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ハイスターバハのカエサリウス

『奇跡についての対話』序、第 1 部―第6部
丑田弘忍訳

1.以下、ハイスターバハのカエサリウス(Caesarius Heisterbacensis )の『奇跡につ


いての対話(Dialogus Miraculorum)』および『奇跡の八巻(Libri Ⅷ miraculorum)』の中世
ラテン語からの全訳を収める。
2. 使用した校訂本はそれぞれ次の通りである。
Josephus Strange, Caesarii Heisterbacensis Monchi Ordinis Cisterciensis Dialogus
Miraculorum, 1. 2, Köln/Bonn/Brüssel 1851.
Alfons Hilka, Die beiden ersten Bücher der libri Ⅷ miraculorum: Die
Wundergeschichte des Caesarius von Heisterbach, 3/3, Bonn 1937, 15-128.

3. 以下の現代語訳も参考にした。
E. Müller-Holm, Wunderbare und denkwürdige Geschichte. Dialogus magnus visionum
atque miraculorum, nach der 1910 erschienenen Ausgabe von L. Hovel, Köln
1968.
I. Schneider/ J. Schneider, Die wundersamen Geschichte des Caesarius von
Heisterbach, Berlin 1972.
N. Nösges/ H. Schneider, Caesarius von Heisterbach, Dialogus Miraculorum, 5 Bde.
Turnhout, 2009.

訳者まえがき

ボン中央駅から車で約三十分、ライン川の対岸にこの訳書の著者ハイスターバハのカエ
サリウス(Caesarius Heisterbacensis)が修道士として過ごしたシトー会のハイスターバ
ハ修道院のゴシック様式の廃墟がある。これは中世に建立されたままの廃墟ではなく、一
度完全に取り壊されてから一部復元されたようである。
西ヨーロッパの修道院制度は六世紀のベネディクトゥス(Benedictus 480-547)
によって創始されたベネディクト会に始まる。この修道会から離れて改革を目指すグルー
プがフランスのシトーの荒野にシトー修道会を設立した。まさしく開拓者の精神をもって
してであったろう。それはさらに発展し、枝分かれして、ヒンメロート、さらにハイスタ
ーバハにと各地に新修道院が創設された。
このカエサリウスは1180年頃、当時の文化の中心都市ケルンで生まれ、その地で教
育を受け、二十歳頃の1199年にハイスターバハのシトー会修道院に入り、修練士(修
道士見習い)、修道士、副院長として過ごし、多くの著書をものにして、1240年に没
した。彼はこの訳書の他に説教集、聖書注解、神学論文、さらには『聖エンゲルベルト伝』、

-1-
『聖エリーザベト伝』などの聖人伝をも含めて多くを著している。彼のラテン語は彼特有
の語を時々用いているもののきわめて明晰で、中世屈指の哲学者ピエール・アベラール
(Petrus Abaelardus 1079-1142 )の文体を彷彿とさせる。
カエサリウスの著作『奇跡についての対話(Dialogus Miraculorum)』およびその続編と
もいうべき『奇跡の八巻(Libri Ⅷ miraculorum)』は、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金
伝説』ほど日本では専門家を除いてあまり知られていない。ヨーロッパでもかつてはそれ
ほど一般に知られなかったようだが、ヘルマン・ヘッセが推奨して以来非常よく知られる
こととなった。ヘッセは『奇跡についての対話』の24話をドイツ語に翻訳し、「修道士
ハイスターバハのカエサリウスの文書は13世紀の教会史や文化史にとってきわめて重要
な重要な資料の一つである。…………………(中略)……………私は彼の面白くて啓発的
なこの書を読んで説教学者およぶ寓話作家としてのカエサリウスが好きになり、彼をわれ
われの文学の埋もれた宝であると思っている」と言っている。
カエサリウスのこれら二作品は、『ゲスタ・ロマノールム』や『黄金伝説』と同じく中
世ラテン文学の一ジャンルである「例話集(exempla)」に属している。例話は動物寓話、
古代伝説、昔話、聖人伝、民間伝説などのさまざまな素材をもとに比較的短い寓話という
形で話が展開していき、そこでは大抵、現実的な内容が非現実な内容へと昇華されている。
『奇跡についての対話』は、序文にもあるようにハイスターバハとマリエンシュタット
の修道院長に要請され、1219年から23年の間に書かれたとされている。それぞれ6
部ずつ大きく前編と後編に分かれ、12部、長短織り交ぜて全体で746話の例話
(exemplum)から成り立ち、修道士が修練士に教えるという形で進んでいく。従って、
この書は民衆にする説教のためというよりも、あくまでも修練士の教育のために書かれて
はいるが、後にはその範囲を超え、読者は広がっていった。
全12部は次のような内容から成り立っている。
「 第1部 回心」、
「第2部 痛悔」、
「第
3部 告解」、「 第4部 試練」、「第5部 悪魔」、「第6部 素朴さの徳」、「第7部 聖母マ
リア」、「第8部 さまざまな幻視」、「第9部 キリストのからだと血の秘跡」、第10話
奇跡」、「第11部 死にゆく者たち」
、「第12部 死者にたいする報い」。
この順序は数の象徴によって説明されている。例えば、第4部を「試練」としたのは、
四という数は不動の数であり、四角の物体はどの方向にも向くからである。第6部が「素
朴さ」に当てられるのは、完璧である六という数は、身体全体を輝かせる純朴さに合致す
る。つまり六なる数は完全数であるからである。「聖母マリア」が第7部に当てられるの
は、七という数は処女性を表しているという。つまり素数であるから、といった具合であ
る。
一方、『奇跡の八巻』は『奇跡についての対話』の完成後の1225年から26年の間
に書かれたとされていて、当初は全八巻の予定であったが、二巻で終わっていて、それぞ
れ45話と42話の例話から成り、『奇跡についての対話』と類似のテーマや内容が多く
含まれている。
カエサリウスはこの二作品のなかで当時の世俗の出来事も神学上の出来事も取り上げ、
例えば、あこぎな高利貸しや暴君的な権力者に批判的であり、ベネディクト会のようなシ
トー会以外の他の修道会にたいしても厳しい見方をしている。またこの時期には神学上画
期的な出来事が起こった。つまり天国と地獄の中間、煉獄(purgatorium)なる概念が持ち

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出され、カエサリウスはさっそくこれを取り入れさまざまな個所で述べている。
カエサリウスが語ったことはすべて彼の虚構ではなく、すべて他人、それも聖職者から
聞いたことであって、もし間違っておれば、それは彼に語った人の責任であると言う。ま
たカエサリウスは、われわれ東洋人にはあまり馴染みのない天使、悪魔、幻視について多
く語っている。特に悪魔の多様な種類を現出させ、多くの頁を割き、本来の邪悪な悪魔の
みならず、剽軽な悪魔、親切で義理固い悪魔さえも登場させている。悪魔の滑稽なおこな
いなどはメルヘンや民間伝説からも取り入れたであろう。実際彼は悪魔の存在を疑わなか
ったであろうし、神の力とそれに対峙する悪魔の行為を真実と捉えているならば、彼にと
って、想像の世界と現実の世界のあわいには壁はほとんどなく、奇跡や幻視は必然的で日
常的な出来事と映じたに違いない。
本書には聖俗にかかわらずさまざまな職業や身分の人、つまり教皇、司教、司祭、修道
士、皇帝、国王、騎士、代官、商人、高利貸し、農夫、ユダヤ人などや、十字軍、盗賊、
殺人、恋物語、今日では考えられない残酷な処刑等さまざまな出来事が語られている。話
の舞台は、ほぼカエサリウスの出生地、ケルンとその周辺のライン地方が中心であるが、
他のドイツ各地、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア、スペイン、エルサレムも登
場する。
ともあれ、本書によって西洋、中世、キリスト教というフィルターを通して当時の社会
の様子や人々の心のあり方をのぞき見ることができよう。
翻訳にあたり中京大学名誉教授山田英雄氏から有益な助言を賜った。

奇跡についての対話

序文

〈少しも無駄にならないように、残ったパンのかけらを集めなさい。(ヨハネによる福音
書6、12)〉近年われわれの修道会で奇跡として起こったこと、また日々起こっている
いくつかの事柄を、私がそれなりに慎重に修練士(1)たちに語ったとき、これらを文書に
して残すようにと熱心に何人かの人から要請された。後世の人々の教化になりうる事柄が
忘れ去られるのは取り返しのつかない損失である、と彼らは言った。
したた
私のラテン語のつたなさや、また妬み深い人たちから悪く言われたくないために、 認
めるまでには至っていなかったが、われわれの院長(2)の命令やマリエンシュタットの修
道院長の助言に従い、記すことにした。
他の人たちがパン一個を大勢の人のためにちぎっている間に、つまり聖書の重要な問題
を提示しているか、あるいは今日の傑出した出来事を記述している間に、私は救世主の先
の言葉を思い起こし、恩恵には与っているが学問の少ない人々のために砕けたかたまりを
拾い集め(3)、12個のかごを一杯にして作品全体を12の部分に分けた。
第1部は「回心」、第2部は「痛悔」、第3部は「告解」、第4部は「試練」、第5部は
「悪魔」、第6部は「素朴さ」、第7部は「聖母マリア」、第8部は「さまざまな幻視」、第
9部は「キリストのからだと血の秘跡」、第10部は「奇跡」、第11部は「死にゆく者た

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ち」 、第12部は「死者にたいする報い」をそれぞれ扱う。
例話を一層適切に提示すべく私は対話の形式で二人の人物を登場させた。つまり問いか
ける修練士と答える修道士の対話である。作品の著者の名前がわからなければ、誹謗する
人は何も言えず萎縮するからである。だが著者の名前を知りたい人は、各例話の最初の文
字をつなぎ合わせられたい(4)。
私は修道会の外で起きたこともたくさん取り入れた。それらは敬虔なことであって、他
のこと同様修道士から聞いたことであったからである。この対話のどの例話も私が虚構し
ていないことを神が証してくださる。もし私が書いたことと違ったことがたまたま起きて
いたならば、それは私に話をした人の責任である。この対話の内容は奇跡が中心であるの
で、『奇跡についての対話(Dialogus Miraculorum)』の題名を付けることにする。
各部がなぜこのような順序になっているかには理由がある。誰でも悔い改めなくても外
つみびと
見上は回心することができるがゆえに、第1部は回心を話題とする。罪人にあっては悔い
改めのない回心は意味がないので、第2部では痛悔を扱う。そのあと言葉による告解がな
されなければ、痛悔自体成り立たないので、次に告解の部がくるのは当然である。告解は
罪の罰を消去するのに不十分であるので、次に贖罪の部がくる。これは試練と関わってい
ることをわたしは証明した。
悪魔が試練の張本人あるいは扇動者であるがゆえに、次に悪魔についての部がくる。素
朴さは試練に抗する薬であるから、悪魔についての部のあとに素朴さの部がくる。以上の
6部は功徳に関わり、後の六部は報酬に関わる。
このような順序立てのためには、数のカテゴリ-が必要である。数字の一はあらゆる数
の根源であると同じく、回心はあらゆる成義(5)の原点である。苦悩による心の、痛みに
よる身体の二重の悔い改めは2という数字に合致する。賞賛、信仰、罪という三重の告解
は3という数字に合致する。われわれを誘惑する、神、悪魔、肉、俗世という四つの試練
があるがゆえに、試練は4という数字に合致する。5という数字は悪魔に合致する。その
数字は不実だからである。完璧である6という数字は、身体全体を輝かせる純朴さに合致
する。各部、つまり以上の6部、および残りの6部の冒頭にこの順序の原理が詳述されて
いる。
キリストの祝福によって集められたかけらは、数個のパンと同じほどたくさんになった
ので、12個のパンの話のごとくそれをわたしは12部に分け6部ずつをひとまとめとし
た。
(1)novicius 修道士になるための一、二年の養成期間、つまり修練期(probatio)間
中 の者。
(2)修道院長の呼称には abbas と prior があるが、シトー会などでは、abbas は大修道院
の院長、prior はその副院長あるいは傘下の小修道院の院長を表す。従って内容に応
じて訳し分ける必要がある。
(3)conversatio カエサリウスはこの語を本来の「罪の状態を悔い改めて正しい信仰に心
を向けること」と具体的に「世俗を捨てて修道院、修道会に入ること」の両方に文脈
で使い分けている。
(4)各部の最初の文字を順番に並べると、CESARII MUNUS(カエサリウスの贈り物)
となる。

-4-
(5)iustificatio 不義の状態より義の状態に高められること。

第1部 回心

第1話 シトー会の設立

私は回心について語るにあたって、平信徒、聖人、心から回心する人々に平和を宣言な
されるお方(キリスト)の恩恵を挙げる。何を書かねばならないかを示唆し、筆を操り、
労苦にたいして報いてくださるのは、そのお方である。至福な回心はそのお方のおかげで
ある。そのお方は、力強く回心させた人々に慈悲をもって怒りをお向けにはならない。
修練士 あなたが回心について述べる前に、シトー会がどこで、誰によって、いかなる
必要に迫られて設立されたかを、手短に触れることが必要だと思われます。このような基
礎の上に、地の上に置かれている、生きた、つるつるした、価値の高い石で霊的な壁を築
くためです。
修道士 ラングル司教区にモレームという名の修道院が置かれている。その修道院の名
声はきわめて高く、信仰の篤い、高名な人々で際だち、財が豊かで、徳に輝いている。富
と徳は永続的につながり得ないので、当然賢明にして徳を愛する人々は、この修道院で誠
実に暮らしていたとはいえ、さらなる上を目指していて、誓願通りには戒律を遵守できな
かったと認識した。二十一人の修道士は決断して、同じ考えでこれに賛同した院長ロベー
ルと共にシトーと呼ばれる惨たる荒れ果てた地へ行き、そこで戒律に従い手を使う労働に
よって暮らすことを望んだ。
主の受肉後の1098年、当時教皇使節にして司教の尊きリヨンのユゴー、敬虔なシャ
ロンのゴーチェ、さらには高名なブルゴーニュ公ウード(1)らの助言を信頼し、彼らの権
威に力づけられ、修道士たちはかの地での修道院の設立に取りかかった。修道士たちが出
発点とした修道院は聖母マリアを崇敬すべく設立されていたので、彼らもこの新しい修道
院から広がった後継者たちも、彼らのすべての教会を童貞マリアを讃えるために捧げなけ
ればならないとした。
その後しばらくしてからモレームの修道士たちは、院長ロベールの復職を強く要望し、
教皇ウルバヌス二世(2)の命令もあり、司教シャロンのゴーチェも同意して、院長ロベー
ルはモレームに戻された。ロベールの後に敬虔で信仰篤い人アルベリクスがシトー修道院
長に就任した。彼の熱意に神の恩寵が加わり、シトーの谷は大いに繁栄し、不可欠な財は
増した。
アルベリクスが亡くなると、同様に敬虔なイギリス人ステファヌスがシトー修道院長の
地位に就いた。世間の人々は修道士たちの敬虔な生活を尊敬していたが、厳格な戒律には
へきえき
辟易していたので、その頃の修道士の数は少なかった。聖ベルナルドゥス(3)が1115
年に約30名の仲間たちとキリストの甘美なくびきを首にかけた。その時から、万軍の主
のぶどう畑は増大し、若枝は海から海へと広がり、地はその枝で満たされた。
その最初の枝は、ラ・フェルテ、ポンチニー、クレルヴォー、モリモンである。この4
修道院の院長は、父なるシトー大修道院長をそろって訪問し、個別に大修道院長の訪問を
受けるほどの権威があった。

-5-
修練士 訪問(visitatio)で何をおこなうのですか。
修道士 戒律の遵守をおこなう。最初の二人の院長が、悪習の改善と愛の保持のために
修道院長総会(generale Capitulum)と毎年修道院訪問をおこなうことを決定した。111
5年にクレルヴォー修道院が設立され、その初代院長に聖ベルナルドゥスが就任した。ヒ
ンメロート修道院は1134四年に設立された。
1188年3月17日シトー会の修道士たちは院長ヘルマンとともにヒンメロートを
出発して、3月22日にシュトロームベルクに着いた。4年後ヘルマンは、今はペトロの
谷(ハイスターバハ)と呼ばれる谷におりた。
修練士 黒の修道会(ベネディクト会)(4)とわれわれの修道会(シトー会)の会則は同
じと聞いていますが、なぜ戒律が異なっているのか不思議です。
修道士 クリュニー会とシトー会の会則は同じだが、遵守の仕方は異なっている。多く
の人が修道会で救われるために、会則の厳格なところが数人の敬虔な院長によって和らげ
られた、と言われている。最大の違いがあると言われている修道服について、こう言われ
ている。〈修道士は修道服の色合いや質について不平を言ってはならず、住んでいる地域
で見つかる、より安価に入手できるものを身につけるのだ。(5)〉このことに関してはこの
程度にしておこう。シトー会の創起者は聖霊、創始者は聖ベネディクトゥス (6)、改革者
はロベール院長であることを、君は肝に銘じるのだ。

(1)ウード一世(1058-1102)。第一回十字軍に参加した。
(2)ローマ教皇ウルバヌス二世(在位1088-99)。1095年11月27日クレ
ルモン公会議で、十字軍遠征を呼びかけた。
(3)クレルヴォーのベルナルドゥス(1090-1153)。1115年にクレルヴォ
ー修道院を創設した。聖人、教会博士の一人。
(4)ベネディクト会士は黒い修道服をまとったことからこう呼ばれる。
(5)『聖ベネディクトゥスの戒律』第五十五章七。
(6)Benedictus Nursiensis ヌルシアのベネディクトゥス(480頃-547頃)。聖人。
『聖ベネディクトゥスの戒律』を定め、修道生活の基本を示した。

第2話 回心とは何か、そう名づけられる理由および特質

修練士 あなたが提示した各部の順序を考えてみると、痛悔よりも回心の恩恵が前に置
かれているのが不思議です。まず罪を悔い改めずに、回心するのは全く無意味のように思
われます。
修道士 痛悔は回心の前になされたり、後になされたりもする。
修練士 そのことを例を挙げて話していただきたい。回心とはなにか、なぜそう名付け
られるのか、種類はどれだけあるのか、誰がどういう機会に回心するのかを、まず聞きた
いです。
修道士 回心とは心の変化である。悪から善へ、あるいは善からより善へ、より善から
最善への変化である。こういう変化についてソロモンはこう述べている。〈不信心者を変
つみびと
えよ。そうすれば不信心者でなくなろう。(1)〉つまりかつて罪人であった者も、もはやそ

-6-
うではない。第一の変化は心に向かって、第二の変化は心のなかで、第三の変化は心のな
かから生じる。すなわち第一の変化は痛悔(contritio)への、第二の変化は信心(devotio)へ
の、第三の変化は観想(contemplatio)への変化である。
心に向かっての回心とは、罪から恩恵へ、罪過から義へ、悪徳から徳へ戻ることである。
この変化についてイザヤはこう言っている。〈罪人よ、心に戻れ。(2)〉
心のなかでの回心とは、シオンで、つまり観想において神々の神を見るまで、愛を高め、
徳を向上させることである。この変化について詩編作者はこう述べている。〈彼は心のな
かで向上を決めた。(3)〉
心のなかからの回心とは、観想における忘我である。これを享受したのは、上って行っ
て、また戻ってきた天の生きものである。心のなかから神のもとに赴き、観想によって上
って行き、また日常生活へ戻ってくる。観想は心を超えたところにある。それゆえ、聖書
のなかでは忘我と呼ばれるのである(4)。
回心は心全体の変化とも言われる。従って、一つの悪徳を捨てるがほかの悪徳を捨てな
い者は、変化はするが回心はしていない。そのことについて詩編作者はこう祈っている。
〈わたしたちの救いの神よ、わたしたちを回心させてください。(5)〉
ある一定の修道会にたいする熱意により、修道院の場所と衣服を変えるとき、別の種類
の回心が生じる。そのような回心は普通は痛悔を伴わない。罪人が罪過を捨てるのではな
く、場所を変えること、つまり心ではなく、衣を変えることは、神の前では無意味である。
羊の服を着て、狼の心を抱くことは嫌悪すべきだ。
修練士 そういうことは起こるものなのですか。
修道士 起こりうる。その話を聞きなさい。

(1)箴言12、7参照。
(2)イザヤ書46、8参照。
(3)詩編84、6参照。
(4)excessus mentis 使徒言行録10、10など。
(5)詩編85、5。

第3話 盗みに入って、不思議なことに修道会へ入ったクレルヴォーの修
道院長

かつてケルンの聖アンドレアス教会の司教座参事会員(1)であったシトー会士ゴットフ
リートが、私と一緒に修練士をしていたとき、忘れがたい話をしてくれた。ある高名なク
レルヴォーの修道士から聞いたことだと言っていた。
各地を遍歴するのを常としているある放浪の聖職者がクレルヴォーへやってきたが(2)、
修道生活を望んでではなく、修道服をまとって修道院で盗みをするためであった。こうし
て彼は修練士になった。修練期間中ずっと教会の宝物をねらっていたが、見張りがしっか
りしていたので、悪意を満たすことはできなかった。そこで心のうちでこう考えた。「修
道士になれば、ミサの侍者をつとめることができ、気づかれずに、苦もなく聖杯をもって
ずらかることができよう。」

-7-
それで彼はこういう意図で誓願をおこない、服従を誓い、修道服をまとった。ところが
つみびと
慈悲深き神は罪人の死を欲せられず、罪人が回心によって生きるようお望みになり、邪悪
な心を不思議にもお変えになり、恵み深く毒を解毒剤にお変えになった。彼は修道服をま
とい、痛悔、回心によって敬虔な修道生活で栄達し、数年後には修道生活の功績の結果ク
レルヴォー修道院長の地位に就いた。
すでに話したように、彼の罪自体が他の修道士たちの薬となった。というのは、後に彼
はこのことをたびたび修練士たちに話し、このことは大いに彼らの心のいしずえとなった
からである。
修練士 どうしてそのような大きな変化が起きるのか、知りたいものです。
修道士 私が思うに、それは第一に神の慈悲によるものであり、第二に古代のある教父
が「修道服には洗礼の力がある」と述べているように(3)、聖なる修道服の力と祝福によ
るものである。ハルトと呼ばれるグランギア(4)(修道院付属農場)の管理者であった周
知のヒンメロート出身の助修士(5)ハインリヒは証言している、ある修練士が院長によっ
て修道士に叙階されたとき、聖霊が鳩の姿となって修練士の頭の上に舞い降りた、と。
修練士 その話を聞いてうれしいです。でも大変恐ろしいことも心に浮かびます。何人
かは良き意図で修道院へ入ったのですが、大いに無垢な若者が時が経つにつれて後退し、
堕落したことも聞いています。
修道士 私もそのようなことをよく聞いた。良心が罪の重みに圧せられてはいない少年
や青年が修道会に入って情熱を持ち続けることはまれである、と賢明で、シトー会の根源
をよく熟知していたトリーア司教ヨハネスさまがよく言っていた。確かに、修道院でだら
けて、きちんと暮らさないか、または修道院から完全に去ってしまうのは、嘆かわしいこ
とである。彼らには良心が咎めるということがないからである。彼らは自分の徳などを考
えずに、だんだん強まる試練に逆らわない。今月、女に騙されて近くのグランギアから逃
げ去った修道士を君は知っているか。
修練士 よく知っています。
修道士 彼のことではっきりしていることは、童貞で、われわれの修道士のなかで彼よ
りも優れた者はいないほど学のある若者だった。
修練士 預言者も言っているように、実に主なる神が人の子にたいしてお決めになるこ
とには恐ろしいものがあります(6)。
修道士 私が年長の修道士から聞いたことだが、かつて母院(ヒンメロート)で起きた
話を君にしよう。

(1)canonicus 教会に属して祭儀を施行する在俗聖職者。
(2)中世で各地の遍歴する集団は、楽人、学生、聖職者、離脱した修道士から成り立っ
ていた。
(3)このような考えは、中世初期の教会では一般的であった。
(4)grangia 修道院が有する付属農場。穀物栽培、牧羊、営林、鉱物採掘がおこなわれ、
修道院の収入源になった。
(5)conversus 司祭の叙階を受けず叙階を必要としない仕事に従事する修道士。
(6)詩編66、5参照。

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第4話 聖ダヴィデから「すべて人に与えられていない」と言われたヒン
メロートで修道会に入会した修練士

ある若者がヒンメロートに来て、つつしみ、へりくだって修道院入りを願った。彼は受
け入れられ、問題なく修道生活を送っていた。ところで、聖性による奇跡で有名な司祭ダ

ヴィデさまは、ことさらこの若者を愛で、誓願すべくしばしば甘い言葉で彼を説得した。
若者はダヴィデさまの前で読誦(1)と聖母マリアに捧げる甘美な歌を交互に歌った。こ
うして若者の敬神の心がたびたび目覚めた。その年あらゆる災厄のもととなった北風が吹
いて、その修練士の心はふらつきだした。危険な試練がなされたがゆえに、かの敬虔なる
人ダヴィデさまに打ち明けた。修練士はダヴィデさまからいろいろと教示され、気力を得
たが、試練は止まらなかったので、根気も尽きてこう言った。「私はもう出ていきます。
これ以上は耐えるのは限界です。」ダヴィデさまは言った。「私が教会へ行って祈るまで、
私を待ちなさい。」修練士は約束した。
神の人ダヴィデさまが礼拝堂へ急いで向かっている間に、若者はすぐに修道院を去った。
ダヴィデさまの聖なる祈りによって引き留められるのを危惧したからである。尊い司祭ダ
ヴィデさまが祈りから戻ると、置いてきた若者が見つからなかったので、ため息をついて
言った。「誰にでも可能ではない。」つまり、修道会に居続けることは。
修練士 聞いたことは驚きです。先のクレルヴォーの修道院長は堕落していたが堕落か
ら立ち直りました(第3話)。一方この若者は修道会に入ったまま堕落しました。このこ
とをどう考えたらよいのでしょうか。
修道士 「誰にでも可能ではない」と言われている通りだ。クレルヴォーの修道院長の
場合は神の明白な慈悲が示されている。若者の場合は神の隠された裁きを恐れなければな
らない。〈私は憐れもうとしているものを憐れむ。私は憐れむものに慈悲を授ける(2)〉と
神は言っておられる。欲するものでもなく、急ぐものでもなく、神が憐れむものが重要だ。
修練士 話を進めてください。俗人がいかなる動機、いかなる機会に修道会に入るのか
聞きたいです。

(1)sequentia 祝日のミサでアレルヤ唱の前に歌われる、歓喜や荘厳さを表す賛歌。
(2)ローマの信徒への手紙9、18参照。

第5話 人はいかなる動機で修道会へ入るのか

修道士 修道会へ入る理由はたくさんある。ある者は神の召命あるいは霊感によって入
会すると思われる。他の者たちはまがった心の衝動によるものである。比較的多くの者は
軽い気持ちから、きわめて多くの者はほかの人の働きかけで、つまり勧められたり、祈り
の力によったり、修道生活を手本としたりして入会する。数知れない者は幾多の必然から
修道会へ入る。つまり病気、貧困、虜囚、罪にたいする羞恥、生命の危険、地獄の罪への
不安や経験、天国の故郷への憧憬である。これらのことは福音書と合致している。〈無理
にでも入れなさい(ルカによる福音書14、23)。〉

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修練士 これらを信じてもよいでしょうが、ほかの例がなかったならば物足りません。
修道士 ある者が神の召命のみによって修道会へ入る話を今からしよう。

第6話 聖ベルナルドゥスの説教で修道会入りした、リエージュの参事会員、
かつ天使が修道士の姿で告解しようとするのを彼が見たこと

神聖ロ-マ皇帝コンラート(1)の時代、聖ベルナルドゥスがリエージュで十字軍勧説を
ひざまず
おこなっていたとき、司教座聖堂の参事会員が祭壇の前で 跪 いて祈っていた。すると天
からこんな声が聞こえてきた。「行って、聞きなさい。福音がよみがえった。」彼はすぐに
祈りをやめ、立ち上がって外へ出た。聖ベルナルドゥスがサラセン人を倒すべく十字軍勧
説をおこなっているのが目に入った。ベルナルドゥスはある者たちには祝福を与え、ある
者たちには修道会の十字架を渡した。この参事会員は心を動かされ、聖霊の塗油(2)によ
って心を整え、十字架を受け取ったが、それは海を渡る十字軍遠征の十字架ではなく、修
道会の十字架であった。わずかの間のために十字の布ぎれをすぐに衣服に縫い付けるより
も(3)、長い間のために十字架を心に刻む方が救われるものと考えた。彼は救世主がこう
語られたことを読んだことがあった。〈日々十字架を手にとって、私についてこない者は
私にはふさわしくない(マタイによる福音書10、38)。〉主は一年あるいは二年の間で
はなく、毎日と言っておられる。多くの者は十字軍遠征の後、さらに不品行となり、かつ
ごみ
ての悪徳に一層まみれた。彼らは自分の嘔吐物に戻る犬とか塵のなかで自分の汚物にまみ
れる豚とかに似ている(4)。戒律に即して暮らしている修道士の生活は十字架自体である。
彼らの肢体は服従の十字架で縛られているからである。
修練士 あなたは十字軍遠征よりも修道会の方を重んじているように思われます。
修道士 私の権威ではなく、教会の権威によって修道会の方が重んじられる。シトー会
は使徒の座(ローマ教皇)による特典を有している。シトー会士は十字軍参加の義務があ
るか、あるいは聖地巡礼の誓約の義務を負っている。しかし修道会へ入る意志あれば、神
と教会の前でそれらの義務が免除される。
修道会と十字軍遠征のこの二つの十字架が同じように救いとなれば、どちらをとっても
よい。修道会を捨てて十字架を受けとる修道士、あるいはそれよりましだが、修道会の命
令あるいは許可なくして十字軍に参加する修道士は、キリストの戦士ではなく背教者とみ
なされる。外面的にサラセン人の戦列に向かって一時的に戦うよりも、内面的に悪徳の誘
惑と常に戦う方が救われる、と天国の鍵を特別に委ねられているペトロ(5)の後継者は知
っている。しかし聖ベルナルドゥスは、修道会入会を欲する何人かには同意せず、十字の
しるしを縫い付けることを命じている。
修練士 このような答えが聞けて非常に嬉しいですから、そういう問いをしたことを後
悔していません。
修道士 先の参事会員は、同僚のゴーチェと一緒に聖ベルナルドゥスに付き従ってクレ
ルヴォーに向かい、そこで二人は修道士になった。
その頃、クレルヴォーの修道士がオルヌの戒律修道院(6)に派遣されることになった。
オルヌの修道士たちが、シトー会の会則を採用することを決めたからである。たびたび挙
びと
げたかのリエージュ人は修道士たちとその地へ赴くことを大いに願っていた。しかし院長

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に話すのをはばかった。軽率な人間と見なされかねなかったからである。何をなすべきか
を示していただきたい、と彼は主に向かって祈った。すると、声が聞こえてきた。「あな
たが欲するように願いなさい。そうなるでしょう。」それから彼は院長のところへ行き、
思い切って言った。
「院長、お許しいただければ、私は進んであの修道士たちと赴きます。」
院長は答えた。「彼らと一緒に神の名において行きなさい。」こうして彼もゴーチェも新し
い修道会のためにオルヌに派遣された。
しばらくしてから、彼はオルヌ修道院の院長(Prior)になった。ある日、修道士の一人
が院長に告解をする手振りをしたとき、院長は聖母のための六時課(7)を唱えるからすこ
し待つように合図した。そうするうちに、六時課の鐘が鳴り、二人は内陣へ入った。院長
が席に着くと、後に分かったことだが、主の天使がこの修道士の姿となって同じ修道服を
まとって告解をするかのように、院長の足元に跪いた。院長が彼を起こそうとすると、天
使は消えた。院長は我に返り、それは、修道士の告解を拒否した自分を非難している彼の
守護天使であると知った。
ひざまず
修練士 神の聖なる天使が人の足元にうやうやしく 跪 くとは、大変な驚きです。
修道士 高位聖職者がわれわれの救済にどうしても必要であることを、特にわれわれの
守護天使が必要として勧めたことを、高位聖職者が拒むならば、それは天使に逆らうと同
じだ。天が地に、黄金が泥にひざまずくように、天使が人に跪いた。それは天使が、院長
のおこなった無頓着を非難するためであり、院長を怖れで驚愕させて今後一層慎重にさせ
るためである。このことについて主は福音書で言っておられる。〈つまずきをもたらす者
は不幸である(マタイによる福音書18、6)。〉その少し後に、〈彼らの天使たちは天で
いつもわたしたちの天の父の御顔を仰いでいる(マタイによる福音書18、10)〉とあ
る。
院長は六時課の祈りを終えると、かの修道士を呼び寄せて言った。「すぐに告解をしな
さい。」修道士は院長に答えた。「院長さま、私は明日まで待ちます。」院長は吐き出すよ
うに言った。「あなたの告解を聞くまで、今日私は食事をしない。」昼食の時間だったから
である。それで修道士は同意した。
この時から院長は神に約束した、いかなる用があろうとも、いかなる機会であろうとも、
詩編の始まりであろうとも、聖母への祈りの途中であろうとも告解の希望があれば、聞く
ことを。
院長は高齢となり、身体が弱って院長職を全うできなかったので、マルタの働きをマリ
アの休息に変えた(8)。彼は毎日詩編を全編唱えることを神に約束した。こうして彼は徳
に満たされて主の許に赴き、天の聖なる天使に迎えられた。
彼の同僚のゴーチェがこの話をハイスターバハの修道院長ハインリヒに話し、ハインリ
ヒが私に話してくれた。ハインリヒが死んでキリストの許にありたいと熱望したとき、日
々こう祈った。「いつ私は御前にて、神の御顔を仰げるのでしょうか(詩編42、3)。」
神の声が彼に答えた。「あなたの目は輝かしい王を仰ぎ見るであろう(イザヤ書33、1
7)
。」彼が死にゆくとき、日中輝く星がその場所の上にあられて、この地域全体で見られ
た。
修練士 輝く星があらわれるのは、出ていく魂の功徳を表していると十分信じられます。
修道士 君の考えは正しい。太陽が出ているとき、天空に星が見られるのは、きわめて

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珍しいことだ。死にゆく人の上に星があらわれたのは、聖なる魂が徳の大きな輝きのなか
で正義の太陽(マラキ書3、20)なるキリストに受け入れられたしるしであった。
修練士 神が明確に修道会へ入会させる者たちを、特に死に際に輝かせることは、不思
議ではありません。
修道士 一人の修道士の修道会入会をこれから話そう。そこでひとえに聖霊による召命
(vocatio)あるいは神感(inspiratio)が関わったことを、君は知るであろう。

(1)コンラート三世(1093-1152)ドイツ王(1138-52)。1147年
第二次十字軍に参加。皇帝戴冠を受けなかったが、ローマ皇帝と称した。
(2)聖霊を受けるしるしとして、額などに聖油を塗ること。
(3)十字軍の名称は、十字軍兵士が肩に十字のしるしの布ぎれを縫い付けたことに由来
する。
(4)2ペトロの手紙、2、22参照。
(5)聖人。十二使徒の一人。ペトロ(岩の意)名によって、首位権を与えられ、カトリ
ック教会の頭、初代の教皇となる。
(6)オルヌ修道院はベルギーのブリュッセルの南約八キロに位置していた。現在は廃墟
(7)正午におこなわれる定時課。
(8)姉マルタと妹マリアに関してはルカ10、38-42による。

第7話 ケルンの聖ヤコブ教会の主任司祭エーヴェルハルトさまが、修道服
をまとった修道会入会前の院長ゲヴァルドゥスを見たこと。

ケルンのザンクト・マリア・アド・グラドゥス教会に、いまだ盛りの歳で世のむな
しさを感じていたゲヴァルドゥスという名の参事会員がいた。ある祝日、この教会が慣例
ま ち
により指定教会(1)だったので、義にして、信仰篤く、聖性のゆえに都市中で慕われてい
た聖ヤコブ教会の主任司祭エーヴェルハルトさまもそこへ赴いた。彼が内陣に近づきなか
を見ると、トンスラ(2)でシトー会の修道服をまとったゲヴァルドゥスが参事会員の間に
いたので、大いに驚いて心の内でこう言った。「ああ、ゲヴァルドゥスはいつ修道士にな
ったのか。」彼はそれが幻視であることに気づき、後に起きることを予感した。神の摂理
によりなされることは変えられないので、ゲヴァルドゥスに関して神があらかじめ示され
たことは不可避なことであった。しばらくしてから、若者ゲヴァルドゥスは多くの人が驚
くなか、世俗に別れを告げ、ヒンメロートへ赴き、そこの修道士になった。先の司祭エー
ヴェルハルトはこれを知ってヒンメロートに行き、ゲヴァルドゥスを訪ね、幻視のことを
すべての修練士に話した。
このことを私は敬愛する修道士フリードリヒから聞いた。彼は敬虔なエーヴェルハルト
がこの話をしたとき居合わせていた。
このゲヴァルドゥスはその後栄達して、聖ペトロの谷(ハイスターバハ)で初代修道院
長ヘルマンの後継者となった。彼によってハイスターバハ修道院は信仰においても財にお
いても大いに発展した。
この不思議な話に君があまり満足しないなら、聖ベルナルドゥスの言葉から真実味のあ

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る話をしてあげよう。
修練士 まだ読んでいませんので、ぜひ聞きたいです。

(1)statio 特定日にミサなどが行われることが決められていた教会。
(2)tonsura 聖職者が神への従順の印として頭頂部を丸く剃っている状態。

第8話 マインツ司教の部下、司祭マスケリヌスの修道会入り

修道士 院長聖ベルナルドゥスが、神聖ローマ皇帝ロタール(1)と彼の前任者ハインリ
ヒ(2)の甥たち(3)との間に平和を再構築するため、かつてドイツへ入ったとき、マインツ
司教アルベルトはマスケリヌスという名の司祭をベルナルドゥスの許へ遣わした。マスケ
リヌスは、自分はベルナルドゥスに伺候すべく遣わされたと言ったとき、神の人ベルナル
ドゥスはしばらくの間彼を見つめてからこう言った。「あなたは他の主人からその人に仕
えるべく遣わされたのです。」彼はこの言葉に驚いて、自分は司教から遣わされたと主張
したとき、敬虔なベルナルドゥスは答えた。「あなたは間違っている。きっと偉大な主人
キリストがあなたを遣わされたのです。」
マスケリヌスはこの言葉が何を意味しているかをそのとき初めて知って言った。「私が
修道士になりたいとでも思っておられるのですか。そういう考えは私にはありません。そ
んなことを私は考えもしなかったし、私の心の中にもありません。」
それでもなおマスケリヌスが反論すると、神の召使いベルナルドゥスは、自分がそう思
ったのではなく、神がお決めなったのだからそうなるに違いないと断言した。
マスケリヌスはこの旅で回心し、世俗に別れを告げ、クレルヴォーで修道士になった。
彼のどこに回心の意志があったのか。聖霊の意志のみが働いたのか。
修練士 あなたの話はうれしいです。悪霊にそそのかされただけで修道会入りした人の
話をぜひ聞かせていただきたいです。
修道士 ではその話をしよう。

(1)ロタール三世(1075-1137)ザクセン公(1106-1137)、ドイ
ツ王(1125-37)、神聖ローマ皇帝(1125-37)。
(2)ハインリヒ五世(1081-1125)ドイツ王(1106-25)、神聖
ローマ皇帝(1111-25)
(3)ロタールに対立してドイツ王の候補対象者となったのはシュヴァーベン大公フリ
-ドリヒ二世(1090-1147)、オーストリア辺境伯レオポルト(1073-11
36)である。

第9話 ヴィトリのステファヌス師の修道会入り

篤学の人、ヴィトリのステファヌス師があるときクレヴォーを訪ねたということが、す
でに挙げた修道院長(ベルナルドゥス)の行状伝に記されている。それで彼の修道会入り
は確実となった。彼の訪問により谷全体(クレルヴォー)が、この人の気高さで喜びに湧

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いていた。聖ベルナルドゥスはこんな言葉を発した。「悪霊が彼を連れてきたので、彼は
ひとりで来て、ひとりで戻るだろう。」
というのは、ステファヌスは、自分が学問を授けてきた数人の修練士を世俗に戻すべく
訪れたからである。敬虔なる院長ベルナルドゥスには、ステファヌスがここで長く修道生
つまず
活をおこなわないと分かっていたので、小さな心の者たちを 躓 かせないように、彼を受
け入れて修練士になることを承知した。だが悪霊は、彼を介して一年中その召使いの口を
通して修練士たちの耳にささやいたが、何ら成功しなかった。悪霊は、修練士たちを破滅
すべくここへ連れてきた者のみを、神の人の予言によって大恥をかかせて俗界へ戻した。
類似の一例を話そう。

第10話 修練期間中に泥棒して逃亡した司祭ゴスヴィンの修道会入り

二人の遍歴の司祭がハイスターバハに来て、修道会入りを申し入れた。彼らがずっとそ
こで暮らす見込みはほとんどなかったので、彼らの望みは拒否された。一人は去ったが、
ゴスヴィンという名のもう一人は強く望んだので、受け入れてもらった。彼はどうにか6
週間修練を受けたが、ある夜の朝課(1)の間に彼を連れてきた者の指図で窃盗をおこない、
逃げ去った。
修練士 ひょっとして彼は単純な意図で来たのでしょう。
修道士 そんなことはない。かつて彼は仲間と一緒に修道院客用宿舎に着き、迎え入
れられる際もめたとき、一人がもう一人にこう言った。「放っておけ。今はやつらはわれ
われに厳しいが、やつらを騙そう。」彼らは気づかなかったが、修練士の一人がその話を
聞いてしまった。
軽率に修道会入りする者がいることは、われわれがたびたび経験したことだ。

(1)夜中になされる祈り。聖務日課は、朝課、一時課(日の出頃)、三時課(朝の九時
頃)、六時課(昼頃)、九時課(午後三時頃)、晩課(夕方の六時頃)、終課(就寝前)
に分けられる。

第11話 修道服をまとう前に逃げ去ったケルンの参事会員

後で分かったことだが、ケルンのある若い参事会員が、修道会に入る熱意よりも軽率さ
からハイスターバハを訪れた。彼はわれわれに意図を話した。それは特に若い修道士たち
には少なからず喜びとなった。
院長ゲヴァルドゥスさまは、その若者が自分の服を賭けで失って下着だけでやって来た
ので、修道院入りの希望は単に軽率さによることを見抜いた。修道士たちは彼の受け入れ
を強く望んだが、院長は同意しなかった。若者は来た道を戻り、その後は修道院に入りた
いとは言わなかった。

第12話 借金を返すために修練期間中に逃げ出して、戻らなかったまた別
の若者

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また別の、生まれのよい裕福な家柄の息子である若者が、親の知らぬ間に修道院を訪れ、
すぐに受け入れられた。私は彼の名も先の若者の名も明らかにしようとは思わない。彼ら
が戻ってくることを期待して、彼らに恥をかかせないためである。
こうして彼は修練士となるや、三日か五日が過ぎた頃、彼の友人たちがやって来て悲し
み、還俗するようにといろいろ言ってせっついた。彼らは、彼が賭けで財産の多くを失っ
たため、信心よりも苦悩から修道院入りしたことを知っていたからである。彼らは何の効
果も得なかったので、借金を返済したらすぐに修道院に戻るようにと言いくるめた。
こうして彼は暴力ではなく、策略で友人たちにより修道院から連れ出され、戻らなかっ
た。彼は院長を介して神に荘厳誓願(1)をおこなったので、聖職者たちの前で院長の裁判
を受けた。彼は特使の手紙やできる限りの方法で自己を弁護し、軽率と苦悩から修道院入
りをしたと主張した。もしこれが偽りだったら、院長ハインリヒさまに倣ったはずだ。
修練士 それがどういう話なのか、聞きたいです。

(1)solemne votum 誓願は神にたいする約束である。荘厳誓願は通常の誓願に比べて


厳しい義務が課せられ、違反すれば厳しく罰せられる。

第13話 修道院長ハインリヒの修道院入り

修道士 このハインリヒは、かつてボンの教会の参事会員であって、かなりの収入があ
った。神の息吹に触れ、偽りの俗界をひそかに捨て、シトー会に憧れて入会のためシトー
会の修道院を訪れた。ハインリヒの兄弟の二人の騎士は、彼が修道院客室に滞在している
間に、彼が家を出たことを知り、世俗の人間さながら、霊よりも肉を、永遠よりも刹那を
当然楽しみ、重んじ、困惑した。二人は急いでやって来て、この機会に母の意向というこ
とで彼を修道院から連れだすべく召使いを送り込んだ。召使いが彼を落ち合い場所に連れ
てきたとき、彼らがかけつけ、いやがって抵抗する彼を力ずくで馬に乗せて連れ戻した。
修道院中が悲しんだ。というのは、彼はまだ修道服を身につけていなかったからである。
彼はしばらくの間、兄弟と一緒に暮らしていたが、彼らが油断している間に再度逃げだし
て、修道服をまとい、還俗の可能性を捨てた。
彼は前の話の二人のようではなかった。彼の修道院入りは、軽率という悪徳ではなく、
粘り強さという徳によるものであった。この話及び私が教化のために記すべき他の話は、
『道徳的な説教(1)』において救世主の幼少時代について述べたことと同じである。
修練士 修練士を俗界に戻す罪は重いと思います。
修道士 罪がどのようなものであるか、罰から容易にわかる。

(1)Homiliae de infantia servatoris Jesu Christi『救世主イエス・キリストの幼少時代につ


いて(1218-19)』

第14話 堕落した修練士レオニウスの死

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私が修道会へ入る前のことであるが、ケルンのザンクト・マリア・アド・グラドゥス教
会にある参事会員がいた。世俗に別れを告げ、修道服を受け取った。この若者の名前はレ
オニウスといい、私は彼をよく知っていた。彼には世俗の権力を有する騎士の兄弟がいた。
兄弟たちは、レオニウスの修道院入りを知って狼狽し、修道院を訪れ、世俗に戻るように
いろいろと説得し、修道生活の厳しさを言い立てた。彼には借金があったので、彼らは、
彼がとりあえず修道院を出て、借金を返済し、問題を片づけてから、修道院に戻り、神に
奉仕するのが理にかなっていると言った。彼らは彼を修道院に戻すことを約束した。
この哀れなレオニウスは兄弟たちの言葉に惑わされ、修道院を出ることに同意したが、
罠には気づかなかった。院長ヘルマンさまはこれを見て、ため息をつき、大いに悲しみ、
兄弟の騎士に言った。「今日あなたたちはあなたの兄弟を楽園から追い出し、地獄に落と
した。」
レオニウスは参事会員に戻り、以前よりも行状悪く、借金を返済するよりも悪徳にうつ
つを抜かした。二、三年後重い病気になり、神の正義の審判により病気のひどさから気が
狂った。身近の者は彼に告解と聖体拝領を勧めたが、彼は救いの言葉には注意を向けず、
元気なときに交わった女たちの名前を何回も呼んだ。彼は子犬の肉を細かく刻んで、温か
い肉片を薬として頭の上に直にのせてもらったが、何の効果もなかった。子犬の肉では修
道生活放棄の罰としての狂気は癒されなかった。
ではまた別の修練士の話を聞きなさい。

第15話 修練士ベンネコの恐ろしい死、及び誓願の後で世俗に戻ることが
修練士には許されないこと

パルマースドルフ村の出のベンネコという名の騎士は、修練期間中は私と一緒だった。
彼は高齢であって、修道生活にはあまり熱心ではなかった。彼は種々な試練を受け、試練
に負け、修道士たちの助言を受けいれずに、犬が自らの嘔吐物に戻るように、哀れにも世
俗に戻った。彼はもう一度修道生活をしようとしたが、病気になったので、自分の家で俗
いまわ
人の服を着て、贖罪のしるしを表さずに最期を迎えた。今際の際に家の回りに風が吹き、
からす
たくさんの 烏 が屋根の上に止まったので、一人の老婆以外は全員驚いて逃げてしまい、
死にゆく者を見捨てた。神から離反する者は、このようにして死ぬのである。
修練士 烏の大群がカアカア鳴くこととか、風が吹くこととかは、悪魔がそこにいた
ことの明らかな証拠だと思います。
修道士 その通りだ。救世主はこう言っておられる。〈鋤に手をかけてから後ろを顧み
ない者は、神の国にふさわしくない(ルカによる福音書9、62)。〉この騎士は、修道院
を出て、後ろを振り返ったため、罪を償わず、自分の方から地獄の召使いたちを喜ばせた。
修練士 もし修練士にとって世俗に戻ることが罪であるならば、修練士について戒律の
なかでこんな言葉で述べられているように、聖ベネディクトゥスが定めているのことはど
ういうことでしょうか。〈みよ、これこそあなたがそれに従い奉仕することを願っている
掟である。もしこれを遵守することができるなら、修道院に入りなさい。もしできないな
ら、立ち去るのは自由です(聖ベネディクトゥスの戒律第五十八章、十)。〉
修道士 聖なる父ベネディクトゥスは、この二つの罪を犯した場合、すでに告解が終わ

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った後の修道士よりも、修練期間中に修練士が修道院から出ていくことを望んだ。それゆ
え、ベネディクトゥスは、その者を誓願からではなく、場所から自由になった者と呼んで
いる。すでに修道服を身につけて、一、二度参事会の前で定住を約束した人たちのことは、
問題にしない。言葉のみで院長を介して誓願をした世俗の人は、世俗の生活を続けること
や結婚することは決して許されていない。院長は修練士に関してやむを得ない場合にはよ
り戒律が緩やかな修道院に移すことはするが、世俗の生活に戻ることは許していない。
これまでの話から君ははっきり分かるであろう。修道院入りをする動機は、神の召命に
より人や悪霊にそそのかされた人はわずかで、たいていの人は軽率な心からである。幾人
かは他の人の力添えで修道院入りすることは確実である。かつて神の幕屋で天幕が天幕を
引きつけたように、今日では神に教会で兄弟が兄弟を、三つの方法で、つまり説教、祈り、
模範的な修道生活によって引き寄せるからである。この三重の綱は切れにくい。
修練士 それについての例話が聞きたいです。

第16話 クレルボーの萎えたハインリヒの修道院入り

修道士 クレルボーで十一年前、ハインリヒという名の修道士が死んだ。老いて尊く、
もろ
身体は萎えて脆かったが、心は大層広く大きかった。彼は神から多くの慰め、たくさんの
啓示を与えられ、予言の力に秀で霊的な恩恵に欠けることはなかった。
この尊い人を院長たちは総会の折にたびたび訪ねた。彼は彼らを説教で霊的に感動させ
た。彼はシトー会の修道院長ゲヴァルドゥスさまと親しかったので、ゲヴァルドゥスさま
に自らの修道院入りを一部始終こう詳しく話した。
聖ベネディクトゥスがコンスタンツ司教区で十字軍勧説をおこなっていたとき、ハイン
リヒがこの説教をたまたま聞いていた。ハインリヒは裕福で権力があり、たくさんの城を
有し、財によって数々の罪をも犯した。神の人ベルナルドゥスの説教に心をひきつけられ、
ベルナルドゥスに言った。「ベルナルドゥスさま、私がここで聞いている、あなたの修道
会の習慣、つまり、あなたのところへ来る者たちが分け隔てなく種々な地域に送り出され
るという習慣が私に驚きでなければ、私はすぐにあなたに身を委ねるでしょう。」
聖ベルナルドゥスは彼に答えた。「あなたが何らかの条件をつけるなら、あなたを受け
入れません。だがもしあなたがクレルボーで修道士になるのなら、そこであなたは生命を
終えることを約束します。」
ハインリヒはこの言葉を聞いて、ただちにベルナルドゥスの下で修道士になった。ハイ
ンリヒは二つの言語、つまりフランス語とドイツ語に大いに通じていたので、院長の通訳
になった。
ハインリヒの召使いの弓手、残忍で血の気の多い男は、ハインリヒの修道会入りに大い
に怒り、聖ベルナルドゥスを射るべく弓に矢をつがえた。
この男はただちに神の天使によって打ち据えられ、後ろざまに倒れて死んだ。ハインリ
ヒはこの男のかくも突然の死に驚愕し、この男の魂の喪失を大いに悲しみ、ベルナルドゥ
スの聖性と奇跡の力を知って、ベルナルドゥスの足許にひれ伏してへりくだり、多くの哀
れな者を地獄の底からすくい上げてくれるよう乞い願った。
敬虔なる人ベルナルドゥスは、一人の人の悲しみともう一人の人の死を憐れみ、膝を屈

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して、涙を流して神に祈り、死した者をすばやく生き返らせた。生き返ると、ベルナルド
ゥスの足許に倒れ伏し、自分を修練士として受け入れてくれるように、大いにため息をつ
いて願った。
ベルナルドゥスは彼に言った。「あなたは元々恥知らずで、ねじけているから修道院に
入る必要はありません。あなたは十字架を受け取り、海を渡り、サラセン人との戦いで生
命を終えることを、私は望んでいます。」
弓手はそうした。彼は十字架を受け取り、海を渡り、十字架の敵と戦い、戦いで殺害さ
れ、神の許に赴いた。
同じ頃、ある萎えた女が神の人ベルナルドゥスの名を大声で呼び、快癒を乞うた。ベル
ナルドゥスは先を進んでいたので、女は追いつくことができなかった。ハインリヒは彼女
を憐れみ、自分の馬に乗せ、ベルナルドゥスのところへ連れて行き、祝福を受けさせてか
ら、元のところで下ろした。彼女は癒え、立って自分の足で喜んで家に戻った。
この話を私は院長ゲヴァルドゥスさまから直接聞いた。ある時、ベルナルドゥスによっ
て遠地に送られ、足の下の氷が割れ、ずっと水の中に浸かっていたが、ベルナルドゥスの
祝福によって奇跡的に引き上げられたのは、このハインリヒさまである。彼は説教で回心
した。
私が他の人のことを話すことを、自分に起こったこととして楽しんでいるのに、どうし
て遠くの例を探すことがあろうか。

第17話 この昨品の著者の修道院入り

フィリップ王(1)がケルン司教区を初めて破壊したとき、私はヴァルバーベルクの修道
院長ゲルヴァルドゥスさまとケルンに向かっていた。道すがらゲヴァルドゥスさまは私に
熱心に修道院入りを勧めてくれたが、私はいい返事をしなかったので、クレルヴォーの不
思議な出来事を話してくれた。こういう話である。
収穫時、クレルヴォーで修道士たちが刈り入れをしていたとき、聖母マリアと彼女の母
アンナ、聖マリア・マグダレナ(2)が山から下って来た。向かい側である敬虔な人が眺め
ていると、彼女たちは光り輝いて谷に下りてきて、修道士たちの汗をふき、袖を扇にして
風を起こした。ほかの出来事も述べられている。
この幻視の話に私は大いに心を動かされ、私は院長に約束した、もし神が私に修道院入
りの御意志を向けられるならば、私は院長の修道院以外には入らないことを。
その頃私は誓願によってロカマドゥール(3)の聖マリア像への巡礼をしなければならな
くなった。ずっと控えていたが、三ヶ月後にこのことが実行された。私の友人の誰も知ら
ないうちに、神の御慈悲にのみ導かれて、私は聖ペトロの谷(ハイスターバハ)に来て、
私が言葉で理解したことを、修練士となっておこないによって実行した。
ほぼ類似のことが、シトー会士ディンデンのゲルラッハにも起こった。
修練士 今世俗にいる人々がそのような例話を聞くことは有益でしょう。

(1)シュヴァーベン公フィリップ(1177-1208)。神聖ローマ皇帝(1198
-1208)、1196年シュヴァーベン公、1208年暗殺される。

- 18 -
(2)七つの悪霊にとりつかれたが、イエスに取り除いてもらってから、イエスに従った、
ガリレア出身の聖女。
(3)南フランスの一大巡礼地。

第18話 人の話で修練士となったディンデンのゲルラッハ

修道士 三年前、今はハイスターバハの修道院長であるハインリヒさまが、クレルヴォ
ーの院長代理としてフリジアを訪れたとき、スエデルスという名の騎士の城に滞在するこ
とになった。ハインリヒさまがスエデルスから非常に丁重に迎えられ、彼の慣習であった
が、修道会で起きた不思議な話をそこでした。
スエデルスの甥、ユトレヒトの司教座教会の参事会員であったゲルラッハもそこにいた。
肥沃な土地のごとく、彼は言葉の種を心の畑にまき、そこからたくさんの果実を得ていた。
ゲルラッハが後に修練期間中私に話したことであるが、彼はハインリヒさまの訪問の時
から修道会入りについて揺らぎ、燃えだした炎をいかにして消したらよいか、真剣に考え
始めた。機会が訪れたので、表向きは勉学のためということを悟られないように、パリへ
向かった。しばらくの間そこで過ごしてから、ハイスターバハに来て、修練士となって、
霊的な勉学にいそしんだ。
上の二つの例から、黙示録の〈これを聞く者も、来てください、と言うがよい(ヨハネ
の黙示録22、17)〉ということが実現されるために、言葉によって修道院入りする者
もいることは確かである。内なる息吹によって自分を呼んでくださる神の声を聞く者は、
当然他の人をも喚起の言葉で呼ぼうとする。
修練士 言葉に関してはこれで十分であると告白します。さあ、お願いします。祈りに
ついて話を進めてください。
修道士 言葉に喚起されて多くの人が修道院入りするように、祈りなる徳もさらに多く
の人を修道院に惹き付ける。それについて使徒ヤコブが言っている。〈救われるために、
互いに祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力である(ヤコブの手紙5、16)
。〉
祈りの効果について次の例話をよく聞きなさい。

第19話 フランス王の異母兄弟アンリの修道院入り

フランス王の異母兄弟アンリ(1)が、世俗の件で聖ベルナルドゥスと討議するために、
ある時クレルヴォーへ赴いた。アンリは修道院を訪れ、彼らの祈りに身を委ねた。
敬虔な院長ベルナルドゥスはアンリにとりわけ至福となる生き方を勧めて言った。「あ
なたが今のままで死なないよう、私は神に祈ります。あなたが委ねた人たちの祈りによっ
てあなたが救われることを、あなたはすぐに経験で知るでしょう。」
この日のうちに、多くの人が驚くなかこのことが実行された。彼らはかくも名だたる若
者の修道会入りを喜んだ。彼の身内は彼のことを嘆き、死者にたいするように悲嘆の叫び
声を挙げた。
修練士 自分が修道院入りにふさわしいと表明した人が、できるだけ早くそのようにす
るのは、私には不思議なことではありません。

- 19 -
修道士 もし彼の修道会入りを、君が義なる人の祈りによるよりも彼の功績によるもの
とみなすならば、後で何が起こったかを聞きなさい。すでに述べたように、彼の仲間と親
びと
族が嘆いていると、パリ人アンドレは苦痛に耐えられず狂ったようになって、自分の主人
を酔っ払い、気違い、自制心の効かない者と呼び、叫んだり罵ったりするのを控えなかっ
た。
アンリが聖なる人ベルナルドゥスに、アンドレの修道院入りのために骨を折っていただ
きたいと願ったとき、ベルナルドゥスはこう答えた。「あなたは彼のために心をくだいて
はいけません。彼の魂はなお苦しみのなかにあり、彼はあなたのものです。」
ベルナルドゥスは、アンドレがいるところで、同じ言葉を繰り返した。後に告白してい
るように、アンドレは聖なる修道生活を大いに忌み嫌い、心のなかでひそかにこんなこと
を独りごちた。「この点あなたは間違った預言者だ。それで絶対私はあなたが言うように
はならない。あなたの間違いがすべての人たちに知れ渡るように、私は祝日の集まりで王
と諸侯の前であなたを非難するでしょう。」
翌日、アンドレは修道院を去り、修道院を呪い、谷が壊滅することを願ったが、その夜、
神の恩寵に引きつけられ、神の息吹にとらえられ、金縛りにあったように圧せられ、夜が
明けるのを待たずに修道院に戻り、すべての者が驚くなかを、第二のサウロ(2)のごとく、
聖なる人の下に戻った。
アンドレのどこに修道会入りする意志あるいは修道会入りの素質があったかを問おう。
このアンドレは、ともあれ、恩寵に背いた。だが聖なる人たちの祈りの力が離反者を力強
く回心させた。
修練士 これらの話は不思議で、驚くべきことです。私が考えますに、義なる人の祈り
は特に罪人には望ましいです。

(1)アンリ・ド・フランス(1121/23-75)。フランス王ルイ七世(1120
頃-80、在位1137-80)の弟。1145年クレルヴォー修道院に入り、1149
年ボーヴェの司教。
(2)使徒パウロのユダヤ名。キリストの迫害者が立場を転じて擁護者になったことから。

第20話 夜、門の前で子供の姿で人前にあらわれた者の修道院入り

修道士 われわれの修道院にある修道士がいる。彼が修道院へ入る際、若すぎて修道院
へは入れない(1)唯一人の実の弟を世俗に残してきた。彼は、弟が俗事に巻き込まれ、そ
のため修道院入りが妨げられるのを恐れ、毎日神、特に聖母マリアの取りなしで弟の修道
会入りを急がせてくれるように祈り、世俗にいること自体が危険であると考えた。子供と
いうのは簡単に考えが変わことが分かっていた。
憐れみ深い神は彼の弟にたいする敬虔な切望に目を向けられ、受け入れれば、院長の地
位をも失いかねない相応年齢に達していない少年を受け入れるように院長の心におとどめ
になった。その少年が修道服をまとったその夜、ある司祭が少年のこんな幻を見た。いと
美しい聖母が修道院の門の前に立って、美しい子供を腕に抱いているのを、司祭は見た。
聖母は彼から誰の子供かと問われて、「あの修道士の子供です」と答え、少年の兄の名を

- 20 -
挙げると同時に修道院入りしたばかりの少年の名をも挙げた。
この幻を見た司祭は、それが神のいと美しい聖母であったと理解した。名を挙げたのは、
使徒の言葉による。〈よく生きるために言葉や例話によって他の人に知らせる者は、キリ
ストに近づけるためにその人を自分の息子のようにもうける(2)。〉
母が息子を見せるように、尊い聖母が修練士を修道院の門で示し給うたのは、修練士の
修道院入りが、兄の修道士の祈りによって、聖母の大きな功徳によって実現されたことを
明らかにされたのである。
修練士 これらのことから十二分に祈りの力が分かります。模範となる修道生活に力が
あるかを知りたいです。
修道士 多くの者が日々勧めの言葉もなく、いかなる特別な祈りの助けもなく、模範的
な修道生活によってだけで修道会に引きつけられ、彼らが目にする敬虔、戒律、聖性なる
しるしによって修道院入りするのだ。

(1)修道院へ入れる年齢は、12世紀の前半では15歳以上、後半以降は18歳以上と
されていた。
(2)1コリントの使徒への手紙、15参照。

ひざまず
第21話 死者を埋葬する際、 跪 くのを見て修道院入りを心に
抱いた修道士テオドリヒとベルンハルト

シトー会士テオドリヒが、若くしてまだ世俗にあったとき、今は修練士である彼の親族
の司祭を訪れたが、修道院入りするために訪れたのではなかった。
ちょうどその時、ある修道士が死んで埋葬されることになった。埋葬されると、修道士
たちは交唱〈いと慈悲深き主よ〉を唱えてから、墓の周りで大層へりくだって、膝を屈し
つみびと
〈主よ、罪人に憐れみを〉を唱えた。
こうして若者は悔悟して、修道院入りに燃え立った。彼が院長ゲヴァルドゥスさまか
ら修道院入りを勧められたときには望んでいなかったが、この時から受け入れられるよう
に絶えず祈った。彼は修道会入りのこういう出来事をたびたび修練期間中に話してくれた。
ひざまず
ヴィレール修道院で同種の 跪 き(1)を見て初めて修道院入りを決めたことを、われわ
れの修道士ベルンハルトも私に話してくれた。
修練士 かくも小さなことがかくも大きな効果を心のなかに生むのは不思議です。
修道士 どの点が不思議なのか。小さな丸薬は塊では小さいが、その効果はとても大き
い。それは全身の血管を駆け巡り、毒素を散らし、外へ出し、病人を快癒させる。丸薬が
体に入ればかくなる効果があるのに、跪くのを見る方がより大きいこと、それは霊的であ
るがゆえに大きいことに、どうして君は驚くのか。
もう一つの例話を聞きなさい。

(1)venia 普通は「好意、赦し」の意味で使われるが、ここでは「跪き」なる特殊の
意味で使われている。

- 21 -
第22話 オスナブリュックの司教アドルフさまの修道院入り

今はオスナブリュックの司教である、高貴で若い頃のアドルフさまは、ケルンの司教座
聖堂の参事会員であった。彼はある時、カンプのシトー会修道院を訪れ、ミサの後、礼拝
堂でなおも祈りを続けていると、修道士たちが、老若を問わず、たくさんの祭壇へかけよ
り、むち打ちを受けるために背中を露わにして、へりくだって罪を告白しているのを見た。
彼と親しい人が私に話してくれたのだが、これを見て、この若者の心に敬虔な気持ちが
あふれ修道院から外へ出ることができず、世俗の華美を軽蔑し、全身を神に向け、そこに
留まり、聖なる修道服を受け取った。彼はそこでたいへん栄達し、しばらくして高貴のゆ
えにまた敬神のゆえに、オスナブリュックの教会で司教なる頂点にまで上りつめた。

第23話 用度係ハインリヒの修道院入り

君はシトー会の修道院の用度係(1)ハインリヒ修道士を知っている。彼の修道会入りは
こういう次第であった。
彼が司祭でトリーアの司教座聖堂の参事会員であり、他にもいくつかの聖職禄を受けて
いたが、あるとき病気になった。健康を取り戻すことを期待して、財貨を携え、船でケル
ンにくだることを決めた。そこにたくさんいる医者に病気のことを相談し、転地療養で病
を治すためであった。
彼はわれわれの修道院の近くに来て、その場所を尋ね、確認した。彼は修道院での宿泊
を望んでいると言って、修道院までのる馬のことで院長のところへ事前に召使いを送って
いて、馬を受け取った。その夜、彼は何を見たにせよ、いかなる霊感によってにせよ、修
道院入りを果たして、翌朝、泣く召使いを船で送り返し、修道服を規則通りに身につけ、
われわれのところに留まった。

(1)camerarius 修道院で衣服や厨房を司る職。

第24話 司祭ゲルラッハの修道院入り

司祭でシトー会の修道士であるゲルラッハは、私に告白したように、彼が見たシトー会
のある修道士の信仰表明によってはじめて修道院入りの願望を心に抱いた。
ある日、君もよく知っているハインリヒ修道士が、ゲルラッハの教区でミサを挙げてい
たとき、いつものように恩寵の涙を流していると、彼のそばでミサの侍者を務めていたゲ
ルラッハがこれを見て感嘆し、神を讃えた。この時から、ゲルラッハは修道会の一員にな
るまで、休むことなく、修道会を愛し始めた。
他の人を模範にして修道院入りした人たちについてなおも君に多くのことを語ることが
できるが、ここでとどめておこう。
修練士 私が今聞いたことによれば、ある人たちは勧めの言葉で、ある人たちは祈りの
力で、かなり多くの人たちは修道生活を模範にして修道院入りすることは確実です。
修道士 今までの話にもあるが、多くの人たちの修道院入りの契機となるものは、他に

- 22 -
ものたくさんある。つまり、病気、貧困、囚われ、不名誉の流布、今の生存の危機、地獄
の罰の恐れや姿、ひとえに天上の生活への希望である。
修練士 それについて話してください。
修道士 病気のために修道会入りする人もいることをわれわれは日々見ている。

第25話 修道院入りの誓願で癒えた騎士ルートヴィヒ

三年前、アルテンアール城のルートヴィヒという名の騎士が重い病気になり、ハイスタ
ーバハの院長さまが病み人を訪ねるよう呼びよせられた。かの騎士は病がひどくなり、絶
望していたとき、修道院に入って、慣習通り修道院入りの誓願を言葉で表すように、院長
から勧められた。ルートヴィヒが助言を受け入れ、妻の同意で院長の手に自らを委ねるや、
彼の顔色は変わり始めた。つまりこんな風に変化しだした。血色ない顔は輝き、青ざめた
顔色は赤みをおびた。そこに居合わせた人々はすべて驚き、死にゆくものにたいする神の
賜物を賞賛した。彼の修道院入りの誓願で慈悲深き主は、病み人の寿命を延ばすことをは
っきりと表明されたことで、彼は汗をかかず、血を流さず、くしゃみをせず、病気の重さ
にもかかわらず、早く回復しだした。彼は神の賜物に感謝して、われわれの修道院へ連れ
てこられ、そこで修練士、修道士となり、しばらくしてから神の許に赴いた。
修練士 あなたの言葉をまとめてみると、あなたの考えでは、病み人が悔い改めと祈り
によって生命を延ばすことができるということです。

第26話 神が悔い改めた罪人の寿命を延ばされること、およびヒゼキア
の例

修道士 私は断言しないが、ある人が神によって定められた寿命を引き延ばすことがで
きると私は思わない。しかし差し迫る死の時をときには避けることはできると思う。そう
でないなら、教会が病み人のために祈ることは不必要であろう。聖なる祈りが死にゆく人
たちの寿命を延ばせるなら、もっと簡単なことだが、なぜ祈りが死にゆく人を良い状態に
しないのであろうか。
悔悟して、泣くヒゼキア(1)にイザヤ(2)を介して神がこう言われる。〈私はあなたの祈
りを聞き、あなたの涙を見た。さあ、私はあなたの寿命を十五年延ばそう(イザヤ書38、
5)
。〉
この箇所についてハイモ(3)はこう言っている。「アダムが神の命令に従うならば、とい
う条件で不死が与えられたように、ヒゼキアが無辜に生きて傲慢でなければ、神の予定(4)
で彼にもここ数年の寿命が与えられたことを知らねばならない。しかし傲慢のゆえに減ぜ
られた寿命は謙遜のゆえにまた延ばされた。」
修練士 神の予定の問題は多くのものにとって誤りやすく難しいことですので、聖書か
ら明らかに証明されてほしいです。
修道士 神の予定の問題は私にはまさしく解けない問題だ。つまり〈誰が神の心を知っ
ているか。あるいは誰が神の助言者だったのか(ローマの信徒への手紙11、34)>と
いうことだ。しかしここに言われていることは、聖書の権威で強められている。聖ヨブ(4)

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が人間の移ろいやすさを語って、神にこう言っている。〈あなたは踏み越えられない寿命
を定めた(ヨブ記14、5)。〉
ここで君は分かったろう。生きている人間の寿命は神によって定められていて、その寿
命は変えられないことを。悪い生きかたをして寿命を早めることもありうることを、詩編
作者がこう言っている。〈欺くもの、流血の罪を犯すものは寿命の半分にも達しないだろ
う(詩編55、24)。〉これらのものが罪を犯さなかったならば、生きることができたで
あろう日々の半分しか与えられないならば、彼らは定められた寿命のずっと前に死ぬこと
は確実である。同じように、善なる人はよく生きることによって、寿命より長く生きるこ
とができる。善なる人のなかでとりわけある一人の人についてこう言われている。〈彼の
心が悪にゆがめられないように、魂が不実なものにゆがめられないように彼はもっていか
れた(5)。〉
愚かな者は愚かなことを言ったり信じたりすることを止めなければならない。この頃は
寿命を満たし、老齢まで達する諸侯や貴族は少ないからだ。それはなぜかといえば、彼ら
は貧乏人から略奪し、貧乏人の涙で寿命の前におぼれ死ぬからである。罪を犯すことによ
って寿命を縮めることを信じなかったがゆえに、かまわず罪を犯した暴君の例を聞きたく
ないか。
修練士 ぜひ聞きたいです。

(1)前八世紀後半―七世紀初頭のユダ王国の王。宗主国アッシリアに反旗を翻したが、
反乱は鎮圧され、重い賠償を課せられた。
(2) 紀元前八世紀ユダ王国で活動した、最大の預言者。
(3) ハルバシュタットのハイモ(8世紀末-853)ベネディクトゥス会士、著作家、
ハルバシュタットの司教。
(4)苦難に屈せず信仰を貫いたウツの義人。
(5)旧約聖書外典ソロモンの知恵4、11参照。

第27話 方伯ルートヴィヒの誤謬と予定

修道士 修道士たちの話から、二年前に亡くなった方伯ヘルマン(1)の父、方伯ルート
ヴィヒ(2)は自分の魂のみならず、家臣の財も危機に陥ったことを、私は知った。
ルートヴィヒは盗賊としてもたいへんな暴君としても、自分に委ねられた民に多くの過
酷な税を課し、教会のたくさんの財を奪取した。これらや他のたくさんの悪行のゆえに告
解のとき、聖職者たちが悪人にたいする罰と選ばれし人々の栄光を示して彼を非難したと
き、彼はこうひどい答えを返した。「あらかじめ定められていることなら、どんな罪を犯
しても私から天国は奪われやしないし、あらかじめ決まっていることなら、どんな善行に
よっても私には天国は与えられないだろう。」
さらにチューリンゲン出身のわれわれの老修道士コンラートがいつも私に話していたこ
とだが、ルートヴィヒは自分を非難する人たちに、自己弁護のために諺のようにこんな詩
編の一句〈天は神のもの、神は人間の子に地を与えた(詩編115、16)〉を唱えるの
だった。実際ルートヴィヒは教養があり、そのためになおさら強情だった。神を畏れる人

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たちが彼に「あなたの魂をおもんぱかり、罪を犯すことをやめなさい。神があなたの罪に
よってお怒りになり、罪人を罪のゆえに滅されないように」と言ったとき、再度彼はこう
答えた。「私に最期の日が来れば、死ぬだろう。よく生きて寿命を延ばすこともできない
し、悪く生きて寿命を超えることもできない。」
恵み深き神は、慈悲によってルートヴィヒをかくなる誤謬から正常な心に戻そうと欲せ
られ、危険な病気によって彼をむち打たれた。医者が呼ばれてた。この医者は立派な人で
賢明で、医学のみならず神学においても少なからず素養があった。ルートヴィヒは彼に言
った。「あなたが目にしているように、私の病気は重い。私が回復するように、骨折って
くれ。」
医者はルートヴィヒの誤りに気づいてこう答えた。「閣下、あなたの寿命が尽きたのな
ら、私の治療で死からあなたを引き戻すことはできないでしょう。もしあなたがこの病気
で死なないのなら、私の薬は無駄になるでしょう。」
ルートヴィヒは言った。「あなたはどうしてそんなことを言うのか。もし私に入念な治
療がなされず、適切な日常生活が示されなかったなら、わしは自分のことも分からず、他
の未経験な人からも無視され、寿命の前に死ぬであろう。」この言葉を聞いて、医者は喜
び、機会を捉えて言った。「閣下、もしあなたの寿命が薬の力で延ばされるとあなたが信
じるならば、魂の解毒剤である悔悟と正義の働きをなぜ信じないのですか。これなくして
は魂は死にこの先の生命の癒やしには達しません。」
方伯はこの言葉の重みを考えた。医者は理性的に話したので、方伯は彼に言った。「今
後私の魂の医者になってくれ。あなたの言葉の薬で神は私をひどい誤りから救ってくれた
からだ。」
修練士 その方伯はその後よい生きかたをしたのですか。
修道士 しなかった。彼は言葉で約束したことを実行しなかった。彼の最期がどうで
あったか、どれだけの罪の重みで死んだか、彼の罰の苦しみについて以下のところで君は
知るであろう。それでは先立つ問題に戻ろう。君は問いを広げすぎたからだ。

(1)ヘルマン一世(1155-1217)チューリンゲン方伯。
(2)ルートヴィヒ二世(1128-1172)チューリンゲン方伯。

第28話 何人かが貧困のために修道院入りしたこと

多くの人が病気の治療のために修道会に入るが、もっと多くの人は貧困が原因でやむを
得ず修道院へ入る。かつて騎士であったり市民であったりした、世俗では裕福で名誉ある
人たちが、貧困のせいで修道院入りするのを、これまでたびたびわれわれは見てきたし、
また毎日見ている。彼らは親類や名ある人の間で貧しさの汚辱に耐えるよりも、むしろや
むを得ず力ある神に仕えようとする。
ある人望の厚い男が私に修道院入りのいきさつを話したとき、彼はこう付け加えた。
「私
が財に恵まれておれば、確実に修道院へ入らなかったでしょう。」
父親や兄弟が修道院入りしても、修道院入りを拒んだ何人かを私は知っている。彼らは
残されたすべてを使い果たしたとき、初めて修道院へ入り、貧困を敬神のマントで隠すか、

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またはこの貧困によって徳を作り出す。
修練士 そのようなきっかけで修道会へ入る、特にたくさんの修練士を見ていますので、
そのような例について尋ねることはありません。しかし富を有しているが、それをキリス
トのために軽んじる人は至福です。
修道士 彼らは富の所有者であるがゆえに幸福であるのではなく、富を軽んじるがゆえ
に幸福なのだ。富のたくさんの喜捨よりも、やもめの二枚の硬貨の方が神に好まれる。
罪に恥じ入ってか、汚名のゆえに修道院入りする人もいることを知りなさい。

第29話 窃盗を恥じて修道院入りした参事会員

われわれの修道院で修練士だったある若者は、次のような経緯で修道会入りをした。彼
はケルンのある教会の参事会員だった。彼は声望ある聖職者のところにそのころ一時身を
寄せていたが、小さいとはいえ、窃盗をおこなって聖職者の召使いに捕らえられ、恥じ入
って世俗から逃れ、われわれの修道院に来て修練士になった。彼は同職者の間でかくなる
恥にたえるよりも、神に仕える方を欲した。私はその頃同じ教会にいて、彼の修道会入り
の理由を知り、そのような修道院入りは長続きしない、とかなり心配していた。

第30話 修道女を孕ませて、修道院入りの原因となった若者

はら
別の若者がある修道女を孕ませ、彼女が貴族の娘であったので、恥と恐れにさいなまれ、
シトー会の修道会へ入った。悪魔が彼を破滅させようとしたことがきっかけで、彼は救わ
れた。先の若者は、神の正しい裁きで修道会を捨てたが、この若者は、神の慈悲に守られ
て今なお修道会に留まっている。
修練士 私が見ますところ、これは欲したり、努めたりではなく、神の慈悲が問題なの
です。
修道士 その通りだ。この世での生命の危機から修道院入りする人もいることを、君は
次の例話で知るであろう。

第31話 修道院入りのおかげで死刑判決を逃れた貴族の男

オットー王(1)が王冠を受けるためにローマへ旅立ったとき、弟のプァルツ伯ハインリ
ヒにモーゼル地方の支配権を委ねた。ハインリヒはある貴族の男に盗賊の罪で死刑判決を
くだした。
シェーナウの修道院長ダニエルが来て、その男を生かして、罪にたいしてシトー会で神
に仕えさせるように、プァルツ伯に願い出た。こうしてこの男は悪行のゆえに死刑の判決
を受けたが、修道院入りして死の判決を逃れた。
私はこれに似た話を始終耳にしている、つまり罪のためにさまざまな罰の判決を受けた
恥ずべき人間が修道生活で解放されたことを。
修練士 これらのことを小さいことと思う人たちは、それらは啓発的であるので、軽く
みなされてはいけません。

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修道士 これらのことが小さいことと思う人たちは、地獄の罰の畏れから修道院入りす
る人たちについて大きなこと、恐ろしいこととして聞くのがよい。

(1)オットー四世(1175乃至76―1218)神聖ローマ皇帝(1209―121
8)。ハインリヒ獅子公の子。教皇インノケンティウス三世より帝冠を授けられたが、
間もなく対立して破門された。

第32話 死んで生き返ったモリモンの修道院長の修道院入り

二十四年前モリモン(1)のある院長は、やむを得ない理由で修道院入りをした。私が彼
について今から語ろうとすることは、マリエンシュタットの院長ハインリヒの話から私は
知ったのである。ハインリヒさまはこの院長に会い、彼の話を聞いて死んでまた生き返っ
た彼に起こったことを詳しく知った。
この院長が若かりし頃、他の学生とパリで学んでいた。彼はほとんど何も理解したり、
覚えたりすることができないほど、頭が堅く覚えが悪かったので、みんなから馬鹿にされ、
能無しとみなされた。それで彼は悲しみ、心は多くの苦しみに苛まされ始めた。ある日、
彼は病気になった。その時、悪魔があらわれて彼に言った。「おれに仕えてくれるか。そ
うすればお前にあらゆる学問の知識を授けてやろう。」
若者はこれを聞いて恐れおののき、そうささやく悪魔に答えた。「サタンよ、ここから
立ち去れ。お前を決して私の主人にしないし、私もお前の家来にはならないぞ。」若者が
悪魔の言うことを聞かなかったので、悪魔は若者の手を無理矢理開き、手に石を握らせて
言った。「お前が手にこの石を握っている間は、お前はすべての学問に通じよう。」
悪魔が立ち去ると、若者は立ち上がって学校へ行き、問題を提起し、論争で他の者たち
を凌駕した。かくなる知識が、かくなる弁舌が、このようなめずらしい出来事が、この間
抜けな男にどこから生じたものかとみんなは驚いた。しかし彼は秘密を抱えていて、かく
なる知識の理由を誰にも明かそうとしなかった。しばらくすると、彼は死に至る病にかか
った。彼の告解を聞くべく司祭が呼ばれた。彼は悪魔から石を受け取り、石で知識を得た
ことをことさら告白した。司祭は答えた。「哀れな者よ、神の知識に与るように、悪魔の
技を捨てなさい。」
若者は驚いて、手に握っていた石を投げ捨て、石と一緒に偽りの知識をも捨てた。
ひつぎ
これ以上何を語ることがあろうか。若者は死んで、彼の遺体は教会に安置され、 柩 の
回りに学生たちが並んで、キリスト教の習慣に従って詩編を歌った。悪魔どもは彼の魂を
抜き取り、深くて恐ろしい、煙と硫黄でいぶる谷へ魂を運んだ。悪魔どもは谷の両側に並
んだ。片側の悪魔どもは哀れな魂をまり投げのように投げた。もう片側の悪魔どもは宙を
飛んでくる魂を手で受け取った。悪魔どもの爪は、鋭い針もあらゆる鉄の先も比較になら
ないほど勝っていて、きわめて鋭かった。彼が後に語っているように、悪魔どもは彼を投
げたり受けたりして、いかなる苦しみもこれほどの苦しみに比べられないほど、悪魔ども
から苦しめられた。
神は彼を憐れまれ、悪魔どもに「お前たちがだました魂を手放すように、神がお前たち
に命じられた」と伝えさせるべくきわめて敬虔な天使を遣わされた。

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悪魔どもはすべて頭を下げ、同時に魂を手放し、それ以上魂に触れようとはしなかった。
彼の魂が身体に戻ると、生気を失っていた身体に生気が戻り、生気の戻った身体が立ち上
ひつぎ
がった。それで周りの学生たちは逃げ出した。彼は 柩 から出て、自分は生きていると言
い、見たこと聞いたことを言葉よりも行動で表した。というのは、彼はすぐにシトー会入
りをして、自分に厳しく、自分の身体を厳しく痛めつけ、彼に会うことができたすべての
人に、彼が煉獄(2)の罰あるいはむしろ地獄の罰を受けたと気づかせたからである。
修練士 彼が責め苦を負ったところが地獄なのか煉獄なのか、どちらかを知りたいもの
です。
修道士 もしあの谷が地獄の一部だったならば、彼の告解には痛悔がなかったことがは
っきりしている。天使が証言している通り、そのことは石を手放そうとしなかったために
受けた罰から十分証明される。
修練士 彼は悪魔に同意したと言ってはいけませんか。
修道士 彼は悪魔に臣従することに同意しなかったが、すぐには手から石を放さず、知
識を使うために大事に保持していたという点では同意している。実際彼は石を病気の時も
持っていて、司祭の命令で泣く泣く放したほど、石に愛着していた。もし彼が煉獄にいた
とするならば、天使があらわれずに、悪魔が病気の魂を見て捉えてもっていき、残酷に振
り回したのは私には考えられない。ケルンの神学校長ルドルフ師(3)が―私はたびたび彼
の講義に出席した―言っていた、悪魔は肉体の牢獄から離れた魂に決して触れないが、至
福な天使は魂が煉獄にふさわしければ煉獄に運ぶと。その例として彼はこう言っている。
「黄金を磨くにふさわしいのは、炭焼き人ではなく、金細工師である。」
若者は後に功徳により、生き返ってから、聖なる人、義なる人として、初期の四つの修
道院の一つ、モリモンの修道院長となった。生き返った者は笑うことはないと言われてい
るから、彼が笑っているところを見たことがあるかを先のヘルマン院長に尋ねたとき、ヘ
ルマンはこう答えた。「私はそのことを注意深く見ていた。彼のしぐさには重みと忍耐が
あり、軽率さを見つけることができなかった。彼が笑うのを見たことがないし、軽い言葉
を発するのを聞いたこともない。」
修練士 もし彼が魂の形と力について何か言ったなら知りたいです。
修道士 その通り。彼は言った、彼の魂はガラスの球体の器のようで、前も後ろも見
え、たくさんの知識をもっていて、すべてが見えたと。というのは、柩の周りの学生たち
に、彼らがしたことを彼は言い当てた。彼は言った。「あなたたちはさいころで遊んだ。
あなたたちは互いに髪をつかんで引っ張り合った。あなたたちはきちんと詩編を歌った。」
修練士 肉体から出て、罰の多くを見て聞いたあの人が、他の修道会を捨てて、シトー
会の修道会へ入ろうとしたのは、私は非常に嬉しいです。
修道士 君が喜ぶのは当然だ。君の喜びを倍にする話をしよう。

(1)フランスのモリモン修道院は、最初のシトー修道院の四子院のひとつ。
(2)purgatorium 小罪を犯した霊魂が、死んで天国に入る前に浄化のために留まる場所。
煉獄なる観念の成立に関しては、ジャック・ル・ゴッフ『煉獄の誕生』に詳しい。
(3)ルドルフは1156年から1200年までのケルンの司教座聖堂学校の校長であっ
た。

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第33話 生きている仲間のところにあらわれて、修道会入りを勧めた、
死んだ黒魔術の司祭

私は聞いて知ったのではなく読んで知ったのだが、二人の若者がトレドで黒魔術(1)を
学んでいた。一人が死ぬほどの病にかかった。臨終の床で、もう一人が死後二十日以内に
自分のところにあらわれるように頼んだ。許されればそうすると約束した。
ある日、教会の童貞マリアの像の前で、死んだもう一人の魂の為に詩編を読んでいると、
この者があらわれ、きわめて哀れっぽいため息で苦しみを表した。どこにいて、どうして
いるかと尋ねられると、こう答えた。「苦しい。僕が習った、その名の通り実に魂の死で
あるという悪魔の術のために永遠に呪われているんだ。君がこの呪われた術を止め、修道
生活に従って神に君の罪の赦しを得るよう、僕は唯一の友として君に忠告する。」
生き残った者が永遠の生命に至る確実な方法を教えてくれるように彼に尋ねたとき、再
度こう答えた。「シトー会に入る以外に確実な方法はない。あらゆる人間のなかでシトー
会から地獄へ落ちる者はほとんどいない。」
死んだ者が生き残った者にこういうことや他の多くのことを話した。それらはクレルヴ
ォーの幻視の書に述べられているので、ここでは省く。生き残った若者は直ちに黒魔術を
止め、シトー会の修練士となり、それから修道士となった。
修練士 このことで私の喜びが倍になったことを告白します。
修道士 二ないし三人の証人によって、どの言葉も確かとなるだろう。同じような方法
で修道院入りした三人目の司祭のことを聞きたいかい。
修練士 大いに聞きたいです。

(1)nigromantia 彼岸から死者を呼び出す魔術。その魔術師は悪魔の従者と見なされて
いた。トレドは中世では黒魔術の中心地であった。

第34話 ルートヴィヒ方伯の罰を見て、修道会入りした聖職者

修道士 私が話そうとするのは、前に述べた百歳近い修道士コンラートが私にたびたび
話してくれたことだ。彼はチューリンゲンの出で、修道会へ入る前は武芸に励んでいて、
ルートヴィヒのことを多く知っていた。
方伯が死んだとき、二人の息子を遺児として残した。一人は皇帝フリードリヒ(1)の時
になされた第一回十字軍遠征で没したルートヴィヒであり、もう一人は支配権を継承して
最近死んだヘルマンである。ルートヴィヒは、温厚で人間的であって、正確に言えば、他
の暴君よりも悪くなく、こんな勅令を出している。〈真実に基づき余の父の魂について事
実を語ることができる者がおらば、余から立派な宮廷を受けるものぞ。〉
ある貧乏騎士がこれを聞いた。彼には黒魔術に通じていた聖職者の弟がいた。騎士が弟
にルートヴィヒ公の布告を伝えたとき、弟はこう答えた。「お兄さん、私はかつては呪文
で悪魔を呼び出すことに慣れていました。私は知りたいことを悪魔から知りました。私が
悪魔の言葉と術を絶ってから久しいです。」

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騎士はいろいろと迫って、弟に自分の貧しさを話し、報酬を約束したので、弟は兄の願
いに根負けして悪魔を呼んだ。悪魔は呼ばれて、何が希望かと尋ねた。弟の聖職者は答え
た。「私がお前からずっと離れていたのがくやまれる。私の主人の方伯の魂はどこにある
のか、どうか教えてくれ。」悪魔は言った。「おれについてくるなら教えてやろう。」彼は
言った。「もし私が生命の危険なくそれを見ることができれば、見たいものだ。」悪魔は言
った。「わが最高位者(2)とその恐ろしい裁きにかけて誓おう。もしおれを信頼してくれる
なら、お前をそこへ連れて行き、ここへ無傷で連れ戻してやろう。」
聖職者は兄のために自分の魂を悪魔の手のなかに入れ、悪魔の首にしがみついた。悪魔
は彼を瞬く間に地獄の門の前でおろした。彼がなかをのぞくと、ぞっとするような場所が、
さまざまな種類の責め苦が、ふたでふさがれた井戸の上に座っている恐ろしい姿の悪魔が
見えた。聖職者はこれを見るや全身が震えた。この悪魔は聖職者を運んできた悪魔に言っ
た。
「お前の首にしがみついていた者は誰だ。そいつをここへ連れてこい。」悪魔は答えた。
「わしらの友人です。わしはあいつを傷つけず、あいつの主人、方伯の魂をあいつに見せ、
無傷で元のところへ戻すことをわしはあいつに貴公の偉大な力にかけて誓いました。貴公
のはかりしれない力をすべての者に知らせるためです。」悪魔は座していた火のふたをは
ずし、聖職者にとって世界中が鳴り響くと思えるほど、井戸のなかに向かって銅のラッパ
が強く鳴らした。かなりたってからと彼には思われたが、一時間後に穴から硫黄の炎が吹
き出て、炎に包まれて方伯も上がってきて、聖職者に首まで見せた。方伯は聖職者に言っ
た。「ここにいるのはかの哀れな方伯、かつてのお前の主君、わしは生まれなければよか
った。」聖職者は言った。「あなたの様子を報告することができるように、私はあなたの息
子から遣わされました。なんとかしてあなたが救われるなら、言ってください。」
方伯は言った。「お前はわしだとしっかり分かろう。こういうことだと承知してくれ。わ
しは不正に手に入れ、遺産として息子たちに残した教会財産を(彼は一つ一つ教会の名を
挙げた)、息子たちが教会に戻してくれれば、私の魂は大いに安堵しよう。」聖職者が彼に
言った「大殿、御子息たちは私を信用しないでしょう。」方伯は答えた。「わしはお前に、
わしと息子にしかわからないしるしを与えよう。」聖職者はしるしを受け取ると、彼の見
ているなか、方伯は井戸のなかに沈み、彼は悪魔によって連れ戻された。生命を失わなか
ったけれど、見分けがつかないほど青白くやつれて戻った。彼は方伯の息子たちに父親の
言葉を伝え、しるしを見せた。しかしあまり効果はなかった。息子たちは財を教会に返す
ことに同意しようとはしなかった。
息子のルートヴィヒ方伯は彼にこう答えた。「わしはしるしを認める。お前がわしの父
に会ったことは疑わない。しかし提示された礼は出さないぞ。」聖職者は方伯に言った。
「殿、あなたの宮廷をいただかなくても結構です。私は私の魂に役立つことを考えるでし
ょう。」
聖職者はすべてを捨てシトー会の修道士となり、永遠の罰を避けるべくあらゆる刹那の
労苦を侮った。
地獄の罰の怖れや幻視によって修道会入りした三例がこれだ。これらについて私はまだ
たくさんの例話を示すことができるが、他のところで君に話そう。
修練士 人間がそういうものを見ることができれば、勝手に罪を犯せないと私は思いま
す。

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修道士 君の言う通りだ。あとの一例を聞きなさい。何人かが修道院入りするのは良心
の呵責に強いられてではなく、無垢の保持への愛と天国への憧憬によるものである。

(1)フリードリヒ一世赤髭王(1120-90)。神聖ローマ皇帝1152-90)、1
147年シュヴァーベン大公、第三次十字軍に参加、小アジアで溺死。

第35話 ヴィレールの修道士ゴットフリートの修道院入りと彼の啓示

ケルンの黒い修道会(ベネディクト修道会)の聖パンタレオン修道院にゴットフリート
という名の若者がいた。彼はきわめて高潔で、修道会の戒律に従って修道士たちの間で申
し分ない修道生活をしていた。〈正しい者にはなお正しいことを行わせ、聖なる者にはな
お聖なる者とならせよ(ヨハネの黙示録22、11)〉と記されているがゆえに、ゴット
フリートは天国における生命の憧憬に燃え、また戒律に従って生きることができないと考
えたので、われわれのところに来て、修道士の仲間に加えてもらえるようへりくだって熱
心に懇願した。
われわれの院長は、ゴットフリートに敬神よりも軽率さが見られるのを案じ、ああ、彼
を受け入れることに同意しなかった。ゴットフリートはわれわれから受け入れられなかっ
たので、ヴィレールに行き、願いはすぐにかなえられた。彼がどれだけ信仰篤く、どれほ
ど敬虔であったか、いかに修道会で熱心であったか、主は彼の聖遺物によって今日までお
示しなることをお止めにならない。
ある時、かつてわれわれの院長であったヴィレールのカールさまがわれわれのところへ
来て、敬虔な人ゴットフリートを連れていた。彼に会った人たちの話しによれば、主は彼
にミサの間に敬神の恩寵をお与えになり、彼の目から涙のしずくが祭壇の上か彼の胸の上
にしたたり落ちるほどであった。かつてボンの参事会員で、その時は修練士であった修道
士ロルヒ(1)のテオデリヒが、どのように祈らなければならないかと彼に尋ねたとき、彼
はこう答えた。「祈りの時には何も言う必要はなく、救世主の誕生、受難、復活など、よ
く知られていることだけを考えればよいのです。」
ゴットフリートは日々おこなっていたことを他の人たちにも教えようと努めた。彼は予
言力を有していたので、修道士たちの将来の試練を伝え、彼らの心を忍耐で構えるように
戒めた。彼がどれだけの慰めを得たか、いかに不思議な幻視を体験したかは、それらを造
り給うたお方のみが完全にご存じだ。
彼についてある信仰篤いヴィレールの修道士が私に話したことを君に伝えよう。彼があ
るとき料理週間担当者であって、土曜日に習慣通りに修道士たちの足を洗った。彼は香部
屋係(2)でもあったので、終課(3)を終えたとき、亜麻の服をまとった救世主が彼のところ
にあらわれ、手に水盤を携えて、ゴットフリートにこう言われた。「座りなさい。私があ
なたの足を洗おう。あなたは先ほど私の足を洗ったから。」
彼が驚いて拒否したとき、主は彼に強いて跪いた彼の足を洗い、お消えになった。棕櫚
の日曜日の翌日の月曜日、彼は内陣にいた。詩編〈私の心はほとばしった(詩編四五、二)〉
が敬虔に修道士たちによって歌われていたとき、栄光なる童貞聖母マリアが内陣から下り
て、院長のように内陣を回り、修道士たちを祝福し、助修士たちの内陣に急ぐかのように、

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院長と副院長の間から出て行った。ゴットフリートは、彼女がどこへ行くかと彼女の後を
追ったが、彼女を見失った。
翌日かその次の日か私にはわからないが、彼はたちまち病気になった。厳しい状態であ
ったが、復活祭まで修道院に留まり、背中をむち打ち、他の者たちと一緒に聖布(4)を洗
っていたが、ついに病気に負け、病舎に移された。最期が来て、食事の時間になったとき、
彼の看護人が彼に言った。「私はやむを得ず食事に行きます。さしあたりあなたが死ぬの
ではないかと私は心配です。」ゴットフリートは言った。「行きなさい。必ず私は死ぬ前に
あなたに会います。看護人が食卓についていると、ゴットフリートが食卓の扉を開き、修
道士を見て祝福し、向きを変えて礼拝堂へ向かった。看護人は驚き、ゴットフリートが奇
跡的に回復したと信じた。しかしただちに彼の死を知らせる板木(5)がたたき鳴らされた。
病舎管理者は、板木をたたくとゴットフリートに約束していたことを思い出した。洗浄の
ためゴットフリートの衣服を脱がせると、全員が驚くほど、背中が鞭で打たれて、青くな
っているのが見られた。
最近になって、啓示によりゴットフリートの骨が集められ、聖具堂に置かれ、聖遺物と
して保管された。こうして回心する者たちを高められるお方に栄光が、父と聖霊とともに
永遠に誉れと支配があらんことを。アーメン。
ゴットフリートについては多くのことが語られているので、これまでにしておこう。
修練士 修道会入りの理由やきっかけについてはこれで満足だと私は告白します。今度
は、修道院入りの方法や形態について聞きたいものです。

(1)バーデン・ヴュルテンベルクのベネディクト会修道院。1140年創建。
(2)sacrista custos とも言われる。祭具の管理をおこなう者。
(3)complentorium 就寝前の祈り。
(4)sacerus pannus 聖体拝領の際用いられる布
(5)tabula 修道士に告知するためにたたかれる板。

第36話 修道院入りの方法と形態

修道士 ある人たちは世俗の栄光と顕示を伴い、ある人たちは多くの謙遜を表して修道
院入りするのを見てきた。
修練士 どちらがいいのですか。
修道士 謙遜しての修道院入りが神に喜ばれるのは誰も疑わない。世俗の栄光の顕示は
修道院入りする人の意図による。修道院入りすることを望んだ人たちは、新しい服をまと
って縁者や友人たちと修道院へやって来る。放浪者や貧乏人として拒絶されないためであ
る。しかしある人たちは豊かであっても、修道院入りの謙譲さによりもっと多くを得るた
めに貧しい姿でやって来る。それらについて君に例を挙げよう。

第37話 武具を着けて修道院へ来た騎士ヴァレヴァヌスの修道院入り

ヴァレヴァヌスという名のある騎士が修道院入りを望んで武具を着けて軍馬でヒンメロ

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ートへ来て、武具を着けたまま修道院へ入った。その頃そこにいたわれわれの老年の修道
士たちが私に話してくれたところによれば、彼は門番に導かれて、内陣の真ん中を通り、
修道院入りの新しい形式に修道士たちが驚くなかを、彼は至福なる童貞マリアの祭壇の前
で、武具をはずし、同じ建物で修道服を受け取った。霊的な役務を受け取ることを決めた
ところで、世俗の役務を捨てることは彼にはふさわしいように思われる。彼は現在も、良
き信仰深い人として修道生活を続けている。最初は修練士となり、後に恭順のゆえに助修
士となった。

第38話 修道院長フィリップの謙虚な修道院入り

当時居合わせていたユトレヒトのある参事会員が私に話してくれたところによれば、オ
ッターベルクの修道院長フィリップは上記と反対のことをした。彼が貴族の出で、ケルン
の司教座聖堂の参事会員だったとき、当時パリで教えていたケルンの神学校長ルドルフの
学生であった。彼は神の恩寵に触れ、師の知らぬ間に学校を止め、みずみずしい若者とし
て上等の服を身につけていたが、出会った一人の貧しい学生にそれを与え、そのみすぼら
しい服をもらって、ボヌボーと呼ばれるシトー会の修道院へ来て、修練士として受け入れ
られてもらうよう謙虚に願った。
修道士たちは、彼が着古した外衣を身につけているのを見て、彼を貧しい遍歴の学生と
思い、受け入れに反対した。決定が引き延ばされて、受け入れられないのはまずいと思い、
ついにこう言った。「もしあなたたちが私を受け入れないなら、あなたたちは後悔するで
しょう。後にそうしたとしても、それはできないでしょう。」
結局、彼は受け入れられた。彼の師ルドルフは、彼の修道院入りを知って、悲しみ、何
人かの同僚と一緒に修道院へ来たが、石の上に置かれた基礎を動かすことができなかった。
このフィリップは謙虚に修道院入りしたがゆえに、神は彼をしばらくしてからその修道院
の院長にされるほど高められた。

第39話 何人かが修道院入りの際、謙虚のために品級を隠して修練士にな
ったこと

謙遜の徳というのは、次のようなものである。聖職者たちはたびたび謙遜を重んじ、平
信徒だと偽って修道院入りする。彼らは、読書をするよりも家畜を放牧することを欲し、
品級や学問で他の人たちの上に立つよりも謙虚さにおいて神に奉仕する方がよいと考える
からである。助修士から修道士になるようなことがしばしば修道会で起こったがゆえに、
こういうことが起こらないように、四年前に修道院長総会においてこうして助修士になっ
た者は助修士として留まるよう決定された。
その年、助祭だと思うが、ある人が平信徒だと偽って修道院へ来て、助修士として受け
入れられた。誰だか私は知らないが、ある院長が彼の品級を知って、次の総会でこの事態
を公にした。そのように高い品級に置かれているのに、トンスラのしるしも品級の遂行も
ないのは、分別ある人には全く愚かに思えたので、彼らは決定を変えた。
修練士 聖エウゲニア(1)、聖エウフロシナ(2)、聖マリナ(3)のような昔の女性たちが修

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道生活を夢見て、男性だと偽ったことをわれわれが読めば、修道院入りで品級(4)を隠す
のも不思議ではありません。
修道士 最近われわれの修道会で起こっているのに、なぜ君は昔の時代のことに驚くの
か。
修練士 私はそのことのあらゆることについて知りたいです。つまり誰によって、どこ
で、どのようにして、不思議な修道院入りがなされたのかを。
修道士 私が話そうとする女性が誰であって、どのようにして修道院へ来て、どのよう
に修道院で過ごし、生を終えたかを、彼女と修練期間を修練士として過ごしたことのある
修道士が私たちに話した通りに、君にそのまま話そう。

(1)二、三世紀頃のローマで殉教した聖人。エジプトの高官の娘であったが、キリスト
教に改宗、男性に変装して、男子修道院に入り、その院長となった。
(2)アレクサンドリアの生まれで、処女性を保つために男性に変装して、男子修道院で
過ごした。
(3)子供の時に男の子に変装して、男子修道院で過ごした。
(4)ordo 司祭、助祭などの聖職者の職位。

第40話 男と偽った童貞聖ヒルデブランドの不思議な修道院入り

ま ち
大都市ケルンから五マイル離れているノイスの都市に、一人の市民が住んでいて、彼に
はヒルデブランドという名の美しい、かわいがっている娘がいた。彼の妻が死んでから、
ヒルデブランドはまだ小さかったが、彼は祈りのために彼女をエルサレムへ連れて行った。
しかし彼は帰路病気になりティルス(1)で死んだ。彼は死に際に娘と有していた全財産を
召使いを信頼して委ねた。だが召使いは非道で貪欲だったので、主人への忠誠を保たず、
主人が死んだことに同情せず、その夜少女を建物に置き去りにしてこっそり船に乗り、彼
女にたくさんの不幸をもたらした。
彼女が翌朝起きたら、不実な後見人が父親の財を持って船で去ったことを知り、激しく
悲しみ、何をしたらよいか、どこへ行ったらよいか全くわからなかった。土地の言葉もわ
からず、空腹でやつれだした。ところで、彼女は一年間、乞食となってこの都市の学校を
たびたび訪れ、その後、ドイツからの巡礼に自分の災厄を訴え、憐れんでくれるよう、涙
ながらに願った。巡礼の一人で、他の者よりも豊かで立派な高貴な人が、置き去りにされ
た彼女を慰め、彼女を自分の船に乗せ、必要品を与え、故郷へ連れて行った。
その頃、トリーアの教会で、二人の高位聖職者、つまりその教会の司教座聖堂助祭長ヴ
ォルマルスと司教座聖堂主席司祭ルドルフとの間で確執が起きた。教皇ルキウス(2)は前
者の味方をした。皇帝フリードリヒ(3)は後者を擁護した。ケルンの教会は一方の側に付
き、そのため書簡を教皇に送ろうとしたが、当時ヴェローナに滞在していた教皇に書簡を
送ることは、皇帝の待ち伏せで安全でなかったので、使者は自分の生命を案じ、書簡を杖
のなかに入れて運ぶよう彼女に報酬を与えて頼んだ。短い髪と服のゆえに少女を少年と思
い、馬よりも徒歩の方が疑われることが少なかったからである。彼女がアウグスブルクの
近くに着くと、盗賊と遭遇した。道中連れになるように彼から頼まれたので、彼女は何ら

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悪意を疑わず喜んで承諾した。二人がしばらく進んだとき、盗賊は追跡者たちの音のよう
なものを聞き、盗んだ荷を少女のそばにおいて、自分は用を足さねばならないと偽って、
やぶのなかに隠れた。
たちまち、彼女は追跡者によって捕らえられ、袋と一緒に裁判の場に引っ張り出され、
縛り首の判決が下された。彼女は盗品のゆえにいかなる弁明も口実も役に立たないことを
知って、司祭を呼んでもらった。彼女は司祭に罪を告白し、旅の理由と盗賊の悪行をざっ
と初めから説明した。言ったことを司祭に信じてもらうため、教皇あての書簡が入ってい
る杖を見せてこう付け加えた。「盗賊を探せば、すぐに見つかりましょう。」
すぐに司祭の助言で、森は網と犬にかこまれ、追われていた盗賊は捕らえられ、二人は
裁判官の前へ引き立てられ、哀れな盗賊が拷問で自白を迫られたとき、こう言った。「私
はやっていないことを自白することなぞ当然できない。しかしこの人は盗品によって捕ら
えられたので、市民法で判決されなければならない。」
これにたいして、少女が荷物は策略で自分に委ねられ、預けられたものを返そうと思っ
ている、と言ったとき、盗賊はこう答えた。「この荷物は私のものではない。一人の言い
分では証言にならない。」これにたいして、処女は黙った。それから司祭は近寄って彼女
のために弁明し、彼女は無実であり、この男の罠にかけられたと断言した。彼はさらに言
った。司祭の言葉が信じられないなら、誰が罪人で、誰が無辜であるかは、燃える鉄の神
明裁判で容易に証明されうる、と。このことに全員が賛成した。盗賊の手は焼けただれた
が、少女の手はそのままであった。それから盗賊はすぐに縛り首にされ、少女の告白を聞
いて救った司祭は、喜んで彼女を自分の館に引き取った。
すると、盗賊の縁者が、少女が助かったことを喜ばぬ悪魔にけしかけられ、盗賊の不名
誉な死に怒って、無実で神の審判により解放された少女を司祭の館から連れ出し、盗賊を
おろし、代わりに少女をつるした。少女が綱の締め付けを感じないように、彼女を支える
神の天使がただちにあらわれた。かぐわしい香りによって彼女はみずみずしくなった。彼
女は何らの痛みを感じず、非常な喜びに包まれている、と感じた。その夜、彼女はいかな
る声もいかなる楽器もこの甘美に比べられないかの如きメロディー、さまざまで、楽しい
ハーモニーを聞いた。それが何であるかを彼女が尋ねると、天使は答えた。「あなたの姉
妹のアグネスの魂がこの天使の歌で天に運ばれます。あなたは三年後に幸せに後を追うで
しょう。」
聖なる彼女は二日間つり下げられていた後、近くで放牧していた羊飼いたちが同情して
彼女の身体をおろし、埋葬することを決めた。彼らが綱を解くと、普通の死体のようには、
どしんと落ちずに、天使に支えられ徐々に地に下ろされて、立ち上がった。
これを見て、羊飼いたちは驚いて逃げ出した。神の天使は彼女に言った。「あなたは自
由になった。好きなところに行きなさい。」彼女は答えた。「私はヴェローナに行く約束を
しています。」ただちに彼女は一瞬のうちにヴェローナの近くに運ばれた。天使は言った。
「ここからヴェローナまでは三マイルの距離にある。」アウグスブルクとヴェローナの間
には七日間の旅が必要である。
修練士 この少女の中に義なる人たちの古代の奇跡が再現されているように私には思わ
れます。つまり聖ベネディクスと預言者ハバクク(4)の。前者は離れていても実の妹のス
コラスティカの魂が鳩の姿で天のかなたへ上るのを見た。後者はユダヤからバビロニアへ

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一瞬で運ばれた。
修道士 君の言うことは正しい。ヒルデグンドは妹の魂が天に昇るのをかなり離れた所
で知り得、ケルンにいる聖セヴェリヌス(5)は聖マルチヌス(6)の魂が同様の歌で神のもと
へのぼるのを知った。私は少なからず驚いている。さらに二つの大きな栄誉の恩恵が彼女
にもたらされた。つまり天使に支えられて綱の痛みを感じなかったことと自分の最期をか
なり前から知っていたこととである。ヴェローナで依頼されたことを無事に済ませて帰途
につき、ヴォルムス司教区に入って神の慈悲に感謝し、ある聖なる隠修女のはからいと支
えで、彼女はシェーナウの修道院長テオバルトさまによって修練士として受け入れられる
ことになった。シェーナウはきわめて美しいところで、名前はそこに由来する(7)。院長
は彼女を若い男と思い、馬の自分の後ろに乗るように命じた。彼女が女のかぼそい声で話
をするので、院長は彼女に言った。「ヨゼフ修道士、君はまだ声変わりしていないのか。」
彼女は答えた。 」彼女は若い男と偽って聖ヨゼフ(8)
「院長さま、私は声変わりはしません。
の名を使っていた。ヨゼフがどれだけの厳しい試練に打ち勝ったかを彼女は知っていたか
らである。彼女は肉と悪魔なる二重の敵をヨゼフの助けによって十分に認識するため、ヨ
ゼフを記憶に強くとどめようとした。
彼女にあっては〈誰が強い女を見るだろう(箴言31、10)〉というソロモンの言葉
が実現されているようだ。シトー会には類似のことはないし、全く実例はない。〈すべて
の者はなかでそのような女は見つからない(9)>と言われている。
彼女は修練期間に入って大胆に振る舞った。男たちの間で眠り、男たちと一緒に食べ飲
み、むち打ちを受けるために男たちに背中を露わにした。彼女はたいへんまじめな娘であ
ったが、彼女の性が気づかれないように、修練期間中に同僚たちに元気の良さを見せた。
修練士長が不在のとき、この話をわれわれにしてくれた当時一四歳の少年だったヘルマ
ンという名の修道士を、彼女は自分の水飲み器のところへ連れて行き、言った。「僕たち
のどちらが美しいか、この器のなかをのぞいてみよう。」二人は顔を器に写したとき、彼
女は再度言った。「ヘルマン君、僕の顔はどうだい。」彼は答えた。「あなたのあごは女の
あごのように僕には思われる。」それで彼女は憤慨して出て行った。後に、二人は沈黙の
掟を破ったので、むち打たれた。
修練士 彼女が修道会で試練をどう克服したのかを知りたいです。
修道士 彼女の試練について私は聞いたことがない。だが彼女が他の者たちにとって試
練のためのきっかけになったのは、間違いない。彼女の死の定め時が近づいていたので、
病気になった。彼女はかなり弱ったため、床に運ばれたとき、ある修道士が彼女を見て、
近くに立っている人々に明晰な声で言った。「この人は女か悪魔だ。私はこの人を誘惑に
陥らずに見ることができなかったので。」ここで自然の性の力が強いことがはっきり認識
された。彼女は院長に来てもらい、彼に軽い罪を告白した。院長が、いままでに女を知っ
ているかと問うたとき、彼女は答えた。「院長さま、私は女とも男とも罪を犯してはいま
せん。」彼女の性のゆえに男とも付け加えたのだ。それから、彼女は院長に、前に述べら
れている通りに順を追って、彼女に起こったことを話したが、性のことは黙っていた。院
長は驚いてこう言った。「兄弟よ、君の言っていることは信じられるものではない。いか
なる証拠で真実であると証明できようか。」
少女は答えた。「二年前、主の天使がつり下げられている私に私の死の日を今日と告知

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しました。私は主を信じ、信仰を守りぬき、走り通してきました。そのうえ、正義の冠が
私に残されています。私が死ぬ前のミサの間だけでも、私が告知した日がもし違っていた
なら、あなたは私を信じてくださらなくてもかまいません。」またこう付け加えた。「私が
死んだら、私の身に見られることにあなたは驚き、神の御力に当然感謝するでしょう。」
こう言った後、1118年の4月20日の復活祭の水曜日の日が沈む頃、彼女の敬虔な
る魂は処女の身体を離れ、主の許に赴いた。板木がたたかれ、院長や修道士たちが彼女の
とむらいに急ぎ、洗浄のために彼女の衣服が取り去られたとき、女であることが明らかに
なった。それで全員はこの未曾有の奇跡に驚き、このことはとりなしの祈り(10)をするこ
とになっている司祭に報告された。司祭は彼女の性を知って、言葉を変えて、修道士の代
わりに修道女と、兄弟の代わりに姉妹と呼んだ。
後に死者名簿に彼女の名が記入されるとき、彼女の名前がわからなかったので、以下の
ように記入された。〈4月20日シェーナウでキリストの侍女が死んだ。〉
数日が過ぎて、修道士たちは聖なる彼女の名前を知ろうと欲して、彼女が生まれたと言
っていたケルンの近くへ人を遣わし、一生懸命至るところ彼女の縁者を探し、彼女の縁者
と言っているある老婆が神の意志で見つかり、彼女はヒルデグンドという名であると言っ
た。
数年前、シェーナウに新しい礼拝堂が聖別されたとき、さまざまな地域から人々が奉献
式のために押し寄せ、聖なるヒルデグンドの徳を聞き、彼女の墓を訪れ、特に女たちは彼
女の聖なるとりなしの祈りを願い、神と大いなる不思議を讃えた。
われわれ修道士は彼女たちとともに救世主に感謝しよう。主は、みずからの栄光とわれ
われの教化のために、今日われわれの修道会でこういうことが生じることを欲せられ、父
と聖霊と永遠に生き支配なされる。アーメン。
ひ と
この女人がおこなったことに、誰もが驚くがよい。
墓には彼女の灰と骨が収められている。
その彼女は男として生き、死ぬときに女であることがわかった。
生が偽って、死が偽りを覆した。
ヒルデグンドという名であって、台帳に記されている。
5月が始まる12日前に死んだ。
修練士 この少女については、ソロモンの〈誰が強い女を見つけようか(箴言31、1
0)〉という言葉がふさわしいと思われます。
修道士 ある女性たちにあっては、正当に賞められるべく、心の強さは大きい。

(1)ティルスはフェニキアのみ港町。
(2)ルキウス三世 172代ローマ教皇(在位1181-85)。
(3)フリードリヒ一世赤髭王。
(4)旧約聖書の人名で、ユダヤの預言者。
(5)beatus Severinus 403年頃没。ケルンの司教。
(6)sanctus Martinus 聖マルチヌス(316頃―397乃至400)はトゥールの司
教。彼がまだローマの軍人だった頃、ガリアに来たとき、アミアンの近くで貧しい人
を見て、自分のマントを割いて与えた逸話が残されている。殉教せずに聖人となった

- 37 -
最初の人物。祝日は11月11日。
(7)Sconavia シェーナウはオーデンヴァルトの南斜面、ネッカー川右岸の支流であるシ
ュタイナハ川の渓谷に位置する町。ラテン語名はドイツ語に由来する。古高ドイツ語
sckoni、中高ドイツ語 shœne(美しい)から。
(8)イエスの母マリアの夫。マリアの純潔にたいし罪を犯す試練と闘ったとされている
(9)コヘレトの手紙7、28参照。
(10)commendatio 死者のため、聖母マリア、天使、聖人などに神へのとりなしを求め
る祈り。

第41話 助修士のマントを着て都市から逃げ出した寡婦

財に恵まれ盛りの年齢のケルンのある人柄の良い女性が、夫の死後キリストと結婚する
ことを欲し、彼女の望みが友人たちに反対されるのを恐れて、ヴィレールの修道院長カー
ルさまの助言で助修士のマントをまとい、彼に導かれて都市から出て、ヴァルバーベルク
で修道女になった。
修練士 世俗のよどみを享受した寡婦あるいは既婚者の修道院入りは不思議ではありま
せん。両親の意志に逆らって修道院入りする処女の不屈さには驚きます。
修道士 それらの例話を君に示そう。

第42話 教導者メチルディスのフュッセニヒの修道院入り

今日フュッセニヒの修道院長のメチルディスさまは、世俗で結婚するために豊かな両親
の下で育てられていた。しかし彼女はまだ年齢は低かったが、キリストとのみ結婚するこ
とを望んで、日々修道女になると誓いを立てた。おべっかや脅迫で彼女の気持ちは変えら
れなかった。ある日、意志に反して緋色の服を着せられたとき、彼女は母親に言った。
「私
が黄金をもらっても、私の決心は変えられないわ。」
ついに両親は根負けして、彼女をヴァルバーベルクの修道院に連れて行こうとしたが、
決められた修道女の数が満ちていたので無理だった。それでフュッセニヒ修道院に入り、
数年後にはまだ若かったが、昇進して教導者になった。
数年後に寡婦となった彼女の実の姉妹のアレイディスが彼女を追って修道院入りし、ま
だ若かったが院長に選ばれた。彼女たちに倣って縁者のある女性が両親を恐れてユトレヒ
ト司教区から男の服を着て脱し、シトー会の、トリーア司教区に置かれている聖トマス修
道院に入った。彼女の姉妹が彼女のまねをしようとしたら、両親に捕まり、ある男の手に
渡された。
私は望む、神はかく修道生活を望んで燃える者に報いてくださることを。

第43話 ブルトシャイトの女子修道院長の修道院入り

ブルトシャイトの女子修道院長ヘルスヴィンディスさまの賞賛に値する、否驚くべき
修道院入りのことを君に話そう。彼女は裕福で力あるアーヘンのシュルトハイス(1)、ア

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ルノルドの娘であって、今もそうである。彼女は子供の頃から修道院入りを熱望し、母親
にこう話すのであった。「お母さま、私を修道女にさせてください。」
というのは、その頃ブルトシャイトの女子修道院が置かれていたサルヴァトール山(2)
に母親とよくのぼっていたからだ。ある日、彼女は修道院の台所の窓からこっそり寝室に
入り、修道服を着て、他の人たちと内陣へ入った。このことが帰ろうとしていた母親に院
長を介して伝わると、母親はたわむれごとであると思いこう答えた。「子供を呼んでくだ
さい。わたしたちは帰らなければなりません。」娘は内側から窓辺に来てこう言った。「わ
たしは修道女です。私は母と帰りません。」母親は夫を恐れてこう答えた。「今は私と一緒
に帰り、あなたが修道女になれるように、あなたのお父さんにお願いしましょう。」こう
して娘は外へ出た。母は黙って娘が眠っている間に再び山にのぼった。娘は起きあがって、
教会のなかで母親を探したが、見つからなかったので、山にいると思い、一人で後を追い、
例の窓を通って中へ入り、再び修道服を着た。母は外に出るように彼女に願ったが、彼女
はこう言った。「今度はだまされないわ。」
彼女は約束された言葉を繰り返した。母親は不安を抱えて帰途に着いたとき、父親は憤
って兄弟と一緒に修道院へ行き、門を破り、叫び声をあげる娘を連れ出し、彼女の考えを
変えさせるために、彼女を縁者に預けた。彼女は、私が思うに、まだ九歳に達していなか
ったが、彼らが驚くほど賢く答えた。さらに何が起こったか。リエージュの司教は父と、
彼女を連れ出した者たちを破門し、彼女は修道院に戻され、数年後に院長に選ばれた。
修道院入りについてはこれまでにしておこう。キリストはこの種類の多くをキリストの
の名を輝かすべく選んだ人たちを介しておこなわれた。父と聖霊とともに支配と栄誉が永
遠にキリストにあらんことを。アーメン。

(1)scultetus ゲルマン語に由来する、地方の行政官の役名。古高ドイツ語 sculdheizo


中高ドイツ語 schutheize、現代ドイツ語 Schultheiß。原義は Schuld(義務を)+ heißen
(命じる)と考えられている。
(2)Mons sancti Salvatoris(聖なる救世主の山)。アーヘン北部の丘。その名はそこに九
世紀に「救世主教会」が設立されたことによる。

第2部 痛悔

第1話 痛悔について、痛悔とは何か、なぜそう呼ばれるか、痛悔はいくつある
か、痛悔の成果は。

第1部で、修道院入りが、あるときには痛悔に先立ち、あるときには痛悔の後になされ
ることが示された。そのことは例話によって証明された。主が与え給うであろう痛悔につ
いて語ろうと思う。そして私がこれから語ろうとすることを例話で見てみよう。
君は知らなければならない、痛悔は大きく、完璧な善であることを。光の父から下にお
りる神の賜物で、そこには変化はなく、変化の影もない。きわめて小さな痛悔がきわめ大
きな罪を消し、完全な痛悔は罪と罰を同時に消し去ることも、神は完全性を目指してなさ

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れる。
修練士 痛悔の力をもっとよく知ることができるように、まず私に示してください。痛
悔とは何か、どうしてそう呼ばれるのか、恩寵によって注がれるのか、あるいは人から与
つみびと
えられるのか、種類はいくつあるのか、罪人においてはどうであるかを。
修道士 痛悔は心の罰である。つまり罪にかかわる痛みである。あるときには地獄への
怖れから生じ、あるときには天の故郷への愛から生じる。
修練士 悔悟(poenitudo)と贖罪(poenitentia)には違いがあるのですか。
修道士 ある。悔悟は、罪を消す内的な痛みだ。贖罪は、罪の罰を消す外的な償いだ。
修練士 罪と罰の間にはどんな違いがあるのですか。
修道士 罪は過ち自体である。罰は罪の報いだ。もし罪が大きなものであれば、その報
いとして永遠の罰が与えられる。神は、永遠の罰を心の悔悟によって一時的な罰にお変え
になった。もし痛悔が不十分であれば、外的な償いがこれを消してくれる。これが<罪を
含む>と言われるが如き贖罪である。
修練士 なぜ痛悔(contritio)と称するのですか。
修道士 痛悔は simul(同時に)tritio(すりつぶし)というのと同じだ。contritio は con
、つまり simul と tritio から合成されている。あらゆる罪によって心が同時に痛みです
(1)

りつぶされなければならないからである。一つの罪だけを悔悟し、それ以上の罪を悔悟し
つみびと
ない人の心には痛悔などあり得ない。罪人は罪を分けてはならない。神は贖宥をお分けに
ならないからである。神は同時に罪全体をお赦しになる。
とこ
修練士 あらゆる罪が同時に償わなければならないなら、詩編作者が<毎夜私は私の床
をぬらすであろう(詩編6、7)>というのはどういうことですか。床は、あなたがいつ
もわれわれに説明しているように、良心を表しています。個々の夜は個々の罪を表してい
ます。絶えず涙がぬぐわれるように、毎夜泣くならば、どのように同時にすべての罪は償
われるのですか。
修道士 罪を消す痛悔はひとつでなければならない。それで、罪が生じうるならば、毎
(2)
日タイス とともに罪をぬぐうために泣かねばならない。それについてヒゼキア(3)がこ
う言っている。<私はあなたに私の魂のつらさのゆえにずっと後悔している(イザヤ書3
8、15)。>
修練士 痛悔はどのようにして生じるのですか。恩寵によって注がれるのですか。それ
とも人間によって与えられるのですか。
修道士 このことについて長老たちが考えていることを君に話そう。彼らは言っている、
罪人の成義(4)にあっては、四つのことが同時に生じる。つまり恩寵の注入、恩寵と自由
意志から生じる心の動き、痛悔、罪の赦しである。この四つは、四つの成義と呼ばれてい
る。第一のことは、無償で注入されるがゆえに、われわれの手に入らない。ある心の動き
は恩寵と自由意志の働きからすぐに生じるがゆえに、これもわれわれには手に入らない。
この心の動きはわれわれの手に入らないが、その動きによって三番目の成義、つまり痛悔
をわれわれは手に入れる。この成義をわれわれは手に入れ、それによって四番目の成義、
つまり罪の赦しを手に入れる。そのためにマリア(5)によってこう言われている。<この
人が多くの罪を許されたことは私に示した愛の大きさで分かる(ルカによる福音書7、4
7)。>それゆえ、痛悔は愛なくしては存在し得ない。さあ、君は痛悔がどういう働きを

- 40 -
するかを知るのだ。一つの成義が他の成義に時間の上で先立つことはないが、自然の上で
先立つことを君は知らなければならない。
修練士 それを例話で示してください。
修道士 私の言うことをよく聞きなさい。雨は地に注がれる。雨と地で植物が生じる。
それから植物から作物が生産される。恩寵なき雨なぞはあろうか。自由意志なき地なぞあ
ろうか。雨と地から植物が生まれる。言われているように、恩寵と自由意志から心の動き
が生まれる。その心の動きが自由意志を贖罪にもたらすときのように、植物は実を結ぶ。
雨の降らない地は実らない。自由意志も恩寵なくしては生じない。地なくしては雨は何の
働きもしない。権威者がこう言っているがゆえである。神は人間なしに人間を作ることが
おできになり、人間なしに義認することができない、と。これについて使徒はこう言って
いる。<私ではなく、私とともにある神の恵みなのである(1コリントの信徒への手紙1
5、10)。>
修練士 痛悔の種類はいくつあるのですか。
修道士 内的と外的の二つである。内的痛悔は心の苦しみのなかにあり、外的痛悔は肉
体の苦しみのなかにある。内的苦しみについて詩編作者はこう言っている。<打ち砕かれ
悔いる心を、神よ、あなたは侮られません(詩編51、10)。> 外的痛悔についてエ
(6)
レミヤ はこう言っている。<剣をとどめて流血を避ける者は呪われよ(エレミヤ書4
8、10)。>つまり肉体は罪にたいする罰によって打たれる。
修練士 痛悔の力が非常に大きいということを、きっと考えてみます。
修道士 原罪の上に実際の罪が加わる大人にあっては、痛悔なくしては、洗礼も実らず、
告白も実らない。贖罪が役立たないほど、痛悔の力は大きい。痛悔は洗礼を受けた人にあ
っては罪の後の第二の洗礼であることを、君はここで知るのだ。従って、痛悔の洗礼を盗
賊は十字架上で、マリア・マグダレナは救世主の足元で受けた。罪がどんなに大きくても、
痛悔の罪を消してくれることを、次の例話で君は学ぶであろう。

(1)ラテン語前綴り con は cum と同様に「~とともに、~と同時に」の意味を持って


いる。
(2)Thais 4-5世紀 アレクサンドリアの聖人。宮廷娼婦であったが、回心して、
悔悛のため女子修道院の独房で蟄居した。
(3)ユダヤ王国第十三代の王(在位 前715-前687)宗教改革をおこなったこと
で有名である。
(4)iustificatio 不義の状態より義の状態に高められること。
(5)マグダレナのマリアのこと。聖女。七つの悪鬼に悩まされていたが、イエスにより
奇跡的に治癒、その後イエスに従う。
(6)Jeremias 前627-588。イスラエル最大の預言者。

第2話 戦いで殺され、告解で贖罪し、煉獄での二千年間を選んだ、修道会
を離脱した修道士

ある貴族の若者がシトー会に入った。彼の親族に司教がいて、彼は司教からことさら愛

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されていた。司教は若者の修道院入りを知ると、修道院へやって来て、世俗に戻るように、
できる限りの言葉を尽くして勧めたが、説得することはできなかった。修練期が終わると、
彼は修道士になり、しばらくしてから徐々に昇進し、司祭に叙階された。
ろうらく
最初の人間を楽園から追放した悪魔に籠絡されて、若者は誓願を忘れ、司祭職を忘れ、
最も悪いことに、創造主を忘れて修道会を去った。両親のもとへ戻るのを恥と思い、<ル
ッタ(1)>と呼ばれる盗賊の一味となった。最初は善人よりも善であった者が、後に悪人
よりも悪くなるかのように、彼は悪くなった。
こんなことが起こった。彼らがある城を包囲した際に彼に矢が突き刺さり死に近づいた。
仲間によって近くの村に運ばれた。彼を世話するために何人かが当てられた。この世の死
を逃れるいかなる希望もなくなったので、少なくとも告解によって永遠の死(2)を避ける
べく、彼らは彼に告解せよと促した。彼は彼らにこう答えた。「かくもたくさんの悪事を
働き、かくもひどいことをしたわしに告解なぞ何の役に立とうか。」
これにたいして彼らはこう言った。「おぬしの悪行より神の慈悲の方が大きい。」彼らが
強く迫ったので、彼はついに折れ、こう言った。「司祭を呼んでくれ。」
司祭が呼ばれ、彼の前に座ったとき、慈悲深き神は、石の心を除き肉の心をお与えにな
って彼に痛悔の心をお授けになった。それで彼はたびたび告解をおこない、むせび泣きと
涙のために声が出ないほどであった。ついに彼は心を集中して、こんな言葉を吐露した。
「司祭さま、私は浜の真砂以上に罪を犯し、シトー会で修道士になり、修道会の司祭にな
りました。私は罪を犯したい気持ちに駆り立てられ修道会を出ました。私は修道会を離脱
しただけでは満足せず盗賊団に加わり残酷な点では彼ら以上でした。彼らは財物を奪いま
したが、私は生命をも奪いました。私の目は誰をも見逃せませんでした。彼らは時々憐れ
み心に動かされて赦しましたが、私は悪意に駆られて、どうしても誰をも赦すことができ
ませんでした。私はたくさんの女と娘を辱め、火をつけて荒らし回りました。」彼はほか
にも人間性を超えた多くのことを並べ上げた。
司祭はこれらを聞いて、彼の途方もない罪に驚き、愚か者にふさわしく愚かにもこう言
った。「あなたの罪は赦されないほど大きい。」彼は答えた。「司教さま、私には学があり
ます。神の善と人間の悪意には何の関係もないことを、私はたびたび聞いたり、読んだり
しました。神は予言者エゼキエル(3)を介してこう言っておられる。<罪人がため息をつ
くときには、救われよう(エゼキエル書33、12)。>またこうも言っておられる。<
私は罪人の死を欲せず、改心して生きることを欲する。(エゼキエル書33、11)>私
は神の慈悲を考慮してあなたが私に何らかの贖罪を課してくださるようにお願いします。」
司祭は言った。「あなたは神を恐れぬ人なので、私はあなたに何を課したらよいのでしょ
うか。」彼はこう答えた。
「司祭さま、私はあなたから贖罪を受けることができませんので、
私は自分自身に贖罪を課します。私は煉獄で二千年間住まうことを選びます、その後で神
の慈悲を見いだせるように。」
彼はこうしていわば二つの石臼の間、つまり地獄にたいする恐怖と栄光にたいする希望
の間に置かれた。
修練士 なぜ彼はそんなに長い期間を選んだのですか。
修道士 彼は自分の罪の重さを思い、永遠の罰を案じ、永続的な罰を一瞬と考えたから
だ。彼は再度司祭にこう言った。「あなたは贖罪の薬を私に拒んだが、臨終の秘跡は与え

- 42 -
てください。」
愚かな司祭は答えた。「私があなたにあえて贖罪を課さなかったのに、どうしてキリス
トの肉と血をあなたに与えることができようか。」
彼はそのどちらも得ることができなかったので、ついにただ一つのことを願って言った。
したた
「私は私の有様を紙に 認 めようと思います。あなたはそれを私の縁者の司教に渡してく
ださい。」
彼は司教の名を挙げて言った。「司教が私のために祈ってくださることを期待します。」
司祭は約束した。修道士は死んで煉獄に送られた。司祭は司教のところへ行き死んだ彼
の手紙を司教に渡した。司教はこれを読むと、激しく泣いて、司祭に言った。「私は一人
の人間をこれほどまでに愛したことはなかった。私は彼の修道院入りを悲しみ、修道会離
脱を悲しんだ。今彼の死を悲しむ。私は生きていたときの彼を愛し、死んだ後も愛するだ
ろう。彼を支えることはできないし、彼は悔い改めて死んだがゆえに、私の教会で常に彼
のために祈ろう。」
司教は自分の司教区の高位聖職者を招集した。つまり修道院長、主席司祭、子院長、司
牧者、魂の世話を委ねられている人たちを。彼は女子修道院にも同じことを要求し、謙虚
に頼んだ、居合わせている人たちには自分の言葉で、居合わせていない人たちには書簡を
もって、すべての人がミサのときも詩編朗読のときも死んだ彼の魂のためにその年は自分
が課した特別の祈りをおこなうようにと。司教自ら、喜捨と、死んだ彼のために設けた特
別の祈りのほかに彼の魂の罪の赦しのために救いのホスチア(4)を毎日捧げた。司教がた
またまやむを得ない事態か、病気でできなかった場合には、別の人が死んだ彼のために代
わっておこなった。
一年が過ぎたとき、死んだ彼が、ミサの終わりに祭壇の後ろの司教のところにあらわれ
た。青白く、弱々しく、やせて、黒い服を着ていた。顔と服が彼の状態を正しく表してい
た。彼にどうしているか、どこから来たのか、と司教が尋ねると、彼はこう答えた。「私
は罰を受けています。その場から来ました。だが私はあなたの愛に感謝しています。今年、
あなたの喜捨とあなたの教会の私にたいする祈りと好意のおかげで、私が二千年間煉獄で
耐えねばならなかった罰を逃れることができました。あなたがもう一年同様のことを私に
課してくださるなら、私は完全に罰から解放されるでしょう。」
司教はこれを聞いて、喜んで神に感謝し、教会や修道院に手紙を送り、幻視のことを話
いそ
し、もう一年彼らに祈りを続けさせた。司教はさらに一年間祈りを続け、祈りに勤しめば
勤しむほど、彼が自由になると確信した。
また一年が過ぎて、司教が、死んだ彼のためにミサを挙げていたとき、また彼があらわ
れた。今度は修道服をまとい、明るい顔をして、自分の願いのすべてはうまくいっている
と言った。彼は司教に言った。「いと敬虔なる父よ、全能の神があなたの愛に報いてくだ
さるように。あなたの配慮のおかげで私は罰から解放されて、今は主の喜びに踏み入りま
す。今この二年間が私には二千年になりました。」
司教はその後彼を見ることはなかった。
修練士 この話を聞いて私は非常に嬉しいです。賞賛に値する二つのことが、私の心に
刻まれました。一つは痛悔の力です。それによって永劫の罰に値する彼は、永遠の生命を
得ました。二つ目は、祈りの力です。それによって彼はかくも早く煉獄の罰から解放され

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ました。
修道士 二つの力は大きいとはいえ、痛悔の力の方がもっと大きいと見なされる。教会
の祈りと喜捨は本質的なことではない。それらは確かに罰を減らすことができるが、栄光
を増すことはできない。
修練士 修道会を離脱した人間が世俗の服で死んで埋葬され、修道服であらわれたのは
私には不思議です。
修道士 痛悔が離脱者を修道士にして、さらに世俗の服を修道服に変えたのだ。
修練士 そのことをもっとはっきりした例話で示していただきたい。
修道士 その例話は用意してある。

(1)mors aeterna 地獄のこと。


(2)rutta 「群れ」を意味する中世ラテン語。この語はラテン語 rumpo(破る、害する)
から若干意味を変えた古フランス語 rotte(群れ)に由来する。中高地ドイツ語 rote は古
フランス語から借用され、今日のドイツ語 Rotte(群れ)に至っている。
(3)旧約の四大予言者の一人。
(4)hostia 聖体拝領に用いられる、小麦から作られた聖別されたパン。

第3話 聖ベルナルドゥスの奇跡で悔い改め、修道院の外で死んで、聖職者の
服を着て埋葬され、トンスラと修道服で掘り出された離脱した修道士

ある敬虔な修道士が私に語ったことによれば、聖ベルナルドゥスの許にある修道士がい
て、君が問うていることを、神は彼に告解の力によって一層明確にお示しになった。書き
記されていない多くのことが、われわれの修道院で今も生存している、ベルナルドゥスと
出会った老年の修道士たちによって、語られるのが常である。
これから話題とするこの修道士は、敵に籠絡され修道服を脱ぎ捨て、敵と結託してある
教区の管理権を受領した。相手は聖職の者だったからだ。罪はまた別の罪によって報いら
れるのはよくあることなので、修道会を去った彼も肉欲の悪徳に陥った。多くの者の常で
あるが、彼も同棲すべく情婦を家に引き入れ、子供をもうけた。
数年が経ち、誰もが滅ぶのを欲せられない神は憐れまれて、こんなことが起こった。敬
虔な院長ベルナルドゥスが、この修道士が住んでいる村を通り、宿を取るために彼の住ま
いに立ち寄った。修道士は客をベルナルドゥスだと分かって、うやうやしく迎え、心のこ
もったもてなしをして、ベルナルドゥスにも従者にもさらに馬にも食事をたっぷり供した。
しかしベルナルドゥスの方は彼のことが分からなかった。翌朝ベルナルドゥスが朝課を
終え、出発の準備をしていたが、彼と話をすることはできなかった。彼は早く起きて教会
へ行ったからである。そこで彼の息子に言った。「行って、あなたの主人にこう言ってく
ださい。
」この子は生まれながらに口がきけなかったが、ベルナルドゥスの依頼を聞いて、
依頼者の力を自分のなかに感じ、父のところに走り、聖人の言葉を完璧に言葉で表して、
「院長がこう命じておられる」と言った。父は、息子が口が利けるようになったことで、
喜びのあまりに涙を流し、二度、三度その言葉を繰り返すように促した。そして院長が息
子にしたことを詳しく尋ねた。息子は父にこう言った。「あの人は私に他に何もせず、た

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だこう言っただけです。『行って、あなたの主人にこう言ってください。』」
ひざまず
修道士はかくなる奇跡におののき、急いで聖人のところへ行き、涙して聖人の足元に 跪
いて言った。「父なる院長さま、私はあなたの修道士です、いや修道士でした。修道院を
出たからです。私があなたと一緒に修道院に戻れるように、私は父の愛にすがります。あ
なたが来られたことで、神が私の心を動かされました。」聖人は彼に答えた。「ここで私を
待ちなさい。私は用事が済めば、すぐに戻りあなたを連れて帰ります。」彼はかつては気
にしていなかった死を案じていった。「院長さま、それまでに私は死ぬのではと心配して
います。」これにたいしてベルナルドゥスは言った。「きっとこう心に刻みなさい。あなた
がそのように悔い改め、そのような目的で死ぬならば、あなたは神の前では修道士でしょ
う。」
ベルナルドゥスは行き、戻ってきた。かの修道士が数日前に死んで埋葬されたと聞き、
墓を開けるよう命じた。そこに居合わせた人が、何をするつもりかと尋ねると、ベルナル
ドゥスはこう答えた。
「彼が修道士としてか聖職者としてか、どちらで埋葬されているか、
見たいのです。」彼らは答えた。「われわれは彼を世俗の服を着た在俗司祭として葬りまし
た。」
地面が掘り返されると、修道士は埋葬されたときの服ではなく、トンスラと修道士の服
を着て、みんなの前に姿をあらわした。意志を行為とお考えになる神をすべての人は讃え
た。
このことではっきり知るのだ。修道会離脱の悪徳で奪われたのを、実に痛悔が神の前で
戻すことを。離脱の間は何も実らないことも知るのだ。
修練士 これらのことから痛悔の力がよく分かりました。でもそれ以上に私は救世主の
とてつもない慈悲に驚いています。かの修道士は離脱者で好色家でした。それ以上に重い
ことは、彼がキリストの神聖な神秘に汚れた手で日々触れることをはばからなかったこと
です。
修道士 もっともだ。侮ることが多ければ、罪も重いのだ。使徒もこう言っている。<
不適切に主のパンを食べ、主の杯から飲む者は、主の体と血の罪人となろう(1コリント
の信徒への手紙11、27)。>この箇所についてある注解でこう述べられている。<そ
の者はキリストの死にたいして贖罪しよう。彼はキリストを殺害したがごとくに罰せられ
よう。相応しからず、つまり死に値する罪にあってキリストに近づく者が(1)、キリスト
を十字架にかけた者と罰では似ているなら、たくさんの絶え間ない死に値する罪をおこな
い、大食いをするのみならず(2)、邪な手で聖体を用意し触れる者はどう考えたらよいの
か。>
そのことについてかつてプリュムの修道院長だった、尊敬すべき父、シトー会修道士カ
エサリウス(3)が私に話してくれたことを聞きなさい。

(1)キリストを裏切ったイオカステのユダのこと。
(2)原文 non solum non manducans manducat 「かじらずに食べるのみならず」。最初の
manduco は「少しずつ反復的に食べる」を意味しているが、後の manduco は一般
的な「食べる」を意味している。
(3)ミーレンドンクのカエサリウス。プリュムのベネディクト会修道院院長であったが、

- 45 -
後に一修道士としてハイスターバハのシトー会修道院に移った。

第4話「本当に罪ならば、私の魂は決して救われないだろう」と言った司祭

カエサリウスがある時、ある司祭と罪について話していると、司祭は告解するのではな
く、罪をみくだしてこう答えた。「人々が言っているように、罪が本当に罪であって、厳
しいものなら、私の魂は決して救われないでしょう。
」「なぜか」とカエサリウスが問うと、
司祭はこう答えた。「昨夜私はほかの男の妻と寝て、今日はミサを三つ挙げたからです。」
その夜は二つの祝祭があった。つまり日曜日と殉教者聖ラウレンチウス(1)の祝日である。
修練士 この話は驚きです。主が、ご自分にたいするかくなる侮辱にお耐えになるとは、
私には不思議です。
修道士 もし神が罪をなした罪人をすぐに殺害されるなら、今日これほどの告解者はい
ないだろう。このような司祭の別の恐ろしい話を聞きたいかい。君が神の言い尽くしがた
い忍耐に驚くであろう。
修練士 神の忍耐はわれわれにどうしても必要ですから、ぜひ聞きたいです。

(1)Laurentius ローマの殉教者。伝説によれば、焼けた鉄板の上であぶり殺されたと伝
えられている。

第5話 クリスマスの日に鳩に祭壇のホスチアをもちさられ、痛悔の後で返し
てもらったふしだらな司祭

修道士 かつてハルバーシュタットの司教であったコンラートさまが、昨年非常に不思
議な話をわれわれにしてくれた。それは数年前にフランス王国で起きたことだと彼は言っ
ていた。そこにある司祭がいて、クリスマスの夜には狭い村を移動しなければならなかっ
た。それは、いつものように朝課を唱え、ミサを挙げるためである。悪魔の仕業で―そう
信じられている―ある村の近くで彼は、一人の女に一対一で出会った。そこで誰も見てい
なかったので、彼女と過ちを犯した。
かくも破廉恥なことをしても、良心がとがめることなく、彼はさらに大きな神の軽視へ
と向かった。彼は神の怒りよりも俗世間の恥を重んじ、教会へ行き、朝課を唱え、鶏の第
一声で夜のミサを習慣通りに厳かに挙げた。パンのキリストの身へのぶどう酒の血への聖
変化がなされたとき、彼の目の前で白い鳩が祭壇の上に舞い降り、杯のなかのすべてを飲
み干し、くちばしでホスチアをつまみ飛び去った。
彼はこれを見て、ひどく驚き、何をしてよいかわからず、周りの人々のためにミサの大
分を言葉としるしに関してやり遂げたが、聖体拝領には至らなかった(1)。ミサが終わり、
頌歌が歌われた。彼の代わりをする者は誰もいなかったので、こうして彼が朝のミサを終
えると、最初の時と同じ鳩が飛んできて、ホスチアをつまみ、飛んでいった。
修練士 なぜ彼は太祖アブラハム(2)に倣って、鳩を追い払わなかったのですか(3)。
修道士 追い払わられたり、捕らえられたりするような鳩ではなかった。ヨルダン川で
ヨハネ(4)が見ているとき、イエスの顔に舞い降りた鳩に似ていると私は思う(5)。

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修練士 その鳩についてはどんなことが考えられますか。聖霊だったのですか。
修道士 いや違う。だが聖霊の存在を暗示はしている。聖霊によって作られた鳩の役目
が終われば、鳩は前の物質に戻される。神性の本質は肉眼では見えず、耳では聞こえず、
手では触れ得ない。火とか鳩のような下位の被造物では聖霊がたびたび見られる。
修練士 その司祭はその後どうなったのですか。
修道士 彼は思い上がりを止めず、その日のミサを三度目に挙げようとして祭壇に近づ
いた。すると、一度目、二度目と同じ鳩を介して<(われわれのために)生まれしおさな
子(6)>が血と肉の秘跡を彼からお離しになった。
ついに哀れな司祭は正気に戻り、不当な罪について神の恩寵によって悔悟してわれわれ
の修道会のある院長のところへ行き、大きな罪を告白した。彼はたくさんの涙を流して、
ことの次第を院長に説明した。つまり彼が不当な者として三度目に聖なる秘跡から退けら
れたことを。
賢明で、分別ある院長は、司祭が心から悔い改めたと見て、痛悔の力を試そうと欲し、
なされなければならい贖罪を先に延ばし、早く行って、ミサを挙げるように命じた。司祭
は神にたいするように贖罪司祭に従って、ミサを挙げるために大いなる怖れと涙で祭壇に
近づいた。慈悲深き神は、彼がなしたことの何も憎まれず、悔悟のゆえに人間の罪を大目
に見られ、彼を驚くべき方法でお喜ばせになった。
聖体拝領の前に鳩が戻ってきて、一つ一つ持ち去った三つのホスチアを同時に嘴で運ん
できて、聖体布の上に置き、三回分のミサのぶどう酒を口から杯に移し、消えた。彼はこ
れを見て、大いなる喜びに包まれ、ひとり大きな奇跡をなされた神に感謝し、院長のもと
に戻り、院長にこの神の慰めを話し、院長によって修道院に受け入れて貰うようにへりく
だって願った。だが院長は彼にこう答えた。「今私はこの時にあなたを受け入れない。あ
なたが海を渡って、あなたの罪のために三年間病舎で病み人の世話をしなさい。あなたが
戻ってきたら、私はあなたを受け入れます。」
彼がかくなる旅の労苦と海の危険によって罪の罰を消し、貧乏人と病み人を慈悲の行為
の証人とすることを院長は望んだ。院長が命じたことを彼はおこない、三年間で戻り、修
道院で修道服を受け取った。
修練士 そんなに大きな罪人がそのような善に達するとは、幸いな罪ですね。
修道士 大罪それ自体は悪であるが、時々場合によって何人かには善としてつまり有用
なことになることもある。時々人はただ一つの罪を恐れて、多くの、いやすべての罪から
解放されることがある。人は迫り来る罰を恐れて、告解し、痛悔し、贖罪によってすべて
の罪を消すのである。
修練士 あなたの言うことに同意します。もし私が修道服に一つでも汚いしみを見つけ
たら、その機会に服全体を洗うからです。
修道士 時々、神は大罪を赦されるが、とるに足らない罪でも赦されないことを君は知
らなければならない。つまり神は大罪を赦されなければ、同時に取るに足らない罪も赦さ
れない。
修練士 それがどのようになっているか、私には分かりません。
修道士 取るに足らない罪とは、子供にたいする親の強い愛情のようなものだ。そんな
罪を親は贖罪することができないし、止めることもできない。それゆえ、それらの罪は親

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にはこの世では赦されない。だがとるに足らない罪から生じることであっても、賢明な人
は大罪に気をつけねばならない。自分で倒れるが、自分で立ち上がることができないから
だ。神が倒れた者に救いの手、つまり輝く恩寵をさしのべ給うかどうかは、誰も知らない。
ある者は、ユダのように落ちて立ち上がらない。ペトロのように、ある者は倒れ、前より
も強く立ち上がる。これらについてきわめて真実の話を君にしよう。時代が近ければ、近
いほど、君は喜ばないだろう。

(1)原文 canonem propter populum circumstantem, quantum ad verba et signa complevit, sed
fructu canonis caruit 「彼は回りに立っている人たちのためにカノン(<聖変化>か
ら<主の祈り>までのミサ)を言葉としるしに関して、やり遂げたが、カノンの成
果は得られなかった。」
(2)イスラエル民族の祖。
(3)創世記15、11参照。
(4)洗礼者。キリストを洗礼する。斬首される。
(5)マタイによる福音書3、16参照。
(6)puer natus (est nobis) キリストのこと。

第6話 贖罪しない盗賊ヒルデブラントと死後の彼の罰

シトー会士ベルナルドゥスは、深く落ちたが、落ちた後上がることを望まなかった、あ
る分限者の執事のことを話してくれた。恐らく上がることができなかったから、望まなか
ったのであろう。実際、心のなかに痛悔の贈り物がなかったので、できなかったのだ。執
事はヒルデブラントという名で、ユトレヒト司教区のホルランという村に住んでいた。あ
る日、彼はある村人と森を通っていた。彼は、悪魔にそそのかされて、他に誰もいなかっ
たので、この村人を殺害した。
この二人はかつて敵対関係にあったが、その時はその関係は収まっていた。ヒルデブラ
ントが村に戻ったとき、殺害された者の友人たちが彼に「あいつはどうしたのか」と尋ね
ると、彼は「俺は知らない」と答えた。
彼らはその日とその次の日も待った。友人は戻ることができなかったから、戻らなかっ
た。彼らは昔の敵対関係のゆえにヒルデブラントに疑いをかけ、裁判官の前に彼を引き立
て、殺人の罪で訴えた。彼はわなないて否定したが、顔が真実を露呈していた。彼らが責
め立てたので、彼は否定することができず、殺人の罪を告白した。ただちに判決がくださ
れ、車刑が課せられた。
ヒルデブラントが処刑のために引き立てられていたとき、ベルトルフという名の村の司
祭、先のベルナルドゥスの実の兄弟のヨハネスと呼ばれる司祭、それに村の代官が、ヒル
デブラントはかつては誠実な男だったので、彼を脇へ連れ出し、告解と痛悔をせよとこん
こんと説得した。哀れな男は自身では立ち上がれず、人の助けも必要と思わなかったので、
哀れにもこう答えた。「そんなことはわしに何の役に立つのか。わしは呪われている。」実
際、彼は頑なに絶望して、<わしの罪は赦されるにあたいする以上に重い(創世記4、1
3)>と言った人に似た答えをしたのだ。

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司祭ベルトルフは彼に言った。「私は父と子と聖霊にかけてお願いする。あなたがこの
一カ月以内に私の前にあらわれ、私に生命の危険が及ばずにあなたの置かれた状態を話す
ように。」彼は答えた。「赦されれば、喜んでそうしよう。」こうして車刑は実行され、彼
は肉体の苦痛から永遠の罰へと移された。
とこ
それから一カ月も経たぬある夜、ベルトルフが自分の床で横になっていたとき、建物の
きゆうしや
周りで木々のざわめきが強まり、風が激しく吹いて、動物までも驚き、 厩 舎の囲いのな
かで身を支えることができないほどであった。
ベルトルフは目を覚まし、扉に目をやった。すると、扉は風の力で動かされたかのよう
に開かれ、ヒルデブラントが燃える暖炉の上に座ったままかなり早い速度で自分に近づい
てくるのを見た。ベルトルフは、大層驚き、十字を切り、じっとしているようにと神の名
を呼びながらヒルデブラントに言った。ヒルデブラントは、「私は約束した通りにここへ
来ました」と言った。ベルトルフがヒルデブラントの今の状態を尋ねたとき、こう答えた。
「私は永遠に呪われています。私は絶望のゆえに永遠の炎に曝されています。私があなた
の助言に従って贖罪をおこなっていたら、世俗の罰を受けて、永遠の罰から逃れたことで
しょう。というのは、神は同じ罪を二度罰せられないからです。だがこれだけは知ってく
ださい。私が死んだ後にあなたを傷つけないように、と私が生きていた間にあなたから乞
われなかったなら、私はあなたを困らせるためにここへ来たことでしょう。私はあなたに
忠告します、生命が終わった後にも同じ罰を受けないように、あなたの生き方を改めるこ
とを。」
このベルトルフは司祭を名乗っていたが、そうではなかった。というのは、彼はその時
までに司祭の品級なしにミサを挙げてきた。彼が哀れなヒルデブラントにさらに尋ねよう
としたとき、ヒルデブラントは答えた。「私はこれ以上ここにいることはできません。悪
魔がたくさん扉の外で私の帰りを待っています。」
ヒルデブラントはこう言うと、ただちに打たれ、追われてうめき声と叫び声をあげ、そ
こから消え、厩舎の横を通り、前と同じく動物たちを不安と興奮に落とし入れた。
ベルトルフは、かくも恐ろしい幻を見て、恐怖のあまりに世俗を捨てて、ヘルデンハウ
ゼンと呼ばれるシトー会の修道院で修道服を受け取った。そこの院長は、ベルトルフが知
識があり、能弁であることを知っていたので、彼が品級を得ることができるように、教皇
インノケンチウス(1)さまに働きかけたが、聞き入れられなかった。
カンプ・リントフォルトの院長が私に話したことによると、二年前にベルトルフは、契
約の箱(2)にやみくもに手を伸ばしたので、罰として膿瘍という病気にかかった。これは
ゆっくり進む病気なので、治療として手が切断された。しかし効果はなかった。痛みはま
すますひどくなり、彼の死を早めることとなった。神は彼を将来ではなく、今罰すること
をお望みになったと私は信じる。
あの執事ヒルデブラントは倒れ、立ち上がれなかった。もし彼が倒れなかったなら、決
して呪われなかったろう。
修練士 死に値する罪をずっとなすことがいかに危険であるか、この罰から分かります。
修道士 そういう罪が危険のみならず、破壊的であることを君は知るべきだ。高い熱が
死につながるように、死に値する罪が地獄につながるゆえに危険である。たまに罪人が善
行をなしても、すべてを無にするから破壊的である。それで罪人には永遠の報いは伴わな

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い。
修練士 そういうことは、罪を犯す人の罪のゆえなのか、あるいは恩寵が減じるがゆえ
なのか知りたいものです。
修道士 罪が先に立たなければ、恩寵は決して人間からは離れない。そうでなければ、
罪は恩寵をお与えになる神に戻るのは当然だ。
修練士 よく分かりました。
修道士 自分の罪のために自分に用意された地獄の罰を見てから、地獄から戻り、贖罪
を見下した他の哀れな者のことをこれから聞きたいかい。
修練士 お願いします。

(1)インノケンチウス三世 177代ローマ教皇(在位1198-1216)。ドイ
ツ王位継承闘争に干渉、教皇領を拡張した。
(2)arca Dei (神の櫃)。十戒を刻んだ二枚の石版を収めるアカシア材の箱。

第7話 罰として自分に用意された炎の椅子を見た高利貸し

修道士 クサンテンの神学校長ヨハネス師とケルンの神学校長オリヴァー師が、ユトレ
ヒト司教区でサラセン人にたいする十字軍勧説をおこなっていた頃、当時オリヴァーの同
僚で同じ説教者であった先のベルナルドゥスが私に話してくれたのだが、ゴットシャルク
とかいった農夫、実は本業は高利貸し(1)が、その地に住んでいた。彼も他の者たちと同
じく、後で分かったことだが、敬神からではなく、周りの人たちから強く勧められて十字
架を受け取った。
特免付与者(2)たちが教皇インノケンチウスの命令で免除金を老人、貧乏人、病人から
徴収していたとき、この高利貸しは自分は貧乏人だと偽り、ある特免付与者に五タレント
ウム(3)を渡し、こうして策略で聖職の者を騙した。後になって彼の近隣の者が、彼なら
40マルクを出すことができ、そして言いつくろっていたのと違って息子たちには相続さ
せていた、と証言した。騙されることのない神は、後に恐ろしい方法で彼の偽りを終わら
せになった。
この哀れな男は居酒屋で神を挑発し、こう言って神の十字軍兵士たちを嘲弄した。「お
前たち、愚か者たちは海を渡り、お前たちの財を使い果たし、お前たちの生命を多くの危
険にさらすであろう。わしは妻や子供と一緒に家に残り、十字架を購ったら五マルクでお
前たちと同じ報酬を得るであろう。」
遠征の労苦と出費が神になんと喜ばしいかを、また貶める者の策略と冒涜が神の目にい
かに不快かを、慈悲深き神ははっきりお示しになって、このきわめて哀れな男に、神を冒
涜しないことを学ばせるため、彼をサタンにお委ねになった。
ある夜、彼が妻と眠っていたとき、自分の家に接している自分の風車小屋のなかで風車
が動くような音が聞こえてきた。彼は召使いを呼んで、言った。
「誰が風車を動かしたのか。
そこに誰かがいるか、行って見てこい。」召使いは見に行き、戻ってきた。彼はものすご
い恐怖を感じ、進むことはできなかった。主人は召使いに言った。「どうだったか。」
召使いは答えた。「恐怖で風車小屋の入り口に近づくことができず、戻らざるをえません

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でした。」主人は言った。「たとえそこに悪魔がいても、わしは見に行くぞ。」
彼は裸だったので、肩にマントをかけ、風車小屋へ行き、扉を開き、なかを見て、恐ろ
しい光景を目の当たりにした。そこに二頭の真っ黒な馬と馬の横に同じ色の服を着た一人
の醜い男がいた。男は彼にこう言った。「早くこの馬に乗れ。この馬はお前のためのもの
だ。」彼は真っ青になって震えた。命じる相手の声が恐ろしく聞こえたからである。彼は
すぐに従わなかったので、悪魔は叫んだ。「何をためらっているのか。マントを脱いで、
」マントには、彼が受け取っていた十字のしるしが縫い付けられていた(3)。
こっちへこい。
これ以上何を言うことがあろうか。彼は絶望して心の中に悪魔の声の力を感じて、抵抗す
ることができず、マントを投げつけ、風車小屋へ入り、馬、否悪魔に乗った。悪魔はもう
一頭の馬に乗った。二人は早駆けで同時に地獄の別々の場所に連れて行かれた。
そこで哀れな彼は、悲惨な状態の父と母、すでに死んでいるとは知らなかった他の多く
の人たちを見た。ホルストの城伯、名をレーネンのエリアスという最近死んだ誠実な騎士
が、突進する雌牛に反対向きに乗っているのを見た。背中を角に当たらせるためである。
雌牛はあちこち走り回り、たくさん突いて騎士の背中を傷つけた。
高利貸しが騎士に「どうしてそんな苦しみに耐えているのですか」と尋ねたとき、騎士
はこう言った。「私はこの雌牛をあるやもめから無慈悲に奪った。それゆえ無残に雌牛に
よる罰に耐えているのだ。」
その場所で火の椅子が彼に提示された。椅子にはいかなる安らぎもありえず、罰の座と
限りない罰があった。彼はこう命じられた。「すぐに自分の家へ帰るのだ。三日後、お前
は肉体から離れ、この場所へ戻り、報いをこの椅子で受けるのだ。」
高利貸しは悪魔によって連れ戻され、風車小屋に置かれ、ほとんど魂が抜かれたように
置き去りにされていた。そこで妻と召使いに見つけられ、床に移され、どこへ行って、ど
こから戻ったのか、と問われたとき、こう答えた。「地獄に連れて行かれ、そこであれや
これやを見た。わしを連れて行った人がその場でわしに椅子を見せて、それはわしのため
に用意されていて、三日後にその椅子で報いを受け取るのだと言った。」
さっそく司祭が呼ばれ、この小心男を勇気づけ、この絶望男を奮い立たせ、至福を思い
起こさせるようにと妻から要請された。罪について痛悔するように、誠実な告白をするよ
うに、神の慈悲を諦めてはいけないと言って、司祭が彼に説いたとき、「そんな言葉は何
の役に立つのか。わしは痛悔することができない。痛悔する必要はない。わしのことで決
められていたことが、実行されねばならない。わしの椅子は用意されている。三日後にわ
しはそこへ行き、なしたことにふさわしい報いをそこで受けるのだ。」
痛悔なく、告白なく、臨終者に授けられる聖体拝領も塗油もなく、彼は三日後に死に
地獄に葬られた。司祭は教会墓地での埋葬を拒んだが、妻に買収され、墓地に埋葬された。
このため、司祭は後にユトレヒトの教会会議で告発された。いかなる罰によって彼が罰せ
られたかを私は知らない。こんなことが起きて三年がなんとなく過ぎた。彼は高利貸し同
様に倒れ、立ち上がれなかった。
修練士 突進する雌牛の上で騎士は罰を受け、高利貸しは安らぎと堅固さのしるしであ
る椅子で罰を受けたのは、何らかの意味があると思われます。
修道士 神は罪の性質と規模で罪自体を罰せられる。かの騎士は、雌牛を奪っていたの
で、雌牛の上で罪を贖罪した。性質についてはこのようだ。雌牛は草地を求めてさまざま

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な野を走り回り、食べた後に再び生えてきた草を食する。突進し、食べ尽くす雌牛は、今
の時代の貴族と代官を表しており、彼らは民の家と畑を、客となって食い尽くし、民に課
した執拗な税によって財を増やすことを止めようとしない。彼らは罰の点では盗賊に匹敵
しよう。他の者を苦しめている点で先の騎士のように苦しめられよう。罰の規模について
はここまでにしておこう。
高利貸しは、静かに家にいて利子で財を得たので、地獄で炎の座を受け取った。炎が墓
を飲み込むように、貸した利子が貧乏人の財を飲み込むがゆえに、彼には火の座がふさわ
しい。

(1)usurarius 中世の高利貸しなる職業は特に嫌悪されていた。中世の高利貸しの実態
については、ジャック・ル・ゴッフ『中世の高利貸』に詳しい。
(2)dispensator 十字軍参加の免除を有償で付与する権限を委託されていた聖職者。
(3)talentum 貨幣単位で marca と同じ。銀一ポンドの価値。
(4)十字軍兵士は右肩に十字のしるしを縫い付ける習慣があった。そこから十字軍と呼
ばれる。

第8話 暴利の罪はいかに重いか

修練士 暴利の罪は非常に重く、その罪を購うのは難しいように思われます。
修道士 君の言うとおりだ。止まない罪は他にはない。暴利は止むことはない。高利貸
しが眠っていても、暴利は眠らず、常に増え高まる。その罪を購うことは難しい。奪われ
たものが、返されなければ、神は罪をお赦しにならないからだ。
好色漢、姦通者、殺人者、神の冒涜者は、その罪を贖罪するや、神の赦しを受ける。だ
が高利貸しは、その罪を悔いても、暴利を取り続ければ、返すことができても、赦しを受
けない。
修練士 高利貸しが利子を消費してしまうか、子供たちに分配したなら、正当な財産の
ほかに何かあるのですか。
修道士 あるとしたらそれを売り、盗んだものを返さなければならない。
修練士 教会の高位聖職者にして監督者である司教たちが高利貸しと関わり、彼らを教
会墓地へ埋葬するから、今日高利貸しはたくさんいるのです。
修道士 司教たちがただ自分たちに委ねられた人の罪を見逃し、それらのまねをしない
ならば、それはまだ耐えられる。司教たちの何人かは、俗人と同じように、自分たちに従
属する民に重い税を課す。彼らは悪いいちじくの木である。非常に悪いいちじくである(1)。
暴利と重税は盗賊と略奪にほかならないがゆえに、地獄で高利貸しの座の横に司教座が設
けられないように、彼らは大いに気をつけねばならない。
修練士 頭が病気であるのに、どうして身体は元気なのですか。
修道士 そういう司教座のことで、ある司教のたとえが私の心に浮かぶ。

(1)エレミヤ書24、113参照。

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第9話 ヴォルムスの司教ルポルドのたとえ

数年前ヴォルムスにルポルドという名の司教が住んでいた。肩書きは司教であったが、
行為は暴君であった。彼はきわめてうぬぼれが強く、寛容も敬虔さもなかったので、高貴
ま ね
な人である彼の実の弟がある時彼にこう言った。「司教さま、あなたはあなたを真似たわ
つまず
れわれ平信徒をずいぶん 躓 かせた。あなたが司教になる前は、神を恐れていたが、今は
いささかも神を煩うことはない。」司教は弟にこう言った。「二人の隣人がいて、一人がも
う一人の真似をして罪を犯した。二人は死んで、地獄へ連れて行かれた。彼らが地獄の責
め苦を受けていたとき、一人がもう一人に言った。『お前はひどい奴だ。わしはお前の真
似をして罪を犯してこの場所に来たのだ。』もう一人が言った。『よき隣人よ、わしの席が
そんなにいいものなら、わしのをお前にやろう、わしにお前のをくれ。』弟よ、お前に言
っておこう。われわれが地獄へ行って、私の席がずっと立派にうつるなら、そこへ上がれ、
私はお前の席に上がろう。」弟は言った。「それは良くない慰めです。」
二人の王、オットーとフィリップの確執の時代(1)、司教ルポルドはフィリップの力を
借りてマインツ司教区を手に入れ、幾多の戦いに介入し、教会も墓地も損傷させるほど彼
は悪魔的であった。彼の騎士たちが彼にこう言った。「司教さま、われわれは墓地を荒ら
すことなどできません。」彼はこう答えた。「お前たちが死者の骨を取り出したとき、初め
て墓を荒らしたことになるのだ。」
ルポルドが先の司教区の略取のゆえに教皇インノケンチウスによって地位と聖職禄を奪
われたとき、フィリップの助力をたよって、兵を集め、教皇と戦うべくイタリアに向かっ
て進軍した。
語るも恐ろしいことだが、ルポルドは各地でろうそくを灯して教皇を呪詛さえした。後
にルポルドの地位と聖職禄は皇帝オットーにたいするいやがらせのために取り戻された。
すでに述べられたように、この人はたびたびひどく罪に陥った。彼が最終的に痛悔によっ
て立ち上がったどうかを私は知らない。彼が死ぬことになった旅が、たくさんの争いの芽
であったことを私は知っている。
修練士 ある人々が倒れ、痛悔によって立ち上がるのを私は何度を見てきました。しか
しもっと強く立ち上がる人々を例話で示してください。

(1)神聖ローマ皇帝オットー十四世のヴェルフ家とシュヴァーヴェン公フィリップのホ
ーエンシュタウフェン家の間のドイツ王をめぐっての対立。

第10話 あまりにもたくさんの痛悔のゆえに告解できず、紙に書い
ておいた罪が神によって消されたパリの学生

修道士 主の受難後の1119年、私が修道会入りして以来二十二年が経った。パリで
本当に次のようなことが起きたと敬虔で学識ある修道院長や神学校長から私は聞いた。
パリにある若い学生がいて、彼は人間の敵にそそのかされて、恥のため誰にも告白する
ことができない罪をおかした。悪人には地獄のいかなる責め苦が用意されているか、善人
にはいかなる永遠の生の喜びが確保されているかを彼は考え、自分についての神の判断を

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日々恐れて、心のなかはわずかの良心によって苦しみ、肉体は外見上衰えていった。
さらに何が起こったたか。ついに神がお憐れみになり、若者のなかで、毛にたいする糸
のように、愛を受け入れるのを常とする恐れが恥に打ち勝った。
彼は聖ヴィクトル修道院へやって来て、副院長を呼び、告解のために来た、と言った。
同修道院のすべての修道士同様、副院長はこの仕事のために準備していて、ただちに来て、
そのようなことのために定められた場所に座り、あらかじめ励ましておいて、若者が進ん
で告解するのを待った。
驚くべきことが起こった。その本性は善であり、その意志は力であり、その働きは慈悲
である慈悲深き神は、若者の心に痛悔をもたらされた。告白をおこなうとただちにむせび
泣いて声は止まった。若者の目には涙が、胸にはため息が、のどにはむせびがあった。副
したた
院長はこれを見て、彼に言った。「帰って、紙に君の罪を 認 め私に渡しなさい。」
若者はこの助言に納得し、辞し、書き、翌日に戻り、告解できるならばと再度試みたが、
最初同様声が出なかった。それ以上進まなかったので、副院長に紙を渡した。副院長はこ
れを読んで、わが目を疑い、若者に言った。「私は一人であなたに助言することはできま
せん。院長に見せてもいいですか。」若者は承諾した。副院長は院長のもとへ行き、読ん
でもらうために紙を渡し、ことの次第を説明した。
その後、何が起こったかを聞いて、罪人たちは慰められるのがよい。絶望した者たちは
立ち直るのがよい。院長は読もうとして紙を開くや、中味が全部消えていた。主がイザヤ
を介して<私はあなたのそむきを雪のように、罪を霧のように吹き払った(イザヤ書44、
22)>と言われたことが、実行された。
院長は副院長に言った。
「この紙の何を読めと言うのか。ここには何も記されていない。」
副院長はこれを聞くと、院長と一緒に紙を見て、彼にこう言った。「院長さま、件の若者
がこの紙に罪を記したこと、私が読んでから、あなたに読んでいただこうとお渡ししたこ
とは、確かです。思いますに、若者の最大の痛悔に注意を向けられた慈悲深い神は、すで
に十分罰せられた罪を正当にお消しになった。すなわちすべての書かれたものの消失、す
べての罪の消失を表しています。」
彼らはかの学生を呼んで、紙を見せ、彼の罪は消えた、と言った。彼は紙を見て、この
しるしからその意味がはっきり分かったので、最初悲しみで狭かった彼の心はたくさんの
喜びで広がった。彼らは彼に贖罪を課さず、得た恩寵について神に感謝し、将来はより注
意深く生きるように戒めた。今や、この若者は、破滅の前には不完全であって倒れたが、
完全に立ち上がったと思われる。
修練士 何に関して彼は完全になったのですか。
修道士 愛に関してだ。
修練士 何が愛の成就ですか。
修道士 精神が、重大な罪もささいな罪も意識しないならば、精神は罪のみならず、罰
からも自由になれる。この学生がこのような状態で死ねば、煉獄の罰もわずかしか感じな
いと思う。というのは、完全な愛は鉛も茎も、罪も罰も焼き尽くすからだ。このことは、
多くの人の考えだ。きわめて完全な人間でも干し草と茎を携えているという人もいる。
修練士 彼が副院長に紙が見せる前に、どうして彼の罪が消されなかったのか不思議で
す。

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修道士 告解が不必要と思われないためだ。告解の願いなくしては、赦しは生じない。
告解自体は恥によるため償いの大きな一部である。というのは、痛悔の最初の瞬間で罪は
赦されて、それから痛悔に火がつき、告解が燃えて罪が消されるのだ。
修練士 たくさんの涙を流し、<私がたくさん愛したがゆえに、彼女のたくさんの罪が
赦された(ルカによる福音書7、47)>という救世主の言葉に何も言わなかったという
マリア・マグダレナの痛悔ほど、彼の痛悔には驚きません。
修道士 君はマリア・マグダレアに言及したので、キリストがかつてマリア・マグダレ
アに示されたと同じぐらいの恩寵の奇跡を、最近のあるすばらしい女性の驚くべき痛悔に
関して君に話そう。

第11話 自分の息子の子供を宿したが、教皇インノケンチウスによって
彼女の完璧さのゆえに罪が赦された女性

私が話そうとすることを、私はさまざまな場所でさまざまな人たちから聞いた。四年前、
私の記憶に間違いがなければ、教皇インノケンチウスさまが逝去された年、ある女性が情
はら
欲の炎に燃え、自分の息子を愛し、孕み、あらたに息子を生んだ。彼女はかくもおぞまし
き交わりに恐れおののき、いつサタンに委ねられるか、いつ突然の死に襲われるかを恐れ
たが、神の憐れみを受け、贖罪のことを考え始めた。まず司祭の忠告を聞き入れ、子供を
抱いて、私が聞いた通りだと思うが、ローマに赴き、緊張して教皇インノチウスさまの前
に身を投げ出して、たくさんの涙を流して叫び声をあげて、全員が聞いているなか、告白
をおこない、みんなを驚かせた。彼女はなされた破廉恥の行為の証拠として子供を腕に抱
いていた。
教皇さまは、女性が深く悔悟し、本当に贖罪の意志があるのを知り、彼女に同情して、
賢明な医師のごとくに、病気をすぐに完全に治し、悔悟の薬を試すことを欲し、彼女が息
子と罪をおかしたときの服を着てくるように命じた。彼女は一時的な恥よりも永遠の恥を
優先させ、すぐに外へ出て、服を脱ぎ、下着を着て戻り、すべての贖罪の準備がいかにで
きているかを、このような恭順で示した。
きわめて学ある人インノケンチウスは、彼女のこのような恭順、このような慎み、この
ような悔悛にたいしていかなる罰もあり得ないと考え、すべての者の前で女性に言った。
「あなたの罪は赦された。安心して帰りなさい。」
教皇は彼女にこれ以上何も課さなかった。枢機卿の一人がこれを聞いて、教皇に反対し
てファリサイ派(1)のようにぶつぶつ言い、彼女にたいする判決を咎め、このような大き
な罪にたいしてわずかの贖罪では十分ではないと言った。
インノケンチウスは枢機卿に答えた。「もし私がこの女性に不正をなし、彼女の贖罪が
神の前で不十分なら、悪魔が私の身体に入り込む力を持つがよい。そしてすべての者の前
で私を苦しめるがよい。だがもしあなたが不当に私を責めるなら、あなたにも同じことが
起ころう。」
ただちに悪魔はその枢機卿を苦しめ始めた。彼の苦しみによって、神は女性の完全な贖
罪を公に示された。ついにすべての人の祈りによって枢機卿は清められ、苦痛のなかでこ
れから先は神の慈悲を咎めないことを学んだ。今や、かの司祭同様、この女性は病気で倒

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れ、回復した。
修練士 十五年間の贖罪が与えられたはずのかくも大きな罪が短い悔悟で消えるとは、
神の慈悲は偉大です。
修道士 痛悔はもっと大きな罪をも消すのだ。
修練士 それはどういう罪ですか。
修道士 それは偶像崇拝、異端、創造主の否定だ。それらは悪魔の狂気から生じ、肉欲
の罪は人間の弱さから生じる。それゆえ死者の代願の祈りの際、神の怒りを和らげるべく
こう言われる。<この人は、神よ、あなたの前で罪を犯したが、この人はあなたを否定し
なかった。>
修練士 神を否定して倒れ、悔悟によって再び立ち上がった人がいれば、例話で示して
ください。

(1)ユダヤ教の一派、キリストによって独善、偽善と批判された。

第12話 キリストを否定し、童貞マリアのとりなしで恩寵を与え
られた高貴な若者の痛悔

修道士 五年前、フロレフェの近くの、リエージュ司教区のプレモントレ会の修道院に
ある高貴な若者が住んでいた。権勢高い彼の父はたくさんの財産を残して死んだ。騎士と
なったこの若者は俗世の栄誉を得るために、わずかの間にはなはだしく貧乏になった。人
々の間での誉れのために武芸競技にすっかりうつつをぬかし、ペテン師に惜しみなく財を
差し出した。このような出費にたいして毎年の収入は十分ではなかったので、彼は父親の
遺産を売らざるを得なかった。
近くに、豊かで、誠実な騎士が住んでいた。ミニステリアーレ(1)であった。若者はこ
の騎士に自由地と知行地を一部は売り、他は抵当に入れた。若者は今やもはや売るものや
抵当に入れるのがなくなったので、知人や縁者の間で貧乏の恥を耐えるよりも、見知らぬ
人の間で乞食をする方が一層耐えられるものと考え、ふるさとを離れようと考えた。
しもべ
ところで若者には一人の 僕 がいた。この男は邪悪で、名目はキリスト教徒だが、すっ
かり悪魔に憑かれていた。この男は主人が悲しんでいるのを見て、悲しみの理由を知らな
いわけではなかったが、主人にこう言った。
「お金持ちになりたいのですか。」彼は答えた。
「財が神の意志で生じるものなら、金持ちになりたい。」僕は言った。
「ご心配入りません。
私の言うことを聞いてください。うまくいくでしょう。」イブ(2)が蛇の声に従うように、
小鳥が鳥刺しの声に従うように、ただちに若者は哀れな男に従って悪魔の罠にすぐにかか
った。
その夜、僕は若者を森を通って沼地に連れて行き、誰かと話し始めた。若者は彼に言っ
た。
「お前は誰と話しているのか。
」この邪悪な僕は主人に答えた。
「黙っていてください。
私が誰と話しているかを気にしないでください。」僕は再度話をし、若者が再度知ろうと
したので、僕は答えた。「悪魔とです。」若者は大層恐れ始めた。このような場所、このよ
うな時間、このような会話で恐れぬ者がいるであろうか。僕は悪魔に言った。「今私はあ
なたさまにこの高貴な人、私の主人をつれてきました。あなたさまにお願いしたい、あな

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たさまのお力でこの人がかつての栄誉を手に入れ、金持ちに戻ることができるように。」
悪魔は彼に言った。「やつがわしに従順で忠義であるなら、やつの父祖も持たなかった
ような莫大な財を授け、その上、栄光と誉れを加えよう。」僕は答えた。「もしそういうこ
とになれば、やつはあなたさまに従順で忠実になるでしょう。」悪魔は言った。「やつがわ
しにそのことで従うというならば、差し詰め神を否定しなければならない。」
若者はこれを聞いて、神を否定することなどできないと言ったとき、堕落した人、僕は
しぶ
彼に言った。「なぜあなたは一語発することを渋るのですか。口に出して、神を否定して
ください。」ついに哀れな若者は召使いに説き伏せられ、創造主を口で否定し、手で神と
の関係を絶ち(3)、悪魔に誓いを立てた。このような罪がなされると、悪魔はこう加えた。
「まだことはなされてはいない。やつは至高なる母も否定しなければならない。というの
は彼女はわしらに最大の損害をもたらすからだ。子が正義によって捨てるものを、母は非
常に慈悲深いので、拾い上げるからだ。」
悪魔は再度若者にささやいた、御子も母も否定して主人に従うようにと。この言葉に若
者は非常に驚き、極度に狼狽して答えた。「私はそんなことを決してしない。」悪魔は「な
ぜか」と言って続けた。「お前は大きなことをした。今や小さなことをするのだ。創造主
は被創造物よりも大きい。」若者は言った。「私は決して聖母を否定しないでしょう。たと
え一生戸口で物乞いをしなければならなくても。」若者は同意しなかった。このことは成
就しなかった。若者と僕は戻っていった。誉れの何も得られなかったが、罪の大きな重み
に苦しめられて、僕は説得し、若者は同意して、二人はそろって騎行し、ある教会に達し
た。鐘つき男が教会の扉を半開きにして外へ出ていた。若者はすぐに馬から降り、馬を僕
に委ね、言った。「私が戻ってくるまで、ここで私を待ってくれ。」
ひざまず
若者は朝焼けがのぼる前に教会へ入り、祭壇の前で 跪 いて、心底から慈悲深き聖母を
呼び始めた。その祭壇の上には膝に幼児キリストを抱いた童貞聖母の像が置かれていた。
そして今や、海の明るい星(4)のおかげで真の明けの明星が若者の心のなかにのぼり始め
た。ついに、神は、若者が否定しなかった聖母の誉れのゆえに彼に痛悔を与え給わった。
彼が泣く代わりに叫ぶように、嘆きの代わりに大いなる叫びで教会を満たすようにと。
同じ頃、若者の全財産を手に入れたかの騎士が、神の意志によるものと思われるが、か
の教会へと向きを変え、教会の扉が開かれているのを見たとき、特になかで声がするので、
そこでミサが挙げられていると思い、一人でなかに入った。祭壇の前でかの知己の若者が
泣いているのを見て、己の不幸を嘆いていると思い、柱の後ろにひそかに身を引っ込め、
ことの結末を見守った。若者は、否定したかの厳しい権威(神)の名を挙げようともせず、
呼びかけようともしなかったが、いと敬虔な聖母に涙声で訴えていたとき、この像の口を
介して、至福なる、キリスト教徒の唯一のとりなし人がこういう言葉で、二人が聞くなか、
御子に語った。「いとしき子よ、この人を憐れんでください。」御子は母に何も答えず、顔
を彼女から背けた。聖女は再び頼み、この人はそそのかされたと言ったとき、御子は母に
背を向け言った。「この人は私を否定しました。私は彼に何をせよと言うのですか。」この
言葉のあとで聖母像は立ち上がり、御子を祭壇の上に置いて、彼の足元に跪いて言った。
「わが子よ、お願いだから私に免じてこの人の罪を赦してあげてください。」すぐに御子
は母を起こして言った。「お母さま、あなたのことなら拒むことはできません。さあ、あ
なたのためにすべてを赦しましょう。」御子、キリストはまず痛悔のゆえに罪を赦し、次

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に母の取りなしのゆえに罪にたいする罰を免除した。
修練士 なぜキリストはかくも愛する母にそんなに厳しかったのですか。
修道士 若者がキリストにたいしてどれだけ罪をおかしたかを彼に知らせるため、そし
て心の苦しみによってキリストにたいする罪をもっと罰するためである。若者は立ち上が
り、教会を出て、罪を悲しんだが、赦されたことを喜んだ。彼の後から件の騎士もひそか
に出て、ことの次第を知らなかったかのように、どうしてそんなにうるんで、はれぼった
い目をしているのかと尋ねた。若者は答えた。「風のせいだ。」騎士は言った。「あなたの
悲しみの理由は私には分かっています。私には娘が一人います。もしあなたが娘を妻にし
ようとすれば、娘とあなたのすべての財をあなたに戻しましょう。さらに加えて、私の遺
産をあなたに譲りましょう。」この言葉にたいし若者は喜んで答えた。「あなたがそうして
くれるなら、わたしはひどくうれしい。」騎士は妻のところへ帰り、事の次第を話し、妻
も同意した。婚礼がおこなわれた。若者には持参金の名目で彼の全財産が戻された。私は
推測するに、今も彼は生きていて、妻の親も生きており、彼らの死んだあとも彼らの遺産
は彼のものとなる。
修練士 この若者は至福なる聖母に大いに感謝しなければなりません。彼は聖母によっ
て罪の赦しとさらに世俗の財の慰めを得ました。
修道士 君の言うことは正しい。神は聖母のとりなしで彼の心に痛悔を注がれ、若者は
痛悔によって罪の赦しを得たのだ。聖母がとりなし、若者が聞き入れて、罪に対する罰も
赦された。この人はひどく倒れたが、今まで取りざたされたほかの人たちより早く立ち上
がった。彼は真夜中に倒れ、朝に立ち上がった。
修練士 最期に贖罪する人について、あなたはどう思われますか。
修道士 では、私のではなく、聖アウグスチヌス(5)の考えを聞きなさい。

(1)ministerialis 国王、諸侯に属し、その家内役職に従事する不自由民。領地の管理、
軍役などから、やがて騎士身分を得るに至った。
(2)最初の人間アダムの妻。蛇に誘惑されて禁断の実を食べて楽園から追放された。
(3)誓いの破棄は、棒や枝を折って厳かに投げてなされた。
(4)praeclarissima stella maris(海のきわめて明るい星)。聖母マリアの呼称。
(5)アウレリウス・アウグスティヌス(354-430)。教父、聖人、教会博士。『告
白』
、『神の国』などの多数の書を著した。

第13話 アウグスチヌスは遅い贖罪をどう考えているか

アウグスチヌスの見解 誰かが究極の生命の危険に置かれ、贖罪しようするか、贖罪し
て、ただちに教会と和解し、この世を去れば、私はこう公言する。彼が望むことを、われ
われは拒まないが、彼がこの世からうまく去るとは思わない。彼が無難に去ったかどうか
は、私は知らない。われわれは贖罪させることができるが、安全を保証することはできな
い。彼が永遠に罰せられると言えるか。しかし彼は救われるとも言えない。あなたは疑い
から解放されたいか。元気なうちに贖罪をしなさい。あなたが贖罪すれば、あなたは無難
であると言おう。罪を犯しても、贖罪したからである。これから罪をおかさずに、もしあ

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なたが贖罪をおこなおうとすれば、罪があなたを捨てたが、あなたは罪を捨ててはいない。
二つの異なったことがある。あなたは赦されるか、赦されないかである。あなたがどちら
かは、私は知らない。それゆえ確実なことをおこない、不確実なことを避けなさい。

第14話 死に際まで罪を黙していた助修士ハインリヒ

数年前、われわれの修道院で起こったことを君に話そう。ハインリヒという名の老いた
助修士は、助修士全体の長として修道院入りした。罪を犯していたが、そのことは院長に
も、副院長にも、他の誰にも告解しなかった。彼はたびたび告解するのが常であって、敬
虔にして、非常に信心深かい人である、とわれわれすべての者は思っていた。彼が今際の
際にあったとき、そのころ副院長であったダニエルさまに罪を告解した。われわれに注意
を向けさせるために、ダニエルさまが後にわれわれに語ったことによれば、もしハインリ
ヒが黙っていたら、地獄に落ちるほどの重い罪であった。
修練士 この人の救済についてどう思いますか。
修道士 アウグスチヌスならこう考えたであろう。痛悔が愛でなされるならば、救われ
るが、そうでなければ、地獄に落ちよう。後になって悔い改める者は、判決を恐れるのみ
ならず、愛さなければならない、と。
修練士 重い罪で生きている限り、彼は徹夜、断食、労働、服従、正義などの行為をし
なければならなかったのですか。
修道士 そんなことはない。愛の外でなされる善行は、死んでおり、蘇らないからだ。
日々、神の奉仕で忙殺され、永遠の生でその報酬を得ない者は、痛々しい。多くの人はそ
のことを知らず、最期の贖罪を大いに期待し、不確実と言われているように、最後になさ
れる贖罪を知らない。一人は見せかけの、もう一人は真実の悔い改めをおこなう二人のこ
とを君に話そう。

第15話 最期に聖体を拝領し、死後にあらわれて、自分は真実の痛悔を
おこなわなかったため地獄に落ちた、と言ったパリの参事会員

パリの聖母教会(ノートルダム)で最近ある参事会員が死んだ。彼にはかなりの収入が
あり、非常に贅沢な暮らしをしていた。享楽、特に口に関わる享楽から性欲が生じ、生じ
ると育まれ、日々の刺激によって増すがゆえに、かの若者は肌を汚した。その罪や、あれ
やこれやの罪で神の怒りを招いた。ついに病気になり、死への恐怖から告解をおこない、
罪を嘆き、心を入れ替える約束をして、聖体を受け、塗油され、死んだ。彼は高貴で裕福
であったゆえに、彼の亡骸は豪華な世俗の装飾品とともに埋葬された。その日は、大気さ
え彼の葬儀に奉仕しているかのように穏やかであった。人々はこう言い合った。「神はこ
の人にたくさんの素晴らしいものをお与えになった。彼はキリスト教徒が持たねばならな
いすべてを持っていた。彼の死に際して大気は穏やかで、彼は主の秘跡で守られ、輝かし
く埋葬された。」
人間は顔を見るが、神は心を見る。数日後、彼は非常に親しい者にあらわれ、自分は地
獄に落ちたと言った。この者は、彼の贖罪も告解も聖体拝領も塗油もおこなわれたのを覚

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えていたので、恐れおののいていると、彼はこう答えた。「一つの善なることも私はなさ
なかった。それなくしてどんなことも功を奏しえない。」
「それは何か。」死者は答えた。
「真
実の痛悔だ。私は聴罪司祭の助言に従い、禁欲と他の至福なることを神に約束したが、私
が元気になれば、それは守れない、と私の良心が私に語った。私の心は、約束の遵守より
も逸脱の方に向かったため、罪を赦されるに値しなかった。神は悔い改めのしっかりした
気持ちを求めておられる。」
この人の贖罪は最期に偽りでなされた。もし真実であったなら、遅くはならなかったろ
う。
修練士 遅い贖罪はほとんど真実ではないのは、今や不思議ではありません。
ほ ご
修道士 病気になって死を恐れ、院長の手に身を委ねるが、回復すれば約束を反故にし
た世俗の多くの人を私はよく知っている。昨年、ケルン司教区のボンの町で、アルキポエ
タ(大詩人)(1)と呼ばれていたニコラウスという名の遍歴僧が重い病にかかり、死を恐れ
て、自分や教会参事会員の願いで、われわれの院長から修道会入りの許可を得た。
何が起こったか。彼は大いに痛悔して―われわれにはそう思われた―修道服を身につけ
たが、危機が過ぎると、脱ぎ捨て、嘲笑って立ち去った。
修練士 痛悔することができず、そのため悲しむ罪人がたくさんいます。そのような悲
しみをどう思いますか。
修道士 そのような悲しみは、愛がないので価値がない。しかし愛に道を開いている。
愛と罪をおかす意志とは同時には存在し得ない。聖ベルナルドゥスがそのような悲しみに
ついて考えたことを、君に言葉と例話で示そう。

(1)『カルミナ・ブラーナ』によくあらわれるアルキポエタではないであろう。アルポ
エタは遍歴詩人として当時から有名であったので、揶揄してそのように呼ばれていた
であろう。

第16話 聖ベルナルドゥスの眼前で聖体を拝領し、痛悔して死んだラン
スの騎士

私が第一部の第3話で挙げた、かつてケルンの聖アンドレアスの神学校長であったシト
ー会士ゴットフリートが、ランスで起きたことを私に話してくれた。彼の語るところによ
れば、後のケルン大司教のフィリップさまとランスで学問をしていたとき、―ゴットフリ
ートはフィリップの教師で指導者であった―そこである騎士が死に至る病気にかかった。
彼の記憶が正しければ、その騎士は悪魔にそそのかされて、伯父の娘を情婦にした。彼
は勧告や破門、あるいは人前で恥にさらされても彼女と別れることができなかったし、そ
うしようとも思わないほど彼女を愛していた。彼は死を恐れて司祭を呼び、涙で彼のすべ
ての罪について司祭に真実の告解をおこなった。親族との許されない関係を解消するよう、
司祭は彼に勧めた。彼は答えた。「司祭さま、私にはできません。」司祭は言った。「あな
たがもしそのようにして死ぬならば、天の生命の喜びは奪われ、永遠の苦しみを受けるで
しょう。」騎士が頑なままでいると、司祭は病み人に授けるために持ってきた主の御身体
を携えて去っていった。

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だが神の御意志により途中司祭はクレルボーの院長聖ベルナルドゥスと出会った。ベル
ナルドゥスが司祭になぜ病み人に聖体拝領をさせなかったのか尋ねて、周知の理由を知っ
たとき、司祭に言った。「私を病み人のところへ連れて行ってください。」
二人は戻り、聖なる人が、今や死なんとする騎士に、救いには何が必要かを説得した。
騎士は、彼女以外のことはすべての点で恭順を約束したとき、聖人は新たにこう加えた。
「あなたは彼女から離れることができないことを、悲しまないのですか。」騎士は答えた。
「院長さま、私がこのことについて悲しむことができないことを、私は大いに悲しんでい
ます。」これを聞くと、院長は、聖体を病み人に授けるように司祭に言った。不思議なこと
が起こった。救世主が入ってこられるや否や、その家に救いが与えられた。この時から彼
の頑な気持ちは完全に変わった。許されずに愛した女を嫌うようになって、聖人にたくさ
んの涙を流して言った。「私を救ってくださった神に感謝します。今や私は彼女よりもヒ
キガエルを見たいものです。」こうして良き告白と完全な痛悔によって彼は主の許に赴い
た。
修練士 彼の痛悔が、かの悲しみによるものか聖体拝領によるものか、知りたいです。
修道士 キリストはその恩寵を優先させずに秘跡によって判決なされた。聖なる人の祈
りによってキリストの恩寵が騎士の心の底を照らし、実のない悲しみを実らせたと私は思
う。至福なる人が高慢のゆえに裁かれないように、そして死にゆく者の罰が永劫の罰によ
って増えないように。
この人の痛悔ないし贖罪は非常に遅く、最期になされ、真実であった。彼は聖なる院長
が証言しているように、その功績によって痛悔したと信じられている。
修練士 実際、義人たちの存在が死にゆく人々に必要です。
修道士 そのことを、聖グレゴリウス(1)はある説教の中で表明して、ある邪悪な若者
のことを話している。この若者は竜に飲み込まれようとして叫び声を上げていた。周りに
いる修道士たちの祈りで竜は追い払わられ、病み人は痛悔の恩寵を得た。
では最期の痛悔が真実であった世俗の人のことを聞きなさい。彼が罪の悔いめのみなら
ず、奇跡の輝きを得るほど、その痛悔はきわめて真実であった。

(1)グレゴリウス一世(540頃-604)。聖人。第六十四代教皇(在位590-6
04)。古代から中世に至る転換期において教会の統治権を確立、グレゴリア聖歌を完
成させた。

第17話 ナミュールのフィリップ伯の痛悔

三年前、フランドルのボードワン伯(1)の息子、裕福で、高貴なナミュールのフィリッ
プ(2)が死んだ。彼が死ぬ前に、主は病む彼に痛悔をお与えになった。その痛悔は近年誰
にも見られないものであった。彼はたびたびシトー会の四人の院長に同時に告解をするの
が常であり、すべての人の涙を誘うほど自分を責め、ひどく悲しんだ。それだけでは不十
分で、首に縄をかけ、道を引っ張っていくよう聴罪司祭に頼んで言った。「私は犬のよう
に暮らし、犬のように死ぬのがふさわしい。」彼は、ギリシア王となった彼の兄弟のボー
ドワン伯(3)の娘たちをフランス王に嫁がせた(4)。そのフランス王の娘を彼は妻にした。

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彼は娘たちを売ったと噂された。彼はこのことに大いに悲しんだ。きわめて粗末な住まい
に移り、心貧しく主の許に赴いた。
しかし慈悲深き神は、彼に痛悔を授けることを欲せられ、愛する証聖者のごとく奇跡で
彼を輝かし給うた。彼は自身が参事会員会を設立した殉教者聖アルバヌスの教会に埋葬さ
れた。まだ元気なときに自身の正当な収入から参事会員のために支援金を用意したのであ
った。病み人が遠方から彼の墓を訪れ、元気になり、墓の周りの土をけずり、救われるた
めに持ち帰るほど今日まで彼は輝いている。
修練士 彼がそのような恩恵を回心によって得たのか、最期の痛悔によって得たのか、
知りたいものです。
修道士 彼が病気になる前に神の愛を得ていたと私は思う。温和で従順であったからだ。
しかし彼の生き方や最期の贖罪を知っていて、この奇跡の輝きを彼のかつての回心よりも、
最期の最大の贖罪に帰する者はほとんどいない。
修練士 神の許では痛悔の涙が一層有効であるように思われます。
修道士 神の許でそれがどれだけ価値があり、どれだけ重みがあるかを、次の例話で君
に示そう。

(1)ボードワン八世(1150-95)。フランドル伯。
(2)ヘンゲナウのフィリップ一世(1175-1212)。1196年から死にいたる
までまでナミュール(リエージュの西約八十キロ)辺境伯。
(3)ボードワン九世(1194乃至95―1205)。
(4)フィリップ一世は、兄弟のボードワン九世とその妻のシャンパーニュのマリアの死
の間にフランス王の娘マリアと結婚した。

第18話 シスマの間、皇帝フリードリヒの心を変えたヒンメロートの助修士
の痛悔の祈り

このシスマを挑発し、擁護した皇帝フリードリヒのもとでアレクサンデル(1)とカリス
トゥス(2)の間で起きたシスマの時代、神聖ローマ皇帝のすべての教会は、皇帝書簡でも
って皇帝が教皇に奉じたカリストゥスに忠誠と服従を誓うように要請された。反対者は追
放された。この書簡がヒンメロートの修道院に届き、修道士たちが意見を一致させ、単一
の教会を自分たちは捨てないと言ったとき、できるだけ早く帝国を出るように命じられた。
これら勇敢な修道士たちは、皇帝の脅迫よりも神を畏れることを重んじ、日常品と衣服
を詰めてフランス各所の修道院に旅立とうとした。その時、修道士の一人が高潔な、司祭
にして修道士のダヴィデにこう言った。「父よ、われわれ全員この地を離れなければなら
ないことをご存じないのですか。」ダヴィデは天に思いを馳せ、地上でなされることをま
ったく知らなかったからである。彼が驚いてその理由を尋ねたとき、かの修道士が事の次
第をすべて説明すると、聖なる人は神を信頼してこう言った。「意を強くしなさい。兄弟
たちよ、主は主を頼る人たちをお捨てにならないであろう。晩課の<マリア賛歌>の交唱
歌を強く、涙を流して歌いなさい。主はあなたたちをお救いになるであろう。」
待降節の前の日曜日だった。<マリア賛歌>の交唱歌が歌われていた。<天上の玉座を

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占め、深淵を見、拳で地を包む汝、ため息をつくわれらに耳を傾けられんことを。>
聖なる人が礼拝堂へ入って、祈りで魂を放出させ、たくさんの涙で神の恩寵を乞い願っ
た。修道士たちは彼の助言を聞き入れ、不安が彼らを強く圧し、歌うように強いれば強い
しもべ
るほど、彼らは交唱歌を強く歌った。慈悲深き神は、その 僕 たちの涙に心を動かされ、
皇帝の心をお変えになった。皇帝は、修道士たちが帝国内に留まって、帝国のために祈る
よう書簡を送った。
このことから、痛悔の涙が神の耳に通じることを君は知り得よう。
修練士 他の人のために骨折ったり、祈ったりしてそのような涙を手に入れる人はいる
でしょうか。
修道士 他の人のために骨折って神からそのような恩恵を手に入れるのを、君は第3話
で聞いている。そこでは、離脱した修道士が院長の骨折りと、聖ベルナルドゥスが客とな
った時の痛悔の涙によって義認されている。別の例を君は第16話で聞いている。そこで
はランスの騎士が、ベルナルドゥスの眼前で聖体を授けられ、ベルナルドゥスの功徳で痛
悔して、罪が非常に重かったが、輝くに至った。二人のどちらのためにも祈りがなされな
かった、と言われている。他の人のために、罪が洗い流される痛悔の涙を得ることができ
る人たちのことをいろいろの例話で示そう。

(1)第百七十一代ローマ教皇アレクサンダー三世(在位1158-82)。
(2)対立教皇カリストゥス三世(在位1168-78)。

第19話 週に三回朝課の間に修道士に涙を流させた修道女

今年、君が証人だったが、ヴィレールの院長ヴァルターさまが私に話してくれた。
ある修道士が院長によってシトー会の女子修道院に派遣されたとき、修道女の一人に神
の許での彼女の一層の功徳を望んでいたから、自分のために祈ってくれるように頼んだ。
彼女は尋ねた。「あなたのために何を祈ればよいのですか。」修道士は答えた。「週三回荘
厳な徹夜課、つまり月曜日、木曜日、土曜日に夜の祈りが長いとき、涙と敬虔の特別の恩
恵を私のためにあなたが神に祈ることを、私は願っています。」彼女はそうするとはっきり
約束した。
修道士は自分の修道院に戻り、徹夜課に立って特別の恩寵を待ち、決まった何夜もかの
聖なる修道女の祈りでたくさんの恩寵を得た。
彼女は神に聞き入れられたことを聖霊により知り、親しい聖職者を介してかの修道士に、
自分は約束された恩恵をすでに手に入れていると伝えさせた。
この修道院の院長ヴァルターがこの聖職者の教化のためにこの恩寵のことを話すと、聖
職者は笑って、そのような恩恵を得ることができた彼女から聞いている人はもっと良いこ
とをたくさん知っていると言った。
この院長はわれわれにさらに同じようなことを話して、面白くこう言った。「あなたた
ちは聖人ではない。私はあなたたちに私の聖性について話そう。」こう言って彼は話した。

第20話 ヴィレールの院長ヴァルターさまに涙の恩寵を得させた女性

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先の修道士が修道女から涙の恩寵を得たと私が聞いたとき、その頃修道士になったばか
りの私はそのような女性たちを訪ねたいと院長に願った。院長はすぐ許可してくれた。私
は宿泊すべく、ブラバント(1)の有名な女子修道院に赴いた。私は冗談めかしてこう言わ
れた。「なぜあなたはベギン(2)の女性たちに会いたいのですか。欲したものならなんでも
神から手に入れる女性をあなたに紹介しましょう。」私はこう答えた。
「ぜひ会いたいです。」
するとすぐに一人の女性が部屋から出てきて、私に近づき、私に話しかけた。彼女が近づ
いたとき、私は恩恵を感じ、私のために祈るように彼女に願った。彼女は言った。「あな
たのために何を祈ればよいのですか。」私は答えた。「私が自分の罪を泣くことができるよ
うに。」彼女は言った。「あなたは修道士ではないのですか。自分の罪を泣くことができな
い人は修道士ではありません。」私にそのような恩恵が与えられたいと私が強く言うと、
彼女はこう言った。「帰りなさい、あなたはそれをたくさん手にするでしょう。」
翌日の夜、私が自分の床の前で祈りながら、その女性が約束してくれた贈り物のことを
思わず、自分の罪のことを考えていると、いつも以上にたっぷり真夜中に至るまで泣き、
涙を抑えきれずに分別を失うのでないかと案じた。彼女がその夜私に涙の恩恵をもたらし
たとの知らせを受けたので、私は尋ねようとして、再び彼女のところへ行き、こう言った。
「どうか言ってください、どのようにしてあなたは私にそのような恩恵をもたらしたのか
を。
」彼女は私にこう答えた。
「まず私は主が厳しいのを知りました。私は主に言いました。
『主よ、あの修道士が涙の恩恵を得なければ、私の手はあなたを離しません。』すぐに主
はあなたに恩恵お授けになりました。」
ヴァルター院長はこれらに似た三つ目の話をしてくれた。

(1)Brabant 現在のベルギーとオランダにまたがる地域。
(2)beggina 一定の修道会に属さずに、ネーデルラントやライン地方で宗教的な集団
生活する女性の平信徒。

第21話 ヴァルターに同様の恩恵をもたらした修道士

ヴァルターはこんな話をしてくれた。「別の機会に私はシトー会士の人望ある一人に、
私のために祈ってくれるよう頼んだ。彼は、神に何を望むのかと私に問うたとき、私は、
彼の言葉が信頼できるかを試すためこう答えた。『私が私の罪を嘆き悲しんで涙を流す恩
寵を、あなたがミサの後に私にもたらしていただきたい』彼は自信たっぷりで約束してく
れた。
翌日、私がミサの後で祭壇の前で佇んで祈っていると、驚くほど涙があふれ出てきた。
後で、若いが振る舞いは熟していたその修道士が私に会ったとき、私にもたらした恩寵を
確認して、私に順調かと身振りで尋ねた。私は彼の身振りが分からなかったので、彼を院
長のところへ連れて行き(1)、身振りの意味を尋ねた。彼は私にこう言った。『今日あなた
は涙をたっぷり流さなかったですか。』私が泣いているのを見たかと彼に尋ねたら、彼は
こう答えた。『私が見たということはありません。私は瀉血をしていました。ミサを終え
た後礼拝堂へ行くことは不可能です。』彼がどのようにして私にその恩恵をもたらしたの

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かと私が尋ねると、先の女性と同じように答えた。
『まず私は主が厳しいのを知りました。
私は主に言いました。私がお願いすることをなしてくださるまで、私はあなたから離れま
せん。主は私の言葉をお喜びになり、お聞き入れになりました。
』」
修練士 優しい父が優しく育てた息子や娘から強要されるごとく、神の優しさがその僕
たちから強要され得たり、強要されようとすることに驚いています。
修道士 乞い願ったことが救いの妨げにならない限り、主を愛する者は祈りの際に主か
ら拒まれることはない。
修練士 主が祈っている人に涙や痛悔のよきしるしをお授けになり、その人が人に見ら
れたいと思うならば、それは無理ですか。
修道士 その問題の解決は、祈る人の思いによる。他の人たちがその人の涙によって一
層信心深くなるべく涙を見てその人が心の中に謙遜を持ち続けるならば可能だが、そうで
ないなら、不可能である。

(1)院長が声を出す許可を与える。

第22話 名誉欲にとらわれたとき、涙を悪魔に見られた修道士

ある人望ある修道士が、まだ修練士だったとき、一人の修道士のことを話してくれた。
ゆか
この修道士が、ある日祭壇の前で伏して祈っていると、床がびたびたになるほど、神は
彼に涙の恩寵をお授けになった。後になって分かったことであるが、悪魔にそそのかされ
て、彼の心にむなしい名誉欲がわき起こった。
そそのかした悪魔がすぐにあらわれて、彼の涙を脇からじっと見つめた。彼は黒い修道
士(ベネディクト会士)の姿をしていたからだ。彼が黒衣を着て、恐る恐る目を上げたと
き、不遜の心を植え付けたのは悪魔だと知った。名誉欲の悪徳を呼び込んだ悪魔を、彼は
十字架の力としるしで追い払った。そのような危うさのゆえに、祈る人は小部屋に入り、
扉を閉め、つまり人の賞賛を避けるよう、主は命じておられる。
修練士 痛悔について他の話があれば、聞かせてください。
修道士 痛悔のことを考えてみると、すべての徳を起こされるキリストが賛美され、贖
罪する者すべてが救われるいろいろな話が私の心に浮かぶ。

第23話 ユダヤ人の少女を犯した聖職者。ユダヤ人たちはすでに悔い改
めている彼を教会で訴えようとして、口がきけなくなったこと

ま ち
イギリスのある都市にユダヤ人の娘で生来非常に美しい少女が住んでいた。この都市の
司教の縁者で司教座聖堂の参事会員である若い司祭が彼女を見るや、情欲にかられ、欲望
を満たすべく苦労して甘い言葉で口説いた。彼女を抱擁しようとして恋の炎を大いに燃や
し、日々彼女と結ばれようと躍起になったとき、彼女は答えた。「私は父に愛されていま
す。私があなたのところへ行かれないように、あなたが私のところへ来られないように、
あなたたちの復活祭に先だつ金曜日の夜以外は、父は私を見張っています。」その時には
ユダヤ人たちは、それにかかると、ほとんど何も手につかない出血と呼ばれる病気にかか

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ると言われている(1)。
若者はこれを聞いて、過度の愛欲のためほとんど理性を失い、キリストを忘れ、主の受
難を顧みず、ある夜、少女のところへ行き、朝まで彼女と夜をともにした。
少女の父であるユダヤ人は、夜明け前に灯りを手にして娘の寝室に入り、娘の床へ行き、
どんな風に寝ているか、ひょっとして覆ってやらなければならないかを見てやろうと思っ
た。彼女の傍らに件の若者が寝ているのを見て驚き、怒り狂い、二人を殺害しようと思っ
た。だが若者が司教の縁者であることを知って、司教を恐れて手を引っ込め、大いなる怒
りからこう叫んだ。「お前はここで何をしているのか。邪悪なキリスト教徒よ、お前の信
仰はどこにあるのか。神を敬う気持ちはどこにあるのか。お前は神の義なる判断でわしの
手に委ねられた。もしわしがわしの主人である司教を恐れなかったなら、すぐにお前を殺
したであろう。」若者は不安になり許しを乞い、大いに恥辱を受けて追い出された。
司教が九時課(2)の厳かなお勤めをおこなうときに、週間担当修道士であるこの若者が
書簡(3)を読むことになっていたまさにその日に若者はかくも不純な気持ちで聖なるお勤
めに加わることをはばかった。またそのような日に勤めを人に代わってもらったり、ごく
最近の破廉恥な罪を告解によって人に打ち明けたりすることもはばかった。彼は恥を抱い
て祭服をまとい司教の前で自分の位置についたとき、先のユダヤ人が司教に縁者のことで
苦情を言うべく大勢のユダヤ人たちと教会へ入ってきた。若者はユダヤ人を見て、何をし
に来たのか分かって、恐れ、青くなり、震え、心の中で神にこう祈った。「神よ、今私を
お救いください。私はあなたに約束します。今後私はあなたを傷つけません。この罪の償
いをあなたにいたします。」
罪を憎んで、本性を愛されるいと慈悲深き神は、この若者が悔い改めたのをご覧になる
や、若者が気にかけていた屈辱を不信心者の方へお向けになった。
特にキリスト教徒たちが主の受難を表す日にユダヤ人たちが教会で何をしたいのかを、
司教は知ろうとして、彼らが入るのを許した。
ユダヤ人たちが司教に一層近づいて、若者のことを訴えようと口を開くや、彼らの声が
失われ、全員口がきけなくなってしまった。司教は、自分に向けられたユダヤ人たちの口
が開いたまま、いかなる言葉も出ないのを見て、彼らは神の奥義を破壊すべく入って来た
のだと思い、怒って教会の入り口から全員を追い払うよう命じた。
若者は神の慈悲を体験して、お勤めが終わるとすぐに司教に近より、罪を告白し、贖罪
した。司教は神の慈悲を讃え賛美し、莫大な奇跡のゆえに、縁者の贖罪のゆえに、彼によ
って処女を奪われ、洗礼の恩寵によって新しくなった娘を法的に妻をするように、と彼に
助言し説得した。義にして敬虔なる司教は、彼女を父親の罪のなかでたくさんの危険に曝
しておくよりも、若者に聖職禄を与えないことを欲した(4)。
若者は神の恩寵を心に刻み、犯した罪のゆえに神を満足させることを気づかい、後にシ
トー会の修道院へ入った。少女も彼に触発されて同じように修道院に入った。
この話をシトー会のある信仰篤い院長がたびたび私に話してくれた。痛悔がこの人にど
れだけ善を働かせたかを君は知るのだ。痛悔は過ちを正し、ユダヤ人たちを恐れさせ、不
信心な娘を信仰へともたらした。
修練士 私はそれを見て、驚き喜んでいます。また神の善性をわれわれの周りでたくさ
ん見かけます。

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修道士 ユダヤ人に関する話で、われわれの信仰とキリスト教徒の名誉のために、部分
的にはこの話に似ている他の話しを聞きたいかい。
修練士 心から聞きたいです。

(1)キリストが受難した聖金曜日には、ユダヤ人は血を流して罪を償わねばならない、
の意。
(2)午後三時頃の祈り。
(3)新約聖書のなかの使徒書簡。
(4)結婚すれば聖職禄は与えられない。

第24話 ある聖職者によって孕まされたユダヤ人の処女。彼女の両親は彼
女が救世主を生むと信じたが、彼女は娘を生んだこと

ま ち
修道士 ある都市に、私はヴォルムスだと思うが、あるユダヤ人が住んでいて、彼には
はら
美しい娘がいた。近くに住んでいた若い聖職者が彼女に惚れ込み、彼女の処女を奪い孕ま
せた。二人の家は近くにあって、若い聖職者は誰にも気づかれずに彼女の家のなかに入っ
て、彼女と好きなだけ話をすることができた。彼女は自分が身ごもっていることに気づき、
若者に言った。
「私は身ごもっているわ。私はどうすればいいの。父が知れば私を殺すわ。」
若者は答えた。「心配することはないよ。君を救ってあげよう。君の父か母が『娘よ、ど
うしたのか。お前の腹はふくらんでいる。お前は身ごもっているように見える』と言った
なら、こう答えるのだ。『私は身ごもっているかはわからないわ。私は処女で、まだ男を
知らないのは事実よ。』私が、君の親が君を信じるようにしてあげよう。」
彼はいかにしたら少女を救えるかとくと考え、こんな策を見いだした。彼は一本のヨシ
を手にして、夜の静かななかを娘の両親が寝ている部屋の窓辺に近づき、窓に差し込んだ
ヨシを伝ってこのような言葉をささやいた。「おお、義にして神に愛でられたる方々―彼
は娘の両親の名を呼んだ―喜んでください。処女なるあなたたちの娘は息子を身ごもった。
息子はあなたたちの民、イスラエルの解放者になります。」彼はすぐにヨシを少し引き寄
せた。
ユダヤ人の父親はこれを聞いて目覚め、妻を起こし彼女に言った。「天の声が聞こえな
かったか。」妻は答えた。「いいえ。」彼は言った。「お前が聞けるように祈ろう。」
両親が祈っている間に聖職の若者は窓辺に立ち、彼らが何を話しているか聞き耳をたて、
しばらくしてから先の言葉を繰り返し、さらにこう付け加えた。「あなたたちはあなたた
ちの娘に大きな誉れを示し、彼女におおいに目をかけ、処女の身から生まれる子を丁寧に
世話しなければならない。その子はあなたたちが待ち望む救世主であるから。」
彼らは非常に喜び、言葉が繰り返されると、それが啓示であると確信し、なんとか誕生
の日を待つことができた。彼らは娘の腹が少しふくらんでいるので身ごもっていることを
知って彼女にこう言った。「言いなさい。娘よ、誰の子を身ごもっているのか。」彼女は教
えられた通りに両親に答えた。
彼らは喜びのあまりに自分を抑えられず、天使から聞いたことを親しい者たちに話さず
にはいられなかった。知り合いは別の人たちに話し、処女が救世主を生むという噂が都市

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や城に広がった。出産の時が近づいたとき、多くのユダヤ人たちが娘の家に押し寄せ、長
く待ち望まれた新しい誕生を喜ぼうとした。
だが義なる神は、邪悪な者たちのむなしい希望を流言に、喜びを悲しみに、期待を恥辱
にお変えになった。それはふさわしいことであった。彼らの父祖がヘロデ(1)とともに神
の子の至福なる誕生に狼狽したがゆえに、彼らが今の時代にそのような考えに翻弄された
ことは当然のことであった。その後何が起こったか。哀れな女が生む時がきて、女の習慣
に従って苦しみ、ため息をつき、叫んだ。ついに彼女は子を生んだ。しかし救世主ではな
く、女の子だった。ユダヤ人たちはこれを知ると、大いに動揺して悲しんだ。彼らの一人
がおおいに憤って、その子を足蹴にして、壁にたたきつけた。
修練士 その後その娘はどうなったのですか。
修道士 彼女の父親は自分の恥に重く苦しみ、娘を殴りこらしめて、すべての策略を告
白させた。
修練士 不信仰の処女が信仰ある人によって惑わされ、試され、先の娘のように洗礼の
恩寵に与らなかったのは不幸でした。
修道士 たまたま聖職の若者はそんなことをすることができなかったか、そんなことに
心煩わなかったかもしれない。少女を輝かせるよりもユダヤ人たちの恥辱を喜んだからで
ある。君が言うように、洗礼を受けていない少女が、洗礼によって照らされないことが不
幸であれば、今日洗礼を受けた少女が司教によってユダヤ教に戻される方がもっと不幸だ。
修練士 そんな場合を聞きたいです。

(1)ヘロデ大王(在位前37-4)。キリスト誕生当時のユダヤ王。

第25話 ルーヴェンで洗礼を受けたユダヤ人の少女

修道士 最近、ルーヴェンのあるユダヤ人の少女が次のようないきさつで信仰に入った。
ルーヴェン公の礼拝堂付け司祭で、ライナーなる名のある聖職者は、その都市のユダヤ人
の家へ行き、彼とキリスト教信仰について議論するのが常であった。ユダヤ人には小さな
女の子がいた。彼女は非常に熱心に議論に耳を傾けて、彼女の理解の幅に従って、提起す
る聖職者の言葉も、それに答えるユダヤ人の言葉をも考え合わせて、こうしてひそかにで
はあるが徐々に神の摂理でカトリックの信仰に浸っていった。彼女は聖職者によって説得
され、洗礼を受けたいというほどひそかに悔い改めた。彼女をこっそり父の家から連れ出
すよう、とある女が彼によって遣わされた。聖職者は彼女に洗礼を受けさせ、パルクと呼
ばれるシトー会の修道院に入れた。不信心な父親は娘の改宗を知って悲しみ、娘をこっそ
り連れ出し戻してくれるようにとルーヴェン公に財貨を差し出して願った。
公が娘を父のもとに、つまりキリスト教徒をユダヤ人のもとに連れ戻そうとしたとき、
聖職者ヴァルターは彼に反対して言った。「あなたが神とその花嫁にたいしてそのような
罪をおかすなら、あなたの魂はけっして救われないでしょう。」
ヴァルターの上司、ヴィレールの院長も反対した。ユダヤ人は公に抱いていた希望がく
じかれると、リエージュの司教ユーゴさまを買収したと言われている。ユーゴはそのユダ
ヤ人の意に沿って、パルクの修道院に手紙で娘をユダヤ人に返すように命じた。ユダヤ人

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が友人や親族と一緒に修道院へ行くと、彼女はなかにいて、彼らが来たことを全く知らな
かったが、強い臭いを感じみんなの前でこう言った。「どこからの臭いか分からないが、
ユダヤ人のいやな臭いがするわ。」
ユダヤ人たちが窓を叩いている間、院長は娘に、私が推測するに、「カタリーナよ」―
彼女は洗礼名で呼ばれていたから―「あなたの親があなたに会いたがっている」と言った

とき、彼女はこう答えた。「これは私が嗅いでいたにおいです。私は彼らに会いません。」
彼女は外へ出ようとしなかった。
前年、このリエージュの司教はこの件でケルンのエンゲルベルト大司教の前で教会会議
で告発され、今後、洗礼を受けた少女のことで件の修道院を煩わさないよう命じられた。
それから彼は黙って聞いていたが、従わなかった。後に、少女が破門覚悟で父親から強要
されたら応じるようにと、司教は手紙で彼女をリエージュへ呼んだ。
カタリーナはしっかりと見張られてやって来た。彼女は年端のいかない間に拉致され、
無理矢理洗礼を受けさせられたと聞かされた。ある者たちは少女に言った。
「カタリーナ、
お前が許されるなら、父親のところへ進んで戻るべきだ、とわれわれは聞いている。」少
女が答えた。「誰がそんなことを言っているの。」彼らは答えた。「お前の父親だ。」それか
ら彼女ははっきりこう言った。「私の父はきちんと髭の真ん中で嘘をついた(1)。」
父親の代理人がさらに彼女に迫ったとき、ヴィレールの院長ヴルターさまが激昂して彼
にこう言った。「あなたは神に逆らって、さらにあなたの誉れに逆らって話をしている。
きっと分かってください。あなたが少女にたいして一言でも言うならば、教皇さまがあら
ゆる訴訟で絶えずあなたに沈黙を課すようにと私は教皇さまに働きかけるでしょう。」そ
れでユダヤ人は不安になって、こっそり院長に答えた。「院長さま、私がユダヤ人から財
貨を奪い取ることができたとしても、何らあなたの支障にはなりません。私は少女のため
にならぬことは何も言いません。」彼は礼を受け取ると、父親に言った。「私は今後この件
について何も話しません。」
その前年、クレルヴォーの院長ヴィドさまがリエージュ司教区を訪れ、件の司教に会っ
たとき、神とその誉れのためにすでにキリストに捧げられた少女を苦しめないよう勧め、
頼んだ。司教は院長に答えた。「院長、この件はあなたにどうかかわっているのですか。」
院長は答えた。「私にはよく分かっています。二重の理由から、第一は、私はキリスト教
徒であるからです。第二は、彼女が住んでいる修道院はクレルヴォーの系列にあるからで
す。」彼はこう付け加えた。「私は少女と彼女の件を教皇の保護のもとで取り上げ、彼女に
あなたが与えた手紙について訴えます。」
修道院長総会のとき、司教に宛てられた教皇さまの手紙を、もしたまたま司教が今後彼
女のために修道院を煩わそうとすれば、この手紙で自ら守るように院長ヴィドはわれわれ
の院長を介してパルクの院長に書き送った。
修練士 すこし前、私はイギリスの司教の慈悲に心動かれましたが、司教ユーゴの貪欲
に怒っています。
修道士 彼の擁護者たちは、この件に関して彼が財貨への愛着ではなく、正義を求めて
のことだ、と言っている。しかし彼らの言うことはほとんど信じられない。もし彼が正義
の刺激で駆り立てられるなら、洗礼を受けてキリストに祝福された処女としてキリストの
信仰によって年齢以上に燃え立つ少女を、ユダヤの不信心に決して戻させないであろう。

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修練士 わたしもそう思います。
修道士 私にはこの例話に加えて、ある世俗の騎士についての部分的に似た例話が心に
浮かぶ。この騎士の行為は、たびたび述べられた司教にたいするあの予言的な言葉で非難
しているように思われる。<うろたえよ、シドンよ。海がこう言っている(イザヤ書23、
4)。>

(1)ユダヤ人は口ひげを生やすのが常であった。

第26話 リンツで洗礼を受けた少女

三年前、リンツと呼ばれるハイスターバハに近い村であるユダヤ人の娘である少女が、
神意により洗礼を受けたいという望みに燃え立ち、その村のある女性のところへ行き、洗
礼を受けたいと率直に伝えた。女性は彼女に、騎士コンラートのところへ行き、自分の意
志を伝えなさいと助言した。少女がそうすると、騎士は非常に喜び、助言と援助をずっと
続けると約束した。洗礼の日、彼女は騎士にこう言った。「あと三日間私が父に会えない
ようにしてください。父に会えば、私は再びユダヤの教えに戻されてしまいますから。」
騎士の計らいで、ユダヤ人の父を入らせぬように、墓地の周囲に武装した者たちが配置さ
れ、少女は父親に見られずに無事に出入りすることができた。神のご配慮で少女は洗礼を
受け、エリーザベトの名を貰った。
洗礼後、数日が過ぎたとき、少女の不信心な母親が彼女に遭遇して言った。「娘よ、ユ
ダヤの教えに戻りなさい。」娘は答えた。「できないわ。私はキリスト教徒になったんだか
ら。」母は言った。「私がうまく洗礼をぬぐい取ってあげよう。」娘は母が何を言おうとし
ているかを知ろうとして言った。「どのようにしてそうするの。」母は言った。「私がお前
を便所の穴から三回引き上げれば、洗礼の効果はずっと便所のなかよ。」少女はこの言葉
を聞いて呪い、母親につばを吐き逃げ去った。
騎士コンラートは、若く、それほど裕福ではなかったが、少女を自分の娘のように育て、
嫁がせるか、修道院に入れようかと迷った。
修練士 この騎士が少女の回心のために栄光を受けるのを、リエージュの司教が見たら、
最後の審判の日になんと言うでしょうか。
修道士 度々多くの人から非難され、理由なく非難されることもあるリエージュの司教
を非難することは、われわれの任ではない。

第27話 ドイツの司教は救われない、と言った聖職者

数年前、あるパリの聖職者が司教にたいして恐ろしい言葉でこう言った。「私は何でも
信ますが、ドイツの司教がいつかは救われるとは信じません。」
修練士 彼はなぜ、フランス、イギリス、ロンバルジアあるいはトスカナの司教よりも
ドイツの司教を非難するのですか。
修道士 ドイツの司教のほとんどすべてが、霊的と世俗的な二本の剣を有しているから
だ。また彼らは死の判決を下し、戦いにいそしみ、彼らに委ねられた魂の救いよりも、騎

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士の給金に心をくだかねばならないからだ。しかし司教にして領主であったケルンの司教
のなかには、聖ブルーノ(1)、聖ヘーリベルト(2)、聖アンノ(3)のような聖人もいたことを
われわれは知っている。この聖職者の言葉をきっかけにして、私はある死者により司教た
ちになされたあるもっと恐ろしい言葉を思い起こす。

(1)ブルーノ(925頃―65)。ケルン大司教、聖人。オットー大帝の末弟。修道
院改革、司祭や信徒の教育に尽力。ロレーヌ公として神聖ローマ帝国の政策に貢献
した。
(2)ヘーリベルト(970頃―1021)。ケルン大司教、聖人。オットー三世のもと
で大臣を務めた。
(3)アンノ二世(1010頃―75)。ケルン大司教、聖人。バンベルく大聖堂付
属神学校長。教会分裂の調停のために尽力した。中高ドイツ語詩『アンノの歌』は
彼について歌われている。

第28話 司教職を受け入れることを拒否したクレルヴォーの修道士

近年、クレルヴォーである修道士が司教に選ばれた。選んだ人たちが彼に就任を要求し、
彼がその重荷を引き受けることを拒んだとき、院長と司教も就任を命じたが、彼らの命令
にも従わなかった。しばらくしてから、彼は修道士のまま死んだ。彼は死後、ある親しい
人にはっきりあらわれて、今どうしているか、あの不従順のゆえに不安ではないかと尋ね
られると、「いいえ」と答え、こう付け加えた。「もし私が司教職を引き受けていたら、永
遠に呪われたでしょう。」さらに非常に恐ろしい言葉を付け加えた。「教会は邪悪な司教に
よって支配されているにいたっています。」
修練士 数年前に亡くなったブールジュの司教聖ヴィルヘルムはたくさんの敬虔な人た
ちの間で数々の奇跡をあらわしています。
修道士 彼が司教たちにたいしてかくも恐ろしい言葉を吐いたのは邪悪な司教が多いこ
とと、善良な司教が少ないこと、従属する者たちの悪が善良な司教の寡少を招いているこ
とを念頭に置いた、と私は思う。聖書も<彼は民の罪に関わって偽善者に支配される(1)
>と語っている。
修練士 痛悔について残っている話を聞きたいですから、これらの話題はここで止めに
しましょう。
修道士 洗礼を受けた少女や司教たちのことは、痛悔に関わることである。成人の場合、
痛悔なき洗礼は救いには役立たず、司教の任務は心から悔い改める者たちの告解を聞き、
贖罪を課して彼らを癒やすことであるから。今日、こういうことに携わり、実行している
のは、わずかの司教だけである。そのほかの司教たちはいつか従属する者たちや病み人た
ちから非難されるであろう。

(1)ヨブ記34、30参照。

第29話 マインツの司教クリスチアンに委ねられた人たちの名前を紙で示

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したロンバルジアの司教

今日のフリードリヒ(1)の祖父、皇帝フリードリヒ(2)の時代、マインツ司教クリスチア
ンがロンバルジアの司教のとなりに座っていたとき、司教区民の名前を全員知っているか
と司教から問われると、笑って答えた。「私の教区はロンバルジア全体ほど小さくはあり
ません。」善良で気配りあるロンバルジアの司教は驚いて、相手の言うことに危険を感じ
て、こう言った。「私は私に委ねられた羊の名前を全部知っています。この紙片に書かれ
ています。」こうして紙片を差し出した。
修練士 当然のことです。一人の人がどのようにして完全にすべての魂を扱うことがで
きるでしょうか。
修道士 ある非常に恐ろしい幻視のことが私の心に浮かぶ。先の話に呼応し近年その幻
視は成就したようである。それを次に話そう。

(1)フリードリヒ二世(1194-1250)。神聖ローマ皇帝(1212-50)
(2)フリードリヒ一世赤髭王(1120-1190)。

第30話 神聖ローマ帝国の分割、ケルン司教区の災厄、聖地、アンチ・キリ
スト者の到来についての幻視

修道士シモンが聖母マリアの祭壇の前で祈っていると、彼に語りかける声が聞こえた。
いさ
「お前の教区の司教を諫めて、こう言え。<あなたの羊たちは血を流すでしょう。> 自
分も羊たちも毒で殺さないように命じよ。というのは、彼は口を大きく開けた狼どもの腹
のなかに自分の心を入れたからだ。私の身体は人となった獰猛な動物におののく。外へ行
き、全能なる神にたいする罪を至るところで叫び、こう言え。<お前たちが悔い改め、贖
罪しなければ、お前たちは殺害され、永遠の火の中に投げ込まれよう。> わしの敵ども
はわしに復讐心を起こさせよう。」
このあと、五頭のきわめて肥った羊と、三頭のやせた牛があらわれた。これらは何を意
味しているかと彼が尋ねると、こう答えが返された。「五頭の羊は五年の豊作を、三頭の
びと
牛は三年のひどい飢饉を意味している。」さらにこう答えがなされた。「不誠実なローマ人
は恐ろしい不和をもたらし、不正なる助言でローマの力を分かつであろう。」さらにこう
続けられた。「エルサレムは占められ、破壊されるだろう。わしの敵どもはわしの怒りを
買うであろう。奴らはわしが歩いてきた道を汚したからだ。奴らは極度の飢えで苦しむで
あろう。天と地は震えるだろう。だが人は獰猛な動物にも震えやしない。後に太陽は暗闇
に変わるだろう。それから、二日分の長さの日が来るだろう。しかし陰ったあと、獰猛な
動物は、閉じ込められた十部族にあらわれることが知られよう。わしの肢体の一部である
どんなに幸福な者も血を流すだろう。その時、昔の迫害が明かされるからだ。それゆえ、
どんなに幸福な者でも、この短い生命にあって正しく生きるように準備しなければならな
い。」
このあとで、シモン修道士は悪魔を見た。悪魔はよろいを着て、兜をかぶり、鯉と呼ば
れる魚のような鱗を付けていた。その目のひとみは醜く、風にあおられるたいまつのよう

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に燃えていた。口と鼻から硫黄の炎を吹き出していた。歯は一部は白く、一部は硫黄の色
であった。この後で声はこう言った。「太陽が陰った後、獰猛な動物が邪悪な方法でユダ
ヤ人たちをうわべだけ死から蘇させるであろう。死者たちはユダヤ人ならず、誤った使者
たちであって、死から蘇ったと言い、真のユダヤ人に空しい希望を与え、不信と誤りでユ
ダヤ人を育成し、多くの人たちを騙す不実の使者である。」悪魔は付け加えた。「おお、ケ
ルンよ、お前に降りかかる災厄を嘆け。ただ一人の司教の罪からのみならず、すべての罪
から災いが生じるからだ。ところで司教自身は大いに悲しまねばならない。彼はすべての
者の上に立っているからだ。」
われわれの修道院がシュトロームベルクに移されたときに(1)、この幻視が体験された。
その年、エルサレムと聖地は占領され(2)、そのことは幻視で述べられている。
修練士 この幻視の解釈を知りたいものです。
修道士 一部は近年ケルン司教区で起きたこと、一部はアンチ・キリスト(3)の到来を
扱っているように私には思われる。この啓示がケルン司教区で起こり、そこの司教にかか
わっていることを、私は司教の死から読み取る。誰がシモンであったかは、私には全く分
からない。あの高位の司牧者は司教アドルフ(4)だと私は思っている。彼は皇帝ハインリ
ヒ(5)の死後、いわば帝国を売り物とみなし、貪欲の毒を自らあおり、多くの人々を殺害
した。それは驚くべきことではなかった。というのは彼は自分の心を、つまり自分の考え
を、イギリス王リチャード(6)の財宝をもとめて大きく口を開いている狼(7)どもの腹に収
め、彼らの求めでリチャードの姉の息子、サクソン公オットー(8)をローマ皇帝に選んだ。
この時から、あの獰猛な動物、つまり貪欲は人となった。すなわち貪欲に熱中してキリス
ト教の権力者が正義と信頼からずり落ち、貪欲は人間たちになじみ深く、彼らの愛するも
のとなった。彼らは誓いを無視し、宣誓を無視するほどであった。
その頃、枢機卿がケルンに遣わされた。オットーの選出を強固なものにし、諸侯たちが
ほ ご
今の皇帝フリードリヒになした宣誓を反故にするためである。
ことの結末から明らかなように、帝国は強固になるよりもむしろ分割された(9)。この
頃より、諸州は炎で荒らされ、教会は略奪され、たくさんの血が流され、アドルフは下ろ
され、ケルンは占領された。このとき、あの幻視の最終部分が成就した。つまりは「おお、
ケルンよ、お前の災厄を嘆け」などだ。アドルフが司教職だった初期には豊作であったが、
その後三年間不作となり、その最初の年には小麦一モディウス(10)が銀貨で取引されるほ
どであった。
この幻視の残りの部分は全く分からないし、私には理解できない。
修練士 帝国の分割の頃、教皇インノケンチウスさまは多くの人から非難され、教会分
裂の張本人と呼ばれました。最初はオットーの側を擁護し、後にオットーを罰したからで
す。
修道士 そのため、ある日、今は亡きインノケンチウスがローマで民に教化の説教をし
ていたとき、オットーを推したヨハネス・カポチウス(11)が教皇の説教を遮り、こう言っ
た。「あなたの口は神の口、だがあなたの業は悪魔の業。」
修練士 ある言葉がきっかけでそれてしまった痛悔の話に戻るようお願いします。
修道士 偽りの宣誓、殺人、窃盗、高利貸しなどいかなる罪にも妨げられないほど、痛
悔の力は大きい。

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(1)ハイスターバハのシトー修道院は、1189年ヒンメロートの母院から子院設立
すべく、まずシュトロームベルク(現在のペテルスタール)へ移された。
(2)実際はエルサレムは1187年にサラセン人に占領された。
(3)キリストの敵対者。
(4)アルテナのアドルフ。1193年ケルンの司教に選出された。
(5)ハインリヒ六世(1165-97)。神聖ローマ皇帝(1190-97)。フリー
ドリヒ一世の子。
(6)リチャード一世(1157-99)。イギリス王(1189-99)。
(7)ケルンの市民はドイツ王をめぐって分裂した。
(8)オットー四世(1174頃―1218)。神聖ローマ皇帝(1209-18)。
(9)教皇インノケンチウス三世がハインリヒ六世の後継者としてフリードリヒ二世を
擁立してから、オットーとフィリップの対立が始まり、内乱に至った。
(10)modius 元々土地面積の単位であったが、そこに種を蒔くところから、穀物容積
単位にも用いられた。シェフェル(約五十リットル)に同じ。
(11)Johannes Capotius ローマ市参事会員。

第31話 痛悔したある高利貸しをめぐる悪魔と聖天使の争い

サクソン生まれの老いた聖職者で、黒い修道会(ベネディクト会)の修道士が、ある高
利貸しについての注目すべき話を私にしてくれた。それが記述されているかどうかは、私
には分からない。色々な教会の宝物を抵当としてとっていたきわめて裕福な高利貸しがい
た、と彼は言った。
この高利貸しの心は貪欲にまみれていたので、命にかかわる病におかされた。それから
彼は遅いとはいえ、まず自分と向き合い、高利貸しの重み、地獄の苦しみ、痛悔の難しさ
を考え始めた。彼は親しいベネディクト会のある院長に来てもらい、こう言った。「院長
さま、私は重い病気にかかっています。私は自分の財産を管理することもできないし、受
け取った利子を返すこともできません。もしあなたが私の魂について神に釈明をして、私
の罪の赦しを約束してくださるなら、動産と不動産のすべての私の財産を、あなたが自由
に使えるようにあなたの権限に委ねましょう。」
院長は、高利貸しが悔い改め、本当に贖罪したと思い、こう答えた。「考えてみましょ
う。」それから院長は司教のもとに駆けつけ、高利貸しの言葉を司教に伝え、いかに助言
すべきかを尋ねた。司教はこう答えた。「あなたが財を受け取り、私の教会の財を私に返
すことを、あなたが彼にかわって約束するのはよいことです。」
ただちに院長は病み人のところへ戻って言った。「私があなたの財を受け取り、あなた
の罪を神に取りなすことを、私は決めました。」病み人は答えた。「今や私の希望は、あな
たが荷馬車を何台か用意し、まず私の財産のすべてをまず積み、最後に私を乗せ、積むに
あたっていかなる支障もきたさないことです。」というのは、彼は金銀で一杯の二つの櫃
を、什器、書籍、及び種々の宝石の、多くの抵当品を、ぶどう酒とたくさんの貯蔵食糧を、
数多くの家畜を有していたからだ。それから、院長はまずすべてのものを先に送ってから、

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最後に病み人を乗せ、修道院へ急いだ。病み人は修道院に着くや、息を引き取った。
院長は、約束を忘れず、できるだけ利子を返し、病み人の魂のために多くを喜捨し、残
りを修道士たちが使えるようにした。遺体は礼拝堂に安置され、その周りに詩編を歌う聖
歌隊が並んだ。その夜、修道士たちが一層熱心に詩編を歌っていたとき、四人の醜悪な悪
魔があらわれ、棺台の左側に立った。修道士たちがこれを見て、驚き、一人の初老の修道
士以外はすべて逃げてしまった。
すると、これら四人の悪魔に向かって、同じ数の聖天使が右側に並んだ。悪魔の筆頭と
思われる者があの詩編のダヴィデの詩を唱えた。「愚か者は、罪を犯すと自分に言った。
その者の目の前には神への畏れはない(詩編35、2)。」そのことはこの高利貸しで実現
されている。二人目が言った。「あいつは自分の目の前でいつわりをなすがゆえに、憎む
べき罪は自分では見いだされない(詩編36、3)。」三人目が付け加えた。「あいつの言
葉は悪意と策略である。あいつはよいことをすることを、知ろうともしない(詩編36、
とこ
4)。」四人目が言った。「あいつは床のなかで不正を考え出し、あらゆる悪の道に仕え、
悪を憎まなかった(詩編36、5)。」それから全員がそろって言った。「神が正義で、そ
の言葉が真実であるならば、あいつはわしらの側の者だ。やつはあらゆることで罪人だか
らだ。」
うた
聖天使たちが答えた。
「お前たちが彼にたいしてダヴィデの詩を歌うなら、続けなさい。」
悪魔どもが言った。「この詩は彼の破滅のために必要だ。」これにたいして天使たちは答え
た。
「お前たちが黙っているので、始めた詩編の残りを歌おう。」第一の天使が言った。
「主
よ、天には雲に至るまであなたの慈悲と真実がある(詩編36、6)。」第二の天使が付け
加えた。
「あなたの正義は神の山のようだ。あなたの判断は深淵である(詩編36、7)。」
三番目の天使が言った。「主よ、あなたは人と牛馬をお救いになりましょう。神よ、なん
とあなたは慈悲を増やされたことか(詩編36、7)。」四人目の天使が付け加えた。「人
の子らはあなたの翼に守られて望みを持つでしょう(詩編36、8)。」天使たちはそろっ
て声を挙げた。「神は正義で、また聖書は崩壊され得ないがゆえに、この人の子は私たち
の側の者である。彼は主のもとに逃れるでしょう。彼は主の翼に守られて望んだがゆえに、
主のもとに赴くでしょう。悔い改めの涙で陶酔した彼の住まいはもので満たされるでしょ
う。神は彼に喜びの涙を飲ませるでしょう。神のもとには生命の泉があるから。神の光で
彼は光を見るでしょう。」
この言葉で、悪魔どもは狼狽し、口を閉ざした。天の使者たちは悔い改めた罪人の魂を
持ち上げ、<神の天使は贖罪する一人の罪人について天で喜ぶ>と救世主が福音書(1)の
なかで語っておられる人たちの仲間に加えた。
修練士 この高利貸しにはどっちが役立ったのですか、喜捨ですか、痛悔ですか。
修道士 確実にこういうことができる。もし痛悔がなかったなら、彼には喜捨はわずか
しか役に立たなかった。神が高利貸しの喜捨をどのように受け取られるか、聞きたいかい。
修練士 聞きたいものです。

第32話 喜捨のなかから生まれたヒキガエルに飲み込まれたある高利
貸しの痛悔

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修道士 殉教者聖ゲレオン(1)の教会に埋葬されているある高利貸しの行為が今もケル
ンで多くの人たちに讃えられている。彼は裕福で貪欲であったが、ついに神の慈悲によっ
て悔悟して司祭のところへ行き、告解をおこなった。そして罪にたいして神に報いられる
ように、彼の名ですべての財を貧しい人々に施す約束をした。司祭は彼に答えた。「あな
たのパンを切って喜捨しなさい。それを箱に一杯詰め、蓋をしなさい。」
彼が翌日箱を開けると、そこに入れたパンと同じだけのヒキガエル(2)が入っていた。
司祭は彼に言った。「あぶく銭からの喜捨を神はどれだけお喜びになるか、知りたいです
か。」彼は驚いて答えた。「司祭さま、私はどうすればよいのですか。」司祭は言った。「あ
なたが救われたいならば、今夜、ヒキガエルの間で裸で横になりなさい。」すばらしい悔
い改めか。彼はそんな寝床をひどく嫌悪したが、ヒキガエルの間で裸で横たわった。地獄
の不死のものから逃れたいため、地獄を恐れ、天国のふるさとを求めて、ヒキガエルのこ
とは仕方ないと思った。司祭は箱のところへ行き、蓋を閉め、立ち去った。
翌日、司祭が箱を開けると、人の骨の他はなにも見つからなかった。これらは殉教者の
教会の回廊に埋葬されたもので、それらには今日まで一匹のヒキガエルも、その回廊には
生きて入れない力があると言われている。
修練士 高利貸しの喜捨がヒキガエルに変わるならば、それ以外の喜捨の品はどんな虫
を生み出すのですか。
修道士 地獄の虫、不死の虫だ。それについてイザヤによって人間の姿でこう語られて
いる。<彼らの虫は死なず、彼らの火は消えず、すべての肉にとって嫌悪となろう(イザ
ヤ書66、24)。>彼らの下には虫がまき散らされ、彼らの肉体は地獄の不死の虫を食
し、彼らの魂を良心の虫がたえずついばむであろう。
修練士 先にあげられた院長は、高利貸しの財産のなかから魂のために喜捨を役に立た
せることができなかったのですか。
修道士 きちんと思い出してみると、あの者はできるだけ利子を返した。余った分から
喜捨をした。それはこの者の場合にはなされなかった。それができることは次の例話から
わかろう。

(1)ゲレオン(Gereon 270頃―304)。ケルン近郊に駐屯していたローマ軍の指揮
官であったが、自らもキリスト教徒であったので、キリスト教徒迫害を拒否したた
め、仲間と共に斬首された。
(2)bufo 中世では、ヒキガエルは悪魔と悪徳の象徴であった。

第33話 パリの高利貸しチボーの痛悔

現国王の前任者、フランス王フィリップ(1)の時代にチボーという名のきわめて裕福な
ま ち
高利貸しがパリの都市に住んでいた。彼はたくさんの財を有し、利子で財を蓄えたとき、
神慮によって悔い改め、この都市の司教モリス師のところへ行き、助言に従った。司教は
聖母教会(ノートルダム)の建立に傾注していたので(2)、始まった建築の費用のために
財を差し出すように彼に助言した。彼にとってこの助言はいささかいぶかしかったが、ペ
トルス・カントール(3)師のもとに行き、司教の言葉を伝えた。カントールは彼に答えた。

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「司教は今回あなたによい助言をしなかった。帰って、街中を先ぶれに触れ回らせなさい、
あなたが必要以上に得た財をすべての人に返す用意があると。」
そのようになされた。それから、チボーはカントールのところへ戻って言った。「良心
に賭けて言います。私のところへ来たすべての人に、手に入れた財のすべてを返しました。
今も多くが残っています。」それからカントールは言った。「今、あなたは確実に喜捨する
ことができます。」
シェーナウの院長ダニエルさまが私に話してくれた。カントールの助言で高利貸しは
ま ち
都市の通りをズボンだけで裸で歩き、鞭をもった召使いが彼を追い立て、こう叫んだと。
「こ
の人こそ、貴族の息子たちを人質にして、都市当局から彼の財のゆえに讃えられた人であ
る。」
修練士 この二人の高利貸しから痛悔の力を一層明確に認識します。私が考えますに、
心から悔い改めの泉がわき出る人の血管を、いかなる労苦も恐れも恥も閉ざすことはでき
ません。
修道士 君の言うことは正しい。わずかの贖罪を危惧して干上がる痛悔には、痛悔がわ
き出る泉がないからだ。
修練士 私には高利貸しの利子は元々大いに欠陥であるように思われます。第三、四代
まで続くのはまれであるからです。
修道士 欠陥のみならず、消費的だ。君が言うように、すぐに減るのみならず、それに
関わるものあるいはまじわるものをも、時々消費するからだ。
修練士 例話で示してください。
修道士 私が話そうとしていることを、私はシトー会の修道会の院長たちから聞いたが、
それが起きた場所の名を覚えていない。

(1)フィリップ二世(1165-1223)。フランス王(1180-1223)。ル
イ七世の子。カペー王権を飛躍的に成長させた。
(2)パリのノートルダム聖堂の建設は、1163年に始まり、1250年に完了した。
(2)Petrus Cantor(不明―1197)。パリのスコラ神学者、聖書釈義家。

第34話 自分のそばに置かれた、修道院の金銭を消費した高利貸しの金銭

ある高利貸しが自分の金銭のすべてを保管してもらうべく、シトー会の総務長(1)に委
ねた。総務長はそれにしるしをつけて、修道院の金庫のそばの安全な場所に置いた。後に、
高利貸しが返却を求め、総務長が櫃のふたを開けると、修道院の金銭も高利貸しの金銭も
見当たらなかった。総務長は櫃の錠が触れられておらず、袋の印章も無傷であるのを見た
とき、盗まれた可能性はなく、高利貸しの金銭が修道院の金銭を食い尽くしたことを知っ
た。高利貸しの利子の喜捨によって、修道院の財産は増えず、減っていることがこれから
読み取れる。
修練士 痛悔について語られたことは大きなことです。目を持たない者は、目がなくて
は泣くことができないので、悔い改めることができないかどうかを尋ねます。
修道士 悔い改めは涙によるものではなく、心の動きによるものだ。心のしるしは目の

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涙である。

(1)cellerarius 修道院内で修道士の日常生活を掌握して処理するかなり重要な職位。

第35話 サクセン公ハインリヒに目をつぶされたある貴族の痛悔

オットー帝(1)の父、ザクセン公ハインリヒ(2)が、あるときある貴族の目をその罪のゆ
えにくりぬいた。だが神は慈悲により、目がつぶされた罰を薬にお変えになった。絶えず
おかした罪に泣き、天のふるさとを望んで常にため息をつくほどに、神は彼の心に痛悔を
お与えになった。彼はヒルデスハイムの聖母教会から離れず、祈りと断食に専心した。
たまたまこんなことが起きた。ある愚かな者が<目を持たない者は、神を見る目を今後
も持たない>という言葉を発するのを、彼は耳にした。この言葉に彼はひどく狼狽し、日
々ため息をつき、慰めの言葉も受け入れず、多くの人々に叱責されるとこう答えた。「聖
書の権威によって証明されなければ、私は慰められないでしょう。」このことは、この都
市にたくさんいた学識ある人々によって容易に証明された。
修練士 それはどのように証明されるのですか。
修道士 救世主は選ばれた人々に言っている。<あなたの頭の髪の毛は一本も失われな
いだろう(ルカによる福音書21、18)。>この箇所についてはアウグスチヌスはこう
言っている。「髪の毛がなくならないのに、頭がなくなるのか。まぶたが失われるのに、
目が失われるか。」彼は、いいえ、と言っているようである。すべての死すべき者は無傷
で蘇るであろう。悪人は肢体のすべてが罰せられ、善人は肢体のすべてが報いられるため
である。このことを私は言い、信じる、すべての人間は、義人であれ罪人であれ、わずか
の悔い改めで死んでも、神を見るであろうことを。
父と聖霊と共に生き、神々しく永遠に支配される栄光の輝きなるわれわれの主イエス・
キリストがわれわれを観想に導き給わんことを。アーメン。

(1)オットー四世(11174頃-1218)。神聖ローマ皇帝(1209-1218)

(2)ハインリヒ獅子公(1129-95)。ザクセン大公(1142-80)。バイエ
ルン大公(1155-80)。

第3部 告解

第1話 告解とは何か、それはどのようであらねばならないか、その力と効
果は何か

告解の欲求なくしてはすべての痛悔は無に帰するので、何が告解で、それはどのようで
あらねばならないか、その力と効果はなんであるかを、われわれは見なければならない。
修練士 もし告解の意図なくしての痛悔が不完全であるならば、そういうことを知るこ
とは必要です。特に修練士の場合はそうです。彼らは修道会入りのすぐ後で犯したあらゆ
る罪を院長に告解しなければなりません。私があなたによって教えられ、自分で経験した

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通りです。
修道士 たとえどうしても告解が不可能であっても、告解の望みによってのみ罪が赦さ
れるほど、告解はすばらしい。それについて詩編作者はこう言っている。<私は言った。
私は主に私の不正を告白しよう。あなたは私の罪の不信心を赦された(詩編32、5)。
><私は言った>とは<私は考えた>と同じ意味である。
修練士 告解とは何ですか。
修道士 告解には賞賛、信仰、罪の三つの種類があることを君は知らねばならない。救
世主は福音書のなかで賞賛の告解について語っている。<天と地の主、父よ、私はあなた
を讃えます(マタイによる福音書11、25)。>使徒は信仰の告白についてこう言って
いる。<心で信じて義となり、口で救いとなる(ローマの信徒への手紙10、10)。>
使徒ヤコブは罪の告白についてこう言っている。<主に癒やしていただくために、罪を告
白しあいなさい(ヤコブの手紙5、16)。>
つみびと
義の始まりは罪人の告解であるからである。それについてマカバイ記(1)にこう記され
ている。<ユダは戦いにあなたの先頭に立っていく(2)。>つまり告解である。罪の告白
によって魂の隠された病が露呈され、赦しの希望が得られる。告解は多様であらねばなら
ない。自発的で、迅速で、義務的で、内気で、普遍で、特殊で、個人的で、あからさまで、
完全で、賢明で、自らを告発し、苦く、不安で、臆病で、真実で、評価に値し、朗らかで、
独自で、多種類で、頻繁である。私はこれに手短に触れ、一杯までではないが、短く骨折
って明確にする。例話に急ごう。
修練士 告解には旧約の権威はないのですか。
修道士 告解は旧約の秘跡であると言われており、明確な寓意で記されていて、言葉に
よって委ねられ、例話によって強められている。癩患者は司祭の判断で清いとも汚いとも
判断される。それに関して、救世主は癒やされた癩患者にこう言われた。〈行って、祭司
に身体をみせなさい(マタイによる福音書8、4)。〉この最後の四語のなかで(3)、四つ
のことが考慮されねばならないように思われる。それらは特に告解において守られなけれ
ばならない。つまり、迅速であるように、あからさまであるように、完全であるように、
義務的であるように、つまり牧者に特有であるように。
主があたかもこう言われているごとくだ。<あなたの告白が早く、あるいは遅滞ないよ
うに行きなさい。あなたの告白があからさまであるように見せなさい。あなたの告白が完
全であるように、あなたの告白が義務であるように、自分を司祭に見せなさい。>
イエスの恩恵で心からの悔い改めによって清められる者は、公然と清いと判断されるた
めに告解によって司祭に自らを見せなければならない。それについて雅歌のなかで花婿は
つみびと
告白者の声で悔い改めた罪人にこう言っている。心の悔い改めにより<あなたの顔を私に
見せなさい。>、口の告白により<あなたの声が私の耳にひびくように(雅歌2、14)。
>この寓意よりも明確なものが何かあるだろうか。
告解が言葉に委ねられていることを、預言者ダヴィデ(4)が証言している。彼はこう言
っている。<主は善であるがゆえに、主に告解しなさい(5)。>、<あなたの道を主に打
ち明けなさい(6)。>打ち明けるとは告解のことである。七十人訳(7)によれば、イザヤ書
にこう書かれている。<あなたが正当化されるために、あなたの不正を述べなさい(イザ
ヤ書43、26)。>告解が例話によって確証されることを、ダヴィデ自身がわれわれに

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例話で伝えている。彼は自分のところへ来たナタン(8)にバテシバ(9)の罪について答えて
言っている。「私は主にたいして罪を犯した。」
修練士 痛悔か、告解か、どちらに大きな力があるか、私は知りたいです。
修道士 痛悔によるのでなければ、罪人の罪は赦されない。つまり告解がそれに伴うと
いう条件のもとでだ。告解がどうしてもできないなら、最高の司祭(キリスト)がこれを
おぎなわれよう。やはり告解は痛悔のしるしである。告解の力と効果を私は聖書の証言よ
るよりも例話によって示すことを決めた。

(1)旧約聖書外典に属する、ギリシア語で記された歴史書。
(2)1マカバイ記2、66参照。
(3)Vade ostende te sacerdoti の4語。
(4)David イスラエル王国第二代王(前1012―972)。詩編作者。
(5)詩編106、1参照。
(6)詩編37、5参照。
(7)Septuaginta 七十人の長老による、現存する最古のギリシア語訳聖書。
(8)Nathan ダヴィデの宮廷預言者。
(9)Bersabea ダヴィデは彼女の美しさに魅せられ、夫のウリヤを戦場に送って殺害し、
彼女を妻とした。ナタンはこのことをたとえでもってダヴィデを非難した。

第2話 騎士の妻を犯した聖職者。彼が告解の後で家畜小屋で義と認め
られたと悪霊が言ったこと

ある村に一人の騎士が住んでいた。彼の妻をその村の司祭が犯した。司祭が騎士の妻と
関係を持ったことが、騎士に知らされた。騎士は賢明な男で、言葉を軽率に信じなかった
ので、真実を一層真実として知ろうとして、このことについて妻にも司祭にも何も言おう
しなかった。しかし疑念は残ったままだった。
こんなことが起こった。その騎士の所領からさほど遠くない村にある憑かれた男が住ん
でいた。真実の告解によって明らかになった罪を人前で非難するほどひどい悪霊が彼に住
みついていた。
このことを騎士が多くの人の話から知ったとき、この男に会いに一緒に行ってくれない
かと疑念を抱かせた司祭に乞うた。司祭は承諾した。二人がそろって憑かれた男が住んで
いる村に着いたとき、司祭は気づいて騎士を猜疑し始めた。ひどい悪霊に憑かれた男がこ
の村に住んでいることが司祭に分かったからだ。司祭は悪霊に暴露された時のことを恐れ、
自然の欲求と偽って、家畜小屋の騎士の召使いのところへ行き、召使いの足元に跪いて言
った。「後生だから私の告白を聞いてくれ。」召使いは司祭の話を聞いて、驚き、彼を起こ
した。告白し終えると、司祭は贖罪を自分に課してくれるよう乞うたとき、召使いは非常
に賢明に彼に答えて言った。「そのような罪のために別の司祭に依頼するのがあなたの贖
罪です。」
こうして司祭は安心して外へ出て、騎士と一緒に教会へ行った。そこで二人は悪霊に憑
かれた男と出会った。男は騎士からこういう言葉で問われた。「お前はわしのことで何か

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知っているか。」司祭の猜疑心を取り除くために、騎士はわざとこう問うた。悪霊は彼に
何も知らないと答えたので、騎士はこう付け加えた。
「お前はこの人のことをどう思うか。」
悪霊は答えた。「その人のことは何も知らない。」悪霊はドイツ語でこう言ってから、すぐ
にラテン語でこう付け加えた。「家畜小屋で彼は義と認められた。」その時、聖職者の誰も
いなかった(1)。
修練士 この時、悪霊は勝手にラテン語では話せなかったと私は思います。
修道士 騎士が言葉や言葉からの行為が分からないように、悪霊はドイツ語で話すこと
は許されなかった。しかし告解の力を司祭に示すために黙っていることは許されなかった。
修練士 悪霊の記憶から司祭の不倫の罪を消し、この人を迫り来る危険から解放してく
れた告解の力は大きいです。
修道士 この告解の成果を聞きなさい。司祭は彼にもたされた恩恵を忘れず、世俗を捨
て、シトー会の修道会のある修道院で修道士となった。私がシトー会のある院長から聞い
たところによると、彼は今も生存していると思われる。
修練士 この悪霊の予言は司祭には大きな至福のきっかけになりました。
修道士 院長はこれに似た話を私にしてくれた。

(1)聖職者の誰もラテン語を解せなかった、の意。

第3話 主人の妻と罪を犯し、森で百姓に罪を告白するが、悪霊に暴露さ
れなかった別の騎士の召使い

ある騎士の妻が情欲の炎に燃え立ち、自分の召使いと関係を持った。彼女は頃合いを見
計らってひそかに召使いと罪を犯したが、もはや隠しおおせず騎士の耳に達した。騎士は
話を聞いて悲しんだが、話を全部信じず黙っていた。自分が調べれば、かくも破廉恥なこ
とはずっと隠し通せることはできないと分かっていたからである。彼は裕福で立派で、妻
の噂は信憑性が低く、破廉恥なことだったので、自分や妻、それに自分や彼女の一族を疑
惑で貶めるよりも、はっきりしないことを一時的に黙っている方を選んだ。
そうこうするうち、ある村に憑かれた男が住んでいると言う噂が広まった。先に述べた
男と同じかどうかは分からない。その男は誰をも容赦せず、隠された罪を周囲に暴露して
非難するのであった。騎士はこれを聞くと、この男によってことの真実を知ることを望ん
で、召使いを伴ってその村へ向かったが、召使いはその理由を全く知らなかった。彼らが
森に達すると、悪霊に憑かれた男が住んでいる村に通じる小道に主人が曲がったとき、召
使いはひどく恐れた。もし不倫の罪が悪霊に暴露されれば、もはや生きていられないこと
が確実に分かっていたからである。
召使いの心は不安で渦巻いていたとき、森のなかで木を切る音が聞こえた。彼がこの時
熱心に祈り、神が彼の心に迫る危険にたいして告解こそが最高の薬であるとお知らせにな
った。自然の欲求を満たすためと言って彼は主人から別れ、百姓のところへ行き、罪を告
白し贖罪した。何も気づいていない騎士のところへすぐに戻り、二人で憑かれた男のとこ
ろへ行った。この男が不倫の、つまり不倫についてはすでに義とされた召使いをじっと見
詰めたとき、騎士は言った。「彼について何か知っておれば言ってくれ。」悪霊は言った。

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「たくさん知っていたが、今は忘れてしまった。」こうして告解の力によって、召使いは
死から、主人は猜疑心から解放された。
真実の告解がどれだけ可能か分かるかい。
修練士 何が真実の告解ですか。
修道士 告解の確固とした目的は贖罪にある。
修練士 負わされた贖罪がないがしろにされればどうなるのですか。
修道士 病気や困窮による無視ではなく、たびたび起こるように、課せられた贖罪がな
いがしろにされたり、無視されたら、赦された罪も戻ってくる。たとえ赦される罪であっ
ても、贖罪が忘れられて無視されたなら罪にたいする罰は忘れられて消される、と私は言
わない。

第4話 夢のことで告白して課せられた詩編朗読を無視して、局部
を罰せられた聖職者

シトー会の修道院のある聖職者が、ある日、夜見た夢(1)のことで告白をおこなった。
私はそのことを直接彼から聞いた。贖罪として一編の詩編朗読が課せられた。彼はそのこ
とを忘れてしまったその日、皮膚に焼きつくイラクサが置かれたように、局部にかゆみと
ほてりを感じた。驚いて触り、何であるかと調べてみたが、何も見つからなかったとき、
課せられたが、忘れていた詩編朗読を思い出した。課せられた罰を忘れていたためと思っ
て詩編を朗読した。すると不快感は消えた。告解する者は忘れるようなことをしてはなら
ない。別の例話を聞きなさい。

(1)illusio nocturnus 性的な夢は罪とみなされた。

第5話 わずかな罪を犯して告解せずに憑かれた男のところへ行き、
悪魔に暴露されたプレモントレの聖職者

ミュンスターフェルトのある参事会員が私に話してくれたのだが、プレモントレ会修道
院があるシュタインフェルトに非常に尊敬に値する生活をしていた参事会員が住んでい
た。シュタインフェルトの修道院長は、ある憑かれた男から悪霊を追い出すために、彼を
修道院の門に連れてきた。悪霊は参事会員を見ると、憑かれた男の口を介して叫んだ。
「わ
しはあいつのことを知っているが、そのことで恐れやしない。」しかしその罪が公にされ
ることはなかった。この敬虔なる人の恥辱とはならないほど、その罪はきわめて軽かった
からである。参事会員は悪霊の言葉をよく理解し、良心を咎めてなかに入り、罪を告白し
て外へ出て、今もお前はなにか知っているか、と尋ねた。悪霊は答えた。「傷跡が見られ
ぬから、お前にはまだ罪が残っておる。」参事会員はそれを鞭の傷のことと理解した。
再度、参事会員の若者はなかに入り鞭打ちを受け、外へ出て何か知っているか、と尋ね
た。悪霊は答えた。「わしの見るところ、今わしはお前のことは何も知らない。」修道士た
ちは十二分に感動した。
修練士 悪霊が聖なる人の告解がなされたあとも罪のしるしを捉えることができたこと

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に、私は少なからず動揺します。
修道士 神はそういうことを彼の安寧のためにお許しになった。完璧であればあるほど、
罪を消すべく慎重であらねばならない。特に悪霊と戦おうとして、すぐに受けた鞭打ちを
引き延ばしてはいけなかった。先に挙げた聖職者と騎士の召使いの場合、彼らの告白は義
務ではなく、さらなる贖罪が伴わなかったので、悪霊は罪のしるしを捉えることはできな
かった。
修練士 その場合は窮地だったので、あなたの言うことは嬉しいです。真実と虚偽の告
白の違いを知りたいです。
修道士 重みのある告白が真で、軽い告白が偽であることを、次の例話で君は知るであ
ろう。

第6話 男の姿の悪魔に言い寄られた処女。正直に告白しなかった罪を
悪魔に非難された男。処女を奪われたことを悪魔に暴露された少女

ケルン司教座聖堂神学校長オリヴァーがブラバントで十字軍勧説をおこなっていたと
き、彼の勧説の同僚であるシトー会士ベルナルドゥスが私に話してくれたのだが、ブラバ
ントにニヴェルの出で修道生活にいそしみ、純潔の誓願で名だたる少女が住んでいた。悪
魔がこの美徳に嫉妬し、美男できわめて端正な姿であらわれ、彼女を甘い言葉で誘惑し、
宝石を差し出し、結婚の豊かさを勧め、処女の不毛を非難した。少女はこれが誰だか分か
らず答えた。「私は男の人と結婚しようとは思いません。キリストへの愛で、私は肉によ
る結婚を無視し軽蔑します。」
この好色の悪霊がしつこく追いかけ、色々な場所で彼女に迫った。彼女は、自分よりも
美しく、高貴で、裕福な処女がたくさんいることが分かっていたので、偽りの求愛者に疑
惑を抱いてこう言った。「それほどの強い思いで私と結婚したいなんて、あなたは誰で、
どこから来たのですか。」悪霊は正体をあらわすのをいやがったが、彼女が強く迫ったの
で、ついにやむを得ず告白してこう言った。「おれは悪霊だ。」このことばに彼女は驚いて
答えた。「あなたの本性と矛盾している肉による結婚をなぜ求めるのですか。」悪霊は言っ
た。「おれの言うことを聞くのだ。結合を受け入れのだ。そのほかにはおれはお前には何
も求めない。」これにたいして彼女は答えた。
「今はあなたの言うことを私は聞きません。

彼女は聖なる十字を切って悪魔を追い払った。それから司祭のところへ行き、悪霊のたく
らみを話した。悪霊に従わないよう司祭に教えられ、修道院に戻った。
悪霊は彼女の告白の後も彼女をほっておかず、遠くから声をかけ、彼女が食事をすると
きには、皿に汚物を入れるほど、彼女を苦しめた。それゆえ彼女は数人の女たちに守られ
た。彼女がどこにいても、悪霊は彼女に声をかけた。ほかの人たちには悪霊の声は聞こえ
たが、彼女には姿が見えた。この霊はひどく、そこにいる人たちの罪を暴露して、罪を非
難した。真の告白が罪を隠さぬ限り、悪霊には罪は分かっていた。悪霊は悪の別の面もみ
せた。
悪霊は汚物や、汚物の混じった壊れたつぼを、やってくる人たちの上にばらまいた。何
人かの人が彼に言った。「悪霊よ、お前は<主の祈り>を知っているか。」悪霊は答えた。
「よく知っている。」悪霊はそれを唱えるよう求められた。悪霊は唱えた。<天におられ

- 83 -
るわたしたちの父よ、御名と御心が天でおこなわれるとおり地でもおこなわれますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。悪からお救いください(1)。>
悪霊はこの祈りのなかでたくさんとばしたり、間違ったりしてから、高笑いしてこう加
えた。「お前たち平信徒はいつも祈りをこんな風に唱えているのだ。」悪霊は信仰告白も問
クレードー デウム パトレム オムニポテンテム
われて、よく知っていると言って、こう始めた。「われ全能なる父、神を信じる。」 何人
クレードー イン デウム
かが彼にこう言った。「お前はこう言わねばならない。われ神を信じる。」悪霊はこう唱え
ク レ ー ド ー デ オ ー
た。「われ神を信じる。」そこに居合わせた学識ある人たちは悪霊の言葉を注視し、対格の
クレードー イン デウム
力を知っていて、「われ神を信じる」と唱えるように悪魔に迫った(2)。しかし彼らは悪霊
にそう言わせることはできなかった。
修練士 神を信じるとはどういうことか、知りたいです。
修道士 神を信じるということは、愛によって神のもとへ赴くということだ。それゆえ
救世主はこう言っておられる。
「生きていて、私を信じる者はだれも、永遠の生を得る(ヨ
ハネによる福音書11、26)
。」悪霊は、使徒ヤコブが言っているように(ヤコブの手紙
2、19)、信じ、おののく、だが愛さない。悪霊は、神の存在を信じ、神の言葉が真実
であることも信じるが、神を愛さないがゆえに、神を信じない。この悪霊は知っていると
言ったが、<アヴェ・マリア>を唱えることができなかった。
修練士 <アヴェ・マリア>よりも<主の祈り>の方が価値が高いと言っても、悪霊が
<主の祈り>は唱えることができたが、<アヴェ・マリア>はできなかったのは、不思議
です。
修道士 主がそうなることを欲せられた。聖母の栄誉のためであり、受肉の神秘を高め
るためである。人間の救済が始まりである<アヴェ・マリア>がいかに力があるかを、君
はたくさん次に知るであろう。なぜそんなしわがれた声をしているのか、と悪霊は問われ
て、こう答えた。「いつも燃えているから。」例の少女は言った。「悪霊が私のところへ来
るたびごとに、私に背中を見せないように、気を付けていたからです。」
修練士 なぜ悪霊がそんなことをしたのか、知りたいです。
修道士 私がほかの夢幻から知る限り、悪霊には背中がないのだ。それゆえ、よく少女
にあらわれるある悪霊は、彼女から離れるときにはいつも後ずさりをした。なぜそんなこ
とをするのかと問われると、悪霊はこう答えた。「わしらは人間の体をしているが、背中
がないのだ。」
修練士 真と偽の告白の違いが分かる例話を聞きたいです。
修道士 すぐに例を挙げよう。近くにある男が住んでいて、先の悪霊の声を非常に聞き
たがっていた。罪となった破廉恥のゆえに、あえて近づこうとせず、すべての人の前で罪
が非難されることを恐れた。彼は司祭のところへ行き、すべてを告解したが、罪を犯す意
図は残った。この告解で安心して家に向かった。不思議なことが起こった。彼が家に入っ
てなかをのぞくや、悪霊が浮かんで叫んだ。「友よ、こっちへ来い、来い、確かにお前は
潔白になった。」ただちに悪霊は、告解が済んでいたとはいえ、破廉恥な彼の罪のすべて
を全員の前で暴露した。この時間が太陽の昇る時であって欲しいと望むほど彼は恥じた。
悲しみと良心の呵責で、自分を取り戻し、司祭のところに戻り、起こったことを話し告解
を再度おこない、今後呵責なく生きることを心から神と司祭に約束した。司祭は言った。
「さあ、安心して帰りなさい。悪霊はもはやあなたに恥をかかせないでしょう。」彼はそう

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した。家に入ると、そこにいた何人かが悪霊に言った。「お前の友達がまた来たぞ。」悪霊
は彼らに答えた。「それは誰だ。」彼らが言った。「ついさっきお前が破廉恥な罪をとがめ
た者だ。」悪霊は答えた。「わしはあいつの何も咎めなかったし、あいつの悪については何
も知らない。」彼らは、悪霊は嘘をついていると言った。彼らは彼が告解したことを知ら
なかったからだ。こうして彼は告解の力で究極の恥辱から脱した。
この家に他の人たちと一緒にある女性が住んでいて、母親たちがするように、娘をマン
トで覆っていた。どのようにしてか私は知らないが、彼女が悪霊を呼んだとき、悪霊は叫
んだ。「お前がマントで覆っているお前の娘は処女と思っているのか。なんたることか。
お前の守り方は間違っている。」女性は言った。「お前は嘘をついている。」悪霊は答えた。
「わしは嘘はついていない。信じなければ、ペトロニラに聞け。彼女はお前に本当のこと
を言うであろう。」ペトロニラは少女の卑猥を知っていた女であった。母親は話を聞くと、
娘を突き倒して怒って言った。「汚らわしい、私から離れなさい。お前にはいいものは何
もあげないよ。」
娘は自分を信じ、涙を流して泣き叫び、外へ出て、悪霊は嘘をついていると言った。彼
女は神の啓示を受け、近くの司祭のところへ走り込み、罪を告白し、決して身をみだらに
汚さぬことを約束した。それから司祭の助言を受け、言わねばならないことを詳しく教え
られ、同じ場所にいた母親のところへ戻った。彼女は母親に言った。「本当にお母さんは
ひどく罪を犯したわ。完全な嘘つきで、嘘つきの父でもある悪霊の言ったことで、理由も
なく私にたいへん恥をかかせて、無慈悲に突き倒したわ。」彼女は泣き始めた。母親は娘
の言ったことや、涙に心を動かされ、悪霊に言った。「悪党、お前はどうして私の娘にそ
んな罪を着せたのか、言いなさい。」悪霊は言った。「わしはお前の娘のことで何かよくな
いことを言ったか。お前の娘は純粋で無垢だ。わしはお前の娘のことでよくないことは何
も知らないし、何も言わなかった。」
こうして少女は、先の男同様、告解の恩恵によって卑猥の疑いから免れ、母の愛に戻さ
れた。
修練士 悪霊が、少女の卑猥を告解前に知っていて、ペトロニラも知っていると名指し
たが、相手の男を挙げなかったのは、どうしてですか。
修道士 彼が罪について贖罪をして、悪霊に罪のことは分からせなかった、と私は思う。
修練士 あなたの言うことは嬉しいです。私は、先のニヴェルの処女のことを思い出し
ますし、悪霊が、霊であるが、本性に反して肉体の接触を欲し求めるのが、不思議と思っ
ています。
修道士 悪霊が女を望むのは不思議ではないが、女と交わるのは大いに不思議だ。
修練士 そういうことがあったのを覚えていますか。
修道士 覚えているし、読んだこともある。私が今から話すことを、女たちが読んだり
聞いたりして用心深くなるように、近年起こったさまざまな例話を挙げる。彼女たちが確
実なことを得るために、まず第一に、聖ベルナルドゥスの奇跡のなかに述べられているこ
とを手短に話そう。

(1)dominica ortio(主の祈り、マタイによる福音書6、9-13)。悪霊は完璧に唱え
ることができず、ところどころ抜けている。

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(2)credo deo(与格)よりも credo in deum(対格)の方が神の存在の信心が強められてい
る。

第7話 悪霊を女性から追い出した院長聖ベルナルドゥスの奇跡の一例

ナントの地域のある女性が、厚かましい悪霊によって六年間、彼女が同意したが、信じ
られないほどの情欲に苦しめられた。この卑猥な霊は、立派な騎士の姿であらわれ、夫が
同じ床で横になっていても、見られずに彼女をたびたび凌辱した。七年目に彼女は不安に
襲われた。
ま ち
クレルヴォーの院長聖ベルナルドゥスが先の都市へ来たとき、この哀れな女はベルナル
ドゥスの足下に跪いて、恐ろしい苦しみと悪霊のからかいを涙で告白し、救いを求めた。
彼女は院長から慰められ、何をするかを教えられた。悪霊は、彼女の告白の後、彼女に近
づくことはできなかったが、言葉で驚かせ、院長が去ったら彼女を責めると激しく脅した。
悪霊はかつては求愛者であったが、残酷な追跡者となった。
彼女がこのことを聖ベルナルドゥスに話すと、ベルナルドゥスは、次の日曜日、ろうそ
くを灯し、二人の司教および教会のすべての信者のなかで卑猥な霊を呪詛し、キリストの
権威にかけて彼女にすべての女に近づくのを禁じた。聖なる灯りが消されると、悪霊の力
のすべてが消えた。彼女は罪のすべてを告白して聖体を拝領し、完全に悪霊から解放され
た。これらのことは近年に起こったことだ。
修練士 これは驚くべきことです。
修道士 これによく似た、もっと新しい別の例話を聞きなさい。

第8話 悪魔に犯された司祭アルノルドの娘

二、三年前、ボンの聖レミギウス聖堂区にアルノルドという名の司祭が住んでいて、彼
には美しい娘がいた(1)。彼は娘を大変愛していて、彼女が美しかったので、若者たちか
ら、特にボンの参事会員たちから彼女を守った。娘が家から出ないよう上階に閉じ込める
ほどであった。
ある日、悪魔が人間の姿で彼女にあらわれ、内面的にはひそかにささやいて、外面的に
は甘言を弄して、彼女の魂を愛に向けさせ始めた。それ以上何を語ることがあろうか。
哀れな彼女は、説き伏せられ、犯され、後にたびたび困ったことに悪魔に同意した。あ
る日、司祭が上階にあがったとき、娘がため息をついて泣いているのを見た。彼は彼女の
悲しみの原因をなんとか取り除くことができた。悪魔にだまされ、犯され、そのためにし
かるべく悲しんでいる、と彼女は父親に告白した。彼女は、悲しみのゆえ、また悪魔の業
のゆえに、頭が混乱し困惑し、膝からとった虫を口に入れて食べるほどであった。
悲しみに打ちひしがれた父親は、娘をライン川のかなたにやり、彼女が転地によりよく
なり、川によって悪魔から解放されることを願った。娘が移されると、悪魔は司祭にあら
われ、はっきりした声で言った。「邪悪な司祭よ、なぜお前はわしの妻を連れ去ったのだ。
お前は痛い目にあうぞ。」悪魔はすぐに彼の胸を強く突いたので、彼は血を出して、三日
後に死んだ。

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この出来事の証人は、われわれの院長であり、かつてボンの神学校長であったシトー会
士ゲラルドゥスであった。この出来事はよく知られていた。

(1)当時、司祭が結婚して子供を設けているのはまれではなかった。

第9話 六年間悪魔と罪を犯した、と死に際に告白したブライジッヒの女

ライネック城の近くにあるブライジッヒの村に、十二年前、先の話と同様、悪魔に犯さ
れた女が住んでいた。その頃の出来事を知っていたシトー会士アルノルドが私に話してく
れた。ある日、彼女が居酒屋に行ったとき、心が弱るのを感じた。死が迫っているのが不
安になって、すぐに司祭を呼んでもらった。彼女が悪魔と戯れて、七年間の悪魔との恐ろ
しい契りを司祭に話したとき、告白中に舌が麻痺して、息を引き取った。彼女が信じられ
ないほどの情欲によって情欲の張本人に苦しめられ、決して誰にも話そうとしなかった。
いや、むしろあえてそうしなかった。恐らくは悪魔との愛を楽しんだからだ。
修練士 悪魔どもがそんなことをすることができるなら、彼らが女たちに機会を与えた
り、あるいは女たちに承知させたりすることに、女たちは用心しなければならない。
修道士 悪魔どもには女たちのみならず、男たちも気をつけなければならない。悪魔ど
もは、言われているように、男の姿で女たちをもてあそび滅ぼすし、同様に女の姿で男た
ちを誘惑し騙すからだ。砂漠の師父(1)の書を読みなさい。そこで、女の幻像によっても
てあそばれ、破滅させられ、打ちのめされた完璧な男たちを見つけよう。
女の姿の悪魔に翻弄された男についての例話を話そう。

(1)エジプト、パレスティナ、シリアの砂漠地帯で初期キリスト教時代に修道生活をし
た隠修士や修道士。

第10話 悪魔と寝たと言われる、プリュムの神学校長ヨハネス

プリュムにヨハネスという名の神学校長がいた。非常に学問があったが、軽薄で、ふし
だらであった。ある女が夜に彼のところへ行く約束をした、と彼について噂されているこ
とを、私もそこの修道院長から聞いた。約束された日に女ではなく、悪魔が彼女の姿と似
た声で彼の床に上がった。彼はそれが例の女だと思い、交わった。
朝起きて、彼が女と思っていた悪魔に外に出るように強要したとき、悪魔は言った。「お
前は昨晩誰と寝たと思っているか。」彼が女と寝たと言ったとき、悪魔は言った。「それは
違う。悪魔と寝たのだ。」この言葉にたいして、一風変わったヨハネスは、口に出すのも
はばかるような言葉で答え、悪魔をあざ笑い、このことについて何ら煩わなかった。

第11話 女の姿の悪魔にとらえられ、草地に投げられ、意識を失ったゾ
ーストの市民のハインリヒ

ゾーストの町に名をハインリヒ、あだ名をゲンマというある市民が住んでいた。彼の仕

- 87 -
事は居酒屋でぶどう酒を売ることであった。住まいから幾分離れたところに自分の居酒屋
を持っていた。彼がある夜、いつものように遅く居酒屋を出て、ぶどう酒でかせいだ金を
手にして家に急いでいたとき、市民がいつも集会を開く場所で、白い亜麻の服を着た女を
見た。彼は彼女を何ら怪しまずに、その場所に来たとき、女は男の服を引っ張って言った。
「ねえ、お兄さん、私は長い間、ここであなたを待っていたわ。あなたは私を愛さなけれ
ばならないわ。」彼は彼女の手を払いのけて言った。「離してくれ。私はあなたの享楽につ
きあえない。私は妻のところへ帰る。」彼女は一層強く言い張り、彼を不倫行為へと誘っ
た。彼女は何を言っても甲斐がなかったので、彼を両腕に抱え込み、強く押さえつけ、放
り投げ、非常に高い聖パトロクルス修道院を超えて、草地に投げた。
彼は置き去りにされ、意識を失った。一時間後に力が戻り意識を取り戻し、立ち上がり、
修道院の近くにある住まいに、手と足ではってやっとのことでたどり着き、扉をたたいた。
家人が起きて灯りをつけようとしたとき、彼は叫んだ。「灯りをつけるな。わしは灯りを
見られない。」
彼の心と体が非常に弱っていたので、床に寝かされた。三夜続けて、それも深夜にかの
悪魔が扉を叩きつづけた。ハインリヒは叫んだ。「奴はわしをめがけて来たことは分かっ
ている。奴がわしをめがけて扉をたたいているのは分かっている。」
ハインリヒはその後弱り、気が狂い、一年生きた。このことはこの町ではよく知られて
いる、といってシトー会士、ゾーストのテオドリクスが私に話してくれた。テオドリクス
の兄弟は今も聖パトリクルス教会の参事会員である。
修練士 すでにさまざまな例話で示されたように、悪魔どもが人間の姿で肉体と交わる
ならば、男の悪魔は女に子供を生ませるか、女の悪魔は男によって妊娠し生むかどうか知
りたいです。
修道士 この問題について最近のことは私は知らない。しかし私が古い話で読んだこと
を話そう。

第12話 フン人およびメルリンについての例話。悪魔の子たちのなかに人
間の自然の本質が存在すること

事績に述べられているように、ゴート族(1)がアジアからヨーロッパに移動したとき、
付き従った者たちのなかに醜い女たちがいた。彼らは彼女たちを追放した。彼女たちが非
常に醜い子供を生み、彼らの誉れを貶めることを案じたからである。彼女たちが宿営地か
ら追い出され、森をさまよっていたとき、悪魔どもが彼女たちに近づき、彼女たちとの間
で息子と娘を生んだ。それらのなかからフン人(2)なる強固な民があらわれた。
ブリタニアの預言者メルリンは、悪魔と修道女から生まれたと記されている。今はイギ
リスと呼ばれるブリタニアで今日まで統治している王たちは、悪霊の母親から生まれたと
言われている。メルリンは理性的な人間で、キリスト教徒だった。彼は未来の多くのこと
を予言した。
修練士 人間は両親の種によって宿され、生まれるが、人間と悪魔から身の種を得てい
る人間はどう呼ばれるのですか。実際、自然な人間性によらないものは、最後の審判でよ
みがえるのですか。

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修道士 この問題について学ある人から聞いたことを君に話そう。その人は言った。「悪
魔は自然に反して生まれる人間の種を集め、それで人間によって触られ見られることがで
きる身体を身につける。彼らは男から男の身体を、女から女の身体をとる。それらから生
まれるものについて、学者たちは、自然な人間性を有し、最後の審判では本当の人間のよ
うによみがえると言っている。」
この問題についてはここまでにしておこう。君の疑問がきっかけで少々それたが、今告
解に立ち戻ろう。一例を示そう。

(1)gens Gottorum ゲルマン人の一部族。北欧南部に起源を持ち、ヴァイクセル川流域


に移動、さらに小アジアからローマ属州に侵入した。
(2)gens Hunorum トルコ系ないしはモンゴル系の遊牧・騎馬民族。西方に移動し、ゴ
ート領、ローマ領に侵入した。

第13話 告解によって悪魔の目に見える敵視から解放されたラングヴ
ァーデンの修道女

ま ち
ケルン司教区のボンの都市にそこの教会の代理であるペトルスという名の、司祭が住ん
でいた。いかなる神の判断なのか私には分からないが、彼は自分の部屋の入り口で首をつ
った。アレイディスという名の彼の愛人はこの恐ろしい死に驚き、世俗を捨て、ラングヴ
ァーデンと呼ばれる女子修道院で修道服を受け取った。
ある日、彼女が寝室の窓から外を眺めていると、若者、いな若者に姿を変えた悪魔が、
寝室の壁に接している井戸のそばに立っているのを目にした。悪魔が泉を囲んでいる木枠
に片方の足を置き、飛ぶがごとくにもう一方の足を窓にかけ、手を広げて彼女の頭をつか
もうとしたとき、彼女は驚いて、ひっくりかえって、気を失わんばかりに叫んだ。
この叫び声を聞いて修道女たちがかけつけ、彼女を床に横たえた。彼女たちが退室して、
彼女が幾分気分を取り戻し、一人で横たわっていると、悪魔が再びあらわれて、甘い言葉
で彼女を慰め始めた。彼が悪霊であることを知って、彼女が彼に抗言すると、彼は言った。
「アレイディスさん、そんなことを言わないでくれ。わしの言うことを聞いてくれ。名誉
ある、誠実で、高貴で、金持ちの男をお前に世話してやろう。なぜお前はこの乏しい場所
で空腹で苦しむのか、なぜ徹夜やほかのたくさんの不快なことで早く死ぬのか。俗界に戻
れ。神が人間のために作った楽しみを享受せよ。わしが手ほどきしたら、お前には足らな
いものはあり得ない。」
これにたいして彼女は言った。「私があなたのそばにいる間は私は悲しい。立ち去って
ください。私はあなたの言うことは聞きません。」彼女がこう言うと、悪魔は鼻をかみ、
彼女に向かって床の壁に鼻汁を強く投げつけた。一部は跳ね返って、彼女の服にへばりつ
いた。そうして悪魔は消えた。鼻汁は真っ黒な瀝青のようであって、耐えられないほどの
悪臭がした。
その後、悪魔が昼夜彼女に迫ったなら、振りかける聖水を常に用意しておくように、と
修道女たちは説得した。他の修道女は、悪魔が水を恐れなければ、香をたくようにと言っ
た。彼女はこれらすべてを試みたが、あまり効果はなかった。悪魔は自分にたいして十字

- 89 -
が切られて聖水か香を見ると、少しの間は消えたが、すぐに戻ってきた。他よりも年が上
で、賢明な修道女が彼女に悪魔を寄せ付け、大きな声で〈アヴェ・マリア〉の祈りを悪魔
の顔に向かって唱えるようにと勧めた。彼女がこうすると、矢によって射られたかのよう
に、あるいは嵐に吹かれたように、悪魔は逃げ去り、その時から彼女に近づこうとはしな
かった。
修練士 あなたが先の第6話で話したのを思い出しますが、悪魔が〈アヴェ・マリア〉
を唱えたり、始めることができなかったことは、依然私には不思議です。
修道士 私はその箇所を覚えている。かの修道女は、その時から悪魔を恐れなく見たり、
不安なく耳をかたむけたりするほど、そのような武具に守られていた。ある日、彼女はこ
れらのことについてある修道士と話していたとき、彼は彼女を説得してこう言った。「あ
なたの院長に、覚えているだけの告白を純粋に、完全に、敬虔にしなさい。そうすれば、
この悪魔の攻撃から解放されるであろう。」彼女はこの助言が心にかなったので、院長の
ところへ行き、告解をする場所と時を決めてもらうよう院長に願った。翌朝の朝課の後、
彼女は心構えをして、決められた場所、つまり院長が待っている、修道院に隣接する礼拝
堂へ急いだ。すると、悪魔が彼女が急いでいる道にあらわれ、言った。「アレイディスよ、
お前はどこへ行くのか。どこへ急いでいるのか。」彼女は答えた。「私とあなたが恥をかく
ために行くのよ。」悪魔が言った。「おお、アレイディスよ、そんなことをするな、そんな
ことをするな。戻ってこい。戻ってこい。」彼女は言った。「あなたは私に何度も恥をかか
せた。今度はあなたに恥をかかせてあげるわ。もう私は戻らない。」
悪魔は甘言によっても脅迫によっても彼女を引き留めることができなかったので、鷹が
彼女の上を飛ぶがごとくに、告解の場所へ彼女についていった。彼女が院長の前で跪いて
告解のために口を開くや、悪魔は叫んで、嘆いて、消え去った。この時から悪魔は彼女に
は見えも聞こえもしなくなった。
純粋な告解にどれほどの力があるかという明白な例話がここにある。その話を私はマリ
エンシュタットの院長ヘルマンさまから聞いた。彼がボンの参事会員だったとき、彼がよ
く知っていた先の女について噂が広がったので、この話を聞いて、自分でその地に赴き、
語られていることを順序だてて、彼女の口からすべてを聞いた。
修練士 告解にそのような重みがなかったら、悪魔をそんなに強く追い払わなかったで
しょう。
修道士 われわれが罪を告白するとき、どれだけ激しく悪魔を怒らせるかを、君がよく
分かるであろう例話が頭に浮かんだ。私が話そうとすることは、私の修道院入りの後で起
こった。かつてわれわれの院長でその時ヴィレールの院長だったカールさまから聞いた。
以下がその話だ。

第14話 死の予言によって悪魔に騙され、告解で救われた司祭

ある司祭はまことに敬虔で、品行優れたるゆえに多くの人から愛されていた。今もそう
である。彼はわれわれの地域の小教区を管轄していた。策を弄する悪魔が彼の恩恵を妬み、
あからさまな試練で彼を悩まそうとせず、善人の姿で一層たくみに彼を操ろうとした。闇
の僕は光の天使に変わり、司祭のところにあらわれ、言った。「神の友よ、あなたの身に

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起こることを伝えるために、私があなたのところへ遣わされた。準備しなさい、あなたは
今年死ぬから。」
ところで、司祭は悪天使のことを疑わず、予言された通りの将来を信じて、死にたいし
て慎重に準備し、告解で良心を清め、断食、徹夜、絶え間ない祈りで身体を苦しめ、食糧
や蓄えを貧しい人に与えた。なぜそんなに自分の財を手放すのか、と多くの人が尋ねたと
き、彼らの一人に告解のようにしてその理由を打ち明けた。「私は今年死ぬと神の御使い
が知らせてくれました。」その人はこのことを黙っていることができず、親しい人に話し
た。それで教区全体に知れ渡った。その年が終わっても、司祭は死ななかった。悪魔の予
言が誤りであることがはっきりした。選ばれし人々にはすべてのことは有益なこととなる
がゆえに、敬虔なる人が悪魔に騙されたと思われたことは有益なこととなった。というの
は、かく騙されたことに大いに恥じて、このことを知った人たちのために、生きていくに
必要な何も持たず、世俗も教区も捨て、名は失念したが、シトー会のある修道院へ入った
からだ。
彼が修練士になると、再度悪魔があらわれ、策略をひそめて、こう言った。「神の人よ、
私が言ったようにあなたが死ななかったことを案じるな。神は神意によって多くの者の教
化のためにあなたの寿命を延ばされた。私はあなたを支え、教え、守るために、神によっ
て遣わされた。」彼はまた信じた。
悪魔はたびたび彼のそばにあらわれ、後に彼が述べているように、常に益になることを
勧めた。彼が時々さらに熱心に祈り、徹夜をし、労働をしたとき、悪魔は彼を叱って言っ
た。「節度は諸徳の母である。あなたはもっと長く生きることができよう。長く神に仕え
ることができるように、大事にしなければならない。」彼がかなり大きな石を持ち上げよ
うとしたとき、再び悪魔は言った。「その石は大きすぎる。下ろしなさい。」
彼が修道士になったとき、悪魔が彼に言った。「あなたが私と、私があなたと、もっと
自由に話ができるように、一人で仕事につく許可を院長に求めなさい。」院長は理由を知
って許可した。
ある夜、悪魔は長い間練った策を実行しようとして、深夜になって彼の床に近づき、彼
かわや
を起こして言った。「起きなさい、主はあなたの大いなる労苦に報いるおつもりだ。 厠 (1)
へ行き、梁に帯をかけて首をつりなさい。主はあなたを殉教者として受け入れよう。」彼
はこれを聞いて驚き、悪魔に向かって何度もつばを吐き叫んだ。「悪党、立ち去れ、お前
が誰だか今分かった。」彼は十字を切って悪魔を追い払った。
われわれにたいする神の慈悲がいかに偉大かを君は知ろう。悪魔が不実で、狡猾な目論
しもべ
見であるとはいえ、神の 僕 を善なることに突き動かすことを、神はお許しになった。だ
が神は、悲惨な昇天をすること、および素朴な人が騙され永遠の死の究極に急ぐことを、
望まれなかった。
ただちに彼は起き上がり、院長の床に行き、眠っている院長を起こし、告解をしたいと
の合図をした。院長は、朝まで待つように目くばせをしたが、彼が同意しなかったので、
起き上がり、彼と一緒に会議室に入った。すぐに彼は院長の足元に跪き、天使の姿の悪魔
に長い間騙され首をつるせと言われて見抜いたと告白した。彼は他の罪をも告白した。院
長は彼に贖罪を課し、今後はもっと慎重になるように戒めてから、自分の床に戻った。
彼の方は、自然の欲求で厠へ行き、一つに腰を下ろしていると、告解で怒った悪魔が、

- 91 -
彼に向かって矢をつがえた弓を張って立っているのを見た。悪魔は彼に大きな声でこう言
った。「お前は悪いことをしてわしを困らせた。お前を殺すぞ。」彼は悪魔に答えた。「立
ち去れ、悪党。もうお前を恐れないぞ。」十字を切ると悪魔は消えた。こうして彼は告解
の力で救われ、それ以上悪魔を見なかった。
修練士 悪魔がこの聖職者を損ねることができなかったのはなぜですか。先に述べられ
た聖レミギウス教会の主任司祭を悪魔が殺したのに。
修道士 詩編作者はこう言っている。<主は、主を愛する人のすべてを守り、罪人のす
べてを滅ぼされる(詩編145、20)
。>それゆえ、悪魔はこの司祭の娘を滅ぼしたが、
ニヴェルの処女を損なわなかった。悪魔がそのような大きな力を父と娘の両方に与えたの
は理由がなかったわけではない。
修練士 われわれが罪を告白すれば悪魔が困るなら、沈黙で罪を覆うならば彼らは大い
に喜ぶと私は思います。
修道士 それは確実だ。そのことを君は第7部の第10話でもっとよく知るだろう。そ
こでは聖母の恩恵によって、告白のための言葉が何人かに示されている。その第10話は
栄光の聖母に当てられている。
修練士 今までのことから、告解が魂の薬であることが十分分かりました。身体も告解
によって息災を得るかどうか、知りたいです。
修道士 告解は人間の身体と魂の両方に薬である。告解は罪人の魂を地獄の罰から救う
ように、ときどき身体をも刹那的な罰から救う。
修練士 これについての例話を聞くことは、非常に有益であると思われます。告解が身
体に有益なことを知っていて、それをおこなう準備している人がたくさんいるからです。
修道士 皇帝フリードリヒ(2)の息子(3)が王に選出されたフランクフルトの壮麗な帝国
会議からヴィレールの院長ヴァルターさまが戻ってきたとき、告解についてどれだけ、ど
のように言ったかを、君は覚えていないのか。
修練士 よく覚えています。しかし人間の心はあやふやなものなので、一度聞いたこと、
特に安寧に必要なことを何度も聞くことは、好ましいことです。
修道士 ヴァルター院長はこう言っていた。「私がフランクフルトに行き、シュパイヤ
ーの主席司祭コンラート師と話したとき、わけても彼にこう言いました。
『告解について、
あなたたち説教者が心得ていなければならないことを、私は分かっています。』コンラー
トは十字軍を勧説したからです。彼は教えるように私に頼みました。」
その話の内容は次の通りである。

(1)camera privata (隔たった部屋)。


(2)フリードリヒ二世(1194-1250)。神聖ローマ皇帝(1212-50)。
(3)ハインリヒ七世(1211-42)。神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世の長男。
ドイツ王(1220-35)。1220年のフランクフルトの帝国会議でドイツ王に
選出された。

第15話 アラスの聖職者とその妹。彼らが銀細工師を殺害してから、
彼女が告解によって炎から逃れたこと

- 92 -
ま ち
アラスの都市の近くに二、三年前、この都市の生まれの、ある若い聖職者が住んでいた。
彼はその地で子供の時から細やかな教育を受け、声望のある聖職者たちと付き合っていた。
彼は聖職禄をもらっておらず、彼の母親が困窮し始めたので、母親と一緒に住むことをは
ばかった。彼は悪霊にそそのかされ、ある裕福な銀細工師の住まいへ策略をもって行き、
銀細工師にこう言った。「ある裕福な商人が私の家に来て、銀の杯、盃、そのほかの器、
金銀でしつらえた装飾品を作ってもらいたいと言った。あなたが作ったものを売りたけれ
ば、袋に入れて、決めた時間に、商人は内密でのことを望んでいるので、一人で私の家に
来てくれ。」
銀細工師はこの聖職者をよく知っていたので、疑念を抱かず、言われたとおりにしたが、
どこへ行くかは、家人に知らせておいた。聖職者は、銀細工師が一人で来たのを見て、扉
の後ろに隠れ、入ってくる者の頭を斧でたたき割り殺害した。それから未婚の妹と一緒に
彼の体をばらばらに刻み、肥だめに投げ入れた。
銀細工師の家人は、彼がなかなか帰ってこないので、聖職者の家へ行き、うちの主人は
どこにいるのかと尋ねた。聖職者の妹は、「ここには来ていない」と答えた。銀細工師の
家人は、彼らの言葉に疑いを抱き、あたりを見回して、血が流された跡を見た。彼らはす
ぐに二人に殺人の罪を帰し、裁判官を呼んだ。血が流れた跡や細工物が見つかり、二人は
否認することができず、火刑の判決を受けた。同様の例がケルンである鋳造師のところで
私の若い頃に起こった。ところで兄妹の件はどうなったのか。
二人が刑に処せられるとき、妹は兄に言った。
「お兄さん、私は今死刑に処せられます。
私はお兄さんの罪を隠そうとするだけで、この殺人に加わりました。でも私たちは迫る死
を逃れることができないので、せいぜい永遠の罰を避けるために、罪の告白をするのがい
いのです。」
兄の聖職者は絶望していたので、怒って答えた。「私はそんなことはしない。今になっ
ての告白が私に何の役に立つのか。」彼はかたくなだったが、妹は司祭に乞うて、たくさ
んの悔い改めで罪を告白した。それから二人は杭に縛り付けられ、周りに火が付けられた。
告解の大きな力、救世主の大きな慈悲。炎がたちまち絶望した聖職者を飲み込んだが、火
は妹に触れず、悲しませず、苦しみを引き起こさなかった。三人の若者のように(ダニエ
ル書3、1-30)、火は彼女の縄を燃やしたが、彼女は自由に歩くことができた。彼女
は炎の熱も涼しい風も感じた。裁判官たちはこの奇跡を見て、妹を無罪と見なし、解放す
るように命じた。こうして彼女は告白によって炎の熱から逃れた。
修練士 あなたはこの聖職者についてどう判断されますか。
修道士 絶望した盗賊ヒルデブラントが第2部第6話で彼自身のについてこう判断して
いる。
「私は永遠に罰せられている。特に絶望のゆえに永遠の炎によって罰せられている。
私が罪を告白して悔い改めていたら、一時的な罰によって永遠の罰を逃れたであろう。」
ヴァルター院長は、告解の力のもっと明白な別の奇跡を、次のようにれわれに話してく
れた。

第16話 焼きごてで試され、焼けただれたカンブレーの異端者た
ち。彼らの一人が告解の恩寵によって救われたこと

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司教都市(1)カンブレーで五年前に大勢の異端者が捕らえられた。彼らのすべては死を
恐れて背教を否認した。否認する者を焼きごてで試し、焼けただれた者を異端者として判
決すべく、聖職者が司教によって遣わされた。すべての者が試され、すべてが焼けただれ
た。
彼らが火刑のために引き立てられたとき、司祭は、もし何らかの方法で悔い改めさせる
ことができるならば、と彼らのなかの一人の高貴な血筋の男を救おうとした。聖職者は彼
にこう言った。「あなたは高貴な人だ。私はあなたを憐れみ、あなたの魂に同情します。
あなたがこの世の死によって永遠の死に突き進まぬために、背教から立ち直り、誤りから
真理にもどるように、私はお願いし、勧めます。」これにたいして彼はこう答えた。「私は
神明裁判によって誤っていたことを知りました。今になっての悔い改めができるものなら、
告解を拒みません。」
聖職者は彼に真の悔い改めは決して遅くないと言って、司祭を呼んだ。この男は誤りを
告白して、もし生命が赦されるならと、心から神に贖罪を約束した。慈悲深い神は、告解
の力をお示しになるために、彼が罪を告白し始めるや、彼の手のやけどは徐々に小さくな
り始めた。見ていると告解が進むに連れて、やけどは小さくなっていった。告解の半分が
終わると、やけどの半分が癒えた。彼が告解をすべて済ませると、告解の力によって、痛
みでも色でもやけどはすっかり消えて、手は元通りになった。
裁判官は彼を火刑場所に連れて行かせようとした。聖職者は裁判官に尋ねた。「なぜ彼
を連れて行かせるのですか。」「神明裁判で焼けただれたので、火刑に処すのだ」と裁判官
は答えた。それから聖職者は彼の癒えた手を見せ、彼を刑から救った。他の者は火刑に処
せられた。
コンラッド師がこの話を聞くと、ヴァルター院長はこう言った。「二、三年前にアルゲ
ンチナで起きた同様の話をしましょう。」

(1)civitas episcopalis 司教座聖堂を中心として形成された都市。

第17話 アルゲンチナで試され、焼けただれた十人の異端者。彼ら
の一人が告解によって癒えて、解放されたが、妻に騙され、再度焼け
ただれて火刑の判決を受けたこと

この都市、つまりアルゲンチナ、いわゆるシュトラースブルクで、十人の異端者が捕ら
えられた。彼らは否認したが、焼きごてで試されて、火刑の判決を受けた。
処刑の日、彼らが火刑場に引き立てられたとき、彼らに付いてきた人の一人が彼らの一
つか
人に言った。「哀れな者よ、身体の束の間の火傷の後で、地獄の火が永遠にあなたの魂を
焼かないように、罪を告白して贖罪しなさい。」彼は言った。「私が間違っていたと思いま
す。ここに至って贖罪が神に受けいられないのではと案じています。」これにたいしてこ
う答えた。「心から告解しなさい。神は慈悲深く、悔い改める者を受け入れてくださるで
しょう。」
不思議なことが起こった。彼が背教を告白するや、彼の手は完全に癒えた。告解のため

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遅れたが、火刑場に連れて行くように裁判官によって命令が出されると、彼の聴罪司祭が
裁判官に言った。「無実の人が不正に有罪の判決を受けるのは正義ではありません。」
ま ち
彼の手に火傷の跡は全く見られなかったので、彼は解放された。都市から遠からぬとこ
ろに彼の妻が住んでいたが、このことをまったく知らなかった。彼が足取りも軽く妻のも
とへ戻り、「身体と魂の破滅から私を救ってくださった神が崇められますように」と言っ
て、その理由を彼女に説明した。妻はこう答えた。
「何をなさったの、ああ、不幸なお人、
何をされたの。わずかな間の苦しみのためにどうしてあなたは十全で敬虔な信仰を捨てた
の。今までの確かな信仰を捨てるなら、あなたは何百回も体を焼かれた方がよかったわ。

蛇の声は誘惑しないことがあろうか。
彼は神意によって彼にもたらされた恩恵を忘れ、明らかな奇跡を思わず、妻の助言に従
い、かつての過ちに再度陥った。神はかくなる忘恩にたいする復讐をお忘れにならず、両
手を痛めつけられた。この異端者の手に再度やけどができた。妻も、彼が誤りに戻ったこ
との原因となったので、再度の苦しみを分け合った。やけどはひどく、手の骨に達するほ
どであった。苦しみによる叫び声を、彼らは村の中で発しようとしなかったので、近くの
森に逃れて狼のように吠えた。
話を進めよう。二人は見つかり、都市に連れ戻され、完全に消えていない火の中に投げ
込まれ、灰になるまで燃やされた。
修練士 彼らについては正当なことです。
修道士 純粋な告解によって、戦う人は勝利を、罰を受けねばならない人は贖宥を得る。

第18話 告解のおかげで皇帝ハインリヒの前で決闘に勝利した騎士

今日の皇帝フリードリヒ(1)の父、皇帝ハインリヒが最後にロンバルジアに入ったとき、
ロンバルジア人たちがある城代を略奪と他の多くの不品行のゆえにハインリヒに訴えた。
彼らは城代に決闘を挑むべく、体の大きな最強の戦士を連れてきた。皇帝は彼らの言い分
を拒まず、決闘を受け入れるように城代に命じた。この大男が市民法に則って城代に戦い
を挑んだとき、城代の弟が皇帝の足元に跪いて、心から愛する兄のために戦わう許可を、
涙をたくさん流して得た。弟が慎重に痛悔、告解、祈りによって戦いの準備をしたとき、
城代はキリストに希望のすべてを託し、戦うために身を守るべく十字架を服、盾に当て、
きやしや
手に携えた。彼は華奢で、それほど強くはなかった。かの戦士が、姿恐ろしくゴリアト(2)
のごとく城代に向かっていき、相手の盾に強い一撃を与え、鳴り響いたのが想像されよう。
城代は一撃にたいし一撃で報い、戦士は手を引っ込める前に手を強く打ち据えられたので、
落とした棒を拾い上げることができなかった。彼は戦士をさんざんに打ち据え、告解の力
で無敵の相手に勝利した。
そこに居合わせたシトー会の修道士ハインリヒが私に話してくれたが、戦士は唸る牛の
ごとくにこう言い放った。「こんな小男に不面目にも負けるとは、哀れなことだ。」
こうして弟の謙虚な告解によって死に値する男は死を逃れ、勝利を得た。罰を受ける者
が告解で赦しを得る例を次に示そう。

(1)ハインリヒ六世(1165-97)の息子フリードリヒ二世(1194-1250

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(2)イスラエルの宿敵であった、巨体なペリシテ人の戦士。

第19話 ケルンで告解の恩恵によって死から逃れた盗賊

私が学生だった頃、ケルンのマルス門の前の牢にある盗賊が捕らえられていた。エヴス
タキウスという名の、この門の礼拝堂を管理するきわめて行状のよい司祭が彼を訪ね、告
解を聞き、物を与えた。この司祭が私に話してくれたことだが、彼は自ら飲んでいた杯を
故意にたびたびこの盗賊に渡した。人々はこれを見て驚いた。司祭によって盗賊に与えら
れた栄誉が裁判官に伝えられると、彼らはその男を無罪と見なし、彼を解放した。
修練士 なぜ罪人のすべてが告解によってそのような恩恵に浴さないのですか。
修道士 罪を犯す機会は多くの者にあるので、そういうことにならない。神は告解によ
ってそのような奇跡が起こることを欲せられる。神は告解がどれだけ魂にとって薬である
かを外的なしるしによって示されようと、例をあげておられる。神は、罪人が告解の後に
さしあたって罰せられることを望まれる。同じ罪で二度罪人を罰っすることはないので、
彼を今後罰しないためである。
このことについて、シトー会のある院長が私に話してくれたことを君に話そう。

第20話 詩編105の詩句のゆえにリエージュの司教から死の判決を
受けた盗賊

リエージュの教会に敬虔で神を畏れるある司教が住んでいた。四旬節(1)のある日、彼
の教会で一人で詩編を読んでいて、詩編105の個所に達した。<主の御力を語る者があ
ろうか。主への賛美を告げない者があろうか(詩編106、5)。>
裁判官が執務室から出てきて、司教の祈りを中断させて言った。「司教さま、あの罪人
にたいしてどういたしましょう。」
司教は同情に動かされ、彼に答えた。「聖なる四旬節のゆえにその哀れな者を赦してや
りなさい。」裁判官が罪人を釈放するべく辞すると、司教は中断していた詩編に目を移し、
ただちに字句を追った。<裁きを守り、どんな時にも正義をおこなう人は、幸いである(詩
編106、3)。>司教はこの詩句に驚き、神の声に触れ啓発された―実際そうであった
―かのように、裁判官を再び呼び、こう言った。「その罪人のことを詳しく調べて、正し
く判決しなさい。」こうして予言の声により、罪人は命を奪われた。
この罪人は贖罪して死んだかもしれない。彼がもっと生き延びたなら、さらに悪行を重
ね、永遠の死に赴いたであろう。さきに告解によって癒え、立ち直ったザルツブルクの異
端者と同じだ。
修練士 この話は嬉しいです。
修道士 このことについて、私がシトー会のある院長から聞いた明白な例話を話そう。

(1)tempus quadragesimalis 灰の水曜日から復活祭前日までの四十日間。

第21話 一人の人の罪のゆえに海上で危険にさらされ、彼の告解のよって救わ

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れた十字軍兵士たち

クサンテンのヨハネス師が滞在地で十字軍勧説をおこなっていたとき、人々にこんなこ
とを話した。十字軍兵士たちが、聖地を支援すべく海を渡っている間に、船が波に包まれ
るほどのひどい嵐が起きた。風が吹き荒れ、荒々しい波が立ちあがり、屈強な男たちさえ
よろめき、船乗りたちの望みのすべてはついえた。一人一人は死を前にして一番近い者に
罪を告白し始めた。当然のことである。神は一人の罪のゆえに嵐を起こさせられたからで
ある。
この船に、きわめて悪辣でひどい男が乗っていた。彼の罪は、質も量も重く、卑劣で恐
ろしく、海も彼と罪の重みを運ぶことができないほどであった。海の属性はどんな肉体の
不浄をも閉め出すがゆえに、霊の不浄、つまり創造主に背く罪にどのように泰然と耐えた
ろうか。
その罪人は、生命と同時に魂のことを案じ、自分のために他の者たちが危険に曝されて
いると考え、立ち上がって言った。「聞いてくれ、兄弟たちよ、聞いてくれ。この嵐が罪
のゆえに起きたのなら、私がこの大きな危険のきっかけだ。私の告白を聞いてくれるよう
お願いする。」
すべてが黙していると、彼は大きな声で罪のひどさを語り出し、聞く耳もはばかるほど
であった。神の驚くべき慈悲かな。彼が告解によって不正の多くを吐き出すや、荒れた海
は静まり静寂が支配したので、すべての者は驚いた。驚くべきことが続いた。船が接岸す
るや、神は一人一人の記憶から耳にした罪をお消しになった。彼らが船のなかで一緒に過
ごしている間は、彼が彼らの前で恥をかくことを、神はお許しになった。彼らが下船して
彼の罪を公にしたり叱責したりしないように、神は彼らを忘却状態にされた。彼らは海上
で危険にあったこと、彼が告解をしたことは、よく覚えていた。しかし彼が語ったことは、
彼らは全く覚えていなかった。彼はこの事態を経験によって知った。
修練士 この話はうれしいです。しかし一人の罪のために神が多くの人を不安にされた
のは、不思議です。
修道士 ヨナ(1)の不従順のゆえに海は荒れ、船乗りたちは危険に曝されたが、ヨナが
海に放り込まれると、すぐに海は静まった、と伝えられている。一人の人の罪のゆえに時
々主は多くの人を一時的に打ち据えられるように、一人の義なる人の功徳のゆえに多くの
人を赦される。それについての例話はたくさんある。
修練士 神の正義の判断なくしては何も生じないことは分かっています。大罪を犯して
いることが分かっている人間があえて危険に身を置くというのは、最大の愚かな判断です。
修道士 告解の効用が分かっている人は、聴罪司祭がいない場合を除いて、一日中罪に
身を置いたり、告解を引き延ばしたりしてはならない。このことについてある司教の優れ
た言葉、敬虔で記憶に値する言葉を聞きなさい。

(1)予言者ヨナ。神に背いて逃亡したが、海上で大嵐に遭遇して大魚に飲み込まれ、三
日三晩その腹の中に留まって悔悟した。ヨナ書1、3-16参照。

第22話 死に際に模範を示すために告白しようとしなかったイギリスの司教

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私はある修道院長から聞いたのだが、プレモントレ会のある司教がイギリスで亡くなっ
た。人柄のよい、非常に敬虔な人であった。彼が今際の際に聴罪司祭を求めなかったので、
司祭たちは司教に言った。「司教さま、あなたは非常に弱っています。なぜ告解をしない
かんげん
のですか。」司教は答えた。「私は告解をしない。」彼らが諫言を繰り返したとき、司教は
こう付け加えた。「愚か者、私がこの時まで告解を引き延ばしたとでも思っているのか。」
彼らは再度言った。
「あなたはいつも帝国会議に参加していた。」司教は彼らに言った。
「私
は王の前では、ピラト(1)の前でのキリストと同じだった。」
この敬虔な司教は、模範を示すためにこう言ったのである。聖書のこんな言葉を知って
いたからである。<死の前に告白しなさい。無の如き死者からは告白は生じない。生きて
告白しなさい。健康で生きている間に告白して、神を讃え、神の慈悲を賞めなさい。>
司教は、日々良心を純化して、多くの人のように告解を日一日と先に延ばすことはしな
かった。彼は死後も奇跡のように輝いた。
修練士 司教の言葉から分かるように、告解の引き延ばしは完璧なことではありません。
修道士 告解の引き延しは、前年にわれわれのところで起きたあることを思い出させる。

(1)ローマの第五代ユダヤ総督。世紀後三十年頃、イエスを十字架刑に処した。

第23話 死に際に初めて総告白をおこなったわれわれのある修道士

名は挙げないが、われわれの老年の修道士の一人に、他の多くの人と同じようにたびた
び告解を繰り返す習慣があった。それは総告白(1)であると院長は思った。彼は子供の時
から老年にいたるまでの罪を告白していたからである。彼は死ぬ前に病気になって突然力
尽き、口がきけなくなった。われわれ全員が彼のもとに急ぎ、聖油を塗った。
翌日院長が彼のところへ行った。院長が到着するや、神の慈悲で彼は言葉を取り戻し、
今まで告白しなかった、回心前におこなったある大きな罪を告白しだした。
院長は驚き、その罪をかつて告白したかどうか尋ねた。「他の院長にも告白しました」
と彼は言った。彼はこの院長のほかに今まで三人の院長のもとにいたからである。
われわれの院長がわれわれに語ったことによれば、主は彼の労苦をご覧になり、彼の告
解に支障なきように彼の口をお開かせになった。
修練士 彼が最後に院長に告白した大罪を同じように恥じて他の院長にも黙っていた
ら、どうなっていたでしょうか。
修道士 私がこの部の第1話で話したように、告解は複数の聴罪司祭で異なっていては
ならず、完璧で、包み隠されず、正しくなければならない。ベーダ(2)がルカについて述
べているように、都市全体が守られても、敵が侵入する隙間があれば、何の意味があろう
か。半分だけ告白する人について預言者ホセア(3)が語っていることを聞きなさい。<エ
フライムの咎はとどめおかれ、その罪は蓄えておかれる。産みの苦しみが襲う(ホセア書
13、12-3)。>彼は院長の一人に完璧な告解をした、と私は信じる。彼は賢明な人
で、多くの徳が認められるからである。
修練士 告解者が聴罪司祭と一緒に罪を犯したなら、その罪を十二分に告白することが

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できるでしょうか。
修道士 そのような告解には価値がない。羞恥もなければ、罪も明らかにされないから
である。君の質問に答えるために、例話として、二、三年前に起きた悲惨な出来事を話そ
う。この出来事をシトー会の院長が修道院長総会で説教の時に院長のすべてに報告して、
院長の銘々が修道士たちに慎重に伝えるように話した。

(1)generalis confessio 過去のすべての罪、大きな罪も小さな罪も繰り返し告白するこ


と。
(2)ベーダ・ヴェネラービリス(673頃―735)。イギリスの神学者、聖書学者、
歴史家、聖人。カエサルから731年までのイギリス初の教会史、
『イギリス教会史』
を著す。
(3)紀元前740年代から前20年代にかけて、北イスラエルで活動した預言者。

第24話 若者と一緒に罪を犯し、死後若者に告解を勧めた聴罪司祭

シトー会のある院長がこんな話をしてくれた。最近ある修道院で司祭が亡くなった。
彼の人柄のゆえに、できるだけ修道士の告解を聞くことを院長は彼に課していた。(修道
院と人物については黙っていた。)その修道院にはある若者がいて、告解のために彼のと
ころへたびたび行った。聴罪司祭の彼は、悪魔に挑発され、人間の脆さが加わって、若者
と一緒に一度だけ罪を犯した。罪を犯すとすぐに彼は悲しみ、激しく泣きだし、若者にこ
う言った。「われわれは悪いことをした。われわれは羞恥から人に罪を告白することがで
きない。だから君が私に、私が君に告白し、互いに贖罪を受け入れるように、私は助言す
る。」
何が起こったか。若者はこの助言を受け入れた。彼らは互いに告白し、院長も聴罪司祭
も課さないような厳しい贖罪を互いに受け入れた。暫くしてからこの司祭は死に至る病に
かかった。彼が今際の際にあって、死に近づいたとき、地獄への怖れから二人の罪を話し
たが、誰と罪を犯したかは話さなかった。彼が死ぬと、院長は大いに悲しんだ。彼が誰と
罪を犯したかを知ることができなかったからである。それが誰であろうと、私のところへ
告解のために来るだろう、と院長は独りごちた。
そうこうするうち、死んだ司祭はある晴れた日に青い顔をして着古した服で、若者が一
人でいるところにあらわれた。若者は死者を見てすぐに司祭だと分かり、恐れおののいた。
死者は若者に言った。「恐れずにじっとしていなさい。私は私の置かれた状況を君に伝え
るためにここへ来たのだ。」
若者はこの言葉に慰められ、勇気づけられ、どこから来て、何を欲しているかと尋ねる
と、死者は答えた。「私は、君と一緒に犯した罪のゆえに厳しく罰せられている。炎の鎖
が私の局部に巻き付き、ひどく苦しんでいる。われわれが互いにおこなった告解は、私に
は何ら効果がなかった。それは告解ではなかったからだ。それでもし私が今際の際に全く
罪を告白しなかったなら、永遠に罰せられたであろう。」これにたいして若者が「あなた
のために何か私にできることがありますか」と尋ねると、死者はこう答えた。「君が正直
に完璧に君の罪を告白するなら、大いに私のためになる。そうでなければ、永遠の罰が君

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に下るだろう。」こうして死者は消えた。
若者はこの幻視に驚き、告解をおこなおうとしたが、院長の不在のためできずに延期す
ることにした。しかし延期した時が経つにつれて、恐怖心は弱まり、羞恥心が増し、院長
が戻ってきたときには、恥ずかしい思いが勝って、何も告白しなかった。
院長は、若者が司祭に告白した罪のことを忘れずに、毎日待っていたが、若者が来なか
ったので、よくないことをひそかに抱いている若者をどのようにして立ち直らせたらよい
か、とくと考えた。
院長は、祝日にはすべての者が主祭壇で聖体拝領をおこなうように、修道士全員、司祭
たち及び修道会の下級の者、健康な者、さらには病気の者にもに命じた。かの罪人は決し
て来ないだろう、と院長には思われた。
院長は祭壇に向かって座し、各人の口元を見つめた。若者は、これは自分になされたも
のと思い、こっそり抜け出せば目立つと思って、他の者と一緒に前に出た。彼が祭壇に近
づいたとき、おののきと恐れに襲われ、あえて前に進むことができず、すばやく後ろへ下
がらざるを得なかった。彼は院長のところへ行き、告解する合図をした。院長は飛び上が
らんばかりに喜び、こう独りごちた。「ああ、われわれは確実に野獣をとらえ、獲物を見
つけた。彼なのだから。」院長は立ち上がり、若者と一緒に集会室に入った。若者は院長
の足元に跪き、罪を告白し、幻視を伝え、贖罪を課してもらった。こうして医者の理知に
よって、愚かな病み人の傷はなくなり、癒えた。
われわれの院長ゲヴァルトさまが、修道院長総会から戻ってきたとき、この話をわれわ
れにしてくれた。
修練士 こうして死者たちが生者たちを告解に向かわせるのは、神の偉大な賜物です。
修道士 死者たちの霊でさえ必要とするほど、告解はよいものである。死者が生者の夢
にあらわれ、いかなる罪のゆえに罰せられているかを、告白し、またいかなる恩恵によっ
て救われうるかを、ありのままに語るのを、私はたびたび耳にした。このことは真実のし
るしで証拠だてられている。眠っている者の身体は死者から少ししか離れておらず、外な
る身体が常に休んでいる間に、内なる身体はしばしば活発に目覚めているがゆえに、似た
ものは互いに喜び合うからである。夢は空虚とばかりは言えず、時々は神の啓示である。
それは預言者ヨゼフ、ダニエル、マリアの婿、ヨゼフ及び三人の博士に見られる。
修練士 死者の霊が生者の霊に告白する例話を聞きたいものです。

第25話 夢のなかで院長に告解した修練士

修道士 ある若者が修練士としてシトー会の一修道院に受け入れられた。しばらくする
と、彼は重い病気にかかって臨終に達した。修道会の慣習通りには彼は依然院長に総告白
をしていなかった。院長が不在であったからである。彼は強く願望して院長を待ったが、
院長は戻って来なかったので、彼が犯した罪のすべてを副院長に告解した。こうして彼は
院長が戻る前に生命を終えた。
ある夜、院長がグランギア(修道院付属農場)で眠っていたとき、この修練士が死んだ
ことを全く知らなかったが、院長の床の前に死んだ彼の霊が腰をかがめ、告解を聞いてく
れるようにうやうやしく乞うた。この院長は、すでに奇跡で有名になりだしていたボヌヴ

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ォーの聖ユーグであった、と言われている。彼は修練士に「喜んで聞いてあげよう」と答
えた。修練士は、副院長に告解した時と同じ順序と仕方で院長に罪のすべてを告白した。
身をかがめ告解する修練士の目から涙が院長の胸に落ちると思われるほど、彼の痛悔は大
きかった。彼が告解を終えると、こう言葉を発した。「院長さま、今、私はあなたの祝福
によってあの世へ行きます。あなたに告白しなかったなら、私は救われなかったからです。」
この言葉で院長は目覚め、見たことが真実であるか、あるいはよくあるように幻である

かを確かめようとして、服の胸のあたりを撫で、すっかり濡れていて、涙のしずくが落ち
ているのを見た。院長は非常に驚き、修道院に戻って、副院長に夢のことを話すと、副院
長はこう答えた。「それは真実のことで、きわめて真実の告解です。」
修練士 無視して告解しなかったのではなく、どうしてもできなかったのに、そのよう
な告解なくしては救われなかったと修練士が言ったのは、どういう意味ですか。彼が悔悟
して死んだのなら、救われていたが、だがそうでなかったので、死後では告解は効を奏し
なかったのです。死者にとっては、告解しなかったと同様に、告解は無になるのですから。
修道士 義務的な告解、つまり所属の高位聖職者になされる告解をいかに神がお好みに
なるかを、神は言葉とおこないで示そうとしておられる、と私は思う。彼は救われなかっ
た、つまり今すぐ煉獄から救われなかった、と言っていることは私には理解できる。
このような死者と生者との会話を君は第一二部のなかで十二分に聞くであろう。選ばれ
た人たちの霊が死後、自分の罪を告白したということ、ましてや悪霊までも自分の罪の告
白をしたと言われても、君は驚くことはない。
修練士 私は彼らの告解を聞きたいです。
修道士 私が話そうとすることは、読んだのではなく、修道士たちから聞いたものだ。

第26話 ある悪霊の告解

ある司祭が四旬節に自分の教会で、自分に委ねられた人たちの告解を聞いていたとき、
ある人たちが立ち去り、ある人たちが入ってくるなか、待っている人たちの間に外見は若
く、頑丈な身体の者がいて、告解の順番を待っていた。すべての人たちが告解を終えると、
その若者が最後に進み出て、司祭の前で跪き、告解のために口を開いた。彼はたくさんの
おぞましい罪を告白した。多くの殺人、窃盗、神の冒涜、偽証、不和の元、これらと同様
のこと、自分はそれらを引き起こし、そそのかし、教唆したと言った。それで司祭は恐怖
で不快な気分になって、彼に言った。「たとえあなたが千歳でも、そのような重い多くの
罪を犯したのは、あまりにも多すぎる。」
この司祭の言葉にたいして若者は答えた。「私は千歳を超えています。」それで司祭は驚
愕して言った。「あなたは誰ですか。」彼は答えた。「わしは悪魔。ルシファー(1)と一緒に
落ちた者の一人だ。わしはお前にわしの罪のほんの一部を告白しただけだ。もしお前がた
くさんある残りを聞きたければ、お前に告解する用意はある。」
司祭は、悪魔の罪は改善されない、と知って言った。「サタンよ、お前には告解など無
つみびと
用だ。」悪魔は答えた。「わしはお前の向かい側に立って、罪人がお前のところへ行き、義
人として戻ってくるのを見て、奴らが何を話すのか、お前が奴らにどう答えるのか、重い
罪の後に奴らに赦しと永遠の生命が約束されるのを、じっと聞き耳を立てていたのだ。わ

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しもそれが欲しいから、罪をお前に告白するために来たのだ。」
司祭は、聖マルチヌス(2)の例に倣って、悪魔に自信たっぷりに答えた。「お前が私の助
言を聞き、ここから出て行った人と同じように、罪の贖罪をきれいにしようとするならば、
お前も同じ赦しを得るであろう。」悪魔は答えた。「もしお前がわしが耐えられる罰を課し
てくれるならば、わしは従おう。」司祭は言った。「非常にわずかの、お前の前に告白した
人たちよりも少ない贖罪をお前に課そう。帰って、一日三回地に身を投げ出し、こう祈れ。
<主よ、私の神にて創造者よ、私はあなたに罪を犯しました。私をお赦しください。>お
前の贖罪はこれだけだ。」
悪魔は言った。
「わしにはそんなことはできない。わしには厳しすぎる。」司祭は答えた。
「なぜそんなわずかなことがお前にはつらいのか。」悪魔は答えた。「わしはそのような神
の前に身を屈することはできない。別のことを課してくれるなら、喜んで従おう。」
それで司祭は怒って言った。「おお、サタンよ、お前はほんの少しも創造主の前で頭を
下げようとしない。それができないほどお前が傲慢なら、私のところから去れ、お前は今
も今後も神の憐れみを得ないだろうから。」この言葉を聞いて、悪魔は消えた。
修練士 この傲慢な悪霊が創造主ではなく、人間に頭を下げることができたのは、不思
議です。
修道士 ダビデが神にこう言っている。<あなたを憎んだ彼らの>、つまり悪魔どもの
<高慢は常に高まる(詩編73、23)。> 次の詩編ではこうも言っている。<われわ
れはあなたに告白するでしょう。神よ、われわれは告白するでしょう(詩編74、2)。
>われわれ人間はあなたに心から告白します。口で告白します。だが悪魔は贖罪できない、
と言っているみたいである。
修練士 罪人が話すために口と言葉を持っているならば、もし罪を書いて告白するなら、
それで十分ですか。

(1)Lucifer 原義は lux(光を)fer(運ぶ者)で元々は金星を指していた。西方キリスト


教では悪魔の意味を得た。
(2)トゥールのマルチヌス(316-397)。ローマ帝国時代のトゥールの司教。
フランスの保護聖人。彼がまだローマの軍人だった頃、ガリアに派遣された時、アミ
アンの近くで貧しい人を見て、自分のマントを割いて与えた逸話が残されている。

第27話 やむを得ない場合を除いて、書き記して告白するのは不十分である理

修道士 口による告白は救済に至るがゆえに、書き記しての告白は十分ではないように
思われる。贖罪者たちのように、また聖アウグスチヌスがおこなったと告白の書で述べて
いるように、罪を口でまず告白したならば、後に書いたより多くを告白できよう。先の第
二部第十話に述べられているかのパリの学生は、あまりにもたくさんの悔悟のために話す
ことができなかったので、足らないところを書いて補ったのだ。
修練士 施与者聖ヨハネス(1)の事績のなかでこんなことが書かれています。ある女が
罪を書き記し、その聖人に封をして渡し、恥のゆえにできなかった口による告白をせずに、

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赦しを得たのは、どういうことですか。
修道士 同様なことは、カール大帝(2)についてのアエギディウス(3)の事績のなかでも
記されている。だがそこの奇跡を模範として引き合いに出してはいけない。このような書
は信用しがたいからだ。
修練士 再度お尋ねします、告解者が一緒に罪を犯した人を、先に聴罪司祭に名前を告
げなければならないかどうか、を。
修道士 決してそんなことはない。『贖罪規定書(4)』はそのようなことを禁じている。
修練士 なぜそれは禁じられているのですか。
修道士 そこから生じうる種々な不都合のゆえだ。聴罪司祭は、自分に委ねられた、贖
罪によってすでに義とされた人を軽蔑したり、またはその人の優柔不断のゆえに、他の誘
惑を仕掛けるかもしれないからだ。

(1)Johannes Eleymon(560頃―619)。アレクサンドリアの総主教、ギリシア教
会の聖人。貧者にたいして大いに喜捨をおこなった。
(2)カール一世(742-814四)。フランク王(768-814四)。フランク王国
を統一支配した。
(3)アエギディウス・ジル(720頃死去)。アテネ出身のベネディクト会修道士。十
四救難聖人の一人。
(4)poenitentialis 贖罪を必要とする罪の目録であって、司祭のためのハンドブックで
ある。

第28話 共犯者の名を挙げることは告解者には許されていないこと。聖
職者と修道女の例

病気にかかったある若者が、まだ司祭になっていないある仲間の参事会員に、修道女に
誘惑され彼女に接吻した、とやむをえず告白したとき、彼女とことをなしたかと問われた。
彼は答えた。「いいえ、でも彼女はそうしたかったでしょう。私に大いに言葉で同衾を強
いました。」彼は彼女の名を挙げたので、参事会員はこの時から心のなかでずっと彼女を
軽蔑し、かつてのように彼女を愛したり誉めたりすることはなかった。
ここでさらなる危険が生じる。告解者と聴罪者との間で不断の憎しみが生じるような人
の名を告解者が挙げることである。
修練士 どういう場合ですか。
修道士 「私はあなたの妹、娘、情婦と罪を犯しました」と告解者が言うならば、聴罪
者は怒りうる、と私は思う。

第29話 司祭の情婦と罪を犯した、と司祭に告白したゾーストの聖職者

修道士 ゾーストのある司祭に情婦がいた。ある若者が彼女に情欲を抱き、彼女と罪を
犯した。四旬節に若者がこの司祭のところへ来て、罪と相手の名を告白した。司祭はこれ
を聞くとひどく怒り、彼を彼女から引き離そうとして、彼を激しく叱責し、罪を過大化し

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て、非常に厳しい贖罪を課した。
この憎しみの行為は危険がなくはなかった。明らかになった人のためでなかったなら、
この激しい叱責、この厳しい贖罪はどこからのものか。
このことを、司祭と若者の両方に面識があったゾーストのシトー会士ディートリヒが私
に話してくれた。罪を増すようなことを告白しなければならないとしても、告解者は共犯
者の名を挙げてはならない。
修練士 ではどのように話してよいかを知りたいです。
修道士 こう言えばよいであろう。「司祭さま、私は、私の縁者、隣人、友人、あるい
は敵の妻、情婦、娘、または妹と罪を犯しました。私が望んでの罪にせよ、彼女から誘わ
れたにせよ。」この方法は、それが肉体の罪であれ霊的な罪であれ、他の罪にも該当する。
女もこの方法で話すのがよい。聴罪者が共犯者の名を知らずには、言い表されない罪だっ
てあるんだ。そんなことにあまり煩う必要はない。
修練士 二人が彼らの上級者にたいして共謀し、その一人が贖罪に駆られて罪を告白し
たなら、もう一人の名を挙げねばならないですか、挙げなくてもよいのですか。
修道士 どちらも危険と思う。相手の名を挙げなければ、上級者は危険に陥るであろう。
だが挙げれば、共犯者にたいする不断の憎しみを上級者に抱かせるかもしれない。
そのためにぜひ次の例話を聞きなさい。

第30話 ある修道士の告白から別の修道士が院長の悪習を知ったが
ゆえに彼を虐げた修道院長

私がよく知っている修道院長のある悪習が明らかになった。ある修道士の告白から別の
修道士がこのことを知っている、と知って、悪魔に挑発されて、彼をひそかに虐げ始めた。
巡察の折りに告発されるのを案じたからである。院長は、口実を設けてこの修道士を遠く
離れた修道院へ遣わそうとしたとき、修道士は虐げられる理由をしかと考えて、院長に言
った。「院長さま、私はここで違反行為はしていません。もしあなたが私を母院へ遣ろう
とすれば、私は行きましょう。そうでないなら、ここで私は巡察師を待ちます。」秘密が
漏れることを恐れて、院長が自分をそこへは遣らない、と修道士には分かっていた。この
ことが起きた修道院の、ある年長の修道士からこの話を私は聞いた。もしこの院長が無辜
の人をかくも厳しく虐げたなら、共犯者をどのように虐げたであろうか。一人一人が危険
に陥ること、院長が虐げ、修道士が厳しい試練を被ることを、君は知っている。
修練士 ある場合には告解者が共犯者の名を挙げることは可能ですか。
修道士 そのことについてきわめて学識あるボンの主席司祭ヘルマン師に私が聞いたと
き、彼は答えた。「共犯を告白したくない者の名を告解者が知ったなら、黙して滅びない
ように、名を挙げなければならない。」
ヘルマン師は私にこのことについて十二分に有益な例を話してくれた。

第31話 ある場合には相手の名を挙げることが告解者に許されているこ
と、および不倫についての例話

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ヘルマン師がケルンの聖マルチヌス小教会の司牧司祭だったとき、師の小教区民の一人
で人望ある男が、ある日、同郷人にして友人の家に一人で行き、その妻と上階への階段で
会い、抱擁と接吻で彼女への情欲を燃やし、思いがけず彼女と罪を犯した。
あお
彼は毒を呷ったかのように師のところへすぐに駆けつけ、告解の泉から汲み、毒を吐き
ひ と
出し、贖罪を受け、こう言った。「司祭さま、私はある女人の名を挙げます。彼女は恥知
らずな女人で、たくさんひどいことをしていますが、決してこの罪は告白しない、と私は
確信しています。」
四旬節に彼女は、痛悔よりもむしろ習慣からヘルマン師のところへ行き、日々の小さな
罪を告白したが、不倫のことは黙っていた。師はかの男が話した罪のことを覚えていて、
彼女を恥じ入らせず、告白者の名を挙げずにこう言った。「ご婦人、今日は帰って、明日
ここへ戻りなさい。その間、〈主の祈り〉を三度唱えなさい。あなたがふさわしくかつ完
璧にあなたの罪を告白できるように、神があなたの心を輝かせ給うためです。」
彼女は帰り、翌日に戻ってきた。彼女は最初に告白した罪だけを話し、何も付け加えな
かった。師は、帰って、また同じ祈りを繰り返すように再度彼女に命じると、彼女は疑心
を抱きながらそこを去ったが、翌日には戻り、彼女が連れてきた彼女の血縁の聖職者が聞
き入るなか、こう吐き出すように話した。「このお方が」とヘルマン師を指さして「不倫
を私になすり付けている。このお方を司教さまに訴えます。」
ヘルマン師は、彼女の言葉に大いに心を傷つけられたが、激高せず、彼女にたいして控
えめにこう言った。「ご婦人、なぜあなたは罪を隠蔽して、そんなことはないと言うので
すか。あなたはどこかで、男と不倫をしなかったのですか。」
彼女の罪がヘルマン師には分かっている、と彼女は知って、正気に戻り、非常にへりく
だって、こう答えた。「司祭さま、私はしかじかの男と不倫いたしたことは、本当でござ
います。私は告白し、贖罪を受け入れ、今後純潔に生きる覚悟があります。」こうして彼
女は罪人として来て、司祭の教えで義人となって帰宅した。
彼女が告白で男の名を挙げなかったなら、彼女は義人とはならなかったであろう。
修練士 こう言う場合や同類の場合を除いて、告解者が共犯者の名を挙げることができ
ない場合の聴罪者をどう思いますか。ある場合には、告解者の罪や告解者自身の名を公に
することはできますか。
修道士 聴罪者は、多くの場合、告解者の名を挙げなくても罪を挙げることができよう。
教皇インノケンチウスさまが五年目に決定した一例を除いて、告解者の名を挙げてはなら
ない。

第32話 叙階されずにミサを挙げた修道士のこと。自発的に告解しよ
うとしない者を教皇インノケンチウスの判断で聴罪司祭に委ねることが
許されていること

シトー会のある修道院である修道士が叙階されずにミサを挙げた。ある日、彼はこのこ
とを告解のなかで院長に話したが、彼はこの大きな不法行為をやめなかった。院長は、涙
を流して悲しみ、この涜神をやめさせようと、この哀れな者に乞い、戒め、命じたが、効
果は無かった。修道士は、もしやめたなら、注意が引かれるのを案じて、そのまま通りミ

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サを挙げた。
院長は次の修道院長総会でこの件を提起し、もしこのようなことがどこかの修道院で生
じるなら、聴罪者はどうすべきか、と問うた。シトー会の院長も他の院長も、この件につ
いてあえて決定せず、教皇インノケンチウスに書簡を送った。教皇は枢機卿と学者を招集
し、彼らにこの件を提起して、このことについてどう思うか、一人一人に尋ねた。告解は
公にされてはいけないという点で、ほぼ全員が一致したが、教皇はこう言った。「この場
合は告解は公にされてよい、と私は言おう。かかる告解は告解にあらず、涜神であるから
である。聴罪者は、教会全体に危険となるような、愚かな涜神を覆い隠してはならないか
らである。」
この決定に全員が同意した。教皇は、自ら決定し、枢機卿たちが同意した、と次回の総
したた
会で 認 めた。聴罪者が自分で処理できないことを聞いたとき、大いに苦慮することを、
君は疑ってはいけない。

第33話 オルヌの助修士シモンと彼の預言についての長くて、有益な話

ある修道士が非常に重い罪を副院長に告白してから、それほど月日は経っていない。だ
が彼の罪がどういう種類のものかを、私は知らない。副院長は慣例に従って彼を院長に引
き渡そうとしたが、彼は同意しなかった。副院長は、聞いた罪の重みを一人で処理するこ
とができず、修道士も副院長の助言に同意しなかったので、副院長は心大いに悲しみ、身
体が病みだした。
私がよく知っている、オルヌ(1)の助修士シモンが、聖霊によってこのことを知り、副
院長にこう言った。「副院長さま、どうされたのですか。なぜそんなに弱っておられるの
ですか。
」副院長は言った。
「私は悲しんでいる。」シモンは言った。
「心配には及びません。
私はあなたの悲しみの原因をよく知っています。まもなく主はあなたをお慰めになるでし
ょう。」
シモン助修士は件の修道士のところへ行き、言った。「なぜあなたは院長に罪を告白し
ないのですか。神はあなたの罪を私に啓示なされた。もしあなたが規定通りに罪を告白し
ないならば、私があなたを告発します。」
修道士は、シモン助修士の聖性を知っていたから、敬虔さよりもむしろ恐れから、罪を
院長に告白した。こうして副院長は苦境から解放された。
修練士 シモン助修士は、預言力を持っているように思われます。
修道士 次のことから分かるように、彼が今も生存しているならば、確実に預言力を持
っていよう。
ローマ教皇庁のある聖職者は、多くの人の話から、シモン助修士が預言力を有している、
と知って、彼に会うことを望んで、ローマからオルヌ修道院に行き、彼に立ち会ってもら
い自分の罪を告白することを欲し、自分が何か見落としていたなら、彼に補ってもらい、
十二分に告白できないなら、鼓舞してもらうことを望んだ。
その聖職者は、修道院内でシモン助修士に会えなかったので、ケルミスと呼ばれ、シモ
ンが管理者をしていた修道院のグランギアに案内された。シモン助修士は聖職者に気づく
と、彼が来た理由を知って、こう言った。「ここで待っていてください。私は修道院の用

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事であるところへ行きますが、戻ってきたらあなたの希望に添いましょう。」
シモン助修士は行って戻ってきた。すでに知っていることを聖職者の口から聞くと、修
道院へ人を遣り、賢明な聴罪者を寄こして欲しい、と依頼した。
シモン助修士が見守るなか、この聖職者が聴罪司祭に罪をきわめて敬虔に告白し、いく
つかの個所では忘れていたことは省き、いくつかの付随的なことを羞恥のゆえに完璧には
告白できなかったとき、シモンは告白を中断させて、こう言った。「なぜいくつかの罪を
黙っているのですか。あなたはある罪を若いときに犯し、ある罪をある場所で軽はずみに
おこない、多くの罪をやむを得ず犯した。」
シモン助修士はいくつかの点で聖職者をたしなめた。聖職者は驚き、シェバの女王がソ
ロモンの知恵について聞いていたことはこれの半分にも及ばない(2)、と告白している。
聖職者は歓喜してローマに戻り、聖庁中にシモン助修士を大いに賞賛した。教皇インノ
ケンチウスさまは、総会にシモンを招聘し、シモンに多くのことを問い、教皇も他の枢機
卿も、シモンに預言力があることを知った。この話を、今は亡き、ベルビヒの修道士ヴァ
ルターが私にヒンメロートで話してくれた。彼はシモンと親しく、シモンのことをよく話
していた。
ある時、シモンは罪ある女に会って、彼女に告解を勧め、こう言った。「私が聞いてあ
げるから告解しなさい。」彼女が告解すると、ローマの聖職者の場合と同じく、彼女が忘
れたり、羞恥によって話さないことを許さず、彼女の罪を見ていたかのように、いくつか
をたしなめた。
修練士 肉体によらず、霊により、ゲハジの罪をたしなめたエリシャの霊がこのシモン
助修士に息づいている(3)、と私は思います。
修道士 旧約聖書の義人にあっても、聖人にあっても同じ霊が働いていて、望むままに、
一人一人に分け与えられていても、同じである。
修練士 この助修士についてもっとあなたが知っているならば、詳しく聞かせてくださ
い。心の秘密を知っていて、隠された思いを明らかにする方が、死者を蘇らせるよりも、
奇跡のように思われます。
修道士 君の言うことは正しい。人の心を知っているのは、神のみであるから。このこ
とについて使徒はこう言っている。<人の内にある霊以外に、いったい誰が、人のことを
知るでしょうか(1コリントの信徒への手紙2、11)。>唯一の例外は聖霊である。そ
れはどこにでもあり、すべてのことを成就させ、知らせたいものには知らせる。
今はポルトの司教で、枢機卿であるコンラートさまが、ヴィレールで修練士であったと
き、シモン助修士が、今はヴィレールの院長であるヴァルター修道士およびシトー会の他
の修道士と助修士と一緒にある教区聖堂(4)でミサに参加することがあった。ミサの間、
シモンは、コンラートの霊が彼からかなり離れてところに立って、頭に黄金の冠を載せて
いるのを見た。シモンは、コンラートの心の思いと、当時ヴィレールでおこなっていた祈
りの内容を知った。ミサが終わると、シモンはひそかにヴァルターにこう言った。「あな
たがヴィレールの修練士コンラートさまに会ったなら、彼は今年あれこれと試練を受ける
がゆえに、気をつけるように、彼に言ってください。彼はミサの間ある想い、ある祈りを
心に抱いていた。彼は修道会で重要人物になるでしょう。」
後に、ヴァルターがコンラート修練士に会ったとき、コンラートがミサの間いつも何を

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祈り、何を想っているか、と遠回しに尋ねたとき、コンラートは、あれこれ祈っている、
と答えると、ヴァルターこう付け加えた。「あの日曜日のミサの間にあなたが何を祈り、
何を想っていたかを、言ってください。」コンラートが「なぜあなたは私の想いをかくも
詳しく知ろうとするのですか」と尋ねると、ヴァルターはこう答えた。「私が尋ねている
ことに答えてください。理由はあとで言います。」それからコンラート修練士は、ヴァル
ターにミサの間何を祈り、何を想ったかを順序よく話し、ヴァルターを大いに驚かせた。
シモンが言ったことと一語も矛盾していなかったからである。すぐにヴァルターはコンラ
ートに、シモンが見たことと誘惑の種類を伝え、善人の姿をとった悪魔に騙されないよう
に、注意すべく戒めた。
不思議なことが起こった。コンラート修練士は警告を聞き、十二分に用心したが、例の
誘惑を避けることはできなかった。その年に誘惑に大いに悩まされたからである。
彼が後に修道会のみならず、教会においても高い地位についたことを、われわれすべて
は知っている。彼はまずヴィレールで副院長になり、ついで院長に選ばれた。後にクレル
ボーの院長になり、ついでシトーの院長に昇進した。彼はこの地位に留まったのではなく、
教皇ホノリウス(5)さまによって枢機卿およびポルトの司教に任命された。今後彼がどう
なるかを、われわれは知らない。
ある日、シモンが他の助修士と一緒にヴィレールの内陣にいたとき、今は亡き、同じ修
道院の修道士ウルリヒの実の弟、エヴィルゲルトという名の助修士が、反対側でシモンの
ことを怒り、心のなかでこうつぶやいた。「あの人は、みんなから讃えられるような人で
はないように思われる。彼が言っていることは、預言力で予見しているのではなく、当て
推量で言っているにすぎない。」エヴィルゲルトはシモンを軽蔑し始めた。
時課が終わると、シモンは、修道士ウルリヒを呼んで、エヴィルゲルトが心のなかで思
ったことを、順序よくウルリヒに話し、こう言った。「あなたの弟を諫めなさい、彼が今
後かくも愚かに神の恩恵を他の点で誤らずに、そうしたことで復讐を受けないように。」
ウルリヒがエヴィルゲルトに伝えると、エヴィルゲルトは驚いて、シモンについて他の
人たちの話を信じなかったことは間違いであった、と経験で知った。
これらのできごとの証人は、先に私が挙げたヴィレールの院長ヴァルターさまである。
私は彼から直接これらのことを聞いた。
修練士 あなたの話は驚くべきことです。
修道士 今はフォワニー修道院の院長で、当時はそこの副院長であったシモン(6)さま
が、われわれのところを訪れてから、やっと四年が過ぎた。彼はかの敬虔なシモン助修士
を連れていたが、シモン助修士が望んだことではない、と私は思う。シモン助修士はわれ
われのもとに滞在している間、自分が誰であるかを話そうとしなかった。われわれのもと
で改善に値する、ある秘密の出来事が、神意によりシモン助修士に啓示された。その内容
をシモン助修士は帰り際にわれわれの年長の修道士に伝え、彼がわれわれに話し、後にそ
れが真実であることを、われわれは知った。
同じ頃、シモン助修士がケルンへ行き、聖母修道院で祈っていると、修道女たちが詩編
を歌っているのを聞いて、ため息をついて言った。「ああ、この修道院のどこにも、神へ
の愛を有する、つまり重大な罪のない大人は一人もいない。」
シモン助修士がこのことを預言力で知ることができたことを、今までのことからのみな

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らず、次のことから知りなさい。
シモン助修士が先のシモン副院長と一緒に低地(7)に赴き、非常に声望ある敬虔な女性、
シュミットハウゼンのメチルダさまを訪ねた。彼女は、シモン助修士のことをたびたび耳
にして、彼に会いたがっていたからである。
シモン修道士がメチルダの隣に座り、通訳を介して彼女の心の想いを見通すと、彼女は
この修道士のかくも大きな恵みに非常に驚いた。このことを私は彼女から直接聞いた。彼
女は言った。「実に、あの人は私が想っていることを話されました。」
一年後、ケルン大司教エンゲルベルトさまは、参事会長ヘルマンと参事会員ゴットシャ
ルクを、十字軍免除を求めてローマ教皇庁へ遣わした。彼らはグランギアでシモンを見つ
け、交渉の成り行きを尋ねた。彼は、彼らの身に生じることを預言した。「司教の使者は
教皇庁であまり成果を生まないでしょう。だがある修道士がうまく解決するでしょう。」
彼の預言は正しいと証明された。というのは、使者は、交渉が頓挫して戻ったが、われわ
れが使者と一緒に遣わした修道士は、望んだ通りのことをなしたからである。
私の耳に達していない、この修道士のすばらしい業績がまだほかにたくさんある。私が
聞いたそのなかのいくつかの話を、私は記そうとは思わない。あまりよく覚えていないか
らである。間違ったことを記すよりも、真実を伏せて置いた方がよい、と私は考えた。
修練士 このようなすばらしい人が誘惑に耐えたかどうかを、知りたいです。
修道士 私が彼と親しい者から聞いたのだが、肉に誘われてのみだらな心が彼を揺すぶ
り、今も揺すぶり続けているかもしれない。使徒もこう言っている。<啓示の偉大さが私
をうぬぼれさせないように、肉のとげが私に与えられた。私を痛めつけるサタンの使いが
おくられた(2コリントの信徒への手紙11、7)。> 彼は今も童貞である、と言われて
いる。
彼は幼少時よりオルヌ修道院で育ち、そこの家畜番をしていた。その後、助修士となり、
グランギアの管理者となるほど、昇進した。彼は、良い、忠実な執事のごとく、外的財を
うまく、忠実に管理し、内的な贈り物を得た。
修練士 聴罪師の全部がこの助修士の心を持っておればいいのですが。その時には、告
解者が聴罪師に羞恥からでも、思い違いからかでも、罪を話さないことはないでしょうか
ら。
修道士 多くの聴罪師には預言力はないが、多くの人には知恵と賢慮が具わっており、
それによって預言力が補われるのがよい。
修練士 どうか言ってください。罪を犯す意志を保持していて、罪を告白することに意
味がありますか。

(1)オルヌ修道院は、ブリュッセルの南約八十キロに位置し、現在は廃墟となっている
シトー会修道院。
(2)列王記上10、7参照。
(3)列王記下5、26参照。エリシャはイスラエル北王国の預言者。ゲハジはエリシャ
のしもべ。
(4)ecclesia saecularis 修道院付属聖堂以外の聖堂。
(5)ホノリウス三世(1227没)。ローマ教皇(在位1216-27)。フリードリ

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ヒ二世をドイツ皇帝に戴冠し、エルサレム奪回のための十字軍促進を皇帝に求めた。
(6)シモン助修士とは別人。
(7)partes inferiores 現在のオランダ。

第34話 再度罪を犯す意図でなされる告解は意味がないこと

修道士 神は罪をお見逃しにならないがゆえに、人間がまず悪意を捨てなければ、告解
には意味がない。人が悪意を捨てれば、預言者ミカ(1)がこう言っていることが起こる。
<主はわれわれの罪のすべてを葬り、われわれの罪のすべてを海の深みに投げ込まれる(ミ
カ書11、7)。> われわれは、他の預言者、つまりイザヤによって、われわれの罪を遠
くへ投げ捨て、われわれの傍らに置いておかないように、命じられている。罪をそばに置
いておく人たちは、彼らの考えで、復活祭の前に告解によって罪を捨て、八日後にすぐに
拾いあげる。<お前たちの罪を遠くへ投げ捨てよ>と主は言っておられる。
修練士 告解するよりも黙っている方が、よいのではありませんか。
修道士 黙っているよりも、再度罪を犯すつもりで告白する方がよい、つまり有益であ
る。
修練士 なぜですか。
つみびと
修道士 罪人は、告解の際に、罪から得られる贖罪を介して聴罪司祭により驚かされ、
悪からそらさせられ、戒められ、教導されるからである。罪人が言葉によっても例話によ
っても聴罪司祭から教えられ、自分を取り戻し、誤った意志を悔悟することは、時々ある
ことだ。聴罪司祭が義人であり、告解者のために祈るならば、神は聴罪司祭の功徳のゆえ
に罪人をいつか輝かされる。告解の際の成果がどれだけ大きいか、分かるかい。
修練士 分かれば、嬉しいです。その例話を聞きたいです。
修道士 聴罪司祭に驚かされ、罪を犯す意志を捨てるかを、次の例話で知りなさい。

(1)Propheta Michaeas 前8-7世紀の十二預言者の一人。

第35話 告解するが、贖罪を拒否する者の背中に硬貨を投げつける聴罪
司祭

ある人が告解のために賢明な聖職者のところへ来て、重い罪を告白した。聴罪司祭が、
告白した罪を絶ち、絶った罪を悔悟し、今後より正しく生きるよう、告解者を戒めると、
告解者はこう答えた。「私は告白することはできますが、罪を止めることはできません。」
司祭はこれを聞くと、彼に贖罪を課すことを拒んだ。彼から司祭に硬貨が差し出された。
司祭はこれを受け取ったが、帰って行く者の背中に投げつけ、大声でこう言った。「この
金がお前と一緒に滅びるがよい(使徒言行録8、20)。」
告解者は、聴罪司祭の言葉にも行為にも驚いて、翌日戻ってきて、告解を繰り返し、ふ
さわしい贖罪を受け、おこなった。
聴罪司祭には賢明さがどれだけ重要であるか、分かるかい。無分別な告解者がこういっ
た方法で驚かなかったなら、おそらく彼は義人とならなかったろう。

- 110 -
よき助言が告解者にどれだけ役立つかの例話を聞きなさい。

第36話 実の弟に教会の財を貢ぎ、貧乏にさせたケルンの聖パンタレ
オン修道院長

ケルンの聖パンタレオン修道院にこの町の市民である実の弟がいる院長が住んでいた。
院長は弟を身内として愛し、修道院の財をたびたび弟にこっそり渡していた。弟はこれを
自分の財と一緒にし、それを使って商売をした。彼がどこへ行こうとも、いつも損をして
戻ってきた。彼は気づいていなかったが、彼にとって修道院の財は火のようであり、自己
の財はわらのようであった(1)。彼はかなり商売に通じていて、他の商売仲間よりも用心
深かったが、彼らの成功と自分の損失を疑問とは思わなかった。
院長は弟の不幸に同情し、ずっとお金を与え続けた。弟はそれでもうまくゆかず、だん
だん乏しくなり、ついには貧困状態に陥った。
院長は弟に言った。「弟よ、どうしたというのか。お前と私の不名誉となるほど、なぜ
そんなに軽率に財を浪費するのか。」弟は答えた。「私は非常につつましく生きています。
商売をきわめて慎重に営んでいます。私に何が起こっているのか、全く分かりません。」
ついに、弟は自分を取り戻し、司祭のところへ行き、身に生じたことのすべてを告白し
た。司祭は彼にこう言った。「私の助言に従いなさい。そうすればあなたはすぐに豊かに
なるでしょう。お兄さんの財は盗品、それがあなたの財を食い尽くしたのです。今後、お
兄さんから何も受け取ってはいけません。残っているわずかで商売をしなさい。あなたの
上に神の慈悲の手を見るでしょう。あなたが利益を得たなら、半分をお兄さんに返し、残
りであなたは生活し、あなたが受け取った修道院の財を返還するまで、ずっとそうしなさ
い。神のすばらしい慈悲を受けるでしょう。」
弟は司祭の助言に従って、間もなく彼は豊かになり、財は満ちあふれ、受け取った分を
院長に返した。院長が彼に、「弟よ、この財はどうしたのか」と弟はこう答えた。「私があ
なたの修道院の財を受け取っている間は、私はいつも貧しく、不幸でした。あなたは私に
あなたの財を与え、私は人の財を受け取ったので、あなたはひどく罪を犯した。それで私
は悔悟して、盗品を忌み嫌い、神の恵みで豊かになりました。」
『教父伝(Vitae patrum)
告解の際のよい助言はいかに価値があることか。同様のことは、
(2)
』に記されている。ボンの参事会員ヘルマンが私に話した例話を君に話そう。彼は、
ある司祭に起こったこととして聞いたと言っていた

(1)イザヤ書47、14参照。Ecce facti sunt quasi stipula, ignis combussit eos 「見よ、


彼らはわらのようで、火が彼らを焼いた。」修道院の財には価値があるが、彼個人
の財には価値がないの意。
(2)六世紀に成立した教父伝。

第37話 まがいものを本物と言ったり、嘘をついたりしないことを告解の時
に勧められて、裕福になったケルンの二人の商人

- 111 -
二人のケルン市民が、とりわけ二つの罪の一般告白をおこなった。その罪自体は非常に
重いが、ありきたりのことであって、特に商人には小さなこと、取るに足らないこと、つ
まり詐欺と偽証だと思われた。
二人は言った。「司祭さま、われわれが嘘をついたり、まがいものを本物と言ったり、
たびたびありもしないことを請け合ったりしなかったなら、ほとんど何も買うことも、売
ることもできません。」司祭が彼らに、「これらの罪は重い。救世主がこれを禁じて、こう
しか しか いな いな
言っておられる。<あなたがたは、然り、然り、否、否と言いなさい(マタイによる福音
書5、37)
。>」彼らは答えた。
「われわれの取引でそんな掟を守ることはできません。」
司祭は言った。「私の助言に従いなさい。そうすればうまくいくでしょう。嘘をついては
いけない。まがいものを本物と言ってはいけない。商品を売るように、主を讃えなさい。」
彼らは、一年間試みることを司祭に約束した。司祭がそう望んだからである。つねに人
間の至福を邪魔するサタンに妨げられて、彼らは一年間ほとんど何も売ることができなか
った。一年が経ち、彼らは司祭のところに戻って言った。「この一年間、われわれがあな
たに従ったことは大変な損失でした。客はわれわれから離れていき、まがいものを本物と
は言わずには何も売ることはできません。」司祭は言った。「案ずることはない、それは試
練だから。災難も貧困もあなたたちから離れることはないことを、しっかり心に刻みなさ
い。神があなたたちを祝福なさるでしょう。」
彼らは神の息吹に触れて、司祭の助言と神の掟をたとえ物乞いしてでも一生守ると約束
した。不思議なことが起こった。
ただちに、主は試練を与えることをお控えになった。客が他の商人のところよりもたく
さん入り出した。彼らも驚くほど、瞬く間に豊かになった。彼らは聴罪司祭のところへ戻
り、礼を言った。彼らが有益な助言によって重い罪から解放され、物にも恵まれたからで
ある。
修練士 そのような例話は、教会で商人に説かれなければなりません。不正に手に入れ
た財で商売を営み、売る際にはまがいものを本物と言ったり、嘘をついたりすることを、
彼らは躊躇するかもしれません。
修道士 君の言うことは正しい。
修練士 何人かの罪人が聴罪司祭の功徳で義人となることを、今聞くのはうれしいです。

第38話 聖マラキアスのもとでの告解によって穏和になった怒りっ
ぽい女

修道士 アイルランドの司教で、最近まで生存していた聖マラキアス(1)の伝記のなか
で、クレルボーの院長聖ベルナルドゥスがこんなことを述べている。ある女性が怒りっぽ
く、その激しさには隣人も、親族も、自分の子供さえも耐えることができないほどであっ
た。彼らは彼女を聖マラキアスのところへ連れて行き、彼女のことを嘆き、彼女を憐れむ
よう願った。聖人は哀れな女に告解を勧めた。彼女は従った。聖人は彼女に贖罪を課し、
神がこの短気な女に忍耐を授けてくださるように祈った。
すると、<いと高き神の右の御手の変化(詩編77、11)>が彼女に起こった。
この時から、主は彼女に聴罪司祭の功徳のゆえに大いなる忍耐と安らぎをお与えになっ

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た。すべての人を常に困らせていた彼女が、どんなにいやなことがあっても、どんなに侮
辱されても、激昂しなくなった。
同様に、告解の際に神の慈悲のみで贖罪をすることが、煉獄での二千年を選んだ離脱し
た修道士について、第2部第2話で述べられている。
修練士 告解の成果は多様であるがゆえに、他人を浄化しなければならない人たちは、
自ら純粋で敬虔であるということは、正しいと思います。
修道士 よく聞きなさい。

(1)アーマーのマラキアス(1094-1148)。アイルランドのアーマーの大司教。
聖人。アイルランドにシトー会を導入、クレルボーのベルナルドゥスのもとで没した。

第39話 聴罪司祭はどのようであらねばならないか

聴罪司祭が完璧であるためには、神を畏れ、賢明で、学識があり、謙虚で、慈悲深く、
親切で、告解を求める人に応じる準備をしていなければならない。
聴罪司祭がそれらを持っているならば、そこから多くの善が生じ、それらが欠けている
ならば、多くの悪が生じることを、いくつかの例話で君に示そう。

第40話 一人はふしだらが理由で、もう一人は自制が理由で、二人の告解
者に同じ贖罪を課した貪欲な司祭

ケルン司教区のゾーストの町の近くにヘゲナルトという名の司祭が小教区を管理してい
た。彼は知識に長けていたが、あまり神を畏れなかった。四旬節の折、彼のところへある
彼の教区民が来て、この聖なる日々の間、とりわけ貞操の手綱をゆるめた、と告白した。
司祭は彼を非常に厳しく叱責して、この聖なる日々は、祈り、断食、自制、その他の慈悲
の行為に当てられねばならない、と言って、こう付け加えた。「この罪の贖罪をあなたに
課します。あなたの情欲の罪を洗い流すために、私に十八デナリウスを渡しなさい。それ
だけのミサを挙げます。」告解者は払う約束をした。
この告解者が去り、別の者が告解に訪れると、司祭はこの者に生活状況を尋ね、四旬節
の間は自制していたことを知り、こう言った。「あなたはずっと奥さんを遠ざけて、あな
たは悪いことをした。奥さんはあなたとの子供を宿すことができたのに、あなたが自制し
たためにできなかった。」
その人は、素朴な人の常として、そのような間違いにたいする助言を求めると、司祭
はこう答えた。「一八デナリウスを私に渡しなさい。私はそれだけのミサを挙げて、あな
たのために神に取りなしてもらおう。
」この人は、司祭に指定の時にお金を払う約束した。
数日後、神意によりこんなことが起こった。この二人の男は一緒にそれぞれ袋を馬に積
んで市場に向かっていたとき、一頭の馬に積んだ袋が、道が悪かったのでぬかるみに落ち
た。一人が連れを手助けするために駆け寄ると、相手は怒って叫んだ。「おれは司祭のせ
いで困っているから、悪魔が彼に報いるがよい。」前者がそう言った理由を尋ねると、後
者は答えた。「おれは情欲を司祭に告白した。司祭はおれにそれにたいして贖罪を課し、

- 113 -
そのためあらかじめ今穀物を売って、求められたお金を払わねばならないのだ。」
これにたいして前者は答えた。「これはどういうことだ。おれは司祭に反対のことを告
白したが、同じ罰で金を払うことになっている。おれも同じ理由で市場に向かっているの
だ。」二人は町へ入り、司祭を聖パトロクルス教会の主席司祭と参事会員に訴え、司祭に
大きな恥辱をもたらした。
もしこの司祭が神を畏れていたならば、貪欲なことを思わず、特に告解でかくも恐ろし
いことを求めなかったであろう。この司祭は、悔悟を拒んだ者の背にお金を投げつけた、
上の三五話で述べられている司祭と違っている。
修練士 神は司祭の貪欲を大いに嫌悪される、と思います。

第41話 司祭たちの貪欲と奢侈

修道士 このことについて、私のではなく主自身の言葉を預言者エレミヤを介して聞き
なさい。<主は言われる、私はこの地に住む者に手を伸ばそう。身分の低い者から高い者
までみな貪欲で、預言者から祭司までみな欺く(エレミヤ書6、12―3)。>主はエゼ
キエルを介しても言っておられる。<彼らは一握りの大麦とひとかけらのパンのために私
を汚し、死ぬべきでない者を殺し、生きるべきでない者を生かしている(エゼキエル書1
3、19)。>
修練士 私が聞いたところでは、鶏一羽とぶどう酒一杯のために多くの罪人の贖罪を軽
くしたり、見逃す聴罪司祭もいるようです。
修道士 彼らについて預言者ホセアはこう言っている。<私の民の罪が貪られる(ホセ
ア書4、8)。>
主は、司祭の貪欲の悪徳のみならず、奢侈の悪徳も叱責され、預言者を介してこう言っ
ておられることを、知りなさい。<サマリア(1)の住民はベトアベン(2)の雌牛を大切にし
た(ホセア書10、5)。>サマリアは守りと解される。サマリアの住民は、自分や自分
に委ねられた人たちを常に守らねばならない司祭である。彼らは、奢侈な生活をしている
間は、ベトアベンの雌牛を大切にする。彼らの住まいは役立たない。それはベトアベンと
解されるからである。奔放な動物である雌牛は、ふしだらか、聖職者の情婦を意味する。
ああ、今日多くの者が神を怖れずに彼女たちの面倒を見ることか。酷い司祭が、告解の際
に神を畏れずなんと多くの不正をなすかを、多くの例話で君に話そう。しかし品級、性、
修道生活に関しては考慮されねばならない。私がある司祭から聞いた、遠方の一例を話そ
う。

(1)北王国イスラエルの首都。
(2)Bethaven エルサレムの北に位置する聖所ベテル「神の家」の蔑称。Beth-は地名の
構成要素で「家」を意味する。

第42話 みなしごを育て、司祭にし、彼に罪を告白し、裏切られらた女

ある裕福で、人望のある女性が、羞恥のために司祭に告白できないほどの破廉恥な罪を

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犯した。ある日、彼女は置き去りにされた子供を見つけ、拾い上げ、息子として育て、文
字を教え、司祭に叙階させた。とうとう彼女は、愛のあまりに彼を信用し、長い間秘めて
いた罪を彼に告白した。彼は、これを聞くと愚かにも、神を思わず、非常な恩恵を忘れ、
向こう見ずなことをおこなった。彼の求めを彼女が拒めば、彼女の罪を暴露すると脅し、
彼の情欲を受け入れるように、彼女を挑発した。
なおも純潔な彼女は、彼の言葉に驚愕し、彼は同意しなかった彼女を公に中傷した。彼
女が名ある人たちの間でずっと悪評にさらされないように、彼女は告解に信を置き、十分
に心を清めると、彼女は告解の恩恵によって救われ、誹謗した彼は修道管区から追放され
た。
修練士 この二例で、悪い聴罪者に関しては十分です。では、神を畏れる聴罪司祭のこ
とを話してください。

第43話 聴罪司祭を情欲に駆り立てた女

修道士 ある高貴な女性が、告解の形で良心の秘密についてシトー会の修道会の院長と
話していたとき、自分は院長への愛に激しく燃えている、と言った。院長は、正しい、神
を畏れる司祭として、胸に十字を切って、言葉を尽くして悪意で迫る女をかわし、自分は
修道士で、老いて、みすぼらしく、野暮ったい、と言った。
院長自身が、私に話してくれたある修道士に語ったことによると、その女性は名があり、
力があったので、院長はこう言うほどであった。「私がかつてのように、世俗にいるなら
ば、そんなことについて彼女に一言も話そうとはしないだろう。世俗と縁を切ったわれわ
れを悪魔がどのように待ち伏せしているか、分かるかい。」
この院長は、修道会入会前は戦いで屈強にて、立派で、すこぶる名がある騎士であった。
ヴィレールの院長カールさまである。
修練士 聴罪司祭のすべてが、あの方のように、神への畏れをいだいて欲しいものです。
修道士 聴罪司祭には罪から自らを守ってくださる主への畏れが必要のみならず、思慮
かいせん らい
も必要だ。思慮によって罪を区別するのだ。力の鍵とともに知識の鍵を使って、疥癬と癩
との違い、つまり些細な罪と大罪との違いを知るためである。同じように癩同士の違い、
つまり罪のなかの違いをも知るためである。というのは、いくつかの罪は、小さかったり、
大きかったりする点で、他の罪よりも重いからである。これに従って、贖罪が増やされた
り、疥癬か癩かが判断されねばならない。

第44話 告解する人たちに前年と同じ贖罪を課すのを常としている奔放な
司祭

われわれの修道管区に主任司祭である聖職者が住んでいた。彼は四旬節に告白のために
彼のところへ来る人たちにこう言うのが常であった。「私の前任者があなたたちに課した
贖罪を、今私もあなたたちに課します。」彼は他の人にもこう言った。「昨年私があなたた
ちに課したことを、今年もあなたたちは守るのです。」彼らが後に罪を犯すことになるこ
とや、いかにして彼らが過去の罪のために償うかを、彼は考慮しなかった。

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彼の教区民の一人がわれわれにこの話をしてくれた。

第45話 たくさんの告解希望者に同じ告白文を唱え、同じ贖罪を課した司祭

ある別の主任司祭にはある習慣があった、と私は彼の後任者から聞いた。四旬節に彼の
教区の人々が告解のために教会に押し寄せるときには、彼は六人乃至八人を同時に祭壇の
前に連れて行き、彼らの首にストラ(1)を巻き、彼らの前で同じの告白文をドイツ語で唱
え、彼の後に続いて彼らに個々の語を反復させるのであった。彼は全員に同時に同じ贖罪
を課し、同時に退出するように命じた。彼らが何をしたか、誰が多く、誰が少なく罪を犯
したかを考えずに、彼は全員にこうした。
主任司祭が死ぬと、教区のある高齢で、世俗に長けた人が、彼の後任者に人を遣わし、
彼は弱り切って死んだので、聖体拝領を願うと、司祭が来て、こう言った。「まずあなた
たちは告白しなければならない。」この老人はこう答えた。「あなたたちは私に告白をしな
さい。」老人は死んだ司祭の習慣を覚えていたからである。司祭が念を押して告白を迫る
と、老人は怒って言った。「司祭さま、実にあなたの前任の司祭さまは私に告解などさせ
ませんでした。」司祭が聖体拝領を拒むと、老人はついにこんな言葉を発した。「私は、不
倫、窃盗、強奪、殺人、偽証、その他多くの罪を犯したことを、告白します。」司祭は言
った。「あなたはそのすべてをしたのですか。」老人は答えた。「実際、私はそのどれもし
ていません。」老人は前の習慣からだけでそのように告白したのである。司祭は、老人が
犯した罪を告白させることはできなかった。
修道士 聴罪司祭、教師、魂の教導者がどのようであるかを、君は分かっている。神の
掟を知っているなら、そのような怠慢、そのような愚かな判断はどこから生じるのか。告
解者にとって学識ある聴罪司祭がどれだけ有益か、君は知りたいかい。
修練士 知りたいです。

(1)stola 祭服の一部で、細長い帯状の布。

第46話 告解で自らは義であると言い、たくさんの重い罪を犯したと
賢明な贖罪司祭から指摘された女

修道士 ボンの主席司祭ヘルマンが、ケルンの聖マルチヌス教会の主任司祭だったとき、
ひざまず
四旬節の間にある女性が告解のために彼のところへ来た。彼女は彼の前に 跪 いて、自分
が善行をなしたことを思い出して、福音書のファリサイ派の(1)如く自分は義である、と
語り始め、こう言った。
「司祭さま、私は一年中、金曜日にはパンと水を絶ち、喜捨をし、
教会に通っています。」彼女はこういった多くのことを話した。
主任司祭は彼女にこう言った。「ご婦人、あなたは何のためにここへ来たのですか。そ
ういうおこないにたいして贖罪を受けたいのですか。なぜ自分の罪を話さないのですか。」
彼女は答えた。「私は罪を意識していません。」司祭は言った。「あなたは何を営んでいる
のですか。」彼女は答えた。「鉄を売っています。」司祭は言った。「あなたは時々大きな鉄
に小さな鉄を混ぜて、一緒くたにして売っているのではありませんか。」彼女が、そうし

- 116 -
ている、と答えると、彼はこう言った。「それは詐欺だから、重い罪です。」こう付け加え
た。「あなたは時々偽ったり、まがいものを本物と言ったり、たびたびありもしないこと
を請け合ったり、同業者を呪ったり、多く売る人を嫉むのでありませんか。」彼女は、そ
ういう罪をたびたび犯している、と答えた。司祭は言った。
「それらはすべて重い罪です。
もしあなたがふさわしい贖罪をおこなわなければ、すぐにも地獄に落ちるでしょう。」
彼女は驚いて、罪を犯したことを認識し、今後こう告白しなければならない、と学んだ。
<賢明で、学ある人の如く、壁をうがち、女の心に偽りの偶像を見せる人は、幸いであ
る(2)。>
修練士 壁をうがつとはどういう意味ですか。
修道士 罪とそれに関わった人のことを告解者に尋ねることだ。エゼキエルの言葉は、
聖グレゴリウスによって詳しく、見事に解説されている。聴罪司祭は、告解者に罪を悟ら
せるために、壁、つまり、告解者の良心を問いによって不注意にうがたないように、用心
しなければならない。

(1)Pharisaeus evangelicus ファリサイ派の人たちはキリストによって偽善者と見なされ


た(マタイによる福音書23、13など)。
(2)エゼキエル書8-10参照。

第47話 贖罪司祭が未知の罪を問うてはいけないこと。そうして
試された処女

ブラバントのある修道女が司祭に告白をおこなった。彼は、愚人さながら、不注意に彼
女の良心をうがちはじめた。つまり彼女がおこなったり、聞いたりしたことのない、身に
覚えのない罪について尋ね始めたのだ。まもなく彼女はそういった罪を犯した気分になり、
大いに動揺して、司祭にこう言った。「司祭さまが今日そういう罪のことを私におっしゃ
ったのは、お気の毒なことです。」彼女が後に他の司祭に話したことによると、彼女は大
いに苦労してそのような罪を押しとどめた。
家が崩れないように、壁がうがたなければならない。幕屋が倒れないように、麦わらの
下で偶像が探されなければならない。聴罪司祭は、自分に委ねられた人たちの罪について
大いに心を煩い、彼らに言葉や例話で告解を勧めなければならない。

第48話 例話によって他の院長を告解させた院長

シトー会のある院長は、私が直接彼から聞いたのだが、彼の息子(1)なる別の院長の良
心を知ろうとして、自分の罪の総告白をおこなった。その後、彼はこう言った。「院長ど
の、あなたが何か言いたければ、聞きましょう。」相手は当惑して、彼の言葉よりも彼の
例話によってそそられて、目論見とは違って順序を逆にして彼に罪を告白した。彼に告白
する義務はなかったからである。
修練士 賢明さは、聴罪司祭にはとても必要である、と思われます。
修道士 君はそのことを次の例で一層よく知るであろう。私が今から話すことを、私は

- 117 -
ある尊崇すべき司祭、プレモントレ会の副院長から聞いた。

(1)霊的な親子関係と考えられる。

第49話 故意に樽のなかで修道士たちと肉を食べ、自らを手本として彼
らに告解させた院長

人望あり、学識ある黒の修道会(ベネディクト会)のある院長のもとに非常に奇妙で、
放縦な修道士たちがいた。ある日、彼らの何人かが、さまざまな種類の肉と極上のぶどう
酒を用意した。彼らは、院長を怖れてそれらを厨房で使おうとせず、俗語でトゥンナ(1)
と呼ばれる、きわめて大きな、空の樽のなかに入り、蓄えて置いたそれらをそこへ持ち込
んだ。しかじかの修道士たちが、樽のなかで酒盛りをしている、と院長に報告された。
院長は、ただちに大いに悲嘆の思いで急ぎ、なかをのぞき込み、彼がここにあらわれた
ことで、酒盛り中の彼らの喜びを悲しみに変えた。院長は、彼らが驚いているのを見て、
楽しんでいるふりをして、彼らのところへ入り、言った。「兄弟たちよ、あなたたちは私
を抜きして食べたり、飲んだりしようとしているのか。それは正しいとは思わない。私を
信じて私はあたたたちと一緒に食事をとろう。」院長は手を洗い、彼らと一緒に飲んだり
食べたりして、こうしたことで驚いている者たちを落ち着かせた。
翌日、院長は、副院長に事前に伝えて、副院長がなにをすべきかを教示した。院長は、
修道士が集まっている集会室で副院長の前に立って、大いなる謙遜で赦しを乞い、恐れで
震えているふりをして、こう言葉を吐露した。「副院長どの、あなたと私のすべての兄弟
たちに告白します。私は飽食の悪徳に負けて、昨日隠れた場所で、ぶどう酒樽のなかで秘
かに、父なる聖ベネディクトゥスの命令と掟に反して肉を食べました(2)。」院長はすぐに
座って、むち打たれる準備をした(3)。副院長が、そんなことをしないように言うと、院
長はこう答えた。「むち打ちを受けさせてください。将来よりも今ここで贖罪する方が良
いのです。」院長は、懲罰と贖罪を受けると、自分の席に戻った。先の修道士たちは、放
っておけば、院長によって暴露されることを案じ、自分たちの意志で立ち上がり、起こし
たことを告白した。
院長は、指名された修道士によって、彼らがきちんとした強いむち打ちを受けるように
命じ、厳しく叱責し、今後彼らがそのようなことをしないよう、重い罰をにおわせて厳命
した。院長は、賢い医者のように、言葉で正すことができなかった者たちを、自らを手本
にして矯正した。
修練士 これを聞いて、うれしいです。
修道士 聴罪司祭の賢さが判断次第で弱められねばならない例話を聞きなさい。

(1)tunna ケルト語に起源の有して、「樽」を意味する。古高ドイツ語 tunna、中高ドイ


ツ語 tunne、現代ドイツ語 Tonne。ここではドイツ語として使用されている。
『聖ベネディクトスの戒律』第三九章十一に基づいている。Carnium uero quadripedum
(2)
omnimodo ab omnibus abstineatur comestio praeter omnino deuiles egrotos「非常に弱って
いる病人以外には、四足動物の肉を食すことは、禁じられなければならない。」

- 118 -
(3)むち打ちのために背中を露わにする。

第50話 わずかの贖罪から徐々に大きな贖罪に進んだ罪人

ある大変な罪人が自分の罪にふさわしい贖罪を受けようとしなかった。聴罪司祭は非常
に賢明で、分別があったので、彼にこう言った。「あなたはあなたの大きな罪のゆえに毎
日少なくとも一回〈主の祈り〉を唱えることができますか。」彼は、できます、と答えた。
司祭は彼にそんな贖罪を課した。神の驚くべき慈悲かな。この祈りはこの人には甘美な
ものになった。彼は立ち直って、さらなる贖罪を乞い、ふさわしい贖罪に達するまで祈り
続けた。
大きな罪にたいして大きな贖罪を、小さな罪にたいして小さな贖罪を課すかは、聴罪司
祭の判断に委ねられる。贖罪はすべて恣意的であるがゆえに、聴罪司祭は、人の特性を見
て、罰の質と量を決めることができよう。聴罪司祭自らが神から憐れみを得るために、告
解が秘密であれ、公であれ、常に裁きの上に憐れみを置かねばならない。

第51話 怒りっぽい者たちを集会室で憐れみ、より完全な贖罪をもたらし
た院長ギジルベルト

ヒンメロートの院長ギジルベルトさまは非常に憐れみ深く、修道士か助修士が集会室で
彼の前に呼び出され、彼らに忍従の徳が欠けているため我を忘れたとき、その者の弱さに
同情して、こう言った。「兄弟よ、今は戻って、席に着きなさい。明日同じ罪を認識しな
さい。」時間が与えられ、心が安らぐと、その者は興奮したことを恥じ、翌日戻って、罪
をなしたことを認識し、大いなる忍耐で厳しい贖罪を受けた。
良い告解者の優しい言葉が、どれだけのことを贖罪者に与えるかを、以下の例話で示そ
う。

第52話 高利貸しと人殺しを告解の時優しい言葉で贖罪させた主任司祭

先のボンの主席司祭ヘルマンが、四旬節のある時、主任司祭をしていた聖マルティヌス
教会で、ある老婆の告白を聞いていたとき、彼の教区の二人が向かい側の窓辺に座って、
話をしているのを、遠くから見た。一人は高利貸しで、もう一人は名うての人殺しだった。
老婆が去り、その高利貸しが、告白のために司祭のところへ来たとき、司祭は彼に言った。
「友よ、今日私とあなたで悪魔をうまく騙そう。あなたは言葉であなたの罪を告白すれば
よい。罪を犯す意志を捨てて、私に従いなさい。私はあなたに永遠の生命を約束しよう。
贖罪が重荷にならぬように、贖罪を軽くしよう。」
司祭は、高利貸しがおこなっていた悪徳をよく知っていた。高利貸しはこう答えた。
「あ
なたの約束が保証されれば、喜んであなたの助言に従います。」司祭は高利貸しに約束し
た。高利貸しが告白して、高利を止めると誓い、贖罪を受け、あの仲間の人殺しのところ
へ走って行き、言った。「俺たちの司祭はずいぶん優しい。憐れみ深い言葉で司祭は俺に
贖罪させてくれた。」

- 119 -
人殺しは高利貸しの例に触発され、告解のために司祭のところへ行き、自分にたいする
憐れみの兆しを感じ、贖罪を受け、完遂した。
修練士 すでに述べられたことから、告解が告解者にも聴罪司祭にも多くの完全性を求
めていることが分かります。
修道士 聴罪司祭の徳のすべてが完遂される、なおもう一つのことが述べられねばなら
ない。つまり聴罪司祭は、告解を望む者に喜んで聞く姿を見せなければならない。そのこ
とについては、第一部第六話で述べられている。主の天使が修道士の姿でオルヌ修道院の
副院長を、告解を望むその修道士を手振りで待たせた、と非難している。
聴罪司祭が告解を聞く準備をしているなら、どれだけ神に喜ばれ、どれだけ罪人に有益
であるかを、次の例話で示そう。

第53話 修道士たちの祈りに支えられ、副院長に良心を打ち明
けたクレルヴォーの修道士

約二年前、クレルヴォーの修道院長ヴィルヘルムさまが、他の院長たちと一緒に枢機卿
ガロン(1)と対立してローマへ発ったとき、彼の修道士の一人が聴罪司祭に大きな罪を告
白した。聴罪司祭は修道士に言った。「きちんと聞いて、助言してあげよう。だがこの告
解は私の担当ではないので、私はあなたを赦免することはできません。担当である副院長
にあなたが告白するように、私は助言し、お願いします。」修道士は答えた。「では告白し
ません。」聴罪司祭は、悲しみ、心を暗くし、人物と罪を伏せて、この告解者は危険であ
る、と副院長ジーゲルさまに伝えた。副院長は大いに悲しみ、危険に陥っている修道士の
救済を思い、大きな助言の使者(キリスト)を涙を流して呼ばわった。
同じ頃、ある邪な修道士が多くのものを盗んだとき、副院長は神意により、機会をとら
えて、総会で修道士の窃盗の罪について非難して、こう付け加えた。「もしあなたたちの
なかにたまたまゆがんだ判断をもっている者がおれば、そうした判断を上級者に表明しな
いために、私は三日間の祈りをあなたたちに課します。」
全員が祈りに入った。諸聖人の祝日(2)の前夜、ヴィルヘルムという名の司祭が涙を流
して祈っていると、こう神の言葉を聞いた。「あなたが祈っている修道士の告白は、担当
司祭によってなされていないので、彼には有益でなかった。一時課(3)が終わったら、ミ
サの後、集会室の前に来るように、副院長に告げなさい。」そのようになされた。副院長
が集会室の前にあらわれると、件の修道士が来て、告解の手振りを副院長に示し、たくさ
んのため息と涙でふさわしい贖罪を受けた。

(1)枢機卿ガロンは、1216年、教皇インノケンチウス三世より教皇使節としてフ
ランスとイギリスの仲介を依頼される。フランス王ルイ八世は、即位前に反抗するイ
ギリス貴族の要請を受け、イギリスに遠征した。ガロンはフランス側に厳しく対処し
たが、シトー会はこれに反発した。
(2)11月1日。この日にすべての聖人が一斉に崇敬される。
(3)prima 朝6時におこなわれる定時課。

- 120 -
第四部 試練

第1話 修道士たちの生命は試練であること。カールマンと聖ベルナルドゥ
スによって絞首刑から逃れた盗賊

イスラエルの子たちがエジプトを出ると、たちまち砂漠で試練を受けた。エジプトは世
界と罪を表し、砂漠は修道院を表している。砂漠は、人の数では多くの人たちに捨てられ、
わずかの人たちに住まわれる。エジプトは暗闇、苦境、狭量、迫害者と解釈される。世界
と罪におけるよりももっと大きな暗闇、困窮、狭量、迫害がどこにあるのか。どこにもな
い。イスラエルの子らは選ばれて、修道院入りによって俗界から、痛悔と告白によって罪
から脱するや否や、ほとんど避けられないが、砂漠でのように、修道院では、特に最初に
たくさんの試練にぶつかる。試練についてはこの第四部で扱われるのがふさわしいように
思われる。四という数字は不動の数であるからである。四角の物体はどの方向にも向き、
つみびと
自然の位置を保つ。罪人が、俗界を捨てて、身は主に向け、心は罪のゆえに悔い改め、口
による告解によって義人となって強められたとき、試練との戦いにより安全に進み、敵と
一層効果的に戦うだろう。それゆえ、救世主は、洗礼の前ではなく、後に悪魔に試される
ことを許された(1)。痛悔を伴う口による告解は、二度目の洗礼である。それゆえ、使徒
たちは、聖霊の降臨の後に迫害にさらされ、その寓意として聖霊降臨祭のすぐ後に列王記
が読まれる。そのなかでは異教徒にたいする信仰深い民の、つまり悪徳にたいする徳の戦
いが述べられている。
修練士 告解が痛悔の後でなされるように、贖罪が告白の後でなされなければならない
というのが、成義の正しい順序であるように思われます。
修道士 君は確かに正しいことを言っているが、誘惑の力を理解していない。修道士た
ちにあっては、特に修道院では罪にたいする贖罪あるいは償いは、試練であることを、よ
く試された人の、つまり聖ヨブの言葉からすぐに君に示そう。ヨブはこう言っている。<
地の上の人間の生は兵役である(ヨブ記7、1)。>他の訳(2)ではこう書かれている。<
人間の生は試練である。>生は兵役であり、試練である。生は試練のための兵役、労苦と
危険のための試練である。試練は動物の生ではなく、人間、つまり人間的かつ理性的に生
きる生である、とヨブが言っていることは注目に値する。霊に従って生き、肉の欲望を断
ち切る修道士のようにである。肉に従って生きている世俗人と肉を志向する人たちは、相
応に試されない、と言われている。彼らは試練を感じるや、受け入れるか、弱々しく抵抗
する。知性がない馬とラバに似ている。徹夜をし、断食をし、祈り、順境にあっても逆境
にあっても従順であって、この世ではキリストのために何も所有せず、常に悪徳と欲望に
逆らう、修道士たちの生がもし試練であるならば、君は彼らの罪のための贖罪を試練と見
なければならない。われわれの修道会に入ってくる者たちが、たとえ数々のきわめて重い
罪を犯していても、戒律を守ること以外に贖罪のためには彼らには何も課せられていない。
聖ベルナルドゥスがある時あるフランス王を受け入れると、告解の後で彼に〈主の祈り〉
だけを課したことがあった。王は、聖人からからかわれたと思ったので当惑した。至福な
る院長は答えた。「この祈りを唱え、戒律を守ってください。あなたの罪にたいして最後
の審判の日、私は弁明するでしょう。」

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同じようなことがあった。別のある時、聖ベルナルドゥスが、罪人が絞首刑にされよう
としているところに通りかかって、罪人を自分に渡して欲しいと頼んだとき、裁判官は言
った。「院長、こいつは盗賊で、盗賊は絞首刑にふさわしいのです。」院長は答えた。「私
に引き渡してください。私が彼を絞首刑にします。」院長は、戒律の厳しさを絞首刑と呼
んだのである。戒律の遵守は、罪人にとっても十分贖罪になる、と使徒の座(教皇)から
修道会に認められた。
修練士 われわれの修道生活がわれわれの罪にとって贖罪であり、試練が外面的な贖罪
であるならば、何において、何によって、われわれは試されるかが知りたいものです。
修道士 われわれが何によって試されるかには数限りない。われわれが誰によって試さ
れるかといえば、神、肉、世界、悪魔の四つである。われわれが神によって試されるのを、
モーゼがこう言っている。<神はアブラハムを試された(創世記22、1)。>同じよう
びと
なことをモーゼはユダヤ人に言っている。<あなたたちの神、主はあなたたちを試される
(申命記13、4)。>だが神は、使徒ヤコブが言っているように、悪を試みられること
はない(3)。残りの三つの誘惑者は敵である。敵のように気をつけなければならない。わ
れわれが彼らに負ければ、滅ぼされる。抵抗することによって、われわれは賞賛を受ける。
われわれは勝利することによって、冠を受ける。試練においてどれだけの労苦が、どれだ
けの畏れが、どれだけの損失が、どれだけの価値があるかが、次の例話が明らかにしてい
る。

(1)マタイによる福音書四、4-11参照。
(2)七十人訳聖書(ヘブライ語から翻訳されたギリシア語訳旧約聖書)。
(3)ヤコブの手紙1、13参照。

第2話 七つの大罪

七つの大罪は、毒ある一つの根から出ている。つまり傲慢(superbia)からである。そ
こからほとんどの試練が生じる。傲慢から生じる第一の悪徳は、むなしい功名心(inanis
gloria)である。第二は怒り(ira)、第三は嫉妬(invidia)、第四は怠惰(accidia)、ないし
は悲しみ(tristitia)
、第五は貪欲(avaritia)
、第六は飽食(gula)
、ないしは大食(castrimargia)、
いんぽん
第七は淫奔(luxuria)である。そのうちの功名心、怒り、嫉妬は心的なものであり、大食、
淫奔は肉的であり、怠惰、貪欲には両方が混じっている。嫌気は、心の苦しみに関わる限
り、心的な罪である。それが肉体的な緩慢に関わる限り、肉体的である。
これらの七つの罪は、エジプトの地が満たされる七つの川である。つまり罪人の暗い心
である。豊かな七つの川が分かれるナイル川は楽園から流れ出て、エジプトで分枝してい
るように、ルシファーは傲慢のゆえに天から追放され、この七つの悪徳を介して大罪をな
して曇った人間の心のなかにはびこる。これらの七大罪は、神が約束の地からイスラエル
の前で追い払われた不純な七つの民を意味している(1)。また救世主がマリア・マグナレ
ナの心から追い出した七つの悪霊をも意味している(2)。七ならぬ四車輪で預言者ヨエル(3)
はファラオ(4)のために四頭立馬車を作らせて、言った。<芋虫が食べ残したものを、イ
ナゴが食べ、イナゴが食べ残したものを、甲虫が食べ、甲虫が残したものを、黒穂病が食

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べる(5)。>
聖グレゴリウスは、情欲を芋虫で、むなしい功名心をイナゴで、大食を甲虫で、怒りを
黒穂病で表している。多くの人は情欲を抑制するが、それによって傲慢へと高められる。
傲慢から大食になる。たくさんの飲み食いによって彼らは怒りに変わる。この車を引く四
頭の馬、つまり残りの三つの罪は、嫉妬、悲しみ、貪欲である。預言者アモス(6)によれ
ば、この三つと四つの悪徳によって、悪魔はダマスクス、チェルス、エドム、アモン、モ
アブ、ユダヤとイスラエルにさえも運ばれる。
修練士 われわれがこれらの悪徳によって試されるとき、悪徳はわれわれの中あるので
すか、外にあるのですか。
修道士 悪徳は、徳が入り込んだ後では、普通の状態ではなかにはないが、しかし火種
としては存在する。イスラエルの子たちが入ってきたとき、あの七つの民が滅ぼされずに、
貢ぎ物が課せられると同様に、徳がわれわれの心の地に入ると、悪徳は完全には滅ぼされ
ないが、はばまれる。後にイスラエルの子らが頻繁に残りの民と戦ったように、悪徳の火
種によってたびたびわれわれの徳は試され、確かめられる。
修練士 七大罪の力について私に説明して、いかに七大罪がわれわれを厳しく試される
か、例話で示してください。

(1)申命記7、1-5参照。
(2)マルコによる福音書16、9参照。
(3)Johel Propheta ユダ王国で活躍した、旧約聖書の十二小預言者の一人。
(4)Phrao ファラオは古代エジプト王であるが、ここでは悪霊のこと。
(5)ヨエル書1、4参照。
(6)Amos Propheta ベテルやサマリアなどで活躍した、旧約聖書の十二小預言者の一人。

第3話 傲慢とその娘

修道士 悪徳のなかで第一の位置を示している傲慢は、他の欲望よりも唯一抜きんでて
いる。ぶどう酒樽(bria)を超えて(super)、つまり尺度を超えて高まることから、superbia
(傲慢)と言われる(1)。先の七つの悪徳は何人かによってむなしい功名心と理解される。
傲慢には二つの種類がある。一つは内における心の高まりとして、もう一つは外に向かっ
ての行為の表示である。前者は、専ら傲慢と呼ばわれ、他は自慢(iactantia)ないしむな
しい功名心と呼ばれる。傲慢の類いと流れは、不従順(inobedientia)
、移り気(inconstantia)、
偽善(hypocrisis)
、野心(contentio)
、頑固(pertinacia)、闘争心(discordia)
、好奇心(novitatum
presumtiones )である。傲慢の悪徳によって、肉、世界、悪魔が世俗人のみならず、修道
生活の人たちをも試すかを次に示そう。

(1)この語源解釈は間違いである。

第4話 傲慢のゆえに試され、死者の亡骸を見せた天使によって救わ
れた助修士

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ヒンメロートにリファルドゥスという名の、非常に謙虚で、やさしい、ケルン生まれの
助修士がいた。彼の役目は修道院の豚の世話をすることであった。その時の院長であった
ヘルマンさまが私に話してくれたことだが、彼は晩年に傲慢の霊によって試練を受けた。
彼は老いても、ずっと豚を放牧していたので、こんなことを考え始めた。「私がしている
ことは何だ。私は高貴の生まれなのに、このつまらない役目のために友人のすべてから見
下されている。彼らに一泡吹かせるために、私はここでこれ以上豚飼いであることはない。
私がこの役目から免れられないのなら、ここから出よう。」
彼が心のなかでこれ以上試練に耐えること欲せず、修道院を翌日には出ようと心に決め
とこ
たある夜、床の上に座って目覚めていると、ある気品のある人があらわれて、ついてくる
ように手招きをした。ただちに彼は立ち上がって、靴をはき、前を行く人についていき、
寝室の扉のところへ行った。扉が天からのように開くと、二人はそろって聖堂の入り口に
近づいた。扉が同じように天からの力によって開かれたのを見て、一緒になかへ入った。
こういったことで、彼は前を行く人の後をついて行かざるを得なかった。彼が助修士た
ちの内陣の真ん中を通って洗礼者聖ヨハネの祭壇の前で深く丁寧に頭を下げたとき、前を
行く人も頭を下げて言った。「あなたは深く頭を下げて、正しいことをした。」
彼らは聖堂の南の入り口に到着し、そこを通って修道院へ行き、そこの扉も墓地に通じ
る扉も同じように開いているのを見た。これらすべての扉は夜は鍵がかかっているのだ。
これを見て、リファルドゥスは非常に驚いたが、「あなたは誰で、私をどこへ連れて行く
のか」とは相手にあえて聞こうとしなかった。彼らが墓地に入ると、死者のすべての墓が
開き、最近埋葬された人のところへ連れて行かれると、相手はこう言った。「あなたにこ
の人が目に入っているか。あなたもすぐにこうなろう。それではあなたはどこへ行きたい
のか。」
彼が、腐敗してものすごい臭いのする別の死体のところへ連れていかれようとしたとき、
彼は抵抗して叫び始めた。「赦してください。赦してください。あの死体を見ることは私
にはできません。」相手は答えた。「あなたがすぐにあのようになるのを見たくないなら、
なぜあなたはわずかの傲慢のゆえに至福の港から出ようとするのか。私があなたを赦すの
を望むなら、あなたがここから退かないように、私に約束してください。」彼は約束した。
彼らがそこから離れると、墓はただちに閉じた。彼らの背後でそれぞれの扉が閉まった。
彼が助修士たちの祭壇の前を通って、そこで頭を下げると、相手は再び彼を賞め、深いお
じぎは神に好まれる、とはっきりと言った。彼らが寝室に入ると、ただちに彼らの背後で
扉が閉まった。彼が床に横たわると、相手は消えて、その時からそういった試練はなくな
った。
修練士 彼を導いた人は、傲慢な彼に恐ろしい幻視で教え、恭順な状態にもたらした主
の天使だった、と私は思います。
しもべ
修道士 君が思ったことは正しい。自分の 僕 を厳しい試練で打たれるとはいえ、彼ら
が試練に屈し、労苦の報いで騙されることはない。それほど救世主の恩恵は大きい。
修練士 たびたびむなしい功名心が修道士たちの価値をさまたげるのでは、と私は案じ
ています。
修道士 むなしい功名心は徳にとって大いにやっかいで、聖性(sanctitas)(1)からも生

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じる。

(1)他の写本(D)では superbia となっていて、その方が理にかなっているように思わ


れるが、次の例話からやはりここは sanctitas が適切であろう。

第5話 傲慢であったので、恐れることはないと悪魔に言われた純潔な修道士

悪霊に憑かれた男を、救われることを見込んで、友人たちがシトー会のある修道院へ連
れて行った。副院長が彼のところへ行き、童貞だと分かっていた、覚えめでたい、若い修
道士を伴わせた。副院長は悪霊に言った。「この修道士が、お前に出て行くように命じて
も、そこに留まるつもりか。」悪霊は答えた。「わしは怖れない。そいつは傲慢だから。」
修練士 この修道士の心に童貞の徳からもむなしい功名心の悪徳が生じることがよく分
かりました。
修道士 謙譲なき童貞を神は好まれず、悪霊も恐れない。だが童貞にあらざる謙譲を神
は好まれるが、悪霊は恐れる。

第6話 汚いものを飲んで傲慢の動きを制御したテオバルド

われわれの修道院にテオバルドという名の修道士がいた。彼が修道院へ入る前は遊び人
ひようきん
で、酒とばくちにうつつをぬかし、剽 軽者としてケルンの町中で知られていた。彼がた
びたびケルンの街中を裸体で歩くのを、私は目にした。とうとう彼は剽軽を後悔して、ケ
ルンの教会幹部の仲介でわれわれの院長ゲバルドゥスさまに受け入れられ、われわれの修
道院で修練士になった。彼が修練期にあったとき、謙譲の行為以上に神に好まれることは
しょうしゃく
何もないと思い、焼 灼術を施された者の包帯を洗いたいと願い、その役目を得た。
テオバルドが二、三日こうした後、誘惑者があらわれ、傲慢の矢が彼の心を傷つけて、
こんな思いを吹き込んだ。「おお、愚か者よ、お前は何をしているのか。生まれがおそら
くお前よりも下の者の包帯をなぜ洗うのか。」
ずっとこのような思いを彼は心のなかで抱いている間、それらの思いは、傲慢のすべて
の子の上の王である悪魔によるものであると知って、ある日、汚れたものをいつもより丁
寧に洗い、悪魔を一層怒らせ、注がれた傲慢を抑制するために洗濯水を飲んだ。悪魔はこ
れを見て、激怒し、傲慢によっては滅ぼすことができなかった彼に恐怖を与えて、攻撃し
た。
起こったことを、われわれの院長ハインリヒさまが私に話してくださり、告解の形で本
人から直接聞いたと断言した。テオバルドは汚い、臭い洗濯水を飲んで、腹がひどく痛ん
かわや
で苦しみ、はらわたが破れると思われるほどであった。ある夜、自然の欲求で 厠 へ行っ
たとき、そこの梁に二人の人が首をつっているのを見た。彼らの身体は黒く、衣服はぼろ
ぼろで、顔は覆われて、盗賊以外には考えられなかった。彼が思いがけなく彼らを見たと
き、大いに驚き、ほぼ気を失って、寝室に走り込んだ。後の総務長ハインリヒ修道士の床
の横に息をきらして座り込んだ。ハインリヒが私に話してくれたことだが、テオバルドが、
震え、何度もため息をついて胸を打ったので、どうしたのか、何を見たのか、とハインリ

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ヒははいぶかって問うた。テオバルドが、寒いのに、肌着だけで座っているので、床につ
くようにハインリヒは合図したが、彼は応じなかった。それで、ハインリヒは自分のマン
トの一部を彼の肩にかけてやり、朝課まで座っているのを許した。
修練士 新しい壁がかくも強く打たれても、持ちこたえられたのは、驚きです。
修道士 彼は長くは持ちこたえられなかった。数々の試練に打たれて、最後に善人の姿
に騙され、打ち負かされた。彼は修道士になって、修道会に入る前は二〇年間会わず、ま
た会おうともしなかった、フランスの彼の縁者を訪ね、その上その地のシトー会の修道院
に一年間留まることを許してもらおうと、院長にたびたび願った。要求は聞き入れられ、
彼は行き、戻ってきた。それから彼は離反して、修道院の外で死んだ。彼の最期に立ち会
ったある遍歴の司祭がわれわれに話してくれたことだが、彼はある在俗司祭に告解し、香
油を塗ってもらい、聖体を拝領し、きちんと悔い改めて死んだ。
修練士 悪魔どもが先の修道士の純潔よりも、この修練士の謙譲を恐れたことを、悪魔
どもの荒っぽい試練から私はここで学びました。
修道士 真の謙譲が悪魔どもの傲慢といかに相容れないかを、君は次の例話でたくさん
知るだろう。私は言おうとすることは、聖ベルナルドゥスについての事績から聞き知った
ものだ。書かれたものを私は見なかったので、書かれるにふさわしいこととして信じた。

第7話 靴を塗油して傲慢の霊にあざけられた院長ベルナルドゥス

ある日、院長聖ベルナルドゥスは、謙譲の結果、鍛冶職人から油脂をもらい、暖房室(1)
で火をおこすように命じた。ベルナルドゥスは、おこなっていることを見られて、自分が
賞賛を得ようとしていると思われないように、背後の扉を閉めて、自分の靴に油脂を塗り
始めた。傲慢の霊(悪霊)はかような謙譲に怒り、品位ある客の姿で謙譲の仕事場へ入り、
院長はどこにいるかと問うた。院長が悪魔に向かって目をあげたとき、悪魔は叫んだ。
「お
お、何という院長か。修道士たちの恥となる、靴に油脂を塗るよりも、客をもてなす方が
きっとふさわしかろう。」
ただちに、ベルナルドゥスは、精霊によってこの霊が悪霊であることを知り、ふたたび
謙譲の仕事に目を向けた。すると悪霊は風のように宙に溶けて、二度とあらわれなかった。
修練士 もし義なる人たちがさげすまれた仕事で誇ることをはばかるか、もっと少ない
ことであるが、さげすまれた仕事で有名になることをはばかるなら、われわれは敬虔にし
て、立派な仕事をおこなうときには、むなしい功名心に大いに気をつけねばなりません。
修道士 君は何を敬虔にして立派な仕事と呼ぶのか。
修練士 祈り、歌い、説教、それらと類似のことです。
修道士 いまだ義ではないわれわれは、君が言うように、むなしい功名心については気
をつけなければならない。たびたび意に反して祈る人たちさえも、涙の恩寵や信心によっ
て讃えられるからである。声の甘味と響きによって、歌う人や詩編を詠唱する人たちも賞
賛される。説教する人たちは、しばしば知識、言葉、弁舌の高まりによって試され、かき
立てられる。全く愚かなことだが、祈りの恩寵、歌う声、説教する知識や能力を持たない
人たちは、修道服を自慢するのだ。さらに愚かなことだが、人の賞賛や一時的な利益を得
るためにのみ、祈り、歌い、説教をする人たちもいる。これらの人について救世主が言っ

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ておられる。<まことに私は言う。彼らは報いを得た(マタイによる福音書6、5)。>
つまり、彼らは探していたものを得たのだ。すなわち、人の賞賛と利益だ。すでに述べら
れた敬虔なる仕事のなかで傲慢がある人たちに功績としてかかわっているが、ある人たち
を傲慢が彼らを楽しませて苦しめている。偽善者のように、同意と希望に負かされた多く
の人たちは、傲慢によって強く苦しめられる。
こういったことの例話を聞きたいかい。
修練士 ずっと聞きたいと思っていました。
修道士 祈りの際の誇りについては、第2部第22話に例がある。そこでは悪魔が修道
士の涙を見て、彼を涙で誇らせた。
声を高めて誇ることがいかに危険であるかを、次の例話が示している。

(1)calefactorium 修道院で火を使うことができたのは、厨房、病舎、この暖房室に限ら
れていた。そこで身体を温めたり、この個所のように、油脂を温かくして靴をみがく
ことができた。

第8話 復活祭の前夜、ろうそくの祝別の後連れ去られたモンテ・カッシー
ノの修道士

私は読んだのではなく、行状でも学問で偉大な人の話から知ったのだが、モンテ・カッ
シーノにきわめて美しい声の修道士がいた。彼が復活祭の前夜、祭服を着てろうそくの祝
別をおこない、いと甘美な声で祝別の調べを響かせた。その声は、すべての人の耳に酒宴
の音楽のように聞こえたが、ろうそくの祝別を終えても、彼はどこにも見られなかった。
彼が誰に連れ去られ、どこへ行ったのかは、今日にいたるまで分からない。
修練士 主の天使が彼を連れ去ったのでは。
修道士 彼の品行を知っている修道士たちはそうは考えていない。彼が連れ去られたの
は、敬虔の報いよりも、高まる誇りの悪徳によるものでは、と危惧されている。
アウグスチヌスがこう言っているのを聞きなさい。<歌の内容よりも、歌が私を喜ばす
ときには、私は重い罪を犯したことを告白する(1)。>
聖霊の調べについて教皇聖グレゴリウスもこう言っている。<心地よい歌が探されると
き、節度のある生活がないがしろにされる。>
例話を聞きなさい。

(1)アウグスチヌス『告白』第10巻33章。

第9話 悪魔に声を袋に入れられた、誇らしく歌う修道士

ある時、ある世俗教会で数人の聖職者が、強く、つまり声高く、だが敬虔さを欠いて歌
っていて、騒々しい声が頂点に達したとき、その時たまたま居合わせていたある修道士が
こんなことを見た。悪魔が一段高いところに立って、大きく、長い袋を左手に持ち、歌っ
ている人の声を、広く広げた右手でつかんで、袋に入れていた。

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彼らが歌い終わって、美しく、強く神を讃えるごとくに、互いに讃え合っていると、幻
を見たかの修道士がこう言った。「あなたたちは美しく歌ったが、歌を袋に一杯詰め込ん
だ。」
彼らが驚いて、なぜそんなことを言うのか、と問うと、彼は彼らに幻視のことを話した。
きわめて高潔な人、シトー会のある院長がこのことを私に話してくれた。
これらの例話から、歌や詩編朗誦で神が讃えられても、敬虔な叫びではなく、むなしい
功名心のみとして叱責される。私は、預言者がこう言っているのを思い起こす。<私は主
の幕屋に行き、歌を捧げよう。歌い、主のために詩編を読もう(詩編26、6)。>声の
敬虔な高まりがいかに神に好まれるかを、君は第5部第5話で聞くであろう。詩編朗誦で
謙譲なく声が高まるなら、悪魔がどれだけ喜ぶかを、君はそこで見るであろう。
それでは、傲慢で、利益をめざした説教についての非常に恐ろしい例話を聞きなさい。

第10話 ある十字架の宣教者が、説教をしてから、悪魔に侵入さ
れた、十字のしるしをつけた聖職者

私が第2部で述べたケルンの神学校長オリヴァー師が、ブルージュとヘント間のフラン
ドルの町々で十字軍勧説をおこなっていたとき、当時神の言葉に信服し、このオリヴァー
の同僚であったシトー会士ベルナルドゥスのところへジーゲルという名の聖職者がやって
来た。彼は神殿騎士修道会士(1)のように、胸に十字のしるしをついた上衣を修道服の上
にはおっていた。彼は、顔は美しく、身体はすらりとして、すこぶる雄弁であった。彼は
先のベルナルドゥスにさまざまな色の宝石を差し出し、その宝石を自分がセウタ(2)から
もたらし、これを持つ者は勝利するほどの力を有すると言ったとき、ベルナルドゥスはこ
う答えた。「私はこれを受け取れません。師のもとでのあなたを私が分別を持って支援す
ることができるなら、やってみましょう。」
ジーゲルは、オリヴァーから説教の許可を得ようと努めているように思えた。その日の
うちに、民衆に説教することがジーゲルに許された。翌日、先のベルナルドゥスが非常に
近いところで、大衆に勧説をおこなっていた。ジーゲルもその場にいて、説教が終わると、
ジーゲルは地にひれ伏し、本当のことであったが、憑かれたように全身震えた。
すぐにオリヴァー師が他の聖職者たちと一緒に走り寄り、ジーゲルを祝福し、聖堂へ運
び、祭壇の前へ連れて行った。そこでこの哀れな男は、たくさんの涜神と恐ろしい言葉を
神とオリヴァーに吐露した。それから、彼は革紐で縛られ、車に乗せられ、知人たちのと
ころへ運ばれた。彼らの言うところによれば、悪魔は約束通り(3)、五日目に彼を殺害し
た。彼の苦しみと死から、彼の説教は、敬虔さによるものではなく、功名心によるもので
あったと解釈され得た。彼が修道院を去ってから、教区の人々が彼に耐えている、という
教皇さまからの手紙を彼は受け取った、と言われている。セウタでサラセン人に武器が売
られた船の中で彼は破門された、と言う人もいる。
修練士 神が、彼をこのように神をおとしめることで、かくも厳しく罰せられたのは、
私には不思議です。今日、たくさんの司祭がきわめて聖なる神秘を非常に不適切に扱い、
時々にしか、神を讃えません。
修道士 これは他の聖職者たちを恐れさせるためになされたと私は考える。一つは、キ

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リストを讃えるためにのみなされる、十字架の純粋な説教を彼らがそこなわないためであ
り、もう一つは、オリヴァーの功績のためである。説教者に加えられた策略と不正を、キ
リストがいかに厳しくその時に罰せられたかを、特免付与者を策略で騙した高利貸しゴッ
トシャルクについて第2部第7話で君は知っている。先のオリヴァーの学生、アーノルド
師を説教であざわらった老婆の傲慢について次の例話で君は知るであろう。

(1)Templarius 第一回十字軍後の1119年、巡礼者の保護、異教徒排撃の目的で創立
され、エルサレムのソロモン神殿内に本部が置かれた修道会の会士。
(2)モロッコに接した、スペインの飛び地の港。
(3)このことは述べられていない。恐らく写本の欠落による。

第11話 輪舞でアルノルド師の十字軍勧説を妨害して、彼を嘲笑い、三
日後に死んだ老婆

このアルノルド師がトゥウエンテの村、ブルゲンデにあって、使徒ペトロとパウロの祝
日(1)に、彼の教区民が輪舞と音楽で年祭を祝っていたとき、彼は説教の許可を得、十字
架を携えて彼らに近づき、悪魔の遊戯を止めるように、戒め、願い、命じた。アルノルド
がそこで説教を始めると、何人かが素直に説教を聞きに来たが、何人かは不満ながら踊り
から離れ、踊りと向き合った。しかし、頑固に踊りから離れない者もいた。そのなかに愚
かで、傲慢な老婆がいた。彼女が踊りの輪のなかで司祭に近づくと、彼を見て歌いながら
嘲笑った。彼女は三日後に突然死んだ。敬虔なる人、アルノルドは、自分の手で彼女を殺
したかのように、彼女を悼んだ。
傲慢の悪徳で悪魔は多くの人を試す。それゆえ、言葉、行動、衣服、その他の外見上の
すべてに関する振る舞い、世俗で傲慢の悪徳で有名にならないように、すべての人、特に
修道会、修道院の人たちは努めなければならない。

(1)1216年6月29日。

第12話 狭い靴のゆえに黒の修道士を戒めたフランス王フィリップ

ある貴族がフランスのある修道院を強奪した。この修道院は黒の修道会(ベネディクト
会)に帰属していた。この貴族にたいし武力を用いてもらうように、当時支配していたフ
ィリップ王(1)に修道士の一人を遣わすことを、院長と修道士は決めた。貴族の血を引く
若者が遣わされた。彼は貴族の出自のゆえに、他の者よりも王に謁見しやすいと思われた
からである。
若者は王の前に進み出て、言った。「王よ、かの貴族の男はきわめて不当に負担金と暴
力でわれわれの修道院を苦しめています。彼はたびたび脅迫と侮辱で修道士と眷属を悩ま
しています。神の復讐を考慮して、かくなる不正を止めさせ、奪ったものを返還させるべ
くかの貴族に圧力を加えられますよう、われわれの修道院は伏してあなたにお願いしま
す。」

- 129 -
みなり
フィリップ王はこの修道士の物腰と身形を見て、言った。「そちは誰で、どこの出か。」
若者は王に、「王よ、私はなにがしの息子です」と言って、父の名前を挙げた。王は答え
た。
「それではそちは貴族だ。」王はこの後何かを言ったが、修道士は言い足した。
「王よ、
実に彼はわれわれのすべてのものを略奪し、ほとんど何も残していません。」
これにたいして王は答えた。「実にそのことはそちの靴からも分かる。彼がそちたちに
革を置いていったなら、そちの靴はそんなに狭くはないだろう(2)。そちたちが他のもの
たちよりも高貴であればあるほど、謙虚でなければならない。」
王はこう戒めた後、彼をなだめようとして、こう付け加えた。「余の戒めを重く受け取
ることはない。そちたちのためになしたのだから。修道院に戻るがよい。今後かの貴族は
そちたちを苦しめやしない。」

(1)フィリップ二世尊厳王(1165-1223)。フランス王(1180-1223
(2)狭くて、尖った靴は粋と見なされていた。ここで王は、次の例話と同じく、皮肉で
言っている。

第13話 シトー会の院長を同じ理由で戒めた神聖ローマ帝国皇帝フィリップ

神聖ローマ皇帝フィリップが、同じような言葉をシトー会のある院長に放った。先のフ
ランス王の影響を受けたかどうかは分からない。皇帝に修道院の窮状を訴えるために、院
長が馬に乗って皇帝に近づいたとき、皇帝は院長の非常にきつい靴を見て、どこから来た
のかと院長に尋ねると、院長は答えた。「皇帝、私は貧しい修道院の者です。」皇帝は言っ
た。「そなたの修道院が貧しいことは、そなたの靴から分かる。そこでは革は高価だから
だ。」その言葉で院長は大いに恥じた。
修練士 傲慢は当然恥いることです。

第14話 荒馬に乗っているため、神聖ローマ皇帝フリードリヒに近づくこと
ができなかった別の院長

修道士 昨年、私の馴染みのシトー会の院長が、伯父フイリップの皇帝権を継承した神
聖ローマ皇帝フリードリヒに遭遇し、話をしようとしたとき、院長の馬がいななき、押さ
えがたく棒立ちになったので、おとなしい馬に乗っていた皇帝にどうしても近づくことが
できなかった。
修練士 皇帝はその時何を考えていたのでしょうか。
修道士 皇帝は相当怒った、と私は思う。院長の馬で私も同じことを体験した。私は馬
のせいで彼のことを怒った。彼は大いに恥じて皇帝から離れ、その後その荒馬に乗ろうと
しなかった。この院長は、騎乗にあってはあまり慎重ではなかったが、老いて、素朴で、
非常に謙虚で、慎み深かった。
修練士 修道会にかかわる人たちに関して世俗の人が当然不満に思っていることは、神
にも好まれません。
修道士 君の言うことは正しい。われわれは神には良心を、人間には評判を負っている

- 130 -
からである。キリストによってすべてのキリスト教徒にこう語られている。<私に学びな
さい。私は柔和で謙虚だから(マタイによる福音書11、29)。>ユダヤ人と異教徒が
キリスト教徒に傲慢や傲慢のきざしを見つけ、キリスト教を恐れ、キリストの名を誹謗す
るとき、修道会にかかわる人たちの傲慢にたいする世俗人の怒りについてはもはや語るに
及ばない。
これについて、きわめて銘記に値する、あるサラセン人の言葉を君に話そう。

第15話 キリスト教徒は傲慢と貪欲のために聖なる地から追放されたと
アッコンで語った異教徒

われわれの用度係であった修道士ヴィルヘルムは、修道会入会前はユトレヒトの参事会
員だった。その地で、彼は若い時、十字架を受け取り、聖墳墓のために海を渡った。彼が
ま ち
乗った船がアッコンの港に達する前に、彼と他の者たちは、日の出前、都市のまわりのさ
まざまな場所でたいまつの火を見た。彼らは、あの火は何か、と船乗りに尋ねたとき、船
乗りは答えた。「今は夏、人々は、暑さを避け、涼を求めて天幕を都市の外に張っている
のです。」彼らはこの話を信じ、アッコンの港に入った。その時初めて彼らは、サラセン
人たちが都市を占領していたことを知った。
神聖ローマ皇帝フリードリヒの治下、われわれの罪のせいで聖地はシリア王サラジン(1)
の手に落ちていた。元々は敬虔で慈悲深い人であった、このサラジンの息子ノラジンは、
その時都市のなかにいた。彼が港にキリスト教徒の船を見て、一隻だけであったその船の
入港の理由が分かると、キリスト教徒に同情し、フランス語がたくみなある高貴な異教徒
をガレー船で遣わし、恐れなくてもよいと彼らに伝えさせた。この時まで、キリスト教徒
たちは、殺されるか、捕らえられるか、分からない状態に置かれていた。
その間、ドイツ出身のある高貴なキリスト教徒が、死に瀕していて、非常に立派な彼の
武具のすべてと、三頭の軍馬をこの異教徒を通じてノラジンに贈り、修道士たちの命乞い
をして言った。「私は三年間これらの武具でキリストに仕えるつもりであったが、それは
キリストの意志ではないらしい。」
ノラジンにこれらの贈り物を献上すべくキリスト教徒の使者が決められた。彼らの一人
がフランス語ができる修道士ヴイルヘルムであった。ノラジンは、贈られた品々を見ると、
深い敬虔の念で受け取り、個々の品、すなわち甲冑、盾、兜、剣、軍馬に接吻し、自分か
ら病み人を訪ねる、と返事をした。
その間、ドイツの高貴な騎士は死に、慎重に石を付けて海に投げ込まれ、沈められた。
同様に高貴であった別の騎士が病気になったので、彼の床に置かれた。翌朝、ノラジンは
さまざまな色のたくさんのガレー船に伴われて、キリスト教徒の船に乗り込み、贈り物の
礼を述べ、病み人のそばに座して、連れてきた医者と彼の病気の快癒について話し合った。
ダマスクスの彼の父の庭園で栽培したと言った、きわめて高級な種類の果物を病み人に贈
り、言った。「あなたたちすべてのキリスト教徒によくしてあげよう。」キリスト教徒たち
がいまも占領している聖都エルサレムに連れていってくれないか、と彼らが彼に頼んだと
き、ノラジンは答えた。「この都市に通じるあらゆる道に追いはぎがでて、あなたたちを
襲い、私の従者を妨害するならば、あなたたちは安全でないし、私にも不名誉です。」ノ

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ラジンは船を降りる際、病み人にも他の人にも別れの挨拶をして、キリスト教徒に故郷へ
戻る許可を与え、王の槍の紋章でサラセン人の攻撃からキリスト教徒を守った。
それから、先の高貴な異教徒は都市のなかに修道士ヴイルヘルムを連れて行き、彼にこ
う言って、尋ねた。「おお、若いお方、言ってください。あなたの国ではキリスト教徒は
掟をどのように守っているのですか。」彼は真実を語ることを欲せず、「非常にきちんと」
と答えた。これにたいしてエミール(2)は言った。「ではこの地のキリスト教徒の掟を話し
ましょう。私の父は高貴で、力があり、フランス語を学ばせるために、私をエルサレム王
のところへ遣りました。だが王は反対に彼の息子を私の父のところへ送りました。彼にサ
ラセン人の言葉を学ばせるためでした。それゆえ、私はキリスト教徒の生活のすべてをよ
く、いや非常によく知っています。エルサレムのキリスト教徒は裕福ではなく、お金のた
めに自分の姉妹や娘を、もっと悪いことには、十字軍兵士の快楽のために自分の妻を差し
出すほどでした。こうしてキリスト教徒の労苦を台なしにしました。彼らすべては貪欲と
肉の誘惑に浸り、何ら獣と変わることはありません。彼らがいかなる方法で服を裁断し、
ぴったり身につけ、裾に刻み目をいれたらよいかを、思いつくだけのことをするほど、彼
らは派手好きでした。それは靴でも同じです。」彼はこう付け加えた。「私の服、靴を見て
ください。いかに丸く、いかに広く、いかに簡素で小さいかを。」
先のヴイルヘルムがわれわれに話したところによれば、彼は修道士のようにだぶだぶで
広い袖の服を着ていた。服には多数の折り目や粋なところはなかった。彼は言った。「神
は傲慢で、贅沢なキリスト教徒を悪徳のゆえにこの地から追放しました。神はそれ以上彼
らの不正を耐えることができなかったのです。われわれはわれわれの力によってこの地を
奪ったとあなたは思いますか。けっしてそうではありません。」最後に彼はこう付け加え
た。「われわれはあなたたちの王の誰をも、あなたたちの皇帝フリードリヒをも恐れては
いません。だが、われわれの書にある如く、エルサレムの都市を含めてこの地をキリスト
教の信仰に戻すためにオットーという名のキリスト教の皇帝がすぐにも立ち上がるでしょ
う。」われわれはこのことを聞いて、その預言が、二年前にみまかったサクソン帝オット
ーによって実現されることを期待していたのだ。
その頃、サラジンはキリスト教徒たちに大きな人間性を示した。キリスト教軍の一部が、
サラジンの軍勢に殺害され、一部は捕らえられて、身体を切断されたとき、サラジンは進
んで投降した残りの住民が、厳重に監視された上で、この都市に留まることを許した。数
日が経過してから、キリスト教徒がどのように暮らしているかを、サラジンが臣下に尋ね
たとき、彼らは答えた。「王よ、彼らは獣と変わらない暮らしをして、遊び、貪欲、誘惑
に浸かっています。」そこで王は怒って、キリスト教徒たちを都市から追放させた。
修練士 ああ、痛々しいことです。ユダヤ人が恐れたこと、異教徒が呪ったことを、キ
リスト教徒が掟としています。
修道士 傲慢なる誘惑についてはここまでにしておこう。それでは、怒りに移ろう。

(1)Salatinus (1138-93)。エジプト王。1187年、十字軍を粉砕して、エル
サレムを占領。降伏したキリスト教徒を海岸に退去させた。彼の人道的な態度はキリ
スト教世界にも感銘を与えた。
(2)Admiraldus 司令官(エミール)。

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第16話 怒りについて

怒りは心の無分別な激情である。または別の記述によれば、怒りは激昂した魂の強烈な
憤りであり、復讐する欲情に燃え立ったものである。怒りから、争い、心の高まり、侮辱、
叫び、不機嫌、神への冒涜が生まれる。怒りは心のなかに潜在し、言葉として飛び出て、
不正をおこなう。それゆえ、ソロモンは『箴言』のなかでこう言っている。<怒りやすい
人は争いを起こし、血気にはやる人は、罪を起こしやすい(箴言29、22)>同じよう
に『集会の書』ではこう言っている。<怒りと憤りは呪わしい(集会の書27、30)。
>使徒ヤコブは『書簡』のなかで言っている。<ねたみと争いのあるところには、混乱と
すべての悪がある(ヤコブの手紙3、16)>

第17話 朋輩を争いの言葉のために殺害した者

われわれの修道院の二人の下僕が互いに言い争った。二人のうちの一人が狂わんばかり
に怒りに駆られて、予想だにしていない相手を修道院の外で襲い、殺害した。この男の試
練は大きかった。さて、いかに小さな火花は大きな火に発展したことか。火花は怒りで、
それに続く火は殺害である。一語のために背教者になるほど試された者たちを、私は知っ
うみ
ている。実に彼らをエジプトの六度目の災厄が襲ったのだ。すなわち、膿のでる腫れ物で
あり、狂気を伴う怒りである。背教は狂気である。怒ることは自然なことである。だがこ
の心の動きに際限がなくなるときに、悪徳と見なされる。
修練士 われわれに怒りを和らげさせ、忍耐の徳にわれわれをもっと燃え立たせる修道
士たちの他の例を今や聞きたいものです。というのは、世俗の人にあっては、怒ることと
憤ることは、問題のないことのように思われます。挑発されて、復讐しなければ、他の者
に軽蔑されます。
修道士 服従する人に怒り、目上の人にさえ、彼らから要請されても憤ることはいかに
危険であり、神に逆らうことであるかを例話によって知りたいかい。
修練士 知りたいものです。聞きたいです。
修道士 そうしたことが身に起きた人から直接私が聞いたことを君に話そう。

第18話 茨を巻き付けられた十字架上のキリストが夜、幻で副院長にあらわ
れたこと

立派で、厳格な人であるシトー会の副院長は、必要以上に、不当に、それもたびたび院
長の怒りを受けた。副院長はこのことで大いに試され、ふさわしいことであるにせよ、院
長の言葉に平然と耐えることはできなかった。主は自らの受難の例で彼のために試練の炎
を和らげようとされ、さらには不当な地位の高い人にも主のために冷静に耐えねばならな
いことを示そうとされ、次のような例で彼に教え示された。
副院長はある夜、浅い眠りのなかで、彼が院長と一緒に十字架像を運んでいる幻を見た。
院長は像の右腕を、彼自身は左腕を、こうして二人が釣り合って支えていたが、副院長が

- 133 -
支えていた十字架像の腕が彼の手からずれ、もう一方の腕は上がった。こうして不均衡に
なった。
すぐに副院長は目覚め、幻視を理解して、独りごちた。「ああ、哀れなことか、私は何
をしているのか。私はは院長と釣り合って主の身を運んではいない。私は心のなかで院長
に恨みを抱いている。」キリストの身は共同体であり、修道士たちが恭順によって結ばれ
ている十字架は、修道会の厳しさである、―実際そうであった―と彼は理解した。キリス
トの身である共同体を運び、保ち、支えるのは、特に院長と副院長の役割である。祈りに
よって運び、規律によって保ち、慰めによって支えるのである。院長は父の役割であり、
副院長は母の役である。副院長が院長とあまり気が合わないときは、キリストの身を院長
と釣り合って運んではいない。この副院長は、すべて述べたように、この幻視と彼の解釈
でもあまり正されず、抱いていた恨みを捨てなかったので、主はさらに恐ろしい実効ある
幻視を示された。
ある夜、彼は夢のなかであるとはいえ、明白な幻視によって、絵でもなく、彫刻でもな
く、生身の姿での、彼の前に十字架に架けられた救世主を見た。主は、身体の五個所を茨
かせ
の枷によって十字架に架けられていた。一つ目の枷は主の頭、つまり額とこめかみに巻か
れていた。二つ目の枷は胸のまわりに、三つ目は右手に、四つ目は左手に、五つ目は足の
ところがかかとと十字架に巻かれていた。あたかも主は彼にこう言われているようであっ
た。「わたしはかくも厳しい苦しみをあなたのために耐えている。あなたは同じように私
のために院長に耐えることができない。打擲ではなく、言葉のことを私は言っている。あ
なたは心にふさわしくない恭順によって苦しめられている。私はあなたのために死にいた
るまで、また茨の枷なる十字架の屈辱にいたるまで父に服従している。」
副院長自身が私に語ったことによると、主はすぐにつぎのように彼に幻視でお教えにな
った。主はこう言われた。「教会の頭であるキリストが茨で巻き付けられていることは、
あなたは、あなたと気が合わなくともあなたの頭、つまり院長に従わねばならないことを
示している。胸に巻き付けられていることは、あなたの意志があなたの院長の意志と一致
しなければならないことを教えている。胸のなかに心があり、心のなかに意志があるから
である。」出来れば、修道院を出るとしっかり決めるほど、彼の試練は進んでいた。
主は言われた。「主の手の鎖は、主が命じたこと以外にはあなたは何もしてはいけない
ことをあらわしている。茨の足で十字架に架けられていることは、主の同意なくしてあな
たは修道院を出てはならず、主の判断に従って、立っているか歩くかである。」
副院長はこの二つの幻視に驚き、教えられ、その後、院長の言葉や行為をキリストのた
めに平静に耐えることに努めた。
修練士 目上の人と争うことに、われわれは気を付けなければなりません。

第19話 副院長に強い返事をしたため、幻視のなかで十字架上の救世主か
ら退けられた総務長

修道士 昨年、総務長は院外の件で副院長と言い争った。自分が怒ったのは当然だと彼
には思われた。その夜、十字架上の救世主が地に横たわって彼にあらわれた。薄い透明な
布が身体を覆っていた。総務長が布をはずして傷に接吻しようとしたとき、救世主は、不

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機嫌に手でさえぎって彼を退けた。あたかもこう言っておられるようであった。「今夜、
副院長のことで私を呼んだあなたが、私の身体に触れるのは相応しくない。」
総務長はただちに目覚め、拒絶された理由を理解し、朝課が終わると、私が居合わせる
なか、副院長の足元に跪き、罪の赦しを願った。
修練士 もし修友(frater)に怒る者が裁きに値するなら、父、つまり目上の者に怒る
者はもっと罰の判決に服すことは当然です。
修道士 君の言う通りだ。血縁上であれ、精神上であれ、修友以上にわれわれは父に敬
意を払わねばならないからだ。
修練士 激昂して怒りの言葉を聖人、悪いことであるが、神自身に投げかければ、どう
なるのですか。
修道士 そのような言葉は涜神と言われる。怒りから生じ、たびたび厳しく神によって
罰せられる。

第20話 聖アブラハムを誹謗したため、三日後に死んだ学生

われわれの院長がパリで学んでいたとき、パリのある学生が聖アブラハム(1)を誹謗す
る言葉を吐いた。三日目に彼が死ぬと、誹謗の言葉を聞いたすべての人は、主は死の罰で
聖人の復讐をされた、と認識した。

(1)イスラエル人の祖。

第21話 悪天候のゆえに神を冒涜したため息子が稲妻に打たれた
騎士

五年前、ひどい嵐が起こり、ほぼ毎日の悪天候によって収穫が妨げられたとき、われわ
れに非常に近い村の出の、自由人である、われわれの教区のある騎士が、西の空が曇り、
雨をもたらす雲が起きるのを見て、怒って言った。「また悪魔が立ち上がるぞ。」彼はこう
言い終わると、起こった嵐で彼の息子が乳母の膝の上で死んだが、乳母は無傷だった。こ
の冒涜者は、今後は冒涜することがないように、他のことでも、つまり建物と役畜でも打
ち据えられた。カッセルの村のわれわれの農園が稲妻に打たれたとき、このことが起こっ
た。それゆえ、灰にして、虫なる、死すべき人が口を天に向けることは、非常に愚かであ
る。怒りはそのような、また他の数々の悪を生む。
修練士 もし神がかくも恐ろしく怒りの罪をこの世で罰せられるなら、神はこの悪徳に
与する人をあの世でも罰せられる、と思います。
修道士 そのことを次の例話で知りなさい。

第22話 埋葬後へそから上がる火を飲み込んだ怒りっぽい処女

ケーニヒヴィンターと呼ばれる近くの村のシュルトハイスが、昨年、私にきわめて恐ろ
しい話をしてくれた。彼によれば、少し前、修道士にして巡礼の男がわれわれの教会のミ

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サに参加していた。彼の横に、騎士の妻たちで、上品な女たちが立っていて、おしゃべり
に余念がなく、彼に祈りをさせなかった。ミサを終えると、彼は騎士の何人かを脇に呼ん
で彼らに言った。「騎士どの、私は祈りのためにこの教会に来た。悪魔に挑発されて、私
のまわりで彼女たちがおしゃべりしていて、私は全く祈ることができなかった。
私の村で私の若い時に起こった恐ろしい話をあなたたちにしよう。村に良家の少女がい
た。金持ちの娘で、怒りっぽく、けんか好きで、わめき散らし、彼女がいるところ、家で
も、教会でも、争いを引き起こし、憎しみをあおり、彼女の言葉の鞭を避けることができ
る者は、自分は幸せ者と思うほどであった。
ついに、彼女は死んで、教会の墓地に埋葬された。翌朝、われわれは教会へ行き、彼女
の墓から、煙が炉からのように立ち上っているのを見た。それで、われわれは驚き、これ
は何をあらわしているかを知ろうと思い、墓を掘り返した。すると、彼女の上半身は火傷
を負っていたが、へそから下の下半身は無傷のままであった。」
修練士 それは何を意味しているのですか。
修道士 彼女の生き方を知っていた人たちが語ったことを、話そう。どれだけ純潔の徳
が神に好まれるか、怒りの悪徳がいかに神に忌み嫌われるかを、神は彼女の身体で示そう
じょうたい かたい
とされた。彼女は処女であったので、神は彼女が純潔のゆえに上 腿と下腿を無傷のまま
にされた。彼女は大変怒りっぽかったので、怒りの座である胆のう、心臓、舌、手が火で
焼かれた。怒りは火である。それについて、『集会の書』にこう述べられている。<怒れ
る者の火のなかに薪を入れるな(集会の書8、3)。>つまり、怒れる者に怒る材料と機
会を与えてはいけない、ということだ。同じく、同書にこうも述べられている。<怒れる
人は火をつける(集会の書28、11)。>使徒ヤコブはこう言っている。<舌は火であ
って、不正の総体である。舌はわれわれの身体にあって、地獄から燃え立って、生まれな
がらの全身を汚す(1)。>
修練士 私が私の修友に絶対に怒ってはならないというあなたの言葉に私は驚いていま
す。
修道士 そうなれば、君は至福となろう。同じく使徒ヤコブは言っている。<自分は信
心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人
の信心は無意味である(ヤコブの手紙1、26)。>つまり、その信仰は無意味であり、
不純である。<舌は疲れて知らない悪で、死をもたらす毒に満ちている。われわれは舌で
父なる主を賛美し、また舌でわれわれは、神に似せて作られた人間を呪う(2)。>別の個
所にも舌についてこう書かれている。<死も生も舌の手のなかにある(箴言18、21)。

修練士 その比喩で、舌が手を持っていると言われるのですか。
修道士 舌が堅かったなら、しばしば死の原因は肉体と精神によるものであるから。し
かし、舌が柔らかく、好ましいければ、生の原因もまたこの両方によるものである。それ
ゆえ、ソロモンは言っている。<柔らかな応答は怒りを静める(箴言15、1)。>厳し
い話は憤りを高める。このことは ダヴィデで実現されている。ナバルの厳しい物言いは、
アビガルのやさしい物言いが引っ込めた剣を自分の死へと自らに抜かせた(3)。
舌の手のなかに死があるがゆえに、いと賢明なる創造主は舌の前に、骨と肉の二重の壁、
つまり歯と唇をお立てになった。しかし主は生きるために両方が動くようにされた。善に

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ついて語ることに生きる価値がある。
修練士 あなたの話し聞いて嬉しいです。
修道士 怒りの話はここまでにしておこう。

(1)ヤコブの手紙3、6参照。
(2)ヤコブの手紙3、6-8参照。
(3)サムエル記上25参照。

第23話 嫉妬とその娘たち

怒りの後に嫉妬が起こり、それは怒りから生じる。つまり、嫉妬は古い怒りであり、他
人の幸福にたいする憎しみである。嫉妬の娘は、憎しみ、不平、誹謗、近しい人の不幸に
たいする喜び、近しい人の幸福にたいする悲しみである。この悪徳は天使を悪魔にした。
この悪徳は人間を楽園から追放した。悪魔の嫉妬によって、死が地上に入ってきた。この
悪徳がいかに深刻で、危険であるかを、ヨハネは手紙のなかで短くまとめてこう言ってい
る。<兄弟を憎む者は、人殺しである(1ヨハネの手紙3、15)。>この悪徳が隠れて
いればいるほど、それは一層危険である。

第24話 嫉妬のゆえに他人から罪を着せられ、投獄され、栄誉でもって解
放された修道士

ある修道士が嫉妬のとげに刺され、負かされ、若い修友の一人にもっともひどい罪を着
せて院長に訴えて以来、そんなに月日は経っていない。院長はこの若い修道士をあまり信
用していなかったので、より重い罰を課すため、巡察師の到着まで告発を保留しておいた。
何が起こったことか。先の嫉妬深い修道士の策略は効を奏した。巡察師は総会で全員の前
で若者の罪を挙げ、若者が罪を否認して、無罪の証人として神を呼んだにもかかわらず、
彼を信じず、彼の修道服を短く切らせ、牢に入れた。
巡察師が去った後、義なる裁判官なる神は、先の嫉妬深い男を重い病気で罰せられた。
彼は死を恐れ、嫉妬のゆえに若者を告発した、と告白した。彼は聴罪司祭の助言で、この
ことを年長の修道士たちに打ち明けると、ただちに使者が巡察師のところへ送られた。巡
察師は驚いてすぐに修道院に引き返し、自ら牢に入り、若い修道士の足元に跪いて、知ら
ずに過ちを犯したことを許して欲しいと願い、反抗的でさえあった修道士を栄誉でもって
釈放した。
このことを私はその時巡察に居合わせた院長から聞いた。
修練士 この修道士はかくも厳しい試練で大きな功徳を得たと思います。
からざお
修道士 彼にとって試練は、黄金にとって溶解炉、鉄にとってやすり、穀物にとって殻竿、
ぶどうにとって搾り器のようなものであった。彼は苦しみのなかで耐えていたからだ。嫉
妬深い彼にとって嫉妬は、胃にとって毒、衣服にとって蛾、花々にとって黒穂病、身体に
とって病気のようなものであった。
修練士 もしあなたが嫉妬の試練について他の例を知っておれば、私に聞かせてくださ

- 137 -
い。
修道士 嫉妬は潜在する病気なので、語るに値したり、教化に役に立つである例は今の
ところ思いつかない。だが君が聞いて喜ぶ、ある敬虔なる嫉妬のことを君に話そう。

第25話 修友の修道女の熱意に嫉妬した少女

昨年、フリジアに近い、イエッセと呼ばれるシトー会のある修道院に二人の少女が勉学
のために連れてこられた。二人は一生懸命に学び、一方が他方に熱意と知識で勝るように
競い合った。その間、一方が病気になった。病気になった少女は、他方の進歩を妬み、大
いに試練に駆られた。彼女は他方がその間たくさん学ぶとができるのを案じたからである。
彼女は院長に来てもらい、院長に懇願して、言った。「院長さま、私の母が来れば、私は
母から六デナリウスもらい、私の病気が治るまで、相手に学ばせないように、それをあな
たに差し上げたい。彼女が私よりも勝ることを案じています。」これを聞いて、院長は笑
い、少女の熱意を讃えた。
修練士 嫉妬の薬は何か、言ってください。
修道士 愛の実行である。

第26章 ルドルフ師によってなされた嫉妬にたいする例話

私がよく知っていて、たびたび耳にしたケルンの神学校長ルドルフ師は、嫉妬深い者に
たいする緊切な例話を自分の学生に話した。「ある修道士が修友の一人を苦しまずには直
視できないほど嫉んだ。相手はこれに気づき、心の傷を治してやろうと欲し、かくも危険
な試練にあっている修友を、否試練に完全に負かされているこの人を、愛の実行により、
できるだけこの人を愛するようにした。彼はこの人の枕を裏返し、柔らかくし、服のほこ
りを払い、靴を床の横にそろえ、差し支えなく、できるかぎりなことをして、便利なよう
にしてやった。これで、嫉妬深い修道士は正気に戻り、嫉妬の毒を吐き出し、まともに見
つめることができなかった修友を、後にはさらにもっと多くの人を愛した。」
例話としての嫉妬の悪徳についてはここまでにしておこう。この悪徳は、愛である神に
は他の悪徳よりも一層好ましからざるからである。それゆえ、この悪徳を他の悪徳よりも
すべての人は一層避けなければならない。

第27話 怠惰とその娘たち

第四の位置に怠惰(accidia)が置かれる。それは修道士には苦しみが常であるから。
修練士 この悪徳の名称はいささか野蛮に聞こえますので、怠惰とは何か、どうしてそ
う呼ばれるかを、私は知りたいです。
修道士 怠惰は精神の混乱から生じる悲しみ、あるいは嫌悪感、あるいは心の計り知れ
ない苦しみである。それによって心の喜びが台無しにされ、心自体が絶望の底で破壊され
る。accidia は acidia とも言われる。怠惰は精神的な行いを緩慢にし、不快なものにする。
それについて、ソロモンはこう言っている。<怠惰な手は奴隷となる(箴言12、24)。

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>同じくこうも言っている。<怖れは怠け者を良い仕事から妨げる。弱くなった心は空腹
になる(箴言18、8。>セネカ(1)もそのことに言っている。<無頓着から生じる損失
は大きい(セネカ『書簡一』)。>
怠惰あるいは悲しみの後裔は、悪意、憎しみ、小心、絶望、命令にかかわる怠慢、許さ
れないことにかかわる心の逸脱である。怠惰は多くの人たちを試し、絶望によって多くの
人たちを破滅させる。
修練士 この悪徳の試練についての例話を付け加えてください。
修道士 怠惰によって苦しめられることは、いかに危険なことであるかを聞きなさい。

(1)Lucius Annaeus Seneca(前4頃―後65)


。ローマの哲学者。ストア主義を確立し、
キリスト教につながる道を準備した。

第28話 怠惰のゆえ徹夜課に起きなかった修道士

結果が証明しているように、ある修道士を悪魔が怠け者にした。朝課に起きるたびに、
小心と徹夜課にたいする怖れから汗びっしょりになるほどであった。それは病気によるも
のと思って、彼は横になり、衣で身を包んだ。ソロモンの箴言の如く、扉がちょうつがい
てんてんはんそく
に乗って回転するように(箴言26、14)、彼は怠けて床の上で輾転反側した。
ある夜、鈴の合図で他のすべての者が起き上がり、礼拝に急いだ。彼は起き上がろうと
したが、再び怠惰に妨げられて横になると、床の下から聞き覚えのない声がはっきりと彼
に語っているのが聞えた。「起き上がるな。汗をかくのを止めるな。そんなことをしても
無駄だからだ。」
この時初めて、彼は、怠惰の悪徳は悪魔にそそのかされたものと知り、幻の汗をぬぐい、
その後、このような怠惰に容易に従わなかった。
君は知るがよい。われわれが悪魔のせいで破滅しないように、悪魔がどれだけ、どんな
に望んでも、ずっとわれわれを試すことはできないのだ。悪魔はいやいやながらも、たび
たび神の力によって強いられて、試す人々に策略を漏らすのだ。

第29話 祈りの時に居眠りをして、十字架上の主に背を向けた司祭

シトー会士のある聖職者は、朝課を終えると、修道士たちが祈りと詩編にいそしんでい
る間、椅子の一つに横になって、祈りながらまどろむのが常であった。この時間に、特に
このような場所では、眠らず、祈りで目覚めているように、主は彼に示そうと欲せられ、
十字架上で彼にあらわれて、彼に背を向けて、こう言われているようであった。「あなた
は無精で怠惰なので、私の顔を見てはいけない。」このことはたびたび起こった、と彼は
証言した。

第30話 ハイスターバハのクリスチアンという名の修道士の試練と幻視

クリスチアンという名の、もう一人のハイスターバハの修道士は年齢は若いが、主の国

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に住む聖人の一人と思われるほど、きわめて敬虔な生き方をしていた。彼は生きることが
困難なほど身体が弱かった。
ある夜、朝課の賛歌が終わると、彼は頭を守ろうとして、祭壇の前の階段の上で平伏し
て、祈りの姿で居眠りしていた。彼が目を閉じるや、輝かしき童貞マリアがあらわれ、彼
女の衣で彼に触れて、目覚めさせ、言った。「クリスチアンよ、ここは眠りの場ではあり
ません。祈りの場です。
」彼はすぐに目覚め、目を開き、離れていく女性の後ろ姿を見て、
女性の声が語り終えるのを耳にした。
修練士 よきおこないにたいする怠慢のすべては悪徳からだけではなく、時には、病弱
からでも起こるということを、私はこの若者のことから分かりました。
修道士 人間の始祖の罪のゆえに、あらゆる試練は弱さでもある。われわれは人間の始
祖の罪により、七つの罰を引き継いでいる。つまり、空腹、喉の渇き、寒さ、暑さ、疲労、
病気、死である。これらの罰の効果がほどよければ、罰であって、罪ではない。しかし度
を超えておれば、罰であり、罪である。
修練士 あなたは何を疲労と呼ぶのですか。
修道士 人間が疲れるのは、眠気と何らかの無気力によるものだ。自然に則っているこ
とが悪徳にならないように、われわれは注意しなければならない。悪徳は、悪をなして自
然に生まれるのみならず、徳からでさえ生まれる。例えば、正義が程度を越えれば、残酷
に変わる。あまりの敬虔さは弱さになる。度を超した熱意は怒りと判断される。大いなる
温和は、無精とも怠惰とも言われる。それで君は他の徳のことも考えねばならない。
修練士 聖母が親しく目を覚まさせた先の若者の功績はわずかではなかった、と私は思
います。
修道士 彼の功績が大きく、いかに彼が天の国の人々に愛されたかは、次の例が明らか
にしよう。彼は頭の痛みのため、希望すれば、祝日の徹夜から外れてもよいという一般的
な許可を総会で得たにもかかわらず、強いられた時以外は内陣から出なかった。しかし彼
は病者の朝課を終えると(1)、聖堂に戻り、修道会が許したよりも長くそこに留まった。
ある日、その頃まだ平の修道士であったわれわれの院長ハインリヒさまが、彼にこう言
った。「クリスチアンさん、あなたはしょっちゅう頭の痛みをわれわれに訴えているが、
あなたは与えられた恩恵を使おうとはしない。」彼は答えた。「私はずっと内陣にいること
はできません。私は内陣の外に立って、他の人たちが詩編を歌うのを聞いていました。な
かに入ることを許されていないのは苦しみです。神が彼らと一緒に私の魂を喜ばせてくだ
さる慰めを、私は思い出すからです。」
この言葉を聞くと、院長さまは特別の友情により、その慰めは何かと問い、自分に言っ
てほしい、と切に願った。たびたび内陣で詩編朗読のときに至福な天使たちが歩き回って
いるのを、さらにすばらしいことだが、天使たちの王、人イエス・キリスト自身を見た、
と彼は院長に告白した。
修練士 この若者に大きな恩恵が与えられたのです。
修練士 当然のことだ。彼が修道会へ入って以来、ある時はものすごい頭の痛みのため、
ある時は天国への憧憬のために試練がない時はなかった。彼の修友のすべてが驚くほど、
彼は主の罰を大いなる忍耐で耐え抜いた。ある時、悪に誘惑されない主は、彼にたっぷり
お与えになった涙の恩恵を取り上げてしまわれた。このことのよって彼は大いに試された。

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修練士 さらに話を進める前に、なぜ神が義なる人たちからそのような恩恵をお取り上
げになったかを、知りたいものです。
修道士 それは四つの理由から生じているように思われる。つまり、恩恵が繰り返され
て平凡なものにならないために。恩恵の行使で心が傲慢にならないように。より大きな望
みで恩恵が求められるように。ふたたび得られた恩恵がより丁寧に守られるように。四番
目の理由は、許されうる罪である。
修練士 あなたが言われることは、うれしいです。
修道士 クリスチアンは、失った恩恵をひどく悲しみ、これを自分の罪のせいとした。
恩恵の再度の獲得のために昼夜祈ったが、効を奏さなかったので、主の十字架を思い起こ
し、こう独りごちた。「救世主が血を流された価値ある十字架に接吻する可能性が私にあ
れば、主は涙の恩恵を私に注がれるだろう。」
彼は、そのような希望に支えられて、ある祝日にミサが終わると、祭壇に近づき、聖な
る十字架に接吻し、取り上げられていた恩恵をさらに多く得た。
修練士 二本の十字架がわれわれのところにあります。そのどちらかであったか、知り
たいものです。
修道士 黒い木の十字架はアプリアからのものである。もう一つの赤い木の十字架は、
元々われわれのところにはなかった。ウルメンのハインリヒがコンスタンティノポリスの
聖ソフィア教会から運び出し、われわれのところへもたらしたものだ。
修練士 多くの恩恵を受けたクリスチアンがどのような最期をとげたかを、知りたいで
す。
修道士 彼は時々手によい香りを感じ、それに驚き、彼自身がその肢体である花嫁に文
字通りこう言うことができるほどであった。「私の両手は没薬を滴らせている。私の指は
えり抜きの没薬で湿っている(雅歌5、5)。」
修練士 たまたま彼は汚れのない手をしていたのでは。
修道士 彼は肉体は童貞ではなかったことを、君は知るべきだ。その香りが肉体の純潔
からよりも、心の徳から出ているのだ。それで食卓に向かうときには、この霊的な恩恵を
失っていた。彼は常に弱く、病気であるにもかかわらず、死の前のかなりの日々をこれま
で以上に苦悩の溶解炉のなかで溶かされ、火のなかの黄金のように試された。ある夜、夢
のなかに殉教者にして処女なる聖アガタ(2)が彼にあらわれて、慰めの言葉でこう言った。
「クリスチアンよ、この病気はあなたの負担にはなりません。この六十日があなたには六
十年に数えられましょうから。」
彼は目覚めると、幻視を自分で解釈することができなかったので、何人かにそれを打ち
明けた。煉獄における六十年のごとき彼の病気の厳しさが彼を罪から浄化した、と何人か
は解釈した。彼の六十日の病気が忍耐のゆえに六十年の功績となった、と他の者たちは思
った。この方が真実に近かった。
聖アガタの夜(3)、彼はこの世を去った。彼女の声を聞いてから六十日目であった。彼
は短い間に完全となって、多くの時を全うした。<息子は父の罪を負わない(エゼキエル
書18、20)>と言っている預言者の話が真実であることを認識するためには、君はあ
の修道士がボンの教会の司祭にて参事会員の息子であったことを知るべきだ。
修練士 法的な婚姻によって生まれなかったがゆえに、非常に不安がっている人のこと

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を聞いています。それらの例話を聞くことは彼らの役にも立つでしょう。
修道士 彼らが正嫡か、庶出か、不倫か、淫蕩によるものか、つまり不純な生まれによ
るものであるにせよ、彼らすべての者は洗礼の前には同じ鎖がつながれている。われわれ
はすべての神の怒りの子であるからだ。だが洗礼によって、われわれは恩恵の子となった。
しかしよき生命と最後の恩恵によって栄光の子の一人に数えられるだろう人のみが幸いで
ある。君の願いにより、私は敬虔な聖職者の息子で、ある敬虔な助修士のことを思い出し
ている。彼はほぼ絶望するほど自分の出自のことで試され、悲しみ、困惑した。
修練士 彼の試練の結果を知りたいものです。
修道士 彼の知り合いで、親しいある院長から私が聞いたことを君に話そう。私も彼と
面識がある。

(1)病人のために祈りは短縮されている。
(2)三-六世紀。シチリアで殉教したといわれる聖人。
(3)二月六日。

第31話 正嫡でなかったゆえに誘惑された助修士、ヴィレールのハインリヒ

その助修士の名はハインリヒと言い、ヴィレールで誓願を立てた。彼はヒンメロートの
修道士クリスチアン(1)の息子であった。このクリスチアンについての不思議なことを第
7部第16話で君に話そう。
ハインリヒは救貧院で貧者のために奉仕をしていた。彼は大いに恭順で、忍耐強く、憐
れみ深い人であった。彼は神を畏れれば畏れるほど、神から離れることを案じた。悪魔が
彼に、「お前は正嫡の子ではないので、天国の嫡子ではない」と言って、彼の心に絶望を
注ぎ込んだ。彼の心のなかでこの思いがふくらんで、聴罪司祭からも、聖書からも、例話
からも慰めを得ることが全くできなかった。神は彼をお憐れみになり、試練がきわめて強
かったある夜、夢のなかであったが、広い、長い家のなかを通って彼を連れて行かれた。
そのなかで彼は男女の大勢の人を見た。彼のところに声が聞こえた。「ハインリヒ、この
たくさんの人たちが見えますか。彼らはすべて正嫡であるが、あなたを除いて、すべて邪
悪である。」
彼はただちに目覚め、大いに喜び、夢幻が自分のためのものと理解した。この時点で、
なされた試練は止んだ。彼が生きている限り、すがる者をお見捨てにならなかった神に感
謝を捧げた。
修練士 内陣で居眠りすることは、怠慢なのですか。
修道士 習慣が、何人かが病気のせいにしている怠慢の罪を生み出す。しかし怠慢の罪
は、病気によるよりも、悪魔の働きによるものである。

(1)このクリスチアンは前話のクリスチアンとは別人。修道院入りの前に非嫡出の息子
を儲けていた。

第32話 修道士コンラッドが、内陣で居眠りをしている助修士の背

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中に蛇を見たこと

ある日、私が助修士のなかで非常に信心深い男と、われわれの聖堂の内陣でたびたび居
眠りする者たちのことを話をしていたとき、彼は私にこう答えた。「その居眠りが悪魔に
よるものであることを、確実に分かってください。ある夏の日の昼間、頌歌が歌われてい
たとき、そこで好んで居眠りする助修士ヴィルヘルムの背中を昼間蛇がはっているのを、
私は見て、ただちにそれは彼の居眠りから栄養を得ている悪魔であることが分かりまし
た。」
彼は、このヴィルヘルムに関するのこのような種類の幻をたびたび見たと言っていた。
そのように修道士リヒァルトが証言している。これを見た助修士は、コンラッドという名
の善良で正義の人であって、この人が大変優れていることを第八部で話そう。悪魔は夢の
なかで多くの人をいろいろな形で誘惑し苦しめている。

第33話 内陣で居眠りしていたとき、猫に目を閉ざされるのを人に見られた
助修士

ヒンメロートにほとんどいつも内陣で居眠りをする非常に怠惰な助修士がいた。彼の頭
の上に猫が乗っているのを、別の助修士がたびたび見た。猫が彼の目に足を置くやいなや、
彼はすぐにあくびをし始めた。彼はこれを見ることができた者の話からこのことを知り、
これ以上悪魔にもてあそばれないように、居眠りしている間、椅子が傾いて、猫を落とす
ようにした。こうして悪魔は策略で居眠りを妨げることはできず、この怠惰な助修士は神
の勤めにいっそう熱心になった。
この話をこの修道院のある助修士が私にしてくれた。悪魔どもが内陣で居眠りする者た
ちをどれだけ嘲弄するかを、次の例話から知りなさい。

は け
第34話 内陣で居眠りしているときに、麦わらの刷毛を悪魔から投げつけられ
た修道士フリードリヒ

フリードリヒという名の、われわれの年長者の一人は、人柄はよかったが、惰眠の悪徳
でことさら知られていた。彼が、ある夜、われわれの集まりが始まる前に、ヒンメロート
で朝課の詩編朗読に参加して、居眠りしていたとき、夢のなかではあるが、背の高い、醜
い男が自分の前に立っているのを見た。その男は、馬の汚れをぬぐう麦わらの汚れた刷毛
を手に携えていた。その男は修道士をさげすんで、こう言った。「なぜお前は一晩中ここ
にいて、眠っているのか。偉大なる女性の子よ。」男は彼の顔めがけて汚い刷毛を投げつ
けた。彼はただちに驚いて目覚め、それを避けるために頭をあげ、壁にひどく打ち付けた。
これがどれだけの嘲笑かを考えてみなさい。

第35話 内陣で居眠りして、周りに豚が見られた修道士

私は最近聞いた話を黙っておくわけにはいかない。内陣でたびたび居眠りし、まれにし

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か目覚めず、多くを黙し、わずかしか詩編を歌わない修道士がこの修道院にいる。彼の周
りにはしばしば豚が見られ、豚の鳴き声が聞かれる。豚が彼の口から落ちる長角果(siliqua)
を集めているものと思う。
修練士 長角果とは何で、何を意味していますか。
修道士 長角果は、詩編朗誦の価値なき言葉を意味している。そんな詩編の言葉を、怠
けてまどろむ者が口にだし、半分も発すれば集めて、豚、つまり悪魔どもに投げつける。
目覚めて、進んで、敬虔に歌い、熱心に詩編を朗誦する者は、髄を食べる。預言者の言葉
のなかに潜んでいる恩恵を手に入れるからである。これらの人を天国のエルサレムを讃え
る人たちと共に、神は、将来小麦の油脂、つまり神聖の幻で満たされるであろう。
修練士 霊的な鍛錬にたいする嫌悪は悪魔によるものであることが、このことからはっ
きり分かりました。
修道士 君の言う通りだ。詩編を歌い、祈り、聖書を読むや、すぐに眠りだす者も何人
かいるからだ。彼らは床で目覚め、内陣で居眠りする。同じことは、神の言葉を聞くこと
にも言える。彼らは世俗の言葉を聞くや、目覚め、神の言葉を聞くや、眠りだす。

第36話 説教の時に居眠りしている修道士をアーサー王の話で目を覚まさせた
院長ゲヴァルドさま

ある祝日に今の院長の前任者、ゲヴァルド院長が、総会でわれわれに戒めの言葉を述べ
ていたとき、特に助修士の多くが居眠りをして、いびきさえかいている者がいるのを見て、
こう言った。「聞きなさい、兄弟達よ、聞きなさい。アーサー(1)と呼ばれる王がいたとい
う、新しい、すばらしい話を君たちにしてあげよう。」彼はこう言うと、先へは進まず、
言った。「兄弟達よ、非常に困ったことです。私が神と話をしているとき、君たちは居眠
りをする。私がくだらない話をすれば、君たちは全員耳をそばだてて、聞こうとする。」
私もそこにいた。悪魔は、霊的な人のみならず、世俗の人をも眠気で誘惑し、邪魔をす
る。

(1)Artus 五世紀から六世紀にかけてブリテン島で活躍したと言われる伝説上の王。こ
こでは世俗の事柄の象徴として扱われている。

第37話 四十日間の断食をわれわれのところでおこなった騎士ハインリ
ヒ。彼が祈りの間もたれて居眠りをしていた石

ハインリヒという名の、ボンのある騎士が、四旬節にわれわれのところで贖罪をおこな
った。彼は帰宅してから、ある日、ゲヴァルド院長に出会い、院長に言った。
「院長さま、
あなたの聖堂のあの柱の横に置かれている石を売ってください。そのかわりに、あなたが
望むものを差し上げます。」院長は彼に言った。「何に使うのですか。」彼は答えた。「私は
それを寝床に置きたいのです。眠れないとき、頭をのせれば、すぐに眠れる効力があるか
らです。」贖罪の時に悪魔に惑わされ、彼が教会に来て、祈りのためにその石にもたれる
と、すぐに眠りに襲われた。

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同様の贖罪のためにヒンメロートに来たある貴族が同じような話をしたと言われてい
る。彼はこう言った。「この修道院の聖堂の石は私の城のどの床よりも柔らかい。」彼は祈
るときにはそこで眠ることをやめなかった。
修練士 神の奉仕で怠惰が重い罪でなければ、悪魔はそのようにわれわれをあのように
そそのかさないでしょう。
修道士 その悪徳のどれほど大きいかを、ある怠け者の罪について聞きなさい。

第38話 たびたび内陣で居眠りして、十字架上の主にあごを打たれ、
死んだ修道士

いつも内陣で居眠りをしていたある修道士についての非常に恐ろしい話を、カンプ修道
院の院長さまがわれわれに話してくれてから二カ月が経った。ある夜、他の者が詩編を朗
誦している間、彼がいつものように居眠りしていたとき、十字架にかけられた人が祭壇か
ら降りてきて、居眠りしている者を目覚めさせ、彼が三日以内に死んでしまったほど、彼
のあごに一撃を与えた。
修練士 あなたが言ったことは、驚きです。
修道士 怠惰な修道士は神と聖なる天使に不快をもたらす。それゆえ、あらゆる人の代
わりに怠惰な人についてヨハネを介してキリストがこう言っている。〈あなたは、冷たい
か、暑いかであってほしい。あなたはなまぬるいので、あなたを口からはき出す(ヨハネ
黙示録3、15-6)。〉
修練士 怠惰と苦悩は同じ悪徳である、とあなたが言ったことを私は覚えています。
修道士 怠惰は、精神の困惑から生じる悲しみであるので、そのことは正しい。怠惰か
ら悪と絶望も生じる。次に示そう。

第39話 神と天使の存在を疑って、天使が身体から出てしまい、心
で天使と魂を見て、再び天使が身体に戻った隠修女

昨年、ブロンバハの修道院長が、悲しみから生じた非常に恐ろしい試練をわれわれの院
長に語った。こういう話であった。
ブロンバハの修道管区に年頃の美しい少女が住んでいた。彼女は金持ちの娘であった。
両親が彼女を結婚させようとしたとき、彼女はこれを拒んで、こう言った。「私は天の花
婿イエスさま以外の誰とも結婚しません。」ついに、両親は娘のかたくなな態度に根負け
して、彼女の思い通りにさせた。彼女は、勝利をもたらせられたかのように、キリストに
感謝し、庵を作ってもらい、そこで司教から修道服を受け取り、隠修女として独りでただ
キリストだけに敬虔に数日間奉仕した。
だが、悪魔はかくなる徳に嫉妬し、さまざまな誘惑で彼女を乱し、苦しみの秘薬で彼女
の汚れなき心を毒し、元気な身体を弱らせた。まもなく彼女はさまざまな思いに揺れ、信
心が揺らぎ、自信を失い始めた。心の弱み、身体の衰弱、祈りのゆるみ、隠棲の苦しみが
彼女を襲った。
そうこうするうち、彼女がこうした危険のなかに置かれていたとき、司教から彼女の世

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話を委ねられていたシトー会の先の院長が彼女を訪問して、どのように暮らし、どのよう
に考えているか、と尋ねた。彼女は答えた。「私は悪い生き方をし、悪い考えを持ってい
ます。なぜ、誰のために私がここで隠棲しているかは、私には全く分かりません。」院長
は彼女に「神と天国のために」と言ったとき、彼女はこう答えた。「神がいらっしゃるの
か、神のそばに天使がいて、魂や天国があるのか、誰に分かりますか。誰かがそれを見た
のですか。誰かがそれを見て戻ってきて、私たちに伝えたのですか。」
院長はこのような言葉を聞くと、震えあがり、彼女に向かって言った。「なぜあなたは
そんなことを言うのですか。あなたの胸に十字を切りなさい。」彼女は答えた。「私は思っ
ている通りに話をしています。私は目で見る以外は、信じません。この隠棲にこれ以上耐
えることができなかったので、私がここから出るお許しをいただきたいのです。」
そこで院長は彼女の突然の苦しみが、悪魔にそそのかされたものであること、そして苦
しみから絶望が生じたことを知って言った。
「隠修女よ、悪魔があなたの栄光をねたんで、
あなたに危険な誘惑をしたのです。信仰に立って、力強くふるまい、あなたの心を強くし
て、神を受け入れなさい。友人と縁者が反対したにもかかわらず、あなたはこの敬虔な生
き方を選び、この隠棲を望んだのです。」
このように説得し、励ます院長の言葉に彼女は耳を傾けなかったので、自分が修道院へ
行き、戻ってきて、再度彼女を訪れるまでは、彼女が少なくとも一週間ここにいるように、
と院長は彼女に願った。院長は彼女になんとかこれを約束させると、修道院に戻り、修道
士たちに彼女の危険を説明し、一週間の間彼女のために特別の祈りを神に敬虔に捧げるよ
うに彼らに命じた。院長は個人の立場で、できる限り彼女のために神に祈った。一週間が
経ち、院長は彼女のところへ戻り、言った。
「娘よ、気分はどうかね。
」彼女は答えた。
「良
好です。父よ。こんなに気分がよかったことはなかったです。この一週間、私はうれしく、
気持ちが晴れています。あなたが行ってしまわれる前は、苦しく、絶望していました。」
院長は、彼女の気持ちが晴れた理由を尋ねたとき、彼女は言った。「父よ、私はないと思
っていたものを自分の目で見ました。あなたが行ってしまわれた後、私の魂は身体から出
ゆか
て、私は敬虔なる天使、聖人の魂、義人のための贈り物を見ました。私の庵の床の上に私
の肉体が、液汁のないひからびた葦のように生気なく、青白く置かれているのを、私は魂
の目で見ました。」
彼女は、院長から、魂は姿はどのようであったか、と問われると、彼女は答えた。「魂
は霊的な存在で、本質は球形で、月に似ていました。魂は四方八方見ています。魂がまだ
宿っている肉体に天使や魂があらわれるとき、肉体の姿であらわれます。肉体に宿る魂が
肉体から離れるとき、魂は魂となってあらわれます。」
修練士 この幻は、死者たちのところから戻ってきたモリモンの院長が、彼の魂はガラ
スの器と似ていて四方八方見ている、と言ったことと一致しています。あなたが第1部第
32話で言われたことを思い出します。
修道士 先の隠修女がアンチ・キリスト(1)の出現についてもいくつかのことを話して
いるが、ここで私は話そうとは思わない。多くの人がそれについての預言で騙されたから
だ。
修練士 主が、かくも敬虔でかくも純粋で純潔な心をかくも不純で、卑劣な誘惑で苦し
めるのをお許しになったのは、大いに驚きです。

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修道士 主の審判は捉えがたく、主の道は究めがたく、君が別のある隠修女の誘惑につ
いて聞いているように、彼女の誘惑が危険であればあるほど、最期はどのようであるか、
不明確である。

(1)Antichristus 背教を促す原因となる者または力。

第40話 信仰を疑い、絶望して、モーゼル川に身を投じた修道女

二、三カ月前、年配の非常に敬虔と思われていたある修道女が、苦悩の悪徳で悩まされ、
涜神、疑念、不信の心で苦しめられ、絶望するに至った。彼女が子供の頃より信じており、
信じなければならなかったすべてのことを疑い始めた。聖なる秘蹟に与るよう、誰も彼女
を説得することができなかった。修友や彼女の実の姪が、なぜそんなに頑ななのかと彼女
に尋ねたとき、彼女はこう答えた。「私は邪な者、つまり永劫の罰を受けるに値する者の
一人です。」ある日、副院長が怒って彼女にこう言った。「あなたがそのような不信心から
立ち直らなければ、あなたが死んだとき、私はあなたを原っぱに葬らせるだろう(1)。」彼
女はこの言葉を聞いて、口を閉ざし、この言葉をしっかり心に刻んだ。
ある日、修道女の何人かがどこかへ行こうとしていたとき、彼女はこっそり彼女たちの
後ろをついて行き、ある修道院が置かれているモーゼル川の岸辺に達し、彼女たちを乗せ
た船が岸を離れたとき、彼女は岸から川に飛び込んだ。
船に乗っていたいた人たちは、ポチャンという水の音を聞き、目を向けて、犬が飛び込
んだと思った。神意により、一人の人がそれが何かと確かめようと思って、そこへ近づき、
できすい
それが人であるのを見て、川に飛び込み、救い出した。すでに溺水状態だった人は、先の
修道女であることを知り、すべての人は驚き、彼女を手当てした。彼女が水をはき出し、
話すことができるようになると、彼女にこう尋ねた。「なぜあんな恐ろしいことをしたの
ですか。」彼女は副院長を指さして、こう答えた。「このお方が、私が死んだら原っぱに葬
らせる、と私を脅迫したのです。それで、私は獣のように原っぱに葬られるよりも、川に
飛び込んで、沈む方を選んだのです。」
修道女たちは彼女を修道院へ連れ帰り、今まで以上に念入りに見張った。苦しみからど
れほどの不幸が生じることか。この女性は子供の頃から修道院で育てられ、純潔で、敬虔
で、厳格で、修道生活に励んでいた。彼女に教育された少女たちは、他の少女たちより規
律を守り、敬虔である、と修道院の近くに住むある教師が私に語った。
大いに慈悲深く、いろいろな方法で選ばれし人たちを試され、哀れみをもって川から彼
女を救われた主が、彼女のこれまでの労苦に目を注がれ、最終的に彼女の破滅をお許しに
ならないことを、私は望む。
最近起こったこのような苦悩のたくさんの例話を君に話すことができよう。そのような
話を読んだり聞いたりすることは、病み人には役立たないのでは、と私は案じる。
修練士 何事も理由なしには生じないことを、私は学びました。どんなに完璧な者であ
っても、自分の力あるいは力の働きを過信せず、善を望まれ、おできになり、実行なされ、
完遂される神にすべてを委ねることを、神はお許しになると思います。
修道士 君の言うことは正しい。それゆえ、ロトの不従順な妻は塩の柱に変化した(2)。

- 147 -
そのことは悪人には警告、善人には励みとなる。

(1)不信心者は教会の墓地には埋葬されない。
(2)創世記19、26参照。

第41話 絶望して池で溺水した助修士

ある助修士が大変な苦悩から哀れにも最後に絶望に陥ってから、辛うじて三年が経過し
た。私がこのような恐ろしい不幸について話したり、書いたりするとき、場所や人の名前、
修道会の規模については述べたくはない。このことで修道士たちを侮辱しているように思
われてはならないからである。
私はこの助修士をよく知っていた。彼は若いときから老年に至るまで修道士たちの間で
賞賛され、非難されることなく暮らしていて、誰よりも修道会の戒律に厳格で、徳では誰
よりも優れているように思われた。彼はまれにしか話さず、まれにしか与えられた楽しみ
ごとに興じなかった。いかなる神の審判によるかを私は知らないが、彼は大いに自分の罪
のゆえに不安がり、永遠の生命について完全に希望を失うほど、悲しみ、臆病となった。
信仰を疑うことはなかったが、救済についてのみ絶望した。聖書の教えによっても力づけ
られることもなく、いかなる例話によってもゆるしの希望に至ることはなかった。彼はわ
ずかの罪を犯した、と人々は思った。修道士たちが、「どうしたのですか。どうして不安
なのですか。なぜ絶望しているのですか」と彼に尋ねると、彼はこう答えた。「私はいつ
ものように祈ることができず、それで地獄を畏れています。」彼は苦悩の悪徳に苦しんだ
がゆえに、怠惰となった。この両方から彼の心のなかに絶望が生じた。
彼は病舎に移された。ある朝、彼は死を予見して師のところへ行き、こう言った。「私
はこれ以上神と戦うことはできません。」師は彼の言葉をあまり気にかけなったので、彼
は修道院の近くの池に行き、身を投げて溺死した。

第42話 邪悪な助修士に狂わされ、井戸に身を投げた修道女

昨年、別の女子修道院で、動機は異なっているが、よく似たことが起こった。この修道
会のある修道女が私に話してくれたことだが、ある少女は、衣では修道士であるが、心で
は修道士ではないある下劣な男によって魔術的な方法で狂わせられ、彼が企てた誘惑に耐
えることができなかった。だが、彼女は自分の苦しみを人に打ち明けようとせず、ただこ
う言うだけであった。「ここから出たいです。ここへ来たことを悔いていますから。」彼女
は修道院を出ることが許されなかったので、苦しみに打ちひしがれ、誰も見ていないとき
に、井戸に身を投げ死んだ。そこらじゅう彼女を探し回ったが見つからなかったので、彼
女が「私は井戸で溺死するでしょう」と言っていたことを、数人の修道女が思い出した。
そこを探して見つかったが、死んでいた。
同じ頃、ある下劣な男が、別の修道院の修道女を同様の方法で連れ出し、はらませた。
彼女は修道院の外で死んだ。

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第43話 恋人に捨てられた悩みから首をくくった少女

十三年前、われわれの修道士が収穫から戻り、船でライン川を下っていて、ローデンキ
ルヒェンと呼ばれるケルンの近くの村に達した丁度そのとき、ある少女が生命を終え、地
に横たえられていた。彼女はある男との間で子供を生んだが、彼に捨てられたため、あま
りの悲しみのためこのようにして死んだ、と言われている。

第44話 賭で修道服を失い、悲しみで首をくくった若者

その前、ケルンのある若者が修道服を賭で失った。この不幸に悲しみ、自分の家の屋根
に上がり、首をつって死んだ。神にそぐわない悲しみがいかに危険であるか、君は分かる
かい。
修練士 こういう人たちの魂についてどう考えればよいのですか。
修道士 狂気や放心状態ではなく、悲しみと絶望のみが原因であるならば、彼らに永劫
の罰が下されることは、疑い得ない。理性が存在しない激昂しやすい人や愚かな人につい
て、彼らが神への愛さえもっているならば、どんな方法で死のうとも、救われることは間
違いない。
先の助修士について、彼をよく知っているある賢明な人に私が聞いたら、彼はこう答え
た。「彼が完璧に告白をおこなったとは私には思えない。神は、正義の裁きによって義な
る人と神を畏れる人たちを、わずかであるがたまに意識が危険にさらされることをお許し
になるが、哀れな死はお許しにならないからである。」次の例話を聞きなさい。

第45話 かつてブラウンシュヴァイクの代官だった修道士ボードワン

ザクセンの町ブラウンシュヴァイクにこの町の代官だったボードワンという名の高貴な
騎士が住んでいた。神の啓示により、彼は俗世を捨て、シトー会のリダグハウゼンと呼ば
れる修道院で修道服を受け取った。彼は修練期間中ずっと院長からも修練士長からもたし
なめられるほど、自分自身に厳しかった。彼は修道士になった。彼は普通の修業に満足せ
ず、多くの特別の修業を加え、彼用の課程を重んじるほど非常に情熱的であった。他の修
道士が休んでいる間も、彼は働いた。他の修道士が眠っている間も、彼は目覚めていた。
ついに、彼は度重なる徹夜と労働によって理性を失い、気が変になった。ある夜、修道
士たちが朝課のために起床する前に、彼は礼拝堂に入り、修練士の席に上がり、鐘の綱を
首に巻き、飛び降りた。身体の重みで綱が引っ張られて何度も鐘が鳴り響いた。堂守は驚
いて、礼拝堂に走り、修道士がぶら下がっているのを見て、さらに驚いた。堂守はすぐに
綱を切り、なおも小刻みに震えていて窒息しそうな修道士を下ろし、蘇生させた。この時
から、修道士は以前の感性を取り戻すことはできなかった。彼は依然生存している、と言
われている。彼がいつ、何を食べ、どれだけ眠ったらよいかを、彼は気にしていない。軽
率な熱意から怠惰の悪徳が時々生じる。
修練士 怠惰と苦悩から小心も生じることは、先に述べられています。しかし小心は悪
徳とは思われません。

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修道士〈悪い木はよい実を結ぶことはできない(1)。〉小心は、怠惰や苦悩に比べて悪は
小さいと思われるが、小心の誘惑はかなり危険である。良き生命へと心を変えようとす人
々を、小心はたびたび押し止め、心を変えられた人々がそれ以上変化しないようにする。
修練士 例話を聞かせてください。

(1)マタイによる福音書7、18参照。

第46話 沈黙を案じて黒の修道会で修練期を終えた神学校長

修道士 かつて黒の修道会(ベネディクト)の院長で、今はシトー会のある修道士が私
にこんなことを話してくれた。あるパリの教師がシトー会への入会を望んだが、小心から
一年間の沈黙を案じて、ベネディクト会に入会し、そこで修練期間を終えた。彼が修道士
になると、修友たちにこう言った。「皆さん、私はあなたたちに感謝する。あなたたちは
私に救いを与えてくださった。私がここへ来て、あなたたちのところで完遂したからです。
今、私はあなたたちの許可を得てシトー会へ移ります。私はあなたたちのところに身を置
くためにここに来たのではなく、私が恐れていた誘惑をあなたたちの間にあって和らげる
ためです。」
彼はシトー会のある修道院に来て、修練士として修練期に入らず、修道服を換えただけ
である。

第47話 修道会を試練と呼んだ高位聖職者

非常に学問があり、有名な教会のある高位聖職者のことを、私は今思い出している。私
が彼に、「何をずっと待って、ここへすぐに来なかったのですか」と尋ねると、彼はこう
答えた。「私は試練を受けたくないからです。」彼は厳格な戒律を試練と呼んだ。彼はずっ
とシトー会入会を望んでいたが、小心のせいでここまで妨げられてきた。このことにソロ
モンの言葉が合致している。〈風向きを気にすれば種は蒔けない(コヘレトの言葉11、
4)
。〉風は試練であり、種まきは回心である。修道会での試練を恐れる者は、修道会への
入会はできないであろう。以前に誓願をおこなったが、試練への恐れから修道院入りを躊
躇して、世俗で生活している多くの聖職者や平信徒がいることを、私は知っている。彼ら
は絶えず試練を目にするが、しかし修道院には多様な慰めがあるとは思っていない。

第48話 シラミを恐れて修道会を避けた騎士

人望厚く武芸に優れたある騎士が、カンプで修道士になったことを、シェーナウの修道
院長ダニエルが私に話してくれた。彼は同じく武芸達者な騎士を世俗で友人にしていて、
ある日、修道院入りを勧めたとき、友人は非常に小心な言葉でこう答えた。
「実に、友よ、
私が恐れることがなくなれば、いつか私は修道会へ入るだろう。」それは何かと修道士が
尋ねると、騎士はこう答えた。「服に付く虫だ。羊毛の修道服がたくさんの虫の滋養にな
っている。」修道士は笑って言った。「おお、屈強なる騎士よ、悪魔との戦いで剣を恐れな

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かった者が、キリストの軍勢でシラミを恐れなければならないのか。今シラミどもが君か
ら神の国をとりあげるとでもいうのか。」騎士はこの言葉にたいして何も言わなかったが、
しばらくしてから、行為によって答えた。修道士の言葉と模範に啓発され修道会入りをな
したからである。
後にこの二人がケルンの聖ペトロ教会で遭遇するということが起こった。カンプの修道
士が他方に規則通りに挨拶してから、笑ってこう付け加えた。「どうかね、修友よ、君は
まだシラミを恐れているのか。」相手は、どうしてそのような質問がなされたのか、よく
分かっていて、笑って、適切な、記憶に値する答えを返した。
「信じてください、修友よ、
もし修道士全員のシラミが一人一人の身体にくっついている限り、私は噛まれて修道院を
出ることはない、と確実に分かってください。」カンプの修道士はこの言葉を聞いて大い
に感動し、このことを多くの人に教化のために話した。
修道院入りの前は非常に小心だった者が、いかに心強くなったか分かるかい。それが修
道会に満ちている神の慰めによるものでないなら、なんであるか。
小心なる悪徳によって修道院入りを遠ざけられている人たちのことは、ここまでにして
おこう。修道院入りの後、小心によって試され、妨害されて進歩しない人たちのことを、
今や聞きなさい。

第49話 ケルンの聖アンドレアス教会の神学校長ゴットフリートの試練

ケルンの聖アンドレアス教会の神学校長ゴットフリートが、老年になって、体が弱って
から、固い決意で修道会入りをした。私は彼と修練期が一緒だった。彼が苦しめられたた
くさんの種類の試練を、私は見たり聞いたりした。ある日、彼が内陣に急ぎ、マントをは
おろうとしたとき、悪魔がこの試みを妨げ、マントを力強くはぎ取った。ついに、彼は激
しく疲れ、我に返り、悪魔の仕業であると知り、マントをはおるのを止め、十字を切って
敵を退散させ、その後悪魔に妨害されることはなかった。
修練期が終わりに近づいたとき、悪魔は、彼が世俗にあったときに快適と思っていたさ
まざまなことを彼の心に想起させ、修道会での多くの苦痛なことを認識させた。つまり修
道服の重み、長い徹夜課、沈黙、夏の暑さと冬の寒さ、定期的な断食と乏しい食事などで
ある。
これらのことのすべてを思うと、彼は小心となり、初心を完全に断念した。彼は私にこ
う言った。「私は修道会の戒律がこんなに厳しいとは思わなかった。わずかの者が肉を食
べ、修道士は上衣を着ずに眠れるもの、とこれまで私は思っていた。私はここへ来たこと
を後悔している。今は非常に悪い状態にあって、私が司祭であるヘルリスハイムの教会で
私は一人でミサをあげるつもりだ。神の恩寵によって、その教会で立派に、非難されずに
私に委ねられた民を教導することを、私は望んでいる。」私は彼に答えた。「善人の姿であ
なたを追放しようとしているのは、悪魔の誘惑だ。」彼はこう言った。「そういうことがよ
くないなら、私は聖職禄を再びもらい、修道院の回廊で部屋を探し、他の人たちが私を手
本として教化されるように私は戒律に則って生活しよう。たびたび内陣へ行き、できるだ
け切りつめて、貧しい人たちに施そう。」再度私はこう答えた。「それも悪魔の計略だ。あ
なたが元に戻るなら、みんなの笑い者になり、あなたに勧めた者は、あなたを昔の罪に陥

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れるだろう。」
彼はこうして逡巡していた。ある日、私が彼の横に座り、慰めの言葉をかけていると、
彼は詩編を手に取り開いてこう言った。「私が戻れば、修友たちがどう言うかを、見てみ
よう(1)。」彼が開けた第一行にはこう書かれていた。〈門に座る人たちは、私を非難し、
酒を飲んで、私のことを歌う(詩編69、13)。〉ただちに彼は叫んだ。「これは真実の
預言だ。」彼は言った。「この預言をあなたに説明しよう。もし私が聖アンドレアス教会へ
戻れば、参事会員たちは、彼らが教会の回廊に座るたびに、私を非難し、私を裁き、私の
魂の救済について私の魂の救済のことでいろいろ論じるだろう。夜な夜な、彼らが暖炉の
前に座って、酒を酌み交わせば、私は彼らの嘲笑の的となるであろう。」
こうして、彼は神の慈悲で正気に戻り、自ら勇気づき、修道士となり、しばらくしてか
ら心から悔い改め、神の元に旅立った。

(1)詩編の頁を適当に開けば、そこに神の答えがある、と信じられていた。

第50話 ゴットフリートの後継者ライナーの試練

聖アンドレアス教会の神学校長にして修道士ゴットフリートの後継者ライナーが、ゴッ
トフリートの死後、われわれのもとで修練士になったとき、さまざまな試練に悩まされて
小心となり、ある日、院長ゲヴァルドさまにこう言った。「私はこれ以上耐えることがで
きませんので、ここにこれ以上おれません。」院長が、「どこへ行きたいのですか」と問う
と、彼はこう答えた。「私は再度聖職禄をもらう必要があります。」それで、院長は賢明さ
ながら、厳しいふりをして、誰に言ったかは分からないが、こう叫んだ。「斧をもってこ
い。」修練士が、「なぜ斧が必要ですか」と尋ねたとき、院長はこう答えた。「あなたの足
を切断するためです。あなたがここから出て、われわれの修道院に恥をかかせるのを私が
許すよりも、あなたにここにいてもらった方がよい。」それで修練士は笑って言った。「こ
こにいる方がいいです。」この冗談によって非常に執拗な試練は止んだ。
修練士 考えてみますと、修練士は簡単に誘惑され、簡単に癒されています。
修道士 そのことを次の例話でよく聞きなさい。

第51話 修練期を終えても剃髪を受けようとしなかった修練士

ヒンメロートである修練士がきわめて安穏に修練期を終え、そこに残ることを総会で表
明した。修道士は剃髪されなければならず、彼の剃髪をする者が剃刀を革で研いでいたと
き、悪魔がこの若者の心を曇らせ、小心をもたらし、心変わりして、剃髪を受け入れなか
った。
当時ヒンメロートの院長であったマリエンシュタットの院長ヘルマンさまは、これを見
て、朗らかさを装い、若者に近づき彼の頭に両手を置き、この小心は悪魔によるものであ
ることを教え、この心揺らぐ若者をすぐに落ち着かせた。試練が収まると、周りの者が驚
くなか、若者の顔はすぐに晴れやかになり、剃髪を受け入れた。
先の院長が私に話したことによれば、修練士の表情は突然変化した。頬の黒み、唇の震

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えが、彼が心から理解したことをはっきり表していた。
修練士 これこそ試練は修練士には簡単に襲い、簡単に引く、と私が言ったことです。
修道士 修練士への試練は厳しく、強いが、言葉や例話でそれらを押さえることができ
ず、できるのは神の御力と慰めだけである。

第52話 涜神の霊に誘惑され、十字架上の主を見たことによって救われた修練

ある修練士が修練期間中、修道院入りする前には体験しなかった悪魔の誘惑に激しく苦
ことば
しめられた。それは 言 による受肉(1)についての誘惑であった。彼はそれを悪く思うほど
のことではなかった。悪魔は涜神の霊によって彼の心の情熱を消そうと努めた。彼が逡巡
している間は、彼はキリストのために多くの労苦に耐えることを拒んだ。
ある日、彼が修練士の内陣の祭壇の向かい側で一時課に臨んでいたとき、十字架上の主
の像が宙を彼の方に近づいてくるのを生身の目で見た。主はこう言おうとしておられるよ
うであった。「なぜあなたは迷っているのですか。私を見なさい。私は、あなたのために
生まれ、受難したのです。」しばらくの間、彼の目の前で十字架像は浮かんでいたが、臍
から上しか見ることができなかった。
それが何を意味しているか分かっているか、私が尋ねると、その修練士はこう答えた。
「主は私に恩恵を与えられました。主への畏敬を損なうような不純なものではありません。
主は、上半身だけを私に示し賜うたことが、それで分かりました。」
この時点で、今まではいかなる告解でも、いかなる祈りでも除くことができなかったあ
らゆる試練は止んだ。かかる試練は止んだが、誘惑者なる悪魔は消えなかった。悪魔は涜
神によって彼を打ちのめすことができなかったので、無精によって彼を修道院から追い出
そうと試みた。何日かが過ぎ、彼が定時課の祈りのため聖堂に行くことになって、入り口
に行くと、いつも悪魔が彼の肩を感じるぐらいに強く押すので、彼は座って、休まざるを
得なかった。彼は修道士になり、無精のどのような姿と戦おうとも、飽きを知らぬほど、
修道会で強く熱心であった。

(1)incarnatio Verbi ヨハネによる福音書1、14参照。Verbum caro factum est et habitavit


in nobis「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」

第53話 試され、夜の幻視によって二つの道から正しい道に戻された修練士

非常に厳しい試練を受けたが、神の啓示によってのみ救われたある修練士のことを、オ
ッターベルク院長フィリップはわれわれの院長に話した。この修練士はひどく厳しく試さ
れ、誰からも慰められず、修道院を出る決意をした。翌朝には世俗に戻ろうとしていたあ
る夜、彼はこんな夢を見た。
彼は門の前に立っていて、そこから二本の道が出ているのを見た。一本は右に、もう一
本は左に向かっていた。だが二本とも向かい側の森に通じていた。彼が岐路に来て、どち
らの道を取ろうかと迷っていたとき、そばに老人が立っているのを見た。彼は老人に言っ

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た。「より快適に進むには、二本の道のどちらが正しい道かを、もし分かれば、どうか教
えていただきたい。」これにたいして老人は答えた。「詳しく教えてあげよう。右の道は森
のなかでは短く、茨が茂り、斜めで、泥まみれで、きつい。その後、心地よく、長く、平
たく、様々な花咲く野が続いている。左の道は、森のなかでは快適で、平らで、乾いてい
て、歩くやすく、非常に気持ちよいが、長くはない。その後、長く、岩だらけ、泥だらけ
の、たいそう起伏のある見るも恐ろしい野が続いている。さあ、二本の道をあなたに示し
た。どちらにするかを選びなさい。」これを聞くと、修練士は目を覚まし、幻視は彼の試
練に一致していたので、自分の向けられたもの、と疑わなかった。
修練士 この幻視の解釈を聞きたいものです。
修道士 右の道は修道院の霊的な生活を意味している。左の道は世俗の肉的な生活を意
味している。森は木のように人間が年齢と共に成長し、死によって倒れる現在の生活であ
る。修道生活であろうと、世俗の生活であろうと、人生は短い。右への道はさし当たり修
道会の厳格さのゆえ茨だらけで、種々の試練のゆえに平らではなく、従順なへつらいのゆ
えに泥だらけであり、少数の自発的な貧困のゆえに狭い。右側に示されている永遠の生命
につながる道は狭い。長く、快適な野は楽園である。数々の困難を経てわれわれはそこに
達しなければならない。逆に、左側の道が示している世俗的、肉的な生命は、さし当たり
肉が必要なので快適である。キリストの左側を歩き、山羊と共に裁かれねばならない人た
ちを導くがゆえであるから。さらににぎわっているため平らで、不従順のゆえに乾いて、
多くの人が歩くため広く、踏みならされていて、目が望むため快い。
この修練士はこうして幻視を解釈して、彼は修道会脱会、小心、不安から救われた。
修練士 神がこんなに効果的に眠っている人の心を動かされるとは驚きです。
修道士 眠って試され、夜の幻視でかなりの力によって試練から救われた修練士のこと
を今私は思い出します。

第54話 夢のなかで聞いたハレルヤによって試練から救われたオルヌ修道
院の修練士ゲルハルト

オルヌ修道院は、私が第1部第6話で述べたフランドル(1)のシトー会修道院である。
チュワンの城の出のゲルハルトという名の高貴な騎士が、二、三年前オルヌ修道院へ入っ
た。彼は修練士となって修練士の内陣にいて、彼の頭の上の、上方の内陣で歌っている修
道士たちの声をたびたび聞いたとき、彼は試され始めた。ハレルヤ(2)が歌われるごとに、
一層彼の頭は苦しめられた。その時、声は特に高まるのが常であった。彼はそれで臆病と
なり、副院長のところへ行き、言った。「院長さま、私は頭のことで苦しんでいます。こ
れ以上私の頭の上での騒ぎに耐えることはできません。」院長は彼に慰めの言葉をかけた
が、彼にはあまり役に立たなかった。ある夜、彼が試されたとき、夢のなかでかつては敵
であった数人の騎士に周りを囲まれていて、彼らから逃れる余地はない、という夢を見た。
すぐにも捕まり、殺されると思ったので、主に向かって叫んだ。「主よ、今私をお救いく
ださい。」彼が辺りを見回すと、白衣の軍勢が彼方から近づき、彼の支援に急いでいるの
とき
が、すぐに目に入った。前を行く騎手が鬨の声の代わりにハレルヤをろばのように叫び、
何度も繰り返した。その叫び声で敵は驚き、狼狽して修練士だけを残して逃走した。

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彼は目覚め、夜の幻視で彼を囲んでいた者たちから救われたのみならず、彼を一層苦し
めていた試練からも救われたことを喜んだ。翌朝、彼は院長のところへ行き、上機嫌で言
った。「院長さま、あなたがたが私の頭の上でもっと高く、もっと大きな声でハレルヤを
歌うよう、お願いします。神を讃える叫びなら、今後私を苦しめることはないでしょう。」
彼は院長に幻視のことを詳しく話した。
このゲルハルトと面識のある今は亡きビルベヒのヴァルターがこのことをわれわれに話
してくれた。
修練士 少なからぬ修道士が修道会離脱のことで試される、と思います。
修道士 多くの者がそのことで試されるが、雄々しく抵抗する。他の者たちは意志でも
行為でも完全に圧せられる。ある者たちは試され、離脱の意志があっても、神の啓示や命
令によって倒れる前に修道院に呼び戻される。罰を受けて脱会ができなくなった者もいる。
修練士 それらの例を聞かせてください。
修道士 第一と第二の場合、それらの試練はごく普通なので、例を話す必要はない。最
後の例について、私が聞いたことを君に話そう。

(1)実際はブラバント。
(2)Alleluia ヘブライ語で「神を褒め讃えよ」の意。中世以降聖務日課で用いられた。

第55話 〈悪魔が彼の足の前へ歩むだろう〉という句で修道会離脱の試練
から救われたオッターベルクの修道士

オッターベルクのある修道士が、世俗に戻ることを公言するほど厳しい試練にさらされ
た。その話をした彼の院長フィリップが証言した。ある夜、この修道士が内陣にいて、い
つ、どのように修道院から出たらよいか、心から考えていて、嫌気がさして歌うことがで
きなかった。金曜日だったので、聖ハバクク(1)の歌が歌われる朝の祈りの際、先の院長
が修道士たちの間を鼓舞するために歩き回った。院長が心が揺れているこの修道士のとこ
ろへ来て、彼が歌っていないので、居眠りをしていると思い、身をかがめ、この時に歌う
ことになっていた句を彼の耳もとで強く歌った。〈悪魔が彼の足の前へ歩むだろう(2)。〉
その歌を聞くと、修道士は驚き、明らかにその預言の句にふさわしいと思われる彼の誤
った考えを、院長が知っていると思った。彼はこの預言者の句が、自分のためのものと理
解し、もし修道院を出れば、預言者ののろいを受け、道案内に悪魔がつくのではと案じた。
こうして彼は神の御力によって間違った企てから呼び戻され、もはや揺るがなかった。
彼が理解したことに、院長は驚いた。

(1)紀元前600年頃の十二小預言者の八番目。
(2)ハバクク書3、5参照。

第56話 夜世俗に戻ろうとして出口で頭が当たり試練から解放された修道女

ある修道女は修道院入りのすぐ後、修道会入りを悔やむほど、厳しく試された、と彼女

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自身が私に話してくれた。彼女が失った世俗の享楽と、修道院に無いので彼女が困ったも
のを、悪魔は彼女の心の目の前に幻出させた。これにより彼女は試され、ひどく悲しみ始
めた。彼女がこのような試練にこれ以上耐えることができなかったので、ある夜、誓願を
忘れ、床から起きあがり、修道院を出ようと欲し、塀を乗り越えて世俗に出るため、墓地
に通じている戸口のところまで来た。だが神意により、横木が強く頭に当たり、頭がふら
つき、後ろざまに倒れ、死んだようにずっと横たわっていた。ついに、彼女は意識を取り
戻し、こう独りごちた。「哀れな私は、どこへ行こうとするのか。私は悪魔から借りてい
たものを返した。神の意志により私はどこにも行けないので、今は修道院へ戻ろう。」
神は憐れみをもって、ある時には夢のなかで、ある時には預言によって、ある時には懲
罰によって、憐れみをもってその子たちをお守りになる。修練士の、さらには修道士のい
くつかの試練が人の言葉と例話によってではなく、神の力によってのみ癒されることを、
君はこのことから知り得よう。怠惰と苦悩の試練に関してはここまでにしておこう。
それでは貪欲についての例話を聞きたいかい。
修練士 この悪徳によって、世俗人のみならず、修道者も十二分に試されるゆえに、聞
きたいです。それでは、この悪徳を規定し、その娘を列挙し、例話を話してください。

第57話 貪欲とその娘たち

修道士 貪欲(avaritia)は、栄誉、あるいは、何らかのものを求めての飽くなきかつ恥
ずべき欲望である。この悪徳は別名金銭欲(philargiria)とも呼ばれる。この二つの間に
は違いがあるように思われる。貪欲はあらゆるものを持ちたいという限りない欲望である。
金銭欲の方は、財をためたいとひとえに願って手綱が弛められる欲望である。
貪欲の娘は、偽り(fallacia)、欺瞞(fraus)、proditio(裏切り)、偽証(periuria)、不穏
(inquietudo)、暴力(violentia)、憐れみ無き心の非情(contra misercordia obudurationes cordis)
である。貪欲は、獲得と保持の二つから成っている。この悪徳についてソロモンはこう言
っている。〈貪欲に従う者は、自分の家を滅ぼす(箴言15、27)。〉特にどこから世の
悪が生じるかを、主はザカリアにお示しになろうとして、彼につぼをお見せになった。ゼ
カリアはつぼの広い口から欲望を見た。同じ預言者によれば、つぼは地面全体を見る目で
ある(1)。使徒もこう言っている。
「諸悪の根元は貪欲である(1テモテへの手紙6、10)。」
世俗の人のみならず、霊的な人も貪欲によって試される。故郷へ戻ろうとするヤコブを
ラバンが追跡して、追いつこうとした(2)。ラバンはヤコブを引き留めることができなか
ったとき、言った。「あなたは故郷へ戻ろうとして、なぜあなたは私の守り神を盗んだの
か(創世記31、30)。」格闘家で詐欺師と解釈されるヤコブは、悪徳を騙さねばならな
い修道者を意味している。一方、白く輝くラバンは純粋を意味する。誰かが修道院入りで
世俗を捨てるが、回心しても心が貪欲から放れないことが、たびたび起こる。純粋な人は
正当にそのような人を追求してこう言っている。〈父の家をあなたは恋しがった。〉つまり
天国の故郷である。〈なぜあなたは私の守り神を盗んだのか。〉彼は、お前はなぜ貪欲を追
い求めるのか、と言っているようである。修道士たちが大いに望む金と銀から偶像が作ら
れる。それゆえ、使徒が貪欲を偶像崇拝と呼んだのは故ないことではない(3)。
〈神を見る人〉と解釈されるラケル(4)は、この世の財を求めながら、偶像を鞍の下に

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隠すかのような修道者の魂である。戒律が修道士に認めている身体に不可欠なすべては、
価値が低いがゆえに鞍と呼ばれうる。
修練士 シトー会は、貪欲であるとたびたび世俗人から非難されています。
修道士 彼らが貪欲と呼んでいることを、われわれは予知(providentia)と呼んでいる。
われわれを訪れる客のすべてを、われわれは戒律に従ってキリストのように受け入れなけ
ればならない(5)。もし彼らが宿を断られたなら、彼らはまず修道会の貪欲を非難し、そ
れからおそらく修道会の不誠実と無慈悲を非難するであろう。ある時には客と貧民のため
に、ある時には日々修道院入りをする者たちのために、またつまずきによって拒絶され得
る者たちのために、ほとんどの修道院は受け入れる義務を負っている。
完全ではないが、できるだけ、私はわれわれの財務管理人を弁護したい。彼らはたびた
び、望むにせよ、望まぬにせよ、必要から貪欲であらねばならない。貪欲の悪徳がこの世
でもあの世でもいかなる罰によって罰せられるか、財貨の軽視がこの世でさえいかなる栄
光と成果によって報いられているかを、いくつかの例話で君に示そう。あの世ではこの栄
光は大きい。

(1)ザカリア書5、6参照。ザカリアは旧約聖書中の十二預言者の一人。
(2)創世記31、19-32参照。
(3)コロサイの信徒への手紙3、5参照。
(4)ヤコブの妻。
(5)『聖ベネディクトスの戒律』第五十三章に基づいている。

第58話 ボンの参事会員に借財を否定し、歩くことができなくなった騎士カ
エサリウス

近くの村、ケーニヒスヴィンターの出のカエサリウスという騎士にボンの教会の参事会
長であるヒルミンボルトという名の実の兄弟がいた。彼はカエサリウスに教会財からケル
ン貨二十マルクを用立てた。参事会長が死ぬと、主任司祭と同僚たちは、カエサリウスに
宣誓させた。彼は借りた金銭を返すことを拒否し、もっと悪いことには、借りた覚えはな
いと主張し、彼らも証言によって立証することができなかったからである。騎士は欲につ
られて、宣誓し、偽誓し、馬に乗って逃走した。しかし神の御手から逃れることはできな
かった。道の中途まで来たところで、戻ろうとしたが、それ以上歩くことはできなかった。
諸悪の根元である貪欲のゆえに、主は彼の歩みを地に釘付けにされた。彼が偽ったので、
主は彼の言葉を奪われた。彼は話すことができず、進むことができず、ボンに戻ることさ
えもできないことを、神の正しい裁きで認識し、その時心に浮かんだ族長聖アブラハムを
敬虔に呼ばわりこう言った。「敬虔なアブラハムよ、あなたの力で私が言葉と歩みを取り
戻せるなら、すぐにボンに戻り、彼らに返済します。」
彼がこう言い終わると、すぐに話し歩み出した。借財を返し、偽誓について贖罪を果た
した。
このことをカエサリウスがわれわれの院長に話した。彼は素朴で、非常に実直な人であ
って、われわれの修道院で修練士として死んだ。

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修練士 神が世俗人の貪欲をこんなに厳しく罰せられるなら、修道士の貪欲をもっと厳
しく罰せられる、と私は思います。
修道士 貪欲の娘なる、偽り、欺瞞、暴力、憐れみ無き心の非情があるところでは、特
にそうだ。

第59話 総務長の欺瞞のゆえに主から罰せられた修道院

シトー会のある総務長は貪欲のゆえに試された。彼は〈貪欲に従う者は、自分の家を滅
ぼす(箴言15、27)〉なるソロモンの譬えを忘れ、ある寡婦を騙した。だが主は復讐
を忘れず、その年、修道院で作られるほとんどのぶどう酒を味や色が出ないほど悪くされ
た。院長はかくなる災厄には根拠があると考え、かつてケルンに来たキリストの処女、ア
クゼリナ(1)に、この罰の理由を主から啓示されるよう取りなして欲しい、とうやうやし
く頼んだ。
彼女がこうすると、これは、総務長が寡婦を騙したことによるものである、との啓示を
受けた。主はこう付け加えられた。「私は彼にもう一つのもっと重い罰を課すであろう。」
そうしたことが起こった。その年、ある騎士が納屋にあった修道院のほとんどの穀物に火
をつけた。こうして罰は止んだ。
修練士 神は非常に慈悲深いのに、一人の欺瞞だけで、なぜ修道院全体を罰せられたの
ですか。
修道士 ヨシュア記にあるように (2)、エリコから品を持ち去ったアカンの貪欲のゆえ
に神の怒りはイスラエル民全体に及んだ。神は慈悲深くあるとともに、正義でもあるから
だ。神が一人の罪のゆえに時々大勢を許される一方で、正義により一人の罪のゆえに多く
を罰せられるのを、なぜ君は不思議がるのか。
修練士 そういう事情であれば、誰をも騙してはならぬと司教法律顧問(3)をたびたび
戒めることは、下級の者には有益で、高位聖職者には必要なことです。自分自身にたいす
す鞭を裁き手に向けないためです。

修道士 わずかなパン種が練り粉全体をだめにするがゆえに、君の言っていることは正
しい。われわれが欲に駆られて、他人に損害を与えるなら、それを神は罰せられるが、わ
れわれが自分の財を手元に置いて、貧民に分け与えず、指し示されたものを無慈悲に前も
って彼らから奪う場合も、それを神は罰せられる。

(1)Aczelina 1121-95。クレルヴォーのベルナルドゥスの縁者。神秘家、シト
ー会女子修道院長。彼女は1182年ケルンで悪魔払いを行った。
(2)ヨシュア記7参照。
(3)officialis。

第60話 ヴィレール修道院に与えられた罰

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ブラバントにヴィレール修道院と呼ばれるシトー会の修道院がある。そこでは時々客と
貧民に多くの品が提供されていたし、今日も日々提供されている。その年、この地方の物
価が上昇したとき、この修道院の修道士たちは収穫を見積もり、人間の弱点としてありが
ちなことだが、不足を案じ、惜しみなく貧民になしていた支援を次の収穫まで-明らかに
なったことだが-悪魔の誘惑によって取りやめることを決めた。
この修道院の出のある修道士がわれわれに話してくれたのだが、その夜、修道院の上方
の養魚池の水があふれ出て、種々な修道院施設(1)に流れ込み多大な損害をもたらした。
義にして、神を畏れる人なる修道士たちは、この損害は彼らの罪によって、特に貧民にた
いして惜しんだことで起こったことと思い、決定を変え、以前と同じく与えることにした。
修練士 あの世での貪欲の罪について聞きたいです。
修道士 そのことは、死者の罰と報いについて扱うことになっている第一二部で述べよ
うと思う。その間、貪欲にたいするいくつかの例話を示そう。君が善の多くを認識するた
めであり、また貪欲によって試されたが、負けなかった人々が、多くの報いを獲得するた
めである。

(1)officina 水車小屋、工房、家畜小屋、鍛冶場など。

第61話 邪な総務長を解任してから、争われていた財産を相手に進
んで返したが、彼らから再度受け取らざるを得なかった院長

シトー会のある院長が私に語ったことによると、黒の修道会(ベネディクト会)のある
院長がクレルボーの院長のところへ来て彼に言った。「院長さま、私に鎌をください。私
はあなたに曲がった杖を差し上げましょう(1)。」クレルボーの院長は、相手が何を望んで
いるかを理解し、彼を受け入れ、新しい修道服を与え、彼が賢明であるのを知って、しば
らくしてから彼をシトー会の一修道院の院長に据えた。
同じ頃、この修道院の修道士たちが、ある財産をめぐって数人の俗人と争った。この件
は裁判官によって扱われ、院長と修道士たちのために判決がなされた。後に総務長は院長
にひそかにこう言った。「院長さま、今日私たちは訴訟でうまくやりました。私たちの件
はどう見ても正当ではない、とご承知ください。」
これを聞くと、院長は大いに狼狽したが、何も言わなかった。翌日、院長は集会室へ入
り総務長を呼び寄せ、彼を解任した。欲に駆られて真実を隠蔽したからである。
院長は訴訟相手たちに使者を遣わし、使者にこう言わせた。「みなさん、あなたたちの
財産はあなたたちのものです。今日から私はそれを取り戻そうとは思いません。」彼らは
喜んで立ち去ったが、院長の素朴さと律儀さに感動して、悔悟してすぐに戻り、長い間争
ってきた財産を喜び進んで修道院に返還した。院長はこれを受け取ろうとしなかったので、
彼らはこう言った。「院長さま、これらの財産のうちあなたの権限に属するものはお返し
します。私たちのものは神に寄進します。」
院長はまず受け取ることに同意した。総務長の邪な欲よりもむしろ院長の素朴な正義に
よって修道院は強化された。
同様なことを君は第6部第11話でクレルボーの院長ペトルスさまについて聞くであろ

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う。次の例話にあるごとく、義なる人たちは貪欲を嫌悪している。

(1)鎌(falx)は謙譲を、曲がった杖(curvum baculum)は支配を意味する。

第62話 シュタインフェルトの院長代理ウルリヒおよび彼が解任
した貪欲な助修士

聖クリサントゥス(1)修道院にある神学校長が滞在していた。彼はフランスの出身で、
名をウルリヒといい、きわめて賢明で学識ある人であった。学校からの収入では十分でな
かったので、借財をせざるを得なかった。プレモントレ修道会のシュタインフェルト修道
院のある修道士は、ウルリヒが非常に学識があると知って、修道院入りして修道院に移る
ようにたびたび説得した。ついにウルリヒは神に啓発され、こんな言葉で答えた。「私に
は若干の借金があります。それを支払ってくれれば、あなたのところへ行きます。」シュ
タインフェルト修道院の院長代理(2)はこれを聞くと、進んで借金を肩代わりし、ウルリ
ヒは修道服を受け取った。しばらくしてから、彼はこの修道院の院長代理に就いた。プレ
モントレ修道会には院長(abbas)なる地位はまだなかったからである。ウルリヒは役目
柄家畜や財産ではなく、魂の世話を引き受けて、財を集めるのではなく、悪徳を根絶やし
にすることに苦慮した。貪欲は諸悪の根元であると知っていたからである。
ウルリヒの元に一人の助修士がいた。彼は外のものの管理では狡猾で慎重で、巧みで完
璧であって、すべては彼の手で処理されるほどであった。修道院の農園に関して、鋤であ
れ、家畜であれ、貯蔵品であれ、必要なことを一人で片づけた。彼はどこにいても、すべ
てのことに気を配り、何もないがしろにはしなかった。畑に畑を、ぶどう畑にぶどう畑を
加えた。
貪欲以上の罪はないとのことを聖書で読んでいた院長代理はこれを見て、ある日、この
「ところで、助修士(3)よ、なぜあなたは修道院へ入ったのですか。」
助修士を呼んで言った。
院長代理はドイツ語をうまく話すことができず、適切に表すことができなかったので、彼
が話すことは助修士たちには間違って、おかしなことと思われた。
助修士は答えた。
「院長さま、私が入った理由は分からないのです。」院長代理は言った。
「では言おう。私はここで私の罪を嘆き悲しむためにここへ来たのです。それではあなた
はなぜここへ来たのですか。」助修士は答えた。「院長さま、同じ理由からです。」院長代
理は言った。「あなたがあなたの罪を嘆き悲しむためにここへ来たのなら、贖罪者の姿を
取らねばならなかった。つまり、聖堂にたびたび入り、徹夜で祈り、断食をして、あなた
の罪のために絶えず神に乞い願うことです。あなたがおこなっているように、近隣者の土
地を奪い、自分に向けられた罵言を重ねるのは、贖罪者のおこなうことではない。」これ
にたいして助修士は答えた。「院長さま、私が手に入れる土地は、私たちの修道院の畑と
ぶどう畑と隣接しています。」院長代理は言った。「そうか。あなたが土地を買ったなら、
買った土地と隣接する土地をも買わねばならない。
〈家に家を連ね、畑に畑を加える者は、
災いだ。お前たちはこの地にお前たちだけで住んでいるのか(4)〉とイザヤが言っている
のをあなたは知らないのか。あなたの欲望には限度がない。この地方にあるすべての土地
かち
をあなたが買ったなら、ラインの川を徒で渡るであろう。それから山地(5)まで進み休ま

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ずについには海辺(6)にまで到達するであろう。海は大きく広く、あなたの歩幅は狭いの
で、その地で歩みを止めると私は思う。それゆえあなたの修道院に行き、昼も夜も罪を嘆
き悲しむために、聖堂を訪れなさい。もうしばらく待ちなさい。あなたは塵で、塵に戻る
ので(創世記3、19)、あなたの下に、あなたの上に、あなたの中にたくさん土地を持
つであろう。」
年長の修道士の何人かがこれを聞いて、言った。「院長さま、この助修士が解任されれ
ば、この修道院は存続し得ません。」これにたいして院長代理は言った。「魂が滅びるより
も、修道院が滅びる方がよい。」彼は彼らの要求を受け入れなかった。
修練士 この人こそ真の牧者です。委ねられた羊は金や銀のはかないものではなく、汚
れのない子羊の血によって救われることを(7)、この人は知っています。
修道士 この人は言葉と行為で大いに輝いている。ラインハルトがケルン大司教に就任
し司教区の収穫が抵当に入れられ農園が荒れ果てていた頃、ラインハルトは彼の司教区の
いくつかのシトー会修道院から忠実で如才のない助修士を呼び寄せるよう助言を受けた。
助修士たちに農園を管理させ、彼らの働きで毎年の収穫を増やすためである。ラインハル
トはこの助言に同意し、カンプとアルテンベルクから幾人かの助修士を受け入れたとき、
先の助修士をも呼び寄せるよう助言を受けた。誠実な使者が遣わされ、彼は司教からの挨
拶を院長代理に述べ、こう付け加えた。「私の主人はわずかばかりのお願いをあなたにし
ています。お断りにならないでください。
」「命令するのではなく、請うのは私の主人には
ふさわしくありません」と院長代理が答えると、使者は言った。「あの助修士をある目的
のために寄越して欲しい、と司教は切に願っています。」これにたいして院長代理は非常
にへりくだって、しっかりと穏和に答えた。「私のところのあるグランギアには二〇〇頭
の羊がいます。別のグランギアにもたくさんの羊と同じだけの牛と馬がいます。私の主人
がそのなかから欲しいだけ連れて行かれてもかまいません。しかし私に委ねられた助修士
をそのような目的に使ってもらいたくありません。最後の審判の日に私は最高の牧者(キ
リスト)に羊と牛ではなく、私に委ねられた魂について釈明しなければなりませから。」
こうして院長代理は同意しなかった。
院長代理は別の高い志操を示した。つまり修道士の貪欲に反対する有益な例話である。
先の助修士が先のように管理者の役目を解任される前のある日、院長代理はグランギア
の一つへ行きそこで見事な子馬を目にした。院長代理が助修士に、その馬は誰のもので、
どこからのものかと尋ねると、助修士はこう答えた。「われわれの友人の立派で誠実なさ
る男が死ぬ際にわれわれに残していきました。」院長代理は言った。
「その人は敬虔からか、
それとも何らかの権限で残していったのですか。」助修士は答えた。「彼が死んでわれわれ
のところに落ち着きました。われわれの眷属であったので、彼の妻が貢納(7)の掟に従っ
てわれわれにその子馬を納めたのです。」
院長代理は頭を振り、こう敬虔な言葉を返した。「彼は人柄が良く、われわれの忠実な
友人だったから、彼の妻から奪ったのか。馬を寡婦に返しなさい。他人のもを手に入れ保
持するのは泥棒だから。それは前はあなたのものではなかったから。」
院長代理は賢明な人だったので、修道院の用務で外出するときには、若い修道士を同伴
させることを好まなかった。それは悪魔の誘惑のゆえに若い修道士には勧められないこと
を彼は分かっていたからである。

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ある日、院長代理は若い修道士の一人を伴い二人で騎乗しあることについて話を交わし
ていると、美しい娘に遭遇した。彼はわざわざ馬を止め丁寧に挨拶した。娘は立ち止まり
頭を下げて挨拶を返した。彼らが少し進んでから、院長代理は若者を試そうとしてこう言
った。「あの娘は非常に美しいと私は思った。」若者は彼に「院長さま、本当に私もそう思
います」と言うと、院長代理は、「一つのことで彼女は醜い。彼女には片目しかない。」若
者は答えた。「実に、院長さま、彼女には両目がありました。私は彼女をよく見ましたか
ら。」院長代理は怒って言った。「私はあなたを罰する(9)。あの娘が男か女か分からない
ほど、あなたは単純なのだ。」
院長代理は修道院に戻ると、年配の修道者たちに言った。「みなさん、私が若い修道士
を同行させない、とあなたたちはわたしを時々非難した。」彼は彼らに理由を説明し若者
を叱責し罰した。
院長代理がある時修道会の用務でシトーへ赴き、修道院長総会で演説するほど、学識が
あった。このことをその修道院の年配の修道士が私に話してくれた。
修練士 力ある人が金銭や物品を家来から不当に手に入れ、それで修道院を建てること
はよくあることです。修道士はそのような寄進を故意に受け取ってもよいのですか。
修道士 良心を苦しめるものはどんなものでも、良心を汚すものだ。そのことは時々神
の義なる判断によって生じることを知りなさい。次の例話から君は知るであろう。

(1)Chrysanthus 生没年不詳。古代ローマ時代の殉教者。妻のダーリア(Daria)と共
に 生き埋めにされて、殉教したと言われている。
(2)praepositus。
(3)原語は barbatus(ひげをつけた者)。助修士は聖職者と異なりひげを生やしていた
ところから。
(4)イザヤ書5、8参照。
(5)アイフェル(ドイツ西部からベルギーにかけての低い山地)、アルデンヌ(ベルギ
ー、ルクセンブルク、フランスにまたがる丘陵地)。
(6)ブルターニュ。実際、プリュム(ドイツ西部)修道院は九世紀にはライン地方から
ブルターニュに至るまでの領地を有していた。
(7)1ペトロの手紙1、18-9参照。
(8)curmeidia 中高ドイツ語 kur(選択)+ miete(報酬)から。農奴が死去したら、領主は
恩顧の報酬として最良の家畜か良質の生地かを選んで要求することができた。
(9)原文 ego consisederabo dorsum tuum.「私はあなたの背中を見つめるだろう。」つま
り背中への鞭打ちを意味している。

第63話 権力のある人によって設立された修道院を受け取ることを
恐れたとき、祈りの最中〈主よ、あなたは御名を恐れる者に相続
人をお与えになった〉と聞いた院長

ある権勢高く高貴な男が彼の領地にシトー会の修道院を設立しようとして、修道院に適
した場所を見つけると、ある時には買い取って、ある時には脅迫して住民たちを立ち退か

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せた。
その場所に修道士を遣わそうとしていた院長は、そのような方法で貧しい人たちの財産
を奪うことは神には好まれないのを案じ、このことについて神が意志を示し給うよう祈っ
た。この義なる人がこのことで長く苦しむことを、神はお許しにならなかった。ある日、
彼が祈っていると、こんな声が聞こえた。〈主よ、あなたは御名を畏れる者に相続人をお
与えになった(詩編61、6)
。〉
彼はすぐに立ち上がり、天から遣わされた預言の声で不信心な人たちが彼らの土地から
追い出され、神を畏れ、讃える人たちがそこに住まうことは、神の意志であると理解した。
びと
主はカナン人と他の不浄な民の土地をイスラエルの子たちに与えられた、と述べられてい
る。しかしこのことは例として引き合いに出されてはならない。どんな貪欲もどんな不正
も修道士は嫌悪すべきであるから。
修道士 俗人が修道士たちの近くに住みたがらない場合には、一層そのようなことで争
いを避けねばなりません。

第64話 司教フィリップがわれわれの修道院を設立したときに言っ
たこと。

修道士 われわれの修道士たちが大司教フィリップさまによってシュトロームベルクに
呼ばれたとき、その地の数人の住民が相続人のことを案じて彼を非難した。彼はふさわし
い言葉、つまり敬虔な言葉を返した。「神を絶えず讃え、私のためにも私に委ねられた人
たちのためにも祈る義なる修道士たちが私の司教区のどの村にもあらんことを。そうなれ
ば私の教会の状況が今よりもずっと良くなると思う。彼らは誰も損なわず多くの人に役立
つであろう。彼らは財をすべての人と分かち、他人のものを奪わない。」

第65話 飢饉の時のハイスターバハ修道院の支援

主の受肉後の1197年、大飢饉が起こり多くの人が死んだ。当時われわれの修道院は
貧しく新しかったが、多くの人を救援した。門の前で多くの貧しい人を見た人たちが言っ
たところによれば、ある時千五百件もの喜捨がなされた。
その頃院長だったゲヴァルドゥスさまは、肉を食べるのを許されている収穫前の数日間、
一頭の牛を至る所で集めた野菜と一緒に三つの鍋で煮るよう命じ、パンと一緒に貧しい人
一人一人に分け与えた。羊や他の食べ物についても同じことであった。こうして助けを求
めに来た貧者のすべては、神の恩寵によって収穫まで生命を保った。私がゲヴァルドゥス
院長から直接聞いたのだが、思ったより早く貧者のための穀物が不足するのではないかと
案じて、非常に大きなパンを作るパン屋を非難すると、パン屋はこう答えた。「私を信じ
てください。院長さま、生地のパンは非常に小さいですが、かまどのなかで膨れます。小
さいままでかまどに入れられ、大きくなって取り出されます。」
パンはかまどで膨らむだけでなく、粉が袋や器のなかで増え、パン屋のすべて、それを
食べた貧民までもが驚いた、とそのパン屋、つまり今も生存している赤毛の修道士コンラ
ッドが私に言った。彼らはこういった。「神さま、この麦はどこからのものですか。」

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同年、慈悲深き神はその僕への愛をこの世でも百倍にもたらされた。シュパイヤーのア
ンドレアース師は、皇帝フリードリヒの宮廷とギリシアでも集めた財貨でブリティルスド
ルフに広大な土地(1)を購入し、われわれに寄進した。このような意志は神からでなくし
てはどこからのものか。

(1)allodium 地代や年貢が免除されている完全自由地。

第66話 ヒンメロートの修道院が同年に貧民に示した人間性および
神からたくさん受け取ったこと。

同年、われわれの母院ヒンメロート修道院は、大きいだけに一層豊かな、少なからぬ愛
を貧民に示した。妊婦が森のなかの修道院の門の前でお産をするほど、飢饉が貧民を圧し
ていた。キリストは、〈与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる(ルカ6、
38)〉という約束をお忘れにならなかった。与えるときに気前よかった者にはキリスト
は惜しみなくお授けになったからである。トリーアの聖シメオン修道院の参事会長ゲルハ
ルトは死に際に六百リブラを遺産として残し、そのうちの百リブラを貧民のために門での
施与を決めた。門番は百リブラを受け取りぶどう畑や畑を買わず、コブレンツで相当量の
小麦を購入しそれで収穫まで貧民を十分に支えた。。

第67話 神により貧者のための支出に倍で戻されたヴェストファーレ
ンの修道院

その飢饉の後、ヴェストファレンのシトー会のある総務長に遭遇した、とシトー会士フ
ォルマルシュタインのゴットシャルクが私に話した。ゴットシャルクが彼にどこへ急いで
いるのかと尋ねると、彼は答えた。「両替に行くところです。収穫の前の貧民が困ってい
たためわれわれは修道院の家畜を殺し、聖杯と書籍を担保にしました。価値が元の二倍に
なるほどの黄金をくれた人を今神はわれわれに遣わされた。それで抵当を買い戻し、再び
家畜を購入するために銀と交換しに行くところです。」
この三例は、修道士の貪欲を非難する人たちに向けられたものであって欲しい。
修練士 私は今初めて、〈与えなさい、そうすればあなたがたにも与えられる(ルカに
よる福音書6、38)〉という意味が分かりました。
修道士 キリストのために捨てたかあるいはキリストの御名によって貧者に与えたこの
世のものの代わりに天地の創造以来選ばれた人々に用意されている天国を君が手に入れる
ならば、あの世で初めてそのことを完璧に知るであろう。その日、人の子(キリスト)は
他の選ばれた人々とあなたのためにあなたが与えたものを列挙し、あなたは彼の約束を手
にするだろう。一体人の子は何を言われるだろうか。〈私は空腹だった。あなたたちは私
に食べ物を与えた(マタイによる福音書25、35)〉及びそれに続く言葉をか。ところ
で完璧な人々は主とともに裁くであろう。
修練士 喜捨にかくもたくさんの財が伴うならば、この短い人生で貪欲を追いかける者
は痛ましいです。

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修道士 〈与えなさい、そうすればあなたがたにも与えられる(ルカ6、38)〉と言
うこの句は客をもてなす人には非常に有益である話を私は思い出す。

第68話 院長の貪欲のゆえに貧しくなったが、〈ダテ〉と〈ダビトゥル〉の
二人の修道士を受け入れて再び豊かになった修道院

シトー会のある院長の話から私は知ったのだが、黒の修道会(ベネディクト会)と思わ
れるある院長は客をよくもてなし、貧者にたいし慈悲深かった。彼は慈悲のおこないに熱
心であったので、彼の熱意を妨げずに、むしろ推進すべき役目の人を修道院に置こうと努
めた。彼が多くの客を受け入れ、貧者にたくさんの愛を示せば示すほど、主は彼と彼の修
道院を祝福された。
りんしょく
院長の死後、彼の後継者は欲に駆られて慈悲の行為を放棄し、吝 嗇と分かっていた人
たちを任じて言った。「私の前任者は気前がよく、軽率だった。彼の顧問は奢侈だった。
ひょう
われわれの穀物が 雹 の被害を受け、飢饉のときに貧者を支援することができるように、
われわれは修道院の支出を抑え、正常にしなければならない。」
彼はこう言って貪欲を隠し、客を全く受け入れず、貧者へのこれまでの喜捨を廃止した。
隣人愛が無くなったとき、修道院の財産は増すことはなく、わずかの間にかなりの貧窮に
いたって修道士たちは食べるものにも事欠くほどであった。
ある日、品の良い白髪の男が門番のところへ来て宿を乞うた。門番はこっそりまた不安
を感じて彼を迎え入れ、できるだけそして時宜に適ったもてなし振りを示してこう言った。
「あなたをこんなにしかもてなせないのを悪く思わないでください。今は窮していますか
ら。かつてこの修道院の状態は、司教がおいでになれば、大いなる隣人愛で豪華にもてな
されるほどでした。」彼は答えた。「二人の修道士がこの修道院から追放された。その二人
が戻らなければ、この修道院はよくならない。一人の名は〈ダテ〉、もう一人の名は〈ダ
ビトゥル〉(1)。」こう言うと、この人は門番の前から消えた。
その人は天使であったと私は思う。天使を介して主は修道士たちにかつての隣人愛を取
り戻そうとされた。門番は俗人であったが、二人の名を覚えておいて、院長と修道士たち
に聞いたことを話した。再び客のもてなしがおこなわれ、すぐに主は修道院を以前のよう
に祝福された。
修練士 むなしい栄誉のためにのみ客をもてなし喜捨をする人たちのことは、どう考え
ればよいのですか。
修道士 そのような人は施しても罪を犯している。彼らは求めているもの、つまり人の
賞賛以外の何も手に入れない。他の人たちは永遠の生命のためにのみキリストに自らの財
を捧げる。主はこの世でも彼らを見捨てられない。ある人たちは両方のために捧げる。つ
まりこの世で豊かになり、あの世でも永遠の生命を得るためである。主は彼らをたびたび
二重の報酬で報いられた。この世では世俗の財によって、あの世では永遠の財によって。
ある人たちは貧しくても自分の財をキリストに捧げ、キリストによって豊かになり、悪魔
の誘惑で一層試されると、貧困を恐れて喜捨しない。
修練士 それについて例話をお聞かせください。

- 165 -
(1)Date(汝ら与えよ。)Dabitur(与えられるであろう)。

第69話 シトー会の院長をもてなし、豊かになったが、もてなしを止めて貧し
くなった女性

修道士 おそらく今も生存していて、シトー会の院長たちが修道院長総会のために立ち
寄り、宿を取るのが常である町に住んでいるある女性が、利を考え彼らの多くを客として
受け入れてからそんなに月日は経っていない。彼女は彼らを迎えて祝福されたと思い、無
償で馬に干し草を、次いで食事を提供した。彼女が提供すればするほど、それだけ豊かに
なった。彼女が彼らの礼と祈りで豊かになり、あらゆる財で溢れかえったが、窮乏を案じ
始め、こう独りごちた。「私はこんな支出を続けることはできない。貧しくならないよう
にこれからは止めよう。」
奇跡が起こった。彼女が客にいつもの食事の提供を中止するや、主も彼女から手を引か
れた。実の兄弟ダテが追放されたその住まいにダビトゥルが住み得なかったからである。
彼女が窮乏を感じると、ついに我に返り、怠慢の贖罪をおこない、元のおこないに戻りふ
たたび豊かになった。

第70話〈持っている人はさらに与えられるが、持っていない人は持
っているものまでも取り上げられる、はどのように理解され
うるか

修練士〈持っている人はさらに与えられるが、持っていない人は持っているものまでも
取り上げられる(マタイによる福音書13、12)〉とキリストが言っていることをどの
ように理解してよいか知りたいです。
修道士 もてなしの気持ちを持ち、慈悲深く、よい心で、明るい顔で客を迎え入れ、進
んで貧者を招き入れる人は、主に目をかけられ、この世でたくさん、時々述べられたよう
に百倍も与えられ、あの世でも永遠の生命で満たされよう。もてなしや喜捨の気持ちを持
たず、貧者や客を見ていやいや受け入れ、悪意と不平を言いつつ最低のものを提供する人
は、神の正しい判断で世俗の財は手に入らないか、他の人たちに奪われ無くなり、信者の
寄進は増えることはない。
修練士 その解釈は前述の例話で十分納得がいきます。
修道士 キリストのために物惜しみしない修道士は豊かになるが、キリストの命令に反
して物惜しみする修道士は貧しくなることは、度々起こるので、両方の例話を加えよう。

第71話 マリアラーハの修道士の客のもてなし

トリーア司教区のマイエンフェルトに場所に由来してマリアラーハ(1)と名付けられて
いる黒の修道会(ベネディクト)の修道院が置かれている。人と財に恵まれ、修道生活で
もわれわれ地域の他の修道院よりも栄えていた。ある日、ここへ一人のザクセン人が宿を
求めて訪れた。彼は手厚く迎え入れられ、喜んで立ち去った。

- 166 -
それからしばらくして、ザクセンで彼の友人の裕福な男が今際の際にあって彼の前で遺
したため
言を 認 めて言った。「私の魂のために寄進するもっとも良い所があれば、そこに寄進し
たい。」彼は友人に答えた。「ケルンの近くにきわめて信仰に準じた修道院があって、そこ
では実に神に仕える人々が生活していて、私が見てきたように、客のもてなしもすぐれて
いる。君が魂のために寄進するならそこよりほかはない。
」彼の助言でこのザクセン人は、
おそらく銀貨四十マルクを寄進してこの世を去った。
銀貨は召使いによって運ばれた。オットー王とフィリップ王の確執のゆえにケルンの状
況が悪かったので、使者はそこに銀貨を置いて徒歩でマリアラーハへ赴き院長に事の次第
を説明した。院長は総務長を遣わしてそこで銀貨を受け取らせた。この話を私はシトー会
のある敬虔な助修士から聞いた。

(1)Lacus(湖)。つまり湖(ラーハ湖)のほとりの聖マリア修道院。

第72話 黒の修道会の客扱いが悪い院長代理

ケルン司教区にベネディクト会のある修道院が置かれている。今私は貪欲な院長代理が
長であるその修道院の名を挙げようとは思わない。その修道院がかなり潤っていても、彼
は戒律(1)に基づいて進んで客を受け入れない。その修道院の代理人(2)でもある司教は、
院長代理が欲深く客扱いが悪いのを知っていたので、年に一、二回大勢の騎士とたくさん
の兵士とともにそこに宿を取った。院長代理は彼らを迎え入れるに当たって、一年間の客
を受け入れるに匹敵するほどに出費した。司教はもっと豊かな他の修道院を大切にして、
自分の財を与えた。〈持っている人はさらに与えられるが、持っていない人は持っている
ものまでも取り上げられる(マタイによる福音書13、12)〉という救世主の先の言葉
が実現されるためである。
修練士 貪欲にたいしては言葉と例話で十分語られたと告白します。暴食にたいしても
同じように行うようお願いします。
修道士 まず暴食について、暴食とは何か、その娘は何で、その誘惑が肉体と精神に関
していかに危険であるか、君に説明しなければならない。それについていくつかの例話を
君に示さなければならない。

(1)『聖ベネディクトゥスの戒律』第五十三章参照。
(2)advocatus 修道院の自治区域での国王の保護権、支配権、裁判権の代行者。

第73話 暴食とその娘たち

暴食は食べて飲むという唯一身体にとっての限りなく魅力的な欲望である。その娘は、
不純(immunditia)、おどけ(scurrilitas)、愚かな喜び(inepta laetitia)、多弁(multiloquium)、
知性に関わる無関心(hebetatio sensus circa intelligetiam)である。
暴食には罪を犯す五つの段階がある。第一の段階は高価で上等の食べ物を選ぶことであ
る。第二の段階は食べ物を大量に用意することである。第三の段階はいつもより早く食事

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をとることである。第四の段階はむさぼり食べることである。第五の段階はあまりにもた
くさんとることである。
楽園で最初の人間は食欲に負けた。食欲はエサウから長子の権利を奪った (1)。食欲は
ソドムの男たちを最大の罪に駆り立てた(2)。食欲はイスラエルの子たちを砂漠で滅ぼし
た。食べ物が口のなかにあるうちに神の怒りが彼らに下った(3)。ソドム人の不正はあり
あまるほどのパンと贅沢である(4)。神の人、つまりアブドはペテルへ遣わされて、パン
を食べたためにライオンに殺された (5)。毎日たくさん食べる裕福な者は、地獄に葬られ
る。〈料理人の王(princeps cocorum)〉ネブザルアダン(6)、つまり食欲がエルサレムを滅ぼ
した。暴食にはどれだけ多くの危険がひそんでいるか分かるかい。
さらなる聖書の証言を加えよう。ソロモンは言っている。〈役人らが朝から食い散らし
ている国はいかに不幸なことか(コヘレトの言葉10、16)。〉〈人の労苦はすべて口の
なかにあるが、心は満たされない(コヘレトの言葉6、7)
。〉
主は福音書で言っておられる。〈あなたたちが暴食と暴飲で心が鈍らないように気をつ
けなさい(ルカによる福音書21、34)。〉使徒も言っている。〈快楽ではなく、品よく
歩きましょう(ローマの信徒への手紙13、13)。〉
悪魔によるキリストの最初の誘惑は食欲によってなされた(7)。それについてヒエロニ
ムス(8)は言っている。〈キリストの戦いでは、最初の人間が負けた断食後の食欲にたいし
ての試練がまずおこなわれる。〉
この悪徳の試練がいかに強く激しいかを、最近起きた例で示そう。できるだけ順序よく、
さらにはアダム、エサウ、その他の挙げられている人々について、先に述べられた試練と
同じ方法を取ろうと思う。

(1)創世記25、27-34参照。エサウは、イスラエルの父祖イサクと妻ベリカの長
子。狩人になったが、空腹に負けて食べ物と引き換えに長子権を譲った。
(2)創世記19、1-11参照。
(3)詩編78、30参照。
(4)エゼキエル書16、49参照。ソドムはパレスティナのシディムの谷にあったペン
タポリスの主要都市。
(5)列王記上13、20-26参照。アブドン(Abdo)はヘブライ語では神の僕の意
味。
(6)Nabuzardan ネブカデネザル(バビロニア王)の軍の指揮官。princeps cocorum(料
理人の長)は、princeps militiae(軍の長)となるところをラテン語によって誤訳され
た。列王記下25、21参照。
(7)マタイによる福音書4、1-4参照。
(8)Hieroninus 347頃-420。聖人、ラテン教父、教会博士。四福音書のラテン
語翻訳を行い、ウルガタ聖書の基礎を作った。

第74話 果実を食べたために伯父の恩恵を奪われた学生コンラッド

ケルン大聖堂にシュヴァーベン出身の聖堂参事会長が住んでいた。彼は裕福で、賢明で、

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人望があり、皇帝フリードリヒの宮廷で非常に尊重されていた。
彼は果樹園に新しい果物の木を植裁させ、木に花が咲き出すと、わずかな果実の一個も
実が熟す前に一番成りを味わう目的で実をもぎとらないように家人のすべてに恩恵、さら
には罰をもちらつかせて命じた。すべての者は彼の命令を守ったが、彼の縁者であって、
また彼のお陰で聖アンドレアス教会の参事会員に就いたコンラッドという名の学生がその
果実を見て欲しくなり、伯父の命令を無視し、おそらく一個だけもぎ取り、口にした。
参事会長はこのことを知って、怒りと憎しみがわきあがり、甥を追放し、罪を許してや
れと誰にも言わせないほどであった。参事会長は甥にさまざま奨励金を与えようと考えて
いたが、その日以来甥をあらん限り苦しめた。
私はこのコンラッドをよく知っていた。聖アンドレアス教会の聖歌隊先唱者であった。
君にも分かるだろうが、この人の試練の罰はアダムの罰と一致している。アダムは果実の
ために楽園から追放された。コンラッドは伯父の住まいと富から追放された。
修練士 アダムが楽園の果実のすべてを心得ていたとはいえ、一本の木について自制し
得なかったのは不思議です。
修道士 多くの人は根拠なくアダムを不服従のゆえに弾劾し、次の例話に見られるよう
に果実を軽視し試練の力を考えない。

第75話 主人の命令に反して小箱を開き、主人の恩恵を失った下僕

ある主人に忠実な下僕にして全財産の有用な管理人がいた。ある日、この二人は主の掟
に反して果実を食べた不従順なアダムについての話しに及んだ。下僕はアダムの無節操ぶ
りに怒って言った。「神については何も言いませんが、私があなたから厳しく禁じられれ
ば、決してしません。」
主人は黙っていた。二、三日後、下僕が注意を怠り、アダムを否定してなされた話を忘
れていたので、主人は閉まっているが、鍵がかかっていない箱を下僕に渡して言った。
「お
前を見張るためにこの箱を預ける。もしお前がこれを開けば、労苦のすべての報いは失わ
れずっと私の恩恵はなくなろう。」主人は何度もこのことを下僕の心に留めさせた。下僕
は自室に戻ると、箱のなかに何が入っているかを知ろうとして、ただちにさまざまな思い
で逡巡し、誘惑に心が揺れ始めた。たびたび箱のところへ行き、辺りを見回してこう独り
ごちた。「私が箱を開けたらどうなるだろう。私は一人で誰も見ていない。問われたら知
らないと言えばよい。私の罪を証明する者は誰もいない。」彼はついに誘惑に負け、箱を
開けた。するとなかに閉じこめられていた小鳥が飛び出てきた。
それから下僕は非常に悲しみ、神秘を理解した。彼は箱を戻せと言う主人の足下に平伏
して許しを請うたが、許しは得られなかった。主人は彼に言った。「役立たずで不従順な
奴め、お前は人間の始祖の不従順を非難しお前の罪を私に委ね自らを弾劾した。私のとこ
ろから去れ、お前は今後私の顔を見ることはなかろう。」
このことをケルンの聖セヴェルヌス教会のある参事会員が私に話してくれた。老齢で、
真実を語り、修道士のように暮らしていた。同じようなことはザクセンでも起きた。

第76話 誘惑に負けて、夫が禁じた池に入った騎士の妻

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ヴァイダのハインリヒ(1)は裕福で、権勢あり、有名な騎士で、ザクセン大公ハインリ
ヒ(2)のミニステリアーレであった。彼と面識があって、私が話そうとすることをたまた
ま覚えている多くの人がまだ生存している。
彼には愛していた品のよい妻がいた。二人の間でエヴァの罪について話がなされたとき、
女性によくあることだが、彼女はエヴァを誹謗し移り気な心を非難しだした。エヴァはわ
ずかな果物のために食欲を満たし、人間全体に多くの罪と不幸をもたらしたからである。
夫は彼女に答えた。「お前はエヴァを非難してはいけない。お前もそのような誘惑で同
じ事をしたかもしれないから。容易なことだが、お前が私への愛のゆえに守ることができ
ないだろうことを私はお前に命じたい。」彼女は尋ねた。「どんな命令なの。」騎士は言っ
た。「お前が湯浴みをした日には屋敷の汚水池に素足で入らないように。他の日はかまわ
ない。」屋敷全体の汚物が流れ込む悪臭のする汚い池だったからである。
妻は笑って命令にそむくことを恐れると、ハインリヒはこう付け加えた。「罰則を設け
たい。お前が従うならば、銀四十マルクをお前にやろう。そうでなかったなら、お前がそ
れだけを支払うのだ。」妻も同意した。しかし彼女が気づかぬうちに彼はこっそり池に見
張りをつかせた。不思議なことが起こった。この時から気品あって控えめなこの女性は、
この池の方を見ずには屋敷のなかを通ることができなかった。彼女が湯浴みをするごとに、
厳しくその池によって試された。彼女が湯から出ると、侍女に言った。「あの池に入らな
ければ、死んでしまうでしょう。」彼女はただちにすそをまくり上げ、あたりを見回し、
誰も目に入らなかったので、侍女を下がらせると、悪臭のするかの池に膝までつかり、あ
ちこち歩き回り欲望を満たした。このことはすぐに夫に伝えられた。彼は喜び、彼女を見
るやこう言った。「どうしたのか。今日は湯浴みをしなかったのか。」彼女は答えた。「し
ましたよ。」彼はさらに言った。「たらいでか池でか。」これにたいして彼女は狼狽して黙
っていた。命令にそむいたことを彼に気づかれたと彼女は知ったからである。彼は言った。
「お前の不動の心、服従、自慢はどうしたのか。お前はエヴァよりも簡単に試され、なか
なか抗わず、恥ずべきことをした。従って約束分を支払わなければならない。」彼女は支
払うことができなかったので、彼は彼女の上等の服のすべてを取り上げ、いろいろな人に
配りさしあたり彼女に悔悟させた。
修練士 人間の心が常にこのように禁じられたことに向かうのは、悲しいことです。
修道士 神の言葉を聞く前には、苦悩も試練もなく、宣教のラッパが戦いの合図を示す
や、苦悩の戦いがわき上がる。オリゲネス(3)はこの箇所についてこう言っている。〈私が
ファラオと話してから、彼はあなたの民を苦しめた(4)。〉
禁じられた後で試練との戦いがいかに強いかを、試練に負けるよりも死を選んだ騎士の
例話で君に話そう。

(1)ハインリヒ一世。1122-1195頃。ヴァイダの代官。
(2)ハインリヒ獅子公。1129-95。ザクセン大公、バイエルン大公。
(3)Origenes 185頃-254頃。ギリシア教父。膨大な聖書注釈をおこなった。
(4)出エジプト記5、23参照。

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第77話 禁じられた木による誘惑によって死んだが、負けなかった騎士の贖罪

私はある修道士から聞いたのだが、ある騎士がたくさんの罪を犯した。ついに彼は悔悛
の念に駆られ司祭のところへ行き犯した罪の告解をなし、贖罪を課されたが、果たすこと
はできなかった。彼が何度も試みると、ある日司祭は彼に言った。「先へ進まないことに
します。言ってください。罪にたいしてできることが何かあるのですか。」彼は答えた。
「私
のところに一本の果樹があります。食べることができないほど、その果実は苦くまずいで
す。もし良ければ、生きている限りその果実を食べないことを贖罪としたいです。」禁じ
られた後、肉や悪魔あるいはその両方に駆り立てられて試練がもっとも強く生じるのを、
司祭は知っていてこう答えた。「その木の果実を決して故意に食べないことをあなたの罪
のすべての贖罪としましょう。」
騎士は辞去し、課された贖罪を取るに足らないことと考えた。彼が庭に出たり入ったり
するごとにその木を見ないわけにはいかないところに木は置かれていた。彼が木を見ると
常に禁じられたことを思い出し、思い出すとすぐに厳しく試された。ある日、木の前を通
ると、果実が目に入り、禁じられた木によって最初に人間を試し、破滅させた木によって、
木のところへ行くように強く試され、木に向かって手を伸ばしたり、伸ばした手を引っ込
めたりして、ほとんど一日中そんなことをし続けた。ついに神の恩恵によって堪え忍んだ。
欲望に抵抗して煩悶し木の下に横たわって息を引き取った。
修練士 アダムにたいする試練がかくも厳しいのなら、倒れたのも不思議ではありませ
ん。
修道士 彼は重い罪を犯して誘惑に負けたのだ。外には迫る誘惑があり、内には支えら
れる恩恵があるからだ。
果実がきっかけで最初の人間が楽園から追放された話はここまでにしておこう。
修練士 果実のために服従せず楽園から追放された人たちのことに劣らず、空腹のエサ
ウがレンズ豆を煮て長子権を神の前で失ったことも私には不思議です。
修道士 エサウは空腹によってやレンズ豆を欲して長子権を失ったのではない。食欲に
駆られて、安い価格で価値あるものを軽視して売ったからだ。たびたびそのような食べ物
で生き、むさぼり食べるわれわれはこのことを恐れてはいけない。キリストのもとに向か
った後で享楽的な男たちにとって薬味の入っていない野菜が饗宴に変わるときには、それ
は神の大きな贈り物であるからである。それについての楽しい話を聞きなさい。

第78話 院長ギジルベルトが言っているように修道士の食べ物に加えた
三つの薬味

声望あり世俗で有名な騎士たち、フラッセなる渾名のウルリヒ、ヴァシャルトなる渾名
のゲルハルト、ケルンのカルルとマルクマン、および聖職身分や世俗の富裕な男たちがヒ
ンメロートで修道院入りをして修道生活が身に付いたとき、これらの騎士の知人にて友人
の世俗の出の一人が、今は亡き院長ギジルベルトに言った。「世俗で贅沢にしていた人た
ちが薬味の入っていない野菜、エンドウやレンズ豆を食べているのは不思議でなりませ
ん。」院長は彼に言った。「私が胡椒の実を三粒加えている。ほとんど食べて皿に残さない

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ほど、まずい料理に味が付けられる。」修道士は聞いたことが理解できずにいぶかしがる
と、院長はこう加えた。「あなたに説明しよう。第一の薬味は朝の祈りのための長い徹夜
である。第二の薬味は手仕事である。第三の薬味はおいしい料理の断念である。これらの
三つの薬味でわれわれの料理はすばらしい味になる。」
修道士はエンドウ豆やレンズ豆をたくさん食べるよりも、腹痛や憂鬱な気分を誘発する
ゆえそれらを避ける方が罪を犯している、と私は強く推測する。彼が供されたものを口に
しようとしないならば、もっといいものを求めるか、探すことが必要である。いつものよ
うに供されたなら、彼は小心者を怒らせる。彼にたいして拒むなら、彼は早々と無力とな
るであろう。腹を空かした修道士はきちんと断食をしたり、徹夜をしたり、労働をするこ
とができない。それゆえ聖ベルナルドゥスはある説教のなかで節食を強く非難している。
われわれの食べ物はそんなに滋養になるではないので、心行くまで食べる必要がある。
修練士 たびたび機会ある毎に世俗に赴き、ほとんど毎日豪華な食事を取る人たちのこ
とはどう考えればよいのですか。彼らは、修道院の食べ物で苦しんでいる修道士と功績で
同じとなるのでしょうか。
修道士 彼らを非難する権利は私にはない。誰もが労働に応じて報酬を受け取る。この
ことに関して、ある平信徒が枢機卿におどけてなした楽しい話を君にしてあげよう。

第79話 アルバーノの枢機卿ハインリヒにたいしての無学な修道士の言葉

アルバーノの司教にて枢機卿の今は亡きハインリヒさまは1188年に皇帝フリードリ
ヒの時代にサラセン人にたいする十字軍勧説をすべく教皇クレメンス(1)によってドイツ
に派遣され、われわれの国の数名のシトー会士を十字軍参加者として受け入れた。ある日、
彼らが一緒に馬を進めていたとき、ハインリヒはみんなに言った。「誰か敬虔な話をする
ことができる者がいるか。」一人の者が言った。「あの者が」とその名を私が忘れていたあ
る助修士(2)を指さした。敬虔な話をするようにと彼はただちに枢機卿から命じられた。
彼は、素人が学ある人に語ることなどないとまず弁解したが、ついにこう始めた。
「われわれが死んで楽園に連れて行かれると、われわれの父聖ベネデクトゥスがわれわれ
を出迎えてくれるでしょう。彼は修道服をまとったわれわれ修道士を見ると喜んで招き入
れるでしょう。彼が司教にして枢機卿のハインリヒを見たら、司教冠を戴いているのを不
思議に思ってこう言うでしょう。『あなたは一体誰ですか。』ハインリヒはこう答えるでし
ょう。『父よ、私はシトー会士です。』聖人はこう答えるでしょう。『そうではないでしょ
う。修道士なる者は角(3)などつけてはいません。』ハインリヒはかなり弁明するが、つい
に聖ベネデクトゥスはこう判断を下して門番にこう言うでしょう。
『彼を仰向けに寝かせ、
腹を切り裂いて開きなさい。腹のなかに薬味のきいていない野菜、ソラ豆、エンドウ豆、
レンズ豆、濃いかゆ、修道院にふさわしい食べ物を見つければ、修道士たちと一緒になか
に入れなさい。しかし上等な魚、世俗の豪華な食べ物を見つければ、なかに入れてはいけ
ません。
』」
それから助修士は枢機卿に向かってこう付け加えた。「この時何を言うつもりですか。
哀れなハインリヒよ。」この言葉にたいして枢機卿は笑って、話をほめた。
私がまだ子供だった頃、この尊崇すべき司教にして修道士がケルンの聖ペテロ教会で十

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字軍勧説をおこなっているのを聞き、大勢の人を祝福しているのを見た。彼は義にして敬
虔な人であって、どんな賄賂にも手を染めず、言葉と例話で多くの人を教化した。
修練士 ソドムの罪は飽き飽きするほどたくさんパンがあったこと、とあなたがさっき
言ったことを思い出します。
修道士 それは預言者エゼキエルの言葉だ(4)。〈主がソドムを滅ぼされる前に、その地
一帯は主の楽園やエジプトのように潤っていた(5)〉とモーゼが言っているように、ソド
ムはきわめて肥沃であった。ソドム人は飽食で時を過ごしたがゆえに情欲でみなぎった。
暴食が耽溺に火をつけたからである。
修練士 どういうことになるのですか。修道士がパンをお腹一杯食べるのは危険ですか。
修道士 私が上でレンズ豆について言ったことをパンに関して言おう。パンは主食であ
るので、ソドム人のパンとは、彼らは有り余るほど有しているあらゆる食べ物の過多を意
味している。シトー会のパンはあらくて黒いので、豊かさよりも貧しさを表している。修
道士がそれを嫌がってもっとおいしいパンを求めるなら、それを十分食べるよりも罪を犯
している、と私は思う。時々パンが最大の試練となる。

(1)クレメンス三世。175代ローマ教皇(在位1189-91)。第三回十字軍を推
進した。
(2)monachus laicus conversus(助修士)と同じで誓願は立てるが叙階を受けずに、
修 道院内の労務に服する者。。
(3)corniculatus 司教冠を角といって揶揄している。
(4)エゼキエル書16、49参照。
(5)創世記13、10参照。

第80話 キリストから脇の傷に浸したパンを与えられた聖職者

非常に贅沢な聖職者が修道会入りのためクレルヴォーに来てからかなりの月日が経っ
た。彼が当時は非常にあらかった修道院のパンとエンドウ豆を嫌い、また空腹にたいして
のみならず、次の食事にたいする不安から病気になったとき、ある夜、救世主が夢幻で彼
にあらわれ、修道士たちが糧としているパンの一切れを手に携えて、それを彼に与え、こ
う言った。「このパンを食べなさい。」修練士は答えた。「主よ、私はこのようなオオムギ
のパンを食べたことはありません。」キリストは脇の傷にそのパンを浸してから手を伸ば
してパンを食べるように命じた。彼がそれを食べると、パンは口のなかで蜂蜜のように甘
くなった。その時から彼はパンや、触ることもできなかった修道院の食事を喜んで口にし
た。悪魔は暴食によっては騙すことができなかった人たちを、無思慮で行き過ぎた節制に
よって滅ぼそうとすることを知りなさい。

第81話 パン半分の形を示されて悪魔に騙された修練士

われわれの年長の修道士がいつも話すのだが、ヒンメロートで悪魔が天使の姿で思慮深
くない修道士に食卓でパン半分の形を示し、それ以外は何も食べないように助言した。彼

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は悪魔の言うことを聞き、短期間で身体が弱り、感覚がなくなり破滅するに至った。
修練士 暴食が荒野でイスラエルの子たちを滅ぼしたとあなたは先に言った。この災厄
は暴食の何がきっかけになったと思いますか。
修道士 肉への欲望だ。主が天使のパンにして、それ自体があらゆる喜びを有している
(1)
マナ を彼らにお与えになったとき、彼らはかくも大きな恩寵に感謝せず、モーゼにこ
う不平を言った。〈誰がわれわれに肉を食べさせてくれるだろうか。われわれがエジプト
で無償で食べた魚のことを思い出す。キュウリ、メロン、タマネギ、ニンニクが頭に浮か
ぶ。われわれの心は渇いている。われわれの目はマナ以外の何も見ない(民数記11、4
-6)。〉他の箇所にはこうある。〈われわれの心はこの粗末な食べ物に吐き気を催す(民
数記21、5)
。〉
どれだけの争いによってどれだけの忘恩が生じるか分かるかい。すぐにそれにつづく罰
が罪をこう明らかにしている。〈肉がまだ口のなかで歯の間にあって、まだそのような食
べ物はなくなってはいなかった。主の怒りは民に落ち、大きな災厄が民を打ち据えた(民
数記11、33)。〉
悪魔はしばしば修道士たちが眠っているときにも、目覚めているときにも、目に見える
形でも、目に見えない形でも、肉によって彼らを試す。悪魔は何人かには勝つが、何人か
には負ける。
修練士 これについての例話を聞きたいです。
修道士 非常に真実で明白な例話を話そう。

(1)manna 荒野を彷徨うイスラエルの民に神が与えた食べ物。

第82話 内陣でまどろんでいるとき、悪魔から肉を提示された修道士アル
ノルド

かつてケルンの聖使徒教会の参事会員だったアルノルドという名の修道士が、われわれ
のところで亡くなってからそれほど月日は経っていない。彼は修道院入りする前は裕福で
非常に贅沢であった。内陣でまどろんでいたときでさえ、貪食のゆえに悪魔からたびたび
試された、と彼は私によく話してくれた。彼が時々内陣で眠気がさして目を閉じると、口
の前に一杯肉が盛られた皿を目にした。自分が犬のようだと思うほど食べた。彼は犬のよ
うに食べたことを恥じて、頭を後ろに引き壁に強く打ち付けた。

第83話 ミサでまどろんで肉の代わりに木をかじった助修士

私は直接聞いたのだが、ある日、ある助修士が私唱ミサ(1)に参加して、奉献文朗読の
際軽くまどろんでいると、悪魔に幻惑され、床の上で横になって何かを噛むように歯でか
じりだした。その歯の音は、鼠がクルミの殻を歯で砕くような音であった。このミサの侍
者を務めていたわれわれの総務長リヒヴィン修道士は、これを聞いて祈りが妨げられた。
リヒヴィンが助修士と話す機会ができると、ミサの間歯の間に何があったかと問うて、
「私
はあなたのために祈ることはできなかった」と言った。助修士は答えた。「実に私は上等

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の肉を食べました。
」「それをどこで手に入れたのですか。」助修士は答えた。「サタンが肉
が一杯入った皿を私の口の前へ置きました。信じられなければ、私が横になっていた床板
を見てください。そこに歯の跡をはっきり見つけるでしょう。」助修士は眠っているとき
悪魔に幻惑されたとリヴィヴィンに話した。床板は実際歯でかじられていた。こうして悪
魔は目覚めているときには貪食によっては惑わすことができない修道士たちを、少なくと
もまどろんでいるときに惑わそうとした。眠っているときではなく、目覚めているときに
目にする肉によって悪魔に試されたが、惑わされなかったある娘のことを聞きなさい。

(1)privata missa 各個人の要望によってなされるミサ。

第84話 悪魔によってガチョウを持ち去られた控えめな娘

ニヴェルの出のある娘が、キリストへの愛のために父親の家を出て、両親から離れその
地の女子修道院へ入り、修道女たちと手仕事で糧を得、祈りと断食に精進した。
悪魔が彼女の徳をねたみ、父親の家から一羽のガチョウを盗み出し、他の修道女たちと
一緒にいた食堂にガチョウを置いて、言った。「哀れな女よ、なぜお前は空腹で苦しんで
いるのか。これを取って、食べよ。」彼女は悪魔に言った。「それは盗品ですから、食べる
わけにはいきません。」悪魔は答えた。「そんなことはない。お前の父親のところからもっ
てきたのだ。」それから少女は言った。「あなたはそれが盗みではないとは言えないでしょ
う。早くガチョウを持っていき、盗んだところへ戻しなさい。」
悪魔は、成果を上げられないと知って、修道女たちが見守るなかガチョウを持ち上げ、
盗みだした小屋に戻した。
悪魔がこのガチョウを持ち去ったときも同じ場所に戻したときも残ったガチョウの大き
な叫び声を聞いた、と彼女の家人が証言した。
悪魔が肉の欲望によって負かされた者たちをいかに驚かせ困惑させるか、二つの例話を
話そう。

第85話 貯蔵室で肉を食べた助修士

私がある修道士から聞いたのだが、肉を渇望して試され負けたある助修士は肉が欲しい
と言うことを恥ずかしく思い、許されてはいなかったが、ある日、貯蔵室に入り自分のた
めに用意しておいた焼き肉を食べた。彼はプレモントレ会の総務長だったからだ。悪魔は
他にできることがなかったので、神の許しでこのむさぼる男をつかんで鐘楼の屋根の上に
服のように投げつけた。助修士は屋根にへばりついていたとき、言い換えれば殺害するよ
りも脅すことしか許されていない悪魔に支えられていたとき、大声を上げ修道士たちの助
けを求めた。彼らは彼がそこにへばりついているのを見て、原因は分からなかったが、急
いで鐘楼に上がり瓦を剥がして、そこから彼を引き出した。

第86話 内臓がヒキガエルに変えられた雌鶏

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プリュムの修道士の数人が灰の水曜日の前の火曜日にある在俗司祭の家で宴会を催して
からそんなに月日は経ってはいない。彼らはさまざまな種類の肉を上等のぶどう酒ととも
にほぼ真夜中まで飲み食いした。
彼らが満腹して、夜が明けると、司祭は私がよく知っているヨハネスという名の成人し
た学生を呼んで言った。「もっと食べよう。雄鶏の横で止まり木に止まっている雌鶏をも
ってこい。他よりも肥っているのが普通だからだ。それから料理するのだ。」ヨハネスは
雌鶏の首を絞め、腹を開き、手を突っ込み、内蔵を引っ張り出せると思っていたら、一匹
の大きなヒキガエルを引き出した。彼は手のなかで動くのを感じ、放り投げ、それが何で
あるかが分かり、突然叫び声をあげてみんなを呼んだ。彼らは雌鶏の内臓がヒキガエルに
変わっているのを見て、恥じ入って宴会の場から退き、それが悪魔の仕業であると知った。
この話をそこに加わって見た修道士の一人が私に話してくれた。
修練士 私が試されるのは肉よりも魚です。魚を食べるのは許されていますが、肉は許
されていないからです。
修道士 君がエジプト、つまり世俗で食べた魚のことをイスラエルの子たちと共に思い
出すと思う。
修練士 時々思い出します。
修道士 魚は悪魔がある隠修士になした大きな悪意のことが思い出される。

第87話 悪魔によって魚の代わりに馬糞を持ち込まれた隠修士ヘルマン

フォルマルシュタインのゴットシャルク修道士が私にこんなことを話してくれた。アル
ンスベルクの隠修士ヘルマンに悪魔が知人の姿で魚が盛られた皿を運んできた。まだ朝で
あったので、ヘルマンは皿を置いて退室するように言った。料理する段になって、魚以外
の何もないと思われた皿に馬糞がのっていた。
修練士 その修道士が魚を欲して、この罪の罰は悪魔による幻惑であったと思います。
修道士 それはあり得る。イスラエルの子たちが肉と魚とともにタマネギとニンニクを
欲したことによって、ある人が贖罪してニンニクによって倒れたある危険な試練を思い出
す。

第88話 ニンニクで滅んだ裏切り者シュタインハルト

ケルン司教区に騎士の二組の家族が住んでいた。規模でも、富でも、雅量でも強く、高
貴であった。その一家族はバッヘムの村から出ていて、もう一家族はギュルツェニヒと呼
ばれる村から出ている。かつてこの二家族の間で激しく致命的な敵対関係が生じた。この
対立はその時いかなる人によっても彼らの主君の司教によっても治められず、日々窃盗、
放火、殺人によって激化した。
ギュルツェニヒの一族は領地の森のなかに堅固な城を建てた。敵を恐れてではなく、そ
こに集まって休憩しそろって進み敵と激しく戦うためである。彼らにはシュタインハルト
という名のこの地の出身の下僕がいた。彼らは彼を信頼して城の鍵を預けていた。しかし
かこつ
彼は悪魔に挑発され、ひそかに使者を敵に送り、何らかの理由に 託 けて自分の主人と城

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を相手の権限に委ねる約束をした。
バッヘムの騎士たちはこの提案を怪しみ、彼の言葉に耳を傾けなかった。彼が二度三度
彼らに同じ使者を送ると、彼らは約束された日に武装して待ち伏せを恐れ多勢でもって近
づき城に非常に近いところで彼を待ちかまえた。
裏切り者シュタインハルトが彼らのところへ近づき、彼らがなおもためらっていると、
城で午睡を取っている彼の主君のすべての剣を持ち出し、彼らを安全にした。彼らは武装
して城のなかへ入り、全員を殺害し、彼らが誓った通りに下僕を受け入れた。
後にこの哀れな者は、かくもおぞましい悪行に驚き、悔悟を感じローマ教皇庁に赴き、
そこで罪を告白し非常に厳しい贖罪を課してもらった。しかし試練に屈し、課された贖罪
をあまり遵守しなかった。彼はすぐに再び教皇の元に赴き、贖罪を再び課してもらったが、
従わなかった。彼が何度もこんなことをしたので、留保罪聴罪師(1)は彼に嫌悪を感じ、
成果はないと思い彼から逃れようとしてこう言った。「あなたが贖罪として受け入れ、守
ることができることがありますか。」彼は答えた。「今までニンニクを食べることができま
せんでした。私が罪の代償としてそれを食べないことが課せられるなら、決して踏み越え
ないことは確実です。」
これにたいして聴罪司祭は答えた。「帰りなさい。あなたの大きな罪の代償としてニン
ニクを食べないように。」
ま ち
彼がローマの都市を出ると、ある菜園のニンニクが目に入った。すぐに悪魔に挑発され
欲し始めた。立ち止まってニンニクを眺めていると、強く試された。欲求が増してこの哀
れな男は立ち去れず、禁じられたニンニクを手にしようとはしなかった。話を進めよう。
ついに食欲が禁止命令に勝ち、彼は菜園に入り食べた。
不思議なことが起こった。料理されきちんと食卓に並べられ食べるべく許されていたと
きでも決して食べることができなかったニンニクを、彼は禁止されていたが熟していない
生のままで食べた。彼はこうして哀れなことに試練に負け大いに恥じ入って教皇庁に戻り
おこなったことを話した。聴罪司祭は怒って彼を追い出し、今後自分に世話を焼かせない
ように命じた。その後この哀れな男がどうなったかは、私は聞いていない。
さが
修練士 こうして容易に踏み越える人間の性は哀れです。食べてベテルでライオンに殺
された神の人がいかなる貪食で罪をおかしたかを話してください(2)。
修道士 彼は食べてではなく、神の命令に反してあの場所で騙されて食べ、罰を受けた。
命令に反して許されていないもの、否許されているものでさえ食べたり飲んだりすること
がいかに罪であるかを、いくつかの例話で示そう。

(1)poenitentialis 贖罪に関して特別の代理権が与えられていた司教座聖堂参事会員。
(2)列王記上13参照。

第89話 一切れの肉が喉に詰まった院長代理フロリヌス

パリのサンヴィクトル教会の参事会員であった人望あり教養ある人、アブサロン師が数
年前シュプリンガースバハ修道院長に選出された。この修道院はトリーア司教区にあった
からである。このアブサロンが選ばれた場所に来る前に、修道士の一人が夜こんな幻視を

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体験した。一本のともっているろうそくが修道院のなかに入り、修道士たちが手にしてい
た消えているろうそくに火をつけた。この幻視は、崩壊した戒律を立て直す人が来ること
を意味している。
アブサロンが院長に就任すると、修道院で学んだ価値ある習慣を導入した。特に重んじ
たことは、彼の修族(1)の修道士、そこに帰属する修道女及び院長代理が肉をすべて断つ
ことであった。
その後こんなことが起こった。ある世俗の女性が聖ニコラウスの島で修道服を受け取っ
た。この修道院はシュプリンガースバハ修道院に属していた。この女性の修道院入りの日
に彼女の友人たちが、非常に肥った、私がよく知っているフロリヌスという名の女子修道
院長代理と一緒に会食をした。彼女たちは肉を食べたが、彼は院長アブサロンの命令に従
って魚を食べた。彼の隣に座っている聖職者の皿の焼き肉を見て食欲をかき立てられ、手
を伸ばして一切れを気持ちよく口のなかに入れた。ただちに神の義なる判断によって一切
れの肉はまるごとこの不服従の男の喉のなかに入り、喉に詰まってどうしても口に戻して
飲み下すことができなかった。
彼らは彼を食卓から引き離した。すでに白目をむいていたので窒息すると思われた。そ
の頃ミュンスターフェルトの参事会員であって、今はシトー会の修道士にして用度係のハ
インリヒが彼の首を握り拳でたたいた。すると喉にくっついて一切れの肉が飛び出てきた。
私はこの話をハインリヒから直接聞いた。この苦痛と恥は、不服従の院長代理への罰であ
る、と全員が認識した。悪魔が、肉やぶどう酒を渇望した多くの者を試すことを確実に君
は知るであろう。

(1)congregatio 複数の独立した修道院が同一の戒律と大修道院長のもとで相互連絡を
保つ連合体

第90話 終課の後喉が渇き頭を下げて救われた総務長

総務長のあるシトー会士が、ある日終課(1)の後耐えられないほどの喉の渇きを感じ始
めた。後で分かったことだが、悪魔の仕業であった。彼が戒律に反して飲むか、あるいは
生命の危険のゆえに控えようかと迷い考えていたとき、強く試されついに負けて貯蔵室に
入り飲むことに決めた。それから彼は聖堂へ入り祭壇の前を通ったとき、飲み物のことを
考えさりげなく頭を下げ少し前へ進むと、恥じ入り祭壇に戻って立ち止まり大いなる畏敬
の念で頭を下げた。彼が頭を上げると、彼の横に黒衣の修道士の姿で、こんなことを言う
悪魔を見た。「確約しよう。お前が頭を垂れなかったなら、お前が一生口にすることがで
きない飲み物を貯蔵室で飲ませてやったのに。」この時、悪魔は消え、起きた喉の渇きの
すべての試練はなくなった。
このことをヒンメロートの院長エウスタキウスさまが私に話してくれた。これは七年前
に起きたと彼は言った。
修練士 今後私はもっと熱心に頭を下げるでしょう。
修道士 悪魔はあらゆる謙遜を憎む。人間が神を創造主として、また自分を被造物とし
て認める謙遜を特に憎む。悪魔は、自分がそんなことをすることを侮っているが、人間が

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神に謙譲であるのを見て、自分を人間に似せたいと思っていたが、耐えきれず恥じて退散
した。私が先に挙げた賢明で学識あるオッターベルクの院長フィリップがそれについて聖
ニコラウスの島の修道女たちに-彼女たちが私に話してくれた-教えてこう言った。「あ
なたたちが悪魔に試されそうになれば、ふさわしい場所で深く頭を垂れなさい。ただちに
悪魔は退散するでしょう。」頭を下げるにふさわしい場所は祭壇であり、十字架像とか聖
遺物の前に立つときである。グロリア(2)の時にも院長にも戒律が定めている多くの場所
でわれわれは頭を下げる。食欲、特にぶどう酒にたいする渇望によって修道院から追放さ
れた人のことにを聞きたいかい。
修練士 聞きたいです。多くの人がぶどう酒を欲して傷つくからです。ぶどう酒は賢者
さえも堕落させます。
修道士 恐ろしい幻視のことを話そう。それを見た人から私は直接聞いた。

(1)completorium 一日の最後の祈り。
(2)Gloria Patri(父に栄光あれ)。ミサが始まるときに唱えられる句。

第91話 おどけ者のあだ名のハインリヒ

善良で戒律に遵守する人、聖歌隊先唱者のヘルマンという名のシトー会の年長者の一人
が二、三年前に亡くなった。彼は多くの幻視を体験した。その一つをここで例話としてあ
げよう。
彼がヒンメロートで修道士になったばかりのとき、内陣でも食堂でも隣にいつも同じ一
人の修道士がいた。彼はかつて内陣での詩編朗読の間この修道士の前にぶどう酒が入った
つぼをいくつか見た。彼は目が覚めている状態でつぼを見て、ぶどう酒の香りを感じたが、
つぼを抱えている手は見ることはできなかった。彼が楽しんで見ていたつぼは、彼の目の
前で悪魔の仕業で顕現されたのだ。ある夜、彼が眠っているとき、一頭の熊が彼の目の前
に突っ立って手を彼の胸に置き、口を眠っている彼の耳に近づけるのを見た。その後しば
らくしてから、彼は悪魔にそそのかされ修道院を出た。悪魔は理由なく熊を介して彼をそ
そのかしたのではない。熊(ursus)は始まり(orsus(1))とも言われる。熊は子供を口(os)で
作り上げるからである(2)。彼が冗舌のゆえに国王や諸侯に大いに受け入れられるほどに、
悪魔は彼をおどけ者に作り上げた。
彼はハインリヒという名であり、あだ名はおどけ者である。彼は院長ギジルベルトさま
に修練士として受け入れられた。院長は、告解によって彼が黒の修道会(ベネディクト会)
にいたことを知るや、マント(3)を修道服に替えさせた。彼はプレモントレにもいたと言
われている。私が聞いたところでは、まず彼は女装して女として女子修道院に受け入れら
れ、数名を犯し何人かをはらませた。彼は今もペテン師として生き、もっと悪いことをし
ているかもしれない。
貪食についてはここまでにして、肉欲の悪徳に移ろう。

(1)orsus は ordior(始める)の完了分詞であるが、カエサリウスは os(口)と関連づけて


い る。

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(2)熊は子供をなめて熊の形に作っていく、の意。
(3)cappa 修練士用のマント。

第92話 肉欲とその娘たち

肉欲は不純な欲望から発する精神と肉体の軽率で放縦な堕落である。その娘は、自己愛
(amor sui)、神にたいする憎しみ(odium Dei)、この世にたいする拘泥(affectus praesentis
saeculi)、あの世への恐れや絶望(honor vel desperatio futuri)、無思慮(praecipitatio)、移り
気(inconstantia)、無分別(inconsideratio)、精神の盲目(caecitas mentis)である。肉欲の段階
りょうじょく
は、姦淫(fornicatio)、陵 辱(stuprum)、不倫(adulterium)、近親相姦(incestus)、自然に反
する性行為(vitium contra naturam)(1)である。肉欲は、貪食同様世俗で多くの災厄をもた
らす。肉欲が洪水の主な原因であった(2)。肉欲は五つの都市を硫黄と炎で飲み込んだ(3)。
肉欲は聖ヨセフを牢に入れさせた(4)。肉欲はイスラエルの子たちを荒野で滅ぼした。彼
らがペオルのバアルと通じミディアン人と罪を犯したときに、このことが起こった(5)。
肉欲は屈強なサムソンさえも縛り、弱め、盲目にした(6)。肉欲はエリの息子たちから祭
司の栄光と生命を奪った。彼らは、幕屋の入り口で休んでいた女たちと床を共にしたから
である(7)。ダビデの肉欲は主の選ばれし人を姦通者と殺人者にした(8)。肉欲はいと賢明
なソロモンを迷わせ偶像崇拝者にした(9)。肉欲はスザンナに死の判決を下させ(10)、洗礼
者ヨハネの首をはねさせた(11)。肉欲について主はホセアを介してこう言っておられる。
〈彼らの悪のすべてはギルガルにある。つまり快楽にある。そこで私は彼らを憎む(ホセ
ア書9、15)。〉ヨエルは肉欲についてこう言っている。〈家畜は汚物のなかで朽ちる。
つまり肉欲の悪臭のなかで(12)。〉ヨブによれば、ベヘモット(13)は湿った地、つまり快
楽の地で眠る(14)。福音書によれば、二人の者が弁解して、妻をめとった者が傲慢にこう
言った。
〈私は妻をめとったので、行くことはできない(ルカによる福音書14、20)。〉
修練士 福音書で主が貪食を明確に、肉欲を比喩によって禁じているのはなぜですか。
主は貪食についてこう言っておられます。〈飽食と酩酊で心が鈍くならないように気をつ
けなさい(ルカによる福音書21、34)。〉肉食についてはこう言っておられます。〈腰
に帯を締めなさい(ルカによる福音書12、35)〉
修道士 貪食から肉欲が生じ、肉欲は貪食の刺激で育まれる、と世界の創造主は知って
おられた。性器は腹とつながっている。みだらにならぬように、食欲を抑えるように、と
こご
主は言っておられるかのようだ。ケレスとバッコスなくしてはウェヌスは凍える(15)。肉
欲に火をつけるのは三つのことである。つまり過度の食物、高価な衣装、閑暇である。こ
の三つがソドムの罪であった、と預言者が言っている。つまり豊富なパン、すなわち貪食。
生活の誇り、すなわちおびただしい衣装。それによって性欲が誘発される。自分自身と息
子や娘の閑暇(16)。閑暇は多くの悪をなす、とソロモンが言っている(17)。ダビデは閑暇
のゆえにバト・シェバと共に罪を犯した(18)。それについてある人が〈お前が閑暇を奪え
ば、クビドの技は滅びる(19)〉と言っている。肉欲は獰猛な野獣であり、純潔に耐えられ
ず、男女の区別なく誰をも休ませない。肉欲は、時には自然の動きで、時には想像によっ
て、時には目にさらされる形によって眠れる者たちを目覚まし、目覚める者たちを鼓舞す
る。肉欲は初心の者たちを試し、進んだ者たちを試し、完成した者を試す。

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修練士 肉欲は危険であることを十分聞きました。それの対処法も聞きました。それの
例話が聞きたいです。
修道士 肉欲を志向して堕落した人たちのことは話したくない。しかし肉欲に試され揺
さぶられたが、神の恩恵によって救われた人たちのことを話そう。

(1)vitium contra naturam 同性あるいは動物との性行為。


(2)創世記6参照。
(3)創世記19、24参照。
(4)創世記39、7-20参照。
(5)民数記25参照。
(6)士師記16参照。
(7)サムエル記上2、22参照。
(8)サムエル記下11参照。
(9)列王記上11、2参照。
(10)ダニエル書13参照。
(11)マタイによる福音書14、1-14参照。
(12)ヨエル書1、17七参照。
(13)Behemoth カバと考えられている。
(14)ヨブ記40、16参照。
(15)プブリウス・テレンチウス・アフェル(Publius Terentius Afer 紀元前195乃
至紀元前185 - 紀元前159。共和政ローマの劇作家)の戯曲『宦官
(Eunuchus)732』の一文。ケレス(Ceres)は農耕の女神。バッコス(Bachus)
は(酒の神)。ウェヌス(Venus)は魅力の女神。
(16)エゼキエル書16、49参照。
(17)集会の書33、28参照。
(18)サムエル記下11参照。
(19)プーブリウス・オウィディウス・ナーソー( Publius Ovidius Naso 紀元前43-
紀元後17乃至18。帝政ローマ時代最初期の詩人)の作品『愛の治療(Remedia
Amoris)139』一文。クビド(Cupido)は恋愛の神。

第93話 修道院入りして修練期間中に妻に呼び戻された騎士

ある裕福で人望ある騎士が、教会法に則り妻と別れ、修道院入りのためシトー会のある
修道院を訪れた。妻が生きている限り、敬虔な場で敬虔な生活を送ると約束した彼女を修
道院が扶養するという条件で彼は財産のすべてを修道院に委ねた。私はその修道院や騎士
の名を挙げたくはない。彼は依然生存しているので、私が話すことで彼に恥をかかせない
ためである。彼が修練士になると、悪魔は、妻が予定を変え、すでに修道院入りをしてい
る夫を呼び戻すよう彼女を挑発した。それは成功しなかったので、彼女は夫の友人たちと
策略をもって修道院を訪れ、修道院の囲壁の外で夫と話したいと申し出て、許可された。
騎士たちは彼をとらえ、力ずくで彼を馬に乗せ連れ出そうと試みた。片側から乗せると、

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何度も反対側に落ちた。うまくいかなかったので、彼らはついに彼の妻と戻っていった。
その後一年間は彼女は何もしなかった。
修練期が終わってから、必要に迫られて彼は他の修道士を連れ家に戻ると、そこに妻が
いた。彼女は彼と二人だけで話したいというふりをして彼を部屋に連れていき、こっそり
扉を閉めて、彼を抱擁し接吻し始めた。もし彼を罪に誘い込むことができるなら、彼は修
道院を出て、また自分のところへ戻ってくるものとの期待を抱いた。
だが無垢な若者ヨセフを不倫の女の手からお救いになった純潔な女性(マリア)の子キ
リストは、この騎士を彼の正当な妻の許されざる抱擁からお引き離しになった。(1)。彼は
彼女の腕から抜け、無傷でそこから去り、炎に焦がされることはなかった。彼は修道院に
戻り、ソロモンの言葉を借りてこう言うことができた。〈私は死よりも苦い女を見た。彼
女は猟師の罠であり、彼女の心は網であり、彼女の手は枷である。〉これに次のように続
くのは当然である。〈神に好まれる者は、彼女から逃れる(コヘレトの言葉7、27)。〉
修練士 この試練はすごいです。
修道士 次の例話はもっとすごい。

(1)創世記39、7-21参照。

第94話 ある修道女の手紙による総務長リヒヴィンの厳しい試練

リヒヴィンという名のケルン出身のある若者がわれわれの修道院で修練士になった。彼
がしばらくの間修練期を敬虔に安らかに過ごして修道会を熟知すると、悪魔は彼の安らぎ
と至福を嫉妬し、ケルンの聖ツェツィーリエの修道女を介して彼の心のなかに争いの種を
まき、安らぐことができないほど、情欲のとげで彼の肉を傷つけた。彼女はリヒヴィンの
修道院入りを非難して、還俗を促す手紙を彼女自ら筆を執って、彼が修道院を出るならば、
彼女も彼女の家も彼女の収入や手に入る他のものも、彼が生きている限り彼の意のままに
したた
なると 認 めた。彼女はこの手紙を召使いに持たせた。召使いがリヒヴィンを探している
と、今日われわれの総務長であるリヒヴィンの実の兄弟のハインリヒが召使いに遭遇した
が、後で何か起こるかと懸念して、リヒヴィンには会わせず、一刻も早く修道院から出る
よう命令した。それでも召使いはリヒヴィンを聖堂で待ちかまえ、手紙を渡し、修道院を
出た。
リヒヴィンが手紙を読むや、火の矢が彼の心に突き刺さったかのように心が燃え上がっ
た。この時から、いつでも世俗に戻ろうと決心するほど大いに試されたが、たえず修道士
かんし
たちの敬虔な祈りと諫止によって踏みとどまった。彼が修練期間中のある日一人でいたと
き、ひどく動揺し、床に身を投げ出し、敷居に足を伸ばし、大きな声でこう叫んだ。「サ
タンよ、お前が力ずくでここから私の足を引っ張っても、お前については行かない。」
ついに彼は神の恩恵によって勝利し、修道士になった。先の試練の余韻をまだ感じてい
るかと私が問うと、彼はこう言った。「実に、かつて私の心を引き裂いた試練は、今は私
の服にくっつくこともありません。」
後に彼はわれわれのところで総務長となって、その役職のまま亡くなった。このように
悪魔は肉の刺激で時々初心の者も試し、進んだ者も試す。

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第95話 「サタンよ、お前が私を試すのを止めるように私の聴罪司祭が
お前に命じている」と言って肉のとげから救われた若者

院長ヘルマンがヒンメロートの院長であったときある若い修道士が肉に挑発され厳しく
試された、と私に話してくれた。この若い修道士がひどく痛めつけられた試練のことを涙
ながらに告白したとき、院長は彼を慰めて言った。「肉の刺激があなたを襲うなら、大き
な声で悪魔にこう言いなさい。サタンよ、お前が私を試すのを止めるように私の聴罪司祭
がお前に命じている。」後に彼が試され、同じ誘惑でひどく燃え上がると、単純に大いに
自信たっぷりに大きな声で教わったとおりに悪魔に向かって叫んだ。「サタンよ、お前が
私を試すのを止めるように私の聴罪司祭がお前に命じている。」告解の不思議な力が起こ
った。この言葉で肉欲の霊なる悪魔は恥じて退散し、誘惑は止んだ。
修練士 このような誘惑は悪魔によるものとどうして分かるのですか。
修道士 使徒は肉のとげを悪魔の使いと呼んでいる。とげが肉を刺激し燃え上がらせる
からである(1)。
修練士 告解が肉の誘惑にたいして非常に有益であると聞いています。
修道士 このことについてこれまでに、つまり告解の部で十分述べられてきた。告解に
よって罪の火が冷まされ、誘惑が止むか減少し、恩寵が増し、告解者が助言で鼓舞され、
悪魔が恥じて力を失う。別の時にこの修道士が厳しく誘惑に襲われたとき、司祭の助言の
言葉にこう付け加えた。「サタンよ、なぜ私を苦しめるのか。主がお前に許可する以外の
ことをお前は私を試すことができないだろう。主はお前の主でもある。」彼はただちに身
が軽く感じた。傲慢な霊が、尊大を抑圧する言葉の力を担うことができなかったからであ
る。

(1)2コリントの使徒への手紙12、7参照。

第96話 抵抗して皇帝冠を手に入れた修道士の試練

すでに述べた者よりも年上で戒律の遵守で熱心だった別の修道士が、肉欲の霊によって
さまざまな厳しい方法で苦しめられた。ある時、彼が病舎にいて朝課が終わり回廊の隅に
立って〈アヴェ・マリア〉を唱えて赦しを乞うていると、悪魔が背後に近づき、後ろから
火の矢を射たので、目の前を矢が飛び、光り、壁から光り返されるのを見た。悪魔は彼を
驚かすことも祈りの場から退けることもできなかったので、彼の周りでわめき立て、彼が
立っている床の表面が走り回る修道士たちの靴でこすられるのが見られた。彼はこのよう
な幻視を気にかけず祈りを終えて外へ出ると、大勢のムーア人が後ろからついてくるのを
見た。別の時、息が炎を吹き出し肉欲の霊は、彼の身体を情欲の炎で耐えられないほど燃
え上がらせた。この尊い人はこのような厄介な幻視を見て大きな声でこう言い放った。
「サ
タンよ、なぜお前は私をこんなにひどく苦しめるのか。お前は神に許される以外のことを
私に加えることはできないだろう。」これは前の聴罪司祭の教えである。この命令のよう
な言葉で誘惑者は彼のそばから消えた。この言葉が発せられると、彼の頭の上を何か動く

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ものが這って、しばらくの間耳から首まで汗のなかを下りていき始めた。さらに肩と脇腹、
腰と脚をつたい、かかとから出て行った。この修道士が私に話したのだが、この霊はすで
に述べたように、一カ所でのみ感じられ、別の場所で感じられないほど徐々に下りていっ
た。この霊が足から出て行くや、出していた炎は消え、試練はすべてなくなった。
修練士 この修道士はひどく苦しめられる機会を肉欲の霊に与えたかどうか知りたいで
す。
修練士 私は彼から直接聞いたのだが、ある日、彼が院長と一緒にある女子修道院を訪
れたとき、彼が修道院入りの前から面識のあったその修族のある女性が彼女の手を彼の首
に手を置き、彼に目を注いだ。彼がずっと彼女に見つめられていても、何らの誘惑を感じ
なかったが、しかし後で悪魔が彼女の眼差しを彼の心に焼き付けさせると、この時点から
二、三年間彼が生きるのに倦むほどに試された。
完璧であればあるほど、それだけ一層感覚を制御しなければならない。特に触覚と視覚
『教父伝(Vitae patrum)
を。 』で述べられているように、女性の身体は炎であるがゆえに、
触覚なのである。死は目の窓を通して入ってくるがゆえに、目なのである。この修道士が
試練でどれだけのものを得たかを、次の例話が明らかにしている。
現在マリエンシュタットの院長である先に挙げたヘルマンがヒンメロートの院長であっ
たとき、件の修道士はある夜非常に激しく試された。その試練は強いだけではなく、危険
でもあった。ヘルマン院長が彼の告解から知ったように、試練の状態は、罪の芽が生じる
ならば手のひらを裏返すぐらいの短い間に試練に屈するほどであった。それは肉の誘発か
ら生じたと私は思う。彼は激しく攻撃され、雄々しく抵抗し、幸いにも勝利した。
この週、ある素朴な助修士がグランギアのことでこのヘルマン院長とだけ話をするため
に彼を訪れた。助修士に話す機会が与えられると、こう言った。「院長さま、今週私はこ
んな夢を見ました。私の前にしっかりした柱が立っていました。柱には鉄が刺さっていて、
かぎ
その鉄の鉤には皇帝冠のようなきわめて立派な冠が掛かっていました。非常に立派な方が
あらわれ、両手で鉤から冠をはずし、私の手の上に置きこう言いました。この冠を手に取
りかの修道士に渡しなさい。その方は修道士の名を挙げました。彼は今晩冠を受け取りま
した。」
修道士にたいする試練を知った院長はただちに幻視の意味を理解し、堅牢な柱は、修道
士が試練に屈することがないことの意味と解釈した。鉄で出来ていると思われる鉤は、い
かに彼が厳しい試練に耐えたかを意味している。鉤は労苦の報酬を意味している。主はこ
う言っておられる。
〈勝利する者を私は私の神殿の柱にしよう(ヨハネ黙示録3、12)。〉
冠が柱に掛かっていること、つまり報酬は勝利に負っていることを、使徒がこう証言して
いる。〈私は立派に戦い、道を走り通し、信仰を守り抜きました。将来私に義の冠が取っ
ておかれています(2テモテへの手紙4、7-8)。〉
修練士 この使徒はどんな戦いのことを言っているのですか。
修道士 三重の敵、つまり肉、世俗、悪魔にたいしての戦いである。誠実な者が迫害の
さら
時に一度でも剣と矢に身を晒せば神に好まれるのと同じく、無垢を守るために平和の時に
常に悪徳と情欲にたいして戦うことも神に好まれる。それゆえ教会はこう歌っている。
〈一
撃に耐え、剣で血を流す殉教者よりももっと速くこの証聖者(1)は競技場を走り回る(2)。

修練士 敬虔で完璧な修道士たちがかくも不純な誘惑で、時には長く苦しめられるのを、

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最高に清浄なる神がお許しになるのは不思議です。
修道士 このことは神の慈悲の計らいによって二つの理由から生じると信じられてい
る。つまり謙遜の維持と徳の獲得の機会の獲得である、と信じられている。この世にこの
使徒(パウロ)よりも偉大な人がいるであろうか。彼自身こう言っている。〈すばらしい
啓示で私が思い上がらないように私の身にとげが与えられた。そのために私を平手打ちす
べくサタンの使いが送られた(1コリントの信徒への手紙12、7)。〉聖書にあるごとく、
不純な民の残りが約束の地に残された。彼らによってイスラエルが試されるためである(士
師記3、4)。
神が決断されるなら、一時でわれわれにたいし激しい誘惑を和らげてくださる。

(1)confessor 多くの苦難や迫害を受けたが殉教に至らなかった者。
(2)賛歌〈証聖者の誕生日(In natali confessorum)〉の一節。

第97話 男根を切断された夢を見て試された修道士ベルンハルト

もし依然生存しているならば、ベルンハルトという名の、生まれは高貴であるが、徳で
はさらに高貴なある敬虔な聖職者がクレルヴォーに住んでいる。この人はある時悪魔に肉
のとげに苦しめられ困惑した結果、試練に完全に屈服して、大いなる苦しみの後世俗に戻
ることを決めた。苦しみを一回、二回、そして何度も告白したが、苦しみは止まなかった。
ついに彼は敗者のようになって院長のところへ行き、女がいなくては生きていけないので、
世俗へ戻りたいと言って、マントを渡して欲しいと乞うた。院長は彼に一晩待つように何
とか納得させた。ベルンハルトは待った。すると頼ってくる人たちをお救いになる主はそ
の夜夢のなかで、至福なる占星術の学者たちにヘロデのところへ帰るなと命じられたよう
に彼を慰められた。
ベルンハルトが軽くまどろむや、首切り人の姿をした恐ろしそうな男が遠くから手に長
い小刀を手にして近づいてくるのを見た。この男の後を大きな黒い犬が付いていった。こ
れを見てベルンハルトは震えた。それは不思議なことではなかった。その男は彼の一物を
強くつかみ、切り落として、犬に投げた。犬はすぐにそれを飲み込んだ。
ベルンハルトは恐ろしい幻視から目覚め、局部がなくなっているものと思った。実際こ
れはあった。幻視が示すように、実際の小刀によるものではなく、霊的な恩寵によるもの
であった。翌朝、彼は院長のところへ行き、試練から救われたと言って、幻視のことを詳
しく話した。かくも不可思議にかくも早く僕ベルンハルトをお救いになった主を院長は讃
えた。ベルンハルトは今も身は童貞であると言われている。この話はシトー会では非常に
有名である。
修練士 敬虔な人がかくも不面目に試されるなら、私が不純な試練を告白することを今
までのように憚ることは今後しないでしょう。恥ずべきことを告白すれば、聴罪司祭が私
を見下しはしないかと懸念していました。
修道士 聴罪司祭が賢明であれば、自らを責める人を軽蔑するのではなく、同じような
試練に陥らないように慰めるだろう。そういうことが敬虔で老いた聖職者に起こったこと
を私は知っている。

- 185 -
第98話 聖ヤコブ教会の司祭エーヴェルハルトの生涯

ケルンの聖ヤコブ教会の聖堂区をある敬虔で信仰篤い司祭が管轄していた。彼は多くの
徳に輝き有名であった。彼は学問があり、謙譲で、純潔で、愛想よく、貧者の父であり、
修道者の宿泊提供者であり、全キリスト世界の愛好者であり、神に愛され、全市民に好か
れていた。彼こそは、第一部第7話に述べられているように、われわれの院長ゲヴァルド
ゥスの回心を予見したこの教会の主任司祭エーヴェルハルトさまである。聖ヨブが自身に
ついて列挙している善なることが、この義なる人エーヴェルハルトに満ちるほど神の恩寵
によって与えられた。四旬節に裕福でわがままな若者である市民の息子たちが彼らの罪を
告白した。贅沢な食べ物によって常に引き起こされる肉の刺激のことをである。エーヴェ
ルハルトはそのような苦しみを経験したことがなかったので、時々彼らを必要以上に厳し
く叱責して言った。「キリスト教徒がそのような醜い衝動に駆られるのは恥ずべきことで
ある。」
不道徳な者たちに絶望感を与えて、彼らを怒らせた。ペトロが民衆の安寧のゆえに倒れ
ることをお許しになった義にして慈悲深い神は愛する僕を試練のむちで教えられ、従う人
たちと同じ気持ちを持つことを知るように同類の苦しみで叱責され、使徒にこう語らせら
れた。〈すばらしい啓示で私が思い上がらないように私の身にとげが与えられた。そのた
めに私を平手打ちすべくサタンの使いが送られた(1コリントの使徒への手紙127、
)。〉
こうして彼はどうしたら他の人たちを癒したらよいかを自分自身から学んだ。
先に述べた院長ヘルマンが修道士になったばかりの頃、彼は必要以上に肉のとげによっ
て試された。彼はエーヴェルハルトの聖性の噂を聞いて、この人の功徳と取りなしによっ
て何かが啓示されることを望んでエーヴェルハルトのところへ行くと、丁度ミサの準備を
しているところであった。ミサのためヘルマンは予定通りにはエーヴェルハルトに告白で
きなかった、とそっと耳にささやいた。「司祭さま、私は肉のとげにひどく苦しんでいま
す。私が救われるように神に祈ってください。」エヴェルハルトはヘルマンを見ると、突
然大きな声で言った。「確かに私も同じように苦しんでいる。どのよにして私はあなたの
ために祈れようか。」
この敬虔で老いた人が自分と同じように苦しんでいるのを知って心が高められてそこを
離れた、とヘルマンが私に話してくれた。
エーヴェルハルトについて彼のことをよく知っているある敬虔な聖職者がこんなことを
話してくれた。エーヴェルハルトはミサで聖職者に平和の接吻(1)をするときには、接吻
するよりも、誘惑を恐れて顔に口を触れた(2)。
神の御力は弱さのなかで発揮されるがゆえに(3)、ある時、主は愛でる人エーヴェルハ
ルトを彼が生きていくのを倦むほど、使徒についての注解で肉のとげと呼ばれている激し
い頭痛でお試しになり、痛めつけになった。
そのためエーヴェルハルトはあまり祈ったり、読んだりすることができなかったので、
経験豊かな医者を訪ね、キリストのためにこんなに長引く頭痛にたいして何か助言が欲し
いと願った。医者は神の報酬よりも金銭を望んでこう言った。「三マルクもらえば、ちゃ
んと治してあげよう。」敬虔なる人が「私は三マルクは持っていません。だがその半分な

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ら喜んで払います」と言うと、医者はこう言った。「そんなわずかでは治療しません。」そ
れでエーヴェルハルトはこう言った。「私に三マルクあれば、あなたよりも貧しい人に与
えるでしょう。」神のなんという正しい判断であることか。敬虔なる人はこう言って離れ
ると、この時点で頭痛はすっかり止んで、医者の方に移った。医者の頭痛のひどさは減じ
ず、規模と質も変化しなかった。その時からエーヴェルハルトは福音書の言葉で医者をこ
う非難した。〈医者よ、自分自身を治せ(ルカによる福音書4、23)。〉エーヴェルハル
トはこの奇跡を、医者を生業としているルドルフという名の聖セヴェリヌス教会の参事会
員に話した。エーヴェルハルトはこの証聖者の祝日にルドルフに招待され、私も食卓で彼
の話を聞いた。
修練士 この尊い聖職者の噂はケルンの都市に広がっていますので、あなたが彼につい
て何か教えられることがあれば、躊躇せずに言ってください。
修道士 彼のたくさんの功徳の少しをあなたに話そう。ある日、彼が聖体を容器にいれ
て病人に運んでいて、私がよく歩く高まった狭い泥だらけの道に来たとき、穀物を積んだ
数頭の驢馬に遭遇した。袋は一方の側は壁に触れていたが、もう一方の側は道に垂れ下が
っていた。エーヴェルハルトをカンテラを手にして先導していた学生は大いに苦労して驢
馬にぶつかったり、ぶつけられたりして進んでいた。エーヴェルハルトはこれを見て、自
分は老いて弱っているのを思い、驢馬にぶつかって、聖体もろとも泥のなかにはまりはし
ないかと青くなって震えだした。このような試練が義の人を試すことは、彼の信仰が一層
輝くためには必要であった。彼は人の助けがないのに気づき、心に抱いている人に啓発さ
れこう言い放った。「驢馬どもよ、お前たちは何をしているのか。私が手にしているもの
ひざまず
が見えないのか。立ち止まって、 跪 き、お前たちの創造主に敬意を払え。創造主の名で
私はお前たちに命じる。」不思議なことに愚かな動物は服従した。彼の声に驢馬のすべて
は一斉に立ち止まり、一斉に跪いた。次々に奇跡が起こった。驢馬が跪くのは難儀なこと
であったが、袋は驢馬の背から落ちなかった。この敬虔なる人は驢馬の服従に驚き、神を
讃え、つつがなく病み人のところへ着いた。このことはケルンの都市で今日までよく知ら
れている。
エーヴェルハルトがどれだけ謙譲であったかを次の例話が示している。彼は貧しい人た
ちを朝食に招くのが常であった。ある日、二人の人が招かれ、その一人は病人で顔は醜く
変形していて、もう一人が一緒に食事を取るのを拒むほどであった。エーヴェルハルトの
食卓と向かい合った彼らの小さな食卓が用意されていた。神の人エーヴェルハルトはこれ
を見て、見下された貧者を呼び、貧者のなかでキリストを保持すべく彼のために自分の向
かい側に椅子を置くように命じ、彼と同じ皿と杯で食べたり飲んだりすることをいとわな
かった。
ある時には仲間や客のために、ある時には家の床で寝ていると分かっている病気の貧者
のために豪華な食事を用意する習慣がエーヴェルハルトにあったと言われている。
食事が供されると、エーヴェルハルトは食べ物をしげしげと眺め、においを嗅ぎ、手で
吟味した。食欲を起こしいっそう試され、それらを味わうのではなくキリストのために一
層の功徳を得るためである。それから彼は従者に言った。「この皿をあの寡婦かあの貧者
か病者に持っていきなさい。私よりも彼らに必要だから。」このような働きによって神の
家では光りは輝いたが、次のような機会では一層輝くように神はなされた。

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ケルンの大司教フィリップさまは聖ペトロ(4)のために購入した城のために多大な借財
を負ったとき、先の司祭エーヴェルハルトはかなりの財を保有している、と何人かの者が
彼に言った。財貨を借用すべく使者が送られた。エーヴェルハルトが自分には財はないと
言って、櫃の鍵を渡したが、そこには彼が貧しい人ために用意しておいた脂でよごれた牛
皮靴しかなかった。使者たちは恥じて戻っていき、大司教にこのことを報告した。私はあ
る司祭から聞いたのだが、大司教は恐れを抱き、この尊き司祭を呼び寄せ、彼の足下に跪
き、彼に与えた不正の許しを乞うた。
エーヴェルハルトは殊更シトー会を愛した。彼がシトー会入会を望んだとき、彼がきわ
めて敬虔で世俗の人々の模範となっていることを知っている数人の院長から拒まれた、と
私は聞いている。彼は老いて弱っていたが、完璧な徳のまま主の元に赴き殉教者聖ゲオル
ギウスの教会に埋葬された。
修練士 かくも敬虔でかくも老いた人が肉欲で試されるなら、若者が試されるのは不思
議ではありません。
修道士 私が言ったように、肉欲は年齢には関わらない。肉欲は道ばたの蛇、小道のつ
の蛇、馬の蹄を噛むと、乗り手はあおむけに落ちる(5)。次の例話を聞きなさい。

(1)osculum pacis ミサの終わり近くに交わされる聖職者同士、信者同士の接吻。


(2)当時の平和の接吻は口同士でおこなわれた。
(3)1コリントの信徒への手紙12、9参照。
(4)ペトロはケルンの守護聖人。
(5)創世記49、17参照。

第99話 不倫女の訴えで火刑に処せられたゾーストの司祭

ま ち
若く、すらりとした、立派な姿のヘルマンという名の遍歴司祭がゾーストの都市に住ん
でいた時からそんなに月日は経っていない。この都市のある女が彼に見惚れ、彼に夢中に
なり、こう言うほどであった。
「私を抱擁してくれれば、私の全財産をあなたにあげるわ。」
若者は、聖ヨセフ(1)を思い出し、彼女の言葉と約束を無視し、彼女はことが成し遂げら
れなかったので、彼に襲われたと裁判官に訴えた。彼は否定したが、信じてもらえなかっ
たので、罪人が入る壁のなかに入れられた。
彼女の方は情欲に駆られ、彼に夢中になるほど我を忘れ、梯子で壁を登り下へ下り、彼
を抱擁し交わりを迫った。それはうまくいかなかった。裁判官たちはこれを知り、無辜の
若者を牢から出して、彼に悪人として魔術師として火刑の判決を下した。
火が燃え上がりあばら骨が剥きだされて肺が見えると、彼が〈天使祝辞〉つまり〈アヴ
ェ・マリア〉などを歌うのをすべての人たちが聞いた。周りを囲んでいる一人、彼女の縁
者が燃えるたきぎを掴み、彼の口のなかに放り込みこう言った。「おれはお前の祈りを止
めさせるぞ。」それが彼を窒息させた。
何が起こったことか。彼は死んで、骨は野に埋葬された(2)。彼の墓のそばには光が見
られ、さまざまな奇跡が起こった。先の女の両親は驚き、聖パトロクルス修道院の参事会
員たちの前で跪き許しを乞い、義なる人を殺したことの贖罪を受けた。彼の墓の上に教会

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が建てられた。不倫女の情欲が道ばたの蛇のように明白にこの若者にからみつき、彼の肉
体を灰にしたが、彼には勝てなかった。次のように情欲が小道の角蛇(cerastes)となって
別の者にあらわれた。

(1)聖母マリアの夫。
(2)異端者と魔術師は教会には埋葬されなかった。

第100話 下女によって足下に床を用意された助修士

私がよく知っている人柄がよく敬虔なある助修士が、二、三年前彼の修道院のぶどう酒
を運ぶ船をフランドルへ誘導していた。ある夜、宿の主人の下女がいつものように上階に
床を用意してから、彼の足下に第二の床を敷いた。助修士が終課を終え床に就き灯りを消
すと、彼女は黙って服を脱ぎ、自分に用意してあった床に横になり、素足で助修士の足裏
をこづき、咳払いをして自分が来たと分からせた。
助修士は角蛇の策略に気づかず、別の人のために床が用意されたものと思った。角蛇は
馬、つまり助修士の蹄を噛んだが、その乗り手、つまり精神は同意して逆さまに落ちなか
った。彼が女の声を聞くや、すぐに立ち上がり、服を着て窓辺に行き朝を待った。下女は
ずっと待っていたが、ついに恥じて出て行った。
修練士 角蛇とは何ですか。
修道士 両刃が切れる刀のごとくどんな鉄よりも固い角がある蛇である。角(cornu)は
ギリシア語で cerasta(角)に由来するからである。肉欲は角蛇である。魂を殺すのみなら
ず、肉体をも根底から滅ぼすからである。使徒が、〈みだらなおこないをする者は、自分
の体に罪を犯している(1コリントの信徒の手紙六、一八)〉と言っているように、あらゆ
る罪は肉体の外にあるからである。

第101話 死に際に女と交わることを望んで罪を犯した副院長

角を持った女による情欲でひどく陰険にひどく危なっかしく揺さぶられた修道参事会の
副院長のある司祭のことを私は思い起こす。彼が重い病に罹ったとき、女と交わらなけれ
ば回復しない、と医者から、否医者を介して悪魔から助言された。彼はこの世に期待をか
け、あの世を思わず女を知った。しかし益することなく、むしろ害となった。数日後に彼
は死んだからである。昔の蛇にならって(1)贖罪の時は彼には肉欲の時となった。私は彼
の魂の判断を神に委ねる。このことを彼が副院長であったそこの修道院でその修道会の司
祭からわたしは聞いた。私は件の司祭の顔も名前も知っている。
修練士 <地の上の人間の生は誘惑である(2)>というヨブの言は男女ともに関わるの
ですか。
修道士 そうだ。人間(homo)という語は男女を含み、両性とも同じ感情に支配されて
いる。悪魔が女を介して男を打ちのめし弱めるように、男を介して女の多くを籠絡する。
それゆえ悪魔について主はヨブにこう言っている。〈その力はその腰にあり、その強さは
その腹の臍にある。〉この個所について聖グレゴリウスは、男の肉欲は腰に、女の肉欲は

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臍にあると言っている。彼らが時々いかに強く試されるかを話そう。

(1)創世記3、1-15参照。
(2)第4部第1話(注2)参照。

第102話 肉のとげを水で抜いた城主夫人

ある敬虔な司祭が私にこんな話しをしてくれた。ある貴族の女性が城にある日一人でい
たとき、彼女が何をおこない、何を考えていたかは私は知らないが、情欲の霊は彼女が一
人でいることを許さなかった。突然強く心が高まり、あちらこちら歩き回り、立ったり座
ったりすることもできず、焼けた鉄が彼女の脚にくっついたかのようであった。彼女は恋
の炎に耐えることができず、純潔を忘れ、門番のところへ下りていき、自分と交わってく
れるよう強く頼んだ。門番は誠実な人さながらこう答えた。「奥方さま、何をお言いです
か。どうかされたのですか。神を見つめてください。あなたの誉れを想ってください。」
彼女が門番の拒絶を甘受せざるを得なかったが、言われたことを何ら気にせず、神意によ
り城から出て近くの川へ行き冷たい水のなかに入り、燃える情欲の炎が冷えるまで水のな
かでじっとしていた。それから彼女は門番のところへ戻り、拒絶されたことに感謝して言
った。「あなたが私に金貨千マルクくれたら、さっき私が頼んだことを今おこなうでしょ
う。」彼女は自分の居所に戻っていった。
慈悲深き神はそのようになされた。火のそばを這う自分の子を火の熱さを知らさせるが、
火のなかに入ろうとすれば、急いで引き戻す優しい母親に似ている。
次の例話でもっと詳しく話そう。

第103話 修道院司祭によって試されたイギリスの修道女

イギリスである敬虔な司祭が女子修道院を教導していた(1)。彼はすらりとしていて、
容姿端麗で、頬は赤く、明るい眼差しをしていた。彼の魂の徳を知らない人は、彼に霊性
があるとはとても思えなかった。彼の修族のある若い修道女が彼に見惚れて試され、肉の
とげにひどく刺され、恥を忍んで恋慕を彼に打ち明けた。
この敬虔な人は驚き、彼の目の前には神への恐れがあったので、彼はできるだけこの修
道女の考えを変えるべくこう言った。「あなたはキリストの花嫁です。もし私が私の主の
花嫁を犯すなら、主は私を罰せずに見過ごされず、ずっと人々にこのことをかくしておか
れないでしょう。」彼女は言った。
「あなたが同意して下さらなければ、私は死ぬでしょう。」
彼は答えた。「そうなってはいけないから、あなたの望むようにしましょう。それではど
こで会いましょうか。」彼女は言った。「あなたが望まれる場所に私が今晩行きます。」そ
れにたいして彼は言った。「昼間にしましょう。」彼は彼女に果樹園のなかの小屋を教え、
決めた時間に来るように命じ、誰にも知られず、誰にも見られないように注意した。彼女
が来たとき、神の人は言った。「あなたがかくも熱く求めている私の肉体を眺めることが
ふさわしく、必要です。もしそれでよければ、あなたの望みに適うでしょう。」彼はこう
言うと服を脱ぎ、彼女は黙っていた。彼が肌に付けていたひどく荒い下着を脱ぎ、虫に噛

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まれ下着でこすれてかさぶただらけの黒い裸の体を彼女に見せてこう言った。「これがあ
なたが欲したもの。あなたの望みに適っていれば、今望みをかなえなさい」彼女はこれを
見て驚き、青くなったり赤くなったりして彼の足下に跪いて許しを乞うた。彼は彼女は言
った。「こっそりとあなたの修道院に戻り、私が生きている間は私の秘密を人に言わない
でください。」この時点で彼女の不注意が生んだ試練は止んだ。
肉欲による試練に関しての例話はここまでにしておこう。
修練士 これまでずっと話題されてきた七つの悪徳にたいしていかなる武器で抵抗すれ
ばよいのですか。
修道士 それと対立する徳によってである。
修練士 何が徳ですか。なぜ徳と呼ばれるのですか。
修道士 徳とは、正しく生きるための心の性質である。悪徳(vitia)に対立しているかの
ように徳(virtutes)と呼ばれる。高慢(superbia)にたいして謙遜(humilitas)、怒り(ira)にた
いして穏和(lenitas)、憎しみ(invidia)にたいして愛(caritas)、悲しみ(tristitia)にたいして心
の明朗(spiritalis iocunditas)、貪欲(avaritia)にたいして気前よさ(largitas)、貪食(gula)にた
いして節度ある飲食(potus cibique parcitas)、情欲(luxuria)にたいして純潔(castitas)が対立
しなければならない。試練との戦いでなされた徳が悪徳に凌駕すれば、勝利に功徳が、功
徳に永遠の報償が続く。永遠の報償をわれわれの主イエス・キリストはねばり強くある者
に約束された。キリストは模範の道となり、真実を約束し、永遠の生命を与えてくださる。
父と聖霊とともにキリストに永遠に栄誉と支配がありますように。アーメン。

(1)修道院長とは別に司祭が女子修道院のミサ、秘蹟、行事などを受け持っていた。

第5部 悪魔

第1話 悪魔が存在し、たくさん存在し、邪悪で、人間に敵対すること

試練(tentatio)の後に誘惑者(tentator)のことが扱われるのは正当であるように思われる。
悪魔(daemon)は別の言い方で誘惑者とも言われる。特に心を罪へと駆り立てる誘惑は、
誘惑者が悪の張本人か先導者となって生じるからである。悪魔が楽園で最初の人間を誘惑
し、荒野でキリストをあえて誘惑している以上、この世で人間を誘惑しないことがあろう
か。実際、二人の天使がどの人間にもあてがわれている。善天使は守るために、悪天使は
誘惑するために。
修練士 善天使が存在することは、私は疑い得ません。というのは、預言者たちの書に
彼らのことが度々語られていますから。しかし悪魔が存在すること、それもたくさん存在
し、邪悪で、永遠の火のために定められていることを新旧の聖書のなかから証明してほし
いです。
修道士 それを証明するたくさんの証拠がある。ルシファー、つまり悪魔について、そ
の創造を装飾するためにこう呼ばれたが、イザヤはこの堕落について述べている。〈ルシ
ファーよ、お前は朝のぼってどのように墜落したのか(1)。〉ルシファーは悪魔となって天
から墜落したことを主はこう言っておられる。〈私はサタンが稲妻のように天から落ちる

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のを見た(ルカによる福音書10、18)。〉ヨブもこう言っている。〈ある日、神の息子た
ちが神の前に来るように集まったとき、彼らのなかにサタンもいた(ヨブ記1、6)。〉ダ
ヴィデは裏切り者ユダについて詩編のなかで言っている。〈サタンを彼の右側にいさせな
さい(2)。〉ハバククもキリストについて同様のことを言っている。〈サタンが彼の足下に
進むだろう(3)。〉他の多くの個所でも聖書は悪魔を挙げている。悪魔は一人でいずに、一
人で落ちなかった、とヨハネスが黙示録のなかで語っている。〈天で大きな戦いがなされ
た。ミカエルと彼の使いたちは竜と戦った。竜とその手下たちは戦ったが、勝てなかった。
天には彼らの居場所はなかった(ヨハネの黙示録12、7-8)。〉輝かしいルシファーは
悪意によって竜となった。ルシファーの優雅と美についてエゼキエルはこう言っている。
〈お前は知恵と優美に満ちた神の似姿のしるし。お前は神の楽園の喜びのなかにいた。お
前はあらゆる宝石で包まれている(エゼキエル書28、12-3)。〉天使のなかの十番目
が落ちたと信じられている。それゆえ、彼らが大勢いるため使徒は天使を天の支配者と呼
んでいる(4)。彼らは一杯になって落ちていった。彼らの悪意について預言者が詩編のな
かでキリストに言っている。〈あなたを憎んだ者たちの悪意は常にのぼる(5)。〉主も福音
書のなかでユダヤ人たちにこう言っておられる。〈あなたたちはあなたたちの父、悪魔の
業をなした。彼と彼の父は最初から偽る者であった(6)。〉彼が人間たちに敵対しているこ
とをヨブがこう言っている。〈彼は川を飲み込み驚かない(7)。〉つまり、これらは不信心
者である。すなわち異教徒、ユダヤ人、異端者である。〈ヨルダン川が彼の口のなかに流
れ込むことを彼はあてにしている(7)。〉すなわちそれらは洗礼を受けた信者である。使徒
ペトロはわれわれを戒めてこう言っている。〈兄弟たちよ、目覚めよ、身をつつしめ。あ
なたたちの敵である悪魔は唸る獅子のように誰かを食い尽くそうと探し回っているがゆえ
に、信仰にしっかり踏みとどまって悪魔に抵抗しなさい(8)。〉一つのことで言われている
ことは、他のことにもあてはまる。たびたび単数は複数の代わりにされるからである。悪
魔たちは永遠に呪われねばならないことは、裁きによって悪人たちにこう言おうとしてい
る主の言葉からも明らかである。〈呪われた者どもよ、悪魔とその手下のために用意され
ている永遠の火のなかへ入れ(マタイによる福音書25、41)。〉
この第五部で悪魔について語ることはふさわしいと思う。五という数字は哲学者によっ
て背教の数と呼ばれているからである。というのは、五という数字は奇数と結合して自体
で増え、それも常に自体が最初か最後にあらわれる。こうして悪魔は固定した数字四を離
れ、まず奇数のような悪人と一緒になり、常に行為、あるいは話の初めと終わりで悪意を
露わにする。
修練士 私がひっかかっていることが、聖書の証拠で証明されたとはっきり私は告白し
ます。またあなたが生き生きした例話で説明してくれなかったなら、私は満足しなかった
ことを告白します。
修道士 悪魔が存在し、多数存在し、邪悪であることを君に多くの例話で証明すること
ができよう。

(1)イザヤ書14、12参照。
(2)詩編108、6参照。
(3)ハバクク書3、5参照。

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(4)エフェソの信徒への手紙2、2参照。
(5)詩編74、23参照。
(6)ヨハネによる福音書8、41参照。
(7)ヨブ記40、18参照。
(8)1ペトロの手紙5、8参照。

第2話 悪魔の存在を信じず、黒魔術を介して悪魔を見た騎士ハインリヒ

ファルケンシュタイン城出身のハインリヒという騎士は、当時プリュムの修道院長であ
ったシトー会士カエサリウス(1)の酌人(2)であった。このカエサリウスがこんなことを告
白するのを私は聞いた。騎士ハインリヒは悪魔の存在を疑い、悪魔について耳にすること、
耳にしたことをつまらないことと考え、黒魔術で有名なフィリップという名の司祭を呼ん
できて悪魔を自分に見せるよう熱心に頼んだ。フィリップはハインリヒにこう答えた。
「悪
魔を見ることは恐ろしいし危険です。誰も悪魔を見ない方がいいのです。」フィリップが
強引に迫ったので、ハインリヒはこう付け加えた。「たとえあなたが悪魔に騙されたり、
驚かされたり傷つけられたりすることがあっても、あなたの縁者や友が私に危害を加えな
いと私に保証してくれるなら、あなたの言うことを聞こう。」それでハインリヒは保証し
た。
悪魔の力は昼の方が強いから、ある日の昼、フィリップは十字路に騎士を連れて行き剣
で騎士の周りに円を描き、円のなかの騎士に円の法則を説明してこう言った。「私が去る
前に手足の一つでもこの円の外へ出せば、あなたは死ぬでしょう。悪魔によって外へ出さ
れるやすぐに滅びるでしょう。」近づく者たちに何も与えず、何も約束しないように、さ
らに十字を切らないようにフィリップは戒め、こう付け加えた。「悪魔どもがいろいろな
方法であなたを誘惑し驚かすでしょう。しかしあなたが私の言ったことを守るならば、彼
らはあなたに害は与えないでしょう。」フィリップはハインリヒから離れた。ハインリヒ
が一人で円のなかにいると、洪水が自分のところへ押し寄せて来るのが見え、それから豚
の唸り声、風の音、これらに近い幻覚が聞こえた。こういうもので悪魔どもは彼を驚かそ
うとした。しかし目にする矢は少なかったので、これらにたいし身を防いだ。すると近く
の森から木よりも高い人間の影のようなものが近づいてくるのが見えた。それが悪魔であ
ることがすぐに分かった。悪魔が円に近づくと立ち止まって、何か用があるのかと尋ねた。
悪魔は大男さながら、否巨大で真っ黒で黒衣を身につけていた。騎士が見つめることがで
きないほど不気味な姿であった。騎士は悪魔に言った。「よく来てくれた。わしはお前に
会いたかった。」「何のために」と悪魔は尋ねた。騎士は答えた。「お前のことはたくさん
聞いている。」悪魔は尋ねた。
「わしのどんなことを聞いているのか。」騎士は付け加えた。
「少しの良いこととたくさんの悪いことだ。」これにたいして悪魔は言った。「人間どもは
理由なくたびたびわしを裁き弾劾する。挑発されなければ、わしは誰をも損なわなかった
し、誰をも傷つけていない。お前の師フィリップはわしのよき友でわしも奴の友だ。わし
が奴を襲ったことがあるか奴に尋ねてみよ。わしは奴が望んだことをやってやるし、奴も
すべての点でわしに従っている。わしは奴に呼ばれてすぐにお前のところに来た。」それ
で騎士は言った。「彼がお前を呼んだとき、お前はどこにいたのか。」悪魔は答えた。「こ

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こから海までぐらいの距離の海のかなたから来た。わしの労苦にお前が何らかの対価で報
いてくれるのがふさわしい。」騎士は言った。
「お前は何がほしいのか。」悪魔は答えた。
「お
前のマントがぜひほしい。」騎士は言った。「それはやれない。」悪魔は腰ひも、それから
羊の群れの一頭を要求した。騎士がこれらすべてを拒否すると、悪魔は最後に彼の家の雄
鶏を要求した。騎士は悪魔に尋ねた。「わしの雄鶏で何をするのか。」悪魔は答えた。「わ
しのために歌ってくれるからだ。」騎士は尋ねた。「どうやって捕まえるのか。」悪魔は再
び答えた。
「そんなこと気にしなくてもよい。雄鶏を渡すのだ。」そこで騎士は言った。
「わ
しはお前に何もやらないぞ。」そしてこう付け加えた。
「言ってくれ、どうして知ったのか。」
悪魔は言った。「この世の悪のことならわしは何でも知っている。わしが本当のことを言
っていると知るのだ。お前は村や家で無垢を失っているし、お前はあちらこちらでいろい
ろな罪を犯したのだ。」騎士は悪魔が本当のことを言っていることに反論することができ
なかった。
修練士 騎士がそんな罪を告白したとは思いません。どうやって悪魔は告白のなかで罪
を知ることができたのですか。
修道士 騎士が再び罪を犯そうとして告白したので悪魔の知るところとなったのだ。
修練士 あなたが言ったことはうれしいです。あなたが第三部の第六話で言ったことを
覚えていますから。
修道士 悪魔が再度何かを要求して騎士が拒んだとき、悪魔が彼を捕らえて引っ張りだ
そうとするかのように、手を伸ばして彼を驚かせた。すると、彼がひっくりかえって叫び
声をあげた。ハインリヒの声を聞いてフィリップが駆け寄って、そばへくると、すぐに幻
は消えた。この時から騎士は常に青い顔をして元の顔色に戻ることはなく、一層清く生き
悪魔の存在を信じた。その後しばらくしてから彼は死んだ。

(1)ミーレンドンクのカエサリウス。
(2)pincerna ぶどう酒貯蔵室管理人および給仕人。

第3話 悪魔により円から引っ張り出され、ずたずたにされ三日後に死んだ司祭

同じ頃、ある愚かな司祭が、自分に悪魔を見せて欲しいとこのフィリップに頼んで礼を
渡した。先の方法でフィリップは司祭を円のなかに置き教えた。司祭は悪魔に驚かされ引
っ張り出され、フィリップが戻ってくるまでにずたずたにされ三日後に死んだ。フィリッ
プの家をリンブルク伯ヴァルラムが没収した。私はこのフィリップに会ったことがある。
彼は二、三年前、師であり友人である悪魔に殺害されたと信じられている。

第4話 トレドで悪魔の策略で引っ張り出され、地獄へ連れて行かれ、彼の師
の願いで引き戻され修道士になった聖職者

今は亡きシトー会士フォルマルシュタインのゴットシャルクが、私が黙ってはおられな
い話をしてくれた。ある日、彼が先に挙げたフィリップに不思議な術を何か話してくれな
いかと頼むと、フィリップはこう答えた。「私の若い頃トレドで実際起こった不思議な話

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をしましょう。」
さまざまな地域出身の多くの学生がこの町で黒魔術を学んでいた。シュヴァーベンとバ
イエルンの幾人かの学生たちは師から驚くべきこと信じられないことを聞き、それが真実
であるかどうかを証明しようとしてこう言った。「先生、あなたがわれわれに教えてくれ
ることを目の前で見せてください。われわれが学んだことを確実にするためです。」フィ
リップは拒否した。彼らは奇妙な民であるので了承しなかった。それで彼は頃合いを見て
彼らを野に連れて行き、剣で彼らの周りに円を描き円の外へ出れば死ぬぞと脅し、何かを
要求されても与えず、差し出されても受け取らないように命じた。
フィリップは彼らから少し離れ、呪文を唱えて悪魔どもを呼び出した。ただちに悪魔ど
もは見事に武装した騎士の姿であらわれ、若者たちの周りで馬上試合いをおこなった。あ
る時には落馬を見せかけたり、ある時には槍と剣を若者に向けあらゆる方法で若者たちを
円から引き出そうとしたりした。悪魔はこうしたことで成果がなかったので、きわめて美
しい娘に変身して若者たちの周りで輪舞をおこない、さまざまな動きで若者たちを誘った。
他よりも一段と美しい娘が学生の一人を選んだ。彼女は彼に近づくごとに黄金の指輪を差
し出し、彼の心のなかにささやき、外面では身体を動かして彼を愛へと燃えあげらせた。
彼女は何度もこんなことをすると、若者は負けて指輪を得ようと指を差し出した。すると
彼女は彼の指をつかんで引っ張り出した。彼はどこにも見あたらなかった。悪霊どもは獲
物を手に入れると渦となって消えた。学生たちは叫び騒いだ。師が駆けつけると、学生た
ちは同僚がさらわれたことを嘆いた。師は彼らに言った。「私には責任がない。君たちが
強要したのだ。私は君たちに言っておいた。今後彼には二度と会えないだろう。」これに
たいして彼らは言った。「彼を元に戻してくれないなら、あなたを殺害するであろう。」バ
イエルン人は凶暴であることを彼は知っていたので、死を恐れてこう答えた。「彼にまだ
望みがあるかどうか試してみよう。」彼は悪魔の首領を呼び出し、自分が忠実に使えたこ
とを呼び起こさせ、もし学生が元に戻されなければ、自分の教えは損なわれ、学生たちに
殺される、と言った。悪魔はフィリップに同情して答えた。「明日お前のためにわしはあ
る場所で裁判を開く。お前も来るのだ。もし判決によってお前が何らかの方法で奴を手に
入れれば、上々だ。」
何が起こったか。首領の命令で悪魔の裁判が招集された。フィリップは学生になされた
暴力を非難した。相手は答えた。「わしは奴に不正も暴力も加えていない。奴は師に服従
せず、円の掟を守らなかった。」こうして彼らが言い争い、悪魔は自分の隣の悪霊に意見
を求めて言った。「オリヴァー君、君は常に信頼に価した。君は正義に反する人間を受け
入れない。この言い争いを解いてくれ。」オリヴァーは言った。「若者を師の元に戻すこと
と私は判断します。」彼は首領の方を向いて言った。「奴を返してやってください。あなた
は奴に大いにすげなかった。」他の悪魔どもも彼の判断に賛同した。裁判官の命令でこの
時学生は地獄から戻され、フィリップの元に返された。裁判は終了し、フィリップは獲物
を返され、学生たちの元へ喜んで戻った。学生の顔は痩せて青白く、この時点で墓から出
てきたような顔色をしていた。
学生は仲間に地獄で見たことを話し、黒魔術の教えは神に反することで呪わしいことで
ある、と言葉よりもむしろ例で示した。彼はトレドから出て、シトー会のある修道院で修
道士になった。

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修練士 私は今や二人のことが思い出されます。一人はトレドで死んだ仲間の戒めで修
道院入りした若者。もう一人は、第1部第33話と第43話にあるように、方伯の罰の幻
視が修道院入りの原因となった聖職者のことです。
修道士 修道院入りの前にある満月の夜、ある黒魔術の司祭が見せたさまざまな姿の悪
魔を見た、とシトー会士、老コンラッドが私に話してくれた。人間によって見られ、聞か
れ、感じられ得る者たちがいることは疑いない。
修練士 悪魔が存在することは十分証明されましたが、世俗の人々よりも修道士たちの
証言を聞きたいです。
修道士 悪魔が存在し、たくさん存在することは疑いない真実であることを、世俗では
なく修道士の例話で君に話そう。君は全く疑うことはないだろう。

第5話 さまざまな姿の悪魔を見たマリエンシュタットの院長ヘルマン

マリエンシュタットの現院長ヘルマンさまが、いかに信仰深く、いかに厳格な人である
かを君はよく知っている。この人は修道院入りの前はボンの教会の参事会員であって、貴
族の出の高貴な人であった。彼はヒンメロートで修道士になった。ハイスターバハの修道
院がヒンメロートから分離すると、すぐに彼はわれわれの初代院長になった。しばらくし
てから彼は数年後に選挙によってわれわれから離れ、ヒンメロートの院長に再度推挙され
た。
その頃、ヒンメロートにハインリヒという名の助修士がいた。彼はハルトと呼ばれるグ
ランギアの管理者であって、温厚で誠実な人であり年齢は熟していたが、肉体は童貞だっ
た。彼は神から受けた贈り物のなかでも、よく夜の祈りの時に特に内陣でさまざまな姿の
悪魔が走り回るのを見た。彼はこのことを先のヘルマンに告白のなかで話したとき、ヘル
マンは彼に倣って悪魔を見たいという望みにかられて、自分にもこの恩恵を与えてくれる
よう熱心に神に祈った。
彼の願いはただちに聞き届けられた。すぐ後の聖マルティヌスの祝日の朝課に臨んでい
たとき、ごつい農夫の姿をした一人の悪魔が奥の司祭席に近づくのを見た。悪魔は広い胸、
いかった肩、短い首、額にみごとに刈り込んだ髪をしていた。残りの髪は穂のように垂れ
下がっていた。悪魔は上がってきて、ある修練士に近づき彼の前に立った。その頃、まだ
院長ではなかったヘルマンさまは悪魔を見て、少しの間目をそむけ再度見ようとしたが、
悪魔は消えていた。
またある時、悪魔は仔牛の尾に姿を変え、先の修練士が身を支えていた手すりの上に倒
れ、修練士の方にさっと動いた。その尾が修練士の肩に触れるや、修練士は詩編朗読の時
に間違いを犯した。修練士が身をかがめて規則通りに元に戻ると、悪魔は嵐にとらえられ
たように一エル彼から離れ消えた。傲慢な悪霊は尾でこびて星の三分の一を掃き寄せるが
(1)
、謙遜の前では立つことはできなかった。この修練士は修道士アレクサンダーであっ
て、今はヒンメロートの院長である。彼が軽はずみな動きによって試され、引き留められ
たときには、軽率なことを考えていたことと考えられる。
修練士 あなたが言うことはうれしいです。
修道士 聖クニベルトゥスの夜(2)、その頃一修道士であったヘルマンが院長の内陣に

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いたとき、二人の悪魔が司祭席に入ってきて、修道士と修練士の間の院長の内陣席にゆっ
くりと上ってくるのを見た。二人の悪魔が壁がぶつかりあっている角に達したとき、三人
目の悪魔がとび出て二人と一緒になってあらわれた。悪魔どもはヘルマンに近づいたので、
ヘルマンは手で悪魔に触れることができるほどであった。彼が悪魔どもをよく見ると、彼
らは空中に勢力を持つ者たち(3)のように足が地面に触れていないのに気づいた。前の二
人の悪魔の一人は女の顔をしていて、頭には黒いおおいをかぶり黒いマントを着ていた。
院長が私に話してくれたのだが、すぐそばで三番目の悪魔を見たかの修道士ヘルマンは
かなり不機嫌で少なからず怠惰な人であって、内陣でよく居眠りし詩編をいやいや歌い、
歌うことよりも飲むことを楽しんでいた。かなり短い徹夜の祈りでも常にきわめて長く感
じられた。
またある時、聖コルンバヌスの徹夜祭(4)と私は思うが、その頃、ヘルマンは副院長だ
ったが、院長の内陣席で朝課のための第一詩編、つまり〈主よ、私を苦しめる者たちはど
れほど増えたのですか(詩編3、2)〉が始まったとき、悪魔どもが互いにぶつかったり、
離れたりすると、すぐに修道士たちが詩編を間違えるほど、内陣の悪魔どもは増えていた。
反対側の席の者たちが彼らの間違いを正そうとしたとき、悪魔どもが走り込んできて、彼
らに混じって混乱させたので、彼らは何を歌ってよいか分からなかった。修道士たちは向
き合って互いに叫び合った。
院長エウスタキウスさまと副院長ヘルマンはこれを見て席から離れ彼らの混乱を正そう
としたが、詩編朗唱にきちんと戻すことはできずに、声の不一致は一つにならなかった。
ついに労苦と混乱した状態が終わり、完全に普通に戻って詩編朗唱が節度を持つと、すべ
ての混乱の頭である悪魔は手下と一緒に去り、平穏は妨げられていたが詩編を歌う修道士
に再び戻った。
その時、先の副院長は、竜の姿をした槍の長さほどの悪魔が出て行くのを見た。悪魔は
近づくのを見る者に分からせるように、内陣で灯っていた灯火のそばを通った。他の悪魔
どもは影のような子供より大きな体をしていて、彼らの顔は火のなかから取り出された鉄
に似ていた。
修練士 たくさんの悪魔どもが、集まりを混乱させるために一個所に集まりましたが、
世界中に数限りない悪魔がいることは間違いありません。
修道士 聖書によれば、レギオン(5)が一人の人間のなかに取り憑いた。悪魔どもはた
くさんいて、邪悪で、すでに言われたように、われわれの至福の支障を、ああ、大いに準
備しているので、われわれが詩編を歌っている間は、傲慢に歌うことによって敬虔な熱意
の結果が消えないように、あたりに注意を向け、熱意あり、謙譲であることを私は助言す
る。悪魔はわれわれの心の敬虔さで混乱されるだけに、それだけ彼らは声の傲慢な高まり
を喜ぶのだ。
ある夜、週間担当者(6)が招詞(7)の先唱句を始め、彼の隣の修道士が中程度の声で詩編
を歌ったとき、そのころ副院長であったヘルヴィッヒが、先の修道士が始めたと同じ声で
他の年長者と詩編を歌い始めた。少し頭の弱いある若い修道士が内陣の下の方にいて、詩
編を低く始めたことに腹を立てほぼ五音階高めた。副院長は彼に抵抗したが、彼は譲らず
に、最後までそのまま歌い続けた。彼の持ち分の次の数行を反対側の数人が助けた。他の
修道士たちは、怒りを買ったり不協和音を出したりしないように心がけた。先のヘルマン

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はかの愚かな修道士のところから燃える鉄のような悪魔が走っていき、彼の持ち分を強め
た人たちのところの反対側へ走っていくのを見た。思い上がって天に達する声よりも敬虔
な心による歌の方が神に好まれることが、このことから推し量られる。
またある夜、ヘルマンが他の修道士よりさきに徹夜の祈りに来て、外の様子を見ようと
教会の表側の窓に目をこらしたとき、エチオピア人の姿をした大きく真っ黒な地獄の火の
なかから出てきたような悪魔が彼の目に入った。悪魔は上部の席の彼のところへ行き、彼
のところを通りすぎて外へ出た。
また別の日の同じ時にヘルマンは修道士たちを戒めるために自分の席から少し離れたと
き、悪魔が院長席と副院長席の間に勢いよく恐ろしい姿で入っていくのを見た。悪魔は副
院長席をにらむと、副院長が道を閉ざしていて、進む道が自分に開かれていないのを見て、
急いで修練士の内陣席に行き、そこの老修道士の横に座った。老修道士は、悪魔に道を譲
った修道士に習癖が似ていた。つまり飲酒癖があって、怠惰で、よく不平を言った。これ
らのことは怠惰な修道士たちを恐れさせよう。
修練士 前の部であなたが怠惰の悪徳について話したあれこれを私は思い出します。内
陣で居眠りをよくし、嫌々詩編を歌う修道士のすべてが恐れおののくのは当然です。
修道士 たびたび悪魔どもが小さな姿で走り回り、たびたびさまざまな場所で恐ろしく
火花を放つのを院長は見た。院長は、悪魔どもの姿は目に有害と感じ、彼らの軽率さを知
っていたので、ある日、聖霊へのミサが終わると、このような幻視から解放されることを
神に祈った。ただちにこぶし大の、なかに生き物がいると思われた輝く目の姿の悪魔があ
らわれた。「あなたは将来私には会わないので、今じっと私をみつめなさい」とでも言っ
ているようであった。後に彼はその悪魔を見たが、はっきりとではなく、以前のようには
頻繁ではなかった。
ヘルマンがマリエンシュタットの修道院長になったとき、クロイスブルクの伯爵夫人ア
レイディスという高貴な女性が創立者としてそこに葬られた。彼女の遺体がなおも棺架に
横たえられていたとき、ヘルマンは棺架の周りを歩いていると、自分の持ち物を失ったか
のように目をこらして探し回っている悪魔を見た。
われわれの副院長があるわれわれの助修士の埋葬後、定時課のために内陣に入って世俗
の事柄を扱った後、道案内人のような悪魔が彼の前を行くのを見てから、一年は経ってい
ない。悪魔はさながら雲のようにやわらかい身体をした姿であった。それから数日後、あ
る夜の朝課の間に同じ姿の悪魔が先の副院長の前に立っているのを院長は見た。
修練士 あなたが幼児の救世主についての教化的な説教を書き、そこにほとんどすべて
の先に挙げた幻視を織り込んだとき、尊いヘルマン院長の名を隠そうとしたのはどうして
ですか。
修道士 彼は多くの愛から彼の秘密を私に打ち明けてくれた。その頃は彼は私が彼を持
ち出すことを禁じたが、私の切願に根負けして許してくれた。彼の名声によって私が書く
ことに少なからぬ権威が与えられることを私は知っていた。誰もその人について書かれた
ことが疑われないほど、彼の敬虔さは有名で権威は証明されている。
今、ある徳にたけた尊い人を私は思い出している。彼の幻視は、現在の人にも将来の人
にも恐れの例となり得よう。

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(1)ヨハネ黙示録12、4参照。
(2)聖クニベルトゥス(663没)は貴族出身で聖人、ケルン大司教。祝日は11月1
2日。
(3)エフェソの信徒への手紙2、二参照。
(4)聖コルンバス(530頃-615)は厳格な修道会則の制定など修道生活に大きな
影響を与えた。祝日は11月21日。
(5)legio(多数)を意味する。マルコ福音書第5章にあらわれる悪霊。
(6)hebdomadarius 一週ごとに交代して、典礼歌を先導して歌う役目の修道士。
(7)invitatorium 朝課を始めるときの神の賛歌で始まる詩編第95。

第6話 悪魔を見た修道士クリスチアン

名でも、おこないでもクリスチアンというある尊い司祭が修道会入会のためヒンメロー
トを訪れた。悪魔どもは彼を激しく攻め立てた。彼は修道会入りの前も後もたびたび悪魔
を目にした。
その頃、カルルという名の別の在俗司祭がこの修道院で修練士となった。彼の修練期で
の修友はわれわれの副院長イゼンバルトだった。カルルは悪魔にけしかけられて、悪魔の
助言に従い、彼の喉と肉の利益を一致させてたびたび病人を装った。彼はびっこを引き、
床に横たわった。彼は病舎に移され、たくさんの肉を食べ、精神の方はなおざりにした。
彼がびっこを引きながら厠へ行き出て、厨房をのぞいて病人のための料理を眺めていた。
悪魔が足を引きずるカルルの後ろをやはり足を引きずりながら付いていき、彼が見回すと
悪魔も見回し、悪魔が彼と一向に変わらぬ態度をとっているのをクリスチアンは見た。つ
いにカルルは修練期間の内に頓挫して、〈エジプトのなべ(出エジプト記16、三)〉に戻
り、肉が肉に付き従った。
修道士たちが集会の後、労働の準備をして部屋のなかで板木が打たれるのを待っていて、
彼らの何人かはくだらない身振りを互いに交わしていたとき、あの至福な人クリスチアン
は、醜いやけどのある猫、いや猫の姿をした悪魔どもを見た。猫は尾を動かして修道士た
ちにこび、身体をかわるがわる彼らの身体にくっつけて、愛嬌ぶって彼らに触れた。真面
目であり続けた修道士たちは、猫どもを見ようとしなかった。
ある日、クリスチアンが祈りのため祭壇の前に跪いていたとき、悪魔が雌鶏ほどの大き
なガマに変化して彼の顔の前に座った。彼はこれを見て驚きすぐに立ち上がり逃げた。そ
の時は悪魔の策略に気づかなかった。
修練士 三つの悪徳にたいして三つの幻視はぜひとも必要であると思われます。第一の
幻視は貪欲にたいして、第二の幻視はむなしさの悪徳にたいして、第三の幻視は祈りの嫌
悪にたいしてです。
修道士 われわれには見えないが、悪魔はたびたびこのような幻視で恐れさせてわれわ
れの祈りの甘美を消している。これらのことを私は院長ヘルマン、さらにビルベヒの修道
士ヴァルターから聞いた。この二人はクリスチアンと親しかった。
クリスチアンのさらなるおこないと幻視については第7部で聞きなさい。

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第7話 マインツである女の派手な服の上に見られた悪魔

ある誠実な市民が私に話してくれた。もし私の記憶に間違いなければ、私がこれから話
そうとすることは、彼が若い頃実際マインツで起こったことだ。
ある日曜日、主任司祭が教会のなかを歩き回り、人々に聖水を振りかけ教会の入り口に
来たとき、クジャクのようにさまざまな宝石で飾られた派手な服を着た女に出くわした。
長く引きずっていた彼女の服の裾にはたくさんの悪魔がのっているのを見た。悪魔どもは
ヤマネのように小さく、エチオピア人のように黒く、口で高笑いし手をたたき網にかかっ
た魚のように踊っていた。実際、女の飾りは悪魔の網だからである。
司祭はこれを見ると、悪魔どもの乗り物を外で待たせた。人々を呼び、悪魔どもが逃げ
ないように呪文を唱えた。女は驚いて立ちすくんだ。司祭は立派で誠実な人であったので、
人々がこの幻を見るに値するように祈った。女は、派手な服のためにこのように悪魔ども
に嘲笑さたと知り、帰宅して服を着替えた。彼女にとっても、他の女たちにとってもこう
いう幻が謙譲になる機会となった。
修練士 われわれ哀れな人間を罪へとけしかける悪魔どもがもしたくさんいるならば、
それに従う者たちを永遠の罰へと引き連れていく悪魔もたくさんいると私は思います。
修道士 そのことについて説明よりも例話で君に教えよう。

第8話 死に際にたくさんの悪魔を見たディートキルヘンの司祭および悪魔より
も悪い人間がたくさんいることの証明

ま ち
ボンの都市にあるディートキルヘン女子修道院でアドルフという名のこの修道院の主任
司祭が死去した。彼は非常に世俗的でふしだらであった。ボンの参事会員であったある司
祭が私に語ったところによると、アドルフは縁者とさいころ賭博していたとき、彼の教区
民の一人が泣きながらやって来て、自分の母の告白を聞き聖体拝領をおこなうようへりく
だって涙ながらに懇願した。アドルフは答えた。「さいころが終われば行くよ。」相手は迫
って、病み人は待つことができないと言った。アドルフは怒って賭博の相手に言った。
「縁
者よ、わしに付きまとうこの人のことがうっとうしい。」教区民の男はこれ以上は無理と
知り、悲しんでため息をつき立ち去った。病み人は告白もせず聖体も拝領せずに死んだ。
三日が経ち、司祭の博打相手の男は、死んだ女の息子に出会い、司祭の不平を思い出し、
息子を理由なく殺害した。
あれやこれやのたくさんの罪の後、かの司祭は生命にかかわる病気にかかった。彼が絶
望の淵にあったとき、彼の縁者のある女が彼の前に座って、彼に悔恨の兆候が見られない
のを見て取り悲しんでこう言った。「司祭さま、あなたは弱り切っています。神のために
準備してください。神があなたの罪をあなたから取り除き、有意義な悔恨の時間を与えて
くださるよう神に哀願してください。」これにたいして彼は絶望して答えた。「向こうのあ
の大きな納屋が見えますか。あの屋根の上でも私の周りに集まっている悪魔ほどの麦わら
はないのです。」
こう言うと、彼はすぐに最期となり息を引き取った。彼が元気だったときに助言してく
れた人々がその死に際にそばにいるのを見た。なおもたくさんの悪魔について多くのこと

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を君に話すことはできるが、第12部まで取っておこう。
修練士 悪人どもが邪悪に生きてたくさんの悪魔を教唆者として有し、死ぬときにはた
くさんの悪魔を告発者として有したら、もし罰を受けるときに悪魔たちを刑吏としてたく
さん持つかどうか知りたいです。
修道士 第1部第32話で悪魔どもが魂を罰の場所へ運んで苦しめることをモリモンの
修道院長に関して述べた。同じように、第2部第6話でならず者のヒルデブラントがベル
トルクの死後にあらわれて、数え切れないほどの悪魔どもが彼の魂を外で待ちかまえてい
ると言った。
修練士 そういうことなら、悪い人間よりも悪魔の方がたくさんいることは確実です。
修道士 今日、そのような問題を解明することはわれわれにできない。しかし世の終わ
りに悪人が一杯になったとき、悪魔よりも悪人の方がたくさんいることが確実だ。
修練士 そのことはどのようにして証明されるのですか。
修道士 天使のなかの十番目が墜落し、そのなかから悪魔が作られた。聖グレゴリウス
の言によれば、選ばれた人間の内で天に上ろうとした者たちが、そこで天使として残った
のだ。それによれば、選ばれた人の数は悪魔の数を九倍は超えている。善人よりも悪人の
方が比較にならないほどたくさんいることなど誰が信じ得ようか。数では悪魔よりも悪人
の方がずっと勝っていることでは悪人は慰みを得ないだろう。一人の悪魔が何千人もの人
を苦しめるに不足ないほど悪魔どもの本来の力は大きく彼らの悪意はぎっしりしていて苦
しめる意気込みは大きい。
悪霊がたくさんいることはここまでにしておこう。悪霊は比較にならないほど邪悪で無
慈悲であるかことをさまざまな例話で話そう。

第9話 天に上るよりも、騙した魂と地獄に下りたいと言った悪魔

ある悪魔が悪霊に取り憑かれた男をひどく苦しめ、この男の口を介してさまざまなこと
にいろいろ喋りまくって答えていると、周りにいる人たちの一人がこう言った。「サタン
よ、言ってくれ。もしお前がかつての栄光に戻ろうとすれば、いかなる労苦に耐えればよ
いのか。」悪魔は答えた。「わしの意志に従えば、天国に上るよりも、わしに騙された魂と
一緒に地獄に下りたい。」
なぜ悪魔がそんなことを言ったのかすべての者が不思議がっていると、悪魔は再度こう
答えた。「なぜお前たちはそんなことを不思議がるのか。わしの悪意は大きくどんな良い
こともすることができないほどわしは不屈だ。」この言葉と別の悪魔の言葉は一致してい
ない。

第10話 反対のことを語る別の悪魔

ケルンの聖ペトロ教会で悪霊に憑かれた女が哀れにも苦しめられていたとき、そこへ別
の憑かれた女が加わった。すぐに二人は逆らいあい、叫んだり悪口を言ったりして互いを
中傷し、みなが驚くほどであった。一方の悪魔が他方の悪魔に言った。「哀れな奴よ、ど
うしてわしらはルシファーに同調して永遠の栄光から墜落したのか。」これにたいして他

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方の悪魔が答えた。「どうしてお前はそんなことをしたのか。」贖罪のごとき言葉を発した
とき、他方がこう付け加えた。「黙れ、お前の贖罪は遅すぎる。お前は戻ることはできま
い。」
この悪魔どもはいかに強情であるかが分かるか。この悪霊が、前話のように栄光への回
帰について問われて、私が聞いているなか、彼の話と全く反対のことを言った。「きわめ
て鋭い刃物に守られて、地上から天に伸びる鉄の炎の柱があるならば、最後の審判までに
たとえ身が苦しんでも昇ったり下りたりしてそれを伝っていきたい。私がかつて置かれて
いた栄光に戻れることができるならば。」
修練士 どうして反対のことを感じることになったのですか。
修道士 前話の悪魔は彼になされた提案は完全に不可能であると知って、悪意を見せた
が、こちらの悪魔はどれだけの財を失ったかをできるだけの言葉で表明した。
修練士 悪魔どもは自分たちに準備された罰を恐れないのですか。
修道士 悪魔どもは意識して恐れている。彼らを失墜させる悪魔払いのすべては炎と最
後の審判で成就されるのだ。
人間を痛めつけるため悪魔はどのようなことを準備しているかを別の例話で話そう。

第11話 夫に委ねられて女のなかに入ったと告白した悪魔

昨年、われわれの院長がアーヘン近郊のサルヴァトール山の教会でミサをあげていた。
ミサが終わったとき、ある憑かれた女が連れてこられた。彼は彼女の頭の上でキリストの
昇天に関する聖書の当該個所〈彼らが病人に手を置けば、病人は治るであろう(マルコに
よる福音書16、18)〉を読み上げ、手を彼女の頭に置いた。するとみなが驚くほど悪
はら
魔は恐ろしい声をあげた。女から出て行くように祓われると、悪魔はこう答えた。「最高
者がまだそれを望んでいない。」どのようにして女のなかに入ったのか問われても、悪魔
は答えず、女にも答えさせなかった。彼女の夫が怒って「悪魔のところへ行け」と叫ぶと、
悪魔が耳から入ったと感じたと後に彼女は告白した。この女はアーヘンの地域の出身で、
非常に有名である。

第12話 父親に「悪魔のところへ行け」と言われたとき、悪魔に入ら
れた息子

私はある院長から聞いたのだが、ある人が怒って息子に「悪魔のところへ行け」と言っ
た。さっそく悪魔は息子を捕らえ、どこにもあらわれなかった。
修練士 聖書に〈息子は父の罪を負うことはない(エゼキエル書18、19)〉とある
のに、息子が父の罪のゆえに罰せられたのはどうしてですか。
修道士 前の女が言ったことと同じだ。両方のことが生じることを神は例をもってお許
しになった。妻が苦しんでいる時の夫の苦しみや息子がさらわれた時の父親の苦しみを耳
にすれば、激昂した者でも怒りを抑制し愚かなことを言うことを控えるべきだ。
修練士 あなたが言うことはうれしいです。
修道士 悪魔が存在することを疑う者は、憑かれた人たちに目を向けるべきだ。彼らの

- 202 -
口を介して悪魔は話をし、彼らの身体でひどく暴れ回って、自らの存在の明白な印を彼ら
に与えるからである。
修練士 そこに偽装がなければ、あなたの言うことは正しいでしょう。
修道士 悪魔に憑かれた人たちが存在したことは、たびたび福音書が伝えているし(1)、
使徒伝や聖人伝や受難記の多くの個所に記されている。儲けのために憑かれた者を装う者
もいることを私は否定しない。しかし装えない人がいることが、次の例話で証明されよう。

(1)例えばマルコによる福音書1、23など。

第13話 悪魔がミサ典文の三語で縛られていた、と言った憑かれた女

オーバープライスの副院長ゲラルドが私に話してくれた。大勢の人によく知られていた
憑かれた女が、癒してもらうためジークブルクにやって来た。彼女が大天使聖ミカエル教
会で色々のことを聞かれ、地獄で縛られていたルシファーのことに話が及ぶと、悪魔が彼
女の口を介してこう答えた。「愚かな者たちよ、私の師匠が地獄でどんな鎖でつながれて
いると、お前たちは思っているのか。鉄でなのか。何によってもつながれていない。ミサ
の沈黙のなかで唱えられる三つの語で縛られている。」
修道士の何人かが、三つの言葉とは何かと彼女に尋ねた。彼女は言いたくなかったか、
あるいはあえて言おうとしなかったかだが、それでもこう言った。「ミサ典書をもってき
てください。そこで示します。」彼女のところにミサ典書が運ばれ、閉じたまま渡された。
彼女はそれを開き、一回でミサ典文を見つけ、最高の三位一体が示されている〈彼によっ
て、彼と共に、彼において(1)〉なる個所に指を置き、「これが私の師匠が縛られている三
つの言葉です」と言った。
そこに居合わせた修道士の多くはこれを聞いて、この女は文字が読めないことを知って
いたので、大いに啓発され言葉の力を理解した。というのは、役目が分かれていない父に
よって、子と共に聖霊において悪魔は縛られ、器(2)を失った。

(1)この文全体は次のようである。Per ipsum, et cum ipso , et in ipso, est tibi Deo Patri


omnipotenti, in unitate Spritus Sancti, omnis honor, et gloria(彼によって、彼と共に、
彼において、汝、全能の神に聖霊との一致においてすべての誉れと栄光が与えられ
る。)
(2)vas 悪魔に取り憑かれた人間の意。

第14話 聖ニコラウス島で聖遺物を言い当てた憑かれた女

その年の諸聖人の祝日に私は副院長と一緒に悪魔に取り憑かれた少女を見た。土地の言
葉で〈ストゥーパ(1)〉と呼ばれ、女子修道院が置かれている聖ニコラウス島にわれわれ
が着く以前に彼女は取り憑かれた。その後、彼女は聖遺物の恩恵と修道女たちの祈りで救
われた。彼女のことを敬虔な女性であるその修道院の院長がわれわれに話してくれた。
ある日、その少女が悪霊によってひどく苦しめられていたとき、ある誠実な司祭が悪霊

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を試そうとして、少女が気づかない間に主のいばらの冠が入った袋を黄金の卓から持ち上
げ、そのまま彼女の頭のうえにかざし、彼女に大きな叫び声をあげさせた。彼女が叫んだ
理由を知らなかった周りの人々は彼女に「サタンよ、なぜ叫ぶのか。どうしたのか」と尋
ねたとき、「神の頭に載せられていたものが私の頭を押さえつけ刺しています。これが私
が叫ぶ理由です。」周りの人々、特に修道女たちは、二つの真実が証明されたことに大い
に感動した。つまりいばらは本物で、少女が本当に取り憑かれたこと。
この二つの例話で満足しないなら、第3部の第1、2、3話の三人の悪魔のことを思い
出しなさい。

(1)Stupa 「部屋」を意味する中高ドイツ語、現代ドイツ語 Stube。モーゼル河畔にか


つて置かれていたアウグスチノ修道会の女子修道院。

第15話 いかにして悪魔が人間のうちに住むか

修練士 これらの例話が私にとって満足でも、まだ私の心に引っかかることがあります。
悪魔は人間のなかに住んではおらず、外に住んでいる、と言う人もいます。城は内からで
はなく、外から包囲されると言われていますから。反対のことを考えている人もいます。
彼らは、救世主が〈汚れた霊よ、この人から出て行け(マルコによる福音書5、8)〉と
言われた言葉を拠り所としています。
修道士 中になければ、〈外へ出る〉ということはあり得ない。両方とも本当のことを
言っている。つまり人間のなかにありうるものは、同時にありえないからである。ゲンナ
ーディウス(1)が教理についての章で悪魔は人間の魂のなかには住み得ないと教え、こう
言っている。「悪魔は活力、つまり行動によって本質的に魂に入り込むことをわれわれは
信じない、しかし魂によりかかり魂を押さえつけて魂と結合すると信じる。」
心のなかに入りこむことができるのは、肉はなく自然のままで被造物に受け入れられる
創造者のみである。本質的に人間の心を満たすものは三位一体なる創造者のほかにはない。
修練士 悪魔が人間の心のなかに入り込み、試し、そそのかすのはなぜですか。
修道士 悪魔が魂をだまして悪意の心へと導くこと以外には、魂に入り込み魂を一杯に
してそそのかすことはない。聖霊と悪霊の入ることの違いは、特に聖霊は入り込み
(illabi)、悪霊は送り込まれる(immitti)ことにある。罪ある魂に住まう聖霊は、本質、力、
知恵により近くからのように恩恵によって入り込む。だが悪霊は、述べられたように、本
質的に外にあって悪をほのめかし、心を悪徳で満たして矢のように悪を入れ込む。それゆ
え〈悪霊によって送りこまれる〉と言われる。聖霊が入った後の人間は、遠くから送り込
まれたかのように以前は悪を愛したが、一層強く善を愛する。悪魔が人間のなかに住まう
と言われるとき、魂のなかのことではなく、肉体のなかと理解される。汚物が含まれる穴
と腹のなかに悪魔が住まい得るからである。
修練士 この問題について十二分に分かりました。しかし悪魔どもが人間を苦しめる別
の方法がまだあるか、お尋ねします。
修道士 悪魔どもには人間を苦しめる無数の方法がある。そのうちの四つを君に教えよ
う。悪魔どもはある人たちに誤った約束をして苦しめる。ある人たちは彼らの召使いを介

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して彼らの信仰を揺るがす。ある人たちには彼らの肉体を傷つけて苦しめる。ある人たち
にはより危険なことであるが、罪を着せて彼らを殺害する。これらのすべては神の正当な
判断によるものである。それらの一つ一つを君に話そう。

(1)Ginnadius ?-492乃至505。マルセイユの司祭。神学についてのいくつかの
書を著した。

第16話 ハルバーの司教になる約束を反故にされて縛り首になったカ
ンプの助修士

真実を語り、何事にも精通しているシトー会のある司祭から私はこんなことを聞いた。
ケルン司教区に置かれているカンプのシトー会修道院にある助修士がいて、彼が親しくし
ている修道士たちから文章が読むことができるまでに文字を学んだ。これがきっかけで彼
はそそのかされ騙されて、彼が読むにふさわしい書をひそかに書き写してもらい、所有物
への悪徳を楽しみ始めた。
そのようなことにいそしむことは助修士には禁じられていたので(1)、彼は学びたいと
いう情熱に駆られて修道院を去った。しかし彼は歳が若いため少ししか進歩しなかった。
それから彼は悔悟して修道院に戻った。世俗の学校に行ったり修道院に戻ったりしてこん
なことを二、三回繰り返し、騙されるたくさんの要素を悪魔のために準備することになっ
た。悪魔は天使の姿であらわれて言った。「しっかり学びなさい。お前がハルバーシュタ
ットの司教になることが、神によって定められているからだ。」この愚か者は悪魔の策略
に気づかず、かつての奇跡が繰り返されることを望んだ。何が起こったか。
ある日、悪魔は再び助修士にあらわれ、かん高い声で楽しげな顔をして言った。
「今日、
ハーバーシュタットの司教が死んだ。お前が神によって司教に定められた町へ急いで行け。
神の勧告を変えることはできない。」
ただちにこの哀れな男は修道院を黙って出て、その夜、クサンテンの都市の近くのある
人望ある司祭の館に泊まった。輝かしい司教の座に就くため、彼は日が昇る前の夜のうち
に起き、司教の駿馬に鞍を置き、司祭のマントを身につけて馬に乗り発った。朝になって
館の召使いたちは損害を知って、彼を追跡して捕らえた。彼は召使いたちによって盗品と
一緒に世俗の法廷に引っ張られ、判決を言い渡され、司教としてその座ではなく盗賊とし
て絞首台に上った。
悪魔の約束がどんな結果に向かうか分かるか。これほど明確ではないが、悪魔は他の助
修士をも劣らず危険な目に遭わせて騙した。

(1)シトー会の『助修士慣習規定(Usus Coversorum )』に従って、助修士が学問をする


ことは禁じられていた。

第17話 カッコウの鳴き声に騙され修道院を出て死んだ助修士

昨年、今は亡きエーバーバハの院長テオバルトがわれわれにこんな話をしてくれた。あ

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る助修士がどこかへ行こうとして、その声からカッコウと名付けられている鳥がしきりに
鳴いているのを聞き、鳴く回数を数え、二十二回であると知り、これを兆しと受け取り、
同じ年数生きられると見積もって言った。「おお、おれは確実にまだ二十二年生きられる
ぞ。ずっと修道院で生殺しになることがあろうか。世俗へ戻ろう。世俗に身を委ね、二十
年間世俗の甘みを楽しみ、残りの二年間贖罪しよう。」
先の助修士に司教になれると信じさせた悪魔は、この助修士には語らずしてそのような
兆しを信じるように説得したことは疑いない。あらゆる占いを嫌悪される主は、助修士が
計画したのとは違った方法をお取りになった。彼が贖罪と考えていた二年間を主は彼が世
俗で暮らすことをお許しになり、世俗の甘みを享受しようとした二〇年間を主の正当な判
断でお奪いになった。
これらは悪魔の約束である。かなりの、否多くの人々を悪魔の従者を介して信じ込ませ
ることを、次の例話が示している。

第18話 ブザンソンでたくさんの悪魔の奇跡に惑わされ、その
地で火刑にされた二人の異端者

心は純真ではないが服は簡素で、羊のようではなくかみつく狼のごとき二人の男が大変
な敬虔さを装いブザンソンへやって来た。彼らは真っ青な顔をして痩せていて、裸足で歩
き毎日断食をした。主教会の厳かな朝課にはかならず出席し、わずかの食べ物以外は誰か
らも受け取らなかった。彼らはこのように装って人々の好感を呼び起こしてから、まず秘
密の毒を吐き出し、無教養の人々に新しい途方もない異端の教えを説き始めた。
彼らは人々に彼らの教えを信じさせるために、たたきに小麦粉をまくように命じ足跡を
残さずにその上を歩いた。また彼らは水の上を沈まずに歩いた。彼らが入っていた小屋に
火をつけさせ、小屋が灰になった後、無傷で出てきた。
この後、彼らは大勢に言った。「あなたたちはわれわれの言葉を信じなくても、奇跡を
信じなさい。」司教と聖職者はこれを聞いてひどく驚いた。司教たちが彼らに立ち向かっ
て、あれらは異端者で、詐欺師で、悪魔の従者であると主張すると、二人の男は人々から
石を投げられまいと這々の体で逃げ出した。この司教は立派な人で、学があり、われわれ
の地域の出身であった。私にこの話をしてくれたわれわれの老修道士コンラッドは司教を
よく知っていて、丁度その時その町にいた。
司教は言葉では何ら進展せず、自分に委ねられた民の信仰が悪魔の従者によって破壊さ
れると思い、知り合いで黒魔術に精通しているある司祭を呼び寄せて言った。「私の町で
あの者たちによってあれこれなされた。あの者たちは誰で、どこから来て、いかなる力で
かくも大きな驚くべき奇跡をおこなうのか、あなたの技で悪魔から聞いて欲しい。神と全
く反対のあの者たちの教えが神の力でなされることはあり得ない。」司祭は言った。「司教
さま、大分前から私はそのような技を止めています。」司教は答えた。「私が困っているの
をあなたはよく知っている。私があの者たちの教えに同調するか、人々から石を投げられ
るかです。あなたの罪の赦しとして、あなたが私に従うよう命じます。」
司祭は司教の命令に従い、悪魔を呼び出し、呼び出した理由を尋ねられるとこう答えた。
「私はお前を避けたことを後悔している。今後はいっそうお前に従うつもりなので、あの

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者たちが誰で、彼らの教えは何で、いかなる力であのような奇跡をおこなうのか教えて欲
しい。」悪魔は答えた。「あの者たちはわしの手下でわしが遣わしたのだ。わしがあの者た
ちの口のなかに入れたものをあの者たちが出しているのだ。」司祭は尋ねた。「あの者たち
が水のなかに沈まず、火で焼けずに無傷なのはどうしてなのか。」悪魔は再度答えた。「あ
の者どもがわしになした忠誠の誓いが認められている証書をあの者どもは腋の下の皮膚と
肉の間に縫いつけている。そのお陰であの者どもはああしたことができ、誰からも損なわ
れやしない。」司祭は言った。
「あの者どもからその証書が取り外されたらどうなるのか。

悪魔は言った。「他の人間と同じように弱ろう。」
司祭はこれを聞くと、悪魔に礼を言った。「今は立ち去れ。私が呼んだら、また来てく
れ。」司祭は司教のところへ戻りこのことを詳しく話した。司教は非常に喜び町中の人を
ふさわしい場所に集めて言った。「あなたたち羊よ、私はあなたたちの牧者である。もし
この者たちが、あなたたちが言うように、教えを奇跡によって実証するなら、私はあなた
たちと一緒に彼らに従おう。そうでなかったなら、あなたたちはあの者たちを罰せねばな
らない。あなたたちは私と一緒に悔い改めて父祖の信仰に戻らなければならない。」人々
は答えた。
「われわれはあの者たちの奇跡をたくさん見ました。」司教は彼らに言った。
「だ
が私は見ていない。」何が起こったか。
この提案に人々は納得した。あの者たちが呼び出された。司教も同席していた。町の真
ん中で薪に火がつけられた。彼らが入ってくる前に、彼らはひそかに司教に呼ばれた。司
教は彼らに言った。
「あなたたちが何か魔術のしるしを身につけているか、見たいものだ。」
彼らはこれを聞くと、服を脱ぎ、きちんとこう言った。「わしらの服も身体も詳しく調べ
てください。」兵士たちは、事前に司教から命じられていた通りに、彼らの手を持ち上げ、
腋の下に隠れていた傷跡を見つけ、そこを小刀で切り裂き、縫いつけてあった証書を取り
出した。司教はこれを受け取ると、この異端の者たちと一緒に人々のところへ出て、沈黙
の後、声高にこう叫んだ。「今あなたたちの預言者は火のなかに入るのだ。もし彼らが無
傷であるならば、私は彼らを信じよう。」
この哀れな者たちは震え、「われわれは今火のなかに入ることはできない」と言った。
司教は経緯を人々に話した。彼らの悪意が露見し、証書が提示された。それから人々は怒
り、悪魔の手下たちを悪魔と共に永遠の火のなかで苛むべく準備されてあった薪のなかに
投げ入れた。こうして神の恩恵と司教の思慮によって、強まる異端は消滅し、惑わされて
堕落していた人々は悔い改めて浄化された。

第19話 火刑に処せられたケルンの異端者

ライナルド大司教の時代にケルンで多くの異端者が捕らえられた(1)。彼らは読み書き
できる男たちによって尋問され、罪を認めさせられ、世俗の裁判で判決を受けた。判決が
言い渡され、彼らが薪のところへ連れて行かれようとした時であった。そこに居合わせた
人々の話によると、異端者から師と呼ばれていたアルノルドという名の彼らの一人が、パ
ンと水を入れた皿を要求した。何人かがそれをかなえようとしたとき、賢明な人たちがこ
いさ
れを諫めて言った。「そんなことをすれば、信仰が弱い者につまずきと破滅となる悪魔の
業を与えるようなものだ。」

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修練士 アルノルドがパンと水で何を作ろうとしていたか、知りたいです。
修道士 三年前スペイン王に捕らえられ火刑に処せられたある別の異端者の言葉から推
測するに、アルノルドはそれによって涜神の聖体拝領をなそうとした。自分たちの仲間に
とってそれが永遠の罰のための臨終の聖体拝領になるためにである。司教及び高位聖職者
とともにその異端者の誤りを断罪したシトー会のスペインの院長はわれわれのところへ立
ち寄って、百姓でも糧としているパンから卓の上でキリストの身を作ることができる、と
かの異端者が言っていたと話した。この涜神の男は鍛冶職人であったからだ。
修練士 ケルンの異端者たちはその後どうなりましたか。
修道士 彼らはケルンの郊外へ連れて行かれ、ユダヤ人墓地の近くでまとめて火刑に処
せられた。衆人環視のなか、彼らがひどく焼けたとき、アルノルドは半分焼けた弟子たち
の頭に手を置いて言った。「お前たちの信仰を保て。今日お前たちはラウレンチス(2)のも
とに行くだろう。」しかし彼らはラウレンチスの信仰からかなりかけ離れていた。彼らの
なかにある美しいが、異端の娘がいた。ある人々が同情して薪から救い出し、彼女を結婚
させるか、またはもし彼女が承諾すれば女子修道院に入れてやると約束した。彼女は言葉
で同意したが、異端者たちがすでに焚殺されていたので、彼女を捕まえている人たちに言
った。「誘惑者はどこで横たわっているのですか、言ってください。」彼らが彼女に師アル
ノルドを指したとき、彼女は彼らの手から逃れ、顔を服で覆い、アルノルドの亡骸のとこ
ろへ走り、彼と共に永遠に焼かれるべく地獄へ下りた。

(1)1163年8月にフランドルのカタリ派教徒がケルンで火刑に処せられた。
(2)第2部第4話注(1)参照。

第20話 メッツの都市の異端ヴァルドー派

ま ち
数年前、非常に学問がある人、ベルトラム司教の下、メッツの都市で異端ヴァルドー派
(1)
がこんな風に広まった。この司教が祝日に教会で人々に説教をしていたとき、悪魔の
手下の二人の男が人々に混じっているのを見て言った。「あなたたちのなかに悪魔の使者
がいる。その者たちだ。」彼はその者たちを指さした。私も居合わせていたが、彼らはモ
ンペリエで異端者のゆえに有罪の判決を受け追放されていた。彼らは司教にかなり激しく
応じ、犬のように吠え、司教を侮辱して挑発する学生を伴っていた。彼らが教会から出る
と、多くの人を周りに集め、彼らの誤った教えを人々に説いた。聖職者一人が彼らに言っ
た。「あなたたち、〈遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう(ローマ人への
手紙10、15)〉と使徒が言っているではないか。説教すべく誰があなたたちをここへ
遣わしたのかわれわれは知りたい。」彼らは答えた。「霊によってだ。」司教は都市の有力
者たちの手前、異端者たちに力を行使することができなかった。司教が有力者の死んだ高
利貸しの縁者を教会の入り口の間から追い出したので、有力者たちは司教を憎むよう彼ら
をあおっていたからだ。実際、彼らは誤謬の霊によって遣わされていた。彼らの一人が名
付けたヴァルドー派なる異端者が、彼らによってこの都市で種がまかれ、完全には根絶さ
れなかった。
修練士 ああ、今日もこんなにたくさんの異端者が教会にいるとは。

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修道士 悪魔の狂気と悪意がそこまでさせたのだ。

(1)haeresis Valdosiana 1173年頃リヨンの商人ヴァルドによって始められた。清貧


を強調し、教会の堕落を弾じ、秘蹟の効力を否定して異端とされた。

第21話 異端アルビ派

現教皇ホノリウス(1)の前任者、教皇インノケンチウス(2)の時代、神聖ローマ帝国皇帝
フィリップとオットーとの間でシスマがなおも続いていたとき、悪魔の嫉妬で異端アルビ
派(3)がはびこり出した。正しく言えば、熟し始めた。この力は、この民の信仰の小麦の
すべてが毒麦に変化したように思われるほどひどく強かった。シトー会の院長が数名の司
くわ
教と共に遣わされた。カトリックの宣教の鍬で雑草を根絶やしにするためである。しかし
その種をまいた敵に邪魔され、彼らははかどらなかった。
修練士 何が彼らの異端でしたか。
修道士 その異端者たちはマニ教徒(4)の教理から一部を、オリゲネス(5)が『諸原理に
ついて(Periarchon)』のなかで書いたといわれている誤謬の一部を取り入れた。だが大抵
のことは彼らが考え出してこれらを加えた。彼らはマニ教徒と同じく二つの原理を信じて
いる。善なる神と悪なる神、つまり悪魔である。善なる神がすべての魂を創造すると同じ
く、悪魔がすべての身体を創造する、と彼らは言っている。
修練士 神が身体も魂も創造された、とモーゼが確信して言っています。〈神は人間を
創造された。〉つまり地の土から身体を。〈その顔に生命の息を吹き入れられた(6)。〉つま
り魂を。
修道士 アルビ派がモーゼと預言者たちを受け入れていたら、異端者ではなかったであ
ろう。彼らは肉体の復活を否定しており、生者から死者に与えられる恩寵のどれをも嘲笑
する。教会へ行きそこで祈ることは何の意味もないと彼らは言っている。この点、彼らは
ユダヤ人や異教徒よりも悪い。彼らはこれを信じているからである。彼らは洗礼を拒否し、
キリストの肉と血の秘蹟を誹謗する。
修練士 彼らがこのためにあの世での報酬を期待しないならば、なぜ正当信仰者からの
追跡に耐えているのですか。
修道士 彼らは霊の栄光を期待していると言っている。先の院長の伴をしたある修道士
は、騎乗の騎士が彼の小作人と話しているのを耳にして騎士を異端者と見なし-実際そう
であった-彼に近づいて言った。「騎士殿、言ってください。この畑は誰のものですか。」
騎士は答えた。「私のものです。」修道士は付け加えた。「あなたはその収穫で何をするの
ですか。」騎士は答えた。「私と私の家族がそれを糧としています。いくらかを貧しい人た
ちに分かち与えます。」修道士は言った。「そういう喜捨で何か良いことを期待しているの
ですか。」騎士はこう答えた。「私の魂が死後栄光によって旅立つためです。」修道士は尋
ねた。「あなたの魂はどこへ旅立つのですか。」騎士は言った。「その功徳に従って。私の
魂がよい生き方をすれば、神の下で認められたなら、私の身体から出て将来の候や王、あ
るいは名声ある人の身体に入り、そこで楽しみます。しかし悪い生き方をすれば、哀れな
貧者の身体に入りそこで苦しみます。」この愚か者は、このアルビ派同様、魂は功徳に従

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ってさまざまな身体、動物や蛇にさえ入り込むと信じていた。
修練士 忌まわしい異端の教えです。
修道士 わずかの間にほぼ一千もの町を毒し、もし正当信仰の剣で追い出されなかった
なら、ヨーロッパ中を滅ぼすほど、アルビ派の異端ははびこっていた。主の1210年、
ドイツ全土とフランスでアルビ派にたいする十字軍が布告された(7)。翌年進軍がなされ
た。ドイツからはオーストリア公レオポルド8)、当時は主席司祭で後のケルン大司教エン
ゲルベルト(9)、エンゲルベルトの兄弟ベルク泊アドルフ、ユーリヒ伯ヴィルヘルム、さ
まざまな地位や位階のその他の多くの人々が参加した。フランスでもノルマンジーやポア
トゥーで同じようなことが起こった。彼らの宣教者にして統率者は、後のナルボンヌ大司
教、シトー会院長アルノルドゥス(10)であった。
ま ち
彼らは、当時十万人以上が住んでいると言われたベジエと呼ばれる大きな都市に到達し
た。彼らを見て、異端者たちは聖書の上に放尿し、それを城壁からキリスト教徒に向かっ
て投げ、その後矢を放ちこう叫んだ。「見よ、これがお前たちの掟だ。哀れな者どもよ。」
しかし聖書の始原者なるキリストはなされた侮辱にたいし罰せずにはすまされなかった。
何人かのキリスト教徒は信仰の熱意に燃え、マカバイ記にあるごとき人たちに倣って獅子
のごとくに梯子を据えて勇敢に城壁を登った。異端者が神意により驚き、退くなか、城壁
を登った者たちは後に続く者のために門を開き都市を占拠した。キリスト教徒たちは占拠
した人たちの話からカトリック教徒と異端者が混ざり合っているのを知って、院長アルノ
ドに尋ねた。「院長さま、われわれはどうすればよいのですか。われわれは善人と悪人を
区別することができません。」アルノルドも他の人たちも、異端者たちが死を恐れてカト
リック教徒のふりをして、自分たちの退去の後再び不信心に戻るのを案じ、こう言ったと
言われている。「彼らを殺害せよ。主はご自分の者たちを知っておられるから。」こうして
数え切れない人たちがこの都市で殺害された。
キリスト教徒たちは、地形から〈美しい谷(11)〉と呼ばれ、トゥールーズの近くの別の
大きな都市を神の御力により占拠した。人々は審問され、すべての人が信仰に戻ると約束
したが、四百五十人は悪魔により頑なに彼らの信仰を守った。このうちの四百人は火刑に
処され、残りは縛り首となった。
同じことが他の都市や城で起こった。哀れな者たちは進んで死に向かった。だがトゥー
びと
ルーズ人は圧迫され完全な贖罪を約束した。後に明らかになったことだが、それは策略で
あった。すべての異端者の扇動者にして首領なる不信心なサン・ジル伯(12)は、ラテラノ
公会議(13)で彼のすべて、つまり自由地、所領、町と城が剥奪され、その大部分がカトリ
ック教徒のモンフォールのシモン伯(14)によって法的に占領されると、トゥールーズに赴
いた。その地からサン・ジル伯は今日に至るまで正当信者を弾圧し、彼らと戦うことを止
めてはいない。ポルトの司教で枢機卿のコンラドゥス(15)さまはアルビ派に対抗するため
特使として派遣され、シトー会本部にこう書き送った。トゥールーズの都市の権力者の一
人がキリストへの憎しみからとわれわれの信仰を混乱させるべく恐ろしいことをなしたの
で、自分は当然キリストの敵どもを駆逐しなければならない、と。その者は司教座教会の
祭壇のかたわらで排便し、祭壇の白布で尻をぬぐった。他の者たちも狂気に狂気を重ね、
りょうじょく
聖なる祭壇の上に娼婦を置き、十字架像が見守るなかそこで彼女を陵 辱した。それから
聖母像を引き下ろしその腕をもぎ取った。死者の足を折らないように気をつけたヘロデの

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兵士よりも悪質であった。
修練士 かくなる神の忍耐に驚かない者がいるでしょうか。
修道士 〈復讐されるお方は寛容で辛抱強いから(16)。〉神は戦いの勝利の後、ディムヤ
びと
ート人の首と喉をひどく罰せられた。彼らは十字架像の首に縄をかけ街を引きずったから
である。そのような冒涜を神は決して見過ごされはしないと私は思う。先に述べたように、
主の軍勢がアルビ派討伐に向かう前に、アルビ派はモロッコ王ミラリモメリヌス(17)に援
助を求めて彼を招待した。ミラリモメリヌスは、ヨーロッパ全土を掌握することを願い大
軍でもってアフリカからスペインに進んだ。彼は、聖ペトロ教会の柱廊で彼の馬を飼い、
教会の上に彼の軍旗を立てるよう教皇インノケンチウスに要求した。彼が考えていたこと
とは違ったが、部分的にそのことは実行された。神は傲慢のすべてをつぶされるがゆえに、
その頃、つまり1212年6月16日、ミラリモメリヌスの軍勢の四万人の兵士が殺害さ
れた。彼自身はセビリアに逃れ失意のうちに死んだ。彼の軍旗は戦いの際に奪われインノ
ケンチウスのもとに運ばれ、キリストの栄光のために先の教会に置かれた。アルビ派のこ
とはここまでにしておこう。
修練士 これらの人たちの間に教養ある人がいたならば、恐らくこんな誤りは起こらな
かったでしょう。
修道士 教養ある人たちが悪魔に挑発されて誤りをおこせば、無教養な人たちよりもひ
どい誤りとなろう。

(1)ホノリウス三世(在位1216-27)。
(2)インノケンチウス三世(在位1198-1216)。
(3)Albienses 異端カタリ派から派生し、南フランスを中心に展開した。肉体を悪と見
なすためキリストの人性も復活も否定した。
(4)Manichaeses マニ教はペルシアでマニ(216頃-277頃)が創始した二元論的
宗教。善・悪、明・暗、神・悪魔の間の永続的闘争を世界の根本原理とした。
(5)Origenes 185頃-254頃。ギリシア教父。
(6)創世記2、7参照。
(7)1208年、アルビ派対策のために派遣された教皇特使ピエール・ド・カステルノ
ーが殺害されると、教皇インノケンチウス三世は、いわゆるアルビジョワ十字軍を決
意した。
(8) オーストリア公レオポルト六世(1176-1230)。バーベンベルク家の第
四代オーストリア公(在位1198-1230)。
(9)エンゲルベルト一世(1185頃-1225)。聖人。ケルン大司教(在位118
5頃-1225)。ベルク伯爵エンゲルベルトの息子であり、熱心な改革者。カエサリウ
ス自身彼についての伝記を著している。
(10)アルナルドゥス・アマウリクス。1200年から1202年までシトー修道院院
長。1203年にアルビ派をカトリックに改宗すべき布教を教皇に命じられた。
(11)南フランスのタルヌ県の都市ラヴァール。ラテン語名は Pulchravallis(美しい谷)。
(12)レーモン六世(1156-1222)。トゥールーズ伯。十字軍に参加したが、
アルビ派とユダヤ人を擁護した。

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(13)Concilium Lateranense ローマ教皇庁ラテラノ宮殿で開かれた公会議。ここでは
1215年の第四回(第十二回公会議)を指している。
(14)モンフォール伯シモン四世(1165-1218)。十字軍参加後、教皇の要請
でアルビジョワ十字軍に加わった。
(15)ウラシュのコンラドゥス(1177頃-1227)。シトー会士。枢機卿。12
09年ヴィレのシトー会院長。14年クレルヴォーの院長。17年シトー会院長。
24年教皇特使。
(16)シラの書5、4参照。ディムヤートは、エジプト北部のナイル川デルタにあり、
地中海に臨む港。1218年5月、十字軍はディムヤートを包囲した。1219年
11月、十字軍はディムヤートの奪取に成功した。
(17)ムハンマド・ナースィル( ?-1213三)。ムワッヒド朝の第四代アミール(在
位1198-1213)。

第22話 パリの異端者の焚刑

ま ち
アルビ派の異端が明白になった頃、全知識の源泉で聖なる書があふれるパリの都市で、
幾人かの教養人が悪魔の口説きで誤った認識に陥った。
それは以下の人たちである。パリで自由七科(1)を教え、三年間神学を学んだ副助祭(2)
ポアチエのギヨーム師、副助祭ベルナール、彼らの預言者の金細工師ギヨーム、旧コルベ
イユの司祭ステファーヌ、シェルの司祭ステファーヌ、アシネの司祭ジャン。彼らはベル
ナールを除いて全員神学を学んでいた。さらに、約十年間神学を学んだ教師で司祭のアル
メリクの個人秘書ドュド、侍際(3)エルマンドゥス、自由七科を学ぶためにパリに戻って、
そこで司祭として後のカンタベリー大司教ステファーヌ師のもとで神学を学んだギュリー
ン師、助祭オド、六十年以上神学を学んできたリレの司祭ウルリシュ、同じく神学を学ん
でいた六十歳の司祭、ザンクト・クロドヴァルドゥスのピエール、旧コルベイユの助祭ス
テファーヌ。これらの人たちは悪魔に挑発され、多くの大きな異端を考えだし、すでに多
くの地に広げた。
修練士 学問と年齢でかくも勝っている人たちの主な誤りは何でしたか。
修道士 キリストの肉体は、他のパンや他のもののなかではなく、祭壇のパンのなかに
存在するとこの人たちは言っていた。神はアウグスティヌスを介してと同じくオウィディ
ウスを介しても語られたと主張した。彼らは肉体の復活を否定し、楽園も地獄も存在せず、
自分のなかに神を認識する者は自らのなかに楽園を有し、大罪を犯した者は口のなかの腐
った歯のごとく自らのなかに地獄を有する、と言う。
聖人のために祭壇を設け、聖像の前で薫香をたくことを彼らは偶像崇拝と呼び、殉教者
の骨に接吻した人たちを嘲笑った。あらゆる清浄と聖性が生じる聖霊を最大の涜神とあえ
て呼んだ。誰かが聖霊のなかにあって、猥褻をなすか、別の卑猥なことで汚されても、そ
れは罪ではない。神である聖霊は肉から完全に分離しているからである。価値のない人間
も、神である聖霊がそのなかにある限り、罪を犯すことはできない。彼らはそのように言
った。聖霊はすべてにあってすべてをおこなう(4)。
それゆえ、彼らの誰もがキリストであり聖霊であることを容認する。福音書の〈偽キリ

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ストと偽預言者があらわれる(マタイによる福音書24、24)〉が彼らによって実現さ
れている。このきわめて愚かなる者たちは、自分たちの誤りを根拠づけようとするいかな
る有効な論拠を有していない。彼らの不信心が以下のように明らかになった。
先の金細工師ギヨームはナミュールのロドルフ師のところへ行き、自分は主によって遣
わされたと言い、異端の言葉をこう言い放った。父は旧約、つまり掟の書でさまざまな姿
でかかわられた。子も同様に祭壇、洗礼等々の秘蹟でのようにいくつかの形でかかわった。
掟の形がキリストの最初の到来で不用となったように、子がかかわったあらゆる形は今や
なくなり、秘蹟もなくなるであろう。聖霊の位格は、受肉されるもののなかにはっきりと
あらわれ、ギヨームもその一人であった七人を介して主に語るであろうから。
五年以内に四つの災厄が起こるであろう、とギヨームは預言した。第一の災厄は、飢餓
に苦しむ人々に降りかかるであろう。第二の災厄は、諸侯が殺し合う剣となるであろう。
第三の災厄では、大地が開き、民を飲み込むであろう。第四の災厄では、アンチ・キリス
トの仲間である教会の高位聖職者に炎が及ぶであろう。教皇もアンチ・キリストであり、
ローマはバビロンであり、教皇はオリーブ山、つまり豊富な権力の上に座している。彼は
そのように言った。
すでに一三年が経過した。しかしこの偽預言者が五年以内と預言したことは何一つ起こ
らなかった。ギヨームはフランス王フィリップの愛顧を手に入れようとしてこう付け加え
た。王国のすべてがフランス王と、聖霊の時代に生き死ぬことのないその息子のものとな
ろう。フランス王に十二個のパンが与えられよう。つまり聖書の知識と権力が。
ロドルフ師はこれを聞くと、このことを打ち明けた仲間がいるかと尋ねた。ギヨームが
「たくさんいます」と答え、先の人たちの名をあげると、賢明なる人ロドルフは迫る教会
の危険を察知し、彼らの誤りを調べ、彼らに罪を認めさせることは自分一人ではできない
と考え、ロドルフと一緒に彼らの教えを広げることになっているある司祭のことで聖霊か
ら自分に啓示があった、と偽って言った。
ロドルフは自分の評判をおとしめないため、ことの次第をサン・ヴィクトール修道長ロ
ベール師、トマス修道士に報告し、彼らと一緒にパリの司教および神学を教えている三人
の教授、つまりソールズベリーの主席司祭、クルソンのロベール師、ステファーヌ師を訪
ね、彼らにすべてを話した。彼らはひどく驚き、異端者の仲間に入って、教えのすべてを
聞き、異端の項目を十二分にすべて調べるようルドルフともう一人の司祭に罪の許しとし
て課した。
ロドルフ師と同僚司祭は、この役を担って異端者たちと一緒にパリ、ラングル、トロア
司教区、サンスル大司教区を三カ月間巡り、多くの異端者を見つけた。異端者たちにルド
ルフ師を信用させるために、彼は時々目を上に挙げて、魂が天に捉えられたかのようなふ
りをして、後に異端者と集まったときに日々彼らの信仰を公に広げると約束した。
ついに二人は司教のところに戻り、見たこと聞いたことを話した。司教はこれを聞くと、
地域全体に異端者を捜させた。都市にはベルナルドゥスの他に異端者はいなかったからで
ある。異端者たちは司教の見張りをつけられ、近隣の司教と神学教授が彼らの審問のため
に集められた。先の項目が持ち出された。彼らの何人かは全員の前で罪を認めた。しかし
何人かは改めると言って罪を認めたが、結局残りの者たちと一緒に頑なに改宗を拒んだ。
異端が聴取されると、司教と神学教授の決定により異端者たちは広場に連れて行かれ、

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聖職者や人々の前で聖職が剥奪され、王の到着とともに火刑に処せられた。
心を頑なにして問われても何も答えなかった者たちは、死に際でも贖罪のしるしを示す
ことはなかった。彼らが処刑台に引き立てられたとき、嵐が起った。これは、死にゆく人
たちにかくなる誤りを吹き込んだ者たちによって起こされた、と誰もが信じた。その夜、
彼らのなかで中心人物であった者がある隠修女の戸を叩き、夜半であったが誤りを告白し、
自分は地獄の客となって永遠の炎が定められている、と言った。
四人の異端者は審問されたが、火刑にはならなかった。教師ギュリーン、司祭ウルリシ
ュ、助祭ステファーヌ。この三人は生涯牢に幽閉された。だがピエールは捕らえられる前
に不安から修道士になった。異端の中心であった教師アルメリクは墓から取り出され、野
に埋葬された。同じ頃、三年間は自然哲学書(5)を読まないようにパリ人に命じられた。
ダヴィッド師(6)の書やフランスの神学書は永久に弾劾され、焼き捨てられた。こうして
起こった異端の教えは神の恩寵によって根絶やしにされた。

(1)artes 中世の教養人のための基礎的な七科(artes liberales)


。文法、論理、修辞、算術、
幾何、天文、音楽。
(2)Subdiaconus 盛式ミサで助祭を補助し、書簡朗読をおこなった。
(3)Acolitus 助祭を補佐し、司祭に奉仕する下級聖職者。
(4)1コリントの信徒への手紙12、6参照。
(5)アリストテレスの自然哲学書。
(6)ディナンのダヴィッド(12世紀後半-1206)。ベルギー出身のスコラ学者、
自然哲学者。

第23話 自分は聖霊であると言って、焚刑にされたトロアの異端者

トロアで悪魔に挑発された者が自分は聖霊であると公言してから、ようやく二年経った。
人々は彼の狂気に耐えられず、網に入れ周りにたくさんの火をたき炭にした。
修練士 異端者たちの教えはひどく、彼らの生き方も忌まわしい、と思います。
修道士 君が異端の教えをもっとよく呪うために、彼らの生き方の一例を加えよう。

第24話 ヴェローナの異端者

神聖ローマ皇帝フリードリヒの時代、教皇ルキウスがロンバルジアのヴェローナに滞在
し、その地に教会の多くの高位聖職者と帝国諸侯が集まっていたとき、当時ケルン大聖堂
の参事会員であったシトー会士ゴットシャルクも彼の兄弟、聖ゲレオン教会の参事会員エ
ーベルハルトと一緒にそこにいた。毎晩宿の主人は妻と娘と一緒に外出した。エーベルハ
ルトはこれを見て、三人の一人にどこへ行き、何をするのかと尋ねた。
「来て、見なさい」
と答えを受けた。彼はかなり広い地下の住まいまで彼らに付いていった。そこに多くの男
かしら
女が集まっていて、異端者の 頭 が涜神に満ちた説教を黙って聞いている人たちにしてい
た。彼は彼らの生き方と品行を教えていた。それから灯りが消えると、男の一人一人がそ
ばの女に襲いかかった。既婚の女か独身の女か、寡婦か処女か、女主人か下女か、もっと

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恐ろしいことに、妹か娘かの区別をつけなかった。
盛んで元気のよい若者、エーベルハルトはこれを見て、この一員であるふりをして、説
教の間に宿の主人の娘や別の娘の隣に座って、灯りが消えると彼女と罪を犯した。彼はほ
ぼ半年間こんなことをしていると、全員が聞いているなか、頭が言った。「この若者は熱
心にわれわれの集まりに参加した。じきに他の人々に教えることができよう。」彼はこれ
を聞くと、二度と参加しなかった。
ゴットシャルクが私に話してくれたが、彼がこのことでエーベルハルトを叱責すると、
こう答えた。「兄弟よ、私は異端を求めて異端者の集まりに参加したのではなく、娘を求
めたためです。」
これが異端者たちの生き方であり掟である。彼らが復活も地獄も悪人にたいする罰も信
じず、彼らがおこなうことは何でも罰せられないと思っていることは不思議ではない。
修練士 ロンバルジアにはたくさん異端者がいると聞きました。
修道士 それは不思議ではない。そこのいろいろな都市に教師がいて、公に講義して、
聖書を間違って解釈するからである。

第25話 悪魔がこの世を創造したがゆえにこの世の支配者であ
る、と言った異端者

オットー王が皇帝冠を受けるべくローマに向かったとき、カンブレー司教ヨハネス、聖
ゲレオン教会の神学校長ハインリヒ、ボンの参事会員ハインリヒが同行した。彼らは同時
にある異端者の頭の学校に入っていた。彼が教授した個所はこうであった。〈今この世が
裁かれる。いまこの世の支配者が追放される(ヨハネによる福音書12、31)。〉彼はこ
の個所をこう説明した。〈見よ、キリストは悪魔をこの世の支配者として呼び寄せた。悪
魔がこの世を創造したからである。〉
先のヘルマンが彼と非常に激しく論じたとき、神一人が言葉によってすべてを、見える
ものも見えないものも、肉体も魂も創造したことを、彼は聖書のみならず論述によって説
明した、と私に話してくれた。
悪魔がその成員である異端者についてはここまでにしておこう。悪霊は取り憑かれた者
のなかよりも異端者のなかでその悪意をいっそう強く働かせることを君は知るのだ。
修練士 憑かれた人、つまり悪魔に取り憑かれた人は愛を持つことはできないのですか。
修道士 できない。上に述べたように、悪霊は魂のなかではなく、肉体のなかにのみ存
するからである。

第26話 五歳の時に悪魔に入られた少女

ブライジクのある少女がひどく不安に苦しめられていた。彼女が五歳の時、悪魔がこう
いう順序で入り込んだ。ある日、彼女がミルクをいやいや飲んでいたとき、彼女の父は怒
ってこう言った。「悪魔を腹のなかに入れよ。」すぐに少女は悪魔が入ったのを感じ、成人
になるまで悪魔から苦しめられたが、使徒ペトロとパウロのお陰で-彼女は彼らの墓参り
をした-今年になってやっと救われた。

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洗礼を受けた五歳の女の子が神の愛を受けないとは、誰があえて言うことができようか。
その悪魔は彼女のことをこう言っていた。「わしが彼女の身体から出たら、彼女はあの世
で煉獄に入れないであろう。」
悪魔に取り憑かれた者たちは、彼らの罪を告白し、祈り、聖体を拝領する。悪魔が神の
赦しで何人かの身体を傷つけることを君に伝えよう。

第27話 悪魔によってリューベックの都市の外へ運ばれた助修士テオドリヒ

シトー会助修士、ゾーストのテオデリヒから私は直接聞いたのだが、彼の若い頃、リュ
ま ち
ーベックの都市の別の若者が彼のために約束通りに娘を取り持った。娘は承諾した。テオ
どうきん
デリヒが彼女との同衾を楽しみにしていると、彼の仲間が彼を騙して彼女と交わった。テ
オデリヒはこれを知ると、怒って言った。「私をここへ連れてきた悪魔はここから元に戻
すこともできよう。
」すぐに呼び出された者(悪魔)があらわれて、テオデリヒをつかみ、
宙に持ち上げ、都市の外に運び、ある湖の岸にかなり手荒に置いた。悪魔は彼に言った。
「お前がどんなにせよ十字を切っていなかったなら、わしはすぐにもお前を殺していたで
あろう。」彼が捕らえられたとき、不完全であるがさっと十字を切っていたのだ。悪魔が
彼を放したとき、意識を失って地に横たわり、血を吐くほど強く倒れた。ついに若干力が
戻ると、手と足で這って岸に行き、顔を洗い、水を飲み、大変骨折って宿に達した。彼が
宿へ入って灯りを見るや、再度意識を失った。司祭が呼ばれた。司祭はヨハネ福音書を彼
の頭の上で読み、祈りによって悪魔の襲撃から彼を守った。
一年後、飲もうとしても杯を持つことができないほど、彼の全身が震えた。彼が悪魔に
運ばれ押さえつけられていたとき、月明かりのなかで聖ニコラウス教会、都市の建物のす
べてを見た、と証言した。
同じような話を、第3部第11話で夜悪魔に広場で捕らえられ、聖パトロクルス修道院
の外へ運ばれ草原に置かれたゾーストの市民ハインリヒについて君は知っている。悪魔を
見ただけで人間が被害を受けるほど悪魔の本性は悪く毒されている。

第28話 悪魔を見て病気になった助修士アルベロ及び彼の病気の原因

シトー会助修士アルベロがまだ修練士であって、ある夜、他の修練士と修道院の庭で夜
を危惧して見張りをしていたとき、朝課の合図の前に建物の周りをまわっていると、人の
影のようなものが洗い場の近くにあるのを遠くから見た。アルベロは、それがシトー会士
フリードリヒだと思って、眠りに就くよう彼に合図するべく一層近づいた。アルベロは、
フリードリヒが正気でないのを知っていたので、彼から危害を受けるのを恐れて足を留め
た。こうしてアルベロが立ち止まっている間に、彼の目の前で影は建物の屋根にまで伸び
た。寝室で鐘が鳴るや、彼はパン焼き部屋へ入った。パンを焼くための火が窯に入ったの
で、火を見たとき、火はガラスの壁を通して見ているように思われた。すると気分が悪く
なり出した。ただちにアルベロは外へ出て、木にもたれ、この時から約一週間このように
心も体も弱って、食べたり飲んだり眠ることもできなかった。
修練士 人間が悪魔を見ると、どうしてすぐに火を見て恐れに陥るのか私は知りたいも

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のです。
修道士 火は光の召使いであるが、悪魔は闇の首領であり張本人である。光と闇は、寒
と暑のように互いに対立している。もし君が暗闇から陽の光に出るかあるいは逆の場合、
君の目は突然の変化で混乱し弱る。同じように君が非常に冷えた手を火に近づけるか、あ
るいは火から引っ込めた手を冷水に浸すなら、反対の要素が一層君を苦しめよう。私が言
った暗闇と永遠の火の頭である悪魔を見てから、地獄の火と完全に反するこの世の火を人
間が見るや、人間の本性が乱され、恐怖に陥れられ、抑圧され、力を失うのはなぜ不思議
なのか。地獄は暗く、この世は明るい。人間は感覚においても行為においても悪魔から大
いに離れている。前に言ったように、完璧な人間はしばしば恐れなく、感覚を損なうこと
なく悪魔を見る。
修練士 もし仮の姿の悪魔を見たら危険であり、害であるなら、誰がその自然の姿の悪
魔を見ることができるでしょうか。
修道士 肉体上の目はありのままの悪魔を見ることができない。
修練士 なぜですか。
修道士 悪魔は霊であり、ほとんどすべての教師の意見であるが、霊でなくては霊を見
ることはできないからだ。地獄で劫罰を受ける者の魂には悪魔が見える。神を観ることは
選ばれた人たちの最高の幸福であるように、悪人たちが悪魔を見ることが最大の罰である
と言われている。悪魔を実体で見たいと望む人たちの危険を聞きたいかい。
修練士 ぜひ聞きたいです。私は悪魔についての恐ろしさと悪意を聞けば聞くほど、い
っそう罪を犯すことをはばかるからです。
修練士 それでは聞きなさい。

第29話 悪魔を見て病気になった聖アガータ修道院の院長、修道士、助修士

十二年前、シトー修道会の修道院が置かれているリエージュ司教区の聖アガータ修道院
長が、ある時、その修道院が帰属するエーバーバハへの途次、ケルンに立ち寄り、修道士
とアドルフという名の助修士にこう言った。「かの憑かれた女、つまりエーバーバハのシ
トー会の助修士の実の妹にわれわれが会うことは同情からの行為である。われわれは彼に
彼女の状況を知らせたい。」二人はこれを承諾し、院長たちは、彼女が多くの人たちと一
緒にいる館へ入った。何についてかは私は知らないが、院長は彼女に尋ねたが、彼女は全
く何も答えなかったので、院長はこう付け加えた。「あなたはお兄さんに何か委ねたいで
すか。」彼女は黙っていたので、院長はさらに付け加えた。「あなたが私に答えるよう神の
御力によって願いする。」
悪魔は同意し、女の口を介して問われたことにたいして答えてから、彼女と個人的に話
ができるように彼女をバルコニーに連れて来るくように、院長は助修士からも修道士から
も乞われた。このことがなされると、悪魔はさまざまなことについて院長から問われ、答
えるときに大いに嘘をついたので、院長は言った。「あなたが本当のことを私に答えるよ
うに、神にかけてお前に願う。」悪魔がこれを約束すると、院長は修道士と助修士に少し
離れるように命じた。エーバーバハと聖アガータで最近死んだ人たちの魂の状態について
院長が悪魔に尋ねると、悪魔は、女が見たことがないことを、院長に何も疑わせないよう

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に本当らしい話をした。
ある者たちは栄光のなかにあり、ある者たちは罰のなかで留められている、と悪魔は言
った。これらの人のために院長は特別の祈りをおこなった。院長が激しく驚くほど、悪魔
は他の多くのことを彼に教えた。悪魔と一対一で話すことを許して欲しいと後に院長は助
修士から乞われた。院長はこれを承諾し、助修士が少し修道士から離れたとき、助修士は
こう悪魔に言った。「院長がお前に命じたように、つまり、お前が問われたことについて
本当のことを言うようにお前に忠告する。私の魂に害となることが私にあるか知っておれ
ば、すぐに言ってほしい。」悪魔は答えた。「知っている。院長が知らぬ間に昨日お前はマ
ーストリヒトのある場所である女から一二デナリウス借りた。それを布に包み、服のひだ
に深く入れた。」そのことは実際起こっていた。
この助修士は、彼の話によると、こんなことを考えていた。「院長がどこかへ私をたま
たま遣わしてくれれば、このお金はその時のためのものとなろう。」彼は言った。「お前は
ほかにもっと知っているか。」悪魔は、「お前が泥棒なのをわしは知っている」と助修士に
答えた。「私が修道院に来てからは、泥棒の仲間ではない。」それで悪魔は言った。「お前
が泥棒であることを教えてやろう。飢饉だったとき、お前のではない、修道院の穀物など
をお前は貧者に与えた。」助修士は答えた。「私はそのような同情の行為は罪であるとは思
わなかった。」悪魔は言った。「その行為は率直に言えば、その通りだ。それは許しなくな
ささや
されて、お前は決してそれを 囁 か(susurro)なかったからだ。」悪魔は告白(confessio)を囁
き(susurrium)と呼んだ。
すぐに助修士は院長のところへ行き、秘かな場所へ院長を連れて行き、悪魔から吹き込
まれたことをへりくだって告白し、ふさわしく悔い改めた。
それから助修士は憑かれた女のところに戻り、彼の罪をまだ知っているかどうかをなか
に入っている者に尋ね、こう聞くことができた。わしの見るところお前についてわしは何
も知らない。お前が囁くために膝を屈するや、お前はわしが知っているすべてを無にした。」
修練士 この事実から、悪魔の存在も告白の力も十分に示されています。
修道士 告解の部でそのようなことは十分述べられている。これらの後、悪魔は出て行
くように院長から乞われて言った。「わしにどこへ行けと言うのか。」院長が「さあ、私は
口を開けている。できれば入れ」と言うと、悪魔は言った。「神が今日入ったので、わし
は入ることができない。」それで院長は「この二本の指のうえに登れ」と言って、親指と
人差し指を出した。「わしにはできない」と悪魔は言った。「今日お前は神に触れたのだか
ら。」院長が朝ミサをあげていたからであった。院長は彼女から出るよう悪魔に言うと、
悪魔はこう答えた。
「神が望んではいない。もう二年間わしは彼女のなかにいるであろう。
その後、あのヤコブへの巡礼の時に(1)彼女は救われよう。」そのことはそのようになされ
た。
それから、悪魔が本来の姿で彼らにあらわれるように悪魔に命じてください、と院長は
修道士からも助修士からも乞われた。院長は答えた。「そんなことは私にはよいとは思わ
ない。これまで悪魔に命じたことで十分と思いなさい。」彼らは一層執拗に主張したので、
ついに院長は折れて悪魔に言った。「お前が本来の姿でわれわれの前にあらわれるようキ
リストの御力でお前に命じる。」
悪魔は答えた。「お前たちはわしを見ずにはすまされないのか。」院長は、「否」と言っ

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た。女が彼らの目の前でふくれあがり、塔のように高くなり、彼女の目は火花を散らし、
竈のように煙を出すほどであった。これを見て、修道士は驚愕し、助修士は気絶した。彼
らよりも毅然としていた院長が、悪魔に元の姿に戻るようにすばやく命じていなかったな
ら、彼も同じように気を失ったであろう。君が私の言葉が信じられないなら、彼らに尋ね
なさい。まだ彼らは修道士として生きていると私は思う。彼らは君に本当のことしか話さ
ないであろう。
悪魔は命令に従い、前の姿の女の顔に戻り、院長にこう言った。「お前は今までこんな
愚かなことを命じたことはなかった。お前は今日まだ神の秘儀を受けていないので、今日
わしがお前たちに見せたことを誰にも言ってはならない。人がわしを見て生きられると思
うか。決してそうではない。」
下で待っていた人たちが、上での騒ぎを聞きつけて上にあがって、修道士と助修士が半
死しているのを見て、水で生き返らせ、手で彼らを運んだ。それから院長は悪魔に言った。
「お前はこれからどこへ行こうとするのか。」悪魔は答えた。「エーバーバハへ。」悪魔は
ふざけて地名を加えてこう言った。「わしはスヴェルバハ(2)にもいた。そこでわしはしっ
かり遊んだ。」
この後、助修士たちは修道会に移された。悪魔を見ることは、恐ろしく害があり健康な
人たちを病気にするのみならず死なせさえするのである。

(1)in via illius Jacobi 十二使徒の一人であるヤコブの墓がある北スペインのサンチア


ゴ・デ・コンポステーラ。悪魔はいとわしい sanctus(聖なる)を避けて ille(あの)を使
用している。
(2)Sueverbachum 実際の地名ではなく、中高ドイツ語 sweben(流れるように動き回
る) から。現代ドイツ語 schweben(浮かぶ)。

第30話 女の姿の悪魔を見て、病気になった二人の若者

まだ騎士身分ではない二人の若者が、洗礼者聖ヨハネの徹夜祭(1)の日が落ちてから修
道院の前を流れている小川のそばを軍馬で進んでいた。一人は、これから述べようとする
ことを私に話してくれたプリュムの修道院長の司厨長であった。彼らは亜麻の服をまとっ
た女のような姿を小川の反対側に見て、この日の夜にはありがちなことだが、彼女が悪事
をなす(2)と彼らは思ったので、彼女を捕らえるために小川を渡った。彼女が服を脱いで
逃げそうだったので、彼らは馬に拍車をかけて追跡した。だが自分たちの前で影のように
見えた者を捕まえることができなかった。馬が弱ったので一人が言った。「どうしよう。
あれは悪魔だ。」彼らは十字を切った。それ以上は悪霊を見ることはなかった。この時か
らずっと彼らも馬も弱り、かろうじて死を逃れた。
修練士 バジリスク(3)はにらみつけただけで人、鳥、家畜を殺すと読んだことがあり
ますので、悪魔のことは私には不思議ではありません。
修道士 詩編のバジリスクによって示されている悪魔はこれをおこなっている。以下の
例話で君に示そう。

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(1)6月24日。キリスト教布教以前の夏至祭と一致する。
(2)夏至には異教徒の観念と風習とが関係づけられていた。
(3)鶏の鶏冠と体、蛇の尾を持つ伝説上の動物。

第31話 知り合いの召使いの姿の悪魔に押さえつけられて死んだ女

ケーニヒスキルヒェンの村の司祭がシトー会士ランベルトに話したところによると、あ
る人柄のよい女がある夜、別の女と別のところから来てこの村を通っていたとき、悪魔が
非常におどけた召使いの姿をして彼女の手をつかんで軽く握った。「放して」と彼女が悪
魔に叫ぶと、悪魔はすぐに見えなくなった。すぐに彼女は気分が悪くなり、付いてきた女
に言った。「あの召使いが私を押さえつけ、それで私の心は弱くなりました。」もう一人の
女が言った。「そんな人はここにいなかったです。」女は答えた。「あの人がいたずらっぽ
く私を見ていたのは確実です。」彼女は帰途につき、床に横たわり、数日後に死んだ。

第32話 悪魔に抱かれ数日後に死んだアルテンアールの女

その年、アルテンアール城の近くに住んでいるある女に同じようなことが起こった。
夫が大酒飲みであって、夫が居酒屋から戻るまでは彼女は毎夜あえて床に就こうとはしな
かった。ある夜、彼女がパンを焼くため生地をねり、疲れて戸口で座って夫の帰りを待っ
ていると、白衣の二人の男が近づいてくるのを見た。その一人が彼女を抱擁すべく駆け寄
り両腕で彼女を抱きしめた。そこで彼女は叫び声をあげると、二人の男は消えた。彼女は
家のなかへ逃げ込み、灯りを見るや意識を失い、娘が悲鳴をあげた。数日後に彼女は死ん
だ。このようなことがいかなる神の判断によるものか、私には全く分からない。
修練士 恐ろしいことです。
修道士 修道士と呼ばれるわれわれにも十二分に恐ろしい話を聞きなさい。

第33話 午睡の時に修道女の姿の悪魔に抱かれ、三日以内に死んだ助修士

夏のある日、シトー会の助修士たちが寝室で午睡を取っていたとき、悪魔が黒の修道会
(ベネディクト会)の修道女の姿をして一人一人の床の周りを回った。悪魔はある人たち
の前では立ち止まり、ある人たちの前ではさっと通り過ぎた。ある助修士のところへ来て、
彼の前でお辞儀をし、彼の首を腕で抱き、娼婦のように愛撫し、口に接吻した。
ある修道士がこれを見て、修道女が消えたので、この場での人と出来事に驚き、起きあ
がり、助修士の床に行き、眠っているがだらしなくみだらに裸で横たわっているのを見た。
他の助修士たちが九時課のために起きあがったが、この助修士は体が重く感じ、起きあが
ることができなかった。夕方、病舎に移され三日後に死んだ。
そこのグランギア(修道院付属農場)の管理者だと私は思うが、彼がこのことをわれわ
れに話してくれた。この現象を見た修道士から告白の形式で聞いたと言った。
修練士 神が最高に慈悲深く、眠りが死とほとんど違わないなら、この助修士がわずか
なことで罰せられたのは、なぜですか。

- 220 -
修道士 たまたま助修士は恥ずべきことについて無頓着だったかもしれない。あらゆる
徳の飾りである羞恥とか純潔は、外見のみならず、行動にあらわれる。たびたび生じるこ
とだが、内向型人間は昼考えたことを夜好んで空想するが、外向型人間は目覚めている時
におこなうことを眠りなが度々再現する。
修練士 私もそのことに同意します。夜たびたび夢のなかで起きあがり、武具をまとい
剣を抜いて壁をたたき壊し、疲れたらすべてのものを元へ戻し、再び横になり朝になると
その何もかも忘れてしまっている何人かの盗賊を私は知っていますから。
修道士 この助修士はひょっとして酒に溺れていたのかもしれない。酩酊の後には裸に
なりがちである。もしノアが酩酊していなかったなら、裸にならなかったろう。裸になっ
たので、息子から嘲笑われた(2)。
善天使のみならず悪天使も夜にわれわれを吟味する。もし無頓着とか取り乱してだらし
なくわれわれが床に横たわっておれば、われわれは善天使を追い払い、われわれを嘲笑う
ために悪天使を招く。眠っている者が時々いかなる恩恵によって救われるかを、君は第7
部第13話と14話で聞くだろう。そこで聖母は眠っている者を自ら訪ねている。
修練士 助修士は愛を有していたのですか。
修道士 悪魔を見て死んだ女たちと同じく、そのことは私には分からない。悪魔が罪を
おかすときに罪人を殺害することを次の例話が示している。

(1)nona 聖務日課の午後三時頃の祈り。
(2)創世記9、18-29参照。ノア(Noe)はアダムの十代目の子孫。洪水後の新世
界の祖となった。

第34話 悪魔とさいころ賭博をして、はらわたをえぐり取られた騎士のチーモ

ケルン司教区のゾーストにチーモという名の騎士が住んでいた。昼も夜もほとんど休ま
ずさいころ賭博にふけっていた。さいころ賭博をしたいと思う者に出会うために常にお金
の入った財布を持ち歩いていた。彼は賭博に強く、運もよく、ほとんどの者が負けて帰っ
ていった。怒り、嫉妬、争い、損失が生じかつひどい言葉が発せられる博打をどれだけ神
が憎まれているかを後の人々に示されるために、多くの人を打ち負かした彼と勝負し、さ
らに多くの人の財布を空にした彼のはらわたをえぐり取ることを、神は悪魔にお許しにな
った。
ある夜、彼の館へ賭博師の姿の者が入ってきて、お金の入った財布を腕に抱え、席に就
き、デナリウス貨をおしみなく置いて勝負して勝った。彼が騎士にうまく勝って、騎士は
賭けた金がなくなったので、騎士は怒って言った。「お前は悪魔ではないか。」悪魔は言っ
た。「これで十分だ。もうじき朝になる。わしらは帰らねばならない。」悪魔は彼を持ち上
げ、屋根を超えて引っ張っていった。その時、哀れにも彼のはらわたが屋根瓦に引っかか
って引っ張り出された。彼の身に何が起こったのか、どこにはらわたが放り出されたのか
は、今日まで彼の息子にも彼の知人たちにも知られてはいない。
翌朝、彼のはらわたの残りが瓦にくっついているのが見つけられ、墓に埋葬された。悪
魔は自分の家来たちをこの世で成功させるが、いつも最後には彼らを騙す。

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第35話 ゾーストで悪魔を信頼して塔から飛び降り死んだ男

敬虔な人で聖パトロクルスの参事会員ゴツマル師が私に話してくれたのだが、このゾー
ま ち
ストの都市に正体不明の男がやって来て、栄誉を手にすることができれば、聖ユリアヌス
教会の非常に高い塔から飛び降りると言った。
賢明な人さながら人々が答えた。「飛び降りて死ぬお前のために何もやらないぞ。」彼は
言った。「都市の栄誉のためにおれは飛び降りるのだ。」その塔が隣接している広場に多く
の人が集まり、家々の窓から他の人々が眺めていると、彼は塔に登った。一人の者が背後
から叫んだ。「おい、お前はどういう悪魔と結託してそんなことをするのか。」彼は悪魔の
名前をあげなかったが、その人はこう言った。「お前は確実に悪魔に騙されているぞ。お
前がオリヴァーに身を任せるなら、奴はお前を騙さないだろう。奴は行儀がよく信頼でき
るからだ。」彼は答えた。「奴は決しておれを騙さないだろう。おれは何度も奴の信義を試
した。」このオリヴァーは上の第四話で述べられた者であった、と私は思う。何が起こっ
たか。彼は塔に登り飛び降りた。しかし飛び降りた後、立ち上がることはできなかった。
彼が立ち上がらなかったのを人々は不思議がった。風に乗るために広いマントを着ていた
のにどうして死んだのかが分からなかった。それで彼らは一層近寄り、彼を持ち上げると、
彼のはらわたがすっかり無くなっていたのを知った。
こうして悪魔はその家来に報いたのだ。肉体を滅し魂を永遠の罰に送り込んだのだ。そ
の苦しみについて君は第12部で十二分に知るだろう。
修練士 件のオリヴァーの例からも、すべての悪魔は一律に邪悪ではないようです。
修道士 悪魔が天にあったとき、傲慢と創造主にたいする憎しみが大きかっただけ、そ
れだけ今日まで人を損なう悪意が彼らに生きている。ルシアーとともに神にたいして反抗
する悪魔に同意する悪魔もいる、と言われている。彼らは他の者たちと一緒に突っ走るが、
他の者たちよりも悪意は少なく、人間を傷つけることも少ない。次の例話が示している。

第36話 人間の姿で騎士に忠実に仕えた悪魔

悪魔が上品な若者の姿をしてある騎士のところへ来て奉仕を申し出た。姿も言葉も騎士
の心に大いに適ったので、悪魔を喜んで受け入れた。騎士も非常に驚くほど、すぐに悪魔
は騎士に丁寧に、控えめに、忠実に、楽しんで仕え始めた。悪魔は馬の準備をする時には
あぶみ
いつも膝を屈して 鐙 をささえた。そうせずには騎士は馬の乗り降りをしなかった。悪魔
は分別あり、思慮深く、朗らかに振る舞った。
ある日、二人が一緒に馬で出かけ、ある大きな川に来たとき、騎士は振り返って、後ろ
きゅうてき
から仇 敵が迫ってくるのを見て、騎士は従者にこう言った。「われわれは死ぬぞ。後ろか
ら敵が迫っている。向かい側に川がある。逃げ道はない。われわれは敵に殺されるか、捕
らえられよう。」
悪魔は言った。
「恐れないでください。ご主人さま、私はこの川の浅瀬を知っています。
私にただ付いてきてください。うまく渡れましょう。」騎士は、「この川をここで渡った者
は誰もいない」と返したが、しかし逃れる望みをもって従者に導かれて危険なく岸に達し

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た。彼らが渡り終えると、対岸の敵は停止して驚いてこう言った。「この川の浅瀬のこと
を聞いた者がいるであろうか。彼を渡したのは悪魔だ。」彼らは恐れをなして戻っていっ
た。
時が経ち、騎士の妻が死に至る病にかかるということが起こった。彼女にあらゆる医術
が効かなかったとき、悪魔は主人に再び言った。「奥さまに獅子の乳を塗れば、奥さまは
回復しましょう。」どこからそのような乳を手に入れたらよいのかと騎士は尋ねた。悪魔
は答えた。「私がもってきましょう。」悪魔は出かけ、乳で一杯の器を携えて一時間後に戻
ってきた。従者が彼女に乳を塗ると、彼女は回復し以前の力を取り戻した。騎士が彼に、
こんなに早くどこから乳をもってきたのかと尋ねるとき、悪魔は答えた。「アラビアの山
からもってきました。ここからアラビアへ行き、雌獅子の洞窟に入り、子獅子を追い出し
雌獅子の乳をしぼり、こうしてここへ戻ってきました。」
騎士はこの言葉に驚いてこう言った。「一体お前は誰だ。」従者は答えた。「このことで
案じるには及びません。私はあなたの召使いです。」騎士は迫ったので、ついに従者は告
白した。「私は悪魔でルシファーとともに落ちた者の一人です。」それで騎士は一層驚いて
こう付け加えた。「もしお前が本性から悪魔であるならば、お前がかくも忠実に人間に仕
えるのはどうしてだ。」悪魔は答えた。
「人の子と一緒にいるのが私には大きな慰めです。

騎士は言った。「今後お前の奉仕を受けるつもりはない。」再度、悪魔は答えた。「こう思
ってください。もしあなたが私をつかんでおれば、私によってか、わたしのゆえに悪いこ
とはあなたに何も起こりません。」「私はあえてそうしない」と騎士は言った。「しかしお
前が報酬を要求するなら、たとえ私の財産の半分でも喜んでお前にあげよう。人が人にこ
んなに忠実に、こんなに役だって仕えたことはなかった。お前のお陰で川のそばで私は死
を逃れ、妻の病気は治った。」それで悪魔は言った。「私はあなたと一緒にいることができ
ないので、私の奉仕にたいして五ソリドゥスのほかは何もいりません。」悪魔はこれを受
け取ってから、騎士に返していった。「どうかこれで鐘を買い求めて、あの粗末で荒れた
教会の屋根に掛けてください。その鐘で少なくとも日曜日には信者たちがミサに呼び寄せ
られるでしょう。」こうして悪魔は彼の前から消えた。
修練士 悪魔にそのようなことを期待した人がいるでしょうか。
修道士 よければ別の悪魔の善行の例話をもう一例話そう。君は少なからず驚くだろう。

第37話 騎士エーヴェルハルトをエルサレムに運んだ悪魔

フィリップ王が後の皇帝オットーと戦った年、アンブラと呼ばれる村の生まれのエーヴ
ェルハルトという名のある立派な騎士が重い病気にかかった。彼の脳に変化が生じると、
狂い始め、病気の前は大変愛していた妻を見たり、彼女の声を聞いたりしたくないほど嫌
った。ある日、悪魔が人間の姿をして病み人にあらわれ言った。「エーヴェルハルトよ、
お前は妻と別れたいのか。」病み人は答えた。「なんとしてでもそう願う。」悪魔は付け加
えた。「お前を馬でロ-マに連れて行き、教皇の許可を取って別れさせてやろう(1)。」
何が起こったか。騎士は誘った悪魔の馬に乗り、その後ろに座ってロ-マに向かい、教
皇が枢機卿の前で彼を妻と厳粛に分かれさせ、教皇の印章と文書で離婚を保証するように
悪魔が彼のために交渉してくれている如くに思われた。

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不思議なことが起こった。この時から驚くべきことに病み人の魂は悪魔に奪われ、肉体
は生気なく横たわっていたが、胸にまだわずかのぬくもりが感じられた。そのため埋葬は
引き延ばされた。
騎士が離婚の許可を大いに喜んでいるように思われたので、悪魔は言った。「お前の主
が十字架に掛けられ埋葬されたエルサレムと、キリスト教徒が訪ねたがる他の聖地に連れ
ていってほしいか。」この言葉でこの者が悪魔であったと後に騎士は知った。騎士は言っ
た。
「そう願いたい。」ただちに悪魔は騎士の魂を海を越えて運び、聖墳墓教会におろした。
それから、悪魔は他の場所にも連れていった。そこで騎士は祈りを捧げた。悪魔はさらに
騎士に言った。「お前たちの敵サラジンとその軍勢に会いたいか。」彼は「会いたい」と言
ったとき、たちまち陣営に連れて行かれた。悪魔が説明している間、騎士は王、諸侯、騎
士、武器、軍旗、幕舎、全軍勢を目にした。この後悪魔は言った。「今度は祖国に戻りた
いかい。」騎士は言った。「戻る時がきた。」ただちに悪霊は彼を持ち上げロンバルジアへ
運んだ。悪魔は言った。「あの森が見えるか。これからお前の村のある男がこの地で売る
商品をロバで運んでこの森に入り強盗に殺されよう。彼を守りたいか。」彼は「喜んで」
と答えた。ただちに彼は男のもとに駆けつけ、森に強盗どもがいると知らせた。男は喜び、
知り合いの同じ教区の彼に挨拶し、感謝して別の道を取った。
彼らがフランクフルトに着いたとき、悪魔はまたこう言った。「リンブルク公の息子ヴ
ァルラムを知っているか(2)。」彼は答えた。「よく知っている。たびたび彼と一緒に戦っ
た。」騎士は言った。「今彼に会いたいか。」騎士は答えた。「彼は海の彼方にいる。」悪魔
は言った。「そんなことはない。彼はこれからある場所でフィリップ王と盟約を結び、彼
によってお前たちの土地は略奪と放火で荒らされよう(3)。」ヴァルラムによりアンダーナ
ハ、レマンゲン、ボン、他の多くの村が灰燼に帰せられたとき、このことがなされとわれ
われは知った。騎士は答えた。「非常に悲しい。」騎士がフィリップ王、諸侯、ヴァルラム
に会った後、彼は床に移され、魂は何の傷もなく肉体のなかに戻された。
すぐに彼は息をして力を取り戻し始め、連れ出される前には嫌っていた妻を以前と同じ
愛によって愛した。彼が見たこと聞いたことを頻繁に報告し多くの賞賛を得た。
彼がローマ、エルサレム、ロンバルジア、ドイツで見たこと、いろんな場所や人の間で
たくさん見たことを肉眼で見たよりも一層よく認識し保持することができた。ローマの
ま ち
都市の城壁、当時の教皇インノケンチウスさまや枢機卿の姿や教会のありさま、エルサレ
ムの各所でサラジンの姿やその軍勢、同じく山、川、城、彼が通ったすべての場所の特徴
を形と名前で表し、実際それらを目にした者たちが彼に反論できないほどであった。その
間、かの百姓が商品をもってロンバルジアから戻り、彼がロンバルジアで騎士に出会った
ことや彼の報告で強盗から逃れたことを多くの人の前で証明した。
修練士 取り憑いた者を苦しめるが、彼に罪をおかさせない性質の悪魔がいることを聞
いたことがあります。
修道士 これに関して明白な例を聞いたことを覚えている。

(1)結婚は秘蹟(sacramentum)に数えられているので、その解消は特別の場合を除い
て不可能であった。
(2)ヴァルラム三世(1175頃-1226)。リンブルク公ハインリヒ三世の長子。

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第三回(1189-92)十字軍に参加した。
(3)ヴェルフェル家のホーエンシュタウフェル家の攻撃。この出来事は1198年秋に
おこなわれた。

第38話 取り憑いた男に盗まれた雌牛からの五代目の牛を食べることを許
さなかった悪魔

ある金持ちが施しの形で貧者のために宴会を開いた。そのなかに悪霊に取り憑かれた男
がいて、他の人が食べている間に肉を口に近づけるが、食べることができなかったので、
まわりの人たちがこれを見て言った。「サタンよ、なぜお前はこの人が食べるのを許さな
いのか。」悪霊は彼らに答えた。「この喜捨は盗品なので、彼が罪を犯すことをわしは望ま
ない。」彼らが言った。「お前は嘘をついている。施しをおこなったこの人は善人だ。」サ
タンは答えた。「わしは嘘をついていない。貧者に分け与えられた子牛は、盗まれた雌牛
から数えて五代目だ。」そこに居合わせた人は大いに驚嘆した。
修練士 もし悪魔どもが五代目を盗品と判断するならば、悪魔どもは罪のなかでも最初
の罪に厳しく復讐するだろうと私は思います。
修道士 そのことを君は疑ってはいけない。第2部第6話で述べられたように騎士ヘリ
アスが罰せられたあの雌牛のことを思い出しなさい。この雌牛については上の二六話で私
があげたブライジクのあの憑かれた女の言葉を私は思い出す。話を聞いた人が私に話して
くれたのだが、その女がある日ライネックの城伯に会ったとき、彼女がたくさんの人が居
合わせているなかを彼にたいしてこう叫んだ。「あなたがやもめから奪ったあの子牛をわ
たしたちは地獄の炎で溶かして、少しずつあなたの目のなかに入れ、身体全体に子牛の脂
を少しずつ垂らすでしょう。あなたの専売権(1)によってこの町で売られているぶどう酒
をわかしてあなたの口のなかへ注ぎ込むでしょう。」騎士は居酒屋を離れ、子牛を女に返
した。
修練士 悪魔が存在すること、たくさん存在すること、邪悪であることが十二分に立証
されたと告白します。悪魔がいかに危険であるかをさらに聞きたいです。
修道士 友人の間に不和を生じさせ、敵と和解することを許さないほど、悪魔は人間に
とって危険である。悪魔どもは、キリストのためにかつ自らの罪のゆえに巡礼をおこなお
うとする人たちを引き戻し、修道院入りを望む人たちを引き留め、修道院入りした人たち
をさまざまに悩ませ苦しめる。

(1)bannum 領主はぶどう酒を独占的に販売して、価格を決定する権限を有していた。

第39話 二人の巡礼仲間の間に不和の種をまいたと思われる悪魔

裕福で人柄がよく互いに親しい間柄の二人のケルンの市民が一緒に使徒聖ヤコブへの巡
礼に出かけた。一人はシスタプス、もう一人はゴットフリートという名であった。ある日、
二人だけで馬を駆り、他の巡礼たちの先を進む間、悪魔が二人の友情と融和をねたみ、森
に入ったところでゴットフリートが背中に掛けているかなり丈夫な杖を二つに折った。ゴ

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ットフリートは他に誰もそこにいないのを見て、怒って相手に叫んだ。「おい、お前、ど
うしておれの杖を折ったのか。」
ゴットフリートが私に話してくれたが、シスタプスが誓ってまでも否定したが、ゴット
フリートは手をあげるのを押さえることができないほど激昂した。ついに神の恩寵と聖な
る使徒の功徳によってゴットフリートは正気に戻り、ひとえに親しかった仲間に悔悟した。
そこであらゆる不和の頭目である悪魔は恥じて退散した。

第40話 司祭の姿でいばらに連れて行き、二人を敵同士にさせた悪魔

今はシトー会の修道士である人望ある司祭が私に話してくれたのだが、ある村の司祭は
教区民に好かれようとして、彼らと世俗の賭け事に興じ、居酒屋にたびたび通い、できる
だけ自分の習慣を彼らの習慣に合わせた。ここで〈祭司は民の如くになろう(イザヤ書2
4、2)〉なる預言が実現されている。
村でこの司祭の悪徳に全般的に似ている騎士を彼は友人にしていた。キリストのことで
はなく世俗のことで彼らの心と魂は一致していた。たびたび互いに賭博や宴会に誘いあい、
たびたび互いに居酒屋に引っ張っていった。あらゆる策略の名人なる悪魔がこれを見て、
彼らの不完全な愛を危険な憎しみに変えるべく、ある夜、騎士が床についたとき、司祭の
姿で彼の床に行き、言葉と手振りで付いてくるように性急に迫った。
騎士は驚いてほとんど裸で起きあがり、素足で付いていき、いばらととげで一杯の野を
通って連れて行かれた。いばらととげで彼の足裏はけがをして血が出てきたので、彼は後
ろから叫んだ。「おい、お前がおれをここへ連れてきたので、ひどい目にあった。」悪魔は
「付いてこい、付いてこい」とずっと叫んだ。騎士は怒って、たまたま見つけたつるはし
で-そう思われた-司祭の頭をかち割った。こうして司祭が倒れ、顔から血が流れると、
騎士は這々の体で家へ帰った。彼は司祭にやられたことを妻、召使い、友人に話した。彼
らはあまり信じなかったので、こう付け加えた。「私は彼の頭とトンスラをひどく傷つけ
た。」
かわや
その夜、このことを全く知らない司祭は尿意を催し 厠 に行こうとしたとき、桁で激し
く頭を打ち、トンスラがひどく傷つき、流れ出る血で顔中を汚した。彼は床に戻った。翌
朝ミサの鐘が鳴って、人々が教会で彼を待っていたが、彼は傷の痛みで来ることはなかっ
た。騎士は司祭が来なかった理由を聞いてこう言った。「これが私があなたたちに言った
ことだ。」
何が起こったか。騎士の親族と友人は怒った。司祭は非難にたいし強く否定したが、彼
らは信じなかった。二年間司祭は教会から閉め出されたが、ついに何とか彼らと和解した。
霊によるものであれ、肉によるものであれ、悪魔が友人の間に不和の種をまくことが、
この二例から分かる。悪魔に権限が及ぶ限り、敵同士が和解することを許さないのは確実
だ。

第41話 騎士と修道院の間の不和の種をまいたと言った悪魔

ある騎士が最近シトー会の修道院を不当に苦しめていた。悪魔がある女の口を介して話

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しているとき、居合わせていた人の一人が悪魔に言った。「悪漢よ、神の召使いの修道院
を邪魔することを止めるようになぜ騎士を説得しないのか。
」悪魔は高笑いして言った。
「愚
か者、なんということを言うのか。わしの助言でことがなされ、平和にかかわることをわ
しが説得せよと言うのか。」
キリストのために巡礼に赴こうとする人たちを悪魔が引き留め妨げることを次の例話が
示している。

第42話 悪魔にたたきの上を引きずられた騎士メンゴズ

メンゴズという名の騎士が、若い頃フランスでフランス語を学んでいたとき、重い病気
にかかった。彼は回復を願ってランスの聖レミギウス聖堂への巡礼の誓願を立てたが、実
現しなかった。彼が誓願の不履行者として故郷へ帰った。かなりの日が経ち、シェッフェ
リンゲン村の出の声望あるグドルフという名の騎士が、贖罪として修道院長総会の時にシ
トーへ巡礼をおこなうと決めたとき、メンゴズがこのことを知り、巡礼に伴わせてもらい
たいと彼に頼んだ。グンドルフは喜んで承諾して、二人がディジョンの近くのトリカスト
ルムと呼ばれる村で朝食をとるため贖罪者の流儀で地面に腰を下ろしていると、司教の衣
をまとったランスの司教、聖レミギウス(1)が不履行者メンゴズにあらわれて言った。
「メンゴズよ、なぜあなたは誓願を果たさないのですか。」騎士は幻視による誓願の不履
行を叱責されたことに驚いていると、すぐに悪魔が飛んで来て、戒めの言葉にたいして鼓
舞の言葉を発した。「急ぐことはない。できるだけの範囲で誓願を果たせ。」悪魔は他のこ
とは何も言わず、メンゴズの足をつかみ、たたきの上をうつぶせで無慈悲に引きずってい
ったので、彼の顔の四カ所に傷がつき、血が流れ出てたたきを汚した。
メンゴズがこうして引きずられていくが、誰も引きずってはいないのを、グンドルフが
見て、-私は彼から直接聞いた-驚いてすぐに立ち上がり、メンゴズをつかんだが、彼が
強健とはいえ、支えきることはできなかった。グンドルフがメンゴズの罪と罰の原因を知
ると、こう言った。「あなたは誓願を買い戻したらよい。」メンゴズは答えた。「私は今お
金を持っていない。」グンドルフはメンゴズにお金を渡し、メンゴズは果たしていなかっ
た誓願にたいし購った。
修練士 私が見ますところ、われわれを罰するべく構えている悪魔たちはわれわれから
そんなに遠くにはいない。
修道士 悪魔どもがわれわれのそばや周りにいることを、次の例話で知りなさい。

(1)ランスのレミギウス(437頃-535頃)。ランスの司教、聖人。フランク王ク
ローヴィスの改宗に影響を与えた。

第43話 報酬のためにぶどう畑の見張りをした悪魔

前年のぶどう収穫の時期にマリア・ラーハ修道院の総務長が修道院のぶどう畑の見張り
を二人の堂守に委ねた。一人が夜の見張りの負担を軽くしようとしてふざけて悪魔を呼ん
で言った。「サタンよ、来てこのぶどう畑の見張りをしてくれ。そうすれば礼をしよう。」

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彼がこう言い終えるや、悪魔があらわれて言った。「わしはここにいるぞ。見張りをすれ
ば、何をくれるか。」彼は言った。「ぶどうで一杯のかご一つをやる。ただし昼と夜を分け
るこの時から日の出までに誰かが入ってくれば、そいつの首を砕くという条件でだ。」彼
は内の者と外の者の区別をしなかった。
悪魔がこれを約束し、堂守は夜になるとぶどう畑については何もなかったかのように館
へ入った。総務長が彼に言った。「なぜあなたはぶどう畑を離れているのか。」彼は「私は
そこに仲間をのこしている」と悪魔のことを言った。総務長は、同僚のことを言っている
ものと思って怒って言った。「早く行きなさい。彼一人では無理だから。」堂守は戻ってい
き、ぶどう畑の外にあった見張り台に仲間と一緒に上がった。二人は真夜中ぶどうの木の
間を人が歩くような音を聞いた。契約のことを聞いていない仲間の男が言った。「ぶどう
畑に誰かいるぞ。」一方の男が言った。「座っていろ。おれが下りて見てきてやろう。」彼
は下りていって、ぶどう畑の周りをまわり、垣のそばに人間の足跡がなかったので、まだ
悪魔が見張りをしていることを知った。
翌朝、彼は仲間にすべてを打ち明け、ぶどうで一杯のかごを報酬として悪魔に渡そうと
して、一本のぶどうの木のそばに来て、離れ、少ししてから仲間と戻り、かごがなくなっ
ているのを知った。
修練士 このことは私には大層な驚きです。悪魔がどのようにして修道院入りを望む人
たちを妨げているか、どうか言ってください。
修道士 ある修道女が、院長に強いられて私に話してくれたことを君に話してあげよう。

第44話 悪魔に悩まされた修道女エウフェミア

その修道女がまだ小さくて父親の家にいたとき、悪魔がたびたびさまざまな目に見える
姿であらわれ、か弱い彼女をさまざま方法で恐れさせ困らせた。彼女は気がおかしくなる
のを恐れたので、シトー会へ入会することを決めその旨を言葉で表した。ある夜、悪魔が
男の姿で彼女にあらわれて、修道院入りを思いとどまらせて言った。「エウフェミア、修
道院に入るな。若くて立派な男を受け入れ、彼とこの世の喜びを味わいなさい。豪華な衣
装や馳走をお前はいつも手にしよう。お前が修道院に入れば、いつも哀しく、みすぼらし
く、喉の渇きや寒さに耐え、この世は今後も楽しくないだろう。」
これにたいして彼女は答えた。「あなたが言う楽しいことをして私が死ねば、私はどう
なるでしょうか。」これにたいし悪魔は何も答えず、少女をさっとつかみ、彼女が寝てい
た上階の窓辺に運び突き落とそうとした。彼女が天使祝詞(1)を唱えると、悪魔は彼女を
放し言った。「もしお前が修道院へ入れば、わしはずっとお前の邪魔をしてやるぞ。お前
がさっきマリアに祈らなかったなら、わしはお前を殺したであろう。
」悪魔がこう言うと、
少女を強く押さえつけ、大きな犬に変身し、窓から飛び降り、二度とあらわれなかった。
こうして彼女は聖母マリアに祈って救われた。
悪魔が修道士にとっていかに危険であるか、いかに多くの、いかにさまざまな方法で彼
らを苦しめ悩ましているかを以下の例話で明らかにしよう。
先の少女が修道女となってから、ある夜、彼女が床に横になって目覚めていたとき、自
分の周りに男の姿の何人かの悪魔を見た。悪魔の一人はきわめて醜い姿で彼女の頭のとこ

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ろに立ち、二人は足許に四人目は彼女の横に立った。この四人目の悪魔が他の悪魔に大き
な声で叫んだ。「なぜお前たちは立っているのか。彼女を寝ているままで持ち上げて、こ
っちへ来るのだ。」彼らは答えた。「わしらにはできない。彼女が聖母(mulier)に呼びかけ
たからだ。」
修練士 悪魔どもが創造主の母の名を、栄光ではなく被造物としてでのみあえて表そう
とするのはなぜですか(2)。女性は生まれつきのもろさを表していますが、処女とかマリ
アとか神の母とかは栄光を表しています。
修道士 悪魔どもは破廉恥なので、汚れた口で純潔と栄光の名をあえて挙げなかった。
だがこの四人目の悪魔は天使祝詞の後に少女を右手でかかえ、運んで彼女を押しつけたの
で、腫れものができ、腫れものが青あざになった。彼女は左手が空いていたが、単純な気
持ちで左手で十字を切ることはあえてしなかった。左手で十字を切ることは役立たないと
思ったからである。しかし必要に迫られて左手で十字を切り、悪魔どもを追い払った。彼
女は悪魔どもから解放され、ほとんど気を失ってある修道女の床に走り、沈黙を破り、見
たこと蒙ったことを彼女に話した。この修道院の院長、今は亡きエリーザベトさまが私に
話してくれたことだが、修道女たちは彼女を床に寝かせ、彼女の上でヨハネ福音書の最初
の部分を読んだ。翌朝、彼女たちは彼女の向きが変わっているのを見つけた。
その翌年、深夜かの修道女が自分の寝室で横になって眠らずにいると、彼女と大変仲の
よい二人の修道女の姿の悪魔を遠くに見た。彼女たちが彼女に言った。「エウフェミアさ
ん、起きて、私たちと一緒に貯蔵室に行き、集会のためにビールを運びなさい。」
不適切な時間のゆえにまた沈黙が破られたがゆえに彼女は彼女たちを疑い、恐れ始め、
頭を毛布にくるみ何も答えなかった。すぐに悪霊の一人が彼女に一層近づき、彼女の胸に
手を置き胸を押したので、血が彼女の口と鼻から勢いよくたくさん出た。悪魔どもは犬の
姿をとって窓から飛び出た。
修道女たちが朝課のために起床し、彼女が弱っているのを、つまり血の気がなくまっ青
になっているのを知ったので、手振りで原因を知ろうとした。修道女たちが彼女の話から
原因を知ったとき、悪魔どもの残酷さと少女の苦しみについて驚嘆した。
二年前、修道女のために新しい寝室が作られ、そこに床が置かれたとき、先の修道女エ
ウエフェミアが非常に醜い老いた小人の姿の悪魔が部屋中をを歩き回り個々の床を触って
いるのを見た。悪魔はこう言っているかのようであった。「一つ一つを詳しく覚えておこ
う。また来るつもりだから。」
修練士 敬虔なる主が、かくもきしゃでかくも純粋な少女たちが、残酷で不純な霊によ
り酷く苦しむのをお許しになるのはなぜですか。
修道士 君も知っているように、苦い飲み物を飲んでおけば、甘味は一層甘味を増す。
黒い色が下敷きになっておれば、白い色は一層輝くのだ。ヴェッティやゴットシャルクの
幻視体験をのことを読みなさい。さらに悪人の罰と選ばれし人の栄光を見ることを許され
ている人々の幻視体験をも読みなさい。ほとんどどこでも罰の幻視が勝っている。主はそ
の花嫁(3)に自分の喜びの秘密を示そうとされ、花嫁をまず恐ろしい幻視でお試しになっ
た。彼女が後にさらに喜ぶことができ、甘味と苦味、光りと暗やみを区別できるように。

(1)angelica salutatio アヴェ・マリア。聖母マリアへの祈り。

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(2)悪魔は聖母を Virgo(処女)、Maria(マリア)、 Dei genetrix(神の母)で表さず、mulier
(女性)でのみ表している。
(3)sponsa 修道女のこと。

第45話 悪魔による修道女エリーザベトの試練

ホーヴェンと呼ばれるその修道院に悪魔にたびたび苦しめられたエリーザベトという名
の修道女が住んでいた。ある日、彼女は寝室で悪魔を見た。悪魔が気づかなかったので、
彼女は悪魔にびんたをくらわせた。悪魔が彼女に「どうしてそんなひどいことをするのか」
と言うと、彼女は「お前はしょっちゅう私を苦しめているから」と答えた。これにたいし
悪魔は言った。「昨日わしはお前の修友の先唱者を攻め立てたが、彼女はわしにびんたを
くわせなかった。」
実際その前日、彼女の修友はひどく苦しんだ。そのことから、怒り、憎しみ、短気およ
びそのような悪徳はたびたび悪魔によって助長されることが明らかである。
別の時、このエリーザベトが-悪魔の仕業であることが後で分かった-朝課にひどく遅
れ、燃えるろうそくを手にして鐘のところへ急ごうとし聖堂の扉を通ったとき、切れ目の
付いた服を着た男の姿をした悪魔が彼女の前に立っているのを見た。誰か男が入ってきた
と思い、驚いて寝室に向かう階段で仰向けに倒れ、突然の驚きと倒れたことで数日間病気
になった。
院長もこの出来事に驚いて病気になった。院長はエリーザベトに転んで叫び声をあげた
原因を尋ねたとき、彼女は幻視のことを話してこう付け加えた。「あれが人間でなく、悪
魔であると知っていれば、もっと強いびんたをくらわせたでしょう。」すでに主は腰を強
く巻かれ、悪魔にたいして腕を強められた。

第46話 挨拶で悪魔から救われた隠修女

キリストのために隠修女となったある別の女性を悪魔は、荒っぽく恥知らずにも彼女の
床にあがるほど苦しめた。霊の薬でも、祈りでも、告白でも、十字を切っても彼女は救わ
れなかったので、悪魔の攻撃と自分の苦しみをある修道士に訴えた。彼はこう彼女に助言
した。「悪魔がずっとあなたに近づいたなら、〈ようこそ(1)〉と言いなさい。」彼女がそう
すると、悪霊は渦に巻き込まれたかのように飛ぶように去り、二度と彼女に近づこうとは
しなかった。
修練士 われわれの挨拶の言葉にそのような力があると聞くのはうれしいです。
修道士 悪魔どもが恐怖で誘惑したり打ち砕いたりすることができない人たちをまやか
しの幻視で誘惑するほどに悪魔の邪悪さは大きい。次の例話がそれだ。

(1)benedicite シトー会士の挨拶の言葉。benedicio(祝福する)の命令法現在複数二人称。

第47話 隠修女ベルトラダ

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ヴェストファーレンのヴォルマルシュタイン城の近くにベルトラダという名の敬虔で神
を畏れる女性が住んでいた。彼女は神の啓示のゆえに輝き、きわめて有名であった。私が
聞いたところでは、彼女は軽率でずっと光りの使者のかわりに闇の使者を受け入れていた。
悪魔は、幻想的な光りに包まれて彼女の部屋に窓から入り、将来を予言し、問われたこと
に答えるのが常であった。もし誰かが死んだ友人の様子や隠されたことの実体を知ろうと
して彼女のところへ来れば、彼女は翌日までの回答の延期を乞い悪魔に相談した。悪魔は
彼女をたびたび騙し、真実のかわりに虚偽の答えをしていた。
前部の87話で述べられたアルンスベルクの隠修士、ヘルマン修士がこのことを聞くと、
悪魔の仕業と思い、かの隠修女をこう戒めた。「気をつけなさい、隠修女よ。たびたび悪
魔の使者が光りの使者に変身し、多くの人を誘惑し、敬虔な人をも時々騙すから。それゆ
ろう
えこうしなさい。悪魔がいつも入ってくる窓に祝福された蝋の十字架を押しつけなさい。
入ってくるときに十字架を避けなければ、主の使者で、避ければ闇の使者です。」彼女は
そうした。夜、悪魔がいつもの輝きに包まれて窓のところまで来て、光りを放っていたが、
なかに入らなかったので、彼女は言った。「なぜ入ってこないの。」悪魔は答えた。「お前
が窓から蝋を放り投げなければ、わしはなかへ入ることはできない。」彼女はずっと騙さ
れていたことを知って、悪魔につばを吐いて侮辱の言葉を発した。今後このようなことが
おこらないように最高の三位一体を唱えて悪魔を呪詛した。
全能の神が悪魔のさまざまな攻撃にたいしてさまざまな薬を作られたことを知りたい
か。主はわれわれのある人たちを告白という劇薬で、ある人たちを主のお告げ、つまりア
ヴェ・マリアで、ある人たちを挨拶の言葉で、多くの人たちを十字のしるしでなだめられ
る。それらのすべてを前話までに君は聞いている。
修練士 この隠修女は光りの使者のかわりに闇の使者を受け入れて罪をおかしていませ
んか。
修道士 人がこうして悪魔に騙され、悪魔が価値あることを助言する間は悪魔を信じて
利益を得ることを、私は先人の書で読んだことがある。霊を区別する力は誰にも授けら
れてはいない。それゆえ使徒もこう言っている。〈神から出た霊かどうかを確かめなさい
(1ヨハネの手紙4、1)
。〉悪魔自身は、身につけた輝きに包まれて光りの使者に実を変
えるのみならず、みすぼらしい姿で何人かにあらわれるのが常であることを黙っていては
いけない。悪魔はある時には豚や犬の姿で、ある時には熊や猫や他の動物の姿で人間を騙
すべくあらわれるのが常であるから。

第48話 悪魔が幻影を内陣へ追い込むのを見た助修士

ある時、ヒンメロートで悪魔が、豚の群れを教会のなかに追い込み、入ったところから
また出てくるのが見られた。
別の時、名を伏せて欲しいと望んでいたある助修士が副院長の姿の悪魔を見た。悪魔は
首に豆殻の首輪をつけていた。副院長の同僚の一人が悪魔の先を行き、首輪を犬のように
引いていた。この幻影が内陣に入っていくと、副院長自身が助修士たちが居眠りしておれ
ば、起こそうとして内陣に入るということが起こった。副院長が入ってくると、幻影は助
修士の目からすぐに消えた。

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第49話 先唱者ヘルマンの幻視

ある夏の昼中、内陣で頌歌が歌われていたとき、今は亡きわれわれの先唱者ヘルマンが、
疲れで閉じた目を開けると、内陣から出て行く熊のようなものの後ろ姿を目にした。彼が
この幻視に驚いていると、その熊が戻ってきて、祭壇の前にいるのを見た。そこは旅に出
たり戻ったりするときに跪く場所であった。熊は振り向きあちこち見回してから人間の声
を出してこう言った。「煩うことはない。修道士たちは今まだ毅然としているが、わしは
一度外へ出て、少し経ったらまた戻ってくるぞ。」
こうして悪魔は目を向けると外へ出ていった。この幻視の証言者は、ヘルマンからこの
話を直接聞いたリヒァルト修士である。第4部第91話で述べたように、このヘルマンは
おどけ者ハインリヒの前でのぶどう酒の入ったつぼと熊を見たヘルマンである。
修練士 悪魔がわれわれを攻撃するためにこのような動物の姿を取るとき、破廉恥にも
同意する人たちを騙すと思います。
修道士 君の言うことは正しい。

第50話 ブルトシャイトの修道士の肩の悪魔を見た隠修女

アーヘンにきわめて敬虔な隠修女が住んでいる。私は彼女をよく知っているが、彼女を
私が迫害することにならないように、彼女の名を伏せておく。彼女が隠遁生活の前のまだ
少女で世俗の服を着ていたが修道生活に憧れていた頃、聖堂のなかを歩くブルトシャイト
の修道士たちの肩と背中に猿と猫の姿の悪魔どもがくっついているのを見た。悪魔どもは
すでに修道士の何人かを悪徳に同意させて、捕虜のように捕らえていたので、修道士たち
の眼差しは悪魔が向ける場所と人を追っていた。修道士たちは悪魔のおこないを軽率にま
ねていた。
この隠修女はもっと恐ろしいことを目にした。大きな恐ろしい犬どもが数人の修道士の
前を行き、犬の首に見られる鎖が修道士の首にも巻かれていて、犬どもが面白半分に鎖で
修道士を引っ張っていた。
修練士 神の像に似せて創造され、不純な霊に命じなければならない人よりも品級では
上位にある人たちが、自分たちの好ましからぬ行状のゆえにこの不純な霊によってかくも
ひどくもてあそばれるとは、痛々しいことです。
修道士 詩編作者はこのことを嘆いて言っている。〈人間は栄誉にあるときは、分かっ
ていない。彼は愚かな獣に似ていて、それらに似て作られている(詩編49、13)。〉
修練士 これまでのことから、時々人間が悪魔に誘惑の機会を与えているように思われ
ます。
修道士 それが本当のことであることを、一例で君に示そう。

第51話 キャベツを植える労働から退き、すぐに女の姿の悪魔に試さ
れた修道士

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かつてヒンメロートの修道士たちは庭園でキャベツを育てていた。そのなかのトーマス
という名の修道士がこんなことを思い始めた。「私が父の家におれば、下女にだってこん
なつまらない仕事をさせないだろう。
」それで彼は不機嫌な思いで修道士たちから離れた。
傲慢の霊はもっと強く彼を攻撃できると思ったところへ彼を誘い込んだ。彼が森のなかに
一人でいると、悪魔があらわれた。悪魔は初めは思いだけで彼を揺さぶったが、今度はは
っきりした目に見える形で彼を攻撃した。悪魔は女の姿であらわれ彼に話しかけた。しか
し彼は指を悪魔の口に当て自分に話しかけてはならないと合図した。あらゆる虚偽の頭目
で父なる悪魔は、騙すべく作った幻想の女を介してすぐにこう答えた。「その合図が何か
分からないわ。私は修道院から遣わされ、あなたと話をする許しを副院長からもらいまし
た。」トーマスはこれを信じて、彼女と話をした。自分は彼の両親から遣わされ、彼は自
分と一緒にトリーアへ行き、馬を買い、故郷へ戻る必要がある、と彼女は言った。哀れな
女は前を行き、哀れな彼を誘導した。彼女は密生した藪のなかを難なく進んだが、彼はや
っとのことで彼女に付いていった。
とうとう彼は厳しい道と辛苦に閉口してこう言った。「父の名において、なぜこんな道
を行くのか。」彼がこう言うと、邪悪なる女はすぐに消えた。空は晴れていたが、この時
彼の周りには激しい嵐が起こった。外面はびっしょりになり、内面は狼狽して彼は修道院
に戻ることになった。彼が女と歩いていたとき、どれだけ大きな肉の刺激を受けたかを、
彼は後に告白している。
修練士 それは不純の霊だったと思います。
修道士 そうだろう。しばしば罪は罪によって罰せられ、自負心は多くの場合肉の過ち
によっておとしめられるから。多くの例は『教父伝』に記されている。
修練士 悪魔は気ままに人を傷つけることができるのですか。
修道士 神の赦しがないのではない。特にヨブの場合のように肉体においてだ(1)。悪
魔は決して人間の魂を傷つけることはできない。人間が同意しなければ、罪を犯させない。

(1)ヨブ記2、6-8参照。

第52話 悪魔は杭に縛り付けられている獅子に似ていること

悪魔は杭に縛り付けられた熊や獅子に似ている。鎖をつけられてぐるぐる回りながら唸
るが、輪のなかでつかまえぬ限り誰をも傷つけない。悪魔の力は神の制御の鎖で調整され
ていて、罪をおかそうとする者以外には誰にも罪をおかさせることはできない。使徒ペト
ロによれば、悪魔は鎖につながれて唸りながら回る獅子のように飲みここもうとする者を
探し回る(1)。しばしば悪魔は聖人をも恐れさせ狼狽させる、だが彼らを傷つけることは
できない。

(1)1ペトロの手紙5、8参照。

第53話 悪魔に騙されたボンの参事会員

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ボンの教会に-私は彼の同僚の参事会員から聞いた-純潔で非常に敬虔な人が住んでい
た。彼が夜朝課のための朗読をしようとしたとき、悪魔が文字を隠したり、頁を裏返した
り、時々灯りを吹き消すほど彼を攻撃した。悪魔はこの敬虔な人に修道士たちの前で恥を
かかせ、そうして怒らせるようなこともした。悪魔の邪悪さは修道士たちを怒らせたり、
攻撃することができないときは、少なくとも彼らをあざ笑ったり茶化したりした。

第54話 悪魔がヴァルバーベルクの修道士たちを嘲笑ったこと

ペロリッサという名のシトー会のある敬虔な修道女が私に話してくれたのだが、ある祝
日に朝課に他の修道女から離れていて、他の修道女たちが力強く詩編を歌っているとき、
ペロリッサは感謝の言葉を発してこう言った。「主よ、この愛すべき修道院が敬虔にあな
たを讃えます。あなたが彼女たちに報いてくださるように。」
修道院へ走り込んで、大きな声で「これは神のためになされる」と叫ぶ、彼女の祈りを
嘲笑う人のような恐ろしい声をただちに彼女は聞いた。これで彼女の頭髪のすべてが逆立
った。
修練士 内陣でも他の場所でも突然の恐れにたびたび私は襲われます。髪の毛が逆立つ
原因は何でしょうか。
修道士 悪魔どもが近くにいることによるものだ。狼を追う犬の本性もそうだ。犬は狼
を目で見ていなくても、本性の力で狼が近くにいることを感じる。犬と狼との間の憎しみ
は本性であるので、犬はただちに不安になり吠える。人間と悪魔の間も同じだ。神はこの
間を敵対関係に置かれた。それゆえ、悪魔と仲直りする人間はつらい。悪魔はいつも人間
のかかとにつきまとう。人間の外面には悪魔が見えないが、人間の内面、つまり精神は悪
霊がそばにいることに気づく。人間が恐れを受けるならば、不安になるのは不思議なこと
であろうか。このことが真実であることを次の例話で示そう。

第55話 剣を携えて教会に向かうとき悪魔に驚かされた司祭

ミヒャエルという名の司祭がケルンの近くで修道士のように暮らしていた。ここで彼は
二つの村の教会を管理していた。その一つはブルゲに、もう一つはローデにあった。彼は
聖金曜日の夜、遅くなったが、一方の教会で朝課を終えてから、日の出前、従者がいなか
ったので一人でもう一方の教会に向かい、途上の不安から剣を携えていた。彼が森に達し
たとき、恐れと驚きに襲われ、よく言うように、頭の毛がすべて逆立ち冷や汗で全身がび
っしょりになった。この恐怖の原因を彼はすぐに分かった。彼が森に目をやるや否や、一
本の非常に高い木のそばに一人の醜い男が立っているのを見た。ミヒャエルがその男を見
つめると、男は突然木と同じ高さになるまでに大きくなった。男の周りで風がつよく吹い
て木々が音を立てた。司祭はひどく驚き逃げた。悪魔は司祭をつむじ風のように背後から
ローデの村まで追跡した。後にこの司祭はアルテンベルク修道院のリヒャルトという名の
助修士に幻視と恐怖のことを話した。この助修士は敬虔な人さながら、敬虔な言葉でこう
言った。「司祭よ、あなたがミサに赴くとき詩編を唱えていたら、そんなことは起こらな
かったでしょう。」

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恐怖は罪にたいする罰であった。実際、悪魔は剣ではなく詩編を恐れる。ヨブ、否神が
ヨブを介して言っておられるように、〈鋳られた盾によってのように、うろこが互いに押
し合う。神は鉄を麦わらのごとく、真鍮を腐った木のごとく見なされよう。地上には神と
比べられる力はない(ヨブ記41)。〉
修練士 聖ヨブのこれらの言葉から分かるように、悪魔の力が束縛されず制限されなか
ったなら、人間の誰も悪魔に抵抗できないでしょう。
修道士 悪魔は神の許しによってのみ人間を傷つけることを、この第五部の最後に明確
な例として示そう。

第56話 悪魔にイセンブルクの胸壁に運ばれた鐘つき男

二、三年前アメルと呼ばれるケルン司教区のある村に一人の鐘つき男が住んでいた。今
も生存しているであろう。彼は巡礼の誓願を立てていた。ある日、同じ村の女と翌朝旅に
出る約束をした。強い日差しを避けるためにいつもよりも早く朝の鐘を鳴らすよう彼女は
彼に頼んだ。彼は約束した。その夜、悪魔が彼の床に来て彼を触りこう言った。「朝の鐘
を鳴らせ。」そう言うと悪魔は消えた。
鐘つき男はすぐに起きあがり、教会に灯りがついているのを見て、雄鶏の第一声の前で
あったので女に起こされたものと思い、あまりにもまだ早いのでもう一度床につくように
彼女に言おうと思って教会を出た。彼は彼女を捜したが見つからず、彼の前に黒い牛を目
にした。牛は舌を出して彼を触り、舌で彼を背中に乗せ宙を飛び、イセンブルクと呼ばれ
る城の胸壁に彼を降ろした。牛が彼に「恐ろしいか」と尋ねると、彼は答えた。「神のお
許しで私はここへ連れてこられた。神のお許しがなければ、お前は私に何もできやしない。」
これにたいして悪魔が言った。「わしに臣従の誓いをしてくれ。そうすればわしはお前を
地に降ろし莫大な富を与えよう。お前がそうしなければ、ここで飢え死にするか、墜落し
て死ぬだろう。」鐘つき男はキリストに希望を託して答えた。「私を傷つけず、身を損なわ
ずに私を降ろしてくれるようキリストの名においてお前に願う。」ただちに悪魔は彼を持
ち上げ、ゲリンスハイム村の近くの野にこの村の教会の献堂式の日の出前に手荒に降ろし
た。夜明け時、人々がたいまつを携えて朝の祈りに急いでいたとき、野に男が弱り切って
横たわっているのを見て正気に返らせ、彼に起こったことを聞くと非常に驚いた。四日後、
彼は自分の家に戻り、彼が見たこともなかった場所や建物の状態をくわしくすべての人に
話したので、誰も彼が連れ去られたことを疑わなかった。
修練士 悪魔が存在し、たくさん存在し、邪悪で、人間に敵対することが著述や例話に
よって十二分に証明されたと分かりました。
修道士 われわれが悪魔を知ったなら、〈呪われた者たちよ、悪魔とその手下に用意さ
れている永遠の火に入れ(マタイによる福音書25、41)〉という言葉をわれわれが聞
くことがないように、われわれは悪魔の後を追ってはいけない。むしろ悪魔とあらゆる悪
徳に抵抗して、〈さあ、わたしたちの父に祝福された人たちよ、天地創造の時からあなた
たちの用意されている国を受け取りなさい(マタイによる福音書25、34)〉という言
葉を選ばれた人たちと共に聞かねばならない。これが私の助言だ。

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第6部 素朴さの徳

第1話 純朴性の徳

試練の苦しみや誘惑者としての悪魔にたいして徳のあらゆる解毒剤のうち純朴性を使用
することは、大きな効果があるように思われる。この徳にはあらゆる悲しみ、怒り、妬み、
憎しみや恨みなどの毒はなく、邪推の毒ある眼差しや噛みちぎる犬のような歯もない。
この純朴さは特に新参の修道士には必要である。もし修道士が修道会の素朴さを非難し、
年長者の行為と先人の慣例を批判し、あれこれがどうしてこうなっているかを師と議論す
るならば、決して心休むことがないからである。私の修練期間中、それについて院長のカ
ロルスが私にいつもこう言っていた。「兄弟よ、君が修道院で安らごうとするならば、修
道会の純朴さに満足しなさい。」イザヤは純朴の徳を選ばれし人々の間で賛美してこう言
っている。
〈雲のように飛び、鳩のように巣に戻る人たちは誰ですか(イザヤ書60、8)。

鳩の巣は修道士の純朴の目である。鳩の飛翔は観照の高まりであり、鳩の眼差しは志向の
純朴さである。
修道士たちの両方の目、つまり内面の目と外面の目は素朴でなければならない。肉体の
目で邪推がおこなわれないためである。心の目で志向が正しくおこなわれるためである。
正しい志向は悪いおこない自体をよくする。逆のことを次に明白な例話として君に話そう。
修練士 私はそれをしっかり頭に刻みます。救世主がこう言われたことを思い出します
から。〈あなたの目が純朴であれば、あなたの全身も輝くであろう(マタイによる福音書
6、22)。〉
修道士 実際、志向が純朴であれば、輝かしい行為が伴うのが必然的である。逆も成り
立つ。悪い目、つまり悪い邪まな志向は全身、つまりおこない全部を暗闇にする。それゆ
え、第六部でしっかり純朴について扱わねばならないように思われる。六という数字は本
質的に完璧であるように、救世主のすでに述べられた言葉によれば、この徳は人間を明る
く完全にするからである。〈素朴なヤコブ〉が父なる神によって祝福され、ヤコブの子、
素朴なヨセフはファラオによって全エジプトの上に立てられる。素朴なヨブは主によって
讃えられる。
純朴な徳はキリストによって弟子たちに説かれている。主はこう言っておられる。〈蛇
のように賢くあれ、鳩のように素朴であれ(マタイによる福音書10、16)。〉
主は、普通は愚かさである純朴さと賢さを関連づけておられる。同じようなことを主は
言っておられる。〈あなたたちが改心して、子供のようにならなければ〉、つまり、謙虚で
素朴でなければ〈あなたたちは天国に入れないだろう(マタイによる福音書18、3)
。〉

純朴は神への道であり、天使には好ましく、人間には喜ばしい。他の徳は措くとして、聖
なる純朴さがいかに効果があるかをわずかの例話で説明しよう。

第2話 城で肉を食べ、自分の修道院の家畜を連れ戻した純朴な修道士

後の枢機卿でシトー会修道院長ウイドーさまが、フィリップに対立してオットーのため
になされた選出を確実なものとするためにケルンに遣わされたとき(1)、そこで敬虔なる

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純朴性について非常に面白い非常に不思議なこんな話をした。
ある有力な領主の土地にシトー会の施設が置かれていた。その領主はたいそう暴君で、
神を畏れず、人を思いやることがなく修道院をさまざまな方法でたびたび悩ませた。穀物、
ぶどう酒、家畜を彼はほしいままに修道院から持ち去り、思っただけの分を修道士たちに
渡した。彼はこのことを慣習として法律のようにおこなった。修道士たちは、いくら苦情
を言っても無益とわかるやため息をついて黙すると、彼はある日家畜の大部分を奪い、自
分の城に駆り立てよと命令した。このことを知ると、院長と修道士たちは大いに悲しみ、
議論して、何をなすべきか大いに熟考した。
誰かが、分けても院長が城へ行き、暴君に返して欲しいと伝えなければならない、と彼
らは思った。院長は答えた。「私は行かない。われわれが彼を戒めても何も進まずただ空
を打つだけである。」同様に副院長も総務長も辞退したので、院長は付け加えた。「城へ今
一度行ってみようと思う者は誰もいないのか。」
全員が黙したが、一人の修道士が神の息吹ですぐに「あの修道士に行ってもらうのがよ
いでしょう」と答えて、老いたいと純朴な人の名をあげた。その修道士が呼ばれた。彼が
城に行くかと問われたとき彼は承諾し、遣わされた。彼が院長のもとを辞去するとき、彼
の心の非常な純朴さからこう言葉を発した。「院長さま、一部でも私に返されれば、受け
取ってよいのですか、しなくてよいのですか。」院長は答えた。「あなたが返してもらえる
だけ神の名において受け取りなさい。何もないよりもある方がよいからです。」
彼は出発し、城へ着き、院長と修道士の願いを込めたメッセージを暴君に伝えた。ヨブ
によれば(2)、義なる人の純朴さは悪人の目にはさげすみとして映るので、暴君は彼の言
葉を軽んじ、嘲笑って言った。「あなたが食事を済ませるまで、待ってなさい。それから
あなたに返事をしよう。」食事の時間に彼は共同の食卓に就かされ、共通の食物、つまり
たくさんの肉が他の者たちと同じく彼にも供された。この敬虔なる人は院長の言葉を思い
出し、このように豪華に出された肉は自分の修道院の家畜のものであることを疑わず、不
従順にならないようにほかの人たちと一緒に食べられるだけ食べた。
城主は向かい側に妻と並んで座り、修道士が肉を食べるのを注視し、食事が終わると、
彼をわきへ呼んで言った。「言ってくれ、あなたは修道院では肉を常に食べているのか。」
彼は答えた。
「そうではありません。」暴君はさらに尋ねた。
「彼らは外で何を食べるのか。」
彼は答えた。「内でも外でも肉は食べません。」それにたいして暴君は尋ねた。「ではなぜ
あなたは今日肉を食べたのか。」修道士は答えた。「院長が私をここへ遣わしたとき、取り
返せる家畜があればあるだけ、受け取るのを拒まないように、と私に命じました。出され
た肉が修道院のものであったことが私には分かりましたし、歯で噛むことができるものし
か出されないと思いましたので、素直にいただき空手で帰りません。」
神は純朴な人をさげすまれず、不信心な人々に御手を伸ばされず、暴君に敵対されたが
ゆえに、暴君は修道士の言葉を聞き、彼の純朴さに心を打たれ、否むしろ、老修道士の口
を介して話す聖霊に戒められこう答えた。「ここで私を待っていてください。私があなた
に何をしたらよいかを妻と相談してみよう。」暴君が彼女のところへ行き、老修道士の言
葉を彼女に順序立てて話してからこう付け加えた。「もしかくも純朴でかくも正しい人が
今私の拒絶に耐えることになれば、私はすぐにも下される神の復讐を案じている。」妻も
同じように聖霊に鼓舞されて彼にそうですと答えた。暴君は老修道士のところへ戻ってこ

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う言った。「修道士殿、私を同情に向けさせたあなたの敬虔なる素朴さの所以、今残って
いる分の家畜をあなたたちの修道院に返そう。私がなした不正をできるだけ償い、この日
から決して修道院を悩ますことはない。」この言葉にたいして老修道士は彼に感謝して、
奪われた分をもって喜んで修道院に戻り、院長と修道士たちが驚くなか、暴君の言葉を伝
えた。修道士たちはこの時から平穏に暮らし、純朴の徳がいかに重大であるかを例で学ん
だ。
ここで、かつての悪いおこないが、純朴な目、つまり善の志向のゆえに輝かしい善なる
行為となることの例を君は知るであろう。実際、件の修道士は肉を食べて、もし純朴さが
彼になかったなら、城で肉をたべる罪をおかしたであろう。彼は罪を犯さなかったのみな
らず、むしろ価値あることをなしたことになる。
修練士 修道士に外で肉、脂、肉のスープを供して、策略で彼らを騙して食べさせる人
は罪をおかしているのですか。
修道士 もてなしの必要性か、もっと価値あることだが、愛の炎に駆り立てられれば、
罪をおかしているとは思われない。無知か純朴さによって食べても罪とはならない。
私が言ったように、愛によって供する人も許される。例を挙げよう。

(1)1202年7月、教皇インノケンチウス三世はシュヴァーベン公フィリップを破
門すべく教皇使節ウイドーをケルンに派遣した。
(2)ヨブ記12、4参照。

第3話 純朴さでエンドウ豆に脂身を添えて供したボンの参事会員クリ
スチアン

今は亡きボンの参事会員クリスチアンは、誠実で非常に学ある人でシトー会の修練士と
して死んだ。彼はもてなしの徳に篤く、ある日、かつてはケルンの聖使徒教会の参事会員
であった同じく学あり賢明なる人、ヒンメロートの院長ヘルマンを食事に招いた。そこに
は肉のない料理はなかったので、院長に肉から脂身を抜いて、エンドウ豆を院長に出すよ
うにクリスチアンは召使いに命じた (1)。院長は出された料理をきちんと食べると、純朴
でなかった彼の修道士は自分の皿に脂身の一部を見つけ、院長にすぐに見せた。これを見
ると、院長は良心から皿を遠ざけた。彼らが外に出て、院長は修道士のお節介を叱って言
った。「今日、あなたが黙っていたら、私は知らずに食べて、食べたことで罪をおかさな
かったろう。」シェーナウのダニエルが彼と反対のことをなしたことを私は覚えている。

(1)在俗の聖職者は修道士と違って肉や脂身を食べることが許されていた。

第4話 ジークブルクで脂で煮た鯉を知らずに食べた修道士ゴットシャルク

ある時、当時ハイスターバハの副院長であったダニエルがジークブルクで食事をした。
純朴で義なる修道士フォルマルシュタインのゴットシャルクも彼と一緒であった。そこの
修道士たちによって脂で煮た鯉料理が彼に供された。副院長は匂いでこれをすぐに察知し、

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食べようとしなかったが、ゴットシャルク修道士が食べるのを禁止しなかった。食事が終
わり、彼らが話しをすることになったとき、ゴットシャルクが副院長にこう言った。「副
院長さま、なぜあなたは鯉を召し上がらなかったのですか。非常においしかったです。」
副院長は答えた。「非常においしいのは疑いない。たいそう脂がのっていたからだ。」修道
士は言った。「どうしてそのことを私に教えてくださらなかったのですか。」副院長は答え
た。「私はあなたの食べ物をあなたから取り上げようとは思わなかった。知らないことで
あなたは許されるであろうから、悲しんではいない。」このダニエルには学問があり、修
道院へはいる前は神学校長であった。
修練士 修道士が時々脂肪と肉の脂身で騙されるのは、不思議ではありません。しかし
たくさんの、それも肉自体で誘惑されうるほど素朴な人がいることは非常に不思議です。
修道士 そういうことは接待者の愛によって時々起こると私は思う。アレクサンドリア
の司教聖テオフィロス(1)がある時敬虔な師父の多くを食事に招き鳥の肉を彼らに出した
とき、テオフィロスは自ら出されたものが何であるかを打ち明けるまで、彼らは野菜ばか
り食べていると思いこんでいた。彼らから視覚と味覚が失われたのではなく、接待者の愛
のゆえに神意によって変わったのである。
ほぼ同じようなことを私の若い頃、聖アンドレアス教会の参事会員エンスフリートがお
こなった。料理を味という点で判別するという能力は習慣のすたれから少なくなっている
ことも君は知るべきだ。アーベルバハの院長テオドバルトさまが、修道院にいた五十六年
間肉を食べなかったが、魚の形で肉を食べて騙されていたのは、不思議ではない。件のエ
ンスフリートはチョウザメの代わりに肉を供し、彼らは食べた。
修練士 この場合を私はもっと詳しく知りたいです。
修道士 この尊い人の生命はたくさんの憐れみの行為で飾られて、明るみにされるのが
ふさわしいほどである。君が尋ねる件と、私が見たり、他の人の話から私が聞いた彼の他
のおこないを君に確実な点につき話そう。彼が主席司祭だった教会で私は学問を学んだ。
彼の徳についてあまり調べなかったことを今後悔している。

(1)アレクサンドリアのテオフィロス(?-412)。アレクサンドリアの総主教。

第5話 ケルンの聖アンドレアス教会の主席司祭エンスフリート

さて、エンスフリートはケルン司教区の出身であって、純朴で正しく、憐れみのおこな
いできわだった人であった。彼が司祭職の前にどのような生活をしていたか、また彼が若
い時に何をしていたかは私は知らない。ところで彼の憐れみの心が発達して、強くなって
いったことを彼の以下の行為から私は推測する。彼が物覚えがよく、学ぶことに熱心であ
ったことは結果が証明している。彼は子供の時から秀才の誉れ高く、私が彼から聞いたこ
とであるが、若い時に学校を管理し、多くの人に言葉によっても手本によっても学ぶこと
のみならず、もっと大切なことだが、よく生きることを教えた。
彼が司祭に叙階されると、ジーケベルクの教会、つまり喜捨で豊かな立派な小教区教会
の管理を委された。そこで彼は知識を実行に移した。巡礼者は外で待っていることはなか
ったし、戸口は旅人に開かれていた。彼はやもめの父、孤児の慰め人、罪人のやすり(1)

- 239 -
であった。彼の館でたくさんの学生が保護を受け、彼は鳩のように純朴であった。サクラ
ンボウが熟した頃、彼は総務長に言った。「さあ、木に登って、サクランボウを欲しいだ
け食べられるだけ食べるように若者たちに許してやりなさい。あなたは彼らに他の料理を
与える必要はありません。彼らはいかなる食べ物もサクランボウ以上には喜ばないから。」
りんしょく
彼は吝 嗇でそう言ったのではなく、彼の心の大いなる愛からそう言ったのである。数日
間このことがなされ、若者たちの好きなようになされると、総務長は彼に言った。
「実に、
司祭さま、若者たちが他の食べ物を食べなければ、病気になってしまいます。」そこで彼
はすぐに承知した。
この後、エンスフリートはケルンの聖アンドレアス教会の参事会員になり、しばらくし
てその功績のゆえに主席司祭に推挙された。彼は非の打ち所のない生き方をしていて、純
潔の徳できわだっていたが、特に慈悲の行為で燃え立っていた。聖アンドレアス教会に帰
属する小教区には貧しいやもめはいなかった。やもめが住んでいる家が分かったなら、彼
は施し物をもってやもめの家を訪れた。パンの多くが彼の食卓から戸口に立つ物乞いに与
えられ、お金の多くが彼の手から〈キリストの献金箱〉、つまり貧者の手に渡され、彼の
年間の収入を知っていた人は驚くほどであった。彼にはフリードリヒという甥がいて、彼
の教会の参事会員であって、総務長の役にも就いていた。この者はたびたび伯父の際限の
ない気前よさを非難した。逆にフリードリヒは伯父からひどい吝嗇のことで叱責された。
二人は財布を一つにしていたからであった。それゆえ、フリードリヒは大いに困った。伯
父は手にするものなら何でもひそかに貧者に与えたからであった。
このフリードリヒは役目柄たくさんの大きな豚を飼育していた。彼は豚を殺してハムに
加工し、その時のために保存すべく厨房に吊した。エンスフリートはこれをたびたび見て、
肉が吊り下がっているのをひどく嫌い、それの一つを甥に求めることができなかったし、
そうしようとも思わなかったので、彼は尊い敬虔な記憶に価する策略を考え出した。
彼は厨房に誰もいないことがわかると、ひそかに厨房のなかに入り、時々機会を見つけ
ては召使いを外へ出し、梯子で上に登り、壁にくっついている後ろの部分のハムを半分ま
では全部を切り取った。しかし前の部分はそのままは残しておいた。後ろの部分が切り取
られているのをわからなくするためである。彼は数日間こんなことをして、切り取った肉
をやもめ、寄る辺なき人たち、孤児たちに配った。
何が起こったか。ついに窃盗は内部の犯行と認識され、盗人が捜されすぐに見つけられ
た。甥は怒り、主任司祭の伯父は黙っていた。甥は、伯父が修道院の収入と一年間の蓄え
を失ったと不平を言ったとき、敬虔なる人はこう言ってできるだけ甥をなだめようと努め
た。「甥よ、貧しい人たちが飢えて死ぬよりもお前が少しの不足を我慢する方がよい。主
はお前に報いられよう。」この言葉に甥は落ち着き黙った。
また別の折りにエンスフリートが聖ゲレオン教会へ行ったとき-この殉教者の祝日であ
ったと思う(2)-貧者が激しい叫び声をあげて彼の後ろを付いてきたが、この人に与える
ものをもっていなかったので、彼に随行している学生に自分の少し前を歩くように命じた。
しょくゆう
彼は聖マリア教会-この教会で枝の主日(3)に司教が人々に贖 宥をおこなうのが習慣であ
った-の近くの角にすっこんだ。彼は脱ぐ服がなかったので、貧者が見ているなか、ズボ
ンを脱いで下に置いた。貧者はこれを拾い、喜んで去った。この敬虔なる人はこの徳を隠
しておこうとしたが、神意により次のような機会に明るみに出された。後の人々の手本と

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なるためである。
彼は聖ゲレオン教会に戻ると、暖炉のそばに座り、体を温めようとするが、いつものよ
うに毛皮のマントを脱がなかったので、先のフリードリヒが彼に言った。「毛皮のマント
を脱いで体を温めてください。」というのは、寒く、彼は老人であったからである。エン
スフリートは「その必要はない」と答えたので、フリードリヒは言った。「あなたはズボ
ンをはいていないのでは。」彼は伯父の顔が赤くなっていることでそのように考えた。つ
いに彼はズボンをはいていないことを告白したが、行為のことは黙っていた。この言葉に
甥は笑って、彼の口からこの話は公になった。
修練士 このような話は聖マルチヌスの事績にも書かれていません。マントを裂くより
もズボンを与える方がよかったのです。
修道士 これに似たおこないに関して貧しい人々にこのように同情し、憐れみ深く、親
切な人については聞いたことがないという人もいるが、彼は彼の衣服をほとんどを区別な
く貧しい人に与えた。凍える時でも新しい服をもらった時でも、そういうことをした。常
に彼の心のなかには救世主の〈与えよ、さらば与えられん(ルカによる福音書6、38)〉
の言葉があった。
聖ヤコブ教会の尊い主任司祭エーヴェルハルトさまは-彼については私は第4部第98
話で述べた-エンスフリートに同情した。彼らは主にあって一つの心と一つの魂であった。
彼がエンスフリートにずっと身につけるよう彼に服を与えようとしたが、こう言った。
「私
はこの服を貸すだけにしておこう。」
修練士 このようにお金を使ったエンスフリートは客にたいして大いに気前がよかっ
た、と私は思います。
修道士 エンスフリートがどんな愛によって客を受け入れたかを、次の話が示すであろ
う。
ある日、シトー会士かプレモントレ会士のどちらかであるか私には分からないが、彼が
数名の修道士を客に受け入れ、修道士用の料理がなく、魚もなかったので、彼は料理番に
言った。「わたしたちのところには魚がない。修道士たちは純朴で空腹です。さあ、肉を
煮て、骨を取り出し、コショウで味付けをして彼らに出し、こう言いなさい。『上等のチ
ョウザメを召し上がってください。』」このことがなされると、人の好い純朴な彼らは、人
の好い純朴な主人の敬虔な策略に気づかず、一つには沈黙を守るために、一つには良心の
ゆえに何も問わず、出されたものを魚と思って食べた。ほとんど皿が空になると、一人が
小さな豚の耳を見つけ、エンスフリートが見ているなか、仲間に見せたとき、エンスフリ
ートは不機嫌をあらわしてこう言った。「神のために食べなさい。修道士はそんなことを
気にしてはいけない。チョウザメにも耳はあるんです。」
人間の敵なる悪魔はこのような徳を妬み、ある時、エンスフリートに嫌がらせをしよう
として彼の目の前に見える姿であらわれ、次のような詩で彼に話しかけ消えた。
〈エンスフリートよ、死は君がこれ以上長く生きないことを示しており、
お前はこれ以上無事ではないことを示している。〉
狡猾な悪魔の愚かさがいかに大きいかが君に分かるかい。悪魔はこの敬虔なる人を苦し
めていると信じて、彼を挑発した。彼はその後三十年間生き、予言によって死が近づけば
ほど近づくほど、一層正義のおこないに燃えたった。

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ある祝日、エンスフリートが後のケルン大司教で、司教座聖堂の主任司祭であったアド
ルフに食事に招待されたとき、大切な客が来ると言ってこれを断った。ミサが終わり、敬
虔なる人は自分の住まいに急いでいたとき、彼の同僚の参事会員で、司教座教会司祭の書
記が私に話してくれたのだが、聖職者門のバルコニーの窓から見ていると、貧者の多くが
エンスフリートに付いていった。そのなかには足を引きずった者や盲目の者もいた。そこ
で道に広がっている石の上を彼らは歩くことができなかったので、エンスフリートは、老
いて弱っていたとはいえ、彼らの一人一人に手を差し伸ばした。すぐにゴットフリートは
窓辺に自分の主人を呼び言った。「ご覧ください。私の主任司祭が言っていた偉大な客た
ちです。」この両人とも感激した。これと同様に憐れみのおこないを私自身がエンスフリ
ートに見た。
ケルン大司教ブルノーさまの祝日にこのブルノーが建立した殉教者聖パンタレオン教会
に関連教会の聖職者が集まって、院長たちが習慣通りに会食のために食堂へ入ったとき、
たくさんの貧者が食堂の入り口までエンスフリートさまに付いてきた。食堂管理人は貧者
たちを閉め出して彼をなかに入れようとしたとき、怒ってこう叫んだ。「今日この人たち
と一緒でなければ、なかへ入らない。」このきわめて賢明な人は、貧者こそは神の友、天
国の〈侍従(camerarius)〉であることを知っていて、神の子のかの戒めを心に抱いていた。
〈不正の富で友人を作れ。そうしておけば、金がなくなったとき、その友人が永遠の住処
に迎えてくれるだろう(ルカによる福音書16、9)
。〉
ある時、エンスフリートが聖遺物のそばにいたとき、彼がその時香部屋係であった教会
の建物のために喜捨をしようと入ってくるたちを戒めて、人々にこう言った。「みなさん
ここの建物はいかに立派であるにせよ、あなたたちはこのために喜捨をして立派なことを
しているが、貧民に喜捨をするほうが一層良く、確実です。」この言葉を今は亡きシトー
会士フリードリヒは騎士たちと聖アンドレス教会へ入るとき聞き、後にたびたび私に話し
てくれた。
神を畏れる人々をエンスフリートは彼らの功績に関与するため、自分の聖職禄で養うこ
とに骨折った。それゆえシトー会のかの尊い隠修女、名からして聖女であったヘイレカ(4)
さまを-彼女の房は聖アンドレアス修道院に隣接していた-彼は自分の聖職禄から彼女が
生きている間支えた。敬虔なる彼女は他の人の喜捨を受けることを拒んだ。彼は貧しい人
々を、さびが付かず、盗賊もそこへ行って奪い取らない天国の宝と呼ぶのが常であった。
先に述べたように、彼ははかない教会の建物、宝物、装飾品よりも貧者の慰めに大いに配
慮した。彼が一人で食事をしているときには、膿で一杯の、非常に汚い手をしている貧し
い子供たちを食卓に招き、彼の皿から食べるように命じた。
修練士 この主任司祭の憐れみ、謙虚さ、素朴さに私はひどく感動しました。
修道士 さあ、聞きなさい。君はもっと感動しよう。ランベルトという名のあるケルン
市民はエンスフリートと親しく、彼の近くに住んでいた。ランベルトが書記官ゴットフリ
ートと食事を取りながら、エンスフリートさまの喜捨のことを話していたとき、ランベル
トがこう言うのを私は聞いた。「彼がいかに接したかをあなたに言おう。彼は私と私の妻
を食卓に招いてくれた。われわれが彼と食卓についてずっと料理がでるのを待っていたが、
われわれの前にはパン以外の何も出なかった。私は召使いの一人をそばに呼んで、彼にこ
う言って耳打ちした。『われわれにほかに食べ物が出されるのか。』召使いは答えた。『何

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もありません。あなたがたにたっぷり料理の用意はされていましたが、私の主人は食事時
の前に台所に入ってきて、われわれに声を掛けた上で料理を貧しい人たちに与えました。』
そこで私は笑って、その召使いを私の家へ遣り、食卓に十分なほどのたっぷりの料理を持
ってこさせた。」
ある日、彼の台所へ入って、たくさんのガチョウが火の上で焼かれていたとき、私は心
のなかでこう言った。「確かにかの主任司祭は彼の使用人たちの面倒をよく見ている。」ガ
チョウが焼かれると彼は台所へ入り、それを切り分け、皿に分けて、やもめと貧しい人た
ちに全部与えた。
たびたびエンスフリートは、あるときには主任司祭の役目として、ある時は贈り物とし
てガチョウと若鶏の寄進を受けた。多くの人は彼を尊敬していて、彼の慈愛を知っていた
からである。彼はたくさんの敬愛のゆえ、贈られたもののいくつかを修道士たちや彼の近
隣の人たちに与えようとした。彼らがすぐに食べられるように生きたままではなく、殺し
て渡した。私がたびたび言ったように、彼は貧しい人たちを大層憐れみ、人間としては考
えられないほどのことをした。
聖アンドレアス教会の聖職者の一人が私に話してくれたことによると、あるケルンの市
民は自分の妻を愛さず、たびたび彼女を殴った。そのため彼女はかなりの量のお金を彼か
ら盗んだ。夫は彼女を責めたが、彼女は強く否定して、彼から危害を受けるのを恐れて、
お金を溝に捨てた。その後、彼女はこのことを悔やんで、エンスフリートのところへ行き、
盗んだこと、盗んだ理由を告白で明らかにした。敬虔なる人は、お金を夫に返すように彼
女に助言したと私は思う。彼女は誓って否定したので、一層危害を加えられるのを恐れて
あえてそうしなかった。エンスフリートは彼女に答えた。「もし私があなたが盗んだこと
が分からないお金を手に入れば、それを貧しい人に与えてもよいですか。」彼女はそう願
うと言った。数日後、エンスフリートは夫に言った。「私があなたの溝をさらう許可を私
にくださり、神が私に何か与えてくださるなら、そこから私はもっていってよいですか。

彼は、この人が敬虔であることを知って、神が何かを彼に啓示されたと考え、許した。溝
がさらえられ、お金が見つかり、数日の内に神の人の手によって貧しい人に与えられた。
修練士 この個所で彼を中傷する人はほぞを噛む思いでしょう。
修道士 三つのことで彼は罪を許されていると思われる。第一は、そのお金は夫のもの
であるとともに妻のものでもあったこと。第二は、お金は失われて、告白によってお金は
返すことができなかった。第三は、エンスフリートが貧しい人々にお金を与えたことであ
る。最後に、エンスフリートを駆り立てたのは愛である。司祭たちは、たびたび貪欲で非
道な夫から奪い、哀れな人々に与えることを妻たちに許すのが常である。このことよりも
もっと問題となりうることを彼はおこなった。
彼に何も食べるものがなかったので、パン工房に入り、パンが運ばれるために卓の上に
きちんと並べられていたとき、彼はこれは誰のものかとパン職人に尋ねた。彼はパン職人
から一つ一つの説明を受け、金持ちだと彼も知っている人たちのパンを自分の家へ運ぶよ
うに命じて言った。「彼らはたくさん持っている。私には食べられるものは何もない。」
修練士 このことはどのように弁護されるでしょうか。
修道士 聖人ではない人たちに許されそうにない多くのことが聖人には許されている。
主の霊があるところに自由がある。それゆえある権威ある書はこう述べている。〈愛を持

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て、それであなたがしたいことをしなさい。〉愛が彼を許し、必然性が彼を許し、権威が
彼を許し、兄弟愛が彼を許したのだ。貧しい人を慰めるために彼が必要としたのは愛であ
る。掟を有していない必然性について、ケルンの司教座聖堂神学校長ルドルフはこう弟子
たちに語るのが常であった。「私が飢えで死ぬ前に十字架像の足でも食べられるものを奪
うであろう。」エンスフリートが主任司祭にして修道士たちの父のようであったがゆえに、
権威が彼を許した。すべてのものはすべての人たちに共同のものでなければならないと彼
は信じ、同じく彼のものをすべての人たちの共通のものにしたのは愛である。
肉体が弱り、老齢となって最期が近づきつつあったとき、天国に戻る者の貧しい心が地
上の財で苦しめられないように、彼は家を売り、そのお金を親族や友人ではなく、キリス
ト教徒の貧しい人々に自分の手で与えた。というのは、彼の同僚の参事会員は遺言実行者
としては彼の死後あてにならないことが分かっていたからである。彼の家を買ったこの教
会の参事会員にして司祭のコンラッドは彼にこう言った。「私は自分の家を手にしたいの
です。」エンスフリートは彼に非常にそっけなく答えた。「コンラッドよ、私は老いて弱り
もうじき死ぬ。少し待ちなさい。そうすればあなたのものとなろう。それまで私はどこに
住んだらよいのか。」この善良な人は、やむを得ず徳をなし、エンスフリートの死を忍耐
強く待った。
敬虔なる人、エンスフリートは非常に思いやりがあって、彼がたびたび教会の玄関に腰
をおろしていたとき、貧しい人たちが森で採取したコケを担っていくのを見て、彼はこれ
を買った。彼がそれを必要としたのではなく、貧しい人たちを労苦から解放するためであ
った。
エンスフリートについて、当時その教会の付属神学校長でシトー会士ライナーが私にこ
んな話をしてくれた。
ある日、貧者が例の玄関でたくさんの扇を売り物にもってきたが、売れなかったのでエ
ンスフリートはこう言った。「ライナー君、この扇を買ってあげなさい。」ライナーはエン
スフリートに「私には扇はいりません」と言うと、エンスフリートはこう答えた。「買っ
て、あなたの友人にあげなさい。」ライナーは彼の主任司祭の憐れみがそこにあると知り、
扇を買った。誰かがなぐられたり、酷い仕打ちを受ければ、耐えることができないほど彼
の心は憐れみで一杯であった。
ある日、酷い罪をおかして四人の生徒に殴られようと押さえつけられている生徒の叫び
声をエンスフリートが付属学校を通りすがりに聞いたとき、彼はあえぎあえぎ学校へ入り、
獅子のように駆けつけ、われわれが見ているなかを校長と彼の同僚の参事会員にたいして
杖を振り上げ、少年を彼の手で解放してこう言った。「暴君よ、君は何をするのか。君の
役目は生徒に教えることであり、殺すことではない。」この言葉に校長は恥じて何も言わ
なかった。
エンスフリートがどれだけ耐えたかを次の話が示していよう。ある日、エンスフリート
がいつものように教会で腰を下ろしているたとき-九時課と晩課の間だったと私は思う-
全く聖職者の栄誉にふさわしくない、哀れで、よく酔っぱらうスコットランド人が-ほか
に誰もいなかった-エンスフリートに近づき、彼のフードをつかみ、小刀を抜いて彼を脅
してこう言った。「お前がおれに何もくれなかったら、すぐにもお前を殺すぞ。」神意によ
って若くて強い参事会員が突然あらわれ、スコットランド人を無理矢理引き離した。この

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ちょうちゃく
若者がスコットランド人を打 擲しようとして、死に価するぞと言ったとき、きわめて温
厚な人エンスフリートがこの若者をなだめて言った。「兄弟よ、興奮するな。彼を傷つけ
ないように気をつけなさい。彼はふざけてそうしたのだ。」
鳩のような純朴さが彼を支配しているので、誰にたいしても悪にたいして悪で応じない。
たびたび述べたように彼は驚くべく憐れみ深いが、正義に熱心に燃え立った。
ある時、エンスフリートは一万一千人の修道女を擁する修道院の院長と出会った。修道
女の灰色のマントをまとった聖職者たちが彼女の前を行き、高貴な女たちと下女たちがた
わいもなくおしゃべりして彼女に付き従った。貧しい人たちがエンスフリートの後を付い
ていき、彼に喜捨を求めていた。ところで、義なる人エンスフリートは教導の熱意に燃え、
全員が聞いているなかをこう叫んだ。「院長さま、私と同じくあなたの後についていくの
が芸人ではなく、貧者であれば、それはあなたの地位にふさわしく、もっとあなたの敬虔
さを飾るでしょう。」彼女はひどく顔を赤らめエンスフリートにあえて口答えをしようと
はしなかった。
ある日、エンスフリートの前で誰かが聖職者たちの不品行を話していたとき、彼が「ど
んな暮らしぶりをしても同じことだ」とふと漏らすほど、彼は義を重んじた。彼はあたか
も悪い根から良い木は生えないと言っているようであった。聖職者のなかには教会法に則
って聖職者になった者はわずかであることを彼は知っていたからである。たいていの聖職
者は血縁関係、つまり親族に紹介されたり、コラの末裔(5)、つまり権力者の力によって
押し入れられたり、聖職売買、つまり財や貢ぎ物によって聖職者になった。
修練士 こういう悪徳は今は聖職者にはびこっています。
修道士 それは事実だ。高位聖職者が選挙せずに禄を与えている教会においては特にだ。
リエージュの司教ルドルフは、ある時、自分の教会のある人の教会禄を売り、自分のふと
ころに財をため、多くの座する人々にこう公言するほど、聖職売買を自慢していた。「私
はリエージュの教会を大いに豊にした。私は教会の収入を増やした。私の前任者たちが一
〇マルカで売った聖職禄を私は四十マルカにまでもっていった。」
敬虔なる人、エンスフリートは自分の聖職禄を純朴に得る者が少ないと考えていたので、
聖職禄で純朴に生活する者も少ないと信じた。彼は義への愛の熱意を修道会戒律の遵守と
関連づけた。彼の後には今日に至るまでこのように戒律に従っ生きた主席司祭はこの教会
にはあらわれなかった。彼が老齢に達したとき、死の日に至るまで一週間神への奉仕をお
こたることに我慢ならなかった。たびたび修道院でミサをあげ、倒れないように他人の腕
で支えられた。祝日のアレルヤを他の人と同じように祭壇の階段で歌った。他の人たちが
礼拝堂から外へ出ても、彼は食事のため以外にはめったに外出しなかった。聖なる十字架
の祭壇の前に腰をおろして定時課をすごした。
公に悔恨する人にたいしてたびたび彼らと聖堂玄関に腰を下ろして文書を読み、慰めを
与え、彼は年齢においても尊厳においてもすべての人よりも上にあったが、特別の祝祭を
除いてほとんど常に内陣の新参の席を占めるほど控えめであった。彼の服は非常に粗末で
みすぼらしく、灰色ではなく、多色でもなく、羊毛であって、羊毛の頭巾を着用していた。
修練士 かような人についてあなたがいかなる奇跡も話さないのはなぜですか。
修道士 洗礼者ヨハネよりも偉大な人はいるか。ヨハネが奇跡をおこなったことは書か
れていないが、福音書は裏切り者ユダの奇跡は伝えている。それゆえ今やキリストの名に

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おいて奇跡をおこなった何人かにキリストは最終的にこう言われよう。〈私はあなたがど
こから来たのかを知らない。不正の働きをするすべての者は私から立ち去れ(ルカによる
福音書13、27)
。〉奇跡は聖性の本質にかかわるものではなく、聖性のしるしである。
主はその老いたる兵士を労苦の後報いることを望まれ、彼を次のように栄光へとお招きに
なった。主の復活の前日、彼は祝日の役目に決まっていたとき、彼は週間担当者だったの
で、突然力が抜け出した。先のライナーが呼ばれた。彼は脈に触れて最期が近づいている
のを感じ、聖なる終油について彼に勧告し、力がつく薬の少しを彼の口に含ませた。彼は
これを吐き出して言った。
「私は礼拝堂でミサをあげるつもりだ。
」ライナーは答えた。
「こ
の身体ではミサをあげるのは無理です。」エンスフリートはこれを聞くと、終油を求め、
修道士たちと詩編と連祷を歌った。義の人たちの霊と結びつくためにほぼ九時課にキリス
トのように息を引き取った(6)。翌日の復活祭の後彼が埋葬されたとき、聖ヤコブ教会の
司牧司祭エーヴェルハルトさまは-彼の徳に満ちた生涯も私は第四部第九話で述べた-多
くの人の前で彼について証言してこう言った。「地上で生きたきわめて聖なる肉が、今日
この地に移される。」彼の奇跡に関して君が問うたが、死後そのしるしはないわけではな
かった。アダムという名の大聖堂に帰属するある司祭が私に自身で語ったところによると、
ある時激しい頭痛に襲われると、エンスフリートの墓地に行き、こう祈った。「主よ、こ
の聖人のお陰をもって私の頭痛を和らげてください。」ただちに聞き入れられ、彼は病気
が治って去った。この義なる人は記憶に価する他の多くの奇跡をなした。それらは簡潔を
めざしているため省略する。
修練士 すべての主任司祭がこのように純朴で敬虔であって欲しい。
修道士 純朴で神に受け入れられるある別の主任司祭のことを今私は思い出している。
この人の徳を最近同じく主任司祭として義の生活を送った同じ町の出のアーヘンのヨハネ
ス師が私に話してくれた。このことを君に話そう。

(1)lima 罪をやすりで磨き減らすの意。
(2)10月10日。
(3)dies Palmarum 復活祭の一週間前の日曜日。オリーブや棕櫚の枝を手にして聖堂へ
の行列がおこなわれる。
(4)Heyleka 中高ドイツ語 heilec(神聖な)から。
(5)choritae 旧約聖書の人物コラの子孫。ここでは正規の手続きによって聖職者とな
ら なかった者。
(6)マタイによる福音書27、45によればキリストの死は午後三時頃とされている。

第6話 ヒルデスハイムの主任司祭ヘルマンさまの生涯

近年、ヘルマンという名の立派で神に愛でられた人がヒルデスハイムの教会に住んでい
た。彼はさまざまな徳と徳高きおこないに飾られていた。つまり徹夜の祈り、断食、憐れ
みのおこないで全能の神に好まれようと努めた。人間の敵(悪魔)はこれらのおこないに
挑発され、彼をあらゆる方法で狼狽させようとして、こう言うのが常であった。「おお、
いと悪しき悪霊よ、なぜこんなに私を苦しめるのか。」

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ある時、彼が果樹園で小木を植え、幹に二本の枝を接ぎ木した。一本は枯れ、もう一本
は生き生きとした。ただちに彼は主に奇跡を願って言った。「全能の神よ、私が司祭にな
ることがあなたの意志であれば、この枯れた枝を生き返らせてください。」
神の驚くべき慈愛かな。ただちに枯れた枝は樹液によって生き生きとし、時期を得て実
をつけ始めた。自然に反して花咲いた枯れた枝によってアロン(1)を最初の司祭として司
祭職を保証した神の御力は(2)この人を同じ力によって司祭職にふさわしい人として啓示
なされた。
ヘルマンの死後、ヘルマンが生存中に教会を委ねていたエーヴェルハルトという名の彼
の下の聖職者が視力を失った。エーヴェルハルトはヘルマンの墓に毎日詣で彼の聖性と信
心に希望を抱き、主人の功績のゆえに目が見えるようになるように祈っていると、敬虔な
ヘルマンがある日目に見える姿で彼にあらわれ言った。「私に何をして欲しいのですか。」
盲人は言った。「ヘルマンさま、私の目が見えるようにしてください。」これにたいして敬
虔な人は福音の言葉で答えた。〈見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った(ル
カによる福音書18、42)。〉
この時からエーヴェルハルトは視力を取り戻し、神はこの敬虔なる人を讃えられたこと
を、彼自ら経験したがゆえに生涯感謝し続けた。
後にある病み人が殉教者たちの墓に連れて行かれたが、治らなかった。そこである証聖
者の勧めで誓願をおこない癒えた。この病み人がヘルマンの年忌に教会に入ると鐘が鳴っ
たので、その理由を尋ねると、ある人が彼に言った。「今日は、立派で義の人であってか
つてはこの教会の主任司祭だったヘルマンさまの年忌である。彼のために修道院でミサが
おこなわれる。」この病み人はこう言った。「私に彼の墓を教えてください。」彼は墓を教
えてもらうと、そこで絶えずかつ熱心に祈った。教会の先唱者がこれを見て、一人でこの
人と会い、祈りの理由を尋ね、理由を知った。こうして関係のない人によってヘルマンの
功徳が知られるようになった。それまで修道士たちが主席司祭として見なしていたヘルマ
ンを、今守護者として呼び出し始めた。
修練士 このような出来事は近年では珍しいことです。
修道士 私はこの主任司祭の奇跡よりも先に挙げた主任司祭の憐れみのおこないを重ん
じる。私が述べたように、前者のおこないは聖人を作り、後者のおこないは聖人を示す。
修練士 その話を聞いてうれしいです。もしあなたが素朴のおこないについてもっと知
っているならば、嫌でなかったなら話してください。
修道士 本性からきわめて純朴な人の話をしよう。恩恵によって得られる敬虔で賢明な
純朴がいかに神に好まれるかを、君は理解しよう。

(1)Aaron レビ人でモーセの三歳年長の兄。イスラエル人の祭司職の創始者。
(2)民数記17、18-23参照。

第7話 ケルンの聖ゲレオン教会の参事会員ヴェーリンボルトの素朴さ

ま ち
かつてケルンの都市の殉教者聖ゲレオン教会にヴェーリンボルトという名の貴族の出
で、教会録できわめて豊かな参事会員が住んでいた。数がそろっているか、そろっていな

- 247 -
いかを除いてものの合計を数えることができない(1)ほど素朴であった(2)。
彼が厨房にたくさんのハムを吊しておいたが、一つも盗まれないようになかに入って、
こういう風に数えた。「一つのハムとその仲間、一つのハムとその仲間。」残りもこういう
風にした。
召使いの不注意でハムの一本が盗まれた。彼は再びなかに入って、同じ方法でハムを数
え、そろっていないのを見つけてこう叫んだ。「ハム一本を失った。」召使いたちは笑って
彼に答えた。「ご主人さま、ちゃんと見つかりますよ。」彼らは彼を外へ出し、その間に一
本取り出し、数をそろえた。彼はなかに入り、再度数え、そろっているのを知り、喜んで
彼らに言った。「あいや、お前たち、私は黙っていた方がよかった。」
召使いたちが宴会を開こうとしたとき、彼らは彼に言った。「ご主人さま、あなたはな
ぜ自分の身を厭わないのですか。あなたはひどい病気なんですから。
」彼は彼らに言った。
「お前たちにどうしてそんなことが分かるのか。」彼らは答えた。「あなたの髪の毛が立っ
ていますから、それで分かりました。」彼らは彼を床に寝かせ、彼の病気のために用意し
ておいた豪華な料理を味わった。
あるろくでなしで狡猾な百姓が彼の純朴さを耳にして、自分は元々先祖から彼の召使い
であるとでっち上げてこう言った。「ご主人さま、あなたの財産がこんな風に手放された
り、おろそかにされることを私には我慢できません。私はあなたの召使いで、高貴なあな
たに仕えるのが正しく、あなたの財産を忠実にお守りしましょう。」
何が起こったことか。すべての財は百姓に委ねられた。百姓は夜になると、彼の主人が
床に向かったなら、召使いと暖炉に腰を下ろして、彼らと酒宴を欠かすことがなかった。
ある時、百姓は芸人を招き、芸人が甘美なる提琴で主人を目覚めさせたとき、召使いは主
人のところへ走り言った。「ご主人さま、どこへ行かれるのですか。」主人は答えた。「い
と甘美なる調べが聞こえてきたが、どこからか分からない。」召使いは言った。「床にお戻
りください。ドイツの修道士たちが多声で歌っているのです。」
修練士 このような素朴な人を馬鹿にする人は罪をおかしていると私は思います。
修道士 君はそう信じている。聖ヨブがこう言っているのを聞きなさい。〈申し分のな
い正しい人間がからかわれている(ヨブ記12、41)。〉この個所についてグレゴリウス
はこう言っている。〈正しい人の単純さはからかわれる。この世の賢者たちによって単純
の徳は愚かさと信じられている。無知でなされるすべては、賢者たちによって疑いなく愚
かさと信じられ、おこないにおいて真実とみなされることは、肉の賢しさには愚と響く(グ
レゴリウス一世『ヨブ記注解10、29』
)。〉
修練士 この人は素朴というよりもむしろ愚かであったと私には思われます。素朴さに
は賢明さは欠けてはならないのです。
修道士 悪を防止するには賢さが足がかりとなる。その徳は彼には欠けてはいなかった。
莫大に収入が多った聖ゲレオン教会で彼が総務長となることは神意によりなされた。同じ
ようなことが聖ヨセフについて記されている。彼が糧としているパン以外には何も知らず、
それも完全ではなかったので、神は彼の素朴さを受け入れられ、欠けているものを供給さ
れ、彼が手をおくすべてを祝福された。
ある日、ヴェーリンボルトが教会の穀物倉に入って、たくさんの猫が穀物の間を走り回
っているのを見て、集会の時まで待つことができなかった。彼は主任司祭の足許に跪いて、

- 248 -
鍵を返して、この役目を止めさせてくれるように願った。主任司祭と修道士たちは言った。
「ヴェーリンボルトさん、どうしたのですか。なぜそんなことをするのですか。」彼は答
えた。「教会の損害をほっておいたからです。」彼らは尋ねた。「どんな損害ですか。」彼は
答えた。「今日、私は穀物倉でたくさんの猫を目にしました。あなたたちの穀物をずっと
食い尽くすでしょう。」「猫は穀物は食べずに、鼠を駆逐します」と彼らは言って、彼が無
理矢理返した鍵を受け取るように願った。彼らは経験から知っていた。神が彼の純朴のゆ
えに彼らを祝福してくださったことを。
ある時、ヴェーリンボルトがさまざまな禄によるさまざまな財を得たとき、召使いの一
人がその一部を盗んで逃走した。彼はこれを知ると大層泣いた。慰める人たちに向かって
言った。「私は損失を泣いているいるのではなく、訴えられるのを泣いているのです。お
金は与えられたものではありません。彼が捕らえられ、判決されれば、彼の死の罪は私に
あります。」
修練士 このような人たちは今の時代では総務長には選ばれないでしょう。
修道士 時代が変われば、人間も変わる。素朴な高位聖職者と参事会員の下では修道院
の外的な財産は増え、狡猾で世故にたけた人たちの下での世俗の学校の外的財産は減ると
いうことは、今日もたびたび見られる。

(1)二つまでしか数えることができない。
(2)当時は能力がなくても縁故関係や聖職売買で聖職者になれた。
(3)Tuycienses ケルンのライン川右岸の一地域。

第8話 ブラウヴァイラーの総務長クリスチアンの素朴さ

ブラウヴァイラーの村の聖ニコラウス修道院にクリスチアンという名のきわめて純朴な
修道士が住んでいた。院長は彼を総務長に任命した。真正な純朴さを愛でられる神は、彼
が管理したときには、彼以前や以後よりも建物が必要な物で一杯になるほど、彼のすべて
のおこないを愛された。
たびたび召使いや雇い人たちが、穀物、ぶどう酒などを彼からたくさん盗んで、自分た
ちの妻や子供に与えた。彼はこれを知り、目にするごとに大いなる憐れみから見ていない
ふりをしてこう一人ごちた。「この人たちは貧しく困っている。修道士たちに必要なもの
は欠けてはいない。」
素朴な人は時々道化や芸人に比べられる。芸人たちの口や手による言葉やおこないは、
芸人ではない人にはたびたび不快であり、人間たちの間では罰にふさわしいが、彼らが話
すことや、おこなうことは好まれる。素朴な人についても同様である。素朴な人はいわば
神と聖なる天使の芸人である。素朴でない人々が時々素朴な人のおこないをすれば、素朴
な人々によってなされることを喜ばれる神を傷つけることは疑いない。

第9話 ブルトシャイトの修道士

ブルクシャイトに非常に素朴な修道士が住んでいた。彼は修道院の門の前の自然の温泉

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の浴場で毎日貧者の間にあって、彼らの背中をこすり、髪の毛を洗い、服をすすぎ、服を
洗ってやるほどであった。彼がこのことで院長や修道士たちからたびたび強く叱責されて
も、このことを止めずにこう言って非常に素朴に答えた。「もし私が止めれば、誰が貧者
のためにするのですか。」とても素朴とはいえない他の者が院長の命令にたいしてこんな
ことを言ったなら、それは神をひどく冒涜したことになる(1)。愚か者の供え物よりも従
順の方がよいからである。先の素朴な者のおこないが神に好まれたことは、以下の奇跡が
示していよう。
ある時、彼が祈りのためにケルンに向かったとき、アブラハムとかいう名の人の家に泊
まった。ある夜、聖ペトロ教会で朝課の鐘が鳴ったので、彼は起きあがり、教会へ急いで
いると、彼が寝ていた上階の窓が開いているのを見て、彼が出た戸口と思い、とりあえず
教会に着いた。朝課が終わり戻って、なかに入れた人たちからどこへ行っていたのか、ど
こから出たのか問われて、彼の答えから、彼が戸口からではなく、窓から出たことを彼ら
は知った。しかし彼自身はこの奇跡を知らなかった。私はよく知っているが、窓はかなり
高かったから、彼が天使によって運ばれたことは疑いがたい。キリストによって書かれて
いることが彼によって実行されてた。〈主はあなたのために御使いに命じてあなたの道で
あなたをお守りになる。あなたの足が石でつまづかないためである
(詩編91、11-2)。〉
主が素朴な人たちを誠実に守護されることを、次の話が示していよう。

(1)『聖ベネディクトスの戒律』第二章二に、「修道院長は修道院ではキリストの代理
者であると信じられている」とある。

第10話 盲目のエンゲルベルト

ツェルピヒ生まれのエンゲルベルト(1)という名のある素朴な男が二、三年前に死んだ。
彼は生まれつき目が見えなかったが、神の恩恵が彼の内なる人間性を輝かせたさまざまな
賜物ゆえにさまざまな地で有名であり、男女のたくさんの高い地位の人たちから尊敬され
ていた。夏冬を問わず簡素なマントと毛の上着を着て裸足で歩き、召使いの導きで遠くの
聖人の墓を訪れた。決して肉を口にせず、夜は床ではなく、わずかの麦わらか干し草の上
で寝た。
私は彼についてたくさんの善行を目にした。彼は言葉によっても例話によっても多くの
人を感化した。彼が若い時のある夜、裕福な婦人である叔母の家で彼女の召使いの間で寝
ようと横になった。夜半(2)、二人の盗賊が壁を堀り崩し進入した。彼らはランプの覆い
しゃべ
をはずし、灯をともし、櫃を開き、臆面もなく 喋 っていた。エンゲルベルトがこれを耳
にし、盗賊であると疑わず、両側の召使いを起こすこともできなかった。そこで彼は小刀
でうがっておいた足台を襟元へ移し、棒を手にした。彼は目が見えなかったので、神に導
かれて彼らの方に耳を傾け、棒を両手で振り上げ、触れることができるものに四方八方か
ら狂ったように打ち下ろし、家から彼らを追い出した。彼らが掘った穴のところまで追い
かけ、穴を梯子で閉ざした。外へ出た彼らは、彼の他に誰も目覚めていないことに気づき、
そのようにして追い出されたことを恥じ、相談し合ってもう一度なかに入ろうとした。エ
ンゲルベルトは梯子が動くのを感じ、穴の近くにある穀物が入った大きな櫃の下に梯子の

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片方を差し込み、もう一方を両手で持った。彼らが中途まで入ると、エンゲルベルトは、
彼らが腹這いになっていたので、彼らの背中を梯子でかなり強く押し、彼らが前のみなら
ず、後ろへもさがれないほど押しつけた。彼らはぶどう絞り器で圧せられたように朝にな
って捕らえられるのを恐れて赦しを乞うた。彼らは決して彼を傷つけずに、この家には二
度と入らないと誓って解放された。
朝になってエンゲルベルトがこのことを話すと、そばにいる人たちは眠っている者たち
をどうしても起こすことができず、この災いが生じたであろう力の原因を家のあたりで探
し、穴の上に屋根からぶら下がっている人間の死体の背骨のようなものを見つけた。それ
が取り除かれると、すべての者はすぐに目覚めた。
修練士 目が見えない素朴な人々によって大きなことが起こりました。
修道士 それに伴うことの方がもっと大きい。魂の安寧に関わるからである。それから
数年がたち、先のエンゲルベルトの噂と力に呼び起こされ、彼の取りなしによって悔いた
と私が思っている盗賊たちは、彼を訪れ、自分たちが盗賊であったことを告白し、ついに
修道生活を営んだ。
この不思議な出来事や他の人々から私に語られた次のことが真実かと私に問われたエン
ゲルベルトはそのようなことが起こったと率直に証言した。神は素朴な人々と対話される
ので、外的な光りの損失を内的な目の明るさでお替えになり、彼に予言の霊さえもお与え
になった。
ある時、エンゲルベルトは非常に信仰深い女性であるハインリヒ公の妻、サクソニア公
妃(3)に招待された。なかでも息子の一人が皇帝になる、と彼が預言したからである。ハ
インリヒ(4)の帝国を継承したオットー(5)にあって二つのことが後に成就されたのをわれ
われは知っている。オットーが選出されたが、非常な苦境に立たされほとんどすべての者
たちから見放されたとき(6)、エンゲルベルトは彼を慰め、神によって配慮されたことは、
いずれ成就されると保証した。
これより以前、信仰篤い寡婦、ギムニヒのヘルスヴィントはわれわれの地での二人の伯
の確執のゆえに彼女の息子たち、アルノルドとその兄弟を案じて、彼らの安寧を神に祈っ
てもらうように乞うたとき、エンゲルベルトはこう答えた。「確執はうまく収束しますか
ら、あなたは心配することはありません。あなたの息子だけではなく、全地帯が揺さぶら
れるもっと大きな争いが迫っています。」先のオットーと対立王フイリップとの間に争い
が起こった。
ま ち
ある日、彼がケルンの道を歩いていると、この都市のたくさんの裕福な婦人たちに出会
った。彼女たちは教会に行くところであった。彼女たちがおしゃべりしながら歩いている
と、彼は言った。「ご婦人方。立ち止まってください。」彼女たちが立ち止まると、彼が付
け加えた。「もう一度一人ずつおしゃべりをしなさい。」彼が言ったことに、婦人たちはた
めらったが、彼の言葉に従って一人ずつ話をし、その間ほかの婦人たちが黙っていた。今
はヴァルヴァーベルク修道院で修道女になっているアストラが話す番になったとき、エン
ゲルベルトは彼女の声を聞いて、婦人たちが全員聞いているなか予言して、こう言った。
「彼女は家中の人たちとともにキリストに回心するであろう。」そのことはしばらくして
から成就した。彼女は夫、息子、今はすでに述べた修道院で院長となっている娘、及び使
用人、下女とともにシトー会に入会した。

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神がいかに早く先の女性の口を開かせて、彼女の耳に啓示されたかを君は知るであろう。
エンゲルベルトは魂の状態についてしょっちゅう語っていた。語られているように、彼
は誤りの霊あるいは欠点ある霊に欺かれることが時々あった。それは不思議ではない。自
らの心でダビデを勇気づけたが、聖霊にすぐに止められたナタン(7)のように、預言者は
いつも預言の霊で語るとは限らなかった。
聖母の祝日のこと、彼の伯母が前に述べた夜に一番近い村に朝課に参加するために行っ
たとき、彼はこう言った。
「エンゲルベルト、明朝私の家に来なさい。
」その夜の夜明け前、
彼は、戸を叩くこういう声を聞いた。「エンゲルベルトよ、来なさい。朝課に行きましょ
う。」誰の声だか分からなかったが、彼は起きあがって、その者に付いていった。ある教
会に連れて行かれて、そこで朝課、一時課、三時課、六時課、九時課に参加した。それか
ら彼が一人で戻ると、どこに行っていたのかと問われて、こう答えた。「私は今日ほど美
しい歌、甘美なる旋律、栄光のミサを聞いたことはありません。」
同じことが翌年また起こった。エンゲルベルトはまだ修道服を受けてはいなかった。あ
る夜、彼は床から連れ出され、恐ろしいほどひっそりとしたマウバハの城の近くに連れて
行かれた。この場所で彼の魂が肉体から離れ、この荒涼とした場所の隅々あらゆる角と場
所をとくと眺めた。後に彼が話すと、多くの人が驚嘆するほどであった。魂が肉体に戻る
と、悪魔がさまよえる者のところへ駆け寄り言った。「お前の肉体はわしのものだ。」エン
ゲルベルトは十字を切り、聖母を呼び、悪魔にこう言った。「お前の頭の半分は私のもの
だ。土曜日の夕の鐘が鳴ったとき、頭の半分は綺麗になったからだ。」彼はすぐに頭の半
れきせい
分にたくさんの瀝青を振りかけた。その後、瀝青を多くの人が苦労して取り除いた。
彼が今際の際にあったとき、彼の母は泣いてこう言った。「いとしい息子よ、今やお前
は私から離れ、重い病気の私を捨てようとしている。」彼は答えた。「お母さん、敬虔なマ
リアさまがお母さんを救ってくださるでしょう。」彼が息を引き取ると、彼女は重い病気
から回復した。彼女は九年間病気であった。
聖マクゼリナ(8)の幻視の書で私は読んだ。彼女が天国にあって不思議な美と栄光の空
席を見て、それはドイツの盲人のために空けられている、と。すぐにそれはかのエンゲル
ベルト修道士のことと思った。
修練士 純朴は大いに神に好まれていると、私は聞いています。
修道士 純朴は神のみならず、人間にも好まれる。純朴は特に人間の耳には世俗の知恵
よりももっと効果的である。

(1)ケルン大司教エンゲルベルトとは別人。
(2)in ipso conticinio(夜の第一の部分)。
(3)ザクセン公兼バイエルン公ハインリヒ獅子公の妃にしてイギリス王ヘンリー二世の
娘マチルダ(1156-89)
(4)オットー四世。神聖ローマ皇帝(在位1209-15)。
(5)ハインリヒ六世。神聖ローマ皇帝(在位1191-97)。
(6)オットー四世はインノケンチウス三世より帝冠を受けたが、間もなく対立して破
門され、対立皇帝を立てられて、支持者を失った。
(7)Nathan ダビデの時代の預言者。

- 252 -
(8)クレルヴォーのベルナルドゥスの縁者。

第11話 純朴さによって敵対者を悔いさせて、争いとなっていた財産を放棄
させたクレルヴォーのペトロさま

病気で片目を失った敬虔なる人で、名とおこないで使徒ペトロをまねたクレルヴォーの
院長ペトロさまは、大いに純朴であったがゆえに〈鳩の息子(filius columbae)〉と呼ばれ
た。
ある騎士が、ペトロ並びに修道士たちと財産を巡って争った。騎士が院長と和解するか、
あるいは裁判官の前で係争することになるかの日が設定された。
当日、騎士は友人たちとあらわれたが、院長はただ一人の質素な身なりの修道士を連れ
てあらわれた。馬ではなく、徒歩で来たのである。尊い院長は平和と貧困を愛し、無常の
ものを軽んじていたので、みんなの前で騎士にこう言った。
「あなたはキリスト教徒です。
争いとなっている財産があなたのもので、あなたのものでなければならないことを、もし
あなたが真実の言葉で語るなら、あなたの言明で私は満足です。」
騎士は真実を語るよりも財産を手に入れることに気を配りこう答えた。「真実この財は
私のものであると言おう。」これにたいして院長は言った。「それならあなたのものでしょ
う。私は今後要求しません。」こうして院長はクレルヴォーへ戻っていった。騎士は勝者
の如くに妻のもとに戻り、院長が言ったことを、自分がおこなったことを妻にきちんと話
すと、妻はかくも純朴でかくも素朴な言葉に驚いて答えた。「あなたは敬虔な院長さまを
欺いたのよ。神の罰が私たちに下るわ。財産を修道院に返さなければ、私はあなたと暮ら
すのはいやよ。」騎士は驚いてクレルヴォーへ行き、進んで財を放棄し、敬虔な院長のい
われのない苦しみの許しを乞うた。この敬虔なる人はかつてヒンメロートを訪れたことが
あった。彼は高貴な生まれで、特に敬虔な素朴さを愛したフランス王フィリップ(1)の親
族である。

(1)フィリップ二世尊厳王(1165-1223)
。フランス王(1180-1223)

第12話 聖ヴィクトールの院長の沈黙で教化され、院長の相手を屈服させ
たフランス王フィリップ

シトー会士コンスタンチヌスがパリで学生であった頃、聖ヴィクトールの修道院長、ド
イツ人のヨハネスが広大な自由地(allodium)のことで数人の貴族や勢力ある人たちとフィ
リップ王の前で談判したことを私に話してくれた。院長は、学問があり法律に詳しい修道
士の何人かを連れていったが、相手は訴訟に卓越した代理人を連れてきていた。互いの間
で応答がなされている間、院長はじっと座っていて、訴訟よりもむしろ祈りに関わってい
るように思われるほど交わされている言葉に一語も口を挟まなかった。王はこれに気づき、
院長に言った。「院長、あなたはなぜ何も話さないのか。」院長は非常に穏やかに、たいそ
う簡単に答えた。「王よ、私は何を話してよいかわからないのです。」王は、心が洗われ、
悔悟して言った。「あなたは修道院に帰りなさい。私があなたにかわって話をしよう。」

- 253 -
院長たちが去ると、王は怒りをあらわすごとくに騎士たちに言った。「余はそちたちに
強く命じる。今後敬虔なる院長を苦しめてはならぬ。」
修道士たちがどんなに訴えても手に入れることができなかった財産を王の下で院長の純
朴のみで手に入れることができた。モーセにおいてこう記されていることがここに成就さ
れた。〈他の人があなたたちのために戦う。あなたたちは黙っていてよい(出エジプト記
14、14)。〉
純朴の徳が王の心のなかにいかに尊敬の場を占めたかをこれから他の例話で君に示そ
う。

第13話 選出した者をあっさりと推挙したランの聖職者たちをほめた
フィリップ王

ある時、ランの聖職者たちは、彼らの司教が逝去したので、仲間の一人の並の参事会員
を司教に選出し、こういう言葉をそえて王に推薦した(1)。「王よ、私たちは私たちが選ん
だエメルリクスさまを推挙します。」これが彼の名前であった。
王は黙っていたが、こういう推挙の方法についてとくと考えて、ついに言った。「あな
たたちは誰を余に推挙するのか。」彼らは答えた。
「エメルクリスさまです。
」王は言った。
「彼について他に言うことはないのか。」推挙した人物か推挙の言葉が王の気にさわった
のではないかと彼らは案じて、彼らは答えた。「王よ、何もありません。」それで王は言っ
た。「余はこのような推挙はあまり聞いたことがない。選ばれた者が余に推挙される時に
は、その者の地位の名称が選挙人に〈王よ、私たちは司教座聖堂助祭、司教座聖堂主席司
祭、主席司祭、聖堂付属神学校長某さまを推挙します〉という風に表される。余はあなた
たちに言う、並の参事会員のかくも簡単な推挙は余にとっても喜ばしい。それゆえ、選出
自体が神によってなされたものであることを余は期待する。地位ある者の選出が通常どの
ようになされているか、あなたたちは知っているか。その人が神学校長であれば、同僚の
参事会員の訴訟を支援し、ある時には学問のゆえに、ある時には友情のゆえに彼らによっ
て司教に選出される。その人が主席司祭であれば、修道士の誤りを偽善で隠し、親族と友
人を招き、彼らによって司教に推挙される。もしその人が司教座聖堂助祭か司教座聖堂主
席司祭であれば、つまり高貴な出であれば、選出されるというよりむしろ親の力によって
司教に取り立てられる。これが教会の頭が病んでいる理由だ。」
それから、王は選ばれた者の方を向いて言った。「エメルリクス殿、あなたの選出は簡
素で、合理的で、教会法に則っていると思われるので、あなたが余を必要とすれば、あな
たを承認しよう。」
私にこの話をしてくれたシトー会士ブランベルトゥスは、その頃パリにいたと言ってい
る。この王が純朴な人たちにたいしてどれほど好意を寄せているかを、次の行為の結果が
明らかにしてくれるだろう。

(1)選出された司教は国王の任命が必要である。

第14話 聖ディオニューシウス修道院長に純朴な修道士を任命し、貪欲

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な高位聖職者を退けたフィリップ王

三年前、フランス人の使徒の聖ディオニユーシウスの修道院(1)の院長が逝去した。最
も豊かな修道院は主人を失って、多くの人たちが院長になることを切望した。修道会でか
なり力ある者と見なされている人、つまり司教座教会主席司祭が先にしばしば挙げた王の
下に行き、院長の任命をへりくだって願って言った。「王よ、私を院長に任じてくだされ
ば、あなたに五百リブラ差し上げましょう。」王は彼に何も約束せず、お金を受け取って
聖職売買の罪ある者に大いに希望を持たせて言った。「そのお金をこっそり余の侍従に渡
しなさい。」
司教座教会主席司祭は王の好意が保証されたと思って辞した。これらのことについて何
も知らない総務長が王の下へ行き、かの主席司祭と同じことを要求し、同じ量のお金を差
し出し、王から同じ回答を受け取った。
最後に不実な香部屋係が来て、院長の任命を願って王に五百リブラを差し出した。王は
前の人たちにたいしてと同じ答えをした。賢明な人である王は黙っていたとはいえ、三人
の修道士の名誉欲と所有の罰、むしろ呪わしい窃盗がが王には大いに不快であって、修道
院から持ち出して差し出された財であると知っていた。しかし王は、院長を選出する集会
の日を決定した。修道院は王の手に握られていたからである。王は会議に座し、この会議
のためにふさわしい言葉を発し、注意深く見回し、一人一人をよく見つめたとき、先の三
人の修道士、つまり主席司祭、総務長、香部屋係が大いに緊張して、各人が今や修道院が
自分に与えられることを期待していた。聖なる希望は消えないが、三人の期待はくじかれ
た。王は、角にひっそりと座って院長になることなぞ全く考えていない修道士に目をとめ、
神の息吹にふれて彼に立つように命じた。彼は控えめに王の前に立つと、王は彼にこう言
った。「さあ、余は聖ディオニューウス修道院をあなたに委ねる。」これを聞くと、この素
朴な男は王の命令を受け入れず、むしろ声高に抵抗し、自分は小さく、並の、軽蔑されて
いる人間で、それほどの栄誉に大いに価せず、大いに不十分であると主張し、自分を卑下
して王に訴えた。王は彼に受けるよう強いた。後で彼は付け加えた。「この教会には多く
の借財があります。支払いができません。」王は笑って答えた。「ただちにあなたに千五百
リブラを授けよう。必要があれば、さらに加えよう。その上、余は助力と助言を惜しまな
い。」王は、侍従が先のお金を彼に渡すように命じた。
今も彼は生存していると私は思う。修道院の管理を得ようと望んだ者たちによって管理
されるよりも、彼によって一層うまく管理されている。さらに似た話を加えよう。

(1)サン・ドニ修道院。ディオニューシウス(?-250頃)はパリの初代司教として
知られる同市の守護聖人。パリの司教になってのち殉教した。

第15話 針を携えていたため院長に任命された純朴な修道士

かつて、今のフリードリヒ(1)の祖父、皇帝フリードリヒ(2)の時代に帝国大修道院(3)
の一つが院長空席となり、二人が選出されたが、折り合いが付かなかったので、そのうち
の一人が、皇帝の支援を受けるべく修道院でかき集めた莫大な銀貨を皇帝に献上した。皇

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帝は銀貨を受け取り、院長の任命を約束した。後で皇帝はもう一人が立派で、純朴で、規
律に則った人であることを知り、このふさわしからざる人をいかにして排除し、徳のゆえ
に選出された人をいかにして院長に据えるべきかを家臣と協議した。ある者が皇帝に言っ
た。「王よ、私が聞いていますところ、修道士は全員、戒律によって針を携帯しなければ
なりません(4)。集会に出席して、あなたの指に刺す針を貸すようにあの戒律を守らぬ者
に言ってください。もし彼が針を持っていなければ、彼が戒律を守らぬ者としての理由と
なるでしょう。」そのようになされた。彼が針を持っていなかったので、皇帝はもう一人
に言った。この修道士は皇帝に針をすぐに差し出した。恐らく彼は針を持っていたのであ
ろう。皇帝は言った。「あなたは修道生活で義の人であり、かくなる栄誉を受けるにふさ
わしい。余はあなたの相手に栄誉を与えることを決めていた。だが彼は戒律に違反するふ
さわしからざる者であると分かった。彼が大きなことでいかに怠慢で無頓着であるかが、
小さなことでもはっきりしている。」皇帝は詭弁を弄した修道士を退け、純朴な修道士を
院長に任命した。
修練士 針にそのような徳が内在していることを私は今まで知りませんでした。
修道士 針にはそのような徳はない。針は力、つまり修道士の謙譲のしるしである。修
道士は損じた衣服を繕うために針を携えている。

(1)フリードリヒ二世(1194-1250)。神聖ローマ皇帝(1212-50)。
(2)フリードリヒ一世赤髭王(1125頃-90)
。神聖ローマ皇帝(1152-90)

(3)imperialis abbatia 神聖ローマ皇帝に直接従属し、帝国議会で共同票をもつ大修道
院。
(4)修道士は衣服を自分で繕うために常に縫い針を持ち歩いている。『聖ベネディクト
ゥスの戒律』五章十九参照。

第16話 針を持っていたため皇帝オットーに讃えられた院長

ある日、シトー会の三人の院長が、今日の皇帝、若きフリードリヒの前任者、皇帝オッ
トー(1) と話をしたとき、オットーは彼らを試そうとして、彼らの一人に言った。「院長
殿、あなたの針を私にください。」彼は答えた。「私は持っていません。」皇帝は二人目の
院長に問うたが、彼も持っていなかった。三人目が問われると、彼は持っていたので、皇
帝は彼に言った。「あなたは真の修道士だ。」
このことは、修道士の針が徳のしるしであると私が言ったことである。

(1)オットー四世。

第17話 元気だったとき、針を携えるのを無視したため、死に際
に熱した針を悪魔から投げつけられた修道士

ある修道士があるシトー会の修道士についてこの個所の例話にふさわしい恐ろしい話を
私にしてくれた。この修道士は、健康な時に修道士の習慣で針を携えることを気に掛けな

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いか、たまたま無視したのであったが、今際の際になると、悪魔があらわれ、人間の身体
の長さの熱した針を手に持ち、それを彼の上に投げて言った。「お前は元気な時に針を携
えようとしなかったので、死に際にこの針を持つのだ。」彼は周りの人たちにこの幻視を
話して、すべての人を震え上がらせた。
修練士 そういうことであれば、私は今後いつも針を携えるでしょう。
修道士 どうしてもという以外は、修道士は戒律を完璧に守らなければならない。
修練士 院長職を得るためにお金を差し出した先の修道士たちを思い出します。お金を
持っていないシトー会士たちは聖職売買をおこなうことができますか。
修道士 物質的な聖職売買もあれば、精神的な聖職売買もあるので、それはできる。修
道士が院長職を望み、そうなるように詳しく考え、もっと困ったことだが、騙して得よう
とすれは、聖職売買である。
ヴィレールの修道院長カールさまがわれわれに話してくれたことについて、最近起こっ
た例話として君に話そう。

第18話 院長選出をずる賢く工作したため、聖職売買で地位を得たと隠
修女に言われた修道院長

ある修道院長が、敬虔な女性であることが分かっていて、常に神の啓示を受けている隠
修女のところへ来て、彼女にこう言った。「神がお気に召せば、あなたに啓示して、私が
院長職にとどまれるよう、私のために神に取り次いでください。」彼女はただちに立ち上
がり、そこを離れ、祈り、すぐに戻ってきて、啓示されたことを院長に話した。「あなた
が院長職とどまることは神の御意志ではなく、あなたの救いにはなりません。あなたが院
長職にあると、あなたの魂は救われません。」「なぜですか。
」「あなたは聖職売買で院長職
を手に入れたからです。」院長はこの言葉に驚き言った。「何を言うのですか。私が選出さ
れたとき、聖職売買なぞなかったです。」彼女は答えた。「あなたが聖職売買で地位を得た
ことを示しましょう。あなたの前任者が亡くなると、あなたは院長職を望んで単に歩き回
ったのではなく、こう言って純朴な修道士たちを籠絡した。『われわれの修道院の外から
非常に名声ある院長を選ぶ必要はない。そんなことをすればわれわれの沽券に関わる。』
修道院内で選挙がおこなわれれば、あなた以外に他の人は選ばれない、とあなたは確信し
た。こうしてあなたは院長になった。」
院長はこれを聞くと、そのことを告白して反論しなかった。彼はただちに母院の院長を
訪ね、赦しを乞うことを止めなかった。
修練士 この院長が院長職を望んで重い罪をおかしたなら、〈監督の職を望む者は、よ
い仕事も望んでいる(1テモテ3、1)〉という使徒の言葉はどのように解釈するのです
か。
修道士 使徒は監督の職を叱責しているのではなく、その職への渇望を叱責している。
使徒は一方の人に労苦を見て、他方の人に渇望を見ている。それゆえ使徒はすぐにこう付
け加えている。〈監督は非の打ち所がなく、節度あり、礼儀正しく、賢明で、立派で、控
えめで、客もてなしがよく、学がある必要がある(1テモテ3、2)。〉聖ベネディクトゥ
スも『戒律』のなかで院長について述べている。〈おお、今日多くの者がおこなっている

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ように、誰もがその栄誉を振り回してはならないが、アロンのように神によって選ばれた
者はそうしてもよい。しかし誰かがそのような危険なく、上に立つのではなく役に立つた
めにそのような地位を望むことはあり得ると思われる。〉救世主もこう言っておられる。
〈あ
なたの目が純朴であれば、あなたの身体は明るい(マタイによる福音書6、22)
。〉
それについて例話を聞きたいです。

第19話 素朴に自薦したパリ司教マウリチウス

修道士 最近、パリ司教が空席となり、選挙人の意見が一致しなかったので、三人に選
出を委ねた。三人は一人の人にまとめることができなかったので、二人は三人の一人であ
ったマウリチウス師に司教の指名権を与えた。
事の結末が示しているように、このマウリチウスは上に立つよりも役に立つことを望ん
だがゆえに、彼は自分自身を指名して言った。
「他の人の思いやもくろみは知りませんが、
か し
神のご加護により瑕疵なく司教職に就くことを私は申し出ます。」彼はそのようにした。
彼の生き方は敬虔であって、言葉と手本で多くの人に役立ち、司教として生を終えた。
時々、野心ある者は神意によって野心はそがれる。もし彼らが神意に背いて地位に就いた
なら、彼らはその地位が危なくなるか、不名誉で退くことはほぼ避けられない、というこ
とを君は知らねばならない。このことについて恐らく何人かに不可欠であろう例話を聞き
なさい。

第20話 自分の立場が弱められないため不評のゆえに追放された修道士を
院長に選んだ狡猾な副院長

シトー会のある副院長は、院長が逝去すると、院長職を望んで、選出の時に巡察者や他
の年長の修道士たちからふさわしい人について問われると、彼は不評のゆえに修道院を追
放された修道士を院長に指名した。それは鳩の心によるものではなかった。副院長の権威
は並々ならず、自分が修道院内の人物を院長に指名すれば、そのことによってこの選出は
無意味となり、彼の望みも無になることが副院長には分かっていた。
神意によるものと信じられて、他の修道士たちも彼に従ってその修道士を選び、内心こ
うつぶやいた。「われわれの副院長はわれわれの目である。もし罪がないことがあやふや
だったなら、彼はそういう人を指名しなかっただろう。」もしこの副院長が純朴にふるま
っていたなら、彼は院長に選ばれたであろう。私にこのことを話してくれたある院長の言
葉から推測するに、副院長はその修道士が追放された時も昇任の時にも非常に苦しんだか
と、私は思う。神は今にも狡猾な人や偽りの人を罰せられよう。
今日、教会の高位聖職者の苦境、不名誉、落胆の例はかつてよりもたくさんある。彼ら
の昇進の時には神の御意志はなかったのかもしれない。
〈彼らは王を立てた。しかしそれは私から出たことではない。彼らは高官たちを立てた。
しかし私は関知しない(ホセア書8,4)
。〉これは、預言者エレミアの口を介しての神の
言葉である。
修練士 例話によって証明されたように、神は素朴の徳を大いに喜ばれるので、反対の

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悪徳、つまり狡猾には大いにお怒りになる、と私は思います。
修道士 素朴に対立する悪徳は二枚舌であり、狡猾はそれに近い関係にある。
修練士 何故二枚舌と言われるのですか。
修道士 simplicitas(純朴)が sine plica(しわがない)に由来するように、duplicitas(二枚舌)
duplex plica(二重のしわ)に由来する(1)。純朴な人は、言うこと、目指すこと、おこなう
ことのままであるからである。二枚舌の人は心のなかで考えたことを口では別のことを言
い、別のことをおこない、別のことを目指す。このことについて使徒ヤコブはこう言って
いる。〈二重の心の人は、心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人である。(ヤコブの手
紙1、8)。〉なぜなら彼は素朴な人を効果的に騙すために善人のふりをするからである。
それゆえ、『集会の書』でこう言われている。〈二つの道を行く人は、ああ罪人かな(集会
の書2、14)
。〉
この人たちは、主がこう言われている人たちである。〈偽預言者を警戒しなさい。彼ら
は羊の皮を身にまとってあなたがたに来るが、その内側は貪欲な狼である(マタイによる
福音書7、15)。〉これらの人は修道服を着てトンスラで地を歩きまわり、多くの人々を
騙す髭を生やしている者たちである。彼らの多くはかつて悪行のため殺害された。そのよ
うに遍歴する人たちの何人かは敬虔な人で、怒りを持たない人であるとはいえ、悪人とし
て軽蔑される。前年、ケルン大司教エンゲルベルトさまが教会会議で、彼の司教区では遍
歴者を客として受け入れてはならないと命じた理由がこれである。

(1)A. Walde, Lateinisches Etymologisches Wörterbuch によれば、-plici-は語源的には plica


ではなく、plaga(広がり)に由来する。

第21話 純朴のふりをしてボンで多くの人を騙した人

ある者が修道士の姿でボンに来て、純朴のふりをし、祈り、徹夜をし、断食をして多く
の人を騙してからそんなに月日は経っていない。この教区の参事会員たちは彼を自分で言
っている通りの人と信じて、貧しい人たちの宿を彼に任せた。世俗の多くの人も財貨を彼
に与えた。少し経ってから、この詐欺師はふりをしていた厳格さを捨て、ぶどう酒を飲み、
肉を食べ、めったに祈らず、今まで以上に長く眠りだした。このことで彼が非難されると、
彼はこう答えた。「私はあるときある聖職者からそういう振る舞いを学びました。」
何が起こったか。ついに彼は委ねられた財貨をこっそり持ち出した。二枚舌がいかに有
害な悪徳であるかを、彼はおこないによって示した。これを聞くと、主席司祭のクリスチ
アンはこう答えた。「兄弟たちよ、私は自分の魂を他の人のためには提供しない。」
そのような詐欺師について欺瞞の種類、近年の出来事を君に話すことができるが、そ
れは教化のためではない。神はたびたび二枚舌と狡猾の悪徳をさしあっていかなる罰をも
って罰せられるかを君は今知りたいかい。
修練士 ぜひとも知りたいです。
修道士 では聞きなさい。

第22話 自分の母を騙して、首を蛇によって罰せられた人

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私が覚えていたとすれば、ハインリヒという名のモーゼル出身の世俗の若者が彼の素朴
な母親を甘い言葉であるが、毒のある意図でこう騙して言った。「お母さん、あなたのす
べての財産、つまり知行と地代をきっぱり放棄して私に受け取らせてください。私が財の
ゆえに上品な妻をめとることができるためです。私のすべてのものはあなたのものであり、
あなたの面倒をよく見ましょう。」母は息子に蛇の狡猾を見て取れず、彼の願いを受け入
れ、彼女の財産の所有を放棄し、賢者の言葉を忘れていた。
〈子供の手に目を向けるなら、
彼らに懇願させる方がよい(集会の書33、22)。〉
何が起こったか。花嫁が連れてこられて、母は追い出された。彼女は困り果て、毎日嘆
いていたので、彼は母親のため息が聞こえないように耳をおおった。ある日、彼は妻と食
卓について、扉を叩く母親の声を聞いて言った。「またあそこで悪魔が叫んでいる。」彼は
召使いに言った。「行って、出て行くまであのひよこを箱のなかに入れておけ。」そうなさ
れ、彼女は箱のなかに入れられた。彼女は憐れんでくれるように、息子に乞うと、荒っぽ
い言葉で退けられた。それから息子は召使いに「ひよこを連れてこい」と言った。召使い
が箱を開くと、鉢のなかにはひよこではなく、とぐろを巻いた蛇がいた。召使いは驚いて
戻り、見たことを主人に報告した。召使いの後に見に行かされた下女も同じものを見たと
報告した。息子はからかわれていると思い、憤慨して言った。「悪魔であってもわしが引
き出してやるぞ。」彼は食卓から立ち上がって、箱のなかの鉢を持ち上げようと身をかが
めるや、蛇が彼の首に飛びつき二枚舌の悪魔をふさわしく罰するため、彼の首の回りに二
重にからみついた。彼が食べる時には、蛇も食べた。蛇が食べられないようにしたり、道
具を用いて食べられないようにすると、蛇は彼の首を絞めたため、顔はふくれあがり、目
が元の位置からずれるほどであった。
修練士 彼が蛇によって罰せられるのは、私には当然のことと思われます。悪魔が蛇に
よってエヴァを騙したように、彼は純朴な女性を騙したのですから。
修道士 君の見方は正しい。このことが起こってから、今やまずもって一三年以上が過
ぎた。このハインリヒは荷車でわれわれの地域の聖人たちのさまざまな墓地に連れて行か
れ、そこで多くの人たちが彼を見た。彼の母親は、彼の罰に同情して、母親の気持ちで彼
について行った。
その頃、二枚舌と狡猾の悪徳は先のフランス王フィリップによって次のように暴かれ、
きびしく罰せられた。

第23話 死者から悪巧みでぶどう畑を奪ったためフィリップ王に生き埋
めにされたパリの代官

ま ち
フィリップ王はパリの都市に代官を置いた。代官はある市民のぶどう畑をほしがって、
それを売ってくれるよう執拗に迫った。ナバトがイスラエル王アカブに答えたと記されて
いるようにこの市民はこう答えた。〈主に賭けてその必要がないので先祖から伝わる嗣業
の土地を譲ることなど私にはできません(列王記上20、3)。〉代官は脅迫を加えたが、
うまくいかなかった。
その間、この市民は死んだ。これを知ると、代官は喜び、狡猾な人間さながら自分自身

- 260 -
の破滅につながるような策略を考え出した。彼は偽証するよう審判人の二人を買収した。
彼は彼らと決めておいた通りに夜が更けるとすぐに死んだ者の墓に行き、地を掘り、下に
おりて、生きていたときにぶどう畑のために提示していたお金の袋を死者の手にのせて言
った。「私はこの人に彼のぶどう畑のためにこうしてかくもたくさんのお金を渡した。あ
なたたちが見ている通り、彼は手で受け取り、何も反対しなかった。あなたたちが証人で
す」と彼はお金を取り戻すと、土をもとに戻した。
翌朝、証人も加わって、彼はぶどう畑を自分のものとして要求した。死んだ者の妻がこ
れを知ると、驚いて駆けつけ反論し、夫も自分もぶどう畑を売らなかったし、そのお金も
もらっていないと言った。彼は彼女に答えた。「私はたくさんのお金を出してぶどう畑を
手に入れ、あれらの審判人が証言している通りあなたの夫の手に渡し、彼は反論しなかっ
た。」彼女は、何ら進展しないのを見て、王のもとに駆け込み代官の不法を訴えた。審判
人の証言によって彼が反論すると、王は法廷を開く暇がなかったので、他の人に審理を委
ねた。彼らは審判人の証言に騙されて、代官の側に立って、彼に有利なやもめに不利な判
決を出した。それで彼女は一層悲しみ、泣き叫んで王に煩わしく迫ったので、王は証人を
呼ぶよう命じた。王は賢明な人さながら、まず一人を呼び、一対一で彼に言った。「そち
は〈主の祈り(dominica oratio)〉を知っているか。」彼は答えた。「王よ、知っています。」
王は付け加えた。「余が聞いているから、〈主の祈り〉をとなえるがよい。」それがなされ
ると、王はそれ以上何も話さず、少しの間、隣室に移るよう命じた。それから王は別の一
人を厳しい口調で言った。「お前の仲間は、彼女のぶどう畑についてそれ以上の真実がな
い聖なる〈主の祈り〉のごとく真実を余に話した。お前の言うことが彼と矛盾しておれば、
お前は罰せられる。」彼は、もう一人が王にすべてを話した思いこみ、恐れ、震え、王の
足許に跪いて言った。「王よ、われわれを憐れんでください。われわれは代官にそそのか
されて、いろいろしました。」王は大いに怒って、ぶどう畑をやもめに戻し、代官を生き
埋めにするよう命じた。
修練士 死者を非人間的に掘り出した者が、憐れまれずに生き埋めにされたことは正し
いことです。
修道士 罪にたいする罰は神によるものである。罪の規模に従って罰の規模が作られる
のはたびたびのことである。これについて君に次の例話を話そう。

第24話 絞首台からおろされたが、おろした人を襲ったた
め改めて吊された盗賊

ケルンの聖アンドレアス教会のある参事会員は-彼の同僚のライナー師が私に話してく
れた-帰属する教会の十分の一税(1)を徴収するため毎年彼の下僕を遣わすのが常であっ
た。下僕が絞首台の前を通り、少し前に絞首台に吊された人間がまだぴくぴく動いている
のを見て、同情に動かされ、剣で綱を切り、携えていた水で蘇らせた。この男は力を取り
戻し、善のかわりに悪で報い、近くの村まで下僕に付いていき、下僕の馬の手綱を掴み、
奴が力づくでおれの馬を奪った、と叫んだ。ただちに人々が至るところから駆けつけ、盗
みについて騒ぎ立て、この若者を裁判を経ずして、彼が盗賊をおろした絞首台に連れて行
った。先の盗賊の縛り首に集まっていた別の村の人たちはまだ大勢家には帰っていなかっ

- 261 -
た。すると、彼らは両村の共同の絞首台に人々が集まっているのを知り、神意により絞首
台に戻り、理由をただした。下僕に話す機会が与えられた。彼は言った。「私はこの人を
絞首台から救いました。すると彼はかくもひどい仕返しをしました。」村人たちは盗賊を
じっと見つめ、再確認して、盗賊を再び完璧に縛り首にした。こうして若者は全くの無傷
で救われた。

(1)decima 財産や収穫の十分の一を納める税の一種。

第25話 盗賊の罪を巡礼に押しつけたために神の正しい裁きで縛り
首になった偽の巡礼

そんなに昔のことではない。ドイツ人の数名の巡礼が聖ヤコブの墓所に向かっていたが、
ある夜、彼らに偽修道士が加わった。翌朝、彼らが宿を出ると、彼は市門まで彼らに付い
こいつ
ていき、彼らの一人をつかんで、此奴に馬を盗まれたと叫んだ。彼らは裁判官によって宿
に戻るよう命じられた。彼に罪を着せられた者は、素朴で善良である、と巡礼のすべてが
証言した。裁判官は賢明に振るまい、当の男がいないときに、巡礼者全員の馬の鞍と手綱
をはずして、馬を馬小屋に入れるよう命じた。それがなされると、裁判官は当の男に言っ
た。「なかに入って、お前の馬を連れてこい。」彼は馬小屋に入って、一頭の馬を連れ出し
た。しかしその馬は門のところで奪われたと言っていた馬ではなかった。彼は馬をきちん
と見ていなかったからだ。全員は笑って、彼が誰の馬を連れ出したのかを裁判官に説明し
た。このぺてん師は絞首台で吊された。神が、純朴のなかで歩む者たちをお守りになり、
狡猾な者をひどく罰せられるのを今や分かったかい。
修練士 罪の罰は神によるものであると先ほどあなたが言ったことを思い出します。
修道士 すべての罰は神によるものであることを預言者アモス(1)が証言して言ってい
る。
〈町に災いが起こったなら、それは主がなされたことではないか(アモス書3、6)。〉
同じようなことを主はイザヤを介して言っておられる。〈平和を作り、闇を創造し、平和
をもたらし、災いを創造する者。私が主、これらのことをするものである(イザヤ書45、
7)。〉災い(malum)とは、罰と苦しみである。それらは、神の被造物であるので、自体は
善であるとはいえ、苦しむ者たちに悪と映る。罪にたいする罰は神によるものであること
を君に示そう。

(1)旧約聖書の十二人の小預言者の一人。

第26話 遭遇する最初の人を縛り首にするように神から命じられたヴィッテ
ルスバハ家のプァルツ伯ベルトルフ

ヴィッテルスバハのプァルツ伯ベルトルフは、きわめて厳しい裁判官であった。一ヘラ
ー盗んでも盗人の生命を奪うほどであった。私がある修道院長から聞いたところでは、彼
が外出する時には、帯に綱をつるしていた。罪人の処罰が遅れないためである。ある朝、
彼が早く起き、綱をいつものように帯に縛り付けると、こんな声をあたりで聞いた。「ベ

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ルトルフよ、お前が城から出て最初に出会う者をその綱で縛り首にしなさい。」彼はその
声を神の声として受け取った。外へ出るやいなや、最初に彼のシュルトハイスに出会った。
ベルトルフは、彼に会うと、その男を重んじていたので、非常に悲しんで言った。「お前
と会ってわしは悲しい。「なぜですか。」「お前が縛り首にされるからだ。」それでシュルト
ハイスは言った。「なぜ私は縛り首にされるのですか。」ベルトルフは彼に言った。「わし
には分からない。告白の準備をしておこないを並び立てよ。わしは神の言葉に逆らえない
から。」シュルトハイスは、これは仕方のないことだと思い言った。「神は正しい。私は私
の家に近づく多くの人を追跡し、殺害し、多くの人たちからたくさん奪い、私の主人であ
るあなたにも決して忠実ではなく、貧しい人々をも容赦しませんでした。」彼の告白を聞
いた者たちはすべて驚き、罪にたいする罰は神によるものであることを彼の死によって認
識した。
このプァルツ伯が憐れみなく判決したがゆえに、彼が殺害したフィリップ王の復讐とし
しゅめのかみ
て王の主馬頭(1)ハインリヒに殺害されたとき(2)、憐れみを求めたが甲斐はなかった。小
さなあるいは大きな罪が同じ罰によって罰せられるのは、正しい判決でもなく、神によっ
て命じられたものでもない。
修練士 神が罪人を罪のあり方と質で罰せられれることを今十分に学びました。
修道士 今日、神が二枚舌の悪徳をきわめてはっきりと罰せようとされているかを、君
は以下の例話で十二分に知るであろう。

(1)marschalcus 軍事指揮官。
(2)シュヴァーヴェン公フィリップは1208年ヴィッテルスバハのオットー(ルドル
しゅめのかみ
フ)に殺害され、プァルツ伯オット-は1209年は王の主馬頭ハインリヒに殺害さ
れた。

第27話 凱旋門のディートリヒ。彼の骨折りでフィリップ王が導かれた
と同じ日に同じ道で一年後に殺害されて運ばれたこと

びと
フィリップとオットーの間にあったシスマの時代にケルン人はあるときには教皇への恭
順から、あるときにはオットーになされた誓いから、多くの支出、損失、危険に従ったと
き、彼らの何人かは、言われているように、フィリップの後継者によってひそかに金銭で
買収された。彼らのなかの最も有力者は凱旋門のディートリヒと見なされた。彼の狡猾さ
ま ち
で、オットーが見捨てられ、フィリップが都市に入るということがなされた。ディートリ
ヒは口ではオットーの見方をしたが、心はフィリップの側に立っていた。ある日、行列で
都市の有力者にフィリップが従ったとき、ディートリヒは彼を高貴な婦人たちのところへ
連れて行って、期待して彼女たちに言った。「ご婦人方、この方は私が常に望んでいた私
の王です。」神の驚くべき摂理である。彼は一年後にフィリップが導かれたと同じ日に同
じ道で殺害されて運ばれた。彼が〈ピスキーナ(沼)〉と呼ばれる女子修道院に埋葬され
ることになったとき、このことは彼からたびたび苦しめられた院長たちの手紙で阻止され
た。

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第28話 枢機卿ペトルスの助言で押しつけられた者に聖職禄を与
えたハインリヒ・ラチオ

二、三年前、ザクセンの枢機卿ペトルスがケルンに滞在していたとき、聖マリア・アド
・クラドゥス教会の参事会員として訴訟できわめて卓越した代弁者ハインリヒ、あだ名は
ラチオは、この枢機卿をそそのかして、ある市民の息子を空席がなくても修道士にして参
事会員に選ぶようにこの教会の参事会員たちに命じてもらった。参事会員たちにはこのこ
とは不適切と思われ、了承しなかったので、彼らはミサから手を引かされた。彼らはこれ
を不当と考え、一致して主任司祭を選んだ。ところが不安になった者たちをさらに不安に
させるため彼は一人で他の主任司祭を選んだ。彼はこの人とともにこの人のために争いと
損失によって修道士たちの平和を少なからず乱した。その年、彼は神の正しい裁きにより
誰よりも早く死に、口を開けたまま埋葬された。彼の助言で押しつけられた若者が彼の聖
職禄を受け取った。いかなる方法によっても彼の口を閉じ得なかったことを私は実際聞い
た。訴訟で語る罪がどれほどだったかをすべての人に示すためである。
修練士 先に語られたように訴訟でたくみな言葉さえも損なう純朴さについて、二枚舌
の罪の後でさらに話してくださるようお願いします。
修道士 次の例話でそのことを明らかにしよう。

第29話 素朴な言葉のゆえに教皇インノケンチウスの前で教会を拝受
した純朴な聖職者

きわめて教養高く、弁舌巧みな人、教皇インノケンチウスさまは、ある聖職者の素朴な
話しに悔悟したことで、この聖職者は無教養のゆえに当然だいなしにすると思われた教会
を無教養ゆえに拝受した。当時プリュムに住んでいてかつてそこの修道院長であったシト
ー会士カエサリウスがそう私に話してくれた。ある聖職者が何らかの方法で彼からその教
会を奪った。それで聖職者は彼に訴えられて教皇インノケンチウスの前に来て、複雑な言
葉と重みのある文章で自分の弁護したとき、素朴な彼は話を中断させてこう言った。「教
皇さま、この聖職者は真実を話してはいませんし、大きな不正をしています。」教皇は彼
をきわめて純朴な人と見て答えた。「あなたの件を話しなさい。」彼は言った。「私はラテ
ン語を話すことができません。」教皇は言った。「あなたはできる限りで話しなさい。私は
きっと分かるでしょう。」それから彼は非常におどおどと非常にへたなラテン語で話した。
「教皇さま、この聖職者は教会をたくさん持っています。私は一つ持っていました。彼は
私から奪い、その一つに加えました。そのことをあなたに訴えます。」
教皇は彼に同情して、彼の敵対者に言った。「兄弟よ、あなたはこのことにたいして何
というのか。あなたは貪欲でたくさんの教会に満足せず、そればかりかこの貧しい者の財
産をも奪った。彼の素朴な性格では、不正の訴訟を起こさなかったなら、ここへは来なか
ったであろう。正義が彼に勇気を与えたのだ。あなたが今後彼の教会で彼を苦しめないよ
うあなたに命じる。私はあなたの教会を取り上げることにする。」聖職者はこれを聞くと、
恐れをなし退散した。素朴さが敵対者にたいして戦ったからである。
修練者 世俗の諸侯が素朴な人々の言葉とおこないを尊重するなら、神は彼らの祈りを

- 264 -
もっと喜ばれたと思います。
修道士 素朴なパウロが君にそれを示していよう。だが私はもっと新しい例話を君に示
そう。

第30話 試練から解放されなければ、聖母に訴えるとキリストを脅迫
した助修士の素朴な祈り

ヒンメロートである素朴な助修士がひどく試された。彼は立って祈る際にこんな言葉を
用いた。「実に、主よ、もしこの試練から私を解放してくださらないなら、聖母にあなた
のことを訴えます。」謙遜の師にして純朴さを好まれる敬虔なる主は、聖母に訴えられる
のを恐れて、助修士の苦情をお聞きになり、ただちに彼の試練をお和らげになった。
別の助修士が彼の背後に立ってこの祈りを聞いて、笑い、このことを教化のために他の
人に話した。
修練士 キリストのかくなる謙譲は誰を教化するものでしょうか。
修道士 素朴な人たちの他の祈りを君に話そう。君はもっと喜ぶであろう。

第31話 亀裂のなかにキリストを探し、見つけた隠修女

今は聖トロンドの修道院長であるヨハネス師が、あるザクセンの知り合いの隠修女を訪
ねたとき、彼女が泣いていたので、彼は言った。「ご婦人、どうしたのですか。何を泣い
ているのですか。」彼女は答えた。「私は私の主を失いました。」院長は、彼女が聖女であ
ることを知っていたので、彼女が真剣に訴えているのを認め、冗談めかしてこう言った。
「部屋の隅をよく見てこう言いなさい。『主よ、どこにおられるのですか。私に答えてく
ださい。』ひょっとしたら壁の亀裂に主が見つかるかもしれません。」彼女は素朴な言葉を
素朴に理解し、院長が去ったあと、部屋の壁を凝視し、教えられた通りに主に語りかけ、
探していたお方を見つけ、失ったものを受け取った。たびたび主は恩恵を遠ざけられる。
一層貪欲に探されて見つけられたなら、一層丁寧に守られるためである。
二、三年後、このヨハネスが再び彼女を訪ね、彼女にいかが過ごしているかと尋ねたと
き、彼女は喜んで答えた。「最高です。私はあなたに感謝しています。あなたが私に教え
てくださった通りに、私は私の主を見つけました。」院長は彼女が何を言っているか分か
らなかったが、彼女がさっき言ったことについて彼はすべてを思い出し、笑い、素朴な人
たちにふるまわれるキリストを讃えた。

第32話 自分は袋のなかにいるとキリストに祈っているクムブトの
素朴な修道女

シトー会のクムブト女子修道院に木の十字架像を持っていたある素朴な少女がいた。彼
女はこの十字架像をたびたび拝み、接吻し、袋のなかに入れて麦わらの床の下に隠した。
彼女はそれをどこへ置いたかを忘れて、修道院の隅々を悲しんで見て回り、探したが、見
つからなかった。ある日、彼女が祭壇の前に跪いて十字架像がみつかるよう涙を一杯ため

- 265 -
てキリストに祈っていると、神の子は少女の願いをお喜びになりこう答えた。「娘よ、泣
くな。私はあなたの床の麦わらの下にいる。」
『救世主の幼年時代についての道徳的説教(Homeliis Moralibus de Infantia Salvatoris)』
のなかで私が述べたように、彼女が夢のなかでその声を聞いたとその修道院の副院長が私
に話したものと私は思っていた。しかしそのことは本当に起こったことだと私には分かっ
た。
すぐに少女は起きあがって麦わらをのけると、聞いた通りに十字架像が見つかった。こ
れは先に述べたように、恩寵がもっと熱心に求められ、求めることにより、一層価するた
めに主は時々恩寵を遠ざけられることによるものである。
修練士 神が素朴な人々の祈りをお喜びになるとき、神を見る彼らの死は大変価値ある
と私は思います。
修道士 実に価値がある。純朴の徳は殉教者の棕櫚と奇跡の栄誉に価するからである。
これについて次の三例を挙げよう。

第33話 純朴なマルカデルスの受難

ま ち
ロンバルジアの都市フェラリアに数年前、マルカデルスという名の人が住んでいた。彼
は驚くほど素朴で、聖人ゆかりの地を崇拝していた。彼はあまりにも単純なので多くの人
たちにうすのろと思われていたが、神の目にとってはきわめて賢明であった。苦労して必
要以上に財を貯めてコンポステラの聖ヤコブや使徒ペテロやパウロの墓所を訪ねる時に誠
実に費やした。できる限りの間、彼は人々の家畜の世話をした。年老いたためにこのこと
があまりできなくなったので、家々を物乞いして信者の喜捨を糧としていた。教会でミサ
がおこなわれている間は教会から出なかった。それゆえ彼はすべての人から愛されていた。
彼はたびたび件の司教区の村へ赴き、村の教会で銀製の香炉がぞんざいに吊り下げられ
ているのを見て、教会のことを案じ、良心から司祭に言った。「この香炉はここではきち
んと吊り下げられてはいません。」もう何年も香炉はここに変わりなく吊り下げられてい
ると司祭が言うと、マルカデルスは答えた。「千年間起こらなかったことも、しばしば一
日で起こるものです。」
何が起こったことか。悪魔のたくらみで香炉が持ち去られたが、盗まれたことはマルカ
デルスの所為にはされなかった。主が禁じ、主の僕に殉教の機会を準備されたがゆえに、
盗人は香炉を売ることもできず、あえて売ろうともしなかった。盗人はマルカデルスがき
わめて素朴で、この教会で非常に有名であるのを知っていたので、ひそかにマルカデルス
のところへ行き、裏切らないとしかと誓ってもらい、自分が香炉を盗んだと告白した。マ
ルカデルスは彼に答えた。「私に香炉を返してください。私が誰にも知られずに元に戻し
ておきましょう。もし必要ならば、あなたのために私の生命さえも捧げましょう。」これ
を聞いて盗人は香炉をマルカデルスに返した。彼はこれを干し草で包み、袋のなかに入れ
た。香炉を注意深く誰にも知られずに元に戻すためにいつも以上に頻繁に例の教会を訪れ
た。ある日、彼はその時閉ざされていた教会の入り口からひどい嵐によってたたき出され、
やむなく近くの家に助けを求めたが、袋は置き去りにした。
その袋を通りすがりの男が拾い、誰のものかを知っていて、マルカデルスが探しておれ

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ば、返すよう妻に預けた。彼女は袋の重みを感じ夫に言った。「こんなに重いのはパンで
はないわ。あの人は大変素朴なので石を詰め込んだんだわ。」彼女は袋を開き、なかの香
炉を見つけ、突然叫んで近くの人たちに見つけたことを知らせると、人々が駆けつけ、つ
いにマルカデルスも駆けつけた。誰の袋かと尋ねられると、嘘をつこうとせずに言った。
「袋は私のものですが、なかのものはあなたたちのものです。私が盗んだのではありませ
んが、誰が盗んだかは言えません。」盗人がいかにして自分のところへ来て、何を彼に約
束したかを順を追って話した。彼らは言った。「あなたが盗人の名を挙げるか、あなたが
盗人の罰を引き受けるのかが、ロンバルジアの掟です。」マルカデルスは答えた。「私はあ
なたたちの手のなかにあります。私に関しては正義の通りにしてください。」彼らは自分
たちの先のことを考え、マルカデルスをフェラリアへ連れて行き、役人に渡し、出来事を
説明し、彼の潔白と素朴さに有利な証言を並べ立てた。裁判官は彼に盗人の名を挙げさせ
ることができなかったので、彼に死刑の判決をくだした。彼は大聖堂の扉の前で涜聖の罪
なきがら
人として斬首され、亡骸は数人によって同じ場所に埋葬された。次の日の夜、この町の二、
三人の修道女が朝課のために教会へ行き、彼の墓の前を通ったとき、彼女たちはそこで天
使の歌を耳にし、ろうそくが燃えているのを目にし、さらにきわめて甘美なる香りを感じ
た。二日目の夜も、三日目の夜も、彼女たちはもっとはっきりと感じたので、聞いたこと、
見たこと、感じたことまでもこの町の司教に報告した。この司教は敬虔な人だったので、
数名を伴って四日目の夜、修道女たちが言った通りのことを体験し、この神の人の墓の上
に聖堂を建てさせた。そこではキリストの名を讃えるため今日も奇跡が起こっている。

第34話 ルーヴェンの乙女マルガレータの受難

同じ頃、ルーヴェンのある市民が財産を整理してシトー会のヴィレール修道院に妻とと
もに移ることを決めた。二人とも信心深く、修道士たちの敬虔な寄進者であった。縁続き
の成人した娘が彼らと住んでいた。シトー会の助修士が証言しているように、彼女は下女
の立場で彼らと客に非常に素朴かつ入念に奉仕した。彼女は名をマルガレータと言った。
邪悪な連中が、この夫婦が財を貯めているのを知って、夫婦が翌朝出発しようとしてい
た前の夜、ほぼ八人で夜遅く客として立ち寄ったかのように夫婦の家に闖入し、かの娘に
ぶどう酒を買いにやらせた。盗賊たちは夫婦と、そこで見つけた家中の全員を殺害し、す
ま ち
べてを奪い、ぶどう酒を携えて戻った娘を連れて、都市からかなり離れたある家に押し入
った。彼女が悲しんで座っているので、彼女は力ずくで連れ去られたとその家の住人には
思われた。そこで盗賊どもは彼女を川に連れて行った。強盗の何人かが彼女に同情した。
そのうちの一人が、「彼女を殺さないでくれ。おれが妻にしよう」と言った。他の者たち
は同意しなかった。彼女によって人に知られることを恐れたからである。彼女を殺害する
ようにとそのうちの一人に分け前として十マルカが与えられた。彼は残酷な人殺しさなが
らこの無辜なる子羊をつかまえ、まず彼女の喉を突き、死にかけの彼女の脇腹に小刀を突
き刺し、神への犠牲獣のように生きたまま川へ投げ込んだ。彼らが押し入った家の女主人
がひそかに彼らのあとを追い、起こったことを目にした。翌朝になってこのおぞましい出
来事が知れ渡ると、町は大騒ぎになり、盗賊を捜したが、見つからなかった。殺害された
人々の亡骸が調べられている間、娘の捜索がなされた。二、三日後、漁師たちが彼女の遺

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体を発見したが、自分たちに罪が着せられるのを恐れて、知らせることをせず岸辺に埋め
た。他の人たちが夜彼女の墓の周りに光りを見て、墓を掘り出し、そこからルーヴェンに
運び、墓の上に小聖堂を建てた。
彼女が殺害された場所でも、移された場所でも彼女の功徳による種々な奇跡が今日に至
るまで起こっている。アマンドゥスという名の、マルガレータの主人は妻とともに死後ヴ
ィレールのある修道士にあらわれ、今どうしているかと問われると、こう答えた。「われ
われはまだ栄光に満たされていません。」最後に娘のことが問われると、彼はこう答えた。
「私たちに与えられている恩恵はマルガレータの功徳によるものです。私たちは彼女が与
っている栄光をあえて眺めようとはしません。」
素朴と無辜が殉教にどれだけ重くかかわっているかを、君は今分かったかい。この件で
殺害された者がすべての奇跡に輝いているのではない。罰が殉教者を作るのではなく、原
因が殉教者を作ることは明らかだ。
修練士 殉教のいかなる原因があの娘にあるのですか。
修道士 私がすでに述べたように、素朴と無辜である殉教の種類はさまざまである。つ
まり、アペルのような無辜、預言者や洗礼者ヨハネスのような正義、マカバイのように掟
への愛、使徒たちのような信仰の告白である。このような種々な原因のゆえに子羊、つま
りキリストは殺害されると世の初めから言われている。
修練士 非常な素朴さから自殺する人もいます。
修道士 さし迫った理由によって正当化されない限り、そのような人たちが殉教の栄光
に全く与らない。次の例話が示している。

第35話 暖炉のなかで自殺した司祭の素朴なめかけ

ある修道士が私に話してくれたが、ある日、司祭が大勢の人々に地獄の罪と罰について
の説教をしていたとき、一人の婦人が驚き、悔悟して、司祭の言葉をさえぎりこう言った。
「ああ、司祭さま、聖職者のめかけはどうなるのですか。」司祭は、その婦人が非常に素
朴な性格であるのを知っていて、冗談めかして答えた。「燃えている暖炉のなかに入らな
ければ、彼女たちは救われないだろう。」彼女自身もある司祭のめかけであった。彼女は
かまど
司祭の言葉を冗談としてではなく、大いに深刻に受け止めた。ある日、パンを焼くため 竈
に火がつけられ、彼女もたまたまそこにいて、全員が外へ出ると、彼女は扉を閉め、永遠
の炎から逃れるため燃えている竈のなかに頭からつっこみ、炎に包まれて息を引き取った。
この時、建物の周りにいた人々は、雪のように白い鳩が竈の筒口から飛び立ち、大いに輝
いて天のかなたに上っていくのを見た。彼らは幻に呆然として扉をこじ開け、なかに入り、
半ば焼きただれて死んだ婦人を引き出し、司祭の言葉に従って自死した女として野に葬っ
た。神は、かくも素朴になされた死は、悪意からではなく、従順からのものであることを
お示しになるため、夜になると燃えるろうそくで彼女の墓を明るくされ、多くの人がそれ
を見た。
修練士 このことで私は不快にはなりません。ある修道院長が改宗を欲する人に火がつ
いている竈に入るよう命じたことが、『教父伝』に書かれています。彼は従い、正義とし
て評価されました。竈から出た鳩が何を表しているかを知ることはうれしいです。

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修道士 素朴な婦人の魂を表している。聖ベネディクトゥスは、彼の姉の修道女の魂が
天を通るのを見た、と彼の伝記に記されている。

第36話 素朴なルートヴィヒの死

こういう鳩は、二年前にわれわれのところで死んだルートヴィヒという名の修道士のこ
とを思い起こさせる。彼が昼に断末魔にあって、修道士たちが午睡をしていたとき、ある
修道士が夢のなかでルートヴィヒが死にかけて横たわっている部屋の屋根に白い鳩がとま
っているのを見た。黒い猫が鳩をうかがっていた。猫は鳩にとって危険な相手であったの
で、鳩は猫に捕まるのを恐れ、教会へ飛んで逃れ、十字架の上におり、そこに無事止まっ
た。
同じ時、あちこちに輪になって立っている修道士たちのところに一頭の獅子がその場所
をまわり、突っ込んで輪のなかに入ろうとしていているのを、別の修道士が見た。獅子は
一人一人に妨害され、彼らのかかとで追い払われ、逃げ去った。その間、板木が打たれ、
修道士たちが駆けつけ、死の淵にある者の周りに立ち、連祷がなされた。その修道士は死
に、洗浄され、服を着せられ、厳かな歌のなか教会へ運ばれた。
修道士は猫と獅子の罠から逃れたことと思う。悪魔は、形と性質で十二分に猫と獅子に
似ている。素朴な人の死にゆく魂をうかがう強奪欲のゆえからである。このルートヴィヒ
は、素朴な性格であったが、老年の回心の前までかなり世俗的な生活をしていた。素朴の
徳が、本性において素朴である神にどれだけ喜ばれるかを、ある修道女の得難い死が示そ
う。

第37話 山羊を世俗の女性と思った素朴な修道女の死

トリーア司教区にフラウラウテルンと呼ばれている女子修道院が置かれている。昔から
の習慣で七歳かそれ以下の少女でないと受け入れられない。身体全体を輝かせる純朴さを
保つためにこのような規則あるいは習慣が定着していた。ところが、最近この修道院に成
人した若い女性が住んでいる。しかし彼女は家畜と世俗の人間を区別することができない
うと
ほど世俗のことには疎かった(1)。修道院に入る前は世俗の人間の姿を知らなかったから
である。ある日、果樹園の塀に山羊がのぼった。彼女はこれを見て、それが何であるか全
くわからなっかたので、そばの修道女に言った。「あれは何ですか。」修道女は彼女の素朴
さを知って、驚いている彼女に冗談でこう答えた。「あれが世俗の女性です。」そしてこう
付け加えた。「世俗の女性は年を取ると、角と髭がはえるのです。」彼女はこれを信じ、知
ったことを喜んで感謝した。
彼女はたびたびこのような素朴な話で年長の修道女の心を和らげたが、重い病気に罹っ
た。彼女は話すことができないほど横になっていたとき、病舎管理修道女が訪れると、彼
女はまず言葉で、次に手振りで早く死にたいと伝えた。修道女は言葉も手振りもわからず、
唖然として立っていると、頭の布をまるめて修道女の胸に軽く投げた。修道女は石が当た
ったように床に倒れた。床にしばらくの間意識を失って倒れていたが、立ち上がって病み
人の床のそばの窓から外を見た。すると、墓地に黄金の靴と手綱のたくさんの馬が見えた。

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同じ時、乙女は断末魔の苦しみのなかで修道女たちが近づくとはっきりした声で叫んだ。
「場所を空けてください。場所を空けてください。あの人たちを呼んでください。」乙女
は、部屋が非常に美しく輝く人たちで満たされているのを見た。こうして乙女は主の許で
眠りに就いた。
修練士 この純朴な女性の魂を天国の部屋へ連れていったのは、天の軍勢だったと私は
思います。
修道士 その通りだ。だが君は一つのことを忘れないことだ。つまり、病舎管理修道女
が墓で馬を、死にかけている乙女は家のなかでその騎手を見たことである。この幻視の証
人は、ケルンの説教者兄弟会の副院長ハインリヒである。彼は先の修道院の主席司祭から
聞いたことを覚えていた。

(1)彼女は幼少の頃より修道院で育てられ、外へ出ることはなかった。

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