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ピグミーの自然観と自然保護

1125-33-2032 木村有希
1.はじめに
アフリカ原住民が自然保護区内から迫害され、さらには自然保護区内の密猟者として虐待されて
いるというニュースを見た。このニュースを見て私は、森林と共生する生活を送っていたはずの彼ら
を自然保護の名目で追いやることに違和感を覚えた。現代のピグミーの生活はかつてのように自
然との共生が可能なものではなくなってしまったのだろうか。現地住民を取り巻く環境の変化とピ
グミーの性格から、アフリカにおける自然保護について考える。

2.自然観
まず、自然との共生について論じるにあたり、狩猟採集民の自然観について述べておく。経済活動
において自然の環境は無限の資源であると考えられてきたが、近年は実態がその限りでないとい
う認識が一般的である。工業化以前においては人類が利用できる資源が限られたものであったた
め、自然のレジリエンスが人間の開発に優っていたからであろう。この認識は狩猟採集民において
も同様であった。ピグミーを例に挙げると、彼らの食生活は森で取った食料と農耕民族との交換で
得た農作物のみである。さらに、ピグミーらと交流のあったアフリカの農耕民族の農法も、かつては
伝統的な焼畑農業が中心であり、自然との関わりを感じさせるものである。農耕民との交換と森の
中で生活のための豊かな食料を得られるピグミーにとって、まさしく自然は無限の資源であったと
言えるだろう。アフリカの森林に暮らす彼らの生活における自然に対する自認は共生ではなく、彼ら
にとっては生活圏であり当たり前のように存在するものと言え、近しい自然観を近隣農耕民も持っ
ていたと言えるだろう。
一方で、「16〜17 世紀にすでに原生的自然の大部分を失った」 (小林、2001)とされる西洋に端を
発する自然保護の考え方は、人間の手によって自然が壊される前に、自然を人間から隔離し保護
するという発想である。しかしながら、ピグミーのくらす森は、人為的な植林と近隣の農耕民の焼畑
農業により生まれるギャップから、原生林ではなく人為的に手を加えられた二次林にもかかわらず
非常に豊かな生態系を持つ。この点においてアフリカの現地民と西洋中心の自然保護の考え方は
相容れなさを持っている。近年では住民参加型の自然保護プロジェクトも生まれ、この考え方は見
直されつつあると言えるだろう

3.現地住民を取り巻く環境の変化
開発と技術の持ち込みが進んだ現代においては、前述したような無限の自然という自然観は成り
立たなくなる。それによる問題の1つが、ブッシュミートの過剰採集による動物資源の枯渇である。
ブッシュミートとは野生動物から採る肉のことである。伐採事業などによる道路の開発と、それに伴
う森林部での人口の増加により、ブッシュミートの需要が高まりブッシュミートに商品価値が生まれ
た。また、森林部と市場部のアクセスが容易になったことにより、自給のためではなく営利目的の
狩猟が蔓延するようになった。しかし、営利目的の狩猟を行うのは外部のハンターだけではなくピ
グミーらも同様である。正確には、ピグミーは近隣の村に住む農耕民からの肉の要望に応える形で
依頼を受けた自給的な狩猟を行なってきていたが、現代ではその狩猟が営利目的の側面も帯びる
ようになった。かつての狩猟の依頼は農耕民が自給的に肉を食べるためのものであったが、現代
は獣肉を買い付ける商人やゾウ狩りの依頼人に応える形でも行われる。ピグミーの狩猟は 2000 年
台においては罠猟か、近隣の村に住む農耕民から銃を委託され、ゾウやイノシシを狩る「マカ」とい
う狩猟行がほとんどであり、需要の増加につれて狩猟の委託の頻度も上がっている。技術の向上
によりかつてより狩猟が容易になったことと、単純な需要の増加により、アフリカの動物資源は危
機に瀕している。これを受けて現地政府により自然保護の観点から地域住民の狩猟は現在も規制
されているが、これらの規制がより厳格になることは、ブッシュミート以外にタンパク源や収入源の
少ないアフリカの原住民を栄養面と金銭面の両面で脅かしかねない。環境資源は有限である一方
で、現地農耕民の貧困を癒す手段が環境資源を利用することしかない点は難しい問題と言えるだ
ろう。そして、実際に狩猟を行なっているピグミーも農耕民に対して劣位な社会関係を築いてしまっ
ているため、彼らからの狩猟の依頼を断ることは難しい。農耕民が狩猟を依頼しピグミーが狩猟を
行うシステムは変わらないにもかかわらず、外部からの干渉と社会経済的な要因、技術の発達に
よって、彼らが数百年にわたって築いてきた持続可能な生活システムは機能しなくなってしまった。
本レポートを書くにあたって先行研究を見つけることはできなかったが、アフリカ内で調査が始ま
る前に何種類もの食用動物が絶滅していた可能性はある。しかしながら、現代において狩猟圧が
高まっていることは事実であり、現地の動物資源が未曾有の危機に瀕しているというのは事実と
言って良いだろう。

4.ピグミーの性格の特質
本項ではピグミーの性格の面からも自然保護の考え方との相性の悪さについて考えようと思う。
ピグミーは負い目の考え方を排除し食物をシェアリングで分割することにより平等社会を築いてい
る。この負い目を度外視する考え方は、現在と未来の損得勘定をしないということであるとも言える 。
それを示す例がピグミーの農耕である。ピグミーはしばしば外貨や主食を獲得するために、農耕民
の畑で農作業を手伝うことがある。農耕民からの支払いは収穫できる量と比較すると割に合わな
いため、そこで得た農耕の技術をもとに独自の畑を築こうとする者もいる。しかし、ピグミーらは畑を
作ろうと管理をすることができない。結果として広い畑を切り開いても自給できるほど上手く大量に
農作物を育てることができず、収穫前の畑を、育て切ってから収穫物を回収した際に得られる利益
よりも遥かに安く農耕民に売ってしまう事例さえある。負い目の考え方の消滅により、結果として彼
らは狩猟採集生活以外の選択肢を持たなくなっているように思われる。
こういった彼らの刹那主義的な考え方は、自然を保護し未来に投資する自然保護の考え方とは相
性が悪い。今の狩猟を制限することが未来の狩猟につながる、といった考えは資本主義社会に身
を置いている身としては極めて理にかなっているように思われる。しかしながら、この考え方は平等
社会の中でくらすピグミーの性格に合っているようには見えない。かつての生活の変化を強いられ
る中で、その理由自体も彼らにとって納得のいかないものであれば、自然保護に対して否定的な感
情を抱くのも無理はないだろう。

5.まとめ
森の民の持続的な生活は、彼らの自然観によるものではなく、人口支持力の高い土地に開発が
なされていなかったという環境要因が大きかったと推察される。開発によって環境が大きく変化し
た中ではかつての生活を維持することは難しい。また、ピグミーの築いてきた平等社会の特質上、
彼らの性格と天然資源を保護して未来に投資するという考え方は相容れないものだろう。彼らの
生活を取り巻く環境は変化しつつあり、同じ考えのもとに生活を行なったとしてもすでに持続可能
性に配慮したものとは言えなくなってしまった。しかし、天然資源と同様に、ピグミーの築き上げてき
た社会システムや農耕民との関係性も失われたら取り返しのつかないものである。狩猟採集に適
合した彼らの特質はしなやかで力強いが、彼らの望まぬ形で生活の大規模な変化が強いられ、文
化的な多様性が失われる事態が起こらないことを祈りたい。

参考文献
(c)afp,“アフリカ先住民、「環境保全」名目で虐待対象に 英 NGO 報告”APPBB ニュース,
2017/9/26, https://www.afpbb.com/articles/-/3144419, (2021/7/30)
市川光雄(2021)『森の目が世界を問う アフリカ熱帯雨林の保全と先住民』 京都大学学術出
版会
小林聡史(2001)「アフリカの自然保護 保護区設定から住民参加型資源管理へ」『アフリカ研
究』2001 巻 59 号 p.11-15
竹内潔(2001)「『彼はゴリラになった』―狩猟採集民アカと近隣農耕民のアンビバレントな共生関
係」 市川光雄・佐藤弘明編著『森と人の共存世界 講座・生態人類学 2』京都大学学術出版会

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