You are on page 1of 9

Fadhila Arienda Humaira

2105225
Pengantar Pendidikan Bahasa Jepang

3. 学習者の文法、何から作られるのか。

では、学習者独自の文法は何から作られるのでしょうか。先ほどの「に」と「で」について
考えて見ましょう。まず、学習者が「上に」「前に」などの形を「かたまり」としてそのまま
覚えて使っていることが考えられます(迫田、2001)。このように一緒に使われることの
多い要素同士を、習得の初期の学習者が一続きの「かたまり」として語彙のように処理するこ
とは、多くの研究で指摘されています。

また、「インプット」(学習者が聞いたり読んだりする目標言語)の中での、使用のりも原
因になっている可能性があります。代表的な日本語の初級教科書(『みんなの日本語初級』
『初級日本語げんき』『Situational Function Japanese』)を調べてみたところ、「上」「前」
「中」などのの名詞と一緒に場所の「で」が使われた例文は非常に少ないことがわかりました 。
自分自身の授業を考えても、「~の上で」「~の前で」のような組み合わせはあまり使ってい
ないように感じます。また、母語話者同士の会話での使用でも、位置の名詞の後ろには「に」
が使われる頻度が高い傾向が見られたことが指摘されています(野中、2001)。とは言っ
ても、初級のになるまで、「~の中で」「~の前で」のようなインプットに全くれたことも聞
いたこともない、ということはないでしょうか。なぜ、位置の名詞のあとは「に」だけでなく
「で」も使われることに気が付かないということが起こるでしょうか。実は、インプットの中
に大きな偏りがあると、学習者はそれを 100%の傾向として結びつけて習得する傾向が ‘あるこ
とが指摘されているのです(Andersen, 1990 の  の偏りの原則)。

筆者自身も、この偏りの罠に落ちたことがあります。筆者は野球が好きで、メジャーリーガ
ーになったイチローやの試合もよくテレビで見ているのですが、バッターのりしてになったと
きにアメリカのアナウンサーがよく言う Swing and a miss.という表現を、筆者は「三振」の意味
だと思っていました。ところが実は Swing and a miss は「三振」ではなく「空振り」という意味
でした。それを人から教えてもらい、それ注意して聞いてみると、確かにまだ三振にならない
空振りのときも Swing and a miss と言っていることに気がつきました。ただ、三振以外の単なる
空振りのときは、Strike とか Strike two などと言うことも多く、Swing and a miss が使われる頻度
はやはり三振のときのほうがに多いです。そのために筆者も、この偏りだまされ、「三振」だ
と思ってしまったのでしょうか。このように、学習者は、ある形式がある状況で高頻度で使わ
れるような場合、その形式をその状況に完全に結びつけてしまう傾向があり、このような頻度
の偏りは中間言語形式に大きく影響すると考えられています。

なお、「Swing and a miss が三振の意味ではないとわかってからは、三振以外のところでも使


われていることに気がつくようになった」と書きましたが、このように、知識を得ることで今
まで気がつかなかったインプットに「気づく」ようになる、つまり聞こえてくるようになると
いうのは、非常に重要なポイントです。そのことは、あとで文法学習の効果のところでまた詳
しく述べます。

もう一つ、別の例を見てみましょう。これは当時同僚だった先生から聞いた話ですが、初中
級のクラスで「エアコンをつけたまま寝てしまった」のような「~たまま」を教えたときのこ
と、ある学習者が「このストラクチャーは、 extraordinary (「異常な」「驚くべき」のときに
使いますか」と質問してきたそうです。なぜこの学習者は、そんなふうに思ったのでしょうか 。
教師仲間で話し合いながら、そのクラスで使用している教科書をよく見てみると、そこで使わ
れている絵が、口をあけたまま寝ている絵とか、ネクタイをしたままお風呂に入っている 絵と
か、インパクトの強い絵が多いことに気がつきました。「確かに、この 絵を見たら
extraordinary なときに使うと思うかもしてないね」と教師仲間で話し合いました。この教科書
を書いた人は、インパクトのある例を使って覚えやすいようにと教えたのでしょうが、それが
にでてしまったわけです。

このように、学習者は、教師からわったことを受動的にそのとおりに覚えていくわけではな
く、教師が使った例文から感じられる意味や、教科書に使われている絵や、何度も出てきた語
彙など、様々なものをにして、意味や使い方を探りながら、に言葉を学ぶのです。学習者が作
り出す中間言語は、その時その時の学習者の努力の集大成とも言えます。最近では、人間には
触れたインプットからパターンを抽出できる能力があり、その能力があるために人間は言葉を
習得できるということも言われています( N.Ellis (2002), Tomasello (2003)。その意味では、私達
教師が、授業の練習の中で使う例文に無意識にうっかり偏りを作ってしまったすると、学習者
は敏感にそこから中間言語を作ってしまう可能性があります。学習者がそう思ったということ
は、そう思わせる何かがあったはずだと考えて、何がそう思わせたのだろうかとしてみること
が必要です。それによって、自分が教えるときに使った例文が少し偏っていたとか(よくない
ことを表す例文が多かった、びっくり話ばかりで固めたなど)、授業で使った絵のインパクト
が強すぎたとか、そのようなことがわかるかかもしれません。学習者は何もないところから
「勝手に」自分の文法を作り出すわけではないということを知っておくことは、とても大切で
す。

4.中間言語の発達

さて、少し前に、「中間言語は修正されながら徐々に目標言語体系に近づいていく」と書き
ました。この「目標言語体系に近づいていく」ことが、一般的に言う「上手になる」というこ
とで、第二言語習得の分野ではよく「中間言語の発達」という言葉を使います。では、中間言
語はどのように発達していくのでしょうか。

● 学習者の言語発達は一直線に進むわけではない

中間言語が順調に目標言語関係に一歩一歩近づいてうけばいいのですが、そう簡単にいかな
いことは、読者の方も、学習者として、あるいは教師として 経験しているのではないかと思い
ます。中間言語は常に直線的に発達が進むわけではなく、例えば、ある文法項目を昨日までは
正しく使えていたのに、急に使えなくなったり、急に誤りが多くなったりして後戻りしてしま
うことが起こると言われています。
中間言語の発達では、このように初めは正しく使えていた状態から時間に誤りが増え、その
後また誤りが減っていくという U 字型の曲線を描く現象があることが知られています
(Kellerman, 1985)。このような「U 字型発達」は、もともと母語習得の分野で報告されていた
ものです。第 1 章でも書きましたが、英語を母語とする子供が動詞の過去形を習得するときに、
初めは went や came のような不規則動詞を正しく使うのですが、その後、不規則動詞にも -ed
をつけて goed や comed のような誤った形も使うようになる、そして再び、went や came という
正しく形だけを使うようになることはが指摘されています。それは、初めは went や came を語
彙としてそのまま覚えて使うため正しく使えるのですが、その後、規則動詞の過去形には-ed を
つけることを知り、一時的に不規則動詞にも-ed をつけてしまうからだと言われています。この
ように、新しい規則が入ってきたり、新しいことに気づいたりするこのによって、それまで正
しく使っていたものが一時的に正しく使えなくなる現象が、第二言語習得のプロセスでも見ら
れます。

日本語学習者の場合も、たとえば、「昨日は雨でした」「ひまでした」のように、名詞やナ
形容詞の丁寧体の過去形を使えていた学習者が、その後「雨だった」「ひまだった」のような
普通体を学習すると、イ形容詞の「おいしかったです」「おいしくなかったです」のような普
通体に「です」をつけて作る過去形とざって、「昨日は雨だったです」「ひまだったです」 1
のようになってしまうことがよく見られます。また、「~があります」という存在文を学習す
ると、学習したその日には「本はありません」「本がありません」などと言えていた学習者が 、
その後、初級の初めから使っていた「~じゃありません」とざって、「本がない」ことを言う
ために「本じゃありません」と言うようになってしまったりします。

学習者は新しいことを学ぶと、それまで持っていた中間言語体系の中にそれを組み込んでい
かなければならないため、新しいことが組み込まれるたびに、自分の言語体系の中にすでにあ
って使えていたものと合わせて、中間言語体系に「再構築」されています。その再構築の段階
で、今までの体系に混乱が起きて、今まで使えていたものが使えなくなるような後 戻りに見え
る現象が起こることが指摘されています。このように、発達のための一つの段階として「でき
なくなる」段階があるのは、習得の過程で普通に起こることです。第二言語習得は、今まで作
ってきた言語体系にそのまま新しい規則がどんどん足されていくように、し算的に積み上げら
れて進んでいくわけではないのです。

外国語を教えていると、教えたら使えるようになると教師は思ってしまいがちなので、昨日
教えたことが今日教えないと、「教えたはずなのに...」とか「昨日教えたばかりなのに、
すっかり忘れている」というようにがっかりしてしまいます。しかし、教えたことがすぐに使
えるようになるものでもなく、‘できていたことができなくなるのも普通のことで、言語習得は
時間をかけて行きつ戻りつしながら進んでいく時間のかかるプロセスです。そのような目で学
習者の習得過程を捉えていくとは非常に大切なことです。

● 発達は止まってしまう?

ただし、学習者の中間言語体系が、途中で後戻りしたり時間がかかったりしながらも、最終的
には目標言語体系に向かって順調に発達していくのならいいのですが、残念ながら中間言語体
系は母語話者の持つ目標言語体系と全く同じ体系になることはいと言われています。また、そ
こまで行かない場合でも、あるところまでで中間言語体系の発達が止まってしまい、それ以外
前に進まないという現象も起こります。そのような状態は「化石化」と呼ばれ、それ以上どん
なにインプットがあっても、考えられても、効果がないと言われています。「化石化」という
用語は、もともとはある段階で中間言語が固定してします現象を指す用語なのですが、ある特
定の項目の習得がそれ以上進まず誤解のまま残ってしまう場合を指して使われることも多く、
特に教育現場では、定着してしまって簡単には直りそうもない誤りを指して使われることが多
いようです。ただ、止まっているように見えても、「どんなにインプットがあっても、フィー
ドバックがあっても、絶対にそれ以上前に進まない」証拠はないということなら、最近では
「定着化(stabilization)」と呼ぶべきであるという主張もされています(Long,2003)。私達教
師も、安易に「化石化しているから直らない」と決めつけてしまうことは避けた方がいいでし
ょう。

では、学習者の一時的な後戻りの段階や定着化を前にした教師には、何ができるのでしょうか 。
実は、何が引き金になって中間言語の再構築が起きるかということや、どのように学習者が一
つ上の段階に進むのかよいうことに関しては、様々な議論があります。インプットが増えたり 、
学習を続け言語能力全体が上がることで、ある程度自然に前に進んでいくのかもしれませんが 、
学習者自身が「通じればいい」という気持ちではなく、「より正しく話したい」。「より効果
的に伝わる言い方をしたい」といったニーズを持つことが、習得を保進するとも言われていま
す(R.Ellis,1999)。また、最近期待されているのは、学習者の注意を言語形式に向けさせること、
特に誤りへのフィードバックによる習得保進の効果です。これらに関しては、第7章で詳しく
述べたいと思います。

この章のまとめ

1. 第二言語を習得する程度で学習者は「新しい言語体系」を作っていく。この言語体系は
「中間言語」と呼ばれる。中間言語体系は常に修正されながら徐々に目標言語体系に近
づいていく。
2. 中間言語の発達の過程では、新しく学ばれたことが入ってくると、それまでの中間言語
体系の中にすでにあったものと合わせて、中間言語体系が「再構築」されていく。
3. 中間言語は常に直線的に発達していくとは限らず、U 字型曲線を描く現象が見られたり、
定着化して先に進まないこともある。中間言語の発達は時間のかかるプロセスである。
3. Dari Apa Tata Bahasa Khas Pembelajar itu dibuat?
Jadi, dari apa tata bahasa khas pembelajar itu dibuat? Mari kita coba pikirkan partikel "ni" dan "de"
seperti yang disebutkan sebelumnya. Pertama-tama, diperkirakan bahwa pembelajar mengingat dan
menggunakan begitu saja bentuk-bentuk seperti "Ue ni" dan "Mae ni" sebagai "rumpun" (Sakoda, 2001).
Telah ditunjukkan dalam banyak penelitian bahwa pembelajar pada tahap awal proses pemerolehan,
memperlakukan unsur-unsur yang sering digunakan bersama-sama sebagai "rumpun" seperti dalam
kosakata.
Kemungkinan penyebab lainnya adalah frekuensi penggunaan yang tidak merata dalam “input”
(bahasa sasaran yang didengar atau dibaca pembelajar). Setelah memeriksa beberapa contoh buku
pelajaran Bahasa Jepang untuk pemula (Minna no Nihongo Shokyuu, Shokyuu Nihongo Genki, dan
Situational Function Japanese) , ternyata sangat sedikit contoh kalimat yang menggunakan ‘de’
bersamaan dengan kata benda posisional seperti Ue, Mae, Naka. Saat memikirkan pembelajaran diri
sendiri, dirasa bahwa kombinasi seperti ‘ ~ no uede’ dan ‘ ~ no mae de’ tidak sering menggunakan.
Kemudian, telah ditunjukkan bahwa dalam percakapan antar penutur asli pun, ada kecenderungan lebih
sering menggunakan ‘ni’ setelah kata benda posisi (Nonaka, 2001). Karena itu, Anda mungkin belum
pernah menyebutkan atau mendengar input seperti ’ ~ no nakade’ dan ‘ ~ no maede’ sama sekali
hingga akhir tingkat pemula. Mengapa kita tidak menyadari bahwa bukan hanya "ni" tetapi "de" juga
digunakan setelah kata benda posisional? Faktanya telah menunjukkan bahwa ketika ada bias besar
dalam input, pembelajar 100% cenderung mengasosiasikan dan memerolehnya (Andersen, 1990, Prinsip
Bias Distribusi).
Penulis sendiri pun telah jatuh ke dalam perangkap bias ini. Saya (penulis) suka bisbol dan sering
menonton pertandingan Ichiro dan Hideki Matsui yang telah menjadi pemain liga utama di TV. Ketika
pemukul menyerang, penyiar Amerika sering mengatakan “Swing and a miss”, yang saya pikir memiliki
arti “Strike Out”. Ternyata arti Swing and a miss itu bukan Strike Out, melainkan Striking out. Saat saya
diberitahu mengenai hal ini dari orang lain, dan mendengarkan dengan seksama, saya menyadari bahwa
memang mengatakan Swing and a miss pada waktu Strike Out belum menjadi Striking Out. ketika itu
hanya Striking out bias a selain strikeout, ini sering disebut Strike atau Strike two, dan frekuensi
penggunaan Swing dan miss jauh lebih tinggi saat menyerang. Apakah ini penyebab penulis juga tertipu
oleh bias ini dan mengira artinya " Strike Out "? Jadi, jika suatu bentuk digunakan dengan frekuensi
tinggi dalam situasi tertentu, pembelajar cenderung mengaitkannya dengan situasi itu sepenuhnya, dan
bias frekuensi ini dianggap memiliki pengaruh yang signifikan pada bentuk bahasa antara.
Seperti yang saya bahas mengenai, "swing and a miss tidak berarti strike out, dan mulai menyadari
bahwa dapat digunakan selain dalam Strike Out”. Ini adalah poin yang sangat penting dan akan dibahas
lebih detail nanti di bagian bagian tentang efek pembelajaran tata bahasa.
Mari coba lihat contoh yang lain. Hal ini diceritakan kepada saya oleh seorang guru yang merupakan
rekan kerja saya saat itu, ketika beliau sedang mengajar kelas pra-menengah tentang " ~ ta mama",
seperti Eakon o tsuketa mama nete shimatta (Saya tertidur dengan AC menyala), seorang siswa
bertanya, "Apakah menggunakan struktur ini dalam situasi abnormal?”. Mengapa pembelajar tersebut,
berpikir demikian? Saat berdiskusi dengan sesama guru, jika dicermati buku pelajaran yang digunakan di
kelas itu, ada gambar tidur dengan mulut terbuka dan gambar mandi menggunakan dasi. Saya
menyadari gambar memiliki pengaruh yang kuat. “Memang benar, ketika melihat gambar tersebut,
mungkin mengira itu digunakan dalam situasi yang abnormal” kata saya kepada rekan-rekan guru.
Penulis buku teks ini pasti telah berusaha membuatnya mudah diingat dengan menggunakan contoh-
contoh yang berdampak, tetapi hal ini pun menimbulkan dampak sebaliknya.
Dengan ini, pembelajar tidak hanya secara pasif menghafal apa yang diajarkan oleh guru saja, tetapi
secara aktif belajar bahasa dengan menggali makna seperti makna yang mereka rasakan dari contoh-
contoh yang digunakan oleh guru, gambar-gambar yang digunakan dalam buku teks, dan kosakata yang
telah disebutkan berkali-kali. Bahasa antara yang diciptakan oleh pembelajar dapat dikatakan sebagai
puncak dari usaha pembelajar dalam mempelajari bahasa pada saat itu. Baru-baru ini, dikatakan bahwa
manusia memiliki kemampuan untuk menyusun pola dari input yang mereka temui , dan manusia dapat
memperoleh bahasa karena kemampuan itu, N.Ellis (2002), Tomasello (2003). Artinya, jika kita sebagai
guru secara tidak sadar dan tidak sengaja membuat bias dalam contoh kalimat yang kita gunakan di
kelas, siswa dapat dengan sensitif membuat bahasa antara dari hal itu. Jika siswa berpikir demikian,
pasti ada sebab mereka berpikir demikian, dan kita harus mencoba mencari tahu apa yang membuat
mereka berpikir demikian.
4. Perkembangan Bahasa antara
Sebelumnya, saya menulis bahwa "bahasa antara secara bertahap mendekati sistem bahasa sasaran
karena dimodifikasi” Dalam bidang pemerolehan bahasa kedua, kita sering menggunakan istilah
"perkembangan bahasa antara" untuk merujuk pada fakta bahwa "semakin dekat dengan bahasa
sasaran" biasanya disebut “semakin pandai”. Jadi bagaimana bahasa antara dapat berkembang?

● Perkembangan bahasa pembelajar tidak berjalan linier.


Alangkah baiknya jika bahasa antara dapat bergerak selangkah demi selangkah menuju bahasa
sasaran, tetapi saya yakin pembaca pernah mengalami hal ini sebagai pembelajar atau guru. Dikatakan
bahwa perkembangan bahasa antara tidak selalu berjalan secara linier. Misalnya, dikatakan bahwa tata
bahasa digunakan dengan benar sampai kemarin, tetapi tiba-tiba tidak dapat digunakan, atau tiba-tiba
banyak kesalahan dan kembali lagi. Hal tersebut dikatakan banyak terjadi. Dalam perkembangan bahasa
antara, diketahui adanya kurva berbentuk U di mana kesalahan bertambah dari waktu ke waktu dari
penggunaan yang awalnya benar dan kemudian berkurang lagi (Kellerman, 1985). "Perkembangan kurva
U" seperti itu pada awalnya ada pada bidang penguasaan bahasa ibu. Seperti yang tertulis di Bab 1,
ketika seorang anak berbahasa Inggris mempelajari bentuk lampau dari sebuah kata kerja, dia awalnya
menggunakan kata kerja tidak beraturan seperti went dan came dengan benar, tetapi kemudian
menggunakan bentuk yang salah seperti goed atau comed dengan akhiran -ed, dan sekali lagi akan
menggunakan bentuk yang benar seperti went dan came. Jadi, proses pemerolehan bahasa kedua juga
dapat dilihat sebagai hilangnya sementara penggunaan yang benar karena pengenalan aturan dan hal-
hal baru.
Dalam konteks pembelajaran Bahasa Jepang, contohnya Kinou wa ame deshita, hima deshita, seorang
siswa mampu menggunakan bentuk sopan (teineikei) lampau dari kata benda dan kata sifat-na, setelah
itu, ketika belajar bentuk biasa (futsuukei) sepertti ame datta, hima datta, sering didapati kata sifat-I
seperti dalam bentuk biasa (oishikattadesu, oishikunakattadesu) yang menambahkan desu dan
tercampur dengan bentuk lampau, sehingga menjadi (amedattadesu, himadattadesu). Selain itu, ketika
mempelajari kalimat eksistensial " ~ ga arimasu" (ada buku), pembelajar yang sudah mampu
mengatakan "Hon wa arimasen” “Hon ga arimasen” pada hari mereka mempelajari kalimat tersebut
nantinya dapat mencampuradukkannya dengan "~ja arimasen" (bukan ~ ) yang telah mereka gunakan
sejak awal kelas pemula, dan jadi mengatakan "Hon ja arimasen" untuk mengatakan "Hon ga arimasen”.
Ketika pembelajar mempelajari sesuatu yang baru, mereka harus memasukkannya ke dalam sistem
bahasa antara yang ada, dan setiap kali sesuatu yang baru dimasukkan "ter-rekonstruksi" ke dalam
sistem bahasa antara bersama dengan bahasa yang sudah ada. Tahap rekonstruksi ini menyebabkan
kebingungan pada sistem yang ada dan diiidentifikasi sebagai suatu fenomena dimana pembelajaran
seolah-olah mundur karena yang sampai sekarang digunakan tidak bisa digunakan lagi. Maka, hal ini
merupakan hal yang normal terjadi dalam proses pemerolehan, dimana fase “ketidakmampuan”
merupakan salah satu fase untuk berkembang. Pemerolehan bahasa kedua tidak berlangsung secara
aditif, seolah-olah ditambahkan aturan baru pada sistem bahasa yang telah dibuat selama ini.
Ketika mengajar bahasa asing, guru cenderung berpikir bahwa jika mereka mengajarkannya sesuatu
kepada siswa, mereka akan dapat menggunakannya. Jika tidak mengulang pelajaran yang dipelajari
kemarin, guru akan kecewa dan berkata, "Saya pikir saya sudah mengajari itu kemarin, tapi ... "atau"
Saya sudah mengajari itu kemarin, tetapi lupa semuanya”. Namun, apa yang sudah diajarkan tidak selalu
langsung dapat digunakan, dan kehilangan kemampuan dalam melakukan hal-hal yang biasa dilakukan
adalah hal yang normal, sehingga pemerolehan bahasa adalah proses yang memakan waktu yang
bergerak bolak-balik dari waktu ke waktu, sangat penting untuk melihat proses pemerolehan siswa dari
perspektif ini.
● Apakah proses perkembangan tersebut berhenti?
Baiknya sistem bahasa antara pembelajar pada akhirnya berkembang dengan lancar menuju sistem
bahasa sasaran, meskipun mungkin memerlukan beberapa waktu dan mundur di tengah jalan. Tetapi
sayangnya dikatakan bahwa sistem bahasa antara tidak akan pernah persis sama dengan sistem bahasa
sasaran penutur asli. Bahkan jika belum melangkah jauh mendekati bahasa sasaran pun, ada fenomena
dimana perkembangan sistem bahasa antara berhenti pada titik tertentu dan tidak dapat bergerak maju
lagi dengan cara apapun, keadaan seperti itu disebut "Fosilisasi". Yaitu berapapun jumah input yang
berikan dan bagaimanapun metode yang digunakan tetap tidak memiliki hasil apa pun. Istilah "Fosilisasi"
awalnya mengacu pada fenomena bahasa antara yang menjadi stagnan pada tahap tertentu, tetapi
sering digunakan untuk merujuk pada kasus dimana perolehan sesuatu tidak berkembang lebih jauh dan
tetap menimbulkan kesalahpahaman, di bidang pendidikan, sering digunakan untuk menyebutkan
kesalahan yang telah mengakar dan tidak mudah untuk diperbaiki. Namun, baru-baru ini diklaim bahwa
jika tidak ada bukti " berapapun jumah input yang berikan dan bagaimanapun metode yang digunakan
tetap tidak memiliki hasil apa pun”, maka lebih relevan disebut "Stabilisasi” ( Long,2003 ) . Kita pun
para guru, harus menghindari asumsi "karena sudah mengfosilisasi maka tidak dapat diperbaiki".
Jadi apa yang dapat dilakukan seorang guru dalam menghadapi fase mundur sementara atau fase
stabilisasi pada siswa? Sebenarnya, banyak perdebatan mengenai apa yang memicu restrukturisasi
bahasa antara dan bagaimana pelajar maju ke tingkat berikutnya. Mungkin siswa terus belajar secara
alami sampai batas tertentu dengan meningkatkan masukan juga meningkatkan kemampuan bahasa
secara keseluruhan, sampai pelajar itu sendiri berpikir untuk “ingin berbicara lebih benar” bukan hanya
“untuk berkomunikasi”. Memiliki keinginan untuk "melakukan sesuatu dengan cara penyampaian yang
lebih efektif" membantu mempertahankan penguasaan (R. Ellis, 1999). Kemudian, diharapkan akhir-
akhir ini adalah hasil retensi pembelajaran dengan mengarahkan perhatian pembelajar pada struktur
bahasa, terutama dengan umpan balik kesalahan.
Kesimpulan :
1. Sejauh pembelajar memperoleh bahasa kedua, mereka menciptakan "sistem bahasa baru. Sistem
bahasa ini disebut" bahasa antara. Sistem bahasa antara terus-menerus dimodifikasi dan secara
bertahap menjadi lebih dekat dengan sistem bahasa sasaran.
2. Dalam proses perkembangan bahasa antara, ketika hal-hal baru dipelajari, sistem bahasa antara
"direkonstruksi" dengan menggabungkannya dengan hal-hal yang sudah ada dalam sistem bahasa
antara sebelumnya.
3. Bahasa antara tidak selalu berkembang secara linier, mungkin menunjukkan kurva berbentuk U, atau
mungkin tidak bergerak maju. Perkembangan bahasa antara adalah proses yang membutuhkan
waktu.

You might also like