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資料:ヒポクラテス集典(4月19日(火)第3回、第4回講義で使用)

医療活動はパテーマ(悩み・苦しみ・痛み)をもつ他者を前にした待ったなしの緊急
的な行為から始まった。つまり、臨床から医は始まっている。しだいに経験が一定の
方法に基づいて集められて蓄積され、さまざまなパテーマを癒す知と術と一定の倫理
規範を共有する職業的医師集団が形成されてきた。こうした職業的医師集団の活動の
原点を、ありありと浮かび上がらせるひとまとまりの文書が残されている。
 紀元前4~3世紀頃、プトレマイオス王朝の命により、紀元前5~4世紀頃の古代
ギリシャ各地の医療関係の文書が集められ編纂された。紀元前5世紀頃に実在したと
考えられる医師の名を冠して、ヒポクラテス集典(文書)と呼ばれている。

ヒポクラテス集典の時代的背景(世界史 B を履修しなかった人のための参考資料として)

 B.C. 7世紀 貨幣経済の開始
B.C. 6 世紀 富者と貧者の対立激化→小土地所有農民の富裕者への隷属
 BC 594 ソロンの改革:借金の帳消し、身体を抵当にとっての貸し金の禁止
 BC 561  貧民を率いたペイシストラトス・・・僣主制
 BC 508 クレイステネスの大改革・・・民主制へ(中小農民・商人・手工業者)
 BC 500  イオニアの反乱に援軍(対ペルシャ・・・失敗)
BC 480 サラミスの海戦(アテナイの勝利 対ペルシャ)
BC 479 プラタイアイの戦い(スパルタと連合)
     →アテナイ、ギリシャ第一のポリスへ。 デロス同盟の盟主
 BC 443-429 ペリクレスの治世:神殿、建艦といった公共事業、
             職人身分(デミウルゴス)の向上
             職業的哲学者、職業的教育者
 BC 431-404 ペロポネソス戦争(スパルタ vs アテナイ)  
 BC 440 アテナイの悪疫 (BC 429 大悪疫 ペリクレス死去)
BC 404  アテナイがスパルタに降伏

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 ・医療:誰が、どこで行ってきたか?
 1. 普通の人が、家庭内・仲間うちで     2.宗教関係者が、宗教施設で、
人間の一般的な常識として。         宗教的行為の一端として。

     
                
3.医療関係者が、(医療施設で)専門的な職業として。

ヒポクラテス集典(抜粋)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『術(テクネー)について』
 はじめに私が医術をどんなものと考えているのかを定義すると、医術は一般に、
病人からパテーマを取り除き、病気の激しい勢いを和らげるものであり、さらに、
病気に負けてしまった患者に対する場合は、医術の力ではどうしようもないことを
知ってやたらに手を出さないようにすることである。
 ・・・間違いも効果的な処置に劣らず、医術が現にあることを示す証拠となる。

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というのも、効果的な処置は正しく適用されたために効果的だったのであり、有害
な処置はもはや正しく適用されなかったために有害だったのだから。そして実際に
正しいことと正しくないことのそれぞれの区別がある以上は、どうしてそれが術で
ないことがあろうか。というのも、私が主張するのは、何一つとして正しいことも
正しくないこともない場合に、それは術のないことだというのだから。これらがそ
れぞれ実際に在る以上は、その仕事がもはや術のないことにはならないのである。

『医師の心得』
非人間的にならないよう、むしろ患者の収入と財産のことを配慮することを私は勧
める。事情によっては無料で治療するとよい。以前に受けた恩恵とか現在自分の得
ている満足のいく名声のことを思いだすべきである。
 人への愛があるところに、また、医術への愛もある。病人のなかには、自分の病
気が非常に危険であると察知していても、医師の献身に感謝する気持をもつことに
よって回復に向かう人たちもいる。病人が快復するように世話をし、健康な人が元
気であるように気を配ることは医師の品位にかなうことだ。

『アフォリズム』=『警句集』『箴言』
 人生は短く、術の道は長い。機会は逸し易く、試みは失敗すること多く、判断は

しい。医師は自らがその本分を尽くすだけでなく、患者とも看護人とも協力してそ

ぞれなすべきことをするようにさせ、環境も整えなければならない。
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しかし、『ヒポクラテス集典』の最も注目すべき部分は、『エピデミアイ(=ギリシャ各地の病歴
記録、流行病)』にある。『エピデミアイ』をもとに、職業的医師集団と診療の方法の歴史的
な流れについて考えていこう。
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第七巻10
カルタデスは焼熱病にかかった。多量の胆汁の嘔吐がおこり、排便が見られた。眠
れなかった。脾臓のあたりがまるく腫れあがった。九日目の早朝、腹がごろごろと
鳴った―だが苦痛は無かった―ので、排便のために床を立った。その際、一コエウ
ス(=約3.28リットル)以上の凝固していない血を出し、しばらくしてさらに
三分の一コエウスの血塊を出した。胸がむかついた。ほぼ全身に少量の発汗が見ら
れた。熱はさめたようだった。はじめ意識はしっかりしていた。けれどもその日、
時間がたつにつれて吐き気がひどくなった。悶えた。呼吸がいくぶんせわしくなっ
た。だが話し方や応対の時の態度は、普通以上に快活でしっかりしていた。何度か

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仮死状態におちいるかと思われた。大麦粥の漉し汁と大麦湯の汁の部分を与えたが
効き目はなかった。夕方、呼吸ははるかにせわしくなり、ひどく悶え苦しみ、右、
左と寝返りを打ち、一時もじっとしておれなかった。両足が冷たくなった。死期が
近くなると、こめかみと頭が熱を帯びた。少量の好ましくない発汗がわずかにみら
れた。飲み物をとると、飲んだものが胃に下っていくとき胸と腹のあたりに音をた
てたが、これはもっとも好ましくない徴候だった。しきりに便意を訴えた。視線が
すわった。しばらくして死亡した。

第七巻86
 ニカノルの病気。酒を飲み始めると、彼は笛吹女が恐ろしくなった。宴会の席で
笛が鳴り始めるのを聞くと、恐ろしくてひどく苦しんだ。彼の言うにはそれが夜だ
とほとんど我慢できないということだった。けれども昼の間は笛の音におびえるこ
とは無かった。こうした症状は長いこと続いた。

第三巻5
デーマイネトスの持家で病臥したカイリオーン。飲酒のために熱病にかかる。ただ
ちに頭重に痛みをともない、睡眠不足、腸は不調で希薄、胆汁状の排便あり。
第三日 高熱、頭部とくに下唇のふるえがあり、少時の後、悪寒、けいれん、完全

精神異常となる。夜間は病苦たえがたし。
第四日 平静、少時睡眠、うわごとを言う。
第五日 苦痛あり。病勢全般的に昂進。うわごと。夜間病苦耐え難く、睡眠不能。
第六日 同様の状態。
第七日  悪寒あり、高熱。全身に発汗あり、分利。
この患者は終始、腸から胆汁状、少量、むらの無い糞便を排泄。尿は希薄、色は良
好ではなく、雲片状の浮遊物があった。
第八日の頃、比較的良好な色の、少量で白色の沈殿物ある尿を排泄。正気に戻り平
熱。
病勢休止。
第九日 再発。
第十四日の頃、高熱。
第十六日 胆汁状、黄色のものをかなり頻繁に嘔吐。
第十七日 悪寒あり。高熱、発汗し、平熱となり、分利する。
再発。および分利の後の尿の色は良好、沈殿物あり。再発において精神異常となら
ず。
第十八日目 わずかに体温上昇。渇きを訴え気味。尿は希薄、雲片状の浮遊物あり、

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わずかに精神異常を呈する。
第十九日目 平熱。頸に痛みがあり、尿には沈殿物。
第二十日目 完全に分利した。

第三巻(第2例)
お ろ
 タソス(島)の冷水の泉のそばで病臥した婦人。女児分娩の後、悪露がおりず、
三日目に悪寒をともなう高熱を発した。分娩よりもだいぶ以前から彼女は高熱が
あって臥床しており、食欲がなかった。ところでこの悪寒がおこってから後は、熱
は持続的となり、高熱で、ふるえをともなうようになった
 第八日およびそれ以後。八日目に甚だしい精神異常をきたしてその後も続いたが、
速やかに正気に戻った。腸は不調で多量の稀薄で水様の胆汁状便があり、渇きは訴
えなかった。
 第十一日。正気、しかし昏睡状態であった。尿は稀薄で暗色。不眠。
 第二十日。全身が少々冷えたが、速やかに体温を回復。少々うわごとを言い。不
眠。腸の状態は同様。尿は水様のもの多量。
 第二十七日。平熱。便秘。その後まもなく右臀部に長時間の激痛。再び発熱を見
る。尿は水様。
 第四十日。臀部の痛みは軽快したが、咳がつづいて多量の水様の喀痰があり、便
秘し、食欲はなかった。尿の状態は同じ。熱は完全にひくことなく、出たりひいた
りして動揺をつづけた。
 第六十日。咳はやんだが、良い分利の徴候はともなわなかった。咳の煮熟もなく、
通例の移行もなかったのであるから。かえって右側の顎が痙攣をおこした。昏睡状
態。うわごとを言ったが、すぐ正気にもどった。食欲は全くなかった。顎の緊張は
解けた。
腸からは少量の胆汁状の排便があり、熱は高くなり、悪寒を伴った。その後の日々
はものを言わなくなったが、また言うようになった。
 第八十日。死亡。
この患者の尿は終始暗色で水様であった。昏睡がつづき、食欲がなく、気力なく、
不眠、いらいらし、忍耐力なく、精神状態は憂鬱であった。

『分利について』
熱は、患者が死亡する場合も助かる場合も、同じ日数で分利する。実際、もっとも
良性の熱は、もっとも安全な徴候を伴い、四日目かそれ以前に止む。一方、もっと
も危険な熱は、もっとも恐ろしい徴候を伴って生じ、四日目かそれ以前に死をもた
らす。熱の最初の発作はこうして終わる。第二の発作は七日目まで、第三は十一日

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目まで、第四は十四日目まで、第五は十七日目まで、第六は二十日目までつづく。
以上のようにもっとも急性である熱の発作は、四日ずつ二十日まで加えたものであ
る。だが、上述の数値のどれも完全な日数で正確に計算することはできない。なぜ
なら、年や月も、もともと完全な日数で計算できるものではないからである。

 熱があって、発汗が三日目、五日目、七日目、九日目、十一日目、十四日目、二
一日目、三十日目にみられる場合、こうした発汗は病気を分利させる。これ以外の
日にみられる発汗は、痛みの徴候である。

 尿が最初から一様でなく、希薄なものから濃いものに変わったり、きわめて希薄
なものになったりするならば、そのような場合には、病気は分利しにくく不安定で
ある。

痛風性の病気にかかった場合、四十日で炎症はおさまり、病気はなおる。

『予後(プログノスチコン)』
医者に一番大切なことは、予見の術を身につけることであろう。患者の病床に臨ん
で、医者が過去・現在・未来の病状を予知し予告し、また患者の言った細かい点を
補充できれば、患者は自分の状態をよく理解してくれる医者に信頼を抱き、人はた
めらうことなく彼に治療をゆだねるだろう。また医者も、現在の症状から今後の経
過を予知できれば、治療に最善を尽くせるだろう。

参考文献 
1.大槻真一郎監訳『ヒポクラテス全集』I~III. エンタプライス、1987
2.小川政恭訳『古い医術について』岩波文庫、1962
3.常石敬一『ヒッポクラテスの西洋医学序説』地球人ライブラリー、小学館、1996

参考資料1)『空気、水、場所について』第一節

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正しい仕方で医学にたずさわろうと欲する人は、次のようにしなければならない。まず、
一年の諸々の季節がそれぞれどんな影響をおよぼす力があるかを考慮しなければならな
い。なぜならば、諸々の季節はたがいに類似してはいず、季節同士および季節の変わり
目に非常な相異があるからである。次の考慮しなければならないのは、暖および寒の風
邪、とくにもあらゆる場所にいる人々に共通の風と、それぞれの地域に特有な風である。
それからまた、いろいろな水の性質をも考慮しなければならない。・・(以下、略)

参考資料2) 診療所内において

はじめに、もっとも顕著なこと、いちばん簡単にわかること、あらゆる手だてによって確実
に知られることから、正常か異常かを識別する。すなわち、見たり触れたり聴いたりできる
ことを通じ、
視覚、触覚、聴覚、鼻、舌によって、さらに知覚によって感知し、われわれが知識を獲得す
る手段となるすべてのものを通して認識できるようにする。

診療所内での施術にあたって必要なものは、患者、施術者、助手たち、器具、明かり、それ
らがどこにどのような位置をとるか、また、何をどのように用いるか、患者の体のどこにど
ういう器具を用いるか、を考えること。その時機、けがの仕方、患部に注意すること。(中
略)

包帯の仕方は、つぎの二つの点から考えられる。すなわち、巻き付けが終わったときと、巻
いているときである。(中略)包帯の種類は以下の通りである。すなわち、単純な普通の包
帯、ちょうな型包帯、先にいくにしたがってしだいに細くなる包帯、片眼帯、菱形包帯、半
分の菱形包帯。包帯の種類は、包帯をする患部の形状と症状にあわせて選ぶようにする。

参考資料 3)骨折について
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大腿骨か上腕骨の飛び出した患者はほとんどが助からない。というのも、その骨は大きくて
髄がたくさんつまっており、さらに同時に損傷する靱帯や筋肉や血管も多くて、しかも重要
なものだからである。そのうえ、整復すれば痙攣がおこりがちであり、整復しないと胆汁過
多をともなう急激な発熱としゃっくりがおこり、患部は壊死して黒くなる。だが、整復を受
けなかったり、整復の試みすら受けなかったほうが、助かる見込みがある。(後略)

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参考資料 4)流行病第六巻 
オミロスの 12 歳の少女は、真夏に頭部の損傷のため 14 日目に死亡した。(中略)傷の状態
からみて適切な開頭手術が必要だとわかったが、受けた処置は適当とはいえず、取り除かれ
なかった部分が化膿した。8日目に悪寒がおこり、発熱した。傷の状態は好ましくなく、熱
のないときも以前の状態とかわらなかった。9日目、残りの部分に開頭手術を受けると、血
を含んだ少量の膿がみられた。だが脳膜はきれいだった。患者は眠りにおちた。熱は最後ま
でやまなかった。左手が痙攣をおこした。損傷が右側寄りだったためだった。

参考資料 5) ヒポクラテスの誓い
 医神アポロン(1)、アスクレピオス(2)、ヒユギエイア(3)、パナケイア(4)およびすべての男
神・女神たちの御照覧をあおぎ(5)、つぎの誓いと師弟誓約書(6)の履行を、私は自分の能
力と判断力の及ぶかぎり全うすることを誓います。
 この術を私に授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活
者となり、何かが必要であれば私のものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼
らが学習することを望むならば、報酬(8)も師弟誓約書もとることなく教えます。
また医師の心得、講義そのほかすべての学習事項を伝授する対象は、私の息子と、先生の
息子と、医師の掟に従い師弟誓約書を書き誓いを立てた門下生に限ることにし、彼ら以外の
誰にも伝授はいたしません。
 養生治療を施すにあたっては、能力と判断の及ぶかぎり患者の利益になることを考え、危
害を加えたり不正を行なう目的で治療することはいたしません。
 また求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言も致しません。同様に婦人
に対し堕胎用のペッサリー(9)を与えることもいたしません。私の生活と術ともに清浄かつ
敬虔に守りとおします。
結石患者に対しては、決して切開手術は行なわず、それを専門の業とする人に任せます(1
0)

 また、どの家にはいって行くにせよ、すべては患者の利益になることを考え、どんな意図
的不正も害悪も加えません。とくに、男と女、自由人と奴隷のいかんを問わず、彼らの肉体
に対して情欲をみたすことはいたしません。
 治療のとき、または治療しないときも、人々の生活に関して見聞きすることで、およそ口
外すべきでないものは、それを秘密事項と考え、口を閉ざすことにいたします (11)。

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 以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から長く名声を博し、
生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏みはずし偽誓などする
ことがあれば、逆の報いを受けますように。

注)
(1) すぐれた予言・予知の力をもち、「人間の生と死をつかさどる」古代ギリシャ最高の医神

(2) アポロンの息子で、いわば二代目の医神。彼を祭るアスクレピオス神殿は古くから有名な神殿医療の

道場。

(3) アスクレピオスの娘で、ギリシャ語の νγιεια(「健康」。英語の hygiene 参照)の神格化。つぎの女神

とともに医神一族のいわば三代目。

(4) 同じくアスクレピオスの娘、「万病」(παν ー)を「なおす」(-αχεια)女神。

(5) 古代ギリシャでは、条約や契約を取り結ぶ際、万遍なく以上の神々も含めたすべての男神・女神に対

し、嫉妬深い神々の怒りをかわないようにと祈るのが慣わしであった。

(6) 厳格な従弟制度のなかで、師に教えを受けるために差し出すいわば弟子入りの誓約書のことであろう。

(7)「箴言」第一章冒頭の「判断は難しい」の部分参照。またこの「判断」(χρσιζ)は、別に「病気の分

利」(回復に向かうか死に向かうかの分岐)、現代では crisis(岐路・危機)の意味を表す。また「能

力」は、限界ある能力でも人力を尽くすという意味。

(8) 報酬のことはプラトンの対話篇(「プロタゴラス」311B)にも記述されているが、ここはいわゆるソ

フィスト的な意味はもたない。

(9) ここの堕胎薬は πεσσζ(いわゆる「ペッサリー」)。飲み薬のほうもあった。全集中に堕胎や避妊の

処置があるので、こことの矛盾が指摘されるが、母体保護の立場もあり一概にはいえない。

(10)結石手術は、おそらく医師ではないがその道に堪能な術者たちのグループに任せられていたのであろ

う。医師は病気治療の万能者ではなく、医術にも可能・不可能その他いろいろの節度ある限界を守るべ

き慣習とか義務があることを述べたもので、手術で血を流すことを忌避したというピュタゴラス派医師

団のこととか、ヒポクラテス派医師団が一切の切開手術をしない誓いを立てたとか、をここで考えるべ

きでない。

(11)医師ギルト的なものが、外部に対して自らの信用を保つために、一種の密議宗教にも似た敬虔な守秘

義務を自覚したことは当然であろう。

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