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体育学研究 65:1-18,2020 源了圓の「型」概念の相対化 1

原著論文

フィールドワークによる源了圓の「型」概念の相対化:
新陰流の稽古法に着目して

中嶋 哲也

NAKAJIMA Tetsuya : Relativization of the Kata Concept of Ryoen Minamoto through Fieldwork:Focusing on
Methods of Practice of Shinkage-Ryu. Japan J. Phys. Educ. Hlth. Sport Sci.

Abstract: We report a study of the dojos (training halls) of the Shinkage-Ryu (teaching style) school of Japanese
sword fencing, a foundational martial art, through fieldwork and an examination of the kata concept of Minamoto
Ryouen based on the results. Earlier research on martial arts, not limited to Minamoto, was conducted mainly
through literature reviews. In those studies, however, the realities of martial art practices that are not clearly evi-
dent in the literature were not identified. The originality of the present study lies in its investigation of the actual
conditions of martial art practices on the basis of fieldwork.
This study focuses on kata, which is a core practice method unique to martial arts. However, previous literature
searches on kata have not achieved notable results. It is rare for shosa (conduct and movements) associated with
kata to be described in detail in the martial arts literature, although descriptions of the spiritual nature and physical
sense have been described from the standpoint of oriental thought patterns. This is because kata is based on
practice and not described in words. The present fieldwork examined the manner in which kata is practiced.
How can fieldwork reveal aspects of kata that have been unaddressed in literature studies? Unless this issue is
solved, the significance of fieldwork will not be demonstrated. Here, we critically relativize the kata concept of
Ryoen Minamoto, in view of the lack of previous efforts to do this.
Study of the kata concept revealed that Minamoto discovered the principle of repeating the same physical
movement as its basis. Furthermore, Minamoto considered that the character and individuality of the creator
disappeared during the course of acquiring universality as part of traditional culture. However, Minamoto asserted
that kata tends to be a form of practice in which formalized procedures are merely repeated, and that therefore
there is a risk that such practice will become a mere formality.
In the Shinkage-Ryu dojos surveyed in this study, 2 concepts – omotetachi and toho – were used to represent
kata. Omotetachi corresponds to the kata concept of Minamoto. The purpose of teaching and practicing omotetachi
in the dojo is to acquire toho. Toho is regarded as the basic use of the sword in Shinkage-Ryu and comprises 3
elements: (1) the vector of the sword, (2) to step ahead to where the tip of the opponent’s bamboo sword falls,
and (3) to swing the sword in a single movement. In Shinkage-Ryu, the bamboo sword used is of the same length
as the opponent’s sword and building the ability to strike the opponent’s fist takes up the majority of the training,
reducing any handicap based on physical build and establishing a fair fight at a given distance from the opponent.
In addition, omotetachi is constructed in such a way that, if one keeps the movements of (2) and (3), then one need
to focus only on (1), or the angle of the sword between oneself and the opponent, to resist defeat. The omotetachi
is an example for learning the geometric mechanisms of toho, which comprises the skills that compose omotetachi.
In the fieldwork sites, a practice known as kudaki, a form where kata and matches are mixed, was employed
instead of mere repetitions of the omotetachi shosa. Kudaki is a practice that requires one to respond to the attack
of an opponent who does not follow formalized steps by applying toho learned in omotetachi and the ideas of
toho. In kudaki, in response to the opponent’s uncertain movement, a variety of movements are generated by using
toho. The kata method has the potential to produce shosa that are not present in omotetachi.

茨城大学教育学部 College of Education, Ibaraki University


〒310-8512 茨城県水戸市文京2-1-1 2-1-1 Bunkyo, Mito, Ibaraki 310-8512
連絡先 中嶋哲也 Corresponding author tetsuya.nakajima.anthropology@vc.ibaraki.ac.jp
2 中嶋

Furthermore, unlike Minamoto’s kata concept, omotetachi is suggested to be the first traditional, historical
culture to be established with an added personality. In other words, shosa of omotetachi is merely a concept
bearing the name of the creator added to the shosa produced based on toho. Through this practice of kudaki, it can
be seen that toho does not refer to the principles of repetition of the omotetachi shosa.

Key words : Japanese martial arts, swordsmanship, literature reviews


キーワード:武道,剣道,文献研究

は「現にある心の状態をあるべき状態へと高め
Ⅰ 問題の所在 深めてゆくことをめざして心の修練をすること」
(源,1989,p.165)であり,近世日本思想史の研
1. 文献研究への偏り 究では比較的ポピュラーなテーマである(小島,
注 1) 注 2)
武道 の型 は流派武術が成立した初期か 1994;子安,1998;源,1980).源が型について
ら現代の武道各種に至るまで行われている稽古法 初めて体系的に論じた『型』では江戸時代の代表
である.武道の型はこれまで文献を資料にして研 的な武道である新陰流の『兵法家伝書』を用いて
究されてきた.その代表的な研究者として源了 剣術の心法が考察されるが,その際に源は「『兵
圓(以下「源」と略す)がいる.源が武道の型を 法家伝書』という「心法」を「剣法」の中核とす
論じる目的は日本人の「広い意味での教育、すな る剣法書の成立を促し,そしてそれが近世の剣法
わち人間形成」(源,1989,p.310)の在り様を考 論の「型」をつくったことが歴史的に見て最も重
えるためである.源は武道に関する著作を 3 つ世 要であろう」(源,1989,p.188)と述べている.
に問うている.1 つ目は『文化と人間形成』であ ここで源のいう武道の「型」とは所作としてのそ
る.この著作で源は「少なくとも室町時代以後の れではなく,心法を中核とした「剣法論」のこと
日本人にとって,男性・女性の区別なく,人間教 である.源が型の所作よりもその稽古を通じて行
育の重要な方法」(源,1982,p.87)として,武 われる心法に重点を置いていることは明らかであ
道を取り上げた.その後,
『型』において源は「日 る.源は所作としての型を主題化することには成
本文化と日本人の性格形成の関わり」(源,1989, 功しなかったといえるだろう.
p.312)を解明するため,日本文化における型の しかし,これは源だけが抱えた文献研究の限界
諸性格を類別し,武道の型の在り様を精緻に分析 ではない.武道の研究では,型に限らず,伝書
した.最後に源が編者となり作成された論文集『型 の文言を解釈するのがこれまで主たる研究方法
と日本文化』の所収論文「型と日本文化」では『型』 だったのである(加藤,2003;前林,2006;源,
で議論された型概念を再検討し,同書所収論文「近 1989;岡田,1952;寒川,2014;鈴木,1940;魚
代日本における武道の普遍化の二つの型―阿波研 住,2002).伝書には当該流派の伝承者の思想や
造と嘉納治五郎をめぐって―」
(源,1992)にお 経験が成文化されているため重視されてきたが,
いて,前作までは扱わなかった明治期以降の武道 結果的に型の稽古の実態解明はそうした文献研究
の型の普遍性について論じている. の背後に退いてきたのである.例えば,源が「技
源はこれらの研究書のなかで近世の剣術,近代 を磨いてゆく過程において自己の心のありようを
の柔道及び弓道の型について論じているが,これ 問う」(源,1989,p.165)と述べたとき,「技を
らは全て文献研究による成果である.源が文献研 磨いてゆく過程」とは具体的にいかなるものなの
究の方法を用いたのは,彼が単に武道の実技の専 か,彼は検討していない.それでは「自己の心の
門家ではなく日本思想史の研究者であるためであ ありようを問う」営みが「技を磨いてゆく過程」
る.問題は,源が武道の型について論じる際に主 でどのように行われているのか,また,その過程
題としたのが心法だということである.心法と でそもそも「心のありようを問う」ているのかど
源了圓の「型」概念の相対化 3

うかも不明なままではないだろうか. このように,型の稽古は武道の中核的な実践
とはいえ,こうした文献研究の限界は研究者側 の 1 つであるはずなのに,その研究は文献研究に
にのみ原因があるのではない.例えば,源が武道 偏っており,稽古の実態に迫った研究はほとんど
の型を論じる際に基本資料として用いた『兵法家 進んでいないのである.本研究は,こうした研究
伝書』では型の稽古について「師弟立相ひて以て の偏りを補完する方法としてフィールドワークが
之を教へ,書面に顕はし難し」(柳生,1632〔渡 有効と考えている.では,型の稽古を調査するに
辺,1985,pp.12-13〕)と述べられている.つまり, あたり,どのようなフィールドワークが有効なの
稽古の当事者にとっても型の稽古の実際を文章に か.次節ではこの点について検討したい.
表すことは困難な作業なのである.文献から型の
稽古の実態に迫る作業には限界があるのである. 2. 文献研究からフィールドワークへ
こうした従来の文献研究の限界に気づいている 本研究のフィールドワークは人類学的な参与観
武道の研究者は筆者一人ではない.例えば,社会 察である(以下「フィールドワーク」で表記を統
学の立場から合気道の道場をフィールドワークし 一する).調査地は 2005 年 10 月 30 日から通って
た森山達矢は「これまでの研究は,武道と人格の いたとある古流剣術の道場である.この道場につ
形成,倫理の形成ということについて文献学的な いては後述する.本研究を着想し,調査を始め
研究,思想史・精神史的な研究しかおこなってい たのは 2015 年 9 月からである.その際,当該道
ない…武道と倫理の関係を,稽古者に内在した視 場の人々には本研究の趣旨を伝え,調査の了承を
点で記述し分析したものは見られない」(森山, 得ている注 3).本研究に関する資料収集は 2018 年
2013,p.227)ことを指摘している.ただし,森 10 月 28 日に完了した.資料としては道場主の稽
山(2013)は主に稽古者間の言葉のやりとりに着 古時の発言を覚え書きしたメモと,稽古に関する
目した研究をしており,合気道の型の稽古に関し 写真を収集した.調査開始は 2015 年 9 月以降だが,
ては正面から論じられていない. メモはそれ以前からつけており,本研究ではそれ
またフィールドワークではないが,型の所作を も用いられている.メモからの引用は,引用末に
研究対象として扱っているのは,魚住孝至及び立 カッコ( )でメモした日付を記した.また,メ
木幸敏の新陰流と小野派一刀流の研究(魚住ほか, モ以外に筆者自身の回顧も資料として用いた.回
2004,2005,2007,2008,2009,2012,2013;立 顧は本論文作成時の 2019 年 3 月に行われた.なお,
木ほか,2015,2016,2017)と,赤羽根龍夫・大 写真は稽古者のプライバシーに配慮し,一部加工
介らの新陰流と尾張円明流の研究(赤羽根・赤羽 して用いる.
根,2006,2007,2008,2010,2012;赤羽根ほか, さて,フィールドワークによって文献研究とは
2011)である.魚住,立木の一連の研究は 17 世 異なる型の知見を提示するにはどうすればよい
紀から 18 世紀にかけての流派剣術,特に新陰流 か.この点をクリアできなければ文献研究に対す
及び小野派一刀流の型の所作を検討するものであ るフィールドワークの有効性は示せない.
る.また赤羽根らは新陰流及び円明流に伝来する 本節で検討したいのは,概念を用いた研究方法
型の所作を研究している.これらは当時の伝書に についてである.なぜなら武道の文献研究では,
断片的に記された所作の記述を読み解き,伝書が 概念を用いた伝書の読解が行われるからである.
作成された当時の型を復元していく研究である. 『岩波哲学・思想事典』によれば,概念とは「一
しかし,どのように伝書を読めば過去の型が復元 般に内包(意味内容)と外延(適用範囲)とを
されるのかといった方法論は明示されていない. もち…イメージよりも言語との結びつきが強く,
そのため,研究内容は極めて興味深いが,研究方 非心理的かつ論理的色彩が濃い」(山崎,1998,
法が学術的批判に耐えうるかどうかは議論の余地 p.209)と説明されている.概念は論理的な言語
が残る. 表現であり,伝書に限らずあらゆる文献を読解す
4 中嶋

る上で非常に有益である.心法も型も概念であり, 結果的に源の型概念の範疇に収まる議論を展開し
そうした諸概念を用いてきたのが従来の武道伝書 ている.寒川(2014)は源の『型』を参考文献に
の読解であったことは異論ないだろう. 挙げているものの,正面から批判をしていない.
しかし,文献研究が練り上げてきた既成概念に つまり,源の型概念は武道論において批判もされ
依拠してフィールドワークすれば,誰がどう型を てきたが,乗り越えられるには至っておらず,現
実践していても,その概念に稽古の具体的で多様 在もその有用性を保っているのだ.
なあり方が還元されかねない.例えば,広辞苑 それでは,源はどのように型概念を定義してい
にしたがって型を「規範となる方式」(新村編, るのだろうか.源は論集『型と日本文化』におい
2018,p.560)と文字通り辞書的に定義すること て同書と同名の論文「型と日本文化」を発表し
は可能である.しかし,そのような定義を前提に ている.「型と日本文化」において型をパターン
してしまうと,目の前で型を成立させている諸々 としての型,タイプとしての型,スタイルとして
の事項,例えば使用される道具及び施設環境と の型,そしてフォームとしての型の 4 つに整理し
人々が身体を動かすこととの連関などは「ブラッ ている.このうち前者 2 つは武道の型を論じるに
クボックス」になってしまうのである(cf. ラト あたり利用されていない.そのため,後 2 者を源
ゥール,1999,
pp.4-30〈1987,pp.2-17〉).そのため, の単著『型』の議論とまとめて考察したい.『型』
研究者の視点を固定する既成概念の手前に戻り, では,フォームとしての型が「狭義の型」,スタ
型が実践される具体的な諸相を検討することは, イルとしての型は「広義の型」とそれぞれ呼ばれ
文献研究で用いられる型概念を相対化する上で有 ている.源は型の意味をより明確に表すために各
益だろう. 呼称を改めたのだろう.以後,本研究では「型と
本研究では筆者が武道の型の稽古に参加するこ 日本文化」の呼称を採用する.また,以下の行論
とで型が実践される様子を描いていく.それによ で源の型概念や単に型と述べる時にはフォームと
って,これまで文献研究の側で作られてきた型概 しての型を指すことにする.
念を相対化する可能性が生まれるだろう.本研究 ところで,源の型概念を検討する前に確認して
では,武道の型の稽古をフィールドワークするこ おきたいのは,彼が自身の型概念を形成するにあ
とで文献研究によって作られた型概念の相対化を たり手本としたのは歌舞伎研究者の服部幸雄の型
目的とする. 概念だということである.源は服部の論文「型掌
論――歌舞伎の「型」に関する覚え書」(『文学』,
Ⅱ 源了圓の型概念 昭和 58 年 11 月号)の次の一文から自身の型概念
の着想を得ている.
1. フォームとしての型
ところで,型概念の相対化といっても,誰のど 「『型』は基本的に『形』が『型』になって定
ういった型概念を相対化すべきなのだろうか.本 着し固定するのは,幾度も繰り返してその『形』
研究では武道の型概念を最も考究したのは,やは が演じられ,時代の観客によって承認されるこ
り源だと考えている.武道論の先行研究では,加 と,そしてその『形』がある種の規範となって,
藤(2003)が源の『型』で提示された型概念を新 俳優から俳優へ伝承されることがその前提とさ
陰流の伝書読解に応用しているし,前林(2006) れる」.私はこの考えに共感し,そして同意す
は源の型概念が心法論や教習体系など様々な事項 る(源,1989,p.13)
を含む点で外延を拡げ過ぎていると批判しつつ
も,「本論でいうところの「型」をあえて源氏の つまり,歌舞伎の研究に着想を得ている源の型
分類で言えば『基本的な単純な型』(狭義の型) 概念を果たして武道に敷衍してよいのかどうか
ということになる」(前林,2006,p.187)と述べ, は,そもそも武道の研究者によって検討されなけ
源了圓の「型」概念の相対化 5

ればならない問題だったといえよう.本研究はそ の主張である.本研究では,以下の行論で煩雑な
の足掛かりとしても位置づけられる. 説明を避けるため,所作が制作者の人格や個性を
それでは,本研究の議論の中心となる型の考察 帯びているとする状態を人格化と呼びたい.また,
を始めたい.源は型を次のように説明している. 所作から制作者の人格や個性が離れていくことを
脱人格化と呼びたい.すなわち,人格化されてい
人間の意識的・無意識的な動作によってつく る所作が脱人格化され,「アノニムの状態」(源,
られる形のうち,ある形がとくに選択され,そ 1989,p.16)になってようやく型は完成し,伝承
してその形を繰り返し繰り返して洗練し,その されゆく普遍性を獲得するのである.源は脱人格
形の現実化を持続的なものとしようとする努 化した型を「典型」と述べるが,この段階の型は
力・精進の結果,成就し完成したいわば「形の形」 継承する側からすれば「『規範性』『範型性』『模
ともいうべきものにほかならない(源,1989, 範性』を獲得し,私どもにそれに向かっての,あ
pp.13-14) くことのない努力精進を促す『強制力』を獲得す
る.つまりわれわれのモデルとなる」(源,1989,
人間の意識的・無意識的動作によってつくら p.15)のである.
れる形のうち,ある形がとくに選択され,そし 他方,源は「スタイルとしての型」(源,1992,
てその形を繰り返して洗練し,そしてその形の p.27)という概念をフォームとしての型に対置さ
現実化を持続的なものとしようとする努力・精 せる.スタイルとしての型には 2 つの側面があ
進の積み重ねの過程において飛躍的に体得され る.1 つは能楽の「序・破・急」のように上演全
た「形であって形を超えるものとしての完成さ 体の流れを表したり,茶道の「守・破・離」のよ
れた形」と規定できるだろう.「型」は形を超 うに修行の過程を表したりするような,様々な型
えたものとして「イデア」に似ているが,イデ を含み,それらを統合した様態である.2 つ目に
アが形を超えた超越者であるのに対して,「型」 茶人の「好み」(源,1989,p.16)に代表される
は「形」においてしか自己を示さない.その点 ように,所作がその制作者に関連づけられて人格
から言えば「型」は「完成された形」である. 化されている状態である.後者は「うつろいやす
しかしそれはまたその「完成された形」の不断 さ,はかなさをその属性」(源,1992,p.28)と
の実現を可能にする何ものかであって,たんな しているため,特にフォームとしての型に対置さ
る「形」にとどまらない(源,1992,p.29)
. れるのである.つまり,個々のスタイルとしての
型(=人格化されている所作)が脱人格化するこ
源は『型』及び『型と日本文化』でほぼ同様の とで「制作者の名前が忘れられるほど普遍的,一
型の定義をしている.まず,ここで源のいう「形」 般的」(源,1992,p.22)なフォームとしての型
とは「人間の意識的・無意識的動作」で成り立つ になる.
所作のことと解せる.そして,様々な所作から特 以上をまとめると,源は型の成立機序として,
定の所作が「選択」され,それの「現実化を持続 まず型を作るために様々な所作から特定の所作が
的なもの」にするために洗練されていくことで型 選択される段階を考えている.その特定の所作と
が成立するのである. は人格化されたスタイルとしての型であるが,そ
型は特定の所作が選ばれて作られるわけだが, れが脱人格化されることで規範性を持つ「イデア」
では選ばれた所作はその後どういう経過を辿って のような型になるという 2 段階の過程を考えてい
型になるのか.源は型が出来上がる前の所作は, る.
「制作者の人格や個性」(源,1989,p.16)を帯び ところで,源は型が「『イデア』に似ている」
ているという.そして,型は一旦完成すると制作 と述べているが,それは彼が型にモデルとコピー
者の人格や個性から離れて独立するというのが源 の関係を見出しているためだと考えられる.源は
6 中嶋

『型』のなかで次のように述べている. の存在が一つの心理的強制となり,それがうと
ましくなる状態,
(b)「型」のない状態が存在
漢字の「型」は「法則になる土がた」つまり「鋳 しなければならない.ここから「型」をつくろ
型」というのが,その本来の意味のように思わ うとする時,(1)(a)から直ちに「型」をつく
れる.物事のモデルとなり,それに従えばいく る作業に移る場合,(2)(b)から「型」を作ろ
つものコピィがつくられるもとになるもの(祖 うとする場合,(3)(a)の型を破って(b)の
型・原型・元型)というのがその本来の意味な 状態に変え,そこから「型」をつくろうとする
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

のであろう.剣道や柔道の「型」というような 場合,の三ケースがあろう(源,1989,p.26)
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

用例は,この本来の意味をよく示しているよう
4 4 4 4 4

に思われる.この場合には,当事者の体型によ 源は,このなかで最も多いケースは(1)のケ
ってある程度のヴァリエーションは必要であろ ースであり,それは型の手直し,修正による存続
うが,それも基本になる型を徹底的にマスター というべきものであるという.そうした修正で上
することによって初めて可能で,鋳型の場合の 手くいかない場合は「型やぶり」に向かうが,そ
ようにまったく同じコピィというわけにはゆか れが新たな型の創造につながるか,実質的解体に
ないが,それにしてもある程度の選択の幅こそ 向かうかは状況による.例えば,型のモデルを提
あれもとの型と同じような運動が可能になる, 供するのは「良き師」であり,弟子は師の所作を
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

つまり同一運動のコピィがつくられるという点 主体的に観察し模倣することでそれを受け継いで
では同じである(源,1989,p.9)(傍点,筆者) いくのである(源,1989,pp.248-252).しかし,
そうした稽古も「真剣」にやれば実力がつくが,
源の議論に忠実に従えば,型は特定の所作以外 その学習の在り様が「型通り」のものになれば,
の運動を作り出すことを目的としていない.源は もちろん実力はつかず興味も薄れていってしまう
柔道や剣道など武道の型を「同一運動のコピィ」 (源,1989,p.170).源によれば 18 世紀の武道界
を可能にする鋳型とみている.それは特定の所作 では「型通りに型を学ぶという弊害が生じた」
(源,
を再現するための「同一運動のコピィ」原理とい 1989,p.180)のであり,それへの対応として試
えるだろう.他方で,源は体格による個人差が型 合が行われるようになったと指摘している.
を通じて現れることにも注意を向けている.源は 次に,(b)の型のない状態,あるいは型やぶり
個々人の体型差によって「ある程度のヴァリエー が行われた状況から型をつくるには,型を新しく
ション」が出るにせよ,型によって「もとの型と 作り,それを完成させるという段階があるとい
同じような」,「同一運動のコピィ」がつくられる う.このように源は型の創造を歴史的な時間の継
としている.つまり源は型の同一性(モデル)を 起のなかで捉えている.つまり,型は仕上がれば
基準として個々人の所作(コピー)の間に差異が 守る段階に入り,その後,既存の型がうとましく
生じると考えているのである. 感じられる状況になれば,それを修正するか新た
に創造するのである.
2. 型の創造と伝承 以上,源の型概念の特徴をまとめると次の 4 つ
では,どのような場合にスタイルとしての型は に要約される.①型は同一運動の反復を可能にす
脱人格化し,フォームとしての型になるのであろ る原理である.②型は稽古する者にとって規範性
うか.源は型には創造される時代とそれを受けつ と強制力を持つ.③型は制作者の人格や個性を離
ぎ守る時代があるという.源は,型が創造される れた普遍性を持っている.④特定の所作が型にな
時代の特徴を次のように述べている. るには単に型が無いところに創造するか,前時代
の型がうとましくなりそれを修正するか,新たに
(a)「型」がうまく機能しなくなって,「型」 創造するという歴史的プロセスを経ることにな
源了圓の「型」概念の相対化 7

る.本研究にとり①―③は調査地との比較を行う 相伝によって伝えられてきたものである.Y 氏の
かんべきんしち
上で重要な論点となる.④について,本研究は歴 父親は厳周とその高弟である神 戸金七(1894―
史研究ではないが,型がどのように形成されるの 1980,以下「神戸」と略す)の下で柳生流を稽古
か,その形成のされ方について,調査地の道場の していた人物である.
営みから考察した. 稽古日は原則,第 2 日曜日と月末日曜日の月 2
それでは,次章よりフィールドワークの調査結 回である.ただし,各々の予定に合わせて稽古日
果に移りたい. が変わることもある.稽古時間は 14 時から 18 時
までで,Y 氏の自宅にある私設道場(以下「Y 道
Ⅲ 調査地の概要 場」と略す)で行われる.
次に Y 道場の稽古内容について述べたい.ま
1. 新陰流とは何か ず,Y 道場では最初に柳生流の伝書を講読し,そ
しんかげりゅう くみ た ち
本研究では古流剣術の 1 つ,新陰流の道場をフ の後に「組太刀」を行う.柳生流では型や形とい
た ち
ィールドワークした.源は『型』のなかで武道に 「太刀」,
う言葉は用いられない.代わりに組太刀,
せいほう おもて た ち
ついて論じる際に新陰流の伝書を基本資料の 1 つ 「勢法」,あるいは「表太刀(第Ⅳ章で詳述)」と
として使用している(源,1989).そのため源の いう言葉が使用される.このなかで,Y 道場では
型概念を相対化するために新陰流を調査対象とす 組太刀と太刀という呼称が通行しているが,太刀
かみいずみ
ることは妥当だろう.さて,新陰流とは,上 泉 は表記上,武道具の太刀と区別がつかないため,
い せ のかみ のぶつな
伊勢 守 信綱(1508―1573.以下「上泉」と略す) 本研究では主に組太刀を用いたい.また,本研究
によって創始された流派剣術である.上泉の弟子 では伝書の講読は研究対象から外す.本研究の目
やぎゅう せき しゅう さいむね よし
である柳 生石 舟 斎 宗厳(1529―1606.以下「宗 的を達成する上で必要ないためである.
えんぴ
厳」と略す)は師より学んだ新陰流に独自の工夫 表 1 は柳生流の組太刀の一覧表である.「燕飛」
を加え,のちに柳生新陰流(以下「柳生流」と略 は流祖上泉が前身の陰流から引き継いだ組太刀で
す)と呼ばれる一流を立てた.柳生流は徳川家康 あるため柳生流の目録には載せられていないが,
に庇護を受けて以来,将軍の教養として徳川家に 稽古はされる.また燕飛の仕様を記した柳生流の
代々伝承された.江戸幕府を統治した将軍家のほ 古文献も存在する(魚住ほか,2012).Y 道場で
かにも,その親族が統治した尾張藩に柳生流は伝 は 1 月は稽古始めとして燕飛を稽古するのが慣例
承された.将軍家に伝承された柳生流は江戸柳 となっている.これらの組太刀のほかに外伝とし
しあいせいほう
生,尾張藩で伝承されたそれは尾張柳生と通称さ て「試合勢法」と呼ばれる組太刀が存在する.こ
とう れい
れている.今日,日本各地で伝承されている柳生 れは尾張柳生の中興の祖である長岡桃嶺(1764―
流は各藩の参勤交代などを通じて各地に伝播した 1849)が初学者に実戦的な組太刀を教えるために
とし
江戸柳生のほか,大正期以降,尾張柳生の柳生厳 創ったといわれている.
ちか とし なが さんがく ご く い ろ っ かじょう
周(1845―1932,以下「厳周」と略す)
・厳長(1891 Y 道場では,「三 学」から「極 意六箇 条」まで
さい
―1967,以下「厳長」と略す)父子が宮内省の済 を表 1 に示した順番に稽古する.ただし,1 日で
ねい
寧館で稽古を始めたことをきっかけにして東京で 全ての組太刀は終わらないので,これを毎回少し
教習された尾張柳生である. ずつ進め,極意六箇条まで終われば,再び三学に
本研究の調査地は C 県にある柳生流の道場で 戻って稽古する.カテゴライズされた一纏まりの
ある.調査先の道場主である Y 氏(1942―)は 組太刀を段階的にしっかり修得していくのではな
現在,仕事の関係で C 県に住んでいるが,その く,循環しながら徐々に学びを深めるのが Y 道
家譜は尾張藩士に遡り,先祖は尾張柳生家代々の 場の特徴だろう.なかには循環の都合上,極意六
伝承を補佐する立場にあったという.Y 氏の柳生 箇条を稽古する日に入門した者もいる.こうした
流は尾張藩士の柳生流門人であった先代から父子 循環的な稽古のおかげで拙い技量ながら筆者はほ
8 中嶋

表 1 Y 道場における新陰流の組太刀

順番 カテゴリー 組太刀
えんぴ えんぴ えんかい やまかげ つきかげ うらなみ うきふね
I 燕飛 燕飛,猿回,山陰,月影,浦波,浮 舟
さんがく いっとうりょうだん ざんていせってつ はんかいはんこう う せ ん さ て ん ちょうたん い ち み
II 三学 一 刀両 段,斬釘截鉄,半開半向,右旋左転,長 短一味
く か ひっしょう ぎゃくふう とお た ち かぼく しょうけい こづめ おおづめ や え がき むらくも
III 九箇 必 勝,逆風,十太刀,和卜,捷径,小詰,大詰,八重垣,村雲
てんぐしょう かしゃ あけみ ぜんたい てびき にとう に と う うちもの らんけん ににんがかり
IV 天狗抄 花車,明身,善待,手引,二刀,二刀打物,乱剣,二人懸
ごくいろっ かじょう てんせつらんせつ む に けん かつにんとう こうじょう ご く い しんみょうけん
V 極意六箇 条 添截乱截,無二剣,活人刀,向上,極意,神 妙 剣
は っ か ひっしょう は っ か ひっしょう
VI 八箇 必 勝 八箇 必 勝
まろばし おおまろばしこまろばし
VII 轉 大 轉 ,小 轉
✝ Y 道場での稽古を基に作成.組太刀は個々の組太刀を指すが,同時に複数の組太刀を編成したまとまり
についても用いる.表 1 では表の見易さを考慮し,前者を組太刀,後者をカテゴリーとした.

とんどの組太刀を経験することができた注 4).ま であるが,これは 8 等分か 16 等分に割った竹に


は っ か ひっしょう まろばし
た,「八箇必勝」と「轉」は稽古の最終段階に行 漆を塗った皮革を被せた鍔の無い竹刀である.皮
われるというが,これらも 2015 年 4 月以降,三 革は革の両端を縫い合わせて筒状にするが,この
学―極意六箇条の合間に時折,稽古するようにな 時の縫い目を刀の刃と見立てて扱う.実際の刀は
と あ づか
った.三学と九箇には「取揚げ遣い」と呼ばれる 刃,棟(刃がついていない側),そして鎬(棟寄
した づか
初学者用の組太刀と「下から遣い」と呼ばれる通 りに横に出っ張った部分)で構成されており,刃
常の組太刀が存在する.取揚げ遣いは尾張柳生第 の位置は明確である.一方,袋竹刀の断面の形状
とし かね
5 代柳生厳包(1625―1694.以下「厳包」と略す) は丸いので,どこで打っても同じように打つこと
が作った組太刀といわれる.これらに加え Y 道 が出来てしまう.そのため,柳生流では袋竹刀の
場では取揚げ遣い・下から遣い以前の組太刀とし 縫い目を刃に見立てることで,刀の操作法と異な
て伝えられる「古伝」の稽古をしている. る操作を身につけないよう注意している.また,
普段の組太刀の稽古では,高弟の S 氏が相手を 組太刀は刀の斬り合いを想定しているため,Y 道
務め,その日参加した稽古者らは S 氏と順番に 場では袋竹刀を太刀と呼んでいる.そのため,以
稽古することになっている.Y 道場では一度に一 下,袋竹刀のことを太刀とも呼ぶ.
組しか組太刀を行わず,一斉指導はなされない. 袋竹刀は刀身部分が柔らかく皮革で被われてい
ただ,稽古の参加者も Y 氏や S 氏を含めて常時 5 るため,精一杯打っても相手を死傷させることは
名程度なので稽古の出番が回ってこないことは無 無い.柳生流では袋竹刀で安全性を確保し全力で
い.ときには Y 氏が組太刀の相手をすることも 打つのである.安全性という点でいえば,現代の
あるが,多くの場合,氏は稽古の合間に助言や S 剣道では防具をつけるが柳生流には定められた防
氏との組太刀を模範することで我々に指導する. 具はない.ただし,柳生流では相手の拳や手首を
稽古の後半は,各自が課題にしている組太刀を行 打つ組太刀が多いので,Y 道場では手袋やリスト
うことになっている.本研究ではこうした組太刀
の稽古の具体的な諸相を論述することになる.

2. 袋竹刀と道場
柳生流は現代の剣道と扱う道具が異なる.まず,
ふくろ し な い
「袋竹刀」の説明をしよう. 図 1 袋竹刀
袋竹刀とは全長三尺三寸(約 100 ㎝)の竹刀 (2017 年 10 月 29 日:筆者撮影)
源了圓の「型」概念の相対化 9

バンドの装着が推奨されている.この手袋やリス 打ち込むまでの時間がかかるのでこれを嫌うので
トバンドは市販の物でよく,両手を保護できれば ある.
何でもよいとされる.稽古着も Y 道場では定め このように自身の振る太刀の角度や拍子に気を
られておらず,人によっては作務衣を着たり,各 付けることは大事だが,それだけでは刀法は成立
武道の道着を着たりするが,筆者はジャージで しない.剣術は対人動作である以上,いつ・どこ
稽古している.Y 氏は「どんな格好していたって で太刀を振るのかについても考えなくてはなら
動けないとダメだ」(2007 年 9 月 30 日)と言い, ないためである.Y 氏によれば,柳生流の組太刀
稽古着について注意することはない. の根幹となる刀法は,相手の太刀の切っ先が落ち
次に道場であるが,広さは 18 畳(タテ 3 間× てくるであろう地点に踏み込むことだという.こ
ヨコ 3 間)でフラットな板の間である.フラット れが「水月の場を取ること」である.また,この
な板の間は現代の剣道場や体育館などであれば特 地点を柳生流では「水月の場」という.柳生流で
別なことではないので筆者は気づかなかったが, は水月の場への踏み込み,それに乗じて太刀を一
Y 氏には「道場のような整えられた空間は実際の 拍子で打つことが求められる.柳生流の組太刀で
戦闘にはない.しかし,こうした道場の造りは伝 は太刀を握る相手の拳を狙う動きが多い.太刀を
えたいことがあるから,あえてそう造られている」 構えた時,両者の拳の間の物理的な距離は等しい
(2007 年 12 月 24 日)と教えられた.道場や袋竹 からである.また稽古では向き合う両者とも同じ
刀を幾何学的に整えているのは,伝承したいこと 長さの袋竹刀を使う.そのため,拳を狙えば体格
を分かり易く伝えるための工夫なのである.換言 に関わらずお互いの打ち合う間合いはフェアにな
すれば,道場や袋竹刀の幾何学的な設定はそれ自 る.
体,組太刀の実践に作用するのである.その作用 また道場がフラットな板の間であることは両者
については後述するとして,次に組太刀の構造に が歩みを進めるための条件を幾何学的に等しくす
ついて説明したい. る.それによって,刀法とは別の要因(地面の凸
凹で躓いたり滑ったりするなど)で組太刀の成否
3. 組太刀と刀法 が決まる状況を無くそうとしているのである.こ
柳生流では組太刀を通じて,伝来の「刀法」を のようにして,道具や道場の造りは稽古者が刀法
学ぶことを目的としている.刀法とは太刀の使い にのみ集中できるよう工夫されているのである.
方であり,組太刀はいわばその範例である.組太 さらに,相手の太刀の切っ先の下に踏み込んで太
刀は刀法を基に構成されているのである. 刀の距離感を把握すれば,ほかに注意しなければ
た ち す じ
刀法は 3 つの要素から成る.すなわち「太刀筋」
, ならない事柄は太刀筋だけになる.稽古者は上達
いっ ぴょうし すいげつ
「一拍子」,「水月の場を取ること」である.まず すると,相手の太刀を握る拳の位置しか確認しな
太刀筋であるが,Y 氏は太刀筋を「ベクトル」で くなる.それで太刀の切っ先がどの辺りにどうい
あると説明する.すなわち太刀の動く方向と力の
大きさである.相手の太刀筋に対して,こちらは
どういう太刀筋で対応すべきかはお互いの刃の角
度(動く方向)を考えなければならない.
次に一拍子とは,太刀を一挙動で打ち込むこと
である.組太刀では太刀を構えた位置から更に反
動をつけて打つことはない.振り上げる動作と打
ち込む動作の 2 つの挙動になると振り上げる動作
中に攻撃される隙ができるためである.また太刀 図 2 拳と拳の間は相互に等距離
を 2 回以上振り上げるならば動作が増える分だけ (2017 年 10 月 29 日:筆者撮影)
10 中嶋

う角度で落ちてくるかが分かるためである. 半身を左にひねる.この上半身のひねりで左
「太刀筋」,「一拍子」,「水月の場を取ること」 肩が後退するが,この動作で左肩を狙う相手
は毎回の組太刀で指導される.筆者が Y 道場に の太刀が外れる.そして,八相から打ち下し
通い始めた最初の稽古では,Y 氏や S 氏に本気で てくる相手の太刀の柄中(柄を握る両拳の間)
打ちかかることに躊躇し,彼らの身体に当たらな を狙ってこちらも八相から斜めの角度で打ち
い位置で,つまり水月の場に踏み込んでいない位 下ろすのである.相手の柄中を打った太刀は
置で太刀を振っていたが,「そういう打ちに用は 左肘を伸ばし,拳を自身の左の膝頭まで下ろ
ない.しっかり打ち込みなさい」と注意された. す(図 4―7).
水月の場に踏み込まなければ,こちらの太刀が相 ④相手が右足を後退させ自身の左頭上に柄中が
手の身体に当たることがないため,相手もそれに 位置するよう上段に構え直そうとするところ
応じる必要がない.逆にこちらが相手の太刀の下 を,こちらは右足を踏み込み,相手が構え直
に踏み込めば,同じ距離で戦っている以上,相手 そうと太刀を振り上げる前に相手の左手首に
も攻撃せざるを得なくなる.こうした稽古を通 太刀を打ち付け,相手が後退する動作につい
じて刀法は学ばれるが,それを Y 氏は「太刀の
動きに身を調和させること」(2017 年 3 月 26 日)
と述べている.
さて,ここまでは組太刀の構造的な説明であっ
て,稽古法の説明ではない.次章では柳生流の稽
ひ ぎ くだ
古法である「非切り」と「砕き」から稽古の実際
図 3 一刀両段・古伝 図 4 一刀両段・古伝
を考察したい.
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

Ⅳ 稽古の諸相

1. 非切りの稽古
本章では古伝の三学の一本目・一刀両段を事例
に稽古の実態を述べたい.古伝の一刀両段は,次
図 5 一刀両段・古伝 図 6 一刀両段・古伝
の手順から成り立つ組太刀である. (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

①こちらは膝を曲げて腰を落とし,相手に対し
て左肩を向けて横向きになる姿勢をとり,自
身の剣先を後ろに向けた脇構えである.相手
はこちらの左肘に物打ち(太刀の先端から約
10cm 下がった最もよく切れる部分)の照準 図 7 一刀両段・古伝 図 8 一刀両段・古伝
を合わせた中段に太刀を構え,こちらに向か (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
って歩んでいく(図 3)

②相手は八相(右の肩口に太刀を構えた体勢)
に太刀を振り上げた後,右足を踏み込み,こ
ちらの左肩から左肘にかけて斜めの角度で打
ち下ろしてくる(図 4)

③それに対してこちらも脇構えから左足を水月 図 9 一刀両段・古伝
の場に踏み込み,太刀を自分の右肩に担ぎ上 (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
源了圓の「型」概念の相対化 11

ていき反撃を許さない(図 8―9).この動作 も体勢を立て直してしまう.一刀両段の刀法には


を「二の太刀」という. 一拍子の所作の中に相手の攻撃を捌く動きが含ま
以下,Y 道場での最初の稽古を回顧しながら述 れているのである.これらの点を注意して,何度
べたい.Y 氏の組太刀の説明と試技を何度か見た か試技しているうちに,その日は S 氏から非切
あと,筆者が一刀両段を行った.Y 氏の一刀両段 りされることはなくなった.
を見よう見まねで行う.相手を務める S 氏の絶 このように柳生流の組太刀では有効な刀法から
妙な手加減により,実技は成功.ところが,何度 外れると非切りされるために,刀法と所作の選択
か試技したのちに S 氏の方から一言「じゃ,吟 肢は限定されることになる.逆に言えば,組太刀
味してみよう」と言われ,筆者は意味を解する間 はその都度非切りをうけない刀法で成立している
もなく,試技を始めた.すると,筆者が太刀を右 といえるだろう.まず,こちらの太刀筋は相手の
肩に担ぐ最中に,S 氏に肩を打たれてしまったの 太刀筋によって規定される.なぜならば,相手の
である. 太刀筋に応じることのできる太刀筋は数学的に決
柳生流ではこちらの所作が太刀筋に調和してい まってくるし,水月の場も相手の両拳の位置をみ
ない場合には,そのことを知らせるために相手が て踏み込むからである.また,自身の身体をどう
こちらを打っても良いことになっている.これを 使うかも相手の太刀筋に規定されたこちらの太刀
ひ ぎ ひ ぎ
柳生流では「非切り(「間斬り」とも書く)」と呼ぶ. 筋に規定されるのである.ただし,太刀筋は太刀
筆者は柔道の経験者であるが,柔道の型は選手双 を振る所作によって表出するため,太刀筋のはた
方が手順通りに動くことが目指され,相手が攻撃 らきは所作に依存している.つまり Y 氏が「太
して勝つことはない.柔道において手順を定めず 刀の動きに身を調和させること」と述べるのは,
に攻撃をする稽古は試合や乱取なのである.その 刀法と所作の間にあるこうした相互依存的な一面
ため,柳生流の組太刀も手順に従って繰り返し稽 を指しているのである.
古するものと思い込んでいた筆者にとって,S 氏 このように Y 道場においては,適切な刀法で
の反撃は驚くべきものであった. 打てなければ組太刀を成功させることはできな
S 氏によれば,こちらは S 氏が八相に振り上げ い.Y 氏は非切りの稽古で「相手の太刀を振るタ
てから踏み込んでおり,それだと踏み込むタイミ イミングはとらなければならないけど,この相手
ングとしては遅いのだという.一刀両段では水月 はここで太刀を振り上げるとか,そういうことを
の場に踏出し,太刀を打ち込んでいくが,それに コツにしてはならない.それを 5 回 10 回するう
よって③の説明にあるように,こちらの左肩を狙 ちに今度は相手にそのタイミングを盗まれてしま
う相手の太刀は外れるのだという.しかし,相手 うからだ.先に踏み込むんだという心の態度だけ
が太刀を振り上げて踏み込んでくる段階でこちら 保持して」(2018 年 4 月 8 日)と述べている.相
が動き出すのでは,こちらが打ち込む動作に入る 手もこちらの上達具合をみて非切りを厳しくして
前に打たれてしまう.相手も一拍子で太刀を届か いくので,予定調和的な所作に留まることはない
せるために太刀を振り上げつつ水月の場に踏み込 のである.柳生流の組太刀は非切りされる危険性
んでくるからだ(踏み込んでからは振り上げな を常に孕みつつ,その都度不断に再構成されるの
い).そのため,相手の中段に構えた太刀がわず である注 5).
かでも上がったら,こちらも水月の場に踏み込む
動作に入らなくてはならない.また,タイミング 2. 砕きの稽古
よく踏み込んだとしても,上半身を左にひねって 柳生流では,一通り組太刀の稽古に習熟した段
くだ
左肩を回転させ相手の太刀が外れたことを確認し 階で,「砕き」という稽古が行われる.砕きとは,
た後に太刀を振り上げようとすると,工程が 1 つ 最初の構え以外は習った通りの組太刀にこだわら
加わってしまい一拍子にならない.その間に相手 ず,刀法にさえ従えば自身の工夫を試してよい稽
12 中嶋

古である注 6).それは相手も同様である.そのため,
砕きでは勝敗の主客がしばしば入れ替わる.現代
の柔道や剣道の稽古法は型と試合稽古(乱取,地
稽古)の 2 つに分かれているが,砕きはこの 2 つ
の稽古法が混合されたような稽古法だといえるだ
ろう.こうした実戦的な稽古を通じて,どんな状 図 10 一刀両段・砕き 図 11 一刀両段・砕き
況でも瞬時に刀法に適う動きができるように訓練 (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

するのである.
例えば,前述の古伝の一刀両段だと相手が太刀
を振り上げる時まで脇構えで待つが,砕きでは,
相手が八相に構えるや否や,こちらから先に脇構
えから右足を自身の臍の向いている方へ 1 歩踏出
し,切先を相手の方に向け直しさらに左足を踏み 図 12 一刀両段・砕き 図 13 一刀両段・砕き
込み構えなおす(図 10―12).相手がこちらの左 (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

肩めがけて打ち込んでくるところを,こちらは左
足を踏み込み,相手の太刀を自分の左側に払い除
けるようにして太刀を柄中に打ち付ける(図 13
―16.二の太刀は同様なので省略).紙幅の関係
で割愛するが,相手が八相から打ってこない場合
も当然ある. 図 14 一刀両段・砕き 図 15 一刀両段・砕き
砕きの稽古で相手に勝利を譲ったときは,所作 (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

が太刀筋と調和しておらず刀法に問題があると Y
氏や S 氏に指摘される.そして,どうすれば先
程の相手の刀法に勝てるのかを吟味することにな
る.Y 氏はいう.

相手の太刀筋が,何度の角度からくるとか, 図 16 一刀両段・砕き
そう計算して考えてやっているわけではない. (2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)

砕きでは最初に明らかに「こう打ったら負ける このように砕きの稽古は互いの刀法に導かれて新
な」という太刀筋を確認しておく.そのあとに たな組太刀が構成される可能性に開かれているの
相手がこう構えたら,こう打ってくるな,であ である.
ればこちら側は大体こう打てば良いな,という
吟味を積み重ねていくことが大切だ(2017 年 2 3. 表太刀と砕きの範疇
月 26 日) 本研究ではここまで組太刀という用語を用いて
きたが,柳生流では砕きではない通常の稽古や演
このように,刀法は事後的に相手の刀法に対し 武で行われる組太刀を特に「表太刀」と呼ぶ.以
てどう応じればよかったのかと問い,発見するた 下,砕きを含む時は組太刀とし,含まない場合は
めの観点でもある.そのため,刀法は毎回の組太 表太刀として論述する.表太刀をめぐって Y 氏
刀の後にその出来栄えを評価・反省するための指 は次のように述べている.
標(太刀筋は適切だったか,一拍子で打てたのか,
水月の場には踏み込めたのか)にもなっている. 表太刀として,何れを学習のための範例とし
源了圓の「型」概念の相対化 13

て定めるかは各自の裁量に依っている.例えば 技性というのかな遊戯性というのかな,そっち
一刀両段の砕きについても皆,一種の範例とい が勝っちゃう.そうすると本伝に戻れなくなっ
うことになる.それで通常の稽古の手順での勝 てしまう.本伝の意思に戻れるように砕きはし
口(=太刀筋のこと:筆者注)以外の勝口の取 なきゃいけない(2018 年 3 月 25 日)
り方は個々人がそれぞれに考案・工夫しなけれ
ばならない(2015 年 9 月 27 日) Y 氏がいう「個性で伝える」とは好き勝手に教
えることではない.それでは尾張柳生を伝承する
Y 氏の発言にしたがえば,表太刀には各伝承者 ことにはならないためである.もし,尾張柳生に
の意図が込められていると考えられる.例えば, 固有な表太刀を稽古で行わなければ,尾張柳生の
「三学には上泉が陰流から抽出した “奇妙” のエ アイデンティティを弟子に伝えることはできなく
ッセンスが込められている」,「九箇は上泉なりに なってしまうだろう.そのため Y 氏は尾張柳生
他流の刀法を 9 つにまとめ,それらに応じる刀法 の表太刀を教えつつ,自身の得意な刀法や先代の
で組み立てた」,「極意六箇条は,技は相対的なも 得意だった刀法を「砕きの範疇」として伝えてい
のであることを示すために宗厳が設えた」,「取揚 る.「砕きの範疇」とは,尾張柳生の表太刀とは
げ遣いは,厳包が初学者用に作った」といった言 別に表太刀における相手の刀法に自身の得意な刀
い伝えがそれにあたるだろう.表太刀は柳生流の 法で応じる仕方である.つまり,砕きの稽古には
伝承者が各々の考えに応じて選定した教習用の組 相手のある刀法に対して様々なヴァリエーション
太刀だと考えられる.その選定には選定者の人格 をつけることも含まれる.ただし,そのヴァリエ
や好みも反映されていると考えられる.すなわち, ーションは体格差にのみ規定されるとは言い切れ
表太刀は人格化された組太刀であるといえるだろ ない.なぜなら,個々人の体格差がヴァリエーシ
う. ョンを規定するなら,Y 氏が先代の刀法を示範す
Y 道場では尾張柳生の表太刀とともにほぼ毎回 ることは出来ないはずだからである.また,Y 氏
Y 氏や先代(Y 氏の父親)の得意な刀法が数本ず の発言から,個々人の好みも刀法のヴァリエーシ
つ示範される. ョンに反映されていることが窺われる.そのよう
な個々人の好みが反映されても「砕きの範疇」が
〔一刀両段の砕きの示範にて〕技を伝えると 成立するのは,表太刀であれ,砕きの組太刀であ
きはその人の個性で伝えていかなくちゃならな れ,刀法に基づいて構成されるという要件からは
い.例えば私のは…(といって,八相からの太 逸脱していないためである.つまり,「個性で伝
刀筋に対し,天狗抄の一本目・花車の刀法を応 える」というのは体格差のみならず,個々人の好
用するやり方をみせる).私のはお上品.この みも「砕きの範疇」に反映されているためだと考
やり方は親父より私の方が上手かったんだ.や えられる.
れば親父の方が上手かったかもしれないけど, 「砕きの範疇」に注目すると,ある表太刀が別
好きじゃないんだよなこういうのが.親父のは の表太刀の刀法に変化する様子がみられる.例え
そうじゃないんだ(といって,同じく相手が八 ば Y 氏が示範する「花車の太刀」を応用した一
相から打ってくるところを,1 歩踏み出しつつ 刀両段の砕きは,これも相手が八相から打ち込ん
脇構えから真向かいになるが,このとき太刀を でくるところを,こちらは水月の場に踏み込み上
背骨に沿わせて垂らし,その後,上段に構え直 半身を左にひねるところまでは古伝と同様だが,
す.太刀を背骨に沿って垂らす動作で相手の太 八相から斜めの角度で打つのではなく,太刀先を
刀を外し,相手の頭上に太刀を打ち込む).こ 高く掲げ,太刀先を相手の太刀の柄に向けて上か
ういうのを砕きっていうの.砕きだけやってて ら放り込む様にして打つ.図 19-21 が花車と同様
も稽古にはなるわけ.でも,砕きばかりだと競 の刀法になる.
14 中嶋

1. 源の型概念の相対化
まず,源の型概念を再確認しておこう.源の型
概念は次のように要約できた.
①個々の型は「同一運動のコピィ」原理を持っ
ている.
図 17 一刀両段・砕きの範疇 図 18 一刀両段・砕きの範疇 ②型は稽古する者にとって規範性と強制力を持
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
つ.
③型は制作者の人格や個性を離れた普遍性を持
っている.
④型は歴史的なプロセスにおいて形成される.

まず,①であるが,Y 道場の柳生流の中でこの
図 19 一刀両段・砕きの範疇 図 20 一刀両段・砕きの範疇
考え方に近いのは表太刀である.しかし,柳生流
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
では全ての組太刀は刀法のヴァリエーションであ
り,表太刀もまたその中から選定された教習用の
組太刀に過ぎない.源もまた選択された特定の所
作(=スタイルとしての型)が型へと洗練されて
いく過程を論じていたが,刀法は型の形成に際し
て特定の所作が選択される手前にまで遡って,結
図 21 一刀両段・砕きの範疇 図 22 一刀両段・砕きの範疇
果的に選択されない所作をも含めて所作を作り出
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
す働きがあるのだ.そうした刀法の特徴が現れる
のが砕きの稽古である.源の型概念は刀法の次元
を見落としているのである.
また,「同一運動のコピィ」に見える表太刀の
反復も相手に非切りされる可能性を孕みながらそ
の都度,不断に再構成されるものであった.非切
図 23 一刀両段・砕きの範疇
りは源が「型の稽古もふだん真剣にやれば(中略)
(2018 年 10 月 28 日:筆者撮影)
実力を養うことができる」(源,1989,p.170)と
こうした砕きの稽古から分かることは,表太刀 述べた「真剣」な稽古に相当し得る.ただし,非
の間にも厳密な区別はないということである.砕 切りは稽古の最中において非切りされないよう稽
きの稽古では,今・ここの勝負の瞬間において稽 古者に思考を促す . その結果として稽古が真剣な
古者 2 人の刀法が組太刀として成立することが求 ものに維持される.つまり,非切りは真剣さを個々
められるのである. 人のモチベーションに帰させず,流派として真剣
な稽古の場を提供するための工夫なのである.柳
Ⅴ 結 論 生流では源のいう型通りに型を学ぶ弊害を非切り
や砕きによって回避してきたのである.
ここまでの議論をもとに,最後に源の型概念と 次に②であるが,表太刀には規範性があるとい
柳生流の稽古をつき合わせて,源の型概念をどう えるだろう.表太刀は教習用に設定されているた
相対化できるのかを検討したい. めである.また,非切りの稽古も結果的に表太刀
の所作に仕向ける側面がある.ただし,表太刀の
手順自体に強制力はない.強制力があるのは刀法
源了圓の「型」概念の相対化 15

である.所作は表太刀の手順に強制されるのでは は歴史的である.表太刀の名は伝書に記されて伝
なく,刀法に規定されているからである.また, えられるからである.一方で,実践的には組太刀
砕きの稽古になれば太刀筋の変化も起きてくるの の成立は歴史的というよりはその都度,瞬間発生
で,刀法に規定されつつも所作は稽古者自身の裁 的である.そして,その都度発生しては消えてい
量に委ねられる度合いが増えてくる.そのため, く組太刀を表太刀として歴史的に定着させるため
稽古者は自分自身で考案した太刀筋に調和した所 柳生流で要請されたのは,名付けや人格化であっ
作を工夫しなければならないのであり,特定の所 て,源のようなイデアやモデルの概念ではなかっ
作を強制されるわけではない.したがって刀法に たと考えられる.
は強制力があるが所作には個々人の裁量の余地が
残されているのである. 2. 今後の課題
次に③である.一見,型に相当し得るようにみ 今後の課題として,表太刀については論議すべ
えるのは表太刀だが,脱人格化した組太刀は表太 き事柄が残されている.名付けや人格化はその都
刀になれない.表太刀の成立に関与した人々は上 度発生しては消えていく組太刀を表太刀として歴
泉や柳生家であるが,各表太刀が各伝承者に由来 史の舞台に引き上げる.しかし,名付けや人格化
することは稽古中,しばしば言及される.他方で は表太刀を他の組太刀から区別し歴史に位置づけ
柳生流のその他の伝承者は砕きの範疇として自身 るだけで,所作の持続的な同一性を保つ力はな
の刀法を表太刀と併せて伝えている.表太刀がそ い.つまり,表太刀はその制作者の統御を離れ世
の制作者の名称とともに伝承されるようになった 代が下って伝承されていくなかで,制作者が組立
のは,砕きの範疇の組太刀と表太刀とを区別する てた所作が忘却される可能性,あるいは意図的に
ためだと考えられる.例えばⅣ章でみたように, 後代の伝承者が改変する可能性,すなわち伝承の
一刀両段の砕きでは時に他の表太刀の刀法を含み 失敗可能性に常にさらされているのである.
込むことがあるが,それによって表太刀間の区別 本研究が最後にこうした表太刀の伝承の失敗可
や元の表太刀の仕様に混乱が生じる可能性がある 能性に言及するのは,Y 道場が現行の表太刀の正
注 7)
.そのため表太刀及び砕きの範疇の組太刀は, 統性に疑義を持ち,元来の表太刀がどのような意
その選定者の名称とその者の考えや好みも合わせ 思の下で,どのような刀法によって組まれたのか
伝えることで各組太刀の区別やそれが伝えられて を探究しているためである.この探究のために Y
きた意味を強調してきたのではないかと考えられ 道場では柳生流の伝書に記された表太刀の所作か
る. ら元来の表太刀を復元しようと試みている.本研
もし脱人格化された普遍性が柳生流にあるとし 究としては Y 道場の復元の試みから,今後,柳
たら,刀法がそれに相当し得るだろう.なぜなら 生流に限らずあらゆる武道の型を復元するための
刀法は誰の名称も付与されず,柳生流の組太刀全 方法上のヒントが抽出できるのではないかと考え
てに内在するからである.また刀法の要素である ている.
水月の場は袋竹刀の寸法に依存しているし,太刀 最後に本研究の限界として,Y 道場以外をフィ
筋もベクトルに拠っている.つまり,刀法は幾何 ールドワークできなかったことが挙げられる.同
学的であるという点で,数学的な普遍性を志向し じ柳生流であっても道場によっては Y 道場のよ
ていると考えられる.ただし,そうした刀法によ うな非切りや砕きの稽古をしていない可能性もあ
って組太刀が生み出され,表太刀や砕きの範疇の る注 8).また,他流の道場をフィールドワークす
組太刀が選定される時に,各人の考えや好みが挿 れば本研究とは異なる型の稽古が窺えることが予
し込まれるのである. 想される.こうした課題は残るものの,本研究は
最後に④である.源は型の創造を歴史的なプロ フィールドワークによって,これまでの文献研究
セスの中で考えていた.柳生流においても表太刀 では規範的なものとして論じられてきた武道の型
16 中嶋

みのかかりごかのだ い じ
の実践的で発生的な一面を示すことができたと考 た「身懸五箇之大事」は砕きを含めた毎回の組太刀で

える.本研究が呼び水となって,今後,武道の稽 注意される.すなわち,
「身を一重に成す可き事」,
「敵
のこぶし吾が肩にくらぶべき事」,「身を沈にして吾が
古のフィールドワーク研究が盛んになれば幸いで
拳を楯にしてさげざる事」,「身をかかりさきの膝に身
ある. をもたせ跡のえびらをひらく事」
,「左のひぢをかが
めざる事」である(柳生,1603〔今村,1967,p.227-
謝辞及び付記 228〕).同様の注意は江戸柳生の伝書『兵法家伝書』に

本研究の趣旨を理解し快く協力して頂いた Y もみられる.
注 7)表太刀の名称と弁別の関係の混乱を示す事例に燕
氏及び Y 道場の皆様にはここに記して謝意を表
飛がある.燕飛について記された伝書のなかには,表
したい。また、本研究は JSPS 科研費 JP17K13133 1 に示した六本の組太刀に加えて,
「折甲」
,「刀棒」
による研究成果の一部である。 といった組太刀の名が記された伝書がみられたり,月
影と山陰の位置が入れ替わっていたりすることがある
( 加 藤,2003,p.382; 魚 住 ほ か,2013,pp.105-135).
注 ただし,加藤(2003)及び魚住ほか(2013)によれば,
注 1)源は近代に成立した柔道,剣道を総称する武道と 燕飛の特色は各組太刀を一つ一つ分けずに行う続け遣
それ以前の武芸とを分けて論じているが,寒川(2014) いにあり,名称の問題は,単に一連の所作のどこを名
は日本の古代から近世にかけて使われた武道の用法に 称で区切るかの問題でしかないと指摘している.
武芸・武術の意味があったことを指摘しているため, 注 8)今後の調査のために,研究テーマ上必須と思われ
本研究ではこれまで近世の武芸・武術,近代の武道と る刀法,非切り,砕き,表太刀を他の尾張柳生系統の
分けて論じられてきた対象を総じて武道と呼ぶことに 道場関係者が公に出版した文献でどう述べられている
する. かを確認した.
注 2)日本語としては型のほかに「かた」,「形」などの   まず,刀法についてである.第 13 代厳長の主著『正
語があるが,研究者によって用い方は異なる.柔道や 伝・新陰流』ではいくつか断片的に刀法について言及
剣道では型ではなく形と表記するが,本研究では用法 される.例えば「勝口(勝ちをとる手段・刀法――太
の混乱を避けるため,柔道や剣道の形に論及する場合 刀筋)」(柳生,1957,p.40),「勝ち口(勝ちをとる手
にも型と表記した. 段――刀法)」(柳生,1957,p.46),
「刀法――截相(中
注 3)本研究の実施については 2015 年 9 月・10 月に科 略)画図に現れている刀法――構え」
(柳生,1957,
研費申請書類を作成する際に道場主に了承を得てい p.262),「刀法――使い方」(柳生,1957,pp.305-306)
る.この時の科研費申請は不採択だったが,翌 2016 とある.これらを総合すれば,尾張柳生の本家(戦
年も同様のテーマをブラッシュアップして科研費に申 後,「柳生会」と称しているため,以下これを「柳生
請し,2017 年 4 月に採択が通知された.なお,2016 会」と略す)の刀法とは相手に勝つための手段であり,
きりあい
年に科研費を申請するにあたっては,道場の方に専門 それは太刀筋,構え又は截相を指している.この柳生
的知識の提供というかたちで研究協力者になっていた 会の刀法の捉え方は Y 道場と大きな違いは無いもの
だく了承を得て,申請書にも名前を記載することを了 と考えられる.また厳長死後に柳生会を継いだ柳生延
承いただいた.当科研費については付記を参照のこと. 春(1919―20007,以下「延春」と略す)は刀法を「懸
にとう に と う うちもの
注 4)ただし,筆者は天狗抄の「二刀」及び「二刀打物」
(相 待表裡,一隅を守らず」
(柳生,1996,p.332)と表現
ににんがかり
手が二刀流で仕掛けてくる組太刀),「二人懸(敵 2 名 している.
「懸待表裡」は相手の働きに応じて動くこ
を相手する組太刀)」は稽古したことがなく,実見の と,
「一隅を守らず」はひとつの動きに偏らないこと
みである. を指すが,これが Y 道場の刀法と同じ意味かどうか
注 5)こうした稽古は柔術でもみられる.例えば,起倒 は柳生会で調査しなければ分からない.厳長の高弟渡
まろばしかい
流では「請立ノ残ル」稽古という非切りと似た稽古 辺忠敏の子息渡辺忠成が設立した転 会では「刀法理
が行われていたようである(寒川,2014,pp.304― 論(技法・術)
」(渡辺,2009,p.136)とされている.
306).ただし,寒川(2014)は砕きに相当する稽古を 転会の刀法は本研究でいうところの組太刀にも重なる
文献研究から明らかにしていない. ニュアンスがあるように思われるが判然としない.ま
注 6)柳生流に所作の注意に関する伝承がないかといえ た,神戸の流れを受け継ぐ春風館で稽古した赤羽根
ば,そんなことはない.柳生流の創始者・宗厳が慶長 (2003)は「柳生新陰流の技(刀法)」(赤羽根,2003,
8(1603)年に尾張柳生初代の利厳に発給した『新陰 p.1)と述べ,刀法は技であるとの見解を示しているが,
流截相口伝書事』という伝書があるが,これに記され やはり技の意味合いが不明瞭である.転会および春風
源了圓の「型」概念の相対化 17

館の刀法論も今後検討すべき課題となるだろう. 飛,九箇までを表太刀として伝授」(渡辺・島,1999,
次に非切りであるが,厳長は柳生流の「教習法」に p.72)すると述べている.この点,Y 道場では天狗抄
ひ ぎ
「「間斬り試合」があることを戦前の雑誌『武道公論』 以降も表太刀に含めている.赤羽根龍夫・大介らが表
上で紹介している.「間斬り試合」について厳長は「何 太刀についてどういう見解をもっているのかは,彼ら
處の間隙をも頭と云はず,肩と云はず,二の腕と云は の研究論文や文献からは窺い知ることが出来なかっ
ず,脚と云はず,これを失はずして『打太刀』から た.
之を撃ち取り,『使太刀』の方は,この『間』を修め また,他の道場の文献では太刀や勢法に「かた」と
て,少しの間隙の無いところまで鍛錬工夫向上する修 いうルビを振り,実際そのように読むと述べられてい
行法」
(柳生,1941,p.34)だと説明している.厳長 る(赤羽根,2007,p.15;柳生,1957,p.271;渡辺,
は戦後も尾張柳生の発展に尽力しているが,現在,柳 2009,p.133).この点もY道場の言葉遣いは他の道場
生会で非切りが指導されているのかは今後の課題であ とは異なっている.このように他の道場でもY道場と
る.赤羽根・赤羽根(2006)は,春風館に伝わる神戸 同様の用語がつい最近まで使用されていることが確認
の手になる文献『柳生の芸能』を翻刻公開している された.今後は各道場でこれらの用語が現在も使用さ
が,そこに「人みな,勝たんと思うにより,手前が脱 れているのかどうか,また道場間の用法の差異や共通

けて,かえって敵にその間を打たれる.よって敵に勝 点に着目し,フィールドワークを行うことが課題とな

つことを求めずして,まず手前を全うし,少しも間の るだろう.
なきものになることを第一とする(ルビ,ママ)」(赤
羽根・赤羽根,2006,p.6)とある.手前,すなわち 文 献
作法に不備があれば敵にその間を打たれると解せる 赤羽根龍夫(2003)新陰流を哲学する : 江戸柳生の心
ので,Y 道場の非切りと似たような稽古法と考えられ 法と刀法(一)
.基礎科学論集 : 教養課程紀要,21:
る.転会では大転,小転の組太刀について「間切(ひ 1-48.
ぎり)という(使太刀は小太刀を執り,打太刀は右片 赤羽根龍夫(2007)【江戸武士の身体操作】柳生新陰流
手に太刀を執って,打太刀は間境で懸,待,表,裏の を学ぶ.スキージャーナル株式会社.
はたらきを示し,使太刀の上,中,下段,順,逆の間 赤羽根龍夫・赤羽根大介(2006)『柳生の芸能』(神戸金
げきを打って急に引き去る変化無尽の)勢法」(渡辺・ 七編).基礎科学論集:教養課程紀要,24:1-84.
島,1999,p.65)と述べている.転会の「間切」は大 赤羽根龍夫・赤羽根大介(2007)新陰流(疋田伝)の研
転と小転に限定した用法であるが,厳長も『正伝・新 究.基礎科学論集:教養課程紀要,25:1-118.
ひぎりしあい
陰流』で「間切仕相(打太刀が中太刀で,使太刀は小 赤羽根龍夫・赤羽根大介(2008)『柳生の芸能 2』(外伝
太刀で行う小太刀のかた仕相)
」(柳生,1957,p.216) 勢法).基礎科学論集:教養課程紀要,26:1-96.
と述べており,小太刀の非切りを特に指して使用する 赤羽根龍夫・赤羽根大介(2010)武蔵と柳生新陰流―新
場合もあるようである. 陰流と武蔵流の「極意」を学ぶ.基礎科学論集:教養
砕きについて.厳長は「『砕き』――変化の勢法(は 課程紀要,28:1-58.
くだき
たらき・かた)」(柳生,1957,p.58),「『砕 』という 赤羽根龍夫・赤羽根大介(2012)宮本武蔵「尾張円明流」
は変化の太刀のことである」
(柳生,1957,p.282)と の研究.基礎科学論集:教養課程紀要,30:1-31.
述べている.転会では「『砕』
(変化技・応用技)」
(渡辺・ 赤羽根龍夫・赤羽根大介・Krupp Alex(2011)英文『柳
渡辺,2013,p.204)とされている.さらに赤羽根は 生新陰流』を学ぶ.基礎科学論集:教養課程紀要,
柳生流の試合稽古として「試合では,打太刀はどこを 29:55-95.
打ってくるか決まっていないのです.勝負なのですか 加藤純一(2003)柳生新陰流の研究.文理.
ら,打太刀がどう打ってこようとも,それに打ち勝た 小島康敬(1994)徂徠学と反徂徠.ぺりかん社.
なければならない.そこに変化技、『砕き』の世界が 子安宣邦(1998)江戸思想史講義.岩波書店.
広がっています」
(赤羽根,2007,p.234)と述べている. ラトゥール・ブルーノ:川崎 勝・高田紀代志訳(1999)
このことから柳生会,転会,春風館にも Y 道場のよ 科学が作られているとき―人類学的考察.産業図書.
うな砕きの稽古が存在していることが窺える。 〈Latour, B. (1987) Science in action: How to follow sci-
最後に表太刀であるが,厳長(1957)及び延春(1996) entists and engineers through society. Harvard University
によれば表太刀は燕飛,三学,九箇のことであり,天 Press.〉
狗抄や極意六箇条(柳生会,転会,春風館では「奥 前林清和(2006)近世日本武芸思想の研究.人文書院.
義の太刀」と称されている)などは表太刀の範疇で 源了圓(1980)近世初期実学思想の研究.創文社.
はないようである(柳生,1957,p.248;柳生,1996, 源了圓(1982)文化と人間形成.第一法規.
p.15). ま た 転 会 で は, 表 太 刀 を「 通 常 は 三 学, 燕 源了圓(1989)型.創文社.
18 中嶋

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魚住孝至・立木幸敏・吉田鞆男・大保木輝雄・仙土克博・
朴周鳳・中嶋哲也・長南信之(2012)日本の武道文化 ( 2019 年 5 月 21 日受付
2019 年 10 月 25 日受理 )
の成立基盤―新陰流と一刀流剣術の研究を通じて.武
道・スポーツ科学研究所年報,17:107-144. Advance Publication by J-STAGE
魚住孝至・立木幸敏・吉田鞆男・仙土克博・長南信之・ Published online 2020/1/10
大保木輝雄・朴周鳳・中嶋哲也・宮本光輝(2013)日
本の武道文化の成立基盤―新陰流と一刀流剣術の研究

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