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元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について

藤 井 教 公

( (
 『涅槃宗要』について、これまでの検討の結果
、指摘できる


はじめに
い く つ か の 点 を 記 せ ば、 まず 第 一 に、 浄 影 寺 慧 遠 の影 響 の 大
元 暁 の 著 作『 涅 槃 宗 要 』 に つ い て 訳 注 研 究 を 進 め て い る き さ で あ る。 こ れは 従 来 よ り 指 摘 さ れ て い た こ とで あ る が、
 
( (
が、 同 書 に は 多 く の 経 典 論 書 や 人 師 の 説 が 引 用 さ れ て い る と

慧 遠 の『 大 乗 義 章』 や『 大 般 涅 槃 経 義 記 』 の 文 を 明ら か に 踏
同 時 に、 先 行 す る自 著 に 詳細 を 譲 っ て い る 場 合が あ る。 す な まえた表現が見られることから、述作の際の慧遠の影響の大

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わち、『涅槃宗要』の中には「具さには二障義中に廣く說くが きさを看取できる。
如 し 」(具如二障義中廣說)と あ っ て、『 二 障 義 』 に 説 明 を 譲 っ
 第 二 は、 経 典 論 書 の 引 用 に つ い て で あ る。 本 書 中の 引 用 経
ている。『涅槃宗要』のその部分はテキストの字句に疑問の箇 論は、経典としては ① 南  本『涅槃経』、② 六  巻『泥洹経』、
所が何カ所かあるが、『二障義』と対照させることによってそ ③ 宝
  貴 合 曇 無 讖 訳『 合 部 金 光 明 経 』(『 金 鼓 経 』 の 名 で 引 く )、
の 字 句 の 意 味 が 通じ る こ と が あ っ た。 本 稿 は、 両書 の 対 照 と ④ 求 那跋陀羅訳『勝鬘経』 、⑤『妙法蓮華経』 、⑥ 菩 提流支訳
その結果についての報告である。 、 ⑦『 大 品 般 若 』、 ⑧ 玄
『 入 楞 伽 経 』( 十 巻 楞 伽 )   奘 訳『 大 般 若
経』、⑨ 菩 提留支訳『大薩遮尼乾子所説経』、⑩『六十華厳』、
一 『涅槃宗要』について
⑪ 羅
 什訳『維摩経』、⑫『二夜経』、⑬ 菩 提燈訳『占察善悪業
 『 涅 槃 宗 要 』 は 新 羅 の 元 暁 ( 六 一 七 ― 六 八 六 )の 著 作 の 一 つ 報経』(『占密経』の名で引く)などであり、南本『涅槃経』の引用
で、 大 乗『 涅 槃 経 』 の 宗 旨 に つ い て、 涅 槃 と 仏 性 の 二 義 か ら が最多で、『二夜経』『占察善悪業報経』玄奘訳『大般若経』ら
解釈しようとするものである。 の、各一回が最小である。しかしこのうち、玄奘訳『大般若経』
印度學佛敎學硏究第六十五巻第一号 平成二十八年十二月
 
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
の 場 合 は「 大 般 若 經 三 種 般 若 爲 宗 」(『 大 正 蔵 』 三 八、 二 四 ○a
二 『二障義』について
二七)という三種般若を出す短文のみで、これは引用文とはい
 『二障義』は『二障章』とも記され、法蔵の『五教章』に大
いがたい。しかし、そのかわり羅什訳の『大品般若経』は四回
の引用例があるので、般若経に関しては玄奘訳の存在は知っ き な 影 響 を 与 え た こ と が 指 摘 さ れ、 新 羅 の 太 賢 ( 八 世 紀 )の
てはいたが、それを用いずに羅什訳を用いたと考えられる。 『大乗起信論内義略探記』や、我が国凝然の『五教章通路記』
 論書では、①『摂大乗論』
(世親造・真諦訳『摂大乗論釈』を引 な ど に し ば し ば 引用 さ れ て い る。 煩 悩 障、 所 知 障の 二 障 に つ
、②『婆沙論』(浮陀跋摩・道泰・五百羅漢訳『阿毘曇毘婆沙論』
用) い て、 こ れ を 顕 了門 と 隠 密 門 と い う 二 門 の 観 点か ら 論 じ、 顕
を引用)、③ 玄  奘訳『瑜伽師地論』、④ 真  諦訳『大乗起信論』、 了 門 の 二 障 を 唯 識に お け る 二 障、 隠 密 門 に お ける 二 障 を『 起
⑤ 勒
  那 摩 提 訳『 法 華 論 』、 ⑥『 大 智 度 論 』、 ⑦『 成 実 論 』、 信論』や『勝鬘経』などの如来蔵系経論の説く二障 (二礙)と
⑧ 真諦訳『仏性論』、⑨ 菩提流支訳『十地経論』、⑩ 僧
      伽跋 して対比させ、顕了門における二障は隠密門中の煩悩礙に摂
摩訳『雑阿毘曇心論』(『雑心論』として引く)、⑪ 真  諦訳『阿毘 し尽くされ、隠密門中の智礙は顕了門においては知られるこ

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達 磨 俱 舎 釈 論 』 など で、 ア ビ ダ ル マ、 唯 識 系 論 書の 引 用 が 多 とがないと論じたものである。これを第一釈名義、第二出体、
く み ら れ、 玄 奘 訳『 瑜 伽 論 』 も 二 回 の 引 用 が あ る。 し か し、 第 三 明 障 功 能、 第 四 明 諸 門 相 摂、 第 五 明 治 断、 第 六 惣 決 択 の
真諦訳と玄奘訳の両方がある場合、真諦訳の依用が目立つ。 六門構成で述べている。
 成立年代については、『二障義』は『涅槃宗要』や『起信論
また、世親の『法華論』については複数回の引用が見られる
 
が、それらの引用は勒那摩提訳を依用しているという点が特徴 疏』『金剛三昧経論』等の自著中に引用があるので、それらよ
的である。周知のように、
『法華論』の漢訳テキストには、勒那 り先行し、『起信論別記』と『起信論疏』撰述の中間 (六五○
( (
年以降から六六○年前後)になされたものとされている。


摩提訳と菩提流支訳の二種があるが、吉蔵の注釈書『法華論疏』
は菩提流支訳に拠っており、中国仏教では菩提流支訳の依用が
  従 来『 二 障 義 』 の テ キ ス ト は、 早 く か ら 失 わ れ てい た た め
多い。この点、元暁は勒那摩提訳を用いる点に独自性が見られ に 近 年 ま で 取 り 上 げ ら れ る こ と は な か っ た。 しか し、 そ の 写
る。なお、同じ元暁の『法華宗要』にも『法華論』が多く引か 本が横超慧日氏によって大谷大学図書館所蔵の文書中に
れるが、同じく勒那摩提訳を用いている点は変わらない。 一九三五年頃に発見され、それが同氏と村松法文氏とによっ
て 一 九 七 九 年 十 一月 に「 本文 篇 」 と「 研 究 篇 」 の二 篇 よ り 成 一六:何差別。答如明眼人隔於輕 一六:於輕 ①磬覩衆色像 到究竟地
( (
る一書として刊行された。テキスト全文が知られるようになっ 聲覩衆色像。到 菩薩妙智

一七:究竟地菩薩妙智於一切境當 一 七: 於 一 切 境 當 知 亦 爾 如 明 眼
て元暁教学における『起信論』の影響の大きさが再認識され
知亦爾。如知 人 無所障
る よ う に な っ た り、大 谷 大 学 所 蔵 の 写 本 に よ って『 韓 国 仏 教 一 八: 隔 覩 衆 色 像 如 來 妙 智 於 一
全 書 』 の 第 一 冊 に、元 暁 の 著 作 と し て『 二 障 義 』が 収 載 さ れ 切境當知
。 し か し、 最 近 に な っ て 智 積 院 の 智 山 書 庫 中
た (一九九四年) 一八:盡事業圓布衆采。唯後妙色 一九:亦爾 如盡事業圓布衆采 唯
未淨修治。已淨 後妙色未
に 第 二 の 新 写 本 が発 見 さ れ、 宇 都 宮 啓 吾 氏 ら の検 討 の 結 果、
一九:修治菩薩如來二智亦爾。如 二〇:淨修治 已淨脩治 菩薩如來
その江戸中期の写本が大谷大学所蔵本と比較して現存最古で 明眼人微闇見色 二智亦爾
( (
最善本と位置づけられるに至った。

二 一: 如 明 眼 人 微 闇 見 色 離 闇 見
色 二智亦
三 『涅槃宗要』に見られる『二障義』 二〇:離闇見色。二智亦爾。如遠 二二:爾 如遠見色 如近見色 輕翳

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見色如近見色。猶 眼觀 極
 それでは『涅槃宗要』中に出る『二障義』について見よう。 二一:如輕翳眼觀極淨眼觀。二智 二三:淨眼觀 二智差別當知亦爾」
大 段「 教 宗 を 明 かす 」 に、 大 き く 涅 槃 門 と 仏 性 門の 二 門 あ る 差別當知亦爾。」 此中五喩
う ち、 後 半 の 仏 性 門 は さ ら に( 一 ) 出 体 門、( 二 ) 因 果 門、 二二:依此文證當知佛性境界菩薩
未究竟。於一
( 三)見性門、(四)有無門、(五)三世門、(六)会通門の六門
二三:切境皆未究盡。未究盡故通
からなる。このうちの(三)見性門中に以下の文章がある。こ
名聞見。得因滿
れを対照の便のために『二障義』と並列すると次のようである。 二四:故亦名眼見。所以未窮知者
略有五義。一者
『涅槃宗要』(『大正蔵』三八巻) 『二障義』(
『韓国仏教全書』第一冊) 二五:本識相應最綱妄想無明所識 二四:有何異者 本識相應 微細妄
瑜伽論云。 一四:瑜伽論說「問一切安住到究 隔金剛眼。是 想無明所
竟地菩薩(八〇五b) 二五一a 二六:故似隔輕聲也。二 一:識 隔金剛眼 是故似彼隔於
二 五 一a 一 五:「 問 一 切 安 住 到 究 一五:智如來智等 云何差別 答如 者萬行已備三智已得而 輕 *磬萬(八〇五c )
竟地菩薩智等如來智等有 明眼人隔
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
二七:唯未得大圓鏡智。如最妙色 二: 行 皆 修 三 智 已 得 而 唯 末 得 大 知亦爾。如明眼人無所障隔覩衆色像。如來妙智於一切境當知亦爾。
未淨修治。三者 圓鏡智 如 畫 事 業 圓 布 衆 彩 唯 後 妙 色 未 淨 修 治。 到 究 竟 地 菩 薩 妙 智。 當 知 亦
三: 如 來 淨 治 最 後 妙 色 解 脫 二 障 爾。如畫事業圓布衆彩最後妙色已淨修治。如來妙智當知亦爾。如明
故得淨 眼人於微闇中覩見衆色。到究竟地菩薩妙智當知亦爾。如明眼人離一
二八:解脫二障故得淨未輕極微無 四:眼 未離極微無明住地 是故不 切闇覩見衆色。如來妙智當知亦爾。如明眼人遠覩衆色。到究竟地菩
明住地。是故 異微闇 薩妙智當知亦爾。如明眼人近覩衆色。如來妙智當知亦爾。如輕醫眼
二九:不異微闇見色。四者有惑障 五:見色 有惑障習而非 ②親障法空 觀視衆色。到究竟地菩薩妙智當知亦爾。如極淨眼觀視衆色。如來妙
習而非親障法 觀智故 智當知亦爾。
b一:空觀智故。如遠色。五者其 六: 如 遠 見 色 其 智 障 氣 雖 是 微 薄 (大正三○、五七四b―c )(傍線は筆者の付加。以下同じ)
 
知障氣雖是微薄 近幤惠
二:近曉惠眼事同輕繫。依是五 七:眼 事同經翳 五喩差別應如是 とある。『涅槃宗要』中の同論の引用文も『大正蔵経』の『瑜
義未能窮照。故 知上 伽論』テキストと細かいところで字句の相違があるし、『二障
三:說如是五種譬喩。於中通難 八:來所說簡能治竟
義』における『瑜伽論』の引用文の場合も同様である。

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會相違文。具如
四:二障義中廣說。 ① 「磬」字體未審次同。  た と え ば『 涅 槃 宗要 』 に おけ る 引 用 の 初 句 は「 問 一切 安 住
② 「親」或作「觀」。 到究竟地菩薩智等如來智等有何差別」となっており、これが
(傍線、カギ括弧は筆者の付加。そのうち  部分は語句の異なる 『 二 障 義 』 で は「 問 一 切 安 住 到 究 竟 地 菩 薩 智 如 來 智 等 云 何 差
部分。  部分は両者の平行する部分を表す。文頭の数字はそれぞ 別 」 と な っ て い る。『 涅 槃 宗 要 』 の 文 に は「 菩 薩 智 等 」「 如 來
れのテキストの行数を表示) 智等」と「等」の字が二字あり、『瑜伽論』テキストにも「等」
の字が二字あって、『二障義』よりも『涅槃宗要』の方が『瑜
 右表の両者を対照してみると、一見して小異はあるが大同 伽 論 』 テ キ ス ト と 一 致 す る。 し か し、 次 の 句 の「 有 何 差 別 」
であることが知られる。『瑜伽論』の引用文は『大正蔵経』テ 、「云何差別」(『二障義』)は意味は変わらないもの
(『涅槃宗要』)
キストでは、 の 字 句 に 小 異 が あ る。 し か も『 瑜 伽 論 』 テ キ ス ト は「 云 何 應
問一切安住到究竟地菩薩智等。如來智等。云何應知此二差別。答如 知此二差別」とあって、両者ともに違いがある。
明眼人隔於輕縠覩衆色像。一切安住到究竟地菩薩妙智。於一切境當
 『瑜伽論』のように経論の引用の場合はもとの経論が存在す
る限り、それと比較すれば字句の相違などを指摘することが となっている。これが本来の字句であった可能性がある。
で き る。 上 表 の『 涅 槃 宗 要 』 二 五 一a 一 六 に「 隔 於 輕 聲 覩 衆  
また次に、
『涅槃宗要』二五一b 一―二に「五者其知障氣雖
色 像 」 と あ り、『 二 障 義 』 で は「 隔 於 輕 磬 覩 衆 色 像 」 と あ る。 是微薄 近曉惠眼事同輕聲」とある。「聲」の字は先の『瑜伽論』
しかし、
『瑜伽論』テキストには「隔於輕縠覩衆色像」(五七四b の字と同じ「縠」であるならば、この文意は「第五には智障の
二一)とあり、『涅槃宗要』の「聲」の字、『二障義』の「磬」 習気は希薄ではあるが、直接的に智慧の眼を暗ませるので、事
の字はいずれも、字義の上から見て、もとは「縠」の字であっ 態は薄い布を隔てて物を見ることと変わらない」という意味に
た 可 能 性 が 高 い (横超・村松テキストは『瑜伽論』によって「縠」 なるはずである。しかし「近曉惠眼」の「曉」の字は、明らか
。この字の意味は薄い紗の布
に 改 め て い る。 本 文 校 注、 三 三 頁 ) にする、悟るなどの意味であるから、正反対の意味になる。そ
( (
の 意で、 し た が っ て 文 意は「 薄 い布 を 隔 て て 物 を 見 る」 と い

れで『二障義』の方を見ると「其智障氣雖是微薄 近幤惠眼 事
う意になる。 同 經 翳 」( 八 〇 五c 六 ― 七 )と あ る。「 幤 」 は「 横 に 広 が る 布 」
 次 に『 涅 槃 宗 要 』 二五一a 二 五 に「 本 識 相 應 最 綱妄 想 無 明
の意で、「蔽」(横に広がって覆い隠す)と同系の語であるから、

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所 識 」 と あ る 句 の「 最綱 」 の 語 が 意 味 不 明 だ が、 この 部 分 の 「覆い隠す」の意で用いたのであろう。これなら意味は通じる。
『 二 障 義 』 を 見 る と「 本 識 相 應 微 細 妄 想 無 明 所 識 」( 八 〇 五 b したがって、この場合も元来は「曉」の字ではなく、
「蔽」の
二四)とあり、「最綱」は「微細」の意味であることが分かる。 字であった可能性が高い (横超・村松テキストは原本の字を「弊」
「 綱 」 は 元 来「 網 」 で、 最 も 稠 密 な 網 と い う 意 味 の 形 容 句 で 。
と読み、これを「蔽」に改めている。本文校注、三三頁)
あった可能性がある。  以上のように、『涅槃宗要』のテキストで意味がよく通じな
 さ ら に『 涅 槃 宗 要 』 二五 一a 二 八 に「 解 脫 二 障 故 得淨 未 輕
い場合でも、『二障義』と対照することによって、その意味を
極 微 無 明 住 地 」 と ある が、こ の 文 意 は「 二 障 を 解脱 し た の で 明 ら か に す る こ とが で き た。 そ れ は 取 り 上 げ た一 段 が『 二 障
清淨を得たが、しかし最も微細な無明住地をいまだ断じてい 義 』 を 踏 ま え て 叙述 さ れ て い た か ら で あ る。 この 段 末 に「 具
ない」という意であろうが、「未輕」の「輕」の字の意味が通 さ に『 二 障 義 』 中に 廣 く 說 く が 如 し 」 と あ る が、こ の 段 そ の
じ な い。 し か し、『 二 障 義 』 の 対 応 部 分 を 見 る と、「 解 脫 二 障 ものが『二障義』の文章を少しく改変することによってでき
故得淨眼 未離極微無明住地」(八〇五c 三―四)とあり、「未離」 あがっていたのである。
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
  な お、『 涅 槃 宗 要 』 の『 大 正 蔵 経 』 テ キ ス ト は、 天 治 元 年 作 ら れ て い る も の で あ る こ と が 分 か っ た。 ま た、
『涅槃宗要』
(一一二四)に書写の日光輪王寺蔵写本を基に翻刻したもので、 の文中に、文意からすると正反対の字が用いられている箇所
翻刻の際の字の誤りが散見されるが、写本テキスト自体が孤 や、 用 字 や 字 義 か ら し て 疑 問 の あ る 箇 所 な ど が、 両 テ キ ス ト
本 な の で、 語 句 や文 字 に 関 す る 疑 問 点 も、 も と の写 本 の 写 誤 の対照によってその疑問点が明らかになった。
に由来する可能性がある。
  本 稿 で 取 り 上 げ た『涅 槃 宗 要 』 中 の『 二 障 義 』 と対 応 す る
1 その成果の一つとして「元暁『涅槃宗要』訳注(一)」(『インド
段の意味するところは、「見仏性」は仏のみが可能で、二障を 哲 学 仏 教 学 論 集 』第 一 号、 北 海 道 大 学 文 学 部 印 度 哲 学 研 究 室、
二〇一二、一―四七頁)がある。
断尽していても無明住地煩悩が未断である菩薩は仏性を「聞
2 「元暁『涅槃宗要』における引用文の検討」(『印度学仏教学研
見 」 す る だ け で「眼 見 」 す る こ と は で き な い とい う。 そ れ を
究』第三六巻第二号、二〇一五、二五九―二六六頁)。
五 つ の 場 合 に 分 けて、 物 を 見 る 場 合 の 喩 え で 説い て い る。 こ 3  伊 吹 敦「 元 暁 の 著 作 の 成 立 時 期 に つ い て 」(『 東 洋 学 論 叢 』 第
の場合は仏性は仏果と同じ意味で把握されていることになる。

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三一号、二〇〇六、一三八頁)。
4  横 超 慧 日・ 村 松 法 文『 新 羅 元 暁 撰 二 障 義 』( 平 楽 寺 書 店、
 本段が『二障義』を踏まえて述べられているのは、『二障義』
一九七九)。
で 説 く 隠 密 門 の 二障 を『 涅 槃 宗 要 』 に 当 て は め、仏 の 境 界 と
5 宇都宮啓吾「智積院蔵『二障義』について ― その伝来を中心
菩 薩 の そ れ と の 相 違 を 無 明 住 地 煩 悩 の 断 尽 と す る『 勝 鬘 経 』
として ― 」(『 智 山 学 報 』 第 七 七 号、 二 〇 一 四、 二 二 六 頁 )。
の如来蔵思想的な立場を明らかにするためであろう。 チャールズ・ミュラー氏は、横超慧日校訂本、『国訳元暁聖師全
書』所収本、『大正蔵経』本などを校訂テキストとしてテキスト
四 小結
を編集し、テキスト中の元暁の引用典拠を可能な限り挙げられ、
イ ン タ ー ネ ッ ト 上 で 公 開 さ れ て い る( http://www.acmuller.net/
 上来、『涅槃宗要』が「具さには二障義中に廣く說くが如し」
)。
twohindrances/ijangui-cjk.html
と し て、 そ の 詳 細 を『 二 障 義 』 に 譲 る と し て い る、 そ の『 二
6 何歓歓浙江大学教授のご教示による。宋玉の『神女賦』に「動
障 義 』 と『 涅 槃 宗 要 』 の 一 段 の 文 を 対 照 し て 検 討 し て き た。 霧縠以徐歩兮」とあり、その注に「善曰、縠、今之軽紗也、薄如
その結果を見ると、『涅槃宗要』が詳細を譲るとしながらも、 霧也」とある。
そ の『 涅 槃 宗 要 』の 一 段 が『 二 障 義 』 の 文 を 少 しく 改 変 し て
〈一次文献〉
大正三八巻、東国大学校韓国仏教全書編纂委員『韓国仏教全書』第
一冊(新羅時代篇一、東国大学校出版部、一九九四)
〈参考文献〉
藤 井 教 公「 元 暁『 涅 槃 宗 要 』 訳 注( 一 )『 イ ン ド 哲 学 仏 教 学 論 集 』
第一号、北海道大学文学部印度哲学研究室、二〇一二
新刊紹介
藤井教公「元暁『涅槃宗要』における引用文の検討」『印度学仏教
学研究』第六三巻第二号、二〇一五 馬場久幸 著
伊 吹 敦「 元 暁 の 著 作 の 成 立 時 期 に つ い て 」『 東 洋 学 論 叢 』 第 三 一
号、二〇〇六
横超慧日・村松法文『新羅 元暁撰 二障義』平楽寺書店、一九七九
― 日韓交流と高麗版大蔵経

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宇都宮啓吾「智積院蔵『二障義』について その伝来を中心とし

て 」『智山学報』第七七号、二〇一四
元暁、『涅槃宗要』、『二障義』






(国際仏教学大学院大学教授) A五版・四二六頁・本体価格八、五〇〇円
法藏館・二〇一六年二月
元暁『涅槃宗要』における『二障義』の引用について(藤 井)
 縦
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