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ペルーにおける沖縄県出身自由移民の都市集中と職業構

Title 成の変遷

Author(s) 石川, 友紀; 米盛, 徳市

琉球大学法文学部紀要. 史学・地理学篇 = Bulletin of the


Citation College of Law and Letters, University of the Ryukyus. History
and Geography(27.28): 17-138

Issue Date 1984-10-27

URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/15588

Rights
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集 中
と職業構成の変遷

友 徳

紀 市
石 米

川 盛
OnOc
cupat
iona
lChan
gesandUrbanCo
ncent
rat
ion
o
fOki na
wanImmigr
antsi
nPeru

日 次

Ⅰ ペルーにおける日本移民在留者数 とその分布及 び出身府 県別在留


者数の推移
Ⅰ - --43
Ⅰ ペルーにおける日本 自由移民の職業構成 の変遷 ----・ -

1

Ⅰ 沖縄県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成 ------ - ---・
80
1
Ⅴ 現地調査 を通 してみた沖縄県出身 自由移民の職業構成の変遷 -8
7
V 生産活動か らみたペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の職業 の時
系列分析

執筆分担 :序、 Ⅰ∼Ⅰ


( Ⅴ、結語、石川、 Ⅴ米盛)

ペルーにおける日本移民 は、 まず契約移民か ら始 ま り、 ついで 自由移
民の時代へ と移 り変わってい く。契約移民時代 とは、1
899年 (
明治3
2)
か ら1
923 大正 1
年 ( 2) までの2
4年間に相 当 し、以後 引続 き現在 まで 自由
移民の時代 を形成す る。しか し、契約移民時代 において も、その契約期限
(
大部分が 1年) を終 えれば、 自由移民の身になれたので、実質的 には
日本移民のほん とん どすべてが、 自由移民 を長 く経験 している。
ペルーにおける日本移民のなかでは、沖縄 県出身者が数多 く、 日本移

- 1
7-
民 を代表する移民 と言 えば、沖縄県移民 を指 している場合が多い。その
ため、 この沖縄県出身移民の都市集中 と、それに伴な う職業構成の変逮
をみることによ り、 日本移民の本質の究明が可能 と考 える。 よって本棉
では、ペルーにおける日本移民全体 を考察するとともに、 とりわけ沖縄
県出身移民に焦点 を当て、 その特色な どをみてい くことにする。

Ⅰ ペルーにおける日本移民在留者数 とその分布及び出身
府県別在留者数の推移

本項ではまず始 めに、ペルーにおける日本移民の在留者数 を押 さえ、


ついで 日本移民の地域的分布 を概観 し、最後 に出身都道府県別の 日本移
民在留者数 をみることにす る。

1 ペルーにおける日本移民在留者数

表 1は1
904年 (
明治37)か ら1
940年 (
昭和1
5) までのペルーにおける
年次別男女別 日本移民在留者数である。 この在留者数 についてみると、
1
904年の1,
486人か ら始 まり、年次 を経 るにつれ増加の傾 向にある。 し
か し、年次 によっては減少 している年 もあ り、最高は1
936年 (
昭和11)
の 22,
570人である。
年次別の推移 を今少 し詳細 にみると、1
904年 とい う年 は、1
899年 (

治32)に日本か らの初 回契約移民が開始 されて後の 5年後、1
903年 (

治36)の第 2回移民の 1年後 であ り、当時ペルーに約1.
500人の 日本移
民が在留 していた ことが判 る。 それが 5年後の1
909年 (
明治42)にはペ
ルー移民はその3.
1倍 にも相 当する4,
560人 もの数 を記録する。 しか し、
その 5年後の1
914(
大正 3)には、5,
381
人 とな り、わずかの増加 を示
すに留 まる。 その 5、 6年後 まで漸増の傾 向がつづ く。翌1
921
年 (
大正
1
0) にな る と 1万人 を突破 す るようにな るが、1
922年 (
大正 11)か ら

- 1
8-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

表 1 ペルーにおける年次別男女別 日本移民
在留者数 (
190
4-1
940
年)

年 次 在 留 者 数
男 女 計


注)
1
909(ノ/42
) 4.
560 1
)資料の出所 :外務省調
査部 (
193
7)r海外各地在
1
914(
大正 3 ) 5.
381
昭和 1
留本邦人人 口表J( 1
1
919(ノ/ 8) 5,
910 年 1
0月 1日 現 在 ),
1
920(// 9) 5,
910 P.
116 拓務大臣官房文
21(ノノ10) 10.
864 書(
調査)課 r
拓務統計J
22(ノ/ll) 9,
675 昭和 6-1
( 3年).外務省
通商局 r
海外各地在留本
23(ノ/12
) 9.
440
大正 3年
邦人職業別表 J(
24(//13
) 9,
864 6月末 日現在)
.同r
海外
25(/ノ14) 10,
969 各地在留本邦人職業別人
26(
昭和 1) ll,
786 昭和 3
口表 J( 年1
0月 1日
現在調)第 1表.同 (
193
1)
27(ノ/ 2) 15,
207
r
昭和五年在外本邦人国
28(ノノ 3) 16,
979 勢調 査織 業 別人 □表 ),
29(〃 4 ) 18,
401 P.
43.外 務 省 調 査 部
1
930(〃 5 ) 20,
535 (
193
6)r
海外各地在留本
邦内地人職業別人 口表J
/ 6
31( / ) 20,
650
昭和 1
( 0年 1
0月 1日 現
32(ノノ 7) 21,
141 在).外務省調査局 (
194
3)
33(ノ/ 8) 21.
281 r
昭和十五年海外在留本
1
93
04(
明治/3
ノ 9
7
)年 1
l
13
l,
9
4
20
3
15
0 7
5,
.
2
3
53
4
15
4
2 21,
1
42
87
6
人 邦人調査結果表J.P. 1.
2
)調査 月日は1
924
年 まで
35(ノ/10) 13,
467 8,
083 21,
550
は各年 6月末 日,192
5年
36(ノ/ll
) 14,
280 8,
290 22.
570 以降 は各年 1
0月 1日現在
37(ノ/12
) 13,
845 8,
305 22,
150 である。
3
)1937
年の在留者数 は男
13.
766
人,女8 .3
07人,令
計22.0
73人 との説 もあ り
1
94
30(/
8
9 /15
4
3
) 13,
261 8,
242 21,
503 (拓務統計J昭和 1
r 2年)0

- 1
9 -
1
924年 (
大正 1
3) までは逆 に減少 して9,
000
人台 を維持す る。 その後、
大正 末期 の 1
925年 (
大正 1
4)か ら増加 し始 め、1
927年 (
昭和 2)には
1
5,0
00人 、1
930 昭和 5)には 2万人 を突破する。 そして1
年 ( 936年 (

和1
1) までは増加 をつづ けるが、1
937年 (
昭和 1
2)以降 は減少 してい
く。
つぎに、在留者数 を男女別移民数の判明 している年次のみ、男女別の
比率でみると以下の とお りとなる。1
928年 (
昭和 3)には男女の比率が
2.
1:1で あ ったのが、1
930年 (
昭和 5)には 1.
8:1とな り、1
935年
昭和 1
( 0) には1.
7:1、1
940 昭和 1
年 ( 5) には1.
4:1とな り、女子の
比率が年次 を経 るにつれ増加 していることが知 られる。

2 ペルーにおける日本移民在留者数の地域的分布

表 2は1
930 昭和 5)・1
年 ( 955 昭和 3
年 ( 0)・1
977 昭和5
年 ( 2)現在の
ペルーにおける日本移民在留者数及びその構成比 を示 した ものである0
これ を図化 したのが図 1・図 2 ・図 3である。 これをみると2
5年、2
2年
間隔であるが、いずれの年次 において も、ペルーにおける日本移民は リ
マ県が圧倒的に多 く、87.
0、8
9.7、7
5.8%である。 リマ県についで、第
2位が リベルタ一県、第 3位が フニ ン県である。1
977
年の統計では以上
の 3県のほか に、 ランバ イエケ、イカ、ア ンカシ ュ、マ ドレデデ ィオ
ス、 ワヌコ、 ロレ トの諸県がつづ き、 リマ周辺の県に比較的 日本移民が
集中 していることが知 られ る。
要するに、ペルーにおける日本移民の 7割 5分か ら 8割以上 もリマ県
が占め、地域的分布 としては同県に日本移民の集中度の高いことが知 ら
れる。 また、第二次世界大戦前 においては リマ県の中で もリマ市、カヤ
オ市の都市域以外 にも農業移民などが数多 くみ られ、1
930
年 にはそれが
3
6.9% を も占めていたが、戦後 は大部分が リマ市及 びカヤオ市 に集 中
(
195
5年 には7
7.6%) していることが判明する。

- 2
0-
1
表 2 ペルーにおける県別 日本移民在留者数及び構成比 (930・'
55・'
77年)


7

香 県 名 (
現 地 語 名) 次
年移民数 実1 昭構和成
930年数 ( 5)比 実1
95 昭和
5年数 (構 3
成0比
) 実1 昭和
977年数 (構 5 比
成2)
え \t,
IB

(豊 の 忘 三 言 惹 き謡 :と) 8
7
1.
,5
23
90
9
40
1 40
36
9 .8
.9
2 13
9 .
,006
249 7 2.
71
.
6 1

@ リ ベ ル タ - Li
マ (
(
L be
mar
t
)ad) 1
7,74
29
5人 87
3 .
070
/o 22 ,659
255人 82.
6
9.7% 5
23,
6
18
56
8人 7
45.
.8
5%
③ フ ン (
Juni
n) 575 2 .8 6
97 2.
8 2,648 3 .8

㊨ ア ン カ シ ユ (
Ancash) 329 1 .6 1 5 3 0.
6 1,
554 2 .2
C故 耳 か寄 夢 海E
t

⑤ イ カ (
Ⅰca) 3
41 1 .7 484 2.0 1,
575 2 .3
iB皿
, E

@ ラ
ピ ン バ ウイ エ ケ
ラ (
Pa
Limb
ur
a)ayeque) 2
13
57
9 0
1.3
.7 251 1.
0 2,
1
27
19
4 3 1
.3
0 .
b萌 知0

⑩ ク ス コ (
Cuzco) 194 0.
3


⑪ マ
ア パ

ワ ド レレデヌデ キイ オ
コ Ma
A
(
Hur
ed
q
ar
u
ned
i
up
ca
eD
o)i
) os
) 4
1
28
3 0.
6
2 76
1
0
45 0.
4
3
2 1,
3
17
92
1 0
1 .
1 .7
6
.7

⑫ ア ヤ ク チ ヨ (
Ayacucho) 21 0.
1 230 0 .3

⑬ モ ケ グ ワ (
Moquegua) ll 0.
1 104 0 .2

⑭ サ ン マ ル テ イ ン (
SanMa rti
n) 30 0.
1 281 0 .4
)暫 剖 沸 せ t轟 淋 藻 熟 8

⑮ ロ レ 卜 (
Lore
to) 19 0.
1 919 1 .3
相 槌
⑱ ハ ス Pa
コ ( s
co) 4
03 0,
6
⑩ カ ハ マ /
レ カ (
Caj
amarc
a) 1
10 0.
2
⑳ ツ ン ベ ス (
Tumbe
s) 84 0.
1



⑳ プ
ア マ
ワ不ン リベ ナ
プ カゾ ノ


マリ明 ス (
P
A
Hu
m
pn
u
u

a
r)
nC
z
i
m
ona
a
cV
s
)
e)
li
ca) 6 0
.
0 8
9 0.
4 1
3
78
1 0.
2
1

(
注)1) 資料の出所 :1
93年は伊藤力 ・呉屋勇編著
0 (
197
4 在 ペルー邦人 7
)r 5年の歩 み」ペルー新報社 、p
p.6
7-6
8、p9
3、
附表 p.
244
、19
55年 は斉藤 広志 (
196
3)「ペルー在 住日系人の人 口 と家族 」rラテ ンアメ リカ研 究 j
No2、p
.17
、177年
9
は在ペ ルー大使館 資料 「
在ペルー在留邦人 (日系人 を含 む)地域別分布状況」 による。
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

図 1 ペルーにおける県別 日本移民在留巻数 (
193
0年)
(
番号 は表 2の 県名 の番号 と一致 す る)

- 2
3-
ブ ラ ジ ル

図 2 ペルーにおける県別 日本移民在留者数 (
195
5年)

-2
4-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

図 3 ペルーにおける県別 日本移民在留者数 (
197
7年)

- 2
5-
3 ペルーにおける出身都道府県別 日本移民在留者数

表 3は1
935年 ( 0)現在のペルーにおける出身道府県別 日本移民
昭和 1
在留者数である。 これ を道府 県別 にみ ると、首位 は沖縄県で8,
872人で
全体 (
21, 人)の41.
551 2% をも占め、圧倒的に多い。第 2位 は熊本県の
1
2.4% (
2,674人)
、第 3位 は福 岡県の6.
7% (
1, 6人)
43 、第 4位 は福 島
5% (
県の6. 1,92人)、第 5位 は広島県の6.
3 3% (
1, 人)
351 、第 6位は山
口 県 の 4.
8% (
1,45人)で あ る。以 下、山梨 (
0 3. 、鹿 児 島 (
1%) 2.5
%)
、宮 城 (
2.3%)、愛 媛 (
1. 、山形 (
9%) 1.2%)、静 岡 (
1. 、新
2%)
渇 (
1. 、岡山 (
1%) 1.1%) の諸県の順 につづ く。
要するに、ペルーにおける出身道府県別移民数では沖縄県が全体の 4
割以上 をも占め、圧倒的に多 く、ついで熊本県が 1割 3分 を占め多かっ
た。 また、福 岡、福島、広島、山口県なども比較的多か った。 このよう
にペルーへの移民 を多 く出 した地域 は沖縄県 と熊本 ・福 岡県を中心 とし
た九州 と、広島 ・山口県な どの瀬戸内山陽地域 と、東北地方の福島県で
あることが判明する。

表 3 ペルーにおける出身道府県別 日本移民在留者数 (
1935年)

道 府 県 在留者数 構成 比 道 府 県 在留者数 構成比

北 海 道 21
人 0.
1% 都 7
人 0.
0%
0
.
0

青 森 3 大 阪 1
4 0.
1
岩 手 ll 0.
1 兵 庫 2
0 0.
1
城 4
94 2.
3 良 1 0
.
0
0
.
0
宮 奈

秋 田 1 和 歌 山 1
73 0.
8
山 形 2
68 1.
2 鳥 取 1
5 0.
1
福 島 1.
392 6.
5 島 根 6
7 0.
3

- 2
6-
ペルーにおける沖縄県出身自由移民の都市集中と職業構成の変遷

注〕1
〔 ) 資料の出所 ■サ ンパ ウロ新聞社 (
196
6)r南米の 日系人 J P I
Olよ り筆
者作成す。
2
) 総数は原典では21
.55
0人であるが、集計すると2
1.5
51人 となり筆者に
よ り修正 した。

表 4は先 の統計 よ り 5年後 の 1


940年 (
昭和 1
5)現 在 のペ ル ー にお け る
出身道府 県別男女別 日本移 民在 留者数 で あ る。 同年 の 日本移 民在 留者 総

数 は20,
056人 で あ り、男 女 別 内訳 は男 子 11,
817人 、女 子 8.
239人 で、 そ
の比率 は1.
4:1で あ る。
0,
これ を出身道府 県別 にみ る と、首位 は沖縄 県で 1 71
7人 を記録 し、 全

体 (
20.
056
人 )の53.
4% を も占め る。 2位 以下 は首位 と大 きな開 きが あ
るが、第 2位 は熊 本 県 の 1
0.1% (
2,01
9人 )、第 3位 は福 岡 県 の 5.
4%
1,
( 07
4人 )、第 4位 は広 島県の 4.
7% (
948人 )、 第 5位 は福 島 県の 4.
7%

- 2
7-
表 4 ペ ルーにおける出身道府 県別男女別 日本移民在留者数
(
194
0年)

道府 県 男在 留女者 数計 左計の
構成比 道府 県 罪在 留女者 数計 左計の
構成比
北 海道 1
6人 1
2人 2
8ノ、 0,1% 大 阪 10人 5
人 1
5人 0_1
0,
0

青 森 4 2 6 0
.
0 兵 庫 1
8 9 2
7 0,
1

岩 手 8 9 1
7 0_
1 奈 良 2 1 3 0.0

宮 城 1
95 1
24 31
9 1.
6 和歌山 1
02 7
9 1
81 0.
9

秋 田 5 2 7 0
.
0 鳥 取 1
9 2
0 3
9 (
)_
2

山 形 1
02 7
9 1
81 0.
9 島 根 2
5 2
0 4
5 0.
2

福 島 5
70 3
66 9
36 4.
7 岡 山 9
7 6
0 1
57 0.
8

茨 城 3
5 1
6 51 ∩.
3 広 島 5
78 3
7〔) 9
48 4.
7

栃 木 i
.l 5 1
9 0_
1 t
LJ u 4
25 2
66 6
91 3.
4

群 馬 3 1 4 ∩.0 徳 島 1 1 2 0
.
0
埼 玉 5 4 9 0
.
0 香 川 6
8 4
6 1
14 0.
6

下一 葉 3
6 1
8 5
4 ∩.
3 愛 媛 1
56 9
5 2
51 ト3

東 京 6
4 5
6 1
20 0.
6 高 知 8 3 l
l 0.
1

神奈川 2
4 1
2 3
6 0.
2 福 岡 6
()
4 4
70 1.
074 5.
4

新 潟 6
9 3
7 1
06 0_
5 I
/
t ar 82 51 1
33 0.
7

富 山 1
8 5 2
3 0.
1 長 崎 2
(ー 日 31 0_
2

石 川 8 1 9 0
. 0 熊 本 I.
149 8
70 2.
019 10 _1

福 外 3
3 2
9 6
2 Or
3 ^ f
T 6
9 3
2 1
01 (
)ー
5

山 梨 2
56 1
24 3
80 1.
9 E
T
l 崎
'
E
F 9 6 1
5 0 .1

長 野 2
8 2
2 5
0 (
I_
2 鹿リ
L
i島 2
44 1
49 3
93 2.
0

岐 阜 3
5 2
6 6.
1 0.
3

静 岡 l
Ll
j 8
9 2
32 1.
2

愛 知 3
8 2
6 6
4 0.
3
∴ 4
2 1
7 5
9 ∩.
3 イ

沖こ 台湾
席汁.詳
縄太 6,
25
14
1 4,
50
13 1
日 0、7
81
71 5
0
3_4

滋 賀 1
04 5
4 1
58 0.
8

[
i
l] 資料 の 出所 :外務 省調 査 局 (
194
3)ml
r
' F海外在 解 本邦 人調 査結果 刻
和 卜占'
i L
第 9表本 籍地 別 内地 人 PP.5
66- 5
67。

- 28 -
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

936人)
( 、第 6位 は 山 口県 の 3. 691人)で あ る。以 下、鹿 児 島
4% (

(
2.0%)、山梨 (
1.9%)、宮城 (
1.6%)、愛媛 (
1・3%)、静岡 (
1・2%)

の諸県がつづ く。以上第11
位 までが対全国比 1% 以上で、以下 は 1% 未
満 となる。
この結果 をみると、ペルーにおける日本移民在留者数の過半数 は沖縄
県出身者が占め、以下、熊本、福 岡県 と九州がつづ き、ついで広島、福

表 5 ペルーにおける出身都道府県別

日本 移 民 在 留 者 世 帯 数 (
概 数)

976年)
(1

出 身都 道府 県 世 帯 数 構 成 比

沖 縄 4.
100
戸 6
2.6%
熊 本 3
90 5.
9
福 島 260 4.
0
福 岡 260 4.
0
広 島 1
90 2.
9
山 梨 1
60 2.
4
鹿 児 島 1
50 2.
3
山 口 1
40 2.
1
宮 城 70 1.
1
東 京 6
0 0.
9
愛 媛 60 0.
9
岡 山 50 0.
8
静 岡 50 0.
8 〔
注)

滋 賀 40 0.
6 ) 資料の出所 :在 リマ日本
1
国領 事館 (1
978)「ペルー国
佐 賀 3
0 0.
5 における日本人移 住の来歴
和 歌 山 20 0.
3 と日系 コ ロニ アの 現状」
香 川 20 0.
3 P 9よ り筆者作成o
Z
)原典によると、日系人世帯
その他 の 県 5
00 7.
6
の出身別は父母の いずれか
の出身県名 によ り区分 して
いる。

- 2
9-
島、山口、鹿児島、山梨の諸県の順 とな り、47
道府県全域 にまたがって
いる。
第 2次大戦後 1
976 昭和5
年 ( 1
)現在のペルーにおける出身都道府県別
概数)は表 5の とお りである。
日本移民在留者世帯数 (
これを出身都道府 県別 にみると、首位 は沖縄 県で全体 (
6.5
50戸)の
実に6
2.6% (
4,1
00戸)をも占める。第 2位は熊本県の5.
9% (
390
戸)、第
3位は福島県 と福岡県の各4.
0% (
各26
0)、第 5位 は広島県の2.
9% (
190
戸)、第 6位は山梨県の2.
4% (
160
戸)、第 7位は鹿児島県の2.
3% (
150
戸)、
第 8位 は山 口県の2.
1% (
140戸)で あ る。以下、宮城 (
1.1
%)、東京
(
0.9%)
、愛媛 (
0.9%)
、岡山 (
0.8%)
、静 岡 (
0.8%)の諸 県がつづ
く。
要するに、ペ ルー移民の 6割以上 を沖縄県出身者が占め、圧倒的に多
いことが知 られ る。ついで熊本、福島、福岡、広島、山梨、鹿児島、山
口の諸県の順 となる。 これをみると、ペルーへの戦後の移民は沖縄県 と
九州、中国地方 と福島、山梨県出身者の多い ことが知 られる。

4 沖縄県出身移民の全国的地位及び出身市町村別移民数

先項の出身都道府県別 日本移民在留者数では沖縄県出身移民が 6割以


上 をも占め、ペルーの 日本移民 と言 えば沖縄 県移民で代表 されることが
判明 した。 ここでは始めに、沖縄県か らペルーへの年次別出移民数及び
全国比 をみることにより、沖縄県移民の全国的地位 を考察する。ついで
沖縄県出身移民のなかで も何れの市町村か らペルーへの移民が多かった
かを統計的に把握することにする。なお、沖縄県出身契約移民 について
の1899
-1923年間の航海回数別及 び契約耕地別契約移民数 については、
1)
先 に発表 したので ここでは触れないでお く。

- 3
0-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

表 6 沖縄県か らペルー-の年次別出移民数及び全国比
(
1899- 1 年)
941

年 次 出 移 民 数
A)全国
( (
B)沖 縄 県 全国比 --
B ×1
A 00

1
899 (
明 治3
2)年 7
90人 人 %
900 ( 〝3
1 3) -

01( 〟3
4) -

2 ( 〝3
0 5) -

03 ( 〝3
6) 1.
303

4( ノ
0 /37
) -

5 ( 〝3
0 8) -

06 ( ノ
ノ39
) 1.
257 1
11 8.
8
07 ( /
/40
) 85 - -

8 ( 〝4
0 1) 2.
880 2
77 9.
6

9( /
0 /42
) 1.
138 5
4 4.
7

1
910( /
/43
) 4
83 39 8.
1

ll( /
/44) 45
6 7
5 1
6.4

1
2(大正 1) 71
4 23 3.
2

3( ノ
1 /2) 1.
126 92 8.
2

4( /
1 /3) 1.
132 3
02 2
6.7

5( ノ
1 /4) 1.
348 1
24 9.
2

6( 〝5
1 ) 1.
429 1
21 8.
5

7( 〝6
1 ) i.
948 53
4 27.
4

8( 〝7
1 ) 1,
736 882 50.
8

9( ノ
1 /8) 1.
507 925 61.
4

1
920 ( /
/9) 83
6 3
88 46.
4

- 31 -
年 次 出 移 民 数

A)全国
( (
B)沖縄県 全国比 =-
B×1
A 00

2
2( /
/ll
) 2
02人 9
2人 4
5.5%
3( /
2 /12
) 3
33 2
50 7
5.1
4( /
2 り3) 6
51 3
56 5
4.7
5( ノ
2 ノ14
) 9
22 5
50 5
9.7
2
6(昭和 1
) 1,
250 8
91 71.
3
7( /
2 /2) 1,
271 8
58 67.
5
8( /
2 /3) 1.
410 7
80 5
5.3
9( /
2 /4) 1ー
585 8
94 5
6.4
1
930( ノ
ノ5) 831 4
42 5
3.2
31( ノ
/6) 2
99 1
10 3
6.8
2( ノ
3 /7) 3
69 2
02 5
4.7
3( 〝 8
3 ) 4
81 31
4 6
5.3
3
4( /
ノ 9) 4
73 3
31 7
0.0
5( /
3 /10
) 81
4 4
94 6
0.7
6( /
3 /ll
) 5
93 4
71 7
9.4
7( ノ
3 り2) 1
66 1
12 6
7.5
8( 〝1
3 3) 1
77 9
0 5
0.8
9( 〝1
3 4) 2
23 ? フ

1
940( 〝1
5) 1
11 フ フ

41( 〝1
6) 2
4 フ フ

注〕資料の出所 :(
〔 A)全国は外務省通商局 (
1921
)『旅券下附数及
移民統計此 同 町
海外渡航及在留邦人統計此 拓務省拓務局
(
193
3)『
海外 移民統計』。同 (193
0) 『
拓務統計』昭和 8-1
4
年版。外務省移住局 (1
964) 『
海外移住統計此
B)沖縄 県は安里延 (
( 19 1
)
4 『沖縄海洋発展史此 沖縄県海外
協会 (
192
5)『
南鵬』創刊号。

- 3
2-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

1) 沖縄県出身移民の全国的地位
(

表 6は1
899 明治3
年 ( 2)か ら1
941 昭和 1
年 ( 6) までの沖縄県か らペル
ーへの年次別出移民数及 び全国比 をまとめた ものである。わが国か らペ
ルーへの初回契約移民は1
899 明治3
年 ( 2)であるが、沖縄 県は全国に遅
れること 7年の1
906 明治3
年 ( 9)に初 めてペルーへ移民 を送 り出す。 も
っとも 7年の遅れ とは言 って も、全国的には表 6にみ られ るように、 そ
の間送 り出 してない年次 も多 く、沖縄県の初回移民 は全国の第 3回 目の
契約移民に相 当した。
沖縄県か らのペルーへの移民は一旦開始 され ると、その伸 びは実に目
覚 しいものがあった。表 6をみるとペルーへの沖縄県初の移民は、1
906
明治3
年 ( 9)の1
11人であ り、 これは全国のペルーへの出移民数の8.
80
/.
に相 当する。 もっともこの 1
11人 という初 回移 民 数は沖縄 県庁統 計の
数字であ り、ペルー受入国での数字 は1
906
年 に3
6人、翌 1
907
年 に6
4人と
なっている。その後 1
908 明治4
年 ( 1)には2
77人で全国比 9.
6% とな り、
以後ペルーへ沖縄県か ら継続 して移民が送 り出されるようになる。
ペルーへの沖縄 県出移民数 を概 観 す る と、1,
000人 を超 える年 はな
く、最高は1
919 大正 8)の9
年 ( 25人である。出移民数 1
00人以下の年 も
あるが、概 して4
00人台か ら8
00人台 といった ところである。 とくに1
917
大正 6)に5
年 ( 00人 を超 えてか らは、若干の変動 はある ものの、1
938
年 (昭和 1
3) まで一定数 の送 出 をみ る。1
939年 (
昭和 1
4)か ら1
941年
2)
昭和 1
( 6) まで、沖縄県か らペルーへの若干の移民の送出はあった と考
えられるが、実数は不明である。
沖縄県出身移民の対全国比 をみると、1
914 大正 3) と1
年 ( 917
年 (

正 6)には2
6-2
7%を記録 し、1
918 大正 7)には5
年 ( 0% を超 え、以後
4
0%台か ら7
0%台にまで達するようにな り、最高は1
936 昭和 1
年 ( 1)の
7
9.4%をも記録する。
要するに、ペルーへの沖縄県か らの移民 は出移民数 において4
00人台

- 3
3-
表 7 沖縄 県か らペ ルーへの年
次別出移民数 ( 1948-1
981年)
年 別次 出移 民数
1948 (昭 和 23)午 1

49 ( /
/ 24) 4
1950 ( /
/ 25) 1
0
51 ( /
/ 26) 1
5
52( /
/ 27) 4
53 ( /
/ 28) -
54 ( /
ノ 29) 1

56 ( 〝 31)
55
57( ノ
/
/ 0)
32 83
1 0
58 ( 〃 33) 51

59 ( /
/ 34) 92

1960 ( /
/ 35) 89

6 1( /
ノ 36) 47

62 ( 〝 37) 78

63 ( ノ
ノ 38) 20

64 ( 〝 39) 28

65 ( /
ノ 40) 21

66 ( 〝 41) 4

67 ( ノ
ノ 42) 29

68 ( ノ
/ 43) 24 〔
注 〕 1)資料 の出所 :国際協 力事 業団
69 ( 〝 44) 16 沖縄 支部 ( 197
8)「海外移住推
1970 ( ノ
ノ 45) 6 進 月間 について」 ( 資料 )。こ
71 ( /
ノ 46) 10 れ に よる と、 出移 民数 は1 971
72 ( /
ノ 47) (87) 年 で終 了 し、累計 733
人 とな っ
73 ( /
/ 48) 1
9)
(1
てい る。
74 ( /
/ 49) (65) 2) 出移 民 の形態 はすべ て近親
75 ( /
/ 50) (88) 呼寄 せ で あ る。
76 ( /
ノ 51) (27) 3 ) 出移民数 の 1 9
72年 以 降 の
77 ( /
/ 52) (1
0) ( )内数 は玉城 美 五 郎
78 ( 〃 53) ? (1
983)「
戦 後 沖縄 県人 の海外
79 ( ノ
/ 54) ? 移住者 数 ( 国別、年次別 )昭
1980 ( ノ
ノ 55) ? 和52年12月31日現在 」『沖縄市
81 ( 〝 56) ? 町村 三 十年史』上 巻、通史編 、
82 ( 〃 57) ? p.
783、所収 に よる。

-3
4-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

か ら800人台、全国比 において40%台か ら70%台 を占める年が多い こと


が知 られ る。
第 2次世界大戦後の沖縄県か らペルーへの出移民数 についてみると、
表 7の とお りとなる。 これをみると、沖縄県か らペルーへの移民 は1
948
年 (
昭和23)の 1人か ら再開され、1
972年 (
昭和47)以後国際協力事業
団の統計 による と、出移民 はみ られないが、1
971年現在 まで合計733人
となってい る。 その うち最 も多 い年 が1
957年 (
昭和 32)の1
80人 で あ
り、以後継続 して日本復帰直前の1
971
年 (
昭和46) まで移民の送 り出 し
がつづいている。
戦後ペルーへの出移民数は年次による変動が激 しく、80-90人台があ
るか と思 えば、1
0人以下 もみ られる。概 して1
957年 (
昭和32)か ら1
965
年 (
昭和40) までにペルーへの近親呼寄せ移民が集中 していることが判
明する。なお、玉城美五郎氏の統計処理によると、1
972年以降 も移民送
出がみ られ、1 948年か ら1
977年 まで、沖縄県か らペルーへの移民 は合計
3
)
1,
129人 とみな している。
要するに、第 2次世界大戦後沖縄県か らペルーへの移民 は比較的早 く
1
948年 (
昭和23)の 1人か ら開始 されているが、戦前 に比べて全 くふる
わな くなった とみてよい。 その理由は、ペルー政府が正式 に日本移民の
渡航 を許可 しなかった ことによるものであ り、例外 としてペルーに在住
する日本移民の妻子な ど近親者の呼寄せ を一部認めた ものである。 その
ため、戦後沖縄県か らペ ルーへ渡 った733人 の移民 もすべて形態 は近親
呼寄せであったのである。因みにペルー政府 は1
958年 (
昭和23) 9月、
在留邦人 に対 し、その縁故者 (2親等以内)に限 り、年間1
50人の移民
(
その比率は配偶者 ・親子80、両親1
5、兄弟姉妹 5) を許可 し、 この法
4
)
規は現在 も適用 されている。

- 3
5-
表 8 ペ ル ー に お け る沖 縄 県 出 身 郡 市 町 村 別 契 約 移 民 数
(1906-1923年)



出 出身市町村 実契 数
約 移 構成比
民 数 那

身 出身市町村 約 移 構成比
実契 数 民 数
那 覇 市 1
7人 0.
5%
首 里 市 3
9 1.
1 美 里 村 1
43 4.
1
中 具志来川 村
越 /
ノ 3
0
61
4 8
1.
5
8
小 禄 村 19 0.
5 頭 与那城 ノ
ノ 95 2.7
勝 連 〝 92 2.
6
豊 見城 /
/ 43 1.
2
那 中 城 〝 506 1
4.3
兼 城 〝 52 1.
5
西 原 〝 238 6.7
東風平 ノ
ノ 40 Ll
計 1,
723 4
8.8
高 嶺 ノ
ノ 54 1.
5
真 壁 /
/ 34 1.
0
書屋 武 ノ
/ 9 0.
3 恩 納 村 2
5 0.
7
摩 文仁 〝 7 0.
2 金 武 〝 8
9 2.
5
具志 頭 〝 41 1.
2
玉 城 〝 69 2.
0
知 念 〝 48 1.
4 東
久 頭
国 志 /
/ 3
55 1.
0
6
佐 敷 ノ
/ 77 2.
2 大 宜 味 94 2.
7
大 里 ノ
ノ 1
48 4.
2 羽 地 /
/ 2
80 7.
9
南風 原 ノ
/ 32 0.
9 今帰 仁 〝 1
04 2.
9

渡 嘉敷 〝 -


顔 本
名 部
護 町
伊 江 〝
〝 1
6
1
60
1
1 0
.
0
4
4.
5
.
6

計 1.
004 2
8.4
真和 志 ′
ノ 1
8 0.
5
仲 間味
座 士里ー/
/ 0.
2


島 糸
粟 心満
異 国
、川町

/
/
/ 1
2
2 0.
03
.
1
渡名 喜 ノ
/
伊 平屋 /

4
2
8
0.
1
0.
8 那

宮 下



多良良地

良部
間町ノ
/
〝 1 0
,
0
計 1 0.
0

大 東 島
計 7
45 21.
2 大 浜 村 -
中 浦 添 村 9
0 2.
6

与那富国 〝
/
/
頭 宜野湾 /
/ 8
4 2.
4 八


山 石 垣 町 -
北 谷 〝 8
4 2.
4 汁 - -
那 続谷 山 /
/ 2
6 0.
7

注〕 1) 資料の出所 :ペ ルー新報社 (
197
4)『在ペ ルー邦 人7
5年の歩 み紺 寸表の
P.21
4、
2) 出身市町村 は第 2次世界大戦前の行政区画 による ものである.
3) 出身市町村の不詳数 (玉城美五郎2 5
7人、石川友紀 1 65
人)は除 く。

- 3
6-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成 の変遷

(
2) 出身市町村別沖縄県移民数

つぎに、 この ように全国的 に重要な地位 を占めるペルー における沖縄


県出身移民 について、 その沖縄 県内で も、何 れの市町村 か らペルーへの
移民が多 く出たか を統計的 に把握 してみ よう。
表 8はペルーにおける1
906 明治3
年 ( 9)か ら1
923 大正 1
年 ( 2) までの
沖縄 県出身郡 ・市 町村別契約移 民数 であ る。 まず始 め に市郡別 にみ る
と、沖縄 本 島の 中頭 郡 が一番 多 く、全体 (
3,5
29人)の 4
8.8% (1,
723
人) をも占める。第 2位 は国頭郡の2
8.4% (1,
004
人)、第 3位 は島尻郡
の21.
2% (
745
人)である。以下、首里市の 1.
1% (
39 、那覇市の0.
人) 5
% (
17人)、宮古郡 の0.
0% (
1人)の順 で あ り、八重 山郡 か らの移 民 は
全 くみ られなか った。
要するに、ペルーへの沖縄県移民はその半数近 くが沖縄本島の中頭那
出身者であ り、 また、 3割弱が同島の国頭郡 、 2割強が島尻郡 であ り、
他 は至 って少 ない ことが知 られ る。 この結果 をみる と、1
906年 のペルー
5
)
への沖縄県初 回移民の3 6
人 中 1人 を除 き、すべて島尻郡 出身者であった
の とは相違す る。
これ を町村 別 にみ る と、首位 は 中城 村 で全体 (
3,5
29人)の 1
4.3%
(
506人 ) をも占める。 第 2位 は具志 川村 (中頭 郡) の 8.
5% (
301
、第 3位 は羽 地 村 7.
人) 9% (
280人)、第 4位 は西 原 村 の 6.
7% (
238
人)、第 5位 は名護 町 の 4.
6% (
161人)、第 6位 は本 部 町 の 4.
5% (
160
人)、第 7位 は大里村 の 4.
2% (
148人)、第 8位 は美 里村 の 4.
1% (
143
人)で あ る。以 下、今 帰 仁 (
2.9%)
、与 那 城 (
2.7%)
、大 宜 味 (
2.7
%)、勝 連 (
2.6%)
、浦 添 (
2.6%)
、金 武 (
2.5%)
、宜 野 湾 (
2.4%)

北谷 (
2.4%)
、佐 敷 (
2.2%)
、玉 城 (
2.0%)、越 来 (
1.8%)、久 志
(
1.6%)の諸相がつづ く。
要するに、ペルーへの契約移民の町村別 では中城村が全体 の 1割 5分
中頭 郡)の 9分、羽 地相 の 8
近 くを占め一番 多 く、ついで具志 川村 (

- 3
7-
表 9 ペ ルーにお け る沖 縄 県 出身郡 市 町村 別 男女 別移 民 在 留者数
(
1935
年)

市 町 村 罪移 民 在女留 者 数計 構成比
左計 の
那 覇 市
首 里 市 2
4 l
l 3
5 0.
5

小 禄 村 1
6 6 22 0.
3
豊 見 城 村 5
0 37 87 1.
1
兼 城 村 71 58 1
29 1.
7
東 風 平 村 10
7 67 17
4 2.
3
高 嶺 村 85 54 1
39 1.
8
真 壁 村 44 26 70 0.
9
書 屋 武 村 3
5 17 52 0.
7
摩 文 仁 村 1
3 ll 24 0.
3
具 志 頭 村 70 67 1
37 1.
8
玉 城 村 1
22 59 1
81 2.
4
知 念 村 75 59 1
34 1.
7
佐 敷 村 60 50 11
0 1.
4
大 里 村 2
76 1
83 4
59 6.
0
南 風 原 村 3
6 16 52 0.
7
真 和 志 村 5 3 8 0.
1
渡 嘉 敷 村
座 間 味 村 - - - -
仲 里 村 ll 9 20 0.
3
具 志 川 村 42 3
4 76 1.
0


尻 糸 満 町 6 1 7 0.
1

渡 名 国喜 村 3 3 6 0.
1
伊 平 屋 村 85 5
3 1
38 1.
8
鳥 島
大 東 島 - - - -
計 1,
212 81
3 2.
025 2
6.5

宜 野 湾 村 73 41 11
4 1.
5
北 谷 村 1
64 1
08 2
72 3.
6
読 谷 山 村 26 7 33 0.
4
越 来 村 36 20 56 0.
7

頭 美
浦 里
添 村 2
5
1
02
5 1
4
61
2 3
9
1
63
7 5,
21
.
2

-3
8 -
ペJ
L,
一における沖縄県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

勝 連 村 1
02 56 1
58 2.1
那 与
中 那城城 村 1
2
5
06 3
38 1
6
8
44 2
l.
l 1
0
西 原 村 4
00 2
43 6
43 8.4
計 2.
191 1,
254 3,
445 4
5.0

恩 納 村 23 ll 3
4 0.
4
金 武 村 45 28 7
3 1.
0
久 志 村 52 34 86 1.
1
東 村 1
2 6 1
8 0.
2
国 頭 村 32 1
6 48 0.
6
大 宜 味 村 1
41 81 2
22 2.
9
羽 地 相 2
73 1
92 4
65 6.
1
今 帰 仁 村 11
0 82 1
92 2.
5


顔 名 護 町 1
58 99 25
7 3.
4

伊 江
部 村 3
85 3
62 7
47 9.
8
計 1.
231 91
1 2.
142 2
8.0
平 良 町 -
呂 下 地 村 -

古 伊
城 良 辺部 村

那 多 良 間 村 -
計 - - - -

大 浜 村 - -

重 石 、 垣 町 - - -
竹 富 村


那 与 那 国 村 -
計 - - - -

注〕1) 資料 の 出所 :沖縄 県教育委 員会 (


〔 1
97 r
4) 沖縄 県史』第 7巻移 民 、
原典 は赤嶺康 成 氏所 蔵 の沖縄 県 「 昭和 1
外 国在 住 者調 」( 0年1
0月末 日
現在 ) に よる。
2) 那 覇市 の分 は調 査 中で不明 で あ る。

- 3
9-
分、西原村の 7分が比較的多かった。表 8にみ られるように,ペルーへ
の沖縄県移民は県下 58行政区中4
4市町村 に も及んでいることが知 られ
る。
表 9は1
935 昭和 1
年 ( 0)1
2月末 日現在のペ ルーにおける沖縄県出身郡
市町村別男女別移民在留者数である。ペルー移民在留者総数 は7,
647人
であ り、男女別内訳 は男子が4,
658人、女子が2,
989
人で、その男女の比
率は1.
6:1である。
これ を出身市郡別 にみ る と、沖縄本 島 中頭郡 が全体 (
7,6
47人)の
45.
0(3,
445人) をも占める。第 2位 が国頭郡 の2
8.0% (
2,1
42人)、第
3位が島尻郡の2
6.5% (
2,0
25人)であ り、首里市が0.
5% (
35人) と少
な く、宮古 ・八重山の両郡か らペルーへの移民は全 くみ られなかった。
なお、那覇市 は当時調査 中で不明 とされているが、表 8の実数 と聴取 り
によ り、ペルーへの移民 は首里市 よりは少なかった とみなされる。
要す るに、市郡別では沖縄本島の中頭郡が 4割 5分 と大部分 を占め、
ついで国頭郡の 2割 8分、島尻郡の 2割 7分の順 となっている。 この結
表 8)の市
果は、先 に分析 したペルーへの沖縄県出身契約移民送出数 (
郡別割合の傾 向 とほぼ一致 していることが判明する。
これ を出身町村別でみる と、首位 は中城村 で全体 (
7,6
47人)の1
1.0
% (
844人)を占める。第 2位 は本部村の9.
8% (
747
人)、第 3位 は西原
村の8.
4% (
643
人)、第 4位 は具志川村 (
中頭郡)の7.
9% (
601
人)、第
5位 は羽地相 の6.
1% (
465人)、第 6位 は大里村 の6.
0%(
459人)であ
る。以下、美 里 (
5.1
%)、北 谷 (
3.6%)
、名 護 (
3.4%)
、大宜 味 (
2.9
%)、今 帰 仁 (
2.5%)
、玉 城 (
2.4%)
、東 風 平 (
2.3%)
、浦 添 (
2.2
%)、与那城 (
2.1
%)、勝連 (
2.1
%)の諸町村の順 につづ く。なお、23
位 までがペ ルー移民在留者数 1
00人以上の市町村 であ り、全部で4
3の市
町村がみ られた。
要するに、 これ また先の契約移民時代 における出移民数 と同様 に、首
位が中城村で全体の 1割 1分 をも占めているのである。 2位以下は先の

- 4
0-
ペルーにおける沖縄県出身自由移民の都市集中と職業構成の変遷

契約移民の場合 とは相違 し、第 2位 に本部村の 1割、第 3位 に西原村 の


9分、第 4位 に具志川村 (中頭郡) の 8分、第 5位 に羽地相 の 6分、第
6位 に大里村 の 6分の順 につづ く。 しか し、送 出順位 は相違 して も、契
約移民時代 に多 くの移民 を出 した市町村が 、1
935年 当時 で も主要 な移 民
送 出母村 である ことに変 わ りはない。
以上 みて きた第 2次世界大戦前の 2つの移民統 計 を整理 す る と、契約

移民及 び 自由移民時代 を とお して、沖縄 県か らペ ルーへの代表 的 な移 氏


送 出母村 は中城村 ・具志 川村 (
中頭郡 )・本 部 村 ・西 原村 ・羽地村 ・大

表1
0 ペ ルー におけ る沖縄 県出身市 町村 別移 民在 留者数 (
概 数)
(
1979年)

市 町 村 移民在留者数 市 町 村 人 会 名
概 数 構成比
国 頭 村 300
人 0.7% 国 頭 ク ラブ
大 宜 味 村 600 1.3 大 宜 味 村 人 会
東 村 20 0.0 東 村
今 帰 仁 村 400 0.9 今 帰 仁 村 人 会
本 部 町 3.
500 7.8 本 部 町 人 会

名 護 市 4,
500 1
0.1 名 護 市 郷 友 会
恩 納 村 100 0.2 恩 納 村
宜 野 座 村 600 1.3 宜 野 座 村 人 会
金 武 村 500 1.1 金 武 村 人 会
伊 江 村 つ ?

伊 平
是 名
屋 村 1
50 0.
3 伊 是 名 .伊 平 屋 ク ラ ブ
石 川 市 ? ? 石 川 市
与 那 城 村 750 1.7 与 那 城 村 人 会
勝 連 村 550 1.2 勝 連 村 人 会
具 志 川 市 4,
200 9.4 具 志 川 市 郷 友 会
沖 縄 市 1.
500 3.4 沖 縄 市 郷 友 会
読 谷 村 150 0.3 読 谷 村
嘉 手 納 町 150 0.3 嘉 手 納 村 人 会
北 谷 村 150 0.3 北 谷 村
北 中 城 村 5,
000 l
L2 北 中 城 村
中 城 村 4,
000 8.9 中 城 村 人 会

- 41 -
宜野 湾 市 300人 0.
7% 宜 野 湾 市
西 原 町 3,
100 6.
9 西 原 村 人 会

浦 添 市 800 1.
8 浦 添 市 郷 友 会
那 覇 市 300 0.
7 那 覇 市 同 志 会
豊見 城 村 200 0.
5 豊 見 城 村 人 会
糸 満 市 1,
100 2.
5 糸 満 市 郷 友 会
東風 平 町 600 1.
3 東 風 平 村 人 会
具志 頭 村 300 0.
7 具 志 頭 村 人 会
玉 城 村 1.
000 2.
2 玉 城 村 人 会

知 念 村 1.
200 2.
7 知 念 村 人 会
佐 敷 村 500 1:
1 佐 敷 村 人 会

与 那 原 町 2,
400 5,
4 与 那 原 ク ラ ブ
大 里 村 700 1.
6 大 里 村 人 会






其 竹













仲 大



良辺
名国書

間壇




男㌔.






間ミ…




言 5,
0
10
50 l
0
l.2
3 南 風 原 村 人 会

注〕1) 資料 の出所 :ペ ルー沖縄 県人会 (


〔 1
979 )「移住 75周年 ・県人会創立
7
0周年記念事 業総合運動場並会館建設 に関 す る陳情書」参考資料、
各市町村入会表。
2) 出身市町村 は1 979
年現在 の行政 区画 に よる ものであ る。沖縄本島
の羽地相 ・屋 我地相 ・屋部村 ・久志村 は1 970年 に名護市 に、美里村 ・
コザ市 (越来村) は1 974年 に沖縄市 に、首里市 ・小禄村 は 1 9
54年、
真和志市 (村) は 19
57年 に那覇市 に、兼城村 ・高嶺村 ・三和村 ( 真
壁村 ・喜屋武村 ・摩文仁村) は 1 9
61年 に糸満町 ( 市 ) に合併 ・編成
された。八重 山の大浜町 ( 村) は1964年 に石垣市 に合併 された。

- 4
2-
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

里村 ・名護町 ・美里村 な どであることが判明 した。


表1
0は1
979年 (
昭和 5
4)現在のペルーにおける沖縄県出身市町村別移
民在留者数である。 これはペルー沖縄 県人会が県移住 7
5周年祭 (
1981
年)のためにまとめた二 ・三世等 を含めた市町村別移民在留者の概数で
ある。現在県人会や市町村入会 において も移民在留者数等の正確 な把握
は困難である。 そのため、同概数 をもって して も実態 に大 きな相違 はな
い と考 えられるので、以下分析 ・考察 を行なうことにする。
1
979
年現在ペルーにおける沖縄県の市町村別移民在留者数 をみると、
首位 は北 中城村で全体 (
44,
770人)の 1
1.2% (
5,0
00人) を占め る。第
2位 は名護市の 1
0.1
% (
4,5
00人)
、第 3位 は具志川市 の 9.
4% (
4,2
00
人)、第 4位 は 中城 村 の 8.
9% (
4,0
00人)、第 5位 は本 部 町 の 7.
8%
(
3,5
00 、第 6位 は西原町の6.
人) 9% (
3,1
00人)
、第 7位 は与那原町の
5.
4% (
2,40
0人)である。以下沖縄市 (
3.4%)
、知念村 (
2.7%)、糸満
市 (
2.5%)
、玉城村 (
2.2%) 1.
、浦添市 ( 8%) 1.
、与那城村 ( 7%)
、大
里村 (
1.6%)な どとつづ く。
要するに、ペルーにおける沖縄県移民の出身地 は北 中城村が全体 の 1
割 1分以上 を占め、ついで名護市の 1割強、具志川市 と中城村の各 1割
弱 とつづ く。 また、本部町が 8分、西原町が 7分、与那原町が 6分 を占
め、 この 3町 もペルー移民の比較的多い地域である。


Ⅰ ペルーにおける日本 自由移民の職業構成の変遷

わが国か らペルーへの移民が開始 されたのは 1


899年 (
明治 3
2)で あ
り、その形態は契約移民であった。その後 1
923 大正 1
年 ( 2) に契約移民
制度が廃止 されるまで、 日本か らペルーへは1
7,7
89人の契約移民が送 り
出された。 その結果、翌 1
924年 (
大正 1
3)以降契約移民 は全 くみ られ
ず、本格的な自由移民の時代 となる。 しか し、契約移民時代で も、契約
期間の 1年 (
初期 に 4か年、あ るいは半年 の場合 もあ り) を全 うすれ

- 4
3-
ば、何れの地域へ出て もよ く、 また、何れの職業 について もよい と言 ラ
自由移民の身分 になれたのである。 なかには契約耕地の労働条件が厳 し
く、契約移民の任期 を待たずに耕地 を飛び出 し、 自由移民 となった事例
も多か った。 この 自由移民の行先地 はその大部分が首都 リマやカヤオ
市、あるいは地方都市であった。
本項ではペルーにおける日本 自由移民の職業構成の変遷 について、出
来得 る限 り古い時代 に遡 り、その変遷の過程 と実態 を捉 えてみたい と考
える。 その場合、判明せ る年次 の職業別 日本移民在 留者数の統計 を基
に、職業構成 を分析 し、その主要な職業 を抽出 し、その年次 を代表 させ
る。 そして、文献資料等 により当時のペルーにおける日本移民の実態 を
考察することにする。

1 理髪業 ・家内労働者 (
ボーイ ・料理人)主体時代 (
1 0年前後)
91

日本移民の職業名の判明せ る一番古い資料 としては、外務省が まとめ


899年 (
た1 明治32)か ら1
908年 (
明治41) までの 9年間の移民の職業別
6)
統計がある。 この統計 には残念なが ら移民数の記録がないが、つぎのよ
うな1
6種の職業が挙 げ られている。
耕地労働者 ・護謀林労働者 ・借地小作人 ・日用雑貨品商 ・散髪業 ・飲
食 店 ・下宿業 ・大工 ・鉱 山工夫 ・諸 工場 労働者 ・漁業 ・船乗 ・薪炭
商 ・菓子製造業 ・菓子及氷売子 ・雑貨行商。
これをみると、 日本移民初期の職業 はその主たるものは耕地労働者、
護謀 (
ゴム)林労働者、借地小作人、 日用雑貨品商、散髪業、飲食店な
どであった と思われる。 これ らの職業はゴム林労働者 を除けば、その後
も日本移民が多 く従事 して きた職業である。 この他、初期 日本移民の特
色ある職業 としては、薪炭商、菓子製造業、菓子及氷売子、雑貨行商な
どがみ られる。 この種 の職業 はわずかの資本で も可能であ り、ペルー人
相手の職業 とみなされ る。初期の 日本移民は リマな どの都市へ進出する

-4
4-
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

表1
1 ペルー リマ市における職業別 日本移民世帯数及び在留者数
1910年)
(

職 業 世帯 数 男在 留 女 者 数計 構
左成計比

理 髪 店 戸 人 人 人 %
同 使 用 人 70 70 1
4.2
大 工 36
7 30
26 2
1 3
28
1 7.
4 7
3
菓 子 製 造 人 4 4 2 6 1.
2
日 用 雑 貨 店 3 3 1 4 0.
8

菓 子 売 子 1
6 1
6 3.
3
氷 売 子 40 40 8.
1
行 商 20 20 4.
1

料 食
理 店
人 8 8
9 2
1 1
10
0 2.
0


炭 便 用 人
屋 5 27
0 20
7 4,
1.1
4
野 莱 尾 3 4 4 0.
8
牛 乳 搾 取 業 2 3 3 0.
6

竹 細 工 職 人 1
0 1 0 2.
0


「ボ ー
宿
濯 業」

屋 3
2 100
6
5 2
1 1
02
6 20,
1.7
2
無 職 業 1
00 1
00 20.
3

合 計 73 481 1
2 493 1
()
0.0


注〕 資料の出所 :伊藤敬一 (1910)「秘露 国本邦移民事情報告 」, 外務省 通
商局 r移民調 査報 告J第 5 (
明 治4 2月) PP 6
3年 1 5-66,
所 収。

- 4
5-
と、 このような商業 を中心 とした職業 を選ぶ しかなかった もの と思われ
る。 しか し、ペルー リマ県を中心 とした海岸地域の甘煮や棉花耕地など
では契約移民 としての職業があ り、 その後 も農業労働者や小作人 として
働 けば、都市 に出る必要はなか ったのである。ただ し、 その農業移民 と
して得 られ る彼 らの賃金は、都市の商業移民 に比べ ると、はるかに少な
かった と思われる。
表1
1は1
910 明治43)現在のペルー リマ市 における職業別 日本移民
年 (
世帯数及び在留者数である。 日本移民の世帯総数が7
3戸、在留者総数が
4
93人である。
まず始 めに職業 を世帯数 (
独立経営者 と思われ る)でみると、その約
半数の3
6戸が理髪店である。 2位以下は首位 と大 きな開 きがあるが、飲
食店 の 8戸、大工の 7戸、炭塵の 5戸、菓子製造人 の 4戸 な どがつづ
く。
つぎにこれ を在留者数でみる と、総数が49
3人で、男女別では男子が
4
81人、女子が 1
2人 で、その男女の比率 は40:1である。 この ようにペ
ルーへの初期の 日本移民はそのほ とん どが男子で、出稼 ぎ移民であった
と言 えよう。
在留者 を職業別 にみ ると、首位 は 「ボーイ」で全体 (
493人)の20.
7
% (
102人) を占める。第 2位 は無職業で2
0.3% (
100人)、第 3位 は理
髪店使用人で 1
4.2% (
70人)、第 4位 は氷売子で8.
1% (
40人)、第 5位
経営者)で7.
は理髪店 ( 7% (
38人)、第 6位 は大工で4.
3% (
21人)、第
7位 は飲食 店使 用人 と行商 の各 4.
1% (
各20人)で あ る。以下飲食店
(
経営者)、料理人、竹細工職人、炭屋、菓子製造人、洗濯業、下宿屋
な どとつづ く。
要するに、ペルーへの 日本移民開始11年後 にすでに5
00人近 くが リマ
市 に住 んでいて、 その9
8%が男子移民であった ことが判明する。職業は
無職業が全体の 2割 もみ られ るが、「ボーイ」が 2割 1分、理髪店使用
人が 1割 4分 と多かった。 この うち、理髪店使用人 と同経営者 を合計す

- 4
6-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成 の変遷

ると1
08人 とな り、 これは全体 の2
1.9
%に も相 当 し、首位 の 「ボーイ」
より多い ことになる。
以上の結果 により、明治4
0年代、 とくに1
910 明治4
年 ( 3)前後のペル
ーにおける初期 日本移民の実態 は、理髪業 ・家内労働者 (
ボーイ)主体
時代 と名付 けることがで きる。
さて、同時代のペルーにおける日本移民 について、 当時 リマに駐在 し
ていた外務書記生野田良治は1
910 明治4
年 ( 3)に日本の外務省へ 「秘露
国本邦移民労働地視察報告書」 を送 り、そのなかでつぎの ように リマ市
7
)
在留の日本移民の職業 について述べている。

里馬市中ニハ三百名 ヲ下 ラザル移民来集 シ、或ハ 「ボーイ」、料理人


トナ リテ家内労働二従事 シ、或ハ煎餅 ヲ製 シテ売歩 キ、或ハ大工、竹細
工職工 トナ リ、或ハ飲食店、 日用雑貨品店 ヲ営 ミ、或ハ理髪店 ヲ開キ、
或ハ雑役労働二従事ス ト錐 ドモ、多数ハ耕地二於 テ労働 ヲ好マザル老若
クハ安楽ニ シテ利益多キ事業 ヲ求 メテ、地 方農場 ヨ リ出来 リタルモ ノ
ト、一時見物 ノタメ来集セル者等 トス。

これによると、約 3
00人の 日本移民が首都 リマ市 に集中 し、「ボーイ」
や料理人などの家内労働 に従事 し、飲食店や 日用雑貨店 を営み、理髪店
を開 くな ど、多 くの都市的職業がみ られ ると指摘 している。 そ して、理
髪業 と 「ボーイ」の実態 についてつ ぎの ように記 している。

就中精々見ルベキモノハ理髪業者ニシテ、其軒数三十二近 ク、之二投
下セル資本 ヲ一軒八百円宛 卜見倣 スモ、尚ホ二万 円ヲ下 ラズ。何 レモ移
民 トシテ渡来 シ最初農場二於 テ労働 シタル者 ナレバ、素 ヨリ本来理髪莱
者ニアラザルモ、 自己ノ手腕二依 テ理髪職 ヲ習 ヒ、開業スルニ至 レルモ
ノナ リ。其開店 ノ場所及各 自ノ勤勉如何ニ ヨリ収得 スル所、同ジカラザ
ルモ、一軒二付毎月五十 円以上百二三十 円マデノ利益 ア リ ト云 フ。 (

略)

-4
7-
「ボーイ」ハ食料、住居共主人 ノ供給ニテ一 ケ月十八円以上三十円マ
デノ給料 ヲ受 クルモ、概 シテ秘露風二化 シ、衣服外観二金銭 ヲ費 シ、貯
蓄送金 ヲナス者ハ十人中漸 ク一人 ヲ挙 げ得ルノ ミ。

同報告書によると、当時 リマ市内の労働者の 1ケ月の生活費 は家賃込


みで 1
5-2
0円、労働者向 きの裏長屋の家賃 は 6-8円であった と言 う。
なお、1
907 明治4
年 ( 0)には日本移民最初の団体 として、 リマ市に日本
8
)
人理髪業組合が結成 されている。
南米秘露 』(
富 田謙一 ・影 山知二共著 の 『 192
4年)による と、 この 日
本移民の初期の実態 をつぎのように記 し、 <秘露在留同胞発展の第一期
9
)
>と命名 している。

彼等が労働者 として耕地 に入 り込むや、其処 に踏み留 まって労働 に従


事 して居れ ば、班 て何等言及 の要 もないわ けだが、実際 に於 いて彼等
は、大抵或 る期間内耕地労働 に従事 して居 ると、耕地労働 を捨て ゝ了ふ
者が、極 めて多かった。其処で、彼等が耕地労働か ら離れ ると、其の大
部分は、都会 を目指す所 として、其処 に集 まって了ふ。所謂都市集中で
ある。而か も彼等は都市集中も、首都 を目指 して集 まるのであるか ら、
首都集中 と言 った方が、更 に適切であ らう。
即 ち、耕地 を捨て ゝ首府里馬 を指 して集 って来た彼等は、大抵小商売
に従事 し出すのだ。彼等の最 も容易 に始 め出す仕事 は、先づ理髪店、喫
茶店、古物売買商等である。但 し此等は元 よ り多少な りとも資金 を得て
か らの仕事であるか ら、少 しく発展 した部類の状態で、未だ其処迄到逮
しない者 は、先ず似て家庭労働 に身を委ねる者が多かった。即 ち、或は
ボーイ とな り、或 は料理人 となって、辛苦 を嘗めるのである。或は又、
取 るに足 らぬ仕事で も、所謂独立 自尊の観念で、街頭 に立 って、子供相
手の水掻 きに、一杯二仙 とか五仙 とかを売 り上 げつ ゝ、之 に憂身を消 し
た りするの もある。

-4
8-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成 の変遷

表 12 ペルー リマ管内における職業別 日本移民在留者数


(1 4年 )
91


分号類 職 業 男 民 在 女留 者
移 計
数 左
構 計
成 比

1
4



師 (

柔道 )
4人
1 0
1
人 5
1

0
.
0%
0.
1

7
9
医師 及 歯 科 医師 (
産 婆 並 看護 人 (
獣 医共)
病 院傭 人 ) 1
4
6 0
1

0 1
5
6
0.

0
.
0
1
0.
3
1
1
1
4
7
9
僧 侶 .神 職 及 牧 師
鉄 道 従 業
会 社 員 .事 務 所 員

1
5
1
0
0
1
5
1
0.
1
0.
0
20 店 貝 57 2 59 1.
1
22
24

鉱 業 (

使 用人 )
2,
396
2 0
8
8 2.
484
2 0
.
0
4
6.2

2
2
5
6

水 産

業 (

漁夫 )
8
1 0
1

0
9
1
0.
2
0 .0

2
3
8
4
護 課
石 鹸 製 造 販 売
業 113
9 0
0
113
9
2.
1
0.
2
40
41


海 運

輸 業

49
74 0 4
7
9
4
0.
9
1.
4
5
5
6
0
3
4

薬 種


. 売 薬 商


154

3
1
8
0
21

9
175
1
47
0
.
0
3.
3

0.
9
69
73

鉄 工

. 鍛 冶 職
職 80
1 0
3

0
83
1 0
.
0
1.
6

7
7
7
4
6
7
ブ リ
飲 .食 料 品 商 (

キ 職
氷)
商 (コ- ヒ一店 )
l
3
1
l
8
0
6
l
4
1
l
4
0.
0
0.
2
0.
8
7
8
8
4
菓 子 並 麺 麺 類 商
薪 炭 商 ( 石炭 )
85
7 0
3 88
7
1.
6
0.
1
85
89
90
果 物 並 読 菜 商
和 洋 服 裁 縫 業
洗 濯 業
1
1
3
3
21
0
1

2
1
1
4
3
23
0.
3
0.
2
0.
4
91 理 髪 . 髪 結 職 435 2
6 461 8.
6
9
9
3
5



商 (

夜店共 )
4
31 01 5
31
0.
1
0.
6
97
98
99






職 ( 園丁)


17
27
16
0
1

0
18
27
16
0.
3
0.
5
0.
3

- 4
9-
1
00 牛 乳 搾 取 販 売 2人 0人 2人 0.
0%
1
01 料 理 人 11
2 1 11
3 2.
1
1
0
1
0
2
3
家 内 労 働 者
外 国 人 被 傭 者
3
5
1
0
31 0
2 3
5
1
2
31
6.
5
2.
4
1
0
1
0
6
7








5
04
5 0
2
7 5
31
5
9.
9
0.
1
1
0
1
1
1
8
1
0
2


派 .



宿


働 27
2
9
0
1

1
28
2
1
0
0.
5
0.
0
0.
2
1
13 料 理 . 飲 食 店 1
47 1
9 1
66 3.
1
1
16 無 職 38 2 40 0.
8
1
17 雑 業 1
01 0 1
01 1.
9

注〕1
〔 )資料の出所 :外務省通商局 ( 1
91 海外各地在留本邦人職業別表J
4)r
(大正 3年 6月末現在 :一覧表) 0
) 原典によると、
2 ペルー リマ管内の日本移民在留の総戸数は4 3と記
5
録されている。

2 工場労働者 ・理髪業 ・家 内労働者主体時代 (


1 4年前後)
91

先の統計 よ り 4年後 の1
914年 (
大正 3) 6月末現在 のペルー リマ管内
2の とお りで あ る。 これ をみ る
にお ける職 業別 日本移 民在 留者数 は表 1
381人 で、男女別 内訳 は男子 が5,
と、移民在 留者総数 は5, 162人、女子
9人 であ り、 その男女別比率 は23.
が21 6:1とな り、 い まだ圧倒 的 に男
子の数の多い ことが知 られ る。
職 業別 にみ る と、首位 は農業 で全体 (
5,3
81人)の過半数近 くの46.
2
% (
2,484人) をも占める。第 2位 は工場労働者の9.
9% ( 人)、第 3
531
位 は理髪 ・髪 結職 の8.
6% (
4 人)
61 、第 4位 は家 内労働者 の6.
5% (
352
人)、第 5位 は雑貨商 の3.
3% (
175人)、第 6位 は料理 ・飲食店の3.
1%
(
166人)である。以下外国人被備考 (
2.4%)、料理人 と護課業 (
各2.
1
%)
、雑業 (
1.9%)、菓 子並麺 麺類 商 (
1. 、大 工職 (
6%) 1.6%)、船舶
莱 (
1.4%)、店員 (
1.1%) な どとつづ く。
要す るに、 この時期の職業 は農業の多い ことが知 られ るが、 これは大

- 5
0-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成 の変遷

部分が契約移民の農業労働者 とみ られる。 自由移民の職業 としては リマ


市など都市型職業の一つ とみなされる工場労働者、理髪 ・髪結職、家内
労働者が多数 を占め、雑貨商、料理 ・飲食店経営者、外国人被備考、料
理人などが比較的多い方にはいる。 この結果 より、 自由移民の都市型職
業 としては、 この期 を工場労働者 ・理髪業 ・家内労働者主体時代 と名付
ける。
ここではペルーにおける日本移民に とって、前期 と同様重要な職業で
ある理髪業についてその実態 を探 ってみることにする。入江寅次 は r

下巻 ・1
人海外発展史J ( 938年)において、ペルーにお ける邦人理髪業
の発展 は特筆 に値 する と言 い、 リマに 日本人理髪業組合がで きたの は
1
907 明治4
年 ( 0)、カヤオ市の場合 には1
909年 (
明治4
2) 9月である と
指摘する。 そして、表 1
3の1
904 明治 3
年 ( 7)か ら1
924 大正 1
年 ( 3) まで
の2
1年間の リマにおける日本人理髪業者の数字 を挙 げ、 その増加率の激
しいこと、及びベル一人業者 を圧倒 して行 く状況な ど、剖 目すべ きもの
があ り、その理由は日本人が器用で、 ごく小資本で も十分にや って行 け
1
0)
るか らである、 と述べている。
表1
3はペ ルー リマにおける年次別 日本人 ・ベル一人別理髪業店舗数で
あるが、筆者な りに若干の分析 ・考察 を加 えてみることにする。 まず、
日本人店舗数 であるが、1
904年 (
明治 3
7)にわずか 1軒 であ った もの
が、翌年には 7軒 とな り、毎年ほぼ1
0軒の割合で増加 し、1
909
年 (
明治
4
2)には5
0軒 、1
912 大正 1)には7
年 ( 0軒 、1
918 大正 7)には9
年 ( 0軒
を突破 し、1
921 大正 1
年 ( 0)には実に1
00軒 に も連 している。 しか もそ
の後 も増加 し、1
924年 (
大正 1
3)には同表最高の 1
30軒 をも記録す るま
でに至 る。
つぎに、 日本人店舗数の リマにおける理髪業店舗総数 (
合計) に対す
る割合 をみる と、1
904
年 にわずか 1.
4% に過 ぎなか った ものが、毎年上
昇 し、1
907 明治4
年 ( 0)に3
0%、1
909
年 に5
0%、1
912
年 に7
0%を超 え、
その後は7
0%前後で変化をみせ、1
923 大正 1
年 ( 2) と翌2
4年 には最高の

- 51 -
表1
3 ペルー リマにおける年次別 日本人 ・ベル一人別理髪業店舗数

年 次 言霊 会
帆) (
B)店
ベル舗
,-A
数 C)合 計
( 対 (
す る割合 き×1
日本人店舗数の合計 00)

1
904(
明治37)年 1
軒 70
秤 '
7軒
1 1.
4 %
05(ノ
ノ38) 7 65 7
2 9.
7
06(ノ
ノ 39) 1
5 50 6
5 23.
1
07(ノ
ノ 40) 2
5 40 6
5 3
8.5
0
8(〝 41
) 3
5 40 7
5 4
6.7
0
9(〝 42) 50 35 85 5
8.8
1
910(/
/ 43) 5
5 35 90 61.
1
l
l(ノ
ノ 44) 6
5 35 1
00 65.
0
2(
1 大正 1
) 7
0 30 1
00 7
0.0
1 ノ 2)
3( ノ 7
5 30 1
05 71.
4
1 ノ 3)
4( ノ 80 3
0 uO 7
2.7
1 ノ 4)
5( ノ 85 45 1
30 65.
4
6( 〝 5)
1 85 40 1
25 6
8.0
1 / 6)
7( / 85 40 1
25 6
8.0
1
8( ノ
ノ 7) 90 40 1
30 6
9.2
1 ノ 8)
9( ノ 90 40 1
30 6
9.2
1 ノ 9)
920( ノ 9
5 40 1
35 7
0.4
21(ノ
ノ10) 1
00 40 1
40 71.
4
22(〟 ll
) 1
13 42 1
55 7
2,9
23(〃 1
2) 1
19 42 1
61 7
3.9
24(ノ
ノ13) 1
30 46 1
76 7
3.9

注 〕 1) 資料の出所 二入江寅次 (
〔 1
938)『邦人海外発展史J下巻,移民問題研究
会 , PP.
286
-28
8.
2) 原典 は r日秘新報 』 3周年記念号である。

9% をも記録するようになる。
73.

要するに、ペルー リマにおける日本人理髪業店舗数 は明治40年代か ら


大正時代 にかけて大幅な増加 を示 し、ペルー人店舗数 を圧倒 し、平均 L

- 52 -
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集中 と職業構成 の変遷

て全体の3
/4近 くをも占めるまでになった。 この ことがペルー人が 日本
移民 を排斥する理由の一つ ともなった。
1
920 大正 9)8月か ら 9月にかけペルー リマ市 を訪問 した 日本力
年 (
南米一巡』(
行会の会長永田桐 は 『 192
1年)の中で、当時の 日本移民 の
状況、 とくに家庭労働者 と理髪業者 について、つ ぎの ように述べてい
iE
tl
る。

此町に在留する日本人は二千五百乃至三千 と数へ らる ゝ。明治三十二


年に第一回の移民の渡来 したのが始 まりであるが、彼等は耕地か ら市街
に出て来た、其富初 は家庭労働者が大部分であ り、今 日で も此種の労働
に従事 して居 る日本人が少な くないが、彼等は四五十 円か ら八九十 円の
月給 を得て居 る。
理髪業者が沢山にある、- ケ年間徒弟 となって勉強すれば、一人前の
職人 となって五六十円乃至七八十円の給料 を得べ く、四五百円乃至三四
千円の資金があれば理髪店 を始め らる ゝ。 リマ市 に百四五十軒の 日本人
理髪店がある外 に、北 は墨国、パナマ、玖馬か ら、南 は智利、アルゼン
チナに至 る迄、 ラテンアメ リカの 日本人理髪業者の多 くは、秘露で仕上
げた謂ふ所の秘露仕込みの人達である。

これをみると、ペルーにおける日本移民の職業 としての理髪業が、い
かに重要な地位 を占めているかが うかが える。 もともとこの理髪店 (

屋)は日本人性采の手先の器用 さや勤勉 さや謙虚 さな どか ら、ペルー人
に絶対的な信用 を博 していたのであるが、その数が多 くなるにつれ、邦
人に対 しての風 当た りが強 くなってい くのであった。

-5
3-
3 家事被備考 ・料理人 ・雑貨販売 ・商店員等主体時代 (
192
4年前
後)

表1
4は、前記の統計 より1
0年後の1
924 大正 1
年 ( 3) 6月末 日現在のペ
ルー リマ州 における本業者 ・家族別男女別 日本移民在留者数である。本
業者の総数は4,
507
人で、男女別内訳 は女子がわずか 5人で、4,
502
人が
男子である。一方、家族の総数は3,
294
人で、男女別内訳 は男子が1,
165
人 に対 し女子が2,
129人であ り、女子が 多い。 この結果 、本 業者 と家
族 を含めた総数 は7,
801
人 とな り、男女別内訳 は男子が5,
667
人、女子が
2,
134
人で、その男女の比率は2.
7:1である。1
0年前の統計 に比較する
と、家族 としての女子の数が非常 に増加 していることが判明する。
本業者の職業別 をみる と、首位 は家事被傭人 ・料理人で全体 (
4,50
7
人)の2
6.5% (
1,1
93人) をも占める。第 2位 は履物 ・雨具 ・雑貨販売
と、会社員 ・銀行貞 ・商店貞 ・事務貞の各 1
0.8(
各48
8人)
、第 4位 は農
場労働者の1
0.1(
457
人)、第 5位 は料理店 ・飲食店 ・席貸業 ・芸妓業の
7.
7% (
346
人)、第 6位 は農作の7.
3% (
329
人)、第 7位 は理髪 ・髪結の
6.
6% (
297
人)である。以下、菓子 ・麺麺類 ・砂糖類販売 (
2.7%)
、飲
食料及噂好品製造 (
2.1
%) 1.
、工場労働者 ( 7%)
、大工 ・左官 ・石工 ・
1.
ペ ンキ職 ( 5%) 1.
、化粧品 ・小 間物販 売 ( 4%) 1.
、古物商 ( 4%) な
どとつづ く。
要するに、契約移民の廃止 された翌年の この職業別 日本移民の調査疏
料理人が全体の1
計 においては、 リマ市な ど都市 に出ての家事被傭人 ・ /4
以上 を占め多かった。 この ことは日本移民就業者の 4人 に 1人がベル一
人 (
白人)家庭 での被傭人 か料理人 であった ことを示 してい る。つい
で、雑貨販売業や商店員が 1割以上、 また、農場労働者 も 1割 を占め
る。料理店 ・飲食店等、農作、理髪 ・髪結 も比較的多いことが知 られる
が、理髪業の全体 に占める比率は低下 している。
以上の職種の うち、農場労働者 と農作 を除 けば、他 はすべて都市型職

15
4-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

表1
4 ペルー リマ州における職業別本業者 ・家族別男女別 日本移民荏




番 取 業 本
罪 業
女 者
汁 構成比
左計 の 罪家 女 族 汁
1 A 作 3
29人 -A 3
29人 7.
3% 1
45人 2
82人 42
7人
2 軸 書 23 - 2
3 0.
5 2
3 2
9 5
2
3 &% .n% 10 - 1
0 0_
2 1
0 1
5 2
5
7 A鳩 労働者 4
57 - 4
57 1
0.1 93 1
43 2
36

I0
.
0
9 伐木労働 者 4 - 4 0_1 - 1 I
l
O 漁労探3- 1 - - - -

0
.
0
1
3 漁業労働者 1
6 - 1
6 0.
4 - - -
1
6 瓦 .煉 瓦軌道 2 - 2 2 2 4
1
8 鉄蕪 .鉄工 .鍛冶業 3
5 - 3
5 0.
8 1
2 1
4 2
6
3
3 竹木 .草暮晶製造 3 - 3 0_
1 - - -
3
5 飲食料及噂好品魁造 9
2 - 9
2 2.
1 1
8 4
8 6
6
3
6 和洋服 裁縫 3
3 - 3
3 0.
7 1
6 2
9 4
5
3
8 洗張 .洗謂業 1
3 - 1
3 0.
3 1 8 9
3
9 理髪 .髪結 2
97 - 2
97 6.
6 8
5 1
56 2
41

0
.
0
4
0湯 屋 業 4 - 4 0.
1 5 7 1
2
41 土木建築業 1 - 1 - 2 2
43 6
6 - 6
6 1.
5 13 2
9 42
4
7 工場労働者 77 - 7
7 1.
7 1
4 3
0 44
4
8 穀類 .粉類販 売 7 - 7 0.
2 1 6 7
4
9 洗薬 .果物類販売 3
7 - 3
7 0.
8 1
9 3
4 53
5
0 豆腐販売 9 - 9 0.
2 7 1
2 19
5
2 啓類 .調味料販売 6 - 6 0.
1 6 1
0 16
5
3 1
23 - 1
23 2.
7 3
4 8
5 1
19
5
6 其他 ノ飲食料品販 売 21 - 21 0.
5 1
0 1
9 2
9
5
7 燃料販 売 31 - 31 0.
7 1
6 3
6 5
2
6
0 陶磁器 .漆器 .其他販売 5 - 5 0.
I 3 7 l
O
6
8 化粧品 .小間物販売 64 - 64 1.4 28 49 7
7
69 原物 .雨具 .維 姥販売 4
88 - 4
88 1
0.8 3
05 5
22 8
27
71 時計 .★ 金属 .宝 石類販 売 1
6 - 1
6 0.4 4 1
4 1
8
7
5 古 物 商 61 - 61 ll 3
3 6
4 97

10
_
0
7
9 会社員 .銀行月 .商店月 .事務 員 4
88 - 4
88 1
0.8 1
6 5
0 66

0
.
0
81 質屋 .金貨業 I - - 1 1
84 倉庫集 .其他 ノ物品預 リ業 2 - 2 3 3 6
8
5 旅人宿 .下宿菓 3 - 3 0.
1 2 2 4

0
_
0
8
6 料理店 .飲食店 .席貸 葉 .芸妓 業 3
46 - 3
46 7_
7 1
81 31
4 4
95
87 遊戯場 .興行業 2 - 2 - 1 1
8
8貿 易 商 1
ユ - l
l 0.
3 16 1
9 3
5

0
.
0
8
9行 商 8 - 8 0_
2 1 1 2

10
.
0
9
2 其他 ノ商業 2 - 2 - - -
9
5 鉄道労働者 1 - - - -
9
6 車馬業 .自働車運転手 1
0 - 1
0 0.
2 5 7 12

0
.
0
9
7 船舶従業者 3
0 - 3
0 0,
7 - - -

0
_
0
9
9運 搬 夫 2 - 2 2 3 5
1
01 官公吏 .雇員 2 - 2 - 1 1

-5
5-
1
04 教育関係者 5人 1人 6人 1%
0. 1人 1人 2人
1
05 医 師 4 - 4 0.
1 I 4 5
1
06 歯科医 .入歯師 5 - 5 O†
l 3 6 9
1
08 薬 剤 師 1 - 1 0
.
0 - - -
1
09 産 婆 - 4 4 01 - - -
11
2 新聞雑誌記者 .通信員 .其 ノ他社員 21 - 2】 0.
5 4 3 7
1
14 写真師 .画家 5 - 5 0.
1 5 9 1
4
8 家事被仲人 .料理人
11 1.
193 - 1.
193 2
6.5 22 51 73
1
21 其他 ノ労働者 29 - 29 0.
7 - - -


注〕
1
)資料の出所 海外各地在留本邦人職業別人 口表J(
外務省 r 大正 1
3年 6月末現在)
2)リマ (里馬)州 ( 県)以外に 「其 ノ他」 として本業者は男のみ 1.
415人、家族は男22
6、女422合計2063人.
在 リマ 領事館内の計 として、ペルー国全体で本業者は男5. 91
7人、女 5人、家族は男 1.3
91人、女2.5
51人、
合計 9.
864人 との 記録がある0

3)
職業の分類は全部で 1
27倭 である。

業 とみなされるものであ り、その結果、1
924 大正 1
年 ( 3)前後の職業を
家事被傭人 ・料理人 ・雑貨販売 ・商店員等主体時代 と名付 ける。
この時代 の背景 を探 る と、1
923 大正 1
年 ( 2)の契約移民の廃止 に伴
い、すべて自由移民の形態 とな り、 カヤオに日本船が入港するたびに多
数の 日本移民がペルーへ渡 っている。かれ らは都市郊外 とか耕地へは行
かず、ほ とん どが リマ市な ど都会 に定着 していった。 その結果、 日本移
1
2)
民の都市集中は当然ペルー人の職場 を侵蝕することにもなった。
入江寅次 は当時のペルーにおける日本移民の商業方面への発展は第一
次世界大戦 (
191
4-1
918
年)に負 うところが大であると説 く。 また、そ
の間の好景気時の 日本移民の雑貨販売について、つ ぎのように記 してい
13
)
る。

小資本 を工面 して商売 を始めるものが続 出 し、商売 を始めれば間違ひ


な く儲かった。大正四年、 リマに日本人商業組合が生 まれ、組合員二十
七名 を算へた。 ところが同八年 には、 これが百八名 とな り、戦前四戸の
日本雑貨店が四十三戸、二十八戸の 日用雑貨食料品店が二百近 くに達す
ると云ふ状況であった。伊大利人、支那人の店 を買収 し、新店 を開 くち
のが絶 えぬのである。 これ より先 き、大正三年九月には家具雑貨商業紘

- 5
6-
ペ ル ー に お け る沖 縄 県 出 身 自 由 移 民 の 都 市 集 中 と職 業 構 成 の 変 遷

表1
5 ペルー リマ県における職業別本業者 ・家族別男女別 日本移民在留
巻数 (
192
8年)


J
I
J

#}
L 職 業 罪
本 女
業 汁
者 左計
構 成比
の 罪家 女 族汁
1農 耕 . 園 芸 . 畜 産 7
79人 一人 77
9人 l
l_9% 7
01人 8
89人 I.
590^
2同 労 働 者 4
58 4
58 7.0 79 1
46 225

1
5窯
0
l
l金
漁 業

. 製

塩 業

2
3
6
6
2
3
6
6
0
.
0
0.
0
1.
0
3
3
5 6
2
9 1
0
5
4
1
1
1
2機 械
3化 芋
. 機 具 製
1:
5洗 張 . 染 色 . 洗 濯 業


3
0
3
2
6
3
0
3
2
6
0
.
0
0,
5

0.
4
1
2
2
2
0
2

3
2
6
2
3

5
4
8
2
17皮 革 .骨 .角 .羽 毛 品 類 製 造 5 5 0.
1 2 6 8
19飲 食 料 品 .噂 好 品 製 造 9
5 9
5 1.
4 6
0 1
10 1
70
20被 服 . 身 廻 リ 品 製 造 77 77 トコ 5
9 1
25 1
84
21上 木 娃 築 業 8 -.

. 8 0.
1 7 14 21

2大 工 一
2 /
己官E.石l工 .ペ-
ン キ職 107 - 107 1.6 63 106 169
2
6
3兵製 版 他
. _∩刷
ノ .製 工 本 業 14
8 ・
.

- 18
4 0.3
1 21 29 50
2
7工 場 労 働 者 256 - 256 3.9 49 92 141
2
8物 品 販 売 業 l.
122 - I.
122 1
7.1 9
27 1,
478 2.
405

2
9貿 易商
l
コ(店員.
社 員 ヲ含 1
マ ズ) 1
7 - 1
7 0.
3 2
5 3
2 5
7
3
2
3初会社員.
.
]口 銀行員.
賃 貸 商店
及 預員.) 業 2.
事弟員 078
3 - 2.
078
3 3
01.
6
i 8
5
7 27
1
3
5 3
61
8
2

34旅
遊戯館業
.料.理 貸 席 及 芸 妓 業. 6
興業場
. 24 6
24 9.
5 54
5 8
38 1.
383
36理 髪 . 髪 結 . 浴 場 賀 3 65 3
65 5_
6 21
3 3
38 551
37兵 他 ノ 商 業 32 3
2 0.
5 14 28 42
41車 馬 業 . 自 働 車 運 転 手 25 25 0.
4 1
6 1
7 33
4
4
6官 公 吏
7宗 教 関
. 雇



7
1 -
7
1 0
_
0
0_
1 3 川
1
13
1

4
8
9教医 務育 二 関
関 ス係 ル 業
者 2
3
1
4 7 2
31 0.
4
_
3 8
5 7
1
4 1
2
2

5
0
5
1所聞雑誌記者.
法 務 一 関通信ス
2画家 .彫刻家.
員.
音楽 家 .
著述者
/
レ 某
写 真師
32
1
9
32
1
9
0
_
0
0.
5
0.
1
7
8
1
2
9
1 1
9
1
7
1

5
5其 他 ノ 労 働 者 82 82 1_
3 17 5
0 6
7
5
6家 弔 被 傭 人 1
74 1
74 2.
7 21 1
5 3
6

5
9
7在子 生監 . 受 練 刑習 者
J
t 2
1 - 2
1 0
.
_
0 - - -

注〕 1
〔 ) 資料の 出所 一外 務省通商 局 ( 1
92 r
9?) 海外 各地在 留本邦 人職 業 別 人 口表」 ( 昭和
3年 10月 1E]現在 調)、第 2
9表。
2) リマ ( 里馬 ) 県以外 に 「其他 」 と して本業者 は男 の み 1.
422人 、 家族 は男 45
0人 ・
女7 51
人 、合 計 2.
623人、ペ ルー ( 秘 雷 )国計 として本業 者 男 7.
971人 ・女 7人 、家族
男 3.4
6 4
人 ・女 5,
537人、 合計 1
6.979人 と して記録 され てい る。
3) 職 業の分類 は全部 で6 0
種 類 で あ る。

- 5
7-
合が出来、八年一月洋食店組合、同年五月、中央市場商業組合が生れ、
これ と前後 して、在留者の県人会が続出 した。

4 商店貞 ・物品販売業 ・旅宿 ・料理店主体時代 (


192
8年前後)

前記の統計 より 4年後の 1
928 昭和 3)1
年 ( 0月 1日現在のペルー リマ
県における職業別本業者 ・家族別男女別 日本移民在留者数が表 1
5であ
る。 これ をみる と、本業者の総数が6,
556人 で、男女別 内訳 は女子がわ
ずか 7人み られ るのみで、他 はすべて男子 (
6,5
49人)である。家族の
総数 は7,
800
人で、男女別内訳 は男子が3,
014人 に対 して、女子が4,
786
人 を示 し、女子が多い。 この結果、本業者 と家族 を含めた総数 は1
4,3
56
人 とな り、男女別内訳 は男子が9,
563
人、女子が4,
793
人で、その男女の
比率は 2:1である。
本業者の職業別 をみると、首位 は会社員 ・銀行員 ・商店貞 ・事務員で
全体 (
6,5
56人)の31.
6% (
2,0
73人) をも占める。第 2位 は物品販売業
の1
7.1% (
1,1
22人)、第 3位 は農耕 ・園芸 ・畜産 (
経 営者)の 1
1.9%
(
77人)、第 4位 は旅宿 ・料理 ・貸席及芸妓業 ・遊戯場 ・興業場の9.
9 5
% (
624人)
、第 5位 は農耕 ・園芸 ・畜産労働者の 7.
0% (
458人)
、第 6
位 は理髪 ・髪結 ・浴場 業 の5.
6% (
365人)で ある。以下、工場労働 者
(
3.9%)
、家 事 被 傭 人 (
2.7%)、大 工 ・左 官 ・石 工 ・ペ ン キ職 (
1.6
1.
%)、飲食料品 ・噂好 品製造 ( 4%) 1.
、其他 ノ労働者 ( 3%)
、被服 ・
1.
身廻 り品製造 ( 2%) 1.
、金属工業 ( 0%) な どとつづ く。
要するに、昭和初期のペルー リマ県における日本移民の職業は商店負
等が全体 のほぼ1
/3を占めるほ ど多 く、ついで物品販売業が 2割近 くも
み られ る。都市型職業 としては旅宿 ・料理店等 も 1割 を占め、理髪業
等、工場労働者、家事被傭人 も比較的多かった。 その結果、 この時期 を
商店貞 ・物品販売業 ・旅宿 ・料理店主体時代 と名付 ける。

表1
ここで今少 し職業 を詳細 に具体的な小分類 でみてみることにする。 6

- 5
8-
ペ ルー にお け る沖縄 県出身 自由移 民 の都 市 集 中 と職 業 構成 の 変遷

表1
6 ペルーにおける職業別 (
小分類)男女別 日本移民在留者数 (
193
0年)

番号
分類 職 業 男 在 留女者 数 計 左計
構 成比

2 農 業 管 理 人 . 職 員 1
6 1
6 0.
1
1 農
4 其 ノ 他 耕ノ 農 業業 労 務 主
者 1.
1
543
1人 3
2
31
人 1.
1
57
6人
4 5.
27%
8

6 造 師 木 職 51 51 0,
3
0
,
0
園 . 植
7 其 ノ他 ノ 農 耕 二 従 事 ス ル 者 1 1
5
8 農
尊 業
書 手業 助
主 8
4
17 41
3
1 4
97
1
8 2.
0,
41
9 搾 乳 川 1 ll 0.
1
0
.
0
業 主
l 5 1 6
0
.
0
l 牧 夫 . 畜 産 労 務 者
1
2 畜 手 4 5
0
,
0
産 助 1
1
9 林 産 物 主 業 1 - 1

2
2 炭 焼 夫 5 1 50
,
0
10
.
0
0
.
0
2
10
4 労
其 ノ他 ノ農 林 産務物 業 ニ従 事 ス ル

2
3
5 伐 木 夫 1 1
0
.
0
漁 業 主
2
7 漁 業 労 務 者 1 1
3
8# L
LJ 2 20
.
0
0
.
0
# 主
5
0 窯 莱 主 .土 石 加 工 業 モ 1 1
5
6 硝 子 吹 工 5 50
,
0
6
4 運搬用
金属 工業
具製造
.機械
業主器具製造 .造 船 . 2
7 2
7 0.
1
7
2 斌 力 職 嗣 工 3
8 1 3
9 0.
2
7
6鍛 治 職 . 鍛 治 工 3
5 1 3
6 0.
2
7 2
4 2
4 0.
1
0
.
0
7 鉄 工 (卜単 二 申 告 シ タ ル モ ノ)
7
8 目 立 職 . 刃 物 研 職 1 1
8
0 鋳 物 師 . 鋳 造 工 1 1 0 .0

8
4 機 械 工 (卜単 二 申 告 シ タ ル 者) 6 6 0
.
0
2製
8
6 旋 曜 工 盤 . 摸 鉄 工
工 -1 1 i
1 0
.
0
0.
0

- 59 -

分類号 職 業 罪 在 留女者 数 汁 左計
構 成 比の

91 仕 上 工 . 組 立 工 . 調 整 工 2人 一人 2人 0%
0.

99 務

其者船
ノ他.運搬
ノ金属工業
用 具製造
.機械
二従事
器 具製造.
スル労 3 1 4 0,
0

1
01 精 巧 工 業 技 術 者 . 職 員 4 4 0
.
0
1
02 度・製造
量衡器工 .計 測器 .科学 的機械 器 具 2 2 0
,
0
0
.
0
1
03 時 計 製 造 業 20 20 0.
1
1
04 貴金属細 工職 .宝石加 工 職 .坊 職 1 1
1
06 化 学 製 品 製 造 業 主 ll 1
2 0.
1
1
08 発 火 物 ノ製 造 に従 業 ス ル 労 務 者 3 3 0.
0
1
09 動植 物 油脂 .木 轍製造 工 .精製 工 8 8 0
,
0
11
0 化(
他学二分頬
的 工程セに
ラ従レザル者
事 ス ル)労 務 者 2 2 0,
0

11
3 労務
其 ノ他
者 ノ化学 製 品製 造 二従事 スル 1
3 1
5 0,
1
11
5 紡 績 業 主 2 2 0
.
0
11
7 其 ノ他 ノ紡 織 .紡 織 品 製 造 業 主 3 3 0.
0

11
8 監督
紡 織 .紡織 品製造 技術 者 .職 員 . 1 1 0.
0
1
0
40 染
0 精 色巧工 工
. 捺 業染 主
工 1
8
3 2
1 1
8
4 0.
0 1
0

1
44 其
スル労
ノ他 務者
ノ紡 織 .紡織 品製 造 ニ従事 2 2 0.
0
1
42 洗
5 被 服 職裁 . 縫洗
張 業濯 職
主 7
1
041 6
13
5 86
1
67 0.
4
8

1
47 被 服 .身 装 品 製 造 技 術 者 .職 員 1 1 0
.
0
1
48
6 裁
身 装
断 工
品 製
. 裁
造 業
縫 主
工 1
47
9 36
7 23
86 0.
1
4

1
59 其
スル労務
ノ他 ノ被服
者 .身装 品製造 二従事 8 8 0,
0
1
62 製 版 . 印 刷 業 主 2 2 0
,
0
1
5
631 写
其 ノ 他 ノ 帽
真 子 製 造 師
工 2
89 1 1
2
90 0.
1
2
73 文
1 選 工 . 植 字 工 7 7 0
.
0
- 6
0-
ペ ルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都 市 集 中 と職 業構 成 の変遷

轟L
分 f
節 峨 繁 ji7
l f=
. 留 吹者 数 .
汁 /
構成比
亡計 J)

1
76 務者
其 ノ他 ノ製版 .印刷 二従事 スル労 1 10
_
0
1
77 皮 革 .擬 革 .其 ノ製 品 製 造 業 主 2 2 0.
0
1
82 皮 革 品 . 擬 革 品 製 造 業 2 2 0.
0
1
85 製 材 . 合 板 製 造 業 主 1 1 0
.
0
1
86 業主 1 0.
0
0
.
0
其 ノ他 /木竹草事項 二関 スル製造 1
1
87 製 挽 3 3
0
.
0
材 工 . 木 職
1
90 建 具 職 .家 具 職 .指 物 職 4 4
1
97車 大 大 t 3 3 0.
0
0
.
0
工 . 船

1
98 木 工 (卜単 二 申 告 シ タ ル 宵) 1
0
_
0
1
2
02 竹 1
10
_
0
細 工 職 1
2
07 精 穀 .製 粉 .澱 粉 製 造 業 主 1

2
08 麺類
業主 .港 .湯葉 .豆腐 .頭語製造 2
2 2
3 0.
1
2
09 味 噌 .醤 油 .酢 頗 造 業 主 1
2 1
2 0
,1
21
0 酒 頬 醸 造 業 モ 9 9 0.
1
21
1 菓 子 .麺 堕 .水 飴 製 造 業 主 1
19 1
22 0.
6

21
3 其
主 ノ他 ノ飲食料品 .噂好品製造 業 1
2 1
2 0.
1
21
4 砂 糖 類 製 造 技 術 者 .職 員 1 10
.
0
21
6 術者
其 ノ他
.職ノ飲食料品
員 .噂好品製造技 1 10
.
0
1
7
28印
5
1 . 刷
社 工 7人 一3
1人 70
,
0
1人% 0.
0
0
.
0
麺 壊 製 道 工

0
.
0
21
9 豆 腐 .湯 葉 .箱 詰 製 造 工 3 3
2
21
7 精
0 典穀子工..製
麺 担粉上
.水.澱飴粉製
製造造 上
L 1
26
4 21 1
44
7 0.
7
2
21 製 糖 工 2
8 1 2
9 0.
2
2
23 味 噌 .醤 油 .酢 醸 造 工 3 1 4 0.
0
2
24 和 酒 醸 造 工 2 2 (
)
.
0
2
25 具 ノ他 ノ酒 精 含 有 飲 料 醐 造 亡 4 4 0
.
0

- 61 -
番号
分類 職 業 男 在 留女者 数 計 構成比
左計 の

2
32 従事
其 ノ他 ノ飲食料品 .噂好晶製造二
スル労務者 2人 2人 4人 0.
0%
2
33 土 木 建 築 業 主 .請 負 業 主 1
5 - 1
5 0.
I
2
34 土 木 建 築 技 術 者 .職 員 .監 督 3 - 3 0.
0
2
35 大 工 3
08 7 5
31 1.
5
2
36 左 官 8 - 8 0.
0

2
45 其 ノ他 者ノ土木建築 ノ工事 ニ従事 ス
ル労務 1 - 1 0.
0
2
46 瓦 斯 .電 気 .水 道 業 主 3 - 3 0.
0

2
47 瓦斯
負 .監 督 .水道業こ従事 スル職
.電気 1 - 1 0.
0
2
48 電 気 技 術 者 2 2 0.0
2
50 電 工 1
3 13 0 .1

2
52 其 ノ 他 ノ 製 造 業 主 1 1 0 .0

2
53 其 ノ 他 ノ 技 術 者 . 職 員 2 - 2 0 .0

2
58 製 図 工 1 1 0 .0

2
60 機械運転工
夫 .機関工 .火夫 .注油 8 8 0.
0
2
61 荷 造 工 . 発 送 工 .包 装 工 1 1 0.0
5
26
27 其
塗 ノ
工他(
漆 ノ 工工 業
ヲ 的
除 職ク)
業 3
1
6 1 13
7 0
0..0
1

2
63 物 品 販 売 業 主 1,
844 76 1 .920 9 .4

2
64 仲 買 人 . 周 旋 人 l
l - ll 0 .1

2
65 興 行 主 . 娯 楽 場 経 営 主 7 1 8 0 ,0

2
66 其 ノ 他 ノ 商 業 業 主 1
36 4 140 0 .7

2
67 店 員 売 子 1.
478 6 3 1 . 541 7 .5

2
68 商 業 手 助 31
3 50 1 814 4 ,0

2
71 露店 売商人ヲ含 ム)商人 .行 商
人 .呼(
屋台店 4
9 4
9 0.
2
7
27
0 其
2 集 ノ 他 ノ 商
金 業 的 職 人
業 1
7 1 8
1 0 .0

2
74 貸 金 業 主 . 質 屋 業 主 1 1 0 .0

- 6
2-
ペ ルー におけ る沖縄 県出 身 自由移 民 の都 市集 中 と職 業構 成 の変遷

番号
分類 職 業 男 在 留女者 数 汁 左計の
構成 比

2
79 料理店
主 .飲食 店 .貸 席業 .置屋 業 5
33人 2
2人 5
55人 2.
7%

2
80 番頭
旅館 .客
料理店
引 .飲食 店 .貸席 業 ノ 71 5 7
6 0.
4
2
81 料 理 人 2
50 1
0 2
60 1.
3

2
84 旅館
ノ女中.下宿屋
.給 仕人
.料理店 .飲 食店 等 2
44 1
8 2
62 1.
3
2
85浴 場 業 主 . 使 用 人 9 1 1
0 0.
1
2
86理 髪 師 .髪 結 .美 容 師 1.
042 4
9 1.
091 5.
3

2
89船 3 3 0
.
0
0
.
0
舶 運 輸 業 主
2
8
98
0運自 輸動 取 車 扱 業業 6
1
8 1 7
1
9 0.
1
0
.
0

2
91 其 ノ 他 ノ 運 輸 業 主 2 2
2
98 機 関 車 機 関 手 .機 関 助 手 1 1 0.
0
3
00 自 4
0 4
0 0.
2
0
.
0
動 車 運 転 手
3
03船 舶 機 関 長 1
0
.
0
. 機 関 士 1
3
05 舵 夫 水 夫 2 2
31
0 荷 車 挽 馬 方 2 - 2 0.
0
31
1 仲 仕 .荷 政 夫 .運 搬 夫 2 2 0.
0
31
2配 達 3
4 3
4 0.
2
0
.
0

3
13 其 ノ他 ノ運 輸 ニ 従 事 ス ル 者 2 2
3
21 官 史 (他 ニ 分 類 セ ラ レザ ル 者) l
l l
l 0.
1

3
23 官公
ル者 )
ノ雇傭 貞 (
他 二分頼 セ ラ レザ 1 - 1 0
.
0
3
30 学 校 長 . 教 職 員 3
6 7 4
3 0.
2
3
31 其 ノ 他 ノ 教 育 ニ 従 事 ス ル 者 - 1 1 0.
0
3
33僧 侶 1 1 0.
0
3
34牧 師 2 2 0.
0
3
36 医 師 1
7 1
7 0.
1
3
37歯 医 1
6 1
6 0.
1
0
.
0
科 師
3
38 薬 剤 師 2 2
3
39 看 1 1 0.
0
0
.
0
護 人
3
40産 婆 - 8 8

- 6
3-
番号
分類 職 業 男 在 留 女者 数 汁 構成比
左計 の

3
41 按 摩 銘 灸 師 1人 1人 2人 0%
0.

3
45 簿 記 係 . 出 納 係 .合 計 係 9 9 0,
1
3
47其 ノ 他 ノ 書 記 的 職 業 3
8 3
8 0.
2
3
48 記 者 .著 述 家 .文 芸 家 9 9 0.
1
3
52 其 ノ 他 ノ 芸 術 家 .遊 芸 家 1 2 0
.
0
3
54 学 術 研 究 ニ 従 事 ス ル 者 1 1 0
.
0
3
57 其 ノ他 ノ 自 由 業 二 従 事 ス ル 者 2 2 0
.
0
3
4
3
5
5
4 其 ノ他 ノ医 療二従 事 ス ル者
9
8 家 事 使 用 人
1
31
2
61
5
7
1 0
.
0
0_
3
3
60 官 庁 . 会 社 等 ノ 給 仕 1
0 - 1
0 0.
1

3
63倉 庫 夫 1 1 0
.
0
3
64 掃 7 7 0
.
0
0
,
0
除 夫
3
62 門
5 雑 衛 役 番 人
夫 8
3
1 2 8
3
3 0.
2

3
66 恩
8 日給傭 .年
(ト単金二
等申 告入
ノ収 シ二
タ依ルル
者)者 4 2 4
2 ,
0
.
0
3
6
3
7
7 其 ノ 他
0 地代
収入ニ依
.家賃
ル者
ノ 有 業 者
.有償讃券 .其 ノ他 ノ
3
-
3
3
0
,
0
0
.
0
3
71 学 生 生 徒 2
70 2
23 4
93 2.
4
3
72 従 属 者 3,
193 5,
639 8,
832 4
3.0
3
75 在 監 人 2 - 2 0
.
0
3
76 其
キ者ノ他 ノ無業者又-職業 ノ申告 ナ 1
72 2
4 1
96 1.
0

注〕 資料 の出所 :外務省通商局 (
〔 19 1
)
3 『昭和 五年在外 本邦 国勢調査報 告JPP.
2
03-2
06,「民籍及職業 (小分類 )別人 口」

- 64-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集 中 と職 業構成 の変遷

は1
930年 (
昭和 5) 現在のペルーおける職 業 別 (
小 分類 ) 男女別 日
本移民在留者数である。在留者総数は2
0,5
35人 を数 え、男女別の内訳 は
男子が1
3,2
00人、女子が7.
335
人であ り、男女の比率 は1.
8:1である。
これ を職業別 にみ る と、全体 (
20,
535人)の43.
0% (
8,83
2人) を従
属者が占める。 しか し、 これ は職 業 を もたない家族が大部 分であるの
で、職業分類 では これ を除 いて考察す る必要が ある。 その結果 をみ る
と、首位 は物品販売業主で全体の9.
4% (1,
920
人) を占める。第 2位 は
店員 ・売子の7.
5% (1,
541
人)、第 3位 は農耕業主の5.
7(1,
174
人)、第
4位 は理髪師 ・髪結 ・美容師の5.
3% (1,
091
人)、第 5位 は商業手助 の
4.
0% (
814人)、第 6位 は其 ノ他 (
農耕業主 ・農業管理人 ・職人以外)
ノ農業労務者の2.
8% (
564人)、第 7位 は料理店 ・飲食店 ・貸席業 ・置
屋業主の2.
7% (
555
人)である。以下、農業幸助 (
2.4%)
、学生 ・生徒
(
2.4%)
、大工 (
1.5%)
、旅館 ・下宿屋 ・料理店 ・飲食店等の女中 ・給
1.
仕人 ( 3%) 1.
、料理人 ( 3%)の順 につづ く。以上第 1
2位 までが全体
の 1%以上の職種である。
この小分類では全部で3
76種 に も分類 されているが、ペルーにおける
職種 は 1%未満 も含 めると全部で 1
64も数 えられた。要す るに、 この時
期の日本移民の職業は物品販売業主、店員 ・売子、農耕業主、理髪 ・餐
結 ・美容師、商業手助などに従事する者が多かった。 これは先 に分析 し
た結果 とほぼ一致す る。
昭和の初期 リマの領事 を勤めた甘利造次は当時の 日本移民の職業 につ
1
4)
いてつぎのように述べている。

在留同胞の従事する職業で一番多いのは物品販売業で、次 ぎは農耕、
園芸、畜産 と云 った様 な もので是れは取 りも直 さず農業である。而 して
其の他 に極 く小規模 の料理屋、加排店、玉突場 と云 った様 な ものが あ
る。又、被服身廻 り品の製造、即 ちシャツの如 きも可な り邦人の手で出
来 る。此外 に大工、左官、石工、ペ ンキ職等 あるが、刻下勢力のあるの

- 6
5-
が理髪業者である。走れは領事館で調べた統計 には4
83人 とあるが、実
際は其れ以上 に達 してゐる。同業組合があって、同業者中に理髪料の協
定や ら営業時間の励行 と云 った様 に斯業改善 に不少努力 を払 ってゐる0
特 に昨今では相応 な数 に逢 して来たので、秘露人同業 との関係 も中々多
くな り、デ リケー トになって同業組合 も中々活動 してゐる。
以上の外 に上流 に位する処では海外興業株式会社関係の 日秘棉花会社
パ ル パ」に於 ける事業 とか、森本岸合資経 営の レテス棉花事業、
の 「
野々宮氏の薬材製薬業、工藤氏の絹販売、宋音や石井兄弟の雑貨店、黒
飛の食料品店、牒ユヅ リハの建築請負等 より煉瓦製造、池田の自動車々
体製作、鈴木の牛乳搾取販売等一々枚挙 するに追ない程である.

これは、統計 と体験 に基づいたペルー リマ市 を中心 とした 日本移民の


昭和 5、 6年頃の職業構成の実態 とみてよい。

5 物品販売業 ・商店貞 ・旅宿 ・料理店主体時代 (


193
5年前後)

前項の統計 より 7年後の1
935 昭和 1
年 ( 0月 1日現在のペルーにお
0)1
ける職業別男女別 日本移民本業者数 を示 した ものが表 1
7である。 これを
みると、本業者の総数が8,
488
人で、男女別内訳 は男子が8,
433
人で全体
の9
9.4% を占め、女子が5
5人でわずか0.
6% を占めるにす ぎない。従属
家族)の総数は1
者 ( 3,0
62人で、男子が5,
034
人、女子が8,
028
人で、 こ
れは女子が多い。 また、本業 と従属者 を含 めた総数 は21,
550
人 とな り、
男女別内訳 は男子が 1
3,467
人、女子が、8,
083
人で、その男女の比率 は
1.
7:1である。
本 業者 の職業 をみ る と、首位 は農耕 ・園芸 ・畜産 (
経 営者)で全体
(
8,4
88人)の31.
8% (
2,7
02人) を も占め る。第 2位 は物 品販 売業 の
1
9.7% (
1,671
人)、第 3位 は会社員 ・銀行員 ・商店貞 ・事務員の1
8.6%
1,
( 5
75人)
、第 4位 は旅宿 ・料理 ・貸席及芸妓業 ・遊戯場 ・興業場 の

- 6
6-
ペ ルー におけ る沖縄 県出 身 自由移 民 の都 市 集 中 と職 業構 成 の変遷

表1
7 ペルーにおける職業別男女別 日本移民本業者数 (
193
5年)

#


早 職 業 男本 業 女 者 数計 構
左 成
計 比

1 農耕 . 園 芸 . 畜 産 2.
702人 人 2,
702人 8%
31.

1
2
5
0





. 製





115
3
1
-
-
115
3
1
0
.
0
0
.
0
1.
3

ll 金 属 工 業 135 135 1.
6
12 機 械 . 機 具 製 造 5 5 0.
1
1
1
1
5
8
9
洗 張 . 染 色 . 洗 濯 業
木 .竹 頼 ニ 関 ス ル 製 造
飲 食 料 品 .噂 好 品 製 造
3

3
4
1
4
3

3
4
1
4
0
.
0
0.
4

0.
4
2

2
0
21
2
被 服 . 身 廻 リ 品 製 造
土 木 建 築 業
大工 .左 官 .石 工 .ペ ン キ職
1

1
19
1
83
7
-
-
1

1
26
1
83
0
.
0
1.
5

2.
2

2
6 其 他 ノ 工 業 22 22 0.3
2
7
2
3
8
2
9



物 版 品. 印 刷
貿 易商 (

販 . 製

売 本 業

店 員 .社 員 ヲ含 マ ズ)
1,
6
l
7
1
l
0
1
7
1 1.
ll
671
17
0
.
0
0.
1
9.
0.
1
7
2
3
2 物 品 賃 貸 及 預 リ 業 1 1 0.0
3
3 会社 員.
銀行 員.
商店 員.
事務員 1.
575 1.
575 1
8.6

3
4 戯場
旅 宿 .興業場
料理 .貸 席及 芸妓 業 .遊 6
94 - 6
94 8.
2

37 其 他 ノ 商 業 135 1
35 1.
6
41 車 馬 業 .自 動 車 運 転 手 33 33 0.
4
4

3
4
6
47
6
8




理 髪 育



. 髪 関
.

結 . 係
雇 傭

浴 場 者
業 5
6
1

9
4
2
1
1 2 5
9
6
1
2

6
1
1
0
.
0
0.
1

7.
080
49 医 務 二 関 ス ル 業 21 2 23 0.3
51 新 聞雑誌 記者 .通信 員 .著述 者 23 23 0.3
5
5
5
2
4
5
画家 .彫 刻家 .音 楽家 .写 真師



ノ 有 業


労 働 者
1
8
2
2
1
8
2
2
0
.
0
0.

0
.
0
2

56 家 事 被 傭 人 1
47 31 1
78 2.
1
57 学 生 .練 習 生 17 10 27 0,
3

6
0 其他
ザ ル者
ノ無職 業者 .職 業 ヲ申告 セ 43 2 45 0.
5
合 計 8.
433 55 8.4
8 8 1
00.
0
従 属 者 (
家族 ) 5,
034 8,
028 1
3.0
62

注〕資料 の出所 :外務 省調査 部 (


〔 1936) 海外 各地在 留本邦 内地人職 業別人 口表 j r
昭和 1
( 0年 1
0月 1日現在)、pp82-83

- 6
7-
8.
2% (
694人)
、第 5位 は理 髪 ・髪 結 ・浴 場 業 の 7.
0% (
591人)で あ
る。以 下、大 工 ・左 官 ・石 工 ・ペ ンキ職 (
2.2%)
、家 事 被 傭 人 (
2.1
各 1.
%)、金 属 工 業 と其 他 ノ商 業 ( 6%) 1.
、被 服 ・身廻 り品製 造 ( 5
%) 1.
、農耕 ・園芸 ・畜産労働者 ( 3%)な どとつづ く。
要するに、昭和 1
0年代 当時ペルーにおける日本移民の職業は農耕 ・園
芸 ・畜産経営者が全体 の 3割強、物品販売業が 2割、商店員等が 2割弱
を占め、 この 3職種が全体の 7割 をも占め、代表的な職業であった と言
えよう。 また、都市的職業の旅宿 ・料理店等、理髪業等 も比較的多い0
その結果、 この時期 を物品販売業 ・商店貞 ・旅宿 ・料理店主体時代 と名
付 ける。
この時代 はペルーにおいて排 日思想が醸成 され、ペルー国政府 は次々
と日本移民排斥のための施策 を打 ち出 してきた。すなわち、ペルー政府
は1
932 昭和 7) 4月 8日失業者救済の目的で、ベル一人従業員使用
年 (
8割法令 を発布 した。 これは雇主にとって、従業員の 8割以上 をペルー
人か ら雇 う義務があ り、労賃 も 8割以上 をペルー人 に支払 うべ きである
とい う法令であった。 この法令 は必ず しも邦人社会の抑圧 を狙 った もの
ではなかったが、裏面 に在留邦人の発展 を抑制する意図のあることは杏
めなかった。1
934年 (
昭和 9)1
0月1
5日ペルー政府 は日秘通商航海条約
の廃棄 を通告 し、 さらに1
936年 (
昭和 11) 6月2
6日に移民及び営業制限
令 を発布 した。 その結果、ペルー在留の 日本移民 は深刻な打撃 を蒙 るこ
15)
とになった。

6 物品販売業主体時代 (
194
0年前後)

前項の統計 よ り5年後の1
940 昭和 1
年 ( 5)現在のペルーにおける職業
別男女別 日本移民本業者数 を示 したのが表 1
8である。 これをみると、本
業者の総数が8,
225
人で、男女別内訳 は男子が7,
155
人で全体の87.
0%、
女子が1,
070
人 で1
3.0%である。従属者 (
家族)の総数 は11,
831
人で、

-6
8-
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

男子が4,
662
人、女子が7,
169
人で、女子が多い。本業者 と従属者 を合計
すると、 これはペルーにお ける日本移民在留者総数 とみな され るが、
2
0,0
56人 を記録 し、男女別 内訳 は男子が 11,
817
人、女子が8,
239人 で、
その男女の比率は1.
4:1である。
本業者の職業 をみると、首位 は物 品販売業で全体 (
8,2
25人)の2
8.7
% (
2,3
62人)をも占める。第 2位 は農耕 ・園芸 ・畜産で23.
9% (
1,9
64
人)、第 3位 は理髪 ・髪結 ・浴場業で8.
1% (
670
人)、第 4位 は旅館 ・料
理 ・貸席及芸妓業 ・遊戯場 ・興業場 で7.
6% (
628人)、第 5位 は飲食料
品 ・噂好 品製 造 業 で 7.
0% (
574人)
、第 6位 は其 ノ他 ノ商 業 で 4.
5%
(
369人)であるO以下、家事被傭人 (
2.30
/
.)、被服 ・身廻 り品製造業
(
2.2%)
、学生 ・練習生 (
1.5%) 1.
、貿易商 ( 5%)な どとつづ く。
要するに、物品販売業が全体の 3割近 くを、農耕 ・園芸 ・畜産が 2割
5分近 くを占め、 この 2職種で全体の52.
6%に も達 し、過半数 を示す。
ついで都市型職業の理髪業等、旅館 ・料理店等、飲食品等製造、其 ノ他
ノ商業 とつづ く。 その結果、太平洋戦争直前の1
940年前後 の この時期
を、 とくに比率の高い職業 をとり、物品販売業主体時代 と名付 ける。
この期以後第 2次世界大戦 中にかけて、ペルーの 日本移民 に とっては
最大の受難 を迎 えることになる。 その最大の ものが1
940 昭和 1
年 ( 5) 5
月1
3日に発生 した リマ市 を中心 とした 日本人商店 に対する暴動掠奪事件
1
6)
であった。 この事件の背景及び顛末 を記す とつぎの とお りである。
日本移民が都市に進出 して商業 を営むようになると、勢いペルー人の
同業者 を経済的に圧迫するようになったため、ベル一人同業者の間に樵
強い反感 を買 うことにな り、 これが排 日感情 にまで発 展 した。 そ して
1
940
年 5月1
3日リマ及びカヤオ市の邦人商店が学生 ・労働者 ・その他の
群衆 により襲撃 をうけ、店舗の破壊、商品の掠奪 をうけるとい う対 日秦
動事件が発生 した。暴動 による邦人被害者 は約 6
00軒 に達 し、 その被害
額 も莫大な ものであった。
暴動事件発生後、直 ちに当時の在ペルー坂本龍起公使 は在留邦人の煤

- 6
9-
表1
8 ペルー における職業別男女別 日本移民本業者数
(
194
0年)

職 業 男 本 女業 汁
者 構成比
左計の
農耕 .園芸 .畜産 1.
675人 2
89人 1.
964人 2
3,9%
森林業 .林産物業 16 2 18 0,2
8 - 8 0,1
0
.
0
漁業 .製塩業
4 - 4
-
採鉱 .冶金業

0
.
0
土石採取業 - - -
窯 業 3 - 3
金属工業 43 1 44 0_5
機械器具製造業 66 2 68 0,8
化学工業 17 - 17 0,2
繊維工業 15 - 15 0.2
41 5 46 0.6
0
.
0
洗張 .染色 .洗濯業
紙工業 2 - 2
皮革 .骨 .角 .羽毛品類製造 9 4 13 0.2
木 .竹頼 二間 スル製造業 14 1 15 0.2
飲食料品 .噂好品製造業 485 89 574 7.0
被服 .身ノ廻 リ品製造業 125 56 181 2.2
土木建築業 79 - 79 1.0
土工 .左官 .ペ ンキ職 38 - 38 0_5
製版 .印刷 .製本業 .学芸 .娯楽 .装飾品製造業 12 1 13 0,2
瓦斯 .電気及天然力利用ニ関 スル業 19 1 20 0.2
其 ノ他 ノ工業 37 1 38 0.5
物品販売業 2.
085 277 2.
362 28.7
119 1 120 1_5
0
.
0
貿易商
3 - 3
0
.
0
金融保険業
媒介周旋菜 3 - 3
物品賃貸及預 リ業 5 - 5 ∩.I
旅館 .料理 .貸席及芸妓薫 .遊戯場 .興業場 562 66 62只 7.6
理髪 .髪結 .浴場業 6
31 3
9 6
70 8.
1
其 ノ他 ノ商業 2
98 71 3
69 4.
5

0
.
0
郵便 .電信 .電話業 28 3 31 0.
4
鉄道業 1 - 1
車馬業 .自動車運転業 32 - 32 0.
4

0
.
0
船舶業 9 - 9 0.
1
運輸取扱業 2 - 2
医 業 16 4 20 0.
2
56 2 58 0.
7
0
.
0
官公吏雇 傭
宗教関係者 4 - 4

0
_
0
教育関係者 44 26 70 0.
8
法耕二関 スル業 1 1 2
新聞雑誌記者 .通信員 .著述業 1
2 1 13 0.
2
画家 .彫刻家 .音楽家 .写真師 2
0 I 21 0.
3

- 7
0-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都 市集 中 と職業構成 の変遷

其 ノ他 ノF
l由 業 58人 6人 64人 ∩.8%
自由労 働 者 97 6 1
03 1,3
其 ノ他 ノ有 業 者 53 5 58 0_7
家 事 被傭 人 1
51 37 1
88 2_3
写 生 .練 習 生 61 60 1
21 i.5
官 公 又 ハ慈 善 ノ援 助 ヲ受 ク ル者 - - - -
在 監受 刑者 - - - -
其 ノ他 ノ無職 業 者 96 12 108 I.
3
合 計 7.
155 1.
070 8.
225 1
00.
0
従業者 (
家族 ) 4.
662 7.
169 ll.
831


注〕
資料の出所 外 務 省 調 査 局 ( 1943)「昭 和 十 五 年 海 外在 留邦 人 調 査 結 果 表 J第 4表 、 民 籍 ・
職 業 及 び年 齢 別 人 口、 内地 人 、 男 女 、 PP.1 9-1 21
0

護 と権益擁護 の建前か ら、ペルー国政府 に対 し、厳重 なる抗議 を行 うと


ともに、被害者 に対す る賠償金の支払いについて強 く要求 した。 この外
交交渉の結果、ペルー国政府 は深 く遺憾 の意 を表す る とともに、被害者
に対 して総額 1
40万 ソー レスに も達 す る賠償 金 を支払 うこ とで妥結 し
た。 しか し、賠償金の支払いについては、翌 1
941 昭和 1
年 ( 6)1
2月 8日
に太平洋戦争の勃発があ り、国交が断絶 となったため在留邦人 の資産 の
凍結や公共施設の接収等が行 なわれ、賠償金の支払 い もその間停止 され
た。戦後国交回復 とともに在外公館が開設 され、諸々の懸案事項 も逐吹
解決 し、賠償金 については年賦償還 によ り残額 の支払いを受 けることに
なった。
対 日暴動事件 11日後 の同年 5月2
4日に、 カヤオ沖50kmを震源 とす る大
地震が リマ市やカヤオ市 を襲 った。被害 は甚大で死人 もかな り出たが、
不思議 と邦人の被害 はなか った。地震の瞭間か ら現地人 の 日本人 を見 る
目つ きはすっか り変わ った。 それ以後 日本移民 は以前 と同様何 の心配 ち
17)
な く外出がで きるようになった との ことである。
日米間の戦争が勃発す るや、ペルーは南米で第一番 に枢軸国家 との関
係 を断 った。 リオデジャネイロでアメ リカ諸 国外相会議後 2
4時間足 らず
の1
942 昭和 1
年 ( 7)1月2
4日、 日 ・独 ・伊 との国交 を断絶 した。 まもな

-7
1-
くペルー国政府 は枢軸国人の資金財産 をも凍結 し、1
942
年 6月2
0日には
すべての土地賃貸契約 を取消す ところの法 を制定 した。潜在的に破壊狗
な ところがあると思われ る枢軸国人 は抑留するために米国に送 られた。
強制収容 された 日本人 は1,
771
名で、約半分は沖縄 県人が 占めていた。
戦争中ペルー政府 は枢軸国人の経済侵入の糸口を根絶する策 を取 った0
1
943 昭和 1
年 ( 8) 5月には リオデジャネイロ協定 に従 って枢軸国人 に属
するすべての商業組織、不動産、 その他の資産 を強制買上 げする命令 を
1
8)
出 した。 その清算 は1
944 昭和 1
年 ( 9) 1月 までに終 った。
第 2次大戦 中及び戦後の1
950
年代 までは、ペルーの 日本移民に関する
職業等の調査統計 は見 当た らない。 これは日本の戦後の復興 と同様、ペ
ルーにおける日本移民 も生 きんがために精一杯 に働 き、余裕のある生活
在ペルー邦人 7
がお くれなかったか らであろう。伊藤力は 『 5年の歩み』
(
197
4年)において、1
945
-19
50年 を<無統制 ・混沌 とした頃 > と、
19
51-1
955
年 を<復興の端緒 >と時代区分 を行ない、 その実態 を詳細 に
19
)
記 している 。

7 飲食店 ・日用雑貨類販売業主体時代 (
196
0年前後)

第 2次世界大戦後 1
960 昭和 3
年 ( 5年) 1
0月 1日現在のペルーにおける
産業別職業別 日本移民在留者世帯数 を示 した ものが表 1
9の仏)
項である。
産業別 にみると、首位 は商業で全体 (
4,4
23戸)の6
4.30
/
.(2,
842
戸)
を も占める。第 2位 は農業の 1
5.1
% (
669戸)、第 3位 は牧畜業の9.
8%
(
435戸)、第 4位 は工業の8.
9% (
393
戸)、第 5位 は貿易業の1.
1% (
49
戸)、第 6位 はその他の職業の0.
8% (
35戸)である。
要す るに、ペルーにおける日本移民在留者世帯数 を産業別 にみると、
その2
/3近 くが商業であ り、ついで 1割 5分が農業 、 1割が牧畜業、 9
分が工業であることが知 られる。
これ を職 業別 にみ る と、首位 は飲食 店 で全体 (
4,42
3戸)の 1
8.8%

-7
2-
ペルー における沖縄 県出身 自由移民 の都市集 中 と職 業構 成 の変遷

表 19 ペルーにおける産業別職業別 日本移民在留者世帯数
(
1960年 ・1966年)

移民在留者世帯数 移民在 留者世帯数



産 職 業 (
A)
実 1
96
数0
年10
月 1E
j現在
構成比 (
実B)
19
数6
6年 8月現在
構成比

野菜栽培 2
93 6_
6
果実栽培 4
() 0.
9
穀頬栽 培 2
4 0.
5
花園業 (
花井栽培 ) ll
+ 2
㌧5
その他 2 0.
1

農 棉花栽 培 1
99戸 4,
5% 5
80戸 9.
3%
合 計 6
69 1
5,1 5
80 9.
3

その 他 1
8 0.
4 4 0,
0



田二 養鶏業 41
7 9_
4 4
65 7.
5
合 計 43
5 9.
8 4
69 7.
5


パ ン .典 子 (
頬)製造販売 2
02 4.
6 2
49 4.
0
果物 .果汁小売業 4
2 1.
0 3
8 0.
6
牛乳 .小売業 3
2 0.
7 7 0.
1
野菜小売業 2
9 0.
7 1
6 0.
3

6
6年には櫨に日用雑貨卸小
売業
一般食 料品卸 .小売業 (
を含む) 19 8
3 1.
9 1.
192 1
9,1

E
1用雑 貨類 販売業 6
65 1
5.1
造花及
衣料品卸び植木販売業
.小売業 2
1
33
8 0
3.
5
1 2
21
61 0.
35
3

(
1
燃料9
販売業66
(年
木炭
を含には及
む)
.石油)販売業
びガ ソ リン 2
4 0.5 8 0.1

商 飲食店
酒場 ) (洋食 .和食 .喫 茶 . 8
29 1
8.8 1.
047 1
6.8
ガラス .槻縁類販売業 40 0.9 52 0_8
金物 .陶器類販売業 4
8 トl 1
01 1.
6

-7
3-
移民在留者世帯 数 移民在 留者世帯 数

産 職 業 (
A)1
9
実 数
60
年10
月 1日現在
構成比 (B)1
実 966年 8
数 月現在
構成比

理髪業 222 5.
0 1
51 2.
4
美容 院 33 0.
8 67 1.
1
洗濯業 24 0,
5 1
6 0.
3
洋 裁業 59 1.
3 34 0.
6
写 真業 67 1.
5 91 I,
5
旅館及 び貸間業 60 1,
4 62 1_
0

ガ ソ リン販売 業 5 0.
1
旅客及
映 び貨物運送
画館経 営 業 36
4 0
(
),
.8
1 1
6
4 0.
2
1
鉄湯 (
風 呂屋) 1
8 0,
4 36 0.
6
眼鏡販売業 5 0.
1 8 0.
1
苫籍販売 業 5 1
0 , 1
6 0_
3

歯科医 l
l 0.
2
開業医 1
6
7 0.
,
4
1 1
9 0.
3

'
f
会計事
升碓一
i商 七
食料品類)
(携所
衣料品(
会計 士) 貨 .
.日用雑 36 0.
8 33
4 0
(
).5
1
膚 刷師 1
5 0.
2
ブ リキ販売業 3 O
,(
)
m
J製造販売 等 3 0,0


商 ・
Bi

時計l
r
P,
J.宝石類販売及 び修理 6
3戸 1.
4% 2
10
1
5戸 0_
1.3
%
9
附芹l
i
∼)販売業 1
2 0.2
柁球場 2
8 ∩,
5
t
てl
棚rJ
貰 9 (
).2
.
一㌢
鉄業 ワ ∩ .一

鶴l
勾 (刺 )販売 業 2日1 3,
2
その他 254 4_
1

- 7
4-
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成 の変遷

移民在留者世帯数 移民在留者世帯数

産 職 業 (
A)
実 1
96
数0
年10
月 1
日現在
構成比 (
実B)1
9
数66年 8月現在
構成比

J
E
L
1観葉 取扱品 (
衣料 .推i
i.食料 戸 % 戸 %
l
埴襲資材)
L
;
ら.電気器良 .各種機械 . 4
9 1.
1 7
6 1,
2

織物 業(J リヤス.そJ
)也) 1
9 り1 6 り+
1

%,
i製l
念I l
"l
JJ
k'J機械製作情理 63 1_
4 J
9 0.
8

'
熊村枚'
J家 具領製造 業 3
8 ∩.
9 3
1ー (
).
5
ダ (ヤ頒再'
-
f_
T鷲 3
0 日.
7 31 0.
5
i
t
や畑製造販売 業 8 0.
2 1
日 l
L2
飲料 /
I
(製造 業 9 り_
2 2 (
LO
良料,
i
lll
JH工賃 3
日 (
).7 1
5 (
).
2

人 「業 」J 1.
0
ブ リキ製.
仏加 [
二等 いく 0.
iI - -


上 は頓)

衣料..
r
b加 L業 (シ1
,ツ .洋 76 1.
7 J
7 O.
8
I
.
(l
.粉 加 r
_業 29
一7
1
一 (
一.
6 J 0.
1

イJ

そJ
7ラ-
標 「

1)
)
製造実等
他別製道
他少数の鍛治
/
I+.
1
二葉.
/繋
I
/製造 業 .モザ 0
(.
LJ1 3
I
_
)'
2 日
0
(
ト.

(
日)

作 汁 3
93 H_
9 2
66 」,
3

そ hit.
l
少数 -

U u
)F
汚 .「賃従r
gh 3
5 0.
8 3 日日
〟 公頗員 .
-
)
() (
).
8
他 会社員及び銀f
j.L
u
l 1
9日 3.
1
J
) 加巾(L木.建築 .そJ
1 )他) 6
6 1.
1
職 '
HE教授 L
i (
).1

辛 庭周
I
, 帥
宗教Ey
-
=]
係 :
2
.)
I I
)
t,
LL1
l

ー 75 -
移民在留者世帯数 移民在留者世帯数

産 職 業 A)1
( 960
年10月1日現在 (B)1
966年 8月現在
実 数 構成比 実 数 構成比

通訳 戸 % 7戸 0.
1%
初生雛鑑別師 7 0,
1
マ ッサー ジ師及 び接骨師 3 0
.
0
漁師 1
3 0.
2
運転手 53 0,
9
その他機械 工 .
外交員 .
店員 203 3.
3

合 計 35 0.
8 635 1
0.2

(
ほ) i) 資料の 出所 .(
A)はサ ンパ ウ ロ新聞社 (
196
6)「在 ペ /
レー邦人産 業 別,
-
m虐表」
『南米 の 日系人 』P.1
03、所収 。(B)はペ ルー新報 枇 (
197
4) 「作 ペ ルー邦人7
5
年の歩 み j PP.1
96-197、 ラテ ンア メ リカ教 会 (
196 r
9) 日本人 ペ ルー移 はの記
録 JPP.211
-21 ,
3 「在 ペ /
レ-邦人庵 慧 (
職 業)別調 査表 」 として所収。
2) 総 数 は原 典 に よ る と、(A )は4.
400
人 、(B)は6,
168人 と記載 され てい るが、引 用
者に よ l
)計 算 し直 し表 の とJ
jf)と した。f
i・i、
J (B)は商業の合計 が4.
042人、ー
「業
の合 計 が 3
36人 と記 載 され てい るO

(
829
戸)をも占める。 第 2位 は 日用雑 貨 類 販 売 業 の 1
5.1% (
665
戸)、第 3位 は養鶏業の9.
4% (
417
戸)、第 4位 は野菜栽培の6.
6% (
293
戸)、第 5位 は理髪業の5.
0% (
222
戸)、第 6位 はパ ン ・菓子製造販売の
4.
6% (
202戸)、第 7位 は棉花栽培の4.
5% (
199戸)である。以下衣料
品 卸 ・小 売 業 (
3.1
%)、花園業 (
2.5%) 1.
、一 般 食 料 品 卸 ・小 売 業 ( 9
%)な どとつづ く。
要するに、ペルー移民の職業は飲食店が全体の 2割近 くをも占め、つ
いで 日用雑貨類販売業が 1割 5分、養鶏業が 1割、野菜栽培が 7分 とつ
づ く。 その結果、 この期 を飲食店 ・日用雑貨類販売業主体時代 と名付 け
る。
ペルー在住 日系人の人 口 と家族」 (
斉藤広志 は 「 1963年)において、
1
960
年の 日系人人 口の産業・ 表1
職業別分布 ( 9と同一)を掲げ、 その分析

- 7
6-
ペルーにおける沖縄県出身 自由移民の都市集 中 と職業構成の変遷

20)
の結果か らつ ぎの ような結論 を得 ている 。

1
960年 にお ける 日系人々 口の産業 別構 成 は、第 1次産 業 1,
104世 帯
(
25%)、第 2次産業360
世帯 (
8.2%)及 び第 3次産業 2,
954世帯 (
66.
8
%)であった.即 ち、商業及 びサー ビス業が圧倒 的 に多数 を占め、 中で
も喫茶店、バール(
Bar
)、食 堂、理髪 店、食 料雑貨店、製パ ン業、旅館
貸室業、 その他小規模経営の多い ことが注 目され る。

当時の 日本移民の社会 をみる と、1


950年か ら55年の 5年間は 日系団体
の勃興期 ともいうべ き時代で、数多 くの団体が創設 ・再興 された。 そ し
21)
て、 日系社会の基盤 は1960年頃 までには造 られた と言われ る 。

8 -般食料 品並 び に 日用雑貨販 売業 ・飲食 店 主体 時代 (


1966年 前
後)

前項の統計 より 6年後 の1
966年 (
昭和 41) 8月現在 、ペルーにおける
産業別職業別 日本移民在留者世帯数が既表 1
9の(
B)項 である。移民在留者
世帯総数 においては 6年前 に比べて、1,
807
戸 も増 え、6,
230戸 となって
いる。
まず産業別 にみると、首位 は商業で全体 (
6,230
戸)の67.
5% (
4,204
人) をも占める。第 2位 はその他の職業の1
0.2% (
635戸)、第 3位 は農
業の9.
3% (
580戸)
、第 4位 は牧畜業の7.
5% (
469戸)、第 5位 は工業の
4.
3% (
266戸)、第 6位 は貿易業の 1.
2% (
76戸)である。
要するに、ペルーにおける日本移民在留者世帯数 の2/3以上が商 業 で
あ り、会社員及 び銀行員な どその他 の職業が 1割、農業が 1割弱、牧香
業が 8分、工業が 4分 を占める。
これ を職業別 にみる と、前回の ような農業上の細分類がないので これ
を除 くと、首位 は一般食料品卸 ・小売業並びに日用雑貨卸 ・小売販売莱

- 7
7-
で全体 (
6,2
30戸)の 1
9.1
%(1,
192戸)をも占める。第 2位 は飲食店の 1
6.
8% (
1,0
47戸)、第 3位 は養鶏業の7.
5%(
465戸)
、第 4位 は商業のその
他 の1
4.1
%(2
54戸)、第 5位はパ ン ・菓子類製造販売の4.
0%(
249
戸)、第
6位 は衣料 品卸 ・小売業 の 3.
5% (
216戸)であ る。以下、その他機械
工 ・外交員 ・店員 (
3.3%)
、 鶏肉販売業 (
3.2%)
、 会社 員及び銀行貞
(
3.1
%)、理髪業 (
2.4%) 1.
、時計 ・宝石類販売及び修理業 ( 9%)
、金
1.
物 ・陶器類販売業 ( 6%) 1.
、写真業 ( 5%) な どとつづ く。
要す るに、ペルーにお ける日本移民の職業 は、農業の細 分類 を除 く
と、一般食料 品卸 ・小売業並 に 日用雑貨卸 ・小売販売業が全体 の 2割
弱、ついで飲食店が 1割 7分で、 この 2職種が大部分 を占める。その結
果、 この期 を一般食料品並びに日用雑貨販売業 ・飲食店主体時代 と名付
ける。

9 飲食店 ・一般食料品及び日用雑貨店主体時代 (
197
6年前後)

表20は先項の統計 より1
0年後の 1
976 昭和51
年 ( )10月 1日現在のペル
ーにおける産業別職業別 日本移民在留者世帯数 (
概数)である。
まず産 業別 にみ る と、首位 は商 業 で全体 (
6,8
80戸)の 61.
1% (

4,
200
戸) をも占める。第 2位 はその他 の職業で 1
7.4% (
1,2
00戸)、第
3位 は農業で8.
1%(
560 第 4位 は牧畜業 と工業で各4.
戸)、 8%(
各33
0戸)、
第 6位 は自由業で2.
9% (
ZOO戸)、第 7位 は貿易業でて0.
9% (
60戸)で

表2
0 ペ ルーにお け る産 業 別 職 業 別 日本 移 民 在 留 者 世 帯 数 (概数)
(
1976
年)

産 業 職 業 移民在留者世帯数
概 数 構 成 比
農 業 棉 花 .野 菜 .果 実 .花 等 の 栽 培 約 5
60戸 8.
1%
ペルーにおける沖縄 県出身 自由移民の都市集中 と職業構成の変遷

一 般 食 料 品 及 び 日 用 雑 貨 店 970 1
4.1
パ ン .
菓 子 製 造 販 売 店 220 3.2
理 髪 美 容 業 180 2.6
金 物 .陶 器 .電 気 器 具 類 販 売 業 180 2.6
旅 客 及 び 貨 物 運 送 業 120 1.
8
時 計 宝 .石 類 販 売 店 120 1.
8
衣 料 品 販 売 業 110 1.
6
写 真 及 び 貸 間 業 70 1.
0
ガ ラ ス . 額 縁 頼 販 売 業 70 1.
0

莱 飲
そ の品販売店
他 (
薬 局 . 食.
洗 濯 洋 ビス業
裁.銭 等)
湯.書 籍店. 1.
1
99
70戸 7.
1
4 3
1%
贈答 .自動車 サー
合 計 4,
200 61.
1
貿易業 ほ と ん ど 輸 入 業 者 60 0.
9

金 属 品 製 作 及 び 機 械 修 理 業 60 0.
9
土 木 建 築 請 負 及 び 大 工 業 57 0.
8
食 料 品 加 工 業 40 0.
6
製 材 及 び 家 具 製 作 業 40 0.
6
タ イ ヤ 頼 再 生 業 30 0.
4

工 織
その他
物(酒類
及 .
漂び 白剤衣 .プラスチ
料 品 ック製
加 工造等業) 60
43 0.
9
6
合 計 3
30 4.
8

開 業 医 60 0.
9
歯 科 医 40 0.
6
弁 護 士 30 0.
4


自 会 合 計 計士 20
70 2
1.9
0

そ 公
会 社 員 及 務 び 銀 行


1
32
5
00 1.
5.7
1
の 技 師 100 1.5
他 漁 師 30 0.
4



莱 その他 (肇鮎 漂聖 去禦 与T
,苧裂 誓 ) 6
00 8.
7
合 計 1,
200 1
7.4

注 〕資料 の 出所 :在 リマ 日本 国領 事 館 (
〔 197
8)「ペ J
レ一 国 に お け る 日本 人 移
住 の来歴 と日系 コ ロニ アの現 状 」pp.
7-8に よ り筆 者作 成 。

- 7
9-

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