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「村上春樹」新刊発売間近、今読んでおくべき幻の中編『街とその不確かな壁』の魅力

村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』が新潮社より4月13日に刊行される。『騎士
団長殺し』以来、6年ぶりの最新長編だ。

本作について春樹ファンのあいだで指摘されているのは、文芸誌『文學界』1980年9月号
に掲載された幻の中編「街と、その不確かな壁」を元にした作品ではないかということだ。
同作は1985年に刊行した長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の習作として
の位置づけでも知られているが、村上は「失敗作」だと捉えており、単行本や全集には収録
されなかった。本稿ではその幻の作品の内容を紹介し、特に重要だと思われるポイントを
整理したい。

大まかなプロットを見てみよう。主人公の「僕」は18歳の夏の夕暮れ、親密な仲である
「君」から想像上の「壁に囲まれた街」の存在を知らされる。本当の彼女はその街にいて、
いまの存在は「影」に過ぎないという。そして「君」を亡くした僕は、そこを訪れることとなる。
街には美しい川が流れ、りんごの木が繁り、金色の毛に覆われた一角獣が住んでいた。
「僕」は「君」と再び出会い、街の図書館で「予言者」として「古い夢」の整理をしていく。そう
して親交を重ねてはいくものの、想像の街で二人の関係が真に成就することはなく、やが
て「僕」は街を出ることを決心する……。

まず本作は、上記のストーリーからもわかる通り、「僕」と「君」のあいだの愛と喪失の物
語だと読むことができるだろう。『ノルウェイの森』をはじめとした多くの春樹作品で描かれ
ていることだが、やはりその男女のやりとりはいかにも春樹の個性が際立っていて、思わ
ずクスッとしてしまうところがある。真骨頂は冒頭の会話だ。彼女に街の存在を知らされた
僕は問う。「『そこに行けば本当の君に会えるのかい?』『ええ、もちろんよ。あなたにその
街をみつけることさえできればね。そしてもし......』君はそこで口をつぐみ、顔を赤らめる」。
いかにも思わせぶりで、意味深でシュールなやりとり! ここではセックスを暗示していると
も考えられるだろう。「僕」はそれが目的で想像の街に向かっているのではないかとも思え
てくるが、ただ、そうした親密なかかわりすべてに喪失の気配が漂っていて、悲哀を感じさ
せる静かで冷たいトーンが流れているのも確かだ。

続いて重要なポイントは、全体を通して「壁」というメタフォリカルなモチーフが、さまざまに
描かれていることだ。ある意味では「壁」が主人公だと言っても良い。たとえば「壁はあらゆ
る時を超え存在してきた」「もしもこの世に完全なものが存在するとすれば、それはこの壁
だ」「壁はゆるやかな曲線を描きながら、まるで呪縛の帯のように街を包みこんでいる」
等々。一読するとひとまずは現実と虚構を分かつ存在だとは言えそうだが、さらにその上に
さまざまな含意が上乗せされていく。

「壁」という言葉を聞いてやはり思い出すのは、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ
「壁と卵 – Of Walls and Eggs」だ。イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ攻撃を批判
し、「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常
に卵の側に立ちます」と語った。そして壁は何を意味するかについて「爆撃機や戦車やロ
ケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です」「その壁は名前を持っています。それは
『システム』と呼ばれています」などと解説した。春樹にとって「壁」が重要なモチーフである
ことは間違いない。

現代において壁というと、イデオロギーやアイデンティティの「分断」の象徴のように捉え
る向きも多いはずだ。しかしだからといって「分断をフィクションの力で乗り越える試み」など
と考えたら、いかにも作品を矮小化しているようにも思える。重要なのは、壁というモチーフ
を多義的に解釈できるものとして捉えた上で、その広がりと物語の交錯を存分に味わうこと
にあるだろう。本作冒頭で示唆されるように、小説世界においては壁をはじめとしたあらゆ
るものが「ことば」によってつくられていて、だからこそ「不確か」で曖昧な存在なのだ。

先入観もあるのだろうか、本作を読んでいると、何かが始まる予感のようなものを感じさ
せる。思えば、この「壁」と「ことば」というテーマは、作家・村上春樹が全キャリアをかけて
模索してきたのではないだろうか。つまり、最新作ではその集大成を目撃できるかもしれな
い。そんな期待を抱きながら、刊行を楽しみに待ちたいと思う。

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