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有名な現代短歌と俳句

超有名な現代短歌

はじめに

てんのう ちょくれい へんさん


天皇が勅 令 を出し、日本で最も優れた学者が編纂する。権力と結びついたハ
イ・カルチャーとしての和歌は、永い年月を経て、口語による創作がなされ、
たいしゅう
サブ/ポップ・カルチャーとしての現代短歌となった。大 衆 的な人気と知名
かくとく いんりつ
度を獲得しても、日本語の音がもっとも生きる“57577”の韻律はきちんと維持

されたままだ。このコラムでは、1980 年代以降に発表された、選りすぐりの
名作短歌を紹介する。

[1]
サバンナの

象のうんこよ

聞いてくれ

だるいせつない

こわいさみしい

ほむらひろし
穂村弘(『シンジケート』1990 年)
かんしょう
〜鑑 賞〜
身近にあるものから限りなく遠く、それでいて感情を持たない「うんこ」と
いう「物」に自らの心情を投げかけたいと欲している。
だるい、せつない、こわい、さみしいという心情の順番は、生きていく上で
さまざまな場面において直面する順番そのままだと感じられる。

[2]
冬の駅ひとりに

おく
なれば耳の奥に

がらす こま
硝子の駒を

置く場所がある

おおもりしずか
大森静佳(『てのひらを燃やす』2013 年)

〜鑑賞〜

しず
「ひとり」であることの静けさと、冬の冷たさが肌で感じられるような印象
すがたかたち
的な表現だと感じられる。「硝子の駒」という言葉でどのような 姿 形 を思い

浮かべるかは鑑賞者の想像力にゆだねられている。
[3]
煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか
ちくさそういち さきゅうりつ
千種創一 (『砂丘律』2015 年)

〜鑑賞〜

「まだ」という表現から、かつて「先輩」にはカロリーメイトを食って生き
ていた過去があって、そこからある程度の年月を隔てているということが解
し ぼ じくう ついおく
る。詠み手の「先輩」への思慕が感じられ、時空を越えた“かつて”への追憶
が生まれる。

[4]
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

たわらまち
俵万智(『サラダ記念日』1987 年)

〜鑑賞〜
人が人を想い、行動すること。人が人を想い、感謝すること。
「記念日」という言葉は、他人同士がこころを通わせあわないと出てくるこ
とはない。「君」を想うことができるかけがえのない幸福を改めて思い知ら
せれる。

[5]
といじゅうに びぶん
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい
かわきたそらはな どうじょう
川北天華(「高校生文芸 道 場 、おかやま 2009 作品集」)

〜鑑賞〜
数学の問題集の形式をパロディ化した方法的な工夫がまず目につくが、それ
じょじょう
によって奇跡のような抒 情 が成立している。
びぶん ふ ん い き
「微分」という述語の知識を筆者は持たないが、その響きと雰囲気だけで、
よじょう
余情ある詩になっていると思う。
ちなみに「微分」とは、簡単に言うと次元を一つ減らすことであり、ある時
間と時間で為された変化量の平均の変化率のことであるらしい。さらに言え
えいぞく
ば、その一瞬の値を永続してとるために取る方法、“一瞬を探す方法”といえ
るらしい(参考サイト参照)。
かい
「無視してもよい」というのは、数学や物理等の計算問題において、解を求
ていこう
めやすくするために現実に起こるものに用いられる(空気抵抗や重力など)が、
ここでは「街の明り」という、人間の作り出した物体に用いられている。対
して「夜空の青」は、自然に存在するものだ。
ありのままの自然、美しくより原始的な自然の方向へ回帰を示していくその
過程において、問い形式が用いられる。ここには問いかける者と問いかけら
れる者、つまり“他者”の存在が感じられる。

※参考サイト

[6]
切れやすい糸で結んでおきましょういつかくるさようならのために

ささいひろゆき
笹井宏之(『えーえんとくちから』2010 年)

〜鑑賞〜
つな
「さようなら」を必然と捉え、それを受け入れ、それでもなお繋がりを求め
そんげん
ようとする人間のありのままの姿は、尊厳すら感じられる。
別れには、その場限りの別れと、永遠の別れがあると思うが、そのどちらも
が必然であることは、みんながちゃんと知っていることなのだ。

超有名な俳句

[はじめに]
みんな知ってるように、俳句は 17 文字でできた詩です。非常に短いわけです
が、優れた作品は奥行きがあり、読み手によって様々な解釈が可能になりま
す。
ここではそんな超有名な俳句の名作を、11 句選んでみました。俳句が成立し
た江戸時代のものから現代俳句まで時代別に並べていますので、時代ごとの
雰囲気や作風の変遷みたいなものも示せればいいなと思います。
ただしこれは入門編であり、有名な句、優れた句は他にもたくさん存在しま
す。興味を持ったり考えたりする何かのきっかけになればいいなという思い
でまとめましたので、気軽に読んでいただけたら幸いです。
[1]
こいけ かえると
古池や蛙飛びこむ水の音
まつおばしょう
作者 松尾芭蕉
き ご かえる しゅん
季語 蛙(春)
成立 1686 年

〜鑑賞〜
よど しんかん
淀んだ水の古池は森閑と静まり返っている。が、一瞬ポチャっと蛙が飛び込
せいじゃく
む音がする。後には再び静 寂 。
じょうしゅ
和歌では蛙はその鳴き声の情 趣 を詠むものであった。しかしここで着目され
みょうみ ひてき
るのは蛙の動きである。単純な情景に妙味を見いだした記念碑的な発句だ。

[2]

菜の花や月は東に日は西に
よ さ ぶ そ ん
作者 与謝蕪村
き ご な はな しゅん
季語 菜の花( 春 )
成立 1774 年
〜鑑賞〜
一面の菜の花畑。太陽が西に沈んでいく一方で、東の空からは月がのぼって
きた。春の夕暮れの風景を壮大に描いている。
[3]
雪とけて村いっぱいの子どもかな
こばやしいっさ
作者 小林一茶
季語 雪とけて(春)
成立 1814 年
〜鑑賞〜
さんかんぶ ひとくろう
江戸時代の山間部では厳しい冬を越すのに一苦労であったことが想像される。
村いっぱいの子どもたちはきっと元気いっぱいはしゃぎまわっているのだろ
ほが よろこ わ
う。朗らかな 喜 びが湧いてくる。

[4]
かき かね ほうりゅうじ
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
まさおかし き
作者 正岡子規
季語 柿(秋)
成立 1895 年
〜鑑賞〜
茶店で甘い柿を食べていると、寺の鐘の音が聞こえてきた。秋の穏やかな情

景が心に優しく沁み渡る。
にっしん じゅうぐん かっけつ りょうよう よ ぎ
記者として日清戦争に 従 軍 していた作者は喀血し、 療 養 を余儀なくされる。
ききょう
その際松山で夏目漱石の世話になる。奈良旅行は病状がよくなり帰京する際
に立ち寄ったのである。よってこの句は、友人漱石へのお礼の句でもあると
されている。
[5]
とおやま
遠山に日の当たりたる枯野かな
たかはまきょし
作者 高浜虚子
季語 枯野(冬)
成立 1900 年
〜鑑賞〜
かれの せきばく とも
寒々とした枯野の山に、太陽が当たっている。寂寞のなかにかすかに灯る光。
いっぺんとう
暗い気持ち一辺倒ではない、自然の情景。

[6]
りゅうひょう そうや もんなみあ
流 氷 や宗谷の門波荒れやまず
やまぐちせいし
作者 山口誓子
季語 流氷(春)
成立 1926 年
〜鑑賞〜
げんかん こお と
北海道のような厳寒の北国では、冬に海水が凍る。流氷は、凍った海水が溶
うた もんなみ
けて流れる情景であり、春の訪れを詠っている。門波の語感の鮮やかさが
す ば
素晴らしいと思う。

[7]
どうしようもないわたしが歩いている
さくしゃ たねださんとうか
作者 種田山頭火
季語 なし
成立 1929 年
〜鑑賞〜
ぜんえいてきこころ そっちょく
無季語・無定型による前衛的試 みは、鑑賞者に率 直 な自己表現という印象
を与える。

[8]
まんみどり わ こ はつ
万 緑 の中や吾子の歯生え初むる
なかむらくさたお
作者 中村草田男
季語 万緑(夏)
成立 1939 年
〜鑑賞〜
だいたん せんれつ はっき
大胆な中間切れ(七音の途中で句切れ)の手法が鮮烈な効果を発揮している
ぎこうてき ばんりょく
技巧的な名句。作者が用い夏の季語として定着した「万 緑 」という言葉に見
ま ただなか わ こ
られる見渡す限りの草原 or 野原 or 草木。その真っ只中において、吾が子の
じゅんぱく にゅうし は しきさいび
生え始めた純 白 の乳歯の鮮やかさ。緑の中で白が映える印象的な色彩美を有
している。
あか ぼう さんび かがや
赤ん坊の見せた笑顔は生命への賛美、この世界への大いなる希望であり、 輝
きであるはずだ。

[9]
あんこう ほね
鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
かとうしゅうそん
作者 加藤楸邨
季語 鮟鱇(冬)
成立 1949 年
〜鑑賞〜
暗い印象の句。「ぶちきらる」と受け身を用い鮟鱇(アンコウ)の視点に立っ
ているその荒々しい語感が鮮烈な印象を与える。
いんうつ ぜつぼうてき
凍りついた死に体の鮟鱇は陰鬱で絶望的な自己へのメタファーになりうるか
もしれない。

[10]
しんじゅく ぼひとりわた
新 宿 ははるかなる墓碑鳥渡る
ふくながこうじ
作者 福永耕二
季語 鳥渡る(秋)
成立 1980 年
〜鑑賞〜
ざっとう
雑踏からでも建物からでも、新宿に足を下ろし西側をのぞむと、高度経済成
はんえい ゆうだい
長期に建てられた高層ビル群が立ち並んでいる。資本主義的繁栄は雄大な自
しょうちょう
然をはじめ多くのものを失った上に成り立っている。その 象 徴 ともいえる
しかくてき ひ ゆ て き ぼ ひ
高層ビル群は、視覚的にも比喩的にも「墓碑」なのである。しかも、「はる
ふるさと
かなる」。また、西側には作者の故郷、および死んでいった者たちの無数の
たましい
魂 がある。
きせき
そんな新宿の空を、鳥が渡っていく。奇跡のような名句だと思う。

[11]
あまなっとう
三月の甘納豆のうふふふふ
つぼうちみのるてん
作者 坪内稔典
季語 三月(春)
成立 1984 年
〜鑑賞〜
ほおば
甘納豆を頬張り、思わず笑みがこぼれる。口語を用いた、軽い、日常の情景。
笑っているのは子どもか若者か年寄りか。

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