録する こと を 問答注記又は 問注 とい
ふ 。 問注 を 經又 は 經る こと なく 、 訴訟 記録によって 主任 奉行 は 判決 案 を 作成する。 その 案 を 符
案 又は 事書 といふ。 主任 奉行 は 之 を 係 奉行全員 に 示し て 用語 の 取捨 を 行ひ、 初めて 評定 所 の 議
に 付せ らる 」 こと 、 なる 。
評定 所 に は 執權 ・ 連署 ・ 評定 衆 が 参集する 。 六 波 羅 にて は 之 に 代っ て 探題 故に 五 万引 付 の 頭
人 衆 中 が 参集する。 そして 間取 を 行 な 意見 發表 の 順序 を 定める 。 開因 の 開 係 文書 の 説 上 に 初ま

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り 、 一座 の 者 の 意見 開陳 に 移り、 若し 審理 不 話 と 決定 せ られ ば 、 事 賞 は 元 の 引付 へ 差戻し て
DECENT

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再 に 付せ られる。 然 らざる 場合 に は 是非 の 決定 が 行 はれ て 、 その 旨 事 書 に 頭 貴 せ られる。 そ
れ を 評 奈落 た 事 書 と 稱 し 、 それ を 基礎として 判決 文 が起草 せ られ 、 草案 成れ ば 之 が 一同 に 披露
せられ 、 次いで 清書 に 移る。 清書 に 親權 ・ 湿署 ( 又は兩探 題 ) が 判 を 加 へ て 判決 書 ( 下知 狀 )
が 出事 上り、 搭常 の 引付 頭 人 より 勝訴 人 に 交付 せ られる。 そして 裁判 は 終結する。 之 を 事 切 の
御 成敗 と 稱 し 、 訴陳 状 は 事 切 文書 と 書き記し て 文倉 へ 職置 さ れる こと 」 なる。 室町 幕府 に 於け
る 手識 は 殆 ん ど 鎌倉 幕府 の 宮の と 同じ で あり、 唯 多少 の 相違 が あっ た に 過ぎない。 例へば訴人
を 問状 給 前 に 訊問 する こと、 略式 手 減 による 安堵 が 行 はれる に 至つ た こと 等 で ある。 今 その
說明 は 之 を 省く 。
裁判 は 離職 によって 行 はれ た 。 唯證 方法 の 種類に従って その 證撮 力 に 優劣 が 附せ られ て わ
た 點 が 異る。 證文 が 第 一 、 證人 が 第 二 、 起請文 が 第 三 と なつ て ゐ た 。 そして 證文を以て は 不 分
明 な とき に 初めて 認人 が 用い られ 、 證人 の 證言にて 不 分明 な とき に のみ 起請文 が 用い られ た 。
磁文 たる に は 所謂證書のみなら ず 消息 ( 手紙) 其他 の 書 狀 にて 足り た 。 證人 の 謎 言 は 出頭 し て
行 は れること も あり 、 書面 に 記載 し て 提出 せ られる こと も あつ た が 、 この 場合 に は 起請文 の 形
式 を 採ら しめ た 。 必要ある 場合 に は 賞 地 検診 の 方法 探ら れ た 。 例へば 境界 争 の 場合 の 如し。
起請文 制度 は 鎌倉 幕府 時代 に 於 て 愛用 せ られ たる 制度 で あり 、 室町 幕府 時代 に 至る と 之 に 代
へ て 、 湯 起請 の 方法 が 用い られ た 。 鎌倉 時代 の もの は 、 起請文 に 主張 を 書か しめ て 神社 に 一定
期間 俊龍 せしめ 、 その 期間 中 に 起請 失 が 起ら なけれ ば 主張 は 眞實 と 認め られ 、 起れ ば 主張 は 虚
偽 と 見 られること に なる。 起請 失 に は 鼻血 が 出る こと 其他 八 種 が 數 へら れ て いる 例 が ある。 湯
起請 は 大化 前代 の 盟 神 探湯 に 似 たる もの で あり 、 之 を 行う 際 に は 先 づ 起請文 を 焼い て 灰 と 為し
て 之 を 呑み、 沸湯 中 に 手 を 入れ て 石 を 取上げる が 、 之 を 爲 し 得 ざる 者 は 敗者 と なる。 双方 共 取
上げ 得れ ば 、 三日間 を 経 て 手 に 損傷ある や 否や の 検査 を 行ひ 、 損傷 なけれ ば 主張正しき こと 」
なる 。 双方 に 損傷なき とき は 繋物は 折半 せ られ 、 双方 に 損傷 が あつ た とき は 繋 宇物 は 裁判所
に 沒收 せら れ た 。
裁判 に 不服 なる 者 は 原 裁判所 に 上 用 し て 訂正 を 乞 ふ こと が 出来 た 。 之 を 覆勘 といふ 。 不 當 に
訂正 を 拒ん だ と 考へ た 場合 に は 越訴 奉行 に 越訴 出來 た 。 越訴 が 理由 あり と せら れ 」 ば 、 原 判決 -
て いちゅう
を 破毀 し て 引付 へ 差戻さ れ た 。
庭 中 と 稱 する もの は 、 越訴 が 書面 で ある に 反し口頭で ある 點 で
異 っ た。 引付 庭 中 は 引付 の 座 に 訴 へ 御 前庭 中 は 評定 の 座 に 訴 へ た 。 但し 六 波 羅 で は 庭 中 は 書面

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にょ って 行 はれ て ゐる 。

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侍所 や 六 波 羅 に 於ける 檢斷 手織 に 就 て 知ら れ て ある 所 は 少い 。 拷問 の 存在 し た こと 、 財産 犯
に 於 て は 訴人 論 人 對立 の 方法 に 於ける 裁判 が 行 はれ て ゐ た こと 等 を げ 得る。 拷問 は 強問 倣問
とも 言 は れ 、 火責 ・ 水 責 が 存在 し た 。 自白 は 白狀 と 稱 せら れ 、 それ を 記し た 書面 白 狀 と 稱 し
た 。
三 一 戦国 時代 に 於ける法制 一 斑
室町 末期 の 所謂 戰國 時代 は 各地 各 樣 の 條目盛 に 慣習 法 に よ つて 規律 さ れ て 居つ た こと は 嘗て
述べ た ( 八 九 頁 )。 それ 等 の 間 の 共通 なる 軸 を 拾 つて 述べる こと 興味 ある こと で は ある が 、
みやうじゅ
今 は 凡て 之 を 管く 。 唯一 二 重要なる 點 を 指摘 すれ ば 、 先 づ 統治 法 の 部面 に 於 て 名主 の 地位 が 向
上 し て 黒 村 自治 の 中核 と なり、 守護地頭 の 後身たる 領主 と 直接 に 結びつき、 所謂百姓 請 ・ 地下
請 と 稱する年貢 請負 を 行ひ、 逐次村中 の 行政 事務 を 搭當 する に 至 つて ゐる こと が 目 につ 斯
みやうじゆ
・ くし て 名主 は 單 なる 名田 保有 者 たること から 村役人 に 變 じ 、 而 も 彼等 の 武器 帶有 は 天正 六 年 の
柴田 勝家 の 刀 狩 に 續く 、 天正 十 六 年 七月 に 於ける 豐臣 秀吉 の 全 國的 なる 刀 狩 によって 不可能 と
なり 、 こん に 全く 江戸 時代 的 名主 の 形 を 具 ふる に 至つ た の で ある 。 但し 關西 方面 で は 庄屋 の 名
が 残っ て 用い られ た 。
1 1
又 此時 代 に は 各地 に 城下町 其他 の 都市 が 成立 し て おる。 山地 に 於ける 築城 は 鐵炮 の 傅 來 に よ
つて 厳 れ 、 平地 に 赴麗なる 城 を 築き、 城下 に は 足 體 と 稱 する 歩兵部隊 を 居住 せしめ た ので、 商
業 順 に 発 差し 大都市 を 生じ た 。 又 商業のみを以て 立つ 海岸 部 市 も 成長 し た 。 そして 殊に 後者 に
於 て は 特殊 の 行政 組織 を 整へ て 、 領主より 或 程度 の 自治 橋 を 獲得 し た もの も ある。 就中 泉州 堺
は 自治 の 程度高く、 欧洲 の ハンザ 都市 に 近き もの が あつ た 。 屋 貸 十 人 衆 とか 三 十 六 人 衆 とか
稱 せら れ た 、 貿易其他 の 營業 者 に し て 有力 なる 商業資本 家 の 手 によって 、 町內 の 公事 訴訟 共 他
の 行政 事務 は 執行 さ れ た ので あつ た 。 都市 の 土地 から は 、 農村 の 如き 米 麥 の 年貢 を 納入 するこ
と は 無く、 多少 の 金 による 年 式 が 存在 し た に 過ぎ ない。
豊臣 秀吉 による 文膝 の 検地 は 、 天正 十 七 年 の 頃 より 初 まり 、 交際 二 年 三 年 の 頃 に 亘 つて 行 は
れ 全國 に 及ん だ 。 六 尺 三 寸 の 竿 を以て 測り 、 三 百 歩 を 一段と 改め、 上田 ・ 中田 ・ 下田 の 別 に よ
こくだか ●
り 石高 を 定め 、 畠ち 上 ・ 中 ・ 下 に 分 つて 米 を以て 石高 を 定め、 屋敷 は 大 體上 富 に 準じ た 。 山
地 ・ 原野 ・ 河原 に 就 て も それぞれ 定め られ 、 こ ト に 全國 や 一祥 の 石高 の 定 が 出 來上 つ た ので
えいだか なほ
ある 。 後世 この 永 高 から 石高 へ の 移行 を 石 直し と 稱 し た 。 江戸 時代 に 於 て 古 檢 と 稱 し た の は 此

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檢地 の こと で ある 。 慶長 元和 以後 の 德川 氏 による 新 機 に し て 用いる 。 新 檢 で は 六 尺 一 分 又は
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一 丈 二 尺 二 分 の 竿 を 用ひ た 。
刑罰 に 就 て は 喧嘩 兩 成敗 法 と 地域 的連坐 制 の 採用 と が 著しい 。 前者 は 、 殺伐 なる 時代 に 於 て
理事の 究明困難なる 事情あり し と 、 喧嘩 自 體 の 減少 を 圖 らん と する 政策 的 意圖より し て 行 は

れ 、 武士 に 對 し て のみなら ず 、 公家 ・ 神官 ・ 僧侶 に 對 し て 適用 さ れ た 。 進ん で は 、 喧嘩 に よ
かたきうち
る 殺人 等 に 對 し て は 裁判 を 拒否 する と と も 行 はれ た 。 そして 私的 復讐 に 委し た 。 所謂 敵討 であ
る 。 地域 的 蓮生 は 一村一輝 に 及ぶ もの も あり、 又 五 人組 十 人組 等 の 範囲 に 施 ぎ ぬ もの も あつ た
が 、 これ に よ つて 犯罪 の 防 過 湿 に 摘發 を 容易に せんと 圖つ た の で ある 。
第四 章 武 家法 時代 ( 下 )
三三法 源
勢力 均衡 によって 後事 の 回滿 なる 進行 を 期待 し、 五 大老 と 五 奉行 を 置き 、 諸般 の 命令 は それ
等 の 連署 を以て 發 せらる べき もの と 定め た 習臣 秀吉 の 意図 も 、 慶長 三 年 八月その 没後 日 なら ず
し て 崩れ 初め、 次第に 德川 家康 の 獨裁 に 傾き、 同 五 年 九月 關ヶ原 の 職 によって その 形勢 は 決定
的 と なつ た 。 そして 翌月 家康 に よつ て 自由 に 論功行賞 が 行 は れ 、 諸 大名 は 争っ て 共 苑 行 狀 を 受
け 、 家康 の 統制 に 服する こと なつた。 慶長 八 年 二 月 家康征夷 大 將軍 に 任 ぜらる や 、 彼は 名
「 共に 行政 の 權力 を 掌握 し た 。 又 慶長 九 年 以降 南洋 渡航 の 船舶 に 對 し て 免許 の 朱印 狀 を 獲行 す
る に 至り 、 秀吉 の 有し た 地位 は 家康 に よつ て 完全 に 代ら れ た ので あつ た 。
然しながら 慶長 十 九 年 末 の 大阪 冬 の 陣 、 同 二 十 年 ( 元和 元年 ) 五月 の 大阪 夏 の 陣 の 二 回 に 亘
る 大阪城 攻略 職 を 濟 す 迄 は 、 家康 秀忠 父子 として は な は 多少 の 不安 を 藏 し て 居つ た もの と 見
( 公家諸法 度度 ) を 發布 し た の は 、、 夏 の 陣 の 空翌 切
え 、 十三 條 の 武家諸法 度 、 十 七條 の 禁中 方 御 條 目

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胃 ら 慶長 二 十 年 ( 元和 元年 ) 七月 の 事 で あつ た 。 前者 は 大名 を 統制 すること を目的 と する
もの で あり 、 後者 は 京都 の 公家 を 統制 する こと を 目的 と し た 。 尤も これ より 先 慶長 十 六 年 四月
十 二 日 、 偶 : 御 即位 織 に 参列 の 驚 在京 し たる 家康は 、 在京在國 の 諸 大名 に 對 し 誓詞 の 提出 を 求
め 、 江戶 の 法令 を 遂守 す べき 事 等 三ヶ條誓は せ た 。 而 も それ の 選 反 に対する 制裁は 「 被 逐 :
御紀明。 速 可 被 處最 之 法度 」 と な つて 居り、 江戶 より の 武力 的 制裁で あつ て 神罰 兵 罰 の
如き 精神 的 制裁 で は なかつ た 。 斯く 前 以 つて 主 從的 關係 が 確定 し て み た の で ある から 、 武家 諸
浜 展 は 此 三 ヶ 像 を 敷衍 し た に 過ぎない もの とも 言へる。 此武 家 諸法 度 は 、 主従 関係 とい 為人
的 關係 に 基く もの と 考へ られ て い た 爲 に 、 將軍 が 交替する と 多少 の 改 酸 を 加 へ て 新 に 發布 さ れ
ること を 常 と し た 。 寛永 六 年 、 同 十 二 年 、 寛文 三 年 、 天和 三 年 、 資永 七 年 と 發布 せら れ 、 安政
六 年 に 至っ て 止ん だ 。
禁中 方 御 條 目 は 天皇 の 御 日常 生活 より 大橋 發動 の 方法 迄 規定 し た こと 、 故に 武家 の 官位 が 公
家 當官 の 外 たる べき 事 を 明文を以て 定め た こと に 特色 が ある 。 此法 令 を 發布 する に 就 て は 、 朝
廷方 の 代 者 とも 言 ふ べき 二 低 關白 藤原 昭賞 と 共同 發布 の 體裁 を 探つ て ゐる 。 然し 「 質 に 於 て
それ は 幕府 の 定め たる 法令 に 相違 なく 、 これ によって 朝廷 を 幕府 と 同格 以下 と 考へ た 幕府 の 基
本 的 態度を 知り 得る 。 年 號 の 決定 さ へ 幕府 の 手 によって 行はれ て ゐ た 。 然し 外形 上 は 之 を 畏敬
する 姿態 を 示し 、 朝廷 に 吉凶 あら ば 幕府 は 御 税 儀 御 香典 等 を 献じ 又 諸侯 を し て 継ぎ しめ た ので
あつた 。 そして 官位 は 凡て 朝廷 より受く べき もの と し た。 幕府 より 朝廷 に 對 する 返答 は 特に 勅
答 と 稱 へ て み た 。 然るに 元和 元年 より 約 百 年 を 經 たる 正 德 二 年 三月 に は 、 特に 胸書 を 渡し 、 勅
答 の 語 を 厳し 御 返答 の 語 を 用 ふ べきる の と 改め、 こん に 外形 上 、 朝 幕 同 怖 の 形 を 探る に 至つ
た。
既存 の 諸 集 圏 に 分つ て 別々 に 法制 を 布く こと が 、 江戸 幕府 の 根本 態度 で あつた 。 そこで 上述
の 武家諸法 度 及び 公家諸法 度 の 外 に 、 旗本御家人 強 に関して は 寛永 九 年 九月 の 諸 士 法 度 を 初 と
し て 、 寛永 十 二 年 、 寛文 九 年 等 の 諸 士 法 度 が 發布 せら れ 、 寺 に 對 し て は 宗派 別 に 浄土宗諸法 度
其他 が 發 せら れ 、 後 に 共通 規定 として 諸宗 寺院 法 度 七條 が 定め られ た 。 慶安 二 年 二月 に は 百姓
心 懸 又は 汎 邑法 度 と 稱 せられる もの が 領 布 せら れ 、 明暦元年 十 月 に は 江戸 中定 が 發布 せら れ て
わる 。 又所 謂 五 人組 帳 も 此時 代 の 法律 を 定め たる もの と 言 は ざる を 得 ない 。 五 人組 帳 と は 名主
以下 の 村役人 並 に 村人 が 遵守 す べき 條規 を 列車 し 、 末尾 に 名主 以下 の 村役人 の 遺 印 を以て 遵守

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うけしよ
を 誓っ た 請書 の 形式 を 具 へ た もの で ある。 村役人 が 總 五 人組 を 代表 し た わけ で ある が 、 中 に は
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總員 の 連用 を 有し た もの も ある 。 講書 の 寫し は 名主 方 に 備付け られ 、 可 なり 頻繁 に 村人 に 霞み
聞か せ て 周知 を 図っ た。
江 戶幕 府 開設 後 百 四 十 年 を 経過する 間 に 、 次第に 先例 舊規 は 蓄積 し て 、 行政 事項、 刑事民事
の 裁判 に 就き一定 の 標準 が 定まっ た 。 そして これ 等 を 参照 に 便利 な 形 に 編纂 する 要求 が 起り、
行政 事項 は 御 獨書 集成 の 形 で 、 民事 刑事 の 裁判 に 就 て は 公事 方 御 定書 の 形 で 寛保 年間 に 編纂 が
實 現し た 。 一種 の 法典 で ある が 、 それ は 決して 人民 の 鶯 の もの で なく、 あくまで 係 役人 の 便宜
の 為 の もの で あつ た 。 公事 方 御 定書 は 上下 二 部 に 分た れ 、 上 恋 は 滅 判 の 執務 規定 ( 宇概 規定 )
で あり、 下 卷 は 犯罪 ・ 刑罰 ・ 民事 關係 等 の 實體 規定 と 言 ふ べき もの で あつ た 。 下巻 は 百 II ! ケ
味 ある ので 世に 之 を 御 定書百ヶ 條 と 稱 する。 そして刑事 政策 上 より 係 の 奉行以外 に は 一切 他 見
を 許さ ざる 秘密 文書 と し た 。 賞 際 は 然し 可 なり し が 流布 し て み た 。 御 定書 は 寛保 二 年 に 出來
上つた。 御 鶴誉 寛保 集成 は 翌 三 年 出水 上り 、 共 後 十 数 年 後 の 愛 暦 十 年 に は 同 賞 暦 集成 が 、 更に
天明 七 年 及天 保 八 年 に は それぞれ 同 天 明成 と 天保 集成 が 出來 て ゐる 。 これ 等 役人 の 鶯 の もの
の 外 に 人民 一般 の 爲 の 法典 は 無 かつた。 必要 に 應 じ 觸書 を まわし、 高札 を 掲げ て 知らしめる 程
度 の もの で あつ た 。 これ 等 江戸 幕府 の 諸 法令 は 、 明治 十 一 年 司法省 の 手 により 、 幕府 より の 引
継 文書 を 基礎 として 活版に 附せ られ 、 德川 禁令 考 六 帙 、 同 後 聚 六 映 として 世に 送ら れ た 。
上 來述 べ 來 つた 如 を 恒常 的 法令 の 外 に 、 なほ 臨時 的 法令 白 數 々 あっ た 。 就中 軍勢 集合 の 際 、
殊に 對陣 ( 大阪 役 等 ) 又は 日光託参 供奉 行列 等 の 際 に 、 全 軍 を 統率する の 規定 が 置か れ た 。
軍令 とも 言 ひ 得る 。 喧嘩 兩 成敗 法 を 始 として 、 押買 狼藉 の 禁 、 先陣 争 の 禁 、 共 他 種々 の 事項 に
及ん だ 。 軍令 は 共 軍事 行動 に 隠係 する 全員 に 直接 效力 が 及ん だ 期 に 特色 が あり 、 手 が 大名
たる と 旗本 たると 、 それ 等 の 者 の 家臣 下 人 たると を 問 は なかつ た 。 此點 に 於 て 武家 諸法 度 が 大
名 のみ ( 共 家臣 ・ 領民 に は 及ば ぬ ) を 拘束 し 、 士 法 度 が 旗本のみ を 拘束する といふ の と 異 っ
て み た。

大名 は 共 領内 に 對 する 立法 ・ 司法 ・ 行政 ・ 軍事 の 權力 を 有し た 。 從 って 領 內限 り 適用 ある べ
き 法令 即ち 滞 法 を する こと は 自由 に 念 し 得 た 。 戰國 以來 の 家柄 を 有する 大名 は 在 來 の もの を
踏襲 し 、 新しき 大名 は 新 に 制 を 立て た 。 上述 の 如く 武家 諸法 度 は 直接 諸 藩 の 領民 を 拘束 する も
の で は ない ので、 たと へ 慶長 十 六 年 に 大名 が 家康 に 誓詞 を 差出し、 又 正 德 六 年 六月 に 大名 が 將
軍 吉宗 に 詞 を 差出し て 、 幕府 法 を 遵守 す べき 事 を 誓っ て も 、 それ は 大名個人 の 行動 に 開 する

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もの に 過ぎ ない 。 然るに 寛永 十 二 年 に 武家諸法 度 の 末 に 「 萬事如江 戶之 法 度 於國 々 所々 」

可変 三 行 之 事 。 」 と 定め られ て 以來 は 、 藩 法 を 凡て 幕府 法 と 類型 の もの と 成す べき 擔 を 、 大 %
名 は 負 ふ に 至つ た と 見 なけれ ば なら ぬ 。 斯く し て 藩 法 は 幕府 法 に 近づき、 幕府 法 は 賞質 的 に 藩
內 を 支配 せんと する に 至つ た わけ で ある 。 然し 藩 法 検討 の 結果 は 、 必ずしもその こと が 賞 現さ
れ て 居る と は 言 へ ない。
以上 對內 的 法律 とも 言 ふ べき もの に関して、 對外 的 法律 とも 言 ふ べき もの が 考へ られる 。 唯
幕末 に 至る 迄 は オランダ 人 共 他 の 者 に 對 し て は 、 多く 國家 と 國家 と の 條約 の 形 を 採ら ず 、 幕府
より カピタン 等 に 對 する 居住 共 他 の 事項 に 關 する 一方 的 許可 の 形式 を 探つ て み た
。 然るに 嘉永
七 年 ( 安政 元年 ) 三月 米國 と の 間 に 和親 條約 を 締結 し 安政 二 年 一 月 批准 交換 を 行い、 又 安政 五
年 六月 同國 と の 間 に 通商 條 約 を 締結 し 萬延 元年 四月 批准 交換 を 行う に 至る と 、 近代 的 なる 條 約
の 形式 が 採用 せ られ 、 將軍 は 日本 大君 として 、 全 權委 員 を 任命 し て 條 約 の 締結 致 に 批准 交換 を
行 は しめ た 。 それ 等 の 內 に 領事 裁判 權 ( 通商 條 約 第 六 保 ) 、 約定 關稅 率 (同上 別冊 第 七 則 ) の 規

定共 他 が あり 、 幕府 の 司法 權 ・ 立法 權 を 拘束 し た ので あつ た 。
三 江戸 の 制
德川 將軍 の 初代 家康 は 、 上京 の 上 伏見 城 に 於 て 將軍 宣下 を 受け た 。 秀忠 家光 台 之 に 倣っ た 。
然るに 四 代 家綱 が 十 一茂 の 幼年 にて 將軍 と なり 、 江戶 に 於 て 宣下 を 受け て から は 、 之 が 例 と 法
つた 。 將軍 と なる に 前 將軍 の 死後 を 承ける こと も あつ た が 、 家康 を 初め として 生前 護補 の 事 が
展 » 行 はれ て ゐる。 その 場合 前 將軍 を 大御所 と 稱 し た 。 將軍 は 必ず 源氏 の 氏 長者、 浮和 舞學兩
院 の 別 當 に 補せ られ た が 、 これ は 名 響 的 稱 ) に 過ぎ 宇實 質 は 伴 つて ゐ ない。 なは 將軍 の 帯び た
朝 官 は 正 二 位 内大臣 が 多 かつ た が 、 從 一 位 に 叙せ られ 太政大臣 に 任ぜ られ た 者 も 無い で は な
い 。 將軍 世子 と 定まれ ば 、 從 二 位 構 大納言 に 任 ぜらる 」 こと 例 で あつた。 それ 等 の 官職 が 員
外 で あり 落 を 伴 ふ もの で ないこと は 説 逃し た 所 に よつ て 明らか で ある。 斯く て 慶 應 三年 末 の
大政奉還 まで 推移 する 。
將軍 の 下 に 在っ て 行政 理 に 當る 者 は 、 老中 及若 年寄 を以て 首班 と し た 。 老中 は 特に 禁 中公
家 門跡 に 關 する 事 、 導流 事件、 萬 石 以上 ( 交代 寄合 も 準 之 ) の 取締 逗 に 訴訟 事件 、 知行 割 、 直
轄領 の 代官 に 開 する 事 、 多額 の 費途 に 就 て の 出前 、 大 工事 等 を 掌り 、 又 凡て の 命令 書 に 加判 し
た 。 よって 治 中 を 牽書 濯物 又は 加 判 の 列 と 言 ふ。 四 名 又は 五 名 を 定員 と し 、 寛永 十 二 年 十 一
月 十 五 日 以後 は 月番 制度 を 探っ た 。 若年寄 は 特に 、 萬 石 以下 の 取締 虹 に 訴訟、 大奥 の 取締 、 通

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常 の 工事 等 を 管轄 し 、 四 人 又は 五 人 を以て 定員 と し た 。 月 番 の 制 老中 と 同じ。 これ 等 の 外 何事
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にて 再 最高 の 機務 は 凡て 落中 若年寄 の 手 にて 隠理 せられる の で あり 、 一方 、 ぐる 必要 も ない 。
執務 所 を 御用 部屋 と 稱 し た 。 老中 は 萬 石 以上 殊に 二 三 萬 石 の 大名 より 補 せらる こと と 多く 、 若
年寄 は 通常 萬 石 以上 の 小 なる 者 、 又は 萬 石 以上 の 部屋 ( 當主以外) を以て 之 に 補 し た 。 役
扶持 なく 持 高 を以て 勤める を 原則 と し た。 兩者 とも 本 來大 名 の 家老 と 異る こと なく、 當初 は 年
寄 とも 奉行 とも 稱 し て み た ので あつ た 。 管轄 事項故に 領有區域 の 増大 に 從 つて 、 名稱ち 變 じ 分
化 を 遂げ た の で ある。

時に 必要 に 應 じ て 、 老中 の 上 に 一 人 の 大老 が 置か れる こと が あつ た 。 月番 ・ 評定 所出座 ・ 加
判 等 の 常務 に は 携はら ず 、 非常 の 大事 に のみ參置 し た 。 松平 定信 は 特に 踊佐 と 稱 せら れ 、 松本
春嶽 は 政事 總裁 と 稱 せら れ 、 家茂 將軍 下 の 德川 慶喜 は 政務 期 翼 と 稱 せら れ て み た が 、 賞質 は 大
老 と 同じ 。
最高 の 機 務 の 諮問 に 與る 者 に 、 溜詰 と 稱 する 三 四 名 の 大名 が あつ た 。 黑書 院 溜 間 に 詰め て み
た 故 に 斯く 名づけ られ た 。
將軍 の 側 に 在っ て 奉仕 する 職 として 奥 右筆 ・ 表 右筆 が あり 、 諸種 の 調査 執筆 の 事 に 當り 、 殊
に 法令 を 起草 し た 。 側用人 が あり 傳藩 の 事 に 當り 、 之 に 準ずる 者 は 側 衆 と 稱せら れ 、 前者 の 一
人 なる に 反し 五 人 又は 六 人 等 を 定員 と し た 。 奏者 番 は 二 三 十 人 あり 、 それ 等 の 者 が 當番 ・ 助
番 ・ 非番 に 分れ て 交代 し て 事 に 當っ た 。 造物 番 を 指揮 し て 進物 の 授受 共 他 も 掌つた。 高家 は 有
職故賞 ・ 式 ・ 典遇 の 事 を 掌っ た 。
大名 旗本 に 對 する 監察 は 、 大目 付 の 寧る 所 で あり、 常に 四 人 又は 五 人 の 員 數 が 置か れ た 。 大
目付 は 又 幕府 の 諸 役人 の 勤惰 故に 民情 を 監察 し た 。 目付 は 十 數人 あり、 江戸城內外 の 諮事
行列 等 に 就 て は 、 事 の 大小 、 正常 非常 に 拘 はら ず 、 殆 ん ど 千與 せ ぬ 事 は 無い と 言っ て よい 程 に
からめ っけ
廣き 誠掌 を 有し た 。 その 補助 者 たる 徒目付 は 所謂 隱密 の 事 を 行ひ 、 人員 は 不定 で あっ た 。
老中 若年寄 の 支配 を 受け 、 その 者 選 と 評定 所 を 形成 する 者 に 、 寺社 ・ 町 ・ 勘定 の 三 奉行 があ
る。 寺 誕奉 行 は 大名 又は 大身 の 旗本 中 より 補せ られ 、 定員 四 人 、 月番 にて 事 に 當っ た 。 寛永 十
二 年 の 創置 に 係り 、 諸國 の 寺社 、 寺 証 領 、 寺社 門前 町 を 支配 し 、 僧侶 ・ 禰宜 ・ 山伏 ・ 盲人 等 を 監
し 、 且つ 関八 州 及 近畿 を 除く 全國 の 真 要 な 訴訟 事件 は 此處にて 裁い た 。 支配 遼 (領主の 異 る 場
所 ) に 開 する 訴訟につき 亦 同じ。 八州 の 訴訟 は 勘定 奉行、 五 畿內 ・ 近江 ・ 丹波 ・ 搾磨 の もの
は 京都 所司代 が 之 を い た 。 江戸 の 町奉行 は 三千石程度の 旗本 より 補せ られ 、 定員 二 人 、 江戸

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全 體 (武家屋敷を 除く) を 管轄 し た 。 寺社 ・ 寺社 領 たり と も 江 戶中 の もの は その 管轄 で あっ た 。
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消防 を 含む 一切 の 行政 のみ なら ず 、 民事 刑事 の 訴訟 を ち 掌つた 。 數寄屋 橋 及 常磐 橋 內側 の 役宅
に 於 て 月番 を以て 事 に 當っ た 。 南 町奉行 所 及び 北 町奉行 所 と は 之 を 指す。 但し 一時 三 人 を 置き
中 町奉行 所 の 信 し た こと も あっ た 。 石出 帶刀 以下 の 囚 獄司 、 與力 ・ 同心 と 稱 せら れ た 警察官、
その他 町年寄 常 は その 支配 を 受け た 。 勘定 奉行 は 三千石 程度 の 旗本 より 補せ られ 、 四 人 を以て
定員 と し 、 月番 を以て 勤め た 。 職掌 二つ に 分れ 、 勝手 方 と 稱 し て 幕府 の 會計 出納 を 掌る 者 と 、
公事 方 と 稱 し て 八 州 の 公私 領 及び 環 八 州 外 の 公 領 ( 幕府 直轄 領 ) に する 訴訟 を 裁判 する 者
と が あつ た 。 兩者 を 一 年 交代 を以て 勤め、 評定 所 へ 出 座する は 公事 方 のみ で あつた。 斯く て 勘
定 奉行 は 全国 の 郡代 ・ 代官 を 支配 し 、 幕府 の 金蔵 故に 米 倉庫 ( 浅草 神 藏 及大 坂 御嶽 ) を 管理
し た。 勘定 奉行 の 副 として 二 人 又は 四 人 の 勘定 吟味 役 が 置か れ 、 主として 會計又は 訴訟 の 監察
の 事 に 當り、 室町 幕府 の 證人 奉行 の 如き 役割 を 果し た 。 五百石 高 の 役柄 と せら れ て ゐ た 。
評定 所 は 幕府 の 最高 合議 裁判所 で ある 。 月 脅 の 老中 一 人 と 三 奉行 と が 、 式日 と 稱 せら れ た 所
定 の 日 に 月 三 同 會同 し 、 三 奉行 の 専決 す べから ざる 民事 刑事 の 訴訟 事件 を 處理 し た の で あっ
た。 外 に 月 三 回 の 立 會日 が あり 、 その 際 は 老中 の 出 座 は 無き こと を 原則 と し た 。 評定 所 留 役 ・
月 安 識等 が 之 に 附 悪し て た が 、 凡て 他 役人 の 出 役 ( 兼任 ) たる こと を 原則 と し た 。
江戸 幕府 は 戰時 體制 を 基本 として わ た ので 、 將軍 が 諸 将 に 將 として自ら出馬する こと を 限定
し 、 その 際 江戸城守備 を 篇 す べき 者 として留守居 年寄略し て 留守居 と 稱する 者 を 置い た 。 五 千
四 人 の こと も あっ た 。 老中 の 支配 に 属し 、 平常 は 江戸城 の 警備 に 開
石高 の 役 で 五 人 が 通常。
又 小普請 衆 と 稱 する 小身 の 幕臣 取締 を や 掌つた。 小普請 は
所 手形殊に 女 手形 を 扱っ て み た 。
時 に 置か れ
小普請 金 と 稱 する 租税 を 幕府 に 納付 する 故 に その 名 が ある 。 別に 大 留守居 法 る 者 も
ること が あつ た 。 留守居 に 準ずる 者 に 留守居 番 が あり、 五 六 人 、 千石 高 の 者 が その 職 に 就い
た。 使 香 と 稱 する 千石 高 の 役 は 、 戦時 に 於 て 督 職 の 事 を 行う べき 職務 を 有し た が 、 平時 に 於 て

は 將軍 の 上使 ( 代理 ) と な つて 各地 へ 出張する こと を 行っ た 。 そして 国持大名 が 十 五 歲未 滿
て 當主たる とき に は 、 その 領地 に 滞在 し て 行政 を 指弾監督 する こと を 掌っ た 。 三 十 人 乃至 五
十 人 を 上下 し て いる。
平時 の 警備 を 掌る 者 として 、 大番 ・ 書院 番 ・ 小姓 組 の 三 番 が あつ た 。 大番 約 六 百 人 は 十 二 組
に 分れ 、 各 番 の 首長 を 大 番頭 と 稱 し 、 五千石 高 の 役 で あつ た が 、 梅 式 として は 五 萬 石 程 の もの
內 二 組 は 大坂 城 、 二 組 は 二條 城 に 一ヶ 年間 勤務 す べき で あつ た 。 その他 は 江

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と せら れ て み た 。
月城 外 及び 城 內西 丸 二 丸 の 警備 に 當っ た 。 一 組 五 十 人 、 四 人 の 組頭 が 置か れ た 。 書院 番 は 江戶
城 內部 の 答 備に 當り 、 五十人單位 にて 八 組 あり、 內
一 組 は 駿府 ( 静岡 ) に 在番 し た 。 書院 番頭 &
は 四 千 石高 の 役 。 小姓 組 ( 從組 ) は 五十人單位 にて 六 組 乃至 八 組 あり、 將軍 の 身 邊警
倫 を 掌
り 、 その 長 たる 小姓 組 番頭 は 四 千 石高 の 役 。 此小 姓 組
と 小姓 衆 ( 略 稱小 姓 ) と を 混同 し て は な
ら ない。 小姓 は 二 十 人前 後にて 內 三 人 が 小姓 頭取 と 言 はれ て み た 。 執 れる 三 百 石高 の 役 。
三四 遠 國 役 人
各地 に 配備 せ られ た幕府 の 諸 役人 を當時 選國 奉行 と 稱 し た
。 但し通常、 京都 所司代 ・ 大坂 城
代 ・ 大坂定番 等 を 除外 し た 。 蓋し これ 等 は 特に 格式 高 かり し が 故 で ある 。 然し 總稱 し て 濃 国 役
人 と いう と と も あつ た 。 ・
京都 ・ 大坂 ・ 伏見 ・ 歌 府 の 町奉行 、 長崎 ・ 浦賀 ・ 神奈川 ・ 箱 館
良 ・ 山田 ・ 兵庫 ・ 堺 ・ 新潟 ・ 佐渡 ・ 日光 ・ 下田 の 各 奉行 が 、 本 來 の 遠國 奉行 で ある。 關東 郡
・ ・
代 ・ 美濃 郡 代 ・ 西國郷代 ・ 飛騨 郡 代 、 翌 に 全國四 五 十 人 に 上る 代官 亦 通常 之 より 除 外せ られ
る 。
京都 所司代 は 最も 貢 職 で あり、 妻子 を 伴 つて 京都 に 常住 し 、 五 六 年 に 一度江戸 に 出頭する
度 にて 足り た 。 數萬 石 の 大名 より 補せ られ 、 特に 役 知一 萬 石 を 給せ られ た 。 禁中 ( 宮城) を 守
護 し 公家門跡 等 の 身分 を 管 し 、 京都 の 行政 を 指揮監督 し 、 五 畿內 に 丹波・ 近江 ・ 播磨 に 於け
る 重要なる 訴訟 の 判 に 當つた。 その 第 下 に 、 禁中 一切 を 掌る 禁 術 二 人 ( 千石 高 の 役 ) 、 仙
洞附 ( 同上 ) あり、 又 京都町奉行 が ある。 京都町奉行 二 人 は 月番 にて 交代 に 勤め、 所司代 の 副

と し て 事 に 當り 、 所司代不在 の 際 は 之 に 代る。 京都のみなら ず 山城・ 大和 ・ 近江 ・ 丹波を 管

し 、 その 訴訟 を 裁判 し た 。 河內 ・ 和泉 ・ 攝津 ・ 播磨 は 大坂 城代 の 指揮 を 受ける大坂町奉行 が 之
を 管 し た 。 但し 寺社 關係 は 京都町奉行 に 露 し た 。
大坂 城代 に は 數萬 石 乃至 十 萬 石 程度 の 大名 が 補せ られ 、 役知 一 萬 石 を 給 せらる 重職 であ
る 。 非常 に 備 へる こと を以て 共 職務 の 第 一 と し 、 縦 ね て 大坂 諸 役人 を 統轄 し た 。 大坂 定番 ( 城
番 ) は 之 に 副 として 非常 に 備 へ 、 一 二 萬 石 の 大名 より 任 ぜ られ 、 定員 二 人 。 大坂町奉行 は 二 員
で 月番。 伏見 町奉行 は 伏見 町 の 寺社 町方一切 の 行政 ・ 司法、 湿 に 町外 の 伏見 領 を 管 し 、 一員 の
み。 駿府町奉行 一 人 は 、 駿府 ( 静岡 ) 町中のみなら ず 駿河 ・ 伊豆 の 司法 ・ 行政 を 扱い 、 直接 老
中 に 管 せら れ 、 駿府 城代 に 屬 し なかつ た 。 甲府 勤番 支配 は 甲府 の 城代 と 町奉行 と を 兼ね た やう
なる の で あっ た。
遠國 奉行 の 內幕 初 より あっ た もの は 長崎 奉行 、 奈良 奉行 、 山田 奉行 、 堺 奉行 、 佐渡 奉行であ

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り 、 下田 奉行 は 幕初 より 享保 迄 あつ た が 、 同 五 年 一旦 廢職 、 幕末 に 再 置 せら れ た 。 浦賀 奉行 は
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中期 の 享保 五 年 創置 、 それ まで 下田 奉行 の 職 に 在つた 者 が 之 に 移つた 。 他 の 箱 館 ( 松前 ) 奉行 、
新潟 奉行、 神奈川 奉行 、 兵庫 奉行 は 、 此 順序 にて 幕末 に設置 せ られ たる もの で ある 。
これ 等 奉
行 の 員数 は 一 人 たる こと を 適常 と する が 、 二 人 四 人 たる こと も あつ た 。 二 人 以上 の 場合種々 な
る 交代 方法 が 採ら れ た 。 管轄 に 任用 資格 等 の 説明 は 今 之 を 省く。 これ 等 の 滋国 奉行 は 行政 と
同時に 裁判 を 行 ふ の で ある から 、 江 戶出 府 の 際 に は 必ず 二 度 は 評定 所 へ 参列 し 、 滅 判 方法
を 見習 ぶ べき もの と せら れ て おる。 又 特に 支配 地 内 の 住民 より 金銀 借用 を 行 ふ こと を 禁ぜ ら
れ 、 清廉 たら ん こと を 命ぜ られ た 。
郡代 は 代官 の 大 規模 な もの で 、 幕 領 を 管 し 、 關東 郡代 は 南 關東 地區 を 、 美濃 郡 代 は 美濃 ・ 伊

勢 を 、 西國 郡代 は 天保 頃 まで 豐前 ・ 豊後 ・ 筑前 ・ 日向、 その後 は 肥前 ・ 肥後 を 加 へ て 管轄 し 、
飛騨 郡 代 は 安永 新設 、 飛騨 ・ 加賀 ・ 越前 ・ 美濃 等 を 管 し た 。 那代 は 庶政 と共に 、 管 內代 官 の 取
扱 ふ べからざる 又は 取扱 ふこと 困難なる 刑事民事 の 訴訟 事件、 代官 支配 區域 間 に 跨る 事件 を
處選 し 、 極めて 重大 なる もの は 勘定 奉行 に 移送 し た 。 代官 は と 同 樣に、 幕 領 の 庶政 裁判 を
行ひ 且つ 年貢 徵收 に 從事 し た 。 一 人 の 代官 にて 徴収 する 年貢 は 大體 五 萬 石 を 標準 と し 、 場合 に
より それ を 超え 又は それ に 充た ぬ こと も あつ た 。 徴収 し た 年貢 は 幕府 の 倉庫 に 入る 。 唯 徴収 に
くちえい
米 は これ を 賣却 の 上 、 役所 愛用
際し て 添 へら れ た 日 米 ・ 口永 は 代官 の 自由 處分 に 委せ られ 、 口
ば 上方 は 本校 一 石 につき 三 升 、 關東 方 は 本
に 充て た の で あっ た 。 寛永 二 十 一 年 一月 の 定 に 依れ
で あつた 。 然し 斯く て は 年 の 豊凶 價格
秘斗 七 升 入一 匹 につき 一 升 、 口永 は 永 百 文 につき 三文
し 爲 、 享保 十 年 に 至り 之 を 改め、 ロ
の 上下により代官 所 の 收 入 一定 せ ず 、 共 他 種々 の 弊害 あり
之 を 與 へる 方式 を 探っ た 。 五 萬 石 な
米 ・ 日永 は 凡て 一旦 幕府 に 納入 し 、 代官 所 の 費用 は 改めて

らば 高 一 萬 石 につき 十 四 人 扶持 と 銀 百 二 十 兩乃 至 百 五 十 兩 、 それ 以上 以下 は 多少 増減 の 上 、
三 回 に 分つ て 與 へる こと と し た 。 代官 の 下僚 として、 手代 以下 の 職員 が 置か れ て ゐる 。
三 五 職制 運 期 及び 名主、 五 人組
的 管轄 故に 地域 的 管轄 が 甚だ 錯雑 し て 居
以上 各種 各地 の 役人 の 職制 を 通覽 する と 、 その 事物
を 牽く。 これ は 必要 に 應 じ て 逐次 設置 し 、
り 、 理論 的 に 整然 として 居ら泣い こと が 先 づ 注目
に 月番 制度 が 甚だ 廣く 採用 せ られ 、 殊に 高級 所
制 は 之 を 尊重 し て 改め なかつ た 篤 で ある。 第 二
に 於 て 封建 主君 として 固有 の 事務 を 有
職 に 於 て は それ が 原 期 と なつ て ゐる。 これ は 役人 が 一方

し た 為 で も あり 、 又毒断 を 防止 する で も あっ た 。 その 代り 室町 幕府 に 於ける が 如く代人 を
た。 第 三三 に 役人 は 体体 >
ひ て 事務 を 照 せしめる 事 を 許さ ず 、 必ず自ら 之 に 當る こと が 要求 せ られ
給 を 受け ず 、 自己 の 持 高 にて ( 費用 目 辨 にて ) 勤務する こと が 要求 せ られ

172
て ある。 殊に 大名 に
對 し て 然り 。 然し それ が 不公平 たる こと は 明らか で ある。 そこで 役 知
を 給 し 役料 を 與 へること
が 次第に 行 は れ 、 幕 初 より 六十 數年 後 の 寛文 六 年 以來 は 、 旗本 に関して は 役料 を 與 へる こと が
原則 と なっ た 。
た したみ
足 高 の 制 と は 、 勤役 中 持 高 の 加増 を 行 ふ こと で あり、 従って 役 料 に 似 て おる が 、 役料 は その
後 と 雖 も 從來 通り 給せ られ て わ た の で ある から、 決して それ の 變形 し た もの と は 言 へ ない。 即
ち足高 は 報酬 的 性質 を 有 せ ず 、 持 高 の 一時 的 加 增 に 外 なら ない 。 小 身 の 人材 を 登用 せ ん が 高 の
策 で あつた。 足 米 は 栽米 取 の 者 に 對 する 足 高 で ある。 足 高 は 享保 八 年 、 足 米 は 同 九 年 より 行 は
江戸 幕府 の 行政 組織 に 於 て 注目 す べき は 、 非 武士 の 土着 人 を 役人 的 地位 に 据 、 行政 の 補助
者 たらしめ た こと で ある 。 都市 に 於 て は 町人 ( 商人 ) を 、 農村 に 於 て は 百姓 を 之 に 充て た 。 例
なぬし
へぱ 江戶 に 於 て は 三 人 の 町年寄 を 置き 、 その 下 に
二 百 數 十 人 の 名主 を 定め 、 執れ も 世襲 と し
た 。 名主 は 沽祭遺言 狀 に 加判 し 、 町內 の 紛議 を 調停 し て 訴訟 を 減少 せしめ、 已む を 得 さる 場合
は 訴訟 人並 に その 家主 を 同道 し て 奉行 所 に 出頭す べき もの と せら れ た 。 又 其他 の 雑多なる 職務
を 有し た 。 京都 にて は 江戸 の 名主 に 該る 者 を 町代 と 稱 し 十 數人 あり、 內 四 人 が 年寄 町 代 と せ
られ て ぼ 区 町年寄 に 該っ た 。 大坂 は 三郷 と 稱 し て 組 ・ 南 組 ・ 天滿組 に 分ち 、 各組 に 数 人 の
年寄 を 置き 、 その 下 に 多數 の 町年寄 が 置か れ た 。 長崎 に は 町年寄 數人 が 置か れ た 。 その他 は
しょうや
之 に 準ずる 。 農村にて は 庄屋 又は 名主 が 大 翌 世襲にて 村役人 と なつ た 。 關西 にて は 多く 庄屋 と
納 し 關東 にて は 名主 と 稱 し た 。 實體 は 同一 。 庄屋 ・ 名主 を 統轄する もの として 大 庄屋 なる もの
が 幕 初 に は 存 し た が 、 弊害 多き爲中 頃 之 を 旅 し た 。 庄屋 に 副 たる 者 として 年寄 又は 長 百姓 があ
り 、 名主 に 副 たる 者 として 組頭 が あつ た 。 組頭 は 五 人組 の 長 で は ない。 百姓 代 は 村役人 に 對 す
る 日付 ( 監察 者 ) の 爲 に 、 農民 中 の 富有 者 より定め られ たる 者 で ある。 名主 ・ 組頭・ 百姓 代 を
村方 三 役 と 稱 し た 。 材 は 微 税 の 單位 で あり 、 村民 は 連帯 責任 を 負播 し た 。
五 人組 制度 が 町人 ・ 百姓 の 地域 的 隣保 制度として 成立 し た の は 、 家康 が 將軍 と なっ た 慶長 八
年 以來 で ある。 然し それ が 強化 せ られ て 五 人組 帳 提出 等 の 方式 を 採る に 至る の は 、 寛永 鎮國 以
後で ある 。 以 て 此制 度 が 浪人 取締 、 耶蘇教 取締 等 の 警察 的 事項 を 制度 目的 として わ た こと を 知
る。 慶長 二 年 三月 七 日 の 秀吉による 侍 五 人組、 下 人 十 人組 の 制度は 、 五 人組 制 の 先行 形態 と は

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言ひ 得る が 、 それ が 諸 奉公人 、 即ち 主人 持 の 武士 又は その 薩従 者 に 關 する もの で ある 財 に 於
174
て 、 本質 を 異に する もの と 言 は ざる を 得 ない 。 五 人組 の 組織 は 近隣 五 戶 を以て 一 單位 と 成す を
原則 と し 、 場合 により 三 四 戶 たる こと あり 又 六 七 戶 たる こと も あつ た 。 一般 に 居住 者 たら ば 地
た がり
借店借 た りとる 組織 員 と なつ た が 、 江戸 に 於 て は 地主 家主 を以て 組織 し て ゐ た 。 そこで 特に 之
たな
を 家持 五 人組 といふ こと が ある。 店 借 の 者 は 別に 店 之 五 人組 を 組織 し て い た 。 五 人組 の 者 は 種
種 課せ られ た 義務 に 就き、 連 帶 責任 を 負 嬉 せしめ られ た 點 に その 法律 的 效果 を 見る 。 その 詳細
な 說明 は 今 省略する 。
三 六 封建 制
江戸 幕府 に 於 て 各地 の 行政 は 、 主 從關 係 を以て 結合 せ られ たる 家臣 ( 大名 を 含む ) に 委任 し て
行 は しむる こと ~ せられ 、 とくに 強度なる 委任 行政 の 意味 に 於ける 支那 式 の 封建 制 と 、 武家政
治 摘等 の 主 從 ュ 係 と が 完全 に 結合 する に 至つた。 集椿 的 封建 制度 と は 此站 に 着眼 し て 言 はれる
言葉 で ある 。 大名 と 知行 地 を 有する 旗本 と は 封建 領主 で あり 、 これ 等 を 統轄 する 者 として 將軍
が あつた。 大名 の 支配 地 は 領地 ・ 領分 又は 私 領 と 稱せら れ 、 旗本 の 名 の は 知行 ・ 知行 所 と 稱 せ
られ 、 將軍 直轄 領 は 御領 又は 天領 と 稱 せら れ た 。 又 御料 所 と 宮稱 せら れ た 。 寺祇領 は 此外 であ
る 。 禁裏御料 ・ 院 御料 も 別に 存し 、 當初 一萬 餘石 、 後 加 へ られ て 約 三 萬 石 と なつ て 維新 に 至
る。 封建 制 下 に 於ける 天皇 の 御 地位 は 、 唯 將軍宣下 共 他 の 紫典 授與 の こと を 念 し 得る に 止 型
り 、 封建組織そのもの 外 に 立っ て い た と 言 ふ べき で あり、 封建 組織 の 頂 點 に は 將軍 が 立っ て
わ た ので あつ た 。 慶應 三 年 末 の 大政奉還 より 明治 二 年 六月 の 版籍 奉還 迄 の 一 年 半 の 間 丈 け は 、
天皇 を 頂 軸 と する 封建 制度 が 存 し た と 言 へ ない こと も ない 。
江戸 幕府 の 下 に 於 て 人民 は 、 京都 の 公家 を 除け ば 、 武士 を 第 一 位 と し 農工 商 を 第 二 位 と し 、
その他 を 第 三 位 として ゐ た 。 脚官 僧侶 は 武士 と 農工 商 と の 中間 に 位 し た 。 武士 の 內主 君 を 有し
ない 者 を 浪人 と 稱 し て 開 し 、 之 に 對 し て 壓迫 と 取締 と を 行っ た が 、 形式 上 は 農工 商 より 重く
待遇 し た 。 大名 は 領地 を 有する 者 のみ で あっ た が 、 旗本 に は 知行 所 を 有する 者 と 滅 米 取 の 者 と
が あつた 。 御家人 と 稱 せら れ た の は 極めて 少 の 者 で あり、 藏米取のみで あつた。 旗本 と 御家
人 と の 區別 の 標準 は 、 將軍 と の 謁見 即ち御目見得 が 許さ れる か 否 か に 在つた。 從 つて 公 稱 と し
て は 寧ろ、 大名 ・ 旗本 ・ 御家人 より は 、 萬 石 以上 、 萬 石 以下、 御目見得以上、 御目見得以下 の
語 が 多く 用い られ て いる。 旗本 の 内 、 大名 の 如く 参 就交 代 を 行 ふ 者 を 交代 寄合 と 稱 し た 。 數 千
石 程度の 大 身 の 者 が 多い。 又 布衣 以上 と 稱 せられる とき は 、 六 位 の 官位 を 與 へら れ 又は 與 へら

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るべき 旗本 を 指し 、 ほぼ 千 石見當以 上 の 者 で あつ た。 藏米 の 百 俵 は 知行 の 百 石 に 該當 する もの
.
と 考へ られ て ゐ た 。 四 公公 六 民民 として も 豐凶 ある 爲實 際 上大 約 三三 割 五五 分 の 年貢 と なり、 百 石 は 現現 %
米 三十五 石 即ち 百 俵 と なる から で ある。 そこで 元藤 十 年 に は 、 五 百 俵 以上 の 識米 取 は 、 希望 に
より 俵 を 石 に 直し た 石 數 の 知行 取 に 愛する こと を 得 しめ 、 逆 に 幕末 天保 十 四 年 に は 、 五百石 以
下 の 者 に は 上 知 せしめ て 藏 米 取 と 成し て いる 。
知行 所 を 有する 旗本 が 若し 幕府 の 役人 と なれ ば 、 それ 以外 に 役料 として 蒸米 を 受け た 。 大名
或 場合 に は 之 を 受け た 。 然し 大名 の とき は 役 知 と 稱 し 、 地方即ち 年 徵收 權 の 形 で 渡す こと
が 多 かつた。 旗本 の 場合 に は 凡て 役 扶持 と 稱 せら れ た 。 何 百 俵 と 表 は さ れる こと も あり、 何 百
人 扶持 と 表 は さ れる こと も ある。 一 人 扶持 の 額 は 寛永年中 の 定 に 依れ ば 、 一 人 一 回 二 合 五 勺 食
する もの として 一 日 五 合 、 年 一 石 八 斗 と なつ て ゐる 。 每月 渡す こと が 原則 で あつた 。 然し 役料
以外 の 本 來 の 家 は 、 年 三 回 に 分つ て 支給 さ れること が 原則 で あつた。 春 二 月 に は 四 分 之 一
を、 夏 七月 に も 同額 を 、 全 十月 に 牛額 を 渡し た 。 分割 し て ( 切っ て ) 渡す 故 に 切米 渡 と 稱 し 、 体
藤 を 切米 と 稱 し た 。 春 夏 の 分 を 特に 借米 と 稱 する こと も ある。 前 渡 と 考へ られ た から で ある 。
現物 波 が 本 來 で ある が 、 承 應元 年 以來 代金 渡 の 事 が 行 はれ 初め、 全部 又は 一部 が これ に よっ
た 。 その 際 百 俵 即ち 三十五 石 を 單位 として 公定 價格 を 掲示 し 、 凡て 之 に 依ら しめ た 。 これ を 張
紙 値段 と 謂 ふ 。 切米 渡 の 雑務 に 與っ た 者 が 所謂札差 で ある 。
三七 大名 旗 本 制
大名 は 種々 の 觀點 から分別 せ られ た 。 國 持と 一般 の 大名 と に 分つ の は 支配 區域 を 標 と し た
る の で あり、 後者 は 又 城主 と 無城 と に 分つ こと が ある 。 德川 宗家 と の 親近 の 程度によって 、 家
門 ・ 譜代 ・ 外様 に 分た れ た 。 家 の 中 に 更に 御三家 ・ 御 三 卿 が あり、 これ 等 のみ が 三 葵 の 紋 の 使
用 を 許さ れ 、 又 德川 の 姓 を 名乘る こと を 得 た 。 それ 以外 は 松平 の 姓 を 名乘 つた。 尤も 譜代 ・ 外
樣 にて 必松 平 の 姓 を 與 へら れ た 者 も あつ た 。 慶應 四 年 ( 明治 元年) 二月 に 至 つて 新 政府 の 命 に
より 本物 に 復歸 する 。 譜代 は 要するに 新 大名 で あり 、 外様 は 豊臣 秀吉 の 時 迄 に 既に 大名 たる 資
格 を 具 へ て ゐ た 者 で ある。 大名 の 數 は 、 取立 益 に 取演 によって 噌減 が ある が 、 ほ 二 百 五 十乃
至 二 百 六 十 五 を 上下 し て おる。 その 合計 石 數 千 六 七 百 萬 石見 空 。 序 ながら、 萬 石 以下 御目見得
以上 の 人員 は 五 千 餘人 、 石數五十六 萬 餘石 、 御目見得以下 二 萬 六 千 人 程度 で あつた 。
大名 に は 幕府 から種々 な 負 擔 が 課せ られ た 。 滑極 面 と 積極 面 と が ある 。 消極 面 と は 拘束であ
Thi
る 。 先 づ 武家諸法 度 に 掲げられる 種々 の 拘束 が ある 。 群飲 供遊 の 禁 、 華美なる 衣服着用 の 禁 、

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家宅 ・ 爆娶 ・ 整應 ・ 贈答 等 につき 佐 約 の 命令 、 築城 の 禁、 修繕 に際して は 一方 幕府 の 許可 を 受
くべし と する 規定 、 私 婚姻 の 禁 即ち 幕府 による 婚姻 許可 制 、 五百石 積 以上 の 大船 建造 禁止 、 新 %
なる 寺社建立 の 禁止 等比 々 皆 然り。 消極 と 積極 と に 跨る もの に 參觀 交代 の 義務 が ある 。 大名 は
最初 證人 ( 人質 ) を 江戶 に 置い て 忠誠 を 搭保 し た の で ある が 、 寛永 十 一 年 以來 大名 は 自身隔年
の 江 戶居佳 と 妻子 の 江 戶永佳 と を 命ぜ られ 、 所謂參觀交代 を 行 ふ べき もの と せら れ た 。 よって
證人 制 は 存置 の 必要 を 失ひ 、 その後約 三 十 年 を 經 て 旅止 と なつ た 。 参 貌交代制 は 幕末 文久 二 年
迄 間断 なく強行 せ られ、 若し 之 を 怠れ ば 數年 に し て 取得 の 處分 を 受けれ ば ならなかつ た 。 在國
禁止 の 軸 に 消極 面 を 見る 。 此 の 參觀 交代 は 文大名 の 財政 を 窮乏せしめ た 原因 で も あつ た 。 生活
費用 が 二 重 と なる こと が その 一 で あり 、 道中 の 失費 が その 二 で あり 、 江 戶居 住 が 登 常 生活 を 助
長し た こと は その 二 で ある 。
江戸 幕府 初期 に 於 て 課せ られ た 築城 負 強め 、 相 當 に 大名 の 財政 を 被繁せ しむる に 役立つ た 。
江戸城 の 修築 は 慶長 十 一 年 及寛 永十 三 年 に 、 禁 仙洞 御 造営 は 慶長 十 一 年 と 承應 三 年 に 、 酵府
城 修築 は 慶長 十 二 年 に 、 丹波 篠山 城 新築 は 同 十 三 年 乃至 十 四 年 に 、 名古屋 城 改築 は 同 十 五 年 に
行 はれ た 。 主として 地固め又は 石垣 等 に 限ら れ た が 、 現實 なる 工事 の 施行 で あり 、 費用 の 分 接
では なかつ た 。 材料 は 自 辨 たる こと 言 ふ 迄 も ない 。 維新 を 遡る こと 八 十 年 の 天明 年間 に 禁 の
御 修築 が あつ た が 、 此時 に は 薩摩 藩 五 十 萬 兩 、 熊本 藩 三 十 萬兩 といふやう な 費用 分 務 で あり 、
事業 の 執行 は 幕吏 によって 行 はれ た 。 因 に 幕初 慶長 十 一 年 に 於 て 、 萬 石 以下 の 者 に 伏見 城 の 石

垣 修築 義務 を 課し た こと を附言する 。 幕 初 より 幕末 迄 大名 藩 に 課せ られ て い た 河川 改修 の 土木
工事 も 、 赤 相 當重 大 なる 負 播 で あつた 。
大名 最大 の 且本 來 の 義務 が 、 將軍 に 對 する 軍事 的 奉仕 に ある こと は 言 ふ 迄 も ない 。 その 正常
的 なる もの が 加 番 で あり 、 非常 的 なる もの が 最 役 で ある 。 江戸城 外 廊 の 警備、 走番 、 江戸 の 大
名 火消、 京都 の 禁嬢御所 方 火消 等 は 、 全く 報酬 を 受け さる 加 番 で あり、 大坂 ・ 駿府 の 加 番 は 役
知 附 で あつた。 軍役 は 戰時 又は日光 社 參等 の 場合 に 、 武具 を 整 へ 家臣 を 率 ゐ て 從軍 す べき 議務
で あり 、 外 國 に 於ける 如く 、 日 數 の 制限 は 無く 要求 あら ば 一年中 と 雖宮 奉仕 す べき もの で あつ
た。 唯 人馬 の 殿 に 就 て は 制限 が ある 。 時代 により 変遷 が ある が 、 一 萬 石 で 二 百 三十五 人 、 內、
馬上 十 騎 、 費廿エ 、 弓 十 張、 五 十 本、 旗 五 本 の 程度 で あり 、 十 萬 石 で 二 千 百 五 十 五 人 、
內 、 馬上 百 七十 騎 、 織 炮 三百 五十 挺 、 弓 六十 張 、 錦 百 五十 本 、 旗 二十 本 の 程度 で あ つ た 。 日光
社 參供 奉 の 際 に は ほ ゞ 半分 の 役 と せら れ た 。 但し 今 交代 にて 在民 の 者 は 、 更に その 三 分 之

179
一見 當 と せら れ て いる 。
180
軍役 の 負 接 は決して 大名 のみ に 課せ られ た わけ で なく 、 旗本 ・ 御家人 に も 課せ られ て み た こ
と 勿論 で ある。 日 數 に 制限 無きこと 大名 と 同じく 、 人馬 に 制限 ある こと も 亦 大名 と 同じ 。 五 百
石 にて 十 一 人 、 うち 侍 二 人 、 甲胃 持 等 の 從者 八 人 程度。 千石にて 全員 二 十 人 、 五千石 にて 百 人
の 程度で あつた。 日光 社 参 の 際 は 半減 する こと 亦 大名 と 同じ 。 文久 二 年 に 至 つて 特に 歩兵 組 編
成 の 爲 に 兵賦 の 制 が 布か れ 、 萬 石 以下 の 者 から五百石 一 人 、 千石 人 、 三千石 十 人 の 割合にて
兵士 を 出さ せ 、 出し 得 ざる 者 並 に 或種 の 者 に は 一 人 二 三 兩程 度 の 免除 秘 を 上納 せしめ た 。
大名 はな は 種々 の 名目 にて 金品 の 提供 を 爲 さ しめ られ て おる 。 朝廷 の 吉凶 に際し 、 幕府 の 割
當 に 從ひ 朝廷 へ 直接 継納 し 、 幕府 の 吉凶 に際し 幕府 に 献納 し た 。 吉事 の 場合 に は 御 祝儀 と 稱 し
御 香典 は 死亡 に 忌日 に 於 て 提供 せ られ た 。 御 湿儀に 定式 と 臨時 と あり、 前者 後者 とも 可 なり
な 頻度 で あつた。 多く 太刀 馬 代 の 名 に 於 て 爲 さ れ 、 身分 によって 額 は 異る が 、 馬代 は 多く 黄金
一 枚 乃至 三 枚 の 程度 で あっ た 。 黄金 一 枚 は 銀十 枚 に 該り、 銀 一 枚 は 四 十 三 匁 あつた。 參觀出府
の 節 も 御 禮 として 太刀 馬 代 を 提供 す べく 、 相薇 の 際 に は 継目 御 體 と 稱 し 、 例 へ は 三十 萬 石 の 場
合 に は 金 五 枚 、 馬二定 、 刀 、 綿 五 十 把 其他 の 金品 を 提供 す べき で あっ た 。 勿論 御 祝儀御 香典 は
大名 のみ なら ず、 旗本 以下 と 雖 も應分 の 提供 を 念 す べき で あっ た 。 唯 旗本 以下 に は 朝廷 に 對 す
るもの は 無く 、 幕府 に 對 する もの と 雖 も 頻度 少く 、 額 の 少き こと は 言う 迄 も ない 。 そして 多く
は 三 千 石 以上 に 限ら れ て い た 。 唯 継目 御體 は 比較的 重く、 五千石 以上 金 三 枚 、 三千石 以上 金 二
校、 千 石 以上 金 一 枚 、 五百石以上 銀 一 枚 と 、 天和 元年 の 定 に はなつ て ゐる。 但し 享保 七 年 の 定
は 三 千 石 以上 金 一 枚 、 千 石 以上 銀 三 枚 、 五百石以上 同 一 枚 と なつ て ゐる 。
大名 旗本 等 が 幕府 の 統制 に 服し て わ ない と 見 られ た 場合 に は 、 制裁 が 加 へ られる 。 個人 的 制
裁 に 止まる もの が あり、 又 その 領地 ・ 知行 所 等 に 及ぶ 場合 が ある 。 譜慣 ・ 遠慮 差扣 ・ 逼塞 ・
施居 ・ 閉門 等 は 一種 の 自由 刑 で あり 、 強制 隠居 は 身分 刑 で あり 、 その他 切腹 等 の 生命 刑 も 存し
た。 生命 刑 の 附加 刑 として 又は 單獨 に 、 除 封 ( 改易 ) 又は 減 封 の 處分 を 受ける こと が あっ た 。
同類 の 知行 高 の 地 へ 輯封 ( 河替、 所替) を 命ぜ られる こと は 、 必ずしも不利 と は 言 へ ず 、 從つ
て 制裁 と のみ は 言 へ ない が 、 多く の 場合 制裁 を 意味 し た 。 蓋し 移轉 に は 相當 の 費用 を 要する か
ら で ある 。 又 損失 を 伴っ た から で ある。 除 封 ・ 韓 封 等 の 領主 交替 の 場合 、 武士 は 全部 入替り、
百姓 町人 は 全部回るべき で あつ た 。 その 際 領主 側 で 借受け て み た もの は 全部 返 消す べく 、 未
猫 の 年貢 又は 未 港 年貢 の 代り に 召使 ふ 男女 の 未 濟部 分 は 、 全部 棄捐 ( 5 棄 ) す べき もの と せら

181
0
れ て おる 。 此站 に 於 て も 亦國 替所 替 は 不利 で あつ た わけ で ある 。
182
江 戶幕府 は 封 の 賣買 護渡 を 許さ なかっ た 。 然し 養子 の 方法によって 或 程度賞際 行 はれ て ゐ
た こと は 、 貸永 七 年 の 武家諸法 度 第 十 五條 の 附言中 に 「 近世 の 俗 、 継嗣 を 定る 事 、 或は 我 族 類
を 開す し て 、 共 貨財 を 論 する に 至る。 」 云々 の 文言 が あること を以て 知られる。 又諸士 法度 中
に も 養子 に 關 し 詳細 定め られ て ゐる こと も 、 血統 に 非る 着 を 塗子 と 成し 實質 上 封 の 貨買 譲渡 を
行 ふ こと を 、 禁 返せ ん が 念 で あつ た の で ある 。
江戸 幕府 は 直立 陪臣 の 別 を 厳重 に 守っ た 。 源 賴朝以來 の 営統 を 露 ん じ た の で ある 。 雷 に 兩
者 は 待遇 上 ( 例へば 將軍 と 御目見得する こと の 能否 ) に 於 て 異る のみ で なく 、 陪臣 から 直 臣 に
變る こと も 殆 ん ど 不可能 と せら れ て わた 。 斯く て 萬 石 以上 の 封地 を 領する 陪臣 より も 數 百 石 の
旗本 たる こと を以て 誇 と し た ので あつ た 。 唯 御三家 の 家臣 は や ~ 幕臣 に ぜ られ 、 尾張 ・ 紀伊
兩家 に 就 て は 家老 以下 大 番頭 迄 、 水気 に 就 て は 用人 迄 、 參觀 交代 にて 参府 又は 退府 に際し 將
軍 へ の 御目見得 が 行 はれ た 。 御 三 卿 の 家臣 は 寧ろ 幕臣 に 外 ならなかつ た 。 他 の 大名 の 家臣 は 、
主君 の 代理 として の 資格 に 於 て のみ 御目見得出來 た 。 これ は 陪臣 の 人事 に 就 て は 將軍 の 關知 す
る 所 で ないといふ 建前から で あつ た 。 以上 は 下 時 の 場合 で あり、 戰時 又は 日光 社 参 等 、 隊伍 編
成 が 行 は れ たる 場合 に 於 て は 、 陪臣る その 主君 と共に 將軍 の 直接 の 統制 下 に 入る 。 そして 今
徐 ・ 禁制その他 の 名 を以て 呼ばれる 幕府 の 軍令 ・ 軍法 を直接適用 せらる 」 ことしなる 。
御目見得 は 一方 に 於 て 今日 の 簡閲點呼 の 意味 を 有し た 。 そこで 大名 旗本 等 は 五節句 等 の 祝日
の 外 に 月例 登城 を 行ひ、 將軍 に 面調する こと を 要し た 。 將軍 病 氣 たり と 色 登城 を 行い、 その 代
理 たる 者 に 面會 する こと を 要し た 。 面 調 の 順序 ・ 方法 等 凡て 法定 さ れ て 居りそれ に 從ふ こと を
要し た 。 殿中 に 控え 居る 場所 名 殿中 席 書 を以て 定まり 、 それ を 案る こと は 出來 なかつ た 。 大名
旗本 病 氣 たる とき は 使者 を以て その 旨 届出る こと を 要し た 。 御目見得 は 江戸城 西丸 に 將軍 世子
ある とき は 共 常に あ行ひ 、 大御所ある とき 亦 同じ 。 又 大名 の 嫡子 ある とき は その者共 に 登城
し 、 御目見得 す べき もの と なつ て ゐる。 月例 登城 の 外 に 臨時 非常 の 際 に 登城 が 行 はれ た 。 例 へ
ば 天皇 の 御 即位 ・ 崩御 、 將軍 の 薨去 等 の 如し 。 これ 等 の 際 に は 恐 登城 が 命ぜ られる 。 殊に 前者
に 於 て は、 朝 常用 係 を 考へれ ば 、 その 意味 は 決して 儀體 のみ で なかつ た こと を 知り 得る。 封建
刺雑持 の に 非常 に 重大 な 事柄 で あつ た わけ で ある 。
封建 制度 ( 質 は 德川 氏 の 覇權 ) 維持 の 為 に は 、 なほ 出女 ・ 入鐵炮 が 重大 なる 事柄 として 取扱

はれ て お た 。 又 開所 の 制度 も それ に 關聯し て 存置 さ れ た 。 鎌倉 幕府 より 戰國 時代 迄 は 、 陸 の

183
所 は 警備 の のみなら ず 腐所 役 ( 通過 稅 ) 徴収 の 念 で あつた 。 然るに 信長 に 初ま れる 關所 撤旅
184
方針 は その後 金 ・ 徹底 せ られ て 、 江戸 幕府 下 に 在 つて は 、 警備 上 必要 な 僅少 なる
部分 を 除い て
は 殆 ん ど 全部 撤成せら れ 、 寛永 十 二 年 以來 の 武家 諸法 度 は 大名 設置 の 私 關 を
厳重 に 禁止 し て お
る。 幕府 設置 の 關所 は 江戸 を 中心 として 居り、 共 處 に 於 て は 出女 と 入鐵炮 を 最 嚴重 に 調 す
べき もの と し た 。 寛文 七 年 今 切開 所 の 「 改 次第 」 に も その 事 を 明言 し 、 而 も その 手 減 を 詳細 に
定め て いる 。 出女 は 大名 の 妻女 が 秘か に 退去 する こと を 防止 せ ん が 爲 で あり 、 入鐵
は 幕府 反
對勢 力 の 結成 を 恐れ たる 賞 で ある 。 慶應 三 年 七月 檢査 方法 大いに 緩和 せ られ 、 明治 二 年 一 月 に
至り 全く 停ズ と なつ た 。
三八 地 反 年 制度
將軍 を 初め 大名 旗本 等 の 領主 槍 が 、 その 基礎故に 起源 を 土地 支配 構 に 置い て い た こと は 事 へ
ない 。 鎌倉 ・ 室町 兩幕 府 の 下 に 於ける 本所 と 地頭と の 下地 中 分 に よ つて 、 又 兩幕 府下 に 於ける
地頭 講 所 又は 守護 請 の 方法 に よつて 、 下地 支配 稿 は 完全 に 武家 の 手 に 露 し た こと は 前 に 遊べ
た 。 本所 等 は 上 分 の 納付 を 受ける 筈 で あっ た が 、 それ も 怠ら れ て 何時しか 皆無 の 狀態 と なり、
武家 の 領主 幡 は 負務 を 伴 は ぬ もの と なつ た わけ で ある 。 兵 を 率 の て 東西 各地 に 露戰する 武士 は
自ら 土地 の 經營 に 當る こと は 困難 で あり 、 耕作 は 凡て 農民 に 任せ て 自分 は 農民 より 年貢 の 上納
を 受ける 方法 を 探つた 。 元和 偃武 以後 も その 點變 る 所 が なかつ た 。 そして 此農民 の 耕作 権 は 所
持と 稱 せら れ 、 所持 者 は 持主 等 と 言 はれ た 。 所持 は 元 來恩 惠的 に 與 へら れ たる もの と 考へ られ
て み た 結 、 庄園 に 於ける 作 職 と 似 て いる。 從 つて 領主 の 必要により 何 等 の 補償 を 與 へら るる こ
と なく、 所持 は 收 寄せ られ 得 た 。

領主 槍 は 決して 適法 に 獲得 さ れ た もの ばかり で は ない 。 殊に 信長 秀吉 を 初 として 家康 等 に
る 武力 討伐 の 方法 で 獲得 さ れ た 領主 權 は 、 資買 ・ 譲與 等 の 適法なる 由緒 を 具 へ た もの と は 言 へ
ない 。 但し 戰闘 による 奪取 も 適法 行 爲 なり と の 理論 を 探れ ば 格別 で ある 。 成程 將軍 宣下 等 の
官 へ の 任命 が 行 はれ て は ある が 、 これ は 何 等 領主 構 の 基礎 と なる もの で は ない。 領主 權 は 制官
へ の 任命以前 に 既に 有し た から で ある。 反 之 、 江戸 幕府 下 に 於ける 各 大名 の 領主 權 は 、 凡て
あてがひ
軍 より の 傅 來的 な 領主 權 と 考へ られ て ゐ た 。 將軍より 補任 状 ・ 宛行狀 ( 充行狀) 又は 安 婦 狀 の
性質 を 有する 朱印 状 を 受領 し 、 初めて 之 を 有し 得る もの と せら れ て ゐ た。 將軍 の 代替り あれ ば
改めて 新 將軍 から 之 を 受領 する こと を 要し た 。 然し 代替り 直後 と は 限ら ない 。 例へば 將軍 家綱
は 將軍 と なつ て 十 數年 後 の 寛文 四 年 に 、 朱印 状 の 下賜 を 行っ て みる。 將軍 吉宗 は 將軍宣下 の

185
翌年 之 を 行っ た。 朱印 状 の 書式 虹 に 授與 の 方式 家格 等 により 相違 が あり 、 詳細 定まっ て 居
186
た 。 大名 は 列座 の 上 凡て 同時に 與 へら れ た 。 旗本 が 知行 所 を 與 へらる 場合 、 朱印 狀 を以て せ
られ た こと 大名 の 場合 と 同じ。 代替り の 際 改めて 下賜 せらる べき こと も 亦 同じ。 又 寺社 領 に 就
でも 將軍 の 代替り 每 に 終 目 朱印 が 行 はれ た 。 境內 のみ にて 支配 地 なき 場合 も 亦 然り 。 その 場合
寺 証 が 御領 に ある と 私 領 に 在る と を 問 は なかつ た 。 この 朱印 寺社 領 は 準 封建 的 性格 を 有し た
爲 、 大名 旗本 の 知行 權 と 同 薇 に 誕渡性 を 剝奪せら れ 、 之 を 質 地 と 成す こと さ へ $ 禁止 せ られ て
み た。
朱印 状 の 性質 は 大 體之 を 一 の 證撮 證券 と 見 て 差支ない やう で ある 。 有償 際 的 な もの で は な
かつ た 。 例へば甲州 巨摩 郡 所在 の 正覚寺 は 、 火災 に よ つて 文久 三 年 十 月 六 日 寺領 五 石 の 朱印 狀
を 喪失 し た 。 之 に 關 し 元治 元年十二月 事情 を 述べ て 朱印 狀 の 再 交付 を 求め た 所 、 同 二 年 ( 慶應
元年 ) 二月 再 交付 の 許可 が 行 はれ て ゐる 。 よつて 朱印 狀 の 喪失 は 知行 橋 の 喪失 を 意味 し なかっ
た こと を 知り 得る 。
幕府 ・ 大名 ・ 旗本 ・ 寺 証 等 は 知行地 から 年貢 を 徴収 し 得 た。 基本 を 成する の は 水田 より の 9
. ほんとち の なり
の で あり、他 に 畠 ・ 屋敷よりする 米 ・ 銀 が あり、 是 等 を 總稱 し て 本 途 物 成 と 稱 し た 。 それ 以外
に 小物 成 と 稱 する もの が あつ た 。 雜種 稅 とも 言 べき もの で 、 その 內 に 定額 の もの と 然 らざる
たかが 「 ひの
もの と が ある 。 後者 を 浮役 と 稱 する 。 高 掛物 と 稱 する の は 本 途物 成 に 對 する 附加 綻 で あり 、 天
を 三 役 と 稱 し
領 にて は 特に 定式 高 掛物として 藏 前入用 、 六 尺 給 米 、 停馬宿 入用 が 課せ られ 、 之
うん じゃうめ う が
等 の
た 。 其他 主として 商人 に 課する 運上 ・ 冥加金 が あり 、 諸 職人 ( 手工業者 ) に 課する 石屋 役
役 が あっ た 。
水田 に は 面演 と 田 品 と に 從 つて 年貢 が 課せ られ た 。 面積 は 検地 に よつ て 定まっ て 居り 、 峠 は
原則 として 一 尺 幅 を 認め 、 更に 峠 際 一 尺 を 除い て 大量 す べき もの で あつ た 。 大通り に 接する 場
合並 に 堀割 ・ 堤防 等 の 際 で は 三 尺 幅 を 除き 、 屋敷裏 の もの は 一間 幅 を 除く べき で あっ た 。 曲尺
こくもり
六 尺 四方 を 一 歩 と し 三 百 歩 を以て 一段と し た 。 田 品 は 石盛 と 稱 せら れ た 。 石盛 の 定め 方 は 必ず
しも 一定 し て ゐ ない が 、 享保 以前 は 一 坪 数 一 升 あれ ば 石盛 十 二 、 享保 以後 は 十 五 と せら れ て い
る 。 面子 代 五 分 、 明米 五 分 、 年々 損毛 電 割 、 合計 二 を 一 町 の 桜 三 十 石 から 引き去り 、 之 を 五
合 摺り に し て 十 二 と し た の が 享保以前 の 法 で あり 、 二 割 の 控除 を し ない の が 享保以後 の 法 であ
る 。 これ を 上回 と し 、 中 下 は それぞれ 二 つ 劣り と なる 。 その 上 又は 下 に 上々 田 ( 関田 等 ) 下々
然し 檢地 の 年 だけ の 稲作にょ って 石盛 は 定まる の で は なく 、 諸種 の 狀
田 を 置く こと も ある 。

187
況、 例へば 土質 の 善悪、 用水 の 便否 、 耕作 の 便否 、 耕作 者 の 精不精 等 を 考へ 合せ て 決定 さ れ
188
た。 場合 に よる と 十 ヶ年 を 平均 し て 算出 し た 。 畑 の 石盛 は 田畑 六 分 遠 の 法 に 從ひ 低下 せしめ ら
れ た 。 上畑 中畑 下畑 に 分たれる こと 水田 と 同じく、 屋敷 は 上畑 と 同一 の 石盛 と さ れる こと が 多
かつ た 。 石盛 に 面積 を 掛け合せ た もの が 石高 で あり 、 村 の 石高 が 村 高 で ある 。 石高 は 又 高辻 と
言 はれ た 。 辻 は 合計 の 意 。 檢地 の 結果 は 水 帳 に 作成 さ れ た 。 一筆 每 に 田畑 上中 下 が 記さ れ 、 位
置 が 肩書せら れ 、 所持 の 者 の 氏名 が 記される。 小作 人 の 名 まで 記さ れ て ゐる こと も ある 。 此水
帳 が 基準 と なつ て 年内 の 年貢 は 定まる の で ある が 、 その 方法 に は 大 樣 二 通り ある。 一 を 機 見取
ちょうめん
と 稱 し、 他 忘稱
を し た 。 檢見 は 走見 で あり、 毎年 作柄 の 良否 を 調 在し て 共 年 の 収穫 を 認定
し、 年貢 の 額 を 確定する 方法 で ある。 確定 さ れ た 年貢 の 額 と 本 來 の 石高 と の 制合 ( 數字 ) を 免
と 稱 し た 。 従って 免 は 毎年 異 っ た 。 三ッ 五 分 六 厘 三 毛 等 と 稱 へ た 。 よって 確定 の こと を 庫附 と
言 ふ。 毛 見取 の 法 に も 種々 あっ た が 、 執れ に し て も 役人 百姓 共 に 努力 費用 英 大 で あり、 且つ
收入 不定 の 短所 が あつ た 。 そこで 十 年 又は それ 以上 の 発 を 平均 し て 之 を 基準 と し 、 年内 の 被 見
を 省略する 方法 も 採ら れ た 。 之 を 定免 といふ。 定免 に てる 三 四 割以上 の 不作 に際して は 破免 と
なり 、 檢見 が 行 はれ た 。 時代 が 降る と 定免 制 が 普及 し 、 寛延 二 年 五月 以來 、 天領 にて は 強制 的
な もの と なつ た 。
かみがた
年貢 は 田 は 米納 で あり 、 畑 は 關東 方面 は 代金 納 、 奥州 益 に 上方 は 米納 で あつた 。 代金 納 は 永
納 とも 稱 し 、 多く は 年貢 米 二 石 五 斗 につき一貫 文 の 割合 と せら れ て み た 。 これ 等 の 米 金 が 幕府
その他 の 領主 の 収入 と なつ た わけ で ある が 、 實 は その他 に 延 米 と 稱 する もの が 附加 さ れ て 收納
さ れ た。 三 汁 五 升 入一 俵 たる べき 所 を 二 升 の 延 米 を 加 へ 、 三 斗 七 升 と し た の で ある。 幕 領 に 於
て は 此外 に 口 米 ・ 口永 と 稱する もの が あり、 三 斗 五 升 につき 一 升 づく、 又は 百文 につき 三文 づ
つ 附加 せ られ 、 之 が 代官 の 収入 と なつ た 。 然し 實 は その他 に なほ 込 米 と 稱 する もの が 農民 から
取立て られ た 。 三 斗 七 升 俵 が 幕府 の 倉庫 に 納まる 迄 の 融 途中 の 缺損 を 見込ん で 、 一 俵 につき 一
升 乃至 一 升 五 合 を 徴収 し た ので あつ た 。 從 つて 表面 上 の 厘 附 が 三ッ 五 分 程度 で あつ て も 管 際 は
四ッ 近く に 該 つて わ た の で ある 。
むらうけ
年貢 徴収 方法 に 就 て は 凡て 之 を 省略する が 、 唯 年貢 は 所謂 村 請 で あり 、 領主 は 村 に 賦課 し 村
から 取立てる ので あつ て 、 各戶又 は 各 個人 に 賦課 徴収 し た の で は なかっ た 事 を 注意 す べき であ

る。 本 途 物成 ・ 小物 成 ・ 高 掛物 を 問 はず、 凡て 合算 額 を 村 の 名主 庄屋組頭 等 に 通藩 し 、 共 各 戶
へ の 分城 は 村役人 の 自治 に 委し た ので あつ た 。 村役人 は 農民 所持 地 の 石高 に 依っ て 之 を 分 賦 し

189
た 。 尤も 農民 所持 地 と 雖 も 、 開 發新 田 等 にて 所謂敏下 年季 と 稱 し て 無 年 員 を 許さ れ たる 場所 は
190
除 外せ られる。 所謂 高 請 な 田畑 で ある。 高調ある田畑 を 所持 する 者 は 高持百姓 ( 本 百姓 ) と
おんづけ
稱 せら れ て 、 之 を 所持 せ ざる 無高 の 百姓 ( 水呑百姓 ) と 區別せら れ 、 村政 に 參與 し 得 た 。
分 附
百姓 ・ 架搬百姓 ( 米子 ) は 、 質 質 上 高 持 百姓 で あり、 水 帳 に も 名 は 表 はれ て わ た が 、 もと 分家
たり し こと 又は 下 人 たり し とと の 故 に 、 本家 又は 元 主人 の 名 を 冠し て 表 は さ れ て 居り 、 村 に 於
ける 待遇 は 水呑 と 同じ か 又は それ に 近く 、 年貢 は 本家 又は 元 主人 が 一括 納入 する ので あつ た 。
三九 土地 の 質 入 書 入 制度
幕府 は 農民 の 搭祝 力 確保 の 爲 に 種々 なる 方策 を 施し た 。 分家 の 制限 、 高 請地 永代 賣 買 の 禁 、
夫 食 種子 貸 等 は その 主 なる もの で ある。 高 十 石 以內 又は 反別 霊 町歩以下 の 小百姓 が 、 自己 の 所
持 地 を 分け て 分家せしめる 事 は 禁ぜ られ て み た 。 十 石 以上 の 所持 者 と 雖 も 、 分家 者 に 五 石 以上
を 分け 得る 場合 の 外 は 、 分家 は 原則 として 禁ぜ られ た 。 但し 享保 七 年 以來 五 石 以下 の 小 分家 も
許さる ト に 至る 。 高 請地 の 永代 貨買 は 幕府 法 で は 、 寛永 二 十 年 三月 以來 、 地面 沒收 の 制裁 を 以
て 禁ぜ られ た 。 但し 浪人 侍 が 所持 し て ある もの は 高 講 地 と 雖 も 賞 買 可能で あつ た 。 高 講 なき 開
發新田 ( 開墾地 ) 山林 等 も 亦 同じ。 高 請地 賣買 の 禁 は 、 質 地 即ち 土地 質 入 の 許容 にょ って 潜 脱
せら れ た。 蓋し それ を 流地 ( 流質) と する 方法 に よ つて 資 買 の 目的 は 潜 せ られ た から で ある 。
幕府 で 此出 に 鑑み 、 質 置主 の 請戻 權 を 法規 を以て 延長 し たり 、 又倍 手形 と 稱 し 受領 金額 の
二 倍 を 證文 に 書き、 講 戻 を 困難 に するやう な 契約 を 念 す 者 を 處罰 し たり し て 、 講 戻橋 行使 を 容
易 なら しめ、 以 て 所持 地 喪失 を 防止せんと 圖 っ た 。 十 年 以上 の 質 年季 を 定め た 質 地 の 訴訟 を 無
取上 と し た の も 、 長期間 の 耕作 構 喪失 を 防止 し 百姓 の 際 散 を 防ぐ為 で あつた 。
田畑 を 質 に 取っ た 者 は 年貢 諸 役 を 動 むべき 義務 を 負る こと、 今日 の 地祖 法 第 十 二 保 第 二 項 と
同様 で あつ た 。 若し 貨取 主 が 勤め ず に 質置主 を し て 勤めしめる 契約 を 為し た 場合 に は 、 之 を 熱
の 念 なる
納 又は 賴納 賞 と 稱 し 、 貞享 四 年 以來 土地 沒收 の 制裁を以て 禁止 せ られ た 。 擦 抗力 確保
ちさこ さく
こと 勿論 で ある 。 なは 地 と 稱 する もの も あっ た 。 半分 程 の 地面 を 直 小作 し 、 全 面積 の 年貢 踏
役 を 勤める の を 稱 し た 。 禁止 せ られ て み た こと勿論 で ある。 著 入田 地 は 今日 の 城 當 に 該り 、 名
主 の 加 印 ある 證文 を以て 擔保 管 を 設定 する 方法 で ある 。 耕作 權 は 依然從來 の 地主 に 保持 さ れ て
わる ので 、 年貢 諸 役 は 地主たる 書 入 人 から 支携 ふべき こと 勿論 で ある 。 唯 辨濟 世 さる とき 強制
覚却 し て 代金 を以て 優先 解決 を 受 くる の で なく 、 共 田地 目 置 が 貸主 に 渡さ れる と と なる 點 が
今日 の もの と 異る 。 然し 斯く 流地 處分 を 認める こと は 、 結局 永代 賞 を 認める と 同一 の 結果 と な

191
る 。 そこで 幕末文化 年代 に 於 て 、 期限 に 辨解不能の とき は 喜入 地 を 質 入地 に 變じ て、 改めて 年
季 を 定め 、 その 年季 迄 は 語戻可能の もの と し て いる 。 後 に 述べる 直 小作 と 言 人 と は 、 質
置主が %
耕作 憶 を 留保 する 點 に 於 て 似 て いる が 、
昔 入 に 於 て は 利息 は 金納 で あり 信 欄 者 は 年貢 語 役 を 動
め ないのに、 直 小作 に あつ て は 利息 に 當る べき 小作 料 を 物納 し 、 債 楠 者 が 年貢 諸 役 を 勤める 點
に 於 て 異っ て み た 。 年季 賞 又は 本物 遇 の 名 も 行 はれ て ゐ た が 、 その 資質 は 直 小作 に 非 ざる一般
の 質 地 と 同一 の もの が 多 かつた 。
高 請地 の 質 入 を 行 ふとき に は 證書 が 作成 せ られ べき で あつ た 。 認書 に 名主の 加 判 を 要し 、 若

し 之 を 吹け ば 質 入 として の 效力 を 裁判 上 否認 さ れ た 。 土地 の 所在 ・ 反別 ・ 宛名 ・ 年 號等 に 就き
亦 同じ 。 此他 多く 證人 の 加 判 が 存 し た 。 又流 地 文言 の 存する もの と 然 らざる もの と で は 、 法律
上 の 效力 を 異に し た 。 即ち 流地文言ある もの は 、 期限 後 二 ヶ月 間 のみ恩恵 的 に 講 戻 を 認める が
それ を 過 ぐれば 講 戻憶 は 否認 さ れる に 反し て 、 流地 文言 なき もの は 、 期限 後 十 ヶ 年間 講 て を 認
め られ た ので あつ た 。 期限 の 定 なき もの は 質 入 の 時 より 十 ヶ年以內のみ請戻可能 で あつ た 。 期
限 の 定 あら ば 期限 內 は 講 戻 不能 で あつ た 。 此貼 今日 の 不動産 質 と 異っ て 居り、 そして 室町 幕府
法 の 年期 資 と 類似 し て 居る。 質 取主 は 從 つて や 所有 者 に 近き地位 を 有し た 。 そして 質 取主 は
その 土地 を 又質 ( 韓質 ) と する こと が でき た 。 唯 諸種 の 理由 から 共際 は 元 地主( 第 一 の 質 入 人 )
の 加 判 あること を 要し た 。 又質 の 質 取主 は 元 地主 に 對 し 直接 辨濟 を 求め 得た の で ある が 、 又質
の 金網 ( 被 搭保 債 幅 ) が 第 一 の 質 入 より 多けれ ば 、 その 差額 は 又質 の 質 置人 が 辨濟 すべ かり し
と と 言 ふ 迄 も ない 。
高 請地 の 資 買 が 禁止 せ られ て い た 幕府 領 に 於 て も 、 町屋 數 と 稱 せらる 部分 は 資買 自由 であ
っ た 。 通常 敷地 と その 上 の 家屋 と 一括 し て 考へ られ 、 家 屋敷 と 稱 せら れ て み た 。 資買 は 代金 の
授受のみ を以て は 完了 せ ず 、 町 內亞 に 一 項 に対する 「 弘メ 」 と 帳簿 の 名 儀 害 替 と を 必要 と し
た。 「 弘メ 」 に際して 、 名主 へ 銀 二 枚 、 五 人組 へ 金 百 匹 づ 、 町中 の 家持 一 人 につき 1 節 一
づ 」 を 提供 し 、 分 一 金 を 百兩につき 二 兩 の 割合 で 差出すべき で あつ た 。 とれ 等 は 慣習 の 法認 で
あつ た ので 、 若し 異る 慣習 が あつ た 場合 に は それ に 依っ た 。 町屋敷 買 受人 は 通常 共 處 に 居住 す
ること なる 。 そこで これ は 來住 の 「 弘メ 」 の 意義 を 有し た ので あつ た 。 從 つて 町人 の 間 で
の 賣買 は 自由 で あつ て も 、 町人 から百姓 へ の 愛 買 は 禁止 せ られ た 。 又 、 百姓 の 屋敷 を 町人 へ 演
ること 禁止 せ られ た 。 百姓 間 の 資買 は 許さ れ て わ た こと 勿論 で ある 。 町屋敷 を 町人 から 武士
へ 誕渡すること は 許さ れ た が 、 武士から町人 へ 譲渡 する こと は 許さ れ ない。 又 百姓 が 屋敷 を 武

193
士 に 護 渡す こと、 故に 武士 が 百姓 に 譲渡 す こと は 可能 で あつ た 。 武士 の 間 で の 護渡 宮亦 許さ れ
て めた。 但し 拝領 地 に 非 ざる 場合 に 限る。 斯く て 屋敷 は 多少 の 身分 的 制限 は あつ た が 、 資買 ・ 194
誕波 が 許さ れ て み た こと を 知り 得る 。
かしち。
貸金 の 捻保 に 家 屋敷 を 握保 に 供する こと を 家 質 と 稱 し た 。 利息 を 支卵 はず 宿賃 ・ 店貨( 家 賞 )
を 支挑 つて 質 置主 が 引織 き 居住 する 點 は 、 田畑 の 直 小作 と 全く 同様 で ある 。 唯 形式 として は 家
屋敷 の 永代 萬 波 議文 に 家守 請狀 を 添 へ て 引渡す ので 、 貸 渡 搭保 に 外 なら なかつ た 。 資渡 證文 に
は 名主 ・ 五 人組 の 加 印 が 必要で あり、 これ が 無けれ ば 家 質 と 言 へ ず 、 訴訟 上 他 の 一般 の 普入 と
同一 の 取扱 と なつ た 。 家守 請狀 に は 詩人 の 加 印 丈 けが 必要 で あっ た 。 家 質 たら は 、 質 置主 がた
と へ 闕所 と なつ て 家 屋敷 を 役所 に 取上げ られる 場合 でも、 賞 却代 金 の 內 を以て 搭保 債権 を 舞
濟 せら れる 構利 が 認められ て お た 。 期限 に 辨濟なき 場合 に それ が 流質 と なつ た こと 、 田畑 の たら

入 と 同 樣 で ある 。
以上 は 凡て 關東 の 取扱 で あり 、 關西 殊に 大坂附近 で は 、 田畑 質入 に際して も 名 儀 書 替 を 行 は
ず、 從 って 年貢 諸 役 は 質 置主 が 負 搭 し 、 質 取主 は 利息 相 當 の 米 を 受取る 定 で あり、 家 質 に 露 し
て も 亦 同 樣 で あつ た こと を 注意 す べき で ある 。 又 臨東 方 と 否 と に 拘 はら ず 、 譲渡 ・ 誕地 ・ 誤屋
數 と 稱 せら れ た 無償 誕渡 は 資 買 と 同一 で は ない ので 、 高 請田 畑 たり と も 公然 之 を 行 ふ こと を 得
た 。 但し禮金 を 受取っ たり、 又 受取ら ない と 稱 し てるてる 由緒ある 護渡 で なかっ た 場合 に は 、
それ は 誤渡 と は 認め られ なかっ た。 由緒ある と は 、 相 繊人 以外 の 子 、 弟 その他 の 親類 に 護渡す
な よせ
る 場合 、 及び 家 來筋 の 者 へ 與 へる 場合 等 を 指す。 その 際 必ず 證文 を 作成 し 名主 加 印し、 名寄 帳
を 書 改めて 置く 必要 が あり、 然らされ ば の 際 に 沒收 の 憂目 を 見 た 。
四 Q 夫 食補 と 想
夫 食 貸 種 賞 は 平年 の 事 で なく、 甚 しき 凶作 の 際 に 幕府 領地 ・ 大名 領地 を通じて 行 はれ た 方法
で ある 。 夫 食 食 は 代官 所 等にて 、 農る べき 品物 も 持た ず 頼る べき 親類縁者 なき 農民のみ を 調査
し て 集計 し 、 十 五 賞 より 五 十 九 歲迄 の 男子 一 日 玄米 二 合 、 それ 以外 の 男女 は 米 一 合 ( 麥 なら ば
倍額 ) の 割合 で 、 三 十 日 分 づ 代金 を以て 勘定 奉行 より 代官 所 に 支出 し 、 代官 所 は 之 を 農民 に
貸 渡すこと が 常例 で あつた。 返納 は 翌年より 無利息 五 ヶ 年々 賦 として 、 代官 所 を 通じ 代官 の 資
任 を以て 行 はれ た 。 種 貸 は 凶年 に際し 種類 ・ 種 変 なき 場合 に 、 夫 食 貸 と 同様 の 方法にて 代金 に
よる 貸付 が 行 は れ 、 返納 は 翌年 より 三ヶ 年々 にて 行 はれ た 。 但し 元金 の 外 に 三 割 を 加 へ たる
額 を 三 分 し て 年 眠 の 額 と する 點 、 夫 食 食 と 異る。 此 三 割 は 利息 に 外 ならない。 凶年 平年 を 通じ

195
困窮 の 農民 に 肥料代金 を 貸 付ける 事 も 行 はれ た 。 但し 持 高 二 十 石 未満 の 者 に 限ら れ た 。 返納 は
196
無利息 ヶ 年々 賦 が 多い 。
すけ
かーる 農民 保護 の 方針 と 矛盾 する 制度 は 助 猫 の 制度 で あつた 。 助 郷 と は 人馬 継立 の 爲 の 宿 ~
の 設備不充分 なる 所 を 補充 する に 、 近隣 の 村 々 に 補助せしめ人馬 を 提供 せしめる こと で あっ
ちゆうす け だい
た 。 定助 と 大助 と あり、 前者 は 固定 し 頻繁 で あつ た が 、 後者 は 稀 に 行 へ ば 足り た 。 定助 は 高 百
石 につき 馬 二 匹 人 足 二 人 を 定例 と し た 。 定助 の 村 々 の 高 掛物 は 免除 せ られ た 。 そして 人馬使用
者 から は 朱印 傳馬共 他 幕府 の 公用 向 を 除き 法定 の 賃銀・ 駄賃 が 得 られ た 。 從 つて 一見合理 的 に
見える が 、 早朝 より 深夜 迄 の 一 日 の 勤務 に は 前後 三 日 を 潰し 、 之 を 免れ ん として 宿 > の 問屋 役
人 に 代錢 を 差出せ ば 、 之 は 村 入用 として 農民 が 分 接する こと なり 、 農民 は 可 なり その 重 壁 に

苦しん だ ので あつ た 。 法 序 ながら、 各 宿 驛 の 地子 ( 年貢 ) は 或は 五 千 坪 或は 一萬 五 千 坪 ( 五
十町歩 ) と 免除 さ れ て い た こと 、 故に 給 米 ・ 拝借 錢等 の 形式 に 於ける 宿 驛助 成金 が 下 附 さ れ
て 、 可 なり の 保護 が 加 へ られ て い た 事 附言しょ う 。
四一 金錢 及 度量衡 制度
江戸 幕府 下 の 財産 制度 を 知る に は 、 必ず 裁判 制度 と の 關聯 に 於 て 見る べき で あり 、 獨立 に 遊
離し て 観察 し て も その 實體 を 充分 に 把握 し 得ない 。 蓋し 財産 の 種類 によって 裁判上 の 保護 が 異
り、 中 に は 全く保護を 與 へ られ ない もの が あつ た から で ある 。 従 つて 之 を 中心 として 製 察 を 進
を 一
め て 行く こと ト する が 、 その 前 に 、 財産制度 の 基礎 を 成し て み た 貨幣制度 及 度量衡の 制度
督 すること 」 する 。
江 戶幕 府 は 貨幣 鋳造 の 獨占 構 を 有し て み た が 、 金貨 ・ 銀貨 ・ 銅鍋 ・ 鐵鍋 ・ 紙幣 の 中 、 後 三 者
は 稀 に 諸 藩 に 許可 し て 鎬造 製造 せしめ た こと が ある。 例へば 明和 五 年 四月 より 五 年間 水戸 藩仙

※ 群 にて 鏡 を 録 、 天明 四 年 より 四 年間仙堂藩 にて 鐵愛 を 躊 、 寛文元年 福井 藩 、 同 十 年 岡山 藩
の 定
延 賞 二 年 松江 藩 が 溢札 を 製造 する に 至つた 如き 之 で ある 。 殊に 岡山 藩 にて は 同年 七月 朔日
により 、 銀 札 の 強制 通用 力 を 認める と 同時に 銀 貨幣 の 使用 を 罰則 附 にて 禁止 し て いる 。 法定 比
償 は 銀 百 匁 に 對 する 札 百 堂々 の 宣 ( 潜 より ) で 同 百武 分の 買 で あつた。 銀札 は 必ず 銀 準備 ある
然るに 幕末 に 近づき 殆 ん ど 全國 に 互り 藩札 氾濫 する 頃 と なる と 、 免
兌換 券 たる べき で あつ た 。
換 準備なく し て 發行 し 、 鳶 に 比價 は 守ら れ ず 、 紙幣 の 購買 力 は 著しく 下落 し た ので あつ た 。
幕府 篇 造 の 銅鏡 ・ 鍼鏝以外 に 於 て 、 舊時 支那 より 渡來 し た 永 樂錢 と 京錢 と が 行 はれ た 。 前者
は 關東地方 に 多く、 後者 は 京都地方 に 多かっ た 。 金 貨幣 は 所謂大判 小判 が 主 で あり 、 後者 は 前

197
者 の 十分 之 一 の 價値 を 有し た 。 然し目方 は 純分 の 關係 で 大判 四 十 四 匁 なる に 小判 は 四 匁 八 分 で
OTHE

198
っ た 。 小判 は 一兩として 通用 し 、 それ の 四 分 之 一 即ち 一 匁 二 分 の もの は 一 分 判 ( 防判 ) と 稱
せら れ た 。 後 に 元藤 十 年 に 武朱 判 も 出來 た 。 一 分の 四 分 之 二 の 價 ある もの と せら れ た 。 銀 貨幣
は 丁銀 ・ 豆板銀 が 主 で あつ た 。 丁銀 は 一 挺 四 十 三 分 內外 で あり、 豆板銀 は 大小品々 で あっ た 。
丁銀 と 雖 も 算 量 一定 せ ず 、 重 目 貨幣 とも 言 はる べき もの で あつ た 。 從 つて 常に 價格 は 銀 何 匁 と
し て 表示 せ られ て いる 。 金 銀貨 の 法定 比 價 は 元藤十 三 年 十一月 以來 金 一 兩 に 銀 六 十 及 と 定め ら
れ て お た が 、 事實上 金 一 兩 は 銀 四 十 三 匁 見當 に 通用 し て い た 。 以上 は 慶長 金銀 を 基準 に 述べ た
の で ある が 、 其後改鋳 が 展 え 行 は れ 變遷 を 遂げ て ゐる 。 その 経過 に 就 て は 凡て 省略する 。
金貨
幣 と 錢 と の 法定 比價 は 、 永 樂錢なら ば 一 兩 一貫 文 、 京錢なら ば 一 兩 四 貫 文 で あつ た が 、 慶長 十
三 年 十二月 八 日 永 樂袋 の 使用 禁止 令 後 は 、 凡て 京錢 の 比 價 に 依っ た 。 從 つて 永 何 貫 何 百文 と 稱
する も 、 京錢 標準 だ と 知る べき で ある 。 但し 實際 に は 永 樂錢 も 通用 し た し 、 又 比 價 の 定 は 必ず
しも 守ら れ て ゐ なかつ た 。
金 ・ 銀 ・ 銭 の 貨幣 鎬造 權 を 幕府 が 握っ て 居つ た と 言っ て も 、 鋳造 は 決して 直営 で は なく 後藤
庄三郎 部下 の 金座 ・ 銀座 の 座 人 に 第 造 發行 せしめ 、 それ 等 の 者 から 極印 の 選 上 を 發行 高 に 應 じ
て 上納 せしめ て み た 。 選 上 額 が 累進 率 と なつ て ゐる 點 は 興味 を 牽く。 他方 、 鎬造 額 百 分 之 一
( 步一金) が 後藤 に 、 百 分 之 一牛 前後 が 金座 に 、 百 分 之 七 程度 が 銀座 に 下賜 せ られ て み た ( 歩
一 銀 )。
度量衡 中 、 量 は 寛文 九 年 閏 十 月 一 日 以東 關東にて も 、 從來 關西 に 行 はれ て ゐ た 京升 を 用 ふと
と ~ 定め、 全國區 々 の 兵制 は 一掃 さ れ た 。 京升 の 容量 は 今日 の 升 と 全く 同じ 。 但し 對角 鐵弦 の
存在 により 多少 の 差異 を 見る 。 枡 の 製造 販賞 權 は 江戶 の 樽屋 藤左衛門 、 京都 の 福井 作 左衛門 に
獨占 的 に 與 へら れ 、 檢定 を 加 へ 焼印 を 捺し て 前者 は 東三 十 三ヶ國 、 後者 は 西 三 十 三ヶ國 に 頒布
ます。
する こと が 認め られ た 。 その 營業 所 を 升 座 と 稱 し た 。 その 獨占 權 は 然し 凡て の 灘 に は 浸潤 し て
しゅん
わ ない。 僕 術 器 に 關 し て は 、 それ より 十 数 年 前 の 承應 二 年間 六月、 東三十三ヶ國 は 江戶 の 守隨
じん
彦太郎 に 、 西三十三 ヶ國 は 京都 の 神 善四郎 に 導資 が 興 へら れ 、 兩者 共 神座 と 稱 せら れ た 。 斤
基 は 金銀 等 に は 斤 匁 分 風 等 を 用い た が 、 通常 は 貫 匁 を 用い た 。 量 器 ・ 衡器 を 偽造 し た 者 が 重く
處罰 せら れ た こと 言う 迄 も ない 。 尺度 器 の 製造 販賣 に は し て は 、 量衡 と 異り 幕府 の 統制 は 缺 け
て 居つ た 。 蓋し 量 は 年貢 と 關係 し 衡 は 量目 貨幣 と 關聯する が 、 尺度は 幕府財政 と 關係 薄き 故 で
ある 。 唯享保 以降 江戸城內紅 葉山 に 原器 を 減し て 曲尺 の 標準 と し 、 念 に 享保尺 の 稱 が 起っ た 。

199
今日 の 曲尺 の 標準 と なる 。 微 地 等 に 必要なり し 爲 で あらう。 又 曲尺 一 尺 二 寸 五 分 當る 鯨尺 、
曲尺 八 寸 に 該る 必尺 も 特殊目的 に は 用い られ て み た 。

200
四 二 金 錢財 産 の 特殊 性
江戸 幕府 の 年貢 取立 方法 が 原則 として 米納 制 で あり 、 金納 制 は 例外 的 で あつ た 爲 、 経済 の 基
本 は 米 本位 制 と 言 ふ べき もの で あつ た という見方 も 在り 得る が 、 然し 民間 の 資 買 貸借 は 米 を

以 て する こと は 稀 で 、 多く は 金 ・ 銀 ・ 錢 を以て 行 はれ て ゐる ので 、 やはり貨幣 本位 制 と 言 ふ
べき もの で あつ た と 理解 せ られる 。 而 も 江 戶其 他關東 にて は 金本位 的 取扱 で あり 、 大阪 其他 園
西 地方にて は 銀本位 的 取扱 で あつた。 従 つて 貨幣 は 財産 の 重要なる もの で あり、 貨幣 の 貸借 に
關 する 法制 に は 可 なり見る べきる の が ある。 然し 傳統 的 に 土地 を 重視 し た の と 、 鎌倉 幕府以來

の 武士 保護 ・ 町人 非保護の 傳統 を 受け 縫い で の た こと により、 貨幣 財産 に 對 する 保護に は 、
財産 の 形態 故に 成立 の 由 來 に よつて 、 可 なり 軽量 の 差 が 附せ られ て ゐ た 。 財産 の 內土 地 に 係
ばんく に
ある もの は 重く 保護 し 、 それに 關 す るる の は 本 公事 と 稱 し て 他 の もの と 區別 し た 。 小作 料 家賃
等 は 「 年貢 同然 の 儀 」 と 考へ られ た 。 無利息 の 貴 金 等 亦 之 に 準じ た 。 利息 附 の 賞金、 共 他 の も
ので 、 比較的 保護 に 價 する と 見 られ た 金 錢債 構 は 、 金 公事 と 稱 する 訴訟 手織 によって 保護 せら
なかまごと
れ た が、芝居木錢・ 無 盡金其他仲間 事 と 稱 せ れ た 債 裾 は 訴訟 する も 受理 せ られ なかっ た ので
ある 。 本 來金公事 たる べく し て 證文 の 形式 其他 の 要件 を 缺 きたる 場合 亦 同じ 。
・ ・ ・
本 公事 として 取扱はれ た もの は 、 質 地 ・ 作德 ・ 買 預 米 ・ 預金 ・ 給金 ・ 店 立 ・ 雑用 金 ・ 護金 ・
家 賃 ・ 純金 ・ 引 負 金 ・ 兩 替 金 ・ 魚 場 調 負 金 ・ 為 替 金 ( 無 利息) ・ 夜 具 滞 ・ 小 作 滞 ・ 船 床 書 入 ・ 紛
失物 買 取 置 不退 ・ 家 藏 等 資 渡 金 ・ 水 前 金 ・ 髪 結 床 ・ 廻 り 場所 ・ 銀 札 引 替 ・ 成 貨物 を 以 金
課長 候 類 ・ 身代金出入 等 で あつた。 利息 附 の もの は 預金 と 雖 も 金 公事 と なる 。 金 公事 に 入る
の として は 、 気 掛金 ・ 持参 金 ・ 手附金 ・ 立替 金 ( 年貢 立替 を 含む) ・ 先 納金 ・ 書 入金 ・ 官金 ・ 同

堂 金 ・ 仕 入 金 ・ 店 貨 金 ・ 貸 金 ・ 普 請 金 ・ 利 附 _ ヶ 金 ・ 利 附 爲 替 金 ・ 仕途 金 ・ 米 引 當 覚 銀 ・ 年 賦
金 ・ 職 人手 間 賃 ・ 地 代金 ・ 損 料 金 ・ 米 手 附 金 ・ 馬 代金 ・ 飯 料 滞 ・ 手 間 賃 前 貸 ・ 紛 數 給 金 ・ 醤 道
具 預金 銀 借 ・ 諸 道具 預 認文 にて 金 銀貨 ・ 暗 物資 渡 證文 にて 金銀 借 ・ 拝領 屋敷地代 店 賃借入金 子
借 等 が 數 へら れ て めた。 概して 言 へ ば 、 営利 性 低 きもの ( 民事 的 貸借 ) が 強く 保護さ れ 、 営利
性 強 きもの ( 商事 的 侵借 ) が 弱く 保護 さ れる 傾向 に 在っ た 。
本 公事 を 代表する 質 地 ・ 家 質 等 の 不動産 携保 を 伴 ふ 貸金 債 糖 と 、 金 公事 を 代表する 借金 銀 と
稱 せら れ た もの と の 間 に は 種々 の 點 で 格段 の 差異 が 認め られ た 。 質 地 ・ 家 質 等 を 伴 ふ 償標 に 於

201
ひりな しかた
て は 、 若し 滞納 に 闘 し 訴訟 方 ( 原告 ) 勝訴 の 判決 が 與 へらる 際 に は 、 印 限 濟方 と 稱 し て 、 一
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定 の 猶 換期 間 を 置い て 全額をを 一時 に 辨濟 す べきこと を 命じ 、 その 日限 ( 期限 ) に 辨済 がが 完了 し
なけれ ば 、 疼保 物 の 所有 權 を 相手方 に 與 へ て 結末 を 告げる ので あつ た 。 所謂借金 銀 の 裁判 に 於
て は 、 日限 済 方 を 中 付ける こと は 前者 と 同様で ある が 、 多少なりとも その 日限 に 於 て 入金すれ
ば 、 本 公事 の 握保 物 引渡 に 代る べき、 身 體限 ( 財産 差押 ) と 稱 する 強制 執行 を 直ちに行ふ こと
なく 、 切金 と 稱 し て 債務 額 の 數 十分 之 一 程度 の 額 を 定め、 毎月 二 回 裁判所 を通じて それ を 辨濟
せしめる 方法 を 採っ た 。 大抵 は 皆 濟迄 に 十 年 以上 を 費す 定め 方 で あつた 。 その間 利息 を 附し な
いこと は 勿論 で ある。 日限 迄 の 間 も 然り。 然し 家 質 に 於 て は 家賃 ( 利息 に 該當 ) が 日限 迄 の 間
と 雖 も 生じ た ので あつ た 。 切金 を 滞納すれ ば 制裁 が 加 へ られ た こと は 言 ふ 迄 ら ない 。 天保 十 四
年 以前 は 直ちに 全額 の 強制 執行 開始 せ られ 、 同年以後は 手鎖 等 の 制裁で あっ た 。
借金 銀 は 又 展 々 相 對濟 令 の 危険 に 曝さ れ た 。 相 對濟 と は 訴標 剣 春 の 意 で あり 、 多く は 前年 と
か 四 年 前 とか 迄 に 發生 し た 償權 に 闘 し て の 相 對濟 で あつ た が 、 享保 四 年 十一月 の もの 如く、
將來 發生 す べき 債 幅 に 關 し て 適用 ある べき 旨 を 規定 し た もの も あっ た 。 前者 は 或 種 の 德政 令
で ある が 、 後者 は 將來 に 關係 する ので、 德政 令 より 一 歩 を 進め た もの で ある。 將來 に 關 し て
は 金 公事 の 仲間 事 へ の 編入 とも 言 へ やう。 然し 後者 の 如き 措置 は 到底 永 覆す べく も なく、 「 金
銀 通用 相 滞 」 を 理由 に 、 享保 十 四 年 十一月、 香 の 如く 訴訟 を 取上げる こと 、 改めて おる 。 後者
の 如き 相 對濟 令 の 發布 は 稀 で ある が 、 前者 の 如き 相 對濟 令 は 可 なり 頻繁 で あり、 元和 八 年 一
月、 貞 享 二年、 元 麻 十五 年 閏 八月、 延 享 三年 三月 、 寛 政 九年 九月、 天保 十四 年十二月 の も の
は 、 その 主 なる もの で ある 。
相 對濟 令 は 裁判 上 の 辨濟 請求 否認 を 意味するのみ で 、 裁判 外 に 於 て 請求 する こと は 妨げ な
い 。 蓋し 償權 は 殘存 し た から で ある。 棄捐 令 は 相 對済 令 と 英り 、 債 構自 D の 破 楽 消滅 を 命ずる
もの で 、 一般人 に 對 する もの は 殆 ん ど 其例 なく 、 藏宿 ( 札差 ) の 貸 附 に 關 する もの として 、 寛
政 元年 九月 の もの 、 天保 十 三 年 八月 の もの 等 を 敷 へ 得る に 過ぎない 。 元々 明治 と なつ て から、
舊幕 時代 の 借金 銀 の 全部 又は 一部 の 楽 指 を 令 し た こと は 人 の 知る が 如く で ある 。 例へば 明治 五
年 五月 二 十 二 日 、 同 六 年 三月 三 日 の 太政官 布告 の 如し。 殊に 後者 は 一般人 の 間 の 貸借 に 隠し て
ゐる 。
江戸 幕府 法 の 下 に 在 つて は 、 前 代 間 に 次第に 確立 し た 債務 の 相 熱性 の 故 に 、 子弟 を 保 證人 た
らしめる 必要 は 大いに 減少 し た わけ で ある が 、 物的 務保 の 要求 に 講人 その他 の 人 的 擔保 の 要

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求 は 減少 せ ず 、 事 賞 頻繁 に 用い られ て ある。 土地 その他 の 搭保 物 ある に より 、 本 公事 として 共

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1
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保護 が 特に 厚い と なれ ば 何 更 で ある 。 田畑 に 關 する 質
地 、 屋 数 地 に 關 する 家 官 に 就 て は 既に 述
べた 。 れ も 土地 を 內容 と する が 、 後者 は 家屋 を 含む。 家屋 のみ の 嵐渡 搭保 は 從來 本 公事 の 取
扱 で あつ た もの が 、 延享 三 年 三月 以來 金 公事の 取扱 と なつ
た。 家 質 と 異り 、 生き た 登記 簿 と し
て の 名主 の 加 印 なき 事 を 理由 として ゐる。 然し田畑
の 書 入 ( 今日 の 抵當 ) は 名主 の 加 印 が あつ
て も 初 から 金 公事 の 取扱 と なつ て ゐ た 。 利息 附 たる こと
を 理由 として おる。 家質台實地 も 、 家
賃 又は小作 料 の 形 で 利息 は 實質 的 に 支卵 はれ て ゐ た わけ
で ある が 、 當時 の 人々 の 感覚 に 於 て 書
入 は 營利 性 強し と 感ぜ られ た もの で あら う 。 質 地 ・ 家 賞 に 準じ 本 公事として 取扱はれ た もの


に 、 船床 ・ 奨結床 ・ 廻り 場所 その他 脇 本陣 株 等 が あつ た 。 これ 等 は 獨立 の 不動産 物 襟 として

入 の 對象 と せら れ 、 本公事 として 一旦 日限 濟方 を命じ、 若し 辨濟 が 濡れ ば 嬉保 權 の 對象 を 移轉
せしめ た ので あつ た 。 然るに 天保 十 二 年 十二月 に 至る と 株 仲間 の 解放 が 行 は れ 、 湯屋 ・ 葵 編 床
凡て 株 札 は 返却 する に 至つ た ので 、 翌年 五月 に は 堤結床誓入 の 貸金 は 金 公事 に 編入 せ られ 、
切金 處分 を 受ける こと に なつ た 。 尤も 嘉永 四 年 三月 に は 株 仲間 は 再興 せ られ て いる 。
金 公事 の 對象 と なっ た 借金 銀 その他 の 債 權 は 利息 附 たる こと は 何 等 差 支 なかつ た 。 否 それ が
本質 で あつた。 然し 利息 は高利 たる こと を 得なかつ た。 年 一 割 五 分 を 超 ゆる もの を 高利 上し 、
それ 等 は 一 割 五 分 に 引下げられ た 。 天保 十 三 年 十 月 一 割 二 分 に 引下げ られ た 。 札差 の 貸金利率
を 一 割 に 引下げ た 餘波で ある。 元 來札 差 利率 は 一般の 貸借 と 異り 利率 の 制限 は 無 かつ た のであ
る が、 享保 九 年 七月 に 至り月別 二十 兩 一 分 即ち 年 一 割 五 分 に 定め られ 、 寛延 二 年 九月 に 之 を 年
一 割 八 分 に 緩和 し 、 寛政 元年 再 轄 し て 一 割 二 分 に 引下 と なり 、 天保 十 三 年 一 と なつ た わけ で
ある 。 同時に 動 產質 の 利息 も 引下 が 行 はれ た 。 そして 翌年 更に 引下げ られ 、 金 五 兩以 下 は 元金
一 分 につき 一 ヶ月 廿文 、 十 兩以 上 は 同じく 十 六文 と なつ た 。 流質 期限 八 ヶ月 。
此時 代 の 金 錢 貸借 法 で 特に 顕著 な の は 、 身分 違 の 者 の 間 の 貸借 で あり、 札差 が 藏 米 取 の 旗本
御家人 に 對 する もの 、 寺社 が 共 祠堂 金 等 を 大名 ・ 旗本 ・ 一般人 に 貸付け た もの 、 幕府 が 村方 に
貸 付け た もの 、 幕府 が 商人から借り受け た もの ( 御用 金 ) 等 は その 例 で ある。 なほ 別に 幕府 よ
り 萬 石 以上 に 貸 付け た もの 、 幕府 より 萬 石 以下 の 知行 取 に 付け た もの が あつ た 。 殊に この 最
後 の もの と 祠堂 金 と は 興味 が ある 。 萬 石 以下 の 知行 取 に 對 し て は 、 幕府 に 於 て 所 謂 郷印 證文 を
以 て 貸付 く べき こと ~ 定め、 携保 として 知行 地 の 年貢 徴収 權 を 幕府 に 提供 せしめ た 。 そして 文
政 三 年 以降 は 此方 法 のみ に 依る べき こと なつ た 。 形式 は 村 が 幕府 から 借り た こと に し て 村 か

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ら 證文 を 差入れ 、 それに 地頭又は その 役人 が 奥 印 印 を 加 へ、 或は 別に 添證 文 を つける のであ

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1

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つた。 返納 は 地頭 の 宇 を 経る こと なく 、 村方 から 幕府 の 江戶 馬喰町 の 貸付 役所 又は 近 を 代官 所
へ 直接納付 す べき もの と せら れ た 。 從 つて 若し 先 納金即ち 將來 の 年貢 の 事前 取立 が 行 はれ て 居
つた 場所 に 於 て は 、 幕府 の 年貢 取立 僕 は 賞效なき こと ~ なり 、 可 なり 事態 は 紛糾 する 。 又 その
事 は 實際 頻繁 に 起つ て ゐる 。 祠堂 金 貸付 は 既に 室町 幕府 の 頃 に 現 はれ て おる が 、 要するに 祠堂
修復 の 為 の 寄附 金 を 利殖 し て 不足 を 補 ふ 制度 で あり、 本來幕 府 の 保護 が 厚 かつ た の で ある が 、
宮 門跡 等 の 名目 を 用 ふる こと に よつ て 一層その 同 收 の 確實 が 圖 られ た 。 よつ て 之 を 一 に 名目 金
と いふ。 名目 金 に は 然し 可 なり一般高利貸 の 金 が 差 加 へ られ 、 弊 を 流し て い た こと は 顯業なる
事 賞 で ある。 名目 金 貸付 は 維新 後直ちに 禁止 せ られ た 。 なぜ 知 印 證文 に は 幕府 の 貸付のみなら
ず 、 一般人より 大名 旗本 に 對 し て 行っ た 貸付 に 就き 、 その 接保 として も 行 はれ た 事 を 注意すべ
き で ある。
四 三 小 作 制度
ちきさく
田畑 は その 所持 人 が 直 作 する こと が 原則 で ある が 、 種々 の 原因 で 小作 せしめる こと が あっ
ちき こ さく
た。 小作 關係 に 入る に際し 特に 證書 を 作成 する こと が 多い が 、 画 小小 作
質 置主 が 小作する 所謂直
場合 に は 、 質 地 證文 に その 旨 を 書 加 へ ろ こと が 通常 で あつた 。 小水 の 語る 直 小作 と 同様 質 地
に 隠し て 用 ひられ 、 質 取 主 が 第三者 に 小作 せしめる こと を 意味 し た 。 質 地 關係 に 基か ず に 小作
みやう でん」
する 場合 を 名田 小作 と 稱 し 、 この 場合 證文 を 作成 する こと も あり 、 それに 代 へ て 地主 の 帳面 に
印形 を 捺さ しめる こと も あっ た 。 執れる 適法。 年限 は 一ヶ 年限 と する も あり 殿 年 と する もる
る。 執れ に せよ 事 量 二 十 ヶ年以上 引減 き 同一 人 が 小作 し て 居れ ば 、 その 小作 は 永 小作 の 効力 を
生 する に 至る 。 設定 による 永 小作 に 準じ て 取扱 は れ 、 小作 米 滞納 する と 直ちに 小作 地 を 取上
げる 權利 を 地主 に 認め ず 、 特に 不都合 ある 場合 に 限っ た 。 他 村 より 來 つて 耕作 する 場合 を 入作
逆 の 場合 を 出作 と 稱 し 、 小作 なる 場合 入 小作 ・ 出 ( 小 ) 作 と 幕 し た 。 今日 の 小作 關係 と 異り、
領主 に 付す べき 年 員 諸 役 は 、 原則 として 小作 人 より 直接領主 へ 納入 し 、 地主 に 對 し て は 作德
と 稱 せら れ た 純 小作 料 のみ を 納入 し た ので あつ た 。 但し 特約により 年 員 作 德等 を 合算 し た 額 を
地主 へ 納入 し 、 地主 が 年貢 諸 役 を 負 握 する こと も 無い で は なかつ た 。 作德 は 又差米 ・ 餘米 等 の
附加 米 を 合せ て 入 上 米 ・ 入 立米 等 と 稱せら れ た 。
小作 滞 の 場合 、 作德 と 稱 し て 本 公事 と なり 、 日限 済 方 を 命じ たる 上 、 その 期日 に 未済 の 場合 は
身 體限 に 附し、 所持 の 田畑 迄 差押 へ て 引渡す 方法 が 採ら れ た 。 然るに 享保 十 一 年 六月 之 に 對 し

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て 制限 が 加 へ られ 、 先 づ 道具 即ち 動産のみ に 執行 を 加 へ 、 不足 な とき に のみ借受 人 固有 の 田
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畑 を 渡さ せる が 、 而 も それ は 永代 に 渡さ せる の で なく、 耕作 により 利得を以て 債務 と 相殺 せ し
め 、 終れ ば 返還 せ しむる こと ト し た 。 その 年 數 は 裁判所 の 見込 を以て 探 め 定め られる。 如何
る 場合 に も 家 屋敷 は 執行から 除外 せらる こ と トなつた。 小作 に 就き 本 公事 の 取扱 を 受け 得
るのは 、 其年 中 又は 翌年 中 に 出訴 し たる 場合 のみ で あり 、 翌々年 と なれ ば 薄 例 の 借金 銀 と 同一
の 取扱 と なる ので あつ た 。 尤も これ は 大坂 に 關 する 史料 で あり 、 普遍 的 で あつ た か 否 か は 未詳 。
小作 滞 は 單獨 に 出訴 せ られる こと も あり 、 質 地 の 元金 と共に 請求 せらる Mこと も あっ た 。 前者
に 於 て 、 若しそれ が 別 小作なら ば 滞納小作 料 額 に 應 じ て 日限 濟方 が 命ぜ られ 、 期日 に 解消 し な
けれ ば 上述 の 如き 處置 と なる が 、 直 小作 なら ば 滞納 小作 料 の 日限 済 方 を 命じ て 筒 ち 辨濟 を 忘れ
ば その 地面 を 取上げ て 質 取 主 へ 引渡し た 。 但し 流地 と せら れ た わけ で は ない。 後者 に 於 て は 、
質 地 の 元金のみ を 標準 として 日限 済 方 を 命じ、 怠れ ば 流 地 として 質 取 主 へ 引渡さ れ た 。 勿資
地 年限 経過 後 の 場合 に 限る 。 その 際 直 小作 の 滞納 額 は 全部 棄捐 と なつ た 。 これ を 考へ 合せれ ば 、
直 小作 料 のみ 請求 し た 場合 に 各 地面 が 引渡さ れ ト ば 滞納 額 は 棄捐 と なつ た もの と 思はれる。
うけ
田畑 の 小作 と 同 樣 に 、 山林 の 下草下枝 探取 を 目的 と する 有期 の 小作 も 行 は れ 、 講 山 と 言 は れ
おろし
た 。 但し 多く 村 と 村 と の 關係 で あつた。 御山 といふ の は 之 と 多少 異り、 永 小作 的 性質 を 帶 びた
もの で あつ た 。 これ 等 の 小作 料 を 特に 山手 米 と 稱 し た 。 原野 なる 場合 に は 野手 米 と 稱 し 、 又草
札錢 と 稱 し た 。 蓋し 江戸 時代 は 化學肥料 行 はれ ず 、 肥料 は 堆肥 が 大 部分 で あり 、 その 原料 は
いりあひ
か る 山林 原野 ( 株 場 ) に 於 て 採取 さ れ た から で ある 。 かる法律 關係 は 又村 々 入合 と 稱 せら
れる 。 聖なる 入會 は 、 村內 に 於ける 村民 の 入 會地 利用 の 關係 を 指し 、 之 と は 異る 。
四 四 債權 證 制度 及 請 人 · 證人
江戶幕 府 法 で は 手形 なる 語 は 可 なり く 用 ひられ、 簡單なる 読書 と や ~ 同義 で あつた。 往來
手形、 女 手形 、 浦 宇形 等 の 用例 は 之 を 示す 。 然し それ 等 の 內今 日 の 爲替 手形 、 約束 手形 、 小切
手 に 類する 作用 を 有する もの も あつ た 。 爲替 手形 に 該る もの を 當時 為替 手形、 為替 金 手形、 添
手形、 添狀 等 と 稱 し た 。 添狀 等 と 稱 する の は 送金 に 添 たる 道 で あり 、 添狀 を 強行 する と 同時に
兩替 商 、 問屋 等 は 、 支掃 委託 書 を 支掃 人 に 發送 し た 。 支掃 委託 書 は 爲替 取組 状 と 稱 せら れ た 。
尤も 送金 人 より 受取 人 に 充て た もの を 念替 取組 状 と 稱 する こと の ある の を 注意 す べき で ある 。
添狀即ち 爲替 手形 の 文言 は 、 必ず し 字 今日 の 如く 支掃 委託 文言 の 形 を 探ら ず 、 支揚 約束 文言 の
形 を 採る もの も あっ た 。 支卵 地 に 於ける 振出 人 の 取引 先 ( 振出 人 の 代理人 たる 地位 に 立つ 者 )

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から 支掃 ふべき 旨 の 約束 で あり 、 振出 人 自身 が 支掃 ふこと を 約束 する の で は ない 點 に 於 て 、 他
地挑約束手形と は 異る 。 今日 の 約束手形 に 該る もの
は 預り 手形 又は 楽人 宇形と 稱せら れ た 。 小 m
切手 に 該る もの は 振 手形 ( 振出手形) と 稱 せら れ た 。
但 は 書式 は 持 參人 捕 式 で なく、 記名 式 を
通常 と し た 。 大 手形 振 手形 の 一種 で ある。 なほ 爲替 手形 に は 差 圖文 言 の
ある も あり無きるあ
り、 滿 期日 の 記載なき も あり、 或は 何 月 何 日 と 明記する も あり、 或は 參着 を以て 滿 期日 と する
もの も あっ た 。 又 資金 文言 の 記載ある 色 あり 無き も あっ た 。 序 ながら 、 大坂 の 諸 大名 の 蔵屋敷
より 資挑米 を 買受け 、 代金 を 支挑 つて 受取る 米 切手 ●
は、 今日 の 倉荷 證券 ・ 預 證券 ・ 質 入 證券
の 如き 倉庫 證券 の 性質 を 有し、 質權 の 對象 と なり、
而 も 所持 人 の 瞬 所 に 際し てる 沒收 を 免れる
等 の 強力 なる 保護 を 受け て み た 。
但 權實行 に關 し て 身體限 と 分散 と の 兩種 が あっ た が
、 前者 は 裁判 上 の もの で あり後者 は 裁判
外 の もの で あつ た 。 即ち 身 體限 は 、 今日 の 強制 執行
の 賞 質 を 有し 而台 官 構執 行 で あつ た が 、 分
散 は 債務 者 が 自 發的 に 債権 者 團體 に 全 財産 を 提供 し
て 殘額 の 辦済 猶豫 を 乞 ふ もの で あつ た 。 今
日 船舶 所有 者 の 爲 す 船舶 の 免責 委 付 に 似 て 居る 。 唯
寛政 年間 以前 に あつ て は 殘額 債 權 の 免責 を
見 ず、 跡 懸り を 為す こと を 得 た 點 が 免責 委 付 と 異る が 、 寛政 以後 は 跡爆り を 否認 せ られ 、 免責
委 付 と 同様 に なつ た 。 分散 金 を 得や う と する 者 は 債権 者 国 體 に 加入 する わけ
で ある が 、 之 を 欲
しない 債 權者 は 除 外せ られる 権利 を 有し た。 此者 の 受領 すべ かり し 分 は 、 元文 頃 迄 は 名主 の 手
に 委託 せ られ ね ば なら ぬ 制度で あつ た が 、 元文以後は 之 を し 、 委託 せらる べ かり し もの も 全
部分 散金 中 に 混じ て 分配 し た 。 除 外せ られ た 債 稿 者 は 、 債務 者 の 資力回復 を 俟 って 全額 請求 を
行 ふ 権利 を 認め られ た 。
最後 に 權 債務 の 相 續性 ・ 鍵 渡性 を 観察 し 、 それに 關聯 し て 保 證人 ・ 講 人 の 地位 を 見る こと
と する 。 債務 の 相 緻性 は 前代 既に 認め られ 、 當代 に 於 て も 引 置き 認め られ て 居つ た の で ある

が、 唯 それ は 田畑 家財 等 の 財産 を 譲ら れ た 者 なる こと を 前提 として 居り、 「 名前 計 護受 」 け た
る 相 續人 に は 債務 辨済 の 資 な きもの と せら れ た 。 養子 の 借金 が 養父によって 辨濟 せら れる 鳶 に
は 、 その 養子 が 借入 の 際 既に 家督 を 相續し て 居 た こと を 前提 と する。 未だ 部屋 佳 の 間 に 爲 さ れ
たる借金 に 就 て は 資任 を 負 はせ 得 ない。 遊相 殺 が 行 はれ た 場合 に 此事 が 見 られる。 相概にょっ
て 傳承 さ れ たる 債務 が 、 否 、 一般 に 貸金 ・ 賞掛金 等 の 債務 が 、 時 效 によって 消滅する こと は 考
へら れ て 居ら なかつ た 。 又 、 携済 期 を 起算 點 と する 不 變期 間 たる 出訴期限 の 制 台 、 一般 的 に は
認め られ て 居 なかつ た 。 唯 、 変 掛金 に 就き 大坂 方 で 天明 五 年 、 江 戶方 で 天保 十 三 年 に 、 十 年 の

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出訴 期限 が 認め られ て 居る こと 等 が 見 られる 。

1
212
かいる 状況 で ある から 、 親 又は 祖父 の 代 に 差入れ たる 證書 を以て 訴 へ らる 」 こと は 在り 得
た 。 此點 に 着眼 し た 者 が 古 證文 古 帳面 を 廉價 で 買受け 、 訴 によって 請求 し 、 示談 金 を 獲得 する
手段 に 出 で た 。 天明 年間 之 が 流行 し た。 そこで 幕府 は 從來 證文 帳面 等 の 意 操物 の 護渡 による 債
橋議渡 を 有 效 と し 、 それ による 金額 の 請求 を 認め て 居っ た 態度 を 改め 、 代理人 による 請求 が 認
め られ て わる 法制 の 下 に 於 て 、 かる 債 權護 受人 の 名 に よ つて の 出訴 は 、 たと へ 誕渡 が 適法 に
行 は れ それに 就 て の 話 人 あり とも、 親 兄弟 の 關係 に 在る 者 以外 は 、 親族他人 を 問 はず 之 を 否認
する こと 」 し た 。 天明 八 年 五月 の 定 で ある 。
うけにん
債務 の 解消 を 確保 する 爲 に 證人 ・ 講 人 が 立て られ て い た が 、 兩者 の 間 に は 區別 なく 、 或は 身
元保 證人 の 意味 に 用い られ 、 或は 金 錢 債務 の 保 證人 の 意味 に 用 ひられ 、 或は 這新 搭保 者 の 意味
に 用い られ た 。 金 錢債務 辨濟 の 保 證人 たる 場合 、 認人 ・ 詩人 の 設務 は 附 從的 で あり、 主たる 債
務者 (當人 ) 又は その 相 續人 の 無 資力 たる こと を 前提 として 、 現 賀 の 辨濟 義務 が 生ずる
。 辨濟
文書 の 有無 に 拘 はら ない 。 從 つて 、 若し 債 權者 が分散 に 加 は れ ば 辨済 を 受け
得 られ た に 拘 はら
ず、 故意 に 分散 に 加入 し なかつ た 場合 に は 、 後日 證人 に 辨料 を 請求する こと は 許さ れ ない 。 況
し て 債務者 の 分散 手織 開始 を 理由 として 、 直ちに 證人 に 全額 の 請求 を 念
す こと は 否認 せ られ
た 。 身元 保 證入 たる 講 人 は 、 奉公人 ( 労務者 ) の 前借金 の 残額 たる 給金 滞 又は 引負 に 就 て 辨 。
の 責任 ある こと は 勿論 、 取婆即ち 拐帶 を 行 ひたる 場合 に は 拐帶 物 又は 代金 を 辨償 す べく 、 其他
缺落 人 ( 逃亡 者 ) の 行方 を 捜索 し て 連 戻す べき 義務 を 負っ た 。 但し 證文 に 引講文言なき とき は 搜
紫 の 義務のみ負 は しめら れ た 。 奉公人 は 狭義 に 於 て は 一 年 か 少く とも半年 以上 の もの を 指し、
月 雇 、 牛月 、 日雇 等 を 含ま なかつ た 。 これ 等 は 特に 日用 又は 日雇 と 稱 せら れ 、 日用 座 (日雇
座 ) の 統制 に 服し、 一 ヶ月 につ を 二 十 數文 を 納付 し て 日用 札 (日雇 札 ) を 受け ね ば なら ない の
が 、 江戸 の 定 で あつた。 賃銀 統制 る日用 座 の 目的 の 一 で あつた。 奉公人 は 江戸 に 於 て は 主 と し
よいこ
人 宿 は 判 賃 を 受 つて これ 等 の 寄子 の 講 人 に 立つ た わけ で ある
て 人 宿 の 手 によって 勤 H を 得 た 。
が 、 然し自己 の 資任 を 更に 轉稼する 爲 に 、 人 主 とか 下請 人 とか 稱 する 者 を 奉公人 を し て 立て さ
せる こと が 常 で あつた 。 幕府 で は 從來 、 人 宿 の 支卵 ひたる 賠償 金 を 人 宿 が 更に これ 等 の 者 に 講
( 改め ら
求 する 訴 は 之 を 受理 し なかっ た の で ある が 、 御 定書によって 日限濟方 を 申 付 べき こと
れ た 。 とも 角 、 詩人 の 責任 は 重大 で ある ので、 その 資格 を 制限 する 必要 が あり 、 十 五 或 以下 の
者 又は 女子 は 講 人 たる を 得 ず 、 又人 宿 以外 の 者 が 営業として 詩人 と なる こと は 禁ぜ られ 、 人 宿

213
と 雖 も 人 宿 の 強制組合 に 加入 し なけれ ば 、 判 貨 を 取 つて 詩人 と なる こと は 出來 なかっ た のであ
イ~

214
る 。 一時、 詩人 の 家主 に 對 し 、 詩人 の 辨済 し 得 なかつ た 部分 を 法定 責任 の 形 で 辨濟 せしめ た こ
とる あつ た が 、 人宿 組合 の 結成 を 機 として 防止 に し た。
損害 賠償 法制 は 非常 に 不備 で ある が 、 一 二 の 定 が 無い こと も なかつ た 。 盗人 又は 拐帶 者 の 益
み 又は 拐帶 し た 物 が 金 錢以 外 の 物 で あれ ば 、 買主 其他 の 所持 人 より 原 所有 者 に 返還せしめる
が 、 若し 金 錢 で あり 費消 し て しまつ た 場合 に は 被害 者 の 損失 と なつ た 。 殺人 造 に 傷害 は 原則 と
し て 刑罰 を 科せ らる トのみ で あっ た が 、 若し 疵 が 不具 と なら ない程度で あり、 酒狂 に際し 行 は
れ た の で あれ ば 、 加害 者 の 身分 により 銀 二 枚 (中小 性 ) 金 一 兩 ( 徒士 ) 銀 一 枚 ( 足 盤 、 中間、
町人 、 百姓 ) を 治療 代 として 支掃 ひ 、 處罰 を 免る 」 こと が でき た 。 酒狂 にて 他人 を 打 郷 ( 殴打 )
し た 者 も 、 治療代 を 支卵 ふべく 、 道具 を 損壊 し た 者 亦 同じ 。
四 五 人 別 制 と 婚姻 ・ 養子 縁組
江戸 幕府 は 農村 人口 の 減少 し ない こと を以て 政策 と し 、 居住 移轉 の 制限 は 目標より 出 で
てん かけおち
た 。 一村 申 合せ て 居村 を 立退く 逃散 、 一家全員 又は その 一部分 の 逃亡 たる 缺落 の 不法 と せら れ
た こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 たと へ 村役人 の 手 を 經 て 適法 に 手識 を 篤し 他 國 に 移住 せん として
も 、 容易 に 領主 の 許可 を 受け 得 られ なかっ た 。 一家全員 の 移住 のみ で なく 、 次 三男 の 移住 又は
出稼 さ へ も 可 なり 困難 と せら れ て わた 。 多く 領主 の 許可 を 要し 、 場合 に よ つて は 全く 禁止 せら
れ た 。 他方 に 於 て 勝農 は 極力 獎勘 せら れ 、 又峡 落者 あれ ば その 捜索 を 村役人 に 命じ 、 歸村 すれ
ば 就部 の 程度 で 復 臨 せ しむる 等 鬱 く 取扱い、 一定 期間 缺落 者 の 田畑 は 村 の 惣作 に し て 置き分割
處分 せ ず 、 又江 戶等 にて 勤口 なき 奉公人 は 、 領主 又は 代官 所 の 費用 を以て 歸村 證農 せ しむる 等
の 方策 を 講じ た 。 他 國 へ 養子 に 遣り 、 嫁婿 として 赴か しめる こと に 就き 、 領主 の 許可 を 要し た
こと も 同一 の 理由 に 基く。
農民 致 に 町人 の 身分 を 公意 する もの として 人別帳 が あつ た 。 人 別 と は 戶籍 を 指し 、 人 別 帳 は
戶籍 簿 に 外 なら ない 。 移住 韓籍 は 人 別送 の 方法 に よ つて のみ 可能 で あつ た 。 ( 例外 、 追放 せら
れ たる 者 は 新 住所 の 町役人 より番所の 村役人 へ の 照會 を以て入籍) 。 名主 五 人組 の 話 印 ある
人 別 窓 ( 今日 の 戸籍 謄本 ) に 丹那 寺 ( 管轄 寺院 ) の 證明 書 を 添付 し て 新 住所地 の 村役人 ・ 町役
人 の 所 へ 持参 するので あつ た 。 その 際 必ず 人 別送 に は 新 住所 を 書き記す べく、 在 來 の 住所 の 人

養子 ・ 婚姻 の 場合 も 異 る 所 は ない 。 そして 人 別 帳 より そ
別 帳 に も その 終 を 記す べき で あつ た 。
の 人 は 除か れ た こと 、 なる 。 人 別 帳 より 除かる こと は その他 の 場合 に も あっ た 。 死亡 ・ 追放

215

( 所端 を 含む ) ・ 久離 ・ 勘 當等 で ある。 久離 は 再 離 とも書き 、 出奔 し た 者 で 不法なる 所行 を 念 す
216
者 を 、 後難 を 恐る → 親族( 通常 全 親族) が 親族關係 断絶 を 一方 的 に 宣言 し 、 その 書面 に 五 人組 ・
村役人 の 遺 印 を 得 て 代官 所 の 認可 を 受け 、 帳 外 が 行 はれ て 效果 が 生 する ので あつ た 。 認可 は 久
離 が 縁坐 刑 免除 等 の 公法 的 效果 を 有し た ので 、 必要 と せら れ て み た わけ で ある。 なは 代官 所 ょ
り 町奉行 ・ 勘定 奉行 等 へ の 移牒 も 行 はれ た 。 徹底 を 期する で あり 、 特に 親族關係 者 の 分布 廣
き 場合 に は 共 必要顕著 で あつ た 。 勘當 は 久離 と 同義 に 用 ひらる 場合 も あり 、 多く は 特に 親
( 父母 ) が子 を 久離 する 場合 を 指し た 。 師匠 が 弟子 を 一方 的 に 放逐 する 場合 を 指す こと も あつ
た。 親が子 を 勘 當 する 旨 申渡し て も 、 届出 で 1 人 別 帳 に 記す 手說 を し ない こと が あっ た 。 內證
勘當 など 言 は れ 、 所謂 姆當 の 效果 を 生ずる の で は なかつ た 。 勘當 ・ 久議 と 同一 の 事由 あつ
て 而 も 親族なき 場合 に 、 五 人組 ・ 村役人 は 地域的 運 坐 を 免る ~ 篇 に 、 認可 を 受け て 人 別 帳 より
不行跡 者 を 除く こと が あつ た 。 これ 狭義 の 帳 外 で ある 。 廣義 の 帳外 は 上述 凡て を 含む 。 懐外 の
效果 は 親族 近隣 の 責任 を 全 免 する と は 必ずしも 言 へ なかつ た が 、 少く とも 悲しく 軽減 し た 事 は
確賞 で ある 。 久離 ・ 勘當 し たる 者 を 戻す ( 即ち 復歸 せしめる ) こと も 同一 の 手 糖 を以て 可能 で
あつた 。 久離 ・ 勘當 は 武士 に関して も 行 は れ 、 唯 村役人 の 代り に 主 、 代官 の 代り に 幕府 の 三
奉行 が 事 に 當つ た わけ で ある 。 義經 と 稱 する も 久離 の 一種 に 外 なら ない 。
人 別 帳 は ほ 、 本籍 簿 の 作用 を 有し て 居 た と 言 つて よい。 然し 人 別 帳 に は 懸り 人 ( 食客 ) 出居
衆 ( 定職 なき 容 分 ) 召仕 ( 巨人 ) まで 書き記し て 居り、 又 各人 の 名 の 下 に 家長 の 印 を 捺さ せ て
居る ので 、 形式 上 今日 の 戶籍 簿 と 可 なり 趣 を 異に し て みる 。 各人 に 就き 宗旨 の 記載 が あつ た
事 、 召仕 に 闘 し 誇人 の 記載 が あつ た 事 等 色亦注意 を 牽く。 捺印 は 主として 宗門 改 の 必要から 行
はれ た ので あつ た 。 即ち切支丹 宗門 を 信ずる こと を 慶長 十 八 年 五月 の 禁令 によって 禁止 し 、 寛
永 十 四 年 より 十 五 年 にかけて の 島原 の 亂 を 経 て 、 同 十 七 年 六月 より 宗門 改 の 役 が 置か れ 、 宗門
改 が 行 はれ て ゐ た ので 、 切支丹 より 佛 教 に 轉 じ たる 轉 切支丹 本人 のみなら ず 、 その 子 より 數 へ
て 男系 は 六 代 、 女系 は 三 代 の 間 、 切支丹 類 族 として の 特別 なる 取締 を 受け た の で ある。 佛 教 な
らば 何 宗 の 寺 講 に なる も 自由 で あつ た が 、 日蓮宗 の 內不 受不 施派 のみ は 禁止 せ られ て ゐ た 。 出
核 人 と 稱 せら れ た 非 永住 者 は 天保 十 四 年 以後假人 別 帳 を 作成 し て 之 に 載せ た 。 出稼 に 當 つて は
住所 の 名主 より 免許 狀 の 強 給 が 行 は れ 、 滞在 中 は 滞在 地 の 家主 に それ を 寄託 する 定 で あつた 。
人 別 帳 は 毎年 二 回 新 に 作成 さ れ た 。 人 別 書 上 峡 を 作成 し て 領主 に 提出 し 、 それ の 控 書 が 即ち 人
別 僕 として 名主 の 手許 に 置かれるので あつ た 。 此 頻繁なる 作成 を 売る ~ に 、 別に 出人 別 帳 と

217
入人 別 帳 と が 、 天保 十 四 年 の 改革 に 當 つて 工夫 作成 せ らる に 至ろ 。
婚姻養子 縁組 等 の 身分變動 を 生ずる 場合 に 、 人別 帳 へ の 記載 は 身分 變動 の 要件 で あつ た か 否

218
か は 、 之 を 一概に 断定 でき ない。 村 を 異に し 又は 領主 を 異にする 場合 に は 人 別送 を 行ひ 、 人 別
帳 へ の 記載 が 行 はれ て 初めて 確的 に 身分 の 変動 が 生 する の で ある が 、 然し 當事 者 間 に 於 て は そ
の 以前 に 、 祝言 の 學行又は 養子 證文 の 作成 等 の 手段による 取極 に よつて 、 婚姻 ・ 滋子 縁組 の 效
力 は 發生 し た もの と 考へ られ て み た 。 否 婚姻 に 就 て は 婚約のみ に よつ て 或程度の 身分 變動 を 生
ずる もの と 考へ られ て い た 。 即ち 結納 の 授受 により て 縁 女 は 、 他 の 男 と 私通 すれ ば 、 準姦通 と
し て 髪 を 剃り 親許 へ 引渡し の 處罰 を 受け た の で ある。 ●
婚姻 ・ 養子 縁組 の 村 內町 內 へ の 披露 ・ 弘
め 色 公示 方法 として 必要 と せら れ 、 これ なき 間 は 村 內町 內 にて 無 帆 否認 さる ~ 惧 が あつ た ので
ある 。 離婚 離縁 も 亦 人 別送 を 伴 ひたる こと 言 ふ 迄 も ない が 、 當事 者間 に 於ける 離婚 又は 離縁 の
協定 を 重く見 て 、 人 別送 は 全く の 事後 手織 の 如く考へ られ て い た 。 離婚 は 通常 夫 より 妻 に 對 す
る 離別 狀 ( 離縁 狀 ) の 授與 を 伴っ た 。 離婚 證明 書 と も 言うべき もの で 共 文面 は 「 共 元 儀不 燕 三
付熊縁 いたし 候 然ル 上ハ 向後何方 へ 嫁 し 候 とも 此方 に おわて 差 構無 御座 候 爲後 日 仍如 件 」 の 如
き 文言 を 三 行 に 書き、 年 號月 日 夫 の 名 と 誰 ( 妻) 殿 といふ 宛名 を 入れ て ある の が 通常 で あつ
た 。 よつ て 之 を 三 くだり 牛 と 俗稱 し た 。 離縁 は 養子 縁組 の 際 の 養子 證文 の 趣旨 に従って 行 は れ
れ ば よい ので、 離緣に際して 文書 を 作成する こと は なかつ た 。 婿養子 縁組 の 場合 、 若し それ が
離縁 と なれ ば 當然 離婚 の 效力 を 生じ 、 特に 離婚 の 手識 は 必要 と せ られ なかつ た 。
婚姻 年齢 に は 制限 が 置か れ て 居ら ず 、 如何程 幼年 にて 白老 年 にて も 婚姻 し 得 た。 た 通例 は
男女 とも 十 五 蔵 前後 で あっ た 。 武土 たる と 町人 ・ 百姓 たると を 問 は ない 。 丁度 十 五 蔵 前後 に 元
びんそ を
服 が 行 は れ たる こと 一致する 。 女子 の 元服 は 蜜 會木 と 稱 せら れ 、 特に 公家 方 又は 上級武士 の
家 に 於 て 行 はれ た 。 婚姻 の 手縫 は 武士 に 在っ て も ほ 變る 所 は ない。 唯 統制 の 必要 上 萬 石 以上
は 慶長 二 十 年 の 武家諸法 度 以來 、 萬 石 以下 は 享保 十 八 年 四月 以來 、 凡て 飲め 幕府 の 認可 を 受け
て 行 は しめ、 之 に 違背すれ ば 嚴重 なる 制裁 を 科せ られ た 。 但し 妾 を 妻 と する こと は 享保 九 年 迄
自由 に し 得 た の で あり 、 同年 以後 と 雖 も 事後 の 届出 を以て 足る と せら れ て いる 。 姿 は 茨 奉公
幕府 の 干渉は
人 講釈 を 取り 雇 入 契約 に よつ て 抱える の で あり、 全く 當事 者 の 隨意 取極 で あつ て
無かっ た の で ある 。 然しながら 一般 に の 身分 を 取得 し た 上 は 、 妻 と 同樣夫 ある 者 と 考へ ら
れ 、 姦通 の 制裁 は 全く 妻 と 同様 に 受く べし と は 、 御 定書百ケ條 の 定むる 所 で ある。 婚姻 の 意思
表示 を 行為 者 即ち 婚姻 當事 者 は 、 少く とも 元服 節 以下 に 於 て は 父親 で あつ て 、 それ 以後 と 雖

219
の 親類 た
も 視 の 強き 同意 權 に 服し て 行 はる べき もの で あっ た 。 婚姻 の 效果 として 妻 は 夫 の 父母
る 身分 を 取得 し 、 妻 の 父母 兄弟姉妹 は 夫 の 縁者 たる 身分 を 取得する 。 序 ながら 、 親類 として 考 。
へら れ て み た の は 、 自己 の 直系 と 、 傍系 の 內直 系 より 議る 」 こと 三 世 迄 の 者 を 包含 する のであ
っ た 。 その 內從 兄弟 迄 の 者 を 特に 忌掛 の 親類 と 稱 し て 他 と 區別 し 、 それ を 除い た 者 を 類 と 構
する こと も あっ た 。 なほ 嫡母 庶子 、 繼親子 互に 親類 と せら れ て い た 。
離婚 原因 は 経 別 限定 さ れ て わ ない。 蓋し 離縁 ( 離婚 ) が 形式 上 又は 質 上 協議離婚 の 方法 を
採っ て い た から で ある 。 武士 の 場合 は 形式 上 協議 上 の 離婚 で あり 、 幕府 へ 事後 的 届出 を 要し た
の は 、 婚姻 と 似 たる 理由 に 基く 。 庶民 の 間 で は 形式 上 夫 より の 一方 的 離 線 で あつ た が 、 雪質 に
於 て は 妻 の 賞 家 と の 協議 上 の 離婚 で あつ た と 見 得る 。 蓋し 妻 は 單獨 に 離婚 を 承諾 ・ 拒否 し 得る
能力 なく、 凡て 「家 の 親父 は その後 縁者 の 強き 同意 權 の 下 に 行動 する もの と 見 なけれ ば なら
ず 、 實家にて その 妻 を 引取る こと は 消極 的 同意 の 表明 と 解し 得る から で ある 。 夫 の 死亡 後 、 夫
の 父 が 集 婦 を 離縁する こと も 可能で あり 、 夏 去 と 稱 せら れ た 。 斯く て 離縁 は 合意 に よ つて 行 は
れる ので あつ た 。 そして 離縁 狀 の 交付 は 事後宇鏡 と いふ べき もの で あつ た 。 然し 離縁 狀 の 交
付 なき 間 に 新 に 妻 を 娶れ ば 所堺 の 刑 を 受け 、 離縁 狀 を 受け て い ない 親 が その 娘 を 他家 へ 嫁 せ し
めれば 、 その 親 と 相手方 と は 過料 に 返せ られ 、 嫁女 は 髪 を 剃り 親許 へ 返さ れ た 所 から 見る と 、
離縁 状 が 殆 ん ど 唯一 の 離婚 證明 用具 と 考へ られ て い た 事 を 知り 得る 。 従 つて 妻 又は その 賞 家 か
ら の 離婚申出 が あつ て も 、 夫 が 離 隊 狀 を 作成 し なけれ ば 、 離婚 の 診 明 が 出來 ない ので 、 結局 妻
の 側 より する 離婚 は 不可能 で あり、 離婚手段 が 無 かつた と 言 は なけれ ば なら ない。 鎌倉松ヶ丘
の 東慶寺 、 上州 の 德川 滿 德寺 へ 入寺 し て 足かけ 三年間比丘尼 の 生活 を 塗り 、 俗縁 を 断つ 方法
は、 この 制度 的 缺陷 より 生じ た 變態 的 手段 で あつた 。 三 年間 の 經過 によって 離婚 の 效果 が 生
じ 、 従 つて 更 めて 離練 狀 を 授受 する こと は 不要 で あっ た 。 從 って 例外 的 に 課縁 状 なくし て 再婚
し た わけ で ある。 離婚 の 結果 妻 は 夫 の 許 を 去る が 、 その 際 懐胎 中 なり し とき 子 の 歸臓如何 に
し て は 、 少く とも 元文 年間 迄 は 男子 たる 場合 に のみ 之 を 夫 の 側 に 引取り 、 女子 たる 場合 に は
妻 の 側 へ 留置く 定 で あつ た が 、 寛政 以後 は 離婚 が 温 に 基く 場合 の 外 は 凡て 夫 の 側 に 引取るべ
きもの と なつ て いる 。 的 に 生れ て わた 男 女子 に 聞し て も 同様 な 變遷 が あつ た 。 離婚 すれ ば 、 持
金 その他 持参 の 道具田畑 等 殘存 の 場合 、 それ を 返還すべかり し と と 言 ふ 迄 め ない 。
四六 相 続 制
江戸 幕府 の 下 に 於 て 親族 關係 は 、 家督 相 續 と 忌服 と を 中心 として 考へ られ て ゐ た 。 家督 相 續

221
は 庶民 と 武士 と によって 制度 を 異に し 、 寧ろ 武士 に 於 て は 員 の 家督 相 續 は 無 かつた と 言 ふ べき
222
で ある 。 大名 ・ 旗本 ・ 御家人 の 執れ を 問 はず 幕府 の 許可 によって 封海 の 継承 を 念 し 得る のであ
り 、 その 許可 は 必ずしも 得らる 人 もの と は 限ら なかつ た から、 家督 相殺 に 近きもの で は ある に
し て も 厳密 に 家督 相 續 と は 言 ひ 得 ない もの で あつ た 。 唯 多く の 場合 に 許可 が あつた と と は 言 ふ
迄 も なく、 從 つて 當時 の 用語 例 に 於 て 之 を 家督 相 續 と 稱 し て 居る。 以下 の 論述 に 於 てる 便宜
上 、 之 を 家督 相 織 と 稱 する こと する。 武士 ・ 庶民 の 家督 相 觀 に 於 て 、 その 目的 は 封 、 遺領 ・
跡 式 ) 又は 財産 ( 跡 式 ・ ) の 相殺 で ある が 、 それ が 凡て 單獨 相 織 で あり 、 分割相貌 で なか
っ た ので 、 結局 家名相殺 の 形 を 探っ た 。 そして 當然 相 織 で あり、 相模人 の 承認 拠 葉 の 意思 表示
の 必要 は なかつ た 。 但し相緻に際し 分家 ( 武家 で は 分 知 配當) を 爲 さ しめる こと は 、 相 以外
の 場合 に 於 て 分家 を 行 ひ 得 た と 同様 に 、 許さ れ て ゐ た 。

相 覆 開始 に よ つて 家督 相 續人 と なる 者 は 、 相殺開始 前 嫡子 ( 萬 石 以上) 惣領 ( 萬 石 以下 ・
民 ) と 稱 せら れ た 。 嫡子 ・ 惣領 と なる に は 武士 は 凡て 幕府 へ の 届出 を 必要 と し 、 それ は 被相殺
人 によって 飲め 行 はれ た 。 武士 が 妻より出生 し た 男子 を 長子 次子 の 順序 で 嫡子 ( 惣領 を 含む、
以下 同じ ) と 定める 場合 に は 、 單 に その 出生 届 を 捻 す を以て 足り 、 その 時期 は 格別 限定
されて
ない 。 然し 出生 後 遅滞 なく 行 はる べき で あり 、 又行はれ て い た こと 言 ふ 迄 も ない 。 若し 屆出
なき 間 に 父 が 死亡 すれ ば 、 その 家 は 断絶 と なり 封海 沒收 の 運命 と なる から で ある 。 嫡子 以外 の
子 に 關 し て 出生 届 を する こと は 不 必要 で あり、 又 少な かつた。 それ は 、 嫡子 酒 を 改めて 提出 し
嫡子 と 成す の で なけれ ば 、 たと へ 從來 の 嫡子 が 死亡 し た やう な 場合 でも、 當然 次男 其他 の 者 が
嫡子 として 相 續 せしめらる 制度 で は ない ので 、 何 等 實盆 が 無かっ た から で ある 。 妻 より出生
の 子 が 居 ない 場合 に は 妾より 生れ た 子 を 嫡子 として 出生 屆 を 行ひ、 又 出生 後 既に 年月 を 經 て
た 場合 に は 、 出生 届 を 爲 さ なかつ た 理由 (出生 當時成駒にて 成長 覺束 な かつた 由 を 記す こと が
例文 で あつた ) を 附し たる 丈夫 届 なる もの を 一旦 提出 し て 置き 、 然る後 に 嫡子 届 を 提出 し た 。
若し 嫡子 早世 又は 理由 あっ て 暖 嫡 せら れ 、 代り の 嫡子 が 立て られる 場合 亦 然り 。 その 際 の 順序
は 、 若し 死亡 嫡子 に 子 ( 即ち 被 相 縦 人 の 孫 ) が あれ ば その 長男子 が 嫡孫 と なる。 その他 は 次男
三男 の 順序 で 嫡子 と せら れる 。 之 が 無けれ ば 賞 弟 が 充て られる 。 一旦 嫡子 と なつた 者 を 威嚇 す
るには 、 書面 を以て 、 嫡子 が 病身 虚弱 で 奉公 を し 得る 見込 なき 旨 、 或は 不行跡なる 旨 、 其他
正當 の 事由 と せらる べき 事項 を 記し て 届出 で 、 許可 を 得る こと を 要し た 。

子 ・ 孫 ・ 弟のに嫡子 と 爲 す に 適當 な 者 が 居らない とき に は 、 被 相識 人 は 英子 を 念 し て 之 を

223
嫡子 と する こと が 可能 で あり 、 又 必要 で あつ た 。。 そして 養子 と なる 者 はは 成る べく 甥甥 ・ 従弟 等 の
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同姓 者 から 選ばる べき で あっ た が 、 同姓 者 に 適當 な 者 が 無けれ ば 入型 、 娘 方 の 孫 、 姉妹 の 子 、
胤變り の 弟 の 中 より 選び 、 それ等 の 內 に も 無 かつた 場合 に は 他人 から 選ぶ こと が 出來 た。 但し
同一 身分 又は 近き 身分 を 有する 者 たる こと が 必要 で あつ た 。 從 つて 陪臣 や 浪人 の 子 は 原則 と し
て 旗本 御家人 の 養子 と なること は 出來 ない。 陪臣 や 浪人 の 子 で も 、 被 相殺 人 の 妻 の 從弟 ・ 又從
弟 等 なら ば 可能なる 旨 を 享保 十 八 年 四月 定め た こと が ある が 、 三 年 後 の 元文元年 九月 に は 、 御
直参 の 次男 三 男の子 先 を 塞ぐ こと 」 なる といふ 事 を 理由 として 禁止 さ れ て いる 。 親類 縁者 以
外 の 他人 から 渋子 する 場合 に は 一 艦 これ 等 の 內 に 養子 に 適する 者 なきこと を 上申 し 、 それ の 確
認 を 受け て 後 に 養子 願 を 差出す 順序 と なる 。 虚偽 を 防止 する ため、 養子 願 に は 送方 親類書 及縁
類書 を 添付 す べき で あつ た 。 養子 を 為す に は 養親 たる べき 者 が 十 七 歳 に 落し て 居ら ね ば なら な
かつ た が 、 養子 と の 間 に 親子 と 呼ぶ に 適する 年齢 の 差 ある とと を 必要 と せ ず 、 一歲にて 異 れ
使 ょかつた 。 同年 の 著 益 に 年嵩 の 者 は 年 培養 子 と 稱 せら れ 、 養子 として は 禁止 せ られ て 居つ た
が、 相 續願 の 形 に 於 て 伯父 等 の 近親 に 限り 跡 式 相 練 は 許さ れ 、 同一 の 目的 は 遷せ られ た 。 十 七
歲以 上 なら ば 蒸子 を する こと が 出來る のに 、 それ を 爲 さ ず し て 推移 し 、 念 病 に 罹り 急遽 養子 の
つご
出願 を する こと が あつ た が 、 これ は 養子 又は 末期 養子 と 稱 せら れ て 許さ れ なかつ た 。 然し 年
鈴五 十 未 滿 の 場合 に は 恕 す べき 點 も ある ので 多少 緩和 し て 取扱い 、 少く とも 慶安 四 年 十二月 以
來 は 末期養子 を 許容 し て ある 。 但し 萬 石 以上なら ば 大目 付 、 萬 石 以下 なら ば 頭 支配 又は目付 に
よる 判 元 見 と 稱する 臨床 聽取 を 経 たる 上 、 之 が 許否 を 決し た 。 若し 旅行 先 又は 国許 で 急病 に
れ ば これ も 不可能 で ある。 そこで 賞子 出生 の 望 を 絶つ た わけ で は ない が 、 家 の 断絶 を 惧 れる 者
は 、 江戶 を 離れる 場合 に 自筆の 當分子 之 頑な る もの を 幕府 に 提出 し て 置き 、 それ を以て 判 元
見 に 代へ た の で あっ た 。 そして 無事 江 戶歸 着 の 場合 に は その 書面 は 返却 せ られ た 。
武士 の 相 薇 人 は 相 開始 の 際 に 何 歲以 上 に な つて 居ら なけれ ば なら なかつ た か 。 即ら何 茂以
上 に なつ て 居れ ば 奉公 可能 者 として 相 減 が 仰 付け られ ( 許可 さ れ ) たか。 これ に 勝 し て は 明瞭
なる 定 なく 、 唯 寛永 二 十 年 十二月 の 定 の 中 に 「 大 御 番 ・ 御 書院 番 ・ 御 小姓 組 之 面ス 跡 職 事 、 只
今迄 者 、 當歲子 至 迄 、 番頭 被 任 言上 之 趣 、 雖被 仰 付 之 」 云々 と ある に より 、 萬 石 以下 に 3
し て は 少く とも 共 頃 迄 は 年齢 制限 なく 相麗 を 許可 し た もの と 思は れ 、 それ 以來 多少 の 制約 を 見
た と 考へ られる 。 萬 石 以上 に 關 し て は 嫡子 幼少 ( 二 歲 三 度 ) の 故 を以て 四 分 之 一 五 分 之 一 の 少
藤 に 減 封ぜ られ 、 場合により 旗本 の 列 に 加 はらしめら れ た こと を 廢過 察 等 に よ つて 知り 得る

225
が 、 然し 一方 に 於 て 二 歳 三蔵 の 幼年 當主 が あり、 その 死亡 に際して 、 後 繼者 なき の 故 を以て 展
226
絕 せしめ られ た 實例から、 逆 に 二歲 三蔵 に てる相續 し 得 た こと を 知り 得る 。 前者 の 例 は 元和 に
於 て 見 られ 後者 は 後年 の 例 で ある から、 次第に 取扱 が 寛大 に なっ た もの と 考へ られる 。
要件 を 具 へ たる 嫡子 あり と も 必ずしもその 儘相 競 せしめ られる と は 限ら なかっ た 。 父胆 の 不
行跡 又は 不 奉公 の 事由 ある とき は 、 その こと を 理由 として 相 繊願 提出 の 權 を 奪ひ 、 又養 嫡子 の
實父出奔 し 、 或は 嫡子 の 實 母 出奔 し たる 場合 に も 同 樣 の 處置 が 採ら れ た 。 但し 後者 は 賀 暦 九 年
十一月 支障 と なら ざる こと に 改められ た 。 そして これ 等 の 支障 全く なき場合 と 雖 も 、 必ずしも
相 繊願 の 通り に 承認 さ れる と は 限ら ず 、 幕府 の 考 により 或は 養子 と 養子 後 出生 の 質子 と を 入れ
替 て 相 就 せしめること も あっ た 。 即ち 養子 に 相 覆 せしめ實子 に 分 知 せ ん こと を 願出 で た のに 、
養子 に 分 知 し 實子 に 相 續 せしめる が 如き で ある 。 分 知 願 は 相減に際して 提出 さる 」 こと が 通例
で あつた。 分 知 の 許可 に際して 特に 別 の 朱印 狀即 ち 宛 行 艇 を へら れ たる 者 は 一家創立 を 鶯 し
たる こと 」 なり 、 然 らざる 內分 なる もの と 區別 せら れ て み た 。 內分 は 主君 の 承認 ある 一期 分 に
外 ならない 。 な 潮 絶 せしめ られ た 者 の 名跡を 殘 す 爲 に 特に 十分 之 一 、 二 十 分 之 一 程度 の 少 藤
を 與 へる こと が あつ た 。 かくる 相 競人 を 名跡 と 稱 し た 。
庶民 の 相競に は 、 武士 の 如き相殺 願 の 不要なる こと は 言 ふ 迄 も ない が 、 特に 遺言 相 を以て
原則 と し て み た こと が 注目 せらる べき で ある 。 遺言 状 は 書置 又は 護狀 とも 稱 せら れ て み た 。 遺
言狀 は 操 め 名主 五 人組 に 親類 の 加 印 を 受く べき で あつ た が 、 自筆 に 「 印 ある 書面 も 同一 の 效
力 を 認められ た 。 遺贈 せ られ た 財産 を 所 券 分 ( 勝負 分 と も 書く ) と 稱 し 、 七 七 日 その他 の 忌日
に 遺言 の 開披、 財産 の 分割 が 行 はれ た 。 進言あり と も 惣領 の 權利 を 侵す 如き 內容 の もの は 不法
で あり、 必ず少く とも 惣領 は 家財 ・ 田畑 は 勿論 の こと金銀 も 半額以上 を 受く べき で あつ た 。 無
遺言 の 場合 に も 、 雲母 あら ば その 意見 に 從ひ 、 無けれ ば 惣領 の 意見 に 従 つて 弟 藩 に 分割 贈與 す
べき もの で あつ た 。 大體兄弟 六 分 四 分 が 常例 で あつ た が 、 七 分 三 分 たる べし と の 定も ある 。 相
續 の 結果 債務超過 保る こと を 知りたる 相 漑人 は 、 分散 即ち 債 幅 者 落 へ その 相薇財産 を 委 付 する
こと によって 、 相渡 債務 を 免る 途 が 開か れ て み た 。
相減開始 の 原因 は 死亡 と 隠居 で ある 。 隠居 は 武士 に 於 てる 庶民 に 於 て も 認め られ て 居 た 。 感
居 年齢 は 庶民 に 於 て は 制限 なき 故 、 五 十 にて も 四 十 にてち し 得 た し 又實 際 賞 し て おる のであ
る が 、 六 十 を 過ぎ て 行 ふ こと が 通常 で あつた 。 然るに 武士 に 於 て は 隠居 に は 幕府 の 許可 を 受け
ね ば なら ず 、 老衰 を 理由 として は 七 十 歲以 上 に 差 し なけれ ば 許可 は 得 られ なかっ た 。 それ 以前

227
に 隠居 する に は 病氣 を 理由 と し た 。 病気 を 理由 と する 場合 でも 四 十 歳 以上 で ない と 許可 を 得る

1
228
こと は 困難 で あつ た 。 なぜか いる 自 發的 隠居 のみなら ず 、 強制 的 に 隠居 せしめ られる 場合 があ
つた 。 或は 刑罰 に 代 へ 、 或は 刑罰 を 加 ふる 事前 措置 として 命ぜ られ た 。 年齢 を 問 は ざる と と 言
ふ 迄 も ない 。 その 際封 識全 部 が 嫡子 に 與 へらる 場合 も あり 、 又 削減 の 上 與 へらる 」 ことあ
っ た。

隠居 し たる 者 に 對 し て 特に 隠居 領 ・ 隠居 料 ・ 隠居 扶持 なる 名目 で 、 或は 知行 地 或は 栽米 ( 何
俵 ・ 何 人 扶持 ) が 給せらるー こと 名 あつた。 但し 永年 勤観 し たる 者 に 對 する 賞與 の 意味 も あっ
た わけ で ある から、 殆 ん ど 老 隠居 の 場合 に 限ら れ て み た 。 尤も 慶應 三 年 九月 廿六日 の 定 に 依
れば 、 隠居 料 は 萬 石 以下 二 十 年 以上 勤役 し た 者 で 年齢 五 十 歲以 上 の 者 に は 無條 件 に 與 へる と あ
る から 、 少く ともその 頃 に 至る と 老 表 隠居 年齢 を 低下 し た か 、 或は 病氣隠 居 にて も 隠居 料 を 與
へる 制度 に 變つ た もの と 考へ ざる を 得 ない 。 そして 同年 十二月 の 調 は 隠居 料 合計 一 萬 五 千 雨 と
稱 し て いる 。 庶民 の 隠居 が 隠居 分 を 留保 し て 隠居 を 行っ た こと は 決して 稀 で なく、 金銀 錢 なる
と と あり、 田地 なる こと あり、 又相 薇 人 より の 毎年 の 仕 送金 たること も あっ た 。
モ 照忌 制
扱 て 江 戶時 代 親族 相 減 制度 の 他 の 福 軸 と なつ て い た 忌服 の 制 を 見る と 、 公家 方 と 武家 方 と に
よって 多少 制 を 異に し て み た 。 公家 方 の もの は 京家 式 と 稱 せら れ 、 律令制 に 港據 し て 明 法 家 の
解釋 を 加 へ た もの で あり 、 武家 方 の もの は 之 を 簡略 化 し た もの で ある 。 京家式 は 服 と 假 と を 分
ち 、 武家 式 は 服 と 忌 と に 分つ た 。 服 は 喪服 の 意 で あり 轉 じ て 喪服 を 着け て 居る 期間 を 指す 。 そ
の 間 死 械 を 脱し て 居ら ぬ わけ で ある から、 神事 など に は 参列 し ない 。 律令制 で は 親族 關係 に 基
く 服 の 外 に 売 ( 天皇 ) と 本 主 ( 主人 ) と の 服 を 認め、 親族 関係 最長 の もの と 同一 期間 で あっ
唯 皇室 の 御 凶事、 將軍
た。 然るに 武家 式 に は 親族 關係 に 基く もの ト み で 、 かるもの は 無く 、
家 の 凶事 ある とき に 特に 觸書 あり 、 數日 間 の 時 物 停止 致 に 普請 ( 土 工事 ) 停止 が 命ぜらる ト の
み で あつた。 服喪 期間 中 或 限度に 於 て 官吏は 執務から 遠ざかる の が 律令 の 制 で あり 、 之 を 假 と
稱 し た 。 父母 の 喪 なら ば 全然官職 を 去 つて 一 年 ( 足かけ 十 三 月 ) の 後 再び 官職 に 補せ られる の
で 、 特に 恨 の 定 は 置か れ て い ない が 、 その他 に 就 て は 、 夫 死亡 に 對 する 服 は 一 年 なる に 假 は
十 日間 妻 に 對 し て 與 へら れ 、 祖父母 ・ 養父母 の 服 は 五 ヶ月 ( 滿 ) なる に は 三 十 日 、 曾祖父 母 ・
外 祖父母 ・ 伯 叔父 ・ 姉 ・ 兄弟 姉妹 の 服 は 三月 なる に 假 は 二 十 日 といふ 具合 に 、 特に 假 の 日 敗 が
定め られ て み た 。 京家式 は 此 系統 を 引き 、 服 を 本 服、 假 を 服 と 稱 し て い た 。 唯 父母 の 喪 にて

229
解 官 する 制 は あれ 、 單 に 五 十 日 の 假 を 給 せらる 」 こと な つて ゐる 。 貞享 年間 に 定め られ 元
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縁 ・ 元文 に 於 て 整備 さ れ た 武家 式 に 於 て 、 服 の 期間 は ほ ゞ 京家 式 の 本 服 の 期間 に 同じく、 忌 の
期問 は ほ 京家 式 の 假服 の 期間 と 同じ で あっ た 。 唯實 際 に 於 て 武家 式 の 忌 は ほ 京家 式 の 服 の
如き 作用 を 有し 、 京家 式 の 假 の 如き 呂 の は 別に 存 し た 。 五 十 日 の 忌 なら ば 三十五 日 を 、 二 十 日
の 忌 なら ば 七 日 を 過 ぐる 迄 執務 せ ざる も 、 それ以後 は 出勤 執務 す べき 旨 が 定め られ て 居つ た の
で ある。 又 武家 式 に 於 て は 服 忌 の 外 に 薇 の 制 が 定め られ 、 産薇 ・ 血荒 ・ 流産 ・ 死磯 ・ 踏合 ・ 改
葬 等 が 政 へら れ 、 男子 ・ 女子 によって 異り、 前者 は 最長 七 日 、 後者 は 最長 三十五 日 の 間 遠慮 す
べき もの と なつ て ゐる 。
四八 刑罰 一般
江戸 幕府 の 刑罰 は 死刑 ・ 流刑 ・ 追放 刑 ・ 身 體刑 ・ 財産 刑 を 主たる もの と し 、 律令制 の 徒刑 、
現代 法 の 懲役 ・ 禁 鋼 の 如き 、 集團 的 収容 所 に 拘禁 の 上 券 役 に 服 せしめ 又は 單 に 拘禁 す るる の は
存在 し なかつ た 。 今 之 を 自田 刑 と 稱 すれ ば 、 自由 刑 は 全く 明治 以後 の 創設 に 係る と 言 へる 。 揚
あがり や
座 敷揚屋 ・ 女 牢 ・ 大牢 ・ 溜 その他 の 牢舎 が 存在 し た が 、 此處 は 未決囚 か 又は 配決 後 礎 刑 に 至
る 者 を 収容 し て 置く 所 で 、 今日 の 刑務所 と は 異る。 ほ 今日 の 拘置 所 に 匹敵する。 元名 策 又
は 過怠 牢 と 稱 せら れ た 、 極めて 短期 ( 五 十 日 か 百 日 限度 ) の 自由 刑 は 存在 し なかっ た わけ で は
ない。 又 、 佐渡 水 替 人 足 として 佐渡 奉行 の 手 に 渡さ れ て 佐渡にて 強制 労役 に 從事 せしめ られ 、
にんそく さ せ
或は 江 戶石 川島 ・ 佃 島 等 に 在っ た 人 足寄 場 へ 収容 せ られ 、 強制 労役 に 從事 せしめ られ た 者 もあ
つ た が 、 それ 等 の 者 は 或は 無宿 ( 浮浪 者 ) たる こと を 理由 として 、 或は 入墨 ・ 童 敵 等 の 刑 を 加
へら れ て 後 引取 人 なき こと を 理由 として 、 給 も 今日 の 保安 分 の 意味 に 於 て 拘禁 さ れる の でる
り 、 刑罰 の 意味 を 有する もの で は なかつ た 。 然し 斯く 言 へ ば と て 決して 拘禁 刑 が 無かっ た とい

ふわけ で は ない 。 演 ・ 閉門 ・ 逼塞 ・ 居 ・ 抑込 ・ 戶 x ( 村文 を 除く) ・ 宇鎖 等 の 如く 、 或は 刑具
を 加 へ 或は 加 へ ず に 、 自宅 ・ 他家 等 、 民家 に 個々 に 拘禁する 制度 は 存在 し た 。 な 刑罰 として
は 、 強制 隠居 が あり 減 知 減 縁 が あつ た が 、 執れ ち 武士のみ に 對 し て 科せられる もの で あつ た 。
控 は 今日 の 官吏 の 進退伺 の 如きる ので 刑罰自慢 で は ない。
ゲ しゅにん
死刑 に は 種 で あり 、 最も 響きる の は 武士なら ば 切腹 、 庶民 なら ば 下手人 で あつた。 下手人 は
又解 死人 とも 書き、 首 を 刎 ねるのみ で 闕所 の 附加 刑 なく 、 死骸 は 據 に 用 ふ べから ざる もの と
せら れ て いる 。 武士 の 切腹 は 現實 に 自及する の で は なく 、 紙 に 包ん だ 小 木刀 の 載っ て いる 方
を 受刑 者 が 捧げ た 瞬間 に 、 之 を 斬首する 方法 に よ つて 行はれ た 、 一種 の 死 州 で ある 。 斬罪 と 絵

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せら れ た もの も 主として 武士 に 對 し て 科せ られ 、 闘所 の 加 刑 は あつた が の 対象 と なら な
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かつ た 私 が 、 死罪以下 と 異る 。 死罪 と 稱 せら れ た の は 瞬所 と 搬 と の 処方 を 伴ひ 、 獄門 ・ 火 罪 ・
磔 ・ 錦蛇 に も 耐所 の 附加 刑 が 伴っ た 。 獄門 は 牢內 にて 首 を 刎 ね て 崇拝 する ので あつ た が 、 火 罪
以下 は 公衆 の 面前 にて 執行 せ られ 、 而台執行 前 町中 引廻 が 行 はれ た 。 獄門 特に 引認 の 上 行 は
れ た こと も あっ た 。 引廻 は 罪人 を 縛っ た 馬 に 載せ 、 横長 の 六 尺 に 及ぶ 捨札 を 前 に 立て 、 西
の 內 の 紙 四 十 枚 に 及ぶ 大きな 幟 を 添えて 、 二 三 の 捕 道具 を 從 へ て 練り歩く ので あつ た 。 一行 二
十 七 八 人 の 行列 と なる。 獄門 は 地上 三 尺 五 寸 程 の 高 さ の 獄門堂 に 、 首 のみ を 載せ て 三日 二 夜 西
す ので あり、 捨札 ・ 幟 ・ 捕通 具 が 側 に 置か れ て 居る 點 、 引廻 の 解 止し た 形 とも 言 へる。 火 罪
( 火婚) は 柱 に 直角 に 結びつけ て ある竹輪 の 中 に 犯人 の 身 體 を 入れ 、 それ を 釣 つて ある 釣竹 に 腕
を 結びつけ、 身 體各 所 を 柱 に 結び、 足 の 下 に 薪 を 積み、 風上 より 券 に 火 を つけ たる もの を 用ひ
て 生命 を 断つ 方法 を 探る。 最後 に 鼻 ・ 陰震 ・ 乳房 を 焼く 。 鉄 は 上部 と 中部 と に 積木 を 嵌め た 荘
に 、 罪人 を 腕 を 競げ 脚 を 揚げ て 結びつけ 、 前方 に 突出 し た 木 の 上 に 勝 がら せる。 そして 左右 よ
り 脇腹から 肩先 にかけて 槍 を以て 突き、 之 を 繰返し て 最後 に 咽喉 を 突き生命 を 断つ 。 鋸挽 は 方
尺 深 さ 二 尺 五 寸 の 板 枠 を 作っ て 土中 に 埋め、 枠 中 に 立て た 杭 に 罪人 を 結びつけ、 首 に 長 さ 六
尺 の 首枷 を はめ て 爾 肩 の 出 て いる 所 に 刀傷 を つけ 、 側 に 竹鋸 に 血 を つけ て 立て 置き 、 希望者
に 挽か せる 。 三 日間 ( 夜間 は 牢 屋敷 へ 連 戻す ) 之 を 行っ て 後 、 磔 の 方法 を 用 ひ て 生命 を 断つ 。
從 って 鋸挽 は 傑 の 一 變形 に 外 ならない。 なほ 磔 や 火 罪 は 生命 ある 者 に 對 し て のみ 行 はれ た が 、
引廻 し の 上 獄門 の 如き は 、 鹽詰 と なつ て ゐ た 死體 に 對 し て も 行 はれ た の で ある 。 信教 の 禁 を 犯
せる キリスト教徒 に 對 し て は 以上 の 如き 死刑 方法以外 の 、 熱湯 に 沈め 質 卷 に し て 水中 に 沈め、
坑 に 入れ て 飢死 せしめる 等 の 方法 を 用い た こと も あつ た 。
流刑 は 幕府 法 にて は 還島 と 稱 せら れ 、 江戶 は 伊豆 七島 、 關西 は 薩南 諸島 及び 五島 等 へ 後 遣 す
ること が 多く、 其他 蝦夷 ( 北海道 ) 等 へ の 絵 つた 例 が ある 。 律令制 と 異り 流刑 地 に 於 て 強制 労
役 に 服せ しめる こと なく 、 又 妻妾 を 同伴 すること も 許さ れ なかっ た 。 遠島 の 刑 は 當然 に 田畑
家 屋敷 家財 の 闘所 を 伴っ た ので 、 見方 に よ つて は 下手人 と 稱 せら れ た 死刑 より も 雲 かっ た と 言
へる 。 遼島 が 透流 の 後身 たる こと 言 ふ 迄 も なく 、 中流 ・ 近流 に 該る もの は 最早 存在 し ない 。 武
士 たる 犯罪 人 を 大名 永 預 に し て 各地 に 流論 し た の は 、 或は 之 に 代る 制度とも 言 へや う か 。 但し
永 預 に 非 ざる 大名 預 は 未決囚 拘禁 方法 なる こと に 注意。
追放刑 に は 園 追放 ・ 中 追放 ・ 輕 追放 が あり、 更に 江戶 十里四方追放 ・ 一國掃 ・ 江戶ル ( 江戶
構 ) ・ 洛中 洛外 堺 ・ 所 綿 が あつ た 。 重 追放 に 處 せら れ たる 者 は 、 田畑 ・ 家 屋敷 ・ 家財 影所 に
せら れ たる 上 に 、 臨 八 州 ・ 東海道 筋 ・ 木骨 路 筋 ・甲斐 ・ 駿河 ・ 山城 ・ 大和 ・ 和泉 ・ 攝津 ・ 肥前
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を 御事 場所 として 立入 を 禁止 せ られる。 京都 より 童 追放 と なる 者 は 外 に 河內 ・ 近江 ・ 丹波 三國
が 加 へ られる。 中 追放 は 田畑 ・ 家 屋敷のみ 闕所 と なり 家財 の 阪所 は なく 、 御 機 場所 は 量 追放 の
.
もの 內相 模 ・ 上巻 ・ 下總 ・ 安房 ・ 常陸 ・ 上野 が 除かれる。 軽 追放 は 闕所 右 に 同じく 、 御幣 場
所 は 江戶 十里四方 ・ 日光 ・ 日光 道中 ・ 東海道 筋 ・ 京 ・ 大坂のみ で あつた。 若し 上述以外 の 地 が
居住 國 で ある 場合 に は それる 御構場所 に 加 へ られ 、 犯罪 地 の 國 も 亦 加 へ らる → 定 で あつた。 江
戶 十里四方追放 の 御構 場所 は 日本橋 を 中心 として 五里 の 半径 を以て 區劃 せる 區域 で あつた。 今
日 の 大 東京 に 千葉縣磁 西部 造 に 埼玉 縣育 方 の 一部 を 加 へ た 範圍 と なる 。 この 場合 犯人 の 居村 名
御構 場所 に 加 へ られる 。 闕所 なき こと を 原則 と する が 、 「 利欲 に 拘り 候 類 」 は 田畑 ・ 家 屋敷 の
関所、 年貢 未 洗 あれ ば 家財 の 錬所迄件 つた 。 江 戶堺 の 場合 に は 、 御構 場所 は 大 體舊 東京 市 域 で
あり 、 關所 は 江戶 十里 四方 追放 の 場合 と 同じ。 洛中 洛外 は 江 戶卵 に 該り、 江戶 十里 四方追放
は 山城國一 國揚 に 該っ た 。 所卵 は 江戶 居住 者 に 開 し て は 居住 の 町內 のみ、 在方 は 居村 の み 御構
となり 、 吸所 に 關 し て は 江 戶塀 等 と 同じ 。 所掃 は 住所 を 有する 者 に 對 し て 行 は れる が 、 住所 な
き 者 ( 無宿 ) に 對 し て は 之 に 代 へ て 門前 を 科し た 。 奉行 所 の 門前より 掃 ふ の 意 で ある。 追放
刑 に は 更に 敵 故に 鼻耳 を 削ぐ 刑 を 伴 ふる の あっ た 。 後者 は 後 に 入墨 を以て 代 へら れ た 。
さらし
晒 は 主として 鋸 挽等 の 刑 に 對 する 附加 刑 として 用 ひら れ た が 、
僧侶 の 女犯 共 他 の 場合 に 單獨
に 科せ られ た こと も あつ た 。 この 場合 は 日本橋 に 於 て 三 日間 行 は れ 、 新 吉原 に 於 て 行 は れ たる
犯罪 に 就 て は 新 吉原 大門 口 にて 行はれ

敵 は 庶民 に のみ科する 刑罰 で 將軍 吉宗の 頃 に 設け られ 、
單 に 破 と 言 へ ば 五 十 を 打撃 する ので
あり 、 無敵 と 言 へ ば 百 で あつた 。 藁 を 觀世 絵 にて 巻い た 長 さ 一 尺 九 寸 太 さ 直径 一 寸 五 分
の 液体
にて 、 裸體 に し た 犯人 の 肩 背 尻 を 交互 に 打 環 する 方法 による 。 敵 ・ 重 敵 の 科せ られる 場合 は 可
なり 多 かつ た が 、 入選 の 上 蔽 ・ 重 敵 と せらる 場合 も あつ た 。 入型 は 主として 腕 の 肘 端 節 の 上
部 又は 下部 に 行 はれ た が 、 形状 は 各地 各様 で あつた。
江戶 の もの は 肘 下 に 二 線 を まわす 方法 に
よる 。 前 額 に 入霊 する 方法 も 決して 稀 で は なかつ た 。 入墨 ある 者
が 更に 入墨 を 科せ られん ば 増
入塁 が 行 はれ た 。 女 の 犯罪 人 に 對 し て は 、 剃髪し て 奴 と なし て 晒し、 然る後親元 ( 浩 し 無けれ
ば 譜代 に 召仕はん と する 他人 ) へ 引渡す 刑 も 科せ られ
て いる。
江 戶器 府 の 法制 に は 叱り に 急庭叱 といふ 獨立 の 刑罰 が あつ た 。 後者 は 前者 より 重い が 、 共

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に 口頭にて 行 はれ た 。 一種 の 護資 で ある。
236
財産 刑 は 武士 に 於 て は 改易 で あり、 庶民 に 於 て は 闕所 及び 過料 で あつた 。 改易 は 單獨 に 科せ
られる こ ト と 附加 刑 として 科せ られる こと ( ある が 、 調 所 は 附加 刑 として のみ 科せ られ た。 調
所 は 罪責 ある 場合 に 限っ て 科せ られる の で あり、 百姓 の 當主 が 缺落 し て も 闕所 に 行 は れる と は
限ら ず 、 寧ろ 罪責 を 峠 ます 爲 に 映 落し たる こと 明らか なる 場合 に 限り 、 之 が 科せ られ た のであ
ながたづね
っ た。 縦落 の とき一般 に は 永善 の 手識 を し て 相殺 が 行 は れ 、 相 續人 が なけれ ば 親類 が 、 それ も

なけれ ば 知人 が 財産 を 管理 し 、 知人 も なき とき に は 建家 ・ 家財 は 入札 處分 に し て 代金 を 代官 又
は 領主 が 管理 し 、 田畑 は 村總割にて 耕作 の 上 純益 を 代官 ・ 領主 に 託し て 缺落 人 歸來 を 待つ 定 で
あつた。 然るに 武士 殊に 旗本 ・ 御家人 の 出奔 に際して は 、 夢 の 手紋 を 為す こと なく 直ちに 地方
( 知行 權 ) 切米 ( 藏 米 受領 ) 屋敷 ・ 家作 は 幕府 に 没収 さ れる ので あつ た 。 と の 點可 なり の 相
違 で ある 。
改易 は 家 屋敷迄 取上げる が 家財 に は 及ば 法 かつた 。 又 、 闕所 の 場合 と 異り 御構場所なる もの
は 存在 し なかつ た 。 改易 が 實際 行 はる 1 際 に は 、 大名 は 領知 ( 領國 ) 被召上、 旗本 は 知行 被 召
上 、 御家人 は 御 切米 被召放といふ語 で 表現 さ れ て み た 。 尤も 改易といふ 語 が 用い られ なかっ た
わけ で は ない が 、 その 際 に は 主として 旗本御家人 に対して 用 なら れ て おる 。 改易 の 結果 、 江戸
幕府 と 其者 と の 君臣 隠係 は 源 たれ 、 士分 として の 待遇 を 受 くる 橋 なき に 至る こと は 言 ふ 迄 」
ない 。 闕所 は 、 重 追放 以上 の 罪 を 犯せ ば 御家人 に も 科せ られ た が 、 主として 庶民 に対して 行 は
れ た 。 犯罪によって 田畑のみ 闕所 と なる もの 、 加 へ て 家 屋敷 迄 開所 と なる もの 、 更に 家財 這闘
所 と なる もの 三種 あること は 既述によって 明らか で ある が 、 田畑 ・ 家屋敷き場合 に は それ
M
に 代 へ て 家財 を 没収 す べき で あり 、 家財 なき 場合 に は その まであつた 。 所 財産 の 内 から 妻
名 儀 の 財産 は 除 外せ られ た が 、 單 に 持参 金 又は 持参 の田屋敷たる の 故 を以て は 除外 と なら な
場合 に 限り、 波收地
かつ た 。 貨地 ・ 家質 と なつ て ゐ た 田畑 ・ 家 屋敷 は 、 證文 の 内容 形式 完備 の
賞 上 代金 の 內 より 元 金額 の 優先 辨済 を 受 くる こと を 得 た 。 但し年貢 未 あら ば その 次 の 順位 と
なる 。 逆 に 闕所 者 より 借金 ある と ち 債務 者 は 幕府 ・ 領主 に 上納 する に 及ば ぬ ( 薬指 ) と せら れ

た。 闕所 と なつ て 取上げ られ た 田畑 ・ 家 屋敷 ・ 建家 ・ 家財 は 代官 ・ 領主 にて 管理 の 上 、 入札
よって 賞却 し 、 その 代金 は 私 領 は 領主 ・ 地頭 に 入り 、 線 領 は 幕府 に 入り 、 後者 は 主として 牢合
の 修理 費 その他 警察 的 事項 に 使用さる べき もの と せられ て いる 。
過料 は 関所 と 異り一定 の 金額 を 罰 として 徵收 する の で あり、 や ~ 今日 の 罰金 に 該る。 享保以
闕所 の 下級刑罰たる 地位 を 有し た 。 過料 の 額 は 貧富 を 問 は 五 貫 文三貫 3
後 に 現 はれ た 制度で 、
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文 の 程度で あつ た が 、 外 に 二 十 四 兩 三 十 兩 に 至る 重 過料 と せらるんる の が あつ た 。 その 額 は
犯人 の 貧 官 によって 定ま つた 。 村高 に 應 じ て 村 に 過料 が 科せ ら るい とき は 、 大體 百 石 につき 二
貫文 で あっ た 。 但し 時代 により 變遷 が ある 。 所 と 過料 と の 中間 に 在る もの として 田畑 三 分 之
二 取上 、 半分 取上 、 三 分 之 一 取上 とい 4 刑罰 が あり、 而 も その 場合 、 一段 步 につき 五 貫文、 三
貫文 、 二 貫 文 の 過料 の 納付 を以て 現 賞 の 沒收 を 免れ 得 た の で ある 。 過料 の 納付 期日 は 凡て 申渡
より 三日間 で あつた 。 そして 若し 過料 を 納付 し 得なけれ ば 手鎖 の 處置 を 受け ね ば なら なかつ
た 。 但し 初 から 過料 と共に 手鎖 が 科せ らる A と と ある 。 手鎖 は 係 役人 が かけ て 、 五 十 日 以下
の 手鎖 は 五 日 目 毎 に 、 百 日 の 手鎖 は 隔日 に 封印 を 檢査 する 定 で あつた。 尤も 手鎖 は 必ずしも 利
罰 として 科せられる と は 限ら ず 、 吟味 中 ( 未決 中 ) 加 へ られる こと も あつ た 。
四 元 刑罰 特 則
江戸 幕府 獨特 の 刑罰 として 非 人 手下 なる もの が あり、 犯人 を 非 人頭 の 手 に 渡し て 特別 の 統制
に 服せ しめ た 。 通常 の 非 人 手下 と 遠國 非人 手下 と が あり、 後者 の 方 が 重かっ た 。 かくる 處置 を
採ら れ たる 者 又は 本來 か いる 地位 に 在りし 者 が 犯罪 を 犯し た 場合 に は 、 通常 の 手 識 に 依 つて 處
刑 する こと なく 、 統轄 者 たる 江戸 の 彈左 衞門 又は 其他 の 統轄 者 に 委托 し て 執行 せしめ た のであ
1
つた。 犯人 盲人 に し て 座頭たる 者 は 、 統轄 者 たる 惣録 に 命じ て 座 法 により 刑せ しめ 、 座頭 た
らざる 盲人 に は 或 程度 の 閏 刑 が 認め られ た 。 犯人 が 婦人 たる 場合 に も 関 刑 が 認め られ た 。 又 、
幼年 者 たる 場合 に 宮田 刑 が 認め られ ない で は なかつ た が 、 幼年 者 は 多く の 場合 一等 を 減じ て
罰せ られ 、 そして 遠島 の 刑 を 受く べき 場合 に は 幼年 を 説 する 花 親族 に 預け られる 定 で あつた 。

幼年 と は 十 四 歳 迄 を 指し 、 數 へ 年 十 五 歲 と なれ ば 成人 の 取扱 と なつ た。 狂者 ・ 忍者 ・ 瘋猟 者 に
對 し て の 處置 は 區 々 で あり 、 或 場合 に は 発 刑せ られ 、 或 場合 に は 科 罰せ られ た 。 大 體犯 得 に よ
って ゐる 。
縁坐 ・ 連坐 の 制 も 行 はれ た 。 親 の 犯罪 により 共犯 に 非る 無幸 の 子 が 處罰 せら れ 、 家來 の 犯罪
により 主人 が 處罰 せら れ 、 村人 の 犯罪 により 村役人 が 處罰 せら れ 又は 村中 罰せ られ 、 或は 或
五 人組 に 犯人 が 出 で たる こと を 理由 として その 組 の 者 が 罰せ られ た ので あつ た 。 縁坐 にて子
が 處罰さる 場合 として は 、 主 殺 ・ 親 殺 を以て 主たる もの と し 、 處罰 の 程度は 一々 伺 の 上 指令
を 受け て 定め た の で ある が 、 多く 本 犯 より 一等 を 減ぜ られ て いる 。 然し 此縁坐制 は 中期 頃 より
漸次 疑念 を 持た れ 、 若し 子 幼年 の 爲親 類 へ 預 中 に 出家 願出 が 寺院 の 側 より 行 は れー ば 之 を 許す

239
という 方法 に よつて 、 悟息 なる 緩和 方法 が 採ら れ て いる 。 又 、 他家 に 養子 と なり 又は 組父 の 嫡
1
4

240
孫承 羅者 と なっ て わ た 場合 に は 、 子 と 雖西 涼生 し ない という 判例 法 も 、 同一 の 線 に 沿っ て 生じ
た もの とり 解せ られ 得る 。
刑罰 の 加減 例 は 律令制 と 同様 に 、 加真 は 一 階 づ 進め 減 輕 は 飛躍 し て 行はれ た 。 即ち 加 魚 の
場合 に は 所端 は 江 戶掃 、 整 追放 は 中 追放、 中 追放 は 重 追放 、 重 追放 は 入墨 蔵 の 上 量 追放、 入
敵 の 上 童追放 は 選島 といふ 具合 と なり、 減 輕 の 場合 に は 死罪 は 選島 に 、 選島 は 中 追放 に と いふ
具合 で あつた 。
犯罪 の 時 效 ら 既に 認め られ 、 吟味 ( 刑事 裁判 手續 ) 着手 以前 既に 十 二 ヶ月 を 経過 し て 居 れ
ば 、 その 害悪 は 全く 問 はれ ない こと な つて ゐ た 。 但し 極悪 と 認定 せらる ト 數種 の 犯罪、 即ち
( 一 ) 遊罪 の 者 ( 二 ) 邪曲 にて 人 を 殺し た 者 ( 1 ) 火附 ( 四 ) 徒 察し て 人 家 に 押込 を し た 者 ( 五 )
追 剣 弁 人 家 え 忍 入っ た 盗賊 ( 六 ) 死罪 以上 の 刑罰 に 該當 する 犯罪 ( 七 ) 職務 上 の 横領 ( 八 ) 永
導 處分 を 受け た 者 等 は 露悪 と 蝶ち處罰 せら れ た 。 少く とも延享以後 は 此事 が 言 へる。 若し 一旦
處罰 せら れ て 後 再び 同種 ( 同罪 再犯 ) 又は 異 の 犯罪 を 犯し た 場合 、 所謂累犯 の 場合 に 就 て は
刑罰 の 加 量に 關 する 一般 的 な 定 は 無 かつた が 、 可 なり 多く の 犯罪 に 就 て 一等 加 量 が 定め られ 、
場合 によって は 貴 等 加 宣 せらる べき こと な つて ゐる 。 今日 所 謂 併合 罪 の 内 、 同種 の 犯罪 が 反
覆し て 行 はれ て わ た とき ( 律令 の 重犯 ) に は 、 特に 加 童 が 行 はれ た 。 場合 に よ つて は 分離 し て
二 回 に 宣告 し 併科 し て ある。 異種 の 犯罪 に 就 て は 確證なき も 、 恐らく 可能なる 限り 併科 せ られ
た もの と 思はれる。
宣告 せ られ た 刑罰 が 或は 全く 或は 殘部 を 執行 せ られ ず し て 已 む こと が ある 。 犯人 の 死亡 と 激
と で ある。 赦免 に は 儀 之 大赦 と 御 法事 之 赦 と の 兩種 が あり 、 凡て 江 戶將 軍 家 の 吉凶 を 標
準 とし、 將軍 の 命令 を以て 行 はれ た 。 方稿に は 朝 の 吉凶 、 改元 等 が 標準 と なつ た こともる
る 。 御説儀 之 大 激 と 御 法事 之 赦 と で は 調 在 方法 が 異り 、 前者 は 命令 により 職構 を以て 調査 が 行
はれ た の で ある が 、 後者 は 雨山 即ち 東 叡山 寛永寺 と 芝 増上寺 と に 存在 し た 激 帳 に 記さ れ た 、 犯
人 の 親族より の 赦免 歌 願書 を 基準 として 調 宿 が 行 はれ た ので あつ た 。 赦不 赦 は 一律 に 決定せら
れ ず 、 個々 の 犯人 に 就 て 調査 を 遂げ、 罪質 ・ 罪 種 ・ 経過 年 數 ・ 改慢 の 狀況 等 を 掛南 し て 決定 さ
られ た 。 それ が 今日 の 假出 獄 と 精神 を 同じく する もの で あつ た こと は 、 文久 二 年 の 激 律 撰定 に
着手 せ られ た 嘉永 四 年 十一月 の 激律 取調 と 悪申 上 候 書付 中 に 「 右 排 之 も の 端 改心 いたし 候 樣潮
之 ため 御 慶事 等 「 被 託 御 仕置 被 赦候 = 付 」 云々 の 文言ある によって 明らか で ある。 唯激免資

241
者 と なる に 非常 に 長き 年 數 を 必要 と し て いる ので 、 實際 上 恩典 に 浴 する 者 少く 、 その 制度 的 效
242
果 を 疑 は しめる。 例へば 所掃 十 一 ヶ年以上、 江 戶堺十 四 ヶ年以上、 輕超 放 二 十 ヶ年以上、 童 道
放 二 十 六 ヶ年以上、 選 島 二 十 九 ヶ年以上、 其他 短 ぎる の でも十 一 ヶ年以上 で あり、 極めて 例外
的 に 六 ヶ年以上 が 認め られ て いる。 なほ 別に 當座 之 御 赦 と 稱 する もの が あり 未決囚 に 對 し て 行
はれ た 。 犯罪 時 效制 の 適用 なき 極 惡犯罪 は 當座 之 御 赦 の 對象 と も なり 得なかつ た。
60 犯罪 總 説
刑罰 は 犯人 の 故意 を 標準 として 科せ られ た こと は 言う 迄 も ない が 、 過失 犯 賞害 大 なる 場合
に は 相 當重 く 處罰せら れ た 。 例へば 過失 殺人 益 に 傷害 の 如し。 外形 上 犯罪 と 同一 で も 、 それ が
權利 行 爲又 は 放任 行 念 で あつ た 場合 に は 罰せ られ なかつ た 。 足 を 含む 武士 たる 身分 を 有す
る 者 に 對 し て 町人 ・ 百姓 が 法外 の 雑言 等 不屈 を 行っ た 場合 に 、 武士 が 之 を 切 殺す こと は 何 等 臨
罰 を 受け ず ( 所謂 切 捨御 免 ) 、 夫 が 妻 と その 姦通 の 相手 と を 殺し た 場合 、 返 に 強姦 の 目的を以て
居宅 に 侵入 し た 男 を 夫 が 殺し た 場合 に は 、 その 夫 は 何等 處罰 を 受け なかつ た 。 又 相手方 理 不 盡
之 仕方にて 止事 を 得 宇切 殺し たる 場合 ( 正當 防衛) に は 、 本人 たる と 第三者 たると を 問 はず 相
営減 刑せ られ た 。 稀 に は 免 刑せ られ た こと も あつ た。
五 犯罪 の 種類 と 刑罰
刑罰 を 科せらる べき 行 として は 盗犯 と 殺人 傷害 と が 主たる もの で あつ た。 盗犯 に は 強盗 、
押借 ・ 海賊 ・ 追 剝 ・ 追 落 ・ 取逃 ・ 胸膜 ・ 網盗 ・ 拾ひ 物 取 際 等 が あり 、 之 に 似 たる 財産 犯 と し


て 、 かたり ( 詐欺取財 ) ねだり ( 恐喝 取財 ) が あり、 更に 博奕 ・ 取退無盡 ・ 隠富 ・ 影富 等であ
っ た。 之 と 關聯 し て 益 物陰 物 買 ・ 益 物 預り ・ 盗 物質 取 等 が あつ た 。 殺人 し て 強盗 すれ ば 引廻 の
上 獄門 、 網 益 は 計 蓋 的 なる 場合 に は 盗物 の 多少 に 拘 はら宇死 罪 。 出 來心 なる 場合 に は 、 金額 又
は 代金 十 兩以 上 なら ば 死罪 、 以下 なら ば 入 還 敵 又は 敵 。 取 逃亦 之 に 準じ た 。 かたり 故に 重き ね
たり は 賊 物 一 兩以 上 は 死罪 、 數度 に 亘る もの は 多少 に 拘 はら ず 獄門 と なつ てわた 。 放火 す べき
旨 を 張札 又は 捨文 に 書き 脅迫 すれ ば 財 を 得 ず とち 死罪。 計量 器 の 偽造 は 獄門 、 金銀貨幣 の 偽造
は 引廻 の 上傑。 紙幣 の 偽造 は 獄門 。 謀書謀判 ( 文書印章 偽造 ) は 引廻 の 上 獄門 。 身分 ・ 役名 ・
人名等 を 詐稱 し た 場合 は 、 情状 により 逮島 ・ 中 追放 ・ 百 日 押込 等 の 處罰 を 科し た。 極炎等 は 置
き は 遠島、 輕 き は 家財 屋敷 の 取 上等 に 止ま つ た 。
殺人 に は 辻斬 ・ 毒 同等 の 殺人 方法 による 區別 も ある が 、 加害 者 と 被害 者 と の 関係 による 別
は 詳細 を 極め、 各 s 皆 處罰 を 異に し た 。 辻朝 は 引廻 の 上 死罪、 静飼 は 獄門 、 未遂 なら ば 還島。

343
主 殺 は 二 日 画一日引 廻 の 上 鋸 挽之 上 磔 、 傷害 に 至れ ば 晒 之 上 磔 、 草 なる 未 経 は 死罪。 師 殺 は 磔、
1
傷害 に 至れ ば 死罪 。 親殺 は 引廻 の 上 礁 、 妨害 酸 打 に 至れ ば 磔 、 聖なる 未 途 は 死罪 。 不作 に よ
244
る 親 殺 、 即ち 家 が 焼失 する とき 親 の 焼死 を 見 ながら 逃去 つた 者 死罪 。 支配 の 名主 を 殺し たる
者 及び 地主 を 殺し たる 家守 は 引廻 の 上 獄門 、 傷害 に れぽ 死罪又は 引廻 の 上 死罪、 元 地主 を 殺
したろ 家 守り ホ 之 に 近き 取扱 と なつ た 。 ・ 伯父 ・ 伯母 ・ 兄 ・ 姉 等 の 母 親戚 を 殺し たる 者 は 引
廻 の 上 獄門、 傷害 に 至れ ば 死罪、 一般人 の 間 の 殺人 は 下手人 の 刑 で あっ た 。 理由 なくし て 賞子
.
養子 を 殺し たる 者 は 選島 、 事情 童 き とき は 死罪 。 弟 ・ 妹 ・ 甥 ・ 姪 を 殺し た 者 は 遼島 。 弟子 殺 亦
同じく 、 各 仕殺 は 百 日 手 鑽等 で あつた 。 一般人 の 間 の 單純 なろ 傷害 は 、 甚 しき 不具 と 念 せ は 選
島、 然 らざる程度 の 不具 は 中 追放、 不具 に 至ら ざる 場合 は 加害 者 武士 なら ば 江 戶掃、 百姓町人
ならば 內濟 ( 示談) を 許し、 批 の 多少 に よら ず 銀 一 枚 の 治療 代 で あつた。 死に 至る べき こと を
期待 し て 若 疾者 を 遺棄 すれ ば 死罪 、 情 重き は 獄門 。 蛋子 を 乗兄 すれ ば 透流 、 養育 費 の 養子 を
葉兄 すれ ば 引廻 の 上 獄門 と なっ た 。
人 なること を 知り つ 人 も 他 の 人 なり と 信 し て 殺し たる 場合 、 殊に 盗人 と 信じ て 妻 を 殺し たる
場合 に も 、 人 を 殺さ ん として 殺し た の で ある から 死罪 又は 下手人 の 刑 を 科せ られ た 。 過失 殺傷
の 處罰 は 事情 によって 異り、 革 にて 人 を 轢殺 し 又は 牛馬 を 牽爆 け て 殺す に 至つ た 場合 に は 死
罪 、 傷害 に 止まれ ば 還島又は 中 追放。 但し 轢殺 し ない 様 に 充分注意 し て 他方 を 進行 し た とき に
は 遠島 、 傷害 は 中 追放 と なつ た 。 弓 の 矢 又は 鐵砲 の 弾丸 にて 殺さ れ 、 それ が過失 なる こと 明瞭
なる とき は 選島 。 但し 定 まつた 矢場 鐵砲 場 に 於 て 起っ た 場合 に は 罰 なく 、 三 十 日間 の 選 慮 に
止まっ た 。 これ 等 の 外 の 過失 傷害 は 稀 別 罰せ られ ないこと が 原則 で ある が 、 傷害 の 結果 死亡
する に 至れ ば 中 追放 に せら れ た 。
婦人 に 關 する 犯罪 として 姦 泡 が ある 。 暴力 を 用い て 無 夫 の 婦女 を 姦 し たる 男 は 重 追放 で あつ
た。 無 夫 の 和 は 原則 として 何 等 の 咎 も 法 かつた が 、 然し その 結果 親許 から 誘出 す に 至れ ば 、
男 は 手鎖 と なり 女 は 親許 へ 歸 さ れ た 。 又 、 和姦 の 相手 が 主人 の 娘 で あっ た 場合 に は 、 男 は 中道
放、 女 は 予鎖 の 上 親許 へ 飾 さ れ た 。 又、 女 が 他 家 の 下女たり し 場合 に は 、 男 は 江 戶弾 と なり 、
女 は 主人 の 心 次第 と 出 られ た 。 同一 主人 の 許 に ある 男女 の 場合 に も 主人 の 心 次第 の 魔置 と な
る 。 更に 無 夫 で は ある が 既に 他 に 縁談 の 整っ た 娘 と 姦通 すれ ば 、 男 は 輕追 放女 は 涙 を 測り 親許
へ 酷 す の で あっ た 。 かいる 場合 怒れる父親 が その 男女 を 共に し て B 殺人 の 罪 と ならい 、 会く
無罪 と せら れ た こと は 、 有夫 の 婦 ( 委 委 ) が 姦通 し た とき に 夫 が その 男女 を 殺し て も 無罪であ
つ た こと ~ 照合 し て 、 當時 如何 に 父 落紋 に 夫灌 が 騒大 で あつ た か を 知ろ に 足りる。 有夫 の 婚 の ☆
i

246
和姦 ( 間男) は 男女 共 に 死罪 で あり、 若し 男のみ 夫 に 殺さ れ 婦 が 存命 に てる 共 婦 は 死罪 と なる
( 男 外
が、男 が 逃去 つ た 場合 に は その 端 の 處置 は 夫 の 心 次第 と せら れ た 。 有夫 の 婦 に 對 する 強姦 は 原
則 として 死罪 で ある が 、 男 多勢なる とき は 首謀 者 のみ 獄門 、 他 は 童 追放。 主人 の 妻妾 と和姦す
れば 、 男 は 引廻 の 上 獄門 女 は 死罪 。 姦通 後 夫 に 負傷 せ しむる に 至れ ば その 女 は 引廻 の 上 獄門 、
進ん で 殺害 に 至れ ば 引廻 の 上 磔 。 殺夫教唆 の 又は幫助 の 男 は 獄門。 有夫姦 の 未 逐並 に 有夫
姦の
世 助 者 も それぞれ 罰せ られ た 。 その他 近親 相姦 も 處罰 せら れ 、 養母 ・ 養娘 ・ 嫁 と 密通 し た 者
は 、 男女双方 が 獄門 、 姉妹伯母 姪 と 密通 し た 者 は 男女双方 が 違國 非人 手下 と せら れ た 。 又 幼女

姦 は 負傷せしめ た 場合 に 選島 と なっ た 。
人 拘引即ち 誘拐 百 重く 罰せ られ た 。 人 拘引たる に は 、 利得 を 目的 として 欺問 又は 威嚇 を 用
ひ 誘引 し たる こと が 必要 と せら れ 、 之 を 犯し た 者 は 死罪、 共謀 の 上 利得 し た 者 は 重 追放 と せら
れ た。
火 ( 放火 ) は 財産人命 に も 及ぶ 重大 なる 犯罪で ある から 嚴重 に 處罰 せら れ た 。 火 附 を し た
者 は たと へ その 火 が 燃 立た ず ( 獨立 燃焼に 至ら ず ) と 名 凡て 火 罪 に 處 せら れ 、 若し依賴 に 基い
た 場合 に は 死罪 と し 、 その 依 賴著 火 罪 と なつ た 。 火 罪 と は 火 焙 の こと で あり 、 火 に 對 し て は 火
を以て 報い た の で ある 。 唯 その 發覚 が 翌年 と なつ た 場合 に は 死罪 と せら れ た。 放火 は 重大なる
賞害 を 及ぼす もの で ある から、 たと へ 犯人 が 幼 者 で も 十 五 歳 に 至る を 俟 って 違島 の 處罰 を 加 へ
た。 細心 者 ( 江者) なる こと が 明らか な 場合 に は 免 と なる が 、 不明瞭 なる 場合 に は 死罪であ
っ た。 放火のみなら ず 失火 も 亦 處罰せら れ た 。 結果 の 大小 により 多少 處罰 を 異に し 、 火元 は 十
日 乃至 二 十 日 の 押込 と なつた。 但し 小間 拾 間 以下 に 止まっ た とき に は 陽 罰 を 免れ た 。 失火 の 場
合 に 火元 の 地主 ・ 家主 ・ 月行事 は 違坐 的 に 三 十 日 押込 の 刑 を 、 五 人組 は 二 十 日 押込 の 刑 を 科せ
られ た 。
なほ 幕府 は 保安 交通 術 生 刑事 等 の 警察目的 を 通す る 爲 に 、 種々 の 馬 高 規定 を 設け て ある が 、
就中 麗鐵砲 ・ 強訴 ・ 犯人 抗菌 ・ 關所 破り ・ 毒薬 ・ 資 女 は 重く 扱 はれ た 。 鐵砲 の 處罰 は 所持
者 の 住所によって 異り、 御 留場 ( 禁猿區) 虹 に 江戶 十里 四方 の 內 なら ば 選 島 、 關 八 州 なら ば 中
追放 、 それ 以外 なら ば 所 掃 で あり 、 使用 し た 場合 亦 同じ 。 この 場合 、 名主 ・ 組頭 ・ 五 人組 も 整
を 造 坐刑 を 受け た 。 ・ 鐵砲 の 犯人 を 御 留場又は 江戶 十里四方の 內 で 捕 へ たる 者 に は 気美として
銀 二 十 枚 、 同じく 通報すれ ば 同 五 枚 が 與 へら れ た 。 放火 者 を 捕 へ又這 し たる 者 に 對 し て 銀

247
三 十 枚 の 褒美 を 與 へ た の に 比し て 多少 少い が 、 それでも當時 の 一般 庶民 に とつ て 莫大 な 額 であ
1
っ た こと は 否めない。 徒然 を 結び 強訴 し たる 上 に 逃散 を 篇 せ ば 、 首謀 者 死罪 と なり、 名主 は

248

追放、 組頭 は 田畑 取上 所 掃 、 惣 百姓 村 高 に 感じ て の 過料 と なつ た 。 火附 ・ 強盗殺人・ 徒 無 侵入
追 剣 その他 の 重 料 人 を 、 自家床下 共 他 に 燕産 し 、 又は 逃亡 に 便宜 を 與 へ たる 者 は 死罪 と せら

た 。 然し 突発 的 なる 浅 人 犯 等 を 藏 し たる に 過ぎ ぬ 場合 に は 急成叱り の 程度。 所 を 巡回 し て
通過 し た 暦 は 、 その 案内 者 と共に 共 場所 に 於 て 磔 の 刑 と なり 、 唯 内 管 に 開所 を 通っ た に 過ぎ な
い 者 は 量 追放、 鋭 れ の 場合 に お 女 は 奴 ( 剃髪 ) の 刑 で あつた。 毒薬 を 賣つ た 者 は 引廻 の 上城
門 。 似せ 楽 を 気つた 者 は 詐欺 の 意味 に 於 て 引廻 の 上 死罪 と せら れ た 。 女 は 、 その 本人 は 三
年間 新 吉原 にて 淫從 事 、 之 を 行 は しめ た 者 は 財産 に 應 じ 過料 の 上 百 日 手鎖、 共済 の 請人 ・ 人
主 は 連坐 例 として 家財 三 分 之 二 取上程度の 過料、 家主 財産 に 應 じ 過料 の 上 百 日 予鎖、 五 人組
過料 、 名主 重 過料 、 地主 は 五ヶ 年間 地代 家賃 取立 信 の 喪失 という 刑 が 科せ られ た 。
以上 の 外 に 、 裁判 ・ 行政 處分 等 の 公正 を 害する もの として、 賄賂 と 掛 ( 趣告 ) が 處罰 せら
れ て み た。 公事 諸 願 共 他 請負 事 等 に際し 賄賂 を 差出し た 者 故に その 取時 ( 媒介 ) を し た 者 は
追放 と なつ た 。 又襲美 に 眼 が くらみ 虚偽 の 訴人 を し た 場合 に は敵 の 上 中 追放 で ある が 、 殺人 の
訴人 に 至れ ば 軽くる 重 追放 、 計 畫的 な 場合 に は 還島 又は 死罪 と せら れ 、 主人 又は 親 に 對 する 申
掛 は の 極刑 に 處 せら れ た の で あっ た 。
示談內濟 は 江 戶幕 府 の 一般 に 認め た 所 で 、 妻妾 姦通 の 場合 に 、 その 夫 が 猛夫 より 詫話 文 を 取
り 又七 時 二 分 の 間男 料 を 取っ て 內演 し た こと は 、 世に 知ら れ た 事柄 で ある。 傷害 罪 に 就 て 示
談 を 許し た こと は 前 逃し た が 、 それ も 原則 として 不具たら ざる程度の 傷害 に 限っ た 。 殺人 に 至
れ ば 必ず 訴出でること が 命ぜ られ て 居り 、 之 を 怠つ た 親類 縁者 は 加害 者 側 たる と 被害 者 側 たる
と を 問 はず、 過料 の 刑 に 處 せら れ た 。 被害 者 の 親 は 所掃。 子 は 還島。 相談 に 與 れる 名主 は 部 追
放 、 組頭 は 所 婦 で あっ た 。
五 二 公事 訴訟
訴訟 手 縫上 より 見る と 民事 と 刑事 と の 間 に 明瞭 な 分界 線 は 無 かつた。 犯罪 の 無理 」 、 自首 あ
り し 場合 等 は 別 として 、 多く 被害 者共 他 の 係 者 の 告訴 を以て 開始 せ られ た 。 告訴 者 は 訴人
と 稱 せら れ 、 告訴 族 は 訴族 と 稱 せら れ た 。 若し 告訴 の 內容 が 殺人 ・ 変死 ・ 強盗 傷 人 ・ 盗犯 ・ 強
姦 ・ 姦通 ・ 追放者 御構 場所 立入 等 で あつ た 場合 に は 、 特に 返答 書 の 手續 を 省略 し て 直ちに 被告
人 を 捕縛 の 上 牢 に 収容 し 、 審理 を 開始 し た の で ある が 、 それ 以外 の 場合に は 論所その他 の

249
事 的 なる 事件 の 場合 と 同様 に 、 訴状 に 裏書 の 上 呼出 手 濃 を 行い 、 審理 が 始まる ので あつ 。 審
理 を 吟味 と 稱 する こと は 、 罪 に 闘 し てる地所 ・ 貸金 ・ 跡 式 ( 相續) に 關 し て も 通じ て 用 ひら 8
れ た が 、 特に 犯罪 に 關 し て 多く 用 ひられ 、 從 つて 刑事 々 件 を 吟味 る の とか 御 仕置 もの とか し
た。 之 に 對 し て 地所 等 を 守る 事件 を 出入 と 稱 し た 。 又 、 公事 とも 言 ふ 。 公事 なる 語 は 、 地所 等
を 箏 ふ 訴 の 訴答 容 理 が 開始 せ られ て から を 特に 指す こと が 展 え あつ た 。 殊に 評定 所 に 於ける 用
例 は さうな つ て ゐる。 そして それ 以前 を 訴訟 と 稱 し て 之 と 對立 せしめ られ た 。 從 って 願 訴訟 と ・
稱 せられる こと も ある。 この 様 な 狭義 に 用い られる 外 、 訴訟 の 語 は 底 に 用い られる ことがあ
っ た 。 その 場合 に は 民事 々 件 ・ 刑事 々 件 は 勿論 の こと 役人 不 當置を 訴 へる 類 の 訴願 ・ 行政 訴
訟 の 如き もの 迄 $ 指し て ゐる。 唯 公事 訴訟 吟味 物 と 遭稱せら れ た 時 に は 狭義 に 用 ひら れ て ゐる
ので あつ た 。 斯く 用語 例 が 錯雑 し 、 之 を以て は 叙述 の 簡潔 を 期し 難い ので 、 以下 便宜上 今日 の
用語 例 に 従 つて 述べる こと 」 する 。
事件 は 江戶 に 於 て は 町奉行 で ある が 、 他 の 場所 に 於 て は その 地 の 代官 又は 領主 地頭 に 先づ訴
出 づべ き で あつ た 。 凡て 被告 の 住所 地 ( 跡 式 の 場合 は 被 相殺 人 の 住所 地 ) が 管轄 の 標準 と な
る 。 原告 被告 が 領主 を 異にする 場合 に は 、 原告 の 領主 ( 代官 を 含む ) より の 添狀 を 有する か 又
は 通 藩 の あっ た 場合 に のみ 訴訟 は 受理 せ られ た 。 然ら さる 場合 に は 訴 は 却下 せ られ た 。 況して
原告 被告 共 に 他 傾 たる 場合 に は 全然 受理 せらる べき で は なかつ た 。 唯 領主 が 不 當 に 受理 せ ざる
こと 等 の 事由 明白 なる 場合 は 、 幕府 に 照合 の 上 受理 する こと を 得 た 。 受理 裁判所 は 自ら 審理 を
行ひ 判決 を 下す こと を 原則 と する が 、 困難 なる 事件 は或は 寺社 奉行 ・ 勘定 奉行 ・ 大坂 町奉行 に
或は 評定 所 に 移送 する こと が 出來 た 。 以下 評定 所 を 中心 として 訴進 行 の 狀況 を 略說 する 。
訴状 は 目安 と 名 稱 せら れ 、 訴訟 人 の 氏名 住所、 相手方の 氏名住所 ( 百姓 町人 なら ば 氏 の 必要
なら ざる こと 言 ふ 迄 も ない ) と 訴 の 內容 を 記し て 、 調印 の 上 上 包 に 包み 奉行 所 に 提出 する 。 奉
行 所 にて は 訴狀 が 要件 に 低 くる 所 なき や 否や を 稼 し 、 女子 が 原告 の 場合 に は 差 添人 の 名 印 ある
や 否や 等 に 及ぶ 。 訴狀 の 要件 欠缺 の 場合 に 追完 を 許す 場合 も ある が 、 全然 訴却 下 と なり ( 下げ
切 ) 、 改めて 出訴 せしめる こと も あっ た 。 訴訟 が 本 公事 又は 金 公事たる 限り、 三 奉行 に 對 し て
は 同一 人 にて 同時に 三 件 迄 提起 し 得 た が 、 代官 に は 本 公事 一 件 のみで あっ た 。 個人 間 の 訴訟 に
於 て は 訴状 に 名主 の 奥 印 を 受く べき もの で あつ た が 、 當時個人 間 の 訴訟 の 外 に 境界 争 ・ 入 會山
等 を 內容 と する 村 と 村 と の 争 相 當多 く 、 この 場合 に は 名主 組頭百姓 代 等 が 村 を 代表 し て 出訴
する の で ある から 、 特に 奥書 は 之 を 必要 と し ない 。 この 場合 に は 訴訟 費用 は 村高 割 支持 高 割 と

251
なつ た 。 以上 の 外 に その 訴訟 が 金 公事 の 性質 を 有する 場合 に は 、 出訴 に際し 低 糖 の 成立 を 明
すべき 證文 ・ 附込帳 を 添附 す べき で あつ た 。 語文 に は 宛名 と 日 附 と が 存在 す べき で 、

252
之 が 缺 け
て 居れ ば 證文 として は 取扱はず、 從 つて 訴 は 却下 せ られ た 。 以上 の 手 粒 を目安 紀 と 稱する。
目安 紀 の 結果 訴訟 が 受選 と 決定 さ れる と 、 被告 の 呼出 手 濃 に 移る 。 即ち 管 轄權 を 有する 奉行
が 初判、 他 の 奉行 が 之 に 減 け て 目安にて 判 を 行い、 別に 差紙 を 附し て 出頭 の 日時 ( 差 日 ) を 指
定 し て 被告 に 送藩 を 行 ふ 。 姿灣 に は 原告 が 當る こと が 原則 で あっ た が 、 被告 が 逃亡 の 倶 ある 場
合 に は 役所 より 使 を 派し、 訴状 を 示さ ず に 出頭 を 命じ た 。 遠隔 の 場合 に は 飛脚 貸 被告 人 堺 にて
途 遷さ れ た 。 差紙 の 受領 を 拒む 者 は 所堺 の 制裁 を 受け ね ば なら なかつ た 。 差紙 の 內容 は 訴訟 の
さしび
種類 によって 呉る わけ で ある が 、 例へば 金 公事 の 場合 に は
送 日 迄 に 示談 を べき こと を 命
じ 、 示談 整 は さる とき は 變方同道にて 誰 奉行 方 へ 出頭 す べし と 命 する ので あつ た 。 出頭する 場
合 に は 、 その 前日 迄 に 返答 響 二 通 を 提出 す べき で あっ た 。 従って 當事 者 に し て その 日 歸り の 不
能 なる 者 は 、 少く と 差 日 の 前日 迄 に 、 多く は 四 日 前 迄 に 江戶宿 ・ 百姓 宿 と 稱 する 訴訟 當事 者
専門 の 宿屋 に 到着 す べき もの と せら れ た 。 示談 にて 争 を 解決 せんと する 方法 は 、 金 公事 に 限ら
ず 凡て の 訴訟 に 闘 し 探ら れ た の で あり、 用水 ・ 悪水 ・ 新田 ・ 新堤 ・ 川除 等 に 關 する 訴 が 提起 さ
れる と 、 原告 ・ 代告 の 支配 者 たる 地頭 の 家 來又 は 代官 を 呼出し て 訴族 を 渡し 、 双方 の 役人 に 命
じ て 示談 成立 に 努力 せしめ、 若し 双方 の 役人 より 示談不可能 なる 旨 の 報告 ある とき 、 初めて 訴
訟 として 對決 す べき もの と せら れ た 。
評定 所 の 公訴 日 は 式日 ・ 立合 ・ 內寄 合 の 三種 に 分た れ 、 式日 は 毎月 四 口 ・ 十 二 日 ・ 二 十 二 日 、
立合 は 六 日 ・ 十 四 日 ・ 二 十 五 日 、 內寄 合 は 九 日 ・ 十 八 日 ・ 二 十 七 日 で あつた。 式日 に は 卵牛刻
( 午前 七 時 ) 全員評定 所 に 揃 定 で あり、 立合 日 は 五ツ 牛 時 ( 午前 九 時 ) で あつた。 內寄合 は
四 ツ 時 ( 午前 十 時 ) と なつ て い た 。 式日 に は 老中 ・ 大 目付 谷 一 人 も 出席 し 、 出席 者 全員 にて 誠
判 に 關 し 誓詞 を 作成す べき で あっ た 。 文久 二 年 閏 八月 に 至り 列席 の 活 中 一 人 を以て代表 せ しむ
ること なる 。 式日 と 立合 と は 評定 所 にて 行 はれ た が 、 內寄合 は 月 器 の 奉行 宅 にて 行 はれ た 。
公事 日 に 於 て は 民事 刑事 の 差別 なく 裁判 が 行 はれ た の で ある が 、 借金 銀 を以て 代表 せ られる 金
公事 が 他 の 作戚 に 比し 五 倍 十 倍 に 上り 、 他 と 同日 に 審理 する こと は 他 の 訴訟 管理 の 妨 に なる と
の 理由 に よつて 、 正德 六 年 特に 毎月 二 回 金 公事のみ を 扱 ふ 日 を 定め、 それ 以外 に 於 て は 之 を 扱
は さる こと と し た 。 後 に 一時 年 二 回 に 制限 せ られ た こと が ある が 、 間もなく 復着 し た 。
公事 日 に 出頭 し た 當事 者 は 、 最初 に 原告 次 に 被告 という 順序 で 訊問 せ られる 。 一方 の 陳述 を

253
充分 聞き 、 書留め た 上 で 、 他方 の 訊問 に か いる 。 双方 の 陳述 が 一 應書留め られる と それ を 双方
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に 置 聞かせ 追 完 の 機 會 を 與 へる。 追 完 終 つて 後 、 證據 調 を 行 ふ 。 金 公事なら ば 證文 ・ 附込帳、
論所 ( 境界 争等 ) ならば 繪 圖面 を 初 として 古 水 帳 ・ 古 證文 ・ 誕族 故に 地頭 より 發 せら れ た 公文
書類 が 主として 謎操 書類 として 用 ひられ 、 若し必要あら ば 檢使 を 遣 し 實地 被 證 ( 見分 ・ 地改

地押 ) を 行 は しめ た 。 犯罪審理 ( 吟味 物 ) の 場合 に は 證據 物 のみによって も 裁判 は 行 はれ 得 た
が 、 重罪たる 人 殺 ・ 火附 ・ 盗賊 ・ 關所 破 ・ 謀書 謀 判 に 就 て は 白光( 自白 ) ある こと を 断罪 の 要件
と し た ので、 白狀 し ない 者 に 對 し て は 拷問 を 行っ て 之 を 得る こと に 努め た 。 拷問 に は 牢合にて
行 ふ 牢 問 と、 拷問 藏 にて 行 拷問 と あり、 前者 は 犯人 を 柱 に 縛りつけ、 常 尻 と 稱する 棒 にて 兩
肩 を 敲く 方法 から 初めて 、 漸次 新 ( 又は 三角棒 ) を 並べ た 上 に 坐ら せ て 膝 上 に 石 を 載せる 方法
に 至る。 石 も 二 三 枚 より 十 枚 程 に 至る。 更に 海老 に かける。 それ にて も 白狀 し なけれ ば 拷問 裁
に 於 て 釣 し に かける。 斯く て 白 狀 すれ ば その 場 に は 白 狀書 に 爪印 を 押さ せる の で あっ た 。 以上
の 如き 書證 ・ 檢證 ・ 自白 が 證據 に 用 ひら れ た 外 に 、 民事 刑事 を 問 は 手 證人 の 證言 が
證撮 に 用ひ
られ た こと 言 ふ 迄 も ない 。 證人 は 證據 人 ・ 證據仁 と 稱 せら れ た。 殊に 民事 の 訴訟 に 於 て 證人 を
要する 訴 なる 場合 に は 、 援用 せんと する 當事 者 は 公事 日 に 自ら 共 者 を 同道 出頭 す べき で あり 、
若し 出頭 を 拒絶 すれ ば 、 その 旨 を 、 め 公事 定日 の 前日 迄 に 届 貴 づべ き
で あつ た 。 強制 引救 に 就
て は 未だ 確證 を 得 ない。
證據 調 は 一 回 にて 済まない こと が あり 、 その 時 に は 翌日 繊行 する 。 必要 に 應 じ 評定 所 一座 の
會合 に 代 へ て 、 或 奉行 が 受命 判事 と なつ て 單獨 で 證城 調 に 當る 。 多く 役宅 にて 行 ふ。 難 出入
( 困難 な 事件) の 場合 に は 非常に際して も 微行する こと が あつ た 。 そして 成る べく 速 に 結審 せ ん
と 圖つた。 若し 引合 之 者 ( 漣累者 ) 全部 を 揃 へ て 後 に 結 しよ う と すれ ば 、 日 數 が かいる 上 に
犯人 病死 の 惧 も ある という理由 で 、 突合 ( 對質 ) の 必要 が ない 場合 に は 裁判 を 分離 し て 結審 す
ること ~ 定め た 天明 八 年 八月 の 伺指 令 は 、 同一 の 線 に 沿 ふ 處置 で あっ た と 言 へる 。 結審 は 遅く
とも 六 ヶ月 以內 に す べき もの と せら れ た 。
結審 すれ ば 合議 の 上 で 判決 が 定まる 。 合議 は 多 數決 に よっ た 。 但し 斯く て 判決 案 が 定まる の
であ つて 、 更に 落中 の 決裁 を 得 て それ は 確定 する こと なる 。 判決 の 根據 と なる 法 條 ・ 先例 は
與 力 たる 例 繰 方 ( 先例調査 係 ) の 手 によって 調査 せ られ た 。 結審 後 に 至っ て 和解 が 成立 し た 場
合 に 於 て も 、 濟日 證文 を以て 頭 出 で れ ま和解 は 認可 せ られ た 。 蒸し 民事 々 件 に 就 て 裁判 を 行広
の は 、 和解 が 成立 し ない 場合 に 行 は れる 例外 的 な 處置 で あり、 和解 ・ 示談 こそ が 争 解決 の 根本

255
方針 で あつた から で ある 。 但し 和解 は 判決 と 同一 の 效力 を 有 せ ず、 不履行 あら ば 再び 出訴 すべ
.

256
きもの と せら れ た。
判決 は 通常 裁許 と 稱 せら れ 、 刑事 々 件 の 場合 特に 落着 と 稱 せられる こと も あっ た 。 判決 言渡
の 形式 は 、 刑事 の 場合 殊に 官憲による 執行 を 見る 場合 に は 、 一方 的 宣言のみで ある が 、 刑事 の
場合 でも過料 納付 義務 等 を 伴 場合 に は 、 判決 書 の 交付 と 引換 に 講 證文 の 提出 を 命ぜ られ 、
民事 の 場合 に は 論所 たる と 金銀 出入 たると を 問 はず 、 殆 ん ど 例外 なく 雨 證文 の 提出 を 命ぜ られ
て ある。 請證 文 の 寫 で 當事 者 の 手 に 残る もの を 上げ 證文 と 稱 する こと が ある 。 判決 に 對 し て 不
服 を 申 立て 承引 し ない 場合 に は 直ちに 入牢 又は 手鎖 の 置 を 行い 、 承引すれ ば 釋放 する が 、 な
ほ 承引 し 旅 けれ ば 中 追放 と なっ た 。 不履行 し たる 者 に 就き 亦 同じ。 刑事 の 判決 書 に 於 て 判決 の
主文 ( 刑 の 宣言) のみ は 黄 紙 に 書記 す べき もの と なつ て ゐ た 。 見易い 爲 で ある 。 民事 の 判決 貴
の 形式 は 原告 被告 の 住所 と 名 と を 記し た 後 に 、 變方申立 の 要旨 を 極めて 簡單 に 書き、 次に 原告
の 主張 の 詳細 を その 根據と共に 述べ 、 續 い て 被告 の 主張 と 根據 と を 書き 、 最後 に 判決 理由 と 判
決 と を 記し た 。 そして 山 ・ 境 面 等 の 論 所 出入 の 場合 に は 、 裁許 合間 に 對 し て 特に 老中全員
の 加 判 が 行 はれ た こと は 、 注目 せらる べき で ある。
以上 は 評定 所 に 於ける 訴訟 手漑 の 概略 で あり 、 従って 他 の 残 判 所 の もの は 、 之 と 多かれ 少 か
れ 異 って の た こと は 言う 迄 も ない 。 將軍 直 判 の 場合 、 老中 の 行京 裁判 、 若年寄 の 裁判 、 三 奉行
手 切 ( 單獨 ) の 裁判 、 京都 所司代 、 大坂町奉行 、 道中 奉行、 遠國 の 奉行、 各地 の 代官 所 の 裁
判 に 大名 ・ 旗 本領 內 に 於ける 裁判 等 に 照 し 述べ なけれ ば なら ぬ わけ で ある が 、 今 凡て 省略 に
從 ふと と ト する。
五 三 執行 手續
判決 が あれ ば 、 刑罰 は それぞれ の 係 役人 の 手 に よ つて 執行 が 行 は れ 、 本 公事 金 公事 なら ば 日
限 済 方 が 命ぜ られ た 。 即ち任意辨済 を 命ずる の で ある 。 その 猶豫 期限 は 金 公事 なら ば 金額 に 拘
はら ず 三 十 日 、 質 地 滞米 金 は 額 に 應 じ て 五 兩 ( 五 石 ) 迄 は 三 十 日 、 拾兩 ( 拾石 、 以下 同じ ) 迄
は 六 十 日 、 五拾 兩迄 は 百 日 、 百 兩迄 は 二 百 五 十 日 、 武百 兩迄 は 関月 とも拾ヶ月、 之 を 超 ゆる も
の は 閏月 とも 拾 三 ヶ月 と せら れ 、 家 質 の 場合 は 三 十 兩迄 四 十 日 、 五 十 兩迄 六 十 日 、 百 兩迄 八十
日 、 千 兩迄 は 百 五 十 日 、 之 を 超 ゆる もの は 閏月 とも 十 二 ヶ月 と せら れ て い た 。 金 公事 が 本 公事
に 比し 比較 的 に 猶 豫期 間 が 短い の は 、 決して 債権 者 保護の 政策 に 由來する の で なく、 債権 者 に
不利益 なる 切金 ( 賦堺 ) 制度 の 存在 に 基く の で ある 。 即ち 日限 ( 猶換 期限 ) に 於 て 多少 でも 辨

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料 が あれ ば 、 その 残額 は 拾兩なら ば 一 回 一 分 、 五拾 兩 なら ば 一 回 電兩 、 千雨 は 拾兩、 最萬兩
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は 八拾 兩見 當 の 切金 辨料 を 命ぜ られ た の で あり 、 幕末 文化 三 年 五月 に 至る と 更に 切 金額 を 減少
し、 百 兩迄 は 十 ヶ年、 千 兩迄 は 十 五 ヶ年、 三 千 兩迄 は 二 十 ヶ年 、 一萬兩迄 は 二 十 五 ヶ年、 そ
れ を 超 ゆる もの は 三 十 ヶ年 の 月賦 と する こと ~ 改め た 。 例へば 拾兩 は 銀 五 匁 、 五 十 兩 は 一 分 二
朱 、 千兩 は 五 兩 二 分 、 一萬兩 は 三十 三 兩 一 分 と せら れ た 。 日限 に 全然入金 なき とき は 直ちに 身
體限 ( 差押 競資 ) が 行 はれ た が 、 債務 者 が 武士 で あれ ば 全然入金 なく とも切金 が 許さ れ た 。
身 體限 は 債務者 ( 妻子 を 含む ) 以外 の 者 に 属し て おる こと が 明白 なる 財産 は 除外 し て 、 債務
・ ●
者 の 田畑 ・ 屋敷 ・ 家藏 ・ 家財 ・ 衣服 ・ 金銀 ・ 佛壇 ・ 位牌 に 至る 迄 取上げる 點 が 、 即ち 差押 ふベ
から さる 財産 を 認め ない 點 が 、 今日 と 大いに 趣 を 異にする 。 即ち 債務者 に 愛さ れる もの は 現に
着 て ゐる 時節 の 着衣 だけ で あっ た 。 官憲執行 で あり、 金主 ( 償權 者 ) は それ に 立會 ふのみであ
っ た。 身 體限 の 結果 債権 額 が 滿 さ れ なけれ ば 、 「 追 て 身上 取立 次第 可 相 掛旨 申 付 」 られ 、 後日
の 請求 が 許さ れ た ので あつ た 。 執行 費用 納付 の 要不要の 點 は 不明 で ある が 、 恐らく不要で あり
た と 考へ られる。 刑罰 として の 闕所 の 執行 は 、 妻 名 儀 の 財産 が 除 外せ られる 點 その他 二 三 の 點
に 於 て 身 體限 と 異 っ た が 、 既に 述べ た ので 再 說 を 避ける。 分散 に 就 て も 既 述 参照。
論所 ( 土地 の 境界 等 )、 跡 式 ( 相續 事件 ) 、 地立 ( 土地 明渡) 、 店 立 ( 家屋 明渡) 等 に 關 し
基く 誠意 ある
裁判 の 執行 は 、 當事 者 ( 地 講 人 ・ 店 講 人 を 含む ) 致 に 村役人 等 の 請證 文 に

て は、
處罰 を 加 へ 、
行 を 期待 し て 官憲執行 を 行はず、 若し履行 し ない とき に は 講 證文 の 文言に 從ひ
以 て 間接強制 を 行っ た ので あつ た 。
の 場合 は 格別 と し
切金 未納 等 にて 償權者 より同一 の 裁判所 へ 再 訴 する 場合 、 即ち 度掛り 訴訟
れ た。 又 不服にて 上
て 、 同一 の 事件 に 關 し 再訴する こと は 禁止 せ られ 、 強ひ て 行 へ ば 處罰せら
取 上 で あつた。 たぶ
訴 する こと 原則 として 禁止 せ られ 、 殊に 年月 を 經 て から 上訴 する と も 無
誤判 と 見 得る 湯合 に 限っ て 再審 が 行 はれ た 。 評定 所 その他 の 判 所 が 自ら 誤判 と 覺っ
明らか に
代 人 を 許さ ず と する 方
た とき は 出訴 なく とも 判決訂正 を 行 ひ 得 た 。 その他、 訴訟 は 本人 主義 で
針 で あつ た こと 等 種々 述べらる べき で ある が 、 今 凡て 省略 に 從 ふ。
紙數 の 都合 で 凡て 割
〔 附記 ] 論述 は 明治 以後國家 總動員法 の 施行 迄 及ぼす 豫定 で あっ た が 、 締切 及び
愛せざるを得ない こ とく なっ た 。 讀者 の 御覧 想 を 乞 ふ 次第 で ある 。
(昭和 十七 年 六月 七 日記 )

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昭和 十七 年 十一月 十 日 初版 印刷 日本 法制 史
昭和 十七 年 十一月 十五 日初版 發行 ( 三 000 部 ) 忘 图 定價 一 圓八十錢
さは 法兰


著者


書 全 學 律法 新

發行 者 竹 內 富 子
《 7 》

東京 市 神 田 區 西 神 田 二
文 協 承

印刷 者 堀 內 文 治郎
東京 市 神田 區 三崎 町 二 / 三
印 協會員 番號 東東 三 三 一 四
配給 元 日本 出版 配給 株式 會社
東京 市 神田 區 淡路町 二 十 九
11]
發行 所 望
東京 市 神 田 區 西 神 田 二十二
電話 九段 四 O 一 三 番
振替 東京 二 0 九六 番
出 文 協 會員 番號一 三 二 O 一 五
小 証 の 出版物 中南一 落丁 亂丁 その他不備 の 品 が ありまし た 場合 は 、 早速ぉ 取
換 へ 致し ます か 6 、 御 手数 な が 6 本社 宛 お送り 下さいます 榛 願 ひ 上げ ます 。
一。
B6 判 國 入 各 二八 0 頁 以上
新 法律學全書 ( 既 刊 及 以 續 刊 書目】 定價 一 册 一 圓 八十 隻 以上
刊 專


早稻田 大學 教授

信雄 雄

1 民 法學



早稻田 大學 教授


2 民



立命館 大學 教授
3

一 井


大阪商科大學教授
54




權 法學 博士


京都帝國大學 教授

利吉


親族 法 · 相 續 法 法學 博士


門 早稻田 大學 教授



6 商 法學 入門

夫彦


7 法學 博士


商法 總則 ‧ 商 行為 法*


福島 高等 商業 學校


8 會 社 法· 有限會社 法 *
w
18 17 16 15 14 13 12 11 10 9


破 强 人民 國 國 刑 刑 行 憲 手 海
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制 事 事

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法 手訴

件 · 執 訟訴 際 訴 政



手和 私

切 手法*
行 , 訟 訟
續議 續

法法 法 法 法 法 法 法 法 法 法 法 法
立命館 大學 教授

中央 大學講師 河邊
京都 帝國大學

法學

法學
早稻田 大學 教

立命館大 學 教授

慶應大學 教授
早稻田 大學 教授

早稻田 大學 教授
立命 館大學教授

早稻田 大學 教授 江家義

博學

救 教
士授 授 士授
竹田
大淵仁右衛門
小野木

大 、

小吉 中河 大竹 江中山 大島

村 崎

村 邊 田家 濱 谷

彌 又
二郎

宗 久 直 義 信 英
三次

常郎雄雄門 平男 次郎泉 郎


舉佐


的 國家 動員 法 法制 局 參事 官

21



要 法法法法法法
濟 統制 慶應大學 教授 举

敦前

授學


清清
如 厚 躺 北帝國大牌 後

敏信 信源
內村 濱田
大高
高 岡 高等 商業 學校

% 經 濟 團體 教

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早稻田 大學 教授 大


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竹 西
臺北 帝國 大學

% 土地 法 助教

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授校
26

康夫
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編 岛 高等 商業 學


7



早稻田 大學 教授 金

保險
勞保

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據 大學 教授 西 本 辰

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授學



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