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売春防止法の「負のシンボル」婦人補導院

なぜこれまで廃止できなかったのか…

新しい女性支援法案の国会提出に向けて、各党の議論が大詰めを迎えている。法案の注目
の一つが、売春防止法の「負のシンボル」とされてきた「婦人補導院」の廃止だ。婦人補導
院は、売春で有罪となった女性が閉ざされた空間で生活指導を受ける場。近年は実態と合わ
なくなり施設はほとんど使われず、数十年にわたり廃止論がくすぶっていた。だが、なぜこ
れほどまでに廃止に年月がかかったのか。理由を探って見えてきたのは、この国によどむ
「女性のあり方」そのものだった。

◆重厚な扉、便器むき出し…まるで刑務所

「あんなに屈辱的な場所ってあるのだろうか。売春に至った経緯や背景は見ず、福祉的支
援が必要な女性たちを、犯罪者の目線で『更生』させるための場所としてあったのです」
全国婦人保護施設等連絡協議会の横田千代子会長(79)は、婦人補導院が存続してきたこ
とにそう憤る。
婦人補導院は売春防止法違反の罪で、執行猶予付き判決を受けた 20 歳以上の女性が「補
導処分」として入る施設だ。全員が入るわけではなく、公衆の目に触れるような方法で、相
手を誘う通称「5 条違反(勧誘等)」に限定される。
6 カ月間収容され、裁縫や調理、6 カ月で成長する野菜の収穫体験など、生活指導や職業
訓練を受ける。
執行猶予判決にもかかわらず、生活環境は刑務所に近い。重厚な扉には頑丈な鍵が外から
かけられ、自由はない。1 人用の個室の広さは 3 畳。部屋の立て板の向こうは便器がむき出
しで、食事は小窓から配膳された。鉄格子の窓の隙間から小さな空が見えるだけだ。
男を誘う女は、家事や正業に就く力がないのだから、国が隔離して自立できるよう支えて
あげよう—。そんな発想ともいえるこの施設は 1958 年から、運用されてきた。
「初めて見学した時の衝撃が忘れられなかった」。横田さんが婦人保護施設で働き始めて
約 40 年。ずっと、婦人補導院の廃止を訴えてきた。

◆「彼女らは社会の片隅でずっと見過ごされてきた」

その訴えに声をからすたび、脳裏に浮かぶ女性がいた。婦人補導院への入退院を数回繰り
返し、その後、横田さんがいた婦人保護施設に入所してきた。
女性は文字の読み書きができず、名前も書けない。自身を証明するサインは漢数字の「十」
のような文字とも言えぬものだった。身体も頭髪もうまく洗えず、横田さんが一緒にお風呂
に入って手助けした。
身体には、全身に男に傷つけられた入れ墨があった。お花の絵など子どもの落書きのよう
なものだった。二の腕には男と女性の名前が入った相合い傘の入れ墨。「知的障害があり、
理解できないまま、いつも笑っていた。本当に腹が立ちました」
婦人保護施設ではなく施策が進む障害者施設に入所相談にも行ったが、「売春歴がある女
性はちょっと…。利用者が惑わされる」と断られた。せめて入れ墨だけはと、女性が 60 代
になった時に警察病院のレーザー治療で手術。ケロイド状の痕は残ったが、女性は「消えた
よ!消えたよ!」と泣いて喜んだ。
婦人補導院に収容されていた女性たちの顔は、生涯忘れられない。障害があり、家族から
も見放され、性的搾取されてきた「社会的被害者」だ。婦人補導院に収容されても根本的な
解決になっていなかった。
本来、再犯を防ぐ福祉的支援を考えるなら、閉鎖空間ではなく自由な環境の下、ソーシャ
ルワーカーから生活支援を受けたり、心理的ケアを受けたりしながら、社会になじんでいく
方法もある。婦人補導院のやり方は実態に合わなかった。
横田さんは廃止の議論を「歓迎したい」としつつ、悔しさをにじませる。「社会の片隅で
誰の目にも触れられず、彼女たち自身もなぜ自分がここにいるのか疑う力さえもなく…だか
ら声も上げられず、社会からずっとずっと見過ごされてきた。もっと早く廃止しなければな
らなかった」

◆実情に合わなくても法務省は徹底抗戦

婦人補導院の法的根拠の売春防止法。成立経緯をたどると戦後の占領が女性から始まった
ことがにじむ。
終戦日からわずか 3 日後の 1945 年 8 月 18 日、内務省は占領軍向けの性的慰安施設の開設
を指示。当然ながら性病が蔓延し、46 年に閉鎖。公娼制度は廃止されたが、売春形態は水面
下に潜り、売春女性は蔑視される存在になった。
「時代の生けにえ」であった女性たちの存在は社会問題化し、56 年に売春防止法が議員立
法で成立。付帯決議で示された婦人補導院はその 2 年後に設置された。当初は東京、大阪、
福岡の 3 カ所。60 年には最多の計 408 人を収容した。
だが、近年は裁判所が補導付き判決を出さなくなり、収容者は激減。施設は東京に残るだ
け。平成以降わずか 15 人で、存在意義が問われた。国会でも廃止論は散発的に浮上し、問
題意識を持っていた大森礼子弁護士は、参院議員だった 98 年の法務委員会で「実情に合わ
ない」と追及。「あの時でさえ、婦人補導院という存在や、『婦人』という名称自体も時代
錯誤だと思った」と振り返る。
だが、法務省側は徹底抗戦。当時の矯正局長は 89 年から 10 年間で 10 人収容し、運営費が
総額 6 億 9000 万円だった実績を強調した上で、「唯一残されたこの施設をなくしてしまって
いいんだろうか。客引きのような行為が将来的にもずっとないと果たして言い切れるのか」
と言ってのけた。

◆女性蔑視と排除の思想根強く

それから二十余年の 2019 年に移転。東京都昭島市の東京西法務少年支援センター(東京


西少年鑑別所)内の併設になったが、廃止はされなかった。鑑別所の建設費は約 20 億円。
「婦人補導院だけを切り分けて算出できない」(大臣官房施設課)とするが、婦人補導院の
建設費も含まれる。
17 年以降の収容者はなく、移転後は新品のまま使われていない。なぜ、廃止されなかった
のか。
お茶の水女子大の戒能民江(かいのう・たみえ)・名誉教授(ジェンダー法)は「女性が
売春せざるを得ないという社会的背景への無関心もあるが、そもそも売春する女性への蔑視
と排除の思想が根強くあったからだ」と指摘する。「売春する女性は、性道徳や婚姻秩序を
乱し、性病を蔓延させる『加害者』とされ、補導処分は不可欠とされてきた。売春防止法に
定められた補導処分も婦人保護事業も純然たる女性支援ではなかったのだ」

◆性的搾取、予期せぬ妊娠…支援対象に

現在、新しい女性支援法の議論が佳境を迎える。売春防止法で婦人補導院の「補導処分」
を定めた 3 章と、「保護更生」を定めた 4 章を廃止し、それに代わる新法と位置づける。
3 章は法務省、4 章は厚生労働省の管轄。当初新法を求める支援者の中では、これまでの
経緯から「法務省は岩盤。せめて 4 章の改正を」との方針だった。
だが、厚労省の有識者検討会が 19 年 10 月に、4 章の廃止とともに「その他の規定も見直
しを」と結論付けると風向きは変わった。
昨年 9 月、法務省の有識者の意見交換会でも「執行猶予に付した者を対象とし、強制的に
婦人補導院に身柄を収容する点で矛盾をはらんだ制度だ」と問題視された。従来の立場を全
否定された法務省の担当者は「施設を鑑別所に併設し、職員も併任にするなど、必要最低限
にとどめる自助努力をしてきた」と説明する。
新法では、必要な施策を講ずるよう国や自治体の責務を明確にする。家族の暴力による居
場所の喪失や性的搾取、予期せぬ妊娠など女性であることに起因する複合的な困難にさらさ
れる女性も支援対象だ。NPO 法人「BOND プロジェクト」の橘ジュン代表は「若い女の子た
ちへの支援は、国の枠組みから抜け落ちてきた。女性というだけで降り掛かる負の連鎖をみ
んなで断ち切りたい」と語る。前出の横田さんも言う。「婦人補導院に収容された女性も、
支援が受けられない現代の若い女性も構造は同じだ。国にも社会にもしっかり目を向けてほ
しい」

◆デスクメモ

婦人補導院の運用は、根底に女性差別や偏見があり、税金の無駄遣いでもあった。戦後の
負の遺産で、早く改善しなければいけなかった「戦後レジーム」ということか。だが、「戦
後レジームからの脱却」を連呼し、十年近く在任していた首相が指導力を発揮する姿勢は見
えなかった。(六)

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